約 1,803 件
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/
漢三国高位職官表 皇帝 天子 万石 上公 相国 太師 太傅 太保 大司馬 大将軍 前漢驃騎将軍 一品 三公・上卿 丞相 太尉 太尉 司徒 司空 驃騎・車騎・衛将軍 前漢前後左右将軍 中二千石 御史大夫(前漢のみ) 魏晋四征・四鎮将軍 二品 諸卿・九卿 太常 光禄勲 衛尉 太僕 廷尉 大鴻臚 宗正 大司農 少府 執金吾 太子太傅 太后卿 河南尹 京兆尹 三品 二千石 太子太傅 詹事 典属国 水衡都尉・内史・主爵中尉・護軍都尉(前漢のみ) 将作大匠(3) 大長秋(3) 太子少傅 州牧 後漢諸将軍 諸郡太守(5) 比二千石 侍中 散騎常侍 中常侍 光祿大夫 司隸校尉中領軍 中護軍(以上三品) 中郎将 校尉 都尉 五営校尉 城門校尉(以上四品) 虎賁中郎將(5) 千石 中書監(3) 中書令(3) 尚書令(3) 尚書(5) 御史中丞(4) 太中大夫(7) 魏晋六百石県令 六百石 北軍中候(5) 諸部署令 諫議大夫(7) 後漢州刺史[[ 州[[領兵刺史(4) 州単車刺史(5) 魏晋六百石県令(7) 四百石 県長(9) 三百石 県長(9) ※括弧内数字は官品 よく読まれているページ トップページ メニュー 弘農王妃 唐氏(唐姫) 長水校尉 秩石 光禄勲 九卿 衛尉 騎都尉 執金吾 作成された後漢末の人物 龔都 黄邵 鮑邵 鮑信 魏越 魏続 魏种 魏 太祖武皇帝 曹操 高順 高祚 駱業 韓莒子 韓胤 韋晃 韋休甫 霍奴 霊懐王皇后(王美人) 霊思何皇后(何太后) 霊帝宋皇后 陳遵(琅邪国相) 陳耽 陰夔 阿貴 金禕 金瑋 金尚 鄴侯 袁紹 鄧盛 鄧済 郝萌 郗慮 趙衢 趙犢 趙昱 趙叡 賈信 許訓 許耽 許相 許汜 許敬 許攸 許劭 解□ 観鵠 襄賁侯 劉虞 襄楷 裴茂 袁遺 袁術 袁滂 袁敍 袁忠 袁嗣 衛茲 蕭建 蔣石 舞陽宣徳侯 何真 舞陽君 興 臧旻 聞人襲 耿紀 紀霊 笮融 第五文休 章誑 种拂 种岱 种劭 眭固 眭元進 白繞 畢諶 畢瑜 田豊 田疇 王芬 王肱 王立 王琰(上洛都尉) 王次仲 王楷 王斌 王必 王匡(泰山郡人) 王儁 檀謨 棗祗 梁興 梁綱 梁紹 梁岐 桓邵 栗成 来豔 杜濩 李進(乗氏県人) 李豊 李蒙 李肅(五原郡人) バグ・不具合を見つけたら? 要望がある場合は? お手数ですが、お問合せフォームからご連絡ください。
https://w.atwiki.jp/shintouzyo/pages/16.html
唐書巻六 本紀第六 肅宗 代宗 肅宗文明武徳大聖大宣孝皇帝は、諱を亨といい、玄宗の第三子である。母は元献皇后楊氏といった。初めの名を嗣昇といい、陜王に封ぜられた。 開元四年(716)、安西大都護となった。性は仁孝で、学問を好み、玄宗はかれを最も愛して、賀知章・潘肅・呂向・皇甫彬・邢璹らを側近として侍読させた。 十五年(727)、名を浚とあらため、忠王に徙封され、朔方節度大使・単于大都護となった。 十八年(730)、奚・契丹が辺境を寇すと、肅宗を河北道行軍元帥とし、御史大夫李朝隠ら八総管の兵十万を派遣してこれを討伐させた。前線にあること二年、李朝隠らが奚・契丹を范陽の北で破り、肅宗は統帥の功により司徒に遷された。二十三年(735)、また名を璵とあらためた。 二十五年(737)、皇太子李瑛が廃されて死ぬと、明年、立って皇太子となった。官吏が冊礼を行うと、その儀に中厳・外辦があり、その服は絳紗であった。太子は「これは天子の礼である」といった。そこで公卿に下して議論させた。太師の蕭嵩と左丞相の裴耀卿が「外辦」を改めて「外備」とし、絳紗の衣を朱明の服とするよう請願したので、これに従った。二十八年(740)、また名を紹とあらためた。天宝三載(744)、また名を亨とあらためた。 安禄山が来朝すると、太子はかれに反相があると知り、罪によりこれを処刑するよう請願したが、玄宗は聞き入れなかった。安禄山はそむいた。 十五載(756)、玄宗が賊を避け、行して馬嵬に至り、父老が道を遮り太子を留めて賊を討たせるよう請うと、玄宗はこれを許して、寿王李瑁および内侍の高力士を派遣して太子を諭すと、太子はそこで帰還した。六月丁酉、渭北の便橋に到達したが、橋は絶たれており、水浜の居民を募ると三千人あまりを得て、渡りきることができた。潼関の敗残兵に遭遇し、賊となっていたから戦ったが、負傷する者が多く、発覚するまでにその他の者を収容して渡り、後軍の多くは水没した。夕方に永寿県に行き、吏民はしばしば牛酒を献上しに来た。新平郡太守の薛羽・保定郡太守の徐は賊が到達しようとしているときいて、皆城を捨てて逃げた。己亥、太子は保定に行き、薛羽・徐瑴を捕らえて斬った。辛丑、平涼郡に行き、牧馬牛羊を得て、兵は始めて勢いを取り戻した。朔方留後支度副使の杜鴻漸・六城水陸運使の魏少游・節度判官の崔漪・支度判官の崔簡金・関内塩池判官の李涵・河西行軍司馬の裴冕が朔方で太子を迎えて兵を治めた。庚戌、豊寧に行き、大河が険しいのを見て、ここで守ろうとしたが、たまたま大風が吹いたから、霊武に帰還した。 七月辛酉、霊武に到着した。壬戌、裴冕らが皇太子に皇帝の位につくよう請願した。甲子、霊武で皇帝の位につき、皇帝を尊んで上皇天帝といい、大赦し、至徳と改元した。文武の官に階・勲・爵を賜り、侍老に太守・県令を授けた。裴冕が中書侍郎・同中書門下平章事となった。甲戌、安禄山が扶風を寇し、太守の薛景仙がこれを破った。 八月辛卯、張巡が安禄山の将の李廷望と雍丘で戦い、これを破った。 十月辛巳朔、日食があった。癸未、彭原郡に行った。詔して御史・諫官が事を論じるにあたって先に大夫や宰相に報告することを禁じた。始めて売官し、僧尼を得度させた。房琯が招討西京・防禦蒲潼両関兵馬元帥となり、兵部尚書の王思礼がこれを補佐した。南軍を宜寿に入れ、中軍を武功に入れ、北軍を奉天に入れた。辛卯、河南節度副使の張巡が令狐潮と雍丘で戦い、これを破った。辛丑、房琯が中軍・北軍をもって安禄山の衆と陳濤斜で戦い、敗れた。癸卯、房琯がまた南軍をもって戦い、敗れた。この月、永王李璘を蜀郡に派遣して上皇天帝に朝させた。李璘がそむき、丹徒郡太守の閻敬之が李璘と伊婁埭で戦い、ここに死んだ。 十一月辛亥、河西で地震があった。戊午、崔渙が江南宣慰使となった。郭子儀が回紇を率いて安禄山と河上で戦い、これを破った。史思明が太原を寇した。 十二月、安禄山が魯・東平・済陰三郡を陥落させた。戊子、彭原郡を二年間免税とした。安禄山が潁川を陥落させ、太守の薛愿および長史の龐堅を捕らえた。 この年、吐蕃が巂州を陥落させ、嶺南溪の獠の梁崇牽が容州を陥落させた。 二載(757)正月、永王李璘が鄱陽郡を陥落させた。乙卯、安慶緒がその父の安禄山を弑した。丙寅、河西兵馬使の孟庭倫がその節度使の周佖を殺し、武威郡をもってそむいた。乙亥、安慶緒の将の尹子奇が睢陽郡を寇し、張巡がこれを破った。 二月戊子、鳳翔に行った。李光弼が安慶緒の衆と太原で戦い、これを破った。丁酉、関西節度兵馬使の郭英乂が安慶緒と武功で戦い、敗れた。安慶緒が馮翊郡を陥落させ、太守の蕭賁がここに死んだ。安慶緒の将の蔡希徳が太原を寇した。戊戌、庶人李璘が処刑された。庚子、郭子儀が安慶緒と潼関で戦い、これを破った。壬寅、河西判官の崔称が武威郡を落とし、孟庭倫が処刑された。甲辰、郭子儀が安慶緒と永豊倉で戦い、これを破り、大将の李韶光・王祚がここに死んだ。 三月辛酉、韋見素・裴冕が宰相を退いた。憲部尚書として致仕した苗晋卿が左相となった。 四月戊寅、郭子儀が関内・河東副元帥となった。壬午、戦死者を埋葬した。庚寅、郭子儀が安慶緒の将の李帰仁と劉運橋で戦い、これを破った。 五月癸丑、郭子儀が安慶緒の将の安守忠と清渠で戦い、敗れた。丁巳、房琯が宰相を退き、諫議大夫の張鎬が中書侍郎・同中書門下平章事となった。 六月癸未、尹子奇が睢陽を寇した。丁酉、南充郡の民の何滔がその太守の楊斉曾を捕らえてそむいたので、剣南節度使の盧元裕がこれを破った。 七月己酉、太白が天を通過した。丁巳、安慶緒の将の安武臣が陜郡を陥落させた。 八月丁丑、長春宮が焼失した。甲申、崔渙が宰相を退いた。張鎬が河南節度使を兼ね、淮南の諸軍事を都統した。霊昌郡太守の許叔冀が彭城に逃れた。癸巳、大規模に閲兵した。 閏月甲寅、安慶緒が好畤を寇し、渭北節度使李光進がこれを破った。丁卯、広平郡王李俶が天下兵馬元帥となり、郭子儀が副元帥となり、朔方・安西・回紇・南蛮・大食の兵をもって安慶緒を討った。辛未、京畿採訪宣慰使の崔光遠が安慶緒と駱谷で戦い、これを破った。行軍司馬の王伯倫が苑北で戦い、ここに死んだ。 九月丁丑、安慶緒が上党郡を陥落させ、節度使の程千里を捕らえた。壬寅、広平郡王李俶が安慶緒と灃水で戦い、これを破った。癸卯、京師を奪回した。安慶緒が陜郡に逃れた。尚書左僕射の裴冕が太清宮・郊廟・社稷・五陵に告げ、百姓を宣慰した。 十月戊申、広平郡王李俶が安慶緒と新店で戦い、これを破り、陜郡を落とした。壬子、東京を奪回し、安慶緒は河北に逃れた。興平軍兵馬使の李奐が安慶緒の衆と武関で戦い、これを破り、上洛郡を落とした。吐蕃が西平郡を陥落させた。癸丑、安慶緒が睢陽を陥落させ、太守の許遠および張巡・鄆州刺史の姚誾・左金吾衛将軍の南霽雲はみなここに死んだ。癸亥、鳳翔を五年間免税とし、父老に官を授けた。太子太師の韋見素を派遣して上皇天帝を蜀郡に迎えた。丁卯、霊武から到着し、太廟で饗し、三日哭した。己巳、関内節度使王思礼が安慶緒と絳郡で戦い、これを破った。 十一月丙子、張鎬が、四鎮伊西北庭行営兵馬使の李嗣業・陜西節度使の来瑱・河南都知兵馬使の嗣呉王李祗を率いて河南の郡県を落とした。庚子、九廟の神主(位牌)をつくり、長楽殿に告享した。 十二月丙午、上皇天帝が蜀郡から到着した。甲寅、苗晋卿が中書侍郎・同中書門下平章事となった。戊午、大赦した。霊武で元より従っていた者、蜀郡で扈従した者で官三品以上は一子に官を授け、四品以下は一子に告身を出した。戦死者を祭り、その家は二年間免税とした。天下の租・庸を翌年は三分の一を免税とした。珠玉・宝鈿・平脫・金泥・刺繍を禁じた。諸州および官名を復した。蜀郡を南京とし、鳳翔郡を西京とし、西京を中京とした。潞州を五年間免税と、并州・鄧州・許州・滑州・宋州の五州、雍丘県・好畤県・奉先県は二年間免税とし、益州は三年間免税とした。文武官に階位・勲位・爵位を賜い、父老の八十以上に版授し、緋衣・銀魚を加え、民に五日宴会とした。