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陸奥国 会津郡 河島組 藤生(とうにふ)村 大日本地誌大系第31巻 106コマ目 府城の南に当り行程12里9町。 家数27軒、東西2町48間・南北1町24間、散居す。 西南北に山連なり東に田畝あり。 東5町30間関本村に界ひ荒貝川限りとす。その村まで15町。 西1里18町計高野組針生村の山界に至る。その村まで2里2町。 南9町12間糸沢村の界に至る。その村まで1里 北1里計高野組大豆渡村の山界に至る。その村まで2里1町。 また丑寅(北東)の方6町河島村に界ひ荒貝川を限りとす、その村まで17町。 また村西1里、山奥に木地小屋あり。 家数4軒、東西58間・南北15間。 端村 上野(うはの) 本村の辰巳(南東)の方5町30間にあり。 家数16軒、東西1町14間・南北1町50間。 東は荒貝川に臨み西は山に倚る。 上小塩(かみこしほ) 本村より丑寅(北東)の方7町10間余にあり。 家数3軒、東西20間・南北15間。 西は山に倚り三方田圃(たんぼ)なり。 下小塩(しもこしほ) 上小塩より丑寅(北東)の方3町20間余にあり。 家数10軒、東西30間・南北7間。 西は山に傍(そ)ひ三方田圃(たんぼ)なり。 山川 嶽腰山(たけのこし) 村西1里20町にあり。 頂まで20町計。 西は針生村に界ひ、南は糸沢村に界ふ。 雑樹多し。 追立山(おつたてやま) 嶽腰山の北に並び稍(やや)卑し。 西は針生村の山に連なる。 尾無山(おなしやま) 追立山の戌亥(北西)の方にあり。 2峯東西に並ぶ。 西峯は針生村に属し東峯はこの村に属す。 また東北の半腹に小檜峠(こひとうげ)とて大豆渡・針生両村に行く道あり。 登ること20町余。 荒貝川 村東6町30間にあり。 糸沢村の境内より来り、北に流れて河島村の地を過ぎ、また北に流れて中荒井村の界に入る。 境内を経ること27町計。 富貴川(ふうきかわ) 村中にあり。 源は村西の山中より出て、東に流るること1里20町余、荒貝川に注ぐ。 広4間計。 神社 八幡宮 祭神 八幡宮? 鎮座 不明 村の西山麓にあり。 鳥居拝殿あり。河島村南照寺司る。 熊野宮 祭神 熊野宮? 鎮座 不明 端村上小塩の西南1町余山麓にあり。 鳥居拝殿あり。南照寺これを司る。 寺院 藤生寺 端村上野の西山越にあり。 何の草創にか知らず。 旧は太子守宗なり。寛文中(1661年~1673年)京師東本願寺に隷し浄土真宗となる。 本尊弥陀客殿に安ず。 外に聖徳太子の像あり。長4尺2分、正澄作という。 Google Map古桧峠 八幡宮(上小塩) 祠 藤生寺
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陸奥国 会津郡 河島組 中荒井(なかあらい)村 大日本地誌大系第31巻 105コマ目 府城の南に当り行程11里9町余。 家数62軒、東西1町20間・南北7町2間余、下野街道に住す。 四方田圃(たんぼ)なり。 村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。 東12町52間田島組新町村の界に至る。その村は丑寅(北東)に当り19町20間。 西3町余本村及び藤生村、河島村3ヶ村入逢(いりあい)の地に界ふ。 南3町57間余河島村の界に至る。その村は未(南南西)に当り13町40間。 北2町田島組永田村の界に至る。その村まで18町。 端村 油燈(ゆとう) 本村より丑(北北東)の方3町にあり。 家数15軒、東西1町・南北1町18間、下野街道に住す。 四方田圃(たんぼ)なり。 小桂(こかつら) 本村より辰巳(南東)の方15町にあり。 家数4軒、東西40間・南北50間。 山間に住す。 山川 荒貝川 村西4町余にあり。 河島村の境内より来り、北に流るること5町、田島組永田村の界に入る。 神社 熊野宮 祭神 熊野宮? 鎮座 不明 村中にあり。 石鳥居あり。田島村室井出雲が司なり。 