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112: フォレストン :2017/02/19(日) 12 38 17 陸軍のアウトソーシング。 提督たちの憂鬱 支援SS 憂鬱英国民間軍事会社事情 「中東に比べると本国は冷えるな…」 1945年5月下旬。 ロンドン・ヒースロー空港に一人の軍人が降り立っていた。男の名はデビット・スターリング。長距離砂漠挺身隊(LRPG:Long Range Desert Group)所属の陸軍少佐である。 同月15日に行われた日独模擬空戦において、LRPGと英国情報部による共同作戦は赫々たる大戦果を挙げていたのであるが、大っぴらに出来ない極秘作戦であるが故に上層部に直接報告する必要が生じた。そのため、現場指揮官のスターリング少佐だけ一足早く帰国したのである。 「スターリング少佐。お迎えにあがりました」 「遠路はるばるご苦労様でした。早速ご案内致します」 空港のロビーには陸軍と情報部の人間が出迎えに来ていた。3人を乗せたベントレーは、2トンを超える車重を感じさせない滑らかな動きで加速を開始する。 「…そういえば、目的地を聞いていないのだが。ナンバー10か?」 「着けば分かりますよ。我が国の真の国家中枢です」 「時間に余裕がありません。飛ばしますよっ!」 ヒースロー空港からロンドン市内まで1時間ほどの道のりであるが、ベントレーはその名に恥じぬ高性能ぶりを発揮。100km/h越えの高速巡航により30分で走り切ったのである。 113: フォレストン :2017/02/19(日) 12 39 47 「我々はここまでです。ここから先は少佐お一人で」 「分かった。ありがとう…」 案内されたのは国会議事堂の一室であった。入口には『During the Round Table』(円卓の間)と書かれたネームプレートが掲げられていた。ただならぬ雰囲気を感じて扉を開けるのを躊躇したが、意を決して扉を開け放つ。 「やぁ、英雄殿の登場だ」 「遅かったじゃないか。早くこちらへ来たまえ!」 「さすがというか、歴戦の勇士は貫禄があるな!」 扉を開けたスターリングの前に現れたのは、与野党の有力議員や官僚、公務に関わる大貴族、さらに各界の著名で実績ある識者らであった。平時であれば、まず一堂に会することは有り得ない面子である。事前にある程度の情報は知らされているらしく、彼らは興奮気味に囃し立てる。 「彼は長旅で疲れているのだ。もう少し労わりたまえ!」 騒ぐ彼らを一喝したのは、現首相であるオズワルド・モズリーである。 現実離れした光景にただ絶句するしかないスターリングであった。 「すまないなスターリング君。最近明るいニュースが無かったので、彼らが浮かれるのも無理も無い事なのだ。許して欲しい」 「いえ…。その、首相閣下。この集まりは一体…?」 「聞いておらんのかね?ここは円卓。我が国の真の中枢だ」 円卓は、いかなる外部からの横やりを受けないように完全に独立した存在である。過去に政治に振り回されて失敗した愚を繰り返さないために、純粋に国益を追求するために配慮されたためである。 今まで前例が無い指導体制故に最初は不手際も目立ったが、世界中に張り巡らされた諜報網から集めた情報の収集と分析が有効に機能し始めると着実に成果を得ていった。円卓のことを夢幻会の猿真似と嘲笑っていたドイツも、同様の組織である『騎士団』の設立を真剣に検討することになる。 114: フォレストン :2017/02/19(日) 12 41 23 「では、スターリング少佐。今回の作戦の詳細な報告を聞こうか」 場が落ち着いたのを見計らって、英陸軍参謀総長アラン・ブルック元帥(Sir Alan Brooke)がスターリングに報告を促した。 「はい。今回の作戦で得た戦利品ですが…」 彼の戦果報告を聞いて、円卓全体にどよめきが広がる。それほどまでに得た物は多かったのである。今回の情報部と軍部の極秘共同作戦において挙げた戦果は以下の通りである。 陸軍の主力戦車の詳細。 軍用暗号の一部。 最新のジェット戦闘機の機体とエンジン構造の図面や部品の一部。 上記以外の装備の現物や取扱説明書など。 疾風に完敗してお通夜状態なドイツ空軍はもちろん、空軍の惨敗に動揺した陸軍や親衛隊も外部に対する警戒が甘くなっていた。そこに情報部が入念に下調べと工作を実施し、さらにゲリラを装ったLRPGで各基地を襲撃。襲撃で混乱する基地内に密かにエージェントが送り込まれ、スマートかつ徹底的にバレない程度に機密を盗んでいったのである。 ドイツ側も決して無能というわけではなく、部品の紛失やかすかな違和感で外部からの工作に気付いた者は幾人もいた。しかし、彼らの報告は現場責任者に握りつぶされた。もちろん保身のためである。疾風に完敗して世界中に醜態を晒したうえに、外部からの工作を受けたことを伍長閣下に馬鹿正直に耳に入れた日には、冗談抜きで物理的に首が飛びかねない。良くても最前線送りであろう。紛失した図面や部品は最初から無かったことにされ、真相は闇に葬られたのである。 115: フォレストン :2017/02/19(日) 12 42 56 「…報告は以上です」 「うむ、素晴らしい戦果だスターリング君。諸君らの国家への献身に何らかの形で報いねばなるまい」 「ありがとうございます。首相閣下」 なお、褒賞の内容については事前の協議にて既に決定しており、以下の通りであった。 作戦に参加した情報部員に大英帝国勲章(Order of the British Empire)と報奨金の授与。 作戦に参加したLRPG全隊員にヴィクトリアクロス(ヴィクトリア十字章:Victoria Cross)授与。 デビット・スターリング少佐を除く作戦に参加したLRPG隊員の1階級昇進。 デビット・スターリング少佐を除く作戦に参加したLRPG隊員にミリタリーメダル(Military Medal)授与。 デビット・スターリング少佐の2階級特進。 デビット・スターリング少佐にミリタリークロス(武功十字章:Military Cross)授与。 昇進と勲章の大盤振る舞いであるが、これはドイツ相手にパーフェクトゲームを成し遂げたことと、極秘作戦で大っぴらに出来ないことを鑑みてのことである。ただし、スターリングの特進については別の思惑も存在していた。 「ところで、スターリング少佐。君は興味深い提案をしていたね?」 「例の特殊部隊のことでありますか?」 「うん、君には部隊司令として部隊の創設に関わってもらいたい」 アラン・ブルックの言う興味深い提案とは、彼の提案した特殊部隊のことであった。第2次大戦中、LRPGは遅滞戦術の一環として枢軸側の飛行場の襲撃を行っていた。彼らは最前線を大きく迂回して砂漠を踏破、敵の飛行場に機関銃を乱射しながら殴り込み、駐機中の航空機をダイナマイトで爆破し、コクピットに手榴弾を投げ込んで破壊した。爆薬類が尽きると手斧で破壊するなどして、最終的に100機以上の航空機に損害を与えていた。スターリングは、このときの経験を元にして、より効率よく作戦遂行が可能な特殊部隊の創設を上申していたのである。 彼の提案は、諸般の事情で判断保留のまま棚上げされていたのであるが、今回の大戦果によって再び注目されることになった。後にSAS(Special Air Service)と呼称されることになるこの部隊は、世界最強クラスの特殊部隊として戦後の局地紛争や対テロ戦で目覚ましい活躍をあげることになる。 116: フォレストン :2017/02/19(日) 12 44 37 「…ところで、君は今後の陸軍についてどうすれば良いと思っているかね?」 「は?参謀総長閣下、それはどういう意味で…」 「言葉通りの意味だよ。戦時の兵力を維持するには限界がある。いずれ縮小せざるを得ないだろう。しかし、ドイツとの再戦に備えるために陸軍の軍備に手を抜くことは出来ない。我々も知恵を絞っているのだが、中々良い案が出てこないのだ。何か良いアイデアは無いかね?」 「…」 英国は海軍国であり、当然ながら軍備は海軍が優先された。そのため、戦時ならともかく平時における陸軍戦力は縮小せざるを得ないのである。これは戦後復興のための人材不足に悩む産業界からの強い要請でもあった。 なお、同様の問題は極東のチート島国でも抱えており、かの国の陸軍では肥大化した国土を少ない師団数で守ることに悲鳴をあげていた。しかし、仮想敵がドーバーを挟んで目前にいる英国のほうが、より問題は深刻であった。バトル・オブ・ブリテンの最中に、陸軍の建て直しに奔走したアラン・ブルックが、目の前の英雄に縋るのも無理もないことであった。 「あくまでも個人的な案ですが、無いわけではありません」 「…聞かせてもらおうか」 「大兵力を養うには、とかく金がかかります。この問題を解決してしまえば良いのです」 「それが出来れば万々歳ではあるが、そのようなことが可能なのかね?」 「出来ます。軍隊ではなく会社形態にして利益を確保すれば良いのです。前線ならともかく、後方ならば警備任務が精々なので装備は旧式でも問題ありません。会社の体裁をとりますが、有事の際に速やかに軍に戻れるように階級に相当する役職も用意します」 彼の提案は、いわゆる史実の民間軍事会社であった。このとき既にインドの独立は秒読み段階に入っていた。未だ公的には伏せられていたが、最前線にいたスターリングは英国がインドを手放すことを確信していた。彼は英国が衰退していくのを憂慮し、英国の海外における影響力を確保するための構想を練っていたのである。 117: フォレストン :2017/02/19(日) 12 45 28 「面白いアイデアだ!なるほど、『軍隊』では無いのだから、国外派遣で世論に配慮する必要は無いな」 「死亡しても『戦死』ではなく『殉職』扱いですな。遺族年金も抑えられます」 「『社員』が不足するようならば、グルカ兵を充てればよい。それでも足りなければ、現地採用すればよいな」 「情報部としても、現地に展開しやすくなるので全面的に賛成です」 「需要も期待出来ます。中東の湾岸諸国や香港などの都市国家、今後の状況によってはさらに需要が増大するでしょう」 まさに瓢箪から駒なスターリングの提案は、円卓の面々で活発に議論された。最終的に以下のように決定したのである。 組織は警備会社の形態にすること。 営利組織として利潤を追求すること。 『人材交流』を容易化するために、軍の階級に対応した『役職』を用意すること。 情報部と新設される特殊部隊(SAS)の出先機関とすること。 118: フォレストン :2017/02/19(日) 12 48 20 彼の提案した会社は、『ウォッチガード・セキュリティ』の名で警備会社として起ち上げられることになった。極秘にされていたが、筆頭株主は英国政府であり実質的には国策会社であった。社員は陸軍を除隊したものを優先的に採用し、優秀な軍歴保持者は優遇される制度になっていた。 ウォッチガード・セキュリティの装備品であるが、これは陸軍が軍縮して浮いた装備がそのまま譲渡された。基本的に後方警備であるので、旧式の型落ち兵器で十分だったのである。当時はステンガンが有り余っていたので、隊員の装備は基本的にステンガンであったが、業務が拡大すると独自に装備を調達することになる。 装備品の調達範囲は多岐に及び、英国だけでなく日本や北欧、モノによってはドイツからも調達することもあった。これは、民間会社としてのアリバイ作りであるが、調達した装備品を研究・解析するためでもあった。もっとも、これらの研究は兵器開発には役立っても、兵器の英国面を無くす役には立たなかったのであるが。 社内における役職であるが、『一般隊員』が兵卒に相当し、『分隊長』が下士官、『隊長』が尉官に相当した。佐官クラスだと『課長補佐』や『課長』、将官クラスだと『部長』や『本部長』となる。もっとも、これは表向きの話であり、会社の内部資料では軍の階級がそのまま用いられていた。この他にも、入社前の経歴や戦功が給与に反映された。さらに、社員が挙げた業績によって特別ボーナスが支給されるようになっていた。 なお、ウォッチガード・セキュリティにおいても兵士は兵士、下士官は下士官で終わりという点では変わりなかった。たとえ入社前に歴戦の勇士でも、入社後にどれだけ実績を重ねても、入社前に幕僚課程や上級士官課程を取得していない者は現場揮官以上に昇進できない制度になっていた。そのため、キャリアアップを目指して業務の合間に勉学に励む隊員が急増した。この傾向は、特にアフリカで現地採用された隊員に多くみられ、アフリカ出身の『課長』や『部長』の比率が高くなっていくことになる。 警備会社ではあるが、国内よりも海外に展開することが多いために情報部が隠れ蓑にするには最適であった。情報部員は渉外担当や、通信担当に所属していたが、重装備を持ち込んでも怪しまれないので、資材調達担当にも所属していることも多かった。ウォッチガード・セキュリティの上層部は、社員に情報部のエージェントが紛れていることは承知していたが、具体的な人数や配置までは把握しなかった。もちろん機密保持のためであるが、あくまでも民間企業と言い張るためでもある。 基本的に後方警備が主要な業務なのであるが、緊急事態に対応するために少数精鋭の部隊も用意していた。隊員は全員がSASからの出向か元グルカ兵であり、士気も練度も高い装備優良部隊であった。その戦闘能力は非常に高く、後に南アフリカ支社に所属する緊急展開部隊は現地の正規軍を圧倒、壊滅的損害を与えて内戦終結に寄与することになる。 119: フォレストン :2017/02/19(日) 12 51 05 「…というわけで、スターリング君。SAS司令と警備会社社長を兼任してくれ」 「ちょ、ちょっと待ってください首相閣下。さすがに兼任は無謀では無いかと思うのですが!?」 円卓での会合から1週間後。モズリーに個人的な面会を要請されたスターリングは、思わぬ事態の推移に動揺していた。モズリーは、そんな彼の肩をにこやかに笑いながら叩く。 「なに、君は若いんだ。いくらでも無茶は出来るだろう」 「いや、これは無茶とかそんなレベルでは…!」 「スターリング君、知ってるかね?あの日本のシマダ首相は1日3時間しか寝ていないと聞くぞ。君は若いんだから2徹や3徹くらい問題ないだろう」 顏は笑っているが、目は笑っていない。というかヤバい。ぶっちゃけ『石川目』である。選択肢は『はい』と『YSS』しか存在しなかった。 半年後の1945年11月、ウォッチガード・セキュリティが正式に設立された。社長には、デビット・スターリング予備役大佐が就任した。民間会社の社長が現役軍人だとまずいので、表向きは現役から退いた形にしたのである。実際はSAS司令を兼任する必要があったので、軍籍は保持していた。 さすがに二足の草鞋は無理過ぎたので、後に正式に退役して警備会社に専念することになるのであるが、軍と情報部、さらには円卓ともパイプを持つスターリングは、貴重な人材として散々にこき使われることになるのである。 120: フォレストン :2017/02/19(日) 12 52 19 ウォッチガード・セキュリティの初仕事は、日本が中国大陸に獲得した新領土に建設中のユダヤ人自治都市の警備業務であった。この仕事にはロスチャイルド家の意向が強く働いていた。民間企業である限り、有力株主の意向には逆らえないのである。もっとも、ロスチャイルドにとって、ユダヤ同胞の支援は表向きの口実であり、本音は自治都市建設に関わることによって、日本とのコネクションを築くことであったが。 現地に展開するためには日本政府との折衝が必要であったが、民間企業であるためにあっさりと入国が認められている。これが英軍であったら、日本国内の世論が煩くてそう簡単に事は進まなかったであろう。 今回の業務に先立ち、パレスチナ在住のユダヤ人を大勢採用していた。自治都市に住むユダヤ人との摩擦を少しでも減らすためである。ユダヤ人たちが多く住むパレスチナは、英国の信託統治領であるが、この土地の周囲ではドイツ第三帝国の影響力が増していた。 『このままではいずれ自分たちも強制収容所送りになるのではないか』 そう危惧する声がパレスチナに住むユダヤ人の間に広がりつつあったのである。ウォッチガード・セキュリティの社員募集は、手に職を持って自由の地(ユダヤ人自治都市)へ行ける格好の手段であった。これはユダヤ人のパレスチナへの移民制限の強化と、欧州から流れ込んだユダヤ人の極東移送を進めている英国にとって都合の良いものであった。この動きに旧北米西海岸在住のユダヤ人も同調し、パレスチナへの同胞の支援を打ち切ったことにより、パレスチナからのユダヤ人脱出は加速化していくのである。 パレスチナからのユダヤ人脱出が進むにつれて、あくまでも聖地に祖国を作るべく自ら残ったユダヤ人達は次第に先鋭化していった。彼らはユダヤ人過激派と呼ばれ、パレスチナ周辺で過激なテロ活動を開始した。当然ながら、現地のパレスチナ人と衝突することになり、現地の治安は急速に悪化していくことになる。 121: フォレストン :2017/02/19(日) 12 53 38 ウォッチガード・セキュリティは、ユダヤ人自治都市の警備を皮切りに、大型案件を連続で受注することに成功して順調に業績を伸ばしていった。もっとも、これは営業努力云々以前に半ば国策会社であるが故に国家的プロジェクトに絡みやすいということもあったのであるが。現在の主要な業務は以下の通りである。 