約 1,803 件
https://w.atwiki.jp/waretada/pages/176.html
品階 キャラクターが獲得した武林功績値により、品階選択が可能です。 全体品階が表示されて本人が獲得できない品階は赤色で表示されます。 効果を受けたい品階にチェックをすれば該当効果を受けることができます。 チェックは品階リスト中一個だけ選択できます。 品階はキャラクター名の上に表示されてマウスカーソルを一定時間あわせれば見えます。 また、「名号表示」を設定しているキャラクターは、他のキャラクターも見る事が出来ます 品階称号 品階効果 必要武林功績 儒林郞 耐性+50 3000P 仁勇校尉 気力+500 5000P 給事郎 体力+2000耐性+30 8000P 宣節校尉 敏捷+100 12000P 朝請郎 体力+5000 15000P '09/12/22アップデートで導入 以下2011/1アップデート予定 致果校尉 力+50 20000P 朝議朗 耐性+150 23000P 明武校尉 気力+2,000 27000P 中散丈夫 体力+5,000、耐性+100 30000P 定遠将軍 敏捷+200 33000P 正議丈夫 体力10,000 36000P 忠武将軍 気力5,000 40000P 金紫光禄丈夫 耐性+250 43000P 冠軍大将軍 力75 46000P 武林功績 武林功績機能の導入 【武林功績について】 武林功績が必要な施設などが利用できるようになります。 【増減】 攻城戦での、幹部以上を倒した際や、派閥戦争、専用クエストで増加 潜在修練場、クリアで5000減少 (武林功績商人を通じての買い物 :酒除く) 【確認方法】 簡易ステータスに『武林功績』の項目が追加され、現在の武林功績ポイントが確認できます。 洛陽城にいる酒販売NPC「店員」(座標:113,259)より酒を購入 '08/6/24アップデートで導入 武林功績クエスト '09/8/26アップデートより導入 武林功績クエスト 河南省洛陽城の役所(座標:90,225)より 「武林功績」を選択することでクエストを受けることができます。 クエストは1日1回進行可能となり、 クエストを完了することで武林功績を 獲得することができます。 名号 獲得功績 魔霊珠 ドロップモンスター 無名小卒 50 東 属性の武道家・剣客・白衣の武士・七点蛇 新進高手 60 西 属性の餓狼・羅漢僧・猿・殺母蛇・ラマ僧 一流高手 70 南 属性の騎兵俑・血頭鷹・ヤギ・ガラガラヘビ・白馬・白髪武士 絶世高手 80 北 属性の吸血ネズミ・黄土魔人・氷雪魔人・黄土夜叉・氷雪夜叉 一代宗師 90 萬人之上 100 地 武当無嘗・武当儚女、属性の氷塊兵・氷奴・龍寿天人 君臨天下 110 天上奇人 130 天 新疆の敵(属性関係なし) 仙人指路 150 討伐隊武林功績補償システム 魔教討伐/怪龍討伐成功時に一定確率で魂をドロップします。 魔教討伐、怪龍討伐それぞれに4種類ずつ魂が用意されています。 摩喉羅伽魂 迦楼羅魂 緊那羅魂 阿修羅魂 取引・捨てる・露店:不可 倉庫:可 4種揃えて役人に持って行くと武林功績300を得ることが出来ます。 魂を通じる武林功績補償は、いずれかの討伐につき1日に1回だけ受けることができます。
https://w.atwiki.jp/orifusai/pages/55.html
220年(建安25年・延康元年/黄初元年(魏)) 司隷 河南尹 洛陽で曹操が死去。(魏書・武帝記) 曹丕は魏の都を洛陽に定める。(魏書・文帝記) 河内郡 劉協?は山陽県に封じられ、山陽公となる。(魏書・文帝記) 河東郡 弘農郡 京兆尹 馮翊郡 有力者:鄭甘?、王照? 鮮卑族の鄭甘?と王照?が帰順。(魏書・文帝記) 扶風郡 豫州 潁川郡 皇帝:劉協?→曹丕 曹丕は漢から禅譲を受けて皇帝に即位する。(魏書・文帝記) 汝南郡 梁国 沛国 陳国 魯国 冀州 魏郡 魏王:曹操→曹丕(魏書・文帝記) 太尉:賈(言羽)? 相国:華(音欠)? 御史大夫:王朗? 大将軍:夏侯惇? 左中郎将:李伏? 鎮南将軍:張魯? 侍中:劉(广異)?、辛(田比)?、劉曄? 尚書令:桓階? 尚書:陳矯?、陳羣? 給事黄門侍郎:王毖?、董遇? 太史丞:許芝? 散騎常侍:傅巽?、衛臻? 給事中博士騎都尉:蘇林?、董巴? 督軍御史中丞:司馬懿? 侍御史:鄭渾?、羊秘?、鮑勛?、武周? 輔国将軍:劉若? ※上記すべて(魏書・文帝記) 鉅鹿郡 常山国 中山国 安平国 河間国 甘陵国 趙国 勃海郡 [亠兌]州 陳留郡 東郡 白馬県令:李雲(魏書・文帝記) 東平国 任城国 泰山郡 済北国 山陽郡 済陰郡 徐州 東海郡 琅邪国 彭城国 広陵郡 下[丕β]国 青州 済南国 平原郡 楽安国 北海国 東莱郡 済国 荊州 南陽郡 南郡 江夏郡 零陵郡 桂陽郡 武陵郡 長沙郡 揚州 九江郡 丹陽郡 廬江郡 会稽郡 呉郡 予章郡 益州 漢中郡 上庸県:孟達?が蜀を離反して魏に帰順。魏は孟達を新城太守に任命。 巴郡 広漢郡 蜀郡 [牛建]為郡 牂牁郡 越[山雋] 益州郡 永昌郡 広漢属国 蜀郡属国 [牛建]為属国 涼州 蘇則?は郝昭?らと共に麹演?、黄華?、張進?らの反乱を平定。(魏書・蘇則伝) 隴西郡 漢陽郡 帰順した(氏一)族の王楊僕?が移住(魏書・文帝記) 武都郡 (氏一)族の王である楊僕?が帰順(魏書・文帝記) 金城郡 太守:蘇則?(魏書・文帝記) 西平郡:有力者:麹演?(魏書・蘇則伝) 安定郡 北地郡 武威郡 太守:毋丘興?(魏書・蘇則伝) 張掖郡 太守:杜通?(魏書・蘇則伝) 有力者:張進?(魏書・蘇則伝) 酒泉郡 太守:辛機?(魏書・蘇則伝) 有力者:黄華?(魏書・蘇則伝) 敦煌郡 張掖属国 張掖居延属国 并州 上党郡 太原郡 上郡 西河郡 五原郡 雲中郡 定襄郡 雁門郡 朔方郡 幽州 [シ豕]郡 広陽郡 代郡 上谷郡 漁陽郡 右北平郡 遼西郡 遼東郡 玄菟郡 楽浪郡 遼東属国 交州 南海郡 蒼梧郡 郁林郡 合浦郡 交趾郡 九真郡 日南郡
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1112.html
