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デンタンカンオウ国陸軍は、デンタンカンオウ国の建国と同時に組織された公式の保有戦力のうち、地上での作戦行動を目的として組成された。 兵力の9割をTBTクローン兵が占め、残りの1割は戦車、装甲車、ヘリコプターなどの機動兵器で構成されている。 2011年現在、デンタンカンオウ国陸軍広報部公式発表の保有戦力は以下のとおり。 2011年度 デンタンカンオウ国陸軍保有戦力発表 歩兵戦力 TBTクローン兵 零式 / ∞ TBTクローン兵 I型 / 9187万7248人 TBTクローン兵 I-B型 / 877万6122人 TBTクローン兵 I-C型 / 5299万1391人 TBTクローン兵 II型 / 344万2567人 TBTクローン兵 III型 / 120万4500人 TBTクローン兵 試作I型 / 2万9800人 機動歩兵戦力 装甲偵察車 / 7万5000両 装甲輸送車 / 12万4800両 歩兵戦闘車両 / 68万2789両 機動戦力 T-90 テー・ヂヴィノースタ A型 / 1万9800両 M1 エイブラムス A2型 / 2万300両 TBT-10 X5型 / 15万900両 航空機動戦力 Mi-24 ミー・ドヴァーッツァチ・チトゥィーリェ
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霊魂の統制 カサルヴィータ 13677541230274.jpg Level 攻撃力 防御力 1 150 3132 6854 名前 コメント
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概説 現実世界での陸上自衛隊とほぼ同じ装備。 42式突撃自動小銃 帝国陸軍の制式自動小銃。 加納重工が開発・製造。 近衛軍との共同配備。 7.62mm弾を使用(後に同口径のNATO弾使用可能に改良された) 信頼性抜群で、一年戦争でも一部で使用された。 68式7.62mm小銃 帝国陸軍の制式自動小銃。 和豊工業が開発。 当時の米軍が配備したM-14を意識した7.62mm NATO弾を使用。 「重すぎる」とか「故障が多すぎる」など試験段階で不評が続出。兵士達は、何故この銃が採用されたか本気で不思議がって、「採用はメーカーからの賄賂の結果だ」という類の伝説まで産み出す。 構造から来る、移動中の部品欠落など、あり得ないような故障、その他トラブルが頻発したのは事実。銃故障が原因で戦死した兵士も多数。 兵士達から「欠陥銃」どころか「殺人銃」とまでさげずまれ、挙げ句に兵士達はこの銃の使用を拒否。 ある連隊では全兵士が42式突撃自動小銃を担いで前線に向かったとか、敵から銃を奪うと、64式を捨てたなどの笑えない話がある。 実際、7つの師団でこの小銃の配備を「師団として」未だに拒否している有様で、これらの師団では42式の配備を続けた。 この銃の採用以降、和豊工業は軍部への接待や贈収賄疑惑で数度の査察を受けたり、銃器メーカーとしての地位は地に堕ちたと言える。 78式5.56mm自動小銃 三八式突撃自動小銃【AR-38A1】のこと。 1978年(皇紀2638年)制式採用の近衛兵団の制式自動小銃。 狩野重工製。 64式のあまりの不評を受け、次期制式自動小銃の配備までのつなぎとして帝国軍が採用を決めた。 64式とは比較にならない耐久性と信頼性、42式をしのぐ集弾性能は前線で兵士達から信頼を勝ち得た結果、現在でも帝国陸軍の主力自動小銃の地位を確保している。 88式5.56mm小銃 64式7.62mm小銃の後継。 和豊工業が開発。 NATO仕様準拠5.56mm口径アサルトライフル。 64式の改良といううたい文句で売り込まれた小銃。 78式と比較した場合、調達価格で2倍。 前線での実戦試験でまたもや兵士達から愛想をつかされたことは周知の通り。 実戦試験の際、和豊工業の銃を全く信じようとしない兵士達は、89式を肩から提げ、背嚢に78式をくくりつけて出撃。前線の悪環境により故障を繰り返す89式をさっさと捨ててしまい、ほとんど最初から78式で戦っていたという(「行軍しただけで壊れた」とさえ言われる) 和豊工業の銃メーカーとしての地位にトドメを差し、破産にまで追い込んだきっかけ。 現在、米・欧州と共同で後継小銃の開発が、狩野重工主導で行われているという。
