約 250,082 件
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1717.html
昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-084 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及び理由 第3 当裁判所の判断 5 真実性ないし真実相当性について(その1) 【原判決の引用】 (原)第4・5 争点(4)及び(5)(真実性及び真実相当性)について (原)(2) 集団自決に関する文献等 イ 渡嘉敷島について(ア)(赤松命令説記載文献) 赤松命令説について直接これを記載し, 若しくはその存在を推認せしめる文献等としては, 以下に記載するものがあげられる。 j 「家永第3次教科書訴訟第1審 安仁屋政昭証言」(安仁屋政昭編「裁かれた沖縄戦」所収)(2ha) (判決本文p174~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 安仁屋政昭は, 家永第3次教科書訴訟第1審における証言当時は沖縄国際大学の歴史学の教授であり, 沖縄史料編集所に勤務した経歴を持ち, 渡嘉敷村史の編集にも携わった者である。 『家永第3次教科書訴訟第1審 安仁屋政昭証言」には, 「米軍の上陸前に赤松部隊から渡嘉敷村の兵事主任に対して手榴弾が渡されておって, いざというときにはこれで自決するようにという命令を受けていたと, それから, いわゆる集団的な殺し合いのときに, 防衛隊員が手榴弾を持ち込んでいると, 集団的な殺し合いを促している事実があります。 これは厳しい実証的な検証の中で証言を得ております。 曽野綾子さんなどは, 『ある神話の背景』 という作品の中でこれを否定しているようですけれども, 兵事主任が証言をしております。 兵事主任の証言というのはかなり重要であるということを強調しておきたいと思います。」 「兵事主任という役割は, 大きな役割だと言いましたが, 兵事主任の証言を得ているということは, 決定的であります。 これは, 赤松部隊から, 米軍の上陸前に手榴弾を渡されて, いざというときには, これで自決しろ, と命令を出しているわけですから, それが自決命令でないと言われるのであれぱ, これはもう言葉をもてあそんでいるとしか言いようがないわけです。 命令は明らかに出ているということですね。」 との記述がある(乙11・54,69頁)。 また, 安仁屋政昭は, 陳述書においても, 同趣旨の記載をしている(乙68)。 目次 戻る 通2-084 次へ 通巻
https://w.atwiki.jp/charoncell/pages/183.html
┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:キャスター┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━┓ 【真名】:イブン・アル・ムガハリーズ 【レベル】:10 【アライメント】:中立/善 【性別】:男性┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋力】:- 【耐久】:- 【敏捷】:- 【魔力】:C 【幸運】:C 【宝具】:B┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ ,..-‐‐‐‐-、 /. . . . .\ /. . ,.-........-" ̄`ヽ ヽ /. . ./ ,..-..、ヽ ニ、 .i. . ./ ,-ニァ i (・) i V i .`ヽ.,-‐'. . ', ム(・), i ゙ー‐'.| ii | . ヽ 'ク". 〈ヽ } ___ノ‐ 、 | iY . .i ノi /. . ヽ_iヽ リ r‐、___フi | iノ "i . . . ヘ i '‐"´ ‐‐ / Y ヽ‐-.....__ ヽ}ヽ__、_} ヽ __,-‐‐‐' i ', /`ヽ、 .ミ i | ', i ヽ /ミ ノ / .i .| , V 〈 ミ /i 」 | | | V ', i ミ ;;;ノ .ムニ二__/ | | | .| V .}.| .|~゙‐;;;;;;;;;;ノ´ | ./i ム---' ヘ .| V く |  ̄/ .|ヽ| ./;;;;| / `ヽi .V r' ', ヘ .|;;;;\_/;;;;;;;| / ヽ i .ノ 、 ', \ |;;;;;;;;;;;;;;;;;;| / } |┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫【クラススキル】○陣地作成:Dアーリムとして、自らに有利な陣地を作り上げる。”学校”の形成が可能。魔術的にはなんら意味はない。○道具作成:C魔術的な道具を作成する技能ではなく――諸学問に関する知識を具現化する技能。具体的には書物などの作成ができる。……当然魔術的意味はない。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫【固有スキル】○専科百般:B+アーリムとしての当然の知識。クルアーン学、神学、法学、語学、ハディース学、歴史学、法源学、政治学、スーフィズムなどのスキルについて、Bランク以上の習熟度を発揮する。○高速思考:B+物事の筋道を順序立てて追う思考の速度。卓越した思考能力により、弁論や策略や戦術などにおいて大きな効果を発揮する。ことイジュティハードにいたってはイスラム世界でもトップクラスである。○分割思考:C-思考中枢を仮想的に複数に分け、同時に運営する。