約 9,708 件
https://w.atwiki.jp/civilization/pages/848.html
プレイレポ/BtS/革命理念を広めて 最近レポ多いな。 -- 嬉しい事だ >最近レポ多い -- ウルヴァン参考になりました、今回も期待してます -- アレクの志向がシャカと同じになってるよ -- 期待してます。気が早くてなんですが、次はハゲ経済もよろしくお願いします!! -- 古代更新しました -- 筆者 うぽつ。高難易度では遺産ってどの位狙うのか教えて頂けるとありがたいです -- 変態難度プレイヤーさんでも遺産病患者の人は全力で作り勝利するようですよ。 -- 筆者 なお、私は遺産極端に苦手なのでほとんど作りません。 -- 筆者 プレイスタイルで想像できるかもしれませんが、私はどのタイミングで偉人が出るかをある程度計画してプレイするスタイルなので、どうしてもイレギュラーができる遺産が苦手なのです。 -- 筆者 結局のところどんな難易度でもプレイスタイル次第ということでしょうか。CFCに天帝勤労シリーズというのがあるので、読んでみるのもいいかもしれません。 -- 筆者 ハゲ経済ですか。たった1ページのレポ書くだけで12時間くらいかかるのでいつ終わるかわかりませんが、検討しておきます。 -- 筆者 古典編更新しました。おまけについては真面目に書いてみました。 -- 筆者 お疲れ様です、古典編で新都市の立地やAIの位置関係が分かるマップとかあると嬉しいです -- ルートと言えば金融で銅か大理があれば鋳金ルート+ロードスやったりします。強いです -- 鋳金ルートはギルドにも近くて生産力が高い官僚首都経済に向いているルートですね。騎士での戦争も面白いですよ。 -- 筆者 中世編更新しました -- 筆者 官僚経済なのに首都の小屋育てる都市作ってないのはどうなのよ -- 無理して作るもんでもねーだろ -- 首都の小屋を育てる都市は一応第5都市と第6都市があたりますが、あまり行っていませんね。 -- 筆者 首都の小屋を育てるよりも良立地に拡張するほうがよほど重要です。乳母都市は良立地に出られないときの苦肉の策でしょうか。 -- 筆者 ルネサンス更新しました。 -- 筆者 1270年、「胸甲騎兵を機動力が高く」という誤字があります -- 共通企画はないだろう -- 金融志向との比較ですが、勝るというのは少し過ぎると思いますよ。首都に限らず川沿いや資源、近海等の商業は必然的に拾いますし、それらを初期から拾っているのと0が長く続く組織では積み立ても違います。 -- あと、13金銭は官僚首都では9商業ですね。 -- 小屋以外で金融の影響を受けるタイルなんて限られてるし、裁判所の半額により維持費減のタイミングが速い。少なくとも金融の方が有利とは思えんが -- 画像を見る限り、川馬、川大理石、ワイン、金山。首都で10商業、その他で3商業は確認できちゃうな。 -- 官僚制アカデミーなら首都以外の3商業など意味はない。首都10商業=15商業だから、13金銭とほとんど差はなく、あとは好みの問題だろう -- 金銭=商業だから意味無いわけない。18商業と13金銭だね。 -- 貝が近海のようだし、染料もあるね。裁判所は1~2金銭だから何ターン遅れるかによるくらいかな。徴兵の後官僚に戻すんかな? -- ↑2、首都にしかアカデミーないんだから、首都とそれ以外では全然価値が違うと思うが。首都15商業に75%増しで26.25ビーカー、首都以外での3商業は25%で3.75ビーカーになる。 -- ラッシュ前にビーカー面で僅かに有利な金融か、ラッシュ後の維持費と建築物半額の面で有利な組織かって感じかと -- ↑2、それはビーカー100%した場合だし、そもそもその場合は明らかに金融の勝ちじゃん。金銭施設が無い=生商業で維持費を出して、余りがビーカーになってるだけ。 -- ↑x3、13金銭支出が減る=13商業余る。18商業増=18商業余る。余った分はスライダーを上げられる。これは国全体の平均ビーカー増幅(要:重み付け)にかかる。 -- 生産都市と専門家の話は2chの流れで上げたのかもしれないけど、カーストまで枠が2人限定なんだから他は好きに使って良いと思うよ。川沿い小屋20Tで50商業だから法律が1T速まるくらいかな。 -- 組織はハンマーボーナスの面が大きいから、生産力に困る群島とかなら役立つけどね。パンゲアなら大抵金融 組織だろうな。 -- まあ金融の方がラッシュ前までは楽だよね。戦後ならビーカーが上回る可能性もあるけど、維持費が少ないより最大商業が高いほうが全力で追う場合には扱いやすい。 -- ルネサンス編の誤字をいろいろ訂正しました。指摘して頂いた方ありがとうございます。あと組織と金融の話をちょっと追記しました。 -- 筆者 画像が多くて、すごく・・・見やすいです。マスケット・・・(´;ω;`) -- マスケットの扱いヒドス -- 前期工業化時代を更新しました。もう国力で圧倒してるのであとは消化試合ですね。 -- 筆者 後期工業化時代も更新しました。次は最終戦争です。 -- 筆者 ラストスパート頑張ってください -- 核分裂を現代の技術だと思い込んでましたが、工業化時代でした。ですので後期工業化時代を修正し、書き足しました。 -- 筆者 現代編も更新しました。レポ完結です。 -- 筆者 古代編から古典編のリンクが繋がりません・・・ --
https://w.atwiki.jp/minsutoumatome/pages/172.html
早○田の食客 ◆3zWaseda2A氏による文藝春秋2009年7月号書き起こし その1 早○田の食客 ◆3zWaseda2A氏による文藝春秋2009年7月号書き起こし その1 わが政権構想 猛獣小沢をこう使う 死にもの狂いで政権交代を実現し、私が総理になる 鳩山由紀夫(民主党代表) 構成:角谷浩一(政治ジャーナリスト) 五月十六日の民主党両院議員総会における代表選挙を経て、民主党の新しい代表に就任させていただきました。 小沢一郎前代表(現代表代行)の辞任を受けて行われた代表選挙に、前執行部で幹事長を務めていた私が立候補したのは、来るべき総選挙で腐敗しきった自民党政治に終止符を打って、国民のための政治を行う政権交代を実現すためには、私が先頭に立って、挙党一致の民主党を確立しなければならないという強い思いがあったからです。 幸い、多くの方からの支持をいただいて当選することができましたが、対立候補の岡田克也さんにしても、その思いは私と全く同じだったと思います。私も岡田さんもお互い敵だと思って戦ったわけではありません。 五五年体制以降、細川、羽田両連立政権の一時期を除いて半世紀以上続いてきた自民党政権こそが最大の敵であるという点については、当たり前のことですが、私たちの思いは一致していました。だからこそ、政権交代を実現するために、岡田さんに幹事長をお願いしたのです。 もちろん、自民党が長年続けてきた、上から目線の政治、官僚主導の政治を、いまこそ変えなければならないという気持ちが、岡田さんのみならず民主党の誰より強いという自負が私にはあります。政権交代は、私が天から与えられた使命だとあるとさえ思っています。 先日行われた麻生太郎首相との党首討論において、自民党と公明党による連立政権は、“官僚の言うなり政権”だということが、図らずも明らかになりました。 麻生政権の背後には巨大な霞ヶ関の官僚組織が控えていて、言葉では政治主導、官僚主導とは言っているけれども、官僚主導政治から全く抜け切れていない。 