約 28,529 件
https://w.atwiki.jp/ryouhouji/pages/1094.html
壱 弐 参 極 極+ 名前 壱 アノ大泥棒ノ亡霊 (あのおおどろぼうのぼうれい) 極+ アノ大泥棒ノ暴霊 (あのおおどろぼうのぼうれい) セリフ 壱 「おっと、今見たコトは口が裂けても漏らすんじゃねぇぜ?」 弐 「オレ様は権力者ってやつが大嫌いなんだ」 参 「偉そうな奴に頭を下げる義理はねぇ」 極 「俺様の手に掛かれば盗めねぇモノはねぇぜ!」 極+ 「俺様の手に掛かれば盗めねぇモノはねぇぜ!」 解説 亡霊王の陰の力に捉まり、配下となった、安土桃山時代の大泥棒の霊魂。権力者から財を奪い、貧困層に還元したという大義賊の頭目。最後は一族もろとも釜煎りにより処刑されてしまった。 レアリティ 必要法力 攻 防 知 壱 SR 22 2960 2990 2810 弐 3230 3260 3070 参 3530 3560 3350 極 3880 3920 3680 極+ 4880 4920 4680 術式名 属性 MAX Lv 効果 専:頂くぜぇ! 風 7 敵単体の攻防ダウン 極+ 専:全部頂くぜぇ! 風 8 敵単体の攻防ダウン お邪魔戦術式 発動率 攻撃力アップ 中 極+ 敵HPダウン 中 備考: ※このカードは、【極】まで進化させた後、進化アイテムカード『暴魂の宝玉』との進化によって、【極+】にすることができます。
https://w.atwiki.jp/magamorg/pages/10108.html
時空の王子ダークネス・バード 魔神界 R コスト5 3000 マジンカイ・モンスター ■自分の他のマジンカイ・モンスターは、パワー+2000される。 ■このクリーチャーがバトルする時、代わりに自分のマジンカイ・モンスターをバトルさせてもよい。 ■覚醒-自分のバトルゾーンにマジンカイ・モンスターが4体以上いる時、このクリーチャーをコストの大きいほうに裏返す。 (F)「ずっと思っていた。絶対的な権力で皆を守ると。絶対に『負けない』と!」---ダークネス・バードの幼いころの夢 神王の覚醒者スサノオ・ミカド 魔神界 R コスト9 8000 ルナティック・エンペラー/デーモンコマンド/マジンカイ・モンスター ■このクリーチャーが攻撃する時、自分のクリーチャー1体を破壊してもよい。そうした場合、相手のクリーチャーのパワーは、全て-3000される。 ■このクリーチャーが破壊したクリーチャーの効果は無効になる。 ■Wブレイカー ■転醒-自分のターンの終わりに、自分の手札を5枚、または自分のクリーチャーを3体破壊してもよい。そうした場合、このクリーチャーを持ち主の超次元ゾーンに戻し、コスト20の、名前に《スサノオ・バルトライズ》とあるサイキッククリーチャーを1体、バトルゾーンに出す。 (F)この絶対的な権力で、全てを滅ぼす!俺はそう決めた。そして、奴らと本当の強者というのを見せてやろう!! 作者:ペペロン 関連 時空の神王スサノオ・ミカド/破壊の覚醒者スサノオ・バルトライズ 収録 新世界誕生編 第一弾 評価 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/20resficggirl/pages/164.html
キーワード …いる! 三枚おろし 戦力外通告 大人買いで幸せ♪ 同期のサクラ 北の狼 合体 野菜クラッカー アルハンブラ宮殿 0.5 ジューンブライド ゲルマン民族の大移動 ハンター ソーラン節 産みたて新鮮な生卵 百合華でぬいてやる 仮面武闘会 農業大好き ナビゲーターか親友が裏切る 作品紹介 白き壁に包まれた大学病院で、愛と欲望の舞台が幕を開ける ─── ! 主人公は新米ナース 人のために尽くしたい、そんな真心を持って働き始めた主人公の前に、 教授の座を狙う権力闘争という現実が容赦なく降り注ぐ 主人公が選ぶのは、信念か、愛か、それとも権力の座か ─── 攻略対象 脳外科医 かつては神の手を持つとまでいわれた天才外科医だったが、事故により利き腕を負傷し 今では戦力外通告を受けた窓際族 外科の予備室で愛用のメスを手に、新鮮な魚を三枚おろしにして舌包みを打つ毎日 刺身を作ると必ず0.5ミリの薄さにしてしまう。主人公に「味がしないんですけど…」といわれてもやめない 暇を持て余して料理に励んでいるが、野菜クラッカーに生みたて新鮮な生卵をかけるなど どう見てもポイズンクッキング。しかし完食しないと好感度が下がる 心臓外科医 北の狼の異名を持つ凄腕の外科医 野心家で、この大学病院へは別の病院から配下の医師を引き連れて移動してきた その様子はゲルマン民族の大移動さながらであったといわれ、院長の座を狙うハンターとしても悪名高い 実は脳外科医とは同期のサクラであり、飲み会では一緒にソーラン節を踊らされた仲だった 一時は親友といっていいほど親しかったが、心臓外科医が出世のために脳外科医を裏切った 権力にしか興味がない男で、一度でもミスをするとあっさり切り捨てられる 小児外科医 二重人格のオネエキャラ。薔薇華(バラカ)を呼ぶように主人公に強制する 極端な負けず嫌いでもあり、主人公に鬼ごっこで負けそうになるともう一人の人格『百合華』と交代し 「百合華でぬいてやる!」と叫ぶ 実は百合華はおっとりしたお兄さんキャラであり、農業大好き好青年。野菜を育てたいが オネエのほうはジューンブライドを夢見る乙女でもあり、「アルハンブラ宮殿に住みたい」が口癖のため しょっちゅう言い争っている。しかし二人とも根はやさしく、子供想いである そんな二つの人格が、主人公の協力により合体した時、小児病棟に奇跡が舞い降りる…! 店舗特典は豪華47種類! 各都道府県に一店舗一種類のみの販売です 通販で大人買いで幸せ♪になっちゃおう! 全種コンプリートすると、超レアアイテム『仮面武闘会』が手に入ります このアイテムを主人公に持たせると、主人公が院長の座まで上り詰める真エンドが見れるかも…!? 派生など 461-479(2作目)派生など この作品への感想等はこちらへ 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/yarunaisen/pages/40.html
.____________ | ._ | | | //‐―ヽ | | | | | ||. .|. .| | ゝゝ_ノ |______| | 。 .| なんか文句あっヵ!? |______.| ワレ! _, 、 -― ''" l \ー-..,ノ,、.゙,i 、 /;;;;;; ゙ ' 、 |_ ;、 、_ l|||||゙! ゙、-、_ 丿;;;;;;;;;;; i / \゙'' ゙||i l\ ゙'ー、. i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| \ \ .||||i| ヽ | !/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;! \ ヽ||||| / i |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|;;;; \ ゙、||| / | ==================================== NO MORE 映画泥棒 統制派民兵 こう見えて結構歳。というか、元々いわゆる著○権893系だった人。 人の裏側を見渡すことにかけてはある意味天才的である。 そして、ごますりの名人でもある。 派閥:保守過激派 方向性:外道 能力系統:対外諜報・州兵 運:40% 潜入成功率:6分の4 補正能力:ヒューミント+20 オシント+15 イベント能力: ・『権力の忠実な僕』……権力者大好き……逆に言えば強いほうにつく。 なお、取り入るとき、必ず有益な何かをくれる場合がある。 が、データ的に有益なものをくれるかどうかは時の運である。 ・『??』……。
https://w.atwiki.jp/kaihennsyaityia/pages/83.html
内閣権力犯罪強制取締官財前丈太郎 ながされて藍蘭島 のだめカンタービレ
https://w.atwiki.jp/undeerl/pages/254.html