能力研究では出現しない、特技捕縛を持つ割と貴重な武将。 統率・武力・知力が全て70以上あり、育成せずともそこそこ使える。 兵科適性と政治・魅力のイマイチさには目を瞑ろう。 -- (名無しさん) 2010-03-26 23 01 08 あれ?じゃあ俺が能力研究でいつも最初に目指す捕で始まって縛で終わる特技は一体………? -- (名無しさん) 2010-03-26 23 37 54 義理は低くないが野望が高いため相性が悪ければ引き抜かれる危険性がある 長期にわたる戦には注意が必要かも -- (名無しさん) 2010-10-21 21 35 39 捕縛のおかげで功績がかなり貯まる 史実序盤では能力を鍛えていけば優良な主将として活躍してくれます 適正、政治は他の武将で要補填! -- (名無しさん) 2010-11-18 19 40 09 ↑×4さん↑×3さん能力研究で捕縛はでますよ。コイツは猪武者と組んで、兵力が減った舞台をハイエナしてやると良い。 -- (名無しさん) 2011-02-24 19 39 33 部隊www -- (↑補足) 2011-02-24 19 41 54 ネットじゃ誤変換は基本スルーが暗黙の了解です -- (名無しさん) 2011-02-25 00 08 47 ↑いや、自分で補足したのでいいんですよ。それからなんでコイツ野望高いんだろう? -- (名無しさん) 2011-02-27 09 30 49 正史で悪事し放題だからじゃない?(野望が高い理由)内容がセコイのばっかだけど。 -- (名無しさん) 2011-03-18 12 08 23 意外な事に呉の中央市場の取締り役となった時には殺人や盗難が無くなる、と言う実績を残していたりする。 -- (名無しさん) 2011-06-09 19 18 47 ↑それはね、ヤマグチグミ総本部近辺は治安がいいのと同じだよ、うん。 単独での使用はあまりなくて、脳筋率いる撃破専門部隊の副将であることが多いだろうから、 そこそこ高めの知力を上げてやってもいい。 -- (名無しさん) 2011-06-28 12 45 24 呉将だが河南の出身なので、序盤シナリオでは北方の群雄にとって貴重な水軍Sになる -- (名無しさん) 2011-08-13 20 54 20 この人の能力値はともかく寿命はどうにかならないもんか・・・ 演義準拠とはいえ史実より死亡年10年前倒しはひどい・・・ 夷陵で死んだことにされた事にされた朱然はちゃんと史実準拠の寿命になってるのにこの差は何なんだ -- (名無しさん) 2011-12-30 13 23 51 と言っても不自然死設定なので最初から亡くなっているS7以外なら230年までは生きられるが 英雄終結の劉岱軍の貴重な武官であり救世主。 他の捕縛持ちと比べて単独でも戦える程度の適正と能力があり、人材不足の弱小勢力にはありがたい。 戟で前線に出て積極的に将を捕獲していきたい所。 -- (名無しさん) 2013-06-10 09 44 32 貫 禄 の 魅 力 正史でももうちょっと自重してたら、全体的にもう少し能力上がっただろうに・・・ -- (名無しさん) 2017-05-04 18 50 45 適性と特技の相性から、序盤の太史慈の副将にぴったり -- (名無しさん) 2022-11-17 16 22 16
https://w.atwiki.jp/midkiseki/pages/1207.html
▼タグ一覧 ミッドヴィリーム 化けの皮 合翼連盟 朱雀組 竜生九子 饕餮 黒髪 とらばみ とうこ / イマジナリー饕餮(『東方鬼形獣』テキストで長らく名前のみ登場だった剛欲同盟の長・『東方剛欲異聞』ラスボス・饕餮尤魔の妄想二次創作群…の一つ) 高校生編における上海アリス幻樂学園高等部1年朱雀組の女子生徒。15歳(中学生編換算で13歳)。 外見の元ネタはとある方のイマジナリー饕餮、 参考イメージ1 参考イメージ2 黒髪の先がちょっと縮れたセミショートが特徴。普段は2本の角を模した赤い中華風シニヨンカバーを付けている。 強欲で高飛車な性格ではあるが義理堅く、気に入った相手には手助けをする事もある。 父親は反社会組織『合翼連盟』の盟主、虎喰餮男(トラバミテツオ)。 母親はかつて奇跡の戦士だった方であり、その正体は現在謎に包まれている。 母親違いの同い年の妹に饕喰楽まぐら(とぐらまぐら)がいる(2人はとても仲良しであり、饕子の転校を知りまぐらも転校を決意した程)。 それぞれの両親の影響もあるのか、八千慧と早鬼と久侘歌とはそれぞれがそれぞれで仲が悪い模様。 中学生編までは両親の意向で中国の河南省(四凶が流されたと言われる場所)で生活しており、 混沌・窮奇・檮杌をモチーフとしたその他3人の奇跡の戦士と共に、中国を拠点に戦う奇跡の戦士として暗躍していた。 中国語は堪能であり、中国の一部の少数民族の言葉も多少程度なら話す事が出来る。 (その為激怒すると、中国語で怒ったり叱ったりする癖がある) 二年後編の中盤で両親の意向で日本に帰国し上海アリス幻樂学園高等部へ転校。 転校早々朱雀組の学級委員長に立候補し、多数決で前任の学級委員長に代わり朱雀組の学級委員長になった。 (ただし両親の事情でこれを快く思っていない八千慧と早鬼と久侘歌は前任の方に票を投じていた) 中学生編と二年後編の間の時系列であるコミカライズでは最終話の一場面だけであるが、変身後のリムタオティエとして変身後のみ先行登場。 (二年後編では新たなヴィリームとして登場し、正体は二年後編の中盤で明かされた) 「剛欲が沸く化けの皮!リムタオティエ!」 二年後編で初登場する奇跡の戦士(コミカライズでも一場面だけ先行登場)。タオティエは中国語で饕餮を意味する。 変身後の姿は頭から大きな2本の赤い角(まぐらの変身後のキセキトウグルマと同じ形だが色が違うだけ)が生え、 額に小さなカーマイン色のハート(トランプのマーク)が描かれた赤色の饕餮の顔と角の形の仮面(目穴あり)を被って目元を覆い正体を隠している。 顔から下は足元までを隠してしまう程のカーマイン色を下地に金色の饕餮文が描かれた大きなマントで体全体を隠している。 マントは化けの皮の如くあらゆる攻撃を一度だけ防いでしまうとんでもないもの(防げるペースは一話に一回だけの模様)。 なお防いだ後は普通に攻撃を受けてしまうものの、マントの下の衣装は現在は明らかにされてないみたい模様。 (本人曰くマントの下の衣装は赤系統で母親譲りの能力があるらしく、これが披露されるのはいつになるやらわからないとの事) 仮面の額のハートは、レイダーワーベルとリムバタイエとレイダーキャッツアイが全員揃った際に強く光り、自身の力が4倍に増すようだが…。
https://w.atwiki.jp/greeenwiki/pages/9.html
