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ここでは懸賞企画への参加方法について説明します。 開催・参加形態 基本的には特定のアイテム(またはその詰め合わせ)を少数人に抽選をしてプレゼントをするものです。 主催者(主催者の関係者を含む場合もある)のアカウントをフォローして投稿をリポスト(拡散)することにより参加が成立しますが近年では特定のリンク先に必要事項を登録して参加するタイプのものも増えています。 注意すべき事項 当選した場合は通知後に極力早く返答をしないと棄権とみなされる場合もあります。定期的に主催者のアカウントやDM欄などを確認しておくことがおすすめです。 賞品の内容によっては(amiiboカードなど)個人情報を要求する場合もあります。その場合、参加する相手の主催者が十分な安全性を持つかを確認することをおすすめします。怪しい人物に個人情報を提供すると皆さまの不利益となることもあります。 関連項目 一般的な島開放の来島方法
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長谷川泰三 ・他にも諸説があるが、名前の元ネタは彼が元ではあるが、 幕府重鎮だった事もあり、空知英秋の好きな実在した人物でも ある「鬼平犯科帳」の主人公、長谷川平蔵である可能性が高い 桂小太郎 ・余談であるが、ペットグランプリでの彼の実家の犬の名前が太郎 苗字を付けると「桂太郎」。この人物は実在した人物である。 エリザベス ・他にも諸説はあるが、エリザベス1世と誕生日が同じ ・エリザベート(Elisabeth)はエリザベス(Elizabeth)の フランス語圏名に相当する事と、エリザベート・バートリー の叔父の名前がステファン・バートリーであることから由来する また彼女の英語名はエリザベス・バソリーという。 ・エリザベス1世と、ステファン・バートリーの生まれた年は同じである。 伊東鴨太郎 ・元の人物は伊東甲子太郎と芹沢鴨とされているが、芹沢の部分 がはっきりしていないことと、「鴨」と「甲子」と一字を変え たという説があるため、とりあえずは「伊東甲子太郎」のみの 明記になっている。 ・史実の伊東は長男である。さらに元の名前は「伊東」ではない。 まだ本編に未登場の「二木二郎」は史実だと伊東の実弟であるが 銀魂では兄弟では無いようである。動乱編以後も真選組内に居る 模様。 神山 ・元の人物は新撰組隊士ということ以外は、詳細は不明である。 鬼兵隊の来島また子と口調が被っているが、史実六角事件は 来島又兵衛が起こした禁門の変が発端だから、口調が被って いるという説がある。 北大路大五郎 ・父親(マダオは父親かどうか微妙)が二回変わっているのは 一代目父・拝一刀(子連れ狼)→二代目父・東郷重位(新子連れ狼) の移り変わりを表しているのか? また北大路性は2003年版子連れ狼の拝一刀役・北大路欣也が 元ネタである。 ・大人のエスカレーターの元ネタは最新作『そして 子連れ狼 刺客の子』 の五歳になった大五郎が礼儀正しい子でしかも敬語でペラペラ喋って いるのが元ネタ?『私は拝大五郎と申します』 三大傭兵部族 夜兎 ・夜刀神。頭に角の生えた蛇神。「ヤト」は「谷」を表す古語で谷や沢に住んでいる神様。 その姿を見た者の一族は滅びると伝えられている。 葦原を開拓しようとした継体天王の前に現れ、開拓を中止させようとした自然神。 神楽 ・神に捧げる舞や歌 ・陰暦の11月の呼び方(誕生日でもある) ・かぐや姫(高杉談・夜兎=月) ・北海道の町の名前。旭川神楽郵便局ってのが旭川市にある 神威 ・アイヌ語で神(またはそれに同位の存在) ・北海道の神威岬 神楽・神威その他 ・神威神楽って舞が北海道にあるらしい ・余談だが、桂神楽という舞も存在する。 辰羅 ・不明。新羅(?)。スサノウを祭る新羅神社っていうのがあるらしい。 茶吉尼 ・荼吉尼天。元は生きた狐の精で人間の心臓を食べるヒンドゥーの悪鬼だったがシヴァ神に 死を告知する神になった。仏教に取り込まれ日本へくるとキツネつながりで稲荷信仰と習合 されて荼吉尼天=お稲荷さんになった。
