約 134,609 件
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/2616.html
在日由来&徴用と連行庫 不二越裁判 韓国人強制連行:2審も事実認定「不二越」賠償棄却 毎日 勤労挺身隊訴訟:第2次不二越訴訟 原告6人「真実得られるまで戦う」 /石川 毎日 トップページ
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/519.html
「慰安婦」問題 調査報告・1999 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成) 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p041_060.pdf 参考文献 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)参考文献日本語(アイウエオ順) 朝鮮語文献(カナダラ順) 付 記 日本語(アイウエオ順) 朝日新聞社編『女たちの太平洋戦争②──日本軍を見た内外の瞳』(朝日文庫版)朝日新聞社、1997年。 池田英箭「三菱青年学校の思い出」、東南海地震・旧三菱名航道徳工場犠牲者調査追悼実行委員会編・発行『悲しみを繰り返さぬようここに真実を刻む──東南海地震・旧三菱名航道徳工場の記録』1988年。 池田正枝「強制連行と戦後の責任」『解放教育』1991年12月号。 石川準吉編a『国家総動員史 資料編』第1巻、国家総動員史刊行会、1975年。 石川準吉編b『国家総動員史 資料編』第9巻、国家総動員史刊行会、1980年。 伊藤孝司a「軍需工場に動員された朝鮮人少女たち」、『世界』1991年8月号。 伊藤孝司編著b『<証言>従軍慰安婦・女子勤労挺身隊』風媒社、1992年。 伊藤孝司c「朝鮮『女子勤労挺身隊』──三菱道徳工場」、朝鮮人強制連行真相調査団編『朝鮮人強制連行調査の記録──中部・東海編〔篇〕』柏書房、1997年。 いのうえせつこ『女子挺身隊の記録』新評論、1998年。 韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編著、従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク訳『証言-強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』明石書房、1993年。 金英達編a『朝鮮人従軍慰安婦・女子挺身隊資料集』神戸学生青年センタ-出版部、1992年。 金英達編b『「朝鮮女子勤労挺身隊」研究・調査の現状と課題』(レジュメと資料)1995年。 金英達・飛田雄一編『1993 朝鮮人・中国人 強制連行・強制労働 資料集』神戸学生青年センタ-出版部、1993年。 木村秀明編『進駐軍が写したフクオカ戦後写真集』西図協出版、1983年。 強制連行労働者等に対する未払賃金等請求事件弁護団著・発行『訴状』1992年。 京城日報社編・発行『昭和十九年朝鮮年鑑』1943年。 小池善之「戦時下朝鮮事女性の労務動員──東京麻糸紡績沼津工場の朝鮮人女子挺身隊を手がかりとして」、『静岡県近代史研究』第22号、1996年。 工場管理研究所編『勤労報国隊と女子挺身隊』三和書房、1944年。 近藤英男「朝鮮に於ける学園非常態勢について」、『朝鮮』1944年3月号。 (財)女性のためのアジア平和国民基金編『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』第4巻、龍溪書舎、1998年。 斉藤勉『新聞にみる東京都女子挺身隊の記録』のんぶる舎、1997年。 在日本大韓民国青年会中央本部編・発行『アボジ聞かせて あの日のことを──「我々の歴史を取り戻す運動」報告書』1988年。 沢田純三「富山県における強制連行」、朝鮮人強制連行真相調査団編『朝鮮人強制連行調査の記録──中部・東海編〔篇〕』柏書房、1997年。 静岡県・戦後補償を考える市民公聴会実行委員会編・発行『アジア諸国民の怒り──忘れられていない日本軍の侵略』1996年。 戦後責任を問う「関釜裁判」を支援する会編・発行a『あやまれ そしてつぐなえ──日本の道義的国家たるべき義務を求める』1993年。 戦後責任を問う「関釜裁判」を支援する会編・発行b『強制動員された朝鮮の少女達──あやまれ そしてつぐなえpartⅡ』1995年。 戦後責任を問う・関釜裁判を支援する会編・発行『関釜裁判判決文全文──あやまれ そしてつぐなえPARTⅢ』1998年。 千田夏光『従軍慰安婦──"声なき女"八万人の告発』双葉社、1973年。 高橋信「旧三菱重工業名古屋航空機製作所道徳工場──「朝鮮女子勤労挺身隊」の閉ざされた真相」、「証言する風景」刊行委員会編『写真集 証言する風景──名古屋発/朝鮮人・中国人強制連行の記録』風媒社、1991年。 竹内康人「静岡県」、朝鮮人強制連行真相調査団編『朝鮮人強制連行調査の記録──中部・東海編〔篇〕』柏書房、1997年。 富山県警察本部編・発行『富山県警察史』下巻、1965年。 中谷忠治・河内牧「朝鮮に於ける女子の未婚残有率に関する若干の統計的考察」、『調査月報』1944年5月号。 沼津女子勤労挺身隊訴訟弁護団著・発行『訴状』1996年。 埴野謙二「『企業責任』の『存在証明』──一五年戦争期不二越の場合」、古庄正編著『強制連行の企業責任──徴用された朝鮮人は訴える』創史社、1993年。 埴野謙二・藤岡彰弘「不二越──『一〇〇年訴訟』にむきあう<私・たち>をつくりだすことへ、対不二越訴訟の判決を迎えるにあたって」、山田昭次・田中宏編著『隣国からの告発──強制連行の企業責任2』創史社、1996年。 樋口雄一「朝鮮人少女の日本への強制連行について──実体〔態〕調査のための覚え書き」、『在日朝鮮人史研究』第20号、1990年。 不二越五十年史編集委員会編・発行『不二越五十年史』1978年。 不二出版編・発行『朝鮮総督府 帝国議会説明資料』第10巻、1994年。 法政大学大原社会問題研究所編『太平洋戦争下の労働者状態』東洋経済新報社、1964年。 洪祥進「朝鮮の青年・少女を挺身隊に──三菱重工業・雄神地下工場」、兵庫朝鮮関係研究会編『地下工場と朝鮮人強制連行』明石書店、1990年。 三菱名古屋・朝鮮女子勤労挺身隊問題を考える会編・発行『三菱名古屋・朝鮮女子勤労挺身隊問題を考える──シンポジウム<戦後補償と国・企業の責任>』1998年。 明治大正昭和新聞研究会編・発行『新聞集成昭和編年史』1943年Ⅳ、新聞資料出版、1995年。 望月京子「空しさだけが残った在韓の教師生活」、『別冊歴史読本』特別増刊『女性たちの太平洋戦争』新人物往来社、1994年。 森田芳夫編・発行『国民徴用の解説──疑問に答へて一問一答式に』1944年。 山添達夫「三菱第四菱和寮での思い出」、東南海地震・旧三菱名航道徳工場犠牲者調査追悼実行委員会編・発行『悲しみを繰り返さぬようここに真実を刻む──東南海地震・三菱名航道徳工場の記録』1988年。 労働省編『労働行政史』第1巻、労働法令協会、1961年。 朝鮮語文献(カナダラ順) 姜万吉「日本軍『慰安婦』の概念と呼称問題」、韓国挺身隊問題対策協議会真相調査研究委員会編『日本軍「慰安婦」問題の真相』歴史批評社、1997年。 金大商『日帝下強制人力収奪史』正音社、1975年。 金文淑『天皇の免罪符──侵略戦争はまだ終わっていない』地平、1994年。 李泳禧a「崔孝順インタビュ-」1998年8月16日。 李泳禧b「崔孝順インタビュ-」1998年9月5日。 李炫石「光州直轄市・全南地域の挺身隊出挺実相」、『第7回国史編纂委員会史料調査委員会の発表要旨──全羅南道発表要旨』1992年。 鄭鎮星「序文」、韓国挺身隊問題対策協議会・韓国挺身隊研究会編『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち 証言集2』ハヌル、1997年。 鄭恵瓊「崔福年インタビュ-」1995年10月9日。 朝鮮問題研究所編・発行『明らかになった女子挺身隊の実相──強制連行、蔑視と虐待の現場Ⅱ』1990年。東京。 中央女子中高等学校同窓会編・発行『われらの黄信徳先生』1971年。 韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち 証言集1』ハヌル、1993年。 韓国挺身隊問題対策協議会・韓国挺身隊研究会編『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』ハヌル、1997年。 付 記 史料収集などでお世話になった金英達、李泳禧、鄭恵瓊、崔孝順、加納実紀代、小池善之、小出裕、国分麻里、花房俊雄、藤岡彰弘、布袋敏博、堀山明子の各氏に感謝する。 『新女性』1944年8月号に「女子挺身隊は征く」という座談会の記録が、『日本婦人(朝鮮版)』1945年1月号に「闘う半島女子挺身隊」という文章があることがわかっているが、入手できなかった。 「半島女子勤労挺身隊」に関する文献・証言を御存知の方は、〒408-0036 山梨県長坂町中丸3565 高崎宗司宛にお知らせいただければありがたい。 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)index
https://w.atwiki.jp/ryouhouji/pages/1318.html
壱 弐 参 極 名前 [南天]ヤマ (なんてん やま) セリフ 壱 「おとなしくしないと強制連行しちゃうぞ!」 弐 「おとなしくしないと強制連行しちゃうぞ!」 参 「おとなしくしないと強制連行しちゃうぞ!」 極 「おとなしくしないと強制連行しちゃうぞ!」 解説 人間で最初の死者となったゆえに死者の国の王となったとされ、そのため運命や死、冥界を司る存在として知られている。日本では地蔵菩薩と同一の存在と解され、地蔵菩薩の化身ともされている。 レアリティ 必要法力 攻 防 知 壱 SSR 39 7140 7030 6440 弐 8070 7950 7280 参 9120 8980 8230 極 10300 10150 9300 術式名 属性 MAX Lv 効果 専:黄泉の縛 火 10 敵単体の攻防ダウン お邪魔戦術式 発動率 攻撃力アップ 中 備考:
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/6694.html