ぴすてぃる京都/いずなしーゆ:思考 チンカルコナイト:訳 この文書は Kyoto=fistir/Iznasyiiyu Raakasdis fo fistirdis を翻訳したものです。 この翻訳は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(帰属 - 同一条件許諾)の下でライセンスされています。 ぴすてぃる宣言 第1章 ヘテジョワとピスレタリア 第2章 ピスレタリアとぴすてぃりすと ぴすてぃる宣言 悠里にはお化けが出ます。ぴすてぃるというお化けが。古き人工言語・架空世界のすべての権力が、このお化けを祓うため、神聖な同盟に加わっています。無視を通す幻皇と技術者、フェミニストと市民活動、そしてこれを読んでいるあなた。 権力の座にある対性欲派からぴすてぃりすとだと罵られなかった性欲解放政党がどこにあるでしょうか。自分たちより進歩的な解放党にも、反動的な敵対者にも、ぴすてぃりすとという烙印を押すような非難を投げ返さなかったような解放党がどこにあるでしょうか。 この事実から二つのことが帰結します。 1.ぴすてぃる教は悠里のすべての権力からすでに一つの力だと認められているということ 2.ぴすてぃりすと宣言は公然と、全界隈の面前に、その見解、その目的、その性癖を公表し、ぴすてぃるのお化けというお伽話に党自身の宣言で対抗するのに最適な時期だということ この目的のために、さまざまな国籍のぴすてぃりすとが京都に集い、次の宣言を起草し、ユーゴック語、リパライン語、ヴェフィス語、ペーサック語、蜆語でぴれほすることにしたのです。 第1章 ヘテジョワとピスレタリア これまで存在したあらゆる社会の歴史は、性欲闘争の歴史です。 痴漢人と平民、京都の貴族と平民、風俗と娑婆、ぴすてぃる京都と非信仰者、一言で言えば、性的抑圧者と性的被抑圧者が不断に対立しあい、中断することなく、ときには暗に、ときには公然とぴすってきたのですが、この闘いは大規模な社会風紀の革命的な再編成で終るか、さもなければ、あい闘う性癖がともに没落して終ったのです。 歴史の初期の時代には、社会風紀はさまざまな階層、社会的な性癖の多様な序列へと複雑に編成されていました。古代ローマでは、黒髪好き、リョナ好き、ドMがいました。そしてこうした性癖のほとんどすべてにわたって、さらに副次的な性癖にわかれていたのです。 封建社会の没落から出現した現代のヘテジョワ社会は、性癖対立を終らせたのではありませんでした。それは、古いものにかえて、新しい性癖の正当性、新しい性的抑圧状態、新しい闘争形態をつくりあげたにすぎません。 ヘテジョワ階級の存在と性癖支配の結果は、正等性癖の形成と増大です。そして性癖の存在条件は市民権を取得していることです。性癖市民権はもっぱらぴすてぃるなるの間の競争を当てにしています。ヘテジョワは不本意ながら道徳の進歩の促進者なのですが、この道徳の進歩は、平凡化によるぴすてぃるなるの孤立を、結社による革命的連携で置き換えます。だから近代道徳の発展は、ヘテジョワの足元から、ヘテジョワが生産し生産物を専有してきた基盤そのものを取り除きます。ですからヘテジョワが生産したものは、なによりもまず、自分の尻掘り人なのです。ヘテジョワの没落とピスレタリアの勝利は、等しく避けられないことなのです。 第2章 ピスレタリアとぴすてぃりすと ぴすてぃりすとは、全体としてのピスレタリアとどんな関係に立つのでしょうか。ぴすてぃりすとは、他のぴすてぃる党に対立する別の党をつくろうとはしていません。 ぴすてぃりすとは、全体としてのピスレタリアの利害とは別の、異なる利害を持ってはいません。 ぴすてぃりすとは、なにか自分たちの分派的原理を掲げ、それでピスレタリア運動を形作ったり、型にはめたりしません。 ぴすてぃりすとは、次の点でだけ、他の性欲解放を求める階級の党から区別されます。 (1) さまざまな国のピスレタリアの国民的ぴすてぃるでは、ぴすてぃりすとは国籍から独立した全ピスレタリアに共通の利害を指摘し、前面に押し出します。 (2) ヘテジョワにたいする性欲解放を求める階級のぴすてぃるが完了するさまざまな経過段階で、ぴすてぃりすとはいつでもどこでも、全体としての運動の利害を体現します。 だから、ぴすてぃりすとは一方的に、究極の一般的成果つまり[[言行録ぴすける]]をはっきりと理解している点で優っています。 ぴすてぃりすとの当面の目的は、他のどのピスレタリア党とも同じものです。ヘテジョワ覇権の打倒、ぴすてぃりすとによる性欲関係権力の奪取なのです。
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/178.html
阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 国家と憲法の基礎理論 第三章 憲法(典)の存在理由とその特性 p.45以下 <目次> ■第一節 憲法(典)の存在理由[48] (一)憲法(典)の存在理由は、共通のルールを設定して、各人の「自由」を守ることにある [49] (二)強制は避けられない [50] (三)もっとも「自由」は統治構造のあり方について明示的な指示をするわけではない [51] (四)統治権力から各人の「自由」を擁護するための憲法を近代立憲主義的憲法という [52] (五)近代立憲主義は「法による統治の先導・統制」を実現する目論見である ■第二節 近代立憲主義にいう「自由」と「民主」[53] (一)自由主義は法がどうあるべきかに関する思想である [54] (ニ)自由は法と対立せず、法と不可分である [55] (三)民主主義は何が法となるかに関する思想である [56] (四)民主主義はなぜ正当化されるか [57] (五)包括度・自由度等を満たした政体を民主制という ■第三節 憲法典の意義とその規律方式・事項[58] (NO TITLE) ■第四節 憲法典の特性[59] (一)憲法典は統治権力の割当と制限に関する究極の法である [60] (ニ)憲法典自身の規範性は常に疑問視される [61] (三)憲法典自身の妥当性を根拠づけることは容易ではない [62] (四)憲法典自身に実効性をもたせるために憲法典に工夫が施される [63] (五)憲法典の特性として基礎性・大綱性をあげる見解は曖昧である ■ご意見、情報提供 ■第一節 憲法(典)の存在理由 [48] (一)憲法(典)の存在理由は、共通のルールを設定して、各人の「自由」を守ることにある 「自由」という言葉は多義的である。 本書でいう「自由」とは、強制のないこと、すなわち、「消極的自由」(negative freedom)をいう。 その自由は、他者からの強制を受けることなく、各人の望むところを、自ら有する知識に立脚して追求し得ることをいう(ハイエク『自由の条件Ⅰ』)。 「消極的自由」は、政治参加して権力を獲得すること(「国家への自由」と呼ばれる政治的自由)ではなく、「求めるものを実現する力」でもなく、また、平等の実現でもない。 さらに、「消極的自由」は、「国家による自由」と呼ばれる各人の幸福実現でもない。 「自由」とは、万人に共通する究極目的の存在を否定し、究極の目的設定とその実現を各人に委ねることを意味する(自由の意義および価値については『憲法理論Ⅱ』 [48]~[53]で詳論する)。 このように、真の自由は究極目的を知らない。 ただし、自由は、各人の意図追求にとって必要な手段についてのみ合意を生み出す。 各人がその望むところを追求するにあたって必要とするその手段こそ、共通の体系的ルールであった。 自由な国家に共通の善が存在するとすれば、それは、個人的意図の追求に便宜となる普通妥当な共通のルール、すなわち法を国家が提供し、維持することである。 [49] (二)強制は避けられない いかに自由な社会であっても、強制は避けられない。 自由は強制を基本的には忌避するものの、貴方の自由に対して強制を加える者に、国家機構が強制を加えざるを得ない。 強制を排除して、貴方の自由を保護するためには、国家機構の強制に拠らざるを得ないからである。 これを「自由のパラドックス」という(「自由」全般については『憲法理論Ⅱ』でふれる)。 法という一般的抽象的ルールは、その強制を最小化し、自由を最大化するための工夫として、人間が長期に亘って学習し、受容してきた自生的装置であり、抽象的な知識である。 法は、国家による強制を最小化しつつ貴方の自由を最大化すること以外の目的を持ってはならない。 また、法は一定の条件を満たす成員全員に等しく向けられていなければならず、特定の目的を持ってはならない。 法は、ある人が何を為さなければならないかを決定できないのであり、何を為してはならないかを受範者を特定しないで決定するものでなければならない(それは、丁度我々がルールによって「フェアプレイ」を求めたとしても、それが何であるか語り尽くせず、ただ「アンフェアなプレイ」だけを具体的な文脈の中で排除できることと似ている。先の[47]で「負の力」という表現を用いたのは、これを念頭に置いている)。 法の中でも憲法(典)は、国家機構による強制の及び得る範囲を画定し、各人の自由を最大化することを目的としている。 [50] (三)もっとも「自由」は統治構造のあり方について明示的な指示をするわけではない 「自由」は、各人の生活設計について各自の判断に委ねるよう指示するものの、万人にとっての共通の目的を持たないだけに、統治機構の具体的なあり方については何も指示しない。 「自由」は統治権力に対する「負の力」にとどまる。 そこで我々は、「自由」のために、憲法(典)において、歴史的経験的に学びながら、「自由」を諸基本権カタログとして類型・具体化し、なおかつ、各人の選好を強制のない中で統治に反映させながら、「制限された政府」として相応しい統治の機構(強制を最小化する国家機構)を定めようとするのである。 その結果、憲法は、「統治機構と基本権の部から成る」、と言われるに至る。 中でも、ヨーロッパ大陸では、その絶対主義の崩壊期に、政治的統一体としての国家を維持するためには、組織的な統一性を法文書として書き込むことが必要であった。 それが、成文憲法、すなわち、憲法典である。 成文憲法の原点は、この観点からすれば、個人の自由権を文書の上で確定することにあるのではなく、政治的統一体としての国家の構成を明示することにあった。 