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草案 突撃兵 アサルト ニドクイン:仲里真尋 特性とうそうしん推奨 チルタリス:水無瀬暦 ショットガン ガオガエン:朱天堂慶 キングドラ:メアリー・白神・コルトレーン ブレード エアームド:九鬼谷ゆま ヘルガー:村上輝星 元ヤンキー→悪タイプ 重機兵 ガトリング ネオラント:西沢麻衣 服装が使い手のルスワールに似ているので スピアー:秋山真澄 ゲノセクト:鬼堂院れんか 火炎放射器 フライゴン:八木沢零 バシャーモ:仁視幸 チャオブー:野薔薇逢里 支援兵 Gランチャー ミジュマル:敷島魅音 声優繋がり Rランチャー ジュペッタ:来島みさき ピッピにんぎょう必携 サザンドラ:アイリーン ポケモン図鑑説明文が似ているので 狙撃銃 メガヤンマ:犬吠崎かほる 迫撃砲 ミノマダム:万丈目綾 衛生兵 回復銃 プクリン:杉岡弓 ロズレイド:川島美世 BL好きなので -- (ユリス) 2017-03-25 14 03 48
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来島 通介 (24) 略歴:CGEA日本支庁職員。 瀬戸内海の漁村出身で、地元の漁連に就職、CGEA民間受け入れ枠の採用試験に合格、CGEA日本支庁海事公安部資料課を経て現在は外事第三課に配属。 本人は、花形部門である会場警備部を志望したが 船舶を運用する部門はCGEA大学校卒業者で占める慣例により 落とされる。 理想や信念を曲げない性格で資料課が一番穏当とされて配属されるが 公安部への内部審査で高い成績を上げたため 公安部の部長から引き抜かれる。 家族は、故郷に両親、弟、妹、祖父母がいる。 性格:瀬戸内出身らしく、さっぱりとした明るく快活な性格。 ただ、世事に疎く、いい意味でも悪い意味でもすれていない。 趣味は、釣り。 知識作業や事務作業は苦手である一方、公安部につきものの 荒事や柔軟な処理には長けている。 新門市セントラルのアパートに一人暮らし。 服装にこだわらず、髪もたいていボサボサである。
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愛媛近郊で、モリカメラスタッフが実際に行って撮った写真です。 +目次(左の+をクリックしてください。) (左の-をクリックすれば、目次は閉じます) 亀老山展望台(今治市、大島)アクセスマップ 亀老山展望台(今治市、大島) 今治市吉海町名にある大島の亀老山展望台 ここの絶景は見逃さないで。 来島海峡や遠くは晴れた日には石鎚山まで見ることができます。 360度のパノラマビュー。 カップルが掛けたカギ。 ここでは塩ソフトクリームがさっぱりしてておすすめ。 2つめ食べちゃいます? アクセスマップ 大きな地図で見る 目次へ Last update 2011-06-02 17 27 54 (Thu); 本ホームページの記載内容及び画像、映像などの無断転載を禁じます。 Copyright Since 2011 MORICAMERA CO.lnc. All rights reserved. 合計: - 今日: - 昨日: -
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レア度S レア度A レア度B レア度C 武将名 武将名 設置施設 獲得地域 武将名 設置施設 獲得地域 武将名 設置施設 獲得地域 阿国 名古屋山三郎 能楽堂 なし 尼子義久 弓矢倉(弐) 中国四国・出雲石見(第二章)(国主) 那須資晴 弓矢倉(壱) 関東・下野 九戸信仲 弓矢倉(壱) 東北・陸中 尼子勝久 弓矢倉(弐) なし 正木為春 鉄砲砦(壱) 関東・上総安房 波多野宗高 弓矢倉(壱) 中国四国・備前美作 吉川広家 弓矢倉(参) なし 河野通直 木工座(弐) 中国四国・伊予(国主) 天野景貫 金庫(壱) 中部・駿河遠江 宇喜多忠家 鉄砲砦(壱) 中国四国・備前美作 芳賀高定 鍛冶屋(弐) 関東・下野(主将) 来島道康 水田(壱) 中国四国・伊予 宇山久兼 弓矢倉(壱) 中国四国・出雲石見 所属:第一章尼子義久のみ、第二章でも直接獲得可能。 2012年6月21以前の獲得地域はこちらコレクション/阿国(旧)
