約 12,004 件
https://w.atwiki.jp/kirisamenoyabou/pages/172.html
七尾城下の合戦 七尾城下の合戦(ななおじょうかのかっせん)は永禄2年に行われた姉小路家と能登畠山氏の間で起きた合戦。 姉小路家において本格的に鉄砲隊が運用された最初の戦いであり、謀略戦としても知られている。なお、ここでは永禄3年にこの合戦に続いて起こった輪島港の戦いも解説する。 参加兵力及び戦力評価(七尾城下の合戦) 姉小路富山城兵 第一部隊:騎馬隊5000:竹中重治、リグル・ナイトバグ、小島職鎮 第二部隊:鉄砲隊5000:明智光秀、霧雨魔理沙、明智秀満 畠山七尾城兵総勢20615 迎撃部隊:弓隊8500:畠山義綱 足軽隊8000:金森長近 兵力では姉小路が劣るものの、将の質は明らかに優越している。野戦での状況が勝敗の鍵であろう。 畠山義総死後から七尾城下の合戦直前までの能登の情勢 畠山義総死後、能登畠山政権の動揺を利用して、加賀に亡命していた畠山氏一族の畠山駿河守が地元一向一揆勢力の支援を受けて能登に侵攻した。 義総の後を継いだ畠山義続は全軍で迎え撃つと共に、本願寺に一向一揆衆への合力禁止を求めた。 本願寺証如はもとより本意ではなかったため、一向衆の畠山駿河への合力停止を求めたが、 本願寺の直接的影響力の小さい地域であったため駿河守が約束した褒美につられて従わない者が多かった。 (当時の本願寺は本拠山科を追われて本拠を石山に移した約20年後で再建期を終えた直後であった。 本願寺が地方への確固たる影響力を持つのは顕如以降である。後の顕如の加賀下向はこの戦いが関係しているとされる。) そして、これを機に義総時代からの統治の不満が噴出。畠山一族からも多数の離反者を出した。 これにより義続軍は機能不全に陥って軍を起こす事もできなくなった。 結局、温井総貞がほぼ独力で乱を鎮めたために事なきを得たが、義続は軍事的、外交的になんら有効な手を打つことができず、大名権力の衰えを露呈した。 ここにいたって、義総の代には危ういながら保たれていた能登国内のパワーバランスは崩れ去り、温井総貞の専横が始まったのである。 温井総貞は畠山重臣遊佐続光との土地争いを原因として合戦を起こした。 温井氏有利にすすんでいたが義続はこれ以上の温井総貞の勢力拡大を憂慮し、突如調停と称して温井総貞の居る館を軍をもって囲んだ。 この武力による脅迫に屈した温井総貞は領地の大半を取り上げられて能登国内の中堅勢力に転落することとなる。 義続は温井氏の領地の大半を手に入れたが、その領地には遊佐氏との係争地も含まれており、遊佐氏の反発をよんだ。 義続は遊佐氏を筆頭とする畠山七人衆を政治に参画させることで不満を抑えようとするも、義続が大名権力強化を目指す政策を近臣達だけで行ったことでさらなる不満を募らせていった。 結局、遊佐氏は長氏と語らってクーデターを起こして義続を出家させた挙句に加賀に追放し、義綱を擁立した。 これを永禄の政変という。 しかし義続は加賀より逃亡。姉小路家へ亡命を果たした。 七尾城下の合戦の概要 姉小路良頼(三木嗣頼)が能登国制圧を目的として竹中重治に騎馬隊、明智光秀に鉄砲隊をあずけて侵攻させた。 対して畠山義綱は金森長近と共に大軍で羽咋郡にて迎え討った。 しかし義綱隊は明智の鉄砲隊の最初の一斉射を受けた時点で陣を乱し、2度目の一斉射で前線は大混乱。 竹中の騎兵隊の攻撃を受けた時点であっけなく七尾城へ潰走してしまった。 戦になれた金森隊はさすがに落ち着いていて陣を乱さなかったが、 慣れない銃撃と友軍の撤退に兵の動揺は避けられず、竹中騎馬隊の猛攻の前に脱走者もでる有様で、 戦線を支えきれなくなってさほど時間をおかずに壊滅した。 竹中及び明智両隊は七尾城まで追撃し、そのまま攻城戦に突入。 