約 641,016 件
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/588.html
陸奥国 大沼郡 大石組 沼沢(ぬまさは)村 大日本地誌大系第33巻 72コマ目 府城の西に当り行程11里。 家数35軒、東西2町10間・南北1町13間。 また寅(東北東)の方50間に家数23軒あり。 東西1町50間・南北1町20間。原(はら)という。 ここより辰(東南東)の方1町に家数5軒あり。 東西1町10間・南北12間。根峯(ねみね)という。 四方田圃(たんぼ)にて南は山に倚る。 北に大なる沼あり。 東34町大谷組宮下村の界に至る。その村まで1里32町。 西9町10間多良布村の界に至る。その村まで22町。 南1里余大谷組間方村の山に界ふ。 北8町福沢入新田村の界に至る。その村まで20町。 山川 大高森山 村南1里余にあり。 頂まで17町。 西は多良布村・玉梨村に界ひ、南は間方村と峯を界ふ。 鞍掛山(くらかけやま) 村東12町にあり。 形状に因て名つく。 境沢(さかひさわ) 村東34町にあり。 大毛無(おほけなし)という山より源を発し、北に流るること1里余只見川に注ぐ。 沼 ※国立公文書館デジタルアーカイブ『新編会津風土記83』より 村北3町にあり。 周1里余。 昔は霧窪と唱え大蛇棲て人を害す。何の頃にか大蛇人の為に誅せられ、その後この邊に人家を営みしという。 小山回に囲て鏡水その中にに開け積翠澄波の間に浮動し、山中には少なる勝境なり。 東の涯(きし)を鑿(うがち)て渠を通し数村の田畝に漑(そそ)ぐ。 鮒魚・海老・杜父魚多し。鮒魚味尤美にして猪苗代の湖水の産につぐ。 また「あさ魚」という小魚あり。この沼と河沼郡野沢組安座村の沼にのみありという。 只見川 村の東北20町にあり。 三更村の境内より来り、1里3町東北に流れ宮下村の界に入る。 神社 沼神社 祭神 不明 鎮座 ? 村北5町50間、沼の涯にあり。 祭神詳ならず。 社前老樹多し。 鳥居あり。 神職 佐久間美濃 先祖を景次という。 貞享2年(1685年)始て神職となる。5世を経て今の美濃元次に至る。 山神社 祭神 山神? 鎮座 不明 村中にあり。 拝殿あり。村民の持なり。 寺院 薬師寺 村中にあり。 真言宗道場小路観音寺の末寺なり。 能真山と號す。開基詳ならず。 天文20年(1551年)宥慶という僧再興し、相継で今に至る。 本尊薬師客殿に安ず。 観音堂 村北5町にあり。 草創の時代詳ならず。 村民の持なり。 地蔵堂 原の村中にあり。 何頃の建立にか知らず。 村民の持なり。 古蹟 館跡 村南18町山上にあり。 東西1町10間・南北20間。 横田の城主山内氏の支族沼沢出雲實通という者住す。 天正13年(1585年)関柴備中伊達政宗に内応し葦名氏を叛し時出雲も討手に加わりけるが、黒川を発するとて葦名亀王丸の母儀に謁し逆賊備中が首斬て厚恩に報んといいて起しが、果して備中を討取しかば伊達の兵も負績せしとぞ。 同17年(1589年)磨上の役散して葦名義廣佐竹に奔りし時、出雲渋川助右衛門等と共に義廣に従て常陸国に赴きしという。 出雲が子孫当家に仕て今に存す。 この村の医師玄純という者、出雲より先祖に与し書なりとて古文書1通を蔵む。因に載す(※略)。 Google Map高森山 沼沢湖 沼御前神社 薬師寺 沼御前神について ※大沼郡橋爪組相川村より記事を移動 沼御前神について少し調べてみました。 どうやら沼沢湖の沼御前神社に伝わる大蛇の話と関係がありそうです。佐原義連が沼沢湖に住む大蛇を退治し、その首を埋めた所が沼御前神社の地だそうです。 ※参考:沼御前(Wikipedia) 沼御前神社の由来を引用します 湖の主は数十メートルにも及び雌の大蛇で時折村人に危害を加えていた。これを聞いた黒川(若松)の城主佐原十郎義連は大勢の家来をつれてこの地を訪れ、大蛇を退治した。大蛇の首は湖畔に埋たが大蛇の霊を弔うためその高台に沼御前さまとして神に祀ったと伝えられる。八百年近い昔の話である。 以来、大蛇の霊は美女に姿を変え神社の前面下方断崖の深い棚状の所で終日機織りをしているといわれ明治、大正期には機織りの神様として織女の参拝が多かった。祭神には浜姫命の名が奉られ湖は天平勝宝二年六月十九日一夜で出来たという伝説にちなみ、江戸時代から旧六月十九日を、沼御前神社の祭礼日としている。 ※天平勝宝2年:750年 ということで、沼御前神社の祭神は浜姫命だそうです。記紀等では聞き覚えがありませんが、名前からして豊玉姫(とよたまひめ)(ワニの女神。綿津見神(わたつみのかみ)の娘で神武天皇の祖母)と関連がありそうです。 余談。 大蛇が美女に化けた話ってよくありますよね。 ふと思い出しましたが佐原義連の父三浦義明は那須で狐退治をしてます。血の気が多い家族だったのでしょうか。 他河沼郡野沢組安座村 - 赤城と日光の戦い及び八頭の大蛇の話
