約 599 件
https://w.atwiki.jp/howl/pages/220.html
▼ 資料 █ 繪師: 梁川理央 █ 繪師(英文): Rio Yanagawa █ 第二筆名: やながわ理央 █ 同人筆名: ぐるぐる本舗 █ 網站: - ?? █ 繪畫特徵: ▼ 作品 █ 漫畫: 童貞少年 GoGo!Girls 半熟少女 禁じられた遊び トライアングル 万華鏡 █ 雑誌: █ 商業CG: █ 同人CG: ▼ 其他
https://w.atwiki.jp/kaiseimaru/pages/112.html
小梁川武三郎(こやながわたけさぶろう) ■プロフィール 小梁川武三郎(こやながわたけさぶろう) 明**年(1**)-天**年(1**0) ■小梁川武三郎 天保十一年(1839) 土御門家の記録に門人としての記載有り。 天保十四年(1840) 土御門家の記録に門人としての記載有り。 ■師弟関係 ┌─堀武次(1810-1876) │ ├─堀春嶺? │ 小梁川貴矩─┼─沢木員昆(1778-1830) │ ├─三浦義和 │ └─小梁川武三郎 ■基礎資料
https://w.atwiki.jp/kaguchi/pages/17.html
梁川 しづく(やながわ しづく) 身長:146㎝ 誕生日:5/15 血液型:A型 部活:器楽部 好:音楽鑑賞/黒色/パソコン 嫌:雷鳴 口調:中性的。微妙に男口調といえばそう 一人称:私 二人称:君、あなた 男子:苗字+君 女子:苗字+さん 「あまり、先生を困らせるようなことはしない方がいいと思うけど…」 人物 華奢でミニマム。静かに空気のように存在する。どちらかというと内向的。あまり感情を表に出すことはしないが笑うと幼い。 音楽好きでオールジャンル聴く(ロックからクラシックまで)将来はソングライターになりたいとほのかに思っている。山戸が聞き惚れるほどの歌声の持ち主だが本人は人前で歌うことはあまり好きではない。ギターとキーボードは独学で弾けるようになった。 機械類に強く、よく頼まれるためか赤尾家の機械類は把握している。パソコンも軽々と扱い、音楽も作っている。 島生まれ島育ち。家族構成は父、母、本人。父親はイタリアンレストランを営んでいる。 成績はごくごく普通。国語と音楽は強い。 進路は本土の文系大学へ。ネット上での活動が認められ、作曲の仕事をするようになる。 相関 赤尾 立太:幼馴染。気が許せる相手。 山戸 聡:部活の後輩。
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/174.html
MT*2_38-清河八郎(一)大川周明 2010.4.10 第二巻 第三八号 清河八郎(一) 大川周明 第一章 清河八郎の家郷 第二章 修行時代の清河八郎 一 清川の少年、斎藤元司(もとじ) 二 出奔および入塾 三 上洛および九州行 四 文武修行 五 帰省および奉母行 六 学問より実行への転機 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第二巻 第三八号】 (http //www.dl-market.com/product_info.php?products_id=62422) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (964KB) ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。翻訳・朗読・転載は自由です。 (c) Copyright is public domain. 定価:200円(税込) p.195 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(47項目)p.280 ※ 傍点や傍線の見えにくい場合は、T-Time の文字品質(アンチエイリアス)を「標準」にしてご覧ください。 飛び出せ! 週刊ミルクティー* オリジナル版 週刊ミルクティー*現代表記版 清河八郎(一) 清河八郎(一) 大川周明 大川周明 清河八郎正明は莊内藩の郷士の子である。(略) 清河八郎正明は庄内藩の郷士の子である。(略) 八郎の生家は此村の豪族齋藤氏である。遠祖齋藤外記、上國より來つて初めて清川村を開拓し、其後世々郷士であつた。傳ふる所によれば、源義經が北越を經て奧州に潜行するに當り、清川村を過ぎて齋藤家に館した時、當主齋藤外記が主從を歡待して百方便宜を圖つたので、義經深く其の芳情に感じ佩ける所の刀を解いて之を外記に遺つたとのことである。現に齋藤家が重代の家寶として秘藏する鬼王丸作の太刀、長二尺五分光芒爛々飛電の如きもの即ちそれである。其後南北朝の時には、家を擧げて鎭守府將軍北畠顯家の幕下に屬した(略) 八郎の生家はこの村の豪族斎藤氏である。遠祖斎藤外記、上国より来たってはじめて清川村を開拓し、そののち世々郷士であった。伝うるところによれば、源義経が北越をへて奥州に潜行するにあたり、清川村をすぎて斎藤家に館したとき、当主斎藤外記が主従を歓待して百方便宜をはかったので、義経深くその芳情に感じ、佩(は)けるところの刀を解いてこれを外記に遺ったとのことである。現に斎藤家が重代の家宝として秘蔵する鬼王丸作の太刀、長二尺五分光芒爛々飛電のごときものすなわちそれである。その後南北朝のときには、家をあげて鎮守府将軍北畠顕家(あきいえ)の幕下に属した(略)。 かくて翌安政六年には、(略)神田お玉ヶ池二六横町に土藏付の家屋を買求め、之を普請して七月には此處に引移つた。 かくて翌安政六年(一八五九)には、(略)神田お玉ヶ池二六横町に土蔵付の家屋を買い求め、これを普請して七月にはここに引き移った。 八郎は此の新居に『文武指南所』と云ふ大看板をかけた。当時は儒者は儒者、劔客は劔客と、それ/″\分れて居たことであれば、文武併せ教授する者は、江戸廣しと雖も八郎一人であつた。蓋し八郎の劔道は非尋常の上達で、千葉門下の逸足として、劔客の名を山岡鐵舟などゝ並び馳せる程になつて居たのである。彼はまた此年の暮に活字版を買求めて、自己の著作を刊行しやうとした。當時個人で活字版を買求めた者も、恐らく八郎の外に無かつたらう。彼は先づ武道篇を和譯して翌年二月之を出版した。 八郎はこの新居に「文武指南所」という大看板をかけた。当時は儒者は儒者、剣客は剣客と、それぞれ分かれていたことであれば、文武あわせ教授する者は、江戸広しといえども八郎一人であった。けだし八郎の剣道は非尋常の上達で、千葉門下の逸足として、剣客の名を山岡鉄舟などと並び馳せるほどになっていたのである。彼はまたこの年の暮に活字版を買い求めて、自己の著作を刊行しようとした。当時個人で活字版を買い求めた者も、おそらく八郎のほかになかったろう。彼はまず『武道篇』を和訳して翌年二月これを出版した。 然るに萬延元年三月三日、井伊大老が水戸浪士によつて櫻田門外に斬られた。(略) しかるに万延元年(一八六〇)三月三日、井伊大老が水戸浪士によって桜田門外に斬られた。 2_38.rm (朗読:RealMedia 形式 472KB、3'50'') 大川周明 おおかわ しゅうめい 1886-1957(明治19.12.6-昭和32.12.24) 国家主義者。山形県生れ。東大卒。満鉄入社後、猶存(ゆうぞん)社・行地社・神武会を結成。軍部に接近、三月事件・五‐一五事件などに関与。第二次大戦後、A級戦犯。著「近世欧羅巴植民史」など。 ◇参照:Wikipedia 大川周明、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本 底本:『清河八郎』行地社出版部 1927(昭和2)年2月11日 発行 NDC 分類:289(伝記:個人伝記) http //yozora.kazumi386.org/2/8/ndc289.html 年表 延文年中(一三五六〜一三六一) 顕家戦没。畑谷城主春風治次、藤島城主・土佐道俊を招ぎ、襲うてこれを殺す。さらに兵を卒いて藤島城を攻める。斎藤外記、土佐民部の求援に応じ敵軍を衝き、春風治次を敗走せしめて藤島城を保たしめる。 文化五(一八〇八) 清川に大火ありて一村延焼。菩提寺また烏有に帰す。 天保元(一八三〇) 八月四日、吉田松陰、生まれる。 一〇月一〇日 八郎、生まれる。この年、大久保甲東が薩摩に生まれ、吉田松陰が長州に生まれる。 天保六(一八三六) 一月三日、龍馬、土佐に生まれる。 弘化三(一八四六) 初夏 藤本鉄石、数日を雷山の書斎楽水楼に安居。 弘化四(一八四七) 五月二日深夜 八郎、六十里越の山道を通って出奔。 五月一七日 江戸着。 五月二五日 深川堀江町の米屋喜七へおもむく。 八月一日 東条一堂の塾に入る。 弘化五(一八四八)十九歳 一月三日 伯父弥兵衛および金治の両人が商用をかねて関西に旅行するに連れ立ち、江戸を発し、京阪より中国に出で、岩国に至りて錦帯橋へ行く。 四月二四日 江戸に帰る。 七月二一日 弟熊二郎病死の報。いったん帰郷。 嘉永三(一八五〇) 一月二五日 行李を収めて家を出で、鶴岡に至りて伯父金治に投じ、一書を父に送って回すべからざるの志を示し、切に遊学を許されんことを請う。 一月二九日 『耕雲録』条。 二月三日 鶴岡を発。路を越後に取り、信州より木曽路に入る。 三月一一日 京都着。 三月一二日 画家横山華谿をたずね、ついて学ぶべき師を相談。 三月一三日 梁川星巌をたずねる。 七月三日 九州旅行をくわだて、京都を発した。 七月六日 大阪から船に乗り、瀬戸内海を西に向かって走る。 七月一一日 暴風にあい、助かる。 七月一四日 下ノ関につく。 七月一五日 小倉に渡り、福岡・佐賀をへる。 七月二二日 長崎についた。 八月二日 長崎を発し、温泉岳をこえて島原に出で、船で熊本にわたり、清正公廟に参詣し沢村九門をたずねる。ついで再び佐賀に迂回して草場佩川をたずね、久留米から筑後川に沿うて豊後に入り、豆田にいたりて広瀬淡窓をたずねる。 八月一六日 九州を離れて下ノ関に入る。 八月二〇日 船に乗じて東に向かう。 八月二九日 大阪に上陸 八月三〇日 帰洛。 九月八日 東行の途につく。 九月二一日 江戸着。 ※ 松陰、九州に遊学する。また江戸に出て佐久間象山の師事を受けた。 嘉永四(一八五一)二十二歳 一月一二日 再び東条塾に入る。 二月一日 千葉周作の門に入る。 一〇月一五日 日記「余八月よりして夜は丑にあらずばあえて寝ねず、今日に至りはじめて夜は子に寝ねて寅に起きんことを期す」。 嘉永五(一八五二)二十三歳 二月一日 安積艮斎の塾に転じる。寄宿の塾生十五名。土佐の間崎哲馬、南部の江田大之進などと意気投合。 六月二二日付 書簡を父に送る。 ※ 生年よりこの春まで『旦起私乗』『耕雲録』両日記がある。ここまでの書中には、言いまだかつて時事におよんだものがない。 ※ 松陰、長州藩に無許可の形で宮部鼎蔵らと東北の会津藩などを旅行。 嘉永六(一八五三) 一月一七日付 書簡ではじめて時事に言及。 三月 帰郷。 四月 松前に渡って蝦夷地を視察。 八月 家に帰る。翌年二月まで楽水楼に起臥して静かに読書。 ※ 松陰、ペリーが浦賀に来航すると、師の佐久間象山と黒船を視察。 ※ 龍馬、剣術修行のため江戸に出て、千葉定吉の桶町千葉道場に入門。12月には佐久間象山の私塾にも通っている。 嘉永七(一八五四) 二月 再度、江戸にのぼる。 二月一一日ごろ 異国船、神奈川沖へ追々乗り込み。 二月二四日 江戸着。その日ただちに神奈川におもむき、外人の仕打ちを目撃。 二月二九日付 父宛書簡。 五月一一日付 父宛書簡。 九月 神田三河町二丁目新道に一軒の家を新築。普請に取りかかる。 一〇月二一日 引き移る。 一〇月二六日付 父宛書簡。 一一月四日 地震。九州・四国より東海道の太平洋岸一帯に津波を生じ、海陸の被害はなはだしかった。 一二月 安政と改元。姓名を清河八郎とあらためる。 一二月 水野行蔵、本名、上野禎蔵、庄内藩を脱して国事に奔走。 一二月八日付 父宛書簡。 一二月二九日夜 神田連雀町より失火して大火。八郎の家も新築後三か月で類焼。 一二月三〇日 父宛書簡。 ※ 松陰、浦賀に再来航していたペリーの艦隊に対してアメリカ密航を望んで拒絶されて送還。 ※ 龍馬、土佐に帰郷。画家の川田小龍から西洋事情を学ぶ。 安政二(一八五五) 春 後事を安積五郎にたくして帰郷。 三月二〇日 奉母行に出立。新潟より長岡に出で、信州善光寺に詣り、木曽路をとりて京都に出で、京阪の見物を終えて四国に渡り、四国より安芸にいたり、巌島・錦帯橋を見て引き返し、中国をへて京都にかえる。 七月二六日 東海道をくだって江戸につく。 九月一五日 日光そのほか関東の名所を残るところなく見物。やがてまた上府のさいに住むべき家をも両国薬研堀に求め、安積五郎をともないて帰郷。『西遊草』を記す。 一〇月二日夜 江戸、大地震。 一〇月下旬 安積とともに江戸に出る。両国の家は火災はまぬがれたけれど非常な破損。ふたたび故山に帰って静かに勤学することに決する。 一〇月二八日付 父宛書簡。 ※ 大部の書籍を買い求めて江戸を去り、途中最上の瀬見温泉に滞留すること数旬。 ※ 松陰、出獄を許されたが、杉家に幽閉の身分に処された。 安政三(一八五六) 一月 郷里に帰る。 ※ 龍馬、再び江戸・小千葉道場に遊学。 安政四(一八五七)二十八歳 四月まで、楽水楼上に潜心読書。 四月 妾・蓮をともなって郷里を去る。路を仙台にとり、桜田良佐の門に剣道を学んでいた弟熊三郎をも伴いて江戸にいたる。しばらく下谷和泉橋通加藤侯門前に一家を求めて住まう。 八月 昌平橋内の神田淡路坂に家を求めて塾を開く。 一一月二日付 父宛書簡。 ※ 龍馬、盗みを働き切腹沙汰となった仲間の山本琢磨を逃がす。 ※ 松陰、叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ、杉家の敷地に松下村塾を開塾する。 安政五(一八五八) ※ 井伊大老が朝廷のご趣旨と民間志士の希望にそむいて外国と通商条約を結ぶ。安政の大獄をおこし、尊王攘夷の志士に大弾圧を加える。 ※ この年、コレラの流行猖獗をきわめ、死者算なきありさま。 一〇月二九日付 父宛書簡。 ※ 龍馬、剣術修行を終えて帰国。 ※ 松陰、幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒し、討幕を表明して老中首座である間部詮勝の暗殺を計画。計画は頓挫し、自首して老中暗殺を自供。 安政六(一八五九) 二月中旬 武者修行を志し、弟子小栗篤三郎をともない、江戸を発す。関宿・古河・宇都宮・大田原・白河諸藩の道場に仕合いを試みる。 三月八日 仙台において桜田良佐と手をあわせる。 三月一四日付 江戸に留守居せる弟熊三郎から父宛書簡。昨夜、隣家より出火。 三月二六日 山形に出で、最上の諸剣客を風靡して天童につく。この日に神田淡路坂の家塾またまた火災にあったという凶報を受け取る。その日に安積五郎にあてて、門弟笠井伊蔵、弟熊三郎および蓮のことを頼む。 