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辞書 品詞 解説 例文 漢字 日本国語大辞典 名詞 (動詞「うく(浮)」の連用形の名詞化)① 浮くこと。 ※おぼろ夜(1899)〈斎藤緑雨〉「されどこの世は乗合船と昔からの譬喩(たとへ)もある、浮(ウ)きも沈みもお前一人にさするでなければ」 浮・浮子・泛子 ② =うきき(浮木) 〔色葉字類抄(1177‐81)〕 ③ 釣り用具の一つ。水面に浮かせ、魚がえさをくわえたのを知るために用いるもので、数多くの種類がある。うけ。うけき。 〔俚言集覧(1797頃)〕 ④ 水中の魚網などの位置を知るために浮かせておく木片、桶、樽など。うきこ。うけ。あんば。 ⑤ 水流の速度・方向を測定するために、または、暗礁(あんしょう)、州(す)などを知らせるために、水面に浮かべるもの。浮標(ふひょう)。 〔和英語林集成(再版)(1872)〕 ⑥ 水泳用または救命用に持ったり、身に付けたりする具。浮き輪、浮き袋、浮き沓(ぐつ)の類。浮き具。 ⑦ 鼈甲(べっこう)の合わせ目にできたすきま。 ※洒落本・青楼昼之世界錦之裏(1791)「わたしが此ぢうのかうがいネ、うきがでんした」 ⑧ 掛け軸などで、表装ののりがきかず、書画が浮き上がって落ち着かない箇所。 ⑨ (ウキ) 謡曲の音階の一つ。今までうたい続けてきた音より半音階高めてうたう音階。たとえば、中音より半音階高いものを中(ちゅう)のウキ、上音より半音階高いものを上(じょう)のウキなどという。その符号は「ウ」で示される。また、単に高めにうたう場合にも用いられることがある。 ⑩ (「うきき(浮木)」の略からともいう) 船をいう、人形浄瑠璃社会の隠語。 ※滑稽本・浮世床(1813‐23)二「どうじゅく(ともだち)は、うき(舟)をしこらへ(こしらへ)させて」 ⑪ 腫(は)れ。むくみ。 〔浪花聞書(1819頃)〕 [語誌]③の意を表わす語形としては上代から近世・近代初期まで、下二段他動詞「うく」の連用形名詞「うけ」が使われていた。 広辞苑 名詞 ①水に浮かせて目標物とし、または他に浮力を与えるものの総称。㋐釣糸につけて水に浮かす、小さい木片・プラスチックなど浮力のあるもの。また、漁網などにつけて、その所在を明らかにするための木片など。 浮き・浮子・泛子 ㋑流れの速度・方向や水深などを測定するために水面に浮かべる具。浮標。 ㋒水泳用・救命用の浮袋。 ② 鼈甲 (べっこう)の合せ目のすきま。 錦之裏「わたしが此ぢうの 笄 (こうがい)ね、―がでんした」 大言海 名詞 (一)ウケ。釣絲ノ 半 (ナカバ)ニツケテ、水ニ浮ブル、小サキ 木 (キ) 片 (ギレ)。其動クヲ見テ、 鉤 (ハリ)ノ餌ニ、魚ノツケルヲ知ル。泛子 浮子 浮 (二)又、網ノ綱ニツケテ浮ブル木。網ノ、水中ニアル所ヲ知ル。 検索用附箋:名詞物品動作 附箋:動作 名詞 物品
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湖のほとり 徳田秋声 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)卒《いざ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)場|上《かみ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#地付き] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)よた/\ 或日融はその夏逗留してゐた妻の親類の家から、又た別の親類を訪問すべく、子供二人と第一の親類の主人の江沿につれられて、埃ぶかい湖畔の道を、よた/\自働車に揺られて行つた。融は自分の故郷の親類を訪ねるより、妻の故郷の親類を訪ねる方が、寧ろ気分が安易で親しみが多かつた。それは一つは利害の交渉や、直接な心持の触れ合ひがなかつたからでもあつたが、一つは又た妻が間へ入つて、気分の調節を計る、安全弁のやうな役目を勤めてゐたからでもあつた。 その親類は二軒とも江沿という苗字で、主人は従兄弟同士であつたが、余り仲の好い方ではなかつた。融は第一の江沿と余計親しくする機会が多かつたが、子供を一人ほしがつて、久しい前から妻にまで其の相談がそれとなく持込まれてゐることを知つてゐた。融は遣りたくもあつたが、遣りたくもなかつた。それは卒《いざ》となると選択に迷ふところからも来てゐるのであつた。まづ自分が後から連れて行つた二男がそれに該当してゐるやうに思へた。 融がその二男と一緒にそこへ着いた日より一週間ほど前から、妻は他の子供たちと逗留して、融の来るのを待つてゐたのであつた。いくらちやほやされて、賑やかに遊んでゐても、融がゐないと矢張り寂しかつた。子供をやるか遣らないか、そんな話も、主人同士で、今度は決めてほしいと思つて存た。融も事によつたら、この話に触れてもいゝと考へてゐた。 「O――町へも行つて下さいね。私二三日前に芳雄をつれてちよつと行つて来たんですよ。あすこでも貴方を待つてゐるんですよ。」妻は言ふのであつた。 第一の江沿は融たちが、O――町の江沿へ行くことを余り悦ばなかつた。そしてその日行くときに、自分で電話をかけて「これからちよつと先生をおつれ申さうと思ふが、都合はいゝかね」なぞと勿体をつけたものであつた。 家にゐると、湖畔の夏は涼しかつたが、外はやつぱり暑かつた。融は別に景勝の地が好きではなかつた。この辺の平凡な山の姿でも十分にこの山国の自然が味はへるのであつた。東京を出るときは、穂高へいかうとか、天龍峡を見ようとか思つてゐても、親類の家におちついて、朝夕の涼しい風に吹かれながら、煙突の多い町の一方に連なつてゐる蒼々した山の姿を見てゐると、もう其で自然を満喫したやうな気分になるのであつた。彼は時とすると、一停車場|上《かみ》にある賑やかな町まで、月の好い晩なぞ子供たちと湖の畔を自働車を駆つたり、江沿の催しで舟を湖上に泛べて、半日を塵の外に遊んだりした。 「余りかまはないやうに、そう言つてくれね。」融は妻に言つた。 「でも皆んな悦んでゐるんですよ。」妻はしんみりした顔をして、彼等の気分を話すのであつた。 勿論彼女自身も、融と一緒に親しい江沿の家なぞへ来てゐると、自分の親里へでも連れて来たやうな女らしい特別の感情に浸されて、不断と別の目で良人を見るのであつた。 死んだ後の今から考へると、それが一番新らしい思出でもあるとほり、その夏は殊にもさうであつた。健康が衰へてゐたせいだと思ふと、融は一層彼女の姿を悲しく思ひ出すのであつた。 O――町へ往く途中、自働車がパンクして、融は同伴者と共に、しばらく路傍の木蔭に休んでゐたが、直きに修繕が出来て、やがてO――の町端へ入つて来た。古駅らしい感じのする融たちが滞留してゐる町から見ると、こゝは製糸業の本場だけに、何となく気分が明るかつた。自働車はやがて少し高みにある江沿の病院の下へついた。 体のでつぷりした、輪廓が調つて、目鼻立の引締つた主人の居間で、融達は紫檀の卓のまはりに座を構へて、お茶を呑みながら暫らく話を交へた。主人は骨董好きであつた。そして大きい美事な壺などが、そこに飾られてあつた。書画帖が融の前に拡げられたりした。その中には有名な画家の色紙などが、沢山挿まれてあつたが、原敬の墓の文字を刻んだ、有名な土地の篆刻家の作品が、尤も融の目をひいた。酒仙のやうなその篆刻家と主人は殊にも懇意であつた。柱の聯を見ると、そこの小ぢんまりした牡丹の画に、妻の弟の題賛がしてあるのに目がついた……。 「その画は……」 「何にそれあ私の悪戯《いたづら》で。」主人が極悪さうに微笑した。 「可かつたな、悪口を言はうとしたとこだつた。」融は笑ひながら、 「ちよつと素人ばなれがしてゐますね。」 一と休みしてから、病院のなかを案内された。病院は養嗣子が院長であつたが、設備は比較的完全であつた。どの部屋にも、書画が沢山かけられてあつた。大抵新画であつた。 「これあちよつと好いな。」融が南画の一つの前に立止まると、 「好かつたらお持ちなすつて」と、江沿は言ふのであつた。 「いやあ」と、融はそこを離れた。 二室つゞきの二階の客間は、この辺のブルヂヨウアらしい骨董品や、書画で一杯であつた。 「私んとこは何んにもないで……たゞ此の光淋だけは私が京都から掘出して来たもので。」 融が床脇の棚のところの壁にかゝつた扇の地紙に、胡粉や緑青を堆く盛つた菊の画の前に立つたとき、主人は少し緊張した声で言ふのであつた。それから竹伝も一幅かゝつてゐた。 「これあ少し出来がわるいで、買ひ手があるから売らうと思ふ。」 「さうですね。売つた方がいゝかも知れませんね。」融は答へた。 やがて饗応がはじまる頃、親類の人が二人ばかり前後して、融が遊びに来たのを幸ひ、短冊や式紙をもつてやつて来た。 「これは皆んな内輪の人だで、二三枚どうぞ。」主人が言ふのであつた。 「書くのはいくらでも書きますが、字がまづいんで……。」 「字なんか何うでもいんで……。」 融はビールの酔をかりて、遠慮なくのたくつた。始めの一枚は手がわな/\顫へたが、しばらくすると平気で六七枚書きなぐることが出来た。 案内者の江沿は傍ではら/\してゐた。余り安つぽく書いてくれない方がいゝとでも思つてゐるらしかつた。 「先生の御都合で、同志が寄つて一つ会をやりたいと思ふが、何うですかね。これを機会に先生にお逢ひしたい連中が沢山あるで。」主人が言ひ出した。 「会もいゝが、先生は世間の商売人のやうに、席上揮毫なんざおやりにならないで、酒席で書かせるのは可けんぞ。」案内者の江沿が防禦線を張つた。 「そいつは制限するだね。」 「席上はいかん。書かないと言つても、つひ方々から突きつけるで。」 融は宴会なぞに出るのを、ちよつと臆劫に感じたが、快く承諾した。そして間もなく其処を引揚げた。 「今日はえらい並べたてたもんだ。」