約 4,647,532 件
https://w.atwiki.jp/ston/pages/25.html
オランダ 特徴 経営 D 育成 C 選手発掘 A ※ 資金力には乏しいが、選手の発掘や交渉は得意。獲得した若手選手をトレードに出して、クラブ運営資金を確保していこう。 基本データ Division 1 2 3 4 5 6 7 8 Stadium LV4 LV4 LV4 LV3 LV2 LV2 LV1 LV1 Club House LV5 LV5 LV4 LV4 LV3 LV2 LV2 LV1 Office LV6 LV6 LV6 LV5 LV4 LV3 LV2 LV1 基本統制値 23 20 17 14 11 8 5 3 チケット代 20 17 15 12 10 8 6 5 スタジアム LV・系統 設置可能DIV 設備数 設備LV 特殊設備 収容人員 建設費 維持費 LV1 DIV8 1 LV1 0 10,000 0 3,000 LV2 DIV6 1 LV1 0 20,000 1,000,000 5,000 LV3 DIV4 2 LV2 0 30,000 3,000,000 15,000 LV4a(設備重視) DIV3 4 LV3 1 40,000 10,000,000 50,000 LV4b(バランス) DIV3 3 LV3 1 46,000 12,000,000 50,000 LV4c(収容人数) DIV3 2 LV3 0 52,000 14,000,000 50,000 クラブハウス LV・系統 設置可能DIV 設備数 設備LV 特殊設備 建設費 維持費 LV1 DIV8 1 LV1 0 0 2,000 LV2 DIV7 2 LV1 0 700,000 3,000 LV3 DIV5 3 LV2 0 2,100,000 10,500 LV4a(テクニック) DIV4 4 LV3 1 7,000,000 35,000 LV4b(フィジカル) DIV4 4 LV3 1 7,000,000 35,000 LV4c(インテリジェンス) DIV4 4 LV3 1 7,000,000 35,000 LV5a(テクニック) DIV2 5 LV3 2 12,400,000 62,000 LV5b(フィジカル) DIV2 5 LV3 2 12,400,000 62,000 LV5c(インテリジェンス) DIV2 5 LV3 2 12,400,000 62,000
https://w.atwiki.jp/masa0726/
オランダについてまとめようと思います。 基本情報 公用語 オランダ語 首都 アムステルダム 最大の都市 アムステルダム 国王 ベアトリクス 首相 ヤン・ペーター・バルケネンデ 通貨 ユーロ 面積 41,526km² 人口 16,318,199人 人口密度 393人/km² オランダ王国、通称オランダは、西ヨーロッパの立憲君主制の国。 憲法上の首都はアムステルダムだが、政治の中心はハーグである。 ヨーロッパ北西部に位置し、東はドイツ、南はベルギーと国境を接し、北と西は 北海に面する。ベルギー、ルクセンブルクと合わせてベネルクス三国と呼ばれる。 ヨーロッパの交通、交易の要所。リベラルな政策、気風。 人口密度が高い。堤防により囲まれた低地。 チーズ、チューリップ、風車で有名。有名な画家を多く輩出している。 参考画像 ザーンセスカンスの風車 ロッテルダムのキューブハウス キューケンホフの花畑 尚、これらの画像は適当に拾ってきたものなので、 問題があれば、下のコメント欄にご記入お願いします。 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/nomorefictions/pages/29.html
「正論」一月号より 首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない他国からの言いがかりで、多くの方々が論じているところだ。南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが、未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。 戦後六十年、大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが少なくなりつつある現今、私は証言として、「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。 外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上最も障害になる問題は、兵士による強姦と略奪・放火である。そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは周知の通りである。大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。 野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と言う言葉は常識として知っていたが、「従軍慰安婦」と言う言葉は聞いた者も、また、使った者もいまい。それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。 淫らな言葉だが、中国戦線では「ツンコ・ピー」「チョウセン・ピー」と呼んでいた筈であるが、他の人の見ている所でする筈のないことだけに、「慰安所」のことも「慰安婦」のことも、公の場で自己の見聞を正確に発表する人が少ない。あまり詳しいと「よく知ってるね」と冷笑されるのが落ちだろう。 では何故、君は、と私に聞かれるだろうが、幸い私はその実態を外から観察出来る立場にあったから、何も臆することなく、世の誤解を解くために発表することが出来るのだ。 ◆漢口の「慰安所」を見学 商社員として十七歳の春、中国揚子江中流の漢口(現武漢)に渡った私は、日本軍が占領してまだ五カ月しか経っていない、言わば硝煙のにおいが残っている様な街に住むことになった。当時、漢口の街は難民区・中華区・日華区・フランス租界・日本租界・旧ドイツ租界・旧ロシア租界・旧英国租界に分かれていて地区ごとにそれぞれ事情に合った警備体制が敷かれていた。 日華区とは日本人と中国人とが混じって住んでいる地区で、そこに住む中国人は中華区に住む者と同様「良民証」を携帯しており、そうでない者は警備上難民区に住まされていた。 難民区は日本兵も出入りを禁止されていて、私たち在留邦人は届け出て許可を得なければ出入り出来なかった。それだけ危険な場所だった。 私は、仕事が貿易商だから、難民区以外はよく歩いた。ある日、汚れた軍服を着た兵士に「慰安所はどこか知りませんか」と路上で尋ねられ、一瞬思い当たらず戸惑った。しかし看板に黒々と「漢口特殊慰安所」と書いて壁に掲げていて、その前に歩哨と「憲兵」の腕章をつけた兵隊が立っている場所を思い出したのでその通り教えてあげた。映画館と同様に日華区にあった。汚れた軍服から推測して、作戦から帰ってきた兵士に間違いない。街を警備している兵士は、そんな汚れた軍服で外出してないからだ。 私は「特殊慰安所」か、なるほど作戦から帰った兵士には慰安が必要だろう、小遣い銭もないだろうから無料で餅・饅頭・うどん他がサービスされるのだろうと早合点していた。 ところが、私の知人が営む商社は日用品雑貨の他に畳の輸入もしていて、それを「慰安所」にコンドームなどと一緒に納入していたので「慰安所」の出入りが自由であった。彼に誘われて一般在留邦人が入れない場所だから、これ幸いと見学に行った。 私たちは、憲兵に集金の用件を話してまず仕事を済ませた。日が暮れていたので「お茶っぴき」(客の無い遊女)が大勢出てきて、経営者と私たちの雑談に入ろうとしてきたが追い払われた。そこには内地人も鮮人も中国人もいた(現在、鮮人は差別用語とみなされ、使われない。しかし朝鮮半島が日本統治だった当時は「日本人、朝鮮人」などと言おうものなら彼らに猛烈に反駁された。彼らも日本人なのだからと言う理由である)。 群がってきた彼女たちは商売熱心に私たちに媚びてきた。憲兵は特別な事情の時以外は、部屋の中まで調べに来ないからである。料金は女性の出身地によって上中下がある。また、利用時間も兵士は外出の門限が日没までだから日中に限られるが、下士官は門限が長く、将校になれば終夜利用出来る。料金も階級の上の方が割高で、女性たちは当然、同じ時間で多く稼げることになる。 半島出身者に「コチョ(伍長─下士官)かと思ったらヘイチョウ(兵長─兵士)か」、「精神決めてトットと上がれネタン(値段)は寝間でペンキョウ(勉強)する」とか、笑うどころではない涙ぐましいまでの努力をしているのも聞いた。内地人のある娼妓は「内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働けば半年か一年で洗える」といい、中には「一日に二十七人の客の相手をした」と豪語するつわものもいた。 ◆どこにもいなかった「性的奴隷」 ここで親しくなった経営者の話を紹介しよう。「体力的に大差がない筈なのに、内地人は兵士たちと言葉が通じるために情が通うのか、本気でサービスして商売を忘れ健康を害してしまう。そのために送り返さねぱならず、経営者にとって利益が少ない。兵隊さんには内地人ばかりで営業するのが本当だが」と本音を漏らしていた。 私の育った街には花柳界があったので、芸妓と酌婦をよく眼にしたが、当時は玄人女と呼ばれた彼女たちの外出姿でも一般の女性と見分けることが出来た。その目で見れば漢口の街でも同様だったが、特に朝鮮人の女たちは特色があった。というのは彼女たちは数人で外出してくるのだが、民族衣装ではなく、着慣れないツーピースの洋装のせいで着こなしが悪く、また歩き方にも特徴があって一目で見分けられた。 