三月二八日 郷里に帰る。 五月下旬 家を出でて路を北越にとり、越後ならびに上州諸藩の道場に武を試みる。 六月一一日 着府。しばらく安積の家に寄寓。そのうち神田お玉ヶ池二六横町に土蔵付の家屋を買い求め、これを普請。 七月 ここに引き移る。新居に「文武指南所」という大看板をかける。 一〇月二七日 松陰、斬刑に処される。 万延元(一八六〇) 二月 『武道篇』を和訳して出版。 三月三日 井伊大老、水戸浪士によって桜田門外に斬られる。 ※ 祖父危篤の報が来たので、彼はいそぎ帰省したが、病やや怠れるを見、東都の形勢を憂えて匆々に帰府。 四月八日 帰府後いくもなく祖父他界。再帰郷。のち再出府。これが八郎にとりて故郷の見納めとなる。 一二月五日 同志として莫逆の間柄となれる薩藩の伊牟田尚平・樋渡八兵衛らが、米国公使館通訳ヒュースケンを麻布古川端に斬る。 文久元(一八六一)三十二歳 ※ 五月より翌文久二(一八六二)九月まで『潜中始末』『潜中記事』『潜中記略』三著あり。 ※ 土佐勤王党結成。龍馬、加盟。一〇月、武市の密使として長州へ向かう。 文久二年(一八六二) 二月 龍馬、久坂玄瑞と面談。 三月 龍馬、沢村惣之丞とともに脱藩。九州などを放浪した後、江戸へ入り千葉道場に身を寄せる。その後、千葉重太郎の紹介で、幕府政事総裁職の松平春嶽に面会。 一二月 龍馬、春嶽の紹介状を携え、勝海舟に面会して弟子となる 。 文久三(一八六三) 四月一三日 暗殺。 昭和二(一九二七) 一月 大川周明、『清河八郎』序文、記す。 ※ Wikipedia「坂本龍馬」「吉田松陰」の項目より、関連事項を追加。 疑問点 旺益 旺溢か?(『周明全集』では「旺盛」) 貧り 貪り、か。(『周明全集』では「貪」) 敦撲 敦樸(とんぼく)か。 頼立齋梶村李北 頼立齋・梶村李北(ナカグロ欠落か)(『周明全集』ではナカグロあり) 形勢己に……風土己に 形勢已に……風土已に、か。(『周明全集』では「已」) 在右 座右か。(『周明全集』では「左右」) 明年後 明後年か。 良恕 諒恕(りょうじょ)か。事情を思いやってゆるすこと。 注き初め 注ぎ初め、か。(『周明全集』では「注ぎ初め」) ※ いずれも底本通り。 難字、求めよ。 高傲 こうごう、か。 倡始 しょうし 委した たくした、か。 館した 唐倭 弄器 揚楼 楊楼? 遵古堂 敞壊 しょうかい? 薀藉 温藉(おんしゃ)か。 従今 いまより、か。 延行 スリーパーズ日記 奥付後の各号リード文に付けていたカッコ書きルビを削除。Windows 用の本文フォントを「MS 明朝」から「HG丸ゴシック M-PRO」に変更。「表示-縮尺-90%」を100%に変更。「設定-本文サイズ-21」「見出しサイズ-21」をそれぞれ「19」に変更。(2010.4.9) 九日夜、井上ひさし死去。七十五才。十日、山形では梅が香り、ウグイスの初鳴きを聞く。 井上ひさしに『藪原(やぶはら)検校(けんぎょう)』(新潮社、1974)という戯曲がある。検校というのは琵琶や按摩・鍼(はり)などを業とした盲人に与えられた役職名で、ピラミッド構造をした盲人の相互扶助組織の頂点にあった。最底辺にいたのが『座頭市』に代表される座頭。幕府公認で幕末まで存続した。検校や座頭のもうひとつの仕事に金貸し業がある。顔を知られないから借りる方は借りやすい。返してもらうほうも“弱者保護”の目をかけられやすい。与える/与えられる、貸与する/取り立てられる。ここに富をめぐるフォークロアが発生する。 この本を知って読んだのが、一九九二年の学生時代。湾岸戦争、ジュリアナ、尾崎の死、『紅の豚』、山形新幹線開業の頃。翌年に、Jリーグ開幕、Windows 3.1 登場、『パトレイバー 2 the Movie』公開がひかえている。Wikipedia によれば、一九九〇年二月にオウムの衆院選出馬、一九九一年九月『朝まで生テレビ!』出演がある。 清河八郎、文久三年四月十三日(一八六三年五月三〇日)没。享年三十四。今年はそれから一四七年目にあたる。(2010.4.12) 2010.4.13:公開 2010.4.21:更新 ひとよ、ひと夜に、花見ごろ。出羽三山に王蟲泣く。 月なきみそらの、芽くそ、花くそ。/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - うう、最新刊が……(泣) -- しだ (2010-04-20 12 04 50) 思い出し。弘化四年(1847)八郎18才、五月、六十里越の関を通って初めて脱藩するが、小山松『清河八郎』によれば、上山の宿で実家からの奉公人に追いつかれる。八郎は彼と二人、山形へおもむき、そこでたしかサツキだったかの苗とじょうろだったかを買って奉公人に持たせて実家へと返らせる。戻った彼の姿を見て、父親・雷山をはじめ家族みな苦笑する。おもえば、5月8・9・10日と山形薬師堂では植木祭が定日だから、八郎はここで土産を購入したものか。若い母親と善光寺・伊勢・厳島など諸国行脚するのが、その八年後。 -- しだ (2010-05-12 05 51 00) ちなみに、森林太郎『能久親王事蹟』によれば、慶応四年(1868)九月八日「日光山東照宮の什寶を會津より羽前國村山郡山形の柏山寺(はくさんじ)に移し」とある。この柏山寺は植木祭の山形薬師堂の門前にある。当時、天台宗の出羽国触頭。什宝はさらに山寺立石寺へ運ばれたと地元の話には残る。長島進『覚王院義観の生涯』によれば寛永寺執当の義観が山寺へ手紙を送っているはずなのだけれども、義観にまつわる話を聞いたことはない。が、白石から二口峠を越えて山寺へ彼が訪れていても、まったくありえなくはない。 -- しだ (2010-05-12 05 51 48) 正確を期して訂正。上山へ八郎を追いかけたのは「斎藤家の小作人差配の惣助」。「五月六日、八郎は惣助とともに山形に行き、楓の苗木と漏斗(じょうご)と矢立(やたて)を買ってみやげとし、町はずれの茶屋でていねいな詫び状を書き、惣助に頼んだ」小山松『清河』p.36より。「戻った彼の姿を見て、家族みな苦笑する」という記述を見かけたような気がするのだけれども、みつけられなかった。 -- しだ (2010-05-22 07 41 25) 見っけ。灯台もと暗し、大川『清河八郎』より。「使者は上ノ山で八郎に追付き、切に歸郷を勸めたけれど固より聽き入れない。彼は使者を伴ひて山形に赴き、楓の苗や矢立などを買求め、之を兩親への土産として使者を立歸らしめた。使者は土産物を持たされて空しく歸つたことが極り惡かつた。その樣子が餘りに可笑しかつたので、心配しながら待つて居た家人も、笑を禁じ得なかつたとのことである」。 -- しだ (2010-05-23 08 46 22) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/codeofjoker/pages/3225.html