帰りの自働車で案内役の江沿か、赤い顔をしながら呟いてゐた。 融は会へ出ることが、一ツの義務観念のやうになつて、東京の宴会で開会の挨拶でも引受けさせられた時のやうに、その日の来るのが気がゝりであつた。 すると或日土地で書画屋のやうなことをやつてゐるらしい男が、その会の肝煎《きもいり》をすることになつたと見えて、式紙を二十枚ばかりもやつて来た。逢つてみると、その男は色《いろん》々な人を知つてゐた。画家や歌人や俳人などで土地へ来た人を待遇《もてな》した話をしたりしたが、融はさう気持が悪くなかつた。詰り席上では絶対に揮毫しないことにして、式紙を一枚づゝ当日来会者に配ることにしたといふのであつた。 融はさう行かうとも思はない山や水のことを尋ねたり、温泉地のことを聞いたりして、暫らくお相手をしてゐた。主人が扇子をぱち/\やりながら、そこへ遣《や》つて来た。女達を多勢置く商売なので、傭人も多かつたが、彼はその商売を止める止めると言ひながら、陽気なことが好きなので、やつぱり手放《てばな》しかねてゐた。「この商売ももうお終ひです。追々滅びて行くでせう。私んとこなんか、幸いに幾許かのものがあるからいゝやうなものゝ、さうでなかつたら遣つて行けません。」彼は言つてゐたが、若い女達に取捲かれて、三味線や鼓の音を聞いてゐないと、生きがいがないやうにでも思はれるらしかつた。教養のある彼のことなので、恋愛関係でこゝへ養子に来ても、その商売に初めは恥を感じてゐたのであつたが、馴れてくると、さうした夜の世界の歓楽境が、ちやうどアルコオルに中毒したものが、アルコオル気なしには生きてゐられないやうに、すつかり彼の生活になつてしまつた。そして一年々々それを続けて来た。融の子供か、他の親類の子供か、養嗣子ができれば、商売は人に譲つて、隣の町へ引移る予定で、家を建てる地所も用意してあつた。そこには湯がふつふつ湧いてゐて、温泉旅館にしようと思へば、さうするだけの面積もあるのであつた。 融は若し養嗣子の話でも出たら、自分の立場も明らかにしたいし、彼の生活内容も知りたいと思つた斌、江沿夫婦は表立つてはそれを口に出すことを躊躇してゐた。融も自分からそれを触れようとはしなかつた。そして一日一日を芝居を見たり、料理を食べに行つたりして、日を暮らした。江沿はさう云ふ客が、年がら年中家に寝泊りしてゐないと、寂しかつた。時とすると芸人を呼び寄せて、三月でも五月でも遊ばせておくのであつた。 「先生は酒は召上らず、田舎芸者をお見せしたところで初まらないし、御迷惑のことなんだから、まあ成るべく淡泊にやることさね。それにしても会場を何うして××屋にもつて行かなかつたらう。」 「それも交渉して見たんだが、誠に済《す》まないが、当日は親類に取込事があつて、休業だといふだね。でも△△屋も悪くねえだ。何処にしても先生のお口にあふ気遣はないで、反つて△△屋の方が、田舎風で好からうと思ひましてね。」肝煎をする男はそんな事を言つて、やがて帰つて行つた。 融はその夕方別にすることもないので、奥座敷の電燈の下で、せつせと式紙を書いた。彼は小さいをりから字を書くことは嫌ひではなかつたが、手筋は好くなかつた。書くことは書いても癖の多い自分の字を見返すのが厭であつた。少し練習すれば、いくらか垢ぬけかしさうに思へたが、それほどの興味もなかつた。 その日は小雨がふつてゐた。融は廻された自働車で、江沿と一緒に背広|打扮《いでたち》で会場へ出向いて行つた。会場は雪国のこの古駅にふさはしい素朴さに燻しのかゝつた料理屋であつた。融は只有《とあ》る小室へ案内されて、暫らくそこで休んでゐた。二三の人が挨拶に来て話をしかけた。彼は席上何んにもお弁《しやべ》りや揮毫は一切しないと極めてゐた。 二た間ぶつこぬきの広間へ案内されて、行つてみると、そここゝに幾人かの人が集まつてゐて、やがて夫々に席に就いた。融の右隣には酒仙で奇骨のある例の篆刻家が坐つた。左隣には土地の画家が夫婦で並んでゐた。彼は芸術家らしい立派な風采の持主であつたが、席へつくとき杖をついてやつて来た。会員が追々集まつて来た。みんなは名の知れた融が何んな男かを見ようとしてゐるらしかつたが、こんな事が又た彼等自身の懇親を結ぶ機会でもあり、酒や女を享楽するに適当な催しでもあつた。融はどこへ旅行しても、多勢の人に招待されたことは一度もなかつたので、何となく極りがわるかつたが、出来るだけ悪怯れない風を装つてゐた。 見渡したところ、彼等は皆な土地の智識階級であつた。そしてこんな場合、立つて何か一と理窟言はなければ気が済《す》まないやうな顔ばかりであつた。融も若し口が利けたら、立つて一言挨拶をして然るべきところだらうと思つたが、そんな機智は彼にはなかつた。 酒がまはるにつれて、席がやゝ乱れかけてゐた。融は猪口をもつてくる人達を、好い加減にあしらつてゐるうちに、目がちら/\して来た。三味線が融に遠慮でもするやうに、内輪に弾かれ、声の好い女が唄を謳つた。そしてそれから暫らくすると、男達に女が交つて、大きな輪になつて三味につれて伊那節を唄ひながら、素朴で優雅な踊りを踊りはじめた。 古駅にふさはしい情調がそこに流れた。融はそれを飽かず眺めた。彼は幼少のをり一二度田舎で見たことのある盆踊を思ひ出した。肩のいかつい、腕のごつ/\した髭男の踊るのが、一番風情が多かつた。 それが五六遍まはると、今度は木曾節がはじまつた。融は一層興味を覚えた。都会にはやる社交ダンスや家庭ダンスなぞには見られない原始的な面白味があつた。 融は自分が上座に構へてゐることが、却つて彼等の一夜の興趣を殺ぐことに気がついたので、やがて人々に挨拶して席を立つた。そして乗りものが来るまで、別室で茶を呑んでゐた。そこへ芸者が二三人やつて来た。 「先生、この連中に何か一つ。」例の世話人がやつて来た。そして大きな硯や筆が、女達によつて、そこへ運ばれた。 「これあ本職のつかふもんだ。今夜は筆がないから駄目だが、明日短冊をもつて僕のところへやつておいでなさい。書いてあげるから。」 融は馬鹿に声の好い芸者があつたので、妻に追分や義太夫でも聞かさうと思つて、わざとさう言つて、三四人の芸者に約束した。 「明日私がつれて行きます。」世話人が言つた。 翌日その女達の来たのは、四時頃であつた。その中には融の仲間の一人をよく知つてゐる女もあつた。 彼等は奥座敷の入口の方に固《かた》まつて硬くなつてゐた。世話人もそこへ来て坐つてゐた。少女たちによつて、酒や御料理が運ばれた。 融は江沿の細君に謀つて、祝儀を包んでもらつたりしてから、席に就いた。 「この人は声が好いんだよ。」融は肥つた越後女を一人指ざして妻に告げた。 妻は行儀よく坐つて、場馴れない風をしてゐた。そんな事も嫌いではなかつたし、二十年の前、融と一緒になつて五六年目に、これから先きの山の温泉へ、彼女の従兄につれられて来た頃には、酒も飲んだし、酒落の一つも言つた方であつたが、幼いをりから東京に育つてゐるとは言ひ条何と言つても彼女は山国タイプの堅い真面目な女であつた。 「さうですか、何か聴かせて戴きたいものですね。」妻は女に言つた。 「さあ何かやれ/\。どうせ先生は耳が肥えてゐらつしやるで、かう云ふ田舎芸者の唄の方が面白いだ。木曾節がお気に入るくらゐだで。」江沿は酒を飲みながら促した。 「何をやつたら可いんでせう。」 「何をつて、先づ得意の義太夫からやれ。」 「義太夫結構ですね。」融の妻が言つた。 女は列から離れて、奥座敷の口のところに坐つて、太棹の調子を合せはじめた。そして硬くなつて語りはじめた。筒が女にしては太い方であつたが、艶もあつた。彼女は真赤になつて語つた。 それが済むと、融は追分を註文した。 「この人は追分の本場なんだよ。」 「迚も好い声だ。」江沿も言つた。 追分の声調が慵るく流れた。 それから立つて踊る妓もあつた。清元をやる妓もあつた。終に江沿の抱えである二人の美しい妓が、浴衣姿のまゝ起ちあがつた。そして田舎風に活撥に踊つた。打扮が打扮なので、白脛が見えたりして、甚くぎくしやくしたものであつた。絨氈の埃を立てゝ、彼等は可哀さうなほど二人で踊りつゞけた。二人とも年が少かつた。 女たちが帰つてから、むつ/\してゐた江沿の隠し芸がはじまつた。彼はぐで/\に酔つてゐた。そして何時までもたつても止めなかつた。 それから三四日してから、融は妻と連れだつて、町はづれへ槻の食卓を買ひに行つたことがあつたが、夏の陽光を浴びながら、可なり遠いところにあつたその店を捜しあるいてゐた彼女の顔や姿が、何となく形の薄いものであつた。 融たちが、他の親類へは失敬して、そこを立つたのは、その翌日の夜であつた。 江沿と融のあひだには、汽車に乗るまでも、子供の話など、叺《おくび》にも出なかつた。 今年も夏が近くなつて来た。しかし融は妻の死んだ今、そこへ行く勇気はなささうに思へた。[#地付き](大正15[#「15」は縦中横]年5月「新潮」) 底本:「徳田秋聲全集第15巻」八木書店 1999(平成11)年3月18日初版発行 底本の親本:「新潮」 1926(大正15)年5月 初出:「新潮」 1926(大正15)年5月 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