党首討論をやってみて、改めてその紛れもない現実を痛感しました。だからこそ、自公政権では駄目なんです。 麻生政権は「官から官へ」だ 今回、政府が国会に提出して成立した15兆円にも上る補正予算にしても、官僚の天下り先の団体に巨額の予算をつけたり、ハコモノ建設を復活させたりして、民間に回るのは1兆4000億円しかありません。15兆円のたったの1割です。 なぜこんな馬鹿げた補正予算がまかり通るのかといえば、麻生政権が官僚の言うなりだからです。 民主党の若いメンバーが中心になって調査をしたところ、4500の天下り団体に25000人の官僚が天下っているという事実もわかりました。 しかも、その団体に毎年国の予算が12兆1000億円も投入されています。 まさに官僚任せ、官僚擁護の政治を行っているのが麻生政権です。 これでは、かつて小泉純一郎首相時代に盛んに使われたキャッチフレーズの「官から民へ」ではなく、「官から官へ」です。 つまり、麻生政権は、相も変わらず、タックス・イーターのための政治を行っているのです。 私たち民主党は、タックス・ペイヤー、つまり税金を払っている一人ひとりの国民のための政治をしたい。 上から目線の政治を排して、国民目線の政治を行いたい。私は党首討論でそう主張しました。 すると、麻生首相は、「官僚バッシングだけやってもうまくいかない。 (民主党が政権を獲るつもりなら)公務員をやる気にさせるような方法を考えておかないと、とても役人、公務員は動きませんよ」と、政権交代を目指す私たちに“忠告”までしてくれました。 笑止千万です。まさに、上から目線の麻生首相らしい答えだなと思いました。 政権担当能力のない民主党に官僚は使いこなせない、と言いたかったのでしょう。 しかし、本当に麻生首相は自分たちが官僚を使いこなしていると思っているのでしょうか。 使いこなしているどころか、使われているのが実態です。 麻生首相は、私が申し上げた国民目線の政治という言葉を捉えて、国民目線と言うなら、国民の最大の関心事は小沢代表代行への西松建設からの献金問題だ。と強い口調で言及しました。 しかし、私が、西松建設から献金を貰っていた議員は自民党にもたくさん居るのではないかと質問しても、麻生首相は問題をすり替えてしまい、自民党議員の問題については全く答えませんでした。 小沢代表代行の秘書が逮捕された後に、漆間巌官房副長官が「自民党には捜査が絶対に及ばない」と発言して問題になりましたが、検察を含めた官僚組織は自分たちの味方であるという認識かあるからこそ、そうした発言ができるのでしょう。 自民党の政治家と官僚の持ちつ持たれつのなれあいの関係を、政府高官自らが端無くも吐露してしまったわけです。 もちろん、西松建設からの献金問題については、国民の皆様からも民主党に厳しい批判をいただきました。 私たちも謙虚にそれを受け止めなければなりません。 まず、違法性の問題ですが、これは小沢一郎と検察に逮捕・起訴された公設秘書の問題であり、両人とも違法性は全くないと認識しているわけです。 これは今後、裁判が開かれる中で明らかになっていくと思います。 次に、政治家としての小沢一郎氏の説明責任の問題がありますが、私が幹事長時代に設置した第三者委員会において、すでに小沢一郎氏に対するヒアリングは終えています。 近いうちに委員会から報告書が出される予定になっています。 今内容を知ることはできませんが、国民の皆様にはぜひその報告書を見ていただきたいと思います。 それと同時に、国民の政治への信頼を取り戻すために、私たちは企業・団体献金の禁止と世襲の制限を行うことにしました。 これは岡田幹事長は本部長を務める党の政治改革推進本部で決定したことですが、企業・団体からの献金については、パーティー券の購入も含めて、三年後には完全に禁止する。 また、いわゆるダミー団体、政治団体からの献金についてはいますぐに禁止する。 世襲に関しては、同一選挙区から三親等以内の親族は出馬できないことを党規で定めることにしました。 私は小沢氏の傀儡になることは絶対にない もう一つ、麻生首相は小沢さんが代表代行に就いたことも批判しましたが、この機会にぜひ、私が何故小沢さんを代表代行にしたのかをお話ししたいと思います。 小沢さんは、三年前の偽メール事件の責任を取って前原誠司代表が辞任したことを受け、代表に就任しました。 それまでの民主党は、何か問題が起きたときに代表を代えてより若い代表、執行部にしていくというところがありました。 若い顔が前面にでてくれば、国民の支持を得られるのではないかと考えてきたのですが、そこに大きな落とし穴があったわけです。 我も我もと、次は俺の時代だという思いが強すぎて、結果として深刻な事態を引き起こしてしまった面があります。 政治的にクリーンであっても、ややもすると若さや脆さが出てしまい、国民に強い民主党の姿を見せることができないでいる。 当時は、党内にそういうもどかしさがありましたがありました。その反省の上に立って、民主党を再生させるために、小沢さんという極めて経験が豊富で、ある意味もっとも民主党らしくない政治家に民主党の重石になってもらおう。 三年前に私も含めてそう判断したわけです。 そして、小沢さんが代表になった直後の衆院千葉七区の補選では、前評判を覆して民主党候補が勝利することができました。 一昨年の参院選や昨春の衆院山口二区の補選でも勝利し、いわば国政選挙では連戦連勝でした。 これは、それまでの民主党には決してなかったことで、小沢民主党時代に民主党が地力をつけることができたことは率直に認めなければなりません。 むしろ、大いに評価しなくてはならないと思います。 私が新代表に就任した後、冒頭にも申しましたが、私の天命は政権交代を成し遂げることだという強い思いがありました。 従って、そのためには最強の布陣で総選挙に臨むべきだと考えました。 そうしたとき、民主党にとって小沢さんの手腕をどこでも発揮してもらい、活用すればいいか、やはり、小沢さんがもっとも得意とする選挙を担当してもらうしかないと考え、選挙担当の代表代行に就いてもらいました。 当然、鳩山は小沢の傀儡ではないかという批判が起きることも予想していましたが、そのようなことになることは絶対にない。傀儡になるつもりなど、毛頭ありません。 むしろ、剛腕とか猛獣とかいうふうに評される小沢さんの力を活用できるのは自分しかいない、私はそう自負しているくらいです。 オーケストラに例えるなら、私は全体を指揮するコンダクターです。 自分がピアノを弾いたりヴァイオリンを弾くことはできません。 それぞれの奏者の能力を最大限に引き出し、不協和音を出さずに、美しい、それでいて力強いハーモニーを奏でてもらう。それが私の役割です。 新執行部の顔ぶれを見て、以前とほとんど変わらないではないかという指摘もあります。 小沢代表、菅直人代表代行、幹事長だった私、輿石東参院議員会長(代表代行兼務)の四人に、岡田さんが新たに加わって、5人になったわけですが、以前とは明確に役割が違います。 これまで党全体のことを見ていた小沢さんは、いまは連日地方行脚を繰り返していて、選挙の現場を歩いています。自分の役割を忠実にこなしています。 幸い、私が新代表に就任した直後に行われたマスコミ各社の世論調査では、私と麻生首相のどちらが首相にふさわしいかという問いに、多くの方が私の名前を挙げて下さいました。 西松建設の問題で民主党の支持率は一時的に下がりましたが、信頼を取り戻すために発した私たちのメッセージが国民に届き始めたのだと思います。 