Ver. 2.2 カードNo. 2-2-022 種類 ユニット レアリティ R 名称 天川星デネブ 属性 緑 種族 英雄 CP 2 BP 3000/4000/5000 アビリティ ■詠唱・アクイラこのユニットがフィールドに出た時、デッキから[アルタイル]を1枚引く。 ■美しき白鳥の輝きあなたのフィールドに[アルタイル/ベガ]が出た時、それぞれ以下の効果が発動する。 ●[アルタイル]あなたは手札のカードを1枚選んで捨てる。そうした場合、あなたはカードを1枚引く。●[ベガ][デネブ/アルタイル/ベガ]の基本BPを+1000し、【秩序の盾】を与える。 夏の大三角を構成する星の一つ。 場に出ると牽牛星アルタイルを確定サーチする。 コスト2サーチャーとしては標準的なBPだが、維持することで更なるアドバンテージを生み出す。 イラスト:紅緒 「アクイラ」はラテン語でわし座のこと。わし座の最輝星はアルタイルである。 フレーバーテキスト 夏の大三角の白鳥座の意志により誕生した英雄。活発な元気っ娘で、腕の立つアルタイルに憧れを抱いている。星の意志が共鳴した時、地を翔ける疾風の力を発揮する。 ユニットボイス タイミング ノーマル フォイル ■詠唱・アクイラ いでよ、アルタイル! アルタイル、イケてるネ! ■美しき白鳥の輝き ボクがいる限り傷つけはしないさ! 仲良きことは美しきかな♪ アタック 遊ぼっか! 剣よ、駆けろ! 関連項目 デッキ夏の大三角形デッキ カード夏の大三角 Ver.2.2で追加されたユニット群。 星座のひとつ「夏の大三角」を構成する星々をモチーフにしている。 仲間を名称で確定サーチするCIP能力と、それらの召喚に応じる誘発能力を持つ。 Ver.2.3、Ver.2.3EX2では専用のサポートインターセプトが1枚ずつ追加された。 ユニット 属性 名称 サーチ対象 誘発効果 黄 織女星ベガ デネブ ●[デネブ]トリガーカードを1枚引く。●[アルタイル][デネブ/ベガ/アルタイル]の基本BPを+1000し、【次元干渉/コスト3】を与える。 青 牽牛星アルタイル ベガ ●[ベガ]インターセプトカードを1枚引く。●[デネブ]対戦相手のユニットからランダムで3体に【沈黙】を与え、基本BPを-1000する。 緑 天川星デネブ アルタイル ●[アルタイル]手札を1枚選んで捨て、1枚引く。●[ベガ][デネブ/ベガ/アルタイル]の基本BPを+1000し、【秩序の盾】を与える。 インターセプト 属性 名称 効果 無 トライフォース 夏の大三角ユニットが出た時、手札の夏の大三角ユニットのコストを-1する。 あなたのターン終了時に夏の大三角ユニットがいる場合、夏の大三角ユニットに【加護】を与え、対戦相手ユニットからランダムで1体を消滅させる。 無 トリニティ・アステリズム あなたのターン開始時、夏の大三角ユニットの3体のみがいる場合、対戦相手のフィールド、トリガーゾーン、手札から合わせて3枚ランダムで消滅させる。対戦相手に3ライフダメージを与える。
https://w.atwiki.jp/swxsp/pages/108.html
梁川黄葉 「さぁ、できました。世界にたった一つの、君だけの下駄ですよ。」 「うーん、君はこの下駄と相性が良さそうだねぇー…。どれどれ…おみ足を拝借。(スッ)」 「ふふっ、そうかぁー。僕はそんなにふわふわしているかなぁ?じゃあ…僕を掴めるかなぁ?掴んでみて?」 「作品を作るために神木を削る。手作りで手間をかけて作る。だから僕の下駄は高価なんです。これは値引きできない。」 「ご褒美ちょうだい?撫でてもらえたら僕は嬉しいなぁー。」 「裏があるのが人間、だよ?僕はぬるま湯のような人間じゃないから。」 【名前】梁川黄葉(やなかわ きはぜ) 【性別】男 【職業】下駄屋(小物も置いている)(祭りの際は小物屋) 【髪の色】クリーム色(ブロンド髪のような色) 【瞳の色】クリーム色 【年齢】21歳 【誕生日】?月?日 【血液型】?型 【身長】175~180cm 【一人称】僕 【二人称】君・あなた 【容姿】 ふわふわとした印象の姿。童顔。 掴めない雰囲気の男。 髪と目が同じクリーム色。ふんわり透き通った目をしている。 【性格・その他】 猫のような気まぐれな性格。頭が良く、ずる賢い。 「~だねぇー。」など、伸びた口調をすることが多い。 自分の好きなことをしてくれる人には猫が尻尾を振るように愛想がいい。 面倒だなと思うと冷たくすることはないが、どこかそっけない。相槌を打つ程度。 鍛えていないので力は平均かそれ以下。面倒事が大嫌い。 いつも祭りの準備の力仕事では哉倭をおだてて任せっぱなしのサボり達人。 ある日、町角にて見かけた色榮の持つ不思議な煙管が気に入り、煙管目的で色榮のことを「姐さん」と呼び慕う。 色榮自身も黄葉が煙管目的なのを知っているが、受け入れている。(からかうことはある) 強奪することはしない。色榮との争いごとは面倒らしい。 元盗賊。欲のままに奪い、強奪を繰り返していた。 だがある時、その強奪の代償として友だった大地の目を奪ってしまう。 そのことは大地は知らない。目を失ったときのことは覚えていないから。 それ以来、黄葉は盗賊稼業を休んでいる。スリをすることはあっても、強奪はしない。 大地には目を失った原因が自分にあることを話せずにいる。 だが、いつか知り、恨みで殺されることがあっても構わないと思っている。 盗賊の師匠は菊乃一。剣術・体術の師匠でもある。 菊乃一のことは「師匠」と呼んでいる。 このふわふわとした性格は師匠譲り。師弟そろってぽわぽわしている。 【好き嫌い】 好き⇒自分の得をすることをしてくれる人 嫌い⇒争いごと、力仕事、面倒なこと 【関係】 ~煙管狙い~ 色榮 「姐さんの煙管は魔力を秘めた煙管。僕、あれほしいなぁ」 ~友達~ 哉倭 「馬鹿と鋏は使いようって言葉、哉倭くんに一番似合うよー」 織笠大地 「大地くんは目が見えないからね、色々とお手伝いをしてるんだよ~」 ~師匠~ 菊乃一 「僕の師匠だよ。この性格は師匠譲りかなー」
https://w.atwiki.jp/zeturin/pages/515.html
目次 【時事】ニュース梁川理央 やながわ理央 RSS梁川理央 やながわ理央 口コミ梁川理央 やながわ理央 【参考】ブックマーク 関連項目 タグ 最終更新日時 【時事】 ニュース 梁川理央 gnewプラグインエラー「梁川理央」は見つからないか、接続エラーです。 やながわ理央 「アラサーファッション」の正解は? リスナーの相談に内田理央「基本は好きな服を着ればいい!」 - マイナビニュース CS最終戦『Haleiwa Challenger』はジョン・ジョンとサクラが優勝!クオリファイメンバーも出揃う - THE SURF NEWS「サーフニュース」 内田理央&堀田真由&中村ゆりか“ひょっこり史上一番かわいい”3ショット公開「可愛いが渋滞しすぎ」 - ドワンゴジェイピーnews 熊田曜子「法廷で涙ながらの訴え」が芸能界での活路を開く可能性(FRIDAY) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース RSS 梁川理央 gnewプラグインエラー「梁川理央」は見つからないか、接続エラーです。 やながわ理央 #gnews plugin Error gnewsは1ページに3つまでしか使えません。別ページでご利用ください。 口コミ 梁川理央 #bf やながわ理央 #bf 【参考】 ブックマーク サイト名 関連度 備考 はてなキーワード ★★ 関連項目 項目名 関連度 備考 参考/カラフルBee ★★★ 商業誌 タグ 人物 最終更新日時 2013-01-11 冒頭へ
https://w.atwiki.jp/taikou5hokan/pages/284.html
317:小梁川盛宗 (こやながわもりむね) 生没年?:1523~1595 1554年 乱麻の章 ? 1560年 日輪の章 ? 1568年 昇龍の章 ? 1575年 覇道の章 ? 1582年 転変の章 ?
