約 4,648,229 件
https://w.atwiki.jp/matsumura0ma/pages/18.html
よしのうち たなか よしかな ひろた 1000字ver
https://w.atwiki.jp/doc_exam2007/pages/70.html
ATIS調査報告第120号 日本軍における各種アメニティー 古森さん「歴史ロンダリング」(その2) 【復刻】産経古森義久記者の「歴史ロンダリング」(その3) 2007年5月作成のサイトなので、各所にリンクエラーがあります。 TITLE 古森さん「歴史ロンダリング」。(その3) AP記事を歪曲し訂正。 TAGS 古森記者,慰安婦,偽報,歴史ロンダリング DATE 05/22/2007 09 35 00 産経新聞が古森義久記者の捏造記事を謝罪訂正することに決定したそうです。 また、産経WEB上の5月5日付けの記事は、こっそりと訂正されています。 http //megalodon.jp/?url=http //www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm&date=20070521215740 何をどう何の理由で訂正したのでしょうか?少なくとも私には「謝罪訂正」の一文をWEB上に見出すことができません。どなたか探し出して教えてくださいませんか? 読者からの抗議の経緯は次のサイトです。許可を得て転載します。 http //dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-69.html ~~~~~~~~~~~~~~~~(以下引用) 2007/05/21/Mon 産経新聞が古森義久記者の捏造記事を謝罪訂正することに決定したよ [慰安婦問題]産経・古森氏が、また歪曲報道 http //dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-61.html ↓ [産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について http //dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-62.html ↓ [産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」誤報について(2) http //dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-63.html ↓ [産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」捏造疑惑について http //dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-64.html ↓ [産経に電凸] 古森記者の「米軍の軍命令」捏造疑惑→確信へ http //dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-66.html の続きです。 産経新聞が、5月5日付けの古森義久記者によるAP電捏造記事を、 謝罪訂正する事に決まったよヽ(・∀・ )ノ ↓訂正内容 産経:「米軍が命令というのは誤りで、米軍が許可に訂正しますとして、5月22日の新聞紙面上、国際欄に訂正記事を出します」 とのこと なお「SankeiWeb」サイト上の記事は、すでに訂正してありました。 ↓こちら 占領時、米軍も「慰安婦」調達を許可 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明 http //megalodon.jp/?url=http //www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm&date=20070521215740 <リンク先に飛ぶのが、めんどくさい方は以下参照> ▼産経新聞・古森義久記者が捏造した記事 占領時、米軍も「慰安婦」調達を命令 ホンダ議員「旧日本軍は強制」言明 http //megalodon.jp/?url=http //www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070505/usa070505005.htm&date=20070506071615 (産経 2007/05/05 一部抜粋) >AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという… (中略) >AP通信は4月26日、東京発で米占領軍が進駐直後、日本の政府や旧軍当局に売春婦の調達や売春施設の開設を命じた一連の日本語書類が発見されたと報じ… (以下略 全文はソース) 今回の謝罪決定に至るまでに、大変な時間がかかったのは、同記者が、社内で特別記者という地位にあり大きな力を持っているため、同社社長以外は同記者の失態行為を正せなかったことによる。 AP電原文の記述内容は平易であり、古森記事で問題にされているフレーズ(「米軍が命令」)の使用は、うっかり誤訳をするようなものではありません。しかも記事題名のほか、文中で再三に渡り「米軍が命令」と繰り返している点からも、間違いなどではなく、明かに意識的な捏造と断定せざるえません。つまり古森記者は、ジャーナリストの基本中の基本において失格です。 http //www.asyura2.com/07/war92/msg/351.html ~~~~~~~~~~~~(引用おわり) 命令も許可もたいした違いがないじゃないか、という人はかなりのボンクラです。許可を命令に捏造すれば、米軍進駐前から米軍用慰安所設置に動いたのは日本内務省・警察当局であった、という史実を書き換えることができるからです。 歴史を捏造してまで守りたい日本のプライドって、一体何なのでしょうか? 偽報・デマは流布しちゃったもの勝ち? このように→ http //detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111529241 → http //www.google.com/search?hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&q=%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E3%81%AE%E5%91%BD%E4%BB%A4#=50 → 「米軍も「慰安婦調達」 それを知ったホンダ議員「旧日本軍は強制」と強調」のブログ一覧ブログ一覧 トラックバック(全33件) イザ!ブログ(全95件) http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/50586/tb/ 今回の件では、産経新聞さんは国際世論に向けて、きちんと謝罪表明しなくてはならないでしょう。 なぜか、更新日時も変わっていません。訂正を隠したい のかしら。izaニュース版の修正前と修正後は、 →「歴史ロンダリング」。(その4)before & after http //ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/177402/ 関連記事 2007-05-21 古森義久氏の信用度はヒロシ君並み http //d.hatena.ne.jp/hagakurekakugo/20070521 古森さん誤報?APには書いてないかと 2007/05/06 13 36 http //ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/165909/ 5 月 07 日『テレビタックル』、ペテン記事には騙されないでね http //www.asyura2.com/07/senkyo34/msg/392.html Re 『テレビタックル』ペテン記事をスルー、おめでとうございます http //www.asyura2.com/07/senkyo34/msg/395.html 5 月 06 日 今日のiza トップデマニュース 古森の自作自演記事 http //www.asyura2.com/07/senkyo34/msg/344.html COMMENT AUTHOR anomaly DATE 05/22/2007 20 54 15 この歴史を勝手に捻じ曲げる誤報を紙上でちっちゃく訂正するだけで済ませたら本当にだめですね。 きっと「さすが本物のプロは違う」と唸らせるような責任の取り方を間もなくやってくれます。 その次は ブッシュが救う会の代表団に「拉致問題が解決しない限り、北に対するテロ国家指定を解除しない」との趣旨を明言した。 って記事の訂正ですね。 関連【復刻エントリー】 米進駐軍は日本側用意の「軍慰安所」を利用した(未作成) 有末機関と特殊慰安施設協会 RAAについて(未作成) 古森さん誤報?APには書いてないかと(未作成) Yasu-ura House(未作成) 5月4日づけAP報とは?(未作成) やすうらハウスをぐぐてみたら(未作成) RAA さよならメリーさん(未作成) ATIS調査報告第120号 日本軍における各種アメニティー /
https://w.atwiki.jp/boutarou/pages/14.html
慰安婦(Ianfu Comfort woman)=prostitute 【慰安婦(Ianfu comfort woman】アメリカの公文書でみる慰安婦の実態 【慰安婦】資料集慰安婦は性奴隷なのか? 自称慰安婦の証言 Statement of "Comfort women" Can you belive thier statement? 【慰安婦】自称従軍慰安婦の証言(1)李容洙(Lee Yong-soo)? 【慰安婦】自称慰安婦の証言(2)金君子(Kim Koon Ja) 【韓国】1960年代のUN軍向けの慰安婦の募集 【慰安婦】日本軍慰安婦、UN軍慰安婦、米軍慰安婦、韓国軍慰安婦の違い。 【慰安婦】韓国の地元紙が断言!「慰安婦連行なんて馬鹿げた話だ」 【慰安婦】朝鮮(韓国)人慰安婦強制の歴史 【慰安婦】朝鮮の伝統 キーセン(妓生)の歴史 【慰安婦】■基礎からわかる「慰安婦問題」(解説) 【慰安婦】つかこうへいが娘に語る (2)【現代の慰安婦】売春婦輸出大国韓国 South Korea exports prositutes! 【韓国】韓国人売春婦の生存権補償要求デモ
https://w.atwiki.jp/aandj/pages/74.html
クラヴィア様に関する調査報告 その1 A&J入会初日(2006.2.9) 第一声 クラヴィア はじめまして新参者ですが宜しくお願いします。 先ずは無難な挨拶である。大人数から返事を受け、 クラヴィア ぬあ、多すぎて憶えられんっ と戸惑う姿が初々しい。 Gustuv・Joker チュニス~ジェノヴァ海事クエ艦隊@2募集 クラヴィア 海事上げ中ですかーいいなぁ。 Gustuv・Joker カムカム クラヴィア だがしかし クラヴィア きょうは疲れたからもうちょい経ったら寝るッス 緊張からか話もそこそこに落ちようとするクラヴィア氏。 だが商館ショップについての質問後、以下の発言が確認された。 クラヴィア いや、こう クラヴィア 新人いびりを緩行するとかそういう クラヴィア 落ちはなかったのかとか 中間報告:初日から早くもマゾ属性がにじみ出ている。 つづく予定
https://w.atwiki.jp/jreast205/pages/55.html
埼京・川越線(川越車両センター) 両数 編成 連結位置 車番 製造 落成 配置区 廃車日 備考 1 ハエ15 10号車 クハ205-123 川重 1990.06.21 川越 2013.09.20 2 9号車 モハ205-335 3 8号車 モハ204-335 4 7号車 モハ205-336 5 6号車 モハ204-336 MG非搭載 6 5号車 モハ205-337 7 4号車 モハ204-337 8 3号車 サハ204-8 近車 1991.10.30 山手→川越(2003.08.28) 9 2号車 サハ204-46 1991.12.05 10 1号車 クハ204-123 川重 1990.06.21 川越 11 ハエ7 10号車 クハ205-95 川重 1989.07.20 三鷹→川越(1996.12.04) 2013.09.26 12 9号車 モハ205-255 13 8号車 モハ204-255 14 7号車 モハ205-256 15 6号車 モハ204-256 MG非搭載 16 5号車 モハ205-257 17 4号車 モハ204-257 18 3号車 サハ204-38 近車 1991.11.28 山手→東京(2004.06.01)→川越(2005.07.06) 19 2号車 サハ204-39 20 1号車 クハ204-95 川重 1989.07.20 三鷹→川越(1996.12.04) 21 ハエ11 10号車 クハ205-99 川重 1989.09.22 川越 2013.10.04 22 9号車 モハ205-267 23 8号車 モハ204-267 24 7号車 モハ205-268 25 6号車 モハ204-268 MG非搭載 26 5号車 モハ205-269 27 4号車 モハ204-269 28 3号車 サハ204-20 近車 1991.11.14 山手→川越(2002.10.09) 29 2号車 サハ204-21 30 1号車 クハ204-99 川重 1989.09.22 川越 31 ハエ25 10号車 クハ205-144 川重 1990.12.10 川越 2013.10.10 32 9号車 モハ205-389 33 8号車 モハ204-389 34 7号車 モハ205-390 35 6号車 モハ204-390 MG非搭載 36 5号車 モハ205-391 37 4号車 モハ204-391 38 3号車 サハ204-13 近車 1991.11.01 山手→東京(2004.06.01)→川越(2004.10.21) 39 2号車 サハ204-49 1991.12.06 40 1号車 クハ204-144 川重 1990.12.10 川越 41 ハエ14 10号車 クハ205-122 川重 1990.06.14 川越 2013.10.18 42 9号車 モハ205-332 43 8号車 モハ204-332 44 7号車 モハ205-333 45 6号車 モハ204-333 MG非搭載 46 5号車 モハ205-334 47 4号車 モハ204-334 48 3号車 サハ204-28 近車 1991.11.21 山手→川越(2003.07.03) 49 2号車 サハ204-29 50 1号車 クハ204-122 川重 1990.06.14 川越 51 ハエ13 10号車 クハ205-121 川重 1990.06.07 川越 2013.10.24 52 9号車 モハ205-329 53 8号車 モハ204-329 54 7号車 モハ205-330 55 6号車 モハ204-330 MG非搭載 56 5号車 モハ205-331 57 4号車 モハ204-331 58 3号車 サハ204-26 近車 1991.11.20 山手→川越(2003.01.22) 59 2号車 サハ204-27 60 1号車 クハ204-121 川重 1990.06.07 川越 61 ハエ24 10号車 クハ205-143 川重 1990.12.03 川越 2013.11.01 62 9号車 モハ205-388 63 8号車 モハ204-386 64 7号車 モハ205-387 65 6号車 モハ204-387 MG非搭載 66 5号車 モハ205-277 1989.10.20 中原→三鷹(1993.02.17)→京葉(2002.03.16)→川越(2007.05.21) 67 4号車 モハ204-277 68 3号車 サハ204-41 近車 1991.11.29 山手→川越(2004.09.22) 69 2号車 サハ204-47 1991.12.05 70 1号車 クハ204-143 川重 1990.12.03 川越 71 ハエ4 10号車 クハ205-92 川重 1989.06.26 川越 2013.11.07 72 9号車 モハ205-246 73 8号車 モハ204-246 74 7号車 モハ205-247 75 6号車 モハ204-247 MG非搭載 76 5号車 モハ205-248 77 4号車 モハ204-248 78 3号車 サハ204-14 近車 1991.11.01 山手→東京(2004.06.01)→川越(2004.12.10) 79 2号車 サハ204-34 1991.11.27 80 1号車 クハ204-92 川重 1989.06.26 川越 81 ハエ26 10号車 クハ205-137 川重 1990.09.11 浦和→川越(1995.10.13) 2013.11.15 82 9号車 モハ205-370 83 8号車 モハ204-370 84 7号車 サハ205-148 1989.06.13 川越 85 6号車 モハ205-371 1990.09.11 浦和→川越(1995.10.13) 86 5号車 モハ204-371 MG非搭載 87 4号車 サハ205-149 1989.06.13 川越 88 3号車 モハ205-372 1990.09.11 浦和→川越(1995.10.13) 89 2号車 モハ204-372 90 1号車 クハ204-137 91 ハエ23 10号車 クハ205-142 川重 1990.11.22 川越 2013.11.21 92 9号車 モハ205-383 93 8号車 モハ204-383 94 7号車 モハ205-384 95 6号車 モハ204-384 MG非搭載 96 5号車 モハ205-385 97 4号車 モハ204-385 98 3号車 サハ204-12 近車 1991.10.31 山手→東京(2004.06.01)→川越(2004.08.24) 99 2号車 サハ204-40 1991.11.29 100 1号車 クハ204-142 川重 1990.11.22 川越 101 ハエ20 10号車 クハ205-128 川重 1990.07.26 川越 2013.11.29 102 9号車 モハ205-350 103 8号車 モハ204-350 104 7号車 モハ205-351 105 6号車 モハ204-351 MG非搭載 106 5号車 モハ205-352 107 4号車 モハ204-352 108 3号車 サハ204-5 近車 1991.10.24 山手→川越(2004.05.13) 109 2号車 サハ204-10 1991.10.31 110 1号車 クハ204-128 川重 1990.07.26 川越 111 ハエ1 10号車 クハ205-89 川重 1989.06.08 川越 2013.12.06 112 9号車 モハ205-237 113 8号車 モハ204-237 114 7号車 モハ205-238 115 6号車 モハ204-238 MG非搭載 116 5号車 モハ205-239 117 4号車 モハ204-239 118 3号車 サハ204-1 近車 1991.10.23 山手→東京(2004.06.01)→川越(2005.08.02) 119 2号車 サハ204-2 120 1号車 クハ204-89 川重 1989.06.08 川越 121 ハエ31 10号車 クハ205-17 東急 1985.09.18 品川→山手(1985.11.01)→川越(2002.11.07) 2013.12.14 