彼女たちは実に明るく楽しそうだった。その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に該当する様な影はどこにも見いだせなかった。確かに、昔からの言葉に、「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で往生出来ぬ」というのがあった。明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが、娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。 先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを言うのだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた者がいると言う話はしばしば聞いた。騙された女性は本当に気の毒だが、中にはこんな話もある。「『従軍看護婦募集』と騙されて慰安婦にされた。私は高等女学校出身なのに」と兵士や下士官を涙で騙して規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。またそれを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である。日本統治で日本語が通じた故の笑えない喜劇でもある。 ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。これが「慰安婦」が「商行為」であった確かな事実である。私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような統計があると教えてくれた。 当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが、ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金、三分の一が「慰安所」への支出だった。貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが、上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが実情だった。私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを我慢して貯金した。 一人の兵士がそれぞれ三等分して使った訳ではないだろうが、人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、貯金を睡眠に置き換えると全く物差しで測った様な数字である。ちなみに当時の給料は兵は一カ月平均十三円程で、その三分の一を約四円として計算すると三十三万人で総額約百三十二万円になる。「零戦」など戦闘機一機の価格は三万円と言われたが、実に四十四機分にも相当する。 サラリーマンの初任給が四十円そこそこの頃だったのだから、経理部の驚くのも無理のない話である。 以上が、私が商社員として約三年半の間、外部から眺め、また聞き得た「慰安所」と「慰安婦」の実態である。 私が漢口を去った昭和十七年夏以降に、漢口兵站(作戦軍の後方にあって車両・軍需品の前送・補給・修理・後方連絡線の確保などに任ずる機関)の副官で「慰安所」等を監督した将校の著した『漢口兵站』と照合してみたが、地名・位置等について多少の相違点は見いだしたが、本題の「慰安所」について相違はなく、より内情が詳しく記されていた。これでは誰がどう考えても「商行為」であるとしか言いようがないだろう。 「商行為」ではない、軍による「性的奴隷」であるとそれでも強弁するとすれば、知らな過ぎるのか、愚かで騙されているのか、そうでなければ関西人が冗談めかして言う「いくらか貰うてんの?」なのかもしれないが、あまりにも馬鹿げた話である。 ◆問題にして騒ぎ出す者たちの狙い 次に、軍関与の暴論について証言する。 私は二十歳で現役兵として入隊、直ちに中支の江西省南昌の部隊に出征した。初年兵教育が終わって作戦参加、次いで幹部候補生教育、途中また作戦と、一ケ年一度の外出も貰えずに久留米の予備士官学校に入校してしまったから、外出して「慰安所」の門を潜る機会に恵まれなかった。 だが初年兵教育中、古い兵士には外出がある。外出の度にお土産をくれる四年兵の上等兵に「外出でありますか」と挨拶したら「オー、金が溜ったから朝鮮銀行に預金に行くんだ」と笑って返事をしてくれた。周りは周知の隠語だからクスリと笑うだけだった。 南昌には師団司令部があった。「慰安所」には内地人も朝鮮人も中国人もいて、兵士は懐次第で相手を選んで遊んだのだろう。私は幹部候補生の教育を、南昌から三十キロ以上も離れた田舎の連隊本部で受けた。 「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて営業していた。教育の末期に候補生だけで本部の衛兵勤務につくことになった。もちろん勤務は二十四時間である。 私は営舎係だったので歩哨に立たないから何度も歩哨を引率して巡察に出た。巡察区域の中に「慰安所」も含まれていた。前線の歩哨は常時戦闘準備をしている。兵舎内の不寝番でさえ同様だ。鉄帽を被り、銃には弾を装填し夜間はもちろん着剣である。その姿で「慰安所」の周囲だけならまだしも、屋内も巡察し、責任者の差し出す現在の利用者数の記録を確認する。軍規の維持とゲリラの奇襲攻撃を警戒しているからである。 考えてみるまでもない、そこで遊んでいる兵士は丸腰どころではない。もっと無防備で不用心な姿の筈である。その将兵を守るべき責任は部隊にあるのは当然だ。それに性病予防の問題もある。そんな田舎に医師や病院がある筈がない。性病予防のため軍医や衛生兵が検査を実施するしかない。 「慰安所」の経営者は中国人だったし、日本では当時公認の娼妓と呼ばれた女たちも中国人だった。彼らも食料やその他の生活用品が必要だ。大人数なのだから、それなりの輸送手段もいる。辺鄙な場所だから部隊に頼る以外方法がない。部隊が移動する時もそうなるだろう。 私の話す湖北省の言葉もだいたい通じたので、経営者と立ち話をして彼女たちについてそれなりの様子も聞き出せた。今でも「慰安所」の両側に部屋のある中廊下を巡察した不粋な自分の姿を思い出すが、こんな漫画にもならない風景が現実にあったのだ。これは私の部隊だけではないと思う。 もう六十年も昔のことである。時代が変わり、また平時と戦時の違いもある。したがって娼妓(ここでは慰安婦に相当する)に対する解釈も当然変化している。そうであるにもかかわらず、すでに証拠も不完全になっていることを幸いに、今更これを問題にして騒ぎ出す者たちの狙いは何なのか。言えることはただ一つ、不完全だからこそ喚き散らしていれぱ、何かが得られると狙っているということだ。 戦場に身を曝し、敵弾の洗礼を受けた者として最後に言っておく。このことだけは確かだ。野戦に出ている軍隊は、誰が守ってくれるのだろうか。周囲がすべて敵、または敵意を抱く住民だから警戒を怠れないのだ。自分以上に強く頼れるものが他に存在するとでも言うのならまた話は別だが、自分で自分を守るしか方法はないのだ。 軍は「慰安所」に関与したのではなく、自分たちの身を守るための行為で、それから一歩も出ていない。 「異常に多く実を結んだ果樹は枯れる前兆」で「種の保存の摂理の働き」と説明されるが、明日の命も知れぬ殺伐とした戦場の兵士たちにもこの「自然の摂理」の心理が働くと言われる。彼らに聖人君子か、禅宗の悟りを開いた法師の真似をしろと要求することが可能なのだろうか。 現実は少ない給料の中から、その三分の一を「慰安所」に持って行ったことで証明されている。有り余った金ではなかったのだ。 「兵隊さん」と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の兵士も、やはり若い人間なのだし、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在していたのだ。買うから売るのか売るから買うのかはともかく、地球上に人が存在する限り、誰も止めることの出来ないこの行為は続くだろう。根源に人間が生存し続けるために必要とする性(さが)が存在するからだ。 「従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。 http //www.youtube.com/watch?v=dnJEBlCS1NQ 小野田寛郎さん職業慰安婦を語る
https://w.atwiki.jp/nora/pages/31.html