5月下旬に行われたさいたま市長選挙でも、民主党県連が支持した新人候補が自民党の県連と公明党県本部が推した現職候補を破りました。 新体制となった民主党への機体が戻ってきていること、政権交代を望む民意を強く感じました。 この勢いを総選挙まで持続し、さらに高めて行く努力を続けていかなければなりません。 私が自民党を離党した理由 私は代表戦出馬を表明した会見や代表戦当日の候補者演説、そして麻生首相との党首討論の場でも、「友愛社会の建設」と自身の政策理念として掲げました。 私は1986年に自民党から出馬して初当選しましたが、93年に自民党を離党して新党さきがけをつくって以降、「友愛」という言葉をずっと言い続けてきました。 初当選のときの首相が中曽根康弘さんでしたが、その中曽根さんから、友愛なんてソフトクリームのように甘くて、夏が来ればすぐに溶けてしまうようなものだと、揶揄されたこともありました。 私たち一年生議員を集めて中曽根さんが挨拶をした時に「一年生議員の最大の目的は二年生議員になることだ」と言われたことがあります。 私は、政治家としてどんな政策を立案すればいいのか、どういう仕事をして国民に奉仕すればいいのか、そう意気込んでいましたから、拍子抜けしました。 また、自民党では一年生議員は全員、国会対策委員会の副委員長という肩書きがつくのですが、国対委員長から「君たちは予算委員会の穴埋め要員だ。先輩議員が欠席したら君たちが代わりに出席するように」と言われました。 つまり、一年生は雑巾掛けをしながら、次の選挙で当選することだけを考えろというわけです。 そして、二回、三回と当選して行くにしたがい、党の部会長や国会の委員会委員長、政務次官というポストを与えられていく。 五回・六回当選すれば大臣になる。逆に言えば、当選回数を重ねれば誰でも大臣になれるのです。 そのシステムに誰も疑問を持っていない。これは五五年体制以降、自民党が長期政権にあぐらをかいてきたから成り立つシステムです。 当時、最大野党だった社会党もその現状を半ば是認していました。 「こんな政治でいいのか」、私は、そうした永田町の論理に強烈な違和感を抱きました。 そんなとき、88年にリクルート事件が起きて、国民の政治の不信が高まり、私たちは自民党の若手でユートピア政治研究会というグループをつくり、政治改革の必要性を訴えました。 その後、政治改革には二大政党制を実現する小選挙区制度に移行するしかないと考え、自民党を飛び出しました。 私たちは政治家という職を捨てる覚悟でしたし、政治改革という大義のもとでは、さきがけも過渡的なものに過ぎないと考え、2010年までの時限政党にしようと申し合わせました。つまり、政党すらも捨てる覚悟だったのです。 小沢さんたちは私たちより4日遅れて自民党を離党し、新政党を作りましたが、小沢さんたちは経世会という派閥の中で抗争があってそれで飛び出した面が強い。 私たちさきがけが離党の触媒となって、小沢さんたちの行動になったのかもしれません。 いずれにしろ、自民党を離党した動機は違いました。 小沢一郎との16年間 振り返れば、それ以降の16年間、私と小沢さんの政治活動は様々な場面で交錯してきました。 93年8月、8党派の連立政権となった細川政権で私は官房副長官を務めました。 小沢さんは新政党の代表幹事という立場で閣外にいましたが、当時は小沢さんは私のことなど目もくれませんでした。 結局、細川政権は8ヶ月余りで終焉を迎えましたが、国民福祉税騒動で閣内がぎくしゃくしてしまったのが大きな原因の一つです。 あのとき首相官邸に新生党の人が入っていれば、もう少し意思疎通が図れたのではないかと思います。 当初、官房副長官には小沢さんの当時の側近だった二階俊博さんが就くという話もありました。 官邸には官房長官に武村正義さん、首相特別補佐として田中秀之さんが入り、私が官房副長官では、官邸がさきがけのメンバーに埋め尽くされてしまう。 組閣当日の朝、細川護煕首相にはそう進言したのですが、もう決めてしまったと言われた。 そもそも8党派というガラス細工のような脆い連立政権の中心を一部の政党だけで占めてしまったことが、失敗の本質だったと思います。 細川政権がもう少し長く続いていれば、自民党はもっと早く崩壊していたでしょう。 しかし、私にとってあの8ヶ月の経験はとても大きな教訓にもなっています。 連立政権を作る時に政党間の和を保つことがいかに大切か、そのためにどういう人材配置をするべきか、本当に多くのことを学びました。 その後、自社さ連立政権を作る経て、96年に私は菅直人さんと一緒に民主党(旧民主党)を作りました。 細川政権の崩壊で私たちと袂を分かった小沢さんは94年に新進党をつくっていましたが、結局、97年に新進党も解党することになります。 その後、紆余曲折を経て、2003年に小沢さん率いる自由党と民主党が合併したわけですが、この合併を仕掛けたのが、私と小沢さんでした。 細川政権以降、違う道を歩んできた小沢さんと私がなぜ和解したのか。 逆に言えば、小沢さんが私のことをなぜ認めてくれたのか。 2002年5月、私の軽井沢の別荘に小沢さんに来てもらったときに、小渕内閣で自自公連立政権を作ったことは間違いだったと、小沢さんが素直に認められたのです。 小沢さんは、自分自身に確固とした信念があれば、自民党と連立してもその信念を政策的に実現できると思っていたが、現実はそうではなかった。 結局、自民党の幹部たちに騙されていたことに気づいて連立を離脱することにしたのだと、そういう思いを吐露されたんです。 その瞬間、私の中から過去の小沢さんへのわだかまりが消えていきました、さきがけ時代には、とてもこの人にはついていけないと思っていましたが、自自連立の失敗という経験を通じて小沢さんは劇的に変わっていました。 それまでの小沢さんには、自分と意見の合わない人たちを排除してきた歴史がありました。 しかし、党内を融和させ大きな政党を作って政権を目指さない限り、自分たちの政策は実現できない、そういうふうに小沢さんは考え方を改められたのです。 それで私は、民主党という政党を大きく脱皮させるために小沢さんに賭けてみようという思いで、合併論者に大きく転向していったのです。 民主党に蔓延していた小沢アレルギー ところが、当時に民主党の中にはまだまだ小沢アレルギーが蔓延していて、相当の反発が起こりました。 民由合併はなかなか一筋縄では進まず、私は党内の混乱を招いたとして、代表を辞任することを余儀なくされました。 結局、私の後任の菅直人代表時代にようやく民由合併が実現したわけですが、あのとき、自由党との合併を望んでいた民主党議員がどれだけいたかといえば、もしかしたら過半数の方は反対だったのかもしれません。 残念ながら、今回の西松建設の問題が起きた当初も、やはり合併したのは間違いだったのではないか、という声が上がりそうになりました。 ですが、結果としてみれば、党内から大きな反発はあったけれども、あのときの大きな賭けに成功したのだと、いまあらためて強く思います。 付け加えれば、西松建設の問題も、民主党という政党がさらに大きく生まれ変わるために天が与えた試練だったのだと思います。 小沢さんが代表を務めた三年間の功績は、選挙に勝ち続けたことだけではありません。 「国民の生活が第一」というキャッチフレーズを作り、国民に分かりやすい政治を目指すという姿勢は一貫していました。 