警備業務 後方における輸送業務 身辺警護業務 兵士の訓練 特殊業務 警備業務であるが、これは比較的安全な地域の警備を軍に代わって請け負う業務である。現地に駐留している英軍に代わってウォッチガード・セキュリティが常駐警備を請け負うのであるが、軍隊と比べると遺族補償、軍人恩給、褒賞などが無いので安上がりであった。英国の勢力圏内でも比較的安全な地域の警備をウォッチガードセキュリティに任せた結果、大幅な経費の節減に成功して財務大臣が小躍りしたと言われているが定かではない。 比較的安全と言っても、偶発的な戦闘も十分にあり得る場所なので、軍務経験者の比率が高いのが特徴である。その構成は元英軍兵士が大半であったが、業務が拡大すると人材不足を補うために現地採用された隊員が増えていくことになる。 現地採用される隊員が急増したのには、本国や豪州、カナダ出身の人材を雇用することによる人件費の高騰を抑える思惑もあった。アフリカや南米の植民地、さらに中国大陸などの内戦や紛争状態にある場所では、実戦経験豊富な元兵士を安く大量に雇用することが可能であった。英国人からすれば、薄給であっても現地採用される隊員からしてみれば破格の報酬なのである。特にネパールでは出稼ぎの手段として人気があり、グルカ兵の選抜に漏れた訓練生の応募が殺到していたのである。 122: フォレストン :2017/02/19(日) 12 56 30 ネパール国内には、子供の頃から格闘技や英語等の基礎教育を受けさせるための専門学校が存在しており、グルカ兵となるために日々の教育と鍛錬が行わていた。しかし、グルカ兵の登用は徴兵制でも志願制でもなく、英軍のスカウト部隊が山村を巡回する方式を取っているために競争率が非常に高く、グルカ兵への登用は狭き門であった。グルカ兵ほどでは無いにしても訓練生の戦闘能力は高く、現地採用された彼らはウォッチガード・セキュリティでも重宝されていたのである。 なお、英軍を退役したグルカ兵は、雇用契約によりネパールへ帰国させられるのであるが、英軍の年金だけでは生活が難しいため、その大半はウォッチガード・セキュリティに再就職することになった。彼らはその戦闘能力と経歴を考慮されて破格の報酬で雇用されて警備業務や後述の特殊業務に所属することが多かった。 この部署で10年間勤めあげると英国の市民権が付与されるのも、人気が高い理由である。アフリカ等の困窮する地域で現地採用された隊員は、貯蓄して10年後に英国へ移住するのが夢であった。もっとも、10年経つ前に大半が『殉職』か負傷による『退職』の憂き目に遭うのであるが。 123: フォレストン :2017/02/19(日) 12 57 50 後方における輸送業務であるが、これは英軍が駐留している地域で軍への補給を請け負う業務である。現地採用された隊員が際立って多いことが特徴である。業務内容が単純な力仕事やピッキング作業がメインなので、地元民を多少教育すれば事足りたのである。警備業務と同様に人件費が安上がりなので、これまた大幅なコストカットが可能であった。 難点としては、英軍に対する忠誠なんて存在しない地元民を雇うため、敵対勢力による後方破壊工作を受けるリスクが高いことである。そのため、枢軸側勢力に近い場所では英軍が業務を担うことが多い。それでなくても、政情不安定な場所だと現地のゲリラに襲撃されることが多く、非戦闘員が関わる仕事にしては死亡率は高めである。それでも、破格の報酬であるために募集かける度に応募が殺到しているのであるが。 人海戦術的な業務であるので、人材をまとめて雇用するために現地の人材派遣会社と契約することが一般的であり、雇用されてもウォッチガード・セキュリティの名前が出てこないことも多かった。そのため、何も知らない地元民が報酬につられて雇用契約を結んだ結果、『事故』に遭って『殉職』するケースも少なからず発生していた。 地元政府から危険性を指摘されたため、一時期は表立った募集を取りやめたのであるが、人材が確保出来ないとして現在では、バイト雑誌にも大々的に掲載されている。地元当局では、安易に多額の報酬につられないことや、危険性を承諾したうえで契約を結ぶことを呼びかけているが、焼け石に水であった。 なお、黒幕である英軍は、全ての責任を地元の人材派遣会社に押し付けており、むしろ被害者であるとして件の会社を相手に訴訟を起こしているが、最終的にこの件は有耶無耶になっている。 124: フォレストン :2017/02/19(日) 12 58 38 身辺警護業務は、英国人2名に現地人6名で構成される身辺警護小隊が最小限の構成であり、必要に応じて組み合わせる形式を取っている。個人の護衛からVIP警護まで幅広く対応出来るのが売りである。 政情不安定で紛争が多発する場所への学術調査や取材、個人的な旅行で移動する際には、必ずといって良いほどお世話になる部署である。なお、日本の勢力圏内では同様の業務を海援隊が行っており、現在は双方の勢力圏内への相互乗り入れなどの業務提携が進められている。 ヒマラヤの山岳ガイドを提供しているのもこの部署であり、現在は日本人登山家が主な顧客となっている。山岳ガイドを行うシェルバ族には、元グルカ兵の経歴を持つものが多いのであるが、これは上述の警備業務を何らかの理由で引退したか、英軍との雇用契約を終了して帰国したグルカ兵が再就職したものが大半である。 VIP警護は、護衛対象の重要度に応じて人員数が変動するのであるが、国家元首クラスになると大隊規模の護衛を付けることが一般的であった。指揮官は元SASか実戦経験者が充てられ、隊員も実戦経験者が優先的に割り当てられている。こちらは中東の湾岸諸国が主な顧客となっており、現在でも部族間の争いや後継者問題などで需要は多い。オイルマネーで潤っているためか、金払いが非常に良い優良顧客である。 125: フォレストン :2017/02/19(日) 12 59 13 兵士の訓練は、文字通り教官を派遣して現地の兵士の訓練を請け負う業務である。軍事顧問団を派遣すると敵対する国家を刺激することになりかねないが、ウォッチガード・セキュリティは、あくまでも民間企業なので、そのような問題は発生しなかった。そのため英国の勢力圏内だけでなく、北欧やイタリアの植民地でも業務を請け負うことがあった。 訓練と同時に兵器の売り込みも行うため、世界中の兵器メーカーと提携しているのが特徴である。なお、一番人気は日本製の兵器であるが、日本政府の方針と価格や武器弾薬の供給問題から導入は難しく、勢力圏に所属する兵器メーカーとの契約を仲介することが多い。別料金とはなるが、軍事音痴な新興国家に対して、身の丈に応じた軍備のアドバイザーとしての仕事も請け負っており、兵器メーカーとの価格交渉や契約調印のセッティングまで行っているのである。 国や自治領が顧客であり大型案件になることが多いため、枢軸側の兵器メーカーも積極的にウォッチガード・セキュリティと提携している。ちなみに、英国製兵器を選択すると割引で購入出来るのであるが、こちらの実績は一部を除いては芳しくようである。 126: フォレストン :2017/02/19(日) 13 00 12 特殊業務とは、今まで紹介した業務の全てに当てはまらない業務をまとめたものであり、上述の緊急対応部隊もここに含まれている。暗殺や破壊工作、その他表ざたに出来ない任務のオンパレードであり、人材も元SASや元グルカ兵、犯罪者や英国情報部など物騒な人材のサラダボウルである。 特殊業務は、ウォッチガード・セキュリティの支社の中でも、アフリカや中国大陸など政情不安定で紛争多発地帯の支社に密かに存在する部署である。 警備業務とは違い、ガチで戦争の出来る部署であり、SASやグルカ旅団からの出向者が多い。地域紛争などで彼らに戦場経験を積ませるための部署であるともいえる。精鋭部隊として、いかに訓練したところで、実際に人を殺さなければ戦場では使い物にならないのである。そのため、最近までSASやグルカ旅団の隊員は、一度はこの部署に所属して実戦経験を積むことになっていたのであるが、現在ではこの制度は廃止されている。 127: フォレストン :2017/02/19(日) 13 01 12 特殊業務の中でもひときわ異彩を放つのが、かつて南アフリカ支社に存在していたといわれる『レッドキャップ隊』と呼称される大隊規模の部隊である。事実上、円卓の直轄組織であり、この部署に所属すると、『殉職』扱いとなり隊員は『デッドマン』(deadman:死体)と呼ばれて社員名簿からは抹消された。家族との連絡に制限が付けられ、家族宛ての手紙も二重三重の厳しい検閲を受けることになる。 他の部署にくらべて破格の報酬が得られるが、それだけ命がけの部署である。様々な裏工作に従事しており、一部の例外を除けば、この部隊に所属する隊員の大半は豊富な実戦経験を有していた。 隊員の大半は何らかの形で犯罪と関わっており、多大な戦功を挙げながらも、犯罪を犯して除隊させられた元兵士や、かつて戦場指揮官として名を馳せながらも、戦犯として処刑されかけたところを、情報部の手引きで逃げだした元将校などである。彼らは一生遊んで暮らせるだけの報酬につられて、決して表に出せない任務に励んでいるのである。その大半は自らの人生の幕引きという形で終了するのであるが。 実戦経験豊富で最新装備に身を固めたレッドキャップ隊は、非常に使い勝手の良い捨て駒であり、上述のSASやグルカ旅団からの出向者の多い部隊とは違って全滅必至の極秘作戦に投入されることが多かった。アフリカの紛争の陰には彼らの暗躍と犠牲があったのであるが、あらゆる痕跡が消去済みであるため、後世における追跡調査を困難なものとしている。 128: フォレストン :2017/02/19(日) 13 02 08 英陸軍の経費節減の奇策として生まれたウォッチガード・セキュリティは、北欧や旧北米大陸の警備会社を吸収合併し、現在では世界最大のPMSCs(Private Military and Security Companies、民間軍事・警備会社)として業界に君臨している。英国と日本の勢力圏、さらには枢軸側勢力の一部にまで営業範囲は広がっており、従業員は数十万人規模で売り上げも小国の国家予算クラスという堂々たる多国籍企業である。 現在の売り上げは民間企業および富裕層向けの警備事業が約半数を占めており、純粋な民間軍事会社としての色合いは薄れてきてはいるが、未だにコア業務であり現在も有力な部門である。陸軍と情報部との関係も非常に強く、世界的な多国籍企業にも関わらず黒い噂が絶えない。 陸軍にしてみれば、兵士を養ってくれるうえに実戦経験まで積ませてくれる得難い存在であった。削減した人件費の一部を兵器の開発と生産に充てることが可能となり、さらに世界中に拠点があるので新兵器の実戦テストの場所には事欠かなかった。その関係は親密というより、既に癒着関係といってもよく、現に陸軍高官の天下り先の大半がウォッチガード・セキュリティである。 情報部は、世界中に存在するウォッチガード・セキュリティの支社を拠点として活用していた。その見返りに営業に結びつきそうな情報をウォッチガード・セキュリティの営業部に提供している。ウォッチガード・セキュリティ側も、独自に築き上げたネットワークを生かして得た情報を提供しており、もはや共存関係といってもよいくらいである。 結果的にウォッチガード・セキュリティのおかげで、英国陸軍はスムーズな再編が可能になったといえる。陸軍の装備の刷新が順調に進み、その成果は1950年代になってから開催される軍事パレードで衆目に晒されることになる。 129: フォレストン :2017/02/19(日) 13 03 45 最後にデビット・スターリングであるが、彼はウォッチガード・セキュリティを世界的企業に育てた後は現役を引退するつもりであった。しかし、周りがそれを許さなかった。軍人として英雄でありながら、巧みな営業手腕を持ち、陸軍と情報部、さらに円卓にまでコネを持つ人材が放っておかれるわけがなかったのである。 彼を担ぎ上げたのは保守党の重鎮であるハロルド・マクミランであった。彼は円卓の必要性は認めていたが、議会政治もまた尊重されるべきと考えていたのである。日本が議会政治を重要視していることを知っていた円卓もこの動きに同調し、かくしてデビット・スターリングは、一代貴族のスターリング男爵として貴族院に列せられ、政党政治の健全化に向けて奮闘することになる。 スターリングは、貴族院議員となったほぼ同時期に円卓の正規メンバーとなった。良識人であった彼は、円卓の奇人変人に振り回されることも多く、晩年まで苦労し続けたという。 後世では、世界的な実業家として名高いデビット・スターリングであるが、英雄としての業績が世に知れ渡るのは、機密指定が解除される20世紀末まで待たれることになる。
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長門有希の憂鬱Ⅰ 四 章 長門有希の日記 こちらの世界へ来て二年が過ぎた。 情報統合思念体からの連絡はない。支援もない。誰も助けに来ない。 このまま時が過ぎれば、わたしの有機サイクルはいつか性能の限界に達し寿命を遂げる。 それまで、色がない世界でわたしの思考回路は物理的に機能するだろう。 それならばわたしはいっそ、目を閉じ、耳を塞ぎ、口をつぐんだ生命体として生きようと思う。 わたしは長期の待機モードを起動させた。 果たして奇蹟は起きるのだろうか。 タクシーの運転手に住所を棒読みで伝えると、十分くらいでそのアパートの前に着いた。 二階建ての二階、二〇五号室……。郵便受けにもドアにも表札らしきものはなかった。 呼び鈴を押した。こんなにドキドキするのは久しぶりだ。 赤の他人だったらなんとごまかすか、新聞の勧誘にするか、布団の販売にでもするか。 反応がない。もう一度呼び鈴を押した。やっぱり違うんじゃないか?。 それから郵便受けに戻り、周りに誰もいないことを確かめてからフタを開けた。 テレクラやらヘルスやらのチラシが詰まっているだけで、宛名を書いた郵便物は入ってなかった。 三度ノックして反応がないので俺はドアの前に座り込んだ。尻にあたった床のセメントが冷たい。 ここにいるのが長門でなければ、俺はこれからどうしよう……。 そんな先のことを考える気力はもう残っていなかった。 谷川氏の家にやっかいになりつづけるわけにもいかないよな。 長期戦になるかもしれない。とりえあずバイト探して、アパートでも借りるか。 向こうの世界はよかった。なんだかんだいって俺はあの生活が気に入っていた。 ハルヒはどうしているだろう。古泉は。俺がこのまま帰らなかったら向こうの世界はどうなるんだろうか。 もう日はとっくに暮れていた。 俺は長門のマンションにいた。長門が荷造りしていた。 どこかへ引っ越すのかと尋ねると、情報統合思念体のところに帰る、と答えた。 おい待てよ、俺を、ハルヒを置いていくのか。長門の腕を握った。 「自分が来たところに帰る」 「待ってくれ。いきなり帰るなんて言わないでくれ。お前がいなかったらSOS団はどうなるんだ。俺は!?」 長門はそれ以上何も言わなかった。そして一冊の本をくれた。 それからおもむろに和室に入ると、ふすまを閉めた。 俺がふすまを開けると、そこにはもう長門はいなかった。 俺の手にはエンディミオンがあった。 長門はさよならも言わずに消えた。 そこで、目がさめた。 見上げると、暗い藍色の空から雪が降っていた。 あたりはシンと静かで、すべての雑音を消してしまいそうな白いカケラが舞い降りてくる。 誰かが階段を上がってくる足音がした。怪しまれてはまずいとは思ったが隠れる場所もない。 このまま寝たフリをするか、あるいは立ち上がって今しがた尋ねてきたフリをするか。 階段を上り詰めた足音がはたと止まった。俺は立ち上がってそっちを見た。 「キョ……」 長門だ。やっと見つけたのだ。 俺はなにも言わず、長門もなにも言わなかった。 下げていた買い物袋を床に落とし、ゆっくりとこちらに歩いてきた。 なにかを言いたげな複雑な表情をして、俺の背中に細い腕をまわし、そして胸に顔をうずめた。 いつもの長門らしくない衝動に、俺は少しだけ動揺した。胸に暖かく濡れたものを感じた。 長門の髪に、綿を連ねるようにゆっくりと雪の切片が舞い降りた。 「長門……泣いてるのか」 「……」長門は顔をすりつけたまま動かなかった。 「あちこち探したぜ」 長門よ、お前もずいぶんと人間くさくなっちまって、俺は嬉しいよ。 俺と知り合った頃は無表情で無感情だった宇宙人製アンドロイドも、SOS団の連中と付き合ううちに、 人間特有の性質が身についてしまった。本人は気がついてないかもしれないが、俺はずっと観察していた。 情報統合思念体から見れば有機生命体の人間なんて、 ネズミとドングリの背比べ的な知性の低さを見て取っているかもしれないが、 人間それだけじゃないものもある。だからこそ稀有な存在なのだろう。 宇宙的にユニークと言った、長門よ、お前もそうなりつつあるんだよ。 「寒いから部屋に入れてくれないかな」 俺はかじかんだ手で長門の背中をさすった。 「……」 長門は手のひらで涙をぬぐって、表情を見せないようにそっぽを向いた。 ドアを開けると、六畳ひと間の、古びたアパートの部屋につつましい生活空間があった。 マンションに住んでた頃も元々モノ持ちなほうではなかったが、家具はほとんどなかった。 ぎっしり詰まった本棚を除いて。 