約 21,296 件
https://w.atwiki.jp/eiketsu-taisen/pages/272.html
武将名 とりいもとただ 鳥居元忠 統一名称:鳥居元忠 生没年:1539~1600「何があろうとも、殿を守る それが三河武士の心意気だ!」徳川の家臣。忠節を尽くすことで知られる三河武士の中でも随一の忠臣。今川家の人質時代から家康に従い、常に戦功をあげてきた。家康は幾度も感状を与えようとしたが、他の主君に仕える気のない元忠は、感状を受け取らなかったという。 勢力 碧 時代 戦国 レアリティ N コスト 2.0 兵種 鉄砲隊 武力 8 知力 2 特技 - 計略 三河武士の意地(みかわぶしのいじ) 武力が上がり、兵力が上限を超えて回復する。ただし効果終了時に撤退する 必要士気 5 効果時間 知力時間 Illust. 伊藤サトシ 声優 岡野浩介 計略内容 カテゴリ 士気 武力 知力 速度 兵力 効果時間 備考 超絶強化 5 +8 - - +40% 7.5c(知力依存0.8c) 兵力上限突破。効果終了時に撤退 (最新Ver.2.0.0D) 調整履歴 修正Ver. 変更点 内容 備考 Ver.1.0.0F 効果時間 7.5c(公式の6.7cは誤り) → 6.7c(公式の5.8cは誤り) ↓ - Ver.1.1.0D 武力上昇値 +10 → +8 ↓ - Ver.2.0.0D 効果時間 6.7c → 7.5c ↑ - 所感 翠スターターの1枚にして2コスト8/2の鉄砲。 2コスト武力8と白兵能力、射撃火力ともに高い。 計略「三河武士の意地」は超絶強化。 武力上昇と上限超え兵力回復を併せ持つ代わりに、効果終了時に撤退してしまう。 撤退前提であるためメインとして使える計略ではないが、自城付近での敵の号令や超絶強化を濁す手として有用。 また効果時間中は高武力の鉄砲となるので、5発全弾当てたときの威力は激烈。 使用した際はなるべく乱戦と射撃の両方を活用していきたい。 解説 関ヶ原の前哨戦となる伏見城の戦いではわずか1800人の兵で4万の西軍を13日間足止めして討死し、「三河武士の鑑」と称された武将。 生涯徳川に仕える決意を固めた忠臣である一方でちゃっかりした一面もあり、武田家滅亡後に家康が甲斐を占拠すると、 人心を得るため馬場信春の娘を探して連れてくるよう命じられるが、見つからなかったと嘘をついて自分の側室にしてしまった話が残っている。 テキストにある「家康からの感状を断った」というのは、感状とはいわば表彰状であり、功績やキャリアの証明となるもの。 それ自体名誉であることなのだが、これが役立つのはもっぱら就職活動。つまり「新しい主に自分の実績をアピールできるもの」なのである。 しかし家康以外に仕える気のない鳥居元忠は無用の長物だったので断った、という忠義を示すエピソードである。 伏見城の戦いでは家康は石田三成が攻めてくることを予見しており「降伏しない」「逃げない」「寡兵で大軍相手に時間を稼げる猛者」つまり「忠臣の捨て石」を求められた。 そこで白羽の矢が立ったのが鳥居元忠である。 伏見城を発つ前夜、家康と元忠は酒を呑み交わし、長年共に過ごした元忠のために少しでも多くの兵を残そうと提案したが、 自分の役割を理解していた元忠は「この先沢山の兵が必要なはず。死にゆく城に残す兵は少ないほうが良い」と断り、家康は涙したと言われている。 大戦シリーズにおいて 戦国大戦では今川家所属の2枚(C)と徳川家所属の3枚(青年期のUCと晩年のR)の計3枚が存在。 イラストレーターは今川時代(C)と同じ伊藤サトシ氏、鎧の意匠は概ね青年期(UC)とほぼ同一、2コスト鉄砲という点は晩年(R)と同じと、 戦国大戦の3枚の要素をそれぞれミックスしたようなカードデザインとなっている。 裏面フレーバーに家康以外に仕える気はないとまで書かれているのだが、家康と組むと遠距離兵種に5コストも割く事になるのでデッキバランスが歪になりやすい。 また、継続的な兵力回復で戦線を維持しやすい家康の計略に対し元々遠距離戦向きかつ計略が自爆前提で一発の火力に長ける鳥居と、お互いの役割もいまいち噛み合っていない。 結果として劉備や関羽、土方など他の時代の号令デッキにパーツとして用いられる事が多いのはご愛敬。 台詞 \ 台詞 開幕 殿の前で戦い、殿より先に死ぬ。これが三河武士だ! └碧025_徳川家康と出陣 何があろうと殿は拙者が守り抜きますぞ 計略 三河武士の、意地と誇りを発揮する時ぞ! └絆武将 貴殿への忠節を守り通す! 兵種アクション 放てー! 撤退 とっ、殿ぉー! 復活 まだ戦えますぞ! 伏兵 見つかってしまったか 攻城 ここで死のうが本望ぞ! 落城 殿をお守りすることが拙者の喜びですぞ! 贈り物① この程度の活躍で感状など頂戴できませぬ。 贈り物② なんと拙者は果報者よ。 贈り物(お正月) こうして貴殿と酒を酌み交わしながら日の出を眺めることが最高の喜びですぞ。 贈り物(バレンタインデー) こんな男を好きになってくれるというのか。……今日はよき日だ。 贈り物(ホワイトデー) 拙者、贈り物には慣れてござらんが一生懸命選んだので、受け取ってくれ。 贈り物(ハロウィン) 幼き頃、殿が笑ってくれて以来……この髭は消せぬのです。 友好度上昇 まだ戦えますぞ! 寵臣 徳川家康、万歳! 贈り物の特殊演出 ① 対象武将:碧025_徳川家康 会話武将 台詞 鳥居元忠 むっ、殿への贈答品か!?検分させていただく! 鳥居元忠 拙者も人の子ゆえ、封筒の中は容赦いたそう!包み、よし! 箱、よし! 中身、よし! 鳥居元忠 ……実によき品だ! 殿もお喜びになろう!さあ殿っ、お受け取りくだされ! 徳川家康 ……これはお前宛の贈り物のようだが? 情報提供・誤った点に気付いた等、何かありましたら気楽にコメントしてください。 名前 伏兵「見つかってしまったか」 - 名無しさん (2024-02-24 20 03 08) 稼働1年経って今さらなんだけど、このカードって戦国大戦の今川家のリメイクイラストだと思うんだけど、それについてこのページに書いた方が良いんじゃないかなーって。他の奴らほとんど書いてあるし - 名無しさん (2023-03-26 20 37 33) 日の丸扇子の戦器使ったら16Cぐらい継続したぞ - 名無しさん (2022-06-11 07 44 49) 日の丸扇子の戦器使ったら16Cぐらい継続したぞ - 名無しさん (2022-06-11 07 42 59)
https://w.atwiki.jp/sengoku4/pages/128.html
武将名 通常 特殊パートナー 真田幸村 貫き通すは、我が信念! 頼りにしている!(対くのいち) 幸村、お供つかまつる!(対武田信玄) 三成殿の槍となりましょう!(対石田三成) 我が槍が先駆けとならん!(対直江兼続) 兄上がいれば心強い!(対真田信之) (S)父上のお役に立ってみせます!(対真田昌幸・壮年期) (S)どうか無理をなさらぬよう!(対茶々) (S)そなたには期待している!(対佐助) (S)真田幸村(幼年期) 天下無双を目指します! 護衛は要らないからな!(対くのいち) 幸村もお役に立ってみせます!(対真田昌幸・青年期) すまない、世話になる(対佐助) (S)真田幸村(壮年期) 負けられぬ戦いがある! そなたの技が頼りだ(対くのいち) 必ずお守りいたします(対茶々) 私と共に行こう(対佐助) 前田慶次 ド派手に傾こうかあ! 俺も暴れさせてもらうぜ!(対伊達政宗) 一緒に傾こうかあ!(対前田利家) 織田信長 地獄の開幕…ぞ うぬは何を望む?(対明智光秀) 興じよう…お濃(対濃姫) 信長が、愛でよう…(対森蘭丸) それも、良い…(対松永久秀) 明智光秀 戦なき地平、見るために 信長様の御意のまま(対織田信長) 元親殿、加勢いたします(対長宗我部元親) 落ち着きなさい…(対ガラシャ) 石川五右衛門 待ちに待った、出番でい! ついていきますぜ~、阿国さん!(対阿国) なんでもあげちゃう!(対小少将) 上杉謙信 破邪顕正… 宿敵…謙信も共に(対武田信玄) 姉上の仰せのままに(対綾御前) その尚武の心や、良し(対上杉景勝) お市 愛する人のために お兄様のため、戦います(対織田信長) 市もお力に!(対浅井長政) 阿国 はんなりいきましょ 連れ舞いさしてもらお(対前田慶次) うちも舞いますえ?(対石川五右衛門) くのいち お仕事お仕事♪ あたしは幸村様の忍びだから!(対真田幸村) 稲ちんの後ろは、あたしが!(対稲姫) 一応乙女だし。手、貸しますか(対甲斐姫) あたしも、守る!(対真田信之) (S)センパイを立てなさいよ?(対佐助) 雑賀孫市 雑賀孫市、華麗に決めるぜ! 政宗。見届けてやる(対伊達政宗) いくぜ。ダチの頼みだ(対豊臣秀吉) 御意のままに、俺の女神…(対ガラシャ・(S)茶々以外の女性武将) 武田信玄 さて、いくかね うむ。