地方を行脚して国民の懐に飛び込むという姿勢は、これまでの民主党議員にはいささか欠けていたところでもあり、若い議員や候補者を本当に鍛えてもらいました。 いま民主党は、小沢代表時代に作成したマニフェストの原型を踏襲しながら、友愛社会を建設するという私の考えも反映して、 より精緻で国民目線のマニフェストを作るべくサ行をしています。 いま、日本に欠けているのは、社会における絆です。 小泉首相時代に行われた構造改革によって、日本人が古くから大切にしてきた絆はずたずたにされてしまいました。 アメリカ流の新自由主義が持て囃され、市場原理主義で日本経済を代えていくことが、さも正しい改革であるかのように吹聴された結果、非正規雇用者は増大し、格差が拡大しました。 郵政民営化の結果、過疎地の郵便局が次々となくなっていき、その地域に住む人たちは大変な不自由を強いられています。 弱肉強食でも悪平等でもない第三の道がある ホリエモンや村上ファンドなどによるマネーゲームが脚光を浴びたのも小泉政権でのことでしたが、その結果、日本はどんな社会になってしまったのか。 強いものが勝ち残り、弱いものは切り捨てられる。つまり、弱肉強食の社会になってしまったんです。 こうした社会では、人の幸せをうらめしく思い、人々はどうやって自分が生き残るかを考えるようになります。 だから、建築偽装や食品偽装という問題が起きたのではないでしょうか。 嘘をついても自分さえよければいい、相手のことなど考えない。そんなすさんだ社会に絆はありません。 だからこそ、私は生活は第一という主張を改めて掲げたいのです。 国民一人ひとりが自分の居場所を見出して、自分が社会の役に立っていると実感できるような社会、人の幸せを自分の幸せと感じられるような社会を作りたい。それが、私の唱える友愛社会なのです。 私の祖父、鳩山一郎は、昭和28年に作った友愛青年同志会の綱領に「われらは自由主義の旗の下に友愛革命に挺身し、左右両翼の極端なる思想を排除して、健全明朗なる民主社会の実現と自主独立の文化国家の建設に邁進する」と書きました。 いまこそ、この友愛の精神を生かした政治を私の手で成し遂げたいのです。 戦後の日本は、中央集権国家の元で高度経済成長に突き進み、自民党もその歴史の中である程度の役割を果たしてきました。 しかし、その過程で中央から地方に仕事やお金を与えるというシステムが出来上がり、いつの間にか、公共事業など特定のところにしかお金が回らなくなる悪平等が生じてしまった。 みんなが中央に媚を売って仕事やお金をもらおうとする、いわば、おねだり型の資本主義になってしまった。 小泉元首相はその悪平等を排するために構造改革を唱えた面もあったと思いますが、逆に弱肉強食のほうに舵を切りすぎました。 自由と平等という二つの精神が行き過ぎると、弱肉強食と悪平等になる。 私はそのどちらでもない、第三の道があると考えています。 それは、これまで公が果たしてきた役割を、ある程度、地域の人々やボランティアの方々に任せることによって、なし得るのではないかという考え方です。 今の官僚主導の政治は、何でも政府に任せる、政府のやることには間違いがないという発想です。 しかし、政府に任せればコストがかかる。それは、我々の税金が増えるということです。 党首討論のなかで、私は教育のことを例にとって、二百人のボランティアがエントリーしている小学校のことを紹介しました。 この学校では、20人のクラスに先生が1人と3.4名のボランティアの教師がいて、生徒一人ひとりに個人指導を行い、細かな目配りができるような仕組みをつくっています。 団塊の世代で教職をリタイアされた方々がボランティアとして活動しているわけです。子供たちはもちろん、ボランティアの方々も自分が社会の役に立っているという満足を得られます。 他人の幸せが自分の幸せに繋がり、そこに絆が生まれる。 教育現場では、教員の数が足りないという声が多いですが、教員を増やせばコストがかかります。 ボランティアを活用することでコストを減らすことができ、なおかつ、活動を通じて喜びが得られる。 これは教育に限らず、医療や介護、福祉、環境など、様々な分野で実現可能ですが、今の霞ヶ関の官僚にそんな発想はまったくありません。 地方分権の問題にしても、小泉政権時代に行われた三位一体の改革など、地方に権利を分けてやるぞという、まさに上から目線の手法でした。 三位一体の改革とは、国庫補助金の廃止・縮減、税財源の移譲、地方交付税の一体的な見直しの三つを指しますが、結局は、補助金を大幅に減らしす一方で地方に移譲された権限はわずかだけでした。 中央官僚が自らの天下りのために無駄遣いしてつくった借金が増えすぎたから、財政再建のために地方に回すお金を減らそうという発想です。 私は、友愛社会においては、真の意味での地域主権が極めて大切だと考えています。 これは我々が政権を獲っても憲法改正を経ないとすぐにできることではないかもしれませんが、地域のことはすべて地域で行う、地域でしっかりと財源を見出して計画を立て、それを実現していく社会を将来的につくっていきたいと考えています。 友愛社会実現のために政権交代を実現する 私は96年に旧民主党をつくった際に、民主党の基本理念の中で、将来あるべき国の姿として、「小さな中央政府・国会と、大きな権限をもった効率的な地方政府による《地方分権・地域主権国家》が実現し、 そのもとで、市民参加・地域共助型の充実した福祉と、将来にツケを回さない財政・医療・年金制度を両立させていく」と述べましたが、その時と私の考えは変わっていません。 むしろ、当時は友愛社会の建設といっても、理念が先行していて具体的にどういう社会かというイメージがまだ明確に描ききれていませんでした。 しかし、10年以上も友愛を唱え続けてきて、私の中でその具体的なイメージがかなりはっきりと見えてきているのです。 私が目指す友愛社会を建設するためには、まずは来る総選挙で自民党を破り、政権交代を必ず実現しなければなりません。 ですが、政権交代はスタートラインです。 政権交代の暁に私が総理大臣に就任したなら、それこそ総力戦で自民党政治ともたれあってきた霞ヶ関の官僚と戦わなければなりません。 そのときはもちろん、小沢さんにももう一働きしてもらうつもりです。 上へ
https://w.atwiki.jp/greatmelon/pages/148.html
邪神あいぼー(じゃしん― ?/5月11日~)は、グレートメロン帝国国民。元外務大臣。 官僚。旧法務審査委員会委員(現法務省)。外務省所属。 あいぼーさんと呼ばれ親しまれている。長野県在住。絵師。 ハンドルネーム あいぼー サムネイル 生年月日 生年不詳5月11日 内部所属団体 グレートメロン帝国官僚、外務省 外部所属団体 無し 他管理サーバ等 ワサラー団副団長 人物像 心が広い。やりたいことにはなんにでも挑戦するが続いたことはない。 かなりのゲーム廃人。日中にも居ることには居るが深夜から明け方の方が浮上している。 厨二病を自称している。 現実を見た上で逃避をするタイプの厨二病。どんな些細な事でも厨二病的思考により全てを楽しめる。厨二病者は精神的に最強だと思っている。 浮上も高く、ネガティブな発言がないためただただワサラー団の盛り上げに貢献している。 過去にフォロワーを増やすことに熱中していたがリアルで多忙になり今は落ち着いている。相互厨という形で安定した。 献血 をすることが趣味であり周りへ 献血 の必要性やメリットを伝えようと日々猛進中。 陽キャ たまにカラオケ配信をやっている 役職 外務大臣 Y_→邪神あいぼー→塩酸ごくごく Twitter @AIBOU0511
