約 5,483 件
https://w.atwiki.jp/bemanidbr/pages/417.html
VERSION GENRE TITLE ARTIST bpm notes 属性 17 SIRIUS WORLD/ELECTRONICA 水上の提督(Short mix from "幻想水滸伝V") 猫叉Master 140 2092 - 攻略・コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/websuiko/pages/19.html
[北方謙三氏水滸伝]中心サイト ねぢろ GRも扱っています。まだまだですが、創作をメインにしていきます。
https://w.atwiki.jp/ragadoon/pages/1471.html
第6話(BS58)「天威之弐〜神々の戯れ〜」( 1 / 2 / 3 / 4 ) +目次 1.1. 二人で一人の二人旅 1.2. 少年と犬 1.3. 不吉な知らせ 1.4. 少年と馬 1.5. 龍達の邂逅 1.6. 再会と共闘 2.1. 困惑と愉悦 2.2. 「八」と「百八」 2.3. 記憶との照合 2.4. もう一つの「本題」 2.5. 理不尽なる襲撃者 3.1. 「異世界」の創造主 3.2. もう一人の「神」 3.3. 気紛れなる創造者 3.4. 二艘の長船 3.5. 荒海の怪物 4.1. 去りゆく神々 4.2. 再会の予感 1.1. 二人で一人の二人旅 ノルドの海洋王エーリクの義兄であるフレドリク・リンドマン(下図右)と、その「乗騎」の役割を担う「龍の邪紋使い」であるラスク(下図左)は、領内の魔境探索時の混沌の作用によって、その身体と魂が入れ替わってしまった。元の身体に戻る手がかりを探すため、アントリア北岸の港町パルテノを訪問した彼等は、「夢巻物(ドリムスクロール)」の力を用いて再現した「融合の魔法陣」の力を用いて、ひとまず「一つの身体」へと融合を果たす。 今の彼等は「二つの形状を持つ一つの身体」の中に「二つの魂」が宿った状態である。すなわち、「彼等」は現状、二人で一つの身体を共有しつつも、その身体の形状は「フレドリク」にも「ラスク」にもなれる。その上で、「フレドリク」の状態の時は聖印を、そして「ラスク」の状態の時は邪紋の力を発動出来る(そしてラスクの邪紋を使えば「龍の姿」にもなれる)のだが、ラスクの邪紋の力を発動させた場合、フレドリクの魂に多大な負担がかかってしまう。 実際、身体が入れ替わっていた間にフレドリクの魂はラスクの邪紋に侵食される形で激しく疲弊していた。そのため、今後はしばらく外見は「フレドリクの姿」を維持しつつも、彼の魂は休眠させた上で、「ラスクの魂」がフレドリクの身体の支配権を掌握した状態で(あくまでも「フレドリク」として振る舞いながら)、二人の身体と魂を「本来の形」に戻るように分離する方法を探す旅を続けることにした。 そんな「彼等」は今、パルテノから見て東南東に位置する漁村ラピスへの旅の途上にある。フレドリクの長女カタリーナの契約魔法師であるカイナの時空魔法による調査によれば、パルテノの所蔵庫に保管されていた夢巻物は、パルテノに来る前はラピスにあった可能性が高いらしい。実際、パルテノの現領主エルネストにこの点について確認してみたところ、彼の母はラピスの領主家出身であり、彼女が輿入れの際に何らかの形でこの地に届けられたのかもしれない、というのが彼の見解であった。かつて、夢巻物を用いて(「融合の魔法陣」の対になる存在である)「分離の魔法陣」を生み出したという記録もある以上、ラピスにはそれに関する手がかりが残っている可能性は十分にありえるだろう。 更に、この件について、フレドリクの契約魔法師にしてラスクの妻でもあるマールにも、カイナの魔法杖通信を利用した上で見解を尋ねたところ、どうやらラピスの領主であるルーク・ゼレンは「邪紋を特殊な形で『分解』することが可能な聖印」の持ち主である、という噂があるらしい。それが「夢巻物」や「分離の魔法陣」と関係しているかどうかは分からないが、無関係であったとしても、彼のその技術を用いることで、今のこの状況が打開出来る可能性もある。その意味でも、訪問してみる価値は十分にあるとフレドリクは考えていた。 そして、今の「彼等」はもう一つ、重大な使命を背負っていた。それは、まもなく「三度目の投影」を果たそうとしている「大毒龍」を倒すために必要な「百八の星核(スターコア)を生み出せる人物(星の前世)」を探し出すことである。そのことを彼等に告げたのは「ラスクの来世」を名乗る「天威星」と呼ばれる存在であった。ただ、天威星の微かな記憶によれば、ラスクは「邪紋使い」ではなく「君主」であったらしい。 この謎については現時点で解き明かすことは不可能と判断した彼等は、ひとまず「天威星」との感覚を共有した状態のまま、「夢巻物」と「エルネストからの紹介状」を携えて、ラピス村へと向かう。あわよくばこの旅の先に、新たな星の前世と巡り会えるかもしれないが、これについては明確な手がかりも何もない以上、現時点では運任せとしか言えなかった。 1.2. 少年と犬 ブレトランドの対岸に位置するローズモンド伯爵領の港町に、極東風の装束を纏った風変わりな女性の姿があった(下図)。しかし、彼女は極東人ではない。 彼女の名はキヨ。元は異世界「地球」で作られた日本刀であり、当時は「加州清光」と呼ばれていた。幾度かの破損を経つつ、幾人もの持ち主の手を渡り続けた後に、ヴェリア界へと流れ着き、そしてオルガノンとしてこの世界に顕現した。それ以降、世界各地を転々としながら旅を続けている。一年半ほど前には、ブレトランド北東端のラピス村で起きた混沌災害の鎮圧のために、ブレトランド中を渡り歩いたこともあった(ブレトランド八犬伝・簡易版参照)。 そんな彼女がふと立ち寄ったこの街で、奇妙な風貌の犬(下図)を発見した。鼻が短く、やや離れ目で、白茶の優雅な体毛に覆われながらも、身体そのものは非常に小さい。彼女は昔から犬が好きで、これまでも旅先で様々な犬達と触れ合ってきたが、このような犬は、少なくともこの世界では見たことがない。もしかしたら、かつて自分がまだ「刀」だった頃に出会ったことがあったかもしれないが、その記憶も少々曖昧である。 その犬の傍らには、これまた奇妙な風貌の一人の少年が立っていた(下図)。手綱を持っていることから、彼がこの犬の飼い主のようだが、この少年の装束は、この地域の人々の目には極めて珍妙な姿に映る。だが、それはキヨにとって、どこか懐かしさを感じる風貌でもあった。それは彼女が「刀」として三代目の持ち主の腰にあった頃、その地における高貴な立場の人々がまとっていた装束と酷似していたのである。 「そこの娘」 キヨが犬に向けていた熱視線に気付いたのか、その少年はキヨに向かってそう語りかけた。その声は若々しいが、口調はどこか老成した雰囲気を醸し出している。 「お主、元は我と同じ世界の住人であろう?」 少年にそう問われたキヨは頷く。この時点で、キヨは彼が何者なのかは知らない。だが、明らかに彼の装束は自分の見知ったそれであり、彼もまた自分の姿を見てそう認識している以上、直感的に彼もまた「地球」の、しかもおそらくキヨと同じ国の出身であろうと確信していた。その上で、彼女は問いかける。 「あなたは……?」 「我が名はポラリス。今はそう名乗っている。これから、ブレトランドに行こうと思っていたところだ。ラピスという村に、少々興味があってな」 その名を聞いた瞬間、キヨは目を見開いた。 「ラピス、ですか?」 「おや、知っておるのか」 「えぇ。昔、ちょっと……」 キヨがそう応えると、ポラリスと名乗るその少年は、何かを察したような顔を浮かべる。 「では、ちょうど良い。村まで案内してくれぬか? この地に来るのは久しぶりで、勝手がよく分からぬのでな」 「はい。分かりました」 キヨにしてみれば、もともと、特にアテのない旅を続けている身である。久しぶりにラピスの面々と再会する懐かしさと、この珍しい犬と共に旅が出来る喜びから、密かに心が踊っていた。 1.3. 不吉な知らせ ラピス村の契約魔法師であるマライア・グランデ(下図)は、かつてキヨと共にこの村の混沌災害を祓った際の功労者の一人である。元々は村の先代領主ラザール・ゼレンの契約魔法師であり、現在はその長男であるルークの契約魔法師となっている。 ある日の朝、そんなマライアの元に、彼女の義姉であるセリーナ・グランデ(下図)からの魔法杖通信が届いた。セリーナは大陸北部のランフォード地方へと遠征中のアントリアの指揮官パッド・パイシーズの契約魔法師であり、未来を予知する時空魔法を得意とする。 「ラピス村に、また不吉な混沌災害の予兆が出ている」 それがセリーナの第一声であった。 「えぇ!? また、あの透明妖精みたいなのが……」 「いや、おそらくこの混沌災害は『外来の混沌』によるものだ。ラピスの内側から発生するものではない」 元々ラピスは混沌濃度が比較的高い地域であり、「透明妖精」と呼ばれる特殊な(主にティル・ナ・ノーグ界からの)投影体が発生することで知られていたが、どうやらそれらとはまた別種の危険な投影体が、何処からか近付きつつある、ということらしい。 「そして、どうやらこれは神格級の投影体が絡んでいるようだ。神と言ってもピンからキリまで色々いるが、少なくとも妖精界(ティル・ナ・ノーグ界)に『神』がいるという話は聞いたことがない。その意味でも、おそらく透明妖精とは別種の何かだとは思うが、かなり危険な存在である可能性が高い」 「イヤですね……」 「あぁ。何にせよ、気をつけることだ」 そう言って、セリーナは通信を終える。ルークの領主就任以降、しばらくは平穏な日々が続いていたこの地に再び暗雲が近付きつつあるという予兆に不安を抱きつつ、ひとまずマライアは契約相手であるルークの元へと報告に向かうことにした。 ****** ラピス村の領主であるルーク・ゼレン(下図)は、先代領主ラザールの息子である。一度は親族であるヴァレフールの貴族家へと養子に出されていたが、一年半前に発生した混沌災害でラピスが危機に陥った際に、父の契約魔法師のマライヤ、旅の武芸者のキヨ、そして村の守護神であった巨大犬型投影体シリウス(本来の名は「八房」)の力を受け継ぐ八人の邪紋使いの力を借りて村を解放し、新たな領主となった(その経緯はブレトランド八犬伝・簡易版を参照)。 そのルークの元に、知人からの手紙が届いた。その人物は「レッドウィンド」という通称で知られる流浪の君主である。かつて、ルークと共にヴァレフール騎士ハンス・オーロフの元で弓術を習っていた青年であり、現在は世界各地で民衆のために様々な混沌災害と戦っている(彼についてはブレトランド風雲録11を参照)。 ルークが執務室でその手紙を開けると、そこには以下のように記されていた。 「久しぶりだな、ルーク。お前が故郷に帰って領主になったと聞いた時は驚いた。しかも、一度は村を壊滅状態にまで追い込んだ混沌災害を鎮めたそうだな。本当に大した奴だよ、お前は」 実際、ルークによるラピス解放は、当時のアントリア内外に衝撃をもたらした。それまでアントリア軍や傭兵団「暁の牙」が苦戦を強いられていた謎の投影体達を相手に、一度はヴァレフール騎士となった人物が、得体の知れない邪紋使い達を引き連れて、兵も持たずにたった11人で混沌災害を平定したのだから、それも当然の話である。その上で、ルークは特に何の条件も提示せずに平然と「アントリアへの臣従」と「ラピス村の領主への就任」を申し出たことから、未だにアントリア内では「何を考えているか分からない不気味な存在」として一目置かれている。 とはいえ、実際のところ、ルークにはこれといって特別な思惑がある訳ではない。彼はただ、故郷が危機に陥ったと聞いて、それを救いたいという一心で村を救い、自分がその地に居続けなければ再び同じ混沌災害が起こると聞かされたから、その場に居残り続けている。ただそれだけの人物である。そういう性格だからこそ、地位や見返りを求めずに人々を救う旅を続けているレッドウィンドとも気が合ったのかもしれない。 「さて、そんなお前に、一つ伝えておかなければならないことがある。先日、旅先で奇妙な男と出会った。そいつはハチローと名乗っていて、どうやら投影体だったようだが、人間離れした巨漢で、とてつもない強弓の使い手だった」 ルークには、その名に聞き覚えはない。「投影体の知り合い」はキヨの他にも何人か(一年半前の旅で出会った面々が)いるが、その中にそのような人物はいなかった筈である。 「そいつは俺が弓使いだと分かると、『じゃあ、お前の本気の弓を見せてみろ』と言ってきた。なんだかよく分からなかったが、挑発されたようだから、ひとまず狩猟用の矢で雁を射落としてみたんだが、それを見たそいつは、『違うな、お前はカエイではない』と言って、俺の前から去って行った。後で聞いた話なんだが、どうやらそいつは、その『カエイ』っていう凄腕の弓使いを探してるらしい。で、そいつを倒して自分が世界一の弓使いであることを証明したいそうだ」 「カエイ」という名もルークには聞き覚えがないが、名前の響きからして、少なくともこの地域の人物では無さそうである。もしかしたら、その「ハチロー」と同じ世界の投影体なのかもしれない。 「だから、おそらくいずれ、お前の噂を聞きつけて、お前の前にも現れると思う。だが、あくまで俺の勘だが、奴には関わらない方がいい。奴からは不吉な気配を感じた。きっと、ろくなことにならん」 その手紙をルークが読み終えたところで、マライアが走って執務室へと駆け込んで来る。 「ルーーークーーー!」 「どうしたんだ、マライア? 何か急ぎの連絡でも?」 一年半前の時点では互いに「さん」付けで呼び合っていた二人だが、今ではすっかり呼び捨てで呼び合う程度には親密な関係となっていた。この二人は既に主従を超えた(男女の?)関係に発展しているという噂もあるが、真相は本人達しか知らない。 「あまりよろしくない知らせが……」 その表情と声色から、マライアの不安な心情はすぐにルークに伝わった。ただでさえ自分が今、旧友からの「不吉な連絡」を受け取ったばかりだけに、相乗効果で嫌な予感がルークの脳内に広がっていく。 「……詳しく聞かせてくれないか?」 そう言われたマライアが姉弟子からの忠告(外来の「神格級の投影体」と、それに伴う混沌災害の可能性)をそのまま伝えると、ルークは真剣な表情を浮かべる。 「なるほど。そのような予言が……。だが、あのような惨劇を繰り返すわけにはいかない。まだ正体は分からないが、気を引き締めて警戒に当たるしかないか……。どう思う、マライア?」 思案を巡らせつつ、そう問いかけたルークに対して、マライアはうっとりとした表情を浮かべながら呟く。 「あなたも、この一年で立派になったわね……」 初めて会った頃のルークは、まだ世間知らずの貴族の青年にすぎなかった。だが、今の彼は、当時の純粋な志を抱き続けながらも、一人の領主として、先代以上に頼もしい領主に見える。それが彼女の贔屓目によるものかどうかは分からないが、ひとまず彼女は執務室の机の上にある地図を眺めながら、状況を整理する。 「なるべく早いうちに対応したいところだけど、外部からの道を遮断する訳にはいかないわよね。壁でも作ってしまえば、こんなことで悩まずに済むんだけど」 マライアの専門は生命魔法だが、他の魔法にもそれなりに精通している。しかし、火や土の「壁」を作る元素魔法はまだ未習得であったし、仮にそれが可能であったとしても、その場合は隣村への影響がある以上、安易に使える手法ではない。 「街道を封鎖する訳にはいかないからな。どこから来るかも分からないし」 「混沌が原因ということなら、『あの三人』の力は絶対に必要よね」 マライアが言うところの「あの三人」とは、この村の武官であるラスティ、エルバ、ロディアスのことである。彼等はいずれも(かつてこの村の守護神であった)シリウスの力を受け継いだ邪紋使いであり、「混沌を匂いで嗅ぎ分ける能力」が備わっている。ただし、その三人のうち、ロディアスは現在、モラード地方のエルマ村へ出張中のため、不在であった。 「あぁ。ラスティとエルバさんにも協力してもらって、警戒することにしよう」 「そうね」 二人は互いに不吉な予兆に表情を曇らせつつ、村人を不安にさせない程度に、村を守る兵士達に注意喚起を促すことにした。 1.4. 少年と馬 その頃、ラピスの武官の一人であるエルバ・イレクトリス(下図)は、村の周辺地域の安全確認を兼ねて、日課の「朝駆け」に勤しんでいた。彼女は元々は大陸の領邦国家アロンヌの出身であり、一年前まではティスホーンの馬牧場で働いていたが、シリウスの力を得て、武術大会でルーク達と共闘したことを機に彼等と行動を共にするようになり、ラピス解放後も村を守り続ける道を選んだ武人である。 エルバが騎乗しているのは、彼女がティスホーン時代から手塩にかけて育ててきた馬達の中でも特に愛着のある名馬・モルドレッドである。そのモルドレッドが、海岸線近くを通りかかったところで、唐突に海に向かって吠え始める。 「どうしたんだい? モルドレッド」 エルバがそう言いながらモルドレッドの視線の先に目を向けると、広大な海の中に、何やら奇妙な影が一つ目に入る。それは、海の上を飛び跳ねている一頭の「馬のような何か」の姿であった(下図)。 エルバがその奇怪な光景に驚いていると、海岸の一角にて同じようにその光景を眺めている「奇妙な装束の少年」の姿を発見する(下図)。その装束は、かつて共に戦った「地球産オルガノン」のキヨ、そしてキヨのかつての「持ち主」にして、エルバにとっての心の師でもある地球人の沖田総司が羽織っていた「極東風の服」によく似ていた。 「おぉ、動いてる、動いてる。まるで、生きてるみたいだねぇ」 彼はそう呟きながら、興味深そうな目でその「馬のような何か」を眺めている。その装束だけでなく、どこか口調も奇妙な様相のその少年に対し、エルバは近付いて声をかけた。 「あんた、見ない顔だねぇ。あれが何か知っているのかい?」 「あぁ、いやいや……、まぁ……、知ってるっちゃあ知ってるがね……」 彼はその手に持っていた極東風の扇で口元を隠しつつ、何か意味深な流し目をエルバに向けながら語り続ける。 「あんたとは初対面だね。あっしの名前はマコト・クルーデ。しがない自然魔法師さ」 彼はそう名乗るが、エルバはその自己紹介に違和感を憶えた。彼女の「シリウスから引き継いだ嗅覚」が、目の前にいるこの少年が「投影体」であることを告げていたのである。「魔法を用いる投影体」も存在しない訳ではないが(実際、かつてこの地を危機に陥れた「アンザの額冠」のオルガノンもまた、様々な「魔法」を用いていた)、少なくとも、「ただの一介の自然魔法師」ではないだろう。エルバは顔をしかめながら忠告する。 「あんたの素性は知らないが、ここはルーク様の領地だ。いたずらに身分を偽ることはよした方がいい」 「ほう? あっしの正体が何者か分かるんで?」 「正体が分かるとは言わないが、隠し事には鋭いんでね」 「なるほど……、ということは、もしかしてあんたが『あの八人』の一人か?」 マコトと名乗ったその少年は、訳知り顔で問いかける。ラピス解放の際に「八人の邪紋使い」がいた、という話はそれなりに広まっている以上、彼女達の「混沌を嗅ぎ分ける能力」を知られていたとしてもおかしくはないが、そこに気付けるということは、少なくとも自分自身が投影体であるということを明かしているも同然である。 とはいえ、この人物が何者で、何をどこまで知っているのかは分からない。エルバは不信感を抱きながらも、まずは目の前で起きているより奇怪な存在としての「馬」に目を向けつつ、マコトに問いかける。 「それはともかく、あいつは一体、何なんだ?」 「あいつは、まぁ……、一言で言うなら『投影体』だな」 「それは見れば分かる」 どう考えても「この世界の馬」とは思えない。エルバの嗅覚に頼るまでもなく、大抵の人物がそう判断するだろう。 「そうさねぇ、系譜から言えば、シリウスに近いっちゃあ近い。近いっちゃあ近いが、微妙に違う世界というか……、まぁ、『シリウスの師匠筋』の投影体ってぇところかな」 何とも奇妙な言い回しではあるが、「村の守護神」であったシリウスと同系統と言われたエルバは、やや警戒心を緩める。 「ということは、安全な投影体なのか?」 「んー、どうだろう? あいつ自体は安全だと思う。海の上をはしゃぎ回っているだけの馬だ」 「なんだ、可愛いもんじゃないか」 「ただ、『あの世界』からの投影体が海に現れたとなるとなぁ、ちょっと嫌な予感がするんだよね、あっしは……。だから、海に関しては、警戒しておいた方がいいのかもしれん」 マコトはそう呟きつつ、くるりと回ってエルバに対して背を向ける。 「まぁ、邪魔したね」 彼はそう言って、エルバが向かおうとしていたのとは反対側の方向へと向かって歩き始めた。 (隠し事をしている様子ではあったが、妙な動きを見せている訳でもないし……、とりあえず、ルーク様の耳に入れておくだけでいいかな……) エルバはそう判断した上で、警戒しながら朝駆けを続けることにした。 1.5. 龍達の邂逅 もう一人の村の武官であるラスティ・ザンシック(下図)は、村の西方を散策していた。彼はルークの従兄(義兄)であり、一年前まで実家のオーキッド(ヴァレフール南部の港町)で暮らしていたが、シリウスの力を得たことを契機に、ルークと共にラピスを救うために旅立ち、村の解放後も現地に残ってルークを支え続けている。 そのラスティが、先日、ラピスの近辺を哨戒していた時に、かつてシリウスが眠っていたと言われる森の中から「巨大な龍のような気配」を感じ取った。龍の力に憧れる邪紋使いのラスティが、その気配に興味を惹かれるのは当然の話である。それ以来、彼は時間を見つけては森の調査に赴いていた。 エルバ同様、この村の守護神であったシリウスの「嗅覚」を受け継いでいる彼は、混沌の気配に対して人一倍敏感であるが故に、この手の調査には長けている。その彼を以ってしても、広い森の中を探索するのは骨の折れる作業であったが、この日、ようやく彼は「実物(下図)」を発見するに至った。 そこにいたのは、一匹の巨大な「龍のような生き物」であった。ただ、それはラスティの知っている龍とはかなり風貌が異なる。胴体はこの森を形成していた針葉樹よりも遥かに長く、そこから何本かの脚らしきものが生えているが、翼はない。しかし、いかなる力が働いているのか分からないが、その生き物は胴体を揺らしながら宙に浮いている。 この地方における「龍」は一般に鰐や蜥蜴の怪物と呼ばれることが多いが、この「龍」の形状はむしろ「蛇」に近いようにも見える。だが、それでもラスティはこう呟いた。 「あの生き物、なんだ? もしかして、龍か?」 実際、それは極東地方においては「龍」と呼ばれている投影体である。ラスティは極東の文化も伝承も何も知らないが、本能的にそれが「自分が目指すべき龍」のありうべき一つの形であろうということを感じ取っていたのである。そして、彼の存在に気付いた「龍」もまた、ラスティに向かって近付いてきた。 「貴様からは、我と同じ匂いを感じる」 ラスティを見下ろしながらそう呟く「龍」に対して、ラスティは問いかけた。 「お前、何者だ?」 「私は、この世界に迷い込んだ、ただの龍だ。我は本来ならば天に昇る筈だったのが、気付けばこのような所にいた。どうやら今の我では、天に昇る力が足りないらしい。お主を喰らえば、その力も得られるのかもしれんな」 唐突に意味不明なことを淡々と語った龍であったが、このような理不尽な投影体に怯んでいるようでは、この混沌濃度の高い地で武官など務まる筈もない。ラスティは不敵に笑みを深べる。 「ただで食われる謂れはないぜ!」 「では、どれほどの力か見せてもらおうか?」 「お前を食らって、更なる龍の力を手に入れてやる!」 目の前の「龍」どれほど強大な投影体なのかは分からない。今から村に戻れば、援軍を頼むアテはいくらでもある。だが、目の前に(やや奇妙な形状とはいえ)憧れ続けた「龍」がいる状態で、その「一対一」で戦えるという絶好の機会を、ラスティが逃す筈もなかった。彼は自分自身の身体を「龍」へと变化させる。 ****** この時、更にもう一人の「龍」がこの地に近付きつつあった。森の北側の街道を東進し、ラピス村まであと数刻、というところまで辿り着いていた「フレドリク」の身体の中に宿ったラスクの魂が、この「二つの龍」の気配を感じ取っていたのである。 彼が即座に現場へと急行すると、そこには「見たことがない、龍のような形状の生き物」と「おそらくは自分(ラスク)と同じ『邪紋使いが龍を模した姿』」が対峙している光景であった。そして、後者からは、パルテノでヒューゴやカイナから感じた「星核」の気配が感じ取れる。 ラスク(フレドリク)の目には、この二匹の龍は互いに相手を喰らおうとしているように見える。片方が星核の仲間であるということに加えて、自分もまた「一人の龍」としての本能から、この戦いに割って入りたい衝動が湧き上がってきたが、今の自分は「フレドリク」の身体の形状であり、本来の「ラスクとしての身体」ではない。その身体は彼自身の意志で「切り替える」ことが可能だが、これからラピスの人々と遭遇する際に、今の「自分達」の現状を知られる訳にはいかない以上、極力「ラスク」としての身体を表に出すべきではないと考えていた。 (ひとまず、様子を見るか……) フレドリク本人の魂は現在、身体の中で休眠状態にある。起こすことも出来なくはないが、今はまだあまり負担はかけたくない。その上で、今のこの状況で彼の身体で迂闊な行動を取る訳にはいかない。事情も分からないこの地での軽挙妄動は慎むべきとラスクは考えていた。 ****** 一方、同じくラピスを目指していたキヨとポラリス(と謎の犬)は、スウォンジフォート経由でアントリアに入国し、森の南側の街道を通ってラピスへと近付きつつあった。 そんな二人もまた、森の中から奇妙な気配を感じ、フレドリク(ラスク)とは反対側からその光景を目の当たりにしていた。 「おぉ、『あやつ』が目覚めておったか」 ポラリスは「極東の龍」を眺めながら、興味深そうにそう呟きつつ、「もう一匹の龍」にも視線を向ける。 「ふむ、もう片方は知らぬな……。この地の固有の龍か、それとも……」 彼がそう口にしたところで、キヨが問いかける。 「私は『彼』と知り合いなのですが、あなたは『あちらの龍』とはお知り合いなのですか?」 実際に会うのは一年半ぶりだが、キヨはその「もう片方」がラスティであることはすぐに分かった。当時よりも「龍」としての純度は確実に上がっているが、それでもはっきり識別出来る程度には面影が残っている。ましてやラピスの地で遭遇した以上、それがラスティであると彼女が確信出来たのは当然の話であろう。 「まぁ、知り合いと言えば知り合いかな。とはいえ、別にあいつが倒されたところで、別に困る訳ではないし、『あちらの方』に加勢したいのならば、勝手にすればいい」 ポラリスは「ラスティ」を指差しながらそう告げる。とはいえ、事情も分からない状態で「旅仲間の知人」を相手に斬りかかることがためらわれたキヨは、ひとまず戦況を注視しながら様子を見ることにした。 1.6. 再会と共闘 こうして始まった二匹の龍の戦いは、「極東龍」の咆哮から幕を開けた。その圧倒的な音圧はラスティのみならず、南北で待機するフレドリク(ラスク)とキヨをも圧迫し、そして残響は村にまで響き渡る。 ラスティはその音圧にも負けずに踏み込み、鋭い龍爪で極東龍の胴体を斬り裂いた。そこからは見たことがない色の血流が溢れ出るが、極東龍は直後に鱗を増殖させてその傷跡を塞ぎつつ、返す刀とばかりに左前足の爪でラスティの肩肉を抉り取り、更に尻尾で周囲一帯を吹き飛ばそうとするが、ラスティはその尻尾による追撃を寸でのところでかわした。 そのまましばらく一進一退の攻防が繰り広げられるが、互いに強靭な肉体の持ち主であるため、なかなか決着はつきそうにない。だが、元の身体の、というよりも、身体に内包した「混沌」の総量の差から、このまま続けばラスティが劣勢になりそうな戦況となりつつあることにラスクとキヨは気付く。だが、その二人よりも先に、この場に二騎の援軍が到着した。 「ラスティ、大丈夫か!?」 そう叫んだのは、ラスティの義弟(従弟)にしてラピス村の領主のルークである。彼は森で起きた異変にすぐに気付き、ティスホーン産の名馬ランスロットに乗って駆けつけたのである。その一歩後ろには、同じくティスホーン馬のパーシヴァルに乗った契約魔法師マライアの姿もあった。 ルークはそう叫びつつ周囲を確認するが、北側にいた「フレドリク」も、南側にいたキヨとポラリスも、木々に隠れる形で彼の視界からは外れていた。その一方で、彼は森の奥(西側)に、もう一人の新たな「来訪者」が現れていたことに気付く。それは明らかに人間離れした体躯で、巨大な弓を持ち、奇妙な鎧を身にまとった男であった(下図)。彼は激しい闘気を放ちつつ、周囲の戦況を確認していたが、ルークと目が合った瞬間、何かを察したような表情を浮かべる。 (あれが、手紙にあった人物か?) ルークはレッドウィンドからの手紙を思い出し、若干警戒心を抱きつつも、ひとまずは目の前のラスティへの加勢を優先すべく、そのまま彼の元へと駆け寄りつつ、龍に向かって弓矢を構える。そのルークの動作に合わせるようにマライアが唱えた魔法によって強化された矢は極東龍に見事に直撃するものの、まだまだ極東龍は一向に怯む気配を見せない。 一方、その様子を注視していた巨漢の弓使いは、なぜか嬉しそうにニヤリと笑う。その不気味な笑みにルークが寒気を覚える中、ラスティは不機嫌そうな顔を浮かべながら極東龍に向かって殴り続ける。 「余計なことしやがって!」 ラスティにしてみれば、一対一の決闘を邪魔された気分らしい。そして、ここに至ってそれまで余裕を見せていた極東龍の側も、援軍の加勢に対して警戒したのか、表情が一変する。 そのまま殴り続けるラスティであったが、彼の爪牙が極東龍を貫く度に、その身体に激しい電撃が走る。その異変に気付いたマライアの魔法とルークの聖印の力によってその威力は軽減されたものの、直撃すれば危機的状況に陥っていたかもしれない。 更に極東龍は口を大きく開き、ラスティとルークに向かって、激しい雷撃を放つ。これもマライアの魔法とルークの聖印によって威力を半減させられたものの、その直後に大きく振るわれた尻尾はルークとラスティに直撃し、二人は南側に弾き飛ばされる。そして、くしくもその飛ばされた先にいたのは、キヨとポラリスであった。 「ルークさん!?」 「あれ? キヨさん?」 当然、ルークにしてみれば、なぜキヨがここにいるのかが理解出来ない(隣にいる少年と犬にも、全く見覚えはない)。即座にマライアが駆け付けて、ルークに対して治癒魔法をかける。その様子を横目に見つつ、キヨはポラリスに改めて問いかけた。 「まだ、何もしなくていいんですか?」 キヨの中では、かつての仲間達の苦境を目の当たりにして、彼等に対して加勢したい気持ちが高まっていく。それに対して、ポラリスはあくまでも平然と戦いの光景を眺めながら呟いた。 「まぁ、消えたら消えたで、また創ればいいしな。だから、知り合いなら助けてやった方が良いのではないか?」 「創る」という言葉が何を意味しているのか、キヨには分からない。だが、彼がそこまで割り切っているのなら、これ以上躊躇する理由はなかった。 「……失礼します!」 彼女はそう言って、それまで抑えていた自らの真の力を解放させつつ、戦場へ向けて駆け出して行く。一方、反対側で観戦していたラスクは、冷静にこの場にいる者達の力量を分析していた。 (あの邪紋龍、大したことはないな。牙や爪の威力は俺よりも上だが、身体が脆すぎる) 実際には、決してラスティは脆い身体ではない。ラスクの「本来の身体」が強靭すぎるだけである。一方で、彼に加勢した君主(ルーク)と魔法師(マライア)からも「星核の力」を感じる。おそらく彼等がこの地の君主と契約魔法師であろうことは容易に想像がついた。 更に、ラスクはこの時点で、別の方面から戦局を観察している「巨漢の弓使い」の存在にも気付く。 (あの人間離れした体躯、おそらく投影体だな……) 彼については、今のところどちらにも協力する素振りが見えない上に、何ら「力」を使っていないため、「星核の前世」かどうかも分からない。ひとまずその点に関しては判断を保留とした上で、まずは目の前の「聖印を持つ弓使い」に向かって叫ぶ。 「そこの君主! ルーク君で良いのか!?」 唐突に聞こえてきた「フレドリク」のその声に対して、彼の半分程度の歳のルークは一瞬驚きつつも、毅然とした態度で答える。 「いかにも私はルークだが、あなたは?」 「私は君に用事があって来た者だ。だが、今、この場では話すこともままならないだろう。助太刀しようと思うのだが、それで良いのか!?」 「あぁ、助かる!」 その更なる加勢に対して、ラスティはまたしても不機嫌そうな顔を浮かべるが、そこへ更に彼の顔を顰めさせる「もう一人の援軍」が到着した。 「ラスティ! 何やってんだ、お前!」 モルドレッドに乗ったエルバである。彼女もまたシリウスから引き継いだ「混沌を嗅ぎ分ける嗅覚」の持ち主であり、ラスティ以上に強大な混沌核を持った龍の気配を察知するのに、それほど時間はかからなかった。 「『ヤクザな友達』連れてきやがって!」 エルバには、目の前にいる「ラスティではない方の龍」が何物なのかは分かっていないが、ラスティのみならずルークまでもが怪我を負っている状況から、この地に害をもたらす存在であると即座に認定し、二本の剣を身体に同化させていき、そのまま極東龍に向かって突撃する。 この時点で、エルバと、そしてキヨの存在もまたラスクの視界に入り、そして二人がその身に混沌の力を宿していく過程で、どちらからも「星核の気配」を漂わせていたことにも気付いた。 《この村に、五人も……? そういえば、この地を訪れたような記憶も……?》 ラスクの中の天威星は、自分の中に微かに残る「前世の記憶」を紐解こうとするが、それが本当に「かつて経験した記憶」なのか「思い込みによる錯覚」なのかは分からない。だが、少なくともこの場にいる者達から星核の力が感じ取れることだけはラスクにもはっきりと分かった。その上で、ラスクはフレドリクの聖印から「自らの本来の身体を模した龍(聖龍)」を生み出し、それに騎乗した上で、ルークから次々と放たれる弓矢の間隙を縫うような動きで極東龍に向かって突撃する。 ラスクにとっても「この形態」での実戦はこれは初体験であったが、自分自身の意志で動かせる「自分(龍)の分身」に騎乗した状態というのは、ある意味で先日のパルテノ南部での鶏戦の時よりも動かしやすい状態とも言える。とはいえ、所詮は聖印によって作られた「模造品(邪紋龍)の模造品」である以上、本来の力は全く出し切れてはいない。それでも、極東龍に深手を与えることには成功した。 更にそれに続いて、エルバもまた馬上から独特の二刀流で斬り掛かり、その度に龍の身体を通じて雷撃が身体を走るが、ルークの聖印とマライアの魔法の力によって、どうにか耐えきる。そして、その直後に駆け込んだキヨの一撃が龍の胴体を真っ二つに斬り裂いた結果、巨大な混沌核をその場に残した状態で、極東龍は消滅していったのであった。 2.1. 困惑と愉悦 ひとまずルークと「フレドリク」は聖印を翳してその混沌核を浄化しつつ、二人は「巨漢の弓使い」のいた方向へと視線を向けるが、この時点で既に彼は姿を消していた。一方、キヨはポラリス(と犬)の姿を探そうとするが、彼等もまた、いつの間にか姿を消してしまっていた。 そして混沌核の浄化が完了し、ひとまず周囲の混沌濃度も収まったのを確認したところで、「フレドリク」は改めて周囲の面々に対して自己紹介する。 「突然で申し訳ない。私はフレドリク。少し用事があって、ここの領主殿に会いに来た者だ。こちらが招待状になる」 「フレドリク」はそう言って、エルネストからの書状をルークに渡す。ルークはそこに書かれている署名の筆跡が確かにエルネストのものであることを確認した上で、今、自分の目の前にいる人物が「ノルドの海洋王の義理の兄」という、とんでもない大物であることを認識し、その表情が驚愕と緊張に包まれる。 「そこまで畏まらなくていい。どちらかというと今回は私用に近いものだからな」 「……それで、その『用』というのは?」 「大きく分けて二つある。一つに関しては、私とルーク殿の二人で話したい。もう一つは、この場で全員に話した方が良いだろう」 「フレドリク」はそう言いつつ、その場にいる「星核の力を宿した五人」を見渡すと、最初にエルバが口を開いた。 「ひとまず、大変なお客様なんだし、領主の館に案内した方が良いのではないか?」 その意見には、ルークも「フレドリク」も同意する。実際、「大事な話」をするのであれば、確かにこの場で語るのはさすがに不適切に思えた。そして、エルバはふともう一人の「来訪者」にも視線を向ける。 「懐かしい顔もいるしね」 その瞳の先には、ごく自然に平然と彼等の中に溶け込んでいたキヨの姿があった。最後にこの地で会ってから一年以上の時が経過していたが、彼女が戦友としてこの村の輪の中にいることに、誰も違和感を感じていなかったようである。ただ、キヨは目の前で交わされている君主同士の会話にはあまりみみを傾けず、周囲の様子を伺っていた。 「久しぶり!……って、何キョロキョロしてるの?」 改めてマライアがそう声をかけると、キヨはやや困惑した表情で答える。 「ここまで一緒に来た人(と犬)がいたんですが……」 ポラリスはラピスに用事があると言っていた以上、いきなりこの地からいなくなるとは考えにくい。ただ、彼があの龍を「創った」と言っていたことから察するに、かなり特殊な力の持ち主であることは確かであり、場合によってはこの村に害悪をもたらす存在なのかもしれない。そんな危惧(と犬を見失ってしまったことの寂しさ)から、キヨの表情はまだ安堵出来ていない様相であった。 「ひとまず、私の館へとご案内します」 「そうだな。それがいいだろう」 ルークと「フレドリク」はそう言って、マライア、エルバ、ラスティ、キヨと共に、ひとまず村へと帰還することにした。 ****** 一方、その頃、エルバとラスティの嗅覚すらも及ばぬほど遠く離れた森の奥地(西方)に、先刻までルーク達の戦いを見守っていた「巨漢の弓使い」の姿があった。彼は観戦の途中で、森の奥地から「別の投影体」の気配を察知し、そちらに興味を惹かれてあの場を後にしたのである。 (あれだけの者達が集まったのなら、もうあの龍に勝ち目はないだろう。そして、あの弓使いの「正体」も分かった。奴にはいつでも勝負を挑める。問題はこの奥にいる者……。おそらくこの気配は、俺や「あの龍」と同じ……) そんな思案を巡らせている中、彼の目の前に現れたのは、一頭の巨大な虎であった(下図)。 「ほう……、虎か。あの龍から見て西方に現れたということは、やはり、あの龍と同じ力を根源とする者だな。それはつまり、この俺とも……」 彼がそう呟いたところで虎は彼に向かって襲いかかろうとする。しかし、それよりも早く彼は弓を構えて、混沌の力を込めた巨大な矢を虎に向けて放つと、虎の眉間に命中する。だが、それでも虎は怯まず、彼に向かって突撃し続ける。 「いいぞ! さっきの龍は奴等にくれてやったが、お前はそれなりに俺を楽しませてくれそうだな!」 巨漢の弓使いはそう叫びつつ、その体躯に似合わぬ華麗な動きで虎の突撃を交わしながら、第二射の準備を始める。 一方、その光景を、少し離れたところから眺めていた一人の「少年」の姿があったのだが、巨漢の弓使いはその存在には気付かぬまま、戦いの愉悦に浸っていたのであった。 2.2. 「八」と「百八」 森の奥地で起きていた騒動には気付かぬまま、ひとまず領主の館の会議室へと案内された「フレドリク」は、ルーク達五人を相手に「星核」と「大毒龍」に関して、実際に自分の「星核」を見せながら、天威星から聞いた話を一通り伝えた上で、彼等もまた自分と同じ「星核」を生み出せる素質の持ち主であることを告げた(ただし、あくまでも自分は「フレドリク」であるという体裁は崩さなかった)。 「……という訳で、将来的にブレトランドで大きな厄災が起こるらしい。それを止めるために、協力してもらえないだろうか?」 突拍子もない話ではあるが、海洋王の義兄がわざわざ単身でこの地まで訪れている時点で、これがただの与太話ではありえないということは彼等にも分かる。ルークは深刻な表情を浮かべながら答えた。 「ブレトランド中の危機となれば、この村にも影響は及ぶことになるでしょう……」 「あぁ、そしてブレトランドが滅ぶことになれば、この世界の勢力の均衡にも影響を及ぼしかねない」 そもそも、その厄災がブレトランドだけで済む話とは限らない。むしろ、世界全体を危機に陥れる可能性の方が高いというのが、天威星の見解であった。 「もちろん、協力させて頂きたいと思います」 ルークがそう答えると、フレドリクは(パルテノで出会った面々の時と同じように)自身の星核を掌に翳しつつ、その星核をルークの腕に押し当てるように彼の腕を握る。すると、ルークの中にも「何か」が入り込んできたような感覚が走り、そして「あの声」が脳内に響き渡る。 「あなたの望む未来を思い描いて下さい」 それに対して、ルークは確固たる信念に基づいて、心の中で答えた。 「私の望む未来は、このラピスの村に再び災厄が訪れないよう、村の民を守っていくことだ」 ルークが改めてその決意を新たにしたところで、彼の目の前にフレドリクと同じ青白い光を帯びた星核が現れる。それは紛れもなく、ルークの来世の姿である「天英星」の星核であった。 その光景を目の当たりにした上で、次に動いたのはラスティであった。彼は「大毒龍」という名を聞いたことで、何か高ぶるものがあったらしい。 「さっきの戦いで、龍の力にはもっと高みがあることが分かった」 はっきり口には出さないが、現実問題として一対一ではあの龍に勝てなかったということは、ラスティも自覚している。その悔しさを押し殺しながらそう呟いた彼を目の当たりにした「フレドリクの中のラスティ」は、強い共感を覚えた上で、「同志」に向かって語りかける。 「そうだ。龍とは、もっと堅く、もっと力強いものだ」 「俺もその高みを目指したいところだ。ぜひ、協力させてくれ」 「『私の知り合い』にも、龍の邪紋を使う者がいる。奴も力を求めているからな。その気持ちはよく分かる」 「フレドリク」はそう言いながら、ルークの時と同じようにラスティの身体に触れ、自身の星核の力を流し込む。すると、ラスティの魂にもまた「あの声」が響き渡るが、それに対する彼の答えはルーク以上に単純明快であった。 「俺はもっと強くなりてぇ。それだけだ!」 彼が心の中でそう答えると、ラスティの目の前には赤い光を放つ星核が現れる。これは彼の来世である「地佐星」の星核であった。 続いて、今度はマライアが口を開いた。 「そうか、今度は私にも『力』があるのね……」 透明妖精との戦いの時は、八犬士とルークとキヨにはそれぞれに「敵を倒す上で、自分にしかない特殊な力」があった。しかし、マライアが有していたのはシリウスによって一時的に与えられていた「八犬士を見分ける能力」だけであり、今はその力も既に失われている。あの時とは異なる状況に、彼女の中で何かが高ぶっていた。 マライアはその高揚感を抑えつつ、星核を掲げた「フレドリク」の手を握る。そして、彼女の中で響き渡る「あの声」に対して、自分の中で思い描いていた未来への妄想を、一言にまとめる形で答える。 「ラピスでいつまでも、ルークと幸せに暮らしたいわ」 契約魔法師としても、そして一人の女性としても、それが今の彼女の全てであった。彼女のその願いに応えるように、彼女の目の前にも、赤味を帯びた光を放つ「地霊星」の星核が浮かび上がっていた。 そして、キヨもまた、ゆっくりと「フレドリク」の元へと歩み寄る。 「また私がこのラピスの地に来たのも、何かの御縁でしょう。その力にならせて下さい」 実際にその「縁」を繋ぐことになったポラリスの正体は未だに分からない。だが、どんな経緯であれ、再び自分の力がこの世界のために必要と言われれば、キヨの中でためらう理由は何も無かった。彼女もまたマライアと同じように「フレドリク」の手を握り、そして彼の手から流れ込んで来る「何か」の声に対して、心の中で静かに答える。 「私は、自分と関わった人達が、それぞれの本懐を遂げられるような力になれれば……」 「武器」である彼女には、本質的には倫理観も正義感もない。ただそこにあるのは、誰かの力になりたいという本能だけである。その意味では、この願いこそがまさに「オルガノン」としての彼女自身の本懐でもあった。 そんな彼女の心を反映するように、彼女の来世の姿である「地暗星」が彼女の前に現れたところで、最後に残ったエルバも立ち上がる。 「『八』の次は『百八』か。随分数字が飛んだねぇ」 実際、彼女達にしてみれば、この状況はラピス開放時の一連の戦いと酷似している。あの時と比べて「108」という数は、確かに途方も無い膨大な人数にも思えるが、不思議とその数字に対して臆する気持ちは誰の心の中にも生まれていなかった。そして、彼女達自身がある意味で「似たような戦いの経験者」だからこそ、今回の話もあっさりと受け入れられたのかもしれない。 エルバもまた「フレドリク」の手を握り、そして「声」が聞こえてきた時点で、彼女の中でのこれまでの思い立ちを思い出しながら、自分にとっての「理想の未来」を思い描こうとする。 「私は、そうだな……、家族や友達、全ての人が、大事な人と離れずに、平和に暮らせる未来があれば、それでいい」 エルバがそう願った瞬間、彼女の目の前に「地狗星」の星核が姿を現す。こうして、フレドリク(ラスク)は思わぬ形で、新たに五人もの仲間をこのラピス村で目覚めさせることに成功したのであった。 2.3. 記憶との照合 その後、疲労が激しかったラスティはひとまず別室で療養することにした上で、残った五人で今後の方針について協議することになった。まず最初に、ここまでの事情を説明する機会を逸していたキヨが語り始める。 「私は、さっきまで近くにいた筈のポラリスという少年が『ラピスに用事がある』と言っていたので、一緒に来ていたのですが……、いつの間にかいなくなってしまいました」 その少年は、ルークも(龍の尾に弾き飛ばされた時に)一瞬だが目撃している。その装束が明らかに「キヨと同じ(もしくは酷似した文化圏)の服」であることは彼にも察しがついた。 「あと、彼は先程戦っていた龍を『創った』と言っていたような……」 キヨのその発言に対して、エルバは仰天の表情を浮かべる。 「重要参考人じゃないか!」 「すみません、一瞬、目を離した隙に……」 「まぁ、激しい戦いだったからな。それは無理もないさ」 実際、目の前であそこまで強大な投影体が現れていたら、後方にまで気を配っている余裕はないだろうということは、エルバにも分かる。 その上で、ルークは改めて疑問を提起した。 「しかし、あの龍を創ったとなると、あの人は一体何者だったのでしょう? というか、そもそもあの龍は何者だったのでしょう?」 キヨや「フレドリク」といった客人がいることもあり、いつものラピス内の軍議とは異なり、ルークは敬語口調でそう語る。実際のところ、彼はまだまだ君主としては若輩であり、これくらいの口調の方がまだ違和感のない程度には初々しさも残っていた(実際、ロディアス不在の現状では、この場にいる中でルークが一番若い)。 「『当事者』が、もう寝てしまったからなぁ」 そう呟いたのはエルバである。龍に関しては、最初に遭遇したラスティから証言を聞きたいところではあったが、さすがに彼も疲労困憊状態だったため(そして、いつまた新たな投影体が出現するかも分からない状態だったため)ひとまず今は休眠を優先させたいと考えていたルークは、「もう一人の当事者」に話を聞くことにした。 「キヨさんは、『あの人』から何か悪意や敵意などを感じましたか?」 「多分、無かったとは思うのですが、彼の装束には見覚えがあるというか……、私と似たような気配を感じました」 それについてはルークも同感である。そして、その話を聞いたところで、エルバが「もう一人の重要(?)参考人」のことを思い出す。 「そういえば、なんだが……、キヨさんと似たような服を着た人なら、私も会ったんだ。『マコト・クルーデ』と名乗っていたから、同一人物ではないと思うんだが……。あと、ラピスの近くの海で『泳ぐ馬』がはしゃいでいたな」 どちらも、それだけ聞いたところで意味があるのかどうか分からない情報だが、その少年の名前に対して、マライアは奇妙な反応を示した。 「マコト・クルーデ……?」 「あぁ、そう名乗っていたが、知り合いなのかい?」 「そうね。あの混沌災害の事件が起きる前に会ったことがあるけど……」 それはまだマライアがこの地に赴任したばかりの頃。「マコト・クルーデ」と名乗る奇妙な少年がこの地を訪れたことがあった。今にして思えば、確かに彼の装束はキヨともどこか似ていたような気がする。彼は自分が自然魔法師であると称した上で、「この村を守る犬神に会ってみたい」と言っていたのだが、実際に会えたのかどうかも不明なまま、いつの間にか村からいなくなっていた。 マライアがその話を告げると、改めてエルバが口を開く。 「自然魔法師だって話は、私にも言ってたな。だが、ありゃあ多分、投影体だよ」 「え?」 「少なくとも、身体から混沌の匂いがしていた以上、魔法師というよりは『そっち』寄りだろう」 「そうだったのね……、確かに、格好も妙だとは思ったけど」 とはいえ、「妙な格好の自然魔法師」もまた、この世界にはいくらでもいる。かく言うマライア自身も、魔法師らしき帽子は被っているものの、戦場においてはまるで騎士のような鎧を着込み、盾も装備しているため、とても魔法師としての「正装」とは言えない。 ひとまずルークはここまでの話を整理しようと試みる。 「そうすると、キヨさんと一緒にいた人も投影体の可能性が高いかもしれないですね。何かの偶然か、この村に怪しい人物が押し寄せているのは気がかりですが。あと、海の上の馬も……、というか、それについては想像がつかないのですが……」 そう言われたエルバもまた、困った顔を浮かべる。 「うーん、私は絵心がなからなぁ……」 「でも、害は無さそうなんですよね?」 「そうだな。ただ、そいつそのものは有害じゃないが、何やら『状況によってはそうとも限らん』みたいなことも、そのマコトって子は言ってた」 「なるほど……。これが、マライアの先輩が言っていた『予言』にあてはまるのか……」 そう言って、ルークはしばらく考え込む。とはいえ、現状ではまだ不確定な情報が多すぎる以上、村の周囲の警戒を強めつつ、その「二人の少年」の行方を探す、というくらいしか、対処法は思いつかなかった。 2.4. もう一つの「本題」 ここで、今まで黙っていた「フレドリク」がルークに声をかける。 「すまないが、少しだけ時間をもらえるかな? 出来れば、あまり他の人には知られたくない話なのだが」 そう言われたルークは、先刻、彼が「二人で話がしたい」と言っていたことを思い出す。 「分かりました」 彼はそう言って、ひとまずマライア、エルバ、キヨの三人を会議室から退室させる。「フレドリク」の真剣な表情からして、マライアは会話の内容が気になったが、ひとまず今は手負いのラスティの救護を優先して、その場を去ることに同意した。 そしてルークは扉に鍵をかけたところで、「フレドリク」は話を始める。 「まず、先程の書状に書いてあったであろう『巻物』についてなのだが……、これは、簡単に言ってしまえば『とある条件下』において効果を発動させる巻物で、その効果というのが、描いたものを現実にさせる、というものなのだ」 またしても突拍子もない話だが、ルークは落ち着いて話を聞き続ける。彼もまた、これまで数々の奇々怪々な事件に遭遇してきた身である以上、並大抵のことでは動じない。 「ただ、そこに描く絵にはかなりの精巧さが求められるし、特殊なインクも必要だ。そして、相応の絵心のある者でなければ、そもそも巻物を開くことすら出来ない。だから、今の私がこれを持っていても、どうこうすることは出来ない、ということは先に言っておこう。それに加えて、特殊なインクも今はない」 実際のところ、ルークにここまで話す必要があったのかどうかは分からない。ただ、「非常に危険な魔法具」を預かっている身として、その関係者かもしれないラピスの領主に対して、伝えるべきことは伝えておこうと考えたのだろう。 「さて、その上で、私がここに来たのは、その巻物の件ではない。というのも、今の私は少々『特殊な状況』なのだ」 「フレドリク」はそう言った上で、「今の自分達の状況」をそのままルークに説明し、今の自分の正体が「ラスク」であることを告げた上で、一つの問いを投げかける。 「私は、貴殿のその類まれなる聖印の力を使えば、邪紋を身体から切り離すことが出来ると聞いた。その力を以って、『私』と『フレドリク』を分離することは可能だろうか?」 正直、そう言われてもルークも分からない。確かに彼の聖印は邪紋を身体から切り離すことは出来るが、「融合状態の人間」を切り離すとなると、かなり勝手が異なるように思える。そもそも「聖印と邪紋が一体化している状態」自体が、今のルークには想像も出来ない。 「答えにくいのであれば、実際に貴殿がどのような形で切り離したのかを教えてほしい。そこから判断出来るかもしれない」 「私の聖印の能力は、あくまでも混沌を分離することなので……」 「そう考えると、人格の分離は難しい、と考えるのが妥当か」 「すみません……」 「いや、急に変なことを言ってしまってすまない」 もともと、これについては「もしかしたら、可能かもしれない」程度の期待しか抱いていなかったので、ラスクとしてもさほど落胆はしていなかった。 「あぁ、そうそう。もう一つ。君は巻物のことは知っていたのか?」 「ラピスから持ち出されたもの、という話が紹介状にも書かれていましたが、私は知らないです。今は亡き父ならば知っていたかもしれませんが……」 ヴァレフールの貴族家に養子に出された時点で、ルークにはそういった「ラピス固有の伝承」の類いは伝えられていなかった。おそらく、それに関してはマライアも聞かされていないだろう。 「あぁ、済まなかったな。ならば、そういった資料が残っている場所は知らないか?」 「一応、この村の資料庫に関しては、ご案内することは出来ます」 領主の館の裏手側に、小さな倉庫がある。その中にいくつか古い文献も残っていた。アンザ(の額冠)がこの領主の館に火をつけた時も、その倉庫には被害が及ばず、そのまま残されていたのである。それが「資料的価値から残しておく必要がある」と考えたからなのか、それとも「特に興味もないから放置していただけ」なのかは分からないが。 「出来れば、私としても御協力したいのですが、今の私には、それくらいのことしか出来ないです。すみません」 「いや、それだけでも十分だ。本当にありがとう。あと、今、私が話したことは、くれぐれも内密に頼む。出来れば、専属魔法師にも言わないでもらいたい」 彼が言うところの「専属魔法師」というのが、おそらくマライアのことであろうと推測したルークは、静かに頷く。 「分かりました。では、あなたのことは今後も『フレドリク様』と……」 「あぁ、それで構わない」 こうして、二人はひとまず館の裏口から出て、倉庫へと向かうことになった。 2.5. 理不尽なる襲撃者 この間に、マライアは眠っていたラスティの傷を魔法で癒やしつつ、再び新たな投影体が現れた時に備えて、ルークの弓と鎧、そしてキヨの「本体(加州清光)」とエルバの双剣(「貫くもの」と「大和守安定」)にも強化魔法を施し、エルバは更にその武器を自らの完全に同化させることで、万全の臨戦態勢を整える。 その上で、三人が手分けして「二人の少年」の行方を探そうとしたところ、ほどなくしてキヨは、想定外の人物を発見する。それは、領主の館の近くの物陰に隠れようとしていた「隠れきれない程の体躯の大男」であった。その背中には、彼でなければ操れないであろうほどの巨大な弓と矢筒が背負われていた。そして彼が着込んでいる甲冑は、キヨの故郷の「武士」の鎧に似ているが、それらはキヨ(加州清光)が作られた時よりも古い時代の武具のように見える。 キヨは彼に気付かれないように近付こうとするが、あっさりとその存在を看破され、そして声をかけられた。 「そこの娘! 貴様、『この俺と同じ世界』の住人か?」 「おそらく、そうだと思いますが……、あなたは?」 「鎮西八郎為朝、という名に聞き覚えはあるか?」 それは、確かに「キヨと同じ世界」の住人の名である。だが、キヨが作られた時代よりも数百年も前の人物だったこともあり、彼女の記憶には残っていなかった。黙って首を振る彼女に対して、その男は怪訝そうな顔を浮かべる。 「そうか、俺の名を知らぬということは、別の時間軸の住人かもしれんな……。まぁ、それはどうでもいい。『この村の弓使い』とお前は、知り合いか?」 「昔、お世話になった仲ではあります」 「なるほど。で、この村の弓使い、いかほどの腕前か?」 そう言われても、キヨの本分はあくまでも「白兵戦」であり、弓使いとしてのルークの実力を、何を基準にどう評価すれば良いのかが分からない。 「……立派な方だと思いますよ」 「そうか」 二人がそんな会話を交わしていたところで、館の裏の書庫へと向かおうとしていたルークと「フレドリク」の姿が二人の視界に入る(一応、二人共不測の事態に備えて、武装した状態であった)。その瞬間、巨漢の男は目を輝かせ、大声で叫ぶ。 「ようやく、ようやく見つけたぞ!」 そう言いながら男は弓を構えると、慌ててキヨが割って入る。 「ちょっと、待って下さい!」 「何だ? とりあえず、挨拶代わりに一矢撃とうと思っただけだが」 キヨ達がいる場所からルークまでの距離はかなり離れてはいるが、弓ならば容易に届く距離ではある。そして、その物音に対して、当然ルークの側も気付いた。 「何者だ!?」 ルークがそう叫ぶと、巨漢の男は嬉しそうな声で叫び返す。 「我が名は鎮西八郎為朝! そこの貴様、『小李広花栄』で間違いないな?」 唐突に訳の分からない名前を告げられたルークは当然困惑する。ただ、「八郎(ハチロー)」という名が、レッドウィンドからの手紙に書いてあったことは憶えていた。 「いや、私の名はルーク・ゼレン。そのような名に心当たりはない」 「そうか。だが、今の名など、どうでもいい」 為朝と名乗った男がそう言って再び弓を構えようとしたところで、今度はルークの傍らにいた「フレドリク」が立ちはだかり、声をかける。 「タメトモ殿、でよろしいか?」 「あぁ」 「すまないが、今、彼は私の用事に付き合ってもらっているのだ。出来れば、後にしてくれないか?」 「ほう?」 「私の用事が終わった後であれば、あなたと彼の話である以上、私は介入するかもしれないし、しないかもしれない。だが、今、この場で事を起こそうとするなら、私は彼の側につく。それでも良いというなら、その弓を引き絞るが良い」 この「為朝」と名乗る男が何者なのかは分からないが、明らかにルークに対して弓を向けようとしている以上、「フレドリク」としては、ここで黙っている訳にはいかない。だが、そんな「フレドリク」からの忠告に対して、為朝は聞く耳を傾ける気はなかった。 「分かった。ならばこの場で貴様ごと射抜いてやろう!」 その敵意をはっきりと受け取った「フレドリク」は、再び聖印から「聖龍」を作り出し、臨戦態勢に入る。その直後、為朝は矢筒から取り出した矢をつがえ、キヨの静止も振り切って解き放つと、混沌の力が宿ったその矢は巨大な一本の破城槌の如き姿へと変わり、止めに入ったキヨを吹き飛ばし、その先にいたルークにも直撃する(一方、間一髪のところで「フレドリク」は避けた)。鉄壁をも貫くようなその一撃は、並の騎士や投影体ならば一瞬にして肉塊と化すほどの威力であったが、それでもまだキヨとルークは、武器を構えて立ち続ける。 そしてルークが反撃の弓を放とうとした瞬間、その場にいる者達に対して、少年のような声色の謎の声が響き渡った。 「そいつには『火』だよ」 その声を聞いたルークは、半信半疑ながらも咄嗟に矢筒から火矢を選び、一瞬にして着火させつつ、為朝に照準を向ける。 「私の矢が見たいなら、その身に受けてみろ!」 ルークのその声と同時に放たれたその矢は、為朝の甲冑に命中し、そして彼の身体は火に包まれる。それは確かに、通常の人間に火矢を放った時以上の燃え広がり方であったが、彼はその状態でも不敵な笑みを浮かべ続ける。 「こんなもんじゃねえだろ!」 そう言って再び弓を構えようとする為朝に対し、今度はキヨが斬りかかるが、為朝は大柄な体躯に似合わぬ俊敏な体捌きで、あっさりとその一撃をかわしてしまう。 だが、その直後にフレドリクは「聖龍」に乗った状態で一瞬にして為朝の目の前まで飛び込んだかと思うと、そこから彼の目を翻弄するように周囲を飛び回りつつ、最終的には彼の死角に回り込んで聖龍の口から炎熱波を放ち、為朝の身体を熱く激しく焼き焦がす。 更にその直後、不穏な気配を察したマライアとエルバもまた、それぞれの愛馬に乗って戦場に駆けつけた。その馬の蹄鉄音に気付いたルークは、後方から近付きつつであろうマライアに向けて叫ぶ。 「マライア、皆の武器に火炎の付与を頼む!」 その声が届くと同時に、マライアはすぐ隣に駆けつけていたエルバの双剣に魔法の火を付与し、更にキヨとフレドリクの方へと向かおうとする。 次の瞬間、為朝が放った二本目の巨大矢(破城鎚)が再びルークに迫るが、この時、彼の危機を察したマライアとエルバの中の星核が輝き、その輝きを受けたルークは人間業とは思えないような足捌きでその矢をかわした。 (避けた!? なんだったんだ、今の輝きは? 花栄か? 花栄の力か? いや、違う。だが、確かにそれと似たような気配を…) それは、彼が言うところの「花栄(天英星)」の仲間である「安道全(地霊星)」と「段景住(地狗星)」の輝きがもたらした奇跡である。だが、そのことに気付ける者は、この戦場には誰もいない。 為朝が困惑する中、今度は「フレドリク」がマライアからの炎熱付与の魔法を受けた上で、「呼延灼(天威星)」の星核の輝きを放ちながら彼に向かって突撃し、そこにルークが更に掩護射撃を加える中、立て続けにエルバもまた炎を帯びた状態に双剣に毒をも塗り込んだ状態で斬り掛かり、流石に為朝も劣勢を悟り始める。 その間にマライアはキヨとルークの傷を(彼女にとっての「本業」である)生命魔法で癒やしつつ、キヨの本体に炎の力を込め、その力を得たキヨの二太刀目は、今度は見事に命中する。 これに対し、為朝はルーク、エルバ、キヨの三人を射程に入れた状態で、強烈な三矢目を放とうとするが、マライアが召喚したリャナンシーによって妨害された上に、つがえ直した指先を更に魔法で狂わされた結果、その矢(杭)の勢いは削がれ、ルークもマライアもキヨもかろうじてその一撃を避けることに成功する。 (ば、馬鹿な! この俺が二回も続けて外す、だと……) 為朝がその事実に衝撃を受けた直後、「フレドリク」からの再突撃が彼の身体を貫き、彼は困惑した表情のまま、混沌の塵となって消滅していった。 3.1. 「異世界」の創造主 残された混沌の残骸をルークと「フレドリク」が浄化し、エルバ、マライア、キヨの三人が周囲を警戒している中、一人の少年が姿を現す。それは、エルバとマライアにとっては見覚えのある人物であった。 「いやー、おみごと、おみごと。さすがに百八星のうちの五星が揃えば、鎮西八郎為朝といえども、勝ち目は無かったようですね」 マコト・クルーデである。そして、その声を聞いたルーク達は、先刻の「そいつには『火』だよ」という声の主が彼であったことに気付くが、それ以上に彼が語っているその言葉の内容が問題であった。 「なぜ、そのことを知っている?」 「フレドリク」がそう問いかけると、マコトは苦笑いを浮かべつつ、一度ため息をついた上で、改めて語り始める。 「まぁ、どう説明するのが分かりやすいのかは分かりやせんがね……、どちらにしても、そちらのお嬢さんにはもう隠しても仕方がないみたいですし、有り体に説明してしまいましょうか」 エルバを見ながら、相変わらずどこか奇妙な口調でそう語るマコトに対して、エルバは思わず声を上げる。 「お嬢さん!?」 エルバは御年三十である。どう見ても十代前半程度にしか見えないマコトから「お嬢さん」と呼ばれたことに困惑を隠せないようだったが、彼は気にせずそのまま語り続けた。 「まず、はっきり言ってしまえば、さっきのあの弓使いは、『半分』はあっしが創り出したような存在なんですよ」 サラッとマコトはそう言った。「半分」という言葉が何を意味しているのかも分からないし、そもそも投影体を(「呼び出す」ではなく)「創る」という言葉の意味もよく分からないが、どちらにしても、それ自体は今の本題(「フレドリク」の質問に対する答え)ではない。そのことを自覚した上で、彼は再びエルバに視線を向ける。 「で、色々調べさせてもらって分かったんだが、『あんたの邪紋』も、間接的にはあっしが創り出したようなもんなんだ」 「邪紋を創り出す」というのもあまり一般的に耳にする言葉ではないが、まだそれでも「投影体の生成」よりは理解出来る話である。実際、闇魔法師の中には他人の身体に人工邪紋を植え付ける者もいると言われている。だが、ここで彼が言っているのは、そのような意味での「邪紋の創出」ではない。もっと根源的なレベルでの「創作」なのである。 「あっしの名は、マコト・クルーデ。でも、この名は『この世界の人達』に発音しやすいように名乗っている名でね……」 彼はそう言いながら、今度はキヨに視線を向けつつ、その場にしゃがみ込み、そして閉じた状態の扇の角を使って、地面に「文字」を書き始めた。 「そっちのお嬢さんは、あっしと同じ世界の住人だね。なら、この字も読めるだろう?」 そう言いながら彼が書き上げた文字。それは確かにキヨの故郷の文字であり、そこには「曲亭馬琴」と書かれていた。 「本当の名は『くるわで・まこと』っていうんですよ」 正確に言えば、それも「本来の読み方」ではないのだが、発音はともかく、この文字には確かにキヨも見覚えがある。それは、エルバ達に邪紋の力を与えたシリウスの投影前の姿である「八房」が登場する小説『南総里見八犬伝』の作者の名であった。 キヨが驚愕の表情を浮かべたことで、彼女が自分のことを知っていることを察したマコトは、そのまま語り続ける。 「あっしは『作家』なんですよ。物語を創るのが仕事でね。で、一応、この世界の分類では、投影体の中でも『神格』と呼ばれる存在らしいんですわ。正直、そう呼ばれるのには違和感はあるんですが、『世界を生み出した者』を『神』と呼んで良いのであれば、確かにあっしも神のはしくれなのかもしれない」 「神格」という言葉を聞いて、セリーナの予言がルークとマライアの頭をよぎる。だが、この少年が「混沌災害」の原因となる神格なのかどうかはまだ分からないし、それ以前の問題として、本当に「神格級投影体」なのかどうかも不明である。 そもそも、投影体の分類論において「神」という概念は非常に曖昧である。投影元の世界においては「人よりも圧倒的に優れた上位支配者」のような意味で用いられることもあれば、「世界そのものの創造主」を意味することもある。彼が言うことが事実ならば、彼は本来は「人間」として生まれた存在であり、もし彼が「地球」という異世界から投影された場合は「地球人」としてこの世界に出現したのであろうが、「彼が作り出した物語世界(馬琴界?)」から投影されたが故に、その世界にとっての「創造主(神)」としてこの世界に出現することになった、ということらしいが、異世界に関してそこまで造形が深い訳でもないマライアには、それが本当に実現可能なことなのかどうかもよく分からない。 「実際、この村で『シリウス』と呼ばれていたあの犬は、元はあっしが一から考えて作り出した物語に登場する犬である以上、あっしが生み出した犬、ってぇことになる。それが、混沌とやらの作用で、この世界に出現し、そしてその力が『邪紋』って形で、そちちのお嬢さん達に受け継がれることになったらしい」 その説明に対し、キヨは真剣な顔で静かに頷く。彼女のその様子から、他の面々もマコトの言っていることが(少なくともキヨにとっては)信憑性のある話だということを理解する。 「だがまぁ、物語を妄想すること自体は、誰にでも出来るちゃあ、出来る。あんたらだって『自分の理想の夢物語』を心の中で思い浮かべれば、その物語世界の中では『神』ってぇことになる。そう考えると、人は誰でも、『どっかの世界の誰か』にとっちゃあ『神』であり、『そのどっかの世界の誰か』もまた、何らかの『別の世界』を思い浮かべることで、その世界の登場人物達にとっての『神』になり得るってぇことになる。ま、そんなことたぁ、どうでもいっか」 どうでもいい、というよりも、彼のこの言葉に信憑性があるのかどうかは誰にも分からない。ただ、キヨの知る限り、『南総里見八犬伝』はたしかに曲亭馬琴によって描かれた「妄想の物語」である。その「妄想の世界」の住人である八房(シリウス)がこの世界に投影体として出現していたことは間違いない以上、「人の妄想の数だけ異世界が存在する(そしてそれらは投影体としてこの世界に出現し得る)」という彼の解釈は、確かに成り立つのかもしれない。 「で、さっき『半分』って言ったけどね。あの鎮西八郎為朝ってのは、本来は、あっしが元々いた世界の、大昔の人でさ。その人の逸話を元に作った『椿説弓張月』っていう、あっしの若い頃の代表作の主人公なんだ。まぁ、本当はあんな乱暴な奴じゃなかった筈なんだが、混沌の作用だかなんだかで、歪んだ性格になっちまったんだろうな」 そこまで言ったところで、マコトはもう一度エルバに視線を移した。 「そして、あっしが一番驚いてるのはね、あんたなんだよ、お嬢さん。あんたは『あっしの作り出した物語』の力を受け継いでいると同時に、あっしが日本に、あ、日本って言っても分かんねぇか。『あっしの国に紹介した物語』の登場人物の力も宿している」 当然、エルバには彼の言っている言葉の意味は何一つ分からない。ただ、今の彼女には確かに「二つの異界の力」が宿っている。一つは、マコト(馬琴)の代表作である『南総里見八犬伝』における八犬士の力。そしてもう一つは……。 「星核ってんだろ? まぁ、言って信じるかどうかは分からねえが、『そっちの世界』にもあっしは縁があってね……。そこの『弓使い』のアンタ」 そう言いながら、今度はルークの方に向き直る。 「アンタに力を与えている宿星が、その『あっしが翻訳したの物語』の中に登場する『百八人の主人公』の中で随一の弓使いなんだ。だからこそ、あっしの作り出した『椿説弓張月』における随一の弓使いである為朝は、あんたに対して強い対抗心を燃やしたんだろうな」 結局、なぜ為朝が(そしてマコト自身が)そのことに気付けたのか、ということについては何も説明していないが、それについては彼も説明する気はない。というよりも、説明のしようがない。彼自身、「自分がなんとなく気付けたから、為朝もなんとなく気付けたのではないか」という程度の憶測で話しているだけである。いくら彼が「世界の創造主」としての神であるといえども、「この世界」の中では、ただの混沌の産物である「投影体」の一人であり、決して全知全能の存在ではないのであった。 3.2. もう一人の「神」 そして、ここまで緩んだ表情で飄々と語り続けてきたマコトの顔が、ここまで話し終えたところで急に険しくなった。 「で、何が問題って、なぜこの時点であいつが現れたのか、ってぇことだ。さっきの龍にしても……、あ、一つ言っておくが、さっきの龍については、あっしは関係ねえ。さっきの弓使いに関しては、半分はあっしの責任だが、龍は無関係だ」 何を証拠にそう言えるのかは分からないが、ひとまずルーク達はマコトの言い分をそのまま聞き続ける。 「あっしが『椿説弓張月』を書いた時に『挿絵』を描いた画家がいてなぁ。んで、そいつぁ、神格としての格で言えば、多分、あっしより上だろう。あっしの作った物語の挿絵以外にも『色んな絵』を残し、その一つ一つが『世界』を形成している。『八人の犬士の物語』の挿絵はアイツの弟子が担当したが、あっしが翻訳した『百八星の物語』の挿絵を描いたのは、アイツだ」 つまり、ルーク達を襲った「鎮西八郎為朝」という人物を作り上げたのはマコトだが、その外見を生み出したのがその画家、ということらしい。 「アイツ、ころころ名前変えてたけど、多分、一番有名な、そっちのお嬢さんでも知ってそうな名前で言えば……、『北斎』ってぇことになるのかな」 その名は、確かにキヨも聞いたことはある。キヨの故郷のみならず、世界中にその名を知られる画家であり、死の直前まで数多くの作品を残していた。 「で、アイツはあっしと同じように、この世界で『神格』として出現しているんだが、為朝だけじゃなく、さっき現れた龍も、アイツが昔描いた作品の一つ。あとはまぁ、そうだな、さっき、為朝は森の中で途中で『虎』と戦ってたんだが、それもアイツが描き残していたものだ。多分、あいつがこの地の近辺に現れたことで、かつてあいつに描かれた者達が、偶発的にこの地に現れてしまったんだろうな」 なぜ、そうなったのか、という点についてもマコトの中では一つの仮説があったが、その説明に入る前に、彼は一つ、重要な『まだ伝えていない情報』を思い出す。 「ちなみに、北斎は最初『北斎辰正』って名乗ってたんだが、これはもともとは『北極星』を意味する『北辰』に由来する名前でね。だから、この世界では、あっし達の世界における別の国で同じ星を現す言葉である『ポラリス』と名乗っている」 その名を聞いた瞬間、キヨ達の中でようやく話が繋がり始めたのだが、彼女達がそのことについて確認する間もなく、マコトはそのまま話を続ける。 「あっしはね、色々な英雄たちの物語を見聞きするのが好きなんだ。だから、あんたらの噂を聞いて、あっしの作った世界の力を受け継いだあんたらの話を聞きたいと思ってこの地に来た訳だが……、ポラリスの方は、まぁ、なんというか、こう、色々とイカレた奴でな……。とりあえず、面白けりゃ何でもいいと思ってるから……。他にも、何か変な生き物はいなかったかい?」 そう言われたところで、エルバは彼と最初に会った時のことを思い出す。 「あー、海の中に馬がいたねぇ」 「そう言えば、そうだったな。あれも元はアイツの作り出した絵だ。てか、さっきも言ったが、海にまでアイツの力が及んでいるのは、ちょっとまずいかもしれない」 「海に関して、何かまずい絵でも描いてるのかい?」 「あぁ。アイツは世界的に有名な『大津波の絵』を描いてるからなぁ。もし、同じものがこの海に出現することになったら……」 さすがにそう言われると、エルバ達は困惑する。そして実際、あの「馬」が出現していた海の近辺は、確かに荒れていたようにも見える。 「投影体なら倒せば良いけど、津波なんて、どうやって防げばいいのさ」 「いや、原理は投影体と同じさ。要は、混沌核さえぶっ潰せばいい」 ここで、「フレドリク」が口を挟んだ。 「その混沌核となっているのが、ホクサイということか?」 「いや、もしあっしの仮説通り、北斎の存在によって誘発されているのだとすれば、アイツ自身の混沌核とはまた別の混沌核が、海の方にあるんだろう」 つまり、どうあっても「海」へ向かわなければならないらしい。とはいえ、水中戦はラピスの面々にもあまり経験がない。海の民と言われるノルド人のフレドリク(ラスク)にしても、あくまで「海上戦」(しかも、彼の場合は実質的には「空中戦」)が本業であって、海の中の混沌核を浄化したことはない。 「そうさねぇ、まぁ、アイツの力を借りれば、『船』くらいはパパっと作り出すことが出来るだろうさ。確か、この村には『夢巻物』ってぇのがあるだろ?」 唐突にその名を出されたルークは、一瞬口籠る。 「それは……」 「あれはもともと、北斎が作り出した『神器』だからな」 つまり、「北斎の作品」がこの地に多数出現するようになったのは、北斎の来訪だけでなく、この地がそもそも北斎にとって馴染み深い(彼の強力な混沌の残滓が残っている?)地であることが原因なのではないかとマコトは考えていたのだが、その話をする前に、ルークが少し戸惑いながら答える。 「それなら今、フレドリク殿が持っている筈だが……」 本来、この巻物の存在はあまり公にすべきではないことはルークも分かっている。だが、さすがに既にその存在を知っている者を相手に隠しても意味がないと判断したのだろう。そして「フレドリク」もまた、ようやく「全てが繋がった」ということを実感した顔で答えた。 「あぁ、そうだ。私は今、それを持っている。そして、これで合点がいった。つまり、その北斎と同等くらいの絵師でなければこの巻物を開けないということか?」 「まぁ、そういうことだな」 「下手な絵を描かせたくない、というプライドか」 「プライドというか、面白くないんだろうな。あいつは色々なもん作ってたから。まぁ、ご婦人達の前で言うべきことでもないが……、あいつ、『春画』も得意でな」 なお、「春画」という言葉を理解出来るのは、この場にはキヨしかいない。 「だから、誰かがその巻物使って、綺麗なねぇちゃんの絵でも描いて具現化してくれれば嬉しいなとか思って創ったんじゃねぇかな」 「フレドリク」はその言葉で納得した。