約 21,954 件
https://w.atwiki.jp/tosiyatosiya/pages/324.html
台 湾 に つ い て 調 べ て み る。 台 湾 台 湾 に つ い て 調 べ て み る。 【世界経済を回せ!―復興祈念? 台湾の旅】 第1話)旅のミッション ||台湾|台北|蘇澳|平溪|十分|九份|の旅行記|| 2011年のGWは台湾へ なにも被災地ばかりでなく、東日本大震災は観光産業にも大きな痛手を与えた。世の中が自粛モードに覆われ、テレビは「ポポポポ~ン」な公共CMで溢れるなか、震災直後の3月の連休は多くの日本人が旅行をキャンセルし、その影響はGWのアジアを中心とする観光立国にも暗い影を落としているという。 確かに被災地が苦しんでいるなかノーテンキに観光なんてしていて良いのだろうかと、ためらいの気持ちが起きるのは自然なことだ。 しかし行き過ぎた自粛は、別のところで知らずに二次災害を引き起こしている。ここはやはり予定していた台湾旅行を決行し、少しでも世界経済を動かそう。それが回りに回って復興に貢献することにつながるはずだ、1億万分の1ミリシーベルトぐらいかも知れないが、、、 と、決意して出かけた4泊5日の台湾旅行であったが、出発前日、航空会社から連絡があった。 「キャンセル待ちの羽田発の便がご用意できました。空港使用料の差額500円をお返しします。」 おお、これはツイている。しかも、羽田発なら成田に比べて空港までの交通費だって最低でも600円は節約できる。さらに台北到着の空港も、桃園(タオユェン)ではなく、市街に近い松山(ソンシャン)に変わるから、こちらでも100元(約300円)は市内までの交通費が浮く。ということは、 1)500円…成田と羽田、空港使用料差額 2)600円…成田と羽田、空港までの交通費差額 3)300円…桃園と松山、空港からの交通費差額 ----------------------- 計1400円 と、合計1400円の節約となるが、あれれ、じゃその分、経済を回してないことになるゾ。まぁ、いっか。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - GWなのにフライトキャンセルの表示-羽田空港 羽田空港の国際線ターミナル。ここでも自粛の影響は顕著だ。人気の羽田路線にもかかわらず電光掲示板にはフライトキャンセルの表示がいくつも示され、とてもGWとは思えない。 わずか3時間のフライトで台北・松山(ソンシャン)空港に着くと、入国審査前に妙なゲートが待ち構えていた。 放射能チェック-台北・松山(ソンシャン)空港 「日本からお越しのお客様。恐れ入りますが、この放射線測定ゲートから通過してください。」 なんと、放射能チェック!! である。そういえばオイラの手荷物は羽田のX線ゲートで怪しいものでも入っているのかと、何故か2回チェックされた。つまり普通の乗客より2倍被爆してるのだ。 一抹の不安を抱えて、放射能ゲートをくぐるが幸いブザーはならなかった。ほっ。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 松山(ソンシャン)空港から、予約していたゲストハウス STAR HOSTEL まではアッという間であった。なんたって飛行機の空港到着時刻から1時間後にはもうチェックインしていたのだから。 さてこの STAR HOSTEL。数ある台北のゲストハウスの中でもすこぶる評判がよろしい。なるほどモダンなインテリアをそろえた共有スベースはプチホテル並みで、ウワサに違いはない。 「朝食は8時から10時です。」 「え、朝食付きなの!」 まさか、朝食まで付いているとは想定外であった。ここは一泊500元(約1500円/ドミトリー)なのだよ。うれしい誤算! これで一泊500元! 台北・STAR HOSTEL しかも、この宿代だって、成田便が羽田便に変わった諸々の差額でほぼまかなえてしまっている。 いったい今日僕は世界経済をどれだけ回したのであろうか? - - - - - - - - - - - - - - - - - - - さらに僕はカウンターに置かれたあるものを見逃さなかった。 「これは何?」 「ポストカードよ。ご自由にどうぞ」 それは「PRAY FOR JAPAN - 日本の皆さん、頑張ってください」のメッセージとともに、折鶴を差し出す台湾の人々の手の写真がコラージュされた、感動的なポストカードであった。 カウンターにあった復興支援カード 「これ、何枚かもらっていいですか?」 「どうぞ」 しめしめ、これで絵葉書を買わなくて済むぞ。 ん? でも待てよ。 これでは世界経済を回すどころか、止めてるじゃん、俺。<こら (続く) もどる < 1 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記 なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
https://w.atwiki.jp/dogecoibent/pages/113.html
大津京どうぶつ震災復興支援チャリティ-イベント滋賀県大津市で5月3日と5日に行われたチャリティーイベントで しつけ教室とアジリティー体験会を行わせて頂きました。 3日はしつけ教室と、お悩み相談会を行わせて頂き、 5日はアジリティー体験会を行いました。 【しつけ教室】 初めてしつけ教室に来られる方も多く、誰でも楽しめるしつけ教室を行ないました! おすわり、ふせなどをマスタ-して帰ってもらえました♪ 1回目は基本的なレッスン♪おすわりやふせ、おいでなどを行いました! 2回目はお手入れ♪ブラッシングをはじめ、耳掃除や歯磨きなども実践! 3回目は基本的なものからまてやおいでなど難しい内容までを網羅♪ 【アジリティー体験教室】 なかなか行う機会の少ない”アジリティー”を身近に感じてもらう内容となっています! 今回体験してもらうのは”ハードル”、”トンネル”、”スラローム”、”ソフトトンネル”です♪ デモの後、それぞれ分かれて行います。 最初はハードルから!低い高さのバーから少しずつ高くしていきます! 今度はトンネル♪みんな猛烈な勢いで入っていきます! 最も難しいスラロームです!一つ一つ確実に進みましょう♪ 最後はソフトトンネル♪出口が見えなくとも走り抜けます! ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/323.html
目次 1.やる気の人生 2.意識変革の時代 3.宗教心の復興 4.日本の遺産 5.ユートピアヘの運動 (1989年1月4日の霊示) 1.やる気の人生 高橋信次です。新年あけましておめでとうございます。 えー、ミカエルの三部作が入っちゃったりして私の本がすこし間があいたもんだから、私がもう病気で寝込んでいるんじゃないかと思って、みなさん心配しているんじゃないでしょうか。そんなことはないんで、元気いっぱいだということを証明したくて新春早々また出てまいりました。 ほんとうは私の出番じゃなかったんですけどね。『ニュートンの霊示集』なんか録っていたんだけど、割り込んじゃったんですよ。そして、また読者はね、私の本を待っているだろう、こう思っているんです。 先般、『愛の讃歌』を出しましたけど、これはたいへん好評でしてね、続々需要が出てきてまして、「新しい局面を見た。高橋信次の素顔を見た。」あるいは「高橋信次の裏側を見た。」いろいろな意見があって、そして「もっともっと読みたい。」という声がずいぶん来たんですよ。 そこでまあ、ぼくもいろいろ考えて、何を次に世に問おうかなと思って九次元の法なんてのも考えたけど、まだまだ出すの早いなあと思うし、去年の末(まつ)だったかねえ、〇〇先生の『現代成功哲学』なんていう本が出ましたんで、なかなかカッコいいなと思いましてね。私流の成功哲学というか、まあ哲学というほどじゃあないねえ、成功への心構えというかね、そういうふうなものを書いてみようかなあと思っているんですね。 特に今年は、こういう成功論がもっともっと必要なんじゃないかな。特にね、本書を読むような読者というのは、あの世のことには興味が多いでしょうけど、あの世のことに興味の多い人っていうのは、ほんと幸福になれない症候群で、この世が不幸なもんだからどっか逃げたくてしようがないんですよね。で、そういう人が多いと思うが、逆にこの世でね、けっこう成功することによって幸福になってね、そしてなんとなく明るくなったりして、そして地獄へ行かなくなったりして、地獄も人ロ滅っちゃったりして、天国の人口増えちゃったりして、世の中が明るくなることもあるんですよ。だからこの世で、ほんとうの意味での幸福な人がいっぱい増えることっていうのは、いいことなんですよね。まあ、これはわかってくれるでしょうか。 じゃあ、この世で幸福な人、やる気のある人をね、人生が楽しい人、これを続々つくるにはいったいどうすりゃあいいか。まあ、これが考えられなきゃいけないわけですね。本章はやる気こそがすべてだ、というふうに考えてみましたけど、そうだと思いますよ。 特に今、一九八九年の初頭にあたって、これを収録しているわけです。去年の今ごろは、ぼくは『高橋信次のUFOと宇宙』を収録していたんですけど、ずいぶん私の法も進んできたなあと思います。もうマクロからミクロまで行ったり来たりしながらやっていますが、今、私の心がけていることは何かっていうと、法の具体化ですね。 法の具体化、あるいは役に立つ法、これをみなさんに教えたいんだよね。実践っていうか、日常生活に使える法が欲しいなあと思ってね、空理空論だけではやっぱり十分じゃないんで、現実にみなさんの実践に使えて、そしてハンドブックになるような、そういう本をつくりたいと念願しています。 ですから、これは人生のハンドブック・シリーズなんですね。ハンドブックというかハンバーガーみたいなもんですよ。ぼくのなんかほんと、マクドナルドのハンバーガーですから、パクパク食べてくれたらいいんですよ、この本をね。パクパク食べるようなつもりで読んでくれたらいいと思うし、電車のなかででもどこでも読めるように、そういうふうに手軽に書いているし、気取らず気さくにやっていますから、どのページからでも、どの章からでも読んでいただいてけっこうだと思います。 ぼくはねえ今、まあ君たちはもう知っているだろうが、いちおう九次元というところに還っているんですけども、死後十何年たったかね、十三年かねえ。もう十三年たったけど、霊人たち見ています。いろいろ見てて、指導営団もいっぱい見ているんだけど、ウーン、まあぼくほどやる気のある人はいねえんじゃあないかなあ。まあそう思うね。あんまりやる気ないんですよ、みなさんね。やっぱり神様然としているところあってね、そんなに小回りもきかないし、何ていうかね、これでもかこれでもかというふうにがんばるところまではいかないように思うんですね。 ぼくはね、けっこうタフなんですよ。いろいろなことあるけど、地上の人にも受け入れられることもあれば、批判されることもあるし、蹴られることもあれば、喜ばれることもあるし、いろんなことあって、霊としては若干ね、いろいろ気疲れなことも多いんだけど。 でも、やっぱりねえ、人生のねえ、道を切り拓いていくっていうのは、ぼくは「やる気」だと思うよ。そしてそのやる気はいったいどこから出てくるか。これをみんな考えたことあるかい? やる気がいったいどこから出てくるか。これは決してね、お天気がいいときにやる気出てくるとか、こんなもんであっちゃいけないんだよ。それは雨の日や、雪の日、曇りの日よりは、お天気のいい日は気分はいいし、やる気は出るかもしれない。仕事だってそうだし、散歩だってそうだし、ゴルフだってそうかもしれない。 