Pasar Malam Besar "Pasar Malam Besar" adalah festival Eurasian paling besar di dunia. Festival ini tiap tahun diadakan di Belanda dan menjadi kegiatan penting untuk memperkenalkan kebudayaan indo, terutama Indonesia dan Melayu, di Eropa. 「夜の大きな祭り」は世界で一番大きなユーラシアのお祭りです。 このお祭りは毎年オランダで実施され、ヨーロッパで混血児、特にインドネシアとマラヤの文化を紹介するために重要なイベントになりました。 Pasar Malam Besar pertama kali diadakan pada tahun 1959 oleh masyarakat Belanda dan Indonesia di Belanda. Festival ini adalah festival paling tua dan paling besar di Belanda. 第一回目の夜の大きなお祭りは1959年にオランダとオランダ在住のインドネシア人によって実施されました。 このお祭りはオランダで最も古く最も大きなお祭りです。 Festival ini juga menjadi kegiatan dengan jumlah pengunjung paling besar di kota Den Haag, Belanda. Biasanya Pasar Malam Besar diadakan di Taman Malievield di dekat Stasiun Den Haag. このお祭りはまたオランダのデンハアグの町で一番来客の多いイベントになりました。 普段夜の大きなお祭りはデンハアグ駅近くのマリエフィールド公園で実施されます。 Sejak tahun 1993, tiap tahun lebih dari 100.000 pengunjung datang. Nama "pasar malam" dalam bahasa Indonesia berarti "pasar pada malam hari". Jadi, "Pasar Malam Besar" juga hanya buka pada malam hari kira-kira mulai jam 18.00. 1993年から、毎年10万を超える客が来ます。 インドネシア語の中の「夜の市場」という名前の意味は「夜のお祭り」です。 それで、「夜の大きな市場」はまただいたい6時に始まる夜にだけ営業します。 Pasar Malam besar tahun biasanya diadakan pada awal musim panas; kira-kira pada bulan Mei atau Juni. Di dalam Pasar Malam Besar, selalu ada tiga tema dasar, yakni musik, maanan, dan kerajinan tangan. 大きな夜の市場はふだんの年、夏の始めに実施されます。だいたい5月か6月です。 大きな夜の市場には、いつも三つの基本テーマがあります。すなわち、音楽、食べ物、民芸品です。 Jadi, pada pasar malam ini, tiap tahun ada acara untuk musik Indonesia, makanan Indonesia, dan kerajinan tanganIndonesia. Namun, mulai tahun ini, ada juga musik, makanan dan kerajinan tanagan dari negara Asia lain, seperti Malaysia, Singapura, India, Filipina, China dan Thailand. それで、この夜の市場では、毎年インドネシア音楽、インドネシアの食べ物、そしてインドネシアの民芸品のためのイベントがあります。 しかし、今年から、マレーシア、シンガポール、インド、フィリピン、中国そしてタイのようなほかのアジアの国の音楽や食べ物や民芸品もあります。
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/6772.html
韓国 / ベトナム / ライダイハン / ベトナム韓国軍慰安所 / 韓国軍がベトナムで行った虐殺 +ブログサーチ〔韓国軍とベトナム戦争〕 #blogsearch +ニュースサーチ〔韓国軍とベトナム戦争〕 北朝鮮の核開発、いまどこまで進んでいる? 金正恩氏が目指す「使える核兵器」:朝日新聞GLOBE+ - GLOBE+ 大丈夫?「台湾問題」で「失言3回」のバイデン大統領(日経ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース [寄稿]太平洋戦争における米国と日本の決定的な違い(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ベトナム戦争での韓国軍による虐殺を追う映画 韓国人監督が問う記憶(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 2021年海外の主なニュース - 読売新聞 韓国映画「情愛中毒<R15+指定>」 - 番組一覧 - アジアドラマチックTV <W解説>「謝罪要求を拒んだ大統領」本日死去した韓国のチョン・ドゥファン(全斗煥)氏とは?(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ベトナム戦争の虐殺被害者の証言と市民同士の連帯を映した、韓国ドキュメンタリー映画『記憶の戦争』 - サイゾーウーマン 韓国人がベトナム人虐殺証言|ニフティニュース - ニフティニュース 拉致被害者・曽我ひとみさんの夫、ジェンキンスさんの自叙伝が米韓制作陣によりドラマ化 (2021年11月17日) - エキサイトニュース 韓国軍元兵士が虐殺証言 ベトナム戦争派遣で - 産経ニュース 自衛隊と韓国軍はどっちが強い? 中国ネット民「これは完全に・・・」 - ニコニコニュース 韓国、物流・公共交通全面停止の危機 中国が物資供給を制限 - SankeiBiz 朝鮮戦争映画の「長津湖」、アメリカ、カナダなどでも上映開始=中国(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 記憶の戦争 | あらすじ・内容・スタッフ・キャスト・作品・上映情報 - 映画ナタリー - ナタリー 〈新作紹介〉『記憶の戦争』”虐殺”という名の戦争がもたらすおぞましき記憶を葬り去らせないために…… - マイナビニュース 2021/12/03 ベトナム戦争時の韓国軍による民間人虐殺の記憶に迫ったドキュメンタリー「記憶の戦争」公開(12/3~ 京都・出町座) - レイバーネット日本 「イカゲーム」出演“76歳”俳優オ・ヨンス、ベトナム戦争に派兵された兵士だった=韓国(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「徴用工」文氏に対応要請 日韓首脳が電話会談 - SankeiBiz [コラム]台湾に米軍が再び登場したわけは(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ドキュメンタリー「記憶の戦争」公開日が決定、キム・ボラや坂上香のコメント到着 - 映画ナタリー 韓国で「ベトナム民間人虐殺」裁判が大詰め 証言者に危険迫る懸念も(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国軍の遺骨がハワイから来るわけは(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ベトナム戦争当時韓国軍による民間人虐殺裁判で参戦軍人が証言台に(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 長距離巡航ミサイル試射に成功と北朝鮮 米国の出方探る - SankeiBiz <W解説>南北初の対話から50年=韓国がもっと優先すべきは日韓関係・米韓関係(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ベトナムで民間人を大量虐殺、「なかったこと」にする韓国 被害者の訴えを放置、韓国の冷酷な対応をNYTが報道(1/3) - JBpress ドキュメンタリー「記憶の戦争」予告、ベトナム戦争の生存者と韓国軍人がそれぞれ証言 - 映画ナタリー 【久保田るり子の朝鮮半島ウオッチ】アフガン危機を朝鮮半島はどう見たか - 産経ニュース 韓国は嫌日から「嫌中」へ。若者たちに広がる高圧的な中国への反発 - まぐまぐニュース! アメリカ軍「アフガン撤退」日本と韓国への意味 - 東洋経済オンライン アフガン事態に韓国震撼、いつか来る「米国が韓国を見捨てる日」 米軍のアフガン撤退は「背信」繰り返す韓国への「重大警告」(1/7) - JBpress 女性たちの涙の連帯でベトナム戦争の記憶に迫るドキュメンタリー「記憶の戦争」11月公開 - 映画.com [コラム]ニクソン・ドクトリンと韓国初の国産ミサイル、そしてミサイル指針 - The Hankyoreh japan “慰安婦問題”を追及する韓国に刺さった、「ベトナム人虐殺」というブーメラン - 現代ビジネス 4年の訴訟で引き出した15文字…韓国政府の「ベトナム戦争虐殺記録」保有を確認 - The Hankyoreh japan ベトナム戦争時の韓国軍「民間人虐殺」で、最高裁が国に情報公開命じる判決…真相究明に大きく前進(徐台教) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「わが国空軍は日本に勝てない」韓国専門家…米元司令官も弱点指摘(高英起) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北朝鮮の戦争は「速戦即決」 最悪のシナリオに備える米韓:朝日新聞GLOBE+ - GLOBE+ 「ベトナム戦争虐殺被害者『泣き虫おじさん』を忘れ、平和の戦士として記憶します」 - The Hankyoreh japan 虐殺被害のベトナム人 韓国で初の賠償請求 政権・メディアは対応苦慮 - 産経ニュース 韓国政府、請求棄却求める ベトナム虐殺の損害賠償で - 産経ニュース ベトナム戦争の韓国軍による虐殺被害者、国連に「虐殺行為の調査を提起」 - WOW! Korea 残虐な加害の実態…韓国政府をベトナム民間人虐殺で被害女性が提訴 韓国人よ、少しでいいから反省しろ - PRESIDENT Online ベトナム民間人虐殺、韓国政府提訴へ 「村人を1カ所に集めては手榴弾を……」残虐な加害の実態 - 文春オンライン 韓国軍のベトナム戦争虐殺を調査した記者に「激烈な脅迫」 - NEWSポストセブン ベトナム戦争民間人虐殺被害者、韓国政府に対し初の国家賠償訴訟 - The Hankyoreh japan 韓国軍によるベトナム虐殺で生存者の女性が韓国政府に賠償請求 - SankeiBiz ライダイハン ベトナム戦争時の韓国軍の所業を英BBCが報道 - 産経ニュース [インタビュー]「ベトナム民間人虐殺」で参戦軍人の孫娘、互いに異なる記憶を問う - The Hankyoreh japan 「日本に要求するように反省しないなら自己都合の言い訳」ベトナム虐殺を問う笠デモ - The Hankyoreh japan 「ベトナム戦民間人虐殺、韓国国防部の答弁は間違いだ」 - The Hankyoreh japan [インタビュー]「ベトナム戦争虐殺の痛みを治癒して『平和の種』育てよう」 - The Hankyoreh japan 銅像好きの韓国人も思わず赤面!? 