日本が関係する過去の戦争に関連する諸問題 / 中国人強制連行 ● 強制労働〔Wikipedia〕 ★ 戦時強制労働で賠償命令、新日鉄住金に3500万円 韓国初 「産経ニュース(2013.7.10)」より / 朝鮮半島の植民地時代に日本の製鉄所で強制労働させられたとして、韓国人4人が新日鉄住金(旧新日本製鉄)に損害賠償を求めた訴訟の差し戻し控訴審判決で、ソウル高裁は10日、同社に請求通り計4億ウォン(約3500万円)の支払いを命じる原告勝訴の判決を言い渡した。 戦後補償問題で韓国の裁判所が日本企業に賠償を命じたのは初。韓国では同様の5件の訴訟に加え、新たに日本企業を提訴する動きがあり、高裁判断は他の訴訟にも大きく影響する見通しだ。 新日鉄住金は上告する方針。 訴訟は昨年5月、韓国最高裁が1965年の日韓請求権協定で原告の個人請求権は消滅しておらず有効との初判断を示し、原告敗訴の二審判決を破棄、審理を高裁に差し戻していた。 (共同) ★ 政府に睨まれたら強制労働所送り… 中国に「人権」が根付く日はまだ遠い 視覚(中国)より 「World Biz News | 現代ビジネス [講談社](2013.6.22)」より / 中国で労働教養所に収容された女性たちの「手記」が明らかになり、政府当局への批判が高まっている。手記には、彼女たちが施設内で受けた非人道的な扱いが克明に記されている。 労働教養所とは、犯罪者を収容するためにつくられた施設のこと。全国に351施設があり、約5万人が収容されているとされる。だが通常の刑務所と違い、当局が「反社会分子」と見なした市民を、裁判を経ずに拘束・収容できるため、権力の濫用と指摘されてきた。 収容者にはもちろん、基本的な人権は認められていない。なかには、地方政府に陳情に出向いて拘束され、そのまま収容された「政治犯」もいる。 今回明らかになった手記は、遼寧省瀋陽市郊外にある女性専用の施設で書かれたもの。労務で余った布の断片などに、監視の目を逃れて記録された。見つかれば厳罰なので、出所する者が性器などに忍ばせて外部に持ち出したという。 その記録によると、施設内での拷問は日常茶飯事。折檻によってケガを負っても、手当てをしてもらえず、精神異常をきたした者や命を落とした者もいる。また収容者にはまともな食事が与えられず、浴室のシャワーは冷水しか出ない。トイレの時間も決められ、それ以外の時間に用を足すことは許されない。 こうした労働教養所は予算の半分を独自に賄わなくてはならず、収容者は一日20時間働かされることもあるという。 国内では近年、労働教養所の廃止を求める声も高まっている。だが今回報じられた手記の内容について、当局は「事実と異なる」として認めていない。 いまも多くの市民が塀のなかで苦しみ続けている。 ■ 韓国はなぜ男性の「強制労働」を問題にしないのか 「BLOGOS-池田信夫(2013.5.21)」より / 慰安婦について「強制連行」という言葉を使うのは、誤解のもとだ。強制連行という言葉は、朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』(1965)で初めて使われた造語で、公式の用語ではない。戦時に政府が労働者を動員する方法は募集か徴用であり、後者は拒否すると罰則があったので、これを強制連行と呼んだものと思われるが、これは朝鮮人に限った話ではない。 戦時中は、国家総動員法にもとづいて国民徴用令が出され、616万人が軍需工場などに徴用されたが、厚生省によれば、そのうち朝鮮人はわずか245人(すべて男性)だった。これは戦時労務動員計画で「半島人の徴用は避けること」という方針が出され、官斡旋による募集という形式がとられたことによる。これは朝鮮人ブローカーが募集して国内の炭鉱などに連れて行くのだが、その募集や輸送は政府が管理していた。 ただ募集は誇大広告が多く、実際の労働条件が悪いために脱走する労働者が絶えなかった。特にひどいのは炭鉱で、秋田県の花岡鉱山では800人の中国人労働者が暴動を起こして400人以上が殺された。この花岡事件については被害者が損害賠償訴訟を起こし、2000年に和解が成立して鹿島が5億円を支払った。 ここでも被告は、国ではなく鹿島だったことが重要である。炭鉱の労働実態は「強制労働」といってよい劣悪なものだったが、それを強制していたのは民間業者であり、政府ではない。したがって花岡事件について、国は謝罪も賠償もしていない。本書は「朝鮮人強制連行」を糾弾する岩波書店の本だが、版元の意図に反して、その実態はたった245人だったことを研究者が実証している。 ただ官斡旋は事実上の国による動員ともいえるので、それを含めると終戦の段階で動員された朝鮮人は32万人以上だが、この中に女性はいない。これは女子は徴用の対象としないという方針が決まっていたためだ。もちろん「慰安婦」という要員は、戦時労務動員計画の中にはない。したがってその総数も推定するしかないが、秦郁彦氏によれば2~3万人で、ほとんどが募集だろうという。 橋下徹氏は「強制連行でなくても慰安婦はよくないので謝罪する」というが、なぜ謝罪の対象を女性に限定するのか。強制労働の実態は、男性のほうがはるかに大量で苛酷だった。韓国側がそれを知りながら問題にしないのは、慰安婦が性的好奇心にアピールし、女性の人権問題にすりかえやすいからだ。 橋下氏が慰安婦に謝罪するなら、太平洋戦争による軍民300万人の犠牲者すべてに謝罪しなければならない。悲惨なのは慰安婦でも強制連行でもなく、戦争なのだ。この機会にそれを思い出すことも悪くないが、もう無意味な「謝罪ごっこ」はやめ、冷静に史実の検証をしてはどうだろうか。 ★ 元抑留者側の敗訴確定 シベリア強制労働 「産経ニュース(2013.5.10)」より / 第2次大戦後に旧ソ連・シベリアなどで強制労働させられた元抑留者と遺族が国に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(横田尤孝裁判長)は10日までに、原告側の上告を退ける決定をした。原告敗訴とした1、2審判決が確定した。8日付。 原告側は「国は賠償として日本兵に労役をさせる政策をとり、ソ連に差し出した」と主張したが、1審京都地裁は「認める証拠はない」と否定。2審大阪高裁も支持した。 1、2審判決によると、原告らは終戦後、シベリアなどの収容所に連行され、過酷な生活環境の中で、鉄道・道路建設などの強制労働に従事させられた。抑留期間は長い人で約4年半にわたった。 ★ 出稼ぎ労働者60万人に強制労働被害か、人身売買や性的搾取も 中東全域 「CNN.co.jp(2013.4.13)」より / (CNN) 国際労働機関(ILO)は13日までに、外国の出稼ぎ労働者が押し寄せる中東全域で最大60万人が強制労働の被害者となっている可能性があるとする報告書を発表した。人身売買や性的搾取の被害も多い。 この数字が本当なら同地域の住民1000人当たり3.4人が強制労働にあえぐ計算となる。これら被害者は有りもしない仕事の申し出でだまされ、約束とは違う過酷な労働環境に突き落とされていると説明した。 報告書は中東での人身売買を主題にしたもので、ヨルダン、レバノン、クウェートやアラブ首長国連邦(UAE)で過去2年に実施した650件以上の面談などに基づいている。面談の対象者の半数以上が出稼ぎ労働者。残りは雇用主、政府当局者、雇用主や労働者の団体代表。ILOはただ、強制労働などの実態把握のために必要な基本データは乏しいと釘も刺している。 報告書によると、業者や個人の雇用主による人身売買などの被害を最も受けやすいのは特殊技術など持たない労働者。犠牲者は経済力が乏しく、借金を背負い、低学歴が目立つ。 +続き 特に個人宅で働く労働者の被害が目立つ。休憩時間がなくて労働現場に閉じ込められ、監視を受け、台所や廊下での睡眠も強いられる。身元証を没収され、賃金も支払われず脱出も出来ない。極端な例では体罰や性的暴行もある。フィリピン人の女性労働者はバルコニーから逃げようとして捕まった体験を暴露。クウェートでは比女性が雇用主にレイプされた被害を明かした。 同報告書は、性産業での労働を強いられる被害者は暴力や拘束、送還の切実なリスクにさらされているとも指摘。これら被害者はアジアやアフリカ女性に多く、だまされたり脅かされたりして働いていると述べた。出稼ぎ労働者が性産業を牛耳り、同じ国の労働者を餌食にする例もある。 報告書は男性の出稼ぎ労働者の被害にも触れ、特に建設や製造、海運、農業の業界での人身売買が顕著と主張。生活や労働環境、与えられる仕事などでだまされる事例が多い。屋内の仕事の提供が砂漠での家畜の群れの世話だった男性もいた。 一方で、全ての出稼ぎ労働者が悪夢のような仕事を強いられているわけではない。母国での貧困から抜け出すため外国に渡り、その目的を果たした労働者もいる。 ILOは、出稼ぎ労働者は中東の多数の国の経済にとって欠かせない存在でもあると指摘。一部の国では出稼ぎ労働者の数が地元の労働者数をかなりの程度上回っている例もある。カタールでは労働者の94%が他国の出身者で、サウジアラビアではこの比率は半分超となっている。 出稼ぎ労働者の待遇改善では中東地域で改善も一部見られる。人身売買根絶の法案成立などで強制労働や人身売買の廃止に近年取り組む政府もある。ILOはただ、この種の法律の施行や人身売買の関与者の処罰が徹底されていないと説明。雇用主の出稼ぎ労働者に対する強い管理権限などでの抜本的な改革を提案。業者ではなく、政府の労働省が出稼ぎ労働者の募集を仕切り、苦情などに対処する方式を促した。 また、全ての労働者の保護や雇用契約の変更、監査強化、賃金差別の廃止などを実現させるための法的措置の拡大も提唱した。 ◆ 中国製品から、強制労働者のSOSメッセージを発見「この製品を買われた方。手紙を人権団体に届けてください」 「はちま起稿(2012.12.28)」より / 米西部オレゴン州に住む女性が、10月31日のハロウィーンで使おうと、発泡スチロールでできた中国製の墓石を地元スーパーマーケットで購入したところ、梱包(こんぽう)の中から中国当局による強制労働の実態を告発する手紙が見つかった。この墓石の製造に関わった強制労働者が書いたとみられ、「偶然にもこの製品を買われた方。手紙を人権団体に届けてください」と訴えている。米ニュースサイト「ハフィントン・ポスト」が27日報じた。 米国は強制労働によって製造された製品の輸入を禁止しており、米当局も手紙の内容を精査している。 (略) 手紙は「1日15時間労働で、休みもない。従わなければたたかれるなどの虐待を受ける。給与はないに等しい」と悲痛な叫びを上げている。 ■ 中国の『地獄』―馬三家強制労働収容所(2) ★ 【中国】知的障害者を使った強制労働の実態:ホームレス収容所が企業に“奴隷”同然で売り渡していた 「日経ビジネス(2011.2.4)」より / 2010年の暮れも押し迫った12月13日、新疆ウイグル自治区のニュースサイト“天山網(天山ネット)は、「四川省の収容所が数十名の知的障害者を新疆に奴隷として売り渡す」という衝撃的なニュースを報じた。このニュースは瞬く間に全国に報じられて大きな反響を呼び、事態を重く見た関係当局による知的障害者の救出へとつながったのだが、中国国民はいまなお根絶しない強制労働の報道に「またか」とその再発に驚きを禁じ得なかった。 (※ 以下略、詳細はサイト記事で) ■ 買う前に一考したい、児童労働や強制労働によって作られている可能性の高い13品 「GIGAZINE(2010.12.21)」より / 数字として表に出てくるデータは限られているものの、現在世界で約1億1500万人の子どもが児童労働に従事していると推算されています。 アメリカ労働省が発表した最新のデータによると、児童労働者のうちわけは農業従事者が60%、サービス業が26%、製造業が7%とのことで、天然資源や農産物、工業製品など、採掘・生産や加工に児童労働が広く使われているとされる128品目について、国別に児童労働や成人の強制労働の有無をリスト化したもの(PDFファイル・6MB)が発表されているのですが、その中でも多くの生産国で児童労働が使われている13品目を紹介します。 詳細は以下から。 13 Products Most Likely To Made By Child Or Forced Labor (PHOTOS) http //www.huffingtonpost.com/2010/12/18/child-labor-products_n_798601.html#s210960 (※ 以下略、詳細はサイト記事で) .