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軍学校の授業は厳しかった。一日二十五から三十個の単語と五から七のフレーズを暗記しなくてはならない。午前八時から正午までが文法の授業、午後一時から四時までが会話、その後、こなすのに四、五時間はかかる宿題が毎日出る。週に一回単語テスト、月に一回文法・解釈・作文のテストがあり、百点満点で八十点以下を二回取ると退学になる。[…] ロシア語は二十五人程度のクラスが二つあったが、私のクラスからは四名が学業不振で退学になった。卒業試験で私は二番だった。(『自壊する帝国』29頁) 時間割 08 00 文法 09 00 文法 10 00 文法 11 00 文法 12 00 (休憩) 13 00 会話 14 00 会話 15 00 会話 16 00 会話 17 00 (放課) 佐藤優 勉強歴 00 1960年 生 15 1975年 浦和高校入学 18 1978年 同卒業、浪人 19 1979年 同志社大学神学部 入学 23 1983年 同 学部卒業後、修士課程入学 25 1985年 3月 同志社大学神学研究科修士課程修了 25 1985年 4月 外務省入省(ノンキャリア) 26 1986年 9月 英国陸軍語学学校ロシア語コース入学 27 1987年 8月 同 卒業 27 1987年 9月 モスクワ大学言語学部 28 1988年 5月 同 修了
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789: 名無しさん :2021/07/11(日) 10 08 56 HOST FL1-133-203-3-79.myg.mesh.ad.jp ○ フランス共和国陸軍 FT-17bis軽戦車 ・ 性能諸元 全長 : 5.46 m または 5.31m 全幅 : 1.74 m 全高 : 2.14 m 重量 : 7.6 t 乗員 : 2名 懸架方式 : 垂直弦巻バネ式懸架装置 発動機 : フランクリン/ソミュアM32 直列6気筒空冷ガソリン発動機 出力 : 100 hp 最高速度 : 27.2 km/h 兵装 : 72口径25mm戦車砲 または 21口径37mm戦車砲 - 1門 装甲厚 : 22mm(最大) ttps //dotup.org/uploda/dotup.org2531611.png FT-17bisは、フランス共和国陸軍が運用した軽戦車。 第一次世界大戦中に開発されたFT-17に対してソミュア社が行った近代化改修型であり、第二次世界大戦開戦当時、同軍が保有する戦車で最も数が多く、実質的な主力であった。 ・ 前史 第一次世界大戦半ばの1916年12月、フランス最大手の自動車メーカーであったルノー社が試作したFT軽戦車は当時の協商陣営において極めて優れた能力を示し、年明け早々からFT-17軽戦車として生産と配備が開始された。 同盟陣営、特にドイツ帝国に水をあけられていた協商陣営の装甲戦力の差を取り戻すかのように大量生産された本車は終戦までに3,400輌近くが配備され、その勝利に大きく貢献している。 しかし大戦末期、同盟陣営が行った1918年春季攻勢、所謂カイザーシュラハトにおいてあわやパリ陥落まで迫ったその衝力の中心を担ったドイツ帝国陸軍のGKII重戦車(※1)の存在は、フランス共和国陸軍、ひいてはフランスという国家に良くも悪くも強い印象を刻み付けてしまった。 