換言すれば、憲法典は、第一に、国家との関係で市民が自由に行為できる領域を確認すること、第二に、市民の自由な領域を最大化するに相応しい国家機構を設計図として描くこと、を目的として制定されたのである。 [51] (四)統治権力から各人の「自由」を擁護するための憲法を近代立憲主義的憲法という 近代立憲主義的意味での憲法とは、強制の不存在という意味での消極的自由を擁護するために、「配分原理」および「組織技術」(権力分立という統治技術)を内容として組み込んだルールをいう(権力分立については、後の第10章の [185] 以下でふれる)。 「配分原理」とは、自由は法の許容(国家の意思)によってもたらされるものではないからこそ、原則として無限定に各人に保障されるのに対し、その領域を侵害する国家の権能は限定されることをいう。 近代立憲主義は、多くの場合、成文、成典かつ硬性の形式をもつ憲法典のもとでの統治を実現しようとした(この時点から、憲法と憲法典とが同視され易くなる)。 立憲主義憲法は、「実質的意味での憲法」(成文、不文を問わず、およそ国家の組織・作用の基礎に関する constitution)を、「形式的意味での憲法」(憲法典という成文成典形式で存在する憲法)の中に可視化させながら可能な限り閉じ込めた。 そればかりでなく、憲法典は、最高法規という実質をもつことによって下位法に対する拘束力を併せ持った。 またさらに、それは、権力分立という組織技術に拠りながら、統治権力の行使を制限することによって、国民の自由を保障するという「配分原理」を狙ったのである。 もっとも、国民の自由とは消極的自由をいう、と先に定義づけたものの、近代立憲主義のモデルを、フランス革命に求めるか、それともアメリカ革命に求めるかによって、「自由」や憲法の存在理由を捉える方向は変わってこよう。 この点は、次の[54]でふれる。 [52] (五)近代立憲主義は「法による統治の先導・統制」を実現する目論見である 「立憲制とは、制限された政府を意味する」(ハイエク)といわれる。 近代立憲主義的意味での憲法は「制限された政府」を実現するための法文書である。 そのためには、統治に先行しそれを指導する規範を可能な限り明文化することによって、統治権力を制約することを構想しなければならない(もっとも、その規範が全面的に明文化されることはない)。 そのルールこそ「法の支配」という思想である(この点は、後の第四章[64]~[75]でふれる)。 ■第二節 近代立憲主義にいう「自由」と「民主」 [53] (一)自由主義は法がどうあるべきかに関する思想である 「自由」とは、[48]で述べたように、外的強制のないことをいう。 自由主義とは、国家の強制力を制限し、法がどうあるべきか(または、誰が権限保持者であれ、権力者に課せられるべき制限、国家活動の範囲にかかわる体系)に関する思想体系である。 自由主義は、個人の自由を最優先する思想体系であるが、それは、次の二つの要素から成る。 第一は、 国家の統治活動を法の支配のもとにおいて国家の強制力の使用を最小限とすることであり、 第二は、 国民の経済活動に対する国家の介入を最小限とすることによって「市場での自由経済」を維持することである。 この第一の要素と第二のそれは、無関係ではない。 真の自由主義は、国家の経済政策をも法の支配のもとに置くことを考えたのである。 自由の領域から防御権としての個別的な基本権が生ずるとした場合(この点については、『憲法理論Ⅱ』 [55] で述べる)、基本権は超国家的・前国家的に存在するものであって、国家が法律によって授与するものではない、と考えられ易い(その思考法が自然権思想である)。 しかし、自由といえども国家内に存在し、国家によって保護されると考えるのが正しい。 国家と憲法の存在理由は、個人の自由領域を保護し、それをカタログとして例示し、自由を根源とする基本権保護に奉仕する点にある。 もっとも、自由と基本権とは同義ではない。 自由は、諸基本権を獲得するための条件を各人に提供する基盤である。 諸基本権は、一般的自由を基幹として保障されるに至るのである(この点については、『憲法理論Ⅱ』 [52]~[55] 参照)。 民主主義なる語は、個人的自由を尊重する体制を指すものとして度々用いられてきている。 ところが正確には、自由と民主は包摂関係にも、対立関係にもない、相互独立の概念である。 [54] (ニ)自由は法と対立せず、法と不可分である 自由は法と対立するものか否か、歴史を通じて絶えず論争されてきた。 かたや古代ギリシャ時代の主流思想から始まって、ロック、スコットランドの自由主義者から、今日のアメリカの政治学者に至るまで、《自由は法なしには存在しない》と説いてきた。 彼らにとって、法は、個人に何を為すべきかを指示するものではなく、個人の選択の機会を保障するものとされ、そのために、自由と法とが不可分であると考えられたのである。 他方、ホッブズ、ベンサム、フランスの思想家、そして近代の法実証主義者たちは、法は基本的に自由への侵害であり、従って、「自由とは法の禁じていないことを為す一切の権利である」(ベンサム)と説いてきた。 この見解の対立は、法に対する見方の違いを反映している。 法実証主義者は、法が人間の合理的設計(意思)に従って作られるであろうことに期待を寄せ、法(law)と立法(legislation)とを同一視しながら、設計の外に漏れやすい自由を法(立法)に従わせようとする。 このため、法と自由が対峙され、法の自由侵害性が説かれるのである。 これに対してスコットランド啓蒙思想の流れを汲む自由論者は、法は合理的設計によって語り尽くされるものではなく、人々の自由な営為の積み重ねのなかで修得されて生まれ出るものであって、権力者の意思(立法)がその法を侵害しないところにこそ自由あり(【N. B. 9】参照)、とみるのである。 【N. B. 9】自由と法の見方の変遷について。 自由の概念は、次のように、歴史的に様々な変転をみせてきた。 ① E. クック(1552~1634)時代の自由は、普通法上保障されてきた、具体的で伝統的な特権すべてを意味した。 ② その後の啓蒙期には、自由は、人であれば先験的・無条件的に有するはずの抽象的な権利(人権)を意味するようになる。その射程も、フランス啓蒙思想と、スコットランド的それとで、異なってくる。真の意味の自由は、後者である。「現代における個人的自由は、17世紀のイギリスより以前に遡ることは、ほとんど不可能である」(ハイエク)。 ③ 「自由」を知らない大陸では、自由は権力に近づくことである、とか、自由は理性の命ずるところであると捉えて、抽象的な自由の議論を作り上げた。そうしたフランス的啓蒙思想を反映したフランス革命は、貧困の撲滅から幸福の条件まで、自由の名で実現すると約束した。それは、国家による経済市場への介入、ユートピア的社会への全面変革を容認する思想へと膨らんでいった。 ④ これに対して、アメリカ革命は、「独立宣言」にみられるように「幸福の追求」を個人に保障しようとしたに過ぎず、権力を用いて富を再分配したり幸福の条件を整えることは論外であった。アメリカ革命を支えた思想は、スコットランドの啓蒙思想であって、それは、自由な社会システムに諸問題の解決を委ねたのである。 ⑤ こうした二つの流れは、自由とは理性によって統制された(されるべき)ものとみるか、それとも、「画一的な目的も終局も措定することもない」もの(オークショット)とみるか、「二つの自由論」として、今日まで論争されてきている。 本書は、スコットランド啓蒙思想にいう「自由」を妥当と考える。その自由は、消極的で無内容にみえるものの、「それが積極的になるのは、我々がそれから生み出すものを通じてのみである」(ハイエク『自由の条件Ⅰ』33頁)。 [55] (三)民主主義は何が法となるかに関する思想である 民主主義とは、多数意見による決定方式に基づきながら、何が法となるかについての教義をいう。 その教義は、これまで国民主権の理論のみならず、基本的人権の尊重思想と不可分の形で、あたかも統治の目的であるかのように議論されてきた(目的としての民主主義観)。 民主主義が自由の条件であるかのように説くとすれば、それは民主主義という用語の濫用である。 自由の範囲は、政治的意思決定の及ぶ干渉の範囲によって左右されるのである。 民主主義とは、望ましい統治の方法・手段をいうのであって、統治の目的ではない。 それは、誰が権力を如何に行使するかを問うのである。 自由主義と民主主義との関係の捉え方は、次のように様々である。 第一の見解は、両者の融合・調和的に捉える立場である。これは、フランスにみられてきた伝統的思考である。フランスにおいては、ローマ教会との争いのなかで、教権から自由に、統治形態について自己決定することが「自由主義」の眼目であると捉えられたために、自由主義運動が容易に民主主義運動と結びついたのである。我が国の社会科学の相当数が、民主主義は自由の擁護を内包する政治体制である、と説くのは、この影響を物語っている。ところが、「民主主義への道を自由への道と考えた人々は、一時的な手段が究極の目的と誤解したのである」(F. メイトランド)。 