https://w.atwiki.jp/ws_wiki/pages/13452.html
KS/W49-T01 カード名:“女神を選択”カズマ カテゴリ:キャラ 色:黄 レベル:0 コスト:0 トリガー:0 パワー:500 ソウル:1 特徴:《冒険者》・《魔法》 【永】 他のあなたの「“強制連行”アクア」すべてに、パワーを+1000。 【自】絆/「“強制連行”アクア」 [(1)] (このカードがプレイされて舞台に置かれた時、あなたはコストを払ってよい。そうしたら、あなたは自分の控え室の「“強制連行”アクア」を1枚選び、手札に戻す) ククク……あんたは俺が持っていく『もの』に指定されたんだ レアリティ:TD 林檎のおすそわけ 杏子の互換。使い方は見滝原中学二年生 さやかのページも参照。 ・関連カード カード名 レベル/コスト スペック 色 備考 “強制連行”アクア 1/0 5500/1/0 青 絆先
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/1095.html
従軍慰安婦の正体へ戻る <目次> あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行 参考文献 あ行 アジテーション せん-どう【煽動・扇動】に同じ。 おのだ-ひろお【小野田寛郎】 強制連行否定派の元軍人。「小野田自然塾」塾長。終戦から二九年目にしてフィリピンのルバング島から帰国を果たした事で知られる。「恥ずかしながら帰って参りました」で有名な横井庄一と混同してはならない。※四 か行 げい-ぎ【芸妓】 客の招きに応じて飲食店等で遊戯を提供し、金銭を受け取る遊女。芸者。多くの芸妓が娼妓を兼務していた。※ニ こばやし-よしのり【小林よしのり】 強制連行否定派の漫画家。『わしズム』責任編集長。「よしりん企画」社長。大東亜青年塾名誉塾長。自著「ゴーマニズム宣言」シリーズにて、従軍慰安婦問題を取り上げる。※五 さ行 しゃく-ふ【酌婦】 厳密には飲食店の客席でお酌等をする婦女のこと。実際はこれを建前にして体を売る事が多かった。※ニ しょう-ぎ【娼妓】 客の要求に応じて貸し座敷で身体を売り、金銭を受け取る遊女。※一、ニ ぜ-げん【女衒】 (衒は売る意)江戸時代から昭和までに、女を遊女や慰安所に売ることを業とした人。大日本帝国下における正式名称は「芸娼妓酌婦紹介業」。※一、ニ、三 せんそうと-じょせいへの-ぼうりょく-にほん-ねっとわーく【「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク】 強制連行肯定派の団体。通称、ヴァウ・ネット・ジャパン【VAWW-NETジャパン】。※五 せん-どう【煽動・扇動】 人の気持をあおり立てて、ある行動をすすめそそのかすこと。アジテーション。※一 た行 な行 は行 はた-いくひこ【秦郁彦】 強制連行否定派の現代史家。元日本大学法学部教授。法学博士。※五 はやし-ひろふみ【林博史】 強制連行肯定派の歴史学者。専攻は日本近現代史。関東学院大学経済学部教授。※五 ピー 「慰安婦」の俗称。日本軍では、民族別に「ツンコ(中国)ピー」「チョウセンピー」と呼ばれ、慰安所に行く事を「ピー買い」と言っていました。※四 ふえき-ゆうこ【笛木優子】 強制連行肯定派の女優。ただし、韓国でかつて従軍慰安婦だった女性に会い、日本の蛮行を非難して謝罪するといった愛国的行動も見られる。※七 ま行 や行 よしみ-よしあき【吉見義明】 強制連行肯定派の歴史学者。専攻は日本近現代史。中央大学商学部教授。日本の戦争責任資料センター代表。※五 ら行 わ行 参考文献 ※一、新村出 編『広辞苑』第五版 (岩波書店 刊) ※ニ、秦郁彦 著 新潮選書『慰安婦と戦場の性』(新潮社 刊) ※三、平成十九年『WiLL』8月号増刊 (ワック・マガジンズ) ※四、平成十七年『正論』一月号 (扶桑社 刊)より、小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」 ※五、Wikipedia ※六、小林よしのり『ゴーマニズム宣言』シリーズ (小学館・幻冬舎 刊) ※七、http //syuun.iza.ne.jp/blog/entry/112350/
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/84.html
従軍慰安婦の正体へ戻る <目次> あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行 参考文献 あ行 アジテーション せん-どう【煽動・扇動】に同じ。 おのだ-ひろお【小野田寛郎】 強制連行否定派の元軍人。「小野田自然塾」塾長。終戦から二九年目にしてフィリピンのルバング島から帰国を果たした事で知られる。「恥ずかしながら帰って参りました」で有名な横井庄一と混同してはならない。※四 か行 げい-ぎ【芸妓】 客の招きに応じて飲食店等で遊戯を提供し、金銭を受け取る遊女。芸者。多くの芸妓が娼妓を兼務していた。※ニ こばやし-よしのり【小林よしのり】 強制連行否定派の漫画家。『わしズム』責任編集長。「よしりん企画」社長。大東亜青年塾名誉塾長。自著「ゴーマニズム宣言」シリーズにて、従軍慰安婦問題を取り上げる。※五 さ行 しゃく-ふ【酌婦】 厳密には飲食店の客席でお酌等をする婦女のこと。実際はこれを建前にして体を売る事が多かった。※ニ しょう-ぎ【娼妓】 客の要求に応じて貸し座敷で身体を売り、金銭を受け取る遊女。※一、ニ ぜ-げん【女衒】 (衒は売る意)江戸時代から昭和までに、女を遊女や慰安所に売ることを業とした人。大日本帝国下における正式名称は「芸娼妓酌婦紹介業」。※一、ニ、三 せんそうと-じょせいへの-ぼうりょく-にほん-ねっとわーく【「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク】 強制連行肯定派の団体。通称、ヴァウ・ネット・ジャパン【VAWW-NETジャパン】。※五 せん-どう【煽動・扇動】 人の気持をあおり立てて、ある行動をすすめそそのかすこと。アジテーション。※一 た行 な行 は行 はた-いくひこ【秦郁彦】 強制連行否定派の現代史家。元日本大学法学部教授。法学博士。※五 はやし-ひろふみ【林博史】 強制連行肯定派の歴史学者。専攻は日本近現代史。関東学院大学経済学部教授。※五 ピー 「慰安婦」の俗称。日本軍では、民族別に「ツンコ(中国)ピー」「チョウセンピー」と呼ばれ、慰安所に行く事を「ピー買い」と言っていました。※四 ふえき-ゆうこ【笛木優子】 強制連行肯定派の女優。ただし、韓国でかつて従軍慰安婦だった女性に会い、日本の蛮行を非難して謝罪するといった愛国的行動も見られる。※七 ま行 や行 よしみ-よしあき【吉見義明】 強制連行肯定派の歴史学者。専攻は日本近現代史。中央大学商学部教授。日本の戦争責任資料センター代表。※五 ら行 わ行 参考文献 ※一、新村出 編『広辞苑』第五版 (岩波書店 刊) ※ニ、秦郁彦 著 新潮選書『慰安婦と戦場の性』(新潮社 刊) ※三、平成十九年『WiLL』8月号増刊 (ワック・マガジンズ) ※四、平成十七年『正論』一月号 (扶桑社 刊)より、小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」 ※五、Wikipedia ※六、小林よしのり『ゴーマニズム宣言』シリーズ (小学館・幻冬舎 刊) ※七、http //syuun.iza.ne.jp/blog/entry/112350/
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/132.html
<目次> 始めに 哲学事実判断トゥールミン・モデル 根拠・論拠を疑う 疑いすぎるとどうなるか 疑いすぎないためには反証可能性 文脈主義 公理 全ては分からない 実際に疑ってみよう根拠・論拠を疑う根拠1を疑う 慰安婦が日本軍に強制連行されたことを証言している。 根拠2を疑う 日本軍が慰安婦を強制連行したことを示す文書がある。 論拠1を疑う 慰安婦の証言は信用できる。 論拠2を疑う 文書は偽書ではない。 まとめ まとめの補足部分より全体に及ぼす誤り 1.根拠2の議論について 2,論拠1の議論について 結論 価値判断ヒュームの法則 普遍化可能性テスト 反照的均衡 トゥールミン・モデルの全て 実際に疑ってみよう根拠 日本軍は慰安婦を強制連行した 論拠1 誰かを強制連行することは悪いことである 論拠2 軍人が悪いことをしたら国家は謝るべきである 補足根拠1について 論拠2について 心理学・詭弁術ネガティヴィティ・バイアス わら人形論法 雪だるま式論法 恐怖に訴える論法 罪悪感に訴える論法 早まった一般化 反日と付き合う基本性悪説基本 対洗脳・情報操作に対する十箇条 アマチュアの論理 詭弁の特徴 政治宣伝のための7つの法則 統計学 その他 参考文献 始めに 哲学の目的の一つは、物事を正しく考えるための思考法を探ることである。本稿は、主に哲学の知見を用いて、反日勢力が垂れ流す情報に騙されないための思考法を示すものである。 哲学 「日本軍は慰安婦を強制連行した」「日本政府は慰安婦に謝罪すべき」という主張がある。このうち前者のような「~だ・である/~でない」などという形の主張を、哲学では、 事実判断 という。そして後者のような「~べき/~べきでない」とか「~は善い(良い)・美しい/~は悪い・醜い」などという形の主張を、 価値判断 という。価値判断については、後述することにし、ここでは、事実判断について述べる。 事実判断 「日本軍は慰安婦を強制連行した」という事実判断を主張する人に「どうして『日本軍が慰安婦を強制連行した』と言えるの?」と聞くと、「慰安婦の証言がある」とか「強制連行したことを示す文書がある」などと答えるだろう。つまり、この証言や文書の存在を 理由 にして主張しているわけだ。理由なしの主張もあるが、一般的には、何らかの主張には、理由というものがある。理由がある主張のことを、哲学では 議論 という。議論と聞くと、誰かと誰かが互いに自分の意見を話し合うことだと思いがちだが、哲学でいう議論はそうではない。 トゥールミン・モデル 哲学者のスティーヴン=トゥールミン氏によると、議論は、最低限、以下の三つの要素で成り立っているという。 根拠(データ) 結論を裏付けるための客観的な資料。 論拠(ワラント) その根拠が、なぜその結論を裏付けることになるのかという説明。 結論(クレーム) 根拠と論拠から導き出された論。次の議論の根拠・論拠となる場合が多い。 このように議論を三つに分ける考え方を、 トゥールミン・モデル という。 先ほどの慰安婦問題の主張を、トゥールミン・モデルを用いて分析すると、以下のようになる。 根拠1 慰安婦が日本軍に強制連行されたことを証言している。 根拠2 日本軍が慰安婦を強制連行したことを示す文書がある。 論拠1 慰安婦の証言は信用できる。 論拠2 文書は偽書ではない。 結論 (したがって、)日本軍は慰安婦を強制連行した。 議論をトゥールミン・モデルで分析したら、次は、根拠と論拠を疑う。 根拠・論拠を疑う 先ほど、「議論の結論は、次の議論の根拠・論拠となる場合が多い」と書いた。ということは、「議論の根拠・論拠は、前の議論の結論であった場合が多い」ということでもある。根拠1「慰安婦が日本軍に強制連行されたことを証言している」を前の議論の結論とした場合、それは、トゥールミン・モデルでは以下のように分析されるだろう。 根拠 Aさんが慰安婦に強制連行されたかどうかを尋ねた。 論拠 Sさんの知能は正常である。 結論 慰安婦が日本軍に強制連行されたことを証言している。 この議論の根拠と論拠も疑ってみよう。本当にAさんの知能は正常なのだろうか。再び同じようにトゥールミン・モデルで分析すると以下のようになるだろう。 根拠 Sさんは生きている人間である。 論拠1 生きている人間には知能がある。 論拠2 Sさんにはこれまでに知能が異常であることを示す症状は見当たらなかった。 結論 (したがって、)Sさんの知能は正常である。 ここまで疑う人はいないだろうが、もっと疑ってみたらどうなるだろうか。例えば、「Aさんは生きている人間である」を疑ったらどうなるだろう。ひょっとしたら、Aさんが生きて動いているのは、自分の目にしか映っていないのかもしれない。