すでに兵士たちの士気は衰えて脱走者が後を絶たなかったとは言え、七尾城は戦国屈指の堅城だけあって守りは堅かった。 特に慣れない鉄砲を扱っていた明智隊の損耗は激しく、弾の装填に手間取っている間に敵の礫で負傷する者が後を絶たなかった。 城攻めにかかる前は5000を数えた明智隊も最終的に動ける者は1000を大きく割り込み、 竹中隊にしても敵からの投降兵を戦陣に加えてやっと戦線を維持しているという状況であった。 ただ、当然ではあるが七尾城側の疲労も極に達しており、戦線離脱する者、投降する者はますます増えていった。 結局、七尾城を守れるだけの兵士を失って畠山の主だった将は再起を期して輪島港に脱出、 姉小路軍はこの攻城戦特有の我慢比べとも言うべき状況を制した。 参加兵力及び戦力評価(輪島港の戦い) 輪島港攻略先鋒:足軽隊4000:小島職鎮、原長頼 輪島港攻略本隊:足軽隊4000 稲葉良通 畠山・輪島港守備兵2050:守将 畠山義続 先の戦いでほぼ全領土と全軍を失い、残党といっても良い。独力での輪島港の防衛など論外である。 輪島港の戦いの概要 先の戦いでの勝利で輪島港を落とすこと自体はすでにたやすかった。ただ、時間をおけば畠山家が上杉家に降伏する可能性がでてくる。 もしそうなれば、上杉家との全面対決が予想される。それだけは避けなければならないので速やかに輪島港を落とすことが求められた。 そこで、七尾城下の合戦の翌年永禄3年5月初日、御山御坊の戦いと平行して輪島港攻略部隊を送ることとなった。 本隊率いる稲葉良通は経験豊富で、副将としても一軍の将としても優れていた人物であった。 先鋒の原長頼は若いが美濃衆の中では勇に優れた見所のある人物で知られていたが、経験不足が心配されたので畠山氏の情勢に詳しく計略に熟練した越中衆小島職鎮が副将につくこととなった。 戦いが始まっても畠山軍はすでに野戦をするだけの戦力もなく港に篭っていたが、輪島港の防備は薄く大軍の強襲に耐えられるものではなく、特に良通の槍隊による被害は大きかった。 結局同年7月5日に輪島港陥落。予定をはるかに上回る早さであった。 影響 姉小路軍はこの戦いで能登国全土を手に入れた。能登国は海を隔てて上杉領と繋がっており、防衛の上で重要な拠点のひとつであった。 また、美濃、越中は要塞化が予定されており、兵糧増産と技術開発を行うための機能を能登国に移転させることとなった。 七尾城下の合戦における調略、外交面についての説 この戦いにおいて畠山側から戦いの最中にもかかわらず多くの兵士が竹中隊に降伏した。 畠山軍は鉄砲による大規模な合戦を経験しておらず、明智隊の激しい銃撃に少なからぬ動揺がみられた。 そこを竹中重治が偽情報によってさらに動揺をさそい、多くの兵を篭絡したとされる。 ちなみに当時の鉄砲隊は鉄砲を撃つ個々人が狙いを定めて自分のタイミングで撃つのが基本であり、鉄砲隊での斉射という概念はなかった。 一般的にこの戦いで光秀が心理的効果を狙って行ったのが最初といわれている。 また、畠山側も越後の上杉謙信(長尾景虎)に働きかけて姉小路領の越中国を攻めさせ、 一方で姉小路家に停戦交渉の使者を送るなど、外交戦を繰り広げたといわれている。 このことは事実であるかどうかは分からないが、上杉軍が侵攻してきた報が届いた まさにその時に遊佐続光が金40000をもって停戦交渉の使者として訪れるなど あまりにも都合のよいタイミングであるため、そのように考えるのは自然であろう。 結果的には落城寸前であったこともあり姉小路家はこの停戦の申し出を受けなかった。 上杉軍も本気で越中を攻め取る気はなかったようである。 しかし、遊佐続光は登用後、他の畠山家出身者と違って内政だけでなく前線でも起用されていること、 また、長続連が外交官として長宗我部元親との同盟を結ぶ重要な場面で起用されていることから考えて、 この外交を立案、実行したのは遊佐続光と長続連であり二人の能力を姉小路良頼が高く評価したのではないかといわれている。 