122 9号車 モハ205-49 123 8号車 モハ204-49 124 7号車 モハ205-50 125 6号車 モハ204-50 MG撤去車 126 5号車 モハ205-51 127 4号車 モハ204-51 128 3号車 サハ204-22 近車 1991.11.15 山手→川越(2002.11.07) 129 2号車 サハ204-23 130 1号車 クハ204-17 東急 1985.09.18 品川→山手(1985.11.01)→川越(2002.11.07) 131 ハエ12 10号車 クハ205-120 川重 1990.05.29 川越 2013.12.20 132 9号車 モハ205-326 133 8号車 モハ204-326 134 7号車 モハ205-327 135 6号車 モハ204-327 MG非搭載 136 5号車 モハ205-328 137 4号車 モハ204-328 138 3号車 サハ204-24 近車 1991.11.15 山手→川越(2003.01.22) 139 2号車 サハ204-25 1991.11.20 140 1号車 クハ204-120 川重 1990.05.29 川越 141 ハエ30 10号車 クハ205-42 日立 1987.12.22 山手→川越(1996.02.05) 2014.01.30 142 9号車 モハ205-124 143 8号車 モハ204-124 144 7号車 サハ205-83 145 6号車 モハ205-125 146 5号車 モハ204-125 MG撤去車 147 4号車 サハ205-84 148 3号車 モハ205-126 149 2号車 モハ204-126 150 1号車 クハ204-42 151 ハエ18 10号車 クハ205-126 川重 1990.07.12 川越 2014.02.07 152 9号車 モハ205-344 153 8号車 モハ204-344 154 7号車 モハ205-345 155 6号車 モハ204-345 MG非搭載 156 5号車 モハ205-346 157 4号車 モハ204-346 158 3号車 サハ204-11 近車 1991.10.31 山手→川越(2002.06.06) 159 2号車 サハ204-48 1991.12.05 山手→川越(2003.12.05) 160 1号車 クハ204-126 川重 1990.07.12 川越 161 ハエ22 10号車 クハ205-141 川重 1990.11.19 川越 2014.02.14 162 9号車 モハ205-380 163 8号車 モハ204-380 164 7号車 モハ205-381 165 6号車 モハ204-381 MG非搭載 166 5号車 モハ205-382 167 4号車 モハ204-382 168 3号車 サハ204-37 近車 1991.11.22 山手→東京(2004.06.01)→川越(2004.07.15) 169 2号車 サハ204-45 1991.12.04 170 1号車 クハ204-141 川重 1990.11.19 川越 171 ハエ32 10号車 クハ205-54 東急 1988.03.28 山手→東京(2004.06.01)→川越(2004.08.19) 2014.02.20 172 9号車 モハ205-160 173 8号車 モハ204-160 174 7号車 サハ205-146 川重 1989.06.08 川越 175 6号車 モハ205-161 東急 1988.03.28 山手→東京(2004.06.01)→川越(2004.08.19) 176 5号車 モハ204-161 MG非搭載 177 4号車 サハ205-147 川重 1989.06.08 川越 178 3号車 モハ205-162 東急 1988.03.28 山手→東京(2004.06.01)→川越(2004.08.19) 179 2号車 モハ204-162 180 1号車 クハ204-54 横浜線 両数 編成 連結位置 車番 製造 落成 配置区 廃車日 備考 181 クラH6 8号車 クハ205-66 日車 1988.09.30 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.05.23 182 7号車 モハ205-191 183 6号車 モハ204-191 184 5号車 サハ205-126 185 4号車 モハ205-192 186 3号車 モハ204-192 187 2号車 サハ204-106 近車 1994.11.17 188 1号車 クハ204-66 日車 1988.09.30 189 クラH4 8号車 クハ205-64 日車 1988.09.20 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.05.30 190 7号車 モハ205-187 191 6号車 モハ204-187 192 5号車 サハ205-124 193 4号車 モハ205-188 194 3号車 モハ204-188 195 2号車 サハ204-104 近車 1994.11.24 196 1号車 クハ204-64 日車 1988.09.20 197 クラH24 8号車 クハ205-84 東急 1989.02.21 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.06.06 198 7号車 モハ205-227 199 6号車 モハ204-227 200 5号車 サハ205-144 201 4号車 モハ205-228 202 3号車 モハ204-228 203 2号車 サハ204-124 近車 1994.11.24 204 1号車 クハ204-84 東急 1989.02.21 205 クラH21 8号車 クハ205-81 東急 1989.01.27 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.06.13 206 7号車 モハ205-221 207 6号車 モハ204-221 208 5号車 サハ205-141 209 4号車 モハ205-222 210 3号車 モハ204-222 211 2号車 サハ204-121 近車 1994.11.18 212 1号車 クハ204-81 東急 1989.01.27 213 クラH7 8号車 クハ205-67 日車 1988.10.05 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.06.20 214 7号車 モハ205-193 215 6号車 モハ204-193 216 5号車 サハ205-127 217 4号車 モハ205-194 218 3号車 モハ204-194 219 2号車 サハ204-107 近車 1994.11.11 220 1号車 クハ204-67 日車 1988.10.05 221 クラH9 8号車 クハ205-69 川重 1988.11.15 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.06.27 222 7号車 モハ205-197 223 6号車 モハ204-197 224 5号車 サハ205-129 225 4号車 モハ205-198 226 3号車 モハ204-198 227 2号車 サハ204-109 近車 1994.11.16 228 1号車 クハ204-69 川重 1988.11.15 229 クラH12 8号車 クハ205-72 近車 1988.12.06 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.07.04 230 7号車 モハ205-203 231 6号車 モハ204-203 232 5号車 サハ205-132 233 4号車 モハ205-204 234 3号車 モハ204-204 235 2号車 サハ204-112 1994.11.24 236 1号車 クハ204-72 1988.12.06 237 クラH15 8号車 クハ205-75 東急 1988.12.15 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.07.11 238 7号車 モハ205-209 239 6号車 モハ204-209 240 5号車 サハ205-135 241 4号車 モハ205-210 242 3号車 モハ204-210 243 2号車 サハ204-115 近車 1994.11.25 244 1号車 クハ204-75 東急 1988.12.15 245 クラH13 8号車 クハ205-73 川重 1988.12.09 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.07.18 246 7号車 モハ205-205 247 6号車 モハ204-205 248 5号車 サハ205-133 249 4号車 モハ205-206 250 3号車 モハ204-206 251 2号車 サハ204-113 近車 1994.11.25 252 1号車 クハ204-73 川重 1988.12.09 253 クラH25 8号車 クハ205-85 東急 1989.03.01 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.07.25 254 7号車 モハ205-229 255 6号車 モハ204-229 256 5号車 サハ205-145 大船 257 4号車 モハ205-230 258 3号車 モハ204-230 259 2号車 サハ204-125 近車 1994.11.16 260 1号車 クハ204-85 東急 1989.03.01 261 クラH23 8号車 クハ205-83 東急 1989.02.17 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.08.01 262 7号車 モハ205-225 263 6号車 モハ204-225 264 5号車 サハ205-143 265 4号車 モハ205-226 266 3号車 モハ204-226 267 2号車 サハ204-123 近車 1994.11.17 268 1号車 クハ204-83 東急 1989.02.17 269 クラH14 8号車 クハ205-74 近車 1988.12.12 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.08.08 270 7号車 モハ205-207 271 6号車 モハ204-207 272 5号車 サハ205-134 273 4号車 モハ205-208 274 3号車 モハ204-208 275 2号車 サハ204-114 1994.11.10 276 1号車 クハ204-74 1988.12.12 277 クラH18 8号車 クハ205-78 近車 1989.01.17 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.08.22 278 7号車 モハ205-215 279 6号車 モハ204-215 280 5号車 サハ205-138 281 4号車 モハ205-216 282 3号車 モハ204-216 283 2号車 サハ204-118 1994.11.17 284 1号車 クハ204-78 1989.01.17 285 クラH11 8号車 クハ205-71 川重 1988.12.02 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.08.29 286 7号車 モハ205-201 287 6号車 モハ204-201 288 5号車 サハ205-131 289 4号車 モハ205-202 290 3号車 モハ204-202 291 2号車 サハ204-111 近車 1994.11.12 292 1号車 クハ204-71 川重 1988.12.02 293 クラH28 8号車 クハ205-15 川重 1985.09.10 品川→山手(1985.11.01)→京葉(2002.08.22)→鎌倉(2009.04.30) 2014.09.05 294 7号車 モハ205-43 295 6号車 モハ204-43 296 5号車 サハ205-29 297 4号車 モハ205-45 298 3号車 モハ204-45 299 2号車 サハ205-30 300 1号車 クハ204-15 301 クラH19 8号車 クハ205-79 川重 1989.01.20 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.09.12 302 7号車 モハ205-217 303 6号車 モハ204-217 304 5号車 サハ205-139 305 4号車 モハ205-218 306 3号車 モハ204-218 307 2号車 サハ204-119 近車 1994.11.10 308 1号車 クハ204-79 川重 1989.01.20 309 クラH22 8号車 クハ205-82 東急 1989.01.31 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.09.19 310 7号車 モハ205-223 311 6号車 モハ204-223 312 5号車 サハ205-142 313 4号車 モハ205-224 314 3号車 モハ204-224 315 2号車 サハ204-122 近車 1994.11.12 316 1号車 クハ204-82 東急 1989.01.31 317 クラH2 8号車 クハ205-62 日車 1988.09.07 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.09.26 318 7号車 モハ205-183 319 6号車 モハ204-183 320 5号車 サハ205-122 321 4号車 モハ205-184 322 3号車 モハ204-184 323 2号車 サハ204-102 近車 1994.11.16 324 1号車 クハ204-62 日車 1988.09.07 325 クラH17 8号車 クハ205-77 川重 1989.01.13 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.10.03 326 7号車 モハ205-213 327 6号車 モハ204-213 328 5号車 サハ205-137 329 4号車 モハ205-214 330 3号車 モハ204-214 331 2号車 サハ204-117 近車 1994.11.18 332 1号車 クハ204-77 川重 1989.01.13 333 クラH8 8号車 クハ205-68 川重 1988.11.07 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.10.10 334 7号車 モハ205-195 335 6号車 モハ204-195 336 5号車 サハ205-128 337 4号車 モハ205-196 338 3号車 モハ204-196 339 2号車 サハ204-108 近車 1994.11.25 340 1号車 クハ204-68 川重 1988.11.07 341 クラH1 8号車 クハ205-61 日車 1988.09.02 蒲田→大船(1996.12.01)→鎌倉(2000.07.01) 2014.10.17 342 7号車 モハ205-181 343 6号車 モハ204-181 344 5号車 サハ205-121 345 4号車 モハ205-182 346 3号車 モハ204-182 347 2号車 サハ204-101 近車 1994.11.18 348 1号車 クハ204-61 日車 1988.09.02 349 クラH27 8号車 クハ205-30 川重 1986.02.20 山手→鎌倉(2003.07.26) 2014.10.24 350 7号車 モハ205-88 351 6号車 モハ204-88 352 5号車 サハ205-59 353 4号車 モハ205-90 354 3号車 モハ204-90 355 2号車 サハ204-30 近車 1991.11.21 356 1号車 クハ204-90 川重 1986.02.20 南武線 両数 編成 連結位置 車番 製造 落成 配置区 廃車日 備考 357 ナハ35 1号車 クハ205-19 近車 1985.09.25 品川→山手(1985.11.01)→中原(2002.09.26) 2015.04.24 358 2号車 モハ205-55 359 3号車 モハ204-55 360 4号車 モハ205-57 361 5号車 モハ204-57 362 6号車 クハ204-19 363 ナハ4 1号車 クハ205-88 川重 1989.03.08 中原 2015.05.15 364 2号車 モハ205-235 365 3号車 モハ204-235 366 4号車 モハ205-21 日立 1985.07.16 品川→山手(1985.11.01)→中原(2004.01.26) 367 5号車 モハ204-21 368 6号車 クハ204-88 川重 1989.03.08 中原 369 ナハ8 1号車 クハ205-129 川重 1990.08.02 中原 2015.05.22 370 2号車 モハ205-353 371 3号車 モハ204-353 372 4号車 モハ205-354 373 5号車 モハ204-354 374 6号車 クハ204-129 375 ナハ44 1号車 クハ205-28 東急 1986.01.20 山手→中原(2003.07.10) 2015.05.29 376 2号車 モハ205-82 377 3号車 モハ204-82 378 4号車 モハ205-84 379 5号車 モハ204-84 380 6号車 クハ204-28 381 ナハ2 1号車 クハ205-86 川重 1989.02.13 中原 2015.06.05 382 2号車 モハ205-13 1985.07.09 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→中原(2004.11.26) 383 3号車 モハ204-13 384 4号車 モハ205-15 385 5号車 モハ204-15 386 6号車 クハ204-86 1989.02.13 中原 387 ナハ40 1号車 クハ205-24 川重 1985.11.19 山手→中原(2003.01.21) 2015.06.19 388 2号車 モハ205-70 389 3号車 モハ204-70 390 4号車 モハ205-72 391 5号車 モハ204-72 392 6号車 クハ204-24 393 ナハ41 1号車 クハ205-25 川重 1985.12.03 山手→中原(2003.01.14) 2015.06.26 394 2号車 モハ205-73 395 3号車 モハ204-73 396 4号車 モハ205-75 397 5号車 モハ204-75 398 6号車 クハ204-25 399 ナハ7 1号車 クハ205-102 川重 1989.10.12 中原 2015.07.03 400 2号車 モハ205-274 401 3号車 モハ204-274 402 4号車 モハ205-275 403 5号車 モハ204-275 404 6号車 クハ204-102 405 ナハ11 1号車 クハ205-132 川重 