https://w.atwiki.jp/asterisk99/pages/175.html
大川周明『清河八郎』 登場キャラ一覧(全) ※ 没年順。 ※ Wikipedia 各項目にリンク。 孔子 こうし 前551-前479 蘇秦 そしん ?-前317 中国、戦国時代の縦横家。洛陽の人。 張儀 ちょうぎ ?-前310 中国の戦国時代の縦横家。魏の人。 項羽 こうう 前232-前202 秦末の武将。下相(江蘇宿遷)。 孔明 こうめい 181-234 諸葛亮。 顔真卿 がん しんけい 709-785 唐の忠臣・書家。顔之推5世の孫。 岳飛 がくひ 1103-1141 南宋の武将。字は鵬挙。河南湯陰の人。 源義経 みなもとの よしつね 1159-1189 義朝の9男。 北畠顕家 きたばたけ あきいえ 1318-1338 南北朝時代の公家。親房の長子。 後醍醐天皇 ごだいご てんのう 1288-1339 後宇多天皇の第2皇子。 足利尊氏 あしかが たかうじ 1305-1358 室町幕府将軍。 加藤清正 かとう きよまさ 1562-1611 尾張。豊臣秀吉の臣。 徳川家康 とくがわ いえやす 1542-1616 徳川初代将軍。 荒木又右衛門 あらき またえもん 1599-1638 剣客。伊賀荒木村生れ。 国包 くにかね 1592-1664 江戸初期、仙台藩の刀工。 松平忠輝 まつだいら ただてる 1592-1683 上総介。徳川家康の六男。 高山彦九郎 たかやま ひこくろう 1747-1793 尊王家。上州。 頼山陽 らい さんよう 1780-1832 儒学者。大坂生れ。 大塩平八郎 おおしお へいはちろう 1793-1837 大坂町奉行所の与力。 仁孝天皇 にんこう てんのう 1800-1846 光格天皇の第6皇子。 斎藤熊二郎 さいとう くまじろう 1836-1848 熊次郎。八郎の弟。病死。 国定忠次 くにさだ ちゅうじ 1810-1850 侠客。上州国定村生れ。 篠崎小竹 しのざき しょうちく 1781-1851 儒学者・漢詩人。大坂の人。 水野忠邦 みずの ただくに 1794-1851 幕府老中。 徳川家慶 とくがわ いえよし 1793-1853 徳川第12代将軍。 千葉周作 ちば しゅうさく 1794-1855 北辰一刀流の開祖。陸奥栗原郡。 藤田東湖 ふじた とうこ 1806-1855 儒学者。水戸藩士。 広瀬淡窓 ひろせ たんそう 1782-1856 儒学者。豊後日田。 東条一堂 とうじょう いちどう 1778-1857 儒学者。上総の人。 梁川星巌 やながわ せいがん 1789-1858 漢詩人。美濃の人。 ペリー Matthew Calbraith Perry 1794-1858 アメリカ海軍軍人。 月照 げっしょう 1813-1858 歌僧。大坂の人。京都清水寺成就院の住職。 徳川家定 とくがわ いえさだ 1824-1858 徳川第13代将軍。家慶の4男。 三条実万 さんじょう さねつむ 1802-1859 公卿。父は三条公修。 吉田松陰 よしだ しょういん 1830-1859 長州藩士。 安積艮斎 あさか ごんさい 1791-1860 儒学者。陸奥安積(福島県)の人。 徳川斉昭 とくがわ なりあき 1800-1860 水戸藩主。諡号、烈公。 井伊直弼 いい なおすけ 1815-1860 大老。彦根藩主。 佐野竹之助 さの たけのすけ 1839-1860 竹之介か。水戸浪士。 斎藤昌義 さいとう 〓 ?-1860 信精。清川出身。八郎の祖父。 西川練造 にしかわ れんぞう 1817-1861 川越(入間郡小仙波)生まれ。 北有馬太郎 〓 1827-1861 肥前有馬出身。本名、中村貞太郎。 有賀半弥 ありが はんや 1830-1861 水戸藩士。 ヒュースケン Henry Conrad Joannes Heusken 1832-1861 アムステルダム生まれ。 田中河内介 たなか かわちのすけ 1815-1862 但馬出石(兵庫)出身。 長野主膳 ながの しゅぜん 1815-1862 国学者。大老・井伊直弼の参謀。 有馬新七 ありま しんしち 1825-1862 薩摩藩伊集院郷。 田中謙助 たなか けんすけ 1828-1862 薩摩藩士。 海賀宮門 かいが みやと 1834-1862 筑前秋月藩士。 本間精一郎 ほんま せいいちろう 1834-1862 越後国三島郡寺泊(長岡市)出身。 柴山愛次郎 しばやま あいじろう 1836-1862 薩摩藩士。 蓮 れん 1839-1862 本名、菅原高代(たかよ)。熊出村(現、鶴岡市)出身。 橋口壮介 はしぐち そうすけ 1841-1862 薩摩藩士。 森山新五左衛門 もりやま しんござえもん 1843-1862 薩摩志士。 島田正辰 しまだ まさたつ ?-1862 九条家・家令。島田左近。 道島五郎兵衛 みちしま ごろうびょうえ ?-1862 薩摩藩士。名は正邦。 貫名海屋 ぬきな かいおく 1778-1863 書家。幕末の三筆の一人。 広瀬旭荘 ひろせ きょくそう 1807-1863 漢詩人。豊後日田。 塙忠宝 はなわ ただとみ 1808-1863 国学者。塙保己一の四男。 藤本鉄石 ふじもと てっせき 1816-1863 岡山藩士。通称、津之助。 長井雅楽 ながい うた 1819-1863 長州藩士。 祐天仙之助 ゆうてん せんのすけ 1820頃-1863 侠客。駿河もしくは甲州の生まれ。別名山本仙之助。 美玉三平 みたま さんぺい 1822-1863 薩摩。美玉親輔。 芹沢鴨 せりざわ かも 1827?-1863 水戸藩浪士。 清河八郎 きよかわ はちろう 1830-1863 名は正明。出羽。斎藤元司。 間崎哲馬 まさき てつま 1834-1863 土佐藩士。号、滄浪。 福原乙之進 ふくはら おとのしん 1837-1863 長州藩士。 吉村虎太郎 よしむら とらたろう 1837-1863 寅太郎。土佐。 宮地正寛 みやじ まさひろ 1838-1863 土佐。宜蔵。 姉小路公知 あねがこうじ きんとも 1839-1863 公家。 竹志田熊雄 たけした くまお 1846-1863 玉名郡大浜町の人。 