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/890.html
陸奥国 耶麻郡 川西組 一沢(いちのさは)村 大日本地誌大系第32巻 32コマ目 府城の東北に当り行程2里18町余。 家数27軒、東西3町45間・南北1町45間。 南は山に傍(そ)ひ三面田圃(たんぼ)なり。 東2町50間・西2町20間、共に大寺・本寺両村の界に至る。大寺村は西に当り14町50間、本寺村は戌亥(北西)に当り16町。 南7町14間河沼郡代田組八田野村に界ひ日橋川を限りとす。 北2町磨上新田村の界に至る。その村は寅(東北東)に当り25町。 山川 日橋川 村南9町にあり。 布藤村の界より来り、東より西に流るること24町大寺村の境内に入る。 道徳清水 村東5町にあり。 1間四方。 島田村に昔道徳とて富豪の者あり。この水を汲せて常に飲しという。 Google Map一沢地区 道徳森この地区の南(高清水地区)に佐川磐梯製氷工場があり、地下水を汲み上げて氷を作っているそうです。 熊野神社 余談。 この地区の東南の方、山の中の田んぼの中に大岩が転がっています。 特に案内板も無かったので理由が不明なのですが、磐梯山が噴火ときに飛んできたものでしょうか? →大岩の場所
https://w.atwiki.jp/momo-lineage/pages/8.html
動画(youtube) @wikiのwikiモードでは #video(動画のURL) と入力することで、動画を貼り付けることが出来ます。 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_209_ja.html また動画のURLはYoutubeのURLをご利用ください。 =>http //www.youtube.com/ たとえば、#video(http //youtube.com/watch?v=kTV1CcS53JQ)と入力すると以下のように表示されます。
https://w.atwiki.jp/tohoranking/pages/27.html
文々。動画 犬走。動画 東方動画ブレイジングスター 文々。動画 Bohemian Archive in niconico. vol.001 vol.002 vol.003 vol.004 vol.005 vol.006 vol.007 vol.008 博麗神社忘年会(2008年) Stage1 Stage2 Stage3 Stage4 Stage5 Stage6 日と冬と木の年(2008年) 第一回 第二回 第三回 前編 後編 前編 後編 前編 後編 星と秋と水の年(2007年) 第零回 第一回 第二回 第三回 犬走。動画 第零回 第一回 ☆ 前編 後編 東方動画ブレイジングスター 東方動画ブレイジングスター ☆ 東方動画ブレイジングスター待宵 ☆ 東方動画流星群-永夜返し- ☆
https://w.atwiki.jp/nicoten/pages/1133.html
ランキング動画 らんきんぐどうが 【動画】 09-11-06最終更新 random_imgエラー:ご指定のファイルがありません。アップロード済みのファイルを指定してください。 「ランキング動画」とは、ユーザーが特定のジャンルを対象に作成したランキングを内容とする動画のこと。 ニコニコ動画は公式に再生数やマイリスト数などを基準にランキング (公式)を発表しているが、このランキングはカテゴリ別の集計のため特定ジャンル(例:ボカロや東方)のランキングは存在しない。 そこで、ユーザーが特定のタグに登録されている動画を対象に、マイリスト数などを集計してランキング化した動画が作成されている。 その他 多くのランキング動画では再生数やマイリスト数だけでランキング化したり単純に合算したりせず、ランキングのポイントへの換算に独自の数式を用いており、同じジャンルでも様々なタイプがある動画を統一的にランキング化しようという試みがなされているようだ。-新しいブームが起きた場合には、一発ネタがらそのブームのランキング動画が作られることがあり、ブームを見る観点からはランキング動画はひとつの基準といえるかもしれない。 動画検索 「ランキング」の含まれるタグの一覧 → 検索結果 random_imgエラー:ご指定のファイルがありません。アップロード済みのファイルを指定してください。 動画 ら行の単語一覧にもどる 「動画」に関する単語の一覧 トップページにもどる - -
