約 4,647,678 件
https://w.atwiki.jp/skygaleon/pages/349.html
番号:A221 レアリティ:★★★ コスト:4 属性:青 分類:女性 識別:A221 配置:全て ステータス LV 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 HP 120 122 124 127 129 132 134 136 139 144 AT 40 40 41 42 43 44 44 45 46 48 AG 14 14 14 14 14 14 14 14 14 14 カード説明 人に災いをもたらす恐ろしき魔女。恐ろしい姿で悪を象徴する魔法を多く使うが、良心に目覚めた時は可愛らしい姿になり治癒や再生の魔法も使う。対を成す聖獣バロンとはライバル関係にあり、輪廻転生を繰り返し未来永劫戦い続けるといわれる。 行動 特技:再生の呪術(ゲージ:4) [オーラ]戦闘不能の味方をランダムに1体HP100%で復活させる 発動確率:100% 効果1属性:無 効果1範囲:絶対 攻撃範囲 ■■■ ■■■ ■■■ 前列:反射の魔法 自身への攻撃を反射する(1ターン) 発動確率:100% 効果1属性:無 効果1範囲:相対 攻撃範囲 クリティカル率 効果係数 □□□ 100% ×1.0 □●□ □□□ 中列:魔女の癒し 青属性の味方全員の中からHPが一番高いキャラのHPが最大値を超えてAT×1.5回復する 発動確率:100% 効果1属性:無 効果1範囲:絶対 攻撃範囲 クリティカル率 効果係数 ■■■ 60% ×1.5 ■■■ 30% ×1.8 ■■■ 10% ×2.25 後列:ランダの怒り 範囲内の敵にAT×0.5のダメージを与える 発動確率:100% 効果1属性:青 効果1範囲:絶対 攻撃範囲 クリティカル率 効果係数 □■□ 60% ×0.5 ■■■ 30% ×0.6 □■□ 10% ×0.75 考察 4弾で追加されたため北欧神話の神様だと勘違いしている人も多いが、バロンとランダの話が伝わるのはインドネシア・バリ島であり、 現地においてランダは舌を出した妖怪老婆の姿でよく知られている。 C版・R版ともにとても老婆には見えないのだが、このランダはテキストにもある通り、 良心に目覚めてデレ状態になっているのであろうと推察される。あと、一応舌は出している。 持っているスキルが、中威力の十字攻撃・HP上限突破する回復・攻撃反射・単体復活と、4コストにしてはかなり芸達者だが、 「それぞれの立ち位置での行動がまったく噛み合わない」と言う、 1弾の頃から連綿と受け継がれる青のR・SRカード共通の大きな問題点を抱えているため、 初期位置での活躍を期待して配置しても、1列前に歩くだけで使い物にならなくなる可能性が非常に高い。 使いこなすには、「ランダの前に倒されにくいカードを置く」、 「強力なコンボにより1~3ターンで勝負を決めてしまうコンセプトのパーティを組む」など、一工夫必要だろう。 コストの割には魅力的なスキルを多く持つが、上級者向けのカードである事は否めない。 特技:味方全体からランダムに1体復活オーラ オーラを纏うと、毎ターンHP100%で1人ずつ復活する・・・のだったらかなり強力な特技であったのだが、 ランダの復活特技は自陣9マスのうち1マスをランダムで決定し、そこに死亡者がいれば復活すると言う とても博打要素の強いものである。 あまり期待できる物ではないし、これを目当てにランダを使うような特技でもないが、 運良く大当たりして、大型キャラがHP全快で復活してくれれば戦況が一気に有利になる事もある。 前列:自身攻撃反射 持続が1ターンとは言え、非常に珍しい通常行動での攻撃反射である。 RラーよりAGが高く、コストも低い事もあって彼よりは格段に使いやすい・・・とは言ってもAGは14。 有効的に使いたいなら2段構えくらいの加速は必須であろう。 所持者が少ない貴重なスキルであるが、反射の方をメインにしたいならEX/R玄武、UC九尾の狐、EX/R九尾の狐、SRスクルドの方が強力である。 超加速デッキを作り、余ったコストでアクセントにランダを1枚挿す程度の使い方なら悪くない。 後列、中列から歩いてここに来た場合は残念ながらあまり期待できない行動となる。 よっぽど鈍足な敵とタイマンになった場合なら完封出来る事もあるが・・・ 中列:青属性限定のHPが一番高い味方の最大値を超える回復 Rヴァルナの中列行動に似ているし、実際、対象の取り方が異なるだけでほぼ同じ行動である。 HPが1番低い青属性を助けるヴァルナと異なり、ランダはHPが最も高い青属性を上限突破しながら回復し続ける。 考えられる使い方としては、ロック系デッキの中に青属性をランダ一人、もしくはランダよりHPの低い青属性のみを採用し、 相手が動けない間に自分自身を延々回復し続け、裁き合戦に備え体力勝ちの布石を作ったり、 EX/LEゼウス・SRセト・SRサタンの特技のような破滅系の特技を自ら発動させて、ランダのみ生き残るよう仕向けること・・・などが挙げられる。 色々と可能性が見える回復行動だが、やはりランダの前列が崩れてしまうと脆い。 後列:青属性の十字攻撃 SRヴィシュヌやSRホルスには僅かに及ばないものの、 そこらで普通に使われているアタッカー達と別段変わらない優秀な係数である。 後列から放てる点も魅力的だが、やはり前列・中列が崩れたときの事を考えるとおいそれとは採用しにくい。 関連ページ 【第4弾】幻想のスカンディナヴイア バロン・ランダの書Cランダ+ブルーオーブ×2 EX/Rランダ Rバロン、Cバロン お互い、何回殺しても殺されても蘇って宿命の戦いを続ける。
https://w.atwiki.jp/weaclm/pages/754.html
オランダリーグ→エールディヴィジ 全18クラブ アムテルウィンフ ボーデライク デンスホール→AZアルクマール エメントール→フェイエノールト フライスニーウヘン イーベルラント ライフェーレン ミュートンレーウ ナウダクライス オーファンテセル ベイエフールデン クヴァイクザルフ ライデンゾルフ ソンベルハイデン ティントンリーデ ユトラビンガ ファイデンフラーメ ワイアールゼーウ
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/7234.html