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/705.html
{{日本の内閣記事|しではら ないかく|44|幣原喜重郎|Template 和暦?|10月9日|Template 和暦?|5月22日}}公職追放によりTemplate 和暦?1月13日に一部の閣僚が入れ替えられた。 公職追放前 1945年(昭和20年)10月9日 - 1946年(昭和21年)1月13日 閣僚 内閣総理大臣 男爵幣原喜重郎(貴族院同和会→日本進歩党) 外務大臣(留任) 吉田茂(官僚 外務省) 内務大臣 堀切善次郎(貴族院研究会) 大蔵大臣 子爵渋沢敬三(貴族院研究会) 陸軍大臣(留任) 下村定(軍人 陸軍) 1945年10月9日 - 同12月1日 1945年12月1日、陸軍省廃止。 第一復員大臣 幣原喜重郎(兼任) 1945年12月1日 - 昭和21年1月13日 1945年12月1日、陸軍省残務処理のため設置。 海軍大臣(留任) 米内光政(軍人 海軍) 1945年10月9日 - 同12月1日 1945年12月1日、海軍省廃止。 第二復員大臣 幣原喜重郎(兼任) 1945年12月1日 - 1946年1月13日 1945年12月1日、海軍省残務処理のため設置。 司法大臣(留任) 岩田宙造(貴族院同和会) 文部大臣(留任) 前田多門(貴族院同成会) 厚生大臣 芦田均(衆議院日本自由党) 農林大臣(留任) 松村謙三(衆議院日本進歩党) 商工大臣 小笠原三九郎(衆議院日本進歩党) 運輸大臣 田中武雄(衆議院日本進歩党) 戦災復興院総裁・国務大臣 小林一三(貴族院無所属倶楽部) 1945年11月5日 - 1946年1月13日 1945年11月5日、戦災処理のため新設。 内閣書記官長・国務大臣 次田大三郎(貴族院同成会) 国務大臣(憲法問題調査委員会代表兼任) 松本烝治(貴族院無所属倶楽部) 法制局長官 楢橋渡(衆議院無所属) 内閣副書記官長 三好重夫 政務次官 Template 節stub? 公職追放後 1946年(昭和21年)1月13日 - 同5月22日 閣僚 内閣総理大臣 男爵幣原喜重郎(日本進歩党) 外務大臣(留任) 吉田茂(官僚 外務省) 内務大臣 三土忠造(貴族院研究会) 大蔵大臣(留任) 子爵渋沢敬三(貴族院研究会) 第一復員大臣 幣原喜重郎(兼任) 第二復員大臣 幣原喜重郎(兼任) 司法大臣(留任) 岩田宙造(貴族院同和会) 文部大臣 安倍能成(貴族院同成会) 厚生大臣(留任) 芦田均(衆議院日本自由党) 農林大臣 副島千八(民間・証券取引所) 商工大臣(留任) 小笠原三九郎(衆議院日本進歩党) 運輸大臣 三土忠造(兼任) 1946年1月13日 - 同1月26日 村上義一(官僚 鉄道院・日本通運株式会社社長) 1946年1月26日 - 同5月22日 戦災復興院総裁・国務大臣(留任) 小林一三(貴族院無所属倶楽部) 1946年1月13日 - 同3月9日 内閣書記官長・国務大臣 楢橋渡(衆議院無所属) 1946年2月26日より国務大臣兼任。 国務大臣(憲法問題調査委員会代表兼任・留任) 松本烝治(貴族院無所属倶楽部) 国務大臣(無任所・留任) 次田大三郎(貴族院同成会) 国務大臣(法制局長官兼任→無任所) 石黒武重 1946年2月26日 - 同5月22日 法制局長官 石黒武重(官僚 農林省) 1946年1月13日 - 同3月19日 1946年2月26日より国務大臣兼任。 入江俊郎(貴族院同和会) 1946年3月19日 - 同5月22日 内閣副書記官長 欠員 1946年1月13日 - 同3月2日 木内四郎 1946年3月2日 - 同5月22日 政務次官 stub 外部リンク 首相官邸 - 幣原内閣 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年10月7日 (火) 19 10。
https://w.atwiki.jp/hatomimi/pages/135.html
【事業仕分け】国立大センターは対象全6事業「廃止」 「組織を全否定」うなだれる新任理事長 センター側は「大学病院は『第2の夕張』にならないかと懸念されるほど危機的な経営だ。支援しないと」と訴えたが、「大 学病院も経営の自覚を持たないといけない」と反論され、「廃止」となった。 センターの豊田長康理事長は、公募で選ばれ今月就任したばかり。「組織を全否定された」と肩を落とし、「職員の方々 も新しい仕事先を見つけないと」とうなだれた。 ttp //sankei.jp.msn.com/politics/policy/100429/plc1004290010000-n2.htm 行政刷新会議は新しい政権の新しい組織で新しいことをやるんだから まずは形からだ→会議室のイスとデスクを全部特注 官僚「他のところで余ってるイスとかあるんでそれにしましょうよ、無駄遣いじゃないですか」 特注のイス、デスクにあわせた衝立も特注だ! となりの国家戦略室のイス、デスクも一緒に! 事業仕分けは好評だからもっと公開するぞ! 観客席とマスコミ用駐車場を増やすために会場を変更! 前回は独法の体育館だったから安上がりだけど民間の施設へ!→使用料大幅うp 公開用サーバーも増強!→費用うp 官僚「見映えやテレビ映りばかりで中身がない
https://w.atwiki.jp/isekaikouryu/pages/736.html
私家版大延国ガイド はじめに 概要 地理地勢 人種 経済、産業、交通 主要都市 政治皇帝と霊王 官僚制と貴族 南蛮との対立 そのほかの国との外交関係 文化食にかける情熱と食神祭 躍字 歴史国の始まり 六合霊皇 塞王 地球との関わりゲートの所在 外交関係 主要人物金羅 朱王 クウリ はじめに この文書は、イレブンズゲート世界における列強国の一つである「大延国」にかんする情報を私的にまとめたものです。 意図としては、創作や妄想を喚起するフックを用意すること、特に初心者が大延国のことを想像する上での足がかりとしての役割を果たすことがあります。 そのため、情報の正確性や整合性よりは面白さを重視し、結果として不正確な情報や私的な見解を多く含んでいます。 その点をご理解の上でご覧ください。 概要 大延国とは、イレブンズゲート世界の南方に位置する帝国です。 主神である火をつかさどる獣神「金羅」と、精霊によって選ばれた皇帝を頂点に戴く官僚制国家です。 広い国土から生み出される彩りに溢れた恵みと、単一の王朝による安定した統治によって豊かな文化が育まれてきました。 中でも食文化については、他の国の追随を許しません。 地理 地勢 大延国は、イレブンズゲート世界の南方大陸に位置し、国土は南方大陸の三方を海に囲まれた北端から中心部付近にまで広がっています 広い国土は急峻な山地や大河、乾燥地帯や大森林などバラエティに富んだ地形を含み、住民の生活や文化に大きな影響を及ぼしています。 一般に、北部ほど乾燥が強く、南部に向かうほど湿潤な気候となっています。 イレブンズゲート世界のご多分にもれず、こうした気候の差は精霊たちの分布によるものです。 南方の国境には後述する『塞王』があり、南蛮の支配地域との長大な国境線を形成しています。 人種 大延国の住人を形成しているのはさまざまな獣人です。 獣人と一口に言っても、そこにはさまざまなバリエーションがあります。 