広平郡王李俶が太尉となり、楚王に進封された。苗晋卿が侍中となり、崔円が中書令となり、李麟が同中書門下三品となった。子の南陽郡王李係を進封して趙王とし、新城郡王李僅を彭王とし、潁川郡王李僩を兗王とし、東陽郡王李侹を涇王とした。子の李僙を封じて襄王とし、李倕を王とし、李偲を召王とし、李佋を興王とし、李侗を定王とした。乙丑、史思明が降った。壬申、達奚珣らが処刑された。 乾元元年(758)正月戊寅、上皇天帝が宣政殿に御し、皇帝に伝国・受命の宝符を授け、冊号して光天文武大聖孝感皇帝といった。乙酉、宮女三千人を出した。庚寅、大規模に閲兵した。 二月癸卯、安慶緒の将の能元晧が淄州・青州をもって降り、能元晧を河北招討使とした。乙巳、上皇天帝に冊号をたてまつって聖皇天帝といった。丁未、大赦し、改元した。王朝に尽くして死んだ者および偽朝の命を拒んだ者に官位を追贈した。賊に陥された州は三年にわたって税を免除した。文武の官に階・爵を賜った。 三月甲戌、李俶を徙封して成王とした。戊寅、淑妃張氏を立てて皇后とした。 四月辛亥、神主を太廟に設置した。甲寅、太廟で朝享し、南郊を有事摂祭した。乙卯、大赦し、文武の官に階・勲・爵を賜り、天下で租・庸ではないのに使役することを禁じ、貧窮の者に賑給し、寵臣に官爵を授け、京官九品以上、二王・三恪の一子に官を授けた。史思明が范陽節度副使の烏承恩を殺してそむいた。 五月戊子、張鎬が宰相を退いた。乙未、崔円・李麟が宰相を退いた。太常少卿の王璵が中書侍郎・同中書門下平章事となった。 七月、党項羌が辺境を寇した。 九月丙子、招討党項使の王仲昇が拓抜戎徳を殺した。庚寅、郭子儀が李光弼・李嗣業・王思礼・淮西節度使の魯炅・興平軍節度使の李奐・滑濮節度使の許叔冀・平盧兵馬使の董秦・鄭蔡節度使の季広琛を率いて安慶緒を討った。癸巳、大食・波斯が広州を寇した。 十月甲辰、成王李俶を立てて皇太子とした。大赦した。文武の官に階・爵を賜り、五品以上の子で、父の後継となる者に勲位を授けた。忠正孝友で東宮の官吏となりうる者を推挙した。 十一月壬申、王思礼が安慶緒と相州で戦い、これを破った。 十二月庚戌、戸部尚書の李峘が淮南・江東・江西節度使を都統した。丁卯、史思明が魏州を陥落させた。 二年(759)正月己巳、群臣が尊号をたてまつって乾元大聖光天文武孝感皇帝といった。郭子儀が安慶緒と愁思岡で戦い、これを破った。丁丑、九宮の貴神を祀った。戊寅、籍田を耕した。 二月壬戌、中書門下で囚人を再審した。 三月己巳、皇后が親蠶した。壬申、九節度使の軍が滏水で潰滅した。史思明が安慶緒を殺した。東京留守の崔円・河南尹の蘇震・汝州刺史の賈至が襄・鄧に逃れた。郭子儀が東京に駐屯した。丁亥、旱によって死罪を一等降し、流罪以下を再審した。流民で帰還した者を三年間免税とした。甲午、兵部侍郎の呂諲が同中書門下平章事となった。乙未、苗晋卿・王璵が宰相を退いた。京兆尹の李峴が吏部尚書となり、中書舎人の李揆が中書侍郎となり、戸部侍郎の第五琦と、ともに同中書門下平章事となった。丙申、郭子儀が東畿・山南東・河南等道諸節度防禦兵馬元帥となった。 四月庚子、王思礼が史思明と直千嶺で戦い、これを破った。壬寅、詔して常膳・服御を減じ、武徳中に作坊院で作成して蕃客に賜っていないもの、戎で祭祀の実施を待つものを停止させた。 五月辛巳、李峴を左遷して蜀州刺史とした。 七月辛巳、趙王李係が天下兵馬元帥となり、李光弼が副元帥となった。辛卯、呂諲が宰相を退いた。 八月乙巳、襄州防禦の将の康楚元・張嘉延がそむき、その刺史の王政を追放した。 九月甲子、張嘉延が荊州を陥落させた。丁亥、太子少保の崔光遠が荊襄招討・山南東道処置兵馬使となった。庚寅、史思明が東京および斉・汝・鄭・滑の四州を陥落させた。 十月乙巳、李光弼が史思明と河陽で戦い、これを破った。壬戌、呂諲が再び起用された。 十一月庚午、第五琦を左遷して忠州刺史とした。 十二月乙巳、康楚元が処刑された。史思明が陜州を寇し、神策軍将の衛伯玉がこれを破った。 上元元年(760)三月丙子、死罪を一等降し、流以下を釈放した。 四月戊申、山南東道の将の張維瑾がそむき、その節度使の史翽を殺した。丁巳、彗星が婁・胃に出現した。己未、来瑱が山南東道節度使となり、張維瑾を討った。 閏月辛酉、彗星が西方に出現した。甲戌、李係を徙封して越王とした。己卯、大赦し、改元し、文武の官に爵を賜った。太公望を追封して武成王とした。復死刑三覆奏。この月、大飢饉があった。張維瑾が降った。 五月丙午、太子太傅の苗晋卿が侍中となった。壬子、呂諲が宰相を退いた。 六月乙丑、鳳翔節度使の崔光遠が羌・渾・党項と涇・隴で戦い、これを破った。乙酉、またこれを普潤で破った。李光弼が史思明と懐州で戦い、これを破った。 七月丁未、聖皇天帝が西内に遷った。 十一月甲午、揚州長史の劉展がそむき、潤州を陥落させた。丙申、昇州を陥落させた。壬子、李峘と淮南節度使の鄧景山が劉展と淮上で戦い、敗れた。 この年、吐蕃が廓州を陥落させた。西原蛮が辺境を寇すると、桂州経略使の邢済がこれを破った。 二年(761)正月甲寅、降死罪、流以下原之。乙卯、劉展が処刑された。 二月己未、奴剌・党項羌が宝鶏を寇し、大散関を焚き、鳳州を寇し、刺史の蕭𢘽がここに死に、鳳翔尹の李鼎がこれを破った。戊寅、李光弼が史思明と北邙で戦い、敗れた。史思明が河陽を陥落させた。癸未、李揆を左遷して袁州長史とした。河中節度使の蕭華が中書侍郎・同中書門下平章事となった。乙酉、来瑱が史思明と魯山で戦い、これを破った。 三月甲午、史朝義が陜州を寇し、神策軍節度使の衛伯玉がこれを破った。戊戌、史朝義がその父の史思明を弑した。李光弼が副元帥を辞任した。 四月己未、吏部侍郎の裴遵慶が黄門侍郎・同中書門下平章事となった。乙亥、青密節度使の尚衡が史朝義と戦い、これを破った。丁丑、兗鄆節度使の能元皓がまたこれを破った。壬午、剣南東川節度兵馬使の段子璋がそむき、綿州を陥落させ、遂州刺史の嗣虢王李巨がここに死に、節度使の李奐(藩鎮)が成都に逃れた。 五月甲午、史朝義の将の令狐彰が滑州をもって降った。戊戌、平盧軍節度使の侯希逸が史朝義と幽州で戦い、これを破った。庚子、李光弼が河南道副元帥となった。剣南節度使の崔光遠が東川を落とし、段子璋が処刑された。 七月癸未朔、日食があった。 八月辛巳、殿中監の李国貞が朔方・鎮西・北庭・興平・陳鄭・河中節度使を都統した。 九月壬寅、大赦し、「乾元大聖光天文武孝感」の号を去り、「上元」の号を去り、元年を称し、十一月を歳首とし、月を斗をもって建辰とした。文武の官に階・勲・爵を賜り、侍老官に給付し、先に授けた者にも叙位した。四京の号を停めた。 元年建子月癸巳、曹州刺史の常休明が史朝義の将の薛㟧と戦い、これを破った。己亥、聖皇天帝を西内で朝享した。丙午、衛伯玉が史朝義と永寧で戦い、これを破った。己酉、太清宮で朝献した。庚戌、太廟および元献皇后廟で朝享した。 建丑月辛亥、南郊を有司摂祭した。己未、来瑱が史朝義と汝州で戦い、これを破った。乙亥、侯希逸が史朝義の将の李懐仙と范陽で戦い、これを破った。 宝応元年(762)建寅月甲申、靖徳太子李琮を追冊して皇帝とし、妃の竇氏を皇后とした。乙酉、王公妃主で殺害された者を葬った。丙戌、敬陵・恵陵が盗掘された。甲辰、李光弼が許州を落とした。吐蕃が和を請うた。戊申、史朝義が営州を陥落させた。 建卯月辛亥、大赦した。文武の官に階・爵を賜った。五品以上の清望と郎官・御史に、流人で行業あって憐愍を加えるべき者を推薦させた。鷹・鷂・狗・豹の貢納を停止させた。京兆府を上都とし、河南府を東都とし、鳳翔府を西都とし、江陵府を南都とし、太原府を北都とした。壬子、羌・渾・奴剌が梁州を寇した。癸丑、河東軍で乱が起こり、その節度使の鄧景山を殺して、都知兵馬使の辛雲京が節度使を自称した。乙丑、河中軍で乱が起こり、李国貞およびその節度使の荔非元礼を殺した。戊辰、淮西節度使の王仲昇が史朝義の将の謝欽讓と申州で戦い、敗れた。庚午、郭子儀が朔方・河中・北庭・潞州・儀州・沢州・沁州の節度行営を領知し、興平・定国軍兵馬副元帥となった。壬申、鄜州刺史の成公意が党項と戦い、これを破った。 建辰月壬午、大赦し、官吏で贈賄を受けた者で官庫に納めた者を許し、官を左遷された者、および流人で乱の鎮定に尽力した者を帰還させた。甲午、奴剌が梁州を寇した。戊申、蕭華が宰相を退いた。戸部侍郎の元載が同中書門下平章事となった。 建巳月庚戌、史朝義が沢州を寇し、刺史の李抱玉がこれを破った。壬子、楚州が国宝の玉十三を献定した。甲寅、聖皇天帝が崩じた。乙丑、皇太子が監国した。大赦し、元年を改めて宝応元年とし、正月を歳首にもどし、建巳月を四月とした。丙寅、閑厩使の李輔国と飛龍厩副使の程元振が皇后を別殿にうつし、越王李係・兗王李僩を殺した。この夜、皇帝は長生殿で崩じ、年は五十二であった。 代宗睿文孝武皇帝は、諱を豫といい、肅宗の長子である。母は章敬皇后呉氏といった。玄宗の諸孫は百人あまりいて、代宗が最も年長であり、嫡皇孫となった。聡明で寬厚、喜びや怒りを顔色に表さなかった。学問を好み記憶力がよく、易象に通じた。初めの名を俶といい、広平郡王に封ぜられた。 安禄山がそむき、玄宗が蜀に幸すると、肅宗は留って賊を討伐し、代宗は常に軍務に従った。 肅宗が即位すると、郭子儀らの兵が安慶緒を討ったが、勝利できなかった。肅宗は岐州にいた。至徳二載(757)九月、代宗は広平郡王として天下兵馬元帥となり、朔方・安西・回紇・南蛮・大食らの兵二十万を率いて進討し、百官を朝堂に送り、宮廷を過ぎて下り、歩いて木馬門を出て、その後再度騎乗した。安西・北庭行営節度使の李嗣業を前軍とし、朔方・河西・隴右節度使の郭子儀を中軍とし、関内行営節度使の王思礼を後軍とし、香積寺に駐屯した。賊将の安守忠を破り、斬首すること六万級におよんだ。賊将の張通儒は長安を守っていたが、安守忠が敗れたのを聞くと、城を棄てて逃れたので、代宗はそのまま京城を落とし、王思礼を留めて苑中に駐屯させ、代宗は大軍を率いて東に向かった。安慶緒はその将の厳荘を派遣して陜州ではばませたが、代宗と郭子儀・李嗣業は陜西で戦い、これを大いに破ったので、安慶緒は河北に逃れ、代宗はそのまま東都を落とした。肅宗は京師に帰還した。十二月、楚王に進封された。 乾元元年(758)三月、成王に徙封された。四月、立って皇太子となった。それより以前、太子が生まれた年、豫州が嘉禾を献上したから、そこで瑞祥によって、名を豫と改めた。