山はこれにあり(対真田幸村、真田信之) 龍虎揃わば、最強じゃよ(対上杉謙信) 虎も、噛むよ(対北条氏康) (S)楽させてもらうよ?(対真田昌幸・青年期) (S)おことなら心配ないよ(対武田勝頼) 伊達政宗 天駆ける竜となる! おう! 傾け、慶次!(対前田慶次) やってみせい、孫市!(対雑賀孫市) 後れを取るな、小十郎!(対片倉小十郎) 濃姫 地獄が好きなの… 良いわ…貴方(対織田信長) 服部半蔵 影、推参 屍は拾わぬ…(対くのいち、ねね、風魔小太郎) 影、光を守る(対徳川家康) (S)私情を交えるなよ(対佐助) 森蘭丸 蘭、修羅に入ります! 蘭、その先駆けに!(対織田信長) 豊臣秀吉 皆が笑える世、創るんさ! 三成らしいのう!(対石田三成) ねねを幸せにするで!(対ねね) 清正らしいわ!(対加藤清正) 露払い大儀じゃ、官兵衛!(対黒田官兵衛) その采配、期待しとるで!(対竹中半兵衛) 決まっとるぞ、正則!(対福島正則) (S)わしに守らせてくれんか? 茶々!(対茶々) 今川義元 雅に参る、の! 義兄は蹴鞠る、の!(対武田信玄、北条氏康) 姪御よ、蹴鞠ろうかの?(対早川殿) 本多忠勝 蜻蛉切に斬れぬもの、なし 稲、父が後ろにあり(対稲姫) 忠勝が露払いせん(対徳川家康) 我が槍にて助けよう(対真田信之) (II)やってみろ、新入り(対井伊直政) 稲姫 射抜いてみせます! 私が援護するわ!(対くのいち) 稲の弓も、射抜けぬものなし!(対本多忠勝) 稲も続きます!(対真田信之) 徳川家康 泰平の世、築かねばならぬ お戯れを…(対織田信長) うむ。頼みにしておる(対服部半蔵、本多忠勝、稲姫、藤堂高虎、井伊直虎、柳生宗矩) 泰平の世を創りましょうぞ(対豊臣秀吉) 覚悟を決めよ、信之(対真田信之) (II)期待しておるぞ、直政(対井伊直政) (S)頼みとさせてくれよ(対徳川秀忠) 石田三成 俺の志、馬鹿にはわからぬ 幸村、純粋だな(対真田幸村) 天下人は秀吉様のみ(対豊臣秀吉) 左近。軍略、頼みにしている(対島左近) 恥ずかしい奴め…(対直江兼続) 具体的にどういう事ですか?(対ねね) 清正、手を貸してやる(対加藤清正) 馬鹿…だな(対福島正則) 行こう、吉継。俺も出る!(対大谷吉継) (S)学ばせていただこう(対真田昌幸・壮年期) 浅井長政 皆のため、戦い続ける! 義兄上!?(対織田信長) (II)光秀殿、夢を共に!(対明智光秀) 市、某と共に!(対お市) 高虎。その道、見守ろう!(対藤堂高虎) 某の勇気が共にあるぞ、吉継!(対大谷吉継) 島左近 俺の軍略、披露しましょう 軍略、見せてもらいましょう(対武田信玄) 俺の軍略で、支えましょう(対石田三成) (S)軍略比べと参りましょう(対真田昌幸・青年期) 島津義弘 大ばくち、参ろうか! お嬢のお守り、引き受けよう(対立花誾千代) 相変わらずよな、坊ちゃん(対立花宗茂) 鬼島津の戦をすればよい(対島津豊久) 立花誾千代 立花の戦に負けはない! 呉越同舟だ、戦屋(対島津義弘) 雷も共にある!(対立花宗茂) 直江兼続 義、天下に示さん! うむ! 共に義のため、戦おう!(対真田幸村) 上杉の義のために!(対上杉謙信) すなわち、義!だな!(対石田三成) 悪を斬る刃とならん!(対綾御前) 景勝様の手足となりましょう!(対上杉景勝) ねね あたし、ガンバっちゃうよ! うちの人はあたしが守る!(対豊臣秀吉) 焦っちゃダメだよ、三成!(対石田三成) 熱くなっちゃダメだよ、清正!(対加藤清正) 迷子になっちゃダメだよ、正則!(対福島正則) 風魔小太郎 混沌をもたらそう… ククク…混沌よ…(対甲斐姫) 契約に従おう…(対北条氏康) 行く末、見届けてやろう…(対早川殿) 宮本武蔵 極めるぜ、剣! 剣は、人を斬るもんじゃねえ!(対佐々木小次郎) よくわかんねえが、俺も行くぜ!(対黒田官兵衛) 前田利家 侠(おとこ)を上げるぜ! 俺も負けてねえぜ!(対前田慶次) 信長様、先陣はお任せを!(対織田信長) 秀吉、ふんどし締めてけ!(対豊臣秀吉) おおとも、叔父貴!(対柴田勝家) 長宗我部元親 奏でよう…凄絶にな! 行くぞ! 魂の友よ!(対明智光秀) (II)抗え、その美しき世界に!(対ガラシャ) ならば反骨の魂を!(対小少将) ガラシャ 世界は不思議で、美しいのじゃ! 父上! お供つかまつる!(対明智光秀) わらわも、凄絶にいくのじゃ!(対長宗我部元親) これが、マショウか!(対小少将) (S)わらわは、茶々の側を離れぬぞ!(対茶々) 佐々木小次郎 僕が斬ってあげるよ 一緒に、いっぱい斬ろう?(対宮本武蔵) 柴田勝家 鬼柴田が魂を見せん! 大殿の出陣ぞ! 続け!(対織田信長) 鬼柴田が露払いせん!(対お市) 介添えは引き受けた(対前田利家) 加藤清正 狩ってやるぜ! 拾ってくれたご恩、返します!(対豊臣秀吉) そういう言い方よせ、馬鹿(対石田三成) おねね様は俺が守る!(対ねね) 馬鹿の面倒、見てやるか(対福島正則) 黒田官兵衛 火種は、絶やさねばな 道は自明。参りましょう(対豊臣秀吉) 無理はするな、半兵衛(対竹中半兵衛) その生、見届けよう(対小早川隆景) 立花宗茂 風は行く。乱世の彼方へ 呉越同舟だな(対島津義弘) ああ。立花の戦に負けはない(対立花誾千代) 甲斐姫 見てて、乙女の心意気! 戦国最強乙女、出陣!(対くのいち) あたしも吠える!(対北条氏康) 姫様、あたしも行きます!(対早川殿) (S)茶々様の背中は、守りますよ!(対茶々) 北条氏康 相模の獅子、吠えるぜ てめえは、ブレねえな…(対風魔小太郎) 男らしいぜ、小僧?(対甲斐姫) 力入りすぎんなよ?(対早川殿) 竹中半兵衛 兵は詭道なり、ってね! 今孔明ついてるよ。秀吉様(対豊臣秀吉) 無茶しないでよ、官兵衛殿(対黒田官兵衛) 毛利元就 歴史を、見に行こう 隠居っぽいね、お互い(対小早川隆景) 綾御前 世に、愛を 謙信。正しきを貫きなさい(対上杉謙信) 綾が見届けましょう(対直江兼続) では…母が、側に(対上杉景勝) 福島正則 男・福島、決めるぜぇ! パーっと行くぜぇ!(対豊臣秀吉) 馬鹿じゃねーっての!(対石田三成) 正則もガンバりまーす!(対ねね) 清正、俺も行くぜぇ!(対加藤清正) 藤堂高虎 己の道を往くだけだ 家康様の支えとならん!(対徳川家康) 長政様の御為に!(対浅井長政) 俺を忘れるな、吉継!(対大谷吉継) 井伊直虎 は、恥ずかしい… 稲さん、かっこいい~(対稲姫) 家康様、お支えします!(対徳川家康) (II)さあ行こう、義親子一緒に!(対井伊直政) 柳生宗矩 不殺…これを貫く 拙者、露払い致す(対徳川家康) 毒のある奴も、お好きかな?(対松永久秀) 真田信之 この手で守ってみせる! 真田の戦、共に示そう(対真田幸村) 戦、学ばせてください(対武田信玄) 義父上、共に(対本多忠勝) 稲、共に参ろう(対稲姫) お供させてください(対徳川家康) (S)真田を支える力となりましょう(対真田昌幸・壮年期) 大谷吉継 時の流れには逆らえない… この命、お前に預けよう(対石田三成) 長政様。夢を、共に(対浅井長政) その軍略、見せてもらおう(対島左近) ふっ…行こうか。共に(対藤堂高虎) (S)…私で、宜しいのですか?(対茶々) 松永久秀 悪党はお好きかね? 我輩に…従えと?(対織田信長) ついてきて、欲しいのかな?(対明智光秀) 良いぞ。毒のない奴は嫌いでな(対柳生宗矩) 片倉小十郎 知の小十郎、参ります 宜しくお願いします、慶次様(対前田慶次) 参りましょう、孫市様(対雑賀孫市) 承知致しました。政宗様(対伊達政宗) 上杉景勝 …うむ! はっ…父上!(対上杉謙信) 兼続…共に!(対直江兼続) 母上…御意!(対綾御前) 小早川隆景 一生は、夢の間なれば はい。では共に、官兵衛殿(対黒田官兵衛) お供させてください、父上(対毛利元就) 小少将 うふふ。欲しいものがあるの♡ …抗ってね。私の呼ぶ不幸にも(対長宗我部元親) ついてくわ、”わらわ”ちゃん(対ガラシャ) え~!?(対ガラシャ・(S)茶々以外の女性武将) 島津豊久 俺はもっと強くなる! 連れて行ってくれるんですね!(対島津義弘) おう! 任せとけ、立花!(対立花誾千代、立花宗茂) (II)俺も少しは、頼ってくれよ? 直政!(対井伊直政) 早川殿 みんなの力になりたい 一緒に行ってもいい?(対風魔小太郎) 甲斐、一緒に行きましょう(対甲斐姫) はい、お父様(対北条氏康) (II)井伊直政 最善を尽くす。それだけだ ありますよ。