鷲神社 祭神 鷲神? 鎮座 不明 村東4町余にあり。 石鳥居拝殿あり。河島村南照寺司る。 末社 稲荷神社 祭神 稲荷神? 本社の南にあり 羽黒神社 祭神 羽黒神? 創設 不明 端村小桂より丑寅(北東)の方山麓にあり。 鳥居拝殿あり。南照寺これを司る。 田出宇賀神社 祭神 倉稲魂命? 創設 不明 端村油燈の東にあり。 鳥居拝殿あり。南照寺司る。 稲荷神社 祭神 稲荷神? 鎮座 不明 村中にあり。 村民の持なり。 古蹟 館趾 村中にあり。 東西26間・南北22間。今民屋となりき。 何の頃にか長沼三郎左衛門常則と云うもの築き、慶長年中(1596年~1615年)渡邊左京助某住せりと云い伝う。 旧家 源吉 この村の名主なり。 渡邊左京助が弟源五郎某と云う者の八世の孫にて世々この村に住し、左京助蒲生氏に仕え、拜領の物なりとて鑓一本・飯櫃一ヶを持伝え外に馬鞍をも蔵(おさ)む。系図なければその詳なることは知難し。 Google Map中荒井駅 油燈地区 小桂地区 熊野神社 鷲神社 羽黒神社(小桂) 田出宇賀神社(油燈) 秋葉神社 - 稲荷神社? 館趾 - 不明。会津への夢街道さんによれば田島町中荒井久宝居に中荒井館があるとのこと。 如活禅師について(南会津の輪!!)
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ゆうちょ銀行本店京成電鉄新三河島駅出張所【廃止】 局所コード 01697 所在地 東京都荒川区西日暮里六丁目2-1 改札口横 店舗外観 内部 未撮影 店舗名表記 営業時間表記 機番 設置場所周辺
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[部分編集] 【慶長 佑香(けいちょう ゆか)】 プロフィール リンク 関連グッズ ▼レビュー +... ・ 【慶長 佑香さんの出演作品】 ハイスクールD×D
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陸奥国 会津郡 河島組 滝原(たきのはら)村 大日本地誌大系第31巻 108コマ目 村西に瀑布あり故(ゆえ)に名けり。 府城の南に当り行程14里。 家数55軒、東西1町20間・南北5町30間。 両山の間に住し西は荒貝川に傍(そ)ふ。 東20間計・北14町計、共に糸沢村の山界に至る。その村は丑寅(北東)に当り1里。 西1里22町熨斗戸組八総村に界ひ中山峠を限りとす。その村まで3里余。 南1里計下野国塩屋郡本組横川村の山界に至る。その村は巳午(南南東~南の間)に当り3里。 また村西1里5町山中に木地小屋あり。 家数4軒、東西40間・南北20間。 山川 荒貝嶽 下野国にては太郎嶽と云う。 村の西3里計にあり(本郡の条下に詳なり)。 荒貝川 村西50間にあり。 源は荒貝嶽より出て、屈曲して東北に流るること4里余、糸沢村の界に入る。 瀧2 一は村西1町余、荒貝川にあり。 高1丈余、大瀧(おほたき)と云う。 一は村の西南30町計二あり。 高2丈余、龍澤(りうがたき)という。 渓流これに注ぐ。この所にて旱歳に雨を祇れば應ありとぞ。 関梁 橋 村西1町余山路にあり。 長18間。荒貝川に架す。 土橋なり。 神社 山神社 祭神 山神? 鎮座 不明 村南1町余にあり。 鳥居あり。田島村室井出雲が司なり。 鷲神社 祭神 鷲神? 鎮座 不明 山神社の東北にあり。 鳥居拝殿あり。糸沢村修験正覚院これを司る。 熊野宮 祭神 熊野宮? 相殿 山神 十二所神 草創 不明 村東にあり。 何頃の草創にか詳ならず。 径4寸計の鰐口に『籠原権現鉤口御寶前氏神、文正二年五月十三日』と彫付あり。その謂れを伝えず。 Google Map中山峠 荒海山(太郎岳) 大山祇神社 鷲神社(南会津町滝原) 熊野神社
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名前 ふりがな 英 生年月日 経歴 選手歴 横浜SCつばさ 2021年〜2023年 - 横浜FC鶴見ジュニアユース + ... 2021 2022 2023 代表・選抜歴 関連リンク サッカー歴ドットコム