同車は戦線の突破時に立ち塞がろうとした協商陣営の装甲戦力の過半を真正面から粉砕。 回り込んで撃破を狙ったFT-17がその周囲を固めるLKIII軽戦車(※2)に妨げられたことも相成り、パリ近郊の防御線で野砲の集中砲火で沈黙するまでの間、無敵と紛うばかりの活躍を見せつけたのだ。 その結果、大戦末期以降のフランスでは様々な理由から遅延していた重戦車の開発が活発化。 既に優れた性能を示し、かつ数が揃っていた軽戦車の更新は後回しにされてしまった。 本車の優れた性能と揃った数が、かえってフランス共和国陸軍を蝕む要因ともなったのである。 時は流れ、1930年代初頭。FT-17軽戦車は依然としてフランス共和国陸軍で最多の数を誇る戦車だった。 戦後、立て続けに開発、配備されたシャール1A、1Abis、2C、2Cbis。そして当時開発中のシャールB1と重戦車は数こそ少なかったが定期的に改修や更新が行われる一方、FT-17はほとんど手付かずであった。 唯一、1924年に走行性能改善を目的に若干数がケグレス重ね板バネ式懸架装置に改修が行われたが、懸架装置の耐久性の問題と全力走行時に履帯が脱落し易い欠点が露呈し、これは失敗と見做されていた。 結局、同車の改修は見送られ、後継となるシャールD中戦車がルノー社によって開発、配備が始まっている。 だが折悪く巻き起こった世界恐慌に前後し、フランスの戦車開発は大幅な遅延を余儀なくされた。 この時期、世界恐慌による経済的被害を抑え込む傍ら、旧同盟陣営諸国などに浸透していた日蘭を中心とした大洋連合とそれ以外の旧協商陣営を構成した米英などの列強諸国の間で第一次世界大戦の賠償金支払い方法を定めたベイレフェルト案の改定を巡る対立が深まっていた。 フランス共和国はどちらかと言えば、1931年までは対外投資の引き上げによる資本再流入政策によって経済的被害を抑え込んだ側に位置したが、歴史的経緯から大洋連合と繋がりを深める選択肢は有り得ず、国際的には自然と大洋連合と距離を取る形となり、最終的に世界恐慌の余波から逃げ切ることに失敗。 1932年には経済混乱が生じ、さらにそれとは別の理由ながら同時期に発生した大統領暗殺事件の影響でパリ大騒擾事件が起こるに至り、ついには政変を迎えて左派主体の人民戦線内閣が誕生する。 この人民戦線内閣はソヴィエト連邦に接近し、その後ろに居たアメリカ合衆国とも繋がりを深めていく。 これが後の四国同盟へと繋がり、ビンソン計画への参画による陸軍にとっての悲劇を招いたのだった。 790: 名無しさん :2021/07/11(日) 10 09 29 HOST FL1-133-203-3-79.myg.mesh.ad.jp ・ 計画 ビンソン計画への参画が引き起こしたフランス共和国陸軍の戦車開発計画への影響は絶大だった。 当時の陸軍では戦車開発を統一的に主導できるような政治的強者が第一次世界大戦終結に前後して軒並み失脚(※3)しており、ビンソン計画への参画で大幅に減じられた予算を巡って、重戦車閥と軽戦車閥、さらには歩兵科と騎兵科、それぞれを支援する軍需企業が入り乱れていた。 結果だけ述べるならば、シャールD中戦車の調達数は大きく削減されて改良計画も取り止めとなり、シャールB1重戦車の改良は辛うじて認められるに留まった。悲惨の一言に尽きるであろう。 これには流石に近代化の遅延が著しいとして、新戦車開発へのロビー活動が巻き起こるのだが、その一方で見送られていたFT-17軽戦車の改修に今一度手を付けようとした企業が存在した。 それこそがフランス屈指の軍需企業であるシュナイダー社を親会社に持つソミュア社だった。 ソミュア社のFT-17改修計画は実に簡潔だった。それは一線級とまでは行かなくとも最低限の改良で新戦車への繋ぎに足る能力を獲得させることを目指したのである。 最終的にこの計画はFT-17bisとして纏まり、費用対効果も許容しうるとして認められる運びとなった。 ・ 構造 主に旧態依然とした機動力を改善すべく、懸架装置の改良と発動機の換装が行われた。 ただし懸架装置はケグレス式の失敗と予算上の制約から基本的な構造を変えるようなことはせず、耐久性の観点から木製であった起動輪を鋼製に改め、履帯を新設計のものに付け替えるに留めている。 機動力改善の本命は発動機であり、車体後部の機関部空間を延長した上で従来の39馬力のものから二倍以上の出力を持つ100馬力の“フランクリン/ソミュアM32”直列6気筒空冷ガソリン発動機に換装した。 これらの改修により、FT-17bis軽戦車の機動力は従来のFT-17と比べて大きく向上。 速度は整地で27.2km/h、不整地で14.5km/hと最新鋭のシャールD中戦車を上回るものとなった。 また航続距離についても車体延長の際、燃料貯槽を若干だが拡張した他、取り外し可能な外装式の燃料貯槽を取り付けられるように改修し、従来の50km程度から倍の100km程度に延伸させている。 こうした改修の基本的な絵図を描いたのは第一次世界大戦後に米国における戦車開発の顧問として渡米し、世界恐慌の発生後に暇を出されて帰国したウージェーヌ=ブリエ技師であり、 元々は同国で計画されていたM1917軽戦車に対する改修をFT-17へと応用したものであったとされる。 フランクリン社との交渉(※4)によって余剰となった数百機の発動機を格安で手に入れると共に改修計画が実った場合、同発動機を認可生産する旨の契約も安く結べたことで総費用も圧縮できている。 それ以外の部分は従来のFT-17と変わらず、正面搭乗口の天蓋がさらに厚い装甲板に変わった程度である。 ・ 兵装 主砲は72口径25mm対戦車砲SA-Lを戦車砲として小改修したものを採用した。 これは1926年にオチキス社が開発し、各方面に売り込みを続けていた対戦車砲であり、丁度対戦車砲としてフランス共和国陸軍でも採用の内定が行われた直後だった。 計画の最中にはシャールD中戦車に搭載されていた27.6口径47mm戦車砲SA34を選ぶ案も存在したが、それを覆して同砲が選ばれたのは新たな砲塔を製造することなく、旧来の砲塔を最低限改修するだけで積み替えが可能で改修費用を抑えることが見込めたためであった。 ただしそれでもなお費用の面から改修対象となった車両全てを72口径25mm対戦車砲SA-Lに積み替えることは叶わず、旧来の21口径37mm戦車砲SA18のまま据え置かれた車両も多い。 また後述する理由からFT-17bisに改修されたのは砲戦車型と指揮車型に限られ、機銃車型の改修は行われていない。 791: 名無しさん :2021/07/11(日) 10 10 16 HOST FL1-133-203-3-79.myg.mesh.ad.jp ・ 運用 相変わらず苦しい懐事情の中ではあったが、1934年始めから順次FT-17をFT-17bisに改修が進められた。 既に旧式化して久しいFT-17軽戦車だったが、戦後から重戦車の開発と配備が長らく重視され続けたフランス共和国陸軍では2,800輌ほどが依然現役であり、第一線部隊に限っても1,700輌が運用されていた。 このうち、120輌は懸架装置をケグレス式に換装した改修型だったため、残る1,580輌が当初対象でとされた。 改修は計画を主導したソミュア社に加え、親会社であるシュナイダー社の工廠施設でも行われ、大きな問題も無く手早く進んでいくかに思われた。 しかしこの動きに横槍を入れた集団が存在した。ルノー社の実質的後援を受ける陸軍内の派閥である。 戦車に関するロビー活動を展開していた彼らは、特に新戦車開発の再開に力を入れており、世界恐慌による自動車販売の不振やシャールD中戦車の調達削減で痛手を被っていたルノー社を助け、後の新戦車開発の再開へと繋げたい思惑が存在した。 