まあ、そういう気持ちはあるだろうけど、ただね、そうした外部環境っていうかね、そういうふうに与えられた条件がよければやる気が出るっていうようなの待っていたら、人間いつまでたったってやる気が出ないんですよ。そうじゃないでしょうか。 たとえば、晩ごはんがおいしかったら、やる気が出る、って言ったら何か誤解されるけど、ウーン………仕事ですね、仕事のやる気が出るとか、朝ごはんがおいしかったらやる気が出るとか、朝、電車で座れたら仕事のやる気が出るとかね、そういう人はいろいろいるでしょうが、ただそれであってはひじょうに何ていうかね、運命と申しますか、環境と申しますか、そうした人まかせの人生である、と言えると思うんだね。 ぼくはね、そういう人まかせの人生というのはほんとうの勝利者になるためには、ふさわしくないと思うんだ。だから、新春にあたって、みんなに言っておきたいこと、ひと言、言っておきたいことはね、人まかせの人生、運まかせの人生、お天気まかせの人生、こういうものから今年は決別しようよ。こういうものを今年は考えないでね、どんな状況下であっても自分の人生を切り拓けるような、そういう生き方をしてみようよ。 ぼくはこれを全天候型っていうんだよね、全天候型。高橋信次そのものが全天候型だと思うんだよね。生前であっても、私は自分のコンディションというのを言いわけにしたことはあまりなかったと思う、ほとんどね。どんなコンディションであっても、どんな状況であっても、いつもエネルギッシュによく働いていたように思う。 まあ、〇〇さんなんかも見ていても、去年なんかもう三十冊近い本を出しましたけど、それでも私の目から見たら多少波があるんですね。意欲的にやっているときと、やる気がなくなって、もう、まあいいや高橋信次でも出そうかなんて言っているときと、けっこう波があるんですよ。そして調子のいいときは理論書の難しいのつくっていますが、調子が悪くなってくると、高橋信次モノとかこんなんでしばらく繋(つな)いでいたりしているんですよ。まあ、そういうふうに波があるもんなんですよね。 だからぼくは、よく彼に「そんなんじゃいけないよ。もう、いつもいつもやはり一定の調子でやらなきゃ。」なんて説教をよくしているんですけど、ぼくなんかはね、〇〇さんが健康であろうが、何であろうが、調子がよかろうが悪かろうが、いつでもこういう本を出す用意があるんですね。でも、神様によっては、やっぱり地上の人の調子が悪かったり、機嫌が悪かったりすると出たくない人のほうが多いですね。これは主流です。やっぱり神社へ行けば、ああいうふうにしめ縄を括(くく)ってね、なんだあれは、みかんか、だいだいか、だいだい祭っちゃって、えー、何だか知らんけど横綱のなんだ、あの金隠しみたいなのがチラチラチラチラ白くぶらさがっているじゃないか。ああいうふうな感じで、なんていうかね、聖域をつくらないとできない神様もけっこう多いと思うし、ウーン、それは言ってみれば主流だとぼくは思います。 高級霊というのはひじょうに高い意識を持っているんでね。この高い意識というのは地上の意識とひじょうにギャップがあるんですよ。このギャップがあるということを翻訳しなおすとどうなるかというと、そういう、なんていうか、神社とか、あるいは特別な祭壇だとか、こういう特殊な風景、あるいは様式というのをつくらないとその高級な感じが翻訳できないんですね。そして、自分がやっている感じがしないわけなんですよ。 2.意識変革の時代 たとえば、私が車の運転がうまいとしよう。でA級のレーサーだとしようね。レーシングカーに乗れるようなドライバーだとしよう。その私がたとえば、あなたトヨタじゃねえや、クボタか、クボタのトラクターか何かで、あなた運転しているの考えてごらんなさいよ。私が、いくらふかしたって力出ない。こういう感じになるでしょう。どうでしょうかね。 私は本物の飛行機乗りだったけども、これがプラモデルか何かで遊んでいたら、こんなの面白くないよね。リモコンのグライダーか何かで遊んでいたってこんなの面白くない。まあこうしたもんで高級霊っていうんであっても、やはり自分の世界をなるべく表現したいんですね。自分の感覚を出したい。こういう気持ちがあります。 ただねえ、今はぼくは、その高級霊たちも意識の変革の時期が来ているんじゃあないかなあと思う。自分たちの立場ばかり考えていたんじゃいけないんであって、地上の人たちの立場に身を置いてね、もっともっと考えてやらなきゃいかんと思う。そんな意味でまず考えねばならんことは、高級霊たちが、自分たちがほんとうに高級霊であるという立場を理解してほしいというような願いだね。これは一種の執着だよ、これをまあ捨てることだと思うんだ。だから偉いかどうかなんてことを気にしないで、ほんとうに地上の人に役に立つ言葉を送ってやることだと思うんだよね。 ぼくだって格調高い話をしようと思ったらいくらでもできます。できますと言いながらしないだけですが、一度もしていないかもしれませんけども、ぼくの考え方は違ったところにあります。これだけの速度で本を次つぎ出しているわけですから、どれもこれもが剛速球ばかりだったらまいってしまいます。やはり、スローカーブもあったりね、山なりの球があったり、ど真ん中があったりしてね、バッターもたまにヒットが出るもんだから、うれしいんですよ。高橋信次のシリーズだけはよくわかったとかね。これでぼくはいいと思うし、ウーン、ぼくが考えている対象は、やっぱり上は八十歳、九十歳から下はだいたい小学校の四、五年ぐらいまで対象としては考えています。十歳から九十歳まで、八十歳ぐらいの間の読者を魅きつけたいというふうに思っています。 今、たとえば本屋なんかに行くとマンガブームだよね。マンガっていったっていわゆるギャグマンガじゃなくて、難しいものがマンガになっているね。経済だとかあるいは科学だとか、まあそんな従来、堅い本で、一般の人が手が届かなかったような内容が、マンガにされて出されています。 また、宗教書もそうですね。最近は、釈迦物語とかいっぱいマンガになっていますね。そしてけっこう売れているように聞いています。そのうち高橋信次物語なんてマンガになるんじゃないかと思って希望しているんですが、読者のなかにマンガ家いたらどうですか、名乗りをあげてはいかがですか。高橋信次のドラマ、マンガになりますよ。生前そして復活、これはもうイエス様を超えるギャダマンガになりますよ。ほんとうに面白いと思います。だれかマンガにでもしてくれたら、もっとこれがわかりやすくなるなあと思うんですが。 そのように今は、英語で言うならマーケットトレンドですね。市場の動向はどこにあるかというと、「高級な内容をね、手近にわかりやすく、お茶の間に」と、これが一つの流れなんですよ。あるいは「高級な内容をね、混んでいる満員の電車のなかでも読めるように」これが一つのトレンドであると私は見抜いているんです。 だから、これはね、神理というものをね、もっともっと身近に、みなさんの手のなかに、お茶の間に、喫茶店に、食堂に、家庭の会話に持ち出す必要があるんです。こうしなければ、ほんとうの意味で何といいますかね、世の中を変えることはできないと思うんです。 ところが神理というのが、今までね、特殊な特権階級のものにされすぎていた。ぼくはそう思いますよ。 まあ、『般若心経』なんていうの人気あるけど、あんなもんでねえ、ほんとうに神理がわかっているかどうかね、みんなどう思う? 『般若心経』を読んで悟れるかい。たとえば『法華経』を読んで悟れるかい、どうだい。あんな物を読んでわかるためには特殊な訓練が要るんだよね。それは、お寺へ入って勉強したり、あるいはお寺りの坊さんが書いた解説を読んだりね。まあ、こういうことがあるわけです。 もちろんお経そのものに、ぼくは無駄があるとは言わないよ。お経はお経で永年親しんできたものだし、内容はいいことを書いていると思いますよ。だから、生前ちょっとお経の攻撃をしすぎたかもしれないけど、ぼくはその内容自体を否定しているわけじゃありません。ただね、もっと親しみのあるもんでなきゃあいけない。 というのは、ほんとうに神様が今願っておられることは何かっていうと、本来の世界をすべての人に知ってほしいってことだよね。そのためには、神理というものはやさしくなければいけない。わかりやすくなければいけないんです。読めなきゃいけないんです。決して大学を出たり、あるいは専門の勉強をした人でなきゃわからないようなもの、これだけが神理じゃあない。 仏陀の教えなんていうのは、今から二千五百有余年前にね、無学文盲のインドの衆生に説かれたんです。そして、彼らは理解ができたんです。そんな大学の宗教学科卒業しなきゃわからんような、そんな内容を言ったわけではないんです。そしてたとえ話をたいへん多く使いながら話をしたわけですね。 今、神理というのをたとえ話を用いて使うということはどういうことかと言うと、まあ、わかりやすく面白く話をするということになるわけですね。だからぼくはね、こういう姿勢というのを、みんなにわかってほしいなあと思います。 3.宗教心の復興 そしてね、いちばんぼくがみんなに知ってほしいことはね、一番目、これは私は十数冊目の本になりますが、霊がほんとうにあるということ、もうこれ認めてよ、とお願いする。これだけうるさく言っているんだから、「もうわかったよ。もう認めるよ、もうギブアップだ。」と言ってほしいんです。ぼくは最初の本のときに、最初のころにね、五冊、十冊、二十冊出すって言ったけど、いつのまにかもう二十冊というのがチラチラ見えてきたじゃないかねえ、もう十冊なんか超えちゃいました。二十冊見えてきてね、それだけ勤勉に働いているんです。 だから、、まずね、「もう霊があるのはわかった。もうわかったわかった。もうわかった。面白いのも、何を言おうが、もうだれが何を言おうがもうわかった。マスコミが批判しようがわかった。もう霊はあるんだ。あるんだよ、もう耳にタコができたからわかった。」と、まず、これを認めてほしいんですよ。今年もいろいろとやっていくつもりだけど、基本的にこれをまず知ってほしいんだよね。日本国中で常識にしてほしいんだよ。 今の日本人、はずかしいですよ。たとえばインドなんかへ行きゃあねえ、日本から見りゃあインドは文化的に劣等国だと思っているかもしれない。文化的にとは言えないかもしれないが、工業的に、あるいは産業的に、商業的に劣位にあると思っているだろうが、インドの人なんて神様をみんな信じてますよ。霊魂なんか知らない人、一人もいませんよ。進んでいますよ、魂においてね。 今の日本人はどうだあ、正月三が日だけ何百万人も初詣でするけど、あとはどうなっているんだということだね。ひじょうに情けない、これはねえ、何が原因かというと、国が今骨抜きにされているんですよ、骨抜きに。みなさん、ほんとうに目覚めなきゃだめですよ。 えー、今から四十数年前に太平洋戦争が終わりました。日本ではそれを終戦と言っています。しかし、実際は敗戦でした。敗戦によってどうなったかっていうことですが、いくつかの変遷がありました。 一つは主権在民ということになって、天皇は象徴になりましたね。明治憲法では天皇は、権力者あるいは主権天皇でしたね。ところが象徴になっちゃいました。これも大きな変化でしたね。それから政教分離ということが行なわれました。政治と宗教を分離するということですね。宗教は政治に口を出しちゃあいけない。また、政治は宗教に手を出しちゃあいけない。この両方ですね。これをつくり出しました。 それから次にやったことというのはいったい何かというと、まあ軍隊ですね。軍備の放棄と、まあこういうことでしたね。こういうふうにやって、こういう憲法をマッカーサー下でつくったわけですね。これはいったい何を意味しているかを四十年たって、もうふり返って考えねばいけない。そう、ぼくは思います。 