約 634,909 件
https://w.atwiki.jp/summonmesia/pages/291.html
エンチャント本。 入手方法 エンチャントクラフト レシピ解放条件 必要素材 エンチャント本(水中呼吸Ⅱ)×1ピッグデビルの真珠×1? 作成難度 備考
https://w.atwiki.jp/dbdbdbdb/pages/16.html
Skype系 5月14日-0 44~0 53位までその場のノリでゆっけをリスナーへ降格。 (本人承諾済) 5月22日-20 33頃 「唾液マニアけんじ」発覚。 5月25日 祝グループ結成1周年!(1年間の総発言数44223コメ) 6月18日-01 20~02 10「チーコマpnpn事件勃発!!」 学校関係 6月6日 けんじ「アソコに綿棒いれたら逝くだろ(笑)」との発言 7月4日 13 00~14 00頃「長嶺マック事件勃発!!」 9月21日 14 00~14 45頃 問題 1の2万9755乗は? に対してアリペイ「2」と解答
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/52559.html
【検索用 ももいろのかき 登録タグ 2023年 VOCALOID YouTubeミリオン達成曲 いよわ も プロジェクトセカイ カラフルステージ! ミリオン達成曲 人間 初音ミク 巡音ルカ 曲 曲ま 殿堂入り】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント セカイver.(3DMV) バーチャル・シンガーver. 作詞:いよわ 作曲:いよわ 編曲:いよわ 唄(セカイver.):桃井愛莉(CV.降幡愛)・巡音ルカ・花里みのり(CV.小倉唯)・桐谷遥(CV.吉岡茉祐)・日野森雫(CV.本泉莉奈) 唄(バーチャル・シンガーver.):初音ミク 曲紹介 曲名:『ももいろの鍵』(ももいろのかぎ) ゲーム「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク」に登場するユニット「MORE MORE JUMP!」への書き下ろし楽曲。 セカイver.(Am↔︎Cm)からキー+4するとボカロver.(C#m↔︎Em)になるんですがどちらのキーもお気に入りです(いよわのTwitterより) 2023年9月14日、バーチャル・シンガーver.が自身8曲目となるミリオン達成。現在ボカロオリジナル曲でミリオンを達成している曲の一つである。 歌詞 (piaproより転載) 泣いてるの?怒ってるの? 幼い声が問う 心配いらないよ 笑えてるよ 返事は宙に浮くだけ あの日描いたもの 夢の色 しだいに濃くなる 1人じゃないことも分かってるよ 横を見ている ふと振り返る 遠くなっていく分かれ道はまるで ジオラマに馴染んだ思い出のよう いざなったクローバー この場所を選んで 輝くステージに立っている 共に行くあなたの手 掴んだその手が 痛くないようにと願っているから かじかんで かじかんで その度に温めて 煌めくライトも 落ちる影も 全て愛していたいから 泣かないで 泣かないで そのために側にいる 震える指にこの手を添えて 今 鍵を開けるまで やがて背負うもの 託す音 輪郭は濃くなる 1人じゃないことも分かってるよ 前を見ている ふと振り返る 見えなくなっていく分かれ道はまるで 写真立てにしまった記憶のよう いざなったクローバー その葉を手に取って 新たなステージを待っている 共に行くあなたの目 見つめたその目の 星が褪せぬように願っているから 眩しくて 眩しくて その先に手を伸ばして 触れたものも受けた傷も 全て憶えていたいから 負けないで 負けないで そのために側にいる 隔たりの奥 見えない世界まで 届いてほしい夢 泣いてるの?怒ってるの? 幼い声が問う 心配いらないよ 笑えてるよ 返事を歌にして届けていく 今 微笑んで 微笑んで 優しさをその頬へ 煌めくライトも 落ちる影も 全て持っていくから 乗り越えて その先へ ただ前へ歩いていく 震える指にこの手を添えて 今 鍵を開ける 錆び付いていても消えない色で 今 ドアを開ける コメント 歌詞もリズムもメロディーも全部好き(*´ω`*) -- 名無しさん (2023-05-16 22 46 12) ↑それな モモジャンといよわさん神 -- 名無し (2023-05-18 21 53 31) ずっとフル待ってたからめっちゃ嬉しいいいい!これからリピ確やな。 -- 名無しちゃん (2023-06-02 06 55 55) これのmvを見て、女の子が泣くシーンで、その前に、ドアの先を見ていたところで、その未来の闇っていうのを目の当たりにして、女の子は泣いてしまったのかなっと思います。 -- 名無しさん (2023-06-02 21 18 54) 語彙力なしでごめんなさい -- 名無しさん (2023-06-02 21 19 19) 何回聞いても泣いちゃうわ -- むいん (2023-06-06 11 43 29) ここで出すのは違うかもだけどプロセカのこの曲のサビの♪微笑んでのとこのフリック気持ち良すぎる -- @味噌ダヨー (2023-06-16 21 51 47) 大好き -- 名無しさん (2023-06-17 18 20 05) いよわさんとモモジャンの相性が良すぎる、、、!‼ -- ユメピリカ (2023-06-23 19 41 26) 最強の曲 クライマックス ラスボス戦た -- 名無しさん (2023-06-27 17 44 30) ピアノとミクかさなっててよき -- ユウウツ霜 (2023-07-07 22 47 53) 温かくて優しくて綺麗な最高の曲…本当に大好きです。 -- あああああ (2023-07-22 09 10 43) ミクの声とメロディの相性抜群で切なさと怖さと希望が入り混じってて好き -- 名無しさん (2023-07-26 01 55 16) いよわさん節が飛び交っててとても好きです! -- 柊 (2023-08-15 15 33 11) ミクちゃんの声が優しすぎて心のなかで泣いた!! -- 桃色みかん (2023-08-17 17 31 53) モモジャンの明るい感じが曲に出てすごい… -- さくらもち (2023-09-07 22 56 31) 好き… -- 匿名 (2023-09-09 20 27 29) 百色ってこと? -- かじかんで かじかんで のとこめっちゃ癖になるわ (2023-10-01 23 48 00) セカイ版もバチャシン版もめちゃめちゃ好きで(FC粘着してるってのもあるけど)こればっかやってまう…… -- どこかの音ゲーマー (2023-11-10 15 08 46) モアジャンバージョンは優しいけど力強い声、ミクさんバージョンは不安定で消えちゃいそうな声が好き -- 名無しさん (2024-01-08 21 40 11) いよわさんの作る曲は上井曲だね! -- 名無しさん (2024-01-23 08 28 42) めっちゃいい曲なのに何かの間違いで変なサジェスト出るのが本当に残念。 -- 名無しさん (2024-01-26 12 47 44) 大好き -- 名無しさん (2024-02-21 08 52 09) Apple Musicで聴けるようになって嬉しい -- 名無しさん (2024-02-26 13 02 13) 儚くてきれいで曲調好き。ずっと聞いていられる曲 -- MORE MORE JUMP! 愛好家 (2024-03-29 17 59 53) MVの女の子が泣いてるとこすごく好き。てか全部好き -- 名無しさん (2024-04-05 00 40 09) このいよわガールズ一番好きだからエイプリルフールの名前判明まじで嬉しかった -- 名無しさん (2024-04-13 11 40 31) 傷つきながらも夢へ邁進する歌なのか、夢を諦めた傷を負いながらも今日を生きるため前へ踏み出す歌なのか。どっちかは良くわかんないけど、とにかく泣ける -- 名無しさん (2024-04-18 11 16 22) やっぱ良い曲や -- ゆか (2024-06-12 18 52 42) 最高の卒業ソング -- きなこ (2024-09-14 19 05 06) 名前 コメント コメントを書き込む際の注意 コメント欄は匿名で使用できる性質上、荒れやすいので、 以下の条件に該当するようなコメントは削除されることがあります。 コメントする際は、絶対に目を通してください。 暴力的、または卑猥な表現・差別用語(Wiki利用者に著しく不快感を与えるような表現) 特定の個人・団体の宣伝または批判 (曲紹介ページにおいて)歌詞の独自解釈を展開するコメント、いわゆる“解釈コメ” 長すぎるコメント 『歌ってみた』系動画や、歌い手に関する話題 「カラオケで歌えた」「学校で流れた」などの曲に直接関係しない、本来日記に書くようなコメント カラオケ化、カラオケ配信等の話題 同一人物によると判断される連続・大量コメント Wikiの保守管理は有志によって行われています。 Wikiを気持ちよく利用するためにも、上記の注意事項は守って頂くようにお願いします。
https://w.atwiki.jp/5056matome/pages/21.html
戦い クキクナチユオの戦い 勝利 7853と2001の連合軍 敗北 ミケポマヌキェトロス=ジ=ゼバ軍 この戦いでミケポマヌキェトロス=ジ=ゼバの側近、ヴォル=メギボ=バッバオイムピが5056側に寝返ったのはあまりにも有名である。 カカレロの戦い 勝利 5056 敗北 ??? 5056軍の総大将はイケネ=ワスレラーン。 オーボケットの戦い オーボケットの戦いは、当時5056に対抗する勢力であった7853と2001が連合し5056王国を攻めた事件 5056は異変を察知し、5056王国からオーボケットに避難したが、密告者により見つかり、連合軍が攻められた しかし、ヴァキモス=コアイ、フフ=ジン、ワオイオイ=ピンコなどの優秀な弟子の力を借りてこの戦いに勝利した 戦いの後7853と2001は5056に屈服し、その後5550年間5056の下僕として働くことを約束した イシユドゴスの戦い イシユドゴスの戦いは5056と5056の反対勢力の至上最大の規模の戦いでした この戦いにより5056の反対勢力は全て滅亡しましたが、5056王国や王国の影響下にあるバクイオ、また5056によって創られたあらゆる秩序も失われ、世界は無になりました この時ほとんどの弟子達も死にましたが、筆頭弟子であったヴァロン=スカルフォは生き残り、デウダ師の力を借りて、5056の鍵と5056の指輪を造りました 5056はスカルフォの進言に従い、自らの力と影響力を残すために、自らの魂を鍵に、パワーを指輪に封印しました それ以来、5056は2006年に一時的に復活したことを除けば、一度も復活していません 5056の封印後、スカルフォはヤイダス・オーダーを設立し、密かに弟子をとり5056の教えを後世に伝える仕組みをつくりました スカルフォが伝説の筆頭弟子として尊敬されているのは、これらの行為のためです パイダーの乱 首謀者の5056の3867番目の弟子、ポコピン=パキムシロヴィがぶち殺されて終了 コイキイの乱 パキヨーン=パパトクソが鎮圧した。 黄巾の乱の親戚。 ウイナギウナゴンの乱 ワイドロス=バモクソが起こした。 シクシクの乱 5056の元1435番目の弟子ンプー=ポケジーが起こした。 この後ンプー=ポケジーは追放されました。 第一次ヤジバロヴェンの戦い 第一次ヤジバロヴェンの戦いは、5056王国の南南東にあるヤジヴァロヴェンという町で、サケネーカという人物が打倒5056を掲げ、反乱を起こし、それを鎮圧するために起きた戦いです。 5056王国側の総大将はビルス=スカルフォでした。 戦いはサケネーカの降伏により終結しましたが、ヤジヴァロヴェンの地元武士達の怒りは収まらず、後の第二次ヤジヴァロヴェンの戦いに繋がることになりました。 第二次ヤジヴァロヴェンの戦い 第二次ヤジヴァロヴェンの戦いは第一次ヤジヴァロヴェン戦いの後、ヤジロバヴェン川を汚染されたことに怒り狂った地元武士達が、5056王国に対して、ビルス=スカルフォを引き渡すように要求したことを発端とする戦いです。 5056はビルス引渡しの要求に対し「嫌だもんね」と述べ、とヤジバロヴェンの民を滅ぼしました。 その後ヤジバロヴェンの地は5056王国の直轄領となり、鎌倉幕府・室町幕府研究所を立てるた予定の土地とされました。 アッポウの乱 シロヴィーノ=ノンビが乱を起こしました。 詳細は不明です サンゼンの乱 サンゼンの乱は5056の弟子たちの中の過激派たちが5056王国の強兵化を求めて起こした反乱です ヨーディ=スカルフォこの反乱を鎮圧しました 5056の民の反乱 5056の民の反乱は5056の民たちのスカルフォ氏に対する不満が爆発し起った反乱です 当時の5056王国は衰退しており、いつ他の国から攻められてもおかしくない状況でした したがって5056王国を捨て他の国へ移住する民が後を絶ちませんでした そこで当時の実質的な5056王国の支配者であったウィンヴィー=スカルフォは、5056王国からの移住を禁止を法律に定め、これに違反した者を厳しく処罰しました これにより5056の民達は各地で武装蜂起し、ウィンヴィー=スカルフォを含む数多くのスカルフォ一族の者を滅ぼしました スカルフォ氏亡き後、5056の民達は世界各地へと散っていき、5056王国は滅亡しました パパンダロの乱 パパンダロの乱はトミー=スカルフォが起こした反乱です トミーはハネイ=ユフェーンが甥のダトンパロス=ジポンキヌ=バーンズを5056の養子にして力を握ったことを警戒し、ダトンパロスを暗殺します これは当然5056に対する重大な謀反となりますが、当時のスカルフォ氏の力は強大で、そのスカルフォ氏の棟梁であったトミーに処分が下されることはありませんでした しかしユフェーン氏は黙っておらず、独自に兵を挙げ、一旦トミー=スカルフォをパパンダロに追放します そこでトミーもスカルフォ氏の戦士たちを中心に召集し挙兵します スカルフォ側もユフェーン側も共に互角の戦いをしましたが、トミーの次男であるヴァロン=スカルフォが父を裏切り、トミーとトミーの嫡男のバンディ=スカルフォ(ヴァロンの兄)、叔父のオクタヴィ=スカルフォを滅ぼし、乱が鎮圧されました これにより身内であっても、5056に対して反乱を起こした者を滅ぼしたヴァロンは、この後5056の信頼を得て大きな力を握ります 事件 ダトンパロス=ジポンキヌ=バーンズ殺人事件 トミ=スカルフォが5056の養子の1人ダトンパロス=ジポンキヌ=バーンズを暗殺した事件。 動機、トミー=スカルフォの処遇等は不明。 アンデラ事件 アンデラ事件はヤデ=アンデラが当時の5056の筆頭弟子であったブロッド=スカルフォから5056の鍵と5056の指輪を奪おうとした事件です アンデラは逆にブロッドにボコボコにされ計画は失敗しました 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/fadv/pages/901.html
事件屋 事件屋 (光風社ノベルス 95) 題名:事件屋 作者:今野敏 発行:光風社ノベルス 1994.12.15 初版 価格:\780(本体\757) ぼくはもともと現実味のない法螺話はあまり好きなほうじゃないのだけど、この本のように法螺話の形態を取りながらもとことん私小説しているような、悪く言えば楽屋落ちなんだろうけど、作者の私語たっぷりの囁き話みたいな作品はけっこう好きであるのかもしれない。ストーリーの奇天烈さは、まあ置いといても、読んでいて楽しいのは、主人公が今野敏自身であること。作家としてのジレンマやキャリア、嘆きや夢がこういう形で表現されるのも悪くないのではないでしょうか。 妙に気取った形のハードボイルド系の作品を四冊読んできたためか、『蓬莱』で感じたような、楽しい夢のような話が懐かしかった。今野敏という作家を読み始めたのは『蓬莱』のせいなんだが、いわゆる通り一遍でない型破りのもののほうが、この作者の可能性を感じさせるような気がするのはどうしたわけか。 作者が格闘技実戦者であることなどからも伺われるように、頭でっかちでないなんかエネルギッシュなパワーをどこかにいつも感じさせもする。この本は確かに軽ーい話だけど、なにかのきっかけにはなりそうな感じがするんですよねえ。 (1995.09.27)
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/2416.html