韓国軍“性暴力”の象徴『ライダイハン像』 - ニコニコニュース 「ライダイハン像」ロンドン中心部の公園で一般公開 - 産経ニュース 韓国・文政権“ブーメラン”で大打撃! ベトナム戦争時の韓国軍兵士“性暴力”が国際問題化 ロンドンに「ライダイハン像」設置へ - ZAKZAK ライダイハン、韓国・文在寅大統領にDNA型鑑定と謝罪を求める - SankeiBiz 英団体、韓国「ライダイハン」問題追及へ - ZAKZAK 曹渓宗「ベトナム民間人虐殺、韓国政府は謝罪せよ」 - The Hankyoreh japan 【歴史戦】英団体、韓国兵の性暴行追及へ 米議会議事堂での慰安婦像計画に合わせ - 産経ニュース 【特派員発】韓国軍による虐殺が50年後も隠蔽されている ベトナム・ハミ村 吉村英輝 - 産経ニュース 【朝鮮戦争の暗示 半島激動】弱すぎた韓国軍、米軍は激怒「韓国軍は頻繁に逃げ出した」 - ZAKZAK 韓国大統領が「遺憾の意」 ベトナム戦争時の虐殺念頭に - 朝日新聞社 【エンタメよもやま話】韓国兵は3回も私を襲った…ベトナム戦争の残虐を英紙が報道、欧米で怒り・驚き噴出 - 産経ニュース 【産経抄】騒げば騒ぐほど、世界は韓国の過去の悪行に注目する 11月11日 - 産経ニュース 謝罪も賠償もなし……韓国軍兵士によるベトナム人レイプ「ライダイハン」問題に、世界から批判の目 (2017年9月30日) - エキサイトニュース 【歴史戦】ベトナム戦争に派兵された韓国兵士の女性暴行「韓国政府に謝罪要求」英国で団体設立、混血児問題で像制作 - 産経ニュース ライダイハン、韓国社会に衝撃 ベトナム派兵、徐々に汚点 対日批判ブーメランも - 産経ニュース 挺対協、ベトナム大使館前で「韓国軍の戦争犯罪を謝罪します」 - The Hankyoreh japan 韓国とベトナムの間でくすぶり続ける歴史問題 韓国大統領発言めぐりソウルでデモも - NewSphere ベトナム戦争に従軍した韓国兵への弔辞に抗議。ベトナム政府「国民感情を傷つけかねない」 - ハフィントンポスト 【メガプレミアム】韓国軍が数千人ベトナム女性を強姦し、慰安婦にしていた…米国メディア「日本より先に謝罪すべきだ」 - 産経ニュース 【エンタメよもやま話】慰安婦、虐殺、強姦…自軍の犯罪を隠す「韓国」 国定「被害者マゾ」歴史教科書、ベトナム激怒 - 産経ニュース クアンガイ省:戦争中の虐殺事件50周年、韓国人団体が謝罪[社会] - 日刊ベトナムニュース 韓国平和財団、ベトナム戦争時の行為謝罪のピエタ像を贈呈[社会] - 日刊ベトナムニュース ベトナム日刊紙、ベトナム戦での韓国軍民間人虐殺を異例の報道 - The Hankyoreh japan 【軍事ワールド】戦争の英雄などいなかった…韓国軍「偽りの歴史」 教科書に載るヒーロー、実は逃亡兵 - 産経ニュース ベトナム戦争の韓国軍虐殺、被害者を慰霊する銅像を建立へ 造ったのは「慰安婦像」の夫妻 - ハフィントンポスト 韓国軍が虐殺した民間人慰霊のため少女像作家が「ベトナムピエタ」建立を構想 - The Hankyoreh japan 【朴槿恵大統領訪米】ベトナム戦争時に韓国軍兵士から性的暴行 被害女性らが朴大統領に謝罪求める - 産経ニュース 韓国メディア「腹立たしいが反論は困難」 文春ベトナム韓国軍慰安所報道 - 産経ニュース 【歴史戦 第11部 もう一つの慰安婦問題(2)】ベトナム戦争時の韓国軍慰安所「売春宿、だまされて来た女性も」 - 産経ニュース 「慰安所で欲望ぎらつかせる韓国兵に恐怖感も」とベトナム人 - NEWSポストセブン 韓国軍のベトナム慰安所報道で処分、「左遷」 TBS山口敬之ワシントン支局長に激励の声相次ぐ - J-CASTニュース 韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題――戦争の記憶と和解 - ハフィントンポスト 韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題――戦争の記憶と和解/伊藤正子 - シノドス ベトナム戦争の虐殺を直視しようとしない韓国軍の元兵士たち - ハフィントンポスト ベトナム戦争の韓国軍の虐殺被害者が訪韓 そこで見た「落差」とは - ハフィントンポスト 【歴史戦】「韓国軍が慰安所設置」 ベトナム戦争時 米公文書に記述 - 産経ニュース 韓国のベトナムでの蛮行暴いた新聞社 韓国軍OBに襲撃された - NEWSポストセブン ライダイハン里親「ベトナムには韓国兵相手の買春街あった」 - NEWSポストセブン 韓国軍がベトナムで働いた婦女子への性暴行 現地からの報告 - NEWSポストセブン 韓国によるベトナム派兵 軍事独裁体制を維持するためだった - NEWSポストセブン 20歳時に4、5人の韓国兵に暴行を受けたベトナム人女性の証言 - NEWSポストセブン ベトナム戦争 韓国軍「ゴダイの虐殺」を生き残った人の証言 - NEWSポストセブン 韓国軍 ベトナム戦争で戦果を上げる勇猛部隊として知られた - NEWSポストセブン 新聞社ベトナム人助手 韓国軍取材を「吐き気がする」と拒否 - NEWSポストセブン ベトナム戦争 韓国軍による凄まじき「ゴダイの大虐殺」の証言 - NEWSポストセブン 韓国 ベトナム戦争での「ライダイハン」を史実から消去画策 - NEWSポストセブン 韓国が戦争犯罪を認めない訳 - Newsweekjapan ● ベトナム戦争>韓国軍による虐殺事件〔Wikipedia〕 詳細は「フォンニィ・フォンニャットの虐殺」、「ライタイハン」、「ゴダイの虐殺」、「タイビン村虐殺事件」、および「タイヴィン虐殺」を参照 ■ 保存版「韓国軍はベトナムで何をしたのか!」 韓国の嘘から日本の子供たちを守ろう! 「なでしこりん(2015.10.17)」より (※mono.--前略、詳細はブログ記事で) / 「SAPIO」2013年12月号 特集【韓国が背負う「嘘の代償」】より ベトナム女性を輪姦後に焼き殺し、混血児「ライダイハン」を残した韓国軍の蛮行 旧日本軍による「慰安婦強制連行」を捏造した韓国は、もともと売春婦であるはずの慰安婦を「Sex Slave」として国際社会に浸透させた。その傍らで、ベトナム戦争(1960~75年)に参戦した韓国軍による現地婦女子への性的暴虐は史実から消し去ろうとしている。 2000年6月27日、韓国・ソウルの『ハンギョレ新聞』本社が2000人を超える迷彩服姿のデモ隊に包囲された。社屋に侵入したデモ隊の一部は暴徒化し、同社幹部らを監禁、暴行を加え、オフィスや地下駐車場の車を破壊した。デモ隊は「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバー、つまり退役ベトナム参戦軍人である。 発端は、同社発行の週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)に掲載されたベトナムにおける韓国軍の民間人虐殺特集だった。「通信員」として記事を書いたのは、当時、ベトナム留学中だった大学院生の具秀姃(ク・スジョン)氏。ベトナム当局から虐殺の資料を入手し、徹底した現地取材と生存者へのインタビューを重ね、韓国軍による無差別殺戮の実態を白日の下に晒したのである。記事は、ベトナム中部のビンディン省の村々で起きた凄惨な虐殺事件を生々しく伝えている。 〈1966年1月23日から2月26日までの1か月間、猛虎部隊3個小隊、2個保安大隊、3個民間自衛隊によってこの地域だけで計1200人の住民が虐殺され、その中には1人残らず皆殺しにされた家族が8世帯もあった。(中略)生存者の証言を元に韓国軍の民間人虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通したパターンが見られた。 ●子供たちの頭や首を切り落とし、手足を切断して火に投げ込む ●住民をトンネルに追い詰め毒ガスで窒息死させる ●女性たちを次々に強姦したあと殺害 ●妊婦の腹から胎児が飛び出すまで軍靴で踏みつける〉――。 韓国史のタブーに踏み込んだこの特集を皮切りに、同誌は韓国軍の戦争犯罪を糾弾する「ベトナムキャンペーン」を継続的に展開。冒頭の事件はそれに猛反発する退役軍人の凶行だった。 しかし、ベトナム戦を経験した退役軍人の中には当時の非人道的行為を悔いる者もいた。元韓国海兵隊員の金栄萬氏は、『戦争の記憶 記憶の戦争-韓国人のベトナム戦争』(金賢娥(キム・ヒョナ)著・三元社刊)でこう証言している。 