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順不同 ビシャデ溜池 三成ダム 三瓶ダム 上野溜池 代官堤 八戸ダム 加志岐ダム 千本ダム 周布川ダム 坂根ダム 塩田ダム 大峠ダム 大谷ダム 大長見ダム 尾原ダム 山佐ダム 山神溜池 嵯峨谷ダム 布部ダム 御部ダム 志津見ダム 木都賀ダム 来島ダム 柿原溜池 殿川内溜池 江良溜池 波積ダム 津田川ダム 浜原ダム 浜田ダム 淀原溜池 深山池 深山溜池 清瀧ダム 湯屋の奥溜池 益田川ダム 矢原川ダム 稗原ダム 第二浜田ダム 笹倉ダム 美田ダム 船堀溜池 蝮谷溜池 赤田新溜池 銚子ダム 長見ダム 阿井川ダム ページ先頭へ 楽天売れ筋ランキング レディースファッション・靴 メンズファッション・靴 バッグ・小物・ブランド雑貨 インナー・下着・ナイトウエア ジュエリー・腕時計 食品 スイーツ 水・ソフトドリンク ビール・洋酒 日本酒・焼酎 パソコン・周辺機器 家電・AV・カメラ インテリア・寝具・収納 キッチン・日用品雑貨・文具 ダイエット・健康 医薬品・コンタクト・介護 美容・コスメ・香水 スポーツ・アウトドア 花・ガーデン・DIY おもちゃ・ホビー・ゲーム CD・DVD・楽器 車用品・バイク用品 ペット・ペットグッズ キッズ・ベビー・マタニティ 本・雑誌・コミック ゴルフ総合
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多良間の八月踊り 八月踊りは明治以前から、納税を済ませた喜びを分かち合うまつりとして島人に受け継がれ、1976(昭和51)年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。 八月踊りは五穀豊穣に感謝し来年の豊作を祈願し、旧暦8月8日から行われる奉納踊りで、古い時代から「八月御願」と称され、民俗踊りのみが演じられていましたが、明治時代以降、沖縄本島から伝わった組踊りや古典踊りが加わったとされます。 初日が字仲筋、2日目が字塩川の踊りが披露され、各部落の子供や大人たちが色鮮やかな琉球の民俗衣装を身にまとい、舞いや組踊りが部落の神に奉納されます。 最終日には両字で再度奉納舞踊が繰り広げられます。 祭りの頃には、島外に移り住む島の出身者や民俗研究者、マスコミが大挙来島。島の人口は普段の倍以上に膨れ上がります。 関連リンク 宮古島の祭祀
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再び「殉国日記」について これは http //keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-66.html#comment-top こちらのコメント欄に対する、W氏へのレスです。オフトピについての長文の討論となりますので、ブログ主さんへのご迷惑を避けるため、弊ブログへのリンクと致しました。 なお再反論は、当頁末尾にコメント欄を設置しましたので、Wさんに置かれましても、こちらにてお願いします。 敬具 「殉国日記」内の主要な文献をファイルしましたので御報告します。 ■沖縄作戦 殉国日記 index http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2223.html 早々と「気がついたことを纏め」た方がおられますが、その“飛ばし”記事の中に事実誤認や誤解を招くやしれぬ独断がありますので、以下に事実を指摘しておきます。 1) W氏 5頁赤松版「戦斗の概要」の一部だが24 00船舶団長が丸木船で阿嘉島から来島は時間を2時間以上遅くしている。 これでは「丸木舟」とし、後の「赤松部隊長戦場日記」では「船舶団長基地隊長以下十五名座間味島ヨリ橇船ニテ阿波連ニ上陸渡嘉敷島本部ニ来ル」となっている矛盾を指摘すべきでしょう。その元である辻版「陣中日誌」では「橇舟」です。 なお「22 00以前」が正確な時間だという論稿はどこにも見たことがありません。今のところこの到着時間は諸説フンプンで議論の『紛れ』にはもってこいのアイテムですから、赤松アイドル派には都合がよく、また「22 00以前」が本当ならば赤松は嘘つきだ、という仮定理屈で赤松を断罪するにも便利なようです。 2) W氏 本来丸木船にて来島というような(特攻艇2隻で来島、阿嘉島の乗務員の名までわかっている)誤った情報が赤松に伝わるはずがない。 渡嘉敷到着「一行の人員15名」は諸文献が一致するところのようです。