{{Infobox 事件・事故 |名称 = 白鳥事件 |正式名称 = 白鳥警部射殺事件 |画像 = |脚注 = |場所 = {{JPN}}・札幌市南6条西16丁目 |標的 = |日付 = 1952年(昭和27年)1月21日 |時間帯 = 夜 |概要 = |原因 = |手段 = |攻撃側人数 = 1(実行犯) |武器 = 拳銃 |死亡 = 1 |被害者 = 白鳥一雄警部 |犯人 = |容疑 = |動機 = |関与 = |防御 = |対処 = |謝罪 = 中核自衛隊に所属していたTによる謝罪。主犯・実行者、関与が疑われた日本共産党による謝罪はなし。 |補償 = |賠償 = |刑事訴訟 = |影響 = 主犯格とされた村上国治の再審請求の特別抗告に関連して、いわゆる「白鳥決定」が判示された。 |遺族会 = |被害者の会 = |管轄 = }} 白鳥事件 (しらとりじけん)は、1952年(昭和27年)1月21日に北海道札幌市で発生した、日本共産党による日本の警察官|警察官銃殺|射殺事件である。 {{TOC limit}} == 概要 == 実行犯と目された人物らは日本共産党の幇助により国外逃亡したものの、日本共産党札幌軍事委員会{{Efn|共産党札幌委員会の地下組織 ref name=" 2" {{Cite web|和書|url=http //chikyuza.net/archives/20864|title=「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実|accessdate=2017-11-30|author=渡部富哉|date=2012-03-18|publisher=ちきゅう座}}) /ref 。}}委員長であった村上国治が主犯格として逮捕され、1963年(昭和38年)10月17日に懲役刑が確定した ref name=" 18" {{harvnb|渡部|2012|p=230}} /ref ref name=" 0" {{harvnb|立花書房|2009|p=203}} /ref 。 しかし、日本の警察|警察の捜査の過程での証拠捏造や自作自演を指摘する声が根強く、日本共産党による冤罪キャンペーンや松本清張の『日本の黒い霧』での推論、当局による証拠捏造疑惑などにより一般の間でも冤罪の声が強まった ref name=" 2"/ ref name=" 27" {{Cite book|和書|title=日本共産党の戦後秘史|publisher=新潮社|isbn=978-4-10-136291-5|oclc=269438831|year=2008|author-link=兵本達吉|pages=177-185|author=兵本達吉}} /ref 。 受刑者となった村上は無罪を訴えて1965年(昭和40年)に再審請求を行った。これに対する審理においては村上の一部主張が認められたものの、村上の関与を裏付ける新たな証拠が検察側から提出され、最終的に村上の特別抗告は最高裁判所 (日本)|最高裁判所によって1975年(昭和50年)に棄却された ref name=" 19" {{Cite web|和書|title=昭和46(し)67|url=https //www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=51033|website=裁判所ウェブサイト|accessdate=2019-07-11|publisher=最高裁判所}} /ref 。 再審制度においても『疑わしきは罰せず|疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則が適用されるとする判断をこのとき最高裁判所が下したことから、以後確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じれば再審を開始できるようになった。この判断は事件の名をとって「白鳥決定 」と呼ばれる。 == 事件の経緯 == 1952年(昭和27年)当時、「51年綱領」の採択を経て武装闘争路線を採っていた日本共産党{{efn|当時の党主流派は所感派であったが、非主流派の国際派 (日本共産党)|国際派も武装闘争の契機となったコミンフォルム批判を出したソ連に忠実な立場であった ref {{Cite web|和書|title=戦後日本共産党史の見直しを|url=http //gendainoriron.jp/vol.05/column/col05.php|website=現代の理論|accessdate=2021-12-18|author=富田武|authorlink=富田武}} /ref 。}}による警察官襲撃事件が、全国で相次いでいた。党札幌委員会では委員長の村上国治や副委員長のSが軍事方針を立て、「時間があり、頭も悪くない」北海道大学の学生らを中心に中核自衛隊を組織。列車運転業務妨害事件(赤ランプ事件)や検事・市長宅への投石事件などを起こしていた ref ただし、鉄砲玉のような役割は労働者にやらせていた /ref 。これに対し、札幌市警察本部警備課課長であった白鳥一雄 警部は、市内の丸井今井|丸井百貨店で開催されていた丸木位里・赤松俊子の日本への原子爆弾投下|原爆の図の展示会を「連合国軍最高司令官総司令部|占領軍の指示」として中断させたほか、ビラまきや座り込みデモを行う共産党員を多数検挙し、「弾圧の急先鋒」として党関係者などから敵視されていた{{sfn|渡部|2012|pp=18-33}}{{sfn|田中|佐藤|野村|1980|pp=83-110}} ref name=" 9" {{国会会議録検索システム|101304280X01019520225|name=衆議院会議録情報 第013回国会 行政監察特別委員会 第10号|accessdate=2018-09-03}} /ref ref name=" 3" / {{sfn|今西|2020|pp=232-234}}。 同年1月21日午後7時42分頃{{Efn|NHKラジオの「三つの歌」が流れていたという証言がある{{sfn|追平|1959|p=22}}。}}{{sfn|今西|河野|2012|p=10}}、札幌市(現在の中央区 (札幌市)|中央区)南6条西16丁目の路上で、自転車{{Efn|この自転車は、警察署の駐輪場に停められていたものを持ち出したもので、事件後に元の場所に戻されたとされる{{sfn|今西|2020|pp=232-234}}。}}に乗る男が、同じく自転車で帰宅途上の白鳥に向けて後ろから拳銃を発砲し、心臓に弾丸を受けた白鳥は絶命した。犯人はそのまま自転車で逃走した ref name=" 2" / {{sfn|田中|佐藤|野村|1980|pp=83-110}} ref name=" 9" / 。 遺体は北大病院で解剖され、死因は命中した拳弾丸による出血多量とされた{{sfn|田中|佐藤|野村|1980|pp=83-110}}。白鳥の体内から摘出された弾丸と現場に残された薬莢から、暗殺に使われたのは.32ACP弾|32口径ブローニング・アームズ|ブローニング拳銃{{Efn|科学警察研究所|国家地方警察本部科学捜査研究所の鑑定では「1912年型ブローニング拳銃」とされたが、実際にそのような型式は確認できないため、世界的に流通していたFN ブローニングM1910|1910年型の誤りでないかといわれる ref name=" 14" {{harvnb|後藤|2013|p=17}} /ref {{sfn|長崎|2003|pp=(9)-(14)|loc=拳銃と弾丸}}。警察庁は、白鳥事件の捜査に関連して北大理学部の地下室から武器の製造研究に使われた火薬類・試験管・軍事方針のパンフレットが見つかったことを明らかにしている ref name=" 25" / 。札幌委員会軍事部は、上述のブローニング拳銃に加えてイタリアのベルナルデリ社製護身用小型拳銃を保有していたものと推察される。この小型拳銃は、撃針が不調で北大工学部の工作室で修理が試みられたが、スプリングを調達できず、後日提供者に返還されている{{sfn|大石|2014|p=87}}。ベルナルデリ銃の持ち主は札幌市内のカフェ経営者であったが、1952年に変死している{{sfn|追平|1959|pp=138-143}}。}}とされた ref name=" 14" / {{sfn|長崎|2003|pp=(9)-(14)|loc=拳銃と弾丸}}。 自転車上で片手で拳銃を発射し一撃で急所に命中させるという、極めて難易度の高い犯行であったが、白鳥には事件前から「昨年はきさまのおかげでおれたちの仲間が監獄につながれた。この恨はきっとはらす。おれたちは極めて組織的にきさまをバラしてやる。」などと書かれた脅迫状が相次いで届いていたことから{{efn|1月4日には、村上・鶴田(後述)らが集まり宣言文「新年に当り警察官諸君に宣言す」と題する以下の文書を作成し、警察関係者や高田富與札幌市長らに送りつけている{{sfn|渡部|2012|pp=32-33}}。{{Quotation|親愛なる札幌の警察官諸君、新しい年を迎え、我々は諸君たちに重大なる決意を固めていただかなければならなくなった事を遺憾とするものである。それは、(中略)占領政策違反の名目で、労働者市民を抑圧しアメリカの手先として日本人を奴隷にする道と、今一つはかかる民族の利益を裏切り、日本人をアメリカに売り渡す売国奴共の命令を拒否し敢然として、日本人の利益のために闘う道とである。(中略)既に我々の兄弟たちは各所で実力の闘いを始めた。練馬事件|東京で諸君たちの同僚、もっとも悪らつな国民の敵である巡査が撲殺されたのは周知の事実だ。(中略)我々の行く手を遮るものは何人といえども容赦はしない。準備はできた。売国奴、国民の敵の功罪表は整備された。(白鳥ら警察官の実名)その他弾圧を積極的にやった外勤の巡査、及び警備課の諸君…警察官諸君、我々はこれらの敵、新しい敵を国民の名においてひとりひとり葬り去ることを宣言する。(後略)}}}}、捜査当局は日本共産党による犯行とみて捜査を開始した ref name=" 3" {{harvnb|後藤|2013|p=72-88}} /ref ref name=" 5" {{harvnb|後藤|2013|p=89-107}} /ref {{sfn|今西|河野|大石|2013|pp=6-16}} ref name=" 22" {{Cite web|和書|title=「日本で一番悪い奴ら」北海道警察VS日本共産党|url=https //nikkan-spa.jp/plus/1190290|website=日刊SPA!|date=2016-09-02|accessdate=2021-01-16|publisher=|author=砂澤陣|authorlink=砂澤陣}} /ref {{sfn|追平|1959|pp=30-33}}。 事件発生後、共産党員が市内で「見よ、天誅遂に下る! 自由の兇敵、白鳥市警課長の醜い末路こそ、全ファシスト官憲どもの落ちゆく運命である ref name=" 22" / 」と日本共産党札幌委員会名で書かれたチラシ|ビラ(「天誅ビラ」 ref name=" 13" {{Cite journal|和書|year=1971|journal=刑事裁判月報|volume=3|issue=7|pages=869-955|publisher=最高裁判所事務総局}} /ref )を配布した{{Efn|天誅ビラには「下る」と書かれたものと「降る」と書かれたものの2種類があり、渡部は「降る」の版は共産党の犯行を市民に印象付けるためにスパイを通じて原稿を入手した国警が撒いたものであると主張し{{sfn|渡部|2012|pp=113-143}} ref {{Cite web|和書|url=http //chikyuza.net/archives/21216|title=「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実③|accessdate=2017-11-30|author=渡部富哉|date=2012-03-23|publisher=ちきゅう座}} /ref 、国警が白鳥暗殺の事前情報を得ておきながらあえてこれを泳がせて犯行後にすかさずビラを増刷して弾圧のきっかけとしたとしている{{sfn|渡部|2012|p=191}}。一方、後述のTは「国治さんは古いタイプの人間だから『降る』と『下る』のどちらの文字を使ったと思うかと聞かれたら、『降る』の方じゃないかという気がします」と述べている{{sfn|今西|河野|2012|p=35}}。}}{{efn|再審請求審において、札幌高裁が「右ビラの文体は、簡潔でしかもなかなかの名文であつて、申立人(村上)以外に、このような文案を起草できる者がいないことは、多くの関係者の一致して指摘するところであるが(後略)」と言及している ref name=" 13" / 。}}。これに対し、事件の翌々日に党北海道地方委員のMが「『天誅を下す』なんて言葉はわれわれの辞書にはない」「われわれ地方委員会では二、三日中にデッチ上げということをはっきりさせたい」と関与を否定する声明を出したが、その翌日には「誰が白鳥事件の犯人であるかは知らない。党と事件の関係については何とも言えない。白鳥氏殺害はwikt 官憲|官憲の弾圧に抵抗して起きた愛国心|愛国者の英雄的行為で個人的なテロリズム|テロではない。かく闘うことは愛国的行動である。白鳥を殺害した犯人は白鳥自身である」と、党の関与を曖昧にしながら一転して犯行を称賛する声明を出した ref name=" 3" / {{sfn|今西|河野|2012|pp=11-12}}{{sfn|追平|1959|pp=34-41}}。 事件直後の党指導部では、態度を決めかねたのか「共産党のやったことではないという日和見的な意見を克服して、党の意思の革命的統一を図る必要がある」「共産党のやったことではないということに、合法的宣伝は統一する」と指示が錯綜し{{Efn|後の裁判では、札幌委員会の「極左冒険主義」を批判する党北海道委員会による声明書が証拠として引用されている ref name=" 27" / 。}}、事件後に気勢を上げて過激なビラを撒いたり職安事務官を襲撃して川に投げ込むなどの「暴走」を始める党末端との違いが浮き彫りとなった ref name=" 3" / 。 政権与党の対応は素早く、吉田茂内閣総理大臣|首相は事件翌日に「現下の国際情勢を反映いたしまして、共産分子の国内の破壊活動は熾烈なるものがあると考えられるのであります。まことに治安上注意を要する次第であります。かかる事態に対処して、本国会に所要の法律案を提出する所存であります」と施政方針演説を行い ref {{国会会議録検索システム|101305254X00619520123|name=衆議院会議録情報 第013回国会 本会議 第6号|accessdate=2018-11-26}} /ref 、同年4月には破壊活動防止法を制定させた。本事件を始め共産党員による事件が連日報道され、日本共産党は同年10月の第25回衆議院議員総選挙で全議席を失うなど、自らの犯罪|非合法活動によって国民の支持を失っていったが、それらの事件群の中には冤罪事件である菅生事件{{Efn|本事件後の1952年6月に発生。}}なども含まれている ref name=" 3" / も全体的に見れば日本共産党による凶悪な暴力事件の件数の多さの中から見れば極めて例外な件であった。 市井では、「白鳥に不正を察知されたと考えたメタンフェタミン|ヒロポン中毒のS信用組合の理事長が殺し屋を差し向けた{{Efn|元共産党員で組合員総代であった人物による公開質問状により流布した。この人物の名をとって「原田情報」と呼ばれる。理事長はその後服毒自殺した{{sfn|渡部|2012|pp=91-100}}{{sfn|今西|河野|大石|2013|pp=6-16}}{{sfn|追平|1959|pp=138-143}}。}}」「軍用拳銃の闇市への横流しを知りすぎた白鳥が消された。証拠の弾丸をすり替えて事件を共産党のせいにした」などと怪情報が流された ref name=" 4" {{harvnb|後藤|2013|p=17-21}} /ref ref name=" 10" {{harvnb|後藤|2013|p=169-173}} /ref 。 事件発生から4か月後、静岡県で行き倒れ、警察の保護を受けた後に寿司屋で働いていた青年が、保釈中に逃走した北海道庁細胞_(政党)#戦後|細胞所属の共産党員Nと判明する。その青年が検察官|検事らの情に絆されて札幌の共産党組織の情報を提供したことにより事態が急展開する{{sfn|田中|佐藤|野村|1980|pp=83-110}}{{sfn|今西|河野|大石|2013|pp=6-16}} ref name=" 5" / {{sfn|追平|1959|pp=91-115}}。党関係者が白鳥殺害に関与しているとの情報を得た警察は、札幌地区委員らを逮捕 (日本法)|逮捕した。8月28日に逮捕された札幌委員会副委員長Sは11月28日に自供を始め{{efn|「Sはスパイだ、裏切った」と書かれた党地下組織の文書を警察に見せられてSは観念したのだという{{sfn|大石|2014|pp=70}}。}}{{sfn|今西|2020|pp=234-236}}、札幌の地下組織の最高指導者は村上委員長であり、白鳥射殺の実行犯は円山細胞の『ひろ』{{efn|この人物は元大日本帝国海軍|日本海軍震洋|第6震洋隊の下士官で実戦経験があり、戦後ポンプ職人をしていた{{sfn|渡部|2012|pp=80-91}}。T(後述)の証言によれば、『ひろ』は事件の一週間前にも白鳥の暗殺を試みたが、弾が発射されず未遂に終わっている{{sfn|渡部|2012|pp=35-91}}。}}である旨を供述{{sfn|今西|河野|大石|2013|pp=6-16}}{{sfn|田中|佐藤|野村|1980|pp=83-110}}{{sfn|追平|1959|pp=91-115}}。さらに翌1953年4月9日に逮捕された札幌委員会常任の追平雍嘉も供述手記を執筆してこれを裏付けた{{Efn|追平は「事件の前、『ひろ』の家で実包入りのブローニング拳銃をみた」「事件後、『ひろ』に会ったら『オレがやった』といっていた。『手ぬぐいに包んで撃ったので、二発目の薬きょうが引っかかって残ってしまい、あとが撃てなかった』などとも語っていた」と証言している{{sfn|田中|佐藤|野村|1980|pp=83-110}}。}} ref name=" 2" / {{sfn|田中|佐藤|野村|1980|pp=83-110}}{{sfn|今西|2020|pp=234-236}}。