鉄砲隊について 七尾城下の合戦では姉小路家が本格的に鉄砲隊を運用したとされているが、実のところこの時点では精強と呼ぶにはほど遠い、狙うことすらままならない状態であったと考えられる。 鉄砲を入手するには主生産地である和泉の堺、近江の日野・国友、紀伊の根来などとは距離があり、 自前の生産が可能になる永禄2年7月末まで銃そのものは手に入っても十分な訓練が行えるだけの実包を揃えられていたとは考えにくい。 鉄砲隊の訓練には、鉄砲の名人であり家中にも上手が多くいたと言われていた明智光秀が行っていたが徴兵されたばかりの兵に一から教えることになるため、大規模に運用できるまでには時間がかかるとみれていた。 この戦いでの活躍は難しいと思われていたが、鉄砲になれていない畠山軍に与えた心理的衝撃はすさまじく、敵軍を壊乱させるには十分な効果が認められた。 永禄8年夏までには、肥沃な美濃・近江、貿易拠点となる敦賀の獲得による安定した火薬の確保が可能になり、 かつ元込銃を始めとする技術革新、鉄砲運用に詳しい織田・鈴木家家臣を取り込んだことにより質、量ともに日本一と謳われた鉄砲部隊が完成したと考えられる。 姉小路家が鉄砲隊し重点的に運用することとなったきっかけは「弾幕はパワー」とことあるごとに口にしていた霧雨魔理沙が思いつきで言ったことを、 同じ家中で人一倍の情熱と生真面目さを持つ姉小路頼綱と日本有数の鉄砲名人の光秀が真に受けたためであった。 この一見馬鹿馬鹿しいとすら思えるきっかけで始まった計画が、後に歴史を変えることになるとは誰が思っただろうか? 七尾城について 七尾城は先代畠山義総によって増築整備され、俗に五大山城と呼ばれるほどの名城であった。 城下町は「千門万戸」が立ち並び、山頂にそびえる七尾城の威容は「天宮」とまで称されたという。 ただ、この戦いでは野戦に敗れて多くの兵を失った畠山軍ではこのような巨大な城を守るのは難しく、その性能が最大限生かされることはなかった。 この戦いは、いかなる堅城でも優れた将と勇敢な兵士の両方がいなければ守りきることはできない、という風に「城を守るのは結局のところ人である」ことを教える好例として語られることなった。 戦後、良頼は能登国を農地や各種技術開発研究の拠点として発展させるためか、しばらく七尾城を居城にしている。 逸話 七尾城下の合戦は美濃衆と竹中重治の姉小路家家臣として始めての戦いである。 鉄砲隊の明智光秀などは美濃斉藤家時代にも副将として軍を率いた経験があり、明智秀満も光秀の配下として戦場に立った事があった。 ただ、騎馬隊の竹中重治は戦場経験はあったが主将として采配を振るうのは初めてであり、リグル・ナイトバグなどは初陣でいきなり副将に任ぜられるなど経験不足が心配された。 しかし、結果としては二人は経験不足を補って余りある将才によって大活躍をした。 七尾城下の合戦の最中、明智光秀隊と竹中重治隊との間では密に連絡をとりあっている。 騎馬隊と鉄砲隊では足が違うため、連携するために高度に情報交換を行わなければならない。その点光秀と重治は情報を扱う事に長けていた。 二人が今回の戦いの主将に選ばれたのはこのためであったと言われている。そのときのやり取りの頻度や内容が記録され、マニュアル化された。 後に騎馬隊+鉄砲隊が姉小路軍の基本ユニットとなったとき、マニュアルは大いに活用された。 この情報交換のための伝令のやり取りを利用してリグルと光秀も頻繁に手紙のやり取りを行っていたようである。 特に問題となるようなことはなかったが、後にリグルと光秀を常に同じ部署に配置することとなったのは、手紙の頻繁なやり取りに気づいた良頼が気を利かせたのではないかと言われている。 手紙の内容については一切分かっていない。光秀とリグルは公的にも私的にも信頼関係にあり、光秀はリグルを信頼して仕事を任せる事が多かった事を考えると初陣のリグルが光秀に何らかの相談をしていたのではないか、と考える者もいたが根拠はない。 ただただ、結果としてリグルが騎兵の突破力を生かして突進して多くの戦果をあげたこと、この戦いの後二人は常に一緒に行動したということが分かっているだけである。