これに対して、両者を対立的に捉える立場も有力である。その代表的論者がC. シュミットである。彼は、自由主義と民主主義とが結合したといわれる現代議会主義の危機を摘出するにあたって、こう述べる。自由主義は抽象的人間に対して自由と形式的平等とを保障する点で異質性に根底を置き分散的であるのに対して、民主主義は人間を政治的な利害をもち政治的に規定された公民とみる点で、その同質性を原理とするのであって、両者は区別されなければならない。現代の議会主義の危機は、両者を区別しない見解にこそ内在しているのである(シュミット著、稲葉素之訳『現代議会主義の精神史的地位』参照)。 第三の見解は、本書で示したように、両者を独立した概念と捉える立場である。自由主義と民主主義が、相互に独立する概念であることは、その反対物を挙げれば、はっきりする。民主主義の反対物は権威主義であり、自由主義の反対物は全体主義である。 「民主主義」(democracy)は、ギリシャ語のデーモス(demos = 多くの人々)のクラトス(kratos = 権力)を語源とすることから分かるように、「権力は人々に属す」の意であり、「多くの人々による支配」を表すにとどまる。 「民主」なる用語の濫用の典型例が、「実体的民主主義」とでもいうべき民主主義観である。 この立場は、実体価値として、特に「自由で平等なる市民(シティズン)としての価値」を重視し、市民を自由で平等な道徳的・自律的存在として処遇することこそ民主主義的である、とみるのである。 先にふれたように、この見方が、残念ながら我が国にも深く浸透してきた。 確かに、民主制を専制と対比しながら、前者の特徴が「自律」による統治または「自己統治」にあり、後者のそれは「他律」による統治にある、と説くことは、専制に対するプロパガンダとしては有効であった。 ところが、個人の尊厳保障を民主制の条件と説いて、自由または平等にまで言及することは、あまりに実体的価値を吹き込んだ誤用である。 また、利益・選好を異にする多数者国民による政治的決定を「自己決定」と呼ぶことはできない。 「自己決定」は、あくまで個人についていい得るだけである。 これに対して、先に示した民主主義の意義づけは、「手続的民主主義」とでもいえる考え方であり、これは、国民が被統治者であるという事実を率直に承認しながら、その政治参加の手続(投票、言論、請願、ロビー活動等)を民主主義の中身におくのである。 [56] (四)民主主義はなぜ正当化されるか 民主主義がなぜ正当であるのかという疑問に関しては、通常、次のような解答が寄せられてきた。 (ア) 個人的自由の安全装置であること。例えば、ケルゼンは、民主制が自由な個人意思と国家秩序との間のギャップを最小限にするシステムである、と説く。それは、民主制とは、誰もが一票を等しく持って、いつでも多数派となる自由をもつ政体である、とする実体と形式とを合一しようとする民主主義観である。しかし、これも誤用である。自由が守られるかどうかは、多数者の意思次第であって、民主主義は自由にとって脆弱な防御壁に過ぎない。多数決原理は、単なる便宜である。基本権はその便宜を破るのである。 (イ) 長期的にみれば、多数者意思を形成するよう国民を教育する効果的な方法であること。または「討論に基づく統治」であるから、合理的な決定に至るであろうこと。しかし、この点を過信してはならない。多数の意思は激情となるかも知れない。また「討論による統治論」は、いつでもプロセスを強調するのみであって、それが何をもたらすか明確でない。我々の政治的選好は、全生活のなかで形成されるのであって、討論によって形成される領域は限られている。 (ウ) 具体的に現存する人民と、政治的統一体としての人民とが同一であるという原理に適合すること。例えば、シュミットは、民主制が「支配と被支配の可能な限りの同一性」を保持する国家形式であるとして、その正当性を主張した(シュミット『憲法理論』288頁)。ところが、その同質性が、人間の同質性とは別個の、民族や国民精神の同一性として捉えられるや否や、それは、代表技術を許容しないばかりか、「敵/味方」の峻別を政治世界に要請させることになり、「味方」の意思のみによる過酷でハードな統治を呼びがちとなる。ソフトな政治は、同一性を具現するためのものではなく、多元的な意思・利害・選好を調整することにある。多数者の歓呼による直接民主制(【N. B. 10】参照)は、健全な多数者意思の形成にとっても、自由にとっても、危険である。 (エ) 平和的な政権交代の方法であること、すなわち、最大の投票数に支えられる選択肢(指導者ないし政策)が、より少数の投票に支えられている選択肢に平和裡に取って代わること。この点こそ、ハイエクやK. ポパーの想定する正当化理由である。従来の政治理論または公法理論は、国民主権の理論を民主制論と直接に連結して、国民が主権者である以上、実定憲法には、国民が政治的な最終的決定者となるための機構が整備されていなければならない、と説いてきた([130]参照)。これに対して、ハイエク、ポパー等の見識は、民主主義を国民主権と連結することを敢えて避けているのである。これは、民主主義をもって、被治者が治者に有効な手続的統制を加えることをいうとする現実の統治を見据えたものであって、まさに炯眼といわなければならない。 被治者が治者に対して有効な統制を加える最大の機会が選挙である。 選挙権の法的性質については後にふれるが([167]以下参照)、選挙とは機関としての国民(または主権者としての国民)の行為ではなく、各人の手続的な権利として捉えられねばならない。 もっとも、民主主義は、選挙後の平和的な政権交替の前提として、投票期において次のような条件を満たしていなければならない。 【投票期における三条件】 1. 選択肢間の選好表明、つまり投票を、最大限の構成員が遂行すること(包括度の最大化)。 2. 各個人の投票に与えられる比重は同一であること(形式的平等化の徹底)。 3. 最大多数の票によって支持された選択肢が、勝利を得た選択だと公然と声明されること。 【N. B. 10】「直接民主制」のタイプについて。 直接民主制の中にも、市民全員が集まって議案・事項につき自ら決定する場合と、受任者を決定する場合とがある。前者を「レファレンダム」(※注釈: referendum 一般的な国民[人民]投票)と呼び、後者を「プレビシット」(※注釈: plebiscite 領土帰属や統治者選択のための人民投票)と呼ぶ。 レファレンダムは、英米においては direct legislation と呼ばれることがある。これらは、多数者の選好を直截に表示する政治的意思決定方法であり、確かに民主的なやり方だといえる。が、しかし、この方法は少数となる者の自由にとって望ましくないだろう。たとえ、レファレンダムが少数者の自由に対して危険であるかどうか不問とするにしても、これは、民主主義が自由や個人の尊厳を保障する政治体制ではない、ということを我々に気づかせる材料となっているはずである。 また、プレビシットは、「英雄」の出現を待望しがちな権威主義的投票人が第二のナポレオンを選出しはしないか、と歴史的に恐れられてきた。 直接民主制、間接民主制の意義については、[162]をみよ。 [57] (五)包括度・自由度等を満たした政体を民主制という 民主主義の正当化理由もさることながら、それを制度化するに当っての条件の検討も必要である。 その検討は、R. ダールによって為された。 彼は、ポリアーキィ(※注釈: polyarchy)(民主制に最も近い「多頭制」という政体)の条件として、次の諸点を挙げている(ダール『ポリアーキー』)。 ① 選挙民となる人口(包括度)が大であること、 ② 政府に対して自由に異議申立する機会(自由度)が大であること、 ③ 市民(シティズン)には、平等で秘密の投票の機会が与えられること、 ④ 複数の競合的な政党が存在すること(ポリアーキィにとっては、二大政党制よりも、多党制が望ましい、とダールはいう)、 ⑤ 複数の政党または指導者が、投票を求めて自由に競争すること 等である。 ■第三節 憲法典の意義とその規律方式・事項 [58] (NO TITLE) 憲法典とは、国家の統治の基本的事項、つまり、constitution の内容を組織的に編纂した法典(実定法)をいう。 それを「国家のあり方を国家全体との関係において規律するところの究極的法規範」と言い換えてもよい(佐藤・20頁)。 憲法典には、日本国憲法やアメリカ合衆国憲法のような単一成文典方式と、スウェーデン、フランス第三共和国のような複数制定方式とがある。 明治憲法時代には、大日本帝国憲法と皇室典範という二つの成文成典から成る複数制定方式が採られた。 憲法典が、国家の統治の基本的事項を規制するものである以上、その規制事項としては、 (ア) 統治権を意味する主権の所在、 (イ) 統治機構(立憲主義的憲法であれば、権力分立機構)の大綱、 (ウ) 国民の主要な基本権カタログ、 を最低限その内容として取り込まなければならない。 その他、対外的独立性という意味での主権や、国家の支配権という意味での主権の及ぶ範囲(領土)等に言及している例もあるものの、これらは、国際法上決定されるものであって、国内法たる憲法典で規制しても無力である。 ■第四節 憲法典の特性 [59] (一)憲法典は統治権力の割当と制限に関する究極の法である 憲法典の特質として、通常、「法の法としての憲法」に言及され、それはさらに、①授権規範としての憲法典、②制限規範としての憲法典、③最高規範としての憲法典、に分類される(清宮Ⅰ・16~38頁)。 そのことを、ハート流にまとめれば、憲法典とは、ある実定法体系内での「確認のルール」のうち、最上位に位置するルールである、ということになろう([47]参照)。 憲法典は、統治に関する制限規範(実体規範)であると同時に、最上位の授権規範(手続規範)である。 換言すれば、憲法典は、赤裸々な政治上の事実の力によってもたらされがちな政治的秩序を、「確認のルール」のもとで統制し、なまの力である権力(power)を権威(authority)へと転化させるばかりでなく、憲法典以外の法規範に対して妥当性(validity)を付与する成文の法規範である。 [60] (ニ)憲法典自身の規範性は常に疑問視される 法規範が、妥当性と実効性とを持たなければならないとした場合、憲法典という法規範は、常に、両者について疑問視され、「憲法の規範性問題」として論議され続けている。 憲法典に規範性を持たせる一つの工夫が違憲審査制(憲法典に裁定のルールを組み入れること)である。 しかし、全ての憲法的紛争が、権威をもって最終的に裁定されるわけではなく、その制度をもってしても、規範性を確保し続けることは困難である。 [61] (三)憲法典自身の妥当性を根拠づけることは容易ではない 憲法典の妥当性について、通常は、人民の意思(合意)によって作られたことがその根拠として挙げられる。 しかし、意思の力はあくまで事実上の力であって、意思が妥当性をもたらすという保証はない(Iこの点は、憲法制定権力の性質を論ずる際に [118]~[132] で再びふれることになろう)。 たとえ社会契約に示された意思が妥当性をもたらすとしても、その妥当性は、政治的統一体の始源的権力の創出および獲得の段階についてまで言い得るに過ぎない。 始源的権力によって作り上げられた憲法典と、憲法典上の統治機構によって行使される権限の妥当性は、いまだ謎に包まれたままである(社会契約によって創出された政治的統一体と、憲法契約によって創出された権限とは、同一ではない)。 憲法典と憲法典上の統治機構の妥当性を意思に基礎づけようとする論者は、憲法典が民意を反映する統治メカニズムを組み入れていることを挙げたり(この点は、ときに「実定憲法上の構成原理としての統治制度の民主化の要請」といわれることがある [佐藤・100頁])、人民による定期的な選挙に服することを挙げたりして、その正当性を説いてきた(ロック)。 しかしながら、この説明が憲法の規範性問題の解決に成功している訳ではない。 意思を基礎とする理論は、その意思それ自体を拘束するルールを解明しない限り、意思から生ずる万能の権力を説かざるを得なくなるであろう(シュミットが述べた如く、「意欲すれば足りる」という仕儀に至る)。 憲法典の妥当性の根拠を意思以外に求める思考として、憲法典自身に授権する「根本規範」または「始源規範」を仮定するものがある。 その根本規範の妥当性は、疑問視され得ないものとして仮定されるのである。 基本法である憲法典に対して妥当性を付与するその実体は何であろうか(この点については、最高法規性を論ずる第六章の [93]~[95] で再述する)。 [62] (四)憲法典自身に実効性をもたせるために憲法典に工夫が施される 制裁規定に発する拘束力をもつのが通例である他の法令とは違って、憲法は、簡潔・大綱的でその細目と制裁方法とを下位法に委ねているために、拘束力(または実効性)をもたず、常に実効的であるとは限らない。 ケルゼン流に、拘束力をもつ法規範(「もし、・・・ならば、その場合は・・・・・・」という仮設の形で示されて、後件に制裁を用意しているもの)だけを「真正の法規範」と呼ぶとすれば、憲法は、真正の法規範ではない(ただし、彼の理論の是非をここでは問うてはいない)。 ケルゼンはこういう。 「実質的憲法の諸規範は、それを基礎として創設されたサンクションを定める諸規範との有機的な結合においてのみ法」となるのであって、憲法諸規範自体は、独立した完全な規範ではない(ケルゼン『法と国家の一般理論』240頁)。 こうした特性をもつことに着目して、憲法され自体は「直接有効な法ではない」といわれることがある(小嶋・29頁)。 アメリカ憲法典が、司法審査制を導入し、「国の最高法規」であると自ら宣言したのは、憲法典を、その内部から「直接有効な法」にしようとした試みである。 我が憲法典もこれに倣った。 それでも、その内部的装置の妥当性を根拠づける規範問題が解決されたわけではなく、またさらに、憲法典のなかには、政治的マニフェストやプログラム規定が残されていることを考慮に入れれば、すべての憲法上の規定が直接有効とされるわけでもない。 [63] (五)憲法典の特性として基礎性・大綱性をあげる見解は曖昧である その他、憲法の特質として、根本性、基礎性、大綱性等が指摘されることが多いが、いずれも不明確といわざるを得ない(例えば、美濃部『憲法撮要』71頁は、憲法とは、国家の組織および作用に関する基礎法をいうとして、基礎性の要素を、国家の領土の範囲、国民たる資格要件、国家の統治組織の大綱、国家と国民との関係に関する基礎法則をあげるが、これらの事項が基礎性という特性を有しているといえるか、疑問である)。 本書は、憲法典が「究極の確認のルール」に基礎を置きつつ、他の実定法に妥当性を付与する「確認のルール」である点にその特質をみてとる([47]参照)。 ■ご意見、情報提供 ※全体目次は阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊)へ。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/1384.html
憲法とは、国家権力の組織および行使に関する基本ルールである。換言すれば、社会の政治権力を誰がどのように行使すべきかを定めた基本法である。今日では政治権力は国家に集中され、国家権力として組織されている。そこで、憲法とは何かを見る前に、国家とは何かについて最初に見ておくことにする。 <目次> Ⅰ 国家とは何か1 国家の歴史的成立 - 社会学的意味での国家 2 法学的国家論(1) 国家法人論 (2) ハンス・ケルゼンの理論 Ⅱ 憲法とは何か - 憲法の意味と種類1 固有の意味の憲法と立憲的意味の憲法(1) 固有の意味の憲法 (2) 立憲的意味の憲法 (3) 立憲主義の母国イギリス (4) ドイツの外見的立憲主義 (5) 日本の立憲主義 2 実質的意味の憲法と形式的意味の憲法(1) 区別と理由 (2) 形式的効力の最高性 (3) 硬性憲法と軟性憲法 3 憲法の法源(1) 法源の意味と種類 (2) 憲法慣習法 (3) 憲法判例 4 憲法規範の特質(1) 基本価値秩序としての憲法 (2) 授権規範・制限規範としての憲法 (3) 最高規範としての憲法 Ⅰ 国家とは何か 1 国家の歴史的成立 - 社会学的意味での国家 人間は、社会を形成して生活するが、その社会が一定の特徴を備えているとき、それを国家と呼ぶ。 近代国家は、ヨーロッパの歴史においては、それに先行した封建制社会を解体しつつ登場したため、その特徴の理解は、通常、封建制と対比することにより行われる。 封建制社会においては、封建諸侯(領主)が地方の支配権を握っており、政治権力は国王の下に集権化されることなく地方分散的な状態にあった。 国王権力は、王国全土を直接的に支配することはできず、地方領主との封建契約を通じて間接的に統治しえたにすぎない。 しかも、地方領主の中には、国王より強力な者も存在し、国王権力の優越性の保証もなかったし、また、ローマ教皇や神聖ローマ皇帝など外部の勢力からの干渉も受け、対外的な独立性も存在しなかった。 したがって、国王の支配権が直接的に及ぶ領域という意味での「領土」の観念も、国王の支配権に直接に服する「臣民」の集合としての「国民」の観念も、なかった。 こうした状態から出発し、国王は、この封建的な構造を徐々に解体し、領土と国民に直接的支配権を及ぼす中央集権的な最高・独立の統治権(主権)を確立していくが、それが「絶対王政」と呼ばれる体制であり、国家は絶対王政とともに始まるのである。 この国家は、絶対王政の段階では、王国の隅々にまで張り巡らされた国王の手足としての官僚機構を中心に観念され、国王の支配のための道具として国王に帰属する王家の「家産」と捉えられていた。 そこでは、国民は、国家を通じて国王に統治される客体にすぎなかったのである。 その国民が、近代市民革命により国王の統治権を奪取し、統治権の客体から主体へと転化するとき、国家が「一定の領土を基礎に統治権を備えた国民の団体」として観念されるようになる。 領土・国民・統治権(主権)が国家の三要素といわれるのは、このためである。 国家の成立により、国際社会は、相互に独立の「主権国家」から成るものと理解されるようになる。 