約 488 件
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/195.html
陸奥国 会津郡 古町組 入小屋(いりこや)村 大日本地誌大系第31巻 124コマ目 府城の西南に当り行程17里8町。 家数27軒、東西2町・南北20間。 戸山川に傍て山間にあり。 東1里35町高野組針生村の界ひ駒戸峠を限りとす。その村まで3里9町。 西8町32間中小屋村の界に至る。その村まで19町。 南2里多々石村の山に界ふ。 北3里大沼郡野尻組大芦村の山に界ふ。 木地小屋 駒戸(こまと) 本村の東1里にあり。 家数6軒、東西1町・南北15間。 駒戸峠の麓に住す。 山川 唐倉山 村南7町にあり。 頂まで10町。 雑木多し。 西南の方木伏村に属す。 駒戸峠(こまととうげ) 村東1里にあり。 登ること35町。 針生村の峯を界ふ。 府下に通る道なり。 戸山川 村北にあり。 水源は姥懐(うばかふところ)という処より出て、戌亥(北西)の方に流るること2里7町、中小屋村の界に入る。 関梁 橋 村東4町40間。 府下の通路戸山川に架す。 長8間・幅5尺。 神社 柄倉神社 祭神 不明 鎮座 不明 村西3町10間余にあり。 祭神及び鎮座の始詳ならず。 鳥居あり。渡部信濃が司なり。 山神社 祭神 山神? 鎮座 不明 村東10町にあり。 鳥居あり。村民の持なり。 Google Map唐倉山 駒止峠 お堂 余談。 入小屋村は現在の東地区(南会津郡南会津町東)あたりにあったものと思われます。東集会所近辺の集落がその名残りではないかと。
https://w.atwiki.jp/homesiq/pages/33.html
【役割】S/D 0/0 【呼び名】好きによべばいいだろ 【おすすめの武器】俺の銃だけまっすぐ飛んでない 【将来の夢】ニート 【好きな女性のタイプ】誰でもどんとこい 【好きな食べ物】野菜、きのこ、海草、貝、炭酸、辛いもの以外 【好きなMAP】護衛 【今欲しい物】嫁 【住処】大阪府下 【一言】やられた!・・・いや、うん、だって眠いし仕方ない。
https://w.atwiki.jp/himetwitter/pages/11.html
大阪の姫ツイッター 商人の都市大阪の風俗嬢ツイッター情報はこちら →風の谷間-大阪の風俗嬢ツイッター 飛田新地をはじめちょんの間ほか、大阪府下の駅周辺に多数存在するヘルスなどの風俗嬢のツイッターアカウントを掲載。
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/381.html
陸奥国 会津郡 南青木組 南青木(みなみあおき)村 大日本地誌大系第31巻 55コマ目 旧北青木村と1村なり。何の頃にか2村に分れしという。 府城の東南に当り行程30町余。 家数56軒、東西2町30間・南北2町46間。 東は山に倚り三方田圃(たんぼ)なり。 東12町計御山村の山に界ふ。 西3町府下東黒川南町分の地に界ふ。 南1町15間御山村の界に至る。その村まで6町50間余。 北33町北青木村の界に至る。その村まで1町40間余。 村中に下野国宇都宮街道あり。 山川 古川(ふるかわ) 村西4町にあり。広3間。 所々堰水の下流合してこの川となり、北に流れ西に転じて南町分の方に注ぐ。 境内を経ること11町30間計。 神社 黒岩神社 祭神 不明 相殿 若宮八幡 伊勢宮 鬼渡神 稲荷神 鎮座 不明 村東3町余にあり。 祭神及び鎮座の初を賞にせず。 鳥居あり。府下半兵衛町盛攝津が司なり。 麓山神社 祭神 麓山神? 相殿 箸王子神 鎮座 不明 村より寅(東北東)の方14町30間、山中にあり。 鳥居あり。村民の持なり。 稲荷神社 祭神 稲荷神? 鎮座 不明 村中にあり。 鳥居あり。村民の持なり。 寺院 龍澤寺 村北にあり。 曹洞宗大洞山と號す。小田村寶積寺の末山なり。 開基の年代を知らず。天正13年(1585年)全洞という僧中興すという。 本尊地蔵客殿に安ず。 古蹟 蝦夷塚 村より2町寅(東北東)の方山麓にある菜圃(さいほ)の字なり。 昔蝦夷人ここに住せしといい伝う。されども御山村蝦夷塚は屍を埋めし所といえば、これもその類にや。 Google Map南青木 黒岩神社 麓山神社? 稲荷神社? 龍澤寺 蝦夷塚? 意賀美神社 七面大天女 金比羅大權現の石碑 石碑 余談。 軽く検索した所「福島県会津若松市門田町黒岩字蝦夷塚甲」という地名はある様子。 ただしGoogle等のオンライン地図上では見つけられず。