また6月9日に共犯として逮捕されていたTが「生きることに怠惰であってはいけない」などと訴えかけた安倍治夫検事の説得を受けて7月11日に転向し{{efn|大石は、吉田岩窟王事件の再審を支援し、三鷹事件や松山事件の冤罪を語った安倍が誘導じみたことをするはずがないとしている{{sfn|大石|2014|p=66}}。安倍自身も同僚検事の誘導尋問の手法(「査問」を逃れて警察に保護を求めた党員(後述)に対して行われた、泣き落とし。これによって自ら白鳥を射殺したとの言質を取ったが、ベテラン捜査官たちによって否定され、本人の供述も何度も覆ったため、殺人での起訴はされなかった{{sfn|追平|1959|pp=82-84}}。)を紹介しながら、「それがしかし、捜査本部におけるそういう偽り、でっち上げ、間もなくばれるんですね。同様に共産党内ビューローにおけるいろんなでっち上げも間もなくばれることになると、こういうことなんです。やっぱり強いのは真実が強い」「そういう(模擬裁判で警察の捜査本部が出してきた指紋鑑定について偽物と発言した札幌の検事正)下に立って私どもは捜査したんですからね。[…]私が誘導尋問ででっち上げの調書を作ったなんていうことは、もう根も葉もないということはすぐわかるんですよ。それを松本清張が『日本の黒い霧』を書いて、安倍という男はどうも怪しいと言い出したんだから、これはもう松本清張の負けですね」と述べている{{sfn|渡部|2012|pp=68-70}}。}}{{sfn|今西|2020|pp=234-236}}{{sfn|今西|河野|2012|pp=39-40}}、1月3日から1月4日頃に村上国治ら7人が集まり、白鳥警部殺害の謀議を為した旨を供述した{{Efn|1月4日には村上側にアリバイがあることなどから、冤罪説を擁護する者たちはTの偽証を主張した。一方、Tの供述は事件から2年後のことであり、T自身も「(一般的には)謀議というのはもっと緻密にいろんな計画を建てるとか方針はこうだと。(中略)正式にはそんなものだと思うんだけども、そんなにきちっとしたあれした謀議じゃないわけですよ。だからもうそんな日にちなんて忘れちまいますよ。(中略)普通の事件であれば、その謀議がいつ行われたか、どこでやった、誰がやったのかということがものすごく大事なことになるんだけれども、我々にとってはあまり大事なことではないわけですよ」と述べている{{sfn|渡部|2012|pp=63-64}}。}}{{sfn|田中|佐藤|野村|1980|pp=83-110}}。 その過程において、面子にかけても犯人を逮捕しなければならなかった警察は、容疑者の誤認逮捕(被疑者|容疑者と別人の共産党員)を犯したり、期限切れで釈放すると見せかけて迎えに来た父親の目の前で別件で再逮捕して長期拘留捜査するなどして、手段を選ばずに強引な捜査を行いながら調書を作成していったという。逮捕者や党員の中には生涯精神を病む者や自殺者も出たが、一方で日本共産党も組織防衛に奔って釈放された党員らを「査問 (日本共産党)|査問」し、身の危険を感じた党員が逃亡して警察の庇護を受けるということも起きた ref name=" 5" / {{sfn|今西|河野|大石|2013|pp=6-16}}{{sfn|渡部|2012|pp=91-100}}{{sfn|追平|1959|pp=138-143}}{{sfn|追平|1959|pp=73-77}}。 しかし、村上国治らの逮捕後も犯行に用いられたとされるブローニング拳銃自体は発見されず{{efn|犯行後に複数の党員を経由して近郊の畑に埋められたと言われる{{sfn|今西|2020|pp=232-234}}。}}、"事件の2年前に行われた中核自衛隊による射撃訓練の遺留品"であるとされ、「被害者の体内で摘出されたものと異なる銃器から発射された確率は1兆分の1より小さい」との施条痕の鑑定結果が出された弾丸(「ニ個の弾丸」 ref name=" 13" / )のみが、裁判に提出された直接的な物証となった。この弾丸は、T立ち合いのもとで行われた幌見峠での札幌市警による捜索で発見されたものである{{sfn|田中|佐藤|野村|1980|pp=83-110}} ref name=" 6" {{harvnb|後藤|2013|p=173-186}} /ref ref name=" 1" {{Cite book|title=「無罪」を見抜く|date=2013-11-27|publisher=岩波書店|author=木谷明|pages=103-107}} /ref {{sfn|大石|2014|pp=73-75}}{{sfn|長崎|2003|pp=2-3}}。 直接の下手人をはじめ共謀したとされた党員らは、日本共産党の密航船群「人民艦隊」で不法出国し、当時日本と国交が無かった中華人民共和国へ逃亡している{{Efn|東京に潜伏していたメンバーは組織の公然化のためかばうことができないと党中央統制委員から告げられ、乗船訓練を受けて1955年10月頃に焼津港などから上海市|上海へ向けて出港している{{sfn|今西|2020|pp=234-236}}。}}{{sfn|田中|佐藤|野村|1980|pp=83-110}} ref {{国会会議録検索システム|102903933X00219580717|name=第029回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号|accessdate=2017-12-01}} /ref ref {{harvnb|後藤|2013|p=161-168}} /ref 。 == 白鳥警部 == 事件の被害者となった白鳥一雄は、北海道芽室町に生まれ、帯広中学(現・北海道帯広柏葉高等学校)を卒業後、1937年(昭和12年)に北海道庁巡査になった。太平洋戦争中は大日本帝国陸軍特務機関系のハルピン学院 (旧制専門学校)|ハルピン学院でロシア語を学んだ後に特別高等警察|特高警察の外事係として活動しており、戦後も公安警察|公安警察官として左翼活動の監視に加えて在日韓国・朝鮮人|在日朝鮮人の密輸|密貿易や風俗営業の取り締まりを行っていた。1948年(昭和23年)3月に札幌市警の警備課|警備課長に就任した白鳥は、警察内部においても秘密主義を徹底し、上司も白鳥が日本共産党の秘密組織についてどこまで掴んでいたか報告を受けておらず、皮肉にもそのことが自治体警察 (旧警察法)|自治体警察である札幌市警による事件後の捜査を困難なものにした ref name=" 9" / {{sfn|今西|河野|大石|2013|pp=6-16}} ref name=" 4" / ref name=" 12" / {{sfn|追平|1959|pp=29-30}}。 生前の白鳥とも直接の面識があった安倍検事が語ったところによれば、普段の白鳥は物静かで礼儀正しいが、その共産主義を憎悪する精神は、シベリア抑留での経験によるものか、熾烈なものであったという ref name=" 12" {{harvnb|渡部|2012|pp=60-61}} /ref 。 家庭内では仕事の話をすることもなく良き父親を通しており、事件当日も3歳と5歳の娘に「きょうは給与|給料日だし、お土産を買って早く帰るよ」と出かけて行った。事件後の司法解剖では、白鳥の胃袋に直前に飲食したものはなく、上衣のポケットには月給袋が手つかずのまま納められていた。死亡時の年齢は36であった ref name=" 8" {{Cite news|title=「白鳥事件」更新続く最古の逮捕状 札幌で60年前に警官射殺|date=2012-11-24|url=https //www.nikkei.com/article/DGXNASDG24003_U2A121C1CC1000/|accessdate=2018-09-01|publication-date=|language=ja-JP|work=日本経済新聞 電子版}} /ref 。 == 当時の札幌の情勢 == 朝鮮戦争が継続中の当時、ソビエト連邦と接する北海道では、後方補給基地の安定確保のためのアメリカ軍情報部による特殊活動が活発に展開されていた{{sfn|渡部|2012|pp=21-22}}。その中心である札幌では、日本の警察|日本警察の国家地方警察(国警)本部と札幌市警察本部、アメリカ陸軍防諜部隊(CIC)、そして裏社会の間で、互いに反目したり協力したりしながら公安情報の収集が行われるある種の「シンジケート」が形成されていた。白鳥はCICがアジトにしていたすすきののとあるバー (酒場)|バーに頻繁に通っており、そこにはギャングや右翼も出入りしていたという ref name=" 4" / 。 松本清張は『日本の黒い霧』で本事件を取り上げてCICによる謀略説を唱えているが{{efn|一方、松川事件においては活発に冤罪を主張した、広津和郎らは静観している{{sfn|渡部|2012|pp=21-22}}。}}{{efn|渡部は松本の冤罪説について「主観的で勝手な推測、ねじ曲げが随所に登場する」としている{{sfn|渡部|2012|pp=38-39}}。例えば、『ひろ』は射撃演習には参加していないのだから、(演習の遺留品である弾丸と施条痕が一致するとされた)事件に使われたピストルを所持しているはずがない旨の記述をしておきながら、4ページ後には「何回も拳銃の射撃練習に行っている」と記述している。松本は『ひろ』を"シロウト"として扱ったが実際には元軍人であり、軍装品として用いられていたブローニング拳銃の心得があったとしても不自然ではない{{sfn|渡部|2012|pp=80-91}}。松本が「暴露」したのは実のところ自らが批判する追平の『白鳥事件』の丸写しであったが{{sfn|渡部|2012|p=191}}、追平と『ひろ』の会話を書き換えて「Tは大丈夫か」とあたかもTの裏切りを心配していたかのような文脈に仕立て上げていることも確認されており、渡部は「松本清張が白対協(日本共産党が組織した白鳥事件対策協議会のこと)の提出する材料を無批判に書いたというものではない極めて意識的な虚構だ。当時、Tは白対協や弁護団から、S、追平雍嘉と並ぶ裏切り者として糾弾されていたからだ。これは単なるミスでは済まされない」と松本がTにありもしない罪をなすりつけたとして批判している{{sfn|渡部|2012|pp=228-229}}。}}、事件を取材していた北海日日新聞(後の北海タイムス)の編集部長は「白鳥警部は左翼関係の情報収集力にかけてはピカ一だった。CICとしては彼を消せば元も子もなくなってしまう。CICが重宝している子飼いの白鳥をやっつけるはずがない」と語っている ref name=" 10" / 。 == 裁判 == {{最高裁判例|事件名= 爆発物取締罰則違反等|事件番号=昭和35(あ)1378|裁判年月日=1963(昭和38年)10月17日|判例集=刑集 第17巻10号1795頁|裁判要旨=#証拠によつて認定した事実は、他の事実の証拠となり得る。 #伝聞供述となるかどうかは 、要証事実と当該供述者の知覚との関係により決せられるものと解すべきであつて、甲が一定内容の発現をしたこと自体を要証事実とする場合には、その発現を直接知覚した乙の供述は、伝聞供述にあたらないが、甲の発言内容に符合する事実を要証事実とする場合には、その発言を直接知覚したのみで、要証事実自体を直接知覚していない乙の供述は伝聞供述にあたる。 #刑訴法第三二四条第二項第三二一条第一項第三号所定の要件を具備した伝聞供述の原供述者が特定の甲または乙のいずれであるか不明確であつても 、それだけの理由でその伝聞供述が証拠能力を有しないものとはいえない。|法廷名=第一小法廷|裁判長=入江俊郎|陪席裁判官=下飯坂潤夫、齋藤朔郎|多数意見=全員一致|意見=なし|反対意見=なし|参照法条=刑訴法317条,刑訴法318条,刑訴法320条1項,刑訴法321条1項2号,刑訴法321条1項3号,刑訴法324条2項|url=https //www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=56987}} === 村上の懲役確定まで === 1955年8月16日、検察側は村上国治を殺人罪 (日本)|殺人罪の共謀共同正犯で、共犯2人を殺人罪の幇助犯として起訴し、「村上らは武装蜂起の訓練のため幌見峠で射撃訓練をした。そして、彼らの活動の邪魔になる白鳥警部を射殺した」と主張している。 第1審札幌地方裁判所|札幌地裁は共同謀議を認定し、村上を無期懲役、共犯1人を懲役5年・執行猶予5年と判決 (日本法)|判決している。途中から公判分離されて共同謀議を自供した共犯Tは、1957年(昭和32年)5月に懲役3年・執行猶予3年と判決されて確定している。控訴審札幌高等裁判所は1960年(昭和35年)6月の判決で村上を懲役20年に減刑し、共犯1人は控訴を棄却している。1963年(昭和38年)10月17日、最高裁判所 (日本)|最高裁判所は二審判決を支持し上告を棄却し、村上の懲役20年の実刑判決が確定した ref name=" 0" / ref name=" 26" {{Cite web|和書|title=昭和35(あ)1378|url=https //www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=56987|website=裁判所ウェブサイト|accessdate=2021-08-14}} /ref 。 物的証拠として提示された弾丸について、弁護側は、中国での実験結果などをもとに、発射から発見まで2年が経過しているにもかかわらず応力腐食割れが生じていないことを指摘した{{sfn|長崎|2003|pp=(15)-(138)}}。さらに検察が裁判で提出した「ニ個の弾丸」の鑑定書は、アメリカ軍極東犯罪捜査研究所のG曹長が実質鑑定したものであった{{efn|当時日本には銃鑑定の専門家がいなかった{{sfn|長崎|2003|p=37}}。}}旨の証言が上告棄却後に得られ、捏造の可能性が疑われた ref name=" 6" / ref name=" 1" / {{sfn|長崎|2003|pp=61-68}} ref {{Cite web|和書|url=https //kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=105805206X03319680524|title=第058回国会 法務委員会 第33号|accessdate=2017-12-01|date=1968-05-24|publisher=国会会議録検索システム}} /ref ref {{国会会議録検索システム|106005206X00119681217|name=第60回国会衆議院法務委員会第1号昭和43年12月17日|accessdate=2022-06-24}} /ref {{sfn|長崎|2003|pp=70-71}}。 この弾丸が「発見」された捜索では、訓練中の実験で使用された不発の手製手榴弾がTの証言通りに発見されており、Tの証言を補強する間接的物証とされたが、これについては弁護側からも否定されていない{{sfn|今西|河野|大石|2013|p=24}}{{sfn|今西|河野|大石|2013|p=76}}。 === 再審請求 === 日本共産党{{Efn|日本共産党は1955年1月1日に『赤旗』社説で極左冒険主義を自己批判し、公然化を宣言した{{sfn|今西|2020|pp=234-236}}。}}は冤罪キャンペーンを張り、110万人に及ぶ最高裁再審要請署名を集めた。党の支援を受けた村上国治は、無罪を主張して1965年(昭和40年)に再審請求を行い、最高裁判所への特別抗告まで争った ref name=" 2" / 。 しかし、1953年6月23日に獄中の村上国治が弁護士を経由して「''とくにモグらせた人間 {{Efn|当時札委関係。}} は絶対に活動させぬ様出来れば外国えやつて貰ひたいことを支店へ伝えて貰ひたい ref name=" 19" / ''」と証拠隠滅の為に実行犯グループを国外へ逃がすよう指示{{Efn|この指示が上述の人民艦隊による関係者の不法出国に関わっているとされる{{sfn|今西|河野|大石|2013|pp=6-16}}。}}した書面が国警に押さえられており{{sfn|今西|2020|pp=234-236}} ref {{harvnb|渡部|2012|p=255-264}} /ref 、それが裁判資料として提出されたことなどから、札幌高裁は1969年(昭和44年)6月18日に「弾丸の証拠価値は、(中略)たんに『原判決当時に比べいささか薄らいだ』というに止まらず、大幅に減退したと言わざるを得ない」と認めつつも、「各事件に、申立人(村上)が関与している事実は証拠上明白」であるにもかかわらず「明白な事実をことさらに否定しようとする申立人の供述には、その信ぴょう性に疑問をいだかざるをえない」などとして、村上の申立を棄却した ref name=" 13" / ref {{Cite book|和書|title=最高裁判所刑事判例集|year=1975|publisher=判例調査会|editor=最高裁判所|volume=29|issue=5|pages=321-347}} /ref ref {{Cite web|和書|url=http //chikyuza.net/archives/21084 |title=「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実② |accessdate=2017-12-01 |author=渡部富哉 |date=2012-03-22 |publisher=ちきゅう座}} /ref {{sfn|長崎|2003|pp=3-5}}。 