俺が先に全部斬りますから(対本多忠勝) 家康様のためなら、傷を負うことも恐れません(対徳川家康) しっかりして下さい、義母上(対井伊直虎) 精々足を引っ張るなよ、島津(対島津豊久) (S)真田昌幸(青年期) 既に勝ちは見えておる 指揮は任せたぞ(対真田幸村・幼年期) 我が策で敵を翻弄せよ(対くのいち) 王道のため、力を尽くします(対武田信玄) あてにさせてもらうぞ(対島左近) 私が、必ずお支えします(対武田勝頼) (S)真田昌幸(壮年期) 真田は生きる…どのような手を使おうと お前は心のままにせよ(対真田幸村) 精々かき乱してやるがいい(対くのいち) 精々気張れ、坊主(対石田三成) お前が真田の柱となるのだ(対真田信之) (S)茶々 私は…強くあらねばならない 泰然となさい(対真田幸村) 負けられないのは、私も同じです(対真田幸村・壮年期) 母上…いつまでも一緒に(対お市) 今少し、見極めさせて頂きます(対豊臣秀吉) どうか連れて行ってください、父上(対浅井長政) 危なっかしくて放っておけません…(対ガラシャ) もう少しお淑やかにね(対甲斐姫) 流されるだけではいけませんよ(対大谷吉継) (S)佐助 はいは~い、やりゃいいんだろ ま、付き合ってやるよ(対真田幸村) オレも行くよ…家族だもんな(対真田幸村・壮年期) はいはい、オレが二番手ね(対くのいち) 二人なら向かう所敵無しだね(対服部半蔵) (S)武田勝頼 私に出来るだろうか…いや、やってみせる! 父上の王道、必ず成し遂げましょう!(対武田信玄) お前が居れば何も心配はない!(対真田昌幸・青年期) (S)徳川秀忠 乱世など、もう仕舞いよ 足を引っ張らぬようにいたしますよ(対徳川家康) これでも、頼りにしておるのだぞ?(対真田信之)
https://w.atwiki.jp/pazdra/pages/19065.html
図鑑のトップページへ戻る No. 通常入手系 レアガチャ限定系 コラボ系 期間限定D系 レーダー その他 タグ検索 覚醒 スキル No.001-No.051-No.101-No.151-No.201-No.251-No.301-No.351-No.401-No.451- No.501-No.551-No.601-No.651-No.701-No.751-No.801-No.851-No.901-No.951- No.1001-No.1051-No.1101-No.1151-No.1201-No.1251-No.1301-No.1351-No.1401-No.1451- No.1501-No.1551-No.1601-No.1651-No.1701-No.1751-No.1801-No.1851-No.1901-No.1951- No.2001-No.2051-No.2101-No.2151-No.2201-No.2251-No.2301-No.2351-No.2401-No.2451- No.2501-No.2551-No.2601-No.2651-No.2701-No.2751-No.2801-No.2851-No.2901-No.2951- No.3001-No.3051-No.3101-No.3151-No.3201-No.3251-No.3301-No.3351-No.3401-No.3451- No.3501-No.3551-No.3601-No.3651-No.3701-No.3751-No.3801-No.3851-No.3901-No.3951- No.4001-No.4051-No.4101-No.4151-No.4201-No.4251-No.4301-No.4351-No.4401-No.4451- No.4501-No.4551-No.4601-No.4651-No.4701-No.4751-No.4801-No.4851-No.4901-No.4951- No.5001-No.5051-No.5101-No.5151-No.5201-No.5251-No.5301-No.5351-No.5401-No.5451- No.5501-No.5551-No.5601-No.5651-No.5701-No.5751-No.5801-No.5851-No.5901-No.5951- 御三家カラードラゴン○○りんカーバンクルゴブリンオーガ・修験鬼ファイター・ナイトデビルキメラ忍び精霊ゴーレム魔剣士女の子(回復娘)玩具龍攻撃態勢(英雄)スキルLvアップ用モンスター幻獣枠メタドラペンドラムギドラノエルドラゴン進化用たまドラ潜在たまドラ○○ピィぷれドラ○○タン元スペダン龍魔石龍ナンバードラゴン常設Dボス降臨ボス晩成型ドラゴン精霊族フルーツドラゴン童話龍剣士旧特典モンスター分類不能希石レア希石:火レア希石:水レア希石:木レア希石:光レア希石:闇 ゴッドフェス限定・元ゴッドフェス限定 一覧 オーディンメタトロンソニアカーリー時女神龍契士獣魔和龍喚士鋼星神フェンリル龍神魔爵アテン日本由来クトゥルフ系ネイコットン争女神大魔女フェス限化降臨モンスター龍刀士クロノマギアメノア シリーズ神 西洋神新西洋神西洋神第3弾和神新和神インド神新インド神北欧神話エジプト神話新エジプト神天使新天使悪魔四獣の神英雄神三国の神新三国の神戦国の神新戦国の神戦国の神第3弾星機の神新星機神明王の神ケルトの神メソポタミアの神 その他 ドラゴンライダー忍者色違いヴァルキリーパズドラZマジシャン鎧騎士魔導書勇士新勇士幻獣ライダー機導龍機導獣パズバトコラボ大賢龍宝石姫伝説の英雄元フェス限定 コラボガチャあり CDコラボ神羅万象チョココラボエヴァコラボアイルーコラボバットマンコラボHUNTER×HUNTERコラボハローキティコラボパズバトコラボドラゴンボールコラボ聖闘士星矢コラボビックリマンコラボDCコミックスコラボぷぎゅコレコラボ北斗の拳コラボB-side Labelコラボファイナルファンタジーコラボデュエル・マスターズコラボ進撃の巨人コラボサンデーオールスターズコラボクローズコラボBLEACHコラボるろうに剣心コラボキン肉マンコラボマガジンオールスターズコラボモンスターハンターコラボ鋼の錬金術師コラボKOFコラボ幽☆遊☆白書コラボペルソナコラボマジック:ザ・ギャザリングコラボパワプロコラボガンホーコラボガチャ銀魂コラボソードアート・オンラインコラボ仮面ライダーコラボ妖怪ウォッチWコラボFate/stay night[HF]コラボストリートファイターV AEコラボシャーマンキングコラボサンリオキャラクターズコラボチャンピオンオールスターズコラボサムライスピリッツコラボ コラボガチャなし ROコラボ太鼓の達人コラボECOコラボぐんまコラボケリ姫コラボガンホーコラボカピバラさんコラボCoCコラボグルーヴコースターコラボラグオデAコラボドラゴンズドグマコラボ高岡市コラボサーティワンコラボアングリーバードコラボパズドラZコラボ三国テンカトリガーコラボパズドラクロスコラボ逆転裁判6コラボPepperコラボマクドナルドコラボ 季節もの+α お正月バレンタインパズドラ学園ジューンブライド夏休みハロウィンクリスマスフェス限ヒロイン龍契士 龍喚士龍楽士神器龍物語 降臨イベント 一覧 15MP級20MP級25MP級50MP級99MP級 スペダン龍 元スペダン龍 華龍蟲龍丼龍猫龍機甲龍犬龍古代龍鉄星龍契約龍転界龍護神龍宝珠龍戦武龍伴神龍 その他 プレゼント モンスターメダル ヌエ・双角トロール古老色違いガチャキャラ色違い降臨キャラその他 トレジャー レーダードラゴンレーダー龍喚士精霊王オルファリオンパーツその他 ステッカーコレクション書籍特典イラストコンテストモンスター購入専用パズドラレーダー連動モンスター交換所専用 リーダースキル:【7×6マス】リーダースキル:【追い打ち】リーダースキル:【コンボ加算】リーダースキル:【覚醒無効状態】 モンスター名で検索 して、 「図鑑/×××」の部分をクリック すると個別ページに飛べます。 タグ検索 ※リンク先は【覚醒スキル】を持つモンスターの一覧です HP強化攻撃強化回復強化火ダメージ軽減水ダメージ軽減木ダメージ軽減光ダメージ軽減闇ダメージ軽減自動回復バインド耐性暗闇耐性お邪魔耐性毒耐性火ドロップ強化水ドロップ強化木ドロップ強化光ドロップ強化闇ドロップ強化回復ドロップ強化操作時間延長バインド回復スキルブースト火属性強化水属性強化木属性強化光属性強化闇属性強化2体攻撃スキル封印耐性マルチブースト神キラーマシンキラー悪魔キラードラゴンキラー回復キラー攻撃キラー体力キラーコンボ強化ガードブレイク追加攻撃チームHP強化チーム回復強化ダメージ無効貫通覚醒アシスト超追加攻撃スキルチャージバインド耐性+操作時間延長+雲耐性操作不可耐性スキルブースト+HP80%以上強化HP50%以下強化L字消し軽減L字消し攻撃超コンボ強化コンボドロップスキルボイスダンジョンボーナス ■攻撃系 ダメージダメージ+吸収ダメージ+自傷割合ダメージ固定ダメージ ■回復系 体力回復バインド回復覚醒無効状態回復 ■デバフ系 ターン遅延防御減少毒属性変化 ■盤面変化系 目覚めドロップロックドロップロック解除 ■強化系 ドロップ強化全体攻撃コンボ加算 ■ギミック無効化系 ダメージ吸収無効化属性吸収無効化ダメージ無効貫通消せないドロップ回復 ■パラメータ強化系 