分割したそれぞれの思考により、様々な学問を同時に処理できる。ただし、字義解釈を超える推測を含む場合このスキルによる処理能力は落ちる。○蔵知の司書:C+++アーリムとして類まれなる能力による記録の分散処理。過去に知覚した知識、情報+未来に存在する知識であっても専科百般の範囲であればたとえ認識していなかった場合でも明確に記録を再現できる。こと歴史学や法学・クルアーン学・法源学で再現できないものはない。○バヌサラマの祈り:Bスーフィズムにも通じていたキャスターの神への祈り。事前に用意していた陣地で祈ることによって、対象の人物のパラメータ・スキル効果を減衰させる。その効果は陣地の度合い・対象の人物の悪性などに左右される。ただし、このスキルは対象となる人物が不公平または不平等的なことをしている場合でなければ使用できずまた、相手にA以上の神性ないし○○の加護がある場合その効果は著しく減衰する。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫【宝具】○伝承主義字義拘泥解釈(グラート・タアウィール)ランク:C+++ 種別:対人宝具 レンジ:1~20 最大捕捉:1~3キャスターが納めた法源の解釈論。その正体はスンナ派でも隆盛を誇ったザーヒル法学派の解釈でクルアーンやハディースにおいてキヤース(類推)の否定。使用された場合、あらゆる英霊はその時点で残されている資料のみに基づいた厳格な字義解釈による英霊の再構成が行われる。すなわち資料に存在しないことを拡大解釈したり、推論したようなスキル・宝具の存在を否定することにもなる。その一方で、資料に残されていればどんなスキルも宝具も存在しうる。すなわちこの宝具の効果は超人的な伝説を生みにくい現代及びそもそも資料が存在しない神代に生きるものに最大の効果を与えやすいが広く知られている伝説や叙情詩に登場していると逆に相手の強化につながることもありうる。○既存解釈従属否定(タクリード・マズハブ)ランク:B+ 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1先人の模倣を否定しイジュティハードを行うザーヒル法学派の方法論。この英霊生きていた時代以前に残されている・または書かれている資料の正当性を一旦否定し、自身の知識に基づいて最解釈を行う。それに大よそ基づいた資料であれば例え、現代に書かれたものであっても否定される。これの再解釈を受けた者はその解釈に基づいた能力構成が行われる。ただし、この宝具の解釈を行うには対象となる相手の真名及び完全な能力を把握しなければ使用できず発動時間に大いに時間がかかるのですぐに発動することは出来ないまた、キャスターの知識外にあるものに関しては著しく効果が減衰する。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫【触媒】○歴史書の一部かつて彼の師匠であった歴史家が残した書物の一部。現代に残されているものではなく、いわゆるプロット的な物である。どうやら怜は師匠の方を呼び出そうとしていたのだが…【願い】ザーヒル法学派の復活。ザーヒル法学派とはかつてスペインなど中心に栄えた法学派であったが中世の時代には途絶えてしまった。そのため、ザーヒル法学派を広めるに貢献した彼はその復活を望んだ。もっとも、復活したとしてザーヒル法学派の欠点が直っているわけではないことは気付いていないのだが┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫【性格など】本来は非常に頑固な人間。かつて市民が苦しんでいるがために、キリスト教徒と手を組んでアラブ領主に対抗するなど自身が信じたものに対してある種一徹である。そのこともあって序盤はマスターとの仲は悪い方であり、しばしば言い争いをしていたようである。2回戦終盤あたりから関係の発展が見られた模様だが…?【サーヴァントとして】元が学者なので肉体的には非常に脆弱。二つある宝具によって敵を操作する必要があるのだがはまれば強い。ただし、いずれにしても癖が強い宝具のため如何に宝具発動の時間が稼げるかがポイントとなる。そのため支援特化・一般人マスターとは相性が悪く、戦闘系マスターと相性が良い。ただし、はるか未来に属する英霊に対してはいかなる対抗策も持ってないので未来英霊とは相性が悪い。概してピーキーな性能を持つため、1VS1を強いられるムーンセル形式とは相性が悪いといえる。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
https://w.atwiki.jp/kameyama2011/pages/292.html
基本方針 msdさんセレクション(※)を軸に、これまでの論点を深めつつ、それらの論点に関連して他の参加者が発表したいorしてほしい本や分野についても積極的に扱ってゆく。 同時に、風土研でそれまでに挙がった論点や意見等の総括を毎回行い、議論の蓄積に努める。 +※msdさんセレクション 1、『無縁・公界・楽』(網野善彦) →この列島の中世がどのような世界観で回っていたかを把捉する →これまで発展進歩史観によって語られてきた世界観とは異なる世界観を眺望する →人間の営為のダイナミズムを認識する 2、『日本中世に何が起きたか』(網野善彦)、『日本文化の形成』(宮本常一) →『日本中世~』は網野の視点が分かりやすく整理されている →現行の資本主義経済とは異なる「資本」主義経済がこの列島にはあったこと →地方(じかた)に根ざした共同体と市場主義の関係がどう語られているのか →それによって土地の民と移動の民の相互補完性をみることができるのでは? →「境界」について→「境(さかい)」はキーワード!! →常一の方は都市や移動の民の網野的視点を比較するのに良い気がします。