サントリー食品インターナショナル 本店:東京都中央区京橋三丁目1番1号 【商号履歴】 サントリー食品インターナショナル株式会社(2011年1月~) サントリー食品株式会社(2009年1月23日~2011年1月) 【株式上場履歴】 <東証1部>2013年7月3日~ 【沿革】 当社は葡萄酒の製造・販売を目的として、明治32年2月に創業した鳥井商店を母体とし、大正10年12月に発足した㈱寿屋(昭和38年にサントリー㈱に商号変更)の飲料・食品事業の承継先として、平成21年1月23日に設立された会社です。 平成21年1月 サントリー㈱の飲料・食品事業の承継先としてサントリー㈱が当社(サントリー食品㈱)を設立 平成21年2月 サントリー㈱がFrucor Holdings NZ Limitedの株式を取得し、フルコア・グループを子会社化 平成21年2月 サントリー㈱が株式移転により持株会社であるサントリーホールディングス㈱を設立 平成21年4月 サントリー㈱の新設分割によりサントリープロダクツ㈱設立 平成21年4月 サントリー㈱より、同社が営む飲料・食品事業を吸収分割の方法で承継し、当社において清涼飲料等の製造・販売を開始。当該吸収分割の結果、サントリーフーズ㈱、サントリープロダクツ㈱、サントリー食品工業㈱及び日本ペプシコーラ製造㈱等が当社の子会社となる 平成21年4月 サントリー㈱が商号をサントリー酒類㈱に変更 平成21年11月 サントリーホールディングス㈱がOrangina Schweppes Holding S.à r.l.の株式を取得し、オランジーナ・シュウェップス・グループを子会社化 平成23年1月 サントリーホールディングス㈱を分割会社、当社を承継会社とする吸収分割を実施。これにより当社がフルコア・グループ、オランジーナ・シュウェップス・グループ、セレボス・グループを子会社化。当社商号をサントリー食品インターナショナル㈱に変更 平成23年7月 東南アジアにおける飲料・食品事業のM&A戦略の加速及びグループシナジーの最大化を図るためシンガポールにSuntory Beverage Food Asia Pte. Ltd.を設立 平成23年10月 ガルーダ・フード・グループとの合弁会社PT SUNTORY GARUDA BEVERAGEがインドネシアにおいて事業を開始 平成23年12月 サントリーホールディングス㈱を分割会社、当社を承継会社とする吸収分割を実施。これによりSuntory International Corp.及びPepsi Bottling Ventures LLCを子会社化 平成25年4月 ペプシコ社との合弁会社PEPSICO INTERNATIONAL - VIETNAM COMPANYがベトナムにおいて事業を開始
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2620.html
http //www.nids.go.jp/dissemination/kiyo/pdf/bulletin_j4-3_4.pdf 『防衛研究所紀要』第4巻第3号(2002 年2月)100 ~ 119 頁。 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(2) 庄 司 潤一郎 →http //www.nids.go.jp/profile/senshi/02-syouji.html 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(1) 戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(2)5 日本人の歴史認識の特徴-複雑な意識の背景- おわりに 5 日本人の歴史認識の特徴-複雑な意識の背景- 日本人の太平洋戦争に関する歴史認識において、ドイツ人と比較した場合、被害者意識に比べ加害者意識が稀薄であるとしばしば指摘されるところであり、その点のみを批判するのは容易である。しかし、そうした複雑な意識の要因・背景を考察することによって、その日本人の歴史認識の全体像を理解することができるであろうことは想像に難くない。そこで、本節では、その点について分析を行なう。 第一に指摘できるのは、太平洋戦争の多面性48 である。先ず、対米戦に関しては、真珠湾攻撃という日本の奇襲攻撃により始まった戦争であるにもかかわらず、原爆投下、大空襲、さらにはペリー以来の特殊な対米観の影響もあり、戦争原因は両者にあるとの認識とともに、被害者意識が顕著である。ソ連との戦争では、日ソ中立条約を一方的に破棄した侵攻、満州での悲惨な体験、そしてシベリア抑留と、一時期の日本人の社会主義への幻想もあり明確な非難の形はとらないものの、被害の側面が意識されがちである。 ついでアジアにおける戦争であるが、中国との戦争は、戦争原因はともかく、南京事件をはじめとする日本軍による「残虐行為」のイメージが強い。東南アジアにおける戦争は、イギリス、オランダといった宗主国を相手に戦った戦争であり、現地住民を敵としたものではなかったが、その過程において強制労働など華僑を中心に住民に被害を与えた点は否定し得ない。一方、これら地域が戦後独立した結果から、「アジア解放」の戦いであったと見做す日本人も少なからず存在していると言えよう。又、朝鮮と台湾に対する植民地統治の問題が存在するが、これは直接太平洋戦争とは関係がなく、むしろ帝国主義時代を世界史のなかにいかに位置付けるかの問題である。もちろん太平洋戦争期におけるいわゆる「強制連行」の問題も存在するが、太平洋戦争と植民地支配は一応峻別して考えるべきであろう。 このようにドイツと比較した場合、戦争局面は多様であり、それ故、「被害」と「加害」が重層的に混在しており、他方個人による戦争体験の相違の原因ともなっている。 又、戦争の意味合いも、日中戦争という同じアジア人同志の戦争、アジアを戦場とする欧米諸国との「人種戦争」49 、さらにはソ連との「イデオロギー戦争」など様々な解釈が可能であ 48 多面性理解の重要性については、伊藤憲一も指摘している。「戦争責任 真の歴史的事実を語れ」『産経新聞』1993 年8 月11 日付。 49 太平洋戦争の人種的側面を描写したものに、ジョン・ダワー・斎藤元一訳『人種偏見』TBS ブリタニカ、1987 年。 114 る50 。こうした文脈においてこそ、知識人をはじめとする多くの日本人が、12月8日の真珠湾攻撃を、重苦しい日中戦争からの脱却を可能にするものとして、感銘をもって迎えた現象を理解し得るのであろう51。竹内好は、日本の戦争は侵略戦争と同時に対帝国主義戦争といった二重性を有しており、後者については日本だけが一方的に責任を負う必要はないと指摘していた52。 したがって、戦争原因についても、日本の侵略から、「自存自衛」、アジア解放まで様々であり、世論調査においても、「太平洋戦争は侵略戦争であった」=52パーセント、「資源の少ない貧しい日本が他国に軍事進出したのは、生きるため止むを得なかった」= 45 パーセント、「太平洋戦争において日米双方に責任がある」= 56 パーセントというように、一見相反する複雑な結果を示しているのである53 。 