最高裁も、1975年(昭和50年)5月20日に札幌高裁の決定を支持して村上の特別抗告を全員一致で棄却した ref name=" 2" / ref name=" 19" / {{sfn|田中|佐藤|野村|1980|pp=83-110}}{{sfn|大石|2014|pp=73-75}} ref name=" 1" / {{sfn|長崎|2003|pp=3-5}}。 村上は1969年(昭和44年)11月14日に半分近い刑期を残して仮釈放を受けている{{sfn|今西|河野|大石|2013|pp=6-16}}。 {{Clear}} == 白鳥決定 == {{最高裁判例 |事件名 = 再審請求棄却決定に対する異議申立棄却決定に対する特別抗告事件 |事件番号 = 昭和46年(し)第67号 |裁判年月日 = 1975年(昭和50年)5月20日 |判例集 = 刑集29巻5号177頁 |裁判要旨 = #刑訴法四三五条六号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」とは、確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる盡然性のある証拠をいう。 #刑訴法四三五条六号にいう 「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」であるかどうかは、もし当の証拠が確定判決を下した裁判所の審理中に提出されていたとすれば、はたしてその確定判決においてされたような事実認定に到達したであろうかという観点から、当の証拠と他の全証拠とを総合的に評価して判断すべきである。 #刑訴法四三五条六号にいう 「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」であるかどうかの判断に際しても、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りるという意味において、「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判における鉄則が適用される 。 |法廷名 = 第一小法廷 |裁判長 = 岸上康夫 |陪席裁判官 = 藤林益三・下田武三・岸盛一・団藤重光 |多数意見 = 全員一致 |意見 = なし |反対意見 = なし |参照法条 = 刑訴法435条6号 |url=https //www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=51033}} 上述の通り最高裁判所は再審請求を棄却したが、「再審制度においても『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則が適用される」との判断を示し{{Efn|主文の続きでは、「この見地に立つて本件をみると、原決定の説示中には措辞妥当を欠く部分もあるが、その真意が申立人に無罪の立証責任を負担させる趣旨のものでないことは、その説示全体に照らし明らかであつて、申立人提出の所論証拠弾丸に関する証拠が前述の明らかな証拠にあたらないものとした原決定の判断は、その結論において正当として首肯することができる」とされ、「所論は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四三三条所定の適法な抗告理由にあたらない」「要するに、所論の証拠弾丸に関する新証拠は、原判決の認定について合理的な疑いをいだかせるに足りないというべく、右新証拠が刑訴法四三五条六号所定の証拠の明白性の要件を具備しないとした原決定の判断は、その結論において正当として是認することができる」と結論づけられている ref name=" 19" / 。}}、事件にちなんで「白鳥決定 」と通称されるようになる ref {{Cite Kotobank |word=白鳥決定 |encyclopedia=デジタル大辞泉 |accessdate=2022-03-15}} /ref 。従前の再審裁判では証拠を完全に覆すに足る証言や証拠を求められることが通例であり、その厳しさは「開かずの扉」と呼ばれるほどであったが、この白鳥決定以後は裁判時の証拠や証言に対して「ある程度の合理的疑いが存在する場合」も再審の対象として扱われるようになった{{sfn|田中|佐藤|野村|1980|pp=83-110}} ref {{Cite web|和書|title=白鳥事件/白鳥決定|url=https //imidas.jp/genre/detail/F-105-0086.html|website=情報・知識&オピニオン imidas|publisher=集英社|accessdate=2020-08-25|author=伊藤真 (弁護士)|伊藤真}} /ref ref name=" 16" {{Cite Kotobank |word=再審 |encyclopedia=日本大百科全書 |accessdate=2022-06-24}} /ref 。 白鳥決定は、下級審の再審に関する姿勢も変えさせた極めて重要な判示となった{{efn|この白鳥決定については、傍論ないし傍論的なものと見做す見解がある一方で、一般的法命題も判例に含める前提に立つのであれば白鳥決定はこれに該当するとした意見もある ref {{Cite journal|和書|author=金築誠志|author-link=金築誠志|date=2016-03-31|title=判例について|url=http //id.nii.ac.jp/1648/00008078/|journal=中央ロー・ジャーナル|volume=12|issue=4|page=36|issn=1349-6239}} /ref 。}}。これに続く形で、1980年代には死刑の確定判決が出されていた免田事件・財田川事件・松山事件・島田事件・徳島ラジオ商殺し事件(死後再審)において無罪判決が相次いで出され、司法界に大きな衝撃を与えた{{sfn|田中|佐藤|野村|1980|pp=83-110}} ref name=" 16" / 。 == 後年の推移 == === 亡命者 === 事件に関与して中華人民共和国(中国)に逃亡した党員たちの多くは、文化大革命を経て日中国交正常化後に帰国したが、不起訴にされている。一方、日本共産党は『しんぶん赤旗|赤旗』でこの者たちを「反党盲従分子」と攻撃し、村上と接触させなかった{{sfn|今西|河野|大石|2013|pp=6-16}} ref {{Cite journal|和書|date=1975-12-28|title=いずれも反党盲従分子 {{small|中国から帰国の5人}}|journal=赤旗|page=15}} /ref 。 1955年(昭和30年)頃、実行犯として指名手配された3人は中国へ不法出国により亡命した ref name="20120329-OYT1T01212" {{Cite news|title=白鳥事件・最後の実行メンバー死亡…北京で|newspaper=YOMIURI ONLINE|date=2012-03-29|url=http //www.yomiuri.co.jp/national/news/20120329-OYT1T01212.htm|accessdate=2012-03-30|publisher=読売新聞社|archiveurl=https //web.archive.org/web/20120330223817/http //www.yomiuri.co.jp/national/news/20120329-OYT1T01212.htm|archivedate=2012年3月30日}} /ref 。彼らは北京機関解体後に四川省に追いやられ{{Efn|これらの白鳥事件に関与して四川省に滞在していた者たちは「四川組」と呼ばれ、中国名を名乗っていた ref name=" 21" {{Cite journal|和書 |author=国谷哲資 |title=北京追憶 若者が体験した戦後日中関係秘史 |journal=アジア社会文化研究 |ISSN=1346-1567 |publisher=アジア社会文化研究会 |date=2019-03-31 |issue=20 |pages=43-71 |naid=120006621681 |doi=10.15027/47472 |url=https //doi.org/10.15027/47472}} /ref 。}} ref name=" 20" {{Cite web|和書|url=http //e-kyodo.sakura.ne.jp/tejima/140320kounotamio.pdf|title=「白鳥事件を考える札幌集会」の報告|accessdate=2020-08-27|publisher=インターネット事業団|author=河野民雄}} /ref 、射殺の実行者とされた『ひろ』を含むこのうちの2人が1988年(昭和63年)に悪性腫瘍|癌で病死し、革命烈士として八宝山革命公墓に埋葬された{{Efn|2人共白酒 (中国酒)|白酒を浴びるように飲んでいたという{{sfn|今西|河野|大石|2013|pp=6-16}}。}}{{sfn|今西|河野|大石|2013|pp=6-16}}{{sfn|今西|2020|pp=238-243}}。 最後の生き残りとなった鶴田倫也 {{efn|鶴田の事件との関わりは明らかにされていないが ref name=" 23" / 、事件当日に白鳥警部を発見するまで『ひろ』と同行し、犯行に使ったブローニング拳銃の隠蔽に関わったとされる{{sfn|今西|2020|pp=232-234}}。暗殺の実行者だったとする主張もある{{sfn|大石|2014|pp=76}}。}}は北京外国語大学で「唐沢明{{Efn|教科書では中国語で同じ発音({{ピンイン|Tángzémíng}})となる「唐則銘」という名義を用いた。「中国の恩を覚えておく」という意味が込められているという ref name=" 23" / 。}}」という通称で日本語教師をしており、鶴田が編纂した教科書は多くの大学で使われた ref name=" 21" / ref name=" 23" {{Cite journal|和書|author=菅原裕和|date=2012-06-05|title=中国に逃亡した鶴田容疑者が日本史の教科書を執筆していた|journal=エコノミスト|volume=90|issue=24|pages=90-93}} /ref ref name=" 7" / 。 1996年1月9日に関係者の訪問を受けた鶴田は泥酔し「俺らのやったことはオウム真理教と同じだという奴がいる。俺はな、単なるやくざ者で白鳥をやったのとは違う。あんなごろつきやって何が悪いんだ」「おれはここにいてプロレタリアート|プロレタリア国際主義の立場から日本革命を考えている」とくだを巻いたという{{sfn|今西|2020|pp=238-243}}。 鶴田は訪中した日本人から身を隠すようにして定年後は大学構内の教職員宿舎に居住していた{{efn|鶴田の現地での暮らしぶりは安定していたが、同居する配偶者が中国当局の監視役であったことが示唆されている{{sfn|大石|2014|pp=82}}。}}。1997年(平成9年)6月、時事通信の記者が北京市内で鶴田との接触に成功したが、鶴田は事件の真相を語らなかった。このとき、一向に事件について語ろうとせず「ここ(中国)にいられないようにしてやる」とすごむ鶴田に対し記者が「わかりました。この件については自分の判断でやります」と言うと、鶴田は「俺は昔から新聞記者は嫌いだったんだ!」と捨て台詞を吐いた。このころ渡部富哉らによる鶴田帰国支援運動が別途行われていたところであるが、時事通信の取材後に鶴田は消息不明となり、国際刑事警察機構|ICPOを通じて照会を求めた日本の警察庁に対して中国側は「鶴田なる人物は中国にはいない」と回答した。鶴田は心臓疾患を患い2012年(平成24年)1月頃から体調を崩し、3月14日に北京で死亡したことが報道されている{{sfn|今西|河野|大石|2013|pp=6-16}} ref name=" 21" / ref name=" 7" {{harvnb|後藤|2013|p=263-274}} /ref ref name="jiji2012032900320" {{Cite news|title=白鳥事件の鶴田容疑者が死亡=逃亡先の北京で-警部射殺から60年、真相語らず|newspaper=時事ドットコム|date=2012-03-29|url=http //www.jiji.com/jc/c?g=soc rel=j7 k=2012032900320|accessdate=2012-03-30|publisher=時事通信社}}{{リンク切れ|date=2013-04-18}} /ref ref {{harvnb|渡部|2012|p=288-290}} /ref 。鶴田は「唐沢明として革命公墓に入ると骨を調べられる。DNA型鑑定|DNA鑑定もできないように海に流せ」と遺言を残し、遺言どおりに天津市|天津沖で散骨されたという{{sfn|今西|河野|大石|2013|pp=6-16}}{{sfn|今西|2020|pp=238-243}}。 白鳥の妻は上述の時事通信記者から鶴田生存の報を聞くと「生きてらっしゃるのですか」と驚いたが、「いまさら憎んでもしょうがないでしょう。亡くなった人間が帰ってくるわけでもないし。月日もたって思い出したくありません。そっとしておいてください」と答えた ref name=" 7" / 。 国外逃亡を続けて中国で客死した、上述の3人の公訴時効#公訴時効の停止|公訴時効は停止している。中華人民共和国公安部|中国公安当局による死亡確認を得られていないことを理由に両名の逮捕#通常逮捕|逮捕状は半年間隔で更新され続けており、効力を有する日本の逮捕状としては最古のものとなっている(逮捕状の有効期限は原則7日) ref name=" 18" / ref name=" 8" / ref {{Cite news|title=更新続く「最古の逮捕状」 白鳥事件で北海道警|date=2012-11-24|url=https //www.chibanippo.co.jp/newspack/20121124/111330|accessdate=2018-09-01|publication-date=|language=ja}} /ref ref {{Cite news|title=更新続く「最古の逮捕状」 白鳥事件で北海道警|date=2012-11-24|url=https //web.archive.org/web/20131023061210/http //www.47news.jp/CN/201211/CN2012112401000993.html|accessdate=2013-04-18|agency=共同通信社|publisher=47NEWS}} /ref 。2022年4月の時点で鶴田容疑者は161回、佐藤博容疑者は180回更新された。 === 川口の告白 === 1998年(平成10年)、事件当時の北海道地方委員会軍事部門幹部であった川口孝夫{{Efn|川口は妻とともに1956年3月に人民艦隊で中国大陸に渡り{{sfn|今西|2020|pp=236-238}}、滞在中の1967年に起きた北京空港事件で砂間一良を庇い、その後監禁・査問を受けた。田中角栄訪中後の1973年12月に帰国した川口は、鶴田の帰国にも取り組み、帰国後は真相を語ること、弁護士は国選弁護人にすることなどで1997年4月に鶴田と合意したという。しかし、上述の時事通信のスクープ報道後、鶴田からの連絡は途絶えた{{sfn|今西|2020|pp=244-267}}{{sfn|今西|2020|pp=238-243}}。}}が、軍事活動を知りすぎて党に日本を追放された旨を主張する『流されて蜀の国へ』という回顧録を自費出版した。川口はその際の北海道新聞のインタビューで、「謀略ではなかったと言ってよい」と松本清張などが提唱した米軍謀略説を否定し、党員の犯行であったことを認めている。川口は「事件に関与していないが、事件後に報告を受けました」として中核自衛隊の元隊員Tの証言が自分が受けた報告と合致することを認め、さらに党の真相調査に対して「事実」を報告していたことも明かされた。なお、村上が裁判闘争を続けたことについては「彼は、私の入党責任者{{efn|川口は1947年に村上の勧誘を受け、日本共産党に入党している{{sfn|今西|2020|p=232}}。}}。『左』の路線の時も、すごい活動家だった。間違いを犯したのは共産党の方針が間違っていたためで。彼個人の責任とは考えません。彼も晩年は気の毒な人でした」とした ref name=" 15" {{harvnb|後藤|2013|p=279}} /ref ref name=" 17" {{Cite news|和書|date=1998-10-29|title=白鳥事件 党員の犯行裏付け 元共産党軍事部門幹部が証言 米軍謀略説を否定 事件直後「報告聞いた」|newspaper=北海道新聞|page=1}} /ref ref {{Cite news|和書|date=1998-10-29|title=白鳥事件で証言 川口孝夫さんに聞く 「当時の党 方針間違い」|newspaper=北海道新聞|page=27}} /ref ref {{Citation|和書|title=現代史への一証言(上)川口孝夫著『流されて蜀の国へ』を紹介する|last=中野|first=徹三|year=1999|url=https //doi.org/10.11501/1817138|work=労働運動研究|publisher=労働運動研究所|issue=356|pages=34-37|doi=10.11501/1817138}} /ref ref {{Citation|和書|title=現代史への一証言(下)川口孝夫著『流されて蜀の国へ』を紹介する|last=中野|first=徹三|year=1999|url=https //doi.org/10.11501/1817139|work=労働運動研究|publisher=労働運動研究所|issue=357|pages=30-33|doi=10.11501/1817139}} /ref 。 