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/392.html
陸奥国 会津郡 南青木組 河渓(かはたに)村 大日本地誌大系第31巻 69コマ目 府城の東南に当り行程2里5町余。 家数13軒、東西24間・南北2町57間。 両山の間にはざまり黒川に傍(そ)ふ。村名もこれによるという。 東32町原組西田面村の山に界ふ。 西8町40間御山村の山界に至る。その村まで1里。 南14町49間大巣子村の界に至る。その村まで24町50間余。 北22町湯本村の界に至る。その村まは亥(北北西)に当り1里8町。 旧は村西の山を越え御山村を経て府下に出つ。山径けわしく牛馬の往来難儀なりしに、寛政12年(1800年)ここより湯本村までの間嶮を平け道を広めしに因り府下の往来便よく村民これを利とす。 山川 高森山(たかもりやま) 村より辰(東南東)の方30町にあり。 峯相峙(そばだ)つ。大高森・小高盛という。 東は西田面村の山に連なり、南は一戸渡村に界ふ。 屏風岩(ひやうふいわ) 村より亥(北北西)の方15町湯本村にゆく路の右にあり。 石壁数10丈、屏風をたためるが如く。 その間に数株の老松高くそびえ、頗(すこぶ)る奇観なり。 黒川 村北にあり。 大巣子村の境内より来り、西北に流るること1里10町、湯本村の界に入る。 広5間余。 猿滝(さるたき) 村より辰(東南東)の方12町余、黒川にあり。 高2丈余・広7間。 関梁 橋2 一は村東20間にあり。長7間・幅1間。大巣子村にゆく道なり。 一派村北20間にあり。長5間・幅1間。湯本村にゆく道なり。 共に黒川に架す。 神社 山神社 祭神 山神? 鎮座 不明 村より辰巳(南東)の方にあり。 鳥居あり。村民の持なり。 この村は東山ダムに沈んでいます。今は、古い橋の趾等にその名残りが残るだけです。 Google Map大高森山 屏風岩 猿滝 山王神社
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/292.html
陸奥国 会津郡 原組 赤井村 大日本地誌大系第31巻 22コマ目 村の西南、穴切坂の麓に井あり。その井赤きゆえ村名とす。 府城の東に当り行程2里余、家数54軒。 東西4町1間・南北1町50間。 四方田圃(たんぼ)にて西北は山に近し。 白川街道の駅所にて村中に官より令ぜらるる掟条目の制札あり。 原村駅より1里17町24軒に継ぎ、ここより府下に継ぐ。 東14町53間篠山村の山界に至る。その村まで20町20間余。 西8町48間原新田村の界に至る。その村は戌(西北西)に当り30町40間余。 南11町12間下馬渡村の界に至る。その村は辰巳(南東)に当り20町20間余。 北28町余河沼郡代田組八田野村の山に界ふ。 この村の肝煎小川安右衛門という者の家に文禄中(1593年~1596年)の水帳を蔵む。 標紙に左の書付あり。全文は煩を恐て略す。 文禄三年午六月廿日鳥居四郎左衛門 奥州門田東拾二村の内赤井村御検地帳 田方 畠方 小名 下窪新田 本村より辰巳(南東)の方22間にあり。 家数4軒。東西1町2間・南北40間。 東北は山に倚り西南に田圃あり。 廻戸新田(まはとしんでん) 本村より亥子(北北西~北の間)の方10町10間余にあり 家数5軒。東西1町20間・南北40間。 西北に山を負い東南は田圃なり。 端村 桂沢新田 本村より辰巳(南東)の方10町10間余にあり。 家数12軒。東西1町30間・南北1町51間、白川街道にあり。 西北に山を負い東南は田圃なり。 山川 実森山(さねがもりやま) 村東11町にあり。 登ること1里2町計。 