元年の称をやめ、月は斗によって建辰を名とした。元年建巳月、肅宗が重病となり、詔して皇太子が監国した。楚州が献上した国宝十三を定めて、そこで、「楚州は、太子が封じられたところであり、今天より宝が楚州に降った。ただちに建元すべきである」とし、そこで元年を宝応元年とした。 肅宗と張皇后は李輔国を憎み、謀をしようとして、太子を召して聞いてみたが、太子は許さず、そこで越王李係と謀った。肅宗は病が進行した。四月丁卯、皇后と李係は太子を召喚して宮中に入らせようとしたが、飛龍副使の程元振は謀の情報を得て、李輔国に密告した。李輔国は太子を止めて入らせず、兵を率いて入り、李係と兗王李僩を殺し、皇后を別殿に幽閉した。夕方、肅宗が崩じ、そこで太子を迎えて群臣を九仙門に謁見させた。翌日、喪を発した。己巳、皇帝位を柩前で即位した。癸酉、始めて聴政した。甲戌、奉節郡王李适が天下兵馬元帥となり、郭子儀が副元帥を辞任した。乙亥、李适を進封して魯王とした。 五月壬午、李輔国が司空となった。庚寅、母を追尊して皇太后とした。丙申、李光弼が史朝義と宋州で戦い、これを破った。丁酉、大赦した。刺史の一子に官を授け、文武の官に階・爵を賜り、子で父の後継となる者を勲一等を昇進させた。民で租から逃げた者の旧債を免除した。子の益昌郡王李邈を進封して鄭王とし、延慶郡王李迥を韓王とした。庶人王氏を追復して皇后とし、李瑛・李瑤・李琚はみなその封号を復した。 六月辛亥、廃皇后張氏・越王李係・兗王李僩をみな追って庶人とした。 七月乙酉、山南東道節度使の裴茙を殺した。癸巳、剣南西川兵馬使の徐知道がそむいた。 八月己未、徐知道が処刑された。辛未、台州の人の袁鼂がそむいた。乙亥、李适を徙封して雍王とした。 九月戊子、鳳州刺史の呂日将が党項羌と三嗟谷で戦い、これを破った。丙申、回紇に援軍を要請した。壬寅、大閲を実績した。癸卯、袁鼂が信州を陥落させた。 十月乙卯、温・明の二州が陥落した。詔して浙江の水旱で、百姓で重度の困窮する者を、州県が税を科すことを禁じ、民で疫病で死んで葬送できない者を埋葬した。辛酉、雍王李适が史朝義を討った。壬戌、李輔国が強殺された。癸酉、雍王李适が懐州を落とした。甲戌、史朝義を横水で破り、河陽・東都を落とし、史朝義の将の張献誠が汴州をもって降った。 十一月丁亥、史朝義の将の薛嵩が相・衛・洺・邢の四州をもって降った。丁酉、史朝義の将の張忠志が趙・定・深・恆・易の五州をもって降った。己亥、朔方行営節度使の僕固懐恩が朔方・河北副元帥となった。 十二月己酉、太府の左蔵庫が焼失した。戊辰、京城内外の露出した骨を埋葬した。甲戌、李光弼が袁鼂と衢州で戦い、これを破った。 この年、舒州人楊昭がそむき、その刺史の劉秋子を殺した。西原蛮が叛いた。吐蕃が秦・成・渭の三州を寇した。 広徳元年(763)正月癸未、京兆尹の劉晏が吏部尚書・同中書門下平章事となった。甲申、史朝義が自殺し、その将李懐仙が幽州をもって降り、田承嗣が魏州をもって降った。壬寅、山陵使・山南東道節度使の来瑱に罪があり、処刑された。 三月甲辰、山南東道兵馬使の梁崇義が南陽から襄州に入った。丁未、李光弼が袁鼂と戦い、これを破った。辛酉、至道大聖大明孝皇帝を泰陵に葬った。甲子、党項羌が同州を寇し、郭子儀が黄堆山でこれを破った。庚午、文明武徳大聖大宣孝皇帝を建陵に葬った。 六月、同華節度使の李懐譲が自殺した。 七月壬寅、群臣が尊号をたてまつって宝応元聖文武孝皇帝といった。壬子、大赦し、改元した。民で租から逃げた者の旧債を免除し、戸三丁に庸・調を一免除した。河北を三年間免税とした。回紇が行軍・駐屯した地をこの年免税とした。内外の官に階・勲・爵を賜った。功臣に鉄券を賜り、名を記録して太廟に納め、肖像を描いて凌煙閣に納めた。吐蕃が隴右の諸州を陥落させた。 八月、僕固懐恩がそむいた。 九月壬寅、裴遵慶が僕固懐恩を汾州で宣慰した。乙丑、涇州刺史の高暉が叛いて吐蕃についた。 十月庚午、吐蕃が邠州を陥落させた。辛未、奉天・武功を寇し、京師は戒厳をしいた。壬申、雍王李适が関内兵馬元帥となり、郭子儀が副元帥となった。癸酉、渭北行営兵馬使の呂日将が吐蕃と盩厔で戦い、これを破った。乙亥、また盩厔で戦い、敗れた。丙子、陜州にいった。丁丑、華陰に行った。豊王李珙に罪があり、処刑された。戊寅、吐蕃が京師を陥落させ、広武郡王李承宏を立てて皇帝とした。辛巳、陜州に行った。癸巳、吐蕃は潰え、郭子儀が京師を奪回した。南山五谷の人の高玉がそむいた。 十一月壬寅、広州市舶使の呂太一がそむき、その節度使の張休を追放した。 十二月辛未、劉晏に上都を宣慰させた。甲午、陜州から到着した。乙未、苗晋卿・裴遵慶が宰相を退いた。検校礼部尚書李峴を黄門侍郎・同中書門下平章事とした。丙申、李承宏を華州に放逐した。吐蕃が松州・維州の二州を陥落させた。西原蛮が道州を陥落させた。 二年(764)正月丙午、詔して御史・諫官・刺史・県令となり得る者を推挙させた。乙卯、雍王适を立てて皇太子とした。癸亥、劉晏・李峴が宰相を退いた。右散騎常侍王縉を黄門侍郎、太常卿杜鴻漸を兵部侍郎・同中書門下平章事とした。郭子儀に河東副元帥を兼任させた。 二月辛未、僕固懐恩が朔方軍節度留後渾釈之を殺した。癸酉、太清宮で朝献した。甲戌、太廟で朝享した。乙亥、南郊で有司摂祭した。己丑、大赦した。内外の官に階・爵を賜った。武徳の功臣の子孫一人に官を賜った。成都・霊武で最小から従った三品以上の者に爵一級を、ほかは一階を加えた。宝応の功臣で三品以上の一子に官を賜い、爵一級を賜い、ほかは階・勲を二等加え、五品以上で父の後継となる者は勲を二等賜った。 三月辛丑、河南府を二年間免税とした。甲子、盛王李琦が薨去した。 四月甲午、螺鈿で珠や翠をつくることを禁じた。 五月、洛水が氾濫した。 六月丁卯、汾州に星が落ちた。 七月庚子、初めて青苗を税とした。己酉、李光弼が薨去した。 八月丙寅、王縉が侍中となり、河南・淮南・山南東道節度行営事を都統した。壬申、王縉が侍中を辞任した。癸巳、吐蕃が邠州を寇し、邠寧節度使の白孝徳が宜禄でこれを破った。 九月己未、剣南節度使の厳武が吐蕃と当狗城で戦い、これを破った。 この秋、蜮が出現した。 十月丙寅、吐蕃が邠州を寇した。丁卯、奉天を寇し、京師に戒厳をしいた。庚午、厳武が吐蕃の塩川城を落とした。辛未、朔方兵馬使の郭晞が吐蕃と邠西で戦い、これを破った。この月、突厥が豊州を寇し、守将の馬望がここに死んだ。 十一月乙未、吐蕃軍は潰え、京師は戒厳を解いた。河西節度使の楊志烈が僕固懐恩と霊州で戦い、敗れた。癸丑、袁鼂が処刑された。越州のこの年の田租の半分を免除し、温・台・明の三州を一年間免税とした。 十二月乙丑、高玉が処刑された。丙寅、多くの星が落ちた。 この年、西原蛮が邵州を陥落させた。 永泰元年(765)正月癸巳、大赦し、改元した。この月、歙州の人がその刺史の龐濬を殺した。 二月戊寅、党項羌が富平を寇した。庚辰、儀王李璲が薨去した。 三月庚子、雨が木に氷をつけた。庚戌、吐蕃が和を請うた。辛亥、大風のため木が抜けた。 四月己巳、春より雨が降らなかったが、この日雨が降った。 この夏、盩厔で穭麦が生えた。 七月辛卯、平盧・淄青兵馬使の李懐玉がその節度使の侯希逸を追放した。 八月庚辰、王縉が河南副元帥となった。僕固懐恩が吐蕃・回紇・党項羌・渾・奴剌とともに辺境を寇した。 九月庚寅、百官に命じて浮屠の象を光順門で見させた。辛卯、太白が天を通過した。甲辰、吐蕃が醴泉・奉天を寇し、党項羌が同州を寇し、渾・奴剌が盩厔を寇し、京師は戒厳をしいた。己酉、苑に駐屯し、郭子儀は涇陽に駐屯した。丁巳、同華節度使の周智光が吐蕃と澄城で戦い、これを破った。周智光は鄜州に入り、その刺史の張麟を殺し、そのまま坊州を焚いた。 十月、沙陀が楊志烈を殺した。己未、吐蕃が邠州にいたり、回紇とともに辺境を寇した。辛酉、奉天を寇した。癸亥、同州を寇した。乙丑、興平を寇した。丁卯、回紇・党項羌が降伏を請うた。癸酉、郭子儀が吐蕃と霊台で戦い、これを破った。京師は戒厳を解いた。 閏月辛卯、朔方副将の李懐光が霊州を落とした。辛亥、剣南西山兵馬使崔旰がそむき、成都を寇し、節度使の郭英乂は霊池に逃れ、普州刺史の韓澄がこれを殺した。癸丑、民財を納めて浮屠の供とした。 大暦元年(766)二月、吐蕃が遣使して来朝した。壬子、杜鴻漸が山南西道・剣南東西川・邛南・西山等道副元帥となった。 三月癸未、剣南東川節度使の張献誠が崔旰と梓州で戦い、敗れた。 七月癸酉、洛水が氾濫した。 九月辛巳、吐蕃が原州を陥落させた。 十一月甲子、大赦し、改元し、流民で本業に戻る者を三年間免税とした。 十二月己亥、彗星が瓠瓜より出た。癸卯、周智光がそむき、虢州刺史の龐充を殺した。 この冬、雪がなかった。鄭王李邈が天下兵馬元帥となった。 二年(767)正月丁巳、郭子儀が周智光を討った。己未、同華の将の李漢恵が同州をもって降った。甲子、周智光が処刑された。淮西節度使の李忠臣が華州に入った。戊寅、同・華の二州を二年間免税とした。 八月壬寅、駙馬都尉の姜慶初を殺した。 九月甲寅、吐蕃が霊州を寇した。乙卯、邠州を寇した。郭子儀が涇陽に駐屯し、京師は戒厳をしいた。乙丑、昼に星が南方に流れた。 この秋、桂州の山獠がそむいた。 十月戊寅、朔方軍節度使の路嗣恭が吐蕃と霊州で戦い、これを破った。京師は戒厳を解いた。 十一月辛未、雨が木に氷をつけた。壬申、京師で地震があった。 三年(768)二月癸巳、商州兵馬使の劉洽がその刺史の殷仲卿を殺した。 三月乙巳朔、日食があった。 五月乙卯、斉王李倓を追号して皇帝とし、興信公主の女の張氏を皇后とした。癸亥、地震があった。 六月壬寅、幽州兵馬使の朱希彩がその節度使の李懐仙を殺して、留後を自称した。 閏月庚午、王縉が幽州盧龍軍節度使を兼ねた。 七月壬申、瀘州刺史楊子琳がそむき、成都を陷すと、剣南節度留後の崔寛がこれを破り、成都を落とした。楊子琳が夔州別駕の張忠を殺した。戊寅、吐蕃が遣使して来朝した。 八月己酉、吐蕃が霊州を寇した。丁卯、邠州を寇し、京師は戒厳をしいた。戊辰、邠寧節度使の馬璘が吐蕃と戦い、これを破った。庚午、王縉が河東節度使を兼ねた。 九月丁丑、済王李環が薨去した。壬午、吐蕃が霊州を寇し、朔方の将の白元光がこれを破った。壬辰、またこれを霊武を破った。戊戌、京師は戒厳を解いた。 十二月辛酉、涇原兵馬使の王童之が反乱を計画し、処刑された。 四年(769)正月甲戌、潁州刺史の李岵を殺した。 