マッカーサーはじめアメリカの進駐軍だね、進駐軍たちの幹部は考えたんです。この太平洋戦争下の日本の怖さはいったいどこにあったのか。日本というのは恐ろしく怖かったんですね。資源もないし、弱小国のはずなのにやたら怖かったんです。あの神風特攻隊、怖かったんです。なぜこういうふうになったか、彼らは議論したんです。そうした結果、まず、あの宗教がいちばん怖いっていうわけですね。日本の宗教が怖い。宗教のなかで特に怖いのがあの天皇制だ。日本神道糸の宗教は、あれは恐ろしい。国民が一丸になってしまうので、まずこれをやっつけてしまわなければ、日本を弱小国にできない。ということで、天皇制の分断を図ったわけですね。 で、天皇陛下を死刑にしちゃうと国中から内乱が起きて、革命が起きるからね、そして進駐軍のところをゲリラに襲われるんで、命を奪うことはやめた。けど実質上の権力をなくした。まず、こうしたね。それと、政治が宗教に介入して国民をあおりたてる、これをナチズムと同じように考えたわけだ、彼らはね。これも怖いんで、これも政治とも切り離させた。これもあります。それから軍隊を持たれると、また戦いを起こすといけないんで、軍隊を持たせない。こういうふうに考えたわけですね。 この結果どういうふうになったかということなんですが、結果はひょうたんから駒で日本はひじょうに繁栄いたしました。この結果がよかったので、国民はそうした占領軍下の憲法で行なったことに、それほど悪い感情を持っていないんですね。最近よく知られてきたように、軍隊を持っちゃいけない、戦争をしちゃあいけないという条項があるために、軍事費が増大しなかったんで、経済的繁栄があったこと。それに比してアメリカやソ連は巨大な軍事力を抱えたために、ひじょうに国家財政が逼迫(ひっぱく)していて苦しいんですね。これは事実として多くの人たちに、現在知られるようになってきました。日本の繁栄の一つは軍事力に力を注がなかったことですね。これがあります。 またもう一つ、ただそれはプラスの面かもしれませんが、マイナスの面も出てきましたね。宗教に対する考え方ですね。これがひじょうに極端から極端にきました。今までいちばんすばらしいことであったのが、今度はもういちばんいけないこと、諸悪の根源のようになりましたね。 ちょっと前にも中曽根前首相の靖国神社参拝問題っていうのがありましたね。首相が靖国神社に行くこと自体は、特定の宗教を支持することになるし、国民感情としては許されないという、野党の批判がありましたね。そういう感情もありました。これなども霊的な目で見たらどうかということですが、やはり言っていること自体は私はおかしいと思っています。まず、宗教の考え方が根底から違いますね。 ぼくたちが言っている宗教っていうのは、各国にあるいろいろな民族宗教というのは、時代と環境を変えてね、神理がいろんな形で顕現したにすぎない。現われてきたにすぎない、まあこういう考え方でしたね。だから日本神道といい、仏教といい、キリスト教といい、これはまったく別なものではないのだと、違った形で現われているけれども、根本においては一つにつながるものなんだという考えが基本なんですね。だから、特定の方式でやれば、ほかの宗教の迫害になるという考え方はね、これは違っているわけですよ。これは一つの間違いです。 それと、何ていうかね、「アツモノに懲(こ)りてナマスを吹く」っていうことわざがあるけれども、とにかく、天皇主義でやって戦争であれだけ被害が出たから、とにかくもう宗教の宗の字もいやだというようなことで、宗教行為をしちゃあいけない、もう政府の首脳は信仰を持っちゃあいけない、宗数的行為は何もしちゃあいけない。こんなんであっても、やっぱりぼくはおかしいと思うよ。これ、何かひじょうに変形した怨念だよ。そう思いますね。 むしろ、ぼくたちが今めざしていることはね、国の中枢(ちゅうすう)にいる人たち、政治家たち、もっともっと宗教心のある人であってほしい。国の中軸にね、精神的なものを持ってこなきゃあ、やっぱりだめですよ。そんな票集めや、金集めだけで政治をやることに対する批判が集まっているんでしょう。何がいけないんだっていうと、根本の精神が問題なわけだ。だから戦前、天皇制信仰で問題があったとすれば、それを変革していけばいいじゃあないか、修正していけばいいじゃあないか。もっと大きな意味で、宗教なんか超えるような大きな宗教を持ってもいいじゃあないか。 だから、今の憲法下は逆に政治家たちの宗教行為をひじょうに狭めています。国のリーダーになるような人っちゅうのは信仰心、けっこうあるんですよ。彼らも持ってるんだ。持っているんだけど、ウーン出せないでいるんだね。ひじょうに残念なことだと思います。ぼくは、総理大臣とかそういう人にどんどんこういう神理の本を読んでほしいし、読んでそれを国政に取り入れてほしいしね、演説とかそういうもののなかにも引用してほしいと思うんだよ。そうすればいちばん速く国が変わっていくからね、そう思う。 4.日本の遺産 だからこのへんにね、国の屋台骨としての精神論が今、必要だと思います。この精神論がなければね、日本の国は今、経済的にだけ繁栄してるけど、クラゲみたいなもんなんだよ。水ぶくれだ。水に入って広がっているけれども、ほんとうの意味で偉大となって、成長していくことはできませんよ。骨組みがだいじです、国としてのね。 アメリカという国は急成長、急発展しましたが、一つの国としてのスピリットがあったと思う。それは何かというとフロンティアスピリット、開拓者精神ということだと思うんだね。それから、アメリカンドリームっていうのがあって、何か夢を実現するんだね。マンハッタン島なんていうのもそうですね。夢を実現するための街ですね。こういうアメリカンドリーム、あるいはフロンティアスピリットっていうのがあるね。 だから日本人が昔から勤勉に働いてね、そしてお国のために、人のために役に立とうという精神は、これはある意味では日本流のフロンティアスピリットだし、日本流の何ていうかね、ジャパ二ーズドリームだったんだよね。ところがこれを否定された。 今、アメリカ人つかまえてね、「お前たちの考え方間違っている。」と言ってごらん、「フロンティアスピリットは間違いだ。それでインディアンを迫害して、インディアンがアメリカからいなくなったじゃないか。お前たちは他所(よそ)から来たくせに、インディアン狩りをして、インディアンを追いやって、そして西部劇をやってインディアンたちはとうとう絶滅の危機にさらされたじゃないか。それを深く反省せよ。だからフロンティアスピリットなんか、開拓者精神なんか捨てちゃえ。マンハッタン島なんて、あんなの二束三文みたいな金で買った島じゃねえかってね。そんな全部原住民から取り上げた島じゃあないか。そこで繁栄しようなんてとんでもねえやつだ。」なんてね、言い方はいくらでもあるんですよ。だから、アメリカ人もそんなことを言われちゃあ黙っちゃいられないでしょう。そうしたら「何言っているんだ、この精神こそ私たちの伝統的な精神なんだ。これを捨てたらやっていけない。」こう言うでしょうね。 だから日本人も、日本人としてね、別に天皇制だけにこだわる必要はないけれども、これがおれたち日本人の生き方だっていうのは、はっきり出す必要があるんですよ。ぼくはそうだと思う。これ出さにゃあいかんし、これからの日本人が、世界の中心になり注目を集めている今、日本人としての生き方、日本人の精神というのを明らかに訴える必要がある。 今、精神的なことはね、なんか罪悪のように思いすぎているんじゃないか。ぼくはそう思うね。それで、精神的なことを言わずに経済に逃げているだろう。どうだあ、売上だとか、数字だとか、信仰に何も関係ない、精神に何も関係ないところね。利益の数字だとか、貿易黒字だとか、こんなところに逃げ込んで満足させているんだね、優越感を。 しかし、そうした経済の数字の上での優越感を満足させる時期はもう終わった。ぼくはそう思います。そんなんじゃだめだ。これからはね、精神的優越、精神主義ですよ。日本人の考え方というのを世界に教えていく必要がある。先進国として発展途上国たちを教えていく時期がきていると思う。この先輩を見習っているんだ。東南アジアの国でも、ルック・イーストといって、日本に見習えといってやっているでしょう。それは、経済的なことだけを見習わしちゃあいけないよ。そうじゃあなくて、日本人のもっと立派な精神態度、考え方、これを学ばさなきゃいけない。 だから、今はクラゲのように肥大化しているけども、もう骨をつくりなさい、骨をね。骨をつくらなければいけない。日本人ていうのはいったいどういう骨を持って生きている動物か、生き物か、これをはっきりさせなきゃいけないとぼくは思います。それがなきゃあいけない。 そのために、第一に言ったように霊的世界だね、霊があるというのをはっきり知ってもらうことがまず第一だし、第二番目はね、人間というのは、永遠の転生輪廻をしながら各国を移り歩いている存在なんだよ。そしていろいろなところで国造りをし、文化の高みをつくっているんだよ。そういう歴史の流れのなかから見たら、今の日本というのはひじょうに繁栄してきているんですよ。 近代でいえばね、二十世紀前半から発展したアメリカ、それからその前へいくと十九世紀の後半から二十世紀のはじめのイギリスの繁栄がありましたね。そのイギリスの前はどこでしたか。イギリスの前はドイツですね。ドイツの十七、八世紀、それからフランスですね。ドイツ、フランスというのは十六、七、八世紀、ひじょうに繁栄しましたね。それからイギリスに来ました。その前はどこでしたか。ドイツ、フランスの前、栄えていたのはどこでしたか。それはイタリアでしょう、ちがいますか。ルネッサンスのとき十三、十四、十五世紀、このころにイタリアが栄えましたね。光の天使がいっぱい出ました。そうでしょう。そして、その前はどこですか、十三世紀ごろからのイタリアの前に繁栄していたのは、いったいどこでしょうか。これを考えてみると、たとえば東洋だと中国ですね。中国では唐の都というのがあって、世界の最大の繁栄を誇っていましたね、ちがいますか。七、八、九、十世紀、このころでしょう。唐というところは世界一でした。そして西洋圏ではどこかというとイスラム圏でしたね。イスラム圈、マホメットのころです。七世紀、八世紀、このころがひじょうに文化的に高かったんではないでしょうか。 まあ、そういうように文化というのはどんどん移ってきているんです。その前はどこかというと、ギリシャなんかもそうですね。あるいはエジプトですね。エジプト、紀元前前後は、エジプトやあるいはイスラエル、このへんがひじょうに繁栄していましたね。その前がギリシャですね。こうぃうふうに文化というのは北上したり、東進したり、西進したりしながらいろいろ移ってきて、それぞれの国の高みがありました。そうではないですか。 ですから、ギリシャからローマそれからイスラム、イスラエルですね。こういうところから流行ってきてフランス、ドイツ、イギリスと北上してきて、それからそれがアメリカヘと来ましたね。そして、アメリカをまわって日本にやって来た。もう一つの流れはどこかっていうと、インドに発祥して、それから中国、中国から韓国、朝鮮ですね、それから日本へ来た。この東洋の文明、西と東の両方から回ってきたのが、今二十世紀に日本という国に集中してきているんですね。これは大きな神理国家がここでできるということなんです。 だから、今の時代に日本に生まれたということは、たいへんな使命を持っているんであって、同時代人のリーダーであると同時に、後世の人びとに対する模範なんですね。後世の人びとに日本という国の繁栄を見せなければいけない。のちのちの人たちが模範として見るなら、今のような経済的な数字だけでね、車を何台売り込んで、どれだけ儲けたかというような数字、こんなのだけでほんとうにみなさん満足ですか。