この横槍は予算の面からも一定の支持を得てしまい、当初は第一線級部隊に属する機銃車型までを含めて改修を行う予定だったものが下方修正され、砲戦車型と指揮車型合わせて1,060輌に縮小。 最終的に発動機のみならず、主砲換装までを含む完全な形の改修となったのは700輌程度であった。 なお機銃車型については第一線級部隊と第二線級部隊の一部を新型の車載機関銃へと換装するに留めるとされ、これはルノー社が改修を担当することとなっている。 こうした問題を経ながらも改修が行われたFT-17bis軽戦車は本国、並びにエストシナ植民地の独立戦車大隊を中心に配備され、第二次世界大戦の開戦を迎えている。 だがそれぞれに配備された同車が辿った命運は明確に分かれており、本国の部隊に配備されたものは圧倒的な性能を誇るネーデルラント連合帝国陸軍と、それにこそ劣るがやはり高い性能を持っていたドイツ帝国陸軍やドナウ連邦陸軍の戦車群を前に完敗を喫し、悪戯に損害を重ねるだけであった。 その一方でエストシナ植民地に配備され、支那共産党中央派の軍勢との交戦を強いられたものはT-26軽戦車などの軽装甲な車両が主な相手だったことが功を奏し、エストシナ植民地陸軍総司令官だったフィリップ=ペタン陸軍元帥の指揮下で勇戦。 植民地居留者が脱出する時間を稼ぎ出すと共に“シャール=アズール”ことS41騎兵戦車が占領下の本国で生産され、国際連盟軍として現地に到着するまでの期間を確実に“繋いだ”。 またペタン諸島(舟山群島)まで撤退に成功した一部は後の大陸反攻にも加わっており、第一次世界大戦からの老兵として有終の美を飾ったと言えるであろう。 ※1 : 第一次世界大戦末期にドイツ帝国陸軍が開発、配備した重戦車。 全周旋回式砲塔に7.7cm野砲FK96nAを転用した主砲を備え、車体はそれに耐える装甲を持たせるという第一次世界大戦型重戦車の完成形とも言える。 戦間期は日蘭とその影響を受けられる国々を除き、本車を重戦車の参考資料とした例が多い。 ※2 : 第一次世界大戦半ばにドイツ帝国陸軍が開発、配備した軽戦車。 全周旋回式砲塔に26.3口径5.7cm戦車砲Sokol、または14.5口径3.7cm戦車砲を備えていた。 懸架装置は緩衝装置を持たない旧態依然としたものだったが、速度はFT-17にわずかながら勝り、カイザーシュラハトではGKII重戦車の背後に回り込んでの撃破を試みようとしたFT-17を悉く防いだ。 ※3 : 大戦半ば、独断でシャール1A重戦車を発注しようとした重戦車推進派のムーレ将軍が更迭。 そして大戦末期、FT-17軽戦車の生産を優先させるために重戦車の開発を意図的に順延させ、結果的にカイザーシュラハトによるパリ失陥の危機を招いたとしてペタン元帥とエスティエンヌ将軍が戦後に責任を取らされる形でエストシナ植民地陸軍に左遷されている。 ※4 : 世界恐慌の影響で本業の自動車製造業が危機に陥っており、藁をも縋る思いで受け入れている。 これによって一時は持ち直しかけたが、銀行からの債権回収に晒されて破綻。 最終的に大日本帝国の寺路自動車工業の要請を受け入れ、その傘下のフランクリン発動機として同国に拠点を移して再出発している。 792: 名無しさん :2021/07/11(日) 10 12 57 HOST FL1-133-203-3-79.myg.mesh.ad.jp 以上になります。 仏陸軍「やりました……。やったんですよ!必死に!その結果がこれなんですよ!(派閥争いしながら)」 793: 名無しさん :2021/07/11(日) 10 13 35 HOST FL1-133-203-3-79.myg.mesh.ad.jp あ、T-34-75の時と同じく文章、画像共にwikiへの保管は自由です。
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総司令部 皇太子を総司令とする帝国陸軍の首脳部。 部隊構成員 キャラクター名 キャラクター名読み 性別 年齢 階級 許可 備考 レオニード・フョードロヴィチ・シハレフ - 男 25 大佐 ALL 作戦参謀 潔癖症 アデライト・ベニレス・オレーム - 女 31 少佐 ALL 参謀本部所属 ロジックモンスター