それから俺は、長門がこっちの世界に来てからどう過ごしていたかを聞いた。 「わたしがこちらの世界に来たのは、約五年前。 ここでは情報統合思念体が存在しない。涼宮ハルヒという人間も存在しない。 そのためにわたしは長期の待機モードに入った」 いわば宇宙探査船が未知の星に漂着し、資源を節約するため乗組員が低温スリープに入るようなものか。 「身よりもなくてどうやって食ってたんだ?」 「……パチンコ」 パチンコ!?生活力あるなお前。 「この付近一帯で採用されているパチンコ台はすべてクリアした。スロットの目押しも習得した」 目押しって神業だぞ。 財布の残りをいつも心配していた俺より、ずっとたくましいよ。 「毎日、本を読んで過ごした」 俺は改めて部屋を見回した。 相変わらず本が好きなようだ。部屋の壁が本棚で埋め尽くされている。 「あの文庫本を書いた作家に会ってみたよ。事情を話すと協力してくれてな、ここまで来れたんだ」 「谷川流には前に接触を試みた。だがコスプレと思われて門前払いされてしまった」 なんてこった。谷川氏が言ったとおりだったか。 「それ以降、谷川流に接触する人間を監視していた。二年が経過した時点であなたは現れないと判断した」 「向こうの世界とこっちの世界の違いは何だ?接点は谷川氏だけなのか」 「限定された情報から推測すると、この世界はわたしたちがいる世界の平行世界。 ただし、わたしたちは谷川流の脳内にだけ存在する」 「それがこっちの世界の俺たちか」 「そう」 「そうか……俺もよく分からないんだが、なんでお前だけ五年前に飛ばされたんだ?」 「情報が限定されすぎていて分からない。 でも、位相変換がはじまったとき、わたしが無理に止めようとしたために時間軸が狂った可能性はある」 「古泉も言ってたんだが、敵対する組織とかいうやつらの罠じゃないか」 「その可能性もある。危険を回避するために、この時空でのわたし自身のアイデンテティを消した」 要するに身元を消したってことか。 「こちらの世界では、長門有希は創作上の人物でしかない。それをノイズとしてうまく身を隠すことができた」 なるほど。どおりでなかなか探し出せなかったわけだ。 俺はとりあえず谷川氏に電話することにした。 「もしもし谷川さんですか、キョンです。長門を見つけました。ええ、無事です」 谷川氏は驚嘆していた。まさか自分の作中の人物が実在するとは、聞かされていたとはいえ衝撃だろう。 「ええと、今日はここに──」マイクを押さえて長門に向き直った。「今日ここに泊めてもらっていいか?」 「……いい」 「ここに泊まります。じゃあ、明日伺います」 俺は電話を切った。長門は心なしか喜んでいるようではあるが。 「これからどうする。向こうの世界に帰る方法はあるか?」 「分からない」 忘れていたことがあった。 「これ、喜緑さんから預かったんだが」俺はバックパックから、例の黒い球を取り出した。 「……」長門は目を丸くした。 「渡せば分かると言っていたが、これはいったい何なんだ?」 「これは……空間を封じ込める技術」 「すまん、なんだって?」 「空間がこの球の内側に折りたたまれている。位相変換せずに次元を超えて物質を転送したいときに使う」 それで喜緑さんか。 「何が入ってるんだ?」 「素粒子がひとつだけ」 「素粒子って、宇宙を飛んでる、原子より小さいアレか。たったひとつだけ?」 「そう。この状態を維持するには莫大なエネルギーが必要。この大きさでは素粒子一個が限度」 「これを何に使うんだ?」 「おそらく緊急通信用。素粒子は通常、粒子と反粒子のペアになっている。 片方の素粒子に与えた情報は他方に伝わる。このペアのもうひとつは、情報統合思念体が観測しているはず」 つまり、異次元間での通信用か。 「ただし、一度しか使えない。この素粒子が情報を持って向こうの素粒子に遭遇すると消滅してしまう」 「助けを求めるチャンスは一度きりってことか」 「そう」 数年分の物理の授業を受けたような気分だ。とりあえずは帰る切符はあるということか。 気が付けば腹の虫が鳴いていた。 「もうこんな時間か、腹減ったな。どこかに食べに行くか?」 「……晩ご飯、作る」 そう言って、さっきの買い物袋を広げた。冷蔵庫を開けると材料はあるようだ。 長門の手料理は久しぶりだ。 いつだったか朝比奈さんと三人で食べたのは缶カレーの大盛りだったか。 味噌汁に魚の塩焼きに、肉じゃが、か。見る限り、あれから料理も習得したらしい。 「……おいしい?」 「うん。うまい。いい嫁さんになれそうだ」 ふつうならここで女の子がポッとか顔を赤らめてくれそうなんだが、長門には通じない。もくもくと食っている。 長門はふとなにかを思い出したように箸を止めた。 「この世界にひとつ、謎がある……」 「なんだ?」 「わたしが誰かの配偶者だという情報を多く見かけた」 「そうなのか」 「“長門は俺の嫁”って、何」 「なんだそりゃ」 「コンピュータネットワーク上でよく見かける」 「さあ、なんだろう。初耳だが。だとするとお前の旦那は大勢いるってことだな」 「……」 長門は無言のまま複雑な表情で食い続けた。 「水が沸いた。水温40℃」 「ああ、風呂か。今日はほこりだらけだからな。ありがたい」 浴室を見ると、石鹸やらシャンプーやらナイロンタワシやらが一切ない。 「お前はふだん風呂に入らないのか?」 「わたしにはナノマシンによる自浄機能がある。通常、風呂は必要ない。 ……それにレディにそんな質問をしてはいけない」 「そ、そうか、禁則事項だよな。すまん」野暮なことを聞いた。 「コンビニで入浴セットを買ってくる。歯ブラシも」 俺はどうも、長門の人間っぽい面とそうでない面のギャップについていけてないようだ。 この後がちょっと問題だった。 「布団が一組しかない」 「じゃあ俺は毛布かなんかあればそれでいいよ」 「……風邪を引きかねない。一緒に寝ればいい」 「それはいくらなんでも困るぞ」 「なぜ」 いやまあ、なんというか。俺もいちおう男だし、健康な男子だし、 というか長門とひとつの布団で寝るというシチュエーションが嫌だというわけじゃないが、 長門とあらぬ関係にでもなったら情報統合思念体に殺されかねんわけで、 ハルヒに知られたら三度殺されて三度蘇生されて三度埋められるだけじゃ済まない。 などと俺がブツブツ言っている横で、長門は押入れから布団を出して広げた。 ともあれもう十二時だ。昼間の疲れと、やっと会えた安堵も手伝ってか、睡魔が襲ってきてどうしようもない。 俺は迷いつつ布団に潜り込んだ。長門に背を向けて。 長門は蛍光灯のスイッチを引いて、音を立てずにそっと布団に入ってきた。 目をつぶること三十分。あれほど眠かったはずが待てど暮らせど眠れない。頭の後ろに長門の視線を感じる。 朝比奈さんが長門のマンションに泊まったとき、 寝てるときに長門に見られてる感じがして落ち着かない、と言っていたのを思い出した。 「長門よ」 「……なに」 「頼むから眠ってくれ。見つめられてると落ち着かん」 「……分かった」 長門が孤独に暮らした五年間を思えば、それくらい我慢してやれという誰かの声がした。 妥協案として長門のほうに向き直り、手を握ってやった。 そこからの記憶はなく、泥のように眠った。夢は見なかった。 「起きて」 長門の声で目を覚ました。昨日までの出来事が夢ではないことを確認するために周りを見回した。 「ああ」それからちゃんとズボンを履いたままであることを確認して安心した。かなり寝苦しかったはずだが。 「おはよう。今何時だ?」ちゃぶ台の上に朝飯が用意されている。 「八時二十四分十五秒」 「今日の予定は、とりあえず谷川氏に連絡してどうやって向こうに帰るかを話し合うことだな」 「朝ご飯、食べて」 「お、おう」 なんだか昭和四十年代の歌謡曲に出てきそうな風景だが、ひとつだけ言わせてもらえば、長門の味噌汁はうまい。 「長門」 「なに」 「ボクの髪が肩まで伸びたら、元の世界に帰ろう」 「……分かった」 そこ、笑うとこ。 俺は長門を連れて谷川氏のお屋敷に行った。 おばあちゃんが出迎えてくれた。 「めっさかわいいお嬢ちゃんじゃないかねっ。寒かったろう。さあさあ、おあがり」 「……」誰かの面影があることに長門も気が付いたようだ。 座敷に通された。 「谷川さん、長門を連れてきました」 「はじめまして谷川です」谷川氏は少し照れたような、感激したような微妙な表情を浮かべた。 「……長門有希」長門は少しだけ頭を下げた。 二人とも無言だった。どうも空気が固まっている。 「ええと、長門がこっちに来たのは五年前で、存在を知って一度は谷川さんに会おうとしたらしいです」 「ああ、やっぱりそうなのか」 「……あのときは制服を着ていた」 今日は珍しくタートルネックの黒のセーターを着ているが、それでか。 「それで、俺たちがどうやって向こうに帰るか、なんですが」 「そう、それが問題だね」 「いちおう、向こうの世界と連絡は取れるらしいんです」 俺はバックパックから、例の黒い玉を取り出して見せた。 「これは?……重いね。何かなこれ」 「向こうの世界の素粒子が入ってるらしいんです」 「ほう……そんなことができるんだ?」 「向こうの情報統合思念体が俺に託したんです。連絡用らしいですが」 長門が人差し指を立てた。 「連絡は……一度」 「ニュートリノと反ニュートリノが遭遇するとき、向こうに情報が伝わるってわけだね」 さすがSF作家だ。 「連絡はつくとして、どうやって向こうに帰る?物理的な転移が必要だろうけど」 長門は谷川氏に向き直り、 「あなたが小説を書けば、そのとおりになる」と言った。 「僕が?」 「わたしと彼は、あなたの書いたストーリーの上を歩いてきた。 帰るための手段も、それに従う」 「ええと、じゃあきみたちを元の世界に返す方法を僕が決めればいいわけか」 「……そう」 「これからの展開の中にそれを含めて出版されればいいわけだね」 「そう。ただし十三巻には時空の歪みが内包されている。 向こうの世界からこちらの世界への接触はできないように書き直してほしい」長門が答えた。 こちらの世界の情報は、わたしたちがいた世界に漏れてはならない、 情報は一方通行でなければならない、長門はそう言った。 「分かった。今回の現象も含めてプロットとして書いておこう。で、きみたちは同じ手順で向こうに戻る」 「同じ手順と言うと?」 「その地上絵をもう一度登場させて、向こうの世界への扉が開く」 長門がちょっと考え込んで言った。 「その場合、扉は、向こうから開かなくてはならない。情報統合思念体の支援が必要」 「どうやって支援を頼むんだ?」俺が聞く。 「この素粒子球で座標を伝える」長門が黒い球を指した。 「そうだ。これはそのために用意されたんだね」谷川氏がうなずいた。 パズルのピースがすべてはまった。決行は、今夜だ。 「あの、ひとつだけお願いが。できれば今後、ハルヒにはあまり無茶をさせないでください」 「分かったよ。ほどほどにする。ただし読者を満足させられる程度には」谷川氏は笑った。 近頃の読者は、登場人物の血を見ないと満足しないから怖い。 「鉛筆……買って」 「何にするんだ?」 「信号を送るのに必要な材料」 「鉛筆でいいのか」 「地上絵の信号を素粒子球を通じて送る。 それには広い場所と光を放つ発火性の物質が必要」 広い場所は北高グラウンドでいいだろう。東中は一度やってるんで怪しまれるとまずい。 「発火性の物質って、花火みたいなもんか?」 「そう。大量の水と空気。鉛筆を二十キロ。それらから核融合する」 「二十キロ分か」核融合って……そんな簡単にできるのか。 空気はそのへんにあるとして、水はプールのたまり水を使おう。 この時期はだいぶ汚れてるだろうが。 導火線変わりに使うという灯油を二缶、谷川氏に頼んだ。 ええと鉛筆一本が十グラムくらいか。とすると二千本必要だな。十二で割ると……。 「鉛筆は百六十六ダース必要」考えていると先に言われた。 文房具店をいくつかハシゴしないといけないな。 俺と長門は、とりあえず北口駅まで買出しに出かけることにした。 百貨店のテナントで半分の量の鉛筆、さらに別の専門店で残りを調達した。 突然の大量購入は断られるかと思ったが、店員は喜んでいたようだ。 鉛筆を大人買いしたのははじめてだ。 俺は段ボール箱いっぱいの鉛筆を抱え、汗を垂らしながら歩いた。 帰りの道すがら、長門がふと足を止めた。 「……行きたいところが、ある」 「どこに?」 「……」南西の方を指した。 長門は黙って歩き始めた。 この方角は……、勘は当たっていた。図書館だった。 中に入ると暖かい空気が二人を包んだ。 紙とインクの匂いと、それから何か分からない安心させるこの雰囲気は、どこの世界でも同じかもしれない。 そういや、受付のお姉さんに頼みごとをしたままだったな。 俺はカウンターまで行って、長門を指して無事会えたので、と伝えた。 お姉さんは俺と長門を交互に見つめ、微笑んでいた。 「あなたの学生手帳、貸して」 「いいけど、何するんだ?」 長門は黙ってなにかの書類に記入し始めた。それをカウンターに持っていって、数分して戻ってきた。 「これ……記念に」長門の差し出した手に貸し出しカードがあった。 「ああ、ありがとう」 二年前、同じことを長門にしてやったな。そのお礼か。 何の記念だか分からないが、とりあえず受け取っておいた。たぶんもう、借りに来ることはあるまい。 それから長門は、あのときと同じように本棚の群れの間をさまよっていた。 俺も同じことをするか。空いてるシートに腰掛けて居眠りを決め込んだ。 夜九時、俺たち三人は十分に暗闇が降りてから行動を開始した。 車で学校の前を通り過ぎ、離れた空き地に止めた。 俺は大量の鉛筆を抱え、谷川氏は両手に灯油のタンクを抱えていた。 あきらかにタンクのほうが重いので変わりましょうかと言ったのだが、谷川氏はたまには運動しないとねと言って譲らなかった。 タンクを抱えての柵越えはちょっと大変だった。 正門から忍び込むと明らかにあやしい集団に見えるので、西側まで回って入り込んだ。まあどこから入っても十分あやしいんだが。 タンクはグラウンドに置いておき、先にプールへ向かった。懐中電灯で照らすと、水はあるようだ。 「鉛筆を入れて」長門が言った。 俺は箱を崩しながら鉛筆をバシャバシャ放り込んだ。長門は箱もいっしょに放り込んだ。 「紙もいいのか?」 「いい。必要なのは、炭素」 そういえば鉛筆の芯は炭素の同位体だったな。 それから長門はおもむろに右手をかざし、詠唱をはじめた。次の瞬間、プールの真中を軸に凄まじい旋風が起こった。 水が十メートルほど立ち上がったかと思うと、竜巻になり、そして黒い粉のような塊となって落ちてきた。 「ちょ…ちょっと口の中が……」その場にいた俺と谷川氏が、声を枯らしてのどと目を押さえた。 「……す、すまない。うかつ」 長門はあわてて二人をひっぱり、プールから離れた。 「周辺の水まで奪ってしまった。すまない」俺の水分が材料になったってわけか。 長門は学校の外へ走り去ってゆき、缶のお茶を二本持って戻ってきた。 「あー、コンタクトレンズがパリパリ言ってるよ」谷川氏が目をこすった。 「……もうしわけない」 「プールでなにを作っていたの?」 「炭、硫黄、マグネシウム、銅、その他可燃性の金属。そしてそれらの混合物」 「つまり、花火の材料か」 「……そう」 中世に行って錬金術師にでもなれるんじゃないか。 プールに戻ってみると、水と同じ体積の、灰色の粉らしきものが出来ていた。 「これ、どうやって運ぶんだ?」 「……任せて」 長門はもう一度右手を上げて、「今度は、大丈夫」と言ってから呪文を唱えた。 プールを埋め尽くしていた粉が、さっきと同じくらいの高さに立ち上がって球になり、少しずつ小さくなっていった。 最後はソフトボールくらいの球になった。 長門は空になったプールの底に下りていって、その球を拾い上げた。 「分子圧縮した」簡単に言ってるけど、すごいよ長門さん。 それから三人はグラウンドに行った。幾何学と測量の出る幕だ。 まず俺が巨大な正方形の頂点に二メートルくらいの棒を立てる。 暗くて分からないので、棒の先にペンライトを巻きつけた。 まず点を結んで線を引き、正方形を作る。 その頂点に対角線を二本引き、真中を割り出したところで上下左右の辺に垂線を引く。 これで内側に正方形が四つ現れる。 さらにその正方形の内側に正方形を作り、それを繰り返して碁盤状の正方形が出来上がった。 地上絵は、大きく二つの部分に分けることができる。 隣に同じ大きさの正方形をもうひとつ描いた。これで二つの絵が描ける。 あとは長門の指示で各マスの辺に点を置いてゆき、それを繋いでいくと絵が仕上がる。 これ、GPS使ったらもっと簡単にいきそうなんだが。 線に沿って灯油をちょろちょろと撒いた。これが導火線になる。 その上に長門がさっき作った球を持って火薬のウネを作った。 球から延々灰色の粉が流れ出て、長い山になっていった。 球はちょうど文字の最後の部分で消えた。 「警備会社の巡回まであんまり時間がない。急ごう」谷川氏が言った。 「わたしが素粒子球を上空千メートルまで投げる。合図をしたら、火を付けて」 「分かった」俺は手にもった松明に火をつけた。 「そろそろはじめますか」 「今のうちにお別れを言っとくよ。また会おう。作中でね」谷川氏が手を差し出した。 「いろいろとありがとうございました」俺は手を握って振った。 何度お礼を言っても足りない。この人がいなかったらずっとホームレスを続けていたかもしれない。 