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/805.html
陸奥国 大沼郡 野沢組 徳沢(とくさは)村 大日本地誌大系第34巻 12コマ目 府城の西北に当り行程10里31町余。 家数19軒、東西2町30間・南北30間。 揚川の南岸に住し三方に山廻れり。 東12町・北40間、共に耶麻郡吉田組杉山村に界ひ揚川を限りとす。 西18町11間越後国蒲原郡海道組八田村の山界に至る。その村まで1里1町30間余。 南24町計本郡海道組宝川村の山界に至る。その村は未申(南西)に当り23町余。 また 辰巳(南東)の方25町50間下野尻村の界に至る。その村まで1里17町50間余。 亥(北北西)の方12町6間蒲原郡鹿瀬組船渡村の界に至る。その村まで1里。 山川 宇都野山(うつのやま) 村より未(南南西)の方5町にあり。 頂まで3町余。 雑木多し。 揚川 村北40間にあり。 下野尻村の境内より来り、屈曲して戌亥(北西)の方に流るること凡1里4町20間余船渡村の界に入る。 小舟を以て近村に通す。 この川に赤髪(あかかみ)・大半蔵(おほはんさう)・小半蔵(こはんさう)・瀬戸川口(せとかはくち)など称する急難あり。その所に両岸より相向て斜めに柵をふり水をせきて水勢を急にす。因て諸魚登ることを得ず左右の柵下の淀にあつまるを里人小罟(あみ)を竿頭に約してこれを捕る。俗にとり滝と称す。 また赤髪(この所は本村の境内なれども漁猟の利をば下野尾村にて専にす。寛文中(1661年~1673年)撰える風土記には下野尾村の下に注せしなるべし)見付(みつけ)という二ノ滝あり。岩石斜に相束てとり滝の如し。これを岩滝という。 高反川(たかそりかわ) 上流を宝川という。村西8町にあり。 宝川村の境内より来り、北を流れ斜めに寅卯(東北東~東の間)の方に折れまた戌(西北西)の方に転じ、凡8町流れて揚川に入る。 広5間。 川キス・ザコを産す。 この川に瀑布あり。高3丈。 蛇石(へひいし) 村東1町にあり。 高3尺・方5尺計の黒色の石なり。中程に断裂せし所あり、中葉空虚にして常に数多の小蛇住し時ありて多く頭を出すことあり。斯(かか)る時は3日を出ずして必ず雨降るという。 関梁 橋 村西8町、隣村の通路高反川に架す。 高反橋という。 長5間、土橋なり。 神社 若宮八幡宮 祭神 若宮八幡? 鎮座 不明 村南20間余小高き所にあり。 鳥居あり。下野尻村平野摂津これを司る。 寺院 観音寺 村より未(南南西)の方20間にあり。 真言宗大徳山と號す。博労町自在院の末寺なり。開基の年代詳ならず。 慶長5年(1600年)尊海という僧住してより今に至る。 本尊観音客殿に安ず。 古蹟 館跡 村より未申(南西)の方5町にあり。 東西27間・南北19間。 何の頃にか山口次郎光義という者住すという。 Google Map宇都野山(村の南南西にある山より比定) 神楽滝(鬼光頭川)(宝川)近くの県道384号徳沢宝坂線は徳沢スノージェットがあり眺望悪し。 若宮八幡神社
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/432.html
