約 266 件
https://w.atwiki.jp/teikokuss/pages/387.html
【レス抽出】 対象スレ:みんす党ですが、単純延長はいたしません キーワード:シル子 16 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 31 14 ID ??? 1乙です 状況開始! 前スレ 987 シル子 「実は強大な機神なんてないんだ」ということを最重要機密として、守るものたちもそう信じている しかし、それこそが本当の秘密を隠すフェイクカードだった、とまで思いつきました 21 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 32 34 ID ??? 前スレ 978 シル子(いけない、前のスレ終りのほう忘れてました) はい。ですので家を継がない長官とクロトワはどこかの家に養子に入るかと思います。 表に出る場合は家名を使わないというのは、この種の一族を守る手段だと思いますので。 28 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 34 35 神 ID ??? 16 わいるどさん シル子 もう、そこまでいくと、ナニがなんだか(w でも、それくらいしないと、周辺国が連合して攻めてきて、国が滅んだでしょうねえ。 小国生き残りの策、ということで。で、何故か、モウルデン卿の隣に、Gロボ版孔明が見えた気がするが、気のせい気のせい(謎 31 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 34 47 ID ??? 16シル子 何故か有るのは竜の遺骸… 38 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 35 34 ID ??? 28 シル子 混成魔王モウルデンにむかって、孔明が ははははははっは、モウルデン卿ともあろうかたが、そのようなことでお怒りになるとは器が小さい、 こうですかw 46 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 38 47 ID ??? 28 シル子 いちおーオスミナは小国ながら歴史ある国、という国でイメージを作っているんです だからあちこちに魔道帝国時代の建築があって、しかも現役で稼働しているという京都のような感じで そして皇族にあたるのがアークリンデですが、なんせ頭数が足りないもんで自身も剣を取り、それが賞賛される気風なくにといった感じなのです 47 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 38 58 神 ID ??? 38 ケイレイたん シル子 うん、そう(w ダメだ、脳内でオスミナがBF団化してしまう。そりゃ、負けるわけだ(www 59 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 42 21 ID ??? 47 シル子 しかも 「われら!皇統のために!」 ですよw アークリンデに挙手の敬礼をw 62 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 42 55 神 ID ??? 46 わいるどさん シル子 はい、了解です。というわけで、小国ながら一種の権威に似たものがあって、それが外交的な発言力の担保にも なっていた。で、例の機神の噂が、それに実体が無いながらも、何がしかのリアリティを与えていた。 問題は、黒の零事件で、そのあやふやなはずの噂が、「事実」である、と、周囲の国々に認められてしまった事であり、 それ故に、オスミナを中心として、北方の秩序を再建しよう、という一派と、帝國がこのままで済ませるはずがない、帝國 とよしみを通じよう、という一派に分かれていく、と。 67 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 44 33 ID ??? 47 シル子 十傑集と戦う姐御率いる遊撃隊ですかwwwwwww そりゃ見たいwwwwwwww 72 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 46 01 ID ??? 62 シル子 私がオスミナの政治家ならその状態で帝国と首脳会談をしたいところですな……。 大国相手に無用の戦争とか滅亡シナリオ一直線です。 76 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 46 33 神 ID ??? 49 阻止班さん シル子 といいますか、機神としても最上級の性能を持った機体が、ぼろ機装甲に一方的に負けたあげく、捕獲される、という 一大醜態をさらしたわけで。帝國にとっては、戦争に負けた事以上に、最高機密兵器のはずの機体が捕獲された事の 方が重大な事件でしょう。これで、帝國軍の切り札であって、黒系列の機神の性能が全部ばれるわけで。 1980年代前半に、米軍仕様のF-15Cがソ連に捕獲されたようなものです。 84 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 48 41 神 ID ??? 52 葬務官さん シル子 いえ、おねいちゃんが、いまだに暗殺されていないのは、葬式一族が認めたから、というのが担保としてある、という 方向性じゃないでしょうか? 帝國の貴族にとっては、葬式一族って、伊勢の斎宮のような、文字通りアンタッチャブルな 存在でしょうし。下手に手を出すと、文字通り存在を消されかねない、というくらい。今でいうBとでもいいますか。 89 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 49 36 神 ID ??? 58 鳥坂さん 鳩届きますた。 59 ケイレイたん シル子 ひでえ話だ(www 101 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 51 57 ID ??? 62,72 シル子 その辺がオスミナ内乱につながってくるわけなのですよー で、モウルデン卿は明確な帝國派で、アークリンデも同じ。何せ黒の零と戦った当事者でもあるんですから 嫁いだオフ子とシャル子は自動的にそっちにつきますな で、その他の大多数の貴族たちが北方秩序再建派で散々モウルデンを突き上げるという。 一度はアークリンデの「帝國とは事を構えない」発言で鎮静化するんですが、水面下で蠢動しているという そこにオフ子たちは嫁いでくるわけで 102 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 51 56 神 ID ??? 67 わいるどさん シル子 いや、さすがに十傑衆相手にヴィソトニキではかなわないでしょう(w というわけで、本来の黒の龍神乗りが勢ぞろい しそうな悪寒(w おねいちゃんとか、おっぱい元帥とか、おさんどん将軍とか(www うん、なのはさんのSLBなんて目じゃ ねえ破壊がまきちらかされるぜ(www 108 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 53 07 ID ??? 102 シル子 ト`) まさに国際警察機構対ビッグファイア団>< 109 名前:名無し阻止班 ◆d/xAlTRHi2 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 53 19 ID ??? 76 シル子 わはははっ。変な笑顔が出来てしまいました。 まとめ用の視聴・読書ノートに印をしませんと。 スレでの解説を横に置いて、いまは本編だけを読んでいます。 まずはケイレイたんの分だけですが。 説明不足がちでも、気持ちが走ってるのが、とても心地良くて。 むずむずするこの気持ちを、なんと言えばいいんでしょうね(w 118 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 55 07 ID ??? 109 シル子 本当は、書かなきゃいけないんだけど、書いたら、そのときの視点者の気持ちが削げてしまうので、そこは 「その世界に生きているから、自分自身に説明する必要が無い」 という立ち位置に立ちました。 一人称に近いんです。 菊池秀之一人称じゃなくて、古いタイプの。そう、宝島のような。 120 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 55 11 ID ??? 84 シル子 確かに。なんか自分でも酷い一族を設定してしまった気がします。 逆にそういうアンタッチャブルな一族がこれまでのやり方を変える為には、 副帝陛下とおねいちゃんに合わせて動くのが最も効率的な手段だったのでしょう。 それでも多分、長官とクロトワは色々気を使うことになると思うのですが。 とりあえず書き手の三代目(仮称)は軍学校に放り込んで観察者にしようかと。 あるいは別の形で出すかもしれませんが、とりあえず家門名決めないといけませんね。 古い一族だとすると、アエミリウス・ファビウス・リキニウス・コルネリウス辺りかな。 129 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 21 56 15 神 ID ??? 72 葬務官さん シル子 一応、帝國の北方辺境の貴族が、独断専行してオスミナに攻め込んだあげく、ボロ負けして、黒系列の機神の試作機を 持ち出したのも捕獲されてしまい、一度帝國では帝都に戒厳令が敷かれる直前までゆき、その後、副帝レイヒルフト本人が 4個軍団15万の軍をもって帝國-オスミナ国境に展開、異母妹のオフィーリアをオスミナに人質として出す事で停戦し、 彼女をオスミナに降嫁させる事で、講和条約が締結されることになるのです。 つまり、オスミナが戦争に勝ってしまって、しかも帝國の実質的最高権力者の異母妹(ふたなりさん)を人質として受け取った、と。 165 名前:名無し阻止班 ◆d/xAlTRHi2 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 03 00 ID ??? 118 シル子 なるほど。 私は、各キャラクタの個性の確立と、読者の主要キャラへの感情移入を強く意識していました。 まだ読み足りずに、名前で混乱するところもあって、勝手にあだ名を付けたりとかw 彼と彼女らは、どんな環境にいるのか 彼と彼女らは、そこでどんな立場にいるのか。 彼と彼女らは、どんな友人、恋人、敵対者がいるのか。 決心するときに、総括するように振り返ってみてもいいかな、とか。 今日も早いですね>< 169 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 04 08 神 ID ??? 101 わいるどさん シル子 うん。でも、今の民主党勝利と同じで、大勢の空気が、アレなんでしょうねえ。モウルデン卿が胃がいたそうで(謎 174 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 05 09 ID ??? 146 シル子 あ、首謀者は玉砕しました。文字通り粉みじんになって そしてそれをやらかしたのがアークリンデというわけで 179 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 05 35 ID ??? 165 シル子 あいたたたた >< 198 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 08 57 ID ??? 169 シル子 確かに、今の空気と似ています>みんす しかしながら、モウルデンにとっての最大の武器がアーク子が自分を支持し、よって十傑集が味方に付いていることなのです そして湧きあがる「君側の奸であるモウルデンを誅せよ!」との声(ぁ 205 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 09 52 ID ??? 174 わいるどうぃりさん シル子 ああ、なるほど。 その後の話が主題という事なのでしょうか。 217 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 11 38 ID ??? 205 シル子 詳しくはWIKI内の投稿小説メニューにある「雪の女王」を参照してくださいませ えろはないですから(マテ 311 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 24 20 神 ID ??? 120 葬務官さん シル子 まあ、死と生を司る役割の存在は、どうしても俗界の外の存在となりますから、アンタッチャブルにならざるを得ない わけで(w というわけで、三代目の書き手さんは、むしろカタリナ皇太子の秘書官の立場の方が面白いのでは? 軍は、あくまで 俗界の権力であり、そういう意味では、アンタッチャブルな存在は逆に入ってくるのを拒絶するでしょうし。 354 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 28 44 神 ID ??? 146 葬務官さん シル子 仰る通りです。講和条約を結んだ後、レイヒルフトはアークリンデを目の仇にしますので、 そこをわいるどさんにがんばって見事にかわして欲しいなあ、と(w オスミナを大軍で踏み潰すのは簡単ですが、しかし、黒の龍神級の機神ですら敵わない何かが存在するとなると、 その大軍すら吹き飛ばされかねないわけで(w ええ、機神とは、それほどの威力を秘めていたりするのです。15万の 大軍と、100を超す黒の二と、そして1個中隊6機の黒の龍神を、帝國-オスミナ国境に集結させたのも、その何かに 対するためですし。 371 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 30 46 ID ??? 217 わいるどうぃりぃさん 読了しました。なんというか目端の利くものがいたらその後の展開を予想して頭痛を覚えそうです。 いや、メァルツァ侯爵のアレっぷりも十分頭痛モノでしたが。 311 蟹様 確かに三代目は皇太子殿下のところへ行かせるのが良いかもしれません。 軍学校は形式的には家を出た長男の息子が良いかもしれませんね。 三男はまだ子供がいない上に、女性型の体で家弓ボイスゆえ男が引くのでまだ未婚です(爆) シル子 372 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 30 51 神 ID ??? 198 わいるどさん シル子 うん、あまりにも今の日本の空気にそっくりです(w 414 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 36 24 ID ??? 371 シル子 いやーこれから黒の零をめぐってとってもステキな諜報戦が始まるんですよ? そして貴族たちは帝國恐れるに足らずの大合唱。モウルデンの寿命は確実に縮まるね! 簡単にしか書かないけど 372 設定したときは「昭和恐慌の時の空気」みたいな感じでしたのに何で今現在の空気になっているんでしょうかね(棒 427 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 37 19 ID ??? 354 蟹様 『霊廟の中で、武張った御霊の方々があれに御執心のようです。 カメリア殿下の許しがあればオスミナへ文字通り飛んで行くであろう機体もいくつかありますが?』 あるいは逆に、オスミナが京都っぽいところだとしますと裏で一族と繋がっている者がいるかもしれません。 そこから色々裏ルートとか外交の妙味とか数千年の慣習とかを絡めて生き延びる道を探す手もあるかも、と思いました。 シル子 466 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 41 56 ID ??? 427 シル子 うちの国をさらにひっかきまわすような真似はマジで自重>< 473 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 42 23 神 ID ??? 371 葬務官さん シル子 はい。皇太子殿下には、まだ触れたSSは書いてはおりませんが、レイヒルフトとおねいちゃん、その子供のシルフィスとカイル には、私のSSで触れていますので。レイヒルフトとリランディアの間の子供らについては、おいおい触れる事になると思って おります。 ちなみに皇太子殿下は、今のアフガンみたいな状況で、難民救済活動を内戦中ずっとやってきた聖職者あがりで、それ故に 諸宗派を合同して教皇位につき、宗派間の争いを物理的にちゃいしたお方です。具体的には、反教皇派の修道院や教会を 帝國軍が、僧侶と一緒に焼いてしまった、という(苦笑 497 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 44 29 ID ??? 473 シル子 あれ、ちゃいしちゃったのはカメリア様じゃなかったんですか? そりゃ兄弟とはいえガイウスさんは逃げるわな 502 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 45 31 ID ??? 497 シル子 カタリナ様が、静かな笑顔とともに、燃えたたいまつを、差し出してry 544 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 49 33 神 ID ??? 427 葬務官さま シル子 うん、そこで戦争にはしないのが、レイヒルフトの恐ろしいところなんですよ。彼の本命は、あくまで南方諸国を 帝國に併合して、南の海への出口を押さえる事にあって。だから、北で小国に面子を潰されたくらいで、戦争をして 遊ぶ気はさらさらない、と。 代わりに、黒シリーズに代わる新機神の開発を始め、そして最後にマイクロブラックホールで丸々一国蒸発させるのですた。 見せしめのために。 そうそう、カメリアおねいちゃんは、元帥閣下です。公的には。あと、シリヤスクス・アキレイウス家奥方、が、私的な地位です。 ですから、敬称は、閣下か、奥様、でしょう。 552 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 50 04 ID ??? 502 シル子 物理的じゃなくて精神的にですねわかります わかりたくねえええええええええええええ 557 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 50 28 ID ??? 473 蟹様 シル子 なるほど、素敵なお人ですね。 俗から聖に身をおいて、なおかつ血と泥を知っている方と。 別世界から俗へ入る三代目にはふさわしい上司かもしれません。 反対派の始末のつけ方を見る限り、血は争えないようでいらっしゃいますが。 個人的にはそのような方が焦土作戦を実行する必要がある状況が生まれると萌えます。 559 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 50 48 ID ??? 552 シル子 カメリア様の担当は、戦争ですから。 589 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 55 01 ID ??? 559 シル子 嫌な師弟関係だなおい 592 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 55 09 神 ID ??? 497 わいるどさん シル子 実際に計画を発案し、立案し、実施させたのは、総参謀長であるおねいちゃんです。 問題は、教皇座にいるカタリナ皇太子殿下も、それを容認したところにあって。正確には反対論を内部から出させなかった、と。 つまり、全ての責任はおねいちゃんがかぶる形で、レイヒルフトと、おねいちゃんと、カタリナ殿下の三人でやらかしたのです。 こういう姉弟、親子なんですよ、こいつら(苦笑 593 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 55 13 ID ??? 544 蟹様 シル子 政治的には何も間違っていませんね。それを人の心がどう思うかは別問題ですし。 その結果として自分に恨みの刃が向く事ぐらいは平然と呑み込んでいる方だと思っています。 あと次からはおねいちゃんの呼び方を変えることにします。 602 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 22 56 07 神 ID ??? 502 ケイレイたん シル子 で、農奴から開放された農民達が、嬉々として修道院や教会を焼くのです(苦笑 630 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 00 04 ID ??? 602 シル子 それで中の人は知ったこっちゃありませんが中におさめられている文献も燃えちゃったら大打撃のような あと、あまり考えたくありませんがぽこ太さんのおじい様のように聖人と崇められていたのに、お墨付きが出たもんで略奪に励んだあげく燃やしちゃった馬鹿もいそうだ 639 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 01 34 ID ??? 592 シル子 「問題」の処理に最適なのは、それだった、と。 そもそも地方教会は、地方統治ツールに過ぎなかったし、 中央集権度合いを深める帝國にとって、 そのときの教会のありようはあまりに封建的過ぎたんじゃないか、と思っています。 内戦の始まりが、レイヒルフトによる帝國掌握と、それに対するカウンター さらに機会主義に基づく打倒レイヒルフトの辺境候叛乱、 加えて、その足元を掘り崩そうとする教会勢力の反抗であるのなら、 教会勢力地方部の再編がどうしても必要と言う結論になる、と。 地方司教と、「甥」たちを焼き殺すと、世襲のうち、反抗的なグループをごっそりとry 645 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 02 14 神 ID ??? 557 葬務官さま シル子 うちのSSで、カタリナ殿下は、ふたなりさん生産計画の発動に積極的に関与し、倫理的問題は教会が生前特免を 出しますから好きにやってください、と、微笑とともに仰る方です(w ちなみに、後に「神殿」が主宗教である南方に、大量の宣教師を送り込み、宣教師弾圧を開戦理由として父親に 提供して下さるような、とっても素敵なお方です。さらに、後々は、南方を積極的に「教会」によって教化もして下さいます。 どう積極的にかは、言うまでも無いわけですが。 650 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 03 04 ID ??? 592 639 シル子 いい親子ですね。毛色は大分違いますがなにか毛利家を思い出します。 653 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 03 17 ID ??? 645 シル子 ああ、たのしみ(うっとり 神殿破壊の際には、ぜひともお声がけをw 662 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 04 16 ID ??? 645 蟹様 シル子 素晴らしい。混乱期の終わりつつある組織には不可欠な人材ですね。 671 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 05 55 ID ??? 653 シル子 その時にはうちのアホの子たちは必死で帝國侵攻を食い止める図上演習をやっている気がする そして出る結論は「何がどうやっても無理」 682 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 07 02 ID ??? 671 シル子 だから「名も無いぼくのような騎士が、アークリンデの誇るフォルトゥナと、君と戦うんだ」ですよ(うっとり そしたら、誰も傷つかない気がするw 693 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 08 18 ID ??? 682 シル子 それすっごくやりたいんだけどどうやって持っていくのかがわからないんだよね 709 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 09 59 神 ID ??? 593 葬務官さま シル子 はい。レイヒルフトは、なにしろ東方辺境候になるために、有力なライバルであった一門の有力者を家族もろとも皆殺しにし、 魔族の大諸侯との戦争に勝利して、その領土を事実上自領化し、その上で中央政界に打って出て、封印されていたリランディア を妻として副帝となり、反対派を相手に内戦を勝ち抜き、さらに教会を実力で無力化して、信教の自由の保障と、農奴解放を 同時にやってのけた男性型ふたなりさんです。 彼がやっている事は、文字通り上からの革命といってよいのではないかと。当然、反対者は多数いますが、決起した連中は 文字通り実力で殲滅しましたので。 やる時は、文字通り皆殺し、が、彼の流儀なのです。その代わり、手を出すべきではない時は、あらゆる妥協をしますが。 713 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 10 34 ID ??? 693 シル子 あくまでも可能性>< オフ子が強硬派を押さえるのに失敗したら、 小さな国境紛争が多発するでしょう。 もちろん、帝國側も挑発するかも。 そしたら、オスミナで、その戦いが起きる可能性もありますよ。 シャル子は国境紛争抑制のために出張ってきて、 ルキは、挑発のために、国境を浸透してry 717 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 11 16 ID ??? シル子 [43]異界の魔術兵◆161334e7 ID 8257521d 真面目に分析してくれた読者に対し、 落ち着きもなくふぁびょって誤字をあげつらう作者 中二病丸出しですねー 「ぼくのさくひんにもんくをつけるな!」というゆとり脳の持ち主でありますね ならば感想欄のあるアルカディアに投稿しなければいいだけですよ? 724 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 12 01 ID ??? 709 シル子 しかもそのくせ、膝をついて従うものには地位を与え、下ればそれなりに許し、使い倒す資源利用のお上手な方で>< 736 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 14 10 ID ??? 713 シル子 うーん、一応強硬派はオスミナ騒乱の時にあらかた首切っちゃう(物理的にも地位的にも)予定なのですよ まあ残った根が蠢動する可能性がありますが そしてプチ帝國化するオスミナ 741 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 15 10 神 ID ??? 630 わいるどさん シル子 ですから、帝國軍は、まず修道院や教会から、価値のありそうなものを片端から運び出し、すっからかんになった 建物に坊主どもを押し込めて、映画「炎628」の様にちゃいしちゃうのです。 アリア姫お助け戦争で、少佐が、帝國軍が略奪云々言っていたのは、これの事です。多分少佐は、アルゲマイネSSの 特殊任務部隊のごとく、教会や修道院にめぼしをつけて、そこの財貨を分捕って廻っていたのではないか、と。 754 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 16 34 ID ??? 736 シル子 逆に考えなくちゃ。 オフ子が来てからそんなことになったら「アークリンデさまをお叱り申し上げる」臣民が現れますよ。 帝國が敵ならば、そしてその敵が弱いと侮るから騒ぎ立て、 またオフ子のこともあしざまに言うのです。 帝國を侮り、帝國を怒らせ、帝國が挑発し、それに乗って失敗してこそ、 オフ子に頼るのですよ(うひひひひひ 756 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 16 42 ID ??? 709 蟹様 シル子 そういう“政治的に洗練された”割りきりができる 統治者を持った帝国は幸運だと断言しておきます。 葬式一族的には仕事を増やしたお方でもあるのですが、 起きた原因にはタッチされない限りタッチしないのが流儀ですので。 767 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 18 05 神 ID ??? 639 ケイレイたん シル子 うん、そう(w 650 葬務官さま だから、教皇でありながら、皇太子なんですよ(w レイヒルフトの次を担えるだけの偽善者だから。政治家にとっては、偽善というのは、最も重要な能力ですし。 772 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 18 35 ID ??? 741 シル子 うわーう素敵過ぎる ステンドグラスとか壁画とかはさすがに無理でしょうが、それだったらなんとかなりそうな それらを元にして帝国大図書館が作られそうですな。一高なんかに入る分を除いても 779 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 19 19 ID ??? 772 シル子 すみちゃんパパがもうやってる。 で、すみちゃんとアリア姫はその図書館にびっくりこっくりしてる 790 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 21 20 神 ID ??? 653 ケイレイたん シル子 まあ、南方戦役後の、そのまた先の話ですからねい。ずっと先の話ですから。 まずは、トイトブルグ紛争をこなさないとー 662 葬務官さま はい(w 皇太子であるだけの能力の持ち主なんです、実際(w あと、実力で教皇位にもいる、と。 アレッサンドロ6世や、後白河法皇級の悪党です(w 794 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 21 44 ID ??? 754 シル子 つまり我が党なことをやらかすんですねわかります それいただき まあ、10年くらいたったら地位剥奪された貴族の子弟が蠢動するよね 裏で帝國に操られているとは知らずに 800 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 22 15 ID ??? 790 シル子 実は、トイトブルグの時にはその辺の時系列がわからなくて、南方戦役はやくやりたいなーって思っていたのですw 823 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 23 45 ID ??? 767 蟹様 シル子 三代目としては使え甲斐のあるお方です。 「名も無き者の感慨」に書いたように、 生前の業績と同じくらい死後の遺産を重視する家系なので、 その視点から見ると、最後まで偽善を貫いて多分死後も聖女として 崇められるであろう事自体が帝国を纏める一つの遺産になりますし。 懸念材料が出るとすればお父様と抜き差しなら無い対立が起きた時ですが、 その最優先すべきものも明確ですし。 825 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 23 53 ID ??? 794 シル子 トイトブルグ干渉戦争のあと、さらに黒の零事件のあと、帝國軍の北方転移があって、 その中に13R、すなわち21Bが、改変拡大強化の上、配置につく筋があるらしいので。 いひひひひ。 840 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 26 05 神 ID ??? 671 わいるどさん シル子 そりゃ、南方戦役時には、帝國軍は総動員かけて、親衛軍団2個、ナンバー軍団12個、東西南北の諸侯軍、が動員 されていますから。1個軍団3万相当で、第1~第4軍各12万、親衛軍8万、他で60万、南方にぶっこんでいるわけで。 ナポレオンがロシア遠征やったときと同じ数をぶちこんでいます。 それでも南方諸国は、西方諸国や中原諸国の全面援助もあって、なんとか40万かきあつめましたが、指揮系統の 問題から各個撃破される羽目になってしまったのですた。 847 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 27 26 ID ??? 825 シル子 で、その戦いでシャル子重傷負って、その傷のおかげで比較的早死にさせるのってちょっときつい? おまけにオフ子とシャル子の愛の結晶に思いっきり恨まれるの 861 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 28 36 ID ??? 847 シル子 ぜんぜん。 だって、その恨む仇とエロエロry「君のお母さんはry 865 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 28 55 ID ??? 840 蟹様 シル子 中小国連合は大国に勝てない(特に大国から仕掛けた場合は)いい例に見えます。 その規模だと葬式一族の誰かも戦争に参加してるだろうけど、大分後のお話のようですね。 874 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 30 21 ID ??? 840 シル子 だからこそ融和路線を取りたいんですが、いろいろと揉めることになりそうな気がしますな 防衛もままならないんじゃ敵に回さぬよう努力する、ということで 887 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 31 49 神 ID ??? 724 ケイレイたん シル子 当然です。人手は畑から生えてきますが、人材は育てないといけないのですよ? というわけで、最大の仇敵であったグスタファス公を政治的経済的に支え続け、10年も戦わせた力量を持つ彼の弟を、 宰相に登用したりと、リサイクルの達人なのです(w 滅びたはずのユリウス一門を、一番の腹心にのっとらさせ、南方の穀倉地帯を真っ先に確保し安定させ、自分の 勢力圏は飢えさせなかったりとか(w 900 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 33 31 ID ??? 861 シル子 でもその子、オフ子とシャル子の能力のいいとこだけとったあげくオフ子の不安定さはしっかり受け継いだイヤなハイブリッド型だよ? 妹は両方の性格のいいとこを取った代わりに比較的普通の子 922 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 36 48 神 ID ??? 756 葬務官さま シル子 といいますか、そういう奴だからこそ、帝國を簒奪できたわけで(w ええ、本人は、自分のために権力や財力を使うつもりが全く無い、ロベスピエールみたいな困ったちゃんなのでし。 単に、帝國の在り方に不満があって、文句を言うのは恥ずかしくてやれないので、実力で改革を行っただけで。 文字通りの不言実行であった、と。それだけに誤解もされているんですが。 929 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 37 47 ID ??? 887 シル子 オロフス卿は兄上様の戦死の報を知らされても、 淡々と後始末を続け、帝國軍の進駐を迎えた気がするのですよ。 兄ほどの力をもってしても、10年の戦で決戦にさえ持ち込めず、配下の宿将に自由に働かせて、 戦術的な拮抗を維持し続け、戦略的な勝利を達成したレイヒルフト相手に、 つまらない焦土作戦なんかしなかったと思うのです。 だからこそ、彼は軍規を維持させ、 司令官に降服を受け入れさせ、己はオフィスで最後の後始末をして、 進駐軍先鋒指揮官(おさんどん将軍?)を待ち、 彼らしく、同行したんじゃないかと 932 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 38 19 神 ID ??? 772 わいるどさん シル子 はい。というわけで、副帝陛下書庫とか、一高図書館とかは、そういう本で満ち満ちているのでした。 ちなみに、すみちゃんちの実家の書庫も、似た様なものであったり(苦笑 935 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 38 46 ID ??? 900 シル子 逆にいいじゃない。 君は、オフィーリア様に良く似ているry 950 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 40 39 神 ID ??? 800 ケイレイたん シル子 まあ、本格的な宣教師派遣は、黒の零事件の後ですし、教会への改宗運動も、南方併合後の話ですから。 それまでは、帝國も比較的大人しくしているのです。 955 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 41 18 ID ??? 950 シル子 で、ちょっとダレていたのですが、干渉戦争で元気をとりもどしたのですw 962 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 42 06 ID ??? 954 シル子 でも知性と、口調は開けっぴろげで。 あと、ダークな賭けもw 969 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 43 09 神 ID ??? 823 葬務官さま シル子 はい。基本的に帝國を国民国家に、という点では、父親と全く同じ路線ですから。 後に皇帝位に即位して、元老院で演説した時に、「一つの法、一つの国家、一人の指導者」と、ぶちかましてくれるのです(苦笑 980 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 44 18 ID ??? 969 シル子 万雷の拍手とともにry 985 名前: 【army 2682】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 [ sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 45 19 神 ID ??? 865 葬務官さま シル子 はい、今の時系列から、5年以上後の話です。 993 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w [sage] 投稿日:2009/09/11(金) 23 46 11 ID ??? 969 シル子 国民国家の誕生としては平和でよいですね。 抽出レス数:89
https://w.atwiki.jp/archk/pages/38.html
2014年7月から12月にかけての情報です。 ※ご利用される方へ 当HPで掲載しているのは、基本的に関西圏で開催される研究会の内、管理人が把握できたものに限ります。 当HPの情報に不足、誤り等ある可能性はご承知の上でご利用ください 【7月】 ●大阪歴史学会 7月例会 日時:2014年7月4日 19:00~ 会場:阿倍野市民学習センター(あべのベルタ3階)第4会議室 内容:山川均氏「達磨寺創建に関する研究-貞慶と慶政による「達磨寺中興」を巡って-」 ●2014年度「金曜歴史講座」第151回 日時:2014年7月4日(金)18 30 会場:大阪歴史博物館4階講堂 内容:市川創氏「豊臣期大坂城本丸を考古学から探る」 ●2014年度「金曜歴史講座」第152回 日時:2014年7月11日(金)18 30~ 会場:大阪歴史博物館4階講堂 内容:長山雅一氏「難波宮跡と山根徳太郎博士」 ●企画展関連講座 日時:2014年7月12日(土)14 00~ 会場:鈴鹿市考古博物館講堂 内容:中森成行氏「おやこで学ぶ鈴鹿のれきし~元館長の自由研究サポート講座~」 ●おしよせる!古墳時代の渡来文化 日時:2014年7月12日 会場:奈良大学C102教室 内容:植野浩三氏「古墳時代の渡来文化」 田中清美氏「5世紀の河内湖周辺の開発と渡来人」 森本徹氏「古墳時代の渡来人と墓制の変革」 ●市民大学講座 日時:2014年7月12日 14:00~15:30 会場:帝塚山大学 奈良・東生駒キャンパス5号館5104教室 内容:河上麻由子氏「東アジアにおける仏教の伝播―対外交渉史の視点から―」 ●第59回文化財講演会 日時:2014年7月12日(土)14 00 会場:長岡京市立中央公民館2階講座室 内容:小田桐淳氏「幻の鞆岡廃寺に迫る」 ●文化財連続講座第3回 日時:2014年7月12日(土)13 30~ 会場:京都府立山城郷土資料館 内容:藤井整氏「巨椋池と木津川をめぐる弥生遺跡」 ●考古学セミナー 日時:2014年7月12日(土)14 00~ 会場:大阪府立弥生文化博物館 内容:下釜和也氏「時の積層―シリアでテルを掘る―」 ●第16回 和歌山県弥生・古墳時代研究会 日時:2014年7月12日(土)13 30~16 00 会場:和歌山県立紀伊風土記の丘(和歌山市岩橋1411番地) 備考:研究会の資料代は無料ですが、入館料190円が必要です。 内容:瀬谷今日子氏「前山A58号墳出土の埴輪」 仲原知之氏「大日山35号墳の埴輪を考える②~西造出の埴輪 樹立状況の検討~」 ●和歌山県内文化財調査報告会 地宝のひびき 日時:2014年7月13日(日)13 00~ 会場:きのくに志学館2F講義・研修室 ●2014年度「金曜歴史講座」第153回 日時:2014年7月18日(金)18 30~ 会場:大阪歴史博物館4階講堂 内容:岡村勝行氏「東日本大震災と考古学」 ●古代出雲講座in大阪 日時:7月19日 13時30分~15時 会場:大阪歴史博物館4階講堂 備考:要申し込み 内容:古市 晃氏「出雲と倭王権」 ●記念講演会 日時:2014年7月19日(土)13 30~ 会場:天理大学附属天理参考館研修室 内容:千賀久氏「はにわ人の世界 西と東」 ●愛媛大学アジア古代鉄文化研究センター研究報告会 古代ユーラシア大陸のアイアン・ロード―鉄の歴史を探る― 日時:2014年7月19日(土)14 00~ 会場:大阪府立弥生文化博物館 ●公開考古学講座「三重を掘る」第2回 日時:2014年7月19日(土)13 30~ 会場:三重県埋蔵文化財センター嬉野分室学習棟 内容:長谷川哲也氏・小林美沙子氏「『ふるさと三重』の文化財を活かした教材を授業に~『三重の城すごろく』を体験~」 ●夏季企画展講演会 日時:2014年7月20日(日)13 30~ 会場:今城塚古代歴史館2階映像研修室 内容:渡井彩乃氏「今城塚古墳の家形埴輪の特質」 ●関西学生考古学研究会 第44回例会および総会 日時:2014年7月20日(日) 13:30から 会場:立命館大学朱雀キャンパス209教室 内容:朝井琢也氏「弥生時代の大規模集落における石器の様相」 吉村幸広氏「偽石器の研究史」 総会 ●夏季企画展講演会 日時:2014年7月20日(日)13 30~ 会場:今城塚古代歴史館2階映像研修室 内容:渡井彩乃氏「今城塚古墳の家形埴輪の特質」 ●ふたかみ邪馬台国シンポジウム14「邪馬台国時代の甲・信と大和」 日時:2014年7月20日(日)13 20~17 10・21日(月・祝)9 25~15 30 会場:ふたかみ文化センター・市民ホール 備考:先着300名(事前申込み不要) 内容: ●第1日 廣田和穂氏「2・3世紀、北信濃の集落と墳墓」 直井雅尚氏「2・3世紀、中・南信の集落と墳墓(松本盆地南部を中心として)」 小林健二氏「2・3世紀、甲斐の集落と墳墓」 赤塚次郎氏「2・3世紀の甲・信と東海地域」 ●第2日 三木 弘氏「2・3世紀の大阪湾東岸と中部高地」 笹澤 浩氏「2・3世紀の甲信の小地域圏」 石野博信氏「2・3世紀の日本海と甲・信」 石野博信氏(司会)、廣田和穂氏、直井雅尚氏、小林健二氏、赤塚次郎氏、三木弘氏、笹澤浩氏「邪馬台国時代の甲・信と大和」 ●歴史考古学研究会 日時:2014年7月20日(日)13時30分~16時30分 会場:帝塚山大学考古学研究所 内容:岡田雅彦氏「荒池瓦窯出土瓦の検討」 ●市民大学講座 日時:2014年7月26日 14:00~15:30 会場:帝塚山大学 奈良・東生駒キャンパス5号館5104教室 内容:西藤清秀氏「古代パルミラ人の葬制」 ●記念講演会 日時:2014年7月26日(土)13 30~ 会場:有年公民館/兵庫県 内容:岸本道昭氏「蟻無山古墳群を考える―播磨の中期古墳時代」 ●生駒学講座 日時:2014年7月26日 14時~15時30分 会場:生駒ふるさとミュージアム 多目的室 内容:馬場 基氏「生駒山系は神・人・仏の交差点」 ●第3回 纒向学セミナー 日時:2014年7月26日(土) 13:30~16:00 (開場 13:00) 会場:桜井市立図書館・研修室1 備考:事前申し込みが必要。定員になり次第締切 内容:森岡秀人氏「原倭国の形成と纒向遺跡」 対談:寺澤薫氏 ●考古学研究会関西例会第189回研究会 日時:2014年7月26日(土)13 30~ 会場:龍谷大学大宮学舎 内容:ミニシンポジウム『被災地の考古学―東北派遣職員の証言―』 ●日本西アジア考古学会特別講演会 日時:2014年7月26日(土)14 00~ 会場:大阪府立弥生文化博物館 内容:小高敬寛氏「メソポタミアへの再接近―遺跡調査の現場から―」 ●アスニ―セミナー 日時:2014年7月26日 会場:京都市生涯学習総合センター 備考:要予約 受講料820円 内容:水谷千秋氏「継体天皇と朝鮮半島の謎」 ●第72回銅鐸研究会 日時:2014年7月26日(土)14 00~ 会場:銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館) 内容:中村健二氏「上御殿遺跡出土の双環柄頭短剣鋳型について」 ●歴史講座(第2回) 日時:2014年7月27日(日)13 30~ 会場:斎宮歴史博物館講堂 内容:穂積裕昌氏「三重の埴輪と古代の喪葬」 ●夏季企画展講演会 日時:2014年7月27日(日)13 30~ 会場:今城塚古代歴史館2階映像研修室 内容:今西康宏氏「門・塀形埴輪の特徴とその系譜」 【8月】 ●文化財講演会 日時:2014年8月2日(土)13 30~ 会場:京都府立山城郷土資料館 内容:國下多美樹氏「水の道と弥生集落 ~考古学からみた地域間交流~」 ●吉野を学ぶ歴史講座 平成26年度 part1モノで語る金峯山寺歴史秘話 第1回 日時:2014年8月2日 14時~ 会場:吉野歴史資料館 備考:40名(先着順、要予約)費用300円 内容:小池香津江氏「金峯山寺の発掘調査成果と瓦」 ●文化財講演会 日時:2014年8月2日(土)13 30~ 会場:京都府立山城郷土資料館 内容:國下多美樹氏「水の道と弥生集落 ~考古学からみた地域間交流~」 ●鹿脊山城何でも知ろう 連続講座 日時:2014年8月3日(日) 13時30分から16時30分 会場:木津川市中央交流会館 備考:参加費700円 内容:天野忠幸氏「松永久秀の政治動向と南山城」 森島康雄氏「鹿脊山城は松永久秀の城であるのか」 ●平成26年度みはま土曜歴史講座 日時:2014年8月3日(日)13 30~ 会場:美浜町生涯学習センターなびあす 内容:山崎健氏「都城における多様な動物利用」 ●講演会 日時:2014年8月3日(日)13 30~ 会場:大阪府立近つ飛鳥博物館地階ホール 内容:積山洋氏「ちぬの海に生きた古代人」 ●大阪歴史学会 日時:2014年8月8日(金)19:00~ 会場:阿倍野市民学習センター(あべのベルタ3階)第1会議室 内容:三木菜々子氏「摂津・河内・和泉地域における素弁蓮華文軒丸瓦の瓦当文様の分布について」 ●文化財調査報告及びシンポジウム 芝ヶ原古墳と卑弥呼の時代 日時:2014年8月9日(土)10 00~ 会場:文化パルク城陽ふれあいホール ●吉野を学ぶ歴史講座 平成26年度 part1モノで語る金峯山寺歴史秘話 第2回 日時:2014年8月9日 14時~ 会場:吉野歴史資料館 備考:40名(先着順、要予約)費用300円 内容:池田淳氏「板絵著色廻船入港図額について」 ●記念講演会 日時:2014年8月9日(土)13 30~ 会場:有年公民館/兵庫県 内容:高橋克壽氏「倭の五王と地域豪族―古墳造営にみる地域支配」 ●講演会 日時:2014年8月9日(土)15 00~ 会場:大阪歴史博物館4階講堂 内容:田中清美氏「加美遺跡で見つかった弥生王墓の謎にせまる」 ●記念講演会&ミニシンポジウム 古代オリエント―その叡智と文化― 日時:2014年8月9日(土)12 30~ 会場:大阪府立弥生文化博物館 ●夏季企画展講演会 日時:2014年8月10日(日)13 30~ 会場:今城塚古代歴史館2階映像研修室 内容:高橋克壽氏「家形埴輪から読み解く古墳祭祀」 ●講演会 日時:2014年8月10日(日)13 30~ 会場:大阪府立近つ飛鳥博物館地階ホール 内容:白石太一郎氏「5世紀、河内湖は倭国文明化のセンターだった」 ●吉野の会33 日時:2014年8月21日(木)19時~ 会場:吉野歴史資料館 1階 備考:参加費 500円 内容:中東洋行氏「宮滝遺跡第1次調査の成果を振り返る」 ●生駒学講座 日時:2014年8月23日 14時~15時30分 会場:生駒ふるさとミュージアム 多目的室 内容:有井宏子氏「行基ってナニモノ? 土木事業から探る」 ●「田原本町観光協会 記紀・万葉 歴史講座」 日時:2014年8月23日(土)10時~11時30分 会場:田原本町町民ホール 上野誠氏「天平の万葉歌」 ●吉野を学ぶ歴史講座 平成26年度 part1モノで語る金峯山寺歴史秘話 第3回 日時:2014年8月23日 14時~ 会場:吉野歴史資料館 備考:40名(先着順、要予約)費用300円 内容:中東洋行氏「金峯山寺出土の扁平形泥塔」 ●記念講演会 日時:2014年8月23日(土) 14時~ 会場:葛城市歴史博物館? 内容:井上昌典氏「江戸期葛城地域の三十一(みそひと)文字(もじ)」 ●土曜講座 日時:2014年8月23日(土)14 00~ 会場:大阪府立近つ飛鳥博物館地階ホール 内容:飯田浩光氏「夏季企画展をもっと知るには! 海とおおさかの古代人」 ●第128回埋蔵文化財セミナー 京都の中世社会を解明する 日時:2014年8月23日(土)13 30~ 会場:向日市民会館4F第1会議 内容:伊野近富氏「中世のムラ・館 ―京都・北から南から―」 中塚 良氏「中世 やかたの暮らしぶり ―向日市上植野城跡の調査から―」 加藤雅士氏「第29回小さな展覧会のみどころ」 ●関西学生考古学研究会 第45回例会 日時:2014年8月24日(日) 13時30分~ 会場:龍谷大学大宮キャンパス北黌203教室 内容:濱岡宏理氏「呪符木簡から見るまじないの世界」 山本晃平氏「炉壁からみた古代から中世の鉄生産技術」 ●恵解山古墳整備記念シンポジウム 日時:2014年8月24日 13時~16時30分 会場:長岡京市立中央公民館3階市民ホール 内容:中尾芳治氏「もうすぐ開園を迎えて」 都出比呂志氏「乙訓における恵解山古墳のもつ意義」 高瀬要一氏「惠解山古墳の整備」 高岡克壽氏「聞けば納得☆惠解山古墳のここがスゴイ!」 安部俊次氏「子どもたちとどう取り組んできたか」 ●夏季企画展講演会 日時:2014年8月24日(日)13 30~ 会場:今城塚古代歴史館2階映像研修室 内容:森田克行氏「新池遺跡の調査と保存―新池ハニワ工場公園開設20周年を記念して―」 ●関西学生考古学研究会 第45回例会 日時:2014年8月24日(日) 13時30分~ 会場:龍谷大学大宮キャンパス北黌203教室 内容:濱岡宏理氏「呪符木簡から見るまじないの世界」 山本晃平氏「炉壁からみた古代から中世の鉄生産技術」 ●恵解山古墳整備記念シンポジウム 日時:2014年8月24日 13時~16時30分 会場:長岡京市立中央公民館3階市民ホール 内容:中尾芳治氏「もうすぐ開園を迎えて」 都出比呂志氏「乙訓における恵解山古墳のもつ意義」 高瀬要一氏「惠解山古墳の整備」 高岡克壽氏「聞けば納得☆惠解山古墳のここがスゴイ!」 安部俊次氏「子どもたちとどう取り組んできたか」 ●古代出雲講座in大阪 日時:8月24日 13時30分~15時 会場:大阪歴史博物館4階講堂 備考:要申し込み 内容:松本岩雄氏「出雲の弥生王墓」 ●平成26年度みはま土曜歴史講座 日時:2014年8月30日(土)13 30~ 会場:美浜町生涯学習センターなびあす 内容:小林裕季氏「みはまとわかさの山寺」 ●2014年度弥生時代講座「聞いてなっとく 弥生の世界」 日時:2014年8月30日(土)14 00~ 会場:大阪府立弥生文化博物館1階ホール 内容:高野陽子氏「井泉のまつり」 ●古代歴史文化講演会 日時:2014年8月30日 13時30分~16時30分 会場:奈良県新公会堂 能楽ホール 備考:往復はがき・メール・faxでの申し込み要 内容:金田章裕氏「律令国家の土地制度」 菅谷文則氏「古墳出土の玉と神話の王」 ●古代歴史文化講演会 日時:2014年8月30日 13時30分~16時30分 会場:奈良県新公会堂 能楽ホール 備考:往復はがき・メール・faxでの申し込み要 内容:金田章裕氏「律令国家の土地制度」 菅谷文則氏「古墳出土の玉と神話の王」 ●第3回 講座 日時:2014年8月31日(日)14 00~16 00 会場:ふたかみ文化センター・会議室 内容:松田真一氏「大川遺跡と奈良県の先史文化」 ●考古学セミナー 日時:2014年8月31日(日)14 00~ 会場:大阪府立近つ飛鳥博物館地階ホール 内容:森本徹氏「海人の古墳を考える」 【9月】 ●第2回古代講演会 日時:2014年9月6日(土)14 00~ 会場:銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館) 内容:松浦俊和氏「大津宮と湖南の古代寺院」 ●邪馬台国から初期ヤマト王権へ 日時:2014年9月14日 13時~17時 会場:りそな銀行大阪本店地階講堂 備考:往復はがきでの申し込み要 内容:鈴木靖民氏「古代史からみた初期大和王権」 白石太一郎氏「考古学からみた邪馬台国から初期大和王権」 対談 ●後世に伝える文化財 象嵌のある大刀の魅力、名張から出土した鉄製品 日時:2014年9月14日 13時~16時30分 会場:名張市美旗市民センター 内容:西山要一氏「象嵌銘文大刀の発見と保存」 大江克己氏「鉄剣・鉄刀の科学的保存処理の現場から」 門田了三氏「名張から出土した鉄製品」 パネルディスカッション ●平成26年度でかける博物館事業講演会 邪馬台国から初期ヤマト王権へ 日時:2014年9月14日(日)13 00~ 会場:りそな銀行大阪本店地階講堂 ●後世に伝える文化財 象嵌のある大刀の魅力、名張から出土した鉄製品 日時:2014年9月14日 13時~16時30分 会場:名張市美旗市民センター 内容:西山要一氏「象嵌銘文大刀の発見と保存」 大江克己氏「鉄剣・鉄刀の科学的保存処理の現場から」 門田了三氏「名張から出土した鉄製品」 パネルディスカッション ●邪馬台国から初期ヤマト王権へ 日時:2014年9月14日 13時~17時 会場:りそな銀行大阪本店地階講堂 備考:往復はがきでの申し込み要 内容:鈴木靖民氏「古代史からみた初期大和王権」 白石太一郎氏「考古学からみた邪馬台国から初期大和王権」 対談 ●古代出雲講座in大阪 日時:2014年9月15日 13時30分~15時 会場:大阪歴史博物館4階講堂 備考:要申し込み 内容:池淵俊一氏「倭王権と意宇宿祢」 ●学芸員講座 日時:2014年9月18日(木)13 30~ 会場:今城塚古代歴史館2階映像研修室 内容:渡井彩乃氏「ハニワのつくりかた―円筒埴輪を中心に―」 ●古代学研究会 日時:2014年9月20日(土) 18 30 ~21 00 会場:アネックスパル法円坂(旧大阪市立中央青年センター)A棟3階 第1号室 内容:東 潮氏「魏志東夷伝の考古学」 ●文化的景観講演会 東アジアの文化的景観 日時:2014年9月20日(土)14 00 会場:奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂 ●吉野を学ぶ歴史講座 平成26年度 part2 発掘された大峯奥駈道の世界 第1回 日時:2014年9月20日 14時~15時30分 会場:吉野歴史資料館 内容:水野敏典氏「発掘調査からみる弥山」 ●歴史に憩う橿原市博物館 平成26年度定期講座「日本の古代都城」 日時:2015年9月20日(土)13 30~ 会場:クリーンセンターかしはら3階研修室 内容:相原嘉之氏「飛鳥京」 ●長月講座「木と縄文人」(2) 日時:2014年9月22日(月)13 30~ 会場:天理大学附属天理参考館研修室 内容:松田真一氏「研ぎ澄まされた造形美―木工と漆工の匠―」 ●大阪歴史学会 考古部会 日時:2014年9月26日(金)19:00~ 会場:阿倍野市民学習センター(あべのベルタ3階)和室 内容:岡島俊也氏「枚方市楠葉中之芝遺跡第64次調査成果」 ●第1回伊勢湾岸弥生時代研究会 日時:2014年9月27日(土)10 3~ 会場:三重県埋蔵文化財センター嬉野分室 ●発掘調査報告会 日時:2014年9月27日(土)13 30 会場:桜井市立埋蔵文化財センター2F多目的室 内容:武田雄志氏「大藤原京関連遺跡の発掘調査」 丹羽恵二氏「高田遺跡 第3次発掘調査」 森暢郎氏「纒向遺跡 第180次発掘調査」 ●吉野を学ぶ歴史講座 平成26年度 part2 発掘された大峯奥駈道の世界 第2回 日時:2014年9月27日 14時~15時30分 会場:吉野歴史資料館 内容:松田 度氏「青根ヶ峯の考古学 ヒロノ千軒からみえてくるもの」 ●第251回近江貝塚研究会 日時:2014年9月27日(土) 13 30~18 00 会場:滋賀県埋蔵文化財センター2階研修室 内容:小池悠介氏「縄文時代晩期中葉における近畿地方と北陸地方の無文深鉢の広域的検討」 岩田貴之氏「器形のつくり分けと文様の変化」 ●関西縄文文化研究会2014年9月例会 日時: 2014年9月27日(土)・28日(日) 会場:舞鶴市商工観光センター・まいづるベイプラザ4階展示交流室 備考:資料代 各日100円(当日、受付にて申し受けます) 内容:【27日】 松崎健太氏「見学資料についての説明」 遺物見学(志高遺跡、浦入遺跡、桑飼下遺跡)・意見交換 【28日】 遺物見学(志高遺跡、浦入遺跡、桑飼下遺跡)・ 意見交換 上峯篤史氏「京都府舞鶴市志高遺跡出土の北海道産黒曜岩をめぐって」 矢野健一氏「縄文早期後半の滑石含有土器―兵庫県養父市熊野円山遺跡出土土器紹介」 ●第133韓式系土器研究会のご案内 日時:2014年9月28 日(日曜日)14 00~ 会場:大阪市博物館協会大阪文化財研究所東淀川調査事務所(大阪市立東淀川体育館1階) 内容:道上祥武氏「古墳時代から古代の集落からみる畿内社会」 ●関西学生考古学研究会 日時:2014年9月28日(日)13 00~ 会場:奈良大学B105教室 内容:特集Ⅰ「今の自分と考古学」 古林舞香氏「装飾付須恵器」 大澤嶺氏「特殊器台形埴輪」 特集Ⅱ「What is 学芸員?」 松田度氏「記紀と遺跡~その間柄を考える~」 ●長月講座「木と縄文人」(3) 日時:2014年9月29日(月)13 30~ 会場:天理大学附属天理参考館研修室 内容:松田真一氏「目をつけたクリとスギ―木の文化の源流―」 【10月】 ●若狭の塩、再考 日時:2014年10月4日 10時30分~17時 会場:美浜町生涯学習センター なびあす 内容:松葉竜司氏「古代若狭の塩の生産と流通をめぐって」 柳沢菜々氏「文献資料からみた古代若狭の生産と流通(仮)」 松本達也氏「丹後からみた古代若狭の土器製塩」 神野惠氏「平城京に運ばれた製塩土器」 堂野前彰子氏「古代日本文学に描かれた若狭 琵琶湖水系と貿易」 座談・若狭の塩、再考 ●調査成果報告会 日時:2014年10月4日(土)14 00~ 会場:長岡京市立中央公民館2階講座室 ●第115回公開講演会 日時:2014年10月4日(土)13 00 会場:奈良文化財研究所平城宮跡資料館講堂 内容:松村恵司氏「和同開珎1文の価値は?」 芝康次郎氏「植物種実からみた古代の食生活」 惠谷浩子氏「文化的景観の味わい方」 ●講演会 第3回 上野誠の吉野万葉塾 日時:2014年10月5日 13時~14時30分 会場:吉野町中央公民館 備考:60名(先着順、要予約)、費用500円 内容:上野誠氏「古代人のココロを探検する -万葉集は言葉の文化財-」 ●吉野を学ぶ歴史講座 平成26年度 part2 発掘された大峯奥駈道の世界 第1回 日時:2014年10月11日 14時~15時30分 会場:吉野歴史資料館 内容:中東洋行氏「藤原道長と金峯山埋経」 ●考古学セミナー「オールネイティブでおとどけする 河内文化の魅力」第2回 日時:2014年10月11日(土)14 00 会場:大阪府立弥生文化博物館1階ホール 内容:長友朋子氏「河内の弥生文化」 ●関西学生考古学研究会 日時:2014年10月12日(日)12時30分から 会場:京都市考古資料館 3F 会議室 内容:妹尾雄平氏「北摂キリシタン墓の研究(予察)」 清水真好氏「博物館探検 in 千葉県」 中東洋行氏「我が輩は「井の中の蛙」である」 ●万葉古代学講座 第58回 日時:2014年10月13日 14時~15時30分 会場:奈良県立万葉文化館 企画展示室 内容:小倉久美子氏「「藤衣」考」 ●ふるさと河内長野の偉人 高向玄理 日時:2014年10月13日 9時30分~ 会場:ラブリーホール 小ホール 内容:芝田啓治氏「わがまちに玄理あり」 市職員「市内における玄理の遺産」 白石太一郎氏「高向玄理の時代と河内の渡来人」 舘野和己氏「高向玄理が学んだ社会とめざした社会」 ●講演会 日時:2014年10月13日(月)13 30~ 会場:大阪府立近つ飛鳥博物館地階ホール 内容:水野正好氏「山辺の道・上ツ道と王宮・陵墓」 ●中世土器研究会 2014年10月例会 日時:2014年10月18日(土) 13:30~ 会場:京都市埋蔵文化財研究所 深草収蔵庫(京都市伏見区深草西浦町8丁目118-3) 内容:東播系須恵器の見学 *現地集合といたします。 ●考古学セミナー「オールネイティブでおとどけする 河内文化の魅力」第3回 日時:2014年10月18日(土)14 00 会場:大阪府立弥生文化博物館1階ホール 内容:笠井敏光氏「古市古墳群と河内の古墳時代」 ●吉野を学ぶ歴史講座 平成26年度 part1モノで語る金峯山寺歴史秘話 第2回(順延回) 日時:2014年10月18日 14時~ 会場:吉野歴史資料館 備考:40名(先着順、要予約)費用300円 内容:池田淳氏「板絵著色廻船入港図額について」 ●大阪における古地理復元と中世史再構築の試み 日時:2014年10月19日 13時~16時30分 会場:大阪歴史博物館4階 内容:趙哲済氏「中世大坂の古地理研究を展望する 「上町科研」の復元と課題」 井上智博氏「河内平野における11~16世紀の地形変遷と耕作地の展開」 大澤研一氏「文献史料からみた中世大坂の集落と交通路 河内平野・大阪湾岸エリアを中心に」 シンポジウム「大坂における古地理福展と中世史再構築の試み」 ●香芝市二上山博物館 イベント情報 日時:2014年10月19日 14時~ 会場:ふたかみ文化センター 内容:佐藤良二氏「入門・日本の旧石器 ―石器の切れ味を味わおう―」 ●歴史考古学研究会 日時:2014年10月19日(日)13時30分~16時30分 会場:吹田市立博物館講座室 内容:網 伸也氏「古代摂津の瓦生産」 ●歴史リレー講座「大和の古都はじめ」!第1回 日時:10月19日(日)10 00~12 00 会場:王寺町地域交流センター リーベルホール 備考:要申し込み 内容:岡本彰夫氏「記紀にのらない大和の神話」 ●雪野山古墳 過去 現在 未来を語るシンポジウム 日時:2014年10月25日 14時~17時 会場:東近江市あかね文化ホール 内容:都出比呂志氏「雪野山古墳発掘の経緯と成果」 小笠原好彦氏「近江の前方後円墳と雪野山古墳」 菅谷文則氏「雪野山古墳と近江周辺地域」 ●斑鳩・藤ノ木古墳を考える 日時:2014年10月25日(土) 13時~16時 会場:奈良芸術短期大学キャンパス1号館 備考:往復はがきによる申し込み要 内容:片山一道氏「藤ノ木古墳の被葬者像を探る、ふたたび」 前園実知雄氏「藤ノ木古墳の調査で得られたもの」 対談・人類学と考古学で迫る被葬者像 ●秋季特別展学芸員講座「戦国の城を知ろう」 日時:2014年10月25日(土)14 00~ 会場:高槻市教育会館3階第2研修室 内容:千田康治氏「戦国の城と刀剣・甲冑―伝世品と出土資料―」 ●「田原本町観光協会 記紀・万葉 歴史講座」 日時:2014年10月25日(土)14時~15時30分 会場:田原本町町民ホール 内容:村井康彦氏「唐古・鍵遺跡と邪馬台国 -『魏志倭人伝』を読み直す-」 ●土曜講座 日時:2014年10月25日(土)14 00~ 会場:大阪府立近つ飛鳥博物館地階ホール 内容:市村慎太郎氏「特殊壺と二重口縁壺、壺形埴輪」 ●トーク・サンコーカン(公開講演会) 日時:2014年10月25日(土)13 30~ 会場:天理大学附属天理参考館研修室 内容:早坂文吉氏「台湾平埔族パゼッヘ族旧首長の盛衰と台中平野の歴史」 ●秋季特別展講演会 日時:2014年10月26日(日)13 30~ 会場:今城塚古代歴史館2階映像研修室 内容:辰巳和弘氏「船の“かたち”と古代の“こころ”」 ●シンポジウム 「奈良盆地東南部の前期大型前方後円墳を考える」 日時:2014年10月26日(日)11 00~ 会場:大阪府立近つ飛鳥博物館地階ホール ●歴史講座 「地下に眠る豊臣大坂城の石垣を探る」 日時:2014年10月31日(金)13 00 会場:大阪歴史博物館4階講堂 ●大阪歴史学会10月例会 日時:2014年10月31日(金)19:00~ 会場:阿倍野市民学習センター(あべのベルタ3階)第1会議室 備考:当日は資料代として200円を申し受けます。 内容:上田直弥氏「粘土槨の展開過程とその画期」 【11月】 ●第252回近江貝塚研究会 日時:2014年11月1日(土) 13 30~18 00 会場:滋賀県埋蔵文化財センター2階研修室 内容:瀬口眞司氏「近江における先史社会の展開過程1.縄文~古墳前期の社会規模の時期的推移」 佐々木尚子氏「縄文時代以降の琵琶湖周辺地域の森林の変化とその特徴」 ●記念講演会 日時:2014年11月1日(土)14 00 会場:奈良文化財研究所飛鳥資料館講堂 内容:澤田正昭氏「もうひとつの遺跡保存―土層転写と遺構切り取り―」 ●秋季特別展ミュージアムトーク 日時:2014年11月1日(土)13 30~ 会場:今城塚古代歴史館 2階 映像研修室 内容:平田紘士氏「古代の船、あし舟・丸木舟から構造船へ」 ●秋季特別展学芸員講座「戦国の城を知ろう」 日時:2014年11月2日(日) 会場:高槻市教育会館3階第2研修室 内容:清水亜弥氏「初歩から学ぶ 戦国の城」 ●特別展シンポジウム 須恵器誕生 日時:2014年11月2日(日) 10:30~15:50 会場:紀伊風土記の丘?(要確認) ●万葉古代学講座 第59回 日時:2014年11月2日 14時~15時30分 会場:奈良県立万葉文化館 企画展示室 内容:井上さやか氏「『古事記』の1300年」 ●講演会 日時:2014年11月3日(月)14 00~ 会場:大阪府立弥生文化博物館1階ホールおよびサロン 内容:水野正好氏「倭国王卑弥呼と女王国」 ●2014年度弥生時代講座「聞いてなっとく 弥生の世界」 日時:2014年11月8日(土)14 00~ 会場:大阪府立弥生文化博物館1階ホール 内容:戸塚洋輔氏「青銅器生産からみる弥生社会」 ●大道を置く 飛鳥・難波・大陸へ至る道 日時:2014年11月8日 13時~ 会場:大和高田さざんかホール 内容:近江俊秀氏「大道前後の交通体系 裴世清一行は本当に大和川をさかのぼったのか」 積山洋氏「難波大道と難波宮 七世紀の東アジアと畿内交通網」 菅谷文則氏「中国・日本古代の情報伝達システム」 ●田原本青垣生涯学習センター・唐古・鍵考古学ミュージアム開館10周年記念事業講記念講演会 日時:2014年11月8日(土)13 00~ 会場:斑鳩文化財センター 内容:卜部行弘氏「装身具からみた藤ノ木古墳の被葬者」 ●公開講演会 日時:2014年11月9日 14時から 会場:宮滝河川交流センター 内容:菅谷文則氏「吉野と弘法大師 空海少年の日の修業の日」 ●講演会 日時:2014年11月9日(日)13 30~ 会場:大阪府立近つ飛鳥博物館地階ホール 内容:福永伸哉氏「ヤマト政権成立過程と畿内の勢力図」 ●秋季特別展連続歴史講座「北摂の山城を発掘する」 日時:2014年11月15日(土)14 00~ 会場:高槻市教育会館3階第2研修室 内容:橋本久和氏「芥川山城跡の発掘調査」 ●第6考古学講座 日時:2014年11月15日(土)10 00 会場:公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター研修室 内容:石井清司氏「縄文丸木舟」 ●考古学セミナー「オールネイティブでおとどけする 河内文化の魅力」第4回 日時:2014年11月15日(土)14 00 会場:大阪府立弥生文化博物館1階ホール 内容:網伸也氏「河内の古代寺院・官衙と交通路」 ●歴史に憩う橿原市博物館 平成26年度定期講座「日本の古代都城」 日時:2015年11月15日(土)13 30~ 会場:クリーンセンターかしはら3階研修室 内容:積山洋氏「前期難波宮」 ●秋季特別展講演会 日時:2014年11月16日(日)13 30~ 会場:今城塚古代歴史館2階映像研修室 内容:一瀬和夫氏「船の“かたち”と古墳時代の国際交流」 ●歴史リレー講座「大和の古都はじめ」!第2回 日時:11月16日(日)14 00~16 00 会場:王寺町地域交流センター リーベルホール 備考:要申し込み 内容:上司永照氏「乾坤相泰 動植咸栄-太子再誕、聖武帝の詔-」 ●考古学セミナー 「最近の調査研究成果から探る、淀川水系の前期古墳」 日時:2014年11月16日(日)13 00~ 会場:大阪府立近つ飛鳥博物館地階ホール ●企画展講座 日時:2014年11月16日(日)13 30~ 会場:天理大学附属天理参考館研修室 内容:下村作次郎氏「台湾エスニックマイノリティーのいま―台湾原住民族と平埔族―」 ●土曜講座 日時:2014年11月22日(土)14 00~ 会場:大阪府立近つ飛鳥博物館地階ホール 内容:鈴千夏氏「前期古墳における副葬品配置」 ●講演会 日時:2014年11月23日(日)13 30~ 会場:大阪府立近つ飛鳥博物館地階ホール 内容:吉村武彦氏「『古事記』・『日本書紀』とヤマト王権の成立」 ●弥生文化博物館 「めおと de 考古学 2014」第1回 日時:2014年11月22日(土)14時~15時30分 会場:弥生文化博物館1階ホール 内容:寺前直人氏・寺前めぐみ氏「弥生時代のマツリ」 ●企画展関連講演会 日時:2014年11月22日(土)14 00~ 会場:鈴鹿市考古博物館講堂 内容:永井邦仁氏「尾張国府と東海の古代の役所」 ●ヤマト王権はいかにして始まったか partⅡ 日時:2014年11月22日(土)10時~16時30分 会場:田原本青垣生涯学習センター 弥生の里ホール 備考:はがき受け付け先着順 資料代として500円必要 内容:石野博信氏「2・3世紀の長突円墳の胎動とヤマト」 藤田三郎氏「唐古・鍵遺跡 弥生から古墳へ」 松本洋明氏「オオヤマト古墳群の成立と展開」 秋山浩三氏「土器類の移動・交流からみた吉備と近畿」 シンポジウム「ヤマト王権はいかにして始まったか」 ●第4回 上野誠の吉野万葉塾 日時:2014年11月29日 13時~14時30分 会場:吉野町中央公民館 備考:60名(先着順、要予約)、費用500円 内容:上野誠氏「天平宝字二年の正月」 ●秋季特別展講演会 日時:2014年11月29日(土)13 30~ 会場:今城塚古代歴史館2階映像研修室 内容:森田克行氏「古代船への想い―『記紀』の記述と考古資料―」 ●考古学セミナー「オールネイティブでおとどけする 河内文化の魅力」第5回 日時:2014年11月29日(土)14 00 会場:大阪府立弥生文化博物館1階ホール 内容:佐久間貴士氏「発掘された村・町・城からみた河内の中世」 ●秋季特別展連続歴史講座「北摂の山城を発掘する」 日時:2014年11月29日(土)14 00~ 会場:高槻市教育会館3階第2研修室 内容:市本芳三氏「佐保栗栖山砦跡の発掘調査」 ●第60回文化財講演会 日時:2014年11月29日 会場:長岡京市中央公民館2階 内容:森下章司氏「鏡の世界」 ●講演会 日時:2014年11月30日(日)13 30~ 会場:大阪府立近つ飛鳥博物館地階ホール 内容:白石太一郎氏「邪馬台国連合から初期ヤマト政権へ」 【12月】 ●第33回中世土器研究会 日時:2014年12月6日(土)・7日(日) 会場:同志社大学良心館RY104教室 内容:日本中世土器研究会「東播系須恵器鉢の分類と変遷」 新田和央氏・森島康雄氏「京都出土の東播系須恵器」 佐藤亜聖氏・加藤梨津子氏「奈良出土の東播系須恵器」 續伸一郎氏「大阪出土の東播系須恵器」 白谷朋世氏・岡田健吾氏「兵庫県出土の東播系須恵器 」 田上勇一郎氏「博多出土の東播系須恵器 」 討論:東播系須恵器鉢をめぐる諸問題 ●「田原本町観光協会 記紀・万葉 歴史講座」 日時:2014年12月6日(土)14時~15時30分 会場:田原本町町民ホール 内容:塚口義信氏「「日本書紀」の謎を探る -正史の正式名称は何か?-」 ●関西近世考古学研究会第26回大会 中近世都市の堀状遺構について 日時:2014年12月6日(土)~7日(日) 会場:大手前大学さくら夙川キャンパスC棟C20教室 ●講演会&ミニシンポジウム 過去(むかし)と現在(いま)をつなぐ遺跡イラスト画の世界 日時:2014年12月7日(日)13 00~ 会場:大阪府立弥生文化博物館1階ホール ●考古学セミナー「オールネイティブでおとどけする 河内文化の魅力」第6回 日時:2014年12月13日(土)14 00 ~ 会場:大阪府立弥生文化博物館1階ホール 内容:杉原和雄氏「河内から世界遺産を! 文化遺産と考古学を楽しもう」 ●考古学セミナー「オールネイティブでおとどけする 河内文化の魅力」第6回 日時:2014年12月13日(土)14 00~ 会場:大阪府立弥生文化博物館1階ホール 内容:杉原和雄氏「河内から世界遺産を! 文化遺産と考古学を楽しもう」 ●ミニシンポジウム 東奈良遺跡の青銅器鋳造 日時:2014年12月13日(土) 会場:茨木市立文化財資料館/大阪府茨木市 ●寺院官衙シリーズ講演会 日時:2014年12月14日(日)14 00~ 会場:鈴鹿市考古博物館講堂 内容:福田典明氏「伊賀の国分寺」 ●国宝桜ヶ丘銅鐸・銅戈発見50周年記念シンポジウム 日時:2014年12月14日(日)10 00~ 会場:神戸市立王子動物園動物園ホール ●古代学研究会拡大例会・シンポジウム 集落動態からみた弥生時代から古墳時代への社会変化 日時:2014年12月20日(土)10 00~ 会場:大阪歴史博物館4F講堂 内容:若林邦彦氏「集落研究からみた弥生~古墳時代の社会変化」 櫻田小百合氏・杉本厚典氏・森本徹氏・市村慎太郎氏「河内地域」 杉山拓己氏・中野咲氏・福辻淳氏「大和地域」 柏田有香氏・古川匠氏・浅井猛宏氏「山城地域」 戸塚洋輔氏「近江地域」 田中元浩氏「紀伊地域」 シンポジウム (コーディネーター:森岡秀人、司会:三好玄、パネラー:基調報告者・事例報告者・誌上報告者) ●大阪歴史学会 考古部会 2014年12月例会 日時:2014年12月20日(土)19:00~ 内容:竹村亮仁氏「ゴーランド・コレクションと関連資料の比較・検討」 ●考古学・人類学からみた布と編みカゴ 日時:2014年12月20日(土)10時~17時 会場:立命館 大学衣笠キャンパス創思立命館 403 ・404 号教室 備考:事前申し込みが必要です。 内容:真邉彩氏「考古資料からみた縄文の編みカゴ」 東村純子氏「弥生の布を織る」 渡辺公三氏「布の人類学―中央アフリカ、クバ王国ラフィア染織を手掛かりに」 体験教室:道具を使わずに縄文の布を編もう (指導:尾関清子氏、指導補助:矢野健一氏)・立命館大学考古学・文化遺産専攻学生) ●歴史考古学研究会 日時:2014年12月21日(日)13時30分~16時30分 会場:帝塚山大学考古学研究所 内容:井内潔氏「桶巻軒平瓦の施紋技法」 ●歴史リレー講座「大和の古都はじめ」!第3回 日時:12月21日(日)13 30~15 30 会場:王寺町地域交流センター リーベルホール 備考:要申し込み 内容:西山厚氏「聖徳太子と観音菩薩」 ●博物館サポート会講演会 日時:2014年12月21日(日)14 00~ 会場:鈴鹿市考古博物館講堂 内容:衣斐弘行氏「鈴鹿の文化財について」