==ありそうな団体== ありそうな団体を勝手に立ち上げて噂だけを書くコーナー ===日本国民ファーストの会=== #文字通り 「日本国民が第一」。 #*生活の党#国民の生活が第一の噂|国民の生活が第一とはちょっと違う。 #日本国民の定義は日本国籍を持っていること 。 #日本国民の利益 ≠都道府県民の利益ではないので日本の政党#都民ファーストの会|都民ファーストとぶつかるかもしれない。 #この政党に入る右派系議員は 「ライト」、左派系議員は「レフト」と呼ばれているらしい。 #*代表は「ピッチャー」、幹事長は「キャッチャー」。 #熱狂的支持者は 「ファシスト」と呼ばれている。(たぶん嘘) #外国人はもちろん大嫌い 。 #なぜか皇室については賛否両論 。 #*皇族は国民じゃないとして廃止を主張するグループと日本国民なら皇室を敬うべきというグループに分かれる。 ===全日本アニメーター組合=== #アニメーターが安月給すぎてきれた人たちで作られた組合 。 #ストライキも辞さないので怒らせたらアニメ業界は冷や冷や 。 ==合併構想== 政令指定都市などを目指していろいろ合併を考えてみると #滋賀2市構想 #*大津市+草津市+野洲市+栗東市+守山市+高島市=大津市 #*彦根市+長浜市+近江八幡市+甲賀市+湖南市+東近江市+米原市+日野町+竜王町+愛荘町+豊郷町+甲良町+多賀町=彦根市 #京都4市構想 #*京都市+亀岡市=京都市 #*宇治市+久御山+城陽市+井手町+宇治田原町+向日市+長岡京市+大山崎町+八幡市+京田辺市+木津川市+笠置町+和束町+精華町+南山城村=山城市 #*福知山市+南丹市+綾部市+京丹波町=京丹波市 #*伊根町+与謝野町+宮津市+京丹後市+舞鶴市=丹後市 #大阪8市構想 #*大阪市+守口市=大阪市 #*堺市+松原市=堺市 #*豊中市+池田市+吹田市+箕面市+豊能町+能勢町=千里市 #*高槻市+茨木市+摂津市+島本町=北摂市 #*東大阪市+四條畷市+大東市+門真市=東大阪市 #*枚方市+交野市+寝屋川市=北河内市 #*太子町+河南町+千早赤阪村+河内長野市+大阪狭山市+羽曳野市+藤井寺市+柏原市+八尾市+富田林市=南河内市 #*熊取町+田尻町+岬町+阪南市+泉南市+泉佐野市+貝塚市+岸和田市+和泉市+泉大津市+高石市+忠岡町=泉州市 #兵庫8市構想 #*神戸市+明石市=神戸市 #*洲本市+南あわじ市+淡路市=淡路島市 #*芦屋市+西宮市+宝塚市+三田市=阪神市 #*篠山市+丹波市=丹波国市 #*尼崎市+伊丹市+川西市+猪名川町=武庫川市 #*加古川市+稲美町+播磨町+三木市+高砂市+小野市+加東市+西脇市+多可町+加西市=加古川市 #*姫路市+市川町+福崎町+神河町+相生市+赤穂市+たつの市+宍粟市+太子町+上郡町+佐用町=姫路市 #*豊岡市+養父市+朝来市+香美町+新温泉町=但馬市 #島根再編案 #*松江市+出雲市+安来市+雲南市+奥出雲町+飯南町=松江市 #*浜田市+益田市+大田市+江津市+川本町+美郷町+邑南町+津和野町+吉賀町=石見市 #*海士町+西ノ島町+知夫村+隠岐の島町=隠岐町
https://w.atwiki.jp/tendou_suiko108/pages/6.html
ここでは主に、シナリオごとの好漢別攻略法を書いていきますが、クリアまでの話ではなく、勢力がある程度安定するまでの話です。 ≪シナリオ1≫ 選択可能好漢:林冲、魯智深、武松、楊志、史進 ◎おすすめ好漢 シナリオ1の好漢はいずれも能力値・精神値ともに高いので差はそれほど大きくないが、あえて挙げるとすれば、おすすめ好漢は林冲である。林冲は知力こそ楊志に劣るものの、腕力90オーバー(魯智深・武松・史進も腕力90以上)に加えて、このシナリオの好漢唯一である技量80オーバー(弓の連続攻撃が3連続になる)が魅力的である。また、騎馬適性が初期状態で「得意」というのも評価ポイントである(楊志・史進も騎馬適性「得意」)。 序盤はとにかく強力な人材を得にくく、また攻め込み先が山塞であることがほとんであることに鑑みると、直接攻撃・間接攻撃ともに優れ、山の地形でも進軍速度が確保できる兵科・騎馬を使える林冲が一番優れていると考えられる(スピード攻略を目指す場合は特に)。 次点は楊志と史進。楊志はシナリオ1の好漢で唯一の腕力90未満(腕力88)がマイナス評価になるが、知力79はシナリオ1の好漢中一位であり、また技量も77あり、あと少しの育成で直接攻撃・間接攻撃、そして呪符使用といずれも隙がなくなる点では林冲以上の魅力があるとも言えるが、その「あと少しの育成」にかかる時間が他勢力の増強にもつながることを考えると、ひとまずのところ林冲に軍配をあげることとしたい(特にスピード攻略を目指す場合には)。もう一方の史進は、シナリオ1で唯一の初期状態からの塞持ちではあるが、このこと自体はそれほど魅力的とは言えない。初期の塞・少華山は、典型的な山塞タイプであり、防衛には向いているが、開発余地が少ない点、水源が乏しいことから土地の肥沃度が全体的に低い点も地味にマイナスポイントである(土地の肥沃度が「田畑」の収穫量に影響する)。また、塞のある陝西はマップ西端に位置しており、よく言えば初期状態から混戦になり難い安全地帯ということになるが、悪く言えば他勢力攻略のための遠征に多く時間がかかるということであり、スピード攻略の場合はもちろん、そうでない場合でも繰り返し遠征が必要な状況になったら、このことが地味に響いてくる。では、史進が次点たり得る理由は何かと言えば、もちろん彼自身の能力値の高さ(全体的に林冲を少し弱体化させた感じではあるが強い。ただし知力60未満はマイナスポイント)もそうだが、やはり初期からいる配下・朱武の存在であろう。知力90オーバーで、職業「道士」持ちの彼の存在は大きく、呪符が乏しい序盤でも体力消費で使える広範囲妖術は技量80未満の史進勢力にとって救いの神となる。ということで、勢力として見た場合の魅力から史進を次点のもう一つとする。 残りの二人についても少しだけ論じておく。魯智深・武松ともに最大体力値と腕力の高さがその売りであるが、その反面知力が低め(いずれも60未満)であり、技量も80未満とやや物足りない(特に魯智深は技量60未満なので大幅にマイナス)。また、二人とも初期の得意兵科が歩兵なので、戦争時の機動力にも問題を抱えている。このほか、魯智深は精神値にやや偏りがある点も少しマイナスである(ただし、彼の主義である「勇気」の精神値はゲーム内屈指の高さである。戦争に強い武官タイプの無頼漢は、「勇気」を主義としてる者が多いので、登用しやすい)。 ◎林冲、魯智深、武松、楊志 シナリオ1の場合、この4人の好漢はいずれも放浪状態からのスタートであり、大きな差はない。能力値や精神値に多少の違いはあるが、基本的にはプレイヤーの好みで選んでも問題はない。ということで、ひとまとめに論じる。 