共産党は同紙の取材に対しては「党が分裂していた当時の一方の側の問題で、党としてコメントする立場ではない ref name=" 17" / 」と言及を避けた一方で「歴史の暗部の断層にうごめいて生き血を吸い、腐肉を喰らう男」と川口を激しく誹謗した。事件に関連して中国に逃亡した者からも「軍事方針の直接の実行部隊幹部であったことを自認し、非合法の軍事方針を実践していたことを確認しておりながら、彼は下部組織の犯行であって自分は関与していないと白を切っている」と川口に対し批判の声が上がった。中国への逃亡の後に帰国した人物は、「当時の共産党は組織原則が厳しく、党員は絶対服従することが義務付けられていた」「白鳥事件についても村上国治が上部組織の許可なしに計画実行することなどあり得ない」「川口がこの事件の直接の策謀者だと信じている」と見解を述べている ref name=" 11" {{harvnb|後藤|2013|p=220-222}} /ref 。 『流されて蜀の国へ』に対しては「事件の真相を曖昧にしている」との批判もあったが、川口は「妻は何の理由もなく異国に送られ、十八年もの長き年月を強制的に中国に滞在させられ、悲しくつらい思いをし、苦しめられた。その原因である『白鳥事件』の真相の公表を、妻は人生の最後まで望んでいた。私は六〇年間の長い年月の苦労の旅をともにしてきた(妻の名前)の最後の願いを実現させる事こそ、私に残された最後の仕事と考えている{{sfn|今西|2020|pp=244-267}}」として事件に関する自らの体験を記した『いまなぜ「白鳥事件」の真相を公表するか』と題した遺稿を2002年に書き上げ、2004年に他界している{{sfn|今西|2020|pp=238-243}}。この中で川口は、中核自衛隊の射撃訓練に参加したことや村上の強い要請で『ひろ』の逃亡に加担したことを明かしている{{efn|川口が的屋グループに属する甥に依頼して『ひろ』を奈井江白山の鉱山飯場へ送り込んだことは、裁判で用いられた参考人調書でも確認される{{sfn|渡部|2012|pp=144-153}}。}}{{sfn|今西|2020|pp=244-267}}。 === Tによる謝罪 === 2012年(平成24年)2月24日、裁判で用いられた自供を行い、自身も暗殺計画に参加したとして殺人罪 (日本)|殺人幇助などの罪で執行猶予判決を受けたTは、「中核自衛隊が計画を進めていたのは事実」と中核自衛隊の犯行であったことを改めて認め、説明責任を果たすため手記を公表予定と読売新聞の取材で述べていた{{efn|川口らとの共著を五月書房から刊行する動きがあったが、2021年現在出版は確認されていない{{sfn|今西|河野|2012|p=13}}。}} ref {{Cite news|url=http //www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20120224-OYT8T00017.htm|title=「白鳥事件」銃撃、数日前に失敗…地下組織の元隊員60年後の証言|newspaper=YOMIURI ONLINE|publisher=読売新聞社|date=2012年2月24日|archiveurl=https //web.archive.org/web/20120227075103/http //www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20120224-OYT8T00017.htm|archivedate=2012年2月27日}} /ref 。 Tはその後、「裏切り者とかイスカリオテのユダ|ユダと悪罵を投げかけられながらも60年間ジッと耐えて我慢してきたTに一回喋ってもらい、記録に残したい」として有志が同年10月に小樽商科大学のサテライト教室で開催した、『白鳥事件を考える集い』に参加し ref name=" 20" / 、「若く幼稚な正義感から白鳥警部殺害に関与してしまった。当時は白鳥氏には妻子がいることに思いが及ばず、白鳥警部のご家族に多大のご迷惑をかけたことを、今となっては遅きに失するが心よりお詫びしたい。また、この事件で多くの札幌市民を不安に陥れたことを深く反省している{{sfn|今西|河野|大石|2013|p=21}}」と謝罪の言葉を述べ、「共産党は55年の日本共産党第6回全国協議会|6全協で極左冒険主義を清算したといいます。だが、その具体的内容には触れておらず、白鳥事件のことなど一切出てきません。それどころか、事件は一部の分派の飛び跳ねた部分がやったということで、ぼくらや仲間のやったことを切り捨て、現在の党には関係ないといいます。果たしてこんなことで、一般の国民を納得させられるでしょうか{{sfn|今西|河野|大石|2013|p=24}}」と疑問を投げかけた ref name=" 20" / 。またTは、出所後の村上と面会し、互いに事件のことには触れずに2時間ほど回顧談をしたことを明かしている{{sfn|渡部|2012|pp=15-16}}{{sfn|今西|河野|大石|2013|pp=25-26}}。 === その他 === 2002年(平成14年)に長野県松本市の松本市歴史の里|旧司法博物館にあった白鳥事件の裁判資料を有志が整理して公開されたが、博物館が同市に移管されてからは、多くの個人情報が含まれることなどから公文書等の管理に関する法律|公文書管理法第16条第2項の「不開示情報」として閲覧禁止となっている ref name=" 2" / 。市立博物館側は「デリケートな情報が多く自治体として公開に至る判断はできなかった」としていたが、2021年12月8日の松本市議会で同市教育部長が研究機関への寄贈を打診していることを明らかにした ref {{Cite journal|和書|date=2021-12-09|title=白鳥事件裁判資料譲渡へ|journal=市民タイムス|page=1}} /ref 。 2011年(平成23年)3月27日、HBC北海道放送が事件関係者へのインタビューなどを通じて白鳥事件の真相を追ったラジオドキュメンタリー『インターが聴こえない~白鳥事件60年目の真実~』(HBCラジオ開局60周年記念ドキュメンタリー)を放送し、同年5月に第37回放送文化基金賞ラジオ部門優秀賞 ref [http //www.hbc.co.jp/hbc/press.html HBC北海道放送 プレスリリース 2011年] /ref を、同6月に第48回ギャラクシー賞ラジオ部門大賞 ref {{Cite news | url = https //web.archive.org/web/20130927001822/http //www.47news.jp/CN/201106/CN2011060201000949.html | title = 秋田放送の番組がテレビ部門大賞 第48回ギャラクシー賞 | agency = 共同通信社 | publisher = 47NEWS | date = 2011-06-02 |accessdate= 2013-04-18}} /ref を受賞している。番組の終盤には、鶴田との接触を持ち、中国共産党とのパイプを持つ人物へのインタビューの録音が流されるが、その人物は関係者が全員死なないと話せないと証言を拒んでいる。 == エピソード == 北海道大学教授の布施鉄治はイールズ声明|イールズ闘争世代であり反骨の学者と知られていたが、「白鳥運動」に取り組もうとしていた者に対して、「白鳥にかかわったとされる多くの党員学友が行方不明になっている。自分の親友もいた。おそらくは中国へ脱出したのだ。冤罪と思っている人は北大にはいない。白鳥事件を三鷹事件や松川事件と同列に論ずるわけにはいかない。これが現地北海道の常識だから深入りしないように」と釘を刺していた。松川・青梅事件|青梅・芦別事件などでは無罪判決が出され、そのほとんどが冤罪事件とされる戦後の公安事件の中にあって、白鳥事件は「検察最後の砦」であり、近年に至るまで北海道でのタブーとされていた ref name=" 15" / {{sfn|今西|河野|大石|2013|pp=6-16}}。共産党議員であった志賀義雄も、『ドキュメント志賀義雄』を編纂していた横堀洋一に事件の真相について意見を求められ、次のように述べて口を閉ざしている{{sfn|渡部|2012|p=258}}。 {{Quotation|もちろん、国会で追求するつもりだった。ところが、種々調べてみると下手な発言ができないことが次第にわかってきた。そこで、手づるを求めて当時、自民党の大物議員だった賀屋興宣に面会して、意見を聞いてみた。すると賀屋興宣は「志賀君、君のために忠告しておくが、それだけはやめておいたほうがいい。村上国治は獄中から弁護士の面会の際に、関係者を国外に逃がせ、というレポを渡し、それが当局の手に渡っているんだよ」と言うんだ。}} 自由法曹団の団長を務め上告審から本事件に関与した上田誠吉は、1977年のインタビュー ref {{Cite journal|和書|year=1977|title=上田誠吉氏に聞く--白鳥事件のことなど(法曹あの頃-26-)|journal=法学セミナー|issue=273|pages=84-88|publisher=日本評論社}} /ref で、戦後の公安事件の多くで無罪判決が出された中において白鳥事件は有罪となっている点について問われ、「当時、ある種の極左冒険主義があったことは間違いないんで、これが巧みに(治安当局に)利用されているんです。一部の人たちが武器を作り、集めていたということはあるようで、(中略)あの状況の中で白鳥警部が射殺される、共産党の周囲の近しい人、あるいは内部の人自体が、〝ははあ、これはうちの関係者がやったのではないか〟と疑うこと、これがこわいですね」と答えた。また『ひろ』ら中国への逃亡組について触れられると、「何人か帰国した人たちがいるようですが、この人たちも強く無罪を主張しているようですね。くわしいことはわかりませんが」と述べた ref {{Cite book|和書|title=法曹あの頃(上)|year=1978|publisher=日本評論社|pages=75-76|author=野村二郎|series=日評選書}} /ref 。 札幌地検の次席検事として村上国治の取り調べをした高木一(帝銀事件で平沢貞通の取り調べを行った検事)は、ヤメ検になったあとの1980年に行われたインタビューで ref {{Cite journal|和書|year=1980|title=高木一氏に聞く-下-白鳥事件(法曹あの頃-51-)|journal=法学セミナー|volume=24|issue=2|pages=32-35|publisher=日本評論社}} /ref 、「私は、個人的には、村上は正直ないい男だと思いますよ」「結局、村上は党の方針にあおられていたのだと思います。しかし、党内では、農民的一揆主義の突出行為だという批判を受けています。それはそうだと思いますが、あおった党の軍事方針に非常に大きな危険をはらんでいたと思いますね」と述べ、後年、別の公安事件(芦別事件)の法廷で白髪頭になった村上に傍聴席からヤジを飛ばされ、なつかしい気持ちで「おお」と声をかけると「おおでないよ」と言われたエピソードを紹介している。帝銀事件にくらべ「白鳥事件はその百倍も苦労しました。相手もそうだし、味方もコントロールしなければなりません。臆病になってもいけないし、逃げ回ってもいけない。まして行きすぎても行けない。戦争だからやっつけましょう、という意見もあるんです。そうしたのを押さえながら捜査を進めるんですからたいへんでした」と当時の苦労を明かした。なお、高木は帰国した中国逃亡組が起訴猶予になったのは「大いに賛成」と述べている ref {{Cite book|和書|title=法曹あの頃(下)|year=1981|publisher=日本評論社|pages=187-190|author=野村二郎|series=日評選書}} /ref 。 == 年譜 == 1951年 4月 - 村上国治(当時:留萌委員長)が『平和のこえ』紙頒布のかど(占領目的阻害行為処罰令違反)で逮捕される{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 7月 - 村上が旭川刑務所から釈放{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 10月 - 広島県オルグであった追平雍嘉が札幌委員会常任に就任{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 10月16・17日 - 日本共産党第5回全国協議会(五全協)が開催され、51年綱領・武装軍事方針を採択。川口孝夫が道委員会軍事部に転出{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 10月20日 - 村上が留萌地区委員長から札幌委員長に就任{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 10月下旬 - 追平がビューロー員となる{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 10月23日 - 日共北海道地方委員会が下部組織に対し"帝国主義者の走狗"に対する攻撃集中を指示。白鳥警部については「特高あがりで、共産党に対して最も悪辣である」と付記され、「北海道に於いては悪辣な村巡査に至るまで村八分を実施し、主婦や子供を徹底的に仲間外れにするまでビラ、伝単で攻撃をくわえられたい」と指示{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 11月中旬 村上がSに「琴似方面でブローニングが手に入るのだが4千円ほど欲しい」と連絡{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 Sがベルナルデリ小型拳銃の持ち主の情報を村上に伝え、村上が「その話はおれの方で預かろうではないか」と答える{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 村上がSにブローニングが入手できたと伝える{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 11月末 - 日本電気産業労働者組合(電産)社宅にある党員U宅で新綱領・軍事方針についての講習会を実施。この席で村上が「白鳥はもう殺してもいい奴だな」と発言 ref name=" 26" / {{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 12月10日 - 幌見峠で拳銃射撃訓練{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 12月23・24日 - 村上がSに対し、「全党に模範を示すんだろう。警察官の1人や2人殺ったって浮かないさ」「どうだ、白鳥を堂々と襲撃しようかい」「日本共産党を名乗って白鳥課長の家を襲ってやっつけるんだ」などと発言。これに対しSは「やるなら暗殺を狙うべきだ」と意見を述べる ref name=" 26" / {{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 12月27日 - 餅代よこせ事件。札幌市自由労働組合(自労)20数人が市役所内で座り込みを行う。要請を受けた白鳥警部らが出動し、有力党員11人を検挙。同日、東京都練馬区で練馬事件が発生。村上が追平に「東京に先にやられた」と語る{{sfn|今西|河野|2012|p=10}}{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 12月29日 - 白鳥射殺の実行を決定{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 12月30日 - 白鳥警部宅に脅迫ビラ十数枚が貼られる{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 1952年 1月3日 - S宅で開かれた新年宴会を兼ねた新綱領の学習会の席上で、『ひろ』が「白鳥課長らは労働者を弾圧しているひどい人間だから、ああいう人間を生かしておく必要はない」などと発言{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 1月4日 - 村上が中核自衛隊員に対し白鳥殺害は拳銃をもってやることを告げる{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 1月5~6日 - 手榴弾の実験を兼ねた幌見峠射撃訓練{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 1月10日 - 川口が『ひろ』に「白鳥を殺ったら浮くか浮かないか」と問われる。