1990.08.23 中原 2015.07.17 406 2号車 モハ205-359 407 3号車 モハ204-359 408 4号車 モハ205-360 409 5号車 モハ204-360 410 6号車 クハ204-132 411 ナハ10 1号車 クハ205-131 川重 1990.08.17 中原 2015.07.31 412 2号車 モハ205-357 413 3号車 モハ204-357 414 4号車 モハ205-358 415 5号車 モハ204-358 416 6号車 クハ204-131 417 ナハ42 1号車 クハ205-26 川重 1985.12.21 山手→中原(2003.03.11) 2015.08.21 418 2号車 モハ205-76 419 3号車 モハ204-76 420 4号車 モハ205-78 421 5号車 モハ204-78 422 6号車 クハ204-26 423 ナハ13 1号車 クハ205-134 川重 1990.08.31 中原 2015.08.28 424 2号車 モハ205-363 425 3号車 モハ204-363 426 4号車 モハ205-364 427 5号車 モハ204-364 428 6号車 クハ204-134 429 ナハ37 1号車 クハ205-21 川重 1986.02.13 山手→中原(2002.11.22) 2015.09.11 430 2号車 モハ205-61 431 3号車 モハ204-61 432 4号車 モハ205-63 433 5号車 モハ204-63 434 6号車 クハ204-21 435 ナハ38 1号車 クハ205-22 近車 1986.02.25 山手→中原(2002.12.02) 2015.10.02 436 2号車 モハ205-64 437 3号車 モハ204-64 438 4号車 モハ205-66 439 5号車 モハ204-66 440 6号車 クハ204-22 441 ナハ43 1号車 クハ205-27 川重 1986.01.09 山手→中原(2003.03.26) 2015.10.09 442 2号車 モハ205-79 443 3号車 モハ204-79 444 4号車 モハ205-81 445 5号車 モハ204-81 446 6号車 クハ204-27 447 ナハ36 1号車 クハ205-20 日車 1985.09.27 品川→山手(1985.11.01)→中原(2002.11.25) 2015.10.30 448 2号車 モハ205-58 449 3号車 モハ204-58 450 4号車 モハ205-60 451 5号車 モハ204-60 452 6号車 クハ204-20 453 ナハ3 1号車 クハ205-87 川重 1989.03.07 中原 2015.11.06 454 2号車 モハ205-233 455 3号車 モハ204-233 456 4号車 モハ205-234 457 5号車 モハ204-234 458 6号車 クハ204-87 459 ナハ12 1号車 クハ205-133 川重 1990.08.28 中原 2015.11.20 460 2号車 モハ205-361 461 3号車 モハ204-361 462 4号車 モハ205-362 463 5号車 モハ204-362 464 6号車 クハ204-133 465 ナハ37 1号車 クハ205-18 近車 1985.09.19 品川→山手(1985.11.01)→中原(2002.10.03) 2015.12.04 466 2号車 モハ205-52 467 3号車 モハ204-52 468 4号車 モハ205-54 469 5号車 モハ204-54 470 6号車 クハ204-18 471 ナハ39 1号車 クハ205-23 日車 1985.11.06 山手→中原(2002.12.12) 2015.12.11 472 2号車 モハ205-67 473 3号車 モハ204-67 474 4号車 モハ205-69 475 5号車 モハ204-69 476 6号車 クハ204-23 武蔵野線 両数 編成 連結位置 車番 製造 落成 配置区 廃車日 備考 477 ケヨM24 1号車 クハ205-33 川重 1986.05.13 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2005.03.10) 2018.03.02 478 2号車 モハ205-5047 元・モハ205-97 479 3号車 モハ204-5047 元・モハ204-97 480 4号車 サハ205-65 481 5号車 サハ205-66 482 6号車 モハ205-5048 元・モハ205-98 483 7号車 モハ204-5048 元・モハ204-98、SIV搭載 484 8号車 クハ204-33 485 ケヨM15 1号車 クハ205-29 東急 1986.02.03 山手→中原(2003.07.24)→京葉(2005.06.30) 2018.03.09 486 2号車 モハ205-5029 元・モハ205-85 487 3号車 モハ204-5029 元・モハ204-85 488 4号車 サハ205-208 川重 1990.06.28 川越→京葉(2005.06.30) 489 5号車 サハ205-153 1989.06.26 490 6号車 モハ205-5030 東急 1986.02.03 山手→中原(2003.07.24)→京葉(2005.06.30) 元・モハ205-87 491 7号車 モハ204-5030 元・モハ204-87 492 8号車 クハ204-29 493 ケヨM3 1号車 クハ205-44 日立 1988.01.12 山手→豊田(2003.10.28)→京葉(2004.03.13) 2018.03.30 494 2号車 モハ205-5005 元・モハ205-130 495 3号車 モハ204-5005 元・モハ204-130 496 4号車 サハ205-87 497 5号車 サハ205-88 498 6号車 モハ205-5006 元・モハ205-131 499 7号車 モハ204-5006 元・モハ204-131、SIV搭載 500 8号車 クハ204-44 501 ケヨM29 1号車 クハ205-13 東急 1985.09.03 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2005.03.26) 2018.06.29 502 2号車 モハ205-5057 川重 1985.09.05 元・モハ205-42 503 3号車 モハ204-5057 元・モハ204-42 504 4号車 サハ205-154 1989.07.08 川越→京葉(2005.03.26) 505 5号車 サハ205-155 506 6号車 モハ205-5058 日立 1985.09.11 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2005.03.26) 元・モハ205-48 507 7号車 モハ204-5058 元・モハ204-48 508 8号車 クハ204-13 東急 1985.09.03 509 ケヨM36 1号車 クハ205-103 川重 1989.10.20 中原→三鷹(1993.02.17)→京葉(2002.03.16) 2018.08.24 510 2号車 モハ205-5071 元・モハ205-276 511 3号車 モハ204-5071 元・モハ204-276 512 4号車 サハ205-218 1990.09.11 浦和→三鷹(1993.02.17)→京葉(2002.03.16) 513 5号車 サハ205-219 514 6号車 モハ205-5072 元・モハ205-368 515 7号車 モハ204-5072 元・モハ204-368 516 8号車 クハ204-103 1989.10.20 中原→三鷹(1993.02.17)→京葉(2002.03.16) 517 ケヨM13 1号車 クハ205-8 東急 1985.07.23 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2004.07.27) 2018.09.14 518 2号車 モハ205-5025 日立 1988.01.08 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2004.07.27) 元・モハ205-129 519 3号車 モハ204-5025 元・モハ204-129 520 4号車 サハ205-216 川重 1990.07.26 川越→京葉(2004.07.27) 521 5号車 サハ205-217 522 6号車 モハ205-5026 1985.08.20 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2004.07.27) 元・モハ205-27 523 7号車 モハ204-5026 元・モハ204-27 524 8号車 クハ204-8 東急 1985.07.23 525 ケヨM7 1号車 クハ205-48 日立 1988.02.27 山手→豊田(2004.02.14)→京葉(2004.03.13) 2018.10.12 526 2号車 モハ205-5013 元・モハ205-142 527 3号車 モハ204-5013 元・モハ204-142 528 4号車 サハ205-95 529 5号車 サハ205-96 530 6号車 モハ205-5014 元・モハ205-143 531 7号車 モハ204-5014 元・モハ204-143、SIV搭載 532 8号車 クハ204-48 533 ケヨM26 1号車 クハ205-12 近車 1985.08.29 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2005.02.22) 2018.11.02 534 2号車 モハ205-5051 川重 1988.03.17 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2005.02.22) 元・モハ205-156 535 3号車 モハ204-5051 元・モハ204-156 536 4号車 サハ205-150 1989.06.21 川越→京葉(2005.02.22) 537 5号車 サハ205-151 538 6号車 モハ205-5046 東急 1985.09.03 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2005.01.13) 元・モハ205-39 539 7号車 モハ204-5046 元・モハ204-39 540 8号車 クハ204-12 近車 1985.08.29 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2005.02.22) 541 ケヨM9 1号車 クハ205-49 川重 1988.02.25 山手→京葉(2004.03.31) 2018.11.16 542 2号車 モハ205-5017 元・モハ205-145 543 3号車 モハ204-5017 元・モハ204-145 544 4号車 サハ205-97 545 5号車 サハ205-98 546 6号車 モハ205-5018 元・モハ205-147 547 7号車 モハ204-5018 元・モハ204-147 548 8号車 クハ204-49 549 ケヨM12 1号車 クハ205-43 日立 1988.01.08 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2004.07.23) 2018.11.30 550 2号車 モハ205-5023 元・モハ205-127 551 3号車 モハ204-5023 元・モハ204-127 552 4号車 サハ205-85 553 5号車 サハ205-86 554 6号車 モハ205-5024 元・モハ205-128 555 7号車 モハ204-5024 元・モハ204-128、SIV搭載 556 8号車 クハ204-43 557 ケヨM10 1号車 クハ205-50 川重 1988.03.05 山手→京葉(2004.04.13) 2018.11.30 558 2号車 モハ205-5019 元・モハ205-148 559 3号車 モハ204-5019 元・モハ204-148 560 4号車 サハ205-99 561 5号車 サハ205-100 562 6号車 モハ205-5020 元・モハ205-149 563 7号車 モハ204-5020 元・モハ204-149、SIV搭載 564 8号車 クハ204-50 565 ケヨM16 1号車 クハ205-57 川重 1988.04.28 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2004.09.10) 2019.03.20 566 2号車 モハ205-5031 元・モハ205-169 567 3号車 モハ204-5031 元・モハ204-169 568 4号車 サハ205-113 569 5号車 サハ205-114 570 6号車 モハ205-5032 元・モハ205-170 571 7号車 モハ204-5032 元・モハ204-170、SIV搭載 572 8号車 クハ204-57 573 ケヨM32 1号車 クハ205-14 川重 1985.09.05 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2005.08.30) 2019.03.29 574 2号車 モハ205-5063 東急 1988.03.22 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2005.08.30) 元・モハ205-159 575 3号車 モハ204-5063 元・モハ204-159 576 4号車 サハ205-156 川重 1989.08.22 川越→京葉(2005.08.30) 577 5号車 サハ205-157 578 6号車 モハ205-5064 1991.10.08 豊田→京葉(2004.03.13) 元・モハ205-393 579 7号車 モハ204-5064 1991.09.27 元・モハ204-392 580 8号車 クハ204-14 1985.09.05 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2005.08.30) 581 ケヨM34 1号車 クハ205-16 日立 1985.09.11 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2005.09.05) 2019.04.12 582 2号車 モハ205-5067 東急 1988.03.30 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2005.09.05) 元・モハ205-156 583 3号車 モハ204-5067 元・モハ204-165 584 4号車 サハ205-158 川重 1989.07.20 三鷹→川越(1996.12.04)→京葉(2005.09.05) 585 5号車 サハ205-159 586 6号車 モハ205-5068 東急 1988.04.25 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2005.09.05) 元・モハ205-168 587 7号車 モハ204-5068 元・モハ204-168 588 8号車 クハ204-16 日立 1985.09.11 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2005.09.05) 589 ケヨM14 1号車 クハ205-45 日立 1988.01.22 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2004.08.05) 2019.04.26 590 2号車 モハ205-5027 元・モハ205-133 591 3号車 モハ204-5027 元・モハ204-133 592 4号車 サハ205-89 593 5号車 サハ205-90 594 6号車 モハ205-5028 元・モハ205-135 595 7号車 モハ204-5028 元・モハ204-135 596 8号車 クハ204-45 597 ケヨM35 1号車 クハ205-145 川重 1991.09.27 豊田→京葉(2004.03.13) 2019.05.17 598 2号車 モハ205-5069 元・モハ205-392 599 3号車 モハ204-5069 1991.10.08 元・モハ204-393 600 4号車 サハ205-31 日立 1985.09.11 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2005.12.05) 601 5号車 サハ205-32 602 6号車 モハ205-5070 川重 1991.09.27 豊田→京葉(2004.03.13) 元・モハ205-394 603 7号車 モハ204-5070 元・モハ204-394 604 8号車 クハ204-145 605 ケヨM27 1号車 クハ205-51 川重 1988.03.11 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2005.03.19) 2019.06.07 606 2号車 モハ205-5053 元・モハ205-151 607 3号車 モハ204-5053 元・モハ204-151 608 4号車 サハ205-101 609 5号車 サハ205-102 610 6号車 モハ205-5054 元・モハ205-153 611 7号車 モハ204-5054 元・モハ204-153 612 8号車 クハ204-51 613 ケヨM51 1号車 クハ205-101 川重 1989.09.30 中原→京葉(2015.02.02) 2019.06.28 614 2号車 モハ205-270 1989.09.27 615 3号車 モハ204-270 616 4号車 モハ205-271 617 5号車 モハ204-271 MG撤去車 618 6号車 モハ205-272 1989.09.30 619 7号車 モハ204-272 620 8号車 クハ204-101 621 ケヨM64 1号車 クハ205-148 川重 1991.10.23 豊田→京葉(2004.03.13) 2019.07.12 622 2号車 モハ205-401 623 3号車 モハ204-401 624 4号車 モハ205-402 625 5号車 モハ204-402 MG非搭載 626 6号車 モハ205-403 627 7号車 モハ204-403 628 8号車 クハ204-148 629 ケヨM30 1号車 クハ205-53 東急 1988.03.22 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2005.03.26) 2019.07.26 630 2号車 モハ205-5059 元・モハ205-157 631 3号車 モハ204-5059 元・モハ204-157 632 4号車 サハ205-105 633 5号車 サハ205-106 634 6号車 モハ205-5060 元・モハ205-158 