「むら」的共同体の視点 3、『境界の発生』(赤坂憲雄)、『日本民衆文化の原郷』(沖浦和光) 4、『異人論序説』(赤坂憲雄)、『異人論』(小松和彦)、『神隠しと日本人』(小松和彦) 5、『差別の民俗学』(赤松啓介)、『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』(赤松啓介) 6、『排除の現象学』(赤坂憲雄)、『増補 民族という虚構』(小坂井敏晶)、『神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈』(安丸良夫) 7、『魔の系譜』(谷川健一)、『ケガレの民俗誌』(宮田登) 8、『東西/南北考』(赤坂憲雄)、『竹の民俗誌』(沖浦和光) 9、『庶民の発見』(宮本常一)、『日本の民俗宗教』(宮家準) 10、『蛇』(吉野裕子)、『山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰』(吉野裕子) 11、『「家族」と「幸福」の戦後史』(三浦展)、『民俗学の旅』(宮本常一) 研究会の進行 前半・後半に分け、前半はmsdさんセレクションから発表する。 後半は自由に文献を選んで発表する。その際、そのテーマがそれまでの論点とどう関わるかなどを含めて総括を行う。 前後半一冊ずつで一回に二冊を目安。 後半の輪読候補 與那覇潤『中国化する日本』 → 歴史学的アプローチ 川島武宜『日本人の法意識』 → 日本人の所有概念 山本志乃『女の旅』 → 近世~近代における女性の社会的地位 I.イリイチ『シャドウ・ワーク』
https://w.atwiki.jp/suparu/
トロフィー"スレ"wikiへようこそ このwikiはトロスレ住民のみんなで気軽に生暖かく眺められるwikiです。 全レス野朗だって殴ってみせらあ、でも全消しだけは勘弁な。 昨今のトロフィー取得スレはその性質の為、奇人変人、あまつにはキチ○イが多数生息しています。 そんな彼らの発言を記録するwikiであります。 電車内にキチ○イが乗ってきた時の一体感を感じられることでしょう。 このwikiは、つまりそういうことです。やれやれ。 管理人は暇人か? ――嘗(かつ)て、目立たぬトロ厨の駆け出しがゐた。 彼は、ごく珠にレスをする程度の住民で在つた。 彼が犯した、一回の、而して取り返しの附かぬ過ち。 そののち、彼は何処へ行って仕舞つたのか? 「では、己(おれ)が妙なwikiをを立てようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ」 wikiには、ただ、黒洞々(こくとうとう)たる夜があるばかりである。 トロ厨の行方は、誰も知らない。 ――羅生門より このwikiは、つまりそういうものです。やれやれ。 なぜトロフィーを集めちゃいけないか? 社会学的理由「役割理論によるとトロ厨という役割になってしまい今後コミュニケーションが不利になるから。」 心理学的理由「道徳的不快感と生理的不快感が生まれるから。」 経済学的理由「一人トロ厨になって一人家に篭ると合計2人分の国内GDPが減るから。」 国際政治学的理由「無差別なトロ厨が一番損をするのは、アクセルロッドのゲーム理論より明らかだから。」 生物学的理由「トロフィーを集める人間は家に篭るかただの荒らしになり、適応価が下がり自然淘汰されるから。」 政治学的理由「これも小泉改革のツケにされるから。」 文学的理由「ラスコーリニコフは苦悩したから。」 歴史学的理由「プラチナを一個獲得したらトロ厨になり、極めるには組織的に大量に取得しないとダメだとチャップリンが言ってたから。」 哲学的理由「トロ厨でいい理由もいけない理由もない、カントのアンチノミーであり理性の能力を超えているから。」 物理学的理由「エヴェレット解釈によればトロフィーを集めなかった可能世界は必ず発生するので。」 化学的理由「自力でも談合してもバグでも質量保存の法則により総質量は変わらないので無駄だから。」 近況 みんな、銀行振り込みに騙されるな。 手数料半端ないから。 ※007談合中。 Contact me 捜さないでください、そこにわたしはいません ※新宿駅の掲示板にXYZと書き込んでもムダです 私はトロフィーハンターであり、シティー派ではありませんから。
https://w.atwiki.jp/cgwj/pages/66.html
レシェール・イスナシュテイユ・フォン・レイス・フォー・トルンティアヴェー(lexerl isnaxteiju fon leis for tolnti'aver, 1881 - )は19世紀ファイクレオネの社会哲学者、歴史哲学者、法学者。哲学・法学の文脈ではレイスの名でよく知られている。 目次 経歴青年期まで 大学卒業後 研究者レイスと写真家レイス 結婚とレ爆との戦い 思想ヴォルシの構造的差別の歴史学 交換性誤謬と圧政機構 経歴 青年期まで 1881年、ラネーメ共和国ラメストでレシェール・ヴェンタフと◯◯◯◯の子供として生まれる。一人っ子であったが、レヴェンはその膨大な論文の執筆活動によってあまりレイスにかまってあげられなかったようである。そんなレヴェンはレイスが7歳のときに論文執筆中に心臓発作で死亡した。 レイスは物心がつくと自分が法学者の大家の子供であるということを自覚するようになった。それとともに他人から与えられる有能さ、有望さの視線を避けるように高校の頃は仲間内でつるんで、家に帰らないようになっていった。 他人からレイスに与えられる視線はそれだけではなかった。レヴェンの追放事件に繋がった現行法の完全撤廃を目指した運動に対する批判はレヴェンの死後も家族につきまとっていた。