犀は投げられた。すべての準備が整った。 「谷川さん、カウントしてください」 「いくよ」 三、二、一、GO! 長門の手から勢いよく球が飛んでいく。 「今」 俺は地面に火を放った。まばゆい火柱が足元を走った。 青白く、さらに緑に、そして赤く燃える地上絵がグラウンドに浮かび上がる。 三秒、四秒、五秒……。見えはしないが黒い球が落ちてきているはずだ。 まだか、まだなにも起きない。 「特異点が発生した。向こうの次元が開いた」 長門が上を指差した。上空、百メートル付近だろうか、白い光の球が生まれた。 それが徐々に膨らみはじめ、そして落ちてくる。 長門は強引に俺の手をひいて、地上絵のまんなかに走った。球がちょうど真上から落ちてくる。 白い光はさらに膨らんで、直径三メートルほどにまでなっただろうか。 球が俺たちの上に落ちてきた。二人は球の中へ入った。 「目を閉じて!」長門が叫んだ。まぶたを閉じても強い光が目に飛び込んでくる。 強い地響きのような振動がまわりを包んだ。 俺と長門は互いに強く抱きしめ合い、光の中で、一瞬よりは長い永遠の間、じっと待った。 光が徐々に引いていく。目を開けて後ろを振り返ると、うっすらと消えていく谷川氏が親指を立てていた。 ── アスタラビスタ。 気が付くと、いつもの風景の中にいた。夜の北高のグラウンド。 前には同じ景色の中を神人に追われてハルヒと走った。 俺と長門はどちらとも、しばらくなにも言わなかった。 抱き合ったままだということを思い出して、俺は長門から腕をほどいた。 「俺たち、ちゃんと帰ってきたのかな?」 「こっちの標準時と同期した。今、情報統合思念体と話している。五年分のレポートをアップロード中」 「そうか。長門は無事に取り戻したからと言っといてくれ」 こういう場合の気分だ、少しはヒーローを気取ってみたい。 「伝える」 俺も自分の組織である家に帰ろう。というか、古泉に連絡を入れないとな。 あいつが思い余ってハルヒにすべてをぶちまけてしまう前に。 「古泉か、今帰ってきた。長門も無事だ」 携帯が通じる。どうやら帰ってきたようだ。俺の自宅にいるという未来の俺と遭遇しないように手配を頼んだ。 「マンションまで送っていくよ」 「……」この無言は俺の知る長門の表現では、ありがとうという意味。 俺は夢でも見ているかのように、終始ぼんやりとしたまま坂を下った。疲れてるんだろう。 見知らぬ世界へ行って、そして今帰ってきたという現実に、まだピンと来ていない。 マンションに差し掛かると長門が口を開いた。 「お茶、飲む?」 「さすがにちょっと疲れたから、今日は帰るわ。それに俺を待たせてるし」 何言ってんだろ俺、みたいな気がしたが長門には通じたようだ。 「……そう」 「じゃあ、またな」俺は元気なく手を振った。 長門はいつまでも俺を見ていた。 振り返るたびに小さくなっていく長門に向かって俺は、大丈夫だ、明日も会えるから、と手を振った。 わずか数日留守にしただけだったが、翌朝の俺はずいぶん懐かしい気持ちで学校へ行った。 ハルヒも、クラスメイト全員も、なにも変わっていなかった。 「懐かしいな、谷口」 「なに言ってんだお前、昨日いたじゃねえか」谷口が怪訝な顔をしていた。 昨日か、そんな遠い未来のことは知らん。 「キョン、おっはよ」さらに懐かしい声がした。 「お、おう」 俺はハルヒの顔をまじまじと見つめた。 「な、なによ。あたしの顔になんかついてるの?」 「いや、なんでもない」 やっぱりこいつがいないと俺の生活ははじまらない。 俺の居場所は架空なんかじゃない、嫌になるほどリアルなSOS団が存在する、こっちの世界だ。 俺は壁にかかっているカレンダーを見た。 長門がこっちの世界から消えて七日間、俺がこっちを出て四日間、俺の主観時間と一致する。 昨夜、古泉に電話して未来の俺を呼び出してもらい、古泉の家に引き取ってもらった。 未来の朝比奈さんとはまだコンタクトできないらしい。 ということは俺は古泉の家に数日泊まることになるわけか。 あいつの哲学やら能書きやらに何日も付き合うはめになるのかと思うと、今から気持ちが萎える。 耐え切れなくなったら長門のマンションにでも泊めてもらうとするか。 放課後、ひさしぶりの部活である。 俺の学業生活は放課後がメインなんじゃないかと思うくらい、この時間が来ると気分が開放的になる。 「あたし掃除当番だから。先行ってて」 我が団長様は教室の掃除か。ご苦労さま。 俺がいない間も、たぶんなにも変わらない日常が続いていたんだろうな。 こんな平穏な毎日が続けばいい、そう思う。 文芸部部室のドアノブに手をかけたところで、誰かが俺のベルトを引っ張る。 「……話がある」 長門、用があるときは袖を引いてくれと。それから、突然現れるのは心臓に悪いから。 「で、話ってなんだ?」 「情報統合思念体が、向こうの世界に関する記憶を消したほうがいいと言っている。 平行世界との論理的逆説を招きかねない」 「そうなのか……俺はできれば忘れたくないんだが」 あのとき、谷川氏が別れ際に見せた笑顔が忘れられない。 「俺の記憶が消えてもお前は覚えているのか」 「わたしの記憶からも消去される。以降、あの本と谷川流に関する情報は禁則事項となる」 「それはなんだか寂しいよな」 「情報統合思念体のアーカイブには保管される。必要なときに封印が解かれる」 「長門を見つけ出したときの、あの瞬間は忘れたくないんだが」 長門はちょっとだけ考えて、 「希望するなら、そのままでもかまわない。でも、言葉にしようとすると抑制がかかる」と言った。 「分かった。未来人の禁則事項と同じだな」 「古泉一樹と朝比奈みくるの記憶は消去する」 「しょうがない。やってくれ」 「……あなたは外にいて」長門はドアを開けて中に入った。 「な、長門さんなにするんですかぁ!?」 「長門さん、それはあまりに大胆すぎます!うわああ」 部屋の中から、椅子がひっくり返る音、それからキャーともギャーともつかない叫び声が上がった。 な、中で何が起こってるんだ? ハラハラドキドキして楽しんでいると、しんと静まり返った。 おもむろにドアが開いて、いつもより涼しい顔をした長門が出てきた。「……終わった」 「あなたの番」 「き、禁則事項ってどうやるんだ?」まさか脳を切開して取り出したりしねーだろうな。 「……こう」 長門は両手で俺の頭を抱えて「少しかがんで」と言った。俺は言われるままに頭を長門の顔に近づけた。 やわらかく暖かい唇を額に感じた。 ── あなたの中にわたしの記憶があれば、それでいい。 長門、その言葉、忘れないよ。 「もう!有希ったら一週間もどこ行ってたのよ!心配したじゃないの」 ハルヒが珍しく半ベソをかいている。長門の首に巻きついて離れない。 「エルサルバドルの両親に会いに行った。進路のことで」 「だったら連絡くらいしていってよね。だいたいエルサルバドルてどこよ」 「ラテンアメリカですね」聞かれもしないのに古泉が答えた。 「エルサルバドル、中米の小国家。人口約六五八万人。 面積は約二万一千平方キロメートル。国内総生産は百六十六億ドル」 長門、それは詳しすぎて逆にあやしい。 しかしホンジュラスとかエルサルバドルとか、アンドロイドはなんでラテン系が好きなんだ。 「おかえりなさい。無事でよかった」 ドアが開いて喜緑さんが登場した。 長門は喜緑さんと特殊な方法で会話でもしているのか、数秒見つめあった。 「キョンくん、おつかれさま」喜緑さんが笑顔で言った。 「いえいえ、いろいろとありがとうございました」 アンドロイドにもこういう、喜緑さんみたいな感情豊かで優しいタイプがいるんだよな。 「これ」長門がハルヒに向かって、なにやら袋を差し出した。 「あたしにお土産?」 「……そう」 袋の口を開けるとコーヒー豆の缶が出てきた。 「へー。コーヒーの産地だったんだ」ハルヒが嬉しそうに言う。 長門がチラリと俺を見た。これしか手に入らなかったからしょうがないんだ、とでも言いたげな目で。 「どこかでコーヒーメーカーを手配しないとね、みくるちゃん」 「あ、ハイハイ。明日、ドリッパーとマグカップを持ってきますね」 朝比奈さんメニューにコーヒーが追加されましたか。待ち遠しいです。 その後のことを、少しだけ話そう。 長門だが、あいつはふだんと変わりない、いつもの長門に戻ったようだ。 今回のことで、あいつと俺の間に、見えない親密ななにかができたように思う。 「なあ長門、いつかふたりでどこか行かないか」 「……また、図書館に」 「そうか。ほかに好きなところへ行ってもいいんだぞ」 「……図書館」 長門にはそれ以外ないようだ。まあ帰りに映画にでも連れてってやろう。 「ハルヒには内緒でな」 「分かった」 長門はひとことだけうなずいて、また本の世界に戻っていった。 俺の財布には今も、存在しないはずの西宮市立図書館のカードが入っている。 いつか、この禁則が解けたら、長門にも話してやろうと思う。 そう、とりあえずは俺たちを生み出した、谷川氏のこと。 ── また会おう。作中でね。 もう一生、出会うことはないだろう。少なくともこちらの世界からは。 谷川さん、しばらくはハルヒをおとなしくさせてくれたら助かります。 俺は上でもなく東でもなく、どっちか分からないあっちの世界に向かって祈った。 しかしこれもまた、谷川氏も含めた今回の出来事が、 別の世界の誰かの頭の中に存在する物語である可能性を、俺は否定できないでいるのだ。 END 長門有希の憂鬱Ⅰプロローグ 長門有希の憂鬱Ⅰ一章 長門有希の憂鬱Ⅰ二章 長門有希の憂鬱Ⅰ三章 長門有希の憂鬱Ⅰおまけ
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「おにいちゃんどうしよう……」 「ん?どうした?」 「発情してきちゃった☆」 「☆じゃねえ!!馬鹿かお前は!!だいたいここがどこかわかってるのか!!」 「だってだって、あの包茎チンポとか見てたら……」 「芸術品をそんな目で見るな!!」 「大丈夫です。ダビデ像よりおにいちゃんの股間の方が芸術的ですから」 「褒められた気がしねえ!!」 「掘られたんですね」 「あながち間違ってないからくやしい」 「ああ、穴ガチってそういう……」 「うるせえよ!!」 「こほん、お客様。美術館の中ではお静かに願います」 ~明楽いっけいの憂鬱外伝その22~
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長門有希の憂鬱Ⅰ 四 章 長門有希の日記 こちらの世界へ来て二年が過ぎた。 情報統合思念体からの連絡はない。支援もない。誰も助けに来ない。 このまま時が過ぎれば、わたしの有機サイクルはいつか性能の限界に達し寿命を遂げる。 それまで、色がない世界でわたしの思考回路は物理的に機能するだろう。 それならばわたしはいっそ、目を閉じ、耳を塞ぎ、口をつぐんだ生命体として生きようと思う。 わたしは長期の待機モードを起動させた。 果たして奇蹟は起きるのだろうか。 ---- タクシーの運転手に住所を棒読みで伝えると、十分くらいでそのアパートの前に着いた。 二階建ての二階、二〇五号室……。郵便受けにもドアにも表札らしきものはなかった。 呼び鈴を押した。こんなにドキドキするのは久しぶりだ。 赤の他人だったらなんとごまかすか、新聞の勧誘にするか、布団の販売にでもするか。 反応がない。もう一度呼び鈴を押した。やっぱり違うんじゃないか?。 それから郵便受けに戻り、周りに誰もいないことを確かめてからフタを開けた。 テレクラやらヘルスやらのチラシが詰まっているだけで、宛名を書いた郵便物は入ってなかった。 三度ノックして反応がないので俺はドアの前に座り込んだ。尻にあたった床のセメントが冷たい。 ここにいるのが長門でなければ、俺はこれからどうしよう……。 そんな先のことを考える気力はもう残っていなかった。 谷川氏の家にやっかいになりつづけるわけにもいかないよな。 長期戦になるかもしれない。とりえあずバイト探して、アパートでも借りるか。 向こうの世界はよかった。なんだかんだいって俺はあの生活が気に入っていた。 ハルヒはどうしているだろう。古泉は。俺がこのまま帰らなかったら向こうの世界はどうなるんだろうか。 もう日はとっくに暮れていた。 俺は長門のマンションにいた。長門が荷造りしていた。 どこかへ引っ越すのかと尋ねると、情報統合思念体のところに帰る、と答えた。 おい待てよ、俺を、ハルヒを置いていくのか。長門の腕を握った。 「自分が来たところに帰る」 「待ってくれ。いきなり帰るなんて言わないでくれ。お前がいなかったらSOS団はどうなるんだ。俺は!?」 長門はそれ以上何も言わなかった。そして一冊の本をくれた。 それからおもむろに和室に入ると、ふすまを閉めた。 俺がふすまを開けると、そこにはもう長門はいなかった。 俺の手にはエンディミオンがあった。 長門はさよならも言わずに消えた。 そこで、目がさめた。 見上げると、暗い藍色の空から雪が降っていた。 あたりはシンと静かで、すべての雑音を消してしまいそうな白いカケラが舞い降りてくる。 誰かが階段を上がってくる足音がした。怪しまれてはまずいとは思ったが隠れる場所もない。 このまま寝たフリをするか、あるいは立ち上がって今しがた尋ねてきたフリをするか。 階段を上り詰めた足音がはたと止まった。俺は立ち上がってそっちを見た。 「キョ……」 長門だ。やっと見つけたのだ。 俺はなにも言わず、長門もなにも言わなかった。 下げていた買い物袋を床に落とし、ゆっくりとこちらに歩いてきた。 なにかを言いたげな複雑な表情をして、俺の背中に細い腕をまわし、そして胸に顔をうずめた。 いつもの長門らしくない衝動に、俺は少しだけ動揺した。胸に暖かく濡れたものを感じた。 長門の髪に、綿を連ねるようにゆっくりと雪の切片が舞い降りた。 「長門……泣いてるのか」 「……」長門は顔をすりつけたまま動かなかった。 「あちこち探したぜ」 長門よ、お前もずいぶんと人間くさくなっちまって、俺は嬉しいよ。 俺と知り合った頃は無表情で無感情だった宇宙人製アンドロイドも、SOS団の連中と付き合ううちに、 人間特有の性質が身についてしまった。本人は気がついてないかもしれないが、俺はずっと観察していた。 情報統合思念体から見れば有機生命体の人間なんて、 ネズミとドングリの背比べ的な知性の低さを見て取っているかもしれないが、 人間それだけじゃないものもある。だからこそ稀有な存在なのだろう。 宇宙的にユニークと言った、長門よ、お前もそうなりつつあるんだよ。 「寒いから部屋に入れてくれないかな」 俺はかじかんだ手で長門の背中をさすった。 「……」 長門は手のひらで涙をぬぐって、表情を見せないようにそっぽを向いた。 ドアを開けると、六畳ひと間の、古びたアパートの部屋につつましい生活空間があった。 マンションに住んでた頃も元々モノ持ちなほうではなかったが、家具はほとんどなかった。 ぎっしり詰まった本棚を除いて。 それから俺は、長門がこっちの世界に来てからどう過ごしていたかを聞いた。 「わたしがこちらの世界に来たのは、約五年前。 ここでは情報統合思念体が存在しない。涼宮ハルヒという人間も存在しない。 そのためにわたしは長期の待機モードに入った」 いわば宇宙探査船が未知の星に漂着し、資源を節約するため乗組員が低温スリープに入るようなものか。 「身よりもなくてどうやって食ってたんだ?」 「……パチンコ」 パチンコ!?生活力あるなお前。 「この付近一帯で採用されているパチンコ台はすべてクリアした。スロットの目押しも習得した」 目押しって神業だぞ。 財布の残りをいつも心配していた俺より、ずっとたくましいよ。 「毎日、本を読んで過ごした」 俺は改めて部屋を見回した。 相変わらず本が好きなようだ。部屋の壁が本棚で埋め尽くされている。 「あの文庫本を書いた作家に会ってみたよ。事情を話すと協力してくれてな、ここまで来れたんだ」 「谷川流には前に接触を試みた。だがコスプレと思われて門前払いされてしまった」 なんてこった。谷川氏が言ったとおりだったか。 「それ以降、谷川流に接触する人間を監視していた。二年が経過した時点であなたは現れないと判断した」 「向こうの世界とこっちの世界の違いは何だ?接点は谷川氏だけなのか」 「限定された情報から推測すると、この世界はわたしたちがいる世界の平行世界。 ただし、わたしたちは谷川流の脳内にだけ存在する」 「それがこっちの世界の俺たちか」 「そう」 「そうか……俺もよく分からないんだが、なんでお前だけ五年前に飛ばされたんだ?」 「情報が限定されすぎていて分からない。 でも、位相変換がはじまったとき、わたしが無理に止めようとしたために時間軸が狂った可能性はある」 「古泉も言ってたんだが、敵対する組織とかいうやつらの罠じゃないか」 「その可能性もある。危険を回避するために、この時空でのわたし自身のアイデンテティを消した」 要するに身元を消したってことか。 「こちらの世界では、長門有希は創作上の人物でしかない。それをノイズとしてうまく身を隠すことができた」 なるほど。どおりでなかなか探し出せなかったわけだ。 俺はとりあえず谷川氏に電話することにした。 「もしもし谷川さんですか、キョンです。長門を見つけました。ええ、無事です」 谷川氏は驚嘆していた。まさか自分の作中の人物が実在するとは、聞かされていたとはいえ衝撃だろう。 「ええと、今日はここに──」マイクを押さえて長門に向き直った。「今日ここに泊めてもらっていいか?」 「……いい」 「ここに泊まります。じゃあ、明日伺います」 俺は電話を切った。長門は心なしか喜んでいるようではあるが。 「これからどうする。向こうの世界に帰る方法はあるか?」 「分からない」 忘れていたことがあった。 「これ、喜緑さんから預かったんだが」俺はバックパックから、例の黒い球を取り出した。 「……」長門は目を丸くした。 「渡せば分かると言っていたが、これはいったい何なんだ?」 「これは……空間を封じ込める技術」 「すまん、なんだって?」 「空間がこの球の内側に折りたたまれている。位相変換せずに次元を超えて物質を転送したいときに使う」 それで喜緑さんか。 「何が入ってるんだ?」 「素粒子がひとつだけ」 「素粒子って、宇宙を飛んでる、原子より小さいアレか。たったひとつだけ?」 「そう。この状態を維持するには莫大なエネルギーが必要。この大きさでは素粒子一個が限度」 「これを何に使うんだ?」 「おそらく緊急通信用。素粒子は通常、粒子と反粒子のペアになっている。 片方の素粒子に与えた情報は他方に伝わる。このペアのもうひとつは、情報統合思念体が観測しているはず」 つまり、異次元間での通信用か。 「ただし、一度しか使えない。この素粒子が情報を持って向こうの素粒子に遭遇すると消滅してしまう」 「助けを求めるチャンスは一度きりってことか」 「そう」 数年分の物理の授業を受けたような気分だ。とりあえずは帰る切符はあるということか。 気が付けば腹の虫が鳴いていた。 「もうこんな時間か、腹減ったな。どこかに食べに行くか?」 「……晩ご飯、作る」 そう言って、さっきの買い物袋を広げた。冷蔵庫を開けると材料はあるようだ。 長門の手料理は久しぶりだ。 いつだったか朝比奈さんと三人で食べたのは缶カレーの大盛りだったか。 味噌汁に魚の塩焼きに、肉じゃが、か。見る限り、あれから料理も習得したらしい。 「……おいしい?」 「うん。うまい。いい嫁さんになれそうだ」 ふつうならここで女の子がポッとか顔を赤らめてくれそうなんだが、長門には通じない。もくもくと食っている。 長門はふとなにかを思い出したように箸を止めた。 「この世界にひとつ、謎がある……」 「なんだ?」 「わたしが誰かの配偶者だという情報を多く見かけた」 「そうなのか」 「“長門は俺の嫁”って、何」 「なんだそりゃ」 「コンピュータネットワーク上でよく見かける」 「さあ、なんだろう。初耳だが。だとするとお前の旦那は大勢いるってことだな」 「……」 長門は無言のまま複雑な表情で食い続けた。 「水が沸いた。水温40℃」 「ああ、風呂か。今日はほこりだらけだからな。ありがたい」 浴室を見ると、石鹸やらシャンプーやらナイロンタワシやらが一切ない。 「お前はふだん風呂に入らないのか?」 「わたしにはナノマシンによる自浄機能がある。通常、風呂は必要ない。 ……それにレディにそんな質問をしてはいけない」 「そ、そうか、禁則事項だよな。すまん」野暮なことを聞いた。 「コンビニで入浴セットを買ってくる。歯ブラシも」 俺はどうも、長門の人間っぽい面とそうでない面のギャップについていけてないようだ。 この後がちょっと問題だった。 「布団が一組しかない」 「じゃあ俺は毛布かなんかあればそれでいいよ」 「……風邪を引きかねない。一緒に寝ればいい」 「それはいくらなんでも困るぞ」 「なぜ」 いやまあ、なんというか。俺もいちおう男だし、健康な男子だし、 というか長門とひとつの布団で寝るというシチュエーションが嫌だというわけじゃないが、 長門とあらぬ関係にでもなったら情報統合思念体に殺されかねんわけで、 ハルヒに知られたら三度殺されて三度蘇生されて三度埋められるだけじゃ済まない。 などと俺がブツブツ言っている横で、長門は押入れから布団を出して広げた。 ともあれもう十二時だ。昼間の疲れと、やっと会えた安堵も手伝ってか、睡魔が襲ってきてどうしようもない。 俺は迷いつつ布団に潜り込んだ。長門に背を向けて。 長門は蛍光灯のスイッチを引いて、音を立てずにそっと布団に入ってきた。 目をつぶること三十分。あれほど眠かったはずが待てど暮らせど眠れない。頭の後ろに長門の視線を感じる。 朝比奈さんが長門のマンションに泊まったとき、 寝てるときに長門に見られてる感じがして落ち着かない、と言っていたのを思い出した。 「長門よ」 「……なに」 「頼むから眠ってくれ。見つめられてると落ち着かん」 「……分かった」 長門が孤独に暮らした五年間を思えば、それくらい我慢してやれという誰かの声がした。 妥協案として長門のほうに向き直り、手を握ってやった。 そこからの記憶はなく、泥のように眠った。夢は見なかった。 「起きて」 長門の声で目を覚ました。昨日までの出来事が夢ではないことを確認するために周りを見回した。 「ああ」それからちゃんとズボンを履いたままであることを確認して安心した。かなり寝苦しかったはずだが。 「おはよう。今何時だ?」ちゃぶ台の上に朝飯が用意されている。 「八時二十四分十五秒」 「今日の予定は、とりあえず谷川氏に連絡してどうやって向こうに帰るかを話し合うことだな」 「朝ご飯、食べて」 「お、おう」 なんだか昭和四十年代の歌謡曲に出てきそうな風景だが、ひとつだけ言わせてもらえば、長門の味噌汁はうまい。 「長門」 「なに」 「ボクの髪が肩まで伸びたら、元の世界に帰ろう」 「……分かった」 そこ、笑うとこ。 俺は長門を連れて谷川氏のお屋敷に行った。 おばあちゃんが出迎えてくれた。 「めっさかわいいお嬢ちゃんじゃないかねっ。寒かったろう。さあさあ、おあがり」 「……」誰かの面影があることに長門も気が付いたようだ。 座敷に通された。 「谷川さん、長門を連れてきました」 「はじめまして谷川です」谷川氏は少し照れたような、感激したような微妙な表情を浮かべた。 「……長門有希」長門は少しだけ頭を下げた。 二人とも無言だった。どうも空気が固まっている。 「ええと、長門がこっちに来たのは五年前で、存在を知って一度は谷川さんに会おうとしたらしいです」 「ああ、やっぱりそうなのか」 「……あのときは制服を着ていた」 今日は珍しくタートルネックの黒のセーターを着ているが、それでか。 「それで、俺たちがどうやって向こうに帰るか、なんですが」 「そう、それが問題だね」 「いちおう、向こうの世界と連絡は取れるらしいんです」 俺はバックパックから、例の黒い玉を取り出して見せた。 「これは?……重いね。何かなこれ」 「向こうの世界の素粒子が入ってるらしいんです」 「ほう……そんなことができるんだ?」 「向こうの情報統合思念体が俺に託したんです。連絡用らしいですが」 長門が人差し指を立てた。 「連絡は……一度」 「ニュートリノと反ニュートリノが遭遇するとき、向こうに情報が伝わるってわけだね」 さすがSF作家だ。 「連絡はつくとして、どうやって向こうに帰る?物理的な転移が必要だろうけど」 長門は谷川氏に向き直り、 「あなたが小説を書けば、そのとおりになる」と言った。 「僕が?」 「わたしと彼は、あなたの書いたストーリーの上を歩いてきた。 帰るための手段も、それに従う」 「ええと、じゃあきみたちを元の世界に返す方法を僕が決めればいいわけか」 「……そう」 「これからの展開の中にそれを含めて出版されればいいわけだね」 「そう。ただし十三巻には時空の歪みが内包されている。 向こうの世界からこちらの世界への接触はできないように書き直してほしい」長門が答えた。 こちらの世界の情報は、わたしたちがいた世界に漏れてはならない、 情報は一方通行でなければならない、長門はそう言った。 「分かった。今回の現象も含めてプロットとして書いておこう。で、きみたちは同じ手順で向こうに戻る」 「同じ手順と言うと?」 「その地上絵をもう一度登場させて、向こうの世界への扉が開く」 長門がちょっと考え込んで言った。 「その場合、扉は、向こうから開かなくてはならない。情報統合思念体の支援が必要」 「どうやって支援を頼むんだ?」俺が聞く。 「この素粒子球で座標を伝える」長門が黒い球を指した。 「そうだ。これはそのために用意されたんだね」谷川氏がうなずいた。 パズルのピースがすべてはまった。決行は、今夜だ。 「あの、ひとつだけお願いが。できれば今後、ハルヒにはあまり無茶をさせないでください」 「分かったよ。ほどほどにする。ただし読者を満足させられる程度には」谷川氏は笑った。 近頃の読者は、登場人物の血を見ないと満足しないから怖い。 「鉛筆……買って」 「何にするんだ?」 「信号を送るのに必要な材料」 「鉛筆でいいのか」 「地上絵の信号を素粒子球を通じて送る。 それには広い場所と光を放つ発火性の物質が必要」 広い場所は北高グラウンドでいいだろう。東中は一度やってるんで怪しまれるとまずい。 「発火性の物質って、花火みたいなもんか?」 「そう。大量の水と空気。鉛筆を二十キロ。それらから核融合する」 「二十キロ分か」核融合って……そんな簡単にできるのか。 空気はそのへんにあるとして、水はプールのたまり水を使おう。 この時期はだいぶ汚れてるだろうが。 導火線変わりに使うという灯油を二缶、谷川氏に頼んだ。 ええと鉛筆一本が十グラムくらいか。とすると二千本必要だな。十二で割ると……。 「鉛筆は百六十六ダース必要」考えていると先に言われた。 文房具店をいくつかハシゴしないといけないな。 俺と長門は、とりあえず北口駅まで買出しに出かけることにした。 百貨店のテナントで半分の量の鉛筆、さらに別の専門店で残りを調達した。 突然の大量購入は断られるかと思ったが、店員は喜んでいたようだ。 鉛筆を大人買いしたのははじめてだ。 俺は段ボール箱いっぱいの鉛筆を抱え、汗を垂らしながら歩いた。 帰りの道すがら、長門がふと足を止めた。 「……行きたいところが、ある」 「どこに?」 「……」南西の方を指した。 長門は黙って歩き始めた。 この方角は……、勘は当たっていた。図書館だった。 中に入ると暖かい空気が二人を包んだ。 紙とインクの匂いと、それから何か分からない安心させるこの雰囲気は、どこの世界でも同じかもしれない。 そういや、受付のお姉さんに頼みごとをしたままだったな。 俺はカウンターまで行って、長門を指して無事会えたので、と伝えた。 お姉さんは俺と長門を交互に見つめ、微笑んでいた。 「あなたの学生手帳、貸して」 「いいけど、何するんだ?」 長門は黙ってなにかの書類に記入し始めた。それをカウンターに持っていって、数分して戻ってきた。 「これ……記念に」長門の差し出した手に貸し出しカードがあった。 「ああ、ありがとう」 二年前、同じことを長門にしてやったな。そのお礼か。 何の記念だか分からないが、とりあえず受け取っておいた。たぶんもう、借りに来ることはあるまい。 それから長門は、あのときと同じように本棚の群れの間をさまよっていた。 俺も同じことをするか。空いてるシートに腰掛けて居眠りを決め込んだ。 夜九時、俺たち三人は十分に暗闇が降りてから行動を開始した。 車で学校の前を通り過ぎ、離れた空き地に止めた。 俺は大量の鉛筆を抱え、谷川氏は両手に灯油のタンクを抱えていた。 あきらかにタンクのほうが重いので変わりましょうかと言ったのだが、谷川氏はたまには運動しないとねと言って譲らなかった。 タンクを抱えての柵越えはちょっと大変だった。 正門から忍び込むと明らかにあやしい集団に見えるので、西側まで回って入り込んだ。まあどこから入っても十分あやしいんだが。 タンクはグラウンドに置いておき、先にプールへ向かった。懐中電灯で照らすと、水はあるようだ。 「鉛筆を入れて」長門が言った。 俺は箱を崩しながら鉛筆をバシャバシャ放り込んだ。長門は箱もいっしょに放り込んだ。 「紙もいいのか?」 「いい。必要なのは、炭素」 そういえば鉛筆の芯は炭素の同位体だったな。 それから長門はおもむろに右手をかざし、詠唱をはじめた。次の瞬間、プールの真中を軸に凄まじい旋風が起こった。 水が十メートルほど立ち上がったかと思うと、竜巻になり、そして黒い粉のような塊となって落ちてきた。 「ちょ…ちょっと口の中が……」その場にいた俺と谷川氏が、声を枯らしてのどと目を押さえた。 「……す、すまない。うかつ」 長門はあわてて二人をひっぱり、プールから離れた。 「周辺の水まで奪ってしまった。すまない」俺の水分が材料になったってわけか。 長門は学校の外へ走り去ってゆき、缶のお茶を二本持って戻ってきた。 「あー、コンタクトレンズがパリパリ言ってるよ」谷川氏が目をこすった。 「……もうしわけない」 「プールでなにを作っていたの?」 「炭、硫黄、マグネシウム、銅、その他可燃性の金属。そしてそれらの混合物」 「つまり、花火の材料か」 「……そう」 中世に行って錬金術師にでもなれるんじゃないか。 プールに戻ってみると、水と同じ体積の、灰色の粉らしきものが出来ていた。 「これ、どうやって運ぶんだ?」 「……任せて」 長門はもう一度右手を上げて、「今度は、大丈夫」と言ってから呪文を唱えた。 プールを埋め尽くしていた粉が、さっきと同じくらいの高さに立ち上がって球になり、少しずつ小さくなっていった。 最後はソフトボールくらいの球になった。 長門は空になったプールの底に下りていって、その球を拾い上げた。 「分子圧縮した」簡単に言ってるけど、すごいよ長門さん。 それから三人はグラウンドに行った。幾何学と測量の出る幕だ。 まず俺が巨大な正方形の頂点に二メートルくらいの棒を立てる。 暗くて分からないので、棒の先にペンライトを巻きつけた。 まず点を結んで線を引き、正方形を作る。 その頂点に対角線を二本引き、真中を割り出したところで上下左右の辺に垂線を引く。 これで内側に正方形が四つ現れる。 さらにその正方形の内側に正方形を作り、それを繰り返して碁盤状の正方形が出来上がった。 地上絵は、大きく二つの部分に分けることができる。 隣に同じ大きさの正方形をもうひとつ描いた。これで二つの絵が描ける。 あとは長門の指示で各マスの辺に点を置いてゆき、それを繋いでいくと絵が仕上がる。 これ、GPS使ったらもっと簡単にいきそうなんだが。 線に沿って灯油をちょろちょろと撒いた。これが導火線になる。 その上に長門がさっき作った球を持って火薬のウネを作った。 球から延々灰色の粉が流れ出て、長い山になっていった。 球はちょうど文字の最後の部分で消えた。 「警備会社の巡回まであんまり時間がない。急ごう」谷川氏が言った。 「わたしが素粒子球を上空千メートルまで投げる。合図をしたら、火を付けて」 「分かった」俺は手にもった松明に火をつけた。 「そろそろはじめますか」 「今のうちにお別れを言っとくよ。また会おう。作中でね」谷川氏が手を差し出した。 「いろいろとありがとうございました」俺は手を握って振った。 何度お礼を言っても足りない。この人がいなかったらずっとホームレスを続けていたかもしれない。 犀は投げられた。すべての準備が整った。 「谷川さん、カウントしてください」 「いくよ」 三、二、一、GO! 長門の手から勢いよく球が飛んでいく。 「今」 俺は地面に火を放った。まばゆい火柱が足元を走った。 青白く、さらに緑に、そして赤く燃える地上絵がグラウンドに浮かび上がる。 三秒、四秒、五秒……。見えはしないが黒い球が落ちてきているはずだ。 まだか、まだなにも起きない。 「特異点が発生した。向こうの次元が開いた」 長門が上を指差した。上空、百メートル付近だろうか、白い光の球が生まれた。 それが徐々に膨らみはじめ、そして落ちてくる。 長門は強引に俺の手をひいて、地上絵のまんなかに走った。球がちょうど真上から落ちてくる。 白い光はさらに膨らんで、直径三メートルほどにまでなっただろうか。 球が俺たちの上に落ちてきた。二人は球の中へ入った。 「目を閉じて!」長門が叫んだ。まぶたを閉じても強い光が目に飛び込んでくる。 強い地響きのような振動がまわりを包んだ。 俺と長門は互いに強く抱きしめ合い、光の中で、一瞬よりは長い永遠の間、じっと待った。 光が徐々に引いていく。目を開けて後ろを振り返ると、うっすらと消えていく谷川氏が親指を立てていた。 ── アスタラビスタ。 気が付くと、いつもの風景の中にいた。夜の北高のグラウンド。 前には同じ景色の中を神人に追われてハルヒと走った。 俺と長門はどちらとも、しばらくなにも言わなかった。 抱き合ったままだということを思い出して、俺は長門から腕をほどいた。 「俺たち、ちゃんと帰ってきたのかな?」 「こっちの標準時と同期した。今、情報統合思念体と話している。五年分のレポートをアップロード中」 「そうか。長門は無事に取り戻したからと言っといてくれ」 こういう場合の気分だ、少しはヒーローを気取ってみたい。 「伝える」 俺も自分の組織である家に帰ろう。というか、古泉に連絡を入れないとな。 あいつが思い余ってハルヒにすべてをぶちまけてしまう前に。 「古泉か、今帰ってきた。長門も無事だ」 携帯が通じる。どうやら帰ってきたようだ。俺の自宅にいるという未来の俺と遭遇しないように手配を頼んだ。 「マンションまで送っていくよ」 「……」この無言は俺の知る長門の表現では、ありがとうという意味。 俺は夢でも見ているかのように、終始ぼんやりとしたまま坂を下った。疲れてるんだろう。 見知らぬ世界へ行って、そして今帰ってきたという現実に、まだピンと来ていない。 マンションに差し掛かると長門が口を開いた。 「お茶、飲む?」 「さすがにちょっと疲れたから、今日は帰るわ。それに俺を待たせてるし」 何言ってんだろ俺、みたいな気がしたが長門には通じたようだ。 「……そう」 「じゃあ、またな」俺は元気なく手を振った。 長門はいつまでも俺を見ていた。 振り返るたびに小さくなっていく長門に向かって俺は、大丈夫だ、明日も会えるから、と手を振った。 わずか数日留守にしただけだったが、翌朝の俺はずいぶん懐かしい気持ちで学校へ行った。 ハルヒも、クラスメイト全員も、なにも変わっていなかった。 「懐かしいな、谷口」 「なに言ってんだお前、昨日いたじゃねえか」谷口が怪訝な顔をしていた。 昨日か、そんな遠い未来のことは知らん。 「キョン、おっはよ」さらに懐かしい声がした。 「お、おう」 俺はハルヒの顔をまじまじと見つめた。 「な、なによ。あたしの顔になんかついてるの?」 「いや、なんでもない」 やっぱりこいつがいないと俺の生活ははじまらない。 俺の居場所は架空なんかじゃない、嫌になるほどリアルなSOS団が存在する、こっちの世界だ。 俺は壁にかかっているカレンダーを見た。 長門がこっちの世界から消えて七日間、俺がこっちを出て四日間、俺の主観時間と一致する。 昨夜、古泉に電話して未来の俺を呼び出してもらい、古泉の家に引き取ってもらった。 未来の朝比奈さんとはまだコンタクトできないらしい。 ということは俺は古泉の家に数日泊まることになるわけか。 あいつの哲学やら能書きやらに何日も付き合うはめになるのかと思うと、今から気持ちが萎える。 耐え切れなくなったら長門のマンションにでも泊めてもらうとするか。 放課後、ひさしぶりの部活である。 俺の学業生活は放課後がメインなんじゃないかと思うくらい、この時間が来ると気分が開放的になる。 「あたし掃除当番だから。先行ってて」 我が団長様は教室の掃除か。ご苦労さま。 俺がいない間も、たぶんなにも変わらない日常が続いていたんだろうな。 こんな平穏な毎日が続けばいい、そう思う。 文芸部部室のドアノブに手をかけたところで、誰かが俺のベルトを引っ張る。 「……話がある」 長門、用があるときは袖を引いてくれと。それから、突然現れるのは心臓に悪いから。 「で、話ってなんだ?」 「情報統合思念体が、向こうの世界に関する記憶を消したほうがいいと言っている。 平行世界との論理的逆説を招きかねない」 「そうなのか……俺はできれば忘れたくないんだが」 あのとき、谷川氏が別れ際に見せた笑顔が忘れられない。 「俺の記憶が消えてもお前は覚えているのか」 「わたしの記憶からも消去される。以降、あの本と谷川流に関する情報は禁則事項となる」 「それはなんだか寂しいよな」 「情報統合思念体のアーカイブには保管される。必要なときに封印が解かれる」 「長門を見つけ出したときの、あの瞬間は忘れたくないんだが」 長門はちょっとだけ考えて、 「希望するなら、そのままでもかまわない。でも、言葉にしようとすると抑制がかかる」と言った。 「分かった。未来人の禁則事項と同じだな」 「古泉一樹と朝比奈みくるの記憶は消去する」 「しょうがない。やってくれ」 「……あなたは外にいて」長門はドアを開けて中に入った。 「な、長門さんなにするんですかぁ!?」 「長門さん、それはあまりに大胆すぎます!うわああ」 部屋の中から、椅子がひっくり返る音、それからキャーともギャーともつかない叫び声が上がった。 な、中で何が起こってるんだ? ハラハラドキドキして楽しんでいると、しんと静まり返った。 おもむろにドアが開いて、いつもより涼しい顔をした長門が出てきた。「……終わった」 「あなたの番」 「き、禁則事項ってどうやるんだ?」まさか脳を切開して取り出したりしねーだろうな。 「……こう」 長門は両手で俺の頭を抱えて「少しかがんで」と言った。俺は言われるままに頭を長門の顔に近づけた。 やわらかく暖かい唇を額に感じた。 ── あなたの中にわたしの記憶があれば、それでいい。 長門、その言葉、忘れないよ。 「もう!有希ったら一週間もどこ行ってたのよ!心配したじゃないの」 ハルヒが珍しく半ベソをかいている。長門の首に巻きついて離れない。 「エルサルバドルの両親に会いに行った。進路のことで」 「だったら連絡くらいしていってよね。だいたいエルサルバドルてどこよ」 「ラテンアメリカですね」聞かれもしないのに古泉が答えた。 「エルサルバドル、中米の小国家。人口約六五八万人。 面積は約二万一千平方キロメートル。国内総生産は百六十六億ドル」 長門、それは詳しすぎて逆にあやしい。 しかしホンジュラスとかエルサルバドルとか、アンドロイドはなんでラテン系が好きなんだ。 「おかえりなさい。無事でよかった」 ドアが開いて喜緑さんが登場した。 長門は喜緑さんと特殊な方法で会話でもしているのか、数秒見つめあった。 「キョンくん、おつかれさま」喜緑さんが笑顔で言った。 「いえいえ、いろいろとありがとうございました」 アンドロイドにもこういう、喜緑さんみたいな感情豊かで優しいタイプがいるんだよな。 「これ」長門がハルヒに向かって、なにやら袋を差し出した。 「あたしにお土産?」 「……そう」 袋の口を開けるとコーヒー豆の缶が出てきた。 「へー。コーヒーの産地だったんだ」ハルヒが嬉しそうに言う。 長門がチラリと俺を見た。これしか手に入らなかったからしょうがないんだ、とでも言いたげな目で。 「どこかでコーヒーメーカーを手配しないとね、みくるちゃん」 「あ、ハイハイ。明日、ドリッパーとマグカップを持ってきますね」 朝比奈さんメニューにコーヒーが追加されましたか。待ち遠しいです。 その後のことを、少しだけ話そう。 長門だが、あいつはふだんと変わりない、いつもの長門に戻ったようだ。 今回のことで、あいつと俺の間に、見えない親密ななにかができたように思う。 「なあ長門、いつかふたりでどこか行かないか」 「……また、図書館に」 「そうか。ほかに好きなところへ行ってもいいんだぞ」 「……図書館」 長門にはそれ以外ないようだ。まあ帰りに映画にでも連れてってやろう。 「ハルヒには内緒でな」 「分かった」 長門はひとことだけうなずいて、また本の世界に戻っていった。 俺の財布には今も、存在しないはずの西宮市立図書館のカードが入っている。 いつか、この禁則が解けたら、長門にも話してやろうと思う。 そう、とりあえずは俺たちを生み出した、谷川氏のこと。 ── また会おう。作中でね。 もう一生、出会うことはないだろう。少なくともこちらの世界からは。 谷川さん、しばらくはハルヒをおとなしくさせてくれたら助かります。 俺は上でもなく東でもなく、どっちか分からないあっちの世界に向かって祈った。 しかしこれもまた、谷川氏も含めた今回の出来事が、 別の世界の誰かの頭の中に存在する物語である可能性を、俺は否定できないでいるのだ。 END ---- -[[長門有希の憂鬱Ⅰプロローグ]] -[[長門有希の憂鬱Ⅰ一章]] -[[長門有希の憂鬱Ⅰ二章]] -[[長門有希の憂鬱Ⅰ三章]] -[[長門有希の憂鬱Ⅰおまけ]] ----
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5. 名無しモドキ 2011/03/06(日) 21 27 52 「サヨンの鐘」 −憂鬱世界版− 史実での、サヨン・ハヨンさんのご冥福をお祈りします。 「無情というか、人間の運命というものは、如何にしても代え難いとしか思えませんな。女の子が丸木橋で、滑って 流されるなんてことのないように、一車線とはいえ自動車も通過出来る橋を造ったんでしょう。」台湾の高原地帯とは いえ、礼装を着た陸軍中佐は、額に吹き出る汗を拭きながら隣に座った、内務省の官僚にささやいた。 「それは、どうですか。親切な日本人駐在の出征を送るときに増水した川に、一人の少女が流されたという史実を我々 が知っているからそう思うだけかもしれません。さあ、式典が始まります。今日は、純粋に、勇敢な彼女の冥福を祈り ましょう。」 山深い、リヘヨン村には周辺の村々からも大勢のタイヤル族が正装して集まっていた。県知事の、少女を讃える辞、 タイヤル族頭目による哀悼の辞、そして、はるばる東京から、訪れた四人の女学校の生徒により、真新しい四阿屋風の 記念碑に備えられた鐘がつかれた。群集のあちこちから嗚咽の声が聞こえた。 サヨン・ハヨンは、台湾タイヤル(日本統治で高砂族の一派とされる)族リヘヨン村(社)で生を受けて、小さい頃 から利発であった。小学校では、日本人の女性教師が、彼女の才能を惜しみ両親を説得して奨学金試験を受けさせた。 日本統治により、女子を含めて初等教育は普及していたが、高砂族が中学校に進学することは、かなり大きな村でも一年 に一人という時代である。リヘヨン村(社)からは、初めての女学校への進級者であった。 サヨンは、両親以下大勢の村人に、送られて恩師の女性教師に付き添われ、彼女の旅立ちに合わせるかのように新しく できた橋を渡って台北の女学校に出発した。日本人、漢族などが学ぶ女学校では、高砂族は珍しかった。 この女学校の、 日本人校長が民族融和に熱心で、先住民族である高砂族の歴史文化を学ぶ科目などを設けていた。サヨンは高砂族の中で は、最優秀の生徒であったことから、この校長は2年生の時に、提携している東京の女学校の編入試験と、その女学校が 外地からの生徒のために設けている奨学金をサヨンに薦めた。 高砂族にとって、台北という都会だけでも遠隔の地である。しかし、サヨンは恩師の恩に報いるためにも、小学校の教 員資格を取ろうと思っていた。その女学校が卒業後の課程として小学校教員のための専科を設けていると知ると、高砂族 の女子教育のためにと東京へ行くことを決心した。 最難関ではないにしろ。東京でも名の知れた女学校に始めて台湾先住民の編入生がくるとといことは校内でもちょっと した話題になっていた。ここで、始めてサヨンは疎外感を味わうことになる。 「まあ、お顔に刺青なさっているのかと思ったら素顔ですのね。」「ヘビとかもお食べになるの?東京ではあまりいませ んのよ。」「イノシシ狩りとなさってましたの。」「蛮族なのに日本語がお上手ですのね。」 これらは、お嬢様方の、悪気のない、少なくとも本人らにとって悪気のない天然に近い偏見であるが、サヨンの心を傷 つけた。 6. 名無しモドキ 2011/03/06(日) 21 31 46 この女学校でも、サヨンは忘れ得ぬ恩師に出会った。ロシア系と中国系のハーフである、美術の若い男性教師で あった。自分の外見から、からかわれたり、仲間外れにされたこと、それが悔しかったこと、勉強をすることで次第 に一目置かれるようになったこと。そして、自分のことを知ってもらうために努力したことを彼女に伝えた。 やがて、サヨンは、学校を説得して、許可を貰い母親からもらったタイヤル族伝統の髪飾りをするようになった。 そして、サヨンはタイヤル族のことを知ってもらいたいと思い、文化祭でタイヤル族の文化について展示をすること にした。サヨンが一人で、展示のための作業をしていると、クラスでも目立たない無口な生徒が、手伝いたいと言っ てきた。彼女は、東北地方の学校から途中で編入してきた生徒で、時々なまりが出るため、からかわれている生徒だ った。 「サヨンさんのような標準語がうらやましいです。でも、あなただけは、わたしのことを笑ったりしません。どうか、 友達になってくれませんか。」彼女はそういうと熱心に、サヨンにタイヤル族のことを聞いては展示品の説明文など を書いてくれた。 これが、切っ掛けになり、サヨンには何人かの友達ができた。1938年のある夏の日、放課後、サヨンたちは帰り道に 遠回りをして多摩川の土手を歩いていた。前日の大雨で川は増水していた。その川岸で、大勢の小学生が騒いでいた。 彼らの指さす方には、小学校低学年の男の子が川に流される姿が見えた。 サヨンは、それを見るなり、制服のまま川に飛び込んだ。サヨンは浮かんだり、沈んだりしながら男の子に近づいて 抱きかかえたが、一緒に流されて行く。やがて、近所で作業していた大工たちが、急を聞いて駆けつけてロープを投げ てくれた。サヨンは、男の子をロープに結わえたが、そこで力尽きて流されていった。官民あげての捜索の結果、サヨン の死体は翌日収容された。 このニュースは、ラジオ新聞などが大々的に取り上げた。これは、日本中の感動を呼び、サヨンの両親のもとには多額 の義援金が寄せられた。サヨンの両親は、サヨンの兄弟のための教育資金だけを受け取ると、残りの義援金は、高砂族の 教育資金のために寄付した。この資金は、サヨン奨学金として、毎年、更に寄付を集めて内地留学を志す、高砂族子弟の ために使われている。 サヨンの通っていた女学校では、生徒父兄が募金を集めてサヨンのために慰霊の碑と、サヨンを記念した一対の鐘を、 女学校と彼女の生まれ故郷であるリヘヨン村に贈った。この鐘が「サヨンの鐘」と後に呼ばれるようになる。 日米開戦直前、アメリカのハースト系新聞が、「日本人とは」という特集記事の中で「日本では、女子学生が水兵服 のおさがりを着ている。しかし、泳ぎは、日本の水兵と同じく上手ではない。」とキャプションをつけた戯画を掲載した。 猿顔のほほに、サヨンと刺青をした女学生が流されていくその戯画が伝えられると、人種偏見的な記事と相まって日本で は大きな怒りの声があがり、アメリカでも心ある人々の顰蹙をかった。 開戦後、「アメリカの水兵さんは、泳ぎが上手いから撃沈されても泳いで帰れるよな。」と思いを込めた幾多の必撃の 砲弾爆弾がアメリカの軍艦の襲った。 あまりにも扇情的な戯画は、日本の特務機関が、アメリカ人画家に手を回して描かしたことは、別な所でも、絶対に出 ない話である。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−おわり−−−−−−−
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「おにいちゃん、犬拾ってきたんだけど……飼ってもいい?」 「面倒はだれが見るんだ。だいたい母さんが許すと思うか?」 「でも、でも、びしょびしょに濡れてて怪我もしてたし……」 「かわいそうなのはわかる。でもな、うちで飼うのはダメだ。う……泣くな。わかった、貰い手が見つかるまでだ。貰い手が見つかるまでなら飼ってもいい」 「え!本当?本当に飼ってもいいの?やったあ」 「ああ、男に二言はない。でどんな犬なんだ?」 「うん、ちょっと大きいけどね、金色の毛並みですごくかわいいの。尻尾ふりふりしてあいかのことペロペロ舐めてね、ああいうのを雌犬って言うんだね」 「いやその用法はおかしい。今庭にいるのか?じゃあ少し見に行くか」 「溜まってると思うけどいきなり襲っちゃダメだよ」 「ははっ、お前より色っぽかったら襲うかもな……って色っぺーー!!!!」 「男に二言はないんだよね。貰い手が見つかるかどうかは別として見つかるまでは飼っていいんだよね。貰い手見つかるかな?」 「鬼!悪魔!外道!!」 「悪魔ですから」 こうして明楽家にまた1人家族が増えたのであった ~明楽いっけいの憂鬱その8~
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267 :百年戦争:2016/10/01(土) 20 01 54 1917年。日英独の連合軍によるヴェルダン要塞攻略戦が進められる上空で、人造の猛禽たちによる熾烈な争いが繰り広げられていた。 「よぉし、やったぞ!」 赤く塗られたアルバトロスD.Ⅲの操縦席でマンフレート・フォン・リヒトホーフェン騎兵大尉は快哉を叫び、錐揉みしながら地上に墜ちていくフランスのスパッド S.XⅢに視線を向けた。 60機目の撃墜を成し遂げた撃墜王は我知らず口角を上げ――自機の後方で起きた機銃の発砲音に目を見開く。 慌てて振り返ったリヒトホーフェンはエンジンを撃ち抜かれたニューポール17を発見し、自分が撃墜寸前だった事に気が付いて戦慄する。 「助けられたのか……」 敵機を追うのに夢中になっていた自身の悪癖に冷や汗を流しながら、リヒトホーフェンは自分を救ってくれたRAF&倉崎S.E.5に手を振った。 S.E.5の操縦士は軽く手を上げてリヒトホーフェンに応えると、一気に上昇して周辺を警戒していた僚機と合流する。 滑らかな動きで一分の隙も無い編隊を組み上げるS.E.5の翼には大きな赤い丸が描かれていた。 「あれがヤーパン自慢のレイヴンたちか」 日本が絶対の自信を滲ませて送り込んできた海軍航空隊は欧州の空を転戦し、その移動の多さからワタリガラスの異名を戴いていた。 始まりは一部の日本人操縦士の自称だと噂されるが、彼らが空で敵に凶兆を告げる存在である事は間違いない。 二機一組の集団戦法を基本とする日本海軍航空隊の航空戦術は、騎士道に従うリヒトホーフェンや他の大勢の欧州パイロットには納得しかねる物であったが、海軍航空隊設立に努力した若手士官自らが参戦してフランス相手に実績を積み上げる事でその戦術の正しさを証明していた。 集団戦法という戦術は気に入らなくても、指揮官陣頭というその姿勢には率直に共感できる。 第11戦闘機中隊中隊長として自分もあのようにならねばならないとリヒトホーフェンは決意し、以降は時折突出しながらも撃墜王兼空戦指揮官として部隊全体を統率していく。 戦後、日本で『帝国海軍三羽烏』と呼ばれるようになっていた嶋田繁太郎に赤い男爵からこの時の礼を述べる手紙が届き、有名人を助けていたとは知らなかった嶋田を驚愕させる事になる。 268 :百年戦争:2016/10/01(土) 20 02 24 夢幻会の憂鬱 第四次太平洋戦争の勝利は、日清戦争と第三次太平洋戦争で傷付けられた明治政府の威信を回復させる事に成功した。 仏露の牽制により不完全燃焼に終わった第三次太平洋戦争の復讐は日本国民の溜飲を下げさせ、日清戦争の遠因であった中華市場への進出は政財界を中心に大いに満足させるものであったからだ。 しかしながら、そんな日本よりも第四次太平洋戦争の結果に喜んでいる国があった。 念願の新市場を獲得した世界帝国イギリスである。 これまで日本を間に挟んだ間接貿易か小規模な朝貢貿易しか中華市場で行えなかったイギリスは、満州朝鮮という大々的な橋頭堡と中華という巨大市場を手に入れた事に狂喜した。 日本本土に近すぎるが故に軍事力を配備して植民地にすることは不可能だが、それは逆にいえば日本との友好関係と同盟が維持されている限り、日本の軍事力の庇護の元で商売に専念できるという事だ。 中華市場で日本と競合するのは若干の問題だが、長い付き合いで日本人の考え方は良く分かる。 公平な正論と対等な立場で真っ向から正々堂々と競争するだけなら日本人は理不尽に怒り出したりしないし、むしろ下手に陰謀を巡らす方が無駄にコストがかかる上に日本との関係に悪影響を及ぼす。 大日本帝国という友好的な競争者の存在は程よい刺激となり、健全なる市場競争は19世紀から続く大英帝国の栄光をさらに輝かせるはずだ。 ……気取った建前はそれぐらいにして、とにかく新市場の開拓を! こうしてイギリスは『日英同盟バンザイ!』と叫びながら、日本が困惑するほどの勢いで中華大陸へと乱入していく。 1906年には日英共同で満州鉄道株式会社を設立。 1908年にドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー二重帝国の間に三帝同盟を成立させて国際関係の安定を図りつつ、独墺伊に満鉄への出資を求めて更なる関係の強化を推進。 日本と共に清国に資金を貸し付けて様々な利権を買い漁り、北京天津上海モンゴルへと延びる鉄道の敷設権を購入すると、潜在敵国であるはずのロシアと協力してアメリカの代わりに日英露の三ヶ国でユーラシア鉄道の建設を開始する。 そして中華大陸を嬉々として動き回るイギリスが、ジョンブルとしての本領を最大限発揮する好機が――清国にとっては悲劇が――発生する。 269 :百年戦争:2016/10/01(土) 20 03 22 日清戦争の敗北は清王朝の支配体制に深刻な打撃を与え、それから立ち直る為の国政改革に欧米列強が好き勝手に干渉した結果清国内部に無数の軍閥が台頭。 清国政府の制御を離れた軍事力は急速に革命勢力と結びつき、1911年に辛亥革命が勃発する。 革命勢力が中華民国の建国を宣言すると、清国宮廷の有力者である袁世凱は自身の大総統就任を条件に宣統帝溥儀を退位させ、至極あっさりと清国を滅亡させてしまった。 当初日本は夢幻会を中心にこの中華革命を傍観する立場をとっていたのだが、満面の笑みを浮かべたイギリスの行動に愕然とさせられる。 中華民国大総統に就任した袁世凱と接触したイギリスは中華民国政府と地方勢力との仲介を提案。 袁世凱の了解を取り付けると資金をばら撒きながら有力軍閥の間を飛び回り、チベット・ウイグル・モンゴルを中華民国から独立させてしまう。 しかも1913年には退位したばかりの宣統帝を王に据えて満州王国を建国し、ついでのように朝鮮王国を成立させると、中華大陸の混乱に付け込んで九龍半島を買収してイギリス悲願の極東植民地である香港を獲得した。 国内勢力の取り纏めを期待してイギリスに交渉を許可した袁世凱は瞬く間に自国の領土を切り取られて唖然とし、にこやかな紳士の提案によって満州王国に収まるしかなかった清国宮廷は憮然とする。 鮮やか過ぎるイギリスの手際に流石の日本も若干引き気味になりながら、それでも長年の友好国の謀略を手伝って独立した各国に利権を獲得。 旧清国の領土を細切れにしたイギリスはロシアと協調する事でチベットとウイグルを両国の緩衝地帯として新しい勢力圏を安定させると、倍増した市場を前に『最高に「ハイ!」ってやつだ!』とか言い出しかねないテンションで高笑いを上げようとして――欧州大陸で発生した大戦争に目を丸くする。 1901年にアメリカ外交が暴走を始めると、日英はアメリカを軍事的に孤立させるために仏露が併呑した地域への干渉を開始。 ロシア支配下のフィンランド・ベラルーシ・ウクライナ、そして日英が間接的に滅ぼしてフランスに併合されたオランダで独立運動を支援し、仏露を欧州大陸に拘束しようと計画した。 日英の目論見通り国内の不安定化に動きを封じられた仏露はアメリカと協調する事が出来ず、単独で第四次太平洋戦争に突入せざるを得なかったアメリカを叩き潰すと日英は独立運動支援から手を引いていく。 欧州大陸の混乱は日英にとって歓迎すべき事象ではあったが、自国内にアイルランドと言う火種があるイギリスは欧州で盛り上がる独立運動へ関わる事には慎重にならざるをえなかったのだ。 ……しかし一度火が付いた独立運動はイギリスの思惑を超えて確実に延焼を続けていた。 まず潜在敵国の国力低下と自国の勢力圏拡大を望むドイツ帝国が日英のばら撒いた火種に油を注いで回り、国内不安を煽られてドイツへの憎悪を滾らせた仏露はドイツの同盟国であるオーストリア=ハンガリー牽制の為にバルカン半島への干渉を強化する。 とばっちりで勢力圏に踏み込まれたオーストリアはドイツ経由で日英との連携を深め、ボスニア・ヘルツェゴビナ獲得を目指して仏露の支援を受け始めたセルビア王国との対立を激化させていった。 イギリスは自分がばら撒いた火種が原因である為に迂闊に干渉する事も出来ず、とりあえずこの状況が自国へ飛び火する前に国内を安定させようと、1910年に長年準備していたアイルランド自治法を施行する。 この法案の施行によって自治権を獲得したアイルランドは他の連合王国を構成する「一国内の国々」同様の存在として名実共にイギリスへと統合されていき、1801年以来百年以上の時をかけてようやく『グレートブリテン及びアイルランド連合王国』が虚名ではない存在として成立した。 1845年のジャガイモ飢饉による方針転換から半世紀以上の時間をかけて最大の国内問題を解決したイギリスは祝杯を挙げたが、アイルランドの自治権拡大は欧州大陸の独立運動に希望の光と受け取られ、欧州情勢を一気に悪化させる。 270 :百年戦争:2016/10/01(土) 20 03 53 1911年には火種に注ぐ油の量を間違えたドイツが自国を含めたポーランドに飛び火させ、ロシアはついに軍事力による独立運動制圧を決定。独露国境は両国の軍事力が入り乱れる火薬庫の様相を呈し始めた。 そして欧州全土で盛り上がる民族主義に刺激され、第二次ナポレオン戦争以降対仏感情を悪化させ続けていたオランダ系住民がフランスからの独立を決意。 1912年にネーデルランド連邦共和国の復活を宣言し、フランスに対して第二次オランダ独立戦争を開始する。 当然これを認めないフランスは正規軍を投入してオランダの独立を阻止しようとするも、明らかにドイツの支援を受けているオランダ軍と彼らが駆使する伝統の洪水線によって戦況は文字通り泥沼化。 この状況を打破する為に、フランスは同じく独立運動を煽られて血圧を上げているロシアと共に対独戦へ向けた国内の動員を始め、ドイツへ対して仏露国内への内政干渉を止めるよう強く通達する。 これをドイツは旧オランダ総督との血縁関係を盾に拒絶して総動員を開始。 言い分としては完全に仏露の主張が正しかったのだが、世界は正論だけで正しい方向に向かってはくれなかった。 仏露は日英の戦力に後背を脅かされるよりも早く東西から侵攻してドイツを屈服させようと戦争を計画し、ドイツは内線作戦による兵力の戦略機動によって仏露戦力の撃退を目指した。 双方共に目論んでいたのは敵国を完全占領まで戦う総力戦ではなく、戦場における敵軍事力の撃破による外交的勝利。 すなわち古き良き19世紀型欧州の戦争を望んでいたのだが、科学技術と戦争手段の発達はそんな欧州首脳の理想を嘲笑いながら血と泥濘の中に飲み込んでいく。 第一次南北戦争をその萌芽として、北米大陸で進化し続けていた戦場の悪夢が欧州人たちへと襲い掛かったのだ。 1913年。動員を完了したフランスとロシアの兵力はドイツ帝国に宣戦を布告すると一気にドイツの東西国境線へと雪崩れ込み、組織的に運用される機関銃の弾幕という近代戦の地獄に遭遇する。 短期決戦を目指す仏露軍は積極的にドイツ軍へ攻撃を仕掛けて損害を積み重ね、反撃に転じたドイツ軍は辛うじて東西の戦線を国境まで押し返す事に成功するが、膨大な死体の山を築いて戦線は膠着状態に陥ってしまう。 有刺鉄線と塹壕と機関銃という、情緒の欠片も無い悪魔たちの支配する戦場では防御側の優位は絶対的ですらあった。 北米での戦訓はそれぞれの同盟国を通じて欧州に伝えられていたのだが、欧州の人間の過半数はどれほど悲惨な未来であっても自分達で経験しない限り信じる事は出来なかったのだ。 こうして誕生した地獄の戦場へ、三帝同盟に従ってイギリスとオースリア=ハンガリーが参戦。 シベリアでロシアと塹壕戦という悪夢に顔を引き攣らせた日本が日英同盟に引きずられて参戦するに至り、第二次オランダ独立戦争は仏露協商と帝国同盟の世界大戦へと発展する。 271 :百年戦争:2016/10/01(土) 20 04 24 不本意ながら同盟の信義を守った日英の参戦は、当初仏露が恐れたほど致命的な圧力となる事も、ドイツが望んだほど劇的に戦況を改善 させる事も出来なかった。 日本はシベリアでロシアと戦いながら地球の裏側へ派兵する為に時間がかかり、イギリスも海を越えて欧州大陸に戦力を展開する時間を必要とした。 そもそも日英は北米で動き出すであろうアメリカ合衆国に備える為にカナダ国境へ戦力を配置し続ける必要があり、アメリカへの牽制を目的として構築された戦略的仏露包囲網は、塹壕戦となった世界大戦で短期間のうちに戦術的効果を上げる事は不可能だったのだ。 それでも日英は1915年に入ると仏露に対する攻勢を開始。 シベリア戦線でロシア軍の戦力を拘束して帝政ロシアの補給線に過大な負荷をかけながら、海外植民地を制圧してフランスの国力を切り崩しに掛かった。 迎撃に出てきたフランス海軍をアムステルダム沖と地中海において撃破した日英は、1916年になるとドイツに対して本格的に陸上戦力の増援を始め、日英共同開発で旋回砲塔を装備して産まれたMk.Ⅰ戦車(日本名称:74式)を大量投入する事で東西の戦線を大きく仏露へと押し込むことに成功する。 これにより総力戦の負担に耐えられなくなったロシアでは革命が勃発。 帝政ロシアが崩壊して成立した臨時政府は大戦を継続する事で国家体制が破綻した祖国を取り纏めようとするが、その努力は一人の男の存在によって水泡に帰してしまう。 アレクセイ・ルイ=ナポレオン・ボナパルト。 第二次ナポレオン戦争後にロシア帝国へと亡命してきたナポレオン3世の孫である。 当時ロシア海軍参謀部に勤務する大佐だった彼は政治的野心など何もない完全に中立で誠実な一ロシア軍人に過ぎなかったのだが、革命にナポレオンが居合わせるという事実そのものが急進的共和主義者やボリシェビキの恐怖を刺激し、ボリシェビキは急進的共和派を取り込んでペトログラード労兵ソヴィエトを結成。 1917年に臨時政府に対するクーデター=共産革命を成功させ新たなロシア政府として人民委員会議を設立すると、ドイツ帝国との間にブレスト=リトフスク条約を締結し世界大戦から離脱した。 革命勃発直後からボリシェビキによる執拗な襲撃を受けたアレクセイ=ナポレオンは家族ともども辛うじてその襲撃から生き延びるが、それ以降彼は完全に反ボリシェビキの王党派として行動するようになり、1918年には日英の支援を受けてロマノフ王室亡命作戦を決行。 クロンシュタット軍港のバルチック艦隊を掌握し、ロマノフ王室と共にイギリスを経由して日本へと亡命する。 日英独の海上封鎖と植民地の占領により国民生活が困窮し始めていたフランスでは、ロシアの離脱により厭戦感情が増大。 アメリカで発生したインフルエンザパンデミックのフランス上陸を受けて反戦暴動が発生し第三共和政が崩壊し、中立を維持していたイタリアとセルビアに仲介を依頼して帝国同盟に停戦を申し込む。 これをロシアと同じように総力戦による浪費で国家が限界を迎えかけていたオーストリア=ハンガリーが受諾する方向に動き、フランスは海外植民地の返還と引き換えにオランダの独立を承認。崩壊したロシア帝国からフィンランド大公国・ポーランド共和国・バルト伯連合公国・ベラルーシ共和国・ウクライナ連合共和国が独立する事で、丸5年続いた世界大戦はようやく終結した。 272 :百年戦争:2016/10/01(土) 20 07 24 投下は以上となります アメリカの出番が無いのは書き忘れではありません 273 :百年戦争:2016/10/01(土) 20 09 40 あ、wiki転載などはOKです いつも掲載ありがとうございます
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392 :百年戦争:2016/11/06(日) 22 32 35 1922年。その艦隊は生まれ故郷を遠く離れた極東の帝国に係留されていた。 ロシア帝国バルチック艦隊。 かつて世界有数の規模を誇った海軍で最精鋭の艦隊として編成された艨艟は、もはや彼ら以外に掲げる者も居ない喪われた帝国の旗を掲げたまま、目指す航路も見つけられずに朽ち果てて行くのだと思われていた。 国を追われた君主たちが、狂気とも言える無謀な決意を宣言するこの日まで。 「――移動の準備が整いました、陛下」 この期に及んで纏わりつく逡巡を振り払い、アレクセイ・ルイ=ナポレオン・ボナパルト少将は彼らの旗艦たるガングートの甲板から異国の帝都を眺めていた主の背中に声を掛けた。 「……もうそんな時間か」 それに応えて振り返った主君――ニコライ・アレクサンドロヴィチ、ロシア皇帝ニコライ二世と呼ばれた男の顔にもまた躊躇いの色が浮かんでいる。 これから行う選択が本当に正しいのか、彼もまた完全な確信を抱く事が出来ずにいるのだ。 生まれた時からロシア皇族としての教育を受けてきたニコライ二世がこのような感情を家臣に見せる事など革命以前にはあり得なかった事であるが、アレクセイが軟禁されていたツァールスコエ・セローから皇帝一家を救出して以降、皇太子と同じ名を持つナポレオンの末裔は家臣ではなく家族同然の同志という立ち位置を確立してしまったらしい。 それが祖国から追い出された皇族という惨めな共通項からくるものだという現実が、アレクセイに忸怩たる思いを抱かせる。 叶うならばロシア帝国への忠勤の褒賞として、このような信頼関係を皇帝との間に築き上げたかった。 「申し訳ありません」 アレクセイの口から思わず零れた言葉は、このような現実を引き起こした己の血統に対する謝罪であった。 バルチック艦隊の指揮権掌握と皇帝一家のロシア脱出。 おそらくアレクセイはやり過ぎてしまったのだ。 皇帝一家の無事を確保してその再起の可能性を追求するあまり、ナポレオンの血統が十分な戦力と名声を確保して混乱する欧州に留まる事がどのような事態を引き起こすかにまで意識を向ける余裕が無かった。 バルチック艦隊を掌握したアレクセイの帰還を恐れるフランスの反発によってイギリスは縁戚であるロシア皇帝一家の亡命を受け入れが不可能になり、ロマノフ王室は何の所縁も無い極東――大日本帝国への亡命を余儀なくされた。 ナポレオンの血筋がその傍にいなければ、大英帝国の庇護の下に亡命政権を作る事が出来たはずなのに。 「気にする事は無いよ少将」 不意に謝罪を告げられた元皇帝は、悔恨を滲ませる家臣の真意を汲み取って笑顔を浮かべた。 「貴官は私と、私の家族の為に最善の行動を取ってくれた。君がいたからこそ私たちはボリシェビキ共に殺されずに脱出でき、こうして再び歩き出せる。そのように忠誠を尽くしてくれた臣下を放り出して、誰がロマノフと共に歩んでくれるというのだ?」 柔らかな主君の言葉に、フランス皇帝の末裔は背筋を伸ばす。 「愚にもつかぬことを申し上げました――行きましょう陛下、我等が未来の為に」 「うむ……例え愚かな選択だとしても、我等は最後まで足掻いてみせる」 この日、大日本帝国においてロシア帝国王党派を中心とした亡命政権が設立される。 ロシア帝国艦隊政府。 ガングート級弩級戦艦二隻を基幹としたバルチック艦隊をその『領土』としたこの亡命政権は、ソ連から「時代錯誤な専制主義者たちの妄動」「引き際を知らない負け犬たちの艦隊」と罵倒されながら、ロマノフ王朝の資産や亡命ロシア貴族の財産を使って船舶を購入する事でその『領土』を拡大。 シベリア、アラスカ、カナダなど日英に亡命したロシア王党派の資産ネットワークを構築し、自前で船団の警備まで行う大規模な海運業者としての側面を強くしていく。 393 :百年戦争:2016/11/06(日) 22 33 12 夢幻会の憂鬱 世界大戦終結後、夢幻会の面々は頭を抱えていた。 その苦悩の原因は太平洋を挟んで睨み合いを続けるアメリカ合衆国や、シベリア連合の向こう側で蠢くソビエト連邦ではない。 