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ver16.0カードリスト キャラクターカード はぴねす! 1361 神坂 春姫(制服) U 1362 神坂 春姫(魔法服) R 1363 柊 杏璃(制服) U 1364 柊 杏璃(魔法服) R/SK/サイン 1365 高峰 小雪(制服) 1366 高峰 小雪(魔法服) R/SK/サイン 1367 小日向 すもも(私服) U 1368 小日向 すもも(制服) 1369 式守 伊吹(私服) U 1370 式守 伊吹(制服) R/サイン 1371 上条 沙耶(制服) U 1372 上条 沙耶(私服) 1373 渡良瀬 準(私服) R 1374 渡良瀬 準(制服) R/SK/サイン 1375 小日向 音羽 1376 御薙 鈴莉 U 1377 高溝 八輔 1378 上条 信哉 戦国†恋姫 〜乙女絢爛☆戦国絵巻〜 1379 織田 久遠 信長 R 1380 斎藤 結菜 U 1381 柴田 壬月 勝家 1382 丹羽 麦穂 長秀 U 1383 佐々 和奏 成政 1384 前田 犬子 利家 1385 滝川 雛 一益 R/SK/サイン 1386 森 桐琴 可成 1387 森 小夜叉 長可 U 1388 木下 ひよ子 秀吉 R/SK/サイン 1389 蜂須賀 転子 正勝 U 1390 竹中 詩乃 重治 R/サイン 1391 蒲生 梅 賦秀 U 1392 小寺 雫 孝高 U 1393 足利 一葉 義輝 U 1394 細川 幽 藤孝 1395 本多 綾那 忠勝 1396 榊原 歌夜 康政 U 1397 服部 小波 正成 R 1398 長尾 美空 景虎 R/SK/サイン 1399 鈴木 烏 重秀&鈴木 雀 重朝 U 1400 武田 光璃 晴信 R 1401 武田 夕霧 信繁 1402 今川 鞠 氏真 R 1403 ルイス・エーリカ・フロイス ワルキューレロマンツェ More More 0345 カイル・L・オルブライト U 1404 龍造寺 茜(16弾) R/SK/サイン 1405 ベルティーユ・アルチュセール(16弾) R/SK/サイン 1406 柊木 綾子(16弾) R/SK/サイン 1407 龍造寺 五月 U 1408 アリス・ヴァインベルク U 1409 エリミヤ・ティレット 1410 龍造寺 早苗 U 1411 龍造寺 晃 1412 龍造寺 久美 1413 クライド・ハーディング 1414 希咲 美桜(16弾) 1415 ノエル・マーレス・アスコット(16弾) U 1416 スィーリア・クマーニ・エイントリー(16弾) R 1417 リサ・エオストレ(16弾) R 1418 エマ&アン 1419 実況の東雲さん(16弾) U バトルカード 0605 木刀稽古 0606 綱引き 0607 書画 0686 水泳対決 0687 バイク 0688 ボウリング 1420 立ち合い U 1421 蹴鞠 U 1422 占い U 1423 オムライス作り U 1424 コスチューム U アイテムカード 0354 アドバイス「正面攻撃」 0355 アドバイス「秘策」 0356 アドバイス「全力攻撃」 U 1425 ハンバーガー 1426 お団子 U 1427 特製なめらかプリン R 1428 竹筒 R 1429 魔法のクスリ R 1430 バカップル R イベントカード 0107 動揺 U 0120 一瞬のできごと U 0126 四次元ポケット U 1431 練習の成果 1432 影響 R 1433 意識 R 1434 ケーキ作り U 1435 密着戦法 R 1436 確かな存在感 1437 修復魔法 R 1438 待ち合わせ R 1439 高速飛行 R 1440 敦盛 R 1441 朝餉 R 1442 大切な友達 R 1443 準の魔法 R EXスキルカード EX0133 大切な想い出 サイン EX0134 共同戦線 サイン EX0135 誕生日 EX0136 光の奔流 EX0137 三千世界 EX0138 精一杯の勇気 サイン EX0139 酒宴 EX0140 武田家の隠し湯 EX0141 新しい一面 PRカード P139 魔法の特訓 P140 祈り P141 後夜祭 P142 織田 久遠 信長(P) P143 海棠 璃々子(P) 0105 フラグメンテーションドリーム 0106 動転 0117 出張タルトタイム 0708 腕枕 0821 桃の誘惑 0898 際どい体勢 0899 Clover Day s 1056 一斉発砲 1059 お弁当
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客 徳田秋声 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)気《き》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)論|晏《やすし》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)どか/\ 濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 梅雨晴れとでもいひさうな朝であつた。湿気の多い空気が、季節にしては少し寒い程の肌ざはりで……しかし其処らが何となく夏めいてゐた。庭の下草にすいく新芽が暢びて、仰いでみると葉の密茂した梅の梢に、懐かしい感じのする実が三つ四つ目についた。気候が不順なお蔭で、新緑の季節がいつもより少し長いやうに思はれたが、八方建物に取囲まれた小さい庭に立つてゐると、晏は腹立しいほど町の生活が厭はしかつた。昨日今日やつと暢びだした若葉に、ちよつと触つたゞけでも、指頭が真黒になるほど煤煙の滓がこびりついてゐた。 「いつまでこんな処に閉籠められてゐなければならないのだらう。」 彼はいつでも自分の居るところに落着けないやうな心の動きを感ずるのであつたが、この季節には殊にそれが劇しかつた。 晏はやがて縁の下から小さいシヤベルを取出して、気《き》になる下草の植替へをしてゐたが、それにも興味が乗らなかつた。大体庭全体が気に食はないのであつた。最初から成案なしに人任せにやり出した結果が、弄れば弄るほど悪くなるばかりであつた。ちやうど彼の作品や、彼の生涯のやうに。終ひに彼はみじめを感じた。 ちやうど其の時、台所の方からまはつて来た、庸一がひよつこり大きな木蓮の木の下へ姿を現した。 晏は「来たな」と思つた。来るといふ通知は三四日前にあつた。庸一の妹婿の若い骨董屋さんが或る大名華族の売立てにやつてくるのに同伴して、三四日厄介になりたいと云ふ手紙を受取つてから、晏は彼れの来るのを心待ちに待つてゐた。彼は余所に客となることが好きであると同じ程度で客の来るのが好きであつた。旅に出ても、気のおけない親類の家なら、いくら居ても飽きなかつたが、田舎から出てくる客で、若し先きが余り物事を気にしない人間か、解りの好い捌けた人間かで、且つさほど無作法でもなかつたら、いくら居ても煩く思ふやうな事はなかつた。それが幸に妻のお加奈と調子の合ふやうな人だつたら、都てが晏に取つて一層好都合であつた。若し彼れの経済事情が許すなら、そして外国の作品などにあるやうに間《あひだ》は家族と交渉なしに、一つか二つの部屋を占領させて、客自身の箇性を虐げたり、又は読書、思索、起伏の自由を妨害する事のないやうに、相当の設備が出来るとしたら、それこそ客をする事が彼に取つて尤も楽しい人生の楽しみとなるであらう。 庸一は去年も杜鵑の啼く時分に、二三日のつもりで震災後の東京を見舞つたのであつたが、四日が五日になり五日が六日になりして、到頭三週間ばかり裏の家に滞在してゐた。庸一は工芸美術家であつた。晏が下宿時代に、彼も東京へ出て三四年或る名家について修業したので、叔父の晏の家にゐることが、何となし彼を昔し懐かしい気持にするのであつた。庸一は晏の姉になる母も父も未だ健康で、家事の世話をやいてゐた。子供も三人になつてゐた。近頃お茶や花や謡ひや、仕事と万更縁のないこともない趣味生活を、いくらか享け楽しむ余裕ができたほど、彼も年を取つて来た。家や仕事から離れて、旅にあるときの、彼の気持は、晏にも想像することが出来た。そして又た外間から見ると、えらい暢気な怠けものにしか見えない、いつも区切《くぎ》りのつかないやうな生活の慵い悩みも、晏には十分同情できるのであつた。 晏はまた去年の夏一と月ばかり、郷里で、毎日のやうに庸一と何処かで逢つてゐた。親類の家とか料理屋とかで……。しかし晏に取つては、休息時の、つまり遊ぶときの、癖のない好い相手であるほか、高尚な談敵でもなく、飽きのくる邪魔ものでなかつたと同じ程度で、お加奈にも気に入つてゐた。寧ろお加奈の気に入つてゐたから、晏も気持を攪乱されることなしに、彼を家族の一人に加へておけるのであつた。 「女連は……。」 晏は今庭へまはつて来た彼を見ると、すぐ其の事をきいた。庸一が妹婿と一緒に、評判の売立を見にくるにつれて、晏にも親しい女を二人つれて行つても可いか何うかを、前以つて間合せて来たのに対して、晏は二人宛二度にしてくれるやうに、返事を出しておいたけれど、それでも女連も出て来るかも知れないと思つてゐた。 「まあ二人だけ出て来ました。義弟は客もつれて来てゐますから、いづれ宿を取りませう。三人くらゐだつたら、どこの隅にでも居られない事もなからうと思つたんですが、事によつたら呼び寄せさして戴くかも知れません。」 晏は女連が来なくて興がないやうで、来なくてよかつたやうにも思つた。 「荷物は。」 「今義弟の宿において来ました。」庸一は晏につゞいて、上へあがりながら、 「昨夜はどうもひどい込合ひで。侯爵家の売立てに来る人で一杯でした。」 「さうだらう。己も友達と午後から行くことになつてゐる。」 そこへお加奈も出て来た。 「女連はこないさうだ。」 「さうですか。」 さう言ふお加奈も、来たがつてゐる人を、幾分自分の心持から、来なくしてしまつたことを、心寂しく思つた。実際彼女も三人だつたら何うかして都合しようと思つて、半分はその積りにしてゐた。 やがて挨拶がすんだ。 「何しろ多勢一度にどか/\来られても困るしね。折角来るなら方々見せたくも思ふからな」。晏が言つた。 「此方へは出たことのない連中で、男についてゞも来なければ来られないのでして。何に東京の土を踏みさへすれば可いんです。」庸一は呼寄せたさうな口吻であつた。 勿論|晏《やすし》の気持も同じであつた。さう深い縁故でもない女連だけで来たところで、お加奈とうまく調子が合つて行くか何うかゞ不安心であつた。