レイスはこの政治運動こそが父親の汚点の最たるところであると考え、レヴェンの後継者にはならないと誓ったという。 1900年にレイスはヴェフィス研究院大学(VIKK)に入学する。家族からは自由に勉強をすることを勧められていたが、世間の目が半ば強制的に法学部へと歩ませたという。しかし、自分の父親を追放したVIKKに入学したことは父親への最大の侮辱だと思っていたとレイスは後に語っている。 大学卒業後 1904年に大学を卒業すると、レイスは複数の大学院の推薦を蹴ってジャーナリストの道へと進んだ。戦間期であったこの時期にあっては、各国で民族差別の撤廃を目指して活動が展開されていた。レイスはこれに強い興味を持ち、各国の運動を10年間追い続けた。 ある日、レイスはレヴェンからのお下がりで使っていた机の引き出しの裏に封筒が貼ってあるのに気がついた。そこには10年間定期的に情報がレヴェン団に漏れていないかなどをチェックするシートがあり、レイスは追放事件自体がレヴェン団を鎮めようとしたレヴェンの意思だったことを知る。最後の項目には「これを燃やすこと」と書いてあった。レイスはレヴェンが生きてこれを燃やせると思っていたということに思いを馳せながら、その意思を継承する者となることを決意する。 研究者レイスと写真家レイス 1914年、レイスは天神大学研究院に入学。このときから、レヴェンの研究を基礎に引き継ぎながらもレヴェン学界からは距離を置いていた。彼は自らの経験のあった民族差別を中心に法制を考え、また刑法解釈学に関する研究も行った。特にこの時期とその後の大学教員時代の研究は反差別に強い影響を与えた。後の民主主義の原型となる民会主義やXJLT、vasprardを定着させ、更にvolci差別や民族差別の撤廃を目指したレイスは図らずしもレヴェンの人生をなぞるようであった。1946年、情勢の悪化を感じ取ったレイスは退職し、ジャーナリストとしての経験を生かして写真家になる。戦争や分派抗争などで揺れる社会を映して話題になり、レイスの第三の人生がここから始まった。1968年にはレヴェンの墓が爆破されるがレイスはさほど気にしていなかったようである(レイス自身はリパラオネ教を信仰しており、人体の腐敗によって神国にレヴェンの魂は召されたと考えていたためと思われる)。 結婚とレ爆との戦い 1984年、◯◯◯◯と結婚し、翌年の1985年にはレシェール・アルヴェイユを産む。順風満帆でゆったりとした家族生活がおくれると思いきや、第二次ホメーンアッシオ戦争後のラネーメ国の共和国革命から逃れるためにリパラオネ共和国に移住することになる。その6年後の1998年にはレヴ◯ン墓爆破電子遊戯株式会社(現アイカムズ電子株式会社)による「レヴ◯ン墓爆破ゲー(レ爆)」が話題となった。レイスは当初からこの不謹慎なゲームをあまり良く思っておらず、話題にもしない無視の姿勢を決め通していたがレ爆ファンに追い回されたり、脅迫が来るようになってから開発者に時季の挨拶などを送ってファンを装うようになっていた。 レイスはユエスレオネ以降になっても写真家の活動を続けていた。2009年にデュイン総合府パニャル県の塗りつぶされた看板を前に立ち尽くす言語保障監理官の写真(作品名「疎外されたもの」”V’eser tylusili’a”)は非常に有名になり、2017年に同名のドキュメンタリー映画が作成された。2022年にコメンタリーに呼ばれたレイスは同じく呼ばれていた芸人レシェール・ヴィンタフと口論になり、殴り合いに発展したのちに何者かに殺害された。レシェール・ヴィンタフは捜査の結果、無実が証明されており、犯人が誰なのかは不明のままである。 思想 ヴォルシの構造的差別の歴史学 レイスの最も重要な功績とされているのはヴォルシ差別の構造化の歴史を紐解いたことである。 まず、ヴォルシ差別の構造化は以下のように発展した。 ラネーメ王朝の崩壊以降、ケートニアーは武人として騎士の地位に付き外政を担い、ネートニアーは文化と内政を担うようなヴォルシが発達した。 ネートニアー貴族の中にクローメが流行し、ネートニアー詩人がケートニアーの武勲を歌うようになる。 ネートニアーはケートニアーの階層的下流として捉えられるようになった。 中世はWP花粉症による重篤症状でケートニアーに大被害が起こったため、ネートニアーが顧みられるようになっていたが、近代思想の興隆と共に中世の考え方が迷妄であると見做され、啓蒙概念の起こりとともにラネーメ人がケートニアーの少ないことも相まってネートニアー差別が加速化した。 サルシュナースに始まり、18世紀初頭でADLP優生学の誤解が基礎づけ、ヒンゲンファール・カルターデャの理羅思想対立説やキャスカ・ファルザー・ユミリアのガシー字源主義などが補強したところにリパラオネがラネーメをコロニアルに差別する構造が築かれてきたが、この構造は神力を慎むラネーメとウェールフープを活用するリパラオネの対立としてヴォルシと密接に影響してきた。しかし、これらの民族差別はレヴェン以降の普遍主義による批判とナショナリズムに吸収されて解消されていく。その代わりに潜在化されてきたヴォルシ差別が近代に転化した結果、ヴォルシ差別が現れたのだった。 レイスはこのようなヴォルシ差別の構造の歴史を元にネートニアー・ジメチルエーテル・メタノールパーティー事件やイールドの社会問題について考察してきた。 交換性誤謬と圧政機構 レイスはファイクレオネ近代になって理羅の宗教や文字文化での交換性が明らかになったのはカルターデャがリパラオネ思想とラネーメ思想を対立概念として基礎づける要因となったと考え、この根底に交換できるということがすなわち対立を生じさせているのだとする素朴な考え方(交換性誤謬;inferlnen ixvarlunsarl)が普遍主義(paskadalera)を無視した圧政機構(clilarcyeustu'd cela)的政策を生み出してきたとした。 交換性誤謬はつまり、「交換可能である物の固有性(可能性)を認めない素朴な抽象化」を当てはめることであり、これは主体への表象の在り方にも関わってくるという。