「越南に到着して、私が聞いた話は、『強姦をしたら必ず殺せ、殺さなかったら面倒が起きる、子供もベトコンだからみな殺さねばならない』といったものでした」 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ JOG Tweet 韓国(12)孤立する韓国 「国際派日本人養成講座(2015.5.4)」より / ■韓国軍のベトナム虐殺・慰安婦 韓国軍によるベトナムの民間人大量虐殺は、戦争犯罪の中の「人道に対する罪」である。戦争犯罪に時効はない。ルワンダ国際戦犯法廷、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷のごちく、韓国の虐殺責任者は「韓国国際戦犯法廷」で裁かれなければならない。正論26.7北岡北岡俊明 2014年12月05日(金) 韓国軍がベトナム戦争中にベトナム人を虐殺した地には慰霊廟が建っていて、虐殺された犠牲者の名前が一人一人刻まれている。今回、我々が調査した慰霊廟は19ヵ所、犠牲者数は約2800人。ベトナム全土で約百ヵ所、1~3万人の虐殺があったと推計している。正論26.7北岡俊明 2014年12月05日(金) ベトナムで調査した慰霊廟は19カ所、韓国軍による犠牲者数は約2800人。ベトナム全土では約100カ所、1~3万人の虐殺と推計。問題はこれほどの民間人大量虐殺が戦争犯罪として断罪されていないこと。戦争犯罪には時効がない。ルワンダや旧ユーゴと同様の法廷必要。正論26.7北岡敏明 2014年07月12日(土) 「韓国軍のベトナムでの性暴力、謝罪を」元慰安婦ら会見 - 朝日新聞デジタル(http //www.asahi.com)http //t.asahi.com/e623 →さぁ、韓国政府の誠意を見せてもらいましょう。 2014年03月09日(日) 上念 司@smith796000 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ★ 韓国の枯葉剤戦友会 ベトナム人講演会で「殺してしまえ!」 「zakzak(2015.4.22)」より / 迷彩服を着こんだ数十人の中高年男性の団体が4月9日、韓国・大邱の慶北大キャンパスに集い、次々と怒声をあげていた。ベトナム戦争の退役軍人団体「枯葉剤戦友会(大韓民国枯葉剤後遺症戦友会)」である。 団体の名称からはベトナムで枯葉剤を撒いた米軍への批判デモを想像させるが、怒りの矛先は韓国軍による民間人への暴行・虐殺の被害を受けたベトナム人の講演会に向けられていた。現地紙記者が語る。 「講演会の主催者側に対して『放っておいていいのか。殺してしまえ!』という罵声や開催を許可した大学当局に向けて『学長は辞任しろ!』といった怒号が飛び交って、辺りは騒然としていました」 本誌は昨年4月、3号にわたって「韓国軍はベトナム戦争で何をしたか」をレポートした。ベトコン狩りの名のもとに各地の農村を襲って村民を虐殺し、若い女性を強姦して殺害するなどの蛮行が繰り返された。民間人犠牲者は9000人にのぼると推計されるが、この事実は韓国社会で長く「タブー」とされてきた。 今年はベトナム戦争終結から40年にあたる。そのタイミングで韓国軍による虐殺の生存者が生き証人として初めて訪韓したのだ。訪韓したのはグエン・タン・ラン氏(63)とグエン・ティ・タン氏(54)の2人。 ラン氏は1966年2月15日、韓国陸軍「猛虎部隊」襲撃で65人が犠牲になったタイビン村事件の生き残りの男性である。この村では約1か月で1000人以上の村民が殺害された。 韓国のリベラル紙『ハンギョレ』によればその日、ラン氏は防空壕に隠れていたが、猛虎部隊に見つかって引きずり出された。「20世帯あまりの住民が集められ、一人の軍人の号令とともに四方から銃弾が飛んできて手榴弾が投げられた」という。母親は下半身のない死体で発見され、妹は頭に重傷を負い、数時間後に死亡した。 タン氏は1968年2月12日、韓国軍によって住民74人が犠牲になったフォンニ・フォンヤット村の生き残りの女性で、虐殺により家族5人を失い、自らも腹部に銃弾を受けた。 女性や子供にも容赦しなかった韓国軍による残虐行為の告発を枯葉剤戦友会は妨害した。ベトナム戦争で米軍が散布した枯葉剤の被害を受けた退役軍人を主体とする同団体の会員数は2011年時点で約13万人。在韓ジャーナリスト・藤原修平氏が語る。 「団体のホームページを見ると、ベトナム戦争は『反共の正義の戦いであった』と位置づけられています。また参戦により約10億ドルの外貨を獲得し、経済成長の礎を築いたと考えられている。彼らにとって今回の被害者はその神聖な戦争を冒涜する存在であり、許せないということなのでしょう」 枯葉剤戦友会は2013年5月、ソウルで安倍晋三・首相と橋下徹・大阪市長の顔写真や名前が印刷された垂れ幕を燃やし、両氏の慰安婦関連発言に抗議していた。 日本には「戦争被害者である慰安婦の声を聞け」といいながら、ベトナムでの残虐行為は隠蔽し、「被害者は何も語るな」という矛盾してきた韓国の姿勢を象徴する団体なのである。 ★ 米公文書が暴いたベトナムの「韓国軍慰安所」 「週間文春web(2015.3.25)」より / ベトナム戦争当時、サイゴン(現ホーチミン市)に韓国軍の慰安所が存在したことが、アメリカの公文書によって初めて明らかになった。 日韓間に横たわる慰安婦問題に新たな視点を供する歴史的資料を発見したのは、TBSワシントン支局長の山口敬之氏。山口支局長は2013年9月から、約1年をかけて米国立公文書記録管理局のベトナム戦争に関する膨大な資料を調査。その中から、サイゴンの米軍司令部が、同じくサイゴンの韓国軍最高司令官・蔡命新(チェ・ミュンシン)将軍に送った「書簡」を発見した。 同書簡は1969年に書かれたもので、主題は韓国兵が関与した経済事件。その中で、同事件の舞台となったサイゴン市中心部の「The Turkish Bath」(トルコ風呂)について、以下のように記されていた。 「この施設は、韓国軍による、韓国兵専用の慰安所(Welfare Center)である」 (The Turkish Bath was a Republic of Korea Army Welfare Center for the sole benefit of Korean Troops.) 山口支局長が語る。 「韓国側はこれまで、日本軍の慰安所について国際社会で厳しく糾弾し続けてきました。ベトナム戦争当時、韓国軍の慰安所がサイゴンに存在した事がアメリカの公文書によって明らかになった今、韓国側がこの問題にどう対処していくのかが注目されます」 山口支局長の「韓国軍慰安所」に関するレポートは「週刊文春」に掲載される。 【山口敬之】 ■ 【誰も出さない】TBSワシントン支局長は政府密命記者だった! 「二階堂ドットコム(2015.4.22)」より / 週刊文春にTBSワシントン支局長の山口敬之記者が署名記事を寄稿したのは既に御承知だろう。 http //shukan.bunshun.jp/articles/-/4952 ベトナム戦争当時に、韓国軍による、韓国兵専用の慰安所が存在した事実が記された米国公文書が発見されたという内容だ。「従軍慰安婦」という捏造ネタを使って世界中に韓国がばら撒いている日本に対する事実無根の罵詈雑言が、ブーメランのように韓国自身に突き刺さる報道。韓国に対して甘いことで有名なTBSの局員が、このような記事を発表することも驚きだが、何よりTBS局員が社費を使って取材したネタを、TBSの電波ではなく他メディアである週刊文春という週刊誌で山口氏が発表したことも大きな波紋を呼んでいる。 実はこの山口氏、少し前にある件で騒動になったことがある“いわく付き”の記者。しかもある筋からの特命を受けての今回の行動だとも言われている。水面下でTBS幹部が真っ青になっている裏事情を、当サイトがいち早くお知らせしよう。 http //www.j-cia.com/archives/11576 ーーーーー ■ 「韓国軍慰安所」山口レポーターが米に広げた波紋!反日米国人黙る! 「『☆★☆ 超 傾 奇 者 ★☆★☆ 』(2015.4.17)」より / 米国は「歴史問題では中韓両国の主張を優先して、日本を糾弾する」ことが多い。 ★ 「韓国軍慰安所」 山口レポートが米に広げた波紋 「Yahoo!news - 週間文春(2015.4.2)」より / TBSワシントン支局長・山口敬之氏による本誌前号の調査報道「韓国軍にベトナム人慰安婦がいた!」が、ワシントンのアメリカ政府当局者やアジア専門家たちの間で波紋を広げている。 ?3月26日の国務省記者会見で「米国立公文書館の文書がベトナム駐留の韓国軍が売春宿を運営していたことを証したという日本からの報道を知っているか」という質問が出た。ラトケ報道官は「知っている」と答えた。「この事例は人身売買だが、調査する意図はないか」「この問題で韓国政府と協議するか」などという関連質問も出た。報道官は確かな答えは与えなかったが、「韓国軍の慰安婦問題」が米側の国政の場で知られる結果となったのは確かだ。 さらに、本誌報道は同26日、ワシントンのアジア関連ニュースレターの「ネルソン・リポート」でもほぼ全文の英訳が掲載された。同リポートは民主党リベラル派の活動家、クリス・ネルソン氏がアジアのニュースや評論を流すネット・サービスで、米側のアジア問題関係者らが購読し、投稿する。歴史問題では中韓両国の主張を優先して、日本を糾弾することが多い。 そんな「ネルソン・リポート」が山口氏の調査報道を全文掲載したのは、その重みゆえだろう。ネルソン氏はこの報道が事実ならば「韓国側の偽善や二重基準が証される」と述べたが、同時に「この報道で日韓の歴史戦争はより醜くなる」とも記している。 