635 7号車 モハ204-5060 元・モハ204-158、SIV搭載 636 8号車 クハ204-53 637 ケヨM63 1号車 クハ205-146 川重 1991.10.08 豊田→京葉(2004.03.13) 2019.08.09 638 2号車 モハ205-395 639 3号車 モハ204-395 640 4号車 モハ205-396 641 5号車 モハ204-396 MG非搭載 642 6号車 モハ205-397 643 7号車 モハ204-397 644 8号車 クハ204-146 645 ケヨM62 1号車 クハ205-147 川重 1991.10.17 豊田→京葉(2004.03.13) 2019.08.23 646 2号車 モハ205-398 647 3号車 モハ204-398 648 4号車 モハ205-399 649 5号車 モハ204-399 MG非搭載 650 6号車 モハ205-400 651 7号車 モハ204-400 652 8号車 クハ204-147 653 ケヨM18 1号車 クハ205-58 東急 1988.05.26 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2004.10.08) 2019.09.06 654 2号車 モハ205-5035 元・モハ205-172 655 3号車 モハ204-5035 元・モハ204-172 656 4号車 サハ205-115 657 5号車 サハ205-116 658 6号車 モハ205-5036 元・モハ205-174 659 7号車 モハ204-5036 元・モハ204-174 660 8号車 クハ204-58 661 ケヨM28 1号車 クハ205-52 川重 1988.03.17 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2005.06.10) 2019.09.20 662 2号車 モハ205-5055 元・モハ205-154 663 3号車 モハ204-5055 元・モハ204-154 664 4号車 サハ205-103 665 5号車 サハ205-104 666 6号車 モハ205-5056 元・モハ205-155 667 7号車 モハ204-5056 元・モハ204-155、SIV搭載 668 8号車 クハ204-52 669 ケヨM65 1号車 クハ205-149 川重 1991.10.30 豊田→京葉(2004.03.13) 2019.10.04 670 2号車 モハ205-404 671 3号車 モハ204-404 672 4号車 モハ205-405 673 5号車 モハ204-405 MG非搭載 674 6号車 モハ205-406 675 7号車 モハ204-406 676 8号車 クハ204-149 677 ケヨM52 1号車 クハ205-130 川重 1990.08.07 中原→京葉(2015.03.05) 2019.10.25 678 2号車 モハ205-355 679 3号車 モハ204-355 680 4号車 モハ205-356 681 5号車 モハ204-356 MG撤去車 682 6号車 モハ205-273 1989.09.30 683 7号車 モハ204-273 684 8号車 クハ204-130 1990.08.07 685 ケヨM19 1号車 クハ205-59 川重 1988.05.27 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2004.12.28) 2019.11.29 686 2号車 モハ205-5037 元・モハ205-175 687 3号車 モハ204-5037 元・モハ204-175 688 4号車 サハ205-117 689 5号車 サハ205-118 690 6号車 モハ205-5038 元・モハ205-176 691 7号車 モハ204-5038 元・モハ204-176、SIV搭載 692 8号車 クハ204-59 693 ケヨM1 1号車 クハ205-104 川重 1989.10.18 浦和→三鷹(1993.03.11)→豊田(2002.03.29)→京葉(2004.03.13) 2019.12.11 694 2号車 モハ205-5001 元・モハ205-278 695 3号車 モハ204-5001 元・モハ204-278 696 4号車 サハ205-168 697 5号車 サハ205-169 698 6号車 モハ205-5002 元・モハ205-280 699 7号車 モハ204-5002 元・モハ204-280 700 8号車 クハ204-104 701 ケヨM33 1号車 クハ205-56 東急 1988.04.25 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2005.07.22) 2020.01.15 702 2号車 モハ205-5065 元・モハ205-166 703 3号車 モハ204-5065 元・モハ204-166 704 4号車 サハ205-111 705 5号車 サハ205-112 706 6号車 モハ205-5066 元・モハ205-167 707 7号車 モハ204-5066 元・モハ204-167、SIV搭載 708 8号車 クハ204-56 709 ケヨM5 1号車 クハ205-31 日車 1986.02.24 山手→豊田(2003.12.26)→京葉(2004.03.13) 2020.01.29 710 2号車 モハ205-5033 東急 1988.05.27 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2004.10.19) 元・モハ205-177 711 3号車 モハ204-5033 元・モハ204-177 712 4号車 サハ205-206 川重 1990.06.21 川越→豊田(2003.12.26)→京葉(2004.03.13) 713 5号車 サハ205-207 714 6号車 モハ205-5040 東急 1988.06.20 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2004.10.26) 元・モハ205-180 715 7号車 モハ204-5040 元・モハ204-180 716 8号車 クハ204-31 日車 1986.02.24 山手→豊田(2003.12.26)→京葉(2004.03.13) 717 ケヨM21 1号車 クハ205-60 東急 1988.06.20 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2004.12.01) 2020.02.12 718 2号車 モハ205-5041 元・モハ205-178 719 3号車 モハ204-5041 元・モハ204-178 720 4号車 サハ205-119 721 5号車 サハ205-120 722 6号車 モハ205-5042 元・モハ205-179 723 7号車 モハ204-5042 元・モハ204-179、SIV搭載 724 8号車 クハ204-60 725 ケヨM2 1号車 クハ205-105 川重 1989.10.27 浦和→三鷹(1993.03.31)→豊田(2002.03.26)→京葉(2004.03.13) 2020.02.26 726 2号車 モハ205-5003 元・モハ205-281 727 3号車 モハ204-5003 元・モハ204-281 728 4号車 サハ205-170 729 5号車 サハ205-171 730 6号車 モハ205-5004 元・モハ205-283 731 7号車 モハ204-5004 元・モハ204-283 732 8号車 クハ204-105 733 ケヨM25 1号車 クハ205-34 川重 1986.06.10 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2005.02.16) 2020.03.11 734 2号車 モハ205-5049 元・モハ205-100 735 3号車 モハ204-5049 元・モハ204-100 736 4号車 サハ205-67 737 5号車 サハ205-68 738 6号車 モハ205-5050 元・モハ205-101 739 7号車 モハ204-5050 元・モハ204-101、SIV搭載 740 8号車 クハ204-34 741 ケヨM31 1号車 クハ205-55 東急 1988.03.30 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2005.07.04) 2020.03.25 742 2号車 モハ205-5061 元・モハ205-163 743 3号車 モハ204-5061 元・モハ204-163 744 4号車 サハ205-109 745 5号車 サハ205-110 746 6号車 モハ205-5062 元・モハ205-164 747 7号車 モハ204-5062 元・モハ204-164、SIV搭載 748 8号車 クハ204-55 749 ケヨM11 1号車 クハ205-7 日立 1985.07.16 品川→山手(1985.11.01)→京葉(2004.04.29) 2020.04.08 750 2号車 モハ205-5021 川重 1988.03.05 山手→京葉(2004.04.29) 元・モハ205-150 751 3号車 モハ204-5021 元・モハ204-150 752 4号車 サハ205-212 1990.07.12 川越→京葉(2004.04.29) 753 5号車 サハ205-213 754 6号車 モハ205-5022 1988.02.25 山手→京葉(2004.04.29) 元・モハ205-146 755 7号車 モハ204-5022 元・モハ204-146、SIV搭載 756 8号車 クハ204-7 日立 1985.07.16 品川→山手(1985.11.01)→京葉(2004.04.29) 757 ケヨM8 1号車 クハ205-6 近車 1985.07.11 品川→山手(1985.11.01)→豊田(2004.02.06)→京葉(2004.03.13) 2020.06.03 758 2号車 モハ205-5015 日立 1988.02.27 山手→豊田(2004.02.06)→京葉(2004.03.13) 元・モハ205-144 759 3号車 モハ204-5015 元・モハ204-144 760 4号車 サハ205-210 川重 1990.07.05 川越→豊田(2004.02.06)→京葉(2004.03.13) 761 5号車 サハ205-210 762 6号車 モハ205-5016 日立 1988.02.18 山手→豊田(2004.02.06)→京葉(2004.03.13) 元・モハ205-140 763 7号車 モハ204-5016 元・モハ204-140、SIV搭載 764 8号車 クハ204-6 近車 1985.07.11 品川→山手(1985.11.01)→豊田(2004.02.06)→京葉(2004.03.13) 765 ケヨM22 1号車 クハ205-32 東急 1986.04.15 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2005.01.07) 2020.07.08 766 2号車 モハ205-5043 元・モハ205-94 767 3号車 モハ204-5043 元・モハ204-94 768 4号車 サハ205-63 769 5号車 サハ205-64 770 6号車 モハ205-5044 元・モハ205-96 771 7号車 モハ204-5044 元・モハ204-96 772 8号車 クハ204-32 773 ケヨM23 1号車 クハ205-9 川重 1985.08.20 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2005.01.13) 2020.07.29 774 2号車 モハ205-5045 1986.05.13 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2005.01.13) 元・モハ205-99 775 3号車 モハ204-5045 元・モハ204-99 776 4号車 サハ205-230 1990.12.10 川越→京葉(2005.01.13) 777 5号車 サハ205-231 778 6号車 モハ205-5052 1986.06.10 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2005.02.22) 元・モハ205-102 779 7号車 モハ204-5052 元・モハ204-102 780 8号車 クハ204-9 1985.08.20 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2005.01.13) 781 ケヨM6 1号車 クハ205-47 日立 1988.02.18 山手→豊田(2003.12.13)→京葉(2004.03.13) 2020.08.26 782 2号車 モハ205-5011 元・モハ205-139 783 3号車 モハ204-5011 元・モハ204-139 784 4号車 サハ205-93 785 5号車 サハ205-94 786 6号車 モハ205-5012 元・モハ205-141 787 7号車 モハ204-5012 元・モハ204-141 788 8号車 クハ204-47 789 ケヨM4 1号車 クハ205-46 日立 1988.02.06 山手→豊田(2003.10.18)→京葉(2004.03.13) 2020.09.09 790 2号車 モハ205-5007 元・モハ205-136 791 3号車 モハ204-5007 元・モハ204-136 792 4号車 サハ205-91 793 5号車 サハ205-92 794 6号車 モハ205-5008 元・モハ205-137 795 7号車 モハ204-5008 元・モハ204-137、SIV搭載 796 8号車 クハ204-46 797 ケヨM17 1号車 クハ205-10 川重 1985.08.22 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2004.10.19) 2020.10.14 798 2号車 モハ205-5009 日立 1988.01.12 山手→豊田(2003.12.26)→京葉(2004.03.13) 元・モハ205-132 799 3号車 モハ204-5009 元・モハ204-132 800 4号車 サハ205-224 川重 1990.11.19 川越→京葉(2004.10.19) 801 5号車 サハ205-225 802 6号車 モハ205-5039 近車 1985.08.29 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2004.10.26) 元・モハ205-36 803 7号車 モハ204-5039 元・モハ204-36 804 8号車 クハ204-10 川重 1985.08.22 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2004.10.19) 805 ケヨM20 1号車 クハ205-5 川重 1985.07.09 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2004.10.26) 2020.10.21 806 2号車 モハ205-5010 日立 1988.02.06 山手→豊田(2003.12.26)→京葉(2004.03.13) 元・モハ205-138 807 3号車 モハ204-5010 元・モハ204-138 808 4号車 サハ205-226 川重 1990.11.22 川越→京葉(2004.10.26) 809 5号車 サハ205-227 810 6号車 モハ205-5034 東急 1988.04.28 山手→東京(2004.06.01)→京葉(2004.10.19) 元・モハ205-171 811 7号車 モハ204-5034 元・モハ204-171 812 8号車 クハ204-5 川重 1985.07.09 品川→山手(1985.11.01)→東京(2004.06.01)→京葉(2004.10.26)
https://w.atwiki.jp/matsumura0ma/pages/26.html
(田中) 近年、ライブドア事件をきっかけにM Aという言葉をニュースでよく聞くようになりました。実際に2005年上半期の現状では、M&Aは件数・金額ともに過去最高を更新しました。業界再編などといい大企業によるM Aや機関投資家によるM Aが市場を賑わせています。しかし、実は大企業だけではなく中小企業においても頻繁にM Aされているのが現状です。中小企業の経営者にとっても、長年ともに成長してきた会社であり、従業員の雇用確保も考え、事業の将来性などを優先して考えた上で、会社を売却するという前向きな選択をされる経営者も増えていることが、この近年のM&A事情を作っている現状でもあります。子息などの親族を後継者にと考えても、「息子が跡を継がない」「経営者としての大丈夫なのか?」などの問題が発生することもあり、相続問題なども後に控えています。こういった中小企業経営者様にとって、事業承継は大変難しく、やむを得ず会社を廃業する場合もよく見られます。また、大企業が行う買い手主導で進められるケースが多いM&Aに比べ、中小企業のM&Aにおいては、売り手オーナーの意思や条件も成約については重要な要素になるケースが多々見られますし、外資ファンド等が収益投資目的で、買収後に企業を解体して差益だけを取るといったものではなく、多くの場合は、買い手企業の事業拡大の為や、新しい事業を展開するために、事業を一から立ち上げるのではなく、既存の事業を買い取ることによって事業拡大を図るために行っているのも事実です。 参照 http //www.bbs-jpn.com/sankousiryou1.html http //www.recof.co.jp/web/fm/graph http //www.strike.co.jp/weblog/archives/000033.htm... http //www.j-cast.com/2006/04/04000883.htm 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/fysl/pages/723.html
売買春法 インドネシアにおける売買春 - Wikipedia インドネシアにおける売買春 - Wikipedia インドネシアにおける売買春 - Wikipedia https //ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A3%B2%E8%B2%B7%E6%98%A5
https://w.atwiki.jp/nor77/pages/56.html