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/225.html
人物紹介 ジョン・ラーべ(John H.D.Rabe)・・・・・この日記の著者。南京陥落時は五十五歳だった。ドイツの世界的コンツェルン、ジーメンス社の南京支社長。南京安全区国際委員会の代表をつとめ、非戦闘員を保護しようと奔走した。 ゲオルク・ローゼン(Georg Rosen)・・・・・駐華ドイツ大使館書記官。ベルリンのドイツ外務省に南京の惨状に関する詳細な報告書を提出した。ユダヤ人の祖母がいたために、ニュルンベルク法(人種法)に触れ、南京陥落の翌年に休職に追いこまれる。 エドゥアルト・シュペアリング(Eduard Sperling)・・・・・ドイツ人。ドイツ資本の上海保険公司の南京支店長。日本兵士の難民に対する暴行を体をはって阻止し、安全区の「警察委貝」と呼ばれた。 クリスティアン・クレーガー(Christian Kröger)・・・・・ドイツ人。カルロヴィッツ社の南京駐在員だった。 ジョン・マギー一(John G.Magee)・・・・・アメリカ聖公会伝道団の宣教師。南京安全区国際委貝会の委貝として活躍し、日本軍の残虐行為を撮影した。一九九一年にロスアンジェルスで発見されたそのフィルムは、南京事件の真相を伝えるものとして全世界に大きな波紋を投げかけた。 ジョージ・フィッチ(George A.Fitch)・・・・・中国の青年将校をYMCAが組織した励志会の顧問として南京に滞在していた。中国の蘇州生まれで、中国語が堪能だった。 ルイス・スマイス(Lewis S.C.Smythe)・・・・・金陵大学社会学教授。南京安全区国際委員会の事務局長をつとめた。南京にもたらされた被害を調査し、日本大使館への抗議文書をラーべとともに作成した。 マイナー・ペイツ(Miner S.Bates)・・・・・金陵大学歴史学教授。南京安全区国際委貝会の中心メンバーとして活躍、主に財政実務や日本大使館への抗議交渉を担当した。 ジェームズ・マッカラム(James H.McCa11um)・・・・・南門モルモン教会牧師。南京国際赤十字会の委員を務めた。妻のエヴァは教会の合唱隊指導者。 韓湘林・・・・・ラーベと深い信頼関係にあったジーメンス南京支社の中国人アシスタント。 張国珍・・・・・ラーベに長く仕えた中国人ボーイ。 唐生智・・・・・南京防衛軍司令長官。悪化する戦局に見切りをつけて、陥落直前に南京を脱出した。 松井石根・・・・・日本陸軍大将。南京攻略戦を指揮した。敗軟後の東京裁判でA級戦犯として絞首刑を宣告された。 福田篤泰(とくやす)・・・・・日本大使館書記官。語学が堪能で、ラーベらが日本軍と交渉する際に通訳をつとめた。 福井淳(きよし)・・・・・同じく日本大使館書記官。 ラーベの日記indexへ
https://w.atwiki.jp/memotyors/pages/79.html
コデックス・セラフィニアヌス (英語 Codex Seraphinianus) とは、イタリアの建築家にして工業デザイナーであるルイージ・セラフィーニが、1976年から1978年の間に30ヵ月掛けて文章と図版を書き上げた本である。本はおよそ360ページの長さであり(版によって異なる)、未知の世界について、その世界の言語の1つである(少なくとも我々にとって)意味不明なアルファベットで書かれた百科事典のような外見をしている。 構造 コデックスは11の章に分けられ、2つの節に分けられる。最初の節は自然界を記述しているように見え、動植物と物理学が扱われている。第2の節は人文科学、人間の生活のさまざまな側面すなわち衣服、歴史、料理、建築などが扱われている。各章は一般的な百科辞典的主題を扱っているように見える。各章に分けられた主題は以下のようなものである。 第1章 異世界の植物相。奇妙な花、自らの根を持ち上げて移動する木など。 第2章 異世界の動物相。馬、カバ、サイ、鳥類などの超現実的な変種。 第3章 動物や植物とは独立した生物界であると思われる奇妙な二足歩行の生物。これらの生物は明らかに各種目的のため人工的に作り出されている。 第4章 物理学と化学のような何か。全章の中でも断然抽象的で不可解である。 第5章 奇怪な機械と乗り物。 第6章 いろいろな人文科学の研究。生物学、性、各種の先住民、植物の生態の例や人体に直接移植された工具(ペンやレンチなど。) 第7章 歴史学。重要性の不明な多くの人々(幾人かは人間であるかどうかさえ不明瞭な)が生没年とともに示されている。多くの歴史的に(おそらく宗教的に)重要なシーンや葬儀の習慣など。 第8章 コデックスを記述する異世界の書記体系の歴史。 第9章 食物、食事の作法、および衣服。 第10章 奇妙なゲーム(カードゲームやボードゲームなど)と陸上競技。 第11章 建築。 図版 挿絵には創作された超現実的な世界観が描き出されている。例えば、出血する果実; 椅子のような形に成長する植物; ワニに変態する性交中の男女; 奇妙で意味不明な、細い糸で形を保っている今にも壊れそうな機械など。地図や人間の顔などのわかりやすい挿絵もある一方で、とくに「物理学」の章では、極めて抽象的な挿絵が多い。すべての図は鮮やかな色で詳細に描き込まれている。 書記体系 書記体系は西欧型の書記体系(行を左から右へ書く、大文字と小文字を持つアルファベット、その一部は数字を兼ねる)をモデルにしているように見えるが、はるかに曲線が多く、外見は草書体のグルジア語によく似ている。いくつかの文字は語の先頭や末尾にのみ現れる。この特徴はセム系言語の書記体系と共通している。数十年に渡りコデックスの言語の解読に成功した言語学者は表れなかった。しかしながら、ページ数に使われている記数法はAllan C. Wechslerとブルガリアの言語学者Ivan Derzhanskiによって(明らかに独立に)解明された。記数法は21進数の変種である。2009年、セラフィーニ自身によってコデックスに使われている言語の背後に隠された意味はないことが明らかにされた。