第二に、主体的選択の有無である。ドイツにおけるナチスと比較した場合、当時の国民が積極的に政策決定に賛同・支援していたか否かは、明確ではない。戦時下という特殊な情勢のなかで、単に追随していかざるを得なかった多くの国民が存在したことも否定できないであろう。こうした事情が、原爆、空襲などの被害意識と相俟って、加害意識を持ち難くしているのも自然ではないだろうか。原爆が被害意識も含む日本人の戦争観に多大な影響を与えている点は、ドイツ人も指摘しているところである54 。 第三に、第二点との関係で、ナチスにあたる組織がなかったがゆえに、戦前・戦中における負の側面の責任、換言すれば「戦争責任」の大半を旧日本軍、特に陸軍が一手に背負わざるを得なかったことも指摘しておかなくてはならない。ナチスのような私的な一政治組織であれば、国民と分離して、それを断罪・糾弾することは比較的容易であるが、徴兵制に立脚した軍隊の場合、問題は特定の軍隊組織にのみ留まらず、国民的広がりを持つことになる。遺族会をはじめ種々の団体が、「侵略」と見なすことに抵抗する所以は、まさにここに存在するのであろう。 戦後の靖国神社、さらには国内外における自衛隊の認知をめぐる問題も、この点に起因している。 近年、国防軍による直接的なホロコースト関与が明らかとなったドイツにおいては、これまでナチスに全面的に責を帰し、「全体の罪否定論」の立場から「無垢な国防軍」としての神話が 50 戦争形態の諸類型については、丸谷才一・坂本多加雄・半藤一利「『大東亜/ 太平洋戦争』論の類型学」『東京人』112 号(1997 年1 月)89 ~ 102 頁。 51 文化人の反応については、櫻本富雄『戦争はラジオにのって』マルジュ社、1985 年。 52 竹内好「戦争責任について」『現代の発見-戦争責任』春秋社、1960 年、13 頁。 53 門田允宏「戦後50 年・日本とアジア」『放送研究と調査』45 巻4 号(1995 年4 月)、25 頁、秋山登代子「日本人の平和観」『NHK 放送研究と調査』33巻4 号(1983 年4月)、11頁、辻知広・秋山登代子「日米開戦から50 年」『同前』42 巻2 号(1992 年2 月)、14 頁。 54 ヴァイツゼッカー元大統領の指摘。中日新聞社編・永井清彦訳『ヴァイツゼッカー日本講演録 歴史に目を閉ざすな』岩波書店、1996 年、65 ~ 66 頁。 115 成立していただけに、大きな論争を呼び未だに決着はしていないのである55 。ドイツも戦後半世紀以上たって、漸く日本と同様の難問に直面したと言えよう。 第四に、近世末まで続いていた、華夷秩序に象徴される東アジア特有の文化的階層の問題である。その後19 世紀後半以降は、日本が最も近代化に成功することにより、従来の関係が全く逆転するにいたる。こうした歴史的変遷に由来する、日本と中国、韓国といった近隣諸国との間に、劣等感と優越感との複雑な関係が生ずることになり、その微妙な関係は、人種的同質性ゆえ、より促進されることになったのである56 。植民地支配をめぐる日韓関係に、特に端的に表れており、創氏改名・神社参拝といった「皇民化政策」に象徴される、欧米とは異なった独自の植民地統治を日本が行ない、一方朝鮮においては絶えざる独立運動が展開され、現在にいたるもその「怨念」が容易に解消しない所以も、この文脈で理解することが可能であろう。 加えて、近代以降にあって、中国及び韓国にとっては日本が対外関係の主な対象国であり、したがって「抗日戦争」、「日帝36 年」という言い方がなされるが、一方、日本にとっては欧米諸国、ソ連などを含めた国際関係のひとつに過ぎず、相互関係に対する重点のギャップが存在しており、歴史認識における相克を生む背景となっている。例えば、中国は日清戦争以降終戦までの50 年を重視し、日本は幕末・明治維新以降150年のなかで歴史解釈を行なうといった点である57 。 一方、日本人の中国観に関しては、歴史認識同様変化が見られる点も指摘しなければならない。従来は、広大な大地、悠久の中国文明への憧れ、「同文同種」の意識、戦後日本において広く見られた社会主義への傾倒、そして日中戦争に対する贖罪意識、にもかかわらず大目に見ている中国の寛容さへの敬服(80年代前半まで)といった感情によって、中国観が規定されていた点は否定できないが、近年中国に対するタブーが徐々にではあるが払拭されつつあり、中国人及び中国史に関する、「蔑視」とは質の異なる辛辣な評論も目立つようになっている58 。しかし、軍拡などの軍事や、チベットに象徴される人権問題に関しては、一部脱しつつあるもののタブーは厳然として残っている。 第五に、日本人特有の戦争・平和観がある。同じ敗戦国であるドイツと比較した場合、日本人の「反戦・平和」への思い入れは絶対的なものであり、猪木正道は、「国際的視野を欠いた独 55 庄司潤一郎「統一ドイツにおける『過去』の展示と歴史認識」『防衛研究所紀要』第3 巻第2 号(2000年11 月)50 ~ 59 頁。 56 田中正俊「アジア研究における感性と論理」遠山茂樹他編『歴史像再構成の課題-歴史学の方法とアジア-』御茶ノ水書房、1966 年、268 ~ 269 頁。 57 山田辰雄編『日中関係の150 年』東方書店、1994 年、2 ~ 3 頁。山田は、日中関係を「相互依存・競存・敵対」の側面から、多面的に見る必要性も説いている。 58 例えば、歴史・文化分野では中嶋嶺雄、渡部昇一、岡田英弘、古森義久、黄文雄、軍事分野では平松茂雄などの著作に代表される。中嶋、柴田穂などは、文化大革命の頃より批判を行っていた。 116 善的な空想的平和主義」59と批判するが、一方、日本の平和主義は、ドイツ人に比べ日本人の方が、戦争責任と深刻に格闘している証であるとの意見もある。確かに、広島、長崎に対する人類初の原爆投下という特殊事情は存在するものの、こうした観念が戦後半世紀以上依然として影響力を持っているのは、日本固有の現象であろう。 いずれにせよ、そうした観念を生み出した要因として、真の意味での戦争体験の欠如が指摘されている。例えば、村上兵衛は、「日本人は真に戦争を体験しなかったし、戦後戦争を直視することを忌避してきたため、『被害者の立場・加害者の立場』などコトバの遊戯に耽った」60 と指摘している。又、坂本多加雄は、「今日の日本ほど戦争について真剣に考える条件に恵まれていない国はなく、そのため戦争をめぐる安易で怠惰な思考と、しかもそのことを道徳的だと自認している倫理的安直さが広く見られる」61 と批判していたのである。 