以下は、http //jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/4028/1188656797/から引用 従軍慰安婦関連資料メモ置き場 1 :名無しさん 2007/09/01(土) 23 26 37 皆さんが持っているorみつけてきた従軍慰安婦関連資料をここに 貼り付けてください。 今はなんの役に立つのか解らなくとも、こうやって情報を共有しあう 事は、いずれ何かの役に立つかもしれません。 (私が時系列年表を作成できたのも、いずれ何かの役に立つからと、 ちまちまと何年もかけて資料をHD内に溜め込んできたからです) 2 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/01(土) 23 28 16 名前記入忘れてましたね… 一応ここに何かのヒントになりそうな、私の集めた資料を少しずつ 貼っていきます。 「漢口慰安所」(1940) 長沢健一軍医 「兵站司令部は慰安所を管理する一方、慰安婦を業者の不当な搾取から保護する債務もあった。朝鮮人業者 の中には、ひどい例もあった。 証文も何も書類らしきものは一切なく貧農の娘たちを人買い同然に買い集めて 働かせて奴隷同然に使い捨てにする。これでは、死ぬまで自由を得る望みはないのだが女たち自身もそうした 境涯に対する自覚は持ってないようだった。 藤沢軍医は業者が女に支払った金に雑費を加えて借用証を作ら せ女たちが働きさえすれば借金を皆済し自由な身の上になれるようにした」 「武漢兵站」(1943)山田清吉慰安所担当係長 「漢口に入城した売春業者は朝鮮人の女たちをまったくの奴隷状態で酷使収奪してたので、漢口兵站の監督下に 置き内地人の女同様、借金制度に切換えた。前借金は平均6、7千円だったので1カ月4、5百円稼がせるようにし一 年半くらいで借金を返し、それ以上働けば貯金もできて内地へ帰れるよう指導した」 「応城でのこと、一人の慰安婦が新四軍(中共軍)に拉致された。だが、運よく、日本憲 兵隊で抑留していた新四軍の中隊長の妹と、その慰安婦を交換する交渉がまとまり、新溝 かどこかの橋の上で相互に引き渡された。その折、慰安婦の話によると、向こう側でもや はり慰安婦をやらされたそうである。中共兵は行列を作って順番を待っているので一体、 何人やらされるのかと勘定したが、30人ほど教えて面倒臭くなってよしたそうだ。中共兵 は切符制なのに比べて、日本兵の場合はお金がないと遊べないから可哀想だと思ったとい う」(長沢健一著「漢口慰安所」) 3 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/01(土) 23 29 07 李栄薫ソウル大教授「従軍慰安婦は売春業」 http //japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/09/03/20040903000051.html 李教授は「過去史真相究明論争」をテーマに開かれたこの日の討論で、過去史に対する民間人レ ベルの反省を強調する過程で挺身隊を商業的目的を持った売春業になぞらえたかのような発言を したことで騒動を巻き起こしている。燿 李教授は2日の夜、「韓国戦争当時、韓国人による慰安所や米軍部隊近くのテキサス村に対する 韓国人の反省と省察がない」と日本軍従軍慰安婦を米軍部隊の売春業になぞらえた。 ? また「朝鮮総督府が強制的に慰安婦を動員したと、どの学者が主張しているのか」とし、「日本 は挺身隊を管理した責任があるが、韓国民間人の問題も取り上げるべきだ」と主張した。 ■ 正論 2003年6月号 P.116 台湾人評論家 黄文雄氏 「慰安婦」の「強制連行」の嘘については改めて言うまでもないが、朝鮮は農政 が崩壊した「三政紊乱」の十九世紀には、すでにアジア最大の「慰安婦」(売春婦) 輸出国になっている。 朝鮮人慰安婦は中国商人によって安く買い取られ、満州を初め中国各地、そして 台湾にまで売られている。 台韓関係史などは、十九世紀に台湾北部の石炭採掘 現場に朝鮮人売春婦が入ったことに始まっている。 彼女たちは終戦まで、台湾の 地方にまで広がっていた。 私の故郷でも最大の売春宿は朝鮮人の経営で、朝鮮人売春婦たちが働いていた。 4 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/01(土) 23 31 21 米下院公聴会で証言した、李容洙(イ・ヨンス)の公聴会とマスコミ報道 での証言の矛盾 CNN 14歳/兵隊に家から連れ出された。 米下院 16歳/自分でこっそり家を出た。 CNN http //edition.cnn.com/2007/WORLD/asiapcf/03/03/japan.sexslaves.ap/ Lee Yong-soo, 78, a South Korean who was interviewed during a recent trip to Tokyo, said she was 14 when Japanese soldiers took her from her home in 1944 to work as a sex slave in Taiwan. Lee Yong-soo(78歳韓国)は東京でのインタビューで、 彼女は1944年、14才のとき日本の兵隊に家から連れ出され、台湾で性奴隷として働かされた、 と述べました。 U.S. House of Representatives http //www.internationalrelations.house.gov/110/lee021507.htm In the autumn of 1944, when I was 16 years old, my friend, Kim Punsun, and I were collecting shellfish at the riverside when we noticed an elderly man and a Japanese man looking down at us form the hillside...... A few days later, Punsun knocked on my window early in the morning, and whispered to me to follow her quietly. I tip-toed out of the house after her. 1944年の秋、私は16歳で、友達のキムプンスンと私が川のそばでエビを捕っていたとき、 年老いた男と日本人が丘の方から私たちを見てるのに気づきました。…(中略)… 数日後の早朝、プンスンは私の部屋の窓をノックして、静かに私の後についてくるようにとささやきました。 私はこっそりと家を出て、彼女について行きました。 5 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/01(土) 23 33 45 金学順(従軍慰安婦認定第一号)がメディアに現れた事の真相 毎日の編集局は、「従軍慰安婦」を提起したのは朝日新聞というが、 金学順さんが最初に露出したのは、毎日系のテレビであったと思う。 彼女は、メディアに乗っかり露出した動機は、韓国のマスコミに、 その原因があります。韓国のマスコミが、事実を歪曲して、慰安婦の 事を報道していたから、金学順さんは、慰安婦の生き証人として、 名のり出たのです。韓国のマスコミは、日本政府が慰安婦は存在しなかった と言っていると、韓国内で報道したものですから、それを否定する為に、 慰安婦を行っていたと、生き証人として名のり出たのです。 つまり、勘違いであったのです。 日本政府は、慰安婦の存在自体の否定はしておりませんでした。 慰安婦に関する経営などに、軍や政府は、関わりが無かったと言っていたに すぎないのに、韓国のマスコミは、慰安婦というものが、そもそも存在していなかったと、 日本政府が言っていると、韓国内で報道したのです。 金学順さんが名のり出た動機では、駄目であると、日本の左翼が 作為し、強制連行された事に、後でなったのです。 そして、金学順さんは、日本で裁判しますが、負けます。 金学順さんは、義理の父に、売春婦として売られ、満州で、売春をやらされますが、 つらいので、逃げ帰った人です。まあ、その際の女衒も朝鮮人でしょうし、 日本軍による慰安婦狩りとか、強制連行とかには関係がありません。 金学順さんに、ウソを付かしたのは、日本の左翼です。 この金学順さんが、いわゆる「従軍慰安婦」第一号なのです。 つまり、日本の左翼のロボット第一号なのです。 6 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/01(土) 23 35 10 金学順(キム・ハクスン)さんの証言 (青字の部分に注目) (従軍慰安婦だと最初に名乗り出た慰安婦第一号) 1991.8.10 ソウル発朝日新聞 「女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七才の時騙されて慰安婦にされた。200人 から300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた」 1991.12.25 朝日新聞 「私は満州の吉林省で生まれました。父が、独立軍の仕事を助ける民間人だったので満州に いたのです。私か゛生後100日位の時、父が死にその後、母と私は平壌に行きました。貧しく て学校は普通学校(小学校)四年で止めました。その後は子守りをしたりして暮らしていました (中略)そこへ行けば金儲けが出来る、こんな話を地区の仕事をしている人に言われました。 仕事の中身は言いませんでした。近くの友人と二人、誘いに乗りました。十七才の春でした」 1991.8.14ハンギョレ新聞 「生活が苦しくなった母親によって十四才の時平壌にあるキ―センの検番に売られて行った。 三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れられて行っ た所が、北中国の日本軍三百名余りがいる部隊の前だった」 東京地方裁判所訴状 「十四才からキ―セン学校に三年間通ったが、1939年、十七才の春「そこへ行けば金儲けが 出来る」と説得され(中略)養父に連れられて中国へ渡った。」 証言がコロコロ変わっている、嘘を書けば偽証罪に問われる「東京地方裁判所への訴状」が一 番信憑性が高いだろう。 どちらにしろ、証言は嘘だらけである。 もちろん、強制連行でもないし、強制的に慰安婦にしていない。 従軍慰安婦と呼ばれた人の大半がキーセン出身者であるのも、ただの売春婦であったことの 証明でしょう。 (※キーセン 朝鮮半島に古くからある伝統的な売春婦養成学校、李氏朝鮮時代にはこれらを 宗主国である中国との外交に利用していた) 7 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/01(土) 23 36 22 呉善花 「反日韓国に未来はない」 私は韓国で生まれて二十六歳まで韓国で生活していた間、村の女を軍や総督府の官憲 が強制的に連行したといった話はいっさい耳にしたことがありません。また、私が『生活者 の日本統治時代』で、インタビューした植民地世代の韓国人の誰一人として、そのような 光景を見たことも聞いたこともないといっていますにもかかわらず、最近になってそうした 話が出るなんて、まったくおかしなことだというしかありません。 日本の左翼活動家が反日民族主義の活動家に入れ知恵して以来、「そういうことがあった らしい」「そういうことがあったに違いない」「そういうことが事実あった」というようにエスカ レートしていったことは明らかです。こうして「従軍慰安婦」問題は、女子挺身他(女性の 徴用者たち)と意図的に混同させられ、大量の女たちが「従軍慰安婦」させられた、強制連行 でそうさせられた、という物語がつくられ、それがあたかも真実であるかのように韓国国内で 信じられるまでになってしまったのです。 8 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/01(土) 23 42 40 InternetTimes 平成14/3/10(日) 韓国軍に慰安婦制度朝鮮戦争当時慶南大客員教授が発表 関係者によると、朝鮮戦争当時、韓国軍にいわゆる慰安婦制度が存在していたことがこの ほど分かったという。これは二月二十三日に、立命館大学で開催された「東アジアの平和 と人権」国際シンポジウム日本大会で、韓国・慶南大学客員教授の金貴玉さん(40)が明ら かにしたもので、韓国軍の慰安婦制度が公になったのは今回が初めて。金さんは離散家族 の取材を進めるなかで、九十六年に「五十年十月、韓国軍の捕虜になり軍慰安隊の女性と 出合った」という証言を得たという。その後「慰安所を利用した」「軍に拉致されて慰安婦にさ れかかった」という男女八人の証言を聞いたという。さらに金さんは、韓国の陸軍本部が 五十六年に編纂した「後方戦史(人事編)」に、「固定式慰安所―特殊慰安隊」の記述をみ つけたという。これまで日本軍イコール慰安婦という図式で、大きく取り上げられてきたが、 韓国軍の慰安婦制度が判明したことで、慰安婦問題についての新たな論議が注目されている。 米軍の黒人下級兵士が慰安婦殺害(疑惑)。 この時代の慰安婦制度では、韓国政府が慰安婦を管理していたようです http //file.sikoken.blog.shinobi.jp/beigun2.jpg 国連軍を相手にする慰安婦の登録を「ソウル市役所」が実施 するとの報道です。 米軍(国連軍)相手には、韓国政府が公的管理で女性を供給して いた。 http //stat.ameba.jp/user_images/27/e0/10017728066.jpg http //ameblo.jp/nidanosuke/entry-10028163672.html 9 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/01(土) 23 45 54 「水曜集会の元慰安婦女性は偽者」 軍事評論家の随筆が波紋 軍事評論家の池萬元(チ・マンウォン)氏が、毎週水曜日、ソウル・鍾路区の日本大使館前で行われている「水曜集会」に 参加している元挺身隊の女性たちに対し“偽者”であると主張し、波紋を広げている。 池氏は今月13日と14日、自分のホームページに相次いで掲載した「慰安婦問題を解剖する(上・下)」という題名の随筆で、 「日本の最高裁判所が確実に日本軍慰安婦だったと認めたシム・ミジャさんが認める“日本軍慰安婦だった女性”は33人で、 この中、現在デモをしている女性は1人もいなかった」とし、「テレビでよく見かける女性の場合、日本の関連団体が“偽者” とし保証金の支給さえ拒絶している」と主張した。 池氏は慰安婦を「日本軍の慰安婦」、「従軍慰安婦」、「挺身隊」に区分した後、「本当に被害を受けた“日本軍慰安婦”は 全体の20%程度で、貧しさのため自ら売春をした従軍慰安婦が80%程度におよぶと言われている」とした。 池氏は「慰安婦問題も以前の5・18民衆抗争(光州人民蜂起)のようにタブーになっている」とし、「このような事に限って 問題が多いというのが筆者の持論」と主張した。 池氏は今後も「慰安婦問題の伏魔殿(陰謀や悪事が企まれている場所)」、「本物の日本軍慰安婦が申請した 仮処分申請」、「大韓民国が恥ずかしい。慰安婦ゲーム、もう終わりにせよ」という題名で3回に渡って慰安婦関連の 随筆を掲載する計画だ。 韓国挺身隊問題対策協議会は声明を発表、「挺身隊の女性たちの名誉棄損と人権侵害の責任を問い、 法的対応をしていく考え」とした。 同協議会ホームページの掲示板には「最後まで(池氏の)言葉に対する責任を取らせるべき」など、池氏に対する 厳しい対応を要求する書き込みが相次いだ。インターネットポータルサイトでも「あなたの母親が慰安婦だったとしても そのような言葉を口にできるのか。長い歳月の間、恨みを胸に抱えて生きてきた女性たちにナイフを突き刺した」 など非難の書き込みが殺到した。 朝鮮日報 http //japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/14/20050414000056.html 10 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/01(土) 23 47 35 「民間が慰安婦集め」米調査「日本軍は利益得ず」 報告書によると、経営者は朝鮮のソウルで妻とともに食堂を開き、ある程度の利益を得ていたが、景気が悪くなり、 新たに収入を得る機会の追求としてソウルの日本軍司令部に慰安婦を朝鮮からビルマに連れていくことの許可を求めた。 この種の提案は朝鮮在住のほかの日本人ビジネスマンたちにも軍から伝えられていたという。 同経営者の慰安婦集めについては「彼は22人の朝鮮女性に対し個々の性格、外見、年齢による区分で1人あたり 300円から1000円の金をまずその家族たちに支払い、取得した。22人の女性は年齢19歳から31歳までで、 経営者の占有する資産となった。日本軍は(この取得から)利益は得ていない。ソウルの日本軍司令部は同経営者に対し (ビルマまでの)ほかの日本軍各司令部あてに輸送、配給、医療手当などの必要な援助を与えることを認めた書簡を与えた」 と記している。 (以下、下へ) http //www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070512/usa070512001.htm 11 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/01(土) 23 49 09 慰安所設置に関する陸軍からの通達 上海派遣軍慰安所酌婦契約条件(群馬県知事発内務大臣・陸軍大臣宛「上海派遣軍内陸軍慰安所ニ於ケル酌婦募集ニ関スル件」(1938年1月19日付)) 拝啓年内余日も無之嘸御繁忙の事と奉存候陳者今回軍部の御了解の元に中支方面に皇軍将士慰安を目的とする慰安所設立致す事と 相成り左之条件を以て約五百名の酌婦を募集致候に付何卒大至急御手配煩し度御報知次第直に出張可仕候間御一報被下度奉願候 昭和十二年十二月二十八日 大内 殿 条 件 一、契約年限 満二ヶ年 一、前借金 五百円ヨリ千円迄 但シ、前借金ノ内二割ヲ控除シ、身付金及乗込費ニ充当ス 一、年齢 満十六才ヨリ三十才迄 一、身体壮健ニシテ親権者ノ承諾ヲ要ス。但シ養女籍ニ在ル者ハ実家ノ承諾ナキモ差支ナシ 一、前借金返済方法ハ年限完了ト同時ニ消滅ス 即チ年期中仮令病気休養スルトモ年期満了ト同時前借金ハ完済ス一、利息ハ年期中ナシ。途中廃棄ノ場合ハ残金ニ対シ月壱歩 一、違約金ハ一ヶ年内前借金ノ一割 一、年期途中廃棄ノ場合ハ日割計算トス 一、年期満了帰国ノ際ハ、帰還旅費ハ抱主負担トス 一、精算ハ稼高ノ一割ヲ本人所得トシ毎月支給ス 一、年期無事満了ノ場合ハ本人稼高ニ応ジ、応分ノ慰労金ヲ支給ス 一、衣類、寝具食料入浴料医薬費ハ抱主負担トス 12 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/01(土) 23 50 56 http //www.exordio.com/1939-1945/codex/Documentos/report-49-USA-orig.html 慰安婦の業務状態は陸軍規定の元にあり規則は厳格に実施された。 慰安婦は収入から債務を返済し、月平均で1500円の総収益をあげていた。 かかりつけの日本軍医が週に1回訪れ衛生管理。 病気が見付かった女性は皆治療を受け、隔離され、病院へ送られた。 彼女らが望む品物を買えるだけの十分なお金を持っていた。 彼女らは服、靴、タバコ、そして化粧品を買え、 実家から慰問袋を受け取った多くの軍人から、多くのプレゼントを貰っていた。 ビルマに留まっている間は将兵と共に、スポーツイベントに参加したり、 ピクニックに出席したり、娯楽、社交ディナー等で彼女ら自身楽しんだ。 