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/382.html
M-Tea*5_21-日本歴史物語〈上〉(六)喜田貞吉 2012.12.15 第五巻 第二一号 日本歴史物語〈上〉(六) 喜田貞吉 五十、蝦夷地(えぞち)の経営 五十一、前九年の役(一) 五十二、前九年の役(二) 五十三、後三年の役 五十四、平泉の隆盛(りゅうせい) 五十五、古代史の回顧(かいこ) 先生や父兄の方々に imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第五巻 第二一号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/215405) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (916KB) 定価:200円 p.159 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(103項目)p.740 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて校正中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. けんちゃなぺこぽん。週刊おきゅぱい宇宙軍。 平安朝のはじめのころは、朝廷のご威光が盛んで、坂上田村麻呂や文室(ぶんやの)綿麻呂の蝦夷征伐があり、これがために蝦夷の地がおおいに開けてまいり、蝦夷人もだんだん日本民族の仲間になってきましたことは、前に申したようなしだいでありましたが、なにぶんにも国の政治が乱れて、地方が騒々しくなり、武士や海賊が盛んにおこるという時代になりましては、蝦夷のいた奥羽地方だとて、その影響を受けないではいられません。第五十七代陽成(ようぜい)天皇の御代(在位八七六~八八四)には、今の秋田県あたりにいる蝦夷がそむきまして大騒ぎがおこりました。しかしこれというのも、もともと国司の政治が悪いからであります。はじめは蝦夷のいきおいがつよく、官軍も容易にこれをしずめることができなかったのですが、藤原保則(やすのり)という人が新たに国司になって、よくこれを諭し、よい政治をおこないますと、かれらはことごとく降参して、おとなしくなりましたのを見ても、その罪がおもに国司にあったことがわかりましょう。(略)(「五十一、前九年の役(一)」より) そのうちに、いよいよ頼義(よりよし)二度目の国司の任期がすみまして、新しい国司がやってまいりました。しかしこんな騒ぎの最中でやって来たもののなんともしてみようがありませぬ。さっそく都へ逃げて帰りました。そこで頼義は、今はどうでも自分の手で安倍氏を滅ぼして、自分の命ぜられたつとめを完(まっと)うして、新しい国司に引きわたさなければならぬと、しきりに清原氏の助けを催促します。武則(たけのり)も頼義の誠意に感じて、一万余人という大勢の仲間をつれてやってまいりました。こうなってはさすがの貞任も、とてもかないっこはありません。(略)最後に今の盛岡市の近所の、厨川(くりやがわ)の館までも攻め落とされ、貞任は殺されて、弟の宗任(むねとう)らは降参しました。頼義が国司となってから十二年かかって、やっと安倍氏征伐の目的を達することができたのです。世間でこれを奥州十二年の合戦と申しました。奥州とは今の福島・宮城・岩手・青森の四県の地方のことで、むかしはこれを陸奥といい、出羽とあわせて奥羽地方というのです。(「五十二、前九年の役(二)」より) ※ 蝦夷=「えぞ」の読みは底本のとおり。 5_21.rm (朗読:RealMedia 形式 472KB、3 49) milk_tea_5_21.html (html ソーステキスト版 212KB) 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 ◇表紙:恩地孝四郎 おんち こうしろう ◇図版:小村雪岱 こむら せったい ◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)。 底本:『日本歴史物語(上)No.1』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会 1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『日本歴史物語(上)』日本兒童文庫、アルス 1928(昭和3)年4月5日発行 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:K210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndck210.html 難字、求めよ 藤原経清 ふじわらの つねきよ 三浦平次郎為次 みうら へいじろう ためつぐ 天下大赦 てんか たいしゃ 希婦の細布 けふの ほそぬの ※『日本史広辞苑』『国史大辞典』『日本人名辞典』いずれも「藤原経清」の項なし。 