これに対して翌27日、慰安婦問題での長年の日本叩きで知られるコネチカット大学のアレクシス・ダデン教授が同リポートに「韓国も同じことをしていたという主張は日本の悪事を帳消しにはしない」という意見を寄せてきた。同教授は同リポートが本誌報道を紹介することがそもそもおかしいとも示唆していた。 ダデン女史は安倍首相を「悪漢」とののしり、菅官房長官の言辞を「ペテン」と呼ぶほどの反日だ。今年1月には米紙「ニューヨーク・タイムズ」に「尖閣諸島も竹島も北方領土も国際的には日本の領土ではなく、安倍政権がその領有権を主張するのは危険な膨張主義」とまで書いている。そんな人物をたじたじとさせただけでも山口氏の調査報道の意義は大きいといえよう。 <週刊文春2015年4月9日号『THIS WEEK 国際』より> 古森 義久(在米ジャーナリスト) 【ベトナム】 ■ ヴェトナムよ、韓国を告発せよ! 「BBの覚醒記録(2014.3.6)」より / 南中部沿岸地方ビンディン省人民委員会および同省タイソン郡人民委員会は26日、「ゴダイの虐殺」慰霊祭を開催した。この慰霊祭は毎年、虐殺が起きた2月26日に行われているもの。 「ゴダイの虐殺」は、1966年2月23日から26日にかけて、ビンディン省タイソン郡タイビン村ゴザイ(英語読みではゴダイ)集落で発生した韓国陸軍によるベトナム住民虐殺事件。4日間で計1004人の住民が殺され、特に26日にはゴザイ集落の住民380人余りが僅か1時間のうちに1人残らず虐殺された。 ベトナム戦争で、韓国は米国からの特需や援助を得て経済発展を遂げるため、のべ32万人もの兵を派兵。軍民とも「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」が合言葉。 韓国の発展は、戦後の日本からの援助と、ベトナム戦争で血塗れたお金によるもの。 そのツケは、いつか必ず払うことになるでしょう。 ベトナム戦争で有名な住民虐殺は昭和43年(1968年)3月16日の米軍ソンミ村虐殺事件が挙げられますが、最も残虐だったのは韓国兵だったと言われています。 南ベトナムクアンナム省フォンニィ・フォンニャット村の虐殺、ハミの虐殺、ゴダイの虐殺、タイヴィン虐殺をはじめ、村々で化学兵器まで使用して住民を殺戮しました。 ■☠ 皆同じ穴の狢、「戦争が人を狂わせる」という自覚を 「Various Topics(2013.10.18)」より / 韓国によるベトナムの残虐行為はこの記事を読むまでもなく知られていました。 が、この問題を日本の保守派が「オマエのところだって、同じことをやっているじゃないか」と言うのは愚の骨頂。 米国が朝鮮戦争やベトナム戦争をしなければ韓国の一部の軍人がこれほど非情なことをしなかったでしょうし、そもそも米軍だって、戦争では昔から現在にいたるまで、一般市民の大量虐殺や、現地の女性のレイプを行っているので、大きなことはいえません。 文句を言わないベトナムが『大人』と言うか、『強か』なのか。 しかし、何にせよ、各国が「戦争は人を狂わせる」と言うことを認めて『戦争を起こさない努力』をするより以前にプライド合戦をすること、これを何とか止めたいものです。 .
https://w.atwiki.jp/gekitotu/pages/51.html
ポンコツオランダ 父・ジャングルポケット 母・ポンコツヨルダン 6戦4勝 新馬戦 1人気 1着 岩田 小倉2歳ステークス 1人気 1着 アンカツ 激突杯2歳ステークス 3人気 1着 アンカツ 共同通信杯ちんげステークス 1人気 1着 アンカツ 雹豪賞 2人気 4着 アンカツ GKLマイルカップ 3人気 4着 アンカツ 期待されながらも新馬戦で予後不良となってしまった全兄(ポンコツオマーン)の無念を背に走り続ける。 2連勝で挑んだ激突杯2歳ステークスで見事G1制覇を成し遂げると、4戦4勝で雹豪賞へ駒を進める。 この馬へのコメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/kaki_sk/pages/21.html
各戦術における設定例 対拠点戦 機体 ザクタンク 主兵装 180mmキャノン砲B セッティング 装甲2 解説 主に、4~8人同時出撃時の拠点シフト向けタンク設定。格近の攻撃をいかに長時間耐え続けて拠点を攻撃し続けるかを念頭においている。装甲設定の場合着地硬直も含めて、ダッシュするよりも普通に前進したほうが速いので、ミノフスキーの有無にかかわらず、隠密行動をするといい。 後方支援A型 機体 ザクタンク 主兵装 180mmキャノン砲A セッティング 機動6 解説 後方支援を行うための設定。狙うのは中距離以遠。ただし、Bタンクはダウンさせてしまうので格近にまかせよう。狭いマップでは、A弾の命中率もある程度上がる(避けにくいため)。射撃硬直の長い機体(特にスナと水ジム)を粘着すると、かなりのポイントが手に入ることも。 後方支援C型 機体 ザクタンク 主兵装 180mmキャノン砲C セッティング 機動6 解説 後方支援を行うための設定。広いマップでは避けられやすいので、散弾を利用する。一発の破壊力は落ちるが、敵連撃中のカットなどで、複数Hitも狙える。攻撃対象は全兵器となるが、相変わらず拠点砲撃中のBタンクおよび味方連撃中の敵への砲撃はご法度。 後方支援D型 機体 ザクタンク 主兵装 180mmキャノン砲D セッティング 機動6 解説 後方支援を行うための設定。アンチタンクとして運用。直撃でなければダウンしないので、格闘中にも叩き込める。機動力を落とされた敵は、味方金閣に切られるのみ。威力は、Cよりも低くリロード速度も遅いので、適切な射撃が要求される。 マップでの設定例 ニューヤーク:C グレートキャニオン:A タクラマカン:A,C ジャブロー地上:A,C 解説 セオリーどおり、広いマップはC、狭いマップはA。タクラマカン・ジャブロー地上のような中遠狙有利な場合は、スナ狩りならAバランス重視ならCというように使い分ける。
https://w.atwiki.jp/2011311/pages/77.html
2007年5月 古森さん「歴史ロンダリング」。(その5)新資料ではない 産経新聞者の古森義久記者がワシントンからお書きになった、 ・産経新聞5月12日の記事http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/51406/ ・izaブログ5月14日http //komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/171421/ ・izaブログ5月18日http //komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/174406/ これらに関して、 古森義久記者自らが、ここで紹介している米軍文書は新資料でもなんでもないことを、データをあげて表明なさいました。記事の発表から半月たってようやく、引用元の文書名を古森氏が明らかにしたのです。 「またまた新資料発見!」 と沸きにわいて2次ブログをお書きになった iza同人の皆様、このままでは古森記者が、デマの発信元になってしまいます。 速やかに、ご自分のブログを訂正されるよう、御願いいたします。 ~~~~~~~ 【資料】 http //komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/171421/ コメント欄より --------------------------------------------------------- 2007/05/15 05 15 Commented by ni0615 さん TO 古森義久様 やはり予想したとおり、出典は、 東南アジア翻訳尋問センター 心理戦 尋問報告 第二号 South-East Asia Translation and Interrogation Center,Psychological Warfare Interrogation Bulletin,No.2(11/30/1944) だったのですね。 これは新資料でも何でもありませんね。 すでに 吉見義明『従軍慰安婦資料集』(大月書店1992/11/27 isbn 4272520253)に収録されてることが確認されています。 心理戦 尋問報告 第二号 の9個のコンテンツ 1、ビルマにいる日本軍に対する連合国側宣伝の効果 2.対日宣伝における「べし・べからず集」(ある捕虜の手記) 3.『軍陣新聞』のある号について捕虜が詳述した批判 4.悪名高い丸山大佐 5、日本軍将校による兵士の人命軽視 6、増援部隊の混成による難点 7、ビルマへの増援部隊兵士の平均年齢 8、日本軍隊内の平和主義者 9、前線地域の日本軍慰安所 このうち4と9が、吉見義明『従軍慰安婦資料集』には収録されています。 古森さんともあろう方が、 慰安婦問題の日本の主流派のオピニオンリーダーともあろう方が、 米国テレビネットワークで、わが国首脳を代弁して意見を述べてこられた方が、 既知の資料の存在を知らなかったとはいえませんし、 そんなことは、ありえないことです。 >調査報告書があることがわかった と、あたかも『新発見資料』であるかのような装いを施したのは、なぜですか? 最後まで出典をお隠しにならなかったのはせめてもの幸いです。 しかし欺瞞は、国際世論の中での日本と日本人の立場を弱めるものです。世界の人々の信頼を欺くこと、報道を隠れ蓑にしたプロパガンダと指弾されても言い訳ができないのは誠に残念です。 記事を正式に訂正なさり、古森様におかれても産経新聞社に置かれても、今後はこのようなことをなさらぬこと、お誓いくださるようどうか御願い申し上げます。 敬白 ------------------------------------------------- 2007年5月 .