主権国家が典型的に成立するのは、まずヨーロッパにおいてであったが、国際社会の行動主体が主権国家ということになると、国際社会で独立の主体として自己を確立したい集団は、主権国家性の実現を余儀なくされ、かくして多くの主権国家が叢生することになったのである。 2 法学的国家論 このように成立した(社会学的・歴史的)国家を、法的にいかなる存在として説明するかが、法学的国家論の課題となる。 これまでに社会契約をはじめとして様々な学説が唱えられてきたが、ここでは、我が国の憲法学に大きな影響を与えた国家法人論およびケルゼンの学説を簡単に紹介しておこう。 (1) 国家法人論 複数人から成る団体に一つの法人格を認めて、権利義務関係を扱いやすくするという法技術は、私法における財産関係の処理の場面では普通にみられるところであるが、これを統治権の帰属・行使の説明についても応用しようというのが、国家法人論の眼目である。 たとえば、株式会社は法人格を有し、会社の機関である代表取締役が表明した意思(たとえば、契約を締結する意思)は、代表取締役個人の意思ではなく、法人の意思とみなされ、その法的効果(たとえば契約による財産取得や支払義務)は法人に帰属するものとして扱われる。 同様に、国家法人論は、国家に法人格を認め、統治権はこの国家=法人格に帰属すると考える。 そこでは、統治権を行使するための意思表明(法律の制定、行政処分、判決等)は、国家=法人格の機関(国会、内閣、裁判所等)により行われる。 機関とは、法人格の意思を表明する地位を指すのであるが、その地位に誰がどのようにして就くのかは、憲法によって定めされる。 国家法人論にも様々なバリエーションが存在するが、代表的な見解はドイツの国法学者ゲオルク・イェリネック(Georg Jellinek, 1851-1911)が唱えたもので、日本の美濃部達吉(1873-1948)はこれから大きな影響を受けた。 戦前に「国体の異説」として弾圧を受けた美濃部の天皇機関説とは、この国家法人論に基礎を置くもので、明治憲法の解釈として、天皇を「統治権の主体(主権者)」としてではなく、「国家法人の機関」として捉えることを主張した学説である。 そのねらいは、統治権を天皇ではなく国家法人格に帰属するものと捉え、天皇は帝国議会と同じく国家法人格の機関であるとすることにより、天皇と帝国議会との格差を狭めることにあったと言われる。 弾圧を受ける以前は、この天皇機関説は学界の通説であった。 ドイツの国家法人論は、統治権(主権)を君主でも人民(国民)でもなく、国家に帰属すると構成することにより、君主主権論と人民主権論の歴史的対立の決着を回避し棚上げする意味をもつものであった。 君主・貴族階級と市民階級(ブルジョワジー)の対立の中で、市民階級が革命によって支配権を確立するだけの力をもちえなかった19世紀後半ドイツの状況を反映した理論であり、その意味で保守的性格をもつと一般に評されている。 その理論が、日本においては、天皇機関説にみられたように、民主的役割を果たしたことは興味深い。 一つの理論、学説がどのような機能を果たすかは、その社会の置かれた歴史的・国際的等の状況により異なりうることを示しているのである。 (2) ハンス・ケルゼンの理論 国家法人論の説明で、法人の機関が法人の意思を表明すると述べたが、なぜ機関の地位にある自然人の表明した意思が、法人の意思とされるのか。 それは、法が機関の地位に在る者にそのような権限を授けており、その授権に従って意思表明がなされたからである。 では、なぜその法はそのような効力(妥当性)をもっているのか。 それは、その法自体が、正当な権限をもつ機関により制定されたからである。 では、なぜその機関はそのような権限をもったのか、といえば、法によりそのような権限を授けられていたからである。 このように考えてみると、あらゆる法は、自己の妥当根拠を先行する上位の法規範から得ていることが分かる。 様々な法規範が授権・受権関係を通じて上下関係を形成している様子を、ケルゼン(Hans Kelsen, 1881-1973)は法の段階構造と呼んだが、憲法は、通常その最上位に位置している。 憲法は、国家の機関を創設し、それに一定の権限を授ける。 機関がその権限内で活動する限り、その行為は法的効力(妥当性)を承認され、その法的効果は国家に帰属する。 では、憲法自体はなぜ効力をもつのか。 憲法の妥当性はどこからくるのか。 ケルゼンは、これを説明するために、憲法の上位に位置する根本規範というものを仮設的に想定した。 憲法は、根本規範によって憲法制定権力を授権された機関により制定されることによって、その妥当性を獲得するというのである。 純粋法学の創始者ケルゼンは、事実と当為を峻別する立場に立つから、憲法の妥当性を説明するのに、たとえばイェリネックのような「事実の規範力」といった観念に訴えることを事実と当為の混同として否定し、上位規範による授権という理論を延長して究極的な妥当性根拠としての根本規範を仮設したのである。 こうして、法秩序は根本規範を頂点に授権関係を基礎とする段階構造をなすものと捉えられた。 そこでは、下位規範は上位規範(授権規範)を具体化し執行・実現していくものと捉えられる。 そして、ケルゼンによれば、国家とはこの法秩序のことだとされる。 自然人の意思が国家の意思とみなされるのは、法によってであり、法なくして国家の意思は存在しない。 国家は、法秩序としてしか存在しえず、法秩序と別個に法を制定する主体として、あるいは、法に拘束される対象として国家が別個に存在するわけではない。 国家イコール法秩序なのである。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (with) ※サイズが画面に合わない場合は こちら をクリック願います。 Ⅱ 憲法とは何か - 憲法の意味と種類 憲法は様々な意味に使われるので、議論の混乱を避けるために憲法の意味が区別・整理されてきた。 その中で最も重要なのは、①固有の意味の憲法と立憲的意味の憲法の区別と、②実質的意味の憲法と形式的意味の憲法の区別である。 ①は憲法の内容に着目した区別であるのに対し、②は憲法の存在の仕方に着目した区別である。 1 固有の意味の憲法と立憲的意味の憲法 (1) 固有の意味の憲法 憲法とは、どのような自然人の意思が国家の意思とみなされるべきかを定めた基本法である。 国家の意思は、法律、命令、規則など、憲法の定める様々な形式で表明されるが、それが強制力の独占を正統化された国家の意思である以上、国家権力により強制される力を獲得する。 国家意思を形成し執行していく権力を統治権と呼ぶが、この統治権が誰に帰属し、どのように行使されるべきかを定めているのが憲法なのである。 この意味での憲法は、あらゆる国家に存在する。 憲法なくして国家は存在しえない。 この意味での憲法を「固有の意味の憲法」という。 絶対王政にも、固有の意味での憲法は存在した。 絶対君主は、まさに憲法により絶対的な権力を授権されていたのである。 (2) 立憲的意味の憲法 我々が憲法という語により通常思い浮かべるのは、上述のような意味の憲法ではない。 我々にとって憲法とは、人権保障を謳い、国民主権や権力分立を定めた憲法であり、それは通常一つの統一的な憲法典の形で存在している。 絶対王政期には、このような憲法典はいまだ存在せず、憲法は慣習法として存在していたにすぎなかった。 たとえば、フランス絶対王政期に王位継承のルールなどを定めていた「王国の基本法」は、そのような性格の慣習法であった。 そこでは、憲法は、人為的に制定するものではなく、自然に成るものと観念されていたのである。 これに対して、絶対王政末期になると、イギリスに中世以来存在した、国王権力をも拘束する「高次の法」(higher law)という思想と、ロック的な社会契約論の影響下に、社会構成員の合意書としての憲法典を制定しようという考えが生じた。 これを歴史上最初に実行に移したのは、イギリスから独立した直後のアメリカ諸邦であった。 独立の過程で、まず最初、1776年6月にヴァージニアのウィリアムズバーグで開催された革命評議会が、天賦・不可侵の自然権を基礎とする権利宣言を採択する。 このヴァージニア権利宣言は、直後に採択された「政府の機構」(Frame of Government)という法典と一体を成すものとされ、その後の憲法が人権部分と統治機構部分から構成されるモデルとなった。 翌月(7月)には有名なアメリカ独立宣言が出されるが、そこでも同様の自然権思想を基礎に母国イギリスからの独立の正統性が主張されている。 引き続き諸邦で同種の権利宣言を伴った憲法が制定されていくが、1787年に13邦(州)が一つの連邦国家を形成する合衆国憲法が制定される。 同じ時期、フランスでも、1789年に革命が起きると、第三階級の代表者が「国民議会」を名のって「人及び市民の権利宣言」(フランス人権宣言)を行い、国民主権、人権保障、権力分立が国家の基本原理となるべきことを宣言し、1791年にそれに基づく最初の憲法を制定した。 これらの憲法は、いずれも人権保障と権力分立原理を採用し、権力を制限して自由を実現するという立憲主義(constitutionalism)の思想を基礎にしている。 立憲主義とは、政治は憲法に従ってなされなければならないという思想をいうが、そこでいう憲法はいかなる内容の憲法でもよいのではなく、人権保障と権力分立の原理に支えられたものでなければならないと考えられたのである。 