むしとりホイホイ 頼義《よりいへ》 → 頼義《よりよし》 【「よし」か】 雲慶 → 運慶 【運か】 ※『吾妻鑑』に「雲慶」あり(国史) 糠部《ぬかべ》 → 糠部《ぬかのぶ》 【「のぶ」か】 ところから → ところから、 【、】 以上4件。底本は左辺のとおり。 スリーパーズ日記* 九州の松浦党(肥前松浦) 渡辺氏=松浦氏、安倍氏。 村上水軍(瀬戸内海) 熊野水軍(紀州) → 九鬼水軍 大河『平清盛』で加藤浩次扮する海賊・兎丸が登場したものの、当時の実在する水軍との関係描写が希薄だったのが、かえすがえすも残念。現在の歴史学では謎のままということなんだろうか。 清盛、平家と親しかったのは、どの水軍か。複数の水軍との親密度のちがいや確執があったはず。位置的には村上水軍が最も近いだろうけれども……。 馬と弓と養蚕の源氏に対し、船と交易の平氏のイメージがある。とくにこの時代、長い平安の世から乱世への転換期、馬具や武具・刀剣の需要が急激に増大したはず。加えて、造船・社寺建築・仏像作製などがさかんだったことを考えると、時代をあらわすキーワードの上位に「鉄製品」があげられるんじゃないだろうか。 木造船、木造建築、製鉄、鉄製品……、ここから推測できるのは、当時の西日本、平家の領有地では急激に山林が伐採されただろうということ。東日本、鎌倉に政権が移った背景のひとつに、山林の疲弊度合いの差があった可能性。どちらが優れていたか、、、ということではなく、どちらの山林が余力を有していたか。 もうひとつ。 飛鳥時代に船団を組んで蝦夷・粛慎討伐にあたったのが阿倍比羅夫。平安中期、奥州で源頼義・義家親子に討たれたのが安倍一族。そのさいに筑前宗像に配流されたのが安倍貞任の弟、宗任。 「山」のイメージの強い奥州安倍氏だけれども、勢力を持っていたのが奧六郡から北上川沿いであったこと、ついで奥州藤原氏が都とひんぱんに交流していたこと、宗任の子孫が松浦水軍に加わったことなどを考えあわせると、九州松浦党、奥州安倍氏、あべ、あんべ、あまべ、海部・海人部、阿倍比羅夫……「海」の類推説は強烈に捨てがたい。 12.18 米長邦雄、死去。69才。 2012.12.15:公開 おきゅぱい迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/hatigata/pages/13.html
(仮題)*鉢形城裏道散歩 (理由)**表道は公的機関が紹介・案内するだろうから (蛇足)***見落とされた物・事。被制圧者階層の経済的・心理的内情を尋ねたい。 平成21年8月14日、「試筆」 以下、 鉢形城散歩HP5月版の控えである。 鉢形城跡の概要前回は「要領よく」まとめられた「公文」でしたが今回は筆者の「駄文」です。 平成22年5月版 「国破れて山河あり城春にして・・」この詩の題は「「春望」だったかも。 鉢形城跡も「草青み」ましたが「伸び放題」ではありません。というのはインターネットに出る多くの「天神山城跡」探訪記事が「模擬天守」の廃墟状態のいわれと画像を紹介しています。 鉢形城跡がそうならなかった先人の炯眼と努力を思わせれれました。 ところで鉢形城跡は、戦国時代の代表的な城郭跡として、国指定史跡となり「 鉢形城公園」としても5年を越しました。地位ある立場の人はその成果・盛況の「祝辞」を下さります。でもこの中に「マンネリ」はないかを危惧します。歴史は過去のこと。史実は唯一の中にも、新発見・新解釈も待たれるのではないでしょうか。新進の学者は北條早雲の享年を24歳違うとの論を出されたようです。その論拠の各論は「そうだったのか」の説得力を覚えます。「歴史の冒瀆」は避けねばなりませんが、合理的ならば「歴史の書き換え」はあって当然ではないでしょうか。 鉢形城は、小田原北條氏の北や西を睨む前衛拠点として・・・というのはその通りでしょうが 鉢形城百年余の歴史からはその最後の局面であり、他の期間に比べて余りに短く思えます。私は管領居城として関東に君臨した年代ももっと強調・高揚してもよい。そこに新鮮味とマンネリからの脱却ができるかと思います。 それと近年「歴女」という新語さえできたようです。今後の大河ドラマの主人公には誰がよいか。インターネットの無責任(多分)人気には早雲は高点を占めるようです。少ないが「長尾景春」の名もあります。これには「灯台もと暗し」でした。早雲では小田原が名を挙げるでしょう。長尾景春なら当地が浮揚することでしょう。 今年になって「長尾景春」という単行本が出ました。この人の功績は道徳的には不評でしょうが、それにはその上の権力者の無能が秘められていると思います。このように所詮、視点を「野」におく本HPは「大河ドラマのヒ-ローに長尾景春を」をキャッチフレーズにして夢を育みたいと思います。 このお客様は、歴史学の教授二人と学生です。ガイドどころか「同行の光栄」に邂逅したようなものでした。 特に教授のお一人は「北條氏邦の 鉢形領支配」を大学卒業論文とされ、以後の研究成果を『後北條領国の地域的展開』という学術論文集を著作されています。(その本は歴史館にあります) 一見しただけですが身近の地名・地図がしきりに目を惹きます。 「個人が特定できない」条件でとらしてもらったのがこの写真です。あずまや前を勧めたのですが「ここがよい」とのことでした。
https://w.atwiki.jp/obbligato/pages/59.html