属性エンハンスタイプエンハンス回復力エンハンス覚醒数エンハンス ■防御系 ダメージ軽減 ■操作補助系 操作時間延長時間停止 ■ドロップ変化系 シングル変換ダブル変換列変換ランダム変換全ドロップ変換ドロップリフレッシュ特定型ドロップ生成 ■変換先ドロップ 火ドロップ水ドロップ木ドロップ光ドロップ闇ドロップ回復ドロップお邪魔ドロップ毒ドロップ ■その他 4ターン以下のスキル反撃ランダム効果ヘイストリーダーチェンジ落ちコン無効ルート表示 ↑カテゴリを選んでください モンスター図鑑 No.4853 徳川家康 徳川家康 No.4853 レア度 7 レベル 1 最大Lv99 スキル 妖刀の昏き誘い 究極進化 平定の大将神・徳川家康 コスト 34 HP 3585 ターン(最短) 8(3) タイプ 神 攻撃力 1308 Lスキル 三つ葉葵の護紋 主属性 闇 回復力 250 進化元 なし 編集 副属性 闇 EXP 500万 5,000,000 進化先 究極進化(1種) 覚醒 スキルブースト / スキルブースト / スキルブースト / 操作時間延長 / スキル封印耐性 生息地・入手方法 レアガチャ 進化・合成情報 進化:徳川家康 究極進化(平定の大将神・徳川家康) 同スキルモンスター平定の大将神・徳川家康 覚醒スキル スキル・Lスキル スキル:妖刀の昏き誘い3ターンの間、落ちコンしなくなる。敵全体を超猛毒にする。 Lスキル:三つ葉葵の護紋ダンジョン潜入時にリーダーの時、ランク経験値が1.5倍。闇光の同時攻撃でダメージを軽減、攻撃力が6倍。 備考 来歴 2018年12月24日実装。( 公式告知 ) コメント コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/sen-d/pages/381.html
鶴翼の陣 所持武将 R徳川家康 (画像) 必要士気 6 効果時間 統率時間 計略内容 【陣形】味方の武力が上がるが、自身の移動速度が下がる。 詳細 武力+3 自身の移動速度約0.8倍 効果時間 約25c (1.11A) この表を編集
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/1469.html
登録日:2012/10/08(月) 23 21 40 更新日:2021/03/25 Thu 22 58 02 所要時間:約 3 分で読めます ▽タグ一覧 けがなくてよかったね じょしらく バカ殿 元日 初夢 夢 富士山 座頭 徳川家康 扇 正月 煙草 茄子 鷹 初夢(はつゆめ)とは、一般的には元日の夜に見る夢のことである。 概要 昔の町人文化などでは大晦日の夜から元日の真夜中まで寝ないで一日過ごす事になっていた。 寺社仏閣に大晦日の夜から初詣に並んだり日持ちし都度の調理の手間を省けるおせち料理を用意したり露店で買い食いするなどはその名残。 その為元日でなく、初夜が二日になる為二日の夜に見る夢が初夢となる。 そういう昔の風習に倣う人もいるため、一般的には「元日から3日までの所謂「三が日」の間の睡眠で初めて見た夢」の事を 「初夢」ということにするケースが多い。 初夢は一年の吉凶を占うものでもあるので、もし怖い夢なんかみたら最悪である。 見たい夢があるときは、枕の下に見たいものを入れて眠ればよいという迷信もあるので、試してみよう。 【一富士、二鷹、三茄子】 さて、初夢といえば昔からのことわざで「一富士二鷹三茄子」がある。 これは、初夢にでてくれば縁起がよいものの例えである。 だがしかし、実際初夢にこいつらがでてきた人はほとんどいないだろう。いたら教えてほしいものである。 さて、この3つがなぜ縁起がよいものとされているのか。 どうやら、それは徳川家康に関係しているらしい。 昔の書物に 楽翁の語られしは、世に一富士、二鷹、三茄子と謂ことあり 此起りは、神君駿城に御坐ありしとき、初茄子の価貴くして、数銭を以て買得るゆゑ、その価の高きを云はん迚、 まつ一に高きは富士山なり その次は足高山なり 其次は初茄子なりと云しことなり 彼土俗は足高山をたかとのみ略語に云ゆゑなるを今にては鷹と訛り 其末は三物は目出度ものをよせたる というものがある。 神君とはつまり徳川家康のことで、家康が駿府にいた頃、三保に遊びに行ったとき4月だというのに茄子がなっていたので、 これは珍しいと思い買おうとした所、ものすごい値段を言われた。 その時「駿府で高い物といったら、富士山と愛鷹山(鷹)だけだと思っていたが、茄子も高い物の一つだ」と言ったという。 これがいつからか初夢にでてくるとよいものになったのだろうという説。 また単純にこれは徳川家康が「富士山、鷹狩り、茄子」を好んだからという説もある。 またさらに富士は一番高い山、鷹は強い鳥、茄子は何かを成すからきたという説もある。 どれが由来かは今もわからないままである。 【四扇、五煙草、六座頭】 さて、上の3つがあまりにも有名なため、それしか知らない人が殆どである。 たぶんアニヲタ的には『じょしらく』で初めて知ったよ!って人ばかりであろう。 続きには、「四扇、五煙草、六座頭」がある。 その所以は、四扇は扇が末広がりであること、五煙草は煙が上に立ち上ることから、六座頭は座頭は毛がないので、「怪我ない」とかけて家内安全を願ったものである。 また逆に四葬式五火事など縁起の悪い「忌み物」を置く事で夢に凶兆を出して「凶兆を夢で終わらせる」という発想で運勢を逆転させるという物もある。 【じょしらく】 原作18日目、アニメ12話「夢見の仇討」で眠れない暗楽亭苦来にいい初夢を見せてあげようとするが、どんどん変な方向に行き始める…。 追記修正お願いします。 \いい初夢を見ろよ/ (画像跡地) △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] ジョースター卿「なにジョジョ?初夢の内容が酷かったから縁起が悪い?逆に考えるんだ。初夢の内容を細かく覚えていられるなんて縁起が良いと考えるんだ。私ぐらいになると起きている間のことも覚えてられないぞ。」 -- 名無しさん (2014-10-06 05 25 45) ↑ ジョースター卿「なにジョジョ?そうは言っても私が死んでウチごと火葬にする夢を見た?逆に考えるんだ。逆夢と考えるんだ。実際、一富士二鷹三茄子四葬式五火事と言われることすらあるんだ。それはむしろ四と五をカバーした良い夢だと考えるんだ。」 -- 名無しさん (2014-10-09 10 45 41) 富士は末広がり、鷹は高く昇る、茄子は毛がない(怪我無い)からと聞いた。四扇、五煙草、六座頭、と続く、とも。 -- 名無しさん (2015-01-01 01 18 14) 四扇五煙草六座頭はらきすたでしりました -- 名無しさん (2016-04-03 21 53 12) 自分としては、元日の夜に見る夢が、初夢だと思ってる。 -- 名無しさん (2018-01-01 09 21 26) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/musouchronicle3_3ds/pages/69.html
立花山決戦 出現条件 特殊会話イベント 勝敗条件 武将データ ミッション アイテム配置 シナリオ攻略情報レア武器情報 コメント 出現条件 柳川防衛戦をクリア 特殊会話イベント 状況 プレイヤー 相手 セリフ 敵邂逅 島津豊久 福島正則 正則 てめえ、やるじゃねえか!ガチで勝負してやんよ! 豊久 …なんだよ? 変な頭! 正則 てんめええええ!泣かす! マジ泣かす! 大宰府開門前に接近 島津豊久 島津義弘 豊久 伯父上! お待ちしてました!それと、死に損なってすみません! 義弘 …よくぞ戻った 豊久 …え? なんですか、伯父上? 義弘 無駄口をたたくな!とっとと攻め上れ! 接近 立花宗茂 島津義弘 宗茂 どうする?俺たちの筋立てはまったくの無駄になった… 義弘 豊久にかくも振り回されようとは…。お嬢と対する坊ちゃんの気持ちがわかったわ 宗茂 そんな仲間意識はいらないさ 敵邂逅 島津豊久 真田信之 豊久 まだ来るか!どんな大軍でも、島津は諦めない! 信之 …この一本気なところ、幸村を思い出してやりづらいな… 敵邂逅 島津豊久 徳川家康 家康 訪れんとしていた泰平の世、それを分別なき童が覆そうなど…! 豊久 誰かが諦めた結果の泰平に意味なんかない!島津は…絶対に諦めない! 敵邂逅 立花宗茂 徳川家康 家康 お主には我がもとで働いてほしかった、それを、こんな馬鹿げた戦に加担するなど… 宗茂 面目ありません。