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/3996.html
64 :641,642:2015/04/05(日) 21 05 33 大陸日本歴1941年(転移先西暦1945年)10月10日 フィリピン マニラ 気温29度強。湿度70%超。天候は雨上がりの快晴。 一般人のみならず、鍛えられた軍人であっても茹だる様な暑さに包まれているフィリピン共和国の…『元』アメリカ合衆国植民地である…この都市の一角では、軍服やスーツに身を包んだとある『肌色の』男達が、額から汗を滴らせながら会議を行っていた。 「…本土からの各種物資の搬入は極めて順調です。海上護衛総隊のみならず、連合艦隊所属艦艇も一部動員した事により、輸送船団の損害は戦前より想定されていたよりも遥かに下回る物でした。皆無に等しいと言っても過言ではないかもしれません」 「『進駐地域』の治安関係やアメリカ軍捕虜に関してもコレと言った問題は発生していません。…食事が三食キッチリ提供され収容所に教会や野球場すら用意されているのに捕虜全員が未だに面喰っていましたが」 「現地独立準備政府との協議も比較的順調に進んでいます。ただ…やはり不信感と言いますか、疑念は未だに晴れる様子は見られませんので、今後とも私達外交官や官僚のみならず『進駐軍』に際しましても、出来る限り問題を起こさない様に鋭意努力をお願いいたします」 元は『白肌の』男達の根城だった此処を占拠しているのは、南方進駐軍フィリピン方面隊に所属している陸軍高官と、その陸軍への輸送船団護衛を担当している海軍所属の将官。そして現地独立勢力との交渉等に当っている本土の内務省や外務省等から派遣された官僚たちである。 「…要約すれば、事前に想定されていた物よりも遥かに順調に『一時的』統治体制が整ってきている、と言う事か。一時はどうなる事かと思ったが、取り敢えずは重畳…と言えるかな」 そしてそんな彼らを取り纏めているフィリピン進駐軍司令官である、本間 雅晴中将。 大陸日本陸軍と言う、分母が増えたが為に史実列島日本以上に各種英才やエリートが集うこの組織の中でも随一と言える極めて豊富な教養や国際法の知識、海外駐留の経験を持つこの男を、夢幻会は信任していた。 彼は転生者では無い為に夢幻会に所属こそしては居なかったが…実質全世界との戦争と言う非常事態時に…彼の日本陸軍内でも広い視野を持つ将官を後方にほったらかしにする贅沢が許されなかった為、夢幻会の尽力にてこの『フィリピン方面隊進駐軍司令官』の任務を拝命した経緯がある。無論そんな裏事情は本人には与り知らぬ事ではあったが。 …ウェーク島沖海戦において、一昼夜に亘って日米両海軍が自分たちの常識の外に存在した想定外の化け物相手の戦闘で悲惨な事になっていた頃、東南アジアでは日本陸軍と東南アジア駐留の連合軍による連戦に次ぐ連戦が行われていた。 65 :641,642:2015/04/05(日) 21 08 20 フィリピンでは『偉大なるマック』ことダグラス・マッカーサー率いるアメリカ、フィリピン連合軍。 インドシナやシンガポール方面ではインド兵だけでは無く、アンザック軍に加え歴戦の本国兵も多数在籍していたイギリス軍。(フランス兵の大多数は本国に引き上げており、実質的脅威は余り無かった) 夢幻会チートによって憂鬱二式小銃や憂鬱三式戦車が早めに実戦配備されている日本軍に取って見れば、東南アジア駐留の連合軍装備は自分たちより大よそ一,二世代前の装備で有る為、戦前の想定ではそこまで苦労する事は無いだろうと考えられていた。上陸前に海軍によって連合国の航空戦力が無力化された事も有り、余計に楽観視されていた。 …結果から延べれば、日本軍は東南アジアの制圧に成功する。 …その代わりに、事前想定よりも(許容範囲内とは言え)大幅に時間の消費と犠牲を連合軍に強要される羽目にあったが。 確かに装備は日本の方が格上ではあった。その点に関しては連合軍捕虜が認めた事から確実に格上だったのだが…やはり、ウェーク島沖海戦で、海軍の水上砲戦部隊が露呈してしまったように、戦闘開始後から終結するまで徹頭徹尾、実戦経験不足が日本軍の足を引っ張り続けていた。 上陸直後の緒戦では…日本軍を侮って…不用意に接触してきた有力な敵軍を、自分たちの強力な火力によって撃破する事に成功し、初の実戦で不安だった兵員各員の士気を高める事が出来たのだが…連合軍がその情報によって戦前で練られていた安易な決戦から、連合海軍が日本海軍を撃破し、後方を遮断するまでの徹底的な遅滞戦術へと方針変更してしまったのが、日本陸軍の苦闘の始まりであった。 何処か教科書通りの動きの部分が多い日本軍を、多種多様、ありとあらゆる奇襲戦術やトラップ祭りで足止めし、隙を見て時には押し返す… フィリピンでも、インドシナでも、一言で纏めれば上の様になる連合軍の奮戦の前に、…装備は一流、連度は二流と戦後に某新聞社に揶揄された…初陣の日本陸軍の進みは、始めの頃は遅々として進まなかった。一応前世で実戦経験のある夢幻会員も多数陸軍に所属してはいたが、軍団規模の兵員数の前では根本的に数が不足しており、最終的に常時砲爆撃で敵の居そうな所を吹き飛ばしながら慎重に進軍すると言う…ちょっと『カッコ悪い』戦闘になっていった。 だがまあ、カッコ良かろうが悪かろうが、戦争と言うのは勝った物勝ちである。兵器の質並びに数で劣り、連合国海軍の敗退の一方で士気の低下した軍隊が、制空権を確保し物量と装備に優越した軍隊相手に勝つのは流石に無理であり、インドシナ全土にシンガポールやマレー半島、そしてフィリピンの制圧に成功し、連合軍の多数の捕虜を獲得する事が出来た。そして…その捕虜の中には『ダグラス・マッカーサー』の名前も有った。 66 :641,642:2015/04/05(日) 21 10 55 そしてフィリピン制圧後の統治についてだが…この件に関しては、案外スムーズに進行した。 夢幻会員のサポートや誘導が有ったのも事実だが、基本的に『植民地?要らないよそんなの。自分たちは友人が欲しいのであって下僕なんて一切望んでいない』…と言うのが日本人の本心からの総意であり、治安を回復した後にフィリピン独立準備政府と会談し、独立の為の援助や協力を惜しまない旨を伝え、そして彼らとの約定通りの物資を多量送りつけた事も有り、フィリピン市民の生活は(戦時中のクセして)とても安定した物となっていた。 因みに約定通りの支援を行っているのに何故フィリピン人からの疑念や不信感が払拭されないのか…と言うのは、単純にアメリカ軍を打ち破れるような国家が至れり尽くせりな支援を、それも大した対価(兵員、物資要求等)も求めずに行っているからであった。今の今まで白人勢力に搾取されてきた過去が、白人っぽい人間も混ざっている日本からの『善意の』援助に対して戸惑わせていたのである。 日本側としては、これから先、連合国空海軍(主に米空海軍)相手に長期間殴り合う事が確定事項化している為、前線で戦っている最中に後ろで問題が発生されたら困るし、それにこの世界にとって『新参者』の自分達側に立ってくれる国家が一国でも必要だったためである。日本人的御人好しさが全面発揮された事も否定は出来ないが。 そして支援の為の物資や資源に関しては、全くと言って問題は無かった。今戦争での苦境は、転移前の世界で長期間平和だった事による軍事力不足の為だったが、その代償に国力は(MMJ軍団が頑張った事も有り)並みの超大国程度では比較対象にならない程に膨大であり、フィリピンへの援助『程度』、後方の安定の為を考えれば、大した出費では無かった。 …とまあ、フィリピンに関しては割合順調に各種スケジュールを消化しつつあるのだが、インドシナやマレー半島、そして続けて海軍陸戦隊や空挺部隊も動員して間髪入れずに制圧出来たインドネシアに関しては、かなり面倒な事態が発生していた。 