陸奥国 会津郡 小出組 大沢(おほさは)村 大日本地誌大系第31巻 82コマ目 府城の南に当り行程7里14町。 家数22軒、東西1町20間・南北20間。 渓流に傍て畳山の間に散居し四方僅かに田圃(たんぼ)を開く。 東6町10間・北9町、共に湯原村の界に至る。その村は東に当り15町。 西15町楢原組桜山村の界に至る。その村は申(西南西)に当り1里。 南12町弥五島組弥五島村の界に至る。その村まで1里。 端村 上村(かみむら) 本村の西2町にあり。 家数12軒、東西1町20間・南北15間。 西は山林に続き三方に菜圃(さいほ)あり。 久景(ひさかけ) 本村の戌(西北西)の方2町20間にあり。 家数3軒、東西30間・南北15間。 四方田圃(たんぼ)なり。 山川 嶽山(たけやま) 村の戌亥(北西)の方4町にあり。 登ること13町余、西は楢原組大内村の山に界ふ。 殿上山(てんしやうやま) 村西18町計にあり。 山勢邐迤(りい)(*1)として登ること11町余、西南は大内・桜山両村の山に続く。 向山(むかいやま) 村南1町にあり。 東南は弥五島村の山に界ふ。 大沢川(おおさわかわ) 村南1町計にあり。 桜山村の山中より源を発し、東に流れ湯原村の界に入る。 境内を経ること21町余、広1間余。 神社 熊野宮 祭神 熊野宮? 鎮座 不明 村北20間計にあり。 鳥居あり。 神職 星大和 先祖を伊勢某という。 いつの頃にか伊勢国度会郡よりこの地に来り当社の神職となる。 今の大和勝儀は7世の孫なり。 山神社 祭神 山神? 相殿 天道神 杉御前 大明神 勧請 不明 村より戌亥(北西)の方2町20間にあり。 星大和が司なり。 Google Map石碑 旗竿(山神社の入口?) Goo地図熊野神社 雷神社
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/827.html
陸奥国 耶麻郡 川東組 都沢(みやこさは)村 大日本地誌大系第31巻 168コマ目 村老の口碑に、この村昔一澤をいうころに産せる芹、気味殊に香美にて根長く3尺に至れるあり。採て都にもちゆき朝廷に献せしに、村名を都澤と唱ふべしと詔ありしという。慶長の頃(1596年~1615年)或いは宮古澤に作れる文書あり。 府城の東北に当り行程6里24町。 家数35軒、東西1町・南北2町40間。 二本松街道に住す。 東は山により三面は田圃(たんぼ)なり。 東13町余二本松領安達郡中山村の山界に至る。 西3町・南5町、共に関脇村の界に至る。その村は南に当り8町20間余。 北5町12間荒野村の界に至る。その村まで8町50間。 この村二本松街道の駅所にて、村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。 楊枝村駅より1里12町ここに継ぎ、ここより1里22町猪苗代城下に継ぐ。 山川 松取峯(まつとりみね) 村東11町余にあり。 北は荒野村の山に連り南は壺下村の山に続く。 松樹雑木多し。 また村北に金山という処あり。寛政中(1789年~1801年)ここより鎗の穂の如きものを堀得たり。銘に『永正九年十二月廿六日加州藤原行光』と彫付けあり(永正9年:1512年)。穂の中程よりけたに曲り長9寸餘両刃にて錬鉄と見ゆ。 大沢川 村北2町30間余にあり。 大平という所より源を発し、西に流れまた南に折れ、凡8町流れ関脇村の界に入る。 原野 牧場 村より寅卯(東北東~東の間)の方2町にあり。 東西8町・南北1町。 神社 若宮八幡宮 祭神 若宮八幡? 相殿 熊野宮 愛宕神 鎮座 不明 村東1町にあり。 鳥居あり。関脇村土屋出羽が司なり。 寺院 正福寺 村中にあり。 真言宗越王山と號す。 昔神野寺(猪苗代城下の条下に出す)の末山なりしという。 開基の初知らず。寛文2年(1662年) より府下大町弥勒寺の末山となる。 本尊不動客殿に安ず。 寶物 空海画像 1幅。自画なりという。 両界曼荼羅 2幅。空海筆。 地蔵堂 村中にあり。 2間2尺四面、南向き。 飛騨匠が造りしという古びたる堂なり。 何の頃にか渡邉帯刀入道という者建立すという。 木像の長5尺ある地蔵6軀を安ず。中像は徳溢の作といい伝えれども近来装飾を加えて古色を失い新古分ち難し。 正福寺これを司る。 古蹟 館跡 村東2町計、山中にあり。 周4町計。 渡邉帯刀入道居りしという。何人にか詳ならず。 Google Map神社? 正福寺? 都沢地蔵堂 余談。 この辺りも旧月輪村の一部です。
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/1159.html