https://w.atwiki.jp/kirisamenoyabou/pages/67.html
☆このページでは、霧雨の野望における金森長近について詳細に解説しています。 史実での金森長近について詳しく知りたい方はwikipediaなどの金森長近を調べてください 金森長近(かなもりながちか)(大永4年(1524年- ) 畠山家家臣。滅亡後は姉小路家家臣に。 ☆出生・家族構成 ☆官位・役職 ☆参加合戦 七尾城下の合戦(畠山) 革新能力 統率65 武勇67 知略54 政治61 義理47 足軽D 騎馬C 弓D 鉄砲D 計略C 兵器D 水軍D 築城C 内政D うp主解説 織田家臣。「赤母衣衆」出身の精鋭で、後には柴田勝家の軍団に所属。 史実においては秀吉の名で飛騨に侵攻、姉小路家を滅ぼした張本人である。 統率・武勇・政治が60台。バランス型なので使い勝手は悪くないが、 知名度の割に半端な評価である。せめて70台がひとつでもあれば。 緑の人解説 二代目の嫁は当動画のアイドルギリヨンの娘。主が次々と滅ぶ中強かに生き 羽柴家配下の時に飛騨討伐。後の飛騨高山藩主となる。 美濃(斉藤)→織田信長→本能寺の変の際息子死亡→柴田勝家→豊臣秀吉→姉小路征伐 東方風武将解説 「身に憶えない程度の能力」
https://w.atwiki.jp/sousakurobo/pages/390.html
プロローグ B-SIDE ―先述― 今回の事件において、姉小路真澄は基本的に無関係だと言える。 彼がこの事件に関わった事と言えば、事件の中心人物でもあった二十年来の友人と他愛の無い会話をした事と、一機の人型兵器 マシン の最期を看取った事。とある品を一点、横領した事位である。 この事件を一つの劇に例えるならば、劇の主役はあくまでもエムレインという一人の女性であり、彼女の行動が劇の全てであると言える。姉小路は最後の最後に無断で舞台に上がり、幕を下ろしただけに過ぎない。 故に今回、彼の活躍は殆ど無い。 いや、『今回も』と言うべきか。 彼は常に最後を看取り、締めくくる為だけに存在しているのだから。 今回、A-SIDEにエピローグが存在しないのは、先述したように姉小路が唐突に舞台に上がった事で、彼女がこの話を締めくくる事が不可能となったからである。 ソレは何故か。 賢明な諸兄に置いては想像に難しくない事だと思う。 B-SIDEは、エンディングを向かえる事無く中途半端に終了してしまったこの劇<A-SIDE>を、舞台裏を見せる事で『一応の』納得のいく形での閉幕をさせようという目的の為に存在する。 主役である彼女の知らぬ所で行われていた出来事。それは、要約させてしまえばホンの数行で終わってしまう些細なモノではあるが、諸兄にこの劇をより楽しんでいただけるよう、B-SIDEは回りくどい演出をさせてもらう事にする。 また、劇中に『大災害』<二十年前>を初めとした意味が不明瞭な単語が出てくる事があるが、今回の事件と真に係わり合いを持つ物は少ない為、深く考えずフィーリングで理解してもらえれば良いかと思われる。 兎にも角にも、私が姉小路真澄と係わり合いを持つ切欠となったこの事件。その全容を、ココに記したい。 記述者:ハルカ ↓ 感想をどうぞ(クリックすると開きます) + ... 名前
https://w.atwiki.jp/muramasatsuya/pages/339.html