のこしたいですか、車なんてやがてすたれていきますよ。やがて、空を飛ぶ乗り物ばっかりになりますよ。もう地面なんか、あんなの這(は)っているような乗り物なんか、なくなりますよ。もうすぐですよ、こんなの。みんな空飛びますよ、空を飛ぶし、その自家用機はね、もっと安定的で事故なんかぜったい起きないやつです。 今、リニヤモーターカーといって宙に何十センチか浮いて走る電車の開発が考えられていますが、ああいうような形でね、空飛ぶ円盤じゃあないけど、自家用飛行機がいっぱい飛びますよ。そうしてそれは決して墜落しないです。引力のバランスをとりながら飛ぶやつですから、引力に反発する、そういう反重力の制御装置を持った乗り物ですから、フワフワフワフワ浮いていて、絶対落ちないです。そして事故も起きません。他の飛行機とぶつかりそうになると、お互いにフワッと避けるようになっているんです。ちょうど磁石の同じ極どうしがくっつかないようにね。衝突しそうになるとフワッと逃げるようにできているんですね。そうぃう乗り物がもうすぐできます。 そしたら自動車で儲けた利益なんて、こんなの過去のものになります。牛車とか馬車ぐらいのレベルにやがてなっていくんです。あんな危険な乗り物によく乗ったなあ、一年間に一万人も人が死ぬという、そんなバカな乗り物によく乗ったなあ、そんな物を売ってよく大儲けした自動車会社があったなあ、なんてみんな感心してしまいますよ。後世の人は驚きますよ。 あのころ日本は繁栄したといって、一年間に一万人以上の人が死んでいたんだって、ケガした人はもっと、もう何万、十万ぐらいいたらしい。これは毎年毎年戦争を続けているのとまったくおんなじだった。同じぐらいの死者が出ていた。こういうことだね。これは恥ずかしいです。それで儲かったなんて喜んでいて。これはやがてそういうことはゼロになります。これは、私は保証しますね。 5.ユートピアヘの運動 そうするとね、後世の人にのこしたいのはやはり現代の日本精神ですよ。日本人の精神主義ですね。これを訴えなきゃいけない。だからやはり、ユートピア創りということをね、三番目にこれを全面に出さなきゃだめですよ。 だから、やる気こそすべてだというのはね、ぼくはそういう歴史の流れを見たなかで、今かれらは何をなすべきか、これは真剣に考えなきゃあいけない。それは、最高の国を今つくることですよ。国自体をユートピアに変えることですよ。それによって同時代の宇宙船地球号のこの同時代の乗組員たちですね、ほかの人たちを導くこと、これが一つ。 また後世の人たちに影響を与えること、これが一つです。かつてのローマやギリシャあるいはフランスやドイツ、イギリスこういう国が人類の進化のために役に立って、そして遺産をのこしてきたように、私たち日本人も遺産をのこさねばいけないんですよ。この遺産の最たるものは何かというと、今私たちが問うているこの神理です。これこそが遺産の最大のものなんですよ。だから、こうした神理を積み重ねて、これを広げることです。 そして、日本だけではなくて、世界各国に輸出していくことです。車の輸出はもう十分です。そうではなくて神理の輸出をしてください。この日本を拠点として現われてきた神理ですね。これを輸出したいんですよ、ぼくたちは。日本がね、最高度に進化することによって、この日本で現われた新たな精神主義がね、この精神世界が、世界各国に輸出され、また輸入されるということを願っているんですよ。どうせ一生を生きるなら、数十年の人生を生きるなら、この新たな運動のためにみんな身を投じようじゃありませんか。 特に私はね、必要だと思うのは、このやる気の革命で必要なのは三種類の人間だと思います。 まず、老人たちがんばりなさい。六十過ぎて定年退職迎えて、もうあと死を待つばかりなんてのんびりやっている人たちね、あなた方だって一流会社で社長やったり部長やったりしてたんでしょう。そういう人は力が余っているんだよねえ。その神理の運動のために生きなさい。特に年金などをもらっている人は楽ですよね。もう食うために働かなくたっていいんだから、もうやりなさいよ無料奉仕で。年寄たちは、まず人生のリーダーとしてがんばらなきゃいけない。 もう一つがんばらなきゃいかんのは主婦だ。お父ちゃん帰ってこないで、もうブラブラして、ゴロゴロ昼寝ばっかりしているんだったら、昼間は奉仕団として働きなさい。神理を広げるためにがんばりなさい。あなた方は今、有閑階級ですよ。有閑階級というのは昔の貴族ですよ。エジプトの有閑階級っていったら、あなたはもう神官ですよ。神主さんたちですよ。こういう貴族階級だということを主婦は知りなさい。自分は貴族だということを。働かないでテレビ見てゴロゴロできるんですから貴族です。貴族こそが今、文化の継承者です。伝道をする人たちです。 三番目は若者です。若者はすることがない。戦争でもあったら軍隊で機関銃で人を打ち殺したりして遊べるんだけど、戦争もないし、もうエネルギーが余って余ってもう、暴走族になってみたり、もういろんな悪いことばっかりして遊んでいる。このエネルギーですね。この若者のエネルギー、これも吸収したい。 だから、この救世のエネルギーがほんとうに成就していくためにはね、老人パワーと主婦パワーと若者パワー、この三つはどうしても必要です。そののち、のんびりと中堅パワー、中年パワーやっていきなさい。忙しいんでしようから、稼ぎ手ですから、経済日本をつくっているんでしょうから、後からでもいいけど、とにかくこの三つのパワー、期待しているよ。これが新年早々ぼくの言いたいことだ。大いにがんばろうじゃないか。
https://w.atwiki.jp/konakagatimes/pages/15.html
―桐箪笥復興というマニフェストを掲げて― 高良みゆき選挙出馬、見事当選! 桐箪笥を復興をマニフェストにかがげ、田舎の桐箪笥職人と若者への桐箪笥に対する情熱を伝え、見事当選を果たした、高良みゆき氏。 みゆき氏の友人である弁護士とその愛妻、そして弁護士の妹は語る”彼女のカリスマ性は大いに桐箪笥業界に春風を巻き起こすだろう、と。 何故、そこまで言い切れるのか・・・まだ私にはわからないが、彼女の萌えのカリスマ性を考えれば、難しいことではないかもしれない・・・ッス。 ただ、私の掴んだ極秘情報によれば、友人である弁護士の妹との密会が噂されていたのは事実であり、そちらの方面での活躍も大いに期待できるッス。 母の高良ゆかり氏は”私の教育の賜物ね”と胸を張ってました。父親にもインタビューをしたかったのだが出張費が出なかったので無理でした、無念ッス。 しかし、出来れば友人である弁護士の妹との密会の記事を書きたかったッスね~。 ◇関連する記事 ▼みゆき氏の当選により政財界及び桐箪笥業界に大波乱。破竹の株価上昇、林業活性化の動きも 関連記事・トピックス ▼政治経済 ▼記事一覧 ©こなかが☆タイムズ:田村
https://w.atwiki.jp/nishitamaonline/pages/220.html
シンポジウム「森をめぐる都市と農山漁村の 新たな交流の復興への役割」 目次 シンポジウム「森をめぐる都市と農山漁村の 新たな交流の復興への役割」情報元 日時 場所 内容日程 対象 定員 費用 備考 主催 後援 助成 問合せ先 上に戻る 情報元 森づくりフォーラムホームページ 上に戻る 日時 2011年6月26日(日) 13時30分~17時00分 受付は、13時00分から 上に戻る 場所 東京都農林水産振興財団講堂(東京都立川市富士見町3-8-1/JR青梅線西立川駅徒歩8分) 上に戻る 内容 未曾有の東日本大震災による災害、そして復興へ。 これには都市と農山漁村の新たな交流が必要不可欠、そして森林のめぐる役割は、復興へどう役立てていけばよいのか。 このシンポジウムで日本人に新たに問いかけ提言する。 上に戻る 日程 基調講演 提言者 内山節(哲学者・森づくりフォーラム代表理事) パネルディスカッション パネリスト宮林 茂幸(東京農業大学教授)速水 亨(速水林業代表/(社)日本林業経営者協会 会長)山本 信次(岩手大学準教授) コーディネーター 内山 節 上に戻る 対象 関心のある方ならどなたでも 上に戻る 定員 100名(事前申込みによる先着順) 上に戻る 費用 1,000円(ただし、森づくりフォーラム会員、賛助会員は無料) 備考 森づくりフォーラムホームページから、パンフレットおよび申込書がダウンロードできます(PDF形式) 上に戻る 主催 「森づくり政策」市民研究会 上に戻る 後援 東京都産業労働局(申請中)、東京都農林水産振興財団(申請中) 、特定非営利活動法人 森づくりフォーラム 上に戻る 助成 国土緑化推進機構 上に戻る 問合せ先 (特)NPO法人森づくりフォーラム事務局(シンポジウム担当)TEL 03-3868-9535FAX 03-3868-9536E-mail office@moridukuri.jp 上に戻る タグ:11年06月 イベント 各種講演会 多摩地区 森づくりフォーラム 済
https://w.atwiki.jp/imasss/pages/1733.html
【グリマス】響「最近、貴音が冷たい…」【復興委員会】 執筆開始日時 2013/06/23 元スレURL http //ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1371994430/ 概要 グリP「なんだ?やぶからぼうに…」 響「シアター組が765に来てから貴音、自分と遊んでくれなくなった」 グリP「ああ見えて貴音は面倒見がいいからなぁ…新人が沢山いるから、まあそんな事もあるだろうさ」 響「そんな訳だからプロデューサーも手伝ってよ!」 グリP「…何を?」 響「新人イビリさー!」 タグ ^我那覇響 ^四条貴音 ^エミリー スチュアート ^木下ひなた ^徳川まつり ^松田亜利沙 まとめサイト えすえすゲー速報 えすえすりんくす wiki内他頁検索用 コメディ ミリオンライブ 四条貴音 我那覇響
https://w.atwiki.jp/sangyouhukkou/pages/14.html