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(歌詞は著作権に触れるため省略) アーティスト:河島英五 レベル:1(昭和歌謡モードでは4) 地声最高音:mid2F#(飲んで飲んで飲まれて飲んで) 地声最低音:mid1E(やがて男は) シンガーソングライター・河島英五の代表曲。清酒「黄桜」のCMソングとして起用された。氏が18歳の時に、親戚が100人以上集まる法事で、親戚が飲み食いする様子を見て作詞・作曲したとのことで、「静かに寝むるのでしょう」という語尾は自身が飲み食いしたわけではないため。 ちなみに河島英五は酒が飲めないようである。 昭和歌謡モードではレベル4だったが、ノーマルモードではレベル1と凄まじい降格をしている。 サビ前半はmid2F#が連発するが、滅茶苦茶な高音というわけではないため、ある程度高音に慣れた方なら簡単に攻略できるだろう。むしろそのような方は比較的低めなサビ後半でつまずく可能性が高いと言える。地声最低音の箇所は要注意。 また、「飲みつぶれて寝むるまで 飲んで」の独特な間と低音にも注意。昭和歌謡モードでこの楽曲に挑戦した錦野旦氏もこの間に引っかかって失敗している。 以上の点より、レベル1としてはややクセのある楽曲と言えよう。
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陸奥国 会津郡 河島組 糸沢(いとさわ)村 大日本地誌大系第31巻 107コマ目 府城の南に当り行程12里28町。 家数53軒、東西1町・南北4町50間。 両山の間に住し西は荒貝川に臨む。 下野街道の駅所にて、村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。 河島村駅より1里ここに継ぎ、ここより2里22町下野国塩屋郡本組横川村駅に継ぐ。 村北に一里塚あり。 東は下野国那須郡に隣り宇賀嶽の頂を限りとす。 西は高野組針生村に界ひ七森嶽の峯と限りとす。 南2里8町横川村に界ひ山王峠の頂を限りとす。その村まで2里22町。 北27町13間関本村の界に至る。その村まで31町30間。 また 亥(北北西)の方26町28間藤生村の界に至る。その村まで1里。 未申(南西)の方26町滝原村の界に至る。その村まで1里。 旧端村今和泉の北に馬場原(ばははら)と云う端村あり。今はなし。 端村 今和泉(いまいつみ) 本村の北17町にあり。 家数14軒、東西30間・南北50間。 西は荒貝川に傍(そ)ひ三方田圃(たんぼ)なり。 古内(ふるうち) 今和泉の西1町余にあり。 家数21軒、東西50間・南北2町。 東は田圃(たんぼ)にて西は山に倚る。 羽塩(はねしほ) 本村の南13町20間余にあり。 家数28軒、東西12間・南北3町20間。 西は荒貝川に臨み三方に田圃(たんぼ)あり。 宇治山(うちやま) 羽塩の南23町余にあり。 家数4軒、東西10間・南北40間。 両山の間に住し東は山王沢に傍(そ)ふ。 山川 宇賀嶽(うかたけ) 俗に男鹿嶽(おかたけ)と云う。 村東数峯を隔て4里計にあり。 衆山に秀で雑樹陰欝たり。 東は那須郡に属し峯を界とす。 南は横川村に界ひ、北は田島組栗生沢村に属す。 太郎嶽 村東25町にあり。 頂まで20町。 東は河島村に属し、北は関本村に属す。 七森嶽(ななつもりたけ) 一名荒倉山(あらくらやま)、俗に七嶽(ななつがたけ)と云う。 村より戌(西北西)の方2里計にあり。 七峯相連なる故に名く。 西は針生村に属し峯を界とす(針生村の条下に詳なり)。 貝鳴山(かひなりやま) 村南1里5町にあり。 頂まで20町計。 山形孤立せるが如し。 相伝う。慶長5年(1600年)上杉景勝東照宮を拒(ふせ)ぎ奉んためこの峯に遠見を置き、敵鶴淵の隘口(あいこう)(*1)(上三依村にあり)を越来らば相圖(あいず)の貝を吹て糸沢の陣に報すべしと結構せしとて、その後貝吹峯(かひふきみね)とも称せりとぞ。 