確かに、一般の日本人にとっては、沖縄を除けば戦場が外国であり、満州など一部を例外として、実際の戦場での体験は皆無と言ってよい。したがって、世論調査などでも、「苦い戦争体験」といった場合、食糧難や空襲がその実例である62 。 国土が戦場として焦土となり、敗戦によって惨めな境遇を強いられ、東方地域など枢要な領土を失い「追放」を体験したドイツ人が、「解放」と同時に「敗北」を実感するのに対して、日本人の意識にあるのは「終戦」であり、ある意味で「敗けて良かった」と感ずる人も少なくない。戦後の冷戦時代においても、ドイツ人は常に核をはじめとする戦争の危機に直面していたのに比較して、日本人の危機感は一部政治スローガンとして喧伝された程のものではなかった。 と同時に、日本人には、ドイツ人と比較した場合、「戦争」と「虐殺」を混同して「戦争」全般を忌避する感情が濃厚である。ドイツは、両者を明確に峻別したうえで、「戦争」そのものは否定していない。それ故に、ヒトラーの再来を許してはならないとの「過去の反省」から、ミロシェヴィッチの虐殺を抑止するために、戦後初めてNATO域外に、連邦軍の実戦部隊を派遣したのである。彼らにとって、「新たな平和の構築」、「第二のホロコーストの抑止」が、「反戦」を凌駕しており、「過去の反省」の文脈においても何ら矛盾は存在しないのである。 日独両国の戦争観を比較した『戦争の記憶』で脚光を浴びたオランダ人ジャーナリストのイアン・ブルマは、日本人の戦争観の特殊性を指摘し、「戦後の日本は、ドイツと異なり国防に関して『ノーマル』な国ではなかったが、『ノーマル』になることによって初めて、ドイツのように過去を討論できる国になる」と戦争観と歴史認識との関係に言及していたのである63 。 59 猪木正道『軍国日本の興亡-日清戦争から日中戦争へ-』中公新書、1995 年、まえがき。 60 村上兵衛『国家なき日本-戦争と平和の検証』サイマル出版会、1996 年、191 ~ 200 頁。 61 坂本多加雄「戦後50年 問われる日本人の歴史感覚」『中央公論』1995 年9 月、64 ~ 65 頁。 62 秋山登代子・謝名元慶福「戦後40年をふりかえる」『NHK 放送研究と調査』35 巻12 号(1985 年12 月)、2 ~ 3 頁。 63 イアン・ブルマ・石井進平訳『戦争の記憶-日本人とドイツ人』TBSブリタニカ、1994年、388~390頁。 117 おわりに 終戦直後の太平洋戦争に関する議論は「戦争責任」と不可分であり、「東京裁判史観」やマルクス主義などイデオロギー解釈が盛んであった。一方、このような見方に対して「昭和史論争」が行われ、さらにその反動として「大東亜戦争肯定論」まで現れた。その後マルクス主義から派生した「加害者責任」の検証・追及とともに、他方では脱イデオロギーの実証的な研究が新たに進展していったが、歴史認識をめぐる議論は回避され研究の分極化・細分化を促進していったのである。 一方、政治の場においても、太平洋戦争の解釈に正面から取り組むことを避けてきたため、「不戦決議」、戦後補償、教科書問題などの議論が起るたびに政治問題化するにいたった。外交上では特に近隣諸国の厳しい批判を浴び、閣僚が「失言」により辞任するといった状況が続いている。 しかし、冷戦崩壊後、状況は大きく変わりつつある。日本では、社会主義の崩壊を受けて、「従軍慰安婦」をはじめとする日本による「残虐行為」の究明・糾弾がやや過剰になされたため、近年戦後初めてといっても過言ではない国民的な広がりをもった反発が運動となって展開されている。しかし、「素人」が主体となっていることもあり、極端な議論も散見され、それが近隣諸国をより刺激する結果を招いている。特に、昭和57 年の「教科書事件」以降、日本における歴史認識問題は、近隣諸国との外交・友好関係とリンクすることになり、より複雑さを増しつつある。すなわち、日本、中国、そして朝鮮半島の北東アジア地域における歴史認識をめぐる諸問題は、各国における「不透明なアイデンティティー」と「健全でないナショナリズム」に起因し、相互に悪循環を起こしているというのである64 。 一方、歴史認識問題が「政治化」し易く、憲法、防衛問題、平和運動などと不可分となっていることが、歴史解釈についての冷静な議論を阻害する要因となるとともに、議論の両極化を誘発している。その象徴が、「不戦決議」であり、昨今の歴史教科書をめぐる論争である。最近の新しい歴史教科書をめぐる議論も、多くの国民が関心を有してはいるものの、「昭和史論争」で提起された問題が十分議論されることなく未解決のまま残されており、「なぜか知的興味にかきたてられるところもないし、何より冷戦時代の色あせたイデオロギー対立のぶり返し」に終始しているとの指摘もある65 。 いずれにしても、以上のような日本人の歴史認識の背景には、イデオロギー、及び地理的・ 64 Charles Hill,“Fighting Stories:The Political Culture of Memory in Northeast Asian Relations,” Remembering and Forgetting The Legacy of War and Peace in East Asia, Gerrit W. Gong,eds(. Washington,DC:The Center for Strategic and International Studies,1996),pp.1-18. 65 横田洋一「積み残された『昭和史論争』」『THIS IS 読売』1997 年3 月、71 頁。 118 歴史的要因に起因する戦争体験とそれに規定された特殊な戦争観が存在していることは否定できない。この点が同じ敗戦国であるドイツと異なるところでもある。前述したブルマは、「日本では憲法解釈をはじめイデオロギーが分裂しており、それが歴史解釈にまで影響を与え、歴史の仮面を被った国内政治論争となり、合理的な歴史論争にならない」66 と指摘しているのである。 近年の動向の背景として、冷戦下封印されていた日本の戦争責任をめぐる問題が漸く表面化したとの議論もあるが67、むしろ「歴史」を舞台に日本そして東アジアでは今も「冷戦」が続いていると見るべきであろう。冷戦時代は、政治、経済政策や防衛問題を軸にイデオロギー対立がなされたが、社会主義崩壊以降歴史を軸に展開されているのである。 一方、「自虐史観」をめぐる議論も、林健太郎が指摘するように、「事実相違のことは否定しなければならないが、自己の誤りを認めることを『自虐』などと言って拒否するのは『自卑』、すなわち自己を卑しめかえって自己を傷つけるもの」68 であろう。 