今迄の経験では、多分そんな事はなささうであつたが、若しかしてお加奈が神経を尖がらせでもして、好い顔をしてくれなかつたとしたら、それこそ晏の立場は惨めであつた。女連を庸一の蔭におく方が、やつぱり安全だと思はれた。晏には疚ましい事が少しもある訳ではなかつた。たゞ其の家と古くから交際があつたゞけであつた。いくらか縁も引いてゐたので、去年なぞ庸一と一緒に、そこで酒を飲んだり、女を呼んだりして、彼等の生活にも触れたゞけの事であつた。若し堅気でないことを言へば、お加奈の側の客にも、さうした種類の人が全然ないこともなかつた。しかしお加奈には晏との関係が、何となし明瞭でなかつた。 「三人なら都合できないこともないね。」 「それは何うにでもね。」 「たゞ此のところ莫迦に忙しいんで……。」 「さうですよ。だから斯《か》うしたら宜《よろ》しいぢやございませんか。庸さんがお帰りになつて、直ぐ寄越すといふことに。宅から迎ひに出てゐますから。宅も行きたがつてゐますから、帰りは送つて行くことにでもして。」 庸一は汽車のなかで見て来た売立目録を、そこに置いてゐたので、晏は取りあげて、開けて見てゐた。 「とにかく一寸行つて来ます。余り込まないうちに一と通り拝見したいと思ひますから。」庸一はさう言つて土産物をおいて出て行つた。 「やつぱり出てこなかつたね。来なくて仕合せだ。」晏は寂しさうに言つた。 「さういふ人は矢張男の方についてゞもこなければ来にくいんでせう。」 「世間見ずだからね。しかし長いあひだの約束だから、一度は呼んでやらなければ……。」 「そんなら呼んだら可いでせう。その方がいゝでせう。」 「さうしても可いね。」 「さうなさい。庸さんも義理が悪いでせうから。」 天候の差響きの敏感な晏は、この頃の陽気の変調のせゐもあつたらうが、少し忙しすぎたので不眠症にかゝつてゐた。北国の空のやうに、一日のうちに幾度となく雲つたり照つたりするのも厭だつたが、あわたゞしい旋風のやうな風の、襲つてくる癖のついた、今年の新緑季節は一層不快であつた。彼は頭脳を休めに、初夏の故郷を訪れるのも悪くないと思つてゐた。古い屋敷町の若葉、新緑の山裾の川魚料理、静かな温泉町、松原の美しい海岸、晏は夢寐にも忘れる事が出来なかつた。 とにかく少し閑を得たいと思つたが、仕事が捗取らなかつた。彼は莫迦に気忙しかつた。旅行を空想することだけでも、頭脳が疲れた。庸一が来ても、どこへ連れて行きたいと思ふところもなかつた。 「K――市などから東京へ遊びにくるのは莫迦げてゐますね。この頃の東京ですから。」 晏はさう言つてゐた子供の言葉に同感であつた。自動車がないだけでも田舎は助かると思つた。強ち地震のためばかりではなかつた。年のせゐでもあつた。彼は全く憊《くたび》れてゐた。少しでも生活を逃げよう/\としてゐることが、自分にも善く判るのであつた。 昨夜も三時を聞くまで眠れなかつたので、今朝は頭脳が妙に萎え疲れて、目蓋が痛懈いやうであつた。そして庸一が出て行つてから、少し寝ようとしてゐるところへ、友人のK――氏が出入りの骨董屋の番頭と同伴でやつて来た。 「少し時間が早いやうだが、何うだね。」 「さうね、行きませうか。まあ一寸お上りなさい」 K――氏は書斎へとほつて、骨董屋を紹介した。骨董屋は叮嚀に「どうぞ宜しくお引立を……」とお辞儀をしたので、彼は擽《くすぐ》つたい感じがした。 K――氏は使つてもいゝ仕事の利潤以外の余裕ある時に、ちよい/\書画や骨董を買ひ入れるのを楽しみにしてゐたので、晏も色々なものを見る機会があつた。金のある大人は誰でも大抵女か骨董を翫ぶ。子供に翫具が必要であるとほりに、大人にも翫具が必要なのであるが、書画や骨董の道楽は、人間の私有慾を尤も極端に露骨に発揮したもので、晏の郷里などでは、町人は昔から金でもつてゐるのが不安なので、上から睨まれないやうに骨董で貯めておいた習慣が伝はつてゐて、今でも所蔵のお道具の多寡によつて、その家柄が軽重されるのである。骨董品に対する愛着ほど、拘《かゝ》はりの多い私有慾は恐らく外にないであらうと思はれるほど、凝り出すと病的になり易いものだが、K――氏の場合などでは、寧ろ趣味性の修養としてやつてゐるので、それを買ひ入れる主義にもほぼ系統が立つてゐる。晏の思ふところでは、書画や骨董は、百のうち九十まで贋物だと見るの斌至当で、一つの本物があれば百の贋物がそれについて産れ出てゐることは、いつの時代にも有りがちのことで、それが人間の私有慾の如何に執念ぶかいものであるかを証拠立てゝゐる。勿論贋物を買はうと思つて、千金を抛つものはない筈だが贋物を扱ふことが、寧ろ本当の商売だと公言したくらゐ徹底した書画商もあつて、一生贋物ばかり扱つてゐたと言ふから、私有慾さへ充たされゝば、盲目は盲目なりに贋物を弄んで楽しんでゐれば、それで十分結構なのである。商売人自身がわかつた顔をして、嵌めにくる贋物を買つて悦んでゐるところに、金持人種の人の好さがあるのである。実業家で読書人であるK――氏などにも、処世的にはひどく用心ぶかいところがありながら、骨董屋の乗ずる隙間が全くないとは言へないであらうが、選択が少し旋毛曲りであるほど時好的でない事だけは確かである。 晏は一時間ばかり見てくるつもりで袴などはいて家を出た。 「私の郷里の骨董界などでは、もつと好いものが出ると思つてゐたらしいんだが、何んなですか。」 「さいですな。もつと好いものもお有りでせうが、名物は相当にお出しになつてるやうで。」 「金がないからですか。」 「上り高で美術館をお立てになるとかで。」 そんな話をしながら、門をくゞつて行つた。門内は広々としてゐた。自動車が木蔭に幾台となく並んでゐた。晏たちは後から/\入つてくる自動車の揚げる砂塵をよけながら、玄関へ着いて、そこから右の廊下へ出て行くと、長いその廊下に、柳原の古着屋のやうに、綺羅美やかさに時代のいぶしのかゝつた能衣裳が、づらりと懸かつてゐた。それが尽きると又た能衣裳とお面と、裂などの陳列された部屋から部屋につづいてゐた。その中には金の重量で、ぽつとり持ち重りのする蜀江の錦とか、唐錦とかいふ希代の織物で作つたものもあつた。蓆のやうに手厚い硬い絽織などもあつた。その衣裳と面だけ見ても、昔しの大名の勢威のほどが想像されたが、刻苦してそれを作つた工人達の蒼白い顔も同時に想像された。晏は西陣の機織工場を見たことがあるので、現代では経済的生活では、高貴な織物の織れる織工が、次第に滅びて行くことを見せつけられてゐた。好い織物は、いかに鍛錬な織工でも、一日かゝりきりで、漸く二寸か三寸よりしか織れないのであつた。羽二重や縮緬などに比べて、上等の織物がいかに安いものであるかも知つてゐた。 いつか園遊会のあつたとき、節がちやうど五月だつたので、広い部屋一杯に、幾壇となく人形が飾られてあつた、その部屋へ入つて行くと、そこにはづらりと置きならべられた卓のうへに陳列した、瀬戸もの類に集つて、坐つて観賞してゐる人達がうよ/\してゐた。それらは大抵茶※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1-88-72]とか茶入とか、又は香盒、※[#「てへん+曳」、第4水準2-13-5]溜、茶匙、建水、香煎入といつたお茶の道具であつた。天目や、高麗や、南京や、利休や、光悦や、仁清や、晏が名ばかり耳にして、滅多に作品に接する機会のなかつたやうな名品が、そのなかに見出された。骨董屋が時々説明を加へてくれた。 廊下には又た南蛮の壺や、梵貝《ぼんばい》や、釜や、炭斗や、花生、水差、燭台のやうなものの陳列があつた。 「この燭台はこの油受一つで、四五百円に買へる代物です。」骨董屋は子供の塗つたやうな絵具のかゝつた小さい皿を取りあげて笑つた。 それから又幾箇もの部屋を、晏は見てあるいた。そのなかには砂張りの火箸を、ひどく有難がつて、叮嚀に細工を観賞してゐる人達もあつた。 「この火箸は恐らく三千円では何うですか。」骨董屋は首を傾げてゐた。 K――氏は錆びついた手燭など取りあげて見てゐた。利休か誰かが使つたものだといふ、由緒がそれにも附いてゐた。 「電燈がきえたときなんか、ちよつと可いぢやないか。」K――氏は言つてゐた。 青銅の水差なども、K――氏の目を惹いた。 「書斎におくのに、このくらゐ大きいものでないとね。」 二階の広間には、一層珍品があつた。そして其の真中に青竹で囲ひの柵を結ひめぐらしたのが、幾十かの名物であつた。「この品をお手にお取りになるには一応札元へお断はり下さい。」そんな紙札が其処についてゐた。 「これが問題の餓鬼腹ですよ。」骨董屋はさう言つて、どす蒼い釉のかゝつた一箇の茶壺を示した。 「まあ四五万……喉によると十万台まで行きますかな。」 骨董屋の主人も来てゐて、先刻から二人でK――氏を案内してゐたのであつたが、K――氏の茶器には余り興味をもたないらしかつた。 一休の一行もの、松花堂の二幅対、雪舟、元信、尚信、大雅、竹田、それから多くの写経、刀剣、絵巻物、そんなものにも目を惹かれなかつたが、定家の小幅だけには、評価が下された。 それから夫へと見てゐるうちに、晏は襤褸屑の展観を見てゐるやうな気がした。事実多くの陳列のなかには、長いあひだに溜り/\して、棄てることもできず、仕舞つておいても困るやうな古反故のやうなものもあるのであつた。北野の縁起だとか、公卿達の短冊とか、源氏の写本とか、太閤の墨蹟とか言つたやうなものが、若しそれが通りの古本屋の店頭にでも曝されてゐたら、せい/″\古物ずきの好事家が、いくらかの零砕金で買つて行くくらゐの反故だとしか思へなかつた。勿論晏のやうな盲目にも、名品はやつぱり名品であつた。目にふれたり手にさはつたりするだけでも、たまらない感触の快さに耽けらずにはゐられない作品も、ざらにあつた。それらは悉く優れた芸術家の洗錬された感覚が産みだした逸品であつたが、かくも多くの餓利々々連の目に曝されて、三千円とか、一万円とか、乃至は五万十万と、小汚い札束で、そつちこつち引廻はされることを思ふと、寧ろ芸術の冒涜を感じるのであつた。