二月乙卯、杜鴻漸が副元帥を辞任した。丙辰、京師で地震があった。 三月、御史を派遣して商銭を税とした。甲戌、京兆のこの年の税を免税とした。 五月丙戌、京師で地震があった。 六月戊申、王縉が副元帥・都統を辞任した。 七月癸未、死罪を一等降して、流以下を釈放した。 十月丁巳、大霧。 十一月辛未、禁畿内弋獵。壬申、杜鴻漸が宰相を退いた。癸酉、元載を知門下省事とした。甲戌、吐蕃が霊州に寇し、朔方軍節度留後の常謙光がこれを破った。丙子、左僕射の裴冕が同中書門下平章事となった。癸巳、裴冕が河南・淮西・山南東道副元帥を兼ねた。 十二月戊戌、裴冕が薨去した。 この年、広州の人の馮崇道・桂州の人の朱済時がそむき、容管経略使の王翃がこれを破った。 五年(770)正月辛卯、鳳翔節度使の李抱玉が河西・隴右・山南西道副元帥となった。 三月癸酉、内侍監の魚朝恩に罪があり、自殺した。丙戌、昭陵の皇堂に光があり、このため京兆・関輔で赦した。 四月庚子、湖南兵馬使の臧玠がその団練使の崔灌を殺した。己未、彗星が五車に出現した。 五月己卯、彗星が北方に出現した。六月己未、彗星が消え去ったため、死罪は一等降し、流以下を釈放した。魏徴・王珪・李靖・李勣・房玄齡・杜如晦の後裔を録した。 この年、湖南の将の王国良がそむき、西原蛮とともに州県を寇した。 六年(771)二月壬寅、李抱玉が山南西道副元帥を辞任した。 三月、王翃が梁崇牽を破り、容州を落とした。 四月戊寅、藍田の西原の地を陥落させた。大𦅘錦・竭鑿・六破錦および文紗・呉綾を龍・鳳凰・麒麟・天馬・辟邪とすることを禁止した。 五月戊申、殿中侍御史の陸珽・成都府司録参軍事の李少良・大理評事の韋頌を殺した。 七年(772)二月庚午、江州江が氾濫した。 五月乙酉、大雨雹、大風のため木が抜けた。乙未、旱害のために大赦し、膳を減らし、楽を止めた。 この秋、幽州盧龍の将の李懐瑗がその節度使の朱希彩を殺し、経略軍副使の朱泚が留後を自称した。 十月乙亥、淮南が旱のため、租・庸を三分の二免除した。 十一月庚辰、巴・蓬・渠・集・壁・充・通・開の八州を二年間租・庸を免除した。 十二月丙寅、土が天より降り、長星が参より出現した。 八年(773)正月甲辰、詔して京官三品以上および郎官・御史に毎年刺史・県令を一人推挙させた。 五月辛卯、鄭王李邈が薨去した。壬辰、京師で大赦した。癸卯、死罪を一等降し、流以下を釈放した。 八月己未、吐蕃が霊州を寇し、郭子儀が七級渠でこれを破った。甲子、華州の屯田を廃して貧民に給した。 九月壬午、循州刺史の哥舒晃がそむき、嶺南節度使の呂崇賁を殺した。戊子、詔して京官五品以上・両省供奉官・郎官・御史に言上させた。 十月庚申、吐蕃が涇・邠を寇した。丙寅、朔方兵馬使の渾瑊が吐蕃と宜禄で戦い、敗れた。涇原節度使の馬璘が吐蕃と潘原で戦い、これを破った。 九年(774)二月辛未、徐州の兵が乱を起こし、その刺史の梁乗を追放した。 四月壬辰、大赦した。 十月壬申、信王李瑝が薨去した。乙亥、涼王李璿が薨去した。壬辰、京師の死罪を一等降し、流以下を釈放した。 十年(775)正月丁酉、昭義軍兵馬使の裴志清がその節度使の薛㟧を追放し、叛いて田承嗣についた。壬寅、寿王李瑁が薨去した。戊申、田承嗣がそむいた。癸丑、田承嗣が洺州を陥落させた。乙卯、剣南西川節度使の崔寧が吐蕃と西山で戦い、これを破った。 二月乙丑、田承嗣が衛州を陥落させ、刺史の薛雄がここに死んだ。辛未、子の李述を封じて睦王とし、李逾を郴王とし、李連を恩王とし、李遘を鄜王とし、李造を忻王とし、李暹を韶王とし、李運を嘉王とし、李遇を端王とし、李遹を循王とし、李通を恭王とし、李逵を原王とし、李逸を雅王とした。丙子、河陽軍で乱が起こり、三城使の常休明を追放した。 三月甲午、陜州軍で乱が起こり、その観察使の李国清を追放した。 四月癸未、河東節度使の薛兼訓らが田承嗣を討った。昭義の五州を二年間免税とした。甲申、大雨雹、大風のため木が抜けた。 五月乙未、魏博の将の霍栄国が礠州をもって降った。甲寅、大雨雹、大風のために木が抜け、闕門が震えた。 六月甲戌、成徳軍節度使の李宝臣が田承嗣と冀州で戦い、これを破った。 七月己未、杭州で津波があった。 八月己丑、田承嗣が礠州を寇した。 九月壬寅、京師の死罪を一等降し、流以下を釈放した。壬子、吐蕃が臨涇を寇した。癸丑、隴州を寇した。丙辰、李抱玉が義寧でこれを破った。丁巳、馬璘がまた百里城でこれを破った。 十月辛酉朔、日食があった。甲子、昭義軍節度使の李承昭が田承嗣と清水で戦い、これを破った。丙寅、貴妃独孤氏が薨去した。丁卯、追冊して皇后とした。 十一月丁酉、魏博の将の呉希光が瀛州をもって降った。丁未、嶺南節度使の路嗣恭が広州を落とし、哥舒晃が処刑された。 十一年(776)正月庚寅、田承嗣が降った。辛亥、崔寧が吐蕃と戦い、これを破った。 五月、汴宋都虞候の李霊耀がそむき、濮州刺史の孟鑑を殺した。 七月庚寅、田承嗣が滑州を寇し、永平軍節度使の李勉が敗れた。 八月甲申、淮西節度使の李忠臣と河陽三城使の馬燧と李勉が李霊耀を討った。 閏月丁酉、太白(金星)が昼に見えた。 九月乙丑、李忠臣と馬燧が李霊耀と鄭州で戦い、敗れた。 十月乙酉、中牟で戦い、これを破った。壬辰、李忠臣はまた西梁固でこれを破った。壬寅、淮南節度使の陳少淤が李霊耀と汴州で戦い、これを破った。丙午、田承嗣が兵をもって李霊耀を救援し、李忠臣が匡城でこれを破った。甲寅、李霊耀が処刑された。 十二年(777)三月庚午、田承嗣を赦した。辛巳、元載に罪があって処刑された。王縉を左遷して括州刺史とした。 四月壬午、太常卿の楊綰が中書侍郎となり、礼部侍郎の常衮が門下侍郎となり、ともに同中書門下平章事となった。癸巳、詔して諫官が意見封事を献上するのに期限を廃止し、側門にて論事する者は状に従って面奏させ、六品以上の官で言事を投書する者は添え書の記録を廃止した。丁酉、吐蕃が黎・雅の二州を寇し、崔寧がこれを破った。この月、金州の人の卓英璘がそむいた。 六月乙巳、卓英璘が処刑された。金州を二年間免税とした。丁未、旱のため、京師の死罪を一等降し、流以下を釈放した。 七月己巳、楊綰が薨去した。丙子、詔して尚書・御史大夫・左右丞・侍郎に刺史に任命すべき者を推挙させた。 九月庚午、吐蕃が坊州を寇した。 この秋、黄河が氾濫した。 十一月壬子、山南西道節度使の張献恭が吐蕃と岷州で戦い、これを破った。 十二月丁亥、崔寧が吐蕃と西山で戦い、これを破った。 この年、恒・定・趙の三州で地震があった。冬、雪がなかった。 十三年(778)正月戊辰、回紇が并州を寇した。癸酉、河東節度留後の鮑防が回紇と陽曲で戦い、敗れた。 二月庚辰、代州刺史の張光晟が回紇と羊虎谷で戦い、これを破った。 四月甲辰、吐蕃が霊州を寇し、常謙光がこれを破った。 十月己丑、京畿で兵器を持って狩猟をおこなうのを禁じた。 この年、郴州の黄芩山が崩れた。 十四年(779)二月癸未、魏博節度使の田承嗣が亡くなり、その兄の子の田悦が留後を自称した。 三月丁未、汴宋の将の李希烈がその節度使の李忠臣を追放し、留後を自称した。 五月辛酉、不豫となり、詔により皇太子が監国した。この夕、皇帝は紫宸内殿で崩じ、年は五十三であった。 賛にいう、天宝の乱では、大賊が突如蜂起して、天子は出奔した。まさにその時、肅宗は皇太子として兵を統率して賊を討伐し、本当にその職を得たというべきである。しかし僖宗の時、唐の威徳は人にあり、綱紀はまだ崩れ去っていなかったが、天宝の時と比べてどうであろうか。しかし僖宗は蜀にあって、藩鎮らの兵を合力して、遂に黄巣を破って京師を回復した。上記のことから言うならば、肅宗は尊位に即位していなかったが、まあ賊を破ることができたのだ。思うに高祖より以来、三たび位を退いてその子に授けたが、一人睿宗のみ上は天戒を恐れて、誠心より発した。高祖・玄宗のようにどうしてその志があろうか。代宗の時、敵の勢力はまだあり、乱を平定して守成した。思うにまた中材の主であろう。 前巻 『新唐書』 次巻 巻五 本紀第五 『新唐書』巻六 本紀第六 巻七 本紀第七
https://w.atwiki.jp/borderbreak/pages/430.html
旧ブロア市街地 ~制空血戦~ ワフトローダーx2 概要 全体図 設置施設一覧 戦術プラントごとのコメントプラントA(EUSTベース前・丘陵南側の坂道中腹) プラントB(ブロア河南側・市街地内部) プラントC(ブロア河北側・市街地内部) プラントD(GRFベース前・歩道橋真下) 西・EUST戦術 東・GRF戦術 概要 通称ブロアD。 ロケテストで登場した第2のマップ。 近代的な市街地ではなく、ヨーロッパを思わせる古い石畳みの町並みである。街の外周部には所々古い城壁などが残っており、周囲に対してかなり高く見通しが良い。 市街の中央やや西よりのところを南北に河が流れており、これによって大きく2つに分割されている。河には3本の橋がかかっているが、このうち一番北側の橋は崩落しており、無傷で渡るには残骸を足場に跳んでいかなければいけない。南側には町並みと同じ高さに1本、さらに川面付近に1本の、計2本の橋が無傷で残っており、歩いて渡ることが可能。 両軍のベースは市街から東西にやや外れた丘陵地にあり、そこへ至る道は南北に2本ずつ。ベースから市街へはカタパルト2本を経由すればあっという間だが、逆に市街からベースに行くにはかなりの時間を要する。 左側ベースがEUST、右側がGRFのベース。 今回はこの市街地にワフトローダーが2台も出現する。 しかし闇雲にベースへ向かったところで障害物があまりなくガンターレットの射線も通りやすい このマップでは、ベースにたどりつく前にあっさりとワフトローダーが破壊されてしまうこともめずらしくない。 ワフトローダーをベースに向かわせるにはタイミングが重要。 もちろん、それに便乗した地上からのコア凸やプラント奇襲も有効なので、 両陣営ともそのような攻撃を受けてラインを崩されないよう注意したい。 油断すると自陣のワフトローダーすらも相手に奪われることとなる。 プラントの配置上、ブロア河を挟んで大きな陣営のラインが出来上がるので、 それを地上戦で地道に攻略していくか、ワフトローダーで一気に敵ベースへ侵攻するか、 この駆け引きが生まれるマップである。 全体図 公式サイトでPDFのマップを見ることが出来る。 設置施設一覧 プラント 市街地としては最少の4つ EUSTコア←約280m→A←約170m→B←約135m→C←約200m→D←約280m→GRFコア 詳細は後述 リペアポッド 10ヵ所。 