越後国 蒲原郡 上條組 漆沢(うるしさは)村 大日本地誌大系第34巻 52コマ目 府城の西に当り行程16里8町。 家数9軒、東西1町・南北2町。 また申(西南西)の方5町に1区あり。袖(そて)という。 家数5軒、東西30間・南北40間。 共に山間に住す。 辰(東南東)の方12町小手茂村の界に至る。その村まで24町。 戌亥(北西)の方23町八田蟹村の界に至る。その村まで27町。 南4里18町計陸奥国大沼郡大石組宮崎村の山に界ふ。 北16町計芹田村の山に界ふ。 小名 舘沢(たてがさは) 本村より戌亥(北西)の方20町にあり。 家居1軒、山間に住す。 明和7年(1770年)耕作の便によりここに移る。 端村 蝉平新田(せみがたひらしんでん) 本村より申(西南西)の方1里にあり。 家数9軒、東西40間・南北2町。 深山の間に散居し、東は小合川に傍ふ。 寛文元年(1661年)に開く。 山川 薇峠(わらひとうげ) 村より巳(南南東)の方10町にあり。 登ること2町。 ここを越て小手茂村にゆく。 銅山 村より未(南南西)の方2里8町計にあり。 元禄中(1688年~1704年)初て坑を開き、寛政中(1789年~1801年)に至て多く銅を採る。 今は廃す。 松坂 小名舘沢より辰巳(南東)の方5町にあり。 頂上まで5町余。 老松1株あり。因て名く。 沼 村西30町計、山中にあり。 周6間。 旱歳に雨をここに祈る。 小合川 端村蝉平新田の東にあり。 源を御神楽・笠倉両山の間に発し、所々の渓流を得て西北に流るること4里余八田蟹村の界に入る。 神社 八劍神社 祭神 天照大神尊霊(あまてらすおおかみのみことのみたま)・素戔嗚尊(すさのおのみこと) 相殿 白山神 山神 鎮座 不明 村西、山上にあり。 鳥居あり。九島村齋藤丹後これを司る。 古蹟 館跡 村より未申(南西)の方15町余にあり。 巓まで5町。 土人城山と称す。頂上に僅かなる平地あり。礎石なお遺れり。 昔いつの頃にか石田和泉某というもの、鎌倉より来りここに住すという。 ここより戌亥(北西)の方に旗子山(はたこやま)という小山あり。石田が旗を建し所ゆえの名なりとぞ。 Google Map漆沢地区袖地区 舘沢? - 不明。この辺でしょうか? 蝉平地区 蕨峠 銅山? 松坂? 小合川 - 蝉平の東とのことなので、現在の広谷川の事でしょう。蝉平を経由し、この川沿いの道を上って行った先に御神楽岳 蝉ケ平登山口があります。駐車スペースは5台分程とのこと。 山神社(八劍神社?)袖にあった山神社は宮廻にあった山神社と合併して上ノ窪丙に移転、と神社明細帳にあり。※越後佐渡デジタルライブラリー『神社明細帳 阿賀町』P.136より 城山? 山神社(蝉平) 阿弥陀アスナロ 村の天然記念物だそうです。
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/744.html
陸奥国 河沼郡 牛沢組 大沢(おほさは)村 大日本地誌大系第33巻 141コマ目 府城の西に当り行程4里32町。 家数15軒、東西1町45間・南北1町10間。 柳津道に住す。南は山を負い三方田圃(たんぼ)なり。 東6町42間坂下組気多宮村の界に至る。その村まで23町40間。 西2町29間朝立村の界に至る。その村まで8町。 南は細越村の山に連なり界域分かち難し。 北2町38間和泉村の界に至る。その村まで8町10間余。 端村 新田(しんでん) 本村の東2町40間余にあり。 家数2軒、東西53間・南北10間。 東南は山に傍(そ)ひ西北は田圃なり。 山川 七折坂(ななおりさか) 端村新田の東にあり。 この坂を登り気多宮村にゆく。 山路屈曲せしこと凡7折にして峠に至る。ゆえに名く。 頂上より西に顧れば只見川の流れを望み、村落その間に棊布し限りなき眺望なり。 納豆沢(なつとうさわ) 端村新田の村中にある渓流なり。 村南の山中より源を発し、北に流るること2町30間和泉村の界に入る。 水利 滝沢堤(たきさはつつみ) 村の辰巳(南東)の方1町50間に山中にあり。 周2町40間。 神社 茂登幾神社(もとき-) 祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと) 相殿 伊勢宮 山神 草創 不明 村の申(西南西)の方1町20間にあり。 鳥居あり。塔寺村戸内信濃これを司る。 Google Map(旧)七折峠 茂登幾神社 七折坂について 現在国道49号線に七折トンネルが開通しているためここを通る方はあまりいらっしゃらないとは思います。柳津方面よりトンネルの手前交差点を右折した先が旧七折峠です。この旧七折峠、現在はゆったりとしたカーブを描いていますが、明治時代にはもっと曲がりくねった道が続いていたようです。 ※地理院地図(大正2年測図/昭和6年修正)