地理学って一体、何でしょう? 「地理学」って何? そう聞かれると、どんなイメージが浮かびますか? 小学校の時、授業で地元の商店街とか、駅前とかを歩いたけど、あれが地理学? 中学校の時、ひたすら世界の国がどこにあって、何が有名で…とか、 学校で習ったような気がするけど、あれが地理学? 高校では、日本史を選択したから、地理の授業は受けてない。。。 小学校や中学校、高校で習う「地理」は、学校教育を構成する何本もの柱のうちの1本なんです。ですから、その後地球市民として、国民国家の国民として、民主主義社会を構成する1人の人間として、いやそんな大袈裟な話でなくても、1人の人間として、1人の親として生きていくための礎になるものです。 学国の国旗を覚えてなくても生きていけるでしょ?ってことは、よく聞かれます。そりゃそうです。でもそれは「地理」の勉強じゃなくて、地理の”知識”を身につけているだけ。 数学や理科という教科が、数式を解くこと、自然現象を学ぶことが目的なのでは なく、論理的に「答え」を導き出すことで、自分自身はもちろん、誰にでも理解、 納得して貰うための練習であるように、 国語や外国語という教科が、人から伝えられることをより正確に受け取ったり、 その人の言いたいことを理解できるように、その背景にある事柄を感じる。 そして、自分の言いたいことを、適切に人に伝えるための練習であるように、 音楽や美術、保健体育、技術・家庭という教科が、人を知り、己を知ることを 通して、自分をより理想の自分に近づけるため、そして自分のため、人のために 生きる一人の人間となるための練習であるように、 社会という教科も、社会現象を学ぶことが目的なのではなく、身の回りで 起こる現象を見て、知って、わかる(理解し、納得する)ということを通して、 様々な立場の人の視点になりきって、事実として存在する資料をいかに分析し、 考え、自分の考えをどうまとめるか。答えを予測し、また導かれた結果から、 どのような課題を見つけ出すか、こういった“発見”をするための練習ではないか。 あくまでも私の解釈、考えでしかありませんが、このようなことが、 社会科の役割なのではないかと思っています。 その中で、地理は「時間」ではなく、「空間」という軸に沿って、 上のような目的を見出す科目です。 でもこれは、地理学ではなくて、学校教育での「地理」。 では、大学で学ぶ「地理学」って何!? 「学問としての」地理学は、私たちが住んでいる地表の「空間的な仕組み」を 対象として、農村や都市の在り方、経済活動の空間的な仕組み、私たちを取り巻く 自然環境を見つめ、世界の様々な地域を理解し、地球環境や自然災害、発展途上国の 開発、国土保全から農村や都市の問題など、今日的問題の解明を目指しています。 つまり、言い換えてみれば高校で習う「地理」と「現代社会」を組み合わせて、「なぜ、これがここにあるの?」という謎を解明し、課題への対策を打ち立ててる学問です。 実際に地理学の研究対象とされている課題の例を噛み砕いて示すと... 農村地域で問題となっている後継者不足や高齢化に、どう対応するか? 商品を作る工場と売る商店の立地は、どう配置すれば効率がよいのか? シャッター通りと化している商店街は、そもそも何が問題なのか? 大きな赤字を抱える地方行政や公共交通は、いかに運営するのが適切か? 都市での過密問題に対して、どのような対策を施すべきか? 市町村合併によって直面していた課題は解決されたのか? 少子化対策は、都市と農村ではどのように効果が異なるか? 地域の伝統行事は、どのようにして今日まで維持されてきたのか? 昔の町の様子はどのようなものであったのか? 方言はどのようにして伝播したのか? 観光地として売り込んでいるのに、どうして観光地として人気がないのか? インフルエンザは、どのようにして拡散していくのか? 集中豪雨はどうして発生するのか? どの程度の規模の地震が、どの地域に発生し得るのか? 地球の気候変動は、地域の生態環境にどのように影響を与えたか? どのようにして、現在の地形が形成されたのか? などなど... 地理学を勉強するということは、単にその地域を把握するというのではなく、 社会空間での「気づき」を見つけることが最大のテーマとされ、「社会空間を 見る目」を養うことが目的であると言えます。 地理学を勉強した結果に養われる力として、フィールド(現地)での行動力や コミュニケーション力、データ分析に必要な論理的思考力などが挙げられます。 ここで地理学を分析し、他の学問とは何が違うのか、あるいは何が同じなのか、 それぞれ検証してみようと思います。 歴史学的観点からのアプローチ 文学・語学的観点からのアプローチ 哲学・倫理学的観点からのアプローチ 社会学・経済学的観点からのアプローチ 理学的観点からのアプローチ 医学的観点からのアプローチ 数学的観点からのアプローチ 工学的観点からのアプローチ 農学的観点からのアプローチ 教育学的観点からのアプローチ 心理学的観点からのアプローチ 以上のように、地理学を様々な視点から分析してみましたが、いかがでしょうか。 なるほど~と思われる方がいらっしゃれば、バカ言うなょって思われる方も、 同じ数だけいらっしゃるでしょう。でも、考えが賛否両論なのは、当然。 色んな学問を見てみると、法学は法律によって人を守るための学問であり、 医学は医療によって人を救う学問であると思われがちなのでは? では、歴史学や文学、哲学や数学、あるいは天文学では人の支えにはなれませんか? もしできない・・・と仰るのであれば、それらの学問は、何のために存在するのか。すべての学問が人を守り、人のためになることに繋がっているからこそ、 学問は存在するのだと、いえ、学問に関わっていると自覚がある限りは、人のためになることをしなければならないのだと...管理人はそう自負しています。 ここに書いてある内容は理解し難いかもしれませんが、地理学は他の学問、領域と どれだけ密接に関わっていて、お互いに欠かせない学問だということです。 逆から見てみれば、他の学問、領域と密接に関わりを持って、繋がっている ことで、地理学も「人のため」の学問であるということを、納得していただける のではないかと思います。 2009年度人文学科オリエンテーションガイダンスにて 地理学分野担当の河合より 2009年度新入生の皆様へ