彼女らは「蓄音機」も持ち、町の中では買い物に行くことも許された。 13 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/01(土) 23 54 07 日韓翻訳掲示板に掲載された、朝鮮における売春の実態です。 過去から現在に至るまでの経緯が詳しく書かれており参考になります。 朝鮮での売春の実態 http //bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ttalk nid=617250 補足資料 女性不良債務者集め日本の風俗店に売り飛ばす - 韓国伝統の慰安婦仲介業(朝鮮日報) http //japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/05/19/20040519000031.htm 14 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/01(土) 23 56 59 米下院公聴会で証言した3人の矛盾や曲解等が詳しく掲載されているHPなど 李容珠(イ・ヨンス) http //sikoken.blog.shinobi.jp/Entry/10/ 金君子(キム・グンジャ) http //blog.livedoor.jp/baiding/archives/50406823.html ヤーン・ルーフオヘルン http //specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-393.html オランダ人慰安婦について 白馬(スマラン)事件 http //www.youtube.com/watch?v=TkEdxNuNf9k バタビア?で業者から、とり残されたオランダ女性なかから慰安婦にしたいと言われ、 本人の自由意志を尊重すること&やめたい時はいつでも辞めさせること。これを条件に 開設を許可した。 そのうち辞めたいと言い出したものが出た時に業者がやめさせなか った。それを(処刑された)陸軍少佐は知っていたが黙認していた。それを知った軍司令 部は設立の条件に違反したと閉鎖した。 ※軍人個々の軍規違反や犯罪行為を糾弾するのなら、この白馬事件(スマラン事件)を取り上げても良いが、 従軍慰安婦問題とは「軍による組織的強制連行及び売春の強要」の事なので、そもそも批判する論点が違う。 ※この件に関し、従軍慰安婦問題を批判する側は、「日本軍の罰が軽かった」事を取り上げるが、そもそも 軍が「設立意図に反する」という理由で施設を閉鎖しているので、軍規違反の兵士への処罰が軽かった 事と、「軍が組織的に女性を拉致し売春を強要した」事とは全く関係が無い。これも論点が違う。 ※スマラン事件を調査したオランダも、「慰安所一般は強制ではなく娼婦によるもの」と結論付けている。 ※この事件は、「軍が女性への売春の強要」を否定していた事の証明にしかならない。 15 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/02(日) 00 00 42 日韓条約における請求権関連協定 日韓請求権並びに経済協力協定 (財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定) http //www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19650622.T9J.html 前文 日本国及び大韓民国は、両国及びその国民の財産並びに、 両国及びその国民の間の請求権に関する問題を解決することを希望し、 両国間の経済協力を増進することを希望して、次のとおり協定した。 第二条 1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、 権利及び、利益並びに、両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、 1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との 平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて、 完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。 2 この条の規定は、次のもの (この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が、執つた特別の措置の対象となつたものを除く)に影響を及ぼすものではない。 (a)一方の締約国の国民で、1947年8月15日から、 この協定の署名の日までの間に、 他方の締約国に居住したことがあるものの財産,権利及び利益 (b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であって 1945年8月15日以後における、通常の接触の過程において 取得され又は他方の締約国の管轄の下にはいつたもの 3 2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の財産、 権利及び利益であって、この協定の署名の日に 他方の締約国の管轄の下にあるものに対する措置並びに、 一方の締約国及びその国民の他方の締約国及び、 その国民に対するすべての請求権であって、 同日以前に生じた事由に基づくものに関しては、 いかなる主張もすることができないものとする。 16 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/02(日) 00 03 43 15について。 よく、ネット上では日韓条約と日韓基本条約を混同されている人がいますが、 日韓基本条約と4つの協定、及び25件の付帯文書をまとめて「日韓条約」と総称 しており、日韓条約そのものには請求権関連は含まれておりません。 この事実から、「日韓基本条約ではそんな事決められていない」と揚げ足取りを してくる相手もいるため、ご注意ください。 17 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/02(日) 00 06 30 揚げ足取りというよりミスリードですね。 日韓基本条約に請求権関連協定がないため、「そんな物は存在しない」」と 第三者にミスリードを誘うわけです。 従軍慰安婦関連でもそうなのですが、こういった巧妙なミスリードを誘う 手法は今まで何度も見てきました、今後様々な活動をするにあたり、こういった ミスリードや資料の一部を抽出しての曲解などは何度も発生すると思われます。 18 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/02(日) 00 11 17 中央大学の朝日新聞と吉見教授らが「軍関与の証拠」として持ち出し、当時の宮沢首相が 公式謝罪をする切欠になった資料原文。 国立公文書館アジア歴史資料センター ttp //www.jacar.go.jp/ レファレンスコード:C04120263400 「軍慰安所従業婦等募集に関する件」より ttp //photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/47/43/enjoyjapan_13/47000/46964.jpg 陸軍省副官通牒、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」 「支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為、内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ故ラニ 軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或イハ 従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或イハ募集ニ 任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等 注意ヲ要スルモノ少カラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於テ統制シ之ニ 任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実施ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋ヲ密ニシ、 以テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス 陸支密第745号 昭和拾参年参月四日」 「支那事変地に於ける慰安所設置の為、内地に於て之が従業婦等を募集するに当り、 故(ことさ)らに軍部了解等の名義を利用し、為に軍の威信を傷つけ、 且つ一般民の誤解を招く虞(おそれ)あるもの、或は従軍記者、慰問者等を介して 不統制に募集し社会問題を惹起する虞あるもの、或は募集に任ずる者の人選適切を欠き、 為に募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取調を受くる者ある等、 注意を要する者少なからざるに就ては、将来是等の募集に当たりては、 関係地方の憲兵及警察当局との連繋を密にし、以て軍の威信保持上、並に社会問題上、 遺漏なき様配慮相成度、依命通牒す。」 19 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/02(日) 00 15 43 18に関する補足 中央大学の吉見教授らはこの資料に関し 「内地において従業婦を募集するにあたり」とわざわざしていることから、内地に入らない 朝鮮や台湾での慰安婦募集のやりかたに問題があったのではないか と、要するに「取締まっていたと言う事実」に対し、自分達に都合のいい「憶測」で 「軍による強制があった」としていたようです。 20 :コペルニクス 2007/09/02(日) 04 53 10 台湾人と日本精神 著者:蔡焜燦(サイ コンサイ) ここに少し従軍慰安婦や朝鮮人の素行に触れている。ちょっと面白いなと思ったので皆さんに紹介しようと思う。 敗戦後、引き揚げ者の中には、海南島から日本兵とともに引き揚げてきた20名ほどの台湾人慰安婦の姿もあった。彼女たちは我々と同じキャンプに収容されて台湾への帰国を待っていた。 彼女たちは口々に「海南島は儲かるし、それよりも兵隊さんが喜んでくれたんです」と語っていた。そうした生の声には、現代の日本で騒がれるような強制連行の悲劇などは存在しなかった事を、私のこの耳がしっかりと聞いている。 ソウル大学名誉教授:安秉直教授 安教授はインタビューで、慰安婦がいたことを否定する人はないとしながらも、「問題は強制 動員だ。強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓日とも客観的資料は一つも ない」として、慰安婦動員の「自発性」を強調した。 記録がないからといって強制性に対する評価を留保するのは間違いではないか、という司会者の質 問に安教授は、「軍隊慰安婦や一般慰安婦の生活は悲惨きわまりない。私たちはそのことに目を閉 ざしてはならない。韓国にも私娼窟という慰安婦が多数いるが、そうしたことを無くすためには、なぜ そのような現象が発生するのかを研究せねばならない。無条件強制によってそうした現象が起きる、 とは考えられない」 安教授は更に、慰安婦業者のうち半分は朝鮮人だったとして、「(当時)朝鮮人が何の権力で強制的 に動員したというのか」と主張した。 安教授はただ、軍が強制動員した可能性があると思って自分は韓国挺身隊問題対策協議会と共同 で調査をしたと明らかにしたうえで、「3年活動してからやめた理由は、彼ら(挺身隊対策協)の目的が 慰安婦の本質を把握して今日の悲惨な慰安婦現象を防止することではなく、日本とケンカすることだったからだ」と主張した。そんな調子の反日運動が今日の私たちにとって何の意味があるのか、という 疑問から挺身隊対策協との活動をやめたということだった。 安教授は更に、「現在の我々の生活に何が役に立つのか、現在の我々の貧しい隣人のような状況 を無くすために韓日関係をどうしてゆくべきか、を悩むのが真の国家指導者の姿勢だ」と強調して、現政権を批判した。安教授は、「過去の何が悪く何が正しかったを根掘り葉掘り調べても現実には全然役立たない。ちょうど盧武鉉政権のやり方で、逆に行き方だ」として、「私たちが協力すれば国がうまく行くのに、独島やら靖国やら何の解決の見込みがないことを持ち出して何年も始終ケンカばかりして いる。こんなことをするなと言っているのだ」と表明した。 21 :ななし 2007/09/03(月) 13 53 57 30 問題は、そのソウル大学名誉教授は、後に圧力に屈して、慰安婦の前で土下座しているのですよ。 彼の本意は、無意味に、日本の戦争犯罪を叩くことは、韓国の成長の妨げになしかならないと、言う本意の発言であって、今となっては、事実検証は二の次なのでしょう。 また、韓国の有名な芸能人が、韓国人の弱い部分を良い、日本人や欧米人が羨ましいと、本に書いただけで、出演禁止や、圧力による謝罪会見をさせられるお国柄です。 何の解決にもならない(笑)。 22 :ななし 2007/09/03(月) 14 01 19 慰安婦関連の情報は、ENJOY Korea と言う日韓翻訳掲示板の住人も、集めているようですが、多くは本やネットの引用が多いですね。 ただし、画像も貼っていることが、多いので参考にはなりますが、投稿に自分の感性を流されないよう、注意してください。 情報を精査し、最後に自分流の考え方を、形作るのは、皆さん個人個人です。 暇を見て、ENJOY Korea で上げられた情報も、ここに紹介しようと思います。 23 :Venom 2007/09/03(月) 14 52 04 素晴らしい! 私も貼り付けておきます。 慰安婦のための反日から反日のための慰安婦へ http //nandakorea.sakura.ne.jp/html/ianhu.html 24 :鉄塵28号 2007/09/03(月) 15 13 32 加瀬英明氏等にによる、英文、対反日カウンタープロパガンダのサイトです。 史実を世界に発信する会 hassin.sejp.net/ 25 :鉄塵28号 2007/09/03(月) 15 16 41 hassin.sejp.net/ 26 :コペルニクス 2007/09/03(月) 21 08 35 21 そうなんですよね、辞職に追い込まれたりして撤回していますよね。 あと 3のソウル大学の李教授も、ハルモニ婆さんに罵られ撤回してしまっている。 でも、真相はわかったよね。日本と喧嘩したいだけなんだって事が。 27 :Venom 2007/09/04(火) 09 48 27 安秉直教授も、その点を指摘しています。 挺対協と一緒に活動していたけれど、 「3年間活動してからやめた理由は、彼らの目的が日本と ケンカすることだったからだ」と明言しています。 安秉直・ソウル大学教授がテレビ出演 … 「慰安婦業者の半分は韓国人 http //blog.livedoor.jp/enkori/archives/50441484.html http //www21.tok2.com/home/saigoutakamori/ankyoujyu-interview.htm 挺対協には北朝鮮の工作員が入り込んでおり、韓国と日本を 対立させるのが目的なんでしょうね。 もっとも李栄勲教授や安秉直教授は、親日派や基地外扱いされてますが。 安秉直や李栄薫の植民地研究にはトヨタからカネが出ているから、欠陥研究 http //plaza.rakuten.co.jp/nwaiwgp/diary/200612120001/ ヨルリン・ウリ党:「安秉直の精神状態が疑わしい」 http //plaza.rakuten.co.jp/nwaiwgp/diary/200612080000/ 28 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/04(火) 23 29 33 nor77さんが隼速報で投稿した内容、これも貴重な資料となりえるので、 こちらへ転載しておきます。 ROBERT JOSEPHの原爆正当化発言に関して まずはAFP通信での記事より 日本ではどのように伝えられたのかという記事を。 ■米高官の原爆発言に日本政府は不快感 → http //www.afpbb.com/article/politics/2248858/1750460 次に実際はどのような質疑応答が行われたのかを動画でチェック ■Briefing With U.S. Special Envoy for Nuclear Nonproliferation Robert G. Joseph and Russian Federation Deputy Foreign Minister Sergei Kislyak on Cooperation in Nuclear Energy and Nuclear Nonproliferation → http //video.state.gov/?fr_story=b0083b5fd3f2100c1337228ee2539d0559ba585c 30分以上にも及ぶ長い動画ですが 問題の質疑応答は32:12頃からになります。 残念なことにAFP通信などで伝えられた 問題の記事との内容の差違は私には見つけられませんでした。 この会見の全文テキストはこちらになります。 → http //www.state.gov/r/pa/prs/ps/2007/87659.htm 2007/09/04 08 08 | nor77 [ 編集 ] 29 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/04(火) 23 31 18 GRANMAさんの投稿分 李栄薫ソウル大教授「従軍慰安婦は売春業」 http //www.chosunonline.com/article/20040903000051 また、崔基鎬(チェ・ケイホ)氏著、「日韓併合の真実」「歴史再検証 日韓併合」も読むと 半島の事情が良くわかります。その著者のことば、「武士道の覚醒と強い日本を願う」より、 「韓国は十のうち九は歪曲があると言っていいでしょう 。」とのこと。 http //www2.odn.ne.jp/~aab28300/backnumber/04_12/tokusyu.htm 加瀬英明氏代表の「史実を世界に発信する会」も頑張っておられます。 英語版は http //www.sdh-fact.com/ 日本語もお上手なオーストラリアのマットさんは竹島の問題を英語のブログ「occidentalism」 で良く取り上げられています。 さらには政治ブログ、「博士の独り言」からですが、米教科書に「東海」併記・進む捏造の 既成事実化、米教科書が韓国の捏造を採用 とのこと。世界中で働くサイバー民間外交使節団 「VANK」は、韓国では大統領表彰や韓国国会大賞、韓国観光大賞等を受賞しているとのこと です。 30 :マイ舞 2007/09/06(木) 00 37 35 朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表 (2002/02/24 ) http //www.tamanegiya.com/kannkokugunniannfu-.html 朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度があったことが23日、立命館大学 (京都市北区)で開かれている「東アジアの平和と人権」国際シンポジウム 日本大会(朝日新聞社後援)で明らかにされた。