清水群治 しみず 〓 1796-1864 書家。郡治か。鶴岡天神町。 後藤松陰 ごとう しょういん 1797-1864 堀田正睦 ほった まさよし 1810-1864 幕府老中。下総佐倉藩主。 真木保臣 まき やすおみ 1813-1864 久留米水天宮祠官、久留米藩士。 是枝柳右衛門 これえだ りゅうえもん 1817-1864 薩摩谷山郷。 宮部鼎蔵 みやべ ていぞう 1820-1864 肥後生れ。 安積五郎 あさか ごろう 1828-1864 飯田武貞。「あづみ」か。 平野国臣 ひらの くにおみ 1828-1864 福岡藩足軽。通称、次郎。 酒井伝次郎 さかい でんじろう 1838-1864 久留米藩士。 原道太 はら どうた 1838-1864 久留米藩士。総奉行付属。 村上俊五郎 むらかみ しゅんごろう 1838?-1864 阿波の人。下総神崎。 久坂玄瑞 くさか げんずい 1840-1864 長州藩士。 内田弥三郎 うちだ やさぶろう 1841-1864 肥後玉名郡安楽寺村の人。 寺島忠三郎 てらしま ちゅうざぶろう 1843-1864 長州藩士。 田中愿蔵 たなか げんぞう 1844-1864 常陸久慈郡東蓮池村出身。 飯居簡平 いいおり かんぺい ?-1864 備前出身。医師。 伊達鴨蔵 だて かもぞう 1796-1865 能書家。庄内。 坊城俊克 ぼうじょう としかつ 1802-1865 公家。中納言。議奏。 武田耕雲斎 たけだ こううんさい 1804-1865 水戸藩士。 下野隼二郎 しもの はやじろう 1823-1865 水戸藩士。 永鳥三平 ながとり さんぺい 1824-1865 肥後玉名郡生まれ。大成の弟。 宮本辰之助 みやもと たつのすけ 1833-1865 水戸藩士。 藤田小四郎 ふじた こしろう 1842-1865 水戸。藤田東湖の四男。 孝明天皇 こうめい てんのう 1831-1866 仁孝天皇の第4皇子。 徳川家茂 とくがわ いえもち 1846-1866 徳川第14代将軍。紀州藩主斉順の長子。初名、慶福。 草場珮川 くさば はいせん 1788-1867 漢詩人。号はのち佩川。肥前の人。 松村大成 まつむら たいせい 1808-1867 肥後熊本藩の家老有吉氏の臣。 住谷寅之介 すみや とらのすけ 1818-1867 水戸藩士。 金子与三郎 かねこ よさぶろう 1823-1867 上山藩士。 琳瑞 りんずい 1830-1867 浄土宗の僧。所静院住職。出羽国村山郡谷地生まれ。 淵上郁太郎 ふちがみ いくたろう 1837-1867 筑後八女郡水田村(福岡県)生まれ。 鷹司政通 たかつかさ まさみち 1789-1868 公家。 水野行蔵 みずの こうぞう 1819-1868 本名、上野禎蔵。庄内藩。 小栗上野介 おぐり こうずけのすけ 1827-1868 旗本。名は忠順。 伊牟田尚平 いむた しょうへい 1832-1868 薩摩藩士。肝付氏の家臣。 徳川慶篤 とくがわ よしあつ 1832-1868 常陸国水戸藩10代藩主。水戸徳川家9代徳川斉昭の長男。 佐々木只三郎 ささき たださぶろう 1833-1868 旗本、京都見廻組隊士。 近藤勇 こんどう いさみ 1834-1868 新撰組局長。武蔵。 益満休之助 ますみつ きゅうのすけ 1841-1868 鹿児島市高麗町生まれ。 大川平兵衛 おおかわ へいべえ ?-1868 飯岡村の富豪。酔山か。 鵜殿鳩翁 うどの きゅうおう 1808-1869 幕臣。名は長鋭。 横井小楠 よこい しょうなん 1809-1869 儒学者・開国論者。熊本藩士。 土方歳三 ひじかた としぞう 1835-1869 剣客。武蔵多摩。 池田修理 いけだ 〓 1838-1869 長発。幕府目付。 小松帯刀 こまつ たてわき 1835-1870 薩摩藩家老。名は清廉。 九条尚忠 くじょう ひさただ 1798-1871 公家。関白。 大場一真斎 おおば いっしんさい 1803-1871 水戸藩家老。 斎藤治兵衛 さいとう ちべえ/じへえ 1810-1871 雷山・豪寿。清川村。清河八郎の父。 安藤信正 あんどう のぶまさ 1819-1871 老中。陸奥磐城平藩主。 毛利敬親 もうり たかちか 1819-1871 長州藩主。慶親。 岩垣月州 いわがき げっしゅう 1808-1873 岡村六蔵。京都の儒者。 酒井忠義 さかい ただあき 1813-1873 若狭国小浜藩主。京都所司代。 轟武兵衛 とどろき ぶへい 1818-1873 熊本藩士。 渡辺彦右衛門 わたなべ ひこえもん 1804-1874 豊後、岡藩。彦九郎か。 池田徳太郎 いけだ とくたろう 1831-1874 芸州広島藩浪人。 桜田良佐 さくらだ りょうさ 1797-1876 仙台藩。兵具奉行・養賢堂指南役。 愛敬佐司馬 あいけい 〓 1831-1876 正元か。肥後熊本の祠官。 太田黒伴雄 おおたぐろ ともお 1835-1876 大野鉄兵衛。肥後藩士。 大山綱良 おおやま つなよし 1825-1877 薩摩藩士。 和宮 かずのみや 1846-1877 将軍家茂の夫人。仁孝天皇の第8皇女。孝明天皇の妹。 小寺玉晁 おでら ぎょくちょう 1800-1878 尾張の戯作者。 ハリス Townsend Harris 1804-1878 アメリカの外交官。 鷹司輔煕 たかつかさ すけひろ 1807-1878 公卿。 窪田鎮勝 くぼた しげかつ 1808-1878 旗本。通称治部右衛門。 大久保利通 おおくぼ としみち 1830-1878 薩摩藩士。旧名、一蔵。 大原重徳 おおはら しげとみ 1801-1879 公家。京都生れ。 畑田安右衛門 はただ やすえもん ?-1879 清川の関所役人。 白石正一郎 しらいし しょういちろう 1812-1880 商人。長門国赤間関竹崎。 大岡忠恕 おおおか ただゆき/ただのり ?-1880 武蔵国岩槻藩主。 中山忠愛 なかやま ただなる 1832-1882 公卿。忠能の嫡子。 岩倉具視 いわくら ともみ 1825-1883 公家。京都生れ。 間部詮勝 まなべ あきかつ 1802-1884 幕府老中。