そして、6名が特攻艇2隻に分乗し残余がクリ舟で渡嘉敷にきたことも、「石田四郎」手記、「第二戦隊戦闘の概要海上挺進第2戦隊史実資料」などを重ね合わせると事実のようです。「石田四郎」手記で特攻艇同乗者とされなかった人物も。赤松隊の「陣中日誌」で戦死者として明記されていますので(参照:渡嘉敷島に残留した別部隊員)、特攻艇以外の船で阿嘉島から渡嘉敷に渡った人物がいることは厳密証明できています。 3) W氏 35頁「赤松戦場日記」に「船舶団長基地隊長以下15名座間味より○船ニテ来島」とある。36頁にも座間味島より渡嘉敷島本部に来たり、とある。 「赤松戦場日記」では1箇所です。36頁にもというのは転写をした中島幸太郎氏がそれを受けて繰り返したものです。此の箇所は他の箇所との字形をみても、「○船」ではなく「橇船」として良いでしょう。なお、同じく「殉国日記」所収の「皆本書信」では「橇艇」となっています。 なお、座間味はそこが巡察の出発点だということから、手拍子で書き間違えたのでしょう。 4) W氏 36頁皆本の印鑑からしばらく皆本の書信らしい。 印鑑がなくとも幸太郎氏は、皆本氏の書信であることくを明示的に示しています。この文書は皆本氏が防衛研究所に寄贈したものです。彼が印鑑を押したのは「転写内容は自分も保証する」という意味でしょう。 W氏 37頁「戦闘準備状況を視察中たりし軍船舶隊長大町大佐24日我が渡嘉敷島対岸阿嘉島に在りて状況を判断せられ海上挺進第3戦隊は直ちに沖縄本島に転進同地に於て海上攻撃に参加すべきを決心し25日夜日没を待って○船より敵艦船群突破我が渡嘉敷島に到着直ちに転進命令を下達す。然れども時刻既に22時を経過し・・・・」 以下読み取りにくい文章が続く。 別に読みづらい文章ではありません。それよりWさんの不正確が気になります。以下のほうが書き起こしとしては正確に近いはずです。 町度三月二十一日より慶良間列島海上挺身 (ママ) 戦隊(海上特攻隊)の戦闘準備状況を視察中なりし軍船舶隊長大町大佐二十四日我が渡嘉敷島対岸阿嘉島に在りて状況を判断せられ海上挺身 (ママ) 第三船 (ママ) 隊は直ちに沖縄本島に転進 仝地に於て海上攻撃に参加すべきを決心し二十五日夜日没を待って橇艇により敵艦艇群を突破我が渡嘉敷島に到着直ちに転進命令を下達す 然れども時刻既に二十二時を経過し当時部隊は戦隊(艇乗組員)は舟艇につき出撃準備中なれども・・・ 5) W氏 ここでの皆本書信は後の皆本の説明とも、赤松の記載とも異なる。 ここにも嘘があり○は読みがたいが櫂か、櫨の可能性がある。 特攻艇ではないとの記述である。当初から、よほど大町大佐がクリ船で来島したことにしておきたかったらしい。 皆本書信での表現は 日没を待って橇艇により敵艦艇軍を突破我が渡嘉敷島に到着直ちに転進命令を下達す です。○は「橇」です。櫂か、櫨の可能性はないでしょう。 【追記】 特徴のある橇の字は、辻中尉の「陣中日誌」からの踏襲だと思われます。 1、橇船=辻中尉の『陣中日誌』の写本 2、橇船=赤松「戦場日記」の写し 3、橇艇=皆本書簡の写し 4.橇舟=皆本直話聞き書きの写し 手書き字体は「耒」へんに「毳」に見えますが、手元の漢和辞典になく、私は「橇」だと思っていますが、分厚い字典でいつか確認してみます。 【追々記】 辻中尉が手書きで、「耒」(らいすき/すきへん)に「毳」と誤記したのは、消耗の「耗」からの連想ではないかと思います。図書館で大きな辞書いろいろ見ましたが、「耒」へんに「毳」という字はありませんでした。 確認した辞書は、「字通」「新潮日本語漢辞典」「廣漢和辞典」「大漢和大字典」「大漢語林」です。 6) W氏 44頁なも皆本の直話として、・・・・何の事はない。大町大佐は戦況を正確に把握し、当然取るべき策を考えていた。 私もここではW氏と意見を一致します。昭和21年3月に語られたこの皆本直話には、後の言動に比べたらまだ正直な要素が多いと思うからです。 赤松隊の『史実』は、(1)昭和40~43年の「戦史叢書」編纂過程(2)昭和42~45年の「赤松隊陣中日誌」編纂過程(3)昭和45~43年の「ある神話の背景」と3つの過程で、赤松擁護、艇隊擁護のストーリー(=「正史」化)が進行してきました。しかもこれらは、「沖縄戦史を書き換えねばならん」という社会的背景力によって進められた営為です。 