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大信帝国(統制派) 勢力解説 無謀な拡張政策に危機感を覚えた帝国軍事省・軍務局は、天魔信長と参謀本部の指揮下から離脱。首脳部の爆殺を謀り、混乱の中で帝国軍の指揮系統を麻痺させると、予備役の国内軍の指揮権を掌握、帝国本土の南部を制圧し天魔に忠誠を誓う憲兵隊や近衛兵を粛清した。しかし、各地の方面軍は帰参を遅疑。また暗殺を免れた天魔が自ら反乱軍鎮圧を宣言し、大信帝国を二分する内乱が始まった。 名前 クラス 身分 Lv 備考 成美 御巫御神子 マスター 25 信長への反乱を主導し、帝国本土南部を制圧した 秋穂 御巫御神子 宿将 25 成美と共に反乱を主導している 好古 帝国陸軍騎兵捜索連隊 一般 20 反乱に参加 日向 御巫御神子 一般 20 反乱に参加 その他、LV30の足軽1人、烏帽子弓兵1人 LV25のの足軽2人、烏帽子弓兵2人、騎馬武者2人が初期配置。 初期情勢 難易度:中 領地:帝都東京 安土 堺 甲斐 総収入:19250(ノーマル) 軍資金:60000 ユニット数:264 同盟:ETPC・大信帝国第一・第六・第七方面軍・新生仲帝国(無期限) 宿敵:大信帝国(天道派) 一般雇用可能な兵科 烏帽子弓兵系 足軽系 騎馬武者系 巫女系 シナリオ2からの変更点 信長に反乱を起こし、独立した勢力。ジパング本土の4領地を獲得している。 考察 コメント欄 史実ルートでは勝利するが普通にやれば絶対負ける。プレイヤー操作でなければ勝利は難しい上にs1、s2で挙兵しても同じく育った信の軍勢に経験値にされるだけ。 -- 名無しさん (2012-02-08 02 25 24) いや、s3では勝つだろ。むしろ、その後に新仲とETPCと同盟継続して、フレンドリー鎖国状態になるのが困る。人材プレイはおすすめできない。 -- 名無しさん (2012-03-23 21 26 52) とっとと武漢攻めろやヤク中。 -- 成美 (2012-03-23 21 58 57) ↑秋穂「信長の野郎が降伏しろ降伏しろうるさいんや」 -- 劉備 (2013-03-04 17 59 57) 好古「誰だよ劉備」 -- 名無しさん (2013-03-04 21 32 35) SC1からの挙兵では何故か足軽を全く雇おうとしない。その結果存分に足軽を雇う天道派に更にボコボコにされるのであった…人材プレイかETPC辺りで意図的に成立させない限り成立と存続の両立は難しいと言わざるを得ない -- 名無しさん (2014-01-13 19 39 53) 天道派が滅んだ後に人材を回収しに行くのが面倒くさい。滅ぼすタイミングは見極めた方がいい -- 名無しさん (2015-10-17 18 01 52) 土下座は笑うw -- 名無しさん (2017-06-26 15 06 27) 名前 コメント
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陸軍 第1章 基本事項 その1 陸軍の目的 大桜花帝国陸軍の役割は、必要な陸上拠点の確保である。 その役割を果たすべく、障害を除去し、迅速に拠点を占領せねばならない。 その2 陸上兵器の分類 帝国陸軍の兵器は、主力戦車(MBT)、駆逐戦車、支援戦車、兵員輸送車、 偵察車、対空戦車、歩兵、水陸両用戦車、自走砲、そして砲台である。 その3 主力戦車の定義 主力戦車とは、あらゆる戦局に対応可能であり、 対戦車戦闘を主眼に置きながら、ある程度の対空攻撃能力を 有する戦闘車両である。 主力戦車には制圧能力向上のため、 原則、旋回砲塔とする。 