6-5ガラシャの危機 7-1信長包囲網 7-2xxx 基本データ 消費握り飯 徳利 設計図 力・命の石 経験値 ステージ246 ステージ247 ステージ248 ステージ249 ステージ250 ステージ251 ステージ252 ステージ253 ステージ254 ステージ255 成果 報酬 条件 ☆3 高級ガチャ 10ターン以内に大賀宗九を倒す ☆2 武魂覚醒×5 12ターン以内に大賀宗九を倒す ☆1 ガチャ券 15ターン以内に大賀宗九を倒す 敗北 - 部隊が全滅しました 共通 姉小路頼綱を6ターン以内に倒せないと敗北となる 姉小路頼綱を倒すとクリア条件となる大賀宗九が出現するそれと同時に、味方部隊の背後に敵投石4部隊が増援で出現する 開始拠点左の橋を渡ると橋を塞ぐ形で敵増援が出現する 下ルートの場合は大賀宗九はマップ中央辺りに出現する(上ルートは不明) クリアを狙う場合 盾部隊を最低2部隊用意すると良い先行させる反撃持ち盾と、橋の増援を引き付ける部隊 橋を渡るまで(下ルート)橋の目の前にいる敵2部隊を2ターン以内に倒す 2ターン以内に反撃持ち盾を橋を渡った先の敵部隊に接近させる(ここで敵増援出現) 橋前に出てきた増援を邪魔な1部隊だけ倒し、残りは囮用の盾等に任せる 橋を渡った後(下ルート)橋を渡った先にいる敵部隊を2ターン以内に倒し、反撃持ち盾をマップ中央敵槍部隊に接近させる 姉小路頼綱をDA銃等の遠距離で6ターン目までに倒す姉小路頼綱は被ダメージ軽減持ち且つ、被ダメージ時HP回復を持つので、可能であれば斎藤道三等でスキルを封印したい 6ターン目に出現する敵投石部隊へ囮を出す 大賀宗九を残り味方部隊全員で攻撃して倒す ☆3を狙う場合 クリアを狙う場合と同様 コメントを書き込む前に コメント欄での【煽り、叩き、晒し、荒らし】を禁止します。 URLの記述はご遠慮下さい。 wikiに掲載されている内容が【最新とは限りません】。気づいた点があれば、編集するか、コメント欄に情報をお願いします。 管理者への連絡はこちらにお願いします。 名前
https://w.atwiki.jp/sousakurobo/pages/395.html
エピローグ こうして、CICが引き起こしたこの事件は幕を閉じた。 世間ではこの事件の真相に対し、様々な騒ぎが生じるのであるが、『彼女』ことCICと、姉小路真澄はこれ等に関わる事がなかった為に省略させてもらう事にする。 後の騒ぎの中心に立つ者が『本物の』エムレインである事から、少しだけ後の展開に触れさせてもらうとするならば―― ブルーバレットは今回の事件の真相を公明に表した。多くの人達を巻き込んだ事から、ブルーバレットとエムレインはマスコミを初めとした各方面に叩かれ、コレまで培ってきた大企業イメージを一旦失う事になるも、姉小路の想像通り、この一件を通してダウンシューターの知名度は世界へと知れ渡る事となった。 その結果、ダウンシューターを含むこのブルーフレームシリーズの開発続行は多くの国家に望まれ、ブルーバレットは再び人型兵器開発の道で盛り返す事となる。 彼女とブルーバレット社は政府に監視される形でブルーフレームシリーズの開発研究を続ける事となった。 姉小路といえば、暫く入院生活を送る羽目になったものの、基本的に以前と変わりない生活を送っている。 報酬の殆どをレグナの改修費に消耗してしまい、生活レベルの向上は図れなかったものの、エムレインの計らいにより、レグナのフレームにエレメチアル合金をまわして貰える事となったのが一番の収穫といえる。 長く退屈と思われていた入院生活も、小泉茜の看病もあり、比較的楽しく過ごせたようで何よりである。 以上を持って……はて? 私――ハルカという人物が劇中に登場して居ないと申す人がいる? そんな筈は無い。