大日本帝国 東京都千代田区永田町 某所会議室 「…マレ-にもインドネシアにも、国家樹立の為の核になれる独立運動組織が居ないだなんて聞いていないぞ。と言うかスカルノとかハッタとかが見当たらないんだが…」 「日本や、日本に準ずる国家が一度たりとも現れなかったからですね。『有色人種は白人に絶対に勝てない』…と言うのが本能レベルで刻まれてしまったようで…オランダやイギリスからの弾圧もあって、独立運動の芽は徹底的に摘み取られた様子で…」 67 :641,642:2015/04/05(日) 21 13 31 「…てことは何か?もしかして日本がマレーやインドネシアが独立出来るまで一から十までずっと育て上げなきゃアカンくなるのか?」 「…あ、いえ。今報告が入りました。インドネシアに関してはかなり小規模ですが、独立運動組織と接触に成功したとの事です。…ですが、マレーに関しては報告が一切ありませんので、恐らくそうなるでしょうね…。」 「…なんという事をしてくれたのだ、連合国…。連合軍との戦争をしながら進駐地域の育成も行わなければならないなんて…もしやコレも連合国の計算された物なのか?」 「いや、ただ単にオランダやイギリスの負債をこっちが支払わされているだけでしょう」 …史実以上に有力な戦力を誇る連合国軍を、植民地統治下に置かれていた住民の目の前で多数撃破してしまったばっかりに、住民総出の大歓迎の後、殆どそのままの流れで史実と同じく『有色人種の希望の星』の役割を押し付けられた大日本帝国。 幾ら膨大な国力を誇るとは言え、『疾風』や『憂鬱三式弾道弾』、そして『核兵器』その他諸々の開発を行いながら、それに平行して…『史実』でも『憂鬱』でも『戦後憂鬱』でも経験した事の無い…自国の『一時的』統治下にある全地域に対して大規模支援をする事は、流石にそう軽い負担で済むハズも無く…そしてその事は関係する部署の仕事量を激増させ、多数の官僚へ頭髪と血管、そして胃腸に対する多大なる負担を与える事となった… 「…そういえば、インドネシアでは史実通りに『ジョヨボヨ王の予言』がされていた様子で、日本軍の進駐に反抗、反対する物は華僑を除いて存在していないですし、軍の育成は少しずつではあるも順調に進んでいるそうですよ」 「今のインドネシア…と言うか東南アジアに足りなくて必要なのは軍人よりも官僚だ。いや、まあ確かに両方足りない…と言うかゼロからの育成になるのだから分からなくも無いんだが…」 「まあどちらにしても、軍民官関係なしに苦労する事には変わりありませんけどね」 『有色人種の未来と希望が生まれた時』 後世にこう表現された、第三次世界大戦『日本側名称:太平洋戦争』での日本軍による東南アジア進駐と大規模支援だが、戦争中に複数回発生した華々しい決戦の裏で、多数のスーツ姿の男たちが血反吐を吐きつつ現地勢力と共に『新国家建設』と言う、先の見えない地獄の戦いを繰り広げていた事は…正直結構地味な部分も多かった為に、日本では時々公共放送で流される位で、戦後の戦記等で語られる事はあまり無かった。いと哀れ。 68 :641,642:2015/04/05(日) 21 14 52 投稿終了に御座いまするー。 そしてスミマセン寝させて頂きます(´・ω・`)
https://w.atwiki.jp/hisnet/pages/15.html
中国史に関する史料については、やはりさまざまな制約があるが、当然ながら分野によって随分状況が違う。 清朝以前の王朝時代 残っているのは基本的な刊行文献となっているものが多い。ただし清朝末期のものは、档案(トウアン)館に残っているものもある。 中国国民党関連 台湾の公文書館が体系的に公開している。また、国民党の文書館もある。 中国共産党関連 大陸の中央政府関連の文書館は、あまり公開していない。ただし分野によっては、日本より体系的に公開しているものもある。また、地方政府の文書館は、比較的アクセスしやすい。 文書所蔵の種類 公文書館 刊行史料 内部出版物 政府内部での使用で限定的に製本されている資料集があるが、なぜか謎のルートで手に入るらしい。 私文書 個人文書を文書館や図書館に寄贈あるいは委託しているもの。 米国のフーバー研究所の蒋介石日記などが有名。 中華人民共和国の档案館について 档案館とは、行政文書をはじめとする档案(トウアン)を 保存・管理する行政機関であり、大小をあわせて4000弱の施設があるとされる。 ここで日々扱われている行政文書は、基本的に「解放」後のものであるが 中には、それ以前の歴史的文書(歴史档案)を扱う档案館もある。 中華人民共和国内で、主として歴史档案が保存されているのは 中央档案館 第一歴史档案館 第二歴史档案館 の3つの施設である。 中央档案館は北京にあり、非公開である。 第一歴史档案館は北京の故宮にあり、主に清代までの档案を扱っている。 (http //www.lsdag.com/) 第二歴史档案館は南京の国民党党史委員会跡にあり、主に民国期の档案を扱っている。 (http //www.shac.net.cn/) 中央档案館の早期公開が望まれるが、現時点では原則として 史料を公開している2つの歴史档案館が、研究者の利用に適している。 申請によって複写が可能であり、簡易目録も公開されている。 しかし歴史的経緯にともなう政府の移動などによって 行政関係の史料の相当量が、各地に分散していることから、 地方の省・市・県などの档案館(北京市/上海市档案館など)でも 中央政府関係の史料が所蔵されていることがある。 また、東北部の黒龍江省・吉林省・遼寧省の各档案館などでは 満鉄・軍関係や、満洲國時代の档案などが所蔵されている。 その他に、北京の外交部档案館などにも歴史档案の所蔵がある。 ここでは1940年代後半~1955年にかけての外交関係档案の公開が始まっており、注目される。 (http //www.fmprc.gov.cn/chn/wjb/zzjg/dag/default.htm) また国家図書館などの図書館施設や、博物館にも史料の所蔵がある。 中華民国の档案館について 中華民国内で、歴史档案が保存されているのは主に 中央研究院近代史研究所档案館 国史館 中国国民党党史館 の3つの施設である。 この他にも、故宮博物院や中央研究院歴史語言研究所にも 清代の宮中档案(大陸から持ち出されたもの)が収められているという。 このうち、日本人研究者によって最も利用され易いのは 中央研究院近代史研究所档案館(http //archives.sinica.edu.tw/)である。 ここで所蔵されているのは、主に外交档案 (清朝の総理衙門および外務部、中華民国北京政府時代)および、 経済関連档案(民国期から現在に至る)である。 しかし最近は、個人・団体からの寄贈档案が増加しており、 二二八事件資料関連など、国共内戦後の台湾の状況を示す資料も増えているという。 国史舘は、総統府直属の「国史」編纂機関であり、かつ歴史研究機関である。 (http //www.drnh.gov.tw/) ここには、国民党が台湾に持ち出した档案が閲覧できる。 さらに大渓档案(蒋介石・蒋経国機要档案)や、台湾総督府文書などが所蔵されており、 蒋介石関連については1949年まで公開され、目録も刊行されている。 (朱文原主編『蒋介石総統档案目録』〈第1冊・第2冊〉、国史館、1998年) この他にも戦後の史料(経済関係以外)があり、蒋経国档案なども検索することができる。 中国国民党党史館は、国民党本部にあり、本部七階が閲覧室となっている。 国防最高委員会档案、中央政治委員会档案などが、原則30年ルールで公開されているが 現用文書との関係もあり、1949年以降の文書については制約がある。 『蒋介石日記』の公開なども行った、米スタンフォード大学と提携関係にあり 文書のデジタル化などに関する共同プロジェクトが進行しているという。