韓国軍慰安婦について日本で 公になったのは初めて。以下略 この記述を見て、人数が30万人も増えたらしい。日本ばかりを責めないで ほしいものです。 韓国軍が強制連行したのか...? たぶん、悲しいかな仕事がほしかったのだと 思います。食べるために。。。 でも、このニュースソースは朝日なので信じて良いものかどうか不安ですね。 31 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/06(木) 00 44 44 30 資料提供ありがとうございます。 朝日もそれ報道していたんですね。 これに関しては裏付けとなる資料 8があるので 間違いないです。 そもそも、20万と言う数字そのものが原文の誤用の 曲解にも関わらず、なぜそこまで堂々と掲載できる んでしょうね、常識を疑います。 32 :マイ舞 2007/09/07(金) 00 21 23 Gripenさん、重複してすみませんでした。 反日ワクチンさんのブログ 2000年の6月、南北首脳会談で金大中が北朝鮮に行ったときに、 金大中夫人が北朝鮮の女性活動家と会い、そこで慰安婦問題を南北共同で 取り上げようという話をする。 このような中で、平壌で南北の慰安婦問題の活動家のネットワークができ、 さらにオランダ人や中国人も含めて慰安婦になった人たちのネットワークが つくられる。そして日本でもアジア女性基金に反対するもうちょっと左のグループが、「バウネット・ジャパン」という組織をつくる。 これをオーガナイズしたのが、松井やより氏という元朝日新聞の記者で、 この人は新左翼的な思想の持ち主だった。高木健一氏らは、アジア女性基金 でお金を配ろうとしたほうだったが、彼女は、それよりもうちょっと左で、 慰安婦のことも含めて、日本の戦争中の行為を断罪することに血道をあげる。 http //vaccine.sblo.jp/article/5246092.html#more (2007/8/29) 反日団体資料と迷ったあげく、従軍慰安婦報道経過がわかりやすかったため こちらにしました。 33 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/07(金) 00 37 21 32 いえ、同じ資料でも発信元が違う物はそれはそれで 史料価値がある(どこがどんな説を支持しているか) ので、その資料も貴重ですよ。 朝日の場合、基本的に北の味方で韓国は敵であり、 現状は、北が事実上韓国を乗っ取った状態なので、 今のようなスタンスになっているだけなのです。 そして、この件は軍政時代の韓国を批判する内容 なので掲載したのではないかと思われます。 34 :J.J. 2007/09/07(金) 19 27 15 http //resistance333.web.fc2.com/html/comfort_woman2.htm 慰安婦問題まとめサイトです。慰安婦の検証、証言もあります。 35 :J.J. 2007/09/07(金) 19 30 18 http //www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/05/0705j0907-00001.htm 慰安婦」問題世界大会 朝鮮はじめ11カ国参加 10月3〜7日 ロサンゼルスで 朝鮮新報掲載ですので、この大会には北朝鮮のこうさくによるものでしょう。 36 :ななし 2007/09/09(日) 23 14 37 ageます(Threadを最上位に、浮上させる意味) 【アメリカの従軍慰安婦に関する認識】 ■ 「慰安婦は奴隷ではない」アメリカ人歴史学者が明言。 2007/06/25 14 29 http //komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/206055/ ■ アメリカ最高裁は「慰安婦の訴え」を却下した 2007/07/25 05 17 http //komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/245122/ ■ 朝鮮日報「慰安婦、雇用契約交わしていた」=米軍報告書 2007/05/19 09 29 49 http //www.chosunonline.com/article/20070519000010 ワシントンでは、膨大な過去の資料から、慰安婦に関して、公娼に近い認識をしているのでしょう。 政府と、議会は一体ではありません。日本政府同様、アメリカも政府と議会の、情報共有が出来ていないようです。 情報共有が確立しているのならば、下院の馬鹿な決議も起こらなかったはずです。 日本政府も、90年代に意見が、一転二転しているのは、政府も議会も、政府が抱える過去の資料を、精査していないのと、議会への情報の共有が、確立していないからでしょう。 馬鹿な話だ。日本が悪でも正義でも、どちらでも構わないから、情報の開示を徹底的にするべきだ。日本軍の過去の、悪意ある行動には真摯に謝罪対応し、謂われのない嘘は、徹底的に応戦しよう。 【カナダ、オーストラリアの慰安婦決議案に関して】 ● 慰安婦決議案、オーストラリア上院は否決し、カナダ下院は差し戻し http //blogs.yahoo.co.jp/pachinko_pride/23445409.html (ソースは産経の模様) 彼らも馬鹿ではありません。当然、現在の貿易や国際関係等々の影響も考慮して、否決や差し戻しを行っているのでしょう。 ポイントは、これらの国々でも、現地の白人議員が調査し、議案として提起したのではなく、全て中韓のロビーストの圧力や献金、もしくは組織自体が、「移民系政治家」を利用して、提起させているのです。 当事国が母国の、白人議員からでは無いのです。移民系の議員を利用し、彼らの人権問題意識(差別問題他)を、利用して発言させていると考察されます。 ホンダが、良い例ですね。これからは、中韓ロビーストも発言力のある、白人議員に接触する可能性も、考えておくべきでしょう。 彼らが、馬鹿で無いのなら、過去から実際に接触しているはずです。 37 :マイ舞 2007/09/10(月) 18 54 14 《本物と偽者の慰安婦》 ★すいか泥棒日曜版 http //subakdoduk.exblog.jp/1845164/ 2005/04/13 http //subakdoduk.exblog.jp/1850071 2005/04/14 ★ヒロさん日記 2005/4/16(土) 09 15 http //www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1006660 60余年が過ぎた今、偽慰安婦と「本物の日本軍慰安婦」を区別する事がどれだ け難しいだろうか? 大抵は「歳を取ったので記憶ははっきりしないが、被害に 遭ったのは事実だ」と言い張る場合が多いという。 1992年から、毎週水曜日の昼12 00〜13 00に、日本大使館前では3名から多いとき には6名ほどのおばあさんたちが胸の前に黄色いチョン(訳註:何だか不明) を持ってデモを行なっている。「真相を糾明せよ」「謝罪せよ」「賠償せよ」 「歴史教科書に真実を載せよ」「戦犯を処罰せよ」。既に600回をとうに超えた という。<中略> 最近TVに顔を出しているおばあさんたちの中には、中国から来た5名ほどのおば あさんたちもいるという。彼女らは日本大使館前に出掛ける代価として1日に 数万ウォンずつの日当を貰っているという。中国から来たおばあさんたちは、 京畿道広州市にあるナヌムの家に収容されているという。しかし、本物とされ る33名のおばあさんたちはナヌムの家を嫌がって外に住んでいるという。 ピースボートのコリアクルーズや、司法試験塾「伊藤塾」の韓国ツアーに参加 すると、この「水曜デモ」と「ナヌムの家」を訪問するのが定番となっている。 しかし引用にもあるとおり、「ナヌムの家」のおばあさんたちは、いわゆる 「本物」ではないという。自称「日本軍の元慰安婦」を主張する人たち、ならび 支援するグループは、大きく分裂しているのだ。 · ムクゲの会=日本の法廷で「本物が認定された」とされる33人の元慰安婦の会 · 挺対協(挺身隊問題対策協議会)=キリスト教系の支援団体 · ナヌムの家=仏教系の支援団体 「ムクゲの会」は、2004年3月に「挺対協」と「ナヌムの家」に対して、「募金行為 およびデモ動員禁止の仮処分申請」を求めて裁判を起こしている。自称「本物」 のおばあさんたちは、「挺対協」に不信感がある。村山内閣が設立した「アジア 女性基金」からお金を受け取ることを妨害し、すでに受け取った7名を「売国娼婦」 とののしっているからだ。また「ナヌムの家」では「偽者」が幅を利かせており、 その上、セックススキャンダルまで発生し、威信が揺らいでいる。 38 :GーMA 2007/09/11(火) 17 56 47 この掲示板のこと知りましたので書き込みます。 上記の36.朝鮮日報「慰安婦、雇用契約交わしていた」という米軍の報告書、“UNITED STATES OFFICE OF WAR INFORMATION”Report No. 49です。 http //www.exordio.com/1939-1945/codex/Documentos/report-49-USA-orig.html 2004年の朝鮮日報の記事、李栄薫ソウル大教授「従軍慰安婦は売春業」のURLです。 http //www.chosunonline.com/article/20040903000051 この教授はその後、国内で反発にあわれて元慰安婦たちに謝罪させられました。 http //www.geocities.jp/savejapan2000/korea/k005.html http //toron.pepper.jp/jp/syndrome/ianfu/rakusei1.html 39 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/11(火) 21 17 06 韓国はよく「ドイツを見習え」と主張しますが、そのドイツの認識について 面白い物をみつけたので貼っておきます。 『 戦争責任 とは何か』 (中公文庫、木佐芳男著) p94から、 ベルリン自由大学のヴィッパーマン教授は、自宅でのインタビューのさなか、 突然話題を変え私にこう語りかけた。 「日本について私が理解できないことがあります。コリアンの強制売春の問題です。 日本ではそれが大問題となり、コリアンにたいして公式に謝罪が行われました。 ドイツでは議論はありません。これはアジア文化と結びついているんでしょう。 あるいはコリアンの圧力団体があるのでしょう」 「戦争においては、これはまったくふつうのことです。たとえばフランスの軍隊も売春宿や売春婦をもちろん持っていました。 そうでなければ兵士達はホモになったでしょう。私はこの問題を理解できません」 日本でこんなことを公言すれば、おそらく「右翼」と呼ばれるだろう。しかし、ヴィッパーマン教授は、決してそうではない。 ナチ犯罪の批判的研究に生涯をかけ、「第二次大戦の開戦責任はドイツにはなく、むしろ予防戦争だった」とする 国内の右派学者をきびしく論破してきた。敬虔なプロテスタント信者でもある。教授はこう嘆いていた。 「二週間前、『シュピーゲル』誌の記事の中で、ある歴史家仲間から『反国家的左翼』のひとりだとして攻撃されました」 40 :名無しさん 2007/09/12(水) 13 18 58 http //blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/439615f9877a4ce6f6381a6a737c60ee 池田信夫 blog 41 :名無しさん 2007/09/12(水) 14 15 09 http //www.nbr.org/forums/ Japan-U.S. Discussion Forum(you must sign up for The Japan-U.S. Discussion Forum) and goto View Recent Threads to find Comfort Woman threads http //www.us.emb-japan.go.jp/english/html/cw1.htm http //www.us.emb-japan.go.jp/english/html/cw0607.htm Embassy of Japan in the United States of America 42 :名無しさん 2007/09/12(水) 14 16 31 http //specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-950.html 博士の独り言 http //www.sdh-fact.com/CL02_3/result.php SOCIETY FOR THE DISSEMINATION OF HISTORICAL FACT. http //dogma.at.webry.info/200708/article_1.html 東アジア黙示録 http //www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/index.html The Teikoku Denmo Show http //ameblo.jp/hakkouichiu/theme-10003894485.html 八紘一宇 43 :名無しさん 2007/09/12(水) 14 17 09 http //blog.mag2.com/m/log/0000013290/?userid=132900 STYPE=2 KEY=%88%D4%88%C0%95w 国際派日本人のための情報ファイル http //blog.livedoor.jp/lajme/archives/cat_50013641.html Japan Media Examiner/自由主義史観研究会北米支部 http //www.youtube.com/results?search_query=%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6 search=Search YTube http //www.thomas.gov/cgi-bin/query/z?c110 H.RES.121 The Library of Congress(American) 44 :ok 2007/09/21(金) 08 04 51 こんなのも出来たようです。 「博士の独り言」と同じ方ですね。 一回目で慰安婦問題を取り上げています。 JAPAN NEWS http //protectjapan.blog120.fc2.com/ 45 :インターセプト 2007/09/22(土) 00 46 38 okさん ぶって・・・のくだり、面白かったです。 JAPAN NEWS【隼からの伝言】の方にも持っていきますね。 46 :マイ舞 2007/09/22(土) 09 49 10 okさん、はじめまして...じゃないかもしれないです。 ○○事件簿の私maiです。何時ぞやは面白バトルトーク、パトロール編ありがとうございました。 人まちがいでしたら、ごめんなさい。スルーしてください。 47 :名無しさん 2007/09/30(日) 06 37 20 FREE PREVIEW Japan s Uncomfortable History By Jeannie Suk and Noah Feldman http //online.wsj.com/article/SB117375345789635057.html?mod=opinion http //www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-03-15/2007031507_01_0.html 米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(十三日付)は、「従軍慰安婦」問題での安倍首相の発言を批判する米法学者の投稿を掲載しました。 両教授は、六年前の米国内での慰安婦裁判の判決を引用し、安倍首相の主張は成り立たないと指摘しています。 投稿は、ハーバード大学法学部のジェニー・スック教授と、ニューヨーク大学法学部の教授で米外交問題評議会の 研究員でもあるノア・フェルドマン教授の連名によるもの。 「従軍慰安婦」問題で「強制性を裏付ける証拠はなかった」という安倍首相の発言は、「アジアの古傷を再び開いた」もので、 日本軍の関与と強制を認めた河野官房長官(当時)談話から「実質的には、後退」したものであると述べました。 両教授は、安倍首相はいまだに「実際の拉致は日本軍ではなく民間業者が行ったとの立場を維持している」とし、 「言語道断」だと述べています。 その理由として、六年前に米連邦地裁で争われた「慰安婦」問題の裁判で、被害者の女性から訴えられた日本政府が 「商行為として行ったことを否定した」事実を挙げました。 同地裁は女性たちが政府の計画にそって拉致されたとし、日本政府の行為は「商行為」というより 「戦争犯罪に近い」と結論を下したと両教授は指摘。 政府が「商業的事業」をした場合に訴えられるケース以外には訴追できないとする外国主権免責法の規定によって 日本政府の責任が問われなかったことを紹介しました。 その上で、「日本兵による拉致は商行為ではないとの法廷の結論から利益を得ながら、日本政府が今、 日本兵は誰も拉致していないと述べるのは、特に悪質だ」と強調しています。 48 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/30(日) 08 13 49 こういう本もあります 女たちの戦場よもやま物語:紀伊國屋書店 http //bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9880238710 第二部 女性哀史 …ところが、この地区に進駐してきたソ連軍兵士は横暴で、連夜のように日本人復員 者のいる宿舎にやって来るようになった。 「おい、女を出せ!」 言うとおりにしないと、なにをされるかわからないとあって、女性たちは戦々恐々で あった。 「いいわ。あたしたちが行くから」 彼らの申し出を、いさぎよく引き受けたのは、彼女たちだった。 これには、いままで蔑みの目で彼女たちを見ていた一般女性たちも、 「申し訳ありません。恩に着ますわ」 しきりに、涙を流さんばかりにして感謝するのを、 「いいのよ。どうせあたしたちの身体は、汚れているんだから」 そのため、いったい何人の一般女性が純潔を失わずにすんだことだろう。 やがて、あてがわれた列車で大連へ向かった。だが、その途中でも列車は臨時停車 し、そのたびに八路軍兵士が、復員者の携帯している貴重品などを強奪する。 現在の中国解放軍は、軍規もかたく守られているようだが、当時の八路軍の軍規は、 乱れに乱れていたようだ。(これは、多くの復員者たちが証言しているから、明らか である) そして、彼女らは兵士たちに列車から引き降ろされて、拉致されたのである。 連行されたところは元の天津で、『妓女戸』とよばれる慰安所であった。 彼女たちは、ここで約二年、八路軍兵士のために、日夜、働かされた。 49 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/30(日) 08 18 09 「歪められた朝鮮総督府」 黄文雄 1998年 光文社 なぜ韓国の国家管理売春で、日本人だけ非難されるのか 日韓併合後5年後の1916年、「貸座敷娼妓取締規制」が発布された。