私は常に、私として登場している。 言うなれば、私は今度こそ本当にエムレインの記憶を抹消し、新たな一人格として生まれ変わったのだ。 しかし、コピーされた人格をリセットしたとしても、私の経験はずっと私の中に有り続けるらしい。 ある時、私は姉小路にこの事を話してみた。 「以前の事件について、私は一つだけ腑に落ちない点がある」 「何がだ?」 「消去された筈のエムレインの記憶が蘇った事についてだ」 「アレは、ハルカが……CICが復元したんじゃなかったのか?」 「確かに、CICは人間同様に忘れた事を思い出す能力を有しているが、私が疑問に思っているのはソコではない。あの時、エムレインだった私は、確かに誰かと話をして、ソレによって記憶を蘇らせて行ったのだ」 「つまり……記憶の修復を促された?」 「或いは、その様に見せかけて『別の記憶を植えつけられた』」 「じゃあ、CICが感じていた恐怖や裏切られたという感情、それらは全部、仕組まれていた可能性があると?」 「あくまでも、可能性は――」 私との会話の末に、姉小路は一度だけエムレインに連絡を取った。 彼の発した言葉は以下の通りだ。 「例のICチップの解析は慎重に行った方が良い。恐らくソレの中には、大災害がいまだに存在しているから」 ↓ 感想をどうぞ(クリックすると開きます) + ... 名前
https://w.atwiki.jp/m-jinbutu/pages/63.html
名家の人々 あ 姉小路顕朝 姉小路忠方 か 九条忠高 さ 菅原為長 た 平経高 平経親 平時継 平仲兼 平宗経 な 中御門為方 中御門為行 中御門経継 中御門経任 二条定高 は 葉室定嗣 葉室資頼 葉室光親 葉室宗行 葉室頼親 葉室頼藤 日野資名 日野資宣 日野俊光 藤原兼仲 藤原頼資 坊城定資 坊城俊定 法性寺雅藤 ま 万里小路宣房 源資平 源雅言 よ 吉田定房 吉田為経 吉田経俊 吉田経長 ら
https://w.atwiki.jp/kirisamenoyabou/pages/241.html
清洲城の戦い 清洲城の戦い(きよすじょうのたたかい)とは永禄9年に姉小路家と北条家の間で起こった戦いである。 参加兵力及び戦力評価 姉小路・稲葉山城兵36500 本隊:騎馬隊13500:武田信虎、八雲藍、前田利益 第二部隊:騎馬隊9000:霧雨魔理沙、博麗霊夢、淡河定範 第三部隊:騎馬隊14000:赤井直正、籾井教業、橙 亀山城兵19000 本隊:足軽隊9500:松永久秀、八意永琳、松倉重信 支隊:鉄砲隊9500:下間頼廉、蓬莱山輝夜、鈴仙・U・イナバ 北条・清洲城兵7081+傷兵 守将:北条氏康 美濃軍は機動力を重視し、騎馬隊での侵攻であるがここ数年で整備が進められてきたもののいまだ未熟であり、多少の損害は免れない。 一方、大和軍は姉小路得意の鉄砲隊で編成されており、この戦いの長期化を避けるならば彼らの到着如何によるだろう。 先の稲葉山会戦で北条軍が壊滅しているため、兵力差は懸絶している。 しかし、清洲城は当主である北条氏康を始め北条家歴戦の将が守っている。 また、領内には鉄砲櫓を始め防御態勢がしかれており山椒の如き軍と言えよう。 概要 稲葉山会戦で勝利した姉小路軍は余勢をかって北条軍の領土である尾張清洲城の攻略に乗り出した。 総大将は武田信虎。清洲城下の美濃側は小規模ながら鉄砲櫓による要塞化がなされており、攻撃隊は鉄砲櫓地帯をすばやく潜り抜けるために騎馬隊で編成された。 対する北条家はこの時点で亀山城が攻撃されており伊勢方面からの援軍は望めず、同盟国の武田家も三河方面が手薄となっていて援軍は望めないという状況で清洲城はほぼ完全な孤城であった。 この不利を補うべく北条氏康は情報と地の利を生かした戦術をもって対抗した。 