調査・イベント主催などの情報をまとめています 海外調査 日時 項目 10/31-11/7 ウクライナ共和国・ベラルーシ共和国調査(小山) 3/11-3/16 ベラルーシ共和国調査(小山・小松) <2011年度 実態調査> 日時 区分 調査対象 5/20 農・機関 福島県農民連ヒアリング調査 (福島市) 6/10 農・生産者 安斎農園ヒアリング調査(福島市) 6/22 漁・機関 福島県漁連ヒアリング調査(いわき市) 6/24 漁・機関 相馬原釜漁協ヒアリング調査(相馬市) 7/8 農・直売所 JA新ふくしま直売所「ここら」ヒアリング調査(福島市) 7/8 農・機関 JA新ふくしまヒアリング調査(福島市) 8/10 農・機関 福島県葉たばこ耕作組合ヒアリング調査(田村市) 10/12 農・機関 福島県葉たばこ耕作組合ヒアリング調査(田村市) 10/12 農・生産者 葉たばこ生産者ヒアリング調査(田村市) 10/12 農・機関 JAたむら市ヒアリング調査(田村市) 10/19 漁・機関 FAいわき市本所ヒアリング調査(いわき市) 10/19 漁・機関 福島県水産事務所ヒアリング調査(いわき市) 11/15 食品流通 「大豆の会」コープふくしまヒアリング調査(福島市) 11/24 食品加工 内池醸造ヒアリング調査(福島市) 12/29 農・機関 JA新ふくしま土壌検査結果報告会(福島市) 1/16 農・機関 JA伊達みらい自主検査結果等検討会(伊達市) 1/27 農・機関 JA新ふくしま土壌検査結果等検討会(福島市) 2/2 農・機関 JA伊達みらい次年度計画に関するヒアリング調査(伊達市) 2/10 農・機関 JAしらかわ放射線量分布マップ関連ヒアリング調査(白河市) 2/10 農・機関 JA新ふくしま放射線量分布マップ打ち合わせ(福島市) モデル地区①関連 日時 調査対象 6/10 ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会ヒアリング調査(二本松市) 7/12 有機農業ネットワーク 7/29 福島県有機農業ネットワークヒアリング調査 9/15 ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会ヒアリング調査 11/23 ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会 役員会参加 12/22 放射線量分布マップ作成打ち合わせ 1/12 ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会 生産者部会出席 2/5 ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会 研修会出席 モデル地区②関連 日時 調査対象 8/23 伊達市霊山小国地区ヒアリング調査(伊達市) 9/16 放射能からきれいな小国を取り戻す会 総会出席 記念講演(小山) 10/17 放射能からきれいな小国を取り戻す会 農地空間線量調査見学① 10/18 放射能からきれいな小国を取り戻す会 農地空間線量調査見学② 11/15 放射能からきれいな小国を取り戻す会 役員会同席 11/22 小国地区 圃場見学 12/15 放射能からきれいな小国を取り戻す会 打ち合わせ 12/28 小国地区 土壌サンプル採取 1/15 放射能からきれいな小国を取り戻す会 講演(小山) 2/8 放射能からきれいな小国を取り戻す会 平成24年産米作付けに関する集会 消費者リスクコミュニケーション研究関連(小松) 日時 項目 11/28 県内保育園保護者(福島市) 12/6 東京消費者(子育て中の母親)(東京都) 12/12 県内保育園保護者(福島市) 12/20 東京消費者(子育て中の母親)(東京都) 震災復興街なかマルシェ関連 日時 項目 7/14 産直カフェヒアリング調査(福島市) 10/1 福島県有機農業ネットワークヒアリング調査2 (二本松市) 10/22,23 震災復興街なかマルシェ開催(福島市) <2011年度 イベント参加> 日時 参加イベント 5/25 飯館村村民のつどい参加 (飯館村) 9/17 仙台マルシェ参加(宮城県仙台市)
https://w.atwiki.jp/kaitakuou/pages/19.html
バビロン王国…かつて魔王直々に完膚なまでに破壊したこの国のサンダルノアナから物語は始まる… 主人公であるやる夫はバビロン王家の末裔であり、 祖国復興のため先祖代々蓄えていた物資や財貨がまとまった量になったので 計画実行のために副官の秋月涼や手に職のない人たちを大勢連れてきたのであった。 だが、大勢の人を集める事ができたのには理由がある。『穀物の病気』まともな収穫が望めない畑が激増し 口減らしとして大勢の人が都市に出てきた、だが雇用が間に合わず手に職のない人たちが大量に溢れることとなった やる夫のすべきことは、この場所を開拓し立派な王国へと変えることである。
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/215.html
目次 1.人間の本性は真、善、美の三位一体 2.真、善、美の魂の本質確認が基本要件 3.地獄霊は生まれ変わって来ない 4.堕落は無知と悪魔の誘惑 5.地獄に堕ちる宗教家の大借金 6.ユートピア観と、私の王道国家論 7.新時代には文明観が二分、三分と岐れる 8.とりあえずは宇宙時代のユートピアを考えて行け 9.エデンの桃源郷論者を迫害してはならない 10.健全な霊知識に立脚したユートピア論を築くべきである 11.神題伝道計画の中には既に伝達経路が織り込まれている 12.今後二十年以内に中国に文化大革命が起きる 13.「孔子の霊言」が「毛沢東語録」に代わって読まれよう (一九八六年二月八日の霊) 1.人間の本性は真、善、美の三位一体 ―― 孟子の招霊を行う ―― ―― ――孟子様ですか――。 孟子 ――マオシデス ―― この様なところにお招きして恐縮ですが、いま私どもは、これからの新しい時代の精神革命ということを考えておりますが、あなたが説かれたかつての法についていま一度お伺いして、現代の人間あるいは将来の人類に対する一つの光の言葉として述べ伝えたいという希望を持っております。つきましては、この辺について何かご指教を願えましょうか。 孟子 もう大分前からあなた方から私がお招きをうけるということは、わかっておりましたから、心待ちにしておりました。私からばかり教えることもないかも知れませんが、こうした機会にあなた方と話ができて、そのことが私への学びとなることも嬉しいことだと思っております。 さきごろは孔子様や、老子様も出られたそうで、また私をお呼び下さって、孔、孟、老、荘ですか、それでまた書物を出されるということ、これはこの世を去って何千年も経っている私どもにとっては、非常に嬉しいことでもありますし、こういう機会を与えられましたことを神に感謝いたします。 ―― そこで聖賢の方々から徐々にお教え賜わっているわけですけれども、各聖賢方にはそれぞれのご意見がございましてそれはそれとしてうけたまわっておりますが、私どもは大きくは万教は一つで、その時代、時代、場所、場所に応じた光の指導霊が、神から発せられている教えを広められたのである、という立場をとっております。ために、どのような方がお説をどのように説かれようとも、全てこれ神から出されたお教えであるというように、私どもは受けとめておりますので、いささかの矛盾も感じずに拝聴いたしておるものであります。従いまして孟子様におかれましては、既に今から二千数百年昔にお説きになられたお教えでございますけれども、今にあなた様のお教えが受け継がれておるということは重要なことでございます。けれども当時のお教えは、現代におきましてはいささか難しく、現代人の頭では中々消化できないような高度なものであるというように考えられますが、私たちは、日本語の現代語で当時の先生のお考えなり、また将来のお見通しというふうなことにつきまして、うけたまわることができましたなら非常に勉強になると思いまして、お招きいたした次第です。どうか一つあなた様の、人の生きるべき踏むべき道についての本来的と思われるお考えをご教授頂きたいと存じます。 孟子 今日は何もかも語るわけにはいきませんが、主として、三本ぐらいの柱を立ててみようかと思います。 最初の柱は、人間性の根底にあるものは何か、人間の本性について、語ってみたいと思います。次にあなた方は、ユートピア論を考えておられますけれども、私なりのユートピア論を語ってみたいと思います。三番目には、あなた方へのアドバイス、あるいはあなた方との質疑応答のようなものをやってみたいと思います。 まず最初にあらゆる宗教や、あらゆる哲学の基礎にあるものは、人間をいかなるものとして捉えるかということです。この視点だと思うのです。人間はいかなるものであるか、その捉え方によって各宗教やいろんな教え方は異なる色彩をもったものとなったでありましょう。人間を罪の子のように捉える捉え方もあるし、人間を不浄なものというふうに捉える捉え方もあるし、あるいは人間を光の子だとか、火の子だとか、そういった捉え方をする人もいるし、ま、いろんな捉え方があると思うのです。 まず、その中で、私の基本的な考え方というのを明らかにしておきたいと思うのです。私は、人間の本性は善であり、真であり、美であると、言葉を換えるならば、真、善、美こそ人間性の根底にあるものだと、このように考えます。そして人生というのは、この内在の真、善、美を、いかにしてその数十年の人生の中において輝かすかということです。これにかかっていると思うのです。人間の本質は真、善、美であります。この三つのものが、渾然一体となって人間の本性を創っていると思うのです。この真、善、美、これを阻害するものが、様々の悪であり迷いであると思うのです。ただ人間の本質そのものは、真理であり、善であり、美であるということです。 あなた方は今、様々な神霊たちとの交霊を通していろいろと学んでおられると思いますけれども、まだ真、善、美、これをキリスト数的だと間違われてはいけませんが、真、善、美の三位一体、これが人間の本性にあるということ、ここまで考えが至っていないように思います。 『真』ということは何か、それは神の法則の下に生きているということですね。これが真理にのっとった生き方です。これが真であります。 『善』というのは一体何であろうか。善というものは自己と他者との関わり合いを決めるものです。つまり、善というのは、大調和を創り出すための原動力です。人間は人のことを思い、人を助けようと思い、人を愛し、生かし、赦していく、育(はぐく)んでいく中に、善というものを発揮してゆきます。その善というものは、一体何のための働きであるかといえば、これは大調和です。宇宙の大調和、これを創り出していく、霊の世界の中に創り出していく、この原動力になるものが善であります。さきほどいいました真、真理というものは宇宙の法則ですね。宇宙の法則に人間は左右される。人間は宇宙の法則によって統(す)べられる存在である。そしてそういった法則の中において、人間は次なる行動基準として善をなしてゆかねばならないのです。善とは愛他であります。利他であります。他人との関係の調整であります。また善とは、人間の本性が善きものであると信ずることであります。なぜ愛他の念が起きるのでありましようか。何故他人のことを一生懸命に考えてあげるのでありましょうか。何故親切をするのでありましょうか。何故人のために尽すのでしょうか。それは他人もまた善きものであるからです。善きものと善きもの同志であるからこそ愛し合うことが必要なのであり、導きあうことが必要なのではないでしょうか。善はこのように宇宙の大調和を創り出すための原動力でありますが、また善の一側面においては、自らも善なるもの、他人も善なるもの、いわゆる、善きもの、存在を善きものとして観る気根と申しますか、心根(こころね)があるわけであります。これが『善』であります。最後に、『美』ということがあります。いまだ、あなた方のところに出てきている神雲たちは、美ということについて語り得ていないように私は思います。人生にはやはり美は大切です。なぜあなた方の目には美しいものと醜いものが見えるのでしょうか。美醜はまた善悪と並び対称される言葉です。何故あなた方は善悪があるのかということを考え、よく議論されると思います。ではなぜ美醜があるのかということは、あまり議論されたことがないと思うのです。なぜ或るものは美しくて、或るものは美しくないのでしょうか。それを今一度考えて頂きたいのです。何故あるものは美しくて、あるものは美しくないのかということです。 美しさというものは一体何でしょうか。美しさの中にはなにか魂に響くものがあるはずです。その魂に響くものとは一体何でしょうか。神の、神仏の心の中に人々を導く方便として美しさということがあるということですね。本当は形の上に表れた美しさが、神仏の美しさではないのです。ただ、この地上的にはそのような美しさでもって説明しなければ説明がつかないようなものがあるということですね。それをたとえば形あるものでいえば美しいという言い方をするわけです。鳥が翔(と)ぶ姿を見て美しいと感じます。なぜ美しいと感じるのか。それは一言では言い切れません。けれども、あなた方は皆美しい何かを感じています。白鳥が翔(と)ぶ姿をみて美しいと思う。