自分の脳が、「Aさんは生きている」という幻を見ているのかもしれない。 疑いすぎるとどうなるか このように、自分の五感で感じたものや考えていることが本当に実在するのかということを徹底的に疑った哲学者がいる。それはルネ=デカルト氏だ。デカルトは、物事を疑って疑って疑いまくった結果、一つの仮説にたどり着いた。それが デーモン仮説 である。 デーモン仮説とは「我々の五感で感じたものや考えていることは、不思議な力を持った悪霊(デーモン)が我々に見せている幻だ。」という仮説だ。極端にいえば「1+1=2という単純な計算すら、悪霊が我々の脳を操って、我々の計算を常に間違えさせているのかもしれない」ということだ。 ここまで疑ってしまうと、慰安婦どころの騒ぎではない。どんな議論も成り立たなくなってしまうではないか。 疑いすぎないためには 反証可能性 デーモン仮説に至るまでに疑いすぎないようにするために、哲学では様々な道具を使う。その一つが 反証可能性 である。反証可能性とは、「仮説を立てるときは、実験や観察によってその仮説が間違っていることを示すことが可能な状態で立てるべきだ」という考え方である。この考え方は、科学と非科学を分ける線引きにもなっている。つまり、反証可能性がない仮説は、科学的な仮説とはいえないということだ。デーモン仮説は、悪霊の存在を実験や観察で示すことができないため、反証可能性がない。 文脈主義 疑いすぎないためのもう一つの道具は 文脈主義 だ。文脈主義とは、「どこまで疑ってよいかどうかは文脈によって決まる」という考え方だ。例えば、ある男性が仕事を終えて家に帰ってきて、妻に「今日は疲れたなあ」という仮説を言ったとする。もしも、妻がデーモン仮説を用いて「本当に疲れたの?」「悪霊に疲れたと思わされているんじゃないの?」などと対抗仮説を挙げて夫に答えたとしたら、どうだろう。文脈主義の立場から鑑みると、「たかが日常会話ぐらいでそこまで疑わなくてもいい」という見解になる。つまり、日常会話という文脈において、デーモン仮説を持ち出してまで疑う必要は無いから、妻の対抗仮説は無視してもよいということだ。 公理 文脈主義を用いれば、デーモン仮説にたどり着く前に、どこかで疑いを止めることができる。例えば、先ほどの「Aさんは生きている人間である」で疑いを止めたとしよう。このとき、「どうして『Aさんは生きている人間である』と言えるのですか?」と聞かれても、疑いを止めたのだから、答えなくていい。つまりこの時点で「Aさんは生きている人間である」ということの根拠も論拠も反証可能性も無視して、勝手に決め付けてもよい。このような決め付けを 公理 という。そして、哲学・科学・数学・宗教なども含め、あらゆる理論体系は、公理なしでは成り立たない。 全ては分からない デーモン仮説を用いれば、1+1=2という単純な議論も含め、どんな議論も成り立たなくなってしまうことは先ほども書いた。といういことは、つまり、人間にとって、あらゆることは何も分からないのである。これを 原理的に 分からないという。しかし、文脈主義と反証可能性を用いてどこかで疑いを止めれば、1+1=2であることは正しいと分かる。しかし、疑いを止めて分かったといっても、それが原理的に分かったということとは違うのだ。これを悪用すれば、慰安婦強制連行否定派の議論が原理的に成り立っていないことを指摘して、「慰安婦は強制連行されたんだ!」といつまでも反論できる。実際に政治家の河野洋平氏は、平成9年(1997)6月17日に開かれた講演で、「強制連行したという資料はなかったことは事実。しかし資料がなかったからと言って(強制連行も)なかったとは決められるかどうか」と言っている。たしかに、“原理的には”なかったとはいえないし、あったともいえないのであるが、歴史学の研究や外交の場において、そこまで疑う必要などないのである。 実際に疑ってみよう 始めに出てきた慰安婦の議論は、以下の通りである。 根拠1 慰安婦が日本軍に強制連行されたことを証言している。 根拠2 日本軍が慰安婦を強制連行したことを示す文書がある。 論拠1 慰安婦の証言は信用できる。 論拠2 文書は偽書ではない。 結論 (したがって、)日本軍は慰安婦を強制連行した(といえる)。 根拠・論拠を疑う 根拠1を疑う 慰安婦が日本軍に強制連行されたことを証言している。 これは、出典が示されていれば、とりあえずは妥当ということにしよう。 根拠2を疑う 日本軍が慰安婦を強制連行したことを示す文書がある。 この文書の一つとして、平成4年(1992)1月11日付けの『朝日新聞』の一面トップに載った史料「軍慰安所従業婦等募集に関する件」がある。この史料の本文は以下の通りだ。 支那事変地における慰安所設置のため内地においてこれが(これの)従業婦等を募集するに当り いたずらに軍部了解などの名儀を利用し ために軍の威信を傷つけ かつ一般民の誤解を招くおそれあるもの あるいは従軍記者、慰問者などを介して不統制に募集し社会問題を惹起するおそれあるもの あるいは募集に任ずる者の人選適切を欠き ために募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取調を受けるものあるなど 注意を要するもの が少なからざるについては、 将来 これらの募集などに当っては 派遣軍において統制し 募集に任ずる人物の選定を周到適切にして その実施に当たっては 関係地方の憲兵および警察当局との連繋を密にし 軍の威信保持上ならびに社会問題上遺漏なきよう配慮相成たし命により通牒す。 (引用 アジア歴史資料センター http //www.jacar.go.jp/ 正漢字・仮名遣いを現代漢字・仮名遣いに変えた) これのどこが軍人による強制連行だと読み取れるのか。この文書では、「慰安婦の募集に関して注意を要する者」として、「軍部了解の名義を利用する者」「従軍記者、慰問者などを介して不統制に募集する者」「募集に任ずる者の人選適切を欠いたために誘拐まがいの方法で募集をする者」を挙げており、これらの者たちを、「軍の威信保持」のためと、「社会問題上遺漏がない」ようにするために、「派遣軍において統制」し、「募集に任ずる人物の選定を周到適切」にするよう、「配慮」しろと書いてある。軍人による強制連行があったとは読み取れない。むしろ「強制連行が起こらないように注意しろ」と読み取れる。 論拠1を疑う 慰安婦の証言は信用できる。 評論家の西村幸祐氏は、編著『中学生にも分かる 慰安婦・南京問題』の中で、慰安婦の証言が二転三転と変遷していることを指摘されている。たとえば、金学順氏の証言は以下のように変遷している。 平成3年(1991)8月14日 ソウルでの記者会見 14歳のとき、家が貧しかったので妓生(キーセン)ハウス経営者の養女となった。そこから妓生巻番(妓生養成学校)に通う。17歳になったとき、義父に華北にある日本軍の慰安所に連れて行かれ、40円で売られた。 平成3年(1991)12月25日 朝日新聞 私が生後百日位の時、父が死にその後、母と私は平壌に行きました。貧しくて学校は普通学校(小学校)四年で止めました。その後は子守りをしたりして暮らしていました。(中略)そこへ行けば金儲けができる、こんな話を地区の仕事をしている人に言われました。仕事の中身は言いませんでした。近くの友人と二人、誘いに乗りました。17歳の春でした。 平成9年(1997)8月20日 平和資料館Webサイト 17歳の時、日本の軍人に『殺す』と脅されて連行され、最前線で一日何十人もの軍人の相手をさせられました。 平成9年(1997)12月16日 京都新聞夕刊 金さんは旧満州(現中国東北地方)で生まれ、平壌で育ったが、17歳の春に、日本の軍人に強制的にトラックに乗せられ、中国大陸の前線に連れて行かれたと証言 最初の証言では「妓生養成学校に通った」「義父に連れて行かれた」と言っている。それなのに、最後の証言では、前者は消え、後者は「日本の軍人に強制的に連れて行かれた」と変わっている。 政治学者の足立幸男氏は、証言を根拠として用いる場合の基準を、以下のように挙げている。 3.目撃者(体験者)による証言がデータ(注 根拠)として用いられるとき  a事件当時、目撃者が、正確で客観的な観察の妨げとなりうるような肉体的、精神的欠陥をもっていなかったこと。欠陥があった場合には、その欠陥にもかかわらず目撃者の証言が信用に価いするものであることが立証されている。  b観察が好都合な条件の下でなされたこと(たとえば、正確な観察をなしうるほど現場に近い位置にいたか、周囲は十分明るかったか、……)。  v証言者が、バイアスによって歪められない客観的な観察をなしうる立場の人間であること。その出来事に強い利害関係をもつ人や、関係者に対して強い好悪の感情をもつ人の証言などは、一応疑ってみる必要があるだろう。  d証言内容に内的不整合がないこと。 (引用 足立幸男 著 木鐸社 刊『議論の論理 民主主義と議論』133頁) この基準を本稿では便宜として「足立基準」と呼ぶ。金学順さんの証言は、足立基準のdに反する。したがって、金学順さんの証言は信用できないので、論拠1は妥当ではないといえる。西村氏の編著には、これ以外にも、文玉珠、金君子、李容洙、黄錦周、鄭書云の証言の矛盾を指摘している。これらも足立基準のdに反している。 論拠2を疑う 文書は偽書ではない。 この文書はアジア歴史資料センターで公開されており、偽書だということを示す理由も見当たらないので、この論拠はとりあえず妥当である。 まとめ 根拠2と論拠1が妥当でないことが分かった。したがって、結論「日本軍は慰安婦を強制連行した」も妥当ではない。このようにして、事実判断の議論というものを疑うのである。お分かりになっただろうか。 まとめの補足 上の議論には不十分な点がある。その点を説明する前に、論理学におけるある重要な考え方について説明する。 部分より全体に及ぼす誤り 命題「あるAはBである」が真であるとする。このことから「すべてのAはBである」と結論づけることを「部分より全体に及ぼす誤り」と呼ぶ。もちろん上の結論は誤っている。 例 ここに「自分は風邪である」と主張している人が10人いる。このうちの1人を診察した結果「風邪でない」ことが判明した。はたして、「自分は風邪である」と主張している10人全員は「風邪でない」のだろうか? また、命題「あるAはBである」が真であるとき「BでないものはAでない」と結論付けることも同様である。 (参考文献:野崎昭弘「詭弁論理学」) 1.根拠2の議論について 根拠2の議論では、あくまで「日本軍が慰安婦を強制連行したことを示す文書」のうち1つが妥当ではないと判断したに過ぎない。 慰安婦を強制連行したことを示す文書のうち1つでも妥当なものが存在すれば、根拠2は妥当なものといえる。 つまり、部分より全体に及ぼす誤りの観点から、「日本軍が慰安婦を強制連行したことを示す文書」のうち1つが妥当ではないからといって、ほかの文書すべてが妥当ではないと結論付けてはならないのである。 2,論拠1の議論について 根拠2の議論同様、あくまで一人の慰安婦の発言について「信用できない」と結論付けたに過ぎない。この論法で論拠1を妥当でないと判断するには、慰安婦全員の発言について信用できないことを示さなければならない。 結論 上の1,2より、まだ「妥当である」と判断される文書および発言が残っているため、「日本軍は慰安婦を強制連行した」という事実は「日本軍が慰安婦を強制連行したことを示す妥当な文書および発言が存在する限り」妥当である。 すなわち、「日本軍は慰安婦を強制連行した」が妥当でないと結論付けるには、「日本軍が慰安婦を強制連行したことを示す妥当な文書または発言が存在する」が否定されなければならない。 価値判断 さて、これまでは、「日本軍は慰安婦を強制連行した」という事実判断について述べてきた。次は、「日本政府は慰安婦に謝罪すべき」という価値判断について疑ってみよう。 ヒュームの法則 例の価値判断をトゥールミン・モデルで分析すると、以下のようになるだろう。 根拠 日本軍は慰安婦を強制連行した 論拠1 誰かを強制連行することは悪いことである 論拠2 軍人が悪いことをしたら国家は謝るべきである 結論 (したがって、)日本政府は慰安婦に謝罪すべき 根拠1,2は、価値判断である。結論が価値判断なら、根拠・論拠にも価値判断が少なくとも一つは必要であり、事実判断の根拠・論拠だけから価値判断の結論は導き出せない。