北条軍は姉小路軍が鉄砲櫓地帯を抜けた時点で稲葉山との連絡を遮断、清洲城周辺は情報の孤島と化した。 そして、武田軍が再び大挙して襲来してきたとの嘘の情報を流した。 この偽情報以前に「武田軍、再侵攻の兆しあり」という本物の情報を得ていた信虎隊首脳部はこの情報を重視し、一時尾張国境付近まで後退することに決定した。 6月19日、殿軍の霧雨隊は襲撃に備えて待機、信虎隊は一足先に引き上げ、赤井隊は翌日の引き上げに備えて準備を行っている。 当然ながら清洲城へは常に物見を走らせていたという。 そして、6月20日未明、北条氏康隊3000はなんの前触れもなく赤井軍に夜襲をかけた。 実は氏康隊は姉小路軍が尾張国境を越えたという報告を受ける以前からでひそかに兵3000を近隣にちりぢりに伏せていた。 これを悟られないために城の旗指物を増やしたり、炊事の煙を多くあげさせるなどの工作を行っていたという。 突如予期せぬ方向からの襲撃を受け、赤井隊は陣を乱した。 奇襲の際、氏康は赤井隊の馬を重点的に狙うよう指示し、馬が暴れまわったことでさらに混乱に拍車がかかった。 将の尽力でかろうじて潰走せず、その場に踏みとどまったものの、列の足並みもそろわず、鉄砲櫓の射程にまで追い込まれ、被害はかなり大きいものとなりつつあった。 殿軍のために備えていた霧雨隊は事態に気づくや、すぐさま氏康隊に攻撃をしかけた。 霧雨隊によって赤井隊への攻撃は弱まったものの、氏康隊は赤井隊への攻撃を継続しており、混乱は収まらなかった。 この頃、連絡が途絶えたことに不審を覚えた蜂須賀正勝が自ら清洲の戦陣に向かう途中、引き返してくる信虎隊と出会い、事情を話したことで信虎隊が戦線に復帰した。 正勝は信虎隊が戦場に到着するよりも一足早く赤井隊へも報を伝え、ようやく赤井隊も落ち着きを取り戻した。 その後、三隊に取り囲まれた氏康隊は潰走、本格的な攻城戦に移った。 この頃には既に亀山城は落城し、松永久秀隊、下間頼廉隊が清洲へ援軍に向かっていた。 清洲城は東側への防備は厚いが、西への防備はないため何の支障もなく着陣。 全軍による総攻撃が行われた。この後も北条軍の抵抗は激しかった。 相変わらず情報工作も激しく行われたが、部隊間、稲葉山城間で将を使っての定期的な交信が行われたため、損害はおさえられた。結局8月5日に開城。戦闘は終結した。 この戦いにおける北条軍の情報工作について この戦いで稲葉山城軍が北条軍にここまで翻弄されてしまったのはその当時の情勢とそれを見事に利用した情報工作があったからである。 情勢とは、武田軍が稲葉山会戦において余力を残して退却したこと、常に稲葉山城への侵攻のそぶりを見せ続けていたことである。 実際に深志から信濃国境付近に築城部隊を送った際には、大軍での侵攻であるかのように見せかけるために必要以上の多くの旗を立てていたという話がある。 これは築城妨害を防ぐための牽制であるとともに、清洲攻撃隊への牽制の意味も持っていたと思われる。 このような不安定な情勢下での情報工作は非常に効果的であったといえる。 ただ、このような情勢下であっても情報を扱うに長けた将が多い姉小路首脳部を誤らせるのは困難であると思われた。 これを可能ならしめたのは風魔小太郎率いる風魔の存在であると言われている。諜報、偽報、後方撹乱等はまさに彼らの得意分野である。 この戦いの影響 この戦いに勝った姉小路家は肥沃な尾洲一国を手に入れた。敗れた北条家は領土をさらに縮小させ、伊勢、志摩、及び遠江浜松港を残すのみとなった。 逸話 この戦いは度々川越夜戦と比べられる。夜襲にいたる経緯は違うものの、敵に誤った認識をさせて隙を作って夜襲をかける手口は似ている。 しかし寄せ集めに近かった上杉軍と、結束力が非常に高い姉小路軍の違いが最後の結果に違いを生じさせた。 俗説では武田信虎隊が偽報にかかったのは主将たる信虎が武田家を強く意識していたからであると言われている。 稲葉山会戦においても、撤退する武田軍を必要以上に深追いしたという逸話が残っている事などから広く信じられてきた。 実際には先述のような北条軍の情報工作に加えて、武田家の情報統制で内情が分かりにくかった事 (武田家にその時点での美濃への侵攻能力がないことが判明するのは清洲落城後である) が主とした原因であったが、信虎の過度の意識が一因であることは否定できない。