芸術品はそれを産み出す芸術家に取つてのみの生命であつた。それを鑑賞しうるものに取つてのみ価格があるのであつた。 晏は株式か何かにたかつて来る人達のやうに、卑しい目を光らしてゐる群衆によつて、弄りまはされてゐるそれらの作品を、むしろ浅猿しく感じた。勿論その中には鑑賞の目の肥えた人達も多かつたが、市そのものゝ空気が可けないのであつた。 やがて四人で喫茶室へ入つて行つた。そこへ晏の知つてゐる、侯爵家の美術品の掛りの人の顔が見えた。 「ようこそ。」 「これで好いものは大概出た訳ですか。」 「いや/\、全然出ないものもあります。半分くらゐ出したものもあります。具足の種類は一つも出ません。刀剣はほんの片鱗ですが、能衣裳やお面は、先づ半分くらゐでせう。茶器はこれでまあ全滅といふ訳でせう。」 「さうですかね。」 「皆さんはお食事は……。」骨董屋はさう言つて、更に弁当を通した。 四人はやがて食堂へ入つて行つた。K――氏はそこで、目をつけておいたものゝ入札を約束した。 「どうも慾しいと思ふものはないね。」 「何しろ書画はあやしいものが多うござんすからな。」 「あの雪舟なんか仕様がないぢやないか。写経なども菅家の真物はしまつておいて、悪い方を出してあるんぢやないか。」 「中将姫もあやしいもんだ。それよりか庭でも見よう。」 「さうね。」 四人は庭へおりて行つた。しかし庭は近年の急造にかゝるものなので、先祖伝来の美術品を見た目には、まるで比べものにならないほど、荒い感じのものであつた。ごろ/\した石が旱魃の川原のやうに乾ききつて、痛ましいほど荒れてゐた。勿論地震当時の避難場であつたことなども、風致を損つた重な原因だと思はれた。 「水のない町で庭を造らうとするのが、大体無意味だ。」晏は思つたが、それだけの庭でも、学校へ引渡されることは、悲劇であつた。 晏は、有つても無くても、むしろ保存に金がかゝつて、手数のたえない邪魔ものでしかない、それらの多くの骨董屑を、有象無象の商人共の前へ投りだしてしまつた、若い侯爵の現代並みな頭脳の好さに微笑まれたが、彼自身は多少骨董の目が肥えたほかに、芸術職人の悲哀を覿面《てきめん》に感じさせられた。 三日たつて、彼はお加奈と一緒に、庸一と、庸一の義弟の鉱作とを銀座へつれ出した。芝居の切符は手に入りさうもなかつたし、女達が若し来るとすれば、二重になる虞《おそ》れがあつたので、芝居見物は見合すことにした。女達を呼びよせる筈の電報が、あれきりぐづ/\になつてゐた。 その日はちやうど開札の翌日であつた。晏はもう一度見ておきたいやうな気がしてゐたが、暇がなかつた。庸一や鉱作に聴くと、それらの骨董品の伝統や、特質や、位置や、評価がよく解るのであつたが、雪舟や蕭白の怪しい事や、晏が涎を垂らした赤絵の香煎入りなどの日本出来であることも、鉱作によつて確かになつた。何の品がどこへ落ちて行くかと云ふことなぞも、略ぼ見当がついてゐるやうであつた。 「東京の骨董屋さんは楽です。お客さまが皆んな一|廉《かど》見識家ぶつてゐますから、骨がをれんと言ふわけです。京都や国ではさうは行きません。骨董屋がお客を仕込むのだから、責任があります。尤も東京は書画屋さんばかりでしてね、私も東京にゐた時分、書画を少し手がけてみましたが、何うも趣味にあはんもんですから、ばか/″\しくなりましてね。」 鉱作の言ふところによれば、東京の骨董屋は大抵「ど盲目」であつた。 「何か取れさうですか。」晏はきいた。 「どうかして二三点手に入れたいと思つてゐますが、今度は好いお客が二三人はづれてゐますので、何の道お高いもの買へません。註文もありますし、嵌まりさうな品もありますけれど、行つて説明しなけあ解りませんものですから。往復に日がつぶれてしまひます。尤も忙しい思ひをして、それをやつてゐる人もありますけれど。」 晏は昨夜もお加奈と庸一と三人で、町へ出て、おそく帰つたのであつたが、何だか張合ひがなかつた。女連がくるか来ないかゞ未定だつたし、呼んでいゝか悪いかも、判断しかねた。やつぱり庸一たちが帰つてからにした方が好ささうに思はれた。お加奈に適当な理解をもたせるにも、いくらかの時日が必要であつた。それに此の月の芝居は、どこも出しものが悪かつた。女連に見せたいやうなものは一つもなかつた。 「それでもお前のゐるうちに呼ばうか。」 「いや、もう可うござんす。私が帰つて又たよく話をしますから。出てくるか何うかわかりませんよ。」 「でも折角来ようといふのだからね。こつちは少しも差閊へんのだから、ゆつくりして可いんだよ。」 「だからそんな大業でなく、気軽にいらつしやればいゝぢやありませんか。おかまひしません代りに、気楽にしてゐるやうに。」お加奈も言ふのであつた。 晏はその家のことを、時々お加奈にきかれて、然るべく説明してゐたが、お加奈には何うもはつきりしないらしかつた。 「事によると姉の方が庸一と関係があるのかも知れないよ。」晏は気安めを言つたりした。 「でも庸一さんの子があるといふのは……。」 「二番目の妹さ。」 「その人が来るんですの。」 「いや、それは余所へ師匠に出てゐる。その次の妹の、いつか話した宗匠の女が、姉と一緒に来たがつてゐるのさ。」 「それが一番末なの。」 「いや、青物問屋にひかされてゐるのが、一番末の妹だ。」 「づゐぶん多いんですね。そのお母さんといふのが、貴方がたと何うかした関係なの。」 「づつと以前はね。」 「人をしらないと、聞いたゞけでは判らないものね。」お加奈は牾かしさうに、目をぱち/\させたが、その人達に逢ひたい気も、十分動いてゐるのであつた。 「それあさうさ。お前の親類だつて、今におき僕にはわからない。」晏は笑つてゐた。 庸一が市に行つてゐる留守に、そんな話が時々出るのであつたが、庸一は庸一で、そつとお加奈の耳に入れてゐることもあるのであつた。 「おばゝが世話になつてゐるんですつて? 庸さんのお話ですけれど、それなら何んなにでもしなくちや。」お加奈は言つてゐた。 昨夜の散歩では、広小路で落語をきいたのであつて、帰りに何か食べてから、電車通りをぶら/\歩いてゐると、夜更けの町を、自動車がまだ侯爵家の門へ入つたり出たりしてゐた。更紗の風呂敷につゝんだ荷物を、うんと積んで行くのを見受けた。 「何うだつたかな、鉱作君は。」 「さあ、何か一つ二つ手に入ればいゝと思つてゐるんですが。」 家へ帰つてみると、鉱作はまだ帰つてゐなかつた。彼は一緒に来た人達が立つてから、宿を引払つて、昨夜から晏の家へ来てゐた。 「まだ遣つてゐると見えるの。品物をもつてくるのに、夜がふけて、大丈夫だらうか。」 「しかし皆な小さいものばかりですから。」 三人は茶の室で、お茶を飲んでゐた。 一時頃に鉱作が漸と帰つて来た。片手ではちよつと持切れないやうな箱の包みをぶら下げて、元気よく入つて来た。 「獲物がありましたね。」晏は微笑みかけた。 「いゝや、ほんのもう……。」鉱作は汗をふきながら座つた。 「しかし見込みははづれませんでした。百万円を突破しましたからな。」 「ふゝむ。」 「餓鬼腹が五万七千円、これあちよつと安うござんした。」彼はさう言つて、値段づけの目録を懐ろから取出して、目ぼしいものの価格を一つ/\読みあげた。 それから晏が覚えてゐる品物について、一々繰つて聞かせた。 「みんな売れたですか。」 「一つも残りません。」 「をかしなものだね。――拝見しようぢやないか。」晏がいふと、鉱作は荷物を引寄せて、風呂敷を釈いた。 初め出したのが、宗中の茶匙一つであつた。それが六百某であつた。それから呉器の茶碗が古い裂の袋を剥かれて、そこへ取出された。「これが紅葉出といふ奴でして、ちよつとまあ……。」鉱作はさう言つて、薄青赭くぼかされた釉薬を示した。 晏たちは交る/\手に取つて見た。 「成程ね。いくらです。」 「一千七百八十五円でしたか。」鉱作はさう言つて、大きな落札を三枚出した。 「これは私の道楽で、家へお土産です。」鉱作はさう言つて、瀬戸の茶入れを一つ、縞と模様との二つの古代更紗の替袋と一緒に、そこへ取出して並べた。箱も二重になつてゐた。それは五百幾十円かのものであつた。 「名物ものは何処へ行くか知ら。」 「みんな関西です。東京ではよう買ひません。しかし名物と其次ぎの品物とのあひだが、大分距離がありますんでね、我々にすれば、あの間にもつと好い代物があつてほしいんですけれど。あゝして見たところでは、寧ろ国の村井さんなぞの方に、筋の好いものがあります。」 晏たちはしばらく其の作品や、袋を弄つてゐた。 その翌日は一日家で話しこんで、銀座へ行つて飯を食つたのが、晩方であつた。 「もう二三日遊んだら何うです。儲かつたんだから。」晏は鉱作にすゝめた。 「いや、実は今朝の一番で帰らうと思つたんですけれど、つひ寝坊をしてしまつて。」鉱作はさう言つて、庸一に一緒に立つことを勧めた。 「去年は弱つてしまひました。庸一がまだ帰らないと言ふんで、おぢいさんが家へ来て大こぼしでした、何しろ三週間ですからね。」 庸一はにや/\笑つてゐた。 「しかしちよつと来られないから。」 「来たつて仕様がないからね。金をつかふなら、国で使つた方がいゝ。」 「東京もわるくない。」庸一はやつぱりにや/\しながら、猪口に親しんでゐた。 大酒呑みで、そして荒い金づかひであつた鉱作は、この二三年ぴつたり酒を口にしなくなつてゐた。郷里で晏と一緒に女を呼んだこともあつたが、アルコホルは一滴だも口へ入れなかつた。彼はサイダを飲んでゐた。 「感心ですね。」多勢の酒呑みを兄弟にもつたお加奈は心から感心したやうに言つた。 「それも子供があるからです。かうやつてゐても、子供が気にかゝつてなりませんのでね。一時は千円儲かれば千円つかふといふ風で……又た景気の好い時分は、金なぞ何でもありませんでした。少し持つてゐたものが、羽がはえて飛んで行くんですから。