これを受けて川口は北海道地方委員会議長に宛てて計画中止を求める緊急レポを出すが、回答はなかった{{sfn|今西|2020|pp=232-234}}{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 1月中旬 - Tが『ひろ』の部屋でブローニング拳銃を見る{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 1月15日 - 白鳥警部と路上で遭遇した『ひろ』が射殺を試みるが、弾が出ずに失敗{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。Tらが拳銃のオーバーホールを行う{{sfn|今西|2020|pp=232-234}}。 1月21日 - 19時40分頃、白鳥警部射殺{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}} 。現場で薬莢1個が押収される{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}。 1月22日 - 北大にて司法解剖。体内から弾丸1発(206号弾丸 ref name=" 13" / )が摘出される{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}。 1月23日 - 北大正門前・札幌鉄道局北海道旅客鉄道苗穂工場|苗穂工場や大通東2丁目札幌職安労働者集合所などで「天誅ビラ」が撒かれる{{sfn|今西|2020|pp=232-234}}{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。札幌市警本部長が「一応日教関係の犯行とみなし、威信にかけても犯人は検挙してみせる」と発表{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}。 1月26日 - 苗穂町駐在所に抗議に押しかけた共産党員らが、苗穂工場前で「白鳥事件を口実として民主団体を弾圧するとは何事だ。直ちに手を引かないと第二の白鳥がでるゾ」と書かれたアジビラを配布する{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 1月27日または28日 - 村上がSに実行犯が『ひろ』であると打ち明ける{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 4月12日 - 道庁細胞長Nが逮捕される{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 6月2日 - 菅生事件。 8月上旬 - Nが伊豆伊東で発見され、札幌に移送される{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 8月28日 - Sが逮捕される。以降、共産党札幌委員会活動家の逮捕が続く{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 10月1日 - 村上が街頭での選挙運動中に逮捕される{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 12月23日 - S信用組合理事長が服毒自殺{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 1953年 4月9日 - 追平が八王子駅付近街頭で逮捕される{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 6月23日 - 村上、実行犯グループの潜伏の徹底・国外逃亡を特別弁護人に指示{{sfn|今西|2020|pp=234-236}}{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 7月8日 - 上述の村上レポが警察当局に押収される {{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 7月11日 - Tが脱党を声明{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 7月13日{{Efn|11日とも{{sfn|今西|2020|pp=234-236}}。}} - 村上、苫小牧警察署からの逃亡を企て失敗(1回目){{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 8月19日 - 幌見峠で発射弾丸1発(207号弾丸 ref name=" 13" / )が「発見」される{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}。 9月4日 - 上記207号弾丸と白鳥の体内から摘出された206号弾丸について、同一の銃器から発射されたものと「直ちには断定することが出来ないものと認められる」との鑑定書(銃鑑第七五九号)を国警科学捜査研究所が出す{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}{{sfn|長崎|2003|pp=106-110}}。 10月19日 - 公判廷において村上が裁判長に殴りかかる{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 1954年 1月16日 - 村上、苫小牧警察署からの逃亡を企て失敗(2回目){{sfn|今西|2020|pp=234-236}}{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 2月15日 - 村上、苫小牧警察署からの逃亡を企て失敗(3回目){{sfn|今西|2020|pp=234-236}}{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 4月30日 - 幌見峠試射場で2発目の弾丸(208号弾丸 ref name=" 13" / )が「発見」される{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}。 7月1日 - 改正警察法の施行により、国家地方警察と自治体警察が廃止され、警察庁と都道府県警察へ統合。 7月30日 - 幌見峠で「発見」された207号弾丸・208号弾丸(「ニ個の弾丸」 ref name=" 13" / )と206号弾丸について、「同一銃器によって発射されたもの認定するに足る程度の類似発射痕特徴を発見し得なかった」との鑑定書(銃鑑第九七九号)を警察庁科学捜査研究所が出す{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}{{sfn|長崎|2003|pp=111-113}}。 10月18日 - Sに懲役3年、執行猶予4年の判決{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 1955年 7月 - 日本共産党第6回全国協議会。極左軍事冒険主義を転換{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 11月1日 - 札幌地検(高木一)の委嘱を受けた磯部孝東京大学教授が、「ニ個の弾丸」と206号弾丸について、「仮に異なれる銃器によって発射されたとするならば、現弾丸に見られる如き、線状痕の一致の生起する確率は極めて小さく、大きく見積もっても〇、〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇一より小さいことが認められる」とする鑑定書(磯部鑑定書 )を出す{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}{{sfn|長崎|2003|pp=121-126}}。 1957年 5月8日 - Tに懲役3年、執行猶予3年の判決{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 1958年 4月13日 - 警視庁が「人民艦隊」第1勝漁丸関係者らを逮捕し、同船が中共に密出国させた乗客は『ひろ』ら白鳥事件容疑者4人と発表{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 1963年 10月17日 - 最高裁判所(第一小法廷)が上告を棄却し、村上の実刑判決が確定 {{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}。 11月28日 - 村上が網走刑務所に収監される{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}。 1965年 10月21日 - 再審請求書が札幌高裁に提出される{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}。 1967年 11月18日~21日 - 鑑定人3名に対し、事実取り調べが行われる{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}。 11月21日 - 磯部鑑定書について、磯部に対し取り調べが行われる。その中で磯部は、自らが弾丸の鑑定については素人であること、東大には比較顕微鏡もないため最高検察庁の者から米軍を紹介され、G曹長に鑑定を丸投げしていたことを証言 {{sfn|長崎|2003|pp=61-68}}{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}。 1968年 8月5日 -科捜研鑑定書 {{Efn|これらの鑑定書は法廷に提出されておらず、2度にわたる弁護団からの札幌高裁への照会要求によって内容が明らかとなった{{sfn|長崎|2003|pp=68-70}}。}}(銃鑑第七五九号・銃鑑第九七九号)が弁護団に提出される {{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}{{sfn|長崎|2003|pp=68-70}}。 1969年 6月13日 - 札幌高裁が再審請求申立を棄却{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}。 11月14日 -村上が仮釈放を受ける {{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}。 1973年 12月13日 - 川口らが中国から帰国{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 1975年 5月20日 - 最高裁判所(第1小法廷)が村上の特別抗告棄却を決定 {{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}{{sfn|長崎|2003|pp=(1)-(8)|loc=白鳥事件(弾丸を中心とした)年表}}。 1988年 『ひろ』ら2人が北京で客死{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 1994年 11月3日 - 村上が焼死{{Efn|事件の事情を知る、川口の帰国後の動きを悲観しての焼身自殺であったとも言われる ref name=" 27" / 。}}{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 1997年 6月8日 - 時事通信社が「鶴田、北京で確認」と発信{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 1998年 10月29日 - 川口が事件直後に報告を聞いたと暴露し、Tの証言を肯定{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 2012年 3月14日 - 鶴田死去{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 10月27日 - 「白鳥事件を考える集い」開催{{sfn|渡部|2012|pp=342-380}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|2}} === 出典 === {{Reflist|20em|refs= ref name=" 25" {{Cite web|和書|title=【風を読む】学があってテロに走ったのはオウム入信者だけではない 論説副委員長・榊原智|url=https //www.sankei.com/article/20180710-UAWSROJBJRNKPNBZHY3L5LYCJU/|website=産経ニュース|date=2018-07-10|accessdate=2021-12-06}} /ref }} == 参考文献 == {{Citation|和書|title=白鳥事件|year=1959|last=追平|first=雍嘉|url=https //doi.org/10.11501/1669593|publisher=日本週報社|doi=10.11501/1669593}} {{Citation|和書|title=戦後政治裁判史録2|year=1980|publisher=第一法規出版|editor1-last=田中|editor2-last=佐藤|editor1-first=二郎|editor2-first=功|editor3-last=野村|editor3-first=二郎}} {{Citation|和書|title=作られた証拠 白鳥事件と弾丸鑑定|year=2003|publisher=アグネ技術センター|last=長崎|first=誠三|author-link=長崎誠三|isbn=978-4901496025}} {{Citation|和書|author= |title=新警備用語辞典 |publisher=立花書房 |year=2009 |NCID=BA91464482 |ISBN=9784803713022 |url=https //iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010544351-00 |ref={{Harvid|立花書房|2009}}}} {{Citation|和書|last=今西|first=一|last2=河野|first2=民雄|date=2012-07-25|title= 白鳥事件と北大 高安知彦氏に聞く |url=https //hdl.handle.net/10252/4928|journal=商学討究|volume=63|issue=1|pages=1-50}} {{Citation|和書|title=白鳥事件 {{small|偽りの冤罪}}|publisher=同時代社|year=2012|month=12|ISBN=978-4886837363|last=渡部|first=富哉|author-link=渡部富哉}} {{Citation|和書|last=後藤|first=篤志|title=亡命者 {{small|白鳥警部射殺事件の闇}}|publisher=筑摩書房|year=2013|month=9|ISBN=978-4480818379}} {{Citation|和書|ref=harv|title=シンポジウム・歴史としての白鳥事件|last=今西|first=一|last2=河野|first2=民雄|last3=大石|first3=進|year=2013|month=dec|url=https //hdl.handle.net/10252/5243|journal=商学討究|publisher=小樽商科大学|volume=64|issue=2/3|pages=3-95|ISSN=0474-8638|naid=120005360098}} {{Citation|和書|last=大石|first=進|title=私記 白鳥事件 |publisher=日本評論社 |year=2014 |NCID=BB17240101 |ISBN=9784535520806 |url=https //iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I025875093-00}} {{Citation|和書|last=今西|first=一|year=2020|title=白鳥事件と中国 川口孝夫の「遺書」|journal=アリーナ|issue=23|pages=230-267|publisher=中部大学|isbn=978-4-8331-4150-5|oclc=1227470235}} == 関連書籍 == {{Citation|和書|title=壁あつくとも 村上国治獄中詩・書簡集|publisher=日本青年出版社|year=1969|editor=白鳥事件中央対策協議会|last=村上|first=国治}} {{Citation|和書|title=白鳥事件の謎 ノンフィクション・スパイシリーズ|publisher=東洋書房|year=1968|last=宮川|first=弘}} {{Citation|和書|title=網走獄中記 白鳥事件-獄中18年たたかいの記録|publisher=日本国民救援会中央本部|year=1974|last=村上|first=国治}} {{Citation|和書|title=白鳥事件研究 昭和史の発掘|publisher=白石書店|year=1977|month=3|author-link=山田清三郎 (作家)|last=山田|first=清三郎}} {{Citation|和書|title=国治よ 母と姉の心の叫び 謀略白鳥事件とともに生きて|publisher=光陽出版社|year=1997|month=11|ISBN=978-4876622122|last=長岡|first=千代}} {{Citation|和書|title=白鳥事件|publisher=新風舎|year=2005|month=10|ISBN=978-4797498516|last=山田|first=清三郎}} 柳原滋雄『実録・白鳥事件ー「五一年綱領」に殉じた男たち』論創社、2023年12月。