狼や虎、熊、豚や鼠といった種族の差や、どれほど獣に近いかという程度の違いなどは驚くほど多彩です。 こうした差異は地域の特色として現れることが多くなっています。 たとえば虎人は一般に東部の出身者が多い、顔の毛が薄く鼻面も突き出ていない鼠人は南西の海岸部に多く見られるなどです。 一般的には、北方にいくほど体毛・鼻面・発情期など獣としての特徴が顕著で、南方に行くほどエルフや地球人などに似た相貌が目立ってくる傾向があるようです。 またこのほかに、仙人という特殊な能力をもった人々がいます。仙人は金羅によって神力を与えられて生み出されたものもいれば、起源がよく分からないものもいて千差万別ですが、いずれも異能を使います。 仙人の数はとても少なく、ほとんどが山奥などに住んで、人とは関わりを持たずに暮らしています。 時折人界に下りて悪さをする仙人がでることがあり、これは悪仙と呼ばれます。 経済、産業、交通 国内における主要産業は農業や漁業などの一次産業です。 主神である金羅は食を好みます。このため、大延国は食糧の安定した生産を行うことに力を注いでいます。 また、こうして生み出された食糧を金羅の下に運ぶための街道も発達しています。 主要な街道は地精霊の協力を得て舗装が進められており、また駅や宿場も整備されています。 水上交通も盛んです。国内では国土を南北に縦断する大河『易河』を用いた河川交易が、また海上では国外との貿易が各所で盛んに行われています。 国内の輸送は主に塩客と呼ばれる護送と保険を兼任する業者によってまかなわれています。 貴重品の輸送や個人の旅の手配などは塩客の仕事です。 主要都市 主要な都市としては、なんと言っても大都が挙げられます。 大都は大延国の首都であり、政治や経済の中心地です。皇帝の宮殿を中心として多数の建物が立ち並び、周囲は長大な防壁に囲まれています。 大都はまた、後述する『食神祭』の開催地でもあります。祭りの開催時期には全土から人が押し寄せ、人口はおよそ倍以上に膨れ上がります。 また他にも、各地にいくつもの都市が存在します。 政治 皇帝と霊王 大延国を統治するのは皇帝です。主神たる金羅を配偶者として迎え、官僚たちや枢密院の補佐を受けて国政に携わります。その権力はほぼ無制限とされていますが、乱用されることは歴史上まれでした。 大延国皇帝はまた、大延国における最高クラスの精霊使いを兼ねています。精霊を従え、国民と金羅のために天地をつつがなく保つことは、皇帝の重要な責務の一つです。 皇帝となる資格を持つのは、霊王と呼ばれる国家最高レベルの精霊使いたちです。それぞれ懇意である精霊に対応した色で呼ばれます。 この霊王のうち、精霊宮の支持を受けた者が次代の皇帝となります。精霊宮とは当代の皇帝が抱える精霊たちのハーレムであり、力のある精霊が多く迎えられます。一般に、精霊宮の精霊たちが支持するのは皇帝の血筋を引く者です。このため、建前上は誰でも皇帝になりえますが、実質的には世襲となっています。 官僚制と貴族 皇帝を補佐するのは宰相を頂点とした官僚組織です。官僚は他の官僚の推薦や国家試験などによって選ばれます。勉強すれば誰であっても栄達を遂げることができるのです。 官僚組織はとても大きく複雑で、そして時に腐敗しています。大延国の政治史は腐敗との戦いの歴史と言っても過言ではありません。さまざまな汚職が横行していますが、腐敗を正す仕組みも存在します。身分を隠した監察官が全土をめぐり、役人に目を光らせているのです。それでも汚職はなくなっていませんが、法や制度の整備により、だんだんと少なくなっていっています。 もう一つの統治構造として貴族制があります。元は皇族やそれに近い立場の者が代官として地方に赴任し、そのままその地に根付いたのが始まりです。今では世襲で土地や地位を確保し、それを基盤として実質的に地方を治める役割を担っています。中央にも貢物や人を送り込み、隠然たる影響力を発揮している貴族も少なくありません。これまた汚職の温床となっています。 一般に、官僚には狸人が多く、貴族には狐人が多いとされています。大延国の政界は、狸と狐の化かしあいなのです。 南蛮との対立 南蛮とは大延国の南方に依拠する蛮族たちの総称です。かつては大延国に向かって執拗に攻撃を仕掛けてきた時期もありましたが、現在は組織だった攻撃を行うことはありません。ただし、大延国の支配を受け入れることはなく、あくまで独立した勢力となっています。 南蛮は塞王という、大陸を横断する規模の巨大な城壁によって阻まれています。塞王はただの壁ではなく、過去の皇帝によって打ち立てられた大延国守護の要です。 南蛮の事情はよく分かっていませんが、大陸最南端に位置する屍樹こそが南蛮北進の理由であると推測する向きもあります。 そのほかの国との外交関係 周囲の国とは中立を保ち、良好な関係です。食糧や文字、美術品などを輸出し、金属製品や珍しい食材などを輸入しています。 文化 食にかける情熱と食神祭 主神である金羅は食を大いに好むため、大延国では食文化が大いに発達しています。 ある程度人が集まる場所ならば屋台や食堂があり、人々が集まって料理に舌鼓を打っています。食に対する関心はきわめて高く、腕のよい料理人はどこに行っても尊敬されます。 大延国では金羅を喜ばせるため、年に一度、皇帝によって『食神祭』と呼ばれる料理大会が主催されます。全土から料理人が集まり、技を競い合うのです。金羅に認められた料理人は『神膳厨師』の称号と、神の力を秘めた炎である『金炎』が与えられます。 躍字 躍字とは、大延国で用いられている文字です。自ら動き回り、あるいは己の内容を読み手に語りかけるという不思議な性質をもっています。どの大延国人も躍字で書かれた自分の名を持ち、親しい人以外には明かそうとはしません。 歴史 国の始まり 大延国成立以前の大陸にははこれといった主神ももたず、小さな国が林立していました。そうした情勢の中、金羅を神として迎え入れたのが今の大延国の前進です。それ以来、金羅の威光と、皇帝の卓越した精霊魔法の腕によって他の勢力を飲み込む形で拡大を遂げてきました。 六合霊皇 六合霊皇は金羅の子であり、恐るべき能力を具えた精霊使いでした。皇帝となった六合霊皇は戦争でもって国土を拡大しましたが、やがて自身の能力に耐えられず自壊し、大きな災いを引き起こしそうになりました。災厄は金羅の力によって防止され、これ以降、金羅は自分の子が皇帝となることを禁じました。 塞王 塞王は南蛮との国境線に建てられた巨大な防壁です。過去の皇帝が行使した精霊魔法によって建設されました。その成り立ちから、壁そのものが神秘的な防御力を備えているという噂も聞かれます。 地球との関わり ゲートの所在 大延国のゲートは、大延国側ではある都市の中心部に、地球側では崑崙山脈の麓に開門しています。 大延国側の都市はゲートが開いてから成立した都市であり、さまざまなインフラが未整備ですが、活気があります。 崑崙側のゲートは他の地球側のゲートと同様に、現地の政府によって税関が設置されています。 日々多くの観光客が地球側から入る一方、大延国側から地球を訪れる人はやや少なめです。 外交関係 ほとんどの地球側の国家とは中立関係にあります。 ゲート近辺の国である中国は、かつてゲートに対して核による攻撃を仕掛けようとしたこともありますが、現在は友好的な関係を保っています。 主要人物 金羅 金羅は大延国の主神であり、皇帝の名義上の配偶者でもある獣神です。 多くの称号を贈られ、国民に敬愛されています。 金羅自身もまた国民を愛し、あるいは身分を隠して下々とも積極的に交わろうとします。 異世界側のみならず地球をも頻繁に訪れているという噂もあります。 朱王 クウリ クウリは大延国第代の皇帝です。八十を超えていますが、現在も現役で政務に当たっています。 クウリは大延国皇帝たちの中でもまれに見る子沢山です。しかし、子供に皇位を譲る意志はまだ薄いようです。 名前 コメント すべてのコメントを見る -