それを丸る儲けたやうな気になつて、今日は温泉だ、明日は芝居だといふもので、女を引率して暴れまはるんです。お蔭で町のお茶屋だけは、どこへ行つても顔の好いものです。今日日《けふび》となると、盆暮のお茶屋の払ひが、おとましくてならんのですさかえ。」 「しかし五百円のお土産を買つて行けるやうなら可いだらう。」 「まあさうです。いつかは又物になりますさかえ。しかし田舎は駄目です。もう少し修業して、東京で一旗揚げてみたいやうな気もしてゐますが、年寄りや子供が足手纏ひでしてね。」 そんな話をしてゐるうちに、余り親しみを感じなかつた、お加奈も、段々鉱作が解つて来たやうに思へた。 翌日は二人で庸一の弟をたづねた。そのあひだに、お加奈は晏の兄の家と、庸一と鉱作の妻への土産ものなどを調へるのに忙しかつた。庸一はどこか飽足りなさうであつたけれど、晏もお加奈も余り引留めないことにした。 「鉱作さんの方が兄いさんのやうですね。二三子さんにはまだ逢はないけれど、好いお亭主をもつて仕合せですね。それに気象がさつぱりしてゐますよ。その代りあんな人は損だ、お国自慢するから奢られなくなつてしまふ。」 「さうさ、あれは奢らされる方でね。」晏も苦笑してゐた。 「だけど庸一といふ人も、ちよつとも癖のない好い人ね。」 夕方になつて、帰るとすぐ二人は立つた。晏は帰つたら直ぐ女連に逢ふやうに、庸一に言ひつけた。 「来るか来ないか、すぐ電報で知らしてくれ。」 晏は念を入れた。[#地付き](大正14[#「14」は縦中横]年6月「中央公論」) 底本:「徳田秋聲全集第15巻」八木書店 1999(平成11)年3月18日初版発行 底本の親本:「中央公論」 1925(大正14)年6月 初出:「中央公論」 1925(大正14)年6月 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
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【元ネタ】史実 【CLASS】アーチャー 【マスター】 【真名】大友宗麟 【性別】男性 【身長・体重】172cm・70kg 【属性】混沌・中立 【ステータス】筋力D 耐久E 敏捷D 魔力C 幸運B 宝具C+ 【クラス別スキル】 対魔力:D 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。 単独行動:E マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。 ランクEならば、マスターを失っても数時間は現界可能。 【固有スキル】 信仰の加護:C 一つの宗教観に殉じた者のみが持つスキル。 加護とはいうが、最高存在からの恩恵はない。 あるのは信心から生まれる、自己の精神・肉体の絶対性のみである。 芸術審美:D 芸術作品、美術品への深い造詣。 芸能面における逸話を持つ宝具を目にした場合、やや低い確率で真名を看破することができる。 魔術:E++ 治癒に関する魔術に長けている。 その他の魔術は一切扱えない。 【宝具】 『国崩し』 ランク:C+ 種別:対軍宝具 レンジ:5~50 最大捕捉:500人 別名フランキ砲。島津氏の猛攻を耐え凌いだ大砲。 真名解放により火縄銃が変形し、全長約2.8m、口径約2.7cmの大筒となる。 大小複数の砲弾が発射され、着弾すると広範囲に及ぶ爆発が起こる。 カリスマのスキルを持つなど、為政者としての側面がある者に対しては威力があがる。 【Weapon】 『無銘・火縄銃』 手火矢。外見はただの火縄銃だが、魔術戦や現代の銃撃戦にも対応できるよう改造されている。 【解説】 大友義鎮(よししげ)。 宗麟(そうりん)の法号や大砲・国崩しで知られる豊後の戦国大名。キリシタン大名でもあり、洗礼名はドン・フランシスコ。 家臣に立花道雪、立花宗茂、高橋紹運などがいる。 将軍家と密な関係を築くなどして大友氏の最盛期を創った人物。 大阪城で豊臣秀吉に謁見し、豊臣傘下に下る代わりに軍事支援を懇願。 島津氏の侵攻を国崩しを用いてどうにか壊滅寸前の状態で持ちこたえていると、敗北間際に豊臣援軍が九州征伐に到着。 豊臣軍により一気に九州の勢力が塗り替えられていく中、58歳で病没。 文化人として武芸方面に明るく、大阪城で秀吉と謁見した際には気の合った秀吉自らに茶を振る舞われた。 また、書画や茶器などの収集癖があり、それにより財政を圧迫していた。 酒色を好む人物で、政治を無視して遊び放題だったため、家臣の立花道雪に注意されたという逸話もある。 キリスト教を信仰しており、二番目の正室とは宗教に関して揉めて離婚したり、断食を実行するなど熱狂的であった。 キリスト教に傾倒したのは南蛮文化を取り入れるためともされているが、神社仏閣やそれまで家に伝わっていただるまを破壊したため、内部分裂に繋がった。 鉄砲の暴発で弟が怪我をした際に西洋の進歩した医療技術に深く感銘を受け、日本で始めての総合病院を建設した。 現在、大分県には「日本における西洋外科手術発祥の地」の記念碑や国崩しのレプリカがある。 美人探しの旅やNTRが大好きな宗教狂いのダメなおっさん。 貿易で日本人を奴隷として海外に大量輸出してた。島津家もやってたけど。 昔の大砲は鉄の塊を発射するだけだからそんなに殺傷力はないっぽい。城壁破壊とかが主な用途。 実際の国崩しの飛距離は400~500mくらいだったそうな。 家臣が優秀。
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金鉱を使う製造品につきましては、手持ちの在庫が少ない為、お受け出来ない場合もございます。 乗物も取り扱い致しておりますが、全てが揃っているわけではございません。 収納用家具 品名 サイズ 売価 在庫数 倉庫 3*5 100 クローゼット(小) 3*3 2000 クローゼット(大) 5*3 5000 ガチャガチャ自販機 2*3 10000 生鮮食品棚 3*3 8000 車庫 5*4 12000 展示台 3*2 5000 本棚 3*4 500 勉強机 3*3 1000 ハンモック 4*5 500 木のベッド 5*3 2000 2段ベッド 5*5 7000 回復用家具 品名 サイズ 売価 在庫数 レトロな浴槽 3*3 1000 シャワー設備 4*5 7,000 ヒノキの浴槽 3*3 800 香るヒノキの浴槽 3*3 6000 商品販売用家具 品名 サイズ 売価 在庫数 ガチャガチャ自販機 2*3 10000 自動販売機 3*4 6000 商品棚 3*3 5000 生鮮食品棚 3*3 8000 調理用家具 品名 サイズ 売価 在庫数 かまど 3*3 1200 シンク 20000 ガスボンベ 2*2 7500 冷蔵庫 2*3 25000 時間短縮用家具 品名 サイズ 売価 在庫数 エアコン 2*2 20000 小さな置時計 1*1 4000 大きな置時計 4*2 1200 風車 3*4 2000 製造便利家具 品名 サイズ 売価 在庫数 製粉所 4*5 8000 デスクトップパソコン 2*2 28000 栽培用家具 品名 サイズ 売価 在庫数 芝生 4*2 3000 花壇 4*3 7500 フェンス 2*2 2000 フランス風の窓 2*4 4000 手動混合器 3*2 800 生活系家具 品名 サイズ 売価 在庫数 テレビ 2*2 30000 液晶テレビ 2*2 10000 ゲーム機 1*1 20000 オンラインゲーム機 1*2 25000 大型無線通話機 3*3 18000 ステレオコンポ 3*3 15000 ランニングマシン 3*3 8,700 腕トレマシン 2*3 9,200 GOLD自動預払機 2*4 19,700 子豚の貯金箱 1*1 300 ピアノ 4*3 7,700 天体望遠鏡 3*2 3,900 ポスト 2*2 3,100 伝言板 3*3 1,500 表札 2*3 600 地球儀 1*1 6,200 手押し車 2*2 1,400 階段 5*5 7,200 インテリア系家具 品名 サイズ 売価 在庫数 座布団 1*2 400 ソファ 3*3 1,500 リビングテーブル 3*2 600 小さな丸テーブル 2*2 500 テレビ台 3*3 2,400 小さいじゅうたん 3*2 500 洗面台 2*2 2,400 窓 2*2 200 花瓶 1*1 100 白磁の花瓶 1*1 100 蟠竜の花瓶 1*3 1,100 金魚ばち 3*3 7,600 ヒーター 4*4 2,200 鳩時計 2*2 2,600 掛け軸 3*1 4,800 書画 3*1 4,800 製造用家具 品名 サイズ 売価 在庫数 低温窯 100 高温窯 1,900 加熱炉 300 金敷き台 500 卓上電動糸鋸 3*3 1,600 木工用旋盤 4*4 1,500 金属研磨設備 3*3 6,500 電気溶接機 1*1 5,600 はた織り機 4*3 100 紡績機 4*3 100 紙製造機 4*3 100 自動はた織り機 2,300 自動紡績機 2,400 かきまぜボール 1,800 遠心分離機 2*2 1,400 手動混合器 3*2 800 浄水器 1,000 自動浄水器 2,800 海水淡化装置 5*3 2,400 大型組立道具 3,600 クレーン 6,200 原油加工設備 5*5 6,700 魔晶炉 59,800 洋式便器 3*3 500 製造用家具(アイテム欄に入るもの) 乗物 品名 サイズ 売価 在庫数 人力飛行機 4*3 5,000 気球 5*3 30,000 帆船 5*5 8,000 1 蒸気船 5*5 40,000 飛行船 4*4 50,000 2