放浪状態からスタートするこれら好漢にとって、その本拠となる塞を発見・選択することが今後の展開を考える上でも重要である。 スピード攻略を目指す場合は、山東地域で旗揚げすべきである(放浪期間は長くても1年)。山東は高俅勢力はもちろんのこと、他の勢力も多く存在しており、混戦模様に見えるが、初期状態では兵力や無頼漢の数などで圧倒的な勢力はなく、十分に付け入る隙がある。コーエー戦略ゲームのお約束・初手攻めがここでも有効なのである。ただし、放浪中に登用した配下の無頼漢が有能で、ある程度兵を集められたというような場合を除けば、初手攻めの相手は高俅勢力以外にすべきであろう。塞を乗っ取り新しい本拠とするつもりなら、梁山泊か二竜山がおすすめである(既存の施設の充実度を考えて)。二竜山はよほど時間をかけて放浪していたような場合を除けば、敵は一人しかいないので攻略が容易である。梁山泊は地形的に見ると、初手攻めには不向きにも思えるが、こちら側の兵力を相手よりも少ない状態(多くても同じくらいまで)で攻め込むことで相手の迎撃を誘うことができるので、湖地形立ち入る必要もない。無頼漢こそ4人いるが、プレイヤー好漢の能力値には到底及ばないので、こちらも二竜山同様、放浪に時間をかけすぎていなければ、初手攻めでも負ける要素はまずない(個人的には、攻略後に登用できる無頼漢の数も考慮して、初手梁山泊攻略が一押し)。 初手攻めを成功させれば、あとは連続遠征で、山東を早い段階で席巻していく。高俅以外の勢力の初期の強さは、二竜山<瓦罐寺≦桃花山<清風山≦梁山泊といった具合なので、初手攻めしたところを除いて、弱いところから順につぶしていけば(遠征目的は「塞の占領」で)、人気が340前後にまであがるので、主義が合えば、有能な無頼漢を配下に迎えることもできるようになるので、これでほぼ安定する。ただし、自分の本拠の所在する地域と同じところに所在する高俅勢力を放置したままにすると、東京や河北地域の諸都市から無頼漢が送り込まれてきて兵力が一気に膨張することがしばしばなので要注意。できれば山東の高俅勢力も駆逐しておきたい(スピード攻略の場合は当然そうすべき)。山東地域における高俅勢力の塞は、無頼漢の質・地形・兵力などを総合的に評価すると、済州≦東平府<青州といった感じなので、弱い方からつぶしていくのが無難。ただし、時間がかかりすぎると残った塞に他地域からの無頼漢が送り込まれてくる確率が上がるので、より厄介なことになる場合もあるのでやはり要注意。それでも、遠征目的を「塞の占領」に固定して山東地域を(無敗で)制覇できれば、その時点で人気は520前後になるので勢力の安定は疑いない(それに反して、高俅の人気は200未満に落ち込むので、高俅のもとに新たに強力な無頼漢が流れ込みにくくなる)。 なお、AIの思考とゲームシステムを考慮すれば、山東地域の攻略順序を、高俅以外の勢力→高俅勢力とするのはあまりおすすめではなく、高俅以外の勢力を一つ残した状態で高俅勢力を先に駆逐するほうをおすすめしたい。場合によって戦争時の立ち回りに工夫が必要になる場合もあるが、こちらのほうが山東地域制覇までの兵力消耗を押さえやすいと考えるからである(高俅勢力の増援を可能な限り抑える)。 通常プレイ、あるいは内政重視プレイを目的とする場合、他勢力のいない地域での旗揚げ(できれば隣接地域に高俅勢力が存在しない)を基本とすべきである。塞は山塞型よりも、都市型で水源豊かなものを選ぶと、開発のし甲斐もあり、また税収(特に食料)も見込めるようになる。具体的に言えば、河南府(河南)、杭州・清渓(ともに江南)がもっともおすすめで、房山(淮西)、蘇州(江南)、李家荘・祝家荘(ともに淮南)あたりがそれらに次ぐおすすめである。
https://w.atwiki.jp/shintouzyo/pages/838.html
黄巣 こうそう 835-884 中国、四川を除いてほとんど全中国を荒らし回り、唐朝崩壊の契機をつくった大農民反乱(875-84)の指導者。大斉皇帝(在位878-884)。承天応運啓聖睿文宣武皇帝。曹州冤句の人。私塩すなわち塩の密売をするかなりの富商で、任侠にとみ亡命の人を養い騎射に巧みで、しばしば科挙に応試したが及第しなかった。黄巣はあるいは昆仲8人と行をともにし、数千人を集めて乱を起こした。875年6月王仙芝の乱に呼応して立ちあがり、翌年12月の新州までほぼ彼と行を同じくしたが、このとき唐朝の招撫策にのり王仙芝だけが官にあずかったことから、両者は別行動をにいたった。黄巣は、この後河南、山東を縦横に攻略し、王仙芝敗死(878)後はその余衆をおさめ、推されて王となり衝天大将軍と号した。これより長江を渡り、はるか虔州までもおとしいれ、江南を荒らし、鎮海節度使の高駢の軍に追われて福建から広州におもむいた。ここで唐朝と妥協をはかり、天平・広州の節度使をもとめて許されず、怒って広州を攻略し、外人12万を殺して南の諸州を略奪した。しかし、士卒が多く病死したので北帰を決意し、桂州からいっしょに湘江をくだり襄陽におもむこうとして曹全晸に破られ、江浙方面に転戦した。淮南の節帥行営都統の高駢が、黄巣平定の功を独占しようとして、淮南にあった諸藩の討伐軍をかえしたすきに渡江してたちまち淮河をこえて北上した。このころから安定政権樹立の意欲を示して、天神大将軍と称して東都洛陽に進撃し、880年11月これをおとしいれた。12月には堂々と長安にはいり、このため僖宗は急ぎ四川に落ちのびた。黄巣の反乱軍は、貧者にはほどこし、富者を追放し、貴族官僚を捕えて殺したという。黄巣は、従来の流賊主義を清算し唐朝に代わる政権をつくった。皇帝の位につき、国を大斉と号し、金統と改元し、官制を整備した。しかし、長安近辺にその支配をかぎられた黄巣の政権は経済的基盤を欠き、いきおい微発、略奪を行なって人心を離反させ、唐朝の反撃体制の前に動揺した。とくに、唐朝が用した沙陀の李克用の強兵と梁田陂で戦って大敗し(883)、長安を撤退して陳州に至ったが、趙犫の頑強な抵抗にあい、これを包囲すること300日舂磨寨という人肉給糧所さえ設けた。その被害は周辺数十州におよぶほどの飢餓と荒廃をもたらしたが、ついにおとしいれることができなかった。これからふたたび李克用に急迫され、王満渡で決定的打撃をうけ、郷里冤句をさしてのがれたが、泰山の南東狼虎谷に至って884年6月、甥の林言に命じて首をはねさせ、悲劇的最後をとげた。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。 列伝 『新唐書』巻二百二十五下 列伝第一百五十下 逆臣下 黄巣 『旧唐書』巻二百下 列伝第一百五十下 黄巣 参考文献 『アジア歴史事典3』(平凡社,1960年) 外部リンク フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』黄巣 https //ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E5%B7%A3