俺もやはり立花だったようです 勝敗条件 制限時間 60分 勝利条件 徳川家康の撃破 敗北条件 立花誾千代とプレイヤーいずれかの敗走 武将データ 西軍 備考 東軍 取得品 備考 島津豊久 プレイヤー 徳川家康 武器 総大将、勝利条件 宮本武蔵 本多忠勝 アイテム 「もう一度撃破です」の撃破対象 立花誾千代 総大将、敗北条件 柳生宗矩 武器 「手堅い一歩」の撃破対象 佐々木小次郎 伊達政宗 武器 「拝啓、北の国から」の撃破対象 由布惟信 片倉小十郎 アイテム 小野鎮幸 井伊直政 巻物 「引き綱」の誘引対象 高野大膳 結城秀康 巻物 内田鎮家 榊原康政 金 「逆転劇・終章」の撃破対象 立花宗茂 増援、プレイヤー 大久保忠佐 金 島津義弘 増援 鳥居忠政 巻物 十時連貞 平岩親吉 金 安東家忠 小笠原秀政 金 島津忠恒 増援「引き綱」達成後出現 酒井家次 巻物 島津忠長 奥平信昌 金 内藤清成 金 大久保忠隣 金 「鬼の居ぬ間に」の撃破対象 本多正信 金 矢沢頼康 金 「活人剣は誰のもの」の撃破対象 本多忠政 金 可児才蔵 金 堀尾吉晴 金 土井利勝 おにぎり 牧野忠成 金 松平定勝 金 諏訪頼水 金 福島正則 アイテム 増援「男の一番」の撃破対象「恩の返し方」の撃破対象 藤堂高虎 武器 増援「手拭いは蒼く疾る」の撃破対象 藤堂高吉 巻物 渡辺了 金 伊達成美 おにぎり 増援「拝啓、北の国から」を達成すると撤退 鬼庭綱元 金 留守政景 金 稲姫 アイテム 増援「避雷針」の撃破対象「風神となりて」の撃破対象 真田信之 武器 鈴木忠重 巻物 ミッション No. 名称 内容 達成ボーナス(EXのみ) 備考 1 男の一番 福島正則を撃破せよ! 2 活人剣は誰のもの 矢沢頼康と本多忠政を撃破し、佐々木小次郎を救援せよ! 3 手拭いは蒼く疾る 藤堂高虎らの立花誾千代接近を阻止せよ! 4 伯父上、俺はここにいます 青プレイヤーは敵兵を撃破せよ! VITA版:撃破数1003DS版:撃破数80 5 手堅い一歩 柳生宗矩を撃破せよ! 6 引き綱 井伊直政と結城秀康を伏兵地点まで誘引せよ! 7 逆転劇・終章 榊原康政らを撃破し、岩屋城接近攻めの足がかりとせよ! 8 鬼の居ぬ間に 大久保忠隣と本多正信を撃破せよ! 金 9 拝啓、北の国から 伊達軍の立花山城砦突破前に、伊達政宗と片倉小十郎を撃破せよ! アイテム 10 恩の返し方 立花宗茂は福島正則を撃破せよ! 金 11 避雷針 真田信之らを撃破し、立花誾千代の敗走を阻止せよ! 武器 12 我らが土地を踏みしめて 敵武将をすべて撃破せよ! 金 13 風神となりて 立花宗茂は真田信之らを撃破し、立花誾千代の敗走を阻止せよ! アイテム 14 もう一度撃破です 島津豊久は本多忠勝を撃破せよ! 武器 アイテム配置 アイテム種類 場所 シナリオ攻略情報 このシナリオでは、紫プレイヤーは立花宗茂固定。 「伯父上、俺はここにいます」を達成すると島津義弘と立花宗茂が増援で登場。 「鬼の居ぬ間に」は島津義弘の増援前に大久保忠隣に接近すると発生。 「避雷針」はプレイヤーに立花誾千代がいると発生。 「風神となりて」は稲姫・立花宗茂・真田信之の友好度が親密で、プレイヤーに立花誾千代がいないと発生。 「もう一度撃破です」は本多忠勝・島津豊久の友好度が親密で発生。 戦歴ー立花山城東・南砦の中で敵武将10人以上倒す。 レア武器情報 立花誾千代 条件 1.立花誾千代で稲姫・真田信之を撃破 2.立花誾千代の撃破数300以上、かつ立花宗茂の撃破数200以上 詳細情報 武器輸送兵は立花山城東砦に出現 立花宗茂 条件 1.立花宗茂で本多忠勝を撃破 2.立花宗茂の撃破数を稼ぐ(VITA版:撃破数300、3DS版:撃破数240) 詳細情報 武器輸送兵は立花山城南砦に出現 コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/pantagruel/pages/66.html
編集(管理者のみ)- ~ 1400~ 1700~ 1800~ 50~ 1900~ 50~ 1400年 チョーサー 没 「カンタベリー物語」は数編ずつ多年に渡り書かれた 「水滸伝」は14世紀にまとめられたとされる この頃にヨーロッパで火薬が発明される 1445年 グーテンベルグが活版印刷を開発する 1452年 レオナルド・ダ・ヴィンチ 生誕 1467年 応仁の乱 1483年 ラブレー 生 1492年 コロンブスがアメリカ大陸へ到達 1493年 明応の政変 1532年 ラブレー「パンタグリュエル」 1534年 ラブレー「ガルガンチュア」 織田信長 生 1537年 豊臣秀吉 生 1543年 コペルニクス「天体の回転について」。同年死去 徳川家康 生 種子島に鉄砲が伝来 1547年 セルバンデス 生 1549年 ザビエルが日本で宣教活動を開始 1564年 シェイクスピア 生誕 1573年 室町幕府が織田信長によって倒される 1582年 「西遊記」の作者とされる呉承恩が没 本能寺の変 1599年 シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」 1600年 関ヶ原の戦い 1603年 徳川家康が江戸幕府を開く 1605年 セルバンデス「ドン・キホーテ前編」 1606年 コルネイユ 生誕 1615年 セルバンデス「ドン・キホーテ後編」 1616年 シェイクスピア 死去 セルバンデス 没 1622年 モリエール 生誕 1633年 ガリレオ裁判 1640年 アラスの包囲戦 1651年 ホッブス「リヴァイアサン」 1667年 ミルトン「失楽園」 1673年 モリエール 死去 1682年 井原西鶴「好色一代男」 1684年 コルネイユ 死去 1687年 ニュートンが万有引力を記す 1694年 ヴォルテール生誕 イングランド銀行で紙幣の発行 編集(管理者のみ) .
https://w.atwiki.jp/sengoku-taisen/pages/811.html
SR明智光秀 UC荒木村重 SR織田信忠 SR織田信長 R蒲生氏郷 UC榊原康政 R島左近 C高山重友 C高山友照 C武井夕庵 SR竹中半兵衛 UC千代 C筒井順慶 R徳川家康 C原長頼 UC冬姫 R細川藤孝 R本多忠勝 SR前田慶次 R森長可
https://w.atwiki.jp/eos-gin/pages/73.html
現在資料調査中&HP工事中 since 2017.2.4~逐次加筆訂正 著書名:安倍七騎に関する資料調査 著者名:松浦図書助 ※出典・参照の記載が必要な場合は、上記を引用文書及び著者名としてください。必要なければ不要です。本ホームページの題名が変なのは、デスクトップマスコット"伺か"その他を置いたのが先だった為です。 目次 1.本稿について 2.狩野氏 3.末高氏 4.石谷氏 5.朝倉氏 6.海野氏 7.杉山氏 10.資料置場 サイト内検索 検索 データバックアップ※筆者専用 1.本稿について 駿河国安倍郡の伝承には、安倍七騎と言われる武士の集団がある。この武士団については幕府編纂の『寛永伝』『寛政譜』などには記述が見当たらず、また伝承において人名などに異同が多いため、地域に居たと伝わる英雄の物語を、土地の古老などが言い伝えてきたようなものであったのだろう。そして、これらの言い伝えの残渣を『駿河記』などが記録し、今に伝わったと考えられる。筆者は遠江石谷氏の履歴をあたる上で遭遇した、この『安倍七騎』という集団について、石谷氏の周辺事情を考慮するために本稿を記録するものである。従って、その視点には大きな偏りがある事を注意点としてあげつつ、かくの如く後述するものである。 2.狩野氏(狩野九郎兵衛、狩野弥八郎朝久) 狩野氏は藤原南家工藤氏を祖とし、八介に数えられた狩野介を称する伊豆の大族である。駿河国安倍郡には狩野貞長という人物が居たと見られ、その子孫の活動が幾つか見られる。 引用できる資料を現時点では見つけられていないため、下記のリンクを記載し、後日資料を発見した場合にはそれを使用する。 安倍の狩野氏探訪レポート へのリンク 貞長の曾祖父にあたる「時光」の時代に駿河安倍郡に移り住んだ狩野氏の一族があり、勢力を拡げ、貞長の代に安倍城を築いたと言われます。 安倍の狩野氏と徳川家康のかかわりは、特筆すべきものがあります。徳川家康は、小山城の戦いで、狩野軍の活躍に目をつけていました。家康は、天下統一後、31代狩野景信の家にやってきて、自分の家臣にならないか、と勧めました。しかし、狩野家は、代々武田に仕えてきたので、今更徳川家に仕えるわけにはまいりませんと、せっかくの機会を断りました。家康は、その心構えがたいそう気に入り、自分の着ていた裃(かみしも)をその場で脱いで景信に与えました。その後、狩野景信は、家康から百石を与えられ、家臣になります。 狩野九郎兵衛(史話と伝説 静岡中部) 落合村。御神君御紋付頂戴 。嘉永7年(1854年)10月 駿府浅間流鏑馬役の狩野九郎兵衛嫡男が石谷氏へ進上した『駿河国安倍七騎姓名覚』に記載される人物。永禄・天正年間に武田信玄の家臣となり、遠州小山籠城戦、甲斐、信州川中島の戦い、高遠城の戦いなどに従軍し、数度の軍功によって武田家より御朱印を頂戴したという。 (補記)前述の記載と組み合わせると、狩野景信の事と考えられる。 狩野弥八郎朝久(史話と伝説 静岡中部) 落合 。今川・武田の頃に活躍したという。後に紀州徳川家に仕えた。 狩野弥次郎(史話と伝説 静岡中部) 落合村村長、富右衛門の先祖に狩野弥次郎という安倍七騎の人物がおり、家蔵の古文書武田氏の判形に(永禄十三年二月、土屋右衛門尉、狩野弥次郎殿)と記載があるという。 (補記)前述の狩野弥八郎朝久の事か? 狩野修理佐(寛政譜) 妻 :末高正長の娘 今川家臣。 雑記(駿河記) 永禄13年2月3日、土屋右衛門尉より狩野孫次郎へ、計5貫700文・1石2斗・1人の知行を与えられた。 永禄13年2月20日、土屋右衛門尉より狩野弥次郎へ26貫・1人を与えられた。 天正2年12月18日、市川宮内助より狩野修理亮へ軍役の支度が命じられた。 天正3年9月21日、武田勝頼所用の晴信朱印にて狩野次郎兵衛へ小山籠城の事で感状が与えられた。 内牧の狩野氏城跡はかつて狩野介貞長という宗良親王配下の人物の拠点であった。応仁以前、今川義忠の頃、駿河狩野氏は心ならずも従っていた今川氏に謀反しているという噂がたったが、甲斐国に続く安倍奥に拠点があったために討伐されなかった。しかし、遠江国の狩野宮内少輔というものが、遠江国の軍勢を率いてこれを討伐し、駿河狩野氏は滅亡したという。今川義忠は、遠江国の河井・堀越・湊の領を支配し京都の台命を待っていたが、遠江の狩野氏がこれを掠めとるなどの問題を起こした。また、狩野宮内少輔が巨海氏と伴に義忠の掛川入部を邪魔するなどの問題が重なり、寛正6年、今川義忠は背いた狩野宮内少輔の拠点江ある遠江府中の城を攻め落とし、狩野氏は自害した。その後、今川義忠は、朝比奈泰煕を掛川に配置し遠江国の監察を命じた。 3.末高氏(季(末)高石見守、末高某) 末高氏は『寛永伝』『寛政譜』等では藤原氏支流として記載されているが、徳川家康に仕えたという末高正長以前についてはなんら記載がなく不明である。今川氏真の時代には500貫の領地を有していたというから、1村支配クラスの中核領主層と言えるだろうか。 末高石見正長(寛永伝、寛政譜) 別名:末高石見守政本 法名:源光 子:末高新蔵正頭、朝倉六兵衛在重の妻、狩野修理佐の妻、末高正久の妻 初めは今川氏真に仕えて駿河国安倍郡の内に500貫文の地を領有した。今川氏真が没落した後は武田信玄、武田勝頼に仕える。武田勝頼が滅亡した後は郷里に帰って閑居した。後に、徳川家康に同地を割って宅地として安堵されたと言う。 (補記)末高石見守の呼称を残す事から、断定はできないものの同人物と推察される。 末高新蔵政頭(寛政譜) 実父:末高正長 武田家に仕える。信濃国諏訪原において戦死した。 (補記)天正3年(1575年)8月頃の諏訪原城の戦いで戦死したものか。 末高正久(寛永伝、寛政譜) 生没:天文23年(1554年)~寛永16年(1639年)4月13日 別名:小次郎、末高隼人政行 法名:源領 実父:久野伊賀守(武田家家臣) 養父:末高正長 妻 :末高正長の娘 子 :末高正宣 備考:久野伊賀守(武田家家臣)の次男 末高正長の長男である末高正頭が戦死したため、末高正長の娘を妻としてその跡を継ぐ。徳川家康より仕官の話があった際に元来の所領の安堵を願い出たが許されなかったので、仕官を断ったと言う。徳川忠長の時代にも仕官の話があったが断ったと言う。生涯郷里にて蟄居した。 (補記)久野伊賀守は5代遠江久野城主久野伊賀守宗憲の事? 末高正宣(寛永伝、寛政譜) 別名:忠右衛門 末高政信 実父:末高正久 妻 :朝倉六兵衛在重の娘 徳川家康に仕え300石を賜る。後に命令を受けて徳川頼宣に付属されるが、後年病を得て駿河国安倍郡平野に閑居した。 雑記(駿河記) 安倍郡村岡 山の央の段に古墳あり、天安是春居士、機雲玄了居士、霊高院殿月慶珠栄大姉、心岫貞安大姉、雲室妙泉信女などの記載がある。正保年間頃まで末高氏の子孫権兵衛が居住していたが、その頃、弟が武蔵国に居住していたためここを引き払って江戸に出て裏四番町に居住したという。その後は今小平野の源兵衛が支配したという。 続次編系譜の末高氏の項には、 半左衛門正路 半左衛門正勝 半左衛門正矩 正徳6年御留守居知行671石とある。 末高氏は古くから安倍の住人で、今川家の家臣となり軍役を務め、状今川軍記残編の中に記載があるという。 4.石谷氏(石谷重郎左衛門、石谷弥兵衛) 安倍七騎の石谷氏は、遠江国を本貫とする石谷氏の事と推定される。これは足久保の石谷氏が旗本となったという記載から考えると、石谷氏はこの遠江石谷氏の一族しか該当者が見当たらない事に加えて、遠江石谷氏の一族が安倍郡足久保村の在住の浪人となっていた事が尾張藩の史料から確認されるためである。但し、いつの頃から足久保に拠点を持ったのかは定かではない。石谷氏一族の詳細については筆者のHPの別ベージ参照の事。 石谷十郎右衛門政清(寛永伝、寛政譜、干城録、袖師町誌、武蔵国風土記稿、他) 生没:文亀3年(1503年)~天正2年(1574年)4月15日 別名:十郎右衛門尉、石ヶ谷十郎左衛門政清、十郎左衛門、重郎左衛門、西郷政清 法名:龍月道隆(寛永諸家系図伝)、和光院殿盛山道隆居士(掛川市誌) 実父:二階堂清長 子 :入澤行重、呑説、石谷政信、石谷清定、桑原與三右衛門の妻、石谷清重、乗松彌次右衛門の妻、井伊掃部頭家臣小野田小一郎の妻、桑原政重(新訂寛政重修諸家譜)、(高天神城城主小笠原与八郎の妻(石ヶ谷家家系図) ) 藤原南家二階堂氏。遠江国佐野郡西郷に生まれ西郷氏を称するが、石谷村に移住し石谷氏を名乗る。西郷十八士の長として今川義元・氏真に仕え、永禄12年1月26日(1569年)、徳川家康より遠江国飛鳥内一色名の采地を安堵する御黒印を与えられた。元亀2年3月10日(1571年)に徳川家康に仕える。 (補記)石谷重郎左衛門の呼称も残り、また一子の子孫が安倍郡足久保村に居住している事から、断定は出来ないものの同人物と推察される。 入澤五右衛門行重(寛政譜、石ヶ谷家家系図) 別名:入沢五右ェ門清宗 実父:石谷政清 石谷政清の長男。武田家に仕える。入澤氏を称する。 (補記)武田氏の研究(柴辻俊六)に拠れば、『甲陽軍鑑』中の武田水軍岡部忠兵衛配下の駿河先鋒衆に、入沢五右衛門という人物がいる。同一人物かは不明。 石谷清重(寛政譜、士林泝洄、袖師町誌、石ヶ谷家家系図) 生没:生年不明~元和9年(1623年)1月11 別名:又太夫、又大夫、海野又太夫 実父:石谷政清 子 :石谷清春、女子 石谷政清の5男。士林泝洄に拠れば、徳川秀忠の家臣として関ヶ原の戦いに従軍したとされる。史料としての正確性が疑問な袖師町誌などに拠れば、海野又太夫を称して書院番500石を得るが、病を得て駿河国足久保に退去したとある。 石谷弥兵衛清春(士林泝洄、袖師町誌、石ヶ谷家家系図) 生没:生年不明~万冶3年(1660年)1月29日 別名:海野又十郎 法名:寒松院殿功安善忠居士 実父:石谷清重 子 :石谷弥兵衛清勝、石谷清宣、清時、清村 士林泝洄に拠れば、駿河国安倍郡足久保村の浪人であったという。 (補記)正確性が不明ながら石ヶ谷家家系図の情報も上記に記載する。 雑記(本川根町史) 天正4年 徳川家康の支援を受けた安倍元真が川根の大橋伏にいた小長井長門守と談合し、安部地域に侵攻。津渡野を城を攻め落とし、水見色城を陥落させた後、城代を務めていた朝比奈弥太郎が大洞山へ撤退する所を、家臣の池口弥蔵がその首を討ち取った。続けて足久保の石谷氏を討とうとした所、池口弥蔵は脇差が鞘走り太ももをを負傷したため撤退した。 5.朝倉氏(朝倉六兵衛在重) 越前朝倉氏朝倉景高の子孫と伝えられるが、遠縁という説もある。安倍七騎の筆頭とも伝えられ、武田家臣の土屋右衛門尉から、海野氏や狩野氏などのともに朝倉在重宛ての書面がいくつか残っている。後年の流れからいっても、実際の所領規模については不明瞭な点はあるが、地域の取り纏め役を担っていた事は確定的であると考えられる。 ※文化年間、沓谷源院に住む僧侶が言うには、安倍には朝倉を名乗る2家がある。1つは柿島の越前より来た朝倉数馬家、1つは昔から安倍谷に居る長妻田の朝倉又兵衛家。白髪神社棟札にある朝倉孫六郎は又兵衛の先祖である。 朝倉孫三郎(駿河記) 実父:朝倉右衛門大夫景高(越前朝倉氏)? 兄弟:朝倉六兵衛在重? 柿島の白鳥氏が言うには、越前から立ち退き駿河国安倍郡松留村に居住し、後に柿島村に移住した? (補記)下の朝倉在重の事か? 朝倉在重(寛永伝、寛政譜) 別名:弥六郎、河内守 実父:朝倉右衛門大夫景高(越前朝倉氏) 子 :朝倉六兵衛尉在重? 日下部氏。越前国から駿河国安倍郡に移住する。 (補記)現在、朝倉六兵衛尉在重と同一人物とみられているが、寛永伝でも寛政譜でも別項になっている。