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冠婚葬祭贈り物・お返しのマナー 類 別 贈り物の心得 お返しの心得 年賀表書き/御年賀 1月1日~7日迄に。女性は15日迄でもよい。年賀は本人が持参し、新年の挨拶と共に渡す。 お返しは不要だが、子供連れの客には、お年玉を渡す。お年玉の表書きに子供の名前を書いてあげると喜ばれる。 歳暮表書き/御歳暮 関東は12月初めからおそくとも中旬ごろ迄。関西は12月13日以降。中元よりやや高価なものを。正月の準備に役立つ食料品などの実用的なものが喜ばれる。 お礼状はすぐ出す。お返しは「御歳暮」として改めて送る。目上、目下からいただいても、あわててお返しはせず、お年賀なり、別の機会をとらえてお礼をする。 中元表書き/御中元 7月1日~13日迄。もしおくれた場合は暑中見舞にし、立秋を過ぎたら残暑見舞に。変質しやすい食料品は避ける。 お礼状はすぐ出す。お返しとしてでなくこちらも「御中元」とする。目下、目上の場合御歳暮と同じ。 結婚祝表書き/御祝、寿 贈り物は挙式当日は避け、式1~2カ月前から1週間位前迄に届ける。櫛、刃物は避ける。お祝いが挙式当日になったら、現金を祝儀袋に入れ身内の方に渡す。 お返しは披露宴に招待しなかったけれど結婚祝いを寄せた方へ、新婚旅行から帰って、1~2週間以後に、表書き/内祝。 出産祝表書き/御祝 出産通知を受けてから、1~2週間以内に、持参する際には出産経過をみてから。 お返しは、お祝いをいただいた方へ出産後1カ月以内に。表書き/内祝。赤ちゃんの名前で贈る。 初節句表書き/御祝 女子は3月3日前1週間迄に、男子は5月5日前1週間迄に贈る。お人形など。 お返しは不要。お赤飯や紅白餅をくばってもよい。 七五三の祝表書き/御祝 11月の初めに贈る。靴、子供用ハンドバッグ、帽子、人形など。 お返しは不要。晴れ着を見せにうかがって千歳飴を配る。 結婚記念日表書き/御祝 紙婚式(1年目)花婚式(7年目)水晶婚式(15年目)銀婚式(25年目)金婚式(50年目)。相手の方の心にふれる贈り物を。 お返しは不要。お祝いのパーティをひらくのもよい。 賀寿表書き/御祝 還暦(61歳)、古稀(70歳)、喜の字(77歳)、米寿(88歳)、相手の方の趣味に関係したものを贈る。 表書き/内祝自筆の書画を額にしたり、袱紗を特別に染めたりして贈ります。いただいた方は長寿にあやかるといわれている。 新築祝表書き/御祝 新築後半月位に贈る。インテリアは家を見て、その家の主人と相談してから贈る。 表書き/内祝新居に落ち着いてからくばる。 弔事(仏式)表書き/御香典、御仏前、御霊前 香典は、とりあえずの弔問、通夜、告別式のいずれの場合に出してもよい。姓は水引下部中央に必ず薄墨で書く。中包みに住所・氏名を。香典の額は月収の1~3パーセントに。金額は裏面に書く。 お返しは香典か供物を供えた方に35日か49日に。表書き/志、忌明。形見分けをいただいても、お礼はしない。 病気見舞表書き/御見舞 病状に合わせて贈る。鉢植え、つばきの花は避ける。 お返しは床上げ後、1週間位に、表書き/内祝、快気祝。 災害見舞表書き/御見舞 すぐに役立つ身の回り品、食料品寝具、現金等を。 お返しは不要。生活が落ち着いてから御礼状を。 入学入園祝表書き/御祝 入学入園祝は直後に、通園通学に必要な品を贈る。絵本や教育的なおもちゃ、図画セットなどの学用品等を。 お返しは御礼の挨拶程度でよいが気がすまなければ、子供と挨拶に行き、赤飯を配る。表書き/内祝
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辞書 品詞 解説 例文 漢字 日本国語大辞典 名詞 ① 植物繊維を水中でからみ合わせ、薄くすきあげて乾燥したもの。大別して手すき紙(和紙)、機械ずき紙の二種とする。 ※書紀(720)推古一八年三月「高麗(こま)の王(きし)、僧曇徴・法定を貢上(たてまつ)る。曇徴は五経を知れり。且(また)能(よ)く彩色及び紙(かみ)墨を作り、并(あはせ)て碾磑(みづうす)造る」 紙 ② じゃんけんで、指を全部ひらくこと。ぱあ。 ※明治大正見聞史(1926)〈生方敏郎〉憲法発布と日清戦争「ちいりこ(東京のジャンケン)できめ、ちいりこさいよ。合こでさいよ。と手を振り鋏や石や風呂敷(東京の児童のいふ紙)の形を出して決める」 ③ 「かみばな(紙花)②」の略。 ※雑俳・川傍柳(1780‐83)四「もしへ紙を一枚おくんなんしょ」 ④ 紙入れ、財布のこと。 ※江戸繁昌記(1832‐36)五「且つ其の隠語、紙を楂志と曰ひ〈略〉按に楂志とは、楂志発沙夢(さしはさむ)の略。之を懐抱に夾めばなり」 [語誌]①の手すき紙は一〇五年中国後漢の蔡倫がその製法を大成したといわれる。日本へは高句麗を経て六一〇年に製法が伝えられ、その後種々改良が施されて現在の和紙となり、最も丈夫で美術的な紙として知られている。機械ずき紙は一七九八年フランス人が初めて造ることに成功したが、普通、洋紙と板紙とに分けられる。また、石油を原料とする紙酷似品もある。 広辞苑 名詞 ①主に植物性の繊維を材料として、アルカリ液を加えて煮沸し、さらにつき砕いて軟塊とし、樹脂または糊などを加えて 漉 (す)いて製した薄片。書画・印刷・包装などに使う。後漢の 蔡倫 (さいりん)の発明といわれてきたが、前漢期遺跡から古紙が出土し、前漢初期の開発。もと麻布の 襤褸 (ぼろ)を原料としたが、和紙は 楮 (こうぞ)・ 三椏 (みつまた)・雁皮なぢうぃ、洋紙はパルプ・襤褸・藁などを原料とする。ジス(JIS)には寸法についての規格があり、「A5」「B6」などという。 推古紀「―墨を作り」 紙 ②(じゃんけんで)手のひら。ぱあ。 大言海 名詞 〔 簡 (カヌ)ノ字音ノ、かぬ、かに、かみト轉ジタルナリ、爾雅、釋器、疏「簡、竹簡也、古未 レ 有 レ 紙、載 二 文于 一レ 簡、謂 二 之簡札 一 」推古天皇ノ御世ニ、高麗僧、來朝シテ、始メテ紙ヲ造レリ、貞丈雜記、九ノ書札ノ條ニ、 手 (テ) 紙 (ガミ)ハ、 手簡 (シユカン)ヲてかんト讀ミ、又、てがみト讀ミタガヘタルナルベシト云ヘリ( 手段 (シユダン)、てだん)〕書畫ヲカキ、又ハ、物ヲ包ムナド、種種ノ用ヲナスモノ。楮ノ皮ヲ剝ギ、粗皮ヲ去リ、煮テ細カニ打碎キ、 黃蜀葵 (トロロアフヒ)ノ根ノ粘液ト、水トヲ加ヘテ、簀ノ上ニ、甚ダ薄ク敷キテ、乾シテ成ル。色白キヲ常トスレド、又、種種ノ色ニモ染ム。 構 (カヂ)、がんぴ、みつまた、 桑 (クハ)、ふよう等モ、皆、白紙ヲ作ルベシ、製法、 粗 (ホボ)同ジ。紙ノ類ニ、 鳥子 (トリノコ)紙、 檀紙 (ダンシ)、薄樣、杉原、奉書、 小 (コ) 菊 (ギク)、 程村 (ホドムラ)、西ノ內、美濃紙、半紙、駿河半紙、 天具帖 (テングデフ)、吉野紙、糊入、仙花、雁皮、 藥袋 (ヤクタイ) 紙 (シ)、等、種類、極メテ多シ、各條ニ注ス。西洋紙ハ、木材、 襤褸 (ボロキレ)、藁ナドニテ作ル。亦、其製、種種ナリ。 倭名抄、十三 五 「紙、賀美」推古紀、十八年三月「高麗王貢 二 上僧曇徵法定 一 、曇徵能作 二 彩色之紙墨 一 」 紙 検索用附箋:名詞物品 附箋:名詞 物品
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「梅」を買ふ 徳田秋声 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)売買《うりかひ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#「まとも」に傍点] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)つけ/\ 頭脳の忙しい志村が、電燈のつく時分、晩飯の後を暫く茶の室で夕刊など見ながら雑談に耽つてると、誰か表の方から勝手口の方へまはつて来て「御免なさい」と言つたと思ふと、その足音がつつと庭先きへ近よつて来て、南溟の小さい姿が縁先の薄暗へ現れた。南溟といふ雅号は、文字面では何でも大いことの好きな、悪く言へば大法螺吹きの荘子から来たのか、それとも南海の産なのでさう附けたのか、それは孰でもいゝとして、とにかく南溟彼自身はつんぐりした小男であつた。志村のあばら家では、震災後彼はいつでも、いきなり庭先きへ廻ることにしてゐた。震災火災のとき、真先きに志村の家へ避難して来たのは、そんなことには可なり機敏な南溟であつた。志村はその時旅先きにゐて、何んにも分らなかつたけれど、六日に志村の家から立つて、志村の滞在してゐる故郷のKI市へ避難して来た或る老婆の話に、三夫婦ばかり、志村の家に避難してゐる人達のなかに、坊さんが一人ゐて、その若い細君が庭の柘榴の老木の下で産気づいて大騒ぎとなつたと云ふのであつた。志村はそれが誰であるかゞとんと判らなかつた。 「何でも坊さんらしいよ。あんな位の年輩で、奥さんは莫迦に若い。」その老婆は言ふのであつた。 志村は愈よわからなくなつて来た。外の二組の避難者もわからなかつたけれど、坊さんだと云ふのが殊にも志村には変な気がした。 帰つて来てから聞くと、その坊さんの南溟であることが判つた。古い昔し彼が篆刻なんかをやつてゐた時分から、志村は南溟を知つてゐた。初めて逢つたときから印象のわるくない男で、直ぐ親しくなれるのであつた。それから特別の親交もないながらに、時々顔を合す機会があつて、彼が骨董屋をやつてゐる頃には、屡ばその店へ立寄つたこともあつた。彼は美術家などに知つた顔が多かつたが、手が器用であつた。漆を扱ふことや、金銀の細工や、瀬戸物を継ぐことや、何でもかでも小器用であつた。字は勿論上手だつたが、ちびつた拙い絵などもかいたり、第二番の細君時代歯科医を開業してゐた頃には、師匠を呼んで長唄の稽古もやつてゐた。しかしその長唄と画だけは止した方がいゝと、志村は思つたばかりでなく、口へ出してつけ/\言つた。 「いや、どうも先生の口にかゝつちや、形なしぢや。」南溟は言ふのであつた。 