https://w.atwiki.jp/seikouudoku/pages/112.html
競(きそ)う南風(なんぷう) 一 さて。――日も経(へ)て。 曹操(そうそう)は漸(ようや)く父のいる郷土まで行き着いた。 そこは河南(かなん)の陳留(ちんりゅう)(開封(かいほう)の東南)と呼ぶ地方である。沃土(よくど)は広く豊饒(ほうじょう)であった。南方の文化は北部の重厚とちがって進取的であり、人は敏活(びんかつ)で機智(きち)の眼(め)がするどく働いている。 「どうかして下さい」 曹操は、家に帰ると、事の次第をつぶさに告げて、幼児が母に菓子でもねだるような調子で強乞(せが)んだ。 「――義兵の旗挙(はたあ)げをする決心です。誰がなんといっても、この決心はうごきません。そこで、父上にも、一肌(ひとはだ)ぬいでいただきたいんですが」と、言うのである。 父の曹嵩(そうすう)も、 「ウーム……。偉(えら)いことを仕(し)でかして来おったな」 と、呆(あき)れ顔(かお)に、呻(うめ)いてばかりいたが、元来、幼少から兄弟中でもいちばん可愛(かわい)がっている曹操のことなので、 「どうかしてくれって、どうすればよいのじゃ」と、叱言(こごと)も出なかった。 「軍費が要用(いりよう)なんですが」 「軍費と言ったら、わしの家のこればかしな財産では、いくらの兵も養えまいが」 「ですから、父上のお顔で、富豪(かねもち)を紹介して下さい。曹家は、財産こそないが、遠くは夏侯氏(かこうし)の流れを汲(く)み、漢(かん)の丞相(じょうしょう)曹参(そうさん)の末流です。この名門の名を利用して、富豪から金を出させて下さい」 「じゃあ、衛弘(えいこう)に話してみるさ」 「衛弘って誰ですか」 「河南でも一、二を争う財産家だがね」 「じゃあ、父上が聘(よ)んで、一日、酒宴を設(もう)けてくれませんか」 「おまえの言う事は、なんでも簡単だな」 「大きな仕事をやってのけるのが、大事を成(な)す秘訣(ひけつ)ですよ」 父子(おやこ)は、日を定めて、衛弘をわが邸(やしき)に招待した。 衛弘は、曹操をながめて、 「都へ行っていたと聞いていたが、いつのまにか、よい青年になったなあ」 などと言った。 曹操は、彼を待遇するに、あらゆる慇懃(いんぎん)を尽くした。 そして、話の弾(はず)んで来た頃、胸中の大事を打ち明けて、援助を依頼してみた。 もし嫌だと言ったら、生かしては帰さないという気を、胸に含んでの真剣な膝(ひざ)づめ談判(だんぱん)であったから、静かに頼むうちにも、曹操の眸(ひとみ)は、刃(やいば)のように研(と)げていたに違いなかった。 ところが、衛弘は聞くとすぐ、 「よろしい。御辺(ごへん)の忠義にめでて、御援助しましょう。近ごろの天下の乱れを、わしも嘆(なげ)いていたが、わしの器量(きりょう)にはない事だから、時勢の成り行きを眺(なが)めていた折です。――いくらでも軍用金は御用立(ごようだ)てしよう」と、承知してくれた。 曹操は、欣(よろこ)んだ。 「えっ、ではお引きうけ下さるか。然(しか)らば、私は早速、兵を集めにかかるが」 「おやんなさい。けれど、敗れるような戦(いくさ)はすべきではありませんぞ。充分、勝算を握(にぎ)った上で、大挙(たいきょ)なさるがよい」 「軍費の方さえ心配なければ、どんな事でもできます。河南(かなん)をわが義兵をもって埋(うず)めてごらんい入れるから見ていて下さい」 父の曹嵩(そうすう)は、幾(いく)つになっても、子は子供にしか見えなかった。曹操のあまりな豪語(ごうご)に、衛弘がすこし乗り過ぎているのじゃないかと、かえって側(はた)で心配した程だが、曹操のやる事を見ていると、いよいよ不敵を極(きわ)めていた。 まず彼は、近郷(きんごう)の壮丁(そうてい)を狩り集め、白い二旒(にりゅう)の旗を作って、一旒には「義(ぎ)」と大書し、一旒には「忠(ちゅう)」と大きく書いて、 「われこそは、朝廷から密詔(みっしょう)をうけて、この地に降(くだ)った者である」 と唱(とな)え出(だ)した。 二 今でこそ、地方の一郷士(ごうし)に落魄(おちぶ)れているが、なんといっても、曹家(そうけ)は名門である。嫡子(ちゃくし)の曹操もまた出色(しゅっしょく)の才人と、遠近に聞こえている。 「密勅(みっちょく)をうけて降ったものである――」 という曹操の声に、まず近村の壮丁や不遇な郷士が動かされた。 「陳宮(ちんきゅう)、こんな雑兵(ぞうひょう)じゃ仕方がないが、もっと有力な諸州の刺史(しし)、太守(たいしゅ)などが集まるだろうか」 時々、彼は陳宮へ計(はか)った。 陳宮(ちんきゅう)は献策(けんさく)した。 「忠義を旗に書いて待っているだけでは駄目です。もっと憂国の至情を吐露(とろ)なさい。鉄血、人を動かすものを打(ぶ)っつけなさい」 「どうしたらいいか」 「檄(げき)を飛ばすことです」 「おまえ、書いてくれ」 「はい」 陳宮は、檄文を書いた。 彼は、心の底から国を憂(うれ)いている真の志士である。その文は、読む者をして奮起せしめずに措(お)かないものであった。 「――ああ名文だ。これを読めば、おれでも兵を引(ひ)っ提(さ)げて馳(は)せ参(さん)ずるな」 曹操は感心して、すぐ檄を諸州諸郡へ飛ばした。 英雄もただ英雄たるばかりでは何もできない。覇業(はぎょう)を成(な)す者は、常に三つのものに恵まれているという。 天の時と、 地の利と、 人である。 まさに、曹操の檄は、時を得ていた。 日ならずして、彼の「忠」「義」の旗下(きか)には続々と英雄精猛(せいもう)が馳せ参じて来た。 「それがしは、衛国(えいこく)の生まれ、楽進(がくしん)、字(あざな)は文謙(ぶんけん)と申す者ですが、願わくば、逆賊董卓(とうたく)を、ともに討(う)たんと存じ、麾下(きか)に馳せ参って候(そうろう)」 と、名乗って来る者や、 「――自分等(ら)は沛国(はいこく)譙郡(しょうぐん)の人、夏侯惇(かこうじゅん)、夏侯淵(かこうえん)と言う兄妹の者ですが、手兵三千をつれてきました」 と、いう頼(たの)もしい者が現われて来たりした。 