これを ヒュームの法則 という。ヒュームとは、哲学者のデイヴィッド・ヒュームのことだ。 普遍化可能性テスト 論拠1に注目してみよう。「誰かを強制連行することは悪いことである」から「日本政府は慰安婦に謝罪すべき」といっている。でも、本当に「誰かを強制連行することは悪いこと」なのだろうか。例えば、慰安婦がなんらかの犯罪を犯したとして、その犯人を逮捕して身柄を拘置所などへ送るのは、一種の強制連行だと言える。しかし、これは悪いことではない。つまり、単に「誰かを強制連行することは悪いこと」とはいえないのであり、修正する必要がある。 このように、同じ理由を他のことにも当てはめて考えてみることを、倫理学では 普遍化可能性テスト と呼ぶ。 反照的均衡 「誰かを強制連行することは悪いこと」は修正すべきであると先ほど書いた。おそらく、単に「誰かを強制連行すること」ではなく、「慰安婦にするための強制連行」というふうに、強制連行の範囲を狭めれば、肯定派・否定派の両方が妥当だといえるだろう。このように、すでに一致できているところには、できるだけ手をつけず、それでも不整合が生じたら、できるだけ無理の少ない方向で修正を加えることを、倫理学では 反照的均衡 という。 トゥールミン・モデルの全て トゥールミン・モデルの基礎は「根拠」「論拠」「結論」だが、これはあくまで基礎である。他にも「限定詞」と「保留条件」がある。 この二つと、先ほどの普遍化可能性テスト・反照的均衡の結果とを鑑みて、トゥールミン・モデルを再構築すると、以下のようになるだろう。 根拠 日本軍は慰安婦を強制連行した 論拠1 誰かを強制連行することは悪いことである 論拠2 軍人が悪いことをしたら国家は謝るべきである 保留条件 強制連行が犯罪者の身柄を拘置所などへ送るためのもの(ではない限り、) 限定詞 たぶん、 結論 日本政府は慰安婦に謝罪すべき(だといえる) 先ほどの普遍化可能性テスト・反照的均衡の結果を保留条件に反映してみた。限定詞は、何のためにつけるかというと、物事の確かさには原理的に確かだということはあり得ないし、文脈主義の結果によっては、「必ず」とか「おそらく」などということもあり得るし、統計などの数学的な資料を根拠として用いた場合は、「90%の確率で」などということもあり得るからだ。 実際に疑ってみよう 根拠 日本軍は慰安婦を強制連行した これは事実判断の項で書いたように、妥当ではないといえる。 論拠1 誰かを強制連行することは悪いことである 保留条件と合わせて鑑みると、これは妥当だといえるだろう。 論拠2 軍人が悪いことをしたら国家は謝るべきである これは妥当とはいえない。例えば、Aさんという人物が、Bという軍隊と、Cという財団と、Dという町内会に属していたとしよう。もしAさんが何か悪いことをしたがら、そのAさんが属する組織BCDは、組織責任を認めて謝罪しなければならないのだろうか。Aさんがした行為の性質によってはあり得るが、少なくとも無条件に組織責任が認められるわけではないだろう。Aさんの悪意によって万引きが起こった場合、単に組織BCDに属していたからといって、無条件に組織責任を認めて謝罪すべきとはいえないのである。 したがって、論拠2は妥当ではない。 補足 根拠1について 議論が不十分であり、妥当でないと結論付けるのは早計である。上記「まとめの補足」を参照されたし。 論拠2について 普遍化可能性テストが完全には実行されていない。現状では軍人が「どんな」悪いことをしたら国家が謝るべきなのかが明らかになっていない。 すなわち、仮に「国家が謝る必要のない軍人の悪行がある」ことが妥当であると結論付けられたとしても、「軍人が誰かを強制連行すること」は国家が謝るべき悪行なのかどうかが明らかになっていない。 心理学・詭弁術 心理学の目的の一つは、人の認知が持つくせを見つけることだ。悪いくせを ネガティヴィティ・バイアス 心理学者のジョン=スコーロンスキー氏とドナル=カールストン氏は、「人が判断を下す場合には、足し算のようにはうまくいかない」ということを唱えた。どういうことかというと、「よい点が一つ、悪い点が一つ、合わせてプラスマイナスゼロとはならない」、そして、「人はよい情報よりも悪い情報を重視する」ということだ。これを、 ネガティビティ・バイアス という。 大日本帝国が東アジアに全く損害を与えなかったわけではない。しかし、日本が欧米列強の植民地主義に警鐘を鳴らしたことで、東アジアの国々の独立という利益がもたらされたのは事実だ。この損害と利益を比べたとき、ネガティヴィティ・バイアスがかかってしまい、損害ばかりに注目してしまう。これがいわゆる自虐史観の正体であろう。 わら人形論法 わら人形論法 とは、「相手の言葉や立場を実際以上に弱いものに置き換えて打ちのめす」という論法のことをいう。 ネット左翼がよく使う「ネット右翼は無職で肥満で低収入だ」という論法は、まさにわら人形論法である。 雪だるま式論法 雪だるま式論法 とは、「いったんある方向に転がり始めたら、とどまることなく転がり続けてしまう」という論法だ。 「日本が憲法9条を改正したら、また東アジアに侵攻してアメリカと戦争して、再び日本は焼け野原となる」などという論法は、まさに雪だるま式論法である。 恐怖に訴える論法 心理学者のハワード=レーベンサール氏らは、禁煙キャンペーンに恐怖に訴える手法を用いようとした。レーベンサールは、まず被験者に、肺がんにかかった青年を描いた映画と、肺がんの手術がどのように行われるかの映画を見せた。その映画には、真っ黒ながん細胞や、血みどろの臓器が映っていた。レーベンサールは、映画を見せたあと「あなたは禁煙したいと思いますか?」と聞いた。そしたら、恐怖を感じた被験者たちは「煙草は絶対にやめる」と答えたのである。これが 恐怖に訴える論法 である。 「日本が憲法9条を改正したら、再び戦争が起こる」などという論法は、まさに恐怖に訴える論法だといえる。 罪悪感に訴える論法 ロバート=J=グーラは、著書『論理で人をだます法』で、人を騙す論法として罪悪感に訴える論法を挙げている。「慰安婦は日本軍に強制連行された。あなたは被害者の訴えに心が痛みませんか?」などという論法は、 罪悪感に訴える論法 であり、人を騙すための論法だといえる。 早まった一般化 「類推の危険」とも。少ない事例から一般的な結論を導き出す論法。統計を一切持ち出さないのが特徴。 A は X である。 B も X である。 C も X である。 D も X である。 したがって、いかなる場合も X である。もしくはある集団は X であるとするのが特徴。 日本軍は悪だったとする論法の場合、そうした個々の事例だけを持ち出してレッテルを張るのはまさに木を見て森を見ずというべき早まった一般化である。 反日と付き合う基本 性悪説基本 世の中には、性善説と性悪説があります。 さて、どちらが正しいかは永遠の課題でしょうが、少なくとも対国家や外交、教育、法律、外国人移民等の集団、特に不特定多数の集団を相手にする際は性悪説を基本に考えなければならない。 然るに、性善説に基づいているのが国籍法改悪や人権擁護法案、外国人参政権である。 対不特定多数集団に対する性悪説の基本は非常に基本的なことなので、これを知らないとネットでは笑われることもあるので注意。 対洗脳・情報操作に対する十箇条 与えられる情報を鵜呑みにするな、まずは疑え。 自分の頭で考えている気になるな、殆どの場合無意識に誘導されていると思え。 数字に騙されるな、数字でも悪意があれば操作する事は可能だ。統計ってやつは算出方法次第で操作できたりするんだ。 過去に目を向けろ、必ず今と繋がっている。 皆が一様に同じ結論、意見に達したときは、情報操作もしくは悪質な誘導、最悪洗脳されていると考えろ。 事象、問題点、結果を箇条書きで抜き出せ、そして関連付けろ。 耳触りの良い言葉ばかり言う奴は信用するな。そいつは下心を隠している。 強硬論をまくし立てる奴は単なるパフォーマンスでやってるだけだ。バックに居る誰か、もしくは何かから目を逸らす目的があると考えろ。 正論ばかり述べる奴には気をつけろ、禅問答になる。 やばいと感じたら直ぐに逃げろ。それと逃げ道の確保を忘れるな。 アマチュアの論理 アマチュア=問題の難しさや危険を知らないか,過小評価する。 理想論を規範論にする 当事者の能力や努力を知らず、無能・無責任・怠惰と批判する。 プロは、ミスをせず、また、変化や危険を予知できる存在と決めつけ、それに反する事故が発生すればプロ失格と批判し、時には、犯罪者にする。 難しいこと、危険なことを簡単に考え「やれ」と言う=「素人の暴論」 成功や失敗の理由を、1~2の要素に求め、短絡的に理解し、論じる。特に「アイデア」「意識」「体質」「制度」「組織構造」などに求める。 現在の制度のデメリットのみをあげつらう。 新たな制度のメリットのみをアピールして提唱する。 新たな制度のデメリット、副作用を考えない(知らない?)。 新たな制度が諸問題を一気に解決すると考え,改革や革命を連呼する。 できない理由を、改革する想像力や意欲の不足に求める。 トレードオフがある課題を、同時にやれという(たとえば迅速と的確)。 詭弁の特徴 事実に対して仮定を持ち出す「ミサイルが何発か飛んできたら考える」 ごくまれな反例をとりあげる「55歳で月50万円もらえる新しい職業はないかインプットしてみたが、なかなか見つからない」 自分に有利な将来像を予想する「民主党が政権をとれば株価3倍」 主観で決め付ける「基地問題はどうにもならない」「もう沖縄は独立した方がいい」 資料を示さず自論が支持されていると思わせる「党の在り方としても合格点をいただけるところまではやれた」 一見関係ありそうで関係ない話を始める「小泉首相は発明をされたことがありますか。私はあります」 陰謀であると力説する「報道がしっかりしていれば国民に理解されるのではないか」 知能障害を起こす「私が財務省を洗脳しているんだ」 自分の見解を述べずに人格批判をする「知恵、頭を使ってない。霞が関なんて成績が良かっただけで大ばかだ」 ありえない解決策を図る「カルロス・ゴーンさんは、いなくなりゃいいんですよ」 レッテル貼りをする「弱虫太郎に名前を変えろ」 決着した話を経緯を無視して蒸し返す「状況によっては、監視衛星をうちあげることも考えたほうがいい」「天皇は逮捕されるべきだった」 勝利宣言をする「内容的には「月にすっぽん」というべきものが多い」 細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる「最近の人はルートも知らないんだよね。いいかい、3.141592…」 新しい概念が全て正しいのだとミスリードする「必要な増税をすれば日本経済がよくなるという認識を国民に共有してもらいたい」 ありえない仮定を持ち出す「私が菅直人でなければ、菅直人を追及するだろう」 全てか無かで途中を認めないか、あえて無視する「若い方がいいなら0歳児を連れてくればいい」 政治宣伝のための7つの法則 第二次大戦中、米国の宣伝分析研究所が情報操作の研究を行った結果編み出した、政治宣伝のための7つの法則 「ネーム・コーリング」攻撃対象の人物・集団・組織などに対し、憎悪や恐怖の感情に訴えるマイナスのレッテルを貼る(ラベリング)。メディアやネットによって繰り返し流されるステレオタイプの情報により、情報受信者は、徐々に対象に憎悪を深めていく。 「華麗な言葉による普遍化」飾りたてた言葉で自分たちの行為を正当化してしまう。文句のつけようのない・つけずらいフレーズ・正義を強調し、共感を煽り立てる。 「転換」さまざまな権威や威光を用いて、自分たちの意見や目的や方法を正当化する、正しく見せかける。 「証言利用」尊敬される・権威ある人物を使って、自分たちの意見や目的や方法が正しいことを証言・後援させる。 「平凡化」自分たちの庶民性や、情報受信者と同じ立場・境遇であることを強調し、安心や共感や親近感、一体感を引き出す。 「カードスタッキング」都合のいい事柄を強調し、都合が悪い事柄を矮小化したり隠蔽したりする。 「バンドワゴン」大きな楽隊が目を惹くように、その事柄が、世の中の趨勢であるかのように宣伝する。情報受信者は、それに従わないことにより取り残される情緒的不安を覚え、結局はその「楽隊」に同調していくことになる。 統計学 社会学者の谷岡一郎氏は、著書『「社会調査」のウソ』で、統計調査のウソを述べておられる。