けれども鳥(からす)が飛ぶ姿をみてもなかなか美しいとは感じない。何かが違うわけですね。 このょうな美醜という概念があなた方に与えられています。けれどもその美醜というのは単に外部的にあるものだけではなくて、人間の中においても、美というものが、埋まっていると思うのです。美というものは、単に形だけではなくて、動きの中にも、時間の連続の中にも、美というものはあると思うのです。つまり「美しい人生を生きる」という言葉がありますが、美しく生きることはできるのです。その人生の中において、善として、善き人生を生きる。あるいは、真として、真理に生きる。こういう人生もありますが、美しい人生を生きる、こういう生き方もあるのです。では美しい人生とは一体何でしょうか。それを皆さん方は真剣に考えたことがあるでしょうか。美しい人生って一体何んでしょう。美しい人生というものは、やはりその人生の時間の連続の中において煌(きらめ)きが、輝きが、あるということだと思うのです。 そのような煌き、輝きがあるかどうかということですね。この煌き、輝きというものは一体何でしょうか。煌き、輝きというのは、あなた方の人生の一断面において真理の光がほとばしった時、これを煌き、あるいは輝きというのではないでしょうか。たとえばあなた方一人一人は、結構平々凡々とした人生を生きてこられたはずです。それがある時、出合いがありました。神仏との出合いがあり、聖霊たちとの出合いがありました。その時あなた方の人生は、光を放ったのではないでしょうか。輝きを放ったのではないでしょうか。これが光であり、煌きであり、輝きであります。これを称して『美』といいます。 以上を総合して考えてみると、人間の心性の中に真、善、美というものが埋まっています。『真』というのは神の創られた法則、これを仏教的にもキリスト数的にも、いろいろ言われています。あるときはそれはカルマの法則のように言われています。蒔いた種は刈り取らねばならぬというようなことです。あるいは中庸(ちゅうよう)、中道の法則、作用、反作用の法則、あるいは達磨のように、だるまの法則といわれているのですか ―― 人生は起き上がり小法師(こぼし)―― のようなものであるというような考え方、こういう考え方もあるのですね。そういった様な神の法則というものを、いろんな人がみてきているわけですけれども、そういった真理ですね。法則が人間の本性(ほんせい)の中にあるということ、これが一つだし、善なるもの、善きものそのものが、人間そのものの中に善きものが埋まって居り、それぞれの人がまた善きものであり、善きもの同志が共鳴しあわねばならないということ、こういった人間観が二番目にあり、最後において、美というもの、形において美しさがあるように、人生もまた美しくなればいけない。人の魂も美しくなければいけない。こういった観方があると思うのです。 この真、善、美すべてが満たされて、はじめて人間として完成された人間になってくるのではないでしょうか。私はそういうふうに人間というものをみております。ですから私があなた方に、人間として生きていく道で何が大切かということを、問われたとするならば。まず一人一人の人に言いたいのです。真善美というものを心に描きなさい。今、自分の生き方は″真″まことがあるかどうか、神の法則にのっとった生き方であるかどうか。まずこれを心に問いなさい。 二番目には自分の今の生き方は、善なる生き方であるかどうか、神の子としての善なる自我の発露が出ているのかどうか、善であるかどうかを問いなさい。最後は美であるかどうか。自分の人生は美しい人生であるかどうか。これを考えていただきたいと思うのです。美しい人生というものは、最初から最後までが輝いているような人生ではありません。輝きというものは薄汚れているものの中から輝いてきたり、曇った空の中から光が差してくるようなものです。お釈迦様は、蓮の池に、あの泥沼の中から咲いてくる蓮の華というものを人生に喩えられました。同じようなものであります。蓮の華であります。そうした人生というものは美しくなければいけない。ですから生きていく途次において、時折立ち止まって、私の人生は果たして美しいだろうかどうか、こうしたことを踏み止まって考えてみて頂きたいのです。この真善美ということを、人間として生きていく上での反省の材料として頂きたいのです。釈迦は八正道ということを言いました。正しく見る、正しく語る、そういったことを順番に言っていきましたね。けれども八正道は少し難しいかも知れない。もっと簡単に真、善、美でいいのじゃないか、自分は真実の生き方をしているかどうか、法則にのっとった生き方をしているかどうか、自分は善き生き方をしているかどうか、人間として善く生きていくということ。三番目は、人生は、自分の人生は美しいかどうか、穢れた生き方はしていないか、醜くはないか、こういった真善美という、いわゆる三つの言葉を反省の材料として十分に使って頂きたいと思うのです。あなた自身に対しても、これは当てはまることなのです。あなたは、真なる生き方をしているかどうか、真実の生き方をしてきたか、これはまずまずあなたをとれば、まずまずの合格でありましょう。あなたは善なる生き方をしてきたかどうか。ま、これもまずまず善なる生き方、悪なるものに心負けたことも何度かあったけれど、まずまず善なる生き方をされたはずです。 あなたは『美』なる生き方をしてきたかどうか。これは今一つあなたにとっては課題の残るところだと思います。ただその美しい生き方として光が煌きが、近年に至って後半になってから初めて現れてきております。あとこれ、死ぬまでの間に、どれだけの煌きを出していくかということでしょうけれども、こういった真、善、美という立場、これを守っていかれることが大切なことだと思います。 ここまでで質問があればお聞きします。 2.真、善、美の魂の本質確認が基本要件 ―― 私への訓えの内容につきましては全くその通りでありまして、これが人の生きる道の規範となるものであろうと思います。そうではありますけれども、人間というものは、本来、この現象世界に出る限りにおいては肉を持つということ、大きな、いうなれば十字架を負うわけでございまして、その意味でこれがその通り万人が万人実践できないというのが、課題ともなっておるように思うのですが、人びとが少しでもこの方向に人生を打ち込んでいけるというためには、如何なる努力が必要かということ、ここらが問題の核心になろうかと思いますが。 孟子 確かに努力ということではおっしゃるとおりでありましょうが、基本的な人生観を誤ってはいけないということです。ですから、キリスト教でいうならば、罪の子という思想がずい分害を流していますね。それはキリスト教以外の方からみればよく分かるはずなのですけれども、人間罪の子、原罪ありと、いうようなことで、不当に人間に悪い暗示を与えているのです。こういった考え方はとってはいけないということです。人間は、確かに肉体という肉の衣を被っているかも知れませんけれども、その中にあるものは真なる魂であり、善なる魂であり、美なる魂であるということです。まずこれを信ずることから出発しなければ、その後に構築されるものは違ったものとなってしまいます。 真であり、善であり、美であるということを信ずることによって、はじめてそこからプラスの人生、素晴しい人生というのが拓けてくるのです。もともと本質そのものを、悪いもの、汚れたものと考えてしまうと、なかなか人間というものはプラス・マイナス零以上にはなってこないものなのです。それを私は言っているのです。 ―― まあこれは、人間の性善説と申しますか、本来人間は神の子としての、善性をもって生まれておるのであるけれども、そういう自覚がないと現象界におけるいろんな誘惑とか、いろんな迷いとか、悩み、苦しみというものに囚われて己れを見失って、己れを暗いものに、みすぼらしいものにすると、悪なるものへ、ズルズル引きずられていくというかたちになるのではないかと思います。けれども、その善なるものであるという自覚を強めるという方法が第一に大事なことであると思います。 3.地獄霊は生まれ変わって来ない 孟子 少なくとも、まずその前提になるのが、正しい知識なのです。あなた方はこういった様々な霊達と話しあって、また、宗数的人生観を持っているために、かなり汚れていない魂というものを知っております。けれども、普通一般の人たちはどうでしょうか。世の中には善人も悪人も居ると思っているのです。というよりも、悪人がはびこっている世の中だと思っている人の方が数においては多いのです。善人、悪人という両方の種類があると思っているのです。現象界において二種類の人間がいると思っている人がいます。それともう一つは初期段階です。霊的興味をもっている方々、霊的な生まれ変わりとか、転生輪廻ですね、或いは魂ということを信じていても、この世に生まれてきている人間の、或る人たちは天国から生まれてくるけれども、残りの人たちは地獄から生まれてくると、まっ暗な世界から生まれてくると、こういうふうに思っている人は、どちらかというと宗数的なプロの中にも多いのです。だから、ある人達は威(おど)しています。よく周(まわ)りを見なさいと。あるいは悪魔の手先かもしれない。そういう人として生まれ代わってきているとみている人もいるかもしれません。こういう観方は結構多いだろうと思うのです。それはキリスト教の中にもあります。天から来た人とか、地から出てきた人という言い方をしているために、あたかも人間が地獄から生まれてくるかのように、思われているのです。 けれども今私は、はっきり言っておきます。地獄からこの世に生まれては来ません。少なくとも最低限度としての人間としての最低限の悟りを経ていなければ生まれてくることはないのです。最低限自分が霊的な実在であるということ、この辺が気がつかなければ地上に生まれ代わってくることはないのです。ですから、世の宗教家たちがよく間違っていることは、あるいは世の霊的信仰を持っている人が間違っていることの中には、地獄から生まれてきたから悪い人であると。ああいう人間というのはきっと、ひどいところから生まれてきているに違いないと、思うかもしれないけれど、本来はそうでないということです。美しい魂をもって、美しさの程度はちがうのだけれど、そういった人が生まれてきて何十年か育っていくうちに、色々に分かれてくるだろうということなのです。魂の傾向ということは勿論あります。カルマということもあります。ただ、本来的な悪人とか、そういうものがいると、思っちゃいけないということです。これは正しい霊的知識として知っておく必要があります。 ―― ある程度、霊的存在であるという自覚を持っていない者は生まれてこないということでございましたけれど、しかしながら、現象界に生まれてくると、やはりそれを忘れてしまっておるということですね。そして、かえって、たとえば出てくる以前より以下の生活をして、以下の成績でまた還っていくという者があるということについては、いかがなものでしょうか。 孟子 確かに、おっしゃる通りです。それは人間として生きていった何十年かの間で、そういった借金をつくってしまうわけです。けれども、私がいっているのは、借金を背負って生まれてきているのではないのですよ。借金はない人なんですよ。むしろね、天にいるお父様から、お小遣いをもらって、旅費をもらって生まれてきている人ですよ。しっかりやってこいよと、言って小遣いをもらって出ているんですよ。旅費は持ってきているのです。ところが、旅をしている途中でですね、いろいろと、あちこちで買物をしたり、物事に使ったり、食べたりしてですね、そして大きな借金をつくって、そして還ってくるんですね。それが地獄です。ですから、生まれてきた時に、借金をもって生まれてきているんじゃないということです。