もっとも、その兄弟は、曹家(そうけ)がまだ譙郡にいた頃、曹家に養われて、養子となっていた者であるから、真っ先に馳せつけて来るのは当然であったが、そのほか毎日、軍簿に到着を誌(しる)す者は、枚挙(まいきょ)に遑(いとま)がないくらいであった。 山陽鉅鹿(さんようきょろく)の人で李典(りてん)、字(あざな)は曼成(まんせい)という者だの――徐州(じょしゅう)の刺史(しし)陶謙(とうけん)だの――西涼(せいりょう)の太守(たいしゅ)馬騰(ばとう)だの、北平(ほくへい)太守の公孫瓚(こうそんさん)だの――北海(ほっかい)の太守孔融(こうゆう)なんどという大物が、各々(おのおの)何千、何万騎という軍を引いて、呼応(こおう)して来た。 彼の帷幕(いばく)にはまた、曹仁(そうじん)、曹洪(そうこう)のふたりの兄弟も参じた。 一方、それらの兵に対して、曹操は、衛弘(えいこう)から充分の軍費をひき出して、武器糧食の充実にかかっていた。 「あのように、軍資金が豊富なところを見ると、彼の檄(げき)は、空文(くうぶん)でない。ほんとに朝廷の密詔(みっしょう)を賜(たま)わっているのかも知れん」 形勢を見ていた者までが、その隆々(りゅうりゅう)たる軍備の急速と大規模なのを見て、 「一日遅れては、一日の損(そん)がある――」と言わんばかり、争って、東西から来(きた)り投じた。 (河南(かなん)の地を兵で埋(うず)めてみせん) と、いつか衞弘に言った言葉は、今や空(くう)なる豪語ではなくなったのである。 従って、富豪衞弘も、投財(とうざい)を惜(お)しまなかった。いや、彼以外の富豪までが、みな乞(こ)わずして、 「どうか、費(つか)ってくれ」と、金穀(きんこく)を運んできた。 すでに曹操はもう、多くの将星(しょうせい)を左右に侍(はべ)らせ、三軍の幕中に泰然(たいぜん)とかまえていて、そういう富豪の献物(けんもつ)が取り次がれて来ても、 「あ、左様(さよう)か。持って来たものなら取っておいてやれ」 と、言うぐらいのもので、会(あ)って遣(や)りもしなかった。 三 さきに都を落ちて、反董卓(はんとうたく)の態度を明らかにし、中央から惑星視(わくせいし)されていた渤海(ぼっかい)の太守(たいしゅ)袁紹(えんしょう)の手もとへも、曹操の檄(げき)がやがて届いて来た。 「曹操が旗をあげた。この檄に対して、なんと答えてやるか」 袁紹(えんしょう)も、腹心をあつめて、さっそく評議を開いた。 彼の幕下には、壮気(そうき)にみちた年頃の大将や、青年将校が多かった。 田豊(でんぽう)。沮授(そじゅ)。許収(きょしゅう)。顔良(がんりょう)。 また―― 審配(しんぱい)。郭図(かくと)。文醜(ぶんしゅう)。 などと言う錚々(そうそう)たる人材もあった。 「誰か、一応、その檄文(げきぶん)を読みあげてはどうか」 とのことに、顔良が、 「然(しか)らば、てまえが」と、大きく読み出した。 檄 操等(ソウラ)、謹(ツツシ)ンデ、 大義ヲ以(モッ)テ天下ニ告グ 董卓(トウタク) 天ヲ欺(アザム)キ地ヲ晦(クラ)マシ 君(キミ)を弑(シイ)シ 国ヲ亡(ホロ)ボス 宮禁(キュウキン) 為(タメ)ニ壊乱(カイラン) 狼戻不仁(コンレイフジン) 罪悪重積(ザイアクジュウセキ)ス 今(イマ) 天子(テンシ)ノ密詔(ミッショウ)を捧(ササ)ゲテ 義兵ヲ大集(タイシュウ)シ 郡凶(グンキョウ)ヲ剿滅(ソウメツ)セントス 願ワクバ仁義(ジンギ)ノ師(イクサ)ヲ携(タズサ)エ 来(キタ)ッテ忠烈(チュウレツ)ノ盟陣(メイジン)ニ会(カイ)シ 上(カミ)、王室(オウシツ)ヲ扶(タス)ケ 下(シモ)、黎民(レイミン)ヲ救(スク)ワレヨ 檄文到(イタ)ランノ日 ソレ速(スミ)ヤカニ奉行(ホウコウ)サレルベシ 「これこそ、我々が待っていた天の声である。地上の輿論(よろん)である。太守(たいしゅ)、何を迷うことがありましょう。よろしく曹操と力を協(あわ)すべき秋(とき)です」 幕将は、口を揃(そろ)えて言った。 「――だが」と、袁紹(えんしょう)は、なお少し、ためらっている風(ふう)だった。 「曹操が、密詔をうけるわけはないがなあ?……」 「よいではありませんか。たとい密詔をうけていても、いなくても。その為(な)すことさえ、正しければ」 「それもそうだ」 袁紹も遂(つい)に肚(はら)をきめた。 評定(ひょうじょう)の一決を見ると、さすがに名門の出であるし、多年の人望もあるので、兵三万余騎をたちどころに備(そな)え、夜を日についで、河南の陳留(ちんりゅう)へ馳(は)せのぼった。 来てみると、その旺(さかん)なのに袁紹も驚いた。軍簿の到着に筆をとりながら、おもなる味方だけを拾(ひろ)ってみると、その陣容は大したものであった。 まず―― 第一鎮(ちん)として、後将軍(ごしょうぐん)南陽(なんよう)の太守(たいしゅ)袁術(えんじゅつ)、字(あざな)は公路(こうろ)を筆頭に、 第二鎮 冀州(きしゅう)の刺史(しし)韓馥(かんふく) 第三鎮 豫洲(よしゅう)の刺史孔伷(こうちゅう) 第四鎮 兗州(えんしゅう)の刺史劉岱(りゅうたい) 第五鎮 河内群(かだいぐん)の太守王匡(おうきょう) 第六鎮 陳留の太守張邈(ちょうぼう) 第七鎮 東郡(とうぐん)の太守喬瑁(きょうぼう) そのほか、済北(せいほく)の相(しょう)、鮑信(ほうしん)、字(あざな)は允誠(いんせい)とか、西涼(せいりょう)の馬騰(ばとう)とか、北平(ほくへい)の公孫瓚(こうそんさん)とか、宇内(うだい)の名称猛士の名は雲の如(ごと)くで、袁紹の兵は到着順とあって、第十七鎮に配せられた。 「自分も参加してよかった」 ここへ来て、その実情を見てから、袁紹も心からそう思った。時勢の急なるに、今さら驚いたのである。 四 第一鎮から第十七鎮までの将軍はみな、一万以上の手兵を率(ひき)いて各々(おのおの)の本国から参集して来た一方の雄(ゆう)なのである。 その中には又、どんな豪強や英俊が潜(ひそ)んでいるかも知れなかった。 わけて、第十六鎮(ちん)の部隊には、時を待っていた深淵(しんえん)の蛟龍(こうりゅう)がいた。 北平(ほくへい)の太守で奮武将軍(ふんぶしょうぐん)の公孫瓚(こうそんさん)がその十六鎮の軍であったが、檄(げき)に応じて、北平から一万五千余騎をひっさげて南下して来る途中、冀州(きしゅう)の平原県(へいげんけん)(山東省(さんとうしょう)・津浦線(しんぽせん)平原)のあたりまで来かかると、 「暫(しばら)くっ、暫くっ!」 と、大声(たいせい)をあげて、公孫瓚の馬を止めた者がある。 「何者か?」と、旗本たちが振りかえると、傍(かたわ)らの桑畑の中を二、三旒(りゅう)の黄なる旗がざわざわと翻(ひるが)えりつつ、此方(こちら)へ近づいて来るのが見える。 