穴切坂 村より戌亥(北西)の方10町50間、府下より白川に通る街道にあり。 赤井川 村東8町にあり。 下馬渡村の界より北に流るること1里14町余、湖水に入る。 赤井谷地(あかいやち) (谷地(やち)とは湿地にて水たまれる処をいう方言なり) 村北11町にあり。 東西1里2町・南北30町計。 多く芦萩を生じ、また「こけのみ」という草実あり(この地に限らず湿地に生ずる草なり)。採て食ふべし。叢生(そうせい)して枝繁く。長1尺計。葉円くして小なり。6、7月の頃浅紅の実を実ふ。結ぶ味淡くして少し酸し。 原野 篠山原(ささやまはら) 村より丑寅(北東)の方18町にあり。 東西17町・南北15町。 この村及び篠山村の秣(まぐさ)場とす。 水利 堤7 一は村より申酉(西南西~西の間)の方5町にあり。周80間余、大沢堤という。寛永5年(1793年)築く。 一は村より申(西南西)の方10町にあり。周90間余、後庵堤(こあんてい)という。明暦2年(1656年)に築く。 一は村より未申(南西)の方2町20間にあり。周170間、平下堤(ひらしたつつみ)という。寛文9年(1669年)に築く。 一は端村桂沢新田の西50間にあり。衆70間余、延寶4年(1676年)に築く。 一は村より辰巳(南東)の方10町50間にあり。周70間余、泥沢堤という。 一は村より丑(北北東)の方18町にあり。周180間余、寺崎堤という。 一は寺崎堤の北にあり。周90間余。北堤(きたのつつみ)という。 神社 荒脛巾神社(あらはばきじんじゃ) 祭神 金山彦命 相殿 稲荷神 山神 鎮座 不明 村中にあり。鳥居あり。 昔は拝殿廻廊当の結構巨大にて神田も許多(あまた)ありしとぞ。 原村丸山主計これを司る。 寺院 圓福寺 村中にあり。 赤井山と號し府下野伏町圓満寺の末山真言宗なり。 何れの時の創立にか詳ならず。 天正元年(1573年)平田大炊助某(古蹟の条下に出す)中興し尊壽という僧を住職とす。その後院宇頽破(たいは)せしを尊照という僧再興せしという。旧村南にありとて、その地に銀杏の古木残れり。 客殿に如意輪観音の像を安じ本尊とせり。 地蔵堂 客殿の西にあり。 古蹟 小山館跡(こやまやかたあと) 村より午未(南~南南西の間)の方6町山下にあり。 東西3町余・南北50間。 天正中(1573年~1593年)平田大炊助この地を領知せし時の居館なりとぞ。 また村南3町余に馬場迹あり。今は菜圃(さいほ)となりき。 足軽屋敷跡 村より戌(西北西)の方12町計にあり。 ここより原新田の境内に亘り糠塚と唱ふ。 蒲生家の時加藤金右衛門という者ならび足軽60人を置し所という。 文禄中(1593年~1596年)の水帳にも足軽新田・金右衛門新田の名見ゆ。 その後府下大町の北に移せし故(ゆえ)彼の処を今に糠塚と称す。 Google Map赤井地区赤井 下窪 廻戸 桂沢 実森山 穴切坂(赤井一里塚) 赤井谷地(赤井谷地沼野植物群落) 篠山原 荒脛巾神社(アラハバキ神社) 円福寺 小山館跡? 足軽屋敷跡? 赤井の大イチョウ
https://w.atwiki.jp/gosyutan/pages/646.html
おおさか十三仏霊場をお訪ねしております。 第4番(普賢菩薩) 荒陵山四天王寺 第8番(観音菩薩) 佳木山宝樹院太融寺 第9番(勢至菩薩) 護国山金剛院国分寺 第11番(阿閦如来) 高津山報恩院 おおさか十三仏霊場は、十三仏を祀る大阪府下の寺院を巡る巡礼です。1979年発足。 2015年5月16日打ち始め。
https://w.atwiki.jp/yurupedia/pages/3380.html
マイチくん(写真右) マイコちゃん(写真左) 都道府県 京都府 肩書き 自衛隊京都地方協力本部 舞鶴地域事務所キャラクター 解説 京都府の鳥として認定され、京都府下で唯一、舞鶴市の冠島に生息する、天然記念物のオオミズナギドリをモチーフにしたキャラクター。 攻略難易度 ★★★★★難。舞鶴地方隊のイベントで会えるかな? 名刺の有無 ? 狙い目イベント イベント情報