https://w.atwiki.jp/herikutu/pages/98.html
424: 死球の魔女 ◆GwacvxUg7Q :2017/09/01(金) 12 38 37 ID X6VR.jMM0 今夜の9 30~10 00の間にまた新しい盤を開始します、参加して頂けると嬉しいです 425: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/01(金) 15 52 24 ID A/TmrxSc0 . 424 僭越ながらWikiの告知ページとTwitterにて宣伝させていただきました。 よろしくお願いします、楽しみにしております。 426: 死球の魔女 ◆GwacvxUg7Q :2017/09/01(金) 21 43 19 ID kCQBZ3XI0 魔女「みなさん、お久しぶりです。さて新しい盤が用意できたので早速問題を出させていただきます。 少々ばかり遅れてしまって申し訳ございません…前回ほどは突飛な発想ではないはずです」 魔女「これは私こと死球の魔女が珍しく人助けをした話です。 まあ、魔女の話なんて嘘八百であることが多い…いえいえ、なんでもありませんよ」 幻想描写 ある少女が自分の家で泣いていました。それを見かけた魔女さんは少女に声を掛けたのです。 魔女「こんにちは、小さいお嬢さん。一体どうしたんですか?」 少女「お父さんとお母さんが悪い人に殺されてしまったの…お姉さんだあれ?」 魔女「私は魔女でございます。 さてさて、今日の私は珍しく機嫌が良いので奇跡を起こしてご覧にいれましょう」 少女「奇跡って?」 魔女「こっそりと貴女が目を覚ましたら、お母さんとお父さんが蘇るように魔法をかけてあげましょう、 さて、子供は寝る時間ですよ… ああ、それともう一つ、仮に私の師匠が来ても絶対にこのことは話しちゃダメですよ」 そう言って魔女は少女に眠りの魔法をかけた後、 お父さんとお母さんをこっそりと生き返るように魔法をかけました。 次の日、少女が目を覚ますとお父さんとお母さんが再びいつものように笑って話していました、 魔女は本当に魔法でお父さんとお母さんを蘇らせてしまったのです。 この後に、勝手に人間を蘇らせてしまったのが師匠にバレて、 私が師匠からこっぴどく叱られたのはまた別の話。 魔女「わー、魔女さん優しいー!…え、人間がこれをやったのですか? ええ分かっています、これはそういうゲームですから…」 魔女「さて、私は彼女の親が生きていたのは魔女が生き返らせたと考えますが、 そうでないとしたらどのようにしたのでしょうか?人間の皆様頑張ってください」 ただし 【父と母の死因は刃物によって刺された事による、失血死または内臓の損傷による死とする】 【しかし、翌朝娘が目を覚ました後に父と母は生きていたとする】 【父と母が刺された部屋は事件が起こる前30分から事件の起きた後30分後の間ずっと 事件が起こった部屋の窓もドアも鍵が閉まったまま、要は密室であった】 【警察が捜査に入る直前まで部屋はベアトリーチェの密室定義を満たしていた】 魔女の戯言に惑わされずにこの盤に隠された真実を見抜いて下さい! 427: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/01(金) 22 16 10 ID A/TmrxSc0 魔女さまこんばんは。ゲーム盤の構築、ありがとうございます。 まずは定義の確認から 復唱要求「事件とは、父と母が刃物で刺されたことを指す」 「翌朝とは、父と母が刺された日の翌朝を指す」 切ってほしい推理を青で出しときます 『娘が密室内に同室し、父と母を殺害した』 『娘には実の父母と育ての父母がおり、死亡したのはそのどちらかでもう片方は生存していた』 『「父と母」という名前の人物が存在した』 428: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/01(金) 22 25 09 ID iIxvOOqU0 こんばんは 参加させて頂きます 青1『ゲーム等のフィクション世界の出来事だったので蘇生魔法を使った、 .あるいはゲームの進行に応じてストーリーが変化して生き返った』 青2『父母は仮死状態だった。病院での大手術の結果、蘇生した。』 青3『娘を引き取るための養父母が現れた。 血縁上の父母は死亡したまま』 復唱要求「父は人間である」「母は人間である」「父母は作り物や偽物ではない」 「父と母は家の中で刺された」「悪い人が父と母を刺した時、娘は同じ家に居た」 娘はなぜ見逃されたか気になる 学校に居たから遅れて事件を知ったとかかもしれんが 429: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/01(金) 22 26 20 ID A/TmrxSc0 まだまだ青 『父と母は即死ではなく、翌朝の時点では生存していた』 『部屋内は温度がとても低く、刺された傷口が凍ったため失血死するまで時間の猶予があった』 『父と母は脳あるいは心臓どちらかのみが停止し、生きているとも死んでいるとも言える状態になった』 430: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/01(金) 22 27 44 ID kCQBZ3XI0 魔女「こんばんは、参加を歓迎しますよ。 そのお礼と言ってはなんですが、復唱は両方に応じましょう、 【事件とは、父と母が刃物で刺されたことを指す】【翌朝とは、父と母が刺された日の翌朝を指す】。 後は【娘は殺された父母と同室していない、同居もしていない】、 【娘は産んだ父母によって育てられた、養子には出されていない】、 【父と母という名前の人はこの盤には存在しない、父と母は両親のことである】。 これで切れてるでしょう…」 431: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/01(金) 22 39 35 ID A/TmrxSc0 復唱に応じてくださり、感謝します。娘さんは同居していないんですね。 『娘は父母と違う国におり、時差が発生していた』 『娘以外の家族Xが父と母を殺害、密室が破られるまで同室していた』 432: 死球の魔女 ◆GwacvxUg7Q :2017/09/01(金) 22 39 55 ID kCQBZ3XI0 失礼しました、. 430も私です 魔女「. 428さん、. 429さん参加を歓迎しますよ。 【父は人間である】【母は人間である】【父母は作り物や偽物ではない】 【父と母は家の中で刺された】【悪い人が父と母を刺した時、娘は同じ家に居た】! ええ、ええ、復唱要求には全て応じますとも! 【この盤の出来事は全て現実世界で起こったものとする】、 【父と母はほぼ即死したものとする、蘇生の余地はない】、 【ここで言う死とは蘇生の余地がない肉体、精神、脳全てが停止した状態とする】 【室内の温度は常温とする】 …そうですね…【室温は大体セ氏25度ぐらいだったとしましょう】。 魔女さんがちゃんと生き返したんですよ!人間の出る幕はありません!」 433: 死球の魔女 ◆GwacvxUg7Q :2017/09/01(金) 22 43 52 ID kCQBZ3XI0 . 431 魔女「そうですね…【この盤の出来事は日本で起こったこととする】、 【密室を破られた時に残されていたのは父と母の死体、それに凶器とみられる刃物だけだった】としましょう 434: 死球の魔女 ◆GwacvxUg7Q :2017/09/01(金) 22 52 02 ID kCQBZ3XI0 . 433 すいません、少しばかりロジカルエラーを起こしそうなので 【密室を破られた時に残されていたのは父と母の死体、それに凶器とみられる刃物だけだった】を 【密室を破られた時に事件に関係するもので残されていたのは父と母の死体、 それに凶器とみられる刃物だけだった】とします。申し訳ございません 435: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/01(金) 22 57 32 ID A/TmrxSc0 「悪い人」と「刺された」が赤字で出ているので、自殺や事故の線は薄いと思いますが… 『父と母は事件以前に犯人にそそのかされていた。2人はお互いを刺して死亡した』 『犯人Xが密室構築前にトラップを仕掛け、父と母を殺害した』 『刃物を扱っていて事故が起きた』 父母の蘇生については……うーん 『父母は死んで間もないため、臓器提供のドナーとなった。 父母は死んでしまったがあの人の身体の中で生き続けている』 赤字で「生存していた」ではなく「生きていたとする」なので、重箱の隅をつついてみます 『翌朝の時点で「生きていた」とは、「かつて生きていた」という意味の過去形であって 「生存している」という意味ではない』 ひどい屁理屈ですみません… 青字はすぐ切らなきゃいけない訳ではないので、斬りにくい青があったら一旦保留でお願いします。 436: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/01(金) 23 07 36 ID iIxvOOqU0 復唱要求「赤き真実で言われている“部屋”は全て、父と母が死んでいた部屋の事である」 「このゲーム盤に存在する父と母は一人ずつであり、つまり父と母は合計二人しか存在しない」 「娘は未成年である」 「ここでいう生きているとは肉体、精神、脳全てが活動している状態とする」 437: 死球の魔女 ◆GwacvxUg7Q :2017/09/01(金) 23 10 09 ID kCQBZ3XI0 . 435 魔女「そうですね確かにトラップの有無は重要です… 【両親は他殺された、同士討ちではない】、【この密室にトラップXは存在しない】、【故意に父と母は殺害された】、 【翌朝の時点で両親は「生きている」。その後何年も生きた】ことにしましょう。 あとは【父母は五体満足で生きている】!半人前とはいえ魔女さんがやったのでちゃんと生き返りますよ」 438: 死球の魔女 ◆GwacvxUg7Q :2017/09/01(金) 23 17 17 ID kCQBZ3XI0 . 436 「!?…なんでもないです、ええなんでもありません。 【赤き真実で言われている“部屋”は全て、父と母が死んでいた部屋の事である】 【父と母は合計二人しか存在しない】 【娘は未成年である】 【ここでいう生きているとは肉体、精神、脳全てが活動している状態とする】 これでいいでしょう!」 439: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/01(金) 23 19 00 ID A/TmrxSc0 . 430に【娘は産んだ父母によって育てられた、養子には出されていない】の赤字があるので、 『娘は事件で両親を失った直後に、今の両親に引き取られた。翌朝生きていたのは新しい両親』 引き取られた時点で実の両親は死んでいるので「養子には出されていない」し、 引き取られたばかりなので「育てられてはいない」 440: 死球の魔女 ◆GwacvxUg7Q :2017/09/01(金) 23 21 58 ID kCQBZ3XI0 . 439 「おお!正解にしたいところですが… 【娘は新しい両親に引き取られていない】ですええ、魔女の仕業ですとも!」 441: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/01(金) 23 30 16 ID A/TmrxSc0 【父と母は合計二人しか存在しない】の赤字に抵触してそうですが、 『家族が2組いた。殺された両親の娘(家族A)と、生存している両親の娘(家族B)が存在した』 442: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/01(金) 23 33 51 ID iIxvOOqU0 『娘は産みの父母のもとで長年育てられたが 何らかの事情で別の男女の家庭に短期間世話になっていた。 友達の父と母とか下宿とか。 その男女が死亡したので産みの父母の元に戻った』 443: 死球の魔女 ◆GwacvxUg7Q :2017/09/01(金) 23 35 36 ID kCQBZ3XI0 魔女「っ…【娘は1人しか存在しない】 …面倒臭いので【父と母は娘に殺された】ともう言ってしまいましょう。 【父と母は娘にとって父と母と呼べる存在である】、【密室内で父と母は殺された】 …あれ最後のはもう言ってましたっけ?まあいいや、 それよりも【犯行中はずっと犯行現場は密室の状態が保たれていた】!娘さんはまさか幽霊!?」 444: 死球の魔女 ◆GwacvxUg7Q :2017/09/01(金) 23 40 13 ID kCQBZ3XI0 . 442 「ええーと、なんて切りましょうかね…【友達の父母、下宿の世話にはなっていない】、 【別の男女のもとには世話になっていない】で了承してください」 445: 死球の魔女 ◆GwacvxUg7Q :2017/09/01(金) 23 57 59 ID kCQBZ3XI0 盤にロジカルエラーはないはず…とりあえず【赤字で嘘はつけないのですから】。 では私は少し早いかもしれませんが眠らせて頂きます。 願わくば私の心臓を貫かれていないことを祈ります…寝ている間に来た青字は明日の朝に返しましょう。 では皆様良い夜を 446: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/02(土) 01 16 30 ID y1doX6Wc0 おやすみなさい、お疲れさまです 赤字まとめ 【父と母の死因は刃物によって刺された事による、失血死または内臓の損傷による死とする】 【しかし、翌朝娘が目を覚ました後に父と母は生きていたとする】 【父と母が刺された部屋は事件が起こる前30分から事件の起きた後30分後の間ずっと 事件が起こった部屋の窓もドアも鍵が閉まったまま、要は密室であった】 【警察が捜査に入る直前まで部屋はベアトリーチェの密室定義を満たしていた】 【事件とは、父と母が刃物で刺されたことを指す】 【翌朝とは、父と母が刺された日の翌朝を指す】 【娘は殺された父母と同室していない、同居もしていない】 【娘は産んだ父母によって育てられた、養子には出されていない】 【父と母という名前の人はこの盤には存在しない、父と母は両親のことである】 【父は人間である】 【母は人間である】 【父母は作り物や偽物ではない】 【父と母は家の中で刺された】 【悪い人が父と母を刺した時、娘は同じ家に居た】 【この盤の出来事は全て現実世界で起こったものとする】 【父と母はほぼ即死したものとする、蘇生の余地はない】 【ここで言う死とは蘇生の余地がない肉体、精神、脳全てが停止した状態とする】 【室内の温度は常温とする】 【室温は大体セ氏25度ぐらいだったとしましょう】 【この盤の出来事は日本で起こったこととする】 【密室を破られた時に事件に関係するもので残されていたのは父と母の死体、 それに凶器とみられる刃物だけだった】 【両親は他殺された、同士討ちではない】 【この密室にトラップXは存在しない】 【故意に父と母は殺害された】 【翌朝の時点で両親は「生きている」。その後何年も生きた】 【父母は五体満足で生きている】 【赤き真実で言われている“部屋”は全て、父と母が死んでいた部屋の事である】 【父と母は合計二人しか存在しない】 【娘は未成年である】 【ここでいう生きているとは肉体、精神、脳全てが活動している状態とする】 【娘は新しい両親に引き取られていない】 【娘は1人しか存在しない】 【父と母は娘に殺された】 【父と母は娘にとって父と母と呼べる存在である】 【密室内で父と母は殺された】 【犯行中はずっと犯行現場は密室の状態が保たれていた】 【友達の父母、下宿の世話にはなっていない】 【別の男女のもとには世話になっていない】 447: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/02(土) 06 48 22 ID iKAS53N60 かれこれ1時間赤字とにらめっこしたが青字が一つも出ない… 448: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/02(土) 06 54 51 ID iKAS53N60 ええい、敗れかぶれだ! 「娘は妊娠していない」 「母は妊娠していない」 449: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/02(土) 07 03 53 ID o7/b56lQ0 皆さんおはようございます、 . 438では復唱を拒否した後に【父と母は合計2人しかいない】と言い換えています。 