EUST、GRFベース内にそれぞれ4つ。 プラントBのやや西寄りに1つ、プラントCの広場寄りに1つ。 プラント併設のものは占拠している陣営のみ使用可能。 カタパルト 15ヵ所。 EUST、GRFベース内にそれぞれ4つ。 また両ベース共に、ベースリスポンから最も近い場所のカタパルトの着地点に それぞれ2カ所ずつ。 EUST側は、高台の物見塔付近にワフトポートへ飛ぶものが1つ。 GRF側は、高台から続く橋の根元にワフトポートへ飛ぶものが2つ、それぞれ設置されている。 EUSTベース壁付近の2つのカタパルトは乗るとプラントA方向に飛び、 GRFベース壁付近の2つのカタパルトはプラントD方向に飛ぶ。 開幕進行がスピーディに行える配置となっている。 リフト 9ヵ所。 ベース前の高台に上るリフトが両陣営とも2カ所ずつ設置されている。 自動砲台 16ヵ所。 最大の特徴はGRF陣営に橋を渡るものを狙撃する自動砲台が設置されていることと、 ベース内の自動砲台が両陣営共に4つに減っていること。 これまでの市街地に比べ、ややコア攻撃が行いやすくなっている。 レーダー施設 2カ所。 EUST、GRFともに、熱戦の河畔とほぼ変わらない位置にある。 そのため、ベース外から容易に破壊されやすいため注意。 ガンターレット 9ヵ所。 両陣営ともベース前にタイプRとMが1つずつ。 Rは定位置のようで微妙に配置が改善されており、ベースと小屋の間の死角がなくなっている ベースの高台の先端にタイプGが1つずつ。 プラントAの少し先にタイプRが1つ。 激戦の丘でプラントDがあった城の高台にタイプMが1つ。 プラントDから南のブロア河沿いに北側広場を狙えるタイプRが1つ。 ワフトポート、リペアポート ブロアBでプラントBがあった高台に1ヵ所、プラントEがあった高台に1ヵ所存在する。 最初のワフトローダーは残り時間450秒で出現し、以降ワフトローダーが破壊されるごとに60秒の間隔で復活する。 リペアポートはプラントBのやや南、プラントCのやや北にそれぞれ1つずつ。 障害物 プラントAのすぐ東側に1箇所。 ブロア河中央の橋をふさぐ形で、橋の両端に2箇所づつ。 ブロア河湖畔西側から市街地に侵入する際、進路を妨害するような配置で1箇所づつ。 戦術 プラントごとのコメント プラントA(EUSTベース前・丘陵南側の坂道中腹) EUSTの死守すべき最重要拠点。遮蔽物はない。 ここを奪われたら、ガチムチ重火力でもコア凸可能となってしまう。 EUSTからカタパルトで直接飛んで行ける。 奪う時はなるべく仲間と足並みを揃えて一緒に踏んで、一気に占拠したいところ。 すぐ奪い返されてしまうので、なるべく維持しつつ反対側からコア凸組が行くのが理想。 EUSTは奪われたらなるべく早く奪い返しに行かないと非常に厳しい状況になりかねない。 プラントB(ブロア河南側・市街地内部) リペアポッドのある拠点。 GRFからはコア凸のポイントとなるのでEUSTは死守すべき拠点である。 ブロアAと比べると湖畔寄りに配置が調整されており、ちょうど建物に囲まれる場所にプラントの中心がある。 プラント東側の教会からジャンプして、プラントを囲む他の建物の屋根に飛び移れるほか、そのまま屋根上からの占拠が可能。 足場は意外と広く、迂闊に飛び込むとリムペVやコングの餌食となるので慎重に。 一度奪われるとリペアポッドで回復されながら維持されてしまうので、奪い返すのがとても困難になるので 奪われないように防衛する事。 プラントC(ブロア河北側・市街地内部) リペアポッドのある拠点。 こちらもプラントBと同じく、ブロアAよりも湖畔側に位置が調整されている。 EUSTからはコア凸のポイントとなるのでGRFは死守しておかないと戦況が変わる。そのため必然的に攻防が激しい地点となる。 建物が密集しており、路地裏にプラントの中心があるため屋根上からの占拠が可能。 遮蔽物が多く爆風が効きにくいので注意が必要。 プラントD(GRFベース前・歩道橋真下) GRFの死守すべき最重要拠点。遮蔽物は歩道橋の柱。 ここを奪われたら、ガチムチ重火力でもコア凸可能となる。 GRFからカタパルトで直接飛んでいける。 奪う時は遮蔽物を利用して立ち回りたいところ。 コア凸の拠点としては、あれば有利になる程度なのでEUSTからするとそこまで重要な拠点ではない。 とはいえ、GRFは奪われたらなるべく早く奪い返しに行かないと非常に厳しい状況になりかねない。 西・EUST戦術 ABプラント死守、Cプラント占拠を目指しつつコア凸を狙う。 東・GRF戦術 CDプラント死守、Bプラント占拠を目指しつつコア凸を狙う。
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/54.html
編集 将作大匠(將作大匠)とは、朝廷の職官である。宮室や宗廟、陵園の建築、造成を司る。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏丞(将作丞か、或いは大匠丞か) 左候 右候 中候 属官石庫 東園主章 左校 (両漢) 右校 (両漢) 前校 後校 中校 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説 歴史 将作少府は故の秦官。漢これを継ぐ。 景帝中六年、更名して将作大匠。 光武中元二年、省き、将作謁者がこれを領す。 章帝建初元年、また置く。 位 (前漢) 一人、二千石。 (後漢) 一人、二千石。 位、河南尹に次ぐ(*1)。 職掌 (前漢) 宮室の治を掌る。 (後漢) 宗廟、路寢(*2)、宮室、陵園木土の功の修作を掌る。 并せて樹、桐梓の類を道側に列す。その樹は、栗、漆(椅)、梓、桐である。 古くは、樹を列して以って道を表わし、並べて以って林囿を為す。四者はみな木の名、宮室を治めること並んでこれを主とす。 属吏 丞(将作丞か、或いは大匠丞か) (前漢) 二人、六百石。 (後漢) 一人、六百石。 左候 後漢に名は見えず。 右候 後漢に名は見えず。 中候 成帝陽朔三年、省く。 後漢に名は見えず。 属官 石庫 後漢に名は見えず。 石庫令 一人。 丞 一人。 東園主章 大材を掌り、以て少府東園匠に供す。 章は大材を謂う。古くは材を主る吏の名を章曹掾と言った。 武帝太初元年、更名して木工と為す。 唐初の謂う木鍾である。 後漢に名は見えず。 東園主章令 一人。 東園主章丞 一人。 左校 (両漢) (前漢) 令 一人。 丞 一人。 成帝陽朔三年、丞を省く。 (後漢) 左工徒を掌る。安帝が復す。 令 一人、六百石。 丞一人。 右校 (両漢) 令 一人。 丞 一人。 成帝陽朔三年、丞を省く。 (後漢) 右工徒を掌る。安帝が復す。 令 一人、六百石。 丞一人。 前校 (前漢) 後漢に名は見えず。 令 一人。 丞 一人。 成帝陽朔三年、丞を省く。 後校 (前漢) 後漢に名は見えず。 令 一人。 丞 一人。 成帝陽朔三年、丞を省く。 中校 令 一人。 丞 一人。 成帝陽朔三年、丞を省く。 所属項目(タグ) 二千石 将作大匠 将作少府 東園 職官 関連項目・人物 将作大匠 詳説 編集 -
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/14817.html
登録日:2012/06/15 (金) 14 14 09 更新日:2024/05/12 Sun 14 08 04 所要時間:約 3 分で読めます ▽タグ一覧 MK モータルコンバット モータルコンバット登場人物項目 リュウ・カン 不遇 中国 主人公 主役 劉鋼 悪堕ち 河南省 炎 猛魂 神 雷 リュウ・カンは、モータルコンバットに登場したキャラクターのうちの一人。 【プロフィール】 漢字表記:劉鋼 年齢:24歳 身長:178cm 体重:84kg 髪の色:黒 目の色:茶 国籍:中華人民共和国 家族:父親(死亡)、母親(死亡)、弟(消息不明) 出身地:中国河南省 職業:少林寺僧、漁師 少林寺を専門とする秘密結社「白蓮」のメンバーで、 本シリーズの主人公。 初代に登場した彼は結構地味な印象だったが、「Ⅱ」以降は赤鉢巻に赤ライン入りの黒ズボンを着用するなど、主人公らしさにかなり磨きがかかった。 ◆概要 シャン・ツンが主催した殺戮の宴に参加した彼は、其処で幾多のライバル達を蹴散らしていく。 そして黒幕、シャン・ツンを倒し、案緒の気持ちで寺院に戻ったが、そこで彼を待っていたのは、廃墟と化した寺院だった。 そう、全てはシャン・ツンの仕業だった。 シャン・ツンはリュウ・カンが殺戮の宴に参加していることを利用し、彼が所属している寺院をバラカ達に襲撃させていた。 悲しみに暮れるリュウ・カン。 一方、シャン・ツンはシャオ・カーンから若い肉体を授かり、再び殺戮の宴を開催。 リュウ・カンは復讐の為、平和の為、再び殺戮の宴へと身を投じる。 若返ったシャン・ツン、そして真の黒幕であるシャオ・カーンに対し、怒りの拳を向けるのであった。 ◆通常技 鳳凰拳 波動系の技。 前方に龍の頭の形をした飛び道具を飛ばす。 「Ⅱ」以降はジャンプ中やしゃがみ中にも打てる様になった。 空打裂傷脚 水平に飛びながら、連続蹴りを放つ。 逆龍蹴 垂直に飛んで蹴りをかます。 ◆究極神拳 咬龍破惨撃 龍に変身したのち、相手の上半身を咬み砕く。 激地真龍尾拳 側転蹴りを喰らわせた後、アッパーカットでトドメを刺す。 地味とか言わない。 因みに規制責めにあった日本SFC版「Ⅱ」においては、例外なく白黒場面になる。 ◆フレンドシップ ディスコダンスを相手に披露(「Ⅱ」) 影絵を披露(「Ⅲ」) ◆近年での扱い 実写時代こそその雰囲気や行動から主人公らしいヒロイックさや熱さが表れていたものの、「デッドリーアライアンス」のオープニングで殺害され、プレイアブル権を剥奪された上キャラクターセレクトの初期位置を宿敵のシャン・ツンに奪われると言うところから彼の受難は始まり、 「ディセプション」ではなんとか生き返ったものの、埋葬されて時間が経ってしまったのかゾンビと化してしまった。 その後「アルマゲドン」でもとの肉体に戻り、「ショウリンモンクス」ではクン・ラオと共に久々の主人公として華々しい活躍をし、歴史が変わった「9」でも主人公としてかつての彼を彷彿とさせる熱さ、ヒロイックさを見せ終盤まで活躍したものの、その「9」の最終盤にて雷電と対峙し勝負を挑むも敗死してしまう。 