このことが朝鮮半島 初めての公娼制度の全面導入であったという主張となっている。歴史を直視せず、都合 よくつまみ食いするわけである。法治国家だから、売買春を中心とする「水商売」を取り締まる のは当たり前のことである。しかし、過去の「慰安婦」を国家犯罪として非難しながら、現在 の国家管理売春を免罪とするのは異常である。 1970年代には、朝鮮半島統一運動勢力が進歩的文化人と手を組み、日本のマスコミを総動員 して、朴大統領の売春親光政策の徹底追及に明け暮れていた。日本の女性問題運動家、 市民連動家も競ってこのキャンペーンと呼応し、日本男性の買春旅行を国の「恥」として、同じ く徹底的に追及し、マスコミを騒がした。考えてみれぱ、それは朴大統領のいわゆる「国家戦略 産業」としての「観光立国」を潰そうとするキャンペーンだったのであろう。統一運動勢力は朴政 権の国家売春政策を批判し、女性問題運動家も「国辱として日本男性の買春親光を非難し、 双方とも大義名分が立つ。アメリカの週刊誌『タイム』は、この日本人観光客のキーセン買春 の狂態ぶりを報道し、世界的な話題ともなった。 韓国の国家管理売春は、写真付きの登録制で身分を保険社会部に登録して、証明書を所有し、 定期検診を週一回行なうものだった。国家管理下の売春婦の数については、『腐触する社会 ――公害と妓生観光』(朝鮮統一問題研究会編)によれぱ、全国で20万人にものぼるという。 『腐敗する社会』によれば、韓国の「妓生学校」は「時には有名人の講話を聞かせたり、現代 韓国の経済政策、観光誘致の重要性について説教し、もっぱら外貨獲得のために献身する」 ことを勧めているという。日本人観光客を相手にしていたので、「日本語学校」を設け、観光客 に安心して買える「商品」として高く売り出している)と述ベている。 文教部長、閔寛植は1973年4月、東京の「韓国学園」に教職員や民団幹部まで集めて、韓国 女性が国家のための経済的建設に欠くべからざる外貨獲得への献身的努力をしていることに、 最大級の賛辞を呈したとも伝えられている。 朴政権が非難されるのは、売春を国策として奨励し、「美徳」として外貨稼ぎに躍起になっていたと いうことにある。 さらに彼女たちを「特訓」して、「芸術使節団」や「芸能人」として証明書を発行し、日本まで遠征 させたことである。KCIAの対日政財界工作として、韓国の妓生は「外交官用」の旅券まで持ち、 日本政財界の大物相手の専門家として踏んぱっていたのだ。いわゆる「日韓癒着」は、韓国の 妓生が国家のために大きな役割を果たしていたから生じたともいわれ、彼女たちは、さらに 対米議会工作にも使われているという。 50 :Gripen ◆CKn5KkXsYA 2007/09/30(日) 08 20 08 おっと貼る場所を間違えてしまった… 51 :名無しさん 2007/10/03(水) 06 52 39 調べものをしていたら、偶然以下のセミナーについて見つけました。ご参考までにお知らせします。 早稲田大学アジア研究機構主催 第7回 日本人とアジアの人々を結ぶ信頼関係 ‐アジア女性基金の経験を通じて‐ 2007年7月6日 講演者 伊勢桃代 日本国際連合協力理事 (財)女性のためのアジア平和国民基金前事務局長 http //www.waseda.jp/asianstudies/event/seminar.html (映像あり、講演を聴けます) この方も伊勢さんですが。。 講演の一部のみ(講演No2)見たのですが、WPへの広告(The Facts)について批判しています。 ・・証拠がないから事実でない、というのはおかしい。軍隊はそういう書類は保管しない。政府に集まった関連書類には証拠がなくても、そこここで調べてもらったら、現実な書類はある。証拠文書がないというのは真実ではない。証言者がいる、これは根本的(証拠になるというニュアンス)なこと・・・ 声が小さくてはっきり聞き取れなかったのですが、上記のようなことを述べておられるように思います。 早稲田大学アジア研究機構は日本におけるアジア研究の拠点としての役割をめざしているらしい。すでに中国、韓国をはじめ多くの大学・研究機関との学術ネットワークを構築しているという。このような学術機関からは、信頼できる研究結果が発表されることを望むのですが。。 52 :コペルニクス 2007/10/03(水) 08 23 50 政府調査 従軍慰安婦 関係資料集成 http //www.news-pj.net/siryou/ianfu/pdf/ianfu_1.pdf 1〜5まで存在しますので、拡張子pdfの前の数字を書き換えれば5まで見れます。 53 :うっち 2007/10/06(土) 14 15 47 古森義久さんのビデオリンクをこちらにも貼っておきます。 http //jp.youtube.com/watch?v=c-EAb1KOKvI http //jp.youtube.com/watch?v=3hRbvroslbo 54 :名無しさん 2007/10/16(火) 13 16 51 『文藝春秋』2007年9月号 ●霞が関コンフィデンシャル キャピトル・ヒル(米議会)周辺では、マデレーン・オルブライト元国務長官(クリントン政権)が 主宰するオルブライト・グループ(ウェンディ・シャーマン元大統領特別補佐官らが参加)による 安倍政権の外交政策への批判が際立っているのだ。 具体的には、従軍慰安婦問題や歴史教科書問題への対応の誤りが中国などアジア諸国 からの反発を招いており、それが日米同盟や東アジア情勢の安定にマイナスとなっていると いう。直近でいえば、米下院歳出委員会が、日本が次期主力戦闘機(FX)の候補として導入を 検討しているステルス戦闘機F22の外国への売却を禁止する法案を可決したことである。 この輸出禁止可決の背後にもオルブライト・グループの影が見える。 http //www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/bungeishunju0709.htm 55 :名無しさん 2007/10/16(火) 13 40 34 あらゆるところで敵を作りまくっている特亜のことですから、もしかしたら参考になるかもしれませんので 一応投下しておきます ズボン紛失で6700万ドル請求〜判事の男性、クリーニング店訴える 寸法治しを頼んだ高価なズボンを紛失された代償として、裁判所の判事がクリーニング店に6730万ドルの賠償を求める訴訟を起こし、 ワシントンDCの地裁でこのほど審理が開かれた。ニューヨーク・タイムズによると、原告は行政訴訟を専門に扱う行政法審判官の ロイ・ピアスン氏(57)。判事に任命された2005年春、日替わりで着ていた5組の高価なスーツのズボンがきつくなったため、 韓国系家族が経営する自宅近くのクリーニング店に寸法直しを依頼した。ところが店がズボン1着を紛失し、ピアスン氏は 新しいスーツの購入費として1150ドルを請求したが、店側が返答しなかったため提訴に踏み切った。 ピアスン氏は、「満足保証」の看板を掲げながら紛失したのは消費者保護法違反に当たると主張して、ズボンがなくなった日から 1日当たり1500ドルの賠償などを請求。審理では、店主が安いズボンを同氏のものだと「言いくるめようとした」様子を 述懐した同氏が泣き出し、判事に断って一時退廷する一幕もあった。 しかし、ズボン1着に巨額の賠償金を請求した現職判事の行為は、「米国的な度を超えた訴訟の典型だ」とラジオやインターネットで 批判の的になっている。ワシントンの法曹界に対しても、米司法制度への不信を招くとして各地の法曹関係者が抗議の声を寄せている。 ジョージタウン大学法学部のポール・ロススタイン教授は、「これほどばかげた裁判は知らない」と語った。 一方、被告となった一家の代理人は、原告が最近離婚し、慰謝料の支払いなどで困っているために起こした訴訟だと主張している。 法廷が示した和解案を3度拒否したピアスン氏は、先週になって請求額を5400万ドルに引き下げた。審理は13日に結審し、 判決は22日までに言い渡される。 56 :名無しさん 2007/10/16(火) 13 41 19 55 すみません。リンク先です http //www.usfl.com/Daily/News/07/06/0614_020.asp 57 :マイ舞 2007/10/16(火) 23 41 39 慰安婦証言が過去に様々な所で行われています。 どのような環境化で行われたのでしょうか。 あるブログから、埼玉の慰安婦集会を記載します。 埼玉の慰安婦集会 参加者の報告「カルト宗教」 2月23日午後6時半 さいたま市民会館浦和 JR 浦和下車12分 イヨンスさんのお話しを聞く会 http //pinoccio.at.webry.info/200702/article_20.html 内容は下段に掲載 7人兄弟 → 1人娘に変更 ■内容より参加した人達のコメントに注目 恐かったよぉ〜〜Oo。(´TωT`)y-゜゜ 恐かったよぉ〜〜Oo。(´TωT`)y-゜゜ プロ市民…恐すぎです…。 お婆さんの話の記憶飛びました…。 2hapuricure 02-23 22 51 反論・否定する人には最悪死の制裁ですよねぇ。真実ならばそこまでする事無く、淡々と話で済ませば良いのに。 → hana321 02-23 22 52 反論や否定なんかできないですよ・・・。 疑問を投げかけただけで、罵倒される…。キティの集まりでした。 → 2hapuricure 02-23 22 53 日本であって日本で無い場ですねぇw → hana321 02-23 22 55 日本人っぽいのも多いんですよね…。大学生とか、元軍人とか…。後半は上田知事の悪口大会でした…。 → hana321 02-23 23 04 何かね、お婆さんはブロックされてて、都合の悪い質問が出ると、退出させられて、取り巻きの一斉攻撃が…。 正直、お婆さんの話は、(つたない)日本語だったのでよくわからなかったけど、会場内の取り巻きの方が大声で喋る喋る…。 参加された方々は相当怖かったようですね。 58 :<削除> <削除> <削除> 59 :インターセプト 2007/10/20(土) 20 08 39 ↑ご苦労さん。削除希望。 60 :Venom 2007/10/23(火) 11 30 54 下院慰安婦決議のもととなった「米議会調査局報告書2007/4月版」 英語原文 http //japanfocus.org/data/CRS%20CW%20Report%20April%2007.pdf 日本語訳 http //d.hatena.ne.jp/honyakusha/20070416 http //ianhu.g.hatena.ne.jp/keyword/%E7%B1%B3%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%B1%80%EF%BC%88CRS%EF%BC%89%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%EF%BC%882007%E5%B9%B44%E6%9C%88%EF%BC%89 61 :<削除> <削除> <削除> 62 :<削除> <削除> <削除> 63 :Gripen★ 2007/10/30(火) 23 42 26 62 あなたの行っている事は明確なローカルルール違反です。 しかるべき措置を取らせていただきました。
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/1085.html
従軍慰安婦の正体 > 従軍慰安婦の強制連行は証明できない > 日本軍が強制連行の為に女衒に関与した事は無い 序文 「日本軍が慰安所に『関与』した。」と言って、殊更に「関与」を強調する意見があります。確かに、日本軍は慰安所に「関与」してはいました。しかし、その「関与」した「目的」とは何だったのでしょうか。その「目的」は決して、「強制連行する為」ではありませんでした。その根拠は以下の2点です。 日本軍は強制連行をする業者を取り締まっていたから 日本軍は慰安所の経営を健全に保つ為に関与していたから 日本軍は強制連行をする業者を取り締まっていた 日本軍が悪質な業者を取り締まっていた事を示す史料があります。 支那事変における慰安所設置の為、内地において之が従業婦等を募集するに当たり、い たずらに軍部の名義を利用し、為に軍の威信を傷つけかつ一般民の誤解を招くおそれの あるもの、あるいは従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し社会問題を惹起するおそ れあるもの、あるいは募集に任ずる者の人選適切を欠き、為に募集の方法、誘拐に類し警 察当局に検挙取調べを受くるものある等、注意を要するもの少からざるについては将来これ らの募集等に当たりては、派遣軍において統制し、之に任ずる人物の選定を周到適切にし 、これ実施に当たりては、関係地方の憲兵および警察当局との連繋を密にし、もって軍の 威信保持上、ならびに社会問題上、遺漏なきよう相成りたく、依命通牒す。 ※参考文献 国立公文書館Webサイト アジア歴史資料センター http //www.jacar.go.jp/ 『陸支密大日記』「軍慰安婦従業婦等募集ニ関スル件」 レファレンスコード C04120263400 上記の史料を見れば、日本軍が悪質な業者をいかにして取り締まっていたかが分かります。したがって、日本軍は強制連行をする業者を取り締まっていた事が分かります。 日本軍は慰安所の経営を健全に保つ為に関与していた 日本軍は慰安所の経営を健全に保とうとした史料があります。それは『軍娯楽場取締規則』です。この史料によって、以下の10ヵ条の規則が定められました。 営業家屋は軍が指定し、必要な設備と損害は営業者の負担。 利用者は制服着用の陸軍軍人、軍属に限る。 毎月一回憲兵が指定する定休日を設ける。 営業を許可されたものは接客婦名簿(雇主・氏名・国籍・本籍・芸名・生年月日・略歴を記入、写真を添付)を憲兵分隊に提出する。 毎週一回、軍医が憲兵の立会いで接客婦を検診し、不合格者は接客を禁じる。 コンドームおよび消毒薬を用いる。 営業時間は午前十時―午前六時、午前七時―午前十時(下士官のみ) 遊興料は内地人 一時間一円五十銭、朝鮮人・中国人 一時間一円 接客婦は許可なく指定地外へ出ることを禁じる。 営業者が接客婦に対する利益の分配などで不当の行為がある時は営業停止を命じる。 ※参考文献 陸軍省『満洲事変陸軍衛生史』第6巻より参考 これを見ると、以下の三点が分かります。 慰安所の経営には軍の許可・指定等を受けなければならなかった。 軍医・憲兵の検診、コンドーム・消毒薬の使用によって、性病予防を重んじた。 慰安所と慰安婦の利益の分配に介入し、不公平を禁じた。 軍は上記の様に慰安所に「関与」したのです。したがって、日本軍は慰安所の経営を健全に保つ為に関与していた事が分かります。 結論 日本軍は慰安婦を強制連行する為に業者に関与した事はなく、むしろ、日本軍は強制連行をする業者を取り締まっていました。しかも、慰安所の経営を健全に保とうとし、慰安婦と慰安所の間の秩序を安定させようと努力しました。 したがって、日本軍が強制連行の為に女衒に関与した事はありません。 従軍慰安婦の正体 > 従軍慰安婦の強制連行は証明できない > 日本軍が強制連行の為に女衒に関与した事は無い
https://w.atwiki.jp/doc_exam2007/pages/26.html
ATIS調査報告第120号 日本軍における各種アメニティー 内容 7.【“雇用”の実態】 “Every “comfort girl” was employed on the following contract conditions. She received fifty percent of her own gross taking and was provided with free passage, free food and free medical treatment. The passage and medical treatment were provided by the Army authorities, the food was purchased by the brothel owner with the assistance of the Army supply depots. The owners made other profits by selling clothing, necessities and luxuries to the girls at exorbitant charges. When a girl is able to repay the sum of money paid to her family, plus interest, she should be provided with a free return passage to KOREA, and then considered free. But owning to war conditions, no one of prisoner of war’s group had so far been allowed to leave; although in June 1943, 15 Army Headquarters had arranged to return home those girls who were free from debt, and one girl who fulfilled these conditions and wished to return was easily persuaded to remain. Stiffmuscle試訳 「慰安婦」は全員、次のような契約条件で雇用されていた。慰安婦は自身の総売上の50%を受け取り、無料の通行、無料の食事、および無料の治療が与えられる。通行と治療は陸軍当局が提供し、食糧は、陸軍補給部隊の支援を受け、売春宿経営者が購入する。 経営者たちは、衣類、生活必需品、および贅沢品を女性たちに法外な値段で売り、そこからも利益を得ていた。女性が家族にたいして支払われた合計金額とその利子を返済したときは、朝鮮までの無料帰国通行券が与えられ、その後、自由あると認められることになっていた。しかし、戦況のために、捕虜のグループでは、これまでに、帰国を許可された者はいなかった。もっとも、1943年に、第15師団司令部が借金のない女性を帰郷させるべく手配し、これらの条件を満たして帰国を希望した女性が1名いたが、留まるよう即座に説得された。 ni0615試訳 「慰安婦」はみな、次のような契約条件で雇用されていた。慰安婦は自分の総売上の50%を受け取り、無料の通行、無料の食事、および無料の治療が与えられる。通行と治療は陸軍当局が提供し、食糧は、陸軍兵站部の支援を受け、売春宿経営者(以下「楼主」)が購入する。 楼主たちは、衣類、生活必需品、および贅沢品を女性たちに法外な値段で売り、そこからも利益を得ていた。家族にたいして支払われた金額の全てを利子といっしょに返済したときは、女性たちには朝鮮までの無料帰国通行券が与えられ、その後の身分は自由ということになっていた。しかし戦況悪化のために、捕虜(楼主)の慰安婦たちの中には、帰国を許可された者はいなかった。1943年6月に、第15師団司令部が借金がなくなった女性は帰郷させようとしたにも拘わらず、一人の慰安婦が条件を満たして帰国を希望したものの、即座に留まるよう説得されてしまった。 ATIS調査報告第120号 日本軍における各種アメニティー ,