「や?何処(いずこ)の武士共か」と、疑っている間に、それへ現われた三騎の武人は、家来の雑兵(ぞうひょう)約十名ばかりと共に公孫瓚の馬前にひざまずいて、 「将軍、願わくば、われわれ三名の者も、大義の軍に入れて引(ひ)き具(ぐ)し給(たま)え。不肖(ふしょう)ながら犬馬の労を惜(お)しまず、討賊の先陣に先立って、尽忠(じんちゅう)の誠を、戦場の働きに見せ示さんと、これにて御通貨を待ちうけていた者でござります」と、言った。 公孫瓚は、初めのうち、さてはこの辺(あた)りの郷士かとながめていたが、そう言う三名の中に、一名だけ、どこかで見覚えのある気がしたので、思い寄りのまま試(こころ)みに、 「もしや貴公(きこう)は、劉備玄徳(りゅうびげんとく)どのには非(あら)ざるか」 と、訊(たず)ねてみると、 「そうです。御記憶でしたか、自分は劉玄徳です」 との答え。 「おう、さてはやはり――」と、驚いて、 「黄巾(こうきん)の乱(らん)後、洛陽の外門でちょっとお会いしたことがあるが、その後、御辺(ごへん)はいかなる官職に就(つ)かれておらるるか」 「お恥ずかしいことですが、碌々(ろくろく)として、何の功も出世もなく、この片田舎(かたいなか)の県令をやっていました」 「それはひどい微職(びしょく)だな。貴公のような人物を、こんな片田舎に埋(うず)めておくなどとは、もったいないことだ。――して又、お連れの二人は如何(いか)なる人物か」 「これは、自分の義弟(ぎてい)たちです」 「ほ、御令弟(ごれいてい)か」 「ひとりは関羽(かんう)、又次にひかえておる者は、張飛(ちょうひ)と申しまする」 「官職は」 「関羽は馬弓手(ばきゅうしゅ)、張飛は歩弓手(ほきゅうしゅ)。――共にまだ役儀(やくぎ)といっては、ほんの卒伍(そつご)にしか過ぎません」 「いずれも頼(たの)もしげなる大丈夫(だいじょうぶ)を可惜(あたら)、田野(でんや)の卒(そつ)として、朽(く)ちさせておいた事よな。――よろしい、御辺(ごへん)等も同じ志(こころざし)ならば、わが軍中に従って、共々(ともども)お働きあるがよい」 「では、おゆるし下さるか」 「願うてもないことだ」 「必ず逆賊董卓(とうたく)を殺して、朝廟(ちょうびょう)を清めます」 玄徳も、関羽も、恩を謝して誓った。そして再拝しながら起(た)ちかけると、張飛は、 「だからおれが言わぬ事じゃない」と、ぶつぶつ言った。 「彼奴(きゃつ)が黄巾賊の討伐に南下していた頃、潁川(えいせん)の陣営で、おれが董卓を殺そうとしたのに、兄貴(あにき)たちが止めたものだから、今日こんなことになってしまった。――あの折、おれに董卓を殺させてくれれば、今日の乱は、起こらなかったわけだ」 玄徳は、聞(き)き咎(とが)めて、 「張飛、なにを無用なたわ言(ごと)を言っているか。早々、軍の後方(しりえ)に従(つ)くがよい」 と、叱(しか)った。そして自身もわざと、中軍(ちゅうぐん)より後ろの列に加わり共(とも)に曹操の大計画に参加したのであった。 五 かくて―― 曹操(そうそう)の計画は、今やまったく確立したといってよい。 布陣、作戦はすべて成(な)った。 会合の諸侯十八ヵ国。兵力数十万。第一鎮(ちん)より第十七鎮まで備(そな)えならべた陣地は、二百余里につづくと称せられた。 吉日を卜(ぼく)して、曹操は、壇(だん)を築き、牛を斬(き)り馬を屠(ほふ)って祭り、 「われらここに起(た)つ!」 と、旗挙げの式を執(と)り行(おこな)った。 その式場で、諸将から、 「今、義兵を興(おこ)し、逆賊を討たんとする。よろしく三軍の盟主(めいしゅ)を立て、総軍の首将といただいて、われわ命(めい)をうくべし」と、発議が出た。 「然(しか)るべし」 「そうあるべしだ」と異口同音(いくどうおん)の希望に、 「では、誰をか、首将とするべきか?」 となると、人々みな讓(ゆず)り合って、さすがに、われこそと厚顔(あつかま)しく自己推薦をする者もない。 で結局、曹操が、 「袁紹(えんしょう)はどうであろう」 と、指名した。 「袁紹は元来、漢(かん)の名将の後胤(こういん)であるのみでなく、父祖四代に亙(わた)って、三公の重職に昇り、門下には又、四方に良い吏人(やくにん)が多い。その名望地位から見ても、袁紹こそ盟主として恥ずかしくない人物であるまいか」 と彼のことばに、 「いや、自分は到底(とうてい)、その器(うつわ)ではない」 と袁紹は謙遜(けんそん)して、再三辞退したが、それは他の諸将に対する一片の儀礼である。遂(つい)に推(お)されて、 「では」 と、型の如(ごと)く承諾した。 次の日。 式場に三重の壇を築き、五方に旗を立てて、白旄(はくぼう)、黄鉞(こうえつ)、兵符(へいふ)、印綬(いんじゅ)などを棒持(ぼうじ)する諸将の整列する中を、袁紹は衣冠(いかん)をととのえ、剣を佩(は)いて壇にのぼり、 「赤誠(せきせい)の大盟(だいめい)ここになる。誓って、漢室の不幸を回(かえ)し、天下億民の塗炭(となん)を救わん。――不肖(ふしょう)袁紹、衆望に推されて、指揮の大任(たいにん)を享(う)く。皇天后土(こうてんこうど)、祖宗(そそう)の明霊(めいれい)よ、仰(あお)ぎ希(ねが)わくば、是(これ)を鑒(かん)せよ」 香(こう)を焚(た)いて、祭壇に、拝天の礼を行なうと、諸将大兵みな涙をながし、 「時は来た」 「天下の黎明(れいめい)は来た」 「日ならずして、洛陽の逆軍を、必ず地上から一掃せん」 と、歯をくいしばり、腕を撫(ぶ)し、又、慷慨(こうがい)の気を新たにして、式終るや、万歳の声しばし止(や)まず、為(ため)に、天雲(てんうん)も闢(ひら)けるばかりであった。 袁紹は又、諸将の礼をうけてから、 「われ今、菲才(ひさい)をもって、首将の座に推さる。かかる上は、功ある者は賞し、罪ある者は必ず罰せん。諸公、また部下に示すに、厳(げん)をもって臨(のぞ)まれよ。つつしんで怠(おこた)り給(たま)うなかれ」 と、命令の第一言を発した。 「万歳っ。万歳っ」と、雷(らい)のような声をもって、三軍はそれに応(こた)えた。 袁紹は、第二の命として、 「わが弟の袁術(えんじゅつ)は、いささか経理の才がある。袁術をもって、今日より兵糧(ひょうろう)の奉行(ぶぎょう)とし、諸将の陣に、兵站(へいたん)の輸送と潤沢(じゅんたく)を計(はか)らしめる」 それにも、人々は、支持の声を送った。 「――次いで、直(ただ)ちに我が軍は、北上の途にのぼるであろう。誰か先陣を承(うけたまわ)って、汜水関(しすいかん)の関門を攻めやぶる者はないか」 すると、声に応じて、 「われ赴(ゆ)かん」 と、旗指物(はたさしもの)を上げて名乗った者がある。長沙(ちょうさ)の太守(たいしゅ)孫堅(そんけん)であった。