昭和21年3月の皆本直話はそうした全体的な意図はまだないと思います。頭の中にあるのは、投降した自分達の「誇り高き戦い」と、死んだ戦友たちを美しく祀ることです。そのためのバイアスは惜しみないものですが。 7) W氏 甲号戦備が発動された日は確か24日。この時点で赤松は昼夜兼行で船艇に爆雷を装着すべきであったが怠った。 この不始末を隠すためにさまざまの嘘を考案し 甲号戦備とマルレの出撃命令とは違います。 これは私の私見ですが、赤松元戦隊長が最初から一番隠したかったのは、秘匿壕の整備の遅れ、泛水路整備の遅れ、連絡艇の泛水整備のための部隊内連携作業の不備など、戦隊長として基本的な軍務の不首尾ではなかったかと思います。 そうしたことを監察にやってきた大町大佐や鈴木少佐たちに「泛水したのに出撃できず」の責任を押し付けたのではないでしょうか? 複廓陣地に篭っての「持久戦」の間、勤務隊員や整備隊員の怨嗟の目をそらすため、そうした言い訳は繰り返され、繰り返えされるうちに赤松戦隊長の頭の中では、「妄想」が「真実」と化していったのかもしれません。 そうした赤松戦隊長の粉飾意図が反映していないクールな筆致の、辻版「陣中日誌」は落丁がありながらも真実を語っているような気がします。 ご意見 →これまでのコメント http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2313.html (ファイルから溢れたあと) わださん 地図を見れば阿波連湾の西方に渡嘉敷島はなく、海面です。 一体何を仰っているのか? 地図を見ながらものを言ってくださいね。阿波連湾内の西のほうという場所はありますよ。 いくら地図を見ても阿波連湾の北・東に渡嘉敷島の陸地は存在しますが、阿波連湾の西に場所は存在しても海上であり、陸地としては(名もない ?)離島しか存在しません。 北もややむつかしいと思います。 それに対して阿波連部落を基点にすれば、阿波連湾から見て西北に陸地は存在します。 これ以上は見解の相違ということで、地理のことは言いません。 私は、石田少尉手記に関する資料的評価は全然最初から変えていないのですが。 ? 最初、キー坊さんの所で石田少尉が赤松隊に食料で世話になったことだろうとの趣旨を書いておけば、当然わかってもらえると思ったのですが。 -- (和田) 2009-10-30 14 38 45 和田さん 1、「軍事研究」某(失念)氏は迂闊に信用できない、同意有難うございます。 2、捜査権のない私たちは事実検証ができることから攻めていくのが健康な姿です。陰謀論で検証をすっとばしたい誘惑には反対です。 3、和田さんが引用した文章は 「戦史叢書」が「嘉敷島阿波連西方海岸に上陸し二二00ころ海上挺進第三戦隊本部に到着した」 「ある神話の背景」が「阿波連西方の、夜目にも白い清浄な浜に着いた。」 阿波連湾の形は¬の字でその角っこが阿波連。海岸はそこから西と南に伸びています。「阿波連西方海岸」は阿波連湾のなかにあります。 あなたの無茶ブリでは、「阿波連湾」とは湾内の海の中のことだから幾ら西へいっても海しかないでしたね。だとしたら、戦史叢書は離島のことなのですね。 4 これ以上はご自分のHPで図入りでやってください。 ご覧のように溢れちゃったからおしまいです。 今後は・・・・ 【投稿上のご注意】 無遠慮で配慮のない投稿は困ります。 1回の投稿は短ければ短いほど効果的です。どんなに長くても全角文字1.000字以内でお願いします。 溢れて「続き」を投稿なさっても、内容の如何にかかわらず機械的に削除します。長い投稿は下書きのうえ投稿してください。 また、適切な空行がなく読み手に苦痛を強いるような投稿は、内容の如何に拘わらずスパム投稿として削除します。空行は6字分の消費にすぎません。 引用符のないものや引用元が明記(急ぎでも言及)してないものは史実検証討論には有害です。また○付数字など、機種依存文字を使用しているものも同様です。これらも削除します。
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所在地大阪府大阪市西淀川区出来島町1丁目 開業日1916/12/20 接続路線阪神なんば線 隣接駅大物?(阪神なんば線:尼崎方面) 福(阪神なんば線:大阪難波方面) 訪問日2008/3/9 戻る