https://w.atwiki.jp/tock_t9710/pages/1336.html
日本の合成地名一覧(にほんのごうせいちめいいちらん)は、日本における合成地名を種別・地域別に列挙した一覧である。 複数の地域を総称するために数を表す言葉を用いた地名も合成地名の一種としてカテゴライズされることもある。例えば上野国と下野国の領域を総称した「両毛」、陸前国・陸中国・陸奥国にまたがる「三陸海岸」、6つの大字が分立してできた「六合村」(現・中之条町)などがある。 合併時にどちらの地名を用いるか論争になった際に妥協案として実施されたものが多く、いわゆる地名研究家などから「伝統的な地名の破壊につながる」という批判が多い(ただし両方の地名がそのまま残る連称に関しては批判は小さい。市町村合併を参照)。 なお、他の同名自治体との識別などで広域地名を付した地名については、言葉の成り立ちとしては連称による合成地名の一種といえないこともないが意味合いが異なることからここでは合成地名として扱わない。 地名の一部を組み合わせた合成地名 郡・自治体名に使用されている合成地名 北海道 北海道亀田郡七飯町(七重+飯田) 北海道斜里郡清里町(小清水村+斜里町 ※斜里町・小清水村から分立したことに由来) 北海道瀬棚郡今金町(今村氏+金森氏 ※開拓功労者の名前) 東北地方 青森県北津軽郡中泊町(中里町+小泊村) 青森県下北郡風間浦村(下風呂村+易国間村+蛇浦村) 岩手県気仙郡住田町(上有住村+下有住村+世田米町) 宮城県亘理郡山元町(山下村+坂元村) 秋田県山本郡藤里町(藤琴村+素波里) 秋田県山本郡八峰町(八森町+峰浜村) 秋田県大仙市(大曲市+仙北郡) 山形県西村山郡西川町(西山村+川土居村) 福島県岩瀬郡鏡石町(鏡田村+笠石村+久来石村) 福島県安達郡大玉村(大山村(大江村+椚山村)+玉井村) 福島県石川郡平田村(小平村+蓬田村) 福島県耶麻郡北塩原村(北山村+大塩村+檜原村) 福島県双葉郡(楢葉郡+標葉(しねは)郡 ※2つの「葉」) 福島県双葉郡大熊町(大野村(大川原村+野上村)+熊町村) 福島県相馬郡飯舘村(飯曽村(飯樋村+比曽村)+大舘村(大須村(大倉村+佐須村)+新舘村)) 関東地方 茨城県神栖市(神之池+息栖村) 茨城県小美玉市(小川町+美野里町+玉里村) 茨城県常総市(常陸国+下総国) 栃木県芳賀郡市貝町(市羽村(市塙村+赤羽村)+小貝村) 栃木県那須烏山市(南那須町+烏山町) 群馬県吾妻郡高山村(尻高村+中山村) 群馬県多野郡(多胡郡+緑野郡) 群馬県佐波郡(佐位郡+那波郡) 群馬県邑楽郡大泉町(大川村+小泉町) 埼玉県八潮市(八幡村+八条村+潮止村) 埼玉県日高市(日和田山+高麗村+高麗川村) 埼玉県入間郡毛呂山町(毛呂村+山根村) 埼玉県南埼玉郡宮代町(姫宮神社+身代神社) 千葉県山武郡(山辺郡+武射郡) 千葉県山武市(山辺郡+武射郡) 千葉県長生郡(長柄郡+上埴生郡) 千葉県長生郡睦沢町(土睦村+瑞沢村) 東京都墨田区(墨堤+隅田川) 東京都大田区(東京市大森区+蒲田区) 東京都中野区(中野町+野方町) 東京都清瀬市(清戸+柳瀬川) 東京都昭島市(昭和町+拝島村) 東京都国立市(国分寺駅+立川駅 ※国分寺駅と立川駅の中間に造られた国立駅が由来) 神奈川県足柄上郡中井町(中村+井ノ口村) 中部地方 新潟県岩船郡関川村(関谷村(関村+七箇谷村+九箇谷村)+女川村) 石川県羽咋郡宝達志水町(宝達山+志雄町+押水町) 石川県鳳珠郡(鳳至郡+珠洲郡) 山梨県西八代郡市川三郷町(市川大門町+三珠町+六郷町) 山梨県南都留郡忍野村(忍草村+内野村) 長野県上高井郡高山村(高井村+山田村) 長野県下伊那郡大鹿村(大河原村+鹿塩村) 長野県東御市(東部町+北御牧村) 長野県南佐久郡佐久穂町(佐久町+八千穂村(畑八村(畑村+八郡村)+千曲川+穂積村)) 長野県小県郡長和町(長門町(長久保新町+長窪古町+大門村)+和田村) 岐阜県(岐山+曲阜 ※瑞祥地名ともあり) 岐阜県岐阜市(岐山+曲阜) 岐阜県羽島郡(羽栗郡+中島郡) 岐阜県羽島市(羽栗郡+中島郡) 岐阜県加茂郡富加町(富田村+加治田村) 岐阜県海津市(海西郡+下石津郡) 静岡県駿東郡長泉町(長窪+小泉荘) 愛知県蒲郡市(蒲形村+西之郡村) 愛知県稲沢市(稲葉村+小沢村) 愛知県西春日井郡豊山町(豊場村+青山村) 愛知県丹羽郡大口町(太田村+小口村 ※「太」は4画で縁起が悪いため、「大」に置き換え) 愛知県高浜市(高取+吉浜) 愛知県知多郡武豊町(武雄神社+豊石神社) 近畿地方 三重県多気郡明和町(斎明村(斎宮村+明星村)+三和町) 三重県度会郡大紀町(大宮町(大内山川+宮川)+大内山村+紀勢町(紀伊国+伊勢国)) 滋賀県愛知郡愛荘町(愛知川町+秦荘町(秦川村+八木荘村)) 京都府久世郡久御山町(久世郡+御牧村+佐山村) 大阪府豊能郡(豊島郡+能勢郡) 兵庫県神崎郡神河町(神崎町+大河内町) 兵庫県美方郡(七美郡+二方郡) 兵庫県美方郡香美町(香住町+美方郡(七美郡+二方郡)) 奈良県山辺郡山添村(山辺郡+添上郡) 奈良県吉野郡野迫川村(野川村+迫村+川波村) 和歌山県海草郡(海部郡+名草郡) 和歌山県海草郡紀美野町(紀伊国+美里町+野上町) 中国地方 鳥取県岩美郡(岩井郡+法美郡+邑美郡) 鳥取県八頭郡(八上郡+八東郡+智頭郡) 鳥取県東伯郡北栄町(北条町+大栄町(大誠村+栄村)) 岡山県玉野市(玉地区+宇野町) 岡山県赤磐市(赤坂郡+磐梨郡) 岡山県都窪郡(都宇郡+窪屋郡) 岡山県浅口郡里庄町(里見村+新庄村) 岡山県真庭郡(真島郡+大庭郡) 岡山県真庭市(真島郡+大庭郡) 岡山県苫田郡鏡野町(香々美北村+香々美南村+芳野村+大野村 ※香々美→鏡) 岡山県加賀郡(加茂川町+賀陽町) 広島県広島市安佐南区(安佐郡(安北郡+佐東郡)の南部 ※方角地名も参照) 広島県広島市安佐北区(安佐郡(安北郡+佐東郡)の北部) 四国地方 徳島県名西郡神山町(神領村+上分上山村+下分上山村) 徳島県板野郡藍住町(藍園村+住吉村) 香川県三豊市(三野郡+豊田郡) 香川県木田郡(三木郡+山田郡) 愛媛県北宇和郡松野町(松丸町+吉野生村(吉野村+奥野川村+蕨生村)) 高知県長岡郡大豊町(大杉村+東豊永村+西豊永村) 高知県幡多郡大月町(大内町+月灘村) 九州・沖縄地方 福岡県行橋市(行事村+大橋村) 福岡県糟屋郡久山町(久原村+山田村) 福岡県遠賀郡岡垣町(岡県村+垣崎荘) 福岡県嘉穂郡(嘉麻郡+穂波郡) 福岡県田川郡大任町(大行事村+今任原村(今任村+桑原村)) 福岡県築上郡(築城郡+上毛郡) 福岡県三潴郡大木町(大溝村(大角村+横溝村)+大莞村+木佐木村) 福岡県福津市(福間町+津屋崎町) 福岡県宮若市(宮田町+若宮町) 福岡県みやま市(三池郡+山門郡) 佐賀県三養基郡(三根郡+養父郡+基肄郡) 熊本県鹿本郡(山鹿郡+山本郡) 熊本県玉名郡和水町(三加和町(緑村+神尾村+春富村)+菊水町) 熊本県阿蘇郡西原村(山西村+河原村) 熊本県上益城郡嘉島町(六嘉村+大島村(大川村+上島村)) 熊本県球磨郡山江村(山田村+万江村) 熊本県球磨郡錦町(西村+一武村+木上村 ※かな表記時の頭文字を合成、「にいき」→「にしき」に変更) 熊本県宇城市(宇土郡+下益城郡) 宮崎県児湯郡新富町(新田村+富田村) 宮崎県児湯郡木城町(椎木村+高城村) そのほかの主な合成地名 ※ここで挙げる以外にも多数存在 北海道 北海道帯広市幸福町(幸震(さちない→こうしん)+福井県 ※福井県からこの地に集団入植が行われたため) 北海道沙流郡日高町三岩(三菜頃+岩内) 東北地方 青森県青森市石江(石神+江渡) 秋田県湯沢市秋の宮(秋田県+宮城県 ※両県境に接する所にあることから) 宮城県仙台市宮城野区福田町(福室+田子) 関東地方 埼玉県川越市川鶴(川越+鶴ヶ島) 埼玉県比企郡吉見町江和井(江川新田+大和屋新田+荒井新田) 千葉県船橋市行田・行田町(行徳+田尻) 千葉県松戸市三矢小台(上矢切+中矢切+下矢切+小山) 千葉県松戸市六高台(六実+高柳) 千葉県柏市逆井藤ノ台(逆井+藤心) 千葉県市原市ちはら台西ほか(千葉(ちば)+市原(いちはら)、開発区域が両市にまたがったことから) 東京都千代田区紀尾井町(紀州徳川家+尾張徳川家+井伊家) 東京都新宿区大京町(大番町+右京町) 東京都新宿区本塩町(本村町+塩町) 東京都文京区千石(千川上水+小石川) 東京都文京区本駒込(本郷+駒込) 東京都台東区松が谷(北松山町・松葉町+入谷町) 東京都江東区千石(千田+石島) 東京都江東区塩浜(深川塩崎町+深川浜園町) 東京都世田谷区代沢(代田+北沢) 東京都世田谷区駒沢(上馬引沢村+下馬引沢村+野沢村+深沢村) 東京都杉並区井荻(井草+荻窪) 東京都杉並区成田東・成田西(成宗)+東田町(東田端)・西田町(西田端)) 東京都北区堀船(堀之内+船方) 東京都板橋区小茂根(小山+茂呂+根ノ上) 東京都板橋区蓮根(上蓮沼+根葉) 東京都練馬区早宮((小字)早淵+(小字)宮前) 東京都足立区保塚町(保木間+竹ノ塚) 東京都足立区梅島(梅田+島根) 東京都江戸川区松江(西小松川村+東小松川村+西一ノ江村) 東京都江戸川区瑞江・東瑞江・西瑞江(瑞穂村+一之江村) 神奈川県川崎市川崎区浅田(浅間前+下新田) 神奈川県相模原市南区麻溝台(当麻+下溝) 神奈川県相模原市南区相武台(相模国+武蔵国) 神奈川県座間市相武台(相模国+武蔵国) 「相武台」はこの地に移転した陸軍士官学校に対して昭和天皇から与えられた呼称であるが、これについて当時の陸軍大臣杉山元による解説によれば「武を相(み)る高台」というものであり、必ずしも合成地名ではない。ただし「相模国」と「武蔵国」にまたがる地域について「相武」または「武相」と表現する例は多数存在する。 中部地方 長野県駒ヶ根市赤穂(赤須+上穂) 長野県木曽郡南木曽町読書(与川(よがわ)村+三留野(みどの)村+柿其(かきぞれ)村) 愛知県名古屋市中川区小本(小塚+本郷) 近畿地方 三重県亀山市安坂山町(安楽+坂本+池山) 三重県亀山市井田川町(井尻+和田+小田+西富田+中富田+川合) 三重県亀山市両尾町(平尾+原尾 ※2つの「尾」) 三重県亀山市太森町(太田+岩森) 滋賀県甲賀市水口町貴生川(内貴+北内貴+虫生野+宇川) 京都府綾部市五泉町(市之瀬+市志+辻+水梨 ※かな表記時の頭文字を合成) 京都府綾部市老富町(大唐内+市茅野+栃+光野 ※かな表記時の頭文字を合成) 京都府綾部市故屋岡町(古和木+八代+小中+川原 ※かな表記時の頭文字を合成) 京都府城陽市久津川駅(久世+上津屋+平川) 京都府京田辺市宮津(宮ノ口+江津) 京都府京田辺市三山木(南山+山本+山崎+高木 ※3つの「山」) 京都府京丹後市網野町島津(島溝川+三津+掛津) 京都府南丹市日吉町保野田(久保+上野+家田) 兵庫県赤穂市鷆和(眞木+鳥撫 ※眞+鳥=鷆) 奈良県生駒郡平群町吉新(吉田+新家) 奈良県宇陀市榛原篠楽(篠野+極楽寺) 中国地方 鳥取県鳥取市岩吉(岩室+吉山) 鳥取県鳥取市青谷町奥崎(奥谷+山崎) 鳥取県鳥取市青谷町善田(善積+小平田) 鳥取県鳥取市河原町高福(高津原+福和田) 鳥取県鳥取市河原町本鹿(本角+鹿野) 鳥取県鳥取市鹿野町岡木(岡井+木梨) 鳥取県鳥取市大桷(大満+桷間) 鳥取県米子市浦津(浦木+津末) 鳥取県米子市古豊千(古川+上豊田+下豊田+東千太) 鳥取県米子市高島(高田+島田) 鳥取県米子市両三柳(三柳+下三柳 ※2つの「三柳」) 鳥取県倉吉市福守町(福岡+守護分) 鳥取県八頭郡八頭町隼福(隼+福井) 鳥取県東伯郡湯梨浜町北福(北方+福永) 鳥取県東伯郡琴浦町古長(古布地+長房) 鳥取県東伯郡琴浦町別宮(別所+宮脇) 鳥取県東伯郡琴浦町宮場(宮内+馬場) 鳥取県東伯郡北栄町大島(大栄町(大誠村+栄村)+島 ※旧・大栄町島) 鳥取県西伯郡南部町市山(市場+山根) 鳥取県西伯郡南部町田住(石田+住吉) 鳥取県西伯郡南部町八金(八子+金崎) 鳥取県西伯郡伯耆町大殿(大寺+殿河内) 鳥取県西伯郡伯耆町清原(清山+原) 鳥取県西伯郡伯耆町坂長(坂中+長者原) 鳥取県日野郡江府町美用(栗尾+無用 ※尾→美) 島根県松江市荘成町(荘+成相寺) 島根県浜田市大金町(大津+姉金) 島根県浜田市弥栄町高内(日高+西河内) 島根県出雲市荒茅町(荒木+古荒木+茅原) 島根県出雲市荻杼町(荻原+杼島) 島根県出雲市上島町(上ノ郷+中島) 島根県出雲市下横町(下荘+横引) 島根県出雲市斐川町神氷(神守+氷室) 島根県出雲市斐川町鳥井(鳥屋+井上) 島根県出雲市斐川町名島(別名+北島) 島根県出雲市斐川町原鹿(中原+上鹿塚) 島根県益田市匹見町石谷(内石+内谷) 島根県大田市朝山町(朝倉+仙山) 島根県大田市大代町(大家+八代) 島根県安来市黒井田町(黒鳥+細井+和田) 島根県安来市広瀬町菅原(菅沢+下田原) 島根県江津市金田町(千金+田野) 島根県江津市川平町(南川上++平田(平床+田原)) 島根県雲南市大東町金成(金坂+成木) 島根県雲南市大東町篠淵(篠谷+箱淵) 島根県雲南市大東町中湯石(中屋+湯+飛石) 島根県雲南市三刀屋町乙加宮(乙多田+加倉田+掛合宮内) 島根県仁多郡奥出雲町稲原(稲田+原口) 島根県鹿足郡津和野町耕田(麓耕+和田) 島根県鹿足郡津和野町中曽野(中組+木曽野+小野) 島根県鹿足郡津和野町長福(長野+福谷) 島根県鹿足郡津和野町山下(小山+下組) 島根県鹿足郡吉賀町柿木村白谷(白須山+大井谷) 島根県鹿足郡吉賀町抜月(抜舞+月和田) 岡山県岡山市北区奥田(奥内+田住) 岡山県岡山市北区田益(田中+益井) 岡山県岡山市北区畑鮎(畑+鮎帰) 岡山県岡山市中区海吉(海面+福吉) 岡山県岡山市南区福浜町(福富+福島+福成+福田+浜野) 岡山県倉敷市上東(上庄+東庄) 岡山県玉野市八浜町見石(宇多見+碁石) 岡山県高梁市津川町(今津+八川) 岡山県高梁市松原町(松岡+神原) 岡山県総社市新本(新庄+本庄) 岡山県赤磐市光木(来光寺+塩木) 岡山県美作市粟野(粟原+野時) 岡山県美作市東青野(東粟倉村+青野 ※旧・東粟倉村青野) 岡山県美作市東吉田(東粟倉村+吉田 ※旧・東粟倉村吉田) 岡山県美作市平福(平野+下福原) 岡山県美作市真神(真木山+神田) 岡山県和気郡和気町宇生(宇屋+土生) 岡山県和気郡和気町加三方(壁+三宅+大方 ※壁→加部) 岡山県和気郡和気町田賀(田尻+加賀知田) 岡山県和気郡和気町父井原(父井+小原) 岡山県加賀郡吉備中央町納地(室納+舞地) 広島県広島市西区古田台(古江+山田) 広島県広島市安佐北区口田(矢口+小田) 広島県広島市佐伯区五日市町中地(中須賀+寺地) 広島県尾道市原田町(小原+梶山田) 広島県福山市金江町(金見+藁江) 広島県府中市河佐町(河面+久佐) 広島県三次市三和町上壱(上野山+壱歩) 広島県庄原市峰田町(峰+春田) 広島県大竹市栗谷町(大栗林+小栗林+奥谷尻+谷和) 広島県東広島市西条町郷曽(吉郷+小比曽大河内) 四国地方 九州・沖縄地方 福岡県北九州市小倉北区砂津(砂原+中津口) 福岡県北九州市小倉北区三萩野(三郎丸+萩崎+片野) 福岡県北九州市小倉南区志徳(志井+徳力) 福岡県北九州市小倉南区長行(長尾+能行) 福岡県北九州市小倉南区徳吉(徳光+吉兼) 長崎県島原市有明町大三東(大野+三之沢+東空閑) 宮崎県宮崎市波島(阿波岐原+大島) 鹿児島県薩摩川内市湯島町(湯浦+平島) かつて自治体名として使用されていた合成地名 北海道 北海道石狩郡花川村(花畔村+樽川村 ※現石狩市) 東北地方 青森県南津軽郡大杉村(大釈迦村+杉沢村 ※現青森市) 青森県南津軽郡野沢村(吉野田村+樽沢村 ※現青森市、藤崎町) 青森県南津軽郡富木舘村(富柳村+水木村+久井名館村+福館村 ※現藤崎町) 青森県南津軽郡金田村(金屋村+南田中村 ※現平川市) 青森県南津軽郡竹館村(唐竹村+沖館村+新館村 ※現平川市) 青森県上北郡天間林村(天間舘村+榎林村 ※現七戸町) 青森県上北郡浦野舘村(大浦村+上野村+新舘村 ※現東北町) 青森県上北郡法奥沢村(法量村+奥瀬村+沢田村 ※現十和田市) 青森県上北郡大深内村(大沢田村+深持村+洞内村 ※現十和田市) 青森県上北郡藤坂村(藤島村+相坂村 ※現十和田市) 青森県三戸郡豊崎村(豊間内村+七崎村 ※現八戸市、五戸町) 青森県三戸郡名川町(名久井村+北川村 ※現南部町) 青森県三戸郡福地村(福田村+苫米地村 ※現南部町) 青森県三戸郡斗川村(斗内村+豊川村 ※現三戸町) 青森県三戸郡浅田村(浅水村+扇田村 ※現五戸町) 岩手県岩手郡西山村(西根村+長山村 ※現雫石町) 岩手県岩手郡安代町(安比川+米代川 ※旧二戸郡、現八幡平市) 岩手県胆沢郡佐倉河村(宇佐村+満倉村+下河原村 ※現奥州市) 岩手県胆沢郡南都田村(南下葉場村+都鳥村+東田村の一部 ※現奥州市) 岩手県西磐井郡油島村(油田村+蝦島村 ※現一関市) 岩手県西磐井郡真滝村(真柴村+滝沢村 ※現一関市) 岩手県東磐井郡大津保村(大籠村+津谷川村+保呂羽村 ※現一関市) 岩手県東磐井郡生母村(赤生津村+母体村 ※現奥州市) 岩手県東磐井郡長島村(長部村+小島村 ※現西磐井郡平泉町) 岩手県上閉伊郡栗橋村(栗林村+橋野村 ※現釜石市) 岩手県二戸郡荒沢村(荒屋村+浅沢村 ※現八幡平市) 岩手県二戸郡田部村(田野村+冬部村 ※現岩手郡葛巻町) 宮城県刈田郡大鷹沢村(大町村+鷹巣村の一部+三沢村 ※現白石市) 宮城県伊具郡大張村(大蔵村+川張村 ※現丸森町) 宮城県伊具郡藤尾村(藤田村+尾山村 ※現角田市) 宮城県宮城郡大沢村(大倉村+芋沢村 ※現仙台市青葉区) 宮城県栗原郡藤里町(藤沢村+大里村 ※現栗原市) 宮城県栗原郡玉沢村(玉荻村+八沢村 ※現栗原市) 宮城県桃生郡大塩村(深谷村大窪+深谷村塩入 ※現東松島市) 宮城県本吉郡津山町(柳津町+横山村 ※現登米市) 秋田県鹿角郡宮川村(宮麓村+長谷川村 ※現鹿角市) 秋田県鹿角郡柴平村(柴内村+平元村 ※現鹿角市) 秋田県北秋田郡山瀬村(山田村+岩瀬村 ※現大館市) 秋田県北秋田郡花矢町(花岡町+矢立村 ※現大館市) 秋田県山本郡二ツ井町(比井野村+薄井村 ※2つの「井」、現能代市) 秋田県山本郡種梅村(種村+梅内村 ※現能代市) 秋田県山本郡扇淵村(扇田村+鰔淵村 ※現能代市) 秋田県山本郡塙川村(塙村+石川村 ※現八峰町、能代市) 秋田県山本郡沢目村(水沢村+目名潟村 ※現八峰町) 秋田県山本郡浜口村(浜田村+大口村 ※現三種町) 秋田県南秋田郡飯田川町(飯塚村+和田妹川村+下虻川村 ※現潟上市) 秋田県南秋田郡若美町(渡部(わたなべ)+角間崎(かくまざき)+宮沢(みやざわ) ※現男鹿市) 秋田県南秋田郡富津内村(富田村+中津又村+下山内村 ※現五城目町) 秋田県南秋田郡広山田村(広面村+楢山村+柳田村 ※現秋田市) 秋田県河辺郡豊岩村(豊巻村+小山村+石田坂村 ※現秋田市) 秋田県河辺郡種平村(種沢村+平尾鳥村 ※現秋田市) 秋田県河辺郡戸米川村(戸賀沢村+女米木村+相川村 ※現秋田市) 秋田県仙北郡神岡町(神宮寺村+北楢岡村 ※現大仙市) 秋田県仙北郡南外村(南楢岡村+外小友村 ※現大仙市) 秋田県仙北郡大川西根村(大曲西根村+蛭川村 ※現大仙市) 秋田県仙北郡豊川村(豊受村+田川村+長谷川村 ※現大仙市) 秋田県仙北郡千畑町(千屋村+畑屋村 ※現大仙市) 秋田県仙北郡西木村(西明寺村+檜木内村 ※現仙北市) 秋田県平鹿郡里見村(東里村+樽見内村 ※現横手市) 秋田県平鹿郡大雄村(大戸川+雄物川 ※現横手市) 秋田県雄勝郡稲川町(稲庭町+川連町 ※現湯沢市) 秋田県雄勝郡三関村(関口村+上関村+下関村 ※3つの「関」、現湯沢市) 山形県南村山郡南沼原村(南館村+沼木村+吉原村 ※現山形市) 山形県南村山郡宮生村(宮脇村+金生村+上生居村+中生居村+下生居村 ※現上山市) 山形県東村山郡津山村(貫津村+山元村 ※現天童市) 山形県東村山郡作谷沢村(北作村+畑谷村+簗沢村 ※現山辺町) 山形県南置賜郡塩井村(塩野村+宮井村 ※現米沢市) 山形県東置賜郡吉島村(吉田村+洲島村+尾長島村 ※現川西町) 山形県西置賜郡平野村(平山村+九野本村 ※現長井市) 山形県東田川郡八栄島村(八色木村+豊栄村+小中島村 ※現鶴岡市) 山形県東田川郡立川町(立谷沢村+狩川町+清川村 ※現庄内町) 山形県飽海郡上田村(上野曽根村+鶴田村+吉田村+吉田新田村+安田村 ※現酒田市) 山形県飽海郡稲川村(稲田村+川行村 ※現遊佐町) 福島県常磐市(常陸国+磐城国 ※現いわき市。もちろん茨城県に市域があったわけではなく常磐炭田から。) 福島県伊達郡森江野村(森山村+徳江村+塚野目村 ※現国見町) 福島県伊達郡長岡村(長倉村+岡村 ※現伊達市) 福島県伊達郡大田村(大泉村+大立目村+金原田村+二井田村 ※現伊達市) 福島県伊達郡柱沢村(柱田村+所沢村 ※現伊達市) 福島県伊達郡富成村(富沢村+高成田村 ※現伊達市) 福島県伊達郡石戸村(石田村+山戸田村 ※現伊達市) 福島県伊達郡小手村(小島村+下手渡村+上手渡村 ※現伊達市、川俣町) 福島県伊達郡立木村(立子山村+青木村 ※現福島市) 福島県信夫郡浜辺村(腰浜村+五十辺村 ※現福島市) 福島県信夫郡岡山村(岡部村+岡島村+山口村 ※現福島市) 福島県信夫郡平野村(平塚村+入江野村+井佐野村 ※現福島市) 福島県信夫郡庭塚村(在庭坂村+二子塚村 ※現福島市) 福島県信夫郡野田村(上野寺村+下野寺村+笹木野村+八島田村 ※現福島市) 福島県信夫郡佐倉村(南佐原村+上名倉村 ※現福島市) 福島県信夫郡吉井田村(吉倉村+仁井田村+方木田村+八木田村 ※現福島市) 福島県信夫郡平田村(平石村+小田村+山田村 ※現福島市) 福島県信夫郡金谷川村(金沢村+関谷村+浅川村 ※現福島市) 福島県安達郡石井村(平石村+鈴石村+西荒井村 ※現二本松市) 福島県安達郡和木沢村(和田村+高木村+糠沢村) ※現本宮市) 福島県安達郡白沢村(白岩村+和木沢村(和田村+高木村+糠沢村)の一部 ※現本宮市。合併により旧来の地区表示になり白沢の名は消えた。) 福島県安達郡大山村(大江村+椚山村 ※現大玉村) 福島県安達郡高川村(高玉村+玉川村 ※現郡山市) 福島県岩瀬郡浜田村(浜尾村+和田村+前田川村 ※現須賀川市) 福島県岩瀬郡西袋村(西川村+袋田村 ※現須賀川市) 福島県岩瀬郡稲田村(稲村+泉田村 ※現須賀川市) 福島県南会津郡江川村(長江村+二川村 ※現下郷町) 福島県南会津郡大川村(大桃村+大原村+内川村 ※現南会津町) 福島県南会津郡小梁村(小林村+梁取村 ※現只見町) 福島県耶麻郡松山村(村松村+鳥見山村 ※現喜多方市) 福島県耶麻郡小川村(一川村+小舟寺村 ※現喜多方市) 福島県耶麻郡高郷村(高寺村+山郷村+新郷村 ※現喜多方市) 福島県河沼郡倉戸村(猪倉野村+郷戸村 ※現柳津町) 福島県大沼郡藤川村(藤家舘村+富川村 ※現会津美里町) 福島県大沼郡赤沢村(赤留村+八木沢村 ※現会津美里町) 福島県大沼郡新田村(新屋敷村+立石田村+和田目村+沼田村 ※現会津美里町) 福島県大沼郡新鶴村(新田村(新屋敷村+立石田村+和田目村+沼田村)+鶴野辺村 ※現会津美里町) 福島県大沼郡氷玉岡村(氷玉村+福重岡村 ※現会津美里町) 福島県大沼郡玉路村(氷玉岡村(氷玉村+福重岡村)+川路村 ※現会津美里町) 福島県大沼郡原谷村(檜原村+滝谷村 ※現三島町) 福島県大沼郡大滝村(大塩村+滝沢村 ※現金山町) 福島県西白河郡大沼村(大村+大和田村+本沼村 ※現白河市) 福島県西白河郡大屋村(大里村+下小屋村 ※現白河市) 福島県西白河郡大信村(大屋村(大里村+下小屋村)+信夫村 ※現白河市) 福島県西白河郡川崎村(太田川村+泉崎村 ※現泉崎村) 福島県西白河郡吉子川村(吉岡村+二子塚村+川原田村 ※現中島村) 福島県東白川郡山岡村(山田村+岡田村 ※現棚倉町) 福島県石城郡川部村(小川村+沼部村 ※現いわき市) 福島県石城郡田人村(黒田村+旅人村 ※現いわき市) 福島県石城郡永戸村(上永井村+下永井村+合戸村+渡戸村 ※現いわき市) 福島県石川郡大森田村(大栗村+狸森村+雨田村 ※現須賀川市) 福島県石川郡大東村(大森田村(大栗村+狸森村+雨田村)+川東村 ※現須賀川市) 福島県石川郡小塩江村(小倉村+塩田村+江持村 ※現須賀川市) 福島県双葉郡大野村(大川原村+野上村 ※現大熊町) 福島県相馬郡大須村(大倉村+佐須村 ※現飯舘村) 福島県相馬郡大舘村(大須村(大倉村+佐須村)+新舘村 ※現飯舘村) 福島県相馬郡飯曽村(飯樋村+比曽村 ※現飯舘村) 関東地方 茨城県勝田市(勝倉村+武田村+三反田村 ※現ひたちなか市) 茨城県東茨城郡沢山村(上阿野沢村+下阿野沢村+阿波山村 ※現城里町) 茨城県西茨城郡大池田村(大橋村+池野辺村+福田村+飯田村 ※現笠間市) 茨城県那珂郡柳河村(青柳村+上河内村+中河内村+下河内村 ※現水戸市) 茨城県那珂郡国田村(上国井村+下国井村+田谷村 ※現水戸市、那珂市) 茨城県那珂郡前渡村(前浜村+馬渡村 ※現ひたちなか市) 茨城県那珂郡中野村(中根村+部田野村 ※現ひたちなか市) 茨城県那珂郡勝田村(勝倉村+武田村+三反田村 ※現ひたちなか市) 茨城県那珂郡川田村(枝川村+津田村 ※現ひたちなか市) 茨城県那珂郡佐野村(佐和村+高野村 ※現ひたちなか市) 茨城県那珂郡塩田村(西塩子村+北塩子村+照田村+長田村 ※現常陸大宮市) 茨城県久慈郡金砂郷町(金砂村+金郷村 ※現常陸太田市) 茨城県久慈郡染和田村(西染村+中染村+東染村+和久村+町田村 ※現常陸太田市) 茨城県久慈郡里美村(小里村+賀美村 ※現常陸太田市) 茨城県久慈郡諸富野村(諸沢村+北富田村+西野内村 ※現常陸大宮市、大子町) 茨城県久慈郡宮川村(下野宮村+川山村 ※現大子町) 茨城県鹿島郡大野村(大同村+中野村 ※現鹿嶋市) 茨城県稲敷郡大宮村(大徳村+宮渕村 ※現龍ケ崎市) 茨城県稲敷郡長戸村(長峰村+塗戸村 ※現龍ケ崎市) 茨城県稲敷郡八原村(八代村+羽原村+貝原塚村 ※現龍ケ崎市) 茨城県稲敷郡馴柴村(馴馬村+若柴村 ※現龍ケ崎市) 茨城県稲敷郡伊崎村(伊佐部村+阿波崎村 ※現稲敷市) 茨城県稲敷郡君賀村(上君山村+下君山村+羽賀村 ※現稲敷市) 茨城県稲敷郡沼里村(沼田村+月出里村 ※現稲敷市) 茨城県稲敷郡君原村(君島村+追原村 ※現阿見町) 茨城県稲敷郡舟島村(船子村+島津村 ※船→舟、現阿見町、美浦村) 茨城県稲敷郡岡田村(岡見村+柏田村+上太田村 ※現牛久市) 茨城県稲敷郡奥野村(奥原村+久野村 ※現牛久市) 茨城県稲敷郡茎崎町(小茎村+高崎村+上岩崎村+下岩崎村 ※現つくば市) 茨城県新治郡桜村(栄村+九重村+栗原村 ※かな表記での頭文字・別読みの頭文字・末尾を合成 ※現つくば市) 茨城県結城郡大花羽村(大輪村+花島村+羽生村 ※現常総市) 茨城県結城郡三妻村(三坂村+中妻村 ※現常総市) 茨城県猿島郡長田村(長井戸村+西泉田村 ※現境町) 茨城県猿島郡生子菅村(生子村+生子新田+菅谷村 ※現坂東市) 茨城県猿島郡弓馬田村(弓田村+馬立村+幸田村 ※現坂東市) 茨城県猿島郡神大実村(神田山村+大口村+猫実村 ※現坂東市) 茨城県北相馬郡長崎村(鬼長村+川崎村 ※現つくばみらい市) 茨城県北相馬郡大井沢村(大木村+大山村+板戸井村+立沢村 ※現守谷市) 茨城県北相馬郡大野村(大柏村+野木崎村 ※現守谷市) 茨城県北相馬郡稲戸井村(稲村+戸頭村+野々井村+米ノ井村 ※現取手市) 茨城県北相馬郡寺原村(寺田村+桑原村 ※現取手市) 栃木県河内郡横川村(東横田村+上横田村+東川田村 ※現宇都宮市) 栃木県河内郡平石村(上平出村+下平出村+石井村 ※現宇都宮市) 栃木県上都賀郡板来村(板荷村+小来川村 ※現鹿沼市、日光市) 栃木県芳賀郡市羽村(市塙村+赤羽村 ※現市貝町) 栃木県下都賀郡富山村(富田村+西山田村 ※現栃木市) 栃木県下都賀郡静和村(静戸村+三和村+和泉村 ※現岩舟町) 群馬県群馬郡倉田村(三ノ倉村+権田村 ※現高崎市) 群馬県群馬郡倉渕村(倉田村+烏淵村 ※現高崎市) 群馬県群馬郡箕郷町(箕輪町+車郷村 ※現高崎市) 群馬県北群馬郡金島村(金井村+祖母島村+川島村 ※現渋川市) 群馬県北群馬郡白郷井村(上白井村+中郷村 ※現渋川市) 群馬県北群馬郡小野上村(小野子村+村上村 ※現渋川市) 群馬県北甘楽郡坂牧村(上小坂村+中小坂村+下小坂村+東野牧村 ※現下仁田町) 群馬県甘楽郡岩平村(岩崎村+上奥平村+下奥平村 ※現高崎市) 群馬県甘楽郡尾沢村(星尾村+羽沢村+砥沢村 ※現南牧村) 群馬県吾妻郡岩島村(岩下村+三島村 ※現東吾妻町) 群馬県吾妻郡沢田村(上沢渡村+下沢渡村+折田村+山田村 ※現中之条町) 群馬県利根郡糸之瀬村(糸井村+貝之瀬村 ※現昭和村) 群馬県邑楽郡郷谷村(新当郷村+当郷村の一部+田谷村+四ツ谷村 ※現館林市) 群馬県邑楽郡赤羽村(赤生田村+羽附村 ※現館林市) 群馬県邑楽郡三野谷村(上三林村+下三林村+野辺村+入ヶ谷村 ※現館林市) 群馬県邑楽郡大箇野村(大高島村+下五箇村+飯野村 ※現板倉町) 群馬県邑楽郡千江田村(千津井村+江口村+江黒村+田島村+斗合田村 ※現明和町) 群馬県邑楽郡梅島村(梅原村+南大島村 ※現明和町) 埼玉県北足立郡宮原村(加茂宮村+吉野原村 ※現さいたま市北区) 埼玉県北足立郡大砂土村(大和田村+砂村+土呂村 ※現さいたま市北区、見沼区) 埼玉県北足立郡谷田村(大谷場村+太田窪村 ※現さいたま市南区、緑区) 埼玉県北足立郡尾間木村(中尾村+大間木村 ※現さいたま市緑区) 埼玉県北足立郡馬宮村(西遊馬村+二ツ宮村 ※さいたま市西区) 埼玉県北足立郡植水村(植田谷本村+水判土村 ※さいたま市西区) 埼玉県北足立郡美谷本村(美女木村+内谷村+曲本村+松本新田 ※現戸田市、さいたま市南区) 埼玉県北足立郡美笹村(美谷本村+笹目村 ※現戸田市、さいたま市南区) 埼玉県北足立郡神根村(石神村+安行領根岸村 ※現川口市) 埼玉県北足立郡上平村(上村+平塚村 ※現上尾市) 埼玉県北足立郡大石村(大谷領+石戸領 ※現上尾市、桶川市) 埼玉県北足立郡田間宮村(糠田村+大間村+宮前村 ※現鴻巣市) 埼玉県北足立郡水谷村(水子村+針ヶ谷村 ※旧入間郡、現富士見市) 埼玉県新座郡榑橋村(小榑村+橋戸村 ※現東京都練馬区) 埼玉県入間郡福原村(今福村+中福村+上松原村+下松原村 ※現川越市) 埼玉県入間郡大東村(大田村+日東村 ※現川越市) 埼玉県入間郡鶴瀬村(鶴馬村+勝瀬村 ※現富士見市) 埼玉県入間郡松井村(上安松村+下安松村+下新井村 ※現所沢市) 埼玉県入間郡富岡村(中富村+下富村+北岩岡村 ※現所沢市) 埼玉県比企郡八ツ保村(上八ツ林村+下八ツ林村+三保谷宿 ※現川島町) 埼玉県比企郡大岡村(大谷村+岡村 ※現東松山市) 埼玉県秩父郡原谷村(大野原村+黒谷村 ※現秩父市) 埼玉県秩父郡尾田蒔村(寺尾村+田村郷+蒔田村 ※現秩父市) 埼玉県秩父郡白川村(白久村+贄川村 ※現秩父市) 埼玉県秩父郡長若村(長留村+般若村 ※現小鹿野町) 埼玉県秩父郡倉尾村(藤倉村+日尾村 ※現小鹿野町) 埼玉県秩父郡三田川村(三山村+飯田村+河原沢村 ※河→川、現小鹿野町) 埼玉県秩父郡大椚村(大野村+椚平村 ※現比企郡ときがわ町) 埼玉県児玉郡秋平村(秋山村+小平村 ※現本庄市) 埼玉県児玉郡神泉村(神山村+若泉村 ※現神川町) 埼玉県児玉郡神保原村(石神村+忍保村+八町河原村 ※現上里町) 埼玉県大里郡大幡村(大里郡+幡羅郡 ※現熊谷市) 埼玉県大里郡吉岡村(万吉村+村岡村 ※現熊谷市) 埼玉県大里郡小原村(小江川村+野原村 ※現熊谷市) 埼玉県大里郡本畠村(本田村+畠山村 ※現深谷市) 埼玉県大里郡川本町(武川村+本畠村 ※現深谷市) 埼玉県北埼玉郡井泉村(藤井村上組+藤井村下組+今泉村 ※現羽生市) 埼玉県北埼玉郡原道村(砂原村+道目村 現加須市) 埼玉県南埼玉郡川柳村(柿木(かきのき)村+伊原(いはら)村+青柳(あおやぎ)村 +麦塚(むぎづか)村の合成が変化 ※現草加市、越谷市) 埼玉県南埼玉郡大袋村(大竹村+大道村+大林村+大房村+袋山村 ※現越谷市) 埼玉県南埼玉郡大山村(上大崎村+下大崎村+柴山村 ※現白岡市、久喜市) 埼玉県北葛飾郡吉田村(下吉羽村+上宇和田村+下宇和田村 ※現幸手市) 埼玉県北葛飾郡堤郷村(堤根村+本郷村 ※現杉戸町) 千葉県東葛飾郡大柏村(大野村+柏井村 ※現市川市) 千葉県東葛飾郡塚田村(前貝塚村+後貝塚村+行田村 ※現船橋市) 千葉県千葉郡生浜町(南生実村+北生実村+浜野村 ※現千葉市緑区・中央区) 千葉県千葉郡津田沼町(谷津村+久々田村+鷺沼村 ※現習志野市) 千葉県印旛郡本埜村(本郷村+埜原村 ※現印西市) 千葉県香取郡大栄町(大須賀村+昭栄村 ※現成田市) 千葉県匝瑳郡野栄町(野田村+栄村 ※現匝瑳市) 千葉県市原郡市津町(市東村+湿津村 ※現市原市) 東京府荏原郡碑衾町(碑文谷村+衾村 ※現目黒区) 東京府荏原郡入新井町(不入斗+新井宿村 ※現大田区) 東京府荏原郡松沢村(松原村+上北沢村 ※現世田谷区) 東京府荏原郡駒沢町(上馬引沢村+下馬引沢村+野沢村+深沢村 ※現世田谷区) 東京府豊多摩郡(南豊島郡+東多摩郡 ※現新宿区、渋谷区、中野区、杉並区) 東京府豊多摩郡代々幡町(代々木村+幡ヶ谷村 ※現渋谷区) 東京府豊多摩郡和田堀内村→和田堀町(和田村+堀ノ内村 ※現杉並区) 東京府豊多摩郡井荻町(上井草村+下井草村+上荻窪村+下荻窪村 ※現杉並区) 東京府南足立郡梅島町(梅田村+島根村 ※現足立区) 東京府南葛飾郡亀青村(亀有村+青戸村 ※現葛飾区) 東京府南葛飾郡松江町(西小松川村+東小松川村+西一ノ江村 ※現江戸川区) 東京府南葛飾郡瑞江村(瑞穂村+一之江村 ※現江戸川区) 東京府南葛飾郡鹿本村(鹿骨村+松本村 ※現江戸川区) 神奈川県橘樹郡生見尾村(生麦村+鶴見村+寺尾村 ※現横浜市鶴見区) 神奈川県橘樹郡大綱村(大豆戸村+大曽根村+南綱島村+北綱島村 ※現横浜市港北区) 神奈川県橘樹郡田島町(渡田村+下新田村+小田村+田辺新田+大島村+中島村 ※現川崎市川崎区) 神奈川県橘樹郡生田村(上菅生+五反田 ※現川崎市多摩区) 神奈川県都筑郡新田村(新羽村+吉田村+高田村 ※現横浜市港北区) 神奈川県都筑郡田奈村(恩田村+長津田村+奈良村 ※現横浜市青葉区・緑区・瀬谷区) 神奈川県久良岐郡戸太町(戸部町+太田村 ※現横浜市西区・南区) 神奈川県鎌倉郡永野村(永谷村+上野庭村+下野庭村 ※現横浜市港南区) 神奈川県鎌倉郡中和田村(中田村+和泉村+上飯田村+下飯田村 ※横浜市泉区) 神奈川県高座郡大沢村(大島村+下九沢村+上九沢村 ※現相模原市緑区) 神奈川県高座郡麻溝村(当麻村+下溝村 ※現相模原市南区) 神奈川県高座郡新磯村(新戸村+磯部村 ※現相模原市南区) 神奈川県高座郡藤沢大坂町(大久保町+坂戸町 ※現藤沢市) 神奈川県中郡神田村(大神村+田村 ※現平塚市) 神奈川県中郡城島村(城所村+下島村+小鍋島村+大島村 ※現平塚市) 神奈川県中郡土沢村(土屋村+上吉沢村+下吉沢村 ※現平塚市) 神奈川県足柄下郡前羽村(船前川村+羽根尾村 ※現小田原市) 神奈川県津久井郡三沢村(三井村+上中沢村+下中沢村 ※現相模原市緑区) 中部地方 新潟県北蒲原郡社田村(寺社村+分田村 ※現阿賀野市) 新潟県北蒲原郡神山村(天神塚村(天神堂村+上飯塚村)+山倉村 ※現阿賀野市) 新潟県北蒲原郡笹神村(笹岡村+神山村(天神塚村(天神堂村+上飯塚村)+山倉村) ※現阿賀野市) 新潟県北蒲原郡三森村(三ツ屋村+高森村 ※現新潟市北区) 新潟県北蒲原郡亀浦村(上土地亀新田+下土地亀新田+浦木村 ※現新潟市北区) 新潟県北蒲原郡長浦村(長場村+亀浦村(上土地亀新田+下土地亀新田+浦木村) ※現新潟市北区) 新潟県北蒲原郡島崎村(内島見村+木崎村 ※現新潟市北区) 新潟県北蒲原郡藤井村(藤寄村+横井村 ※現聖籠町、新潟市北区) 新潟県北蒲原郡亀代村(亀塚浜村+網代浜村 ※現聖籠町) 新潟県北蒲原郡鳥興野村(鳥穴村+下興野村 ※現新発田市) 新潟県北蒲原郡蓑島村(北蓑口村+西蓑口村+西飯島村+北飯島村 ※現新発田市) 新潟県北蒲原郡中浦村(下中ノ目村+吉浦村 ※現新発田市) 新潟県北蒲原郡荒橋村(荒町村+二枚橋村 ※現新発田市) 新潟県北蒲原郡松浦村(松岡村+浦村 ※現新発田市) 新潟県北蒲原郡島塚村(島潟村+東塚ノ目村+西塚ノ目村 ※現新発田市) 新潟県北蒲原郡中井村(中田村+中谷内村+新井田村 ※現新発田市) 新潟県北蒲原郡大宮村(大友村+宮古木村 ※現新発田市) 新潟県北蒲原郡板津村(板山村+上羽津村+下羽津村 ※現新発田市) 新潟県北蒲原郡石田村(石喜新村+西姫田村+岡田村 ※現新発田市) 新潟県北蒲原郡中川村(向中条村+古川村 ※現新発田市) 新潟県北蒲原郡松塚村(村松浜+藤塚浜村 ※現新発田市) 新潟県北蒲原郡金塚村(金山村+貝塚村 ※現新発田市、胎内市) 新潟県北蒲原郡本条村(本郷村+西条村 ※現胎内市) 新潟県北蒲原郡横田村(横道村+平木田村 ※現胎内市) 新潟県北蒲原郡坪江村(坪穴村+鍬江村 ※現胎内市) 新潟県北蒲原郡鼓坂村(鼓岡村+坂井村+熱田坂村 ※現胎内市) 新潟県中蒲原郡小林村(小吉村の一部+林村 ※現新潟市南区) 新潟県中蒲原郡日本岡村(一日市村+本所村+岡山村 ※現新潟市東区) 新潟県中蒲原郡和舞村(和田村+上和田村+舞潟村 ※現新潟市江南区) 新潟県中蒲原郡山岡村(細山村+笹山村+松山村+直り山村+蔵岡村 ※現新潟市江南区・北区) 新潟県中蒲原郡大江山村(大淵村+江口村+山岡村(細山村+笹山村+松山村+直り山村+蔵岡村)+山通村 ※現新潟市江南区・東区・北区) 新潟県中蒲原郡山潟村(姥ケ山新田+西山二ツ新田+丸潟新田+鍋潟新田+長潟新田 ※現新潟市中央区・江南区) 新潟県中蒲原郡横水村(横川浜村+水田村 ※現新潟市秋葉区) 新潟県中蒲原郡小鹿村(小戸新田の一部+大鹿新田 ※現新潟市秋葉区) 新潟県中蒲原郡小梅村(小戸新田の一部+梅之木村 ※現新潟市秋葉区) 新潟県中蒲原郡小合村(小鹿村(小戸新田の一部+大鹿新田)+小梅村(小戸新田の一部+梅之木村) ※現新潟市秋葉区) 新潟県中蒲原郡津島村(古津村+金津村+程島村+西島村+東島村 ※現新潟市秋葉区) 新潟県中蒲原郡中島村(中村+程島村 ※現新潟市秋葉区) 新潟県中蒲原郡三興野村(善道興野+下興野+北上興野 ※3つの「興野」、現新潟市秋葉区) 新潟県中蒲原郡荻野村(荻島新田+中野新田 ※現新潟市秋葉区) 新潟県中蒲原郡川結村(川口新田+結新田 ※現新潟市秋葉区) 新潟県中蒲原郡荻川村(荻野村(荻島新田+中野新田)+川結村(川口新田+結新田) ※現新潟市秋葉区) 新潟県中蒲原郡新関村(下新村+安部新村+市新村+新郷屋村+大関村 ※現新潟市秋葉区、五泉市) 新潟県中蒲原郡太川村(太田村+川瀬村 ※現五泉市) 新潟県西蒲原郡新貝村(小新村+亀貝村 ※現新潟市西区) 新潟県西蒲原郡木山村(木戸新田村+北山新田村+丸山新田村 ※現新潟市西区、西蒲区) 新潟県西蒲原郡福木岡村(福井村+鷲ノ木村+下木島村+上木島村+峰岡村 ※現新潟市西蒲区) 新潟県西蒲原郡松長村(松橋村+長所村+長渡村+長池新村 ※現燕市) 新潟県西蒲原郡三方崎村(三王淵村+灰方村+関崎村 ※現燕市) 新潟県西蒲原郡太花野村(西太田村+法花堂村+花見村+下中野村 ※現燕市) 新潟県西蒲原郡笈砂村(笈ヶ島村+砂子塚村 ※現燕市) 新潟県南蒲原郡上林村(石上村+下栗林村 ※現三条市) 新潟県南蒲原郡長堀村(長沢村+荻堀村 ※現三条市) 新潟県南蒲原郡高島村(高屋敷村+高岡新田村+島潟新田村 ※現三条市) 新潟県南蒲原郡大潟村(大面村+北潟村 ※現三条市) 新潟県南蒲原郡三沼村(大沼新田+小沼新田+赤沼村 ※3つの「沼」、現長岡市) 新潟県南蒲原郡西所村(中西村+西高山新田+六所村 ※現長岡市) 新潟県東蒲原郡両鹿瀬村(鹿瀬村+向鹿瀬村 ※2つの「鹿瀬」、現阿賀町) 新潟県東蒲原郡豊実村(豊田村+実川村 ※現阿賀町) 新潟県東蒲原郡鹿実谷町(両鹿瀬村(鹿瀬村+向鹿瀬村)+豊実村(豊田村+実川村)+日出谷村 ※現阿賀町) 新潟県東蒲原郡上川村(上条村+西川村+東川村 ※現阿賀町) 新潟県三島郡深才村(深沢村+才津村 ※現長岡市) 新潟県三島郡王寺川村(王番田村+寺宝村+河根川村 ※現長岡市) 新潟県三島郡大津村(大都村+天津村 ※現長岡市) 新潟県三島郡和島村(桐島村(桐原村+島崎村)+島田村(小島谷村+村田村) ※現長岡市) 新潟県古志郡王内村(蔵王村+石内村 ※現長岡市) 新潟県古志郡高島村(高山村+向島新田 ※現長岡市) 新潟県古志郡山谷沢村(蛇山村+滝谷村+渡沢村+猪沢村 ※現長岡市) 新潟県古志郡福戸村(福道村+大荒戸村 ※現長岡市) 新潟県古志郡川李村(川袋村+李崎村 ※現長岡市) 新潟県古志郡黒条村(黒津村+下下条村 ※現長岡市) 新潟県古志郡富曽亀村(富島村+小曽根村+亀貝村 ※現長岡市) 新潟県古志郡蓬沢村(蓬平村+濁沢村 ※現長岡市) 新潟県北魚沼郡津山村(和南津村+中山村 ※現長岡市) 新潟県北魚沼郡千田村(千谷村+小栗田村 ※現小千谷市) 新潟県北魚沼郡鴻野谷村(鴻巣村+坪野村+山谷村 ※現小千谷市) 新潟県北魚沼郡島町村(中島村+中島新田+四日町村 ※現魚沼市) 新潟県北魚沼郡高根村(高倉村+横根村 ※現魚沼市) 新潟県北魚沼郡広神村(広瀬村+藪神村 ※現魚沼市) 新潟県中魚沼郡寺田村(寺石村+上田村 ※現津南町) 新潟県中魚沼郡赤崎村(赤沢村+芦ヶ崎村 ※現津南町) 新潟県南魚沼郡大君田村(大窪村+大沢村+君沢村+南田中村 ※現南魚沼市) 新潟県南魚沼郡上島村(上十日町村+島新田 ※現南魚沼市) 新潟県刈羽郡森山村(森光村+小栗山村 ※現長岡市) 新潟県刈羽郡高田村(日高村+豊田村 ※現柏崎市) 新潟県刈羽郡田沢村(田屋村+木沢村 ※現柏崎市) 新潟県刈羽郡小澗村(小島村+山澗村 ※現柏崎市) 新潟県刈羽郡長谷村(長嶺村+後谷村 ※現柏崎市) 新潟県刈羽郡大田村(大津村+大崎村+甲田村 ※現柏崎市) 新潟県岩船郡神林村(神納村+平林村 ※現村上市) 新潟県岩船郡門前谷村(門前村+小谷村 ※現村上市) 新潟県岩船郡中俣村(中継村+小俣村 ※現村上市) 新潟県岩船郡関谷村(関村+七箇谷村+九箇谷村 ※現関川村) 新潟県佐渡郡金井町(金沢村+吉井村の一部 ※現佐渡市) 石川県能美郡白木村(白江村+佐々木村 ※現小松市) 石川県能美郡園江村(園村+白江村 ※現小松市) 石川県能美郡寺井野町(寺井村+湯野村+長野村 ※現能美市) 石川県石川郡美川町(能美郡+石川郡 ※現白山市) 福井県吉田郡藤岡村(東藤島村+岡保村 ※現福井市) 福井県坂井郡春江町(春近郷+江留郷 ※現坂井市) 山梨県西山梨郡国里村(国玉村+里吉村 ※現甲府市) 山梨県東山梨郡奥野田村(牛奥村+西ノ原村+熊野村+西広門田村 ※現甲州市) 山梨県東八代郡錦生村(錦村+金生村 ※現笛吹市) 山梨県南巨摩郡富沢町(富河村+万沢村 ※現南部町) 山梨県北巨摩郡鳳来村(大武川村+鳥原村(大鳥→鳳)+上教来石村+下教来石村 ※現北杜市) 山梨県北巨摩郡秋田村(夏秋村+大八田村 ※現北杜市) 山梨県北巨摩郡清哲村(水上+青木+折居+樋口、※「水」と「青」で「清」、「折」と「口」で「哲」 ※現韮崎市) 山梨県南都留郡西浜村(西湖村+長浜村 ※現富士河口湖町) 山梨県北都留郡大目村(大野村+犬目村 ※現上野原市) 山梨県北都留郡大鶴村(大倉村+大曽根村+大椚村+鶴川村 ※現上野原市) 山梨県北都留郡島田村(鶴島村+新田村 ※現上野原市) 長野県更埴市(更級郡+埴科郡 ※現千曲市) 長野県北佐久郡浅科村(浅間山+蓼科山 ※現佐久市) 長野県南佐久郡八千穂村(畑八村(畑村+八郡村)+千曲川+穂積村 ※現佐久穂町) 長野県小県郡長門町(長久保新町+長窪古町+大門村 ※現長和町) 長野県木曽郡楢川村(奈良井村+贄川村 ※奈良→楢 ※現塩尻市) 長野県西筑摩郡読書村(与川(よがわ)村+三留野(みどの)村+柿其(かきぞれ)村 ※現南木曽町) 長野県東筑摩郡坂井村(安坂村+永井村 ※現筑北村) 長野県東筑摩郡白瀬渕村(白姫村+上瀬黒村+下瀬黒村+竹渕村 ※現松本市) 長野県東筑摩郡小赤村(小池村+赤木村 ※現松本市) 長野県南安曇郡豊科町(鳥羽村+吉野村+新田村+成相村 ※かな表記時の頭文字を合成 ※現安曇野市) 長野県上高井郡若穂町(綿内(わたうち)村+川田(かわだ)村+保科(ほしな)村 ※現長野市) 長野県下水内郡豊田村(豊井村(豊津村+上今井村)+永田村(永江村+穴田村) ※現中野市) 岐阜県海津郡(海西郡+下石津郡 ※現海津市) 岐阜県養老郡笠郷村(下笠村+栗笠村+上之郷村 ※現養老町) 岐阜県山県郡岩野田村(岩崎村+粟野村+三田洞村 ※現岐阜市) 岐阜県山県郡桜尾村(伊佐美(いさみ)村+椎倉(しぐら)村+赤尾村(あかお)村の合成が変化 ※現山県市) 岐阜県山県郡保戸島村(保明組+戸田村+側島村 ※現関市) 岐阜県加茂郡麻川村(下麻生村+上川辺村 ※現川辺町、七宗町) 岐阜県加茂郡潮南村(潮見村+南戸村 ※現八百津町) 岐阜県恵那郡山岡町(遠山村+鶴岡村 ※現恵那市) 静岡県賀茂郡浜崎村(白浜村+柿崎村+須崎村 ※現下田市) 静岡県駿東郡深浪村(深良村+岩波村 ※現裾野市) 静岡県志太郡伊久身村(伊久美村+身成村 ※現島田市) 静岡県榛原郡勝間田村(勝間村+勝田村 ※現牧之原市) 静岡県小笠郡浜岡町(浜松市+静岡市 ※両市の中間に位置することから ※現御前崎市) 静岡県小笠郡大東町(大浜町(大坂村+千浜村)+城東村 ※現掛川市) 静岡県小笠郡大須賀町(横須賀町+大淵村 ※現掛川市) 静岡県小笠郡桜木村(雨桜村+垂木村 ※現掛川市) 静岡県磐田郡竜洋町(天竜川+太平洋 ※現磐田市) 静岡県磐田郡龍山村(龍川村+山香村 ※龍川村・山香村から分立したことに由来、現浜松市天竜区) 静岡県浜名郡小野田村(小松村+内野村+半田村 ※現浜松市東区・浜北区) 静岡県浜名郡平貴村(平口村+貴布禰村 ※現浜松市浜北区) 静岡県浜名郡小野口村(小松村+内野村+平口村 ※現浜松市浜北区) 愛知県愛知郡猪高村(猪子石村+高社村(高針村+一社村(一色+下社)+上社村) ※現名古屋市名東区・千種区) 愛知県愛知郡幡山村(幡野村+山口村 ※現瀬戸市) 愛知県中島郡島田村(北島村+玉田村 ※現稲沢市) 愛知県知多郡生浜村(生路村+石浜村 ※現東浦町) 愛知県幡豆郡豊坂村(豊国村+松坂村 ※現額田郡幸田町) 愛知県額田郡岩中村(岩谷村+中畑村 ※現岡崎市) 愛知県額田郡竜谷村(竜泉寺村+桑谷村 ※現岡崎市) 愛知県額田郡形埜村(桜形村+鍛埜村 ※現岡崎市) 愛知県額田郡豊富村(豊岡村+高富村 ※現岡崎市) 愛知県西加茂郡石野村(石下瀬村(力石村+東枝下村+東広瀬村)+中野村 ※現豊田市) 愛知県西加茂郡藤岡町(藤河村+高岡村 ※現豊田市) 愛知県東加茂郡稲武町(稲橋村+武節村 ※旧北設楽郡、現豊田市) 愛知県北設楽郡下川村(下田村+川角村 ※現東栄町) 愛知県宝飯郡蒲郡町(蒲形村+西之郡村 ※現蒲郡市) 愛知県八名郡下川村(下条村+牛川村 ※現豊橋市、豊川市) 愛知県渥美郡牟呂吉田村(牟呂村+吉田方村 ※現豊橋市) 愛知県渥美郡高豊村(豊南村+高根村 ※現豊橋市) 近畿地方 三重県阿山郡(阿拝郡+山田郡 ※現伊賀市) 三重県名賀郡(名張郡+伊賀郡 ※現名張市、伊賀市) 三重県河芸郡(河曲郡+奄芸郡 ※現津市) 三重県安芸郡(安濃郡+河芸郡(河曲郡+奄芸郡) ※現津市) 三重県安芸郡河芸町(河曲郡+奄芸郡 ※現津市) 三重県安芸郡芸濃町(河芸郡(河曲郡+奄芸郡)+安濃郡 ※現津市) 三重県多気郡斎明村(斎宮村+明星村 ※現明和町) 三重県一志郡三雲町(三渡川+雲出川 ※現松阪市) 三重県度会郡神原村(神津佐村+山原村 ※現南伊勢町、志摩市) 三重県度会郡大宮町(大内山川+宮川 ※現大紀町) 三重県度会郡紀勢町(紀伊国+伊勢国 ※現大紀町) 滋賀県野洲郡中主町(中里村+兵主村 ※現野洲市) 滋賀県甲賀郡貴生川町(内貴+北内貴+虫生野+宇川 ※現甲賀市) 滋賀県愛知郡秦荘町(秦川村+八木荘村 ※現愛荘町) 京都府南桑田郡畑野村(千ヶ畑+土ヶ畑+広野 ※現亀岡市) 京都府南桑田郡宮前村(宮川+神前 ※現亀岡市) 京都府南桑田郡吉川村(吉田+穴川 ※現亀岡市) 京都府南桑田郡河原林村(河原尻+勝林島 ※現亀岡市) 京都府南桑田郡樫田村(樫船神社+田能村 ※現大阪府高槻市) 京都府船井郡富本村(富庄村+本荘村 ※現南丹市) 大阪府三島郡宮島村(野々宮村+島村 ※現茨木市) 大阪府中河内郡三木本村(木本村+北木本村+南木本村 ※3つの「木本」、現八尾市) 大阪府南河内郡市新野村(市村+市村新田+向野村 ※現河内長野市) 兵庫県有馬郡塩瀬村(名塩+生瀬 ※現西宮市) 兵庫県武庫郡本山村(本庄+山手 ※現神戸市東灘区) 兵庫県飾磨郡御国野村(御着+国分寺+深志野 ※現姫路市) 兵庫県神崎郡香寺町(香呂村+中寺村 ※現姫路市) 兵庫県佐用郡大広村(大畑+大下り+広山+末廣 ※現佐用町) 兵庫県佐用郡中安村(中島+安川 ※現佐用町) 兵庫県宍粟郡安富町(安師村+富栖村(栃原(とちはら)村+皆河(みなご)村+末広(すえひろ)村) ※現姫路市) 兵庫県城崎郡日高町(日置+高田 ※現豊岡市) 兵庫県美方郡美方町(七美郡+二方郡 ※現香美町) 兵庫県氷上郡生郷村(石生村+本郷村 ※現丹波市) 中国地方 鳥取県岩美郡福部村(福田保村+服部庄村 ※現鳥取市) 鳥取県岩美郡上舟村(上地+荒舟+上荒舟 ※現鳥取市) 鳥取県岩美郡大成村(成器村+大茅村 ※現鳥取市) 鳥取県岩美郡大岩村(大谷+岩本 ※現岩美町) 鳥取県八頭郡大御門村(大門+西御門 ※現八頭町) 鳥取県八頭郡大伊村(大江+伊井田 ※現八頭町) 鳥取県八頭郡安部村(安井宿+日下部 ※現八頭町) 鳥取県気高郡(気多郡+高草郡 ※現鳥取市) 鳥取県気高郡海徳村(古海+徳尾 ※現鳥取市) 鳥取県気高郡蒲野部村(菖蒲+野寺+服部 ※現鳥取市) 鳥取県気高郡気高町(気多郡+高草郡 ※現鳥取市) 鳥取県気高郡小鷲河村(小別所+鷲峯+河内 ※現鳥取市) 鳥取県東伯郡福米村(上福田+下福田+上米積+下米積 ※現倉吉市) 鳥取県東伯郡関金町(湯関宿+金谷 ※現倉吉市) 鳥取県東伯郡神中村(神倉+中津 ※現三朝町) 鳥取県東伯郡花見村(野花村+埴見村 ※現湯梨浜町) 鳥取県東伯郡大栄町(大誠村+栄村 ※現北栄町) 鳥取県西伯郡伯仙町(伯耆国+大山 ※山→仙、現米子市) 鳥取県西伯郡崎津村(大崎村+葭津村 ※現米子市) 鳥取県西伯郡福生村(上福原+皆生 ※現米子市) 鳥取県西伯郡福米村(東福原+西福原+米原 ※現米子市) 鳥取県日野郡福栄村(福塚+神福+豊栄 ※現日南町) 鳥取県日野郡菅福村(上菅+福長 ※現日野町) 鳥取県日野郡金岩村(金屋谷+岩立 ※現西伯郡伯耆町) 島根県八束郡鹿島町(秋鹿郡+島根郡 ※現松江市) 島根県八束郡玉湯町(玉造村+湯町村 ※現松江市) 島根県八束郡古江村(古志村+古曽志村+長江村 ※現松江市) 島根県飯石郡赤来町(赤名町+来島村 ※現飯南町) 島根県簸川郡荒茅村(荒木+古荒木+茅原 ※現出雲市) 島根県簸川郡上津村(上島(上ノ郷+中島)+船津 ※現出雲市) 島根県簸川郡佐田町(須佐村+窪田村 ※現出雲市) 島根県簸川郡岐久村(田岐村(小田+多岐)+久村 ※現出雲市) 島根県簸川郡西田村(西々郷+万田 ※現出雲市) 島根県簸川郡鵜鷺村(鵜峠+鷺浦 ※現出雲市) 島根県邇摩郡仁摩町(仁万町+邇摩郡 ※現大田市) 島根県邑智郡三谷村(三俣+湯谷 ※現川本町) 島根県邑智郡高原村(高見+原村 ※現邑南町) 島根県邑智郡羽須美村(口羽村+阿須那村 ※現邑南町) 島根県那賀郡国府町(国分村+上府村+下府村 ※現浜田市) 島根県那賀郡安城村(長安村+高城村 ※現浜田市) 島根県那賀郡西湊村(西河内+湊浦 ※現浜田市) 島根県那賀郡金田村(千金+田野 ※現江津市) 島根県那賀郡川波村(敬川+波子 ※現江津市) 島根県那賀郡川平村(南川上+平田(平床+田原) ※現江津市) 島根県美濃郡二川村(宇津川+板井川 ※2つの「川」、現益田市) 島根県美濃郡美都町(美濃郡+都茂村 ※現益田市) 岡山県御津郡(御野郡+津高郡 ※現岡山市北区・南区、久米郡美咲町、加賀郡吉備中央町) 岡山県御津郡石井村(上出石+下出石+巌井 ※現岡山市北区) 岡山県御津郡大野村(大安寺+野田 ※現岡山市北区) 岡山県御津郡野谷村(菅野+栢谷 ※現岡山市北区) 岡山県御津郡御津町(御野郡+津高郡 ※現岡山市北区) 岡山県御津郡福浜村(福富+福島+福成+福田+浜野 ※現岡山市南区) 岡山県御津郡富津村(高富+船津 ※現加賀郡吉備中央町) 岡山県赤磐郡(赤坂郡+磐梨郡 ※現岡山市北区・東区、赤磐市、和気郡和気町) 岡山県赤磐郡山陽町(西山村+高陽村 ※現赤磐市) 岡山県和気郡福河村(福浦村+寒河村 ※現備前市、兵庫県赤穂市) 岡山県和気郡山田村(丸山村+南山方村+田土村+矢田村 ※現和気町) 岡山県邑久郡鶴山村(鶴海+佐山 ※現備前市) 岡山県邑久郡福田村(福元+福中+百田+豆田 ※現瀬戸内市) 岡山県上道郡津田村(君津+升田 ※現岡山市東区) 岡山県上道郡光政村(光津+政津 ※現岡山市東区) 岡山県児島郡灘崎町(灘村+彦崎村 ※現岡山市南区) 岡山県児島郡小田村(小川+柳田+稗田 ※現倉敷市) 岡山県都窪郡福田村(大福村+山田村 ※現岡山市南区) 岡山県都窪郡大高村(大市村+葦高村 ※現倉敷市) 岡山県浅口郡柏崎村(柏島村+勇崎村 ※現倉敷市) 岡山県小田郡今井村(今立+園井 ※現笠岡市) 岡山県小田郡大井村(西大戸+東大戸+小平井 ※現笠岡市) 岡山県小田郡新山村(新賀+山口 ※現笠岡市) 岡山県小田郡稲倉村(上稲木+下稲木+岩倉 ※現井原市) 岡山県小田郡美星町(美山川+星田川 ※現井原市) 岡山県小田郡三谷村(東三成+横谷 ※現矢掛町) 岡山県吉備郡岩田村(山上+石妻+上高田 ※山+石=岩、現岡山市北区) 岡山県吉備郡新本村(新庄+本庄 ※現総社市) 岡山県吉備郡日美村(日羽+美袋 ※現総社市) 岡山県上房郡津川村(今津+八川 ※現高梁市) 岡山県川上郡松原村(松岡+神原 ※現高梁市) 岡山県川上郡大賀村(上大竹+下大竹+仁賀 ※現高梁市) 岡山県阿哲郡(阿賀郡の一部+哲多郡 ※現新見市、真庭市) 岡山県阿哲郡神郷町(神代村+新郷村 ※現新見市) 岡山県阿哲郡矢神村(矢田+上神代 ※現新見市) 岡山県真庭郡富原村(富山村+井原村 ※現真庭市) 岡山県真庭郡瀬田河村(上市瀬村+下市瀬村+開田村+西河内村 ※現真庭市) 岡山県真庭郡上田村(上山村+田原山上村 ※現真庭市) 岡山県真庭郡津田村(船津村+上田村(上山村+田原山上村) ※現真庭市) 岡山県真庭郡美川村(美原村+関川村 ※現真庭市) 岡山県真庭郡二川村(粟谷川+藤森川 ※2つの「川」、現真庭市) 岡山県真庭郡樫野村(樫東村+樫西村+余野上村+余野下村 ※現真庭市) 岡山県真庭郡徳田村(上徳山村+下徳山村+上福田村 ※現真庭市) 広島県安芸郡熊野跡村(熊野+阿戸 ※阿戸→跡、旧賀茂郡、現広島市安芸区) 広島県安佐郡(安北郡+佐東郡 ※現広島市東区・西区・安佐南区・安佐北区) 広島県安佐郡福木村(福田+馬木 ※現広島市東区) 広島県安佐郡戸山村(阿戸+吉山 ※現広島市安佐南区) 広島県安佐郡口田村(矢口+小田 ※現広島市安佐北区) 広島県安佐郡狩小川村(狩留家+小河原+上深川 ※現広島市安佐北区) 広島県安佐郡中原村(中野+中島+上原 ※現広島市安佐北区) 広島県安佐郡安佐町(安北郡+佐東郡 ※現広島市安佐北区) 広島県山県郡殿賀村(下殿河内+下筒賀 ※現安芸太田町) 広島県山県郡川迫村(川戸+蔵迫 ※現北広島町) 広島県山県郡都谷村(都志見+戸谷 ※現北広島町) 広島県山県郡吉坂村(吉木+今吉田+阿坂 ※現北広島町) 広島県佐伯郡大柿町(大原村+大君村+柿浦村 ※現江田島市) 広島県佐伯郡古田村(古江村+山田村 ※現広島市西区) 広島県佐伯郡五海市村(五日市+海老園+海老山 ※現広島市佐伯区) 広島県佐伯郡砂谷村(白砂+伏谷 ※現広島市佐伯区) 広島県佐伯郡栗谷村(大栗林+小栗林+奥谷尻+谷和 ※現大竹市) 広島県佐伯郡友和村(友原村(友田+河津原+永原)+三和村 ※現廿日市市、大竹市) 広島県佐伯郡三高村(三吉+高祖 ※現江田島市) 広島県高田郡甲田町(甲立町+小田村(上小原村+下小原村+高田原村) ※現安芸高田市) 広島県高田郡生桑村(生田+桑田 ※現安芸高田市) 広島県高田郡来原村(来女木+原田 ※現安芸高田市) 広島県高田郡船佐村(船木+佐々部+羽佐竹 ※現安芸高田市) 広島県高田郡有保村(有留+保垣 ※現安芸高田市、広島市安佐北区) 広島県高田郡志屋村(志路+古屋 ※現広島市安佐北区) 広島県高田郡秋越村(秋山+小越 ※現広島市安佐北区) 広島県賀茂郡内海跡村(内海+阿戸(※現安登) ※阿戸→跡、現呉市) 広島県賀茂郡荘野村(新庄+西野 ※庄→荘、現竹原市) 広島県賀茂郡郷田村(郷曽(吉郷+小比曽大河内)+田口 ※現東広島市) 広島県賀茂郡寺西町(寺家+西条東 ※現東広島市) 広島県賀茂郡早田原村(風早+大田+小松原 ※現東広島市) 広島県賀茂郡吉土実村(吉行+土与丸+助実 ※現東広島市) 広島県豊田郡豊浜町(豊島村+大浜村 ※現呉市) 広島県豊田郡久友村(久比+沖友 ※現呉市) 広島県豊田郡賀永村(仁賀+上三永 ※旧賀茂郡、現竹原市、東広島市) 広島県御調郡羽和泉村(羽倉+和草+泉 ※現三原市) 広島県御調郡深田村(深+久山田 ※現三原市、尾道市) 広島県御調郡今津野村(今田+津蟹+植野+野間 ※現尾道市) 広島県御調郡菅野村(菅+仁野 ※現尾道市) 広島県御調郡原田村(小原+梶山田 ※現尾道市) 広島県御調郡三浦村(椋浦+鏡浦+外浦 ※3つの「三」、現尾道市) 広島県御調郡諸田村(諸毛+下山田+大山田 ※現府中市、尾道市) 広島県世羅郡上田村(上壱(上野山+壱歩)+飯田 ※現三次市、東広島市) 広島県世羅郡津名村(上津田+下津田+敷名 ※現世羅町、三次市) 広島県世羅郡吉川村(黒川+吉原 ※現世羅町、東広島市) 広島県沼隈郡金江村(金見+藁江 ※現福山市) 広島県深安郡(深津郡+安那郡 ※現福山市) 広島県深安郡大津野村(大門+津之下+野々浜 ※現福山市) 広島県深安郡加法村(下加茂村+法成寺村 ※現福山市) 広島県深安郡竹尋村(上竹田村+下竹田村+八尋村 ※現福山市) 広島県深安郡深安町(深津郡+安那郡 ※現福山市) 広島県深安郡御野村(上御領+下御領+平野 ※現福山市) 広島県深安郡湯田村(湯野+箱田+徳田 ※現福山市) 広島県芦品郡(芦田郡+品治郡 ※現福山市、府中市、神石郡神石高原町) 広島県芦品郡有磨村(上有地+下有地+柞磨 ※現福山市) 広島県芦品郡福相村(福田+相方 ※現福山市) 広島県芦品郡岩谷村(上山+父石+荒谷 ※山+石=岩、現府中市) 広島県芦品郡河佐村(河面+久佐 ※現府中市) 広島県芦品郡栗生村(栗柄+土生 ※現府中市) 広島県神石郡新坂村(新免+三坂 ※現神石高原町、庄原市) 広島県神石郡永渡村(永野+相渡 ※現神石高原町) 広島県甲奴郡総領町(田総村+領家村 ※現庄原市) 広島県双三郡(三次郡+三谿郡 ※2つの「三」、現三次市) 広島県双三郡神杉村(廻神+高杉 ※現三次市) 広島県双三郡川地村(上川立+下川立+上志和地+下志和地 ※現三次市) 広島県双三郡君田村(東入君村+西入君村+櫃田村 ※現三次市) 広島県双三郡酒河村(東酒屋+西酒屋+青河 ※現三次市) 広島県双三郡和田村(和知+向江田 ※現三次市) 広島県比婆郡口和町(口北村+口南村 ※現庄原市) 広島県比婆郡田森村(粟田+竹森 ※現庄原市) 広島県比婆郡峰田村(峰+春田 ※現庄原市) 山口県大島郡油田村(油宇村+伊保田村 ※現周防大島町) 山口県大島郡森野村(森村+平野村 ※現周防大島町) 山口県大島郡日良居村(日前村+油良村+土居村 ※現周防大島町) 山口県大島郡蒲野村(東三蒲村+西三蒲村+椋野村 ※現周防大島町) 山口県玖珂郡師木野村(六呂師村+叶木村+柱野村 ※現岩国市) 山口県玖珂郡桑根村(南桑村+根笠村 ※現岩国市) 山口県玖珂郡深須村(深川村+須川村 ※現岩国市) 山口県玖珂郡秋中村(秋掛村+北中山村 ※現岩国市) 山口県玖珂郡賀見畑村(阿賀村+生見村+下畑村 ※現岩国市) 山口県玖珂郡川越村(三瀬川村+獺越村 ※現岩国市) 山口県都濃郡向道村(大向+大道理 ※現周南市) 山口県都濃郡須金村(須万+金峰 ※現周南市) 山口県佐波郡柚野村(柚木+野谷 ※現山口市) 山口県吉敷郡平川村(平井+黒川 ※現山口市) 山口県厚狭郡藤山村(藤曲村+中山村 ※現宇部市) 山口県厚狭郡高千帆町(東高泊村+西高泊村+高畑村+千崎村+有帆村 ※現山陽小野田市) 山口県厚狭郡生田村(埴生村+津布田村+福田村 ※現山陽小野田市) 山口県豊浦郡神玉村(神田上+矢玉 ※現下関市) 山口県美祢郡真長田村(真名村+長田村 ※現美祢市) 山口県大津郡菱海村(久富(ひさどみ)+新別名(しんべつみょう)+河原(かわら)+伊上(いがみ) ※現長門市) 山口県大津郡宇津賀村(後畑(うしろばた)+津黄(つおう)+角山(かどやま) ※現長門市) 山口県阿武郡高俣村(高佐上+高佐下+片俣 ※現萩市) 山口県阿武郡福川村(福井上+福井下+黒川 ※現萩市) 山口県阿武郡田万川町(田万崎村(上田万村+下田万村+江崎村)+小川村 ※現萩市) 山口県阿武郡宇田郷村(宇田+惣郷 ※現阿武町) 山口県阿武郡福賀村(福田上+福田下+宇生賀 ※現阿武町) 山口県阿武郡篠生村(篠目+生雲東分 ※現山口市) 山口県阿武郡旭村(明木(あきらぎ)村+佐々並(ささなみ)村 ※現萩市) 四国地方 徳島県三好郡三加茂町(三庄村+加茂町 ※現東みよし町) 徳島県三好郡佐馬地村(佐野村+馬路村+白地村 ※現三好市) 香川県大川郡(大内郡+寒川郡 ※現さぬき市・東かがわ市) 香川県大川郡誉水村(誉田+水主 ※現東かがわ市) 香川県小豆郡二生村(二面村+室生村 ※現小豆島町) 香川県木田郡奥鹿村(奥山村+鹿庭村 ※現三木町) 香川県木田郡平井町(平木村+井上村 ※現三木町) 香川県木田郡坂ノ上村(坂元村+上田井村 ※現高松市) 香川県香川郡池西村(池内村+西庄村 ※現高松市) 香川県香川郡川岡村(川部村+岡本村 ※現高松市) 香川県綾歌郡長炭村(長尾村+炭所東村+炭所西村 ※現まんのう町) 香川県仲多度郡麻野村(大麻村+生野村 ※現善通寺市) 香川県三豊郡財田大野村(財田西村+大野村 ※現三豊市) 香川県三豊郡高室村(高屋村+室本村 ※現観音寺市) 愛媛県宇摩郡松柏村(村松村+上柏村+下柏村 ※現四国中央市) 愛媛県宇摩郡豊岡村(豊田村+岡銅村 ※現四国中央市) 愛媛県宇摩郡金田村(金川村+半田村 ※現四国中央市) 愛媛県宇摩郡満崎村(天満村+蕪崎村 ※現四国中央市) 愛媛県宇摩郡新立村(新宮村+新瀬川村+馬立村 ※現四国中央市) 愛媛県新居郡高津村(宇高村+沢津村 ※現新居浜市) 愛媛県新居郡神郷村(松神子村+郷村 ※現新居浜市) 愛媛県新居郡中萩町(中村+萩生村 ※現新居浜市) 愛媛県周桑郡(周布郡+桑村郡 ※現西条市、東温市) 愛媛県周桑郡楠河村(楠村+河原津村 ※現西条市) 愛媛県周桑郡徳田村(徳能村+徳能出作村+古田村+田瀧村 ※現西条市) 愛媛県越智郡大西町(大井村+小西村 ※現今治市) 愛媛県越智郡盛口村(盛村+井口村 ※現今治市) 愛媛県温泉郡睦野村(睦月村+野忽那村 ※現松山市) 愛媛県温泉郡川内町(川上村+三内村 ※現東温市) 愛媛県上浮穴郡川瀬村(上畑野川村+下畑野川村+直瀬村 ※現久万高原町) 愛媛県上浮穴郡父二峰村(父野川村+二名村+露峯村 ※現久万高原町) 愛媛県上浮穴郡弘形村(日野浦(ひのうら)村+中黒岩(なかくろいわ)村+上黒岩(かみくろいわ)村+大川(おおがわ)村+有枝(ありえだ)村の合成が変化 ※現久万高原町) 愛媛県上浮穴郡仕七川村(仕出村+七鳥村+東川村 ※現久万高原町) 愛媛県上浮穴郡柳谷村(柳井川村+西谷村 ※現久万高原町) 愛媛県上浮穴郡参川村(上川村+中川村+本川村 ※3つの「川」、現喜多郡内子町) 愛媛県上浮穴郡石山村(立石村+南山村 ※現喜多郡内子町) 愛媛県喜多郡平野村(平地村+野田村 ※現大洲市) 愛媛県喜多郡五城村(五百木村+城廻村 ※現内子町) 愛媛県東宇和郡城川町(土居村+魚成村+高川村(高野子村+川津南村)+遊子川村(遊子谷村+野井川村) ※土+成=城、現西予市) 愛媛県西宇和郡舌田村(舌間浦+合田浦 ※現八幡浜市) 愛媛県西宇和郡真穴村(真網代浦+穴井浦 ※現八幡浜市) 愛媛県西宇和郡川上村(川名津浦+上泊浦 ※現八幡浜市) 愛媛県西宇和郡磯津村(磯崎浦+喜木津浦 ※現八幡浜市) 愛媛県西宇和郡喜須来村(喜木村+須川村 ※現八幡浜市) 愛媛県西宇和郡町見村(九町浦+二見浦 ※現伊方町) 愛媛県西宇和郡神松名村(明神浦+松浦+名取浦 ※現伊方町) 愛媛県西宇和郡二木生村(二及浦+周木浦+垣生浦 ※西予市) 愛媛県北宇和郡高光村(高串村+光満村 ※現宇和島市) 愛媛県北宇和郡奥南村(奥浦+南君浦 ※現宇和島市) 愛媛県北宇和郡吉野生村(吉野村+奥野川村+蕨生村 ※現松野町) 高知県香美郡吉川村(吉原村+古川村 ※現香南市) 九州・沖縄地方 福岡県糸島郡(怡土郡+志摩郡 ※怡土(いと)→糸、志摩→島 ※現糸島市) 福岡県嘉穂郡筑穂町(筑前国+嘉穂郡 ※現飯塚市) 福岡県三池郡三川町(三里村+川尻村 ※現大牟田市) 福岡県田川郡猪位金村(猪国村+位登村 ※現田川市、嘉麻市) 福岡県田川郡方城町(伊方村+弁城村 ※現福智町) 佐賀県神埼郡三田川町(田手村+吉田村+豆田村+箱川村 ※3つの「田」、現吉野ヶ里町) 佐賀県東松浦郡浜玉町(浜崎町+玉島村 ※旧浜崎玉島町、現唐津市) 長崎県北高来郡小長井町(小川原浦村+長里村+井崎村 ※現諫早市) 長崎県南高来郡愛野町(愛津村+野井村 ※現雲仙市) 熊本県飽託郡(飽田郡+託麻郡 ※現熊本市) 熊本県下益城郡富合町(守富村+杉合村 ※現熊本市南区) 熊本県下益城郡豊野町(豊田郷村+小熊野郷村 ※現宇城市) 熊本県玉名郡岱明町(小岱山+有明海 ※現玉名市) 熊本県玉名郡天水町(小天村+玉水村 ※現玉名市) 熊本県玉名郡三加和町(緑(みどり)村+神尾(かみお)村+春富(はるどみ)村の合成が変化 ※現和水町) 熊本県鹿本郡菊鹿町(菊池郡+鹿本郡(山鹿郡+山本郡) ※現山鹿市) 熊本県菊池郡旭志村(旭野村+北合志村 ※現菊池市) 熊本県阿蘇郡長陽村(長野村+河陽村 ※現南阿蘇村) 熊本県球磨郡岡原村(岡本村+宮原村 ※現あさぎり町) 熊本県天草郡姫戸町(姫浦村+二間戸村 ※現上天草市) 熊本県天草郡二浦村(亀浦村+早浦村 ※2つの「浦」、現天草市) 熊本県天草郡富津村(今富村+崎津村 ※現天草市) 熊本県天草郡下田村(下津深江村+小田床村 ※現天草市) 大分県大分郡湯布院町(湯平村+由布院町 ※現由布市) 大分県南海部郡鶴岡村(鶴望村+上岡村 ※現佐伯市) 大分県南海部郡川原木村(横川村+仁田原村+赤木村 ※現佐伯市) 大分県南海部郡直川村(直見村+川原木村(横川村+仁田原村+赤木村) ※現佐伯市) 大分県宇佐郡駅川町(駅館村+豊川村 ※現宇佐市) 宮崎県北諸県郡五十市村(五十町村+横市村 ※現都城市) 宮崎県東臼杵郡富島町(富高町+細島町 ※現日向市) 鹿児島県鹿児島郡中郡宇村(中村+郡元村+宇宿村 ※現鹿児島市) 鹿児島県鹿児島郡西武田村(西別府村+武村+田上村 ※現鹿児島市) 鹿児島県日置郡日吉町(日置村+吉利村 ※現日置市) 自然地名・通称として使われている合成地名 北海道石北峠(石狩国+北見国) 北海道常紋峠(常呂郡+紋別郡) 北海道塩狩峠(天塩国+石狩国) 北海道狩勝峠(石狩国+十勝国) 北海道日勝峠(日高国+十勝国) 北海道根釧台地 (根室国+釧路国) 日胆(日高国+胆振国) 青森県三八地域(三戸郡+八戸市 ※三沢市・上北郡を加え「三八上北」とも) 青森県東青地域(東津軽郡+青森市 ※「東青津軽」とも) 青森県中弘南黒地域(中津軽郡+弘前市+南津軽郡+黒石市) 青森県西北五地域(西津軽郡+北津軽郡+五所川原市 ※「北五津軽」とも) 岩手県胆江地域(胆沢郡+旧・江刺郡) 岩手県花北地域(花巻市+北上市) 岩手県両磐地域(東磐井郡+西磐井郡) 宮城県仙塩地区(仙台市+塩竈市) 宮城県名亘地区(旧名取郡+亘理郡) 仙岩峠(秋田県仙北郡(現仙北市)+岩手県岩手郡 ※仙北郡は現存するが、峠の周辺は仙北市に移行) 福島県相双地域(相馬郡+双葉郡) 奥羽山脈(陸奥国+出羽国) 常磐(常陸国+磐城国) 両毛(下野(下毛野)国南西部+上野(上毛野)国南東部(東毛地域)) 上武(上野国+武蔵国) 常総(常陸国+下総国) 房総半島(上総国+安房国) 両総(上総国+下総国) 総武(下総国+武蔵国) 京葉・東葉(東京+千葉) 京王・東八(東京+八王子) 京浜・東横(東京+横浜) 京浜葉(東京+横浜+千葉) 武相・相武(武蔵国+相模国) 茨城県鹿行地域(旧鹿島郡+旧行方郡) 千葉県海匝地域(海上郡+匝瑳郡) 埼玉県埼葛地域(南埼玉郡+北葛飾郡) 東京都千代田区大丸有地区(大手町+丸の内+有楽町) 東京都江東区・江戸川区亀大小地区(亀戸+大島+小松川) 東京都(台東区および文京区)谷根千地区(谷中+根津+千駄木) 東京都練馬区石泉地区(石神井+大泉) 東京都三多摩地域(西多摩郡+南多摩郡+北多摩郡 ※3つの「多摩」。多摩全体から現在23区に含まれている旧東多摩郡を除いた地域。) 神奈川県逗葉地域(逗子市+葉山町) 甲信越地方(甲斐国+信濃国+越後国) 上信越(上野国+信濃国+越後国) 北信越地方(北陸+信濃国+越後国) 信越(信濃国+越後国) 甲信(甲斐国+信濃国) 甲武信ヶ岳(甲斐国+武蔵国+信濃国) 新潟県三古地域(三島郡+旧古志郡) 長野県長水地域(長野市+上水内・下水内郡) 長野県上小地域(上田市+小県郡) 長野県大北地域(大町市+北安曇郡) 長野県飯伊地域(飯田市+下伊那郡) 長野県松塩地区(松本市+塩尻市) 長野県松筑地区(松本市+東筑摩郡) 加越(加賀国+越中国あるいは加賀国+越前国) 静清(旧静岡市+旧清水市) 駿豆(駿河国+伊豆国) 駿遠(駿河国+遠江国) 三遠(三河国+遠江国) 三遠南信((東)三河+遠江国+南信州) 尾三(尾張国+三河国) 濃尾平野(美濃国+尾張国) 濃飛(美濃国+飛騨国) 名豊(名古屋+豊橋) 名岐(名古屋+岐阜) 名四(名古屋+四日市) 三重県桑員地域(桑名市+桑名郡+員弁郡) 三重県三泗地域(三重郡+四日市市 ※四→泗) 三重県鈴亀地域(鈴鹿市+鈴鹿郡+亀山市) 三重県飯多地域(飯高+多気) 滋賀県愛犬地区(愛知郡+犬上郡) 京滋(京都+滋賀) 京滋奈(京都+滋賀+奈良) 京阪(京都+大阪) 京阪神(京都+大阪+神戸) 京阪奈(京都+大阪+奈良) 阪神(大阪+神戸) 阪奈(大阪+奈良) 阪和(大阪+和歌山) 神明(神戸+明石) 明舞(明石+舞子) 神姫(神戸+姫路) 紀和(紀伊国+大和国) 紀淡海峡(紀伊国+淡路国) 摂河泉(摂津国+河内国+和泉国) 京都府福天加地域(福知山市+天田郡+加佐郡) 三たん・三丹(丹波国+丹後国+但馬国 ※3つの「たん(丹、但)」) 両丹(丹波国+丹後国) 但丹・丹但(但馬国+丹波国(特に兵庫丹波)) 丹有(丹波国(特に兵庫丹波)+旧有馬郡(特に三田市)) 鳥取県西伯郡大山町香取地域(香川県+鳥取県 ※香川県綾歌郡栗熊村(現丸亀市)からこの地に集団入植が行われたため) 因伯(因幡国+伯耆国) 雲伯(出雲国+伯耆国) 石見三田(石見国+浜田市+益田市+大田市 ※3つの「田」) 岡山県井笠地域(井原市+笠岡市) 岡山県阿新地域(阿哲郡+新見市) 岡山県勝英地域(勝田郡+英田郡) 備讃(備前国+備中国+讃岐国) 広島県尾三地域(尾道市+三原市) 芸予(安芸国+伊予国) 防予(周防国+伊予国) 防長(周防国+長門国) 関門海峡(下関+門司) 阿讃山脈(阿波国+讃岐国) 高知県高吾地域(高岡郡+吾川郡) 高知県高幡地域(高岡郡+幡多郡) 福北(福岡+北九州) 福博(福岡+博多) 筑豊(筑前国+豊前国) 北大(北九州+大分) 福岡県嘉飯山地域(嘉穂郡+飯塚市+山田市) 福岡県直鞍地域(直方市+鞍手郡) 福岡県京築地域(京都郡+築上郡) 福岡県豊築地域(豊前市+築上郡) 福岡県両筑地域(筑前+筑後、特に朝倉市・東峰村・久留米市田主丸地区・うきは市のことを表す。 ※筑後川を挟んだ前後両方の「筑」) 筑肥(筑前国+肥前国、筑後国+肥前国、又は筑後国+肥後国) 佐賀県杵藤地域(杵島郡+藤津郡) 佐賀県唐松地域(唐津市+東松浦郡) 大分県佐伯南郡地域(佐伯市+旧南海部郡) 大分県別杵速見地域(別府市+杵築市+速見郡) 大分県臼津関地域(臼杵市+津久見市+旧佐賀関町) 大分県宇佐両院地域(宇佐市+旧安心院町+旧院内町 ※2つの「院」) 大分県別大地域(別府市+大分市) 豊予(豊後国+伊予国) 日豊(日向国+豊後国) 宮崎県都北地域(都城市+北諸県郡) 宮崎県延岡三北地域(延岡市+北方町+北川町+北浦町 ※3つの「北」) 肥薩(肥後国+薩摩国) 鹿児島県川薩地域(旧川内市+薩摩郡) 連称による合成地名 郡・自治体名に使用されている連称地名 秋田県由利本荘市(由利郡+本荘市) 栃木県那須塩原市(那須郡+塩原町) 群馬県吾妻郡東吾妻町(東村+吾妻町) 千葉県大網白里市(大網町+白里町) 千葉県山武郡横芝光町(横芝町+光町) 福井県三方上中郡(三方町+上中町) 大阪府南河内郡千早赤阪村(千早村+赤阪村) 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町(那智町+勝浦町) 山口県山陽小野田市(山陽町+小野田市) 香川県綾歌郡(阿野郡+鵜足郡 ※阿野(あや)→綾、鵜足(うた)→歌) 香川県仲多度郡(那珂郡+多度郡 ※那珂→仲) 福岡県糸島市(怡土郡+志摩郡 ※怡土(いと)→糸、志摩(しま)→島) 鹿児島県いちき串木野市(市来町+串木野市) 鹿児島県薩摩川内市(薩摩郡+川内市) かつて自治体名として使用されていた連称地名 青森県大湊田名部市(大湊町+田名部町 ※現むつ市) 秋田県河辺郡岩見三内村(岩見村+三内村 ※現秋田市) 秋田県雄勝郡稲庭川連町(稲庭町+川連町 ※現湯沢市) 山形県南村山郡柏倉門伝村(柏倉村+門伝村 ※現山形市) 福島県耶麻郡熱塩加納村(熱塩村+加納村 ※現喜多方市) 福島県東白川郡塙笹原町(塙町+笹原村 ※現塙町) 茨城県猿島郡逆井山村(逆井村+山村 ※現坂東市) 栃木県下都賀郡桑絹町(桑村+絹村 ※現小山市) 千葉県千葉郡生実浜野村(生実+浜野 ※現千葉市緑区・中央区) 千葉県香取郡神崎米沢町(神崎町+米沢村 ※現神崎町) 千葉県安房郡館山北条町(館山町+北条町 ※現館山市) 千葉県安房郡天津小湊町(天津町+小湊町 ※現鴨川市) 神奈川県鎌倉郡腰越津村(腰越村+津村 ※現鎌倉市) 新潟県南魚沼郡中目来田村(中村+目来田村 ※現南魚沼市) 長野県更級郡稲荷山桑原町(稲荷山町+桑原村 ※現千曲市) 長野県南佐久郡田口青沼村(田口村+青沼村 ※現佐久市) 岐阜県土岐郡瑞浪土岐町(瑞浪町+土岐町 ※現瑞浪市) 三重県宇治山田市(宇治郷+山田郷 ※現伊勢市) 三重県南牟婁郡市木尾呂志村(市木村+尾呂志村 ※現御浜町) 大阪府南河内郡藤井寺道明寺町(藤井寺町+道明寺町 ※現藤井寺市) 大阪府泉南郡沼野村(沼村+野村 ※現岸和田市) 鳥取県東伯郡東郷松崎町(東郷村+松崎村 ※現湯梨浜町) 岡山県浅口郡大江連島村(大江村+連島村 ※現倉敷市) 広島県安佐郡安古市町(安村+古市町 ※現広島市安佐南区) 広島県佐伯郡岡大王村(岡+大王 ※現江田島市) 広島県芦品郡常金丸村(常+金丸 ※現福山市) 山口県大島郡家室西方村(地家室村+沖家室村+西方村 ※現周防大島町) 山口県大島郡小松志佐村(小松村+小松開作村+志佐村+笠佐島 ※現周防大島町) 山口県吉敷郡矢原朝田村(矢原村+朝田村 ※現山口市) 山口県大津郡仙崎通村(仙崎村+通村 ※現長門市) 愛媛県南宇和郡緑僧都村(緑村+僧都村 ※現愛南町) 佐賀県東松浦郡浜崎玉島町(浜崎町+玉島村 ※現唐津市) 熊本県飽託郡小山戸島村(小山村+戸島村 ※現熊本市東区) 熊本県飽託郡河内芳野村(河内村+芳野村 ※現熊本市西区) 大分県北海部郡佐賀市村(佐賀村+市村 ※現大分市) 大分県直入郡久住都町(久住町+都野村 ※現竹田市) 鹿児島県姶良郡隼人日当山町(隼人町+日当山町 ※現霧島市) その他の連称地名 鳥取県八頭郡八頭町隼郡家(隼+郡家 ※旧・船岡町郡家) 鳥取県西伯郡伯耆町福岡原(福岡+原 ※旧・岸本町福岡) 島根県安来市伯太町須山福冨(須山+福冨) 島根県安来市伯太町高江寸次(高江+寸次) 岡山県岡山市中区原尾島(原+尾島) 岡山県津山市新野山形(新野+山形 ※旧・勝田郡勝北町山形) 岡山県真庭市釘貫小川(釘貫+小川) 岡山県真庭市都喜足(都喜+足) 岡山県美作市江見吉田(江見+吉田 ※旧・英田郡作東町吉田) 広島県江田島市沖美町岡大王(岡+大王) 山口県光市岩田立野(岩田+立野 ※旧・熊毛郡大和町立野) 自然地名・通称として使われている連称地名 東京都世田谷区二子玉川地区(神奈川県川崎市高津区二子+世田谷区玉川/もしくは二子多摩川・二子橋の「二子」+玉川) 関連項目 市町村合併 ひらがな・カタカナ地名 方角地名 広域地名 瑞祥地名 Template DEFAULTSORT こうせいちめい
https://w.atwiki.jp/wikiwiki2/pages/482.html
新聞書評(2018.1-) 2018.2.25 (朝日新聞) (ひもとく)西部邁氏の仕事 松原隆一郎 東京大学教授 経済論理学序説 けだ 大衆への反逆 けしだ 保守の真髄 あ (売れてる本)大人の科学マガジン 小さな活版印刷機(池澤春菜) 『「ウルトラセブン」の帰還』 白石(原武史) 大学778.8Sh82u 道の向こうの道 森内(蜂飼耳) けあし 『新・日本の階級社会』 橋本健二(諸富徹) 7FS361.8ハ 大学(サンライズ)361.8H38n 公361.8H38 見知らぬ記憶 小林紀晴(宮田) (池上冬樹が薦める文庫)て 限界点 ディーヴァー あ 海を撃つ 吉村龍一 けあ 白石城死守 山本周五郎 没後50年で著作権フリー あ 『貧困の戦後史』 岩田(斎藤美奈子) 8F368.2イ 市立368イ 大学368.2I97h 『スーパーインテリジェンス』 超絶AIと人類の命運 ボストロム(佐倉統) 県立 8F007.1ホ 大学007.13B66s AIと人類 少女を殺す100の方法 白井(末國) けあ 『絶滅危惧種ビジネス』 ボイド(市田) 県立 市立666ボ 大学666.9V87z (著者)保守と立憲 中島 けだ (毎日新聞) 『銀行不要時代』 生き残りの条件 吉澤(藻谷) 県立 8FN338.6ヨ 市立338ヨ大学338.61Y94g 六338ヨ 『銀河鉄道の父』 門井(湯川) 県立 7Fカト 市立カド 大学913.6Ka14g 六913カ (この3冊)文豪と近代の犬 仁科邦男選 平凡 二葉亭四迷 硝子戸の中 夏目漱石 黒牡丹 川端康成 小村雪岱随筆集(渡辺) 単純な生活 阿部(荒川) 『小水力発電が地域を救う』 中島大 県立 市立543ナ 『ルポ川崎』 磯部 8F368イ 市立368イ 大学368I85r シベリウス 神部 け 『ウィトゲンシュタインの誤診』 『青色本』を掘り崩す 永井均 市立134ナ 大学134.97N14 ☆青色本の訳出とコメント 京都学派 菅原 けあ 『E=mc2のからくり』 山田 県立 市立421ヤ 『統計ソフト「R」超入門』 逸見 県立 市立417ヘ (著者)『伴走者』 浅生 7Fアソ 市立アソ バテレンの世紀 渡辺京二(井波律子) けあしだろ (昨日読んだ文庫)原田まりる ひとを<嫌う>ということ 中島 けあし (読売新聞) (平成時代名著50)(6)斎藤史全歌集 (著者)幼年 水の町 小池昌代 けあ 玄関から覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ 木下(一青) 『移民の政治経済学』 移民にまつわる不都合な真実 ボージャス(三浦) 県立 市立334ボ 大学334.45B65i 畜生・餓鬼・地獄の中世仏教史 生駒(本郷) けだ 玄鳥さりて 葉室(橋本) けあ 『広辞苑を3倍楽しむ その2』 岩波科学ライブラリー 県立 市立404コ2 大学404Ko39.2 『極夜行』 角幡唯介(服部) 県立 7FT297.8カ 市立297カ 大学297.8Ka28k なぜ世界は存在しないのか ガブリエル(伊藤) しだ 『戦前日本のポピュリズム 日米戦争への道』 筒井清忠(奈良岡) 中公新書 7FS312.1ツ 大学2471 『オッペケペー節と明治』 永嶺重敏(戌井) 県立 大学767.8N15o 『フクシマ 2011-2017』 土田ヒロミ(土方) 市立748ツ (日経新聞)2.24 (この1冊)『戦前日本のポピュリズム 日米戦争への道』 筒井清忠(井上) 中公新書 7FS312.1ツ 大学2471 (半歩遅れの読書術)角幡唯介 『ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた』 『子犬に脳を盗まれた!』 ハリー・ニルソンの肖像 シップトン(湯浅) だ 百年泥 石井(佐々木) けあしろ 『刑務所の読書クラブ』 教授が囚人たちと10の古典文学を読んだら ブロットマン 県立 7F933フ 市立936ブ 公 中世の喫茶文化 橋元 け 『スーパーインテリジェンス』 超絶AIと人類の命運 ボストロム(松尾) 県立 8F007.1ホ 大学007.13B66s 評伝 ゲルハルト・リヒター エルガー(建畠) け 米中海戦はもう始まっている ファベイ 『人類の進化が病を生んだ』 テイラー 県立 8F491.6テ 市立491テ 大学491.69Ta98j (あとがき)『九十八歳になった私』 橋本治 30年後 県立 7Fハシ 市立913.6ハシ 人生100年時代の国家戦略 藤沢 『転換日本』 地域創生の展望 月尾嘉男 2017.12 16の成功事例 県立 市立318ツ あなたはアベノミクスで幸せになれるか? (広告)×男性機能の「真実」 永井 『誰が世界を支配しているのか?』 チョムスキー 県立 8F319.0チ 市立319チ 『まんがでわかる理科系の作文技術』 市立 大学407Ki46m ☆ スライドは10分講演で7-8枚、1枚のスライドには8行以内、10分間で400字詰めの原稿用紙6枚 『その情報、本当ですか?』 塚田 県立 6FY204ツ 市立081イ866 『済州島四・三事件』 「島のくに」の死と再生の物語 文 岩波現代文庫 大学G-377 1万人以上が犠牲に 脳力のレッスン5 ひとはなぜ戦争をするのか 寺島 あだ ×最速で筋肉をつける技術 『西洋美術史』 世界のビジネスエリートが身につける教養 木村 青森 市立702キ 大学702.3Ki39s 公 西洋の精神史でもある。 (映画)イーストウッド(アメリカン・スナイパー、硫黄島からの手紙、ハドソン川の奇跡、15時17分、パリ行き 『地元経済を創りなおす』 分析・診断・対策 枝廣淳子 県立 7FS601.1エ 市立601エ 大学1704 公 ベルルスコーニの時代 ポピュリズムの原点 けあ 経済数学入門の入門 けあだ 『新・日本の階級社会』 ×NYとワシントンのアメリカ人がクスリと笑う日本人の洋服と仕草 安積 なぜ世界は存在しないのか ガブリエル しだ ×「血管を鍛える」と超健康になる! ×逆境のリーダー 大塚 銀の匙 齋藤孝 あ シンデレラ 中野京子 あ 10分作りおき 井上 あ 『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇』 出口 青森 市立210.1デ 『会計士は見た!』 前川 県立 8FN336.8マ 市立336マ 2018.2.18 (朝日新聞) (ひもとく)ル・グィンの世界 小谷真理 『影との戦い』 ゲド戦記1 ファンタジーと言葉 けあし 闇の左手 あ オメラスから歩み去る人々(風の十二方位 所収) あ 空飛び猫 村上春樹訳 けあし (売れてる本) 『〆切本』 県立 8FA914.6シ 市立、『〆切本2』 県立 8FA914.6シ2 市立 大学914.68Sh47.2(武田) ラテンアメリカ五〇〇年 清水(柄谷行人) 岩波現代文庫 だ 硬きこと水のごとし えん(円城) けあし 『告白』 あるPKO隊員の死・23年目の真実 旗手(NHKディレクター)(市田) 県立 8F329.5ハ 市立329ハ 大学329.5H42k 『核戦争の瀬戸際で』 ペリー(立野) 市立319.8P42k 大学319.8P42k 漱石を知っていますか 阿刀田(保坂) けあし 『ハックルベリー・フィンの冒けん』 トウェイン 柴田元幸訳 研究社(横尾) 県立 6FY91トウ 市立933ト 大学(サン)933.6TwH ひらがなでよめない ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた 高橋源一郎(サンキュータツオ) け 『ギガタウン 漫符図譜』 こうの(野矢) 市立726コ 大学726.1Ko76g (著者)ひねもすのたり日記1 ちばてつや (情報フォルダー) 文豪の朗読 け 『ガウディ完全ガイド』 県立 8F520.8カ 市立520.8ガ (ビジネス)NTTドコモアグリガールの突破力 け (新書) 世界神話学入門 後藤 けあ ガンディー 竹中 けあだ 『倭の五王』 王位継承と五世紀の東アジア 河内春人 県立 7FS210.3コ 市立210.3コ 大学2470 中公新書 男性という孤独な存在 橘木 だ (古典百名山 大澤真幸) 言葉と物 フーコー 新潮社 しだ (毎日新聞) 『ハックルベリー・フィンの冒けん』 柴田訳(池内) 県立 6FY91トウ 市立933ト 大学(サン)933.6TwH ひらがなでよめない。 愛蔵版 モリー先生との火曜日 アルボム(村上) けあし (この3冊)パリジェンヌ 深井晃子選 パリ五段活用 鹿島 けあ 『ボヌール・デ・ダム百貨店』 ゾラ 近代化にゆれるパリ市民 県立 7F953ソ 市立 公立 『琥珀の眼の兎』 ヴァール 祖先の実話。新興富裕階級の時代。 県立 7F933ト 市立936ド ギリシアの抒情詩人たち 沓掛(三浦) け 『斎宮』 中公新書(持田) 7FS210.3エ 大学2452 (著者)外地巡礼 西 『オープン・シティ』 コール(江國) 県立 7Fコ 市立933コ 大学933.7C84o (昨日読んだ文庫)蒼井ブルー 『漁港の肉子ちゃん』 西加奈子 県立 青森 市立913.6ニシ (読書日記)2.17 『流れとかたち』 ベジャン(松井孝典) 市立401ベ (読売新聞) (平成時代名著50 5)自民党 北岡 けあし (ポケットに1冊)珍品堂主人 井伏鱒二 中公文庫 (著者)『「本を売る」という仕事』 書店を歩く 長岡 県立 市立024ナ 公 火星からの侵略 キャントリル(土方) けしだ 『ゲーム理論はアート』 社会のしくみを思いつくための繊細な哲学 松島斉(酒井) 県立 市立331マ 大学331.19Ma87g 公 ブータンの瘋狂聖 りんチェン編(宮下) 岩波文庫 だ 等身の棋士 北野(服部) けあ 『プーチンとロシア人』 木村(鈴木) 8F312.3キ 市立312キ 大学312.38P98Ki 『安楽死を遂げるまで』 宮下(森) 県立 8F490.1ミ 大学490.15Mi83a 市立490ミ 公 『倭の五王』 王位継承と五世紀の東アジア 河内春人(加藤) 県立 7FS210.3コ 市立210.3コ 大学2470 中公新書 『ポンコツ武将列伝』 長谷川(宮部) 青森 市立281ハ 大学281.04H36p 六281ハ 動物たちの物語 コックス あしだ (日経新聞)2.17 (リーダーの本棚)徳島県知事 飯泉嘉門 (座右の書)三国志小川訳 (その他) 二つの山河 中村 けあし 週間少年ジャンプ 太王四神記 安 あ 天下を制す三好長慶vs織田信長 出水 人間の旬 大村 けあし 藍(AI)のマホロバ 天野 け (この1冊)ギリシア人の物語 塩野(山内) (半歩遅れの読書術)角幡唯 発掘捏造 けあだ 『旧石器発掘捏造のすべて』 毎日新聞社 県立 市立 大学☆アマチュアの限界でもあるし、考古学の閉鎖性、科学教育を受けてこなかったつけかな。 桶川ストーカー殺人事件 こ 海馬の尻尾 荻原(池上) けあ 『「ウルトラセブン」の帰還』 白石(切通) 大学778.8Sh82u 『藤原氏』 倉本 7FS288.3ク 大学2464 母・娘・祖母が共存するために 信田 あろ (新書) 21世紀の長期停滞論 福田 だ 原子力規制委員会 新藤 審査・訴訟の解説には偏り けあだ ジェイン・オースティンに学ぶゲーム理論 チェ(小島) だ 岩瀬忠震 小野寺(瀧井) け 中国 新たな経済大革命 肖 あし 『移民の政治経済学』 移民にまつわる不都合な真実 ボージャス 県立 市立334ボ 大学334.45B65i (あとがき)『濱田マリの親子バトル!』 濱田マリ 青森 市立 (広告) 『世界をまどわせた地図』 県立 8F290.3フ 市立290.3ブ 大学290.9B76s 六290ブ 『失敗だらけの人類史』 英雄たちの残念な決断 県立 8F204ウ 市立204ウ 大学204W55s 『超AI時代の生存戦略』 落合 県立 8F304オ 大人の言葉づかい 斎藤 あ やみつきバズレシピ あし 『工学部ヒラノ教授の終活大作戦』 県立 『八甲田山 消された真実』 県立 8FA390イ 市立396イ 大学A396.59I89h 六396イ 『父・横山やすし伝説』 木村一八 市立 『ウイルス図鑑101』 ルーシンク 県立 8F465.8ル 市立465ル 大学465.8R67u 『微隕石探索図鑑』 ラーセン 県立 8F459.8ラ 2018.2.11 (朝日新聞) (ひもとく)オリンピックと日韓 木宮正史 現代韓国の思想 岩波書店 け 先進国・韓国の憂鬱 大西 あだ 日韓外交史 趙 (売れてる本)『生きていくあなたへ』 105歳 どうしても遺したかった言葉 日野原(佐々木俊尚) 県立 8F159ヒ 市立159ヒ 六159ヒ ギリシア人の物語 塩野(山室) けあし 『雑草はなぜそこに生えているのか』 稲垣(佐伯) 6FY247イ 市立YA471イ 大学471I52z 議院内閣制 高安(斎藤) けあだ 『アカウンタビリティから経営倫理へ』 國部(諸富) 大学336.9Ko45 公 ☆ウィトゲンシュタインを含め、必要のない引用が多すぎる。読むに堪えない。 百年泥 石井(斎藤) けあしだろ 『AIが変えるクルマの未来』 中村(加藤) 県立 8F537.0ナ モビリティー進化論 ジャパン(加藤) け 『核兵器と原発』 鈴木(佐倉) 7FS539.0ス 共感のレッスン 植島(椹木) し (著者)焔 星野 けあしろ (ビジネス)『ビジネスパーソンが介護離職をしてはいけないこれだけの理由』 酒井(梶山) 市立366サ (古典百名山 桜庭一樹)恐るべき子供たち コクトー 光文社古典新訳文庫 け (毎日新聞) 記憶の海辺 池内(川本) け こころは内臓である 計見(養老) けだ (この3冊)チャップリン 大野裕之選 チャップリン自伝 あだ 小説ライムライト けあし チャップリン ロビンソン けあし 母・娘・祖母が共存するために 信田(鹿島) あしだろ 魔法にかかった男 ブッツァーティ(若島) けあ (著者)目に見えない世界をあるく 広瀬 あ 告白 旗手 あるPKO隊員の死(加藤) し (昨日読んだ文庫)日暮 ブラウン神父の童心 あ 赤頭巾ちゃん気をつけて 1918年最強ドイツ軍はなぜ敗れたのか 飯倉 だ (読売新聞) (著者)『不死身の特攻兵』 鴻上 7FS210.7コ 市立210.7コ 『口笛の上手な白雪姫』 小川洋子(尾崎) 県立 7Fオカ 市立オガ 『盗まれる大学』 中国スパイと機密漏洩 ゴールデン(奈良岡) 県立 8F391.6コ 大学391.65G61n 『裁判の原点』 社会を動かす法学入門 大屋(酒井) 県立 8F327.0オ 市立327オ 大学327.01O94s 河出ブックス109 百年泥 石井(朝井) 金曜日の本 吉田(岸本) けあ 命の価値 サンスティーン(三浦) だ 琉球王国那覇役人の日記 下郡(本郷) けだ オーパーツ 蒼井(宮部) このミス受賞作 けあし ×東京わが残像 田沼 (日経新聞) (今を読み解く)ブロックチェーンの可能性 中島真志 ブロックチェーン革命 野口 社会的インパクトを解説 けあしだ ブロックチェーンの未来 翁 専門家が解説 こ ブロックチェーン技術の未解決問題 松尾 注意喚起 『ブロックチェーン・レボリューション』 タプスコット 世界への影響を いちばんやさしいブロックチェーンの教本 杉井 だ (この1冊)『正規の世界・非正規の世界』 神林(岡崎) 市立366カ (半歩遅れの読書術)角幡唯介 日本共産党の研究 中核VS革マル 十六の墓標 (新書) 2030年 未来への選択 西川 ソロ ダスグプタ(中むあr) 記憶と空想 けあし 明智小五郎回顧談 平山(門井) けあし 英語教育の危機 鳥飼玖美子 あだこ 『大西巨人と六十五年』 大西 県立 7F910.2オ 市立910.268オし 『UPSTARTS』U ストーン(小関) シェア経済の旗手 県立 大学673.99St7u 『西郷隆盛はなぜ犬を連れているのか』 仁科(水原) あおもり 市立289サ 大学289.1Sa18N ×大量生産品のデザイン論 佐藤卓 PHP新書 棋士とAI 王 岩波新書 けあだ (あとがき)『フィギュアほど泣けるスポーツはない!』 織田 市立784オ 『ジェネリック』 グリーン 県立 市立499グ (広告) 図解 英単語イメージ辞典 け、英語語義イメージ辞典 ×「手で書くこと」が知性を引き出す 『「脳を本気」にさせる究極の勉強法』 県立 青森 リミットレス! 大嶋 み 『デカルトの憂鬱』 津崎 外山滋比古激賞 市立135ツ 『究極の疲れないカラダ』 仲野 8F492.7ナ 市立492.7ナ492.7/ナ/ 2018.2.4 (朝日新聞) (ひもとく)がんとともに 最相葉月 『がん 4000年の歴史』 ムカジー 『がん哲学外来へ ようこそ』 樋野 今日から第二の患者さん 青しか (売れてる本)残像に口紅を 筒井(塩田) あ 源氏物語1 ウェイリー版 (蜂飼耳) ウェイリー訳を日本語に。岩波文庫源氏物語は注だけで原文が読める画期的な本 し? 『アメリカの汚名』 第二次世界大戦下の日系人強制収容所 リーヴス(保坂) 県立 8F334.4リ 市立334リ 大学334.45R23a 六334リ 『宇宙飛行の父 ツィオルコフスキー』 人類が宇宙へ行くまで 的川(宮田) 県立 8F289.3ツ 市立289ツ 大学289.3Ts12M 六289ツ セトウツミ 8巻 (野矢) マンガ 文学問題(F+f)+ 山本(円城) け 『運慶のまなざし』 宗教彫刻のかたちと霊性 金子(横尾) 県立 青森 市立712カ 大学712.1U75Ka 宿命の戦記 高山(原武史) けし 深読み日本文学 島田(斎藤) だ (著者)『炎の牛肉教室!』 山本 (ビジネス)『江副浩正』 馬場(小林) 8F289.1エ (新書) 「在日」を生きる 金時 『目に見えない世界を歩く』 「全盲」のフィールドワーク (平凡社新書) 7FS369.2ヒ 『語る歴史、聞く歴史 オーラル・ヒストリーの現場から』 大門正克 岩波新書 県立 7FS210.6オ 大学1693 公立 英語教育の危機 鳥飼 あだ (毎日新聞) 『ゲノムが語る人類全史』 ラザフォード(海部) 県立 市立469ラ 『老前破産』 荻原(佐藤優) 教育費が重圧で親より生活水準を下げざる得ない 市立591オ 大学591O25r (この3冊)石 西本昌司選 楢ノ木大学士の野宿(宮崎賢治童話全集 新装版 7 所収) 『三つの石で地球がわかる』 藤岡 『石ころ博士入門』 高橋 県立 7FJ45タ 市立458タ 硬きこと水のごとし えん(張) けあ 内側から見る創価学会と公明党 浅山(中島) だ おらおらでひとりでいぐも 若竹(○巣) けあし 百年泥 石井(○巣) けし (訳者)キリストは再び十字架にかけられる カザンザキス け (昨日読んだ文庫)オオヤミノル 逝きし世の面影 (読売新聞) (著者)考える障害者 青山 け おらおらでひとりいぐも 若竹(土方) 歌う鳥のキモチ 石塚(塚谷) けあし 精神障害とともに 南日本新聞(森) し 戦間期国際政治とE.H.カー 山中(苅部) だ 白百 原研哉(伊藤) けしだ 『ジェネリック』 グリーン(宮下) 県立 市立499グ 『天文の世界史』 廣瀬(加藤) 大学440.2H72t ×喜劇としての国際ビジネス レヴィン(鈴木) (文庫新書) 島津家の戦争 米窪 あ ×京都・イケズの正体 石川 物語のおわり 湊 けあしろ 『仁義なき幕末維新』 われら賊軍の子孫 菅原 半藤 市立210.5ス (記者が選ぶ) 古代史講義 佐藤 ちくま新書 あ (日経新聞) (リーダーの本棚)野村総合研究所社長 此本臣吾 (座右の書) ○○の言葉 芥川龍之介 立原道造詩集 小山編 雪国 川端 (その他) ターニング・ポイント カプラ あ 東洋的生命観と学問 石川 『<インターネット>の次に来るもの』 ケリー 対デジタル・ディスラプター戦略 ウェイド 『限界費用ゼロ社会』 リフキン 共産主義から見た夢 パイプス け (この1冊)『盗まれる大学』 中国スパイと機密漏洩 ゴールデン(塚本) 県立 8F391.6コ 大学391.65G61n 中国 (ベストセラーの裏側)『不死身の特攻兵』 組織の不条理 7FS210.7コ 市立210.7コ (半歩遅れの読書術)角幡唯介 本多勝一 カナダ=エスキモー、ニューギニア高地人、『創造的な登山』とは何か(山を考える 所収)、植村直己の冒険 いのち 瀬戸内寂聴(荒川) けあしろ 硬きこと水のごとし えん(泉) 文字に美はありや。 伊集院 けあし 巡り逢う才能 マクドナルド け 『DEEP THINKING』 ディープ・シンキング 人工知能の思考を読む カスパロフ(森山) 大学796.9Ka78d 羽生善治解説 第16代チェスチャンピオンのガスパロフによる 『猫はこうして地球を征服した』 タッカー(渡辺) 県立 8F645.7タ 市立645タ 大学645.7Tu2n 六645タ 『テヘランからきた男』 西田厚聰と東芝壊滅 児玉 県立 8F549.6コ 大学540.67Ko18t 佐藤栄作 服部 あ (あとがき)幸福な水夫 木村 あし (広告) ベイズモデリングの世界 け 『老後と介護を劇的に変える食事術』 食べてしゃべって、肺炎、虚弱、認 県立 青森 市立498.5カ ×退歩のススメ ×40代でシフトする働き方の極意 佐藤優 いま蘇る柳田國男の農政改革 山下 け ゲーム理論はアート 松島 けしだ 『京都ぎらい 官能篇』 井上 7FS361.4イ 市立361.4イ 『最高の飲み方』 葉石 県立 7FF498.3ハ 市立 『起業の科学』 スタートアップサイエンス 田所 県立 青森 大学335Ta16k 『世界一幸せな子どもに親がしていること』 アコスタ オランダメソッド 県立 7FF599ア 市立599ア 『外国人が熱狂するクールな田舎の作り方』 山田 県立 青森 公新書689.4Y19 『オペレーションZ』 真山仁 『棲月 隠蔽捜査7』 今野 『シャーデンフロイデ』 中野 他人を引きずり下ろす快感 県立 市立491ナ ×言ってはいけない宇宙論 小谷 内蔵脂肪を最速で落とす 奥田 あ 戦略の本質 折木 自衛隊元幹部が教える み 『仕事の勝ち方』 日本電産永守重信が社員に言い続けた 田村 大学542.06Ta82n 『新・日本の階級社会』 橋元 格差ではなく、階級 『ブレイン・プログラミング』 目標を紙に書く ファシズムの正体 佐藤優 け 『AIに心は宿るのか』 松原 市立007マ 公 「最前線の映画」を読む 町山 暗号を解読 し 英語の品格 けだ 2018.1.28 (朝日新聞) (ひもとく)女子の居場所 トミヤマユキコ 私の居場所はどこにあるの? 藤本 けあしだ プリンセスメゾン 池辺 傘寿まり子 おざわ 白エリと青エリ 関根 (売れてる本)『銀河鉄道の父』 門井(目黒) 『地下鉄道』 ホワイトヘッド(円城) 県立 7F933ホ 市立933ホ 大学933.7W68c 六933ホ ネバーホーム ハント(円城) けあし いのち 瀬戸内寂聴(横尾) けあし タンゴ・イン・ザ・ダーク ヒロ(斎藤) け 幼なじみ萌え 玉井(サンキュータツオ) (文庫 池澤春菜) とうもろこしの乙女、あるいは七つの悪夢 オーツ けあし アリスマ王の愛した魔物 小川 SF あ 修道女フィデルマの挑戦 シリーズ 古代アイルランド あ 風神の手 道尾(末國) 嘘が中心の名作(球体の蛇、水の柩)の到達点 けあし インパール作戦従軍記 日の(椹木) 戦後戦犯作家、自死 け 『ルポ川崎』 磯部(市田) 元不良少年 8F368イ 市立368イ 大学368I85r ×(著者)大量生産品のデザイン論 佐藤卓 目指すは「無名性のデザイン」 ×エヴァの震える朝 シュロス アウシュビッツから生還 (オーサービジット 和田竜) 小太郎の左腕 けあしろ のぼうの城 忍びの国 けあしろ 村上海賊の娘 戦国時代の余談のよだん。 けあし (エンタメ 前島賢) クトゥルーの呼び声 ラヴクラフト 決して難解ではない あだ? (毎日新聞) 白磁海岸 高樹(小島)けあし 『科学の不定性と社会』 現代の科学リテラシ 本堂(内田) 県立 大学404Ka16 (この3冊)西郷隆盛とニッポン人 西郷隆盛紀行 橋川 だこ 翔ぶが如く 司馬 西郷隆盛と明治維新 板野 あ 名優の食卓 大島(渡辺) 『絶滅の人類史』 更科(池澤) 県立 大学(サン)469.2Sa69z 千年の田んぼ 石井 けあしろ 戦国大名の危機管理 黒田 け ギリシア人の物語Ⅲ 新しき力 塩野(本村) けあし 『アレクサンドロス大王 東征路の謎を解く』 森谷公俊(本村) 県立 市立231モ ☆冒険譚 (著者)オリンピック・デザイン・マーケティング 加島卓 けだ (昨日読んだ文庫)尾池和夫 孤独の発明 オースター けあ ボクの音楽武者修行 小澤征爾 あし (読売新聞) (平成時代名著50 岡ノ谷)『ホーキング、宇宙を語る』 (著者) 藤沢周平 遺された手帳 遠藤 し 43回の殺意 石井(見呼べ) ルポ川崎中学生殺人事件 けあし 憲法で読むアメリカ現代史 阿川(三浦) けあだ 『ブランド戦略論』 田中(坂井) 大学675Ta84b 公 人生ごっこを楽しみなヨ 毒蝮(戌井) あ そのバケツでは水がくめない 飛鳥井(朝井) けあし クルト・ヴァイル 田代(鈴木) け 『藤原氏』 倉本(本郷) 7FS288.3ク 大学2464 『ボーリンゲン』 過去を集める冒険 マガイアー(土方) 県立 ユングに傾倒したアメリカン人夫妻によるボーリンゲン基金。資金援助。 『木のものづくり探訪』 関東の木工家20人の仕事 西川 県立 8F754.3ニ 市立754ニ (日経新聞)1.27 (この1冊) 『Hit Refresh』 マイクロソフト再興とテクノロジーの未来 ナデラ(徳だ) マイクロソフトのCEO。共感力 市立007ヒ 未完の西郷隆盛 先崎(安藤礼二) だ 季語体系の背景 宮坂(高野) けあし (半歩遅れの読書術)永田和宏 時間と自己 木村 あだ (新書) 美術の力 宮下 あこ 新しい小説のために 佐々木 けあし ×貧しい出版者 荒木 オリンピック・デザイン・マーケティング 加島(難波) けこ 朝鮮思想全史 小倉(木村) だ カストロ ラフィ けあ ×中国ごみ問題の環境社会学 金 (あとがき)『「コミュ障」だった僕が学んだ話し方』 吉田 市立809ヨ 公 ×コーポレート・ガバナンス「本当にそうなのか?」 円谷 海藻王国 け 女王ロアーナ、神秘の炎 け (広告) 『日本の起源は日高見国にあった』 田中 市立210.3タ 『B.C.1177 古代グローバル文明の崩壊』 クライン 県立 市立209ク 新哲学対話 飯田 あし 1968文化 四方田 け 『日本人が知らない満洲国の真実』 市立222ミ ×韓国と日本がわかる最強の韓国史 八旗 岩波新書 マルクス 資本論の哲学 熊野 けあだ 内村鑑三 若松 けあしだ イスラーム主義 末近 けあだ 茶と琉球人 武井 けあだ 自由への大いなる歩み キング あだ 『技術の街道をゆく』 畑村 県立 7FS502.1ハ 大学1702 失権 島田文六 ろ 『アースダイバー 東京の聖地』 県内 明治神宮と外苑、築地市場 告白 旗手 PKO隊員の死 けしだ 『日本の土偶』 江坂輝彌 県立 市立 大学 1990 意味という病 柄谷行人 け 『ひらめきを生む 「算数」思考術』 問題解決力を高める厳選43題 ブルーバックス 県立 市立410ア 『発酵の科学』 中島 県立 7FS588.5ナ 市立588ナ 方程式のガロア群 金 けし なぜ世界は存在しないのか ガブリエル けあしだ こころは内蔵である 計見 けだ 西洋美術史 木村 世界のエリート あしだ 2018.1.21 (朝日新聞) (ひもとく)エルサレムの首都問題 立山良司 防衛大学校名誉教授(中東現代政治) 引き裂かれた道路 ニッセンバウム けだ エルサレム 記憶の戦場 エロン けだ 世界史の中のパレスチナ問題 臼杵 あ (売れてる本)『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』 神田 青森 市立 バテレンの世紀 渡辺京二(原武史) けあしだろ 戦争調査会 井上(保阪正康) けあだ(関連 ×太平洋戦争前史 青木) 情動の哲学入門 信原(野矢) だ 『仙人と呼ばれた男』 画家・熊谷守一の生涯 田村(宮田) 県立 8F723.1ク 市立723タ 大学723.1Ku33T 代表の概念 ピトキン(斎藤) だ 『脳の意識 機械の意識』 渡辺(佐倉統) 7FS491.3ワ 大学2460 『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』 佐光(佐伯) 市立367.2サ 『化学者たちの京都学派』 古川(諸富) 化学を数学化・理論化 市立430フ 大学430.28F93k (著者)『不死身の特攻兵』 鴻池 7FS210.7コ 市立210.7コ (ビジネス)小さな企業が生き残る 金谷(清野) けだ (新書) 『我々はなぜ我々だけなのか』 川端 県立 市立469カ 大学469.2Ka91w(サンライズ) 100語でわかる色彩 ガリエンヌ けだ 明治維新150年を考える 一色 こ 『日本軍兵士』 吉田 7FS391.2ヨ 市立391ヨ 大学2465 (古典百名山 大澤真幸)アメリカのデモクラシー トクヴィル (毎日新聞) ×数と夕方 管啓次郎詩集(堀江) 『脳の意識 機械の意識』 渡辺(中村桂子) (この3冊)数学で世界を読む 小島寛之選 ×・ほんとうに使える数学 基礎編 芳沢 『生き抜くための数学入門』 新井紀子 6FY241 市立 六410ア 『神は数学者か?』 リヴィオ 健康格差 NHKスペシャル取材班(大竹) 所得や地域で異なる あだ 西東三鬼全句集(荒川) け 復興百年誌 武村 け きょうも傍聴席にいます 朝日新聞 (母さんごめん、もう無理だ の次 けあし) (著者)学童集団疎開 一條三子 けあし 史上最悪の英語政策 阿部(沼野) けだ (関連 英語教育の危機 鳥飼玖美子 あだこ) (昨日読んだ文庫)河田 沼地のある森を抜けて 梨木香歩 けあし あなたの人生の物語 チャン あ(映画 メッセージの原作) ×出土遺物から見た中国の文明 稲畑 (読売新聞) (平成時代 名著50)『収容所から来た遺書』 辺見じゅん(著作 男たちの大和) (著者)逃げ切る力 馬 記憶の海辺 池内(宮下) け 天涯無限 アスラーン戦記16 田中(加藤) 最終巻 中国史に対する深い造詣が隠し味(著作 銀河英雄伝説) 歴史と国家 メール(奈良岡) け 『ローカリズム宣言』 「成長」から「定常」へ 内田樹(服部文祥) 県立 市立304ウ 大学304U14r 『次の震災について本当のことを話してみよう。』 福和(塚谷) 8F369.3フ 市立369フ 大学(サンライズ)369.31F84t 代表の概念 ピトキン(苅部) だ 火の後に 片山廣子翻訳集成(土方) け 日米地位協定 明田(森) けあだ 『鉱物のお菓子』 琥珀糖と洋菓子と鉱物ドリンクのレシピ さとうかよこ 県立 市立 (日経新聞)1.20 (リーダーの本棚)富国生命保険社長 米山好映 (座右の書) 『反哲学入門』 木田 (その他) 日本の思想 丸山真男 成熟と喪失 "母"の崩壊 江藤淳 寡黙の巨星 阪口 け 知識創造企業 野中 だ 『会社はこれからどうなるのか』 岩井 場の思想 清水 け 免疫の意味 多田 (この1冊)『脳の意識 機械の意識』 渡辺(池谷) (半歩遅れの読書術)永田和宏 未青年 春日 三島由紀夫が激賞 ネバーホーム ハント(谷崎) けあし 小林秀雄 美しい花 若松(菅) け 『日本神話はいかに描かれてきたか』 近代国家が求めたイメージ 及川智早 県立 8F164.1オ 市立164オ 大学164.1O32n 新潮選書 『安楽死を遂げるまで』 宮下 県立 8F490.1ミ 大学490.15Mi83a 市立490ミ 公 戦争調査会 井上(小菅) けあだこ 『貧困の戦後史』 岩田(佐藤) 8F368.2イ 市立368イ 大学368.2I97h 筑摩選書 アメリカの汚名 リーヴス 日系人収容 けし 『ハッパノミクス』 ウェインライト 麻薬王 県立 市立368ウ (あとがき)『はじめての八十歳』 山藤章二 県立 7Fヤマ 市立914.6ヤ STARTUP起業家のリアル 村山 『サルはなぜ山を下りる?』 野生動物との共生 室山 県立 市立615ム (広告) 『奇跡の人』 原田 県立 7Fハラ 市立 公 『数え方のえほん』 7FJ81タ国3 市立815タ 六815タ 『シャーデンフロイデ』 中野信子 県立 市立491ナ 『寿命の9割は腸で決まる』 市立493マ 岩波新書 『近代日本150年』 科学技術総力戦体制の破綻 山本義隆 科学の体制化破綻 岩波新書 県立 7FS502.1ヤ 大学1695 公 イスラーム主義 末近 けあだ 茶と琉球人 武井 けあだ ×ハーバード メディカルスクール式 人生を変える集中力 『自分を休ませる練習』 しなやかに生きるためのマインドフルネス 8F159ヤ 市立 『マタギ』 矢口高雄 市立726ヤ 『八甲田山 消された真実』 伊藤 県立 8FA390イ 市立396イ 大学A396.59I89h 六396イ 追及力 森 けあ 1985年の無条件降伏 け 美術の力 宮下 あ 『雲を愛する技術』 荒木健太郎 光文社新書 大学451.61A64k 蒼き山嶺 馳 けあしろ 2018.1.14 (朝日新聞) (ひもとく)犬の物語 町田康 犬心 伊藤比呂美 けあし 畜犬談 太宰治(きりぎりす 所収 新潮文庫) 『ルンタ』 山下澄人 (売れてる本)屍人荘の殺人 今村昌弘(阿部) けあし 大国 葉室麟(末國) 天翔ける 葉室麟(末國) けあしろ おらおらひとりでいぐも 若竹(佐伯) けあしだろ 煉獄と地獄 松田(横尾) け 文化資本 ヒューイソン(椹木) だ 『のこった』 もう、相撲ファンを引退しない 星野(原武史) 7FX788.1ホ 市立788ホ 『11の国のアメリカ』 ウッダード(山室) 『デジタル・エコノミーはいかにして道を誤るか』 エイヴェント(加藤) 県立 8F331.8エ 大学366.04A96d 公 (著者)「福沢諭吉」とは誰か 平山 (ビジネス)『下町ボブスレーの挑戦』 細貝 県立 市立784ホ 六784ホ (新書) 脳の誕生 大隅 だ 大人のための言い換え力 石黒 あ 南北朝 林屋 しだ ルポ不法移民 田中 けあだ (古典百名山 桜庭一樹) 肉体の悪魔 ラティゲ (毎日新聞) 「新しい働き方」の経済学 井上(松原) けだ メイキング インゴルド(三浦)第4章で著者の意図 けだ (この3冊)当たり前の疑い方 塩瀬隆之 『ちいさなちいさな王様』 ハッケ 県立 6FY91ハツ 市立 エンデの遺言 河○ けあし 木を見る西洋人 森を見る東洋人 ニス別途 けあだ 中国政治経済史論 胡○(橋爪大三郎) 中国関連の必須図書 だ ハームリダクションとは何か 松本(斎藤) だ (著者)「新しき村」の百年 前田 『北朝鮮 核の資金源』 「国連捜査」秘録 古川(岩間) 県立 8F319.2フ 市立319フ 大学319.21F93k (昨日読んだ文庫)篠原 しろいろの街の、その骨の体温の 村田 けあし (読売新聞) (著者)たべたいの 壇蜜 『ノーラ・ウェブスター』 トビーン(本郷) 県立 7F933ト 市立933ト イエズス会士と普遍の帝国 新居(苅部) だ 戦後の精神史 平川(橋本) しだ 働く、働かない、働けば 巳年キリン(朝井) し アメリカ 暴力の世紀 ダワー(宮部) けあしだろ 『例外時代』 レヴィンソン(鈴木) 県立 8F333.6レ 市立333レ 大学332.06L57r 公 現在の低成長が「平常」経済であり、第二次世界大戦後の高度成長期こそが「例外」 『時代を「写した」男ナダール』 石井(伊藤) ランニング・サイエンス ブルーワーほか(服部) けあだ スティーヴ・マッカリーの『読む時間』 マッカリー あ (日経新聞)1.13 (今を読み解く)AI時代の人間の働き方 玄田有史 『仕事消滅』 AIの時代を生き抜くために、いま私たちにできること 鈴木 大学366.04Su96s 講談社+α新書 『人工知能の核心』 羽生善治 NHKスペシャル取材班 7FS007.1シ 市立007ジ 大学007.13H11j ×・人工知能を超える人間の強みとは 奈良 (この1冊)例外時代 レヴィンソン(奥村) けあ (半歩遅れの読書術)永田和宏 ポーの一族 萩尾 動物のお医者さん 佐々木倫子 ニッポン放浪記 ネイスン(キャンベル) けあし 『世界を変えた6つの「気晴らし」の物語』 ジョンソン(原) 県立 青森 市立507ジ 大学507.1J64s 六(前作 『世界をつくった6つの革命の物語』 県立 青森 市立507ジ 六507ジ) 「新しき村」の百年 前田 クラシック音楽とは何か 岡田 けあし 『米中戦争前夜』 新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ アリソン(中西) 県立 8F319.5ア 市立319ア 大学319.53A41b 『3億人の中国農民工 食いつめものブルース』 山田(阿古) 県立 市立366ヤ 大学366.2Y19k MONEY ウィーラン しだみ こ アメリカ太平洋軍 梶原 けあ (あとがきのあと)『目に見えない世界を歩く』 「全盲」のフィールドワーク (平凡社新書) 7FS369.2ヒ 不安な個人、立ちすくむ国家 経産省若手プロジェクト けあ 『数をかぞえるクマ サーフィンするヤギ』 レシオ 県立 市立481レ 六481レ 2018.1.7 (朝日新聞) (ひもとく)大好き西郷さん ペリー荻野 西郷隆盛の言葉100 高橋 西郷内閣 早瀬 あ 『西郷隆盛はなぜ犬を連れているのか』 仁科 (売れている本)『こわいもの知らずの病理学講義』 仲野 県立 8F491.6ナ 市立491ナ 大学491.6N39k 公 アメリカ 暴力の世紀 ダワー(齋藤) けあしだろこ 火定 澤田(末國) 奈良時代 けあし 新しい小説のために 佐々木(サンキュータツオ) 文芸批評 けあしだ 『私がアルビノについて調べ考えて書いた本』 当事者から始める社会学 矢吹(椹木) 県立 市立493ヤ 『縄文の思想』 縄文は生きている 瀬川(宮田) 神話・伝説ではアイヌと古代日本の海民(古事記、日本書紀、風土記)と共通する 県立 7FS210.2セ 大学210.25Se16j 公 人魚の石 田辺(蜂飼耳) けあ 学校では教えてくれない差別と排除の話 安田(野矢) けあ 『「国境なき医師団」を見に行く』 いとう(市田) 県立 8F329.3イ 市立329イ 大学329.36I89k 公 (著者)バー「サンボア」の百年 新谷 けし (ビジネス)『行動経済学まんが ヘンテコノミクス』(梶山) 8F331サ 市立331ヘ 大学331Sa85h (オススメ) ふたりっ子バンザイ 石亀 (新書) 「新しき村」の百年 前田 ×・ルネサンス再入門 澤井 ブッダたちの仏教 並川 だ 『ブラック職場』 笹山 光文社新書 大学366.02Sa79b 公 (毎日新聞) 『世界のしおり・ブックマーク意外史』 猪又(川本) 県立 市立024イ おもかげ 浅田(持田) けあろ (この3冊)ジャズ・ミュージシャンの伝記 小川隆夫選 マイルス・デイヴィス自伝 けあ 『セロニアス・モンク』 独創のジャズ物語 ケリー 県立 『コルトレーン』 ジャズの殉教者 資本主義と死の欲動 フロイトとケインズ ドスタレール(養老) だ ノーベル賞の舞台裏 ちくま新書(伊東)あだ 『日本の地下で何が起きているのか』 鎌田 戦争調査会 井上 けあだこ 『宇宙飛行の父 ツィオルコフスキー』 人類が宇宙へ行くまで 的川(村上) 県立 8F289.3ツ 市立289ツ 大学289.3Ts12M 六289ツ (著者)硬きこと水のごとし えんれんか けあし (昨日読んだ本)今井雅子 『日本語は天才である』 柳瀬 県立 ×新たなルネサンス時代をどう生きるか ゴールディン 『ピアノの名曲』 メジューエワ 7FS763.2メ (読売新聞) (著者)おちゃめに100歳!寂聴さん 瀬尾 けあし 『えがないえほん』 ノヴァク(三浦) 県立 7FJEノハ 市立JEノ 六JEノ 『天才の証明』 中田(坂井) 青森 市立77ナ 裏切られた自由 フーバー(奈良岡) フーバー大統領の回顧録 けあだ ある女の子のための犬のお話 マライーニ(尾崎) けあし ドレス 藤の(岸本) けあし 浅草ロック座の母 齋藤(戌井) あし 『138億年宇宙の旅』 がルファール(服部) 県立 8F443.9カ 市立443ガ 大学443.9G17h 六443ガ H・P・ラヴクラフト ウエルベック(土方) けあし (日経新聞)1.6 (リーダーの本棚)日本取引所自主規制法人理事長 佐藤隆文 (座右の書) バッハ全集 小学館 (その他) 赤頭巾ちゃん気をつけて 私を変えた聖書の言葉 曽根 あ 福音書をよむ旅 井上 戦略的思考とは何か 岡崎 あ 私のスイス 犬養 ロシア皇帝の密約 アーチャー あ レッド・オクトーバーを追え クランシー あろ 私の嫌いな10の人びと 中島 あし (この1冊)『11の国のアメリカ史』 ウッダード(久保) 市立250ウ (半歩遅れの読書術)永田和宏 ×・数式を使わない物理学入門 幼年 水の町 小池(神野) けあし 『イングリッシュネス』 フォックス(富山) イギリス的ユーモア 県立 市立382フ 大学382.33F42e タンゴ・イン・ザ・ダーク ヒロ 太宰治賞 け 『蒙古襲来と神風』 服部 中公新書 7FS210.4ハ 大学2461 (文庫・新書) ラテンアメリカ500年 清水 岩波現代文庫 だ 読む数学記号 瀬山 角川 (『数学記号を読む辞典』 瀬山 8F410セ 市立 公) 対デジタル・ディスラプター戦略 ウェイド(湯川) ウーバーなどの企業に既存企業はどう対処するか だこ スパイたちの遺産 カレ(松浦) けあし (あとがき)『「国境なき医師団」を見に行く』 せいこう 県立 8F329.3イ 市立329イ 大学329.36I89k 公 (広告) 品格のある英語は武器になる バーだ万 だ 東大生が教えるずるテスト術 『独学の技法』 山口 大学379.7Y24cサ マーケティングの教科書 だ 儲かる物理 鈴木 40代でシフトする働き方の極意 佐藤優 『昨日までの世界』 ダイアモンド 県立 8F389タ 市立389ダ 公 投資賢者の心理学 あ 『最後はなぜかうまくいくイタリア人』 県立 ×キャリアを手放す勇気 ×BCGが読む経営の論点2018 『日本人の源流』 核DNA解析でたどる 斎藤 県立 8F469.9サ 市立469サ 大学469.91Sa25n 六469サ
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/52598.html
登録日:2022/11/20 Sun 16 14 00 更新日:2024/09/02 Mon 12 46 16NEW! 所要時間:約 31 分で読めます ▽タグ一覧 SCP Foundation SCP-1046-JP SCP-1153-JP SCP-JP SCP財団 Thaumiel Thaumiel VS. Thaumiel falsehood ベンチャーコンテスト 予知夢 夢 完結編 愛国心 感動系SCP 所要時間30分以上の項目 抵抗 日本支部 日本支部理事会 燃えるSCP 蒐集院 見られるべき夢 報告書の閲覧が可能な全職員に以下の閲覧が許可されています。 というわけで、ここからは「検閲済み」の財団ロゴに書いてある通りセキュリティクリアランス1以上の職員、要するにほぼすべての職員が見ることのできる情報を載せていく。 SCP-1154-JPとは、シェアード・ワールド「SCP Foundation」に登場するオブジェクトである。 オブジェクトクラスはSafe。収容ができているオブジェクトに割り当てられる。 概要&特別収容プロトコル SCP-1154-JPとは「とある特定の人物」が「睡眠中に見る異常な夢」のことである。 この「特定の人物」をSCP-1154-JP-A、「異常な夢」をSCP-1154-JP-Bと呼ぶことにする。SCP-1154-JPとはこの2つの総称となっている。 それでSCP-1154-JP-Bの内容なのだが、普通の夢と同様に非現実的なことが起きる。それでもって非常に怖い夢なのである。 まあ、普通なら怖い夢を見ても数日も経てば忘れられるものだが、SCP-1154-JPは自然に忘れることができない。起きた後も夢の内容は鮮明に覚えている。記憶処理は効くが、精神的ダメージは消せないらしいので無意味。 この夢のせいで現在、精神的に不安定な人が█名、睡眠障害を患った人が█名いるとのことなので相当怖いのだろう。 ちなみにSCP-1154-JP-Aについてだが、SCP-1154-JP-Aから口頭でSCP-1154-JPのことを説明されるとその人もSCP-1154-JP-Aになるという性質がある。要するに伝染するのだ。 特別収容プロトコルは単純で、「SCP-1154-JPに関する情報交換は必ず口頭以外でやってね」のみ。 報告書やこの解説記事は口頭じゃないのでセーフ。 実験記録 ここからは実験記録を見て行こう。 実験は全て、「SCP-1154-JP-A-1」というSCP-1154-JP-Aのひとりを対象に行われた。 実験記録1154-JP-a この実験はSCP-1154-JP-Bの内容を調査するために行われた。 それで結果だが、SCP-1154-JP-A-1は「包丁を大量に持った人形に追いかけられる」という夢を見たらしい。怖い。 実験記録1154-JP-b お次もSCP-1154-JP-Bの調査。 SCP-1154-JP-A-1は、「滴のような体に目のついた人懐っこい動物を見た」と説明。どうやら怖くない夢も見るらしい。 実験記録1154-JP-c お次もSCP-1154-JP-Bの調査。 SCP-1154-JP-A-1は、「人にそっくりな実のなる桃の木を育てており、木を選定しようとしたら木に殴られた」という夢を見たらしい。 実験記録1154-JP-d お次はSCP-1154-JP-Aに対する記憶処理の効果の検証。起きた直後に記憶処理をした。 SCP-1154-JP-A-1は記憶処理の直前、「性教育をするコウノトリを見た」と言っていたが、記憶処理をほどこすと「ひどく奇妙なものを見て気分が悪くなった」と言った。 記憶処理でも完全には記憶は消えないらしい。 実験記録1154-JP-e お次もSCP-1154-JP-Aに対する記憶処理の検証。 今回は、就寝前に、SCP-1154-JPに関する記憶の全てを消去した。 すると、その後4日間は夢を見なかった。 しかし、5日目にはSCP-1154-JP-Bを見、SCP-1154-JP-A-1は「ソーダ味の焼き芋を食べた」と言っていた。 どうやら、記憶処理によってSCP-1154-JPの効果を抑制できるようだ。 現在、SCP-1154-JP-Bと実在の事柄について、何らかの関連性が指摘されており、もしもセキュリティクリアランスレベル2以下の職員が何かに気づいたら、3以上の職員に知らせること、とのこと。 これを見ているあなたはSCP-1154-JPの担当職員であり、セキュリティクリアランスは当然3以上。 また、ページ下部には以下の文言が。 「レベル3以上のセキュリティクリアランスの所有者は、こちらの資料も参照して下さい。」 というわけで、その資料とやらを見て行こう。 レベル3以上のセキュリティクリアランスの所有者にのみ以下の閲覧が許可されています。 実はこれまでのSCP-1154-JP報告書は半分ウソ。 というわけでここからはレベル3以上の職員しか見れないSCP-1154-JP報告書を見て行く。 まずオブジェクトクラスだが、Safeというのもウソで本当はKeter。 というのも実は、SCP-1154-JPに登場するものは全て財団が収容しているオブジェクトであることが判明しているのだ。 例えば「大量の包丁を持った人形」ならSCP-941-JP-2。「滴に目のついた動物」はSCP-131。「人間のような桃の木」ならSCP-101-JP。「性教育をするコウノトリ」はSCP-989-JP、「ソーダ味の焼き芋」ならSCP-598-JPという風に。ちなみに、夢の中で認識災害/ミーム系のオブジェクトを見ても現実に影響はないことがわかっている。 こんな感じで、SCP-1154-JP-Bの内容には別オブジェクトの内容が含まれる。もしかしたら機密レベルのオブジェクトだって出る可能性があるのだ。もしも、それを低クリアランスの職員が知ったら?財団のセキュリティ的にかなりヤバい。 そういうわけで、レベル2以下の職員にはカバーストーリー「消えない悪夢」を流布し、「関係性が分かったら報告してね」と書くことで、機密情報を知ってしまった職員を発見して記憶処理できるようにしている。 それで、報告書にはもう一つ、SCP-1154-JPの例が載っている。それは「海底に大きな機械が沈んでいて、おそらく壊れている」というもの。これはSCP-1153-JPだと思われる。 まだSCP-1153-JPを知らないという方は読んできてほしいのだが、SCP-1153-JPはかなりヤバいオブジェクトであり、この先も重要になってくる。 このSCP-1153-JPの記録は財団が確認したものではなく、収容前のSCP-1154-JP-Aが残した手記に書いてあったものだという。 さてさて、このSCP-1154-JPなのだが、蒐集院時代からあるもので、蒐集院の頃は別に存在が隠されることなく蒐集院に属していた人間ならみんなSCP-1154-JPを知っていたという。 だから、当時の職員の生き残りにSCP-1154-JPに関する重大な知識を持つ人がいる可能性が高く、現在調査が進められている。 その他の追加情報はこちら。 追跡調査の結果、財団が収容しているもの以外のSCP-1154-JPは発見されなかったよ。 口頭以外にSCP-1154-JPを伝染させる方法があるみたいだよ。調査中だよ。 現在、記憶処理よりも確実にSCP-1154-JP-Bを止める方法を研究中だよ。 とのこと。 さて、報告書は以上なのだが、またしてもページ下部には以下の文言が。 「レベル4以上のセキュリティクリアランスの所有者及びプロジェクト████-███-████に所属する職員は、こちらの資料も参照して下さい。」 あなたは担当職員なので、このクリアランスも持っている。その資料とやらを見て行こう。 レベル4以上のセキュリティクリアランスの所有者及びプロジェクト████-███-████に所属する職員のみ以下の閲覧が許可されています。 申し訳ないが、これまでの情報も半分ウソ。カバーストーリーの一環だ。 オブジェクトクラスも、KeterではなくThaumiel。 財団が利用している、切り札的なオブジェクトである。 この報告書では、SCP-1154-JPに関するより詳しい情報が載っている。 まず、SCP-1154-JPに登場するオブジェクトについてだが、これはまだ収容されていないオブジェクトが登場する場合もある。 財団はそれを利用してオブジェクトの予知をしている。だからThaumiel。情報漏洩どころか、財団の役にたってるではないか! そして、SCP-1154-JP-A自体も実は世界で2人しか確認されていない。情報漏洩など起こるはずもない!これは便利! しかも、夢に出てきたもの限定となるがSCP-1154-JP-Aはその異常存在の認識災害/ミームに耐性ができる!無敵! で、その2人というのが「D-1154-JP」というDクラス職員と「██博士」という職員の2人。 SCP-1154-JP-Aは伝染するのになぜ2人しかいないかというと、SCP-1154-JP-Aはだいたいすぐ死んでしまうから。 具体的には、SCP-1154-JP-Aとなってしまった人間は、その次の睡眠では一切夢を見ない。しかしながらその次に寝ると、睡眠中に心臓発作で死亡する。 そういうわけでSCP-1154-JP-Aとなってしまったら最後、多くの場合は死んでしまうのだが、その例外がD-1154-JPと██博士である。 そもそも、この2人の前に「███ ██」という人物が生存したSCP-1154-JP-Aとして存在していたのだが、██博士にSCP-1154-JPのことを口頭で話した後、別のオブジェクトの収容違反によって死亡している。 D-1154-JPは、自身の優れた文章能力と描画力からSCP-1154-JPの実験に抜擢された。 何度かの実験の後に終了される予定だったが貴重なSCP-1154-JP-Aとしての生存者となってしまったので、現在は財団にこき使われている。 ちなみに、SCP-1154-JP-Bに出てくるオブジェクトについてだが、その範囲はSCP-1154-JP-Aの日常に関係するとされる。 D-1154-JPは海外への関心がそれほどないため、SCP-1154-JPには日本支部のオブジェクトしか登場しない。しかし██博士は、留学経験があったり財団本部への出向経験があったりと、海外での生活が日常として組み込まれているため、本部のオブジェクトも登場する。 ちなみに今までの実験記録はSCP-1153-JP以外D-1154-JPのもの。SCP-1153-JPは███ ██氏の手記だったようだ。 ちなみにこれ、あまりにも役に立ちすぎて、財団に潜入している要注意団体の諜報員にバレたらまずい。そういうわけでレベル3の職員にはカバーストーリー「オブジェクトの夢」、2以下の職員にはカバーストーリー「消えない悪夢」を流布している。 実験記録 ここからは追加された実験記録を見て行く。 これまで紹介した実験記録の中でもいろいろ情報が加わっているのだが重要ではないので今回は割愛とする。 ここで紹介するのは2つ。いずれも厳密には実験ではなくSCP-1154-JP運用の記録となる。 実験記録1154-JP-Not_Numbered① D-1154-JPは「琵琶湖の地下深くに、錆びていない大型の機械があり、[削除済]をすることによって地表ごと空に飛んでいく」と説明。 これはSCP-1233-JPと一致。この頃の財団はSCP-1233-JPについてほとんど何も知らず、(SCP-1233-JPをご存じの方は分かると思うが、)このSCP-1154-JP-Bによって財団は大きな情報を得たといえる。 実験記録1154-JP-Not_Numbered② D-1154-JPは「██県の山中にすべてが箱でできた森があり、中心部に近づくと森以外も箱でしか認識できなくなる。中心部には[削除済]」と説明。 これはSCP-1046-JPと一致。SCP-1046-JPについてもこの頃の財団は知らない情報が多く、SCP-1154-JPから得た情報をもとに調査が進められている。ちなみにSCP-1046-JPもThaumielである。 こんな感じで、SCP-1154-JPは財団にとって非常に役立っているのがわかる。 あとちなみに、口頭での伝達以外にSCP-1154-JP-Aになる方法が発見された。それはSCP-1500-JP-Aの神輿エリアで[編集済]することなのだが、何しろSCP-1500-JP-Aは現在荒れに荒れているためこの方法は現在できなくなっている。 さて、ここまでSCP-1154-JPを便利だ便利だともてはやしてきたが、中にはこう考える人もいるのでは無かろうか。 「SCP-1154-JPで予知ができているのではなく、SCP-1154-JPが異常存在を生み出しているのでは?」 財団職員の中にもこう思う人がいるようで、財団は現在SCP-1154-JPによる現実改変や過去改変について調べている。 それで、既存のSCP-1154-JP-Aが全て死亡した場合に異常存在の発生が減少、或いは無くなるという仮説があるのだが、財団が発見していないSCP-1154-JP-Aが存在するかもしれないこと、SCP-1154-JP-A自体が貴重なものだという理由からこの仮説に関する実験は無期限に停止されている。 さて、報告書は以上なのだが、またしてもページ下部には以下の文言が。 「財団日本支部理事会独自のセキュリティクリアランスの所有者は、こちらの資料も参照して下さい。」 そういうわけで、またまた見て行こう。 財団日本支部理事会独自のセキュリティクリアランスの所有者にのみ以下の閲覧が許可されています。 エラーが発生しました。 深層認証による再認証を行って下さい。 不明なリクエストを受け付けました 外部サーバーへのバイパスを開始します。 担当職員様、財団日本支部理事会専用サーバー-SCP-1154-JP へようこそ。 さて、あなたがやってきたのは財団日本支部専用サーバー。 この日本支部専用サーバーは、アニヲタwikiのようなメインページは存在せず、項目やページの一覧も存在せず、アクセス権によって許可されたページに直接リンクするようになっている。 そして、あなたが持っているのは日本支部理事会独自のクリアランス。 これはつまりどういうことかというと、O5でさえも日本支部理事会(*1)の許可を得なければ見られないということ。 というか、O5達はこれを読めないだろう。これを読めるのは、日本支部理事会のメンバーとごく限られた担当職員のみ。 前置きが長くなったが、ついにあなたはSCP-1154-JP報告書の完全版にたどり着いた。 さっそく見て行こう。 オブジェクトクラスは、変わらずThaumiel。 真の概要 まず、SCP-1154-JPは昔、蒐集院の時代には予知夢と呼ばれていた。文字通り、異常存在を予知できるから予知夢。 蒐集院創設以来、日本の転換期にはSCP-1154-JPが重要な役割を果たしていたことが最近になってわかり、SCP-1154-JPは日本国の守護のために蒐集院が作ったものという説も出てきている様子。 ここに、蒐集院の文章の現代語訳を転載する。 この記録は、予知夢の継承時にのみ開いて良い物とする。 予知夢は、蒐集院に於いて代々語り継がれている、蒐集物(*2)を夢見する力である。 この力は、蒐集院、延いては皇国の護持に絶対不可欠な物であり、断じて絶やしてはならない。 また、院外の者に吐露してもならない。 蒐集院[判読不能]代目院長[判読不能] [著しく破損しており、判読不能] [判読不能]陛下に[判読不能]せられ[判読不能]るも、力及ばず[判読不能] [判読不能]に残された神宝(かんだから)たる[判読不能]見、大王(おおきみ)あらせられぬ世に[判読不能]民を護り、大地を護り、大空を護る為、この[判読不能]現れるより前に[判読不能] 我々は、戦わねばならぬ。天孫、大王より開かれたこの世の為に。我々は、護らねばならぬ。この、賜った武器を、この[判読不能] [判読不能]だ努める者にのみ、報いあら[判読不能]] 要するにSCP-1154-JPは蒐集院時代から使われてきた日本国を守るための武器ということ。 もちろん「SCP-1154-JPがオブジェクトを生み出している」という可能性は拭いきれないのだが、SCP-1154-JP-Aが非常に重要な職員であること、まだ未確認のSCP-1154-JP-Aが存在する可能性があることから、SCP-1154-JP-Aを全員終了するのは禁止されている。 まあ、SCP-1154-JP-BでSCP-1154-JPが出てきた場合は何か重要なことがわかるかもしれないが、その場合でもSCP-1154-JP-Aの終了はしない、とされている。 さて、現在発見されているSCP-1154-JP-Aは実は4人だけ。 その4人とは「D-1154-JP」「██博士」「日本支部理事”鵺”」「日本支部理事”千鳥”」。 日本支部理事は、O5のように番号ではなく、それぞれ襲名制の名前を名乗る。 それで、“鵺”は、旧蒐集院のメンバーであり、SCP-1154-JP-Aのひとりでもあった初代“鵺”から継承する形でSCP-1154-JPに、残りの3人は実験的にSCP-1154-JP-Aとなった。██博士がSCP-1154-JP-Aとなる過程はウソで、実際は現在の“鵺”から実験的に伝染したと思われる。 それで現在4人の身元は全て隠されている。それも、日本支部理事会独自クリアランスで守られているから知る人は数少ない。(通常のクリアランスだと要注意団体に破られてしまう可能性があるから、とのこと。) それで「じゃああのD-1154-JPの身元は?」というと、あれは影武者である。 実際のD-1154-JPは、エージェント2名の護衛のもと[削除済]という偽名で一般人と同様に暮らしている。 本物のD-1154-JPにSCP-1154-JP-Aの説明をさせた後、影武者に同じ説明をさせているらしい。 さて、蒐集院において大事にされてきたSCP-1154-JP-Aの存在だが、「口頭で情報交換してSCP-1154-JP-Aを伝染させる」という継承の方法は実は非正規ルート。簡単な方法だが、高確率で継承先の人間が死亡してしまう、いわば危険な賭けのようなもの。蒐集院時代には「イヌキ(鋳抜き)」と呼ばれていた。 それで正規ルートはどんなものかというと、それがこのSCP-1500-JPを使う儀式である。これはSCP-1500-JPにいる桜主と蒐集院の契約であり、正規ルートの名前も「契約」という。 どうもこの儀式は、「桜主さん!異常存在収容するから予知夢見させて!」とお願いするものらしい。 そして、もしも予知夢で見た異常存在に対して収容などを行わなかった場合は「桜主の怒りを買う」らしいのだが詳細は不明。財団としても変なことが起こっては嫌なので、SCP-1154-JP-Bで出てきたオブジェクトについては積極的に収容活動を行うように励んでいる。 ちなみに、「契約」の儀式のうち、主要な部分が報告書に載っている。ここに引用する。 1. SCP-1500-JP-Aヘ進入、神輿エリア中央に位置する樹木の目の前へ移動する。 2. 花見をしている人型実体群を退避させる。 3. 樹木に貼り付けられているSCP-052-JP(*3)を1枚剥がす。 4. 付近一帯に火を放ち、以下の出出しで始まる祝詞を2時間に渡り読み上げる。 よみぬゆめみゆ あかめのひめよ (世見ぬ幽冥見ゆ 閼伽女の媛よ"、或いは"夜見ぬ夢見ゆ 紅目の姫よ"の意) やすきゆめのき あすはやみ ("安き夢の樹 褪すは闇"、或いは"易き夢退き 浅すは已み"の意) これを行うと、実行した人はSCP-1154-JP-Aとなり、おまけに強い愛国心が生じる。これは一種の洗脳のようなものらしいが、そりゃ桜主との「日本を守るための」契約なのだから当然だろう。 対して、「イヌキ」でSCP-1154-JPとなった場合は愛国心が発生しない。 それと、SCP-1500-JPが出来る前は「契約」がもっと複雑だったらしい。 蒐集院がSCP-1500-JPを作ったのは、「契約」を簡単にしたいという思惑もあった可能性がある。 ここで少し昔話をしよう。 戦後、財団がアメリカから日本にやってきた当初、財団による蒐集院の合併に反対したのはSCP-1154-JP-Aを中心とする勢力。 財団は蒐集院と比べて国家を重視していない。そのため、財団は桜主との契約を履行できないのではないか、と考えたのだ。 それで、SCP-1500-JPを現在の状態にしてしまった人物は「不明」となっていたが、実は財団のエージェントだったことが判明。それ以外の情報は依然不明なのだが、どうやら財団本部は 「SCP-1154-JP-Aが抵抗するならSCP-1154-JP-Aを絶滅させよう!」 という超安直な考えをし、「契約」ができないようにSCP-1500-JPを荒らしたらしい。当時の財団は桜主を軽視していたようだ。 この事実は財団本部の警戒意識の低さを露呈するものであり、もし公開したら財団本部と日本支部の関係が悪くなってしまう。 また、財団本部が抹消した記録を日本支部が持っている状態も良くない。 そうしてこの事実は、またもや日本支部理事会独自クリアランスで守られることになった。 またまた昔話となるが、財団が日本にやってきた頃、蒐集院の儀式的なやり方を科学に変えよう!という意見があったらしいのだが、初代"鵺"が確認した[ 編集済、財団日本支部理事 鵺 にのみ全文の閲覧が許可されます。]の一件を受け、やっぱり蒐集院のやり方を受け継ごう!という風になった。 いちおう財団も財団でSCP-1154-JPの実験をしたのだが、特に有用な結果は出ず、そのまま蒐集院時代と同じような契約の仕方をしている。 さて、ここまで長々と話してきたが、ここからが本番である。 SCP-1154-JPがThaumiel認定されているのは、「オブジェクトを予知してK-クラスシナリオや収容違反を防ぐため」なのであるが、その一番のターゲットがSCP-1153-JPである。 先に言ってしまうが、日本支部はSCP-1153-JPの正体を知っているのだ。なぜならSCP-1154-JP-BにSCP-1153-JPが出てきたから。 そしておまけに財団日本支部は対Qクラス記憶処理装置を開発。もうSCP-1153-JP報告書など覗き放題だ。 そういうわけで、財団日本支部はSCP-1153-JPの発動を阻止するタヂカラ計画を実行している。 イワト・プログラム タヂカラ計画を見て行く前に、まずはD・I・G計画の元となった計画「イワト・プログラム」を見て行こう。 もちろんこの説明は日本支部視点の説明となる。なんてったってイワト・プログラムはO5の最高機密。以下に紹介するのは、SCP-1154-JPと、日本支部の諜報から手に入れた断片的な情報となる。 まず、イワト・プログラムというのは「日本全体を大きな収容エリアもしくは大規模破壊兵器にして、K-クラスシナリオや収容違反に対処しよう!」というもの。 これが後にD・I・G計画になるのだが、こういった計画が考えられたのは、日本そのものへの警戒心や恐怖が原因だと考えられている。 そもそも、世界や、古くから存在する文明というのは現実改変者によって作られたことが広く知られている。 そして時が経つにつれ、その現実改変の影響は希釈されて、現在は現実改変の影響は一切ない。 しかし、例外がこの日本。 日本にはSCP-1154-JPやSCP-1111-JP、SCP-1501-JPといったように古くから存在するオブジェクトも多く、現実改変の影響が未だ残っている。 O5達はこれに対し、現実改変の影響が海外へ拡散したり、日本国内の未知のオブジェクトが世界を滅ぼしたりすることを危惧しており、最初は、「日本国内の影響を強制的に希釈する」ことで対処しようとしていたようだが、「ついでにオブジェクトの収容もできるのでは!?」ということでイワト・プログラムが制定された。 蒐集院と財団が対立したワケ 戦後、日本にやってきた財団と蒐集院が対立したのにはもう一つワケがある。 先ほど、財団に反抗したのは主にSCP-1154-JP-A達だったという話をしたが、なんとこの時点でSCP-1154-JP-A達はSCP-1153-JPの存在を知っていた。 それで、当時蒐集院と財団との連絡を仲介していたのは“管理者”というO5よりも偉い人であり、蒐集院はSCP-1153-JPについて“管理者”に問い合わせたものの“管理者”はそれを拒否。 そして“管理者”が「こっちは蒐集院を滅ぼせる勢力持ってんだぞ!SCP-1153-JPを止めてほしけりゃおとなしく財団に吸収されろ!」と脅しをかけたため、結局蒐集院は財団日本支部という形で吸収されることになった。 もちろん財団日本支部のトップには旧蒐集院のメンバーも多い。彼らは敢えて財団の一員となることでSCP-1153-JPを止めようとした。 ただ、SCP-1153-JP報告書はQクラス記憶処理で守られていることか、O5に直接交渉するのは早々に断念。これを受け、タヂカラ計画の前身となる「神国防衛計画」が計画された。 その後、SCP-1154-JPによって、イワト・プログラムに由来するいろいろなオブジェクトが見つかり、その全ての発動阻止を目指すべく、今から説明するダヂカラ計画が計画された。 タヂカラ計画 タヂカラ計画とは、日本国、並びに国家としての日本防衛計画である。 主にSCP-1153-JP阻止のために計画されており、具体的には以下のことをする。 SCP-1154-JPを活用したオブジェクトの早期、効率的収容。 SCP-1154-JP-Aの独占による高度な独自裁量権の要求交渉。 複数のThaumielクラスオブジェクトを日本国内に確保する事による日本破壊の牽制 また、タヂカラ計画はできるだけ多くの人々を救うことが目的であり、決して財団本部と敵対することが目的ではない。 しかし、財団本部は、日本支部は諜報・防諜意識が非常に低い……すなわち平和ボケしていると勘違いしているため、これはタヂカラ計画にとって非常に有利なものとなる。 そういうわけで、これからタヂカラ計画の成果をいくつか紹介させてもらう。 SCP-1154-JPの独占 タヂカラ計画の中心はSCP-1154-JP。 だから、本部の手元にSCP-1154-JP-Aが居るとマズいのだが、日本支部は「イヌキ危険だから!あとSCP-1154-JP-Bがオブジェクトの根源かもしれないから!」と言って拒否している。 日本国内への米軍の駐留 財団本部はアメリカ政府と密接な関係にある。そのため、アメリカ政府に不利なことはやりづらいという性質がある。 これを利用し、財団日本支部は「日本支部が困ったとき助けてね!!」と言って米軍の駐留を決定させた。安保同盟というのはカバーストーリーに過ぎない。 これで、財団本部はSCP-1153-JPを起動しにくくなったわけだ。ちなみにこの交渉の時、「日本の防衛について深い知識がある人が交渉したほうがいいよね!」と言って財団本部が交渉に介入することを防いだ。 SCP-1046-JPの確保。 SCP-1046-JPが未読な方は読んできていただきたいのだが、実はこのSCP-1046-JPは移動できる。 もともと、████博士がSCP-1046-JPについての情報を得る前にSCP-1154-JPによってSCP-1046-JPの細かな情報は入手出来ていた。その中にSCP-1046-JPが移動できるという情報もあった。 だから████博士がSCP-1046-JPの情報を得た時に、その情報にSCP-1046-JPが移動できることが入ってなかったことは非常に幸運と言える。もし入ってたら、本部もこの情報を知っていただろう。 なぜ幸運だったかって、SCP-1046-JPが日本国内にあるとSCP-1153-JPを起動した後に“再反転イベント”をやられるかもしれないから。SCP-1046-JPは宇宙丸ごと箱のなかに閉じ込める、というもの。 本来は世界全体でどうしようもないK-クラスシナリオが発生したときに使うものだから、日本以外なんでもないときに使われるのはなんとしても避けたい。 そういうわけでこの時点でSCP-1153-JP起動阻止はほぼ成功したといっても過言ではない。 もちろん「SCP-1046-JPが移動できる」情報が漏れるとまずいが、きっとこれも日本支部理事会独自クリアランスで守られているからきっと大丈夫だ。 SCP-280-JPの正確な特性の把握・日本国内での確保 ついでに言うとSCP-280-JPも動かせる。 SCP-280-JPは過去に向かって拡大するブラックホールなのだが、周囲の時間と空間を固定することで動かすことができると予想されている。サラッととんでもないことしてますねぇ… それで、SCP-1154-JPのおかげでSCP-280-JPの真の性質、すなわち過去に向かって拡大する過去改変特性も財団日本支部は知ることができた。 これを受け、財団はSCP-280-JPを封印し、運搬できることを本部に隠すことがタヂカラ計画に組み込まれた。 SCP-1233-JPの直轄管理 SCP-1233-JPの存在はSCP-1154-JP-Bに現れるより前から認知されてはいたものの、技術的な問題から確認はされていなかった。 それで技術が進歩してSCP-1233-JPを発見した時、同時に発見された手記の内容から財団本部の介入を排した調査を行うことができた。 それで、「特別退避プロトコル“ノア”」と「ゲネシス・プロトコル」の基本方針が定まったタイミングで財団本部にSCP-1233-JPの情報を開示。その結果、「特別退避プロトコル“ノア”」の実行に必要不可欠な全ての設備を日本国内に置くことに成功した。 また、財団本部から「地球脱出した後に住む環境を整える技術開発して!」と言われたが、日本支部はそれを拒否。その代わりにSCP-1154-JP-Bにより存在が確認されていた表象サーバーの開発を開始した。 表象サーバーの開発 日本支部は、SCP-1233-JPで地球を脱出した後、住む環境を整えられるようにするための手順として「空間再構成手順(Spatial Comprising Procedure)」を策定。 その一環として、環境改変装置としても使える表象サーバーの開発を始めた。 表象サーバーの情報はSCP-1154-JPによって以前から認知されており、その中で「表象サーバーがK-クラスシナリオを引き起こすかもしれない」ことが示唆されたために表象サーバーの開発は凍結されていたのだが、これを機にまた開発が開始された。そして十束と草薙に全ての表象を入れ、表象サーバーを見事完成させた。 それで、財団内にカバーストーリー「オルメイヤー計画」を流布して、草薙を用いた実験を行ったのだが、そこで不慮の事故が発生。草薙をSCP-1000-JPと認定することとなってしまった。 ちなみに財団は、草薙がSCP-1154-JP-Bに出てきたようなSCP-1000-JPとならないようにあらゆる対策を行った。しかしSCP-1154-JPで予想された通りにSCP-1000-JPが発生してしまったことは特筆すべきである。 現在、表象サーバーの量産は見送られており、財団本部から「閲覧制限 Level4/Exodus-1権限が必要です。に応用できるかもしれないから技術を共有しようよ!」と言われたが、異常に高度な専門性を理由に断った。 表象サーバーの技術を独占することにより、SCP-1154-JP-Aの独占や、日本支部理事会の独自裁量権要求への大きな交渉材料になっている。 日本全体の高ヒューム値の維持 編集済、財団日本支部理事 鵺 にのみ全文の閲覧が許可されます。 タヂカラ計画の成果は以上である。 SCP-1153-JPも、SCP-1111-JPも、SCP-1046-JPも、SCP-1233-JPも、SCP-1000-JPも、裏にはSCP-1154-JPが絡んでいたことがおわかりいただけただろうか。 現在、タヂカラ計画はおおよそ達成されたとされ、SCP-1154-JPの運用は専ら既知のオブジェクトの効率的収容、未知のオブジェクトの早期発見の為に行われる。 タヂカラ計画が完遂された場合、もしくはダヂカラ計画関連報告書に何らかの不正アクセスがあった場合にはタヂカラ計画に関する情報をすべて削除し、タヂカラ計画を放棄する。 タヂカラ計画の芯はSCP-1154-JPであるため、このSCP-1154-JP報告書が漏洩したり、4人のSCP-1154-JPの誰かから聞き出したり、そもそも財団本部がSCP-1154-JP-Aを手に入れたらマズいのだが、「イヌキ」に必要とされる条件からその可能性は少ないとされる。 ただ念のため、SCP-1154-JP-Aである4人には尋問・拷問されても何も答えないような催眠を掛けている。 ちなみにSCP-1154-JPの歴史だが、最も古い資料では7██年にSCP-1154-JPが登場する。なんでも物部氏の祖とされる宇摩志麻遅命より伝わるとされているのだが、詳細は不明。 現代から遡ってSCP-1154-JP-Aを追っても、███年前のSCP-1154-JP-Aを最期に確認はできていない。 そもそもSCP-1154-JP-Aの身分・人数は蒐集院の最重要機密であり、蒐集院の頃に何人SCP-1154-JPがいたのかはわかっていない。唯一分かっているのが初代“鵺”を務めたSCP-1154-JP-Aだけ。 だから、現在潜伏している蒐集院の残党の中にSCP-1154-JP-Aが居る可能性だってある。 蒐集院の外でありかつ現在は存命ではないものの、土御門家という家系にてSCP-1154-JP-Aが受け継がれていた、という事例だってあるくらいだ。潜伏している残党の中に1人くらいSCP-1154-JP-Aがいてもおかしくないだろう。 ちなみに少し前、SCP-1154-JPは夢の中に出てきたオブジェクトのみミーム・認識災害へ耐性を持つという話があったが、財団はそれを利用してSCP-040-JPや、あのSCP-444-JPさえ収容してしまったらしい。 とにかく強い。SCP-1154-JP。 では最後に日本支部理事会理事であり、SCP-1154-JP-Aでもある“鵺”と“千鳥”からのメッセージを引用させていただく。 私達に残された"武器"は、何の変わった強みも無く、余りにも小さい。 だが私達には、この"武器"を扱うだけの技量がある。なければならない。 私達が望む物は敵対ではない。共存だ。 しかし、理想に刃を向ける者がいるならば、私達は立ち上がらねばならない。たとえ、相手が財団であったとしても。 私達の家族。罪無き無知な人々。私達を信じ従う財団日本支部職員達。彼らを守りきるのは困難かも知れない。だが、彼らを"意図的に"犠牲にするなど、あってはならない。 私達は、財団である前に、人でなければならないのだ。 ―財団日本支部理事"千鳥" 本部の人間は、この日本に対して、恐怖にも似た感情を持っている。そして、犠牲にしても構わないとの判断に繋がっている。 そんな判断を、我々財団日本支部は、決して認めない。見捨てられた犠牲ではなく、"作られた"犠牲の上に立つ平和など、財団が目指すべき世界ではない。 可能な限り多くの人間を救い、最悪の場合にのみ、選ばれた人間を救い、人類の再起を図る。それが、財団の在り方ではなかったのか。 確保、収容、保護。そこに、犠牲の二文字は存在しない。 ―財団日本支部理事"鵺" 緊急連絡 現在、財団日本支部理事会の決定により、本ページの削除、タヂカラ計画の放棄が許可されています。 閲覧後、必ず下記の簡易コードをクリックし、本サーバーとの接続を完全に解除して下さい。 【接続解除】 リンクが失効しています。 現在編集者権限によりページが削除されています。 削除後ページへの更新を行います。 404 Not Found ページが存在しません。 削除後ページに記されたのは、“鵺”からあなたへのメッセージ。 タヂカラ計画は完遂された。礼を言う。 我々は、不毛な戦いを続けて来た。それも、これで終わりだ。 我々の行ってきた事は、全て、正しいと思っての事だ。そこに疑いの余地は無い。 或いは、財団本部に仕組まれた事だったのかも知れないが……今となっては、最早誰も知らぬ事だ。"管理者"を除けば、だが。 言わば財団日本支部理事会は、SCP-1154-JPを使う為"だけ"に存在した様な物だ。 さながら、蒐集院の亡霊。我々がタヂカラ計画を続けている限り、そこには蒐集院が生き続けていた。 これより我々は、財団日本支部の監督者に成り下がる。"日本の守護者"ではなくなる。 だが、それで良いのだ。財団は、内部で争いをしているべきではない。 これからは、日本ではなく、世界を、人類を守る事になろう。 確保、収容、保護。 ―"鵺" ここをクリックして、必ず消してくれ。 【接続解除】 404 Not Found ページが存在しません。 【接続解除】 こうして、SCP-1153-JPとSCP-1154-JP、そして蒐集院や日本支部理事会を巻き込んだ大騒動は幕を閉じた。 SCP-1153-JPが発動されることはなくなり、人々は“犠牲”になどならずに平和に生きてゆく。 そもそもSCP-1154-JPは“桜主”との契約。 イヌキでは愛国心の植え付けは発生しないものの、それでも「日本国を守ろう」というSCP-1154-JPの本能のようなものが日本を、SCP-1153-JPの魔の手から救ったのかもしれない。 SCP-1154-JP - 見られるべき夢 SCP-1153-JPなど許されない。そういった意味でも、SCP-1154-JPは「見られるべき」だったのだろう。 追記・修正はSCP-1154-JP-Aがお願いします。 ▷ CC BY-SA 3.0に基づく表示 SCP-1154-JP - 見られるべき夢 by falsehood http //scp-jp.wikidot.com/scp-1154-jp 2018年公開 SCP-1153-JP - 一人去るとき by locker http //scp-jp.wikidot.com/scp-1153-jp 2016年公開 SCP-1233-JP - 特別退避プロトコル”ノア” by dr_toraya http //scp-jp.wikidot.com/scp-1233-jp 2016年公開 SCP-280-JP - 縮小する時空間異常 by dr_toraya http //scp-jp.wikidot.com/scp-280-jp 2015年公開 SCP-1046-JP - 鍵をかけた柩 by R-00X http //scp-jp.wikidot.com/scp-1046-jp 2018年公開 SCP-1000-JP - 特別回収任務 by ZeroWinchester http //scp-jp.wikidot.com/scp-1000-jp 2016年公開 画像1 By Nanimono Demonai http //scp-jp-archive.wikidot.com/foundation-universe 2015年公開 画像2 By Nanimono Demonai http //scp-jp-archive.wikidot.com/foundation-universe 2015年公開 画像3 By Nanimono Demonai http //scp-jp-archive.wikidot.com/foundation-universe 2015年公開 画像4 By Cburnett https //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB No_image_available.svg 2007年公開(パブリックドメイン) △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] SCP-114514-JPかと思ったら違った -- 名無しさん (2022-11-20 18 04 36) ついに来た! -- 名無しさん (2022-11-20 18 25 59) ↑2 マジレスすると非公式作品扱いでアウトだった希ガス -- 名無しさん (2022-11-21 07 55 59) ボスラッシュで草 -- 名無しさん (2022-11-21 12 35 45) 余計なお世話だけどタヂカラ計画のところで突然「81地域」って単語が出てるのが気になる。日本支部オブジェクトに触れてれば81地域=サイト-81=日本そのものってすぐ分かるけど -- 名無しさん (2022-11-21 14 03 53) やきおにぎり こんがりやきおにぎり ←これすき -- 名無しさん (2022-11-21 17 47 05) こんがりやきおにぎり... -- ijijijijijijijijijijijijijijijijijijijijijijijijiji (2022-11-23 17 58 30) 1111-JPの全貌を知ってる唯一の人間だから仕方ないんだけど、こんだけ最重要機密握らされたらそろそろ鵺さんノイローゼになるんじゃなかろうか... -- 名無しさん (2022-11-24 16 08 10) タヂカラとダチカラが混在してるのが気になる -- 名無しさん (2022-11-27 00 13 18) タヂカラ計画があるなら、クノイチ計画はあるのかな? -- 名無しさん (2023-04-16 21 08 42) ↑3 その鵺から理事継承をした鵺が今回の1154-JP-Aになったのかもしれない。1111-JPの鵺は孤独な戦いをする決意をしたし、公的には死亡扱いと言うか任務中行方不明。今はいないことにされているし。個人的にはこの報告書に出てくる鵺が斎宮(白髪おかっぱアルビノの女の子)なのかなと勝手に想像してる -- 名無しさん (2023-06-27 03 41 35) めっちゃ好きなSCPだから、記事が作成されてたの嬉しすぎる…。初見時の鳥肌えぐかった -- 名無しさん (2023-07-25 23 43 14) 個人的に一番びっくりしたのが、ネタバレになるが(あと多分メタ的にはヘッドカノンが違うが)「長野の大ウツロ」とみんなで呼んで恐れつつも親しんでいたアレが実は「ポータブル大ウツロ」だった事かな…長野県民じゃないけど。 -- 名無しさん (2023-08-13 22 01 15) SCP-1233-JPのリンクを繋ぎました。それにしても、良い…。 -- 名無しさん (2024-04-28 18 48 43) ↑5 天岩戸に対しての天之手力男神に由来してのイワト/タヂカラでくのいち=女という言葉遊びが生まれたのが江戸時代だから、少なくともこのオブジェクトに絡む形でのそれは存在しない可能性が高い。 天宇受賣命を踏まえてのウズメなんちゃらならあり得るかも? -- 名無しさん (2024-09-02 12 46 16) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/jibunno/pages/734.html
「ク」で始まる名字 クオン / クオンジ / クガミ / クガヤマ / クゲツ / クサカ / クサカベ / クサツ / クサナギ / クサノ / クジョウ / クスダ / クスノキ / クスミ / クズミ / クゼ / クドウ / クニエダ / クニサキ / クニミ / クボ / クマシロ / クモン / クラカミ / クラサワ / クラチ / クラノ / クラハシ / クルス / クレサト / クロサキ / クロサワ / クロス / クロダ / クワガタ / クオン 【B ~蒼き背徳~】【tetra】(2001-04-27) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart3 72 名前:名無したちの午後 :03/11/11 13 13 ID FD/lBKc+ 【B~蒼き背徳~】 【テトラ】 主人公 久遠 圭(クオン ケイ) 名前変更不可 鴨川 佳織 「久遠」 美穂 「圭」 樋口 惠子 「久遠さん」 「圭さん」 李穂 「久遠くん」 全国の「クオン」さん、「ケイ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart9 645 名前:名無したちの午後 :2007/07/08(日) 22 52 25 ID idxhflsY0 それと3年と数ヶ月前に報告したけど、書き忘れてたので、 別ルートでは久遠 圭が死んでいて彼の双子の弟が主人公になる。 【B~蒼き背徳~】 【テトラ】 主人公 久遠 賢次(クオン ケンジ) 名前変更不可 樋口 惠子 「賢次」 李穂 「賢次さん」 「お兄ちゃん」 美穂 「賢次さん」 「あなた」 「賢次」 綾野姫 「ヌシは」 「久遠」 「あの男の身内(一回)」 全国の「ケンジ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クオンジ 【最終試験くじら】【CIRCUS】(2004-12-23) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart8 462 名前: ◆4BPZWWqtDM :2006/11/30(木) 00 55 08 ID CJ6pWCQb0 【最終試験くじら】【CIRCUS】 主人公 久遠寺 睦(クオンジ ムツミ)…変更不可 榛原胡桃 (CV 成瀬未亜) 「久遠寺君」→「睦君」 御影仁菜 (CV 榊原ゆい) 「久遠寺さん」→「睦さん」、幼児退行時に「おにいちゃん」 夢前春香 (CV 神村ひな) 「お兄ちゃん」→「にぃさま」「睦(むっ)ちゃん」 他に「睦さん」「睦」「睦にぃさま」「睦姫」「睦姫さん」「睦姫様」など 茂木美佳 (CV 海原エレナ) 「久遠寺」→「睦」、他に「久遠寺睦」「睦姫」 茂木優佳 (CV 海原エレナ) 「久遠寺さん」 名雲さえ (CV かがみありす) 「睦(むっ)ちゃん」、最初の一回「睦君」 名雲紗絵 (CV かがみありす) 「睦(むっ)ちゃん」 神楽香倶耶 (CV シイーナ・コウ) 「睦」、たまに「睦殿」 咲倉ゆん (CV 天南ねね) 「久遠寺君」「睦君」「むっちー」「むっちん」「むっちょん」 飯野可奈 (CV 白井綾乃) 「睦君」「むっちー」 久遠寺櫻子 (CV 篠崎双葉) 「睦」 阿頼耶式 (CV 河合春華) 「睦殿」 末那式 (CV 河合春華) 「睦殿」 里崎美枝子 (CV 海原エレナ) 「お前」「君」「少年」 くじらの少女 (CV かがみありす) 「あなた」 睦姫は主人公が女形の時の名前で、読みはムツキ 咲倉ゆんはファンディスクの「最終試験くじら -Departures-」でHシーンあり 呼び方は「睦君」「むっちー」だが、Hシーンではもっぱら「睦君」だった 全国の「ムツミ」さん&「クオンジ」さん&「ムッチャン」オメデトンヽ(´ー`)ノ クガミ 【コズミックマン】【創美研究所】(2001-10-12) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せ クガヤマ 【プリズム◇リコレクション!】【Clochette】(2013-02-22) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart23 212 名前:名無したちの午後:2013/10/03(木) 18 44 26.79 ID akMFMATX0 【プリズム◇リコレクション!】 【Clochette】 (一応コンプ済) 主人公 久我山昌信(クガヤマ マサノブ) 名前変更不可 久我山このか(cv雪都さお梨) 「兄さん」 初咲雛乃(cv本田珠里緒) 「久我山先輩」→(雛乃ENDで1回)「昌信さん」 《(このかルートと雛乃ルートで)「お兄さま」、(このかルートで)「お兄ちゃん」》※先輩 アイナ・アシュウィン(cv桐谷華) 「昌信」《(このかルートと雛乃ルートで)「お兄ちゃん」、(アイナルートで1~2回)「久我山くん」「昌信くん」》 連城紗耶香(cv夏野こおり) 「久我山くん」《(久我山さん」「久我山昌信くん」》→「昌信くん」「まーちゃん」 《「昌信きゅん」、(紗耶香ルートで1回)「お兄ちゃん」、(このかルートで1回)「お兄さんッ」》 以下、立ち絵のあるサブキャラ(エンディングテロップで出た順に表記) ヴェロニカ・アーデルハイト・比叡=ハインツェル(cvかわしまりの) 「久我山くん」 真柴多英(cv桜川未央) 「久我山くん」 初咲詩子(cv佐々留美子) 「久我山くん」《(このかルートで)「昌信くん」》 九条初音(cvヒマリ) 「昌信」※あんた 寺前杏(cv芹園みや) 《「久我山先輩」》 大島ひかり(cvまきいづみ) 「昌信くん」 九条和泉(cv陸奥出流) 「昌信」《(1~2回)「昌信きゅん」「昌信クン」「兄ちゃん」》 ○○佳乃(cv佐々留美子?) 《「久我山くん」→「昌信くん」》 《 》は1~数回レベルの稀な呼び方。 全国の「クガヤマ」さん、「マサノブ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ ※「マサノブ」はHシーンで呼ばれまくりですのでぜひどうぞ。 「クガヤマ」は、日常会話では非常によく呼ばれるのですがHシーンで呼ばれる機会はありません。 そういう意味では、全国の「クガヤマ」さん少し残念でした(´・ω・`) ※「マーちゃん」がOKな人にもお勧め対象になります。 ※サブキャラ「○○佳乃」の○○は苗字ですがシナリオ上のネタバレっぽいので苗字だけ伏せておきます。 立ち絵はありますがエンディングテロップに出てこないのでcvは推測です。 213 名前:名無したちの午後:2013/10/03(木) 18 46 48.58 ID akMFMATX0 ★非常に長いシナリオで、攻略の途中からはかなりスキップしたのでコンプ済の前に「一応」を表記。 シナリオの内容もルートによっては頭に入っていませんが、スキップが(立ち絵が頻繁に動くことで) 重くて遅かったので、主人公呼びそのものはバックログも使ってほとんど拾えていると思います。 クゲツ 【神樹の館】【Meteor】(2004-09-24) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart4 284 名前:名無したちの午後 :04/09/29 01 11 44 ID 2e5P9RMr 【神樹の館】 【Meteor】 主人公 工月秋成(クゲツ アキナリ) 名前変更不可 麻子 (cv小田真ゆみ) :「工月」「秋成」 紫織 (cvひびきりん) :「工月様」「工月さん」 斎 (cv福元コヒロ) :「工月さん」 伊美 (cv福元コヒロ) :「工月さん」 竜胆 (cv藤嶋永遠) :「秋成」 全国の「クゲツ」さん、「アキナリ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クサカベ 【3days ~満ちてゆく刻の彼方で~】【Lass】(2004-06-25) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart5 363 名前:名無したちの午後 :2005/05/12(木) 12 24 48 ID Be3ch5Ao 【3days ~満ちてゆく刻の彼方で~】 【Lass】 主人公 高梨 亮 (タカナシ リョウ) ・・・変更不可 別名 草壁遼一 (クサカベ リョウイチ) ・・・変更不可 藤見たまき cv.一色ヒカル 「亮くん」「亮ちゃん」 吾妻梨花 cv.青山ゆかり 「高梨さん」→「亮くん」「にーに」 柊 美柚 cv.楠木鈴音 「リョウ」「リョウイチ(最初2回)」「高梨くん」 千神奈々子 cv.常盤もも 「高梨くん」 広原月子 cv.文月かな 「高梨くん」「高梨」 吾妻瑠花 cv.金田まひる 「にーに」 高橋成美 cv.児玉さとみ 「亮」「亮ちゃん」 富岡健二 cv.高橋一休 「高梨」 先輩 cv.内匠屋 「亮」 ヴァルター cv.間寺司 「草壁」「草壁遼一」「草壁君」 全国の「リョウ」さん&「タカナシ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クサツ 【ゆのはな】【PULLTOP】(2005-03-25) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart5 181 名前:名無したちの午後 :2005/04/03(日) 02 39 54 ID 0Rqgc/DY 【ゆのはな】 【PULLTOP】 主人公 草津拓也(クサツ タクヤ)・・・変更不可 ゆのは (cv七原ことみ) 「拓也」、人前だと「お兄ちゃん」 (「拓也お兄ちゃん」「そなた」「あなた」:少) 伊東わかば (cv生田香織) 「拓也さん」 (「草津拓也さん」:少) 桂沢穂波 (cv木葉楓) 「草津さん」→「拓也くん」 高尾 椿 (cv一色ヒカル) 「拓也」「あんた」 (「草津拓也」:少) 宇奈月由真 (cv福島梨亜) 「居候」「拓也」「アンタ」 (「草津拓也」「たっくん」:少) 桂沢榛名 (cv楠鈴音) 「拓也くん」 伊東みつ枝 (cv茶谷やすら) 「拓也さん」 高尾渋蔵 (cv棟方一志) 「青年」「小僧」「お前ぇ」 (「兄ちゃん(序盤)」「てめぇ」「拓也(1)」「草津拓也(1)」) 春日尚樹 (cv紫原遥) 「拓也くん」「同士拓也くん」 一、二回程度の単発的呼び方は原則的に省略。渋蔵は終盤でようやく名前呼びに変わったので例外的に残した。 ゆのはの呼び方様々。「子羊」或いはそれをもじった呼び方が多少目立つ。 全国の「タクヤ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クサナギ 【MOON CHILDe】【SIESTA】(2005-12-09) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart7 302 名前:名無したちの午後 :2006/04/17(月) 21 58 18 ID ufIo81LA0 【MOON CHILDe】【SIESTA】 ttp //www.siesta-soft.com/ 主人公 草薙 ヒロト (クサナギ ヒロト) 名前変更不可 夕月咲夜 あなた、あんた→ヒロくん cv.韮井叶 リンネ ヒロト cv.まきいづみ 佐伯胡桃 草薙君→ヒロト君 cv.茶谷やすら 三田村薫子 ヒロト君 cv.須本綾奈 笹原水乃 ヒロト cv.楠鈴音 見里かなた. キミ→ヒロト. cv.織田翼沙 全国の「ヒロト」さんおめで㌧ヽ(´ー`)ノ 「クサナギ」さんはびみょ~(´・ω・`) 韮井にヒロくんと呼ばせたライターはGJ(*´Д`) クサノ 【弥生☆プライベートレッスン】【CLOVER】(2005-05-06) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart6 54 名前:名無したちの午後 :2005/10/05(水) 08 33 37 ID QNTnRXMw0 【弥生☆プライベートレッスン】【CLOVER】 主人公 草野文康(クサノ フミヤス) …変更不可 深水弥生(CV みる) 「先生」「草野先生」 → 「文康」 「文康」は結構呼んでもらえる。「草野先生」は5回くらい。 全国の「フミヤス」さん&ちょっとだけ「クサノ」さん、オメデトンヽ(´ー`)ノ クジョウ 【マジスキ ~Marginal Skip~】【MOONSTONE】(2009-04-24) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart14 302 名前:名無したちの午後 :2009/06/29(月) 00 25 23 ID ebQdT/wG0 初めて自分の名前を呼んでくれるエロゲをやったので報告 【マジスキ ~Marginal Skip~】 MOON STONE 主人公 九条貴之(クジョウ タカユキ)・・・変更不可 シェーラ エル エリス (CV:佐本二厘) 貴之さま ニースライト ヒースラヴァー (CV:青山ゆかり) 貴之さん、あなた(少数) 宮崎由紀菜 (CV:安玖深音) たーくん、貴之くん 天津冬子 (CV:民安ともえ) 貴之 御狭霧かなで (CV:風音) お兄ちゃん、兄さん、お兄さま(少数)、お兄ちゃま(少数) リッタ (CV:みる) 貴之さん トスク (CV:井村屋ほのか) 貴之さん 町田小町 (CV:川崎ハレ) 九条くん ジャイロ (CV:水捲真魚) 貴之さん 左京みやこ (CV:まきいづみ) 九条さん 梅谷小雪 (CV:中瀬ひな) 先輩 御狭霧美奈子 (CV:水捲真魚) 貴之くん、貴子ちゃん(少数) ミゲル王 (CV:祭 大!) 貴之くん ギメルス (CV:岩橋直哉) 貴之殿、貴之くん 公式ページに出てないキャラは省きました 全国の「クジョウ」さん&「タカユキ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クスダ 【海からくるもの】【rouge】(2003-09-05) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart13 373 名前:名無したちの午後 :2008/10/22(水) 23 58 58 ID DlPQ9zWW0 そして自分も報告。 【海からくるもの】 [rouge] 主人公 楠田 友紀(くすだ とものり) 変更不可 滝沢 眞(たきざわ しん) 変更不可 高田 直樹(たかだ なおき) 変更不可 ※ 主人公は楠田友紀と滝沢眞の二人。高田直樹はエピローグのみの主人公。 相澤浩子 (CV 北都南) 「楠田君」 藤木まどか (CV 冬樹みずほ) 「楠田君」「楠田友紀」「滝沢さん」 加賀見沙希 (CV 榎津まお) 「滝沢」 三島恵 (CV 小倉結衣) 「ユキ君」※友紀のこと 上村玲子 (CV 夏川智子) 「楠田」「楠田友紀」 内藤貴美香 (CV 北都南) 「直樹君」→「直樹」「楠田君」 ※ 名前を呼ばないヒロインは省略。 全体的にみて名前を呼ぶ回数そのものが少ないです。 全国の「クスダ」さん「タキザワ」さん「ユキ」さん「ナオキ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クスノキ 【雪ほたる ~二度目の初恋~】【Factor】(2000-11-10) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart22 914 名前:名無したちの午後:2013/07/19(金) 02 40 49.35 ID BhVwW4hm0 【雪ほたる ~二度目の初恋~】【Factor】 主人公 楠木 陽介 (クスノキ ヨウスケ) ・・・名前変更不可 佐伯 緑 (CV:芹園みや) 「陽介」 柏原なずな (CV:静野桃香) 「先輩」「楠木先輩」『陽介先輩』 紺野美涼 (CV:神無月ほのか).「楠木君」→「陽介君」 藤沢まほ (CV:深井晴花) .「陽介君」 日高織音 (CV:秋山夕子) 「陽介さん」 楠木由紀子(CV:静野桃香) 「お兄ちゃん」 パートボイス。『』内はテキスト上では呼ばれたが、音声がなかった呼び方 なお、音声なしのエピローグでも取ってつけたように呼び方が変わっていたが、これに関しては割愛した CVはGetchu.com準拠。エンドロールでは芹園みや→芦園みや、深井晴花→深井晴香になっていた 絵の癖が強過ぎるし、プレイするまでもないタイトルだと思うが、 全国の「ヨウスケ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クスミ 【ぱいめが】【smart】(2005-06-24) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart20 839 名前:名無したちの午後:2012/08/15(水) 14 04 37.23 ID qf5Y6hsM0 古いマイナーゲーで恐縮だが報告 Hのあるヒロインだけ 【ぱいめが】 smart 主人公 久住晟(クスミ アキラ)・・・変更不可 日比野梓鶴 (CV 茶谷やすら) 「晟ちゃん」 若宮奏 (CV 大波こなみ) 「久住くん」 一条光 (CV 一色ヒカル) 「久住くん」 全国の「クスミ」さん&「アキラ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クズミ 【月は東に日は西に~Operation Sanctuary~】【オーガスト】(2003-09-26) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart2 882 名前:名無したちの午後 :03/09/28 15 47 ID LR3ST542 【月は東に日は西に】 【オーガスト】 主人公の名前・・・久住直樹 くずみなおき 変更不可 天ヶ崎美琴 (CV 草柳順子) 久住くん > 直樹 藤枝保奈美 (CV 観村咲子) なおくん 橘ちひろ (CV 北都南) 久住先輩 渋垣茉理 (CV 金田まひる) 直樹 野乃原結 (CV 木村あやか) 久住くん 仁科恭子 (CV 岩田由貴) 久住 (一部 直樹) 全国の直樹さん&俺、おめでとうございます。ありがとー。 でも本当は花のnさまにうがぁうぐぐすぅ・゚・(ノД`)・゚・。 クゼ 【ef - the latter tale.】【minori】(2008-05-30) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart21 586 名前:名無したちの午後:2012/11/28(水) 20 44 11.89 ID JYPcjRDH0 【ef - the latter tale.】[minori] ※主人公は章毎で異なる。 1・2章は前作「ef -the first tale.」に収録。 ■第3章 主人公 麻生 蓮治(アソウ レンジ)・・・名前変更不可 新藤 千尋(CV:まきいづみ)「麻生さん」→「蓮治くん」 羽山 ミズキ(CV:安玖深音)「蓮治」 久瀬 修一(CV:安芸怜須ケン)「蓮治」 火村 夕(CV:壬生中将)「蓮治」 ■第4章 主人公 久瀬 修一(クゼ シュウイチ)・・・名前変更不可 羽山 ミズキ(CV:安玖深音)「久瀬さん」 火村 夕(CV:壬生中将)「久瀬」 麻生 蓮治(CV:伊香川椎音)「久瀬さん」 新藤 千尋(CV:まきいづみ)「久瀬さん」 587 名前:名無したちの午後:2012/11/28(水) 20 44 54.58 ID JYPcjRDH0 586の続き ■最終章 主人公 火村 夕(ヒムラ ユウ)・・・名前変更不可 雨宮優子(CV:山田ゆな)「火村先輩」→「夕くん」 久瀬 修一(CV:安芸怜須ケン)「火村」 広野 凪(CV:三咲里奈)「夕」 雨宮 明良(CV:上州トム)「火村くん」 火村 茜(CV:森谷実園)「お兄ちゃん」 全国の「アソウ」&「レンジ」&「クゼ」&「ヒムラ」&「ユウ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ 【銀色 完全版】【ねこねこソフト】(2001-08-31) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart4 345 名前:名無したちの午後 :04/10/17 05 15 39 ID EvJpzN++ リストには載ってますがもれている部分があるので書きます。 【銀色 完全版】 【ねこねこソフト】 二章主人公 久世 頼人(クゼ ヨリヒト) 主人公ではないですが 久世 頼人の祖先の久世(クゼ) 四章の一方の主人公 吉備 大井跡(キビノ タイラ) 狭霧 「頼人様」 鞠の少女 「お兄ちゃん」 石切 「久世様」 「御館様」 あやめ 「大井跡さま」 全国の「ヨリヒト」さん&「クゼ」さん&「タイラ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クニエダ 【かいわれっ!】【FlyingShine】(2006-07-28) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart8 347 名前:名無したちの午後 :2006/11/13(月) 12 32 36 ID 3D0iOwva0 【かいわれっ!】【FlyingShine】 主人公 國枝優真 (くにえだ ゆうま) … 変更不可、CV たくま 堀添凜 「優真」「あんた」 CV 大空七海 柴森海音 「ゆーま」 CV 音無区々 越中忠史 「優真」 CV 広末涼 百合川真冬 「國枝くん」 CV みる 沢口美晴 「國枝くん」 CV 本田みか 桃井恵子 「國枝くん」 CV 細田なな 若田部葉子 「國枝」 CV 風音 入れ替わりモノ。 例えば凜の精神が百合川の体に入っている時は、みるの声で「優真」と呼ぶ。 ただし、Hするときは基本的に自分の体に戻ってることが多い(一部例外あり)。 入れ替わるのは優真、凜、柴森、越中、百合川の5人。 葉子先生は非攻略キャラ……って書くとある意味ネタバレではあるのだが。 全国の「クニエダ」さん「ユウマ」さん オメデトンヽ(´ー`)ノ クニサキ 【AIR(PS2)】【NECインターチャネル】(2002-08-08) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart23 687 名前:名無したちの午後:2014/02/02(日) 23 11 28.77 ID /8CCnVZM0 【AIR(PS2)】【NEC Interchannel/Key】 主人公 国崎 往人(クニサキ ユキト) …変更可 神尾観鈴(CV:川上とも子)「国崎さん(1)」→「往人さん」 霧島佳乃(CV:岡本麻見) 「国崎くん(1)」→「往人くん」 遠野美凪(CV:柚木涼香) 「国崎さん」 神尾晴子(CV:久川綾) 「居候」「あんた」 霧島 聖(CV:冬馬由美) 「国崎君」 みちる (CV:田村ゆかり) 「国崎往人」 名字・下の名前ともに変更可だが、 640のKanonと異なり 変更すると強制的にオリジナルモード(音声なし)になる 過去に音声のないPC18禁版はプレイ済み Dream編のみ各キャラの呼び方が判明するまで再プレイ、Summer編以降は省略 全国の「ユキト」さん&「クニサキ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クニミ 【何処へ行くの、あの日】【MOONSTONE】(2004-06-25) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart3 891 名前:名無したちの午後 :04/07/03 12 12 ID OAAkjR0l 【何処へ行くの、あの日】 【MOON STONE】 主人公 国見 恭介(キョウスケ) 名前変更不可 麻生 桐李(cv 九条信乃) .→ 恭介 国見 絵麻(cv 鷹月さくら) → お兄ちゃん 神崎 千尋(cv みる) .→ 恭介くん 茂木 一葉(cv 北都南) .→ 恭介ちゃん 青井 智加子(cv 木葉楓) .→ 国見くん 全国の「キョウスケ」さん&「国見」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クボ 【勝 あしたの雪之丞2】【elf】(2002-09-27) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せ 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart3 106 名前:名無したちの午後 :03/12/02 00 36 ID IQb55LMA 同窓会/again/refrainと勝 あしたの雪之丞2は、 主人公の事を「久保君」、「久保さん」、「久保先輩」 と呼ぶキャラもいるから 全国の「クボ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ も追加していいんじゃない? 【同窓会refrain】【F C FC01】(2001-08-24) 【同窓会again】【F C FC01】(2001-01-26) 【同窓会メモリアルパッケージ】【フェアリーテール】(2000-10-09) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せ 360 名前:名無したちの午後 :02/08/28 17 10 ID cvzAwZpQ 346 タツヤか・・・。 達也ならあるぞ。同窓会シリーズがそうだ。 マイナーな奴なら青春18ラジオだ。 しかし青春18ラジオはシステム、声優ともに下痢糞。 同窓会やっとけ。 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart3 106 名前:名無したちの午後 :03/12/02 00 36 ID IQb55LMA 同窓会/again/refrainと勝 あしたの雪之丞2は、 主人公の事を「久保君」、「久保さん」、「久保先輩」 と呼ぶキャラもいるから 全国の「クボ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ も追加していいんじゃない? クマシロ 【8665^2 ハルルコのジジョウ】【RUNE】(2007-09-28) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart18 92 名前:名無したちの午後:2011/09/01(木) 05 31 44.25 ID FLNt7R7z0 【8665^2 ハルルコのジジョウ:体験版】RUNE 神代昭郎(クマシロアキオ) 「アキオ」「熊代くん」「アッくん」etc... クモン 【塵骸魔京】【NitroPlus】(2005-06-24) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart9 792 名前: ◆4BPZWWqtDM :2007/08/01(水) 08 20 48 ID 8SpD/fEt0 【塵骸魔京】【Nitro+】 主人公 九門 克綺 (クモン カツキ)…変更不可 イグニス (cv三咲里奈) 「おまえ」「克綺」「九門克綺」 《九門》 風のうしろを歩むもの (cv由良香) 「カツキ」 花輪黄葉 (cv霧島七海) 「克綺クン」 ディディー (cvまきいづみ) 「克綺さん」 《九門克綺さん》 九門恵 (cvみる) 「お兄ちゃん」 《克綺》 牧本美佐絵 (cv矢沢泉) 「九門君」 峰雪綾 (cv先割れスプーン) 「克綺」 《克の字・克綺君》 メルクリアーリ (cv富士爆発) 「九門君」 全国の「カツキ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クラカミ 【コンチェルトノート】【あっぷりけ】(2008-10-23) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart13 438 名前:名無したちの午後 :2008/11/13(木) 17 13 43 ID Sq8rbY6+0 【コンチェルトノート】 【あっぷりけ】 主人公 倉上 進矢 (クラカミ シンヤ) 名前変更不可 神凪 莉都 (cvかわしま りの). 「進矢/お前」 今里 和奏 (cv夏野 こおり) 「進矢くん」 東条 白雪 (cvみる)... 「先輩」 夕月 小夜璃 (cv風音). 「進矢さん/シンちゃん」 名凪 星華 (cv榊原 ゆい). 「あんた/アンタ/倉上」 タマ (cv松永 雪希). 「進矢/ぬし」 寺内 陽太 (cv本多 啓吾). 「倉上」 上杉 慶一 (cv西野 真人). 「倉上」 南条 麻里香 (cv芹園 みや). 「倉上様→倉上さん」 斎宮 媛子 (cv星野 みく). 「先輩」 椎堂 小太郎 (cv日椰 たぬき) 「先輩」 クラウス(ry) (cv柚木 サチ). 「進矢くん」 天野 深弥 (cv麻野 紗雪) 「倉上くん」 神無月 朱美 (cv有栖川 みや美). 「倉上」 上は攻略キャラ(Hあり)、下は男含むサブキャラ 莉都、和奏、小夜璃、タマは呼ばれる頻度高め 逆に白雪、星華は最後まで名前で呼ばないので注意 全国の「クラカミ」さん&「シンヤ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クラサワ 【ぽこぽこ軍将 ~棚からこぼれたストーリー~】【ainos】(2001-05-24) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart4 954 名前:名無したちの午後 :05/02/27 04 05 31 ID iVQVOMxp 約2ヶ月ぶりに報告 【ぽこぽこ軍将】【ainos】 主人公 倉沢樹(クラサワ イツキ) 変更不可 榊梢 (CV:つるた陽美) いっちゃん 小泉杏 (CV:美青キリカ) 倉沢君 楠友里香 (CV:樋口すみれ) 樹君 藤崎佳乃子(CV:南雲涼) 樹 安藤百合恵(CV:鮎川守) 倉沢さん 大波さやか(CV:みすみ) 樹 アニメーションあり Hシーンはかなり短め 他のヒロインは名前呼んでくれないけど一応書いとく 椎名美希 (CV さぼ・E・てん) 森山美帆子(CV 木村あやか) 曽我美奈子(CV 細田なな) パトリシア真崎(CV かわせ志乃) 全国の「クラサワ」さん&「イツキ」くんオメデトンヽ(´ー`)ノ クラチ 【ヒミツのオトメ ボクが女の子になった理由】【Etoiles】(2012-11-30) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart24 92 :名無したちの午後:2014/05/15(木) 21 36 16.36 ID Hx3UfUYT0 【ヒミツのオトメ ボクが女の子になった理由】【Etoiles】 男主人公 倉知 夏月(クラチ カヅキ)…変更不可 女装版主人公 倉知 ナツキ…変更不可 ※主人公は男だが、ある理由から女装して女子学園に通うため「ナツキ」がメイン 九条香音(CV 上田朱音) 「お姉さま」「かづきさん」 篠原あげは(CV 御苑生メイ) 「ナツキ」「倉知君」 野々宮雅(CV 桃也みなみ) 「ナツキさん」「倉知さん」 遠城寺ニーナ(CV 夏乃香) 「倉知さん」「ナツキさん」「カヅキさん」 倉知咲月(CV 白月かなめ) 「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」 君島怜(CV 杉原茉莉) 「倉知」 上原由香(CV 雪村とあ) 「ナツキさん」「夏月さん」 月宮(CV 芹園みや) 「ナツキ様」「カヅキさん」 倉知正造(CV 石森イッセイ) 「夏月」「ナツキ」 九条祖父(CV 堀川忍)「ナツキ殿」「夏月殿」 モブ 「倉知さん」「ナツキさん」 全国の「クラチ」さん&「ナツキ」さん&「カヅキ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クラノ 【倉野くんちのふたご事情】【CUBE】(2012-11-30) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart21 602 名前:名無したちの午後:2012/11/30(金) 09 54 40.20 ID 5SyeGmE/0 暇だったのでテンプレ形式にまとめてみた ttp //www.cuffs-cube.jp/products/3rd-project/char/izumi/ 【倉野くんちのふたご事情】【CUBE】 主人公 倉野 和哉 (クラノ カズヤ)…多分変更不可 倉野 いずみ (CV:松田理沙)「かずちゃん」 倉野 みこと (CV:榊るな) 「カズくん」 倉野 智花 (CV:星咲イリア) 「和哉」 倉野 弥恵 (CV:遠野そよぎ)「兄さん」 倉野 絵麻 (CV:遥そら) 「お兄ちゃん」 倉野 武蔵 (CV:桜ひろし) 「和哉」 倉野 佐枝 (CV:篠崎双葉) 「カズヤ」 高崎 十兵衛 (CV:先割れスプーン) 「和哉」 岡野 静子 (CV:渡辺涼子) 「倉野くん」 全国の「カズヤ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クラハシ 【生恥@ ~母・姉・妹のMレッスン~】【BOM】(2002-07-05) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せ 199 名前:名無したちの午後 :02/08/12 19 01 ID QQ+KnjMs 不用意にageると蠅がたかる・・・・か。 生恥@ 主人公 倉橋 一也(くらはし かずや)名前変更不可 倉橋織江 「一也さん」「ご主人様」 倉橋麻葉 「一也」 倉橋木綿子 「お兄ちゃん」 北嶋希帆 ? 春 「倉橋」 レイン 「カズヤ」 法子 「一也」 「かずや」さん、オメデトウヽ(´ー`)ノ クルス 【Imitation Lover】【light】(2006-01-27) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart7 262 名前:名無したちの午後 :2006/04/09(日) 13 11 23 ID cPLDlrEw0 【Imitation Lover】【light】 主人公 来栖 樹(クルス イツキ) … 変更不可 一之瀬響 「来栖くん」「樹」、他に「樹くん(2)」「来栖少年(4)」など 園村円香 「先輩」「来栖先輩」 桐沢伊織 「来栖くん」「樹くん(最初のHシーンでのみ)」 城戸尚也 「樹」 ●尚也シナリオ 主人公 城戸尚也(キド ナオヤ) … 変更不可 桐沢伊織 「尚也」「城戸くん」 一之瀬響 「城戸」 園村円香 「城戸先輩」「先輩」 来栖 樹 「城戸」 唯一の攻略キャラである肝心の伊織はあまり名前を呼んでくれない。 姓名あわせて10回余。ほとんど「あなた」で代用。 全国の「クルス」&「イツキ」&「キド」&「ナオヤ」さん、オメデトンヽ(´ー`)ノ クレサト 【だっこしてぎゅっ! ~オレの嫁は抱き枕~】【タクティクス*ラテ】(2009-09-18) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart14 827 名前:名無したちの午後:2009/11/03(火) 14 45 44 ID lwyPzLhU0 【だっこしてぎゅっ! ~オレの嫁は抱き枕~】【Tactics*Latte】 主人公 暮里 夕弥(クレサト ユウヤ)…名前変更不可 灯 (CV:茶谷やすら) 夕弥くん 枕子 (CV:みる) 夕弥 (夕弥くん) 蛍 (CV:豊多のあ) 夕弥くん 茨森とばり (CV:民安ともえ) 暮里くん (暮里夕弥くん) 茨森こよい (CV:井村屋ほのか) 夕弥さん 全国の「クレサト」さん「ユウヤ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クロサキ 【おねだりミルクプリンセス】【イグニッション】(2004-11-26) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart6 147 名前:名無したちの午後 :2005/10/19(水) 23 30 46 ID z/BrH/Kk0 ついでなんでたまには報告でも。結構前のだが。 【おねだりミルクプリンセス】【イグニッション】 主人公 黒崎 誠司(クロサキ セイジ) …変更不可 葉山 里奈 CV しまだ かおり 「誠司くん」 野々村 舞 CV 羽月 優名 「黒崎くん」 葵 なつき CV 百花 ルナ 「誠司」 レベッカ・シュバルツバルト CV 瑞帆 「貴様」「セイジ」 瀬戸 彩香 CV 唯川 みき 「せーじくん」「誠司くん」 全国の「クロサキ」さん「セイジ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ クロス 【CROSS†CHANNEL】【FlyingShine】(2003-09-26) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart2 909 名前:名無したちの午後 :03/10/01 02 07 ID NDtW66WZ 910 名前:909 :03/10/01 02 32 ID NDtW66WZ CROSS†CHANNEL Flying Shine 黒須 太一(クロス タイチ) 名前変更不可 山辺美希CV:榎津 まお(えのきづ まお):先輩 佐倉霧CV:中瀬 ひな(なかせ ひな):黒須先輩、黒須太一 宮澄見里CV:鳩野 比奈(はとの ひな):ぺけくん 桐原冬子CV:楠 鈴音(くすのき すずね):太一 支倉曜子CV:児玉 さとみ(こだま さとみ):太一 堂島遊紗CV:鵜乃瀬 朱香(うのせ しゅうか):太一さん 七香CV:理多(りた):太一 島友貴CV:牛久 京也(うしひさ きょうや):太一 桜庭浩CV:十文字 隼人(じゅうもんじ はやと):太一 福原みゆき:先輩 新川豊:黒須、鴻巣 全国の「クロス」さん、「タイチ」くん、「ペケ」くん、先輩、鴻巣さんおめで㌧ヽ(´ー`)ノ クロダ 【W.L.O.世界恋愛機構 ~未来のために、いま恋をしよう。~】【あかべぇそふとつぅ】(2009-03-26) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart14 222 名前:名無したちの午後 :2009/06/08(月) 23 07 56 ID qiZK8W1l0 とりあえず何でもいいから報告しようぜ 【W.L.O.世界恋愛機構】【あかべぇそふとつぅ】 (体験版) 主人公 黒田 祐樹(クロダ ユウキ) … 名前変更不可 久坂愛奈 (CV:佐本二厘) 「黒田」 五百倉蛍 (CV:風音) 「黒田」「黒田祐樹」「黒田祐樹殿」 (「祐樹」※次回予告のみ) 依那 (CV:民安ともえ) 「祐樹さん」「お兄ちゃん」「ご主人様」 アリサ C.F. (CV:海原エレナ) 「黒田くん」「黒田」 サラサ C.F. (CV:松永雪希) (未登場) 早川優梨子 (CV:松田理沙) (「黒田先輩」「祐樹先輩」「黒田さん」各一、二回) 沖田 恵 (CV:夏野こおり) 「祐樹くん」 花崎雪絵 (CV:冬宮メア) 「黒ちゃん」 菜原 捺 (CV:黒木まゆ) 「黒田」「黒田祐樹」 姫里紗枝 (CV:さくらはづき) 「黒田」 丙晃一郎 (CV:鹿江悠) 「黒田」 第1話~第7話を収録した体験版 ver.2より 体験版部分では名字呼びのヒロインが多いが、順次名前呼びに移行するものと思われ 製品版は今プレイ中なので正式報告はいずれまた 全国の「クロダ」&「ユウキ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ 271 名前:名無したちの午後 :2009/06/17(水) 06 47 55 ID R3hGsgZS0 222をコンプしたので再報告。メチャ長え。 【W.L.O.世界恋愛機構】 【あかべぇそふとつぅ】 主人公 黒田 祐樹(クロダ ユウキ) … 名前変更不可 五百倉蛍 (CV:風音) 「黒田」→「祐樹」/「あなた」 畏まった場面で時々「黒田祐樹」「黒田祐樹殿」 久坂愛奈 (CV:佐本二厘) 「黒田」→「くろゆー」→「祐樹」/「あなた」 メイド服Hで「ご主人様」 《黒田くん、黒田さん、黒田さんちの祐樹くん、黒田祐樹さん、黒田祐樹など》 アリサ C.F. (CV:海原エレナ) 「黒田くん」→「黒田」→「祐樹」/「アンタ」「あなた」 演劇の場面等で「ユーキ」 《王子様、ダーリン、ユーちゃん、黒田祐樹、黒田祐樹殿、真っ黒、パパなど》 サラサ C.F. (CV:松永雪希) 「黒田さん」→「ユーキさん」→「祐樹さん」/「あなた(貴方)」 早川優梨子 (CV:松田理沙) 「黒田先輩」「先輩」→「祐樹さん」 《祐樹先輩、黒田さん、お父さん》 依那 (CV:民安ともえ) 「祐樹さん」「お兄ちゃん」 《ご主人様》 五百倉光 (CV:岩佐純) 「黒田君(くん)」「黒田祐樹」 黒田母 (CV:芹園みや) 「祐樹」 帝崎楓 (CV:西陣波那多) 「先輩」/「あんた」 雨畑散子 (CV:紫華すみれ) 「黒田」 滝田宗治 (CV:木島宇太) 「黒田」/「お前」 他に「ボコられ1号」 ソラリス (CV:安玖深音) 「黒田様」「黒田祐樹様」/「あなた」 花巻真季菜 (CV:千流雫) 「あなた」/「黒田祐樹」「黒田」 総帥 (CV:成瀬未亜) 「黒田」 仮想図書喫茶で「お兄ちゃん」 早川眞梨子 (CV:篠崎双葉) 「黒田くん」 メインヒロインの《》は1~数回程度の単発的な呼び方。サブキャラは 222で報告済みのものは省略。 ※アリサ・サラサルートでの「ユーキ」と「祐樹」の使い分けについて: このルートで主人公たちのクラスは学園祭で演劇をするが、主人公が演じるのが王子役の「ユーキ」。 役名と本名では字面だけでなく、呼ぶ時の発音やアクセントにあえて差をつけている模様。 アリサ・サラサともに「ユーキ」は先頭にアクセントがある。演劇以後にも役名で呼ぶことが結構ある。 全国の「クロダ」&「ユウキ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ 【FESTA!! -HYPER GIRLS POP-】【Lass】(2005-12-16) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart6 684 名前:名無したちの午後 :2006/01/06(金) 06 16 14 ID n2BJskdJ0 【FESTA!! -HYPER GIRLS POP-】【Lass】 主人公 黒田孝弘 (クロダ タカヒロ) …変更不可 千神奈々子 「黒田さん」→「孝弘くん」 (稀に「孝弘さん」「黒田君」「黒田孝弘くん」) 千神双葉 「孝弘」→「お兄ちゃん」 (鏡町編では「先輩」「黒田先輩」、他に「孝弘先輩」) 久遠寺凛 「黒田くん」→「孝弘」 (稀に「黒田」) 早坂恋水 「たーくん」 (稀に「黒田君」) 日下部琴子 「たーくんさん」→「孝弘さん」 獅堂彩音 「下僕128号」→「黒田さん」→「孝弘さん」 響紗南絵 「黒田」 (稀に「黒田孝弘」「孝弘」) 音無美香 「黒田さん」 (稀に「孝弘君」) 白百合貴京 「黒田」 白百合澄零 「黒田君」 七夜 「黒田孝弘」 広原翔 「黒田君」→「孝弘」 (しばしば「マイベストフレンド」やその亜系で呼ぶ) お地蔵さん 「黒田君」 主人公声ありだが製品版では個別にON/OFF可能(体験版は不可)。 シナリオには御剣町編と鏡町編の2系統があり、例えば鏡町編では御剣町のキャラは 主人公とあまり親しくなれないので、御剣町編の時と呼び方自体も変わってくる。 全国の「タカヒロ」さん&「クロダ」さん、オメデトンヽ(´ー`)ノ クワガタ 【SWAN SONG】【Le.Chocolat meets FlyingShine】(2005-07-29) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart23 474 名前:名無したちの午後:2013/12/04(水) 12 11 54.26 ID CMb6BDI90 既に報告済の作品だが、詳細が抜けてたんで再報告。 【SWAN SONG】[Le.Chocolat] 主人公 尼子 司(アマコ ツカサ)・・・名前変更不可 八坂 あろえ(CV:草柳順子)「あまこつかささん」 田能村 慎(CV:滝沢アツヤ)「尼子くん」→「ツカちゃん」 佐々木 柚香(CV:佐々木柚香)「尼子さん」 川瀬 雲雀(CV:榎津まお)「アマコ」→「ツカサ」 鍬形 拓馬(CV:桜坂幸平)「尼子さん」→「ツカサ君」 飛騨 隆太郎(CV:国定剛)「尼子君」 乃木 妙子(CV:北都南)「尼子様」→「お兄様」《尼子司様》《お兄ちゃん》 乃木 茜(CV:楠鈴音)「尼子様」 星野 綾(CV:歌織)「尼子様」 《 》は稀な呼び方 慎・雲雀・拓馬はかなり序盤で呼び方が変わる。 全国の「アマコ」さん&「ツカサ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ 475 名前:名無したちの午後:2013/12/04(水) 12 14 50.93 ID CMb6BDI90 474の補足 基本的に主人公は司だが、頻繁に主人公(語り部/視点)が 切り替わりストーリーが進んでいく方式。 以下、その詳細。 主人公EX1 鍬形 拓馬(クワガタ タクマ)・・・名前変更不可 田能村 慎(CV:滝沢アツヤ)「タクちゃん」 佐々木 柚香(CV:佐々木柚香)「鍬形さん」 川瀬 雲雀(CV:榎津まお)「クワガタ」 尼子 司(CV:広末涼)「鍬形さん」 小池 希美(CV:西田こむぎ)「クワガタ(鍬形)さん」 主人公EX2 田能村 慎(タノムラ シン)・・・名前変更不可 鍬形 拓馬(CV:桜坂幸平)「タノさん」《田能村さん》《隊長》 川瀬 雲雀(CV:榎津まお)「タノムラ」 飛騨 隆太郎(CV:国定剛)「田能村君」 全国の「クワガタ」&「タクマ」&「タノムラ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ 視点が女性キャラの雲雀・柚香・妙子になることもあるが、 期間が極端に短いため報告からは除外。 主人公となっているキャラにもボイスがあり、 頻繁に視点切替が発生するため 主人公=プレイヤーという感覚はほとんどしない。
https://w.atwiki.jp/riseiai/pages/491.html
【グモッ】人身事故スレ◆PartX【チュイーーン】 - ↑アクセスカウンタ 記号:△=踏切事故 ▲=触車 ◆=中の人(乗客乗員など)負傷 ?=不確定情報 ※=後に無傷と判明 ☆=人身事故ではない ×=誤りと判明 ◎=正しい情報 開始 1044番の第884番レス 京葉線 市川塩浜 2月1日 6時43分頃 話題発生 1044番の第916番レス 当該列車 君津5時54分発 特急さざなみ2号 東京行き1002M 特徴 京葉線全線運転見合わせ。武蔵野線上りは西船橋折り返しで分断、京葉線直通は海浜幕張方面行きのみ運転。7時54分運転再開(見込み7時50分)。 男性が死亡。(千葉日報) 京葉線の人身事故は今年初、前回は2020年6月15日。市川塩浜駅構内は2018年8月20日以来。 JR神戸線 兵庫 2月1日 11時51分頃 話題発生 1045番の第22番レス 当該列車 須磨11時42分発 普通高槻行き166C(A0030運用 207系1000番台近アカS29編成+207系500・1500番台近アカH4編成 いずれも未更新) 特徴 ☆ 公式は兵庫駅で車両トラブル。停車の際、非常ブレーキがかかって動けなくなる。これをきっかけとして別のトラブルを呼び起こすこととなる。 JR神戸線 神戸 2月1日 12時30分頃 話題発生 1045番の第22番レス 当該列車 西明石発 普通四條畷行き 特徴 ☆ ホームドアと車両が合致せず、ドア開閉不能。駅通過扱い。 1日午前11時50分ごろ、神戸市兵庫区のJR神戸線兵庫駅で、須磨発高槻行きの普通電車が停車する際、非常ブレーキがかかって動かなくなった。乗客にけがはなかった。このため、後続の西明石発四條畷行き普通電車は兵庫駅の別のホームから発車。当初、予定していた線路と変更になり、神戸駅では快速・新快速専用の2番ホームに到着した。しかし、この神戸駅ホームは転落防止用ホーム柵を工事中で、さらに柵の開閉位置が普通電車と異なっており、ドアが開けない事態に。急きょ乗客を乗降させずに次の元町駅まで運行した。神戸駅で降りるはずだった乗客に対しては、反対の下り電車を利用するよう異例の呼びかけをした。このトラブルで非常ブレーキがかかった電車を含め、上下線で14本が運休、22本が最大65分遅れ、約5千人に影響した。(神戸新聞NEXT) 2月2日のワッチョイは「アタマイタイー」。これは「2(ず)2(ツー)」の語呂あわせ。ジョンソン・エンド・ジョンソンが2001年に制定した。それとは別に「頭痛撲滅委員会」が2月22日を頭痛の日として制定している。他の記念日は、麩の日、国際航空業務再開の日、夫婦の日、ツインテールの日、バスガールの日など。ポートアイランド線が2006年に神戸空港駅まで乗り入れたのもこの日。守谷市の市制施行(2002年)、7桁の郵便番号導入(1998年)、徹子の部屋が放送開始。(1976年) この日が誕生日な有名人・著名人は、天龍源一郎・井上聡(次長課長)・劇団ひとり・浅尾美和・加藤史帆(日向坂46)・村上宗隆(東京ヤクルトスワローズ)・岩本蓮加(乃木坂46)など。 大阪メトロ中央線 深江橋 2月2日 9時40分頃 話題発生 1045番の第90番レス 当該列車 学研奈良登美ヶ丘発 コスモスクエア行き 特徴 ※ 中央線・近鉄けいはんな線運転見合わせ。10時25分現在運転再開済み。 2日午前9時40分ごろ、大阪市東成区深江北1丁目の大阪メトロ中央線の深江橋駅で「人身事故があった」と駅員から119番通報があった。府警や市消防局によると、高校の女子生徒(16)が上り線のホームから転落し、進入してきた学研奈良登美ケ丘発コスモスクエア行きの電車(6両編成)の車両の下に入り込んだが、けがはなかったという。府警が当時の状況を調べている。中央線は上下線全線で約40分間運転を見合わせた。(朝日新聞) 東急大井町線 九品仏 2月2日 14時54分頃 話題発生 1045番の第228番レス 当該列車 溝の口14時42分発 各停大井町行き110-142レ(高津・二子新地停車 9000系9006F) 特徴 ☆ ホームにかからない部分に停車するためドアカットされるはずの5号車ドアが開扉。15時06分運転再開。当該は九品仏で運転打ち切り150ウで長津田?へ回送、朝予備車だった9004Fが代わりに運用入り。 東急電鉄によると、トラブルがあったのは大井町線の九品仏駅。九品仏駅のホームは駅に停車する5両編成よりも短いため、停車の際、通常、ホームにかからない5号車のドアを開かない設定にしているが、2日午後3時前、溝の口発大井町行の上り各駅停車が停車した際、開かないはずの5号車のドアが誤って開いたという。電車から転落した乗客はおらずケガ人はなかった。大井町線では、2006年に同じ九品仏駅で、2010年に当時、ホームが短かった戸越公園駅で本来開かない設定のドアが開くトラブルがあり、保安装置を改修していたというが、東急電鉄は今回のトラブルの原因について調査するとともに対策を検討するとしている。(日テレNEWS24) 当該列車が九品仏駅に予定時刻14時54分に到着後、当該車掌が異常の無いことを確認のうえ、正則作業にてドア開扉操作。その際、通常は開かない仕様となっている5号車(最も二子玉川寄り車両)の各扉(ドア)が、1~4号車の各扉とともに開扉したため、当該車掌が全扉の閉扉操作。転落者・負傷者がいないことを当該車掌が確認し、1号車・4号車の一部扉を開扉して乗客全員を降車させ、当該車両は車庫へ回送。原因は確認中で、原因確認後に対策を検討予定。(東急) 非扱い(ドアカット)操作はかつては車掌が手動で行っていたが、今は自動操作。通常は減速中に車掌が非扱いの機械を目視で確認して、九品仏に到着すると、「ピンポンパンポン」が2回鳴って扉を開いている。 近鉄山田線 東松阪~櫛田 2月2日 15時39分頃 話題発生 1045番の第134番レス 当該列車 大阪上本町13時21分発 急行五十鈴川行き1321レ(6両編成) 特徴 現場は東松阪1号踏切。松阪(後、伊勢中川)~宇治山田間運転見合わせ。9400K(特急しまかぜ京都行き)は斎宮でストップ。16時40分現在運転再開済み。 列車事故の発生(松阪署) 2月2日夕方、松阪市大津町の踏切において、列車と歩行者が衝突し、歩行者の男性が軽傷を負う列車事故が発生した。 近鉄山田線の人身事故は今年初、前回は2020年8月8日 松ヶ崎。東松阪~櫛田駅間は2018年5月5日以来。 神戸市営地下鉄北神線 谷上 2月2日 17時03分頃 話題発生 1045番の第290番レス 当該列車 西神中央16時23分発 谷上行き16-817レ(17運行 2000形2122F) 北神急行線民営化記念HM付き 特徴 ☆ 公式は車両故障。信号待ちのため駅間停車中の車両ドアが開扉。当該は谷上着5分遅れ、折り返しの谷上17時12分発西神中央行きは谷上~名谷間運休し、車両は名谷車庫回送。17運行には21運行に入っていた6000形6137F(北神急行線民営化記念HM付き)が入り、21運行は名谷車庫より2000形2120Fを出庫させて充当。 2日午後5時ごろ、神戸市営地下鉄谷上駅(神戸市北区)の西約100メートルで、信号待ちをしていた西神中央発谷上行き車両(6両編成)の進行方向左側扉が、18枚とも約1分間開くトラブルが発生した。乗客約200人にけがはなかった。車両は約5分遅れで到着後、車両基地に回送。点検で異常はなく、原因を調べる。(神戸新聞NEXT) 谷上駅手前約100m(新神戸側)の本線上にて信号待ち停車中の電車(乗客数約200名)において、進行方向左側の扉全18枚が約1分開いた。車両を点検したところ、異常は認められなかった。なお、これによる負傷者等はなし。原因は北神線の業務委託先である神戸電鉄を含め、詳細調査中。(神戸市交通局) 大糸線 梓橋~一日市場 2月2日 17時05分頃 話題発生 1045番の第149番レス 当該列車 松本16時52分発 普通信濃大町行き3241M(211系N305編成) 特徴 松本~豊科間運転見合わせ。18時20分運転再開(見込み18時30分→18時15分)。 線路上にいた男性と衝突。男性は、市内の病院に搬送されたが死亡。事故により列車2本が最大60分遅れ、約800人に影響。(2/3付け 信濃毎日新聞紙面) 大糸線の人身事故は今年初、前回は2017年2月3日 信濃松川~北細野駅間。梓橋~一日市場駅は過去11間記録無し。 中央快速線 武蔵境 2月2日 19時38分頃 話題発生 1045番の第174番レス 当該列車 東京19時05分発 通勤快速河口湖行き1923H~1923M~2923M(E233系八トタH58編成) 先頭車=クハE232-58 ※後ろ6両は大月駅止まり、土曜・休日ダイヤは1923H(東京19時13分発 中央特快河口湖行き)で運転 特徴 当該はホーム半分ほど過ぎて停車、前面ガラス破損。最後尾車両横にレスキュー隊。イトーヨーカドーのあるロータリーに消防車多数。1927T(快速高尾行き)は三鷹発車直後だったため3番線ホームに後ろ5両のみ残して停車、10号車のみドアコック開放。三鷹駅4番線は1951T(東京19 06発 各駅停車高尾行き ※中野駅まで快速)がドアを開けて停車、5番線は青梅1967T(東京19 13発 各駅停車青梅行き ※中野駅まで快速)の姿も。5151M(特急かいじ51号)は荻窪でストップ。20時56分運転再開(見込み20時40分→20時50分)。当該は東小金井打ち切り。豊田車両センター回送入庫措置か? 男性が死亡。事故で上下6本が運休。約3万3千人に影響。(2/3付け 山梨日日新聞紙面) 中央快速線の人身事故は今年3回目、前回は1月19日。武蔵境駅構内は2020年12月12日以来。 中央本線 石和温泉~酒折 2月2日 20時26分頃 話題発生 1045番の第208番レス 当該列車 根岸16時42分発 篠ノ井行き貨物5463レ(EH200 A215仕業 EH200-12牽引) 特徴 現場は横根踏切。49M(あずさ49号)は石和温泉抑止。大月~小淵沢間運転見合わせ。21時47分運転再開(見込み21時40分)。 2日午後8時25分ごろ、甲府市横根町のJR中央線横根踏切で、根岸発篠ノ井行き貨物列車が線路内にいた男性とぶつかった。(山梨日日新聞) 50代の男性が死亡。(2/3付け 山梨日日新聞紙面) 中央本線(高尾~塩尻駅間)の人身事故は今年初、前回は2020年11月19日 塩山~東山梨駅間。石和温泉~酒折駅間は2020年9月13日以来。 中央快速線と中央本線(高尾~塩尻駅間)の同日人身事故は、2013年6月12日(後に中央快速線接触無しと判明)、2012年12月7日(中央快速線▲)、2012年8月7日(後に中央快速線接触無しと判明)、2012年2月18日以来。 武蔵野線 東浦和 2月3日 0時43分頃 話題発生 1045番の第321番レス 当該列車 府中本町24時05分発 各駅停車南越谷行き2427E(209系500番台千ケヨM73編成) 先頭車=クハ209-515 特徴 1時58分運転再開(見込み1時40分)。作業抑止は2時11分解除。 当該2427E 武蔵野線東所沢以東の下り最終電車 3日午前0時45分ごろ、埼玉県さいたま市緑区東浦和1丁目のJR東浦和駅で、川口市の職業不詳男性(62)が武蔵野線府中本町発南越谷行きの下り普通電車(8両編成)にはねられた。男性は搬送先の病院で死亡が確認された。乗客や乗員にけがはなかった。浦和東署によると、電車が駅に停車する際、男性がホーム上から線路内に入る様子が防犯カメラやドライブレコーダーに映っていた。所持品などから身元が判明した。JR東日本大宮支社によると、事故により電車は76分遅れ、午前2時ごろ運転を再開。乗客約150人に影響が出た。(埼玉新聞) 武蔵野線の人身事故は今年初、前回は2020年12月26日武蔵浦和下り。東浦和駅構内は過去11年間記録無し。 M73編成の前回の人身事故当該は2014年(平成26年)3月25日 東浦和~東川口下り、M73編成の人身事故当該経験はこれで3回目 日豊本線 日向新富~佐土原 2月3日 6時57分頃 話題発生 1045番の第355番レス 当該列車 田野6時00分発 普通高鍋行き6750D~6752D(所定キハ47系) ※土曜・休日ダイヤは南宮崎始発 特徴 高鍋(後、日向市)~宮崎間運転見合わせ。8時37分運転再開。 日豊本線の人身事故は今年3回目、前回は1月21日 熊崎。日向新富~佐土原駅間は2020年8月30日以来。 山陽本線 安芸中野~海田市 2月3日 16時51分頃 話題発生 1045番の第436番レス 当該列車 東京貨物ターミナル発鹿児島貨物ターミナル行き 貨物1071レ 特徴 現場は安芸中野出て1つ目の京田第3踏切。西条~海田市間運転見合わせ。19時50分運転再開(見込み18時30分以降→20時以降→20時→19時50分)。JR貨物の情報では現場は安芸中野駅構内。 警察などによると、きょう午後5時前、広島市安芸区中野のJR山陽線の踏切内で、下り線を走行していた貨物列車が男性と衝突する事故があり、男性はその場で死亡が確認された。現場は遮断機のある踏切で、列車の運転士によると、「進行方向の右側から踏切に入る人の姿を確認し、ブレーキをかけたが間に合わなかった」と話しているという。死亡したのは30代から40代くらいの男性で、警察が身元の確認を急ぐとともに詳しい事故の原因を調べている。この事故の影響でJR山陽線は、西条駅と海田市駅間で上下線が運転を見合わせていて、運転再開は午後8時以降になる見込み。(テレビ新広島) 山陽本線(姫路~下関駅間)の人身事故は今年初、前回は2020年12月24日 福山~備後赤坂駅間。安芸中野~海田市駅間は2019年6月6日以来。 根岸線 本郷台 2月4日 8時26分頃 話題発生 1045番の第516番レス 当該列車 大宮6時24分発 各駅停車大船行き619B(E233系宮サイS149編成) 先頭車=クハE232-1049 特徴 磯子~大船間運転見合わせ。9時24分運転再開(見込み9時30分)。 08時31分頃 栄区小菅ケ谷1丁目付近で発生した救助に、救助隊等が出場。(横浜市消防局) 4日午前8時25分ごろ、横浜市栄区のJR根岸線本郷台駅で、大宮発大船行きの普通電車に男性がはねられた。男性は足などに重傷を負い、病院に搬送された。栄署が男性の身元や事故原因を調べている。JR東日本横浜支社によると、同線は計13本が運休し、計4本が最大55分遅れ、約6千人に影響した。(カナロコ) 根岸線の人身事故は今年初、前回は2020年3月21日。本郷台駅構内は2019年12月9日以来。 山手線 高田馬場~目白 2月4日 11時47分頃 話題発生 1045番の第566番レス 当該列車 特徴 ☆ 安全確認。外回り池袋・田端・上野方面行きのみ運転見合わせ。内回り新宿・渋谷・品川方面行きは継続運転。12時26分頃(見込み13時30分)再開。同時刻から東京メトロ全線などに振替輸送。 西武新宿線 井荻~上井草 2月4日 14時18分頃 話題発生 1045番の第566番レス 当該列車 特徴 西武新宿~上石神井間運転見合わせ。14時59分運転再開(見込み15時20分)。 小田急小田原線 経堂~千歳船橋 2月4日 14時45分頃 話題発生 1045番の第661番レス 当該列車 本厚木13時40分発 各駅停車新宿行き6596レ(平日E72運用 4000形4054×10) 特徴 ☆ 架線支障。 4日午後2時45分頃、小田急小田原線の経堂~千歳船橋駅間で、架線に布団が引っかかった。この影響で、同線は新宿~成城学園前駅間の上下線で一時、運転を見合わせたが午後3時55分頃、再開した。(読売新聞) JR線 大宮 2月4日 16時40分頃 話題発生 1045番の第 番レス 当該列車 特徴 ☆ 埼玉県警やさいたま市消防局に入った連絡によると、4日午後4時40分ごろ、さいたま市大宮区のJR大宮駅で、70代くらいの男女が駅施設からの落下物に当たり、救急搬送された。落下物はモルタル片で、けがの程度は軽いとみられるという。(毎日新聞) 近鉄大阪線 桜井~大福 2月4日 17時58分頃 話題発生 1045番の第599番レス 当該列車 特徴 △ 自転車と接触。大和八木~大和朝倉間運転見合わせ。18時35分現在運転再開済み。 小田急小田原線 成城学園前~喜多見 2月4日 20時38分頃 話題発生 1045番の第621番レス 当該列車 新宿20時23分発 快速急行小田原行き3067レ~1167レ(3000形3085×10) 先頭車=クハ3485 ※新松田駅から急行 特徴 公式地図は下り線側に×マーク。当該は異音感知の後一旦運転を再開しており、現場からは離れている。15分程度後続の下り快速急行3569レより成城学園前36号柱付近に人が倒れていたとの通報。上りに快急新宿行きも。喜多見のホームから進入したとみられ(成城学園前はホームの立哨がおり立ち入りが厳しく、この区間に鉄道高架より高い構造物がないことから推定)、喜多見から係員が線路に入って成城学園前方向へ歩いて向かう。学生服着た男の子収容。当該の乗客は現場で降車措置、喜多見まで徒歩で移動。新宿~小田原間運転見合わせ。21時15分より新宿~成城学園前間の各停のみと向ヶ丘遊園~小田原間は運転再開、運転見合わせ区間は成城学園前(後、経堂)~向ヶ丘遊園間。1031レ(新宿20 24発 急行新松田行き ※相模大野駅から各停6757レ)は下り各停と共に成城学園前で、その後ろの0911レ(新宿20 30発 特急ロマンスカーホームウェイ11号 秦野行き)は、祖師ヶ谷大蔵駅の急行線でストップ。現場検証に時間を要す。23時34分運転再開(見込み22時30分→22時50分→23時20分)。 小田急小田原線の人身事故は今年2回目、前回は1月3日 生田~読売ランド前駅間。成城学園前~喜多見駅間は過去11年間記録無し。 越後線 東柏崎 2月5日 6時35分頃 話題発生 1045番の第810番レス 当該列車 柏崎6時30分発 普通東三条行き125M~227M(115系6両編成 旧弥彦色N33+一次新潟色N37) 先頭車=クハ115-1230 特徴 柏崎~出雲崎間運転見合わせ。8時15分現在運転再開済み(見込み8時30分)。当該目立った破損なし。 越後線の人身事故は今年初(1月26日はノングモのため除外)、前回は2020年11月28日 岩室。東柏崎駅構内は過去11年間記録無し。 予讃線 讃岐府中 2月5日 8時 分頃 話題発生 1046番の第109番レス 当該列車 高松発 普通琴平行き 特徴 ☆ 2月5日午前8時ごろ、香川県坂出市のJR讃岐府中駅に停車していた、高松発琴平行きの下り普通列車の車掌が、線路に転落した。車掌は転落した後、すぐ救出され病院に搬送された。頭を打っているものの意識はあるという。列車は駅に11分停車したあと運転を再開し、次の駅で車掌が交代して約30分遅れで運転を続けた。この列車を含む4本の列車に部分運休や遅れが出たが、18時現在は平常ダイヤに戻っている。(KSB瀬戸内海放送) 讃岐府中駅はかなりの急カーブで、電車とホームの間に隙間がある。 東京メトロ有楽町線 麹町 2月5日 9時08分頃 話題発生 1045番の第825番レス 当該列車 特徴 ☆ 線路内人立入。9時19分運転再開。 京急本線 杉田 2月5日 10時52分頃 話題発生 1045番の第835番レス 当該列車 京急久里浜10時28分発 快特泉岳寺行き1011A(2100形2157-) 先頭車=デハ2164 特徴 上大岡~金沢文庫間運転見合わせ。12時15分現在運転再開済み(見込み12時20分)。 5日午前10時50分ごろ、横浜市磯子区の京急線杉田駅で、成人とみられる男性が京急久里浜発泉岳寺行き快特電車にはねられ、死亡した。磯子署が男性の身元を調べている。京急電鉄によると、上大岡-金沢文庫間で上下線とも一時運転を見合わせた。(カナロコ) 磯子区に住む無職男性(27)が京急久里浜発泉岳寺行き快特電車にはねられた。男性は全身を強く打ち、間もなく死亡した。磯子署が事故原因を調べている。京急電鉄によると、同線は上大岡―金沢文庫間で一時運転を見合わせ、上下線51本、約1万1500人に影響した。(カナロコ) 京急本線の人身事故は今年4回目、JR神戸線と並び全国最多タイに。前回は1月23日 金沢八景~追浜駅間。杉田駅構内は2017年11月20日以来。 JR神戸線 さくら夙川 2月5日 22時08分頃 話題発生 1045番の第968番レス 当該列車 特徴 ☆ ホームから旅客が転落したため、救護。 中央快速線 西八王子~高尾 2月6日 0時21分頃 話題発生 1046番の第20番レス 当該列車 東京23時10分発 快速高尾行き2395T(E233系八トタT21編成) 先頭車=クハE232-21 特徴 現場は西八王子出て3つ目の37 並木西踏切。JRの社員がタクシーで現場到着。武蔵小金井~高尾間の上下線と高尾~大月間の下り最終列車運転見合わせ。1時40分運転再開(見込み1時40分)。 6日午前0時21分頃、JR中央線の西八王子―高尾駅間で人身事故が発生した。この影響で、同線は武蔵小金井―高尾駅間の上下線で一時運転を見合わせていたが、午前1時40分頃に運転を再開した。(読売新聞) 中央快速線の人身事故は今年4回目、前回は2月2日 武蔵境。西八王子~高尾駅間は2020年5月28日以来。 JR宇都宮線 蓮田~白岡 2月6日 9時54分頃 話題発生 1046番の第92番レス 当該列車 大船8時17分発 湘南新宿ライン新宿経由 普通小金井行き2526Y(U234+K-22) ※平日ダイヤは、4520Y(大船8 16発 湘南新宿ライン新宿経由 快速宇都宮行き)で運転 特徴 現場は白岡市内(久喜警察署管内)。東京~宇都宮間運転見合わせ。11時10分運転再開(見込み11時20分)。JR貨物の情報では9時56分発生。 6日午前9時55分ごろ、埼玉県白岡市小久喜のJR宇都宮線踏切内で、30~60代くらいの女性が大船発小金井行き下り普通電車(15両編成)にはねられ死亡した。久喜署によると、電車が蓮田―白岡間を進行中、運転士が踏切内に立っている女性を発見し、ブレーキをかけたが間に合わなかった。乗員、乗客にけがはなかった。JR東日本大宮支社によると、事故により同線の上下線4本が運休となり、最大1時間16分の遅れが発生。約1万人に影響が出た。同署で女性の身元を確認している。(埼玉新聞) 宇都宮線の人身事故は今年2回目、前回は1月27日 雀宮~宇都宮駅間。蓮田~白岡駅間は2020年9月28日以来。 常磐線 岩間 2月6日 14時03分頃 話題発生 1046番の第139番レス 当該列車 上野12時12分発 普通勝田行き371M(全区間10両編成) 特徴 ※ ホーム上で座っていた人と接触。勝田~土浦間運転見合わせ。14時48分運転再開(見込み14時40分)。 6日午後2時3分ごろ、笠間市下郷のJR常磐線岩間駅構内で、進入してきた下り普通列車がホームに腰掛けていた男性と接触した。男性にけがはなかったもよう。約45分後に運転を再開した。JR水戸支社によると特急含む上下計6本が遅れ、乗客約800人に影響があったという。(茨城新聞クロスアイ) 小田急江ノ島線 中央林間~南林間 2月6日 16時36分頃 話題発生 1046番の第165番レス 当該列車 片瀬江ノ島16時02分発 快速急行新宿行き3562レ(1000形1067×4+3000形3270×6) 先頭車=クハ1067 特徴 公式は下り線に×マークだが、当該は上り列車。現場は中央林間1号踏切。3420号車(当該9両目)の床下機器と下り線レールにブルーシート。相模大野~大和間運転見合わせ。18時07分運転再開(見込み18時)。特急ロマンスカーはえのしま6号全区間とえのしま7号新百合ヶ丘~片瀬江ノ島間運休。 6日午後4時35分ごろ、神奈川県大和市中央林間1丁目の小田急江ノ島線中央林間-南林間間の中央林間1号踏切(警報機、遮断機付き)で、女性が片瀬江ノ島発新宿行きの快速急行(10両編成)にはねられ、死亡した。大和署が女性の身元を調べている。小田急電鉄によると、相模大野-大和間で上下線31本が運転を見合わせ、約9800人に影響した。(カナロコ) 当該車両は7日21時15分頃、相武台前1番線に回送として停車中。所定ではその時間相武台前1番線に在線はないので、大野で修繕等を行った後の臨時回送か。 西武新宿線 航空公園~新所沢 2月6日 17時24分頃 話題発生 1046番の第203番レス 当該列車 新所沢17時23分発 急行西武新宿行き2810レ(2000系10両編成 2083F+24XXF、西武新宿方8両非リニューアル編成) 先頭車=クハ2083 特徴 現場は所沢3号踏切。所沢~本川越間運転見合わせ。救出活動に時間を要す。18時43分運転再開(見込み18時20分→18時45分)。当該は東村山5番線で運転打ち切り。上石神井車両基地へ回送入庫。 02月06日 17時26分頃に所沢市弥生町地内で救助事案が発生し、消防車が出場。(埼玉西部消防組合) 6日午後5時25分ごろ、埼玉県所沢市弥生町、西武新宿線新所沢―航空公園間の踏切で、女性が本川越発西武新宿行き上り普通電車(10両編成)にひかれ、全身を強く打って死亡した。所沢署によると、女性は50~60代。遮断機を潜り踏切内に入り、線路上に立っているのを電車の運転士が目撃し、急ブレーキをかけたが間に合わなかったという。西武鉄道によると、同線は所沢―本川越間の運転を見合わせ、午後6時45分ごろ再開した。(埼玉新聞) 死亡したのは所沢市に住む無職女性(53)と判明した。所沢署によると、女性の所持品から身元が分かった。(埼玉新聞) 西武新宿線の人身事故は今年3回目、前回は2月4日 井荻~上井草駅間。航空公園~新所沢駅間は2016年11月14日以来。 一方で池袋線は、2020年11月28日(保谷~ひばりヶ丘駅間)以降、2ヶ月半人身事故が出ていない。 京阪交野線 郡津~交野市 2月7日 8時29分頃 話題発生 1046番の第342番レス 当該列車 私市8時23分発 普通枚方市行きT0804H(13000系13005F) 先頭車=Mc-13055 特徴 現場は郡津下手踏切。9時40分現在運転再開済み。10時40分現在ほぼ平常通り運転。 電車と接触し死亡した事案の発生[交野警察署管内] 2月7日朝、交野市郡津の京阪電気鉄道踏切において、女性が電車と接触し、死亡。詳しい状況等については捜査中。 京阪交野線の人身事故は今年初、前回は2020年1月7日 交野市~河内森駅間。郡津~交野市駅間は過去11年間記録無し。 阪急宝塚本線 三国~十三 2月7日 8時47分頃 話題発生 1046番の第347番レス 当該列車 雲雀丘花屋敷8時23分発 普通大阪梅田行き834レ(7000系7011×8) 特徴 現場は高槻街道踏切(ハローワークの踏切)。大阪梅田~豊中間運転見合わせ。10時運転再開(見込み10時30分)。 電車と接触し負傷した事案の発生[淀川警察署管内] 2月7日朝、大阪市淀川区十三東の阪急電鉄踏切において、男性が電車と接触し、怪我を負って病院に搬送された。詳しい状況等については捜査中。 阪急宝塚線の人身事故は今年3回目、昨年の2回をあっさりと上回る。前回は1月18日 岡町。十三~三国駅間は過去11年間記録無し。 函館本線 岩見沢~峰延 2月7日 9時45分頃 話題発生 1046番の第375番レス 当該列車 旭川8時10分発 普通岩見沢行き2322M(721系札サウF-3) 特徴 現場は境道路踏切。岩見沢~滝川間運転見合わせ。11時50分現在運転再開済み。13時15分現在ほぼ平常通り運転。 7日午前9時45分ごろ、岩見沢市東町のJR函館線の境道路踏切で、旭川発岩見沢行き普通列車(3両編成)に人身事故が発生した。乗客と乗員にけがはなかった。この影響で函館線岩見沢―滝川の運転を見合わせており、特急4本を含む列車計6本が運休または部分運休となった。(北海道新聞) 7日午前9時50分ごろ、JR函館線の踏切で、旭川発岩見沢行きの普通列車に男性がはねられ、その場で死亡が確認された。この事故でJR函館線は、7日午前11時現在、岩見沢・滝川間の上下線で運転を見合わせていて、札幌と旭川を結ぶ特急4本を含む6本が運休、一部列車に遅れが出ている。警察などで事故の原因を調べている。(北海道文化放送) 函館本線の人身事故は今年2回目、前回は1月27日 森~石谷駅間。岩見沢~峰延駅間は2018年6月28日以来。 東海道本線 穂積~大垣 2月7日 10時16分頃 話題発生 1046番の第383番レス 当該列車 特徴 ☆ 線路内人立ち入り。JR貨物の情報では10時18分発生、11時26分運転再開。 東武東上本線 柳瀬川 2月7日 16時17分頃 話題発生 1046番の第439番レス 当該列車 元町・中華街15時03分発 Fライナー急行森林公園行き035-152レ~B1553K~F1253K(東急5050系4000番台4103F) 先頭車=クハ4103 特徴 HP・メールの第一報では現場は志木駅だったが、柳瀬川に修正。志木~小川町間運転見合わせ。東上線と他社線との直通運転は中止。当該は警察の要請でマロニエ通りの架道橋まで動かして、架道橋の下から警察が車両の下を調査。18時48分運転再開(見込み17時30分→18時→18時20分→18時30分→18時40分)。但し間合いで現場検証があるので、下りは柳瀬川進入時最徐行。 7日午後4時20分ごろ、埼玉県志木市館2丁目、東武東上線柳瀬川駅で、男性が同線横浜元町発森林公園行き下り急行電車にはねられ死亡した。朝霞署で身元を確認している。同署によると、男性は20~40代とみられ、電車が駅構内に進入した際、ホームから線路上に入ってきたという。乗客や乗員にけがはなかった。東武鉄道によると、事故で同線は志木―川越駅間で運転を見合わせ、上下86本が運休、最大で2時間38分の遅れが生じ、約7千人に影響が出た。(埼玉新聞) 東急4103Fが東武東上線内で人身事故当該になるのは今回で2回目。前回(2019年1月18日ふじみ野)は前面ガラス・FRP面が破損しホーム上にいた旅客もブツが当たり負傷(車両は運転再開後、上福岡中線で折り返し元住吉へ臨時回送)。西武池袋線内でも2回当該経験済み。 東武東上線の人身事故は今年4回目(うち埼玉県内3回) 、今年の初グモは遅かったが早くもJR神戸線・京急本線と並んで全国最多タイ。前回は1月12日 下赤塚。柳瀬川駅構内は2020年9月20日以来。 豊肥本線 竜田口~武蔵塚 2月7日 17時30分頃 話題発生 1046番の第612番レス 当該列車 特徴 公式は「18時00分 沿線で警察による現場検証」。線路脇で遺体を発見。当初は列車と衝突の痕跡なしと見られていたが、その後の捜査で接触の可能性も浮上。熊本~肥後大津間で運休及び20分から10分程度の遅れが発生。19時15分現在ほぼ平常通り運転。 7日午後5時半ごろ、熊本市北区龍田陳内のJR豊肥線の線路脇で、近所の住民が人の死体のようなものを見つけ警察に通報した。駆けつけた警察が、現場で高齢とみられる男性の遺体を発見。警察によると、遺体に列車と衝突したような大きな損傷はないという。警察は、遺体の身元の特定を急ぐとともに、死因などについても調べを進めている。(テレビ熊本) 7日午後5時半まえ、近くに住む男性から通報があり、駆けつけた警察官が遺体を発見した。 警察によると、男性は3日から行方が分からなかった98歳の男性で、頭や顔に数か所の傷があった。列車にはねられた可能性もあるとみて、警察が状況を調べている。 この影響で豊肥線の上下線4本に運休や遅れが出て、約200人に影響がでた。(8日 熊本朝日放送) 7日午後5時半ごろ、熊本市北区龍田陳内で「JR豊肥線の線路脇に人の死体と思われるものがある」と近くに住む人が警察に110番通報した。遺体は近くに住む無職男性(98)で、JR豊肥線の竜田口駅と武蔵塚駅の間の線路脇にうつぶせに倒れていた。男性は、今月3日午前9時ごろに近くに住む家族が姿を見た後、行方が分からなくなり警察に届け出ていた。警察によると「これまでにJR九州からの事故の通報はない」ということだが、発見された遺体の頭や胸、足などに大きなけががあることから、列車事故の疑いもあるとみて調べを進めている。(8日 テレビ熊本) 武蔵野線 東浦和 2月7日 19時22分頃 話題発生 1046番の第531番レス 当該列車 府中本町18時45分発 各駅停車東京行き1815E(209系500番台千ケヨM72編成/先頭車=クハ209-514) 特徴 当初は武蔵野線全線運転見合わせ、後に府中本町~東所沢間と吉川美南~西船橋方面で折り返し運転開始。東所沢~吉川美南間20時35分運転再開(見込み20時20分→20時30分)。 7日午後7時20分ごろ、埼玉県さいたま市緑区のJR東浦和駅ホームで、武蔵野線府中本町発東京行き下り普通列車(8両編成)に、川口市の無職男性(33)がはねられ、搬送先の病院で死亡が確認された。乗員と乗客にけがはなかった。浦和東署によると、男性がホームから線路内に侵入。電車の運転士がブレーキをかけたが間に合わず、衝突した。駅員が110番。同署は自殺の可能性も視野に詳しく調べる。(埼玉新聞) 武蔵野線の人身事故は今年2回目、前回は2月3日に今回と同じ東浦和駅で発生。年を跨いで3回連続○○浦和がつく駅で人身事故。 M72編成が当該になるのは2012年8月20日、同年11月27日に続いて3回目で約7年ぶり。M73編成も2月3日の東浦和で3回目の当該。一方、同期(平成22年12月4日 営業運転開始)のM71編成は武蔵野線転用後、一度も人身事故当該になったことが無い。 武蔵野線209系500番代は計11編成しか存在しないが、2回連続で209系が人身事故当該になった。 当日、無観客競馬だが東京競馬場で東京新聞杯(GIII)あり。多少荒れた。 2月8日はノングモ(今年4回目)。 横浜線 橋本~相原 2月9日 13時25分頃 話題発生 1046番の第787番レス 当該列車 桜木町12時41分発 快速八王子行き4215K 特徴 現場は41 久保沢第二踏切(国道16号の陸橋下、葬儀屋側)。橋本~八王子間運転見合わせ。14時23分運転再開。 2月9日13時31分ごろ 緑区橋本8丁目で列車事故が発生し消防隊が活動中。(相模原市消防局) 9日午後1時25分ごろ、相模原市緑区橋本8丁目のJR横浜線橋本―相原間の踏切(遮断機、警報機付き)で、同市に住む大学2年の男性(20)が桜木町発八王子行き快速電車にはねられ、間もなく死亡した。JR東日本横浜支社によると、同線は上下線で計8本が運休するなどし、計約3千人に影響した。(カナロコ) 横浜線の人身事故は今年初、前回は2020年10月11日 成瀬~町田駅間。橋本~相原駅間は2019年4月27日以来。 西武新宿線 新所沢 2月9日 16時26分頃 話題発生 1046番の第823番レス 当該列車 本川越16時07分発 各停西武新宿行き5648レ(30000系38104F) 先頭車=クハ38104 特徴 所沢~本川越間運転見合わせ。17時05分運転再開(見込み17時20分)。 02月09日 16時30分頃に所沢市緑町一丁目地内で救助事案が発生し、消防車が出場。(埼玉西部消防組合) 20代~40代くらいの男性がホームから飛び降り、普通列車にはねられ死亡。(読売埼玉東版) 西武新宿線の人身事故は今年4回目。東武東上線、京急本線、中央快速線、JR神戸線と並び全国最多タイに。前回は2月6日 航空公園~新所沢駅間。新所沢駅構内は2019年1月20日以来。 東武東上本線 鶴ヶ島 2月9日 20時29分頃 話題発生 1046番の第866番レス 当該列車 川越市発 回送森林公園行きF6155K(55K運用 東急5050系4000番台4108F) D3155K(元町・中華街18 44発 普通川越市行き) ※渋谷駅まで通勤特急055-182レ、渋谷駅から通勤急行B1855Kの回送 特徴 池袋(後、川越市)~小川町間運転見合わせ。22時00分運転再開(見込み22時)。森林公園20時12分発 普通池袋行き218レ(10000系11005F)は鶴ヶ島手前でストップ。東急の情報では20時28分発生。 2021年2月9日20 34 交通事故救助 鶴ヶ島市上広谷地内で救助が発生しました。ご協力ありがとうございました。(坂鶴消防災害情報) 9日午後8時半頃、埼玉県鶴ヶ島市の東武東上線鶴ヶ島駅構内で、男性がホームから線路に飛び降り、回送列車にはねられて死亡した。県警西入間署は自殺の可能性が高いとみている。同署などによると、男性は20~30歳代。この事故で上下線計49本が運休し、約5000人に影響した。(読売新聞) 和光市の男性(28)がホームから飛び降り、回送列車にはねられ死亡。(読売埼玉東版) 東武東上線の人身事故は今年5回目、西武新宿線などを突き放し再び単独トップに。前回は2月7日。鶴ヶ島駅構内は2019年9月17日以来。また2回連続で東急5050系4000番台が当該。 平日55K運用は武蔵丘出区(飯能発)し、東武東上線内⇔元町・中華街往復、森林公園に入区する運用。 養老鉄道養老線 美濃本郷~揖斐 2月10日 5時40分頃 話題発生 1047番の第67番レス 当該列車 揖斐5時37分発 普通大垣行き560レ 特徴 大垣~揖斐間運転見合わせ。7時10分現在運転再開済み。 列車の関係する死亡事故の発生【揖斐警察署】 揖斐郡池田町地内の養老鉄道で、列車と女性が衝突する事故が発生。女性は死亡。 養老鉄道の人身事故は今年初、前回は2019年9月11日。美濃本郷~揖斐駅間は過去11年間記録無し。 呉線 坂~矢野 2月10日 13時 分頃 話題発生 1057番の第848番レス 当該列車 特徴 ☆ 踏切内にたたずむ女性(72)を助けた郵便局員の男性(35)が3月4日、広島県警海田署で感謝状を受け取った。2月10日午後1時ごろ、広島中央郵便局坂旧集配センターに勤める男性は昼の配達を済ませ、配達バイクで帰路についていた。坂町平成ケ浜の踏切の中で、高齢の女性が呉方面を見つめ、1人で立っていた。一向に動く様子がない。男性はバイクで先に渡りながら、「大丈夫ですか?」と声をかけた。女性は小さな声で「いいんです」と答えた。その様子が気になり、配達バイクを近くに置いてもう一度女性に声をかけた。「いいんです」と繰り返し、思い詰めた様子の女性。警察に連絡し、「話を聞きますよ」と声をかけ続けた。間もなく警報機が鳴り始め、遮断機が下りてきた。有熊さんは女性の肩を抱きかかえて踏切の外に避難させた。その直後、電車が通り過ぎた。女性は顔をくしゃくしゃにして「ごめんね」と泣いていたという。男性がとっさに行動したのは、ある思いがあったからだ。3年前の7月6日、男性は午後7時半ごろまで坂町小屋浦地区で配達をしていた。その直後、上流で砂防ダムが決壊。地区で15人が亡くなり、1人が行方不明のままだ。「たくさんの人が亡くなり、つらかった。だからもう誰にも亡くなってほしくない」。男性は感謝状を受け取ると、「当たり前のことをしただけだが、表彰していただきありがたい」。署長は「事故を未然に防ぎ、人命を救助していただいた。感謝しかない」と語った。(3/5 朝日新聞) そのおばあちゃんが踏切内にいるのを見つけたのは2月10日の昼すぎだった。小柄で、背は僕の肩くらい。線路の先の景色を見ているのか、足が悪くて休んでいるのか。ぽつんと立っていた。広島中央郵便局坂旧集配センターの男性局員(35)=広島市西区。急ぎの配達を終え、昼食を取りに坂郵便局(広島県坂町)に戻ろうと、いつも通りバイクでJR呉線の踏切に差し掛かったところだった。降りたバイクを押して踏切に入り、声を掛けてみた。「こんにちは。大丈夫ですか」。おばあちゃんの声は聞き取れないほど小さかった。「いいんです。今から来る電車で死にますから」踏切の外にバイクを止めて、おばあちゃんの所に戻った。目の高さを合わせて「死んじゃ駄目ですよ」と語り掛けると、「いいんです」と言う。急いで携帯で110番をした直後、警報機が鳴り始め、遮断機が下りてきた。「もう1本、電車を遅らせましょう。話を聞かせてください」。肩を抱いてゆっくりと踏切の外に導いた。おばあちゃんは顔をくしゃくしゃにして「ごめんね」と泣いていた。おばあちゃんに何があったのか。駆け付けた警察官に引き取られたので詳しい事情は分からない。2018年の西日本豪雨を思い出していた。土砂災害で犠牲者が出た坂町小屋浦で、配達先だった顔見知りの高齢の女性も亡くなった。大雨が降った日、小屋浦も配達先だった。「足腰の悪い人だった。僕が助けられたんじゃないか…」。災害後、繰り返し考えた。だからこそ今回、必死だった気がする。でも、意外と冷静でいられた。高齢者が多い地域での配達だから、とホームヘルパー2級の資格を取っていたのが役に立ったのかもしれない。3月上旬、海田署から人命救助の感謝状をもらった。35年の人生で初めてだったけど、当たり前のことをしたと思っている。立ち止まっている人がいたら、見ないふりせず、声を掛けることが大切なんじゃないかな。(4/10 中国新聞) 中央快速線 東小金井 2月10日 13時38分頃 話題発生 1047番の第105番レス 当該列車 東京13時07分発 中央特快高尾行き1393T(E233系八トタT2編成) 先頭車=クハE232-2 特徴 5秒くらい警笛。14時48分運転再開(見込み14時40分→14時50分)。 当該T2編成はグリーン車組込準備・トイレ設置工事を終え、1月14日に大宮総合車両センターから出場したばかり。 中央快速線の人身事故は今年5回目、前回は2月6日。東武東上線と早くも並び全国最多タイ。東小金井駅構内は2018年8月2日以来。 東武東上線 志木~柳瀬川 2月10日 16時 分頃 話題発生 1047番の第175番レス 当該列車 特徴 ☆ 線路内人立ち入り。 東急東横線 都立大学~自由が丘 2月10日 18時15分頃 話題発生 1047番の第199番レス 当該列車 特徴 当初は線路内人立入で抑止(踏切で人が倒れていると警察から情報)、確認の結果人身事故と判明。渋谷~自由が丘間運転見合わせ。都立大学にメトロ7000系の各停。19時15分運転再開(見込み19時45分→19時15分)。 東急東横線の人身事故は今年初、前回は2020年10月21日 大倉山。都立大学~自由が丘駅間は2020年8月18日以来。 線 2月 日 時 分頃 話題発生 1047番の第 番レス 当該列車 特徴 終了 1047番の第308番レス
https://w.atwiki.jp/amizako/pages/519.html
大炎厄の機会に 大地震の当時は私はロンドンに居た。殆と有り得べからざる母国大厄…難の報に接して、動巓しない者は一人も無いといふ有様であつた。丸二年前のたしか今日では無かつたかと思ふ。丁抹に開かれた万国議員会議に列席した数名の代議士が、林大使の宅に集まつて悲みと憂ひの会話を交へて居る中に、或一人の年長議員は、最も沈痛なる口調を以て斯ういふことを謂つた。是は全く神の罰だ。あんまり近頃の人間が軽佻浮薄に流れて居たからだと謂つた。 私は之を聴いて、斯ういふ大きな愁傷の中ではあつたが、尚強硬なる抗議を提出せざるを得なかつたのである。本所深川あたりの狭苦しい町裏に住んで、被服廠に遁げ込んで一命を助からうとした者の大部分は、寧ろ平生から放縦な生活を為し得なかつた人々では無いか。彼等が他の碌でも無い市民に代つて、この惨酷なる制裁を受けなければならぬ理由はどこに在るかと詰問した。 此議員のしたやうな断定は、勿論一種の激語、もしくは愚痴とも名つくべきものであつて、まじめに其論理の正しいか否かを討究するにも足らぬのは明かだが、往々にして此方法を以て何等かの教訓とあきらめを罹災民に与へようとするのが、ごく古代からの東洋風である為か、帰朝して後に人から聞いて見ると、東京に於てもより多くの尊敬を受けて居る老人たちの中に、やはり熱烈に右の天譴説《てんけんせつ》を唱へた人があつたさうである。誠に苦々しいことだと思ふ。 昔は周公といふ人は、若き王様に過ちがある時に、我子の伯禽《はくきん》を鞭つたといふ話がある。又鶴千代君の身辺に警戒の必要があると、千松が飢ゑて且つ死んだといふ先例もあるが、君臣親子兄弟朋友の間ならばいざ知らず、又始めから其覚悟があるならば兎も角も、単に同時代の国民だといふのみで、平素は何等の連帯も無く、又は相互の干渉も指導も戒飭も力及ばぬ者が、代つて罪せられる理由は無い。例へば銀座通りで不良青年がたわけを尽した故に、本所で貧民の子女が焼け死なンければならぬといふ馬鹿げた道理は無く、それは又制裁でも何でも無いのである。 殊に東京や横浜の市などは、殆と公共団体とも名づけ能はざる空漠たる無数家庭のかたまりである。幸福にも不幸にも、常からして何等の統一は無かつたのである。之に向つてソドム・ゴモラの旧式な説明を下すことは、因果説としても極度に不完全なものであつた。 沖繩問題の未解決 自分たちは或は幼稚なる運命論者かも知れぬが、未だ上天の裁判と刑罰とに確かな成律のあることを解し得ない者である。しかも少なくとも人間の大小の不幸には人の誤つたる行為不行為が、原因を為す場合の多いことだけは認めて居る。但し之を指して自業自得と呼んでもいンのは、果してどの程度まで』あるかには疑問がある。例へば親が若い頃に道楽をして、我子に悪疾を遺伝した場合はどうか、自分の採用した運転手の乱酔の為に、自動車が谷に堕ちて大怪我をする。斯んな場合は自業自得の内かどうか。さう手短かには否とも然りとも、答へることは出来まいと思つて居る。 然るに古来の歴史研究者が、所謂治乱興亡の跡を外部から批判する際に限り、往々にして右申す道楽な父、乃至は不注意なる運転手よりも、尚遙かに広汎なる区域に亘つて、国民の責任連帯を認めようとするのである。隣国支那などの史論には、古今を通じて幾らでも其例があるが、我日本に於ても近頃は折々、斯ういふ不正確な物の見やうをする者が出来て来たのである。現に今日の問題たる沖繩諸島の生活に於ても、我々はその最も悲しむべき実例を見るのである。 沖繩最近の窮状の、主たる原因は社会経済上の失敗である。誤り又は故意に巧んだ人間の行為が、積り積つて此痼疾を為したことは事実である。しかも其誤りを敢てした者は、現に今最も多く苦み悩んで居る人で無いのみならず、彼等の親たちや友人ですらも無かつたのである。所謂張三が酒を飲んで李四が酔うて居るのである。誤つたる経済といふのは誤つた消費であつた。島には素より天然の制限が多い。島の天候と地味である。面積である。地理上の距離である。此等の諸因子は常に島の生産を拘束して、如何なる新しい智術を以てするも、彼等の生産は到底完全に自由であり得ぬに反して、一方その消費の様式と選択とは、時代一様の趣味と流行とに支配せられ、至つて自由且つ奔放であつた。少なくとも若干の富める個人には、それが権利の如く認められて居た。其為に島を一体として見るときは、到底其生産と釣合はざることの明かな消費を、何等かの方法を構へて久しい間続けて来たのであつた。 日本の最近の国情も恰も之に該当する。自分の資力で自分が奢るのに何の不可があると謂つて居るうちに、国全体のカを以て生産する物が、始終国全体としてつぶしてしまふ物の分量に及ぼず、市価はいつも高く一度下つた為替は中々元に戻らず、さうして誰かゴ片隅に於て、いつでも難渋をして居るのである。たゞ日本一国としては、つい近頃漸く其弊が見えて来たに反して、沖繩では可なり永い前から之を続けて居た上に、島が小さいので其不権衡が早く現れて居ただけである。交通が始まれば色々と便利調宝な物品が入って来る。力ある者が之を買入れる為には、力弱き者を制して、そのいン加減不十分なる消費の割前を、尚一段と差控へさせる必要があつたので、古い時代にはそれが年貢運上の形を以て、この生活幸福の大差等を付けて居たのである。 税は新しい時代になつて確かに軽減せられたが、尚之に代つて特殊なる商事機関が働き、個々の直接生産者の利益は其為に大に殺がれた。沖繩本島でいふならば鹿児島大阪から来た商人の店、又は之を援助して分前に与かつた那覇などの利口者である。彼等は常民よりも一段すぐれた才能と、大きな資本の力とを武器として、愚鈍なる同島人の生産に余分に食ひ込み、彼等を窮乏せしめずんば止まなかつたのである。官庁巨商其他の有力者は、之に伴うて許さるる限り自由なる消費をした。其消費の中には学校とか書籍とかの如き、新文化の生活に必要欠くべからざるものも勿論多かつたが、其以外にも食料飲料衣料などの、島の乏しい生産物と交易して輸入せられる品物が、いつでも輸出を超えて居たので、久しきを経てそれが集積し、終には以前の浪費階級までを引つくるめて、共々に没落の淵に沈めようとするのである。仕事ばかりうんと残つて金は無く、納税は義務ばかりで納め得るカは既に尽き、今や県市町村の如き公法人にも、破産といふことがあり得るか否かといふ、新しい法律上の問題をさへ生じたのである。 此状態は勿論坐視すべきものでは無い。如何なる対策でも立てなければならぬ。一の救済手段が不十分だときまれば、必ず転じて第二の方法を試みなければならぬ。しかも我々の尚心苦しく感ずることは.此の如き場合に於ても、最も多く悩み悶える者は、早くから大に弱つて居た階級であるに拘らず、外部の援助に由つて先づ救はれる者は、通例は却つて最近始めて困り出した表層の少数だけだといふ点である。即ち沖繩県を一箇の生活体として見るならば、今度の如き困窮も或は因果応報かも知れぬが、一たび其中に入つて両者の関係を見れば、やはり此の如き連帯責任は不当であり、又苦痛の分担も明白に不公平なることを知るのである。 適用し難き経済調和説 日本全体としても此道理は同じである。或階級又は或地域の住民が拙劣なる経済生活をした為に、当初から些しも之に参与せず、又之を制御するの力も無かつた同胞までが、共々に難儀をするといふことは不当であり、如何にも気の毒な話である。しかも日本は国柄として、天然の事情が地方毎に色々である。離れ島や山奥の村には、中央部の都市に近い平野と、丸で違つた経済上の条件があり、生産の制限がある。其中では東北地方のやうに、土地弘くして人が少なく、開けばまだ余力のあるといふ地方ならば、単に世間に引張られて余りに急激に、生産の行止まりに近づくのが困るといふだけであるが、海島の生産制限は之とは反対に、主として人口の過剰と資源の欠乏から来て居るのである。沖繩の如き近世百年間の新刺戟で人の数が倍三倍になり、しかも食料の増加は決して之と比例しなかつた故に、栄養の不足で子供も其親も、次第々々にかじけて小さくなつて行くやうな土地では、以前もてはやされた英国風の経済学のやうに、所謂自然の経済調和を楽観しては居られぬわけである。 以上はたゞ比較的単簡なる経済問題のみに付て述べて見たのであるが、一般文化の諸問題、例へば精神生活の幸不幸に就ても、全然同一の事態を推究することが出来る。外国人が横浜神戸の埠頭や帝国ホテル四周の日本人を見て、此国の気風を論じ未来を判定しようとするのを恕し能はざる我々は、必ず先づ自ら日本人とはどんなものかを知らなければならぬ。然るに色々の偏した心持ちの所謂先覚者が、未だ曾て自分に似ない境遇の日本人を、考慮の中に置かうとしなかつたのは不親切であつた。 そこで此意味に於て我々は、夙に日本の偏卑な土地の一様ならざる事情を闡明して、国の今後の政策の基礎と為すべきを主張した。たまく中央に遠い地に居を占めて居たばかりに、終始他方の利害に殉ぜしむべき理由の無いことを唱道した。さうしてその最も適切なる一例として、沖繩諸島の現在問題を選んだのである。 学問と希望 就ては先づ承認を得なければならぬことは、自分は本日は南島談話会と称する小さい団体を代表して、最近までの南島研究の大略を申述べるのであるが、此会は主として所謂内地人、殊に都市居住者によつて組織せられて居るけれども、我々は一人として閑暇に苦しんで沖繩の学問に、参加を申込むやうな気楽な人間では無かつたといふことである。それに我々が覚えてからでも、沖繩の学問は非常に進んだ。殊に尊敬すべきは伊波普猷君の、二十年間の倦まざる勤労であつて、今や其感化は群島の内にも外にも弘く及んで居る。我々共の声援、乃至は競争の刺戟が無いならば、島の学問の完成が期し得られないかの如く、考へて居る者などは決して無いのである。 た義々同志の徒が深く感じ、又自分嗇としては前年彼地に旅行した際にも、しみぐと島の諸君と話したことは、如何にしたならば沖繩今日の学問が、弘く日本全国民の幸福となり、否進んでは世界全体の、人の生活の改良となり得るであらうかといふことを、まだ諸君等が十分に考へてくれられぬといふ点であつた。此が為に文化の研究を目的とする学問にとつて、最も大切なる比較と思ひ遣りとが、まだ足らないといふことを遺憾としたのであつた。 沖繩の有識階級に属する人々は、如何なる瞬間も中央の文化の恩恵が、孤島の端々に及ぶこと遍からずして、時運が彼等を後に取残して進みつゝあるのでは無いかを、気遣はざる時とてはないのである。しかも他の一方には、沖繩の中部日本に対する関係と、至つてよく似た外様関係を以て、沖繩自身に従属する更に小なる孤島あることを忘れんとし、又往々にして之を取残して独り進まうとしたのである。沖繩本島を取囲んで居る若干の小島だけは、或は小舟に乗つて朝晩に往来することも出来るが、所謂先島の二群島、即ち宮古八重山の二郡の島々に至つては、悠々たる五百年の間、今の沖繩県が中央集権制の下に統治せられるよりも、更に遙かに心細く且つ苦しい孤存状態に置かれたのであつた。その又先島の八重山の主島にも、更に税を納めるだけとも謂ふべき関係で、結び附けられて居た属島があつた。旧日本の南の端、西の端はどこかといふ地理の問題が出る場合だけに、僅かに人の記憶に上つた波照間島、与那国島などが即ちそれである。宮古群島の方にも遙かの海を隔て㌧多良間の島が従属し、多良間自身に対しては亦|水納《みんな》の島が隷して居た。島に大小がある以上は、棄てン置いても大は小を軽んずる傾きがあるのに、中央では更に統治を簡便にする為に、一方の優越を承認したのみならず、尚その個々の島内に於ても、従来はわざと其住民の中から、上に従順にして才智便巧なる少数者のみに権力を付与して、所謂統一を図らしめた。其為に同じ一つの島の住民の間に、辛苦と安逸との甚しき不均衡があつたことは、申す迄も無いのである。 埃及や希臘の古い文明を見ても、国が盛んに開けたといふことは、思ひの外少数の、表面に立つ人だけの誇りであつた。貧困者と多数の奴隷とは、下に隠れて其労苦のみを負担せしめられたのである。併し彼等駆役に供せられた奴隷なり小民なりは、専ら異民族であり又捕虜であり買はれた者の末であつた。之に反して我々の社会に於て、蚕の如く又鵜の如く働かされた人々は、疑ひも無き同胞の血族である。言語を同じくし神を同じくした古来の日本民族の仲間同士であつたのである。それが境遇の差によつて、追使はれる百姓と追使ふ士とに分れて、著しい幸福の階段を生じたのである、島々の文化を興隆せしむる為には、他には是ぞといふ手段も別に無かつた故に、出来るだけ彼等を利用したのである。 而うして此大小の島と島の関係は、更に眼を転ずれば同時に又、今の日本といふ国の世界の文明国団に対する、笑止千万なる関係ともよく似て居た。五大国の一などといふ空な語を以て物を知らぬ人をおだて峯、何等模倣以上の努力をせずして半世紀は既に過ぎてしまつた。しかも外交は誤解を以て終始し、言語は満足に通ぜず、頭数票数を以て其主張を貫かうとすれば、所謂特殊の利害はいつの世にも少数で無かつたことは無い。土地は懸離れて電報は遠く、運賃は莫大で時ばかり多くかかる。得る所のものは常に取残されはせぬかといふ不安と、邪推に傾かざるを得ぬ継子根性の淋しさである。そればかりか国に相応せぬ消費増加の為に、内に産する何物を以てしても支払に追付かず、結局は小弱なる生産者の取前を余分に殺いで、之に宛てるの他無き状態に陥つたことは、言はゴ稍ζ大規模なる世界の沖繩島であつたのである。 故に今若し沖繩の学者たちが、一たびこの大小孤島の比較に徹底して、一方には目下自分たちの知友親族等の悩み患ふる所のものは、以前年久しく微小なる諸属島が、痛烈に味つて居た所の不幸と同じものであつたことを知り、更に他の一方にはそれが又、この日本といふ島帝国全体の、行くく将に陥らんとする所の惨状であるべきを覚つて、自ら憐むと共に同種国民の為にも悲しみ且っ患ひ、能く病源を探り治術の要点を見出すことに率先したならば、彼等の学問の光は一朝にして国の光と為り、終には人間界の最も大なる希望も、之に伴うて成長するにちがひない。是が私の沖繩人に向つて、力説した意見の大要であつた。 しかも従来の沖繩の学問が、聊か偏つて居たことは事実であるが、是も亦日本全体の通弊といふべきものであつた。日本には近年の如き莫大の著述言論あるに拘らず、海の果や山の奥に住む平民たちの歴史の暗いことは、俗に暗黒時代と称する中世も同じである。是れ全く本といへば都府の産物で、本に基づく知識のみが学問の全部と看做されて居た結果であつて、所謂中央集権の文化の苦き果実である。是あるが為に今やカフェや百貨店の米国式生活を以て、一国の文化を推断せられんとして居るのである。此の如くんば普通選挙の如きも、単なる虚名に帰するの虞ありと言はねばならぬ。我々は国のこの大きな欠点を覚らんが為に、或は沖繩人に取つては迷惑な話かとも思ふが、地域に限あり変化が単純であつて、勢の忽ち窮まり易く従つて病症の診断せられ易い一例として之を選定し、細心に又深い同情を以て、既往の沖繩の生活を研究しようとしたのである。必ずしも独り此一地方の為に、尽さうといふ志からでは無いのであつた。 王国成立以前 沖繩の文献は異常に豊富である。つい近頃まで伊波氏の管理して居られた県立図書館では、諸君の努力を以て島の文書の大部分が既に蒐集整理せられた。尚《しよう》侯爵家にも若干の系譜記録の類が保存せられ、他の若干は又内務省と東京大学とに在つてこのたびの大震災の為に灰燼に委したが、現存する材料の利用だけでもなほ多数の俊秀の生涯を要求するものがあるのである。併しながら文字が此島に行はれたのは、存外に後世のことであつた。沖繩が明と交通を始めたのは足利期の初頭であつたが、文字渡来はそれよりも余り遠くは遡り得ないやうである。殊に正史の編纂に至つては、それより降ること三百余年、我々がいふ江戸時代に入つてからのことであつた。それ故に修史に利用せられた古代史料なるものは、必然的に不完全であつて、且つ著しく王室と朝臣との周囲の事蹟に偏して居た。所謂三山併立時代の史実は、年月や人名の如き主要なる点までが不確実で、屡ζ支那の方の記録に由つて、之を補正する必要があつた。況んや三山以前の如きは、十の十迄が口碑の領分であつた。事蹟の埋没して居ることは大和の朝廷の安寧天皇以後、開化天皇以前よりも又一層甚しいものがあつたのである。 王といふ称呼は恐らくは支那と正式の交通があつてからのことΣ思はれる。古語では之を「世の主」と謂つて居る。しかも世の主は浦々島々に大小無数に住んで居たので、固より其間には強弱はあつたであらうが、果して其中の最大なる者が、他の「世の主」等を統括して居たかどうかは不明である。按司若くはアジといふ名称は、アルジといふ語と元一つかとの説もあり、語原に就ては定まつた解釈も無いが、やはり亦世の主のことを意味して居たやうである。或は又カワラとも謂ひ、其音一転してチャラ若くはヂャナとも謂つた。ちやうど内地の大名小名が、割拠から追々併呑に移つて行ったやうに、沖繩も以前は可なり殺伐な島で、戦勝に因つて大を為した者が覇を唱へ、次に外に対して王を称したので、第一尚氏の三山統一なるものは即ちその最終の段階とも見られるのである。 外国文明の偏頗なる恩恵は、既に此頃から著しかつたのである。三山の王都は何れも皆海港を擁し、その勢力ある世の主は之に由つて唐大和とも交通したのだから有形無形の国内征服の武器は、すべて外部から獲たと見てよいのである。此点は弾丸黒子の宮古島も、又八重山の石垣島も同じことで、与那国島さへも事情がよく似て居た。年代ばかりが少しつつおくれて、各小島でも何れも人が剰り利害が抵触し沢山のカワラたちが相争つて居るうちに、率先して款を沖繩の王廷に通じた者が其支援を得て、乃ち後世までの優勝階級であつた。此事実の決して或る二一二の島のみの偶然の一致で無かつたことは、弘く南北太平洋上の諸島の、土人盛衰の歴史を学ぶ者の大なる感興である。未開のブイジイやソロモンの島々でも、偶ζ海に近く住む部曲にして、先づ白人と接触し得たものは、戦にも平和にも常に内陸に居る會長等を威圧して、久しい間に出来て居た勢力のバランスが覆つた。それを宣教師などの歴史には大変に重く見たのみか、膝を白人に屈すると否とに由つて、主権の正閏を判別せんとした結果は、陰に潜んで抑制せられ、悩み且つ亡びた者の歴史は、所謂有史以前として永古に埋もれてしまつたのである。 所謂群雄割拠の時代に於ては、舶来の文明は自衛の為にも亦必要であつた。人は自ら進んで之を利用しなければ、必ず他の之を利用する者の為に制馭せられる。此が為には外と親しみ内に闘はねばならぬやうな、情無い結果をさへ生じたのである。従つて文化模倣の民族心理にも、自分たちは今尚究め尽されざる深い原因があるやうに思つて居る。次の代の学者に完成してもらふべき学問の中でも、特に重要なるもの』一つである。 我沖繩の如きも、本島の南三分一を除外例として、地勢上から申せば本来は割拠孤立に便なる島であつたが、天然の制限が忽ち現れ、個々の盆地に人口が浴れるといふ世の中になると、外との交通は刺戟せられて起り、又各自の小利害を防護する為には、血族でも相闘ふといふが如き、あらゆる不自然なる方法が案出せられたのである。其順序又法則は、時につれて形を更へつ》、たうとう現代まで続いて来た。さうして中央の政府に結ぶ者が必ず克っといふが如き、地方党情の今日の特色を作つたのである。故に政治に病があると謂はうよりも、寧ろ老子の言の如く、病あるが為に政治の必要を生じたと謂つた方が当つて居るのである。 文化普及の法則 琉球といふ名称は薩摩人を始めとして、我々が最も多く用ゐる所であつて、現に本日の会の名も琉球講演会であるが、是は日本をジャパンといふと同様に、本来外部から付与したもので、多数の所謂琉球人は実は之を知らず、知る者も亦之を悦んでは居らぬ。そこで自分などは便宜上、之に代ふるに沖繩、沖繩人といふ語を以てするが、是とても前に申す南端の二群島は勿論、北に三百年前に薩藩に割取せられた奄美大島、喜界・沖永良部・徳・与論其他の島々を包含することを得ないものである。此等多数の離島に於て、悪鬼納とも字には書いて、ウチナアと謂って居たのは即ち王の住む主島を意味し、之を自分たちの居る島々の総称とは考へて居なかつた。海上に繩を延《は》えたるが如くなる故にとか、又は朽繩《くちなは》の蜒蜿として居る如く長く連なつて居るところから名づけたなどといふ説は、大なる出鱈目である。地図を開いて見るか又は飛行機に乗つて飛んででも見なければ、其様な形容の出来る筈は無かつた。何かもつと古い理由があるのである。 しかも大昔から日本の国史にも此名が見え、彼地でも久しく之を用ゐて居る人があつた。自分の推測では恐らくもと交通の衝に在つた一小地域の地名で、例へば長野や栃木が県の名となつたやうに、今では弘い面積の総称の如く考へられるに至つたので、つまり文化や政権と共に地名までが次第に拡張したものであらう。ナハは与那覇・我那覇・下《おり》那覇などと謂つて諸処に在る。内地でも亦那波といふ地名は少なくない。多分はもと或特色ある平地に付与せられた固有名詞であつて、最初は今の沖繩本島の南部、首里から那覇あたりを包含した一帯の地域が沖繩であつたのが、我々のヤマトシマネなどと同じく、沖繩文明の普及した区域に、段々とそれが延長して行つたものであらうと思ふ。 しかもその沖繩文明なるもの』中心に於ても、亦内外の刺戟に由つて、近世頻繁に其態様を改めなければならなかつたのである。例へば静かなる池の汀に、繰返して小石を投込んだ場合のやうに、段々の波紋の輪が、首里那覇の間を中心として逐次に四方に進んで行った跡を認める。又或は布などの面の焼焦げのやうに、それが遠くなるほど狐色から茶になつて行き、末は布地の元の色が追々に見えて来ると同じ趣がある。三十六島の全体に対して、この文化統一の事業は可なりの困難であり又甚しく複雑であつたにも拘らず、我々の大なる興味を感ずることは、この以前の布地の色なるものが、やはり亦南北略ζ一様であつて、海上数百里の間に粟散する島々は恰も五丈七丈の一続きの布を、拡げた如くであつたことである。邑に君あり村に長ありとも謂ふべき百按司(ムンヂャナ)の世の中が次第に進展して、其順序が我大ヤマトの戦国末と同じく、土佐は長曾我部に、越後は上杉に、薩摩大隅は島津にと云ふ風に地方地方で先づ一つに纒まり、それが又相率ゐて伏見城の秀吉公へ参覲したのと頗るよく似て居たことは、或は全世界の人類群に共通なる政治上の趨勢であつて、必ずしも我々の民族だけに、限つたことで無いと謂ひ得るかも知れぬが、それよりも更に一歩を進めて、其統一より以前の各部落の結合方法、一門一族の組織関係など迄も、詳しい調査をして見たならば、色々の点に於て海洋民族の特色が発揮せられ、以前久しい間外国の学者たちが、知らうとして力及ばなかつた微妙なる知識が、供与せられることにならうかと思つて居る。 殊に政治上の大なる力と為り、社会制度の根柢を為して居たのは、所謂固有宗教の様式である。首里の王朝が近世式国家を打建てる為に、多大の努力を以て全島に亘つて信仰の統一を計画した時よりもずつと以前から、この南北端の遠く相隔てた離れ島の部落の問に、既に驚くべき信仰の一致はあつた。しかも其一致は啻に島と島との間のみならず、同時に又ヤマトの我々との間にも、何人にも気の付くほど顕著なるものがあつた。例へば神が一定の期日を以て、海と天との堺から一定の土地に御降りなされたことである。祭祀は必ず其地方に於ける一門の長者の家に属し、其家に在つては必ず女性の専業であつたことである。神と其家々との関係は、外部の何人も争ひ得ない程度に深いもので、其優越は同時に又俗界に於ける彼等の力であつたことである。女性は神と人との間に立つて神意を伝へ、殊に其指導を以て彼等が肉身の兄弟、父又は夫を援けたことである。此等は何れも皆、兼て我々が日本の固有宗教の元の様式として、それぐ論証して置いたところのものと、要点に於ては殆と里であつた。 しかも南方の諸島では、仏教道教の影響は共に案外に微弱であつた。即ち古い信仰は大なる変更を受けずして、現に今日に伝はり且つ活きて居るのである。従つて神秘はなほ多く、婦人は又最も慎み深い故に、正面から問ひ尋ねて其理論を学ぶことは、島の男子にすらも許されては居らず、況んや外から来て見る者には一層困難で、誤解や一知半解の臆断もあり勝ちであり、ひどい人になると腰だめで鉄砲を打放すやうな者が近頃までも随分あつたが、その化けの皮だけはいと容易に引剥がし得たのみならず、尚積極的にも若干の苦労忍耐を以て、少しつつは真相を見出して行くことが出来るらしいのである。其為には島の平民の青年たちが、志を起して精確な学問をすることは、非常に大なる貢献であつた。最近我々の喪失した一会員、法学士佐喜真興英君の如きは、確かにその一人であつた。彼が僅かな二つ三つの研究だけを世に遺して若くして死んでしまひ、折角の天分を空しくしたことは、殆と我々をして慟哭せしめるものであるが、兎に角に斯ういふ人々の辛苦に由つて、南島古文化の研究は其端緒だけは開かれたのである。少なくとも方法と順序、前途の光明だけは既に見出されたのである。 信仰から文芸へ 沖繩の政府に於ては、正史の編纂よりは又遙かおくれて、今から二百十余年前の康熙五十二年(一七一三)に、各島各|間切《まぎり》より書上《かきあげ》を徴して、琉球国諸事由来記と題する編述があつた。是が島民の信仰に関する最初の系統ある記録である。地方に由つて繁簡一様で無いが、二三の離島では御嶽の神々の御名と由来、祭日祭式と供物の品目、参列諸員の人数座位などの他に、古来用ゐられて居たオタカベ及びミセセリの詞までも録進して居る。オタカベは我神祭の祝詞に当り、ミセセリは則ち之に対する形式化したる神語であつた。此にも亦各地の間の著しい一致があり、且つ年々之を聴く者には、却つて耳馴れて注意も薄かつたか知れぬが、我々が始めて之に接すると、勿論其中から其詞の出来た時代の信仰が窺はれるのである。見遁がすべからざる一つの特色は、其祭の願が悉く公共のものであつて、一語として個人の私事には触れて居なかつたといふ点である。所謂天下太平五穀成就村内安全までの祈願であつて、私人家庭の福徳円満には及ばなかつたといふ点である。即ち世の為に神を祭り、世が好ければ民も「世の主」も共に栄えたので、別の語を以て言ふならば、所謂祭政一致を以て島特殊の経済組織を支持して居たのであつた。 このオタカベとミセセリとは、今日も稍ζ破損して残って居る。此以外には祭に仕へる祝女《のろ》たちの素朴な音楽に合せて、歌ひ且つ舞つたらしいオモリといふものが、村々の旧家即ち巫女の出る家に伝はつて居る。それと伊波普猷氏の献身的なる労作に基づいて、我々が最近帝国学士院の援助の下に、校訂出板したオモロ草紙のオモロとが、根原に於て一つであることは明白になつた。 オモロ草紙はつまり公認せられたるオモリ集である。其大部分は王府に属する巫女の元首、ヤマトの斎宮に該当する聞得大君《きこえおほぎみ》の祭事に、曾て用ゐられたものを存録したのであるが、其以外にも由緒ある地方々々のオモロは、之を尊重して半ば文学的の意味を以て保存したのが、巻々の中には交つて居るやうである。併し要するに元は悉く神の大前で歌はれたものであつて、最初の聴手は神様、然らざれば神と共に楽しんだ浦人島人たちであつた。必ずしも神の御徳をた』へたもので無く、風景を咏じ人事を敘べたものでも、之を作り設けた目的の神に奏上するに在つたこ乏は我々の村の氏神の御田遊に、男女の情を興じた歌があつたのと同じで、神様も亦そんな歌を、聴いて御悦びなさるものと信じたからである。故に之を名づけて人間の文芸と謂はうよりも、寧ろ文芸の原の形と謂つた方が正しいのである。 現在普通の沖繩人には、オモロやオモリの解し…難いことは、我々が神楽催馬楽をもてあつかふよりも尚甚しいと謂はれて居る。オモロの意味を会得する為には、更に特殊の研究の入用であることは、伊波君のやうな年頃の言語学者すら之を認めて居る。しかも其草紙は左様に六つかしい為に、却つて秘伝口伝の書の如くに、人から見られるやうになつて敬して遠ざけられた。チェンバレン教授の如きも、名は知つて居るが手が着けられなかつたと言つて居る。研究して見ようと謂つて東京にも持つて還つた人はあつたが、それは只今度の震災で、其幾部かを焼いてしまふだけの事業であつた。 併し我々に於ては、単なる保存の事業として之を刊行するのでは無い。之に由らざれば解し得ない前代の思想及び心理が、もう沢山にあつて沖繩の理解を妨げるからである。由来記に列記せられた神々の御名のやうな至つて簡単な言語でも、もう今日は不明に帰したものが多い。琉球国旧記といふ書物は、この由来記の大要を整理し且つ漢訳して体裁を為したもので、僅かに十八年後の雍正九年に成つたのであるが、その神の名の漢訳などは実に乱暴で、原本の仮字の書損は其書損の通りに漢字が宛てンある。即ち此当時既に外国の学問をした男子などには、意味が全く不可解になつて居たのである。 爰に於てか我々は、沖繩人の古い思想と信仰と、之を体現する慣習とを明かにする為に、更に進んで第三の興味ある研究、即ち言語の調査に入つて行く必要があるので、南島談話会に於ても微力ながら、親切なる島の人々と協力して、此方面の事業を思ひ立つたのである。 言語変遷と世相 沖繩の言語の近世の変化は、日本語よりも更に烈しいものがあつた。しかも前に譬喩に引いた文化波動の法則に由つて、今尚遠い島の隅々には古い形を遺して居るのであるが、首里に集合して住んだ貴族上流の人々が、国外からの影響に対して最も鋭敏であつたのみならず、彼等の文化は常に最も有力なる標準であつた為に、此等偏卑なる地方の保守分子が今までは代表せられ解説せられる機会を得なかつた。此点も亦最も適切に日本全体の言語変遷の歴史を縮図するものであると思ふ。 伊波氏のP音考といふ論文は、此点に関しては至つて有力なる参考であつて、今や一般に其正当を承認せられて居る。即ち沖繩語に於ても内地語と同じやうに、バ行は今のハ行の元の音であつた。さうして我々の方と同じ法則で、中央部から率先してPがFに移り次で又Hに移つたのであつた。沖繩では例へば畠は首里近くではハタキであるが、入重山の方はFでファタキ、宮古群島と北の国頭郡とは、今尚P音のパタキである。花でも春でも又羽を意味するハニでも、右の波動圏の遠くなるにつれて、Fが現れ又Pが顕れて来る。其道筋は内地も亦多分同様で、現在P音を保存した例は知らぬが(語の中間には幾らも顕れる)、F音の方は九州の一部でも北部日本海岸でも又は他の山村にも方々に用ゐられて居る。前代に溯つて見る迄も無いのである。 此類似は独りP音には限らず、MがNと変り、RがDと変り、又Kが英語の山などに移る等皆同じことで、母音では又0がUに、EがIになるなど、何れも今日内地の方言に於て、屡ζ類例を見出し得る習性であるが、たゞ沖繩の中央部に於ては其変化が論理的に周到であり且っ厳格であつて、一つ変つた以上は皆変るといふ風になつて居たのは、全く前に謂ふ所の標準文化の公認の結果に他ならぬと思ふ。 ところが三山統一以後の五百余年間、沖繩は終始この最も進んだる一面のみを以て、外部との接触を保つて居たのである。所謂両属の時代に於ては、支那は支那、薩摩は薩摩と、特に応接の為に構へ設けた特別の一面さへあつた。さうして内外人民同士の直接の交通は、甚だ微々として振はなかつたらしいのである。其上に一方には島を連ね血と信仰とを共通にした日本の学者までが、斯ういふ特定の一箇の窓からばかり、南の島の社会を覗かうとして居たのみならず、所謂異国情趣(エキゾチック)、即ち何か奇事異聞の耳目を驚かすものあるべきを予期して、書物の上からの捜索を続けて居たのである。時勢の然らしむる所是非も無いこと」は言ひながら、其状態が殆と五百年も続いて、明治となり大正と為つたのである。例へばマ丶ゴトをする小児が我妹を隣の叔母さんにして遊ぶやうに、我々の方でも国が栄えて行くにつれて、実は唐土などの泰平現象に倣ひ、所謂九訳を重ねて来るといふ類の南方の異国が、一つ位は欲しかつたのかも知れぬが生憎やそれは暫く別れて居た肉身の兄弟であつた。しかも此通り雙方の政治の実状が、恰も其誤解を為すに適して居たことは、誠に島々の為に悲しむべき不幸であつた。 沖繩中央の学者の中には、夙く源為朝渡航の伝説を信ぜんとした者があつた。東恩納文学士の先刻挙げられた文治二年云々の年代は、他に独立した傍証の無い限りは、単に舜天王を以て鎮西入郎の子なりとした結果と見るの他は無いのである。足利から徳川と源氏隆盛時代の日本と交際する為には、又此点を高唱するの必要もあつたかと思ふが、其様に迄細心な考証を事としつ」、しかも民族全体としての親族関係は、却つて之を忘れようとして居たのであつた。明治の初年まで存命であつた、和歌に高名なる宜湾親方朝保の如きも、沖繩の単語の中から四十か五十の例を拾ひ上げて、それが日本の古語と元一つであつたことを説き、恰も当節のバビロン学会の諸君の如くに、之に由つて日琉の同祖を証明しようとして居る。此人にして尚然り。実に歎息に堪へざる疎遠であり又忘却であつたと言はねばならぬ。 我々は幸ひにして最近学風の変化に由つて、今やこの南北両端の島々の中から、骨を折つて日琉共通ならざる若干の単語、例へば太陽をテダと謂ひ銀をナムジャといふの類を、探しまはつて問題にせねばならぬ迄になつたが、是も極めて新しいことであつて、まだチェンバレン先生の頃までは、世間は決してさうは考へて居なかつたのである。先生は首里の士人桃原良得氏の助けによつてあの島の標準語を学び、之に由つて有名なる琉球語研究の一篇を著はされたのであるが、其結論としては二つの言語の、祖先の共同は之を認め、しかも其間柄は兄弟まで』は無く、従姉妹ぐらゐなものかと謂つて居られるのである。成程オ列が悉くウ列となり、マがナになり、キをチと発音するやうな変化は、京江戸周囲の方言には見られない。是と首里那覇の現在語と、二つの所謂標準語を比べて見たならば、再従姉妹と謂つても三従兄弟と謂つても差支が無いのである。但し其中間に橋を架けて居る国頭郡以北、殊には道の島の方言、それから一方には九州の多くの田舎の語音などには、まだ先生は手を着けて居られなかつた。況んやずつと懸離れた宮城岩手青森等の方言に、仮に気永に捜して見たら沢山の共通が見つかるにしても、当時之を外国の先生に向つて、注意をしてあげる者は有り得なかつたのである。 この沖繩の中央低地部に於てすらも、数百年前に内地から平仮字を輸入して、金石文などを録して居た頃までは、尚発音は今日よりも内地に近かつたのである。其当時既に「ク・ス・ム」と発音して居たものなら、「こ・そ・も」の仮字を宛てる筈は無いと思ふのに、現在の「ク・ス・ム」等に対して、其「こ・そ・も」等の仮字を使つて居る。おもろ草紙の表音法なども、大体に於て此事実を示し、又他の古文書にも之に一致した証拠がある。例へば今帰仁と書いて現在はナチジンと訓む村の名を、三百年前の辞令書にはミヤキセンと仮字書きしてある類である。此通り音の転訛は僅かな年代の力であつたのみならず、又地方的の差でもあつた。此頃出板せられた国頭郡誌を見ると、相隣りする村々にして、互ひに同じ語の発音を異にする例が甚だ多いのに心付く。南端の島々の如きは勿論のことである。 独り音韻の変化のみでは無い。語法句法の上にも時代の差と、又所謂都鄙雅俗の差があつた。沖繩語法の一つの特色として、ヂェンバレン教授の挙げて居るミシエンやイメンシエンの類の助動詞とても、手短かに言へば我々の古語の、メスとイマスの異常なる発達であつて、例へば今日のゴザリマスルやイラセラレマセ等の、鎌倉時代にはまだ無かつたものが、此通り盛んに使はれて来たのと同じである。敬語法は言ふ迄も無く宮廷や地方豪族の住処、其他大小の文化中心から進展し普及する。我々の持つて居た地方的敬語の多くは、明治に入つてから野卑又は気がきかぬものとして急速に消滅し、其跡へは是も至つて新らしい「御見せ致します」といふ類の、都会産の敬語法が入つて来たのだが、沖繩に於てはまだ此程度にすらも行はれなかつたので、その特殊なる一様式の中央上流人の間にのみ用ゐられるものが、今の日本の新語法と異なつて居るといふことは、意外でも何でも無い。五年以前に私は国頭郡の村々をあるいて見て、自身この類の日用語形の地方的差異の甚しいのに心付いたのであつた。例へば地人《ちんちゆ》寄合即ち区民総会は、村では今尚自治の必要なる機関として頻々に之を開いて居るが、其召集方法は多くは少年をして声高く部落内にふれあるかしめるのである。其言葉を何といふかと思ふと、郡役所所在地の名護の町方ではユラチモーレー、即ち「寄合ひたまはれ」と謂つて居た。次に西海岸を三四里北に進んで塩屋湊で聴いたのはスリーンソーレ、即ち「揃ひめされ」であつたが、山を越えて東の海岸の瀬嵩といふ処では、右の二つの中間であつて、ユレンショーレー即ち「寄合ひめされ」と変つて居た。内地のゴザイマスに相当するビン又はヤビンなどは、明かに「侍る」又は「有り侍る」から発達した敬語であつて、其流行の起原のさして早く無いことは、内地に於ける此語法の歴史からだけでも想像が出来る。 従つて島によつては、勿論まだ此等の文句の用途を知らぬものがあり、それに該当する今一っ以前の古い敬語の形が色々と残って居る。例へば北は奄美大島、南は宮古の島で聴く所のアリオール又アリオーラヌは、多分「居る」といふ動詞から作られた敬語であらうが、内地でも紀州の南海岸の如き「居る」を敬語用として「三銭五厘でをります」などといふ方言の例は多く、軍隊などで今盛んに使はせるデアリマスの如きも、勿論之と系統を同じくする新敬語であります。八重山群島の石垣などで使つて居るアルユー又はアラヌユーといふ敬意のユーは、尚その今一つ前のものかと思ふ間投詞の形であつて、畢竟は物言ふ人の慎んだ心持ちを表はすもの、例へて見れば此節の仏蘭西人などの、会話の末によく附け加へる小さな引き息と最も近いものである。日本語の厄介な特色として、外国人たちの閉口する複雑極まる敬語法の如きも、原に復れば斯様にまで単純なもので、我々が経過して来た千年この方の政治沿革、それから生れた今までの社会組織は、国語の特性と結合してかういふ語詞の異常なる発達までを、促すに至つたといふことが考へられるのである。 学問上の未開拓地 ところが日本の此節の国語研究は、もう大分久しい間、斯ういふ問題よりももつと高尚な段階に停頓して居つて、大学や学会の業績を注意して見ても、根つから言語の成長や之に参与した地方生活、社会心理の働き方などには、力を入れる様子の無いことは、ちつとも敬服しない慎重の態度である。今の有様で進んで行くならば、自然の作用として人なら一代か一代半ほどの間に混乱し尽し、今見るものン大部分を不明にしてしまふことは受合である。それを知りつゝも尚棄て』置くならば、我々は最早此学問を専門家に委任して置かぬ方がよいのである。さうして又素人には手の着けられぬ様な六つかしい仕事でも無いのである。 而うして此点に関しては我々はこの啓明会の親切に感謝する如く、帝国学士院の好意に対しても深く負ふ所がある。金高は至つて僅かではあるが、既に昨年と今年と二年に亘つて、本日そこに来て居る宮良当壮君といふ篤学なる八重山人に補助をして、南方諸島の言語採集の旅行をさせてくれられた。併し残念ながら二回だけの旅行ではまだ不十分であつた。殊に今年は海が荒れ航海が不規則であつた為に、僅かに北に近い部分で三四ケ処、昨年はそれでもずつと南の方の島で十幾ケ所、就中八重山群島では六つの島を巡り、や㌧豊富なる採集をして来た。是で約四分の一くらゐの功程であらうと思ふ。沖繩県では山原地方、即ち前に申す国頭郡の山地の、村毎に少しつつ変つて居るといふ地方、次には本島を取囲む東西の小島、殊に伊江伊平屋や南は久米島の如き、沖繩の人たちも用が無いから余り行かぬのである。それから現今鹿児島県に編入せられた所謂道の島々、南は宮古群島から多良間水納等の島が、全然まだ調査の外に残つて居るのは遺憾の極みである。 然るに少なくともこの先島方面に於ては、独り一つの島と他の島との間のみならず、尚同じ島内で殆と部落毎に著しい音韻語彙の差が認められる。是も我々の同志の一人たるニコライ・ネフスキー君は、前半既に自費を以て宮古諸島の言語歌謡の採集に出かけた。其実験談に依ると、宮古の主島ですら言語の変化が甚しく、一番小さな方言団ともいふべきものは、戸数が僅かに二十戸ばかりであつたといふ。故に完全を望めば此種の比較語彙なども、非常に厖大なものとなるであらうが、自分等としては兎に角或階段まで達した時に、一応打切つて調査の結果を、公表してもらひたいと思つて居る。さうでもしなければ学界の沈滞を救ふに足らぬからである。 宮良氏の報告の片端を見せて貰つて、我々の受けた教訓が先づ三つある。第一には言語の自ら保存する力である。我々が至つて幼稚な社会生活以来、便益を受けて居た所謂第一次用語は、殆と其全部が孤島も内地の我々も共通であつて、只其中には此方では今はもう利用せず、書物や記録にばかり遺って居るものが少々ある。第二には音の変化の驚くべく烈しいことで、其為に一旦は別語の如き感を与へんとすることである。例へば南方の三十六島に於ては、衣服は如何なる場合にも大和と同じくキヌであるが、島によつてはそれがキンとなり、チンとなり、又シヌとなつて居る。其他ワ行がバ行に、ヤ行がダ行に、力行の一部がファ行に変つて居るのは最も多い例で、不意に之を聴けば勿論|南蛮鴃舌《なんぱんげきぜつ》であるが、通訳が入用だといふことは決して言語の差別では無いのであつた。私などは鹿児島県に知人が多く、大抵は話の癖は解るつもりで居たが、それでもあの地方に旅行して老いたる婦人などと話をするときには、始終通弁の必要を感じたことであつた。 第三には又表現法の変化の多いことである。是は独り其元を為す語法の分立からでも無く、殊には生活事情と之に基づく物の見方の差が、久しきに亘つて影響して居るからであらう。即ち古い思想なり感覚なりに、此には失はれて彼に存するものがある為で、昔を解釈せんとする者にとつて、大切なる一つの鍵である。同じ一つの民族であつても、時代によつて物言ひの変化する如く、境遇の以前に近いものと大に改まつた者との間に、段々の約束の移動があるのは自然のことで、日本が此様な打散った群島の国である御蔭に、何等の仮定や演繹法を傭ふことなくして、一望の下に色々の生活条件に在る旧同胞の心持ちを実験することの出来るのは、多くの外国の学者に羨まれてよい便宜であつた。単なる原理の学問の為から申しても、今日南島研究の前途が斯くの如く開けたことは、眉に手をかざして欣喜してよいことであるが、自分等民間学徒の希望は尚其以上に、数段と切実且っ重要なるものが存するのである。 記録と絶縁して居る普通の日本人の、久しい間の生活努力が、今日の実社会の嬉し悲しい種々相の根柢であることは、特に立証する迄も無いことである。然るに若し右申す如き標本的の保存が無かつたならば、我々には到底其片端をも窺ふことも出来ず、徒らに饒舌なる中央の一部人士と共に、貴族や僧侶の文学の中から、漠然たる国民性、国民信仰の状態を描き出して見るの他はなかつたのである。それを最も確実なる遺物、即ち人そのものと言語とに基づいて、改めて今より深く遠く考へて見ることが、今後の公共生存の上に、何等かの効果を及ぼさずに居る道理は無いといふこと、是が我々の南島談話会の確信であり又希望である。 但し言語の穿鑿は道楽に流れ易いから、十分に警戒しなければならぬ。即ち少しく類似認定の範囲を拡げると・忽ち日本語は波斯語なりといふ説も成立ち、又原始人の赤ん坊すら口にすべき語、若くは最近に作成せられたる文明語までが、倒全部を挙げて広東土音、或はチャム・モンクメール語でも説明が付くことになるので、此研究を只暇潰しに終らせることも少しも困難ではないのである。我々の業務は現存する事実の採録である。解説では無いのである。此手此耳あの空あの星を、何と呼んで居るかを知らんとする企てゴある。而うして又統一教育の力に由り、久しからずして次第に埋没せんとする事実を保存せんとする辛労である。仮に第二段の収穫の全然無い場合に於ても、あ》いふ先生たちの物ずきと一つに看做されることは大なる不当である。 況んや我々都市の住民をして、絶海の孤島に此の如き同胞あることを知らしむ以外に、更にその孤島に生死する人々をして、其生存の何れの部分までが、全国土に分散する日本人と共通のものなるかを、知らしめるだけでも既に大なる力である。而うして其力に基づいての社会事業なり政治運動なりでなければ、仮忙成功した場合の恩沢が、遠き彼等に及ばぬのは致し方無しとしても、それが失敗した場合の苦痛までを、彼等に分担せしめる理由は絶対に無いのであるが、現に沖繩の如きは気の毒千万にも、前代以来の拙劣なる政策が、主として其悪結果を此等無抵抗無力無邪気なる人々に押付けて居たのである。没道理の天譴論者などは、先づ以て此点に於て深く反省する所が無ければならなかつたのである。 国家方年の大計の為に、民族結合の急務を説かうとする人々は、無識であつてはならぬ。且つ手前勝手であつてはならぬ。其過失を免がれたいばかりに、我々は新たに斯ういふ学問の興隆を切望して居るのである。
https://w.atwiki.jp/kotozora/pages/77.html
一 「昨日は今日の昔」の諺をふまえ、「今昔物語集」のごとき説話集の意を表わす。↓補一。 二 説話風な話のはじめの言葉。実際は戦国時代のことであろう。↓補二。 三 室町幕府の将軍であろう。 四 家来。 五 勝手気ままにふるまうこと。傍若無人の略。 六 皇居。 七 戦の陣地として使用する。応仁乱後、京都の町はしばしば戦場になっていた。 八 槍の柄の端をつつんだ金具。 九 宮中の女官の敬称。 一〇 出て応待する。 一一 天子の御住居である宮殿で、下々の者が気やすく来る所ではない。 一二 どこかへ行ってしまいなさい。 一三 もっともな理由。 一四 家の主人。天皇をさえ知らず、亭主と言い、じきじきに出て挨拶せよといった。 一五 はっきりと。 一六 謝絶する。申開きする。 一七 この話、天正元年(蓋七三)から同十年までの間のことか。↓補三。 一八 気に入って。 一九 召上る。 二〇 京都の人たち。「わらんべ」と言っても別に少年の意はなく、連中くらいの意。 二一 ひときわ。狂言などにも見え、当時よく使われた語。 二二 小姓。貴人に近侍して雑用をする役。多くは少年。 二三 家来が、主君から咎めをうけること。 二四 曲直瀬(まなせ)道三。当時第一の名医。↓補四。 二五 他本いずれも「御登城ありて」。↓補五。 二六 糯米(もちこめ)・葛粉などで作った餅を、長円錐形にかためて、笹などで包んだもの。なお、「内裏ちまき」を禁中に買いに行った笑話が後にも載る。上拾遺47話(九九頁)参照。 一 気をつける。 二 諺。意外な結果が事実となってあらわれること。また、とうていあり得ぬこと。中世以来しばしば画題にもなっている。↓補六。 三 どういう由緒・因縁があるのか。 四 こんなことさえ。 五 そもそも。 六 底本「さき」に誤る。他の古活字本、整版いずれも「ま」。牧↓蒔き。 七 珍重すべきもの。 八 かまわぬ。 九 是非とも。狂言その他に見え、中世から一般に使われていた語。山本では「別なく」。 一〇 十石は約一・八キロリットル。大げさな誇張。しかも、山椒は小粒で小量しか使わないものなので尚更おかしい。 一一 正しくは「おそい」。この類は多いので、読みにくい場合のほか、以下いちいち注意しない。 一二 例の友人。「くだんの人」(山・金)、「件の人」(刈)。 一三 「生えぬ」(ヤ行下二段)が正しい。また次には「生へぬ」とあって不統一。 一四 陰陽道で、天や地に火気が甚しく、種蒔その他を忌むという日。↓補七。 一五 たねもの。 一六 当然だ。 一七 理由。 一八 当時の暦には、種蒔、棟上、旅行などによい日とか、忌むべき日だとか、種々の注記があった。 一九 おつけになる。「醒」に類話。↓補八。 二〇 以下すべて天正から寛永初年ごろまであった公家。↓補八。 二一 藤宰相。藤原氏の出で参議の官にある者をされければ、|信長≪のぶなが≫御きげんなをり、右の御小性御|赦免≪しやめん≫なさる。御そばにこれあらむ人は、萬事にきつかひいたさう事ぢや。いう。宰相は参議の唐名。宰相↓山椒。↓補九。 二二 織豊期から徳川初期にかけて文化界の一中心をなし、公家や医師、連歌師などの出入も多かったので、当時の説話類に五摂家のうちでも特にしばしば出てくる。 二三 しゃくなげ科の灌木。当時既に観賞用に栽培されていた。 二四 「よい」。 二五 京都市左京区南禅寺町にある臨済宗の大本山。 二六 この話、他には刈本のみ。訓は、刈本による。 二七 でかした。うまくいった。 二八 やらかした。 二九 京都市北区大徳寺付近一帯。ここでは大徳寺をさす。千利休・小堀遠州等、山内に庵を結び、織豊期以降殊に茶道で名高い寺。 三〇 夜話に招待。夜、茶などを飲んでゆっくり雑談すること。「夜話の茶会」などもあった。 三一 豆腐を長方形に切って串にさし、味をつけた味噌をつけて火にあぶる料理。 三二 正しくは「テッキュウ」。細い鉄条を格子状にし、火の上にかけ、田楽豆腐などをあぶる。 三三 学の上に出しゃばり者。 三四 威張った言いよう。漢語を多く用いる禅僧の前なので、わざと気取って漢語を使ったと思ったのである。 三五 としておきたい。 三六 底本「り」脱。「醒」に類話。↓補一〇。 三七 雇い入れる。 三八 京都市中京区六角堂通り東洞院の西の天台宗頂法寺の俗称。↓補一一。 三九 南の方の町にある(京都では南を下(さがる)という)奈良屋。下↓腰から下。奈良屋↓を(お)ならや。 一 馬鹿にするか。 二 居所↓尻(いどころ)。 三 寺の、ことに禅宗の住職をよぶ敬称。この話、「醒」(広・狭)に類話。↓補一二。 四 感心な。心がけのよい。「キドクナ」(パ)。 五 迎え入れる。 六 抹茶をたてる。 七 わけがわからない。了解できない。 八 諺。「問ふは一旦の恥、問はぬは末代の恥」(毛吹草・世話尽)。 九 紅葉の音「コウヨウ」に、「濃く能く」の音便「濃う能う」をかける。 一〇 感心して。 一一 底本「にて」と誤る。、 一二 貴人の近くで雑用する人。衆は一人でも用い、丁寧な感じを添える。 一三 お茶を飲む回数をあらわす語。 一四 御心づかい下さい。宜しくお願いします。 一五 意味。わけ。 一六 わかるはずがあろうか。 一七 蒸し風呂。浴湯と混同されるようになったのは江戸時代中期以降という(坂本太郎編「風俗辞典」等)。「醒」に類話。↓補一三。 一八 不孝↓吹かう。「吹くに及ぼぬ」の洒落。「吹く」は普通、蒸し風呂に入って熱く濡れた体に息を吹きかけて垢をかくことをいうが、ここでは下例のごとく熱い蒸気が十分ありよく温まるので、吹いて熱くする必要がないという意であろう。「伊勢風呂と申子細は、伊勢の国衆ほど熱風呂を好て、能吹申さるるに付て、…夫荒仕子(ぶあらしこ)までも風呂ふくすべを存候」(甲陽軍鑑、九)。「吹けば熱(あつ)風呂、ふくは傾城」(望一後度千句)。 一九 寺にいる少年。僧侶たちの男色の対象であった。「醒」に類話。↓補一四。 二〇 縁をたどって、意中をうったえた。 二一 優にやさしい容貌に似た。 二二 こっそり山寺の僧のもとへ。 二三 夢中になってあわてる。 二四 御馳走のしようもない。 二五 外来種なのでこの名がある。粳(うるち)に似てねばりけなく、粒が小さく細長い。味はうすくまずいが、早生種で収穫量も多く、かつ炊くとふえる。質は悪いが経済的な米。また粒が赤いので赤米ともいう(当時は米をよく精白しなかった)。 二六 「さま」の誤であろう。「様」(刈・山・金)。「たち」なし(多・整)。 二七 相手の貧僧の語のようにとれるが、他本や「醒」に載る話からして、三位は稚児の後見役であろう。稚児の後見役と思われるものに三位、治部卿などの名がしばしば出てくる。徳川時代宮門跡などの真言・天台宗の大寺の坊官や勢力のある神社の神官などは、治部卿法印・宮内卿法眼などと名乗り、諸太夫は出羽守・近江守などと名乗っていた(国花万葉記等)風習などから、やがて一般の僧の一種の受領名のごときかかる呼名が生じたものか。↓補一五。 二八 気がつく。気がまわる。「戯」「醒」に類話。↓補一六。 二九 禁令がない。 三〇 根からほる。 三一「マツダケ」(パ)。 三二 惜しげもなく。わけもなく。 一 田舎。「醒」に類話。また広く民話化している。↓補一七。 二 京都市賀茂川の東に連なる丘陵。東山三十六峰といわれ、風光がすぐれ、かつ古くからの名所旧跡が多い。京都見物の名所の一。 三 家のつくり方。 四 うけ合って。 五 汚れた足を湯水で洗う、その準備をさせる.「センソク」(バ)。 六 つかわす。一人で先にやる。 七 以てのほか。あきれかえる。 八 不断光院清誉か。和歌・連歌に巧みで、ことに連歌に長じた。天正十年(一五八二)没。すれば、この話、天正十年以前に成立。不断光院は桜御所(近衛邸)内にあった同家の持仏堂的な寺。↓補一八。 九 東求院近衛前久(一五三六1一六一二)か。或いはその子信尹(一五六五ー一六一四)か。この類話、醒睡笑に見え、三藐院信尹とする。太閤は、摂政または太政大臣の敬称だが、のち関白を辞し内覧の宣旨をうけた人、或いは関白を子に譲った人。↓補一九。 一〇 長老としての格式。 一一 足打折敷(あしうちおしき)の略。四方に折りまわしたふちをつけたへぎ製の角盆、または角切盆で、食器をのせる。足は板製で折敷の左右につく。諸事作法故例のやかましい五摂家として、客によって出す折敷・食器にも、一々格式を重んじていた。 一二 しばしば。 一三 公卿衝重(くぎようついがさ訟)の略。公卿用の衝重。檜の白木で作っだ方形の折敷で、檜のへぎを折りまげた台をつける。こちらの方が格がよく、従って料理も何汁何菜とふえる。 一四 いつも。 一五 膳につく。正しくは「すわる」。 一六 不断食わう↓不断光院。 一七 文録三年(一五九四)のこと。↓補二〇。 一八 近衛信尹。逸話に富んだ人物。↓補二一。 一九 どういうわけがあったか。はばかってわざと漠然とした言い方をしたのであろう。 二〇 鹿児島県枕崎の西にある良港。 二一 島津氏の本拠で、近衛家と島津家とは縁が深かったので、島津氏の配慮を得ていたらしい。 二二 大臣だから、普通なら牛車にのるのだが。 二三 駕籠↓鹿児島。駕籠の棒↓坊の津。この歌「戴恩記」では建仁寺の雄長老の詠とする。これもはばかって作者をふせたのか。補二〇参照。 二四 織豊期連歌界の第一人者(一五二四-一六〇二)。粗野剛愎な人柄であった。里村氏。その子孫は連歌の宗家として幕末までつづいた。 二五 光が明かなのは。 二六 この付句は、謡曲「采女」中の文句をそのままとったもの。↓補二二。 二七 たいへん。 二八 名誉。名誉(めいよう、めんよう)には、おかしな、変なの意があり、これをきかすか。「これは名誉なことを覚えておりやる」(狂、人馬)。謡曲の文句を盗んだので、わざと皮肉に、小鼓に拍手喝采すると言った。 二九 底本のママ。多くは暁月坊、又は教月坊凶藤原定家の子とされていたが、中世以来の伝説的な狂歌作者。なお、「醒」に類話。↓補二三。 三〇 貧乏。 三一 印地打(いんじうち)の略。小石を投げ合う民俗から石合戦の遊戯となる。平安時代から公家や殿上人にも行われた(年中行事絵巻・平家物語)。のち専ら子供の遊戯となる。五月五日に二手に別れて石投げ斬り合いのまねをした。「から印地」は、あてなしにうつ空礫(そらつぶて)と同意。 三二 越える。年を越すに、石を目標を越して投げるの意をかける。 三三石合戦の石と、米一石(十斗)をかける。「たべ」は、賜え。 一 石をわると、一石の半分五斗をかける。一斗は約一八リットル。 二 一俵は四斗でなく、古くは五斗入り。籾俵では今でも五斗入りを用いる。「四国は海の中にこそあれ 漕ぎいだす舟に俵を八つ積みて」(新撰犬筑波集、刊本)。 三 たくみにいいかけた洒落。地口、口合。「醒」に類話。↓補二四。 四 菊科の多年生草本。秋、白や淡紅色の花が咲く。若根をとり外皮をはいで乾燥し、胃薬、屠蘇散、蚊やりなどに用いた。 五 白朮の異名。「白朮乎介良」(字鏡)。「置け」にかけた秀句。 六 よい頃あいを見計らって。 七 日蓮宗。専ら法華経に依拠する宗派。室町時代から徳川初期にかけて京都に盛んで、松永久秀などの有力武将や、本阿弥光悦などの芸術家・学者の帰依する老が多かった。激しく戦闘的なのが特色。「醒」に類話。↓補二五。 八 日蓮宗の二大流派で、室町末ことにその対立が激化していた。↓補二六。 九 教理についての論争。 一〇 陰嚢中の核。転じて睾丸。「陰核篇乃古」(和名抄)。 一一 大へん苦しむ。 一二 優劣。勝劣派をかける。 一三 きんたまの略。陰嚢の俗称。 一四 いっち(甚だ、非常に)↓一致派。 一五 茶の湯の会。「戯」に類話。↓補二七。 一六 さかやきを剃ること。注二〇参照。 一七 さわぐ。 一八 檀那寺の坊さん。 一九 恐縮のいたり。 二〇 頭上の髪の中央部を円形に剃り去ること。平安時代末期におこるといい、この頃には男子一般の結髪様式の常習であった。 二一 剃りつけているので。 二二 片方の小鬢(こびん)。小鬢は頭の左右側面の髪。 二三 どうしようもない。 二四 もっての外のこと。 二五 顔を真赤にして。 二六 わざとでなく、うっかりしてしまった過失。 二七 少年。卑下の意がある。 二八 普通の男子。 二九 身だしなみを整える。沐は髪をきよめ、浴は身をきよめること。 三〇 素直にあやまらず、つべこべ弁解、理窟を言って、おさえようとするのか。仏語で、悪魔や相手を降伏させること。相手が僧なので仏語を用いた。「チョウブク」(パ)。 三一 これではどうしようもない。 三二 いやいやながら。仕方がないから。 三三 髪を剃り僧衣を着て僧形となる。だが必ずしも僧となったり寺に入るとは限らず、僧形をしたまま、町中で在俗の生活をする場合も多い。 三四 一層よいこと。「それく、一だんの事じや」(狂、猿座頭)。 三五 僧が死者につける法号。ついまた言い損いをしたのである。 三六 以下、多く危い事のたとえ、諺となっている。尤の双紙、あぶなき物の品々参照。 三七 脚気になると末稍神経が侵され、ことに下肢が痲痺し歩行が困難。それで脚気・乱脚病・脚疾・脚病などという。焙烙は食物を炒るふちの浅い土鍋で、素焼だからこわれやすい。 三八 荷物をたかだかと積んだ馬。「岸」は川岸、海岸とかぎらず、がけ。「かたそばの細みち」(尤の双紙、あぶなき物の品々)。 三九 盲人が下り坂を歩けば、つんのめりやすい。 四〇 夫に後れた婦人。「後家(ごけ)を、ごけい」(片言、三)。 四一 これだけ。これくらい。 四二 とたんに口をおさえた。口をすべらしてしまったと思ってのしぐさ。 一 「戯」に類話。↓補二八。 二 残念。 三 立ちさらずにぐずぐずしている。 四 四、五月のもの。寺の裏手などには竹藪が多い。 五 雁は御馳走として当時珍重されていた。だが、僧侶は殺生戒として、魚鳥を食べるのを禁ぜられていた。 六 御挨拶。 七 痛風。関節やその周囲の組織に急性または慢性の炎症を起こし、痛み、腫れ、赤くなる病。 八 相手の坊主の方へさし出し。 九 鳥の身の方は、坊さんのあなたには。 一〇 そのまま。 一一 おいしく食べる。 一二 「戯」「醒」に類話。↓補二九。 一三 ばたばたとあわてる。 一四 鮭の腸をとり、しらぽしにしたもの。 一五 うろたえる。びっくり仰天する。「ハイマウ」(パ)。 一六 「食(た)ぶ」は下二段に活用。 一七 女房。魚鳥の肉を食べるどころか、更に妻帯の禁を犯していたのがぼれた。 一八 身体に栄養をつけるため、薬として、特に獣肉などを食べること。薬食い。 一九 皇族または公卿貴紳出身の尼。ここでは、どこか尼寺の住職となっているのであろう。比丘尼は出家して具足戒をうけた女子。御所は貴人の敬称。「戯」「醒」(広・狭)に類話。↓補三〇。 二〇 寺の所領となっている地方の土地へ。 二一 気ばらしに外出すること。 二二 土地の百姓は領主が来たので、もてなしする。 二三 接待。 二四 石を焼いて水を注ぎ湯気をたて、これを穴ぐらや岩屋、あるいは密室に導き、その中に入る蒸風呂。古く枕草子・今昔物語集にも見える。 二五 出家して日の浅い尼僧。蔵主はもと禅宗で重い僧職の一だが、ここでは出家一般の称。 二六 今の石鹸。洗粉。「てうつの粉には、もみちまちかねよりは、赤小豆の粉、緑豆のこを使ひ給ふべし」(女重宝記、一)。「チョウヅノコ」(パ)。 二七 相談の集まり。 二八 彼の人此の人。 二九 遅くなる。「ヲソナワリ、ル、ワッタ」(パ)。 三〇 たしかに。ちゃんと。「きつと案じ出したる事有」(猫の草子)。 三一 戦乱。「イチラソ」(パ)。 三二 退失流転の略。なくなること。「タイテン」(パ)。 三三 あきれたことだ。 三四 足利十三代将軍義輝。永禄八年(蓋瓷)没。「戯」に類話、「醒」に似た話。↓X1111° 三五 御気に入る。 三六 御前に出る。 三七 あまり親しいので、つい我儘に。 三八 僧が戒を破って還俗する。 三九 貴人の命令、仰せ。 四〇 僧位の名。法橋上人位の略。綸旨によって授けられる。 四一 御辞退。 四二 僧でなく俗人の方がつき合い易いので。 四三 諺「立仏も居仏も旦那ばからひ」。相手の意に迎合して、どんな無理なことでもすること。「立居さへ檀那まかせの釈迦阿弥陀人をぽいかで送り迎へん」(光広卿職人歌仙)。 四四 人聞き。世間の評判。 一 「うずる」は「むずる」の変化したもの。 二 そういうわけでございましたら。 三 「十六からは表役」(譬喩尽)の諺があるように、男子は普通十六歳前後に元服し、一人前になる。袈裟がけは、今まで髪をのばした稚児・喝食が剃髪して正式の僧侶となること。 四 宮中や貴人の家で、婦人のいる部屋には、外から見えないように簾や几帳を立てておいた。従ってここでは将軍の妻妾やその侍女たち。 五 貴人の乳母、または貴人の児女の養育係。 六 お腹の調子。腹具合。 七 あのような具合に薬を調合して下さい。 八 調合する。 九 お乳の人の意。↓補三二。 一〇 着物がはだけて、大事な所が見えた。 一一 薬調合用の匙。 一二 夢中でさがされる。 一三「戯」「醒」に類話。↓補三三。 一四 月夜で気がとがめるので、顔が見えないように。 一五 泥鰌をとる。「蜆、蛤ふむ」(三日太平記)。 一六 本堂の次の碓物。行者(あんじや)の居る所。「行堂鍔禅家使」(運歩色葉)。行者は禅宗で、有髪のまま寺にあって修行する者。また、寺院の諸種の用務を弁ずる給仕。 一七 刈・多本・整版いずれも「ゑんさい」とあるが、伝不詳。なお「戯」では加賀国伝灯寺での話で、「其所の奉行めいたる人」とする。 一八 仏教で、鳥・獣・魚などの狩猟を禁ずること。寺内は殺生禁断。 一九 理不尽な乱暴。 二〇 塗らない白木のままの弓。 二一 弓に矢をつがえる。「ヤヲバグル」(葡)。 二二 本ものの俗人。僧かと問われたのではないのに、禁を犯して気が咎めているので、思わずこう答えたのである。 二三 ここでは禅宗で寺院の居所。転じて長老、住持を言う。 二四 「戯」では「久蔵主」、刈本では「一臈(修行年限最長の僧)のけんてゐ」。 二五 秀吉の養子となり、天正十九年(一五九一)関白となったが、文禄四年自殺(蓋六八i蓋九五)。「戯」「醒」に類話。↓補三四。 二六 漆工。千利休の塗師。↓補三五。 二七 政治の要路にあり、君側に座して政務をとる者。「戯」には実名が出ている。 二八 茶の湯の会に招待。 二九 書院の訛。客間。「書院シヨエン」(易林本節用)。 三〇 当時、食物を出すのに重箱に入れて出す習慣があった。「重の内」(狂、焼栗)。 三一 招待した者として。 三二 昼時分なのに「夜食」といったのがおかしい。 三三 砂糖と茶道(さど)をかけるか。 三四 こびた風をする。「こばす」はサ行四段で、「こびる」(バ行上一段)の他動詞。「コバシ、ス、バイタ」(パ)。整版「こぼしだて」。「戯」「醒」(広・狭)に類話。「片言」にも似た話が載る。↓補三六。 三五 一流の人の列座した。 三六 瀟湘八景の一の煙寺の晩鐘。わが国では室町期から「遠寺の晩鐘」と書く。夜中なのに、晩鐘(夕方の鐘)といったのがおかしい。「聞こうる」は聞こゆるの訛。 三七 九州地方。「戯」「寒」に類話。↓補三七。 三八 たいへん御苦労なこと。 三九 自費路(旅費自分持)か。整版には「じぶんに」、「戯」「寒」には「自筆に」。 四〇 あるいは相手方の旅費負担か。 四一 京都市南部の一区。ここから淀川を下って大阪へ出る。京・大阪舟路の起点。当時九州へは大阪から舟で行くのが普通。 四二 「戯」では「車力」。舟なのに車力と言ったのがおかしい。 四三 はやく。 四四 外国から帰国。九州からではおかしい。 一 学本「四方はい」の見物人の歌として、歌のみあげる。「戯」に類話。↓補三八。 二 蕎麦粉を熱湯でこね、つゆをつけて食べる。 三 常に主君の側近に侍して、一緒に食事をしたりする重臣。 四 細川幽斎(蓋三四i一六δ)。大名であり当代歌壇の第一人者。 五 膳につき。 六 女房詞で蕎麦がきを、その色から薄墨という。なお、眉は墨で描く。 七 横顔。「そばがほのみすにすぎて見ゆる」(狭衣物語)。かつ蕎麦がきをかけている。「ソバカヲ」(パ) 八 帝↓三角(みかど)、蕎麦の女詞。 九 六、七、八歳くらいのごく幼い稚児。「戯」「醒」に類話。↓補三九。 一〇 親里。 一一 気の毒そうな顔。 一二 帰る途中(の家)で。 一三 貰い火をして延焼する。胸がやける(棟が焼ける)の縁で類火という。稚児たちはいずれも食いしん坊。 一四 餅を振舞ってくれた家。これも胸やけの縁語。 一五 修行をつんだ偉い僧の説教、法談。 一六 謡曲「卒都婆小町」などにも見える、中世に行われた四句偈。一度卒塔婆を見ただけでも、その功徳で三悪道を離れる。まして、これを造り立てた者は死後極楽に生れるの意。↓補四〇。 一七 意味。 一八 もと仏舎利奉安などのために建てた塔だが、のち供養として墓の後に立てる細長い板。上部が塔形をし、梵字や経文などが書いてある。 一九 現世の悪行によって、死後到るという、餓鬼道・畜生道・地獄道。「道」は世界。 二〇 呼びかけの言葉。「いかに鬼神もたしかに聞け」(謡、田村)。 二一 安楽浄土。極楽。 二二 「もし」の宛字。 二三 一見を同音の幅コ間」ととりなしてごまかした。諸本に多少異同があるが、ことに金本では「かしこまつて候とてかへりける。此人の心こそまことのほとけにて候へ、上人らいしたまふとそ」が加えられている。 二四 底本「かくもにん」と誤る。この話、笑草に転載。 二五 励めよ。 二六 いっこうに。 二七 けしからぬこと。 二八 素質。 二九 強情である。日蓮宗は強情で有名。↓補四一。 三〇 気持がいい。心の慰めになる。「食ふよりもきの薬かな鹿の声」(犬子集)。 三一 「秉」はとるの意。禅宗で一寺の住職に代り、他の僧が払子(鯰っ)をとり法座に上って諸衆を開示すること(勅修百丈清規)。いわば討論会の議長。「戯」に類話。↓補四二。 三二 「上野」は今の群馬県、「下野」は栃木県。 三三 「筑前」は福岡県北部、「筑後」は同県南部。 三四 非常に重く。 三五 助かるかどうかわからないほど重態の時。 三六 ああ。感動の語で当時は男も使った。 三七 もしものこと。死ぬこと。 三八 現世を捨て、ひたすらあの世のことばかり考えて。 一 諺にも「髪は一年物」という。 二 家督権と家名・財産の相続。 三 全快。「ホンブク」(パ)。 四 わいわい言ってさわぐ。 五 どうしても我慢出来ない。 六 まことに申訳ない。甚だ恥ずかしい。 七 とにかく、申しにくいことですが。 八 あなた。もと女房詞で、「そなた」の「そ」に「もじ(文字)」をつけた語だが、男女一般に使われた。 九 身をひく。妻の座をはなれる。 一〇 今まで長い間つれ添った情。 一一 あなた。対等の者に使う二人称の代名詞。 一二 たいへん不機嫌である。「ブケウ」(パ)。 一三 たしかに、道理は明かで、その通りです。 一四 これまでつれ添ってきたお情で。董守護はもと鎌倉・室町時代の職名。徴税権・警察権・裁判権を有した者だが、ここではその地管轄の代官。 一六 「ども」は単数でも使い、謙遜の意をそえる。 一七 「ら」は単数でも使い、卑下の意味をそえる。 一八 考える。思案する。 一九 ひどく驚きあわてる。「ケデン」(パ)。 二〇 すっぱりと。たやすく物を切るさま。「物をきり侍るを、ちよんときる、すかときる、つんときる、ずんときる、すつかりこときるなどいふは、いつれまされるにや」(片言、五)。 二一 この有様の顔になっては。 二二 娶る。妻として迎え取る。 二三 諺。もとの妻と復縁するのは仲人もなく簡単なことだ。狂言、法師物狂や毛吹草・吾吟我集等に見える。 二四 末長い年月を祝う言葉。「五百八十年七廻り」「五百八十年万々年」などともいう。五百八十年は、七廻り、即ち干支の七廻りで、六十年の七倍の四百二十年を加えると、ちょうど千年になる。そういうわけで、長く縁起を祝う数とされていた。↓補四三。 二五 第一のこと。この話、上拾遺67話(一〇七頁)に似る。また笑草に転載。 二六 京都のほぼ三条あたり以南をいい、上京が山手に対し、庶民的な下町であった。 二七 眼医者。当時眼医者はすでに分科していた(日本医学史)。眼医者で目薬を売っていたのであろう。 二八 のれん。商家の軒先に張って日除けとする布。多くは紺地に屋号を染めぬき、または無地の茶木綿に墨で屋号を書く。 二九 金・米・薬の三種。 一 園城寺。滋賀県大津市にある天台宗寺門派の総本山。古くから栄えた大寺。「戯」「醒」(広・狭)に類話。↓補四四。 二 法印大和尚の略で、学徳兼備の僧に与えられる高位。三井寺など大寺の坊官や幹部級の僧には、法印号を許されていた。のちに「醍醐の法印」など、山伏などを呼ぶ称ともなった。 三 退屈をまぎらそうと。 四 年ごろなので、優雅風流を気取っているのである。「醒」では公家の子になっている。 五 幼少の児は食べざかりで、食欲一本槍である。「醒」は歌に異同がある。 六 撥音。三つ「ん」のついた言葉。「戯」「醒」に類話。↓補四五。 七 賞味する。 八 京都市北区紫野大徳寺の南にあった天台宗の寺。一般には「ウリンヰン」「ウジヰ」などとよんでいたらしい。「うち井、雲林院也。此所はむかし寺也。其寺号則所の名とするなり」(浮世鏡)。 九 足利末期、南洋諸島を根拠地として来たポルトガル人、続いてイスパニヤ人をいい、インドを根拠地として来たオランダ人などを紅毛人といったが、一般に西洋人をもいう。 一〇 煎茶瓶を撥音便風に「せんさんびん」といった。「煎茶瓶顕サ」(運歩色葉)。 一一 「シンセンエン」の訛。京都市中京区御池通神泉苑東入にある名苑の跡。 一二 「コンゲンタン(血が頭に上った時に用いる薬)」(パ)。練薬。「昆元丹薬名」(古写本節用)。 一三 昆元丹に田楽の味噌の「こげた」をかけた秀句の褒美として。 一四 発心して新たに仏門に入った人。ここでは幼少の僧。 一五 「え食はず」。食べられない。 一六 煎茶瓶から茶臼を連想し、小児が「こげた」を撥音化したのをまねて、こう言ったか。 一七 とたんに。 一八 平清盛が厳島大明神から長刀を授かった話(平家物語)により、厳島を出し五串。なお、「戯」「醒」(広・狭)に類話。↓補四六・四七。 一九 「つぶり」は頭。これを敬語で御首(みぐし)↓三串。 二〇 なんだの意の「何ぞ」を重ねた語。名詞化して「謎」となる。 二一 ある職業の人を守ってくれるとして、特に信仰する仏。医者の本尊は薬師如来。 二二 薬師↓八串。薬師は衆病を除く願をたて、衆生に薬を施す仏。 二三 平清盛の俗な言い方。晩年出家したので、入道という。 二四 平家物語、巻五「物怪之沙汰」にある不思議な話。↓補四八。 二五 ということだが。 二六 櫛でとかし洗い清めても。澡浴(そうよく)の転じた「そうやく」の訛。洗い清めること。 二七 僅かの間に。 二八 虱の卵。 二九 縁起かつぎ。「戯」「醒」に類話。↓補四九。 三〇 若水を汲むことを「迎える」という。若水は、立春の朝、後世は元旦の早朝、新しく水を汲み入れる行事。↓補五〇。 三一 若水を汲むときのまじないの文句。前補注参照。 三二 早朝。 三三 考える意のほかに、愁いに沈むという不吉な意味があるので、物忌みにさわる。 三四 木を投げるの「投木」が「嘆き」に通ずる。石や陶器の枕もあったが、古来から黄楊・朴・桑・沈の木など、木の枕が普通。 三五 酒量のきわめて大な人。また酒の大好きな人。「戯」に類話。↓補五一。 一 乳母。お乳の人の小児なまり(片言、三)。 二 学徳を備えた名僧。宗派により多少意味が異なるが、禅宗では師僧を尊んでいう。この話、笑草に転載。 三 仏門に入ってまだ日の浅い修行未熟の僧。禅宗・律宗で多く用いる。 四 ここの禅宗では住職または先輩の僧。「今禅宗住持之者必呼二長老一」(祖庭事苑)。諺「沙弥から長老にはなれぬ」「沙弥から長老にとぶ」。 五 不平や希望を人に述べること。 六 示教。悟りへの導き、教え。 七 残念至極。 八「畏れながら」を「大それ」の語の類推から訛ったもの。無学な沙弥らしい語。 九 一つの古則公案。禅宗用語。「則」は、もとすじみち、法則、手本の意。古人の説話は後世の人の修行の法則となるので、則という。 一〇 殊勝なこと。よい心がけ。 一一 おそばに召しよせられて。 一二 最も大きい迷いである生死の問題を悟りひらくべき公案。 一三 奥義に到達する。 一四 弘法大師が入唐の時、生死一大事を問われて、「味噌よ味噌よ」と答えた逸話が「醒」に見える。↓補五二。 一五 精進料理。「しょうじ」と訛って「生死」にかける。精進を「しょうじ」と訛る癖が、この頃の京都にあったらしい。↓補五三。 一六 御名答。 一七 禅宗の始祖。インドより来り、中国で禅宗を開く。 一八 親の命日。 一九 僧の敬称。 二〇 七堂の一で、食事の準備などの雑事をする所。 二一 仏家で寝室・納戸をいう。 二二 腸を肉と一緒にして、和え物にした料理。鮑は美味で珍重されたが、魚鳥の類として僧侶には禁じられていた。 二三 動かさずにしっかりと。じっと。 二四 殊勝な。感心な。 二五 精進料理では酒の肴にならない。 二六 特につてを求めて手に入れたの意(普段は縁がないの意をほのめかしていう)。刈・多本・整版では底本のごとくだが、山・金本では「をためはかりに是をとゝのへたる」とある。 二七 身に余って忝けない。 二八 忘れておりました。 二九 行き届かぬことで。申し訳のないことで。 三〇 一般に子持の女。ここでは、自分の妻をいう。妻帯し、子まで持っていることがばれる。 三一 南無阿弥陀仏の略。 三二 鮑は古くから目の薬(和名抄)。↓補五四。 三三 「さして」の音便「さいて」。 三四 鮑は酢と塩とで味をつけ、腸も一緒に膾にして食べるのがうまい。 三五 目薬などの薬類は蛤の貝に入れた。 三六 非常に痛いこと。 三七 成語。七転八倒すること。「五体」は全身。 三八 わめき騒ぐ。 三九 ふさわしい。「ふさひた」がウ音便になった語。 四〇 みな食べてしまった。「しまひた」のウ音便。 四一 錫製の容器。 四二 鮑・蛤・魚肉など生魚物を用いた膾は僧が食べてはならない。 四三 しっかと頭の上に載せて。 四四 この型に。頭巾にもいろいろ型があった。 四五 いかがでしょう。似合いますか。 一 浄土宗西山深草派総本山。京都市下京区新京極桜ノ町。古くから栄えた寺だが、数度火災にあい、天正十三年(一五金)、秀吉の命で現在の地へ移転。当時秀吉の側室松丸殿の帰依をうけ、本堂・阿弥陀堂等の大伽藍が再建、寺勢が盛んであった。 二 当時の寺額は「誓願寺」ではなく「南無阿弥陀仏」と書いてあった。↓補五五。 三 文盲なので、南無阿弥陀仏の額の字が読めず、多分誓願寺と書いてあると思ってこうほめた。また大仰なほめ方なのが、落ちの滑稽味を増す。 四 趙子昂(三裔ー;三ご)。元初期の文人。詩文に巧みでまた書画の大家。 五 額は筆で書くものだから石摺りのはずがない。石摺りは、石や木の文字や絵を、油墨などで地は黒く字は白く摺りとったもの。名筆の石摺りは、当時珍重された。↓補五六。 六 東国の人。 七 今の長野県。 八 長野県伊那郡、岐阜県よりにある歌枕。今小野川の谷で、古駅路にあたり、旅人を泊め休ませる布施屋があった。遠くからは見えるが、近寄ると見えなくなる帚木(まよ.きき)があったので有名。 九 わらじ。藁沓(おらんず)の転。「草鞋鰐」(運歩色葉)。 一〇 六〇センチほどの多年生草本。山野に自生。茎で木材や角などを磨く。 一一 ひたすら。 一二 筑前太宰府にあった。中世には頗る盛大、諸国に寺領多く、天満宮も寺内で、安楽寺の菅公廟といわれた。明治維新後、神仏混淆禁止で廃寺。 一三 中国福建省泉州府建安産。堅い焼物で上品なもの。 一四 もと中国浙江省杭州府臨安県の天目山産の茶碗。五山僧が持来り、茶道で珍重された。「茶具者建盞天目」(庭訓往来)。浅く開いた摺鉢型の茶碗。のちこの形の茶碗の汎称となり、ここでもその意。また、四国・九州地方の方言(和訓栞)となった。 一五 かじる。 一六 日吉空庵か。「戯」「醒」に類話。↓補五七。 一七 社寺への寄付勧進のための興行の能だったが、のち見物料を取る能。↓補五八。 一八 人さらいに連れられた梅若丸をさがして、母が関東の隅田川に尋ねて来、その死を知って気が狂う悲劇的な能。 一九 野天の見物席。 二〇 千歳舞。能のはじめに行う式三番のうちで、翁が地謡と連吟で「とうとうたらりたらりら」と謡い、「所千代までおはしませ」と今様を謡った次、侍烏帽子に素襖をつけ、小刀を帯びた千歳が今様を謡って舞う。 二一 式三番で千歳の次に再び翁が謡い、天下泰平を祈り、神楽を舞い、三番叟に続く。 二二 翁の次に出て、黒色の老人の面をつけ扇と神楽鈴とをもって舞う。 二三 この人。 二四 三番叟を隅田川と思い、三番叟の面が黒色なので、「すみだ顔殿」といった。 二五 実家が貧乏なので。「醒」に類話。↓補五九。 二六 表だった会や儀式の時。かかる折には稚児は衣などを美々しく飾る。 二七 指似。陰茎。多く子供にいう。 二八 ああ気の毒だ。 二九 稚児の後見役。 三〇 見る人はみな。 三一 特に大きいものをいう。 三二 言うので。 三三 吉野は修験道の聖地大峰山があり、山伏が多く、また山中で山芋も名物。なお、この話「阿奈遠加志」にとられる。 三四 山芋は根が地中深く入っている。 三五 山伏が修行を終って霊地の山から出ること。特にこの時は気力・体力が充実しているという。「此度大峰かづらきの役をつとめ、只今がかけいでゞござる」(狂、蟹山伏)。 三六 苦しめる。無理に男色の交わりをする。 三七 ぎいぎいとわめく。擬声語。「ギギメク。鳥を殺いてぎぎとする」(ロドリゲス)。 三八 子供の山伏。 三九 山伏の持つ代表的な道具。法螺貝の殻の頭に穴をあけて吹き、ぶうぶうと低いが大きい音を出す。古くは軍器で、中国や朝鮮で使われた。我国では山伏が狼狸の害をさけるために使い出したという。 四〇 京都市右京区嵯峨町にある臨済宗天竜寺派本山。 四一 室町末期屈指の学僧。信長の諮問に答える。詩人・文章家として傑出。なお「戯」では、前半は貞安と信長が天正八年(蓋八〇)にした話となっている。↓補六〇。 四二 心の鈍いこと。愚か。 四三 かしこいこと。 四四 成長して一人前になること。 一 家にいた時の気持。一般世間の気風。 二 戦国乱世を自らの力で生きぬいてゆく武家らしい智恵才覚。当時町人などよりも武家の家から寺に入って稚児になる者が多かった。 三 寺の気風に染まる。 四 丈の長い袖。転じて鎧を着るため長袖を使用しない武士に対し、公家・医者・神主・僧侶・学者などをいう。公家や僧侶など武事に携わらず、軟弱でのんびりしているのを嘲っていう。 五 にぶい。のんびりした。 六 精神・心が劣ってしまう。 七 たいへんもっともな。 八 お供。「はやす」は、もてはやすなどと同じく主人を飾りたてる、映えあらしめる意から添えられた語か。従って単に一人の供でなく、「供ぞろえ」などのごとく、何人かのお供をいうか。「供ばやし、能、舟遊びにもめしつれられ」(日本永代蔵)。「当分は供はやしに出ず、着類のいらぬ飯たき奉公でもして下され」(当世銀持気質)。 九 なぜいるのか、いらないではないか。 一〇 武家で主人の草履を持って供をする下僕。 一一 わかる。理解できる. 一二 声を出し歌曲の調子をとる囃しの意にとった。 一三 夫婦が互いに呼びあう称。 一四 智徳の亠咼い僧。 一五 古くからの諺。「あふはわかれ」(毛吹草)。 一六 底本「躰」。整版・多本などに「ありさま」とあるので、「てい」と読んだ。身体でなく、様子。 一七 情欲などが身を悩ますこと。 一八 重病。難病。 一九 房事。 二〇 そのようなことは思ってもみない。 二一 薬がきいたか否かの返事。「左右」は報告。 二二 女房。「ども」は謙遜の意をあらわす接尾辞。 二三 見ていただけの意か。「おそれ」の語は他の用例や辞書類の解説も見えないが、古活字本.写本・整版等、現存諸本いずれも「おそれ」になっている。おそれ承る意の「おそる」か。 二四 かまわないが。「おりなひ」は、「ある」の尊敬語「おりやる」の打消。 二五 容態。 二六 容易には。 二七 京都の下町。 二八 経歴不詳。山・金本は「ふべんなるものゝよきむすめをもちける」だが、刈・多本・整版は底本と同じく「むかし下京に道無」。 二九 縁談を世話する。 三〇 相手はどれほどの財産があるか。 三一 以前(狂言・捷解新語・パジェス等)。 三二 領有する。 三三 年収十石。一石は米百升。いかにも貧乏人らしく、四国を四石にとり違えたのである。 三四 結婚後、夫が初めて妻の生家にゆくこと、またその式。↓補六一。 三五 通知。 三六 用意する。準備する。「コシラエ、ユル、エタ」(「拵コシラヘル」(運歩色葉)。 三七 お前の婿は。夫は。 三八 敲鉦の略。ふせがね。ひらがね。 一 感心な。 二 一緒に太鼓合奏の役をする人。「ヤクシャ(ツトムルモノ)」(パ)。「あつべる」は「集める」。 三 酒盛り。「コソく(盃を何度も献ずる)」(パ)。献はもと饗応の時、肴の膳に盃・銚子を出し、三杯飲まして膳盃を下げるのが一献。のちに盃の度数をいい、更に盃事をいう。 四 飲んで酔う。「たぶ」は飲む。「タベエイ、タベヨイ、ヨウ、ヨウタ」(パ)。 五 無礼。 六 ちょっと。「ソト、ソット」(パ)。 七 上衣をぬいで、身がるにいでたつ肩ぬぎの語を、大げさにした語。大肌ぬぎに同じ。 八 「おつとつて」の誤か。山・刈・多本・整版いずれも「かたばちおつとつて」。 九 六斎日(八・十四・十五・二十三・二十九.晦日)に行う空也念仏。↓補六二。優雅な遊芸のたしなみかと思ったら念仏。また婚礼と念仏との取合わせもおかしい。 一〇 若衆の御訪問。若衆は元服前の前髪姿の若者。当時盛んだった男色の対象。 一一 「サケノミ(米を発酵させて酒にし、しぼらぬ前のもの)」(パ)。古活字本など諸本多く「さけのみ」とあるが、整版「さゝのみ」、学本「さけのかす」。酒より下品で、若衆にふさわしくない。 一二 うちこんで。惚れこんで。夢中になって。「醒」(広・狭)に類話。↓補六三。 一三 恋文を数多く送り。 一四 藤原定家自筆の色紙。当時珍重され、最も高価なものの一(尤の双紙、高き物の品々)。 一五 習字の手本。稚児・若衆は習字が主要な勉強。 一六 弘法大師はまた書の名人。三筆の一人。 一七 般若心経の三行ほどの断簡。古写経の断簡を珍重する風が当時すでにあった。 一八 方々さがして手に入れ。 一九 昔は鍔がなく柄もまかず、八、九寸(二五センチ前後)ほどの匕首(あいくち)のごときもので懐中したが、室町末から小刀のごとく鍔をつけ柄をまき、長さも長くなった(貞丈雑記)。 二〇 飾りの金銀金具を。 二一 立派な。「こしらへ」は、柄や鍔の作り。 二二 金の力と黄金作りの太刀をかけ、また「手をつく」に手を突き傷つけると、手をついてあやまるの意をかける。 二三 習字の清書。当時学校がなかったので、寺へ行って僧侶に習字などを習った。 二四 字が上手になるだろう。 二五 字ばかりでなく心も大人に。 二六 手紙の末尾に書く文句。恐惶謹言と同じく男の手紙にも用いる。当時、手習の手本には、庭訓往来・尺素往来など往来物と称する書簡文体の教科書を用いていた。 二七 母親は「穴かし、くじらふ」とよんだのである。「くじる」は穴の中に手や物を入れてかきまわす。なお、山・金・多本では、子の名が二郎でなく千松となっているので、「あなかしく」を穴が畏れおおい、かたじけないと母親が誤解したことになる。この方が古い形か。 二八 もと出家して間もない修業未熟の僧の意だが、転じて一般に身分の低い僧をいう。「戯」に類話。↓補六四。 二九 お願い。無理な頼み。 三〇 恋心を受入れて情をかけよとの望み。 三一 今でもいい、貴方の都合のよい時に。 三二 法印さまがお留守になったらいつでも。 三三 やってくる。 三四 寺の納戸。 一 種。「醒」に類話。↓補六五。 二 御馳走として珍重する。「奔走」は馳走と同意(パ)。 三 鈍い。おろか。 四 他流で、ちがう仕方・流儀の意か。古活字諸本多く「たりう」。ただ金本では「たうり」とあり、整版では「それもさうちやか」とあるよりすれば、「たうり」(道理)を誤ったか。 五 古活字本の祖本に「実」(さね)とあったものを、「まこと」と誤り読んだか。諸本「さね」。 六 召上る。「戯」「醒」に類話。↓補六六。 七 数多く食べようと思って。 八 あわてて。 九 気の毒がって。 一〇 織豊期には全国統一の世情を反映し、天下一の言葉が流行、筆師・鏡師まで天下一号を名乗った。 一一 つかえた餅が竜虎が組み争ったような恰好での意か。或いは輪鼓(りうこ)か。↓補六七。 一二 やはり天下一だけのことはある。 一三 おしい物。せっかくの御馳走を。 一四 いかにも幼い言い方。 一五 ニ人が男色関係にある時、稚児・若衆に対し、年上の方をいう。「戯」「醒」に類話。↓補六八。 一六 金銀類を薄く打延べて、刀剣の鞘にはりつけること。金熨斗付・銀熨斗付・裏熨斗付などがある。「熨付膨」(運歩色葉)。安土日記・豊太閤御事書等に、熨斗付の太刀・槍・長刀などが見えるから、この飾りつけが織豊期に流行したらしい。 一七 「あふ」は、夢に見たことが、正しく現実に生じること。春の夢ははかないものの譬。だからあてにならないという諺があったか。なお、夢によって吉凶禍福を判断することは、日本書紀・源氏物語にすでに見え、安倍晴明の夢占書をはじめ近世まで幾多の夢占の書が作られている。のち俗化し、神巫などは夢判じを渡世の職業とした。 一八 今の愛知県で、信長の根拠地。信長は永禄十一年(蓋一ハ八)上洛、天下の実権を握ってのちもここを本拠とし、のち京都、更に安土城へ移った。この話は京都・安土へ移る前のことであろう。 一九 九州。 二〇 挨拶。 二一 大名の下々のお供たちへの馳走。 二二 町人たちが自分たちで作り出して。 二三 正式の膳立てで、飯・汁・肴が付き、最初に正面に据えられる。人参汁は、大根と一塩の鯛とを実にした味噌汁。 二四 膾には普通貝や魚を用いる。 二五 わが国に渡来の時期は明かでないが、近世初期の林羅山の多識篇に初めてその名が見えるというから、信長の時代にはなお珍しく高価なものだったのであろう。人参汁を、人参を入れた汁と誤解。 二六 一斤は一六〇匁。一匁は三・七五グラム。古くは十六両を一斤、四十八両を大一斤とよび、又物によって一斤の量が異なる。人参は高価なので一貫二貫といわず、斤と数えたのであろう。 二七 謝って辞退させてもらう。 二八 直接事務を扱う役人。 二九 事情を述べて裁断や許可を得ること。 三〇 理非を考えてお聞き入れ下さった。 三一 結局同じこと。 三二 訴え申上げてよかった。 三三 疲れはてた様子。「らうらうとつかれ侘びたる如くなり」(傾城反魂香)。「戯」「醒」に類話。↓補六九。 三四 室町後期の医の名家。太政大臣公経の子昌慶が入明し、医家として顕われ、その三子直慶・善慶・昭慶以下いずれも法印または法眼に進む(「戯」には一渓(曲直瀬)道三)。↓補七〇。 三五 底本「きりく」。多本等により改む。精力の減退する。或いは「きりく」は「きりよく」(気力)の誤か。 一 いわゆる望診。名医らしい返事。 二 仰せのように。 三 私めが用いるのでは。 四 女房。 五 「戯」に類話。↓補七一。 六 一生懸命。出来るだけ熱心に。「セッカク」(パ)。 七 日蓮上人の忌日。御命講といい、日蓮宗寺院で法会がある。 八 布施を出して寺の斎(料理)を食べることを百文の安料理と嘲笑していう。「はたご」はもと食物・雑品を入れる旅行用具で、転じて食物を調理して売る安料理屋。「瓜や茄子や夕顔の汁 立ちよるは五条あたりのやす旅籠」(望一後度千句)。 九 大御影供(おみえjV)の訛。一向宗や法華宗で宗祖の命日に行う法会。 一〇 招待の通知。 一一 必ず出席して下さい。 一二 きちんと坐り。 一三 各自の席に正しく坐る(児教訓)。 一四 寺の料理を戯れ嘲っていう語だから、困って。 一五 謡曲「老松」中の上歌。「歩みを運ぶ宮寺の、光のどけき春の日に、松がねの岩間を伝ふ苔莚、岩間を伝ふ苔莚、敷島の道までも…」。いかにも寺の法会に歌うのにふさわしい謡曲の一節。 一六 底本に用いた大東急文庫本にない話を、他の諸本から拾って、拾遺の部として、上下各巻の末尾に付した。 一七 この底本の前に公家の名前に植物の名がついている者が多いという話に続いているので、「又」と書き出す。「醒」に類話。↓補七二。 一八 朝廷に仕える人々の称。公家。「衆」は他の語に添えて多くの人を丁寧に言い表わす語。 一九 いずれも当時実在の公家の称呼。なお、底本の清濁「たかつかさ」。↓補七三。 二〇 万里小路(ま弯のこうじ)を、文盲故、「馬での小牛」と考えた。↓補七三。 二一 京都市右京区嵯峨にある古義真言宗の大本山。もと嵯峨天皇の離宮であったが、平安時代の貞観十八年(八七六)仏寺となり、親王門跡寺として大いに栄えた。 二二 遠い国の人、即ち田舎者。 二三 寺院の格の一で、皇族・摂関家・清華家の僧の入室する寺院。宮門跡・摂関門跡以下の区別がある。 二四 五文の通行税をとる関。中世では土地の大名・豪族、或いは勢力のある社寺などが勝手に関を設け、人や物資の通行に税をかけた。織田信長の天下統一後、廃止を命じたが、かかる関の通行税の慣行が、この笑話にも反映している。 二五 中ごろの昔。「書き物を見たが、大昔、中昔、当世様と言うて三流あるが」(狂、庖丁聟)。「醒」に類話。↓補七四。 二六 主人を招待する。馳走に招く。 二七 名古屋市の近くにある海岸町。信濃は山国なので、わざわざ遠く嶮しい山路を南下、尾張の国へ出て、海岸の熱田まで来たのである。 二八 調達する。なお、中世の料理秘伝書類によれば、鯛はすでに料理、殊に祝儀の料理として珍重されている。 二九 都市が十分発達してない時代でも、買い手の便利のため、同じ商品を売る店は町や市の一ヵ所に集まっていた。 三〇 左旋の縦筋のある巻貝の総称。アカニシ・タニシの類。今日では一般にあまり料理に使わないが、中世以降、元禄の「男重宝記」の料理献立の魚類の部にまで、「辛螺」としてしばしば出てくる。 一 主人の殿様。主人は大名・小名か武士であろう。 二 買出しに行った使が。 三 螺は、窓の戸を閉めるように口の蓋をしめているので、「窓引き」といったのか。 四 料理人。 五 「鬼の拳」の意か。巻貝で形は握拳に似、また殻の表面が固くざらざらしているので、「鬼の拳」を連想したか。「さざえ」に古くから「拳螺」の字を宛てる例がある。また「おにこぶし」という巻貝の一種もある。 六 ばかばかしくて、あきれかえる。 七 でたらめな名をいったのだが、屁、睾丸(ふぐり)の連想があっておかしい。 八 衆人の評議がわかれて決しないところへ。 九 招待主。その家の主人。 一〇 膠(にかわ)を溶かす容器。当時、膠を溶かす時の容器に、螺の殻を使うことが多かったらしい。「にしのからには膠をとき」(狂、金岡)。 一一 医書は漢文で書かれているし、まだ初学なので、ゆっくりとしか読めない。 一二 理解できない。 一三 付箋。しるしのため付けておく紙。 一四 夫。 一五 不審の箇所に目じるしとして付けておく紙。 一六 なるほど、もっとも。「ナカナカ(然り、本当に等)」((パ))。 一七 ぴったりと。「身共が膠加減をとくと仕済まして置いて、片はしからひたくと着けて廻るに依つて」(狂、六地蔵)。 一八 世間に言い習わすこと。以下の二つの俗説、現在でも行われている。 一九 頬のさき。頬のあたり。 二〇 女陰。「ヘへ」(葡・パ)。「ベベ」とも。 二一 中世以来代表的な古典文学作品とされ、中世小説などでも文学の教養といえば必ずこの三種をこの順序であげる。一種の成語。ことに当時の女の人の教養は低かったので、かかる古典を読んでいたのは稀で、いかにも奥床しい感じがしたようである。たとえば浄瑠璃姫物語(十二段草子)に、浄瑠璃姫の教養の深いのをほめたたえて、「かなのうち、読みける草子はどれどれぞ、古今、万葉、伊勢物語、しらら、落窪、京太郎」。 二二 優雅な。 二三 お里はたいした財産のある家でなかったが。 二四 昔は身分のよかった人。 一 過失ということにして。 二 知人。懇意な人。 三 「べつに」に同じ。「ベチ、ベチナ、ベチノ」(パ)。 四 小さい杵。「古今」を文盲らしく誤る。 五 窓にかける菰。布製の帳でないところ、いかにも貧乏世帯らしい。「万葉」を誤る。 六 伊勢の国から産出する摺鉢。どこにでもある安物の世帯道具。「伊勢物語」を誤る。 七 出家した女子。尼僧。 八 悪ふざけ。もと無法・非道のことだが、悪ふざけ、冗談ずき、腕白などの意にも用いられる。「ワヤク、ワヤクジン」(パ)。 九 私有物から秘蔵物に転じ、更に転じて陰茎。「松茸のおゆるをかくす吉田殿わたくし物と人やいふらん」(上拾遺21話、八九頁)。 一〇 わざと太く勃起させて。 一一 寄り合った庵の主。 一二 何だかしらないが、虫のやつが。とぼけたのである。 一三 そこにある。 一四 よこしなさい。 一五 あわてたので、とぼけていたのを忘れて。 一六 もと仏語で障礙、魔の意だが、転じて僧侶の隠語で陰茎。更に一般語になった。「マラ」(パ)。 一七 勃起させる。 一八 そしらぬ顔。 一九 おのおの。各人で。 二〇 気がついた。 二一 うまいかどうかわかりませんが。 二二 九献は尼にふさわしく当時まだ女房詞。のち一般に酒の異名となる。「一、さけ、くこん」(大上臈御名事)。「クコン、酒(女詞)」(パ)。「婦人愛呼二九献こ(醒、五)。 二三 そのわけは。 二四 献盃の儀式に、三つ組の盃で三度ずつ三回やりとりすること。今も婚礼などではこの作法が行われている。 二五 盃の度数。 二六 本当。正式。 二七 相手の気持次第。献と同音の気根をかける。気根はもと仏語。相手の気持と共に精力の両意があり、これもきかせているのであろう。 二八 梅干の訛。当時既に一般語だが、尼だからわざと「梅法師」といった。「梅干をうめぽうしとはいふまじきことなれど、是等はくるしかるまじくや」(片言、四)。 二九 つぼ・涎が垂れる。 三〇 毛抜に同じ。古くから小間物として使われていた。「鑷子波奈介沼岐抜二取毛髪唱也」(和名抄)。 三一 明治以降も最近まで濁音。「センダク」「キルモノヲセンダクスル」(葡・パ)。 三二 陰核。 三三 困って。 三四 「はくらん」の気。霍乱(駛)の訛。「バクラン」(パ)。「霍乱(雛く)をはくらん」(片言、四)。だが、訛の「はくらん」の方が普通に行われていたようである。パジェスにも「カクラン」はない。霍乱は日射病、または炎暑の頃急激な吐瀉をおこす病。 三五 強く猛々しい。 三六 ここが大事とばかり必死になって。「専と」とも「先途」ともとれる。 三七 工夫をめぐらす。 一 ゆるめない。 二 蟹だから穴を望む。穴は女陰の隠語でもあるのをきかしている。 三 生きている人の怨霊で、祟りをするもの。死霊に対する語。 四 王朝時代から生霊などを調伏するのには祈祷が一般的な方法。 五 近所の山伏。山伏は、ことに祈祷の術を得意とする。 六 僧や修験道の山伏のもつ杖。上は錫、中は木、下は牙または角。頭は塔婆の形をなし、数個の環がついていて地を打つと音が出る。もと山伏が、山野で毒蛇・猛獣を恐れさすために用いたという。 七 とにかく。 八 片っ方の。 九 小便。多く女・子供にいう。 一〇 ひどく。 一一 まったく。 一二 誇張の面白みに加えて、山伏が滝にうたれる修行の連想をきかせている。 一三 祈祷師だから丁寧に敬語「お」を添えた。 一四 恐縮いたしました。「いたいた」は「致した」の音便。 一五 人妻の敬称。 一六 もげてしまう。「いぬ」は「行く」から、遂に…となる意の助動詞的役割をする。 一七 再三。しぼしば。この話、笑草に転載。 一八 鍼医。鍼は灸と共に漢方医学で重要な治療法とし、平安時代から行われていた。ことに織豊時代には入江・吉田の各流の鍼術がおこり、次いで御園意斎が各種の鍼を創案したりして、盛んになり、専門的に行われていた。 一九 あおむけに同じ。「アヲノケ」(パ)。 二〇 帯しばりの略。腰・腹の左右で、帯のあたるところ。よわこし。「ヲビシ」(パ)。 二一 夫。 二二 「ゆり」はもとは四段に活用。「醒」(広・狭)に類話。笑草に転載。↓補七五。 二三 門跡寺の住職だが、ここでは准門跡たる本願寺の法主をさすか。補一六〇参照。門跡寺は皇族や摂家以下公家の子弟の入室する格の高い寺院。 二四 まちがった言い方や訛の多い言葉を使う人。言葉の調わない人。「カタコト」(パ)。 二五 地震のかたこと。また地震がゆれるは重言になる。「ヂガユル」(葡)。 二六 「なゐ」のかたこと。「なゐ」は地、転じて地震。「ナエ、ナエガユル」(葡)。「なゐのゆるといふべきを、なへのいるといふは如何。地震のゆるとは有べし。ゆくといふはいかゞ。但ゆりもてゆく物なれば、ゆくとも云べし」(片言、五)。 二七 僧侶らしく、世が滅する(滅亡する)を、わざとふざけてかたことで言った。 二八 「醒」(広・狭)に類話。「醒」では三上山。笑草にも転載。↓補七六。 二九 食べきれるだろうか。「なる」は出来るの意から、食べきれる、飲み得るの意に用いられる。「聟殿はなると見えた。も一つ進じませい」(狂、岡太夫)。 三〇 どうであろうか。 三一 「とろろで麦飯を食うよう」など諺にもあるように、食べよいしうまいので食がすすむ。「醒」にも、とろろ汁だとよく食がすすむので、「よく飯(言)やる」から「ことつて汁」とするこじつけの話が載る。 三二 試みる。めざす。もと敵をつけぬらう意。「其儀成らばねらふても見ませうか」(狂、鱸庖丁)° 一 諺。子供は元気で寒風をいとわず戸外で遊ぶからいう。「醒」(広・狭)に類話。笑草にも転載。↓補七七。 二 理由がわからないと質問する。 三 利口ぶる。小生意気な。「コザカシイ」(パ)。 四 風がフゥフゥ吹くとしてもよいが、夫婦を同音の風々にかけたとするのが自然であろう。 五 文の終りにつけて感動の意を表わす終助詞。「鈍な奴の」(狂、吟じ婿)。 六 第五十二代の天皇(七八六-八豐)。桓武天皇の皇子。その治世は弘仁の治と称せられた名君。この話、宇治拾遺によるか。近松の浄瑠璃以下、しばしば近世文学の題材となっている。笑草に転載。↓補七八。 七 政治社会の事件や個人の言行に対する諷刺または嘲弄の意をこめた匿名の文。中世にはことにはやった。狂歌の形で行われたものが多い。「落書(らくかき)などゝ云は湯桶(控)こと葉にてもよしと云り」(片言、五)。 八 物識りをすべてみな集め寄せて。 九 解読する。意味を解きあかす。 一〇 平安前期の文官ですぐれた歌人、博学の漢学者として著名。参議岑守の子。遣唐副使の勅命にそむき隠岐に流されたが、召還され参議に進む。令義解の撰に加わる。太白星の子だとか、伝説の多い人物(;91-八垂)。 一一 天皇の名をかけ、嵯峨天皇がいなければいいの意。日本書紀・祝詞等の「不良」「性悪」「不祥」の古訓には、「さがなし」があててある。 一二 天皇。 一三 天子の怒り(韓非子)。 一四 落書を門前・戸外などに貼ったりして、人目にふれさせること。「ラクショヲタツル」(パ)。 一五 罪人を遠隔の地に送りその地に居させる刑。死刑より軽く徒刑より重い。 一六 かえって。「ケック(更に、または、かえって)」(パ)。 一七 物を知ってる、博学だというのならぽ。 一八 当時清音。パジェスにも「ムツカシイ」はあるが、「ムズカシイ」はない。 一九 工夫して。 二〇 猫の子の子猫。獅子の子の子獅子。この謎はその後も諸書に引かれている。 二一 愚かな。ぼんやり者の。「寒」に類話。笑草にも転載。↓補七九。 二二 もと譜代の家臣の若侍だが、一般に若い侍の意にも使われる。 二三 報告。 二四 御馳走。 二五 料理の品。 二六 汁物。当時のよい饗応では、二汁三菜、三汁五菜などと、汁物が二種以上出た。 二七 憚りがございますので。 二八 ふるえふるえ。畏る畏る。「ふるふ」は当時四段活用なので「ふるひ」。 二九 若様。子供を敬い、かつ親しんで呼ぶ語。 三〇 魔羅(まら)の上略。「玉茎麻良」(和名抄)。 三一 奥様のつび。上様は身分の高い入の妻。「つび」は「玉門 女陰名也、屎通鼻」(和名抄)。 三二 豊臣秀次(一五六八ー蓋九五)。関白在位は天正十九年(蓋九一)十二月-文禄四年(蓋九五)七月。 三三 将軍・大名などに近侍して話相手となる学識や経験の豊かな者、または頓智の才のある者。 三四 本姓は杉本、通称は新左衛門、甚右衛門、また彦右衛門という。もと泉州堺に住した刀の鞘師で、のち豊臣秀吉・秀次の咄衆となった。実在の人物だが、その頓智頓才を語る笑話が多い。仮託の話も多く、伝不詳。↓補八〇。 三五 夢で見た話を、さめてのち物語ること。「夢物語申すなり」(謡、八島)。 三六 もう少しで。 一 糞。多く小児が用いる。「ハコ(人糞)」(パ)。 二 たくさん。この話、他書には見えないが、雄長老狂歌百首には、「夢」の題で、「かねひろふゆめは夢にてゆめのうちにはこすると見しゆめはまさ夢」の歌があげてある。一般に行われていた話が、曾呂利新左衛門に仮託されたか。 三 大金持。「ブゲソ、ブソゲソ」(パ)。 四 当時、安産・長寿・病気平癒・火除・戦勝など、あらゆるものが祈祷された。戴恩記に、織豊期連歌界の第一人者紹巴の言として「われらが連歌にも奇特は有と覚る也。そのしるしあればこそ、人のおしむ金銀を給はりて、祈祷連歌をあつらへ給ふ方おほし」とある。 五 祈祷の連歌会などには、宗匠のほか特に何人か専門の連歌師をよぶのが普通。 六 金など使い果すこと。一文なしとなる。「上中下共に、金子を不レ持、すり切りては」(武辺談)。「スリキリ、ル、キッタ。スリキッタヒト」(パ)。 七 連歌の一座に参加する人員。 八 師匠の連歌師。これが付合などを考え、一座を指導して一巻をまとめ上げる。 九 主催者。一般に発句は主賓または宗匠、亭主が脇を付けるのが普通だが、ここでは祈祷連歌なので、願主であるその家の亭主が特に発句をよむ。 一〇 連歌の最初の句。 一一 旬意不明。底本「と」に濁点。九行整版「しこでうとて」。 一二 あまり下手で、句になっていないので。 一三 向い隣に住む連歌師が気の毒に思って。 一四 無学だが金持の優越感。 一五 たいへんな腹立ちのことだ。 一六 夫婦の交わり。 一七 味がわるいとされている。 一八 我に同じ。単数の時も用い、謙遜の意が加わる。 一九 非常に喜び。 二〇 私の夫。妻が夫を呼ぶ称。「是の人」の略。「これのは今夜、出雲の大社へ年籠りに行れて」(狂、節分)。 二一 閨房技巧の一。小枕は布畠に蕎麦がらなどを包んだ細長い袋。木枕の上に載せ、頭を受けるもの。 二二 やってしまった。 二三 出来ないので。 二四 一思案めぐらして。 二五 金属製の輪、または今日いう五徳で、鉄製の輪に角を三つたてたもの。なお、「かなわ」は、九行整版も「かなわ」だが、「かなへ」の誤か。「かなへ」なら釜で無理がなくなる。 二六 兄弟または姉妹。「おととえ」の転。「ヲト・イ」(パ)。 二七 荷物を中にして両方からかつぐ。「いざなかになふてまいらう」(狂、文荷)。 二八 佳境に入る。 二九 「帰った」の音便化しない形。 三〇 昼間行う男女の交わり。 一 女の子の名、かめ。「女」は女の名または女をあらわす語につけ、親愛の情をあらわす接尾辞。この話、笑草に転載。 二 目をさまそう。 三 どのようにして来た。 四 なぜ来たか。 五 母親は同じ言葉を父親と違った意味で使ったのだが、子供は実は起きていて、両親の会話を聞いていたので、こう答えた。 六 それぞれの家で頼む祈祷師は定っていたらしい。 七 京都市東北方、山城・近江両国の間に餐える山。東の中腹に天台宗の総本山延暦寺がある。天台宗は密教的で祈濤がさかん。 八 一山の寺務を総理する主席の僧侶で、特に延暦寺の長をいう。ここでは、比叡山には延暦寺の支配下に多くの寺院・宿坊があったから、その長をいうか。 九 僧侶を尊んでいう敬称。 一〇 男の子。「ヲノコぐ(男の子)」(パ)。 一一 法華経、提婆品第十二。 一二 女子が男に生れ変わること。法華経に、女は罪深くて成仏しがたいものだが、竜女が釈迦の教えにより男子となり、悟りを開いたとある。これを「変成男子」という。↓補八一。 一三 有力な大寺は多くの坊舎をもち、その場所にょって、上の坊・中の坊・下の坊とか、或いは萩の坊・宝蔵坊などとよぶ。ここでは山上の本寺から離れた下の方にある坊舎。 一四 お寄こし下さい。 一五 姉妹二人のうち、素質・能力の豊かな方を。「器用」は、素質・能力。 一六 「ななめならず」に同じ。たいへん。 一七 別々に。「ベチ〳〵ニ」(パ)。 一八 思う存分自分のものとして。「たくる」は奪いとる意か、或いは欲ぽってみな取る意の「たぐりこむ」の「たぐる」か。 一九 運命。仏語で、前世に犯した罪科の結果、現世でうける不幸。 二〇 どのように。 二一 それほど熱心に祈らなかったか。 二二 努力して。 二三 陰茎。多く子供が使う。 二四 植えつかなかった。 二五 京都市左京区吉田神楽岡町にある吉田神社の祠官を代々していた吉田家。神道の家柄として有名。ここでは兼見をさすか。兼見は兼右の子で、幽斎と従兄弟の間柄。 二六 わずらわしい。 二七 秘密。 二八 細川幽斎。一時長岡に住んでいたので、この氏を名乗る。 二九 はえる。 三〇 松茸の形をふまえている。新撰狂歌集に、長岡幽斎でなく、「ある人」とし、ほぼ同趣の詞書と狂歌が載る。「吉田殿より我山の初松だけをさるかたへをくり給ふとて、上様へもいまだあげさふらはず、御おんみつあれと申されければ まつだけのおゆるをかくす吉田殿わたくし物と人のいはまし」。 三一 はえると勃起するをかける。 三二 私有物、秘蔵物の意と、陰茎の意をかける。 三三 新撰狂歌集に類話。↓補八二。 三四 脈をみて。 三五 病気の時、服薬・治療の妨げとなる飲食物または行為を遠ざけること。 三六 この毒断の書付けを、親類の人が見ることもあるかと、医者が憚って。 一 かまわない。 二 たいへん重く。 三 病気が再発。「サイホッ」(パ)。 四 あきれた。何ともいいようがない。 五 女陰の異名。 六 相応の年齢の。 七 まったく。 八 女遊び。 九 手淫。「センズリ、センズリヲカク」(パ)。 一〇 旦那、若旦那に対して大旦那というごとく、若いかみさんに対し、その母である方を「大かみ」と言ったか。「おかみ」は人の妻、他家の老母の敬称。 一一 疑問に思って。 一二 貧乏なこと。 一三 三行前では「太」。 一四 豊かではないが人並みには。「トモカウモ」(パ)。 一五 主人が死んでからは。「これの」は夫。房事の意をきかせるか。「すぎる」には、死ぬと、し過ぎるの両意がある。 一六 御馳走が「ゴッソゥ」とつまった語か。 一七 夫に後れた婦人。「後家(Y)け)を、ごけい」(片言、三)。 一八 争う。 一九 争いが高じて奉行の所まで訴え出る。 二〇 語頭の「わ」を「は」と表記したもの。 二一 女の家に入ってその女の婿となる人。 二二 近所の人達。 二三 遠慮される。 二四 夫をもつ。「つま」は夫婦が互いに相手をいう称。 二五 淫奔な者。「イタヅラモノ」(パ)。 二六 わが夫。 二七 事の理非を御裁決下さい。 二八 いい年をしながら、一人前の分別のない。 二九 お恥ずかしい。女房詞(文字詞)。 三〇 正直に。 三一 夫婦にする。 三二 …から、こんな問題がおこったのです、の意か。 三三 親子を取調べても仕方がない。 三四 二行前は「太郎」。不統一。 三五 状況によっては敵方にも味方にも付く者を嘲っていう語だが、ここでは文字通り母親と娘との二股の意をかける。 三六 滋賀県大津市石山の真言宗の寺。王朝時代以来、最も尊崇された観音の霊所。天正のころ荒廃したが、秀吉の室淀君が寺領を寄付、堂宇を再修、徳川氏も寺領を寄付。豊臣時代・徳川初期に復興。「醒匚に類話。↓補八三。 三七 寺の起りやその霊験などを説いたもの。尊崇されかつ由緒ある寺だから、それぞれの堂塔仏閣に、いろいろの縁起がある。有名な「石山寺縁起」とは別。 三八 文章中の言葉。「モンゴン」(パ)。 三九 前に琵琶湖、後には奇巌のある峰を負い風景絶佳、石山の秋月は近江八景の一。 四〇 鎌倉時代の建造物で、わが国の代表的多宝塔以下、由緒のある堂や塔が多くある。 四一 仏の守護神である二王の像を安置した社寺の門。 四二 難波頼経の子雅経を祖とする公家の家で、代々和歌・蹴鞠・書道で有名だが、ここでは蹴鞠。↓補八四。 四三 蹴鞠の時、「あり、あり」と 互いにかけ声をかける。 四四 金持。前出はブンゲン。「ブゲン、ブンゲン」(パ)。 四五 最近作られた陶器。したがって由緒もなければ特に高価でもない。 四六 底本のママ。 四七 もと文学を好み風流な人を言ったが、織豊期ごろから、特に茶道を好む人、茶人を言うことが多くなった。 四八 表に格子を設けた、当時京都の商家一般の造り。 四九 お茶人だから一風変った壷に気をひかれた。 五〇 金本「ひろいか」。この方が意味が通り易い。 一 茶道で用いる台壷か。 二 困って。「代」は値段。 三 弱みにつけこむ意の手もとを見るをかける。 四 銭一千文を貫という。この頃では千貫は甚だ大金。 五 非常に驚いて。 六 そんなに値段がする物。 七 「いや、そんなら、こちらへ」と店の者が奥の方へ壷を引っぱる。 八 無理に抜こうとして引っぱるので腫れあがる。 九 「い」誤入。 一〇 万一、抜けてしまう前に。 一一 相手の数寄者は。 一二 遮られて。 一三 底本「わくん」。 一四 今成金。長者は金持。 一五 転宅。当時転宅を祝い、連歌の会などを行う風習があった。「これは先月わたましが有つたが、其時の発句であらう」(狂、連歌盗人)。「醒」(広・狭)に類話。↓補八五。 一六 「日」は同音の火に通じるから、わたましの連歌では禁忌。ところが祈祷連歌なので、亭主が発句をよむが、素人なのでこの禁忌を知らぬぽかりか、日(火)が軒端についてまわると詠んだのである。 一七 一座の指導者で、句を訂正する義務がある。 一八 「どうだ、うまく書き直せないか」と執筆の者に言ったのである。 一九 下手なため、すでに何回も訂正して、懐紙が「もう墨でまっ黒になった」と答えたが、これは、もう焼けてしまって炭になったと、不吉な意にもなる。 二〇 大したことはない。それでは、訂正の紙を脇につけるよりほかはない↓わき(隣家)に(火を)つける。執筆のみか宗匠まであわてて、禁忌の「つける」の語をつい言ってしまった。なお、「はやまつ黒…」が七七で、脇の句の形になっていることもきかせる。 二一 愚か者たちが会合し。「醒」(広・狭)に類話。↓補八六。 二二 助詞の「は」。 二三 糠のように空に散らばっている小さい星。 二四 「戯」「醒」に類話。↓補八七。 二五 気が短いので、値段と、脇差の寸法を合わせて言った。 二六 値段の三百と、長さの八寸とを、これも気が短いので一緒に言った。脇差は長さ八、九寸から一尺七寸くらいが普通。一寸は約三セソチ。↓補八八。 二七 京都東山にある大寺。↓補八九。 二八 おちぶれたやくざな僧。やくざな子、不孝の子を「敗子」というのと同じ。 二九 法衣は宗派により多少異なるが、ことに禅宗は中国風で特異。 三〇 禅宗の僧侶たち。 三一 いずれも歴々の寺の僧。「ゐ」は「い」。 三二 座席の順序。 三三 席に着く。 三四 各自の席が決っていることを。 三五 うろうろする。 三六 会場の世話役。 三七 へどもどして。 三八 治部卿は大徳寺のごとき禅宗の僧の名乗る名でない。 三九 すぐに引立て、追出された。仏事に加わって御馳走や布施を受けたかったのである。 四〇 浄土宗の分派、一遍上人が開祖。やや似た話が「醒」にある。 四一 中国。大国なので大をつけていう。 四二 「りう」は「りやう」の誤。金本「両きんさん寺」、学本「きんさん寺」。↓補九〇。 四三 「きん」はどの字を宛ててもいいが、「寒」「醒」に金蔵主の名が見える。↓補九一。 四四 衍か。金・学本になし。或いは「しゆきん」の誤で手巾か。 四五 あなた方は。 四六 南無阿弥陀仏と念仏ばかり唱える。 四七 念仏踊。時宗でははねたり踊ったり、また鉦を叩いて踊りをはやしたりして、念仏を唱える。 四八 何やら(女犯)したり。時宗の僧には妻帯が許されているので。学本「びくにをもつつ」。「つ」はもと完了の助動詞だが、動作の反復や並列の意を表わす。 四九 京都堀川通の東、西洞院通の西で、賀茂川から分れた小川からの地名。 五〇 五十嵐か。金・学本「いがらしとて」。「醒」にやや似た話。↓補九二。 五一 春屋宗園か。↓補九三。 一 伊勢の大神宮その他の大社に属する格の低い神職。家々により定った御師があった。なお神仏混淆の時代なので、御師でも日蓮宗の信者であり、禅宗の高僧も御師から伊勢の御札などを受けたりした。 二 諌言。 三 日蓮宗の根本法典たる法華経を敬いその信者となる。「いただく」は奉戴する。 四 私としても、特別満足致します。国師号を賜わるほどの高僧へ、御師風情がこんなもっともらしい言い方をしたのが滑稽。 五 「又」「右のごとく」というのは、底本で前に似た話(上41話、六五ページ)があるため。「戯」に類話。↓補九四。 六 元日の物忌(ものいまい)の作法の仕方や手順。 七 決して。 八 仏事をするという意味があるので忌む。「世俗、仏事をなすことを茶を立つると云ふ」(貞徳独吟自注)。 九 大服茶。元旦茶の湯に梅干・山椒を入れて飲む。 一〇 念入りに。 一一 丁寧に「お」をつけたが、「お茶湯」という場合にば殊に仏前の茶と湯との意になる。 一二 御枕。重病で起き上がれない意となるので、縁起がわるい。 一三 慈悲のある行いは、亡き人への回向。 一四 仏事供養。 一五 料理。 一六 寺の台所。 一七 金本「うを」。 一八 七一頁注三四参照。 一九 祝儀の礼儀作法。 二〇 山家なので、魚に乏しいから沢蟹や川蟹が出るだろう。 二一 必ず褌をはずして食べよ。 二二 底本「と」誤脱。 二三 細かい所まで。 二四 褌。蟹を食べる時に腹部の副甲を外して食べるが、これを俗に「ふんどし」という。聟は自分の褌と誤解。 二五 底本のママ。 二六 座中みな田舎者なので、作法を知らず、聟の作法を真似ていたので。 二七 主人であった人の未亡人。後室は身分のある人の未亡人。 二八 殿様がなくなられたので。 二九 身分ある人の宿所または邸宅。室町時代には大名などに一種の格式として屋形号なるものも与えられていた。 三〇 修理しなければなりません。お気の毒に。 三一 下に「ば」脱か。金本には「ば」とある。 三二 夫が。 三三 むちゃに。 三四 家邸を拡げたの意だが、未亡人の言なので、変な意味にもとれて滑稽。 三五 すぼめよう。「すぶ」は、すぼめる。 三六 前の旬の季が秋のときの付句として。 三七 内親王が斎宮または斎院に立つとき、斎戒のため籠る仮の宮殿。斎宮は嵯峨の有栖川、斎院は紫野の東。↓補九五。 三八 旬末を「ぬ」で止めること。発句以外では調子が切れて次の句がつけにくくなるから嫌う。 三九 いっそのこと。この付句、ぬ止りの誤に加え、謡曲「野宮」の文句をそのまま用いているので、さすがに宗匠があきれてしまったのである。 四〇 錠をかける。下手な句を再三直すから、出し入れしないように、という皮肉。「錠がおりた」(譬喩尽)は、万事終ったの意。 四一 「醒」に類話。↓補九六。 四二 居所(住居に縁のあるもの)・水辺(池・川・井戸など水に縁のあるもの)・人倫(人事に関係のあるもの).生類(動物)は、連歌で用いる言葉を分類する時用いる連歌専門用語。連歌師らしい言い方をたくむ。 四三 「醒」に類話。↓補九七。 四四 小穴。稚児の持物よりのあだ名か。「すばり」は窄りで、狭まるの意。一般化し男色の若衆をいう。「すばりのしり、付うひあな、たたぬ風呂」(尤の双紙、せばき物の品々)。 一 酒の飲めぬ人。 二 親が一緒に寺へ。 三 稚児の後見、世話役の場合が多いが、ここでは寺の坊官など上位の僧か。 四 わざわざ出迎え。 五 「松千代よ、早く帰って来たね。兵衛殿にはわざわざ付添って来て下さるとは、奇特なことで」。松千代は稚児、兵衛は父親の名であろう。 六 全く、私めも。 七 頂けません。「くださる」は進んで受ける。「酒…是非とも飲うでくされさしませ。夫れ程に仰せらるるほどに、下されても見ませうか」(狂、鱸庖丁)。 八 冗談。父親が、「すばり」を下戸のことと誤解していることが、法印にはわからないから。大人だが、小穴なので下されぬ(酒が飲めぬ意をかける)と、下手な洒落を言ったと思った。 九 あなた御一家の方は。 一〇 酒が飲める。 一一 或いは。 一二 記憶力。 一三 「すばり」は女にはいわないし、かつ元来穴が小さいの意なので滑稽。 一四 人の妻の敬称。 一五 非常に。 一六 とにかく御祈祷がいいだろうと。 一七 比叡山延暦寺の略称。天台宗も祈祷が得意。 一八 延暦寺の法印号を名乗る僧か。法印は山伏などの俗称にもなっているので、単に山門派系統の祈祷師を言ったのか。 一九 とても乗れない。 二〇 馬の口取り。「トネリ(馬の口を取る人)」(し丶ノ)。 二一 ひたすら。 二二 この話のころ、褌を手綱と言ったので(殿中日記等)、法印は手綱をしめよといわれたので、下帯をしめたのである。「手綱をばかかず袴はほころびて」(守武千句)。 二三 胸がどきどきする。 二四 馬は依然早く馳けて。 二五 「あゆむ」の訛。「アユミ、アユム、アヨウダ」(パ)。 二六 犬筑波集に殆んど同文が見える。↓補九八。 二七 連歌の時、宗匠や正客、亭主以下一座の者が最初に一句ずつ順次旬を連ねること。 二八 調合する。 二九 薬に名前や文章をつけ、その効能・使用法などを示すこと。 三〇 浅くて開いた摺鉢形の茶碗だが、また茶碗の汎称。 三一 三きれ° 三二 崑山集に、「しやうが三へぎといふ文字か帰る雁 貞徳」とある。↓補九九。 三三 無芸。とりえがない° 三四 御相談し、貴方の意見通りに。「ダンカウ」(パ)。 . 三五 紹巴の所へ相談に来た人の屋号であろう。「無心」はその号。伝不詳(無才の人の擬人名か)。紹巴は五三頁注二四参照。 三六 相当の年輩の相手を尊んで呼ぶ語。 三七 紹巴。連歌の懐紙などでは、二度目からは、ただ「巴」と書くのが普通。 三八 無才。不器用。 三九 人間が絶えてしまう。 四〇 「戯」に似た話。↓補一〇〇。 四一 平曲・謡曲を源流にした音曲語り物の一種で、室町末期から民衆の問に流行した新音曲。中で浄瑠璃姫物語(十二段草子)が好評だったので、浄瑠璃かこの種語り物の総名となった。「戯」に類話。↓補一〇一 四二 浄瑠璃姫物語の中で浄瑠璃姫の美しさをえがいた語。次の「迦陵頻伽の御声」と共に、中世小説以来の美人の形容の常套句。 四三 浄瑠璃姫の声の美しさの形容。迦陵頻伽は、極楽にいる声のよい鳥。 四四 いろいろとほめて語るのを。 四五 ひとえ物。 四六 「ほころび」の訛。「フクロビ、ホコロビ」(パ)。 四七 矢矧長者の娘で、東国へ下る途中の牛若丸と恋仲となった姫。「め」は名の下に加えて、罵しる語。 一 五百年以前。義経の少年時代の恋人だから、当時からすれば約五百年も前のことになる。 二 余計な嫉妬。わけのわからない嫉妬。 三 言う理窟があるなら、言わないでは我慢しない。 四 男色の方。 五 「デンブヤジン(身分卑しく粗野な人、田舎者)」(パ)Q 六 衆道のしかた。 七 いまもって。 八 夢中でとって食べたが。指先に唾をつけて何度も相手の物にさわるのを、食べているのかと誤解。↓X1011° 九 わけがわからない。「がてん」(狂、繩綯等)。パジェスには「ガテソ」はなく、「ガッテン」。 一〇 書物。絵本などに対して、正式な書物をいうこともあるが、ここでは書物一般。 一一 枕絵。春画。 一二 春画なのだから、文字は問題はないが、文盲のくせにしったかぶりをしてこう言った。 一三 この間。 一四 日蓮宗本門派の大本山。文禄年間から宝永年間まで、京都二条寺町にあった。 一五 世雄坊円智日性。要法寺の本地院にいた学問僧で、彼が中心となって多くの古活字版を出版した。これが要法寺版。↓補一〇三。 一六 書物の文字その他の誤を、てらし合わせて正すこと。学僧世雄坊が、春画など校合するはずがない。 一七 仕える。この話、多本の末尾に残るだけだが、この話のみ殊更滑稽味の全くない教訓話。 一八 絶えず緊張していること。 一九 仮病。「ツクリヤマイ」「サクビャウ」(パ)。 二〇 山里など静かな所に隠遁して住む家。 二一 隠遁し一人住みだから自炊。 二二 一日のうち、立ったり坐ったりした回数が。 二三 わが身を働かすのは。 二四 結局自分の身のため、つまりわが身に奉公するものだったのに。 二五 考えて。理解できて。 二六 気をゆるめず、精を入れて。 二七 主君の近くに侍して、重要な政務・仕事に参与する重臣。「シュットウシャ、シュットウニン」((パ))。 二八 「シッチンマンボウ」(パ)。珍しく高価な宝物が豊かなことの成語。もと仏語で、七珍は、金・銀・瑠璃・玻璃・碑礫・珊瑚・瑪瑙。 二九 もと自然の意だが、偶然の意となり、さらにここでは思いがけずの意。 三〇 全く。 三一 悪行の報いで餓鬼道におちた亡者。痩せていながら飲食できず、常に饑渇に苦しむ浅ましい姿。 三二 仏や阿弥陀仏の顔。極楽の主は阿弥陀仏。寂光は寂光土の略。仏のみが住む浄土。 三三 上2話(四七頁)参照。 三四 禁中。 三五 門番の人々。 三六 一千文。 三七 この立派な家の構えでは。 三八 住居、即ち主人の家。 三九 これこれだったと委細を報告した。 四〇 様子・勝手のわからぬこと。「ブアンナイ」(フアンナイはなし)(パ)。「ぶあんない」(狂、薬水等)。 四一 天子や貴人の病をいう。 四二 禁中の女房詞で、ほしわらび(禁中女房詞、大上臈御名之事)だが、パジェスにも、ほしわらびの意の「クロトリ」が載っているから、かなり一般に行われていた語らしい。 一 「笑いごと」をかけた洒落。 二 底本には、前に紹巴が九州の客を同道して行った話(下66話、一四二頁参照)がある。「醒」・犬子集・雑話抄等に類話があるが、旬や人名に異同。↓補一〇四 三 実隆以降、代々公家文人として栄えた三条西家。 四 俳諧の名人。↓補一〇五。 五 中世末期の代表的連歌師。↓補一〇六。 六 挨拶。伺候は貴人を訪れること。 七 愛知県東部。当時勢力のあった今川氏の根拠地。三条西家は今川氏と親しい。 八 伊勢物語で業平がここの杜若を詠んで以来、三河八橋の名物。紹巴も東国旅行の折に、わざわざ杜若を見に立寄っている(富士見道記)。 九 貧弱な。 一〇 「フバコ」(パ)。「ふみばこ」の略。書状などを入れて往復する細長い箱。 一一 貧弱なかきつばた↓痩せた餓鬼。 一二 実隆の号。実隆は当時公卿第一の歌人、源氏学者(一四至ー蓋三七)。 一三 餓鬼は飢渇に苦しむが、水を飲もうとしても飲めない。餓鬼と飲むと付合。また夏の沢水も杜若の付合だが、更に夏は水枯れになるので、餓鬼の水飲みの付合となる。 一四 蛇は飲む(呑む)、沢水の付合。餓鬼が地獄の獄卒に追われて逃げるの連想がある。帰る↓蛇に追われる蛙。 一五 発句・脇・第三を連歌・俳諧では特に重んずる。 一六 連歌や俳諧で百句連ねること。もっとも一般的な連歌の形式。 一七 俗語(俳言)が使ってあるし、内容にも滑稽味があるので、俳諧(滑稽な連歌、俳諧之連歌の略)となる。 一八 この話、後半やや異るが新撰狂歌集に載る。↓補一〇七。 一九 三好長慶(蓋二三i茎ハ四)か。↓補一〇八。 二〇 天皇が践祚後、帝位についたことを万民に告げる儀式で、中古より践祚と即位の別が定められた。年代からして正親町天皇の即位か。↓補一〇九。 二一 「シュギャウ(トリヲコナウ)」(パ)。当時三好家が天下の実権を握っていたので、即位の儀式の費用を調える勅命を受けたのである。↓補一一○。 二二 貧乏でみすぼらしい公家。「の」一字誤入。 二三 米粒を練って作る強い糊。同音の即位にかける。 二四 役にたたぬ。麦飯では続飯ができぬ。諺「麦そくいで役に立たぬ」。 二五 公家も、一般地下の人にも。「タウシャウトカニナミイル(内裏の御殿の上と下に座す)」(パ)。 二六 命、皇位、更に物をつなぎ合わせるの三つの意をかける。 二七 役にたたぬと、貧しいの両意をかける。 二八 ずっと放ったままにしてきた。「ねやす」は、続飯などを、練ってねばるようにする。「粘・黏跡ヤ」(運歩色葉)。「ソクイヲヲシ、ネヤス」(パ)。これに放って置くの意の「ねかす」をかける。 二九 無理して行うの意と、続飯を練る意の「おす」という語をかける。 三〇 かたちぼかり。底本「かたぎ」。 三一 などの幅(よをま`)と、威光・威勢(「時のはばにまかせて」甲陽軍鑑)をかける。 三二 上の「はぽ」の両意をうけ、即位に触衣(嗜下帯)をかける。 三三 これという才学や地位のない人が世間への見栄で。↓補一一一° 三四 茜各界で一流の人々。 三五 その歌会の様子は。 三六 論語の書始めの文辞。「のたふまく」は「のたまはく」の音便。「謂儲.ゝ名義抄)。 三七 字が読めなかったのである。 三八 後々までの。且九室町後期の禅宗の高僧。↓補一一二。 四〇 蘇東坡の詩の御前講義。↓補一一三 四一 長くなるの意か。或いは「なかば(途中)」の誤写か。学本にのみ載るが、この本は誤写が多い。 四二 霜腹気の宛字。霜などの降りる寒い夜におこる腹痛。 四三 腹具合。 一 体を折り曲げる。 二 御前の白い砂の敷いてある庭で放屁した。 三 気の毒に思って。 四 滑稽な発句。 五 月舟の名を和歌・連歌風にくずし、舟の縁で舳を出し、屁にかけ、更に【、うらみLに舟の出る浦見(海岸見物)、ならびに浦廻(蒐浦と同意)と、屁の出た恨み(残念さ)をかける。 六 和漢聯句のかたち。この句、「花、九重」と聯句としての姿が整い、月舟の号、一華に一過(放屁)、花と鼻、薫るに、花の香と屁、九重に、禁中と甚だ臭うとをかけた。各語すべて掛詞になり、意味にも無理がないすぐれた脇句(発旬につぐ句。これは、なるべくよくついた方がよい)である。かかる句が咄嗟に出たのだから、その才気に感嘆、名句として喧伝されたのであろう。↓補一一四。 七 道号の誤写か。道号は僧侶などが字のほかにつける号。月舟は一華。 八 質問。 九 おそれながら。 一〇 極めて上手の意で、和歌や連歌で最も一般的に用いるほめ言葉。 一一 秋の発句に春の脇をつけてはいけないのが常識。或いは何か故実か秘伝があって、これでよいのですか、と問うた。 一二 わかり易い事例で。「ミ・チカイ」(パ)。 一三 巻四、鵄にある有名な鵄退治の話。鵄は、「かしらは猿、むくろは狸、尾はくちなは、手足は虎の姿なり」(平家)という怖ろしい怪鳥。連歌もそのまま。↓補一一五。 一四 頼政の誤。源氏で三位の位に上ったので源三位という(=〇四1=八〇)。 一五 藤原頼長(一三〇 ー二五六)。平家では「宇治の左大臣」。保元の乱の張本人。宇治に別荘があった。 一六 ほととぎすの季は夏。雲井は、空と禁中とをかける。 一七 弓形をしている月。秋の季。弓で鵄を射たことをかける。なお、天正十八年本節用集には、「強月軆猷」とあるから、強弓の意もぎかせてあるのか。 一八 脇句は発句と同じ季語を入れるのが普通だが、脇句で季がなくてもいいという証拠になる実例。当時、古歌・古旬の実例の有無が、可否決定の議論の上で甚だ重んぜられた。 一九 同じく、平家に鵄の末尾にそのまま載る。 二〇 左大臣実能の男、後徳大寺左大臣実定の父。歌人でもあった。永暦二年(二六一)没。 二一 陰暦五月、梅雨のころの夜、月が出ない真暗な夜の闇。連歌用語では夏の季。 二二 薄暮。またさかりの年頃をすぎた頼政の境界をいう。 二三 感心、尊敬のあまり、仏神のごとく頭をたれて礼拝した。 二四 姓藤原。中御門家の一流。ここでは宗綱か。「醒」に類話。↓補一一六。 二五 「り」誤入。 二六 はじめは太政大臣と左右大臣、のち左右大臣と内大臣。 二七 准大臣。礼遇・格式が三大臣と同じの意。儀同三司(三大臣)の略。 二八 勢力家。堯松は松木の名をかける。引くは松にかけ、正月のめでたい初子の日に「子松ひく」の成語となると共に、引き廻される茶臼と同音の「上手」(取入りのうまい意)をかけるか。 三〇 表面上の歌意のほか、特別の意味。 三一 詩歌における作者の意図、趣向。 三二 将軍。 三三 足利十二代将軍足利義晴(一五一一-一五五〇)。大永元年(一五二一)より天文十五年(蓋四六)まで将軍。だが、或いは十代義稙(在位蓋〇八ー蓋三)、恵林院の誤か。↓補=七。 三四 南北朝の時。南朝方は足利将軍の擁する北朝方に追われ、吉野に行在所があった。 三五 室町幕府の職名。「くわんりやう」とも。「クワンレイ」(運歩色葉)。将軍を輔佐し幕政を掌る。 三六 底本「ふたたり」。 三七 六人と、秩序のないの意の「むったと」を形容詞的に用いて「むたり」にかける。「ムッタト(無雑作、不完全、秩序なく)」(パ)。 三八 誠仁親王。一〇六代正親町天皇の皇子。一〇七代後陽成帝・智仁親王の御父。天正十四年(一五八六)七月二十日没、三十五歳。 三九 半井瑞策か。↓補一一八。 一 将棋用語で、王の駒が取られて負けるのを「つむ」という。これと帝の崩御とをかける。 二 平安末期歌壇の第一人者(111四-三〇四)。 三 「鶴の林」は釈迦の入滅をいう。釈迦入滅の時、臥していた沙羅双樹の林が、忽ち鶴のごとくなったという(涅槃経)。釈迦は八十一歳(二月十三日)で死んだので、八十一歳の俊成が、「たちおくれぬる」と述懐したのである。なお、この歌、ほかに「寒」に載るが出典不詳(俊成の家集「長秋詠藻」以下に見えず、また、俊成の作品とすべき証を知らない)。↓補一一九。 四 他の諸本には、かかる小題なし。学本にもここ一ヵ所にしかない。 五 病気になることの古典的表現。 六 思いがけず。 七 身に覚えて折々したが。 八 死後成仏するように、善行をしたり、仏道に励むべきだったのに。菩提は悟り、つまり悟って仏となって極楽へ行く。 九 「後の後悔、先に立たず」(今昔物語集他)の古くからの諺をふまえる。 一〇 生前、深く信頼・帰依していた僧。 一一 地獄には釜があり、これで罪人を煮るという。すれば、この僧は破戒僧だったのか。 一二 極楽は光明かがやく明るい世界だが、地獄は真暗闇だとされていた。 一三 田舎でのことであろう。 一四 尼。 一五 熱いかぬるいか加減をみようと。 一六 庄屋の長男。庄屋は、土地の者で、その領主の命により村方の行政事務を統べるもの。 一七 かがむ。うずくまる。倨は踞に通じる。「倨、箕座也、通作/踞」(正字通)。 一八 風呂焚を命じた尼。尼寺の住職なので方丈様といったのである。方丈はもと禅宗で長老の住居の部屋だが、転じて住職、また師の尊称。 一九 自分が先に入ったので。 二〇 住職の尼に仕えている尼。恐らく若い尼なのであろう。蔵主はもと禅宗で経蔵を司る重い僧職、または首席に次ぐ僧の称だが、一般に僧侶をいい、またこの場合のごとく僧の名の下につけて用いる。 二一 陰茎。 二二 寺の門前に住む庄屋の長男の名。 二三 仏宗の一派。一遍上人が開祖。 二四 交わりをしようと。 二五 ただ一人使っている下男。 二六 すぐに。 二七 比丘尼を比丘ということもある。 二八 文末にあって感動をあらわす。「お留めやれいのう」(狂、入間川)。 二九 もと仏語で、法会などで、僧が教理について討論すること。転じて一般に議論する。ここでは交互に声を出すかけ合いを、わざと仏語を用いて論議と言った。 三〇 お比丘尼の略に「ん」を添えた、敬愛の意をこめた呼び方。「おびんおりやるか」(狂、泣尼)。 三一 酒の代を誰が払うか。「サカテ」(パ)。「ナシ、ス、ナイタ(払う)」(パ)。 三二 三重県南部の巨流。三重・奈良の県境に発し、宇治山田市の北を貫き、伊勢海に注ぐ。流程約八〇キロ。昔は宮川といい、下流に柳の渡、桜の渡、磯の渡という三渡があった。 三三 橋も舟もない川で、浅瀬をえらび、旅人などを背負って渡すことを職業とする男。 一 心のけがらわしい老か。 二 美しいので、尼僧かと。 三 びっくり仰天して。「うろたへ」の訛。 四 あなたの女陰。 五 まらの誤写か。「大にら」はらっきょう。 六 笑いながら、軽くたたきあった。 七 年少の尼。 八 お願いしたいことがある。 九 全然わからない。 一〇 この頃まだ清音か。 一一 「キョゥコツ、キョウコツナ(不埓な、ばかげた、軽卒な)」((パ))。 一二 腰巻。 一三 地面の上で。 一四 はじめに。 一五 甚だしく。「いかし」の連用形「いかく」の音便。 一六 南無阿弥陀仏の名号を唱え、往生を願う宗門の人々。融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・時宗など。 一七 なまぬるい。僧としての修行がなまぬるい。 一八 京都市左京区岡崎町、もと栗原丘と呼ばれた地にあった新黒谷。ここに源空が浄土宗を開いた。 一九 熊谷次郎直実(二璽i三〇八)。頼朝の将で剛勇で鳴ったが、のち新黒谷の源空の門に入り、蓮生坊となった。その荒い修行は有名。 二〇 法華経を根本とし、禅定と智慧の調和を宗義とする。 二一 累(「る」の万葉仮名)の草字の誤写か。とすれば「ぬるい」。 二二 天台宗の本山比叡山延暦寺の三塔の一。円澄の創建にかかる転法輪堂を中心に、椿堂・常行堂・法華堂・恵亮堂・元黒谷青竜寺などの総称。 二三 義経に従うまで叡山西塔にいて、武事を好んだ。 二四 ということだぞ。「す」は「ぞ」の誤写か。言い切りの助詞。 二五 天台・真言の二宗をいう。 二六 日本真言宗の開祖(七七四-八三五)。能筆かつ学問のあるのでも有名。 二七 栃木県南部の都市。鎌倉初期に学問所が創設され、のち永享年間上杉憲実が儒書と領田を寄付して再興、慶長年間までさかん。戦乱の当時、金沢文庫と共に唯一の学校。 二八 新たに発心して僧になった者。ここでは、少年の僧であろう。 二九 教義について問答・討論すること。 三〇 あまること。「過剰」などという漢語を動詞化して使ったところ、いかにも若い学生らしい。「クワジャウ」(パ)。 三一 機智。頓はすみやかの意,作は工夫・思案。 三二 ここでは教授・学者の意か。或いは学監の誤か。 三三 悪いいたずら者。「アクダウ(アシイ、ミチ)」「アクタウ(アシイトモガラ)」(パ)。 三四 気絶。 三五 気付け薬。 三六 柄杓つくり。檜の薄板で作り、水を汲む。これも当時専門の一職であった(職人尽絵合等)。 三七 滋賀県の首都大津市。東西交通の要衝で早くから栄えていたが、豊臣氏以来舟運船株の制を許され、湖上の支配権を握り、京都へも浜大津から舟運があり、ここから京都へ進出。 三八 商家で屋号などを染め、店頭に垂らす幕。もと禅宗で簾の面を覆い、日光をふせいだ布帛なので、「のうれん」とよむ。「ノレン」(パ)。「暖簾〃ご(饅頭屋本節用)。 三九 「天下一(の名人で)大津(出身の)柄杓屋」の意。なお当時、職人が天下一の名をつけるのが流行。↓補一二〇。 四〇 京の者ども。 四一 天下一大きい女陰の借屋。 四二 よんだ。当時一般的な訛らしく、パジェスにも「ヨミ、ム、ヨウダ」とある。 四三 自慢すべき。「テガラヲツクル(傑作を作り高名を得る)」(パ)。 一 成語。上下こぞって多く集まる。「クンジュ、クンジュスル」(パ)。「群集いたいた」(狂、泣尼)。大げさな表現。 二 「〓」は「莖」の略字。陰茎。「白馬茎 アヲキウマノマラ」(醫心方)。「玉茎麻良」(和名抄)。茎物(中国語)。 三 我慢し易い(男色の交わりの時に)。 四 誤写があるか、意味不明。 玉 後世の笠付のごとく、「のぼらぼや」の上五句に各々が七五をつけ発句に仕立てるあそび。木のぼりして山桜を手折る。 六 幼い稚児らしく、広い原でかけまわり遊びたい。若紫は紫草の異称。夏白色の小花を開く。 七 新しく僧侶になった者らしく、里が恋しいので、里の風情を連想。 八 詩歌文章を作ること。古くは「さくもん」とよんだが、この頃は一般には既に文字面のごとく、「さくぶん」とよんだのか。 九 大盛の飯。「醒」に類話。↓補一二一。 一〇 食べる。「マイリ、ル、マイッタ(高貴の人が食べる、飲む)」(パ)。稚児は恋愛の対称だったためか、謡曲はじめ、その動作には敬語が使われることが多い。 一一 稚児に付添って世話をする係の人。多く三位、治部卿などと称す。 一二 汁。飯に添えて出すので「おつけ」という。 一三 「にらめよ」の訛。 一四 むしゃむしゃ。無作法にぽくばく食べるさま。「なぎ…三十筋ばかり、むずむずと折り食ふ」(宇治拾遺、二)。「ムズ〳〵ト」(パ)。 一五 嫉妬する。やきもちやき。 一六 男色の対象の少年。男色の交わりは痛い。 一七 自分の身にひきつけて、誤解したのである。 一八 寺入りする。寺は多く山にあったので、寺入りを登山という。この意、一般の辞書類には見えぬが、パジェスには、当時の世相、初等教育の実態を反映し、次の説明がある。「トウザン(ヤマニノボル、子供に読み書きを習わせるため寺へ入れること)」。 一九 男色をうけすぎると痔を患う。 二〇 正気がないほどふらふらである。 二一 総取締役の坊官であろう。真言・天台などの大寺では、坊官たちは大てい法印号を有していた。 二二 稚児の後見役、係の者。 二三 ひどく叱責する。「折檻鑛」(運歩色葉)。 二四 普通には、なめる、しゃぶるの意だが、取りついて離れぬことを「しゃぶりつく」というごとく、「骨までしゃぶり尽す」意か。 二五 けしからんこと。 二六 誓いをたてる時のきまり文句。照覧は明かに見る意から、神仏が御覧になること。 二七 特に山王大士。山王の神。滋賀県坂本の日吉(ひえ)神社の別神。 二八 ぬく時に。「さま」は、当時清音。 二九 肛門のあたりに生える毛。「尻毛を抜く」(他人の油断に乗じ、事をなしておどろかせる意)をきかせるか。 三〇 「シ・(子供の小便、女詞)」(パ)。ここでは尻から出た液体をいうか。 三一 衆道で珍重された。「つび」はもと女陰だが、ここでは稚児の尻。 三二 余計な事。 一 この話、犬筑波集・「醒」などに類話。↓補一二二。 二 「さる」(例の)を猿にかけ、だから木に上るとかけた。 三 猿といわれたので、その縁で仲の悪い犬。また犬には、犬蓼・犬桜・犬侍など、似ていて非なるものを卑めていう意をきかせている。 四 句の仕立て方になお工夫の余地がある。 五 「醒」にやや似た話。↓補=一三。 六 餅は丸くまるめてあるから、その形と、また音が通うことから望月(満月)にかけた。 七 畳の下に隠したので。 八 禅家で大衆に食事を報ずる役僧。のち有髪の侍童の称。髻を結び、残りを後に垂らし、美服をまとい、お白粉を粧う。僧の恋の対象。↓補一二四。 九 甚だ深く。 一〇 あれやこれやと、さまざま品を変え。 一一 喝食は少年だから、可愛らしい玩具。 一二 ろくに見もしない。 一三 源信上人自筆の。横川は滋賀県坂本町にある。比叡山四谷の一。根本中堂から約四キロの横川谷の奥にある。古く天台座主第四代円仁が居たところ。源信上人がここに住み、横川の僧都とよばれた。 一四 不詳。三体詩か。三体詩は、唐代の詩人の作を七言絶句・七言律・五言律の三体に分けて編纂した書。 一五 「と」誤入か。 一六 不明。装幀か。 一七 或いは。 一八 心がひかれる。「此僧なつかし」(芭蕉書簡)。 一九 急いで。はやく。或いは「とりに」の誤写か。 二〇 生れ故郷は和泉国(大阪府の管轄地)。 二一 暦の上でめでたい日。辰は朝。婚儀はじめ元服・剃髪などの儀式にはめでたい日を選ぶ。 二二 有髪の喝食姿を改め、髪をそり、受戒し、僧となる。俗間の元服のごときもの。 二三 後に若衆歌舞伎の禁で、前髪を落し野郎頭にしたように、髪が魅力だったので、これを剃った姿には魅力を感じなくなった。 二四 この間の。 二五 いやいや。生返事の語。 二六 不明。仮りの本、つまり立派な真跡本でなく装幀もしてない粗末な写本の意か。 二七 仏道を修行する人。ここでは廻国修行中の旅の僧であろう。「醒」に類話。↓補一二五。 二八 道の途中で。「ロシ」(パ)。 二九 鷹狩に出た大名が。中世には将軍・大名の鷹狩が流行。「鷹野からすぐに参つたとおしやれ」(狂、引敷聟)。「タカノ、タカノヲスル」(パ)。 三〇 気に入った。 三一 食事を差上げよう。斎は僧侶の食事。 三二 そこそこにあるあの家。「そんぢやう」は下につく語を強める。「そんじやうそこへうつくしひおちこさまのやどをとらせられた」(狂、老武者)。 三三 お召上れ。 三四 どうでしょうか(相手が信用しないかもしれませんが)。 三五 小柄(こづか)。腰刀にさしそえた小刀。 三六 証拠の品。 一 殿様が自分のお屋形(貴人の住宅の称)に帰って。 二 細く切った紙に字を書き、物の標などにする。これより和歌など書く細長い料紙。寸法は歌道の家により異るが、幅一寸八分(約五・五センチ)、長さ一尺二寸(約三六センチ)くらい。また、ひねりぶみをもいう。「タンジャク」(パ)。「片言」にも「たんじゃく」をよしとする。 三 意味。 四 歌の種々の体のうちに。 五 一つの言葉を、一字ずつ歌の各句の最初において読むのを冠、各句の末尾に読みこむのを沓といい、両者を併せたのを、沓冠という。右の歌の各句の最初の字と、末尾の字を順次にならべると、「こがたなたしかにをく」の意になる。沓冠という技巧を用い、証拠として預った裏差(小刀)をたしかに返しておくの意を沓冠によみこんでいながら歌として無理がないところ、甚だ才智に富んだ歌である。 六 趣。 (以上、「きのふはけふの物語」上)
https://w.atwiki.jp/kotozora/pages/73.html
きのふはけふの物語 一 きのふはけふの物語(四七頁) 「昨日は今日の昔」の諺は、松江重頼の「毛吹草」の「世話付古語」の部に見えているし、「慶長見聞録」にも「昨日は今日の昔、今日は明日の昔」などとあるから、近世初期には広く行われていたらしい。もと、「明日もあらぽ今日をもかくや思ひ出ん昨日の暮ぞ昔なりける」(新勅撰集、十七、源光行)のごとく、わずか昨日の事でも、今日から見ればすでに昔であるの意。この諺をふまえて、昔話、説話の話し始めの形式、「むかし…」「今は昔…」や、さらにはこれを題名にした「今昔物語」という代表的説話集を連想させて、説話集たることを示したもの。なかなか気の利いた題名のつけ方である。 二 むかし天下を治め給ふ人の(四七頁) 天皇を知らないなど、江戸時代の武士とちがって、いかにも、無智・無頼な武士、足軽連中の話で、応仁の乱以降、戦国時代の雰囲気をよく反映している。また、本書の読者は数百年の王城の地に住む京都の知識人が主であったから(殊に古活字本時代には)、天皇を知らない人がいることだけでも、天明期以降の笑話に見られる江戸っ子自慢に似た京都人の一種の優越意識を刺戟し、滑稽を感じたことであろう。その点、笑話の時代性、地域性をあらわしてもいる。なお、この話、及び次の話は、戯言養気集や醒睡笑など他の説話集にはないが、昨日は今日の物語では、古活字、整版、写本等すべての諸本の巻頭におかれている。昨日は今日の物語の代表的な話となっていたのであろう。 三 織田の信長公…(四七頁) この話、下に信長を上様といい、一渓道三が登城する(刈本等)とあるから、その成立は、信長が足利将軍義昭を逐って名実共に天下の実権を握った天正元年(一五七三)七月以降、本能寺の変で斃れる同十年六月までのことであろう。 四 一渓道三(四七頁) 一渓は字。名は正盛(一説正慶)。雖知苦斎・盍静翁と称した。永正四年(一五〇七)、堀部左門親真の子として京都柳原に誕生。幼にして父母に死別し、十歳で禅宗の僧となり、のち関東に下って足利学校で漢籍を学ぶ。この間、田代三喜より李・朱の医学を学び、十余年の研究ののち、天文十四年京都に帰り、翌年還俗して医者となった。京都で二十余年医療を行い、名医の誉が高く、将軍足利義輝・細川勝元・毛利元就・三好長慶・松永久秀及び、織田・豊臣・徳川三氏などから、常に厚遇された。また啓迪院という塾をひらいて門下に俊才を輩出した。文禄三年(一五九四)正月四日没。享年八十八。のち正二位法印を贈られる。子孫累世道三を称し、医学界に勢力があり、またその号、享徳院・翠竹院も、女婿正純・嫡孫守伯に授けられた(今大路系譜・曲直瀬家譜・本朝医考)。一渓道三はかかる当代一の名医であり、また信長とも親しかったから、恐らくこの話は創作でなく、実話なのであろう。従って、滑稽味が少なく、教訓色が濃い。いわゆる当時のお咄衆、話しの者の「咄」の型や味わいを最もよく反映していると思われる。 五 おりふし御前にありて(四七頁) この箇所、「一けい道三御道しやうあり、御尤の儀にては候へとも」(山本)、「一けい道三御登城あり、御尤の儀にては候へとも」(刈本)、「一けい道三御とうしやうあり、御尤の儀にては候へ共」(金本)、「一けい道三御とうしやうあり、御ふくりう御尤にては候へとも」(学本)、「一けい道三御まへに有相、御尤の儀にて候へ共」(多本)、「一けい道三、御とうじやうあり。御尤の儀にては候へとも」(整版八行本・九行本)と、他本いずれも「御登城」とある。「おりふし」がなく、「御前にありて」が「御登城あり」となったり、更に学習院本には「御ふくりう」の語が補われていたりする。以下も、諸本により、こ の程度の字句、乃至は文章の異同、変改はしばしばある。しかし、話の進め方、構造など、本質的な異同、改変がない時、或いは本文解釈上の疑義を解くのに役立つ場合以外は、あまりに専門的な本文校合の問題になるから、煩をさけて一々注記しない。 六 瓢簟から駒の出でたる絵(四八頁) 中世末から近世初期には既にかなり広く行われた諺だったらしく、画題にもしばしば用いられたのであろう。「毛吹草」(寛永十年刊)にも「瓢箪の駒も出べき春野かな 良伝」以下数句見え、高瀬梅盛の「狂歌鼻笛集」(寛文三年刊)にも一項を設けて、石田未得以下の五首を載せている。或は水戸の初代の儒官で林羅山の弟子、人見卜幽も、「東見記」に「張果自2瓢中1出v駒事、在2印目江録1」などと、わざわざ出典を抜書している。 七 天火・地火(四八頁) 天火日は、運歩色葉集にも「天火日、…造作種蒔忌v之」とあり、広く行われていた忌日の迷信であった。陰陽家の言い出したもので、この日は天上に火気甚だしく、かつ五行の気相互に妬殺する凶日として、棟上・家根葺・竃造り・種蒔き等に忌むべき日とされる。天火日は正・五・九月の子の日、二・六・十月の卯の日、三・七・十一月の午の日、四・八・十二月の酉の日で、つまり、天火、地火は、五行説でいう火の一種で、火を陰火、陽火にわけ、これを、天火、地火、人火とし、さらに、天之火四、地之火五、人之火三にわけるのである。また、地火日は、天火日ほど、問題にされないが、右の五行説によって、地上に燃える一切の火をいうから、天火に準じ、種蒔や、礎をすえ柱を建てたりするのを忌むべしとされた。「本綱云、火者五行之一、有v気而無v質、造化両間生2殺万物1。蓋五行皆一、惟火有v二、二者陰火・陽火也、其綱凡三、三者天火・地火・人火也、其目凡十有二、所謂十二者、天之火四、地之火五、人之火三也」(和漢三才図会、火類、陽火、陰火)。 八 薄殿、松の木殿、竹の内殿、藪殿、葉室殿、柳原殿、菊亭殿、竹屋殿(四九頁) 薄殿 本姓橘氏。その先は敏達天皇の皇子難波王より出る。系譜は、難波王…以長・以政・以経・以良・以隆・以材・以季・以基・以盛・以量・以緒、以継と辿れるが、その伝はほとんど不明。だが、以量は応仁二年、父以盛出家の後、従三位刑部卿に進み、橘氏の氏長者となっている(明応五年五月五日没、五十二歳)。また、唐橋在数の男で、以量の養子となって薄家をついだ以緒も、橘氏の氏長者となっている(弘治元年 五月二十八日没、六十二歳)。かく、橘氏の唯一の後崙ではあったが、代々六位の蔵人として、家格、勢力に乏しかった。ただ、「鹿苑日録」やこの頃の公家の日記記録にはその名が見える。だが、山科言継の次男諸光(以継)が同家をついだが、天正十三年十一月、牛公事の件により豊臣秀吉に生害させられ、薄家は絶えた。従って、徳川時代の「国花万葉記」「人倫訓蒙図彙」のごとき、公家名を載せた一般啓蒙書にはこの家は見えない。なお、薄家が秀吉の怒りにより断絶させられた事件についで、細川幽斎は、「薄といへる公家、牛のいひことにより、誅せられければ かりことの外に出つゝも小車のうしにくはるゝすゝき殿かな」と詠じている。それで、家格も低く、家も絶えたが、この事件により、当時人の噂に上ったりなどして、比較的知られていたのであろう。なお、以量・以緒共に、「慶安手鑑」にその手蹟が載るから、やはり橘逸勢を出した家柄でもあり、事実能筆でもあって、徳川初期には能筆の公家として、多少声名があったと思われる。 松の木殿 藤原氏の支流。松木氏。中御門家の一流。藤原北家、関白道長二男、従一位右大臣頼宗が祖。のち、持明院・園家の別流が出る。五摂家・清華につぐ、羽林家二十五家の一。嘉応二年に没した宗能以後は官は権大納言・権中納言程度で、大臣に進んだ者はないが、伝統ある名家で、室町末期から徳川初期にかけ、宗房(満)・宗通・宗則・宗信とつづき、歌会や連歌会に名を列ねている。なお、この家は、筆道及び楽道を掌り、明治になり伯爵となる。 竹内殿 清和源氏の一支流。新羅三郎義光の男、竹内盛義が祖。もと村上源氏の嫡流久我家の諸大夫で、家格は悪かったが、永禄三年正月、竹内季治の代足利将軍の執奏により、始めて堂上に加えられ、大膳大夫、正三位に進む。元亀二年江州で没。五十四歳。のちも、長治・孝治と近世初期に続く。明治には子爵となる。 藪殿 姓藤原。古く天文二年、高倉範久(前権大納言正二位四辻季経四男)が、中絶していた元少納言範音の家を再興したが、同十五年、参議伊予権守の時、五月五日、五十四歳で没。またまた再絶。それを、権大納言四辻公遠の末子(一説二、三、八男とも)嗣良(承応二年四月十七日没、六十一歳)が嗣ぎ中興した。寛永五年、従三位の非参議に進んだ。はじめは高倉を名乗っていたが、寛永十四年十二月二十七日、高倉を改めて藪と号し、閑院家に属したというが、公卿補任では、寛永五年公卿になった時から藪の名があるから、元和から寛永初年のころ藪家を名乗ったか。子、嗣孝以下徳川初期にも続く。家格は羽林家、明治以後子爵となる。だが、右よりすれば、藪の名は寛永初期ごろから始まり、この話もそのころ成立か。 葉室殿 藤原北家の流である勧修寺家から古く分れた一流。葉室顕隆が祖。顕隆は同じ勧修寺家の一流甘露寺為房の二男。権中納言正三位、参議に進む。大治四年没、五十八歳。以降代々続く。「人倫訓蒙図彙」には名家十二家の一とする。 柳原殿 藤原北家の一流日野家より出る。祖は権大納言俊光四男の権大納言資明。文和二年七月二十七日没、五十七歳。以降代々続き、天正六年に八十四歳で没した資定、その子淳光(慶長二年、五十七歳で没)など能書で、「慶安手鑑」に見える。明治に伯爵となる。 菊亭殿 姓は藤原。閑院家の分流。師輔の十一男公季から出、公季五代公実の次男通季の時、西園寺を称し、その五代の孫実兼の四男兼季が今出川に住み氏とした。また、菊花を愛し多く庭に植え、家を菊亭と称した。右大臣に進み菊亭右大臣といわれる。暦応二年正月十六日没、五十九歳。これを家祖とし明治まで存続、侯爵となる。清華七家の一で、大臣・大将を極官とする。ことに菊亭晴季(一六〇五−一六八三)は豊臣秀吉と親交があり、娘は秀次の妻であったため、豊臣時代一時栄えたが、秀次の事件に連座して配流されたり、いろいろ人の噂に上った人物であった。 竹屋殿 藤原氏の一支流。日野家の一門。権大納言広橋仲光の子、従四位兼俊が家祖。四代目の光継後、六十三年の間中絶、慶長十年広橋総光の次男光長(万治二年二月二十一日没、六十四歳)が再興。以後明治まで続き子爵となる。「人倫訓蒙図彙」にも名家十二家の一として掲げる。慶長以降中興の家だが、光長が活躍したので有名になった。 以上により、天正十三年に断絶した薄家はとにかく、寛永初年に称された「藪殿」、慶長十年以降再興された「竹屋殿」があるよりすれば、この話の成立は寛永初年ごろか。 なお、醒睡笑(広)に次の類話がある。話は大むね同じで、菊亭・竹屋の二家がないだけだが、話の進め方は異るし、わざと文章、語り口を変えたようにも思われないから、当時一般に行われていた話をそれぞれ別に採録したか、或いは異る原拠によるものであろう。なお、以下醒睡笑の引用はすべて東大国語研究室本により、甚だしい誤脱だけを()で補った。また醒睡笑の各話冒頭には「一」が記してあるが、これはすべて省略した。 名字の讚歎する時、ある者のいふ、「昔より今に公家には草や木の名をつき給ふ事也」「なにと」「すゝき殿、松の木殿、竹の内殿、藪殿、葉室殿、柳原殿など」「いや、まだある」「誰ぞ」ととへば、「とうざ(さ)んせう殿」とて(巻二、名つけ親方)。 九 とうさんせう(四九頁) 藤宰相を、無学なので、文字を知らず、山椒と耳から聞き誤まったのである。鈴木棠三氏は、「醒睡笑」の補注で、「「武者物語」(明暦三年刊)に、侍の子も町人百姓の中で育つと、ことばもいやしくなる。たとえば「さいしやう殿をば、さんしやう殿といひ、みんぶ殿を、にんぶ殿といひ」うんぬんとあるから、当時のなまりとして普通だったことが分る」という。なお、整版本には、続いて、「これは、とうさいしやうを、さんせうとおぼえられて」の付加がある。なお、唐山椒をかけたとする説もあるが、唐山椒の語は当時の書に見かけないから、ただ山椒をかけたとした方が穏当であろう。 一〇 草履取をおかうとて…(四九頁) 醒睡笑に、同じ筋の話があるが、文辞に異同があって、直接の書承関係は認め難い。 京にて傍輩の中間行(合ひ)、「そちは今誰のもとに奉公をするぞ」「三条のお奈良屋にゐるは」、おの字をつけていふをにくみ、「おならやはの、くさい事をいふ」「それならば、そちはなにとて我ゐどころをばとふたそよ」(巻八、秀句)。 一一 六角堂(四九頁) 何故、下人を雇うのに六角堂まで行ったのか不詳。六角堂は今日では花道の家元池の坊で有名だが、古く今昔物語、巻十六に「隠形男、依六角堂観音助顕身語第卅二」なる六角堂観音の利生譚も見え、有名だったらしい。そんな関係で、この頃もここに参詣人が多く集まったり、露店なども出たりして、人が多く集まる場所であったのであろう。後のように、一季半季の奉公人の雇傭時期は勿論、これを周旋する口入屋などがない時代だから、かかる群衆の集まる場所へ行き、下人を雇ったりする風があったのであろう。とにかく、六角堂が群衆が集まる場所でなければ、この話に六角堂を設定した意味がないし、当時の読者も変に思ったはずである。 一二 有人、寺へ参る。長老御らんじて…(五〇頁) 醒睡笑(狭)に次の類話がある。 東の奥より都にのぼりたる人あり。さる古寺に立寄、院主に参会し、物語など時過けるまゝ、菓子持出て小性をよび、「いかにもお茶をもみぢにたてよ」とありしを、客、「なにたる子細にや」ととふ。「たゞこうようにといふ事也」と。あな、おもしろのことの葉やとおぼえつゝ、本国に帰り、態ちかづきの友をよびふるまい、かねてより小性にいひおしへ、「お茶をもみぢにたて申せ」とあり。人々、さすがに此度上洛のしるしありとかんじ、事のおもむきをうかゞひたれば、「こくよくたて申せといふ事だよ」と。あながちのその人のとがにはあらず。物毎たゞ国の風による(巻五、人はそだち)。 こちらは東国の話になっているが、関東では上方のように、ウ音便を盛んに使うことはないので、「濃う能う」を「濃く能く」と誤ったという失敗が自然である。もと、やはり東国の話であろう。また、末尾に注釈的な文句がついている点も、昨日は今日の物語より古体を存している。 一三 風呂屋に、孝行風呂といふがあり(五〇頁) 醒睡笑に次の類話がある。これも直接の書承関係は認められない。以下も殆んど然りだから、今後は一々言及しない。 下京にかう<風呂とてありし。「此名はなにの子細によぶぞや」と不審しけり。「さる事有。ふかうにおよばぬといふ事なり」とかたれば、おもしろき事におもひゐたりしが、さる処にて、「この風呂のいはれいかゞ」などいふを聞て、「それこそしりたる者がない。ふくにおよばぬ」と申されし(巻五、人はそだち)。 一四 山寺法師、さる御ちごにほれて(五一頁) 醒睡笑に類話。 貧々と世をふる僧の、思ひに堪かね、児を請じ、大唐米の飯を出せり。「是はめづらしき物や」などゝほむる人もありけり。亭坊のいはるゝやう、「せめての御馳走に米をそめさせたる」とあれば、彼児、箸をもちなをし、「さうかして、大唐めしのやうな」と(巻六、児の噂)。 一五 三位まかりいで(五一頁) この「三位」は、この本文からすれば、貧僧をさす方が自然だが、「三位」は多く稚児の後見役を呼ぶ場合が多い。しかも、刈本・山本などの本文によれば、「三位」は貧僧ととるより、稚児について来た僧で、二人の仲をとりなすつもりで、「まかりいでて」こう言ったとした方が自然な感じがする。なお、醒睡笑の次の話によれば、真言・天台などの大寺の僧ばかりでなく、これと縁の深い修験道で、田舎の山伏の弟子などにさえも、治部卿などと名乗った者がいたらしい。 佐渡に本覚坊といふ山伏あり。治部卿とて弟子をもちしが、ある年名代と号し嶺入させけり。雲に臥岩を枕の難行事をはり、本国に帰りぬ。師の本覚対面の時、治部卿申けるやう、「今度は先達憐愍をくはへられ、名を替、大夫になされて候」とかたりければ、「なにと、大夫となつた。曲事なり。われさへさやうに大なる名をばつかぬに、中<のことや。さりながら本山にてつきたる名をよばぬも又いかゞなる条、たゞ中夫になれ」とそなをしける(巻二、名つけ親方)。 一六 物ごとに心をつくる人(五一頁〉 この話、戯言養気集・醒睡笑に類話があるが、話は筋の進め方も文体も前者に近い。これは本書が、醒睡笑より戯言養気集に近い例証の一となろう。なお、戯言養気集の原本は上巻は佚亡して伝わらないが、下巻は天理図書館にあるので、以下引用はこれによる。これにも甚だしい誤りは()で補正した。 まつだけ年をへて松になる故事 よく物に心得たる人云やうは、「竹のこなど、むざとくはう事では御座なひ。なぜになれば二とせの内には用木になり候程に」と云たれば、かたへの人聞て、「尤なる被v仰やうぢや。あの松だけをも、いたづらにたべんもおしき事にてある。十五六年もしたらば大木にならんほどに」と云た(上巻)。 振舞の汁に、大に見事なる笋出たり。人みな「大竹にならんものを、むさとくひすてんはおしいひ」など沙汰しければ、さるうつけ、「いや竹は大事もない。大木になり、ひき物につかふべき松茸をさへくふほどに」。 落行河の末もしられず 笋は本よりふしのあらはれて (巻二、腔) 一七 ゐ中よりはじめて京へ上りたる人(五二頁) 醒睡笑に類話がある。 田舎より主従二人始て上洛し、京の町に逗留せし。休息の後、見物に出る。下人にむかひ、「都はいつれも同様なる家作なり。よく<目じるしをせよ」とをしゆる。「心得たり」と領状せしが、晩にのぞみ宿をしらず。主、腹をたてしかる。返事に、「いや門の柱に唾にて書付を、たしかに仕しが、消て見え候はず。其上に猶念を入れ、屋ねの上に鳶の二つありしを目付にしたりしが、それもいな事で見えぬ」と (巻一、鈍副子)。 また、関敬吾氏の「日本昔話集成」第三部笑話1に、「三〇九B 唾の目標」として、長野県北安曇郡美麻村での採集、分布が報告されている。かかる愚人譚は民話化し、各地に広く流布していたのであろう。 一八 不断光院(五二頁) 清誉は和歌・連歌にすぐれ、既に「弘治三年千句」に大覚寺義俊・三条西公条・元理・宗養・紹巴・松永貞徳の父永種等と一座しており、また永禄七年の石山千句にも紹巴・元理・心前等と一座している。この時の巻頭の発句は近衛稙家が詠んでいる。連歌師でない連歌作者としては一流の力量をもち、近衛・三条西など公卿との雅交も密であった。なお、不断光院は近衛家の桜御所の内にあったので、その院主清誉も近衛家即ち、陽明御所をめぐる活撥な文学サークルの一人となり、しばしば同家の雅会に参加したらしい。山州名跡志、巻二十一「洛陽寺院」には、「上立売南新町西、近衛殿桜御所の内に所v建内道場也。古此辺に有2十二光院1。是則阿弥陀仏十二光明の称号の義なり。所謂安楽光院・無量光院・無怠光院等也」とある。 一九 近衛殿(五二頁) 醒睡笑には、次のごとく信尹とするが、不断光院を清誉とすれぽ、清誉の没した時でさえ数え年十八歳だから、年齢的にやや無理である。信尹は逸話の多い人物だから、これに仮託されたか。狂歌にも大分異同がある。 不断光院の住持、近衛殿へ参られし時、三方をゆるすとあれば、其後常に三方にて斎非時を給はれり。此由三藐院殿聞召給ひ、 かり初にゆるすといひし三方を不断くはふは無益なりけり (巻一、鈍副子) 二〇 むかし、近衛殿を…(五三頁) 文禄三年、近衛信尹が豊臣秀吉にその青年客気の言動を咎められて薩摩に流された事件(駒井日記等)。松永貞徳の戴恩記には、これを翌年、関白秀次の事件に連座した時のこととして載せているが、これは貞徳の記憶誤り。なお、末尾の歌は、戴恩記では、雄長老(英甫永雄、細川幽斎の甥で建仁寺の住職などを勤め、同寺の十如院に隠退。狂歌の名手)の詠としており、また文辞も、「道すがら車にはあらで大臣をのするかごしまになふ棒の津」と多少の異同がある。 二一 近衛殿(五三頁) 近衛信尹(一五六五−一六一四)。旧名信基、また信輔、三藐院と号した。前久の子。当時の勢力者織田信長に愛され、また五摂家の嫡子としてわずか十六歳の天正八年十一月内大臣となった。多芸多才かつ覇気にとんだので、秀吉により薩摩に流されたり、父前久と不和だったり、事件や噂が多い人物であった。慶長十九年十一月没、年五十。書道には殊にすぐれ、近衛流を創め、また画事にも巧みであった。 二二 山ほとゝぎすさそひがほなる(五三頁) 世阿弥作の謡曲「采女」(三番目物)の後段に、奈良の帝の寵の衰えたのを悲しみ、猿沢の池に投身した采女の亡霊が、旅の僧の回向により成仏し、舞う場面に出て来る文句をそのままとっている。謡曲は今日の流行歌のごとく、広く一般に行われていたから、すぐ紹巴も気がついて、謡曲そのままだから、いかにも紹巴らしく、わざと「めいよ小鼓に手をうつような」と意地悪くからかったのである。 「曲水の宴の有りし時、御土器度々廻り、「有明の月更けて」「山時鳥誘ひ顔なるに」、叡慮を受けて遊楽の、月に鳴け、シテワカ謡月に鳴け、同じ雲居の時鳥、地謡天つ空音の万代までに」(謡、采女)。 二三 きやうがく坊(五三頁) 諸本により、教月坊としたり一定しないが、暁月坊とするのが普通である。中世の中頃、既に一種の伝説的人物になっており頓才機智が豊かで狂歌の名手とされ、定家の子といわれていた。中世に既に「蟻虱百首」の詠があったと伝えられており、近世中期には「酒百首」なる狂歌百首が刊行された。最近福田秀一氏の「暁月房為守の経歴と作品」(国語と国文学、昭三四年九月)により、為守が定家の孫であり、その経歴や作品が明かにされ、更に「狂歌師暁月房私見」(文学・語学、二〇号)、「暁月房為守とその「狂歌酒百首」補説」(文学・語学、三六号)の論考も発表された。しかし、「蟻虱百首」は未だ発見されず、「酒百首」も作者の真偽不明。とにかく、定家の孫の為守という実在の人物としては、別にとりたてて云々すべき和歌史的・狂歌史的意義はないが、中世から近世にかけての伝説的な狂歌作者として受取られ、その詠とされる種々の狂歌が人口に膾炙していた点では、狂歌史上注目される。醒睡笑に次の類話がある。 教月坊、例の狂歌を持せ、定家のもとへ、 教月がしはすのはてのそら印地年うちこさん石一つたべ よねを五斗参らせられし、 定家がちからの程を見せんとて石ひきわけてなからこそやれ (巻五、姥心) 二四 秀句すきたる人あり(五四頁) 醒睡笑に類話がある。 医者にむかつて、「白朮(びゃくじゅつ)とはなにを申や」「をけらといふ草なり」と。こびたる事におもひ、客をまうけたる席に、中間かの草をゑんのはしに持出、「白朮をほりて参りた」といはせ、「そこにをけら」といふてくすめり。近比蚊虻(もんもう)なる人感にたへ、帰りて中間にをしへおき、態(わざと)人をよびふるまいけるに、中間が打わすれ、「をけらをほりて参りた」と。亭主よふいふかほにて、「そこに白朮せよ」と(巻三、文字知顔)。 二五 法花宗の一致と勝劣と…(五四頁) 醒睡笑に類話がある。醒睡笑では、次のごとく場所も具体的に「伊勢の桑名」とあり、描写も詳しくなっている。 伊勢の桑名にて、法花宗門の中、一致・勝劣の諍論出来、所をさし日を定、双方対談の上に、とやありけん、頭をくはせ、くんづころんづ臈次なかりつるが、勝劣方の僧、一致方の坊主のふぐりをしたゝかにしめければ、その痛堪がたきなど沙汰する刻、 法門のその勝劣はしらねどもきんをしむるはいつちめいわく (巻一、落書) 一般に、醒睡笑の話と戯言養気集や昨日は今日の物語の話などと共通するとき、醒睡笑では、場所・人名などの固有名詞が、「ある所」「ある人」という具合にぼかされる場合が多いが、これはその点珍らしい例外の一である。 二六 一致と勝劣と(五四頁) 一致派は、法華経後半の十四品(本門)は前半の十四品(迹門)と理が一致すると説く。これが主流派で勢力が強かった。勝劣派は、本門は迹門の理に劣ると、両者の優劣を説くもので、日蓮の高弟日興が唱えはじめ、京都にも日朗の門人日像が伝導した。「当宗宗派は一致勝劣の義あり。当国中一致は多く勝劣は少し。…夫、此名目ある事其大旨を云ふに、法華経中二十八品に、本門迹門と云事あり。始十四品を迹とし、後十四品を本とす。今一致と云は、本迹異なりといへども、理旦一にして実相円融の妙と談ずる故に、本迹一致と称す。勝劣とは出世の仏に迹化本化二仏あり。経にも亦権実あり。所謂四十余年の経は、権教後八箇年法華は実経、仏も亦本仏久遠古仏也。爾前経には釈尊久遠実成の古仏なる事を不v顕。故如何となれば、説教たゞ方便にして未実地を不v顕。然るを今法華に至て過去の本地を顕し、開三顕一とて、五十年の説経三乗の法只今の一乗妙なりと教るを以て、衆生成仏直因と訣せり。其久遠実成は第十六寿量品を見す故に、此品を採て一派を興じ、此品を以て本門とし、迹は劣り、本は勝れたりと、一部中にして勝劣を立るを以て勝劣と云なり」(山州名跡志、巻四)。 二七 ある人にわかに数寄に行とて(五四頁) 戯言養気集に類話がある。この方は日時や人名も入って、具体的になっている。またお伽衆のした話の形をそのまま残して、末尾に、「評して云」云々と、教訓が付け加えられている。昨日は今日の物語や醒睡笑は、その成立の時期は戯言養気集と年代的にはさして隔りがないが、この両書では既にかかる古体を脱して、教訓が省かれ、純粋の笑話になっている。 しんぽちいの故事 ある人、正月七日の事なるに、すきやにかまをしかけ、りん<とたぎるを聞て、福田助十郎と云人のかたへ、一ぷく申さうと、文をやりければ、助十かみをそりて参らではとて、たれかれをよべども、「今日は遊び日にて有とて、皆く出て候」と言ひしかばハいかゞせんと思ひいたる所へ、だんな坊主、年玉なんどさゝげまいられければ、福田悦て、「さてもよき所へ御出有物かな。即頼申」とて、かみをあらひ、一しきこねてかゝる。此僧坊主あたま計そりつけたるゆへにや有けん、かたこびんよりめき<とそりおとしければ、「これは<」ときもをつぶし、以外腹を立、「是非もなき御さいばんにて侍る」と、のゝしりしかば、「いな事を承る。何とも御このみもおはさぬ間、とんせいなされ候かと存、仕て候」とて腹を立、そりさしていなんと云しを引とめ、「此上はそり度やうに御そり候へ」と申しければ、則新しほつけになしけり。正月なるにより、是を新発意のはじめとす。評して云、人をふかう思ひ入し事有時は、たれもかくあらんとおもひ、くはしく云ことはらで、度々あやまちに至る事有。此助十郎も、いそぎかみをそり、はんなりとすきにあはん事をのみ思ひ、「さかやきを」と、このまざりしゆへ、存じもよらぬとんせい者になりにけり(上巻)。 二八 ある人、寺へまいり(五六頁) 戯言養気集に次の類話がある。「嵯峨辺」としたところ、わずかながらもやはり具体的になっている。殊に嵯峨あたりは、竹林、大竹藪が多いので、自然な感じが出ている。 悪をなせば自然にあらはるゝ部 ある人、五月のころ、寺へ参候て、「長老さまは」とゝへば、「嵯峨辺へ」とまぎらかしつゝ、「まづおちやをまいつて御かへりあれ」と、新発意つねよりは事かはりして茶を立申ける間、二三ぷく物し、「さぞ竹の子はへ申つらう」とて、やぶをさして行を、「なふ<、これめづらしく侍る。物申さう」とよび帰せ共、少しも聞入ずして猶のぞきまはりければ、藪の中に長老さま、雁のけをむしつて御座有。此人見ぬふりをして「御見まひ申候」といへば、長老きもをつぶし、「さても<やぶの中まで、きどくなる御尋ね、さらば<や」とおほせられ、よそ目して御座ある。だんな殿も、よきころのくせものにて、「何事をあそばし候」と申せば、「此鳥のけを枕の中へ入れ候へば、頭痛の薬ぢやとて、たのもしきかたより給はり候間、かくのごとくいたせども、終にしつけぬ事にて、何共手間が入申」と仰せければ、「其は安き程の事にて候。こなたへ下され候へ」と申に任せ、即「よきやうにしたゝめられ給ひ候へ」とて、御渡しあれば、ちやく<とひんむしり、けをば和尚さまへしんじ候て、「けのあとは定て御用にも有まじく候あひだ、はいりやう申候。又頓て参らん」とて帰ける。よびもどし、「なふ、其鳥のなをば何と云ぞ」と仰ければ、「羽ある時は雁、かくむしられてはをしどり。さらば<」とてかへりけり。これらほど気の薬な、うまひ事はおりなひ(上巻)。 二九 又、さる寺へ参りければ(五六頁) 戯言養気集に次の類話が載る。 福人のだんな寺へ参、かね打ならし、ざしきになほり、「たれもをりなひか<」と、高声に申しかば、長老さま、いそぎ御出あるとて、ころもすそにはやしたるからさけが付た。み給ふて、ちんぜらるゝやうは、「我々が用ゐ申と、おぼしめし候はん事、返々も口おしう存ずる。仏祖も御せうらんあれ、これは女どもが薬つかひに」と云もはてず、かほをあかうしてうろたへられた。評して云、何事もありのまゝにあらまほし。ことをたくみにかざるときは、何様きずが出来候て、そしりともなり、又心の中にて、いやしまるゝ事ともなるほどに(上巻)。 また、醒睡笑にも次のごとく載るが、ここでは主人公を老比丘とし、落ちも、あわてた老比丘が干鮭を池に放せと、昨日は今日の物語より、大分話がこまかくなり、技巧が加えられている。 つねに人みな、「干鮭は身をあたゝめてよき薬」などいふを聞て、「われも養生にくひたき事や」とおもひ、老比丘、うつけたる中間にむかひ、「薬にちといる事あり。からざけといふ物をかふてきたれ」とて、代を三百わたしけり.すなはちかいもとめて来りぬ。折節あしく、客のある座敷へ、くだんのうつけ、によつとさし出しけるに、老比丘せき面し、「其からざけを、すぐに泉水へはなせ」と申されたり(巻三、自堕落)。 三〇 ある比丘尼御所、御知行所へ…(五七頁) 戯言養気集に類話が載る。 知ざるをとはずしてめんぼくをうしなふ事 寺りやうたんと有びくに寺にて、春半の事なるに、百しやうどもに、「ふろをたひて入参らせよ」と仰せられしかば、地下中のわかき者ども寄つどひ、右(石)ふろをたき入申。老人のおぽほさまよろこび出て、「てうづのこをお三方にすへて参らせよ」とおほせしかば、善門「かしこまつて御座ある。やがて調申候はん」と云て、まかりたち、其事知さうなる人を集め、とひ候へども、覚へ忘れたるなんど云、はかのゆかぬを、こざかしきものさし出、「とかうせば御上りなされ候べし」と腹立して、「そふじやを以、先に仰出され候物どもは、三好家の乱に取れ候てより終にもとめ申候はぬ」と云しかば、「あゝきやうこつや。こもじの事にて侍る物を」とて引こみ給ひき。評して云、義をおもふ人と利のみ思ひぬ人のきやうがいと、右のおぼゝさま、百しやうとのあいさつと、少似た気味がある。なぜになれば、そりが合ぬ所有をみるにつけても(上巻)。 醒睡笑にも類話が載るが、「知らざるをとはずして云々」の小題が省かれ、戯言養気集よりはすっきりしたかたちになっているし、主人公も田舎武士にかえられていて、話が面白くなっている。 山中に殿あり。国なかにてさもとらしき武家より嫂をよぶに、おつぼねの、中居の、おはしたのなど、あり<とともし、祝言の事すめり。二日三日たてども、終に行水とも風呂とも沙汰せず。