https://w.atwiki.jp/civilization/pages/528.html
プレイレポ/BtS/ウルヴァンの大筒 偉大なハゲ経済でワロタw -- 古典→中世、中世→ルネサンスに直接読み進むことができるようにしてほしい!!…しかしタメになるな。 -- 誰が書いたか非常にわかりやすい文体で吹いたw あとAD600(141ターン目) の画像のリンクがちゃんとできてないみたいで表示されてない -- お見事。まだまだ私の知らない事がこんなにたくさんあったのか。 -- 分かりやすい構成で参考になります。1つ質問、アカデミーは首都のみ? -- プロ国王なりかけ ええ、アカデミーは首都のみです。どうせ出力はたいしたことはないのですが、偉人を教育等に注げるようになるまでには時間がかかりますので。 -- 筆者 画像や、リンク等の調整は次のアップの時に行います。ご指摘ありがとうございます。 -- 筆者 ビーカー各時代に平均どれぐらい出しているのですか?特に法律取得時あたりのときにを詳しく教えてくれるとありがたい -- 「ときに」ではなく「ときの」です。申し訳ない。 -- 100パーセントでまわして30くらいですね。筆記と地形改善技術をとったあとは図書館が完成するまで0パーセントで放置しておくのがコツです。そうすれば筆記完成直後に図書館が完成したのと同じことになりますので。 -- 筆者 セーブデータが開けぬでござる。(同じくBtS v3.13 + 非公式パッチ v1.21) -- やじ 3連続で鉄無しってのもなかなか運が悪いですね・・・それはともかく、皇帝で勝てないので勉強させてもらいます。 -- いったんゼロにして図書館待つんですか。参考になります。 -- 専門家経済でなかなか勝てない、特にR苦手なので続き期待してます -- これ参考にしてやってみたらカノンまでは圧倒的なんだがルネサンス後技術で置いてかれる。続き期待。 -- 外交画面の文化押しによるAIの位置把握の小技って地味に便利ですね。 -- セーブデータはウォーロード入れてないのでウォーロード入れると読み込めない可能性が非常に高いです。 -- 筆者 技術についてはお楽しみに。今夜まったりと続きを書くつもりです。筆が遅いのでどれくらい進むかはわかりませんが・・・。 -- 筆者 ガンジーすら殴りかかってくる攻撃的AIでは、毎ターン外交画面とにらめっこするので、そのときに一緒に文化押しがあるかどうかも確認するのがいいかと。 -- 筆者 純粋大スパイは憲法以降、純粋ハゲはピラ代議での話かな?そうじゃないと無理な気がするんだけど -- 専門家経済で、官僚制を採用するメリットが、解らないのですが……。 -- 首都だけ小屋スパム 都市の維持費を払う為には専門家だけじゃ辛いこともある。 -- ↑官僚制はハンマー50%で富やユニット作る為では? -- 純粋大スパイは法律の裁判所の雇用枠だけでどうとでもなるよ -- スレに一日中張り付いてないで執筆してくだしあ>< -- ↑↑法律までのビーカー源が問題なのでは?小屋なら官僚制大スパイにするだろうし、科学者だとプール汚染とか問題だし -- 遅くなりました。カノンラッシュまで書き終えました。あとは歩兵ラッシュと戦車ラッシュですね。 -- 筆者 大スパイは法律一直線ですね。法律まではこのレポとまったく同じルートを通ります。ハゲ経済に関しては少しずつ研究中です。CFCにて天帝で勝利している人がいるので有効なはずです。 -- 筆者 官僚制については上で書いている方がいるとおり、ハンマー増幅効果が最大の理由です。 -- 筆者 AIの技術開発速度が遅すぎる…と思いましたが攻撃的AIでしたか。この戦法は通常AIでも有効なのでしょうか? -- 私も不死プレイヤーですが、攻撃的AIでなくても技術スピードは大抵こんなものですよ。 -- ほかの人が書いたレポ(動画)にて天帝非攻撃的AIでもっと少ないビーカーで追いかけてるのもありますし、大丈夫ですよ。 -- 筆者 もともと専門家経済は必要な研究技術が少なく、尖った研究にてそれをばら蒔き交換していくタイプなので、周りの技術ペースに合わせた技術になります。 -- 筆者 難易度下げて貴族でやってみましたが、制覇勝利できました。やはり、ルネサンス以前でどれだけアドバンテージが取れるかが鍵なんですかね? -- プロ国王なりかけ 追記:国王でもいけました。 -- プロ国王なりかけ おめでとうございます。コツは技術交換だと思います。必要な技術が小屋経済より少ないので交換で得る技術も絞れると思います。 -- 筆者 おまけについて工業化時代中心に微妙に記事を書き換え・・・ -- 筆者 これはよい偉人経済。ピラなしは専門家というより偉人? -- はい。専門家経済の基本は偉人の電球消費になります。定住はどちらかというと応用にあたります。 -- 筆者 2chのスレにこのレポの著者を名乗る人物がいるのですが本物ですか?ageるし、書き込み回数が異常だし、論理が破綻していて、とてもこのレポを書いた人物とは思えません -- 悪質な騙りだね。いつもageの人はスレにほぼ毎日何時間も張り付いてるし普通そんなに時間が有り余ってたらレポの更新止まるはずがないでしょ -- 後期工業化時代編更新しました。できれば明日現代編を書き終えて官僚経済のレポを書く予定です。 -- 筆者 待ってました!続きが読めて本当によかった(+1) -- 現代更新しました。レポ完結です。 -- 筆者 工業化時代、どうやってビーカーを得ているとかも書いてくれると嬉しかったなー -- easttea 現代HAEEEEEEEEEEEE だがともかく乙!官僚経済のほうも待ってるぜ -- 偉人定住は長期的にスピードがのるステイラー。スプリンターの対義語ならステイヤーでは? -- ステイヤーでしたっけ。では明日ビーカーの得るほうほうも含めて明日修正します。後者はみるとがっかりするかもしれませんが・・・。 -- 筆者 遅くなりましたが、なんかいろいろ修正しました。 -- 筆者 書き忘れましたが、工業化時代の都市画面については現代のほうにあげときました。 -- 筆者 ウルヴァンってなんだろうって思ってたら、ウルバン(Urban, Orban)のことだったのね。しかし、なんで「ヴ」なんだろう? -- 移動してきました。こちらの定義ならだいたい納得。某掲示板の書き込みでの定義ではちょっとね。 --
https://w.atwiki.jp/takedominion/pages/14.html