年代的には朝倉景高の後に朝倉河内守在重、朝倉六兵衛在重と続いてもおかしくはないが…… 朝倉在重(寛永伝、寛政譜、駿河記) 生没:天文14年(1545年)~元和元年(1615年) 別名:弥六郎、六兵衛尉、六兵衛、在宣、河内守 法名:全勝 実父:朝倉河内守在重? 妻 :末高石見守の娘 兄弟:権兵衛、朝倉弥刑部 子 :朝倉宣正、朝倉在重、望月与太郎の妻、末高正宣の妻、(朝倉六兵衛、望月十右衛門の妻、長守左衛門の妻、海野弥兵衛の妻、狩野勘兵衛の妻、菅谷十兵衛の妻(駿河記)) 朝倉貞景の遺領を孝高・景高兄弟が争った件で、越前より駿河安倍に移住した。天正・文禄の間に徳川家康に仕える。天正12年長久手合戦で騎兵として敵陣に乗り込んだ際、敵に馬を射られ危機に陥った。その際に婿である望月与太郎が馳せてきて、馬から降りて在重を助けて味方の陣に帰った。徳川家康は感心し、この際に駿河国安倍郡に移住したという。関東移封の際、在重は安倍郡を去りたくない理由があり、これに従わなかった。この後、中村式部少輔一氏が駿河国を領有し、駿河の国侍を登用した際に、これに仕えた。徳川家康が駿河国に隠居した際には、在重に対して関東移封に従わなかった事を責められたものの許され、再度徳川家康に仕えた。 (補記)現在、朝倉河内守在重と同一人物とみられているが、寛永伝でも寛政譜でも別項になっている。 朝倉宣正(寛永伝、寛政譜) 生没:天正元年(1573年)~寛永14年(1637)2月6日 別名:藤十郎 官位:従五位下筑後守 実父:朝倉六兵衛尉在重 実母:末高石見守正長の娘 妻 :土井小左衛門利昌の娘 子 :朝倉宣親、朝倉正世、朝倉宣季、屋代忠興、伊東主膳正祐豊の妻、加藤民部大輔明利の妻、正高 駿河国柿島に生まれる。天正18年小田原陣の時に召出されて徳川秀忠に仕え、200石を賜り大番となる。その後、使番となる。慶長5年の上田城攻めの際には徳川秀忠に従い参戦した。牧野右馬允康成と子の駿河守忠成とともに刈田の奉行となって敵の城に近付いたが、城中より兵が出てきて鉄砲を放ち、刈田に出ていた徳川勢を撃とうとした。この際に朝倉宣正は牧野親子とともに木戸口押し寄せ戦った。この際に城兵は矢倉の上から弓で防戦したが、宣正は塀の下に取り付いて矢倉の上の敵兵を槍で攻撃した。この槍のけら首を矢倉上の敵兵が掴んで奪おうとし、宣正は槍を手放さず抵抗したが、槍のけら首が折れてしまったので撤退した。その後、槍のけら首は敵から宣正に返還された。この上田の合戦において朝倉宣正は、小野次郎右衛門忠明、中山勘解由照守、辻左次右衛門久吉、戸田半平光正、鎮目半次郎惟明、斎藤久右衛門信吉とともに、上田七本槍として称された。しかしながら、刈田奉行ながら合戦して軍法に背いたとして、徳川秀忠の命令により上野吾妻の留守番を命じられたが後に赦され大番に戻った。慶長7年安房国へ唐船が漂着したとき、命令を受けてこれを検視した。後に100石を加増され、慶長9年に組頭となりさらに200石を加増され、慶長10年に使番となり200石を加増され、慶長16年にさらに200石を加増された。この年、徳川家康の上洛に付き従った。慶長18年禁裏造営の際に京に赴き、完成の後1000石の加増を受けた。この後、和泉堺政所職を務め芝山小兵衛正親に代わって帰る。この後徳川家康の命令で徳川秀忠の家臣となった。慶長19年大坂陣の時は江戸の守備を担当し、同年12月6日に徳川秀忠より御書を賜った。この後1,000石を加増され、元和3年12月、従五位下筑後守に叙任された。元和5年に3,000石を加増される。元和7年に4,000石加増される。合計で10,000石を領有し、松平忠長の御付家老となった。これ以前に徳川家康より御書および御家紋付き團扇を賜った。元和8年6,000石を加増され、寛永2年10,000石をさらに加増され、遠江国において合計で26,000石を領有し、掛川城を拠点とした。寛永8年松平忠長閉居に伴い、主君への諫言が不十分だった事を咎められ、酒井阿波守忠行の所へお預けの身となった。松平忠長はこれを嘆き、問題は自分のせいだとして、宣正を赦免するように尾張藩徳川義直、水戸藩徳川頼房、千姫に対して申し入れをしたため、宣正は罪を赦され、駿河国帰って国政を正し、諸氏を指揮せよと徳川秀忠より命じられた。寛永9年松平忠長が改易となり、宣正も松平下総守忠明にお預けの身となって大和国郡山に蟄居となった。 朝倉在重(寛永伝、寛政譜) 生没:1584年(天正11年)~慶安3年(1650年)11月19日 別名:仁左衛門尉 官位:従五位下石見守 実父:朝倉六兵衛尉在重 実母:末高石見守正長の娘 妻 :牧野右馬允家臣牧野五郎兵衛某の娘 子 :朝倉重宣、朝倉重興、朝倉重利、牧野越中守儀成の妻、兼松又四郎正尾の妻、海野氏の妻、岡田源五郎某の妻、松平庄九郎忠久の妻、朝倉氏の妻、土井大炊頭家臣大野市左衛門定歳の妻、某 元和元年大坂陣の時、朝倉在重は牧野右馬允康成と子の駿河守忠成の軍に属して出陣した。同年5月7日、在重は牧野親子と轡を並べて天王寺に出撃した際、白母衣に半月の指物、もう一人は柄連(ゑづる)の指物を指した武者が2名攻め寄せて来た。在重は柄連の指物を指した方の敵兵と槍を合わせ討ち取り、首を牧野右馬允の陣に持参した。大阪城陥落後に召出され、徳川秀忠の家臣となった。命令により書院番となり、その後御膳番を務めた。寛永2年7月27日、目付となり、領地の朱印を賜り于上総国望陀、下総国葛飾の2郡の内に500石を賜った。後に布衣を許される。この後、徳川家光に仕え、寛永7年4月に使番となり下総国葛飾郡に500石を加増された。寛永9年肥後国熊本城を細川越中守忠利に与えることになったので、同年6月16日命令を受けて同地に赴き、城の引き渡しの任務を務めた。寛永10年、美濃国大垣城を松平越中守定綱に与える際に、同地に赴いて命令を伝えた。同年12月26日、甲斐国八代郡において1,000石を加増され、合計で2,000石を領有した。寛永11年3月28日、目付となって豊後国萩原に赴いた。寛永12年、戸田左門氏銕に美濃国大垣城を与えることになったので、同年7月晦日に同地に到り、城の引き渡しの役を務めた。寛永13年7月13日、池田光伸が幼少であるため目付を命じられ、因幡国に赴いて政務を監督した。寛永16年大和国郡山城を本多内記政勝に与える事になったので、同年3月3日に同地に到って命令を伝えた。同年7月18日に江戸町奉行となり、寛永18年1月2日、従五位下石見守に叙任された。墓所は四谷の全勝寺。 雑記(駿河記) 上落合には大石某という国人が住んでいたが、柿島の朝倉が夜討ちで切り従え自らの被官にしたという。このため上落合は朝倉の所領となった。 6.海野氏(海野惣右衛門、海野弥兵衛本定) 駿河海野氏の海野本定は海野幸氏から数えて9代目であり、有名な信濃国海野氏の支族とされる。安倍元真の婿となり井川七ヶ村を継承し、武田家・徳川家に仕え、井川の殿様と称されるようになった。単純に所領規模をみると、安倍七騎に数えられる氏族の内では海野氏の勢力が突出していると考えられるが、他の諸将と比べ、海野本定自身の戦働きの逸話は伝わらない。戦場を得意とするよりも治世を主とする人物であったのだろうか? 海野本定(駿河記) 生没:生年不明~元和3年(1617年)6月3日 別名:弥兵衛尉 法名:松雲 実父:海野泰頼 妻 :安倍大蔵元真の娘 子 :海野元重、海野兵左衛門、海野縫右衛門 海野弥兵衛(あるいは安倍大蔵)は、津渡野城の高瀧将監を焼き討ちし滅ぼした。海野本定は、はじめ武田家に仕えたという。天正7年1月23日、穴山信君より海野弥兵衛尉へ、江尻へ行くように伝えられる。天正7年10月25日、土屋右衛門尉より海野弥兵衛へ、25貫、また新恩として計12貫400文を配下分を含め与えられる。天正10年以降に安倍大蔵元真の娘を妻として、安部井川の家督を継いだ。徳川家康の家臣となり、駿河国から信濃国への山道案内人などを務める。また、徳川家が駿河国を納めて後、朝倉六兵衛とともに、御茶壺の管理、御巣鷹係、材木管理、金山御用などを務めた。また、徳川家康は天然の要害である井川に有事の備えとして鉄砲弾薬庫を設置し、海野氏に管理を委託した。 海野七郎太郎(駿河記) 岩崎住人。海野七郎三郎と兄弟。武田家より嫌疑を受け、江尻城から派遣された人物に捕縛される。江尻守衛の土屋右衛門尉の下に引き出され拷問の上梟首された。 (補記)海野弥兵衛の配下と思われる 海野七郎三郎(駿河記) 田代住人。海野七郎太郎と兄弟。武勇絶倫であったという。武田家より嫌疑をうけ、捕縛命令が出る。田代住人に謀られ落とし穴に落とされて討ち取られ、兄の七郎太郎とともに梟首された。怨霊となったので八幡社に弔われた。 (補記)海野弥兵衛の配下と思われる。 海野弥兵衛元重(駿河記) 生没:生年不明~寛文5年7月1日 実父:海野本定 子 :海野正成、海野信典 海野兵左衛門(駿河記) 実父:海野本定 子 :海野兵左衛門、津田治兵衛 紀州藩徳川頼宣に仕える。 海野縫右衛門(駿河記) 実父:海野本定 紀州藩徳川頼宣に仕える。 