しかし、それが行き過ぎた場合は別であるとの見解もある。例えば渡辺利夫は、「自民族の歴史を悪しざまに論評してしたり顔の評論家や学者があとを絶たない。他方、栄光の歴史は引き受けるが、汚辱の過去はこれを抹消したいという幼稚な心理。他者の目に自分の行動がどう映じているかを極度に気にし、他者の視線に強迫的におびえる」といった特色を指摘し、それは「神経症」であると冷ややかに見ていた69 。 本論で考察してきたように、戦後日本の歴史認識をめぐる複雑な状況においては、特に近隣諸国との関係に対して、相対的には「加害」の立場にある日本人として最も安易な処し方は、事実を無視する・触れない、開き直って自己を正当化するほか、逆に過度に自虐的になることであるとも指摘されている70。すなわち、「どうしても背負っていかねばならないジレンマに耐えられないとき、正義感に安易にとびつくのが、一番気楽な選択であると同時に『精神の惰性』である」というのである71 。 いずれにしても、冷静かつ謙虚に歴史認識の問題と向き合うことが必要であるが、それが極めて禁欲的な作業であることは言うまでもない。 66 澤地久枝・イアン・ブルマ「日本とドイツの戦後を問う」『現代』1995 年6 月、64 ~ 65 頁。 67 吉田裕『日本人の戦争観』岩波書店、1995 年、231 ~ 232 頁、前掲『戦争責任論』251 ~ 253 頁、前掲「戦争責任論再考」30 ~ 33 頁。 68 林健太郎「教科書で書くべき歴史」『THIS IS 読売』1997 年3月、59 頁。 69 渡辺利夫『神経症の時代』TBS ブリタニカ、1996 年、13 ~ 15 頁。又、岸田秀は、「偽りの謝罪」としたうえで、マゾヒストというよりむしろナルシスト的傾向を指摘していた。岸田秀『日本がアメリカを赦す日』毎日新聞社、2001 年、178 ~ 182 頁。 70 特に朝鮮との関係では、角田房子『閔妃暗殺』新潮社、1988 年、364 ~ 365 頁、田中明『朝鮮断想』草風館、5~7頁。 71 中西輝政「歴史とどう向き合うか」『諸君』2000 年2 月、45 ~ 46 頁。 「太平洋戦争」観の変遷 付図 119 もどる →戦後日本における歴史認識―太平洋戦争を中心として―(1) 日中歴史共同研究
https://w.atwiki.jp/yamikitan/pages/71.html
東京湾湾内の開発~天震災、退魔庁設立 民間退魔師への監視、処罰案件が増加 「湾岸区」拡大~北地区閉鎖 妙神岩に対する作戦失敗 久我家本家惨殺事件 退魔庁人事異動 エッテンノイラム出現・襲撃事件 氷神 真奈美らが退魔2課へ異動 天都姉妹行方不明事件 退魔庁汚職事件 MM-Breakers office設立。特定淫魔エクリプスの出現。同時期に太平洋湾岸部に淫魔発生事件が増加。 エッテンノイラム活動再開 月読亨誘拐事件、ほぼ同時期にオフィスMYB設立 東雲明日香他、退魔4課の任務失敗。およびオフィスMYB所属者が淫魔によって大打撃を受ける 退魔部大規模人事異動、都外での淫魔出現増加。 特定淫魔ボーンテッドの出現 東京湾湾内の開発~天震災、退魔庁設立 「新規東京湾開発計画」として新空港の建設を含めた開発計画が立案、認可の後に工事が開始。 だが、直後に「天震災」と呼ばれる地球規模の天変地異が生じ、東京湾にも後に「妙神岩」と呼ばれる巨大なストーンサークル状の物体が出現する。 東京湾に出現したストーンサークルは宙に浮いており、巨大な岩塊の周りに小型の岩塊がいくつも浮遊している形状。「妙神岩」出現と同じくして発生が確認された「オカルト」として公式には認められなかった霊的・妖魔的怪異が頻発。 防衛省などによって「対策室」が設置、紆余曲折の後に「妙神岩」への研究と怪異事件の原因たる淫魔・妖魔の対策に特化した部署が必要とされ、独立した機構として「退魔庁(国際的名称:Apparition Sweepers Agency)」が設立される。 湾内埋め立て作業は第一次埋め立て工事の段階で中断していたが、完了部分を活かす形で退魔庁庁舎(第2庁舎完成後に旧庁舎と呼ばれる)、民間研究施設、人員および物資輸送ヘリポートなどが建設。 この時点では怪異事件の発生および被害度合いは、C.A.A.C.E.の地域ほど苛烈な物ではなく調査研究が主目的とされていた。 将来的な人材確保も急務であり、ここで初めて公的(法的)に「退魔師」が認定されることとなる(法により資格認定を受けた国家公務員、あるいは嘱託職員の形で外部より退魔庁にて雇用される準国家公務員であり、退魔装備の所持や使用についての制限も厳格であった)。 退魔庁による怪異事件の「水際での処理」により、従来の都内における怪異事件の発生率は減少。退魔庁の権限は上がり優先的な担当者として湾岸地区外でも執行権利を発揮するようになる。 民間退魔師への監視、処罰案件が増加 民間退魔師の認可に応じると共に、公安調査庁、公安警察による退魔師に対する監視および逮捕などの任務が追加。当初は退魔庁内部に公安を設置する案もあったが、人員確保の面から断念。 両者の役割は怪異事件を巡る民間退魔師や、その雇用主の犯罪を取り締まる目的で存在するものである。認可されたばかりということもあって、スポンサー共々多くの事案で厳罰が下された。 「湾岸区」拡大~北地区閉鎖 南部完成に伴い、退魔人材の人口なども踏まえて行政特区として南北を含めて改めて行政区の1つ「湾岸区」と認定。 拡大工事終了により、妙神岩からの脅威度が上昇していた24区北部の民間使用の終了と閉鎖が決定。 研究結果を元に対策として「埋立地そのものを大規模な結界」とする建設計画を提案。第5次埋め立て計画は事実上の「封印措置」として妙神岩を囲むようにして厳戒体勢で行われた。 「結界柱」の建設と、外周を移動霊器としての「結界鉄道(地下鉄)」の敷設、24区北部外周を囲む「結界壁」、最終的にそれらの動力となる専用火力発電所の建設など、対妙神岩三重結界」の建設に注ぎ込まれた予算は膨大なものとなった。 行政・立法府で大きな紛糾したが、安全保障には代えられないため、最終的に当初の予算よりもさらに上乗せされた形で承認。対妙神岩結界の建設を完了。前後して南北の埋立地は(北側埋立地を囲む結界壁を挟んで)接続され、湾岸区は一つの土地として成立する事となった。 以降24区南部(通称25区)が主な退魔庁・退魔師の拠点地として使用されることになる。 この段階で、東京湾岸空港(新空港東京)は開設しており、ビジネスフロントとしての土地需要が南埋立地に成立した事もあり、退魔分庁は事務所を改め第2退魔庁舎として改築。区役所も南埋立地に改めて建設された。 妙神岩に対する作戦失敗 結界敷設以降、平穏な時期が続いていたが、結界により封じた妙神岩の力が蓄積・放出の場を失ったことで起こったと推測される淫魔たちの大量発生事件が発生。 