1653年以来ずっと共同歩調を取り続けてきた日本の友好国であり、シベリアと太平洋の二正面で米ソという敵性国家に挟まれた日本にとってもはや必要不可欠な存在となった同盟国、イギリスである。 日英共同でオランダを滅ぼした事で東南アジアと太平洋は日本の勢力圏となり、フランスをアジアから追い出してスムーズになった両国の交易は莫大な利益をもたらし、アジア太平洋に戦力を割く必要の無くなったイギリスの影響力は欧州を中心に拡大。 オランダが滅亡していた為にボーア戦争そのものが発生せず、日本と連携した為にフランスとのアジア植民地獲得競争を史実より負担も少なく乗り越え、中華市場に進出する事も成功している。 史実で背負った各種の負担と引き換えにアメリカとは敵対関係になっていたが、その代償として大英帝国はアイルランドとの統合を成し遂げ、日英同盟はユーラシアの東西から全世界を牽制可能な理想的同盟として機能していた。 そうであるのに何故、夢幻会はイギリスによって思い煩わされているのか? その理由は衰退の兆しも見せない大英帝国の存在そのものにあった。 1918年。ロシアの戦線離脱とアメリカ風邪パンデミックにより第三共和政が崩壊し、唯一の敗戦国として過酷な戦後賠償を追及されるはずだったフランスに対して寛容すぎる講和の条件を提示したのは、意外な事にフランスと泥沼の塹壕戦を繰り広げたドイツ帝国であった。 最も強硬にフランスへの懲罰的賠償を要求すると思われたドイツが示した甘すぎる提案に、オランダを失うフランスは歯軋りしながら頷き、巻き込まれただけに過ぎない大戦争を少しでも早く終わらせて国内の立て直しを図りたいオーストリア=ハンガリーも承諾。 日英は大戦に参加した利益を何も得られない事に反発したが、五年も続く戦争で高まり始めた国内の厭戦感情を考慮して講和を受け入れざるを得ずせっかく占領したフランスの海外植民地を無償で返還する。 フランスは被占領地の無償返還と引き替えにオランダを始めとした新規独立国を承認し、ヴェルサイユ条約によって世界大戦は終結する。 もちろんこれはドイツ人が戦乱と疫病で荒廃したフランスの惨禍を目撃し、博愛精神に目覚めて慈悲の心を発揮したからではない。 ドイツ帝国はやがて復活する将来のフランスよりも同盟国であるはずの日英――特にイギリスの存在を恐れていたのだ。 世界大戦で独仏を始めとした欧州が被った戦災と比べてイギリスは人的被害のみに留まり、さらにはその人的被害も大戦の最初から塹壕戦の泥沼をのたうち続けた欧州諸国に比べれば微々たるものに過ぎず、相対的に見ればイギリスの国力は増加しているとさえ言える。 200年以上の長きに渡って日本が陰日向に支援し続けていたイギリスは、ドイツが自国の復興に注ぎ込むべき賠償金をフランスから搾り取るのを断念してでもその国力の増大を阻止しようとするほどに強大化していた。 その強大化した存在感は日本が講和会議の席上で提案しようとしていた国際的平和維持機構の構想にも影響を与え、本格的に組織の設立に賛同する国が現れずに国際連盟が成立しないという事態を引き起こす。 それがどれほど素晴らしい理想に基づいた組織であれ、大英帝国という怪物が参加すればその主導権がイギリスの物になるのは明らかであり、同盟国である独墺も敵性国家であるフランスもこれ以上イギリスの影響力を拡大させるような組織の誕生を望むはずがなかったのだ。 夢幻会を中心とする日本政府は慌ててイギリスに国際連盟設立への協力を打診するが、古くからの友好国はにこやかな笑みと共にこの申し出を謝絶。 国際連盟設立に賛成しなかったどの国よりも、衰退無き世界帝国が国家の加盟する大規模な国際組織の存在を必要としていなかった。 世界大戦により欧州の競争相手が疲弊し、アメリカが国内対立で身動きが取れなくなっている現状では国際情勢を自国の有利なように動かしていくのは大英帝国にとって容易い事であり、大規模な国際組織の存在はむしろ足枷になりかねないとこの時のイギリスは考えており、イギリスの戦略パートナーは日本だけで十分だという自信さえ抱いていた。 結局、日本の構想はスイスのジュネーブに各国の大使館職員が常駐する施設が設置されるに留まり、この史実とは比べ物にならない小規模な組織=国際会議連絡事務所が国連と呼称されるようになる。 このイギリスの傲慢とも言える世界戦略は、大日本帝国を巻き込んで世界の流れを史実から更に歪めて行ってしまう。 394 :百年戦争:2016/11/06(日) 22 33 45 第四次太平洋戦争でアメリカ太平洋艦隊を殲滅した日本海軍は仮想敵の消滅によりその拡大を一時鈍化させるが、世界大戦に前後してアメリカ海軍が戦力再建を本格化させるとこれに対抗する為に大規模な艦隊建造を決定。 第三次ハワイ沖海戦においてその効果を実証した弩級戦艦群による艦隊編成を発展・改良し、超弩級戦艦による第二次八八艦隊計画を開始する。 1911年に日英共同設計で金剛型巡洋戦艦四隻、薩摩型超弩級戦艦(薩摩、安芸、河内、摂津)四隻を建造。 大戦が始まった1913年には日本式の改良を加えた準金剛型である伊吹型巡洋戦艦(伊吹、鞍馬、筑波、生駒)四隻、クイーンエリザベス級をタイシップに扶桑型超弩級戦艦四隻を建造し艦隊を丸ごと一新する。 国力にモノを言わせた大規模建造は戦時中という事も有りさらに加速し、史実の八八艦隊計画通りに艦齢八年の艦隊編成を目的として第三次八八艦隊計画が始動。 日本海軍のあからさまな標的とされたアメリカは増大した国力を生かして壊滅させられた海軍力の再建と拡大を推進し、国内対立によろめきながらもダニエルズプラン=三年艦隊を計画。真っ向から日本海軍の拡大に立ち向かっていく。 そして太平洋から始まり大西洋へと伝播したこの異常な速度の建艦競争に欧州で唯一余力がある大英帝国が参戦。 終戦により一番艦以降の建造中止が予定されていたアドミラル級巡洋戦艦四隻(フッド、アンソン、ハウ、ロドネー)の建造を再開する。 この事態に顔を引き攣らせたのは国内の復興に掛かり切りになっているフランスと、東欧の混乱を収拾させようと走り回っているドイツであった。 日英によって海軍力を壊滅させられたフランスもイギリスとの建艦競争で作り上げた大洋艦隊が健在なドイツも、国力を回復させたいこの時期に大規模な艦隊建造を行う余力など欠片も残っていなかったからだ。 海軍を持つ列強が建艦競争に参加出来ないという屈辱に震えながら独仏は睨み合い、平穏を謳歌していたイタリアを仲介にバカげた建造祭りを行っている三カ国を呼び出して史上初の軍縮会議であるローマ海軍軍縮会議を開催する。 独仏連携という外交上の異常事態が引き起こしたこの会議は、日英に軍事的に包囲されたアメリカにより最初から難航した。 大戦による疲労が無いアメリカは軍縮失敗による各国の負担などまるで気にせず、日英合計との同量保有と日英同盟の解消を主張。 当然日英がそんな条件を認めるはずもなく、何としても建艦競争による財政負担を回避したい独仏が必死に説得し、カナダ国境と言う長大な潜在戦線を抱えるアメリカも国内から海軍の無制限な拡大に疑問が出た事で、ようやくアメリカも軍縮に前向きになる。 ドイツ帝国は日英への対抗から単純な軍縮に応じられないアメリカを納得させる為に、アメリカの準同盟国であるフランスに建造中のコロラド級戦艦を一隻購入させ、これによってイギリスへの牽制とする案を打診。 これに軍縮条約により予算削減を行いたい日本の夢幻会がイギリスの説得に回る事で軍縮条約はようやく前向きに進み始め、少しでも艦隊戦力を立て直したいフランスがドイツ案を承諾し、ドイツはフランスに財政負担を押し付ける代わりに洋上戦力の不利を受け入れる。 1921年。日米英55万トンを基準として独仏:2、伊 1.75の比率で戦艦の保有率が決定。 戦艦は基準排水量4万トン砲口径16インチ10門以下と規定され、艦齢15年未満は代艦建造禁止。 米仏以外の新艦建造は原則として禁止とし、既に長門型戦艦を完成させていた日本との兼ね合いで米英は16インチ砲搭載戦艦二隻を追加で建造・完成させ、フランスはアメリカから未完成のコロラド級一隻を購入。 日英米が建造中だった巡洋戦艦は二隻づつ空母へと改装される事になり、日本は天城、赤城を、アメリカはレキシントンとサラトガを、イギリスはアドミラル級の二・三番艦であるアンソンとハウを改装空母として完成させる。 各国が所有を許された16インチ砲戦艦は大日本帝国の長門、陸奥を筆頭に大英帝国がネルソン、ロドネー。アメリカ合衆国コロラド、メリーランド。 そしてフランス共和国ラファイエット。 かくして、列強のメディアにビッグ7と呼称される16インチ砲戦艦群が誕生する。 395 :百年戦争:2016/11/06(日) 22 34 20 このようにヴェルサイユ条約や軍縮条約に様々な影響を与えた大英帝国の存在は、同盟国である大日本帝国国内にも無自覚な影響を与え夢幻会にとって頭痛の種となっていた。 イギリスは日本にとって誠実で友好的な同盟国であったが、 強大過ぎる同盟国の存在はその鮮やかすぎる外交手腕と共に日本国内でも警戒心を呼び起こし、列強たる日本がイギリスに外交的主導権を握られていると感じる 日本国内の勢力は夢幻会を『対英追従』と攻撃し、日英協調による日本の勢力安定を求める勢力は国際連盟設立など夢幻会が行おうとする日本の独自外交を『反英孤立』と呼んで非難する。 もちろん夢幻会はイギリスべったりの追従政策を行うつもりも、日英で競争して世界の覇権を争うような意思も無かった。 イギリスとは有力な同盟者として協力できる問題は協力し、多国間での国際関係を強化する事で日本の国益を確保していくという夢幻会の方針は、皮肉な事に200年以上イギリスとの共同歩調を推進してきた夢幻会自身の政策によって日和見主義だと批判され、史実よりも拡大した日本の勢力圏も相まって日本国内における夢幻会の影響力を低下させる事態にまで発展してしまう。 それでも夢幻会は辛うじて国内政治における主導権を確保していたがその代償として外交政策へと関与する余裕を失い、イギリス以外の国との外交関係強化を目的とした国連設立は軸足の欠けたものとなって失敗する。 結局日本の外交方針は日英同盟を主軸とした独自外交の追求という中途半端な物に終始せざるを得ず、そしてイギリスの影を引きずった日本の外交は欧州の警戒心によって鈍化していく。 この状態を誰よりも喜んだのは日本国内の親英派日本人ではなく、同盟者であるイギリスだった。 友好的な近代列強である大日本帝国は大英帝国にとって最重要の同盟国であり、その同盟国が他国の影響を受ける事無く日英同盟を中心にした外交政策を取り続けるという事はイギリスの覇権を維持する上で大いに満足出来る要素であったからだ。 イギリスはロシア内戦に干渉してシベリア連合の成立を日英共同で支援し、その後東欧で発生したポーランド・ソビエト戦争にはドイツの復興遅延を狙って意図的に干渉せず、トロツキーが提案したウクライナ・ベラルーシの分割を容認してドイツの視線を東欧に向けさせる。 さらに独仏対立が激化して欧州列強が自国周辺に釘付けになると、大英帝国はオスマン=トルコ帝国へと介入を開始。 日本を誘ってトルコの近代化に協力すると共にアラビア半島全域をオスマン=トルコへと併合し、1925年には満州と同じようにアラビア鉄道株式会社を設立する事で己の勢力圏に組み込んでしまう。 『世界の管理者(ワールドオーダー)』 没落無き世界帝国の国力に裏打ちされたイギリスの自信は日英同盟を通じて大日本帝国を、そして列強各国を大いに振り回していく事になる。 396 :百年戦争:2016/11/06(日) 22 35 46 以上で投下終了です wiki転載はOKです
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表題 谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』。 ボーイズラブマシーン(P.135) モーニング娘。の曲『LOVEマシーン』。 ソウルな世界に旅立って卍解(P.136) 『BLEACH』の尸魂界(ソウルソサイエティ)と黒崎一護の必殺技・卍解。 「友情・努力・凌辱」(P.138) 『週刊少年ジャンプ』における連載漫画の三大原則「友情・努力・勝利」。同誌の前身・月刊『少年ブック』以来の編集方針であり、元は『少年ブック』時代に小学校4年生・5年生を対象にしたアンケートで「一番心あたたまる言葉」「一番大切に思う言葉」「一番嬉しい言葉」として決まったもの。 ブリーフのようなもの(P.140) 強盗事件などの報道でよく使われるフレーズ、「バールのようなもの」。バールなのかそうじゃないのかハッキリしなくてもやもやする。このフレーズを題材に清水義範が『バールのようなもの』という短編小説を書き、それを立川志の輔が新作落語に仕立てた。 リンゴの言葉が耕作を救うと信じて…!(P.143) 『ギャグマンガ日和』の劇中劇、「ソードマスターヤマト」から。
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『汐華初流乃の憂鬱』 エピローグ 語り部 キョン 「ねぇ、キョン」 ハルヒが後ろから声をかけてくる。 北高の教室での、いつもの光景だ。 「ちょっと、聞いてるの?」 ハルヒが何か言ってるようだが、俺は無視して外の景色を眺めていた。 声を無視していると、シャーペンで軽く背中を突付いてきたが構うものか。 構うものか・・ かま… かゆ…うま 「って、いっでぇぇぇぇぇ!?」 無視してたら思いっきり刺してきやがった。 「分かってるんならちゃんと返事くらいしなさいよっ」 だからって刺すことないだろうがっ!! 「なんだ一体」 「汐華君、どうしてるかしらね?」 旅行が終わってから3日程過ぎたが、俺達二人はこの所ずっとこんな調子である。 初流乃の奴はどうしているんだろうな・・・通える学校くらいは見つかったんだろうか。 そうこうしているうちに担任の岡部がやってきて、HRが始まった。 「あ~みんな突然だが、このクラスに転校生が入る事になった」 転校生? 「ご両親の都合で、長い事海外で暮していたそうだ」 また海外か そのネタはもう腹一杯だぞ・・・当分もう良いって感じなんだが 「まだこちらに慣れていないのと思うので、みんなも慣れるまで色々手を貸してやって欲しい」 それから岡部に言われて、転校生が教室に入ってきた。 その時の俺の顔をどう表現したら良いんだろうね。 ここ最近の記憶で一番近いのはおそらく文化祭でハルヒがバニー姿でステージに現れた時だろう。 このときの俺は多分アレに近い顔をしていたんじゃないかと思う。 実際心理的な衝撃度はそれに匹敵するほどだったぜ。 転校生が名乗りを上げるよりも前にハルヒが自分の席を立って飛び出す。 一瞬あっけに取られた岡部が、何か叫んでいたが構う物か 俺もハルヒに続いて、転校生の下に駆け寄った。 バカだな・・・腕章はピンで留めれば十分なんだぞ。 転校生の制服には「団員候補生」の文字が書かれた腕章が、しっかりと縫いとめられていた。 「これで・・・合格かい?」 それから、数日後の日曜日 ハルヒがはじめから、アイツが日本まで来ると本気で信じて「団員候補生」腕章を手渡したのか それとも、この再会に巡り合わせに何かを感じたのか 俺にはどっちだからわからないが、ともかく顔を見たときからハルヒの腹は決まっていたらしい。 何はともあれ、今日は新入団員を迎えての久々の市内不思議探索だ。 家から飛び出た俺は、いつものように自転車で待ち合わせの場所に向かう。 いつもいつも、なぜか最後に来ておごりをさせられている俺だが、今日ならば最後にならない自身がある まだ、このルールを知らないアイツは、丁度の時間にやってきて面う食らうに違いない。 不意打ちみたいでフェアじゃない気もするが、こっちは探索のたびに奢らされているんだ まぁ、一回くらいは代わってくれてもいいだろう? 「っと、残念ですけどキョン、ルールの事なら昨日朝比奈さんが教えてくれましたよ」 後ろから声がしたかと思うと、アイツの乗った自転車が俺の横を颯爽と抜き去っていった。 く、朝比奈さん、こういう時までいつものやさしさを出さなくってもっ!! 残念だが仕方がない 俺は、自転車の速度を上げてアイツの横に並んだ。 「お前も自転車か」 「時間も同じとは思わなかったよ、かなり余裕で出たはずなんだけどね」 ハルヒたちの待ち合わせの異常な早さは5分前行動なんてもんじゃないからな まぁ丁度いい、ここは俺とお前で白黒つけようじゃないか。 「良いいとも、ネアポリス市警から逃げ回った僕のテクを見せてあげるよ」 「お前こそ、ここでは俺に地の利があるという事を忘れるなよ」 俺は、ペダルに力を入れて全速力で駆け抜けた。 結局、俺達の決死の競り合いもむなしく、結局待ち合わせ場所で待ち構えていたハルヒの命により、俺達は同着ビリ 要するに、二人で奢れって事になってしまった。 俺はともかく新人にも容赦ないな。 ハルヒ達は俺達二人が来たのを確認すると、先に喫茶店に向かった。 「ハルヒの無茶苦茶ぶりは相当なもんだからな、覚悟しとけよ」 俺は自転車に鍵をかけながらいってやった 「はは、楽しみにしてるよ。さぁ、行こうかキョン」 遅れるとまたうるさいだろうから、あいつらの元に早く言ってやるとしようか 「じゃあ、行こうぜ、初流乃」 こうして 汐華初流乃は、俺達SOS団の元にやってきた。 汐華初流乃の憂鬱 第一部イタリア編-完-