そして「9」の二十数年後を描く「X」にて再びゾンビとなってとうとう悪役として降臨してしまった。 他にもパッケージの画像やタイトル画面から彼の姿が消えたり、せっかく生き返ったのに主人公枠及びキャラクターセレクトの初期位置をスコーピオンに奪われたり、ネットで彼の名前を検索すればすぐ検索予測に「主人公(笑)」と出てきてしまったりと、ゲーム内でも現実世界でもかつての主人公とは思えない程の不遇な立ち位置にいるキャラクターになってしまった。 以下、MK11における重大なネタバレ 2019年、11のストーリーモードにて、ようやく主人公に返り咲く。 本作のラスボスである時を操る女神・クロニカの引き起こした時間軸改変により過去(だいたい9の中盤辺り)のリュウ・カンが召喚され、同じく召喚された善良な頃のキタナ、クン・ラオ、ライデンらと共に地球を守るべく活動する。それに伴い現代のレヴェナントの自分とも対峙する事になる。 そして本編の終盤・ライデンの章にて、暴走するライデンと再び対立しかけるが、そこで衝撃の事実が発覚する。 それは、シリーズ通しての出来事は全てクロニカが自身の理想の世界を創るために動かしていた事、しかも全ての時間軸でリュウ・カンとライデンが殺し合うように操っていたという事である。 今回の時間軸でそれに気付いたライデンのおかげで争いは免れたが、直後に現れたクロニカによって連れ去られた挙句、彼女と手を組んだレヴェナントのリュウ・カンに魂を吸収されてしまう。 過去の自分の魂を取り込み自己強化を施したリュウ・カンはクロニカのアジトへ向かう途中のライデンの前に現れ戦いを挑むも、自身の心の闇を克服したライデンに敵わず敗北。 他の時間軸と同じように死を覚悟するが、彼に命を救われ、過去と現代、そしてライデンの魂が融合しーーーー END OF AN ERA FIRE GOD LIU KANG なんと、彼は神として覚醒したのだ。 ちなみに名前こそ「火の神」とあるが、ライデンの力も受け継いでいるので、実質火と雷の神である。 こうして神として復活を遂げたリュウ・カンは、ライデンに代わって地球軍のリーダーとなり、クロニカの従える冥界の戦士達を一瞬でほぼ全滅させる程の絶大な力を見せつける。 そして、キタナ、クン・ラオと共にクロニカのいる時の砂の間に辿り着き、レヴェナント達と対峙するが、その直後にクロニカが時間を冥界到着前まで戻したため、リュウ・カンはやむなく単身でレヴェナント達と戦う事になる。 始めは劣勢に立たされるが、突然聞こえたライデンの声によって奮起し、手始めにジェイドを再起不能に追い込み、続けてキタナ、クン・ラオ、更にはセトリオンまでも次々と打ち破る。 追い詰められたクロニカは時の砂を動かし、時代を原始時代まで戻してしまう。 つまり、今までの世界を消してしまったのである。 それでも、リュウ・カンはクロニカの野望を阻止するため、地球を守るために戦うのだった。 モータルコンバットワールド最後の希望としてラスボスに立ち向かうその姿は、まさしく主人公という名にふさわしい熱い展開である。 なお、エンディングは彼女との戦闘結果によって分岐する。 更に追加ストーリーであるaftermathでは、最終盤にてシャン・ツンを止める最後の砦として立ちはだかる。と言うのも、シャン・ツンはある事情から味方サイドになっていたものの、後に裏切ってシャオ・カーンやシンデル、クロニカといった強豪を次々に打ち破り世界を手中に収めようとしていた。 なお、エンディングは操作キャラクターをリュウ・カン若くはシャン・ツンのどちらを選択するかによって分岐する。 いずれにしても、Xまでの扱いが考えられない程のとんでもない大出世ぶりである。ここまで扱いが劇的に変化する主人公も珍しい。 追記・修正は、激地真龍尾拳でトドメをさしてから。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- テキスト 11ではまさかの大活躍を見せたな -- 名無しさん (2019-04-23 02 35 56) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/world-footballers/pages/82.html
監督 商 瑞華 SHANG Rui-hua No. ポジション/選手名/フルネーム 生年月日/身長/体重/所属チーム 1 GK 張 艷茹 ZHANG Yan-ru 1987.01.10 / 182cm / 78kg / 江蘇華泰女子 2 DF 袁 帆 YUAN Fan 1986.11.06 / 174cm / 60kg / 上海申花SVA女子 3 DF 李 潔 LI Jie 1979.07.08 / 174cm / 59kg / 北京兆泰女子 4 DF 張 頴 ZHANG Ying 1985.06.27 / 175cm / 61kg / 上海申花SVA女子 5 DF 翁 新芝 WENG Xin-zhi 1987.06.15 / 168cm / 56kg / 江蘇華泰女子 6 MF 張 娜 ZHANG Na 1984.03.10 / 168cm / 64kg / 河北華北製薬女子 7 MF 畢 妍 BI Yan 1984.02.17 / 169cm / 61kg / 大連海昌女子 8 FW 徐 媛 XU Yuan 1985.11.17 / 162cm / 57kg / 甘粛天馬女子 9 FW 韓 端 Han Duan 1983.06.15 / 170cm / 61kg / 大連海昌女子 10 FW 劉 卅 LIU Sa 1987.07.11 / 165cm / 64kg / 北京兆泰女子 11 DF 浦 瑋 PU Wei 1980.08.20 / 173cm / 57kg / 上海申花SVA女子 12 MF 婁 佳惠 LOU Jia-hui 1991.05.26 / 168cm / 54kg / 河南建業女子 13 DF 江 師 JIANG Shuai 1982.06.07 / 174cm / 62kg / 天津彙森女子 14 DF 劉 華娜 LIU Hua-na 1981.05.17 / 164cm / 58kg / 狹西国力女子 15 DF 周 高萍 ZHOU Gao-ping 1986.10.20 / 168cm / 56kg / 江蘇華泰女子 16 MF 王 丹丹 WANG Dan-dan 1985.05.01 / 162cm / 55kg / 北京城建女子 17 MF 古 雅莎 GU Ya-sha 1990.11.26 / 160cm / 60kg / 北京城建女子 18 GK 韓 文霞 HAN Wen-xia 1976.08.23 / 180cm / 75kg / 大連海昌女子 予備登録 19 FW 婁 曉旭 LOU Xiao-xu 1986.05.30 / 168cm / 59kg / 長春亜泰女子 20 DF 王 坤 WANG Kun 1985.10.20 / 174cm / 64kg / 河北華北製薬女子 21 MF 謝 彩霞 XIE Cai-xia 1976.02.17 / 161cm / 55kg / 広東海印女子 22 GK 翁 曉潔 WENG Xiao-jie 1987.07.27 / 176cm / 67kg / 江蘇舜天女子
https://w.atwiki.jp/l_ten/pages/78.html
武林功績 武林功績 [#ueea2f28] 武林功績クエスト [#v001cf35] 討伐隊武林功績補償システム [#ec424e72] 新規武林功績クエスト [#sbec5592] 武林功績クエスト 河南省洛陽城の役所(座標:90,225)より 「武林功績」を選択することでクエストを受けることができます。 クエストは1日1回進行可能となり、 クエストを完了することで武林功績を 獲得することができます。 ※最大値100000 西域武士、巨石魔人、百魂司祭、崑崙護法、炎天魔帝、氷塊神将、人面血蛾、青海魔女の情報ください。 名号 獲得功績 魔霊珠 ドロップモンスター 無名小卒 50 東 属性の武道家・剣客・白衣の武士・七点蛇 新進高手 60 西 属性の餓狼・羅漢僧・猿・殺母蛇・ラマ僧 一流高手 70 南 属性の騎兵俑・血頭鷹・ヤギ・ガラガラヘビ・白馬・白髪武士 絶世高手 80 北 属性の吸血ネズミ・黄土魔人・氷雪魔人・黄土夜叉・氷雪夜叉 一代宗師 90 萬人之上 100 地 武当無嘗・武当儚女、属性の氷塊兵・氷奴・龍寿天人 君臨天下 110 天上奇人 130 天 新疆の敵(属性関係なし) 仙人指路 150 無極大道 150 神化之境 150 天極入境 150 討伐隊武林功績補償システム 魔教討伐/怪龍討伐成功時に一定確率で魂をドロップします。 魔教討伐、怪龍討伐それぞれに4種類ずつ魂が用意されています。 怪龍 摩喉羅伽魂 迦楼羅魂 緊那羅魂 阿修羅魂 魔境 天魂 龍魂 夜叉魂 乾達婆魂 取引・捨てる・露店:不可 倉庫:可 4種揃えて役人に持って行くと武林功績300を得ることが出来ます。 魂を通じる武林功績補償は、いずれかの討伐につき1日に1回だけ受けることができます。 新規武林功績クエスト 名号 npc 座標 必要アイテム 必要個数 無名小卒 嵩山(北) 魔侠 0 274 41 火打石 20 新進高手 安西 行人 4 86 238 くもの糸 15 一流高手 武漢 道具屋 14 114 270 白色馬尾 15 絶世高手 蘭州 鉱夫 19 50 76 緑林天自建 5 一代宗師 酒泉 学者 21 103 110 山羊の角 15 萬人之上 西寧 料理屋主人 42 201 86 異民族の証 15 君臨天下 崋山派 長老 245 21 149 梅花証票(斧) 20 天上奇人 黒華山牌 10 仙人指路 カシュガル 行人 229 78 248 戸牌 15 無極大道 東の国 道具屋 8 74 鬼魂石 10 神化之境 天極入境 【クエスト備考】 ・各名号で1日に2回クエストが進行可能です。 ・褒賞は各名号全てで「武林功績20P」「気功ポイント200P」です。
https://w.atwiki.jp/anime_wiki/pages/18282.html