山王峠(さんわうとうげ) 村西2里余、下野街道にあり。 頂に山王神社あり故(ゆえ)に名くと云う。 陸奥・下野の界なり。 登ること8町余、道盤曲(ばんきょく)して左右千尋の谷に臨み、或は巖(いわ)を鑿(ほ)り、或いは棧(かけはし)を架して通路とす。 北麓に1里塚あり。 荒貝川 村西にあり。 滝原村の境内より来り、山王沢に合し東に流れ北に転じ関本村の界に入る。 境内を経ること1里18町余。 山王沢 源を山王峠より発し、北に流るること2里余荒貝川に合す。 所々に土橋を架して往来す。 羽塩滝 端村羽塩の北2町余、荒貝川にあり。 高纔(わず)(か)に7、8尺・広30間計、緩流(かんりゅう)して下る。 水面平坦にして流るることを覚えざるが如し。頗(すこぶ)る奇観(きかん)とす。 原野 萩野原 村南30間余にあり。 東西1町・南北30町余。 下野街道にて、原中に一里塚あり。 神社 三島神社 祭神 三島神? 鎮座 不明 端村羽塩の西2町計にあり。 鳥居拝殿あり。田島村室井出雲が司なり。 熊野宮 祭神 熊野宮? 相殿 稲荷神 三島神 鎮座 不明 村北2町山麓にあり。 鳥居あり。 喬木(きょうぼく)繁陰して神さびたり。 龍福寺これを司る。 示現太郎神社 祭神 大己貴命 鎮座 不明 村南2町山腰にあり。 鳥居あり。龍福寺これを司る。 末社 稲荷神社 祭神 稲荷神? 相殿 山神 本社の南にあり。 三島神社 祭神 三島神? 鎮座 不明 羽塩の東北2町計にあり。 鳥居拝殿あり。修験正覚院これを司る。 山王神社 祭神 山王権現? 鎮座 不明 山王峠の頂上にあり。 鳥居あり。塩谷郡本組三依村阿久津摂津が司なり。 山神社 祭神 山神? 鎮座 不明 羽塩の西南1里計にあり。 村民の持なり。 三島神社 祭神 三島神? 鎮座 不明 端村古内の西の山腰にあり。 修験和光院司る。 日光神社 祭神 日光神? 創設 不明 端村今和泉の北4町余にあり。 鳥居あり。和光院これを司る。 寺院 龍福寺 村中にあり。 真言宗熊野山と號す。山城国醍醐山光臺院の末山なり。 縁起に、永禄の頃(1558年~1570年)長沼盛勝と云う者この寺を造立して祇願所とし、祏請󠄁と云う僧を開山とせしと云う。然れども『宣誘院殿鐵性風山大信士長禄三己卯年六月初二日』と記し、裏に『田島城主長沼大和守平政明六四歳卒龍福寺地内に葬る』と記せし位牌あれば、長禄の頃(1457年~1460年)よりこの寺ありしにや詳ならず。 本尊弥陀客殿に安ず。 また鐘一口あり。径2尺『延享元年甲子五月』と彫付あり。 観音堂 境内にあり。 寶物 古文書 2通。 その文如左(※略) 曼荼羅 1幅。 開山所持のものなりという。 墳墓 五輪 村北2町余山麓にあり。 長沼盛勝が墓といい伝う。 この所もと龍福寺の境内なりしとて多く古墳あり。 上に石塔を建つ、皆文字を彫ず。 古蹟 陣屋 村南1里余下野街道の東、山腰に出戸陣場・入陣場とて丘の如き所あり。 如何なる故(ゆえ)と云うこと詳ならず。 塔寺八幡宮長帳に明應4年(1495年)11月19日、松本備前伊藤殿不思議のことありて宇都宮殿を頼み落行くところに、南山殿糸沢にて追かけ討死にて神通33人とあり。この所のことなるも知るべからず。 館跡 端村・古内の北にあり。 天正の頃(1573年~1593年)長沼小次郎某と云う者の住せし所と云う。 今菜圃(さいほ)となりき。 Google Map男鹿岳 家老岳 七ヶ岳 貝鳴山 山王峠 神社(村北) 二荒山神社(示現太郎神社)二荒山神社と示現太郎神社の関係については面白い話があります。興味がある方は調べてみてください 森前 二荒山神社(今和泉の北) 龍福寺 不動堂(旧修験和光院)
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みかわしま 東日本旅客鉄道 東京都荒川区西日暮里一丁目 JR常磐線(上野~取手) 日暮里←→南千住