事態収拾のために作戦立案・実行した退魔庁であったが、退魔3課の御神楽琴歌による妙神岩狙撃による「妙神岩の破壊(失敗に終わったが妙神岩の一部破壊など一定の効果を上げた)」や、「妙神岩侵攻作戦(2回実施。1課のメンバーをフル動員したものの、メンバー負傷による撤退を余儀なくされる)」は失敗したものの、それらが妙神岩に対するダメージとなったのか、妖気を一時減少させて北埋立地内での混乱収拾の時間を稼ぐことに成功した。 久我家本家惨殺事件 退魔師の有名な家系である久我家本家が、特定妖怪胡によって襲撃・惨殺される。数々の妖怪に変化する胡は、この際は牛鬼の姿で紫苑ら家族を襲った。 激しく凌辱されたものの久我 紫苑が奇跡的に生存。左前腕部や視力などを失ってしまうが、復讐のために紫苑はサイボーグ化の道を選ぶ。 この事件において、無事に逃げ延びたのは、当時一緒に暮らしていた従妹の竜胆 麻衣のみ。その1年後、紫苑は退魔庁入りをする。 退魔庁人事異動 突入作戦失敗後、一ヶ月を空けて退魔1課主任であった東雲明日香が退魔4課課長へ異動。 課長へと昇進しているが、1課を外れたということは作戦失敗に伴う事実上の更迭人事。 エッテンノイラム出現・襲撃事件 エッテンノイラムと自称する非常に強力な人型の姿を取る淫魔の存在が確認、高度特定淫魔と認定される。 任務巡回中に偶然クリスティナ遭遇し敗北。 この際、クリスティナはエッテンノイラムの「実験」により半人半魔の身体にされてしまう。 しかしながら、強靭な精神力により融合した淫魔を征服したものの、このままではいつ暴走するか解らないと判断し彼女は消息を絶つ。 後に生存が確認されるも退魔庁に復職せず除籍。ライセンス失効。 氷神 真奈美らが退魔2課へ異動 退魔庁対魔部の各課でも有名だった問題児たちである氷神 真奈美と火爪 朱恭が実力に合わせて退魔2課へ異動。 先に所属していた久我 紫苑と打ち解けたことから、合わせてトリオ・ザ・退2と呼ばれるチーム(?)に。 だが、性格上問題のある真奈美と経歴的に複雑な紫苑という2課における問題を抱え課内に軋轢が生じ始める。 天都姉妹行方不明事件 新たに出現した特定淫魔ラスティーパの暗躍により、天都茉莉ら三姉妹が襲われ行方不明に。 長女の葵が腕利きとして知られていたため、界隈では大きなニュースとなった。 同時にラスティーパ主導による魔物による要人襲撃が急速に増える。こちらは多少の被害は出つつも葛城 悠らによって鎮静化。 また、同時期に退魔庁内外に公安警察など内偵する案件が急増。かねてから監視していたC.A.A.C.E.の粛清者への対応強化と、元1課の3人の所在確認と監視を強める。 退魔庁汚職事件 当時の対魔部部長の上遠野 七海による、国家反逆罪レベルの汚職事件が発生。 逮捕後、裁判を待たずに行方不明となり、一時物議をかもす。これにより、人事異動として朱堂 沙織が対魔部部長へ昇進、黒鳥 美影が出向先のブリテンより帰国、退魔1課課長へ配属。 他の部署の人事異動も行われ赤木 冴が退魔4課から転属。退魔5課課長へ史上最年少で就任(のちに5課は4課に統合される)。 MM-Breakers office設立。特定淫魔エクリプスの出現。同時期に太平洋湾岸部に淫魔発生事件が増加。 水鏡 雷奈が明神 焔と出会い、フリーの立場から事務所設立で所長となる。後に片桐 紗理奈も加入。 八剣 篝]姉妹らが[[エクリプスの奸計により窮地に立たされるが、雷奈によって救出される。篝による一方的な敵意で反目し合う仲であったが、この事件をきっかけに懇意に。 同じころに太平洋沿岸部に大規模な淫魔発生。特に外房地域で海洋系淫魔による被害が増大し、民間退魔師に任務が委託され、多くの任務が遂行されるも、その際に影崎 和葉が消息を絶つ。後に従兄の叢瀬 翔により救出される。 また、この頃より翔とクリスティナがそれぞれ無免許の状態で活動を開始する。 エッテンノイラム活動再開 確認されてる最も危険な特定淫魔であるエッテンノイラムが、クリスティナを襲って以来の活動再開。多数の退魔師を再起不能にする。 神奈と夏樹、クリスティナの3名による討伐が行われたが逃走される。 月読亨誘拐事件、ほぼ同時期にオフィスMYB設立 C.A.A.C.E.過激派研究メンバーにより、月読亨が誘拐される事件が発生。激しく衰弱をしたものの、単独突入した翔により無事救出される。 この際に翔は過激派を粛清に来たラヴィニア・ヴェルデと交戦、退けている。退魔4課の鳴戸 真紀が、公安警察らと協力して当該事件の事後処理を行う。 解決後、風原 みなみが二人が事件に巻き込まれた一因は、マンションの立地にもあり自分にもあるとして、居住地を新たなマンションへと移す。 また、同時期に水鏡 雷奈と八剣 篝が事務所を合併統合、オフィスMYBとして新事務所をみなみのマンションの上階に移す。 東雲明日香他、退魔4課の任務失敗。およびオフィスMYB所属者が淫魔によって大打撃を受ける エッテンノイラムやノーフェイスなどが同時期に活動。 この事件により、東雲明日香、天羽刹那、クリスティナ・アイゼンクロイツら退魔庁関係者や、水鏡雷奈らがそれぞれ淫魔らに凌辱をされる窮地に陥ったが、全員心身に傷を負いながらも生還。 退魔部大規模人事異動、都外での淫魔出現増加。 名古屋支庁の人的問題から、武者小路 慎三が名古屋支庁対魔部の部長へと異動。 代わりに心身の傷が癒えた東雲 明日香が退魔2課課長に転属。新しく退魔4課に札幌支庁より転勤してきた和月 莉子が着任する。 同時期には妙神岩がある東京湾周辺が圧倒的に多かった大型淫魔たちの出現が主要都市で報告される。地方都市では観測されていないところを鑑みるに、人口密集地を前提に活動している裏付けが取れ、名古屋支庁では草薙 颯らによる制圧で迅速な対応が行われた。 特定淫魔ボーンテッドの出現 これまでとは違う強力な淫魔、ボーンテッドが確認される。 確認された時点で、既に多数の退魔師の死者が出ていることが判明。該当淫魔に襲われた場合、生存者はいないことも確認された。 群を抜いて活動が盛んなのがボーンテッドとなった。彼(?)による被害者は増える一方、退魔庁側も対処のためにかなりの人員を割くが、殉職者が相次ぐ。 その中には退魔4課の遠藤このはも含まれ、ボーンテッドは神奈の仇敵となった。
https://w.atwiki.jp/wrubg/pages/19.html
オランダの動画。 マリファナと児童ポルノと巨人の国。その類は自分は扱いません(笑)。 車関連系と路上での喧嘩などを紹介します。 タイトルに釣られて見てしまった動画。米国ほど道幅が広くない為に、カーチェイスはし辛いようです。 フェラーリ!!!!!!!