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/418.html
陸奥国 会津郡 南青木組 一堰(いちのせき)村 大日本地誌大系第31巻 79コマ目 この村旧一関に作る。 相伝う。昔は街道にてここに関をすえ置きし故(ゆえ)の名なりとぞ(一説に鎌倉街道という)。 寛文中今の文字とす。 府城の南に当り行程1里12町余。 家数57軒、東西2町14間・南北5町33間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東3町47間堤沢村の界に至る。その村まで9町20間余。 西7町20間大沼郡橋爪組本郷村の界に至る。その村は申(西南西)に当り30町計。 南6町20間花坂村の界に至る。その村まで8町50間余。 北2町22間徳久村の界に至る。その村まで7町50間余。 また 丑(北北東)の方5町3間中野村の界に至る。その村まで13町余。 寅(東北東)の方4町59間御山村の界に至る。その村まで11町20間余。 亥(北北西)の方7町35間飯寺村の界に至る。その村まで17町10間余。 端村 本羽黒(もとはぐろ) 本村より辰巳(南東)の方5町にあり。 家数7軒、東西58間・南北1町7間。 東は面川村の端村本羽黒に続き1村の如く。 三方田圃(たんぼ)なり(舊事雑考に飯田島(いひたしま)はこの地の旧名なるべしとあり。本郷村羽黒神社の条下を併せ見るべし)。 山川 鶴沼川 俗にこの村より下流を大川という。 村西4町にあり。 花坂村の境内より来り、北に流るること15町40間、飯寺村の界に入る。 水利 門田堰 花坂村の方より来り、田地の養水となり徳久村の方に注ぐ。 松堰 花坂村の方より来り、田地に灌ぎ徳久村の方に注ぐ。 神社 羽黒神社 祭神 羽黒神? 相殿 稲荷神 12座 伊勢宮 2座 宗像神 湯泉神 雷神 日月神 山王神 鎮座 不明 端村本羽黒にあり。 鳥居あり。 神職 天川信濃 府下東黒川蚕養宮村に住す。 天明4年(1784年)蚕養国神社神職佐瀬大隅が譲をうけ神職となる。 磐椅神社 祭神 大山祗命 「祗」となっている 鎮座 不明 村中にあり。 鳥居幣殿拝殿あり。 末社 八幡宮 本社の東に並ぶ 別当 常蔵院 本山派の修験なり。 開山を達運という。現住元譽は12世の孫なりという。 寺院 光明寺 村中にあり。 天台宗壽栄山と號す。郭内延壽寺の門徒なり。 縁起に拠るにこの地に旧阿弥陀堂あり、至徳中(1384年~1387年)亮珍という僧弥陀の霊夢を蒙り1寺を造営し、天文中(1532年~1555年)尊慶という僧再興すという。 本尊弥陀客殿に安ず。 地蔵堂 客殿の前にあり。 大坊墓 客殿の南に五輪1基あり。 無為真という僧の墓なりという。 この僧もと本村に住して(今太子屋敷という農民の家あり)太子守宗なり。親鸞越後より帰洛の時この家に宿せり。無為真深く親鸞に帰依して改て浄土真宗となりしといい伝う(府下石塚の条下を併せ見るべし)。 また府下千石町專福寺に伝わるところ少しく異なり。 地蔵堂 村南4町にあり。 草創の年月詳ならず。 六地蔵を安ず。長各5尺余。 俗に萩原地蔵という。昔この邊萩多かりし故(ゆえ)名けしとぞ。 六地蔵の名を記せし額あり。何人の書にかさだかならざれども土人は嵯峨天皇の勅額なりという。筆跡凡ならず。 御山村照谷寺これを司る。 古蹟 館跡 村中にあり。 本丸跡、東西17間・南北16間。 二丸跡、東西21間・南北17間。 土居隍(ほり)の形存す。 何人の住せしか詳ならず。 Google Map一ノ堰 羽黒神社(本羽黒) 磐梯神社 光明寺 萩之原六地蔵尊(一ノ堰六地蔵尊)
https://w.atwiki.jp/ng3ggc/pages/870.html
名稱:茅十八 伺服器及顏色:5服藍 類型:武 性別:男 生命值:649 武力:41 智力:12 防禦:17 敏捷:28 運勢:22 敘述:江北泰州五虎斷門刀門下,江洋大盜,揚州府下重金懸賞追捕,帶韋小寶來到北京,後因誤以為韋小寶殺了陳近南,欲行刺之,被捕後康熙命韋小寶監斬,韋小寶以偷梁換柱之計將其放掉。出自《鹿鼎記》