劇場版 薄桜鬼 第一章 京都乱舞 Blu-ray 初回限定版 発売日:10月5日 女性向けゲーム「薄桜鬼」を原作とした劇場版アニメのBOX。 父を捜して京を訪れた千鶴は、 人斬り集団と恐れられる新選組と共に父の行方を捜すことに。 『~第一章 京都乱舞』と『~第二章 士魂蒼穹』の全2作品を収録。 2014年3月公開。劇場版 薄桜鬼 第一章 京都乱舞に続く薄桜鬼の劇場作品第2弾。 http //www.geneonuniversal.jp/rondorobe/anime/hakuoki/ 監督 ヤマサキオサム 脚本 藤澤経清、ヤマサキオサム 助監督 ほしかわたかふみ キャラクター原案 カズキヨネ キャラクターデザイン 中嶋敦子 絵コンテ 関野昌弘、斉藤哲人、名村英敏、ヤマサキオサム、大張正己 演出 仁昌寺義人、安藤貴史、宮下新平、ヤマサキオサム、大張正己 総作画監督 中嶋敦子、安田京弘、藤岡真紀、羽田浩二 総作画監督補佐 関野昌弘、飯島弘也 作画監督 中本尚、大塚八愛、関野昌弘、大籠之仁、加野晃、山田裕子 作画監督補佐 小松桃花、冨谷美香、河南正昭、石丸賢一、太田都、小林利充、志賀道憲、門智昭、山中いずみ、村上真紀、森田実、波部崇、鳥井聖美、山口飛鳥、Kim Yi Sung エフェクト作画監督 高橋しんや プロップ作画監督 岡戸智凱 プロップデザイン・筆文字 岩畑剛一 美術監督 平柳悟 美術設定 松本浩樹、藤井祐太 色彩設計 すずきたかこ 撮影監督 下崎昭 撮影監督補佐 荒井瑶美 特殊効果 さいとうたけし、村上朋輝 3D監督 今垣佳奈 編集 松村正宏 編集助手 霧生恵、伊藤広美 音響監督 ヤマサキオサム 音響監督補佐 川添憲五 音響効果 川田清貴、八十正太 録音・調整 阿部智佳子 録音助手 澤村裕樹、鈴木修二 音楽 川井憲次 ビジュアルワークス 根津典彦、野田義貴 アニメーション制作 スタジオディーン 制作協力 AICPLUS+ ■関連タイトル 劇場版 薄桜鬼 Blu-ray BOX ☆DVD BOX Blu-ray 劇場版 薄桜鬼 第二章 士魂蒼穹 初回限定版 主題歌 吉岡亜衣加/蒼穹ノ旗 薄桜鬼 黎明録~早春語り~ PSP 薄桜鬼 黎明録 ポータブル 限定版 ドラマCD/特製キャラクターシール同梱 フィギュア・ホビー:薄桜鬼 rakuten_design= slide ;rakuten_affiliateId= 053df7e0.7c451bd1.0c852203.190c5695 ;rakuten_items= ctsmatch ;rakuten_genreId=0;rakuten_size= 468x160 ;rakuten_target= _blank ;rakuten_theme= gray ;rakuten_border= on ;rakuten_auto_mode= on ;rakuten_genre_title= off ;rakuten_recommend= on ; javascript plugin Error このプラグインで利用できない命令または文字列が入っています。
https://w.atwiki.jp/bokuserve/pages/899.html
【元ネタ】中国神話・神仙伝 【CLASS】キャスター 【真名】広成子 【性別】男性 【身長・体重】158cm・45kg 【属性】中立・中庸 【ステータス】筋力D 耐久E 敏捷C 魔力A 幸運A 宝具B+ 【クラス別スキル】 陣地作成:D 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。 ”結界”の形成が可能。 道具作成:A 魔術的な道具を作成する技能。 特に仙薬の類の生成に優れる。 【固有スキル】 仕切り直し:C 戦闘から離脱する能力。 また、不利になった戦闘を戦闘開始ターン(1ターン目)に戻し、技の条件を初期値に戻す。 透化:A 精神面への干渉を無効化する精神防御。 暗殺者ではないので、アサシン能力「気配遮断」を使えないが、 道(タオ)の無想の域としての気配遮断を行うことができる。 仙術:A++ 大陸東部で培われた魔術体系。 五大属性全ての高レベルな自然干渉や、変化、禹歩など 自然無為によって道を修めた広成子は、仙人となる過程において内丹仙術を修めている。 悟りを得て不老不死に至るほどのその御技は、人の身を逸脱し神域に迫る術威。 【宝具】 『番天印(ファンテェンイン)』 ランク:B+ 種別:対軍宝具 レンジ:1~50 最大捕捉:1000人 強力な法力を持った印鑑。 平時は懐に収まるほどの印鑑だが、使用時に生物的な展開をして片腕を覆う重砲になる。 まず有視界範囲内の全ての対象に「番天」と書かれた押印で捕捉対象を決定し 次に砲身から誘導性の光線をロックした対象に向かって発射する。 光線そのものが高い殺傷力を帯びており、 さらに押印に着弾すると重厚な質量を持った物体となって対象を押し潰す。 非常に扱いの難しい宝具である為、有効に活用するためには戦況を何十手先までも予測し、 誘導する手練と知恵が必要不可欠な、達人が握れば最強の矛となり、最硬の盾にもなりうる万能広域宝具である。 【解説】 中国神話時代の古い仙人。 神仙伝には、古代の仙人で空同山(河南省臨汝県西南の山。 一説に実在しない萬言上の山名であるとも)の上の石室の中に住んでいた、とある。 黄帝がこれを聞いて訪ねていき、道を求めた。 最初に来たときは「おまえが天下を治めるようになってから鳥や草木が季節を間違えるようになった。 至上の道など教えられない」と追い返す。それで黄帝は閑居して3ヶ月たったのち、再び訪ねた時に長生の道を説く。 この時、広成子は1200歳であったという。 また、封神演技では九仙山・桃源洞に洞府を構えている武闘派で、闡截激突の火種を作った有名な仙人として出演している。
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/6203.html
登録日:2010/02/04(木) 16 29 40 更新日:2024/08/20 Tue 06 05 23 所要時間:約 8 分で読めます ▽タグ一覧 CLANNAD Key キス魔 ギャルゲー主人公 ザキオカ ハーレム バスケットボール 不良 中村悠一 主人公 大宇宙朋也 岡崎 岡崎ラップ 岡崎最高! 岡崎朋也エターナル 岡崎銀河 庭師 意外と泣き虫 智代アフター 汐 渚 漢 育児放棄 野島健児 鈍感 青髪 今日は岡崎祭りだぞぉ~☆ CLANNAD、智代アフターの主人公。 CV CLANNAD:なし(ゲーム版すべて)/遠近孝一(ラジオCM)/伊藤健太郎(PS2版特典DVD)/野島健児(ドラマCD・劇場版アニメ)/中村悠一(テレビアニメ版) 智代アフター:なし(無印・PS2・PE版)/中村悠一(PSP・メモリアルエディション・Xbox360・PS3版)/新田祐一(無印版・PE版D Tパート) 誕生日:10月30日 身長:173cm 体重:61kg 血液型:A型 <概要> 主人公で高校3年生。 春原陽平とは悪友で同級生。 元々はバスケットボールのスポーツ推薦で入学したが、父親である直幸との喧嘩が原因で選手生命を絶たれてしまった。 それからは同じような境遇である春原とともに自堕落な生活をしていた。 また、遅刻・サボりを繰り返しているので不良扱いを受けている。 不良といってもカツアゲやその他諸々をするわけではない(春原は下級生にカツアゲをするシーンがある)。 友達が少なく、ゲーム開始時には杏と春原しかいない。 彼が遅刻して学校に来た時に校門へ続く坂道の下で立ちつくす少女(渚)と出会い、そこから物語ははじまる。 以下各ルートでの活躍 渚ルート 渚ルートでは渚の演劇をやりたいという夢を手伝っている内に、何事にも頑張る姿勢に惹かれ付き合うこととなる。 (余談だが恋人になる場面やタイミングは媒体によって異なる) 途中で渚の幼少の頃の記憶の問題などがもちあがったりするも、秋生の叱咤でなんとか演劇は成功し、二人は幸せな学園生活を送るように見えた……。 しかし演劇の終わった後、渚の病弱な体が災いし渚は留年、岡崎は卒業してまう。 卒業式の後、岡崎は渚に一緒に卒業したかったと思いを告げ、渚はそんな岡崎を優しく諭すのだった。 杏ルート 杏ルートでは杏の少々強引なアタックにより、椋と付き合うことになる。 しかし椋と付き合っていくうちに椋を好きになる一方、自分は杏のことが好きであると気付き、苦悩する。 しかし友人である春原の助言もあり、杏に思いを告げ付き合う。 智代ルート 智代ルートでは春原についていく形で智代と会っていたが、互いに惹かれ合い付き合う。 しかし付き合っていくうちに「自分のような不良が智代と一緒にいたら智代のやりたいことを妨げてしまうのではないか」と考え、別れてしまう。 しかし3学期の始業式の日、智代と出合い、智代の本心を知りもう一度付き合うことを決意する。 ことみルート ことみルートでは授業をサボっていたとき図書館で偶然出合い、何度か会っているうちに付き合い始める。 しかし、偶然目の前で起こった事故によりことみは心を閉ざし、家に引きこもってしまう。 どうにかして助けようとする岡崎は過去にことみと会っていたことを思い出し、彼女が好きだった彼女の家の庭を元通りにすることを考えつく。 そして岡崎は周りの人の助けもあり、庭を元通りにすることに成功する。 風子ルート 風子ルートでは空き教室で姉の結婚式を祝って貰おうとヒトデを彫り続けている風子と出会い、岡崎達は手伝うことに。 しかし、生霊のような存在である風子は皆に忘れられ始める。 しかし最も深く関わった岡崎は最後まで記憶は残り、一度は忘れかけるも幸村の言葉で思い出す。 結婚式の最後には忘れてしまうも風子の頑張りを姉の公子に伝える。 春原ルート 春原ルートでは自堕落な生活を送る春原を更正させるためにやってきた妹・芽衣の頼みを受け、恋人の振りをすることに。 その際に春原と会い、芽衣と共に春原が自分達が間違っていると指摘してもらおうとしたが、春原はそのまま帰ってしまう。 その後更正の為に無理矢理復帰を頼んだせいでサッカー部から暴力を受けた芽衣を見て激昂し、喧嘩を初めようとしたとき、春原が参戦。 サッカー部を撃退したあとはその怒りを邪険にし続けた春原自身にも向け、芽衣についての喧嘩が始まる。 そこで春原は自分の本音を語り、この喧嘩の後、二人は仲直りする。 有紀寧ルート 有紀寧ルートでは有紀寧が死んだ自らの兄を岡崎に重ね、ルートの最後に付き合うことに。 