物まかなへる形(刑)部(げうぶ)左衛門といふをよび出し、御つぼね、「ちと、御洗足をお出しあれ」と申されしかば、形部、「かしこまり候、其由申きけん」とて座を立、年寄衆に、「皆よられよ。つぼねよりおほせられ分候」とふれたり。「何事ぞ」とあつまりたる座にて、「別の事になし。お洗足といふ物を出せとなり。此返事いかゞせん」と、談合さま%\なりしあげくに、一のおとないひけるやう、「一乱にうせたと申されよ」「此義天下一の思案」といって、つぼねへ、「御洗足を出せと候へども、一乱にうせて御座ない」と。つぼねきゝもあへず、「あゝけうこつや」と申されけり。形部けつ(う)こつといふも聞しらねば、又むつかしき事やと思ひ、「いや、けうこつもおせんそくと一度にうせておりない」と(巻五、人はそだち)。 三一 光源院殿の御時…(五七頁) 光源院は、我が儘な将軍で、新刀を試すために、刀に黒い紙をまいて辻斬りをしたりするような人物で、悪将軍の名があった。だから、この僧の還俗のごとき、我が儘をおし通すことが、実際に多かったのであろう。なお光源院は、将軍義晴の子。初名義藤。天文十五年将軍となったが、実権を管領や三好長慶に奪われて苦しんだ。長慶死後永禄七年、三好義継及びその被官松永久秀の手から政権奪還を企てたが、そのため翌年五月十九日、久秀らに襲われて自殺。年三十(一五三六−一五六五)。 戯言養気集に類話が載るが、側近の名も入り、具体的である。この話を実際に見聞した人、乃至はそれに近い人が語ったかたちそのままに近いのであろう。これがやがて、人名もさしさわりがあって省かれたり、また時代が下るに従って耳遠い人名ともなったりするので、やがて個人名が省かれ、一般的な咄となる。既に昨日は今日の物語では、かかる一般化が進み、普通の笑話に近づいている。 こゝにしゆせう第一なる上人とさたありし出家有。光源院殿、御意に入参らせ、つね%丶御ときに参けるが、朝夕の御相伴もむつかしくおぼしめし、「らくだ申されよかし」と、上野中務大輔義信をもつて仰られし時、「御諚尤忝事に御座候といへども、八つ九つのころより、出家のすがたに身をやつし、なんぎやうくぎやういたし、いま六十にあまり、上人がうまで思ひのまゝにたつし、今さら何のゐんぐはに落候はんや、けんよも御座なひ。返く御めんなされ候やうに御とりなし頼申」との事なれば、上下をしなべて、かんじ給ひけり。将軍かさねて、「ねがはくは、くるしうもなひ事ぢや程に、分別あれかし」と被回仰しかば、「とかく立仏を居ぼとけにも、だんなはからいと、むかしよりのことはざにも申伝へ候へば、力及ばざる義也」とて、ちやくとおちられけり。折ふし七月の事なりけるに、大なるさばをすへければ、上人かんじつゝ、「扨くこれは遠来の名物、忝」とのじぎなり。「智者は我道ならぬ事をも知とは云ども、あまりこうしや過たる事ぢや」とて、目引はな引笑ひ申処に、剰、「とてもの御ねんごろに、愚僧が子にてあるものをもめし出され候やうにたのみ奉り存ずる」と申さるゝによつて、御礼を請させられ候へば、四十に近きひげ男なり。将軍さまも又御前の人<もけうさめがほに成て、「いやはや<」とて大わらひになった。評して云、かなしひかな、人を知事の不明なる事。なかなひかな、実をてらふ事(上巻)。 醒睡笑に載る話は、ある大名と落堕した者との話になって、昨日は今日の物語より更に一般化した形になっている。 大名の家に奉公の望をかけたるが、漸調ひぬれば、奏者について出仕をとげし次而に、せがれを御目にかけたきむねを申ふくむる。即つれて礼義すみけり。時に主たる人、「そちはちかき比の落堕といふが、成人の子はなにと、養子か」ととはれて、「いや、喝食でのせがれ」と申あぐる(巻三、自堕落)。 三二 お乳(五八頁) お乳の人を「おちい」と呼ぶことについては、「片言」にも見える。「御乳の人といふべきを、ちい、おちいなどいふこと如何。されどもみどり子のいひよきまゝに云なれ来りたること成べければ、改むるに及ばざるか」(巻三)。 三三 さる寺の蓮池にて…(五八頁) 戯言養気集・醒睡笑に類話が見えるが、ここでも戯言養気集では、場所を加賀国伝灯寺とするなど、原話のかたちに近いようである。 久蔵主が故事 加賀国伝灯寺の門前にして、いとあきらかなる月の夜に、あみがさをきて、どぢやうをふむ有。其所の奉行めひたる人見付つゝ、「此せつしやうきんだんの所にをひて、月夜にどぢやうをふむぞ」ととがむれば、「正真の俗人で御座有。少も御かまひなされそ」とて、かひうつぶひて物しける間、「名をなのれ。もしなのらずんぼ一矢もつてまひらふ」といひて、つるをとをしたれば、是におどろき、「俗人の名、久蔵主」とこたへた(下巻)。 醒睡笑では、次のように一般的な話に変化している。 いもほり僧のありつるが、秋も最中の月澄に、百性出て田をもりゐたり。夜ふけ物をとせぬみぎり、笠をき、しろき帷子をはしをりたる男、さうけと小桶とをもちて来りぬ。百性ふしんなる物におもひとがめければ、彼男いふ、「俗人の鰌(どぢやう)すくふに、なにのくせごとがあらふぞ」と(巻三、自堕落)。 三四 関白秀次公の御時…(五九頁) 戯言養気集に類話が載るが、夜食の話の後に、更に盛阿弥の話を付加してある。ぬしやの盛阿弥所へ、駒井中務少輔・吉田益庵なんどふるまひに参られし所に、昼のころ、自ぢうばこを持出、「夜食を一つ申さう」とて、ひらひたを見ればもちなり。又ある時、関白秀次公、尾張の国はいりやうなされ、清す城におはしまし候を、京よりをのく見まひ申、一礼事おはつて、みな物かげに引へたり。やゝ有て、たれかれとめし出され、あとに盛阿弥計のこりしを、「それなるはたれぞ己と仰られしかば、「貴老で御座有」とて出た。中々大笑になり、かへつてしほらしう物あつた。或日、此ぬし屋は秀吉将軍御なんぎの御ちんを度々みまひ申たりし時、「天下大平に治めなば、なんぢに京中のぬしのとうりゃうをおほせ付られ候はん」との御やくそくにより、事外とみさかへしかば、「貴老次第御茶申さうと」文にしありしを、盛阿弥のから名とおもひ侍りしなり(下巻)。 醒睡笑では、足利時代の盛阿弥のことは既に一般の人に、耳遠くなったためか、彼の話ではなくなっている。 小豆餅のあたたかなるを、夜咄のもてなしにいだす。其席に、おく山の老ありし。中老ほどの人餅を見るく、「とかく夜食はおほくくふが毒にてある」よしいふをきゝ、「さては餅の事ぞ」とおもひ、彼山賤在所にて、昼の雑掌に大豆の粉をそへ餅をいだす時、「かまへてみなおきゝあれ。さる人のいはれしが、此夜食はおほくくふが毒にて候」と(巻三、不文字)。 三五 盛阿弥(五九頁) 姓氏不詳。名は紹甫。秀吉より天下一の称を賜わる。子孫三世みな盛阿弥と称する(工芸鏡、塗師伝)。将軍や大名衆の所に出入していたのだから、かなり腕のよい塗師(この頃から漆蒔絵の技術が発達して漆塗が流行)だったようである。しかし、技芸にはすぐれていても奇行が多く、間がぬけていて、憎めない愛すべき人柄(戯言養気集)で、当時の人々の間に、よくその奇行、逸話が話柄とされていたらしい。 三六 物事にこばしだてなる人…(五九頁) 戯言養気集では、次の29話と一緒になっている。戯言養気集の話を昨日は今日の物語の筆者が二話に分けたとも考えられるが、醒睡笑には28話のみ、寒川入道筆記には29話のみが載ることよりすれぽ、やはり戯言養気集が、当時行われていた二話を一話にまとめたと考えてよかろう。 なりふりにも似ずして、こびたがるものあり。れき<夜ばなしのざしきにて、夜半のかねを聞て、「いざ<皆<御かへりあれ。はや遠寺の晩鐘がなる」と云た。右の人の方へ薩摩へ下る人、いとまごひに参りたれば、「さて<遠国へ御大義にて物ある。自筆に御下か、又あなたよりのまかなひか」と被申候間、「御心安かれ、むかひ舟が、ふしみまで上りゐたる」と申時、「車力」と云、「かた%\能御仕合ぢゃ。頓て帰朝あれ」と也。評して云、よき人をば小人いやがり讒しけるを、君主用ゐて打きり、其職を小人に云つけられ、大なる損をなされ候は、五六石もなりししぶ柿をきつて、即その木のほをつぎたるにおなじ。噫、こびたがる者は、内に智恵ともしきによるか(下巻)。 醒睡笑には、 「八景のうちに遠寺の晩鐘とは、村里とをき山寺に、入あひの鐘のこゑ、つく%・きくもおもしろや」などいふを、こびたる事と思ひゐしが、ある時客に寺へ行、夕陽西にかたぶく比より碁をうち始、火をともせどもたつ事をわすれたるに、「初夜の鐘もはやとくなりぬる」とはいはいで、「もはやみなおたちあれかし。遠寺の晩鐘もとくなつた」と(巻三、不文字)。 なお、片言にも似た話が載るが、これは遠寺の晩鐘を題材にしているだけで、趣向は全く異っている。 一、ことふりたる物語なれど、むかし<有所に、八景をゑがきし屏風のありしを、人<見て誉侍ける中に、ある人、遠寺の晩鐘といふべきを、げんじのぼんしやうといはれければ、そばより又こざかしき人のさし出て、「こなたに侍るは平家の落雁なり」と、口とく対句にかたことしければ、人<興じけりといふ物語を又ぎきに聞て、評判しけるは、「かのこざかしかりし人の後に云るは、平砂の落雁にてこそ有べけれ。平家のといへるこそ猶かたことにて侍れ。いかでこざかしき人とはいふべきぞ」といへりしこそ、笑止におかしかりけれ(第五)。 三七 ある人の所へ、西国へ下とて(五九頁) 戯言養気集の話は前注参照。寒川入道筆記は、これが更に二話に分かれている。文盲なくせに気取ったことをいいたがる人は、いつの時代にもいたらしい。 一、われら九州へ下りさまに、去人のもとへいとま請にゆきて、しか%\といふたれば、亭主出合て、「扨々遠国、殊海上御太儀じや」と云、「自筆に御くだりか」ととふ程に、「心安思召候へ、迎舟が伏見までまいつて候」と云へば、「扨は心安存候。総別あの舟の車力が造作な物じやによき御事や」。 一、右同前の様成人の方へ、筑紫へ下りがけにいとまごひにゆきたれば、文盲者出合て、「いつ比迄の御逗留ぞ」ととふ程に、「一両月の間」と申候へば、「随分いそぎ御帰朝候へ」と申された。をかしさはかぎりなし。 三八 有夜、秀吉公、夜食に…(六〇頁) 学本は「ある人四方はいを見物に参り」として、「うすゞみにかくまゆしろきそばかほをよく<みれば御門なりけり」とある。 戯言養気集には、狂歌の次に蜂屋頼隆が秀吉に検地を取止めるよう進言した長い話が載り、更にその検地帳まで長々と載せている。いかにもお伽衆の作った話らしい。もちろん、この検地帳は、笑話としては無意味冗長な蛇足だから、本書では、諸本すべてこれを省いている。 検地わびことの事 有夜秀吉公御前にして、御とぎ衆へ、そばがきのれうりをおほせつけられしかば、長岡玄旨 うすゞみにつくれるまゆのそばかほをよく<みればみかどなりけり と侍られければ、事の外御きげんよろしくなりぬ。蜂屋出羽守よきしほあひと思ひ、けんち御ゆるし候やうにとの事を一つ書にして、 一、今度御検地、上下共に痛申事大かたならず候。万のいたみ連々に積りもて行、発しては本へ帰るやうに覚へ申候事。 一、士民にかぎらず、はいとくの地をかゝへ持候へば、老後のたのしみ、其中に有て、人心清らかに、へつらふ心もうすくあるべき事候。 御ゆるしなく候はゞ人の気味、年々にいやしくなり、至誠の者御座有まじき事。 一、是非ともにけんちなされ候はんならば、せめてやしき分をば御ゆるし候てよろしく御座候はん事。 右の一書を以て諫申ければ、秀吉公 蜂屋出羽検地ゆるせとさしていへどそらうそぶひて聞ぬ関白 との給ひて、いかゞあらんとの御だんかうありしが、終には好方のつよきにひかれてやまず。 前関白秀吉公御検地帳 〇五畿内 二十二万五千三百石 山城 四十四万九千石 大和 二十四万二千百石 河内 十四万千五百十石 和泉 三十五万六千百石 摂津 (以下、東海道十五力国・東山道八力国・北陸道七ヵ国・山陰道八カ国・山陽道八ヵ国・南海道六ヵ国・西海道十一ヵ国の厖大な検地帳が載り、更に検地についての評言まで加えられている。) かかる厖大な検地帳や検地についての評言が加わっているところ、戯言養気集がお伽衆の手に成ったかという推定を強める。 なお、池辺義象氏の「細川幽斎」には、次のごとく、内裏での話となっている。狂歌の意味よりすればこの方が自然だが、何に拠ったか。 「ある時、内裏にて、そばねりを賜はりければ、 うすゞみをつくりし人のそのかたちよくく見ればみかどなりけり」。 三九 小ちご、里より御帰りありて…(六〇頁) 戯言養気集では、続いて消化剤など飲まないようにとある。 世中おもてうらなる事有。ざとうの坊の心よきと、大ちこの利はつなるがある。ひゑの山にての事なるに、小児をりんばうへしやうだいし、もちを出し候へば、事外物かずを遊ばしかへり給ふて、なんぎなされ候声、いとおびたゝし。則大児参られ、「なふ<何と御座有」と申されければ、「無理な事にあひ、もちを過し、胸がやくるやうに御座ある」と仰候へば、「あこも参、類火にあひなん物を」とくやまれ、「かまひてく消食丸などきこしめし給ふな。頓てけんに御つきあらんほどに」(上巻)。 醒睡笑では反対に大児が餅を食べ過ぎたことになっている。 今朝とくから北谷へ大児のよばれておはしたるが、春の日のながきも、あそぶ時にはみじかくおぼゆるはつねのならひ、夢ばかりに事さり、夕陽西に入あひのなる比、わがすむ坊にかへり、おきてみつねてみつ、くるしさうにいたはられけるを、小児みかね、「そなたの煩はこゝちいかゞある」ととはれし。「たゞけふのもてなしの餅をくひ過して、むねのやくるがくるしい」といはれしを、「われもちとそのるいくわにあふて見たいよ」と。余義もないのぞみですよ(巻六、児の噂)。 四〇 一見卒塔婆、永離三悪道…(六〇頁) 卒都婆小町などにも引かれているので、古くからよく唱えられた四句偈らしいが、出典不詳。卒塔婆建立の功徳を説いた「造塔功徳経」「造塔延命経」にも見えぬし、「浄土三部経」にも見当らない。織田得能の仏教大辞典にいうごとく、かかる経文はなく、後の人が作って、経文同様に唱えられるようになったらしい。 四一 情がこわうて(六一頁) 日蓮宗徒の強情なことは、「情強宗門」(じょうごわしゅうもん)などと言われ(狂、宗論)るほど有名であった。「ほつけ衆門に衣をほし置て 法(のり)のこはさよじやうのこはさよ」(犬筑波集)、「じやうごはになるな鶯ほう法花経」(犬子集)、「それほどじやうがこわくては、はやほつけであらふといふた」(私可多咄、三)。 四二 秉払に、西国の僧、東国僧に問うて云…(六一頁) 戯言養気集には、問答の後に、その説明も載っている。 西国よりひんぽつに上りぬる僧、心のまゝに万相調、下り用意せし処に、関東の僧問、「筑前・筑後あつてちく中なきはいな事ぢや」と、ほんしやりととひ侍る時、「されば候。上野・下野のごとし。昔日本三十三ケ国なりしを、六十六にわりなほしぬる時、其国長く候へば中の字をくはへたる事ありとみえたり。備中・越中のごとし」と答へた。評して曰、これはがくもん上をばはなれ、そさうなる事を以てつまんで見たか(下巻)。 四三 五百八十年(六三頁) 結婚など末長くつれ添う時に、縁起の数として用いられたらしく、室町末期の文献にしばしば見える。「五百八十年も連れ添ひませう」(狂、かくすい聟)、「五百八十年・万万年も、御福貴・御繁昌の御座敷でござるよ」(狂、居杭)。また、室町末古写本の「石原流口伝献立の事」の祝儀の飾りにも、三方の上に餅を五百八十飾って盛るとし、その図まで載っている。なお、これは江戸にも行われたらしく、御当代記、貞享二年二月二十二日の、将軍の娘鶴姫が、紀州家へ輿入する時の記事に、二、廿三日、紀の国御三ッ目の御祝行、五百八十の餅、大さ八寸四方、こうもり高のぞなへ四十八づつ入たる箱十二、内へ大豆の粉を奉書の紙にて砂金づつみにして水引にてゆふ」と見える。なおまた、けいせい反魂香にも「今日は五日め、五百八十の餅をついて、里帰りと言ふこと、縁辺の式法なれども」とある。女が嫁入してのち、三日或いは五日目に、末長きを祝って五百八十箇の餅を作る風習が、少くとも徳川中期ごろまで行われていたことがわかる。 四四 三井寺の法印…(六四頁) 戯言養気集には武士と児たちの歌とし、終りに武士の歌と、更に例によって評言を付している。 うたの事 ある山寺の児たちにあはんとて、武士衆登山有けるに、二たび物おもふといふだいにて歌あり。 春は花秋はもみぢを散さじととしに二たび物思ふなり 大ちご 朝めしと又夕食にはづれじと日々に二たび物をこそおもへ 小ちご かくて武士衆へも所望ありけれぽ、取あへず、 国を望み国を取ては乱さじとさらに二たび物おもふかな 評して云、かなしひかな、二たび物を思はざりしゆへに、うき事をのみ万人につたふ(上巻)。 醒睡笑では、最初の一首のみ同じで、更に二首を付す。しかし笑話一般の読者には、和歌は既にあまり興味がなくなってきているので、本書では省いたのであろう。この点「醒睡笑の方が編者策伝の古典的教養や趣味を反映し、古典的な古体を示しているわけである。 山の一院に児三人あり。一人は公家にておはせし。坊主、「年に二度物思ふ」といふ題を出せり。 はるは花あきは紅葉のちるをみて年に二度物おもふかな 一人の小児は侍にてありし。「よるは二度物思」といふ題なり。 宵は待あかつき人のかへるさに夜は二度物思ふかな いまひとりの児は中方の子也。「月に二度物思」といふ題にて、 大師講地蔵講にもよばれねば月に二たび物思ふかな (巻五、人はそだち) 四五 ちご、法師よりあひ…(六四頁) 戯言養気集では、「横川の中将」なる固有名詞が見えるが、本書と醒睡笑ではこれが省かれて、一般的な話になっている。 ちご、法師よりあひ、寒夜をなぐさまんとにや、でんがくをさんせうからにして、あぶりけるが、「いざみつはねたる事を云くはん」とて、うんりんゐんの、こんげんたんの、なんばんじんの、せんさんびんのとて、めき<としやうぐはんすれど、小児計一も得いはず。やう<のこりすくなになれば、思ひ出したる事有とて、きほひかゝりつゝ、「でんがんくん」と云もあへず、五くし六くし引たくり、くはれたれば、横川の中将殿けうさめがほに成て、「一段たつしやに御座ある」といはれた(上巻)。 豆腐二、三で(て)うを田楽にせしが、人おほなり。「いざむつかしき三字はねたる事をいひてくはん」と義せり。雲林院、根元丹、せんさんびん、さま%\いひつゝとりて、みなになるまゝ、小児たへかねて、「茶うすん」といひさまに、二つ三つとり事は(巻六、若道不知)。 四六 又、ある夜、田楽をして…(六四頁) 戯言養気集に類話があるが、話もやや異ると共に、侍従殿云々とした部分が加わる。しかし、この場合、かえって話にリアリティが加わって、本書より面白くなっている。 又ある時でんがくあり。今度はしゆうくにて物せんとて、 清盛ひさうの長刀 大ちこ なぞ< しつくしまでたまはつた 仏のあたま 侍従 何ぞ< みくし いしやの本尊 小児 なぞ< 八くし 侍従殿少腹立して、 とか 小ちごさまは、物かずをすかせらるゝ」と申された(上巻)。 また醒睡笑では、比叡山北谷持法坊と、特定の場所における老僧と児の話となり、本書や戯言養気集に見えない後話がついて、話としてはまとまりもよく、完成した形になっている。 比叡山北谷持法坊に、児あまたあり。冬の夜、豆腐一二てうをもとめ、田楽にする。老僧いひ出されけるは、「をの<しうくをいふてくふべし」と。大児やがて、「われは仏のつぶりと申さむ」、みくしとりてのく。又ひとりは「八日の仏」とてやくしとりたり。後に小児屏風のかげより出るをみれぽ、髪をはつとみだし、たすきをかけ、左右の手にて目口をひろげ、「われは鬼也。みなくわふ」と、ありたけとりたれば、詮方なさに坊主はふるきてぬぐひを頭にかぶり、手を指出し、「乞食に参りた。一つあておもらしかしあれ」と。老僧のはたらき三国一(巻六、児の噂)。 四七 清盛の長刀 なんぞ(六四頁) 清盛があまり横暴無道なので、今まで庇護してくれていた厳島大明神からさえ見放され、やがて平家が没落することを暗示した插話だが、普通の平家物語の本文には見えない。しかし、その異本(本大系、平家物語上、校異補記、巻五、九参照)には、「巻五 物怪之沙汰」の所に次のごとくある。「それにふしきなりし事には清盛公いまた安芸守たりし時しんはいのつゐてにれいむをかうふて厳島の大明神よりうつゝにたまはれたりし銀のひるまきしたる小長刀つねの枕をはなたすたてられたりしかある夜俄にうせにけるこそふしぎなれ」。なお、この話によれば、平家物語のこの一異本は織豊期から近世初期には、かなり一般に語られていた一証となる。 なお、厳島神社と平清盛とは縁が深い。即ち、厳島神社は、広島県佐伯郡宮島町にあり、市杵島姫命一座を祀る。延喜式に伊都伎島神社とみえる。創立年代未詳であるが、推古天皇の御宇、宗像大神を勧請したという。結局、宗像神社と同じく、海上交通の守り神だったので、瀬戸内海方面を勢力権としていた平家一門が、これに深く帰依することとなったらしい。平家物語によれば、平清盛の一族が殊に本社を崇め、治承二年六月中宮御懐妊の時には清盛はわざわざ奉幣して、皇子が生まれるようにと祈願し、月ごとに厳島に参詣した。治承四年九月には後白河法皇も清盛のために本社に行幸されている。これは、清盛がまだ安芸守の時厳島明神夢に長刀を授けて、「汝これを以て朝廷を護り奉れ、もし不徳の行為ある時には子孫が絶えよう」と教えられた因縁による。だが、清盛は勢力を得るに及んで非行が多く、ついに一族悉く滅亡し、まことに神のお告げのごとくであったという(平家物語)。 四八 一夜の間に鼠が巣をかけ(六五頁) 平家物語、巻五「物怪之沙汰」のはじめに見える次の話をいう。「福原へ都をうつされて後、平家の人々夢見もあしう、つねは心さはぎのみして、変化の物どもおほかりけり。…其外に、一の厩にたててとねりあまたつけられ、あさゆふひまなくなでかはれける馬の尾に、一夜のうちにねずみ巣をくひ、子をぞうんだりける。「これたゞ事にあらず」とて、七人の陰陽師にうらなはせられければ、「おもき御つゝしみ」とそ申ける。この御馬は、相模国の住人大庭三郎景親が、東八ヶ国一の馬とて、入道相国にまいらせたり。くろき馬の額しろかりけり。名をば望月とぞつけられたる。陰陽頭安倍の泰親給はりけり。昔天智天皇の御時、竜の御馬の尾に鼠すをくひ、子をうんだりけるには、異国の凶賊蜂起したりけるとそ、日本記にはみえたる」。 四九 もの忌みする人、下人をよびよせ(六五頁) 戯言養気集・醒睡笑では、いずれも「なげきをする」話の前に、「餅を焼き申そう」と言って、主人を立腹させたことになっている。話の系統からすれば、戯言養気集−醒睡笑で、本書はこれと異る系統になるわけである。 物いまひの部 ある人、下人をめしよせ、「明日は元日にて有ぞ。わか水をむかへよ。式(或)は御いはひのおかゞみふくためよなんど云物ぢやぞ。かまひてぬかるな<」とをしへけり。扨朝とくおきて、「かの事申、だんな殿のきげんよくせん」と思ひ候へ共、打忘て、「坊さま<、もちださしませ。やき申さう」と云たれば、以外腹立して、まくらを取てなげつけ、いきまきてみえしに、あまつさへ、「こゝなお坊主のなげきはやい」といふた(上巻)。 醒睡笑では、戯言養気集より大分文体が新しくなっている。間のぬけた仲間を、わざわざ奥州者と設定したのも、前者の古拙を脱し、新しい進展が見られる。 陸奥の者を中間に置たり。亭主大晦日に、「明天早朝には、何事をも祝言計いふべし。あやまつて不吉の儀いはぬやうに」とそをしへける。件の男手水をつかひさし、「餅ぶんだしなされよ。やき申さう」といふ。亭大に腹をたて、いろりのきはにありし木をうちつけたり。中間かさねて、「爰な旦那のなげきしなさるゝはの」(巻一、祝過るもいなもの)。 五〇 若水をむかへよ(六五頁) 元旦に若水を祝う風習は、中古から宮中にあり、のちには一般にもこの行事が行われた。この水で歳神への供え物や家族の食物を炊き、口を清めたり茶をたてたりする。こうすれば年中の邪気を払うという。なお、この話にあるように、若水を汲むにはいろいろの作法・風習があり、井戸水を汲上げる時には、縁起を祝って「福どんぶり、徳どんぶり」「福くむ、徳くむ、さいわいくむ」とか、めでたい言葉を長くつらねたりする風習があった(西角井正慶「年中行事辞典」)。 五一 御ちごさまは大上戸ぢや…(六五頁) 戯言養気集に、殆んど同文で載る。 ちごの事 ある人、「お児さまは、むまれつひた大上ごぢや」と申たれば、「いやそれほどにもおりなひ。但しちぶさにも、さけをぬらねば、のみかねたるなど、ちいが申た」(上巻)。 五二 しやうじ一大事、味嚼で御座候(六六頁) 醒睡笑に、前半の話はないが、次のごとく見える。 弘法大師入唐の時、僧来て問、「如何なるか、是しやうじ一大事」。大師答云、「味噌よく」(巻六、児の噂)。 しかし、これでは単に話柄となっても、笑話にはならない。その点、本書の方が、笑話としての構成がしっかりして、笑話として完成しているといえよう。 五三 生じのしたて(六六頁) 「精進(しゃじん)といふべきを、しやうじといふはくるしからずと云り。然れども生死(いきしに)の声に紛るゝゆへにしやうじんといひ来れる歟。されども下略なれば、はねずとも苦しかるまじ。その所によるべきこと葉歟」(片言、巻一)。 五四 此貝は、目の薬ぢやと申が(六七頁) 鮑は本草では石決明といい、よく眼疾を癒し千里の光を得るから「決明」という、とある。わが国でも古くから眼の薬とされたらしく、「食v之心目聰了」(和名抄)と見える。下って「類船集」にも、鮑の付合として「目薬」をあげている。 五五 御前なる額を見て(六八頁) 住職にも問合せたが、現在は誓願寺に「南無阿弥陀仏」の額がないというし、その話も聞いたことがないという。しかし本書の頃には、堂内に一遍上人筆といわれる「南無阿弥陀仏」の額が飾られていて、かなり知られていたらしい。「山州名跡志」には次のごとく見えている。「○誓願寺 在2京極三条南六角通東1。…堂同額(当寺再興大施主、大相国北御方、佐々木京極女、為二世安楽也) 大覚寺空性法親王筆 ○堂内額 南無阿弥陀仏一遍上人筆(額由縁在縁起。又在謡曲、所知世也)」(巻之二十、洛陽寺院、誓願寺)。 即ち、謡曲「誓願寺」に、和泉式部の霊が出て、一遍上人に、誓願寺という額を除け、上人自筆で六字の名号を書いて額とせよといい、その通りにすると、異香薫じ花が降ったという話がある。かかる謡曲があることよりすれば、室町の中期から山州名跡志の出来た江戸初期、つまり本書の出来たころには、誓願寺には、南無阿弥陀仏の額があったはずである。また、空性上人筆の額はこの話の頃まだなかったのであろう。 「いかに上人に申すべき事の候」「何事にて候ぞ」「誓願寺と打ちたる額を除け、上人の御手跡にて、六字の名号になして給はり候へ」「これは不思議なる事を承り候ものかな。昔より誓願寺と打ちたる額を除け、六字の名号になすべき事、思ひもよらぬ事にて候」「いやこれも御本尊の御告と思し召せ」「そも御本尊の御告とは、御身はいづくに住む人ぞ」「わらはが住家はあの石塔にて候」「不思議やなあの石塔は、和泉式部の御墓とこそ聞きつるに、御住家とは不審なり」…仏説に任せ誓願寺と打ちたる額を除け、六字の名号を書きつけて、仏前に移し奉れば、不思議や異香薫じつゝ、不思議や異香薫じつゝ、花降り下り音楽の声する事のあらたさよ。これにつけても称名の心一つを頼みつゝ、鐘うち鳴らし同音に「南無阿弥陀仏弥陀如来」「あらありがたの額の名号やな。末世の衆生済度のため、仏の御名を現はして、仏前にうつすありがたさよ。われも仮なる夢の世に、和泉式部といはれし身の、仏果を得るや極楽の歌舞の菩薩となりたるなり」(謡、誓願寺)。 五六 子昂が石摺(六八頁) 趙子昂の字は、本書が行われたころから江戸時代にかけて、わが国でも高く評価されていた。また、中国の名筆の石摺は、書道の手本として珍重された。「槐記」にも次のような記事が載る。「筆意ヲ得ント欲シテ、石摺等ノ跡ヲ見テハ、筆意ハ得ラレソモナキモノニ非ズヤト存ズ。板行・石摺ヲ習フハ、形ヲ習フニ非ヤト申シ上グ。仰ニ、イカニモ筆道ヲ知ラズ、筆意ノ合点ナシニ、板行ノモノヤ石摺ヲ習フハ、形ニナル。筆意ヲ得テ、子昂ハコゝノ筆意ヲ得テ書タリ、其昌ハ彼ノ骨子ヲ得テ書タリト合点シテ、板行デモ石摺デモ見レバ、明ニ弁へ知ラルゝ、ソコヲ習ヘバ好シ。正筆也トテモ、ソコナシニナラヘバ、形ヲ似スル外習フベキ様ナシ」(槐記、享保十二年、閏正月二十八日)。 五七 昨日、日吉大夫勧進能に…(六八頁) 戯言養気集・醒睡笑も本書の話と近く、共に日吉太夫の能になっている。ただ、さすがに文体には新旧の差がはっきりしている。 「昨日、日吉が能に、すみだ川をしたりければ、しばいの心ありし人おほく鳴たるが、取分こしかたなど思ひ出てよとみえ侍りつるも有し」となり。かたへの人聴て、我も今日は見物し、なかんとていそぎ参りけるに、をきなせんざいふ過て、さんばさ(う)出たれば、さめ%\と啼出た。あたりの人の「何事にやなき給ふぞ」と云たれば、「あのすみたがほを見て、たれがなかぬものがおちやらふか」とて、しく<と又鳴た(上巻)。 「昨日、日吉太夫墨田河をして皆になかせたは」とかたるを聞、つゐに能といふ物を見た事もなき者、あけの日早朝に行しが、翁、せんざいふをしまひ、さんばさうの時さめ%\となく。見る人「是は何事にや」と問に、「あの墨田河があはれさになく」といひしは(巻四、そでない合点)。 なお、日吉太夫は日吉空庵か。空庵は将軍足利義昭。信長、秀吉時代に活躍。しばしば勧進能をしたという(近代四座役者目録)。 五八 勧進能(六八頁) 雍州府志に、「凡そ勧進能と称するは、中古以来沙門堂塔建立の時、芝居を構へ、必ず観世大夫を請して、猿楽を催ふす。其の始北山鞍馬寺に僧あり。青松院法師善成と号す。云云。鞍馬寺を再興せんが為に、観世大夫を只洲河原に請して之を催ふす。是れ勧進能之始なり。勧進とは人を勧めて善に赴かしむるの謂なり」という。しかし、勧進能の起源は更に古く、「花営三代記」に、これより四十余年前の応永二十八年に勧進田楽のあったことが見えている。また、平家勧進などもあり、もとは社寺の建立や修理の費用を集めるのが目的だったが、やがては入場料をとる興行すべてを勧進ということになったらしい。ここでも特別に社寺のための興行でなく、芝居、即ち見物席の広場を作って入場料をとった演能であろう。もっとも江戸時代になると、諸制度が整備して、勧進能については、種々やかましい規則が出来るようになった。 五九 御ちごさまのお里が不弁さに…(六八頁) 醒睡笑に類話がある。 まことわびしき親をもちたる児のありつるを、小師の坊あはれみて、「是のお児はおいとしやな。里が無力なれば、ちともはれがましき事といふには、なにかかりめされぬ物はない。おぬしの物とては唯一いろある、しじ計じやの」といひける時、「いや、それも人が見ては、「お児のしじにはころ過た。そなたのではあるまい」といふほどに、あこが物とおもはぬ」と(巻六、児の噂)。 六〇 天竜寺の策彦和尚へ、信長公…(六九頁) 戯言養気集には次のごとく、はじめに当時名僧として名高かった貞安との問答、終りにいかにもお伽衆の話らしい信長の家臣評が加わる。また、年代が天正八年と明記されているところ、この話が信長の近くにいたお伽衆によって作られた原型、乃至はそれに近い型を伝えていることを推測させる。 大小のちこ利どんの事 天正八年の春、貞安、あづち山へ出仕申されしかば、信長公おねんごろ有て後、御ふしんなされけるは、「世間おほく小児をば、りこんに、大ちごはおろかに云ならはし候。大ちごも小児の成上りなり。ちいさき時さへりこんならば、大になる程、猶<りはつにこそなるべけれ。いな事ぢや」とのおほせなり。貞安、「御尤の御ふしんにて候。大ちごはぬるし、やうたうにちかうなるゆへにや」との返答なり。又嵯峨の策彦和尚へ御ふしんなされしかば、「愚僧も、さやうに存候。大かたすいりやう申候に、小ちごの間は、いまだ里心御座候故、武家のりはつ、さいかく、身にも心にもつきそふておはしまし候ゆへならんか。ひたもの寺じみてのちには、長袖のぬるきたちふるまひを、みなれ聞なれ、をのづから心おとりし侍るか」とこたへ申されければ、事外御ゑつきにて、「一段尤の返答ぢや。出家にも、それ%\のたちが有」とて、評しておほせけるは、「一、佐久間が家来の者は、大りやく、しとやかに分別も有そう也。一、滝川家来の者は、土(士)風きらよく、丈夫にあるべきやう也。一、柴田家来のものは、どこかも、むたいにおし破りさうなり。とかく人は、かしこきになれずは、中々よきしなは出まじき物なり。又其国の風あり。その時の風あり」とのたまひし(上巻)。 天竜寺は五山の第一の大寺。天竜寺船を出したり、室町後期には殊に勢力が盛んであった。従って、その住職となった策彦は、禅僧としては最高の地位にあった。 策彦(一五〇一-一五七九)は、名は周良、丹波の人、鹿苑寺の心翁等安に師事、天文六年大内義興の命で入明、同十六年再び遣明使、明の世宗に優遇される。帰来後天竜寺妙智院に住し、信長のため明の風俗をしばしば説き、その諮問に答えた。また信玄の請により恵林寺にも転住、再び妙智院に帰り、天正七年没、七十九歳。初度集・再度集・謙斎詩集等の著があり、当時第一の詩僧でもあった。 六一 婿入(七一頁) 古く行われた婿入婚の名残りで、中世以来、嫁入婚の流行によって衰えたが、この頃も未だ婿が嫁の里に行く礼式は行われていたようである。「婿入之事、むかしは三つ目の祝ひ過ぎて、婿舅の方へ行きし也。…近代は婚姻より前に婿入りをする事になりぬ」(礼容筆粋、婚礼之次第)。 六二 六斎念仏(七二頁) 和歌・和讚・念仏などを節面白くとなえ、拍子にあわせて熱狂的に躍る躍り念仏。中世初頭以来、京都を中心にして広く行われた。「毎月斎日ごとに、太鼓・鐘をたたき念仏唱へ、衆生を勧め給ひて、往生する人のある時は太鼓・鐘をたたきて念仏を申し、有縁無縁の弔ひをなし給ふなり。是れに依りて俗呼びて六斎念仏といひ伝へたり」(空也上人絵詞伝、下)。 六三 有若衆に貧僧がうちこうで(七二頁) 醒睡笑に類話。他の話よりも、この話では両書かなり近い型になっている。 貧なる僧の打ほれて知音する若衆に、大名の執心せられ、定家の色紙を出されたれば、坊主もまけじとおもひ、弘法大師の筆といふなる心経をやりぬ。重て大名より、刀脇差を金づくりにして送られしを見て、坊主のよめる、, 何事も人にまけじと思へども金刀に手をぞつきける(巻六、悋気) 六四 山寺の沙弥が御ちご様へ…(七三頁) 戯言養気集に類話。 山寺の下ほうし、「お児さまへおそれながら、御無心申たき事御入候」よし云しかば、情をかけよとの事なるべしとおぼしめし、「さても<やさしき事を申物かな。何時なりともやすき程のことなり」と仰ければ、「かたじけなく存候」とて、ほゝゑみけり。有とき院主、里坊へ御下候へば、かの者ぢうばこを持てしかゝり、「御やくそくにまかせ申上候。めんざうにあるみそを、これに一ぱいをしつけて御ぬすみ候てくだされ候へ」申た(上巻)。 六五 餅や饅頭に核があらばよからう(七四頁) 醒睡笑に類話。 大児と小児とひたひをよせあはせ、おかしき物がたりしてあそばれけるついで、大児くちずさびに、「餅はくふ時さねがなふて、おもしろひ物じや」と有しを、「いや、たゞわれは餅にさねがあれかしと思ふよ。うへてをきてならせてくひたい」(巻六、児の噂)。 六六 そこつなる若衆、餅をまいるとて…(七四頁) 戯言養気集に類話。前半がややくどくなっているのが、昨日は今日の物語においては、さすがにすっきりした形に整理されている。 もちよく身をせむる事 大ちごさま、三位殿にのたまひける、「今日は一だんなるき日にて有やうなるが、さもあらぬや」とつきなくおほせければ、心へたる人にて、もちたんととりよせ、ひそかに物しければ、あまりふためいて、物かずをめされけるほどに、のどにつまり、きち<とめされけり、一山のしゆう見まひ、せうしがりて、日本一のまじなひてをやとひ、此よしかくと申せば、即まじなふに、りうごのごとくになりしもち、二けん計さきへとんで出しかば、皆<「めでたひ事ぢや。さりとては、じやうず程有」とかんじけるに、大児、心もいまだつくやつかざるほどなりしに、「おなじくは内へまじなひ入たらば、日本をおきぬ、三国一であらふ」とおほせられた(上巻)。 醒睡笑では、策伝の弄文の癖がついあらわれたのか、全文七五調で綴っている。 児たまさかの里くだり、ころしも秋のなかばとて、民のかまどはにぎはへる、煙たつ田のもみをひき、米をしろめてつきうすや、誰もしるこの餅のをと、きねの神垣へだてなく、なみゐて是を賞翫す。笑止は児の餅にむせ、目口をはだけ悶ゆれば、父母は歎に沈つゝ、せんかた涙なりつるに、山伏かけでとをりあふ。たのみて祈念するほどに、栗ほど餅が喉よりも、ひよつといづればいろなをり、心安さに児のいふ、「とても行者の寄(奇)特ならば、いのり出せし其餅を、ま一度いのり入給へ」(巻六、児の噂)。 六七 りうこのごとく(七四頁) 竜虎が相争い、くんずほぐれつ勢いよく格闘する様をいうと思うが、或いは戯言養気集に「りうご」とあるから、輪鼓(りうご)のごとくか。輪鼓は、平安朝時代の散楽の曲芸の名称で、後には田楽などにも用いられた。輪鼓とは、普通の鼓の胴の中のくびれた形をいう名称で、独楽の一種にかような形をしたものがあり、その中くびれの箇所に紐を巻きつけて回転させ、或いはこれを空中へ投上げてまた紐で受取り、絶えず中くびれの所を紐で受取るようにしてみせた曲芸。すれば、この曲芸で空中に投げ出される輪鼓のごとくにの意か。 六八 有若衆の念者と寝て、暁方に…(七四頁) 戯言養気集では児と和尚の話になり、また熨斗付でなくて小袖と餅をねだるなど、多少の異同があるが、筋の運び方は全く同じ。 おちごさま、山上一のとある二和尚とね給ひて、大いきをつゞけさまに十計つき、「いや<」と仰けるを、「なふ<何事ぞ<」とほうゐん申され候へば、「はもじなる夢をみて」と計ありしを、「先御かたり候へかし」と仰せければ、「小袖を二つ三つ御きせ候て、その後もちを事外しゐさせられ候つるを、つよくしんしやく申たるやうに覚えて、ゆめさめたる」とのたまひけるを、「そふじて春のゆめは、あひかぬる物じや。御心やすかれ」と申された(上巻)。 醒睡笑には、やはり若衆が夢にかこつけて物をねだる話があるが、落ちが異なる。 若衆あり。念者にむかひて、「今夜の夢に鶏のひよこを一つ、金にてつくり、われにたびたると見た」とぞかたられける。「さて<、われもたゞいまの夢に、其ごとくなる物を参らせたれば、いやといふて、それよりやがてお返しありたと見たことよ」(巻二、吝太郎)。 六九 顔色をとろへ、いかにもらう<としたる人…(七五頁) 戯言養気集では、竹田法印でなくて、当時第一の名医として名高かった一渓道三になっており、更に道三の言葉が付加されている。 めづらしき所望 いし道三一渓へ、がん色をとろへたる人来て、「御無心の事に候へども、きこんのおつる薬を、たんと下され候やうに」と申ける時、道三聞給ふて、「これはさてめづらしき所望でおりやる。見かけとは、はらりとちがふた義を承」と仰られしかば、「いや我等の用にては御座なひ。女どもにたべさせたく存候」と申たれば、「何方もさやうにあるや」と大わらひになつた(下巻)。 醒睡笑では特定の名医の名は出て来ず、京の町であった一般的な話となっている。 京の町を「気力の毒かはふく」といふてありく男のすがたを見れば、いかにもやせおとろへ、いろせう<と労療気なり。おかしきものにおもひ、ある処へ「薬をうらん」とよび入、「そなたの風情には、ちがふたる望なり」ととふ時、「さる事有。我等はそなたの御覧ずるにまぎれなし。それがしつれたるをんなどもの気力あまりよく候まゝ、一ぷくのませたふてたつぬる」とそ申ける(巻六、恋のみち)。 七〇 竹田法眼(七五頁) 竹田氏は室町時代における医者の名家であった。初代昌慶は、太政大臣西園寺公経の子。兄が采邑竹田に配流されていたのに従い、この地にいたので、竹田氏を称した。京に帰ってから、軍に従い武勇があったが、儒を学び、また医学を修めて、剃髪、実乗僧都と号した。三十二歳で渡明、金翁道士に医を学び、牛黄円等の秘方秘決をうける。名を明室と改め、道士の女と結婚、二子をうく。明の太祖の后の難産を救い、一服の薬で皇子を生ませ、安国王の称を贈られた。帰朝後、後円融院の病を癒し、のち法印に進む。三子、直慶・善慶・昭慶がおり、善慶は後小松天皇、昭慶は将軍足利義政の病を平癒したので、名医の誉高く、共に法印に進む。京都三条御倉町に地を賜り、住す。天授六年五月二十五日没。子孫道を伝え、世に重んぜられた。この子孫の一族であろう(寛永系図伝・竹田系譜等)。 七一 ある人、十二三なる子を寵愛して…(七六頁) 戯言養気集に類話。ここでは、一般の人の話が、やはり特定の上京の扇やの子お福とし、謡も異なっているが、筋の運びなど全く同じ。 上京の扇やの何とやらん云人、十一、二なる子をひそうして、朝夕うたひををしへけるが、「やがて十月に、寺の百はたごくひにつれてゆかふぞ。よく覚えて、うたへよく」と云ふくめけり。かくて十月にもなりしかば、寺より「十三日には御ちがひなく、いつれも<のこらず御参候へ」との御ゑいかうのふれ有けれぽ、お福をよびつけ、「明日は寺へつれて参り候はん。うたひをよく覚えたるか。かまひてよき時分ににらまふ程に、其時ちやくとうたひ出せ」とくれ%・云ふくめけり。さて十三日に皆<つれだち参ければ、方々のつきあひにて、次第をゝつてなをり候に、先おさなき衆へぜんをすゆれば、かのお福、につことわらふて、「なふとゝ、百はたごとは此事か」と申けり。おや、なんぎして、きつとにらみ候へば、扇をつ取かしこまつて、「いはうなり、心ぞしるき、くもりなき」とうたひ出た(上巻)。 七二 又ある者申やう…(七七頁) 醒睡笑にほとんど同文が載るが、さすがに策伝の文章らしく、「つかせらるる」が「こそつかせ給へ」と、正規の係り結びを使っている。 傍より申けるは、「お公家衆は、鳥獣の名をこそつかせ給へ。まづ烏丸殿、鷲尾殿、鷹司殿、猪熊殿」といひければ、又そばの者、「まだある」「たれそや」「万里(まで)のこうじ殿の」(巻二、名つけ親方)。 七三 烏丸殿、鷲の尾殿、鷹司殿、猪熊殿、…までのこうち殿(七七頁) 烏丸殿藤原氏の一流。日野家の一門。日野資康の三男豊光(正長三年没、五十二歳)が創立。家格はさしてよくなかったが、本書の出来た織豊期から近世初期にかけ、光広(寛永十五年没、六十歳)が出て、官は正二位権大納言に昇り、名家に列せられた。光広は中興の祖というべき人物で、多才多芸、筆跡も巧みだが、殊に和歌は細川幽斎に学び、当時屈指の堂上歌人(家集、黄葉和歌集)として喧伝された。性、奔放豪宕、官女との恋愛事件で勅勘をうけ流されたり、公家でありながら、本阿弥光悦と路上で大喧嘩をするなど(言経卿記)、すこぶる逸話にとみ、当時有名な人物であった。更に孫資慶は後水尾天皇から古今伝授を受け、家集に秀和和歌集があり、その曾孫光栄(ひで)(家集、栄葉和歌集)と有力な歌人を出し、歌道の家として栄えた。明治維新にも活躍し、東京府初代の知事を勤め、伯爵となった。 鷲の尾殿 藤原氏。魚名の家で四条家の一門。権大納言四条隆親の子、権中納言隆良(永仁四年没)が家祖。隆良が京都の東山鷲尾の地(今の高台寺のあたり)に邸宅を構えたので称号となる。家格は高くなかったが子孫相継いで明治に至り、伯爵となった。また鷲尾松月堂古流の插花の祖。 鷹司殿 藤原氏の一家。猪熊関白家実の四男摂政関白兼平(永仁二年没、六十七歳)が家祖。その邸宅が鷹司室町にあったので鷹司を称し今日に至る。五摂家の一として、平安時代以来公卿中に重きをなしていた。 猪熊殿 本姓卜部。天児屋根命の裔で、景行天皇の朝にト部の姓を賜わる。古代から亀卜神職を家職とし明治に至る。猪熊はこのト部家の一支族。兼国二十六代の裔兼充(享保元年没、五十七歳)の時、藤井と改める。卜部姓四家のうち、吉田・萩原・錦織に次ぎ、家格は低い。なお、猪熊殿を藤原家実、即ち猪熊関白とする説もあるが、これは時代が溯りすぎるし、さして有名でもないので、ここではやはり右の猪熊家をさすと考えてよかろう。 万里小路殿 藤原氏。勧修寺家の一支流。甘露寺資経の三男、左京大夫吉田資通(嘉元四年没、八十二歳)が家祖。資通の子宣房、孫藤房が後醍醐天皇の忠臣だったのは有名。子孫相続き家格はよくなかったが、徳川時代には名家の一に列せられた。 なお、公家や京の町の名の訛には、片言に「一、富小路をとびのこうしはくるしかるまじけれど、押小路をうしこうしはわうし」、「浮世鏡第三」に「一、とびのこじ殿 富小路殿」などと見えている。 七四 中むかしの事にや、信濃国にて(七七頁) 醒睡笑に似た話が載る。しかし、昨日は今日の物語の話の方が、山奥の田舎者たる信濃の人とし、魚を尾張の熱田に買いに行かせたところ、リアリティが加わって、面白い話になっている。 山ふかくすむ者、二人つれだち国中に出けり。振舞の膳部に、にしのつぼいりをすゆる。めづらしき物かなとて、ふたりながら、かのにしがらを懐中してかへりぬ。一人は「へふ(く脱力)りといふ物」と、一人は「まどひきといふ物」とあらそひ、「とうげの若太夫こそ、かゝる物をば見知らんず」とてさし出したれば、よく見しりたるかほに、造作もなく、「へふぐりでもまどひきでもなし。にかはづけといふ物候よ」(巻四、いやな批判)。 七五 地震ゆり候明る日…(八三頁) 醒睡笑に類話があるが、昨日は今日の物語の方は、本願寺の門跡にしたので、最後の揶揄がきいている。 三人行合て、一人がいふ、「さて<、昨日のなゆは」。又一人いふ、「なゆではない、じゆしんがほんじや」。今一人が、「なゆやらじゆしんやらしらぬが、世はねつするかとおもふた」(巻三、不文字)。 七六 大ちご小ちご、富士の山に雪の有を御覧じ…(八三頁) 醒睡笑では当時の読者(大部分は京都周辺)に身近な三上山とし、また琵琶湖をとろろ汁に見たてている。 大児のいへるやう、「あの三上山が飯ならば、何とあらふの」とありしに、小児端的の返答に、「水海がとろゝ汁ならばねられもせんや」と(巻六、児の噂)。 七七 童を風の子と申は…(八四頁) 醒睡笑に類話。当時このような謎々が流行していた。謎ばかりを集めた、後奈良院御撰と伝える「何曾」という本もあり、また、寒川入道筆記には、謎ばかり百九条も集めた「謎詰之事」もあり、昨日は今日の物語、醒睡笑をはじめ、当時の諸書にもしばしば載る。 「「わらんべは風の子」と、しか(知る)しらず世にいふは何事ぞ」「ふうふのあひだのなれば也」(巻一、謂被謂物之由来)。 七八 むかし、嵯峨の天皇の時、「無悪善」といふ落書をたてた(八四頁) この話、次にあげるように、江談抄以下諸書に載り、それぞれの書によって、話の進め方、文体が異なるが、宇治拾遺物語が最も本書の形に近いようである。やや長文で煩わしいが、諸書の話を年代順にならべ、話の変化してゆく過程を追ってみよう。 嵯峨天皇御時、無悪善ト云落書、世間ニ多々也。篁読云、无悪【サガナクハ】善【ヨカリナマシ】ト読云々。天皇聞v之給テ、篁所為也ト被v仰テ蒙v罪トスル之処、篁申云、更不v可v作事也。才学之道、然者自今以後可2絶申1云々。天皇尤以道理也。然者此文可v続ト被v仰令v書給。 十廿卅五十海岸香。〈有v怨落書也。〉 二冂口月ハ三中トホス。〈市中用2小斗1。〉 唐ノケサウ文谷傍有欠。〈欲2日本返事1。〉 木頭切月中破。〈不用。〉 一伏三仰不来待書暗降雨慕漏寝(ツキヨニハコヌヒトマタルカキクモリアメモフラナソコヒツゝモネン)。〈如v此読云々。〉 粟天八一沼。〈加坂都。〉 或令為市ニハ有砂々々。 又左繩足出。〈志女砥与布。〉 (江談抄、三、嵯峨天皇御時落書多々事) 今は昔、小野篁といふ人おはしけり。嵯峨の帝の御時に、内裏にふだをたてたりけるに、無悪善と書きたりけり。帝、篁に、「よめ」とおほせられたりければ、「よみはよみ候ひなん。されど恐にて候へば、え申さぶらはじ」と奏しければ、「たゞ申せ」と、たびたび仰られければ、「さがなくてよからんと申て候ぞ。されば、君をのろひ参らせて候なり」と申ければ、「おのれはなちては、たれか書かん」と仰られければ、「さればこそ、申さぶらはじとは申て候つれ」と申に、御門「さて、なにも書きたらん物は、よみてんや」と、おほせられければ、「何にても、よみさぶらひなん」と申ければ、かた仮名のねもじを十二書かせて、給て、「よめ」とおほせられければ、「ねこの子のこねこ、しゝの子のこじゝ」とよみたりければ、御門ほゝゑませ給て、ことなくてやみにけり(宇治拾遺物語、三、小野篁広才事)。 嵯峨帝御とき、無悪善と書ける落書有けり。野相公に見せらるゝに、「さがなくてよし」とよめり。悪は、さがと云よみの有故に、御かどの御気色あしくて、「扨は臣が所為か」と仰られければ、「か様の御うたがひ侍には、智臣朝にすゝみ難や」と申ければ、御かど、二伏三仰不来待、書暗降雨恋筒寝」とかゝせ給て、「是をよめ」と給はせけり。「月夜には来ぬ人またるかきくらし雨もふらなむこひつゝもねむ」とよめりければ、御気色直りにけりとなむ。「落し文は、読ところに咎有」と云こと、是より始るとかや。童部のうつむきさいと云物に、一つふして、三仰けるを、月夜と云也。抑、此歌古今集に、よみ人しらずとて入り。嵯峨帝より後人よみたらば、此儀にかなはず。若御かど始て作出給へるを、彼集に入たるにや。又前代より人のよみおける古歌歟、不審なり(十訓抄、七、無悪善の落書、一伏三仰の詩歌)。 嵯峨帝御時、無悪善とかける落書有けり。野相公に見せらるゝに、さがなくてよけむとよめり。悪はさがとよむゆへ也。御門御気色あしくて、扨は臣が所為かと仰られければ、か様の御疑侍らむには、智臣朝にすゝみがたくやと申ければ、一伏三仰不来人待書暗雨降恋筒寝とかゝせ給て、是をよめとて給はせけり。「月夜には来ぬ人またる掻曇り雨もふらなん恋つゝもねん」とよめりければ、御気色直りにけりとなん。落ぶみはよむ所にとがありと云事はこれより初るとかや。わらべのうつむきさいと云物、一ふして三あふげるを月夜といふ也。此歌は古今集に読人不知の歌也(東斎随筆、人事類)。 七九 ある人、いかにもうつけたる若党を…(八四頁) 寒川入道筆記に類話が載るが、文体はいかにも古拙で、語り口も不器用である。 一、高知行とる人の内の者に一段と文盲ナル人あり。乍去無油断奉公人たるに依て、人が馳走する□間、よき数寄しやの所に茶にようだ。 会過て主のもとへゆく。則会席の体を主のとはれたれば、「其にわかう様やかみ様の御座候程に申スまひ」ト斟酌せらる。「くるしからぬ、はや申され候へ」とせつかれた。「さらば申さう。汁は一段と見事なか、わらび」と申さるゝ。「さて其わらびが爰のさし合か」「中々」「なぜに」ととはるれば、「先づわらびのわは、わかう様のわの字。らはとの様のらの字。びはかみさまの彼びのちジヤ」ト。いらぬ事に気をつけたの。 八〇 曾呂利と申者(八五頁) 曾呂利新左衛門の伝は殆んどわからない。 頭注に若干補えば、のち剃髪して坂内宗拾といったとか、香道を志野宗心に、かつ茶事を武野紹鴎に学び、豊臣秀吉に眤近して、その寵を受けたという。当時、茶道や香道が流行し、ことに堺では、千利休・津田宗及らを輩出し、その流行が甚しかったから、曾呂利にもかかる事実があったかもしれぬ。また、なぜ曾呂利という名がついたかについては、物類称呼に、次の話が載る。「天正文禄の頃曾呂利新左衛門と云者有。泉務境の住にて鞘師也。細工の名誉を得たり。刀の鞘口にそろりと納るをもつて異名とす。太閤秀吉公朝鮮征伐のをりから、一首の落首をぞたてける 太閤が一石米を買ひかねてけふもごとかいあすも御渡海」(巻五)。 とにかく実在の人物だが、沼の藤六・暁月坊・一休などと同様、早くからその伝が不詳となり、頓智の名手として諸種の話が仮託されたらしい。これは、ほぼ同じ頃の雄長老などもまた然りで、建仁寺の住職をつとめ、当代屈指の学僧として名高かったにかかわらず、死後半世紀もたたぬうちに、次第に、その伝は勿論、英甫永雄の諱や道号さえ忘れられてゆき、単に狂歌の名手、雄長老、幽長老として記憶され、逸話や奇行、狂歌などが仮託、付会されるようになった。 そんなわけで、この話なども、次頁(八六頁)頭注に言ったごとく、雄長老百首狂歌の「夢」と全く同趣である。或いはこの狂歌から本書の笑話が作られ、曾呂利新左衛門に仮託されたのかもしれぬ。寛文十二年刊の浅井了意作の「狂歌咄」なども、のちに曾呂利の一篇を冒頭に加えて、「曾呂利狂歌咄」と改題して刊行されている。その一篇は曾呂利の話としては最もよくまとまっているので、やや長文だが、次に掲げる。 往古より一芸にすぐれし者は、用ひられずといふ事なし。昔太閤秀吉公の御時、御側さらずの御伽に、曾呂利といふ者あり。此者の本名は新左衛門というて、泉州堺南の庄目口町の内に、浄土宗の寺内を借りて居住せし刀の鞘師なり。細工に名誉を得て、小口より刀をさし入るに、そろりと鞘口よくあふゆゑに、異名を曾呂利といひけるが、秀吉公へ召出され、細工を承るに、おどけ者にて軽口を申せし故、御機嫌にあづかり出頭せしなり。然るに、秀吉公の御秘蔵の松枯れければ、尊慮にかけられ、御機嫌すぐれざるところへ、曾呂利まかりいで、「御秘蔵の松枯るゝとは、限もなき目出度御事、御小姓衆御硯、御祝儀に一首仕らん」と、さら<と書きて照覧に入奉りける、 御秘蔵のとこよの松は枯れにけり己がよはひを君にゆづりて 秀吉公御感ありて、「よくこそ祝うたり。曾呂利に金とらせよ」とありければ、曾呂利承り、「あり難き仕合、然し只今御金を拝領仕るよりは、日毎に君の御耳を嗅がせて下され候はゞ、御金に勝り有難からん」と申上ぐれば、太閤をかしく思召して、「それこそ安き事、毎日嗅げよ」と仰下されけれぽ、曾呂利よろこび、諸大名御登城御目見を見かけては、其まゝ太閤の御耳を嗅ぎければ、大名衆、我身の事を囁き申上ぐるやと、心もとなく思召して、曾呂利に我も<と諂ひ、内証より金銀を送られければ、俄に有徳になれり。或時御茶事有りて、御茶菓子に黒胡麻のあんをおきたるお餅出でければ、「此餅にて、曾呂利狂歌」と御上意ありければ、餅飲みこむや否や、 黒ごまのかけて出たる餅なれば食ふ人ごとにあらむまといふ 秀吉公をはじめ、一座の歴々興ぜさせ給ひけり。またある御夜食に蕎麦がきを御好みなされ、御相伴衆へも下さりける。曾呂利も末座にありけるが、蓋をあけてとりあへず、 うす墨につくりしまゆのそば顔をよく<見れば三角なりけり 名月の夜、御近習のともがら御勝手に居て、曾呂利が御前より下りけるを招かれ、「其方に今宵、例の狂歌を望みなば、さだめて名にしおふ月なれば、よき狂歌ども兼てよりこしらへおきぬらん、それは何程秀逸にても、はらみ句なればのぞみになし。はらみ句といふ題にて、名月の発句せよ」と、難題を言ひかけられしかば、曾呂利やがて、 はらみ句やさんご夜中の子望月 其外、紙袋を米蔵にきぜての狂歌、木釜のはなしにて、流石の秀吉公に手をとらせ奉りしなどの古き咄、皆人知れる事なれば、いふに及ばず。名誉なる狂歌咄の上手なり。かくて心地わづらひて、今はの時、太閤よりかたじけなくも上使をたまはり、「何事にても望はなきか」との御上意あれば、「別に望も御座なく候。冥途に御座ある御一門様方へ、若御書にても遣され候はゞ、片便宜にては候へども、届け申上ぐべし」と、事きれるまで、おどけ申しけるとなん。咄のみにあらず、詩歌にも携り、優しかりし男にて、今に名誉を残せり。 これらの話が、いずれも曾呂利についての事実談とはかぎらないようである。例えば、「うすゞみ」の狂歌の話は、上30話(六〇頁)では、細川幽斎の狂歌としている。他にもかかる仮託の記事が多いことであろう。 八一 変成男子の法(八八頁) 法華経第十二、提婆品に、竜女が文殊菩薩の大乗の教を聞き、垢穢多く、かつ五障をもつので成仏出来ぬ女の身ながら、三千大千世界の価値のある一宝珠を仏にささげ、仏はこれを納受して、竜女は忽ち「変成男子」つまり男となって正覚成仏したことをいう。 「又聞成2菩提1、唯仏当2証知1、我闡2大乗教1、度2脱苦衆生1、爾時舎利弗、語2竜女1言、汝謂3不v久得2無上道1、是事難レ信、所以者何、女身垢穢、非2是法器1、云何能得2無上菩提1、仏道懸膿、経2無量劫1、勤苦積v行、具修2諸度1、然後乃成。又女人身、猶有2五障刈一者不v得v作2梵天王1、二者席釈、三者魔王、四者転輪聖王、五者仏身。云何女身速得2成仏1、爾時竜女、有2一宝珠1、価直三千大千世界。持以上v仏、仏即受v之。竜女謂2智積菩薩尊者舎利弗1言、我献2宝珠1、世尊納受。是事疾不。答曰、甚疾。女言、以2汝神力1、観2我成仏1、復速2於此1。幻当時衆会、皆見下竜女忽然之間、変成2男子1、具2菩薩行1、即往2南方無垢世界1、坐2宝蓮華1、成2等正覚1、三十二相、八十種好、普為2十方一切衆生1、演中説妙法上」。 八二 ある人、わづらひさん%・なりければ…(八九頁) 新撰狂歌集に、次のごとく、仮名と漢字が異るだけで、一字一句同文の詞書と狂歌が載る。昨日は今日の物語の九行整版本を作る時、新撰狂歌集からこの咄を書き抜いたものか。或いは、共通の出典があって、それぞれ忠実に転載したのか。 有人わづらひさん%\なりければ、くすし来り一脈とりてくすりをあたへ、色々のどくだちをかきつけけるに、一儀の事は親類もみる事ありとて書付ざれば、くるしからずとてつゝしぎざるゆへ、以の外さいほつす。くすし来りて、さたのかぎりとしかりければ、 どくだちのうちならばこそあしからめそゝは何かはくるしかるべき (上巻) 八三 有人、石山寺ゑ参詣して…(九一頁) 醒睡笑に類話。この方がやや詳しく丁寧な叙述である。 京より、いたらぬ者どもつれだち、石山でらに参り、縁起を所望してよませきゝ、「抑此石山寺は、前に湖水あり、うしろに山あり、峰に塔あり、谷に塔あり、二王門あり」。既によみはてぬる時、一人が申けるは、「誰人の建立とこそ存つるに、扨は飛鳥井殿のたてさせ給ひて候よのう」「其願主は、なにの合点よりいふそや」「其事よ。縁起の次第が、いづれのことばにも、なにあり、かあり、ありくとよまれたほどに、さうかとおもふて」(巻三、不文字)。 なお、石山寺は、古くからもっとも尊崇された観音の霊所で、王朝の物語などにもしばしば出てくる。一時は寺領一万二千石を有するほど勢力が盛んであったが、天正のころ荒廃していた。それを秀吉の妻淀君が寺領を寄付し堂宇を再建、徳川氏も慶長十八年寺領を寄付したりして、本書の出来るころ目ざましく復興した。この話もかかる石山寺の再興を背景としているのであろう。この石山寺の話が戯言養気集に載らず、醒睡笑と昨日は今日の物語にあるのも、そのためであろうか。 八四 飛鳥井(九一頁) 藤原氏の一系。鎌倉時代のはじめ、難波頼経の子雅経が飛鳥井氏を称した。雅経は新古今時代の代表的な歌人の一人であった。子孫も代々和歌・書道・蹴鞠にすぐれ、これを家の業とし、しばしば天皇の師範ともなった。その書は飛鳥井流として有名。明治には子爵に列せられた。蹴鞠は、難波家と共に師範家として勢力を振ったが、飛鳥井家の方が代々和歌や書道などにすぐれた人物をしていたので、蹴鞠の面でも難波家を圧倒して有名であった。「飛鳥井、難波ハ兄弟同宗之家ニテ、元来、飛鳥井ハ難波之別流ニ候。蹴鞠之事、難波刑部卿頼輔卿ト申人ヨリ、其孫刑部卿宗長卿、参議雅経卿ト申両人江相伝有v之。宗長卿ハ難波家ヲ相続シ、雅経卿ハ則飛鳥井家之元祖ニテ、是ヨリ飛鳥井家起リ候。右宗長雅経両卿ヨリ、両家共、代代相承家業ト相成、勿論、両家ヨリ御師範ニモ被v参候事ニ候」(諸家家業記)。 八五 わたましの連歌に…(九一責) 醒睡笑(狭)によく似た形で見える。 移徙の連歌に、 春の日は軒端につきてまはるらむ といふ句を出せり。宗匠、「けせ<」といはるゝ。執筆、「墨がくろふてけされぬ」といふ時、右の作者、「なにとやうにもけせ。又つけう程に」(巻七、いひ損はなをらぬ)。 八六 うつけたる物のより相…(九二頁) 醒睡笑(狭)に同趣の話が見える。 一天に雲尽て、星まんくとかゞやく夜、あたりの友をさそひ、端居してなぐさむ。口すさびに、「明星ほど大なるほしは、はてしもなふあるは」といふ。「しても、われが屋ねの上のはちいさい」と(巻六、詮ない秘密)。 八七 気の短き者のよりあひて…(九三頁) 戯言養気集に類話があるが、さらに、要件のみを最小限の短い文章でいう書簡を付している。 みじかき部 有人わきざしをかうて、知音のものにいふやうは、「これくのほりだしをして物ある。中々うちのまねは、おなりやるまひ」と云時、「ねすんは何程の物ぢや」と問しかば、「三百八寸で侍る」と答へた。摂津有岡の城をとりまきし在番衆のかたより、国本への文に、 態一筆火之用心お松やさすな馬こやせかしく (下巻) これは、のちの「一筆啓上、火の用心、おせん泣かすな、馬肥やせ」などの原型としてよかろう。 醒睡笑では、今までの行き方と異なり、戯言養気集や昨日は今日の物語で一般的な話を、特定の人物、即ち、当時名医として名高かった曲直瀬道三の話としている。 翠竹院道三のもとへ、脇指を持来りて、うらんといふ時、「此ねすんはいかほどぞ」とありしに、売主、「三百八寸」と返答せしも(巻八、頓作)。 八八 脇差(九三頁) 大刀に対する小刀をいうのは江戸時代になってからで、古くはあいくちのような懐中刀であった。本書の場合においては、すでに小刀をいうか。貞丈雑記によれば、「古の脇差は長さ、柄とともに八、九寸ばかり。鍔なく、柄まかず、今あひくちといふ物也。鞘のこじりを丸くし、懐中して衣服にかゝらぬ様」にした刀で、懐の中で脇へ差すので、この名があるという。「今は寸尺を長くし、鍔を入れ、柄を巻て、打刀と同じ拵、懐の外へ出す」。こうなったのは足利末、戦国時代からという(武家名目抄)。 八九 南禅寺(九三頁) 臨済宗本山、京都市左京区南禅寺町。五山の第一。弘安年中亀山上皇が普門無関に下宮を下賜されて創建、義満の時に五山の首班となる。戦国時代に荒廃したが、天正・文禄のころ玄圃霊三が出て復興、更に崇伝が家康に近づき僧録司となり、勢力を得、慶長十六年皇居造営の時には、清涼殿を下賜され、幕府よりも伏見・桃山の別殿を寄付された。寛永五年には藤堂高虎も山門を寄付している。即ち本書成立のころ、戦国の荒廃から目ざましく復興したので、この話も「ある禅寺」などとせずにわざわざ南禅寺に設定したのであろう。なお、学習院本では「むらさきのゝ大徳寺」となっているが、これも室町末から茶道と結びついて有名だった禅寺。 九〇 両きん山寺(九三頁) 径山寺と金山寺をいう。径山寺は中国五山の一。中国浙江省余杭県の西北にある径山の山麓にあり、臨済宗の専門道場。正しくは能仁興聖万寿寺という。唐の代宗の時、道欽(国一禅師)がここに入り、名高くなり、その後、圜悟の弟子大慧禅師が入寺するに及んで、寺勢大いに興り、来る者千七百に上ったという。その後何度か火災にあったが、無準が不撓不屈の努力によって再興し、堂室数百を数え、名僧が多くここに集まった。径山というのは、天目山頂に到る小径があるための俗称。 金山寺は中国江蘇省丹徒県にある江天寺の通称。堂塔伽藍が揚子江岸に聳え、名勝の一となり、詩歌にもしばしば歌われる。古く沢山寺、また竜遊寺などとよばれ、金山寺は元代以後の通名。南朝梁以来の古刹で、わが国五山の僧なども修行のためこの寺に遊んだという。とにかく、共に、わが国においても中国の禅宗の寺として広く知られていたので、両者を区別して、前者をこみちきんざん、後者をかねきんざんといい、両者を合せて、両きんざんという。「これは唐土金山(かねきんざん)の麓、楊子の里に高風と申す民にて候」(謡、猩々)。 九一 金蔵主、茶巾、布巾、浄巾の、つきむの、頭巾(九三頁) 「蔵主」は、もと禅宗で経蔵を司る重い僧役だが、一般に禅宗の僧の称に用いる。「茶巾」は、茶器を拭う布、茶布巾。「茶巾算」(下学集)。なお、禅宗と茶道とは関係が深いが、点茶の時、茶碗を拭うに用いる布巾を特にいうこともある。これは曲尺で長さ一尺、巾五寸が通常。朝鮮の照布が最上で、近江上布がこれに次ぎ、一般には奈良晒を用いる。「布巾(ふいきん)」は、ふきんの訛。食器用の布。なお、この訛は、方言として現在も山梨県・三重県阿山郡・山口県・大分県・熊本県の一部・延岡市・天草島などで行われているという(分類方言辞典)。「浄巾」は、手巾と同じ。「旧説曰、浄巾、即手巾也。日用軌範ノ抽脱ニ云、以2浄巾1搭2左手1」(禅林象器箋)。「手巾」は、てぬぐい、てふきの類。「漢王莽之斥2逐王閥1也、闕伏泣、元后親以2手巾1拭v之、於v是始見2手巾之目1」(事物紀元)。なお、頭巾は、禅宗の僧が、よく用いた。 九二 上京小川に、いがらし日蓮宗の信者あり(九三頁) 醒睡笑に話は同じような筋だが、反対に、日蓮宗の寺へ来た強情な念仏宗の信者の話が載る。当宗の寺へ、檀那のもとより、「此者を目代にして庫裏に置つかはれ候へ」と、年五十計なる男をあてがへり。理知幾に重宝なるが、朝暮高声に念仏す。坊主心うき事に思ひ、教化すれども更に同心せず。しいていふ、「汝経をいたゞきたらば、信心ふかき者と披露し、給分の外に合力を得させん」とすゝむる時、あらかじめ領状しけり。かくて十月十三日、御影供に諸檀那みなあつまれる座敷へかれをよび出し、件の趣をひろめ、受法さするに、彼男、「其事なり。いろ〳〵いやといへども、種々教訓のゆへ、経を頂て候。さりながら、いたゞきたる経をへちまともおもふにこそ」と。ありがたいといふておらゐで。情のこはさはどちらもまけまい(巻七、思の色を外にいふ)。 九三 三玄院の国師(九三頁) 現在、三玄院は、大徳寺法堂の西方にある塔頭であるが、もとはさらに西方で、総見院の南方に当る。天正十四年(一五八六)、石田三成・浅野幸長・森可成などの施財を以て創建し、春屋和尚を開祖とする。表門はもと石田三成邸宅の門で明治の初年まであったという。なお、三玄院には、利休の弟子剣仲(紹智)が寓居しており、またその境内の墓地には、春屋和尚・石田三成・古田織部などの墓がある(佐藤虎雄「紫野大徳寺」)。春屋宗園は、大徳寺百十一世、朗源天真禅師と呼ぽれ、朝廷から大宝円鑑国師の国師号を下賜された高僧。国師は、禅宗の高僧に朝廷から下される称号。慶長十六年三月九日寂、八十三歳(大徳寺住持歴代)。三玄院も春屋も天正から慶長末年にかけて有名だったわけである。 九四 又ある人、下人をよび…(九四頁) 戯言養気集に類話があるが、昨日は今日の物語に比べると、いかにも古体を存している。 清水寺に住老僧、下小ぽうしに、「あすは元日に有ほどに、茶は大ぶく、もちのにたるをばかんといへ。かまひて万意得申候へ」とをしへければ、「畏て物ある。御心安かれ」と申せし時、「さてもわどのは物によく心得たるものちや。あづきもちをたべよ」と有ければ、十計にやいた。かくて夜も明ければ、ちやのゆの所に、わか水しかけ、りん〳〵とたぎれば、「法印さま〳〵、おちやたうもよく御座ある。いそぎおひるなれ。申〳〵、まだお枕は上らぬか」と云てをこひた。評して云、しゐて福をもとむる者は、色こそかわれ、此なげきにあひぬる事あり。あゝ天理に合する福有ものを(上巻)。 九五 野宮の森のこがらし秋ふけぬ(九五頁) 世阿弥作の謡曲「野の宮」(三番目物)に、旅の僧が野の宮に行くと、源氏物語の六条御息所の亡霊が現われ、葵の上との加茂の車争いの恨みを語るが、その亡霊が現われるところにある文句を、そのまま用いている。「花に馴れ来し野の宮の、〳〵、秋よりのちは如何ならん。をりしもあれ物の寂しき秋暮れて、猶しをりゆく袖の露、身を砕くなる夕まぐれ、心の色はおのづから、千草の花に移ろひて、衰ふる身のならひかな。人こそ知らね今日ごとに、昔の跡に立ち帰り、野の宮の、森の木枯秋ふけて、〳〵、身にしむ色の消えかへり、思へば古を、何と忍ぶの草衣、きてしもあらぬ仮の世に、行き帰るこそ恨みなれ、〳〵」(謡、野宮)。かくて、亡霊は、娘の斎宮と共に伊勢へ下る。ここでは、謡曲の文句をそのまま取ったことを気づいた紹巴が、皮肉に、斎宮が伊勢神宮へ行ったのち、野の宮のあとが留守になるから、「ついでに錠をさせ」と言ったのであろう。 九六 連歌師のあたりに…(九五頁) 醒睡笑に類話。こちらの話の方が大分手がこんでいるが、それだけに、完成したかたちになっている。 連歌に身をやつし、心をそめ、臥にもおくるにも、此事のみなりつる人の栖なる軒の下に、夜小便する音しけり。彼亭主とがめていへるやう、「夜分に居所へきたつて水辺をくだすは、人倫か生類か。植(へ)物をもつて打擲せよ」(巻七、思の色を外にいふ)。 九七 ある人、子を寺へあげ…(九五頁) 醒睡笑に類話があり、少年は久松という、いかにも里の少年らしい名となっている。また末尾に狂歌二首がついている。これは古体を存するとすべきか、策伝の和歌・狂歌に対する強い愛好癖が然らしめたのか。 久松といふ子を、山寺にのぼせをきたり。親見舞とて寺にいたり、一夜のほどとまりたるに、久松によりそふ老僧もわかきも、「すばり〳〵」といふもあり、「あかすばり」といふ人もあり。彼親父、 一円此道にうとし。不審はれぬまゝ、そとむすこにたづねけり。久松さかしく、「此寺の習に、下戸をばすばりといふてせゝる」とかたる。親聞、「げにも〳〵。下戸は酒にあふてから、くちがすばるほどに」とて、大に同心したり。ある時、夫婦つれだち寺に来る。ふるまいあり。酒のみぎり後見の法師出、「久松殿母義は、一つまいらぬや」ととひければ、男のいふ、「私は御存知のごとくすばりでは御座ない。をんなどもは、一ゑんのあかすぼりにて候」と申た。 よしくもれくもれ(衍力)くもらば月の名やたゝんわが身ひとりの秋ならばこそ よしすばれすばらば若衆なやたゝんわが身ひとりのすきならばこそ(巻六、若道不知) なお、醒睡笑には、同じく右の話に似た次の話も載る。幸菊といふひとり子を寺にのぼせ、物ならはせけるが、久しくあはぬなつかしさに、親、雑賞をかまへ師のもとに行。わかき坊主の幸菊にむかひ、「小穴〳〵」といふ。又よの人も、「小穴」とよぶ。「そも奇異のこと葉や」と思ひ、ちかづけてとひければ、これも、「此寺に下戸のからなを小穴といふ」とこたふ。「さもあらん」とがてんし、かさねて夫婦つれだち、寺に参しとき、女房に酒をしいぬれば、よくしりたるかほに、親いふ、「我らは一ゑんの小穴にて候。子もちはちと広穴なり、しいたまへ」と申た(巻六、若道不知)。 九八 連歌すきたる医者の所へ、薬取りにゆく…(九六頁) 犬筑波集に、殆んど同じ話が、詞書つきの句として載っている。「いみじき連歌すきなる薬師有けり。昨日の御薬とて取にまふできたりけれど、聞いれざりければ、内より包て書付て遣はすべきよし申ければ、せめられて 生姜三へぎにかへる鴈がね とかきてつかはしけり」(潁原本)。「又、連歌数寄なる薬師ありけり。昨日の御薬たまはり候へども、みちにてあまりに申ける程に、もどりて包に書付に申けるは 生姜三へぎに帰る雁がね」(松羅館旧蔵本)。 九九 帰るかりがね(九七頁) 崑山集、春の部に、「しやうが三へぎといふ文字か帰る雁 貞徳」とあり、これを崑山集の難書、馬鹿集で、次のように難じている。「しやうが三へぎといふ文字の帰雁 まへがき、くすし玄冶法印にてとあり。一句の仕立、きのふはけふの物語とかやいへる物に、連歌すきたる医者の所へくすり取に行、折ふし一順をみゐられけるが、心得たるとて薬を合、銘をかくとて、一つゝみに水てんもくに一はい乍入、しやうが三へぎにかへるかりがね、とかゝれたといへり。もし此心をもちゐられける歟。しからばかく亡却千万なる故事を位立て、玄冶のためには、おかしくめいぼくなき事歟。右三句は長頭丸作也」(二巻)。結局、貞徳が昨日は今日の物語の句を盗んで自作したと攻撃しているわけである。なお、右の記事について、既に潁原退蔵博士は気がついていたが、「たゞし昨日は今日の物語の流布本・古活字本等にこの話見えず」(「校本犬筑波集」頭注)という。この話の載る金・神・竜本や多本を目睹されてなかったからであろう。 一〇〇 連歌にては、人を殺すまい(九七頁) 戯言養気集に、結末は異るが、同じく紹巴と名医曲直瀬道三との相似た話が見えるが、これは笑話というより、いかにもお伽衆の話らしく、不器用ながら、実際の見聞談らしい実感がある。 古道三一渓、いしよかうしやく、聴聞の人、毎朝百人計有。其中にとしごろ十五、六、七、八なる人おほかりしを、ぜうは法橋見給ひて、涙ぐませ給ふ事しばしありてやみぬ。その後道三にあひ給ふて、「扨くそなたの門弟しうの内、二十にもたらざるしう多く、ぶんかうをひつさげ〳〵出入し侍るを見れば、なみだ計ぢや」と申され候へば、「さればその事にて物ある。今のわかき衆は、りこんさいかくに御座ある」と答へられし時、「いや、さうではなく候。あのおさなきものどもが、いくらの人をくすしころさうと痛入啼るゝ」と也。翠竹院けうをさまひて、「其方の芸をうら山しく存ずる。なぜなれば、そもじ程のれんがにてさへ、人をしころひたと云さたはないほどに」(上巻)。 (以下、準備中)