主力戦車はその汎用性を生かし、陸軍の中核として 常に作戦行動の中心として運用するものである。 その4 駆逐戦車の定義 駆逐戦車とは、対戦車戦闘に特化した戦闘車両である。 駆逐戦車は走行性能と防御力を確保するため、 原則、固定砲塔とする。 駆逐戦車は主力戦車の性能を補完する形で運用し、 陸上戦における勝利を確実にするものである。 その5 支援戦車の定義 支援戦車とは、戦車の火力をもってしても撃破が不可能な 強固な目標に対し、大口径砲によって有効な被害を与えるための戦闘車両である。 支援戦車はあらゆる性能が求められるが、 その任務の性質上、使用する頻度は少ないため、 経費削減のためにも、既存の戦車を改修した車両を使用することが望ましい。
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一年戦争当時の戦闘兵器 一年戦争開戦初期、前線に派遣された戦闘車両は、狩野粒子の影響により電子機器を狂わされた結果、すべて稼働出来ず、各個撃破されてしまった。 この苦い経験から、帝国陸軍は近衛開発局や狩野重工に技術協力を依頼、狩野粒子影響下でも稼働できるよう、戦闘車両の改良を試みた。 ところが、対狩野粒子防御は、魔晶石を中心とした特殊な装置の搭載が必要で、同装置の搭載は、サイズ、価格、その他全ての面において折り合いがつかなかった。 この結果を受け、陸軍は戦闘車両から電子機器を外した状態で動かせるように改良を試みる 結果は惨憺たるモノで、全ての戦闘車両が、動力・火器・その他すべての面において根本的なレベルで電子機器により制御されている関係で、単純に電子機器を外せば、性能の低下どころか、まともに動かすことすらが出来ない有様だった。 この改善は、技術的にいえば、全部の兵器のデチューン版を高額な開発費をかけ、再設計の段階から行わなければならない。 そんなことをする位なら、過去に生産・配備された戦闘車両を現代科学技術で改良したものを生産・配備する方がコスト的にも割が合うという判断がなされ、別名「一年戦争兵器」と呼ばれる兵器達が生まれる。 インターネットが世界をつなぎ、携帯電話でどこでも会話できる中、ICチップ一つ積まない、奇妙なまでにアナクロな兵器達が戦線を支えたのである。 戦車 八式戦車 全長 9.38m 全幅 3.1m 全高 2.47m 重量 約35t 乗員 4名 発動機 空冷4サイクル12気筒加給機付直噴ディーゼル機関 出力 1500ps/5600rpm 武装 71口径特式105mm戦車砲×1 武装12.7mm、7.62mm機関銃各1 一年戦争時の帝国陸軍の主力戦車。 ベースはドイツ帝国陸軍6号戦車B(ケーニヒスティーガー) このため、一般兵士からの愛称は「ティーガー」(「タイガー」発音は禁句) 元々は、「ティーガーに必要な技術的改良」という、帝国陸軍開発局新人研修用の課題による設計図がモデル。 複合装甲と機関、サスペンション、その他あらゆる面で最新鋭戦車のそれをフィードバックしているので信頼性は抜群。 砲弾は機械式の半自動装填装置と、対魔法攻撃防御シールドを採用し、敵からの魔法攻撃への耐性を高めている。 本来のケーニヒスティーガーの重量は70トン近くあるのだが、それを35トンまで減少させたせいもあって、配備当初は、「装甲がない」と戦車兵達に別な意味で恐れられたという。 おかげで、安全性実証のため、軍は量産型車両No0015~0020までの5両を戦場に送ることなく、戦車兵を安心させるためのデモンストレーションとして、90式戦車の的にせざるをえなかった。 90式の徹甲弾に有る程度耐えた装甲を持ちながら、半世紀前と比較して重量半分というのは、はっきりいってスゴイ。 35トンというのは、日本国内の交通事情その他を考えると、ある意味で限界の数値であり、この軽量もまた、配備決定の一役を担ったといえる。 ティーガー戦車タイプのせいで、帝国軍はドイツ派遣軍ととても仲良くなったとか、いるだけで前線兵士の志気が上がる。