『朝日新聞』平成11年(1999)6月30日付けの記事「『君が代』法制化『必要』47%『不要』45%/『議論尽くせ』66%」には、国旗及び国歌に関する法律(以下、国旗国歌法)の是非について、国民に対して行った世論調査の結果が載せられている。この調査では、国旗国家法の是非については、賛成58%に達した。しかし、最後の質問で「今の国会で成立させるべきですか、それとも、今の国会での成立にこだわらず、議論を尽くすべきだと思いますか」と問い、結果として、「今の国会で成立させるのがよい」が23%、「議論を尽くすべきだ」が66%になった。「(法案には賛成だが)議論を尽くすべきだ」という、よほど確信のある法制化推進論者でなければ拒否しにくい回答を用意し、回答者を誘導したのである。 谷岡氏の著書には、これ以外にも社会調査のウソが何個も挙げられている。 その他 「正しそうに見える意見であっても、簡単に受け入れてしまってはいけない」とい説教はよく耳にするが、 「誤まっているように見える意見であっても、簡単に拒絶してはいけない」という忠告はあまり聞いたことがない。 ――香西秀信(修辞学者) 著書『論より詭弁』より デモクラシーの政治において、多数派の市民(=国民)は少数者に対して最も残酷な抑圧を与えることができる ――エドマンド=バーク(政治家)著書『フランス革命の省察』より “大衆人”とはただ欲求しかなく、権利があると考えても義務があるとは考えない、自分に義務を課す高貴さを欠いた人間のことである ――ホセ=オルテガ=イ=ガセト(哲学者)著書『大衆の反逆』より (政治指導者が無知な大衆の要求に屈するとき)“民の声”は悪魔の声となる ――ウォルター=バジョット(ジャーナリスト)著書『英国憲政論』より 進歩の理論は、過去と現在を犠牲にして未来を神化する……(進歩は)未来による過去の永遠の破壊、後続の世代による先行の世代の永遠の抹殺である。 ――ニコライ=ベルジャーエフ(哲学者)著書『歴史の意味』より 人間の堕落を防止するためには、人々を愚劣にする主権というものを、誰にも与えないことである ――アレクシス=ド=トクヴィル(哲学者)著書『アメリカの民主政治』より 参考文献 ちくま新書『哲学思考トレーニング』 伊勢田哲治 著 筑摩書房 刊 『「心理戦」で絶対に負けない本』 伊東明、内藤誼人 共著 アスペクト 刊 『クリティカル進化論 「OL進化論」で学ぶ思考の技法』 道田泰司、宮本博章 共著 秋月りす 漫画 北大路書房 刊 『中学生にも分かる慰安婦・南京問題』 西村幸祐 編 オークラ出版 刊 『知的生産力が無限大にアップする超人脳の作り方』 苫米地英人 著 アスコム 刊 『議論の論理 民主主義と議論』 足立幸男 著 木鐸社 刊 『論理で人をだます法』 ロバート=J=グーラ 著 山形浩生 訳 千野工一 イラスト
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/259.html
<目次> 始めに 哲学事実判断トゥールミン・モデル 根拠・論拠を疑う 疑いすぎるとどうなるか 疑いすぎないためには反証可能性 文脈主義 公理 全ては分からない 実際に疑ってみよう根拠・論拠を疑う根拠1を疑う 慰安婦が日本軍に強制連行されたことを証言している。 根拠2を疑う 日本軍が慰安婦を強制連行したことを示す文書がある。 論拠1を疑う 慰安婦の証言は信用できる。 論拠2を疑う 文書は偽書ではない。 まとめ まとめの補足部分より全体に及ぼす誤り 1.根拠2の議論について 2,論拠1の議論について 結論 価値判断ヒュームの法則 普遍化可能性テスト 反照的均衡 トゥールミン・モデルの全て 実際に疑ってみよう根拠 日本軍は慰安婦を強制連行した 論拠1 誰かを強制連行することは悪いことである 論拠2 軍人が悪いことをしたら国家は謝るべきである 補足根拠1について 論拠2について 心理学・詭弁術ネガティヴィティ・バイアス わら人形論法 雪だるま式論法 恐怖に訴える論法 罪悪感に訴える論法 早まった一般化 反日と付き合う基本性悪説基本 対洗脳・情報操作に対する十箇条 アマチュアの論理 詭弁の特徴 政治宣伝のための7つの法則 統計学 その他 参考文献 始めに 哲学の目的の一つは、物事を正しく考えるための思考法を探ることである。本稿は、主に哲学の知見を用いて、反日勢力が垂れ流す情報に騙されないための思考法を示すものである。 哲学 「日本軍は慰安婦を強制連行した」「日本政府は慰安婦に謝罪すべき」という主張がある。このうち前者のような「~だ・である/~でない」などという形の主張を、哲学では、事実判断という。そして後者のような「~べき/~べきでない」とか「~は善い(良い)・美しい/~は悪い・醜い」などという形の主張を、価値判断という。価値判断については、後述することにし、ここでは、事実判断について述べる。 事実判断 「日本軍は慰安婦を強制連行した」という事実判断を主張する人に「どうして『日本軍が慰安婦を強制連行した』と言えるの?」と聞くと、「慰安婦の証言がある」とか「強制連行したことを示す文書がある」などと答えるだろう。つまり、この証言や文書の存在を理由にして主張しているわけだ。理由なしの主張もあるが、一般的には、何らかの主張には、理由というものがある。理由がある主張のことを、哲学では議論という。議論と聞くと、誰かと誰かが互いに自分の意見を話し合うことだと思いがちだが、哲学でいう議論はそうではない。 トゥールミン・モデル 哲学者のスティーヴン=トゥールミン氏によると、議論は、最低限、以下の三つの要素で成り立っているという。 根拠(データ) 結論を裏付けるための客観的な資料。 論拠(ワラント) その根拠が、なぜその結論を裏付けることになるのかという説明。 結論(クレーム) 根拠と論拠から導き出された論。次の議論の根拠・論拠となる場合が多い。 このように議論を三つに分ける考え方を、トゥールミン・モデルという。 先ほどの慰安婦問題の主張を、トゥールミン・モデルを用いて分析すると、以下のようになる。 根拠1 慰安婦が日本軍に強制連行されたことを証言している。 根拠2 日本軍が慰安婦を強制連行したことを示す文書がある。 論拠1 慰安婦の証言は信用できる。 論拠2 文書は偽書ではない。 結論 (したがって、)日本軍は慰安婦を強制連行した。 議論をトゥールミン・モデルで分析したら、次は、根拠と論拠を疑う。 根拠・論拠を疑う 先ほど、「議論の結論は、次の議論の根拠・論拠となる場合が多い」と書いた。ということは、「議論の根拠・論拠は、前の議論の結論であった場合が多い」ということでもある。根拠1「慰安婦が日本軍に強制連行されたことを証言している」を前の議論の結論とした場合、それは、トゥールミン・モデルでは以下のように分析されるだろう。 根拠 Aさんが慰安婦に強制連行されたかどうかを尋ねた。 論拠 Sさんの知能は正常である。 結論 慰安婦が日本軍に強制連行されたことを証言している。 この議論の根拠と論拠も疑ってみよう。本当にAさんの知能は正常なのだろうか。再び同じようにトゥールミン・モデルで分析すると以下のようになるだろう。 根拠 Sさんは生きている人間である。 論拠1 生きている人間には知能がある。 論拠2 Sさんにはこれまでに知能が異常であることを示す症状は見当たらなかった。 結論 (したがって、)Sさんの知能は正常である。 ここまで疑う人はいないだろうが、もっと疑ってみたらどうなるだろうか。例えば、「Aさんは生きている人間である」を疑ったらどうなるだろう。ひょっとしたら、Aさんが生きて動いているのは、自分の目にしか映っていないのかもしれない。自分の脳が、「Aさんは生きている」という幻を見ているのかもしれない。 疑いすぎるとどうなるか このように、自分の五感で感じたものや考えていることが本当に実在するのかということを徹底的に疑った哲学者がいる。それはルネ=デカルト氏だ。デカルトは、物事を疑って疑って疑いまくった結果、一つの仮説にたどり着いた。それがデーモン仮説である。 デーモン仮説とは「我々の五感で感じたものや考えていることは、不思議な力を持った悪霊(デーモン)が我々に見せている幻だ。」という仮説だ。極端にいえば「1+1=2という単純な計算すら、悪霊が我々の脳を操って、我々の計算を常に間違えさせているのかもしれない」ということだ。 ここまで疑ってしまうと、慰安婦どころの騒ぎではない。どんな議論も成り立たなくなってしまうではないか。 疑いすぎないためには 反証可能性 デーモン仮説に至るまでに疑いすぎないようにするために、哲学では様々な道具を使う。その一つが反証可能性である。反証可能性とは、「仮説を立てるときは、実験や観察によってその仮説が間違っていることを示すことが可能な状態で立てるべきだ」という考え方である。この考え方は、科学と非科学を分ける線引きにもなっている。つまり、反証可能性がない仮説は、科学的な仮説とはいえないということだ。デーモン仮説は、悪霊の存在を実験や観察で示すことができないため、反証可能性がない。 文脈主義 疑いすぎないためのもう一つの道具は文脈主義だ。文脈主義とは、「どこまで疑ってよいかどうかは文脈によって決まる」という考え方だ。例えば、ある男性が仕事を終えて家に帰ってきて、妻に「今日は疲れたなあ」という仮説を言ったとする。もしも、妻がデーモン仮説を用いて「本当に疲れたの?」「悪霊に疲れたと思わされているんじゃないの?」などと対抗仮説を挙げて夫に答えたとしたら、どうだろう。文脈主義の立場から鑑みると、「たかが日常会話ぐらいでそこまで疑わなくてもいい」という見解になる。つまり、日常会話という文脈において、デーモン仮説を持ち出してまで疑う必要は無いから、妻の対抗仮説は無視してもよいということだ。 公理 文脈主義を用いれば、デーモン仮説にたどり着く前に、どこかで疑いを止めることができる。例えば、先ほどの「Aさんは生きている人間である」で疑いを止めたとしよう。このとき、「どうして『Aさんは生きている人間である』と言えるのですか?」と聞かれても、疑いを止めたのだから、答えなくていい。つまりこの時点で「Aさんは生きている人間である」ということの根拠も論拠も反証可能性も無視して、勝手に決め付けてもよい。このような決め付けを公理という。そして、哲学・科学・数学・宗教なども含め、あらゆる理論体系は、公理なしでは成り立たない。 全ては分からない デーモン仮説を用いれば、1+1=2という単純な議論も含め、どんな議論も成り立たなくなってしまうことは先ほども書いた。といういことは、つまり、人間にとって、あらゆることは何も分からないのである。これを原理的に分からないという。しかし、文脈主義と反証可能性を用いてどこかで疑いを止めれば、1+1=2であることは正しいと分かる。しかし、疑いを止めて分かったといっても、それが原理的に分かったということとは違うのだ。これを悪用すれば、慰安婦強制連行否定派の議論が原理的に成り立っていないことを指摘して、「慰安婦は強制連行されたんだ!」といつまでも反論できる。実際に政治家の河野洋平氏は、平成9年(1997)6月17日に開かれた講演で、「強制連行したという資料はなかったことは事実。しかし資料がなかったからと言って(強制連行も)なかったとは決められるかどうか」と言っている。たしかに、“原理的には”なかったとはいえないし、あったともいえないのであるが、歴史学の研究や外交の場において、そこまで疑う必要などないのである。 実際に疑ってみよう 始めに出てきた慰安婦の議論は、以下の通りである。 根拠1 慰安婦が日本軍に強制連行されたことを証言している。 根拠2 日本軍が慰安婦を強制連行したことを示す文書がある。 論拠1 慰安婦の証言は信用できる。 論拠2 文書は偽書ではない。 結論 (したがって、)日本軍は慰安婦を強制連行した(といえる)。 根拠・論拠を疑う 根拠1を疑う 慰安婦が日本軍に強制連行されたことを証言している。 これは、出典が示されていれば、とりあえずは妥当ということにしよう。 根拠2を疑う 日本軍が慰安婦を強制連行したことを示す文書がある。 この文書の一つとして、平成4年(1992)1月11日付けの『朝日新聞』の一面トップに載った史料「軍慰安所従業婦等募集に関する件」がある。この史料の本文は以下の通りだ。 