アニメ版では町を二分する不良のリーダーと有紀寧の死んだ兄の代わりに岡崎が戦う場面がある。 春原バッドエンドルート このルートではヒロインのほとんどと面識を持つことになるが、4月23日にはその全てと関係を切る。 そして、芸能界デビューを目論む春原に対し、「今まで色んな女と出会ったがみんな違った」と春原に告白。絶交と交際の二択を突きつけ、交際に持ち込む。 その後は春原にゾッコン。キスをして終わる。 その他のルート あまり活躍しない。 AFTER STORY 渚ルートの後日談。 その後同棲することになった二人はさまざまな壁を乗り越え、二人は子供を授かる。 しかし元々体が弱かった渚は子供である汐を出産すると同時に死亡し、岡崎は絶望しその後5年間汐の世話は古河夫妻に任せてしまう。 汐が生まれて5年目になり、古河夫妻の計らいで二人は旅行することに。 最初はぎこちなかったものの、旅の終着点であった父・直幸の母・史乃と出会い直幸の人生について知り、心打たれる。その後自分が汐を育てることを決意する。 しかし非情にも汐は渚と同様の病気になり死んでしまう。その後、さまざまな世界で光の球を集め……。 以下、智代アフターでの各ルートでの活躍 ○共通ルート ある日、智代に過去に伸された不良が、智代にリベンジするため川原に集まっていると知り、代わりに自分が喧嘩をすると不良達に宣言する。 それからは連日不良達にボコられながらも、なんとか河原に集まった不良をすべて倒すことに成功する。 ○鷹文・河南子ルート 鷹文・河南子ルートでは突然鷹文に会いに家に押し掛けてきた河南子が鷹文に対し伝えたいことがあると考え、 鷹文に岡崎はそれとなく伝えるも、河南子とは今は他人であると何もしない。 そこで岡崎はあえて鷹文に有利な試合を持ちかけ勝ったら言うことを聞くという条件で勝負する。最初は負け続けるも、特訓を経て鷹文に勝利する。 そして鷹文の過去を聞くこと成功する。 ○ともルート ともルートでは母親と離れ離れになっているともを母親の元に返すために岡崎達は尽力する。 ようやく母親の居場所を突き止めるも、ともと一緒に暮らさないのには理由があった。 しかしそれでも一緒にいたほうがいいと岡崎は時に大ケガを負いながらも、自分にできることをしていく。 ○アフタールート アフタールートでは自分を犠牲にしてまで頑張り続けたせいで岡崎は中学生以上の記憶を失ってしまう。 なんとか記憶を取り戻そうと頑張るも、その先にはさらに衝撃の事実が……。 ○D&Tでの性能 岡崎自体の性能は他のキャラに比べると平凡なものの、スキル「風子召喚」が非常に優秀であり最大の特徴でもある。 風子のステータスは岡崎に依存するので防御力を上げると効率が良い。 <評価> 作品ではなく、プレイヤーからの主人公単体での評価は低い傾向にある(杏ルートでの優柔不断、AFTERでの5年間の育児放棄等)。 ちなみに智代アフターでの岡崎は自らの信念に基づいて、自分の周囲の知り合いを救おうとする漢である。 テレビアニメ版 因みに、TVアニメ版では京アニが国崎最高をもじって彼も最高!している。 パターンがあるが特に視聴者の腹筋を崩壊させたのが風子の想像。 エガちゃんタイツを履く。 ↓ 朋也「どうなるんだ?」 ↓ 風子「爆発します!」 ↓ そして想像の中の朋也が、 『岡崎最高!』 ドォォォォォォン! こんな感じである 気になる人はDVDをチェック☆ 余談 Key作品では最も声優がころころと変わったキャラクターでもある。 京アニが制作した作品では元々主人公や一部男性キャラの声優が変わるのが定着していたが、 岡崎もその例に漏れずである。 なおラジオCMにおける遠近孝一は「俺達は登り続ける、長い長い坂道を」というワンフレーズを読んだだけで、実際に岡崎として起用されたものかは怪しい。 明確に声優が当てられたのはPS2版の特典DVDで起用された伊藤健太郎である。 この特典DVDは声優にインタビューをする前段階としてゲームのワンシーンを声優達が読むというもので、ほぼドラマCD仕立てのもの。 その後、ドラマCDの声優として野島健児が担当し、これが当時公式に岡崎の声優として初めて決まった例である。 (上のイトケンは掛け合い相手(岡崎役)として呼ばれただけでゲーム中には参加していないためか、インタビュー等はされていない) その後、京アニ版で中村悠一が好評を得てからはこちらがメインとなっている。(智代アフター・かぎなど等) こんなところでなにしてるんだ~。今日は追記・修正、祭りだぞ~☆ △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 汐の育児放棄は完全に朋也が悪いけど、杏の三角関係における優柔不断はあれ杏の方も責任あるだろ。ちゃんと素直に気持ちを伝えない杏も悪いし、姉が好きなことを知ってか知らずか利用してた椋も椋…結局三人ともお相子。 -- 名無しさん (2014-03-23 08 07 16) 春原バッドエンドルートなんて存在はじめて知ったww -- 名無しさん (2014-04-05 09 59 08) アニメ学園編だと原作学園編における口の悪さや春原いじりとかの横暴さが全体的にマイルドになってたね -- 名無しさん (2014-04-08 00 47 02) 父親との和解シーンでプレイヤーを泣かせた男。 -- 名無しさん (2014-05-22 08 48 59) 普通なら育児放棄の時点で古河夫妻に見限られてもおかしくないよな。 -- 名無しさん (2014-08-05 16 23 35) DQNがちょっと良い事しただけ、多少まともな事しただけなのに漢とか呼んでる奴等はおかしい。 -- 名無しさん (2014-08-05 18 25 41) 春原いじりで彼をひどい目にあわせておきながら自分はさりげない形で美少女たちと交流深める男。 -- 名無しさん (2014-08-15 15 42 17) ↑2果たしてお前の言う「岡崎のしたちょっといいこと」とやらを実行可能な人間はどれだけいるのやら。 -- 名無しさん (2014-08-15 16 13 02) ↑・・・・・・結構いっぱいいると思うんだが -- 名無しさん (2014-09-09 18 17 11) youtubeやニコニコ動画で岡崎の音MADよく見るけど、劇中の岡崎ってああいうキャラじゃないだろwww -- 名無しさん (2014-09-28 21 05 10) ↑2いや、無理だろ。そいつの人生 -- 名無しさん (2014-09-28 21 14 32) に影響与えるレベルで「いいこと」してるし -- 名無しさん (2014-09-28 21 17 29) ↑岡崎がした事自体は現実でも出来るレベルのちょっといい事レベルだと思うぞ。変わったのはそいつが変わっただけでやったこと事態はそのレベル。フィクションの「いいこと」ならこれくらいいくらでもやってる作品あるし、やれる主人公もたくさんいる。命懸けな事をした訳でも無いし、常識を超える様な行動をして救った訳でもない。「基本DQNだけどまだまともな所もある」って評なら分かるけど、漢呼ばわりは言い過ぎ。 -- 名無しさん (2014-09-29 21 00 01) 渚と汐とお幸せに -- 名無しさん (2014-10-31 03 43 09) メタな話。育児放棄はせめて3ヶ月以内ならまだセーフだけどまだ汐喋れんし、十分に成長させなくてはならなかった。その結果あんな長いことに・・ -- 名無しさん (2015-03-19 08 50 25) こいつ身長173cmしかなかったのかよ。親父との喧嘩がなかったとしてもバスケで大成することはほぼ不可能 -- 名無しさん (2015-05-04 07 52 17) なに美化してんの? -- 名無しさん (2015-08-07 05 25 13) 失いたくなかった最愛の存在を二度も失った朋也にどんな形であれハッピーエンドを -- 名無しさん (2015-10-30 00 57 56) 続きは甘々と稲妻で -- 名無しさん (2016-06-23 00 28 31) 何中傷してんの? -- 名無しさん (2019-12-09 01 16 57) 朋也は親父と喧嘩がなくてもなぎさと出会わないと短命で死ぬんだ -- 名無しさん (2020-03-22 12 29 00) 智アフの岡崎が漢なのは、智アフ自体が「智代の口から語られる過去の話」だからだと思う。大筋はもちろん一致してるんだろうけど、智代にとっての岡崎が完璧だったんじゃないかなあと -- 名無しさん (2021-12-30 00 21 54) どうにも意地が悪いキャラ下げがいて萎えるな。個人的には総じて「普通のいい人」ってイメージがある、良くも悪くも普通だから所謂この手のゲームの完璧主人公の様でもないしボロクソ叩かれる程の屑でもない人間味の塊だから岡崎が好きなんよな。 -- 名無しさん (2023-07-20 18 39 49) 岡崎が仮にめっちゃいいやつなんだとしたら渚なんてキャラクターがいる意味ないんだよ -- 名無しさん (2023-10-23 04 56 33) 叩きたいわけじゃないが育児放棄をしてしまったって部分が厳しい意見を集めてしまうのは何となくわかる。だけど個人的には就職活動しなくて無職になって居候先に雇ってもらったってのもダメだと思うし、そういう人に大事な娘を預ける親もうまくイメージできないんだけど、こっちは育児放棄に比べてあまり悪く言われてない気がするんだが、もしかしてゲーム発売当時の20年前はこういう高校生は普通……というか悪印象はない感じだったの?例えば昔は不良がかっこいいっていうのが普通でそういう漫画がたくさん発売されてたらしいけど今はあまり見ないし、当時は無職になるのなんて普通だったのかなーって純粋に疑問に思ってるんだが… -- 名無しさん (2023-11-07 12 45 44) 実際あまり褒められたキャラではないし原作ゲームでは結構問題行動も多いけど、このキャラを『ただのDQN』で切り捨てるような人とはわかり合える気がしないわ -- 名無しさん (2024-01-07 23 03 06) ↑×2 渚は病気のせいで2回留年して、なんとか卒業しても学歴活かせる仕事に就けなかったり難しい所あったし、信用できる男が嫁にもらってくれるならそれで十分と考えてる面もあったからな。 -- 名無しさん (2024-07-05 10 15 12) 名前 コメント