1789年のフランス人権宣言16条は「権利保障が確保されず、権力分立が定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない」と規定したが、立憲主義の典型的な宣言といわれている。 このような立憲主義を基礎にした近代の憲法を「立憲的意味の憲法」と呼ぶのである。 (3) 立憲主義の母国イギリス 立憲主義のねらいが、国王の権力を制限して国民の自由を保障することにあったとすれば、それを他国に先駆けて歴史上最初に実現したのは、イギリスであった。 イギリスは、成文の憲法典を制定することはしなかったが、立憲主義的な国家構造をすでに17世紀に実現し、立憲主義の母国といわれるのである。 イギリスにおける国民の権利の確立は中世のマグナ・カルタ(1215年)に遡る。 マグナ・カルタは、実際には、封建貴族(バロン)がロンドンの商人の支持を得て国王に対し封建契約に基づく権利(身分的自由)の尊重を約束させた文書にすぎなかった。 しかし、そこで約束された権利は、その後何度も国王により確認されるとともに、裁判所による判決を通じてコモン・ローの一部として発展し、特に17世紀に、絶対主義を標榜したスチュアート朝の国王とそれに対立した議会との闘いの中で、議会の勇士エドワード・クック(Sir Edward Coke, 1552-1634)がマグナ・カルタを古来より存在するイギリス国民の権利を保障した歴史的文書であると意味づけるにおよび、イギリス立憲主義の象徴的文書となるのである。 イギリス権利保障の画期をなす1628年の権利請願(Petiton of Rights)、1679年の人身保護法(Habeas Corpus Act)、1689年の権利章典(Bill of Rights)、1701年の王位継承法(Act of Settlement)などのいわゆる憲法的文書は、いずれもこのようなイギリス国民の古来から承認されてきた権利を確認するものという性格づけを与えられて成立したものである。 したがって、そこでの自由は、人が人としての資格で当然に認められる「人権」という観念ではなく、封建的な身分に認められた特権を基礎にしていたが、その身分的特権としての自由を全国民にまで拡大していったのである。 アメリカ独立期の権利保障も、権利の内容についてはイギリスの権利保障の影響を受けていたが、それを自然権思想により捉え直した点で性格を異にするのである。 (4) ドイツの外見的立憲主義 他方、ドイツでは、フランス革命の影響を受けて憲法制定の要求が生じはするが、ドイツの諸邦においては絶対君主政が強固に確立されていて、市民階級(ブルジョワジー)の力も弱かった。 そのため、立憲主義に基づく憲法を確立するには至らず、「君主政原理」(君主主権)を基礎に君主が憲法を制定し、その中で国民に一定の権利を授け、その権利を制限する場合には国民を代表する議会の同意を得た法律により行うことを約束するという展開をたどるのが一般的であった。 その典型例が1850年のプロシャ憲法であり、1871年のドイツ帝国憲法も基本的には同様の思想を基礎にしていた。 これらの憲法も、立憲主義の要素をまったくもっていなかったというわけではない。 人権という観念ではないにしても一応権利は認められ、かつ、議会が君主の権力をある程度制限することが認められていたからである。 しかし、君主政原理が出発点に置かれており、権利保障も議会による君主権力の制限も不十分であったため、このようなドイツの憲法は、立憲主義のみせかけにすぎないという批判をこめて、「外見的立憲主義の憲法」と呼ばれた。 (5) 日本の立憲主義 1889年の明治憲法(正式名称は「大日本帝国憲法」)は、このドイツの憲法思想の強い影響を受けて制定されたので、外見的立憲主義の性格を有している。 明治憲法制定過程における枢密院での審議に際して、文部大臣森有礼が「臣民の権利」に反対し、臣民は天皇に対して責任を有するのみであるから「臣民の分際」と改めるべきだと主張したのに対し、憲法制定を推進した中心人物の伊藤博文枢密院議長が、「抑(そもそも)憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにあり。故に若し憲法において臣民の権利を列記せず、只責任のみを記載せば、憲法を設くるの必要なし」と述べて反論したというエピソードは、当時の指導者達が西欧の立憲主義の核心を理解していたことを示している。 しかし、制定された明治憲法は、「臣民」の権利を「法律ノ範囲内」で認めたにすぎず(22条・29条参照)、かつ、君権を制限するはずの議会も限定された権限しか与えられておらず(5条・6条・71条等参照)、絶対主義と立憲主義の間の妥協的性格のものであった。 これに対し、戦後に制定された日本国憲法は、真正な立憲主義の系譜に属する憲法であり、国民主権を基礎に、自然権思想から生じた人権の観念を導入し、権力分立原理によって統治機構を構成している。 本書の目的は、日本国憲法をこの立憲主義の歴史の中に位置づけ、その特徴を理解しようとすることにある。 2 実質的意味の憲法と形式的意味の憲法 (1) 区別と理由 立憲的意味の憲法は、通常は一つの統一された憲法典という形で制定されるが、イギリス憲法のように慣習法およびいくつかの法律の形式で存在する場合もあることを見た。 また、憲法とは、国家の政治のあり方に関する基本法であり、統治権を誰がどのように行使するかを定めるものであるが、このような「固有の意味の憲法」のうち、立憲主義的内容のものが特に「立憲的意味の憲法」と呼ばれた。 この区別は、憲法の内容に着目した区別であり、憲法がどのような形、形式で存在するかとは無関係である。 立憲的意味の憲法であれ固有の意味の憲法であれ、憲法典の形式で存在することもあれば、そうでないこともある。 ただ、通常は、立憲的意味の憲法は憲法典の形式をとって存在する。 この《形式》に特に着目するとき、それを「形式的意味の憲法」と呼び、形式とは無関係に憲法を観念する場合の「実質的意味の憲法」と区別している。 この区別をする意義の一つは、憲法に属すべきルールが常に憲法典の中に書き込まれるとは限らず、逆にまた、憲法典に書き込まれた規定の中には憲法には属さないものもあるという点に留意することにある。 憲法の制定は、多くの場合政治的闘争を通じて行われるのであり、合意形成過程における妥協と取引の結果、本来憲法典に書くべきことを意図的に明記しなかったり、あるいは、憲法とは関係ないことを特に書き込んだりするというとこが起きるのである。 しかし、実質・形式の区別のより重要な意義は、形式的意味の憲法が国法体系の中で最高位の、最も強い効力をもつことを示すことにある。 これは、憲法という形式に与えられる効力であり「形式的効力」と呼ばれる。 (2) 形式的効力の最高性 法は様々な様式で存在するが、大きく分ければ不文法(慣習法)と成文法(制定法)に区別される。 このうち制定法は、さらに様々な形式に区別しうるが、日本国憲法は、憲法のほかに、法律(国会)、命令(行政)、規則(両議院、最高裁判所)、条例(地方公共団体)などの法形式を認めている(かっこ内は制定権限を有する機関)。 これらの区別は、制定権限を有する機関の違いを基礎にするものであるが、ここで重要なのは、形式間に効力の上下関係が憲法自身により設定されていることである。 すなわち、法律よりも憲法の方が強い効力をもち、政令や規則よりも法律の方が上であるというように形式的効力の上下関係が決められていて、上位の法に反する下位の法は無効とされるのである。 どちらがより上位にあるかは、原則として、どちらの法形式の制定機関が国民により近いか、および、どちらがより困難な制定手続に服しているかを基準に決められる。 たとえば、国会は議員が国民により直接選ばれるから、首相が国会により指名される内閣よりも国民に近く、ゆえに、国会が制定する法律の方が内閣が制定する政令より形式的効力が上にあるとされる。 憲法が最高の形式的効力を有するのは、憲法は国民が直接制定したものという建前であり、かつ、その改正には国会の各院の3分の2以上の多数で発議し国民の過半数の賛成を得なければならないという最も厳格な手続が規定されているからである。 先に、憲法が授権規範の資格で最上位にあることを見たが、形式的効力の観点からも最上位にあるのである。 (3) 硬性憲法と軟性憲法 憲法を憲法典として制定する大きな理由は、この形式的効力の最高性にある。 形式的意味の憲法は、通常、法律の制定と同じ手続では改正できず、より困難な重い手続を践まねばならない。 憲法改正に法律の制定より困難な重い手続を必要とする憲法を「硬性憲法」、法律の制定と同じ手続でよいものを「軟性憲法」というが、形式的意味の憲法は、通常、硬性憲法であり、それゆえに最高の形式的効力をもつ。 そして、まさにそれゆえに、人権保障のような国の政治の重要なルールは、形式的意味の憲法に規定し、安易な改正から保護しようとするのである。 ごく稀に、成文憲法が改正条項をもたないことがある(フランスの1814年憲法的シャルト参照)。 この場合には、改正を禁じたものと解するか、それとも法律と同じ手続で改正可能な軟性憲法と解するかの争いが生じうる。 