越前鯖江藩主。 小河一敏 おごう かずとし 1813-1886 豊後、岡藩士。 黒田長溥 くろだ ながひろ 1811-1887 福岡藩主。薩摩藩主・島津重豪の十三男。 島津久光 しまづ ひさみつ 1817-1887 大名。薩摩藩主斉彬の異母弟。 伊地知貞馨 いぢち さだか 1826-1887 官僚。薩摩藩。 中山忠能 なかやま ただやす 1809-1888 公家。明治政府の議定。 山岡鉄舟 やまおか てっしゅう 1836-1888 小野高歩。鉄太郎。江戸生れの幕臣。 板倉勝静 いたくら かつきよ 1823-1889 奏者番・寺社奉行・老中首座。備中松山藩主。 松平慶永 まつだいら よしなが 1828-1890 福井藩主。号は春岳。 松村深蔵 まつむら しんぞう 1837-1890 新造。肥後高瀬。大成の息。 斎藤熊三郎 さいとう くまさぶろう 1839-1890 八郎の弟。雷山の三男。 西村敬蔵 にしむら けいぞう 1813-1891 但馬の郷士。 小笠原長行 おがさわら ながみち 1822-1891 大名。老中、外国事務総裁。 朝彦親王 あさひこ しんのう 1824-1891 伏見宮邦家親王第4王子。尊融。粟田宮。 三条実美 さんじょう さねとみ 1837-1891 公家・政治家。実万の子。 松岡万 まつおか よろず/つもる/むつみ 1838-1891 幕臣。 和田理一郎 わだ 〓 ?-1895 中彦(なかひこ)か。儒者。出羽庄内。 川田甕江 かわた おうこう 1830-1896 漢学者。備中国浅口郡生まれ。 川上彦斎 かわかみ げんさい 1834-1897 本名、高田源兵。肥後熊本藩士。 近衛忠煕 このえ ただひろ 1808-1898 公卿。公武合体派として活動。 遠藤文七郎 えんどう 〓 1836-1899 仙台家老。允信。 杉浦梅潭 すぎうら ばいたん 1826-1900 幕臣。箱根奉行。 品川弥二郎 しながわ やじろう 1843-1900 長州藩士。 石坂周造 いしざか しゅうぞう 1832-1903 彦根藩士。近江国生まれ。 高橋泥舟 たかはし でいしゅう 1835-1903 幕臣。 井伊直憲 いい なおのり 1848-1904 彦根藩主。直弼の次男。 本多親雄 ほんだ ちかお 1829-1909 薩摩藩士。京都藩邸の留守居兼目付役。 徳川慶喜 とくがわ よしのぶ 1837-1913 徳川第15代将軍。徳川斉昭の7男。 堀真五郎 ほり しんごろう 1838-1913 長州藩士。 中村維隆 なかむら これたか 1841-1917 相馬中村藩士。 奈良原繁 ならはら しげる 1834-1918 薩摩藩出身。通称喜八郎。 松平信庸 まつだいら のぶつね 1844-1918 出羽上山藩第9代主。 藤沢南岳 ふじさわ なんがく 1842-1920 儒学者。讃岐生まれ。 八代六郎 やしろ ろくろう 1860-1930 政治家。海軍大将。愛知県犬山市出身。 須田古龍 すだ? 〓 1866-1945 文太郎。酒田。 大川周明 おおかわ しゅうめい 1886-1957 山形県生れ。 安岡正篤 やすおか まさひろ 1898-1983 現、大阪市中央区生まれ。 小野朝右衛門 〓 ?-1852? 高福。御蔵奉行。鉄舟の父。飛騨郡代。 中条信礼 ちゅうじょう のぶのり 1812-? 高家旗本。 井樋五郎兵衛 〓 政之允の子。 井樋政之允 〓 水戸領小瀬。 岡部正蔵 〓 相馬。伊牟田の親友。 加藤条右衛門 〓 豊後。 笠井伊蔵 〓 八郎の門弟。咸臨丸で渡米。勝呂村石井生まれ。 喜七 〓 深川堀江町の米屋。 菊池寛三郎 〓 水戸。安積艮斎の同門。兄は善左衛門。 菊池善左衛門 〓 寛三郎の兄。 吉松緑太郎 〓 土佐。 朽葉新吉 〓 口葉。上州浪人。岡田周蔵。 金治 〓 八郎の伯父。 熊谷蔵 〓 奥州一ノ関の剣客。 原田郷兵衛 〓 鹿児島城下。飛脚の定宿。 古渡理兵衛 〓 常陸か。磯浜の名主。 戸田某 〓 相馬中村。 江田大之進 〓 重威。南部遠野。安積艮斎の同門。 高城丹後 〓 仙台小船越の名族。桜田の剣術の高弟。 黒川一郎 〓 庄内藩国屋敷、留守居。 阪本彦左衛門 〓 薩摩。脱藩。 山口徳之進 〓 陸軍大将、明治天皇侍従武官長。 山本四郎 〓 薩摩。脱藩。 獅子目真覚院 〓 伊牟田尚平の弟。 七兵衛 〓 二条河原の刀屋。宿屋。 春風治次 〓 畑谷城主。 小栗篤三郎 〓 八郎の弟子。 小森正造 〓 但馬出石郡香住村の医師。田中河内介の父。 小滝外記 〓 〓〓 小野房五郎 〓 蒲生村。戸津宗之進の甥。 星野彦七 〓 天童。安積艮斎の同門。 西恭助 〓 相馬中村。 浅野備前守 〓 奉行。 草野剛三 → 中村維隆 〓 増戸武兵衛 〓 上ノ山藩士。 多賀隼人 〓 小笠原の重役。 大薩 〓 名古屋の大光院住職。 沢村九門 〓 熊本。 谷元作之助 〓 薩摩。巡察役人。 辻 〓 庄内藩郡代。 渡辺彦左衛門 〓 土橋鉞四郎 〓 福本村。山岡鉄舟の親友。甲府尊攘党の首領。 土佐道俊 〓 藤島城主。 土佐民部 〓 道俊の子。 樋口観生 → 樋口観照か 〓 尾高長七郎 〓 矢斗村。笠井伊蔵の旧知。 本間主馬 〓 根岸。 末松源太郎 〓 肥後か。 目沢真弓 〓 江田大之進の娘。 弥右衛門 〓 伯父。 有吉氏 〓 肥後熊本藩の家老。有吉将監。 井樋昆 〓 こん 政之允の妻。 山本仙之助 → 祐天仙之助 〓 せんのすけ 山田大路親彦 〓 ちかひこ 陸奥守。薩摩の神職。 神田橋直助 〓 なおすけ 薩藩。名は義徳。世臣関山糺の家来。 愛敬左司馬 あいけい 〓 愛敬左次馬 あいけい 〓 安積光徳 あさか 〓 足利氏 あしかが 〓 阿蘇維善 あそ これはる? 阿蘇大宮司。 指宿三次 いぶすき? 〓 薩摩。脱藩。 岩垣章次郎 いわがき 〓 医師。 大岡兵庫頭 → 大岡忠恕 おおおか 〓 大久保甲東 → 大久保利通 おおくぼ 〓 大鳥居敬太 おおとりい 〓 理兵衛。啓太夫。水田天満宮の神主。 大野鉄兵衛 → 太田黒伴雄 おおの てつべえ 大場一心斎 → 大場一真斎か おおば いっしんさい 大山格之助 → 大山綱良 おおやま 〓 小笠原加賀守 おがさわら 〓 旗本。 