https://w.atwiki.jp/6war/pages/926.html
基本情報 名前 メネシアス 生没 ルーイガルド (生年不詳~15429) 出身 シャクティアナ帝国 種族 魔族 性別 男 略歴 シャクティアナ帝国領主ファルサスが私財をもって集めたファルサス派閥の一人。 しかし、自身の栄達や仲間の足を引っ張ることしか知らない野心家であった。 ファルサスの命令によって隣接する領地に潜伏し様々な情報を仕入れていたが、自分では大手柄になると思った「傀儡の術の書」を手に入れたことが、デュアーが手に入れた七巫女の情報の前に完全に霞んでしまい、さらにファルサスによって七巫女収集の手助けをしろと命令される。 これを不満に思ったメネシアスは独自に行動することを決意、エルフ狩りの最中に見つけたイリアを、七巫女と知っていながら報告しないで自身で監禁した。 その後、サラ領土奪還に興味が傾いたファルサスは、七巫女捜索を中止して奪還軍に合流しろと伝令を送るが、メネシアスはこれを黙殺し、ゴッズと共にスーリアが治めるエルフの隠れ里に乗り込んでバルニア、エスクードを一蹴、七巫女であるティファ、ルシーダを奪い去る。 明確な独立宣言をしたわけではないが、サラ領土奪還作戦にもサボタージュを決め込んだ為、この時点で反乱軍という扱いとなる。 しかし、システィによってアジトに攻め込まれ、実力の差を見せ付けられて敗北、隠し脱出口からかろうじて逃げ出す。 だが、その脱出口の外に同じくアジトを突き止めて今まさに乗り込もうとしていたバルニアと遭遇、既にシスティとの戦いで傷ついていた彼は、バルニアによって討ち取られた。 最後に命乞いの為、様々な情報、更には傀儡の術の書物まで手渡すが、バルニアはかつて受けた屈辱を返すべく、躊躇なくメネシアスを斬った。 人物 バルニアに倒された時、彼はシスティとの戦いで傷ついていた為、本来の実力ではなかった。しかし、それを知らないバルニアは、自身がここに来るまでに鍛え上げた結果だと思い、この一件で「力を手に入れる」ことの快感に目覚めた。その意味では、間接的にバルニアを狂わした人物でもある。 関連項目 Seven Prison
https://w.atwiki.jp/orbiscountry/pages/36.html
東インド連邦王国 (国旗) (諸侯王国旗) インドネシア マレーシア シンガポール自由都市 ブルネイ 地図 国名 東インド連邦王国 国歌 East India Song of Unity 国の標語 Bhinneka Tunggal Ika (古ジャワ語 多様性の中の統一) 産業 製造業、石油、天然ガス、ゴム、米 国家元首 マハティール・ビン・モハマド 政治体制 立憲君主制&連邦制 人口 2億9900万人 GDP 1兆8500億ドル 通貨 アス(AS) 所持CD 78万 軍隊 海軍重視であるが、歴史も長い空軍や政府に影響力のある陸軍が存在する。 国教 イスラム教国であるが、信教の自由を約束している。 概要 インドネシアはオランダから独立した1946年に勢力を拡大し、1948年から1950年に領土を拡大させた。同時にアメリカとソ連との軍事同盟に参加し、ヨーロッパの国々に対して領土拡大に対する非難を退けた。 同時に1970年代までに安定化の為、様々な経済政策を行い、経済成長はタイと並ぶほどの成長をもたらした。1980年代は「ルックイースト政策」を行い、中国や日本などのアジア諸国に目を向けた。 内政 メガロポリス シンガポール、ジャカルタ、クアラルンプール 大都市 ブルネイ、スラバヤ、マラッカ、サマリンダ、マカッサル、ブカシ、メダン、パレンバン、スマラン、バンダールランプン、プカンバル、パダン、デンパサール、バンジャルマシン、ポンティアック、ジャンビ、マタラム、クパン、マナド、パル、ブンクル、ケンダリ、アンボン、パランカラヤ、タンジュン・ピナン、バンダ・アチェ、テルナテ、ゴロンタロ、ジョホールバル、ペナン、クチン 中小都市 バンドン メガロポリス内の中小都市 都市名 シンガポール オーチャード「赤」、チャイナタウン「朱」、リトル・インディア「橙」、ブギス&アラビアストリート「黄」、シェントンウェイ「黄緑」、ホーランド・ヴィレッジ「緑」、カトン「水」、リバーサイド「青」、シティ「紫」、マリーナ「ピンク」、セントーサ島「黒」、パタゴニアン・シェルター「灰」 兵舎 シンガポール 航空工場 ジャカルタ 海軍工廠 シンガポール 施設 施設 国民満足度 スラバヤ スカルノ歴史博物館(+20) シンガポール シンガポール戦記念歴史博物館(+20) ユニバーサルスタジオ・シンガポール(+30) マラッカ マラッカ歴史博物館(+20) 企業 本社所在地 企業名 資本金 シンガポール ペトロ・シンガポール公社 1000万 ジャカルタ 大東印航空 1000万 インフラ 鉄道 カリマンタン鉄道(ブルネイ~サマリンダ間)(300万DC) 高速道路 マレー高速道路(シンガポール~マラッカ~クアラルンプール間)(500万DC) ジャワ島横断高速道路(ジャカルタ~バンドン~スラバヤ間)(500万DC) 高速鉄道 スマトラ高速鉄道(シンガポール~ジャカルタ間新幹線)(800万DC) 貿易 国際空港 ジャカルタ(500万DC+IT集積地400万DC) 国際貿易港 シンガポール(500万DC+石油コンビナート400万DC) マラッカ (500万DC ドイツからの援助) 航空路線 空港間貿易 国際空港 ジャカルタ アトランタ(南部アメリカ)間 30万(15万) ウィーン(オーハン帝国)間 30万(15万) ヴェネツィア(北イタリア)間 30万(15万) コーンケン(シャム) コーンケン国際空港 30万(10万) コナクリ(ソンガイ)間 30万(15万) ジブチ(ジブチ)間 30万(15万) ストックホルム(北欧評議会) 90万(45万) バンコク(シャム) ラーマ三世記念空港 30万(15万) バンコク(シャム) スワンナプーム国際空港 30万(10万) ブエノスアイレス(パタゴニア) 30万(15万) パタニ(シャム) 連邦記念空港 30万(10万) ヘルシンキ(フィンランド) 90万(45万) パリ(フランス)間 30万(15万) ローマ(南イタリア)間 30万(15万) ンジャメナ(プロビア)間 30万(15万) シンガポール アトランタ(南部アメリカ)間 30万(10万) ヴェネツィア(北イタリア)間 30万(10万) ストックホルム(北欧評議会) 90万(30万) ローマ(南イタリア)間 30万(10万) 海運航路 船舶間貿易 国際港 シンガポール プエルト・デ・ラ・レイナ(エスペランザ)間重石油貿易 400万(80万) ハンブルク(ドイツ)間軽貿易 400万(50万) 東京(日本)間軽貿易 400万(50万) マラッカ マダガスカル(マダガスカル)間軽貿易 400万(50万) ラヴェンナ(北イタリア)間軽貿易 400万(50万) 軍隊 陸軍 歩兵12(リーガル・マニトバ特注仕様とイエローナイフ・ボルトアクションが120丁ずつ) 海軍 無し 空軍 無し 外交 参加している機構 アフラジア会議 ハンザ同盟 シンガポール海峡機構(形骸化) 汎地中海通航協定(ジェノヴァ条約) カリブ海経済機構 (この機構に参加している国と国交樹立) 〇日本 国交樹立後、通商条約を横浜で締結。 〇ドイツ 国交樹立後、通商条約並びにドイツ東インド会社の開業式をシンガポールで行う。初の貿易国家であり一番の友好国。 〇南部諸州連合 初の航空会社、「大東印航空」の就航先、アトランタ五輪開催に合わせて航路が開かれた。 〇オーストリア=ハンガリー二重帝国 「大東印航空」の二番目の就航先。 〇オーストラリア連邦共和国 単体で三番目に国交を樹立した国。 軍事同盟締結国 シャム、インドとの東インド洋同盟 協会自治区(準軍事同盟、イエローナイフにて締結) 歴史 2021/01/02 建国、日本とドイツとの国交成立し、アジア統合会議に参加すると同時に会議に参加している国と国交を結ぶ。ドイツが首都シンガポールに東インド会社を開業。 2021/01/03 シンガポール海峡機構を設立と同時に機構に参加した国家と実質的に国交樹立。ブルネイに大都市建設。シンガポールに石油コンビナートを建設。 2021/01/05 大東印航空会社開業、ジャカルタ~アトランタ間の就航、ジャカルタ~ウィーン間を就航開始。就航により実質的に南部諸州連合とオーストリア=ハンガリー二重帝国との国交樹立。オーストラリアとの国交樹立。 2021/01/16 シャムと軍事同盟締結。(のちにインドとの三国の軍事条約への拡大) 2021/01/17 インドとデリーにて軍事同盟締結。協会自治区とイエローナイフにて準軍事同盟を締結。 2021/01/24 ドイツがマラッカに国際港を建てる。同時に日本が800万の寄付を提供する。 2021/01/25 大東印航空がシャムとフィンランドとの航路を開拓 2021/01/26 大東印航空がフランスとの航路を開拓。ジャワ島横断高速道路がマレー高速道路が開通。日本の800万の寄付金で建設した我が国初の新幹線であるスマトラ高速鉄道が開通。 2021/01/27 重貿易がフィリピンと接続 2021/02/28 シンガポールにパタゴニアの移民街、「パタゴニアン・シェルター」の完成