支那事変地における慰安所設置のため内地においてこれが(これの)従業婦等を募集するに当り いたずらに軍部了解などの名儀を利用し ために軍の威信を傷つけ かつ一般民の誤解を招くおそれあるもの あるいは従軍記者、慰問者などを介して不統制に募集し社会問題を惹起するおそれあるもの あるいは募集に任ずる者の人選適切を欠き ために募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取調を受けるものあるなど 注意を要するもの が少なからざるについては、 将来 これらの募集などに当っては 派遣軍において統制し 募集に任ずる人物の選定を周到適切にして その実施に当たっては 関係地方の憲兵および警察当局との連繋を密にし 軍の威信保持上ならびに社会問題上遺漏なきよう配慮相成たし命により通牒す。 (引用 アジア歴史資料センター http //www.jacar.go.jp/ 正漢字・仮名遣いを現代漢字・仮名遣いに変えた) これのどこが軍人による強制連行だと読み取れるのか。この文書では、「慰安婦の募集に関して注意を要する者」として、「軍部了解の名義を利用する者」「従軍記者、慰問者などを介して不統制に募集する者」「募集に任ずる者の人選適切を欠いたために誘拐まがいの方法で募集をする者」を挙げており、これらの者たちを、「軍の威信保持」のためと、「社会問題上遺漏がない」ようにするために、「派遣軍において統制」し、「募集に任ずる人物の選定を周到適切」にするよう、「配慮」しろと書いてある。軍人による強制連行があったとは読み取れない。むしろ「強制連行が起こらないように注意しろ」と読み取れる。 論拠1を疑う 慰安婦の証言は信用できる。 評論家の西村幸祐氏は、編著『中学生にも分かる 慰安婦・南京問題』の中で、慰安婦の証言が二転三転と変遷していることを指摘されている。たとえば、金学順氏の証言は以下のように変遷している。 平成3年(1991)8月14日 ソウルでの記者会見 14歳のとき、家が貧しかったので妓生(キーセン)ハウス経営者の養女となった。そこから妓生巻番(妓生養成学校)に通う。17歳になったとき、義父に華北にある日本軍の慰安所に連れて行かれ、40円で売られた。 平成3年(1991)12月25日 朝日新聞 私が生後百日位の時、父が死にその後、母と私は平壌に行きました。貧しくて学校は普通学校(小学校)四年で止めました。その後は子守りをしたりして暮らしていました。(中略)そこへ行けば金儲けができる、こんな話を地区の仕事をしている人に言われました。仕事の中身は言いませんでした。近くの友人と二人、誘いに乗りました。17歳の春でした。 平成9年(1997)8月20日 平和資料館Webサイト 17歳の時、日本の軍人に『殺す』と脅されて連行され、最前線で一日何十人もの軍人の相手をさせられました。 平成9年(1997)12月16日 京都新聞夕刊 金さんは旧満州(現中国東北地方)で生まれ、平壌で育ったが、17歳の春に、日本の軍人に強制的にトラックに乗せられ、中国大陸の前線に連れて行かれたと証言 最初の証言では「妓生養成学校に通った」「義父に連れて行かれた」と言っている。それなのに、最後の証言では、前者は消え、後者は「日本の軍人に強制的に連れて行かれた」と変わっている。 政治学者の足立幸男氏は、証言を根拠として用いる場合の基準を、以下のように挙げている。 3.目撃者(体験者)による証言がデータ(注 根拠)として用いられるとき  a事件当時、目撃者が、正確で客観的な観察の妨げとなりうるような肉体的、精神的欠陥をもっていなかったこと。欠陥があった場合には、その欠陥にもかかわらず目撃者の証言が信用に価いするものであることが立証されている。  b観察が好都合な条件の下でなされたこと(たとえば、正確な観察をなしうるほど現場に近い位置にいたか、周囲は十分明るかったか、……)。  v証言者が、バイアスによって歪められない客観的な観察をなしうる立場の人間であること。その出来事に強い利害関係をもつ人や、関係者に対して強い好悪の感情をもつ人の証言などは、一応疑ってみる必要があるだろう。  d証言内容に内的不整合がないこと。 (引用 足立幸男 著 木鐸社 刊『議論の論理 民主主義と議論』133頁) この基準を本稿では便宜として「足立基準」と呼ぶ。金学順さんの証言は、足立基準のdに反する。したがって、金学順さんの証言は信用できないので、論拠1は妥当ではないといえる。西村氏の編著には、これ以外にも、文玉珠、金君子、李容洙、黄錦周、鄭書云の証言の矛盾を指摘している。これらも足立基準のdに反している。 論拠2を疑う 文書は偽書ではない。 この文書はアジア歴史資料センターで公開されており、偽書だということを示す理由も見当たらないので、この論拠はとりあえず妥当である。 まとめ 根拠2と論拠1が妥当でないことが分かった。したがって、結論「日本軍は慰安婦を強制連行した」も妥当ではない。このようにして、事実判断の議論というものを疑うのである。お分かりになっただろうか。 まとめの補足 上の議論には不十分な点がある。その点を説明する前に、論理学におけるある重要な考え方について説明する。 部分より全体に及ぼす誤り 命題「あるAはBである」が真であるとする。このことから「すべてのAはBである」と結論づけることを「部分より全体に及ぼす誤り」と呼ぶ。もちろん上の結論は誤っている。 例 ここに「自分は風邪である」と主張している人が10人いる。このうちの1人を診察した結果「風邪でない」ことが判明した。はたして、「自分は風邪である」と主張している10人全員は「風邪でない」のだろうか? また、命題「あるAはBである」が真であるとき「BでないものはAでない」と結論付けることも同様である。 (参考文献:野崎昭弘「詭弁論理学」) 1.根拠2の議論について 根拠2の議論では、あくまで「日本軍が慰安婦を強制連行したことを示す文書」のうち1つが妥当ではないと判断したに過ぎない。 慰安婦を強制連行したことを示す文書のうち1つでも妥当なものが存在すれば、根拠2は妥当なものといえる。 つまり、部分より全体に及ぼす誤りの観点から、「日本軍が慰安婦を強制連行したことを示す文書」のうち1つが妥当ではないからといって、ほかの文書すべてが妥当ではないと結論付けてはならないのである。 2,論拠1の議論について 根拠2の議論同様、あくまで一人の慰安婦の発言について「信用できない」と結論付けたに過ぎない。この論法で論拠1を妥当でないと判断するには、慰安婦全員の発言について信用できないことを示さなければならない。 結論 上の1,2より、まだ「妥当である」と判断される文書および発言が残っているため、「日本軍は慰安婦を強制連行した」という事実は「日本軍が慰安婦を強制連行したことを示す妥当な文書および発言が存在する限り」妥当である。 すなわち、「日本軍は慰安婦を強制連行した」が妥当でないと結論付けるには、「日本軍が慰安婦を強制連行したことを示す妥当な文書または発言が存在する」が否定されなければならない。 価値判断 さて、これまでは、「日本軍は慰安婦を強制連行した」という事実判断について述べてきた。次は、「日本政府は慰安婦に謝罪すべき」という価値判断について疑ってみよう。 ヒュームの法則 例の価値判断をトゥールミン・モデルで分析すると、以下のようになるだろう。 根拠 日本軍は慰安婦を強制連行した 論拠1 誰かを強制連行することは悪いことである 論拠2 軍人が悪いことをしたら国家は謝るべきである 結論 (したがって、)日本政府は慰安婦に謝罪すべき 根拠1,2は、価値判断である。結論が価値判断なら、根拠・論拠にも価値判断が少なくとも一つは必要であり、事実判断の根拠・論拠だけから価値判断の結論は導き出せない。これをヒュームの法則という。ヒュームとは、哲学者のデイヴィッド・ヒュームのことだ。 普遍化可能性テスト 論拠1に注目してみよう。「誰かを強制連行することは悪いことである」から「日本政府は慰安婦に謝罪すべき」といっている。でも、本当に「誰かを強制連行することは悪いこと」なのだろうか。例えば、慰安婦がなんらかの犯罪を犯したとして、その犯人を逮捕して身柄を拘置所などへ送るのは、一種の強制連行だと言える。しかし、これは悪いことではない。つまり、単に「誰かを強制連行することは悪いこと」とはいえないのであり、修正する必要がある。 このように、同じ理由を他のことにも当てはめて考えてみることを、倫理学では普遍化可能性テストと呼ぶ。 反照的均衡 「誰かを強制連行することは悪いこと」は修正すべきであると先ほど書いた。おそらく、単に「誰かを強制連行すること」ではなく、「慰安婦にするための強制連行」というふうに、強制連行の範囲を狭めれば、肯定派・否定派の両方が妥当だといえるだろう。このように、すでに一致できているところには、できるだけ手をつけず、それでも不整合が生じたら、できるだけ無理の少ない方向で修正を加えることを、倫理学では反照的均衡という。 トゥールミン・モデルの全て トゥールミン・モデルの基礎は「根拠」「論拠」「結論」だが、これはあくまで基礎である。他にも「限定詞」と「保留条件」がある。 この二つと、先ほどの普遍化可能性テスト・反照的均衡の結果とを鑑みて、トゥールミン・モデルを再構築すると、以下のようになるだろう。 根拠 日本軍は慰安婦を強制連行した 論拠1 誰かを強制連行することは悪いことである 論拠2 軍人が悪いことをしたら国家は謝るべきである 保留条件 強制連行が犯罪者の身柄を拘置所などへ送るためのもの(ではない限り、) 限定詞 たぶん、 結論 日本政府は慰安婦に謝罪すべき(だといえる) 先ほどの普遍化可能性テスト・反照的均衡の結果を保留条件に反映してみた。限定詞は、何のためにつけるかというと、物事の確かさには原理的に確かだということはあり得ないし、文脈主義の結果によっては、「必ず」とか「おそらく」などということもあり得るし、統計などの数学的な資料を根拠として用いた場合は、「90%の確率で」などということもあり得るからだ。 実際に疑ってみよう 根拠 日本軍は慰安婦を強制連行した これは事実判断の項で書いたように、妥当ではないといえる。 論拠1 誰かを強制連行することは悪いことである 保留条件と合わせて鑑みると、これは妥当だといえるだろう。 論拠2 軍人が悪いことをしたら国家は謝るべきである これは妥当とはいえない。例えば、Aさんという人物が、Bという軍隊と、Cという財団と、Dという町内会に属していたとしよう。もしAさんが何か悪いことをしたがら、そのAさんが属する組織BCDは、組織責任を認めて謝罪しなければならないのだろうか。Aさんがした行為の性質によってはあり得るが、少なくとも無条件に組織責任が認められるわけではないだろう。Aさんの悪意によって万引きが起こった場合、単に組織BCDに属していたからといって、無条件に組織責任を認めて謝罪すべきとはいえないのである。 したがって、論拠2は妥当ではない。 補足 根拠1について 議論が不十分であり、妥当でないと結論付けるのは早計である。上記「まとめの補足」を参照されたし。 論拠2について 普遍化可能性テストが完全には実行されていない。現状では軍人が「どんな」悪いことをしたら国家が謝るべきなのかが明らかになっていない。 すなわち、仮に「国家が謝る必要のない軍人の悪行がある」ことが妥当であると結論付けられたとしても、「軍人が誰かを強制連行すること」は国家が謝るべき悪行なのかどうかが明らかになっていない。 心理学・詭弁術 心理学の目的の一つは、人の認知が持つくせを見つけることだ。悪いくせを ネガティヴィティ・バイアス 心理学者のジョン=スコーロンスキー氏とドナル=カールストン氏は、「人が判断を下す場合には、足し算のようにはうまくいかない」ということを唱えた。どういうことかというと、「よい点が一つ、悪い点が一つ、合わせてプラスマイナスゼロとはならない」、そして、「人はよい情報よりも悪い情報を重視する」ということだ。これを、ネガティビティ・バイアスという。 大日本帝国が東アジアに全く損害を与えなかったわけではない。しかし、日本が欧米列強の植民地主義に警鐘を鳴らしたことで、東アジアの国々の独立という利益がもたらされたのは事実だ。この損害と利益を比べたとき、ネガティヴィティ・バイアスがかかってしまい、損害ばかりに注目してしまう。これがいわゆる自虐史観の正体であろう。 わら人形論法 わら人形論法とは、「相手の言葉や立場を実際以上に弱いものに置き換えて打ちのめす」という論法のことをいう。 