https://w.atwiki.jp/lenoa/pages/12.html
はじめに 序 2005年、レノア家?としての創作物は小説?・絵?・音楽?など、多岐に渡るようになりました。そこで、それらの技術の集合体として、本格的なDL型ノベルゲームでも作ってみたらどうだろうか、という計画が立ち上がりました。これが「サウンドノベル計画」です。ここでは、その計画を進めていく上での情報交換、また外部者に対する情報提供を行っていきます。 なぜサウンドノベルか まず、レノア家の主活動である「創作活動」の中でも、特に高度なものとしてあげられるのが「ゲーム」です。ゲームを作れるようになれば、ネット上での創作団体としてはとりあえず一定のレベルに達したと言えるでしょう(もちろん本などのアナログ的な創作活動や、公的なコンクール?などに応募・入賞することも重要な基準になりますが、ここでは無視します)。そして、その「ゲーム」という枠組みの中で、今までのレノア家の活動として主なものである「小説?・絵?・音楽?」の3つが盛り込まれ、かつ作りこめる分野としてサウンドノベルがあがりました。もちろんADV?やSML?、もっと言えばRPG?などでもそれらの要素は入るのですが、まだゲームを作ったこともないようなサークルが挑戦するものとしては荷が重過ぎます。そういう点でも、サウンドノベルというのは比較的成功の可能性の持てる分野なのです。 概要 現在決まっていることを以下にまとめます。 タイトル:夢ノ光 概略:演劇部を中心とした学園物?。恋愛?はあったとしてもサブ要素か。 使用ソフト:吉里吉里? また、メンバーの配当は次の通り。 プログラム:すざく シナリオ:姉小路一雅 背景絵:姉小路一雅? ザック? 人物絵:姉小路一雅? ザック? 音楽:シャルル 連絡 とりあえずシナリオが動かないとどうにもなりません。できるだけ早急にUPしてください。(すざく) というわけで、アンドロの方にアップしておきます。何かあったら、アンドロの専用スレにレスお願いします。(姉小路) シナリオはOKです。絵のほうですが……ザックさん、すでにできてる分をまとめたページとか作ってくれると嬉しいです。よろしく。(すざく)
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/263.html
このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。 主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。 ここでは信長の野望・太閤立志伝の人物について扱います。 参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨) Category 戦国時代(日本) - Wikipedia :史実についての参考リンク 【非公式】霧雨の野望wiki 登場武将紹介 :霧雨の野望についての参考リンク 武将別解説 - 戦国編 :iM@S架空戦記シリーズ補完wikiでの戦国武将解説 『戦国時代の人物の一覧』 :ニコニコ大百科での戦国人物項目一覧 武将別伝(戦国) ア行 アア2 イ ウ エ オ ハ行 ハ ヒ フ ヘ ホ カ行 カ キ ク ケ コ マ行 サ行 サ シ ス セ ソ ