約 223 件
https://w.atwiki.jp/22shisakki/pages/284.html
221.唐實錄國史凡兩次散失 唐時修實錄、國史者皆當代名手。今可考而知者: 高祖實錄二十卷、太宗實錄二十卷(皆敬播撰,房元齡監修), 又貞觀實錄四十卷(令狐德棻撰貞觀十三年以後事,長孫無忌監修,其時同修者,又有敬播、顧允、鄧世隆、慕容善行、孫處約、劉顗、庾安禮,俱為修史學士,見德棻及允、處約等傳),其後許敬宗又奏改正,高宗以其事多失實,又命宰臣刊正。(見郝處俊傳)(初高祖、太宗兩朝實錄,敬播等所修頗詳直,敬宗輒以己意改之。敬宗貪財,嫁女於錢九隴,本皇家隸人也,乃列之於劉文靜等功臣傳,又其子娶尉遲敬德女,則為敬德作佳傳,以太宗賜長孫無忌之威鳳賦,移為賜敬德者。事見敬宗傳。而播傳又謂播與敬宗同撰,蓋當元齡、無忌監修時,播已在事,至是又徇敬宗意而與之同改修耳) 高宗實錄三十卷(許敬宗、令狐德棻等撰), 後修實錄三十卷(德棻等所撰,止乾封,劉知幾、吳兢續成之), 又有武后所定高宗實錄一百卷(見藝文志), 韋述所撰高宗實錄三十卷(見述傳), 則天皇后實錄二十卷(魏元忠、武三思、祝欽明、徐彥伯、柳沖、韋承慶、崔融、岑羲、徐堅撰。劉知幾、吳兢刪正。見藝文志及元忠傳。按劉子元修武后實錄,有所改正,武三思不聽,而吳兢書張易之誣元忠有不順之言,引張說為證,說已許之,賴宋璟力阻,始對武后謂「元忠無此語。」後說見實錄所書如此,囑兢改之,兢曰「如此何名實錄?」是劉、吳二人修實錄,尚多直筆), 中宗實錄二十卷(見藝文志,謂吳兢撰,而岑羲傳又謂羲撰,其書節愍太子之難,謂冉祖雍誣睿宗及太平公主連謀,羲密疏保護之,是岑羲亦在修史之列), 睿宗實錄五卷(亦吳兢撰,劉知幾又有太上皇實錄十卷,記睿宗為太上皇時事也), 玄宗實錄二十卷(張說與唐穎等撰,開元初年事), 又有開元實錄四十七卷(見藝文志,不著撰人姓氏), 代宗時又修成一百卷(令狐峘撰,時起居注散亡,峘裒掇詔策成之,而開元天寶間名臣事多漏略,拙於去取,不稱良史。見峘傳) 肅宗實錄三十卷(元載監修), 代宗實錄四十卷(亦令狐峘撰,峘受詔纂修未成,坐事貶外,詔許在外成書,元和中,其子丕上之), 建宗實錄十卷(沈既濟撰,時稱其能。見濟傳), 德宗實錄五十卷(蔣乂、韋處厚、獨孤郁、樊紳、林寶等撰,凡五年書成,裴監修), 順宗實錄五卷(韓愈、沈傳師、宇文籍撰,李吉甫監修。按愈傳:修順宗實錄,拙於取舍,為世所非。穆宗、文宗嘗詔史臣改修,而愈婿李漢、蔣係皆在顯位,諸公難之。又鄭覃傳:文宗嘗謂「事不詳實,史臣韓愈,豈屈人耶?」是當時論者皆多此異議。然路隋傳:謂愈所書禁中事皆切直,宦官不喜,咸議其非,故文宗詔隋刊正,隋奏「周居巢、王彥威、李固言,皆謂不宜改。而宰臣李宗閔、牛僧孺謂『史官李漢、蔣係皆愈之婿,不可參撰。』臣獨以為不然,愈所書,本非己出,自元和至今無異詞,但請示其甚謬者,付下刊定可耳。」乃詔「摘出貞元、永貞間數事改正,餘不復改。」據此,則愈所撰本非失實,特宦寺等妄論之耳), 憲宗實錄四十卷(蔣係、沈傳師、鄭澣、陳夷行、李漢、宇文籍、蘇景允撰,杜元穎、韋處厚、路隋監修。敕隋與處厚更日入直,書未成,且免常參。傳師尋授湖南觀察使,元穎引張說、令狐峘之例,奏令傳師以史稿即官下成之。俱見各本傳。按憲宗實錄凡兩次重修,武宗時,李德裕當國,欲掩其父吉甫不善之跡,奏請重修,詔允之,并令舊本不得注破,候新撰成時,同進史官。鄭亞等希德裕意,多所刪削,德裕又奏「舊本多載禁中之言,夫公卿論奏必有章疏;藩鎮上表,亦有批答,若徒得自其家,未足為據。今後實錄所載必須有據者,方得紀述。」從之。議者謂「德裕以此掩其改修之跡也。」又李漢傳:漢修憲宗實錄,書宰相李吉甫事,不相假借,德裕惡之,乃坐以李宗閔黨貶逐。此會昌中重修也。及宣宗即位,又詔「元和實錄乃不刊之書,李德裕擅敢改張,奪他人之懿節,為私門之令猷。」周墀亦奏「德裕竄寄他事,以廣父功。」乃詔崔龜從等刊落。此大中再定本也。俱見本紀及各本傳內) 穆宗實錄二十卷(蘇景貺、王彥威、楊漢公、蘇滌、裴休撰。路隋監修), 敬宗實錄十卷(陳商、鄭亞撰,李讓夷監修), 文宗實錄四十卷(盧耽、蔣偕、盧告、牛叢撰,魏監修), 武宗實錄三十卷(韋保衡監修), 宣宗以後無實錄(大順中,詔修宣、懿、僖實錄,而日曆記注亡缺,史官裴廷裕因摭宣宗政事奏記於監修杜讓能,名曰東觀奏記,凡三卷,以後諸帝皆無實錄)。 此諸帝實錄見於各本紀、列傳及藝文志者也。 其總輯各實錄事跡,勒成一家言,則又別有國史。 先是吳兢在長安,景龍間任史事,武三思、張易之等監修,事多不實,兢不得志,乃私撰唐書、唐春秋,未就,後出為荊州司馬,以史草自隨。會蕭嵩領國史,奏遣使就兢取其書,凡六十餘篇。(兢傳)此第一次國史也。然尚未完備。 開寶間,韋述總撰一百一十二卷并史例一卷,蕭穎士以為譙周、陳壽之流。(述傳)此第二次國史也。 肅宗又命柳芳與韋述綴輯吳兢所次國史,述死,芳緒成之。起高祖訖乾元,凡一百三十篇。而敘天寶後事,去取不倫,史官病之。(芳傳)此第三次國史也。 後芳謫巫州,會高力士亦貶在巫,因從力士質問,而國史已送官,不可改,乃倣編年法,為唐曆四十篇,以力士所傳,載於年曆之下,頗有異同。(亦芳傳)然芳所作,止於大曆,宣宗乃詔崔龜從、韋渙、李荀、張彥遠及蔣偕分年撰次至元和,為續唐曆三十卷(蔣偕、崔龜從等傳)此第四次國史也。 是唐之實錄、國史本極詳備,然中葉遭安祿山之亂,末造又遭黃巢、李茂貞、王行瑜、朱溫等之亂,乃盡行散失。 據于休烈傳云:國史一百六卷、開元實錄四十七卷、起居注并餘書三千六百八十二卷俱在興慶宮,京城陷賊後,皆被焚。休烈奏請降敕招訪有人收得者送官重賞。數月內僅收得一兩卷,惟史官韋述藏國史一百一十三卷送於官。是天寶後所存僅韋述之本也。 廣明亂後,書籍散亡,五代修唐書時,因會昌以後事跡無存,屢詔購訪。據舊唐書宣宗紀論云「宣宗賢主,雖漢文、景不過也,惜乎簡籍遺落,十無二三。」又五代會要所云「有紀傳者惟代宗以前,德宗亦祇存實錄,武宗並祇實錄一卷。」則雖有詔購訪而所得無幾。此五代時修唐書之難也。 新唐書韋述等傳贊云「唐三百年,業鉅事叢,其間巨盜再興,國典焚逸。大中以後,史錄不存。故聖主賢臣、叛人佞子,善惡汨汨,有所未盡。」然則不惟舊唐書多所闕漏,即新唐書搜採極博,亦尚歉然於文獻之無徵也。
https://w.atwiki.jp/chinatiku/pages/34.html
701 転載 sage 2007/04/01(日) 22 34 28 ID inohJBGt0 ↑の見解はなりきり(太陽板)の「蔡京 ◆GtkPmKwSp2」氏のもの。 実に面白い。 一応、このスレの住人にも紹介しときたい。 702 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/01(日) 23 01 51 ID IbwTPFXu0 狆師道 子供の頃は張戴(知らんけど、多分学者)に学び、試法(科挙)に及第、 熙州の官に推され同谷知県を兼任する。同谷県では田産訴訟が二年にわたって 未判決のままであり、狆師道もこれをおしつけられて難儀したらしい。 文官時代にもいろいろあるが、とりあえずはしょる。なんか蔡京やら童貫 やらに気に入られず不遇だった模様。でも皇帝からは気に入られた。それがまた 奸臣たちには気に入らんかった様子で、西安州の知事とされる(実質的な左遷)。 西夏が定辺を侵し、仏口城を築城すると狆師道は兵を率いて仏口城を破壊。 兵士たちが喉の渇きを訴えると山の西麓を指し、「水はここにある」といって 井戸を掘らせ、潤沢な水脈を確保した。またいらんこと昇進するが割愛。各路 の兵士たちを督して席葦平に築城、敵が到来すると葫蘆河に退き、川辺に布陣、 戦況を見守る。夜中、偏将の曲充を小道から横嶺に出し、大声で援軍到来を 叫ばせる。敵が驚いて背後を見ると楊可世が後方から敵軍を襲い、さらに姚平仲 が精兵を率いて進撃する。狆師道軍は算を乱した敵を大敗させ、斬首50級を 挙げ、牛、馬、駱駝などの家畜たち数万を獲る。敵の酋長はわずかな供を連れて 逃げ去ったが、自分の城に還ったところで死んだ。 また陝西、河東七路の兵を率いて臧底城を攻め、十日でこれを降せと命ぜられた。 城に近付くと頑強な抵抗を受け、敵の士気の高さが知れる。対するに官軍は怠惰で 将校の中には勝手に休息するものもいる始末。狆師道はそういう輩を斬り捨て、 軍門にさらして「今日この城を抜けなければこうなるぞ」と言って綱紀粛正。 士卒は恐怖にせきたてられてわれ先に城に登り、瞬く間に城を落とした。 八日目のことだった。皇帝に報告するとまたも昇進。割愛。 都統制、保静軍節度使となった童貫は、燕回復の謀を立てる。狆師道以下の 諸将はいかにも嫌がり、狆師道が代表して「それは盗人のやることだ」と反駁、 しかし童貫はそれを黙殺して白溝まで出陣、遼軍に察知されて宋軍は多大な 損害を蒙る。狆師道が自ら身を挺して兵士たちを収容したおかげで大敗には いたらずに済んだ。 遼からの使者が女真族挟撃をもちかける。童貫が返答する前に狆師道が 「そう言うやり方は義にもとります」と諌めたのだが童貫はこれをまた無視、 狆師道の官位を落とし、代わりに劉延慶を起用した。劉延慶は盧溝で大敗、 帝は「やっぱり狆師道じゃのう」とか言ったが実権を蔡京、童貫に握られて いるのでなにも出来なかった。ちなみに貶められた狆師道の官職は憲州刺史、 環州知事、保静軍節度使で、案外高位なままだったりする。文官だからか。 金軍が南下すると朝廷は大慌てで狆師道を呼び、たっぷり官職を授けてから 金と戦ってくれと懇願、狆師道は姚平仲とその麾下7000騎を率いて出陣、洛陽 にいたり、京城に向かうオリブに対峙する。朝廷に「敵の勢い盛ん、今しばらく 汜水に駐屯するのが万全の計かと」と呼びかけつつ、部下たちには「我らは寡兵 といえどもだからといって遅疑し進まぬことのないように。事情がばれれば一気に やられるのだ。鼓を撃って前進し、きゃつめらに我らの虚実を見抜かせないよう にするのが重要なのだ。京城の人、我らを見れば自然と意気振るう。なんぞ 敵人を憂慮することがあろう!!」とアジる。彼は行く先々でビラをまき、 种少保危急と知った人々が集まって100万の大軍となる。汴京に至り汴水の南に 兵を進め、敵の陣営に兵力を直撃させると、金軍は大いに恐れ、戦わずして 北に還った。 当時狆師道といえば“种老”と呼ばれるほどの有名人となり、欽宗皇帝もよく その意見を聞くようになった。欽宗曰く、「今ウチの国ってヤバくない?」 狆師道「女真族なんぞ兵法を知らんイノシシばかりでござる。孤軍他国を侵略 するほどのことは出来申さん」と頼りがいのある返事。欽宗「講和したんよ」 狆師道「軍旅のことは私めにお任せを。しかし講和はまずかったですな」という ほのぼのトーク。ちなみにこの間も狆師道はまたまた出世したんやが、それより 副官の姚平仲が都統制に出世したのが大きい。 703 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/01(日) 23 02 45 ID ERvMR/+10 700 転載にレスするのもなんだけど 軍隊の精鋭化 後周の世宗柴栄が、禁軍の改変を大々的に行ったことは有名なことでした。 当時、中原の王朝というのは、後唐から後周に至るまで、同一勢力からの派生ということで 皇帝直属の親軍たる、近衛がほとんど入れ替えられることがなかった。 しかも、後唐荘宗李存勗の親軍というのは、かの楊師厚が編成した銀槍隊であり、 銀槍隊は、楊師厚という節度使の牙軍(節度使に密接に関係した兵)であったので 傭兵的性格を色濃く持っていた。 それは、給金をしぶると不満を抱き、厚遇すればつけあがるという、とんでもないものだった。 しかしその武力に頼らなければ、いくさにも勝てないし、皇帝権力の維持も難しい時代だった。 後唐明宗が、侍衛親軍を創設して、一旦分散はしたものの 後晋、後漢と、侍衛親軍に属する将兵に、大きな異動はなく 良く言えば古強者、悪く言えば老弱兵が多数在籍していた。 後周太祖郭威はそれを慮って、新たに殿前軍を創設するも、改変する前に死去。 後周世宗柴栄は、即位直後の「高平の戦い」において、この不安定な殿前軍と老兵およびつけあがりの侍衛軍を 率いて戦わねばならなかった。 侍衛親軍の馬軍と歩軍の指揮使(大将)が、北漢の猛将張元徽の攻撃にビビり、敵前逃亡を図ったため 後周軍右翼は潰走。 柴栄は中軍本隊の先頭に踊り出て自ら敵兵を切り伏せることで士気を保持させ 張永徳、趙匡胤に命じて、敵の中央突破を成功させた。 北漢には野戦で勝利したものの、太原攻めには失敗し(自身の判断ミスで)、大敗してしまったが それを置いても、敵前逃亡した将兵に腹立ちと改変の必要性を痛感した。 侍衛親軍に属する老兵はすべて解雇され、新たに募った壮丁をもって補充し 殿前軍には趙匡胤に特別審査を行わせ、武芸に秀でた者を登用していった。 これによって、禁衛軍の総兵力は減少したものの、近代無比と言われる後周禁軍が誕生した。 と、何が言いたいかというと、柴栄の言葉にある 「およそ軍隊というものは、数が多ければよいというわけではなく、その質こそ肝要。今、農家百人で一人の兵を養うありさまだ」 ということで、北宋もいつの間にか、そういった根幹を忘れて、軍隊を肥大化させてしまったのだろうか。 ま、建国期と統一状態が何年か続いたときとでは、比較にはできないけどね。 これはチラ裏だけど、一応、柴栄確定の根拠の一つとしてトリビアにでもしてもらえれば幸いです。 704 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/01(日) 23 03 34 ID IbwTPFXu0 狆師道の2 ときに狆師道、病を得て、皇帝から拝謁の礼をとる必要なしと赦される。堅物の 狆師道は腰が曲がらんなら膝をついて拝謁しようとしたが、欽宗は笑ってそれも 必要なしと説く。この時期すべての門が閉ざされ、市に新しい野菜が入ることもなし。 狆師道は皇帝に請うて西と南の両門だけを開くよう頼んだ。 金に馬忠という偏将があり、彼の前軍隊が遮ったという罪で6人ほど斬る殺人嗜好者だった。 これに恐れをなした士卒たちが南に流れ、狆師道に附く。彼らは自分勝手な規範を作り再び金と 宋との境界線を越えようとしたので、狆師道は金を支払って彼らを郷里に帰した。黄河を扼守す るために彼らを使おうと言う意見も出たが、狆師道はそれを黙殺した。 种氏、姚氏はともに山西の大族姚平仲の父姚古は熙河軍に入援した。姚平仲は 功名を独占するわけには行かないと父を帰したが、この頃になると士卒が速戦 に向かず命令系統が途中で途絶えるなどの不都合が出るほどの増加傾向にあった。 李綱はそれについての議上で、城下の兵が命令を聞くようになるまで姚平仲の 節度下に置けば宜しいと述べた。欽宗は毎日人を派遣して狆師道に作戦を諮問し、 狆師道は弟の狆師中と兵を分かっての分撃作戦が可能であると上奏。8日後、 金の軍営に襲撃をかけた狆師中はみごとに敗北した。敗戦後、李邦彦に軍権の 3割を奪われたが、狆師道は紛争の種になるとしてなにもいわなかった。 金軍が退いたのち、御史中丞の許翰が狆師道の軍権を解くよう欽宗に上奏した。 理由としては「狆公は老年であり、これ以上の任に堪えられるとは思えない。 陛下は彼を信任しすぎている」とのこと。実際は狆師道と欽宗が太いパイプで 繋がっているのが気に入らないだけなわけだが。狆師道が黙っていると許翰は 嵩にかかって、「国家危急のときに書生なんぞにまかせられぬ」とか言った。 狆師道の反論「彼は少なく我は多く、分担して結営すれば要地を守ることは たやすい。彼の糧道を截ち持久戦に持ち込めば、必ず勝てるのです」許翰は 狆師道に心酔し、狆師道は老年と言えど往年の智謀衰えず、なお用うべきと 上奏したほどの変わり身を見せる。狆師道、太尉に。 金兵再来に際し、狆師道は各地の軍を召集、大敵を捕退すべく出陣するも、 まもなく狆師中が戦死、姚古が敗北し、朝廷は震撼、狆師道に軍を還すよう 要請する。太原が陥とされ、とりもどすべく彼は進軍を決意する。金軍が一挙 攻め寄せてくることを警戒しつつ各個撃破、欽宗より下賜された鉾を振りかざし、 長安までを回復する。大臣たちの怯えるさまに仕方なく京師に軍を還す。京師に たどりついたところで逝去。76歳であった。欽宗は彼を喪い大いに慟哭したと言う。 京城の守りは喪われ、皇帝の胸に穴が開く。「狆師道の謀を用いず、どうやって たたかえというのか!!」そしてその後、靖康の難が起こり徽宗、欽層は北に連れ 去られる。狆師道は建炎年間、少保を追贈され、忠憲と謚された。 チュウの字が変換できなかったので狆の字で代用。すんません。 705 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/01(日) 23 28 54 ID ERvMR/+10 チュウの字が変換できなかったので狆の字で代用 サブでみたら「・」になってる。 メインでは楽勝で見えているのに。 チュウは簡体字にもあって、それは「種」に対応しているんですけど、これでは漢字が違いますよねぇ。 となると、洺州(めいしゅう・シ名州)もだめか? 706 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/01(日) 23 50 08 ID IbwTPFXu0 そーなんです。変換できんのですよ。ところどころ“・”になっとるし。 それはさておき、 狆師道も挙げたし、ここいらで五代~北宋の最終選考に移りたいのですがよろしいか? 【確定組】 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊業、狄青、(李存審)、(耶律徳光) 【候補】 周徳威、郭崇韜、王彦章、郭言、楊師厚、劉鄩、康延孝、 任圜、李神福、臺濛、周本、孟堅、張彦卿、陸孟俊、劉仁贍、張武、 王環、趙季良、蘇章、潘崇徹、銭弘佐、顧全武、張元徽、李瓊 耶律休哥、狆師道、劉昌祚、李継遷、賈嵓、潘美、楊延昭、顧全武 楊師厚、史建瑭、王景、康壊貞、劉鄩 【候補落ち】 朱温(朱晃)、郭威、曹彬 過去最大の候補数。なんといっても魔の定義論含め300レス近くこの時代で 続いたけんね。あと、十国からは顧全武と劉仁贍の二人ぐらいでいいかもと 思うが、いかがか? 707 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/01(日) 23 52 57 ID IbwTPFXu0 あ、楊師厚と劉鄩、すでに挙がっとったね。重複してしまった。すんません。 708 ○ sage 2007/04/01(日) 23 58 04 ID Yep9d0/00 702 704 ◆oOLAqFKRBさん 乙です >奸臣たちには気に入らんかった様子で、西安州の知事とされる(実質的な左遷)。 まあ北宋って左遷とか日常茶飯事なんですよね。 新法派・旧法派なんて互いに足の引っ張り合いしてたぐらいですし、 名前はちょっと思いだせないんですがw 最終的に海南島に左遷された後、朝廷に復帰した人物とかいるぐらいですし… またまた何時もの寝言言ってみましたw 締切もう一日待ってもらってもいいてすか? 郭崇韜の推薦文を挙げたいのですが今日はもう寝たいです。 ダメなら諦めますが… 709 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/02(月) 00 09 58 ID 3SOpQK0D0 勿論OK。つーか俺が決めることじゃないし。 みんなで納得して決めんと、 後々(俺はこいつを挙げるつもりやったぁぁ!! ならば俺はこいつをー!!)みたいな確執が怖いしね。 710 ○ sage 2007/04/02(月) 22 13 03 ID BY7tkA820 郭崇韜(?-926年) 代州雁門の人。字は安時。己を郭子儀の後裔だと自称した。 李克用、李存勗(荘宗)父子に仕えて中門使に至る。 李存勗が皇帝となり後唐を建国した際には、兵部尚書・枢密使とされ重用される。 後梁を滅ぼすと、論功第一に挙げられ、侍中・成徳軍節度使となる。 郭崇韜の位は人臣を極め、権勢を奪われるのを恐れて魏国夫人劉氏を皇后に立てるよう密奏し、 また「時務利害二十五条」を説いて、宦官を排斥。 後唐建国から三年後の同光三年(925)に なかなか飛躍の機会が得られなかった宦官勢力に、絶好のチャンスが到来。 (おいおいw) この年に王衍が割拠する前蜀政権の併合を企図した荘宗は、 太子の魏王李継岌を名目上の総大将として、 実際の指揮を郭崇韜に執らせ遠征軍を派遣。 この前蜀攻めで郭崇韜は東北面行営都招討使を勤めた。 前蜀は後継者争いのために国力が低下、遠征軍は一戦しただけで王衍を降伏させることに成功。 前蜀攻めは領土拡大と同時に 後唐は荘宗が浪費家だったこともあって財政面が苦しく、 豊な四川地方を併合し、財政の回復をさせる第二の目的を含んでいた。 王衍の降伏後に荘宗は、成都からの戦利品を心待ちにしていたが、王衍降伏後の戦後処理に 手間取った郭崇韜は遅々として戦利品を送ることができなかった。 荘宗は期待を裏切られたと苛立ちを見せ始めた。 この事態をチャンスとばかりに宦官勢力は行動を開始。 (全く宦官って奴は悪知恵だけは働くよな) 李継岌にも猜疑を受け、同時に恨みを持っていた宦官達に誣告された。 それを信じた荘宗は激怒し宦官の馬彦珪を蜀に遣わして郭崇韜・廷晦の父子を成都で処刑させた。 (ひでぇ完全に冤罪じゃん) 郭崇韜は政戦両略と王佐の才ありといわれ、郭子儀の再来と評され、 郭崇韜は李克用・李存勗(荘宗)の二代に仕え、後唐建国時に 「第一の功臣」と評されるほどの功績を挙げた彼を推薦。 東はオルドスから西は敦煌まで領土を拡大、 宋軍に勝利し、賀蘭山で遼に勝って、宋・遼・西夏の鼎立の形勢をつくった、 西夏の李元昊も推薦します。 これで自分は推薦打ち止めです。 昨日は流れ止めてごめんなさい。 711 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/03(火) 03 12 00 ID P41V3Neb0 お、郭崇韜ですか。 ○さん乙です。 さて、けちでもつけるかw(いや、冗談です) 軍政官としての力量になんの疑問もない人ですが、急速な領土拡大(河東から華北政権へと) となる過程ということもあるでしょうが、結構蓄財に余念がなかったような面があります。 後唐は荘宗が浪費家 これ、建国以前にも郭崇韜は李存勗を諫めているんですよね。 李存勗としても煙たいところでもあったのだろうか。あまりに軽々に宦官の言を信じたのは 芸能にうつつを抜かしてしまった李存勗の、統治者としての決定的な資質不足でしょう。 いくさでは神がかった強さを発揮するのに、人心掌握や統治では為すところが無い。 なんか項羽を連想させます。 郭崇韜が少しでも金銭を蓄えようとした故事では任圜との確執もあげることができます。 任圜は最初、潞州(上党)の李嗣昭(李克用の仮子)の幕僚だったのですが 胡柳陂の時には李嗣昭隊の一部を率いて果敢に戦ったため、李存勗から「仁者の勇」と絶賛されます。 ただし、根っからの官僚で、荒事は苦手なタイプでした。 鎮州(常山真定)で、張文礼が乱を起こし、討伐に赴いた李嗣昭が戦死すると、その残存兵を見事に統率してのけ また、張文礼の子、張処球をして説得し、降伏にまでこぎつけることに成功していました。 もっとも、そのときは油断した鎮州軍を、李存審が強襲したので、張処球は戦死しましたが。 戦後、鎮州の節度使として郭崇韜が赴任すると、任圜は真定尹としてその幕下に入り この二人の黄金コンビの統治によって、鎮州の傷は癒えていくのでした。 任圜は意外に人を見る目がなく、これは、と思った人物を推官したのですが、 その男が任圜の目の届かないところで、公金横領に耽っていました。 その男は、そのことが発覚するのを恐れ、溜め込んだ私財を郭崇韜に包み隠さず報告しましたが 郭崇韜はそれを受け取って、不問にふしています。 それを知った任圜は、鎮州の行軍司馬職を辞し、工部尚書のみに専念することになります。 やや、郭崇韜との友誼に溝ができた形で。 さて、ここから本題。 前蜀討伐戦の折、郭崇韜は実質上の指揮権を与えられ遠征軍を統率しました。 任圜も、魏王付きの参軍として従軍しました。 そのとき、郭崇韜軍の先鋒を担ったのが、候補にも挙がっている康延孝。 康延孝はもとは後梁の将です。段凝という後梁の将帥の指揮下にいたわけですが、 それを脱して李存勗のもとに降ったのでした。武勇に優れていますので、李存勗は喜び 彼に姓名を与え、李紹琛(りしょうちん)と名乗らせました。 その李紹琛が、李厳という将とともに1万を率い、鳳州、固鎮、興州を陥とし、 前蜀の三招討使、王宗勲、王宗儼、王宗昱ら3万の迎撃軍を三泉の戦いで大破した。 さらに利州を陥とし、督戦に出向いていた蜀帝王衍を遁走させ 蜀軍は撤退するにあたり、民家や義倉を焼き、綿江の橋をも切って落とし、舟も沈めて李紹琛軍の 足止めを図ったが、李紹琛は李厳と相談し 「我らは敵地にあって、速戦しなければならず、橋の修理を待っていては敵に態勢を整える余裕を与える」 と言って、河を強行突破した。そのとき渡河できたもの千人、溺死したもの千人だったと言います。 鹿頭関から漢州を制圧した李紹琛は、ここで蜀の重臣王宗弼から降伏の申し出を受けました。 李厳はこの遠征軍の企画者の一人なので、その処理を行い、ここに前蜀は平らぎました。 李紹琛の功、最も大である、と史書に明記されていますが、 この人、郭崇韜や朱友謙らが冤罪で殺されたことに動揺し(誣告による粛清が相次いだ)、 西川節度使を自称して叛旗を翻します。 その李紹琛を、漢州の戦いで、あっさり撃ち破ったのが、魏王付きの参軍だった任圜。 彼は董璋に弱兵を率いさせ、李紹琛の突出を誘い、自ら精鋭を率いて、その側背を横撃しました。 李紹琛は任圜をただの文官と侮っていましたが、足をすくわれました。 漢州城に逃げ込んだ李紹琛は任圜の火攻めにどうしようもなくなって、ふたたび出陣しましたが 今度は正面から戦って破れ捕らえられました。 一体、誰が一番強いのかわからない状態ですが、前蜀戦かように入り乱れておりました。 712 ○ sage 2007/04/03(火) 05 27 49 ID hLnQoVG30 次スレです 三国志二十四大英雄 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1175545567/ 713 ○ sage 2007/04/03(火) 06 49 14 ID L/JUw1yu0 712はガチで偽物 ちなみに三戦版にも同じ様なスレたってるけどな… 714 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 16 24 01 ID zAFfeCHo0 【みんなで】 選抜 三国志二十四大英雄 【決めよう】 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1175545567/ こうしろ 715 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 16 43 23 ID 3AtpUj+u0 ttp //www.geocities.jp/kaysak864/n-mayuan.htm 馬援評伝。 これ面白い。 特に興味深い考察を引用しとく。 >もしも馬援がアスペルガー症候群とするなら、 >光武帝と高祖の比較の言葉も意味が違ってくる。 >そもそも馬援は光武帝と意気投合すること甚だしく、その評価もべた褒めである。 >それをさらに劉邦が上と評するのは極めて不自然であり、隗囂もその言葉についていけなかった。 >これも自閉症者の持つ言語特性と考えることで謎が氷解する。 >自閉症者の言語の特徴は含意を理解できず、言葉のそのままの意味に用いるということである。 >馬援の言葉「不如也。高帝無可無不可;今上好吏事,動如節度,又不喜飲酒。」をその言葉そのままに理解すると >「比べられません。高祖は特別な能力はありませんから。今の皇帝は事務処理にも長け、行動にも節度があり、お酒を好みません」となる。 >劉邦は事務が嫌いで、行動に節度がなく、お酒好きだったから、この3つは光武帝が上回る点をさらにだめ押しで追加したのである。馬援は、高祖劉邦はただの凡人であって、 >光武帝と比較するのも馬鹿馬鹿しいと言いたかったのかもしれない。 716 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 17 07 42 ID EZmiygYlO 715 スレ違い乙 717 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 19 08 57 ID rtGwnu5o0 714 ここじゃなくあっちのスレに陳情しろよwww 718 ◆RQdk7scN8s 2007/04/03(火) 19 58 38 ID P41V3Neb0 前に李晟に相当するのは、五代では誰? という質問があって、自分は良く知りもしないくせに、テキトーに寇彦卿、とか言ったけど これは完全な誤りでした。 似ているのは、お互いに皇帝の腹心であり、親軍の将として信頼されたところだけ。 戦場での洗練さは、李晟のほうが非常に上でした。 つうことで、「五代群雄」スレに怪しい訳とともに紹介しておきましたので、興味ある方は御覧ください。 あと、添削もできれば… 713 なんでいきなりニセモノが現れたんでしょうね? 719 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 20 40 12 ID EZmiygYlO 718 ◆RQdk7scN8sさんご親切に有難うごさいます。 以前に李晟について質問した者です 「五代群雄」スレの方に見に行ってきます 本当に有難うごさいました 720 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/03(火) 21 12 11 ID RlL9Cbtn0 いきなり風邪ひいて昨日からダウンしてた俺ですが、 起きたついでに唐末~宋にかける漢族と異民族間の考察をば開陳します。 中国の歴史においては唐代にいたるまで、漢民族と北方民族の関係は比較的 単純な方式にしたがっていた。まず好戦的な北方民族がはじめは略奪、やがては 制服の意図で中国に対する侵入を繰り返す。もしも中国の社会が健全な組織を 持っているなら、中国は容易にこの侵入を撃退することができる。なぜならば 北方民族が恃みとするのは当時の戦闘に最も大きな威力を発揮する騎馬戦術 であり、遊牧民族はその出自ゆえ生来騎射に優れているので優れた軍人的 素質を持つ。それでもって中国に攻撃を仕掛けるわけだが、漢族と北方民族の 戦力を総体的に比較した場合、数において漢族が圧倒的優勢に立つ。さらには 富力の差だが、これはさらに開きが大きい。だからもし長期戦ということに なれば、北方民族のほうが疲弊して軍を還すということになる。漢代、中国が 匈奴にさんざん苦しまされながらも最終的には反撃し是を屈服させたのはこの 良い例といえる。 しかし、唐末五代~元までの時期にかかるとこの事情が変わってくる。 唐末頃から北方民族と中国との関係は非常に複雑なものとなり、一筋縄では いかなくなってきた。第一には北方遊牧民族の知力が発達したことにある。 彼らは以前よりも中国文化をよく理解し、その長所と短所を同時に見抜く力 を持つようになった。その長所を知ることは彼らに中国人民を利用しようと いう気持ちを起こさせ、その短所を知ることは彼らに中国文化をむやみに崇拝 したり憧憬したりする態度を棄て、中国文化にないかれら自信のうちにある 美点を保存しようと言う希望を起こさせるにいたる。これは中国に対する 異民族の民族的自覚であり、いわゆる国粋保存的な政策が底から生まれる。 その結果、遊牧民族の国家の性質に柔軟性が加わり、従来のように強いばかり で同時にもろいのと違い、弾力を持った耐久性のある国家が現れてきた。 遼およびそれ以後の西夏、金、元などの国はいずれもこの例に当てはまる。 つぎに中国人のほうでも、異民族国家に対する分析が進んでくる。中国人も やはり異民族の弱点を見抜き、それは経済的に微弱であることだと結論した。 そこで以降の対異民族政策には多かれ少なかれ、経済が武器として用いられる。 ときにはそれが濫用されてかえってみずからの首を絞めることになることも あるが、全体的に見て政策の進歩であることは間違いない。 ・・・概ね宮崎市定氏の論に拠りました。まぁこの程度はこのスレ的には常識 で、いちいち言うまでもないとは思うんやけどまぁ、それ以前の匈奴やら柔然に 比べて遼、西夏や金、元が一線を画す存在であるという事を提起したかったわけ です。つーか寝起きの独り言なんでスルーしてください。 で、五代~北宋の空き枠三名には、 五代から劉仁瞻、西夏から李継遷、北宋の劉昌祚を推します。 721 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 22 06 27 ID mpJSp2SR0 論に拠ったというより、ところどころ端折ったり言い換えただけでほぼそのまんまと言ってもいいよね 722 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 22 52 49 ID 05omaE1q0 独り言ならスレに書き込むなと小一時間 723 ○ sage 2007/04/03(火) 22 56 46 ID L/JUw1yu0 711 718 ◆RQdk7scN8sさん 乙&㌧です。 偽物についてなんですが多分このスレで自分がやたら 五代と三国志の比喩論を述べていたからではないかと推測しています。 711に李厳なんて名前あったら反応しちゃうしw 朝スレ見てたら自分の書いた憶えのないレスが載ってたのにはビックリしましたよw で思わず憤慨しちゃいましたwww あとですね郭崇韜と任圜についてちょっと 自分なりに意見を述べてみようと構想中です。 (◆RQdk7scN8sさんのレスと被る箇所が多々あるかと思いますが) 720 ◆oOLAqFKRBさん風邪の具合は大丈夫ですか? 無理しないで寝ててくださいよ!! 一日も早い復帰、心よりお待ちしてます。 さて自分は西夏なら李継遷より孫の李元昊を推します。 五代なら楊師厚を北宋からは楊延昭(楊六郎)か潘美を推します。 724 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/04(水) 01 40 12 ID 6Y9RtpAAO 723 李元昊を推すなら推すでかまわないですが、 何をもって中国の武将とするか理由を明記してくれませんか? 李元昊が入るならば、大越(現ベトナム)の李常傑、元代の陳興道、 明代からはオイラートのエセンを推す人が出てきたとき、反論できません。 どうじに耶律休哥など国号から遼を外し、契丹のみにしてる時代の人物を推すひとは、 何をもって中国の名将であるとするか書き込むか、時代を戻して、 過去の中華風の国号をしてない北方民族も、選考の対象にするのか意思表示して下さい。 私は遼を選考から外したい人を強引に納得させ、スレを進めた人物です。 最後まで遼をはずそうとした人が、言い放った言葉を思い出して下さい。 私は、遼が中華王朝か否か?の論争はスレ違いだと思いますが その人物が中国の名将か否か?はスレ違いじゃないと思ってます。そうですよね? 誠に申し訳ないですが、お手数をかけますが、理由を書いてもらえませんか? 725 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/04(水) 01 47 03 ID 0uxFM+xa0 李元昊 当人がもし生きてこのスレ見たら血吐いて死にそうだよなw 726 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/04(水) 05 14 00 ID YB6QMW6K0 喉が痛くて眠れやせん。今日は朝一で病院行こう。 さて、 724さんの言う「中国の名将か否か」ですが、 「守勢(中華からの侵略に対する防衛)ではなく積極的に 中国本土に攻め入り、多大な武勲を挙げて自国の版図を広げた(あるいは橋頭堡を作った)」 でどーでしょ? 陳興道は赫々たる戦果を上げたがその戦いは元朝の侵略に対する防衛戦やったし、 エセンは明領内に攻め入って大勝したものの結局中国本土にオイラートの領土を広げてない。 よって上二名は「中国の武将」ではないということで。 李常傑は・・・すんません、よく知らんわ。 で、俺の推す李継遷はというと夏州から宋軍を撤退させてその版図を奪い、 さらに霊州を取り、宋軍15万を全滅させるという十分な戦功も立てとるから、 中国の名将で(最後流れ矢に当たって死んだのが間抜けやが)いいのではないかなぁと思うがどうか。 そんで○さんの推す元昊はどーやろ? ウイグルを攻めて甘州を取ったけど、 これは中国本土の土地にカウントされん気がする。でも宋仁宗の時代に陝西地方で37万の精兵を率い、 当時弱体化していた禁軍100万を蹴散らしたけんが武勲は十分。けど韓琦・范仲淹に阻まれて中国の土地は奪えずじまい。 しかも経済封鎖された挙句和睦して、その条件に「西夏は宋に対して臣下の例をとる」ことで調印しとるしなぁ。 敦煌やら西北方面への領土は広げたけど、中国の武将ではないか? つーかそもそもこの人、西夏が漢化するのを嫌っとったし。 ま、俺の意見に納得できん諸兄もおるやろーし、 ここは合議制の場なんやから大勢が両者とも資格なし、となればそれに文句は言いません。 727 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/04(水) 13 40 32 ID X6a7+FA80 「中国」の中身は長い期間の混血によって変化している。 当然、その範囲も時代によって変化していると考えた方が良さそうだ。 だからこの際、支那≠中国と考えるべきだ。 「文化に漬けられた弱い南人=漢族」で「支那の王朝だから正統な中国」の論理は見飽きた、聞き飽きた。 天命も領土も保ち得ない文弱王朝は元々正統ではないし、そもそも正統の王朝なんてものは最初から存在しない。 正統云々は時の為政者たちの都合次第。 士大夫どもがその宣伝を鵜呑みしてたただけ。 忠義の対象が一つしかなければ、そうせざるを得ない。 極東の島国の俺たちにその論理を盲従する必要性は全く無い。 狂的な漢人イデオロギーを妄信してた宋にしたって沙陀色が濃いし。 728 ◆RQdk7scN8s 2007/04/04(水) 20 57 47 ID PeGUb0ID0 723 ちょっと関係ない雑談なんですけど ○さんは、五代史に関して、どんな資料を参考にしてますか? それは岩城さんにも聞きたいのですが。 自分は基本、《五代史》、《五代史記》、《五代史書彙編》(十国春秋もこの中)、五代絡みの概説書(むろん日本書籍) あと、『五代群雄傳』くらいなんですが。 関連論文も読みたいところですが、そういう機会はなさそうです。 729 ○ sage 2007/04/04(水) 22 45 35 ID rYwHrifH0 728 企業秘密ですw(もちろん冗談ですが) ◆RQdk7scN8sさんの様に五代史、五代史記など読める環境、読解力があればいいのですが なかなかそうもいかないのが現状です… 参考資料としては資治通鑑の注釈本、陳舜臣氏の中国の歴史などですかね。 まあ覚束ない知識ながら語らせて貰ってます。 (ちなみに漢文は大して読めませんし…) あと海南島にまで左遷された人物は蘇軾でした。 訂正 海南島から帰って来た時は朝廷には復帰できず常州で死去してました。 730 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/04(水) 22 51 35 ID LTCrPQz60 728 ◆RQdk7scN8sさんへ。 俺は新旧《五代氏》と《十国春秋》のみ。 あとは《続通志》の一部に五代の人物列伝が載ってるのと、 概説書として宮崎市定教授の「五代・宋」ぐらいですか。 あ、《史治通鑑》と《通鑑紀事本末》もその都度時代を敷衍してみるには便利ですね。 偉そうに紹介文挙げたりしてる割に 実は五代は苦手というか、そんな詳しくなかったりします。 資料は喉から手が出るほど欲しいのに、どんな伝手で手に入れるかわからんという。 一応近所に官籍専門輸入書店があることはあるんやけど、ここの品揃えがあんまりよくないのですよ。 731 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/04(水) 22 54 22 ID LTCrPQz60 730 変換ミス。官籍→漢籍で。 732 ○ sage 2007/04/04(水) 23 24 45 ID rYwHrifH0 724 何をもって中国の武将とするかについては 取り敢えず自分 21で示されてる定義に添って推薦しているつもりです。 あと 726で述べられてる>「守勢(中華からの侵略に対する防衛)ではなく積極的に 中国本土に攻め入り、多大な武勲を挙げて自国の版図を広げた(あるいは橋頭堡を作った)」 自分もこの意見に近いですね。 それに西夏も一応認めることで話が進んでますよね? なのに西夏から一人も推薦挙がらなかったら後からただ入れろ入れれと言ってたたけかよと!! と苦情が出るかもしれないし、そう言うのも考慮してます。 李元昊は西夏の建国に前後して三川口・好水川・定川砦において北宋軍に勝利してますし 資格については問題無いと思っています。 西夏(夏)についてですが 李徳明の跡を継ぎ、検校太師・侍中・定難軍節度使となり、西平王に封ぜられた。 西夏と呼ばれてますがこれは北宋が勝手にそう呼んでるだけで本来は夏。 李元昊は現在の寧夏回族自治区銀川の興慶府を首都と定めてる。 唐始に拓跋赤辞は唐に降り、李姓を下賜され、族人を引き連れれ 慶州(現在の寧夏回族自治区内)に移住し平西公に封じられた。 唐末に発生した黄巣の乱ではその子孫である拓跋思恭が反乱平定に大きな功績を残し、 それ以降、夏国公として当地の有力な藩鎮勢力としての地位を確立した。 国の成立を見る限り西夏は中華の国として扱ってもいいのではというのが持論です。 もちろん遼・金・元も同様です。 陳興道は陳朝(大越) モンゴル軍の自国への三度に渡る侵攻を全て撃退 李常傑は北宋軍の攻撃が始まる前に10万の大軍をもって中国領土内へ進攻し勝利したんですよね?。 それに大越(李朝)の李常傑はベトナム救国英雄と呼ばれる人物の一人ですよね? さすがに大越(ベトナム)の武将は選外とするべきでしょう。 オイラートのエセンですがモンゴル帝国崩壊後、オイラートはケレイト、ナイマン、バルグトなどを含む部族連合集団に変容し、 後にモンゴル高原のほとんどすべての部族を制するに至ったんですよね?。 いくら元(北元)と称していても部族連合集団であり国家としての様相を呈してないので 選考基準から外れるのではないでしょうか? 以上が自分の持論です。 諸兄が李継遷・李元昊は中華の武将ではないと反対するなら自分は従います。 733 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/04(水) 23 34 51 ID 1tmtmtZF0 李元昊の夏は諸部族連合でなかったと? 諸部族連合だから国家じゃないというのなら遼や元の組織だって変わりはありませんよ? 734 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/05(木) 00 41 40 ID 0wO0KLdZO 732 西夏を入れるのと、その人物を中国の武将であると見なすのとは違いますよ。 だから、李元昊の名が出てもスルーされていたと感じていましたが。 ヴェトナムは唐代まで、戦乱期の一時的な時代以外は、中国の支配化にあったんですよ。 阿倍仲麻呂が派遣された話とか有名ですよね? この時代、ようやく独立を果たしたにもかかわらず、 朝廷から贈られたのは「安南都護」でした。 李常傑の活躍で、安南国になるんです。彼ら自身は越と称してるんですけどね。 自治権は認めても、領土的には中国本土であると考えられてます。 だから後の中華王朝が度々、征伐に来るのです。 李元昊のように独自の文字を制定したわけでもなく、 独自の文字もなく、制度は中国と変わらなかった安南の 李常傑を外すのは矛盾があると思うのです。 李元昊自身も、中国の武将だと思ってないはずです。 外すのが無難かと。 735 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 00 46 30 ID CWGq96lM0 733 726の定義を提起した博多の岩城ですが、○さんに援護射撃。 西夏も遼・金・オイラートなども諸部族連合によって成立する国家という 点では同根だと思う。ただ、李継遷時代の西夏は自ら夏州・雲州を奪って 陝西地方に橋頭堡を作ったということで中国の王朝でありそこに所属した 武将は中国の将と愚考する次第(元昊はむしろ中華文明からの脱却を 目指したから中国武将とは言いがたいところがある)。で、オイラートは 諸族連合国家ということでは西夏と同じであるものの、南下して中国の 土地に領土を獲得したわけでないので中国の国家ではないと。翻って遼は あらかじめ燕雲16州という橋頭堡を持ち、それを保持するために南下して 北宋に攻勢を仕掛けたこともあるので中国、というか半中原国家という感じ。 金は最初から南進してきて中国の土地を版図に加えたから問題なく中国の国家 だろうし、元というかその前身たる蒙古はチンギス即位後、ムカリあたりが 金に攻めよせて各地を獲り、転戦して橋頭堡を築いたのでこれも中国でいいかと。 これに関して 733さんおよび諸兄の意見を聞きたいと思いますが。 736 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 01 01 23 ID L2DsHe8+0 735 そうですね逆に質問します。 仮の話ですが、琉球が日本に侵攻して九州を占領した過去があったとしたら、その 時に琉球王朝は日本の一部となりますか?その武将は日本の武将と呼びますか? さらに進んで中国・四国地方くらいは征服したが、王は那覇を離れず日本の占領地 へは代官を派遣するくらいの支配で。 現実の例だったら(たとえとしては無理があり適当でないと承知の上ですが)、英仏 百年戦争でパリを含むフランスの半分以上の領土を支配したイングランドはフランスと なるんですかね?エドワード黒太子はフランスの武将になるんですかね? 737 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 01 31 58 ID CWGq96lM0 736 九州を占領した過去があったら その場合九州の武将たちは琉球の将となるでしょう(好むと好まざると、また 支配の緩急に関わらず)。王が那覇を離れなくても一度支配した土地に派遣 した代官、将軍たちはやはり琉球王朝の臣下となるのでは? また、百年戦争 でフランスの広大な版図を手に入れたエドワード黒大使はやはりイングランド の皇子であると思います。日本の大半を琉球王が支配した場合、やはり彼が 琉球王であるまと同じで。一番顕著な例は蒙古であろうと思いますから蒙古を 引き合いに出しますが、チンギスがムカリを中国路の王として派遣し、自らは 中国に目もくれず西方経略に本腰を入れたとして、ムカリが切り取った金の 国土はやはり蒙古の版図・橋頭堡としていいと思うのですが。 質問の意図を間違って捕らえていたらすいません。なにぶん阿呆なので。 738 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 01 49 34 ID CWGq96lM0 追記。 そして完全に敵国を併呑したところで、あらたな国家を創建する問題が でてくるのだと思います。空想の話ですがエドワード皇子がフランスを 完全支配下に置いたら古い国名からイングランド領ガリアとされたかも しれませんし、蒙古はある程度の領土拡大を果たしてからモンゴルの正統、 元と各ウルスがそれぞれ創建されたわけですから。 739 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 02 55 39 ID sh07ZMUM0 李克用と李存勗は親子で名将なんですね かっこいい! 740 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 03 08 02 ID H9XH0T7U0 >黒太子の英仏完全併合 その場合、プランタジネット家領仏蘭西で首都は巴里だと思う。 支那だって劉家領支那=漢で李家領支那=唐で愛新覚羅家領支那=清だった。 741 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 11 58 07 ID 16153irr0 740さんへ 首都が遷ったにしても広大な土地を占有したにしても、根本にある国家 精神は変わらんでしょ。仮にイングランドがフランスを制圧したとして 「こっちのほうが土地広いから、今日からウチもフランスを名乗ろう」 とはならんわけで、言ってみれば居心地のいい仮住まいを手に入れた程度。 仮のさらに仮の話になってしまいますがプロイセンとかに英国領フランス の土地が全部奪われたとしても、本当の拠点はあくまでイギリス本土 だからフランス駐留軍と国家上層部さえイングランドに帰還させれば 国家的にさほどのダメージを負う事はないでしょう。翻って中国に 当て嵌めると金だって支那の北半分を獲りながらあくまで金という国家 のままだったわけだし(現地の文化に耽溺した、というのはあるけども)、 蒙古にボロ負けして支那本土の拠点を失っても、下層階級は本来の故地 である満州の方に逃れたから、すっかり支那文化にかぶれた上層部以外は たいした問題なく、女真族そのものは部族をまとめる巨大な統率者を 失った以外、さほど巨大なダメージを被ったわけではなかった(もとの 遊牧騎馬民族に戻っただけ)と思います。実際、数百年の雌伏ののち 新たな統率者が出て、清(最初は後金か)として復活することができた わけだし。 ・・・なんでこの時間にお前がおるんやとか突っ込まれそうやけど、 風邪が悪化して自宅謹慎を命ぜられとるんですわ。やから暇なのです。 742 ○ sage 2007/04/05(木) 14 05 02 ID 0H4+iB4c0 ◆oOLAqFKRBさん 乙&援護射撃㌧です アンタなんでこの時間に居るんや、暇でも安静にしとかんかい と一応突っ込んどきますわw さて李常傑を中国の武将として認めるにしても 726の定義に当てはめた場合、李常傑はどうなんだろう? 李常傑は北宋の進軍をいち早く察知し、逆に北宋領土へ進軍し北宋軍を撃破したんですよね? これは先取防衛の為ではないでしょうか? 諸兄の意見をお聞かせねがえませんか? あと李元昊を外すことに異論はありません。 743 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 17 23 24 ID VjMOowo3O あんまり深く考えないでさ。歴代中国、若しくそれらと実際矛を交えた国の武将と言うことでもいいんじゃね? せっかく選んだ武将が○○に負けたのに名将かよ。プwとか思われるの嫌だし 744 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 18 15 27 ID dy96S1BTO 743 そんなのでよかったら定義とかあれこれ話合ったりした意味ねーな 745 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 18 20 21 ID Qs7ILgkC0 738 百年戦争はイングランド王がフランスの王位継承権を主張したわけだし アキテーヌに領地を持ってたフランスの諸侯だったんだから イングランド領ガリアはないよ 746 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 19 39 34 ID H9XH0T7U0 0:フランス王 1:ノルマンディー公 2:イングランド王 3:アキテーヌ公⇒3´:ガスコーニュ公 4:アンジュー伯 5:ブルターニュ公 6:ウェールズ公 7:スコットランド王 8:アイルランド卿 所領と爵位を0~8と定義する。 ノルマン朝初代:ウィリアム1世(1、2) ノルマン朝二代:ロベール2世(1)vsウィリアム2世(2) ノルマン朝三代:ヘンリー1世(1、2) ノルマン朝四代:女帝モード&ジョフロワ4世(1、4)vsスティーブン(2) プランタジネット朝初代:ヘンリー2世(1、2、3、4、5、8) プランタジネット朝二代:リチャード1世(1、2、3、4、5) プランタジネット朝三代:ジョン(1、2、3、4)vsアーサー(5) プランタジネット朝四代:ヘンリー3世(2、3´、8) プランタジネット朝五代:エドワード1世(2、3´、6、7、8) プランタジネット朝六代:エドワード2世(2、3´、6、8) プランタジネット朝七代:エドワード3世(2、3、3´、6、8ほか)&エドワード黒太子(3、3´、6) プランタジネット朝八代:リチャード2世(2、6、8ほか) ランカスター朝初代:ヘンリー4世(2、6、8ほか) ランカスター朝二代:ヘンリー5世(2、6、8ほか) ランカスター朝三代:ヘンリー6世(0!、2、6、8ほか) 初期のプランタジネットはフランスのルーアンが事実上の首都。ほぼフランス人。 カペー朝に対するプランタジネット朝は後漢末の魏みたいなもの。 カペー家の殻を突き破れなかったのがおかしいくらいだ。 フィリップ2世、シャルル5世&デュゲクラン、シャルル7世&ジャンヌダルクのどれか一つがいなければ、 英仏統一王朝が誕生してた可能性が高い。 特にフィリップ2世はおかしい。なんだコイツ。 …まあスレ違いだが、たまにはいいだろ。 747 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 19 50 31 ID GljYhMi60 745さん うあぁ、西洋史の知識がろくにないことを露呈してしまった。 でもまぁ、“フランスの王権を手に入れたとしても実際重視されるのはあく まで英国”“フランスの肥沃な農場地帯と貴族文化、ヨーロッパ本土への 橋頭堡としての価値は魅力的だが、いざとなったらシッポ切りするのに 問題なし”という部分が言いたかったわけでして。そこが金や元における 中国本土とかぶるかな、と。 ろくな知識もなしにとくとくと偉そうなことを書き込んだこと、謝罪します。 748 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 20 12 59 ID L2DsHe8+0 やっぱり百年戦争のたとえではずれてしまいますね、すいません。 ちなみに私個人の考えだと 金や元は中国王朝とは言いがたい(特に元)が、中国の征服王朝にはなった。 遼や西夏は中国王朝でもなく、征服王朝にもなれなかった。 749 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 20 20 33 ID H9XH0T7U0 747 項羽を例に当てはめてみます。 ”秦を手に入れたとしても実際重視したのはあくまで楚” ”関中の肥沃な田地と行き届いた法治支配、政敵の劉邦を四川に押し込めておく拠点としての価値は魅力的だが、他人にくれてやって問題なし” …やはり生活文化が違うので金や元のケースとは違うでしょう。 この場合、対仏政策が破滅に直結するでしょうから。 750 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 20 28 32 ID dy96S1BTO 746 カペー朝に対するプランタジネット朝は後漢末の魏みたいなもの。 カペー家の殻を突き破れなかったのがおかしいくらいだ。 またまたスレ違いな話だがカペー家かどこかの家宰に曹操みたいな奴いなかったっけ? 734 いくら自治権は認めても、領土的には中国本土であると考えられていても やはり大越の李常傑を中国の武将とするのは無理があるんじゃない? 751 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 21 01 17 ID H9XH0T7U0 メロビング朝フランク王国の宮宰カールマルテルだと思う。 トゥールポワチエ間の戦でイスラム軍を虐殺し、カロリング朝フランク王国の基礎を築いた男だろう。 >越南 実態は中原勢力の植民地。風俗も違ったし。朝鮮みたいなもんだと解釈した方がいい。 752 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/05(木) 21 44 37 ID 0wO0KLdZO 750 李常傑はあくまで喩えです。李元昊は入るとしながら、李常傑は入らないというのは 間違っているという例として出しただけです。 今の時代に生きてるから、安南=ヴェトナムだから他国と思うだけで、 中国の歴史から見たら、間違いなく中国本土であるにもかかわらず、 その人物を中国の武将じゃないというのであれば、 当然、その概念はそれ以外の人物にも適用されるんですよね ?中国固有の領土であろうと、なかろうと、外れる場合はあるんですよね? 私が問いたいのは、何をもって中国の名将であるとするか?なのです。 つまり、その条件に当てはまらない場合は、たとえ中華王朝の漢人武将であろうとも、 中国の名将とは認められない――そんな条件なんです。 726がそれだと言うのであれば、それはそれで構いませんが、 それだと選定作業をやり直す必要がありませんか? 753 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 22 14 48 ID dy96S1BTO 751 トンクス そうかカールマルテルだったか 750 それならシンプルに李元昊は外す、李常傑も入らないでいいじゃん たとえ中国の歴史から見たら、間違いなく中国本土であっても 実際ヴェトナムの人々は俺たちの国は中国だと思っていたかな? 俺は違うと思うぞ インドの人々は俺たちの国はイギリスと思ってたかな? 名将の定義は取り敢えず 21にあるのでいいんじゃないかと思うけど プラス遼・金・元は含めるそれでダメなのか? でそりゃあ違うだとという人物は今回の李元昊のように指摘する そんなんじゃダメなのか? 俺はそれ以上思いつかないよ・・・ 754 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 22 15 41 ID 0zYnzRwq0 752 私が問いたいのは、何をもって中国の名将であるとするか?なのです。 つまり、その条件に当てはまらない場合は、たとえ中華王朝の漢人武将であろうとも、 中国の名将とは認められない――そんな条件なんです。 なんらかの定義はできるでしょう。 しかし万人が異論ない定義が可能だと思ってるわけですか? そもそも、自分自身の案を提示もせずにそういうないものねだりをするのは、 無駄にかき回して議論の収束を妨げてるだけにしかならないですよ。 既に出てる案にそういうものがなく、あくまで賛同できるものがないというのであれば、 ぜひともあなたの理想とするところに近い定義を提案してください。 自分は正史ベースの 505を推します。 中国武将が何たるかなんて定義は、中国とは何かと同様で、 万人に納得できるものを作ることは不可能だと考えるので、 既に評価の確立した正史に習うのが妥当ということで。 あとこのまま収束しないようなら、少人数で定義決定する方式にしたほうがよいと思います。 それに納得できない人は、反論するに値する定義の対案を出さない限りは反論を認めない。 で、少人数を誰にするか、というところは、このスレに多数の名将を紹介して貢献度が高いと思われる、 ◆oOLAqFKRB.さん、◆RQdk7scN8sさん、○さんだったら不満もすくないんじゃないかな・・・と思ったり。 どうですかね? 755 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 22 20 28 ID dy96S1BTO 753 すまん遼・金・元に西夏を含めるの忘れてた 756 ○ sage 2007/04/05(木) 22 57 36 ID 0H4+iB4c0 754 自分はですね正史ベースの 505はいいんじゃないかなと思いますよ。 でこれに西夏(夏)も含め あとは推薦した人物に対し諸兄が納得してくれれば良し、 今回、自分が推薦した李元昊の時みたいに そいつは「ちゃうやん、あかん、あかんてそいつは認められへんで」みたいに指摘してくれたらいいかなと思いますけど こんな感じでとうでしょうか? なんか 754さんに博識な御両人と一緒に指名されてますが 本当に自分なんかでいいんですか? 757 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 23 15 07 ID HcEYfMrF0 754さん 俺が選定員に推戴されたらムカリ、トゥルイらのモンゴル武将や ヌルハチ、アハタイら後金武将(つまり元、清の建国を担った人々)を 「正史にあるけん」の一言で平然と組み入れてしまうんで、反発派は かなりの数に登るかと。それでいいなら選定員の一翼を担うのも 問題なしですが、「モンゴルは違うだろ」「清は入関後だ」って言う人は 今のうちに俺を潰しといたほうがいいかと。 758 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 23 31 45 ID HcEYfMrF0 757に追記 俺としては 505案に自分で出した 726を併せて折衷すると言う 方向で行きたいと思います。これに反対の人は俺の選定員入りを 阻んでくれると後腐れなくてむしろさっぱりします。 ところで◆RQdk7scN8sさんが沈黙を守ってますね。迷ってるんだろーか。 759 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 23 47 20 ID H9XH0T7U0 「正史に記載されてれば入選資格有り」 このスタンスでいいだろ。 それで夷狄に椅子を奪われる程度の指揮官が名将なものか。 760 あの~ 2007/04/06(金) 00 12 36 ID Bbv/dSjkO 754 実は私が 505なんですけど。。 トリップつけないと不味いですか? 過大解釈案 この際、正史にのる戦役は全て対象として、 その戦いに参加した人物が名将であるか否かを議論する。 ただし、その人物が非中華王朝に属してる、もしくは異民族出身者の場合、 その人物が中国の名将であると、推薦者が立証する。 例えば、耶律徳光を推薦した場合、国号は中華風の遼も名乗っており、 少なくとも本人は、中国に対する憧憬と、 中国を支配下に置く意思があったと推測されるから――など。 この推薦文だと、国号が契丹だけの時代の耶律休哥は外れますね。 あと、遼を外すと主張してる人は、遼将を外すならば、誰を入れたいのですか? ただ単に揚げ足取りしたいわけでは、ないですよね? 李元昊の代わりに李継遷を推薦します。 李元昊にくらべ、民族独立色が薄いから。 耶律休哥のかわりに、耶律徳光。理由は先に書いたので、かつあいします。 小説から、李元昊、耶律休哥に興味を持ち、資料を調べたうえで、 この人物を好きになりこそしれ、嫌いになれないだけに、 選考の対象外にするのは、非常に心苦しい気持ちでいっぱいです。 761 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/06(金) 00 40 53 ID 8gXNJR8p0 760さん 同じく李継遷を推す同志と勝手に呼ばせていただきますが、 むしろ元昊のほうが英雄的気概にあふれとるんですよね。 前に書き込みましたが 中華から独立して敦煌以西に自分たちの国家を作ろうとする企画力とか、 弱体化してたとはいえ陝西で禁軍100万を37万の精兵で撃破した用兵とか。 中国からの独立を望んだために中国武将ではない、という一事がなければ 間違いなく俺も継遷よりこちらを推しただろうだけに、元昊は本当に惜しい人物だと思います。 彼を推していた○さんも諦めをつけるのは断腸の思いだったでしょう。 762 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/06(金) 04 36 59 ID iwgs9pHW0 中国の影響力が強すぎたのが全部悪い 763 ○ sage 2007/04/06(金) 06 51 44 ID 4zOHtfGs0 761 >李元昊を諦めたのは断腸の思いだったでしょう。 確かに李元昊を諦めたのは断腸のでした… では自分も◆oOLAqFKRBさん、あの~さんと同じく、 李元昊の祖父である李継遷を推したいと思います。 実際、李元昊を推した時に李継遷と李元昊のどちらにしようかかなり迷いました。 しかし諸兄の賛同を得られなかったのでそれは仕方ないかなと思っております。 (節操ねーなとか言われせうだが…) 764 ○ sage 2007/04/06(金) 13 50 04 ID 4zOHtfGs0 760 あの~さん(勝手に呼んでますがいいのかな?) >小説から、李元昊、耶律休哥に興味を持ち、資料を調べたうえで、 >この人物を好きになり とカキコなされてますが その李元昊、耶律休哥に興味を持つきっかけとなった小説の題名をお教え願えませんか? ちなみに自分は陳舜臣氏の小説十八史略にて李継遷・李元昊を 楊家将にて耶律休哥に興味を持ちました。 誠に厚かましいお願いですがよろしくお願いします。 765 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/06(金) 18 57 30 ID 0u9nFGkN0 ああ、なんかヤボ用で時間費やしている間に、すっかり話題が。 自分は遼を外そうと考えましたが、基本は正史にならうという意見ではありました。 遼を外す理由は古来からある中華政権の支配がおよぶ範囲 制度によって及ぼしていた範囲というものがあるじゃないですか。 温度差(サーモグラフィ)みたいなもので考えるとわかりやすいかな? (京師あたりは色が濃くて、地方になれば薄くなる) そういうところに対する、領土的な影響力というものが、遼(契丹)は薄い、というあたりを論拠としています。 まぁ、政治的な影響力は大きいのだから、別に入れることに頑強に反対はしません。 入れれば、太宗と休哥は確定するのかな? で、李継遷ですが たしかにコヤツが西ではねっ返ったおかげで、宋は遠征し敗れ あまつさえ遼に援助までとりつけて引き入れ、究極的には岐溝関の敗北を招かせたようなもんですので 結構なやり手ではあります。 宗主国から独立を獲得する契機となった、というあたり後漢の周瑜に似ている節はありますが そのあたりはどうでしょう。 と言っても、自分、拓跋思恭はわかりますが、この代になるとほとんどわかりません(をい)。 そうですね、「草原王朝特別枠」とかいって、別に設けてみるとか、そういうのはなしでしょうか。 766 ○ sage 2007/04/06(金) 21 43 35 ID 4zOHtfGs0 765 李継遷に似てるのは李元昊ではないでしょうか? どうでしょうか? 二人共、始めは宋に従ってましたが 後に反旗を翻し幾度となく武力衝突を繰り返したり、遼にも対抗したりしてますし、 吐蕃(チベット)を討ってたりしますよね、 それに李継遷は霊州を陥れて、西平府と改称、国都とし 片や李元昊は河西回廊を占拠し、興慶府に都を置いてます。 ちなみに史書には李元昊が ―英雄の生は当に王覇なるべきのみ。錦綺、何をか為さん。― と興奮した際、李徳明に向って言ったとされています。 (民族独立に対する意気込みなんでしょうね) 767 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/07(土) 12 51 23 ID 8Dz7hZN3O 764 井上靖の敦煌です。 そこから、この時代の異民族国家に興味をもち、図書館で調べはじめて、 耶律休哥の名を知りました。 小説としてはやはり楊家将で、この小説により歴史書の中の人物が、 血の通った人間になった感じです。 768 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/07(土) 13 00 06 ID pG/HJowa0 このスレにいる人が楊家将読んでてちょっと嬉しいw 769 ○ sage 2007/04/07(土) 14 46 04 ID I3JbP16L0 767さんご丁寧に有難うございます。 >血の通った人間になった感じです。 全くもって同感です。 自分もですね楊家将を読んだ時、耶律休哥及び楊業に非常に人間味を感じました。 768さんもナカマー あと 760の 過大解釈案とその中で推薦文の例題として挙げられている事についてなのですが >ただし、その人物が非中華王朝に属してる、もしくは異民族出身者の場合、 >その人物が中国の名将であると、推薦者が立証する。 >少なくとも本人は、中国に対する憧憬と、中国を支配下に置く意思があったと推測されるから――など。これですと中国を支配下に置く意思があったの部分はいいのですが 中国に対する憧憬のないであろうモンゴル武将や清初期の女真族の武将が 外されてしまう様な気がしますけどいかがですかね? それならその人物が非中華王朝に属してる、もしくは異民族出身者の場合は 王朝樹立の際の戦闘及び樹立以降に功績のある武将は認める しかし明らかに中華の武将として認められるのを本人が明確に表している人物は不可 (ヌル八チとかどうなんだろうか…) 建国後遼は契丹に国号を変更してる時期も認める。 こんな感じでいかがでしょう? おかしな部分があれば手直しして頂ければうれしいです。 770 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/07(土) 15 31 08 ID isOCtAs70 乾隆帝以後は完璧にチャイニズムに毒されてるよ。 順治、康煕、雍正の三代の遺産を食い潰す毒虫ぶりに秦始皇、漢武帝、隋煬帝、唐玄宗の風を見る。 トップの方向性が入選で云々されるなら、 乾隆帝以後の清は確実に歴代中国王朝のエピゴーネンと言えるだろう。 771 ○ sage 2007/04/07(土) 16 03 34 ID I3JbP16L0 770 あのさー乾隆帝以後は完璧にチャイニズムに毒されてるのはわかってるよ。 中華思想に触れて感化されない奴なんて略いないだろう また傍にいる漢人が染め上げようとするし。 それに定義を決めるのって当然、一筋縄じゃいかないのわかってるよね? だからわざわざ手直ししてくれませんか?と付け加えているんだし、 文句言うだけなら誰でもできるじゃないのか!! じゃあどうすればいいか貴方の意見をぜひ聞きたいね。 772 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/07(土) 16 12 05 ID PaG7IIxw0 ちなみに自分も『楊家将』は読んでます。 記述の少ない楊業を、よくもあそこまで書けたものですよ。 耶律休哥も楊業に会っては、分厚い壁にぶち当たった感じで書いているのは特によかった。 って、小説の話はこのへんで。 遼(契丹)を入れるとして、じゃあ誰が確定になりますかね。 太宗・耶律徳光は、自ら親征して一気に澶州にまで南下しており そこではじめてまともな後晋軍と対峙した。 一応、青州の楊光遠との挟撃という態勢であったが、名将たる高行周(高懐徳の父)が粘り 耶律徳光の南下を容易には許さなかった。 (高行周が出撃すると、耶律徳光は軍を退かせ精騎で中央を狙うと、晋帝石重貴がそれを迎え撃つ… など) 驚いた耶律徳光は、 「楊光遠は晋の兵は半ばが餓死したといっていたが、このように勢い盛んではどうしようもない」 と言って、一旦本国に引き上げた。 悲惨なのは楊光遠で、契丹との挟撃をもくろんでいたのに、それが崩れ取り残される形になった。 契丹は撃退できたものの、主戦論を唱えていた景延広は為すところが無く、かえって醜態だったので 地方に転出され、替わって桑維翰を呼び戻し、中書令兼枢密使として国難に対処させた。 枢密使・桑維翰のもと、河東の劉知遠、恒州(常山)の杜重威、宋州節度使兼禁軍大将となった高行周、 滑州の皇甫遇、徐州の趙在礼、孟州の符彦卿、河中の安審琦など、15節度使を 対契丹用に編成し、その南下に備えた。 桑維翰の軍略、決裁はいささかも遅滞することなく端から流れるようだったので、諸将は心服したという。 桑維翰の軍略のもと、兗州の李守貞が叛将たる楊光遠を討ち、これを敗死させることに成功した。 その年末に、ふたたび耶律徳光は南下し、恒州に本拠を置き、邯鄲まで陣を進めた。 桑維翰はすぐさま、皇甫遇や安審琦らを向かわせたので、戦線は一時膠着した。 皇甫遇が契丹軍の包囲を受け、少数で粘っているのを、張従恩等は「もう手遅れ」としたが 安審琦は「皇甫太師にもしものことがあれば、何のかんばせあって天子にまみえようか」 といって、麾下の兵だけで突撃したので、耶律徳光は晋軍が総攻撃に移ったと勘違いして 即座に恒州まで逃げ出したという。 膠着した戦線を打開するのに、皇帝石重貴は親征を決意し、開封を出発した。 勢いを盛り返した晋軍は、定州より進み、恒州を降し、ついには耶律徳光をちからづくで追い返した。 耶律徳光は幽州まで逃げ帰ると、敗戦に猛り狂い、各将たちを鞭で打ったという。 しかし桑維翰はあくまで講和論者であり、この後すぐに講和を具申するも、耶律徳光の返書に 怒りのこもった文章が見受けられたので、一時見合わせることにした。 戦勝で気が緩んだか、石重貴は桑維翰の諫言や進言を受け付けなくなった。 当時朝廷には、馮玉という奸臣がおり、皇帝の外戚だったが、桑維翰の影響下にあって発言力は低かった。 皇帝が桑維翰を疎んじていることを敏感に察し、李守貞を巻き込んで誣告した。 桑維翰は執政職を追われ、朝廷に出ることはなくなった。 馮玉らは実権を手にすると、燕雲への攻勢を実行したが、それは耶律徳光の自在の駆け引きに翻弄され 攻撃軍を担った杜重威や張彦澤といった有力者が、契丹に寝返るにおよび 契丹の大攻勢の末、開封は陥落した。 寝返った張彦澤は、耶律徳光が桑維翰を憎んでいると勘違いし、許可無く殺してしまったが 耶律徳光は「なぜ殺した」と、その遺族を手厚く遇したという。 耶律徳光の話をしていたはずなのに、また途中から違うのが出てきたな… まぁ、耶律徳光と契丹に拮抗する軍略の持ち主、桑維翰と、それさえいなければ破竹の進撃を誇った耶律徳光 ということで、判断してみてください。 ちなみに、このときの後晋領は石敬瑭の末年から石重貴が契丹に北へ連れ去られる直前くらいまで すさまじくひどい天災に見舞われており、国力は最悪だったということを付け足しておきます。 773 ○ sage 2007/04/07(土) 17 24 35 ID I3JbP16L0 772 耶律徳光(太宗)は石敬塘の後晋建国を助け 後に後晋が遼に背くと、南征するものの、 高行周・桑維翰らの活躍で一時は敗走しましたが最終的には 後晋を滅ぼし、華北一帯を占領してますよね。 たとえ後晋が最悪の状況にあったのを加味しても 耶律徳光の功績は凄いと言わざるえないのかな? (確かに途中で誰のこと推してるのか分からなくなってましたねw) 774 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/07(土) 20 01 14 ID PaG7IIxw0 【確定組】 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊業、狄青 【候補】 周徳威、郭崇韜、王彦章、郭言、楊師厚、劉鄩、康延孝、 任圜、李神福、臺濛、周本、孟堅、張彦卿、陸孟俊、劉仁贍、張武、 王環、趙季良、蘇章、潘崇徹、銭弘佐、顧全武、張元徽、李瓊 耶律休哥、狆師道、劉昌祚、李継遷、賈嵓、潘美、楊延昭、 史建?、王景、康壊貞、 【候補落ち】 朱温(朱晃)、郭威、曹彬 【確定有力候補】 李存審、顧全武、劉仁贍、耶律徳光、李継遷、劉昌祚、楊延昭、耶律休哥 かなりカオスになってますので、この辺でそろそろ決めたいと思います。 (いい加減、南宋以降の話も聞きたいし) 顧全武はいわゆる地方政権の名将であって、地域が極限定されているので10選に入れるにはためらう部分が大きい。 劉仁贍は10選確定の柴栄や趙匡胤相手に不敗というのが大きいが、いかんせんそれだけ。 耶律徳光は中原制覇を短期間で為した。維持できなかったのは政治力の問題とするならば確定間違いない ただし、遼のことなので、予備枠とする。 耶律休哥も確定予備枠みたいな感じとする。 楊延昭は武勲において、並ぶものなしと思える。 劉昌祚…狆師道のほうがよくはないですか? 自分が考える10選 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊業、狄青、李存審、狆師道、楊延昭、李継遷 (契丹枠として)耶律徳光、耶律休哥 こんなところか。 775 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/07(土) 21 39 14 ID isOCtAs70 >○ 771が俺を貶める為か、自らを誇る為のものか判らぬ。 だが、そんなことはどうでもいい。 君子はそのどちらもしないのだから。 二十五史だけでなく四書五経も読んでから来い。 俺を罵倒したことが許せないのではなく、その人柄を自ら損なったことがただ悲しい。 議論を壟断したいのならブログでも開けばよい。 776 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/07(土) 21 42 29 ID neOBtDwl0 ○はスルーするに限る 777 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/07(土) 22 00 07 ID G49b2+p90 774 ◆RQdk7scN8sさんへ。劉昌祚より確かに狆師道のほうが適任と思います。 ただ北宋中期の武将が少なかったので一応名を挙げました。 耶律徳光と耶律休哥は燕雲以南の地を掠取していない守勢の人、休哥より 短期ながら中原を席巻した創業の人、徳光が10選入りの栄誉を受けるべきかと。 (耶律休哥は民衆から契丹最高の名将、と言われとるわけですがここは心を鬼にして) そんでもって以前選定者の一人に選ばれたわけですが、 505と 761の折衷というだけでは具体的な形が見えないのでここに概論を書きます。 ・基本は正史ベース。二次資料から引いてくる場合は典拠を明らかにする。 (資治通鑑より、とか出典・十国春秋、とか) ・異民族武将に関しては守勢(中国からの侵略に対する防衛戦)で高名な武将であっても除外、 中国の領土を犯し、十分な土地を掠取する(あるいは侵略のための橋頭堡を作る)か、 当時の中華国家の人々に恐怖意識を植え付けるほどの活躍をしたものを資格保持者とする。 ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 ・征服王朝の先行政権における武将の場合、中国本土に攻め入って領土を攻め取るか橋頭堡を作り、 そのうえでのちに来る征服王朝の樹立に貢献した武将を資格ありとする。 ・・・こんなんで。 俺の頭ではこれ以上波風立たせずに全員を納得させる案は立てられんです。 ◆RQdk7scN8sさんや○さんがもっと洗練された定義案を出してくれるのを希望。 778 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/08(日) 00 45 57 ID z/gk5cja0 2時間ばかり休憩を挟んだから、そろそろ南宋に入っとるかと思ったけど。 進んどらんね。南宋に移行するんは明日からになるんかいな? さておき、誰も間に入らんので、柄にもなく俺が仲裁に入らせていただきます。 775さん、 776さん。 人の一度の過失をそう責めんめーや。俺も前スレで場を荒らしてしまった 経験ありやけど、再度やり直させてもらった事やし。寛容を求めます。 ○さんも落ち着いてカッカした自分を見つめ直そう? 一度自論を否定されたくらいで怒らんで、それこそ丸い心を保ちましょうや。 779 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/08(日) 00 57 04 ID 4I+oH72ZO 先の話だけど郭侃、伯顔、拡廓帖木児の扱いでまた揉めるんだろうな 780 770 sage 2007/04/08(日) 01 52 22 ID /v/LzJsE0 <紀元前> 11世紀:牧野の戦(周武王)、三監の乱(周公旦) 10世紀: 09世紀: 08世紀:犬戎の乱 07世紀:葵丘の盟(桓公 管仲)、泓水の戦(楚成王)、城濮の戦(晋文公 先軫) 06世紀:邲の戦(楚荘王)、鞍の戦(郤克)、鄢陵の戦(晋厲公 苗賁皇)、呉楚戦争(闔閭 伍子胥) 05世紀:呉越戦争(勾践 范蠡)、晋陽の戦(趙襄子) 04世紀:桂陵の戦(田忌 孫臏)、馬陵の戦(田忌 孫臏) 03世紀:燕斉戦争(楽毅、田単)、長平の戦(白起)、抗秦名将(信陵君、李牧、項燕)、陳勝呉広の乱(章邯)、楚漢戦争(項羽、韓信) 02世紀:白登山の戦(冒頓単于)、呉楚七国の乱(周亜夫)、石に立つ矢桃李言わざれども下自ずから蹊を成す(李広)、対匈奴戦争(衛青、霍去病)、百聞は一見に如かず(趙充国)、 01世紀: <紀元後> 01世紀:赤眉の乱(樊崇)、緑林の乱(光武帝)、大樹将軍(馮異)、矍鑠たる翁(馬援)、虎穴に入らずんば虎子を得ず(班超) 02世紀:鮮卑大人(檀石槐)、黄巾の乱(皇甫嵩) 03世紀:官渡の戦(曹操)、鳳や鳳や(鄧艾)、破竹の勢い(杜預) 04世紀:(王猛、慕容垂)、淝水の戦(謝玄) 05世紀:最初の可汗(社崙) 06世紀:六鎮の乱(爾朱栄) 07世紀:薩水の戦(乙支文徳)、玄武門の変(唐太宗)、(李靖)、高句麗遠征(李勣) 08世紀:タラス河畔の戦(高仙芝)、安史の乱(郭子儀) 09世紀:黄巣の乱(李克用)、五代名将(李存勗) 10世紀:南唐遠征(柴栄)、陳橋の変(趙匡胤)、千載不決の議(趙匡義) 11世紀:澶淵の盟(遼聖宗) 12世紀:方臘の乱(童貫)、靖康の変(呉乞買)、抗金名将(岳飛 、韓世忠) 13世紀:世界征服(チンギスハーン、ツルイ、スブタイ、ムカリ、モンケ、ウリャンハタイ、バヤン、郭侃)、抗元名将(完顔陳和尚、孟珙、呂文煥)、崖山の戦(張世傑) 14世紀:紅巾の乱、鄱陽湖の戦(洪武帝)、北伐(徐達、ココテムル) 15世紀:靖難の変(永楽帝)、大航海(鄭和)、土木の変(エセン、于謙) 16世紀:庚戌の変(アルタン)、万暦の三征 17世紀:サルフの戦(ヌルハチ)、寧遠の戦(袁崇煥)、李自成の乱(呉三桂)、三藩の乱(康熙帝) 18世紀:十全武功(乾隆帝) 19世紀:阿片戦争(林則徐、関天倍)、太平天国の乱(曽国藩、李鴻章) 11世紀~19世紀に区切って百の天下分け目の決戦(政変含む)を揚げ、 そこから百選を決めようと思ったが戦例を集めるのに飽きた。 「中国(史の)名将」なら二十五史に載ってればおkということで宜しかろう。 「中国(人の)名将」なら先秦以前のは明らかな夷狄以外はゆるく、 漢族成立後は拓跋、慕容、耶律、完顔、愛新覚羅等の連中を一人残らず排除すれば良い。 778 俺は○氏の論の何を 770で否定し、攻撃し、批判したのでしょうか? 「(彼にとって)判りきったことを俺が言ったのが、 彼を無知であるかのように扱うことと同じであり、 それが彼の矜持を傷付けた」と言われても謝る気はありません。理不尽だ。 また俺に対する彼の謝罪をも求めておりません。そもそも争いになるのがおかしい。 彼自身が自分自身に謝ればこの件はそれで終りとして頂きたい。 781 ◆RQdk7scN8s 2007/04/08(日) 02 25 24 ID BRC5l4KI0 なんか行き違いがあったようだけど、原因は 771のレスですかね。 ○氏は落ち着いてくださいね。 カッカしている理由はいまひとつ忖度できませんが、語気を強めることもないと思いますよ。 前に自分をなだめてくれたのに、らしくないですね。 また異民族枠の議論だから、 770氏もまとめる方向の対案を示せばベターでしたね。 とりあえず、自分が契丹特殊枠入れときましたので、異論ある人はそれを外せば良いし、 また候補からこれは、と思う将を格上げすればよろしかろう。 草原王朝については、各々モチベーションも違うだろうから、よりよい妥協点を探すしかないのでしょう。 できれば、これからも論拠と対案は併せて提示いただけると助かると思います。 特に反対が無ければ、この線で南宋へと突入したいと思います。 五代に長々とつき合わせて申し訳なかったことです。 782 ○ sage 2007/04/08(日) 04 32 23 ID m5io4n1t0 770さん、◆oOLAqFKRBさん、◆RQdk7scN8sさんお手間取らせて申し訳ない。 別に自論を否定されたとは思っていませんよ。 自分は皆でいろいろと前向きに思案すればいいかなと思っていますし。(念のため) 770さんが>彼自身が自分自身に謝ればこの件はそれで終りとして頂きたい。 と仰ってる様に自分はかなり冷静さを欠いていたのはあるかも… 770さん不愉快な思いをさせまして申し訳なかったです。 出来れば最初のレスに 770さんが 定義に対する自論を提示して頂ければ有り難かった部分はあります。 (しつこいとか怒らないでくださいね) 781 五代に長々と~ いやー自分は五代に大した知識の無い方なので◆RQdk7scN8sさんのレスはいい勉強になりました。 雑談もかなり入れちゃいましたけどねw 783 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/08(日) 05 07 40 ID F0HzLaWF0 最近見始めたんだけど、晋の厲公とかも入ってるんだなあ 784 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/08(日) 18 55 59 ID FOH6MPFEO 777 一応、確認しておきたいのですが、 505案であれば、 金末期の金将の戦いは入りますが、元の外征は外れます。 しかし、この案ならば、異民族の金将による自国内の戦いは入らない。 されども元の漢人武将であれば、一般的な感覚からすると中国領土外での 活躍であっても評価する――と解釈して宜しいんですか? このスレでは基本的に、防衛戦よりも領土拡大を高く評価するので、 守勢云々は外しても変わらないと思います。 元という王朝がなければ征服王朝も含め、中国統一後の領土拡大に貢献した人物は、 戦場が中国本土外であっても、評価に入れるにすれば、 民族に拘る必要がない基準になるのですが…。 785 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/08(日) 19 59 41 ID iqf5zjHk0 784さん 伝わりにくい書き方ですんません。 俺の意図としては中国領土外での活躍は除外、です。 つまり中国本土に攻め入ったトゥルイは入り、バトゥなどは西域で大暴れしてるけどもアウト、という感覚で。 あと郭侃などの両方に戦功がまたがっている人物も、基本的に中国本土での戦果のみ、ということで。 俺は民族の枷は可能なら無視したい派ですが、戦場が中国以外におかれる場合は除外と言う姿勢で書いてます。 ただ、俺なぞの案にとらわれる必要はないですよ。 784さんがこうだと思ったらその武将を推挙して、それについて皆で論ずればいいと思います。 786 ◆RQdk7scN8s 2007/04/08(日) 21 51 00 ID BRC5l4KI0 あらためて読み返していて気がついたので 自分の考える五代~北宋枠の10選を訂正します。 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊師厚、狄青、李存審、狆師道、楊延昭、李継遷 (契丹枠として)耶律徳光 楊業は息子の方がどちらかというとすごい感じ… というか、記録が少なすぎてわかりづらい。 不確定なところがあるので、申し訳ないが息子に譲ってもらうとして かわりに、楊師厚を入れました。 (忘れていたなんて、とても口に出して言えない…ガクブル) 787 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/08(日) 22 30 43 ID FOH6MPFEO 785 スミマセン、頭の中では次の時代に移っており、そちらに意識が行ってました。 この時代の10選は私個人としては、 786で異存がないです。 漢や唐、宋に明であれば、中国本土外の地域であってもカウントし、 中国本土征服後の清朝であっても、中国本土外の戦い、 (他国との戦い)が外されるのは、可哀想だと思うんです。 元朝の問題がうまく処理されたら、 777案をもって このスレの中国の武将の定義になると思ったまでです。 私としては、少しの修正、補足で、すべての時代で通用する、 定義となりえると感じたので、あえて意見させてもらいました。 788 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/09(月) 00 22 27 ID 7CdWDV6X0 787さん 777を全時代に適応できる汎用定義にすることについてアップデート。 ・中国統一政権下における外征で活躍した武将もカウントする。 唐の李靖の突厥討伐、清の策稜らのジュンガル討伐を認める、ということで。 まだまだ完全な定義足りえないのは承知ですが、そこは諸兄に任せます。 本音を言うと他の人が完璧な定義を持ち出してくれると助かるんやけど、怠慢はよくないわな。 786◆RQdk7scN8sさん、 五代・北宋の10選は異議なしです。 次はいよいよ南宋時代、いろいろと各自の自論がぶつかりそうですな。特にモンゴルがらみで。 789 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/09(月) 00 51 34 ID rTbI/Ux70 <審査条件> 〇、其の人物が名将である。 一、其の人物が中国人である。 二、其の事跡が中国史である。 三、其の場所が中国領である。 <優先順位> 一:審査条件を全てクリア。 二:審査条件を二つクリア。 三:審査条件を一つクリア。 例えば、甲と乙が候補に残り、どちらか一つを決めるとする。 其の場合、審査条件の〇の比較で甲>乙だったとしても、 優先順位のクリアで甲<乙の場合は乙を入選とする。 これで如何だろうか? 790 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/09(月) 19 47 09 ID TnVZNl3/0 楊延昭は名将というには実績が少ないような気がする。 潘美を入れたほうがいいように思う。 791 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/10(火) 21 40 26 ID UAtebvBkO 流れ止まっちゃってるな 792 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 08 25 09 ID 3jvERdIMO どの武将も一長一短で悪く言えば小粒だから 時代もマイナーで語れる人が少ないんだよ 793 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 09 29 51 ID qimM40B0O 792 でも◆oOLAqFKRB.氏の超得意分野だろ南宋とモンゴル武将 794 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 18 50 21 ID FXlcrX3a0 これで 岳飛、韓世忠、孟珙、完顔陳和尚、張弘範、郭侃 成吉思汗、木合黎、速不台、伯顔、拡廓帖木児 この中から一人落として終わりだろ。 795 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/11(水) 20 35 25 ID +N39LNeU0 韓世忠はこの中ではちょっと見劣りするんじゃなかろうか 796 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/11(水) 21 04 37 ID 6rx9YgF50 793 まあなんですか。超、というか最も得意とする時代やね。 で、俺的10選を挙げさせていただくと 宗沢 岳飛 完顔宗望(オリブ) 完顔宗弼(ウジュ) 拖雷(トゥルイ) 速不台(スブタイ)もしくは木華黎(ムカリ) 孟珙 伯顔(バヤン) 阿朮(アジュ)もしくは兀良合台(ウリャンハタイ) こんな感じで。ココテムルは徐達のライバルやし、明朝頭に送るべきと するとだいたいの10人が決まると思うわけやが、どーでしょ。あと韓世忠 入れるんやったらむしろ劉錡を入れたい。正史でウジュの拐子馬を破った のは多分この人一人か・・・あと岳飛も野戦で勝っとるかな。 797 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 21 11 15 ID qimM40B0O 俺は南宋とモンゴル武将が超得意分野な ◆oOLAqFKRB.氏の推薦文とか読みたいし、南宋・金・元のいろいろな話とかも聞いてみたい 折角、定義について話し合ったんだし、みんなで議論しようよ 798 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/11(水) 21 18 26 ID 6rx9YgF50 拖雷(トゥルイ) チンギスの第四子、オゴタイの同母弟。チンギスの後継者と目されたが その座を兄・オゴタイに譲った。燕京に盗賊が出るという話を聴きみずから 取り締まりに出馬、賊十六人を斬り捨てる。 巳丑年(って何時?)の夏八月、オゴタイが京城に帰ると即位式を行う。 翌年秋、オゴタイの金朝征伐にトゥルイも兵を率いて従軍、天城堡を破り 蒲城県を抜き、金の完顔合達が西に赴いている隙を突いて黄河を渡り、 鳳翔を撃つ。引き返してきた合達に攻め立てられ不利となるがここで トゥルイが兄を助けて奮戦、合達を斥ける。翌年春、洛陽を落とし 河中の諸城を抜いた。 オゴタイは官山に還ると文武百官、諸侯王を集め、彼らに向かって言った。 「人は言う、国家の損害は実に寇敵によってもたらされると。今、金はいまだ 倒れず。我らの敵なり。諸君、寧ろ謀はないか?」対するにトゥルイが 投降した金人の献策を紹介して強く推した。オゴタイは大いに喜び、 諸王大臣たちを呼び寄せて「(金伐は)かつて父が志し有りながら果たせなかった。 今トゥルイが能くこれを言う、これぞ真に賽因(大いに好ましいこと)なり!!」 オゴタイは即断即決、大軍を発した。 オゴタイは碗子城から南下し、黄河を渡り、洛陽を向けて進発。 斡陳那顔(アッチンナヤン?)率いる左軍を淮南経由で進発させ、 トゥルイの右軍は鳳翔から渭水を超えて宝雞経由で出陣させる。トゥルイは 小潼関を抜き、宋との国境線を通って漢水の下に出た。計画によれば翌年二月、 金の王帥が汴京に遷るはずだった。トゥルイは南宋に部下を派遣して 金朝を挟撃しようと求めたのだが、なにを血迷ったか宋の上層部は使者を 殺してしまう。激怒したトゥルイは「やつらは以前苟夢玉が結んだ同盟関係を どう思っているのか!? 自ら喰らい(多分領土のこと。確証ないが)自ら叛くとは!!」 キレたトゥルイは兵を分かって南宋の諸城堡を攻め下し、長躯漢中まで攻め入って四川を襲い、 閬州を陥とし、南部を打ち据えてようやく軍を還した。そして金の王帥を 房州で補足、武当山で追いついて先鋒部隊三千で金兵十万の中に突撃、 均州まで奔らせる。どれほど激しい戦いぶりだったかは漢水が騎兵の死体で 埋め尽くされたという記述から類推できるかと。トゥルイは部下に千人を つけてオゴタイのもとに派遣、報告し、オゴタイは金の王帥を取り逃したことを 責めたが、部下がいないところでトゥルイを慰労、迅速に京師・官山に引き上げた。 799 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/11(水) 21 20 00 ID 6rx9YgF50 トゥルイ続き 漢水にとどまったトゥルイは金の大将・合達と鄧州で交戦、金軍の伏兵二十万を 見抜き隘路に拠して敵を待つ。このときトゥルイの兵は四万だったが、 間諜の報告によると金軍も二十万全員が兵士というわけではなく、かなりの 数の輜重部隊が存在することを知って強気の攻めに出る。十二月、禹山で 金軍と交戦、わざと逃げて見せて北に引き寄せる策を使うがこれは失敗。 それならと今度は火計を仕掛け、これが大当たり。合達らは鄧州に奔走し、 トゥルイは三日間の猛攻でこれを撃滅。北に追い立てて部下に三千騎を 与えて追撃させるも、翌朝の霧で視界を遮られた蒙古軍は金軍の奇襲を 受け、珍しい敗戦を経験する。トゥルイは敗戦の部下(札刺)を罷免して 野里知給歹(読めん)に替えた。まもなく金軍を破る。 壬辰(やからそれじゃ分からんのよ)春、トゥルイは陝西・四川・河南の 難路を強行突破して着実に版図を広げる。北に還りつつあるトゥルイに一矢を 報いようと金の合達は歩・騎兵合わせて十五万の大軍で追撃に出た(二十万で三千に負けたくせに)。 このときトゥルイの軍は1万3千。総軍馬から下りて塹壕を掘り、金軍の攻勢を しのぎにしのいで持久戦に持ち込んだ。日暮れ、軍中に「敵の休息したところを撃つ。 夜、鼓を騒がしく鳴らすのがこれだ」と命令。時にオゴタイが黄河を渡り、親王クオンブカら 万騎をつれてやってきた。空に大寒波到来、大雪も降り、金人は凍えて動けず、 顔色も青ざめて到底戦うどころの話ではなくなる。そこを好機と見たトゥルイ(およびオゴタイの援軍)が 襲撃をかけ、曰く「機を失うべからず。やつらは城内に逃げ込んだ。未だ囲むは易からず。 大敵を前に、況や敢えて父君のごとくあれ!!」奮撃して三峰山を抜き、大いに金軍を破る。 さらに十里に渡って追撃し、流血が道を染めざるは無し。金の精鋭はここにおいて尽く失われた。 予衆を狩って雎州まで走り、伏兵が立っても逆に是を潰滅させる。 鈞州に逃げた合達に従うは数百騎。蒲阿は汴に逃走し望京橋に至ったが、蒙古に擒らわれる。まもなくオゴタイが到着、 戦地にとどまって視察し、トゥルイに「はたして汝でなかったなら、この大勝利はなかったであろう」と賞賛した。 諸侯王がオゴタイに進言して曰く「誠に聖愉(?)です。しかるにトゥルイの功、社稷に著しいかと」 それはオゴタイとトゥルイの後継者争い(争ってないけど)でトゥルイを支持したものの言だった。 トゥルイは従容として曰く、「臣に何の功がありましょうや。この天の威、皇帝の福なり」その言には 聞いたものすべてを佩腹させるものがあった。トゥルイはオゴタイに従い、鈞州を抜き、宿敵合達を 殺し移刺蒲阿、完顔陳和尚をも屠る。更に許州を攻め、これも抜く。 オゴタイの先鋒として河南諸郡平定に奔走し、四月、半渡から真定に入り、 中都を過ぎて北口に出る。夏の官山に還った。 五月、オゴタイが身体に変調をきたし、六月、いよいよ病篤くなる。 トゥルイは天地の神々に祈りを捧げ、代われるものならオゴタイと自分の身を代えよと叫んだ。 怪しげなシャーマンを呼びつけて病気治癒の祭祀を執り行わせたりとかなり 必死で兄を心配する。数日が経過してオゴタイがやや回復すると、トゥルイは一緒に北に還り、 阿刺合的思の地にいたる。そこでトゥルイのほうが病魔にやられ、逝去。 本当にオゴタイの代わりに死んだ。享年四十余歳。英武皇帝と諡号を贈られた。廟号は睿宗。 チンギス時代の武功、オゴタイ時代の河北計略における活躍などから人望頗る厚く、 それゆえ以後蒙古の嫡流はトゥルイ家から選出されることとなった。 800 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 22 45 06 ID oZd1YRNi0 速不台の華々しい戦績は西方遠征ってイメージがあったんで、 777の定義からすると資格なしかと思ってた・・・対金戦でもけっこう功績があるのかな? ◆oOLAqFKRB.さんの推薦文が楽しみですね。 801 ○ sage 2007/04/11(水) 22 46 03 ID t4yNDFjl0 ◆oOLAqFKRBさん 乙です すいません劉?の?の部分は本来、何となっているのですか? 自分のボロPCでは劉 になっちゃってるもので・・・orz それと韓世忠はなんか嫁さんとセット扱いされてる様な気がしますが… 自分はですね張弘範を推します。あと阿里海牙(アリハイヤ)の評価はどんな感じですか? >最も得意とする時代やね。 いやいや自分の中のイメージでは十分、超が付きますよ。 前々スレから得意な時代と言ってましたし。 あとですね 788で >中国統一政権下における外征で活躍した武将もカウントする。 >唐の李靖の突厥討伐、清の策稜らのジュンガル討伐を認める、ということで。と仰ってますが 郭侃はフラグの西方遠征に従い、ペルシア、バクダード、アッバース朝のカリフを降伏させ、 シリアへ侵入して十字軍と戦った功績も審議の範疇に入れるのでしょうか? 中国統一政権下における外征は東アジア(ベトナムを含む)に限定するにしてはどうかなと個人的には思っています。 諸兄、◆oOLAqFKRBさんいかがでしょうか? 802 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 22 55 10 ID oZd1YRNi0 801 脇からですいません。劉キ[金奇]になってます。 803 ○ sage 2007/04/11(水) 23 04 49 ID t4yNDFjl0 802 なるほど劉キ[金奇]ですか。 802さんご親切にありがとうごさいました。 804 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 23 42 42 ID soE3kzWL0 貼っておきます 南宋・金~元 【確定組】 宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共]、 拡廓帖木児(ココテムル)、 【候補】 李庭芝、忽必烈(フビライ) 、完顔宗弼(ウジュ) 、伯顔(バヤン) 、 阿朮(アジュ) 、韓世忠、杜杲、張弘範、范仲淹、チュウ師道 張俊、呉?、呉リン、劉錡、虞允文、李顕忠、楊存中、僕散忠義 徒単合喜、宗翰(ネメガ)、耶律斜軫、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ) 劉整、張弘範、脱脱(トクト)、呂文煥 796 自分もココムテルは、この次の時代のリストに並べる人物だと思う 時代で区分してるしね 805 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 23 50 29 ID Bvy9586Q0 李庭芝、候補にも入れなかったっけ?別にいいけど 806 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 23 51 02 ID 3jvERdIMO 郭侃は元の武将でしょ。だったらOKでない? 10選入り確定ですな 807 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/11(水) 23 55 30 ID R5Kxdx8b0 速不台 通称スブタイ・バアトル。兄貴・フルコンとともにやたら勇猛、頑強で騎射 を善くした。少年時代、強盗を槍で刺し殺しその一族郎党を遁走させたという 逸話を持つ。 兄貴が将となったので人質の意味でチンギスの傍仕えとなる。壬申(?)年、 金伐戦に参加。恒州攻めで真っ先に城壁を登り、城を落とす。まもなく投降者 滅吉里を部下に加え、蟾河の戦いで一戦にして二将を擒らえる。さらに欽察部 と玉峪で戦いこれを破る。 イスラム討伐から還るとまた欽察討伐を上奏、許される。太和嶺のどてっ原 に工兵を動員して穴を開けさせ、欽察部の予想を超える場所から突撃をかける。 縦横に奮戦するスブタイ軍の前に欽察の軍は潰滅、遁走した。現地の余衆を ことごとく降し、これらの土地を占領下に置き、阿里吉河で斡羅思部の大、小 密赤思老と戦い、一撃のもとに彼らを投降させる。阿速部を獲って帰還。 征西前に東伐戦に参加、撒里畏吾特勤、赤閔ら諸部を倒し、徳順、鎮戎、 蘭州、会州、洮州、河州を抜いて母馬五千を獲て朝廷に献ずる。チンギス 逝去のため第二次征西は一事見合せとなった。 オゴタイが即位すると公主を娶わせられ、皇室の一員に連なる。潼関攻撃 に従軍、利なく、オゴタイが怒った時、勝敗は兵家の常、功を立てて埋め合 わせすればよろしい、とトゥルイに救われた。トゥルイの節度下に入り河南 経営を任される。牛頭関で金将・完顔合達の軍数十万とはちあわせるも、軍 を三峰山に集合させて持久戦の構えを見せる。おりからの大雪と大寒波に乗 じて猛攻をかけ、敵のほとんどを殺しつくすという大戦果をあげる。つーか ここはトゥルイ伝に同じ、でいいんやが。これにより金の対北方戦はまったく 振るわなくなる。翌年夏、トゥルイが官山に帰還するとスブタイが統帥権を 譲渡され、黄河北方に逃れる金主を黄龍岡に追撃、撃破して首級万余を挙げる。 最終的に金軍を蔡州に追い詰め、汴を降し、后妃および珍宝の数々を手に入れ オゴタイに献上、1234年の蔡州の戦いを見届けてのち、バトゥの副将として 征西に出る。これ以降はヨーロッパ戦線での戦いやから必要ないかと。 808 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/12(木) 00 19 59 ID KgSsk+G50 801 すんません。確かにヨーロッパ遠征組のことを忘れとりました。 征西はモンゴルの仕事やから無視していいか、とか思っとったら郭侃おったし。 788 の定義やと確かにヨーロッパでの戦功も込みになりますわな。 そーすっと郭侃が確定確実に昇格、郭侃を落としたいわけとは違うけど、 やっぱりヨーロッパは違和感あるしなぁ。 ○さんの言うとおり東アジア圏に収めとくほうが無難か。 そこらへん、諸兄の意見はどんな感じなんやろ。 809 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 00 51 14 ID gfCpSYNA0 1曹操=後漢末 2李克用=唐末 3拡廓帖木児=元末or北元≠明初 4呉三桂=明末or清初 810 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 00 59 00 ID HyfEY1CkO 東アジア圏に収めるとか枠を決めてしまう方が違和感ある。 強すぎてヨーロッパまで届いちゃったってだけで基本的には歴代王朝が行ってきた外征と同じように考えていいのでは。 811 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 01 09 11 ID PdOk3TRp0 というか、南宋滅ぼす前、フビライによる元朝の成立前のモンゴル帝国は 世界帝国ではあっても中国統一政権という枠には当てはまらないんでは? 元朝以前のモンゴルは 777でいうところの「征服王朝の先行政権」にあたると思われるので、 ・征服王朝の先行政権における武将の場合、中国本土に攻め入って領土を攻め取るか橋頭堡を作り、 そのうえでのちに来る征服王朝の樹立に貢献した武将を資格ありとする。 に適合する、金もしくは南宋攻略での功績に限って評価すべきでは? あと拡廓帖木児について、徐達の遠征を撃退したのって既に北方に逃亡した後ですし、 777の ・異民族武将に関しては守勢(中国からの侵略に対する防衛戦)で高名な武将であっても除外 にあたって候補外になるんではないのでしょうか?詳しい業績まではわかってないんで見当外れかもしれませんが・・・ 812 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 01 36 49 ID gfCpSYNA0 周 BC1046~BC256 ↓ ● 秦 BC256~BC206 ↓ ● 楚 BC206~BC202 ↓ ● 漢 BC202~8 ↓ ○ 新 8~23 ↓ ● 漢 25~220 ↓ ○ 魏 220~265 ↓ ○ 晋 265~420 ↓ ○ 宋 420~479 ↓ ○ 斉 479~502 ↓ ○ 梁 502~557 ↓ ○ 陳 558~589 ↓ ● 隋 589~618 ○禅譲による交代 ●放伐による交代 813 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 01 38 08 ID gfCpSYNA0 隋 589~618 ↓ ○ 唐 618~907 ↓ ○ 梁 907~923 ↓ ○ 唐 923~936 ↓ ○ 晋 936~946 ↓ ○ 漢 947~950 ↓ ○ 周 951~960 ↓ ○ 宋 960~1279 ↓ ● 元 1279~1368 ↓ ● 明 1368~1644 ↓ ● 清 1644~1912 ○禅譲による交代 ●放伐による交代 814 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 08 40 10 ID DNpsFED/O 811 それでもモンゴルは東西両方で活躍してる奴多いしなぁ 815 ○ sage 2007/04/12(木) 09 27 23 ID 9MPvgVfh0 【確定組】 宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共]、郭侃 【候補】 李庭芝、忽必烈(フビライ) 、完顔宗弼(ウジュ) 、伯顔(バヤン) 阿朮(アジュ) 、韓世忠、杜杲、張弘範 張俊、呉?、呉リン、劉キ[金奇] 、虞允文、李顕忠、楊存中、僕散忠義 徒単合喜、宗翰(ネメガ)、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ) 劉整、脱脱(トクト)、呂文煥、 孟sル、完顔陳和尚、 bヨ雷(トゥルイ) 速不台(スブタイ)、木華黎(ムカリ) もし候補から抜けてる人物がいる場合は補修お願いします 814 取り敢えずは推薦文挙げて貰ってからアレコレ議論してみては? 816 ○ sage 2007/04/12(木) 09 30 56 ID 9MPvgVfh0 連投ですいません 五代~北宋・遼 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊師厚、狄青、李存審、狆師道、楊延昭、李継遷 (契丹枠として)耶律徳光 楊延昭より潘美を入れたほうがいいように思うと言う意見もありますが 取り敢えず以上の十名を確定でということで宜しいですか? 817 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 10 44 17 ID 6PWL2b6B0 バヤンは確定に入っていいと思うんだけどなあ。 818 ○ sage 2007/04/12(木) 14 35 33 ID 9MPvgVfh0 すいません自分が 801で 中国統一政権下における外征は東アジア(ベトナムを含む)に限定するにしてはどうかな? と提案しましたがまだ結論が出ていないのに 815で勝手に 郭侃を確定入りにしちゃってますがよかったのかな? 817さんの仰る様に伯顔(バヤン)は確定入りでいいと思います。 819 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 17 04 33 ID LWmQ/ydr0 郭侃はオゴタイ時代に百戸長として対金戦争に従事しているし 晩年でもフビライの下で南宋戦に従事しているので 中国の名将扱いにしてもいいと思う。 中近東での戦果は別モノとして考えればいいし。 820 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 17 51 13 ID DNpsFED/O 815 あまり詳しい訳じゃないからなんとも言えないけど、チンギスが居ないのは何故? 彼の頃のモンゴルも 777の「征服王朝の先行政権」として良いんだよね チンギスの中華方面の戦績だと他のモンゴル武将に見劣りするから? 819 郭侃は「征服王朝の先行政権」の「漢人武将」だから、 西方の戦績が考慮されて確定にいたのだと思ったんだが、無しにするの? 821 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/12(木) 20 53 48 ID agTVIqMpO 820 せめて 784-785、 788を読んでもらえませんか? その上での話なら、それはそれで話し合いをしますが… 822 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/12(木) 21 19 22 ID 40NYG0oU0 確定枠の人やけど、孟〔王共〕の紹介文落としていいかいな。 今更いらんなら控えるけども、好きなんでどーせなら開陳したいなーと。 823 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 21 24 02 ID oljSW7kuO ぜひお願いしやす!! あとチンギスハーンは候補入り可能なの? 824 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/12(木) 21 34 08 ID 40NYG0oU0 そんじゃ孟珙の1 曽祖父・孟安、祖父・孟林は岳家軍の将帥として功績を挙げ、父・孟宗政は 制置使・趙方麾下の有力な将帥という武門の家に育つ。若くして優れた才覚 を見せ、團山の戦いで父とはぐれたとき、それを見つけるや単騎金軍の重囲 に突撃、これを破って父を救った。翌日の敵の動きを予測して父に献策、これ を見事的中させて金軍を破るという戦術眼も備える。制置使趙方に謁見し、 一見して只者で無いと直感した趙方より異例の抜擢を受けた。 父が唐・鄧・蔡三州の壮士二万を募って編成した“忠順軍”を受け継ぐ。6年、 金の武仙と5回にわたって交戦、ことごとく捷ち、将校452名、兵士33万余 を俘虜とし、44万の民衆を解放した。功績により顎州江陵府副都統制となる。 端平元年、元軍と連携しての蔡州の役にあたって、元の総帥タチャルのもとに 兵糧2万石を届け、意気投合してタチャルと義兄弟の契りを交わした。忠順軍 を率いて戦役に参加、元の漢人諸侯・張柔が流れ矢に当たって落馬しそうになると 二度に渡ってこれを救った。金軍が老人や稚児を殺して絞った油で放つ“人油砲” を使うと道士を派遣してこれを諭し、人油砲の使用をやめさせた(やめるんかい)。 端平元年正月、蔡州の役で金を滅ぼす。金主・完顔守緒は自ら火をつけて自殺 したので、遺骨をタチャルと分かち、帰国した。功により建康府都統制兼権侍衛馬行事職司。 制置使趙方(この時期は趙葵か?)により襄陽兼鎮北軍の都統制に任命される。 鎮北軍で壮士を募り、兵士一万五千人を獲て隟北、樊城、新野、唐、鄧に配備する。 まもなく枢密院より武器を授かる。 翌年、皇帝に謁見。「卿は名将の子、忠勤に励み国に礼を尽くし、蔡州に金を 滅ぼす。功績昭著なり」との褒め殺しに「これは宗廟社稷の威霊、陛下の聖徳と 三軍の将士の労によるところ。臣はなにほどのこともしておりません。臣、 陛下に願わくは民衆に寛容であり、人材を蓄え、機会を待たれますよう。臣は 所詮武辺の士、戦を望み和議を望まず」と答え、厚い賞与を下賜される。 端平三年、元軍が薪州を攻めると呂文徳とともに現地に急行、囲みを解く。 さらに逆撃して襄陽を攻めるも、江陵の形勢が危急を告げたのでそちらに向かい、 元の寨24個を一夜のうちに覆滅して大勝する。嘉熙元年、顎州諸軍都統制となる。 825 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/12(木) 21 36 35 ID 40NYG0oU0 元の大将テモチエ(?)が漢陽から、大将クオンブカが淮甸から南宋領に侵入、 現地の将士は逃亡し、投降し、あるいは敗北する。孟〔王共〕が現地に到着する と民衆は「わが父きたれり」と喜んだ。孟〔王共〕は楼上に帷幕を構え、防衛戦の 指揮をとり、失われた諸州を取り戻した。将士は毎月の苦戦に苦しみ、病人、 けが人が後を断たず。孟〔王共〕は彼らに医師を遣わし、その厚遇に将士は感涙した。 嘉熙二年春、枢密副都承旨、京西湖北路安撫制置使を授かる。郢州、荊門軍を回復し、 十二月、冢頭、樊城、郎神山を攻撃、ことごとく捷つ。翌年正月信陽軍、樊城、 襄陽を回復し、枢密都承旨、制置使となる。光化軍、息州、蔡州を降す。降ったものの 中から百余人を選抜、忠衛軍を創建する。 襄陽がどれだけ重要な地であるかを説明、兵士十万の常駐を請うも認められず。 とりあえず先鋒軍を置く。元のタハイが80万の大軍を擁して蜀土に攻め入ると、 孟〔王共〕は塞を増設し戦艦を分布して防衛ラインを築き上げる。結果元軍は 侵攻できずに撤退、翌年、子爵に封ぜられた。防衛ラインを三層に分けてそれぞれ の州郡に千~一万の精兵を置くことを上奏するも、やはり認められず。王堅、 劉整らを派遣して元の造船所に焼き討ちをかけ、船材と食糧を焼く。淮以下五県から 精兵を359人を募り、“寧武軍”と名付ける。 その後江陵にあって各地の防衛ラインに増援を送ったりいろいろと活躍するも、 孟〔王共〕自身が具体的に戦争の描写があるのはここまで。あとは元軍が攻めて きても孟〔王共〕が守りに出ると向こうから逃げ去るのでほとんど交戦してない。 とにかく上奏するはしから潰されて、武勲の割に相当不遇やった人。死後忠襄と 謚され、吉国公を追贈された。廟号は威愛。 ・・・だいぶ省略、割愛しました。 特に後半の先頭描写がない部分はガリッと削ったけどまあ、いいでしょ。 で、 チンギスは入らんと思う。 「先行政権の武将で、かつ中国本土の領土を切り取るか橋頭堡を作る」 かしてないと資格なしやから。 領土を一時的に取っても引き上げるとまた中国側に取り戻される、を繰り返しよった チンギス時代の蒙古は資格なしっちゅーことになるかなと。 826 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/12(木) 21 40 05 ID 40NYG0oU0 825 変換ミス。先頭描写ってなんや、俺。 戦闘描写です、すんません。 827 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/12(木) 21 43 29 ID agTVIqMpO 基本的には自分自身が、その人物が中国の武将であると確信し、 名将であると考えるのであれば、推薦するべきだと思います。 鉄木真が中国の名将であると考えるのであれば、推薦文を書き込んで下さい。 その意見が通る、通らないは別問題ですから。 828 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 21 57 32 ID gfCpSYNA0 冒頓単于 拓跋珪 社崙可汗 木杆可汗 耶律阿保機 完顔阿骨打 鉄木真 努爾哈赤 全部outで。 あと、三衒の決めた定義が気に入らないなら終わるまで待つことだな。 829 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 22 12 51 ID DNpsFED/O 821 失敬 となると、 788の定義で郭侃の西方の戦績は考慮外という事になるのですかね 彼が参加した西方遠征はモンゴルの中華統一(≒南宋滅亡)以前のことだし 830 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 22 35 49 ID oljSW7kuO 824-825 ◆oOLAqFKRB氏ありが㌧ やっぱチンギスハーンは資格無しですか 831 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 22 48 57 ID 6PWL2b6B0 チンギスはあんまし中国支配に熱心じゃなかった感じだしなあ。 ムカリならともかく。 832 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/12(木) 23 02 33 ID agTVIqMpO 830 ですから、鉄木真が中国の名将であると考えるなら、推薦文を書き込んで下さい。 モンゴル統一の為の戦いは入らない、中国本土内の戦闘なら入るも、 その地域を複数年支配し続けてる(短期間ではなく、次の代まで支配する) その条件をクリアしていれば、説得力がますと思いますよ。 833 ○ sage 2007/04/12(木) 23 04 34 ID 9MPvgVfh0 820 テムジン時代のタタル、ケレイト、ナイマン、メルキトの諸部族を破り、 モンゴル高原全体を支配や 金、ホラズム・シャー朝を征服やジャラールッディーンを撃破など 功績はすごいのですが、定義に適合しないと思いましたので候補に入れませんでした。 孟[王共]= 孟sルなんだあまり詳しくないのですいません… 834 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 10 35 ID uB3PX48c0 チンギス・カン 第一次対金戦 内蒙古で金軍を破る 第二次 黄河以北の全域を蹂躙。免れたのは中都を含む十一の 都市のみ。講和成立後、内蒙古に撤退。 第三次 軍を派遣し中都を攻略。 西へ出かける前にかつての燕雲十六州に相当する地域は確保しているから 「中国本土を切り取り橋頭堡を築いた」ことにはなると思うが。 835 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 11 47 ID oljSW7kuO 832 ??? 俺はチンギスハーンを推薦するつもりも中国の名将として 扱うつもりも端からないんだけど… なんか勘違いしてない? 836 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 13 29 ID CZs6aAA10 こら 他人が考えて書いたことを自分が考えたように書くもんじゃない 前にも何度かあったね みっともない 837 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 14 40 ID CZs6aAA10 836は 833 838 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 18 18 ID JPGjroiF0 821 郭侃は最終的に元にいたんだよね? 名将か否か判断するのに○○時はのぞくなんておかしい。途中どこにいようが関係ない、 趙亡命時の楽毅だけをみて燕時代を無視するのと同じだろ 全体を見て判断しないといけないと思う 839 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 24 08 ID DNpsFED/O 833 まあ、あの定義だとチンギスもありにはなるはずでは、と思っただけでして 確かに完全に遊牧民だし西征で有名だけど、統一王朝の先行政権を開いて中華地域で戦っているのは事実なんで 840 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/12(木) 23 29 26 ID agTVIqMpO 835 ならばスレ違いですね。ここは中国の名将を選ぶスレなんですから。 841 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/13(金) 20 38 52 ID eTh9VGg00 人がおらんよーなので、人寄せの意味も含めて紹介文落とします。 張弘範(字は仲疇。○さんが推すゆった名将やね) 張柔の第9子。よく馬槊を使い、かつ詩文の才にも長けた。二十歳のとき、 兄が順天路をはなれることになると代行を任され、民吏の諸問題をたちどころ に採決して人々を感服させる。蒙古の軍がやってきて暴力を振るうと弘範は 杖刑をもって彼らを痛めつけた。順天路に彼がいる間、蒙古と言えども非道な 真似はできなかった。 中統三年、行軍総管とされる。合必赤親王が済南の李壇討伐に向かうと副将 として従軍、弘範が城の西に野営地を置くと、李壇が兵を発した。諸将が色めき 立つ中弘範は一人冷静で、「我、険地に営す。壇すなわち我に弱を見せ、必ず 奇兵をもって襲い来る。我の謂わざれども悟るものなり」として準備を進める。 弘範の策を知らずに攻め寄せた李壇の軍はあるものは壕に埋まり、あるものは 伏兵にやられて全滅した。弘範の勝報を聞き、張柔は「真にわが子なり」と喜んだ。 至元元年、兄が出世したことで順天路の守りを任されることとなった。翌年、 洪水で家は流され、到底租税が納められる状態ではない。しかしそれを言って 聞くような朝廷の文人どもでもない。弘範は直接京師に赴き、フビライに面と 向かって説教。フビライも話の分かる人で、「それを問うなかれ」と謝罪した。 至元六年、南宋の襄陽(せっかく孟珙が必死こいて取り戻した要地)を囲む。 万山に回回砲を据え付け、試し撃ちをしようとした瞬間、南宋軍が攻め寄せた。 部下たちは弘範を置いて城に逃げ込む体たらく。「敵を前にしてあえて退くと いうものには死を!!」との叫びに偏将・李庭が飛び出し、他の将がそれに続く。 弘範は二百騎を長く布陣させ、「我の鼓を聞く、すなわち進め。鼓なかりせば 動く勿れ」南宋軍が突出してくるが、弘範の軍は動かず、南宋軍は再び進んだ かと思えば退却した。南宋軍の士気が低下していることを見抜いた弘範は鼓を 鳴らし、弘範の軍千人が一斉に襄陽を襲う。南宋軍は奔潰した。 面倒なので、こっからアジア歴史事典の丸写し。 南宋討伐に参加し、各地に転戦したが、とくに張世傑の水軍を焦山に破り、 戦艦80艘を奪った功が大きい。毫州万戸に任ぜられ、抜都(英雄)の名を 下賜される。南宋の首都、杭州臨安府陥落ののち軍を還すが、翌1278年、張 世傑、陸秀夫らが衛王を立てて皇帝とし、元朝に反抗したので討伐軍の総帥 となり、水陸二万の軍を率いて南進し、まず文天祥を擒らえ、つづいて張世 傑らの水軍を崖山に破った。こうして輝かしい武功を立てて79年凱旋した が、まもなく病没した。謚は献武。 842 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/13(金) 21 44 40 ID PpLGyfJ60 孟[王共]は全時代の十人でも入るなあ 843 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/13(金) 21 48 39 ID GvRJnFDj0 842 入るでしょうねぇ。 彼に皇帝たるの地位があれば、かなり強固な国家体制を作れたことでしょう。 前線の一司令官は戦略的な視野や構想力より、戦術的な手腕が必要だけど 孟珙はその両方を兼ね備えた稀有な人物といえるから。 844 ○ sage 2007/04/13(金) 23 26 01 ID yKT0Xcnd0 ◆oOLAqFKRBさん 乙です 843 ◆RQdk7scN8sさん古巣での活躍ぶり(?)拝見してますよ。 (もし別人ならごめんなさい) 張弘範は、阿朮(アジュ)、伯顔(バヤン)の元で華々しい活躍を見せ、 更に南宋を滅亡に追いやったのは彼の力に因るものが大きいかと思います。 あと阿里海牙(アリハイヤ)なんかも自分は推したいですね。 845 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/13(金) 23 31 58 ID +sNzR0sV0 この時代区分は、全世界全時代の十人に入るようなのがうろついてますよね 846 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/14(土) 00 47 00 ID VTU7cCbT0 842さん、◆RQdk7scN8sさん、 孟珙を高く評価してくれて中国史で一番孟珙が好きな俺としては 嬉しい限りです。本当に、彼が構想しある程度までは完成させた防衛 ライン(完成しなかったのは朝廷の援助を受けられなかったから)が 機能している間は、孟珙死後までモンゴル、元朝も南宋に手を出せん かったわけやし、完全に自由な権限さえ与えられれば南宋長久の策が 実現したかも知れんのですよ。長期戦になったとしたら攻めあぐねる 元朝と対等以上の講和が結べたかも知れんし、後任が軍事の分からん 賈似道のバカでなかったら、と心から思うところです。ちなみに俺の中 で中華史上名将ベスト3は孟珙、李靖、韓信の三人で、奥ゆかしい性格 と優れた教養から孟珙を一位に押し上げたいところ。まぁ俺の中での ランクづけやからそうではない、という意見の諸兄も多々おるやろーけど。 ○さん アリハイヤですか。 彼もアジュの副将格でいろいろ活躍してますね。アジュが襄陽・樊城の 要地を陥として一旦帰還した後も南征を続け、東西58州(56州?) を切り取ったつわもの。しかも性格は温厚で戦場でも無闇な殺戮を戒め、 占領した土地の人々をいたわって租税を軽くして人々から賛美された 広義での名将。張弘範もやけど○さんは人民をいたわる名将が好きなん かなーと個人的に思ったりしますが、どーなんでしょか。 847 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/14(土) 02 44 23 ID h02UpDZjO で、郭侃は確定でいいのかね? 848 ○ sage 2007/04/14(土) 03 22 05 ID YWuWyns60 846 ◆oOLAqFKRBさん レス㌧あんた領土切り取り杉やろ、なんて思っていますアリハイヤ。 845さんのご指摘通り凄いのがゴロゴロし杉なんですけどねw 自分の名将ベスト3は韓信、孫武、岳飛というところですかね。 韓信は頭の中が普通じゃないし、孫武はマルチ杉、岳飛は戦上手なだけでなく忠義の塊ってとこに魅力を感じます。 それに孟sルもかなりのやり手で狄青みたいに上司さえに恵まれていれば 良かったのにそこら辺が悔やまれてならないっていうのが自分の印象です。 >人民をいたわる名将が好きなんかなーと個人的に思ったり~ はいそうです。 自分の場合は基本的に農民など下層出身で尚且つ義理人情に厚いか忠義の人で、 そのくせ戦争には滅法強い(奇策を得意としたり、読書家なら尚良い)という人物が好みのタイプですね。 岳飛、狄青、薛仁貴とか、あと楽毅、徐達なんかも好きです。 849 ○ sage 2007/04/14(土) 03 29 36 ID YWuWyns60 847 諸兄が郭侃の西征での功績を含めるべきというなら確定でいいと思います。 850 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/14(土) 07 12 11 ID 9iDv5RQB0 「誰某が名将としてどの程度か」と問うならば、 全ての手柄を斟酌してその手腕を量るべきだろう。 一部だけ切り抜いて量ることなど不可能だし意味がない。 そもそも漢人でも戦歴をぶつ切りにされるというのはおかしな話である。 蒙古帝国が中国ではない、というのは判る。 だが彼を選外とするのは「漢人が中国人ではない」と言ってることと同じだ。これはおかしい。 民族の一個人として見れば、その手柄の立てた場所とか相手を区別して云々する必要はない。 それに1127年の靖康の変で宋は南北支那の統一王朝としての面目を完全に失っている。 燕雲十六州を支配したのみの遼を北朝と呼ぶことは難しいかもしれないが、 中原を完全に支配した金はそう呼んで差し支えないだろう。 支那史のお約束通りに考えるならば、 その金は1234年に蒙古の攻撃で滅んでいるので、北朝としての天命は蒙古勢力に移行したのだ。 以後の西征は紛れもなく北半分の統一王朝の遠征であるので除外する必要はない。 その論理は無茶だと言うならば、五胡の蛮兵や、統一した隋以前の北朝の指揮官、唐の外国人の客将は全て除いて頂きたい。
https://w.atwiki.jp/awata/pages/46.html
(01)太祖の建隆元年(960)八月、荊南節度使の高保融が卒し、弟の保勖が後を継いだ。 保融はもともと鈍い男で、国の政治はすべて母弟の保勖が仕切っていた。保融が卒したので、保勖は権知軍府となり、帝に命を請うてきたので、節度使を授けた。 (02)三年(962)冬十月、武平節度使の周行逢が卒し、子の保権が後を継いだ。十一歳だった。 (03)十一月、荊南節度使の高保勖が卒し、兄の保融の子の継沖が後を継いだ。 周行逢は病が重くなると、将校を呼び寄せ、子供の保権を頼んでこう言った。――「領内の兇徒はほとんど誅殺した。あとは張文表だけだ。もし私が死ねば、文表はきっと叛乱を起こすだろう。諸君はしっかりと私の子供を助けて、領土を失わぬようにせよ。どうにも仕方がなければ、みなで〔宋に〕降伏せよ。虎口に陥ってはならぬ。」 保権が跡を嗣ぐと、文表はこれを聞いて怒って言った、「私と行逢はともに貧賤の身からのし上がり、功績を上げたのだ。それを今さら小僧に仕えられるか。」 十二月、保権は兵を率い、永州の軍卒を交換すべく衡陽に出発すると、文表はそれを追い払い、潭州を襲った。知留後の廖簡はもともと文表を軽んじており、何の備えもなかった。文表の兵は直ぐに府に入ったが、簡は客のもてなしで酔っており、殺された。文表は潭州を占拠すると、さらに郎陵を取り、周氏を滅ぼそうとした。保権は楊師璠に攻撃させ、さらに〔宋に〕来援を求めた。 これ以前、帝は盧懐忠を荊南に遣わすと、事前にこう言っておいた。――「江陵の情実や去就、地理の状況など、それらを全て知りたい。」懐忠は帰還すると、「高継沖の軍隊は整っておりますが、三万程度に過ぎません。年々の穀物は入っておりますが、民は暴政に苦しんでおります。南は長沙に接し、東は建康に達し、西は巴蜀に迫り、北は朝廷(宋のこと)を奉じており、国勢は日一日と弱まっております。容易に取れましょう。」周保権の使者が来たので、帝は范質らに、「江陵は四分五裂の国。今、軍を湖南に出すにあたり、軍路を荊渚(荊南のこと)に借り、ついでに平定してしまうのが、万全の策だろう。」 (04)乾徳元年(963)春正月庚申(十九日)、慕容延釗を〔湖南道行営〕都部署とし、枢密副使の李処耘を都監とし、十州の兵を率いさせ、軍路を継沖に借りて文表を討伐させた。まだ〔延釗らの軍が〕到着する前に、楊師璠は平津亭で文表を破り、これを捕縛すると、体を切り刻んで食用に供し、郎陵の刑場でさらし首にした。 処耘は襄州に到着すると、丁徳裕を遣わして継沖に〔軍の到着を〕伝えさせた。孫光憲が継沖に言うには、「中国は周の世宗以来、すでに天下統一の機運があります。今、宋主の意気込みは宏大です。早く所領を帰す方がよろしい。そうすれば災禍を免れるでしょうし、公も富貴を失わずにすみましょう。」継沖は叔父の保寅を遣わし、荊門で牛肉と酒で軍をもてなすと、延釗らの強弱を調べさせた。処耘は手厚くもてなした。継沖はそれを聞いて安心した。 この日の夕方、延釗は保寅を呼び、帳の中で宴会を開いたが、処耘は陰密に軽騎数千を〔継沖のもとに〕急行させた。継沖は保寅が帰るのを待ってたが、突然の宋軍の来攻に恐怖し、江陵の北十五里のところで処耘を出迎えた。処耘は継沖に会釈すると、延釗の到着を待たせ、〔自身は〕軍を率いて先に城に入った。継沖が〔城に〕戻ったときには、宋軍が要衝を占拠していた。 継沖は恐怖に堪えられず、客将の王昭済を通じて、帝に領内全三州十七県を奉納した。帝はそれを受け取ると、王仁贍を荊南都巡検使とし、継沖をもとのまま荊南節度使とした。高氏の親族や官僚には、各々ふさわしい官を与えた。光憲を黄州刺史とした。 (05)三月戊寅(二十六日)、延釗は〔周氏の地を平定すべく〕潭州を攻略し、郎への進撃を開始した。保権の牙将軍の張従富らは、文表が誅殺されたにもかかわらず、宋軍の進撃が止まないことを見て、攻撃されるのを恐れてみなで守りを固めた。延釗は軍を進めたが侵入できなかった。帝はそれを知り、従富らを説得させたが、言うことを聞かなかった。 兵を進めて澧江で〔従富らを〕破ると、李処耘は捕虜の中から肥えたもの数十人を択び、周りのものの食用に供すと、〔捕虜の中から〕やや健勝の者に入れ墨を加え、先に朗に戻らせた。入れ墨をされた兵は城に戻ると、捕らわれたものが宋軍の食用に供されたと言いふらした。これを知った兵らは恐怖し、自滅してしまった。延釗は長駆して城を破ると、従富を捕らえて殺した。 周氏側の大将の汪端は、保権と周氏一族を脅して江南の寺院に潜伏した。処耘は田守奇に軍を率いて渡江させ、〔保権を〕捕虜にして帰還した。帝は保権の罪を許し、右千牛衛上将軍とした。それでも汪端は人々を駆り立てて掠奪を続けたので、王師(宋軍のこと)は端を討伐してこれを殺した。 かくして湖南は平定され、十四州一監六十六県を手に入れた。帝は戸部侍郎の呂餘慶を遣わし、権知潭州とした。 (06)湖南の辰州は、唐のとき、錦・渓・巫・敍の四郡に分かれていた。唐末に蛮族が方々を占拠し、険難の地であることを頼んで防備を固めるようになると、いつも掠奪にさらされていた。 帝は湖南を平定した後、蛮族の風習や地勢を知り、さらに勇猛や知謀ある人に〔この地を〕治めさせることにした。辰州の猺の人である秦再雄は、筋力あり、機略に富み、蛮族に畏れられていた。帝は再雄を汴都に呼び、任用に堪えることを確認すると、刺史に任命し、人の任用を自由にさせ、好きに租税を処理させた。再雄は感激し、死を以て報いると誓った。 〔再雄は〕州に到着した日から、兵士に訓練を施し、鎧をまとって川を渉り、猿のごとく山を越え堀を渡るもの三千人を見出した。また二十人の精鋭を択び、朝廷に慰撫の意向のあることを蛮族に伝えさせたところ、〔蛮族らに〕なびかぬものはなく、みな降伏してきたので、それを報告した。これ以後、荊・湘に蛮族の憂いはなくなった。
https://w.atwiki.jp/yaruoperformer/pages/65.html
/_二ニ=- 、 / / | .| | .| _ --――-≦=-l ヽ∨/ \|‐t ____≦ ー 、 ヽv-、 `>. i 、 ヽ ,.∧ / レ /./ ∧ , ∨、 ヽ, 、 ヽ.ヽヽ,.Y ヽ, __, = 、 il ./| | | l i ∧\ |\ _A ∨i ヽl  ̄  ̄ ´ ` V || l_⊥ ∨ヽ.∧_ =≦ニ_.l | ヽ__ ノノ ∧ Vシ‐t卞ゝ 匕v|ソi| ミ゙ - 、 / ∧ヽ 叨リ . ー´ .Ξ_ー _ ヽ / / .l ∧ l . lニ`Vイ >x, __ ∨ { / { | |ニ /- ンノ_| ̄ ̄>, ヽ ヽ l | | .∨,ニ\ ´ ̄` 1/三ー‐-- }__V ´ - .|_ ヽ  ̄ \ , . | L \___>Y ̄`__ \≧x Y ..≧= ≦.====⊥_ニ 、__ \ ≦ ̄、 _ < _ -―==-ry ̄ ̄ ̄ニ  ̄l ̄ ̄l {i_,、_ ー‐ヘ \\ >'''´ { | | ヽ; | i,i {{ /仁コ | __;; V y /  ̄ , < \ _ -=ニニニ L - - - /__ニ____ _r ヽ /x __≦ < \ /ニ---..__ 。 \ ∠ フ / ̄ ̄ ̄ ̄´ゝ‐〈_⊥< \ ∧≦== __ο ――< ̄ >=ニ ̄`<―<‐´  ̄ ̄ tー- _ } .仁ニYニ.|4-,_| >、 \ \ >x i 仁 〈‐‐Y ,x‐- _. ∧ . ∧ ∧ ∨ / / ∠〈 ̄.l .人-^ <, \ , -‐三 )(ニニニ) i----f, ,____∨ >x_ / v\ } ト‐ .\ ∧ ` ̄ } }  ̄ ̄ l ー‐y| >´/  ̄ ̄ \∨ナY^ー-<_ ∧... |_ __ бフ--__OL L._ L _ > / |__l ∨_ -― ̄ V-― ┘ テ‐ナフ ー―´. /  ̄lー- ‐‐ ∨.iゝ∨ ’ ` ,,,,;;''" ,ソ/ //. / | ll | ∧,Vヾ .. ,;''' _ / //. / | ii | }v人 ';;,,;, ''' ゝ Y \\. // / } ii { / ,,,,,,,, _ _ <,,,, ニ= _.//../ .l i l } ,,,; '' //; ,,;;, '' / ノ | ∨ i ∨ / ''' ,; // ;; '' / / l l | 名前:セイバー/真名:アルトリア・ペンドラゴン 性別:女 原作:Fate/stay night 主人公の衛宮士郎に召還された英霊。見えない剣を武器に戦う騎士少女。 セイバーはサーヴァントとしてのクラス名。真名はアルトリア・ペンドラゴン(英霊は名を知られると不利になるため、マスターの士郎も含め秘密にしている)。 偶然、聖杯戦争のマスターとなってしまった士郎に召還され士郎とともに聖杯戦争を勝ち抜いていく 。 細く小柄な見かけによらず大食いで「腹ペコ王」とも呼ばれている。 10年前の「Fete/Zero」では士郎の養父である衛宮切嗣に使役されるが、思想の違いから彼との関係は最悪だった。 また「Fate/EXTRA」で彼女そっくりのセイバーエクストラ(通称:赤セイバー)が登場する。 他にも公式に多数のそっくりさんが登場したため、それぞれ色で区別され彼女は「青セイバー」と呼ばれている。 やる夫スレでは甲冑や剣を構えるAAが多いことから、騎士や剣士、王などとしてファンタジー系スレでの需要が高い。 甲冑を脱いだAAも多いので日常系スレでは外国人役も。 赤セイバーとは血縁関係での登場も少なくなく、同一人物設定の場合もある。 基本的にどのスレでも腹ペコキャラは共通している。 尚、並行存在としてはサーヴァント・ユニバースの謎のヒロインXがおり、そっちとも同一人物として扱われるスレもある。 その他、ランサーとしての姿やそのオルタといった更に異なる可能性も登場しており、特にランサー版はセイバー版から胸部をはじめ色々と成長した姿として扱われることも。 キャラ紹介 やる夫Wiki Wikipedia TYPE-MOON Wiki アニヲタWiki ニコ百 ピクペ 登場作品リスト タイトル 原作 役柄 頻度 リンク 備考 Pendragon 歴史・アーサー王伝説 アーサー王本人 主 まとめ エター 2X歳、OLアーマードエージェント:コードネーム セイバー オリジナル 本名「田中ペン子」バトルアーマーを着るエージェント 主 まとめ 予備 アルトリアさんはてんせいしゃ オリジナル 転生者。殺人上等の行動で周囲を振り回す 主 まとめ 完結 くーねるせいばー くーねるまるた ポルトガル人 主 まとめ エター La Belle Equipe 王様のレストラン 「伝説のギャルソン」千石 武役 常 まとめ 完結 キル穂が性杯戦争に参加するそうです Fate 性杯戦争に召喚されひどいことに 常 まとめ 12/24ネタ 肯定無慧な オリジナル いきなりできる夫の腕を食べた 常 まとめ エター サムライ☆べゑすぼおる オリジナル 新撰組、松前藩担当 常 まとめ R-18G エター ジーク君は復讐の旅をしているようです ガン×ソード ユキコ・スティーブンス役 常 まとめ R-18 完結 シンがショッカーに立ち向かうようです レッツゴー仮面ライダー ネオイマジン・テディ役 常 まとめ 完結 翠星石は夢を見ているようです ドラゴンクエストVI ミレーユ役、凄腕の剣士 常 まとめ 完結 タンジェロ・ポッター J・K・ローリング「ハリー・ポッター」 ロン・ウィーズリー役、性別逆転のせいかヒロイン化 常 まとめ 予備 あんこ ちっちゃいやる夫の姉 オリジナル やる夫の料理が大好き 常 まとめ 完結 血まみれ勇者 オリジナル Aランク冒険者(タンク) 常 まとめ 予備予備2 予備3 完結 入速出邸の住人はフリーダムなようです オリジナル やる夫の妻 常 まとめ 完結 やらない夫は集われるようです オリジナル 遊歴に出たばかりの騎士 常 まとめ 予備 やらない夫は弱虫のようです ドラゴンクエストV小説版 スライムナイトのピエール役 常 まとめ やる夫が大事なカメと大事なカメを探し歩くそうです 百器徒然袋-雨 素性不明の外国人の女性。日本語が話せない 常 まとめ エター やる夫が『梅松論』を語るそうです。 梅松論など 楠木正成役 常 まとめ 予備 やる夫がローエングラム候と戦うようです 銀河英雄伝説 ラインハルト・フォン・ローエングラム役 常 まとめ 完結 やる夫は騎士として生きるようです オリジナル ミスティア国の女騎士。姫である翠星石の護衛 常 まとめ 完結 やる夫は勇者と共に生きるようです ドラゴンクエストIV ライアン役 常 まとめ 完結 やる夫は芳香のために塔に挑むようです オリジナル 塔の門番「力の守護者」 常 まとめ 予備 エター 遊☆戯☆王デュエルモンスターズYX 遊戯王 やる夫のフェイバリットカード「光と闇の竜」 常 まとめ 完結 アーダン・やる夫の聖戦の系譜 ファイアーエムブレム聖戦の系譜 シャナン役1部の子供時代はオヴェリアの姿で2部からの登場 準 まとめ 彼らはDQ2でロトと賢者の末裔のようです ドラゴンクエストII やらない夫の剣の師匠 準 まとめ みょんすたーはんたーポッケ村の新米ハンター モンスターハンター 野良アイルー 準 まとめ 完結 やる夫が狂王の試練に挑戦するようです ウィザードリィ 冒険者の一人。ギルガメッシュと恋仲 準 まとめ 完結 やる夫達と楽園の瑕 楽園の瑕 慕容燕役、できる夫にやらない夫の暗殺を依頼する 準 まとめ 予備 完結 やる夫の冒険は終わりました オリジナル やる夫の祖国の女王 準 まとめ 完結 彼らにとってエンディング後の世界は狭すぎるようです オリジナル やる夫の従者 脇 まとめ 予備予備2 彼らはDQ2でロトと賢者の末裔のようです ドラゴンクエストII ローレシア剣客セイバー 脇 まとめ 完結 彼らは本能に従うようです。 モンスターハンター HR9、 第3女王の近衛 脇 まとめ 予備 白頭と灰かぶりの魔女 オリジナル ドリームキャッチャーの配下、キングの1人 脇 まとめ rss R-18 真ドラゴンクエスト6ダークネス~衝撃!!幻の大地編!!~ ドラゴンクエストVI 『勇者』剣士王【絶対勝利の斬撃皇帝】 脇 まとめ 翠星夫でスーパー●●オRPG スーパーマリオRPG ケンゾール役 脇 まとめ エター スバルはブレイクされた世界で頑張るようです 魔法少女リリカルなのは ブリテンの王 脇 まとめ 予備 完結 俗物なフリーザ様が宋江になるようです 水滸伝 完顔阿骨打の娘、完顔訛里朶役 史実ではその五男 脇 まとめ あんこ 完結 追放ニート侍 オリジナル 冒険者 脇 まとめ 予備 あんこ 完結 パチンカス勇者と土下座プリンセス オリジナル ネロ殿下の妹 脇 まとめ 完結 雛苺と白饅頭な騎士 オリジナル ブリタニア王国の君主、アルトリア=ヴィ=ブリタニア 脇 まとめ やる夫サイエンス まんがサイエンス ごはんとお餅の専門家、米についての解説役 脇 まとめ 完結 やる夫は怪獣の狩人になるようです。 ウルトラシリーズ ザラブ星人『セイバー』 脇 まとめ R-18 安価あんこ 完結 やる夫が0からはじめるようです オリジナル 薔薇王国の王妃 脇 まとめ やる夫の北海道カオス立志伝 太閤立志伝 士郎の従者。同一容姿の先祖も、解説編で登場 脇 まとめ やる夫は初代勇者なようです オリジナル 八代目勇者 脇 まとめ 完結 やる夫は地球侵略に来た帝国の戦闘員のようです オリジナル ギルガメッシュの妃 脇 まとめ R-18 やる夫達は安価で作られた世界で生きているようです 短編集 いくつかの作品に様々な役回りで登場 - wiki まとめ 短編集 短編 タイトル 原作 役柄 リンク 備考 セイバーは、自分の名を探るようです 歴史・アーサー王伝説 聞き役 まとめ 短編 [登録タグ] 5世紀 6世紀 CV 川澄綾子 Fateシリーズ Type-moon アルトリア アルトリア顔 アーサー王 イギリス サーヴァント 一本アホ毛 主人公作品あり 偉人 剣 女性 王 紹介スレ数10以上 紹介スレ数30以上 英霊 金髪 青色 騎士
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/212.html
トップページ>韓国>東方学志 『東方学志』80、1993 任先彬「朝鮮後期洞契組織と村落社会の変化:公州浮田大洞契を中心に」 金基正「1901-1905年間のアメリカの対韓政策研究(2):大統領と国務省官僚の役割の比較分析」 卞麟錫「隋末唐初中国の突厥に対する「称臣事」の学説史的考察」 도수희「「馬韓語」に関する研究(続)」 신동욱「「丙子乱」を扱った小説に形象化された回天意志を実現した主人公の考察」 許璧「「馬氏文通」已後の中国語法研究:特に1898-1937年間の論著を中心に」 金成俊「経国大典吏典註釈(5)」 『東方学志』76、1992 李平来「元暁哲学における還滅門の構造に関する考察」 柳富鉉「『三国遺事』「巻二」についての書誌学的考察:伝存本の対校を中心に」 金容燮「「古阜郡声浦面量案」の分析:1791年古阜民の農地所有」 김중섭「日帝侵略期衡平運動の指導勢力:その性格と変化」 장태진「「隠語輯覧」の韓国語隠語について」 고영근「ウェソルの中等文法叙述についての研究」 남기심、김지은「助詞「-로」の用法に関する連語論的研究(Ⅱ)」 尹福子、朴善姫「伝統的住居における接客生活に対する韓日間の比較」 金成俊「経国大典吏典註釈(3)」 『東方学志』75、1992 卞麟錫「7世紀中葉白江口戦における日本の敗因に関する考察 「日本書紀」所載の敗績記録を中心に」 崔在錫「9世紀の在唐新羅租界の存在と新羅租界の日本・日本人保護:唐国において展開された韓国と日本の関係」 金駿錫「柳馨遠の変法観と実理論」 池培善「南燕について:慕容徳を中心に」 許璧「「馬氏文通」以前の中国語法研究:主要研究業績を中心に」 閔泳珪、李千石(訳)「四川講壇:初期禅宗史和剣南宗」 金成俊「経国大典吏典註釈(2)」 崔龍水「中国哲学史研究の10年」(中) 『東方学志』74、1992 이선복「北韓考古学史試論」 閔徳植「新羅の慶州明活城碑に関する考察:新羅王京研究のための一環として」 이강로「雲門五岬に付けられた土地の名の研究」 薛盛璟「春香伝文体の変異様相研究」 조동일「韓国文学史叙述の経過と問題点」 신동욱「李泰俊小説に現れた民族意識」 金成俊「経国大典吏典註釈(1)」 『東方学志』73、1991 許興植「14-15世紀曹渓宗の継承と法統」 呉永教「朝鮮後期五家作統制の構造と展開」 류인희「洪大容哲学の再認識:朝鮮実学再評価の一作業」 申栄祐「1894年嶺南金山の農民軍と両班地主層」 安龍植「韓末地方官の治続評定に関する研究」 金容燮「日帝強占期の農業問題とその打開方案」 유원수「モンゴル語動詞類の否定」 『東方学志』70、1991 金容燮「韓末・日帝下の地主制:事例5、日帝下朝鮮信託の農場経営と地主制変動」 申栄祐「19世紀嶺南金山の両班地主層と郷内事情」 方基中「白南雲の政治思想研究:解放政局期国家建設論を中心に」 洪性讃「解放直後の農場自主管理運動とその帰結:黄海道甕津郡成業社末永農場の事例」 李成珪「司馬遷の時間観念と『史記』の叙述」 裵相賢「『朱子家礼』とその朝鮮での行用過程」 金栄敏「李人稙と安国善文学比較研究:生涯と文学の主題比較を中心に」 『東方学志』69、1990 李亨求「韓国民族文化のシベリア起源説についての再考:韓国古代文化の起源に関する序説」 崔在錫「百済の大和倭の「日本」への変身過程」 朴宗基「12-13世紀農民抗争の原因についての考察」 河炫綱「李承休の史学思想研究」 노대규「韓国語の約束文研究」 김창룡「「西京別曲」研究」 김복순「梁建植の初期短編小説研究」 강맹산「高句麗の五部」 『東方学志』68、1990 한차균「龍谷洞窟遺跡を再論する」 이기길、황성옥「新石器時代平底土器の研究:平底の製作技法と分析」 朴魯昱「朝鮮時代古文書上の用語検討:土地・奴婢文記を中心に」 洪性讃「日帝下金融資本の農企業支配:朝鮮殖産銀行の成業社設立とその運営」 池憲英 遺稿、姜銓爕 謹校「「三代目」研究序説」 丁奎福「洪吉童伝漢文本のテキスト問題」 許璧「中・韓語詞匯比較研究」 ムハンマド・カンス「慧超の西域壮行一行:大食歴訪を中心に」 マリアンナ・ニキティーナ「太陽女とその父母の神話における主人公たちの祭儀的顕現について」 Holruo Ognele-Choi「[講演抄録]ポーランドの韓国文学翻訳と韓国学術現況」 『東方学志』67、1990 張東翼「征東行省の研究」 金駿錫「17世紀正統朱子学派の政治社会論:宋時烈の世道政治論と賦税制度釐正策」 이강로「大明律直解吏読の使役法使内の研究:発達過程を中心に」 薛盛璟「南原古詞研究:導入部分の叙述様相を中心に」 崔玲愛「中国古代音韻学から見た韓国語の語源問題」 『東方学志』66、1990 閔徳植「新羅の慶州月城考:新羅王京研究のための一環として」 李康来「『三国遺事』における「旧三国史」論についての批判的検討」 朴京安「甲寅柱案考:忠宣王代の田制釐正を中心に」 川島藤也「18世紀朝鮮における生活の研究:朴弼周の事例(1680-1748)」(英) 金基正「1901-1905年間のアメリカの対韓政策研究(1):セオドア・ルーズベルトの世界観分析を中心に」 남기심「助詞「와/과」の使い方について」 이선영「韓国文学研究成果に関する総括的研究(1895-1985)」 許璧「中日分詞匯の韓文に対する影響」(中) 『東方学志』65、1990 崔在錫「百済の大和倭の形成と発展:日本古代国家の成立と発展」 金容燮「高麗刻本『元朝正本農桑輯要』を通じて見た『農桑輯要』の撰者と資料」 이만열「勧書に関する研究」 洪性讃「日帝下金融資本の農企業支配:不二興業(株)の経営変動と朝鮮殖産銀行」 한창균「北韓考古学界の旧石器時代研究動向:第4期の研究と旧石器時代の時代区分を中心に」 朴性鳳「北韓の高句麗史研究動向と特性」 『東方学志』64、1989 李泰鎮「15-16世紀韓国社会経済の新しい動向:低地開墾と人口増加」 金容燮「朝鮮後期両班層の農業生産:自作経営の事例を中心に」 이기길「文様製作技法で見た新石器土器の研究:東三洞遺跡を中心に」 宋寯鎬「蓀谷李達詩研究(Ⅰ):その題材の探究」 허경진「平民漢詩の作者層について」 김창룡「「山君伝」注疏」 이익환「国語外部否定の意味解釈」 李煕秀「トルコ学研究動向」 李亨求 訳「廟後山:遼寧省本渓市旧石器文化遺址」 資料 「アペンゼラーとバンカーの書簡⑩」 『東方学志』63、1989 鄭亨愚「『五経・四書大全』の輸入とその刊板広布」 이융조、하문식「韓国支石墓の他の類型に関する研究:「祭壇支石墓」形式を中心に」 洪性讃「日帝下企業家的農場型地主制の歴史的性格」 차상철「1945-1946年トルーマン行政府の韓国政策:米ソ共同委員会と信託統治問題を中心に」 신동욱「物語文学の中お性格に関する一考察」 홍재성「韓国語自動詞/他動詞区分の区別と辞典:いわゆる同族目的補語区分の場合」 資料 「アペンゼラーとバンカーの書簡⑨」 講演抄録 王健群「高態度好太王碑文考釈」 『東方学志』62、1989 金成俊「『牧民心鑑』と『居官要覧』の比較研究」 金容燮「朝鮮後期土地改革論の推移」 李康洙「徐命膺の老子理解」 허경진「洛社研究」 曺圭益「河崙楽章研究:主題意識と受容様相を中心に」 姜銓爕「洋谷陳復昌の「歴代歌」模索」 発表要旨 朱七星「中国における朝鮮の思想と文化を研究したおおよその定形について」 資料 「アペンゼラーとバンカーの書簡⑧」 『東方学志』61、1989 崔在錫「古代日本に渡った韓民族と日本原住民の数の推定」 허흥식「指空の思想形成と現存著述」 趙誠乙「丁若鏞の尚書今古文研究」 李萬烈「韓末キリスト教と関連した外勢依存の問題(1):宣教師の勢力拡大過程を中心に」 최철「洪起文「郷歌解釈」についての見解」 資料 「アペンゼラーとバンカーの書簡⑦」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-10 101-120 121-140 141-160 161-180
https://w.atwiki.jp/chinatiku/pages/27.html
1 代理 sage 2007/04/15(日) 09 45 49 ID Pj2Smi8z0 書き込めなくなった?らしいので立てました 2 代理 sage 2007/04/15(日) 09 47 37 ID Pj2Smi8z0 1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [] 投稿日:2006/11/14(火) 13 26 14 ID cwVjzMAO0 中国の長い歴史の中で登場した数多くの武将たちの中から、特筆に値するであろう名将百名を選ぼうというスレです。 要は作家の田中某氏の著作「中国武将列伝」と同じ企画ですが、田中某氏の評価に従う必要はなく、各人それぞれの 評価によって、百選に入れるべき武将を推挙して下さい。 ・推挙する武将については、その理由を述べること。 ・対象となる武将は、近世以前の武将とし、近代以降の軍人は含めない。 ・対象となる武将は、特定の時代に偏らないように配慮する。 以上の三点に留意して、中国名将百選を決めましょう。 前々々スレ 【みんなで】 中国名将百選 【決めよう】 http //hobby8.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1163478374/ 前々スレ 【中々】 中国名将百選 其ノ弐 【決まらんね】 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1167560946/ 前スレ 【確定は】 中国名将百選 其ノ参 【誰だ!?】 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170812626/ 3 代理 sage 2007/04/15(日) 09 48 47 ID Pj2Smi8z0 時代区分 春秋戦国(紀元前771年~紀元前221年 550年間) 統一秦~前漢(紀元前221年~紀元前8年 213年間) 新・後漢(紀元前8年~紀元220年 228年間) 三国~両晋(220年~439年 219年間) 南北朝(439年~589年 150年間) 隋・唐(589年~907年 318年間) 五代~北宋・遼(907年~1127年 220年間) 南宋・金~元(1127年~1368年 241年間) 明(1368年~1644年 276年間) 清(1636年~1912年 276年間) 4 代理 sage 2007/04/15(日) 09 49 41 ID Pj2Smi8z0 これまでのまとめ、はどうなってるか分からないので誰かお願いします。 以上。 5 ○ sage 2007/04/15(日) 09 59 03 ID D0oU8gsK0 代理の方 乙です 現在の状況 南宋・金~元 【確定組】 宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共](孟sル)、 【候補】 成吉思汗(チンギスハーン)、忽必烈(フビライ) 、完顔宗弼(ウジュ) 、伯顔(バヤン) 阿朮(アジュ) 、韓世忠、杜杲、張弘範 張俊、呉?、呉リン、劉キ[金奇] 、虞允文、李顕忠、楊存中、僕散忠義 徒単合喜、宗翰(ネメガ)、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ) 劉整、脱脱(トクト)、呂文煥 、完顔陳和尚、郭侃、李庭芝 bヨ雷(トゥルイ) 速不台(スブタイ)、木華黎(ムカリ) 前スレより >850 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/14(土) 07 12 11 ID 9iDv5RQB0 「誰某が名将としてどの程度か」と問うならば、 全ての手柄を斟酌してその手腕を量るべきだろう。 一部だけ切り抜いて量ることなど不可能だし意味がない。 そもそも漢人でも戦歴をぶつ切りにされるというのはおかしな話である。 蒙古帝国が中国ではない、というのは判る。 だが彼を選外とするのは「漢人が中国人ではない」と言ってることと同じだ。これはおかしい。 民族の一個人として見れば、その手柄の立てた場所とか相手を区別して云々する必要はない。 それに1127年の靖康の変で宋は南北支那の統一王朝としての面目を完全に失っている。 燕雲十六州を支配したのみの遼を北朝と呼ぶことは難しいかもしれないが、 中原を完全に支配した金はそう呼んで差し支えないだろう。 支那史のお約束通りに考えるならば、 その金は1234年に蒙古の攻撃で滅んでいるので、北朝としての天命は蒙古勢力に移行したのだ。 以後の西征は紛れもなく北半分の統一王朝の遠征であるので除外する必要はない。 その論理は無茶だと言うならば、五胡の蛮兵や、統一した隋以前の北朝の指揮官、唐の外国人の客将は全て除いて頂きたい。 6 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 10 39 32 ID RJ3LHnlu0 1スレ立て乙です スレの流れをぶった切ってまで前スレ 777やら前スレ 788の定義を固めてもらっらんだから、 まずはそれを遵守して運用すべきじゃないですか?不満や不都合があるなら明確な改訂案を出すべきであって、 特定の将に対して抜け道探すような手法はせっかく決めた定義が無意味なものになってしまいます。 前スレ 838 郭侃は最終的に元にいたんだよね? 名将か否か判断するのに○○時はのぞくなんておかしい。途中どこにいようが関係ない、 趙亡命時の楽毅だけをみて燕時代を無視するのと同じだろ 全体を見て判断しないといけないと思う 名将の評価と言う意味ではその意見は正しいでしょうけど、 ここは「中国の」名将を選ぶスレなので評価する上で仕えた政権や活躍の場所の吟味は重要です。 燕時代の楽毅の活躍を、楽毅が最後に趙にいたんだから趙将の業績だというのはおかしくないですか? 前スレ 850 北半分の領土的抑えただけで、南朝への遠征放っておいて 西への遠征するような政権は中国政権とはいえないという見方もあるでしょう。 初期は首都すらない完全な遊牧民国家だし、オゴデイ~モンケまでは カラコルムに首都おいたとはいえ現モンゴル共和国で、 中華人民共和国内の内モンゴル自治区ですらないわけで、 中国政権とはみなせず、先行政権扱いが妥当と思いますが。 五胡の蛮兵や、統一した隋以前の北朝の指揮官 それらの政権は基本的に中国の領土獲得を主眼に行動しているので モンゴルとは性質が異なります。単に拡張期のモンゴルが特殊なだけだけど。 唐の外国人の客将 元朝より前のモンゴルと唐では国家思想も国家の形式も全く異なり、 唐は完全な中華統一帝国であるので、客将であっても中国の将からの 除外比較対象に上げること自体間違ってると思いますよ。 だが彼を選外とするのは「漢人が中国人ではない」と言ってることと同じだ。これはおかしい。 民族の一個人として見れば、その手柄の立てた場所とか相手を区別して云々する必要はない。 その論理が正しいなら、異民族の名将は中国じゃなくて本来の民族の将だっていうのが正しいことになるんでは? 「既に確定に上がっている名将のうち、五胡やら突厥その他異民族出身の将は それぞれの民族の将だから選外にすべき」っていう意見が出てきたらどう反論しますか? 7 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 10 45 04 ID RJ3LHnlu0 前スレで決まった定義を再掲 前スレ 777 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/07(土) 22 00 07 ID G49b2+p90 そんでもって以前選定者の一人に選ばれたわけですが、 505と 761の折衷というだけでは具体的な形が見えないのでここに概論を書きます。 ・基本は正史ベース。二次資料から引いてくる場合は典拠を明らかにする。 (資治通鑑より、とか出典・十国春秋、とか) ・異民族武将に関しては守勢(中国からの侵略に対する防衛戦)で高名な武将であっても除外、 中国の領土を犯し、十分な土地を掠取する(あるいは侵略のための橋頭堡を作る)か、 当時の中華国家の人々に恐怖意識を植え付けるほどの活躍をしたものを資格保持者とする。 ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 ・征服王朝の先行政権における武将の場合、中国本土に攻め入って領土を攻め取るか橋頭堡を作り、 そのうえでのちに来る征服王朝の樹立に貢献した武将を資格ありとする。 ・・・こんなんで。 俺の頭ではこれ以上波風立たせずに全員を納得させる案は立てられんです。 ◆RQdk7scN8sさんや○さんがもっと洗練された定義案を出してくれるのを希望。 前スレ 788 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/09(月) 00 22 27 ID 7CdWDV6X0 777を全時代に適応できる汎用定義にすることについてアップデート。 ・中国統一政権下における外征で活躍した武将もカウントする。 唐の李靖の突厥討伐、清の策稜らのジュンガル討伐を認める、ということで。 まだまだ完全な定義足りえないのは承知ですが、そこは諸兄に任せます。 本音を言うと他の人が完璧な定義を持ち出してくれると助かるんやけど、怠慢はよくないわな。 8 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 10 54 35 ID k9NPg/DdO 1 乙&㌧ 一応スレ立てチャレンジしてみたが俺には無理だったので 仕方ないのでに 1の方に代わりに立ててもらった 長文の所為で要領一杯になっちゃったんだから 心当たりがある奴が次スレぐらい立てろよと言いたい!! 9 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 11 00 35 ID u6nOquCr0 1 乙華麗 10 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/15(日) 11 24 56 ID NIBuulv0O 原則的に 民族、出自に関わらず、中国本土での戦いに参加した者を対象とする。 国内平定後は、戦地が国内から国外に移るのは自然の理であり、 当然その場合は、その戦いも対象となる。 11 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/15(日) 11 35 22 ID NIBuulv0O ただし、その人物、及び政権、王朝、国家が、中国の領土、 政治や経済、文化の継承をする意志がない場合、その対象より外れる。 12 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 11 36 30 ID RJ3LHnlu0 ここまでのまとめ 春秋戦国 其ノ弐 623 【確定】 楽毅、楚の荘王(熊侶)、白起、李牧、王翦、呉起、廉頗、孫武、樗里疾 【候補】 士会、魏無忌(信陵君)、趙の武霊王 統一秦~前漢 其ノ弐 831 【確定】 韓信、項羽、霍去病、衛青、趙充国、陳湯、周亜父、章邯、灌嬰(暫定) 【候補】 劉邦、曹参、彭越、鄭吉 新・後漢 其ノ参 171 【確定】 劉秀、馮異、樊崇、耿弇(エン)、呉漢、班超、段熲(ケイ)、馬賢、曹操 【候補・議論中】 岑彭、周瑜 三国~両晋 其ノ参 169 【確定】 鄧艾、石勒、祖逖、王猛、劉曜、慕容垂、慕容恪、桓温、拓跋珪 【候補】 陶侃、石虎、謝艾、謝玄、冉閔 南北朝 其ノ参 278、284 【確定】 劉裕、檀道済、韋叡、陳慶之、拓跋燾(トウ)、蘭欽、斛律光、高洋、韋叔裕、段韶 隋・唐 其ノ参 468、475 【確定】 楊素、李世民、李靖 、李勣、裴行倹、薛仁貴、郭子儀、李光弼、李克用、史思明 【候補・議論中】 李晟 or 李愬(郭子儀 or 李光弼との入替) 五代~北宋・遼 其ノ参 786 【確定】 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊師厚、狄青、李存審、狆(チュウ)師道、楊延昭、李継遷、耶律徳光 13 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 11 39 42 ID RJ3LHnlu0 ごめんなさい、スレ番参照でミスがありました。 新・後漢 其ノ参 71です。 14 ○ sage 2007/04/15(日) 12 18 21 ID D0oU8gsK0 自分は西征での郭侃の功績を認めるべきでは無いと言うつもりはありません。 遠征での功績はもちろん考慮すべきだと思います。 自分が主張しているのはその範囲なんです。 モンゴル帝国の領土拡大は世界史から見ても類を見ませんよね? 当時の全世界の大半を征服したのは確かに凄いことです。 確かモンゴルを除く歴代王朝の遠征は東アジア圏(ベトナムを含む) に於いて行われていますよね? (西域は入れないのかいと言うツッコミはご勘弁を 西域の事を忘れてました…) だからあえて東アジア圏に限定してはどうでしょうか? と言うのが自分の主張なんです。 (個人的には中近東での活躍を含めるのは違和感がありますので) しかし諸兄がそんな枠に縛られずどの地域での功績を認めるべきだと 仰るなら自分はそれにしたがいます。 15 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 12 42 55 ID wwoVJMbhO モンゴルを先行政権と認めるか否かで決めるべきかな、と 認めるのであれば違和感どうのと言って個人的感情でその範囲に制限かけるのはおかしい 16 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 12 50 21 ID RJ3LHnlu0 15 先行政権止まりなら、 7に従えば遠征の業績は除外になるんでは? 元以前のモンゴルを中国統一政権として認めるか否かではないかと。 17 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/15(日) 13 18 35 ID hQ7KfBf60 孫?、花木蘭、李廣、岳飛、鄭成功、戚継光、李陵、高仙芝 18 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/15(日) 13 36 21 ID NIBuulv0O 前スレの850の主張って、 甲子園で活躍し、直接大リーガーになってタイトル穫りまくるも、 その後、日本プロ野球に移籍したときは、タイトルは穫れなかった選手にたいし、 大リーグでの活躍、成績をもって、日本プロ野球の10大名選手の中に入れろっていうようなもんだろ? 良識ある人ならば参考までにとどめ、話を先に進めると思うが。 19 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/15(日) 17 48 59 ID /WpUledx0 ええと… 出遅れました、すみません。 1の人および呼びかけてくれた人、ごくろうさまです。 容量制限あったの初めて知りました。 長文あったら早めにスレ立てなければならないことがよくわかりました。 以後、他所でも気をつけよう。 20 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 19 25 24 ID y8lnZW510 6 〇、政略 一、戦略 ↑はこのスレでは不要だが、真の名将たる者、自ら事を処し、自ら計を決めるべきだろうが、 このスレで問われるのは↓の五つだろう。 二、戦術 三、戦功 四、出身民族 五、所属勢力 六、三を立てた戦域 俺は二、三の条件を満たしたならば、 四、五はどちらか一つしか満たしてなくても入選を認め、 あまり意味のない六は除けと言っている。 18 野球の場合、大リーグ>日本プロ野球は明らかだが、近代以前の阿州、欧州、西亜、南亜、北亜、東亜は基本的に並列。 良識以前に比喩としておかしいことが自分で判らんのだろうか? 少なくとも貴方は良識を知る者ではないな。 21 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 20 48 16 ID RJ3LHnlu0 20 四、出身民族 五、所属勢力 なんで 7の定義が設定されたか、そこにいたるまでどれだけ議論が費やされたか理解してますか? 四、五が、万人が認めるように定義できるなら、その基準でも問題ないのですけど。 あなたの頭の中では明確な定義があるのかもしれないですが、 五胡や五代、遼や金や元や清あたりのカオスな状況を整理できる定義なんでしょうか? もしそうなら、ぜひ定義案として提示してください。 あとNIBuulv0Oさんの代わりにコメントしますけど、 なにか論旨を誤解してませんか?それとも意図的にすり替えてます? 大リーグ>日本プロ野球のレベル差なんて、 18の論旨には全く関係ないです。 大リーグ=日本プロ野球と考えて読み直してください。その上で反論してください。 22 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/15(日) 21 11 17 ID adogH1CA0 俺も長文で書けなくなるとか知らんかったです。すいません。 1さん、 8さん、他迷惑をかけた諸兄、申し訳ない。 でも俺スレ立て技術ないんよ・・・。 とりあえず今度からは訳文を出来る限り削る方向で行こうと思うんでお許しください。 23 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 21 12 00 ID y8lnZW510 選手(名将)のみを語るべきで、リーグ(戦域)はどうでもいい、境界線上の闖入者を決められる訳がなかろう。 また、 18の定義でも「日本人の野球選手」としては十分名手と言える。 俺は「日本リーグの選手」としてどうかなんて言ってない。 意図的に論旨を摩り替えているのはNIBuulv0O氏だろ。 このスレで語られる「中国名将」は複合的なものだし、比喩としては全く不適当。 24 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 21 25 03 ID RJ3LHnlu0 23 だから「中国人」とは何かを定義できるのかといってるんですがね。 西晋崩壊以降、いろんな民族の流入・混血が進んで中国人・漢民族の定義は困難だから、 スレの当初から一貫して所属政権でもって定義する方向で進めてきているわけですよ。 民族的な定義付けを主張するならば、まずは中国人とは何か?を明確に定義できる案を提示してください。 それがいいもので多少の修正で採用できそうなら、皆の意見を反映した上で採用されるでしょうし、 穴がありすぎるようなら議論するだけ時間の無駄なので却下になるでしょう。 25 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/15(日) 21 34 58 ID NIBuulv0O 20 俺だした喩えで、その選手が外れる可能性があるぐらいは、分かるよな? 同じ選手が、同じ競技をしてても外れるように、 郭侃の功績が限定されのはしょうがない。 まず、過去スレぐらい嫁。で、その中には名将といえども外れた人物はいる。 何故か?そのぐらいは考えろよ。 郭侃を入れたら対象になる武将が、際限なく増えてしまう。 その中には中華風の国号を名乗り、中国本土まで攻め入ったような人物までいる。 だが一般的には、その人物を中国人だとは思わない。 そんなのまで認めたら、中国じゃなくて、アジア史だ。 完璧に板違いになる。だから皆が知恵出し合って定義を決めてきた。 それを自分のワガママで変えろと言うのであれば、良識がある人間とは思えない。 26 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 21 49 03 ID k9NPg/DdO 22 許すも何も俺は別に長文に対して怒ってる訳じゃないぞw >でも俺スレ立て技術ないんよ・・・。 俺の場合は技術じゃなくトライしたけどハード的問題でスレ立て失敗したのさ・・・orz スレ立てるのって環境さえ整ってれば簡単らしいけどな それと郭侃の参加した遠征は中国統一政権下における外征では無いのだから 功績としてはノーカウントにするのがが妥当だろうな それと 18での例えは結構的を得てると思うけど… あとねy8lnZW510氏がどう思うかは自由だが 良識を知る者ではないなとか言わない方がいいと思うぞ 逆にそんな風にカキコされたら憤慨しませんか? 現にNIBuulv0O氏は憤慨してますよ NIBuulv0O氏そう興奮せずモチツケ 27 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/15(日) 22 17 48 ID NIBuulv0O ID y8lnZW510に素直に聞きたい。 郭侃は中国本土で全く功績がないとでも思ってるのか? 個人的に俺は、宋弼よりも郭侃の方が、このスレてきにふさわしいと思ってる。 宋弼は負けすぎてる。東西から攻めるなどの技量は評価できるが、 それならば郭侃の西での活躍をもって、その意見に答えたい。 こんな感じの議論をするのが、このスレの流れ。 都合よく定義を変えるのは、ルール違反だ。 26 俺は 850の意見が無茶苦茶すぎるから言ったまで。 自分の推す人物が入らないなら、やり直せと言うのなら、 せめて郭侃と同じように、統一以前の中国外の活躍をもって確定した人物を 具体的に取り上げ、その人物がいるから入るor外せ と言うのなら分かるよ。じゃなけりゃ誘拐犯が人質とって金を要求するのと変わらない。 850を正式に取り下げるなら、こちらも謝罪はする。 28 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 22 43 27 ID k9NPg/DdO 27 うんNIBuulv0O氏の主張は最もだと思うよ でもねあの人は自分の考えが絶対だと思い込んでる様に見えるよな ここではみんなで決めた定義に沿って議論してるはずなのにね… それと多分、あちらの方は人には侮辱的なこと言う割りには 自分が逆の立場になったらブチギレるであろうタイプの人間だから あえてNIBuulv0O氏にモチツケと振ったのさ おK? 29 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 23 01 28 ID y8lnZW510 野球の場合、その区別は容易い。 一、大リーグ 二、日本プロ野球 だが、文化圏は容易に区切ることは出来ないし、↓のように無理に分けるしかない。 一、東亜 二、東亜~北亜 三、北亜 やはりNIBuulv0Oの比喩は無茶苦茶過ぎる不適切なものだ。 まあそれはどうでもいい。 30 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 23 07 44 ID RJ3LHnlu0 ・・・なんかもう相手するだけ時間の無駄なような気がしてきた。 31 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 23 25 37 ID k9NPg/DdO 29 >まあそれはどうでもいい。 じゃあわざわざ刺激するようなレスよこすなよと言いたい… NIBuulv0O氏、RJ3LHnlu0氏 あの方の相手するのもうやめようぜ 32 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 23 36 47 ID bJsmtWF40 今更でなんなんだけど、「中国」の定義ってどうなってるの? 33 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/15(日) 23 56 53 ID wwoVJMbhO 18 の例えは的外れだと俺も思う 34 RJ3LHnlu0 sage 2007/04/16(月) 00 02 17 ID RJ3LHnlu0 31 >まあそれはどうでもいい。 は、その後の反論なり、定義案なり考えてるのかと少しだけ期待したけど、 1時間近くたっても投下ないのでまともに議論する気ないのが確定ですね。 相手しないに同意します。NG登録したいくらいです・・・。 32 そこに踏み込むとスレの趣旨から外れるのと、結論出せないということで、 これが「中国」というみんなで合意した明確な定義っていうのは決まってないと思いますよ。 35 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/16(月) 00 05 43 ID TUPTWbh/0 この時代専門でないのに口を挟むのもなんだけど 現在の確定が宋3人に金1人 普通、防衛より攻め込む方がエネルギー要るもんでしょ 元贔屓の人にがむばってもらいたい バヤンとか確定主張しなくていいの? 36 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/16(月) 00 07 43 ID 3oHnWORa0 間違った方向と雖も、半年間で培われた旧法に対して、新法を一時間で出せと言うのは無理な要求だなあ。 37 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/16(月) 00 18 28 ID 6MwUiMrMO 33 俺が言いたいのは、 850で同じ人物が、 ある期間が入り、ある期間が外れるなんてあり得ないと言うから、 仮に「日本のプロ野球での10大名選手を決める」なんてスレがあって、 その選手がNPBでの実績が乏しいなら、大リーグでの活躍は外れる。 同じ競技でも、所属と場所により外さなくてはいけないこともあると言いたいだけ。 それでも的外れと思うなら、ここはそういうスレだからあきらめてもらうしかない。 28 おk 言い過ぎた。スミマセン。 じゃ、改めて郭侃を推挙。確かに西方での活躍が華々しが、 対金戦役に従事しているので、全くの無縁な人物ではない。 フビライのもとに使えた後のことは、その置かれた状況を考慮して欲しい。 一時的とはいえ、敵対してる人物の配下にいて、 多大な功績を残してる武将に対しては、与えるだけの活躍の場がなかっただけ。 郭侃が確定入りすることはあっても、候補から落ちることはないと思うので、 さほど必死になれず。 まだ席は空いてるし、伯顔が相手ならば、中国本土のみの活躍限定なら分が悪いが、 それ以外の人物であれば、十分に太刀打ちできると思う。 38 RJ3LHnlu0 sage 2007/04/16(月) 00 22 19 ID 27vtNhal0 36 別に定義案がすぐに出てくる必要はないけど、時間が必要ならその旨書き込めば済む話。 また彼の発言からすれば、彼なりの定義が彼の中で決まってないとおかしいので、概案くらい出せるはず。 それに直前の反論に対してろくに反論せず、自分の言いたいことと捨て台詞だけ残して去っていくようでは・・・ 35 前スレ817・818あたりで確定に推す意見があり、その後反対意見もないので伯顔は確定でいいんでないですかね。 39 RJ3LHnlu0 sage 2007/04/16(月) 01 13 05 ID 27vtNhal0 37 対金戦のトゥルイ、スブタイや、南宋戦のアジュ、張弘範あたりを超える東方の功績があるんでしょうか。 不勉強なので、できれば功績の詳細をご教示いただきたいです。そのうち◆oOLAqFKRB.さんが推薦文投下してくれるかな? あとスレ違いの話題かもしれませんがフラグの西征だと、バイバルスに負けるまでは無敗だったキトブカがまず思い浮かぶのですが、 郭侃がキトブカあたりと同格の将だったのか、フラグ・キトブカあたりの統率下での一武将だったのか、とかも興味あります。 ペルシャ側の集史には郭侃の記述がないらしいですが、逆に元史だとキトブカの業績がなかったりするんでしょうか? 40 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/16(月) 01 24 40 ID 3oHnWORa0 32 中国が何かは知らないが、 支那大陸が支那海~崑崙山脈~戈壁沙漠の自然境界線の輪に囲まれた場所とは定義可能だろう。 その中心地が中原と呼ばれ、正統王朝なり統一王朝としての求心力はそこを支配することで生まれる。 問題は外への玄関口にあたる河西、関東、雲南~越南の、 三つの回廊地帯(と非漢文化の後背地)に割拠した西夏、遼、高句麗、渤海、朝鮮諸王朝、南詔、大理、越南諸王朝などの独立志向の地方政権を如何に捉えるかということだと思う。 また、支那の内側にも、長城という人為境界線に、 黄河、秦淮線、長江の三つの自然境界線が、合計四つ横たわっている。 北からの国防は上記の四つを防御コンプレックスとして行われた。 実際には南朝が反攻することは稀で、呑み込まれることがほとんどである。 その奇跡を成し遂げた君臣が存在する。 太祖開天行道肇紀立極大聖至神仁文義武俊德成功高皇帝朱元璋とその忠実なる下僕徐達である。 41 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/16(月) 07 11 44 ID hUp+9G4SO 37 そうなの?俺はあんまり詳しくないから偉そうなこと言えないけど 郭侃って西征での功績はすげぇ~ものがあるのはわかるけど 百人・千人長時代と遠征後の南宋攻めでの功績ってどうなんだろう? というのがあるね 俺も◆oOLAqFKRB.氏が推薦文を投下してくれるのを期待したい!! 35 これ又詳しくないから偉そうなこと言えないけど バヤンの南宋攻めでの活躍ぶりは確定入りに十分過ぎるほどのものがあると思うな で例の人はもう嫌なら無理に参加してもらわなくてもいいんじゃない? 42 ○ sage 2007/04/16(月) 17 47 54 ID 9IoQbNQZ0 自分は別に元贔屓じゃないけど一応投下。 伯顔(バヤン)の功績 対宋戦にて総司令官に任命される。 その際、鄂州、常州、無錫、湖州などの都市を陥落させる。 南宋の都、臨安府を落とし、宋の恭帝ら皇族を捕縛。 南宋の武将、趙文義、范興を討ち取る。 南宋の宰相、賈似道を撃破。 伯顔(バヤン)の活躍振りはこんな感じです。 ・・・十傑入り決定でいいのではないでしようか? あと南宋、平定後のモンゴル高原に置ける反乱鎮圧は功績に入れるでしょうか?。 諸兄の意見を伺いたいです。 なお異論を唱える方は持論なり理由なりを是非、書き込みしてほしいですね。 そうじゃないと今回な結果になっちゃいますよ・・・ 43 ○ sage 2007/04/16(月) 18 17 08 ID 9IoQbNQZ0 42の追記 自分はバヤンのモンゴル高原に置ける反乱鎮圧は功績に含めないが妥当かと。 7で示されてる定義に適合しないと思いますし。 44 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/16(月) 20 33 34 ID areLor/Y0 次は明代か。 朱元璋を「名将」扱いするかどうかで一悶着ありそうだが 自分としては入れてもいいと思う。 何といっても江南から北伐して成功して中国統一に成功しているのが大きい。 45 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/16(月) 21 28 18 ID hUp+9G4SO 44 まあそう慌てるな まだ南宋・金・元の審議中だ それに郭侃、バヤンの件についても話合ってる最中なんだし それに明の審議中に次は清か〇〇の扱いはどうなるんだろうみたいな 横槍入れられたら嫌だろ? 自分の得意な時代が待ちどうしい気持ちは分かるが 俺も以前に先走ったことして注意されたことがあるんだ だからもう少し我慢してくれよ 46 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/16(月) 21 53 23 ID areLor/Y0 45 悪かった。反省します。 しかし元代で現代中国の領域内での活躍に限定するのは難しいな。 郭侃は言わずもがなだしバヤンも対ハイドゥ戦の功績もあるし。 取り敢えず史天沢を推薦しておく。 漢人世侯で終始中国内で戦った武将。 47 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/16(月) 22 00 26 ID Io2Ki5sF0 期待されてよーなので郭侃、落とします。ただし西域抜きで。 郭侃(あざなは仲和) 丞相史天沢に見出されその家で教養を学ぶ。知勇兼備し二十歳のとき百戸長 となった。金の伯撒が衛州を侵すとここを守り、大勝して敵軍4万を潰走させ る。金主を襲い閼伯台を破った。速不台の節度下に入り汴を攻め、金の元帥・ 崔立を降す。のち再び史天沢の節度下に戻り、太康に屯する。功績により千戸 長とされた。 フラグ汗の遠征に従軍。この時期の蒙古は先行政権と考えるのでこの期間の 活躍は無視。とりあえず無敵無敗で「東天の将軍、神人なり」と現地の人々に 畏れられた。 フビライ即位後中国に戻る。国号を定めること、都城を修築すること、尚書 省、御史台の設置、学校その他の創建、そして宋伐戦の方略などを上奏する。 宋伐戦の方略はやはり荊州、襄陽地方の攻略を要とするもの。 中統二年、江漢大都督府理問官となる。翌年、益都の李壇と徐州総管李杲哥 の叛乱平定に出陣、李杲哥を殺す。南宋の夏貴が辺境を脅かすとこれを攻め破 り軍民1万余を奪う。夏貴が3万の軍勢を率いて再度辺境を騒がすとこれを迎 撃、1千余を斬り殺し、戦艦2百艘を奪った。 至元五年、呉乞児と道士・胡王の乱を平定、七年、改めて白馬に駐留して僧 侶・臧羅漢、彰徳の趙当驢の叛乱を鎮める。功績により万戸長。阿朮の襄陽攻 めに従軍、襄陽・樊城が落ちた後、長江を渡って江南を平らげた。寧海州の知 州とされる。在任1年にして没した。 ・・・中国本土でも結構活躍多いですな。宗弼とどっち取るかって言ったら こっちやろーというぐらいには活躍しとります。 48 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/16(月) 22 18 33 ID hUp+9G4SO 46 ありが㌧ よかったーareLor/Y0氏が物分かりのいい御仁で 47 ◆oOLAqFKRB.氏 ありが㌧郭侃は6MwUiMrMO氏が言う様にこれで十傑入りの地位は不動たろうね 49 ○ sage 2007/04/16(月) 23 05 12 ID 9IoQbNQZ0 47 ◆oOLAqFKRB.さん 乙です郭侃の件がようやく解決されましたね。 今度はバヤンのモンゴル平原での反乱鎮圧の件についての 諸兄のご意見お待ちしています。 あと自分はですね忠孝軍を率いてモンゴル軍を散々に打ち負かした完顔陳和尚を推します。 最終的にbヨ雷(トゥルイ)に破れてはいますが対モンゴル戦での 数々活躍振りは評価に値すると思います。 これがまた自分好みの武将なんですわw 50 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/16(月) 23 45 35 ID Io2Ki5sF0 伯顔の陰に隠れとるけど将才は伯顔以上と目されるこの人。 阿朮(アジュ) 兀良合台の子、速不台の孫にあたる。物静かで知勇謀略に長け、勇敢にして 果断、気は万人に蓋す。 フビライ即位後中統三年、李壇の乱を平定して功績を立てる。同年九月、 征南都元帥を拝命、汴で士卒を練兵する。至元元年八月、両淮を略して多大な 戦果を挙げ、南宋政権を恐怖に陥れる。 翌年八月、襄陽の兵を検閲、南郡から攻め入って僊人、鉄城などの塞を抜き、 俘虜五万を獲て軍を返す。南宋軍が襄陽・樊城で連携して元軍を挟撃する気配 を見せると再度南下してこれを阻む。安陽灘から長江を渡り、精騎五千を もって牛心嶺に布陣、南宋軍と交戦して斬首数万を数える。五年、漢水に塞を 築き、襄陽に張り付いて持久戦の構えを見せた。 翌年七月、宋将夏貴、范文虎らの襄陽救援軍を大破、斬首および漢水に溺死 したもの五千余を数え、戦艦百艘を鹵獲する。ここで水軍を練兵し、南征に 備えたのち襄陽を囲む。范文虎が戦艦百艘をもって百丈山に出陣するも、阿朮は 一撃でこれを破った。 九年三月、樊城の外壁を破り、これに迫る。張順(もと孟珙麾下の民兵武将) および張貴が船百艘で襄陽に救援物資を届ける任につくも、阿朮はこれを 察知して張順を殺す。阿朮と元帥・劉整は兵を分かって張貴を捜索、これを 擒らえ、余衆をことごとく殺した。補給路をことごとく扼し、援軍を遮断して 同年十二月、襄陽と主将・呂文煥がついに陥ちる。翌年淮東に出兵、揚州を 攻め、伏兵を持って南宋軍を破り王都統を擒らえる。 十一年正月、参政阿里海牙とともに宋伐戦出陣を請い、兵十万を率い丞相 伯顔、参政阿里海牙とともに南征する。 同年秋九月、南宋軍と交戦、阿朮はみずから槊をふるって勇戦、向かうところ 敵なしの勢いで南宋軍を破り、兵五百を斬る。趙・范統制を擒らえ、さらに 進軍して沙洋、新城を抜く。復州を攻め、守将翟貴を降した。同年、南宋の主将 夏貴と交戦、力戦のすえこれを破る。夏貴は阿朮が長江を渡ったのを知って 大いに驚き、麾下三百とともに戦艦に乗って退却した。南宋軍が退却したのち、 阿朮は陽羅堡を攻め抜き、軍事物資を鹵獲した。伯顔の慎重論に対して攻めの 姿勢を貫き、船三千を燃やし漢陽、顎州を降す。 十二年正月、黄州、蘄州、江州を降す。水軍を率いて安慶を落とし、范文虎 を降す。そのまま池州まで進み、南宋の賈似道と蕪湖で交戦、これを大破、 さらに2月、丁家州で南宋軍と激突、回回砲にものを言わせて孫虎臣、夏貴、 賈似道をことごとく破る。宋朝の主力が揚州に移ると阿朮は兵を分かって揚州 を囲み、揚州を攻めつつ、みずからは真州の珠金砂で南宋軍を破り、斬首二千級 を数える。揚州に合流、南宋の都統・姜才が二万の兵を率いて突出してくると 一事撤退、兵を建て直して再び姜才と交戦、副将張林を擒らえ敵軍一万八千を 覆滅した。 同年七月、南宋の張世傑、孫虎臣の水軍と交戦しこれを破る。戦艦七百を鹵獲した。 十月、中書左丞相となる。伯顔とともに臨安を落とし、伯顔が宋朝を降伏させたのち も残党討伐に奔走した。 十三年六月、揚州の李庭芝、姜才を伐つ。 阿朮は士兵に対して温厚であったが同時に厳格であり、部下が無辜の民を 傷つけるのを厳しく禁止した。田中某氏の小説(海嘯)とは大分イメージ違う。 生涯戦績。両淮を平定し、汴、臨安を陥とし、二十数州を降し、六十七県を 支配した。23年、昔刺木の叛乱を平定に北伐し、翌年凱旋。のち征西にも 参加したが、まもなく病没した。享年54歳。河南王を追贈された。 51 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/17(火) 01 12 41 ID ywN+Wd4k0 老婆心ながら現在までの確定および候補確認。 【確定組】 宗沢、岳飛、完顔宗望、孟珙、郭侃、伯顔 【第一候補(推薦文あり)】 拖雷(トゥルイ)、速不台(スブタイ)、阿朮(アジュ)、張弘範、阿里海牙(アリハイヤ) 【第二候補(推薦文なし)】 韓世忠、呉玠・呉璘、劉錡、完顔宗弼、完顔陳和尚、劉整、呂文煥、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ) ・・・さっぱりさせるとこんな感じやろか。 他にも候補おったけど、彼らには多分票が入らんと思って篩い落としました。 明日もあるし、今日はこれで落ちます。では。 52 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/17(火) 01 13 16 ID JKkEsWSdO 49 は?何も解決してねぇよ。結局西征抜きで確定とかいってるじゃないか。よく読め。 これからの時代、または一巡して残った枠決めるときに同じようなことで揉めるぞ。 何も分かってないのにしきんな、馬鹿。 53 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 01 17 31 ID f8DCfPly0 「あの方」乙。 新法を立てる実力も人間性もない分際の馬鹿がこのスレに来るな。 54 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 01 38 30 ID JKkEsWSdO プロ野球とかメジャーとか検討違いな例えしてた人ですかw? 55 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 02 18 28 ID f8DCfPly0 見当違いだろ日本語も出来ないのか?この馬鹿。 ルールに従えない非常識なワガママ野郎は消えろ。 56 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 02 30 47 ID JKkEsWSdO 携帯とパソコンを使った俺の自作自演でしたw すいませんw 57 ○ sage 2007/04/17(火) 03 13 45 ID ysRVHac90 52 郭侃の中国国内での功績を示してくれたので不明瞭な部分が解消されたので 解決したと言ったまでで誰も仕切ってませんが… 何も分かってないの貴方ですよ それに西征時期の蒙古は先行政権と考えるのでこの期間の活躍は無視 自分はこれに同意しますね。 7の>中国統一政権下における外征で活躍した武将もカウントする。 に該当しないでしょう? 西征時にはまだ中国国内を平定してません。 馬鹿とか自作自演とか楽しいですか? wとか付けて誤魔化してますが笑えません(ry 58 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 03 24 55 ID q4p++dZp0 万度帰とかは実績云々以前に資格がないのかな? 59 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 04 15 55 ID rIqTBJ8G0 もうメンドイから明に行きたい 60 ○ sage 2007/04/17(火) 04 17 07 ID ysRVHac90 まあ自分は仕切るつもりなど更々ないですが 58さんへ一言。 万度帰が 7で示されてる定義に適合する人物なら資格はあると思いますよ。 推薦文なり紹介文なり挙げてみればいかが? 61 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 07 57 34 ID wcWH7fA2O 58 万度帰は今話合ってる時代の武将かと思ったら五胡の武将かよ はっきり言うがこの武将の場合は資格はない 59 上の方でも言ったが今は南宋・金・元の審議中だ もし明の審議中に同じ事言われたら気分良くないだろ? 気持ちは分かるが暫らく我慢してくれよ 自作自演とか関係無い時代の武将の話とかいい加減ウザイ!! 62 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 12 07 50 ID Te6DeNrjO そういうのマルっと含めてマンドクセから明にいって空気変えちまおう 63 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 12 46 14 ID /mg0Xi7n0 61 ここで議論しようとかじゃなくて、例えばこいつには資格がないのかという程度の話。 万度帰は北魏太武帝が華北統一後に西域に派遣した将軍。タクラマカンを転戦して功績を挙げた人物。 64 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 13 37 22 ID OgsQlBe80 テムジンとスブタイはリデル・ハートが(1920年頃の著書で)ベタ褒めしたせいで、マンシュタインやグーデリアン、ロンメル等々がスブタイ信者になっちまったくらい。 (何故かドイツの軍人が多いw) 著書では、「今次大戦(=第一次世界大戦)で初めて登場した戦車や航空機こそが、将来の戦争でこれらが蒙古騎兵の直系子孫である事を証明するだろう」と断じている。 (間接的ながら、後の電撃戦などに影響を与えている。 しかし、これを実現したのはアメリカ合衆国の軍隊だったりするわけだが。) 両者共に時代を超えた「世界史の名将」だとは思うんだけれど、「中国史」という枠には収まらないような気はする。 65 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 13 55 30 ID hRLHwESxO ◆oOLAqFKRB.氏 郭侃の中華地域での戦績が優れているのはよくわかります しかし、アジュとの軍功の差が確定と有力候補ほど離れているかは疑問ですがどうでしょうか? (あとチンギスは……中華地域限定でも同意得られそうにないですよね、やっぱり) 66 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 14 10 24 ID wcWH7fA2O 63 スマンちょっと乱暴に言いすぎたね うーん西域はアウトじゃないかな? タクラマカン砂漠はウイグル自地区だろ?だからこっちはセーフだとしたら 万度帰はギリギリ資格が有るのかな? アホな俺には判断付けかねるよ… 67 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 15 41 00 ID hRLHwESxO いや中国史での西域って、およそウイグル自治区の辺りでは? 68 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 18 36 46 ID wcWH7fA2O 67 調べたら楼蘭(ゼン善)亀茲国(クチャ)、焉耆国(カラシャール)は現在の中国領新疆ウイグル自治区 となってた となると 7の定義にある 中国の領土を犯し、十分な土地を掠取する(あるいは侵略のための橋頭堡を作る)か、 当時の中華国家の人々に恐怖意識を植え付けるほどの活躍をしたものを資格保持者とする。 に適合するなら万度帰は資格有りということになるね 69 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 18 48 51 ID wcWH7fA2O 連投でスマン 7で示されてる定義に番号を振って再掲載 ①基本は正史ベース。二次資料から引いてくる場合は典拠を明らかにする。 (資治通鑑より、とか出典・十国春秋、とか) ②異民族武将に関しては守勢(中国からの侵略に対する防衛戦)で高名な武将であっても除外、 中国の領土を犯し、十分な土地を掠取する(あるいは侵略のための橋頭堡を作る)か、 当時の中華国家の人々に恐怖意識を植え付けるほどの活躍をしたものを資格保持者とする。 ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 ③征服王朝の先行政権における武将の場合、中国本土に攻め入って領土を攻め取るか橋頭堡を作り、 そのうえでのちに来る征服王朝の樹立に貢献した武将を資格ありとする。 ④中国統一政権下における外征で活躍した武将もカウントする。 唐の李靖の突厥討伐、清の策稜らのジュンガル討伐を認める プラス 10より 原則的に ④民族、出自に関わらず、中国本土での戦いに参加した者を対象とする。 ⑤国内平定後は、戦地が国内から国外に移るのは自然の理であり、 当然その場合は、その戦いも対象となる。 一応、こんな感じで番号振ってみたどうだうか? 70 ○ sage 2007/04/17(火) 19 28 26 ID ysRVHac90 65 ◆oOLAqFKRB.さんに援護射撃 確か、郭侃の西征以外の功績が不明瞭だった為、確定入りが決定的ではなかったですよね? (西征の功績をどうするかも揉めてましたが) で郭侃の中華地域での戦績が示された為、 郭侃の中華地域での功績なら十分、確定入りにしてもいいのでは? とみたいな意見が数名より挙がってますよね? このスレの今までの流れからすると まず十傑入りに相応しいであろう人物が浮上してきます。 そしてその人物を確定でいいのでは?と言うレスが挙がって来ます そしてその人物を推す複数のレスが決定の大きな要因となっていると思います。で十傑入りに反対の声がほとんど無い場合 今まではそれで十傑入りが決定してる様に思いますが… だから郭侃とアジュとの軍功の差が大差にしても 取り敢えず郭侃を先に確定入りさせたのではないでしようか? アジュも郭侃に劣らない功績があるのですから 何れは確定入りされると思いますよ。 ◆oOLAqFKRB.さんは皆さんの意見を参考に 郭侃を先に確定入りさせたのではないでしようか? 自分はそう思いますよ。 ◆oOLAqFKRB.さんは以前に「俺が一人で勝手に決める訳にはいかんよな」 みたいな発言なされてますし。 まあ◆oOLAqFKRB.さん本人の意見を聞くのが一番なのですが… 71 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/17(火) 20 15 08 ID o8BwlyJn0 70 ○さん、援護射撃感謝。 実際アジュ>郭侃(西域除く)だとは思うんだわ。 でもアジュを入れろって声はほとんどなかったし、 郭侃は定義論含む話題の主役で10選入りを確定視する声が多かったので、 とりあえず暫定的に確定、ということで確定に入れました。 俺個人としてはアジュは多民族軍を見事に統御してのけた伯顔に統率力では劣るも、 戦闘力、破壊力なら上、と評価しとるんですよ。実のところ。 だから郭侃の確定は蒙古の漢人武将代表という抽象的な意味合いです。 南宋末、元初の名将たちは並べてみるとそうそう差がつくものでもないと思うし。 72 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/17(火) 21 25 53 ID f8DCfPly0 つ ttp //mixi.jp/ 73 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 21 30 29 ID GydVicnn0 金、西夏を滅ぼしたチンギスハーンも十分要件を満たしてるな。改めて推薦させてもらおう。 阿骨打はこの時代でいいのかな? 一巡したら漢代の冒頓、老上、軍臣の各単于も推薦することにするとしよう 74 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 21 34 09 ID GydVicnn0 あー阿骨打よりも呉乞買の方がいいかもこっちにしようかな 75 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 21 35 38 ID hRLHwESxO 73 いや金も西夏もチンギス生前には滅びてないでしょ そりゃ大打撃は与えてるけど 76 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 21 43 20 ID GydVicnn0 75 ほんとだ。まあ両国とも虫の息に追い込んでるんだからよしとしようよw 十二分に要件を満たしてるんだしさ 77 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 21 57 16 ID wcWH7fA2O ID GydVicnn0氏 ああだこうだこうだ言わずに推薦文あげりゃあいいじゃんw ん?冒頓単于とかに資格があるの? 69に示されてる定義の② ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 に該当しそうだが・・・ 78 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 22 05 48 ID rIqTBJ8G0 独立意識を持ってない他国の将って居るのか? 79 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 22 34 48 ID wcWH7fA2O 78 少なくとも冒頓単于は中国からの強い独立意識を持ってよな それに確か冒頓単于は中華の領土を支配しようとは考えてなかったのでは? でアナタの言ってる様な事言い始めたら切りがないと思うが・・・ まさか例の人じゃないよね? 80 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 22 36 29 ID GydVicnn0 77 チンギスくらい有名ならいちいち推薦文あげなくてもいいだろうさ。ウィキ、それが嫌ならぐぐればいくらでも出るでしょ。 阿骨打、呉乞買書こうかとも思ったけど粘没喝の名前があがってるんだよね。 実際動いた人間の方がこのスレ向きだろうし。名前挙げた人に推薦文は任せる。 78 同意。 モンゴルの武将が入るなら匈奴の武将も入っていいと思ったから。この2つの国の違いって相手国の政治力、外交力の 優劣でしょ。土下座外交してでも攻め込ませなかった漢、不味い外交で相手を怒らせ攻め込まれた金、宋。 政治力は名将か否か判断する材料にはならないと思う。 81 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/17(火) 22 56 15 ID Fl1wk6yX0 76さん チンギスは確かに金、西夏に大打撃を与えたけれど、金も西夏もチンギスが 引き上げるとたちまち国力・兵力を盛り返し旧来の版図を取り戻しとーから、 彼は選外だと思います(十分な国土を切り取る、あるいは橋頭堡を作るに 該当せんから)。金なんかトゥルイとの戦役でおよそ40万かそれ以上の兵力 を動員しとるし、当時はまだ余力満々だったと見るべきかと。それにチンギス が中国経営にあまり熱心でなかったことも重要。むしろ金の支配からの独立を 目指した風が感じられる。ムカリに中国経略の全権を与えたとはいえ、河北が 取れれば御の字ぐらいにしか思ってなかったのでは? 69案、十分な国土を掠取する~以下略は十分な国土を掠取し、それを多年に わたって支配した、に手直ししたほうがいいかな? 82 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 23 02 28 ID rIqTBJ8G0 79 言いがかり付けるなっていいたいの? 杜撰な条件定義を立てておいて、指摘されたら逆ギレってコト? 83 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 23 02 51 ID wcWH7fA2O 80 >ああだこうだこうだ言わずに推薦文あげりゃあいいじゃんw と言ったのはチンギスの事じゃなく阿骨打か呉乞買か迷ってたから言ったんをだよ それに粘没喝の推薦文よかったら書いてみてよ 俺も書いた事あるから分かるんだけど 特定の人ばかりが推薦文挙げるの結構しんどいと思うよ で冒頓単于とか推薦したいなら俺はこれ以上、異は唱えないておくよ 84 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 23 08 18 ID uUTXiMcy0 80 そういう手抜きはこのスレでは認められないんじゃないかと。推薦したい場合はちゃんと業績あげてください。 特にチンギスの場合、中国以外の業績は省く必要があるし、拡張期のモンゴル軍は常勝すぎて 71の最後に言われてるみたいに、有力な名将の業績は凄すぎて比較が難しいでしょうし・・・ あとその後に元という統一王朝建てたモンゴルと、まともに侵入すらできなかった匈奴では、 このスレ的に扱いが全く異なります。 7か 69の定義を熟読お願いします。 85 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 23 16 47 ID wcWH7fA2O 82 なんですかアナタは言いがかり付けてたんですか? 異を唱えるのは別に反対しませんが例の人の様に 言うだけで何も持論を述べないのは如何なものかと・・・ で杜撰な条件定義と思うなら修正案をだせばいいじゃん 俺が言ってることそんなにおかしいか? 第一、俺は逆ギレなどしてませんが 86 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/17(火) 23 24 06 ID uUTXiMcy0 80 あと、阿骨打は遼攻略までで、宋にまともに攻め入るまではいってないので対象外っぽいですね。 現状、遼が中国統一政権扱いではないですし、戦域も燕京の周辺までにとどまってたと思いますので。 呉乞買の場合は、業績のほとんどが宗望や宗弼のものなような気がするですが、不勉強で詳細がわからんです・・・。 87 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 00 24 15 ID hiwhGuyY0 >ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 この一文、日本語として変なこと極まりないですが 逆説的に言えば、該当するのは 本人が中国外の武将でありながら、中国に対して強い帰属意識をもってる武将 ということになります。 とっとと中華政権に降伏でもして中国の武将になって戦えばいいんじゃないですか?ソイツ。そんなに中国人になりたいなら 88 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 00 38 33 ID 2qfHyaIq0 87 そこの解釈はそのときの中華政権から独立するという意味ではなく、 伝統的な中国文化に傾くかどうかかと思ってた。 モンゴルでいうと遊牧民的な志向だったモンケと中国的な志向だったフビライの差みたいな。 89 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 00 42 52 ID hiwhGuyY0 それはモンケとフビライの相対的な違いでしかないと思うんですが どちらもモンゴルとして中国的な文化とは相容れてない部分で自立してる訳で フビライは中国的なことに理解は示してるけど、それを中国というのは違うでしょう 90 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 00 52 21 ID v3udnKAUO 86ちと頭固すぎないか?遼は駄目で宋は良しって。燕京周辺まで行けば十分じゃない? 91 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 02 20 ID 2qfHyaIq0 89 いや、だから中国的な文化や支配体制に対して理解を示すか、否かが大きな違いなわけで。 モンケとか、匈奴あたりや契丹時代の遼あたりは中国的な志向が明らかにない。 元を王朝名に採用したり、中国式の政権作りを取り入れたフビライとは違います。 あと、できれば 87の意図を明確に示してほしいのですが。 その文は削除するべきだと言いたいのでしょうか。 92 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 10 01 ID 2qfHyaIq0 90 連投失礼 遼は結局異民族王朝扱いになって中原深くまで攻め入った太宗のみの入選に留まってる以上、 金の遼への侵攻は異民族同士のぶつかり合いで中国への侵攻にあたらないという解釈です。 遼が中国扱いに昇格するのなら、守勢の活躍という理由で選外になった耶律休哥や耶律斜軫あたりも入選すべきでは? 93 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 12 57 ID hiwhGuyY0 ちょっと待て ちょっと中国式を取り入れたぐらいで中国扱いなの? 94 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 18 29 ID 2qfHyaIq0 93 中国式を取り入れるか否かは大きな差ですけど・・・ どこまで中国に同化したら許容するかを定義できる、もっといい案があったら教えてください。 95 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 27 47 ID v3udnKAUO 92 それならばモンゴル対金も異民族同士の争いと言うことで除外と言うことになりますわな スブタイが候補に入っておりますが外れますか 96 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 29 07 ID UhreilvE0 近代以前の話をしてるんだから、「民族」てのはやめたほうがいいんじゃない? 97 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 40 40 ID hiwhGuyY0 87の意図 日本語変だから直せ(別にコレに限った話じゃないけど、最近はあんまり整理されてない文章が多すぎる) 中国式を頑なに取り入れないってのは、よほどの排他的民族主義であって 普通、人間社会・文明っていうのは他にいいところがあったら取り入れて進んでいくモノですが 家に畳が無いから日本人じゃないとか言わないですし、今使ってるパソコンはWinであれMacであれ日本のメーカーではないでしょう 逆に、アメリカ人がソニー製品使ってるから、その人は広義で日本人なのですか? 中国式を取り入れた国に属したアジュらは自分のこと中国人だと思って馬乗って兵隊を指揮してたのですか? それを取り入れるか取り入れないかが大きな差で、明確な分け方になるのでしょうか? 98 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 49 23 ID UhreilvE0 97 中国ってのは文明の名前であって、中国式を取り入れるってのはその文明システムを受け入れるってことでしょ windowsやらソニーとは全く次元の異なる話だよ 例えば、日本がキリスト教を受け入れて、「神の名の下に」正義をふるったり 裁判のときなんか聖書に手を置いて宣誓したりとかすれば(個々人の信仰は別の話) それはキリスト教文明を受容して、国家をその形に変えたって事になる。 中国式を取り入れるってのはそういうことでしょう。 中国式を思いつくままに列挙してみれば 洛陽あたりを中心とした華夷観 皇帝を頂点とした官僚機構 年号の設置 儒教システム 他には何があるだろうか、こういったものを受容しているかどうかが問題だと思うんだけど… 99 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 52 30 ID 2qfHyaIq0 95 金は北宋滅ぼしてて完全統一まで行ってないけど、 北部を制して統一政権に準じた扱いになってるという認識です。 この場合、金を滅ぼしたモンゴルとの違いは難しいのですけど、 郭侃の征西の扱いについての議論の中で、モンゴルは南宋をあくまで征服対象のひとつ、 という扱いだったので先行政権扱いが妥当、という解釈になってたように思います。(違ったらすいません) 自分としては、もし金が先行政権扱いになるのであれば、モンゴルの南宋攻め以外の功績は除外すべきかと思います。 その場合、ムカリ・トゥルイ・スブタイあたりは対象外になりますかね。 100 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 01 53 57 ID cQ7DeTg90 胡服騎射の実行者とその追従者である武霊王と李牧ほかは除外されるべきだと思うが。 こいつらは全部、中国的な文化からの離脱者だろ。 あと楚呉越もアウトとすべし。 南越や西夏、遼のような周辺国と同じ扱いでいいだろ。 101 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 12 16 ID hiwhGuyY0 98 例で前半上げてるのは文明なのに、後半の例がシステムなのですが…… それは使えるもの、理に適ったものは使うという次元ですので、究極のところ、ソニーの話とそう代わり在りません あくまでモンゴルがシナを統治するのに便利だったから採用したというレベルでしょう 儒教システムなんて取り入れたなんて言えるもんじゃないですし。あることを許したに近いでしょう 途中で裁判の例が出てますが、ここは名将という個人を上げるスレなので、 むしろ国(裁判形式)よりはその武将個人(個人の信仰は別といった部分で)の背景・精神に寄る選考が正しいと思うんですがね(個人的には) 草原で育った、中国外で育った人間が、別段中国に生活を根ざした訳でもないのに、中国で戦ったから中国の武将なんですか?という話で 逆に唐なんかの外人武将は唐という国の中で生活して、その価値観の中で武将になったからそれは中国武将でしょうし まぁ別に選定条件なんて、もうウンザリしてきたんでどうでもいいんですけどね、ぶっちゃけ(休哥もモンゴル将も入れちゃえば?) ただどうも粗が目立つ文だったので、定義文。そういう突っ込みや疑問が持つような文章にするのが一番よくないですよ もっと言葉選んでくれないと。 (後ついでに、武将の紹介するときに、2レスも3レスも使うのも正直、国語力を疑いますね そのまんま本の写しを打ってるとしか思えない。文章の要約ぐらいは出来て当たり前だと思うんですがね 4096文字60行も使えるんだから) 102 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 12 19 ID 2qfHyaIq0 97 87の意図 日本語変だから直せ その文の意図がちゃんと理解できないから表現を見直してくれ、という解釈であってますかね? 自分の認識は既に述べたけど、正確なところは◆oOLAqFKRB.さんに確認した方がよいかもしれません。 (振ってしまってすみません) (別にコレに限った話じゃないけど、最近はあんまり整理されてない文章が多すぎる) 残念ながら、ご自身の 87も、意図する結論部分がきちんと記述されてなくて、 何が言いたいのかをきちんと伝達できてないと思いますよ・・・。 後半部分については、「中国とはなにか」を明確に定義する術がなく、 そこを突き詰めて議論してもどれだけかかるかわからず、全員が満足するもを作ることもできないので、 紆余曲折の末に、このスレでの便宜的なルールとして 69が決定された、という回答にならざるをえません。 (もしもっといい案がでてくればそちらに切り替えるのはありだとは思いますが) 103 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 16 31 ID Zjm71ruBO ID hiwhGuyY0氏に是非聞きたいし、質問したい >日本語変だから直せ それならアナタを含めみんなが納得いく様な代案を出すなり、もしくはその項目を削除するべきだと主張すれはいいのでは? 時間をくれと意志表示なされるなら待ちますよ だって杜撰な条件定義なんでしょ? もちろんそれなりの修正案なりこう改善すべきだと言う考えが御有りなんですよね? 出来ればアホな俺にでも理解可能な最善案を提示してほしいですね 104 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 17 33 ID 2gPLeexKO 91 イェケ・モンゴル・ウルスがダイオン・イェケ・モンゴル・ウルスに変わったのがそんなに大きいかな? それに中華地域を中華式のやり方で治めようとするのは、ある程度はオゴタイの頃に始まってない? 意外とショボいとか言われてるものの、耶律楚材の立場はどうなるの 105 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 19 51 ID 2qfHyaIq0 101 五胡十六国や五代十国、遼、金、元、清あたりの入り混じった状況の人物を、 明確に分類できるのであればその方針の採用もよいと思います。 自分としては現状の政権ベースの定義案と比較して、あなたのおっしゃる 人物ベースの定義案の方が複雑になるのと、より揉める原因になるように懸念しますが。 時間が掛かってもよいので、皆が満足できそうな定義案を出していただきたく。 106 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/18(水) 02 22 01 ID EnVX91ag0 http //page7.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g55753565 107 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 22 02 ID Zjm71ruBO 103の日本語がおかしいので訂正 × ID hiwhGuyY0氏に是非聞きたいし、質問したい 〇 ID hiwhGuyY0氏に是非聞きたいし、答えてほしい 108 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 27 49 ID 2qfHyaIq0 104 中国式の王朝名を使うこと、というのがこのスレ発足当初に固まった定義案の要件のひとつなのです。 オゴタイの頃にある程度中国的な文書行政が始まってるので、線引きをどこにするかは確かに難しいと思います。 国号の点と、首都がカラコルム、ていうのがネックになるんではないかと。 フビライ時代も上都と大都の併用ではあるんですけども・・・。 109 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 34 55 ID cQ7DeTg90 108 フビライ時代は、夏は遊牧国家、冬は中国国家でおk。 それ以前はそれこそ先行王朝として扱う形式でいいだろ。 あと、それとは別にその先行王朝に仕えた金の漢人をどう扱うかだ。 南北朝期の選考に準じればいいかと思う。 110 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 02 45 16 ID v3udnKAUO 定義に漢人であること、漢人でない場合は漢人相手に戦って勝つこと ってのを追加したほうがいいな 111 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 03 03 33 ID 2qfHyaIq0 101 (後ついでに、武将の紹介するときに、2レスも3レスも使うのも正直、国語力を疑いますね そのまんま本の写しを打ってるとしか思えない。文章の要約ぐらいは出来て当たり前だと思うんですがね 4096文字60行も使えるんだから) 推薦文投下してくれる方は、史料の漢文訳すだけで相当な労力を使ってるんだから、 そのくらい我慢してください。長文読むのがめんどくさいなら読みとばせばよいだけです。 このスレには推薦文を楽しみにしてる人も多くいるってことを理解してください・・・。 112 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 04 01 37 ID cQ7DeTg90 もともと黄河流域だけが漢人(の原型)の縄張りだった。 長江流域が漢化されたのは秦漢~六朝の長い時間をかけてのことで、 秦漢初期は、北部の勢力から送り込まれた諸侯王や太守を中心とする漢人植民地が巨大な蛮地の中に点々と存在した程度のものだったと思われる。 皮肉なことに五胡の南下によって、黄河流域という本拠地を失ってから長江流域の漢人化は促進された。 <黄河流域> 上:強い異民族 下:弱い漢人、弱い異民族 <長江流域> 上:強い漢人 下:弱い漢人、弱い異民族 そして上記のように、南北で玉突きのように強者が弱者を支配し混血し新しい漢人が二種類発生するという図式が出来上がる。 北部の場合では強い異民族も漢人と混血すると弱くなり、北からやってくる強い異民族に自分が征服される。 南部の場合は同化を拒んだ弱い異民族はさらに東南アジアに逃げ込む、と。 概して見ると、暴力に対する抵抗力は、南に遷るたびに、そして文化の恩恵に浴するたびに弱くなっていく傾向がある。 蒙古族は文化のうち便利なものを取り入れ、同化には興味を示さなかったし、漢人に参政権を与えることも例外的だった。 満州族は一度目は漢化し、二度目は辮髪や満州服などで自らに同化することを強制してから、参政権を与えた。 結論をいうと強い漢人(=士大夫)足り得るか、ということが彼らにとっての中国人の証明だと思われる。 その意味で宋は(最強ではなくとも)最高の中国だったし、王朝による定義制度は正しいと言わざるを得ない。 だが、南遷以後の六朝や南宋のみを、北朝が再統一するまでの間だけ中国とするのはいささか寂しい。 だから、五胡北朝と女真蒙古の支配した時期の北部中国は別の定義で適応する必要があるだろう。 漢人の王でなくとも、漢人の役人を起用さえすれば中国の王にはなれるのだから。 あと余談だが、金、元、明、清は国号としては中国式とは言えないだろう。 113 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 12 05 15 ID fsUSOkQL0 101 文明を可視的に特徴付けているのはシステムでしょ あなたの例で言えば唐を中国たらしめているものは何?ってこと。 非漢族王朝の唐がどうして中国王朝なのか、それは中国文明のシステムを導入しているからじゃないかな? そうすることで被支配層の漢人の支持も集められるわけで。 それと、唐ってのは漢土からその外部まで広くに跨っていたから、草原育ちの将軍もいくらでもいたよ 114 ○ sage 2007/04/18(水) 19 59 45 ID SvSYsgGj0 もし 109-110で述べられてる提案で定義に関する諸問題が解決されるなら、 取り敢えず条項として起して頂けませんかね? >あと余談だが、金、元、明、清は国号としては中国式とは言えないだろう。 金については知らないのですが 元の国号の由来は蒙古は封じられた国が無いから四書五経から採ったんですよね? 確か宋までの王朝は始祖が封じられた土地の名前を元号に採用してたはずですよね? モンゴルは最初、蒙古と名乗っていたのですが中原国家からすると 二文字の国号は夷狄の国の元号と馬鹿にされたので 苦肉の策(?)で四書五経から採った言葉を元号を採用。 その流れを明、清も受け継いでたはず。 では金、元、明、清の国号は中国式で無ければ何式になるのですか? ・・・こちらも余談ですが 明治、大正、昭和、平成も書経から文字を抜粋して年号に採用してます。 115 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 20 05 40 ID OdKWoxd40 114 なんか途中から国号と元号がごっちゃになってない? 116 ○ sage 2007/04/18(水) 20 11 33 ID SvSYsgGj0 115 すいません元号になってる部分も国号の打間違えです 117 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 20 48 25 ID HPxBBrN20 81 前にも書いたけど、チンギスは燕雲十六州に相当する地域は確保しているけど それでは不十分ということなんだろうか? 118 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/18(水) 21 07 22 ID 9hNRKR7Q0 87さん >ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 これ日本語としておかしいか? ID 2qfHyaIq0さんは 88以降普通に意味を理解して話を進めてくれとーし、 ID wcWH7fA2Oさんも 77においてちゃんとわかった上で定義に触れる、触れないの話題を展開してる。 むしろ貴方の文章のほうが俺にはおかしく思えるし、上記の一文に関しては単純に貴方の読解力の問題じゃなかろーか? やからこの一文は別段、書き改める必要ないと思う。 ・・・別に喧嘩売ってるわけじゃないよ。 ただ、直せってんならどーゆう書き方をすればいいか、提示していただきたいだけ。俺はそこらへんわからんのよ。 あと、長文に関して。 2レス3レスにまたがるのもしょーがない人おるんよ。一レスあたり所詮原稿用紙12枚分やろ? 列伝の長い人やったら30ページとかあるし、どー削っても訳文が2レスぐらいかかる人おるって。確かにほとんど正史の 丸写しやけど、だいぶ自己流に書き換えとーけん直接正史の直訳って訳でもないし、そこにそうツッコまれても困る。 まぁ、何処何処で勝って何処何処で負けた。戦績は○○。って書くのは簡単やけど、それじゃあ情緒がないやろ。 ただし、訳文がところどころ変なのは認めます。力量不足ってやつです。すんません。 99さん 金は先行政権か統一王朝か、ということなら、統一政権でいいと思いますよ。 南北朝時代で言えば北朝を完全統一しとるわけやし、 岳飛獄殺後の和平締結以後は南宋から朝貢を受けて南宋より金のほうが中国の実質的支配者やったことは間違いないし。 金の先行政権は金主が阿骨打やった時期、あるいは遼滅亡以前でいいかと。 その統一政権・金を打ち倒して次に来る時代を切り開いたトゥルイ、スブタイ、ムカリあたりは、やっぱり資格保持者やと思う。 117さん 不勉強ですんません。 燕雲に伍す領土を取りそれを放棄することなく確保したなら、チンギス本人にも資格はあると思います。 当時の金朝の人々に恐怖心を植え付けたという点では申し分ないし。 ただ、チンギス自身が本心から中華の土地が欲しいと思っていたかどうかが問題でしょうか。 領土の確保もそれまで自分たちを押さえつけて下に見ていた金朝に対する反抗であって征服欲と無縁であったなら、 資格保持者というには少々無理があるかも。でもまぁ、とりあえず推薦文なり紹介文なり落として諸兄に諮るのが一番かと。 で、完顔陳和尚の紹介文、落としていい? 119 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 21 22 54 ID 2gPLeexKO 114 そもそも、それまでのモンゴルは国号使ってなかったんじゃなかったっけ? 名無しに近い大蒙古国が、国号が決まって大元大蒙古国になったはずでは 120 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/18(水) 21 23 01 ID urBhmHXx0 開封落とせなかった岳飛が確定で燕京落としたチンギスは駄目ですか 漢族マンセースレなわけだ。いわゆる異民族は漢族の武将の力量測るものさしでしかないって事か 121 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 21 27 20 ID HNr4X7gv0 チンギスのことは自分には分からないので脇に置いておくとして、 岳飛を推す人に岳飛の戦績を書いてもらいたい どうもぴんと来ない 関羽みたいに知名度が先行しすぎている気がしなくもない 122 ○ sage 2007/04/18(水) 21 31 37 ID SvSYsgGj0 87 >ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 この項目が入っているのは西夏の李元昊みたいな人物がいるからじゃないのかな? こう言う一文を入れなきゃ自分みたいに李元昊を推薦した時の様な事態を 回避する為の措置と思いますが… 118 本来なら自分が完顔陳和尚の推薦文を挙げるのが筋なの様な気がしますが 代わりにお願いしようかな お願いしても おK? 123 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/18(水) 21 34 04 ID 9hNRKR7Q0 完顔陳和尚(本名は彝、あざなは良佐) 豊州の人。二十歳を過ぎた頃母もろとも北に攫われる。蒙古の大元帥 は彼の驍勇を愛し、帳下に置いて護衛官とした。母が豊州に帰りたいと いうので従兄の完顔斜烈と秘かに計る。その後一年、大元帥の目を盗んで 監視の兵を殺し、馬を奪って母、斜烈とともに豊州に帰還した。馬が潰れ ると母を荷車に載せ、黄河を渡って金に帰投。宣宗より厚く嘉される。 陳和尚は文人王渥と交友を深めて甚だ資質があり、《孝経》、《小学》、 《論語》、《春秋佐氏伝》などを読んで略儀に通じた。軍中で事がないとき には牛の毛を筆にして詩文を書き、寒苦の士について賦したという。 正大二年、斜烈が罷免されると入れ替えで総領となり、方城に屯する。 旧斜烈麾下の兵たちは陳和尚を従兄同様、兄事した。このころ斜烈が病に かかる。軍中の李大和と方城の鎮将・葛宜翁が喧嘩を起こし、陳和尚に訴えた。 陳和尚は大和に理ありとして宜翁を杖打ちの刑に処したが、宜翁は生来凶悍で 杖刑にかけられたことを恥辱とし鬱々として死んだ。死に臨んで妻に必ず 陳和尚に復讐を果たせと言い残しており、彼女は陳和尚が私怨をもって夫を 殺したとして御史台・尚書省・近侍官に向けて訴訟を起こした。ために陳和尚は 獄に繋がれることとなる。獄中に書を持ち込んで閲読し、18ヶ月が過ぎた。 遡って正大三年、斜烈の病が好転、総帥として西(多分蒙古)に攻め込む ことを命ぜられたが、陳和尚が冤罪で獄に繋がれていることについて哀宗に 上奏、まもなく斜烈は病死するも、従兄の上奏により四年、陳和尚は許され、獄を出た。 哀宗は冤罪であったことを陳和尚に詫び、名将・斜烈の弟(従弟)として名将 たることを期待すると述べた。陳和尚は感涙して拝礼し、左右みな感動の涙を 流した。紫微軍都統となり、翌年“忠孝軍”を創建した。 正大五年、蒙古軍が大昌原に侵入すると平章・完顔合達の先鋒として出陣、 四百人を率いて八千の蒙古軍と交戦、三軍の士を鼓舞し、巧みな用兵手腕を もって蒙古を撃滅した。二十年ぶりの快勝に金国は欣喜雀躍、陳和尚は勲功 一等とされ、定遠大将軍の位を授かる。この一戦で完顔陳和尚の名は一躍 天下に轟いた。 忠孝軍の士卒は皆ウイグル人、羌族、渾族の亡命者でこれを統率するのは 困難を極め、陳和尚を置いて彼らを御撫することは不可能といわれた。攻め落とした すべての州県において秋毫も犯させることなく、治軍は厳正。戦うたびに 先鋒を務めて真っ先に敵陣を陥とし、その速さは風雨のごとし。諸軍の将帥 たちはいつしか陳和尚と忠孝軍を自軍の要と頼るようになった。正大七年、 衛州で捷ち、翌年倒回谷で勝つ。禦侮中郎将とされた。 正大九年正月、三峰山で蒙古のトゥルイ(実戦指揮官はスブタイ)に敗北、 鈞州に逃れる。城が陥ち、市街戦に突入すると非難して隠れる。騒乱が静まると トゥルイの前に出頭、「我こそは忠孝軍総帥・完顔陳和尚。大昌原の勝者は 我なり、衛州の勝者もまた我なり、倒回谷の勝者もまた我なり。人の我を国家を 負う将と謂い、乱軍の中に死すを望まず。今日死するは明白なれど、天下に必ず 我を知るものあり」と言って刑死を望んだ。トゥルイは陳和尚の将才を惜しんで 蒙古に仕えよと言ったが、陳和尚は腕を折られ足を折られても屈さず、口の中を 剣でえぐられて死んだ。享年41歳、金朝は鎮南郡節度使を追贈し、石碑を建てて その忠義と将才を称えた。 124 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/18(水) 21 39 47 ID FHMP1W2rO チンギス・ハンは無しにしませんか? 日本語を解するモンゴル人(某力士等)が、このスレを見て、 モンゴルの英雄を中国の英雄扱いされてたら、あまり良い気分しないと思うんです。 阿倍仲麻呂を中国の英雄と紹介されてたら、少なくとも私は違和感を感じます。 後年のモンゴル人に対する影響力を考えたら、外すのが妥当だと思うのです。 125 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 21 41 04 ID v3udnKAUO 長文乙。でも前半部分はいらんだろ。 126 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/18(水) 21 46 49 ID 9hNRKR7Q0 前半部いらんかな? 陳和尚の人格や教養を語るエピソードとして欠かせんと思ったんやけど。 127 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 21 52 34 ID 2gPLeexKO 124 征服王朝なんだからモンゴルが強い証じゃないの? 128 ○ sage 2007/04/18(水) 21 56 31 ID SvSYsgGj0 119 あくまで自分の知ってる範囲での話なのでこれが正しいとは断言できませんが モンゴルは最初、日本などへ書状を送り付けた際には蒙古と名乗っており、 「二文字の国号とは所詮は夷狄の国だな」 みたいな侮りを受け相手にされなかった為、 四書五経(書経?)から 言葉を選び出して元を国号にしたと読んだ記憶があるんですよ。 129 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 21 56 38 ID v3udnKAUO 名将である理由に人格、教養が条件に入るならいるだろうな。 でもそうじゃないだろ 130 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 21 57 46 ID H5dC65zb0 126 人格や教養は選考理由には関係ない。 関係あるのは武勲の量と質のみ。 131 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 22 23 25 ID Zjm71ruBO 129- 130 まあプラスαぐらいに考えとけばいいんじゃないか? やいのやいの言うほどの事でもあるまい 124 チンギスハーンを無しにする理由がモンゴル人があまり良い気分しないからなら 中国名将百選も止めとくか? 日本語を解する中国人(某ITの社長等)がこのスレを見て 東夷の蛮民ごときに中国の英雄、名将を勝手に討論されてる様子を見たら それこそ憤慨ものだと思うが… チンギスハーンを入れる入れないは定義に当てはめて判断すべき 阿倍仲麻呂は本人が嫌でも中国の臣下にされちゃっんだから仕方ない 個人の違和感とは別問題 132 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/18(水) 22 29 52 ID T9FrouWD0 岳飛は関羽などとは全然違う。それこそイメージの先行。 岳飛。 宣和年間に募兵によって参じる。 百人単位の部隊で賊(反乱軍?)を次々と撃ち破る。 宗澤のもとに配属され、その武勇を絶賛される。 ただ勇猛なだけでなく、その兵法、運用の妙を讃えられた。 宗澤が死んでから、各地の反乱を討滅に奔走。 汜水関において金将を討ち、その軍を大破。 精鋭300を伏せては金軍を夜襲し、潰走させる。 王善ら賊軍、合して50万には、わずか800で撃破した。 極めつけは金の南下によって、高宗が逃げ回っている最中 金軍の後方にあって、その軍と6戦戦い皆勝ち、多くの将帥を捕らえた。 金軍が常州に再度やってきたときも4戦皆勝ち、清水亭での戦いでは 敵の屍が15里にわたったという。 南宋が杭州を確保でき、政府として機能できた戦功の第一は岳飛。 これは張俊が奏上している。 華南の賊軍討伐に奔走したあと、襄漢を平らげ完顔宗弼の南下に伴い くだんの朱仙鎮の戦いで完顔宗弼を撃破し、開封に追い返した。 朱仙鎮は開封から目と鼻の先だった。 結局開封奪回は、岳飛をおそれた金の謀略(と予想)と秦檜の横槍で実行できず。 あとは知ってのとおり。 この人は掛け値なしの名将。とくに民衆には慕われ、食料など進んで提供されている。 本紀なみに長い記録なので、本当のところはこれの5倍くらいはあります。 133 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 23 23 09 ID HNr4X7gv0 岳飛については黙っておきます 漢族以外の武将を全員外してほしい こんな漢族マンセースレで添え物にされて哀れ、次からはスレタイに「漢族限定」の文字を入れてくださいね 134 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/18(水) 23 29 49 ID T9FrouWD0 133 中国史関連の書物をふつうに読んでいたら、そんなセリフは出てこないと思うが… 漢族ってなんですかね。 マンセーしているような人もいないと思うのだけど。 ちなみに自分は、民族の異種はあまり興味ないですね。 五代ではテュルクマンセーでしたがw 135 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 23 31 31 ID qDwJCv350 モンゴルに対して「中国」と関するのに違和感を感じているのがいるだけで、 漢人マンセーなんて誰もしてないだろ。非漢人の将軍がどれだけ入ってるかみてみろよ。 それと、煽り口調だとたとえ正しいことを言っていても誰も聞かんぞ 136 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 23 57 48 ID 2gPLeexKO 135 まあ今までも非漢民族の武将も入れてきたからね だからこそモンゴルだけ特別扱いするのも変なんじゃない? 137 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/18(水) 23 58 57 ID ItMU0bN40 国号について。 大元大蒙古国が漢語での正式名称。 大元とか元しか言わないのは支那の学者先生方の史観に漬かり過ぎだ。 中国王朝としての「元」も「大元」も本来は存在しない。 元に取っての中国は最も重要な直轄植民地でしかない。 宋までは旗揚げの場所や封土がそのまま全国政権の王朝名に適応された。 金より後は「大○」の二字で一つの国号であって、慣例に反する。 従:大元 主:大蒙古国 と、あくまで大蒙古国がメインパートなのである。 これだけで全然中国的中国式とは言えないだろう。 経書から引いたのはあくまで道具として利用しただけで本質的に漢化した訳でも漢族志向に寄り添った訳でもない。 大元大蒙古国とは、元来の中国王朝とは一線を画する超世界帝国の国号なのである。 明は中国部分しか引き継げなかったが、支配制度は蒙古のシステムを継承していた。 宋ではなく、大元大蒙古国をより明確に意識していた証拠だろう。 1636年に北元から超世界帝国の帝位を継承したのであって、 中国王朝としての帝位の正統性は明朝滅亡のどさくさに紛れて誤魔化した感が大きい。 138 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 00 13 16 ID QZMqize90 (修正) 清は1636年に北元から超世界帝国の帝位を継承したのであって、 中国王朝としての帝位の正統性は明朝滅亡のどさくさに紛れて誤魔化した感が大きい。 <近世的中国> 満蒙:大北部 支那:大南部 <支那> 中原:小北部 江南:小南部 139 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 04 30 09 ID GM3M5UIHO そろそろ明に行こうぜ 140 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 07 42 13 ID QZMqize90 N16_11086.lzh に今までの過去スレをうpした。 パスは「過去スレ」 見れない人は参考にどうぞ。 141 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 11 29 23 ID sOI9heFPO 133 ID HNr4X7gv0は自分がこよなく愛する関羽を貶されたから 逆ギレしてアホな事ほざいてる風にしか見えない 漢族(?)マンセーなんて奴なんかこのスレに居ないし、異民族武将を添え物なんかにしてねーよ 両方共評価してんじゃん 俺は鮮卑慕容部・拓跋部スキーだしw テュルク萌え~ で俺はアジュと完顔陳和尚に各一票入れとく 142 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 15 16 12 ID 1XOclV5U0 118 >ただ、チンギス自身が本心から中華の土地が欲しいと思っていたかどうかが問題でしょうか。 領土の確保もそれまで自分たちを押さえつけて下に見ていた金朝に対する反抗であって征服欲と無縁であったなら、 資格保持者というには少々無理があるかも。 これって名将か否かを語る上で必要ですか? 本当に必要な条件であるならば金はこのスレにおいては除外対象になりませんか? 金は中華の土地を欲していなかった。結果的に北宋部分を支配下に置きましたが。 金の建国は遼に対する反抗であって建国初期においてはその遼に対抗する手段として宋と手を 結びました。そのときの金は燕雲十六州など中華の土地を欲していなかったこと。 そればかりか独力で十六州を奪回できなかった宋の肩代わりをし、その土地を宋に返還していますよね。 その後紆余曲折あって金は宋に進攻して中華北部を領土にしますが直接統治せず楚、斉と傀儡国家を 立てて統治させ自分たちは北方に戻っています。 結局、金は中国からの強い独立意識持った、と言うより自分たちと中国は別物と考えていた国であり 大筋では匈奴等と同様に扱うべき 征服王朝の先行政権であるのも首都を燕京に遷し南征を起こした海陵王の時代からで統一王朝であった時期は無い。 言葉は変ですが先行政権の先行政権の武将である宗望、宗弼、宗翰、 先行政権同士、考え方によっては先行政権と異民族の戦い。である、モンゴルVS金で活躍した武将、陳和尚、スブタイ、 トゥルイ、ムカリもこのスレでは選考外になるのではと言うのが私の考えです。 長文失礼しました。 143 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 16 35 21 ID GM3M5UIHO どうでもいい話だが完顔陳和尚って最初お坊さんかと思ってた。 武将とわかった今でも脳内想像図は騎兵率いる将軍でなく花和尚魯智深みたいな豪勇な僧侶が浮かんでくる 144 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 18 17 54 ID LLMUQ9lF0 142 そんなに必死にならなくても・・・ チンギス・ハーンを候補入りさせたいなら推薦文を書き込みしたら いいだけじゃないの? 145 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 19 45 54 ID I9w1Tlat0 143 あるあるww 146 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/19(木) 20 06 20 ID dXElhxkd0 てっきり俺も坊さんだと思ってた 147 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/19(木) 20 13 32 ID AsiDAywz0 >ただ、チンギス自身が本心から中華の土地が欲しいと思っていたかどうかが問題でしょうか。 領土の確保もそれまで自分たちを押さえつけて下に見ていた金朝に対する反抗であって征服欲と無縁であったなら、 資格保持者というには少々無理があるかも。 はい、確かに言いました。実際名将の条件とは直接リンクしてないですね。 でもここで 7、 69の定義がものを言ってくるわけです。 異民族武将に関しては守勢(中国からの侵略に対する防衛戦)で高名な武将であっても除外、 中国の領土を犯し、十分な土地を掠取する(あるいは侵略のための橋頭堡を作る)か、 当時の中華国家の人々に恐怖意識を植え付けるほどの活躍をしたものを資格保持者とする。 ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 先日も問題になった最後の一行ですね。 この一行があるがゆえに、チンギスがただの反発心と独立心から金を攻めたのであればここで選外と言うわけです。 西夏の李元吴が名将でありながら中華からの独立を目指したために落選したのはご存知でしょう? あと、金は傀儡政権を立ててはいますが明らかに漢化しています。 アクダ時代はいざしらず、北宋との決別、対決姿勢に移行して以来は明らかに支配欲、征服欲をもって侵攻しています。 傀儡政権は漢人のほうが中国支配に向いているという適正の問題で立てただけのようなものですし、これが打破されると 自ら南進して河北を支配下に置いたわけですから。自ら北朝の主をもって任じ、和平後は南宋から多大な朝貢を受け 中国文明を取り入れ、中華の正統たることを主張したことから征服王朝と呼ぶに問題はないかと思います。 で、蒙古に話を戻しますがオゴタイ以降は蒙古が本気で中国本土を狙っているのは明らかですから、 となればこれは統一政権・金と征服王朝の先行政権・蒙古の戦いということになり、 この時期に戦った金の完顔陳和尚や蒙古のトゥルイ、スブタイらは資格保持者で問題なし、というのが俺の持論です。 まぁ俺が定めた定義案なんぞが完全なものなわけじゃないし、違うと思うなら手直ししてください。 実際俺なんかの定義に影響される必要はなく、貴方の胸にある“これが正しい定義だ”というのに照らし合わせて 諸兄に諮るのがいいと思います。 誰が資格保持者たりえるか、なんてことは俺が決めることじゃないし、 誰を推すにしてもまず推薦文、あるいは紹介文を挙げて諸兄と議論を交わすのが最善だと思いますよ。 148 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 21 07 35 ID nU9GlXRu0 ・異民族武将に関しては守勢(中国からの侵略に対する防衛戦)で高名な武将であっても除外、 中国の領土を犯し、十分な土地を掠取する(あるいは侵略のための橋頭堡を作る)か、 当時の中華国家の人々に恐怖意識を植え付けるほどの活躍をしたものを資格保持者とする。 ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 ↓ ・異民族による(中華外の)他国家の武将においては、対中華国家に対する自国の防衛戦の功績は除外する。 対して中国領を侵食し、土地を掠取する、またはそれに準ずる者は資格を有する。 これにおける異民族国家とは中国式の国家システムに好意・理解を示し、採用・継承しつつも、 民族としての独立性を失っていない、謂わば疑似中国国家である。(李継遷時代の西夏などの国粋主義時代の排中国国家は該当しない) 異民族武将にすると、中国国家に属した異民族武将の意にもなるので、訂正 高名、恐怖意識などの個人により定義が曖昧な言葉を削除 独立意識云々~は補足要項なので、()扱い 文章公正はこれでいいですかね 105 人物ベースの定義案が複雑で揉めるコトは判ってるから、(個人的には)と付けたんですが 113 唐がいつのまに非漢民族王朝になったんでしょうか?漢民族の血は入ってると思いますけど 祖先を辿れば~、母方や妻が~、唐の服装には~、っていうので唐は漢民族じゃない!っていうのが流行ってるのは判りますが 育ち云々の話は中国の倫理基準や社会システムの中で、本人がその価値観を持つという話なので 別に草原がどうとかいう話ではありません 149 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 21 46 47 ID sOI9heFPO 148 文章公正 乙 結局、定義に異論を唱えてた奴は何の返答も寄越さなかったな 時間が掛かるなら一言言って頂きたいと念を押しておいたのに… 結局は持論も改正案もなくああだこうだ言うだけで他人任せとは… で上の方でもカキコされてますが自分が推したい武将がいるなら(チンギス?) まずは推薦文か戦績をカキコすればいいと思う、入選か落選はそれからの話なんだし あとにわかは 140の過去スレうPをよく読んでからお越しください 150 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 22 03 45 ID LALhZm4W0 148 唐は建国したときから非漢族王朝でしょ。非漢民族と非中華を同一視しないことを求めたい。 南北朝時代から隋唐にかけて特徴的であったのは、非漢民族が中華帝国を形成したことにある。 例えば、杉山正明などは唐をタクバツ国家と位置づけているほど。 151 ○ sage 2007/04/19(木) 22 39 41 ID 3o9x59by0 142 自分としては 金が楚、斉と傀儡国家を立てて、統治させ自分たちは北方に戻っていたとしても それは金が中華北部を支配する手段の一つに過ぎないと思います。 だから金は統一政権として扱ってもいいと思いますが。 例えば南北朝の東魏、西魏には共に皇帝は存在していましたが、(孝静帝と文帝) 東魏は高歓が西魏は宇文泰が実際は影から支配してた訳なんです。 状況的には結構似てると思います。 それに高歓も宇文泰も支配しようする意欲がが無かったとは言えないでしょ? 実際に傀儡国家である東魏と西魏は高洋と宇文覚にそれぞれ併合されてます。 それと 142さんがチンギスを候補入りに相応しいと思うなら推薦文なり紹介文を挙げればいいんじゃないのかな? 152 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/19(木) 23 10 39 ID Ps/lvsnO0 148 粗の目立つ文章を改定していただいてありがとうございます。 自分の文章に責任持てと言われても、 自分視点からだとどう書き換えたものかわからんのですよね。多謝。 どーでもいいけど、丁寧語って疲れるわ。別段喋りよるわけでもないのに。 153 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/19(木) 23 35 55 ID QZMqize90 149 新定義は 140を読んでから検討するよ。 その為にモリタポを購入して過去スレをうpした。 そっちもぐだぐだ言うのを止めてくれや。 古参のみが貴族化したスレなど不要。 入選の議論は開かれるべきだし、定義の検討は常に怠ってはならない。 154 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/20(金) 00 01 48 ID K+KiW1xh0 152 うあぁ、今気付いた。 “改定”じゃなくて“改訂”やが。俺はこーいうミスがやたらと多い。 155 105 sage 2007/04/20(金) 00 12 54 ID PCS1zf5Q0 148 文章修正乙です。 人物ベースの定義案が複雑で揉めるコトは判ってるから、(個人的には)と付けたんですが そこを理解してもらえてるのであれば、了解です。 ただ文章の正確さを求めるあなたならば、できればその旨をはっきり書いてもらいたかったです。 あくまで人物ベースの定義に固執しているかのように受け取ってしまってました。 153 定義の検討が大事なのは同意ですが、ここは中国武将とは何か、 を議論するのが主旨のスレではないのも事実。 定義論が主になってしまうようでは本末転倒です。 せっかく元まできててあと少しで一回りなので、ひとまずは現状の定義で清まで行くべきと思いますが。 その後、最終確定できてない部分や、確定組の見直しなど2週目のサイクルに入るはずなので、 その前に根本的に定義見直し議論の場を設けるということではいかがです? 異論のある人はそこまで定義案の推敲時間にしてもらうってことで。 156 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 04 42 10 ID ijKItsuG0 「意見の相違を受け入れるよりも、意見の相違を抑圧してしまう方が悪い結果を招く」 157 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 06 53 10 ID fZmu5ZmIO 153 過去スレをうpされた方ですか乙です >そっちもぐだぐだ言うのを止めてくれや。 >古参のみが貴族化したスレなど不要。 別にぐだぐだ言うつもりはないが文句言うばかりでは愚痴りたくもなるでじょ?それに古参のみが貴族化などしてませんが 入選の議論は開かれるべきだど思うよ、でも定義に関しては取り敢えず新法でいってみませんか? 不都合のある箇所は修正すればいいだけの話で異論があるなら代案なり、 修正案を出してくださいと言ってただけ 過去スレがうpされたからもう大丈夫だけど 以前は今までの流れが分からなかったら正直に聞けばいいだけなのに それを怠っている様な方が見受けられた感は否めなかった 俺は他スレで前スレが確認出来ない状態の場合は正直に教えて頂きたいと聞きますよ 普通は大体教えてくれる方がいますし、今まで流れが分からなければ聞けばいいじゃんと普通に思うけど またぐだぐだ言ってスマン 156 みんなは意見の相違を受け入れ様としているし、意見の相違を抑圧なんてしてるか? 捻た風に捕らえるのは良くないと思うが… 過去スレもうpされたんし、定義の不都合な部分も改正された ぶっちゃけそろそろ前に進みたいのだが… 158 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 07 12 00 ID AgQwTp+z0 じゃあ現行は旧法でいこう。 それ以前にココテムルは元じゃないのか? 彼の死とともに中原の失陥が確定された気がする。 確かに活躍したのは明初だけど、北元からのお客さん扱いも変な気がするが。 159 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 08 50 05 ID fZmu5ZmIO 158 >じゃあ現行は旧法でいこう。 ゴメン言ってる意味がよくわからないんだけど… アナタの言う旧法って隋唐まで適用された定義? それとも文章改訂前の新法の定義のこと? どっち? それによりいろいろと話が変わってくるんだけど 160 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 08 52 47 ID YmFEuclP0 ここで北宋の旧法派と新法派の争いが 161 名無しさん@お腹いっぱい。 age 2007/04/20(金) 13 25 23 ID 5vXvfyR80 張俊 群盗出身の南宋の名将。劉光世、韓世忠らがそうだったように皇帝即位前の 高宗に合流。建炎3年の金の侵攻ではその部隊の規模から積極的に 迎撃に出ることはなかった(但し他の将軍も似たようなもん)。 明受の乱を鎮圧する時は武官で中心的な役割を果たした。 その後宗弼の鋭鋒が陝西方面に向いている紹興1~4年の間に 各地の反乱勢力を鎮圧し軍勢を拡大。岳飛とともに李成、馬進を討伐。 宣撫使として国境地帯に駐屯し紹興4年9月からの金斉連合軍を 劉・韓両将と共に撃破。紹興6年に30万を号する金斉連合軍の南下に 際しても岳飛の軍や三衙軍(皇帝親衛隊みたいなもん)と共に 最も活躍した。 朝廷が劉光世の軍閥統制に失敗してからは東部防衛の最高責任者となる。 その時点で張俊の軍は最大の兵員を擁していた。 紹興10年からの金の侵攻に対しても善戦した。 しかし岳飛とは年を経るごとに不仲になっていき、秦檜の兵権回収に 協力したこともあり、その功績にも関らず不当に低い評価が定着してしまった。 他軍閥との連携も多く、南宋軍の中心的な役割を担っていた彼の戦略的立場は 岳飛小説などではすっかり岳飛のものになっている。 162 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/20(金) 13 43 34 ID SQuzy2fv0 沖縄県の方へ(命に関わる注意事項です) 沖縄県での選挙ですが、どうか民主党だけは避けてください。県民の生命に関わる可能性があります。 民主党の最大の公約は一国二制度(※)ですが、一度「一国二制度 沖縄 三千万」で検索をお願いします。 この際、民主党のHPで調べても良いです。以下の注釈↓と矛盾することは書いてないはずですから… ※一国二制度 簡単に言えば沖縄を中国と日本の共有物にし、そこに3000万人の中国人を入植させます。 (つまり沖縄人口の 96% を中国人にして、実質、沖縄を中国人の居住地とします。) さらに「自主」の名の下、沖縄で有事が起きても自衛隊は干渉できません。 3000万人の中国人が、少数派となった130万人の日本人に何をしても、です。 そして反日教育を受けた中国人の反日感情の強さは、ほとんどの日本人の理解を超えるものです。 今回の選挙で民主党が勝った場合、「自主」「発展」を連呼しつつ段階的に進めていくことになります。 自主と言っても、自主を認めるのが「住人の96%が中国人となった」後だということに気をつけてください。 発展と言っても、新沖縄の少数派となった「少数民族日本人」の発展ではないことに気をつけてください。 163 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 15 40 15 ID uwmbANC30 チンギスの推薦文書こうにも、漢文が読めないから参考文献が元朝秘史だけ (読めもしない中文の元史とにらめっこしたが殆ど意味がわからない) で元朝秘史だけだとこうなる チンギス・カン (前略) 1211年、金国へ遠征。撫州、狐峠、宣徳府を抜く。 居庸関に到るまで敵軍を殺す。中都を包囲する。 1214年、潼関でイレ、カダという将を破る。 (後略) 対金戦の記述少ないなぁ(なんか食い違ってるところもある) 一応前スレ834にもチンギスの対金戦の概略は書いてあったが、 まっとうなのはちゃんとした人じゃないと無理か…… ただの歴史好きの理系学生の俺には手に余りすぎる 164 ○ sage 2007/04/20(金) 18 33 36 ID DTTgDqfg0 161 163 乙です 元朝秘史はフィクションの部分が多いですからね、記述が食い違ってるのは かなりいい加減な書物な為ではないでしょうか? 元史なんかも急造品みたいですし。 まあ自分もただの歴史好きの馬鹿なだけですし、大して漢文なんか読めません… このスレには五代を得意とする神と南宋・モンゴルを得意とする神が存在しますけどね。 以上寝言でしたw 165 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 18 56 35 ID UvqYF3jkO 寝言は寝てから言え 仲良しさんには気持悪いぐらいヨイショするわ、そうでない人の意見にはすぐ熱くなって喧嘩腰になるわで ○は本気でうざい 166 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 19 45 38 ID byUutMaK0 過去スレはどこで見れるのかな? 140の意味がよくわかんない 167 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 19 51 09 ID fZmu5ZmIO 俺もw 偉そうに言ってはみたもののどこのアップローダーか分からんかった・・・ 153氏お願い教えて 168 ◆RQdk7scN8s 2007/04/20(金) 20 03 48 ID VVhTjdec0 岳飛を誉めそやしているのは張浚という人なんだが 「岳侯,忠孝人也,兵有深機」 「岳侯神算也。」 とか、ベタ褒めなんすけど… この人について詳しく聞かせてくれる人はいないだろうか?(抗金名将のひとり?) 盗賊あがりの張俊も、最初は名コンビって感じだったけど 岳飛が最年少でもっとも戦功があって、しかも和平を巡っての意見の対立で、決裂したんでしょうかねぇ。 より権力をもった秦檜側についた張俊が残った、という感じ。 169 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/20(金) 20 13 50 ID VVhTjdec0 166 ロダはここです。 ttp //www6.axfc.net/uploader/16/ 今度から自分で探してみてね。 170 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 20 44 38 ID byUutMaK0 169 どうもありがとう。 171 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/20(金) 21 20 53 ID fZmu5ZmIO 169 ㌧ でも携帯だからうPされてる内容が見れないorz 172 ○ sage 2007/04/20(金) 22 44 41 ID DTTgDqfg0 張俊は南宋の高宗の時代にに活躍した武将。字は伯英。 元匪賊で朝廷に帰順後、抗金戦にて活躍し、戦功を立て 岳飛、韓世忠共に抗金の三大将軍に数えられている。苗伝・劉正彦が乱を起こすと、韓世忠・呂頤浩らとともに鎮圧。 建炎元年、御営司統制官となり、三年には明州城を守り、金兵の来攻を阻止し、高橋にて勝利する。 その後、完顔宗弼が大軍を率い南下してくると、城を放棄逃走。 紹興初年、江淮招討使に任命される。 各地にて叛乱を鎮圧し、叛将李成を討つ。 紹興五年、淮西を宣撫し、斉の劉猊を打ち負かす。 十年には、部将の王徳を北上させ、亳州に勝利するも、高宗・秦檜の意を迎えて軍を引き帰させ、寿春に駐屯する 紹興十一年、劉?・楊沂中と合流して、淮西を援護し、柘皐で金軍を破った。 同年には和議に賛同し、軍権を返上し、枢密使に任ぜられる。 晩年には清河郡王に封ぜられ、太師に上っている。 高宗に寵愛され、死後に循王に追封される。 優れた戦術家だったものの利に敏い処があり、将兵の略奪を禁止しなかったり、 劉?を排斥や後に秦檜と結託し岳飛を讒言して逮捕の要因を作った。 別に馴れ合っては無いが投下してみた。 173 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/20(金) 22 54 23 ID VVhTjdec0 172 いや、それは張「俊」であって、自分が知りたいのは 張「浚」、あざなは徳遠という人なんです。 読みが一緒だから紛らわしいったらない。 174 名無しさん@お腹いっぱい。 age 2007/04/20(金) 23 13 56 ID 5vXvfyR80 168 その人は主戦派官僚として有名だが同時に初めての軍閥統制も行っている。 明受の乱に際して張俊が武官の中心的な役割を果たしたのに対し 文官の中心人物として鎮圧に貢献した。 明受の乱の後、陝西に派遣され富平で大敗北を喫するも戦時体制の整備などで 活躍した。 陝西で軍事政治を監督した後東部の国境地帯を指導することになった。 彼の指導のもと韓世忠や張俊、楊沂中は勇戦して金斉連合軍を撃破するが 当時最大軍閥であった劉光世が積極行動に出ず北進は遅々として進まなかった。 そのため劉光世を罷免したが後釜にすえられた人物が副将と対立し 殺害され、その軍団の大部分が斉に投降するという一大不祥事に発展。 この責任をとる形で解任されてしまう。 劉光世を罷免した政策は陝西で勇将の曲端を解任した政策を踏襲した ものであった。しかし当時の宋軍は大きく 前護軍(韓世忠の軍) 中護軍(張俊の軍) 右護軍(呉カイの軍) 左護軍(劉光世の軍) 後護軍(岳飛の軍) 三衙軍(楊沂中の皇帝親衛隊) 前護副軍(兵員が少なかった前護軍の補佐ということになる。詳細不明) で構成されていたが右護軍のみが旧北宋正規軍の流れを汲むもので 、そこで成功した政策が同じように他に通用するものでなかった事が 彼の軍閥統制が失敗した最大の要因である。 なお呉カイや劉金奇を抜擢したのもこの人。 175 ○ sage 2007/04/20(金) 23 30 23 ID DTTgDqfg0 173 失礼w 上で説明されてますがさっき間違えたので再投下。 張浚は張俊と同時期活躍した人物 政和年間に進士に及第し、 宋が抗州へと遷都後に国内の叛乱鎮定に転戦し、後に知枢密院事まで出世したが講和派らに排斥された。 劉?・楊沂中と共に淮西を援護、柘皐で金軍を破っていたりする。 176 名無しさん@お腹いっぱい。 age 2007/04/20(金) 23 47 43 ID 5vXvfyR80 あと劉キ(金奇)についてだがマイナス要因がある。 順昌府での戦勝以外はあまりパッとしないのに加え、順昌府の戦いで も知府の陳規が >4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 22 02 26 ID 6820HRkf0 >南宋初期の陳規 >もとは安陸の県令だったが文武諸官が逃走する中で住民に請われて残り >徳安府の行政と軍事を所轄するようになる。 >その地をおびやかす勢力から9度の防衛戦を戦いことごとく >耐えぬき守りぬいた。優れた政治家として、優れた防衛の将として >その才能を評価され最後の戦いでは順昌府の知府として劉錡と共に >防衛にあたる。 >劉錡なくしてあの大勝利はなかったであろうが、かといって劉錡がいなくとも >宗弼が順昌府を落せたかどうかはあやしい。 >講和が成立した後も文官であった事から順調な人生をあゆむ。 >単に清廉潔白な官僚と記憶されることが多い。 というように隠れた名将であること。つまり単独の見せ場に乏しい 177 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 03 19 41 ID oowaX0dDO 韓世忠はたった八千で金の完顔宗弼率いる十万の大軍を 退路に潜んで追撃し打ち破ったりしてるけど なんか数々の戦功が梁紅玉夫人とセット扱いされてるような希ガス ここでの評価としては張俊>韓世忠? 178 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/21(土) 07 10 50 ID dt26H9NUO 守備に回って領土を守り抜いた人物と、外部に打って出て 勢力拡大した人物とでは、後者の方が評価され易いため、 抗金の武将の中には不利な面がある。 これを言っちゃおしまいだが、たかがお遊びのスレで、 確定したから偉く、落ちたらダメなんてないんだから、 無理してねじ込む必要もあるまい。 179 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/21(土) 09 40 16 ID 1Noo2fNN0 174 感謝。唐の王忠嗣のような人か。 この時期は俯瞰しきれていないので、助かります。 175 サンクス。お手数かけました。 検索してもコレといったのがなくて。 178 それはそうだけど、やっぱり確定になると後々の印象には残る だから必死になってしまう。 しかし個人的に今は、候補に挙がるような未だ知らぬ人物の紹介こそ このスレの本質と思ってしまっている。 もっとしゃべって… 180 名無しさん@お腹いっぱい。 age 2007/04/21(土) 10 41 55 ID +BVsWw6t0 177 韓世忠の軍は兵員が他より少なかったから大局的な評価だとどうしても 張俊>韓世忠 ということになる。韓世忠は他軍閥と協調姿勢を見せることが多かったが 本人の性格もあっただろうが軍の規模もその理由だったであろう。 自分としては抗金の名将に 岳飛:英雄 韓世忠:武人 呉カイ:軍人 張俊:政治家 というイメージがある セット扱いで思いだしたが呉カイも随分呉リンとセット扱いされているが、 南宋建国期の抗金戦争中は呉リンは副将格にすぎず、現に呉カイの死後 その軍は同じく副将であった楊政や郭浩と呉リンがそれぞれ継承し 宣撫使に胡世将を迎える形で処理されている。 181 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 12 59 36 ID u/tGwffr0 宋滅亡以後の将の名が挙がってないからいろいろネットで調べてみたが これぞってのがいない。というか資料が少ないorz漢文は読めないし どうだろうって思うのがカイシャン(海山)なんだが詳しい人いればご教授を 自分でわかったのは 長年元に叛き続けたハイドゥをカラコルム、タミールの戦いで連破。ハイドゥは傷を負って死亡 その後ハイドゥ派の分裂に乗じて、アルタイ山脈を越えメリク・テムルを降す 即位後の政治能力にはかなり?が付くが武将としてはかなりのものだと思ったので 182 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 13 28 41 ID oowaX0dDO ・・・まさかこんなに波紋を呼ぶとはorz 178 岳飛、張俊の推薦文が挙がってるからって 別に俺は韓世忠をねじ込みたいとかじゃなくて純粋にセット扱いされてるが 可愛そうだなと思っただけで… つーかこのスレじゃそうゆう人物不利でしょ? だから張俊>韓世忠になるのかな?と単純に思っただけ 韓擒虎と賀若弼も下手すりゃセット扱いされてたし… 180 ㌧ いい勉強になりました 183 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 15 54 29 ID pB9TdzsFO ウィキペディアを見てたんだが、書いてあることが事実ならチャガンテムルは有力な候補になると思う。 養子のココテムルは次の時代になるだろうか? 184 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/21(土) 17 01 42 ID OMN1tw6R0 韓世忠(あざなは良臣) 延安の人。雄偉な体躯と雷のごとき眼光を持つ。若くして勇猛なこと絶人、馬を御するの技に長けた。 貧農の家に生まれたが家業を継がず、酒を飲んでばかりいた。 18歳のとき募集に応じて兵となる。強弓を引き騎射に優れ、勇は三軍に冠絶した。 靖康の変後、康王(高宗)を済州まで護送。 金軍が大暴れして手が付けられない状況下で韓世忠は西王台に割拠、力戦して金軍の勢いを削いだ。 翌日、数万の大軍を率いて再戦に打って出た金軍をわずか一千の寡兵で迎撃、敵中に突撃して力戦し、金軍を破る。 元節、長江の海戦でウジュと大戦の約束を交わす。 双方十回の戦いを経て勝負はつかず。韓世忠は利なしと見て退却しようとするウジュの退路を断ち、 黄天蕩で48日間、優位に戦を進める。ウジュは和睦を持ち出したが韓世忠は 「それなら徽宗、欽宗陛下を返せ」 とにべもなし。数日後、風が止まったのを見て取ったウジュは外輪船の強みを生かして的中突破、 それを阻もうとする韓世忠麾下、孫世詢と厳允が金軍の放った火矢のために死んだ。韓世忠は軍を収容し、楚州鎮江に戻った。 このときのウジュと韓世忠の兵力差、10万対8千。 同年建安の范汝為の反乱を平定、 捷報を聞いた高宗は「古の名将といえどなにをもって加(くら)べるか」と狂喜した。 さらに同年、各地の反乱平定に奔走、投降したものを自軍に取り込み、兵士18万を得た。 建康に帰還後兵士を再編成、驍勇絶倫の士をもって編成された“背嵬軍”を創立する。 紹興四年、劉豫と金軍が合同で南宋を犯した。韓世忠は詔書を下賜され自分が頼られていることに感涙、 鎮江から長江を渡り、解元らを派遣してまず金軍に一撃を食らわす。自らは後方に高い柵を立て退路を断ち、決死の決意を明らかにする。 五箇所に陣を敷き二十ヵ所に伏兵を設けて会戦に挑んだ。伏兵により金の別将撻孛也および将兵二百余人を擒らえ、 背嵬軍を率いて金軍を潰滅させる。そのうえで解元ら先遣隊の救援に赴き、大いに戦い大いに勝って女真族千余を擒らえた。 淮水に沿って追撃に移り、四分五裂した金軍を斬り捨て、淮水に落とし、使者無算という大戦果をあげた。 高宗より“中興の武功第一”と称えられる。 紹興六年十月、淮河を渡って金将・訛里也と激戦。しかし淮東を劉猊に扼されたため前進を阻まれた。 軍を移して山陽に駐留、三頭の豪傑たちに渡りをつけ、共同して金・偽斉の軍を駆逐する策を立てる。 今を逃せば北伐の機会はない、と朝廷に念押ししたが、和平派・秦檜の命令で鎮江に戻ることとなる。 和平に利のないことを十条の上奏文にして奉じたが、握りつぶされた。 一応の和議が結ばれて間もない紹興十年、金は盟約を破棄して南進を再開、ウジュが麾下の将軍たちを引き連れ三路から侵入して三京を奪う。 淮陽を囲んでいた韓世忠のもとに金の援軍が訪れるも、韓世忠は加口鎮でこれを迎撃、打ち負かす。 部下を派遣して潭城でも捷ち、千秋湖でも勝った。さらに淮陽城を抜く。英国公に封ぜられた。 紹興十一年、濠州危急の報せを受け援軍として出陣、しかし出立から五日目には城が落ち、韓世忠が到達したのはその三日後。楊沂中が南に逃げた後だった。 韓世忠は淮河の岸で金軍と戦って勝ち、部下を遣わして金軍の動向を調べる。 赤龍洲に寨を築いていると知ると全軍回頭して金軍を攻めた。金軍は渦口から淮北を渡り去り、以後二度と淮河近辺を侵すことをしなくなった。 韓世忠は楚州にあること十余年、兵はわずか三万でしかないにもかかわらず、金人に畏れられた。 同年四月、枢密使とされて軍権を剥奪されて引退、その後湖のほとりに東屋を建て、自ら清涼居士と號し悠々自適の人生を送った。それから十年で没。 死後皇室より朝服、貂蝉の冠、水銀を下賜され、皇陵に倍葬された。 185 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 18 10 21 ID EmteMphF0 すいませんどなたか呉カイと呉リンについて詳しく教えて頂けませんか? 186 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/21(土) 20 18 49 ID r0BhOqjs0 呉玠だけですが。 呉玠(王+介。字は晋卿) 若くして物静かで節度があり、兵法を知り騎射をよくした。読書を好み、熟読するのではなく大略を掴むのを善しとした。 家柄により未冠の年で軍属となり、しばしば西夏の軍と戦って戦功を上げた。方臘の乱平定にも活躍している。 建炎二年、黄河を越えてやってきた金軍に対して都統制曲端の先鋒として出陣、青渓嶺の戦いで金軍に逆撃を喰わせ、 三十里にわたって追撃した。金軍が伸安府を攻めると曲端に従って現地に急行、華州攻めを任されてその命を果たした。 建炎三年冬、大賊・史斌が漢中攻めを企むと、曲端の命令を受けてこれを伐った。宣撫処置使・張浚の覚えめでたく、 その場で統制の位を授かる。四年春、金の元帥・婁宿と撒里喝が長躯入関すると、彭原でこれを迎え撃つ。 呉玠は見事撒里喝を打ち破り、撒里喝は恐懼し泣いて退却した。そこでついたあだ名が「泣き虫(啼哭)郎君」。 盛り返して再戦を挑んだ金軍の前に、今度は呉玠が敗北する。曲端は涇原までの撤退を命じたが呉玠は聞かず、 曲端の節度下を離れる。曲端は呉玠の官籍を削ろうとしたが張浚は呉玠の才能を惜しみ、罷免の訴えを取り下げた。 その後戦火に巻き込まれた被災者たちを助けてしばらくをしのぐ。 建炎四年九月、金軍との一大決戦に参加するも敗北。しかし残存兵を集めて和尚原まで下がり、金軍を隘路に誘い込んで 上から岩を落とす。馬が使えなくなった金軍は周章狼狽して呉玠の前に大敗。さらに営寨を黄牛に移して仕切りなおすが、 台風と雹に出会った金軍はほうほうの体で逃げ去った。 巴蜀の地は朝廷から遠く、人々の志も固まらず、そんな土地であるから呉玠・呉璘兄弟が金に投降することを恐れた大臣が 現れた。呉玠は諸将とともに血盟して忠義の証とした。士卒はみな感涙し、呉玠に用いられることを願った。 張浚はこれを壮とし、呉玠を陝西諸路都統制に任命した。同年十月、ウジュが十万の兵を擁して和尚原に攻め入る。 呉玠は隘路に伏兵を敷き、崖の上に弓・強弩の扱いに長けた士卒を選抜して設置する。金軍は伏兵にかかって大いに乱れ、 上から飛んでくる矢に次々倒されて統制を失い、そこに呉玠の本隊が縦横に突撃してくるとなったらもはやなすすべなく敗走するしかなかった。 紹興二年、撒里喝が上津攻めると、呉玠は河池から三百里の距離を走って現地入り。敵の指揮官に呉玠がいると聞いて、撒里喝は顔色を失った。 饒風嶺で交戦、山頂に布陣する南宋軍は重い鎧を身につけてゆっくり上ってくる金兵を次々倒し、呉玠は弓を乱射しながら巨石を落とす。 死体の山が出来たが金軍は退く様子を見せない。呉玠は決死隊五千を募り、彼らにそれぞれ銀一千両を支給し、祖渓の小道に入から饒風嶺の 後背に入り、高みに乗じて敵を殲滅するよう命じた。この策が成功し、これをもって金軍は完全に潰滅、潰走した。 紹興四年二月、仙人関で金軍を翻弄、矢を雨のごとく降らす新兵器(正式名称が分からん。知っとる人がおったら教えて)を使って屍の山を 築く。金軍も負けじと震天雷を寨に投げ込む。翌日、呉玠は先鋒に王喜、王武を起用、精鋭を与え金の営寨に突撃させる。 速攻戦術に驚いた金軍は浮き足立ち、そこに呉玠率いる本隊が突撃、韓常が弓兵隊を仕切って矢を射掛ける。金軍は恐れおののき我先に退却、 南宋軍の勝利であり、呉玠はこのときも南宋の土地を一片たりと掠取させることがなかった。 十年以上にわたる戦場生活の中で民生にも意を用い、百姓を傷つけ、苦しめぬよう細心の注意を払い、しばしば問題ごとの裁決も行った。 屯田を興し、毎年十万国の収益をあげてそれを軍費に当てた。同年、仙人関で病死。享年四十七才。明集を賑恤するに熱心な人物であったが、 それでも余財が銀30万両ほどあったという。晩年は酒と女に溺れ、才覚も落ちぶれたという。 187 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 22 08 34 ID +BVsWw6t0 186 >矢を雨のごとく降らす新兵器(正式名称が分からん。知っとる人がおったら教えて) wikiのリンクから宋史を読むところをさがして読み (ttp //www.hoolulu.com/zh/25shi/20songshi/t-index.htm) その他いろいろ自分が持っている本などを参考に考えたのですが、 それは列伝第125の「璘以駐隊矢迭射,矢下如雨」 が該当部分だと思いました(違ってたらごめんなさい)。 多分その部分は呉リンが考案したジョウ陣という陣形で、 最前列に長槍、第2列に強弓、第3列に強弩、第4列に神臂弓という強化版の 強弩を持つ兵士を配列させ4→3→2・・・という風に間断なく攻撃を 加えて攻撃する戦術だと思われます。 (参考文献「武器と防具 中国編」新紀元社刊) この他にも陝西方面軍は 「玠急遣統領田晟以長刀大斧左右擊」(列伝125)というように 金の重装騎兵部隊に対抗する長刀や大斧(重量が5~25kg相当) を先駆けて配備しており、それが他の軍閥に大いに参考になったことは 想像に難くないです。但しこの戦術は迎撃に力を発揮したものの追撃には 不得手であり、その場で大勝利しても追加効果はあまり期待できないものでした。 この頃の南宋の将軍は戦術面でも創意工夫を凝らしており 韓世忠は神臂弓を改良した克敵弓を考案し、 陳規(列伝136に伝)は史上初めて火槍(先端に簡単な火炎放射機能をつけた槍) を使用したそうです。 (いずれも前出・新紀元社の「武器と防具 中国編を参照」) 188 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 22 32 44 ID gg3zCXI50 チンギス・カン 1211年2月に南下し定薛を野狐嶺で破り帰還。秋に再度南下しジュチ、チャガタイ オゴタイの三人に山西北部を襲わせ、自らは貛児嘴で紇石烈胡沙虎、完顔兀奴の軍三十万を 破り、これを聞いて退却した後続の完顔胡沙を会河で捕捉し殲滅した。この後守備隊 が逃走した居庸関を通過し中都に迫るが、城内の金軍の奮戦にあい撤退。冬に金の牧場を襲い 馬群を奪った。この年の冬は内蒙古に駐留した。 1212年春、宣徳府を占領し徳興府に進むが敗北し退却。トゥルイが徳興府を奪取して 帰った後、金軍がまた奪還する。秋に西京を囲み、来援した奥屯襄を密谷口に誘い込み反撃 して破る。奥屯襄は僅かに身一つで逃れた。再三西京を攻めるも落ちず、チンギスが矢にあたった ため囲みを解いて撤退。 1213年秋、徳興府を抜き懐来に至り、完顔綱、術虎高琪の兵十万を破り、死体が地を覆うこと 四十里(20キロ?)。居庸関に進むも金の精鋭が死守しているため抜けず。密かに迂回して紫荊関 を急襲し五回嶺で金軍を破る。軍を三つに分け、三皇子が右翼となり太行山脈に沿って河北を南下し 黄河に至る諸郡を抜き、反転して山西を襲う。弟カサル等を左翼として河北北部、遼西を攻略。 チンギスはトゥルイと共にみずから中軍を率いて河北東部から山東北部の諸郡を取って還る。この年 黄河以北で金の手に残ったのは中都を含む十一城のみだった。帰還した三軍は中都近郊に集結して 金の朝廷を威圧する。 1214年の三月に和議が成立してモンゴル軍は北に去ったが、五月になって金が開封に遷都したため 軍を送って中都を包囲し翌年五月に陥落。 1216年にチンギスはモンゴルに帰還。 チンギスの伐金は史料ごとにかなり記述が食い違うので、つじつま合わせるのがえらく難儀でした。 これで正しいか正直自信ありません。 1213年の侵攻の際には黄河以北のほぼ全てを奪取していますが、上で書かれているとおり 土地に興味のないモンゴル人は北に引き上げるときにほとんど放棄しています。チンギスが西に出かける 前に確保していたのはほぼ燕雲十六州に相当する地域だけだと思います。 189 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 22 50 56 ID pB9TdzsFO チャガン・テムル ttp //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%A0%E3%83%AB 上でも書いたがウィキペディアなんで鵜呑みにするのもあれだが まあまるきり嘘ってわけでもないだろう。 あとは正史持ってる人なりこの時代に詳しい人に添削してもらうことにして、とりあえず推薦ね。 190 ○ sage 2007/04/21(土) 22 54 57 ID mzyLXI/v0 187 それは連弩を改良したものでは? もしくは床子弩、床弩と呼ばれる、 西洋のカタパルトに相当するものがあるとwikiには載っています。 連弩は中国では戦国時代から使われ始め、南宋期に最も使用されましたが、 元代に入ると火薬を利用した砲や火器などが導入され、 戦場から姿を消していった様です。 また明代には10発の矢を連射できる諸葛弩と言われるものが存在した様ですよ。 191 ○ sage 2007/04/21(土) 23 48 49 ID mzyLXI/v0 察罕帖木兒(チャガンテムル) 字は廷瑞。 代々河南に定住するナイマン出身のウイグル人で、 至正十二年に紅巾軍に対して自衛軍を結成。 李思斉とともに羅山の紅巾軍を打ち破り、朝廷に帰順して華北を確保した。 その功により汝寧府達魯花赤に任ぜられた。 また河北河南で幾度となく紅巾軍を撃破し、功により河北行枢密院事へと累進。 十七年には陝西に援軍として馳せ参じ、鳳翔で紅巾軍を撃破、関中を平定する。 十八年に軍を率いて京師に入りし、兵を晋南・太行の隘地に分屯させた。 陝西行省右丞・陝西行台侍御史・同知河南行枢密院事となる。 十九年、梁の大宋紅巾軍を攻め、開封を陥落させて紅巾軍の統一を崩壊させた後、 軍を返してボロテムルと山西・河北で争った。 二十一年、山東の紅巾軍の内紛に乗じて、兵を五路に分けて進撃し、 田豊・王士誠らを降す。 二十二年、山東を転戦し益都包囲中の最中、田豊・王士誠に刺殺される。 192 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/22(日) 00 08 21 ID e0LQrcakO さんくす。で、どーよ?確定かどうかはこれからだとして候補入りは間違いないと思うが。 このまま行くと抗金の将と金将で半分以上行きそうだからな。 それはもったいない 193 ○ sage 2007/04/22(日) 00 53 34 ID DgLVGMEW0 192 いいんじゃないでしょうか察罕帖木兒(チャガンテムル) 自分は大して詳しくないので偉そうな事、言えませんが 元と言えばバヤン、トゥルイ、アジュとかに目が行きがちですが この武将は掘出し物って感じですかね? よくぞ見いだしてくれましたねってところじゃないでしょうか。 ◆oOLAqFKRB.さんにはモンゴル武将をもっと紹介して貰いたいです。 194 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/22(日) 00 56 23 ID dgvngNYl0 187、ジョウ陣に 190、床子弩か。知らん事あったら教えてもらえるのが ここのいいところやわな。多謝。 192 抗金名将と金将の隙間をかいくぐって、俺は蒙古からトゥルイ、元からアジュ の二人を推しときます。トゥルイから統帥権を受け継いで最終的に金軍を蔡州 に追い詰めたスブタイもいいんやけど、三人推薦は多すぎやろーから上記二人で。 ところでいま空き枠いくつあるんやっけ? 暫定の郭侃外して5枠? そんだけ空けば入るべき人が残るやろ。抗金名将について知りたかった人も 推したいから知りたい、ってより知識として知りたいって感じやったし、 宗沢、岳飛に張俊、韓世忠、呉玠が伍するってわけでもなかろう。 新候補として挙がるのはチャガンテムルぐらいやと思う。 ・・・ところで俺の紹介文、やっぱあれでも長いかな? 訳文を削りに削り、文のニュアンスから可能な限り短い文章になるよう 注意しとーつもりなんやけど、どうしても1レスギリギリの文量になる。 まぁ、2レス3レスにまたがらんように気をつけとーから 許して欲しいところなんやけど、それでも長文やから、気を悪くする人おるよなぁ。 以上、駄文失礼。 195 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/22(日) 01 19 17 ID dgvngNYl0 連投。 193の○さんへ。 モンゴル武将をもっと、ということやけども、 俺も南宋滅亡後の元将はほとんど知らんのですよ。 頭ん中でこの時代は南宋成立~その滅亡、までで区切られとーから。 史天沢とか董文炳とか耶律阿海あたりなら挙げられるけど、 新鮮味はないしみんな知っとる有名人やから今更やしね。 それに史書を翻訳→自分の文章に→冗長な部分を削って落とすって作業は疲れるんよ。結構。 196 ○ sage 2007/04/22(日) 07 44 21 ID DgLVGMEW0 194 >三人推薦は多すぎやろーから上記二人で。 あれだけモンゴル武将に拘った訳ですから三人推すべし。 長文については昔、指摘しましたがこれ以上は縮めるの無理みたいだし、 情緒を大事にしてると言ってたので文句は自分は言いません。 推薦文を楽しみにしてる人がいるはず、煽りはスルー汁べし。 195 南宋が得意と1スレ目で公言なさってたから、 勝手にモンゴル武将はオールおKと脳内変換済みでした。 それに推薦文挙げる作業はしんどい気持ちは良く分かります。 無茶振りしてスマン・・・ あと個人的には張弘範、阿里海牙(アリハイヤ)、 完顔陳和尚、bヨ雷(トゥルイ)、察罕帖木兒(チャガンテムル)を推します。 特に完顔陳和尚はbヨ雷(トゥルイ)に負けてますが モンゴル軍相手に暴れ回った活躍振りは称賛に値するはず。 197 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/22(日) 09 01 30 ID +mtSmey6O 179 張浚は王忠嗣とは違う。張浚は文官。 その方針や施政は誤りもあり、現実と現状を無視して金に攻め入らせたりしてるが、 王忠嗣は無用な戦を止めるように進言してる。 彼が見いだした武将が唐朝を救い、中興を果たす役割を担ったように 自身の武勲、実績はもとより、その言行にいたるまで、名将の名にふさわしいものだった。 大袈裟な話、南宋の主戦派だからと「張浚は宋沢みたい人」と 言ってるのと同じぐらいムチャクチャ。 181 元から武宗まで入ると、元朝の短い期間から、成立期、中期、末期まで すべてフォローされることになる。 即位の過程から、オゴタイ汗国と元は抗争を重ねており、 フビライ、バヤン死後の混乱に乗じようと、オゴタイ汗国のハイドゥが 国力をあげて攻めてくると、ハイシャン(後の武宗)が 完膚なきまでに打撃を与え、これを撃退。 成宗死後の相続争いで、叔父のアナンダに勝ち、敗死させて自ら帝位についた。 在位わずかに4年の享年31。あたら有為の才能をもちながら、酒と女に溺れて身を崩したと言われる。 198 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/22(日) 11 16 31 ID 0Oqgf0RBO 187 ttp //w3.shinkigensha.co.jp/book_naiyo/4-88317-211-2p.html ↑ここにそれらしき武器が記載されてるよ(知ってたらスマン) そのサイトにも書かれてるけど諸葛亮が元戎なる新兵器(それは連射可能だったみたいだよ)を三国時代に 兵力を補う為に考案したと昔、なんかの本で読んだ記憶が… 199 ○ sage 2007/04/22(日) 19 10 41 ID DgLVGMEW0 史天沢、董文炳、耶律阿海以外にどんな武将がいるかちょっと調べてみたので、 参考程度に投下。 バルジュナ湖の十九功臣の一人で 対ケレイト戦でや金遠征では忽察虎破り、征西の際にムカリの副将となり 劉黒馬・史天沢らを率いて金と戦った、 元の契丹人武将で耶律阿海の弟である耶律禿花。 遼が滅亡後も華北に留まり金に抵抗し、 後にチンギス=ハーンに降り、ムカリの下で遼東攻略の手柄を立て、 ムカリの華北攻撃に参戦中し攻城戦の際に砲石に当たって命を落とした、 武略に秀でてた石抹也先。 モンゴル降伏後、義兵の清楽軍を率いムカリの許で各地を転戦、金の武仙を降伏させるが、 南宋と内通していた武仙に殺ろされた、元の重臣史天沢の兄である史天倪。 モンケの南宋遠征に従軍して戦功を立てた耶律楚材の子である耶律鋳。 変わりどころなら回回砲(投石機)製造に従事し、 アリハイヤの伐宋戦に従軍し樊城・襄陽を陥落させ、潭州・静江などの城を破った、 ペルシア人のアラー・ウッディーン(阿老瓦丁) うーんモンゴル人はやっぱり有名どころがほとんど挙がってるからいませんでした。 200 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/23(月) 22 16 17 ID unT4+AwWO そろそろまとめに入って次の時代に行こうや 201 ○ sage 2007/04/23(月) 22 44 43 ID Dnk/XawD0 186の >矢を雨のごとく降らす新兵器について 自分もさらに詳しく調べてみたところ床子弩、床弩の種類に 神臂床子連城弩、双飛弩、三弓弩と言うのがあるみたいです。 この三つのどれかではないでしょうか? ↓ ttp //www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/heikijiten/isiyumi/sinheki.htm ttp //www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/heikijiten/isiyumi/souhi.htm ttp //www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/heikijiten/isiyumi/sankyuu2.htm ちなみに 187さんが言ってる神臂弓がこれ ↓ ttp //www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/heikijiten/isiyumi/sinhekido.htm 198さんが言ってる元戎がこれ ↓ ttp //www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/heikijiten/isiyumi/rendo.htm あと劉整の推薦文を挙げたいのだが準備が整ってないんですorz 202 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/24(火) 06 30 07 ID +6t4NV5xO 劉整 金の乱を避けて南宋に亡命。孟王共のもとで驍将となる。 愈興に嵌められ粛清されそうになり、モンゴルに亡命。 アジュと共に南宋を攻め、呂文煥を降伏させる。 その後も転戦するが長江を渡ることはなく没した。 こんな感じ。こんだけ端折ると、かえってイメージわかないか… 203 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/24(火) 11 43 02 ID oZsdvqxL0 百度百科によると、孟珙の生年は1195年になってるね。 http //baike.baidu.com/view/67145.htm 204 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/24(火) 19 17 34 ID Tt5Y20ix0 現行確定人数 春秋戦国(紀元前771年~紀元前221年 550年間)> 9 統一秦~前漢(紀元前221年~紀元前8年 213年間)> 9 新・後漢(紀元前8年~紀元220年 228年間) >9 三国~両晋(220年~439年 219年間) >9 南北朝(439年~589年 150年間) >10 隋・唐(589年~907年 318年間) >10 五代~北宋・遼(907年~1127年 220年間) >10 南宋・金~元(1127年~1368年 241年間) > 明(1368年~1644年 276年間) > 清(1636年~1912年 276年間) > 205 ○ sage 2007/04/24(火) 22 18 04 ID SCTYiMXU0 劉整 字は武仲。騎射を得意とした。 金での戦乱を避けて南宋に亡命する。 孟[王共]の下で驍将となり、潼川安撫使・知瀘州軍州事に累進。 金が南下すると趙方の部下として出陣し奮戦する。 しかし、司令官の呂文徳らとそりが合わず、 また兪興に貶められて粛清されそうになったため、モンゴルに投降。 府行省兼安撫使に任ぜられた。 兪興を攻め破り、南京路宣撫使となる。 至元四年、アジュと共に軍を率いて襄陽攻略戦に参加し功績を立てる。 十年には樊城を陥落させ、襄陽の呂文煥を降伏させた。 功により行淮西枢密院事となる。 十二年、兵を率いて淮南に出撃したが渡江を果たせず、行中書左丞の地位のまま亡くなった。 202さんがこんだけ端折ると、かえってイメージわかないか… と仰ってるのでもう少し詳しく劉整について挙げてみました。 個人的にはアジュ、トゥルイ、張弘範、完顔陳和尚が確定でいいのではと思います。 うーんアリハイヤ、チャガンテムルも捨てがたいですね。正直迷っています。 206 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/24(火) 22 39 58 ID u5e5Rgbm0 205 完顔陳和尚は実績不足じゃね? いくつかの局地戦で勝っただけだし、結局大勢を覆せなかったわけだし。 207 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/24(火) 23 59 09 ID KLstqQiRO 抗金将たちもじゃね? 208 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/25(水) 05 17 54 ID PG1Ac2DX0 このスレの定義なら局地戦の手腕だけでも入選には十分です。 スブタイとモンゴル軍団相手に、十分の一の戦力で勝ち星を挙げるなんて千年に一度の奇功ではないでしょうか? また、金は南宋以下の国力にもかかわらず、蒙古に隣接し、頼むべき天険もありません。 単純な戦力でも蒙古とは比較になりませんし、南宋を背後に抱えていては注意を二分せざるを得ません。 この亡国必死の状況で大局的な結果を要求するのは無理が有り過ぎます。 私ならさっさと蒙古に降伏するか、南宋に亡命するでしょう。 強敵相手に男を見せ、圧倒的な大勢力の進撃速度を己の将器を以って遅らせたこと。 それだけで十分に入選の資格は有ると弁護します。 209 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/25(水) 13 37 30 ID Sj95AF4rO 周瑜、謝玄、韋叡、抗金名将達、ココテムル以下なのは間違いないな 210 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/25(水) 15 52 23 ID 2rYlZ1grO 209 韋叡、ココテムルはともかく、周瑜、謝玄よりは下でじゃないだろ。 あと抗金名将は上下の差があるけどな。 それと同じ時代枠以外の武将と比較するのはナンセンスじゃねえの? 211 ○ sage 2007/04/25(水) 22 25 38 ID RZMxFa300 完顔陳和尚はたった400の軍勢で蒙古屈指の名将スブタイ率いる8000を打ち破ってる点や 河南・陝西にてモンゴル軍を相手に暴れ回り快勝を重ねていたり、 最終的にトゥルイに負けるまで蒙古の金侵略を食い止めていますし、 完顔陳和尚の功績はかなりのものではないかと思いますが。 212 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 12 38 53 ID FDDc5HdM0 210 同時代枠といえど百年の開きがあったり、 さらには勃興期の将と滅亡時の将を比較したりと現状は既にナンセンスなわけで 他時代ともある程度はバランス取らないといけないと思う 完顔陳和尚は候補止まり。 400で8000を撃破したっていっても、謝玄はヒ水の戦いに勝ってもランクインせず 正史か演義か忘れたけど張遼は800で10万しばいた その存在は奮戦したけど駄目でしたって言う亡国の悲哀を彩る武将って感じで 南宋の張世傑、演義における蜀漢の姜維と同程度ではないかと 他に人いなきゃ入れてもいいと思うけどね 213 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 12 57 37 ID 0nVwOOWp0 完顔陳和尚に関しては、相手の質も評価に影響してるんじゃないの 当時最強のモンゴルの、その中でも最強クラスのスブタイを20分の1の兵力で撃退とかそういうの 214 210 sage 2007/04/26(木) 18 14 53 ID dalfdSpPO 212 そもそも同じ時代枠の中で無理矢理に優劣を付けようというのがこのスレの趣旨な訳でそこは理解してもらわないと。 今まで同じ時代枠の中で争って来たんだから 他の時代の武将と比べるのは俺はナンセンスだって言ったんだよ。 状況の似てるあの時代の武将が落ちてるんだからこいつも落とせというのはちょっと違うと思うし。 合肥の戦いで張遼は李典か楽進と呉の十万の軍勢を相手に戦っているとは云え一部を突き崩した程度だろ? 謝玄のヒ水の戦いでは前秦側のミスに助けられた部分が大きい。 呉軍も前秦軍も戦意が高揚してなかった訳だし、 陳和尚の方が条件がはるかに不利じゃないかな? 陳和尚は四狗の一人であるスブタイと当時、世界最強であったモンゴル軍を打ち破った実力を評価しているんだし。 それに南宋の張世傑はともかく、蜀漢の姜維の戦績はいまひとつだよね? 同じ次元として扱うのはどうなんだろう・・・ 陳和尚が十傑入りに相応しくないと思うなら 代わりの相応しいであろう武将を挙げてみてよ。 その方が議論しやすいと思うけどね。 215 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 19 17 52 ID 3NXwludm0 張世傑がともかくで姜維が今ひとつの差は何だろう? 似たようなもんこの上ないと思うんだが 216 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 19 47 37 ID gE/bzXdUO 400対8000がクローズアップされすぎで一発屋感が今だ拭いきれてない。 確かに凄いが率いた兵400ってのも少なすぎるわ。 過小過大スレや能力値スレとかで趙雲の統率が下げられるのと似てるかな。 他で勝ったと言っても規模や相手が推薦文からじゃわからんし。 確定にしたい人はもう少し頑張ってプッシュしなさいな。 217 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 19 58 03 ID dalfdSpPO 215 スマン張世傑を韓世忠と素で勘違いしてた 216 だから陳和尚が確定に相応しくないと思うなら代わりの相応しいであろう武将を挙げてみなさいよ。 218 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 20 10 28 ID gE/bzXdUO 代わり代わりってうるさい。反対してる奴の説得も出来ない癖に。 候補に残ってる奴は大概陳和尚より上だろうよ。 国も救えないような将軍はこのスレにはいらん。 219 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 21 27 35 ID FDDc5HdM0 少数で多数撃破ってのも 184見る限り韓世忠もやってるな 抗金名将からは多すぎるっていうのなら元中期からカイシャンかな 敵国の侵攻を防いだ点は完顔陳和尚より上だろうし 彼が負けてたら元がなくなるか南元ができてそうw フビライの高麗侵攻は元成立以前だからアウト? 隋が失敗して唐も苦労した半島進出に成功してるってのは かなりのプラスになりそうだけども後方総指揮じゃだめかな 誰が前線指揮だったんだろうか 知ってる人いる? 220 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 22 07 37 ID nih0KNwA0 功績なら南宋戦で活躍したアジュだな。 残り一枠はアジュでいいんじゃない? 221 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/26(木) 22 22 41 ID nih0KNwA0 ごめんアジュじゃなく対金戦で活躍したスブタイを残り一枠に推すよ。 222 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/27(金) 06 27 45 ID jj9y3WUVO 張弘範は詰み状態の南宋を滅ぼしただけじゃないか? ならカイシャンは、フビライのウルス=元朝を外敵から守り、 アルタイ山脈方面まで外征し、共に戦果を残してる。 張弘範よりカイシャンを推す。 223 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 06 56 06 ID 7hiTYa3o0 一発が凄すぎるから完顔陳和尚を推したんだが。 全盛期ホラズムさえも瞬殺されるのに、 瞬殺を秒殺くらいにまで遅らせた陳和尚を「国も守れんヤツ」扱いは酷い。 蒙古帝国をも過小評価しているように思うが。 近代以前では史上最強の戦争集団なのに。 224 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 11 00 43 ID xIm6SS1DO 瞬殺を秒殺ってそりゃ五十歩百歩 モンゴル軍はたしかに強かったかもしれんがエジプトのバイバルス 大越のチャンフンダオ、日本、ジャワと勝ってるところもあるし 中国の対モンゴルの名将は孟[王共]でいい 陳和尚ごときを孟[王共]と同列に扱うってw それとモンゴルを過小に扱ってないからな どんなに注意しても小石につまづくこともあるしね 225 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 11 35 58 ID 7hiTYa3o0 孟珙でも金においては完顔陳和尚以上の仕事は出来ないだろ。 南宋、金、元>>>>>女真、蒙古 このスレ的には↑の順に決めるべきだ。 病んで滅亡寸前の国と史上稀に見る拡張期の国の将を並べるのはおかしい。 226 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 12 25 27 ID GhBSHs0b0 騎兵戦でモンゴル(しかもスブタイ)に勝った意義はあると思う 少なくとも元寇と同日の談じゃないわな 227 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 13 11 04 ID lMFDcjyr0 224 陳和尚の勝利が局地的であるのは確かだが、兵力はたったの四百なんだから そこも考慮しないと。あれ以上を望むのは酷だろう。 222 カイシャンの外征はカイドゥの死後王国の乗っ取りを図るドゥアと連携して 劣勢なオロスを叩いたものだし、アルタイ方面を占領したのは周辺を支配する アリク・ブケ一族が寝返った後だから軍事的にはそれほどでもないのでは。 同時代ではトップかもしれないけど。 228 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 13 16 56 ID xIm6SS1DO モンゴル騎兵に騎兵戦で挑むところが陳和尚の限界 陳和尚推薦派はどう凄いかもっと必死になって説明しろやw 229 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 14 05 22 ID sV6gj+dw0 228 ああっ説得やら説明しろばっかりうるさい×3(お前の真似だw) 反論されたら逆ギレする品の無いゲス野郎はこのスレにはいらん。 それに小石につまづく様じゃスブタイも大したことない武将ってことになるな。 当時、世界最強のモンゴル軍を相手にまぐれや運だけで連戦連勝できるほど敵は甘くはない。 それに戦闘の内容を考慮して話をしているんだ。 陳和尚の稼ぎ出した五十歩は評価に値すると思うがな。 230 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 14 20 19 ID EPTGVBZ5O ただここの採点はかなり軍事業績の配点が大きいから、陳和尚が目立たなくなりそうなのは事実では? 何分同時期に世界征服者達が居るんで、守勢(それも守りきれなかった)の採点が辛くつけられるのもわかる 231 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 14 58 28 ID 7hiTYa3o0 姜維は洮水の戦いなどで大勝してはいるが、このスレでは選外だろう。 張世傑も関羽の同類だろうなあ。 悪くはないが敗死エピソードで得をし過ぎ。 232 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 18 17 57 ID UD6TKJZG0 227 カイシャンの将としての功績の幹は攻め寄せてきたハイドゥを撃破したことで その後の外征は枝葉じゃないかな 相手の隙に乗じるのは軍事的にも当然のことでそれをもって評価を低く するのはおかしい話だと思う 233 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 18 32 44 ID xIm6SS1DO 229 逆ギレ何てしてませんが?してるのはお前だろw 陳和尚の擁護も出来ずゲス野郎とか誹謗することしか出来ない人はこのスレに来ないで下さいねw あと、小石につまづいたからってスブタイがたいしたことのない武将だなんてことにはならんよ 常勝無敗が名将の条件ではないからな スブタイと陳和尚をセットで語らないでね 234 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 19 23 01 ID 7hiTYa3o0 いや、スブタイが凄いのが前提で、その凄いスブタイに勝ち、モンゴルの征服を遅らせたのが、陳和尚がこのスレで限定的に入選される理由だろ。 スブタイやツルイ、ジンギスカンが入るなら態々推薦しないって。 ただ彼らはローカルルールで弾かれる。 同じ要領で元将より金将を優先して入れるべきだと言ってる。 蒙古を退けたバイバルス、ハルジー、孟珙、陳興道といった世界百選級の名将にも、 当時の陳和尚と同じ状況で彼以上の活躍が出来るとは思えん。 完顔陳和尚とジャラールの類は世界百選は無理でも、 それぞれの地元の百選で入れないのはマズイだろう。 235 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 19 33 47 ID EPTGVBZ5O 234 あれ?結局ローカルルールで弾かれることになったのか? 逆に攻勢期の金・モンゴルや抗金組に比べると、数の関係でどうしても選に入れられないって感じだが 236 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 19 53 07 ID 7hiTYa3o0 世界百選、東洋百選、蒙古百選で確定でいいだろ。 その連中を中国百選に入れる場合蒙古百選との兼任となるが、 そこまでして入れるのは無理があるような… 237 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 19 59 52 ID EPTGVBZ5O 236 モンゴルの中華統治を黒歴史にするなよ 仮にも二十四史に記されている支配者だぞ それにモンゴルが駄目ならこの時代南宋と金だけになるじゃないか 238 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 22 41 51 ID sV6gj+dw0 ID 7hiTYa3o0さん 陳和尚を擁護してくれるのは有り難いのだが、 陳和尚の話とスブタイやトゥルイ、ジンギスカンが十傑入りするしないかは話が別だよ。 支持されればスブタイ、ジンギスカンだって入る訳で その二名は現時点ではあまり支持されてないのは否めません。 実際にアジュ、トゥルイは落とせと言う声は挙がってないし。 まあバランスを考慮している部分もあるとは思うけどね。 219 高麗の洪茶丘が文永の役では元軍の副司令官を 弘安の役にも東路軍の司令官を務めたそうだよ。 高麗の金方慶なる武将も 日本遠征にも参戦したらしい。 239 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 22 53 38 ID sV6gj+dw0 268の追記 文永の役での総司令官は忻都なる人物だそうです。 240 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 22 56 28 ID EPTGVBZ5O 238 いやスブタイが定義上駄目ならトゥルイも駄目だし、トゥルイが有りならスブタイも有りでは? トゥルイが死ぬのはスブタイが死ぬ前だし 241 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 23 19 12 ID /PoI3eH+0 240 多分主な活躍の舞台の差ではないかと推察 242 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 23 23 02 ID RcPINS3k0 金は統一政権扱いで落ち着いたはずだから、定義上、 トゥルイやスブタイの対金戦の功績はOKでしょ。 ローカルルールで弾かれてはいないはず。 もし金が統一政権扱いでなくなってトゥルイ・スブタイが外れるるなら、 遼の休哥と同様、守勢での活躍の陳和尚も資格なしになる。 243 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/27(金) 23 31 45 ID /PoI3eH+0 今頃こんなこと言い出してなんなんだけど、「統一政権」ってどう定義されてたっけ 244 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/28(土) 00 03 26 ID LNk8M4MQO 241 両者ともトゥルイが戦うようになってから死ぬまでに投入された戦線は似たようなものだと思うんだけどね ただどうしてもスブタイのイメージはヨーロッパ遠征なんかの西方が強くて トゥルイのイメージは三峯山の戦いなんかの東方のものが強くなるんだろうな 245 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/28(土) 00 54 51 ID WFihsJm00 232 カイシャンらの元軍は優勢にも関わらずカイドゥを撃退するにとどまっている のでやや評価が低くなるように思う。カイドゥは勝ったけど帰る途中に病気で 死んだ、っていう歴史書もあったりする。 あと、敵の隙に乗じるのはもちろん当然だけど、内紛中の敵を攻略するのはより容易 なわけで、その分評価が低くなるのは仕方ない。 なんかけなしてばっかりだが上にも書いたとおり同時代でカイシャンがトップである ことは確か。ただバヤンや孟珙と並べるほどではない、と思うのだが。 246 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/28(土) 01 33 11 ID 8ygMLR39O 245 カイドゥがフビライ、バヤンの死に乗じて総力あげて攻勢に出てきたのを 過小評価し過ぎるのはどうだろ? 結果論として、カイシャンが撃退して元は存続したが、 死に物狂いの相手が多大な損害を与える可能性もあった。 元が国力を弱め、滅亡を早めるのをとどめたのは、 ひとえにカイシャンの功績だと思うが。 >カイドゥは勝ったけど帰る途中に病気で死んだ、っていう歴史書もあったりする。 その時の傷が元の病死では?少なくとも宮崎市定博士の見解はそうなんだが。 > あと、敵の隙に乗じるのはもちろん当然だけど、内紛中の敵を攻略するのはより容易 > なわけで、その分評価が低くなるのは仕方ない。 カイシャンは戦略家タイプの武将だから、勝つべく方策を練り、時と場所を選ぶ。 これをすべてラッキーとされて評価を落とされるなら、 名将の定義とはいったい何なのかを教えて欲しい。 247 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/28(土) 06 49 17 ID 9HSuCpNr0 246 >カイシャンは戦略家タイプの武将だから このスレでは戦略家タイプのは評価が低いよ。戦術重視だし。 >名将の定義とはいったい何なのかを教えて欲しい。 このスレの定義では中国の領土を犯し、十分な土地を掠取する(あるいは侵略のための橋頭堡を作る)か、 当時の中華国家の人々に恐怖意識を植え付けるほどの活躍をした。 中国統一政権下における外征で活躍した。 というのが名将の条件じゃないかな? それと守勢はあまり高く評価されてないのが現状。 だから陳和尚の件で議論しているし。 248 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/28(土) 08 15 54 ID 8ygMLR39O 247 カイシャンは十分に条件を満たしてるだろ!?それでも外すなら理由が聞きたい。 勝つべくして勝ち、しかも功績がある人物に対して、あとは何が必要なんだ? 時代が課した命題の内、統治の面ではともかく、軍事面であれば十二分に果たしてるんだが。 国難を救い、国境を安定させた。バヤンが同じ状況で、これ以上の成果を残せたとも思えない。 出来るだけ多くの兵力を集めるのは兵法の基本。 己の長きをもって、相手の短きを打つのが基本のはず。 時期を待ち、機が熟したら一気に攻め勝つのが悪いのか? 兵が多くて悪いのであれば、王朝の創業期、全盛期の殆どの武将が評価を落とし、 亡国に身を起き守勢にまわり、防ぎ続けた武将こそ、確定されるべきだろ? つまり、過去に戻って選考し直すということで、宜しいか? 基準がブレすぎ。自分が気に入らない武将を落とすために、その都度、その都度 都合の良いように基準を変えてたら、作業が進まないよ。 ガキじゃないんだから割り切ろうや。 カイシャンを外したいなら、外すで良いから基準を明確にしてくれ。 で、大軍を指揮して勝ったらダメなのか? 寡兵で大軍を破らないと評価されないのか? ハッキリしてくれ。 249 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/28(土) 09 26 47 ID fQFp1IyW0 俺はカイシャン等の元将を入れるなら陳和尚は落としていいと思います。 守り切れなかったのは事実だし。 だが、それだとローカルルールに抵触しないでしょうか? 後々面倒になることは必至です。 あと中国に脅威を与えたなら阿片戦争のジョージ・エリオットも時代的に入選の資格があるでしょう。 当時の英国は近代化してるけど太平天国の乱以前ですし。 蒙古帝国も大英帝国も基本的に同類の外夷。 ただ陸軍国と海軍国の性質の差が、両者の支那利権へのアプローチを変えたに過ぎないと思います。 元代は支那の全てが一時的に外人に植民地化されたと考えた方が良いのではないでしょうろうか? 日本人の我々が中国人に都合の良い歴史観を盲信する必要はないと思います。 250 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/28(土) 09 39 28 ID RdoS1hu2O あんまり馬鹿なこと言ってないで過去スレ最初から見直してこい