みんな善なるもの、まあ旅費ですね、旅費を頂いて生まれてきているんです。ただ、それを旅の途中で使っていく中において、大きな財産にしていく人もあれば、借金をつくってしまう人もいるということなんです。 ―― 要するにまあ、自由であるということなのですね。 孟子 まあ、自由とまで言い切れるかどうか分かりませんけども少なくとも、借金した状態で生まれてきた人間ではないということ、これは知っておく必要があるということです。 ―― ということは、カルマを持って生まれてきたものではないということですか。 孟子 カルマはあります。カルマはありますが、その修正をある程度終わって生まれてきているということなんですね。いいですか。一万円の借金はあるかも知れないけれど、二万円のね、貸金(かしきん)は作って、はじめて生まれ代わってきているということなのです。差し引きすれば、プラス、マイナス差し引きすればプラスになっていなければ、人間は生まれ代わってはこないということなのです。 ―― ああ、そうですか。にもかかわらず、財産を増やしていく人もあれば、却って負債を増やしていく人もあるということですね。 孟子 そうです。ですからね、前世においては、たとえば、五十万円の借金をつくりました。そして地獄へおちました。地獄で修行をしてね、そして五十万円以上返済しました。五十万円の負債を六十万円返すことによって、六十万円を生み出すことによって十万円の、要するに資産をつくって、はじめて人間は、また生まれ代わってくるのですね。ところが今世においては、その元手の資産は十万円なのだけれど、それがまた今度は、一千万円の借金をこしらえてしまうかも知れないのです。そうすると来世に還ってくると今度は一千万円以上働いて返さねばならないのです。 こういうふうに借金をつくる体質、借金をつくる傾向というのがカルマなのです。が、その額がね、悪くなっていく人もいるわけです。しかし、生まれてきた時十万円持っていて、それを死ぬ時には百万円にしたり、一千万円にして還っていく人もいるということです。しかし、生まれてきた時十万円持っていて、それを死ぬ時には百万円にしたり、一千万円にして還っていく人もいるということです。ですからカルマはあるんです。そういう借金をつくるような体質ということですね。あるいはお金を貯蓄していくような体質の人がいます。これもカルマです。しかし借金をつくっていくようなカルマの人もいます。そういうことたんです。そういうふうにカルマは残っています。けれどもその負債は一たんは帳消しにされてから人間というものは生まれ代わってきているんですよ、ということを言っているのです。 4.堕落は無知と悪魔の誘惑 ―― まあしかし、そういう生まれ方をしているにも拘らずそれを、負債を残すということは、そういう原理を元もと知らないか、自分の努力の欠如による勉強不足ということになるのか、それとも第三者の悪魔の誘惑でそういうことになるのか、どちらかですね。 孟子 それは両方です。たとえば、ある人は五十万円借金して返すのが大変だったから、もう借金は金輪際すまいと思う人もいるんですね。一方では、五十万円借金したぐらいではね、何も学ばずに、もっともっと借金しなきゃ気がつかない。そういう借金ということがいけないことだということが分からない人もいるんです。五百万、一千万借金、あるいは一億円の借金をこしらえて、はじめてこれは大変なことになると、こういうことをしてたんでは私は間違ったことをしてしまうと、人生を駄目にしてしまうと、こういうふうに思う人がいるんですね。 それとまた、借金をすると、あなた方の世界でサラ金とか、高利貸がいますね。そういうもんです。借金をしている人に金を貸そうという甘い声をかける人がいるんです。これが地獄の悪魔たちです。実際困っているんですね。五十万円の借金があると。――じゃあ、私が百万円を貸してあげましょうと、百万円貸してくれるんです。が、使っているうちにいつの間にか利息がかさんできて、二百万、三百万の借金になったとする。それを埋めるためにまた、借金をする。また増える。こういったことなんです。そういう意味において、地獄の悪魔たちも決してね、その生きている人間に対しては、彼らとしては悪いことをしているつもりはないかも知れないのです。また生きている人達も、地獄の悪魔たちがやっていることを悪いことと思っていないかもしれないのです。それはそうです。借金している時に、お金を貸してくれるというのですから。それはいいんです。ありがたいんですが、増々それが自分の墓穴を掘っていくんです。こういうことになってはじめて気がつく、ですから第三者としてもかかわりはあるんですね。 5.地獄に堕ちる宗教家の大借金 ―― たとえばいま一つの例ですが、人の道を教える立場にある宗教家ですね、宗教家においてこれまた、莫大な借金をつくってしまうおそれがあるわけですね。 孟子 そうです。 ―― こういう場合には本人は気がつかない。生前においては少なくとも自分は正しいことをやっていると、人のために世のために尽くしておるんだと、そして一生懸命やったにもかかわらず、それが実は、大きな借金であったと、負債であったということですか。 孟子 というのはね、宗教家というのは、普通の人は自分の借金、自分の負債だけを考えればいいんだけれども、宗教家は違うんです。宗教家というのは人の負債まで抱えこんでしまうのですね。人の負債まで返済できる能力があればいいけれども、それがないと大変なことになってしまうんです。つまり自分の負債、自分の多少の過ちというものはあるかも知れません。これがいろんな人、何万人、何百万人に伝わっていくと、その人たちの負債をまたまた増大させてしまう。結局、自分が原因になってつくり出した他人の負債までも、背負いこんでしまう。つまり、宗教家というのは、いわば連帯保証している人なんです。自分の教えを聴く人たちに対して、連帯保証ですね、これをしているのと同じなんです。だからまた借金を返すのが大変になってくるんです。 ですからその宗教を信じている人というのは、その宗教を信ずれば天国に行けるとか、信じているわけですね。つまり教祖さんたちというのは保証人になっているんです。ですから、保証人ですから、彼らが借金をこしらえた場合には払わなければいけなくなるということです。自分が、つまり他人が苦しんでいる分、他人が地獄に随ちた分まで苦しまなければならんということになるのです。だから逆の場合は素晴しいのです。 ―― しかし、仮に同じ教祖にしましても、その信者なり弟子なりは、借金つくらずに資産をつくって還る人もあるが、教祖は借金をつくってしまうと、いう場合もありますわね。 孟子 あります。 ―― そういう場合にはどういうことですか。 孟子 ですから教祖というのは、まあ保証人の親元ですね。弟子たちというのは逆にやはりまだ保証されている仲間なんです。ですから、弟子が十万円の借金をこしらえて、それを保証されていたとしてもね、ただ弟子が五十万円以上の資産をつくっていた場合、その人にとってはもう関係のないことですね。ですから先ほどもいいましたけれども、教祖が保証している人たちの、たとえば全負債額が一億円だったとしましょう。教祖さんに資産が一億円以上あれば全部払えるんです。ところが一億円の資産がないために、払えなくなってしまうのです。 どのような宗教家であってもね、誤った宗教家であっても、その教えの中に一片の真理がないというような宗教家というものはないんです。彼らに信者がつくという以上は、そのどの教えの中にあってもですよ、何らかの真実なるものはあるんです。心の糧になるものは確かにあるんです。それがその教祖の資産でありましょう。ところが資産より負債の方が多い場合には、それは破産してしまうんです。結局はそういうことなんです。ただそれを小じんまりと説いとればいいけれども、大規模にやればやる程、負債が大きくなってしまうということです。 ―― たとえば信者なり、弟子なりはその教祖の資産の部だけを吸収して、負債の部はあまり吸収しなかったと……、 孟子 しなければ勿論大丈夫です。 ―― ということでその人は救われるということですね。 孟子 そういうことです。 ―― 負債で破産した教祖が、立ち直るというのは、自力以外にはないのでしょうか。 孟子 これが難しいところなのです。自分一人だと何とか立ち直れるのですけれども、要するに他の人達の保証をしたために、彼らの借金が返されてしまわないと、自分は自由になれないということですね。自分の借金を返す前に、自分が保証した人達の借金が一つ一つ返されていかないとですね、自分の借金を返すところまでいかないということです。そういう意味で宗教家達が間違った場合には、地獄で苦しむ時期が長いということです。まあ人間の「本性」については、そういったところです。 ―― そうですね。 6.ユートピア観と、私の王道国家論 孟子 二番目に私が考えているユートピア論、私は昔、「王道政治」ということを説いておりましたけれども、王道、王様の道ですね。まあこれは、神の道といってもいいです。現代でいうなら「神道政治」でも結構です。王道政治―王道国家はいかにあるぺきか。つまり、黄金郷ですね、理想郷というのをどのようにつくろうか。このことについて多少考えねばならないと思うのです。たとえばあなたは、そういった理想郷というようなものは、一体どういう世界だと思われますか。 ―― 少なくとも、三次元の世界における理想郷というものは、やはり物心両面にわたる恵まれた幸せな世界が実現するということではなかろうかと思いますけれど。ま、心の世界だけで、その心の王国だけでは本当のユートピアとはいえないのではないかということですね。 孟子 たとえば狩猟生活と、現代の交通網の発達した世界と比べて、その物心の物だけをとった場合、あなた方は現代がやはりより理想郷に近いと思われますか。 ―― それは比較の問題ですし、また心の問題とも関連しますけれども、理想に生きる者にとっては、狩猟時代に生きているものの幸せというものは分からないわけで、また狩猟時代に生きていたものは、現代の社会の幸せというものがどうかということは全く分からないはずですが。我々は現代に生きているものであるわけでして、現代に生きているものの幸せというものは、より多元多様に発達した文化の中に生きておりますから、その日常の時間も非常に濃密に生きておるわけで、また空間も複雑な空間を毎日生きているわけです。ここに酒でいうならば、ただ一品だけの酒を飲むというだけで是しとするのではなく、清酒、ビールにウイスキー、さらにカクテルですね、色んな酒を混ぜ合わせにして、それぞれの酒の芳醇(ほうじゅん)な香りと味のある、美酒を飲んでおるということになってくると思うのです。そういう意味では狩猟時代の地酒を酌んでいるよりは、現代の人たちの幸せというものは、時間的にも、空間的にも、より濃密になっているのではないかと思うのですが、そして将来においては、その本来の質を更に高めて幸せというものをよりふくよかにすべきではないかと思うのですが―。 7.新時代には文明観が二分、三分と岐れる 孟子 ただ私はあなたに言っておきますけれども、この後もうそう遠い将来ではございません。ここ百年から三百年のうちに起きることですけれども、人類の中にもう一度原始に還れというような運動が起きるということを、私は予言しておきます。そういった機械万能の世界、そういったものを打ち壊してですね、やはり自然な生活に帰ろうという動きが、段々本格化して参ります。いまの時代においてはあなた方は、神に帰れという宗教運動をしていますが、この次の時代においても、ある意味での中世というものが、もう一度戻ってきます。゛中世運動゛゛中世への復興゛こういった運動というものがやがて出てきます。