優れて美貌であつた、その第二の細君が、産後がわるく死んでしまつたと同時に、彼は免状なしの歯科医もやめて、長いあいだ好きで買ひためて来た茶器の類を並べて、表通りへ骨董の店を出すことになつたのであつたが、その頃にはもう第三番目の細君が、姙娠してゐた。しかしその商売も余り振はなくて、彼が裏通りへ引込んだころには、その細君の姿は、もう見えなかつた。志村は近頃しばらく彼を見なかつた。彼は甥を一人引取つて、最近一人前の歯科医に仕上げた。そして再び歯科医を開業する積りであつたが、突然その甥に死なれてしまつて、長いあひだの努力も水泡に帰してしまつた。裏店に逼塞してからも、彼は零砕な茶器などの売買《うりかひ》をやつてゐたが、第四番目の今の細君の出来たことを志村は少しも知らなかつた。 「あいつ何時の間にそんな細君を貰つたんだ。おれが知つてから四人目だ。」志村は驚嘆してゐた。 「二十一二の女学生風の人ですよ。」志村の妻は志村に話した。 その細君が庭で産気づいたとき、そこに戸板を敷いて、皆んなで介抱したりしたが、お産は何のこともなく済んだけれど、産後がわるくて、志村の帰つて来たときには、彼女は赤ン坊と一緒に病院に入つてゐた。南溟もついて行つてゐた。 「いや先生、どうも酷い目にあひましたよ。お蔭で何うにかかうにか取止めました。もう此方のものです。」南溟は或日病院からやつて来て、ほつとしたやうな顔をして、細君の病気の経過を報告した。 志村の細君も、他の避難者の細君たちも、迚もあの病人は助かるまい、可哀さうだ、と寄り/\噂し合つてゐたのであつた。 それまでにも、南溟は一二度やつて来て、いつも不安な顔をしてゐた。そしてよくも持出せたと思ふくらゐ取出した色々の道具のなかから、差当り必要なものを、他の避難者の細君に売りつけたりしてゐた。しやれた杉の茶箪笥だとか、古びのついた水差しだとか、金象眼の京都製の鉄瓶だとか……。彼はさういふこま/\したものを沢山持ちこんで来てゐた。毎日々々他の避難者の細君にたのんで、受取つてきてもらつてゐる配給米なぞも、一杯たまつてゐた。 「子供は」と志村がきくと、南溟はうれしさうに目を細くしてにつこりして、 「それあ先生かあい奴ですよ。」 「頭が禿げてやしないか。」 「笑話でせう。それあ好い毛。昨日も国母陛下が御臨幸になつて、づつとおまはりになつてね、坊やの頭をおなぜになつて、かあいゝ子ぢや大切にせよ、と仰やつてね。」 「嘘つけ。」 みんなは噴出してしまつた。 縁先きへ現はれた南溟は、どこで工面したのか、紺セルの古い詰襟服のうへに袋のやうな大きなオーバコートを着て、才槌形の頭に鳥打帽をかぶつてゐた。胡麻塩の顎髯か少し延びてゐた。 「到頭洋服にしましたね。」 「先生のところに古いのがあつたらうと思つたんですけれど……」と南溟はそのヅボンの膝のところを触つて、 「こんなボロ服をね、私が継いだんですよ。少し余所の人にたのまれて、荒仕事をやつてゐますんでね。まあ労働者だね。いや、しかしこの二三日のあひだに、百五十両ばかり儲けましたよ。バラツクを立てるつもりでね。」 「何かもつてるんぢやないか。」志村はその風呂敷包に目をつけた。 「これは今買つて来たものです。この外に六百円ばかりの代物を手附をうつてあるんですが、金がなくて受取りに行くことができない。一つ夜店へ持出して、何でもかんでも片端しから金にしなくちや。」 「それあ何だね。」 「これあ何に、楽だの瑞芝だの、瑞芝が手に入つたんで、嬉しくてたまらない。滅多にお目にかゝらないもんですよ。」 「ちよつと見せたまへ。」 座敷へ来て、志村はそれを一見した。紀州焼の瑞芝や、先代の「楽」やの外に、古瀬戸の茶壺、箪笥、茶匙なんかゞあつた。 「どうも堪らない。この彫刻をごらんなさい。柳が煙つてるやうだ。」南溟はその竹の筆筒の山水の彫刻を撫でまはしながら讚嘆するのであつた。 「罅がなけあ好いがね。」 「罅がなかつたら三十両だ。」 「これあ象牙か。」志村は茶匙を片《きれ》から出して見た。 「そいつあ利休の使つたもんでね。」 「莫迦言つてる。」 「何か買つて下さい。」 「がらくたは仕方がないからね。」 「実は今も言ふとほり、少し金をこしらへなくちやならんので、これから駈けづりまはつて、どうにでもして品物を受取らなくちやならないんだが、百五十両ばかり、十日まで貸してちやうだいよ。」 「金はちつともないんだ。どこからも未だこない。」 「困つたな。そんな事いはずに……。」 「いや、ほんとうにないんだ。小遣ひがなくて困つてゐるやうだ。」志村は言ふのであつた。 「家に軸が六七幅ある。これも昨日束で六十円で買つたばかりでね、出所はたしかです。鉄斎や梅関《ばいくわん》の、梅なんかゞあります。まとも[#「まとも」に傍点]なものぢやないが、富岡鉄斎も一幅ある。それよりも無落款だが、狩野以前のものらしい、三幅対の古色蒼然たる尤物がある。素晴らしいもんだ。対山の山水もありますぜ。あれを一つ引括めて……私は五両でも十両でも儲かりや可い、もう安<放します。」 「さうだよ。下らないものばかりで仕方がない。もう何にも入らんね。」 「見るだけ見てごらんなさい。」 「鉄斎つて、二つあるのかね。」 「一つは有名な彫刻家の鉄斎の扇面の竹ですがね、もう九十です、関西にゐますがね、もう何んにもやりません。」 「梅関とかいふのは……。」 「仙台の人で、梅ぢや天下一品といふんです。東京でも名の売れたもんです。」 とにかく見てもいゝと云ふので、南溟はどうせ今夜は方々駈けづりまはるから、後で持つてくると云つて、骨董品を更紗の風呂敷につゝみはじめた。 そこへ書留を一封、子供がもつて来た。志村がそれを開けてみると、百円ばかりあつた。 「漸と一つ来たけれど、己もこの暮に纏めて返さなけあならん金があるので。利子が高いので。」志村はその小切手をのぞいてゐる南溟に、弁解するやうに言つた。勿論それは事実だつたし、金を貸すことを、この頃出来るだけ抑制するやうにしてゐた。芸術境を愛護するためにも年老いてからの無駄な勤労を、彼は出来るだけ制限する必要を感じてゐた。勿論貸したものが、返へつて来た例は一度もなかつたし、金銭の性質上それが又自然でもあるのであつた。 志村は少し疲れた頭脳を休めようと思つて、安火を拵らへてもらつてしばらく横になつてゐた。南溟がどんな画をもつてくるかと思ひながら、つひうと/\と微眠みかけてゐた。南溟が一ト背負ひの書画を持込んで来たのは、それから間もないことであつた。看ると彼は和服に着かへて、そこへ書画を拡げはじめてゐた。しかし拡げる端から志村が一つ/\見て行くと、どれもこれも貧弱な好い加減なものばかりで、反故がふえるばかりだと思はれた。 「これあ鉄斎だらうか。」 「さうですとも。」 「字は鉄斎らしいが、いくら鉄斎でも、これぢや仕様がない。」 「でも鉄斎は鉄斎ですからね。表装を仕替へると、見直しますよ。」 「つまらんね。」 「これが対山です。」 「これはちよつと好いやうだが、対山といふのは二人あるのか知らんね。これは本統の対山ならばだが……。」 「こゝいらの遠景の工合といふのはないね。」 南溟は画面の中景を指さしながら讚めた。 「いや、まあ……。」 「これが素晴らしいもんです。」 南溟はさう言つて梅をひろげた。 「成程ね。これあ筆力が遒健だ。よく描いてある。」 「よく描いてあるにもないにも、梅ぢや天下一品です。」 「さうかな。田舎の宿屋にでもかけたら……。」 「先生の口にかゝつちや敵はん。」 南溟はそれを捲きおさめると、今度は古びた桐の箱を取出した。蓋が二つに割れてゐた。 「はてな。今こわしたかな。これだつて当節はなか/\お安くありません。上等の桐です。」 すゝけた山水が、一幅々々志村の目の前に展げられた。どこかで見たやうな画であつた。 「これあ駄目さ。燻したもんだ。時代でこんなこんがりした色が、一面につく訳はない。こんなものは仕様がない。」 「ふむ、遣切れんな。」 南溟は肩をゆすつて、顔を顰めた。 「仕方がない、取るならこれとこれと是だ。」志村はさう言つて、その中から二つの鉄斎と対山を択んだ。 「十二両。」 「よからう。それともこれ二つにするかな、どうせ何うでもいゝんだが。」志村はさう言つて、鉄斎二つをはねて代りに「梅」を取つて、「さうだ、かうしておかう。これならバラツクを建てた人にくれても、とにかく掛けておける。」 「それあ大したもんですよ。何だか骨ぬきにされたやうだが、何でもいい、早くしてちやうだい。これから嬶の着物をかついで、金策にまはるんですから。」南溟は水洟を啜りながら、書画の始末をしてゐた。 「南溟もいゝが、細君を余り度々取りかへるんで、厭になつた。君は女なんか何うでもいゝんだらうと思つてゐたんだが、悪い癖があるんだな。」志村は笑話のやうに言つた。 「ふん、もう遅い。意見なら二十年前にしてもらひたかつた。」 南溟は鼻で笑つて、 「私の女道楽を今知つたやうに……。しかし是からやりますよ。」 「まるで性慾のために追ひまはされるやうな男だよ。」志村はまた苦笑した。 「さうですとも。これで貧乏するんです。」 南溟はさう言つて、金を受取りながら、それを財布に納めると同時に、沢山入れてある札のなかから、三つに折つた五円紙幣を一枚出して、それを志村夫婦に見せた。 「これは何だと思ひます。これを入れてから、金が廻りだして来たんだ。」 南溟はさう言つて、ぱつとそれを展げて見せた。怪しげな彩色画がちらつと志村の目についた。南溟はそれを押戴くやうにして、また財布へ仕舞ひこむのであつた。[#地付き](大正13[#「13」は縦中横]年1月「我観」) 底本:「徳田秋聲全集第14巻」八木書店 2000(平成12)年7月18日初版発行 底本の親本:「我観」 1924(大正13)年1月 初出:「我観」 1924(大正13)年1月 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
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