https://w.atwiki.jp/iamemperor/pages/2.html
目次 + 目次展開 基本情報 コラボイベント イベント情報 毎日できる事 大臣育成 皇太子・皇太女 妃 連盟 盟国 データベース その他 管理人ツイート・メモ用 関連サイト日本版リンク 最新バージョン 海外版リンク 管理人Twitter 基本情報 新規サーバーおよび新規プレイヤーへアカウント削除 サーバー移動(半年に1回程度) 課金について 年度まとめ シーズン渉川万陸 封禅の儀 祝福の宴 凱旋の儀(復帰イベント) コラボイベント 少年黄飛鴻広州市街(すごろく) 夢見る敦煌 封神九霄 歩歩驚心 宮廷の諍い女 イベント情報 + サブイベント9 00~21 00 宮廷蹴鞠(個人) 健鋭閲兵(個人) 満漢全席(個人) 美人に贈物(個人) 雪玉合戦(個人) 風鳶絵夢(個人) 布陣演習(連盟) 連盟宝探し(連盟) 御海垂綸(盟国) + メインイベント10 00~22 00 羽界巡行(個人) 九歌奇譚(個人) 囲碁対決(3アカウントで1チーム) 舌戦群儒(連盟) 千機迷雲(連盟) ナーダム大会(連盟) 全サーバー蓬莱争覇戦(盟国) 攻城略地(盟国) 稜威四海(盟国) 全サーバー攻城戦(サーバー) 烽火連州(複数盟国でランダム陣営ができる) + ステータス系 全サーバー神器ランキング 全サーバー親密度ランキング 全サーバー国力ランキング 全サーバー悟性ランキング 賢才強国争覇戦 皇子修学覇戦 全サーバー声威争覇戦 全サーバー祝紋争覇戦 + シーズンポイント無し + 連盟 全サーバー遺跡 連盟闘技場ランキング + ミニゲーム系 餃子宴会イベント休止中 碧空画廊 パズルの謎 + ステータス系 連盟EXP増加度ランキング 国力ランキング 親密度ランキング 茶会ランキングイベント休止中 宴会ランキングイベント休止中 妃EXPランキング 指定大臣育成ランキング 指定妃親密ランキング 闘技場ランキング 兵消耗ランキング 銀両消費ランキング + ガチャ系 中秋博戯 万歳祭典 福運満載 + その他 王鱗進呈 期間限定モール お得累計チャージ 千雲問鶴 共同購入ギフト 海商雄図 星の賜福 渉川万陸 流觴曲水 植桜祭 和菓子大作戦 影絵くじ 園遊弁論会 神経衰弱 + 季節イベント 都灯りて 端午祭り 各イベント開始時間など 公式サイト攻略情報 + 娯楽場 海底の秘密 お忍び調査の裏話 毎日できる事 帝王戦令 海商雄図 知音/行宮御苑皇室宛囿 雲台逐玉 BBQ大会 雅苑 + 日常 日常名臣をLv10にする 15回徴税、徴糧、徴兵する 2ステージクリア 3回礼拝する 資質の実を1つ使用 妃嬪を12回引見 闘技場に2回出場(Ver3.9から2回に変更、それ以前は4回) 子女を10回指南 30回探訪する 連盟に1回寄付 名君殿に1回師事 モールで1回買い物 日常/月パス受領 日常/年パス受領 政務を4回処理 海商収益を1回受領 友好国を1回訪問 今日の活躍度 + その他 盟国 狩猟 投げ物系 宴会 後宮 探訪 皇子の書斎 翰林院 広告を見る 理藩院 闘技場 連盟 友好国訪問 皇決之選 帝王戦令 VIPボーナス 福禄楼 大臣育成 育成の基本方針 ステータスについて 資質が先か、レベルが先か 鉄帽子の人数について エース大臣について 育成ギフト考察 大臣一覧 + 育成詳細 本 資質 星 レベル 属性総合値 戦力 守護獣 悟性 府邸 バフ 神器 真龍清帝 天賦 栄仕 宣宏殿(朝典発布) + 大臣別詳細 + 太古 神農(しんのう) + 星君・不朽 星君沈謫(しんたく) 長明(ちょうめい) 朗隆武(ろうりゅうぶ) 穆固実(ぼくこじつ) アルスラーン 彦金(げんきん) 蘭如延(らんじょえん) + 妃将軍・不朽 妃将軍殷無双(いんむそう) 弥鳶(ミーユエン) 上官璃(じょうかんり) 独孤夢(どっこむ) 皇甫纓(こうほえい) 司空影(しくうえい) 顧丹陽(こたんよう) 祁小蝶(きしょうちょう) + 清帝・伝説 清帝ヌルハチ ホンタイジ 順治(じゅんち) 康煕(こうき) 雍正(ようせい) 嘉慶(かけい) 道光帝(どうこう) 咸豊(かんぽう) 乾隆帝(けんりゅうてい) 光緒(こうしょ) 伝説始皇帝(始皇帝) 武則天(ぶそくてん) 羽子皐(うしこう) + 無双 無双(科挙)ドルゴン 包龍星(ぱおろんせい) 林則徐(りんそくじょ) 岳鐘琪(がくじょうぎ) 鄭燮(ていしょう) アグイ 無双(vip)宮本武蔵(みやもとむさし) 真田幸村(さなだゆきむら) 太白(たいはく) 徳川家康(とくがわいえやす) 織田信長(おだのぶなが) 安親王(あんしんのう) 礼親王(れいしんのう) 康親王(こうしんのう 無双(その他)本多忠勝(ほんだただかつ) 坂本龍馬(さかもとりょうま) カルロ・ロゾ 慕無言(ぼむごん) 明庶(めいしょ) 凌徹(りょうてつ) + 女傑 女傑鶴姫(つるひめ) 穆蘭(ぼくらん) 慕容英(ぼようえい) 井伊直虎(いいなおとら) + 卓越 卓越呉三桂(ごさんけい) 紀暁嵐(きいん) 李鴻章(りこうしょう) ヘシェン 胤祥(いんしょう) 周培公(しゅうばいこう) 張之洞(ちょうしどう) 卓越/田文鏡(でんぶんきょう) 李衛(りえい) 劉墉(りゅうよう) 胡雪巌(こせつがん) 曽国藩(そうこくはん) 左宗棠(さそうとう) オボイ + 優秀 優秀ソニン 図海(とかい) 范文程(はんぶんてい) 納蘭明珠(のうらんめいしゅ) 年羮尭(ねんこうぎょう) 張廷玉(ちょうていぎょく ロンコド 福康安(ふかんがん) エビルン スクサハ + コラボ大臣 太古甄嬛(シンケイ) 伝説黄飛鴻(ホァン・フェイホン) 黄麒英(ホァン・チーイン) 若㬢(ジャクギ) 佐鷹(サヨウ) 無双十三姨(シーサンイー) 鬼脚七(グイジャオ・チー) 張騫(ちょうけん) 哪吒(なた) 敖丙(ごうへい) スキンについて クラス別おすすめ大臣 大臣で開放されるもの 公式サイト【大臣の育成】-「初心者」 皇太子・皇太女 皇太子・皇太女 + 皇子の書斎 御学苑 皇子の書斎 皇太子府 龍鳳殿 園遊弁論会 妃 妃について 宮廷諍いの日常 + 妃一覧 + 太古妃 太古妃女娃(じょあ) + 星君妃 星君妃安筠(あんいん) 蘇瀾若(そらんじゃく) 墨苒(ぼくぜん) 段紅菱(だんこうりょう) アルズグール 昭音(しょうおん) 蘭清朱(らんせいしゅ) + 妃将軍(妃) 妃将軍(妃)殷無双(いんむそう・妃) 弥鳶(ミーユエン・妃) 上官璃(じょうかんり・妃) 独孤夢(どっこむ・妃) 皇甫纓(こうほえい・妃) 司空影(しくうえい・妃) 顧丹陽(こたんよう・妃) 祁小蝶(きしょうちょう・妃) + 清帝妃 清帝妃沅芷(げんし) 琰児(えんじ) 雲瑾(うんきん) 阿宓(おふく) 婉寧(えんねい)清帝妃/婉寧(えんねい) 錦玉(きんぎょく)清帝妃/錦玉(きんぎょく) 楚翹(そぎょう) 令姜(れいきょう)清帝妃/令姜(れいきょう) 温如霜(おんじょそう) 卓澪(たくれい) + 伝説妃 伝説妃懐清(かいせい) 武媚(ぶび) 羽姫(うき) + 無双妃 無双妃ねね 青依(せいい) 智姸(ちけん) 陳夕顔(ちんせきがん) 素雯(そぶん) 若秋(じゃくしゅう) 温小衿(うんしょうきん) 楊玉児(ようぎょくじ) 姫小嬋(きしょうせん) 玉瑤光(ぎょくようこう) 林宛児(りんえんじ) 年漱言(ねんそうげん) 海蘭殊(かいらんしゅ) 宋蓮城(そうれんじょう) イブ 念晴(ねんせい) アンフィア 温甯(おんねい) 清影(せいえい) + 一般妃 一般妃芳儀(ほうぎ) お市(おいち) 出雲阿国(いずものおくに) 若熙(じゃくき) 思思(しし) 東珠(とうしゅ) 斉藤帰蝶(さいとうきちょう) 仙蕊(せんずい) 夏語荷(かごか) 雲舞(うんぶ) 小蓮(しょうれん) 寒煙(かんえん) コラボ妃班姮(はんこう) 函芝(かんし) 敖綾(ごうりょう) 緑蕪(りょくぶ) 敏敏(びんびん) 沈眉荘(しんびそう) 美男一覧 妃特長早見表 勢力早見表&妃娶り方一覧 連盟 + 展開 連盟 連盟海戦 ヘトゥアラ決戦 連盟認証(2021/5/31で終了) 連盟員が減ってきたら 遠海討寇 盟国 + 展開 盟国 盟国選挙 ダンジョン データベース + 展開 ご祝儀一覧 大臣早見表 課金レベル報酬 メイン画面スキン一覧 特別ギフト 通常モール その他 + 展開 PCでのプレイ方法 引換センターの使用手順:公式サイト 公式サイト画像等使用確認 管理人 楽俊について アカウント連携 サブアカウントの作り方作成制限あるサーバーあり メール紐付けの仕方 覇王への道 管理人ツイート・メモ用 管理人ツイート 関連サイト 日本版リンク 【公式HP】:https //emperorjp.clicktouch.cc/ 【公式Twitter】:https //twitter.com/IAMEmperorJP 【公式Facebook】:https //www.facebook.com/IAMEmperorJP(更新停止中) 最新バージョン 【ver4.7公式リンク】https //emperorjp.clicktouch.cc/dcNews/detailNews?dynamic_teletext_id=105 過去バージョン 海外版リンク 【公式欧米版Facebook】:https //www.facebook.com/callmeemperor 【公式台湾版Facebook】:https //www.facebook.com/jwwsygj 【台湾版Facebookコミュニティ】 https //www.facebook.com/groups/jwwsy/ ↓以下更新停止中↓ 【公式欧米版Twitter】:https //twitter.com/CallMeEmperorEV 【公式韓国版Twitter】:https //twitter.com/IAMEmperorKR 管理人Twitter 楽俊(活動中サーバー8,10,50、引退サーバー2,61,89)DMは相互フォローしてないと出来ません https //twitter.com/rakusyun8105061 上へ
https://w.atwiki.jp/koukinzokuhadou/pages/38.html
更新日時:2021年12月09日 (木) 00時51分20秒 作成日時:2021年12月09日 (金) 0時40分00秒 用途 来シーズンのアンケート結果を取りまとめ。 サマリー結果 現在の回答者数:213名 (後1日回答期間あり) 複数〇、△の回答があるため、純粋な人数把握にはならないので、目安。 回答 最前線 準アクティブ 非アクティブ 農民 〇 61 138 89 45 △ 65 37 55 38 × 87 38 69 130 メンバー毎の回答内容 以下の方は重複していたので、1行にまとめてあります。 (コキ麻呂さん、ブキチさん、スーちゃんさん、emitomoさん、聖華さん、ホルモンさん、さくやあいさん、ナオさん) アンケート場所 アンケート名 最 準 非 農 コメント 黄巾族 いろは 〇 × × × 黄巾族 ヤーマン 〇 〇 〇 〇 黄巾族 アーロ 〇 × × × グループなので希望に合わせて所属を決めれば良いかと。本店アクティブ、アルテ準アクティブ…… 黄巾族 マラ太郎 〇 × × × 黄巾族 墨 〇 〇 〇 〇 来期もよろしく頼んますm(*_ _)m 黄巾族 zabeel 〇 × × × 黄巾族 ゆっきっき 〇 〇 × × 来期もよろしくお願いします┏○ペコッ 黄巾族 ターボ 〇 〇 △ × 間違えたので、修正〜一つ前の回答は破棄させてください。 黄巾族 ほむら 〇 × × × 黄巾族 CHASER × × △ 〇 少しゆっくりしたいのでどこかちょうどいい支部にいければと。 黄巾族 ルシ 〇 × × × 黄巾族 影武者いろは 〇 〇 × × クレームは本物まで 黄巾族 ロシナンテ × △ 〇 △ 黄巾族 署長青島 〇 △ △ × アクティブな方揃わないとキツイと思いますのでよりアクティブな方居たら支店に飛ばして下さい! 黄巾族 闇蜘蛛 〇 〇 〇 〇 臨機応変に動きたい 黄巾族 peace 〇 〇 △ × 黄巾族 真冬 〇 △ × × 黄巾族 奈央 〇 〇 × × 黄巾族 トマト △ 〇 △ × アクティブに動きたいですが、1月終わりまで忙しくゆっくりします。 黄巾族 素敵な牡丹 〇 〇 × × 黄巾族 (・8・)イントロトリ × × × × 移籍します(・8・) 黄巾族 すきぴお △ 〇 △ × 2月まで忙しいですm(_ _)m 黄巾族 直 〇 △ × × 黄巾族 生ビール 〇 〇 〇 〇 また洛陽目指したいな〜弱いけど( ´Д`)y━・~~ 黄巾族 goo △ 〇 △ × 黄巾族 TAKA chan △ 〇 △ × 黄巾族 名誉会長 〇 〇 〇 〇 黄巾族 帝 〇 × × × サバ移動も含めて現在考え中です。 黄巾族 みかん 〇 〇 △ × 黄巾族 メスタージャ × × × × ちょっといろいろ考え中なので後お返事します。 黄巾族 ルイージ × × △ 〇 黄巾族 五右衛門 〇 〇 △ × 夜は弱いです(。´Д⊂) 黄巾族 ヨシ丸 〇 〇 △ △ 深夜はイン薄なので、いつでも支部へ行きますm(_ _)m 黄巾族 あきたこまち 〇 × × × 性格が瞬間湯沸かし器なので暇だと多分引退します。 黄巾族 biwako 〇 × × × 黄巾族 銀獅子 △ 〇 △ × 黄巾族 Y 〇 〇 × × グループ内でしたらどこでも大丈夫です 黄巾族 Zai 〇 〇 × × 黄巾族 ゆた △ 〇 〇 △ 俺が書いていいのか分かりませんが一応!最前線でって気持ちはあるのですが弱くてついていけませぬw配属は人事部に従います(๑•̀д•́๑)キリッ 黄巾族 唯颯 × × △ × 黄巾族 孫 〇 〇 × × 暁警察署 オルオル × × × 〇 こんな感じでー。複数⚪︎可でーす 暁警察署 権一郎 〇 〇 × × やる気だけはあります 暁警察署 池田エライザ × × △ 〇 美人でごめんなさい 暁警察署 劉公輝 × 〇 〇 × 暁警察署 劉浩 × △ 〇 × 暁警察署 hide × × △ 〇 根っからの農民ですいません 暁警察署 前田前田 × × × 〇 前田前田はてじなーにゃしながら農民です。 株価 オルサンマン × △ 〇 〇 家庭内パワーバランスを調整しながら、楽しみたい所存 株価 蒼天口論 △ 〇 △ × 弱いくせにスイマセン 株価 ラーム × △ 〇 〇 株価 穴開き靴下 △ 〇 × × 弱いですが、攻城好きなので出来るだけ多く攻城したいです。 株価 ジャス信ビーバー × 〇 △ × 諸々余裕があれば前線でやり合いたいのですが、12月は特に多忙です(--;) 株価 ホルモン 〇 〇 × × KOEIには騙されないぞ〜 株価 ぴろ丸 × 〇 〇 △ 日時で変わりますが、可能であれば積極的に参加したいです 株価 花星・阿雉 × △ △ × 家庭とのバランスでアクティブが変わります 株価 ひろあん △ 〇 〇 △ その時のタイミングによりますが、できるだけ参加したいですー 株価 めたる △ △ 〇 〇 株価 ミューラー × △ 〇 〇 株価 わぽる × 〇 △ △ 株価 LD × △ 〇 △ 株価 ワイルド △ 〇 △ × 出来る限り積極的に参加します。ただ、仕事が繁忙期に入っており、イン率が高くないので急な攻城や防衛は難しいです。 株価 まこっち × × 〇 △ 株価 ボンノ × 〇 〇 △ 宜しくお願いします! 株価 ぴろーn 〇 〇 〇 〇 じかんとぱわーがあればなー 株価 びわこ 〇 × × × 株価 カペリッター × △ 〇 × 株価 daishi △ 〇 × × 異動の状況に応じて対応します。 株価 ジーニー △ 〇 × × 深夜は動き鈍いです。防衛もやりたいと思っています。 株価 emitomo 〇 〇 × × アルテの方でも答えちゃってます…。アクティブに動きたいけど、なかなかイン時間増やせなくて準が精一杯の予感です。気持ちはアクティブ! 株価 東秋薛 × △ △ △ 株価 唄2 △ 〇 〇 〇 仕事中チラIN多いのでアクティブに動きたいんですがなかなか時間取れずすいません 株価 夜光 △ 〇 × × たまに血圧上がり凸しますがリア優先してます 株価 トマスケ △ 〇 × × 株価 熊虎 × 〇 △ × 株価 Rio-R × △ 〇 △ 仕事の時間が不規則なので皆さんに揃っての行動が難しいです… 株価 ロイホセ × × △ 〇 メインが8サバなので、どうしてもイン下がるので 株価 亀仙人 △ 〇 × × 強敵と戦いたいですが瞬殺されます(笑) 株価 王翦 × 〇 〇 △ 株価 マドラグ △ 〇 × × 日中と夜中は弱いです。 アルテミス ショウエイ 〇 〇 × × アルテミス リヒト 〇 〇 × × アルテミス ももクロ 〇 〇 × × アルテミス すがもん △ 〇 △ × アルテミス とんがりコーン 〇 △ × × まずは軍令書、帰還札を前半は貯めたい アルテミス 華志 〇 〇 × × アルテミス くまもち △ 〇 〇 △ アルテミス なおなおなお 〇 〇 × × アルテミス ミル 〇 〇 × × アルテミス ゆうき 〇 × × × しばらく放浪します。然るべきときに復帰させてください。わがまま言いますがよろしくお願いします。 アルテミス ズー × 〇 × × アルテミス 壱號 〇 〇 △ △ アルテミス オルシエ × △ 〇 〇 ある程度、体制整ってぐるぐる回るようにできたら、石を拾う生活でゆったり計画 アルテミス よこちん 〇 〇 △ × アルテミス 慕容格 △ 〇 △ × 課金ペースは落とし気味です… アルテミス ひでお 〇 〇 × × アルテミス 亮良 × 〇 〇 × 仕事がどのくらい忙しくなるか読めません。 アルテミス 熱男 △ 〇 〇 × アルテミス 虎助 △ 〇 × × アルテミス 蒼じゅう △ 〇 △ × アルテミス 家殻売り女 △ 〇 △ × アルテミス 刹那 × 〇 〇 × 仕事で0時以降しか活動出来ません アルテミス 白鳳院 × 〇 △ × アルテミス カッスー × 〇 △ × 年末にかけて繁忙期のため。ちゃんと動けるのは年明けからになります。 アルテミス ENA △ 〇 △ × 画竜点睛 snowman △ 〇 〇 × 画竜点睛 宋江 △ 〇 〇 × 画竜点睛 いずみ △ 〇 △ × 画竜点睛 SBQ × △ 〇 × 画竜点睛 イーサン △ 〇 〇 × まだ弱いけど( ̄▽ ̄;) 画竜点睛 エミオ △ 〇 〇 〇 画竜点睛 AG △ 〇 〇 × 画竜点睛 槙央 △ 〇 〇 〇 正直今シーズンは少し暇だった気がしてる農民です。 画竜点睛 julio △ △ 〇 △ 画竜点睛 ピサロ △ 〇 〇 × 画竜点睛 テラー × × △ 〇 イベントに力入れたいです! 画竜点睛 スーちゃん × 〇 〇 × 無防備なメンバーと同居は嫌です 悲しくなるから 画竜点睛 ようっぺ × 〇 × 〇 画竜点睛 さくやあい △ 〇 〇 × 画竜点睛 萌莉雄 × 〇 〇 × 画竜点睛 ログホライゾン × × 〇 〇 サブなのでm(_ _)m 天空進撃 柳生十兵衛 〇 〇 × × 次シーズンもよろしくお願いします。 天空進撃 柳生石舟斎 × × × 〇 新陰流は温存して耕す^ ^ 天空進撃 TOKI 〇 〇 × × 宝くじ当たったらUR凸!ww 天空進撃 ししまる 〇 〇 △ × 天空進撃 妄想監督 × 〇 × × 天空進撃 レッド × × 〇 〇 天空進撃 しのしの △ 〇 〇 △ 天空進撃 R.L.P 〇 〇 × × 天空進撃 駿雄郞 × × 〇 〇 天空進撃 チェリイ 〇 〇 × × 天空進撃 ピノこちゃん × × × 〇 天空進撃 KIOSK 〇 〇 × × 戦力はありませんが、、、。 天空進撃 進撃の小人 〇 〇 × × 天空進撃 進撃の6 × 〇 〇 × 天空進撃 ビーレジェンド × 〇 〇 × 天空進撃 瑠班 × 〇 〇 × 天空進撃 のぶよし 〇 〇 △ × 天空進撃 王平 〇 △ × × 天空進撃 神泥麗羅 △ 〇 △ × 宜しくお願いします。 天空進撃 うっかり × 〇 〇 × 天空進撃 デナーリス △ 〇 △ × 天空進撃 轟金剛 × × △ 〇 天空進撃 社長ちゃん △ 〇 △ △ 天空進撃 白桃烏龍 △ 〇 × × 天空進撃 ダース 〇 〇 △ × 天空進撃 葡萄 △ 〇 △ 〇 天空進撃 どんちゃん 〇 〇 × × 天空進撃 司馬 △ 〇 〇 △ 天空進撃 雅山 △ 〇 〇 △ 天空進撃 沙希 △ △ △ △ バランス取れる方法考え中です^^; 天空進撃 ジーニ × 〇 〇 △ 天空進撃 大ちゃん △ 〇 × × 現状我々の軍団は、それなりに戦うに値するレベルだと思います。 天空進撃 より △ 〇 △ 〇 天空進撃 なみたつ 〇 〇 × × 天空進撃 龍浪 × × 〇 〇 天空進撃 西平 △ 〇 × × 天空進撃 氷川参道 △ 〇 〇 × 天空進撃 真菜 〇 △ × 〇 攻城戦もイベントもしたい! 天空進撃 かいらや 〇 〇 × × 攻殻 元譲 × △ 〇 〇 年末繁忙期でイン率大幅に低下します_( 3 」∠)_ 攻殻 少佐 × × △ × 来シーズンは年末年始ゆっくりしたいのが本音ですが...黄巾の敵は倒します 攻殻 えむびー △ 〇 〇 × 攻殻 アミジオ △ 〇 〇 △ 攻殻 ブキチ 〇 〇 △ △ 黄巾グループのお役に立てれば! 攻殻 Shelina × △ 〇 〇 攻殻 noel × △ 〇 △ 攻殻 ナオ △ 〇 △ × 目指せS城!! 攻殻 たいよう × 〇 〇 △ 攻殻 デススター × 〇 〇 △ 攻殻 こしあんこ × 〇 × × 重要イベントは農民、攻城はノリで 攻殻 くろのわーる △ 〇 △ × 攻殻 聖華 △ 〇 △ △ 攻殻 心配 × × 〇 〇 とりあえず優良C城周りで農民とイベント頑張りたいですね。 攻殻 関将樹 △ 〇 〇 △ できる範囲で目一杯楽しみます 攻殻 鳳梨 × 〇 〇 △ 攻殻 NOGU △ 〇 △ × 攻殻 テイオー × △ 〇 〇 攻殻 ユウダイ × 〇 〇 △ 攻殻 カイエン × △ 〇 〇 攻殻 やす × 〇 × × 攻殻 浦島 × × 〇 〇 攻殻 kumakuma × 〇 △ × 攻殻 熊突 × △ 〇 〇 攻殻 孫卓 △ 〇 〇 △ 攻殻 メイサ × △ 〇 × 攻殻 一凛 △ 〇 × × 攻殻 ツムツム × × 〇 × 攻殻 おでん △ 〇 △ × 攻殻 百式 △ 〇 〇 × 攻殻 正樹 × △ 〇 △ 天翔虹色 サイコパスで悪長 × △ 〇 × 例)軍令は腐るほど(腐らないけど)有り余っています… 天翔虹色 黄巾防衛隊隊長 △ 〇 × × 例)イン出来る時間に限りはありますが、出来るだけ前線で戦いたいです 天翔虹色 程遠志 △ 〇 〇 △ 軍令は余っておりますwグループ全体で協力出来るといいっすね(๑•̀д•́๑)キリッ 天翔虹色 けんしん × 〇 〇 × 今期は日光さんのサポート 天翔虹色 rasumiu × △ 〇 △ 仕事が多忙でインが深夜の傾向です。軍令はかなり貯まってます! 天翔虹色 坂東玉三郎(監督) × × △ △ チラインのみ 枠圧迫なら解雇してください。 天翔虹色 エクシブ × 〇 × × 本店に戻る予定ですがそれまでは頑張ります 天翔虹色 胡蝶忍蟲柱 × △ △ 〇 1週間に1回は攻城に参加したいです。攻城開始時間を夜7時から10時にしてくれると参加できる可能性が増えます 天翔虹色 腹黒タレ眉毛 △ 〇 〇 × 次のシーズンはグループから脱退すると思います。 天翔虹色 shanks △ 〇 × × 天翔虹色 石清 × △ 〇 △ 10時から17時、21時以降はインできます 天翔虹色 ホタテ × × 〇 × 仕事忙しくてイン薄いです。悪天候で船が出せないときは頑張ります(^o^)/ 天翔虹色 コキ麻呂 × 〇 〇 〇 みなさんと楽しくやれれば、 天翔虹色 リトルビッチ × △ 〇 〇 仕事がら時間不定期な為なかなか皆さんとお話ができなくてすみません。 天翔虹色 忠興 × △ 〇 〇 ログインは基本深夜になると思います。よろしくお願いします。 天翔虹色 たはる × × 〇 × 仕事の都合でイン時がまちまちです。インしている時はできるだけ戦いたいです。 天翔虹色 郭備 〇 〇 〇 × 天翔虹色 アクア × × × 〇 基本的に農民です。 天翔虹色 ぱとぽょ × △ 〇 △ いつも参加できず申し訳ありません。来期はも少し頑張ります。 天翔虹色 奏周宗 △ 〇 〇 △ 仕事が不規則なので、ご迷惑おかけします。暇な時はだいたいインしてます。よろしくお願いします♪ 天翔虹色 riocha × 〇 〇 × サブですので、メイン優先になりますm(._.)m 天翔虹色 鳳数 × △ 〇 × コメント欄 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/yaruoperformer/pages/664.html
/_二ニ=- 、 / / | .| | .| _ --――-≦=-l ヽ∨/ \|‐t ____≦ ー 、 ヽv-、 `>. i 、 ヽ ,.∧ / レ /./ ∧ , ∨、 ヽ, 、 ヽ.ヽヽ,.Y ヽ, __, = 、 il ./| | | l i ∧\ |\ _A ∨i ヽl  ̄  ̄ ´ ` V || l_⊥ ∨ヽ.∧_ =≦ニ_.l | ヽ__ ノノ ∧ Vシ‐t卞ゝ 匕v|ソi| ミ゙ - 、 / ∧ヽ 叨リ . ー´ .Ξ_ー _ ヽ / / .l ∧ l . lニ`Vイ >x, __ ∨ { / { | |ニ /- ンノ_| ̄ ̄>, ヽ ヽ l | | .∨,ニ\ ´ ̄` 1/三ー‐-- }__V ´ - .|_ ヽ  ̄ \ , . | L \___>Y ̄`__ \≧x Y ..≧= ≦.====⊥_ニ 、__ \ ≦ ̄、 _ < _ -―==-ry ̄ ̄ ̄ニ  ̄l ̄ ̄l {i_,、_ ー‐ヘ \\ >'''´ { | | ヽ; | i,i {{ /仁コ | __;; V y /  ̄ , < \ _ -=ニニニ L - - - /__ニ____ _r ヽ /x __≦ < \ /ニ---..__ 。 \ ∠ フ / ̄ ̄ ̄ ̄´ゝ‐〈_⊥< \ ∧≦== __ο ――< ̄ >=ニ ̄`<―<‐´  ̄ ̄ tー- _ } .仁ニYニ.|4-,_| >、 \ \ >x i 仁 〈‐‐Y ,x‐- _. ∧ . ∧ ∧ ∨ / / ∠〈 ̄.l .人-^ <, \ , -‐三 )(ニニニ) i----f, ,____∨ >x_ / v\ } ト‐ .\ ∧ ` ̄ } }  ̄ ̄ l ー‐y| >´/  ̄ ̄ \∨ナY^ー-<_ ∧... |_ __ бフ--__OL L._ L _ > / |__l ∨_ -― ̄ V-― ┘ テ‐ナフ ー―´. /  ̄lー- ‐‐ ∨.iゝ∨ ’ ` ,,,,;;''" ,ソ/ //. / | ll | ∧,Vヾ .. ,;''' _ / //. / | ii | }v人 ';;,,;, ''' ゝ Y \\. // / } ii { / ,,,,,,,, _ _ <,,,, ニ= _.//../ .l i l } ,,,; '' //; ,,;;, '' / ノ | ∨ i ∨ / ''' ,; // ;; '' / / l l | 名前:セイバー/真名:アルトリア・ペンドラゴン 性別:女 原作:Fate/stay night AA:TYPE-MOON作品/Fate/00 英霊/Ⅰセイバー/アルトリア・ペンドラゴン/アルトリア・セイバー 主人公の衛宮士郎に召還された英霊。見えない剣を武器に戦う騎士少女。 セイバーはサーヴァントとしてのクラス名。真名はアルトリア・ペンドラゴン。 (英霊は名を知られると不利になるため、マスターの士郎も含め秘密にしている) 偶然、聖杯戦争のマスターとなってしまった士郎に召還され士郎とともに聖杯戦争を勝ち抜いていく 。 細く小柄な見かけによらず(中の人ネタから)大食いで「腹ペコ王」とも呼ばれている。 10年前の「Fete/Zero」では士郎の養父である衛宮切嗣に使役されるが、思想の違いから彼との関係は最悪だった。 また「Fate/EXTRA」で彼女そっくりのセイバーエクストラ(通称:赤セイバー)が登場する。 他にも公式に多数のそっくりさんが登場したため、それぞれ色で区別され彼女は「青セイバー」と呼ばれている。 その1人かは不明であるが「帝都聖杯奇譚」ではアーチャーのマスターのハーフの少女としてスターシステムで登場。 やる夫スレでは甲冑や剣を構えるAAが多いことから、騎士や剣士、王などとしてファンタジー系スレでの需要が高い。 甲冑を脱いだAAも多いので日常系スレでは外国人役も。 赤セイバーとは血縁関係での登場も少なくなく、同一人物設定の場合もある。モリソバと二人一役なことも 基本的にどのスレでも腹ペコキャラは共通している。 尚、並行存在としてはサーヴァント・ユニバースの謎のヒロインXがおり、そっちとも同一人物として扱われるスレもある。 その他、ランサーとしての姿やそのオルタといった更に異なる可能性も登場しており、 特にランサー版はセイバー版から胸部をはじめ色々と成長した姿として扱われることも。 キャラ紹介 やる夫Wiki Wikipedia TYPE-MOONWiki MUGENWiki アニヲタWiki ニコ百 ピクペ 登場作品リスト タイトル 原作 役柄 頻度 リンク 備考 Pendragon 歴史・アーサー王伝説 アーサー王本人 主 まとめ エター 2X歳、OLアーマードエージェント:コードネーム セイバー オリジナル 本名「田中ペン子」バトルアーマーを着るエージェント 主 まとめ 予備 アルトリアさんはてんせいしゃ オリジナル 転生者。殺人上等の行動で周囲を振り回す 主 まとめ 予備 完結 くーねるせいばー くーねるまるた ポルトガル人 主 まとめ エター くっころそうちょうアルトさん オリジナル レディース(?)チーム「苦津殺」の総長。重度のコミュ障 主 まとめ 完結 La Belle Equipe 王様のレストラン 「伝説のギャルソン」千石 武役 常 まとめ 完結 ガラル地方でチャンピオンになったやる夫は、今度はパルデアに行くそうです ポケットモンスタースカーレット&バイオレット 伝説のポケモンザシアンの人間体 常 まとめ R-18 キル穂が性杯戦争に参加するそうです Fate 性杯戦争に召喚されひどいことに 常 まとめ 12/24ネタ 肯定無慧な オリジナル いきなりできる夫の腕を食べた 常 まとめ エター サムライ☆べゑすぼおる オリジナル 新撰組、松前藩担当 常 まとめ R-18G エター ジーク君は復讐の旅をしているようです ガン×ソード ユキコ・スティーブンス役 常 まとめ R-18 完結 シンがショッカーに立ち向かうようです レッツゴー仮面ライダー ネオイマジン・テディ役 常 まとめ 完結 翠星石は夢を見ているようです ドラゴンクエストVI ミレーユ役、凄腕の剣士 常 まとめ 完結 タンジェロ・ポッター J・K・ローリング「ハリー・ポッター」 ロン・ウィーズリー役、性別逆転のせいかヒロイン化 常 まとめ 予備 あんこ ちっちゃいやる夫の姉 オリジナル やる夫の料理が大好き 常 まとめ 完結 血まみれ勇者 オリジナル Aランク冒険者(タンク) 常 まとめ rss 完結 入速出邸の住人はフリーダムなようです オリジナル やる夫の妻 常 まとめ 完結 のんのんびよりのロボット王国 ドラえもん『のび太とロボット王国』のんのんびより ジャンヌ役 常 まとめ 予備 完結 貧乳のリナ・インバースは家庭教師になるようです サモンナイト3 ファリエル・コープス枠 常 スレ やる夫Wiki あんこ 完結 凡骨王ギルガメッシュ 遊戯王 アカデミアのリンク次元出身の新入生 士郎一筋。ギルガメッシュに度々好意を向けられてはその都度冷たくあしらう 常 まとめ rss あんこ 完結 やらない夫は集われるようです オリジナル 遊歴に出たばかりの騎士 常 まとめ 予備 やらない夫は弱虫のようです ドラゴンクエストV小説版 スライムナイトのピエール役 常 まとめ やる夫が大事なカメと大事なカメを探し歩くそうです 百器徒然袋-雨 素性不明の外国人の女性。日本語が話せない 常 まとめ エター やる夫が『梅松論』を語るそうです。 梅松論など 楠木正成役 常 まとめ 予備やる夫Wiki やる夫がローエングラム候と戦うようです 銀河英雄伝説 ラインハルト・フォン・ローエングラム役 常 まとめ 完結 やる夫たちでソードワールド海賊PT ソードワールド2.5 人間の傭兵 常 第1話 まとめrss 安価 短編集完結 やる夫は騎士として生きるようです オリジナル ミスティア国の女騎士。姫である翠星石の護衛 常 まとめ 完結 やる夫は魔を統べる者になるようです メギド72 シャックス役 常 まとめ あんこ エター やる夫]]は勇者と共に生きるようです ドラゴンクエストIV ライアン役 常 まとめ 完結 やる夫は芳香のために塔に挑むようです オリジナル 塔の門番「力の守護者」 常 まとめ 予備 エター 遊☆戯☆王デュエルモンスターズYX 遊戯王 やる夫のフェイバリットカード「光と闇の竜」 常 まとめ 完結 アーダン・やる夫の聖戦の系譜 ファイアーエムブレム聖戦の系譜 シャナン役1部の子供時代はオヴェリアの姿で2部からの登場 準 まとめ 彼らはDQ2でロトと賢者の末裔のようです ドラゴンクエストII やらない夫の剣の師匠 準 まとめ 雛苺と白饅頭な騎士 オリジナル ブリタニア王国の君主、アルトリア=ヴィ=ブリタニア 準 まとめ 予備 みょんすたーはんたーポッケ村の新米ハンター モンスターハンター 野良アイルー 準 まとめ 完結 やる夫が狂王の試練に挑戦するようです ウィザードリィ 冒険者の一人。ギルガメッシュと恋仲 準 まとめ 完結 やる夫達と楽園の瑕 楽園の瑕 慕容燕役、できる夫にやらない夫の暗殺を依頼する 準 まとめ 予備 完結 やる夫の冒険は終わりました オリジナル やる夫の祖国の女王 準 まとめ 完結 あなたは騎士の学校に招かれたようです オリジナル 王女 脇 まとめ R-18 安価あんこ エター 彼らにとってエンディング後の世界は狭すぎるようです オリジナル やる夫の従者 脇 まとめ 予備rss 第一部完 彼らはDQ2でロトと賢者の末裔のようです ドラゴンクエストII ローレシア剣客セイバー 脇 まとめ 完結 彼らは本能に従うようです。 モンスターハンター HR9、 第3女王の近衛 脇 まとめ 予備予備2 白頭と灰かぶりの魔女 オリジナル ドリームキャッチャーの配下、キングの1人 脇 まとめ rssやる夫Wiki R-18 真ドラゴンクエスト6ダークネス~衝撃!!幻の大地編!!~ ドラゴンクエストVI 『勇者』剣士王【絶対勝利の斬撃皇帝】 脇 まとめ 翠星夫でスーパー●●オRPG スーパーマリオRPG ケンゾール役 脇 まとめ やる夫Wiki エター スバルはブレイクされた世界で頑張るようです 魔法少女リリカルなのは ブリテンの王 脇 まとめ 予備 完結 俗物なフリーザ様が宋江になるようです 水滸伝 阿骨打の娘、訛里朶(オリド)役 史実ではその五男晁蓋の婚活で阿骨打共々候補に挙がるが…… 脇 まとめ 予備 あんこ R-18G完結 追放ニート侍 オリジナル 冒険者 行きつけの武器屋の店主とは良好な関係 脇 まとめ 予備 あんこ 完結 パチンカス勇者と土下座プリンセス オリジナル ネロ殿下の妹 脇 まとめ 完結 雛苺と白饅頭な騎士 オリジナル ブリタニア王国の君主、アルトリア=ヴィ=ブリタニア 準 まとめ 予備 モルガンと往く人理修復 Fate/Grand Order 本人役。stay night編で登場 脇 まとめ 予備 あんこ やる夫サイエンス まんがサイエンス ごはんとお餅の専門家、米についての解説役 脇 まとめ やる夫Wiki 完結 やる夫は怪獣の狩人になるようです。 ウルトラシリーズ ザラブ星人『セイバー』 脇 まとめ R-18 安価あんこ 完結 [やる夫が0からはじめるようです オリジナル 薔薇王国の王妃 脇 まとめ やる夫の北海道カオス立志伝 太閤立志伝 士郎の従者。同一容姿の先祖も、解説編で登場 脇 まとめ やる夫は初代勇者なようです オリジナル 八代目勇者 脇 まとめ 完結 やる夫は地球侵略に来た帝国の戦闘員のようです オリジナル ギルガメッシュの妃 脇 まとめ R-18 やる夫はロス市警の警部のようです Another File 刑事コロンボ ルース・リットン役 脇 まとめ やる夫Wiki 完結 レミリアは青春を謳歌するようです オリジナル 王国の騎士 脇 登場回 まとめ あんこ やる夫達は安価で作られた世界で生きているようです 短編集 いくつかの作品に様々な役回りで登場(*1) - Wiki まとめ 短編集 短編 タイトル 原作 役柄 リンク 備考 セイバーは、自分の名を探るようです 歴史・アーサー王伝説 聞き役 まとめ 短編
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/210.html
トップページ>韓国>東方学志 『東方学志』100、1998 이만열「国学の成立発展とその課題」 薛盛璟「国学の新しい分野を開くための模索:地域・国家葛藤の源泉解体に向かうふたつの課題」 金駿錫「西渓朴世堂の為民意識と治者観」 문효근「『訓民正音』の形体学的解体:「ㅇ」の形体を明らかにするために」 崔喆「郷歌解釈の争点に関する議論」 『東方学志』99、1998 池培善「前燕慕横皝在位時の社会経済政策について:封裕の上疏を中心に」 姜恩景「高麗後期戸長層の変化と『世宗実録地理志』の土姓・亡姓」 崔鍾鐸「朝鮮初期平安・咸吉道の地方勢力」 方基中「日帝下裵敏洙のキリスト教農村運動論:長老教農村運動の政治思想的接近」 許璧「古代漢語の複合文研究」 이윤석「東洋文庫本『洪吉童伝』研究」 『東方学志』98、1997 柳仁煕「現代韓国哲学の定立と新儒学の研究:韓国と中国の新儒学理解とアジアの現代哲学の道」 안종수「西洋近世哲学者の新儒学理解:マルブランシュとライプニッツを中心に」 崔龍水「中国「実事求是」の由来と発展:現代中国哲学と中国伝統哲学の関係問題についてのひとつの反省」 리기용「朝鮮性理学における朱子学の受容と定立:退渓と栗谷の理気心性の問題を中心に」 임원빈「南塘韓元震哲学における性理概念の発展」 신규탁「後来末朝鮮初の仏教思想に現れた実際論的要素」 남기심「「朝鮮語理論文法」の国語文章類型分離について」 우형식「北韓文法における文章成分設定」 菅野裕臣「北韓文法学の系譜とソ連言語学との関係(1945-1990)」 서상규「「単語結合」と「単語調和」についての考察」 고영진「北韓文法の「単語造成論」の成立過程」 김하수「北韓から見る「朝鮮語」に対する一般言語学的解釈に関して:教育図書出版社の「言語学概論(1970)」評説」 薛盛璟、김영민、최유찬、양문규、심원섭「統一韓国文学の進路と世界化方案研究:南北韓文学の相対的比較と展望を中心に」 『東方学志』97、1997 河日植「新羅統一期の王室直轄地と郡県制:菁堤妃貞元銘力役運営の事例分析」 강은경「高麗後期戸長層の変動と「両班・郷吏・戸籍」の整理:国宝戸籍を中心に」 도현철「高麗末期の礼認識と政治体制論:李穡と鄭道伝系列士大夫の思想比較を中心に」 김진근「儒家哲学の固有論理:「待対」と「変易」」 배윤덕「黄胤錫の理藪新編研究:四声通解と関連して」 조규익、소재영「『湛軒燕行録』研究」 『東方学志』96、1997 羅逸星「『高麗史』「天文志」の日月食記録」 李煕徳「高麗の天文官制」 전상운「高麗時代の科学と技術、その総論的接近」 楊立強「近代中国資産階級の研究についての評述」 許璧「古代漢語の副詞研究」 최철「高麗詩歌の仏教的考察:「処容歌」「動動」「履霜曲」「鄭石歌」「双花店」を中心に」 薛盛璟「実在人物洪吉童の生涯再構(1):出生と成長、国内活動部分を中心に」 尹柱弼「筆写本「成春香歌」の異本的特徴」 『東方学志』95、1997 黄時鑒「宋ー高麗ー蒙古関係史に関する一考察:「収刺麗国送還人」について」 金丁煥「ウェソル・崔鉉培の教育思想分析」 신규탁「涵虚得通に現れた仏教倫理と儒教倫理の衝突」 노대규「詩の言語学的分析:李陸史の「絶頂」を中心に」 안병희「金安国の崔世珍挽詞」 Daniel Bouchez「原文批評の方法論に関する小考:『南征記』と『九雲夢』を中心に」 이강엽「討議文学の伝統と古小説討議構造の総合的考察」 『東方学志』94、1996 李景植「朝鮮前期両班の土地所有と封建」 金容燮「哲宗朝の民乱発生とその指向:晋州民乱按覈文件の分析」 최원규「大韓帝国と日帝の土地権法制定過程とその志向」 김영민「近代転換期「論説的叙事」研究」 薛盛璟「ヨーロッパ韓国学会(AKSE)を通じて見た国学研究現況」 許璧「古代漢語の疑問代詞研究」 『東方学志』93、1996 李仁在「高麗中後期収租地奪占の類型と性格」 全相運「「天象列次分野之図」刻石が国宝第228号に指定されるまで」 나일성「「天象列次分野之図」と刻石600周年記念復元」 南文鉉、韓永浩「朝鮮地名がある「天象列次分野之図」写本」 李勇三「世宗代簡儀の構造と使用法」 『東方学志』92、1996 오영교「17世気郷村状況と守令制整備論」 오경평「抗戦時期に韓国臨時政府の承認について中国国民政府がとった態度に関して」 薛盛璟「九雲夢の夢幻体系と禅問答」 전인초「変文の中国小説史的研究」 許璧「古代漢語の指示代詞研究」 Frits Vos「私の韓国学の道のり」 『東方学志』91、1996 강맹산「高句麗族初期のふたつの高句麗国家」 池培善「太上5年以後の南燕について」 이강로「門弟子の弁別とその処理:三国史記・地理志から」 양정석「「이다」構文の意味解釈」 David R. MeCann「処容説話、文学的協商の説話」 李煕徳「『高麗史』五行志、訳註(完)」 『東方学志』88、1995 도현철「高麗末期士大夫の理想君主論」 池培善「前趙と劉淵」 朴洋子「朱子の書院観:特に「白鹿洞書院掲示」を中心に」 박영신「ハンギョル金允経の社会思想(1)」 安大会「尹春年の声律論について」 남기심「語彙の意味と文法」 金成俊「経国大典吏典註釈(9)」 『東方学志』87、1995 河政植「太平天国と1850-60年代初の朝鮮王朝の危機意識」 金聖甫「北韓の土地改革(1946年)と農村階層構成変化:決定過程と地域事例」 陳久金、羅逸星「子弾庫帛書から見た楚民族の力法」 吏炫植「燕巌朴趾源文章の修辞的様相についての考察」 許璧「古代漢語の動詞と形容詞の特殊用法」 李煕徳「高麗史五行志訳註(2)」 『東方学志』86、1994 李亨求「高句麗の三足烏信仰について:考古学的側面から見た鳥類崇拝思想の起源問題」 白承哲「16世紀地主剰余物の商品化と流通経済の変化」 안종수「孔子の徳と孝思想」 池培善「韓恒について」 金成俊「経国大典吏典註釈(8)」 조혜정「伝統文化とアイデンティティに関する談論分析」 송도영「領土再編成過程の中の文化的主体の範疇:民族主義の事例」 한경구「日本の文化と日本の企業:文化論的説明の虚と実」 Roger L.Janelli、임돈희「韓国資本主義における物質的観念と観念的物質」 『東方学志』85、1994 李仁哲「高麗時代足丁・半丁の新解釈」 박경안「麗末儒者の田制改革論について」 李景植「朝鮮前期土地の私的所有問題」 오영교「17世紀郷村対策と面里制の運営」 박영신「社会思想家としてのウェソル崔鉉培(1)」 卞麟錫「圓仁の「入唐求法巡礼行記」に現れた「本是新羅人」に関する考察」 이윤석「「洪吉童伝」原本確定のための試論」 李煕徳「高麗史五行志訳註(2)」 『東方学志』84、1994 이만열「韓末欧米諸国の対韓宣教政策に関する研究:宣教師の韓国政治状況に対する姿勢と関連して」 池内敏「18世紀日本民衆の朝鮮認識」 谷川道雄、金民寿(訳)「中国中世社会と「豪族共同体」」 柳仁煕「退渓哲学の近代的意味と東アジアの未来社会」 이강로「三国時代吏読の入門研究:「屈」と「届」の比較から」 김미란「朝鮮後期女流文学の実学的特質:特に18世紀を中心に」 薛盛璟「春香伝熱風と東革前夜の怒気」 許璧「王力の生涯と研究業績」 조흥국「17世気タイの歴史史料研究:タイ史料と日本文献「華夷変態」を中心に」 金成俊「経国大典吏典註釈(7)」 『東方学志』83、1994 特集:近代韓国100年文学史の再照明 신동욱「李光洙小説に設定された指導思想の形象化考察」 이선영「「土(흙)」の物語とその意味:体制の中の理想郷と隷属資本主義」 김열규「李光洙文学の文法:談話論的接近のためのひとつの試み」 김태준「李光洙の文学論:「文学とは何か」を中心に」 姜昌民「春園李光洙の詩世界:仏教的世界認識の内的真実性」 김영민「南北韓における李光洙文学研究史の生理と検討」 三枝壽勝「「再生」の意味は何か:日本における李光洙研究」 김영민「春園李光洙関係研究資料目録」 『東方学志』82、1993 李煕徳「新羅時代の天災地変」 金容燮「朝鮮後期身分構成の変動と農地所有:大邱府租岩地域量案の戸籍の分析」 최원규「1920・30年代日帝の韓国農業植民策と日本人自作農村建設事業:不二農村の事例」 신기욱「1930年代農村社会の変化と葛藤:その起源と遺産」 宋在雲「王陽明哲学における知と実践の問題」 김창룡「仮伝と墓誌銘:附「菅処士墓誌銘」「雍侯墓誌銘」」 金成俊「経国大典吏典註釈(6)」 『東方学志』81、1993 申瀅植「北韓の「高句麗史」(『朝鮮全史』3)の分析と批判」 이기길「全羅南道の旧石器文化」 池培善「慕容翰について」 南豊鉉「高麗本瑜伽師地論釈読口訣について」 남기심、조은「「制限小説」論項構造について」 홍재성「約束の文法:叙述名詞の語彙・通詞的記述と辞典」 金成俊「経国大典吏典註釈(5)」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-140 141-160 161-180