入隊希望者が増える。などの効果をもたらせたという。 戦後、FCSを搭載するなどして、普通の現代戦にも投入可能に改良実験が進んでいる。 製造はほぼ日本の全重工企業。ソ連軍のT34顔負けのペースで連日生産された。 総生産数1200両。喪失車両680両。 八式駆逐戦車 全長 9.38m 全幅 3.1m 全高 3.17m 重量 約40t 乗員 5名 発動機 空冷4サイクル12気筒加給機付直噴ディーゼル機関 出力 1500ps/5600rpm 武装 80口径特式150mm砲×1 武装12.7mm、7.62mm機関銃各1 一年戦争時の帝国陸軍の駆逐戦車。 八式戦車のシャシーに150mm砲を搭載した装甲自走砲。 元来、頑丈すぎるとまで言われた八式戦車のシャシーを流用し、自走砲化した車両。 陣地防衛戦に多用された。 当然、別名は「ヤクトティーガー」。 八八式自走対空砲 実質的帝国陸軍の主要戦闘車両。 対空砲とされているが、対空機能は全くない。 Strv 103の車体に30mmガトリング砲GAU-8Jを搭載する。 戦域を「面」で叩くための兵器。 圧倒的な弾幕により、密集突撃戦法をとる魔族軍に対する有効な迎撃兵器として前線兵士達から圧倒的支持を集めた。 GAU-8自体が銃口から機関部までの長さは5.81mという大型にして、すさまじい反動があるため、ショックアブソーバー装置上に据え付けられた砲身は車体にほぼ固定されている(正確には可動範囲が極めて狭く、上下±3度、左右±6度程度しかない)。 このため、拠点防御戦闘に使用されるケースがほとんどだった。 戦車一台当たりの砲弾搭載数は1200発 後に改良型給弾装置(八八式随行型弾薬キャリア)の配備により、最大何と2万発! イメージ的には、Strv 103にA10用のあのバカでかいガドリング砲を搭載したらそんな感じ(もしくは、CIWS“ゴールキーパー”でもいい) 愛称は「ハエ叩き」。 二式自走対空砲改 Strv 103の車体にM61バルカン砲(20mm)2門を搭載し、携行弾数を増やしたもの。 一部前線では、現地改造で4門を搭載したケースも存在する。 一門あたりの砲弾搭載数は2400発。 小型妖魔相手に活躍したが、大型妖魔に対する有効性は、20㎜砲弾の威力に起因して低かったといわざるを得ない。 八八式随行型弾薬キャリア 市販のトラックに弾薬を搭載しただけのシロモノ……いや、マジで。 GAU-8J ジェネラルエレクトリック製の30mmガトリング砲GAU-8のライセンス生産版。 本来のGAU-8は、A-10などに搭載され、米軍の航空機搭載機関砲のなかでも最大、最重そして攻撃力の点で最強を誇る。主に対戦車攻撃に利用され、強力な30mm弾を高初速、高サイクルで発射することで知られる。 製造は光菱重工。 有効射程 1,500 メートル以下 改良型給弾装置 GAU-8用ドラムマガジンを大型化したもの。 一部にフレキシブルリンクを採用しているため、簡単な加工でGAU-8本体と接続可能。 ドラムマガジンの利点を殺すことなく、ベルト給弾式と変わらない柔軟性を確保した。 二式自走対空砲 米軍で大量に余っていたM113装甲兵員輸送車を帝国軍が根こそぎ買い集めたものを改良した代物。 M163 VADSの日本版。
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概要 名称 オソロシア人民軍陸軍 上部組織 オソロシア人民軍(未作成) 兵員数 約90万人 予算 35兆円 歴史 オソロシア人民軍陸軍の前身は海軍と同じくオソロシア帝国陸軍である。創設は1919年。 当時は装備を赤色にするという謎の習慣があり、これに習って第1世代MBTのKT-1は真っ赤であった。88の師団を有している。 又、軍としては珍しく、歩兵連隊が存在しない。 だがその代わりに歩兵大隊が連隊規模になっている。