小笠原閣老 → 小笠原長行か おがさわら 〓 小笠原氏 おがさわら 〓 小河弥右衛門 → 小河一敏 おごう 〓 梶村李北 かじむら? 〓 賀陽宮 かやのみや 川田剛 → 川田甕江 かわた ごう 神戸六郎 かんべ 〓 草場佩川 → 草場珮川 くさば はいせん 国定忠治 → 国定忠次 くにさだ ちゅうじ 久邇宮朝彦親王 くにのみや あさひこしんのう 窪田千太郎 くぼた 〓 窪田治部右衛門 → 窪田鎮勝 くぼた じぶえもん 嵩春斎 こう しゅんさい 篆刻家。「かさみ」か。 斎藤家 さいとう いえ? 八郎の妹。 斎藤亀代 さいとう かめよ 雷山の妻。鶴岡の豪商三井弥吉の三女。 斉藤清明 さいとう きよあき 辰の孫。妹の栄子は柴田錬三郎の妻。 斎藤熊次郎 → 斎藤熊二郎 さいとう くまじろう 斎藤外記 さいとう げき 斎藤家の祖。 斎藤辰 さいとう たつ? 辰代。八郎の妹。 酒井侯 さかい 〓 酒井若狭守 → 酒井忠義か さかい 〓 酒井若州 → 酒井忠義 さかい 〓 酒井所司代 さかい 〓 桜田敬助 さくらだ 〓 仙台藩。桜田良佐の息。 三条実愛 さんじょう 〓 島田左近 → 島田正辰 しまだ さこん 島津周防 → 島津久光 しまづ 〓 下野準二郎 → 下野隼二郎か しもの 〓 青蓮院宮 しょうれんいんのみや 久邇宮朝彦親王か。 角照三郎 すみ 〓 真木保臣の使者。 住谷寅之助 → 住谷寅之介か すみや とらのすけ 高久安次郎 たかく 〓 鷹司 → 鷹司政通か たかつかさ 〓 徳川慶福 → 徳川家茂 とくがわ よしとみ 戸津宗之進 とづ 〓 仙台藩の軍馬師匠。 中山家 → 中山忠能 なかやま 〓 中山周助 なかやま 〓 長光 ながみつ 鎌倉後期、備前長船の刀工。 奈良原喜八郎 → 奈良原繁 ならはら 〓 西川錬造 → 西川練造か にしかわ れんぞう 橋口壮助 → 橋口壮介か はしぐち そうすけ 塙二郎 → 塙忠宝か はなわ 〓 塙次郎 → 塙忠宝 はなわ じろう 樋渡八兵衛 ひわたり? 〓 薩藩。 藤田彪 → 藤田東湖 ふじた たけし 藤本昇 ふじもと 〓 藤本真金 → 藤本鉄石 ふじもと 〓 堀田正篤 → 堀田正睦 ほった まさひろ 本多弥右衛門 → 本多親雄か ほんだ 〓 坊城按察使 → 坊城俊克か ぼうじょう あぜち 真木主馬 まき 〓 水天宮の神主。真木の嫡子。 真木和泉守 → 真木保臣 まき 〓 益満新八郎 → 益満休之助 ますみつ 〓 松平五郎太夫 まつだいら 〓 相馬中村。 松平山城守 まつだいら 〓 上之山城主。 松平春嶽 → 松平慶永 まつだいら 〓 松平忠敏 まつだいら 〓 主税介。忠輝の七代の孫。 松平主税介 → 松平忠敏 まつだいら ちからのすけ 三井弥兵衛 みつい 〓 八郎の伯父。 三井氏 みついし 鶴岡。 宮地宜蔵 → 宮地正寛 みやじ ぎぞう 柳沢 やなぎさわ 江戸時代の譜代大名。 山岡静山 やまおか 〓 講武所の師範。 山岡桂 やまおか けい 英の妹。石坂周造の夫人。 山岡鉄太郎 → 山岡鉄舟 やまおか てつたろう 山岡英 やまおか ふさ 静山の娘。 横山華谿 よこやま かけい 画家。書家。 吉田寅次郎 → 吉田松陰 よしだ 〓 吉村寅太郎 → 吉村虎太郎 よしむら とらたろう 依田哲二郎 よだ? 〓 来国俊 らい くにとし 鎌倉後期、山城の刀工。 烈公 → 徳川斉昭 れっこう 粟田宮 → 朝彦親王か 安藤対馬守 → 安藤信正 井伊掃部頭 → 井伊直憲か 井上 一橋慶喜 → 徳川慶喜 稲熊力之助 永井寅之助 岡村六蔵 → 岩垣月州 岡田信濃守 岡田六蔵 家永某 鬼王丸 菊池某 近衛 → 近衛忠煕か 九条関白 → 九条尚忠 広瀬六兵衛 高家中務大輔 → 中条信礼か 高久保二郎 高橋精一郎 → 高橋泥舟 高橋夫人 高城氏 → 高城丹後 黒田斎博 → 黒田長溥(斉溥)か 笹原 三条 三条中納言 → 三条実美か 山田大路 → 山田大路親彦 姉小路 → 姉小路公知か 柴田吉五郎 小寺玉晃 → 小寺玉晁か 小野氏 → 小野朝右衛門 庄内侯 松沢良策 上野禎蔵 → 水野行蔵 真田侯 水野越前守 → 水野忠邦か 杉浦八郎 西恭輔 西村伴之助 隣家。 石原 庄内藩家老。 仙台公 速見又四郎 大阪屋太助 大松氏 大谷雄蔵 → 清河八郎 竹下熊雄 → 竹志田熊雄か 中条金之助 中村平助 中島文吉 京都の書家。 堤松左衛門 田中氏 中山家の諸大夫。 田中愿三 → 田中愿蔵か 水戸。 登弥太 隣家。 藤井 日下部達三 → 清河八郎 日尾荊山 儒者。 入江晋吾 白井庄兵衛 板倉閣老 → 板倉勝静か 品川弥次郎 → 品川弥二郎か 平野二郎国臣 → 平野国臣 堀二郎 → 堀次郎(伊地知貞馨)か 本多 → 本多弥右衛門(親雄)か 毛利侯 → 毛利敬親か 柳氏 頼立斎 頼聿庵 鈴木善之允 ◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)、『幕末人名事典』、『日本女性人名辞典』(日本図書センター、1993.6.)、『清河八郎グラフィティ』山形県立川町役場(平成9.1)、『新編 庄内人名辞典』、『清河八郎の明治維新』高野澄(日本放送出版協会、2004.3)、『清河八郎』小山松勝一郎(新人物往来社、1974.2)。 2010.4.17:公開 2010.5.26:更新 しだひろし/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/post_map/pages/2742.html
福島東(梁川)郵便局 郵便番号:〒960-07 集配地域:福島県伊達(だて)市の旧・伊達郡梁川(やながわ)町域。 1.jpg (福島県)梁川郵便局局舎 2.jpg (福島県)梁川郵便局取集時刻掲示 達成状況[20**年*月**日現在] 普通のポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 コンビニポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 ポスト考察 ●編集中 ポスト番号考察 ●編集中 設置傾向考察 ●編集中 取集時刻考察 ●編集中 取集ルート考察 ●編集中 時刻などの掲示 ●編集中