対訳カードリスト 訳語の対応関係を調べるためのカードリストです. Main Set English 日本語(HJ) B2F メビウス BSW Deutsch Chapel 礼拝堂 礼拝堂 礼拝堂 礼拝堂 Kapelle Council Room 議事堂 会議室 参事会 議会室 Ratsversammlung Feast 祝宴 祝宴 祝祭 宴会 Festmahl Festival 祝祭 祭礼 年の市 大市 Jahrmarkt Adventurer 冒険者 冒険者 冒険家 冒険家 Abenteurer Bureaucrat 役人 官僚 官僚 官僚 Burokrat Cellar 地下貯蔵庫 地下室 地下室 貯蔵庫 Keller Chancellor 宰相 大臣 宰相 長官 Kanzler Remodel 改築 改造 改築 改築 Umbau Smithy 鍛冶屋 鍛冶屋 鍛冶屋 鍛冶屋 Schmiede Gardens 庭園 庭園 庭園 庭園 Garten Library 書庫 図書館 図書館 図書館 Bibliothek Militia 民兵 民兵 民兵 市民軍 Miliz Moat 堀 堀 堀 城壁 Burggraben Spy 密偵 スパイ スパイ スパイ Spion Laboratory 研究所 研究所 研究所 研究所 Laboratorium Workshop 工房 作業場 工房 作業場 Werkstatt Market 市場 市場 市場 市場 Markt Woodcutter 木こり きこり 木こり 木こり Holzfaller Mine 鉱山 鉱山 鉱山 鉱山 Mine Witch 魔女 魔女 魔女 魔女 Hexe Moneylender 金貸し 高利貸 金貸し 金貸し Geldverleiher Village 村 村 村 村 Dorf Thief 泥棒 盗賊 泥棒 泥棒 Dieb Throne Room 玉座の間 王の間 玉座の間 謁見室 Thronsaal Intrigue English 日本語(HJ) B2F メビウス BSW Deutsch Baron 男爵 Bridge 橋 Conspirator 共謀者 Coppersmith 銅細工師 Courtyard 中庭 Duke 公爵 Great Hall 大広間 Harem ハーレム Ironworks 鉄工所 Masquerade 仮面舞踏会 Mining Village 鉱山の村 Minion 寵臣 Nobles 貴族 Pawn 手先 Saboteur 破壊工作員 Scout 偵察員 Secret Chamber 秘密の部屋 Shanty Town 貧民街 Steward 執事 Swindler 詐欺師 Trading Post 交易場 Tribute 貢物 Torturer 拷問人 Upgrade 改良 Wishing Well 願いの井戸 Seaside English 日本語(HJ) B2F メビウス BSW Deutsch Ambassador 大使 Bazaar バザー Caravan 隊商 Cutpurse 巾着切り Embargo 抑留 Explorer 探検家 Fishing Village 漁村 Ghost Ship 幽霊船 Haven 停泊所 Island 島 Lighthouse 灯台 Lookout 見張り Merchant Ship 商船 Native Village 原住民の村 Navigator 航海士 Outpost 前哨地 Pearl Diver 真珠採り Pirate Ship 海賊船 Salvager 引揚水夫 Sea Hag 海の妖婆 Smugglers 密輸人 Tactician 策士 Treasure Map 宝の地図 Treasury 宝物庫 Warehouse 倉庫 Wharf 船着場 Promos English 日本語(HJ) B2F メビウス BSW Deutsch Envoy 公使 Gesandter Black Market 闇市場
https://w.atwiki.jp/shintouzyo/pages/1202.html
牛僧孺 779-847 唐朝の宰相(在任823-825、830-832)、牛季の党争の代表者。安定(甘粛省涇川県)の人。字は思黯。隋の宰相牛弘の子孫。はじめ進士に及第して伊闕(洛陽の南)の尉となり、809(元和4)年同門の李宗閔らと制挙に応じて1等となったが、そのとき彼らは、当時の為政者を激しく攻撃して問題となり、宰相李吉甫に憎まれて、久しく官位を与えられなかった。それが原因で李吉甫の子李徳裕も牛僧孺・李宗閔と反目し、穆宗のはじめ翰林学士となったとき、李宗閔を地方に追いやって、823(長慶3)年、牛僧孺が諸官を歴任して宰相になると、今度は李徳裕を追い出したから、これより両派は党を組んで争い、これに関係した官僚は1/3におよんだという。これよりさき貴族政治が衰えて選挙(とくに進士科)による官僚が進出したが、牛党にはこれら新官僚が加担し、李党は山東貴族を中心とするといわれ、いずれも天子の側近の宦官と結託して政権を掌握した。敬宗朝には、牛僧孺もやめて武昌節度使となり、裴度が宰相となったが、文宗の初めには裴度の推薦で李徳裕が宰相となるところを、宦官の援助を得た李宗閔に妨げられ、牛僧孺が引かれて宰相となった。李徳裕が西川節度使のとき、吐蕃の降将をうけいれようとしたが、牛僧孺は反対してこれを吐蕃に引き渡したかち、両者の反目はますます深まった。しかしこれが原因で牛僧孺は淮南節度使になり、ついで、東都留守に移り、洛陽に邸宅をかまえて白居易らと交遊した。ついで左僕射、山南東道節度使をへたが、武宗即位とともに李徳裕の全盛時代となり、兵権を解かれて太子少保になり、はては循州(広東省恵陽県北東)長史に左遷された。宣宗の初め衡(湖南省衡陽県)・汝(河南省臨汝県)2州を歴任後、都に帰り、太子少師となって没した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。 列伝 『新唐書』巻一百七十四 列伝第九十九 牛僧孺 『旧唐書』巻一百七十二 列伝第一百二十二 牛僧孺 参考文献 『アジア歴史事典』2(平凡社,1959) 外部リンク フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』牛僧孺 https //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E5%83%A7%E5%AD%BA
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/544.html
830 :New ◆QTlJyklQpI:2012/01/13(金) 23 31 40 TS嶋田ならこんな感じ。 ネタSS ~世界が崩壊しますた~ 旧日本帝国宰相 嶋田茉莉は今日も国会議事堂跡で書類仕事に明け暮れていた。 「元帥、判子お願いします」 「元帥、治安条例の確認ですが・・・・」 「げんすい、まんがかいて」 周りには大量の子供、子供、子供・・・。 あるものは官僚っぽいがある者は軍人っぽい、ある者は普通の幼女。 そんな中嶋田は窓の外を見て 「どうしてこうなった?」 と呟く。 ある日突然発生した疫病によって世界中の大人は全滅し、世界は子供のみとなって文明は崩壊した。 そして肉体は子供な不老不死の嶋田は子供たちを放っておくことも出来ず組織運営などの知識を駆使しつつ 東京近辺を勢力下に置いた。すると各地に生き残ってた子供らは元帥生存の噂を聞きつけて集結し 嶋田を頂点に東京日本帝国を作り上げた。そして嶋田は中央集権というより独裁国家になった弊害と 未成熟な官僚組織のせいもあって常在仕事状態に突入。今に至るまで徹底したデスマーチを繰り広げている。 「神よ!俺が一体何をしたーー!!」 仕事中に絶叫する嶋田だが、後に彼は数百年後に環太平洋国家となった大日本帝国の始祖として"生ける"伝説なった。