海野五左衛門正成(駿河記) 実父:海野元重 徳川忠長に仕え500石を賜る。忠長没落の後は亀井能登守に預けられて石見国で死没した。 海野弥兵衛信典(駿河記) 実父:海野元重 巣鷹役、井川七ヶ村支配 【雑記】 郷島村長 海野惣右衛門 永禄13年6月16日武田家市川備後守、原隼人祐からの海野竹千代への書状を所有。 7.杉山氏(杉山仁左衛門、杉山小太郎右衛門) 今川家臣。俵峰村。 【雑記】 俵峰 杉山氏 明応3年9月20日、今川氏親より杉山太郎衛門へ俵峰半分を与える書状。天文21年10月11日、今川義元より杉山小太郎へ年貢緒役に関する書状。永禄6年4月10日、今川氏真より杉山小太郎と望月次郎右衛門へ三河国急用につき棟別銭許可の書状。永禄10年9月24日、今川氏真より杉山小太郎へ屋敷の竹木に関する書状。天正元年10月7日岡部正綱より杉山小太郎へ合力のためと志田郷三輪分の5貫文を渡すという書状。天正2年12月18日、市川宮内助より杉山小兵衛へ24貫文の宛がい状。元亀2年12月24日、朝比奈駿河守信直、横田康景から俵峰村弓兵5人を定める書状。天正3年9月21日、杉山小兵衛へ小山城篭城戦の戦功を賞する書状。 10.資料置場 ★大村五郎左衛門 ⇒大石五郎右衛門(朝倉在重の義弟)の事か?朝倉在重と不仲になり暗殺される。 安倍七騎に数えられる大村氏は俵澤の大村彦六郎の事か。先祖は信濃国国人で安倍に移住した。今川家・武田家からの書状がある。 ★長島甚太右衛門 ⇒不明 長島某という武人の屋敷が、内匠にあったという(駿河記) ★望月四郎右衛門 ⇒望月與太郎?朝倉在重の娘婿。 『駿河記 上巻』 〇里 中西 里人望月氏云昔源賴朝卿治世に、此所に某と云武士あり。幕府に忠節ありて、井河七鄕を賜ひて勢ひ猛なりしと傳。今此屋敷跡に、中西次右衛門と云貧民住す。彼武人の子孫と云。然共彼家舊記亡て未ㇾ詳。 雑記曰、壽永二年の秋、木曾義仲反逆の時、木曽が郎從海野・望月・仁科・高科・根津・風間等の者謀て、信濃國より駿河・遠江の國へ山路を越て、間道を經て、軍兵を出さむとて、駿河安倍の地侍仁科彌七と云者、淸水冠者の供したる海野小太郎幸氏が叔父なれば、仁科彼が催促に應じ、賴朝卿に内通し、計略を以て彼徒を討んとて、安倍鄕の地侍柿島の朝倉、落合の狩野、平野の末高、俵峰の杉山、足久保の石貝、千頭の大間等を促し、木曾が軍を猪用に引入悉く討取、其首を鎌倉に送り實檢に入けり。各恩賞を賜ふ。仁科に猪用七鄕を賜ふと云云。 此事正史には不見ども、若くは實説にやあらなむ。當村小里中西の古屋敷仁科の居地なるか、尚重て可考。 ※寿永二年(1183年)。柿島の朝倉は旗本朝倉氏の家伝では越前朝倉氏の分流なので年代が合わない。朝倉氏は源平合戦時代頃に朝倉を称しているので、安倍地域に分流があるかという疑問。石貝が遠江石谷氏の事なら家伝で石谷を名乗ったのが1500年代。正史ではなく雑記?なので、人名他の信憑性に疑問。 用宗城跡……今川家の時、関口刑部少輔または一宮出羽守随羽斎が守衛するという。天正7年9月、武田勢駿河先方の、三浦兵部少輔(兵部助義鏡)、向井伊賀守正重をはじめとして、400余人で守備した。19日、徳川勢である松平甚太郎家忠・牧野馬之允康成が攻め込んできて、向井・三浦勢は奮戦したが1万余の徳川勢に敵わず、三浦は一色左京に討たれ、向井は尾崎半蔵に討たれて落城した。その後武田勢は朝比奈駿河守信置、長谷川左近、須藤左門、石原五郎作、天野角右衛門、桜井兵庫、朝比奈市兵衛、朝比奈小隼人、矢部弥三郎、庵原伝内、久野角之助、等を配置して籠城した。天正9年5月5日、用宗城の城兵は浜遠目にて三河勢と合戦し多くが討たれた。同年武田氏没落の際には、朝比奈氏が開城し庵原郡草ヶ谷城に引き籠ったと伝わる。 (考察)用宗城は安倍川の河口周辺にあることから、水運を利用し安倍川利用を考えると、安倍郡の勢力が水軍に加わってもおかしくはないか。 今川氏真文書 駿河国中田寺方小笠原分百姓職之事 右。如前々可相計。但前々者脇屋隼人西尾左近衛門。為三人雖抱来。従乱中有在所。隼人令死去。剰左近衛門者遠州小笠原方へ相越云云。然者海野可為壹人百姓。去年正月始。父子一類阿部相退。末高令談合。致一揆奉公由申條。郷中諸事。縦雖為私領。不可有相違。就彼名職。天澤寺殿御判形続印判。雖令所持。乱中失却之由申之條。重申付者成。仍如件。 永禄十三年六月十五日 海野宗意 〇同前 駿河国石田郷龍雲寺並定源寺領百姓職之事。 右。如前々可相計。但前々は為四人雖抱来。孫七郎清兵衛両人者。従乱中関東に欠落。五郎兵衛は今駿府有之云云。弥七郎事は父捨置。海野同然に。自最前阿部へ相退。加一揆之由申條。在所へ罷帰上は。可為一人百姓。縦雖為私領不可相違者也。依如件。 永禄十三年六月十五日 西谷弥七郎 南矢部住民与兵衛望月氏家蔵古文書 南矢部之内。望月右衛門四郎屋敷之竹木山林。共不可伐取之。若自当城見伐之者於相伐者。以此印判可申理者也。仍如件。 天正八年辰七月十九日 江城(朱印) ※江尻城、穴山信君朱印 同家へ弓免許状、慶長20年卯八月一日、松七右衛門家久(花押)、望月角蔵殿と有。又一通、 火夢想之鉄砲一流。雖為天下無双徳。御執心。大筒小筒之儀。令相伝候畢。以来深重懇望之方於有者。堅以起請文可被成御相伝候。雖然至御弟子免状之事者。可為一国拾人者也。依如件。 元和七年七月七日 伯民部少輔政永 保田七右衛門尉守重(花押) 望月長兵衛殿参 益津郡 中村 〇御所松 此里瀬戸川堤の本に、方五六間の際荊棘生繁りたる内に、大なる松樹あり。里人御所松と呼。其由来を詳にせず。産土神に南朝の帝を祭り、あるいは蔵王権現を祭る所以あることなり。按るに、南朝の皇子宗良親王或は興良親王、遠江国より当国へ御座を被遷たることあり、其時御船に召れて此湊に(焼津湊)着せ給う時に、安倍郡の住人狩野介貞長入江蒲原等の人々御迎に出て、親王の御船をむかへ、暫時此處に輿を駐めさせ憩せ給ひしを以て御所の号あるか。仍て後人其處に吉野の御神等を斎祭るものなるべし。委説は安倍郡に載こゝに略す。(但神祖毎度此辺に御遊覧ありし地なれば若くは其遺蹟か) 志太郡 【鵜綱】 里正松浦氏は先祖肥前の松浦渡辺氏の子孫にて、松浦源二郎勝と云者、今川貞世に仕へ遠江に住す。其子源太夫今川泰範に奉仕し、応永十二年酉六月二日没。子孫此處に蟄し、当主に至て二十二代と云伝たり。されども證とすべき子文書なし。其真偽未詳。 【下之郡】 〇小地名 矢先 松井 中田 阿弥陀ヶ谷 横目入道ヶ谷 入道ヶ谷は長慶寺向、花倉谷川の南、横目の内の池名なり。 伝云、鎌倉の時代葉梨入道と云者居住の地なり。按に入道は左大臣武智磨公四男乙磨より十三代、二階堂従五位下駿河守維行と云者、駿河国守護職に補し、こゝに隠居して葉梨入道と称。事蹟不詳。 【仮宿】 里民幸次郎(天野氏)と云者の由緒に云、先祖は天野次郎右衛門尉景氏と云武人なり。永禄年小田原北篠氏に仕へ、船手奉行にて伊豆国韮山城に在住す。景氏駿河国安倍郡井川の住士海野弥兵衛空(名)を妻とし、一子多宮を産、天正十三年乙酉没。同十八年三月関白秀吉公北條家征伐の時に多宮韮山城にありと雖も、幼弱たるによって母とともに主従六人にて当城を落、夜に紛れ密に小舟に乗て遁去て駿河清水湊に上り、安部山中に引、海野氏の家に蟄し、其後岡部郷仮屋所村小柴と云地に在住す。多宮後に助右衛門と改、元和五年没。自爾今に至て十代民間にあり。末年舊記失て口碑に伝のみと云云。藤泰井河に至る時、海野氏の宅に於て其家系を視るに、安倍氏の嫡女天野伝四郎妻と記せり。海野本定は安倍氏の婿にして井川の家督を続たり。其説符号せり。実説と聞ゆ。依てこゝに其伝を記す。 按に天野氏は伊豆国君澤郡天野村の世々住人。天野遠景政景・光家等の古墳ありと云。若は此系統の子孫にやあらむ。 海野兵左衛門(うんの へいざえもん) 生年不詳~寛永十九年(~一六四二) 和歌山藩士。初代藩主徳川頼宣に仕える。名は良次。父弥兵衛本定は、武田信玄、勝頼に仕え、天正年間に徳川家康に仕える。兵左衛門は父本定の勤功により、新規に家康に召し出され、切米二百俵を与えられる。その後駿河で頼宣に付けられ、知行三百石を与えられ、目付となる。頼宣の紀伊転封後、たびたび役替、加増があり、勘定奉行に昇進し、一千百五十石を与えられ、彦坂九兵衛光政と共に藩政に参与する。寛永十九年五月十四日没する。なお、七代兵左衛門勤は、家督六百石より側用人、勘定奉行、加判之列など枢要な役職を歴任し、一千七百石にまでかぞうされている。 小山誉城 (三百藩家臣人名事典 第五巻 発行者:菅英志 1988.12.20) 戻る 名前 届くか不明なコメント
https://w.atwiki.jp/mitamond/pages/740.html
忍者からす 「鴉」と共に石田三成?に仕えた凄腕の忍者。関ヶ原の合戦の際に、佐和山城から三成の息子秀也を落ち延びさせた。その後、徳川家康直属の伊賀党によって捕らわれたが、断首される寸前に何処かへ逃れ去ったという。