それはやはりね、人間というのは、物心両面が発達するのがすぱらしいのであるけれども、物の面が異常に発達すると、どうしても心がそれに奪われてしまう。そういう傾向があるんです。三次元世界では心は一面それだけの弱さを持っているからです。ですから、まあいわば、その時代に出てくる人たちは、形式主義者なのですけれども、形式主義者としてね、物質が溢れた世界においては、真実の理想郷はつくれないという形式主義者が出てきます。 やがて出ます。今から百年か二百年以内に出てきます。そういう人達は率先して言うでしょう。「文明社会を捨てましょう」と、おそらく言ってきます。脱文明社会ということで、率先してその文明を捨てる人たちが出てきます。そうした方々が文明を捨てて集まって、また自然の生活をしようというような、運動(うごき)が出てきます。自分の手で飲むものも、食べるものも作れるような、そういった生活をしよう、そして素朴な心を取り返そうと、そういった動きが出てきます。 それは、あなた方、これからは大変な教えを残していかれるのですけれど、あなた方の教えをくむ、流れの中の一派として、そういう分派がやがて出て参ります。あなた方の弟子筋の中から出てくるのです。自然復興運動が、中世へ還れ、という運動が出てきます。そういうことも起きるということを、私は予言しておきます。 ―― お訊ねしたいのですが、一つには現代の文明社会が頂点まで発展しまして、それと同時併行的に自然科学も進んでいくにつれ、いい方向に進むばかりであればよいのですが、悪い方向へ、はっきり言って科学兵器が進んでいってですね、そしてまあ人類のある意味での淘汰といいますか、そういう試練の道具に使われた時点で、その原因であるこの現代の科学文明なり、それを母体とする近代文明というものに対する人々の嫌悪感、愛想づかしということから、そういう自然文化というか、大自然に還れというような望郷的思想がまた復古してくるのではないでしょうか。 孟子 そうです。 ―― それの契機といりものが今日の……。 孟子 現在そういうことの契機が出ているのではなくて、これはもっと時代を下りますが、やがてそういう分派が出てきます。やはりもう一回始めから、零(ゼロ)からやり直してみようと、自分たちで農園を作るところからやってみようと、そういう人達が出てきます。それとは別に、これから宇宙船時代の「正法」を創るというような人たちも出てきます。宇宙船時代における正しい宗教をつくろうと、宇宙的宗教を考える人も出てきますが、一方においてはエデンに帰れというような運動をする人たちが出てきます。今からこういうことを説くのは……あなた方は今、お弟子さんも居ません。――そういう状態において私がこういうことを予言するのは問題があるかも知れませんが、あなた方のお弟子さんの中には、そういった「宇宙的宗教」を求めていく人たちと、「エデンに帰れ」という運動をする人たちと、そういうふうに二分、三分とやがてまたあなた方の教えも岐かれていくことになります。 ―― そうですか、これは日本の国だけに起きる問題なのですか。 孟子 そうではありません。文明というのは日本だけではなくて、他のところへも拡(ひろ)がっていきます。あなた方の宗教もやがていろんなところへ、東南アジアの人びとへ、アフリカヘ、そしてオセアニアヘ、いろんなところへと拡がって行きます。いいですか。かつてはユダヤの地に起きた宗教が、イギリスやフランスやアメリカに渡って行ったように、今回日本の国に起きる宗教が、こんどは東南アジアを通り、アフリカに伝わり、またオーストラリアとかその他の島々にも伝わっていくのです。 ―― その段階で、宇宙規模的な文化圏を築こうとするのと、一方、地球上で自然に帰ろうとする二つの派が分かれるということですか。 孟子 そうです。たとえばアフリカという国があります。彼らは時代としては遅れた時代を生きているわけでありますけれど、彼らは彼らが今、先進国に追いつく途中において、先進国がとんでもない失敗を犯すことを、彼らは眼のあたりに見るでありましよう。そして彼らは、文明の怖ろしさということに気がついていくでしょう。それでもやはり文明社会に突入していくべきだという人と、やはりエデンに帰ろうとする人達とが出てきます。あなた方の教えはアフリカにも伝わっていきます。そしてその中に文明社会を築いてやっていこうという人と、もうああいう過ちは我々の中では二度と犯したくないという、そういったエデンに帰れという動きが、アフリカにも起きてくるでしょう。それはまた、東南アジアにおいても同じです。文明圈を目指すか、エデンを目指すか、こういった二つの動きが出てきます。 ―― それについての私たちの責任というものはないのですね、現在において。 孟子 やむを得ないんです。あらゆる宗教はその最初に説かれたものが、やがていくつかに分かれていくというのはもう歴史の必然であります。そしてその両方ともが必要なものなんです。
https://w.atwiki.jp/anikaru/pages/77.html
復興予算騒ぎの中【まんが博・乙】がひっそり開催 盛り上がらなかった【まんが博・乙】開催初日 http //manga-tottori.jp/users/editor/Image/about/toha02E.jpg ソース:毎日新聞 http //mainichi.jp/area/tottori/news/20130711ddlk31040513000c.html 魚拓 http //archive.is/V8cMg まんが博・乙 県出身3漫画家を紹介 声優参加イベントも−−13日開幕 /鳥取 毎日新聞 2013年07月11日 地方版 昨年開催した「国際まんが博」を継承するイベント「まんが博・乙」が13日から、県内各地で始まる。 「まんが王国とっとり」建国2年目のイベントで、県まんが王国官房は「国際まんが博で培われた成果を 引き継いだイベント。“乙”な、漫画の奥深い世界を知ってほしい」と話している。一部を除き8月25日まで。 今年も、県出身の3人の漫画家の魅力を紹介する企画が中心。倉吉市の白壁土蔵群周辺では、谷口ジローさんの 代表作で同市が舞台の漫画「遙かな町へ」のパネル展(13日〜8月25日)などを実施。鳥取市のとりぎん 文化会館では「青山剛昌の世界展」(同)が開かれ、代表作「名探偵コナン」の誕生秘話や青山さんの これまでの軌跡などを展示する。 中西部では「水木しげるの戦争と新聞報道」展を開催。出征した経験がある水木さんが「戦争」をテーマに 描いた漫画と戦時中の新聞記事を併せて展示する。13〜24日は倉吉市の倉吉博物館で、28日〜9月23日は 境港市の夢みなとタワーで開かれる。 期間中は声優が参加するイベントも多い。県中部で開催される「全日本声優コンテスト『声優魂』鳥取大会」では、 7月14日の予選にアニメ「ドラゴンボール」の孫悟空などの声で知られる声優の野沢雅子さんが、8月24日の 決勝にはアニメ「名探偵コナン」の江戸川コナンなどで知られる声優の高山みなみさんが登場。7月13日に 倉吉市の倉吉未来中心で開かれるオープニング式典には、県出身の声優、下田麻美さんが参加する。 その他、テレビアニメの歴史を振り返る「テレビアニメ50年」展(13日〜8月25日)が倉吉未来中心で、 琴浦町が名前の由来の漫画「琴浦さん」の特別企画展(13日〜8月7日)が同町のまなびタウンとうはくで開かれる。 問い合わせは、県まんが王国官房(0857・26・7238)。【川瀬慎一朗】 1 https //fbcdn-sphotos-f-a.akamaihd.net/hphotos-ak-prn1/q71/s720x720/66712_421174607995678_146884018_n.jpg https //www.facebook.com/photo.php?fbid=421174607995678 l=f125bdae8c 水と緑のオアシスとっとりさんより https //www.facebook.com/oasistottori 2 https //twitter.com/mangatottori/status/355909004469358592/photo/1 mangatottori まんが王国とっとり バードプリンセス!まんが博乙の紹介よろしく! 3 https //twitter.com/mangatottori/status/355901547722440708/photo/1 4 https //twitter.com/tottoriema/status/355897959222763520/photo/1 なぜか赤いTシャツの男女がちらほらいる。 そして4枚目、左手側にはスタッフと思しき男性が赤いシャツをきている。 サクラとして鳥取県職員が観客に紛れているという可能性はどうなのか。 また、開催されてから早くも半月となるが、昨年あれほど毎週のように報道されていた"早くも何万人突破"の報道がない。(7月下旬現在) 昨年のように全来場者数26万人がいきなり320万人に増えて批判が殺到したことを踏まえて、結果だけ来場者水増しして発表する可能性も考えられる。 【声優魂】に平然と参加していたバードプリンセス https //twitter.com/usa_vichi/status/356201255762292736/photo/1 http //twitpic.com/d2joru https //twitter.com/hanelocoyumi if、バープリ、Chelipのライブ終わり!お疲れさまでした!(^^) 新メンバーのひょっとこさんは、あの方のいとこらしいので、皆さんそのつもりで(笑) 名前出してないのに本人暴露w とりあえず元気そうでよかった(^^) https //twitter.com/birpri2013/status/356304367772651520/photo/1 https //twitter.com/birpri2013/status/356244073373384705/photo/1 魚拓 http //www.peeep.us/86225b55 http //www.peeep.us/49865fad 復興予算を使い活動していたのが報道され、あれだけの批判を浴びつつも活動を再開させたのみならず、こういった催し物へ平然と参加できる神経が理解できない。 それを呼ぶ方も理解できない。 なおこの【声優魂】自体は鳥取県が企画に関係していない催し物だけあってそれなりに盛況の様子であった。 声優関連もなぜか【王国】タイトル http //www.manga-tottori.jp/?id=1096 <2.「まんが王国とっとり」協働推進事業> 声優王国とっとりプロジェクト 実施団体 JKRコスプレバトル実行委員会 何でもかんでも王国をつけるあたり、センスのなさが伺える。 昨年はまんが王国、まんがの聖地、コスプレの聖地を自称して日本全国のみならず世界からも失笑を買っていた鳥取県だが今年は声優の聖地も勝手に語ることにしたらしい。 なお"JKRコスプレバトル実行委員会"を検索してみたがサイト、sns関連で発見することが出来ず、まんが王国関連で作られただけの団体のようだ。 "JKRコスプレバトル"に関しては件の、【とっとりアニカルまつり】と同じ企画で潰しあいをする結果になったBSSまつりの企画のようである。 2011年10月27日発行 - 山陰放送 http //bss.jp/radio/catch/tsuushin/tsunagaro_23.pdf 魚拓 http //www.peeep.us/1fda989f https //www.youtube.com/watch?v=KkbX3ukd8Mk 7分14秒から出現しているドラゴンボールの3人組が2012年の日本代表出場者とのこと。 画像URLは提供いただいたものです。