https://w.atwiki.jp/we11/pages/225.html
背番号 ポジション 名前 所属 生年月日 身長 体重 1 GK マールテン・ステケレンブルク アヤックス 1982.09.22 194cm 84kg 16 ミシェル・フォルム ユトレヒト 1983.10.20 183cm 86kg 22 サンデル・ボスフケル トゥエンテ 1970.10.20 184cm 84kg 2 DF グレゴリー・ファン・デル・ヴィール アヤックス 1988.02.03 181cm 69kg 3 ヨニー・ハイティンハ エバートン(イングランド) 1983.11.15 180cm 72kg 4 ヨリス・マタイセン ハンブルガーSV(ドイツ) 1980.04.05 182cm 72kg 5 ジョバンニ・ファン・ブロンクホルスト フェイエノールト 1975.02.05 178cn 76kg 12 ハリド・ブーラルーズ VfBシュツットガルト(ドイツ) 1981.12.28 181cm 79kg 13 アンドレ・オーイエル PSV 1974.07.11 184cm 75kg 15 エドソン・ブラーフヘイト バイエルン ミュンヘン(ドイツ) 1983.04.08 176cm 71kg 6 MF マルク・ファン・ボメル バイエルン ミュンヘン(ドイツ) 1977.04.22 187cm 80kg 8 ナイジェル・デ・ヨング マンチェスター シティ(イングランド) 1984.11.30 174cm 72kg 10 ウェズレイ・スナイデル インテル(イタリア) 1984.06.09 170cm 67kg 14 デミー・デ・ゼーウ アヤックス 1983.05.26 174cm 70kg 18 スタイン・スハールス AZ 1984.01.11 177cm 70kg 20 イブラヒム・アフェライ PSV 1986.04.02 180cm 68kg 23 ラファエル・ファン・デル・ファールト レアル マドリー(スペイン) 1983.02.11 174cm 70kg 7 FW ディルク・カイト リバプール(イングランド) 1980.07.22 184cm 77kg 9 ロビン・ファン・ペルシー アーセナル(イングランド) 1983.08.06 183cm 71kg 11 アリイェン・ロッベン バイエルン ミュンヘン(ドイツ) 1984.01.23 180cm 75kg 17 エリイェロ・エリア ハンブルガーSV(ドイツ) 1987.02.13 176cm 70kg 19 ライアン・バベル リバプール(イングランド) 1986.12.19 185cm 78kg 21 クラース・ヤン・フンテラール ACミラン(イタリア) 1983.08.12 183cm 78kg
https://w.atwiki.jp/shinsa/pages/49.html
情報科学における論理 テキストはこちら。 情報数学セミナー 情報科学における論理 小野 寛晰著 (株)日本評論社 ISBN 4-535-60814-8 目次 内容第1章 命題論理1. 形式化ということ 2. 命題と論理式 3. 論理式と真偽 4. 論理的に同値な論理式 5. 標準形 6. 形式体系における証明 7. トートロジーと証明可能性 8. cut除去定理 9. ブール代数 問題 第2章 述語論理1. 一階の述語論理 2. 述語論理の論理式 3. 構造 4. 恒真な論理式 5. 古典述語論理の形式体系LK 6. 完全性定理 内容 第1章 命題論理 1. 形式化ということ 対象言語とメタ言語の区別をする必要がある 2. 命題と論理式 命題および論理結合子、論理式、結合子の優先順位の定義 3. 論理式と真偽 真理値表の導入とトートロジーを定義する。また、部分論理式、付値、充足可能性の定義を行う。 与えられた論理式Aが恒真かどうかは決定可能である。(述語論理の場合とは異なる) 4. 論理的に同値な論理式 同値記号を導入。基本的なトートロジーの紹介 論理的同値性の定義。論理式の構成に関する帰納法 5. 標準形 論理和標準形 (DNF) 及び論理積標準形 (CNF) 標準形の存在定理 論理結合子の制限と存在定理 (論理和と「ならば」のみを持つ等価な論理式が存在する) 6. 形式体系における証明 シンタクスとセマンティクス。 形式体系LK (Gentzenによる、古典命題論理に対するsequent計算) の導入 式 (sequent) は Γ→Δ の形をとる (それぞれ論理式の列)。 公理 (始式) は A→A 推論規則は、各論理結合子に対する導入公理と除去公理、および構造に関するものからなる。 主論理式、副論理式 LKの証明図の定義、終式、証明可能性 7. トートロジーと証明可能性 トートロジーの概念を式にまで拡張。健全性 (soundness) と完全性 (completeness) (soundness) LKで証明可能な式はトートロジーである (complete) LKのトートロジーはLKで証明可能である (LKの完全性定理) LKにおいて証明可能であることとトートロジーであることは同値である。 ここでは一般のcut除去定理を用いない。式の分解と呼ばれる概念を用いて、完全性においてcutを持たない証明が存在することを示している。 LKの証明可能性は決定可能である。 8. cut除去定理 ここでは7.の内容から系として得られるものである。通常は証明木の構造を変換することによりこれを示す。 subformula property 規約の概念を用いた、証明可能性の決定方法 双対性と双対定理 ノート Hilbert流の形式体系 9. ブール代数 ブール代数、束の定義。双対擬補元 Hasse diagram ブール値付値 トートロジーであることと、ブール値付値が最大元であることは同値である。 問題 ウカシェビッチの三値論理 クレイグの補完定理 第2章 述語論理 1. 一階の述語論理 命題論理から述語論理へ、変数と定数、量化記号 2. 述語論理の論理式 言語を定義することについて 項、論理式の定義、束縛変数と自由変数、変数の出現 (occurrence)、閉じた式、閉包、項の代入、同時代入、部分論理式 3. 構造 述語論理のセマンティクスを定義する。 対象領域、解釈、構造 意味付けの定義。ここで変数の意味づけを行うために取っている方法はちょっと不自然 4. 恒真な論理式 恒真な論理式の定義、トートロジーの例を紹介。充足可能性の定義。 冠頭標準形の定義と存在定理 論理的同値 5. 古典述語論理の形式体系LK 命題論理のLKに量化記号に対する推論規則を追加したもの。 変数条件、固有変数の定義 cut除去定理 述語論理では証明可能性は決定不能である (Church) ノート Hilbert流の形式体系 6. 完全性定理 Gödelの完全性定理。述語論理のLKにおいて、恒真であることと証明可能であることとは同値である。 証明は略されている。命題論理と同様に証明できる? なお、5.にある通り完全性は成り立つが、恒真であるか (=証明可能であるか) は決定可能でないことに注意。 形式理論の定義、矛盾、無矛盾の定義