https://w.atwiki.jp/rigions/pages/4.html
日本版日本 エストニア ガーンジー島 ジブラルタル 韓国版韓国 中國版台湾 香港 神游版中国 日本版 日本 国・現地名 日本語 英語 フランス語 スペイン語 ポルトガル語 ドイツ語 イタリア語 オランダ語 ロシア語 韓国語 中国語(繁体) 中国語(簡体) 日本 日本 Japan ふ す ぽ ど い お ろ か は か 東京都 - 东京都 北海道 - 北海道 青森県 - 青森县 岩手県 - 岩手县 宮城県 - 宫城县 秋田県 - 秋田县 山形県 - 山形县 福島県 - 福岛县 茨城県 - 茨城县 栃木県 - 枥木县 群馬県 - 群马县 埼玉県 - 埼玉县 千葉県 - 千叶县 神奈川県 - 神奈川县 新潟県 - 新泻县 富山県 - 富山县 石川県 - 石川县 福井県 - 福井县 山梨県 - 山梨县 長野県 - 长野县 岐阜県 - 岐阜县 静岡県 - 静冈县 愛知県 - 爱知县 三重県 - 三重县 滋賀県 - 滋贺县 京都府 - 京都府 大阪府 - 大阪府 兵庫県 - 兵库县 奈良県 - 奈良县 和歌山県 - 和歌山县 鳥取県 - 鸟取县 島根県 - 岛根县 岡山県 - 冈山县 広島県 - 广岛县 山口県 - 山口县 徳島県 - 德岛县 香川県 - 香川县 愛媛県 - 爱媛县 高知県 - 高知县 福岡県 - 福冈县 佐賀県 - 佐贺县 長崎県 - 长崎县 熊本県 - 熊本县 大分県 - 大分县 宮崎県 - 宫崎县 鹿児島県 - 鹿儿岛县 沖縄県 - 冲绳县 エストニア 国・現地名 日本語 英語 フランス語 スペイン語 ポルトガル語 ドイツ語 イタリア語 オランダ語 ロシア語 韓国語 中国語(繁体) 中国語(簡体) Estonia エストニア Estonia ガーンジー島 国・現地名 日本語 英語 フランス語 スペイン語 ポルトガル語 ドイツ語 イタリア語 オランダ語 ロシア語 韓国語 中国語(繁体) 中国語(簡体) Guernsey ガーンジー島 Guernsey ジブラルタル 国・現地名 日本語 英語 フランス語 スペイン語 ポルトガル語 ドイツ語 イタリア語 オランダ語 ロシア語 韓国語 中国語(繁体) 中国語(簡体) Gibraltar ジブラルタル Gibraltar 韓国版 韓国 国・現地名 日本語 英語 フランス語 スペイン語 ポルトガル語 ドイツ語 イタリア語 オランダ語 ロシア語 韓国語 中国語(繁体) 中国語(簡体) 中國版 台湾 国・現地名 日本語 英語 フランス語 スペイン語 ポルトガル語 ドイツ語 イタリア語 オランダ語 ロシア語 韓国語 中国語(繁体) 中国語(簡体) 臺灣 台湾 え ふ す ぽ ど い お ろ か - 中国 台湾 臺北市 - ― 香港 国・現地名 日本語 英語 フランス語 スペイン語 ポルトガル語 ドイツ語 イタリア語 オランダ語 ロシア語 韓国語 中国語(繁体) 中国語(簡体) 香港 ホンコン - 中国 香港 神游版 中国 国・現地名 日本語 英語 フランス語 スペイン語 ポルトガル語 ドイツ語 イタリア語 オランダ語 ロシア語 韓国語 中国語(繁体) 中国語(簡体) 中国 中国 え ふ す ぽ ど い お ろ か は か 北京市 北京市 - 重庆市 重慶市 - 上海市 - 天津市 - 安徽省 - 福建省 - 甘肃省 - 广东省 - 贵州省 - 海南省 - 河北省 - 黑龙江省 - 河南省 - 湖北省 - 湖南省 - 江苏省 - 江西省 - 吉林省 - 辽宁省 - 青海省 - 陕西省 - 山东省 - 山西省 - 四川省 - 云南省 - 浙江省 - 广西壮族自治区 - 内蒙古自治区 - 宁夏回族自治区 - 新疆维吾尔自治区 - 西藏自治区 -
https://w.atwiki.jp/22shisakki/pages/120.html
351.兩次入相 張齊賢:(淳化三年由吏部侍郎同中書門下平章事,後出知河南府。真宗初又拜兵部尚書同中書門下平章事。) 李昉:(太平興國中拜平章事加中書侍郎,尋罷。淳化二年復拜中書侍郎平章事。) 向敏中:(咸平四年以兵部侍郎同平章事,尋出知永興軍。大中祥符五年又拜同平章事加中書侍郎進右僕射兼門下侍郎。) 陳堯叟:(大中祥符初以戸部尚書檢校太尉同平章事,尋罷,領群牧使。明年又檢校太尉同平章事。) 陳執中:(先拜同中書門下平章事,降給事中。皇祐中又以吏部尚書拜同平章事。) 馮拯:(先拜右僕射兼中書侍郎同平章事,出爲武勝軍節度使。又以吏部尚書檢校太傅同中書門下平章事進右僕射。) 賈昌朝:(慶暦中以工部侍郎拜同中書門下平章事,出判大名府。嘉祐元年又兼侍中,以同中書門下平章事爲樞密使。) 李迪:(真宗時拜吏部侍郎同中書門下平章事,罷知鄆州。仁宗時又拜同中書門下平章事。) 王曾:(仁宗初拜中書侍郎同中書門下平章事,出知青州。景祐二年由樞密使再拜右僕射兼門下侍郎平章事。) 富弼:(至和二年拜同中書門下平章事,英宗時以足疾辭,出判揚州。熙寧二年以左僕射門下侍郎同平章事。) 范純仁:(元祐三年拜右僕射兼中書侍郎,出知穎昌。召還復拜右僕射入相。) 趙鼎:(先拜尚書右僕射同中書門下平章事,尋出知紹興府。紹興七年又拜尚書右僕射同中書門下平章事。) 張浚:(紹興五年除尚書右僕射同中書門下平章事,都督江淮軍馬,以呂祉事罷。孝宗初又拜尚書右僕射同中書門下平章事,都督如故。凡兩爲節相。) 朱勝非:(建炎三年拜尚書右僕射,尋出知洪州。紹興二年又入相。) 呂頤浩:(建炎四年守尚書右僕射改同中書門下平章事,出爲江東安撫使。紹興元年,又拜少保同中書門下平章事。) 秦檜:(自金歸,紹興元年拜右僕射同中書門下平章事,二年罷。八年又拜右僕射同中書門下平章事。) 湯思退:(紹興二十七年拜尚書右僕射,尋罷。隆興六年,又拜左僕射。) 史浩:(隆興元年拜尚書右僕射,尋奉祠。淳熙五年又爲右丞相,時孝宗改僕射爲丞相。) 梁克家:(乾道八年拜右丞相,後出知建康。淳熙九年再拜右丞相,封儀國公。) 鄭清之:(端平初爲右丞相,尋乞罷。七年又拜太傅右丞相。) 呉潛:(淳祐十一年拜右丞相,十五年出判慶元。尋又拜特進左丞相。) 程元鳳:(寶祐中拜右丞相,出判福州。度宗初又拜少傅右丞相。) 陳宜中:(德祐元年拜特進右丞相,被劾竟去。召之入朝,仍爲右丞相。元兵入,宵遁。益王立於福州,又以爲左丞相。) 文天祥:(德祐初拜右丞相,使元軍脱歸。益王立,仍拜右丞相。