半分寝ぼけながらやっていたためかわかりづらいところがあり申し訳ありません。 . 448 魔女「復唱には両方に応じましょう。【娘は妊娠していない】、【母は妊娠していない】」 450: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/02(土) 13 58 50 ID e.onoATU0 『父と母は死んだけど、翌朝までに娘が女の子を産んで、 父と母は祖父と祖母に、娘は母になった。 よって元娘の子供である娘の両親は死んでいない』って理屈か! ややこしいな 451: 死球の魔女 ◆GwacvxUg7Q :2017/09/02(土) 21 52 29 ID o7/b56lQ0 さて、皆さんこんばんは。使い魔です。 バレると痛い目にあうのでこっそりと、 死球の魔女様は性格が悪い!赤字では嘘を言わないものの ものによって言葉自体の指す意味を変えていたり、一部言葉が抜けていたり… 魔女「おっと、そこまでです。使い魔が今言ったことは気にしないでください、忘れてください! まったく魔女さんの性格が悪いだなんて失礼な! さて. 450さん、【娘には娘及び息子はいません】よ。密室に誰か挑戦してくれる人は居ませんかね…」 452: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/02(土) 22 52 52 ID Jz5Z.nkA0 青 『密室の正体は手術室。 父と母は二人ともシャム双生児だった。 下半身を共有している双子の母と双子の父。 合計四人いた。 二組の夫婦がいた。 母Aと父Aの間に子供が授かる。 コレが娘。 母Aの体では出産に耐えられないので帝王切開、 あるいはシャム双生児の母ABの分離手術が行われる。 しかし母Aは手術に耐えられなかったので死亡。 メスと言う刃物で体を切り裂かれた末の死亡だった。 悲しい事だが、出産がきっかけの死だったから“娘が殺した”ということになるかもしれない。 娘は母体から取り上げられて保育器に入れられてるから“同居してない”。 父Aは自殺した。 保育器の中の娘が目にしたのは母Bと父B』 復唱要求 「娘が刃物で父と母を殺した」 「悪い人は犯罪者である」 「父と母は刺された瞬間即死した」 「父は妊娠してない」 【母は妊娠していない】は “問題で描写されている以降の時間帯では”という意味だったのでは?と屁理屈 ずっと父母の人数がはぐらかされてるから複数人存在することは確か、だと思いたい 真偽は知らないけど男性にも妊娠するスペースがあるらしいっすよ 453: 死球の魔女 ◆GwacvxUg7Q :2017/09/02(土) 23 11 14 ID o7/b56lQ0 . 452 魔女「シャム双生児!?その発想は無かったですね。 でも【父と母はいずれもシャム双生児ではない】、【父も母も娘に両方殺された】。 そしてもう一つ【密室は手術室ではない】 復唱ですが3つ目だけ拒否です。 【娘が刃物で父と母を殺した】、【悪い人は犯罪者である】、【父は妊娠してない】。 3つ目も既出の赤【父と母はほぼ即死したものとする、蘇生の余地はない】があります」 454: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/02(土) 23 39 52 ID Jz5Z.nkA0 うーん全然わからない 私はリザインします……参りました 455: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/03(日) 00 35 44 ID xhTf4Szs0 リザインしちゃらめえぇぇ!! 【父と母は合計二人しか存在しない】【娘は一人しか存在しない】ならッ! 『人間の家族一組と、動物の家族一組が存在した』ッッ 456: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/03(日) 00 55 34 ID xhTf4Szs0 . 455の青に更に補足するぜ! 『父と母はペットに小動物(仮にウサギとする)の親子を飼っていた。 密室とはペット小屋で、娘が犯行方法Xを用いて小屋内部のウサパパとウサママを殺害。 親子といえど父母と娘は別居しているので、人様のペットを殺傷したことにより犯罪者となる!』 犯行方法Xについてはとりあえず保留で! 457: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/03(日) 02 37 02 ID qNhjAELE0 ふ…復唱要求 「ゲーム中、父母及び娘の合計人数は増えたり減ったりしない」 458: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/03(日) 05 16 01 ID zVZsczM20 復唱要求「父と母はそれぞれ一度しか刺されていない」 つまりッッ! 青き真実!『娘は二度、父母を刺している! 一度目に刺した時には殺害に至らず、「翌朝、娘が目を覚ました時には父と母は生きていた」! 日を改めてもう一度父母を刺し、殺害に成功した!』 459: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/03(日) 05 30 20 ID zVZsczM20 密室についてだが 【父と母が刺された部屋は事件が起こる前30分から事件の起きた後30分後の間ずっと 事件が起こった部屋の窓もドアも鍵が閉まったまま、要は密室であった】 【警察が捜査に入る直前まで部屋はベアトリーチェの密室定義を満たしていた】 【密室を破られた時に事件に関係するもので残されていたのは父と母の死体、 それに凶器とみられる刃物だけだった】 父と母が刺されて死亡した前後30分は密室だった。 30分後に警察の捜査が入って密室は破られる…と考えるのが普通だ。 そこでチェス盤をひっくり返すぜ! 『父母を刺した30分後、娘は部屋を出るために密室を一度破った! その後部屋の外からもう一度施錠し、警察の捜査が入るまで部屋は密室を保たれた!』 復唱要求!「父母が殺害された後、密室は警察の捜査が入るまで一度も破られていない」! 460: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/03(日) 05 43 08 ID zVZsczM20 屁理屈をこねるならば、この赤字 【密室を破られた時に事件に関係するもので残されていたのは父と母の死体、 それに凶器とみられる刃物だけだった】 仮に密室内に犯人がいたとして、生きてる人間を「残されていた」なんて言い方しないよなぁ? 『上記の赤字で示されているのは密室内にあった無機物だけを指しており、 生きた人間である犯人(娘)は含まれていない! つまり娘はずっと密室内にいた』んだ! 461: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/03(日) 06 05 03 ID zVZsczM20 いっひっひ、こんなトンデモはどうだ? 【父と母は合計二人しか存在しない】 【父と母は娘にとって父と母と呼べる存在である】なら、 『父と母は、娘が産まれた後に性転換して父が母に、母が父になった! 二人とも娘にとっては父とも母とも呼べる存在! 娘が殺したのはどちらか一人で、もう一人は生きていた!』 462: 死球の魔女 ◆GwacvxUg7Q :2017/09/03(日) 07 49 20 ID v/ZzN3pM0 寝落ちしてしまう痛恨のミス、失礼しました . 455、. 456 魔女「【この盤に人間以外の動物は登場しない】で切らせていただきます」 . 457 魔女「!?…【娘の人数は増減しない、盤を通して一人である】 …で、でも復唱はできません…ええ、開き直ってしまいましょう、 【父と母は合計二人しかいなかった】を【父と母は「ゲーム終了時には」合計二人しかいなかった】に変更、 さらに【ゲーム開始時に父と母は4人いた】を付け加えます」 . 458 魔女「いいでしょう、【父と母はそれぞれ一度しか刺されていない】。 【父と母は一回刺された後にほぼ即死だった】としましょう」 . 459 魔女「現場とチェス盤はそのままに…警察の方が困ってしまいますからね。 【娘は犯行後十分以内に殺人現場の部屋を出たものとしましょう】。 【娘は殺人を犯した後、警察が入るまで死体のある部屋はずっと密室であった】とします… これなら復唱は要りませんよね?」 . 460 魔女「こちらも上と同じ赤字の【娘は犯行後十分以内に殺人現場を出たこととしましょう】」 . 461 魔女「【父も母も娘も性転換をしていない】です」 463: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/03(日) 09 50 34 ID zVZsczM20 おはようございます。昨晩は寝落ちでしたかw 身体を壊さぬよう、ご自愛ください… そうですね、『部屋の名前が「密室」だった』 『娘には精子と卵子を提供した遺伝子上の父母と、実際に娘を産んで育てた父母がいた』 というのはいかがでしょう 464: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/03(日) 11 22 22 ID cn/7zfzk0 昨日 一昨日と結構熱があって参加できなかったもの参上! 『娘の両親は離婚&再婚していて 2家族の父と母がいた』 なんてのはどう?子供なのに親と同居してない理由としては案外いいきがしてる 密室についてはまだ赤を読みこめてないから 後にしよう 465: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/03(日) 11 36 40 ID cn/7zfzk0 密室に関して 屁理屈ってみるか 【父と母の死因は刃物によって刺された事による、失血死または内臓の損傷による死とする】 とあるが ここでのまたは は 失血死にかかってるようで じつは 刺された事による、失血死 にかかっていて 刺されたこととは関係ない原因での内蔵損傷である可能性があるな よって 『娘は父と母の部屋に侵入後30分以上後に二人を刺し 30分以上げんばにとどまり部屋をでた その後 まだ生きていた父と母は部屋を施錠し密室に戻した 生きていたことを悟った娘は 部屋を倒壊させることにより 父と母を圧死させた 倒壊させているので誰も入ることも出ることもできないので当然密室の定義は継続される』 なんてのはどう? 466: 死球の魔女 ◆GwacvxUg7Q :2017/09/03(日) 20 54 54 ID v/ZzN3pM0 . 463 魔女「【密室に特に名前はついていない】、 【精子と卵子は実の父と母のものである】で切らせていただきます」 . 465 魔女「【密室は崩れていない】です」 . 464 青き真実が槍へと形を変え魔女の心臓を貫いた 魔女「うぐっ!?…反論不可能です…リザインします」 魔女によって作り出された幻想が崩れ去り赤字の真実だけが残される 【娘は一人暮らしをしていて、両親は離婚して再婚した。よって二組の親となる夫婦がいた】 【密室はマンションかアパートの部屋と殺害現場となるマンションの部屋の中の部屋。 二つの部屋のドアの鍵を開けたり閉めたりすることによってどちらかが密室であった】 おめでとうございます。あなた方人間の勝利です。 467: 死球の魔女 ◆GwacvxUg7Q :2017/09/03(日) 21 02 15 ID v/ZzN3pM0 魔女「最初に嘘八百っていいかけたのが失敗でしたかね…」 真相 まず、前提条件として娘は10代後半。一人暮らしをしていた。 そして両親は離婚していて、それぞれ別の相手と結婚していた。 両方の実の親のが借りているアパートもしくはマンションの部屋の合鍵も持っていた。 事件当日、始めに片一方の親の(仮に実父とする)マンションの部屋の鍵及び寝室の鍵は閉まっていて、窓の鍵も空いてなかったとする。 また、マンションの部屋自体のドア及びその中の寝室の鍵は外側と内側両方から鍵がかけることができるものとする。 深夜に自分の家を出た娘は実父の暮らしているマンションの部屋の玄関の鍵を開けた。(この時点で寝室が密室になっている) そして、玄関の鍵を閉めて、今度は寝室の鍵を開けた。(今度はマンションの部屋自体が密室になっている) そして、実父と継母を刺殺した後に寝室のドアを外側から鍵を閉めた。 その後、マンションの部屋の玄関の鍵を開けて外に出て、また鍵を閉めた。(玄関の鍵が開いている時も寝室が密室になっている) 途中で自分の持っている合鍵を壊した後川などに捨てて、父親達の持っている鍵は部屋の中、鍵が外からは取れないようになり、ベアトリーチェの密室定義を満たすようになる。 そうして実母達のいる家に行って翌日の朝に実母と継父が生存していたということである。 ちょっと詰め込み過ぎて密室の謎に行く前にうっかり反論できなくなってしまいました… 復唱要求ならちょくちょく先出しで真実を出していって 最後まで何かしらの謎を引っ張るつもりでしたがまさか青字を直撃させられるとは… いやはや、もう少し盤の組み方を考えなくてはいけないようですね… 皆さんご参加ありがとうございました!ではまた次の盤が出来たらお会いいたしましょう! 468: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/03(日) 21 32 29 ID cn/7zfzk0 なるほど 密室の謎は既に解けてたってことか ちゃんと指摘できてたら勝ち誇れたんだけど やはりここでも経験不足が・・・・ いや 病み上がりだったからだ!体調管理さえできていれば解けたんだ と思っておくことにします そもそも終盤にちょこっと来てやっちゃった感じだし たくさんの赤を引き出した他プレイヤーさんの手柄なんでしょうけどね 正直復唱要求で攻めたほうが良かったのかもだけど このゲームは 復唱要求よりも 青の真実こそが華だと思っているのでやっちゃいました お疲れ様でした 469: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/04(月) 06 15 21 ID gDzg/0VE0 お疲れ様でした 470: アンチファンタジーorミステリーさん :2017/09/04(月) 11 45 59 ID .OFz7aJA0 魔女様もニンゲンの皆さんもお疲れ様です。 青字を出せるだけ出したけど真相にかすりもしていなかったという… 不甲斐なくて申し訳ありません。 リザイン賞の方はおめでとうございます! 自分では絶対真相に至れなかったので、本当にお見事でした。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/wikisacrifice/pages/74.html
タイトル ある閉鎖施設からの脱出~密室のサクリファイス~ 対応機種 PSP(プレイステーション・ポータブル)ダウンロード専用 発売元 D3 PUBLISHER INC. - 株式会社ディースリー・パブリッシャー 開発元 INTENSE 発売日 2010年10月21日 価格 600円 CERO審査 C(15歳以上対象) ジャンル アドベンチャー 公式 ~イトカ:ある閉鎖施設からの脱出~ playstation.com ~イトカ:ある閉鎖施設からの脱出~ 『密室のサクリファイス』のスピンオフ作品。 ケータイアプリ『ある閉鎖施設からの脱出~密室のサクリファイス~』をベースに、クオリティアップしてPSPに移植。 グラフィックの一新、サウンドの追加、キャラクターのフルボイス化、ゲーム中に見たイベント画像を見返せる“アルバム”機能がある。 WEB体験版が追加されました。 またプログパーツをしばらく眺めてると・・・・・
https://w.atwiki.jp/v-sw/pages/387.html
※砂漠の鍵ルートの続きのルートです 基地 レディエンス島 Main「裏庭」 第1戦 vsG・ドラゴン×8 第2戦 vsコカトリス×8 撃破後【二つ槍の鍵】を入手 パゴラス島 Main「密林の花嫁」 第1戦 vsアルヴァル×3,チョリッパー×3 第2戦 vsウルゼル 撃破後【ウルゼル】が仲間になる 【古代の鍵】を入手 第3戦 vsヨイチ,アルマターク×3,ティターン×3 基地 ロジャーと会話でイベント ガレース島 Main「復讐者」 第1戦 vsオーグマン×5 第2戦 vs十二 ※グレイヴのみで戦闘 撃破後【十二】が仲間になる 基地 ゲート端末で【古代の鍵】を使用 エルシャント島 Main「謎の類人猿」 第1戦 vsルブル,アサシン×3,鉄の爪ソルジャー×3 第2戦 vsルブル,アサシン×3,鉄の爪ソルジャー×3 撃破後【ルブル】が仲間になる(条件を満たした場合) 【知識の鍵】を入手 第3戦 vsシェリー,ポプリス×3,ピクシー×3 カオスウォーズ Topページへ
https://w.atwiki.jp/fantastical_world/pages/147.html
imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 レゲイピス・鏡の湖畔 レゲイピスの南に存在する、透明度が高い美しい湖畔。 ソレグレイユの実験であらゆる不純物を食べ尽くす生体系浄化微生物"ヴァイキング"が頒布されているために 水中の不純物が殆ど無く、透明度は限りなく高い。 そのため冬に水面が凍っても曇ることは無く、このような幻想的な光景を見ることができる。 しかし、不純物が無いということは水中の栄養が無いということでもあるため、生物の姿も殆ど無い、死の湖でもある。 era2 era3 ソレグレイユ 地名