ネット左翼がよく使う「ネット右翼は無職で肥満で低収入だ」という論法は、まさにわら人形論法である。 雪だるま式論法 雪だるま式論法とは、「いったんある方向に転がり始めたら、とどまることなく転がり続けてしまう」という論法だ。 「日本が憲法9条を改正したら、また東アジアに侵攻してアメリカと戦争して、再び日本は焼け野原となる」などという論法は、まさに雪だるま式論法である。 恐怖に訴える論法 心理学者のハワード=レーベンサール氏らは、禁煙キャンペーンに恐怖に訴える手法を用いようとした。レーベンサールは、まず被験者に、肺がんにかかった青年を描いた映画と、肺がんの手術がどのように行われるかの映画を見せた。その映画には、真っ黒ながん細胞や、血みどろの臓器が映っていた。レーベンサールは、映画を見せたあと「あなたは禁煙したいと思いますか?」と聞いた。そしたら、恐怖を感じた被験者たちは「煙草は絶対にやめる」と答えたのである。これが恐怖に訴える論法である。 「日本が憲法9条を改正したら、再び戦争が起こる」などという論法は、まさに恐怖に訴える論法だといえる。 罪悪感に訴える論法 ロバート=J=グーラは、著書『論理で人をだます法』で、人を騙す論法として罪悪感に訴える論法を挙げている。「慰安婦は日本軍に強制連行された。あなたは被害者の訴えに心が痛みませんか?」などという論法は、罪悪感に訴える論法であり、人を騙すための論法だといえる。 早まった一般化 「類推の危険」とも。少ない事例から一般的な結論を導き出す論法。統計を一切持ち出さないのが特徴。 A は X である。 B も X である。 C も X である。 D も X である。 したがって、いかなる場合も X である。もしくはある集団は X であるとするのが特徴。 日本軍は悪だったとする論法の場合、そうした個々の事例だけを持ち出してレッテルを張るのはまさに木を見て森を見ずというべき早まった一般化である。 反日と付き合う基本 性悪説基本 世の中には、性善説と性悪説があります。 さて、どちらが正しいかは永遠の課題でしょうが、少なくとも対国家や外交、教育、法律、外国人移民等の集団、特に不特定多数の集団を相手にする際は性悪説を基本に考えなければならない。 然るに、性善説に基づいているのが国籍法改悪や人権擁護法案、外国人参政権である。 対不特定多数集団に対する性悪説の基本は非常に基本的なことなので、これを知らないとネットでは笑われることもあるので注意。 対洗脳・情報操作に対する十箇条 与えられる情報を鵜呑みにするな、まずは疑え。 自分の頭で考えている気になるな、殆どの場合無意識に誘導されていると思え。 数字に騙されるな、数字でも悪意があれば操作する事は可能だ。統計ってやつは算出方法次第で操作できたりするんだ。 過去に目を向けろ、必ず今と繋がっている。 皆が一様に同じ結論、意見に達したときは、情報操作もしくは悪質な誘導、最悪洗脳されていると考えろ。 事象、問題点、結果を箇条書きで抜き出せ、そして関連付けろ。 耳触りの良い言葉ばかり言う奴は信用するな。そいつは下心を隠している。 強硬論をまくし立てる奴は単なるパフォーマンスでやってるだけだ。バックに居る誰か、もしくは何かから目を逸らす目的があると考えろ。 正論ばかり述べる奴には気をつけろ、禅問答になる。 やばいと感じたら直ぐに逃げろ。それと逃げ道の確保を忘れるな。 アマチュアの論理 アマチュア=問題の難しさや危険を知らないか,過小評価する。 理想論を規範論にする 当事者の能力や努力を知らず、無能・無責任・怠惰と批判する。 プロは、ミスをせず、また、変化や危険を予知できる存在と決めつけ、それに反する事故が発生すればプロ失格と批判し、時には、犯罪者にする。 難しいこと、危険なことを簡単に考え「やれ」と言う=「素人の暴論」 成功や失敗の理由を、1~2の要素に求め、短絡的に理解し、論じる。特に「アイデア」「意識」「体質」「制度」「組織構造」などに求める。 現在の制度のデメリットのみをあげつらう。 新たな制度のメリットのみをアピールして提唱する。 新たな制度のデメリット、副作用を考えない(知らない?)。 新たな制度が諸問題を一気に解決すると考え,改革や革命を連呼する。 できない理由を、改革する想像力や意欲の不足に求める。 トレードオフがある課題を、同時にやれという(たとえば迅速と的確)。 詭弁の特徴 事実に対して仮定を持ち出す「ミサイルが何発か飛んできたら考える」 ごくまれな反例をとりあげる「55歳で月50万円もらえる新しい職業はないかインプットしてみたが、なかなか見つからない」 自分に有利な将来像を予想する「民主党が政権をとれば株価3倍」 主観で決め付ける「基地問題はどうにもならない」「もう沖縄は独立した方がいい」 資料を示さず自論が支持されていると思わせる「党の在り方としても合格点をいただけるところまではやれた」 一見関係ありそうで関係ない話を始める「小泉首相は発明をされたことがありますか。私はあります」 陰謀であると力説する「報道がしっかりしていれば国民に理解されるのではないか」 知能障害を起こす「私が財務省を洗脳しているんだ」 自分の見解を述べずに人格批判をする「知恵、頭を使ってない。霞が関なんて成績が良かっただけで大ばかだ」 ありえない解決策を図る「カルロス・ゴーンさんは、いなくなりゃいいんですよ」 レッテル貼りをする「弱虫太郎に名前を変えろ」 決着した話を経緯を無視して蒸し返す「状況によっては、監視衛星をうちあげることも考えたほうがいい」「天皇は逮捕されるべきだった」 勝利宣言をする「内容的には「月にすっぽん」というべきものが多い」 細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる「最近の人はルートも知らないんだよね。いいかい、3.141592…」 新しい概念が全て正しいのだとミスリードする「必要な増税をすれば日本経済がよくなるという認識を国民に共有してもらいたい」 ありえない仮定を持ち出す「私が菅直人でなければ、菅直人を追及するだろう」 全てか無かで途中を認めないか、あえて無視する「若い方がいいなら0歳児を連れてくればいい」 政治宣伝のための7つの法則 第二次大戦中、米国の宣伝分析研究所が情報操作の研究を行った結果編み出した、政治宣伝のための7つの法則 「ネーム・コーリング」攻撃対象の人物・集団・組織などに対し、憎悪や恐怖の感情に訴えるマイナスのレッテルを貼る(ラベリング)。メディアやネットによって繰り返し流されるステレオタイプの情報により、情報受信者は、徐々に対象に憎悪を深めていく。 「華麗な言葉による普遍化」飾りたてた言葉で自分たちの行為を正当化してしまう。文句のつけようのない・つけずらいフレーズ・正義を強調し、共感を煽り立てる。 「転換」さまざまな権威や威光を用いて、自分たちの意見や目的や方法を正当化する、正しく見せかける。 「証言利用」尊敬される・権威ある人物を使って、自分たちの意見や目的や方法が正しいことを証言・後援させる。 「平凡化」自分たちの庶民性や、情報受信者と同じ立場・境遇であることを強調し、安心や共感や親近感、一体感を引き出す。 「カードスタッキング」都合のいい事柄を強調し、都合が悪い事柄を矮小化したり隠蔽したりする。 「バンドワゴン」大きな楽隊が目を惹くように、その事柄が、世の中の趨勢であるかのように宣伝する。情報受信者は、それに従わないことにより取り残される情緒的不安を覚え、結局はその「楽隊」に同調していくことになる。 統計学 社会学者の谷岡一郎氏は、著書『「社会調査」のウソ』で、統計調査のウソを述べておられる。『朝日新聞』平成11年(1999)6月30日付けの記事「『君が代』法制化『必要』47%『不要』45%/『議論尽くせ』66%」には、国旗及び国歌に関する法律(以下、国旗国歌法)の是非について、国民に対して行った世論調査の結果が載せられている。この調査では、国旗国家法の是非については、賛成58%に達した。しかし、最後の質問で「今の国会で成立させるべきですか、それとも、今の国会での成立にこだわらず、議論を尽くすべきだと思いますか」と問い、結果として、「今の国会で成立させるのがよい」が23%、「議論を尽くすべきだ」が66%になった。「(法案には賛成だが)議論を尽くすべきだ」という、よほど確信のある法制化推進論者でなければ拒否しにくい回答を用意し、回答者を誘導したのである。 谷岡氏の著書には、これ以外にも社会調査のウソが何個も挙げられている。 その他 「正しそうに見える意見であっても、簡単に受け入れてしまってはいけない」とい説教はよく耳にするが、 「誤まっているように見える意見であっても、簡単に拒絶してはいけない」という忠告はあまり聞いたことがない。 ――香西秀信(修辞学者) 著書『論より詭弁』より デモクラシーの政治において、多数派の市民(=国民)は少数者に対して最も残酷な抑圧を与えることができる ――エドマンド=バーク(政治家)著書『フランス革命の省察』より “大衆人”とはただ欲求しかなく、権利があると考えても義務があるとは考えない、自分に義務を課す高貴さを欠いた人間のことである ――ホセ=オルテガ=イ=ガセト(哲学者)著書『大衆の反逆』より (政治指導者が無知な大衆の要求に屈するとき)“民の声”は悪魔の声となる ――ウォルター=バジョット(ジャーナリスト)著書『英国憲政論』より 進歩の理論は、過去と現在を犠牲にして未来を神化する……(進歩は)未来による過去の永遠の破壊、後続の世代による先行の世代の永遠の抹殺である。 ――ニコライ=ベルジャーエフ(哲学者)著書『歴史の意味』より 人間の堕落を防止するためには、人々を愚劣にする主権というものを、誰にも与えないことである ――アレクシス=ド=トクヴィル(哲学者)著書『アメリカの民主政治』より 参考文献 ちくま新書『哲学思考トレーニング』 伊勢田哲治 著 筑摩書房 刊 『「心理戦」で絶対に負けない本』 伊東明、内藤誼人 共著 アスペクト 刊 『クリティカル進化論 「OL進化論」で学ぶ思考の技法』 道田泰司、宮本博章 共著 秋月りす 漫画 北大路書房 刊 『中学生にも分かる慰安婦・南京問題』 西村幸祐 編 オークラ出版 刊 『知的生産力が無限大にアップする超人脳の作り方』 苫米地英人 著 アスコム 刊 『議論の論理 民主主義と議論』 足立幸男 著 木鐸社 刊 『論理で人をだます法』 ロバート=J=グーラ 著 山形浩生 訳 千野工一 イラスト
https://w.atwiki.jp/genshak/pages/16.html
従軍慰安婦問題 1983年に文筆家の吉田清治の著書「私の戦争犯罪 朝鮮人の強制連行」と題した本が出版された。 内容は、吉田自身が軍に配属されていたときに、軍の命令により、205人の朝鮮人女性を強制連行し、従軍慰安婦にしたと言う衝撃的なものであった。 この暴露本が噂となり、これを嗅ぎ付けた朝日新聞社がこの捏造本を大々的に取り上げ、現在に於ける「従軍慰安婦」問題に火を着けた。 この吉田清治の本が出版されるまでは一度たりとも「従軍慰安婦」問題は、韓国や北朝鮮はおろか中国からも提起されてはいなかった。 ところが1992年に歴史研究家「秦郁彦教授」が捏造本の証言に基づき済州島に行って現地調査を行ったが、その裏づけは取れず、ましてこの現地調査の2年前にも済州島の地元新聞「済州新聞」までもが、聞き取り調査をしたがその裏づけも取れなかった。この様な経緯があり、吉田は自らの書「私の戦争犯罪」はでっち上げの書と認めた。 1996年5月号の「週刊新潮」に吉田清治のコメントが掲載されている。 「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」と開き直ってコメントしている。 しかし、まずかったのは、これ以降の日本政府の対応である。この捏造本により火のついた韓国人の世論をなだめる意味で安易に朝鮮人に謝罪をしてしまっただけではなく、韓国人政府から「金銭補償は求めないから強制連行があった事実は認めて欲しい」との通達があり、安易な形で強制連行を国が認めてしまった。 日本は、世界の国々に対し性犯罪国家である、印象づけてしまった。 この様な「汚名」は簡単には消し去ることは出来ないが、未来の為、この汚名を消し去る努力をしなければならない。 当時、朝鮮には慰安婦や慰安所は存在したが、強制的な従軍慰安婦は存在しなかった。旧日本軍が従軍慰安婦を強制連行したという明確な証拠はない。 名前 コメント link_trackback