まさにパルテノで出会ったレディオスがそうであったように、基本的には「妄想力の強い人間」が、この巻物の持ち主としては選ばれやすい、ということらしい(その条件は、数百年前の持ち主であった「紅蓮の姫」にも合致する)。 「で、本来は、その巻物を使うには、アイツの作り出した生き物の血から作られた特殊な染料が必要となる訳だが……」 つまり、パルテノ南部で戦ったあの「鶏」も、元々は「北斎の描いた絵」だったらしい。それがあの地に出現した理由は不明だが、おそらくはそれもかつて北斎が何らかの理由であの地を訪れたことに由来しているのだろう。 「まぁ、あいつは『創り出した本人』だからな。その特殊な染料が無くても描くことは出来るだろう。何はともあれ、まずはアイツを探してみるか」 マコトがそう言ったところで、フレドリクがもう一度問いかける。 「待ってくれ。一つ確認したいことが出来てしまった」 「ん? 何だい?」 「あなたとホクサイは、いつからここにいる?」 「えーっと、あっしはつい最近だね。ホクサイは知らん。そもそも、あいつがここにいるという確信もない。多分、いるんじゃないかと思うんだが……」 「相当昔から、この世界にいると考えて良いのか?」 「あぁ、『ここに』ってのは、『この世界に』ってことか。それなら、もう随分昔からいる。それがどれくらい前だったかは憶えてない」 「あなた自身も?」 「そうだな」 実際、「夢巻物」は数百年前から存在していた以上、そうでなければ話の辻褄も合わないだろう。いずれにせよ、ひとまずこの時点でこれ以上の詮索は無意味と判断したのか、「フレドリク」はそれ以上は何も聞かなかった。 そして、ここでようやく(全ての事情に最も精通している)キヨが口を開く。 「私はその『ポラリス』と名乗る人と一緒にこの村に来たのですが……」 「ほう?」 「見たことがない犬を連れていました」 「それなら、多分、その犬もアイツが作り出した犬だろうね」 それを聞いた上でキヨが何を思ったのかは分からないが、状況的にまだこの村のどこかにいる可能性が高いであろうと判断した彼等は、協力してポラリスを探し出すことにした。 3.3. 気紛れなる創造者 投影体を探す、ということになれば、やはり頼りになるのは「犬士」の嗅覚である。ラスティはまだ休眠中だったため、ひとまずエルバの嗅覚を頼りに、マライアの助力も借りつつ村中を操作した結果、夕暮れ時に差し掛かった頃、村外れの一で、木陰に腰掛けながら「例の犬」とたわむれているポラリスの姿を発見する。 真っ先に声をかけたのは、マコトであった。彼は呆れ顔で旧友に語りかける。 「ようやく見つけた……、ってか、なんだよお前、その姿はよぉ。いくら自分の姿を好きに出来るからって……」 彼等は、それぞれの創り出した世界における「創造主(神格)」としてこの世界に出現している。その意味では、本来は「神としての実体」のない存在であるため、「地球人」であった頃の姿で顕現する訳ではないらしい。ましてや北斎は「画家」である以上、その姿は自由自在に变化させることが出来たとしても、おかしくはないだろう。 「お前に言われる筋合いはない。むしろお前の方こそ、『その姿』で『その言葉遣い』はどうかと思うぞ。作家なのであれば、その姿に見合った喋り口調なども考えるべきであろうが」 何を言っているのかよく分からない「神々の会話」を交わしつつ、マコトはポラリスに、ここに至るまでの事情を説明する。なお、この時点でラピスの東方の海は、明け方頃に比べて明らかに荒れ始めていた。まだそこまで本格的な高波が起きている訳ではないが、明らかにこの季節にしては不自然な荒れ方であり、何らかの混沌の作用である可能性が高そうに思える。マコトとしては、自分の「嫌な予感」が的中しつつあることを察していた。 「……ってぇことで、お前の創り出した作品が海の方にまで投影されて、この村に迷惑かけているようだから、対策を考えろや」 マコトは自分の作品の投影体の力を受け継いだ八犬士達の守ったこの村に、それなりに愛着が湧いているらしい。ポラリスをこの地から退散させれば海が収まるという可能性もあるが、もしポラリスが一つの「揮発剤」でしか無かったと仮定すると、ここで彼を追い出したところで、一度収束してしまった混沌核が自然消滅するとは考えにくい以上、ここはポラリスに解決策を求めるのが最も確実な対応であるように思えたのである。 一方で、マコトの推測通り、ポラリスの方も過去にこの村を訪れたことはあり、マコト以上に縁のある関係なのだが(その物語はいずれまた別の形で語られることになるかもしれない)、その割には「村の危機」と言われても、どこか他人事のような様子であった。それでも、マコトに強い口調で迫られたことで、あまり気乗りしない様子ながらも真剣に考え始める。 「そうだな。海ということであれば、その荒波にも耐えられそうな船を作り出しても良い訳だが……」 ポラリスはそう呟きながら、マコトの後方にいた「三人の女性(マライア・エルバ・キヨ)」を凝視する。そして一瞬、その「高貴な少年のような出で立ち」とは不似合いな下卑た笑みを浮かべた。 「よし、分かった。船を作ってやろう」 その視線に嫌な予感を感じたエルバは、思わず顔を引きつらせながら一歩下がる。 「おや? 船はいらんか? 魔法の渦巻でも沈まない程度の船を作り出すことも出来るのだが」 「魔法の渦巻」とは、元素魔法によって生み出される渦潮のことであろう。普通の船ならば一発でほぼ確実に沈めてしまう危険な魔法であり、船乗り達にとっての天敵である。当然、ノルド人の「フレドリク」もその脅威はよく分かっているからこそ、それにも耐えうる船が本当に作れるというのであれば、それは極めて強大な助けになるが、「強大な力」だからこそ、あえて「フレドリク」は、強い口調で確認する。 「まともな船なんだろうな?」 「あぁ、そこは信用していい。沈まれても困るしな」 「ならば、これをあなたに渡そう」 そう言って、「フレドリク」は夢巻物をポラリスに手渡すと、彼は懐かしそうな顔を浮かべながら受け取る。 「さて、それでは、久しぶりに一筆、仕上げてみることにしよう。一晩もあれば十分だ。明日の朝までには仕上げるから、それまでしばし待つが良い」 ポラリスにそう言われたルーク達は、ひとまず警護と監視の兵達をその場に残し、「フレドリク」とキヨには館の客室を与えた上で、この日は静かに床に就くことにした。そしてマライアは「フレドリク」から許可を得た上で、彼の武器にも強化の魔法を施したのであった。 3.4. 二艘の長船 翌朝。更に海が荒れ始める中、海岸にはポラリスによって作られた二艘の「長船」が用意されていた。見た目は木造船のような形状で、それぞれに漕手を含めて十人程度までしか乗れなさそうな小舟であり、そこまで頑丈そうには見えない。 「本当に大丈夫なのか?」 エルバが不安そうにそう呟くと、涼しい顔でポラリスは答える 「大丈夫だ。ちゃんと我が力を込めているし、そもそもこの船は、もともと『津波の絵』の一部だから、あの津波で沈むことはない。ただ、わしの描いた『別の絵』が『津波の絵』の中に混ざっている可能性もあるから、そちらの方は気をつける必要があるだろうな」 何を根拠にそう言えるのかは分からないが、ひとまず今はポラリスのその言い分を信じることにした。実際、昨日の時点で海ではしゃいでいた『馬』も、マコトの説明によれば、本来は「津波」とは別に描かれた絵である。なお、この時点で微妙にポラリスの「一人称」が変わっていることからも、「素の(人間だった頃の)自分」が少し出てしまっているらしいことに、マコトは気付いていた。 「あ、一艘は我の分だからな。お前達は残り一艘に乗って行くが良い」 そう言って、ポラリスは懐から紙と筆を取り出しつつ、片方の船に乗り込む。その様子を見て、エルバの脳裏には更に嫌な予感が過ぎった。 「そこで描いた絵が、また何かを引き起こすんじゃないだろうね」 「あぁ、これはただの紙だ。夢巻物ではない。これはただ、お前たちの艶すが……、あ、いや、戦う姿を描きたいだけだ」 そのやりとりを見ていたマコトは、ポラリスの思惑を概ね察する。 (この助平爺、さては、海の向こうに「何」がいるのか、察しがついてやがるな……) それと同時に、ポラリスがこの地に来た理由も分かったような気がした。この村の契約魔法師が絶世の美女であるという噂は、それなりに各地に知れ渡っていたのである。 とはいえ、事態の解決のためには彼の助力を得ることが一番確実だろうと割り切った上で、マコトはルーク達に改めて助言する。 「コイツの描いた絵が元になっている投影体なら、基本的には火に弱い筈。元は全て『紙』だからな」 為朝相手に「火」が有効だと判断したのも、そういう理由らしい。もっとも、その理屈が全ての「紙に描かれた世界から現れた投影体」に有効なのかどうかは分からないのだが、少なくとも昨日の戦いでは龍が相手の時にも炎熱系の攻撃が十分な痛手を与えていたことを考えると、一定の信憑性はありそうである。 その上で、ひとまず回復したラスティとマコトは万が一の事態に備えて村に残した上で、ルーク、マライア、エルバ、キヨが乗船し、「フレドリク」は「聖龍」に騎乗した状態で空中から援護することにした上で、その後方から「画材を構えたポラリス」を乗せた船が追従するという形で、彼等は荒波の海原へと乗り込んでいった。 3.5. 荒海の怪物 船が荒波の中心部へと近付くにつれて、当然のごとく揺れは激しくなる。だが、ポラリスの言っていた通り、どれほど激しく揺れても、なぜか沈む気配は一向に見せない。まるで「荒波の中で揺らされることを前提として設計された船」であるかのごとく、豪快にその船体を揺らしながら荒波の中心部へと近付いていく(下図)。 だが、そのあまりにも激しい揺れは、必然的に乗員達の三半規管を狂わせていく。特に船旅に慣れていないルークは、マライアから貰った酔い止めの魔法薬でどうにか平衡感覚を保つのがやっとの状態であった。 そんな苦境に喘ぎながらも、やがて彼等の目の前に、巨大な投影体が姿を現した。それは、明らかに禍々しい雰囲気を纏った「蛸」の怪物であった(下図)。 (ふむ、やはりな。おそらく、あの蛸の混沌核はこの津波の混沌核と融合している。いわばこの津波は、蛸の混沌核を中心に作られた一種の「魔境」のような空間……。さて、わしの創り出した蛸の触手による攻めを耐えきれるかな? 美しき魔星の前世達よ) ポラリスが内心でそう呟きながら、先行する船の三人の女性達に好機の視線を向けつつ、筆の準備を整えていると、その中の一人であるマライアは、マコトからの助言に従い、次々と皆の武器に炎熱の力を付与していく。 そしてフレドリクが空中から炎を纏った突撃をかけると、確かにその蛸の触手の一部が(海の上ということもあり、明らかにその体皮は湿っているにもかかわらず)激しく燃え上がる。その状況を確認した上で、ルークは船の後方から火矢を放ち、船の先端ではエルバが(船の揺れのせいか剣先が鈍ったが)リャナンシーの助力を得ながら炎の剣を二撃連続で命中させ、立て続けにキヨもまたルークの援護射撃を受けながら追い打ちの打突を加える。 その直後、蛸はその「ぬめった触手」で全員に向かって襲いかかるが、マライアからの魔法補助が功を奏した結果、全員がその攻撃をかわし、逆にエルバが日本刀を用いてその触手に深手を負わせる。 (なんじゃい、一人も捕らえられんのか。せっかくの美女達を目の前にして、なんと情けない……) 後方からポラリスがそんなことを思いながらため息をついている中、マライアは全員の身体能力を向上させる魔法をかけると、ルークが自分自身の星核を掲げながら、同船する皆の気持ちを込めて放った閃光のごとき一矢が蛸に直撃し、その巨体は一瞬にして消滅して混沌の残滓は海の藻屑となり、その中心に現れた混沌核をルークと「フレドリク」の聖印が浄化すると、辺り一面の荒波も収まっていく。 (やれやれ、せっかくここまでついてきたのに、完全に骨折り損じゃな。まぁ、梁山泊の第八席と第九席に邪魔されては、蛸一匹では太刀打ち出来んのも仕方あるまい) 内心でそう呟きながらポラリスが苦笑を浮かべる中、二艘の船はゆっくりとラピスの村へと寄港するのであった。 4.1. 去りゆく神々 「おそらくはあの蛸の混沌核が最大の元凶であっただろうから、それを倒した以上、もうこれ以上何かが出現することはないと思うが、我がここにいることによって、また何かが収束しても困るだろうから、そろそろ去ることにしよう」 寄港したポラリスはルーク達にそう告げつつ、「フレドリク」に夢巻物を返しながら、ふと問いかける。 「ところで、この夢巻物の『使い手』が現れたのだろう? 少なくとも、我はそれを感じたから、この地まで来たのだが」 どうやら、それがポラリスがラピスを訪問した最大の理由らしい(それはそれとして「マコトの推測」も一つの要因だったのかもしれないが)。なぜそのことをポラリスが感知出来たのかは不明だが「巻物の創造主だから」と言われてしまえば、それまでのことだろう。どうやらこの世界においても、「神格」とはその程度には人知を超えた存在らしい。 それに対して、「フレドリク」は少し迷いながらも、ぼかしつつ答える。 「『ここではないどこか』で会いました」 前日の時点ではもう少し強い口調で応対していた「フレドリク」であったが、彼の力を借りて事態を収集したことへの敬意からか、自分よりも格上の君主を相手にした時の口調でそう返す。 「そやつの絵が見てみたいのだが、どこに行けば良い?」 「今、彼自身に関していざこざが起きていて、彼の所に行っても会えないと思います」 実際、現在のレディオスの処遇は「保護観察処分中」である以上、ここでポラリスがパルテノに向かった場合、(本人に悪意が無くても)厄介な事態が引き起こされかねない。 「そうか。まぁいい。いずれ実力のある者同士は惹かれ合うものだ。どこかで出会うこともあろう。他に、誰か『変わった絵』を描く者に心当たりはあるか?」 ポラリスにそう言われた瞬間、ルーク達の中ではフィアールカのことが思い起こされるが、彼女が今、どこにいるのかも分からない。「変わった絵」を描く者という意味では、そのフィアールカの友人のパブロという青年もいたが、彼も彼で今の所在は不明である。 そんな中、エルバはここで「もう一人の絵描き」のことを思い出す。 「そういえば、猫の絵描きがいたね」 ティスホーンの武術大会で対戦し、その後、ルークの肖像画を描いていたTKG(トーマス・カリン・ガーフィールド)である(ブレトランド八犬伝4)。もっとも、彼に関しては「『変わった絵』を描く者」というよりは「変わった『絵を描く者』」と評すべきであろうが。 「猫? それはもしや、国吉のことか?」 それは、北斎と並ぶもう一人の(彼等の国における最初期の)「百八人の豪傑達の武者絵」を描いたことで知られる画家である。無類の猫好きとして知られており、数多くの猫の絵画も残していた。もし、彼が「(彼によって描かれた)猫の世界の神」として投影された場合、確かに「猫」の姿の神格として出現する可能性もあり得るだろう。 「クニヨシ? よく知らないけど、由緒正しい猫みたいなことは言ってたような」 「ほう? では、そやつも探してみるか」 そんな会話を交わしつつ、サバサバした様子でポラリスは「(ここまで一緒に連れてきていた)よく分からない犬」と共にラピスを後にする(その様子をキヨは名残惜しそうに眺めていた)。 一方、もう一人の「神」もまた、別の土地へと旅立つ準備を進めていた。彼はルークや「フレドリク」達から一通りの話を聞いた上でそれを書き留めると、満足した様子で笑顔を浮かべる。 「また一つ、面白い逸話が手に入った。あんたらが『百八の魔星』を集めるのを楽しみにしている。その時がきたら、きっと私はすぐにその気配を察知することが出来るだろう。なぜなら私ほど、『あの物語』を愛している者はいないだろうからな」 マコトはルーク達にそう告げると、何処へかと去っていった。この二人の「創造主」が再び揃って彼等の前に現れることがあるとすれば、それはおそらく「大毒龍との決戦」の時であろう。だが、それがいつの日になるのかは、まだ誰にも分からなかった。 4.2. 再会の予感 その後、「フレドリク」は改めてルークに案内された上で、村に残っていた書庫の資料を数日かけて目を通してみたが、「夢巻物」に関する記述も、「分離の魔法陣」に関する記述も見つからなかった。結果的に思わぬ形で「夢巻物」の正体を知ることにはなったものの、今の「彼等」の状況を克服するための手掛かりを手に入れることは出来ないまま、ひとまず「彼等」はこの村を去ることを決意する。 「今回は特殊な状況での訪問になってしまい、申し訳ない。だが、いずれ全てが一段落したら、今度はノルドからの正式な使者として、改めてラピスの村を訪れたいと思う。その時はまたよろしく頼む」 「また、いつでもご歓迎致します。こちらこそ、ラピスの問題に協力して解決して頂き、ありがとうございました」 ルークにそう言われた「フレドリク」は、次の手掛かりを探して、ひとまず南方へと向かうことにした。今のところは特に何のアテもないが、全く想定外の形でこの地で五人もの「星の前世」と出会えたことを思えば、とにかく今は各地をひたすら訪問し続けることで、何かの拍子に新たな出会いが舞い込んでくる可能性に賭けるしかない。そんな僅かな願いを胸に抱きつつ、「彼等」は再び旅立って行った。 一方、キヨはもうしばらくの間、この村に残ることにした。前回の10倍以上の人々を集めなければならない事態ということであれば、当然、10倍以上の規模の大災害が引き起こされることが想定される以上、今はこのブレトランドの地を離れる訳にもいかない。 そして、今はこの場にいない残り六人の「かつての仲間達」もその「108人」の一人なのかもしれないという予感は、キヨだけでなく、ルークも、マライアも、エルバも、ラスティも、皆が共有していたのだが、彼等にはその正否を確かめる術はない。ただ、いずれ来たるべき「時」が来れば、再び運命の糸が彼等を結びつけることになるだろう。かつてのラピスを救った時と同じように。 八つの光が揃うまで、未醒の星はあと三つ。夜空に希望が満ちるまで、未還の星は七十八。 【ブレトランド水滸伝】第7話(BS59)「天猛之壱〜対価と大過〜」 グランクレスト@Y武
https://w.atwiki.jp/ragadoon/pages/1110.html
第1話(BS53)「天魁之壱〜山の麓、水の滸〜」( 1 / 2 / 3 / 4 ) + 目次 1.1. 猫の導き 1.2. 英雄王と投影星 1.3. 聖印と星核 1.4. 湖北の遺跡 1.5. 連続殺人事件 1.6. 開拓者達 1.7. 黄金槍と魔女 2.1. 街への帰還 2.2. 最初の協力者 2.3. 闇の薬屋 2.4. 味の上塗り 2.5. 領主対談 3.1. 闇を狩る青年 3.2. 「鏡」の正体 3.3. 決意の相談 3.4. 再説明と再調査 3.5. 四星覚醒 3.6. 援軍と留守居役 3.7. 廃棄物の融合 4.1. 六番目の星 4.2. 錬成魔法師の独り言 4.3. 湖畔の砦 4.4. 再会の誓い 1.1. 猫の導き ヴァレフール南西部の街、テイタニア。かつて始祖君主(ファーストロード)レオンを支えたと言われる妖精女王の名を冠するこの街は、混沌濃度の高いボルフヴァルド大森林地帯の入口に位置しており、そこから時折出現する「魔物」と呼ばれる投影体達と戦う冒険者達で常に賑わっている。 この世界において魔物に対抗出来る存在と言えば、聖印(クレスト)を持つ「君主(ロード)」、混沌(カオス)を操る「魔法師(メイジ)」、邪紋(アート)をその身に刻む「邪紋使い(アーティスト)」といった超人的存在が代表格であるが、そのような特殊な力を持たない「一般冒険者」も、この世界には大勢存在している。彼等は龍や巨人といった大型投影体の前ではほぼ無力だが、小鬼(ゴブリン)程度の人間よりも小型の怪物が相手であれば、ある程度までは戦える。テイタニアのように混沌濃度が比較的高い地域においては、超人的存在だけでは人手が足りない以上、一般冒険者も十分な戦力となり得るのである。 そんなテイタニアの一般冒険者達の中に、ノエルという名の若者がいた(下図)。彼は混沌災害で親を失った後、自ら生きていくために剣を取り、今はこの地で冒険者の一人として、この地の住民や同業者達から一定の信頼を得ている。まだ18歳だが、生身の人間の剣士としては、既に一線級の実力の持ち主として知られていた。 ある日の夕方、そんな彼が森から街へと帰還しようとしていたところで、彼の前に一匹の「二足歩行で歩く三毛柄の猫のような生き物(下図)」が現れた。 「あー、もしもし、そこのあニャた」 唐突に語りかけたその猫(仮)に対し、ノエルはビクッと反応する。 「猫が喋った!?」 「おや、私のような存在に会うのは初めてですかニャ? ふーむ、ニャがねん冒険者として活躍しておられた方だと聞いておりましたから、てっきりケット・シーくらいは知っておられるのかと……」 「いや、初めてだ」 ノエルはそう答えつつ、初めて見る異形の存在に対して、好奇心で目を輝かせる。ケット・シーとは妖精界(ティル・ナ・ノーグ界)に住む猫のような姿の住人である。人間に対しては比較的友好的な者達が多く、冒険者達と混ざって魔物討伐に協力する者もいるが、ノエルのこの反応から察するに、どうやらテイタニア近辺では珍しい存在のようである。 「まぁ、私のことはいいですニャ」 猫(仮)はそう言いながら、一枚の地図を彼の前に提示する。それは、このテイタニアからは少し離れた、ブレトランド中部の新興国家グリースと、ブレトランドの北半分を支配するアントリアとの国境線の近辺の地図であった。 「あニャたに、くれニャいの山に来て欲しいですニャ」 「くれにゃいのやま?」 「そうですニャ」 独特のケット・シー訛り故にノエルは一瞬戸惑ったが、その猫(仮)の手(前足?)が指し示した先の地図を見ると、どうやらこの国境付近に存在する「紅の山」のことを言っているらしい、ということが分かる。 「この山の周囲には火山灰が霧のように立ち込めていて、道が分かりにくいですが、この山の麓のこの辺りに来て欲しいですニャ」 そういって山の近辺の一角を指差す猫(仮)に対して、ノエルは少々不思議そうな顔を浮かべつつ問いかける。 「それは、依頼の類いか?」 「んー、まぁ、依頼と言えば依頼かもしれニャいですニャ。ただ、その依頼主は、ニャんというんですかニャ……、あニャた自身があニャたに依頼しているようなものというか……、まぁ、来れば分かりますニャ」 何を言っているのか分からないが、だからこそ、この未知なる存在の言葉に対して、ノエルの中での冒険者としての血が騒ぎ始める。 「よし、じゃあ、行ってみよう。まぁ、報酬は……、実際に行ってみてから決めるか」 「報酬は、多分、あニャたが一番欲しがっているものが手に入りますニャ。より正確に言うニャら、あニャたに一番必要ニャもの、ですかニャ」 「必要なもの?」 「これから先のあニャたと、そして『この世界にとって必要ニャもの』が手に入りますニャ」 その思わせぶりな言い方から、この猫(仮)が何か自分自身に関する重要なことを知っているような、そんな予感がノエルの中で湧き上がり、彼の中での冒険者としての血が更に騒ぎ始める。彼のその様子を確認した上で、猫(仮)は彼の前からひとまず立ち去って行った。 1.2. 英雄王と投影星 数日後、ノエルは言われた通りに紅の山へと辿り着いていた。事前の忠告にあった通り、確かに山の近辺には霧が立ち込めていて、猫(仮)が指し示していた山の麓の辺りに来ても、自分の現在地すら把握するのは難しい。昼頃にこの地に到着してから、あてもない散策を続けていく中、いつしか陽が落ち、夜空に星が瞬き始めた頃、ようやく彼の前に再び猫(仮)が現れる。 「よく来て下さいましたニャ」 そう告げた上で、改めて猫(仮)はノエルに軽く会釈をしつつ、頭を下げる。 「申し遅れました。わたくし、トーマス・カリン・ガーフィールドと申しますニャ。略してTKGとお呼び下さいですニャ」 「T・K・G?」 あまりそのような形で人名を略す習慣はノエルにはない。ましてや、猫名の略称としては余計に違和感がある。ただ、「トーマス」という名前から察するに、どうやらこの猫(仮)は(三毛柄であるにもかかわらず)男性であるらしい。 「トムでもいいですニャ。ところで、聞こえますかニャ? あの方の声が」 TKG(もしくはトム)がそう告げると、ノエルの心の中に、聞いたことのない声が響き渡る。 《我が名はエルムンド。よくぞ来られた、我等が恩人、アマノサキガケノホシよ》 この時代のブレトランドにおいて「エルムンド」の名を知らぬ者はいない。それは400年前、この小大陸を支配していた混沌を祓い、ヴァレフール、トランガーヌ、アントリアの三国の基礎を築いた英雄王の名である。この小大陸の各地で発生していた数多の混沌災害を鎮めた後、最終的には大毒龍ヴァレフスとの戦いによって受けた毒が原因で命を落としたとされているが、その最期については諸説あり、明確な墓所も存在しない。とはいえ、400年前の英雄王が今の時代に生きている筈がない、と考えるのが常人の思考であろう。 だが、ノエルは冒険者である。常に混沌という名の非常識と向き合い続けて生きてきた彼は、未知なる存在に対して、あらゆる可能性を排除しない。そして今、この「心に直接語りかけてくる声」が尋常ならざる存在であることを本能的に感じ取った彼は、この声の主が「英雄王エルムンド」であるという事実を、驚くほどあっさりと受け入れた。おそらくそれは、この「心の声」から発せられる圧倒的な存在感を本能的に感じ取ったからであろう。 しかし、そこまでは事実として受け入れられたノエルであっても、その後の言葉に対しては、さすがに困惑せざるを得なかった。 (エルムンド様……、人違いでは?) ノエルは心の中でそう答える。これまでの彼の18年間の人生の中で「アマノサキガケノホシ」などと呼ばれたことは一度もない。それが何を意味しているのかも分からないし、それが仮に「夜空に浮かぶ星の一つの名前」だとしても、そのような名前の星を聞いたこともない(もっとも、星の呼び方は地方によっても様々であり、時代によっても多様なため、おそらく400年前と今とではそもそも認識が一致しないだろう)。 《理解出来なくても仕方がないが、貴殿がいなければ、400年前に我等は大毒龍を倒すことが出来なかった。故に、貴殿は恩人である》 (恩人?) 《知らないのも無理はない。何故ならば、貴殿はまだ『あの時の貴殿』にはなっていないのだから》 その言葉の意味もよく分からずにノエルの中での困惑は更に深まっていたが、その「エルムンド」を名乗る声はそのまま語り続ける。 《この世界では、混沌の作用によって、様々な異世界の存在が『投影体』として出現することがある。そのことは知っておろう》 (もちろんです) 《貴殿は知らなかったようだが、この猫もその投影体の一人だ》 (はい、そうらしいですね) あの後、ケット・シーという存在については、冒険者仲間に聞いて確認したらしい。 《その異世界の一つに星界(Starry界)と呼ばれる世界がある。それは、様々な世界における英雄達の魂が、死後に流れ着く世界であると言われている。たとえるならば……、オルガノンという存在を知っているか?》 (はい、聞いたことはあります) 《オルガノンは、何処かの異界から『ヴェリア界』なる世界を経由して、この世界に『人』の姿で出現する。それと同じように、星界に辿り着いた英雄達の魂は『星』となって様々な世界の夜を照らすことになる。そこがどのような世界なのか、誰が英雄として選ばれるのか、詳しいことは私にも分からない》 (……なかなか、想像するのが難しい世界ですね) 《あぁ。とはいえ、それぞれの世界には、それぞれの理(ことわり)が存在する。星界とこの世界では『時』の概念も異なる。故に、この世界の住人を『前世』とする星が、その前世がこの世界に生を受けるよりも前の時代にこの世界に投影されていたとしても、不思議な話ではない》 不思議な話ではない、と言われても、そもそもこの話の前提自体が、普通の人々には全く理解出来ない程度には「不思議な話」であろう。だが、これまで冒険者として様々な「不思議な現象」と関わり続けてきたノエルには「そのようなこともあり得るのかもしれない」と思えた。そもそも「400年前の英雄王エルムンドが語りかけている」という突拍子もない現状を受け入れた時点で、大抵の「不思議な話」を受け入れる覚悟は彼の中で備わっていたのだろう。 《そして、貴殿はこの世界の夜を照らす星の一つである『天の魁の星』の前世なのだ》 つまり、ノエルが死んだ後、彼が「英雄」として「星界」に転生し、それが混沌の作用によってこの世界に「星」として投影された、ということらしい。ノエルはその星の名を聞いたことがないが、どうやらこのエルムンドの言い方から察するに、その星はノエル自身がこの世界に生まれるよりも前の時代、おそらくはエルムンド達が生きていた時代には、もう既にこの世界に投影されていた星のようである。 唐突すぎる話にノエルが更に困惑しつつ、思わず夜空の星々を見上げると、それまで見たことがない不思議な輝きを纏った一つの星が目に留まる。そして次の瞬間、ノエルの脳内に、今度は「別の声」が語りかけてきた。 《聞こえますか? 我が前世たる若人よ》 その声にもノエルは聞き覚えがない。しかし、なぜか不思議な心の振動が彼の脳裏に響き渡ってくるのを感じ取ったノエルは、その声の主が「その星」であることを察した。 (聞こえますが……、あなたは?) 《私には前世の記憶はありません。しかし、確かにあなたが私の前世であることは分かります。なぜならば、あなたは私なのですから》 つまり、その星こそが、エルムンドが言うところの「天魁星(アマノサキガケノホシ)」であるらしい。 (俺の側から分からない、というのが歯痒いところではありますが……) ノエルは心の中でそう答えつつも、確かにその「声」からは、先刻までのエルムンドの声からは感じられなかった「不思議な共鳴感」が伝わってきた。それが何なのかがノエルには明確に認識出来ない状態のまま、その「星の声」は語り続ける。 《このブレトランドにおいて400年前にエルムンド達が戦った大毒龍の存在は知っていますね》 (はい) 《あの大毒龍も、元々は『何処かの世界に存在していた禍々しい存在』が、何らかの力で『我々と同じ星界』に死後転生した存在だったのです》 「大毒龍ヴァレフス」という「巨大で邪悪な投影体」の存在自体は、エルムンドと同様、このブレトランドに住む者達であれば誰でも知っている。そして当然、それが「投影体」であるならば、必ずどこかの異世界にその「本体」は存在している筈である。だが、これまでノエルはその本体がどこの異世界に存在するのか、などと考えたことはなかった。そもそも、殆どの人々にとって、それは「考えたところで分かる筈のないこと」である以上、普通はそこまで考えようという気にはならないものである。 《あの大毒龍は、星界における様々な星々を消し去り、星界を危機に陥れました。しかし、最終的には私と、私の仲間の百七の星々の力によって倒されることになりました。ですが、その大毒龍がこの世界にも「投影体」として出現することになったのです。我々百八の星々の前世はいずれもこの世界の住人だったので、もしかしたらそれは、我等への怨恨を晴らすためだったのかもしれません》 投影体がアトラタン世界に出現する原因については、未だに解明されていない。何処かの異世界に存在する「本体」の意思が作用しているかどうかも不明だが、そのような仮説も可能性としてあり得ない話ではないだろう。 《大毒龍が最初に出現したのは、極大混沌期のアトラタン大陸東部のシャーン地方です。破壊と殺戮の衝動のみに基づいて暴走する大毒龍の存在は、この世界の人々にとっても脅威でした。そんな大毒龍と同時に、我等百八星もまた、前世の故郷であるこの世界に『星』として投影されたのですが、我等はあくまで『夜空を照らす星』としての投影体であったため、私達自身では大毒龍を止めることは出来ませんでした》 「星」として投影された存在が、この世界においてどのような力を持ちうるのか、ということは、星ならざる存在であるノエルには分からない。そもそも「星界に存在する本体」と「アトラタン世界に存在する投影体」の何が違うのかも、おそらくは星達自身以外には分からないだろう(「ヴェリア界におけるオルガノン本体」と「アトラタン世界におけるオルガノンの投影体」の 違いが誰にも理解出来ないのと同様に)。 《その状況に我々が歯痒い思いをしていた中、その我々の想いに応えるかのように、『この世界とも星界とも異なる世界』に転生した『我々百八星の分身体』とでも呼ぶべき者達が「人」の姿でこの世界に投影されました。それはおそらく、我々が無意識のうちに引き起こした『召喚術』の一種だったのでしょう》 星界ともアトラタン世界とも異なる世界における「転生」の仕組みがどうなっているのかは天魁星自身にもよく分かっていない。ただ、その時に現れた「百八人の投影体」の証言によると、 どうやら彼等は、彼等自身の出身世界(地球)とは異なる「天界」と呼ばれる世界を追放された 星々の転生体であり、その「天界を追放された星々」の名は、天魁星を初めとする「星界から投影された百八星」と一致していたという(なお、この百八人の一人であった「天魁星の転生体」は「宋江」という名であったらしい)。 この証言から推察するに、おそらく「アトラタン世界のノエル」が死後に「星界の天魁星」として転生した後、そこから(何らかの経緯を経て)「天界」へと(「天魁星」の名のまま)再転生した後に、そこからまた異なる世界(地球)へと追放され、その世界内で「人」として(累計三度目の)転生を果たすことになった、ということらしい(「星界の天魁星」と「天界および地球の天魁星」の関係が同一存在なのか転生体なのかは不明だが、宋江達の証言によると、彼等の前世は「天界を荒らす魔星」であったと言われていたことから、「おそらく我々自身とは異なる人格へと再転生したのだろう」というのが、百八星の共通見解であった)。 《つまり、彼等は私達から見れば『来々世』、あなたから見れば『来々々世』に相当する存在、ということになります。そして、この世界に出現した彼等は我々と心を通わせ、我々の力を彼等に付与することによって、「この世界に最初に出現した大毒龍」を倒すことに成功しました》 この「シャーン地方に出現した大毒龍」および「それを倒した百八人の投影体」については、現地の記録にも殆ど残っていない。極大混沌期には世界各地で様々な巨大投影体達が跳梁跋扈していたと言われており、それを倒した英雄達の物語も各地に存在しているが、当然、語り継がれずに消えていった英雄譚も数多く存在する。「世界の危機」が日常茶飯事のように発生していた時代の出来事である以上、それもやむなき話であろう。 《それから千数百年の年月が流れた後、今度はこのブレトランドの地に、再び大毒龍が出現しようとする気配を感じました。ですが、1000年以上も「投影星」としてこの世界に存在し続けた我々には、以前のように自らの力で異界の分身体を呼び出す力は残されておらず、百八星のうちの百星は、既にこの世界から消え去ろうとするほどに力を失い、残りの八星にも僅かな力しか残されていませんでした》 長年この世界に存在し続けた投影体には、確かに「老い」や「衰え」が発生することもある(発生しない個体もいる)。一般的には数千年程度で「星」の寿命が尽きるということは考えにくいが、「投影星」としての彼等は通常の星とは根本的に構造が異なる可能性もあるだろう。あるいは、極大混沌期の時点での大毒龍との戦いで力を消耗していたことが影響したのかもしれないし、単純に極大混沌期に比べて世界全体の混沌濃度が弱まったことが主因なのかもしれない。 また、百八星の中での「ほぼ全ての力を失いかけていた百星」と「僅かながらも力を残していた八星」の差がどこで発生したのかも不明である。最初の出現時からの個体差だったのか、極大混沌期に消耗した力の差なのか、もしくは千数百年の間に起きた何らかの要因が理由なのかは分からない。いずれにせよ、後者の八星ですら、この時点では極大混沌期のような特殊な召喚術は使えなくなっていたらしい。 《まだかろうじて力を残していた残りの我々八星は、当時のブレトランドを浄化しようとしていた、後に『英雄王』と呼ばれることになるエルムンドを始めとする八人の君主達に、我等の残された力を『星核(スターコア)』として与えました。これは、星として投影された我等の力の結晶体のようなものであり、大毒龍にとっては天敵となる『特殊な輝き』が込められています。極大混沌期に出現した大毒龍を倒すことが出来たのも、この世界に現れた『もう一人の我等』が、この星核を自力で作り出すことが出来たからこそ、でした》 この「八星の星核を与えられた八人」が伝説の「英雄王エルムンドと七人の騎士」であろうことはノエルにも容易に想像がつく。ただ、このブレトランド各地に伝わるエルムンド達のどの逸話集にも「星核」などという言葉は登場しないし、他の地域にもそのような力を用いる者達の伝承は残されていない。おそらく、それはこの星々にしか作り出すことの出来ない「聖印とも混沌核とも異なる特殊な力」だからこそ、一般名詞として定着しなかったのだろう。 《その後、我々の想定せぬところから大毒龍は出現することになり、エルムンド以外の七人はその聖印を混沌核に書き換えられてしまったのですが、星核による加護の力と、主君であるエルムンドとの心の繋がりによって、彼等はかろうじて『人』としての意識を保ったまま、大毒龍と戦い続けました。そして最終的には、彼等の仲間であった一人の魔法師の隕石魔法によって、我等八星以外の百の星々そのものを圧縮直撃させつつ、八人の星核を同時に叩き込むことで、どうにか大毒龍を再び消し去ることに成功したのです》 おそらくはそれが「英雄王エルムンドの叙事詩」の最後の一節である「エルムンドと大毒龍ヴァレフスの戦い」なのだろう。だが、少なくともノエルが知っている叙事詩には「七騎士の聖印が混沌核に書き換わった」などというくだりは存在しないし(この点に関する真相はブレトランドの英霊7を参照)、隕石魔法によって決着したという話も伝わってはいない。あまりに唐突かつ荒唐無稽なその説明にノエルは困惑するが、本当の意味での衝撃は、それに続いて「天魁星」から告げられた言葉であった。 1.3. 聖印と星核 《そして今、「第三の大毒龍」がこの世界に出現しようとしています》 何を根拠にそう言っているのかは分からない。だが、ノエルにはその言葉が疑うべくもない真実に思えた。大毒龍が投影体である以上、確かに何度でもこの世界に再投影される可能性はあり得るし、実際に二度に渡ってこの世界に出現したという話が真実であるならば、「三度目」の出現を否定出来る根拠もない。ましてや、二度目の出現時の直前に星々がそのことを予見していたのであれば、今回のこの憶測にも十分に説得力はあるだろう。 《しかし、百八星のうちの百星は400年前の戦いでの隕石魔法によって既にこの世界から完全に消滅し、残った我々八星も400年前に自分達の星核を消失したことによって、かつてのような力はもう残っていません。もはや普通の人々には存在すら視認出来ないほどに力は衰えています》 実際、ノエルもこの地に来るまで、「その星」の存在を視認出来ていなかった。それが今見えているのは、この領域に漂う何らかの特殊な力の賜物であろう。 《しかし、今のこの時代には、私の前世である『あなた』がいる。そして、他の百七星の前世も、この世界のどこかに存在している。あなたが18年前に生を受けた時点で、私はそのことをおぼろげながらに思い出したのです。私には前世の記憶はほぼ残っていませんが、そのことだけは確信を持って言えます。あなた方に内在する力を用いれば、再び『星核』を作り出すことは可能な筈。それぞれの聖印、魔法、邪紋、そして混沌核の力を用いれば、それぞれの『来世の姿』としての『星核』をこの世界の中で作り出すことで、大毒龍を倒すことが出来る筈……》 ここまでの話を聞いたところで、ノエルはようやく、自分に何が求められているのかを理解し始める。だが、その大前提となる「条件」をノエルは満たしていない。そのことについてノエルが言及しようとしたところで、先に「星」の方から彼にこう告げた。 《……ですが、今のあなたには、星核を作り出すための聖印がない。そこで、その力を得てもらうために、この地に来て頂いたのです。かつて400年前に私と共に戦ったエルムンドから、力を受け取ってもらうために》 「天魁星」がそう言い終えると同時に、ノエルの目の前に、霧の中からうっすらと一人の男性の姿が現れた。その顔までは確認出来ないが、その身に纏われた圧倒的なオーラから、それが「英雄王エルムンド」であることは直感的に理解出来る。彼はゆっくりとその口を開き、そして今度は明確に耳に聞こえてくる「音の波動としての声」でノエルに語りかけてくる。 「私には既に聖印は無い。そして、この身も既に満身創痍だが、最後の力を用いて再び聖印を作り出し、そして貴殿に授けよう」 英雄王のその言葉に対して、ノエルは思わずたじろぐ。 「それって……」 自分がその聖印を受け取れば、英雄王エルムンドの命が失われる、ということを意味しているようにノエルには思えた。そんな彼の心境を慮ってか、エルムンドは静かな口調で話を続ける。 「私はもう、本来ならば生きているべきではない存在だ。400年前に命を落とそうとした時、仲間の『魔法師』が私を無理矢理生き永らえさせようとして、私の中の『時』を強引に止め、この地に私の存在を封印した。だが、今のこの状況を思えば、彼女の判断は正しかったのかもしれないな。貴殿にこの聖印を渡すために、今まで生き続けていたのだとしたら……」 そう言いながら、エルムンドはノエルの目の前で「聖印」を作り出し始める。彼はもともと400年前に自力で聖印を作り出した君主であった。その聖印は三人の子供達へと分け与えられたが、聖印を作り出す能力自体は失われていなかったのである。 「彼女はそれでも『このやり方』に最後まで反対した。だが、おそらくこれが最も確実な方法だ。私の中に残っている『星核を具現化させた時の記憶』も込めて、この聖印を授けよう」 エルムンドは聖印を掲げ、ノエルの前に差し出す。 「さぁ、受け取るがいい」 「しかし、これを受け取ってしまったら、エルムンド様は……」 「どちらにしても、私の身体は既に限界に達している。これを受け渡すには、私の体が朽ちる前に、貴殿が受け取るしかない」 聖印を受け渡す前に持ち主が死ねば、聖印は混沌核へと変わる。聖印を持つ者であれば、その混沌核を自身の聖印で浄化吸収することは出来るが、もともと聖印を持っていないノエルがこの力を受け取るには、今この瞬間しかないのである。 そう言われたノエルは一旦俯きつつも、顔を上げて答える。 「……分かりました」 ノエルがそう言って自らの左手を差し出すと、彼の心身の内側に特殊な力が注ぎ込まれ、そしてその左手に光り輝く聖印が浮かび上がる。それと同時に、聖印を失ったエルムンドの身体が急速に朽ち始めた。魔法によって止められていた時間が、一気に解き放たれたのである。 「頼んだぞ、アマノサキガケノホシよ……」 その言葉を最後に、エルムンドの身体は崩れ落ち、その場には白骨だけが残った。自分に力を託したことで「伝説の英雄王」が消失するという、にわかには信じがたい現実を目の当たりにしてノエルが茫然自失となっているところへ、再び「星の声」が聞こえてくる。 《あなたの聖印に語りかけて下さい。あなたの望む未来を。そのために必要な力が、『星核』として、あなたの前に出現する筈です》 聖印や戦旗(フラッグ)は持ち主である君主の「志」を反映すると言われている。今まで聖印すら手にしたことのなかったノエルには想像も出来ないが、おそらくは星核もまたそれらと同じような存在なのだろう。 唐突に与えられた強大な力を左手に感じ取りながら、ノエルは心の奥底で「自分の望む未来の世界」を思い描く。今のこの時点において彼の中での最も望むべき世界、それは「もう二度と大毒龍が現れない世界」であった。 それを最も確実に実現する方法は皇帝聖印(グランクレスト)の形成であろうが、それは今までに幾多の君主達が目指しながらも辿り着けなかった未踏の境地であり、他にも方法があるのかもしれないが、いずれにしても具体的な道筋はノエルには見えない。だが、たとえ明確な解決策が今は分からなくても、最終的には必ず自分自身の手で大毒龍との戦いを終わらせるという彼のその決意は、英雄王から引き継いだばかりの左手の聖印に強く共鳴し、そして彼の目の前に「光り輝く何か」が現れる。それは、先刻から語りかけてきた「夜空の星」と同じような不思議な光を放つ、小さな光源体であった。どうやら、これが「星核」らしい。 《この『星核』は、大毒龍を倒す際に必ず必要となります。それ以外の時でも、いざという時にあなたのお役に立つことは出来るでしょう。聖印と同じように、あなたが望む時、いつでもこの星核はあなたの前に具現化されます》 その説明を受けたノエルが、改めてその「目の前の星核」と「空に浮かぶ天魁星」の輝きを見比べようとして夜空を見上げた時、それまで見たことのない「天魁星とよく似た特殊な輝きを放つ七つの星」が視界に入る。 《今、あなたの瞳に映っている『それまで見えなかった星々』は『私以外の現存する七つの投影星』です。彼等もまた、世界のどこかに存在する自身の『前世』を探しています。『彼等』にその声が届けば、あなたと同じように星核を自力で作り出すことが出来るようになるでしょう》 その「七つの星の前世」がどこにいるのかは、天魁星も確認は出来ていない。ただ、投影星同士の間では意思疎通が可能であるため、「彼等」がその力に目覚めれば、星々の繋がりを通じて簡単な情報伝達は可能になるらしい。 《残りの百星に関しては、今の時点ではこの世界から消失しています。しかし、あなたや他の 七人が、自身の『星核』の力を『百星の前世の者達』に注ぎ込めば、星核を作り出す力も彼等に伝授され、それと同時に『星』としても再びこの世界に投影される筈です》 どういう原理でそうなるのかは、天魁星自身も分かっていない。だが、彼にそうだと言われたからには、ノエルとしてもその言葉を信じてみるしかないだろう。問題は、その「百星の前世の者達」をいかにして探し出すかである。 《私の星核を宿している今のあなたであれば、『星の前世の者達』があなたの目の前で何らかの『力』を使ってくれれば、感じ取れる筈です》 彼が言うところの「力」とは、おそらく「聖印」や「魔法」や「邪紋」の力のことであろう。それに加えて、百八人の中には「投影体」が加わっていた可能性もあるという。その辺りの詳しい記憶は、残念ながら転生した過程で失われてしまったため、確かなことは分からないらしい。ただ、「英雄」として転生していることを考えると、「ただの一般人」である可能性は薄そうではある(先刻までのノエルのように、まだ現時点でその力を手に入れていない者はいるのかもしれないが)。 そしてもう一つの問題は「いつ、どこに大毒龍が再投影されるのか」ということであるが、その点についても天魁星の中ではまだ明確な答えは出せていないらしい。ただ、時期についてはまだ不明確ではあるものの、場所については、おおよその目測は立っているという。 《次に大毒龍が出現するのは、おそらく400年前に出現した際の残滓が残っているパルトーク湖だと思われます。あくまでも私の本能的な感覚に基づく予見なので、確実ではありませんが》 パルトーク湖とは、ボルフヴァルド大森林の入口付近に位置する湖であり、テイタニアからも程近い距離にある(「クリサリス湖」という別名で呼ばれることもある)。確かに以前から混沌濃度が高い地域として有名であり、一年ほど前には「大毒龍ヴァレフスが復活する」という噂が広がった土地でもあった(その顛末についてはブレトランドの英霊6を参照)。 《あの湖の北部に、かつての城塞都市オーハイネの跡地があります。あの地には我々が与えた加護がまだ断片的に残存しているため、大毒龍を迎え撃つための拠点としては最適でしょう》 「オーハイネ」という都市の名は、少なくともノエルは聞いたことがない。ただ、ちょうどノエルが紅の山に向けて出立しようとしていた頃、「湖の北岸に遺跡のようなものが発見された」という噂が冒険者達の間では広がっていた。もしかしたら、それこそが400年前のオーハイネの残骸なのかもしれない。 《あなたはもともとパルトーク湖の近くにいたのですよね? 現地の領主と面識はありますか?》 「はい、あります」 現在のテイタニアの領主であるユーフィーは、もともと先代領主の次女(第四子)であったが故に領主候補とは見なされず、自由奔放に育てられたため、若い頃から下町に頻繁に顔を出し、領主となった今でも冒険者達の店で手品を披露しているような人物である(詳細はブレトランドの英霊6を参照)。当然、ノエルを初めとする町の冒険者の面々とは一通り顔見知りであった。 《ならば、彼女が『我々の前世の一人』であろうが無かろうが、彼女には話を通しておいた方が良いでしょう》 「分かりました。どちらにしても、湖の近辺に砦を作るということであれば、彼女の許可を頂かなければならないですからね」 《はい。ただし、この情報はあまり多くの人々には知らせないで下さい。過去二回の出現から分かったことですが、あの大毒龍は『この世界の人々の恐怖心』を力の源としています。大毒龍復活の噂が広がれば、多くの一般の人々は間違いなく恐怖に怯えることでしょう。特にこのブレトランドの人々は『大毒龍ヴァレフス』という存在に対して、本能的な恐怖を覚えている筈。ですから、このことについては、信頼出来る人達、より正確に言うなら『あなたならば絶対にこの世界を救える』と心から信じてくれる人達以外には、伝えないようにして下さい》 天魁星にそう言われたノエルは、その忠告の意図は理解しつつも、現実問題としてそれがかなりの難題であることを実感する。少なくとも、つい先刻までただの「一般冒険者」に過ぎなかった自分をそこまで信頼しれくれる人が果たしてどれほどいるのか、と考えると、あまり見通しが明るいとは思えない。とはいえ、どちらにしても自分一人で解決出来る問題ではない以上、これから少しずつ信頼を勝ち取り、仲間や協力者を増やしていくしかないだろう。 彼がそんな決意を固めたところで、天魁星は最後にこう告げた。 《あなたには、この先に無限の未来が広がっています。私はその中の『一つの未来』の末に転生した姿に過ぎません。『あなた』は確かに『私の前世』ですが、『あなたの来世』が『私』であるとは限りません。あなたがこれから選び得る無数の選択肢の中の一つの姿でしかないのです。ですから、これから先のあなたの築く未来に私がいるかどうかは分かりません》 つまり、ノエルが「英雄」として星界へと転生するほどの存在となる未来が保証されている訳ではない、ということである。ノエルはその言葉の意味を受け止めつつ、ひとまず星核と聖印の具現化を解いたところで、それまでずっと黙っていたTKGが口を開いた。 「では、私はこれから、エルムンド様の御遺骨を霊廟へとお届けしますニャ。少ニャくとも『ご主人様』が帰ってくるまでは、私には霊廟をお守りする義務がありますニャ」 TKGはそう言うと、ノエルの前に広がっていた英雄王の遺骨と共に、ノエルの前から姿を消した。彼が言うところの「ご主人様」とは誰のことなのか、ノエルには分からない。だが、今は分からないことをあれこれと考えている場合ではない、ということだけは分かっていた。 ノエルは聖印が宿った左手を右手の甲で包みながら、英雄王の遺志を受け継いだことの重さを改めて強く実感しつつ、まずはテイタニアへと帰還するために、夜空に浮かぶ八つの星の輝きを確認しながら、一歩ずつ静かに歩み始めるのであった。 1.4. 湖北の遺跡 その頃、テイタニアの領主ユーフィー・リルクロート(下図)は、まさにその天魁星が語っていた「パルトーク湖の北岸」を訪れていた。数日前にノエルが紅の山へと向かった直後、この地に発見された「古代の城塞都市」の遺跡の調査のために、考古学者達を中心とする調査隊の指揮官として、自ら赴くことになったのである。 この湖の近辺の森林地帯は極めて混沌濃度が高い地域として有名なのだが、なぜかこの遺跡の近辺は他に比べて混沌濃度が微妙に低く、魔物の出現率も低い。その原因の解明が今回の調査隊の主要な任務の一つなのだが、随行した考古学者達の中でも最も若い一人であるアルバート・ラッセルという青年は、その調査の過程で、とある「違和感」に気付いていた。 「どうもこの遺跡……、遺跡自体はかなり古い筈なんだけど……、最近になって誰かが足を踏み入れたような形跡がある……」 独り言のようにそう呟いた彼に対して、近くにいたユーフィーが問いかけた。 「確かに、この辺りまで熟練の冒険者なら来ないこともないと思うけど、そういう冒険者の人達とは違うのかい?」 「いや、なんだろうな……、足を踏み入れた痕跡を魔法か何かで隠蔽しているような、そんな違和感があるんだ」 彼は魔法師ではないが、魔法や混沌(あるいは聖印)によって自然律が崩されているかどうかについては、(その正体までは特定できないものの)直観的にある程度まで読み取ることが出来るらしい。 数百年前に作られたと思しきこの城塞都市の跡地には、明らかにその当時に施された何らかの特殊な力が働いており、それがこの地の「混沌濃度の低さ」に影響している、というのが調査隊の見解である。その点については彼も異論はないのだが、それとはまた別の力が、その上から覆いかぶさるように掛けられているように彼には思えた。しかも、それは一介の冒険者程度ではなく、もっと強大な力を持った何者かが、ここで何かを為した上で、それをあえて何事も無かったことかのように元に戻したような、そんな違和感が感じられていたのである。 だが、その「何か」の具体像がアルバートの中でも今ひとつ明確に描けなかったため、その違和感の根拠が上手く伝えられない、そんな状態であった。 ****** 今回の調査隊では考古学者達の護衛のために多くのテイタニアの守備兵や冒険者の面々が動員されたが、そんな中で例外的に、首都ドラグボロゥから派遣された一人の女性がいた。彼女の名はカーラ。護国卿トオヤの側近を務める、大剣のオルガノンである(下図)。 彼女は多忙なトオヤの名代として、ヴァレフール各地に派遣されることが多い身なのだが、今回彼女が抜擢されたのは、このパルトーク湖に眠る「湖の魔物」の血縁者として、何か分かることがあるかもしれない、という判断によるものである(詳細はブレトランド風雲録3を参照)。 そして実際、その予感は的中することになった。調査団の護衛として、ユーフィーと共に遺跡の近辺を巡回していた彼女の心の中に、現在は東宝界(エステルシャッツ界)の巨大黒蜥蜴の姿となっている祖母(元来はエルムンドの七騎士の一人にして妻)マルカートの声が聞こえてきたのである。 《不吉な気配がします……。例えようのないほど不安な『何か』を感じます……。今、この地下で私が戦っている、私の周囲の混沌自体にはそれほど大きな違いはない。しかし、私は確かに『二つの不吉な気配』を感じるのです。『とてつもなく大きな不吉な気配』と『それほどまでには至らない程度の不吉な気配』が……》 なんとも中途半端な言い回しの表現であるが、カーラは直感的に、これがどちらも「ただ事ではない気配」であろうことを察した。 (……それって、比較対象がおかしいだけですよね?) 《そうですね……。一つが『世界が滅びかねない気配』だとすれば、もう一つは『国が滅びる程度の気配』です。今、その『二つ目の気配』の方が、湖の表層で広がりつつあるような……》 400年間地下で混沌と戦い続けた祖母からしてみれば、「国が滅びる程度の気配」は日常茶飯事なのかもしれないが、カーラにしてみれば、それだけでも一大事である。しかも、それすらも軽く凌駕するほどの気配と言われると、もはや完全に想像の域を超えている。 苦悶の表情を抑えながら、こめかみを抑えるカーラに対して、その様子に気付いたユーフィーが心配そうに声をかける。 「どうしました? カーラさん」 「いえ、あの、えーっと……」 カーラは、今の時点でユーフィーの近くに誰もいない(さっきまで近くにいたアルバートが、いつの間にか離れていた)のを確認した上で、小声で説明する。 「マルカート様から、また知らせがありまして。『世界が滅びかねないほどの悪しき気配』と『国が滅びそうなほどの悪しき気配』が近付いているそうです。その『規模の小さい方』が、湖の表層に近づいているとのことなのですが……」 唐突すぎる報告にユーフィーも一瞬困惑するが、落ち着いて状況を整理する。 「それは、マルカートさんが戦っている『ヴァレフスの欠片』がこちらに迫って来ている、という訳ではないですよね?」 「はい、地下の混沌とは異なるようですが……、少し気をつけた方が良いかとボクは思います」 「そうですね。ここはブレトランドでも有数の大魔境、何が投影されたとしても不思議はありませんから」 湖の底に眠る魔獣が心に呼びかけて来たという報告自体、常人には信じがたい話である。だが、ユーフィーもまた、かつてマルカートと夢の中で交信した経験を持つ身であるため、その話は極めて信憑性の高い情報に思えた。とはいえ、この時点では彼女も、その「危機」の具体的な実像についてまでは推し測る術を持たなかった。 ****** ユーフィーによる公募に応じて今回の調査隊に参加した冒険者達の中に、アンジェという邪紋使いがいる。彼は数年前に「不死」の邪紋の力に目覚めた青年だが、どういう経緯でその力を得たのかは覚えていない。ただ、その力に目覚めた時、彼は土の中にいた。どうやら、死んだと思われて埋葬(あるいは投棄)されていた状態から邪紋の力に目覚めたらしいのだが、その前後の記憶がすっぽり抜けている。 その後、諸々の経緯を経てテイタニアへと流れ着き、そこで出会ったユーフィーに対して、一人の青年として「個人的に特別な感情」を抱き、少しでも彼女の近くにいたい、彼女の役に立ちたいと考え、そのままテイタニアの冒険者として居着くに至った。そんな彼が、今回の調査隊護衛の依頼に応じるのは当然の話であろう。 不死の邪紋使い達の中には(伝説の女傭兵ストレーガのように)数百年以上の時を生きてきた者達もいるが、彼は年齢的には(記憶が抜けていた時期があるため、どこまで正確かは不明だが)まだ21歳であり、また力に目覚めた経緯を覚えていないということもあって、性格的には一般人に近い、どちらかと言えば引っ込み思案な気性である(故にストレーガと縁深いカーラにしてみれば、彼のような存在はやや珍しく思えた)。 そんなアンジェが湖の滸に立ち、水面の状況を確認していたところ、彼は湖の水質に微妙な違和感を感じ取る。それは、かつてアンジェ自身がどこかで感じたことがあるかのような「正体不明の嫌な気配」を漂わせていた。 「なんだろう、この気配は……?」 アンジェが思わずそう呟くと、いつの間にか彼の近くに来ていた考古学者のアルバートが問いかける。 「何かあったのかい?」 「あ、いえ、なんでもないんですが……、とりあえず、アルバートさんはどこかに行かないで下さいね」 アルバートは、その場の思いつきでフラフラと歩き回る癖がある上に、方向感覚が極めて怪しいということでこれまでも何度も行方不明となった前科のある人物らしい。 「いやいや、こんな面白い調査対象を放っぽり出して、どこかに行ったりなんてしないよ」 「……一応、隣村の魔法師さんから、あなたの動向には気をつけて下さい、と言われたので」 アンジェが言うところの「隣村」とは、最近になって復興を果たしたヴィルマ村である。テイタニアとは繋がりが深く、互いに領主や契約魔法師が相手の村に足を運ぶことも多い。アルバートはつい先日までヴィルマ村方面での調査に従事していたため、ヴィルマ村の面々からは今回の調査隊に対して、様々な形での「忠告」が届けられていたようである。 (とりあえず、ユーフィーさんには話した方がいいよな……) アンジェはそう呟きつつ、懐から「注射器」を取り出す。彼は他人の血を得ることによって邪紋の力を活性化させる能力の持ち主であるが、見ず知らずの相手を襲って無理矢理吸血することが 出来るような性分ではなかったため、冒険者仲間から(本人の合意を得た上で)定期的に血を分けてもらっている。本来はそのための道具である注射器を用いて、ひとまず湖の中で「特に嫌な気配がする水域の水」を吸引しておくことにした。 ****** こうして湖北地域の調査活動が進展する中、この調査隊の実質的な副官を務めていたテイタニアの武官アレス(下図)は、ひとまずユーフィーにこう進言する。 「この辺り一帯の状況に関しては概ね把握しましたが、本格的な調査には、もう少し日数がかかるでしょう。ですので、領主様は一旦街に戻られた方がよろしいかと」 「そうですね。あまり長く街を空けるわけにもいきませんし」 ユーフィーはそう答えたところで、近くにいたアンジェが、何か言いたそうな顔をしていることに気付く。 「そちらは何か見つけました?」 「憧れの人」に話しかけられたアンジェは、緊張してシドロモドロな様相のまま答える。 「えっと、そ、それなんですけど、先程、湖の水を眺めていたんですけど、なんとなく嫌な気配がするというか、心なしか水質も変わっているような、気が、しな、くも、ないです!」 「水ですか?」 そう言われたユーフィーが水を眺めると、確かに、微妙に混沌濃度が低いこの遺跡の内部に比べて、湖の中の方が混沌濃度が明らかに高い気がする。水の底に確かに巨大な混沌核が存在することは知ってはいるが、それが原因なのかどうかは分からない。アルバートが言っていたように、何か別の誰かがこの地で何かを為したことが原因という可能性もあるだろう。 少し不安そうな表情を浮かべるユーフィーに対して、アレスが改めて提案する。 「そういうことならば、学者先生達だけを残しておくのは危険なので、私の隊はここで彼等の護衛として残ることにしましょうか?」 「では、それでお願いします。ただ、あまり無茶はしないように。あとは一応、この辺りの水を少し持って行きましょうか。インディゴなら何か分かるかもしれませんし」 ユーフィーがそう言ったところで、アンジェは注射器を取り出す。 「それなら、ここにあります」 アンジェが湖水を封入した注射器をユーフィーに手渡すと、その手際の良さにユーフィーは素直に感心する。 「ありがとうございます、アンジェさん」 微笑みを浮かべながらユーフィーがそう言うと、アンジェは彼女のその笑顔が眩しくて、思わず目をそらす。 「どうしました?」 「あ、いえ、なんでもないです」 そんなやりとりを交わしている傍らで、カーラは直に湖の中に手を入れてみる。すると、確かに混沌濃度の高さは感じるが、あくまでもそれは最近になって高まりつつある混沌のように思えた。 「定着して長い混沌、ということは無さそうですね」 カーラはユーフィーにそう告げる。少なくとも、400年近く熟成された混沌であるカーラとは、明らかに混沌としての年季が異なる。 「ということは、魔境にありがちな、新たな投影体でしょうか?」 「今のところはそう想定しておけばいいと思います。とりあえず、街に戻ったら、インディゴさんに頼んで、チシャお嬢にも話を伝えておいてもらいたいのですが、よろしいですか?」 「構いませんよ。どちらにしてもドラグボロゥへの連絡は必要ですし」 そんな会話を交わしつつ、ユーフィーの中では色々と「嫌な予感」がよぎる。つい半月ほど前に遭遇した「特殊な事件」の名残という可能性も、この時点での彼女の中では想定されていた(詳細は「ブレトランド開拓期」 5話 ・ 6話 を参照)。 1.5. 連続殺人事件 一方、テイタニアでユーフィーの留守居役を担当していた彼女の契約魔法師のインディゴ・クレセント(下図)は、現在、想定外の事件の対応に追われていた。 それは、テイタニアの街中にて、毎晩のように冒険者の者達が次々と殺害される、という事件である。殺された者達の大半は邪紋使いで、彼等の死体からはその邪紋が浄化されたような痕があり、聖印の力による傷を受けた思われる痕跡も見えることから、おそらくは「君主」によって殺された可能性が高い。 ただ、死体の形状から類推する限り、それぞれの死因は明らかに異なる。斬り傷、火傷、打撲痕など、それぞれに多様な武器や能力で襲われた痕跡があることから、当初は複数人による犯行である可能性が高いとされてきたが、インディゴがより詳細に調べてみた結果、どうやら彼等にとって最終的に致命傷となったと推測される「それぞれの最大の傷跡」は、いずれも「被害者自身の武器(もしくは戦闘法)」による傷跡のように見える。しかし、実際には遺された彼等の武器には、一切血糊はついてない。 (もしかして、相手の戦法を真似る能力者か? しかし、聖印の力を持つ者の中に、そのような者がいつのだろうか?) 邪紋使いや投影体ならば、確かにそのような類いの者もいるだろう。だが、君主の戦闘法としては聞いたことがない。可能性があるとすれば、自力で武器を作り出すことが出来る聖印の持ち主くらいであろうか(なお、彼の契約相手であるユーフィーも最近その技術を習得したが、彼女が作り出せるのは基本的には片手棍のみであり、複数種類の武器を作り出せる君主は少ない)。 そしてもう一つ、インディゴにとっては気になる情報があった。どの死体の近くにも「見覚えのある薬瓶」の破片が転がっていたのである。それはかつて、魔獣騒動の時に「謎の薬売り」によってインディゴ達に提供された「エーラム製ではない薬瓶」と明らかに同じ代物であった。 あの時の薬売りは、インディゴの同僚である地球人の文官ハーミアの(地球時代の)知人らしい。彼女は現在、とある用件でテイタニアを離れているため、彼女を通じて確認することは難しいが、おそらく彼が闇魔法師組織パンドラの一員であるということはインディゴも察しがついている。果たして、パンドラがこの件にどのような形で関わっているのか、今の時点では様々な可能性が考えられるが、全て憶測の域を出ない、そんな状態であった。 インディゴが街角の調査を続けながらそんな思案を巡らせているところで、唐突に一人の青年が声をかけてきた。 「あれ? あなた、もしかして、静動魔法師のインディゴさんですか?」 その声の聞こえてきた方向に目を向けると、そこには二人の若い男性の姿があった。一人は、やや身なりの良い服を着た、おそらくユーフィーと同世代くらいと思しき金髪の青年。もう一人は、彼よりも少し若そうな、髪の毛の部分をすっぽりと覆うようなニット帽をかぶった少年であり、その腰元には「小さな筒」が差されていた。 声の主は金髪の青年の方である。そしてインディゴは、彼の顔にかすかに見覚えがあった。インディゴの記憶が間違っていなければ、おそらく彼の名はシャルル・コンドルセ。エーラムの魔法大学時代に出会った、アロンヌの貴族家の三男坊である。当時のシャルルはまだ子供だったため、一目で確証出来るほどではないが、確かに面影が感じられた。 「お久しぶりです。覚えていて下さるかは分かりませんが、昔、ちょっとお世話になったというか、色々とご迷惑をかけした者でして……」 申し訳なさそうに頭を下げるその青年の語り口から、インディゴは確かに彼がシャルルであると確信した。彼はあくまでも一貴族としてエーラムで一般教養を学ぶために留学していた身でありながら、全く才能がないにも関わらず、なぜか静動魔法師になりたいと言って譲らず、何度も大学に押しかけて来た風変わりな少年であった。当時、そんな彼を追い返す役目を毎回押し付けられていたのが、インディゴだったのである。 「あぁ、覚えているよ。それに、君があの時の君だとすれば、このテイタニアに来ている理由も分かる気はする」 当時のシャルルは、何度も門前払いされ続けた結果、最終的にはエーラムで活動していた大道芸人達から手品を学んだ上で、インディゴ達の目の前で「物体浮遊」の技を見せることで「自分には静動魔法師の資質がある」と言い張って入門を認めさせようとするほど、異様なまでの執念を見せていた(当然、それで教員達が騙される筈もなかったのだが)。何が彼をそこまでさせたのかはインディゴには分からなかったが、やがて彼は静動魔法師への道を諦めた後、今度は手品や大道芸の世界へと没頭していったという噂をインディゴは聞いたことがある。 「えぇ。ここの領主のユーフィー様の評判を聞き及んで、ぜひともお会いしたいと思い、足を運ばせて頂きました」 ユーフィーが「住民達の前で手品を披露する趣味を持つ、変わり者の領主」であることは、今ではそれなりに有名な話となりつつある。おそらくは彼も、その噂を聞いて駆けつけたのだろう。インディゴがそんな予想を思い描いている中、シャルルは小声で話を続けた。 「実は、あまり大きな声では言えないのですが……、私は今、聖印を持っています。実家とはもう縁を切っていて、ただの流浪の身なのですが、私はこの聖印を使って、幻影師(イリュージョニスト)になりたいと考えているのです」 「幻影師」などという言葉は、この世界ではあまり一般的ではない。インディゴは彼が何を言いたいのかよく分からないまま、首を捻る。 「聖印を使って?」 「はい。私の聖印は『聖弾』と呼ばれる光の弾丸を打ち出すことが出来るのですが……、インディゴ様は、大陸の極東地方に伝わる『花火』という文化をご存知でしょうか?」 「聞いたことはあるが……」 それは、今はもうほぼ失われた「夜空に火薬で花のような絵を描く芸術」である。混沌爆発(カオティック・バン)以前の時代の極東地方では盛んであったとも言われているが、今のこの世界では火薬の扱いは非常に難しいため、現在ではもう継承者も殆どいない幻の技術である。 「その技術を応用して、『聖弾で夜空に絵を描く』という技法を私は研究しているのですが……、聖印をそのようなことに使うことに、実家を初めとする多くの方々に怒られまして……」 それはそれで当然の話であろう。この世界において聖印は「人々を守るための力」であると同時に「権威の象徴」でもある、という認識が一般的であるが故に神聖視されやすく、その使い方に関しては人それぞれに様々な美学がある。おそらくは「見世物の道具」として聖印を用いることに違和感を感じる人も多いだろうし、それが聖印そのものへの冒涜だと考える人も決して少なくはないだろう。 「しかし、この地のユーフィー様であればご理解頂けるかと思って、この村にお邪魔させて頂いているのですが、どうやら私が到着する直前に、湖の調査へと向かわれてしまわれたそうで……」 ユーフィーが湖へと向かったのは7日ほど前である。つまり、それくらい前から彼はこの地に来ていたらしい。ひとまずはユーフィーの代役として、インディゴは個人的見解を語る。 「この世界の聖印は、人々に希望を与えるためのものである以上、そのような形で人々を楽しませることに使うということも、悪くはないのかもしれないな」 少なくともユーフィーは、シャルルのような手法を批判することはないだろうと思いつつ、インディゴはそう呟く。だが、今のシャルルが「聖印の持ち主」であることを知った時点で、インディゴの中には一つの「嫌な可能性」が頭をよぎっていた。テイタニアには冒険者は多いが、聖印を持つ者は少ない。そして、彼等がこの地に到着した時期は、連続殺人事件が起き始めた時期とも一致する。インディゴは「その可能性」について考慮しながら、シャルルの反応を伺いつつ、語りかける。 「それはそれとして、君の言いたいことは分かったが、この辺りでは物騒なことも起きているから、気をつけるように」 「確かに、そうらしいですね。正直、私は聖印を戦いに使う方法がよく分かっていないので、そんな危険な人と遭遇したらまずいなと思ってて、だから、なるべく夜道は出歩かないように、夜は早く寝ることにしてます」 そう答えたシャルルには、特に動揺した様子もない。何かを隠しているようにも見えない。しかし、彼の隣にいたニット帽の少年が、微妙にピクッと反応したような気がする。インディゴがそんな彼を改めて注視するような視線を向けたのに対し、シャルルが割って入るように語り始めた。 「あ、彼はミロワールと言いまして、私の助手のようなものです。詳しくはまたユーフィー様がいらっしゃった時にお話ししますが、彼の力が私の幻影(イリュージョン)には必要なんです」 シャルルがそう言うと、そのニット帽の少年はやや怯えたような上目遣いでインディゴを見つめながら、黙って頷く。インディゴは、今の時点で彼等を問い詰めるのは早計だと判断したのか、ひとまず話を打ち切ることにした。 「領主様がどういう反応を示すかは分かりませんが、とりあえず、領主様が戻って来れば、いつでもお会いする機会は作れるでしょう」 そう告げて、インディゴはひとまずその場を立ち去ることにした。 ****** その後、インディゴは一旦執務室へと戻った上で、改めて今回の事件の犯人の目的を探ろうと考え、(本業ではないが最近習得した)時空魔法を用いて、それに関する手掛かりとなりうるような言葉を探し求める。すると、以下の言葉が浮かび上がった。 「衝動」「復讐」「パンドラ」「痕跡」「錬成魔法」 これだけでは犯人を特定するには至らないし、あの二人がそれに関係しているかどうかも分からない。ただ、「パンドラ」が絡んでいるという時点で、それなりに根深い問題であろうことは予想出来る。なお、隣村には「パンドラへの復讐に燃える領主」が存在するのだが(しかも、彼は過去にも度々このテイタニアに、領地経営の参考のために来訪したことがあるのだが)、今のこの時点で、インディゴの中では「その可能性」が考慮されていたかどうかは定かではない。 1.6. 開拓者達 ※本節の登場人物達の詳細についてはブレトランド another内の「ブレトランド開拓期」シリーズを参照。 その「パンドラへの復讐に燃える領主」の名は、グラン・マイアー(下図)。テイタニアの南に位置するヴィルマ村の領主である。彼は元来は大陸中北部地方の出身であったが、幼い頃に二度に渡って故郷をパンドラによって破壊された後、自力で聖印を作り出し、傭兵稼業などを経て、半年程前からこの村の領主に就任した(ブレトランドと魔法都市2)。先日、仇敵であったパンドラの闇魔法師は彼自身の手で討ち果たしたが、その過程で彼はパンドラ以外にも今のこの世界の秩序を壊そうとする者達がいることを知り、改めて君主としてこの世界における「パンドラを初めとする悪しき存在」と戦い続けることを決意していた。 そんな彼が治めるヴィルマ村の冒険者達の間で、ここ最近「エーラムの認可を得ていない違法な魔法薬」が出回っているらしい、という情報が彼の耳に届いた。今のところ、その効能はエーラムの正規品と比べても特に遜色はなく、人体に悪影響を及ぼす薬ではないようだが、その薬を作っているのはパンドラではないか、という噂もある。 グランはまず、村内で活動する冒険者達の溜まり場となっている酒場の店主レグザから、その魔法薬の「空き瓶」を二つ入手する。レグザ曰く、この薬瓶を扱っていたのは地球人の投影体の男性で、日頃は主にテイタニアで活動しているらしい。 その上で、次にグランは自身の契約魔法師であるアスリィ・エテーネ(下図)の執務室へと向かう。彼女は常盤の生命魔法師であり、元来はハルーシアの貴族家出身で、無自覚のまま魔法の力に目覚めた自然魔法師だったが、諸々の経緯を経てヴィルマ村へと辿り着き、そしてグランの契約魔法師となった人物である。 「アスリィ、仕事しているところ悪いが」 「あ、はい。何ですか? グランさん。ちょうど今、ヴィルマ村の首都との街道の建設計画を考えていたんですが……」 このヴィルマ村は、過去に一度、混沌由来の伝染病で滅びた後、グランを中心に復興された村である。その過程で、途絶えていた周辺地域との間での街道も整備されつつあるが、村の発展に向けての円滑な交通手段の確保のためにも、首都と直通の街道を築き上げることは、短期的にも長期的にも望ましい構想として考えられていた。 「それに関しては、後々の話だから、そこまで急がなくてもいいかな。とりあえずアスリィ、いきなりで悪いんだが、ヴェルナさんに魔法杖で連絡を取ってくれないかな?」 「はい、いいですよ」 彼女は即答して魔法杖に念を込める。ヴェルナは現在のヴァレフール伯爵レア・インサルンドの契約魔法師であり、グランとは、彼女が現職に就く契機となったエーラムでのお披露目会の頃からの知人である。 「はい、お疲れ様です。こちらドラグボロゥのヴェルナ・クァドラントです」 「ヴィルマ村のアスリィ・エテーネです。なんか、グランさんがヴェルナさんにお話ししたいことがあるそうなので」 アスリィはそう言って、グランに魔法杖を渡す。 「お久しぶりです。一つ確認したいんですけど、ドラグボロゥで回復薬の偽物が出回っているという話を聞いたことはありますか?」 「報告件数は多くないですが、無くは無いですね。ただ、ドラグボロゥに限った話ではないと思いますよ」 ヴェルナは現職に就く前にブレトランド各地に実地研修で赴任していた経験があるため、人脈も広く、様々な地域の事情に詳しい。それ故に、これまでも「出所不明の怪しげな物品」に関する情報は何度か耳にしていた。 「実は最近、ヴィルマ村でそれが出回る数が増えているようで……」 「それを流通させている者がいる、ということでしょうか?」 「はい。一応、空き瓶を受け取っておきましたので、それを調べてもらいたいと思いまして。これを届けた上で、解析して頂けないでしょうか?」 中身が無くても、空き瓶の形状や、そこに残っているかもしれない混沌の残り香などから、何かが分かる可能性はあるとグランは考えていた。 「分かりました。そういうことでしたら、持ってきて頂ければ確認します」 「では、よろしくお願いします」 そういって通話が切れたところで、今度はこの部屋の扉を激しく叩く音が聞こえる。グランはそのけたたましさから、扉の向こうにいる人物が誰なのか、すぐに察しがついた。 「これは、アレックスか? 入れ」 グランがそう言うと、彼の予想通り、そこにいたのはこの村の武官の一人である邪紋使いのアレックスであった(下図の右側の青年。左側は彼の幼馴染の少女と相方の獅子)。彼は元々この村の出身だが、伝染病が蔓延した時点では村を離れていたために難を逃れ、その後、グラン達と共に村の復興に尽力し、現在もグランの側近として村を支えている重臣の一人である。 この日の彼の右手には、皿に盛られた輪状の菓子が乗せられていた。グランは露骨に不快そうな顔で問いかける。 「なんだ、それは?」 「いや、あの、ドーナツです」 そう言ってアレックスは皿を差し出そうとするが、二人はすぐに目線をそらす。 「食わんぞ」 「お帰り下さい」 アレックスは(炎の元素を操る邪紋使いであるためか)極度の辛党である。何を食べる際にも大量の香辛料を振り掛けるため、彼の味付けは通常の人間には耐えられない。故にこのドーナツも、決して普通のドーナツでは無いと彼等は判断したのだろう。 「いや、これは皆で作ったものなんだけど……」 実際、アレックスは自分の味覚が他人と異なることは(ある程度は)自覚しているため、今回のこの「差し入れのドーナツ」に「自分用の味付け」を施すことは自粛していたのだが、それでも過去に様々な前科があるため、この村で彼が提供する食物に対しては、誰もが無条件に警戒してしまう。 アレックスは不本意な表情を浮かべつつ、唐突に今の自分の心境を語り始める。 「それはそれとして、ちょっと最近不調というか、何かこう、刺激がないというか……」 今ひとつ要領を得ない言い回しのアレックスに対して、アスリィはやや苛立ったような口調で問い質す。 「何が言いたいんですか? 端的に言って下さい」 「あの……、何か食べに出かけてもいい?」 どうやら彼は「食べ歩きの旅」に出たいらしい。 「それに関しては、別に申請してくれれば何の問題もないが」 グランがそう答えると、アスリィがそこに補足説明を加える。 「休暇届とか出してくれれば、有給とかもありますよ」 「あるの? この村に、有給?」 「ナメないで下さい! 契約魔法師はこのアスリィさんですよ! 福利はしっかりしてます!」 それがハルーシア流なのか、あるいは彼女が旅先で学んだ異世界流の経営方針なのかは定かではないが、グランはそのアスリィの方針を受け入れていた。彼は上司として、アレックスに方針を確認する。 「ちゃんと休みとか欲しいんだったら、言ってくれればいい。とりあえず、何日くらいだ?」 「お許し頂けるなら、一週間か、それくらい」 「それくらいなら、いいだろう。大規模な開拓はひと段落して、今は特に人手が必要な訳でもないしな」 「ちなみに、もし何か用事があれば、お使いくらいは頼まれますけど」 どうやら、アレックスとしては、特にどこに行くかも決めていなかったらしい。それを聞いたグランは、二つの空瓶のうちの片方をアレックスに差し出す。 「じゃあ、こいつをちょっとドラグボロゥのヴェルナさんに届けておいてくれ」 「なんですか、これ?」 「大事なものだ」 「え? でも、これ、空瓶ですよね?」 「中身は入っていないが、大事な証拠の品なんだ。ヴェルナさんに渡せば分かる」 そう言いながら、グランはその場でヴェルナへの書状を即席で書き記し、薬と同時にアレックスに手渡す。 「ちなみに、何かお土産で欲しいものはあります? たとえば食べ物とか……」 「いらない」 「あ、そういうのいいです」 グランとアスリィはそう言って一蹴する。よほど彼の味覚は信用出来ないらしい。 「そうなんですか? ヴェルナさんは、よく来客の人達にお土産としてお菓子をくれるらしいですけど……」 「お前が食べてくれればいいよ」 グランはこの提案に対しても、あっさりと即答する。グランは甘党だが(既にこの時点でアレックスとは不倶戴天の関係なのだが)、ヴェルナの作るお菓子に関しては(過去の様々な前科から)甘い辛い以前に「口に含んで良いものではない」というのが彼の認識であった。 「え? そういうのって、皆で食べるものでは?」 キョトンとした顔でそう呟くアレックスに対して、アスリィは答えながら彼を強引に部屋の外へと押し出していく。 「大丈夫です。お気遣いなく。Have a nice holiday!」 ハルーシア出身のアスリィに(あえて?)ブレトランド訛りでそう告げられた上で、アレックスはよく分からないまま執務室から追い出されたのであった。 その上で、グランは改めてアスリィに事情を説明する。 「で、この空き瓶はエーラムが作っている回復薬の偽物なんだが……」 「それは初耳ですね」 「あぁ、今初めて言ったからな。で、これを流通させてる奴がテイタニアにいるらしい。ということで、明日、調査に行くぞ」 「OKでーす!」 こうして、グランとアスリィはテイタニアに、アレックスはドラグボロゥに、それぞれ向かうことになるのであった。 1.7. 黄金槍と魔女 ヴァレフール南西部の両村でそんなやりとりが交わされていた頃、同国内で対角線上に位置する北東部の長城線(ロング・ウォール)の中核に位置する城塞都市オディールの領主ロートスの契約魔法師であるオルガ・ダンチヒ(下図)は、時空魔法師としての本能から、この街に迫り来る「嫌な気配」を感じ取っていた。 すぐさま「予見」の魔法を用いてその気配の正体について解析した結果、どうやらそれは、ロートスと弟達が保持している「巨大な魔物を封印する三本の黄金槍」に関する凶兆であろうという推測に達し、彼女はすぐさまロートスから保管庫の鍵を受け取り、その安否を確認しようとする。だが、彼女が保管庫に辿り着いた時、そこには見覚えのない奇妙な装束の少女(下図)がいた。 「さすがは長城線を預かる魔法師だけのことはある。いい勘をしているな」 少女はそう呟きながら黄金槍に手を掛けつつ、オルガに向かって言い放つ。 「申し訳ないが、これ以上、ここにこの槍を眠らせておく訳にはいかなくなった」 「それは我が君主のものだ。勝手に持ち出すようなら……」 オルガが険しい表情でそう言いかけたところで、遮るように少女は再び口を開く。 「魔法師として模範的な回答だ。だが、すまないが、今はこうするしか無いのだ」 少女がそう言い終えると同時に、彼女が手にしていた黄金槍もろとも彼女の姿がオルガの視界から消える。突然のことに困惑したオルガが周囲の気配を探ろうとしたところで、どこからともなくその少女の声が聞こえる。 「私の名はマリア……、いや、そうだな、今回はあえて『マリア・クレセント』と名乗っておこう。テイタニアに私の後輩がいる。奴にお主と同じくらいの直観力と洞察力があれば、いずれ事態に気付くかもしれない。というより、私の勘が間違っていなければ、おそらく、貴殿も奴も……」 そこまで言いかけたところで、一瞬間を開けて、再び語り始める。 「……まぁ、いい。ひとまず、この槍は借りておく。何か聞きたいことがあれば、テイタニアの我が後輩にでも話を聞くことだ」 少女は一方的にそう告げた上で、そのまま気配が完全に消える。オルガはすぐさま入口の衛兵達に周囲の捜索を命じ、オーロラとジゼルにも急使を飛ばして状況を確認させつつ、ロートスにこの状況を報告した上で、言われた通りに「テイタニア在住の『クレセント家の魔法師』」であるインディゴへの魔法杖通信を試みることにした。 「オルガさん? どう言った御用件で?」 殺人事件の調査を続けていたインディゴが、通信に気付いて魔法杖経由でそう問いかけると、オルガがそれに対して厳しい口調で問いかけた。 「まず、マリアという女に心当たりは?」 その名前自体はブレトランドではありふれた女性名である。しかし、インディゴに対して、わざわざ遠方からあえて「その名の女性」の話をするために魔法杖通信まで使ってきた、という時点で、彼の中では即座に「最悪の可能性」が思い浮かぶ。 「あぁ、えーっと……」 「……あるんだな?」 「最近、こちらでは出没していないのですが、その名前が出てくるということは……、こちらとしては『御愁傷様です』としか言いようがないのですが……」 インディゴとしては、今の時点ではそう答えるしかない。当然、その返答で相手が納得するとは思えなかったが、オルガはその返答を聞いた上で、やや口調を和らげる。 「では、今回の件にテイタニアは絡んでいないということでよろしいですか?」 「今回の件と言われても、こちらとしては心当たりはないのですが……、関係ないとは言い切れません」 マリアが何を考えた上で、何をやってのけたのか、今のインディゴにはさっぱり分からないが、彼女の行動原理の背後にテイタニアの何らかの事情が絡んでいる可能性は否定出来ない。ましてや今、ユーフィーが不在の状況である以上、ここ数日の間に彼女がユーフィーと接触している可能性もあり得るだろう。 (どうやら彼は本当に知らないらしいな) インディゴの発言からそう判断したオルガは、かいつまんで状況を説明する。さすがに黄金槍の正体を教える訳にもいかなかったので、その点に関しては「ロートス様が大切に保管していた魔法具」という説明でごまかしたが、このような形で緊急連絡をかけてきたことからも、それがオディールにおいて相当重要な物品であろうことはインディゴにも推測がつく。 「その上で、聞きたいことがあればテイタニアの後輩に聞けと言われたので、貴殿のことだろうと判断して連絡したのですが」 「おそらく『それ』が言っていることの真意はそれで間違いはないのでしょうが、『分かりません』としか言いようがないです。ただ、いずれこちらに対しても、何らかの行動があるのだろうと覚悟はしておきます」 インディゴのその発言を確認した上で、ひとまずオルガは通信を終わらせた。インディゴはマリアの正体は知らない。ただ、相当に厄介な存在であるということは、これまでの経緯で概ね察している。それが現在の彼の捜査中の連続殺人事件と関係しているのかは不明だが、いずれにせよ、何かとてつもなく大きな波乱が巻き起ころうとしていることは、彼の中でもうっすらと実感し始めていた。 2.1. 街への帰還 紅の山での一件から数日後、ノエルが無事にテイタニアへと帰還した。これからどうやって百七人もの仲間を探せば良いのか、ノエルには皆目見当もつかないが、まずは湖の北岸に砦を建設するための許可と協力を、この地の領主であるユーフィーに相談しなければならない。ユーフィーは気さくに冒険者の酒場に顔を出すような性格なので、直接会って相談することはそれほど難しくはないが、どうすれば話を信用してもらえるか、その手順を考えるのも容易ではない。 とはいえ、ひとまずは冒険者仲間の面々に挨拶をしようと、行きつけの酒場に足を踏み入れると、彼の姿を発見した冒険者達の方から、早速声をかけてきた。 「おぅ、ノエル! お前、最近見なかったけど、どこ行ってたんだよ?」 「あ、あぁ、えーっと、その……」 ノエルとしては、何から説明すれば良いのか戸惑う。少なくとも大毒龍復活の件については「なるべく内密に」と言われている以上、少なくとも不特定多数の人々が集うこの場で口にして良い話ではない。 「ユーフィー様の調査隊にも、入ってなかったよな?」 別の冒険者はそう問いかけたが、そもそも湖北の調査隊はノエルが旅立った後に公募がかけられていたため、ノエルはその調査計画自体を知らない。ノエルは微妙に逡巡しつつも、とりあえずは「話せるところ」までは正直に伝えることにした。 「ちょっとした依頼で、紅の山に行って来てな」 唐突に意外な地名が出されたことで、冒険者仲間達は一様に困惑しつつ、次々とノエルに対して質問攻めを始める。 「紅の山って、あのグリースの方の? あんなところに一体何が? 」 「しかも、一度入ったら出られなくなるとかいう噂のある所だよな?」 「そういえば、前に美人のエルフに魅了されて行方不明になる連中もいたとか言ってたっけ」 「もしかして、お前も、美人のエルフを探しに行ったのか?」 そんな仲間達に対して、ノエルは苦笑しながら答える。 「そこまで好色家じゃねーよ。いや、ちょっと困ったことがあってな。もちろん、美人のエルフに籠絡された訳じゃないんだが、その代わりに、妙なものを貰っちまってな」 彼はそう言いつつ、左手から聖印を出現させる。その輝きを目の当たりにした冒険者達は驚愕の顔を浮かべながら、再び矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。 「お、お前、それって……」 「どういうことだ? 誰に貰ったんだ? それ?」 「もしかして、グリースに仕官したのか?」 仲間達からのそんな当然の反応に対して、ノエルはどう答えるべきか迷いつつも、あえて率直にこう言い切った。 「いや、そういう訳じゃない。こいつはな、エルムンド様に貰ったんだ」 おそらく、この言葉を額面通りに受け取る者はいない、と考えたのだろう。案の定、冒険者仲間達は首をかしげる。おそらく、何かの隠喩としてそう言っているのだろうと、この場にいる者達の大半は考えていた。 「それって、どういうことだよ?」 「つまり、あれか? どこかの王家の血筋の人からってことか?」 エルムンドの聖印は三王家に分かれ、そこから更に多くの従属聖印を生み出している。その意味で、ブレトランドの君主達の中には、元を辿ればエルムンドの聖印に辿り着く者は多い(なお、グリース子爵ゲオルグはエルムンドの血筋ではなく、その聖印も別系統である)。 「まぁ、そう思っておいてくれよ」 ひとまずそう言ってごまかしたノエルであったが、その上でもう一つ、仲間達からの疑問が投げかけられる。 「で、それは誰かの従属聖印って訳ではないのか?」 「そういうことになるな」 これまで聖印を持ったことがないノエルには確信はないが、聖印を渡したエルムンドが消滅している以上、そうとしか解釈の仕様がない。 「しかも、お前のそれ、結構な大きさじゃないか?」 別の冒険者がそう言うと、他の者達も一様に頷く。実際、ノエルの聖印は、この地の領主であるユーフィーが有しているような男爵級聖印とまではいかないまでも、駆け出しの騎士や騎士見習いが与えられる程度の聖印ではない。そのような聖印を、貴族でも武官でもないノエルが突然手に入れて帰ってきたとなれば、当然のごとく彼の周囲の人だかりは次々と増え続けていくことになる。 そこへ、ちょうど帰って来たユーフィー率いる調査隊がテイタニアへと帰還した。彼等は冒険者の酒場の前に集まっている人だかりに驚く。 「何かあったのかな?」 ユーフィーがそう呟きながら酒場の中に入ると、その人だかりの中心にノエルがいることに気付く。 「あれ? ノエルくん? 久しぶり。どうしたの?」 ユーフィーの中でノエルは「テイタニアでも有数の、評判の良い冒険者青年」である。彼女の家臣達の中では、ノエルに聖印を与えて従属騎士として取り立てても良いのではないか、という声が上がる程度には、親密かつ友好な関係であった。 「あ、ユーフィー様、あなたに相談したいことがありまして……」 「どうしたの? この人だかり」 「少し、こいつらと相談しようと思っていたのですが、思ったより騒ぎが大きくなってしまって……。その、これなんですが……」 そう言って、彼は改めて聖印をユーフィー達の前に掲げる。 「あ、聖印だ!」 ユーフィーよりも前にそう反応したのは、アンジェであった。彼もまたテイタニアの冒険者仲間として、ノエルとは昔から顔馴染みであり、彼と同様に調査隊に参加していた冒険者の面々も、その聖印の輝きに思わず見とれる。 一方、そんな彼等の後方からその光を目の当たりにしたカーラは、他の者達には感じられない 特殊なオーラを感じ取っていた。 (この輝きは……、父様に連なる聖印? いや、もしかして、もっと……) 彼女の中で様々な可能性が湧き上がってくる中、ユーフィーが率直に問いかける。 「誰に会ってきて、どこでもらったんだい? そんなものを」 「……紅の山で、エルムンド様にもらいました」 「紅の山?」 「いや、信じてもらえないのは無理もないと思います。こんな突拍子もない話。だからこそ、どう話すべきか迷っていたのですが……」 ノエルが説明に窮しながらそう語る様子を目の当たりにしたユーフィーは、何らかの「特殊ないわくつきの聖印」なのであろうことは察する。 「そうだね、どちらにせよ、それだけの聖印を手に入れたのなら、君はいくつも取りうる選択肢はあると思う。そのためにも、まずは話をさせてほしい」 「はい、ここで話すのは何ですので……」 「うん。場所は用意する。後で領主館に来てよ」 「分かりました」 そんな二人のやりとりを、アンジェは羨ましそうに眺めていた。 (いいなぁ、ユーフィー様の館へお呼ばれかぁ……) 一方、カーラはこの状況に頭を悩ませていた。カーラには、ノエルの発言が「突拍子もないこと」には思えなかったからこそ、堂々とそのことを語ったノエルに対して、なおさら困惑させられていたのである。 「そうかぁ、エルムンド様かぁ……」 カーラはボソッとそう呟くが、その言葉の重みは周囲の殆どの者達には理解出来ない。皆がそれぞれにノエルのその聖印に対して、自分の中での様々な仮説を立てつつ、様々に盛り上がっていた訳だが、当然、彼等の中には唐突に巨大な力を手にしたノエルに対する疑惑や嫉妬の念が表情や態度に漏れ出ている者達もいた。 (ここは、ちょっと空気を変えた方がいいかな) ユーフィーはそう判断すると、おもむろに酒場の中央に設置された演芸用の舞台に立つ。すると、アンジェを始めとする冒険者達の視線は、一斉に彼女に向けられた。 「おい、ユーフィー様があそこに立ったってことは……」 「ユーフィー様のマジック(手品)ショーか!?」 彼女のマジックショーは、もはやこの店の一つの名物の一つとして定着している。彼女は小道具を取り出しつつ、周囲に対して笑顔を振りまく。 「久しぶりだし、腕がなまってないといいんだけどね」 そう呟きつつも、彼女は見事な手際で様々な手品を披露し、周囲を取り囲む常連客達は大歓声で盛り上がる。そんな中、ユーフィーは彼等に混ざって「見慣れない金髪の青年とニット帽の少年」がいることに気付いた。 彼女は一通りの演目を終えた後に、舞台から降りて、金髪の青年に声をかける。 「新しい冒険者さんかな?」 「初めまして。私はシャルル。こちらはミロと言います。実はここの領主様にぜひお話ししたい議がございまして」 「おや? なんだろう?」 「この地の領主様が大衆演芸に御理解のある方だとお聞きしまして……」 「まぁ、自分で嗜む程度にはね」 「出来れば、そんなユーフィー様に一つ披露させて頂きたい芸があるのですが……、本日は長旅からのご帰還でお疲れでしょうし、どうやら先約もあるようなので、また明日にでもお話しさせて頂ければ、と思います」 「うん、分かった。楽しみにしてるよ」 そんな会話を交わしつつ、ひとまずシャルルはミロワールと共にその場を去ることにした。 (思った以上に、素晴らしい方だな。しかも、聖印の力に頼らずに、あれほどまでの手品を披露されるとは……。その上、領主としての任務もきっちりこなしているようだし、街の人々からも深く敬愛されているのも頷ける。まさに私が目指すべき理想の姿。そして……) シャルルは、自分の中で、ユーフィーに対して敬愛以上の感情が芽生え始めているのを実感していた。実は、彼が実家を出奔した背景には、(自分の求める「光の芸術」への周囲の無理解に加えて)自分の婚約者を勝手に決めようとする両親への反発もあったのだが(この件については、いずれ別の星の物語において語られる予定)、自分の理解者を求めて訪れたこの地で、彼は「理解者」以上に大切な存在となり得る女性に出会ってしまったような、そんな気分に浸っていた。 一方、思った以上にあっさりとユーフィーとの対談の機会を得られたノエルもまた、改めてユーフィーの見事な手品捌きと人心掌握術に感服しつつ、もしかしたら今この酒場で遭遇した者達の中にも「星の仲間」がいるのかもしれない、といった思いを抱きながら、ここから先、どうやって仲間探しと砦建設を進めていくべきか、思案を巡らせていた。 2.2. 最初の協力者 ノエルの噂は瞬く間に町中に広がり、当然のごとく殺人事件を調査中のインディゴの耳にも届いていた。「最近になって聖印を手に入れた冒険者」となれば、必然的に、今回の事件における犯人候補として浮上してくる。しかも、その聖印の出所が不明で、彼がいなくなってから事件は起きている以上、アリバイもない。その聖印の規模が騎士級以上であることも、幾人もの邪紋使いを倒してきたと考えれば辻褄は合うだろう。 もっとも、逆にあからさまに怪しすぎるからこそ、犯人とは考えにくいようにも思える。今までその姿を潜伏させていたとしたら、あえてこのタイミングで自ら街中に現れた上で、わざわざ聖印を見せびらかすのは不自然であろう。 とはいえ、一応、確認する必要はあるだろうと考えたインディゴが冒険者の酒場へと向かおうとしていたところで、ユーフィーがノエルとカーラを連れて館へと帰還した。こうして、領主の館の一角にて、インディゴを加えた四人の間での密談がおこなわれることになった。 まずはユーフィーが、ノエルに対して単刀直入に問いかける。 「君はその聖印を『エルムンド様から貰った』と言ってたけど……」 「はい」 その話を初めて聞かされたインディゴは、当然の如くこの時点で内心驚いていたが、ユーフィーはそのまま話を続ける。 「それは、君一流のジョークということなのかな?」 「酒場の仲間にはそう思ってもらうことにしましたが、あいにくユーフィー様には、そう思ってもらうと困ります」 「確かに、信じがたいというのは事実だけど……、それはそれとして、一介の冒険者だった君がそれだけの大きさの聖印を持ってきたということも、同じく信じがたい」 つまり、どちらにしても何らかの「信じがたい事情」があるのだろう、ということはユーフィーも理解していた。 「そうでしょうね。ですから、もし時間に余裕があれば、一から順を追って説明させて頂けると助かります」 「仮に時間がなかったとしても、この話は聞かなきゃいけないことだと私は思うな」 「分かりました」 そこからノエルは一通りの事情を全て話した。TKGと名乗る猫との出会いから、紅の山でエルムンドから聖印を受け取るまで、「天魁星」に言われた内容も、事細かく伝えた。 「なるほどねぇ」 ユーフィーが半信半疑な声色で話を聴き終えると、カーラが口添えする。 「ボクが知ってる『あの人』だったら、確かに400年くらい時を止めることは出来るだろうし、この光は確かに、エルムンド様の系譜に連なるものとしての気配はある。しかも、なかなか強い気配だと思うよ。なので、彼の言っていることは、ボクとしては真実だと思う」 何を根拠にカーラがそう言っているのか、ノエルにはさっぱり分からなかったが、ユーフィーはその言葉を深く受け止める。 「そうだね……。その話、勿論にわかには信じがたい。でも、少なくともカーラさんがああ言ってる以上、君に普通ならざることが起きているのは事実だと思う」 そもそもカーラという存在自体が、「英雄王エルムンドがまだ生きていたという事実」と同等以上に不可思議な事象である。そのカーラの存在を受け入れているユーフィーとしては、ノエルの言っていることを頭ごなしに否定する気にもなれなかった。 「よし、ひとまずは君の言っていることを信じてみることにしよう」 「ありがとうございます」 「もしそれが君一流のジョークだった時は、その時はその時で考えればいい」 「その時はどうぞ俺の首を飛ばして下さい」 「いや、そんなことはしないよ。私を誰だと思っているんだい?」 ユーフィーは「不殺」の信念を掲げる君主である。いかに凶悪な存在であろうとも、それが意思疎通が可能な存在である限り、命を奪うことはしない。 「その場合は、ボクがやるのかな?」 カーラが呟くように口を挟む。立場的には彼女は護国卿トオヤの名代としてこの場にいる以上、もしカーラがノエルのことを「ヴァレフールのために成敗しなければならない存在」だと判断した場合、ユーフィーに彼女を止める権利があるかと言われると、微妙なところである(とはいえ、この時点でカーラには彼を殺すつもりは全く無かったのだが)。 「あー……、目の前でそういうのを見るのも苦手だしな……。彼には作家にでもなってもらった方がいいんじゃないかな」 ユーフィーがそう答えると、インディゴがここで初めて口を開く。 「さすがに、何らかの別の目的のために嘘をついているとは思えませんしね」 殺人事件を調査しているインディゴから見れば、まだノエルへの嫌疑を完全に否定することは出来ない。だが、偽装のための言い訳としてはあまりにも非現実的すぎるし、ここまでの彼の言動からも、犯人像と結びつきそうな要素が微塵も感じられなかった。 ひとまず物騒な刃傷沙汰は起こさずに済みそうだと判断した上で、ユーフィーは話を続ける。 「で、その話に従うのなら、君は今から残り百七人の仲間を集めなきゃいけない訳か」 「そうですね。自然に集まって来るとは言っておられませんでしたし……。とはいえ、この件に関してはユーフィー様の力をお借りするのは申し訳ないと思っています。ただ、湖の北部に拠点を作るという件に関しては、許可を頂きたいと思いまして」 「君の話を信じるんだったら、確かにその拠点は必要だ。ただ、あの大森林に拠点を作るとなると、結構動かすものが必要になるからね。何の理由もなしに作るというのは難しい」 「そうですよね……」 「でも、あまり無差別に人に知らせるのは良くないんでしょ?」 「はい。人に恐怖を伝染させる訳にはいかないので」 「となると、何らかの他の名目が必要、か……。どちらにしても、ちょうどパルトーク湖の気配の件もあるしね」 それを聞いた時点でカーラは思い出す。 「『大蛇の復活』というのは、ボクが聞いた『世界を滅ぼしかねない危機』のことなのでは?」 「可能性はあるよね。それを言っているのが他ならぬマルカート様だし……。それはそれとして、もう一つ『小さな危機』はあるんでしょ?」 「そう聞いてはいますけど……、それに関しては、彼にも対処に当たってもらいましょうか?」 カーラはノエルに視線を移しつつ、そう言った。この時点ではユーフィーもカーラもまだマルカートの話をはっきりとは伝えてはいないため、彼女等が何を根拠にそう言っているのかはノエルには分からなかったが、彼女達が自分の「とりとめもない、信じがたい話」に応じてくれている以上、ノエルもひとまずは「なんとなく雰囲気だけを理解した状態」で答える。 「そうですね。そこで俺の力を示させてもらいます。その上で、更なる混沌災害に備えて、この地に砦を作る必要性があるということも周囲の方々に示唆して頂ければ」 ノエルがそう答えると、ユーフィーも笑顔で頷く。 「じゃあ、ひとまず、次にパルトーク湖の調査に赴くことがあれば、君にも同行してもらう、ということでどうだろう?」 「やってみます。ですが、未だ聖印を手にしたばかりの浅学非才の身、足を引っ張るようなあれば、申し訳ございません」 「冒険者時代の君はそれなりに名の通っている実力者だったし、聖印の大きさも申し分ないとは思う。ただ、扱い方というのは確かにあるからね」 「すみません、使ったことがないので、どう使うものか分からなくて」 「もし良かったら、私が使い方を教えよう」 「いえいえ! それは申し訳なさすぎます!」 「いいんだ。これは『前に頼られた時に自分に出来なかったことを、せっかくだからやってみたい』という、こっちの考えでもあるから」 その言葉が何を意味しているのかはノエルにはよく分からない。ただ、彼女の側にどんな事情があるにせよ、自分のような「出所不明の聖印を手にした冒険者」が、男爵級聖印の持ち主から聖印の使い方を学べる機会など、そうそうあるものではない。 「そういうことでしたら、よろしくお願いします」 ノエルがそう言って頭を下げたところで、カーラがおもむろにノエルに対して、個人的に気になっていたことを問いかける。 「じゃあ、エルムンド様は、お亡くなりになった、ということでいいのかな?」 「……申し訳ございません」 「えーっと、いや、別に僕には敬語はいいんだけど……、そっか……、一度、お会いしたかったんだけどな……」 独り言のようにそう呟きつつ、カーラはノエルに対して「個人的なお願い」を伝える。 「……出来ればこれから、湖の方に行くことになるんだけど、出来れば『その湖の底にいる方』にも、エルムンド様が最期を迎えられたということは伝えて欲しいから、お願いしていいかな? 実際に会えなくても、心で伝えられると思うから」 何を言っているのかよく分からない言い方だが、既に十分すぎるほどの不思議体験を済ませてきたノエルは、なんとなく分かったような気分になった上で(敬語はいいと言われたので「対等な立場の者」として)答えた。 「分かった。エルムンド様の聖印を受け取った身として、責任を持ってお伝えしよう」 「よろしくお願い致します。そして、ありがとうございます」 「そちらも、敬語はいい」 「いや、これは『孫』としての感謝の気持ちだから」 カーラが言うところの「孫」という言葉の意味は、当然ノエルには理解出来ないが、今はそのことについては言及しないまま、ひとまず彼は領主の館を後にして、馴染みの宿屋へと向かって行った。 2.3. 闇の薬屋 その頃、ヴィルマ村のグランとアスリィもまたテイタニアに到着し、「非公認薬物の売人」についての情報を集めていた。二人とも過去に何度もこの街には来ていたため、知人の冒険者達から話を聞いてみたところ、どうやらその売人は1〜2年ほど前からこの地で様々な冒険者相手に魔法薬を販売していたものの、ここ最近は姿をくらませていたらしい、ということが分かる。おそらくはその間にヴィルマ村で活動していたのだろう。 だが、そんな中で「先刻久しぶりに彼に遭遇した」と語る人物を発見し、その者の証言を元に捜索してみたところ、路地裏で冒険者風の男を相手に薬を売買している「黒く四角い特殊な形状の鞄」を手にした男を見つける。 「やあ、こんにちは」 グランが穏便な口調でそう声をかけると、その鞄を持った薬売りの男は静かな物腰で答える。 「おや、あんたは確か、お隣さんの領主様」 彼がその「肩書き」を口にした直後、取引相手と思しき冒険者風の男は、すぐさまその場から逃げ出す。グランはあえてその男は見逃した上で、話を続けた。 「あぁ。隣村の領主のグラン・マイアーだ。あんたにちょっと聞きたい話があってね」 グランがそう答えると同時に、アスリィが薬売りの男の背後に回り、彼が逃げ出さないように警戒するが、薬売りの男は平然とした様子で答える。 「話ってのは?」 「あんたが売ってる薬の話だよ」 「なるほどな、そういうことか……。この薬で、何か問題でも起きたかい?」 「あぁ。とりあえず、安全かどうか確認されてないものを出回らせられても困るからな」 「だが、別に苦情も来てないだろ?」 そう言いつつ、売人は背後のアスリィに視線を目を向ける。 「そこのあんた、生命魔法師だよな?」 「え? はい、そうです」 「なら、あんたが見れば分かるんじゃないか? これが安全なものかどうか」 男は鞄の中から薬瓶を一つ取り出し、アスリィに手渡す。アスリィは蓋を開けた上で、その場で中身を綿密に確認する。 「普通の回復薬と変わらないみたいですけど……」 アスリィはそう答えるが、その判定結果を受けても、なお険しい表情を浮かべているグランに対して、薬売りの男は微笑を浮かべながら語りかける。 「いや、あんたが言いたいことも分からん訳じゃないんだ。あんたもまぁ、そりゃ、君主だからな。あんたの立場は分かるが、あんたがその立場にいるからこそ、俺もこの薬のことについて、公に話す訳にはいかない。それは、お互いを不幸にするだけだ」 「それがどうした?」 一切表情を緩めぬままそう切り返すグランに対し、薬売りの男もまた自分のペースを崩さずに語り続ける。 「俺がこの薬を売るのをやめれば、この薬で助かっている多くの人達が、この薬が手に入らなくなって苦しむ。あんたは、エーラムの独占経済を守ることと、街の人々や冒険者の人々の薬が流通するようになることと、どちらを望む?」 「そういう問題じゃないだろう。エーラムの独占状態であることと、安全性の問題はまた別問題だ」 「安全性は、そこの魔法師さんが大丈夫だと言ってるだろう? あんた、自分の契約魔法師を信用しないのかい?」 「……その手のことについては、まだそこまで信じきる訳にはいかない」 グランがそう答えると、アスリィは思わず声をあげる。 「えぇ〜!? そりゃ、確かに私は殴る専門ですけど……」 実際のところ、アスリィは生命魔法師ではあっても、薬品調合の専門家ではない。エーラムで学んだ生命魔法師であれば、最低限の薬物知識を学ぶ機会もあっただろうが、彼女は我流で生命魔法を習得した自然魔法師であり、しかも、他人を癒すことよりも、自身の身体能力を強化する(そして殴る)ことに特化した特殊な生命魔法の使い手であるため、回復薬の安全性を保証出来る鑑識眼の持ち主と言えるかどうかは、やや怪しい。 グランとしても、人間的にはアスリィのことは誰よりも信頼しているが、領主として、客観的な立場で「絶対に安全」という確信を得るには、彼女のお墨付きだけでは足りない、と言わざるを得なかったのである。 「ならば聞くが、あんた、そこまでエーラムのことを信用してるのかい? エーラムの薬なら大丈夫で、俺の売りあるく薬が危険だと言える根拠はどこにある?」 「だから今、調べてるんだろう」 「だったら、それが分からない状態でイチャモン付けられても困るな。あんた自身が高名な魔法師だってんなら話は別だが」 のらりくらりと話をそらす薬売りに対して業を煮やしたグランは、更に一歩踏み込んで問い詰めることにした。 「仕方ないから、こちらも一つ、情報を明かすとしようか……。その薬、パンドラが関わっているという噂があってな。そうなれば話は別だ」 それに対して、薬売りの男はせせら笑うような表情を浮かべながら問いかける。 「じゃあ一つ聞くが、あんた、パンドラがどういう組織なのか分かっているのか?」 「そりゃ、混沌を広げてる連中だろ? 邪魔だと判断すれば集落の一つも破壊するような……」 実際にグランはパンドラによって故郷を滅ぼされている。しかも、二度も。その怒りを噛み締めた表情で睨みつけるグランに対して、薬売りの男は相変わらず人を食ったような表情で語り始める。 「そういうパンドラもいるだろう。だが、そうでないパンドラもいる。『民を苦しめる君主』と『苦しめない君主』がいるのと同じようにな。そもそも、パンドラがどんな組織なのかってことは、この世界の誰も分からないんだよ。なぜなら、この世界の各地に存在しているパンドラという名の組織は、そもそも全て別の組織だ。俺が聞いた話では、最初にパンドラと呼ばれていた組織は一つだったらしいが、その後、エーラムにとって都合の悪い組織は全てパンドラと呼ばれるようになった。というよりも、パンドラという組織のせいにしたんだ。その結果として、本来のパンドラが何なのかもよく分からないまま、パンドラという言葉が一人歩きしている」 実際のところ、この認識はほぼ正解である。現在のブレトランドには「パンドラ」と呼ばれる組織が少なくとも四つ存在しているが、それぞれ全く起源は異なっており、実質的には大陸各地のパンドラとの繋がりも薄い。 「つまり、パンドラってのは、もはや一つの概念なのさ。そこに統一的な実体なんて存在しない。君主とか邪紋使いとか投影体とかと同じように、魔法師の中で、エーラムに反発する者達は全てパンドラと呼ばれる。そういう意味では、そこのお嬢さんだって、一つボタンが掛け違えられていれば、パンドラ扱いになっていたかもしれない。結局、パンドラかエーラムか、なんてのは、その程度の違いでしかないのさ。それでもあんたは、そこまでエーラムのことを信用出来るのか?」 「エーラムの信用に関しては、別問題だ。ただ、パンドラを止める。それだけの話だ」 実際、グランはエーラムに対しても心の奥底では懐疑的である。彼だけでなく、君主達の中には「この世界を実質的に統御している組織」としてのエーラム魔法師協会に不信感を抱いている者も少なくはない。とはいえ、だからと言ってパンドラが信用出来るかと言えば、そう確信出来る根拠もないだろう。 「実態も分からないまま、ただの評判だけで倒すべきかどうかを決めるということか?」 「そのために今から調べるんだ」 そう言いつつ、彼の身柄を拘束しようとする気配を漂わせたところで、薬売りの男は開き直った声色で語りかける。 「じゃあ、それはそれで調べた上で考えればいい。だがな……、あんた、確か伯爵様の従属君主だよな?」 「よく知ってるな」 「それくらいのことはな。あの伯爵様と仲良くしたいんだったら、あんまりそこは踏み込まない方がいいぞ。それこそ、あんたと伯爵様の関係を悪くするだけのことだ。まぁ、俺の戯言だと思うなら、そう思ってくれればいい。だが、一つ言っておこう。仮に俺を伯爵様に突き出したとしても、伯爵様は絶対に俺を殺せない。そして、その事実を目の当たりにした途端に、あんたと伯爵様の関係は悪くなる」 何を根拠にそう言っているのか、グランには分かる術はない。だが、その薬売りの言葉からは確固たる自信が滲み出ていた。 「つまり、あんたが取るべき行動は二つだ。俺と出会ったことを無かったことにして、このままやり過ごすか、この場で俺を殺して、好き勝手なことを言ってるこの俺の口を黙らせるか。そうすれば、少なくともあんたと伯爵様の関係が悪くなることはない」 薬売りはそう言いつつ、両手を広げて自分が丸腰であることを強調する。 「安心しろ、俺はただの薬売りだ。あんたがその気になれば、一瞬で殺せるよ。どうせ俺は投影体だ。ここで死んだところで、この世界にまた必要だと思われれば、いずれ呼び出される。それだけのことさ。それぐらい割り切らなきゃな、生きていけないんだよ。投影体っていう存在は」 そこまで言い切ったところで、しばしの沈黙が二人の間に広がる。 「グ、グランさん……」 戸惑った様子のアスリィが思わずそう声を掛けるが、グランは黙ったまま何も答えない。この薬売りは明確に自分がパンドラだとは言っていないが、ここまでの様子から察するに、少なくともパンドラの関係者である可能性は極めて高いだろう。そして、仮にこの薬自体が無害なものであったとしても、その薬を売り歩くことがパンドラの資金源となっているかもしれない。仮にパンドラの中に「有害なパンドラ」と「無害なパンドラ」があったとしても、その資金が前者に流れ込んでいる可能性は否定出来ない。 「そうか、そこまで覚悟が出来ているんだったら……」 グランはそう言いながら、弓に手をかける。 「……ならば、死ね!」 「グランさん、待って下さい!」 先刻まで薬売りの背後に回っていたアスリィが、一瞬にして契約相手の前に立ちはだかる。 「グランさんは、グランさんの故郷を滅ぼしたパンドラが憎いんですか? それとも、全く関係のないパンドラでも憎いんですか?」 「故郷を壊された恨みは、『奴』を殺したことである程度は晴れたが……、一人の人間としてパンドラは許せない。それだけのことだ」 「でも、確かに、この方の話を聞いていて、この方の薬で多くの方々が助かっているのは事実ですし、私だって魔法師ですし、私の混沌の知識に基づいて、この人の作る薬が安全だと実証されました。グランさんが私を信じないなら、それまでですけど……、もちろん、この人のことを完全に信用した訳ではないですけど……、うーんと、なんというか、その……」 少なくとも、今のこの時点で彼が「有害なパンドラ」と繋がっているという確証はないし、彼の挑発に乗って射殺したところで、何の情報も手に入らないだろう。更に言えば、この村はグランの管轄下ではない以上、たとえ「違法薬物売買の現行犯」であったとしても、正当防衛とも言えない状態で、領主の許可なく容疑者を殺す権利はグランにはない。ましてやこの地の領主は「不殺」を信念とするユーフィーである。たとえ相手が投影体であったとしても「言葉の通じる丸腰の相手」を独断で殺したということが明らかになれば、間違いなくテイタニアとの関係は悪化するだろう。 アスリィにそこまでの意図があったのかは分からない(ただ単に衝動的に「止めなければならない」と感じただけかもしれない)。その上で、グランが彼女の言葉から何を感じ取ったのかも分からないが、彼はアスリィの真摯な瞳を目の当たりにすると、苦虫を噛み殺したような表情で視線をそらす。 「チッ!」 舌打ちしながらグランは弓から手を離しつつ、鋭い視線で薬売りを睨みながら言い放つ。 「今日のところはアスリィに免じて見逃してやる。行くぞ、アスリィ!」 「はい……」 明らかに不機嫌なまま立ち去るグランの後を、アスリィは申し訳なさそうについて行く。そんな二人の背中に対して、薬売りは声をかける。 「さっき渡した薬、そのまま預けておくよ。そのお嬢さんじゃ信用出来ないってんなら、もっと高位の魔法師さんにでも調べてもらえばいい」 それに対して何も答えずに二人が去っていくのを確認した上で、薬売りは挑発気味の表情から一転して、冷や汗をかきながらため息をつく。 (ふぅ、危なかった……。嫌だねぇ、若くて血の気の多い領主様ってのは……。こっちは親切心で忠告してやってるだけだってのに……) 彼としては、いつ自分が消えても後悔しないように、という覚悟で生きているのは事実である。しかし、それと同時に、まだもうしばらくこの世界に残っていたい、という気持ちもある。少なくとも、彼が手塩にかけて育てた「彼女」の歌声を聞くまでは。 (とはいえ、俺がいることで彼女にまで嫌疑がかかるようなら、俺もそろそろこの地からは身を引いた方がいいのかもしれんな……) そんな想いを抱きながら、男は再び路地裏の闇の中へと消えていった(なお、「彼女」はこの時点において、とある用件でこの地を離れていた)。 2.4. 味の上塗り 一方、ヴィルマ村のもう一人の重臣であるアレックスは、ヴァレフールの首都ドラグボロゥの王城にて、国主レアの契約魔法師であるヴェルナ・クァドラント(下図)の元を訪ねていた。 「お疲れ様です、アレックスさん。グランさんからのお使いですね」 「えぇ。これを渡してくれ、と」 アレックスはそう言いながら、グランからの書状と空瓶を渡す。 「はい、確かに受け取りました」 それは確かに過去に見たことがある、パンドラと思しき組織が流通させている薬であった。 「やはり、これでしたか」 ヴェルナがそう呟くと、何も聞かされずにここまで届けに来たアレックスは、首を傾げながら問いかける。 「これ、何なんですか?」 「巷で流通している密造回復薬と言いますか……、エーラムで作っているのとは異なる魔法薬の空瓶です」 「へー」 「これを作ってバラまいてる、というか、売ってる人がいるようです。もちろん、エーラムで売っている回復薬と同等の効果があるので、それなりにお高いですが、それでもエーラムの正規品よりは、ずっと手に入れやすいでしょうね。こういうのに頼りたくなる人がいるのも分かります。ともあれ、お使い、ありがとうございました」 「いやー、まぁ、頼まれただけですし」 「こちらの見解は、私の方から魔法杖通信で直接アスリィさんに伝えておきます」 「じゃあ、それはお願いします。まぁ、僕が聞いても分からないしね。あ、ところで……」 「どうしました?」 「実は、昨日作ったドーナツが余ってまして。食べます?」 そう言いながら彼は、グランとアスリィの部屋に持ち込んだ、あのドーナツを取り出した。あの後、「辛くないドーナツ」だと判明したことでグランとアスリィは普通に食べていたが、それでも余った分を持参したらしい。 「いいですね。じゃあ、一緒にお茶にしましょうか」 そう言って、ヴェルナは「お茶」と「手作りお菓子」を持ってくる。後者は、彼女が丹精込めて作ったにも関わらず、城内の誰も口にしようとしないが故に余ってしまっている代物であった。 「良かったら、ご一緒にこちらもどうぞ」 ヴェルナが笑顔で差し出したその「甘そうな菓子類」を目の当たりにしたアレックスは、申し訳なさそうな顔を浮かべなが、問いかけた。 「あの、香辛料をかけてもいいですか? 僕、辛くないと食べられないので」 実際、彼は自分が作ったドーナツを食べる時にも香辛料をかけて食べる。ただ、他人の作ったものに調味料を足すことが失礼だという認識はあるらしい。 「えぇ。構いませんよ。好みはそれぞれですし。いいんじゃないでしょうか」 「すみません、せっかく作ってもらった味付けを変えてしまって申し訳ないのですが、これがないと食事が出来ないので……」 そう言いながら、おもむろに香辛料をふりかける。その一方で、ヴェルナはアレックスが持ち込んだドーナツを凝視する。 「このドーナツは『そういうの』ではないんですよね?」 「はい、それは普通にみんなが食べていたものなので」 グランやアスリィからは公害扱いされているアレックスの料理だが、一応、「自分用」と「みんな用」を分けて作る程度の良識はあるらしい。 「あら、美味しい」 一口食べたヴェルナは、素直にそう呟く。一方、そんな良識を持ち合わせていないヴェルナの作ったお菓子に香辛料をふりかけたアレックスもまた、美味しそうにモグモグと食べ進める。 「ヴェルナさんて、お菓子作るのお上手ですね」 どうやら、彼の香辛料が、ヴェルナの作り出した「独特すぎる味」のインパクトをも搔き消すほどの強烈な刺激を舌に与えることで、その威力を無効化(上書き)したようである。 「ありがとうございます。この後は、ヴィルマ村に戻られるのですか?」 「いやー、もうちょっと、どこかフラフラしてから帰ろうかな、と」 「私もこのお菓子を沢山作りすぎてしまいましたし、よかったらお土産にお持ち帰り下さい」 「あぁ、じゃあ、ぜひ」 こうして、誰も望んでいない「ヴェルナからのお土産」を手渡されたアレックスは、次の目的地として、まだ行ったことのないテイタニアへと向かうことにしたのであった。 2.5. 領主対談 そんな(お土産という名の)脅威が迫りつつあることを知らないまま、グランとアスリィは薬売りの件について諸々の確認を取るべく、(ノエルとちょうど入れ替わりになるタイミングで)テイタニアの領主の館を訪問していた。 「失礼します。数日ぶりですね」 グランがそう挨拶すると、ユーフィーも笑顔で彼等を執務室へと迎え入れる。 「そうだね。久しぶりという程ではないかな」 二人は数日前に起きていた諸々の現象(詳細は「ブレトランド開拓期」 5話 ・ 6話 を参照)の後始末について軽く確認した上で、ドラグボロゥへの公道整備計画などについて、軽く世間話程度に語り合う。なお、この時点でインディゴと、そして(退室するタイミングを逃していた)カーラもその部屋の中に残っていた。 「最近、ヴィルマ村の方で、こういった偽物が出回っているようでね」 グランがそう言いながら空瓶を取り出すと、インディゴが真っ先に反応した。 「それはもしかして……」 インディゴは、調査の最中に発見した「割れた空瓶」の破片を取り出す。重ね合わせてみたところ、どうやら同じものらしい、ということが分かる。 「実はこちらでは、連続殺人事件が起きていまして……」 インディゴは事情を一通り説明する。少なくとも、その件については隣村の領主であるグランに説明しても良いと判断したのだろう(ただ、さすがにインディゴ達自身がこの薬瓶をかつて「謎の薬売り」から貰ったことがある、ということまでは、伝える訳にはいかなかった)。その話を聞いたグランは、深刻な表情を浮かべる。 「もしかしたら、ヴィルマ村でもその事件が起き得るかもしれないのか……」 「殺されている人々の大半は邪紋使いの方々で、最終的には聖印で浄化されてることを考えると、 おそらくは誰かが自身の聖印を育てるために殺した、という可能性が高そうです。だとしたら、友好的な投影体の方々も襲われている可能性はあるでしょう」 インディゴはそう語る。投影体が倒された場合は、そもそも死体が残らない以上、確認の仕様がないのである。 「その調査、我々にも手伝わせて頂けませんか? どうやら、あまり他人事ではないようだ」 グランはそう申し出た。例の薬瓶の破片が落ちていたということが、やはりグランとしては気になるらしい。 「こちらとしても、一人で調べるのには限界があるので、協力して頂けるのでしたら助かります」 「アスリィも、それでいいな?」 「あ、はい」 先程のことでアスリィはまだ少しどこか気落ちした様子で、あまり話を聞いていなかったようだが、ひとまずそう答えた(そして、そんな彼女の様子にこの時点でグランも気付いた)。 「この薬瓶について、何か心当たりはありますか?」 インディゴにそう問われたグランは、不本意そうな口調で答える。 「先程、この薬瓶を売っている者には会ったが、ろくな情報も得られなかった」 「そうですか」 インディゴは淡々とそう答えつつも、内心では冷や汗をかいていた。仮にその薬の売人が「あの男」であった場合、もし彼が何か余計なことを口走れば、自分達とパンドラとの関係も疑われかねない。グランがパンドラに対して強い敵愾心を抱いていることはインディゴも知っている以上、(彼の捜査協力自体はありがたいが)出来ればそこまでは踏み込まれない方が、お互いのためである。 「ところで、そちらにいるのは護国卿殿のところのカーラさんでしたよね? 彼女がこちらに来ているというのは、何かあったのですか?」 グランがそう問いかけたところで、今度はユーフィーが答えた。 「それについては、私から説明させてもらおうか。パルトーク湖の北岸に、昔の城塞都市の遺跡があってね。そこの調査を進めているんだけど、そのための助っ人として来てもらった」 「まぁ、ぶっちゃけ、火力役ですかね」 カーラがそう付言する。実際にはそれ以上に重要な「彼女にしか出来ない役割」を期待された上での抜擢だったのだが、あまりこの場で詳しいことまで話す必要はないと判断したのだろう。 「やっぱり、殴ってなんぼですよね」 便乗してアスリィはそう語りつつ、少しだけ元気を取り戻したような様子を見せる。生命魔法師としては信用されていないという事実は受け入れつつも、「相手を殴り倒すこと」で自分の存在価値を見出せるということを、改めて思い出したらしい。 「そちらの事件の方にも手を貸した方がいいかもしれないけど、本来の任務を放り出す訳にもいかないので……」 カーラはそう言いつつ頭を下げる。表面上は彼女の「湖の調査」に関する任務は終わっているのだが、そこから発生した「二つの危機」に関する実態が何一つ判明していない以上、ここで更に別の案件まで同時に背負い込めるほど自分は器用な性分ではない、とカーラは判断したのであろう。 とりあえず、この時点で既に陽が落ちつつある時間帯だったので、ひとまず話を切り上げた上で、グランとアスリィに対しては、ユーフィーが領主の館の客室を用意することにした。ユーフィーがその旨を館の侍女に伝えると、その侍女は二人に対してこう問いかける。 「お部屋はお一つでよろしいのでしょうか?」 微妙に爆弾発言なのだが、当人達はあっけらかんと答える。 「え? ダメなんですか?」 「ん? まぁ、いいんじゃないか?」 二人共、「そういったこと」に対して無頓着なだけなのだが、結果的に、こうした二人の言動が様々な「誤解」を広げていくことになるということを、二人は全く気付いていなかった。 3.1. 闇を狩る青年 この日の夜、邪紋使いのアンジェが友人宅での所用を終えて、僅かな月明かりだけに照らされた夜道を歩いていると、物陰から激しい物音が聞こえてきた。 彼がその方向に視線を向けると、そこには二人の人影が見える。体格的にはどちらも男性のようだが、二人のうちの片方は「黒く四角い特殊な形状の鞄」を持っていた。その男に対して、もう片方の男から謎の「光」が放たれると、その光は「鞄を持っていた男」に直撃し、「鞄を持っていた男」はその場に一旦倒れ込むが、すぐに立ち上がる。 「何者かは知らんが、もうここは潮時のようだな……」 「鞄を持っていた男」はそう呟きつつ、手にしていた「黒く四角い特殊な形状の鞄」をその場に残したまま、アンジェがいる場所とは反対側の方向へと走り去る。「光を放った男」は、男が走り去った後のカバンに向かって再び光を放つと、鞄は破壊され、そこから「瓶の破片」と「謎の液体」がこぼれ出す。この時、その「光」が発生した一瞬の時点でアンジェの目に映ったその男の顔は、「目を閉じた金髪の青年」のように見えた。 その上で、その金髪の青年はアンジェの存在を確認すると、今度はアンジェに向けてその「光」を放つ。この時点でアンジェは確信した。この彼の放っている光が「聖印」の光であると。しかも、それはアンジェのような邪紋使い(および「混沌」を身に纏う者)に対して特に強力な威力を発揮する特性を持つ聖印であった。 だが、アンジェは「不死」の肉体の持ち主である。いかに強力な聖光の弾丸であろうとも、一撃程度では全く怯まない。 「君! 何のつもりだい!?」 アンジェはそう叫ぶが、金髪の青年はそれに対して何も答えない。目を瞑ったまま、意識があるのかどうかも分からない様子であった。 (眠ってる……? 操られてる……?) 状況がよく分からないまま、金髪の青年が再び光の弾丸を放とうとしているのを確認したアンジェは、ひとまずその動きを止めるために、素手のまま殴りかかろうとする。だが、その拳が青年に届こうとした瞬間、アンジェの目の前に巨大な「鏡」が現れ、アンジェの拳が鏡に触れた瞬間、その鏡の中から全く同じ拳が出現し、アンジェ自身に向かって殴りかかってきた。アンジェは「自分の拳」をまともに直撃するが、(もともと攻撃よりも防御に特化した能力者であったため)全く効いてはいない。 そんな不可思議な力を用いる金髪の青年とアンジェの戦いは、それからしばらくの間続いた。金髪の青年が放つ光弾はアンジェの体力を少しずつ着実に削っていくのに対し、アンジェの拳は毎回謎の「鏡」によって跳ね返されるものの、アンジェ自身はその拳では全く傷を受けていない。また、アンジェが鏡を殴り続けていく過程で、僅かではあるが鏡にヒビが入っているような実感も感じられた。 (少しは効いてる? でも、このままじゃ……) アンジェは徐々に自分の身体が限界に達しつつあることを実感する。そこへ、耳馴染みのある声が響き渡った。 「何者だ!? そこで何をしている!?」 ユーフィーである。彼等の遭遇地点が領主の館から程近い場所だったこともあり、静寂の夜道に響き渡る喧騒に気付いた彼女が駆けつけてきたのであった。彼女の背後にはインディゴと、そして同じ館に宿泊していたカーラ、グラン、アスリィの姿もある。 彼女のその声に対して、金髪の青年は全く何も反応しない。ただ、間近でその青年の顔を見たユーフィーには、すぐにその正体が分かった。それは紛れもなく、昼間に酒場で会話を交わしたシャルルであった。当然、インディゴもまたそのことに気付くと同時に、そのシャルルの腰に見覚えのある「筒」が刺さっていることにも気が付いた。それは、シャルルの隣にいた、ミロワールという少年が持っていた筒であるように見える。 そして、この時点で(オルガノンとの混血児である)カーラは直感的に理解した。その「筒」がオルガノンの本体であることを。そして、おそらく今の彼が「眠った状態のまま、オルガノンに身体を乗っ取られている状態」であるということも。 「アンジェさん、大丈夫ですか!?」 ユーフィーは満身創痍のアンジェの存在に気付くと、すぐに声をかける。アンジェとしては、憧れのユーフィーの前で醜態を晒したくはなかったため、彼女に助けられているというこの状況に、思わずうなだれる(とはいえ、ユーフィー達が来るまで孤軍奮闘出来たのは「不死」の肉体を持つアンジェだからこそであり、彼でなければ瞬殺されていたであろう)。それでもアンジェは残った気力を振り絞り、必死で状況をユーフィーに伝えた。 「それが、あの子が、急に襲ってきて、止めようとしたんですが、殴ろうとしたら、鏡のようなものが現れて、僕の拳が僕に向かって飛んできて……」 「鏡?」 困惑した様子の二人のところに、カーラが割って入る。 「『ボクの同族』に支配されているように見えるんだけれども……」 カーラがそう口にした時点で、「あの筒」に見覚えのあるインディゴは、すぐに彼女の言いたいことを理解した。 「状況的に考えて、その可能性は十分にありえます」 おそらく、「あの筒」の正体はオルガノンであり、以前に見た「ニット帽の少年」は、そのオルガノンの人間体なのであろう。それが「鏡」とどのように繋がるのかは分からないが、ひとまず現状においては、あのシャルルという少年が「筒のオルガノン」に支配されているという可能性が高い。 「ありがとう、アンジェさん。とりあえず、よく分からないことが多いので、一旦捕縛したいのですが……」 ユーフィーがそう言うと、インディゴはシャルルの動きを止めるための魔法を唱え始める。だが、それよりも早くアスリィがシャルルに対して殴りかかった。グランの聖印の力で強化された彼女の拳がシャルルに届こうとした瞬間、再び「鏡」が出現して「アスリィの拳」が「アスリィ自身」に対して殴りかかってくるが、アスリィはあっさりとそれを避ける。そして、鏡に対して若干のヒビが入っていることが確認出来た。 その直後、インディゴの魔法でシャルルの身体は動きを封じられるが、従順化する気配は見せず、聖印から新たな光弾を生み出そうとしていることは確認出来たため、ユーフィーは自らの聖印から二本の円柱状の片手棍を作り出した上で殴りかかるが、やはり同じように「鏡」によって跳ね返される。しかし、すぐさま彼女は自分の片手棍を手元に引き戻した上で、その「鏡によって作られた反射攻撃」を弾き返す。 そして次の瞬間、この戦場に新たな乱入者が現れた。ノエルである。彼もまた、この喧騒を聞きつけて、(聖印の力によって強化された)幻想馬に乗って駆けつけたのであるが、彼は目の前でインディゴが用いた魔法とユーフィーが用いた聖印の力に対して、奇妙な「懐かしさ」を感じ取る。それは、彼の精神の中に同化した天魁星から流れ混んだ「星界で共に戦った時の記憶」の断片であった。 (あの人達が、星の仲間!?) ノエルは驚愕しつつ、ひとまずユーフィー達が誰と戦っているのかもよく分からないまま、彼女達に加勢しようと、自身の聖印から二本の光の剣を作り出した上で、シャルルに向かって斬り掛かる。その瞬間、(直観的にノエルのことを「援軍」だと認識した)グランが自身の聖印の力を彼の剣撃に注ぎ込むことで、その威力は更に強化される。そしてこの時点で、グランの聖印からも同じような「懐かしさ」を感じ取った。 (この人は……、ヴィルマ村のグランさん? え? この人も!?) ノエルは冒険者として、ヴィルマ村にも足を運んだことはあり、その時にグランの顔は見たことがある。なぜその彼が今ここにいるのかは、何の事情も聞かされていないノエルには分からない。そして、グランまでもが「百八人の一人」であるということが、果たして偶然なのか、それとも何らかの必然的な導きによるものなのかも分からない。 とはいえ、いずれにせよ今は目の前の敵(と思しき青年)を倒すことに集中すべきと判断して振り下ろされたその二本の剣は、やはり鏡による反射攻撃を生み出すことになる。しかし、困惑したノエルの精神状態が剣先に影響したのか、その剣筋がやや乱れていたこともあり、結果的にノエルはどうにかその(自らの繰り出した)剣撃を避けることに成功する。 だが、その直後、今度はシャルルの聖印から四つの聖弾が同時に放たれた。標的となったのは、アンジェ、アスリィ、ユーフィー、インディゴの四人である。しかし、インディゴの魔法によってシャルルの身体が強く拘束されていた上に、咄嗟にユーフィーが発動した聖印の力で勢いを削がれたこともあり、四人ともあっさりとその聖弾を避ける。 そして間髪入れずに、今度はカーラが巨大化させた自らの「本体」を用いて斬りかかる。当然のごとく再び鏡による反射攻撃をカーラが襲うが、その巨大な刃がカーラに届く直前にユーフィーが間に入って、二本の光の片手棍で受け止める。そしてこの時、今度はカーラに対しても、ノエルの中で「同じ感覚」が沸き起こった。 (この人も!? こんな近くに、何人もいるものなのか!?) 一体、この戦場に何人の「仲間」がいるのか、とノエルが困惑する中、やや後方で弓を構えていたグランは、ここで自分が矢を射て良いものか判断に迷っていた。 (どうやら、自分の攻撃がそのまま跳ね返ってくるらしい。俺は果たして、俺自身の放った矢を避けることが出来るのか……?) グランの戦術は基本的に「先手必勝」であり、相手が反撃する前に殲滅することを旨としてきたため、相手の攻撃を避けることにはあまり自信がない。ましてや、自身の繰り出す必中の矢を避けるのは至難の業のように思えた。そこで、彼は少し迷いつつも弓を構えると同時に、アスリィに対して目で「何か」を訴える。すると、アスリィは彼の意図をすぐに理解し、グランが弓を放つタイミングで、彼の弓矢の勢いを削ぐ魔法をかける。結果、いつもよりもやや精度の低い一矢がシャルルに向かって放たれ、それが「鏡」によって反射されてグランに向かって返ってくるが、ここで再びアスリィが、今度はグランの動作を補助する魔法をかけた結果、間一髪のところでグランはその反射攻撃を避けることに成功する。 そしてこのグランの矢を跳ね返した時点で、それまでの攻撃で少しずつ広がりつつあった鏡の損傷が限界に達した結果、激しい破裂音と共に鏡が割れて四散し、それと同時にシャルルの腰についていた「筒」から、湧き出るように「人」の形をした何者かが具現化する。それはオルガノンを見たことがある人ならば見覚えのある「人間体の具現化」の光景であり、その「人間体」の姿は紛れもなく、シャルルの隣にいた(身体がボロボロに傷ついた状態の)「ニット帽の少年」ことミロワールであった。 3.2. 「鏡」の正体 ミロワールが出現した直後、割れた鏡の破片がシャルルの体に刺さり、初めてシャルル自身の体に傷がついたことで、シャルルは目を覚ました。 「あ、あれ? ここは……、え? ミ、ミロ!? どうした、お前!? 何があったんだ!?」 シャルルのその声に、ミロワールは答えない。息はあるようだが、完全に昏睡状態に陥っている。困惑したシャルルが周囲を見渡すと、そこには見覚えのある人物の顔があった。 「え? りょ、領主様? これは一体……?」 「私にもまだ状況が理解しきれていないのだが……」 ユーフィーがそう答えると、シャルルは周囲の他の面々に対して大声で訴える。 「誰か! 医者はいませんか!?」 「では、私が」 そう言って、アスリィはミロワールに軽い回復魔法をかける。彼が何者なのかは分からないが、ひとまず喋れない状態では正体の確認の仕様もない。 一方、その間にグランは戦場の端に転がっていた「黒く四角い特殊な形状の鞄」の残骸の存在に気付き、近くに駆け寄ると、その周囲に広がっている瓶の残骸から、間違いなくこの鞄が「あの薬売りの持っていた鞄」であると確信した。 「とりあえず、何が起きたのかを説明してもらえませんか?」 シャルルがそう問いかけると、ユーフィー自身も困惑した様相のまま、素直に答える。 「私が見た限りでは、『そこの彼』に操られた状態の君が、アンジェさんに襲いかかってきから、私達が止めに入った、ということになるんだが……」 「え? ちょ、ちょっと待って下さい!ミロ、どういうことなんだ?」 シャルルがそう叫ぶと、アスリィの回復魔法によって目を覚ましたミロワールは、今のこの状況を把握した上で、観念したような表情で答える。 「申し訳ございません。全て真実です」 「どういうことなんだ!?」 シャルルのその問いかけを受けて、ミロワールはこの場にいる者達全員に、落ち着いた口調で語り始める。 「私は本来は万華鏡(カレイドスコープ)のオルガノンとして、この世界に顕現した存在でした」 万華鏡とは、内側に鏡を貼り付けた筒の中に、着色した硝子片などを入れることで、その筒の中を覗き込んだ者に不思議な光景を見せることを目的とした玩具であり、この世界ではあまり一般的な物品ではないが、一部の好事家達の間で流通している代物である。 「しかし、そんな私に対して、旅先で出会った『とある錬成魔法師』が、『その力をもっと強めようか? その力が強まれば、もっと多くの人達を楽しませることが出来る』と言ってきたのです。私は彼のその言葉を信じて、彼の正体が何者かもよく分からないまま、彼の手による『改造手術』を受けることになりました」 その改造手術は何段階にも分けておこなわれた。最初は、筒の中の「鏡」を解体して筒の外に出せるようにするところから始まり、やがてその鏡を更に細かく分解した上で、空中に自在に浮遊させられるような技術を植え付けられた。だが、この手術の過程で、この錬成魔法師が、ミロワールの本体を「玩具」ではなく「兵器」として利用しようとしているらしい、ということを彼は知ってしまったのである。 「これ以上、自分が自分で無くなるのが嫌で、私はその錬成魔法師の元を逃げ出したのです。しかし、中途半端に改造された状態の私では、もはや本来の万華鏡としての自分の姿に戻れず、人々を楽しませるということが出来なくなって、自暴自棄になっていたところに、シャルル様と出会ったのです」 シャルルは、ミロワールの「鏡を空中浮遊させる能力」を知った時点で、それを自らの目指す「光の芸術」としての「花火」の再現に活用出来ると考えたのである。ミロワールとしては、本来の自分の用途とは異なる形とはいえ、結果的に人々を楽しませる形で自分の能力を活用してもらえることに感激し、彼に協力することで、オルガノンとしての第二の人生を歩もうと考えていた。 「しかし、そんな私の中でも、私を騙して私をこのような姿に変えてしまった錬成魔法師への恨みが消えることはありませんでした。そして、この街に来て以来、なぜか何度もあの錬成魔法師の気配を、様々な人々の中から感じ取ってしまい、その度に言いようのない程の破壊衝動が私の中に沸き起こってしまったのです。おそらく彼等は、その錬成魔法師と縁のある人物か、もしくは『彼の作り出した何か』を身につけている人々だったのでしょう。そういった人々とすれ違う度に、彼への怒りが湧き上がってきてしまって、その衝動がどうしても抑えきれずに、申し訳ないと思いつつもシャルル様の身体を借りて、復讐のために、その気配を持つ者を襲い始めました。それが、私の個人的な怨恨に基づく暴挙だと分かっていても、止められなかったのです」 本来、玩具としての万華鏡のオルガノンには、いかに深い恨みを抱こうとも、そのような破壊衝動が宿るとは考えにくい。もしかしたらそれも、兵器としての性能を上げるために、手術の際に人為的に植え付けられた闘争本能だったのかもしれない。 カーラはそんな彼の境遇に同情しつつ、ひとまずここに至るまでの状況を整理した上で問いかける。 「つまり、『その錬成魔法師の作った薬』を持っている人を襲っていた、ということ?」 状況的に考えれば、それが最も合理的な説明だろう。あの薬を作ったのが「パンドラの錬成魔法師」であるとすれば、彼を改造した錬成魔法師と同一人物である可能性は十分にあり得る。殺された者達の近くにその薬瓶が落ちていたという状況も説明がつく。 「はい。そして、おそらく『そこの彼』も私と同類だと思うのですが」 そう言いながら、ミロワールはアンジェを指差し、そして問いかけた。 「あなたに『その邪紋の力』を与えたのは、『左右の目の色の異なる錬成魔法師』ではありませんでしたか?」 唐突にそう問われたアンジェは困惑する。 「いや、僕はその人のことは知らないけど……」 正確に言えば、彼は自分の力を手に入れた時のことを何も覚えていない。だからこそ、その人物が関わっていた可能性も否定は出来ないが、そうだと言い切れる根拠もない。 一方、その話を横で聞いていたアスリィは、内心でその言葉が気になっていた。 (左右の目の色が違う魔法師……? なんだろう……? 昔、どこかで会ったような……?) 果たしてそれがいつの出来事だったのか、彼女が思い出せずにいる中、ミロワールはそのまま話を続ける。 「そうですか。しかし、あなたからは彼と同じ、いや、より正確に言えば、私と同じ気配を感じました」 だからこそ、ミロワールは(おそらくパンドラの一員であろう)薬の売人を見逃してでも、アンジェを倒すことを優先した。今まで出会ってきた誰よりも強く「あの錬成魔法師の気配」をアンジェから感じていたのである。 「私が言えることは以上です。処分はお任せします。しかし、シャルル様は本当に私に操られていただけです。どうかシャルル様には、寛大なご処置を」 そう言って深々と頭を下げるミロワールの横で、あまりにも衝撃的すぎる事実を聞かされたシャルルは茫然自失とした表情を浮かべつつ、自分の相方が引き起こした事件の重さを痛感しながら、ユーフィー達に対して訥々と語り始める。 「大変申し訳ございません……。これは、今まで全く気付けなかった私の責任です……。そして、人々を導くための聖印を持つ身でありながら、その身を操られ、その聖印で人殺しをしてしまっていた私の責任の重さは痛感しています……」 とはいえ、持ち主が眠っている状態であれば、オルガノンが持ち手を操ることはそれほど難しくはない。ましてやそれが「持ち主から信頼されていたオルガノン」であれば、持ち主の側の警戒心が弱まるのも当然であろう(あるいは「兵器としての活用」のために強化されたオルガノンであるということは、人々を操るための何らかの「特別な力」が備わっている可能性もある)。 「ですから、当然のことながら、今回の件に関しては私も処分を受けます。そして、彼の処分は私にやらせて下さい」 そう言いながら、シャルルは満身創痍のミロワールに対して、今度は自らの意志で聖印を作り出し、「聖弾」を彼に向かって打ち込もうとするが、そこにユーフィーが割って入る。 「ユーフィー様が、人を殺さない君主だということは知っています。だから、ここは私がやらなければ……」 シャルルが沈痛の表情を浮かべながらそう訴えるのに対し、ユーフィーはため息をつきつつも、素直に自分の思うところを述懐する。 「うーん、それは分かるんだけど、どうしてもこうやって、身体が動いちゃってね」 目の前で誰かが誰かを殺そうとする光景を見ると、(それがどうしても避けられない状態でもない限り)黙ってはいられない。それが彼女の性分なのである。 そんな彼女に対して、グランが問いかけた。 「しかし、どうするのですか? 解決法が見つからずに生かすというならば、拘束する必要があると思うのですが」 「そうだね。さすがに何もしないという訳にはいかないから、一度身柄は預かるけど、それはそれとして、『ミロワール君がその錬成魔法師の気配がする人を襲いたくなる』というのは分かったから、そこをなんとかする手段を考えてみてもいいんじゃないかな?」 ユーフィーのその提案に対して、ミロワールは淡々と答える。 「仮にそれが何とかなったとしても、私がこれまで幾多の冒険者の方々を殺めてきたという罪が消える訳ではありません」 その言葉で、再び周囲の空気は重く淀み始める。この時、グランは何か言いたいことがあったようだが、さすがにこの地の領主の前で持論を語ることは自重していた。 しばしの沈黙の後、ユーフィーが改めて口を開く。 「うん。罪は消えないよ。けど、罪を償う方法が『自らが消えること』だけなのかは、もう少し考えてほしいな。その上で、そうだというのだったら、さすがにもう止めないけど。しばらく頭を冷やして」 「しかし、もはや本来の形にも戻れない今の私に、仮にこの怨恨が消えたとしても、どう償えば良いのか、全く見当が……」 ミロワールがそう答えたところで、シャルルが再び口を開く。 「どちらにしても、この地で起きたことである以上、私達を裁く権利はユーフィー様にあります。ですので、私も、もし彼と一緒に償う道があるのであれば、示して頂ければ助かります」 シャルルとしても、ミロワールを殺して終わらせるよりは、共に償っていく方法を模索したいという気持ちはある。だが、そのための方法が果たして本当にあるのかどうか、そもそも、ミロワールの暴走の再発を防ぐ方法があるのかどうもかも分からなかった。 そんな中、同じオルガノンであるカーラがミロワールに問いかける。 「君、鏡としての機能は残ってるんだよね?」 「えぇ」 「彼と一緒に芸術的な光景を作ろうとしていた、と言ってたけど……」 「その通りです」 「じゃあ、万華鏡としての君と、今の君と、どちらがより美しい光景を作れると思うんだい?」 「正直なところ、万華鏡だった頃の自分では、自分自身を見ることが出来ませんでした。だから、どちらが美しいのかは分かりません。ただ、私がシャルル様の聖印と共に各地で作り出してきた幻影は、批判される人達からは批判されましたが、多くの人々からは好評でした。そして、同時に多くの人々に見せられるという意味では、結果的に今の状態の方が、より多くの人々を楽しませられるのかもしれません」 実際、今の「新たな身体」となったことで、シャルルと共に「新たな芸術」を作り出せることの高揚感に酔いしれていた感覚も、彼の中には確かにあったのである。 「そこまで自分で言えるのなら、それで満足は出来なかったのかい?」 「満足したつもりだったんです。それでも、私の中での復讐心が止められなかった……」 ミロワール自身、それがなぜなのかは分からない。手術の過程で生じた偶発的な副作用なのか、意図的な人格操作の結果なのかは分からないが、いずれにせよ、今の彼は自分で自分の精神が制御出来ない状態となってしまっていたのである。 「そっか……、壊れてからも使ってもらえるなんて幸せだな、と思ってたんだけど、武器と道具では、感覚が違うのかな……」 「実際、幸せではあると思います。だからこそ、今までずっと罪悪感もあった……」 このように言われてしまっては、カーラとしてもこれ以上は何も言えない。そして、グランが悲痛な表情を浮かべながら呟く。 「そう言った衝動は、止められるものではないからな。それこそ、本人にしか分からない。理性とかそういう問題じゃないから」 パンドラへの復讐心を胸に生きてきた者として、グランにはミロワールの気持ちがよく分かる。だからこそ、その怨恨を背負って生き続けることを本人が拒否しているのなら、早く楽にしてやるべきだと考えていた。 そんな周囲の空気を察しつつ、ユーフィーは改めてミロワールに問いかける。 「確かに、私がさっき止めてしまったのは、早計だったのかもしれない……。君は今、自分の新しい姿に対する満足心よりも、復讐心の方が上回っているんだろう?」 「そう、ですね……。結果的に、そうだったと言わざるを得ません……」 「このままだと、確かに君を異なる世界の来訪者として、この世界に留めておくことは出来ない。けど、君はまだ今の姿で作り出せる芸術を、完成させてはいないんだろう?」 「確かに、私はシャルル様と一緒に、もっと完成度の高い『花火』を作り出したいという気持ちはあります。そして、止められるものならば、自分の中のこの復讐心を止めた上で、人々を楽しませ続けたいという気持ちも。でも、どうすればそれが出来るかどうかが分からないのです……」 更に重くなり始めた空気の中で、ノエルが率直な問いを投げかける。 「どうにかして、彼を元に戻す方法はないのでしょうか?」 この場に錬成魔法師は誰もいない。実質的な一番の有識者とも言えるインディゴは、悲痛な表情を浮かべながら答えた。 「今の君を元に戻す方法は、確かに難しいだろう……。だから、君主の手で消されるというのであれば、それが良いのかもしれない。苦しみを抱えて生きていくのも辛いことだろうから……」 投影体は、一度この世界から消滅した後に、また何らかの形で再び出現することがある(たとえば召喚魔法師が呼び出す「従属体」などは、基本的に「前に呼び出した投影体と同じ個体」である)。その場合「以前に投影された時の記憶」はそのまま残っているのが一般的である。ただし、ミロワールの場合、もし一度消えた後に再投影されれば、身体は間違いなく「改造前」の状態で出現することになるため、「改造された」という記憶は残っていたとしても、身体に染み付いている復讐心は薄まっている可能性は高いだろう、というのがインディゴの見解であった。 一方、エーラムの魔法師協会には「記憶を消す」という技術もある。魔法学校の落伍者が記憶を消されて放任されたという事例はインディゴも数多く目の当たりにしてきた。ただ、身体が改造されたという状況そのものを直さないまま記憶だけを消しても、今の「歪な精神状態」が解消されるという確証は持てない。 その上で、身体を元に戻す方法があるのかと言えば、その「左右の目の色が異なる魔法師」以上の技術を持つ錬成魔法師ならば可能かもしれないが、ここまでの高度な「改造技術」を持った魔法師が、果たしてエーラムに何人いるかは不明である(そもそも「オルガノンの改造」という行為自体が明らかにエーラムの倫理的には禁忌である以上、それを元に戻す技術がエーラムにあるかどうかも分からない)。少なくともインディゴの人脈ではこれといったアテがない(「マリア」ならば可能かもしれないが、彼女が今どこで何をしているのかも分からない)。 更に言えば、記憶を消すという行為は、シャルルとこれまで培ってきた絆を消すことにも繋がる。果たしてそれが、本当に彼の望みなのかどうかも分からないだろう。それよりは、一度消滅した上での再投影という僅かな可能性に賭けたいと考えるかもしれない。 無論、開き直って兵器として生きていく道もあるだろう。自らの復讐心に従って「対パンドラ兵器」として新たな存在意義を見出そうとするなら、おそらく彼を必要とする人々はいくらでもいる。だが、それを強要されるくらいならば、おそらく彼は自ら死を選ぶだろう。人々を楽しませることを本能とする「玩具」のオルガノンにとって、その真逆の道を歩ませることは、精神崩壊に繋がりかねない。 「残酷だけれども、本人が望む通りに消してしまった方がいいのかもしれない……」 インディゴが改めてそう口にすると、カーラも俯きながら同意する。 「引導を渡すなら、あるじの手がいいだろうね……」 それが、同じオルガノンとしての彼女の見解であった。そんな周囲の人々の意見を聞かされたことで、ユーフィーの中でも様々な感情が去来する。 「そっか……、やっぱり、私はそういうところ、考えが甘いな……」 ユーフィーはそう呟きつつ、シャルルとミロワールに対して向き直る。 「止めてすまなかったね。最後は君達が選ぶべきだ。だからこれは、領主としての裁定じゃなくて、ユーフィー・リルクロートとしての個人的なお願いだ。最後に一度、『君達が作り出す芸術』を見てみたい」 「……分かりました」 シャルルがそう答えると、ミロワールも頷く。そしてミロワールは最後の力を振り絞って、既にボロボロになっていた自身の「本体」である「割れた鏡の破片」を夜空に浮かせ、シャルルがそこに光弾を放ち、その軌道が美しい紋様を作り上げていく。 皆がその美しさに見とれていると、やがてミロワールの姿が、徐々に薄くなり、彼を構成している混沌が、少しずつ自然発散されていく。 この最後の「花火」で力を使い果たしたが故なのか? それとも、改造による悪影響でそもそも体が弱っていたのか? もしくは、彼自身の中で「もうこの世界でやり残したことはない」という気持ちが高まったからなのか? あるいは、「これ以上シャルルを苦しめたくない」という彼の気持ちを世界の理(ことわり)が受け入れたからなのか? 原因は分からない。だが、彼は自分がこの世界から消えようとしていることを実感した上で、最後にシャルルにこう言い残した。 「申し訳ございませんでした。でも、もし再びこの世界に投影された時は、あの魔法師よりも先に、あなたに見つけて欲しいです。もう、こんなことは二度と出来ないですけど……」 そしてミロワールは消滅していく。その後には、シャルルが彼のために購入したニット帽だけが残されていた(ミロワールは光の当たり方によって髪色が変わる特殊な体質だったため、その異形の姿故に迫害されることを避けようと考えたシャルルの配慮であった)。ニット帽を握りしめながら涙を流すシャルルに対し、ユーフィーが声をかける。 「ありがとう、素晴らしい演目だった」 その言葉に対し、シャルルは黙って頭を下げた上で、涙を拭いながら答える。 「この光の芸術は、彼の苦しみと共に生み出されたものでした。もし、私がこれから先も君主であることが許されるのであれば、これから先は自力で、鏡を使わなくても『あの軌道』を再現出来るように、聖弾の訓練に励みたいと思います」 シャルルはそう宣言した上で、「咎人」として自らの身柄をユーフィーに預ける旨を告げ、ユーフィーもその申し出を受け入れる。とはいえ、ユーフィーとしては彼の罪を問うつもりはないし、それは彼女の補佐役であるインディゴも同様であった。 その上でインディゴは、シャルルに改めてこう告げる。 「前にも言ったが、聖印の光は民の心を照らすものだから、それを極めてこういった形で披露するというのも、君主の一つのあり方なのではないかな」 その言葉にシャルルは静かに頷く。皆が複雑な想いで彼等の様子を見つめる中、グランは一人、改めてパンドラへの怒りを燃え上がらせていた。 (彼の無念は、俺が晴らす! 次に会った時は、今度こそ容赦しない!) 3.3. 決意の相談 その後、改めてシャルルはここに至るまでの事情を皆に詳しく説明する。その話の中で、ミロワールがここに来るまでに、湖の方角に対して険しい表情を浮かべていた、という旨を告げた時点で、ユーフィーはふと思い出したかのように呟く。 「そういえば、その問題はまだ解決していなかったね……」 まだこの場にはシャルルもいる以上、あまり詳しい事情を説明する訳にもいかなかったため、ひとまず「湖の水質に不自然な変化が起きていること」を告げた上で、それが何か危険な兆候である可能性が高い、ということまでユーフィーが話すと、それに対してインディゴが口を開く。 「もしかしたら、その湖の異変も、その錬成魔法師が関係しているのかもしれません」 彼がそう考える根拠は、先刻の戦いにおける聖弾の軌道である。ミロワールに操られた状態のシャルルが放った四発の聖弾は(直前に斬り掛かったノエルではなく)ユーフィー、インディゴ、アスリィ、アンジェの四人に向けて放たれた。アスリィは「薬瓶」そのものを、インディゴはその破片を持っていたので、どちらも狙われる理由は分かる。アンジェに関しては詳細は不明だが、彼の邪紋そのものに「例の錬成魔法師の気配」を感じたとミロワールは言っていた。では、ユーフィーは? と考えた時に、彼女が湖北区域で「その魔法師が作り出した何か」に触れたことが原因ではないか、と考えれば辻褄が合う。 そして実際、ユーフィーには心当たりがあった。 「なるほど。これに反応した、ということか」 そう言いながら、彼女はアンジェから渡された「湖の水が入った注射器」を取り出す。街に戻ったらインディゴに調べさせようと思っていたが、ノエルの話があまりにも衝撃的すぎたこともあって、渡し忘れたまま彼女の鎧に付随した小道具入れの中に入ったままだったのである。もし、その湖水の変化にその錬成魔法師が関わっていたとするならば、それで十分説明はつくだろう。 この見解に対してはカーラも同意する。 「そうかと思われますね。あの湖から感じられた混沌は、そこまで定着した様子もなかったですし、最近になってあの湖の近くで誰かが何かをしていた可能性は高いです」 その辺りの詳細も含めてユーフィーが再度皆に事情を説明すると、グランもまたその湖の調査への協力を申し出て、ユーフィーもそれを快諾する。 一方、先刻からずっと黙り込んでいたアスリィは、ここで唐突に声を上げる。 「あ、思い出した! 前に、その『左右の目の色の違う魔法師』に話しかけられたことがあったんですよ! 」 それに対して、当然のごとく隣のグランが反応する。 「本当か!?」 「確か、いきなり現れて、『力が欲しいか?』とかなんとか言われたんです。でも、その時点で私はもう魔法師だったから、『別にいいです』と言ったら、どっかに行っちゃったんですけど……、確かになんとなく狂気を感じる雰囲気でした」 それは、彼女がグランと出会うよりも前の出来事である。どのような状況で出会ったのかもよく覚えてはいないため、あまり手掛かりにはならないし、同じ人物であるという保証はないが、もしその出会いがハルーシアにいた頃の話だとすれば、相当に神出鬼没な人物ということになるだろう。 ****** こうして皆の話題が「殺人事件の事後処理」から「湖北地方の異変調査」へと移行しつつある中、ノエルはどのタイミングで「戦闘中に気付いたこと」について切り出すべきか迷っていた。そんな彼のもどかしそうな様子に気付いたアンジェが、ふと声をかける。 「どうしたの? ノエル?」 「言いたいことがあるんだが、今この場で言うべきかどうか……」 「大事なことなら、言った方がいいと思うよ」 「そうだな……、言っておくか」 彼は意を決して、ユーフィー達に対して申し出る。 「僭越ながら、今、この場でお耳に入れておくべきことが……」 その真剣な表情と声色から、「かなり重要な案件」であることを察したカーラが、確認のために問いかける。 「……場所を移す必要は?」 「いえ、すぐに済むことですので」 彼はそう言った上で、先刻の戦闘中に「自身の記憶の中の何か」に反応した「四人」に向かって、こう告げた。 「ユーフィーさん、グランさん、インディゴさん、そしてカーラ。あなた方は、先程申し上げた『百八の星』に該当する人です」 その発言に対して、四人は当然のことながら衝撃を受ける。だが、その中でもグランだけは、他の三人とはやや異なる反応を示した。 「先程? 星? 何の話だ?」 ノエルがユーフィー達に「百八の星の話」をした時点で、グランはその場にいなかった以上、彼にはそもそもノエルが何を言っているのかが理解出来ない。 「あ、えーっと……」 いきなり前情報も無しにグランにこの話を繰り出してしまったことに気付いたノエルは少々焦る。そして、その四人以外の者達(アスリィ、アンジェ、シャルル)もまた、当然のことながら、ノエルが何の話をしているのか分からない。 一方で、ユーフィーは驚きながらも落ち着いた口調で答える。 「それは本当かい? だとすると、なおさら場所を変えた方が良さそうだね」 「はい、そうですね……」 ひとまず、この時点では夜も更けていたので、ノエルも含めて(彼のための部屋も用意するという前提で)一旦領主の館に戻ることにして、翌朝になってから改めて話をする、という方針で同意した。 ****** その後、アンジェ以外の面々は領主の館へと向かい、シャルルは一旦地下の拘置所に拘留させた上で、ノエルは急遽用意された客室へと案内され、そしてインディゴは念の為に村の周囲の混沌の状況を確認してみるが、特にいつもとは変わらない状態であることを確認した上で、改めて就寝の床につく。 そして、アスリィと共に客室に戻ったグランは、改めて彼女に声をかける。 「今日は色々、済まなかったな、アスリィ」 「え? 何がですか?」 「ちょっと、暴走しすぎた」 「いえ、そんな。暴走するのは私もですから」 「これからもよろしく頼む」 「はい、よろしくお願します」 「あと、お前のことを信用していない訳ではないからな。俺としては信用しているんだ。だが、領主としての判断としては……」 「あ、はい、大丈夫です。そこは、気にしてませんから」 「じゃあ、明日も早いから、もう寝るか」 「はい、おやすみなさい」 アスリィはそう告げると同時に、すぐに眠りに着く。こうして、激動の一日は静かに幕を下ろしたのであった。 3.4. 再説明と再調査 翌朝、ユーフィーの執務室に、ノエル、インディゴ、カーラ、グラン、そしてアスリィの五人が集められた。昨夜の戦いの際、アスリィからは「星の記憶」が感じ取れなかったため、本来ならば(関係者以外には極力情報を広げるべきではない、という事情に鑑みれば)彼女はこの場に招くべき人物ではないのだが、グランの性格上、いくら口止めを要求されてもアスリィには伝えるだろうと判断し、それならば最初から彼女にも直接伝えた方が良いという判断から、同席させることにしたのであった。 皆が揃ったところで、まずユーフィーが口を開く。 「私達は一通り話を聞いている訳だけど、ここはノエル君に改めて説明してもらった方がいいだろう」 「はい。では、私が君主になった経緯から説明させていただきます」 ノエルはそこから、昨日以上に詳細に一通りの事情を全て話し尽くした。二度目となるユーフィー達が改めてその内容を黙々と確認している一方で、グランとアスリィは、今ひとつ実感が湧かない様子ながらも、真剣にその話に聞き入る。 そして全て話し終えたところで、改めてユーフィーが(主にグラン達に対して)付言する。 「確かに、突拍子もない話なんだけど、私がこれを裏付ける証拠として判断した理由は『彼の聖印の大きさの明らかな不自然さ』と『カーラさんの感知能力』と言うことかな」 ここで唐突に話を振られたカーラであったが、本人の中でもある程度覚悟はしていたようで、落ち着いた口調で語り始める。 「その『感知能力』を信じてもらうためには、ボクのことも説明しないといけないよね……。まぁ、ボクの情報については、レア様に話を聞けば裏付けは出来ることなんだけど……」 そう前置きした上で、改めて彼女は名乗りを上げる。 「ヴァレフール初代伯シャルプが娘、母はヴィルスラグ、それがボクの正体なんだけど、ここまでは大丈夫かい?」 普通に考えれば、簡単に「大丈夫」と言えるような話ではない。ユーフィーとインディゴは過去にそのことを聞かされていたが、ノエルはあまりの衝撃に言葉を失う。一方、ブレトランド出身ではないアスリィとグランには、それがどれほど突拍子もない話なのか、いまひとつピンと来ていない様子であった。 「かっこいいですね!」 「……まぁ、とりあえず続けてくれ」 アスリィとグランのそんな反応を目の当たりにしつつ、そのままカーラは語り続ける。 「今回度々話題になっている、湖に住んでいる、トイバル卿を殺害したと言われる湖の魔物が、暴走していたと言われるマルカート様という方で、シャルプ様の母親でもあるんだけど、かの方が正気を取り戻したことで、ボクの心に度々語りかけてくるんだ」 実際のところ、グランやアスリィにとっては、出てくる人名自体にあまり馴染みがないため、カーラが何を言っているのかがよく分からないが、よく分からないまま話を聞き続けた。 「で、ボクはシャルプ様や、そのお父上であるエルムンド様の気配を感知する能力があるんだ。そのボクには、彼の聖印からそのエルムンド様の気配を感じ取っているから、ボクは彼の言うことを信じている」 カーラは、自分の説明で相手が理解出来るかどうかに自信が持てなかったが、ひとまずグランは微妙な表情を浮かべつつ答える。 「それが本当かどうかは後でレア様に確認するとして、ひとまずこの場では信じることにしよう。で、その聖印の大きさに関しては、確かに普通ではないな。俺が作った時でも、そこまで大きくはなかった」 グランはノエルの聖印を見ながらそう語る。実際のところ、今のノエルとグランの聖印の大きさはほぼ同程度だが、これはグランが様々な混沌を自らの手で浄化し続けて到達した境地であり、いきなり最初からそこまでの規模の聖印を手にするなど、通常の方法では、まずあり得ない。 「これはエルムンド様が、自ら最後の力を振り絞ってお造りになられた聖印です」 ノエルがそう語ると、グランはやや怪訝そうな様子を見せながらも、今の自分はその真偽を確認出来るだけの判断材料をそもそも持ち合わせていないことは分かっていたため、この場でそれ以上追求しようとはしなかった。 「完全に信じきることは出来ないが、今はそれが事実であるという仮定の上で行動することにしよう」 「ありがとうございます」 ノエルはそう言った上で、改めて大毒龍の話を伝える。特に、大毒龍が「人々の恐怖心」をその力の源泉としているが故に、この件については極力内密に進めなければならない、ということについては念入りに説明した。 上述の通り、グランは大陸出身者なので、「大毒龍ヴァレフス」への本能的な恐怖心はあまり強くはない。ただ、彼は全く別の事件を通じてその脅威を目の当たりにしていたため、ノエルの話を聞き終えた時点で、淡々とした表情のまま呟いた。 「そうなると、アレの生産も増やす必要があるな……」 「アレというのは?」 「それが決まったら、また伝えることにしよう」 実はヴィルマ村では、先日の事件を通じて「ヴァレフスの毒」に対する血清を作り出していたのである(詳細は前述のリンク先を参照)。もっとも、それは「ヴァレフスの毒がある程度まで薄まった状態で発生した伝染病」に対する薬なので、大毒龍本体の毒に効くかどうかは不明であるが、それでも無いよりはマシだろう。 「で、ここまでがノエルくんの話。その上で、カーラさんが感知したのが、湖からの気配」 ユーフィーはそう言いながら、再びカーラに話を振る。 「ボクというよりも、お婆様が感知したところによると、『世界を滅ぼしかねない悪しき気配』と、それよりも先に発生しそうな『国を滅ぼしかねない悪しき気配』が、あの湖に発生しているらしい。その二つ目に関しては、この地に元々ある混沌ではない、ということでした」 この説明に関しては、カーラ自身もよく分かっていないことを話している以上、伝わるかどうかは不安だったであろうが、グランがこの話を聞いた上で辿り着いた仮説は、昨日のユーフィー達と同様であった。 「一つ目は『ヴァレフスの復活』がそれに当たりそうだな……。で、問題はその二つ目の『直近の気配』の方か……。だとすれば、まずはその湖の北部に向かうべきかな」 その意見にユーフィーも同意する。状況証拠的に、パンドラ関連の危険な魔法師が何かを企んでいる可能性が高い以上、より詳細な調査が必要と考えるのは当然の発想である。 「そうですね。いつまでも少数部隊だけ残す訳にも行きませんし」 今こうしている間にも、湖の北岸で何が起きているのかは分からない。ノエル、グラン、アスリィにも同行してもらった上で、混沌の実態を調査するためにはインディゴも随行させる必要があるだろう。 そうなると、領主と契約魔法師の双方が不在となった状態のテイタニアの警護にやや不安は生じるが、幸い、このテイタニアにはもう一人の君主がいる。それは、ユーフィーの妹のサーシャ・リルクロートである。彼女は生来病弱な体質だが、君主として聖印を操ることが出来る人物ではあるため、彼女を中心に街の冒険者達を動員すれば、それなりの防衛体制を敷くことは可能である。それに加えて、いざとなったら、勾留中のシャルルを釈放して戦線に加えるという選択肢もユーフィーは考えていた。 3.5. 四星覚醒 こうして、湖の北岸の再調査という方針がまとまったところで、この後で大きな戦いが控えている可能性を想定したノエルは、改めて自らの聖印から「星核」を作り出し、「星々の前世」と思しき四人に提示する。 「では、湖に向かう前に、この『星の力』を皆さんに受け取ってもらいたいのです。きっと皆さんの力となることでしょう」 「星の力の伝授方法」については、天魁星からは「相手の身体の中に星核を押し入れるように」と言われている。要は、自身の星核を相手の身体の中へと「通過」させることが必要ということらしいのだが、ノエルとしても今ひとつ具体的な方法はよく分かっていない。感覚的には「聖印の譲渡」に近い感覚なのかもしれないが、それすらもノエルはまだ(「授ける側」としては)未体験である。 「おそらく危険はないと思いますが、やったことが無いので……」 自信が無さそうにノエルがそう言ったのに対し、ユーフィーが彼の前へと一歩歩み出る。 「なるほど。いずれは必要となることだしね。やってみようか。と言われても、感覚はわからないから、やり方は君に任せるよ」 ユーフィーはそう言いながら、ひとまず手を差し出す。ノエルが申し訳なさそうにその手を握ろうとすると、ユーフィーは少し笑いつつ、彼のその手を掴んだ。 「遠慮する必要はない。君にはまだまだ集めなければならない仲間がいるんだろう? こんなところで遠慮していては、この先、出来ることも出来ないぞ」 「……あなたが一人目であったことを、嬉しく思います」 そう言いながらノエルはユーフィーの手を強く握り、彼女に力を渡そうと念じると、彼の星核がその手を通じて彼女の身体の中を通り過ぎていく。父から聖印を受け取った時に近いような感覚を感じ取ったユーフィーの心の中に、何者かの声が聞こえてきた 《あなたの目指すべき希望を思い浮かべて下さい》 その声の主は「天魁星」である。ユーフィーはやや戸惑いつつも、心の中で語り始める。 (希望か……、領主としての至らなさを自覚させられたばかりだというのに、手厳しい……。とはいえ、そう簡単に変われるものではないな……) 内心で自嘲気味にそう呟きつつ、ユーフィーは自分自身に訴えかけるように述懐を続けた。 (私が私としてやりたいことは、一つしかない。テイタニアのために、そして私が出会う全ての人に、笑顔を届けたい。それが君主としての、ユーフィー・リルクロートとしての希望だと思う) 彼女が自分の中でそう宣言した直後、彼女の目の前にノエルと同じような星核が出現した。彼女の来世の姿であるこの星の名は「天退星」。まだこの世界に出現したばかりであるが故に、天魁星のように「前世」に対して語りかける力は持たず、それ故にユーフィーはその名を知ることすらも出来なかったが、それでも、自分の目の前に確かにノエルと同じ「星核」が作られたことは実感出来た。 「これは『上手くいった』ということでいいのかな?」 「はい」 ユーフィーとノエルがそう言葉を交わしつつ、互いに安堵した表情を浮かべたところで、今度はグランが立ち上がった。 「では、次は俺がやってみようか」 彼もまたユーフィーと同じように、自身の聖印が宿った手を差し出すと、ノエルもまた同様にその手を握り、そして心の中で星核に念じると、グランの心の中にも天魁星の声が響き渡った。グランはその声に対して、率直に答えた。 (俺には作りたい国がある。ただ、そのためには「あいつら」が邪魔だ。ただ復讐のためだけじゃない。君主として、平和を脅かす「あいつら」を、俺は許す訳にはいかない。たとえどんなに手が汚れようとも……) ここでグランの心の中に思い浮かんでいた「あいつら」とは、パンドラをはじめとする「今のこの世界の秩序を乱そうとする者達」である。その上で、民が平和に暮らせる国を作ろうとする彼の心に応えるように、彼の目の前にも星核が現れた。それはグランの来世である「天異星」の星核であるが、当然、グランにもこの時点ではその星の名は伝わらない。ただ、これまでに感じたことのない不思議な力と高揚感を、グランはうっすらと感じ取っていた。 その様子を確認した上で、今度はカーラがノエルの前へと歩み寄る。 「そちらのお二方は身体に聖印があるけど、ボクは本体に触れてもらった方がいいと思うんだよね」 彼女はそう言いながら、自身の「本体」を水平状態に掲げて彼の前に差し出した。 「掌を上に乗せてもらうといいかな」 実際のところ、オルガノンに対して譲渡する場合、星核を通過させるのが「本体」である必要があるのかどうかは分からないのだが、ノエルは恐る恐る大剣の上に手を置き、同じように念じると、カーラの心の中にも天魁星の声が響き渡る。それに対する彼女の答えは単純明快であった。 (あるじ様が望むように、民草が泣かない未来がいいな) 彼女が改めてそう念じると、彼女の前にも星核が生まれる。ただ、その星核の輝きは、他の三人とは若干「色味」が異なっていた。他の三人の星核が「青白い輝き」を放っていたのに対し、カーラの作り出したのは「赤みを帯びた輝き」を放つ星核だったのである。おそらくそれは「聖印由来の星核」と「混沌核由来の星核」の違いなのであろう(厳密に言えば、聖印も元は混沌核なのだが、混沌を消し去る力を持つ聖印は、やはり他の混沌の力とは異質なのかもしれない)。ちなみに、彼女の来世の名は「地満星」。同じ百八星の中でも、天魁星、天退星、天異星などとは異なる「地の星」として位置づけられていた。 「では、インディゴ様も、お願いします」 ノエルがそう言うと、インディゴも黙って手を差し出す。魔法師の場合、聖印や混沌核のような明確な「力の根源」を具現化させることは出来ないため、このやり方で正しいのかどうか不安はあったが、ノエルがその手を握ると、インディゴの心の中にも他の者達と同様に「天魁星」の声は響き渡った。彼は、自分自身が何を望むのか、改めて自問自答するように考え込みながら、答えを導き出そうとする。 (何か物事を始める時に、その一歩をなかなか踏み出せないということは、きっと誰しもあることだと思う……。そんな時に、誰かが一歩を踏み出せれば、それについていくことが出来る……。誰もその一歩が踏み出せないなら、自分がその一歩を踏み出せばいい。そうすることで、新たな世界を作り出すことが出来ればいい) そんな彼の想いに応えるように、彼の前にも「赤みを帯びた星核」が出現する。どうやら、魔法師が生み出す場合においても、混沌核から生み出された星核と同じ性質を示すらしい。そして、この星の名は「地魔星」。地満星と同じ「地の星」の一人であった。 この「天」と「地」の違いが何を意味しているのかは分からない。だが、いずれにせよ、大毒龍を倒すためにはこの星核を作り出せる人物を、あと百三人探し出さなければならない。そして、それ以前の段階においても、この星核の加護は様々な形で彼等を助けることに繋がるであろうことを、五人はそれぞれに予感していた。 3.6. 援軍と留守居役 星核の受け渡しが終わったところで、ユーフィー達は早速、湖北地域の再調査に向けての準備を始める。 グランとアスリィは、必要な物品を調達するためにテイタニアの商店街へと買い出しに行こうとしたところで、思わぬ同胞に遭遇することになった。 「あれ? アレックスじゃないか」 「グランさん、なんでいるんですか?」 そんな二人の会話に、アスリィも割って入る。 「アスリィさんもいますよ。むしろ、なんであなたがここにいるんですか?」 「いや、お使いも終わったし、今度はこのテイタニアで何か食べようかと……」 何の事情も知らずに呑気にそう語るアレックスの肩を、グランはポンと叩いた。 「そうか。ちょうどいい。アレックス、仕事だ」 「え? 仕事?」 「今は一人でも戦力が欲しいからな」 唐突にそう言われたアレックスだが、グランの真剣な表情から、何か重大な事態が発生していることはすぐに察する。 「そうですか。じゃあ、有給はまた別の時に書類を書くとして……、あ、そうだ。ヴェルナさんからお土産を貰ったんですけど」 アレックスはそう言いながら背負い袋から「お土産」を取り出そうとするが、即座にアスリィが止めに入る。 「どうぞ、一人で食べて下さい。それか、リリスさんとご一緒にどうぞ」 リリスとは、アレックスと仲が良い(と周囲からは認識されている)邪紋使いの少女であり、現在は彼等と共に新生ヴィルマ村で暮らしている。 「いや、意外と美味しかったんだけど……」 「あなたの味覚は信用出来ませんから」 アスリィにあっさりとそう断言されると、グランも勧められる前に断りを入れる。 「俺はもう腹一杯だから」 「じゃあ、夜ご飯にでも……」 「いや、いらない。これから戦いに行くのに、そんなもので体調を崩す訳にはいかない」 そんなやりとりを交わしつつ、アレックスもまた再調査隊に(相方である「異界の神の魂を宿した獅子」と共に)なし崩し的に従軍することになるのであった。 ****** 一方、ユーフィーは妹のサーシャ(下図)に、自分の不在時の対応に関する方針を一通り伝えつつ、彼女にノエルを引き合わせることにした。ノエルとしては、この街で思いのほか多くの「星々の前世の人々」と遭遇したため、もしかしたらサーシャもその一人なのではないかと考え、確認する必要があると判断したのである。 前夜の戦いの経緯から、君主の場合、何らかの形で聖印の力を発動させた時に、ノエルの中の「星の記憶」が反応するということが分かったため、確認のためにはサーシャにも同じように力を発動してもらう必要がある。 サーシャは病弱な体質である上に、半年ほど前まで(魔獣を一時的に封じるために)昏睡状態にあった、という事情もあり、実際の戦場に立ったことは殆どない。だが、それでも、いざという時に街を守るために、最低限の聖印の使い方の訓練は受けていた。彼女の聖印はグランと同じ「射手」の聖印であるため、ひとまず愛用の弓を手にしてもらった上で、天に向かって聖印の力を込めた矢を放ってもらうことにした。 事情もよく分からないまま、サーシャは言われた通りに聖印を掲げつつ矢を放つと、微妙に困惑した表情でノエルに問いかける。 「これで、よろしいのでしょうか?」 「はい、ありがとうございます」 ノエルは彼女の動作を凝視していたが、彼の中での「天魁星の記憶」は反応しない。どうやら、残念ながらサーシャは該当者ではないようである。 「今のは一体……?」 「簡単な『確認』のようなものです」 ノエルはそれ以上は語らず、そしてユーフィーも何も言わなかった。それは、彼女をこの戦いに巻き込まないように、という配慮なのであろう。そしてまたサーシャの方も、何か深い事情があろうことは察しつつも、あえてそれ以上聞き出そうとはしなかった。詳しい事情を説明されなくても、彼女はユーフィーに対しては絶対の信頼感を抱いている。ユーフィーもまた、伝えないことにより妹が不信感を抱くことはないと分かった上で、この判断に至ったのであろう。これはこれで、全てを包み隠さず話すグランとアスリィとはまた異なる形での絆であった。 ****** なお、この後、グランから紹介を受けたアレックス(とその相方の獅子)もまた「ノエル(天魁星)による星診断」を受けることになるが、彼(と獅子)もまた「該当者」ではなかった。この件について、アレックスもまた、特に深く言及しようとはしなかった。彼の場合は単純に、食べ物(香辛料)以外に興味を示さないだけなのかもしれない。 3.7. 廃棄物の融合 こうして、ユーフィー、インディゴ、カーラ、グラン、アスリィ、アレックス、アンジェ、ノエルの8名を中心とする再調査隊は、湖の北岸へと出発することになった。その途上は特に通常時と変わらぬ平穏な旅路であったが、遺跡が近付いて来るにつれて、湖の方面の混沌濃度が明らかに高まり、そして激しい水音が響き渡る。その異変に気付いた彼等が現地へと急行すると、そこには、見たこともない不気味な様相の 巨大な怪物 が湖畔に出現し、遺跡に残してきたアレス率いる残留部隊と激しい戦闘状態に陥っていた。 その怪物は、かつての魔獣騒動の折に出現した巨大黒蜥蜴(マルカート)と同等の体躯で、強烈な腐臭を放ちつつ、その表面は不気味な「ぬめり」で覆われていた。必死に応戦するアレスと兵士達であったが、彼等の武器や鎧は本来の機能を発揮出来ぬ程に原型を留めない形状となってしまっている。 「こいつはかなり厄介です。武器も防具も、触れた途端に溶けてしまいます。そして、斬っても、突いても、すぐに再生してきます」 半壊した槍で孤軍奮闘しつつ、アレスはそう語る。この時、ノエルの中の天魁星は、アレスから微かに「星の気配」を感じ取ってはいたのだが、アレスはここまでの戦いで既に力をほぼ使い果たした状態であったため、この時点ではっきりとした確証は得られなかった。それ故に、ノエルはそのことには気付かないまま、この巨大な敵を目の前にして、周囲に対して言い放つ。 「大毒龍を打ち倒すためには、皆さんに信じてもらう必要があります。俺にそいつを倒すための力があると。その力は、必ずしも『戦うための力』とは限らないかもしれません。だけど、敵を屠る力も必要なのは事実です。この戦いで、俺の『武』を示します。だから、もしあいつが倒れたら、俺に大毒龍を倒す力があると信じて下さい」 彼はそう言い終えると同時に、聖印から光の双剣を創り出し、幻想馬にまたがって突撃の構えを取る。 「なるほど。確かにいい機会だ。存分にやってくるといい」 ユーフィーはそう言いながら、彼と同じように聖印から二本の光の片手棍を生み出し、皆を守る構えを取る。彼女やノエルのように聖印から武器を作り出すことが可能な者であれば、この怪物によって武器が溶かされてしまったとしても、すぐに新しい武器を創り出して応戦することは可能となる。その意味では、手持ちの武器で戦うアレスや一般兵達よりも相性は良いだろう。 「せっかくだから、見せてもらおうか、君の力を」 グランもまたそう言いつつ、弓を構える。彼も彼で、弓そのものが怪物に触れることはない以上、よほど無茶な接敵を試みない限りは溶かされる心配はない。 一方、カーラ、アスリィ、アレックス、アンジェに関しては、いずれも身体の一部を武器として戦う能力者であり、この怪物との戦いは、文字通り身体を削って戦うことを余儀無くされるだろう。ひとまず、「不死」の邪紋使いであるアンジェは後方に退避するアレスや負傷兵達の護衛に専念した上で、カーラは自らの本体である大剣を、アスリィは自身の生命魔法で強化された拳を、そしてアレックスは異界の天使を模した炎の触手を、それぞれに構えた上で怪物の前に立つ。 そんな彼等の後方から、インディゴは持てる知識を総動員して怪物の様子を観察すると、どうやらこの怪物の表皮には装甲と呼べるほどのものはない。つまり、どんな攻撃法を用いてもその威力が削がれることは無さそうに思えたが、一方で、水の中にいることから察するに、乾燥に弱そうな気配を感じ取る。 インディゴがその旨を皆に伝えて、それぞれに炎の力などを纏わせて戦う戦術を模索しようとしたところで、その動きに気付いた怪物が突然、彼等全員に対して謎の不気味な体液を吹きかけてきた。その動きが緩慢であったために大半の者達は避けられたが、カーラだけは直撃してしまい、彼女の身体は斬りかかる前から激しい腐蝕に襲われる。 その直後、アスリィは水上に現れていたその巨大な怪物の上半身に飛び乗りつつ、雷撃を込めた拳で殴りかかると、確かな手応えと同時に、彼女自身の拳が蝕まれていくのを感じる。おそらく何度も殴り続けていけば、着実に彼女の拳は使い物にならなくなるだろう。出来る限り短期決戦で終わらせる必要があることを彼女は実感する。 その直後、グランは光の矢を放ち、インディゴは雷球を炸裂させる一方で、ユーフィーとノエルもまたその怪物の上半身へと飛び乗り、ユーフィーは双棍を叩きつけ、ノエルは双剣で斬りかかる。二人の武器はすぐさま破損するが、その直後に二人は再び聖印から同じ武器を作り出し、その間に今度は地上からアレックスとカーラが(どちらも自分の身体を犠牲にすることを覚悟の上で)「炎の触手」と「巨大化させた本体」で怪物を攻め立てる。 これに対して、怪物は自身の身体の上にいるノエル、アスリィ、ユーフィーに対して反撃を試みるが、ユーフィーの聖印とインディゴの魔法による妨害もあり、三人共見事に避ける。だが、一方で彼等が怪物に与えた傷も、見る見るうちに元通りに戻りつつあった。この時点で、短期決戦で終わらせることが極めて難しい状況だということを、彼等は思い知らされる。 その後は一進一退の状況が続いた。インディゴが魔法で怪物を陸上へと引き上げつつ、他の者達が次々と繰り出す攻撃によって着実に怪物はその体を弱らせつつも、アスリィやアレックスは自らの身が更に蝕まれていくことを実感する。そしてカーラもまた、自らの身体が長期戦には耐えられないことを予見した上で、ならばせめて動ける間に出せる力を出し切ろうとして大剣を振りかぶった瞬間、彼女の前に星核が現れて、奇妙な輝きを放つ。その輝きを受けたカーラが大剣を振り下ろすと同時に、いつも以上に鋭い衝撃波が怪物へと叩き込まれた。 (今のは……、星核の加護?) 一方で、怪物は陸に上げられた後もそのまま自分の身体に乗っている者達を攻撃するが、アスリィはあっさりとかわし、ユーフィーは双棍を用いてノエルを庇い、そこに更にインディゴが魔法の防壁を作ったことで(防具を破損させながらも)、完全にその攻撃を弾き飛ばす。 「ありがとうございます!」 ノエルはそう叫ぶが、そんな彼等の足元では再び怪物は自己回復を始める。ただ、インディゴが見たところ、その回復の勢いは最初の時よりも明らかに落ちている。どうやら、炎系の攻撃を与え続けることが、乾燥が苦手なこの怪物に対しては有効であるらしい。 だが、そんな怪物を殴り続けているアスリィの拳も遂に限界に達し、彼女もまた満身創痍の状態へと陥っていたことに、遠方から弓を構えていたグランは気付く。 「アスリィ、大丈夫か!?」 「大丈夫です。頑張って、皆で殺して下さい!」 その声を受けてグランが全力の光矢を放ち、防具を壊されたユーフィーもまた我が身を省みずに攻撃を続け、そしてインディゴも残された力を全て注ぎ込んで、雷球の力を一点に絞り込みながら怪物に叩き込む(この時、インディゴの前にも星核が現れて、赤みを帯びた光を放っていた)。更に続けてノエルの光の双剣が怪物に大打撃を与えると、アレックスとカーラもまた自らの身体を犠牲にして最後の一撃を繰り出し、その攻撃を受けた怪物がよろめきながら繰り出す攻撃をアスリィがあっさりとかわすと、その直後に怪物は倒れ込み、自分の身体を覆い尽くす程に(アレックス達によって)繰り出されていた炎に飲まれるように、そのまま消滅していくのであった。 4.1. 六番目の星 戦いが終わった後、ノエルの中の天魁星の感覚がようやくノエル自身にも伝わり、アレスから感じ取った「懐かしさ」の感覚に気付くと、彼はアスリィによる治療を受けていたアレスにも(周囲に伝わらない程度の小声で)「星」の事情を伝える。アレスは今ひとつ実感が湧かないような顔を浮かべつつも、ユーフィー達が同じようにその力を覚醒させたということもあり、ノエルの言葉を信じて彼の前に手を差し出すと、ノエルはその手を握りしめ、そしてアレスの中にも天魁星の声が聞こえる。 (望む未来、か……) アレスは、これまでの自分の人生を振り返る。かつて故郷のヴィルマ村が伝染病に襲われ、その拡大阻止のために焼き討ちにされ、そこから奇跡的に邪紋の力に覚醒し、テイタニアという新天地に辿り着き、仕えるべき君主に出会った。その後、同じように生き延びていた幼馴染は、二人の仇敵の片方を討ち果たした上で命を落とした。もう片方の仇敵は、退位した上で国を去った。ヴィルマ村は、仇敵の娘の命を受けた外様の領主の手で再建された。そして自分は、そんな外様の領主に対して、まだ気持ちの整理がついていないこともあって、(今、目の前にいるというのに)まだろくに挨拶も出来ていない。 そんな複雑な心境を抱えつつ、アレスは純粋に自身の中での願望のみを抽出した上で、それを心の中で端的な言葉へと集約させる。 (もう二度と、人が怨恨に苛まれぬ世の中を……) アレスが心の中でそう念じると、彼の目の前にも赤みを帯びた星核が発生する。こうして、ノエル、ユーフィー、グラン、カーラ、インディゴに続き、六人目の「星の前世」に相当する人物が、六番目の星核を覚醒させるに至った(なお、彼の来世の名は「地耗星」であり、彼もまた「地の星」の一人であった)。 そしてアレスは、先刻の戦いの中にいた「炎の触手を操る邪紋使い」の姿を改めて凝視する。 (アレックス……、なのか?) やや歳の離れた、名前がよく似た同郷の少年のことを、アレスはこの時ようやく思い出す。 (そうか……、お前はあの時、村にいなかったから……) どのような経緯で彼が邪紋の力を手に入れたのかは分からない。彼が自分のことを認識出来ているのかも分からない。ただ、どちらにしても、まだ自分の中で気持ちの総括が出来ていない状態で声をかけるべきではないだろう、と考えていた。 (村のことは頼んだぞ、アレックス……) 心の中で密かにそう呟きつつ、自分の傷が完治したのを確認したアレスは、部下の兵士達と共に周辺地域の安全確認へと向かうのであった。 4.2. 錬成魔法師の独り言 ようやく湖の北岸の遺跡の近辺が静寂を取り戻した頃、そこから更に北の森の中に、一人の男が(誰にも気付かれずに)到着していた。左右の瞳の色が異なるその男は、遠目に遺跡の状況を確認しつつ、大方の状況を理解した上で、悔恨の念を露わにする。 「一歩遅かったか……。もう少し早く『この可能性』に気付けていれば、この目でその現場を目撃することが出来たものを……。惜しいことをした……」 ユーフィー達の憶測通り、彼は以前、この遺跡を自身の魔法実験の拠点として活用していた。混沌濃度の高い大森林の中で例外的に混沌濃度が低い領域というのは、彼にとって様々な意味で都合の良い空間だったのである。彼はこの地で、大森林の混沌の中から生まれた魔物達を捕獲した上で、その魔物の一部を材料とした新たな魔法薬の開発や、複数の魔物を融合した強大な魔法生物の生成の実験を繰り返し、その過程で発生した「失敗作」は、惜しげも無く湖の中へと投棄していった。 だが、彼のその実験の結果として、大森林の中の危険な魔物の数が減り、結果的に冒険者達がこの地まで足を運ぶことが容易になってしまった。せっかく見つけた好条件の実験場ではあったが、ここで騒ぎを起こすのも起こされるのも面倒だとだと思った彼は(思った程の成果が得られなかったこともあり)、あっさりとこの場を放棄することにした。 ところが、つい先日、彼の「金色の右眼」の中に眠る何かが、この小大陸、あるいはこの世界全体を揺るがすほどの異変が起きようとしている気配を察知した。その気配の出所を探った結果、彼は再びこの地に辿り着き、そして湖で起きていた者達の会話を特殊な技法で遠方から盗み聞きした結果、この湖に出現していたという怪物が、「自分が投棄した失敗作が特殊融合して発生した合成獣」であろうという推論に至る。 「これは完全に想定外だったな。当初の私の予定とは全く異なる形で、私が求めていた怪物が生まれてしまうとは……。ある意味、無欲の勝利ということか。いや、実際に私がその怪物をこの目で鑑賞することは出来なかったのだから、勝利とは言えないな」 そして、その怪物が倒された後も、まだ彼の「右眼」が感じ取った予感は消えてはいない。おそらく、この湖の奥底で、何かが起きようとしているのだろう。彼の投棄物がこのような魔物へと発展したのも、おそらくはこの湖底に眠る特殊な力が影響している可能性が高いことは、彼の中でも推測はついていた。 「とはいえ、『本番』が始まるのはまだしばらく先のようだし、私はその間に、もう少し他の地域を散策させてもらうことにしよう。我が師も何やら色々と飛び回っているようだし、まだまだ他にも楽しみは増えそうだ」 彼はそう呟きつつ、去り際に調査隊の面々に眼を向けた時、何人か「見覚えのある若者」が混ざっていることに気付く。 「あれは確か……、昔、人工邪紋を移植しようとして失敗した四人の中に、あのような顔立ちの青年がいたような……」 アンジェを見ながら、そんな記憶を掘り返す。もし、この憶測が正しければ、彼の廃棄物が彼の知らないところで実を結んだのは、今回が初めてではない、ということになる。だが、あえてそれを確かめようという気にはならなかった。 それに加えて、アスリィと、そして実はアレックスも、かつて彼と遭遇したことはあったのだが、彼はそのことに気付きつつも、彼の中ではそれほど大きな出来事でもなかったため、あまり気に留める様子もなかった。そしてそれは、この物語全体の中でも、あまり大きな位置を占める問題ではなかった。 4.3. 湖畔の砦 人知れず舞い戻っていた元凶の存在に気付かぬまま、やがて遺跡の近辺に(現時点では)これ以上の混沌災害が起きていないことが確認出来た時点で、ユーフィーはこの地に「砦」を築くことを調査隊の面々に提言する。先刻のような混沌災害がいつまた起きるかも不明であるし、この辺りまで冒険者の面々が足を踏み入れることが増えているという事情にも鑑みた上で、この辺りに「前線拠点」があった方が良い、というのがその名目であるが、真の目的は、ノエルが言っていた「世界が滅びるほどの危機」に対応するためである。 調査隊の学者達の中には、貴重な遺跡の上に新たな砦を建ててしまうことによって、史料的価値が失われてしまうことを惜しむ者もいたが、もしまた再び先刻のような巨大な怪物が出現すれば、どちらにしてもこの遺跡自体が破壊されてしまう、と言われてしまうと、それ以上の反論も出来なかった。 やがて陽が落ち、月が夜空に登る頃、ノエル、ユーフィー、インディゴ、アレス、グラン、カーラの六人は、星空の中に「今まで見えなかった星」が見えるようになる。その数は十三。紅の山の麓でノエルが見た時に比べて、更に五つの星が増えている。おそらくは(天魁星が語っていた通り)ノエル以外の五人が星核を作り出した時点で、それに呼応するようにそれぞれの「来世」である星々が再び出現したのであろう。 「あれが百八個集まった時、大毒龍との戦いが始まります」 ノエルは五人にそう告げる。つまり、必要な「星」の数は残り九十五。もっとも、「今この場に前世のいない七つの星」に関しては、この時点でまだ星々の声が届いていないらしいので、実質的にはあと百二の「星核」の覚醒が必要ということになる。その彼等がどこにいるのか、今のところまだ何の手掛かりもない状態であるが、ひとまずノエルは、天魁星を通じて、他の星々に一言だけ伝える。 「オーハイネの地に、砦あり」 その言葉が他の七星の前世に届くのが、いつになるかは分からない。ノエルはそれまでに自分が為すべきことを考えつつ、ひとまずこの日は調査隊によって設立された野営地の中で、静かに眠りに就いた。 4.4. 再会の誓い 翌日。ユーフィーの指揮の下で、調査値はひとまずテイタニアへと全軍帰還することになった。後日、アレスを中心とした「砦建設のための特務隊」を派遣する方針ではあったが、今回の戦いで既に彼等も極度の疲労困憊状態にあったため、まずは一旦帰還した上で休養を取らせる必要があるとの判断である。 その出立の直前に、ノエルはカーラからの要望を受けて、湖の奥に眠ると言われている巨大魔獣に向けて、自分が覚えている限りの「エルムンドの最期」の様子を、心の中で克明に思い描きながら伝えていた。その声が届いたか否かは分からないが、カーラは(「孫」として)ノエルに改めて頭を下げる。 「ありがとう。じゃあ、ボクはこれから、あるじのところに向かうよ」 カーラの「あるじ」であるトオヤは、契約魔法師のチシャと共に、現在、祖母リンナの病気療養のためにアキレスに滞在している。そこへと向かうためには必然的に首都ドラグボロゥを経由することになるため、ユーフィーとグランが連名で、ヴァレフール伯爵レア・インサルンド宛に「この地に砦を作る真意」を記した手紙を書く。 大毒龍のことは極力内密に進めるべき話であることは二人共分かっていたが、早急に残り百二人の仲間を集めるためにも、国主であるレアの協力を得るべきという判断で一致していた。また、この場に集まった六人の顔ぶれを見る限り、残りの百二人も何らかの聖印や邪紋などの力の持ち主である可能性が高そうに思える以上、レアもまた有力な「候補者」であるし、仮に彼女自身がそうではなかったとしても、筆頭魔法師ヴェルナや護国卿トオヤを初めとする彼女の側近達の中に該当者が潜んでいる可能性もある。そういった者達への調査を実行するためにも、やはりレアの協力は不可欠であるというのが、彼等の考えであった。 一方、ノエルはひとまずこのテイタニアおよびその近辺の地域を順番に回って、星の共鳴が起きる人物がいないかどうかを確認することにした。今のところ、星核の力を覚醒させることが出来る者はノエルしかいないため、小大陸全体を虱潰しに行脚して調べていく覚悟は出来ている。そのための第一歩として、まずはグランと共にヴィルマ村へと赴き、村に住む冒険者達の中に該当者がいないかどうかを確認する予定であった。 「それでは、しばしの別れとなりますが、また会うことになるでしょう」 ユーフィー、インディゴ、アレス、カーラの四人に対して、ノエルが決意を込めた瞳でそう告げると、ユーフィーは彼の決意を深く受け止めつつ、にこやかな笑顔で答える。 「いずれ大毒龍ヴァレフスと戦う時、君と共に戦えることを、このテイタニアの地で待っている」 彼女の笑顔を目の当たりにしたノエルの中では、一瞬、それまでに自覚したことのない感情が芽生えかけたが(この感情の正体と結末については 別の物語 を参照)、ひとまず彼はその想いを脇に置いた上で、「百八の星々を集める使命を背負う者」として、改めて彼女にこう言った。 「覚えていて下さい。たとえ見えずとも、星はここにある」 こうして「百八の星の物語」は、エルムンドの聖印を受け継いだ一人の若者の決意と共に、因縁の湖の滸から、静かに幕を開けることになった。 八つの光が揃うまで、未醒の星はあと七つ。夜空に希望が満ちるまで、未還の星は九十五。 【ブレトランド水滸伝】第2話(BS54)「天雄之壱〜魔境村の真実〜」 グランクレスト@Y武
https://w.atwiki.jp/ragadoon/pages/1165.html
第2話(BS54)「天雄之壱〜魔境村の真実〜」( 1 / 2 / 3 / 4 ) +目次 1.0. 調査隊救出計画 1.1. 来世の記憶 1.2. 南方からの援軍 1.3. 北方からの援軍 2.1. 最前線の君主達 2.2. 救出隊集結 2.3. 魔境の地図 2.4. 魔境村の内側 2.5. 調査隊の証言 2.6. 老騎士と人造人間 3.1. 聖印の記憶 3.2. 星核の輝き 3.3. 踏み込む者達 3.4. 二つの真実 3.5. 最後の番兵 4.1. 平和のための捏造 4.2. 時代の分岐点 4.3. 帰還と祝杯 4.4. 褒美と土産 4.5. 名門貴族と女魔法師 1.0. 調査隊救出計画 アントリア領アグライアは、旧トランガーヌの北部と南部を繋ぐ交易の街である。この地の領主の名は、クワトロ・スコルピオ。しかし、彼は人前に立つ時は常に仮面をつけており(下図)、その素顔も素性も知る者は誰もいない。おそらくその名も偽名であろうと言われている。 彼はかつては流浪の騎士であったが、同じく流浪の身であったダン・ディオードと出会い、その旅の仲間に加わった後、彼のアントリア子爵家への婿入りと共にそのままアントリアへと士官した。軍閥的には(同じくダン・ディオードの流浪時代からの仲間である)バルバロッサ・ジェミナイを中心とする「騎士団長派」の一員である。 現在、彼が治めるアグライアの西方には巨大な魔境が広がっている。その地には、一年半ほど前までは「クラカライン」という名の村が存在していたが、(かつてアントリアに滅ぼされた)旧トランガーヌ子爵を中心とする新興国家「神聖トランガーヌ」による対アントリア逆侵攻を防ぐために、この地の領主であった「Dr.ジェロ」ことジェロ・リーブラ(下図)が密かに研究していた特殊な技術を発動させた結果、魔力の暴発によって混沌災害が発生し、村全体を包み込むほどの巨大な魔境が発生してしまった(ブレトランド戦記8参照)。ジェロは魔法師から君主へと転向した稀有な経歴の持ち主であり、闇魔法師と裏取引して何らかの「禁忌」に手を染めていたという噂もあるが、その真相は不明であり、現時点でのジェロの消息も掴めていない。 そして、この魔境に対しては、これまでアントリア側からも神聖トランガーヌ側からも幾度も調査隊が派遣されたが、未だに浄化には至っていない。もっとも、現在のアントリアを率いる子爵代行マーシャル・ジェミナイは、戦線の拡大よりも国力増強を優先する方針を掲げているため、あえてこの村を魔境のまま放置しておくことで衝突を避けようとしているのではないか、という噂もあるが、昨今は彼が表舞台に出てくる機会自体が減っているため、その真意はアントリアの諸将も測りかねている。 それでも、定期的にアントリア側からクラカラインの魔境の状況を確認するための調査隊は派遣され続けている。そこで中心的役割を果たしているのが、クワトロの契約魔法師ハンナ・セコイア(下図)であった。彼女はアントリアの首席魔法師ローガンと同門であり、本来は本流(紫)の錬成魔法師であったが、自身の赴任村の隣に魔境が発生したことから、魔境探索に適した「菖蒲」の錬成魔法も習得し始めて、最近ではそちらの方が実質的な本業となりつつある。 だが、現在、そんな彼女を中心として派遣された「第13次クラカライン魔境調査隊」が、帰還予定の期日(突入から一週間後)を過ぎても帰って来ない、という緊急事態が発生していた。この状況に対し、ローガンは引き続き彼女達の帰還を待つ方針を提示したが、武官達はこの方針に反発し、一刻も早く同胞達を救うべく、彼女の契約相手であるクワトロを中心とした「救出隊」を派遣することを決定する。クワトロには近日中に周辺の村からの援軍と合流した上で、救出作戦へと向かうよう、バルバロッサからの命令が下されたのであった。 1.1. 来世の記憶 その連絡が届いた日の夜、クワトロはハンナの無事を祈りつつ、領主の館から一人夜空を眺めていると、彼はその夜空に発生した「小さな異変」に気付く。 「おかしい……、星の数が……?」 彼には昔から(正確に言えば、初めて聖印を手に入れた日から)奇妙な能力が備わっていた。それは、夜空に浮かぶ「他の人の瞳には映らない、青白い光を放つ八つの星」の存在を視認する能力である。自分以外にその星々を見ることが出来る存在に出会ったことはない以上、それらが本当に存在する星なのかどうかも疑わしかったが、それでも確かに彼の目にはそれらが放つ輝きが常に映り続けていたのである。 だが、今の彼の目には、その「八つの星々」の周囲に、更に五つの「未知なる星」が光り輝いている光景が映っていた。そのうちの二つは八つの星々と同じように青白く煌めいていたのに対し、残りの三つは赤みを帯びた輝きを放っている。だが、その三つの赤い星も含めて、それらが以前から見えていた八つの星と同種の「何か特別な存在」であることは、本能的に察知出来た。 「何かの予兆だろうか……」 彼がそう呟いた直後、彼の脳裏に「謎の声」が響き渡る。 《私の声が聞こえますか、我が前世よ?》 その声は、明らかに「耳」ではなく「脳」に直接語りかけてきていることがクワトロには分かる。それがどんな原理なのかは不明だが、クワトロは周囲に人影がないことを確認しつつ、ひとまず空に向かって問いかけた。 「誰だ、お前は?」 自分の声が「謎の声の主」に届くかどうかは分からぬまま口にしたその言葉に対して、先刻と同様に彼の脳裏に「返答」が響き渡る。 《私は、あなたの来世です。と言っても、理解はしきれないでしょうが……》 その声と同時に、クワトロの視界に「明らかに『今』ではない映像」が広がる。それは「一人の男性の君主」と「一人の女性の魔法師」と「幾体かの大型投影体」が共闘して、「超大型の龍のような何か」と戦っている状況を、上空から見下ろしているかのような、そんな光景であった。クワトロにとって、それは確かに「初めて見る光景」の筈だったが、彼はなぜか、瞬時にその状況を理解出来た。それは紛れもなく、四百年前にこのブレトランドで繰り広げられた、英雄王エルムンドと大毒龍ヴァレフスの戦いだったのである。 ブレトランド出身ではないクワトロにとって、エルムンドの伝承はそれほど馴染みのある話ではない。ましてや英雄王と共に大毒龍と戦った「大型投影体」のことなど、知る由もない。だが、それでも彼にはすぐにその状況が理解出来た。エルムンドの周囲にいる六体の投影体の正体が、かつて「エルムンドの七騎士」と呼ばれた忠臣達であることを(その詳細はブレトランドの英霊7参照)。そして「この状況を上空から見ている存在(クワトロと視界を共有している存在)」こそが、残り一人の七騎士である「トレブル・クレフ」であることもまた、なぜか彼は即座に理解出来た。 「……私が見ているこの状況は、貴殿が見せているということか?」 《そうです。『私の中の記憶』を、あなたの脳裏にそのままお伝えしています》 クワトロと「謎の声」との間でそんな会話が繰り広げられる中、やがて「女魔法師」が長時間の呪文詠唱を完成させると、空から数多の星々が大毒龍に向かって降り注ぎ、エルムンドと七騎士(大型投影体)達もまた同じように自らの身体から「星のように光り輝く何か」を発生させ、それらが大毒龍に向かって解き放たれたことで、大毒龍が消滅する。 そしてクワトロの視界が元に戻ると、改めて「謎の声」が語り始める。 《あなたは私の前世です。あなたが死後に星界(Starry界)へと転生した後、今から約2000年前のこの世界に『天雄星』として投影された存在。それが私です。そしてあの大毒龍は、星界において、私を含めた百八の『この世界から投影された星々』によって倒された存在でした》 それはあまりにも突拍子もない話であったが、クワトロは黙って聴き続ける。不思議とそれは彼の中で「かつて自分が経験したこと」であるかの如く、奇怪ながらも不思議な懐かしさを感じさせるような、そんな不思議な実感に包まれていた。 《それが過去に二度に渡ってこの世界に投影され、この世界を破壊しようとしましたが、一回目は私の『異世界における来々世』としての私を召喚するという形で、二回目はこのブレトランドの騎士であったトレブル・クレフに力を与えるという形で、いずれも防ぐことは出来ました。しかし、間も無く三体目の『大毒龍の投影体』がこの地に出現しようとしています。それを倒すために必要な『星核(スターコア)』を、もう一度作り出してもらいたい。私の前世であるあなたには『星核』を作り出す力がある筈です》 「星核」という言葉は、この世界では決して一般的に知られたものではない。だが、先刻の映像が脳内に流れ込んだ時点で、彼の中ではそれが「エルムンドと七騎士(大型投影体)達が放っていた光のような何か」であるという認識までもが共有されていた。四百年前の戦いの時にも、二千年前の戦いの時にも、そしてこの世界とは異なる時空である星界の戦いにおいても、自分と共に戦った仲間達の力の源である星核が、大毒龍を倒す時の鍵となった時の記憶は、うっすらと彼の中にも共有されていたのである。 《あなたが望む『理想の未来』を想像して下さい。それを求めるあなたの想いが、聖印によって『星核』として現出するでしょう》 なぜそうなるのかは、クワトロにも、彼の来世である天雄星にも分からないが、おそらくはそれが彼の英雄としての力の源泉なのだろう。彼が目指す未来の道標が、彼の心の力となる。その意味では、君主が聖印から作り出す「戦旗」に近い存在なのかもしれない。 「私が願う世界は……、人々が傷つけ合う必要のない、平和な世界」 クワトロがそう願うと同時に、彼の目の前に一つの光源体が現れる。それはこれまで彼が夜空に見てきた八つの(現在は十の)「彼にしか見えない星」と同じ青白い光を放っており、これこそが「天雄星」としての「未来の彼」の姿でもあった。 《その星核を作り出せる仲間が、あなたの他に後107人いる筈です。全員の力を結集させれば、大毒龍を倒すことも出来るでしょう。その星核を、他の『星の前世』である人々に注ぎ込めば、星核を作り出す力は伝播出来る筈です。今現在、その力に目覚めている人は、あなたの他に六人。あなたで七人目です》 つまり、それが「彼にしか見えない星」の数が増えた要因なのであろう、ということはクワトロにもうっすらと理解出来た。厳密に言えば、現在彼の目に見えている「十三の星」のうち、「新たに見えるようになった五つの星」と、「もともと見えていた八つの星の中の二つの星」が、「星核の力に目覚めた者達の来世」であり、「残りの六つの星の前世」に関しては、まだ星核を作り出せてはいない、ということになる。 「そうか、私がこれまで見た『他の人には見えない星々』には、何か特別な意味があるのかと思っていたが……」 この状況において、この「謎の声」が語る内容が真実であると確信出来る要素はない。だが、クワトロ自身は、ひとまずこの声を信じることにした。それが何らかの魔術的な催眠による暗示効果の可能性もあるが、偽りであると確信出来る要素もない。 《そして、今、あなたの近くに「同じ力を持つ人々」が集まりつつあるように感じます。私の声があなたに届くようになったのも、それが原因なのかもしれません。その人々が、聖印なり混沌なりの力を使っている場面を見れば、同じ星核を作り出す力の持ち主であることが分かる筈です。問題は、この話を信じてもらえるかどうか、ですが》 確かに、クワトロ自身が「この声」の言うことを信じたとしても、他の人々にも同様に信じてもらえる保証はない。とはいえ、ひとまずは実際に「力を持っていると思しき者」を発見した時点で、相手の立場や状況を見ながら判断するしかないだろう。 そして、数日前に目覚めた「天魁星」からの「伝言」も、この時点で天雄星経由でクワトロに伝えられた。 「オーハイネの地に、砦あり」 天魁星ことノエルのその伝言が、初めて「他の八星の前世」へと届いたのである。 「オーハイネ……?」 クワトロには、その地名の記憶がない。だが、すぐに天雄星が補足する。 《かつて『私達』が大毒龍と戦った地です。ブレトランド南西部の森の中の湖の北岸、と言えば分かるでしょうか?》 おそらくその湖は、ヴァレフール領テイタニアの西方に広がるパルトーク湖のことであろう、ということまでは推察出来る。「アントリアの騎士」である「今のクワトロ」がその地に向かうには様々な障害があるが、もし本当に世界そのものの危機ということであれば、超国家的な協力体制をブレトランド全体で構築すべきだろう。 だが、ここで天雄星は、一つの「厄介な追加情報」を伝える。 《大毒龍は『人々の不安な心』をその力の源としています。ですので、大毒龍復活の話は『星の前世の人々』以外には、極力伝えないで下さい。特に、一般市民の間にその情報が広がると、極めて危険な状況に陥ります。最悪の場合、百八の星核の力を以ってしても倒せないほどに強力な存在となってしまうかもしれません》 つまり、仮に国家間で協力関係を築くとしても、公的に「大毒龍の復活を止めるため」という理由を掲げる訳にはいかない、ということである。これは極めて厳しい条件と言わざるを得ない。裏交渉によって秘密裏に協力関係を結ぶにしても、少なくとも「ただのアントリア騎士」としてのクワトロの立場では、国家首脳間の交渉に関与することが出来ないだろう(ただし、それはあくまでもクワトロが、本当に「ただのアントリア騎士」だった場合の話なのであるが)。 とはいえ、今のクワトロの中では、まだこの「世界の危機」に対しては今ひとつ本格的な実感が湧かない。少なくとも今の彼の中では「いつ復活するかも分からない大毒龍の脅威」よりも、「既に行方不明となっている自身の契約魔法師の安否」の方が重要な案件であることは間違いない。まずは今、目の前のこの問題を解決しないことには、その先の問題への本格的な方策を考える余裕もない。 唐突な「来世からの警告」に対して困惑した心境に陥っていたクワトロであったが、ひとまず今は気持ちを切り替えて、ハンナの救出作戦に向けての準備を再開することにした。 1.2. 南方からの援軍 アグライアの南方に位置するアントリア領カレ村は、グリース子爵領との国境線に位置する「最前線の村」である。現在、アントリアとグリースは特段対立関係にある訳ではないが、グリース側の最前線であるアトロポス村には反アントリア派の急先鋒であるコーネリアス・バラッドが駐在し、カレ側にもコーネリアスの宿敵である白狼騎士団の面々が常駐していたため、常に両国の国境線上には一定の緊張感が漂っていた。 「勘弁して下さいよ〜、私はただの商人ですから。連合とか同盟とか、どうでもいいんで……」 怯えた表情を浮かべながら通行許可を願う行商人に対し、この村に駐在する白狼騎士団の部隊長であるディーオは検問官として下卑た笑みを浮かべつつ、威圧的な物腰で言い放った。 「それを証明したいんだったら、『金』か『女』だな」 ディーオは白狼騎士団の団長ヴィクトールの息子であり、酒呑童子を模倣する邪紋使いである。彼は、この村に住む自然魔法師のサンドラ・リンフィールドから「幻想詩連合からの密偵がアントリア内部で暗躍している」という予言がもたらされたことを理由に、独断で検問の強化(と言う名の恐喝)を進めていた(なお、サンドラ、ディーオ、および「幻想詩連合からの密偵」など、本節で言及されている登場人物達の詳細に関してはグランクレスト異聞録4(イースTRPG編)を参照)。 「そ、そんな……、それがこの村の流儀なんですか?」 「まぁ、そうだな」 あまりに理不尽なそのやりとりに対し、唐突に近くの畑から、一人の若者が割って入った。 「まぁまぁ、そこの旅人さん。それはこの人が勝手に言ってるだけのことですから。ここは暖かい村ですよ」 いかにも人の良さそうな物腰でそう語るその農民風の若者に対して、ディーオは皮肉を込めた口調で吐き捨てる。 「あぁ。領主が自分で畑耕してるくらい、呑気な村だな」 「え? そ、そうなんですか?」 旅人が困惑した顔を浮かべる中、「農夫」は笑顔で答える。 「はい、そうですよ。それくらい暖かい村です」 「暇なだけだろ」 ディーオはそう言い捨てつつ、新たな恐喝対象を探すためにその場を去り、彼に代わってその農夫がその旅人の持っていた身分証明証を確認する。どうやら、この旅人はアストリッド商会の一員であり、この村に住むアストリッドの妹ラヴィーニャに届け物があったらしい。 農夫はそのことを確認すると、笑顔で旅人に提案した。 「ここでお会いしたのも何かの縁ですし、この村までの旅路でお疲れでしょうから、今夜の宿をお貸ししましょう」 「そうですか、そうして頂けると助かります」 商人が素直にそう答えると、農夫は笑顔を浮かべながら、その商人を「この村の領主の館」へと案内する。 「ようこそ、カレ村へ」 「え? ここって……」 商人が状況が理解出来ずに呆然としているところで、領主の館から若い魔法師が姿を現した。この村の領主ジーク・サジタリアスの契約魔法師オラニエ・ハイデルベルグである(下図)。 「領主様、大変です!」 「どうしたんだい?」 そう答えた「農夫」に対し、オラニエは「中央」から届いた指令を伝える。曰く、カレ村の領主ジーク・サジタリアスに、現在行方不明となっているクラカラインの調査隊の救出作戦への協力命令が届いたらしい。しかも、その「行方不明の調査隊」の中には、数ヶ月前にこの地で起きた混沌騒動で解決に尽力してくれた、一人の「老婆」が加わっていたという。 その老婆の名は、メイプル・プラムス(下図)。月光修道会が運営するバランシェの神聖学術院の歴史学科の教員であり、元ヴァレフルール騎士団副団長グレンの異父姉でもある。かつては大陸で女君主として名を馳せた人物であったが、現在は聖印を返上して、一教員として神聖学術院にて後進の指導に専念している。今回の調査隊には、魔境や混沌災害の歴史等に精通した研究者として同行しているらしい。 「先生が行方不明? それは大変だ。今すぐ向かわなければ。お客人、すまない。私は急用が出来た。オラニエ、この人のことは任せたよ」 「あ、はい。それで、この人は?」 「怪しい者ではない」 そう言って、呆気にとられたままの旅人をその場に放置したまま、「農夫」ことジーク・サジタリアスは領主の館の中の自室へと向かい、旅立ちの準備を始めることにしたのであった。 ****** それから小一時間後、久しぶりに鎧を着込み、武装を整え、「君主」の様相になったジーク(下図)の元に、この村に住む「占い師」のサンドラ・リンフィールドが姿を現す。彼女もまた「数ヶ月前にこの村で起きた混沌騒動」の解決に尽力した人物の一人であった。 「ジーク様、ジーク様」 「どうしたんだい?」 「遠くに行くんでしょ?」 「あぁ、そうだね」 「それで、あの、なんというか、『お告げ』みたいなものが来たから、伝えるね」 彼女は「リンフィールドの時読みの一族」として知られる、時空魔法を得意とする自然魔法師の一員である(そしてパンドラ均衡派の一員でもあるのだが、そのことをジークは知らない)。 「『星』『来世』『出会い』、この三つ。何なのかは分からないけど、とりあえず」 彼女は日頃から訥々とした口調で話すため、何を言いたいのか今ひとつ要領を得ないことが多いのだが、今回に関しては、彼女自身もこの「予言」の意味を測りかねているようである。 「星と、来世と、出会い……? 一体、私が行く先に、何が待っているんだ?」 「分からないけど、なんか、伝えた方がいい気がした」 実際のところ、サンドラにもそれ以上の意図はない。ただ、時空魔法師の直感として、これが極めて重要な情報であることを感じ取り、彼に伝えなければならないと本能的に察したらしい。 「ありがとう。それを聞いたところで、私がやることに特に変わりはないのだが、何かきっと役に立つと思う。褒美として、後であなたの家に大根を届けに行くよ」 大根(より正確に言えば白長大根)はカレ村の主要産業であり、ジークも日頃から農民達に混ざって自作の大根を作り続けている。一時期は、この大根が貨幣の代替品として流通するほどに、この村の人々にとっては無くてはならない存在となっていた。 無論、一人暮らしのサンドラにとっては、大根がそう何本もあっても、それほどありがたいものではない。とはいえ、そう早々と腐るものでもない以上、ひとまずは黙って受け取っておくことにしたのであった。 ****** それから数日後、ジーク直属の森の民を中心とした兵士達が、何台かの荷馬車を引き連れてジークの元へと集合する。その荷馬車の上には、大量の大根が積まれていた。 「領主様、アグライアに届ける大根は、これでよろしいでしょうか?」 「ふむ、これくらいあれば大丈夫だろう。では、行くか」 別にアグライアから食糧支援の要請があった訳ではないのだが、ジークとしては「よその村にお邪魔するのだから、手土産を持っていかねば」という考えらしい。 「大根、多くねえか?」 彼の留守を守る白狼騎士団のディーオは呆れながらそう呟きつつ、ジークに語りかける。 「まぁ、それはそれとして、ジーク」 「なんだ? 一緒に行きたいのか?」 「いや、別に。まぁ、魔境討伐にも行きたいと言えば行きたいが、俺はそれよりも、トランガーヌだかグリースだかと早く戦争がしたいからな。とっとと魔境を祓って来いよ」 「あぁ、任された」 「俺はその間に、女でも漁るさ」 そう言って笑うディーオの様子に一抹の不安を感じつつも、ジークはアグライアへと向けて出立するのであった。 1.3. 北方からの援軍 アグライアの北方に広がるモラード地方の一角に、エルマという名の村がある。ウイスキーの名産地として知られている酒造の村だが、現在、この村では領主の契約魔法師であるエステル・カーバイト(下図)の指示の下、急速に物資調達と遠征軍の整備が進められていた。 遠征先は、クラカラインの魔境である。エステルは菖蒲(亜流)の錬成魔法師であり、魔境攻略の専門家である。現在行方不明のハンナはエーラム時代の学友であり、今回の調査隊には彼女の他にも、これまで数多の魔境攻略に関わってきた(その過程で何度かエステルとも共闘したことがある)冒険者(邪紋使い)のアオハネ(下図)も参加していたとエステルは聞いている。彼女達ですら苦戦するほどの魔境ということであれば、いよいよ「本業」のエステルの出番となるのも必然的な流れであろう。 そんな彼女の元に、師匠であるカルディナ・カーバイト(下図)から、魔法杖を介しての通信が入った。 「どうやら、クラカラインの魔境に調査に行くらしいな」 「はい! 遂に、遂に魔境ですよ!」 エステルとしても、ここまで本格的な魔境に突入するのは初めてなので、意気揚々とした様子が語調からも伺える。 「あそこはかなり厄介な案件らしいが、それに関して『とある筋』から情報が入って来てな」 カルディナはそう前置きした上で、神妙な声色で語り始める。 「あくまで『とある筋』からの情報なのだが、どうやら、あの魔境、パンドラが興味を示しているようで、海方面から調査に向かっているらしいぞ。あくまでも噂だがな」 以前から、あの魔境の出現にはパンドラが関わっているのではないか、と憶測する者達はいたが、この噂が本当であれば、その可能性は否定されることになる。もっとも、パンドラも内側には様々な組織が混在しているし、(魔境を作った側、もしくは調査している側のどちらかが)「パンドラを追われた魔法師」という可能性も十分にあるだろう。 「……その話、ヴェルディに言いました?」 「いや、言ってない。ヴェルディは『私がせっかく苦労して手に入れてきたパンドラの話』を伝えると、なぜか『訝しげな目』で見るのでな」 カルディナとしては、半年前のマージャでの一件の時の彼女の反応が、少し引っかかっていたらしい(詳細はブレトランドと魔法都市4参照)。 「なら、いいです。いや、あの子はいい子なんですけどね……」 もしヴェルディがこの話を聞けば、おそらく積極的に参戦を申し出るだろうが、何の情報もない危険な魔境への潜入作戦に幼い末妹を連れて行くことは、魔境探索の専門家であるエステルとしては良心が咎めるらしい。彼女は師匠からの忠告を心に留めつつ、引き続き出立の準備を進めることにした。 ****** 今回のエルマからの遠征軍の指揮官は、エステルの他にもう一人いる。それが、日頃は「酒蔵の番人」を務めている地球人の二刀流女剣士、リッカであった(下図)。 彼女もまた魔境という強敵との戦いを前に勇んで準備を進める中、この村の最大の酒場である「北の川虎亭」の酒場主であるダンカン(下図)が、彼女の見送りに来ていた。 「しっかり頼むぞ。ユリシーズが戻って来てくれないと、色々と困るからな」 ユリシーズとは、この村とエスト(モラード地方の中心地)の間での酒の輸送時に護送隊長を務めている邪紋使いであり、リッカにとっては剣の好敵手でもある(下図)。元々は南トランガーヌの貴族家出身であるが故に、その土地勘を期待されて(アオハネ同様)彼もまたハンナと共にクラカラインの調査隊に参加して、そのまま行方不明となっていた。 「そうですね。放ってはおけませんからね」 リッカはそう答えつつも、その表情が不安や心配よりも高揚感に満ち溢れていることは、ダンカンにもすぐに分かった。ダンカンもまた、かつては将軍として様々な戦場を駆け巡った身であるからこそ、その「戦士としての本能」は理解出来る。ただ、彼はリッカとは異なり、一国の政治にもある程度まで関わる身であったことから、今回の作戦の背後で展開されているであろう為政者達の思惑が気になっていた。 「本来、魔境浄化ということであれば、ウチの領主様が指揮官となるべきなんだろうが、その領主様には『お留守番』が命じられたってことは、多分、あの魔境を浄化させたくないんだろうな、『上』の人達は」 この村の領主であるベアトリスは、対混沌戦において本領を発揮する聖印の持ち主である。本気で魔境の浄化を目指すのであれば、彼女を連れて行かない理由はない。そして、クラカラインの魔境が浄化されれば、神聖トランガーヌの首都ダーンダルク攻略への直通路が開ける以上、それはブレトランド統一を掲げるアントリア子爵ダン・ディオードの悲願にも繋がる。 しかし、今のアントリアには、ここで神聖トランガーヌ相手に本格的に攻勢をかけられるだけの国力があるとは言い難い。だが、クラカラインをアントリアが領有することになれば、神聖トランガーヌ側からは(アントリア側に先手を取られる前に)必然的にクラカラインに対して全力で攻勢を掛ける必要がある以上、全面衝突は避けられない。神聖トランガーヌとグリースが休戦協定を結んでいる現状においては、最悪の場合、神聖トランガーヌとグリースとヴァレフールの三国がアントリアに同時に攻め込む可能性もある。 そのような状況だからこそ、これまでの調査隊にも「魔境を浄化出来そうな規模の聖印を持つ君主」は一人も参加しなかった。アントリア側にとって、あの魔境が「最も効果的な対神聖トランガーヌの防壁」である以上、首脳陣は(少なくとも今は)本気で魔境を浄化しようとは考えていないのだろう、というのがダンカンの憶測である。 とはいえ、その「君主抜きの調査隊」による調査活動が失敗に終わった(と判断せざるを得ない状況になった)以上、今回ばかりは「上」としても、クワトロやジークといった君主達の参加を拒絶する訳にはいかない。だが、それでも、この村の領主であるベアトリスの参戦だけは避けなければならない理由があるのだろう、とダンカンは考えていた。 「領主様のあの性格だと、勢い余って浄化しかねないからな。『上』の人達にしてみれば、トランガーヌと喧嘩もしたくないし、『旧子爵家の令嬢』の聖印が成長するのもまずいんだろう」 ベアトリスは実直な性格であり、今のところアントリアの現体制を受け入れてはいるが、旧子爵家の血を引く数少ない君主の一人でもある以上、彼女の名声が高まれば、反ダン・ディオード(もしくは反マーシャル)勢力が対抗馬として担ぎ出す可能性は十分にあり得る。 ただ、確かに彼女は正義感が強い「武闘派の君主」と言われてはいるが、実はそこまで愚直一辺倒な気質でもない。状況次第では悪魔と協力関係を結ぶことも黙認する程度には柔軟な性格なのだが(そのくだりはブレトランドの遊興産業5参照)、そのことを知る者は少ない。 「ローガン殿に至っては、今回の救出計画そのものに反対らしいからな。行方不明になっている魔法師は妹弟子にあたる人なんだが、『心配ないから放っておけ』と言ってるとか」 アントリアの筆頭魔法師であるローガンは、冷徹な策略家として知られている人物である以上、身内に対して余計な情をかけないこと自体は「いつものこと」である。ただ、ハンナがローガンにとっての「身内」だからこそ、何か特殊な密命に基づいて行動している可能性も十分にあり得るだろう。 「あと、調査隊の中には聖印教会の婆さんも入ってたらしいが、あの婆さんを今回の調査計画に無理矢理ねじ込んだのは、おそらく『副団長』の意向だ。多分、これも何か裏があるな」 アントリア騎士団の副団長アドルフ・エアリーズは月光修道会系の聖印教会信徒であり、今回の調査隊に参加したメイプル・プラムスが所属するバランシェ神聖学術院の現学長ブランジェの実父でもある。聖印教会の中には、クラカラインの魔境をアントリアが本気で浄化しようとしないことに対して、様々な「疑念」を抱いている人々が少なからず存在しており、その疑惑の真相を確認するための監査官としての役割が彼女に期待されていたのではないか、とも推測出来る。 もっとも、これらはあくまでもダンカンの憶測であるし、そもそもリッカ自身は、このような話自体にそれほど強い興味を示してもいない。 「いずれにせよ、何者かによる妨害がある可能性は考慮に入れておいた方がいいでしょうね」 リッカは短くそう答えるに留めた。彼女はあくまでも「異界の剣士」であり、この世界の権力者達の抗争や陰謀に積極的に関与する理由はない。作戦全体の取舵はエステル達に任せた上で、自分は「倒すべき敵」を倒すことに専念する。それが剣士としての彼女の矜持であった。 2.1. 最前線の君主達 「領主様、カレ村からの援軍と、荷馬車が到着しました」 アグライア領主のクワトロは、その知らせを聞いた時、微妙な違和感を感じた。 「荷馬車?」 一定規模の軍が派遣されることになれば、そのための補給物資を運ぶための荷馬車が必要となることは理解出来る。だが、あえてそれを「援軍」とは別枠の存在として報告したということは、「軍事目的以外の荷物を運ぶための荷馬車」が随行して来た、と解釈するのが自然だろう。アグライア側からは、特に支援物資などを要求した記憶はない。だとすると、中央からの要請で、何か追加で運ぶように命じられたのだろうか。 「……屋敷へ通してくれ」 困惑した表情を仮面の下に隠したまま、彼が部下にそう告げると、援軍の指揮官であるジークが彼の前に謁見することになった。 「お初にお目にかかります。カレ村から援軍としてやってきました、ジーク・サジタリアスです」 「こちらこそ、お初にお目にかかる。このアグライアの領主であるクワトロ・スコルピオだ。今回の救出作戦、共によろしく頼む」 淡々とした口調でそう答える仮面の領主に対し、ジークはいつも通りの、どこか緊張感に欠けた物腰で話を続ける。 「えぇ。共に頑張って、作戦を成功させましょう。のちほど、私が持ってきた粗品を収めますので、そちらのご確認もよろしくお願いします」 「あ、あぁ、確認させて頂く」 ジークが言うところの「粗品」なるものが気になったクワトロは、早速ジークと共に館の外に出て、入口付近で待機していた「カレからの荷馬車」を確認することにした。 荷馬車の脇に書かれていた品名を見て、クワトロは首をかしげる。 「この、大根というのは……?」 ブレトランドでは、いわゆる「白長大根」は珍しい。アトラタン全体を見渡しても、あまり広い地域で生産されている代物ではなかった。 「我がカレ村が誇る農作物でございます」 ジークが笑顔でそう答えると、この時点でクワトロは何かを思い出す。 「ということは、貴殿があの、農民をしながら君主をしているという……」 そのような領主がいるという噂だけは断片的に聞いたことがあったものの、それが隣村の話だとは知らなかったらしい。ジークが領主に就任してから既に半年が経過していたが、魔境の最前線に立つクワトロにとっては、後方の村の事情まではあまり気が回らなかったようである。 「えぇ、そうです。若輩者の君主でございます」 「ほう……、だが、それでは君主として、臣民に示しがつかないのでは? そう思ったことはないのか?」 あえてそう問いかけたアグライアの領主に対し、カレの領主は相変わらず人の良さそうな笑顔を浮かべつつも、その瞳には強い信念を漂わせた様相で答える。 「私の心情としましては、民と共にあってこその国ですので」 それが「答え」になっているのかどうかは微妙なところだが、クワトロはひとまず納得したような仕草を見せる。 「そうか。まぁ、そういう考え方の君主もいるのだろうな」 「えぇ。国も人もそれぞれですから。私は私のやり方でやらせてもらっていますよ」 「なるほど。分かったよ。これ以上は何も言うまい」 「では、私もこの地に滞在している間は、街並みを拝見させて、色々学ばせて頂きます」 二人はそんな「噛み合っているのかいないのかよく分からない会話」をかわしつつ、ひとまずその大根は(長期間保存の効く野菜であるため)街の非常食用の倉庫にて保管させた上で、ジークはクワトロとの軍議の続きのために、ひとまず領主の館へと戻って行った。 2.2. 救出隊集結 (さて、顔合わせの場に、リッカさんを同席させて良いものかどうか……) アグライアへと向かう街道の途上、エステルは隣を歩く護衛隊長を横目に見ながら、そんなことを考えていた。リッカは地球人の投影体である。ブレトランドは、聖印教会の聖地フォーカスライトが存在することもあり、それなりに聖印教会の影響力が強い土地柄ではあるが、一目見て怪物と分かるような投影体でもなければ、それなりに受け入れられていることが多い。 リッカは、服装がブレトランドには珍しい東方風の装束であり、その一方で髪は(東方系には少ない)白銀系という、奇妙な取り合わせの容貌ではあるが、見た目にはアトラタン人とそれほど大差ない。とはいえ、いざ戦いの場に立てば、見るものが見れば彼女の力が強力な混沌核に由来していることはすぐに分かる。 アグライアの領主は、その素顔すら誰も知らないと言われているほど素性の分からない人物であり、投影体に対してどこまで敵対的な文化圏の出身者なのかも分からないが、特に際立った投影体嫌いだという噂を聞いたことがない。とはいえ、投影体という存在そのものがこの世界において忌避される存在であることは間違いない以上、なるべく第一印象を悪くしない程度の配慮は必要だろう。エステルはリッカの腰に差された二本の刀を見ながら忠告する。 「領主の館に入る時は、長物を袋にしまっておいて下さいね」 「分かりました」 そんな会話を交わしつつ、二人はアグライアの街へと到達し、街の衛兵の指示に従って領主の館へと向かう。すると、その途上で大量の白長大根を乗せた荷馬車が倉庫へと運ばれていく様子が目に入り、エステルは首を捻る。 「アグライアって、農業が盛んなんでしたっけ?」 エステルが聞く限り、アグライアはどちらかというと商業中心の街である。今はクラカラインの魔境化によって西方への街道が遮断されているが、本来は旧トランガーヌの地理的な意味での中心地であり、内陸交易の要となる街であった。 「大根は、どちらかというとカレ村なのでは?」 リッカはそう答える。彼女の故郷は「アトラタンの極東に位置する島」と酷似した文化圏であり、白長大根は一般社会の間に広まっているごく普通の野菜である。それ故に、彼女は以前にエルマを訪れた旅人から「ブレトランドの内陸部に『大根の名産地』がある」という話を聞いた時のことが、印象に残っていたのだろう。 「あぁ、そう言えば、カレからも援軍が来てるんでしたね」 カレの領主ジークの契約魔法師のオラニエは、以前にエルマで実地研修していた経験があり、エステルとは(流派は違うが)同じ錬成魔法師ということもあって、今でも交流はある。当然、二人共(現在行方不明の)ハンナの知人でもあった。 エステルとリッカは兵士達を館の外に待機させた上で(リッカは二本の刀を布袋にしまった上で)、領主であるクワトロとの謁見の間へと案内された。その傍らにはまだジークの姿もあったが、ひとまずクワトロが自己紹介する。 「アグライアの君主、クワトロ・スコルピオだ」 「エルマ村より参りました、エステル・カーバイトと……」 「リッカです」 実はリッカにも「姓」はあるのだが、彼女はこの地では「リッカ」としか名乗っていない。この世界の一般大衆は姓を持たない者達が大半であり、平民出身の武人が兵隊長にまで出世することも珍しくない以上、特にそのことに違和感を感じる者はいなかった。 「此度の魔境での活動に我々の手を貸せることは喜びであると考えます」 魔境探索を生き甲斐とするエステルにとっては、これは建前や社交辞令ではなく、本心から出た言葉である。 「こちらこそ、遠方よりこちらの救援に来て頂き、非常に助かっている」 当然、これもまたクワトロにとっての本心であろう。錬成魔法師の中でも、魔境探索技術に特化した「菖蒲」の魔法師は数が少ない(半年前のマージャでのお披露目の時にも一人紹介されていたが、彼は大陸北部のバルレアの領主の元へと預けられることになった)。故に、現状において彼女の参戦ほど頼もしいことはないだろう。 こうして、今回の調査隊救出作戦に参加する全部隊の指揮官が、この場に集うことになったのであった。 2.3. 魔境の地図 一通り人員が揃ったところで、クワトロの傍らに立っていた一人の侍女が「魔境の地図」(下図参照)を提示する。彼女の名はグレイ。ハンナの侍従であり、この地図は彼女がハンナの自宅の机の奥から発見した代物である。おそらく、過去に何度もクラカラインの魔境に潜入したことがあるハンナが書き記した魔境全体の見取り図であろうというのが、グレイの推測であった。 地図はかなり記号化された形で描かれていたため、普通の人が見たらそれが何を意味しているのかは分かりにくいが、魔境探索の専門家であるエステルには、おおよその察しがつく。おそらくは「A」と書かれている場所が、アグライア方面から見た魔境の「入口」なのだろう。 「へぇぇぇ……」 エステルは思わず、そんな声を漏らす。彼女の憶測が間違っていなければ、この魔境は極めて広大な構造である。しかも、地図の端に書かれていた走り書きを読む限り、魔境内では足取りが相当重くなる上に、魔境内に入った者達に対して身体の内側から凶悪な病毒を発症させ、同時に精神をも内側から貪り食うという、凶悪な変異率が広がっているらしい。更に、それらに加えてもう一つ、何らかの「特殊な変異率」が作動していることを示唆させる文言も付記されていた。 (ハンナって、『人間』だったわよね……) エステルの解釈が間違っていなければ、どう考えても、この魔境は「生身の人間」が入ってそう易々と帰って来れるような魔境ではない。その魔境を、ここまで奥地まで足を踏み入れて詳細に調べ上げることは、魔境探索の専門家であるエステルを以ってしても極めて困難である(魔境の影響を受けない特殊な体質の邪紋使いや投影体ならば話は別だが)。 「彼女は非常に優秀だったからな。何度も潜入を繰り返して、ここまでの地図を書き上げるところまで至っていたのだが……」 クワトロはそう呟くが、エステルには「優秀」などという程度の言葉で表現出来る程度の問題とは思えない。様々な可能性について彼女が推測を巡らせている中、もう一人の指揮官であるジークもまた、その雰囲気は感じ取る。 「此度の魔境はなかなか難しそうですね」 ジークがそう呟く一方で、その傍らに立っていたリッカは、彼の周囲に漂う雰囲気から、彼の「剣士としての実力」を見極めようとしていた。まだ君主としてはかなり年若ということもあって物腰は低く、まるで一般人(農民)のような立ち振る舞いではあるが、それでもリッカが長年磨き続けた観察眼には、少なくともベアトリス(エルマの領主)と同等程度の実力者であるように思えた。 (なかなかだな……。やはり、人は見た目によらないものだ) 彼女のその食い入るような視線に気付いたジークは、今更ながらにリッカに名乗り出る。 「私の自己紹介が遅れてすまない。カレ村から増援に来たジークだ。よろしく頼むよ」 「こちらからも、よろしく頼む」 リッカがそう答えたところで、ジークは今度はエステルに視線を向けつつ、オラニエから預かっていた一冊の「本」を彼女に差し出す。 「あなたがエステルさんですか? こちらは、エステルさんに渡してくれと頼まれた……、魔道書? ですかね?」 それは、オラニエが先日偶然手に入れた 「地球から投影された、巨大な怪物達の戦いを描いた異界魔書」 であった。「エステル先輩が好きそうだから」という理由で、ジークに「おつかい」を頼んだのである。 「あの子の趣味は分からないわね……。まぁ、ありがたく受け取っておくわ」 実際のところ、エステルは確かにこの手の「異形の存在」に興味はある(なお、つい先日、この怪物達と酷似した魔物がテイタニアに出現していたのだが、そのことはこの場にいる誰も知らない)。その上で、ジークはオラニエから託されたもう一つの「預かりもの」としての(猫好きのハンナへのプレゼントとして用意していた)「マタタビフレーバー付きのねこじゃらし」を、ハンナの侍女であるグレイに手渡しつつ(ハンナは自宅で七匹の猫を飼っており、彼女の不在時はアンナがその世話も担当していた)、改めて魔境の地図を見て心配そうな顔を浮かべる。 「ともあれ、先生救出のために、一刻も早く動かなければ」 「気持ちは分かるが、準備は大事です」 ジークとリッカがそんな会話を交わす中、エステルは改めてハンナの残した地図と走り書きを確認した上で、現実的な戦略案を提示する。 「とりあえず、魔境の変異率が分かっているのなら、まずは入口で私がそれらのいくつかを壊した上で突入、ですね」 菖蒲の錬成魔法師であるエステルであれば、並の魔法師では対応しきれぬ変異率でも、全力を尽くせば発散出来る可能性はある。だが、それでも万全を尽くすためには、極力慎重な手順を踏んだ上で攻略していく必要があると考えていた。 「分かりました。私は腕っ節だけは強いのですが、戦略や知略には疎いので、その辺りはあなた方に一任します」 ジークは謙虚にそう語った。彼はつい一年ほど前まではエーラムの魔法学校に在籍していた身であり、通常の魔法学生であれば(契約魔法師になった時のことを考えて)軍略や政務を担当する上での基礎知識を得るための諸講義も履修するのが慣例なのだが、彼はなまじ魔法師としての才能に恵まれていたこともあり、七色魔法師を目指して全ての魔法学科の専門科目をすることに集中していたため、一般教養科目にまで手を出す余裕がなかったのである(そして、実家の事情で退学することになった時点で魔法に関する記憶は全て抹消されたため、彼にはエーラムで学んだ記憶はほぼ何も残っていない)。 「とはいえ、あまり時間をかけていると、ハンナ達が死ぬのよね……」 エステルは苦悶の表情を浮かべつつ、どのような手順で魔境の変異率に対応していくべきか、改めて思案を巡らせるのであった。 2.4. 魔境村の内側 翌日、アグライア・カレ・エルマ連合軍は、クラカラインの魔境の直前に常設されている駐屯地へと進軍していた。 まず、エステルが魔境の入口に立った上で、魔境内に広がっていると思しき「身体の内側から凶悪な病毒を発症させる変異率」と「幻影を見せて感覚を惑わす変異率」と「戦う気力を削ぐ変異率」を一時的に停止させるための錬成魔法を放つ。ただし、これは完全な発散ではなく、あくまでも自分達の周囲の変異率のみを一時的に無効化するだけの魔法のため、探索が長期化することを前提とした今回の作戦においては、魔境内に入った後で改めて魔境内の変異率を完全に発散させる必要がある(その発散のための術式は、魔境の内側からでなければかけられない)。二度手間になるのは効率が悪いが、この魔境の変異率自体が相当に強大で厄介な効果であるため、その変異率が作動している状況下で発散することも難しく、確実にその影響から逃れるためには、これこそが万全の策であった。 ひとまず魔法は無事に発動し、これでしばらくの間は彼等は魔境の変異率を無効化出来る状態になったものの、この魔法を発動させた時点でエステルの身体にも相当な負担がかかっていた。 (これを何度も使わなきゃいけないってのは、かなり辛いわね……) エステルは疲弊した顔を浮かべつつ、自作の魔法薬で心身を回復させていく。一方、そのエステルの一連の魔法発動の経緯を眺めていたクワトロは「奇妙な懐かしさ」を感じ取る。それは、彼の中に宿った「天雄星」の魂に刻まれた「共に戦った仲間の記憶」であった。 (……彼女が、その一人ということなのか?) このような奇妙な感覚に囚われたのはクワトロにとっても初体験であったため、この直感が正しいのかどうか確信はない。ただ、いずれにしても今のこのタイミングでその話をすべきではないと考えた彼は、ひとまず黙って彼女や他の同行者達と共に、そのまま魔境の中へと足を踏み入れて行った。 ****** この世界における「魔境」とは、一般的には「混沌の作用によって、この世界の一部が『異界の一部』と入れ替わってしまった状態」を指すことが多い。だが、この魔境の内側は、異世界が投影されたというよりは、この村そのものが混沌の力で変化したかのような様子であった。混沌の作用によって不気味な様相に変容し、上空には濃い霧がかかって視界を遮ってはいるものの、魔境内の地形や構築物そのものは、明らかに以前のクラカラインの村そのものである。 入口に比べて、混沌濃度が上がっていることは実感出来るが、今のところ生命の気配も怪物の気配も感じられず、入口の時点でエステルが混沌による弊害を発散させたこともあって、特に身体に変調も見られない。ただ、この時点で、四人の指揮官達は、いずれも奇妙な「違和感」を感じ取っていた。 (時の流れが、おかしい……?) それは、通常の人間では到底実感することの出来ない微々たる違和感である。だが、魔境探索の専門家であるエステルはもちろんのこと、かつてダン・ディオードと共に世界各地の魔境に足を踏み入れた経験を持つクワトロも、自分自身が投影体であるリッカも、魔法大学で全ての魔法に適正を見出すほどの天賦の才の持ち主であったジークも、常人ならざる鋭敏な感覚の持ち主である。彼等は直感的に、自分達が「魔境の外の世界」とは異なる時空の中に飛び込んだことを実感していた。 おそらく、ハンナの走り書きの中で示唆されていた「もう一つの変異率」の正体が、この時間経過の変化なのだろう。ハンナ達は本来、最長でも一週間を目処とした調査隊だった。それが、突入してから既に「外の世界」では十日以上経過しているのだが、もしかしたら、この「魔境の中」においては、彼女達の体感時間としてはまだそこまでの時が経過していないのかもしれない(ハンナ達自身が、そのことをどこまで自覚しているかは謎であるが)。 四人の指揮官達はその感覚を互いに共有していることを確認しつつ、魔境の内部の探索を始めると、彼等は「人間の集団が通過したと思しき形跡」を発見する。それらはまだかなり新しい足跡であり、いずれも魔境の奥地へと向かっていた。その近辺には特に何かと争ったような気配もなく、まっすぐ奥地へと行軍しているように見える。 「ハンナさんも先生も、この様子なら生きている可能性は高そうですね」 ジークはそう語るが、この奥に何が潜んでいるか分からない以上、今の時点ではその憶測を裏付ける根拠は何もない。とはいえ、仮にこの魔境内の時間の進み方が魔境外の半分程度の速度だったと仮定した場合(この魔境内での体感時間1日が、魔境外での2日に相当する程度の長さであった場合)、少なくとも食料不足で餓死するという心配は消えるだろう。 「では、改めて『この魔境の変異率』を発散しますね」 エステルは周囲に対してそう告げた上で、今度は魔境の内側から、自分達の心身を蝕む変異率を発散するための術式を試みる。だが、その過程で、この変異率が相当に強力な力で支えられていることを実感した彼女は、自身の瞳の奥に眠る「祖先」の力を解放させた。 「『剣』の加護よ!」 彼女の祖先は異界人であり、彼女の右の瞳には謎の魔法陣が刻み込まれている。その魔法陣から奇妙な力が放たれると同時に、彼女の全身に謎の魔力が満ち溢れ、魔境内に蔓延していた「身体の内側から凶悪な病毒を発症させる変異率」と「幻影を見せて感覚を惑わす変異率」と「戦う気力を削ぐ変異率」は、無事に魔境内から完全に消滅する。だが、ここで本来の自分の限界を超える魔力を一気に発動させた彼女の身体は内側から激しく損傷し、彼女は血反吐を吐きながらその場で膝をつく。 (まだ他にも残っている変異率はあるけど、これ以上は無理ね……) 現状、少なくともこの魔境の中にはまだ「足取りを重くする変異率」と「時間の速度を遅める変異率」が作動していることを彼女は認識していたが、今の自身の体調的にも、それらはここで無理をしてまで発散させなければならない変異率ではないと判断した上で、再び自作の魔法薬を用いて体内の傷を癒す。 その上で、ひとまず最も厄介な三つの変異率が消滅したことを皆に伝えつつ、「この魔境内では時間の進み方が遅い(故に、帰還は遅くなるかもしれないが、心配は無用)」という旨を魔法杖通信を用いて伝えようと試みるが、この魔境内では通信が途絶えてしまっているようで、全く応答がない。 やむなく、クワトロが魔境の入口近辺に位置する駐屯地に対して伝令兵を出した上で、彼等はそのまま足跡を追って魔境の奥の領域へと進軍することにした。 ****** 村の中を流れる小さな運河にかかった橋の近辺に辿り着いた辺りで、彼等は周囲の混沌濃度が更に上がったことに気付く。そして、この橋の近辺で足跡は乱れ、そして何かと戦ったかのような形跡が見られる。足跡の形状からして、人間(もしくは人型の何か)以外の魔物が現れたようには見えないが、彼等の軍靴とは異なる足跡が混ざっていることは分かった。 その上で、彼等の足跡はここから更に北(上図の「K」の方面)へと続いてることが分かるが、この状況がエステルには奇妙に思えた。 「なぜ、ハンナ達はこの状況で奥へ? 撤退する道が分からなくなるような異変が起きていた?」 ハンナ達が危機的な遭難状況にあるという前提に基づいて状況を推理していたエステルには、この足跡が不自然に思える。一方、どちらかと言えば楽観的な推測を巡らせていたジークは、率直にこの疑問に答える。 「ここでの戦いに勝って、追い打ちに行ったのでは?」 確かに、この状況だけ見れば、そう考えるのが自然である。ただ、先刻までこの魔境内に漂っていた変異率の恐ろしさを知っているエステルには、そのような余裕が彼女達にあるとは思えない。とはいえ、ハンナも過去に何度もこの魔境に足を踏み入れている以上、この魔境に関しては「彼女しか知らない情報」もあるのだろうと考えれば、あながちジークの推測もただの楽観論とは言い切れない。 「ということは、まだまだ余裕があるということなのかしらね。犠牲者の遺体も見えないし」 エステルが見渡した限り、橋の近辺に少なくとも人間の死体は存在しない。ここで彼等が戦った相手が投影体なのであれば、倒した時点で消滅するであろうし、仮に「魔境の混沌の力によって魔物化してしまった元村民」であったとしても、混沌の侵食度合いによっては、倒した時点で混沌核だけを残して完全に消滅することもありえるだろう(そして残った混沌核に関しては、浄化する君主がいなくても、アオハネやユリシーズが自身の身体に取り込むことは可能である)。そう考えると「何かと戦ったような形跡だけが残っていて、死体が発見されない」という状況は、普通に考えれば「調査隊が勝利した」と解釈するのが自然である。 「いずれにせよ、この足跡通りに先に進むしかなかろう」 クワトロがそう告げると、彼等は頷き、そのまま進軍を続けるのであった。 2.5. 調査隊の証言 ハンナの地図が間違っていなければ、これから救出隊が向かおうとしている先には、かつて異界の神によって神器精製のために建築されたと言われる鍛冶場が存在している筈である。彼等が足跡を辿ってその鍛冶屋の方面へと北上を続けて行くと、やや混沌濃度が下がりつつあることを実感しつつ、やがて彼等の前方から、何やら騒がしい声が聞こえてくる。 それは、ここまで不気味な静寂が漂っていたこの魔境内においては明らかに不似合いな、人々による「陽気な宴会」の声であった。より正確に言えば、それは「陽気」というよりも、士気軒昂のために無理矢理(半ばやけっぱちに)騒いでいるかのような、そんな雰囲気が感じられたが、リッカとエステルには、それが(彼女達にとって馴染み深い)ユリシーズ隊の宴の声だということが分かる。 「無事だったのね」 エステルがそう呟きつつ、救出隊が足取りを早めて音のする方向へと向かうと、そこには「本来は鍛冶場であったと思しき建物」の近辺で、焚き火をしながら簡易宴会を催している第13次調査隊の面々の姿があった。ユリシーズも、アオハネも、メイプルも、そして彼等の率いる兵士達も、特に疲弊した様子もなく、焚き火の周りで酒と食事を口にしている。 だが、その中にハンナの姿だけが見えない(彼女の部下の兵士と思しき面々はいる)。救出隊の面々がそのことに疑念を感じる中、彼等の存在に気付いたユリシーズが真っ先に声をかけた。 「おぉ、領主様、来て下さったか!」 酒が入っていると思しき盃を片手に陽気な面持ちでそう叫んだユリシーズに対し、仮面の領主は淡々と答える。 「ご健在でしたか、ユリシーズ殿」 「いや、まぁ、さすがにまだ入って一日程度ですし、そうそう簡単にやられるものではない」 どうやら、エステル達の推測が当たっていたらしい。この領域内では、外と比べて時の流れに約十倍のズレが発生しているようである。だが、このユリシーズの反応に対して、エステルは一つの疑念が生まれた。 「あれ? ハンナから聞いてないの?」 何度もこの魔境に足を踏み入れているハンナであれば、当然、この「ズレ」のことは知っている筈である。そのことを同行者達に伝えていないのは、明らかに不自然であろう。 「こちらの時間では、もう十日以上経っています」 クワトロがそう付言すると、ユリシーズは一瞬驚いた表情を浮かべつつも、すぐに納得したような顔へと切り替わる。 「ほう、そうだったのか……、まぁ、確かに、魔境の中ではそういうこともありうるか……」 実際、魔境内における変異率の一つとして考えれば、(「魔境」という存在にある程度慣れている身にとっては)それほど不合理な話ではない。 「まぁね。でも、ハンナはそれに気付いてないのかしら?」 エステルがそう問いかけると、ユリシーズ達は表情を曇らせる。 「いや、実は今、ちょっと面倒なことになっていてな……」 そう前置きした上で、ユリシーズはここに至るまでの状況を説明し始める。彼等は(彼等の体感時間としての)つい先刻、この鍛冶場から更に北に位置する溜池(上図の「J」)のあたりに足を踏み入れたのだが、そこで彼等の目の前に、突如として奇妙な「番人」が現れたらしい。それは「人」の姿をしていたが、明らかに常人ならざる力を備えており、彼等の進軍を妨げるように、謎の光弾を彼等に対して放って来たという。 「俺達は、その姿には見覚えがなかったんだが……」 ユリシーズがそこまで言った時点で、後方から神聖学術院の老教員メイプルが割って入る。 「あれは、少なくとも私の目には、教皇ハウル猊下に見えた」 ハウルとは、現在の聖印教会を率いる2代目教皇である。彼自身はイスメイアに存在する教皇庁に鎮座しており、常識的に考えて、このような魔境に出現する筈がない。そもそも、公式記録においてもブレトランドを来訪したことすらないため、メイプル以外の者にはその姿の判別の仕様もないのだが、それでも彼女の目には確かに、その番人は「教皇ハウルと瓜二つの姿」であったという。 「先生! ご無事だったのですか!」 ジークがそう声をかけると、メイプルは「あぁ、あの時の小僧か」とでも言いたそうな視線を向けつつ、淡々と答える。 「そう簡単にくたばりはせんわ」 「さすが先生です。信じてはいましたよ」 無邪気な笑顔を浮かべてジークが喜んでいるのを傍目に流し見しつつ、メイプルは持論を語り始める。 「ただし、あくまでも同じだったのは『姿』だけだ。明らかに『本人』ではない。あれは教皇猊下の力を模した何かだ。おそらく、神聖トランガーヌの連中がここまで入り込んだ上で、何か細工を施したのではないか?」 確かに、神聖トランガーヌ側からも、この魔境に対して何度か調査隊は派遣されている筈である。そして彼等であれば、教皇ハウルの姿も知っているだろうし、ハウルから何らかの「特殊な力」を授けられていたとしてもおかしくはない。だが、仮にそうだったとしても、この状況は明らかに不自然である。 「聖印教会の軍隊が、魔境の奥まで来て、浄化もせずに『教皇の彫像』を造って去って行った、ということ? どういう状況?」 エステルは困惑する。彼女が知る限り、聖印の力で「人間のような姿を模した何か」を作り出すことは出来ない(それは明らかに魔術の領域である)。もっとも、聖印にはまだ解明されていない秘めたる力があるとも言われているため、それが絶対に不可能と言い切れる根拠はないのだが、それにしても、混沌の完全廃絶を何よりも優先する日輪宣教団を中心とする現在の神聖トランガーヌ軍の行動としては、明らかに不可解すぎる。 とはいえ、調査隊の前に現れたその「教皇ハウルに似た何か」は極めて強力な存在で、これ以上の進軍が不可能だと考えた彼等は、一時撤退を余儀なくされたらしい。 「それで、ハンナの姿が見えないのだが……」 ハンナの契約相手であるクワトロが改めてそう問いかけると、ユリシーズは深刻な表情で話を続ける。 「あぁ、そのことなんだが……、俺達が溜池からの一旦退却を決めた時点で、突然、彼女の周囲に何やら混沌の力が発生し、彼女の姿が俺達の目の前から消えてしまったんだ」 その話を聞いた時点で、エステルの中ではすぐに、それはおそらく「魔境が引き起こした突発的な転移現象」であろうという解釈に至った。魔境内においては、そのような形で空間が捻じ曲げられて、魔境内の別の場所へと転移させられることもある。それは、魔境探索の専門家であるエステルにとっては常識であった。 そして、どうやらハンナもまたこのような状況が発生しうることは最初から想定していたようで、彼女はあらかじめユリシーズ達に「もし自分とはぐれた時は、更なる混乱を避けるために、ひとまずその場に留まり続けるように」と通告していたらしい。実際、ハンナの直属の兵士達の証言によると、過去にもこの魔境に入った時には、頻繁にそのような事態が発生していたが、彼等がハンナに言われた通りに「その場」に留まり続けていると、いつも彼女はすぐに彼等の元に戻って来ていたらしい。 今回の場合、一時撤退を決めた直後に彼女の姿が消えた以上、居残り続けるべき「その場」が、溜池近辺なのか鍛冶場近辺なのかの判断が難しいところだが、現実問題として「教皇ハウルを模した番人」が存在する溜池の前で待ち続けることが困難であると判断した彼等は、ひとまずこの鍛冶場まで戻ることにした。その上で、しばらく待っても彼女が戻って来る気配がないため、ひとまず兵士達の不安を打ち消すために、ユリシーズが簡単な「宴」を催すことにしたのである。 ここまでの話を聞いた上で、改めて状況がよく分からなくなったエステルが思案を巡らせていると、今度は(彼女の旧知の魔境探索仲間である)アオハネが声をかけた。 「あれ? エステルちゃん、なんかちょっと疲れてない?」 「そりゃあ、疲れるわよ、魔境に入ったら」 ここまで、救出隊の面々は特に魔物や怪物と遭遇はしていないし、人体に直接危害を加えるような突発的事象にも遭遇していない。だが、そんな中でエステルだけは変異率の無効化と発散のために相当な魔力を消耗していたため、彼女一人だけが異様なまでに疲弊していた。 しかし、そんな彼女の様子に対して、アオハネは首を傾げる。 「でも、この先にいる『教皇ハウル』とかいうのは確かに強敵だったけど、ここに来るまでの間は、そこまで厄介なこともなかったじゃない? ここに来る前に、橋のあたりで人型の怪物は出たけど、そこまで強敵ではなかったし」 どうやら、橋の時点で調査隊が何らかの魔物と戦っていた、というエステル達の憶測は概ね正解だったらしい。そして、アオハネや他の隊員達の様子を見ても、確かにそれほど疲弊している様子はない。更に、その会話に割って入るようにメイプルが口を挟む。 「まったく、どれほどの魔境かと思って来てみれば……、ここに来てハンナ殿が飛ばされた時には確かに焦ったが、ここに来るまでの間には、特に何もおかしなことは起きていなかったぞ。なぜこの程度の魔境の浄化に、ここまで手間取っているのだ?」 メイプルのこの言い草から察するに、少なくとも彼女達は「魔境の変異率」の存在に全く気付いていないらしい。そんな彼女に対して、ひとまずジークが(彼の説明出来る範囲で)ここまでの状況をメイプルに説明するが、その一方でエステルはアオハネに問いかけた。 「この魔境に侵入する前に、ハンナは『あたしがやったような魔法』をかけてた?」 エステルとアオハネは、以前に他の魔境の探索で共闘したことがある。その際に、エステルはアオハネの目の前で変異率発散のための魔法や術式を何度も使って見せていた。 「魔法? いや、特には何も……」 きょとんとした顔でアオハネがそう答えると、エステルは今度は「ハンナの部屋から発見された地図」を見せる。 「ハンナはこういう記録を残してたけど、あなた達はこれに対してハンナが何かしているのを見た?」 「いや? 特には何も……」 アオハネのその反応に対して、エステルの中で新たな疑惑が湧き上がってきた。 (この子達は『本物の人間』なんだろうか……?) あの凶悪な変異率を発散することもなく、この奥地まで入り込むことが出来た、という時点で、(いくらその身に邪紋を刻んでいるとはいえ)生身の人間とは思えない。最悪の場合、彼女達もまた「既に魔境によって命落とした者達の亡霊」という可能性も否定は出来ないだろう。 「今から、とても失礼なことをするわ」 エステルはそう呟くと、周囲に対して混沌探知の魔法を用いる。当然、この地は魔境である以上、混沌の気配はそこら中から感じられるし、アオハネやユリシーズはもともと邪紋使いである以上、彼等からも邪紋の力を感じるのは当然の話である(彼等の指揮下の兵士達に関しても、もしかしたら彼等から邪紋の力を分け与えれている可能性はあるだろう)。だが、彼等の中で唯一、聖印教会信徒のメイプルだけは、彼女が本物であるならば確実に「生身の身体」の筈である。もし、その彼女から混沌の気配が感じられた場合、エステルのこの「最悪の仮説」の正しさが証明されることになる。 だが、そのメイプルからは特に何ら混沌の反応は感知されなかった。どうやら、少なくともここまで「生身の人間」が無傷で進軍出来たということは、紛れもない事実らしい。 「じゃあ、失礼なこと、終わり!」 彼女が何をやったのか、周囲の者達には全く見当もつかなかったが、自分に視線が向けられていたことに気付いたメイプルは、やや怪訝そうな表情を浮かべつつ、エステルに問いかける。 「つまり、お主らが来た時と、我々が来た時では、魔境の様子が違う、と?」 「えぇ。もしかしたら、『あたし達』に合わせて魔境が変化しているのかもしれない」 確かに、魔境によっては「入って来る者達」に応じて異なる変異率を発生させる事例もある、ということはエステルも知っている。だとすれば、エステル達の侵入を拒むように魔境が凶悪な変異率を発生させているという可能性は十分にある。だが、だとするとなぜ「同じ方角からの侵入者」である筈のハンナ達にその影響が発生しないのか、という謎は残る。そう考えると、むしろ「逆」の可能性(本来発生する筈の変異率が、なぜか調査隊に対してのみ発生していないという可能性)も有り得るだろうが、いずれにしても、ハンナが不在の現状では、その原因を突き止めるのは難しい。 そして、ここでエステルは、また新たな一つの可能性に思い至った。 「ところで、メイプルさんが見た教皇ハウルの姿は、他の人が見ても同じだったのかしら?」 つまり、調査隊の前に立ちはだかった「番人」の正体が、「見る人によって姿が変わる(潜在的に敬意や恐怖を抱いている人物の姿になる)魔物」という可能性もあるのではないか、ということである。ハウルの外見を知る者がメイプルしかいない以上、他の者達にとっては「別の顔」であったとしても、それが同じ姿なのかどうかは、確認してみなければ分からない。 「ふむ、なるほどな……。では、少し待て」 メイプルはそう言いながら、紙とインクとペンを取り出し、その場で「自分が見た番人の姿」を描き始める。彼女の画力がどこまで正確かは分からないが、他の調査隊の面々にその絵を見せたところ、他の者達が見た姿とも概ね一致していた。つまり、少なくとも「外見」に関しては、明らかに教皇ハウルの姿を模していたということになる。 「いずれにせよ、臆することはない。偽物など、恐るるに足らず」 クワトロはそう言い切った上で、ひとまず遠眼鏡を用いて溜池方面の状況を確認するが、その「番人」と思しき者の姿は見つからない。既に別の場所へと移動したのか、あるいは、侵入者に反応して出現する魔物の可能性もあるだろう。 一方、エステルはハンナの所在を特定するために、彼女が日頃から羽織っていた「アカデミー制服の上着(ケープ)」を探知魔法で探そうと試みる。すると、この鍛冶場の位置から見て「西北西」の方面からその気配は感じられた。魔境内の空間が極度にねじ曲がっていない限り、おそらくそれはかつて村の領主の館があったと思しき方角と推測出来る。 無論、それがハンナの上着であるという確証は無いし、仮にそうであったとしても、彼女が生きているという保証はないが、いずれにせよ救出隊としては、その方角へと向かって進軍する以外の選択肢はない。 問題は、ハンナから「その場で待つように」と言われた調査隊の面々である。ハンナの直属の兵士達が言うには、今までにハンナとはぐれた時は、ここまで長期間に渡って戻らなかったことはない以上、彼等の中での動揺はかなり広がっている。また、魔境探索そのものを生業とするアオハネも、この先の未知の魔境に足を踏み入れることを許されずに待ち続けるのは不本意であったし、魔法師全体を胡散臭い存在だと考えているメイプルもまた、ここでエステル達に全てを任せて良いと思えるほど、彼女達のことを信用してはいなかった。 その上で、エステルとしては、彼等に対してハンナの命令を覆してまで自分達に同行するように促す気はなかったのだが、そんな彼女に対して、ユリシーズが問いかける。 「あんたが言うことを信用するなら、ハンナ隊長は領主の館の辺りにいるんだろ? だったら、ここで待ってる必要もないんじゃないか?」 「そうなんだけど……、あたし達が無事に辿り着ける保証もないのよね……」 つまり、エステル達が魔境の奥地へと足を踏み入れた結果、全滅する可能性は十分にある以上、あえてこの「まだ引き返せる位置」から彼等を一緒に連れて行くことには躊躇せざるを得ない。しかも、領主の館へと続く道は「北(溜池)ルート」と「西(商店街)ルート」が並存している以上、鍛冶場に戻ろうとしたハンナと入れ違いになる可能性もある。 「それはそうだが、魔境の中にいる以上、魔法師殿の近くにいるのが、魔境の変異率に巻き込まれる可能性は一番低いのではないのか?」 「普通はそうなんだけど……、あなた達がここまで『あたし達が受けてきた魔境の影響』を受けていない、というのが、どうにもひっかかるのよね……」 エステルにしてみれば、自分達が原因で変異率が引き起こされていたのか、彼等の何らかの力によって変異率が引き起こされずにいたのかが分からない。当然、「彼等」の中にはハンナも含まれる以上、仮に後者が正解であったとしても、ハンナと別れた彼等にまだその「何らかの力」が宿っているのかは分からないし、どちらが原因だったとしても、自分達と合流したことで、彼等もまた「魔境の影響を受ける状態」となっている可能性もある。いずれにしても、どちらの仮説もまだ確信が持てる状態ではなかった。 「だから、一緒に来たいんだったら、一緒に来て。こちらとしても盾……、あ、いや、戦力が増えるのは嬉しいし」 エステルは微妙に言い直すが、ジークは素直にそのまま付言する。 「僕の他にも皆の盾となってくれる人がいるなら、僕は嬉しいです」 ジークの聖印は、本来ならば一人で多数の敵を殲滅する戦いに適した聖印であるのだが、彼は自身の聖印を成長させて行く過程で、徐々に「友軍を守る能力」を高める方向へと進化していった。故に、彼は自分自身のことを「仲間を守る盾」だと考えており、このような表現を用いることに特に他意はない。 その話を聞いた上で、実質的な副隊長としてこの調査隊全体をまとめているユリシーズは結論を下す。 「やっぱり、じっとしてるのは性に合わん。俺達も同行させてもらう」 その決断を他の調査隊の者達も支持した結果、彼等はエステル達と共に西北西へと向かうことになった。その上で、ひとまず番人が出現する可能性のある北の溜池を通るのを避けて、西方の商店街(の跡地?)を経由して領主の館の方面へと向かうことにした。 2.6. 老騎士と人造人間 (ハンナ以外の)調査隊と合流した救出隊が、西方へ向けて進軍を続ける過程において、調査隊の面々が困惑した表情を浮かべ始めた。彼等はいずれも「前に比べて明らかに足取りが重くなった」と実感し始めているらしい。どうやら彼等もまた「これまで体感することがなかった変異率」の影響を受けるようになってしまったようである。 エステルが彼等を同行させることにあまり積極的ではなかった理由の一つは「この可能性」を考慮したが故だったのだが、まだこの時点であれば取り返しがつくかもしれないと考えた彼女は、改めてユリシーズ達にこう告げる。 「じゃあ、あたし達はこれから先に向かうから、一旦ここで待っていなさい。その上で、あたし達が見えなくなった時点で歩き出して、まだ歩き辛いようだったら、そのまま進みなさい。普通に歩けるようになってたのなら、さっきの場所まで戻って、ハンナが来るまで待機していなさい」 つまり、自分達と離れて行動することによって、再び彼等が変異率の影響から逃れられる可能性もある、と考えた上での提案だったのだが、この「実験」の結果、彼等は「救出隊から離れても、やはり歩きにくい」という状況だったようで、そのまますぐに後を追って再合流することになった。 (もう「感染」してしまった、ということね……。「安全地帯」が確保出来たかと思ったんだけどな……) エステルは内心でそんな考えを巡らせつつ、諦めてそのまま彼等と合流して西方の商店街へと歩を進めることにした。 ****** 彼等が旧商店街と思しき区画に足を踏み入れると、混沌濃度は再び(運河の橋の近辺と同程度にまで)上昇し始め、そして領域全体に、凶悪な作用をもたらす病原菌が広がっていることに気付く。エステルはすぐさまその混沌を発散させることで、どうかその病魔から皆を守ることに成功したが、それと同時に彼等の目の前に、彼等にとって全く想定外の光景が広がっていた。 それは、武装した騎士のような風貌の初老の男性が、「人間の形をした、しかしどこか人間離れした風貌の集団」と戦っている光景である。 この状況に対し、ジークの部隊に所属していた旧トランガーヌ時代からの古参兵の何人かが声を上げる。 「あれは……、ガルブレイス将軍!?」 「そうだ! 間違いない。ガルブレイス殿だ!」 この老騎士は、旧トランガーヌ子爵領が健在であった頃、猛将として名声を轟かせていたガルブレイスである。老齢のため、一度は半隠居状態となっていたものの、先代トランガーヌ枢機卿ヘンリーの要請に応じて君主に復帰し、エフロシューネの領主マーグ・ヴァーゴの臣下となっていたと聞いたが、ここ最近(二代目枢機卿体制の発足後)はあまりその名を聞くことがなかった。なお、エフロシューネはクラカラインの南隣に位置する村であり、彼がこれまでにも魔境の調査に赴いていた可能性は十分に考えられる。 一方、彼と戦っている者達に関しては、魔法師であるエステルの目には、魔法か何かで作り出された人造人間(ホムンクルス)の類であるように見えたが、彼等に対しては、ユリシーズ達が反応する。 「あれは、さっき俺達が村の入口近くの橋で戦ってた連中だ!」 どうやら、この人造人間達はこの魔境内の各地に出没する(「量産型」の?)存在らしい。彼等が何らかの意図や法則に基づいて生み出されたのかどうかは不明だが、少なくとも現状において、この南方から侵入したと思しき老騎士と戦っているということは、おそらく侵入者全般に対して敵対的な姿勢なのであろう。 「どうする? ここは共倒れを待っていた方が……」 調査隊の兵士達の一部から、そのような声が聞こえてくる。ガルブレイスが神聖トランガーヌの一員としてこの地に入り込んでいるのだとしたら、今の彼はアントリア軍にとって明確に「敵」である。そして彼の周囲には、彼の部下であったと思しき兵士達の死体が転がっていた。現状の戦局を見る限り、ガルブレイスと人造人間達の戦いは一進一退のようだが、この戦いをしばらく静観していれば、いずれ決着はつくだろう。この時点で両者を「どちらも倒すべき敵」とみなすのであれば、両者が疲弊していくのを静観するのは戦略的に間違いではない。古参兵達にとってガルブレイスはかつての同胞だが、状況が変われば旧友とでも刃を交えるのが乱世の定めである。 だが、その判断に異を唱える者がいた。 「それは卑怯であろう!」 クワトロである。彼は旧トランガーヌ人ではない以上、ガルブレイスとの間には何の友誼も恩義もない。だが、人として、聖印を持つ君主として、目の前に「この世界に仇なす魔物(と思しき存在)」がいれば、まず何よりもその排除を優先して協力するのが筋だと彼は考えていた。 彼は部下の兵士達と共に火矢を構え、そしてガルブレイスと対峙する人造人間達に向けて、自身の聖印の力で威力を増幅させた上で一斉に解き放つ。その突然の斉射に人造人間達が気付いた瞬間、彼等は一瞬にして灰燼と帰し、その場には混沌核だけが漂っていた。 突然の出来事に驚いたガルブレイスが警戒して剣を構えたのに対し、仮面の騎士は混沌核を自身の聖印にて浄化吸収しつつ、老騎士に近付いて行く。その動きを注意深く凝視しながら、ガルブレイスは問いかけた。 「貴殿らは、アントリア軍のものか?」 「まさしくそうだが」 「この地に来られたということは、この魔境を浄化するためか?」 「私達の目的は『魔境の調査隊』の救出であるが……、概ね間違ってはいない」 調査隊も救出隊も「魔境の浄化」そのものを命じられていた訳ではない。だが、(国の上層部の思惑はともかく)クワトロ自身は、魔境に隣接する村の領主として、この魔境を浄化出来る状況になればいつでも浄化する心算でいた。 「なるほど……。私は元トランガーヌ軍の将軍、ガルブレイス。この魔境が広がっているという話を聞いて、調査に来た者だ」 あえて「元トランガーヌ軍」という曖昧な表現を用いた彼であるが、あくまで「元」と強調しているあたり、どうやら彼は現在の神聖トランガーヌに直属する立場ではない(と自称している)らしい。なお、「剣士」としてのリッカの鑑定眼によれば「おそらく昔は相当に強かったのであろう」ということは分かる。 そんなガルブレイスに対して、エステルは淡々とした口調で語りかける。 「トランガーヌに戻って報告されると少々まずいものを見られたのだけど、どうする? 抵抗するなら容赦はしないし、降伏するなら悪いようにはしないけど、しばらくアグライアには来てもらうかな」 実際のところ、この状況下において「報告されるとまずい」と思われるほどの軍事機密を晒していた訳ではないのだが、アントリアの一員として、この魔境に大規模な調査を仕掛けているということ自体、知られるのは望ましくないとエステルは考えていた。 彼女のこの発言に対し、ガルブレイスが険しい表情を浮かべかけたところで、改めてクワトロが口を挟む。 「待て! そこまで威圧すべきではない。私達は敵対するつもりはないことを先に伝えるべきだ」 現状、ガルブレイスの配下の兵士だったと思しき者達は全員地に伏し、事切れた状態にある。仮にガルブレイスが今でも全盛期と変わらぬ実力の持ち主であったとしても、さすがに四部隊を相手に一人で戦うのは無理があるだろう。その状況下であっても、クワトロとしては、まずこの魔境という環境下において、人間同士で争うことは避けるべきだと考えていた。たとえそれが、 敵国の要人であったとしても。 そんな彼等に対し、ガルブレイスは落ち着いた口調で語り始める。 「今の私はどこの所属でもない。個人的にエフロシューネの治安維持に努めてはいるがな。貴殿等がこの魔境を浄化するなら、それを止めるつもりはない。むしろ、それに関してはこの魔境を今まで放置してきたトランガーヌ側の責任でもある」 彼はそう告げた上で、ここに至るまでの経緯について説明する。彼等は、魔境の浄化に向けての本格的な調査のためにエフロシューネ方面の入口(上記地図上の「L」)から突入し、その途中で魔境の変異率によって仲間を失いつつ、この旧商店街の南方に位置する(かつて異界の神を祀っていたと言われる)旧社跡(上記地図上の「I」)の辺りで「人造人間」と思しき者達と遭遇し、どうにか彼を退けたものの、その先に位置するこの旧商店街に足を踏み入れたところで、再び同じような人造人間達の襲撃を受けたらしい。 この情報を得た上で、エステルは改めて状況を整理する。 「『あたし達以外の部隊』も同じように魔境の影響を受けていたということは……、ハンナがいたことで魔境の影響が止められていたみたいね」 彼女の中ではこの時点で「様々な憶測」が思い浮かんでいた(最悪の場合、ハンナと最終的に敵対する可能性も考えられる)が、さすがにそれをこの場で口に出しはしなかった。 一方、そんな彼女の深慮など知る由もないジークは、敵国の老将に対して無邪気に提案する。 「敵対していないなら、この魔境を出るまでは、一緒に行動しましょう」 ジークの父であるアルベルトとガルブレイスは共に旧トランガーヌを支えた宿将である。ジークの記憶には残っていなかったようだが、ガルブレイスは幼少期のジークのことをはっきりと覚えており、ジークの姿を見た時点ですぐに彼の素性には気がついた。 (一度は君主の道を捨てた筈の此奴が、こうしてこの地に戻って来るとはな……。本来ならば、この魔境は私やアルベルトが解決すべき事案であろうに……) 老騎士がそんな感慨に浸っている中、仮面の騎士もまた彼の提案に同意する。 「そうだな。一緒に行動しよう」 ガルブレイスとしては、部下達を失った時点で撤退するつもりであった。だが、この状況下において、彼等が本気でこの魔境を討伐する気があるのならば、それに手を貸すべきではないかと考え、ひとまず彼等と共にこの先へと進むことを決意し、ユリシーズを初めとする調査隊の面々も、その方針に同意したのであった。 3.1. 聖印の記憶 敵国の老将と合流した上で、もう一度エステルが探査魔法を用いて状況を確認したところ、どうやらまだ「(ハンナが着ていたと思しき)エーラムの魔法師の上着」は、この地の北方に位置する領主の館(上図のG)に存在しているらしい。 その上で、クワトロが遠眼鏡で今度はその方角の状況を確認してみると、そこには確かに「領主の館」であったと思しき建物は残っており、特に人影は見えない。 この状況を確認した上で、領主の館に向けて彼等が歩を進めると、混沌濃度が今まで最高潮にまで達していることは実感したものの、思いのほかあっさりと館の目の前までは辿り着く。だが、その次の瞬間、彼等の目の前に四人の「人の姿をした、強力な混沌の力を漂わせた者達」が姿を現した(下図)。 「また出やがったな!」 ユリシーズは、その中の一人に対してそう叫ぶ。その顔はメイプルの描いた似顔絵と酷似しており、おそらくはそれこそが溜池の近辺で調査隊の前に現れたという「教皇ハウルの姿をした番人」なのであろう。 一方、ジークはそれとは別の「番人」の顔を見た瞬間、驚愕の声を上げる。 「お父さん!?」 それは紛れもなく、今は亡きジークの父、アルベルト・サジタリアスの姿であった。そのことは、アルベルトの盟友であったガルブレイスにもすぐに分かったのだが、ガルブレイスはその「アルベルトの姿をした番人」の隣に立つ人物に対して、より強烈な衝撃を受ける。 「バカな! なぜ『陛下』がこのような場所に……」 彼の瞳に映っていたその人物の名は、ヘンリー・ペンブローク。先代の神聖トランガーヌ枢機卿であり、今のところ最後の「トランガーヌ子爵」である(ガルブレイスにとっては「後者」の認識の方が強かったため、彼の口から咄嗟に出た敬称は「陛下」であった)。彼もまた、既にこの世には存在しない人物である。 そして、この二人の反応を見た神聖学術院の老教師メイプルは、何やら合点がいったような表情を浮かべる。 「そうか……、『そちらの仮説』が正解だったか……」 「先生?」 ジークがそう声をかけると、彼女は意を決した表情を浮かべつつ、その右手を掲げると、その手の甲から「聖印」が現れる。 「先生!?」 ジークは再度驚愕の声を上げる。神聖学術院においては、学長と聖徒会役員以外は、聖印の所持を認められていない。無論、それはあくまでも学内だけの話であり、学外において誰かから聖印を借りる(もしくは「返してもらう」)ことまで制限している訳ではないが、彼女に関してはもう何度も「君主は引退した」と明言しており、今回の調査隊に対しても、あくまで「君主ではない一般人」としての随行だった筈である。しかし、彼女の手に掲げられたその光は、間違いなく「聖印」の輝きを放っていた。 「どうやら、これは我々の聖印に反応して出現しているようだな」 彼女はジーク達に対してそう告げる。つまり、彼女の聖印は教皇ハウルから賜った代物であり、その聖印の中に刻まれていた「聖印を授けた人物」の記憶に呼応する形で形成された番人が出現している、というのが今の彼女の仮説である。 実際、ジークの聖印は父アルベルトから(厳密に言えば彼の従属騎士が一時預かりした上ではあるが)継承された代物であり、ガルブレイスの聖印はかつての主君であったヘンリーの従属聖印であった。そう考えれば、確かに筋は通る。 だが、そうなると問題は「残り一人の番人」の正体である。この老教員の仮説が正しければ、この人物はクワトロの聖印から出現した人物の筈だが、この場にいる者達の殆どは、この人物に見覚えがない(少なくともダン・ディオードではないし、現在のアントリア騎士団の誰でもない)。 実際のところ、クワトロ自身はこの人物が誰かはすぐに分かったが、自身の素性を隠している彼は、そのことをこの場で口に出すことはない。だが、この場にいる者達の中でもう一人、この人物の顔に見覚えがある者がいた。ジークである。 (あれは確か、あの結婚式の時に殺された……) 数年前、ジークがまだエーラムで魔法師を志していた頃、当時の幻想詩連合の盟主の令息と大工房同盟の盟主の令嬢の結婚式が執り行われた際、ジークもその場に参列していた。そして突如現れたデーモンロードによって、両陣営の盟主が殺された「大講堂の惨劇」が発生したことは、この世界の誰でも知っている。ジークの記憶が確かならば、今、彼等の目の前にいる「第四の番人」の姿は、この時に殺された当時の幻想詩連合の盟主(ハルーシア大公)シルベストル・ドゥーセである。おそらくは「歴史上、最も皇帝聖印に近づいた男」の一人であろう。 だが、ジークはこの時点で、今のこの状況を正確に把握出来ていない。父に酷似した人物が現れたという動揺もあってか、メイプルが提唱した仮説の意味そのものが理解出来ていなかった。そして彼が状況を整理する前に、クワトロが叫ぶ。 「大丈夫だ! 力までは模倣出来ない筈!」 仮面の騎士はそう言いながら弓を構え、戦闘態勢に入る。実際、この「第四の番人」が「模倣元と思しき人物の聖印の力」をそのまま使えるのだとしたら、それは敵としてあまりにも強力すぎる存在ということになるが、さすがに魔境の効果で発生した模倣物に、そこまでの力があるとは考えられない。なお、これらが明らかに「混沌の産物」であり、「聖印の力に由来する存在」ではないということは、エステルとリッカにはすぐに分かった。ただ、投影体というよりは、どちらかというと(先刻遭遇した人造人間と同じような)「魔法生物」に近い存在であるようにも思える。 そしてこのクワトロの声に呼応するように、ガルブレイスが聖印を掲げ、調査隊と救出隊の全員の武器や防具に光の加護が宿る。この老騎士としては、自分が随行したが故に「余計な敵」を生み出してしまったことへの罪悪感もあったため、ここは全力で彼等を支援するつもりでいたが、それと同時に「新たな疑惑」も浮かびつつあった。 (なるほど、このような形で「聖印の持ち主」が増えれば増えるほど敵が強大化する構造になっていたのだとすれば、日輪宣教団の者達が本気で攻略しようとしても、そう易々と攻略出来ないのも頷ける。だが……、あまりにも都合が良すぎないか? 聖印の力のみに依拠する聖印教会への足止めとして、このような魔境が「偶然」この場に出現するなど、本当にありえるのか……?) そんな疑惑を抱きつつ、老騎士がアントリア軍の面々の様子を伺っていると、この老騎士よりも更に高齢の老教員が、部下から借りた剣を構えて「ハウル」の前に立ちはだかる。 「あの偽教皇は、私に任せてもらおう」 メイプルはメイプルで、自分が原因でこの「ハウル」を出現させてしまったこと(および、その原因となる「自分の聖印」を隠していたこと)に責任感を感じた上での宣言だったが、この「ハウル」の強さを痛感しているユリシーズやアオハネも、彼女一人だけに任せる気はなく、調査隊の面々はまず率先して対「ハウル」戦に専念する。 一方、この戦場においても先手を打ったのは、やはりクワトロ率いるアグライア軍であった。仮面の騎士は先刻と同様に全力の聖印の力を込めた矢を放とうとするが、目の前に現れた「第四の番人(シルベストル)」の姿に動揺したのか、手先が一瞬ぶれてしまう。しかし、即座にエステルが一瞬時間を巻き戻し、そのことに気付いたクワトロはすぐに落ち着きを取り戻して(今度は狙いを外さずに)改めて斉射し、「シルベストル」「ヘンリー」「アルベルト」の三人に大打撃を与えつつ、「シルベストル」の身体を守る謎の鎧の力も部分的に剥ぎ取ることに成功する。 その直後、今度は「アルベルト」と「ヘンリー」が救出隊に向けて混沌の力が宿った魔矢を雨のように降らすが、盾を構えたジーク隊がエステル隊を庇うように立ちはだかり、彼等に守られたエステルが静動魔法でジーク隊の装甲を強化するという連携により、彼等は事なきを得る。だが、この連続斉射を避け損なった(もともと防御に長けているとは言い難い)クワトロ隊とリッカ隊は大打撃を受けてしまう。 更に、その直後に今度は「シルベストル」の「聖印を模倣した力」により、「ヘンリー」の時が巻き戻され、実質的な第三射となる魔矢が放たれるが、エステル隊はジーク隊との連携によってここでも難を逃れ、そしてクワトロ隊とリッカ隊は間一髪のところでその斉射をかわすことに成功する。 (これは即座に倒さなければ、こちらが壊滅する!) そう意を決したリッカが決死の覚悟で部下達と共に「ヘンリー」へと突撃し、(既にクワトロ隊の斉射で重傷を負っていたこともあり)一瞬にして二刀の下に斬り捨てる。 この時点で、クワトロは「エステル隊を庇ったジーク」と「敵の一角を殲滅したリッカ」から、先刻エステルが魔法を使った時に感じたのと同じような「懐かしい感覚」を覚える。 (そうか、この二人もまた……) どうやら「天雄星」が語っていた通り、クワトロが「星の声」に気付けたのは、この三人が近くに現れたことが原因のようである。一方、その周囲で戦っているユリシーズ、アオハネ、メイプル、そしてガルブレイスからは、そのような力は感じられない。そのことを確認した上で、ひとまずクワトロ隊は残った敵軍に対して第二射を放つことで「アルベルト」にとどめを刺すと、その直後にリッカが「シルベストル」を、そしてメイプルが「ハウル」を倒すことで、どうにかこの「番人」達との戦いは決着したのであった。 3.2. 星核の輝き こうして、彼等の目の前に現れた「四体の番人」は「四つの混沌核」へと形を変え、それぞれの「出現元」と思しき君主達がそれぞれの聖印で浄化し始めるのであるが、状況がひと段落したところで、ユリシーズとアオハネがメイプルを問い詰める。 「あんた、聖印持ってるなんて、聞いてねえぞ」 「てか、君主じゃないんじゃなかったの?」 それに対して、メイプルは混沌核を浄化吸収しながら、平然とした口調で答える。 「君主というものは、土地と人を治めてこそ君主と言える。今の私は聖印を持っているだけの、ただのババアだよ」 そんな彼女の言い分にどこまで正当性があるかはともかく、ユリシーズの中では聖印教会(月光修道会)の思惑は概ね理解出来た。今までの調査隊に君主を随行させなかったことから、聖印教会側としては「アントリア軍は魔境を浄化させる気がないのではないか」という疑惑を抱いていたが故に、聖印教会側も彼女を「君主ではない」という名目で同行させ、あわよくば彼女の手でこの魔境を浄化させようと考えていたのだろう。。 一方、クワトロは先刻の「シルベストル」の姿を思い出しながら、誰にも聞こえぬ程度の小声でボソッと呟く。 「まさか、また私の人生に関わってくるとは……」 彼等が複雑な思いを抱きながら、それぞれの番人の混沌核を浄化し終えたところで、エステルが皆に告げる。 「とりあえず、休憩しましょうか」 今、彼等の目の前には「領主の館」がある。おそらく、この中に「ハンナの上着」が存在することは間違い無いのだが、今の戦いで相当に消耗してしまった彼等としては、逸る気持ちを抑えて態勢の立て直しを図るのが上策であった。 クワトロもその方針には同意しつつ、彼はエステル、リッカ、ジークの三人に対して、こう告げた。 「すまないが、皆々、内密の話を聞いてほしい」 ****** 兵士達を領主の館の手前で休ませた上で、救出隊の指揮官達は、ひとまず「四人だけで会話出来る場」へと移った上で、(エステルが他の三人の傷を魔法薬で回復させていく傍らで)クワトロが「天雄星から聞いた話」を、一通りそのまま彼等に説明する。それはあまりにも壮大で、あまりにも突拍子がなく、あまりにも非現実的な物語であったが、クワトロは自身の中に眠る「天雄星の記憶」通りに、そのまま彼等に「未来の自分が経験する過去の出来事」を事細かく伝えた。 「……その上で、君達から、その『星核』の力を感じたのだ。私がその力を目覚めさせることが出来るかどうかは分からないが、まずは試させてほしい」 その唐突すぎる提案に対して、エステルが眉唾物の表情を浮かべている中、最初に動いたのはジークだった。彼の脳裏では、この時、出発前に村の占い師であるサンドラから告げられた「星」「前世」「出会い」という三つの言葉が思い出されていたのである。クワトロが語った話は、まさに彼女から聞いた言葉と見事なまでに一致していた。 「そんな力が僕の中に眠っているのならば、ぜひ目覚めさせてくれないか?」 ジークがそう言うと、クワトロは彼の手を握り、そして自身の星核の力をジークへと注ぎ込む。すると、ジークの心の中に、彼の宿星である「天殺星」の声が響き渡る。 (あなたの理想の未来を、思い描いて下さい) その声に対して、ジークは一瞬戸惑いながらも、すぐに自分の信念をそのまま思い浮かべる。 (僕の望む未来は……、民と笑い合って生きていく世界) 彼がその未来像を思い浮かべた直後、彼の目の前に「青白い光を放つ星」が出現する(この時、夜空にも同じ輝きを持つ星が出現していたのだが、魔境の中にいる彼等には、その存在は感知出来なかった)。 「これが、星の力……」 まだその力の意味もよく分からないまま、半ば呆然とその輝きを見つめるジークの横で、今度はエステルがクワトロへと近付き、自ら彼の右手に自らの手を重ねる。すると、彼女の心の中にも、彼女の宿星である「地楽星」の声から、同様に「理想の未来」を求める声が響き渡る。 (あたしが望む世界か……、歯車の噛み合った世界、かな……) 彼女が心の中でそう呟いた瞬間、彼女の目の前に「赤みを帯びた星核」が出現する。それは、クワトロやジーク達とは異なる「混沌の力に由来する星核」の輝きであった。 そしてリッカもまた、黙って彼等と同様にクワトロに手を合わせ、彼女の宿星としての「地囚星」の声が聞こえてきた。他の星々と同様の「想像」を求めるその声に対して、彼女はしばし考えを巡らせながら、強い決意と共に心の中でその思いを言葉にする。 (人々に厄を為す妖(あやかし)の類(たぐい)に対して、人々自身の力で立ち向かっていける世界) その想いに応えるように、リッカの目の前にも「赤みを帯びた星核」が出現する。そしてこの時、リッカの心の中には、彼女自身の「この世界における在り方」に関わる「新たな覚悟」が芽生え始めていのであった。 3.3. 踏み込む者達 こうして三人が密かに「星核」を作り出している間に、兵士達も仮休息を得て英気を養ったところで、調査隊と救出隊、そしてガルブレイスを交えた面々によって、ここから先の方針を確認するための軍議が開かれることになった。 「さて、なんとかここまでは来た訳だが……」 ユリシーズはそう切り出しつつ、改めて領主の館へと視線を向ける。皆、この館の内側から非常に禍々しい気配が漂っていることは直感的に認識していた。建物の大きさからして、ここまで率いてきた兵士達全員を連れて中に入ることは出来ないだろうから、ある程度まで人員を絞って突入する必要がある。 最初に私見を述べたのは、ガルブレイスであった。 「アントリアとして、この先に『見せたくないもの』があるのなら、儂は別に無理に入らせろとは言わん」 この中に何があるのかは知らないのだが、ガルブレイスの中では、この魔境の出現そのものに対する「疑念」が強まっていた。それ故に、あえて先刻のエステルの言い回しを引用するかのような、棘のある言い方でそう告げる(実際には、エステルもこの先に何があるのかは何も知らないのであるが)。 「私も、あなたには外の警護をお願いしたいと思ってました」 そう答えたのはジークである。この状況下において館の外にまた何者かが出現する可能性は十分にあるし、エフロシューネ経由で新たな神聖トランガーヌからの調査隊(救出隊)が派遣される可能性もあるだろう。そうなった時に、仲介役としてガルブレイスが「館の外」にいてくれた方が安全でもあるし、状況によってはガルブレイスを実質的な人質として交渉材料にすることも出来る(ジークがそこまで考えていたのかは不明だが)。 一方、もう一人の老君主であるメイプルは、神聖学術院からの「監査役」として、この奥に「アントリアにとって見せたくないもの」があるとしても、退く気はなかった。 「私は同行させてもらう。その上で、一つ確認したいのだが、お前達は、状況によってはこの場で魔境を浄化する覚悟はあるのだろうな?」 指揮官達に対して鋭い視線を向けつつそう言い放った彼女に対し、今度はエステルが淡々と応える。 「まぁ、するなとは言われてないから、浄化して帰っても良いんじゃない?」 実際のところ、国の上層部が浄化を望んでいないことは明らかなのだが、彼女はあくまで「魔法師協会の一員」である。その論理に従えば、一国の裏事情などに忖度する必要はないだろう。もっとも、彼女も(この魔境が消滅することにより)神聖トランガーヌとの戦端が開かれることを望んでいる訳ではないが、それを判断するのは前線の君主達の役目である。 そして、「前線の君主達」の返答は明快であった。 「僕としては、これで脅威が取り除かれるのであれば、浄化する覚悟の一つや二つ、いくらでも決めてやるよ」 「私も街のこんな近くに存在する魔境を、これ以上放置はしていられないからな」 ジークとクワトロがそう応えると、メイプルは満足気な表情を浮かべつつ、真っ先に領主の館へと足を進める。 「では、中を覗かせてもらおう」 「ちょっと待って下さい、先生!」 ジークが慌ててその後を追い、そしてクワトロとエステル、更にはリッカが後を追う。一方、ユリシーズとアオハネは何も言わずに彼等の後ろ姿を見守っていた。 (今のお前からは、以前には欠けていた「確固たる覚悟」が感じられた。お前にならば、安心してハンナ隊長のことも任せられる。頼んだぞ、リッカ) (「その中」に何があるかも興味あるんだけど……、なんとなく、「こっち」も「こっち」で、何かまだ起きそうな気がするんだよね〜、長年の冒険者の勘として♪) そんな二人の思惑など知る由もないまま、5人は領主の館の中へと踏み込んで行くのであった。 3.4. 二つの真実 館の玄関を潜った先の広間からは、人の気配も魔物の気配も感じられなかった。だが、(おそらくは魔法装置と思われる混沌の力によって)館の内側は照らされており、松明やランタンを付ける必要もなかった。 五人がそのまま館の内部を探索していると、彼等は「地下」へと降りるための階段を発見する。この建物自体は二階建ての、それほど大規模でもない構造に見えたが、もしかしたらこの館の地下にこそ、この魔境の発生の原因があるのかもしれない。そう思える程に、その階段の奥からは「禍々しい混沌の気配」が漂っていた。 地下へと続く階段の中も謎の光が灯されており、五人はそのまま慎重に下方へと歩を進めると、彼等が階段を降り切った時点で、「奇妙な装置」が全体に設置された不気味な部屋へと到達する。それは、あたかもエーラムの高等研究施設であるかのような不可思議な雰囲気が漂う大部屋であり、その中央には二人の人物の姿があった。 一人は、中央に設置された椅子に座った老人。その頭部の大半は、おそらく特殊な魔法装置であろうと思われる被りもので覆われているため、はっきりと顔は確認出来ないが、風態からして、おそらくは一年以上前から行方不明となっていたこの地の領主、Dr.ジェロであろうと推測出来る。彼が座っている椅子もまた、頭部の被り物と同様、何らかの特殊な魔法装置の一部であるかのように見えた。 そしてもう一人は、そのジェロに付きそうように、右手に「奇妙な形状の魔法杖」を持ちながら、そのジェロの椅子や頭部の魔法装置を操作している一人の女性である。彼女は来訪者の到着に気付くと、涼しげな顔でこう告げた。 「あら、マスター、もういらっしゃったんですか」 それは紛れもなく、ハンナの姿であった。クワトロはその表情を仮面の奥に隠したまま、淡々と答える。 「あぁ。こちらでは、もう十日以上も経っていたからな」 その言葉に対して、ハンナは苦笑を浮かべる。 「あー、やっぱり、これ、もう壊れてたのかぁ……」 そう言いながら、彼女は自分が手にした「特殊な魔法杖」に一瞬視線を向けつつ、改めて来訪者達を確認する。 「えーっと、マスターと……、確か、お隣の領主様でしたよね」 「はい、ジークです」 一応、彼女は(彼の契約相手が後輩のオラニエだから、ということもあるだろうが)クワトロとは異なり、隣村の領主のことも把握していたらしい。 「そしてエステル、お久しぶり」 「やっほー」 錬成魔法科の同期である二人は、あえて互いに気の抜けた口調でそう答える。 「その隣の貴女は……?」 「用心棒みたいなものですよ」 リッカにしてみれば、それ以上の自己紹介は不要なのだろう。 「で、奥の方は?」 「私はただのババアだ。気にするな」 本当に気にする必要がない存在なのかどうかは分からないが、それ以上聞いても答えてくれなさそうな雰囲気を、ハンナは感じ取っていた。 そして、少し間を開けた上で、今度はエステルがハンナに問いかける。 「その魔法杖は、あなたが作った物かしら?」 「これは……」 ハンナはそう言って説明しかけたところで、仮面の上司に視線を向ける。 「……マスター、一つ確認したいんですが、この場にいるのはアントリアの方々、ということでよろしいのですね?」 「そうだな。ここにいるのは全員アントリア人だ」 「アントリア人」の定義は厳密に考えると難しいのだが、少なくとも現時点でアントリア子爵(代行)の傘下にいる者達であることは間違いない。 「そういうことなら、お話ししても良いでしょう。というより、お話しせざるを得ないですよね」 彼女はそう言いながら、諦めたような表情を浮かべつつ、一度深いため息をついた上で、ゆっくりと語り始めた。 「私は、Dr.ジェロとローガン様の繋ぎ役を任されていました」 ハンナはそう言いながら、椅子に座ったままのジェロに視線を向けるが、彼は微動だにしない。だが、その身体からはまだ微かに生気は感じられる。 「大体皆さんお察しだと思いますが、この魔境を作ったのはDr.ジェロです。彼は自分の聖印を割った上で、そこから出現した混沌核を用いてこの地を魔境化することで、『敵』の侵攻を食い止めるという『最後の手段』に出たのです」 ジェロは元々魔法師である。その記憶は魔法師協会を退会して君主となった時点で消された筈だが、何らかの形で取り戻したのか、消されたふりをしていただけなのか、もしくは退会後に自力で再習得したのかは分からないが、密かにこのような「研究室」を作って、独自の新たな魔法の開発を続けていたのである。 (偶発ではなかったのか……) リッカは内心でそう呟く。だが、それも一つの可能性として、多くの者達が薄々予想していた事態ではあった。そして、この魔境の中に「聖印に反応して出現する魔法生物」などという「都合の良い装置」が組み込まれているのも、(ヘンリーが大陸で聖印教会と手を結んだという噂を聞いた上での)対聖印教会戦を想定した細工と考えれば、納得も出来るだろう。 「その上で、彼はこの地下室からこの魔境全体を統御していたのですが、彼の『身体』が限界に来たのか、それとも『脳』に限界が来たのかは分からないのですが、制御が効かなくなったのです。それで、私が時々入って来て、彼の代わりにこの魔境を調整してきました」 その密命を出していたのがローガンであることは、文脈上、誰でも推測はつく。実際のところ、魔境出現までもがローガンの命令だったのか、ジェロの独断だったのかは不明だが、いずれにせよこのような状況になれば、率先して魔境の維持のためにローガンが奔走するであろうことは、彼の人となりを知る者であれば、何の違和感もなく納得出来る。 「この魔法杖は、この魔境を制御するための鍵です。だから、この魔境の中の変異率も魔物も、この魔法杖で制御している限りは、私に害を与えることはありません。ですから、本当は魔境に入る時は私一人で十分だったのですが、さすがに私一人で何度も出入りするのは怪しまれるので、部隊と共に入り込んで、時の流れを操作しつつ、ここまで来て整備して、すぐに戻る、という作業を繰り返していました」 さすがに、そこまでの魔法杖をハンナが独力で作り出せるとは考えにくい以上、おそらくそれはジェロの手によって作られた代物だろう。時空の流れが違うのも魔境の変異率によるものである以上、当然、その魔法杖を使えばその制御も出来る。故に、彼女は魔境に入る度に毎回「魔境内の偶発的な混沌作用」によって護衛の兵士達からはぐれてしまったようなフリをして、実際にはその間にこの地まで足を運んだ上で「魔境の制御装置の調整作業」に従事しつつ、その間の魔境内の時間の進行速度を極限まで抑えることで、即座に彼等の元へと戻ったかのように見せかけることが出来ていたのである。 「でも、この魔法杖での時間の制御も効かなくなってるのなら、そろそろ『この方』にはご退場を願った方がいいのかな……」 彼女は冷ややかな目でジェロを見ながら、そう呟く。どうやら、彼女個人としては、ジェロに対して特に尊敬や共感の念はなく、ただ「兄弟子ローガンからの命令だから」という理由で行動していただけらしい。 そんな彼女に対して、同期のエステルは「エーラム魔法師協会の一員」として提言する。 「では、今からこの魔境を浄化した上で、その分の功績に応じた魔法師協会からの支援を用意することに……」 「いえ、この魔境はやはり、壊しては駄目なのですよ」 ハンナは、どこか達観したような表情で、そう断言した。 「このブレトランドの平和のために、今、『ここ』を壊す訳にはいかない。ですので、ローガン様からは『このような事態』への対処法も承っています。もし、Dr.ジェロが既に限界なのであれば、私が彼の代わりになれ、と」 冷めた瞳で、しかし明確に「彼女自身の意思」に基づいてハンナはそう告げた上で、そのまま話を続ける。 「私が彼の代わりにこの魔境を統御する。そうすれば……」 「一年くらいは持つ、と?」 エステルが相槌を打つようにそう問いかけると、ハンナは苦笑まじりに答える。 「まぁ、私の方が若くて、体力もありますからね。何年持つかは分からないですけど、よっぽど大丈夫だとは思いますよ」 あっけらかんとそう語るハンナに対して、彼女の契約相手である仮面の騎士は、淡々と語り始める。 「なるほどな……。今までそんなことをしていて、平和を維持してくれていた訳だ」 「そういうことになりますね」 「マスター」の口調から、彼がこの状況に対して何か思うところがあるということはハンナも察していたが、あえてサラッと流すような返答だけに留める。 一方、エステルは彼女の言い分を理解した上で、それでも純粋に「一人の魔法師」として、率直な疑問を口にする。 「ブレトランドの平和の維持のためにここが必要だというのは、いまいち腑に落ちないですね。正直、今更神聖トランガーヌと戦端を開いたところで……」 エステルから見れば、やはり「人間同士の戦争」よりも魔境の方がより喫緊の脅威なのだろう。彼女は魔境探索を生き甲斐としているが、決して魔境そのものの愛好家ではなく、誰よりも魔境の恐ろしさは熟知している。 とはいえ、最終的な判断を下すのはやはり「現場の君主」の判断であろうと彼女は考えている以上、それ以上は何も言わない。もし、この場に彼女の契約相手であるベアトリスがいれば、自らの主君の聖印を成長させるためにも魔境の浄化を強く推進しただろうが、その彼女は今回の計画には加わっていない(無論、それもローガンの思惑のうちだろう)。 そして、現場の君主達のうち、最初に意思を表明したのはジークであった。 「魔境は危険な存在だ。その一点に尽きます」 彼はそもそも、国際政治の事情など何も分かってはいない。この魔境の先に待つ聖印教会の過激派の面々とも、話し合えば分かり合える可能性があると考えている。その楽観論を裏付ける根拠はどこにもないのだが、それでも「人の手で制御出来ない魔境」よりは、まだ日輪宣教団との方が和解の余地はあると考えるのも、あながち間違ってはいないだろう。 そんなジークの主張をメイプルが満足そうに眺める中、今度はもう一人の(より対魔境最前線の)現場の君主であるクワトロが、改めてハンナに問いかける。 「私はローガン殿の思惑は分からないが……、この魔境によって道の一つを塞いだところで、神聖トランガーヌとの問題は解決するのか?」 「少なくとも、この魔境が無くなれば『国境線』が生まれてしまいますからね。戦争を防ぐには、こうするしかないのです」 「なるほど。そういう考えもあるか……。だが、私とローガン殿の考えは少し違う」 彼はそう言いながら、ハンナに対して強い口調で言い放つ。 「ハンナ、君がこの魔境を引き継ぐ必要はない。ここは私が浄化する」 日頃は自身の感情を表に出さない「仮面の騎士」である彼から発せられたその言葉から、これまで感じたことのない「本気の想い」を受け取ったハンナは、どこか満足気な様子で口元に微笑を浮かべつつ、「マスター」に対してそこはかとなく挑発的な視線を投げかけながら、悪戯っぽい口調で語りかける。 「んー、そう言われましてもねぇ……、私はもともと、ローガン様の斡旋で、マスターの元に派遣されたような立場ですし……。それにマスター、まだ私のこと、信用してないでしょ?」 ハンナは以前から、自分の素顔すら明かさないクワトロに対して、常に「壁」を感じていた。あえてそのことを深く追求しようとはしなかった彼女だが、やはり、内心では色々と思うところはあったようである。 「まぁ、そりゃあねぇ、こっちも色々隠していた以上は、私のことを信用してもらえなくても、しょうがないんですけどぉ……」 「それは、私も同じことだから、どうこう言うつもりはない」 クワトロが淡々とそう答えると、改めて彼女は「構って欲しい子猫」とも「獲物を狙う女豹」とも取れそうな、なんとも形容しがたい上目遣いの視線で語りかける。 「そうですね……、マスターが今から、『本当の意味での私のマスター』になってくれるのであれば、ここであなたの命令に従うのも、やぶさかではありません」 彼女の言わんとすることを理解したクワトロは、ゆっくりとその顔を覆っている仮面に手を掛ける。 「……そうだな。確かに、君の方だけが秘密を明かしてくれた訳だからな」 「えぇ、こちらからは、もう全て晒しましたから」 「その前に、少し言いたいことがある」 彼はそう前置きした上で、再び強い口調で言い放った。 「私はこのブレトランド……、いや、もっと言えば、この世界で同じ天を頂く者として、たとえ神聖トランガーヌの人々といえども、必ず分かり合えると思っている」 「ほう……」 「その上で、私の秘密も明かそう」 そう言いながら、彼は仮面を外す。その下に現れたのは、ハンナがこれまでに見た誰よりも壮麗な、類稀なる端正な顔立ちの男性であった(下図)。そのあまりの美しさにハンナが圧倒されている中、彼は更なる衝撃的な一言を告げる。 「私の本当の名はルキウス・ドゥーセ。幻想詩連合の盟主アレクシスの兄だ」 誰も想定していなかったその言葉に、その場にいる誰もが度肝を抜かれる。だが、ジークだけは他の者達よりも若干素直にその真実を受け入れることが出来た。先刻遭遇した「大講堂の惨劇で死んだシルベストル」の顔を知っていたジークにしてみれば、確かにその説明で全て納得出来る。更に言えば、ジークはあの結婚式の際に当然アレクシスの顔も見ているが、今のルキウスからは、確かにアレクシスと似た雰囲気を感じ取ることが出来る。たとえるならば、やや頼りなさそうな雰囲気の持ち主であるアレクシスに、幾度かの修羅場をくぐってきたことを感じさせる精悍さを加えたような、そんな風貌であった。 とはいえ、幻想詩連合の盟主の兄が、大工房同盟の一員であるアントリアの騎士となっている状況は、どう考えてもにわかには信じ難い(なお、過去に幻影の邪紋使いに騙された記憶のあるリッカは、この時点で当然「偽物」の可能性も考慮していたが、少なくとも彼からは、邪紋の気配は感じられなかった)。仮にそれが本当であったとしても、そこには何か特別な陰謀や思惑が関与していると考えるのが自然であろう。だからこそ、彼はこれまで、自らの素性を明かさなかった。だが、ここに至って彼は、自分に全てを語ってくれたハンナの想いに応えるために、自らもまた全てを晒す覚悟を決めたのである。 「心の底から誓って言おう。私がこの国に仕えているのは、純粋に、ダン・ディオードを信頼した上でのことであり、私の過去に関わる個人的な思惑など、私の中には一切ない」 その言葉を信じられる客観的な根拠はない。とはいえ、この場であえて彼がその素顔を晒してまでそう語る以上、そこに何か裏があると断言出来る根拠もないだろう。 皆が呆気にとられている中、誰よりも目の前でその美しい素顔を目の当たりにしたハンナは、緩みそうなその表情を必死で取り繕おうとしつつも、取り繕えきれない、そんな心境に陥っていた。 (この人、絶対ハンサムだと思ってたけど……、イケメンオーラが仮面から溢れ出てるって、ずっと前から思ってたけど……) 自分の中で湧き上がる感情を抑えきれずに、ハンナは思わず本音を口走り始める。 「……さすがに、そこまでとは思わなかったなぁ。そこまでとは思わなかったけど……、でも、私もエーラムに留学していた頃のアレクシス様にはお会いしたことがあるんですよ。そっかぁ、そうだったのかぁ……」 アレクシスを生で見たことがある女性であれば、並の美男子が「アレクシス似」と自称したところで、鼻で笑い飛ばすだろう。だが、確かにこの目の前の「マスター」からは、アレクシスの兄と言われても納得せざるを得ないほどの、圧倒的な「美の圧力」を感じていた。むしろ、どこか影を帯びた「大人の雰囲気」を感じさせる今のルキウスの方が、彼女の中ではより「タイプ」かもしれない。 「いやー、ローガン様、いいところ斡旋してくれたなぁ。そんなローガン様には恩義があるけど……、でも、これはしょうがない! そういうことなら、分かりました。では、改めて……」 彼女は独り言のようにそう呟きながら、「仮面を外した美貌の騎士」の前に跪く。 「……私、ハンナ・セコイアは、あなたに永遠の忠誠を誓います。私を、あなたの契約魔法師にして下さい」 「私も、あなたと共にある君主となることを誓おう。よろしく頼む」 その言葉をハンナは万感の思いで受け止めつつ、先刻までの「あっけらかんとした表情」に戻った上で、淡々と語り始める。 「じゃあ、まぁ、しょうがないんで、どちらにしてもDr.ジェロには『ご退場』頂きましょう」 彼女はそう言いながら、ジェロの身体に繋がれている魔法装置に手をかけ、何らかの措置を施しつつ、そのまま説明を続ける。 「ただ、ここでこの魔境発生装置を破壊しようとした場合、自動防衛装置が発動します。そして、その解除法は、残念ながら私にも分からないんです。ですから、おそらく今から、そこら中から何か防衛兵のような魔物が出現すると思いますが、それは皆さんでどうにか倒して下さい」 あっさりと他人事のようにそう言ってのけるハンナであるが、現実問題として、彼女はあまり直接戦闘には向かない系譜の錬成魔法師である。特にこの部屋のような閉鎖空間においては、彼女の用いる攻撃魔法の大半は周囲を巻き込んでしまうため、あまり有効とは言い難い。 「あぁ、任せてほしい。こういう荒事だけは得意なんだ」 そう答えたのはジークであった。彼もまた、あそこまではっきりと言い切った以上、責任を持ってこの魔境を破壊する覚悟は定まっていた。 一方、そんな若い君主達の覚悟を満面の笑みで眺めていたメイプルは、階段を伝って「上」の方から聞こえてくる喧騒に気付く。 「どうやら、地上の方でも何かあったようだな。私はそちらを見て来る」 「あ、私も行きます」 ハンナもそう言って、階段を駆け上がって行く。地上で何が起きているのかは分からないが、不測の事態に対応するという意味でも、ここはハンナかエステルのどちらかが出向いた方が良いだろう。そう考えれば、部下達を地上に残しているハンナの方が適任である(もっとも、彼女はそこまで状況を把握出来ていた訳ではないのだが)。 そして、結果的に(若い分、瞬発力に優れた)ハンナの方がいち早く階段を駆け上がって行ったのに対しメイプルはこの場に残る四人に視線を向けて言い放つ。 「あんた達も、破壊した上でヤバイと思ったら、すぐに上がって来な!」 「ありがとうございます、先生!」 ジークがそ答えると、メイプルはニヤリと笑いつつ、最後にルキウスにも声をかけた。 「まだ今の時代にも、お主のような君主がいることが分かって、安心した。まぁ、何かあったら私が『向こう側』との仲介役でも何でも買って出る。では、よろしく頼むぞ」 彼女が言うところの「向こう側」とは、おそらく神聖トランガーヌのことであろう。彼女は聖印教会の人間である以上、確かに状況によっては、仲介役として機能することが出来る可能性はある(もっとも、日輪宣教団と月光修道会は宿敵関係でもあるため、かえって話がこじれる可能性もあるが)。 「あぁ。私に任されよ」 ルキウスがそう答えると、メイプルもまた階段を駆け上がって行く。こうして、約一年間に渡って両国の国境線上に存在し続けた「魔境」との、最後の戦いの火蓋が切って落とされることになった。 3.5. 最後の番兵 残された四人が、まずジェロの座っている椅子に近付いて様子を確認してみると、この時点で既にジェロは息絶えていた。どうやら、先刻彼女が「『ご退場』願いましょう」と言った時点で、既に彼の生命維持装置は破壊されていたらしい。 その上で、この椅子に備え付けられた諸々の装置が魔境の発生源であろうと考えた彼等は、それぞれの得物を用いて、全力でその装置を叩き壊す。すると、その椅子を中心として急速に混沌核が収束し始め、彼等を取り囲むように「五体の魔法生物」が出現した。その姿はいずれも、複数種類の(おそらくは出身世界も異なる)魔物を強引に繋ぎ合わせたかのような不気味な姿で、その中の四体は「人よりもやや大きい程度の怪物」であったが、入口付近に出現した一体は、それらよりも遥かに強大で、その内側からも強烈な禍々しい混沌核の気配が感じられた。おそらくこの魔物が「魔境そのものの混沌核」でもあるのだろう、ということを彼等は直感的に推測する。 おそらく、今のこの時点で、この魔境発生装置自体は既に半壊している。だが、魔境の混沌核さえ残っていれば、そのまま放置しておけば再び何らかの魔境が出現する可能性が高い。だからこそ、どちらにしてもこの魔物を倒さなければ、この村が安住の地に戻ることはないだろう。 彼等がそのことを覚悟したところで、唐突にリッカが叫ぶ。 「我が名は白神陸華! 白神の名の下に、災厄を打ち砕く者なり!」 その突然の名乗りに対して、一瞬、他の三人が面食らったような表情を見せる。 (シラガミ……?) それなりに長い時間を彼女と共にしてきたエステルですらも、その姓を聞くのは初めてであった(そもそも語順的に、この時点においてもそれが彼女の「姓」だと認識されているかどうかも怪しい)。 リッカの出身世界において、「白神一族」とは「辻斬りの一族」としても知られる一線級の武芸者の家系であるが、彼女は今までこの世界において、あえてその名を名乗ろうとはしなかった。これまでのリッカ(陸華)の中で、今までの戦いは全て自分を磨くためのものであり、言わば力を磨くことそれ自体が彼女の中での目標であったため、それはあくまでも彼女自身の力だという認識から、あえて名乗る必要はないと考えていたのである。だが、先刻、星核を手にした時点で「大毒龍という災厄に打ち勝つために力を磨く」という明確な目標を得た彼女は、それが「他人のための戦い」でもあることに気付き、それ故に「力を求める一族」としての血筋に誇りを強く抱くようになったのである。 無論、そんな彼女の中の心境の変化など、他の者達に伝わる筈もないのであるが、そんな彼女の強烈な心意気だけは伝わったのか、他の者達も改めて全力で目の前の魔物を倒すべく、それぞれの力を解き放つ。 まず、ルキウスがこれまで抑えていた自身の聖印の力を一気に解き放つかのように全力の光矢を五体の魔物全員に対して放とうとすると、彼の目の前に青白く光る「星核」が現れたことでその威力は更に増幅され、その五矢のうちのの四矢によって比較的小型の四体の魔物が一瞬で消滅し、残り一体にも痛烈な大打撃を与えつつ、その矢から生み出された「光の鎖」がその身体に絡みつく。 だが、その直後に今度はその魔物から謎の光の攻撃が四人に対して放たれる。それは、本来ならば「精密機器」の存在するこの地下室内で放って良いような代物ではない。おそらくは「この部屋もろとも侵入者を排除するための装置」なのであろう(前述の通り、この魔境の混沌核さえ無事であれば、いつでも魔境は再生出来る)。リッカはかろうじてその光線を避け、エステルはジークが庇ったことで事なきを得るが、ジーク自身は深手を負い、直撃したルキウスもまた苦悶の表情を浮かべる。 その直後、明確な使命に目覚めて覚悟を決めたリッカと、追い詰められたことで聖印の真の力を発動させたジークの連続攻撃によって、今度はその魔法生物の方が大打撃を受けるが、それでも倒れない。そして、ルキウスの攻撃によって消滅した筈の四体の魔法生物が存在していた空間に、再び先刻と同様の「四体の魔法生物」が再出現しようとしていた。 もし、彼等の推測が間違っていなければ、この中核たる巨大魔法生物さえ倒せば、この魔境そのものが消滅する筈である。だが、こうして無限に出現する魔物達に妨害される状況が続いてしまっては、それもままならない (これは早めに終わらせなければ!) エステルはそう判断した上で、魔境の中核と思しき巨大魔法生物に対して万能溶解剤を投げつけ(その攻撃で巻き添えを喰らいそうになったジークを自身の静動魔法で庇い)、その直後に(先刻のルキウスの矢から生み出された)「光の鎖」が魔法生物を締め付けるが、それで息の根を止めるには至らない。 そして、再び四体の小型の魔法生物達が収束しようとしたその瞬間、ルキウスの放った二撃目の矢が中核たる魔法生物を貫くと、出現しかけていた魔法生物達も消滅し、これまで(魔境に入って以来)ずっとルキウス達にかけられていた「足取りが重くなる変異率」が消えていくことを実感する。どうやら、やはりこの魔法生物と同時に、この村全体を覆っていた魔境そのものが消滅したようである。 「今、見たことは、他言無用で頼む」 ルキウスはそう言いながら仮面をつけ直し、ジークと共に混沌核を浄化した上で、状況確認のためにエステルやリッカも伴って地上へと駆け上がって行く。すると、そこでは魔境が浄化されたことで、それまで村の上空を覆っていた霧が晴れた中、月明かりの下で調査隊の面々とガルブレイスが「闇魔法師と思しき者達」と戦っている場面に遭遇する。 この時点で、エステルはカルディナから言われていた「パンドラと思しき面々が、魔境に潜入しようと企んでいるらしい」という情報を思い出すが、彼等は「下からの援軍」が現れたことで無勢を悟ったのか(結局、彼等の目的が何だったのかも分からないまま)、即座にその場から撤退して行った。 4.1. 平和のための捏造 こうして、魔境の浄化に成功したことを確認した一同は湧き上がるが、ここでハンナは神妙な顔つきで(仮面をつけ直した状態の)ルキウスに語りかける。 「マスター、一つ言えることはですね、現状、私達は反逆者なんですよ」 厳密に言えば、明確な「命令違反」を犯したのはハンナだけなのだが、ハンナがどう庇い立てしたところで、ルキウスがハンナの忠告を無視した上で魔境の浄化に至ったことは言い逃れ出来ないだろうし、ルキウスとしても言い逃れする気はなかった。 「ですから、もういっそのこと、私達で一緒に駆け落ちしません?」 冗談とも本気とも取れそうな微妙な言い回しでハンナはそう提案するが、さすがにルキウスとしては、そこまで無責任な道を選ぶことは出来ない。少なくとも、今のこの時点で誰がこの地を治めるべきか、という問題を丸投げして、領主としての責務を放り出す訳にもいかないだろう。 この状況に対し、意外な人物が意外な提案を持ちかけた。 「さて、そういうことなのであれば、いっそ私がここを治めようか?」 そう宣言したのは、メイプルである。 「私であれば、アントリアの人間であると同時に、聖印教会の人間でもある。その上で、この魔境を浄化したのは、私とこのジジイだということにする。それでどうだ?」 彼女はそう言いいながら、ガルブレイスを指差す。つまり、比較的穏健派の聖印教会信徒である自分達が(より正確に言えば、ガルブレイスは既に聖印教会信徒とも言い難い立場なのだが)、神聖トランガーヌとの間での緩衝地帯としてこの地を治める、ということである。唐突に指名されたガルブレイスは一瞬困惑したが、すぐにその意図を察しつつ、ひとまず黙って話を聞くことにした。 「無論、それは私がこの地を領有した上で、神聖トランガーヌと共謀してそちらに攻め込むようなことはしない、ということを信じてもらえれば、の話だがな」 メイプルのその提案に対して、最初に反応したのはジークであった。 「そうして頂けるのであれば、助かります」 彼はメイプルに対して全幅の信頼を置いているため、その方針で異論はないようだが、エステルは渋い顔をする。 「しかし、それでは私達が反逆者であるということには変わりないのでは?」 「あくまでも、私とこのジジイが独断で勝手に浄化した、ということにすれば良かろう。お前達はそれを止めようとしたが、あと一歩及ばなかった、と言うことにしておけば良いことだ」 つまり、「救出隊が到着する前に、先行潜入していたメイプルと、神聖トランガーヌ方面から来ていたガルブレイスが勝手に共闘して、勝手に浄化していた」という筋書きをでっち上げれば良い、ということである。それならば、確かに「命令違反」にはならないだろう。実際、魔境の混沌核を倒した場面は誰にも見られていない。メイプルが地上に戻ってきた時点で既に魔境の混沌核が破壊されていたと言い張ることも出来よう(魔境の混沌核を破壊してから魔境が完全に消滅するまで、どれほどの時間差が発生するかは、普通の兵士達には分からない)。 そしてルキウス(クワトロ)達にしても、「救出」という任務は果たしているし、公式に「魔境を守れ」という命令を受けていた訳でもない以上、責められる謂れはない。ただ、エステルとしては、むしろ「聖印教会に勝手に魔境を浄化されてしまった」という報告自体が、また別の形での波紋を生み出すのではないか、という疑念はある。メイプルもその点については分からなくもなかったので、彼女の中ではもう一つの選択肢も考慮されていた。 「もしくは、『お主』がここに独立国を立てるというのであれば、それでも構わんがな」 ルキウスに対して、メイプルはそう提案する。そしてエステルもまた、聖印教会にこの地を占領させるよりは、ルキウスかジークがこの地の領主となった上で、中立地帯化する道の方が望ましいと考えていた。その場合、両国の間で行き場に困ったら、グリースと手を結んで生き残るという道もあるだろう(もっとも、その場合はジークとコーネリアスの間の確執をいかにして解消するか、という問題もあるのだが)。 しかし、ルキウスもジークも、反逆者扱いされてまでこの地の領主という重職を自分が務められるとは思っていなかったため、彼等はいずれもこの提案を拒絶し、メイプルの最初の提案に彼等は賛成する。とはいえ、メイプルとしてもこの案で万事解決するという確証はない 「問題は、神聖トランガーヌがそれで納得するかどうかだな……」 メイプルは聖印教会の一員とはいえ、彼女がアントリアの一員としてこの地を治めるとなると、当然、神聖トランガーヌとしては警戒心を強めるだろう。ましてや彼女を含めた月光修道会は、現在の神聖トランガーヌの主戦力となっている日輪宣教団から見れば「同じ神を信仰する同士」である以上に「異なる教義解釈を掲げる宿敵」でもある。現在の枢機卿であるネロ・カーディガンは無計画な戦線の拡大を忌避する立場ではあるが、メイプル達の交渉次第では、逆に彼等の神経を逆撫ですることになりかねない。 そのことを踏まえた上で、ここでメイプルは更なる奇策を考案する。 「……ここは私が、この地と、この地の混沌核から得られた聖印をフォーカスライト大司教に寄進する、という形でどうだろうか?」 フォーカスライトは神聖トランガーヌ建国以前からのブレトランドの聖印教会の聖地であり、現在はなし崩し的に神聖トランガーヌに編入されてはいるものの、一種の特別自治区のような扱いでもある。更に言えば、現在のフォーカスライト大司教ロンギヌス・グレイは、日輪宣教団主導でこの国全体の信徒達が過激化していくことを快く思っていない、とも言われている。 そして、フォーカスライトとクラカラインの間に位置する(ガルブレイスの本来の所属である)エフロシューネの領主マーグ・ヴァーゴもまた、どちらかと言えば聖印教会内では穏健派と呼ばれる立場である。故に、メイプルが神聖トランガーヌ内における「フォーカスライト派」としてその内側に潜り込むことで、エフロシューネを含めた形での「非日輪宣教団ブロック」を東部に形成すれば、結果的に神聖トランガーヌ内の主戦派の暴走を抑え込めるかもしれない。 とはいえ、どのような「建前上の報告」を提出しようとも、おそらくローガンには真実を見破られることになるだろう。そのことを踏まえた上で、どのような「建前」ならローガンが納得するか、ということを確かめるために、エステルは直接、魔法杖通信をローガン相手に試みることにした。 彼女はひとまずここに至るまでの状況を正直に伝えた上で、私見も交えながらここまでメイプル達と相談してきた内容をそのままローガンにそのまま伝える。 「ジーク君達はメイプルさんが浄化したことにして、この地をメイプルさんごと聖印教会に渡そうと考えています。私は、ジーク君に聖印を渡して、クワトロさんとメイプルさんに従属してもらえば良いと思うのですが、いかがでしょう? その場合、神聖トランガーヌとの交渉はあなたにお任せすることになると思いますが、大丈夫ですか?」 早口でまくしたてるようにエステルはそう報告したが、明らかに言葉足らずであるにもかかわらず、ローガンは概ねその意図を理解する(あるいは、彼の中では既にこれらの提案も想定の範囲内だったのかもしれない)。なお、エステルが「ジーク君」という呼称を用いているのは、おそらく彼女の中ではジークは君主である以前に(ジークの方は彼女のことを覚えていなかったようだが)「魔法大学の後輩」という位置付けなのだろう。 これに対して、ローガンは即座に「それぞれの選択肢」がもたらす未来像を自身の脳内で組み立てていく。 「まず、神聖トランガーヌは私と交渉はしないだろうな。交渉出来るとしたら、それこそメイプル殿かアドルフ殿くらいだろう」 いかにネロが神聖トランガーヌ内では「話の分かる人物」であると言われていても、さすがに「故郷を滅ぼした魔法師」を相手とした取引に応じるのは(少なくとも公的には)難しい。そのことを自覚した上で、ローガンは自身の見解を伝える。 「現状のアントリアにとっては、クラカラインを領有することは、百害あって一利なし。その意味では、メイプル殿に任せた上で、フォーカスライトを利用して日輪宣教団を牽制するのが、一番マシな選択肢だろう」 ローガンとしては、魔境が壊されてしまったことは痛手ではあったが、だからと言って「魔境を浄化した英雄達」を公的に処罰する訳にもいかないことは分かっている。ならば、この新たに発生した状況下で次善の策を取るしかない。その上で、あえて神聖トランガーヌに村一つをくれてやるのが、一番損害の少ない道であるように思えた。アントリアにとっては「領地の喪失」ということになるが、どちらにしても一年以上も魔境として放置されていた地を(敵国からの再侵攻への備えと同時進行で)再建するための費用と人足を考えれば、少なくとも現時点において進んで領有すべき土地ではない。 アントリアの筆頭魔法師の下したその判断に対して、エステルも渋々受け入れる意志を示したことで、ひとまずこの問題は決着する。おそらく、この後はローガンが自分の都合の良いように「物語」を組み立てるだろう。ルキウスも、ジークも、エステルも、そして勿論リッカも、これ以上の高度な次元の政治的駆け引きに口出しする気はなかった。 4.2. 時代の分岐点 その後、ルキウスとジークは、浄化した魔境の混沌核(から生じた聖印の増幅分)をメイプルとガルブレイスへと密かに譲渡した上で、ひとまず「調査隊」と「救出隊」の面々は(メイプルを除いて)それぞれの本拠地へと帰還することになった。 そしてメイプルは、ガルブレイスとマーグの仲介を経由して聖地フォーカスライトを治める大司教ロンギヌスに連絡を取り、「メイプルとガルブレイスの手で、アントリア軍を利用した上でクラカラインの魔境を浄化した」という報告を提出した上で、ガルブレイスと共にその聖印をロンギヌスに捧げて、「フォーカスライト大司教直属の君主」としてクラカラインを治め、その補佐役としてガルブレイスが就任する、という運びになった。 この突然の急展開にアントリア側も神聖トランガーヌ側も困惑したが、ひとまずは仮領主となったメイプルが「今はまず、何を置いても村の復興を優先すべきである」と宣言したことで、現神聖トランガーヌ枢機卿のネロもその方針を受け入れる。幸か不幸か、この時点で(神聖トランガーヌ内最急進派の)日輪宣教団ブレトランド支部長リーベックが不在だったこともあり、(ネロからは「アントリアからの侵攻には注意するように」と釘を刺されつつ)クラカラインの領有権問題に関しては、公的な「保留」という立場のまま、なし崩し的にメイプルを中心とした復興体制が築かれていくことになる(その過程で、密かにアグライアやカレからも支援物資が届けられることになった)。 一方、アントリア側もまた、建前上は聖印教会に領土を騙し取られた形になった訳だが、この点に対しては、筆頭魔法師ローガン、騎士団長バルバロッサ、副団長アドルフの三者間での非公式の会談を経て、ひとまずアントリア側からの再侵攻計画は「保留」とした上で、バランシェの神聖学術院に対しても「今回の浄化作戦はあくまでもメイプルの独断」であるという建前を優先し、明確に波風を立てるような行為には至らなかった。 こうして、一年半にもわたったクラカラインの魔境問題は誰も予想出来ない形で収束し、アントリア、グリース、神聖トランガーヌの三勢力が入り乱れる旧トランガーヌ地方は、新たな政治的局面を迎えることになった。魔境によって保たれていた均衡が崩れた今、この先の未来に待ち受けるのが、新たな戦乱なのか、和平と共存への道なのか、ブレトランド小大陸はまさに新たな時代の分岐点へと突入しようとしていたのである。 4.3. 帰還と祝杯 アントリアの上層部でそのような戦後処理が展開されている中、エステルとリッカは無事にエルマへと帰還した。途中まではユリシーズとアオハネも同行していたが、ユリシーズは本来の勤務地であるエスト(モラード地方の中心地)へと向かうためにコロナで別れ、そしてアオハネはまた新たな魔境を探して何処かへと旅立って行った。 (まぁ、言い訳はローガンさんに任せるとして……、正直、専門家が行って先を越されて浄化された、ということにされるのは、色々と思うところはあるのだけどね……) ついでに言えば、魔境探索者として、今回の一件を通じてその瞳に焼き付けた様々な興味深い諸々の事象を(魔境浄化に至るまでの真相を秘匿する必要がある以上)「動画」として発表する訳にはいかない、ということも、エステルにとっては残念な案件であった。 一方、リッカは今回の任務の途中で知ることになった「大毒龍復活の阻止」という新たな使命に向けて、既に気持ちを新たにしていた。今の時点でそのために出来ることは(彼女自身が他の仲間を探すことは、能力的にも性格的にも不可能であるため)、結局のところ「自分の実力を磨く」ということしかない以上、彼女がやるべきことはこれまでと大差はないのだが、それでも、その達成に向けての心持ちが変わっただけでも、彼女の中では大きな変化であった。 そんな想いを胸に帰ってきた二人に対して、留守を守っていた(自称)酒の神は、いつも通りに二人にウィスキーを振る舞う。 「何はともあれ、祝いの酒だ」 事情を知らない彼にしてみれば、何はともあれ魔境が浄化されたこと自体は喜ばしい話である。少なくとも今の時点では、魔境村の真実も、大毒龍復活の予兆も、彼に知らせる訳にはいかない以上(後者に関しては、いずれ知らせることになる可能性もあり得たのだが)、今は黙って静かに村の自慢の銘酒を味わう二人であった。 4.4. 褒美と土産 「で、戦争は?」 カレへと帰還したジークに対して、白狼騎士団の不良隊長ことディーオは、開口一番そう問いかけた。魔境が浄化されたという話は既に伝わっていたため、当然、彼としては次に待っている神聖トランガーヌとの戦争がいつ始まるのかが楽しみでならなかったようだが、ジークとしては現時点では答えようがない。 「国境の警備、ご苦労だった。褒美として、これを取らせよう」 そう言って彼は、酒瓶をディーオに手渡す。 「エルマの酒か?」 「あぁ」 今回の任務の直前に、エステルから「粗品」として渡されていたらしい。ひとまずディーオはその「褒美」で満足したようで、すぐさまその場で栓を開けて歩き飲みを始める。 そんな彼を横目に放置しつつ、ジークは村の占い師であるサンドラの元へと向かう。 「予言、よく分からなかったけど、役に立ったよ。ありがとう」 そう言いながら、彼はアグライアで購入した「よく分からないお土産」を渡す。 「これ、何?」 「なんだかよく分からないが、とりあえず、アグライアの名産品らしい」 本当によく分からないものを渡されたサンドラは当然のごとく困惑していたが、ジークはそんなことは気にせず、続いて領主の館で待つ契約魔法師のオラニエの元へ赴き、彼に一通りの事情を説明する。 「……ということで、クラカラインなんだが、新しく国が出来ることになった」 明らかに語弊のある言い方だが、既にエステルからの魔法杖通信経由でおおまかな事情を聞かされていたオラニエは、微妙な表情ながらも一応納得した表情を浮かべる。 「いや、まぁ、その、国というか何というか、だいたい話は聞いていますけど……、あの先生ならよっぽど大丈夫だとは思いますが……」 「僕自身も先生のことは信頼しているからね。あの人ならば、不用意にアントリアに攻めてくることはないだろう」 「だといいんですけどね。問題は、あの人が良くても、神聖トランガーヌ側がどう出るか……」 状況によっては、神聖トランガーヌ内の最過激派が、メイプルを異端者と断じた上で、クラカラインを攻撃する可能性もあるだろう。フォーカスライト大司教の動き次第では、メイプルが窮地に陥る可能性もある。無論、それはそれでアントリアにしてみれば、分裂した神聖トランガーヌを攻撃する好機でもあるのだが、今のところ国内の再整備を優先する方針を続けてきたマーシャルが、その状況になった時にどのような決断を下すかは分からない。 だが、ジークの中では既に腹積もりは定まっていた。 「今回のことでメイプルさんに恩が出来たことは確かだ。もしメイプルさんの身に危機が迫ったら、助けに行くことにしよう。そのためにどうすべきかは、またこれから考えようか」 あくまでも決まっているのは腹積もりだけで、そのために必要な見積もりは何一つ定まってはいない。それを定めるべき立場にあるオラニエは、今から様々な可能性を考慮に入れつつ、頭を悩ませ続けていくのであった。 4.5. 名門貴族と女魔法師 それから数日後、クワトロ・スコルピオことルキウス・ドゥーセは、ようやく落ち着きを取り戻したアグライアの領主の館の廊下の窓から、改めて夜空を見上げていた。そこには、以前に比べて更に三つの「星」が増えていることが分かる(その中の青白い星はジークの、そして赤みを帯びた星はエステルとリッカの星であろう、ということもすぐに認識出来た)。 改めて、自分に課せられた使命の重さを実感したルキウスに対して、彼の中の「天雄星」が語りかけてきた。 (今のあなたの立場では、この地を空けるのは難しいでしょう。しかし、あなたでなければ「星の前世の者達」を探し出すことは出来ません。なんとか、外に出る口実を考えて下さい) そう言われても、魔境無き後の対クラカライン(および神聖トランガーヌ)問題という新たな課題が発生してしまった以上、なかなか現実問題として好き勝手に動くことも出来ない。いっそ本当にハンナと駆け落ちでもすれば、自由に動ける立場になっていたかもしれないが、さすがにそこまで無責任な道を選び取れる性格ではなかった。 ルキウスが空を見上げながらそんな物思いに耽っているところで、どこからともなくハンナが現れる。彼女は、帰還以来ずっと気になっていたことを、ふと問いかけてみた。 「マスターは、これから先も、その仮面は付け続けるのですか?」 「そうだな……。今、外したら、それはそれで面倒だろう?」 大工房同盟に所属するアントリアの騎士としては、あえて自らの出自を公開した上で、その立場を積極的に外交方面で利用することも出来なくはないが、それは彼の本意ではなかった(少なくとも、今の時点でそうすることがアレクシスや故郷の者達にとって好ましい未来をもたらすとは考えられなかった)。 「そうですね。それに『マスターの秘密を知っている数少ない人間』としては、今のままの方が、私としてもちょっと『優越感』がありますしね」 ニヤニヤとほくそ笑みながらそう答えるハンナに対して、ルキウスはその笑顔の意味を知ってか知らずか、一般論で答える。 「秘密なんて、誰にでもあるものだろう」 「まぁ、確かに」 そんな会話を交わしつつ、ルキウスもまた、いつ話すか迷っていた問題に関して、意を決して切り出してみることにした。 「これから、少しここを空けることになるかもしれないが、その時は、この街のことを頼んでもいいか?」 「え? えぇ、まぁ、そりゃあ、十日以上も帰らなかった私が文句を言えた立場ではないですけど……、それは、アントリアの騎士として、ですか? それとも、御実家の関係ですか?」 「どちらでも無いのだが……、すまんな、こちらもまた新たな秘密が出来てしまった」 「へぇ〜」 ハンナは口元にうっすらと微笑を浮かべながら、興味深そうな上目遣いで見つめる。 「じゃあ、そのことはマスターがもう少し私のことを信用したら、教えてもらえるのでしょうか?」 「まぁ、そうだな……」 実際のところ、大毒龍のことはどこまでの範囲で明かして良いのか、ルキウスとしても基準がよく分からない。天雄星が言うには「人々に不安を広げないため」というのが秘匿の理由である以上、「口が硬い人物」や「自分であれば大毒龍に勝てると信じてくれる人物」であれば教えても構わないように思えるのだが、それでも、自分一人で終わる問題でもない以上、(「自分の正体」と同等以上に)そう易々と明かして良い問題とは思えおなかった。 ハンナもその決意の固さは感じ取っていたため、今の時点でその問題に踏み込むのはひとまず諦めた上で、それとは別次元で彼女が個人的に気になっていたことを問いかける。 「そういえばマスター、結局、なんで実家を捨てたんですか?」 それに関しては、ルキウスとしても(既に正体を明かしてしまった以上)これ以上隠すとかえって余計な憶測を生み出しかねないと考えたのか、あっさりと答える。 「私とアレクシスは、母親が違うのだ。私の母は、私の祖父(先々代ハルーシア大公ヴィクトール・ドゥーセ)の契約魔法師だった。名門貴族家出身の正妻の子であるアレクシスと私との間で、継承を巡る問題が発生するのを避けたいと思ったのだ」 妾腹の兄と、正腹の弟。貴族家においてはよくある話である。今回の魔境の戦いで共闘したユリシーズもまた、彼と同じように「弟に家督を譲るために貴族家を捨てた身」であった。ただ、邪紋使いとなったユリシーズとは異なり、ルキウスは父シルベストルから貰った従属聖印をそのまま引き継ぐ形で、世界を転々としていた。シルベストルはいつでもルキウスから聖印を剥奪することは出来たが、それでもあえてルキウスに自由に行動させることを認める程度には、実父との間での信頼関係は維持されていたのである(もっとも、既にその父も大講堂の惨劇で命を落とし、今の彼の聖印は独立聖印と化しているのであるが)。 「なるほど。じゃあ、マスターは、魔法師を妻に迎える気はないんですか?」 この問い自体は、今の話の流れから「一般論」として導き出された問いとして解釈しても、何一つ不自然ではない。とはいえ、明らかにそこには一人の女魔法師としてのハンナの「個人的な想い」が込められていることは明白であった。 実際のところ、ルキウスの母は「正妻派」からの圧力によって精神を病み、ルキウスが幼い頃に自害しているため、ルキウスの中では同じ悲劇を繰り返したくないという気持ちはあるだろう。とはいえ、それはあくまでも「非嫡出子」として魔法師に子供を産ませたが故の悲劇であり、魔法師を正妻として迎えるのであれば、そのような心配もない。立場的に、大公家の御曹司が魔法師を娶るとなると周囲からの反対もあるだろうが、騎士程度の爵位しか持たない今の彼であれば、それほど難しい話でもない(実際、今回の魔境作戦で同行したメイプルの大甥に至っては「男爵」の身でありながら契約魔法師との縁組に至っている)。 「私は…………、どうだろうな?」 ルキウスが、あくまで「一般論」としてのボカした返答に留めると、ハンナは改めて口元をニヤつかせる。 「そうやって希望を持たせてくれるのであれば、期待しない程度に、希望だけは捨てずにおきます」 表情とは裏腹に、あくまでも淡々とした口調でそう語ったハンナに対して、ルキウスは改めて真剣な表情で「本音」を伝えた。 「ただ一つ言えるのは、好きに生きさせてもらうと決めた以上、私も誰かを縛るつもりはない、ということだ」 「それは構いませんよ。私も、別にマスターが名家の出身だから言ってる訳じゃないですし」 そんな「噛み合っているのかいないのかよく分からない会話」を交わしつつ、ハンナは改めて、自身の目の前に輝く「出自よりも重要な理由」をまじまじと上目遣いで眺めつつ、満面の笑みを浮かべる。 「じゃあ、とりあえず、あの子達にご飯をあげてきますね」 そう言って、ハンナは愛猫達の待つ家へと帰宅する。そんな彼女の後ろ姿を眺めながら、まだ見ぬ星の前世達を探す旅に出るための算段を、改めて真剣に考え始めるルキウスであった。 八つの光が揃うまで、未醒の星はあと六つ。夜空に希望が満ちるまで、未還の星は九十二。 【ブレトランド水滸伝】第3話(BS55)「天威之壱〜夢を描くもの〜」 グランクレスト@Y武
https://w.atwiki.jp/ragadoon/pages/1470.html
第3話(BS55)「天威之壱〜夢を描く者〜」( 1 / 2 / 3 / 4 ) + 目次 1.1. 龍と龍騎士 1.2. 長女の懸念 1.3. 護衛担当 1.4. 接待担当 1.5. 護送任務 2.1. 困惑の星 2.2. 北からの来訪者 2.3. 南からの来訪者 2.4. 望まざる再会 2.5. 宿屋の群像 2.6. 奔走する静動魔法師 2.7. 暗躍する時空魔法師 2.8. 夢巻物(ドリームスクロール) 2.9. 芸術家領主の判断 3.1. 宴席での疑惑 3.2. 「呪い」の真相 3.3. 「融合」への道筋 3.4. 「一つの前世」と「無限の来世」 3.5. 不器用な聖者達 3.6. 画家との密約 3.7. 「明かせる者」と「明かせない者」 3.8. 巨大鶏 3.9. 目覚めゆく星々 4.1. 融合の魔法陣 4.2. 港町の守護者達 4.3. 不倶戴天の仲間 4.4. 二つの手がかり 1.1. 龍と龍騎士 アトラタン大陸極北部に位置するノルド侯国は、大工房同盟において中核的役割を担う海洋軍事大国である。現在のノルド侯爵エーリクは「海洋王」の異名を持つ豪傑であり、大工房同盟内において、ヴァルドリンド辺境伯マリーネ、ダルタニア太守ミルザーと並び称される「三巨頭」の一人として知られている。 そんなノルドの首都スロームの一角に位置する有力貴族リンドマン家の屋敷において、この屋敷の主である一人の高名な騎士(下図)が、この国の(海を挟んだ)西方に位置するブレトランド小大陸への渡航の準備を進めていた。 彼の名はフレドリク・リンドマン。海洋王エーリクの義兄であり、ノルドでも数少ない「龍騎士」の一人である。彼には妻クリスティーナ(エーリクの姉)との間に四人の娘がおり、その中の一人である「梟姫」こと次女マルグレーテは、現在ブレトランドにおける同盟国であるアントリアに出征中である(ブレトランド風雲録5・ブレトランドの魔法都市3参照)。 今回のフレドリクのブレトランドへの渡航は(極秘事項という程ではないが)あくまでも非公式の訪問であり、同行者は僅か二人しかいない。その中の一人が、現在フレドリクの傍らに立っている、彼にとっての「相棒」と呼ぶべき一人の精悍な青年であった(下図)。 彼の名はラスク。龍の力を模倣する邪紋使いである。彼は自らを「誇り高き龍」と称し、自身の身体をほぼ「龍」そのものにまで変化させられるほどに邪紋の力を高めた存在であり、「龍騎士フレドリク」は「龍化したラスク」に騎乗することでその真価を発揮する。つまり、戦場における彼は、フレドリクと一心同体の存在である。 彼等がアントリアへと向かう理由は、その地に存在すると思しき一冊の本を手に入れるためである。その本の名は『紅蓮の姫と紺碧の翼』。今から約500年前に書かれたと言われている書物であり、そこには「とある実在の人物達」の記録が残されているらしいのだが、発行部数は極めて少なく、エーラムの図書館にすら現物は所蔵されていないため、詳細は不明である。ただ、今の彼等にとって、それはどうしても必要な書物であった。 そんな彼等の渡航準備を手伝っているのは、ラスクの妻にして、フレドリクの契約魔法師のマール・オクセンシェルナである。彼女が用いた探知魔法によれば、アントリア北部の港町パルテノの近辺から、その本の存在を感知出来たらしい。 「パルテノの領主エルネスト卿は芸術文化に精通している方らしいので、おそらく、この本を『優れた文学作品の一つ』として所蔵しているのでしょう」 マールは二人にそう告げた。彼女としては、出来れば自分もついて行きたいところだが、彼女には、ノルドの重鎮であるフレドリクとその相棒が不在の間、彼等の代役として家臣達をまとめる責務がある。むしろ、彼女が日頃から二人の後方支援を一手に引き受けているからこそ、彼等は今回、「個人的な事情」に基づいて国許を離れることが可能となったのである(なお、この「事情」のことを把握しているのは、この二人とマール、そしてフレドリクの妻であるクリスティーナだけである)。 そして今回、マールの代わりにこの二人に同行する予定なのは、フレドリクの長女である「鯨姫」ことカタリーナの契約魔法師を務めるカイナ・メレテスである。彼女は昨年までアントリアに仕えていた身であり、現地の事情に詳しいため、今回の水先案内人として適任に思えた。 「カイナさんは時空魔法師ですので、もし手詰まりになったら、彼女の力で色々探ってもらうのも一つの手でしょう。ただ、カタリーナ様の選んだ方を悪く言いたくはありませんが……」 マールはそう言いながら、眉をひそめつつ小声で話しを続ける。 「正直なところ、私は彼女のことは、まだ同胞として認めきれていません。何か私達に隠していることがあるような、そんな気がします。あくまで『女の勘』ですが」 そんな彼女の忠告を聞き入れつつ、フレドリクはラスクに対して語りかける。 「では、参ろうか。相棒よ」 「あぁ」 ラスクは短くそう答えると、二人はカイナと合流すべく、乗船予定の船舶が停泊する港へと向けて歩き始める。そんな二人の後ろ姿を、マールは心配そうな表情で見つめていた。 (あの二人は多分、相手のことは互いに一番よく分かっている。だから、よほどのことがない限り、大丈夫だとは思うけど……) そんな彼女の不安は、この後、少しずつ現実化していくことになるのだが、まだこの時点ではそのことを知る者は誰もいなかった。 1.2. 長女の懸念 フレドリクの長女である「鯨姫」ことカタリーナ・リンドマン(下図)は、若くしてノルド海軍の第四艦隊の司令官を務める俊英であり、男子のいないリンドマン家の家督相続者として目されている存在でもある。 そんな彼女の契約相手である時空魔法師のカイナ・メレテス(下図)は、約一年前までダン・ディオード付きの無任所魔法師としてアントリアに在籍していた(そこからの彼女の契約魔法師となるに至る経緯はブレトランドの光と闇1参照)。その人脈を買われて、今回のフレドリクの渡航の案内役を担当することになったのであるが、そんな彼女に対して、カタリーナはやや訝しげな表情を浮かべながら、ふと語りかけた。 「どうもここ最近、お父様の様子がよそよそしいのよね。お母様にも相談してみたら『気のせいだろう』って言われたんだけど……。どっちにしてもちょっと心配だから、この機会に確認してみて」 「はぁ……、分かりました」 カイナとしては、急にそう言われたところで、何をどうすれば良いのかが分からない。少なくとも、これまであまりフレドリクと接する機会が少なかったカイナには、カタリーナが今のフレドリクのどこに違和感を感じているのか、見当もつかなかった。ただ、時空魔法師であるが故に「理詰め」の世界で生きているカイナとは対照的に、「感性」主体で生きているカタリーナには「カイナには見えない何か」が見えているのかもしれない。 「その件に関して、私はどの程度まで本気で取り組めばよろしいのでしょう?」 「まぁ、逆にお父様から不審に思われないくらい、かな」 確かに、あまりにも直接的にカイナがフレドリクの現状を調査しようとした場合、それはそれで不興を買う可能性もあるだろう。 「そうですね……、このノルドでの付き合い方は大体分かってきましたが、必要以上に私が干渉しようものなら、姫のところにどういう影響があるかも分かりませんし。その辺りはきちんと線引きはします」 「そうなのよね。この国にはエーラムのことをあまり快く思わない人達もいるし……」 辺境の地で懸命に生きるノルド人の気質は、文明の最先端であるエーラムの魔法師とは衝突しやすい。特に感情や衝動を重んじる無骨な君主達の中には、理性や知性を重んじる魔法師達に対して本能的に「胡散臭さ」を感じる者も少なくない。この点に関して言えばカタリーナも間違いなく典型的な「理性や知性よりも感情や衝動を重んじるノルド騎士」なのだが、彼女は基本的に「ちゃんと話せば誰とでも仲良く出来る」という楽観的信念の持ち主でもあるが故に、カイナに対しても特に訝しむことなく、彼女のことは全面的に信頼している。 「それじゃ、よろしく頼むわね」 最後はいつも通りの笑顔でそう言って立ち去って行くカタリーナに対して、カイナが内心で複雑な感情を抱きつつ、自室に戻って旅支度を始めようとしたところで、今度は彼女にとっての「もう一つの本拠地」からの連絡が、彼女の魔法杖に届いた。 カイナはエーラム魔法師協会に所属する契約魔法師であると同時に、ブレトランドに存在する闇魔法師組織「パンドラ均衡派」の一員でもある。皇帝聖印の成立阻止を目指して暗躍する均衡派の首領マーシー・リンフィールドから、カイナに対して魔法杖経由で以下のような通告が伝えられた。 「ノルドの重鎮であるフレドリク・リンドマンの運命が、大きく転換しようとしている」 マーシーは開口一番にそう告げた。彼女には、カイナがフレドリクと共にブレトランドへ向かうという話は既に連絡済みである。マーシーはその情報に基づいてフレドリクに関する未来を時空魔法を用いて調べた結果、このような仮説が導き出されたらしい。マーシーは淡々とした口調ながらも、強い危機感を感じさせる気配を漂わせながら話を続けた。 「それはおそらく、世界の覇権争いだけでなく、この世界の存在そのものを揺るがす問題とも関係している。具体的なことは分からないが、彼の近くにいるのであれば、可能な限り真相を探って報告するように」 ある意味、先刻のカタリーナの「直感」以上に抽象的な物言いであるが、それがブレトランド・パンドラでも随一の実力の時空魔法師であるマーシーの綿密な計算に基づいて弾き出された危険性なのであれば、看過出来る話ではない。 「えぇ、分かりました。いつだって我々は世界の均衡を保たなければなりません。ともあれ、相変わらず視野が広いようですね」 「そうでなければ、この立場は務まらない。ただ、私は今でもエーリクとダン・ディオードは非常に危険な存在だと考えているが、フレドリク・リンドマンに関しては、こちらから追加の指令が入らない限り、彼の身に危険が及んだ場合は、彼の身は全力で守れ。明確な因果関係は不明だが、おそらく彼の死は、この世界に大きな危険を招く可能性が高い」 カイナにしてみれば、理由はどうあれ、それならば今の自分の立場を維持する上でも望ましい命令である。その上で、マーシーはカイナに対して「パルテノに到着後に現地の領主エルネスト・キャプリコーンの屋敷で働く均衡派の間者のアニー(杏仁豆腐のオルガノン)と連絡を取り、状況によっては、彼女と連携した上で行動せよ」と命じるのであった。 1.3. 護衛担当 アントリア北部の港町であるパルテノの領主エルネスト・キャプリコーン(下図)は、音楽や会がなど、幅広く芸術文化を愛する君主として知られている。質素倹約を重んじるダン・ディオード政権下では、あまり表立った芸術奨励活動は出来ずにいたが、ダン・ディオードによるコートウェルズ出征以降(その経緯はブレトランドの英霊4参照)、徐々にパルテノは本来の華やかな雰囲気を取り戻しつつある。 そんな中、彼は街の警備隊長のシドウ・イースラー(下図)を領主の館の自室へと呼び出した。彼は本来はコートウェルズの貴族家出身であり、実はダン・ディオードの長男でもあるのだが、そのことを知る者は殆どいない。 「ノルドから、フレドリク・リンドマン殿が御来場されることになった。ノルド王の義理の兄にあたる方だ。理由はよく分からないが、お忍びでいらっしゃるということなので、あまり仰々しい警備は目立つので良くないから、一人で護衛するように」 要人警護を一人で任されるというのは極めて責任の重い任務であるが、それは「シドウがいれば大抵のことがあっても大丈夫」という信頼の現れでもある。実際、シドウは「不死」の邪紋使いであり、「人を守る力」に関しては、間違いなく一線級であった。 「分かりました。お任せ下さい」 そう言って彼がエルネストの部屋から外へ出ると、そこには極東風の奇妙な装束の女性の姿があった。シドウの副官を務めるクレハ・カーバイトである。彼女は『ナイトウィザード』という名の「書物」から出現する投影体のような存在であり、この街の人々からは「オルガノン」だと思われているが、厳密に言えばオルガノンとは似て非なる「禁書の象徴体(レトロスペクター)」と呼ばれる存在である(その厳密な正体はブレトランドと魔法都市4を参照)。 その外見は、 本体である書物の中で描かれている世界に登場する人物の一人 に酷似しており、その人物と同じ特殊な魔法の弓を用いることから、分類上は「山吹の静動魔法師」とされているが、本人は「陰陽師」と自称している。 「あ、隊長さん、謁見は終わりました?」 「あぁ」 「どんな御用だったんですか?」 「どうやら、ノルドの方からお偉いさんがいらっしゃるようだ」 「なるほど」 「で、私一人で護衛するように、という指示が領主様からあった」 「つまり、目立たないように、ということですね。そういうことだったら、何かあった時のために『私』を持って行きませんか? 小脇に抱えるでも、鞄に入れるでも構わないんですけど」 彼女の「本体」となる『ナイトウィザード』は、彼女の「契約者」であるマリベル(この街の領主エルネストの長女)が所有しているが、現時点でのクレハの実質的な上官がシドウであることもあって、過去にも何度かシドウに貸し出されたことはある(ちなみに、彼女は最初の召喚主によって様々な「改造」を施されており、「本」の中に収納された状態から、いつでも具現化することが可能である)。 「そうなると、一度マリベル様に許可を……」 「まぁ、それについては私が今からマリベル様の元に向かう予定なので、その時にお願いしておきます。それはそれとして隊長さん、実は一つ、お伝えすることがあったんですけど……」 そう言いながら、彼女はボロボロの封筒を取り出す。 「随分前に、隊長さん宛てに発送されてた手紙らしいんですけど、一度、大陸の方に誤配送されてしまって、それが今頃になってようやくウチに届いたみたいです」 それが混沌のせいなのか、ただの人為的な手違いなのかは分からない。とはいえ、この世界ではその程度の郵便事故はそれほど珍しい話ではない。むしろ、最終的に消失せずに届いただけマシと言える話でもある。 「私宛て?」 これまで、あまり他人と手紙のやりとりをしていないシドウは、首を傾げつつ封筒の表書きを確認する。発送された日付を見ると、どうやら1ヶ月以上前に届く筈の手紙だったらしい。そして差出人として書かれていた名は、彼の妹のソニア・イースラーであった。 ソニアはコートウェルズ最大の都市クリフォードの領主の娘で、兄であるシドウを差し置いて、父マーセルから後継者に指名された人物である。それ故に、かつてのシドウは彼女に対して様々に屈折した感情を抱いていたが、一年前のコートウェルズ遠征の際に自身の出生の秘密を知ったこともあり、今のシドウの中では彼女へのわだかまりはすっかり払拭されていた。彼は純粋に一人の兄として、嬉しそうな笑顔を浮かべながら久しぶりに妹から届いた封筒を開くと、そこに書かれていたのは「結婚式への招待状」であった。 「私はこの度、フェードラの領主スタンレー様の弟君であるフィル様と結婚することになりました。お兄様はもう実家のことには興味はないかもしれませんが、もしよろしければ、私達の結婚式に御参列頂けないでしょうか?」 シドウは嫌な予感を抱きつつ、日付を確認すると、どうやらその挙式は既に一週間以上前に終わっていた、ということが判明する。 (ソニア……、すまない……) 自分自身には何の非もないとはいえ、妹の晴れ舞台に出席出来なかったことを知ったシドウは、静かにその場に崩れ落ちた。 「私はいよいよ、ソニアに会う資格がなくなってしまったな……」 思わずそう呟いたシドウに対して、横からその手紙を覗き込んでいたクレハが口を挟む。 「いや、まぁ、今からでもお手紙を書けば良いのではないですか? 郵便物の配送ミスなんて、よくあることですし」 「……そう言ってもらえると、少し、気持ちは楽になる」 そう言って起き上がったシドウに対して、クレハは(特に何の悪気もなく)デリカシーのない一言を突きつけた。 「ところで、隊長さんは結婚しないんですか?」 「私は、愛情というものがよく分からないところがあってな……、好きな女性というのも出来たことがないしな……」 「なるほど。まぁ、そういうことなのであれば、別に焦らなくても良いかと。隊長さんって、意外とまだ若いんですよね?」 シドウは邪紋の影響もあって、その見た目からはあまり若々しさは感じられないが、まだ二十歳前である。更に言えば、不死の邪紋の持ち主は通常の人間よりも長命であることが多く、数百年以上生きている者も稀に存在する。その意味でも、彼の人生はまだまだ果てしなく長い。 「私より若い者が活躍しているということもあって、自分が若いという感覚もあまり無いのだが……」 「なるほど。まぁ、ともかく、妹さんには遅れてでも手紙は出した方がいいと思いますよ」 「そうだな……。まず、祝いの言葉から書いた方がいいのか、謝罪の言葉から書いた方がいいのか……」 シドウはそう呟きながら、そこはかとなく重い足取りで、ひとまず領主の館を後にするのであった。 1.4. 接待担当 そんなシドウと入れ替わりで、領主の館に一人の魔法師が出仕して来た。彼の名はラーテン・ストラトス(下図)。彼はこの街の領主エルネストの長女であるマリベル・キャプリコーンの契約魔法師である。 彼がマリベル(下図)の部屋の扉を叩くと、マリベルは笑顔で迎える。今回、彼女は父から、上述のフレドリクとはまた別件で来訪予定の一人の客人への対応を命じられ、その補佐役としてラーテンを呼び寄せたのである。 「お父様から『聖印教会からの来訪者が来るから、おもてなしするように』と言われたわ」 「もてなし、かぁ……」 ラーテンはやや困った表情を浮かべる。正直なところ、彼としては「客人の接待」は苦手分野である。それに加えて、魔法師を毛嫌いする傾向の強い聖印教会からの客人ということになると、余計に気が重い。 「正直、私もそういうのは苦手なんだけど、いい加減にそろそろ、そういうのも勉強しろ、って言われてるし。まぁ、聖印教会の人ではあるけど、そんなに過激派でもないらしいから、あなたが一緒にいても、いきなり殴りかかられることはないと思うけど」 少なくとも、そこまで極端な思想の人物であれば、エルネストも社交慣れしていない彼女に接待を任せたりはしないだろう。 「そう信じたいよなぁ……」 「不安だったら、魔法で姿を消して遠くから見守る、とかでもいいんだけど」 とはいえ、それはそれで、魔法に対して一定の偏見を持つ人物であった場合、それが発覚した時には余計に不信感を募らせる可能性もあるだろう。 「いや、お前の隣には俺がいるよ。ただ、心配だなぁ。一応、姉さんのところで礼儀作法とかは習ってはきたんだが、俺も得意ではないからな」 「あんまり堅苦しい人じゃなければいいけどね」 「本当になぁ」 そんな不安な空気を漂わせつつ、ひとまずマリベルは話の本題に入る。 「でね、その人が来る目的ってのが、今、ウチの工房にいる画家のレディオスを引き取りに来ることらしいわ。なんでも、イスメイアの教皇庁の大聖堂に絵を描かせるためなんだって」 アトラタン大陸中南部のイスメイア地方の一角に位置する聖地マトレは、聖印教会の二代目教皇ハウルの本拠地であり、彼の居城とその地を統治している組織の総称として「教皇庁」と呼ばれている。現在、パルテノの工房に所属している画家のレディオス・ミューゼルは、その教皇庁出身の人物で、そこからバランシェ神聖学術院(詳細はブレトランドの光と闇4参照)の芸術学部に入学したものの、ダン・ディオード政権下で芸術学部が廃止され、行き場を失っていたところをエルネストに拾われた身である。 「まぁ、レディオスは結構面白い人だったから、いなくなるのはちょっと寂しけけど、昔から『教皇庁に自分の絵を飾るのが夢』って言ってたから、ここは素直に送り出してあげないとね」 マリベルはそう評しているが、レディオスに対する工房内での評価は「面白い人」というよりも「変わり者」である(もっとも、それは大半の工房の住人達に該当する話でもあるのだが)。彼女はふと、数ヶ月前にあった彼に関する(彼女にとっての)「面白話」を思い出した。 「そういえば、ちょっと前に、唐突にそのレディオスに『混沌討伐に連れていってほしい』って言われたのよ。『戦いの絵』を描く参考にしたいからって。で、その時に討伐したのが、南の山岳地帯の辺りに投影された『鶏の怪物』だったんだけど、その時に最後に残った鶏の化け物にとどめを刺そうとしたら、『資料にしたいから、持ち帰りたい』って言い出してね。結局、瀕死の状態のまま持ち帰ったのよ」 彼女達が討伐した「鶏の化け物」とは、いわゆるコカトリス(オリンポス界の怪物)とはまた異なる特殊な投影体であり、古参の兵士達が言うには、昔からよくこの地方に周期的に出没する怪物らしい。見た目は「鶏」の形状であるものの、その雰囲気はかなり不気味で、一般的な感性であれば絵画のモチーフにしようとは考えそうにない風貌であるという。 「ずいぶん変わった奴だな」 「えぇ。しかも、資料にしたいと言ってた割に、その後で鶏の絵とか見たことはないんだけどね。とにかく色々な意味で、ちょっと変わった人だわ」 「確かに、芸術家はちょっと変わった奴が多いと聞くからな」 実際、その見解に関してはこの街に住んでいる人々の大半は同意する。そして、同意している面々の一部もまた、他の人々から見れば「ちょっと(?)変わった奴」であることが多い。 「そうね。だからまぁ、あんまり友達とかいないタイプだったんだけど……、あ、でもね、聞いた話によると、最近、彼の自宅に『すっごい綺麗な女の人』が出入りするようになったみたいで。正式に結婚してるかどうかは分からないけど、どうも奥さんっぽくてね。みんな驚いてたわ」 「ほう、それは、一度見てみたいものだな」 ラーテンがそう答えたところで、マリベルは何かを思い出したかのように問いかける。 「そういえば、あなたはどんな女性が好みなの?」 文脈上、特に答える必然性もない質問だが、ラーテンはそれに対して真剣に考え始める。 「そうだな……」 そして彼が答えを出す前に、マリベルが言葉を補足する。 「というのもね、私があなたと契約したじゃない? それで『色々と』勘ぐる人達もいるのよ。で、誤解されるのも嫌だし、だから、あなたに早く結婚してもらった方がいいと思うから、私の知り合いの娘とかで、あなたと気が合いそうな娘がいたら紹介しようかな、と思って」 「なかなか難しい質問だが……、そうだな、やっぱり、姉さんみたいなデキるタイプの方がいいかな。可愛い系よりは、綺麗系で……」 彼の実姉であるクリスティーナ・メレテスは、アントリア子爵ダン・ディオードの次席魔法師であり、才色兼備の元素魔法師として、学生時代から今に至るまで多くの(実弟ラーテンを含む)男性達にとって憧れの対象であった(なお、彼女の婚約者は現在グリース子爵領のメガエラで魔法師を務めている)。 「あー、クリスさんかぁ……。なかなか条件厳しいなぁ……。まぁ、探してみるわ」 二人がそんな会話を交わしているところに、別の人物が扉を叩く音が聞こえた。マリベルが扉を開くと、そこに現れたのは、エルネストの側近の政務官であるゴーウィンであった(下図)。 彼は見た目は「少し変わった風貌の人間」に見えるが、その正体は、異界の建物(大英博物館)のオルガノンであり、エルネストの美術品の管理を一手に任されている人物である。 「マリベル様、ラーテン様、一つお伺いしたいのですが……」 「どうしたんだ?」 ラーテンがそう問い返すと、ゴーウィンは懐から一本の「巻物」を取り出し、彼等に提示した。その表面には、極東地方風の装飾が施されている。 「このような形状の『巻物』をご覧になったことはありませんか?」 ラーテンとマリベルは互いに顔を見合わせるが、どちらも心当たりが無さそうな表情を浮かべている。その様子を確認した上で、ゴーウィンは事情を説明し始める。 「この間、久しぶりに所蔵庫の整理をしていたら、この『魔法の巻物』が一つ無くなっておりまして。誰かが一時的に借りているだけなら良いのですが……」 「いや、俺は知らないな」 「私も見た覚えはないわね」 二人がそう答えると、ゴーウィンはおもむろにその巻物を懐に戻す。 「そうですか。もしかしたら、大掃除の時にどこかに紛れ込んでしまっている可能性もあるので、見つけたら教えて下さい」 ゴーウィンはそう告げて、その場から去って行く。そしてマリベルとラーテンは、改めて「聖印教会からの使者」の接待に向けての話し合いを再開するのであった。 1.5. 護送任務 ここで、時は少し遡る。アトラタン大陸中南部に突き出た半島国家イスメイアの教皇庁には、教皇ハウルの親衛隊とも言うべき、世界中から集められた屈強な聖戦士団が存在する。その中の一人であるヒューゴ・リンドマン(下図)は、リンドマン家の現当主フレドリクの実弟であり、教皇庁の中でも屈指の武闘派として知られた人物であった。身長2メートル近いその巨漢は、ただその場にいるだけで見る者を威圧する迫力に溢れている。 そんな彼に、教皇の側近の司祭から新たな任務が与えられた。 「アントリア領の港町パルテノへと赴き、レディオス・ミューゼルを教皇庁まで護送せよ」 現在、教皇庁は大聖堂の改築中であり、新たに作られた大広間に飾る「始祖君主レオンの肖像画」の担当絵師として、現在パルテノで活動中のレディオスが選ばれたらしい。 レディオスは両親が敬虔な信徒だったため、幼少期は教皇庁直属の教育機関で育っており、ヒューゴとも面識はある。年齢的にはヒューゴよりも十歳ほど若かったので、現在は二十歳そこそこだろう。当時の彼は「いつか教皇庁に自分の絵を飾るのが夢」と語っていた。 「まぁた、そんな『人を迎えに行くだけのおつかい』かよ」 ヒューゴは心底つまらなさそうな顔で答える。少なくとも、武人として勲を立てられるような任務でもないし、特に何か面白味がありそうな話にも聞こえなかった。 「そう言うな。ブレトランドまでは長旅になるし、その間には何が起きるか分からない。聞いたところ、現地でもそれなりに評判が良いらしいから、それを急に連れ帰るとなると、こちらからもそれなりの人員を派遣しないと、向こうにも舐められるかもしれないだろう」 あえてヒューゴに伝わりやすい言い方で司祭はそう言うと、ヒューゴは少し納得した表情を浮かべる。 「なるほど。舐められないようにブチかましてくればいい、ということか」 「評判を落とさぬ程度にな」 そんな会話を交わした後、ヒューゴは自宅へ戻り、妹のエリンに事情を伝える。 「じゃあ、今回はブレトランドに行くの?」 「あぁ」 「レディオスくん、だっけ? 私も覚えてるわ。大人しくて、あんまり友達もいない性格だったけど、絵に対する情熱だけは人一倍高かったし、今回の話も名誉と思って、喜んで来てくれるんじゃないかしら」 「まぁ、確かにな。あいつの絵は、よう分からんが、いい感じはした」 実際、ヒューゴは芸術には格別興味はない。とはいえ、多くの美術品が立ち並ぶ教皇庁で長年勤めていれば、ある程度の審美眼は無意識のうちに刷り込まれているのかもしれない。その彼から見ても、確かにレディオスの絵からは「よう分からん魅力」が感じられたらしい。 「ただ、今回はさすがにロヴィーサは置いてって。あの子を連れてくと、絶対に画廊のキャンバスにいたずら書きとかするし。今回は、私がちゃんと彼女のことは見張っておくから」 ロヴィーサとは、この二人の兄であるノルドの大貴族フレドリク・リンドマンの四女である。「蛙姫」と呼ばれ、既に聖印を持つ君主となっているが、まだ12歳のやんちゃな子供であった。 「こないだのこと(ブレトランドの光と闇6)、まだ怒ってるのか?」 「そりゃね。私だって行きたかったんだから、本当は」 「じゃあ、行くか?」 「いや、今回の任務は、別にいいってば」 「分かった分かった。じゃあ、来年は行こうな」 「そうね。どこでやるのかは知らないけど」 そんな会話を交わしつつ、ヒューゴは手短に旅支度を整え、ブレトランドへと向けて出航する。この時、同じ目的地に兄が向かおうとしていることなど、まだ知る由もなかった。 2.1. 困惑の星 ノルドの首都スロームの港にて、ブレトランド行きの船の発着場でカイナとフレドリクとラスクが合流を果たした。最初に口を開いたのはフレドリクである。 「久しぶりだな」 「はい。カタリーナ様が外に出ることが多いので、あまりお会いする機会がありませんでしたが、改めてご挨拶を。私はカイナ・メレテス。今はカタリーナ様の契約魔法師を勤めさせて頂いております」 「フレドリク・リンドマンだ。そしてこちらが……」 そう言って、フレドリクは隣に立つ青年を指す。 「ラスクだ。よろしく頼む」 「はい、よろしくお願い致します。ところで、フレドリク様は此度なぜパルテノ行きを突然ご所望されたのです?」 「うむ、それに関してだが……、簡単に言ってしまえば、『我が軍の者』が先日とある魔境を探索した際に『呪い』にかかってしまった。その呪いを解くための本がパルテノにあるという話を受けたのだ」 フレドリクがそう答えたのに対して、カイナはじっくりとその表情や一挙一動を確認することで、時空魔法師特有の観察眼を駆使して彼の「真意」を読み取りながら、話を続ける。 「そうなのですか。その方は今、どうされているのです?」 「うむ、別段命に関わるようなことではないからな。多分、よろしくやっているよ」 「はぁ、なるほど」 カイナの観察眼に狂いがなければ、ここまでのフレドリクの様子から察するに、少なくとも彼は「嘘」は言っていない。ただし、「どこまで正確な真実なのか」は、判断が難しい。 「そうなのですか。日常生活に困らないとはいえ、呪いは呪い。いつ追加の症状が発生するかも分かりませんし、早めに解除するのは大事なことでしょう。とはいえ、わざわざフレドリク様が向かわれるほどのことなのですか?」 「うむ、ウチの妻子もブレトランドにはちょくちょく行っているからな。ちょうど良いタイミングではあると思っていた」 「確かに、ノルドとしてはアントリアの情勢が気になるところである以上、ここで一度見に行くことは悪い話ではない……。ということは、しばらくは向こうに滞在されるのですか?」 「用件が済めば、その呪いを解くために戻ることになるだろうが、見つかるまでは、しばらく向こうにいることになるだろう。本国の方で何もなければな」 「なるほど。ちなみに、探されているのは、どのようなものなのでしょうか?」 「一冊の本だ」 「本ですか」 「あぁ。一冊の本だが、『その呪いと似たような症状にかかってしまった人々』の物語だ」 「なるほど。その物語を参考に、どのようにして呪いが解けるかを調べる、ということですね」 カイナはこの一連の会話の間のフレドリクの様子も凝視しているが、少なくともこの説明に関しては、明らかに真実である。何も隠している様子は伺えない。 「本の題名をお聞きしてもよろしいですか? 私も一緒にご同行する訳です。探す人手は多い方がよろしいでしょう」 これに対して、一瞬間が開いたところで、横からラスクが口を挟んだ 「教えても問題ないのではないか?」 ラスクは形式的にはフレドリクの従者だが、二人の間での個人的な繋がりという意味では、ほぼ対等関係である(そのことはカイナも聞かされていた)。 そして、彼のその言葉を受けた上で、フレドリクは答えた。 「他でもない、我が娘の専属魔法師の君には言っておこう。『紅蓮の姫と紺碧の翼』という本だ」 「『紅蓮の姫と紺碧の翼』ですか……、聞いたことがありませんね。どのような物語なのでしょう?」 「実を言うと、私もよく知らないのだ。ウチの専属魔法師がその本にそのための策があると言っていたから、行くことにしたのだが」 「なるほど。予言に近いものですか。それならば、詳細が分からないのは自然ですね」 『予言』ということになれば、それはまさにカイナの本業である(なお、フレドリクの契約魔法師であるマールの専門は生命魔法であり、副業的に錬成魔法も嗜んではいるが、時空魔法に通じているという話は聞いたことがない)。 その上で、少なくとも、ここまでの会話の中で、フレドリクが言ってることは全て本当であることがカイナには確認出来た。 「分かりました。出来る限り私もお力添え出来るように努力します」 「よろしく頼む」 そんな会話を交わしつつ、彼等はブレトランド行きの船に乗り込み、そしてアントリアの港町パルテノへと向けて出航して行くのであった。 ******* こうして彼等を乗せた船がブレトランドに船が近づきつつある中、船室で休眠中のフレドリクの夢の中に「謎の声」が聞こえてきた。 《聞こえますか、我が前世たる者よ》 「何者だ?」 《我が名は天威星》 「天威星?」 《あなたの死後、星界(Starry界)へと転生し、その後、再びこの世界に『星』として投影された者です。今は空からこの世界を照らしています。あなたと、そしてあなたと同じように後に転生して星となる者達にしか見えない、天空に浮かぶ八つの星があります。その中の一つが私です》 常識的な感覚で聞けば突拍子もない話だが、彼の中では確かに「心当たり」があった。 「なるほど、あの星か……」 彼には、夜空を見上げた時に、なぜか『他の人の瞳には映らない八つの星』が見える。彼がそのことに気付いたのは「彼自身が聖印を手に入れてから間もない頃」であった。彼は自分以外にその星が見える人物と出会ったことはない。その理由も分からない。そして、最近になってその「他人には見えない星」の数が増えていることも実感している。今までずっと謎だったこの星々と、この「謎の声」の話は、確かに合致しているように思えた。 《私の声が聞こえるのであれば、あなたが私の前世であることは間違いない。ただ……》 「天威星」と名乗るその謎の声は、ここからやや疑念を帯びた声色へと変わっていく。 《なぜでしょう? どこか不思議な違和感があります。私には前世の記憶がないので、はっきりとは分からない。しかし、それでも『本来の自分』とは異なるような……》 唐突に話しかけられた「謎の声」にそのように言われたところで、フレドリクとしても当然反応に困る。ただ、彼の中でも一つ「うっすらとした心当たり」があった。この星が言うところの「本来の自分」が何を意味しているのかは不明だが、現実問題として今のフレドリク自身が「本来の自分とは異なる状態」になっていたのである。 だが、この時点でフレドリクは、この「得体の知れない声」に対して、そのことを告げる気はなかった。そして、しばしの沈黙を置いて、その「天威星」は話を続ける。 《……まぁ、いいでしょう。どちらにしても、聞こえているのなら間違いはない筈。これから話すことを、よく聞いて下さい》 一呼吸置いた上で、「天威星」は話を続けた。 《このまま放っておけば、この世界は数ヶ月後には崩壊します》 唐突に話が大きくなってきたところで、フレドリクは本能的に「ただの世迷言ではない」と判断したのか、改めて一つ問いかける。 「まず、確認しておこう。『星が見える者』が、その『星の前世』なのか?」 《そういうことです》 「なるほど、よく分かった」 ひとまず、「そういうこと」にした上で、フレドリクは話を聞き続けることにした。 《まもなく、大毒龍と呼ばれる投影体が、この世界に三度目の投影を果たそうとしています》 そう言って、「天威星」はこの世界に迫りつつある危機の概要を告げる。ブレトランド人ではないフレドリクには「大毒龍ヴァレフス」と聞いても今ひとつ強い実感はないが、かつて世界を危機に陥れた存在であると聞かされた瞬間、なぜかそれが極めて強い現実感を持って感じられた。それこそが「天威星」との「記憶の同調」の効果であり、それが可能であることこそが、彼が天威星の前世であることの証でもあった。 そして、過去二回の出現時と同様に、今回も大毒龍を倒すには「百八の星核(スターコア)」が必要であり、それを作り出せる人物の識別方法は、何らかの「力」を使うことであると告げられた時点で、フレドリクはふと思いついたことをそのまま投げかける。 「その百八人の中に『一般人』はいない、と断言してもいいのか?」 《……おそらく》 実際のところ、天威星には、自分が前世だった時の記憶はうっすらとしか残っていない。故に、自分を含めた「百八人の仲間」の中に「君主でも魔法師でも邪紋使いでも投影体でもない者」がいたかどうかの記憶は定かではない。ただ、星核を作り出せる者は、聖印か混沌のどちらかの力を作り出せる者である筈、というのが天威星の見解であった。 その上で、あえてフレドリクは更に問いかける。 「『今はまだ力に目覚めていないだけの一般人』の可能性は?」 《それは確かに、あるかもしれません。その場合は、確かに探しようがないですが……》 天威星としては、このような問いかけを出されること自体が想定外だったのだが、フレドリクがこのことをあえて問いかけるのには、明確な理由がある。仮に天威星の話が本当だったとしても、彼は未だに(現在の彼自身の境遇故に)本当に「自分」が「(天威星が言うところの)星の前世」なのか、ということに関して、まだ疑念があったのである。 一方、天威星の方は自分の前世が彼であるという前提の上で話を続けていく。大毒龍を相手にまともに戦えるのは百八の星核を持つ者達だけであり、そして大毒龍は「人々の恐怖心」を力に変えるため、その復活の噂が(特にブレトランド人の間で)広がることは避けなければならない(故にこの話自体をあまり広める訳にはいかない)、という旨も告げる。 「うむ、恐慌は何よりもまずいな」 フレドリクがそう答えたところで、天威星は改めて彼に「最初の一歩」を踏み出してもらうことにした。 《まず、あなたがあなた自身の星核を作るには、あなたの望む未来を思い描いて欲しい》 「望む未来、か……」 《これは、聖印による戦旗の創出に近いものだと思ってもらえれば良いです》 天威星としては分かりやすく説明したつもりだが、フレドリクは戸惑っている様子であった。 「望む未来など、考えたこともなかったな……」 《今すぐ思いつかないのであれば、思いついた時でも構いません。あなたの中で望む未来が見えた時に、あなたの聖印から星核が作られる筈です》 「なるほど。来るべき時までに、望む未来を考えておかねば、大毒龍とやらの厄災がこの世界を滅ぼす。そういうことだな?」 《そういうことです。あなたが星核を作り出さない限り、他の人々の識別も出来ないので、なるべく早い段階で作り出してもらえることを期待しています》 「う、うむ……。頑張っておこう……」 未だフレドリクの中で「本当に『自分』がその『星の前世』なのか」という点に関する疑念は残っていたのだが、ひとまずここまでの話を終えたところで、彼の意識の中から天威星の気配は消えていった。 ****** 「どうした、寝つきが悪かったのか?」 翌朝、目が覚めたフレドリクに対して、同じ船室にいたラスクはそう問いかけた。どうやら、フレドリクはどこか奇妙な形相で起き上がっていたらしい。 「いや、少し変な夢を見ていただけだ。ところで、相棒」 「どうした?」 「相棒がもし、好きな未来を思い描くとしたら、どんな未来が見てみたい?」 唐突にそう問われたラスクは、少し考えた上で答える。 「そうだな……、まず『我々の間での直近の望み』は一つあるが、ひとまずそれは置いておくとすると……、『混沌災害の起きない未来』だろうか」 「やはり、そうだよな、相棒は。あるいは『ノルドの繁栄』か、とも思ったが」 「もちろん、それもある。結果的に、混沌災害の起きない世界が実現すれば、それがノルドに暮らす全ての人々の平和、安寧、繁栄に繋がる。それらを望むのもまた当然のことだ」 ラスクがそう答えたのに対して、フレドリクも納得した表情を浮かべる。だが、彼の中にはまだ困惑が残っていた。 (本当にあの星が声を届けるべきは、相棒だったのでは?) 彼がそう考える理由は、まだ誰にも明かしていない。そして、そのことはまだ「天威星」にも伝わっていなかった。 2.2. 北からの来訪者 フレドリク達を乗せた船の到着予定の日の朝、シドウとクレハは港の近辺で待機して到着を待っていた。この時点で、クレハは(初対面の人間を驚かせないように)ひとまず「人型」状態で挨拶するつもりで待っていたのだが、そんな彼女が、ふとシドウに語りかける。 「あの、隊長さん、あそこの路地裏にいる女の人から……」 彼女はそう言いながら、少し離れた建物の陰から自分達に視線を向けている一人の女性を指差す。それは、短髪でやや背が高めの、かなり人目を引く程の美貌の持ち主であった。だが、シドウには彼女に見覚えがない。シドウは何年も前から村の警備を担当している身であり、彼女ほど目立ちそうな外見であれば、一度見れば記憶に残りそうなものだが、それでも記憶にないということは、少なくとも昔からの住人ではない可能性が高そうである。 「あの人から、私と同じ匂いがするのです」 「同じ匂い、というと?」 「なんというか……、強いて言うなら、紙の匂い? みたいな?」 つまり、彼女が自分と同じ「本(もしくは、それに類する何か)の具現化体」なのではないか、とクレハは考えているらしい。 「でも、私の一門にはあんな人はいなかった筈だし……、もしかしたら、他の人が呼び出した『似たような存在』なのかもしれないですけど……」 クレハが彼女を見ながら小声でそんな話をしていると、その女性も自分のことをクレハ達が見ていることに気付いたのか、徐々に距離を取り始める。 「怪しいですね……、どうしましょう? 私が尾行してきましょうか? ちょっと予定と変わりますけど」 彼女の正体がクレハと同じ「禁書の象徴体」だとしても、「本のオルガノン」だとしても、それだけで怪しい、と決めつけるのは少々早計な気もするが(しかも、それを当のクレハ自身が言うのも妙な話だが)、確かに彼女の行動はやや不審にも見える。もともと、フレドリクの護衛を命じられていたのはシドウ一人である以上、クレハが必ずしもシドウと同行しなければならない理由はない。 「そうだな。私が出迎えをしない訳にもいかないし。出来ればお願いしたいところだが」 「分かりました。では……」 クレハはそう言って、シドウの元を離れ、おもむろにその「長身で髪の短い女性」の後をつけていく。そんな彼女を静かに見送った上で、シドウは改めて港に近付きつつある船舶へと視線を戻した。 ****** やがて、そのシドウが目で追っていた船は無事に港に到着し、そして三人組の男女がシドウの前に現れる。その中の一人はシドウにとって見覚えのある魔法師だったこともあり、すぐにシドウは彼等が「護衛対象」であることに気付いた。 「お待ちしておりました、フレドリク様。パルテノへようこそ」 シドウが略式の敬礼姿勢からそう言うと、三人の真ん中に立っていた君主風の男が答える。 「うむ、フレドリクだ。君がこの街の警備隊長か?」 「はい、警備隊長のシドウ・イースラーと申します。フレドリク様の警護を担当させて頂きますので、よろしくお願いします」 「あぁ、よろしく頼む。そしてこちらが、我が従者のラスクだ」 「よろしく頼む」 「よろしくお願いします」 シドウはそう言ってラスクにも敬礼しつつ、その傍らにいたカイナにも声を掛ける。 「そしてカイナ様、お久しぶりでございます」 「お久しぶりです、シドウさん。私に『様』はいりません」 カイナはアントリアに仕えていた頃、無任所魔法師としてこのパルテノを訪れたこともあるため、警備隊長であるシドウとも面識はある。 「なんだ、二人は知り合いだったのか」 「はい。アントリアにお世話になっていた頃には、各地を転々としておりましたから」 フレドリクとカイナがそんな会話をかわしたところで、改めてシドウがフレドリクに声をかける。 「今回は、まずどちらに向かわれるか、ご予定はお決まりですか?」 「うむ、不躾で悪いのだが、まずはエルネスト殿に会いたい」 「分かりました。では、領主様のところにご案内致します」 こうして、三人はシドウの案内に従って、領主の館へと向かうことになった。 2.3. 南からの来訪者 そんなフレドリク達と入れ違いになるように、彼等を乗せてきた船とは少し離れた停泊所のあたりに、マリベルとラーテンが到着していた。彼等が水平線を眺めていると、やがて教皇庁の旗を掲げて近付きつつある船が視界に入ってくる。 「あれみたいね」 「緊張するな……」 二人がそんな会話を交わしつつ、船を凝視していると、舳先で長斧をブンブン振るって威嚇している大男の姿に気付く。 「本当にあれかな?」 ラーテンは首を傾げる。彼の想像していた「厳かな聖印教会の使者」のイメージとは、あまりにもかけ離れていた。 「見るからに君主ではあるみたいだけど……、護衛の人じゃないかな?」 「あぁ、なるほど」 「でも、たかがレディオス一人のために、わざわざあそこまでの護衛をつけるかな?」 「まぁ、船旅は大変だからな」 二人がそんな会話を交わしていると、やがて船からその「長斧を持った大男」ことヒューゴが降りてくる。彼は周囲を見渡しつつ、ラーテンの姿を発見した。ラーテンはエーラムの制服を赤く染めた改造制服を着ているが、基本的なデザイン自体は大きく変えてはいないため、見ればすぐにそれが魔法師制服だということは分かる。 (魔法師か。ということは、あいつに聞けばいいな) ヒューゴはそう判断し、ズカズカとラーテンの前へと向かった上で、威圧的な態度で見下ろしながら問いかけた。 「おい、領主の館はどっちだ?」 だが、それに対してラーテンよりも先にマリベルが割って入る。 「私は、この街の領主の娘マリベル・キャプリコーン。あなたは?」 突然目の前に現れた姫騎士を前にして、ヒューゴは持っていた長斧を背中に隠し、目を泳がせながらギクシャクとした様子で答える。 「ゴホン……、きょ、教皇庁の方から、画家の、レディオス・ミューゼル殿を、その、あの、お連れに参りました、ヒューゴ・リンドマン、と申します!」 ヒューゴは「どんな相手だろうが、舐められないようにブチかます」という覚悟で臨んでいたが、未だに女性は苦手である。特に初対面の美しい女性を前にすると、極度の緊張で対応がシドロモドロになってしまう癖は、まだ克服出来ていなかった。 「あぁ、あなたが教皇庁からの使者殿でしたか」 マリベルは心底意外そうな顔でそう答え、隣のラーテンもまた面食らった表情を浮かべる。 (おいおい、マジかよ……) 「じゃあ、とりあえず、私達がレディオスの家まで案内するということで」 「あ、は、はい。よろしくお願い申します」 こうして、どこか奇妙な雰囲気のまま、彼等はレディオスの自宅へと向かうことになった。 ****** 「あそこが、彼の家です」 マリベルがそう言って住宅街の一角を指差す。すると、その家の近くで「奇妙な極東風の装束の女性」が張り込むようにレディオスの家の様子を伺っていることにラーテンは気付いた。 (あれは……、クレハ? 何やってんだ、あんなところで……?) 当然、ラーテンはマリベルの副契約魔法師(?)であるクレハのことも知っている(そもそも、本来の彼女の立場は「シドウの副官」というよりは「ラーテンの副官」に近い)。そして、今の彼女が実質的にシドウに貸し出された状態であることもラーテンは知っているため、「おそらく彼女は彼女で何か特殊な事情があって行動しているのだろう」と判断し、あえて声はかけなかった。 なお、この時点でヒューゴもその「奇妙な装束の謎の女性」の存在には気付いていたが、彼としては特に気にとめる理由もないため(そもそも、見知らぬ美少女にあえて自分から声をかけられるような性格でもないため)、そのまま誰もクレハのことは触れないまま、レディオス宅の玄関前まで移動した上で、マリベルが扉を叩く。すると、中から「短い髪の長身美女」が現れた。 「どちら様でしょうか?」 そう問いかけた彼女に対し、まず最初にラーテンが反応した。 「お初にお目にかかります。エルネスト様が長女マリベル様の契約魔法師ラーテンと申します」 「これはこれは。わざわざそのような方が」 「そして、こちらの女性が、マリベル様。こちらの男性が、教皇庁からお出でになられましたヒューゴ・リンドマン様です」 この時、ラーテンが「教皇庁から」と言ったところで、彼女の表情が微妙に強張ったことにヒューゴは気付く。おそらく、この女性は聖印教会にはあまり良い印象を持っていないのだろう、とヒューゴは推察した(そして、それは彼にとって見慣れた反応でもあった)。 「そうですか。主人に用事でしたら、現在、主人は出払っておりまして……」 彼女が言うところの「主人」とは、おそらくレディオスのことを指しているであろう、という前提の上で、ラーテンは話を続ける。 「あぁ、そうでしたか。いつ頃戻られるかはご存知ですか?」 「いえ、特には聞いていません」 そう答えた彼女の視線は、どこかラーテンやヒューゴを直視するのを避けているように見えた。そんな微妙な空気の中で、マリベルが空気を読まずに割って入ってくる。 「主人ってことは、あなた、レディオスの奥さんなの?」 「えぇ、少なくとも、私はそのつもりでいますが……」 「そっかそっか、レディオスも言ってくれればいいのに。で、あなた、どこで知り合ったの?」 「あ……、それは、まぁ、その、色々ありまして……」 余計に微妙な空気が広がっていく中、その短髪長身の美女は流れを断ち切るように、三人に対して頭を深々と下げる。 「そういう訳ですので、申し訳ありませんが、今日のところはお引き取り下さい」 「レディオスの妻(自称)」にそう言われてしまったことで、この状態で話を続けても仕方がないと判断したラーテンは、ひとまず引き下がることにした(この時点で、ヒューゴは色々と言いたいことはあったが、マリベルの前なので大人しくしていた)。 「それでは、戻られた際に、こちらから伺ったとお伝え下さい」 ラーテンがそう告げた上で、ひとまず三人はレディオス宅から立ち去って行く。三人の間で再び微妙な空気が流れる中、マリベルがヒューゴに問いかけた。 「さて、どうしましょう。どちらにしても、宿に関しては、来客用の一番良い宿を用意しますが」 「どうも、ご厚意に感謝致します」 彼はそう答えつつ、ラーテンに対して小声で苦言を呈す。 「教皇庁から人が来るって、言ってなかったのかよ」 「いや、言ってた筈だったんですけどね……、その、申し訳ございません」 実際のところ、ラーテンはその辺りの言伝の事情は聞いていない。だが、ラーテンが今回の話を聞いてから、ヒューゴが到着するまでに時間は十分にあった筈なので、エルネストからレディオスに一言も話が伝わっていないとは考えにくい。ただ、あの「自称:妻」の女性は、あまり「聖印教会からの使者」を歓迎している様子には見えなかったことを考えると、これは少々面倒な事態になるのかもしれない、という予感が、うっすらとラーテンの中で広がりつつあった。 2.4. 望まざる再会 「遠路はるばる、ようこそお越し下さいました。かのご高名なフレドリク卿がこの地までご来訪されるとは、一体、どのようなご用件でしょうか?」 領主の館に到達したフレドリク、ラスク、カイナを前にして、領主であるエルネストがそう問いかけると、フレドリクは淡々と答える。 「うむ、わが国で少々問題が発生しており、その解決策がこの町に所蔵されている『とある一冊の本』にあると、ウチの魔法師が言ったのでな」 「ほう、本ですか。それはどのような?」 「題名は『紅蓮の姫と紺碧の翼』だ」 「ふむ、なるほど、その名には聞き覚えがあるような気がしますな。私は文学にも関心がありまして、古今東西の文学作品に関しても、それなりの蔵書を揃えております。その中に、そのような題名の本があったかもしれません。では、しばらくお待ち下さい。確認させましょう」 エルネストはそう告げた上で、部下に書庫の蔵書点検を命じる。実際のところ、芸術家としてのエルネストの本分はあくまでも音楽であり、絵画や文学に関しては軽く嗜み程度に触れているにすぎない。文学書に関しても、集めて所蔵してそれを後世に伝えること自体が目的となっており、実際に目を通した書物はその中のごく一部でしかない(さすがに、そこまで趣味だけに時間を費やせるほど、パルテノの領主という立場は暇ではない)。 やがて、しばらく待っていると、司書らしき人物が現れて、エルネストに報告する。 「申し訳ございません。ご指定頂いた本なのですが、随分前に貸し出されておりまして……」 エルネストは「芸術文化は人の目に触れなければ意味がない」という信念の持ち主なので、それなりに貴重な書物であっても、館の関係者であれば自由に持ち出して良い、ということになっているらしい。 「レディオス様が数ヶ月前にお借りになって以来、ずっと返してもらえていないのです」 その報告を横から聞いていたフレドリクが口を挟む(当然、彼は「レディオス」なる人物については何も知らない)。 「それは、その蔵書室の規則としては問題はないのか?」 「あまり良くはないのですが、ただ、一つの本を複数の人が同時に読みたがるということは滅多にないので、特に貸出期限を決めている訳ではないのです。とはいえ、どちらにしてもレディオス様はもうすぐ教皇庁に行かれる予定ですので、その前には返して頂かないと困るのですが」 なお、この司書は自分が話している相手が「ノルドの重鎮」だということは知らない。それを知っていたら、もっと恐縮した物腰となっていただろう。 「それは、そちらに任せてよろしいのか?」 「まぁ、そうですね。こちらの方で直接督促しておきます」 「では、よろしく頼む」 フレドリクが司書に対してそう告げると、司書はすぐさまその場から立ち去る。そして改めてエルネストがフレドリク達に語りかけた。 「それでは、ひとまずこの村で一番の宿を準備しておきましたので、本が戻って来るまで、そちらでお休み下さい。シドウ、ご案内を頼む」 「分かりました。では、フレドリク様、ラスク様、カイナ様、こちらへ」 シドウにそう言われると、彼等は館を出て、そのままシドウの案内に従って宿へ向けて歩いていく。本がいつ返却されるかは分からないが、先刻の話によれば、本を借りている人物はまもなくこの地を去るとのことなので、おそらくそう遠くないうちに(最悪の場合は強制執行する形で)蔵書室に戻されることになるだろう、と彼等は考えていた。 そんな中、宿屋へと向かう道の途上で、フレドリクの従者であるラスクの顔色が微妙に悪くなっていることにシドウは気付く。 「ラスク様、顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」 なお、そう尋ねているシドウも十分に顔色が悪いのだが、これは彼の邪紋の影響であり、彼にとっては平常運行である。 「あぁ、心配ない。多分、少し休めば良くなるだろう。時々、こうなることはあるんだ」 「やはり、船旅は大変でしたか」 船酔い経験者であるシドウは船旅の影響を心配するが、それに対してはフレドリクが答える。 「ノルドの民が船酔いする筈がなかろう。最近の相棒は『こうなること』が多くてな」 更にその会話に、今までずっと黙っていたカイナも割って入ってくる。 「どうかされましたか?」 「うむ、私の相棒が少し体調を崩したようだ。その宿まではどれくらいの距離だ?」 「ここからでしたら、もうあと歩いてすぐのところです」 「では、そこで休ませてもらおう」 彼等がそんな会話を交わしつつ、宿に向けて少し歩を早めていく。そして、ようやくそれらしき高級宿が見えてきたところで、フレドリクとラスクは、道の反対側から歩いてくる「馴染みのある人物」の姿を発見した。それは、彼等の横を歩いているカイナにとっても見覚えのある、巨大な長斧を背中に背負った大男であった。 (なぜ、ここに!?) 三人は、心の中で同時にそう叫んだ。そして、三人ともそれは(少なくとも、この場で会うことに関しては)あまり好ましい感情ではなかった。 一方、その「大男」を先導するラーテンとマリベルも「彼等」の存在に気付く。 「マリベル、あそこにいるのって、ウチの警備隊長だよな?」 「あら、ホントね。じゃあ、あの一緒にいる人達は……?」 そして当然、シドウの側もそれに気付き、彼の方から声をかける。 「マリベル様とラーテン殿、これはこれは」 「これはシドウ殿、そちらは……」 ラーテンがそう返したところで、そんな彼の声をかき消すように、ラーテンの背後を歩いていた大男は、笑顔を浮かべながら大声で駆け寄る。 「兄貴じゃねぇかぁぁぁぁ!」 そんな実弟ヒューゴに対し、フレドリクは「会いたくない人に会いたくない時に出会ってしまった表情」を浮かべながら、微妙な声色で答える。 「……色々と積もる話もあるだろうが、今は私の相棒がちょっと体調を崩してな。彼を部屋まで送り届けるのを優先していいか?」 「あぁ、じゃあ、俺が担いで行ってやるよ」 そう言って、ヒューゴはラスクを抱え上げて、高級宿の中へと入って行く。その様子を半ば呆然と眺めながら、シドウはフレドリクに声をかけた。 「ラスク様、大丈夫でしょうか?」 「相棒のことだ。多分、一晩寝れば治るだろう」 正直なところ、そう思いたい、というのがフレドリクの本音であった。彼はヒューゴの後に続いてそのまま宿の中へと入り、ラーテンとシドウがそれぞれに宿主に事情を説明すると、フレドリクを抱えたヒューゴは、宿主の指示に従って「フレドリクとラスクの客室」へと連れて行き、ベッドの上に彼を下ろす。 「すまない、世話になったな」 「いやいや、気にするほどのことじゃねえよ」 ヒューゴはラスクに対してそう答えつつ、改めて一緒に同じ部屋に入って来たフレドリクに視線を向ける。 「いやー、久しぶりだなぁ、兄貴。なんでこんな田舎町に来たんだ?」 実際のところ、パルテノはそれほど田舎町でもない。ただ、教皇庁での暮らしが長いヒューゴの目には「辺境の田舎町」として映っていたようである。 「私も私でこの町に用事があって来たんだがな」 「ん? 用事? 用事って何だ?」 「さすがに、それはな……。今のお前がノルドに仕えている身ならともかく、そうではないだろう?」 「あぁ、なんだ、隠しておきたい話か。分かった、分かった。じゃあ、これ以上詮索はしねぇ」 この会話の間、フレドリクはあまりに周囲に自分の存在を気取られないよう、やや声を潜めて話をしていたのに対し、ヒューゴは気にせず終始大声で答えている。当然、その声は部屋の外にいるカイナにも聞こえてきた。 (だから私、この人のこと嫌いなんだよな……) カイナにしてみれば、ヒューゴは「契約相手であるカタリーナの叔父」である。カタリーナ自身はヒューゴのことを「頼りになる叔父さん」として慕っており、前に一度ヒューゴがノルドに帰って来た時には仲良さそうに談笑していたが(一方、フレドリクの次女と三女からは敬遠されていた)、カイナとしては、どうにも肌が合いそうにない。カイナの目には、ヒューゴは(彼女が最も嫌いな)典型的な「傲慢で力に溺れた君主」に見えた。 「じゃあ、まぁいいや。兄貴が仕事中なら、また夜ぐらいにでも来るよ」 そう言ってヒューゴは部屋の外へ出て、ラーテンの案内で自分に用意された客室へと誘導される。そしてカイナもまたシドウによって自分用の客室へと案内されるのであった。 2.5. 宿屋の群像 「さすがに、これは想定外だったな……」 ヒューゴが去り、部屋の中が主従二人だけになったところで、ラスクはベッドの上から上半身だけを起こした状態で、傍らの椅子に座っているフレドリクに語りかけた。 「あぁ。本当に最悪のタイミングだ……」 フレドリクは頭を抱えた様子でそう答える。平時ならばともかく、今の彼等が陥っている「特殊な状況」において、ヒューゴは「最も会いたくない人物」だったのである。複雑な心境を抱えながら、ただでさえ体調を崩した様子のラスクもまた、悩ましい表情を浮かべつつ呟く。 「ヒューゴは、今は聖印教会の騎士……」 「もはやノルドとは関係ないが、奴はそんなことは気にしまい。そんなことを気にするような奴だったら、相棒にもそこまで心労はかけていないだろう」 「どうする? 彼にはいっそ話しておくか?」 「いや、あの口の軽さで言いふらされたら、それはそれで困る」 フレドリクはそこまで言ったところで、少し言いすぎたと思ったのか、表現を改める。 「彼は口は堅い。だが、声が大きい」 「確かにな。とはいえ、もしこちらが話す前に自力で気付いた場合……」 「大惨事だな」 「ああいう性格だからな」 ヒューゴは真正直な気性である。故に、嘘をつかれることは当然嫌う。ましてや、彼にとって最も大切な存在である家族に「騙されていた」と彼が感じてしまった場合、彼がどんな心境に陥り、それがどんな災厄をもたらすことになるか、考えるだけでも恐ろしい。 「だから、彼には話しておいた方が良いのではないかと思うのだが……」 「そうだな。今晩来ると言っていたし、彼には話しておくか。とはいえ、他の者も一緒にいる状態で来られたら、その時は……」 「確かに、その時は、またその時点で考えるしかないだろう」 想定外すぎる事態に頭を悩ませながら、二人は改めてそれぞれに頭を悩ませる。そして、この後で歓迎の宴が用意されているという旨はエルネストから聞かされてはいたが、ひとまずラスクはそれまで、この部屋で仮眠を取って心身を休めることにしたのであった。 ****** 一方、そんな二人の客室と同じ階に、彼等の護衛役であるシドウの客室も用意されていた。その彼の部屋へ、「怪しげな長身短髪美女」を尾行していたクレハが報告に現れる。 「あの女の人、調べてみたんですけど、どうやら画家のレディオスさんの奥さんだったみたいで。それで、さっき、そのレディオスさんの家に、すっごく怖そうな、大柄な、鎧武者みたいな人と、マリベル様と、ラーテン様が尋ねてきて……」 クレハは目の前で起きていた「自称:レディオスの妻(長身短髪の美女)」と「ラーテン達」のやりとりを、そのまま全てシドウに伝える。クレハにしてみれば、ラーテン達がレディオスに何の用事があったのかはさっぱり分からなかったが、シドウもまた、ここで「レディオス」の名前が出てきたことに、驚きと違和感を感じていた。 「実は、フレドリク様は『エルネスト様が所蔵している本』を探してこの地まで来られたようなのだが、その本をレディオスが借りているそうで、どうもそれが引っかかる……」 「本、ですか……。その本のタイトルは?」 「『紅蓮の姫と紺碧の翼』だそうだ」 クレハの直感が正しければ、レディオスの妻と名乗るその女性の正体は、自分と同じ「本の具現化体」である可能性が高い。だとすれば、当然のごとく、その「長期貸出中の本」こそが「レディオスの妻」の正体なのではないか、という仮説が思い浮かぶ。ただ、少なくともクレハには、その本の題名に聞き覚えはなかった。 (そういう名前のルールブックは無かった筈だし……、もしかしたら、どこかの同人サークルが作っていたか、あるいはリプレイ本あたりにありそうなタイトルかも……) 彼女は頭の中でそんな思考を巡らせつつ、ひとまず自分の中で思い至った仮説をそのままシドウに伝える。 「もし、あの人が『私の同類』なのだとしたら、その『借りられていた本』から生まれた何者かなのかもしれないですけど……、はっきりとは分からないですね」 実際、それに関してはシドウも同意見であった。その上で、現時点で確証が持てないという点についても、彼は同意している。 「では、一度私が直接レディオスと話をしてみた方がいいかもしれいないな」 「確かに。こうしている間にも帰っているかもしれないですし、一度彼の家に行ってみますか」 「そうだな、だが……」 シドウとしては「レディオスが借りている本」のことは気になるが、彼に任されているのはあくまでもフレドリクの護衛の任務である。一応、この高級宿の中にいる限りは、それほど護衛が必要な状況ではないだろうが、勝手に持ち場を離れる訳にもいかない。 そこで、彼はひとまず、顔見知りでもあるカイナに確認を取ることにした。 ****** 「いやー、肩が凝ったなぁ……」 ヒューゴを彼の客室へと案内し終えた後、接待役のマリベルが彼の隣の客室に入って、ようやく一人になったことで少し気が抜けたラーテンは、宿屋の廊下でボソッとそう呟いた。その上で、彼もまた自室の客室へと入ろうとしたところで、おもむろにカイナが彼の前に現れる。 「お久しぶりです、ラーテン殿」 「ん? えーっと、あぁ、カイナ、だったか?」 「えぇ、合っていますよ」 「久しぶりだな。最後に会ったのは、俺が契約する前だったな」 「えぇ。私がノルドに行く前ですね」 当時の二人は同じ「ダン・ディオード預かりの無任所魔法師」の立場だったが、カイナはとある護衛任務の途中でいきなりノルドに行くと言い出し、そのまま同僚達に何も告げることなく、唐突にアントリアから去ることになってしまった。 「あの時はドタバタとした状態のまま、いきなりノルドに行くことになったので、ご挨拶も出来ませんでしたが、ラーテン様も無事に就職先も決まったようで、何よりです」 「その言葉、そのままお返しするよ」 「いえ、私は就職先は決まっていましたが、仕えるべき主人がいなかっただけなので」 カイナのその言葉には「あなたとは違うんです」というニュアンスがうっすらと込められており、その意図はラーテンにも何となくと伝わっていた。 (こいつ、嫌な奴だな……) ラーテンは内心でそう思いつつ、ひとまず純粋な疑問を彼女に投げかける。 「で、今回はどうしてまた、あんな大物と? 護衛か何かか?」 「護衛というか、アントリア行きの案内役を任されたのです。少し、探し物がありまして」 「へぇ。そっちも色々大変だな」 軽く世間話のようにそんな会話を交わしつつ、今度はカイナの方から、おもむろにラーテンに問いかけた。 「不躾ですが、レディオスという方はご存知ですか?」 「レディオス? あぁ、知ってるよ」 「その方が借りられているという本を探しておりまして」 「俺達もレディオスには用事があって、さっきちょっと家に行ってみたんだが、留守だったみたいだから、多分、明日かそれ以降には戻って来るんじゃないかな。いつ戻って来るとは言ってなかったみたいだけど」 「そうですか。どこに行かれたとかは?」 「全然聞いてない」 「分かりました。ありがとうございます」 妙に淡々とした様子のカイナに対して、ラーテンは微妙に違和感を感じつつも、「彼女はこれが素なのだろう」と割り切ることにした。 すると、そこへカイナを探していたシドウとクレハが現れる。 「カイナさん、少し、こちらで確認すべきことがありまして、フレドリク様の身辺警護から一時的に離れてしまうことになりますが、よろしいでしょうか?」 シドウはカイナにそう告げつつ、クレハから聞いた話をそのまま伝える。すると、当然のごとくカイナもまたその話には強い関心を示した。エルネストの館の司書には「本の手配は任せる」と告げたものの、該当する本が「ただの本」ではない可能性があると聞くと、さすがに不穏な気配を察するのは当然の話である。 「私もそのレディオスという方からお話を聞ければ幸いですから、それなら私も同行したいのですが、よろしいでしょうか?」 「こちらとしても、そうしてもらえると助かります」 「フレドリク様には、私の方からお伝えしておきますから。護衛の件については大丈夫だと思いますよ。今は宿屋に滞在中ですし。フレドリク様が出かけるようでしたら、一緒について行って頂きたいのですが、今はそのようなご様子でもないようですし」 二人がそんな会話を交わす中、横からクレハが割って入る。 「じゃあ、私が残っておきましょうか? もし何かあったら、すぐに私が連絡しますので」 実際のところ、この街の住人との交渉役となると、クレハよりもシドウの方が立場的には適任である。そして、クレハは一応(建前上は)エーラム所属の魔法師でもあるので、いざという時に他の魔法師と連絡を取るための魔法杖もあるため、カイナがこの場を離れるのであれば、なおさらクレハがこの場に残っておく必要があると考えていた。 一方、その話を横で聞いていたラーテンは、ここは自分も一緒に行った方が良いのでは? と思いつつも、(フレドリクの護衛とヒューゴの接待はあくまで別件である以上)接待対象のヒューゴを残して勝手に行動するのは抵抗がある(マリベル一人に任せるのも気が引ける)。そして、自分は交渉役としても不向きである(というよりも、かしこまった交渉は肩が凝る)という判断から、この場はひとまず宿屋に残ることにした。 その上で、ラーテンはシドウに言伝を依頼する。 「もし、レディオスに会ったら、教皇庁から人が来ているから、早く準備するように、と伝えておいてもらえるか?」 「いいですよ。そういうことでしたら、私の方からお伝えしておきましょう」 シドウがそう答える一方で、カイナはフレドリク達に意向を確認するため、彼等の部屋を尋ねることにした。 ****** カイナが二人の部屋に入った時には、ラスクは既に就寝中であった。カイナはフレドリクに対して、シドウからの話を一通り伝えた上で、自分も彼に同行したいという旨を伝えると、フレドリクはあっさりと了承した。 「とりあえず、私は今日はここにいるつもりだ。相棒がこの状態では、戦力にはならないしな」 フレドリクが自嘲気味にそう答えたのに対し、カイナはその点に関しては軽く聞き流しつつ、そのまま淡々と話を続ける。 「レディオスさんの家から本を持って来ることが出来れば、そのままお渡しします。もし、ラスク殿の体調が御回復されないようでしたら、私に言って下さい。カタリーナ様をお助けするために、治癒の魔法も習得しておりますから」 「あぁ……、万が一のことが起きたら、頼ることになるだろう」 この時、フレドリクとカイナの間には明らかに一定の「壁」があることを互いに認識していたが、カイナとしては、自分がノルドの人々からあまり自分が快く思われていないことは自覚している。だからこそ、深く踏み込まない程度に自分の存在価値を売り込んでいるのだが、フレドリクがこの時点で微妙な返答しか返せないのは、彼女個人への信頼感とは全く別次元の問題を「彼等」が抱えているからであった。 2.6. 奔走する静動魔法師 こうしてシドウとカイナがレディオスの家へと向かった直後、彼等の思惑など一切知らされていないヒューゴは、何も考えずに気ままに宿の外へと散歩に出かけようとする。接待役のラーテンに対しては「気にせず、好きなことをしてろ」と伝えるが、それに対してもう一人の接待役であるマリベルが横から口を挟んだ。 「そういうことなら、私が街をご案内しましょうか?」 街の領主の娘として、来客をもてなす上で当然の提案なのだが、それに対してヒューゴは再び顔を紅潮させながら焦った様子で答える。 「い、いえ、結構です。一人で、ちょっと、その、のんびりしてきま……、あ、いや、その、のんびりというか、そのような、お手を煩わせるようなことはしませんので、失礼します」 そう言いながら、彼は逃げるように宿屋の外に出て行った。 「マイペースな人なのかな……」 マリベルとしては、あまり自分が役に立てていないようで、やや気落ちした様子である。このまま本当に彼を一人にして良いのか、となると難しい問題ではあるが、無理に同行を強行したり、下手に尾行して不信感を招くのも好ましくはない。 「そうだな……、一人になりたいと言ってるなら、放っておいた方がいいのかもしれないな」 ラーテンは迷いながらもそう判断しつつ、ひとまず自分は現状の報告と確認のために、エルネストの元へと向かうことにした。 ****** 「教皇庁からの話があったことは、確かにレディオスには伝えた。それに対して彼は、どこか微妙な表情をしていた」 館に到着したラーテンが、エルネストに対して「レディオスへの情報伝達」について確認すると、エルネストはそう答えた。 「微妙な表情?」 「レディオスはもともと聖印教会の信徒であったし、いずれは教皇庁に絵画を飾りたいと言っていたので、この話を聞けば喜ぶだろうと思っていたんだが、存外そうでもなかった」 その件に関しては、エルネストも本気で困惑している様子である。その話を踏まえた上で、ラーテンはエルネストにここまでの事態を報告することにした。 「先程、彼の家に聖印教会からの使者の方をお連れしたのですが、奥さんが出られて……」 「ほう? レディオスに妻がいたのか」 「そうみたいです。一応、噂は聞いていたのですが」 「アイツがなぁ」 エルネストは、その点に関しても意外そうな顔を浮かべる。レディオスは芸術に対して極めて真摯ではあるが、対人関係を構築するのは苦手で、およそ「女性を口説けるような性格」とは思われていなかったらしい。 「で、奥さん曰く、彼は外出中だそうで。また来ますとお伝えはしたのですが……」 「ふむ……、色々と、迷っているのかもしれんな。所帯を持つと色々と思うところもあるのだろう。お主にはまだ分からんかもしれんが」 「そうですねぇ、なかなか……」 流れ弾のような形で嫌な一言を突きつけられつつも、ラーテンはここに至るまでの一通りの事情を伝えつつ、再び宿屋へと帰還する。 ****** それからしばらくして、ラーテンは自分の客室の窓から、ヒューゴが宿屋へ帰還しようとしていることに気付き、すぐさま玄関口まで出迎えに向かう。 「おかえりなさいませ」 「おう」 そう答えたヒューゴは、買い物袋を二つほど抱えて帰ってきた。おそらく、妹と姪への土産物を、何を買えばいいかよく分からないまま、手当たり次第に買ったのであろう。 「そちらをお持ち致します」 「いや、別にいい」 「浮かせられるんですよ、私は」 そう言ってラーテンは、ヒューゴの目の前で静動魔法を用いて、彼の持っていた荷物を空中に浮かせる。 「ほう、なるほどな」 ヒューゴは物珍しそうにその様子を眺める。彼の膂力を以ってすれば買い物袋二つなど大した重さでもないが、ここは素直にラーテンの「接待」を受け入れることにする。その反応を見た上で、ラーテンは内心で少し安堵した。 (あ、この人、魔法を使っても大丈夫な人なんだな) どうやら、ヒューゴは聖印教会の一員ではあるものの、魔法そのものをそこまで毛嫌いする人物ではないらしい、ということを理解する。その上で、ラーテンは先刻のヒューゴのマリベルへの態度を思い出し、「きっとこの人は『姉さんと一緒にいた時の自分』と同じ類いの人だ」ということをうっすらと感じ取ったことで、なんとなく親近感を感じていた。 ****** 一方、そのヒューゴの宿屋への帰還時の豪快な足音によって、休眠していたラスクも目を覚ましていた。どうやら、しばらく横になっていたこともあって、心身共に多少なりとも回復した様子である。そして、廊下からヒューゴの話し声が聞こえてきたことで、改めてラスクは隣に座っているフレドリクに問いかけた。 「どうする? 話をしておくか?」 「一人で話をしたいと言われたら話すが……、それ以外では無理だ」 少なくとも現状、彼等の耳に聞こえてきたのはヒューゴの声だけだが、それはヒューゴの声が極端大きいからラーテンの声が聞こえなかっただけであり、ヒューゴには特に独り言を口にする癖がある訳でもない。つまり、現時点においてヒューゴの近くに「他の誰か」がいることは間違いなかった。 「そうだな。では、ひとまずは向こうの出方を伺うことにしようか」 ラスクはそう呟きつつ、ひとまず起き上がって、「今の自分の身体」の状況を確かめる。 (普通に動く程度のことは出来る。もし仮に今ここで混沌災害が発生したとしても、ある程度までは対応出来るだろう。だが、果たして『今の私』が『この身体』で長期戦に耐えられるのだろうか……) そんな不安な様子の「相棒」を、フレドリクも心配そうに見つめていた。 2.7. 暗躍する時空魔法師 その間に、シドウとカイナはレディオスの家へ到着する。本来、交渉役としての手腕はカイナの方が上ではあるのだが、ひとまず今回はこの街の警備隊長であるシドウが表立って対応することにした。 「何かご用件でしょうか?」 例の「美女」が家の中から現れると、シドウは端的に問いかける。 「レディオス殿はいるだろうか?」 それに対して彼女は少し間を開けた上で答える。 「……主人が、どうかされましたか?」 「どうやら、随分前に本を借りていたようなのだが、なかなか返してもらえていないと聞く。そのことで……」 シドウがそこまで言ったところで、彼女は明らかに心当たりがありそうな顔を浮かべる。 「あぁ、あの本ですか。あの本は、その、失くしてしまったみたいで……。今、それを探してはいるんですけれども……」 彼女はそう答えるが、カイナはその表情から、明らかに彼女が嘘をついていることを読み取る。 「借りてたものを失くしてしまったことに関しては、主人も申し訳なく思っておりまして、なんとか見つけてお返ししたいと考えてはいますので……」 その対応に対して、シドウも不信感を感じる。その上で、自分の中での「彼女に関する仮説」に基づいて、ある一つの質問を投げかけてみる。 「ちなみに、奥様のお名前をお伺いしても良いですか?」 「私は、ココナと申します」 シドウとしては、自分の仮説が正しかった場合、もしその名前に聞き覚えがあれば、そこから何かが連想出来るかもしれない、と考えたのだが、残念ながら、全く聞いたことがない名前であった。 一方、彼女の目がシドウに集中している間に、カイナは密かに魔法で「生命探知」を試みる。すると、彼女はこの家の中にもう一人「誰か」がいることを確信した。おそらくはレディオスの可能性が高いだろうが、別の誰かが潜んでいる可能性も否定は出来ない。 カイナはそのことをシドウに目で訴えると、シドウは自分の中の仮説を、あえてそのまま彼女に投げかけてみることにした。 「私の『同僚』にも似たような者がいるのだが、あなたはまるで『本から出てきたような存在』か何かのように思えるような……」 確信がない分、いまひとつ歯切れの悪い言い回しになっているのだが、そんな二人の会話に、横からカイナが初めて口を挟む。 「シドウさん、それは一体、どういうことですか?」 「実は私の副官であるクレハは、異世界の本の中から現れる存在なのですが……」 カイナがアントリアにいた頃には、まだクレハは士官していなかったので、カイナはクレハのことは何も知らない。だが、実はカイナの契約相手であるカタリーナの母にしてフレドリクの妻であるクリスティーナ・リンドマンの元に、クレハと同じ「本から出現する魔法師」であるドーマン・カーバイト(本体である書物の名は『鵺鏡』)が迎えられているため、カイナも「本の中から現れる、特殊な魔法師」がこの世界に存在することは知ってる。 (あぁ、『あの胡散臭い人』の同類だったのか……) カイナがドーマンのことを思い出しながら、ひとまず納得している一方で、シドウはそのままココナに対して話を続ける。 「……そのクレハが、ココナさんから『自分と同じ匂い』がすると言っていたのです」 それを聞いたカイナは、今度は魔法で「混沌探知」を試みる。すると、ココナからは強い混沌の気配を感じると同時に、家の中からも何か「別の魔法具」が潜んでいることに気付いた。 目の前でそんなやり取りを見せられたココナは、当然のごとく困惑した表情を浮かべる。 「えーっと、その、どういうことでしょうか?」 シドウは開き直って、改めて問いかける。 「私の部下に『本から出現する者』がいる。そして、彼女は『あなたからも自分と同じ匂いがする』と言っていたのです」 そこまで言われたところで、部屋の奥から一人の人物が現れる。それは、シドウにも見覚えのある人物、レディオス・ミューゼルであった。 「もういい、ココナ。これ以上、ごまかしきることは出来ないようだ」 彼は諦めたような表情で「妻」にそう告げつつ、カイナとシドウに対して問いかける。 「確認したいのですが、あなた方は、教皇庁の方々とは『別件』ですよね?」 「えぇ」 「まぁ、別ですね」 二人がそう答えると、レディオスはやや警戒しながらも、二人を家の中へと迎え入れることにした。 2.8. 夢巻物(ドリームスクロール) 「どこまで勘付いているのかは分かりませんが、ココナは、端的に言えば『混沌の産物』です」 二人を客間に招き入れた上で、一つのテーブルにレディオスとココナ、そしてシドウとカイナが向かい合うような形で座った状態から、レディオスは最初にそう告げた。 「彼女は今、私の妻となっています。聖印教会の中で、混沌の産物をどこまで許容出来るかは人それぞれなのですが、最近の教皇様は『日輪宣教団』と呼ばれる危険な者達に対してお墨付きを与えるなど、教皇庁全体が過激化している傾向がありまして……」 日輪宣教団とは、一切の混沌の人為的利用を禁じる教派であり、投影体に関しては、それが人間にとっていかに有益な存在であっても、すぐさま浄化しなければならない、と考えている人々である。かつては聖印教会の中でも異端扱いであったが、現在では彼等を中心とする新興国家である「神聖トランガーヌ枢機卿領」がこのブレトランドでも設立されるなど、聖印教会内でも無視出来ない勢力となりつつある(詳細はブレトランドの光と闇2参照)。 「端的に言って、私の今のこの状況は『教皇庁に対する裏切り行為』と解釈されてもおかしくない状態なのです。今、私には教皇庁から召集令がかかっていて、私としては、今でも教皇庁で絵を描きたいという気持ちはあるのですが……、少なくとも、今の聖印教会にココナを『妻』として連れて行くことは出来ない。しかし、だからと言って、ココナが浄化されるということは、仮にそれが聖印教会の教えとして正しいものであったとしても、到底耐えられない。ならば、もういっそのこと、お世話になったエルネスト様には申し訳ないですが、この街を出ようかと考えている、そういう状態です……」 憔悴した様子でレディオスは彼等にそう告げた。この間、カイナは彼の表情や動作をつぶさに観察した結果、彼の言葉に嘘がないことは確認する。とはいえ、これはレディオスが「居留守」を使っていたことの理由としては納得出来たが、カイナ達にとっての「本題」とは、あまり関係のない話である。 「あなた方の事情については、概ね理解させて頂きましたが、私と私の主は、あなたが以前にお借りした本について、調べなければならないのです」 そう言われたレディオスは、やむなく一冊の本を二人の前に提示する。その表紙には確かに『紅蓮の姫と紺碧の翼』と書かれていた。 「端的に言いますと、その本が、彼女がここにいる理由と大きく関わっているのです。私としては、その本を返さなかったのは、その本を誰かが読むことで、ココナの正体が知られてしまう可能性があるので、出来れば返したくはなかったのですが……」 当然、それが身勝手な話だということはレディオスも分かっている。その上で、あえて彼はカイナに対してこう提案した。 「出来れば、その本をあなた方の手で『長期持ち出し』していただけないでしょうか? あなた方が借りたまま、少なくとも聖印教会の方に知られないようにして頂けるのであれば……」 「まぁ、その辺りは色々とやりようはあります」 カイナはひとまずそう答える。少なくともエルネストの先刻の対応から察するに、彼自身はこの本のことを「数ある文学作品の一つ」としか考えていないようだったので、一旦ノルドに持ち帰りたいと言えば、認められる可能性は高いだろう。 「その上で、私達が街を逃げて行くことに関して、何も言わずに見逃してくれるのであれば、本はお返し致します。その場合は、シドウ様に届けて頂くという形になりますが」 「なるほど……」 シドウとしても、そういう話なのであれば、特に止める理由はない。今のレディオスの立場は、エルネストにとっての「お抱え絵師」のようなものだが、あくまでもそれは「他に行き場所のない芸術家達への救済措置」として抱え込んでいるだけであって、過去にも自分の傘下の画家や音楽家達が他の街へと移住するのを止めたことは一度もない。今のシドウから見れば、本さえ返してもらえるのであれば、主君に対しての不義理になるとは思えなかった。 「私としては、今夜にでも夜逃げしようと考えていたところなのです」 「夜逃げ、かぁ」 シドウとしては、その言葉に少し引っかかるところがある。かつて自分自身も故郷から夜逃げするような形でブレトランドへと渡ってきた以上、その行為を咎めるつもりは毛頭ないが、そもそも、現状において誰かから何かを咎められている訳でもない状態で、わざわざ「夜逃げ」と言わなければならないほど切迫した逃亡を図らねばならないとレディオスが考えていることに、違和感があったのかもしれない。 「今回、教皇庁から来られているのはヒューゴ様のようで、私はあの方とは面識はありますし、あの方は話せば分かってもらえるかもしれないのですが、正直、その……」 言葉を濁してはいるが、レディオスがヒューゴに対して強烈な恐怖感を抱いていることは、その様子から推察出来るし、カイナにはその気持ちもよく分かる。「力を持たない普通の人」から見れば、あれだけの強大な力を持った、しかも気性の荒そうな君主を相手に交渉するくらいなら、その前に逃げたくなるのも当然の話だろう。 「……ですので、私は『自分に自信がないから逃げた』ということにでもして、誰かを代わりに派遣するという形にして頂けないかな、と」 レディオスがそこまで言い終えたところで、カイナはシドウに耳打ちする。 「この二人の言っていることに嘘はなさそうです。脅威になる存在でもないでしょう」 そのことを告げられたシドウは、率直に自身の見解を伝える。 「現時点で君をどうかしようということではないが、私自身だけでは判断がつかないところだからな。君の気持ちが全く分からない訳ではないのだが……」 実際のところ、教皇庁に連れ帰るのが「別の方」でいいのかどうかを判断する権限はシドウにもカイナにもない(更に言えば、ヒューゴにもない)。故に、シドウとしては、そもそも彼が夜逃げする必要があるかどうかも分からないのだが、どうしても逃げたいと考えるなら、あえてそれを止める理由もない。 ただ、ここでカイナにはまだ一つ、気になる点があった。それは、玄関口で混沌探知を試みた時に感じられた「魔法具」の気配である。少なくとも、現状において目の前に置かれた『紅蓮の姫と紺碧の翼』からは、何の力も感じられない。それ故に、カイナとしては、まだこの時点で帰る訳にはいかなかった。 「ところで、この家の中には何か一つ魔法具のようなものがありますね?」 エーラムの一員としても、パンドラ均衡派の一員としても、カイナとしては「危険な魔法具」の存在を放置する訳にはいかない。レディオスが魔法師ではないのだとすれば、なおさら、その扱い方を知らない一般人の手に余るような物品を放置することは出来ないのである。 レディオスはそれに対して、当惑と恐怖が入り混ざったような表情で答えた。 「そこまで気付かれているのであれば……、確かに、それはあります。ありますが……、その件に関しても、話さなければならないでしょうか?」 どうやら彼としては、その魔法具のことは『紅蓮の姫と紺碧の翼』以上に「語りたくない案件」らしい。カイナはシドウに対して、このまま自分が交渉を続けていいか目で訴えつつ、シドウが頷くと、そのまま話を続ける。 「私としてはあなた方の話は信じていますし、危険なことをするような方ではないと信じたいです。とはいえ、正体不明の魔法具を持たれている以上、この街を守るシドウ隊長の立場もお考え頂きたいのです」 「なるほど……。では、一つお伺いしたいのですが、あなたはどちらの方でしょうか? この街の方ではないですよね?」 「えぇ。シドウ様の知り合いの者です」 カイナの側も、それ以上のことはまだ言えなかった。ただ、エーラムの制服を着ている以上、彼女が「何処かの公的機関に所属する正規の魔法師」であることは分かる。その意味では、聖印教会(過激派)の関係者ではないという意味で、今のレディオスにとっては、まだ交渉しやすい相手でもあった。 レディオスは意を決した上で、ひとまずその場から立ち上がり、そして家屋の奥から、一本の「巻物」を手にして戻ってくる。それは、極東風の装飾が施された(明らかに、このブレトランドとは異なる文化圏で作られたと思しき)かなり古ぼけた巻物であった。 「『この巻物』が、ココナを生み出した源泉なのです」 「源泉?」 「『その本』を読んで頂ければ分かるのですが……、『その本』の冒頭に、『この巻物』が登場するのです」 レディオスがそう言って『紅蓮の姫と紺碧の翼』を指すと、ひとまずカイナは言われた通り、本を開いて内容を確認することにした。 この本は一人称小説であり、作者の名は「アガーテ」と記されている。彼女こそが表題となっている「紅蓮の姫」であり、元来はとある国の姫君主であったらしい。彼女は生来病弱で、絵を描くのが趣味だった。そんな彼女の前に、とある魔法使いが「夢巻物(ドリムスクロール)」という名の巻物を持ってきた。その巻物に「特殊なインク」を用いて何かを描くと、描いたものがそのままの姿で具現化する。彼女はそこに「自分の妄想する理想の騎士」を描いたところ、そこには「紺碧の翼」を背中に生やした一人の青年が現れ、それ以降、彼はアガーテを守る剣士となった。 それが、この書物の冒頭部分で描かれていた物語の概要である。 「おそらく、その『夢巻物』が『これ』です」 「つまり、ココナさんは、あなたがその巻物に描いた女性だと」 「そうです。私の『理想の女性』です」 「なるほど、それはよく分かりました」 カイナが確認する限り、レディオスは何一つ嘘を言っていない。そのことを表沙汰にしたくないという彼の気持ちも、なんとなく理解した。今まで色恋沙汰とは無縁の人生を送ってきたカイナには、そこまでして「理想の恋人」を具現化したいという気持ちにも、それを守り続けたいという気持ちにも共感は出来ないが、そこまでして自分の妄想を実現しようとするレディオスの執念には(それが自分には生み出せない衝動であるという意味で)一種の感動すら覚えていた。 その上で、カイナは更に問いかける。 「ココナさんは、今はもう『この巻物からは独立した存在』なのですよね?」 オルガノンや(クレハのような)レトロスペクターは「本体」から切り離して存在し続けることは出来ないため、「本体」である書物が消滅すれば「人間体」も消える。今の話を聞く限り、ココナはそれらとは明らかに別物のように思えたが、レディオスは俯きながら答える。 「正直なところ、もしこの巻物が消滅した場合、彼女がどうなるかは分かりません。なので、お借りしていた本はお返ししますが、巻物に関しては……、実はこれもエルネスト様の所蔵庫から無断で持ち出した代物なので、勝手なのは百も承知なのですが、手放したくはないのです」 実際のところ、この夢巻物自体があまりにも得体の知れない存在である以上、素人のレディオスがその効果について正確に把握出来る筈もない。いつの時代に誰の手によって作られた代物かも不明である以上、巻物が消滅した時にココナがどうなるかについては、カイナでも判別は困難であるし、もしかしたらそのことを判別出来る者は、今のこの世界には存在しないのかもしれない。そうなると、レディオスとしては巻物を手放したくないと考えるのも当然であろう。 「お気持ちは分かりますが、その巻物はかなり危険な存在なのでは? 使い方によっては、かなり危険なものが生み出されてしまうのではありませんか?」 「それに関しては、もう少し読み進めて頂けると分かるのですが……、かいつまんで説明しますと、その話の中に登場する『特殊なインク』の原料は『特殊な鶏の投影体』の生き血なのです。現状、それを手に入れるのは私一人では非常に困難です。先月、偶然にもその本に書かれていた鶏とよく似た怪物が近くに出現していたようなので、マリベル様の討伐隊に同行する形で、その血を手に入れさせて頂けましたが、その時に作成したインクは、ココナを生み出す際に使い果たしました」 もし、この場にマリベルかラーテンがいればこの話の裏付けも取れたのだが、カイナもシドウも、その件は聞かされていない。もっとも、いずれにせよそのインクが既に使い果たされているかどうかの確認は困難であるし、一ヶ月前に鶏の怪物が出現したのが「偶然」なのかどうかも、この時点では彼等には判断出来なかったのであるが。 「そして、この巻物自体が『持ち手を選ぶ巻物』のようなのです。この巻物は、元来はエルネスト様の所蔵庫にあった代物なのですが、私がこれを手にするまで、だれもこの巻物を開くことが出来なかったらしいのです。私が自分で言うのもおこがましい話ではありますが、おそらくこの巻物が、私の画力を認めてくれたのでしょう。そして実際、手にしてもらえれば分かりますが、普通の人では開けない筈です」 レディオスはそう言って、巻物をカイナに手渡す。この時点でカイナにそのまま巻物を奪われる可能性も十分に考えられたが、どちらにしても魔法師が本気を出せばいつでも自分を捕まえることも殺すことも出来る、ということはレディオスにも分かっていた以上、ここは彼女に全てを曝け出した上で彼女の「善意」に期待するしか、彼には道が残されていなかった。 そして実際、カイナがそれを開こうとしても、全く開けなかった。念のため、シドウにも試させてみたものの、邪紋使いである彼が、通常の紙ならば引きちぎれそうな力で開こうとしても、ビクともしない。明らかに、何らかの特殊な力が働いていることが二人にはすぐに分かった。 「とはいえ、『この巻物を開くことが出来る私』が危険な存在だと思われるのは当然のことです。ですので、エーラムの裁定として、私を保護観察処分にするなり、魔法師協会にとって都合の良いものを作り続けるために協会で監禁するというのであれば、私はそれでも構いません。ココナを私の傍に置いてくれさえするのであれば」 レディオスとしては、今の自分が「交渉出来る立場」にいるのかどうか分からない。ただ、エーラムの魔法師を目の前にした現状において、これが提示出来るギリギリの条件であった。少なくとも、自分自身のこの能力を交換条件にすれば、「ココナと一緒に歩む人生」という、今の彼にとっての最大の望みを守ることが出来るのではないか、と考えたのである。 だが、今の彼にとって「ココナ」は、「希望」であると同時に最大の「弱点」でもある。カイナは淡々とその「現実」を彼に突きつける。 「そこまで言うつもりはありません。ただ、仮にあなたが一人で彼女と共に逃亡生活を続けた場合、たとえば、ココナさんを人質に取るような形で、あなたに何かを強制的に描かせるような『悪い人達』がいるかもしれないですよね。たとえば『パンドラ』とか」 「パンドラ」という組織の実態を知る者は少ないが、その名前だけは一人歩きするような形で、主に裏社会に生きる人々の間には「恐怖の象徴」として広がっている。レディオスもまた、地下工房という特殊な世界に生きる者であるが故に、その噂は聞き及んでいた(もっとも、その当事者が今の自分の目の前にいることには、気付ける筈もないのであるが)。 「確かに、パンドラという組織は恐ろしいらしいですね……」 レディオスはそう呟きつつ、ココナが自分の目の前で「悪の組織」によって監禁・拷問されている光景を想像する。そのような状況下で彼女の身を危険に晒してでも強気に交渉を続けられるかと考えると、レディオスには到底その自信は無かった。そのことに気付いて青ざめた様子の彼に対して、その「悪の組織」の一員であるカイナは、冷静な口調で淡々と語り続ける。 「それを考えれば、確かにこの巻物は興味深いものではありますが、私はどちらかというと災厄の方が大きいのではないかと思います。なにせ、絵を描くだけでそのものを生み出してしまうのですから、何を生み出せてもおかしくはない」 「確かに……」 「シドウ様はどう思われますか?」 レディオスが折れ始めたこのタイミングで話を振られたシドウは、悩ましい表情を浮かべながら答える。 「そうだな……、確かに巻物自体の存在は危険だと思うが、レディオス殿のことを信用したいという気持ちも無くは無い……。レディオス殿がそのような変な使い方をするとは思えないが、それが他の者の手に渡るのが怖い……。だから、判断に迷うところではあるな……」 そんなシドウの反応を見て、彼等が自分の言い分をある程度聞き入れてくれそうな雰囲気を感じ取ったレディオスは、思い切って「もう一つの選択肢」を提示する。 「正直なところ、たとえば、エルネスト様に全て本当のことを話して、本も巻物もお返しした上で、このままエルネスト様の下で、また地下工房に戻らせて頂けるのであれば、それでも構いません。ただ、その場合、聖印教会の方にどう申し開きするのか、という問題がありまして……」 話がまた元に戻ってしまったところで、カイナは先刻から内心で抱いていた素朴な疑問を投げかける。 「一旦、絵を描くために教皇庁に行って、描き終わったらまた帰って来る、ではダメなのですか? ここで教皇庁に対してあまりカドの立つようなことをすると、例の巻物の話もどこかで漏れるかもしれませんし、それが一番穏便に解決する方法だと思うのですが」 「その通りなのですが……」 「彼女と離れたくない、と?」 「端的に言えば、そういうことです……。正直、不安なんです。彼女と離れることが。私がいない間に、彼女の正体が何者かに知られて、消されてしまうのではないかと……。別に、私が近くにいたところで、私が彼女を守れる訳でもないのですが……」 実際、それに関してはカイナも何とも言えない。現状においてココナの身の安全を確保するのは、どちらにしても難しいだろう。夢巻物という存在自体があまりにも強力な力を秘めている可能性がある以上、たとえばエーラムに保護を求めたところで、賢人委員会の裁定によって、ココナもろともその存在を消滅させられる可能性は十分にある(それはパンドラに預けた場合も同様であるし、預け先の魔法師によっては、もっと最悪の事態を招く可能性もある)。 また、仮に今回の絵画制作を終えた後でこの地に帰還したとしても、「教皇庁の大聖堂の絵画の作者」となれば、必然的に注目を集めることになる。そうなるといずれ何らかの形で「得体の知れない(投影体かもしれない)女性を妻として娶っている」という話が伝わってしまう可能性もある。そう考えると、彼にとって一番の選択肢は、ここで一旦、聖印教会との繋がりを(完全に断ち切るとまではいかなくても)弱めておく、ということになるだろう。 カイナはそんなレディオスの心情を理解した上で、改めて正論を彼に突きつける。 「とはいえ、少なくとも、この街で起きている問題である以上、エルネスト様に話を通すのが筋だとは思います」 「そうですね……。ヒューゴ様にはなんとかお引き取り頂く形で、その上で、エルネスト様が、巻物を勝手に持ち出した私を許して頂けるのであれば……」 そのためにどうすればいいのかは、レディオスには分からない。とはいえ、既にシドウに事情を伝えてしまった以上、ここはまず、改めてエルネストに謝罪した上で庇護を求めるのが一番現実的な道に思えてきた。 レディオスがその意思を示したことで、シドウとしても彼を庇護する方向で話を進めることを決意する。 「ひとまず、エルネスト様には、聖印教会の方を説得して頂けるように、相談するだけはしてみましょう」 もっとも、今からシドウがレディオスを領主の館まで連れて行くとなると、その途中で誰かにその姿を見られた時に、厄介なことになる可能性もある。シドウは目立つ外見であるため、その彼が「顔を隠した状態の人物」を連れて領主の館まで向かおうとすれば、それは人の目を引くであろうし、最悪、ヒューゴに遭遇する可能性もある。 その状況を理解した上で、カイナがおもむろに立ち上がった。 「では、ここは私が『時空魔法師』として、頑張ることにしましょう」 2.9. 芸術家領主の判断 カイナはまず、レディオスの家に「時空の扉」を作る。これは彼女が専門とする時空魔法の一つで、離れた二箇所に「扉」を作ることで、その間の移動を可能とする魔法である。だが、これを成功させるには、大規模な精神力と時間が必要であった。 その間にシドウがエルネストへ向けた「手紙」を書く。フレドリクが探していた本が見つかったことと、レディオスが聖印教会に行くのを嫌がっていることがその中には記されていた。 そして時空の扉を作り終えたカイナは、その手紙を受け取った上で、一人で領主の館へと向かった。彼女は手紙をエルネストに渡し、エルネストの許可を得た上で、彼の私室にもう一つの「扉」を作り上げ、その二つの扉を通じてレディオス、ココナ、シドウの三人が、人知れずエルネストの館へと到着することに成功する。 ただし、この過程でカイナの精神力は激しく消耗させられた。そして、そのフラフラの状態ながらも、改めてカイナはエルネストに、詳しい事情を事細かく説明する。この状況において、エルネスト相手に中途半端な隠し事をすることは誰のためにもならない、というのが彼女の判断であった。 「なるほど……。にわかには信じられん話だが、時空魔法師殿がそう判断されるのであれば、間違いはないのだろう」 「少なくとも、彼は嘘は言っていません。そして私は、彼のその芸術家としての手腕に感銘を受けました。だからこそ、彼を聖印教会に引き渡すことで、危険に晒すべきではないと考えます」 実際のところ、カイナにはそこまで彼を庇う義理はない。ただ、まだ情報の少ない現状においては「レディオス」と「巻物」をエルネストの元に置いておくことが、この世界の均衡を保つ上でも一番安全であるように思えた。彼の意向を無視して巻物を破壊するという道も無くは無いが、そもそもそれが可能かどうかも分からないし、もしレディオスの中にまだ何か「隠し球」が残されていた場合、それを防ごうとした彼が暴走して何を引き起こすかも分からない(カイナは相手の嘘を見破ることは出来るが、相手の考えの全てを見通せる訳ではない)。 「そうだな……。聖印教会の使者殿を納得させるための言い訳としては、『まだ未熟だから、もう少し修行したい』か、もしくは『自分よりもっとふさわしい人がいる』か、『体調の問題で今は難しい』ということにするか……」 「自信がない、あたりの方が妥当かと思います。下手に病状などを理由にすると、高位の治癒専門の魔法師の方々が、治療を申し出る可能性もあります」 実際、聖印教会には治癒を専門とする君主も多い(もっとも、少なくとも今の時点でこの地に来ている「聖印教会の君主」は、およそ治癒魔法とは無縁な人物のように思えるが)。 「なるほど。しかし、この巻物がそれほどの力を持つ魔道具だとするならば、確かにそれはかなり危険な存在だな。私の領内でそのような事態に巻き込んでしまったとは、ノルドからのお客人に対して、大変申し訳ない」 「いえ、どんな状況であろうと、このような事態に至った場合に、混沌による悪影響が及ばないようにするのが『我等』の勤めです」 実際、それはカイナにとって、エーラムの一員としても、パンドラ均衡派の一員としても、間違いなく「本音」である。「混沌の均衡」を守る存在として、夢巻物が「放置しておけない存在」であることは間違いない。 そして彼女は、この巻物のことを知ったエルネストが、これを私欲のために用いようと考えているかどうかについてについても彼の表情から読み取ろうとするが、今のところ彼からはそのような兆候は感じられない。むしろ、そこまで強力な魔法具をどう扱ったものか、と困惑している様子であった。 (この巻物をどうすべきかは、私の管轄ではない。しかし、誰にこの案件を任せるにしても、情報は正しく引き継げるようにしておかなければ) カイナは内心でそう呟きつつ、彼女の本来の目的であった『紅蓮の姫と紺碧の翼』に関しては、ひとまず写本を依頼することにした。レディオスとしては既にエルネストに真相を話してしまった以上、あえて本を長期持ち出ししてもらう必要は無くなったし、カイナとしても、おそらく現物にこだわる必要はないだろうと考えていた(もっとも、カイナもまだフレドリクから「この本が必要な理由」を聞かされていないので、一度方針を確認する必要はあるが)。 そして、勝手に巻物を持ち出したレディオスの処遇については、ひとまず保留ということにした上で、彼とココナの身柄はひとまずエルネストの屋敷の中で匿う、という方針で一致した。 3.1. 宴席での疑惑 この日の夜、エルネストの館にて、フレドリクとヒューゴの歓迎会が開かれることになった。エルネストとしては、まさかこの二人が実の兄弟だとは知らなかった訳だが、そのような縁があるとマリベルから聞かされたことで、それならば揃ってもてなすのが筋であろうと考えたようである。 ノルドからの来客であるフレドリク、ラスク、カイナと、イスメイアからの使者であるヒューゴが来賓席に座り、エルネスト、マリベル、ラーテンが彼等と向かい合うように着席する。なお、シドウは邪紋の力によって「食事を必要としない身体」となっていることもあって、あえて「護衛」として、同席せずに会場全体を監視していた。 改めてエルネストは客人達と軽く挨拶を交わしつつ、ひとまずヒューゴに対して、聖印教会としての意向を確認すべく、探りを入れる。 「せっかく来て頂いたのに、レディオスが出払っていてしまって、申し訳ないのですが、そもそも、なぜレディオスをそこまで高く評価して下さったのでしょうか?」 「あいつの腕が認められた。それだけの話だろう」 詳しい選定基準についてはヒューゴも知らないため、それ以上は何とも言いようがなかった。 「そうですか。ですが、彼自身は自分はまだまだ未熟だと言っていました。今回の話を彼に告げた時も、彼は少し戸惑った様子ではあったので、まだ自分はその任には足らないと考えているのかもしれません」 エルネストのその言い方に、ややヒューゴはムッとした顔をする。 「それは本人が言ったのか?」 「はっきり言った訳ではありません。ですので、確認する必要はあるでしょう」 このヒューゴの反応から、やはりこれはレディオス本人を連れてこないと納得しないだろう、ということをエルネストは実感する。そんな二人の微妙に不穏な空気を感じ取りながら、何も事情を聞かされていないラーテンは、本能的にハラハラしながら見ていた。 その上で、今度はエルネストはフレドリクに語りかける。 「フレドリク殿が探していた本に関しては、どうにか見つかりました。現在、写本をしているので……」 そこまで言いかけたところで、フレドリクが遮るように口を開く(なお、彼は本が見つかったこと自体は、既にカイナから聞いていた)。 「いや、内容を見せてもらえば、場合によってはお借りする必要も、写本する必要もないかもしれない。まずは一度、中身を読ませてもらいたいのだが」 「分かりました。それならば、この後にでも、そのお時間を設けましょう」 この時、ラーテンは二人の会話を聞きながら微妙な違和感を感じていた。彼は先刻、宿屋にてカイナから「レディオスが借りている本を探している」という話を聞いていた(そしてラーテンがその話を聞いていることを、エルネストは知らない)。おそらく、ここでエルネストが言っている「フレドリク殿が探していた本」とは、その「レディオスが借りている本」のことだろう。 (あれ? レディオスが見つからないから、あいつが借りている本が返って来ない、っていう話じゃなかったっけ?) レディオスが行方不明のままだとすると、このタイミングで本が見つかったということが不自然に思えたラーテンは、怪訝そうな表情を浮かべる。だが、その表情にヒューゴが気付く前に、カイナがすぐさま口を開いた。 「レディオス殿の家をお伺いしたら、奥様がいらっしゃったので、彼の本棚にあったその本を返してもらったのです。シドウ様にも同行して頂いたこともあって、その辺りの手続きは円滑に進みましたよ」 カイナの咄嗟の機転により、ラーテンは納得した顔を浮かべ、ヒューゴも特に違和感を感じることもなく、何も言わなかった。 やがて、料理がひと段落したところで、この館の使用人である「杏仁豆腐のオルガノン」であるアニー(下図)が、デザートとして「自らの身体から生み出した(自分自身の『本体』である)杏仁豆腐の小皿」を皆に配り始める。 (あまり難しいことは俺は考えないようにしよう。やっぱり、俺の柄じゃない) ラーテンが自分にそう言い聞かせながら、黙々とその杏仁豆腐を食べている中、アニーはカイナに対して「アトでチョットいい?」と目線を送り、カイナはそれに静かに頷くのであった。 ****** 宴を終えた後、フレドリクはヒューゴに対して(昼の時点で「また夜ぐらいにでも来る」と言ってたことに関して)断りを入れることにした。 「すまない、先程の話にもあったが、今日はこれから、とある『本』の内容を確認することになった。話は明日にしてくれないか? 急用があるなら聞くが」 「いや、別にねえけど」 ヒューゴはぶっきらぼうにそう答えつつ、素直に宿屋へ帰る。どうやら、先刻のエルネストの発言から、レディオスが見つからないことに関して、やや不信感を感じ始めていたらしい。 ****** 一方、ラーテンは契約相手であるマリベルに対して、先刻のカイナとの会話の裏にあった事情を説明する。 「……という訳で、あの時、ちょっと『あれ?』と思ったんだよ」 「ふーん、そんなことがあったんだ」 マリベルはそう答えつつも、あまり強い関心は示していない様子である。そして話しているラーテン自身もまた、夢巻物の話を全く聞かされていない以上、それほど注意すべき問題とも思っていなかった。 ****** 「ボスからウチに話はキてるけど、ケキョク今、どゆう状況ナノ?」 「それがさっぱり。そちらの方で情報は何か?」 「ヨク分からない。ただ、カギになてるのが、『例の本』ラシイってことナノよね?」 「そうらしい。まだ冒頭部分しか読ませてもらってないけど、『呪い』のようなものが出てきたという話ではなかったので。もう少し探りを入れてみる必要があるわ」 「じゃあ、ソレでお願い」 「それはそれとして、杏仁豆腐がすごく美味しかったから、作り方教えて」 「アァ、うん。カンタンカンタン。まず、杏の木を探シテネ……」 「杏の木? そうか、今度は召喚魔法を覚えなきゃダメか……」 そんな会話をアニーと交わしつつ、カイナはフレドリクの元へと戻る。そしてフレドリクとラスクは彼女を伴ってシドウの案内で領主の館の書庫へと趣き、『例の本』を読ませてもらうことにした(その間、シドウは書庫の外で警護に当たることになった)。 3.2. 「呪い」の真相 フレドリク、ラスク、カイナの三人は、ランタンの火だけが灯る薄暗い夜の書庫において、『紅蓮の姫と紺碧の翼』に改めて目を通すことにした。 「私は書物を読むことには長けていない。そして、私にはあまり時間もない。この本を手早く読んで、何らかの『呪い』に関する記述があれば、その内容をまとめて教えてもらいたい」 フレドリクがそう告げると、カイナは頷きながら答える。 「分かりました。出来ればその『呪い』の内容について教えて頂いた方が調べやすくはあるのですが、そこまで信頼は頂けていないでしょうから、それは構いません」 それに対して、フレドリクは一瞬ラスクの表情を伺いつつも、その表情に微妙な「迷い」が読み取れたことから、カイナに対して申し訳なさそうに答える。 「いや、正確に言うと、それは私の一存で話して良いかどうかが分からないから、言えないだけだ。君を信用していない訳ではない。それだけは言っておこう」 「分かりました。可能な限り努力します」 彼女はそう言って、まずは改めて「目次」を確認しつつ、エーラム時代に鍛えた多くの数多の資料を短時間で読み解く技術を駆使して、その書物に描かれた「物語」の内容を確認していった。 ****** この書物の主な内容は、「紅蓮の姫」ことアガーテと、彼女によって作り出された「紺碧の翼」を持つ剣士ハインツの二人が、世界各地を旅して回った冒険譚である。物語は、アガーテが「謎の魔法師」によって与えられた「夢巻物」に、「特殊な鶏の血」で作られたインクを用いてハインツを創出するところから始まり、貴族の箱入娘だったアガーテがハインツに連れられて「外の世界」を回って見聞を広げていく、というのが大筋の展開であった。 どこまでが事実でどこからが創作なのかは不明だが、基本的には「アガーテの日記」という形式で描かれており、その物語の内容は多岐に渡っている。旅先の街に現れた怪物との戦い、山岳地帯に発見された洞窟の探検、夢巻物を狙う悪の魔法師との対決、食糧難に苦しむ人々を救うための肥沃な大地の創造など、純粋に物語として読んでも十分に楽しめそうな内容であった(あくまでも内容確認のための速読中なので、そこまでの余裕はカイナにはなかったが)。 そしてこの書物の終盤で、とある魔境に入ったアガーテとハインツが、魔境内で発生した突発的な混沌災害と思しき何らかの力によって、二人の「心」と「体」が入れ替わってしまった、という物語が描かれる。そして、ハインツの身体はもともと混沌の力によって生み出された代物であったため、彼の身体の中に入ったアガーテの心は、時間が経過するごとに徐々に混沌に蝕まれていくことになる。元に戻る方法を探した二人は、古代の魔法で「二人の人間を融合させる魔法」と「融合後の二人を分離する魔法」が存在するらしい、という情報を手に入れる。 その情報に基づいて、ひとまず「融合の魔法陣」の作り方を理解した二人は(本来ならばそれはよほど高位の魔法師でなければ再現不可能だったのだが)夢巻物の力を使うことで、その魔法陣をそのまま複製することに成功し、ひとまず二人の身体は融合した。それは、一つの身体に二人の魂が同時に入った状態のまま、その時々に応じて「姫の身体」と「剣士の身体」のどちらかの身体に変化させることが出来る、という状態であった。 こうなると次の課題は「分離の魔法陣」の作成法である。だが、この書物はその分離の魔法陣を発見するに至る前に「最後のページ」を迎え、そして末尾には(続く)と記されたまま、その内容を終えるのであった。 ****** カイナが一通りにその内容をかいつまんで説明すると、フレドリクは微妙に悩ましい表情を浮かべる。 「なるほど、その中に、今の呪いを解決出来るかもしれない方法は確かに書いてある。書いてはあるが……」 なお、カイナが読んだ限り、その物語終盤の「姫が『混沌の身体』に入ったことで、魂が蝕まれて苦しんでいる様子」の描写は、現在のラスクの症状と似ているようにも見えた。 (そういうことか……) 彼女はこの時点で、フレドリクの表情を改めて正確に読み取り、まさに『これ』こそが、今の彼等を苦しめている呪いの正体であることを確信する。だが、ひとまずそのことは黙ったまま、フレドリク達の出方を伺っていた。 (続刊を読まなければ分からないが、今の我々には「時間」がない……) フレドリクは悩みつつ、ひとまずカイナの手助けを受けながら、書物の終盤に描かれていた「魔法陣」の図を確認する。そこには事細かにその内容が描かれているが、おそらく、ただそれをそのまま書き写したところで、効力は発揮しないだろう。古代の魔法に精通した何者か、もしくは「夢巻物」の力でもない限り、再現は難しい。 「……私の専属魔法師に、連絡を取ってもらえるか?」 「分かりました」 カイナはそう答えた上で、マールに対して魔法杖通信を試み、フレドリクとラスクの目の前で、彼女に対して「本の内容」をそのまま伝える。 そして、彼女は魔法杖の向こう側のマールの声をフレドリク達にも聞こえる程度にまで調整すると、マールは「夫」と「契約相手」に対して、こう言った。 「そういうことなら、もうカイナには話してしまいましょう。おそらく、彼女は既に勘付いていると思います」 「……あぁ、そうだな」 フレドリクはそう答え、そして「相棒」が頷いているのも確認した上で、彼はカイナに対して、全てを打ち明けることにした。 ****** 数ヶ月前、ノルドの北端の地に巡回に向かっていたフレドリクとラスクは、とある魔境に足を踏み入れた際に、突如発生した特殊な混沌の作用によって(まさに物語中のアガーテとハインツの時と全く同様に)二人の身体と魂が入れ替わってしまったのである。マールの見解によれば、この状態は現代の魔法で元に戻すことは出来ず、魔境内で同じような現象が発生するのを待つのも非常に難しいらしい(なお、その魔境自体は既に消滅している)。 本来、聖印も邪紋も、その身体の持ち主の魂を反映して生み出されたものであり、魂が入れ替わった状態では、その身体に宿った力を発動させることは出来ない。だが、フレドリクとラスクは長年苦楽を共にしてきたこともあり、「(フレドリクの身体に入った)ラスクの魂」は「フレドリクの身体に宿った聖印」と融合し、「(ラスクの身体に入った)フレドリクの魂」は「ラスクの身体に刻まれた邪紋」によって受け入れられた。 しかし、それでもやはり本来の魂との齟齬があるため、現状ではどちらも、本来の聖印・邪紋の力を完全に発揮することは出来ない(それでも、並の君主や邪紋使いでは太刀打ち出来ない程度には強いのだが)。それに加えて、(意志の力で完全に制御可能な聖印とは異なり)邪紋は常に刻んだ者の魂を貪り続けるため、本来の自身の魂を反映していない邪紋が刻まれた身体に宿ったフレドリクの魂は、徐々に衰弱し始めていくことになる。ラスクの邪紋は(本気を出した時には)全身に広がる程にまで深く刻まれていたため、おそらくは混沌そのものから構成されていたハインツと比べても大差ないほどの強大な混沌の力が、フレドリクの魂を蝕み続けていた。 もし、この事実が表沙汰になった場合、ノルド全体に動揺を招きかねないため、今のところ、それぞれの妻以外には伝えてはいない。そして、この事態を憂慮したマールが独自の情報網を用いて解決策を模索したところ、どうやら過去に同じような状況に陥った上で、最終的に元に戻ることに成功した事例が存在するらしい、という情報に辿り着く。そして、その伝承の詳細は数百年前に書かれた『紅蓮の姫と紺碧の翼』という文学作品に記されていることを知った彼等は、その現物が所蔵されていると思しき、このパルテノの街へと(魂が入れ替わった状態のまま)足を運ぶことになったのである。 ****** つまり、これまで「フレドリク」としてカイナに接していた男性には「ラスク」の魂が宿り、そして「ラスク」と称してきた男性の身体を通じて話していたのが「フレドリク」の魂であった、ということである。 「相棒、あと、どれくらい持ちそうか?」 「フレドリク(の身体に入ったラスク)」が「ラスク(の身体に入ったフレドリク)」にそう問いかけると、彼は力無き声で答える。 「分からないが、段々と『発作』の頻度は上がっている……」 どうやら、あまり時間の猶予はないらしい。 「マールはどう思う?」 「今はそれしかないなら、試してみるしかないと思うわ。私はてっきり、その本は『一冊で完結した本』だと思い込んでいたのだけど、もしかしたら、表題を微妙に変えた情報で探せば、続刊が見つかるかもしれない」 出来れば「確実に融合解除出来る方法」を確認した後で実行するか、もしくは「別の方法での解決」を模索したいところではあったが、現状ではそれまで「ラスクの身体に入ったフレドリクの魂」が自我を維持出来る保証はない。 「今はそれに乗るしかないのか……」 「フレドリク(の身体に入ったラスク)」はそう言ってため息をつきつつ、一呼吸置いた上で、自分に言い聞かせるように呟き始める。 「この書物にも『融合したことで発作が治まった』と書いてある以上、今はそれに賭けてみよう。いざとなったら、娘達がリンドマン家をどうにかしてくれるだろう。所詮、掛け金は命しかない。その掛け金すら失うかもしれない状態で、この機会をみすみす見逃す必要はないからな」 とはいえ、この方法を実現する上で、必要な課題は三つある。「夢巻物」「特殊な鶏の怪物の血」「それを描ける画家」である。無論、別の方法でその「融合の魔方陣」を作り出す方法があるならばそれでも良いが、どちらにしても現状ではまだ、第一段階の「融合」すら可能な状態にはなっていない。 「ここまで話した以上、カイナには最後まで付き合ってもらうぞ」 「えぇ。それは勿論です」 「で、だ。この本が持ち出されて、しばらくの間返されなかった以上、この本のどこかの情報を必要として、そいつは借りていったんだろう。そういった話は何か聞いてなかったか?」 「フレドリク(の身体に入ったラスク)」がそう問いかけると、カイナはパンドラ均衡派の一員として、この「危険な情報」を伝えて良いものかどうかの判断に悩みつつも、「既にパルテノの一部の人々に伝えている以上、ここで隠匿する方がより危険」という判断に至る(なお、その前に一瞬、彼女の脳裏には契約相手であるカタリーナの顔もよぎっていた)。 「それについて、少しお話がございます」 3.3. 「融合」への道筋 カイナは、現時点で自身が把握している情報を全て話した。それはすなわち、現時点で必要な三条件のうち、「夢巻物」と「画家」については、既にその所在を突き止めている、ということを意味していた。もっとも、逆に言えばその「画家(レディオス)」の協力がなければ、その魔法陣を生み出すことは極めて難しい、ということでもある。 「……くれぐれも、このことは御内密にお願いします」 カイナにそう言われた「フレドリク(の身体に入ったラスク)」は、神妙な表情で頷く。 「そうだな。このことを知る者は少ない方がいい。こんなものがあったら、世界がひっくり返る。極論を言えば、皇帝聖印(グランクレスト)を作れてしまうかもしれない代物だ」 「確かに。とはいえ、実際にどこまで作れるのかは分かりません。外観がはっきりしている魔法陣や、画家が想像した理想の恋人を具現化することは可能であっても、まだ誰も見たことのない皇帝聖印までを作るのは、さすがに難しいかと」 「そうだな。確かに皇帝聖印は少し言い過ぎかもしれない。だが、もし、たとえば実際に起きた災害などを描くことで同じ状況を再現出来るということが出来るのだとすれば、この世界の軍や戦争のあり方も大きく変わるだろう」 実際、物語の中でもアガーテが夢巻物を用いて「肥沃な大地」を創り出したという一節もある以上(それがどこまで事実かは不明だが)、それくらいのことは十分に可能かもしれない。 「えぇ。それはきっと、この世界の均衡を崩してしまいます。その結果、どのような混乱が起き、人々が苦しむことになるかは分かりません。あの力を有効活用出来るのであれば良いのですが、強大で便利な力というものは存在しません。少なくとも私はあれを軽々に使うべきではないと思います」 「それについては私も同感だ。とはいえ、現状、その画家の力がなければ、魔法陣を作り出すことも出来ないだろう。今はその彼の力を頼りたい」 この時、カイナは改めて「フレドリク」と「ラスク」の二人の表情を確認するが、どうやら二人とも、今の自分達が元に戻ること以外に、その巻物の力を使おうとは考えていないようだった。むしろ彼等としては「出来れば何らかの形で、そのような危険な巻物は破壊すべき」だと考えているが、今の自分達にとって必要な代物である可能性が高い以上、レディオスには協力してもらう必要がある。そして、協力してもらった後で破壊しろと言われても(その結果として「妻」が消滅する可能性が否定出来ない以上)、レディオスは納得しないだろう。 「レディオスに協力してもらう交換条件として、彼のことを匿う、といった形にするなら、フレドリク様達の交渉でどうにかなるとは思います。問題は……」 「『フレドリクの弟』だな」 「フレドリク(の身体に入ったラスク)」はそう呟く。それに関しては、これまでずっと黙っていた「ラスク(の身体に入ったフレドリク)」も頷いていた。 一方、魔法杖通信の向こう側で話を聞いていたマールは(ヒューゴがここに来ている話を聞かされていないため)、なぜここでヒューゴの話が出て来るのかが理解出来なかったが、特に説明されていない以上、それは自分が立ち入るべき話ではないのだろうと判断した上で、これ以降のことは現地の彼等に任せることにして、ひとまず魔法杖通信を切った。もしかしたら、彼女の中でも(魔法師であるが故の)「ヒューゴや聖印教会への苦手意識」から、あまり「リンドマン家の内部事情」には関わらない方がいいと本能的に察知したのかもしれない。 そしてマールとの通信が切れたところで、カイナはあえて自ら別の「リンドマン家の内部事情」に口を挟むことにした。 「事情は分かりましたので、私もこのことについてむやみやたりに口にしようとは思いません。しかし、カタリーナ様に関してなのですが……、どこまで話すかはお任せしますが、あの方を安心させてもらえないでしょうか?」 それに対して、「ラスク(の身体に入ったフレドリク)」が悩ましい表情を浮かべている中、「フレドリク(の身体に入ったラスク)」が先に答える。 「彼女達に無用な心配はかけたくなかった。そして、彼女達を信用していない訳ではないが、万が一、この情報がおおっぴらになった場合、ノルドの有力騎士の力が弱まったという情報が広がることになる。そうなった場合にどうなるかは想像に難くない。この二点が、伝えたくなかった理由だ」 「もちろん、それは分かってはおりますが……」 カイナが何か言おうとしたのに対し、今度は「ラスク(の身体に入ったフレドリク)」が口を挟む。 「ヒューゴに伝えてないのも、それが理由だ。あいつは真正直すぎる」 それに関してはカイナも全面的に同意する。そして、「フレドリク(の身体に入ったラスク)」もまた深く頷いた。 「あの『フレドリクの弟』が、この秘密を隠したまま生きていけるとは、俺は全く思えない」 その意味では、確かにカタリーナもヒューゴに似た気質ではある以上、不用意に彼女に秘密を背負わせるのは、彼女自身のためにもならないのかもしれない。 「その御事情は十分理解しています。とはいえ、いつまでも隠し通せるものではないでしょう。私も口は閉ざしますが……、カタリーナ様はいずれ気付かれます」 あえてカイナがそう断言すると、「ラスク(の身体に入ったフレドリク)」と「フレドリク(の身体に入ったラスク)」は顔を見合わせつつ、カイナの意図を察する。 「既に彼女は我々のことを不審に思っている、ということか……」 「鋭いな、相棒の娘も」 「完全に気付く前にこちらが解決出来ればいいのだがな。ヒューゴに関してもそれは同じこと。出来れば、解決する前に会いたくはなかった」 「本当にな。一番会いたくないタイミングだった、本気で」 入れ替わった状態の二人がそんな言葉を交わしている中、ようやくその「奇妙な光景」を即座に脳内で正しく変換出来る程度に見慣れてきたカイナが、眉をひそめながら付言する。 「それは、まぁ、会ってしまったものはしょうがないというか……。とりあえず、この件については私も、これ以上は申し上げません。あとはお任せします」 実際、カイナとしても「そちらの方の家庭の事情」には、これ以上踏み込みたくなかった。その上で、「フレドリク(の身体に入ったラスク)」は、ひとまずの方針を確定させる。 「仮に巻物が手に入って、俺とフレドリクが融合した場合は、隠し通すことは出来なくなるが……、よし、分かった。ヒューゴに言うタイミングは、巻物が手に入ったか、巻物が完全に失われた時だ。そのどちらかの時点で言うことにしよう。それでいいよな、フレドリク?」 「そうだな。完全に失われた場合は、どちらにしても、私はもう長くない可能性が高いだろう。融合状態となった場合は、同時に同じ場所に出られないということを除けば、ある意味で隠しやすくはなるが……」 「だが、それでは俺達は戦場に立てない」 フレドリクとラスクは「龍に変身した状態のラスクの背にフレドリクが乗ること」によって、初めてその真価を発揮する。どちらか片方しか存在出来ない状態では(特にフレドリクの方は)まともに戦うことすら出来ない。そのことを踏まえた上で、「ラスク(の身体に入ったフレドリク)」は改めてカイナに問いかけた。 「とりあえず、融合状態のくだりをもう少し確認してもらえないか?」 「分かりました」 カイナはそう答えた上で、改めてじっくりと終盤のくだりを確認すると、どうやら融合状態においても、部分的に相手の身体の特性を発現させていると思しき表現がある。というのも、この書物の最後のくだりにおいて、「姫」の外観のまま「翼」を生やして飛んでいる場面が描かれていたのである(もっとも、それがどこまで「事実に即した情報」なのかは分からないが)。 その話を聞いた「ラスク(の身体に入ったフレドリク)」は、相棒に向かって語り始める。 「実は、お前と組むようになってからは一度も使ってなかったのだが、我が一族の聖印には、特殊乗騎を作り出す力がある。娘達はその力を用いて鯨や梟に特殊な力を与えることで乗騎としているが、かつて私は『聖印そのもの』から『龍』を作り出そうとしていた。実際、それである程度までは成功出来たのだが、戦闘に耐える形まではいかなかった。つまり……」 「融合状態から、その聖印の力で『龍としての俺』を作り出すことが出来るかもしれない、ということか?」 「確証はないがな。もし可能だったとしても、おそらく邪紋使いとしての力を発揮することは出来ないだろうが、少なくとも、単純な乗騎としての役割程度は果たせるかもしれない」 とはいえ、いずれにしても、今の時点でこれ以上話をしたところで、何も進まない。まずは明日、レディオスと実際に話をしてみた上で、今後の具体的な方針を決める、ということで話を終わらせ、ひとまず三人は(書庫の外で待っていた)シドウの案内で宿屋へと戻ることになった。 3.4. 「一つの前世」と「無限の来世」 こうして、ようやく一筋の希望が見えてきたところで、フレドリクとラスクはそれぞれの相方の身体を労わりつつ、静かに就寝の床につく。そしてこの日の夜、再び「フレドリクの身体に入ったラスク」の夢の中に「天威星」の声が聞こえてきた。 《「望む未来」は定まりましたか、我が前世よ》 その声に対して、改めて「フレドリクの身体に入ったラスク」は問いかける。 「今日、私の周囲で起きていたことは分かっているか?」 《全て把握しています》 それはすなわち、彼がカイナに話した「真相」も聞いていた、ということになる。 「ならば、それを踏まえた上で、改めて聞こう。君が問いかけるべきは、本当に俺なのか?」 《それは間違いないです。最初に感じた違和感に関しては、おそらく今の身体が本来の身体ではないからでしょう。ただ、私のかすかな記憶では、私は君主だった筈。しかし、私が共鳴している魂は、間違いなくあなたです》 天威星曰く、大毒龍と戦った百八の星は「三十六の天の星」と「七十二の地の星」から成り立っており、それぞれが「聖印の力」と「混沌の力」を宿しているという。そして天威星は確かに「天の星」であり、その前世は「聖印を用いる者」であった筈だと語る。 《ただ、あなたがこれから先、どういう経緯で『私』になるのか、もしくは、ならないのかも分からない。あなたのこれから先の人生の選び方次第で、あなたの先に私がいるのかどうかも分からない。「この時代における私の前世」は間違いなくあなたですが、「あなたから見た来世」は無限にあります》 「なるほど」 《そして仮にあなたの来世が私に繋がらなかったとしても、今の私が消えることはありません》 「並行世界の誰かが君になる、と?」 《というよりも、その場合は『最終的に私にならなかった未来のあなた』から見れば、私は『並行世界あなたの未来の姿』ということになります》 もっとも、「並行世界」などという概念が本当に存在するのかどうかは、「今のラスク」にも「天威星」にも分からない。ただ、いずれにせによ、ラスクが今後進む未来の道の一つは確実に「天威星」に繋がっており、それが過去のこの世界に投影されたのが、「今のラスクに語りかけている天威星」ということなのであろう。 《あなたは最終的に邪紋使いに戻るのかもしれないし、何らかの特殊な力によって君主になるのかもしれない。力を失うのかもしれないし、その前に命を落とすかもしれない。どの未来のあなたを選び取るのかは、あなたの自由です》 「なるほど。よく分かった。では、答えようか」 ラスクはここまでの話を踏まえた上で、「今の自分」として導き出した答えを伝える。 「少なくとも俺はこれから先、フレドリクと一心同体になることは間違いない。それならば少なくともその間は、フレドリクの望みを叶えるのが正解だろう」 厳密に言えば、まだ「一心同体」になれると決まった訳ではない。だが、少なくともそうなった先の未来にこの天威星が存在しているのであろうとラスクは確信していた。 「だからこそ、俺の望みは単純だ。『混沌災害のない世界』、なぜならば、それを彼が望んでいるからだ」 《そしてあなたもそれに共鳴している、ということですね》 天威星がそう告げると同時に、ラスクの心の中でその「混沌災害のない世界」の光景が広がる。そして、彼の目の前には「青白い星核」が出現していた。 《これが私の力の源泉、星核です。これを百八個結集させれば、間違いなく大毒龍を倒すことが出来ます。今の時点で、私と同じように、もともとこの世界に残っていた八つの星のうち、三つの星が目覚めました。残りの五人もいずれ目覚めることになるでしょう。そして、私達の前世であれば、その者が力を使ったのを見れば「懐かしい感慨」を抱く筈です。より正確に言えば、私の中の「懐かしい感慨」にあなたも同調することになるでしょう》 立て続けに多くの情報を叩き込まれたラスクだが、なぜか彼の脳は素直にその情報を驚くほどあっさりと受け入れる。おそらくそれは「彼自身の分身体」の心から流れ出てくる情報だから、なのであろう。 「なるほど。とはいえ、この広大な世界でたった百八人、いや、俺を除いて百七人か。そう簡単に遭遇することはないだろう」 《えぇ、確かに。ただ、私は他の「もともとこの世界に残っていた八つの星」とも、ある程度精神感応出来るのですが……、既に目覚めている二人に彼等自身の「星の声」が届いたのは、「星の同胞」が近くに何人か集まった時だったようです。つまり、この街に近付くことであなたが私の声に気付いたということは、この街の中に何人かはいるのかもしれません》 「であるならば、ノルドの方にはいない可能性が高い、ということか」 《そうかもしれません。一人、二人くらいならいるのかもしれませんが》 「いずれにせよ、あまり期待はしないでくれよ。この「身体」の立場上、ノルドからあまり外には出れないからな」 《とはいえ、今の身体の状態で即座に帰る訳にもいかないでしょう。なるべく早く集まることを祈っています》 そんな会話を交わしつつ、ラスクの魂は徐々に夢の世界から現実世界(のフレドリクの身体)へと戻っていく。そして目覚めた時には、確かに彼の手元には「青白い星核」が輝いていたのであった。 3.5. 不器用な聖者達 翌朝、領主の館から、高級宿屋のヒューゴの客室に、領主の館からの伝令兵が到着。 「件のレディオス殿が見つかりました。直接お会いした方がいいと思うので、ご同行頂けますでしょうか?」 「あぁ、了解了解」 ヒューゴはそう言いながら、まだ寝起きで気だるそうな様子で、出掛ける準備を始める。その様子に、同じ階に泊まっていたラーテンとマリベルも気付いた。先に廊下に出たラーテンが、既に自室を出た後のヒューゴに声を掛ける。 「あれ? ヒューゴさん、どちらへ?」 「あぁ、レディオスが見つかったらしいから、ちょっと領主の館に行ってくる」 「では、私達も同行します」 「そうか、悪いな」 こうして、ラーテンとマリベルを伴って、ヒューゴは領主の館へと向かうことになった。 ****** ヒューゴが館に到着すると、すぐにエルネストとの謁見の間へと案内される。そこにはヒューゴに対して明らかに怯えた様子のレディオスの姿があった。最後に彼に会ったのはまだ彼が子供の頃ではあるが、明らかにその顔立ちにはその面影がある。 「申し訳ございませんでした!」 レディオスは全力の大声でそう叫び、全力の勢いで頭を下げる。そして、それに対してヒューゴが何かを口にする前に、「事情」を説明し始める。 「大聖堂への絵画の件、大変光栄ではあったのですが、色々考えて、『今の私』では、教皇庁に絵を描く資格はない、教皇庁に不名誉な汚れを残してしまうことになる、そう考えてしまい、怖くなって逃げてしまったのですが、さすがにそのまま逃げ続けるのも不義理ですので……、こうして、直接お断りさせて頂くべく、参上させて頂きました。申し訳ありませんが、このお話、辞退させて頂けないでしょうか?」 昨夜の宴におけるヒューゴの反応を見た上で、エルネストはあえてレディオスに直接話をさせる方針へと転換し、昨夜のうちにレディオスを説得して、このような機会を設けるに至ったのである。エルネストとしては「まだ技量に自信がないから」という理由を提案していたのだが、レディオスはあえて(打ち明けられる限界のところまで)「本音」を語ることにした。ヒューゴを目の当たりにした瞬間、彼を相手に中途半端な嘘でごまかすことはやめた方がいい、と本能的に察知したらしい。 「ふむ……」 訝しげな様子でヒューゴはレディオスを凝視する。昔は教皇庁に絵を描きたいと思っていた彼が、『今の私』では出来ない、と言っていることには違和感を感じるが、明らかにこれは『レディオス自身の意思』で言っているようにヒューゴには思えた。最初は誰かに脅されて、そう言わされているかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。 (何か妙だが、俺が詮索しても、どうせ言わないだろうな……) 明らかにレディオスが自分に対して萎縮しているのは分かる。そしてヒューゴは、自分が他人を萎縮させやすい気性であることも分かっている。 「資格がねえってことの理由については、言えねえってことでいいのか?」 そう問いかけたヒューゴに対して、レディオスはすぐにでも逃げ出したい心を必死で押さえながら、懸命に、可能な限り丁寧な言葉で答えようと模索する。 「私は今でも、唯一神様への信仰を捨てているつもりはありません。しかし、今の私は何が正しいのか分からなくなっているのです。唯一神様の教えに関しても、様々な解釈が存在している。そんな中で、今の私の生き方が、本当に唯一神様の教えに合致しているのか、それが見えなくなっているのです。今の私の生き方は、もしかしたら唯一神様の教えに反しているのかもしれない。そう考えると、この迷いを抱えた状態のまま、教皇庁の多くの方々の目に止まる大切な絵を担当することは、私には出来ないのです」 少なくとも、嘘は言ってない。全て彼の心の底からの本音である。仮にこの場にカイナがいたとしても、そう判断しただろう。だが、具体的なことは何も言ってない。彼にとっては、これが打ち明けられるギリギリの限界線なのである。 「じゃあ、もう一つ聞く。それは『エリンにだったら、言っていいこと』なのか?」 教皇庁に務めるヒューゴの妹のエリンとは、レディオスもある程度は面識がある。豪快な気性のヒューゴとは対照的に、エリンは繊細な人柄で知られており、彼女は混沌に対してもある程度寛容だが、そこまではレディオスは知らない。 (確かに、あのお優しそうなエリン様なら、許してくれるかもしれない。だが、それを堂々と口にして良いのか……) しばらく考えた上で、レディオスは訥々と語り始める。 「そうですね……、話す相手によって語る言葉が変わるというのは、それは不実なことですよね……」 この時、レディオスの中では、何かがふっきれたような気分になっていた。彼としては、本音は言いたくないが、嘘をつくのもよくないという心境だったのが、ここはあえて「全ての本音」を曝け出すべきではないか、という思いへと切り替わっていったのである。 「分かりました、お話しします!」 彼がそう叫んだ直後、今度はヒューゴがそれを静止する。 「相変わらず、正直者だな。お前がそれを隠していることで、俺の兄貴や妹や姪っ子に傷つくなら、黙ってはいられないんだが……、まぁ、あれだ、言えない理由があるのは分かったけど……、あー、うまく言えねえなぁ……、とにかく、お前が、もし、それを隠していることで、俺の身内に危害が及ぶことにあにったら、その時は、てめえの脳味噌を叩き潰す!」 ヒューゴとしては、別にそこまでレディオスの事情が聞きたかった訳ではない。ただ、何らかの後ろ暗い陰謀がその背後に蠢いている可能性を疑っていただけである。そして、彼のこの疑念に対しては、レディオスは再び全力の大声で答えた。 「はい! それは、どう考えてもありえません!」 「じゃあ、お前のこと信用するから。ったく、帰ってまた怒られてくるわ」 「本当に、申し訳ございません!」 レディオスは全身全霊の力を込めてそう叫び、改めて再度深々と頭を下げる。そんな彼等のやりとりを、エルネストも、マリベルも、ラーテンも、(内心では冷や汗を流しつつも)ただ黙って見守っていたのであった。 3.6. 画家との密約 一方、前日の朝から夜までひたすら交渉と魔法詠唱に忙殺されていたカイナは、既に心身共に限界だったようで、この日の彼女の扉の取っ手には、ブレトランド式の表記法で「Don’t disturb(起こすな)」と書かれた札がかけられていた。 「さすがに無茶させすぎたか。ならば、今日の交渉は俺の仕事だな」 その札を見た「フレドリク(の身体に入ったラスク)」は、ひとまずまずレディオスと話をするために、「ラスク(の身体に入ったフレドリク)」とシドウを連れて領主の館へと向かうことにした。 そして、ちょうど彼等が館の前まで来たところで、何やら複雑な表情を浮かべたヒューゴが館から出て来る。それに気付いた「フレドリク」と「ラスク」は一瞬焦るものの、今のヒューゴはレディオスの件で頭がいっぱいであったため、彼等の存在にも気付かぬまま、ラーテン、マリベルと共にそのまま通り過ぎて行く。 「世話をかけたな」 「いえいえ、こちらこそ、このような結果になってしまい、申し訳ございません」 ヒューゴはラーテンとそんな会話を交わしつつ、そのまま(イスメイアへ帰ることを前提に)ひとまず宿屋へと向かう。 そんな彼等を横目に、「フレドリク」と「ラスク」は館の中に入り、カイナから「事情」を聞いている旨をエルネストに伝えると、しばらくしてレディオスがその場に現れる。 (殺されなかったということは、何らかの妥協点は見出したんだろうな……) 「フレドリク」はひとまず彼の身柄が無事だったことに安堵しつつ、彼がカイナからある程度の事情を聞いているであろうという前提で話をする。 「立て続けにすまない。フレドリク・リンドマンだ。そしてこちらが、私の従者のラスクだ」 レディオスに対してそこまで言ったところで、今度はシドウとエルネストに視線を向ける。 「ちょっと彼と立て込んだ話がしたいので、場を外してほしいのだが、可能だろうか?」 その発言に対して、エルネストは一瞬、警戒したような表情を浮かべるが、すぐに「フレドリク」は付言する。 「彼の身の安全に関しては、私が率先して守る所存なので、その点は安心してほしい」 そう言われたことで、エルネストもひとまず同意する。もともと、この件に関しては「フレドリク」が連れてきたカイナのおかげでここまでの状況が確認出来たという事情もある以上、エルネストとしては彼からの要求に抗える立場でもなかった。 こうしてエルネストとシドウが部屋から去ったのを確認した上で、「フレドリク」はレディオスに語りかける。 「君がここでこうして生きている以上、ヒューゴとの交渉も終わったのだろう」 「はい」 「そして、君がここにいることをヒューゴも認めてくれたのだろう」 「はい」 「そうでなければ、君は無理矢理連れ去られているか、この世にいないか、だ」 「はい、その通りです。ヒューゴ様は……」 「『兄』として言わせてもらうと、彼はそこまでの考えなしではないが、そこまで考えている訳でもない」 おそらくその評価に関しては、ある程度ヒューゴのことを知っている者であれば、誰でも同意するところであろう。その上で、「フレドリク」は改めてレディオスに問いかけた。 「さて、一つ確認したいのだが、『あの本』の内容は全て読んでいるのだな?」 「はい、それはもちろん」 「であるならば、彼に協力を頼む以上、妙な憶測を立てられるよりは、素直に話した方がいいだろう」 それに対して「ラスク」も頷いたのを確認した上で、「フレドリク」は全てをレディオスに説明する。 「……なるほど、そういうことでしたか。それならば、例の『特殊な鶏の怪物』の生き血をもう一度手にいれることが出来れば、私でもその『魔法陣』を作ることは出来るかもしれないです」 「こちらとしては、君にすがるしかないんだ。君が実際にその特殊な鶏の怪物の生き血を用いてその魔法陣を描いて、それで何も起きなかった場合は、また別の方法を考えよう。その場合でも、君が責務を果たしてくれるのならば、私達が君に危害を加えることは一切ない。それは保障しよう」 「はい、分かりました。ただ、出来れば、その私と、我が妻の……、あ、いや、そこまでは言えた立場ではありませんね……」 彼の言いたいことは理解したが、それに関しては「フレドリク」も、現時点で確約までは出来なかった。 「協力の見返りとして、ある程度まで匿うことも可能ではあるが、その結果として聖印教会に目をつけられることは、こちらとしても望んでいる訳ではない、ということは理解しておいてもらいたい」 「分かりました……」 レディオスは微妙な表情を浮かべるものの、現実問題としてノルドにも投影体全般を嫌う人物はいる以上、これ以上のことは「フレドリク」には言えない。とはいえ、カイナの話を聞く限り、「レディオスの妻」は傍目には「普通の人間」にしか見えない外見らしいので、あえて積極的に他人に紹介するようなことがなければ、よほどバレることはないだろう。 その上で、レディオスは以前に「特殊な鶏の怪物」の生き血を入手した時の事情について語り始める。以前に彼がマリベルと共に討伐に赴いた先は、パルテノから見て南方に位置する山岳地域であり、その地域には昔から同じような怪物が周期的に出現する傾向があるらしい。彼が以前にこの街の蔵書室で調べた情報によれば、魔法師が混沌濃度を調整することによって、その周期を操作することも出来るという。レディオスはその情報が書かれた本の書物の名前も覚えていたので、カイナがその方法を的確に用いれば、召喚魔法師ではない彼女であっても、意図的に任意のタイミングでその怪物を出現させることも可能かもしれない。 ただ、その書物の記録によると、その地域に出現する「特殊な鶏の怪物」は時期によって大きさもバラバラで、極稀に極めて巨大な鶏が出現することもあるらしい。彼がマリベルと同行した時は、人間よりもやや小柄な怪物が数体現れていた程度だったので、彼女が連れていた一部隊だけでどうにかなったが、仮に今回、カイナの力を借りて召喚に成功したとしても、その時と同程度の個体が出現するかどうかは分からない。 そこまで告げた上で、レディオスは申し訳なさそうにこう言った。 「私は一介の画家ですので、戦力にはなりません」 「むしろ、君を連れていって死んでもらったら、こちらも困る」 「はい。それに、お二方がどれほどの方々なのかも分かりません……。あ、いや、もちろん、御高名は伺っておりますが、正直、その、政治にも軍事にも疎いもので……、仮にマリベル様のお力を『1』だとした場合、お二人のお力が『10』なのか『100』なのか『1000』なのかも分からないのです」 「だろうな。それに、現れる鶏の強さもはっきりしないのだろう? だとすると、可能な限り戦力を整えて臨むべきだろう」 実際のところ、この二人が全力の状態で本気を出せば、マリベルやラーテンが束になってかかっても叶わない程度の実力はある。だが、今の二人の状態では、本来の聖印や邪紋の力の極一部しか引き出せない。 そうなると、当然、応援を頼める者には頼みたい。とはいえ、緊急性を要する上にあまり表沙汰に出来る話でもない以上、今からノルドに援軍を求めるのは難しい。そうなると、今のこの場で頼める面々に協力を仰ぐしかないだろう。カイナの手を借りるのは大前提として、自分達と彼女だけで足りるかどうかと言われると、かなり不安ではある。とはいえ、今はどうにかして戦力を整えた上で、その方法を試してみるしかない。 「分かった。なんとかして、君の元へ鶏の血を持って来よう。その上で『魔法陣』を描いてくれる、ということでいいか?」 「はい」 「その見返りとして、少なくともその間の身辺の安全は保障しよう。そこから先に関しては、君の環境にも影響してくることだが、場合によってはノルドで保護することも検討しよう。もう一度、巻物の力が必要になることもあるかもしれないしな」 「分かりました」 こうして、「融合の魔法陣」を生み出すための三条件のうち、「巻物」と「画家」については、どうにか確保出来た。これで、残る問題は「インク(を作るための材料)」だけである。 3.7. 「明かせる者」と「明かせない者」 今の「フレドリク」と「ラスク」にとって、カイナ以外で戦力として最も頼りになるのは、間違いなくヒューゴだろう。ヒューゴに対して「魔物が現れたから、倒すのに協力してくれ」と言えば、おそらく彼は特に理由も聞かずに手伝ってくれる。ただ、何の説明も受けないまま、彼が戦場で「本来の力を発揮出来ない状態のフレドリクとラスク」を目の当たりにした場合、間違いなく不信感を覚えることになる。 更に言えば、ただ単に「混沌災害が発生したから」という理由だけで彼を連れて行ったとして、最悪の場合、こちらが意図的に投影体を出現させようとしているということに彼が勘付いてしまう可能性もある。何の説明もなくその状況に気付かれてしまった場合、聖印教会の一員として、見過ごすことは出来ないだろう。その点も含めて、事情を説明せずにヒューゴを同行させることには危険性が伴う。 しかし、それでも「ラスク(の身体に入ったフレドリク)」はあえて「フレドリク(の身体に入ったラスク)に対して、こう言った。 「だが、敵の総戦力が分からない以上、やはりヒューゴの力は必要だろう」 「……あぁ。今は、あの『劇薬』がほしい」 二人はそう覚悟した上で、ひとまず宿屋に戻り、ヒューゴの部屋へと赴く。既に帰り支度をほぼ済ませていたヒューゴは、深刻な表情を浮かべながら現れた二人からただならぬ気配を感じ取りつつ、部屋の中へと招き入れる。そして二人は、部屋の中に他に誰もいないことを確認した上で、ヒューゴに対して深々と頭を下げた。 「今まで黙っていて、すまなかった! 話して信じてもらえるかは分からないが……」 「ラスク(の身体に入ったフレドリク)」にそう言われたヒューゴは困惑するが、つい先刻似たような状況に遭遇していたこともあり、それなりに落ち着いた様子で答える。 「いや、いいよ。俺に話すと外に漏れると思ったから、黙ってたんだろ? いいよ。そのまま黙ってろ」 ヒューゴも、自分が隠し事が苦手であるという自覚はある。その上で、自分が敬愛する兄とその側近がここまでしている以上、それが「絶対に表には出せない情報」であろうことはすぐに推察出来ていた。ならば、あえてその秘密を暴こうという気はない。「フレドリク(の身体に入ったラスク)」はその配慮に感謝しつつ、改めて頭を下げる。 「すまなかった、本当に申し訳ない」 だが、「ラスク(の身体に入ったフレドリク)」は、それでもあえて、ここはヒューゴに対して秘密を打ち明けるべきだと考えた。中途半端な情報から誤った憶測に辿り着かれる危険性を考えると、むしろこの時点で全て話しておいた方が安全だと判断したのである。更に言えば、そもそも彼の中では「カイナに話したことをヒューゴには話さない」という状況が、やはり兄として、どうしても不義理に思えてしまったらしい。 それ故に「ラスク(の中に入ったフレドリク)」はあえて、ここに至るまでの「自分」と「相棒」の状況について、全てそのままヒューゴに説明した。 「……信じられないかもしれないが、そういう状態なんだ」 ヒューゴは驚きつつも、横にいる「フレドリク(の中に入ったラスク)」が完全にその話に同意している様子を見て、素直に信じることにした。わざわざ二人して、ここでそんな意味不明な嘘をつく必要性も感じられなかったのであろう。 「あぁ、よく分かった。とりあえず、その鶏退治に付き合えばいいんだな?」 ヒューゴにしてみれば、どんな事情があるにせよ、今はその怪物を倒せばいい、という話なのであれば、それ以上の詳しい説明はいらない。むしろ、自分がこれ以上余計なことを考えたところで、事態が好転するとも思えなかった。 「すまない、本当に助かる」 「フレドリク(の中に入ったラスク)」が改めてそう言って頭を下げたところで、「ラスク(の中に入ったフレドリク)」は、端的にヒューゴに「任務内容」を伝える。 「とりあえず、お前の仕事は『目の前に現れた混沌を叩き潰すこと』だ」 「あぁ。周りの雑魚は適当に片付けるから、あとは頼む」 「いや、むしろ、最終的に持ち帰る都合上、『雑魚』を残してくれた方がいいんだ。だから、お前は、より厄介そうな敵から先に倒してくれ」 「なるほどな、了解した」 こうして、「フレドリク」と「ラスク」は、現時点において手に入れられる最強の戦力を、無事に確保することに成功したのであった。 ****** その上で、今度は彼等は自分達の護衛を務めているシドウにも協力要請を伝える。あまり現地の人々の力を借りるのは望ましい話ではないが、一方で猫の手でも借りたいというのが今の本音ではあるし、そもそもこの状況で「客人が勝手に村の近くの投影体の討伐を始めようとしている」となれば、彼が何もせずに黙ってその状況を見過ごしてくれる筈もない。 とはいえ、あまり詳しい事情を話したくない「フレドリク」としては、ひとまず「『特殊な鶏の怪物』を生け捕りにする作戦に協力してほしい」という話だけを伝える。だが、それに対して、シドウは怪訝そうな顔で問い返す。 「……鶏の血を手に入れた上で、巻物に何を描くつもりですか?」 このシドウの返答から、どうやら彼も夢巻物のことを知っているらしい、ということを理解した「フレドリク」は(まだカイナが就寝中であったため、彼がどこまで知っているのかを確認出来なかったこともあり)、言葉を濁しながら説明しようとする。 「少なくとも、レディオスの許可は得た。あくまでも、彼が『描いてもいい』と判断したものを描いてもらうつもりだ」 つまり、彼を脅して私利私欲のために使おうとしている訳ではない、という意図を伝えようとしたのだが、昨日の時点でカイナから散々「危険性」を強調されていたシドウとしては、それでも引っかかるところではある。 「それならば、彼がその血を用いて『何か』を描く現場に、立ち会わせてもらえますか?」 街の安全を守る警備隊長としては、そこまで要求するのも当然の権利であり、義務でもある。そして、さすがにそこまで言われたのならば、「フレドリク」としてもこれ以上の隠し立ては不可能と判断し、目線で「ラスク」に対して「話した方がいいか?」という目線を送ると、「ラスク」は頷きながら答える。 「そもそも、あの巻物自体、彼等が見つけてくれたものだしな」 相棒の許可を得たことで、「フレドリク」は改めてシドウにも一通りの事情を(極力、この話を広げないように、と釘を刺した上で)説明する。当然、シドウは困惑した。 「ということは、こちらの『身体がフレドリク様』の方が、『心はラスク殿』で、そして……」 彼が「ラスクの身体」を指した時点で、「今のその身体に宿っている魂」が答える。 「あぁ、私の方がフレドリクだ。と言っても、初対面の君からしてみれば、どちらでも大差はない話であろうが」 「そうなると、その、私としては……」 シドウは言いにくそうな表情を浮かべながら、言葉を選びつつ、話を続ける。 「……どちらもお守りしたい、という気持ちはあるのですが、その……」 この時点で「ラスク」は、彼の言いたいことに気付く。 「あぁ、どちらを優先すべきか、という話か」 シドウは「フレドリクの護衛」を命じられている。故に、この状況においては、確かにそれは悩ましい問題であろう。それに対しては「フレドリク」と「ラスク」が、それぞれに答える。 「それについては、基本的には『私』が危機になった時は『下の龍』が庇う。そのことを踏まえた上で、状況を見ながら判断してくれればいいし、他の面々を優先的に守ってくれてもいい。俺の『龍としての身体』は無駄なまでに丈夫だからな」 「今まで君は多くの人々を守ってきた立場である以上、戦場において、どちらがより危険な状態にあるかの判断力は、君の方が高いだろう。だから、君の判断を信用する。もちろん、我々だけでなく、ヒューゴやカイナを優先的に守ってくれて構わない」 現実問題として、仮に鶏型怪物の大群との乱戦状態になった場合、「フレドリク」や「ラスク」よりも、まず優先的に守るべきは、自衛の手段を殆ど持たないカイナであろうし、状況によっては無闇に敵陣の中央に突入しかねないヒューゴを優先的に守った方が良いこともあるだろう。その辺りの状況判断に関しては、歴戦の警備隊長に委ねることにした。 ****** 一方、イスメイアに帰ろうとしていたヒューゴが、突如として「鶏退治に行く」と言い出したことにマリベルとラーテンは当然驚くが、そう言われた時点で、この二人が採るべき道は明白であった。 「そういうことなら、行かなきゃいけないわね」 「なんかよく分からないけど、そうだな。脅威は退治しなきゃいけないし」 二人はあっさりとその方針で一致した上で、ラーテンは同じ宿屋に泊まっていたシドウにもその旨を伝える。この時点でシドウは、ラーテンには「鶏退治の目的」が伝わっていないことを察しつつ、かと言って自分の一存でフレドリク達の事情を話す訳にもいかないため、ひとまずは一点だけ、釘を刺すべきところは刺しておくことにした。 「ラーテン殿、今回の戦いでは、全ての鶏にとどめを刺すのはまずいそうです」 「どういうことだ? その鶏の怪物は脅威なんだろ? だったら、とどめを刺さないと、また襲って来るかもしれないじゃないか」 全くもって正論なのだが、この世界の投影体は、絶命した時点でこの世界から消滅してしまうため、「鶏の血」を手に入れるには、生かした状態で捕獲した上で生き血を抜き取る、という精密作業が必要となる。ひとまずシドウとしては、なんとか意図をごまかしつつ、その作戦の目的を理解してもらうしかない。 「今後の対策のために、生け捕りにする必要があるらしいので」 「あぁ、そういえば、前にマリベルもそんなことを言ってたな……。了解。そういうことなら、やりすぎないように気をつけよう」 こうして、ラーテンとマリベルには「フレドリク達の事情」も「夢巻物の存在」も一切知らされないまま、二人ともなし崩し的に合流することになった。 ****** やがて、昼過ぎまで熟睡したことで気力と体力を全快させたカイナが目を覚ますと、「フレドリク」は彼女に午前中の諸々の出来事を説明した上で、レディオスが所蔵庫で見つけた「パルテノ南部地方の混沌濃度を調整する手法」が記された書物を手渡す。カイナがその内容を確認したところ、どうやらあの区域は特定の場所でタイミングを合わせて混沌濃度を上下させることによって、件の「特殊な鶏の怪物」を出現させることが出来るらしい。 それが人為的に(数百年前の魔法師によって?)構築された仕掛けなのか、それとも偶然に発見された法則性なのかは不明であるが、もしここに書かれている内容が本当であれば、確かに最後の条件である「インクの原料となる鶏の生き血」を手に入れる道も開けそうではある。 意図的に混沌災害を引き起こすということは、エーラムの理念としても、パンドラ均衡派の理念としても、あまり望ましい手法ではないのだが、今のカイナにしてみれば、前者の立場としても「契約相手の父を救うため」ということであればそれなりの免罪符となるし、後者の立場としても、首魁であるマーシーから「フレドリクの身を守れ」という厳命が下っている以上、この状況で協力を拒む理由はなかった。 3.8. 巨大鶏 そしてこの日の夕方、「フレドリク」、「ラスク」、カイナ、シドウ、ヒューゴ、ラーテン、マリベルの七人は、「以前にマリベル隊が鶏の怪物と遭遇した場所」へと足を踏み入れた。カイナが「近辺の気配を探知する」という名目で他の人々から離れた上で、書物に記されていた複数の場所で指定通りの混沌濃度を上下させてみると、確かに「以前にマリベル達が遭遇した場所」で、複数の投影体が収束する気配を感じ取る。 だが、遠方からその様子を確認していたマリベルは、驚愕の表情を浮かべる。 「な、なにあれ!? 私が前に来た時は、あんなのいなかったわよ!」 彼等の視界に現れたのは、無数の「人間よりやや小さな『小型の鶏の怪物』」と、数体の「長身の人間(ヒューゴ)よりも大柄な『中型の鶏の怪物』」と、一体の「少なくとも二階建て以上の建物並の体高の『巨大な鶏の怪物』」という、なんとも不気味な集団であった。 いずれも外見の形状そのものは(オリンポス界のコカトリスなどとは異なり)通常の鶏と大差ない(下図)。だが、彼等の目はどこか不気味で、目の前にいる武装した人間達を蔑んでいるようにも、挑発してるようにも見える(なお、以前にマリベルが討伐に来た時は「小型の個体」が数体程度現れていただけだったらしい)。 最初に動いたのは、その中央に鎮座する巨大な鶏であった。彼(?)は具現化と同時に、その巨大な嘴の奥から不気味な鳴き声を叫ぶ。それが明らかに人体に対して悪影響を及ぼす音波であることを察した「ラスク」は、瞬時に自身の「龍」としての身体を防壁のように広げて皆を庇うことで、彼以外にはその音波が届く前に遮断することに成功するが、その直後に「ラスク」の身体は完全に石のように硬直してしまう(それは、一般的なコカトリスがもたらす「石化」と同等以上の効果であった)。 しかし、「ラスク」は即座に自分自身の硬直した身体の外皮を内側の筋肉を用いて弾き飛ばすことで、身体の自由を取り戻す。これは、いわば自らの身体の一部を自ら破壊する程の荒技であり、通常の人間であれば、その痛みに耐えられず即死する程の激痛が「ラスク」の全身に走るが、「ラスク」はそれでも平然とした状態で仁王立ちしつつ、その身体を完全に「龍」へと変化させ、その背に「フレドリク」を乗せる。 (俺の身体は、その程度で壊れたりしない。そうだよな、相棒) 「フレドリク(の身体に入ったラスク)」が内心でそう呟く中、今度はカイナが自陣営の面々に対して敵の先手を打って踏み込めるタイミングを的確に指示しつつ、彼等の突入の直前に鶏達が集まっている空間そのものを一瞬だけ切り取り、その内側に高周波共鳴を引き起こすことで、高熱と紫電を走らせる。これは時空魔法の中でもかなりの大技であり、その発動にはカイナも苦戦したが、どうにか無事に成功し、鶏達の身体は激しく損傷する。だが、それでも彼等はまだ倒れずに、人間達に対して闘志を向け続けていた。 そしてこの時、「フレドリク」はカイナの身体から「懐かしい気配」を感じる。より正確に言えば、それは彼の魂に憑依した状態にある「天威星」の記憶への共鳴であった。 (そうか、彼女が……) 「フレドリク」はそのことに気付きつつも、まずは目の前の脅威を排除することを優先し、カイナの指示したタイミングに合わせて、「ラスク」に乗った状態で、鶏達に向かって激しい足音を響かせながら走り込んでいく。 (えぇ!? 飛ばないのかよ!) その様子を見ていたラーテンは、思わず内心でそう叫ぶ。彼の中では龍とは「空を飛ぶ巨大な蜥蜴」であり、実際に「ラスク」の身体には翼も生えていただけに、その光景には強烈な違和感を感じてしまう。無論、「本来のラスク」であればその翼を生かして空を飛ぶことも可能なのであるが、「今のラスク」の中にいるフレドリクの魂では、ラスクの邪紋の力を完全な形で発現させることは出来ず、翼を動かす力までは使いこなせていなかったのである。 (飛ばない龍は、ただの蜥蜴だろ……) 無論、そんなことを思っていても、口に出せる筈はない。そして実際のところ、本来の力の一部しか発揮出来ない状態でありながらも、「ラスクに騎乗したフレドリク」の実力は到底「ただの蜥蜴」などと呼べる程度の代物ではなかった。彼等は巨大鶏の眼前まで踏み込むと同時に(「フレドリクの聖印」によって強化された)「ラスク」の口から強大な火炎流を放ち、既に満身創痍になっていた小型の鶏達の大半を焼き払い、まだ余力を残していた巨大鶏や中型鶏達にも大打撃を与える。 そんなフレドリクに合わせてマリベルもまた敵陣へと切り込んでいく中、重装備に身を固めたヒューゴは(事前に頼まれていた通りに)一番厄介そうな巨大鶏へと自ら斬り込もうと目論見ながらも、自分の足では一気にそこまで駆け抜けることは難しいということを実感し、表情を歪ませる。そんな彼の表情を瞬時に読み取った「接待係」のラーテンは、ヒューゴに小声で伝える。 「飛びますか?」 この時、ヒューゴは昨日のラーテンが用いていた物体浮遊の魔法を思い出す。 「出来るのか?」 「えぇ。任せて下さい」 ラーテンはそう言うと、静動魔法でヒューゴの身体を宙に浮かせる。自分の身体が急激に身軽になったことを実感した彼は、すぐさま巨大鶏(およびその周囲の中型鶏)へと向かって駆け込んだ上で長斧を振り回し、その刃の直撃を受けた鶏達は激しいうめき声を上げるが、それでもまだ彼等は倒れない(そしてこの時点で、「フレドリク」はラーテンとヒューゴからも「星の記憶」による共鳴を感じ取っていた)。 その直後、今度は更に立て続けにカイナが時空魔法師固有の特殊な能力を用いて、「フレドリク」の周囲の時間の流れを操作する。 「今です! もう一撃、お願いします!」 カイナによって本来の時空の流れを無視した動きが可能となった「フレドリク」は、即座に巨大鶏に向かって特攻して鋭く槍を突き刺すが、まだそれでも巨大鶏は倒れそうな気配すら感じさせない。 そして、直後に巨大鶏は自身の「飛べない翼」を羽ばたかせて突風を起こすことで、後方にいたカイナ、ラーテン、シドウを吹き飛ばそうとするが、カイナが次元断層を作り出してその勢いを緩和させつつ、シドウがシドウが身を以てカイナを庇う。一方、ラーテンはその衝撃を静動魔法師固有の力で和らげつつその身に受け、その上でその風圧の一部を巨大鶏に対して跳ね返す。 そして、この時点で生き残っていた中型の鶏三羽は「ラスクに乗ったフレドリク」とヒューゴに襲いかかろうとするが、「ラスクに乗ったフレドリク」は反射的にその場から離脱した結果、ヒューゴが一人でその三羽による鋭い嘴によって集中攻撃されてしまう。この時点で、シドウが走り込んで守るには距離が開きすぎており、カイナやラーテンの魔法の射程範囲からも外れていた結果、誰もヒューゴを守ることが出来ず、鶏の猛攻を一身に受けたヒューゴは、その場に倒れ込んでしまった。 (しまった! 俺が残って、鶏の攻撃を分散させるべきだったか……) 「フレドリク」がそう悔やむ一方で、シドウもまた、(自分の直接的な護衛対象ではないとはいえ)ヒューゴを守れなかったことに激しく動揺するが、現実問題として、シドウがヒューゴを守れる位置にいた場合、先刻の巨大鶏の突風によってカイナは命を落としていた以上、状況的にこれはシドウの手では防ぎようのない事態であった。 (大丈夫、まだ息はある) ラーテンは遠目にそのことを確認した上で、すぐさま回復魔法をかけようと試みるが、その前に巨大鶏から二度目の突風攻撃が彼等に向かって放たれる。これに対して、カイナは神がかり的な動きでその風圧の死角へと逃げ込む一方で、シドウは今度はラーテンを庇うことでその身を激しく消耗させつつも、そこから自身の破損した身体の一部に混沌の力を込めて巨大鶏に対して弾き返し、その禍々しき呪いのような力によって、遂に巨大鶏は混沌核を破壊され、彼等の目の前から消滅していく(そして、このシドウから放たれた特殊な力に対しても、「フレドリク」の中の天威星は反応していた)。 その直後、ラーテンは即座にヒューゴに回復魔法をかけて起き上がらせ、その間に生き残っていた小型・中型の鶏達はマリベルと「ラスク」によって次々と倒されていく。そして、最終的にはかろうじて生き残っていた中型鶏を全員で取り囲んで瀕死の状態まで追い込んだ上で、どうにか生きたまま捕獲することに成功したのであった。 3.9. 目覚めゆく星々 こうして、無事に中型鶏の捕縛に成功した彼等は、主にマリベルとヒューゴの手でその場に残っていた鶏達の混沌核を浄化しつつ、事前に用意していた台車に中型鶏を縛り付けた上で、パルテノへと帰還の途に就こうとする。 だが、「フレドリク」はこの時点で、「話すならば今しかない」と決意した上で、彼等に対して「大毒龍の復活」と「百八の星核」の話を告げることにした。 「すまない、今から少し、話をさせて欲しい」 この話については、極力広めないようにという通告をされている。その意味において、星の力を感知出来なかったマリベルがいる前で話して良いものかどうかは判断が難しいところではあったが、彼女の契約魔法師であるラーテンから「星の力」を感知した以上、いずれ彼が戦いに赴くことになるのであれば、その契約相手であるマリベルにもそのことを理解してもらった方が良い、という思いもある。 そして実はこの場にもう一人、「星の力が感知出来なかった人物」がいる。「ラスクの身体に入ったフレドリク」である。自分とはまた別に彼にもその力が宿っている可能性はありえたが、間近で見ていた彼の魂が邪紋を用いている時にも、その力は感じられなかった。とはいえ、いずれにせよ彼と今後も行動を共にすることになる以上、その「相棒」に話を通さない、という選択肢は最初からありえなかった。 ****** 「……ということで、この世界を救うために『君達四人』にも、この『星核』を作り出してほしい」 「フレドリク」は一通りの話を伝えた上で、ヒューゴ、カイナ、シドウ、ラーテンの四人に対してそう告げつつ、彼等の目の前に自らの「青白い光を放つ星核」を出現させる。聞かされた彼等は当然の如く困惑するものの、ノルドの重鎮である「フレドリク」が、このような突拍子もない話を意味もなく話すとも思えない以上、半信半疑ながらも、真剣にその話に耳を傾け続けた。 そして話を終えた時点で、最初に口を開いたのはシドウであった。 「その話が本当だとすれば、一刻も早く、他の人々を探すべきなのでは?」 シドウがそう考えたのは、先刻の戦いの際に、あやうくヒューゴを死なせかけてしまった、という記憶が鮮明に残っていたからである。いかに屈強な聖印や混沌の力を持つ者であろうとも、一歩間違えばいつ命を落とすか分からない、ということを改めて痛感した彼は、残りの百人以上の人々が、力を覚醒させる前に命を落としてしまう可能性を危惧していたのである。 「あぁ、その通りだ」 「フレドリク」は即答する。その上で、皆がその「星核」を覚醒させるにはどうすれば良いのか分からずに困惑する中、天威星が再び「フレドリク」に声を掛ける。 《あなたの身体と触れることで、他の人々の心の中の星核も目覚める筈です》 改めてそう言われた「フレドリク」は、まずは「身内」であるヒューゴに近付き、そして彼の心臓部分に手を当ててみた。すると次の瞬間、ヒューゴの身体の中に「何か」が駆け巡り、そして彼の脳裏に(「フレドリク」の中の天威星と同じような)「声」が聞こえてくる。 《あなたの望む未来を想像して下さい》 ヒューゴは困惑しつつも、先刻の「フレドリク」の話の中で、説明されていた「四百年前に現れた大毒龍ヴァレフスの再来」という言葉から、その時に戦った「英雄王エルムンド」のことを知る者が「自分の頭上」にいることを思い出し、おもむろに自分の被っている「聖兜アーウィン」を軽く叩いてみる(この兜の正体についてはブレトランドの光と闇6を参照)。 (四百年ぶりだな、この感覚……。これはまさに、英雄王エルムンド様と、そして彼と共に戦った七人の騎士達から感じられた力だ……) 兜からそんな感慨が伝わってきたところで、ヒューゴは改めてこの「今の自分の中に流れ込んできた力」が「本物」であることを確信する。その上で、彼はその「本物」の声に対して、心の中で「答え」を模索する。 (俺が望む未来か、そうだな……、俺は家族が幸せなら、それでいい) ヒューゴの脳裏でその考えがまとまった瞬間、彼の目の前に青白い星核が現れる。そしてこの瞬間、彼の来世である「天慧星」が天空に蘇ったのであるが、まだ陽が完全に落ちきっていない今の時点では、その星の輝きに気付く者は誰もいない。 だが、少なくとも目の前で同じように「星核」という未知の力が生み出されるのを目の当たりにしたことで、それまで半信半疑だった他の面々の意識は明らかに変わる。 (本当の話だったんだ……) ラーテンは内心でそう呟きつつ、ひとまず、無言で「フレドリク」の前に差し出し、握手をするように右手を差し出す。すると、「フレドリク」も素直にその手を握り返し、そしてラーテンの身体の中に、彼の来世である「地威星」の声が響き渡る。 《あなたの望む未来を想像して下さい》 それに対して、ラーテンは素直に自分の中の想いを心の中でまとめようとする。 (俺はバカだから、難しいことは分からないけど……、皆が笑っていられる世界がいいんじゃないかな) 彼が心の中でそう願った直後、(彼の改造制服と同じような色の)赤い星核が彼の前に現れる(なお、「フレドリク」や「ヒューゴ」との「色の違い」については、この時点で特に言及する者は誰もいなかった)。 その様子を確認した上で、今度はシドウが、自らの掌を「フレドリク」の前に差し出すと、「フレドリク」も自らの掌を彼に合わせる。そして同様の声がシドウの心に響き渡る中、彼も彼で自分の中に眠る(日頃はあまり表に出さない)本能的な感情を呼び起こそうとする。 彼の中で最初に思い浮かんだのは、一年以上前にコートウェルズで再開した時の、異父妹ソニアの笑顔であった。 (ソニア、結婚していたんだな……) そんな直近の出来事思い出しつつも、今の自分にとっての「最も優先すべき願い」は何か、ということを改めて問い直す。 (妹には幸せになってほしい。だが、もっとそれ以上に今は……、自分が仕えているアントリアの人々を守っていきたい) 既に自分とは異なる道を歩んでいるソニアへの肉親としての感情とは別次元で、「今の自分」として目指すべき未来はそこにある、という決意をシドウは固めた。その直後、彼の目の前にはラーテンと同じ赤い輝きを放つ「地英星」の星核が現れる。 こうして三人が自身の「星核」を覚醒させていく中、「フレドリク」から「星核の前世」として認定されなかったマリベルは、そのことに対して微妙に納得いかない様子で、やや俯き加減に独り言を呟いていた。 「どうして私じゃないんだろう……、私ならきっと、ラーテンと同じかそれ以上に、皆の役に立てるのに……」 その答えは誰にも分からない。誰が「該当者」なのかについては、天威星達自身も含めて、誰一人としてその因果関係が推察出来ないのである。そして、口にこそ出さないものの、「ラスクの身体に入ったフレドリク」もまた同じ想いを抱えていた。 一方、カイナは彼等に「星核の力」が伝授されている間に、密かに時空魔法師特有の能力を用いた上で、「世界の行く末を知りたい」という彼女自身の強固な信念の力に基づいて、「これらの『星』がもたらす世界の未来」を予見した結果、最終的にはそれが「世界の救済」に繋がるという結論に至っていた。その上で、カイナもまた一歩ずつ、静かな足取りで「フレドリク」へと近付いていく。 「色々と思うところはありますが……」 そう言いながら、彼女は「フレドリク」の腕の部分に手を伸ばす。 「失礼致します」 彼女がそう告げると同時にその指先が「フレドリク」の腕に触れると、彼女の中にも同じように「理想の未来」を問いかける声が聞こえてきた。それに対して、彼女は心の中でも淡々とした口調で答える。 (私は『あの方』の行く末を見たい。その行く末が『私の満足のいくもの』なら、それで構わないし、『あの方が言った通りのもの』なら、問題はない。もし、そうでないのなら、私の身をかけてあの人を滅ぼすだけだ。私はそれを成し遂げられればいい。それ以外はどうでもいい……) カイナのその静かな決意は、彼女の来世である「地軸星」の星核として、赤みを帯びた輝きと共に出現する。こうして、この場に集まっていた「四つの眠れる星々」は、揃って再びこの世界に現出することになったのである。 そして、この間にようやくマリベルも自分の気持ちを整理出来たようで、ラーテンに対して笑顔で声を掛ける。 「まぁ、私が選ばれなかったんなら、それはそれで仕方がないわね。私の分まで、あんたが世界を救ってきてよ」 「あぁ、任せろ」 二人のそんなやりとりを微笑ましい目で眺めつつ、「ラスク(の身体に入ったフレドリク)」もまた、相棒に語りかける。 「私も今ひとつ納得出来ていないところはあるが、その星核の魂がお前に共鳴したというのなら、私ではなく、お前がその百八人の一人ということなのだろう。それは今更言っても、致し方のないことなのだろうな」 「とはいえ、世界を救うための戦いということであれば、必ずしも百八人だけで問題にあたる必要はない。場合によっては、他の人々の力を借りることもあるかもしれないだろう」 「そうだな。私にも出来ることがあるのであれば、可能な限り、尽力させてもらおう」 もっとも、今の「この二人」にとっては、まずは世界の前に「自分達自身の現状」を解決する道を探る必要がある。そのことを改めて実感しつつ、七人は「台車に縛り付けた瀕死の中型鶏」と共に、パルテノへと向けて下山していくのであった。 4.1. 融合の魔法陣 パルテノへと帰還した彼等は、人目につかないように鶏の投影体を町の郊外に配置した上で、その地に屠殺業者を密かに招聘した上で、「採血作業」をおこなった。当然、日頃は「通常の動物」しか捌くことのない一般の屠殺業者にしてみれば、その作業は狂気を喚起させるほどの恐怖であっただろうが、幸いにも身体の構造自体は「通常の鶏」あまり変わらなかったようで、一般的な血抜き作業と同じ手際で、どうにか大量の「生き血」を確保するに至った(その後、鶏はマリベルの手で丁重に浄化された)。 そして、その大量の「生き血」をエルネストの地下工房へと(誰にも知られないよう密かに)運んだ上で、レディオスは以前と同様の手法で「特殊なインク」を作成し、夢巻物を広げ、『紅蓮の姫と紺碧の翼』に描かれていた魔法陣を、そっくりそのまま描き写す。 すると、完成と同時にその巻物から浮き出るように、工房の床に「魔法陣」が現れた。慎重にカイナが見守る中、「フレドリク」と「ラスク」はその魔法陣の上に立つと、二人の体は一つに融合していく。それは確かに、『紅蓮の姫と紺碧の翼』にて描写されていた、アガーテとハインツの融合の状況と瓜二つの様相であった。 こうして、心と身体が入れ替わっていた「フレドリク」と「ラスク」は、今度は「一人の人間」として、「一つの身体の中に二つの魂が宿った状態」となる。そして、書物に書いてあった通り、その「一つの身体」の形状は、二人の魂が同意することによって、「聖印を持つフレドリクの姿」にも、「邪紋を持つラスクの姿」にも変化可能という、極めて複雑な状態の「融合人間」が発生することになったのである。 その上で、それぞれの身体の使い勝手を試してみた結果、「ラスクの身体」の状態だと、その身に宿った邪紋が「フレドリクの魂」に一定の負担をかけることが判明したため(逆に言えば「フレドリクの身体」であれば、どちらの魂にも悪影響を及ぼさなかったため)、当面は「フレドリクの姿」を表に出した上で、まだ魂の疲労が残っている「フレドリクの魂」をその身体の中で休眠させることにした。つまり、今後しばらくは「ラスクの魂主導で、フレドリクの身体を動かす状態」で、次の課題である「分離の魔法陣」の情報を探すことにしたのである。 その上で、フレドリク(の魂)が語っていた「聖印からの龍創成」に関しては、ひとまず地下工房を出て、再びパルテノ南方の人通りの少ない山岳地帯で試してみたところ、どうやら彼の目論見通り、「フレドリクの聖印」から「戦場での乗騎として耐えうるほどの龍」を生み出すことに成功する。とはいえ、さすがにそれは「邪紋から作り出した模倣龍」としての「本来のラスクの力」には到底及ばない。 「……今のところは、これくらいが限界だな。これ以上の力を持つ龍は、今の私の聖印では作り出せない」 フレドリクの魂はそう呟く。だが、それでも当初の想定に比べれば遥かにマシな状態にはなりつつある。もし、「本格的な龍の力」が必要になった場合は、今度は「ラスクの身体」へと変身した上で、邪紋の力で龍の姿になれば良い。とはいえ、フレドリクの魂への負担を考えると、それはまだ現状ではあまり多用すべき手段ではないように思えた。 いずれにせよ、最悪の事態からはひとまず免れたことで、フレドリク(の身体に入った二人の魂)はレディオスに改めて感謝の意を告げる。そして、まだここから「分離の魔法陣」を作り出す必要がある都合上、少なくとも当面は、レディオスの身柄はエルネストの下で丁重に保護してもらうことになった。 4.2. 港町の守護者達 「いやー、さっきは世界を救うことに関して、任せろとは言ったけど、何をどうすればいいか、さっぱり分からないんだよな……」 一通りの仕事を終え、パルテノへと帰還したところで、ラーテンはマリベルに対してそう呟いた。実際、それに関しては、シドウも、カイナも、ヒューゴも、そして「フレドリク」もまた同じである。ここから先、具体的に何が起きて、それに対してどうすれば良いのか、誰一人として明確なことは分かっていない。 「まぁ、その時が来るまで、まだ俺とお前は二人で一人だ」 改めてラーテンにそう言われたマリベルも、笑顔で答える。 「そうね。最終的に、どういう形の戦いになるかも分からないし。さっきも言ったけど、私にだってやれることがあるなら、出来る限りは手伝うから」 ちなみに、この二人は最後まで「フレドリク」と「ラスク」の正体については聞かされていない(そして当然、上述の融合魔法陣の生成にも関わっていない)。もし、あの「二人」の現状を聞かされていた場合、ラーテンが言うところの「俺とお前は二人で一人」という言葉から想起されるイメージも若干変わっていた可能性はあるのだが、幸か不幸か、最後までこの二人は彼等の問題に対しては「蚊帳の外」のままであった。 ****** シドウは、ようやく一通りの仕事を終えたところで、ソニアに改めて謝罪の手紙を書く。結婚式に参列出来なかったのは、あくまで郵便事故のせいであって、決して彼女のことを軽んじている訳ではないという旨を、(あまり手紙自体が得意ではないシドウであったが)心を込めて文字にしたためる。 その上で、彼は改めて「おめでとう」「幸せになってほしい」という気持ちを伝えた手紙を書き終えたところで、再びクレハが彼の前に現れた。 「隊長さん、手紙書けたんですか? じゃあ、私が一緒に出してきますね」 「あぁ、よろしく頼む」 シドウはそう言って彼女に手紙を託し、そして改めて、今の自分が守っていくべきこの町の警護の任へと戻るのであった。 ****** 「お前には、これから先も私の地下工房での創作活動に従事してもらう。少なくとも当面の間は、私の許可なくこの町を離れることは許さない」 それが、パルテノの領主エルネストからレディオスに下された「処罰」であった。書物の長期貸出の件はともかく、危険な魔法具を勝手に持ち出した件までもが実質的に不問に付されるというのは、常識的に考えれば寛大すぎる処遇だが、そもそも「危険な魔法具」の存在自体を公にすべきではないと考えた結果、レディオスには今まで通りにココナと共に「一人の画家としての生活」を送り続けてもらうことが、周囲に不信感を与えないという意味では妥当な措置であろうと考えたのである。 その上で、ひとまず夢巻物に関しては「当面は『フレドリク』に預ける」という判断が下された。その力が極めて強大であるからこそ、「画家およびインク」と「巻物」は別々の人物が管理した方が良いだろう、というのが、エルネストと「フレドリク」の判断である。本来の夢巻物の管理人であるゴーウィンには(その巻物の正体を告げぬまま)「例の巻物は私が持ち出した上で、ノルドからの客人に貸し出した」とだけ告げた。 なお、エルネストには「フレドリクが本を必要としていた理由」については最後まで知らされていないし、現時点でもまだフレドリクがまだ巻物を必要としているということも知らない。真相を聞かされているレディオスもシドウも、主君に対して重要な情報を秘匿するのは不義理と思いつつも、フレドリク達の事情を慮った上で、あえて黙っていた。 そしてもう一人、カイナ経由で真相を知っているパンドラ均衡派の間者であるアニーもまた、当然、そのことを誰かに漏らすつもりは毛頭ない。こうして、奇妙な情報格差が主従間で発生していることには大半の人々は気付かぬまま、パルテノの町はこれ以降も当面は平和な日々を謳歌することになるのであった。 4.3. 不倶戴天の仲間 一方、教皇庁への帰り支度を終え、イスメイア行きの船に乗り込もうとしていたヒューゴは、その直前に、宿屋の前で遭遇したカイナに声を掛ける。 「ちょっと、いいか?」 「なんでしょう?」 カイナにしてみれば、既に今回の一件が解決した今、今更(苦手な)ヒューゴと話すこともないと思っていたので、わざわざ彼の方から声をかけてくるというのは、少々意外であった。 「これから、どうするんだ?」 「これからですか?」 「兄貴についていくのか?」 「えぇ。まだご案内しなければならないところがあるので」 現状、「分離の魔法陣」に関する手がかりがブレトランドにあるかどうかは分からないが、それとは別次元で「ブレトランドに出現する大毒龍」と戦うための仲間を集めるためにも、おそらく、まだ当面は彼等にはブレトランドに逗留し続けてもらう必要があるだろう。そうなると、アントリア(およびグリース)に顔の利くカイナの存在は、確かに重要である。 「まぁ、正直、お前のことは『得体の知れない奴』だとは思ってたけどよ……」 「そうかもしれませんが、今は誠心誠意お仕えしておりますので、そのあたりは信用して頂くしかないかと」 淡々とカイナがそう語るのに対し、ヒューゴは唐突に頭を下げる。 「その言葉を信じる。兄貴のことをよろしく頼む」 彼が魔法師に対してこのような態度を取ることは、極めて珍しい。その異例な態度に一瞬間を開けつつも、カイナはあくまでいつも通りの調子で答える。 「えぇ、わかりました。私がお仕えしているのはカタリーナ様ですが、カタリーナ様の命令で、御父上様をお助けするように言われておりますので、私の全力を尽くさせて頂こうと思います」 淡々とそう語ったカイナに対して、頭を上げたヒューゴの表情は露骨に歪んでいた。 「……やっぱり、お前、苦手だわ。もうちょっと、腹の底を見せろや!」 「そうでしょうか? 私としては、十分見せられるものは見せていると思いますが」 「あー、やっぱり、頭のいい奴は嫌いだわ。まぁ、とにかく、お前しか頼れねぇ。いや、お前だけじゃないかもしれないが、今はお前が一番頼れると思ってるから、よろしく頼む」 「えぇ。あなた様のお兄様を、私が支援出来る限りは支援させて頂きます」 最後までカイナは自分のペースを崩さないまま、港に向かって去って行くヒューゴの後ろ姿を見つめつつ、誰にも聞こえない程に小さな声で、自分の腹の底に眠る「本音」を口にする。 「あなたのその『優しさ』は、きっと家族や身内に向かうものなのでしょう。それは理解出来ます……。でも、あなたはきっと、『その優しさを向けない人達』に対しては、遠慮なく刃を向ける。それはきっと暴君と同じ……。だから私は、あなたが嫌いだ。力があるからと言って、全てを通せる訳ではない……」 そんな独り言を呟きながら、カイナは踵を返して「フレドリク」の元へと向かって行った。 4.4. 二つの手がかり その後、改めて時空魔法を駆使して「分離の魔法陣」に関する情報を探ろうとしたカイナであったが、なかなか手がかりを掴めない。そこで、今度は『紅蓮の姫と紺碧の翼』と『夢巻物』に関して、それぞれに関連する情報を集められそうな方法を探ってみたところ、二つの候補地が浮かび上がった。それは「マージャ」と「ラピス」という、それぞれアントリアの北東と北西に位置する村であった。 「え? マージャ村?」 マージャ村とは、形式的にはアントリア領でありながらも、実質的にはノルドの軍楽隊長であったレイン・J・ウィンストンが治める「音楽の村」であり、彼女のことはカイナも知っている。そしてレインは、ヒューゴとはまた違った意味で、カイナにとって「苦手な人物」であった。 その「予言」の結果を聞かされたフレドリク(の中にいるフレドリクの魂)は、カイナに対してこう告げる。 「それなら『私』がラピスに向かうことにしよう。マージャはお前に任せる」 「え? 私がマージャなんですか?」 「手分けして探した方がいいだろう?」 「えぇ、それは理解しますが、私がマージャなんですか?」 どうやらカイナとしては、あのレインという風変わりな領主には関わりたくないらしい。 「まだマージャの方が、こちらの所領である分、お前としてもやり易いだろう」 「それはそうですが、私はしばらくアントリアにいた訳ですし、むしろ私の方がどこでも顔は通じる訳ですから、フレドリク様の方がマージャに向かうべきでは?」 とはいえ、カイナも別に(もう一つの候補地である)ラピスに対して特に人脈がある訳ではない。ラピスの領主であるルーク・ゼレンは「ヴァレフールからの出戻り」という特殊な経歴の持ち主であり、アントリア内においても(ある意味ではレインと同等以上に)「浮いた存在」であった。その意味では、カイナが行っても、フレドリクが行っても、あまり大差ないだろう。 それに加えて、フレドリクがカイナをマージャに派遣すべきと考えたのは、そちらの方が「分離の魔法陣」を探す上では「本命」のように思えたからである。カイナの予言によれば、『紅蓮の姫と紺碧の翼』に関わる何かがあると思われるのがマージャであり、『夢巻物』に繋がる情報が眠っていそうなのがラピス、ということだったので、直接的に魔法陣の情報に関わりそうなマージャの方に、より探索能力に長けたカイナを派遣した方が良い、と判断したのである(逆に言えば、夢巻物関連の方がより危険性が高そうに思えたからこそ、そちらには自分が向かうべき、という判断でもあった)。 こうして、カイナの抵抗もむなしく、彼女は傾奇者君主として知られるレインの待つマージャ村へと向かわされることになり、フレドリク(の中のフレドリクとラスクの魂)はラピス村へと向かうことを決意するのであった。 八つの光が揃うまで、未醒の星はあと五つ。夜空に希望が満ちるまで、未還の星は八十八。 【ブレトランド水滸伝】第4話(BS56)「天機之壱〜光を蝕む病〜」 グランクレスト@Y武
https://w.atwiki.jp/suiko/pages/19.html
【第二章】 腐敗混濁の世を糺す為、男たちが集う。 原典を再構築した、荒ぶる北方「水滸」を語るスレ第二弾。 我らが旗、烈風に靡け。 【第三章】 憧憬の地は一般書籍板、胸に秘めしは同じき心 刮目して見よ、男たちの血の滾り 昇華する叛逆の賦、「北方水滸伝」を語るスレ、第三弾! 我ら好漢、雌伏の時を経て一般書籍板に集う。 【第四章】 憧憬の地は一般書籍板、胸に秘めしは同じき心 刮目して見よ、男たちの血の滾り 昇華する叛逆の賦、「北方水滸伝」を語るスレ、第四弾! 我ら好漢、雌伏の時を経て一般書籍板に集う。 【第五章】 月刊連載、箭の如く疾り、 単行本読者、ネタバレに死す。 さすらう男達の苛烈なる旅路、 北方水滸を語るスレ第五章、ここにあり。 黙せしスレ、この胸に生く。 【第六章】 全巻完結、すでに視域に入り、 すばる派読者、核心を突く。 見極めよ、住民のネタを、スレのマジバレを。 単行本読者の苛烈なる旅路。 北方水滸伝第六章、一般書籍板にて 天空の枢より降り立つ。 【第七章】 北方水滸第七章、弧絶して在り。 奔れ、飛龍の如く。雷光の如く。 すばる派、笑いて虚空を過り、 単行本派、替天の志に還る。 【第八章】 北方水滸、八章を経てなお衰えを知らず。 集えよ単行本派、夢は蒼天に拡がり、 耐えよすばる派、志は方寸に収まる。 刮目せよ、終焉の時は近い。 【第九章】 北方水滸、九章にして遂に乱る。 本編の展開、すばる派を驚かせ、 好漢の死の報、単行本派を悩ます。 替天の志を胸に、集い語らうことを望む。 【第十章】 最後の1行まで私の「水滸」を書く自信がある。 なぜならば、私はこの物語とともに滅びてもいい。 そう覚悟しているからだ。 北方謙三 【第十一章】 思うさま、物語の中で闘い、生き、 これだけ続けられたというのは、 まさに作家としての本懐である。 北方謙三 【第十二章】 風は蕭として、湖水寒し。 されど替天の旗、心に永遠なり。 北方「水滸」、完結! そして、続編『楊令伝』 刊行決定! 【第十三章】 漢達の糧、熱き物語。 万難期して 断たざるべからず。 永懐の地は 水の城塞。 胸に秘めしは 同じき心。 【第十四章】 作家北方 西の地にて楊令と対峙し 水滸読者 約束の秋を伏して待つ。 【第十五章】 作家北方 西の地にて楊令と対峙し 水滸読者 約束の秋を伏して待つ。 【第十六章】 「これを立てちまえば、またもとのようにひとつにまとまれるのかな?」 「わからんよ、名無し。ただ、もう立てなければならなかった」 【第十七章】 「このスレを、立ててしまったのだな」 「 4-1000と、話をしなければならない時機が、いま来てしまったのですね」 【第十八章】 「無名草子さんが、ひとりで来られた、という話は聞いています」 「別に用事があるわけではない。私はただ、 4-1000に会いに来た」 【第十九章】 なにかが、いきなりはじまったのだ、と名無しは思った。 名無しが想像もしなかったかたちで、はじまった。
https://w.atwiki.jp/circle-in-circle/pages/26.html
うたわれ水滸伝の森の中Continue ~深淵の鐘もう一度響かせて~に関するWikiページです。 現在データ:気になる情報
https://w.atwiki.jp/circle-in-circle/pages/60.html
うたわれ水滸伝の森の中Continue ~深淵の鐘もう一度響かせて~に関するWikiページです。 第5話終了時の地図です。
https://w.atwiki.jp/circle-in-circle/pages/18.html
うたわれ水滸伝の森の中Continue ~深淵の鐘もう一度響かせて~に関するWikiページです。 人物名鑑:メジナ 人物名鑑:タンカー