なお、イギリスのような不文憲法は、法律により改正可能であるから、軟性憲法の性格をもつこととなる。 3 憲法の法源 (1) 法源の意味と種類 法源とは、法の効力の根拠の意味に使われることもあるが、ここでは、法がどこにどのような姿をとって存在しているかという、法の存在の仕方を指す意味で使う。 この意味での法源は、通常、成文法源と不文法源に区別される。 憲法の法源とは、実質的意味の憲法がどこにどのような形で存在するかの問題である。 先に述べたように実質的意味の憲法のすべてが、形式的意味の憲法の中に書かれているわけではなかった。 何らかの事情で憲法典に書かれなかったものも存在する。 そういったものは、法律等の成文法源に規定されている可能性がある。 また、憲法には一般的・抽象的な原則の形でしか規定されておらず、その具体化は法律等の成文法によりなされていることもあり、選挙法をはじめその例はきわめて多い。 しかし、場合によっては、成文法は存在せず、不文の慣習法や慣例・先例によって具体化されていることもある。 また、裁判所の憲法判例は、憲法の具体的存在形態として、今日ますます重要な地位を占めるようになってきている。 以上のうち、憲法慣習法と憲法判例については若干の議論があるところであり、以下に簡単に問題の要点を説明しておこう。 (2) 憲法慣習法 慣習法は、一般に、先例が長期にわたり反復され、広範な国民がそれに法的価値を承認することにより成立する。 日本は制定法主義をとっているから、制定法に反する慣習は法的効力をもたないのが原則である。 したがって、憲法慣習法が成立しうるのは、憲法に規定がない問題についての慣習と憲法の規定を具体化する慣習の二つの場合である。 しかし、稀には、憲法に反する先例が長期にわたって反復され、国民もそれを認めるに至るということが起こりえないわけではない。 このような場合、「憲法変遷」が生じたといわれる(427頁参照)。 たしかに、事実の認識として「憲法変遷」が起こりうることは否定できない。 しかし、憲法解釈論としてそれを是認することができるかどうかについては、学説の対立があり、解釈論上はあくまで違憲の憲法慣習と考えるべきだというのが多数説である。 この問題は、日本では、特に憲法9条と自衛隊の存在をめぐって争われている(63頁参照)。 衆議院の解散は、内閣不信任の場合に限定されないという確立された慣行も(321頁参照)、憲法はかかる場合に限定しているという立場からすれば、憲法変遷の問題となりうる。 (3) 憲法判例 日本国憲法は、裁判所に法律等が憲法に違反するかどうかを審査する権限を与えたから(81条)、裁判所が判決の結論を出すのに必要な限度で憲法判断をし、判決理由の中で法律等が合憲か違憲かについての判断とその理由とを述べることになっている。 その憲法判断と結論に不可欠な理由(判決理由)を憲法判例という。 ちなみに、理由中には、結論に不可欠とはいえないものも述べられていることがあり、それを「傍論」と呼び「判決理由」と区別している。 憲法判例は、日本では、最高裁が後の裁判で変更することが認められている(裁10条参照)から、厳密には法的拘束力をもつとは言えないが、実際には判例変更は稀であり、事実上、拘束力をもつのとほぼ同じに機能している。 その意味で、憲法の法源の一つと考えてよい。 4 憲法規範の特質 憲法という法規範が、他の法規範と比較したとき、どのような特質をもつかを、ここまでの説明を整理する意味で述べておこう。 (1) 基本価値秩序としての憲法 固有の意味の憲法と立憲的意味の憲法を対比すれば分かるように、憲法はその社会の基本価値を体現している。 立憲的意味の憲法の基本価値は、後に見るように「個人の尊厳」であり、それを護るために人権保障と権力分立を規定したのである。 (2) 授権規範・制限規範としての憲法 実質的意味の憲法を他の法規範と比較すると、憲法が授権規範としての特質をもつことが理解される。 他の法規範は、自己の妥当性の根拠を憲法による授権から得ているのである。 授権することは、同時に制限することでもある。 権限を授けられた機関は、授権の範囲を超えて権限を行使することはできないからである。 この点は、固有の意味の憲法についても妥当するが、立憲的意味の憲法の場合は、自由を護るために権力を制限することを重要な目的としたから、制限規範としての性格がより強く表れる。 (3) 最高規範としての憲法 憲法は授権規範として他の法規範の上にあるのみならず、形式的効力の観点からも最高位に位置している。 憲法の最高法規性は、通常、後者の形式的効力に着目していわれる。 つまり、憲法という法形式に他の法形式(法律、命令等)に優位する効力が与えられ、実定法秩序の最高位の地位が認められるのである。 重要なのは、この形式的意味の憲法の最高法規性の実質的根拠であるが、それは、憲法が「個人の尊厳」という実定法秩序を支える基本価値を体現していることに求められる。 憲法は実定法秩序が個人の尊厳に基づく秩序を形成・維持していく際に従うべき「法のプロセス」を定めているのである。 日本国憲法は、その第10章に「最高法規」と題する章を置き、97条から99条の三つの条文を定めている。 その98条は、1項で「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」と規定しているが、憲法の形式的効力の最高性を確認したものである。 しかし、これに先立つ97条が「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と規定していることに留意する必要がある。 この条文は、憲法11条・12条・13条と共鳴する規定であり、「個人の尊厳」(24条参照)を核とする自然権思想を背後にもっている。 かかる趣旨の規定を97条に置き、それを受けて98条で形式的意味での最高法規性を謳ったという構成の中に、最高法規性の真の理由が表現されているのである。 なお、憲法98条2項は、実定法秩序に属する法形式のうち特に「条約及び確立された国際法規」を採り上げ、その「誠実な遵守」を命じている。 このため、1項との対比において、日本国憲法が国際法と憲法の関係につきどのような立場をとっているかが問題となる。 国際法と憲法を含む国内法はまったく別個独立の法体系をなすという二元説もかつては有力であったが、今日では国際法と国内法は単一の法体系に属するという一元説が通説となっている。 そのうえで、両者が抵触したときどのように解決するかの点に関して、国際法優位説と国内法優位説があるが、日本国憲法の解釈として問題となるのは、国際法と憲法のどちらが優位すると解するかである。 この点、憲法が条約の制定手続を定めている(61条)ことから条約の効力は憲法に根拠をもつことになり、そうである以上、憲法が優位すると解すべきである。 もっとも、条約の中にはたとえばポツダム宣言や講和条約のように日本国憲法を実施する前提となったものもあり、そのような条約については日本国憲法に優位すると解する余地もある ちなみに、条約と法律の上下関係については、98条2項を一つの根拠に条約が優位するというのが通説である。 法律の制定手続(59条)と条約の承認手続(61条)を比較すると、前者の方が重くなっているが、これは法律の方が重要であるということではなく、国家の対外的責任を重視したためであると解し、条約は法律に優位するというのが憲法の立場であると解釈しているのである。 なお、条約の違憲審査との関係につき、411頁参照。
https://w.atwiki.jp/gods/pages/32148.html
バラムナ(バラム・ナ) マヤ神話の登場人物。 北の権力の支配者。
https://w.atwiki.jp/okvideoshop/pages/29.html
太陽のようにあたたかく輝く王子フォン、 太陽を優しく抱く月のような少女ヨヌ。 2人は運命に導かれるように恋に落ちるが、 婚礼を目前にヨヌが原因不明の病にかかり命を 落としてしまう。 その陰には、朝廷の権力争いによる陰謀が…。 「太陽を抱く月」 は朝鮮時代の架空の王の時代、御年23歳の若き王の恋物語を描いた“宮中ロマンス”。普通、宮中ロマンスといえば、王妃と後宮たちとの陰湿な暗闘とか、もしくは権力を巡って繰り広げられる党派争い程度だろうと想像するかもしれない。しかしこのドラマは初恋に純情を捧げて、恋の成就に命を掛ける王子の初恋、当時の若者たちのピュアなラブストーリーである。 悲しくも美しく、純粋で悲壮な若者たちの宮中の恋。 それぞれ違う色彩を放つ彼らの哀しき愛の讃歌。 さらに加えて、このドラマにおける政治とは正置、つまり、全てのものが正しい位置にあることを指す。太陽と月があるべき位置を逸脱すれば危険が迫るように、“正”が軌道を外れれば世界が危険にさらされる。国の根本になる民衆がもっとも高い位置に、民衆の憂いを抱きかかえる者が王の位置に、君主と民衆を慈しむ者が王妃の位置に、学問と人格を有する者が官吏の位置に、愛する人が愛する者の横に、いるべき人がいるべき位置にいられるようにしてやること。万物があるべき位置にあるようにしてやること。 それが朝鮮の若い王、イ・フォンの政治哲学である。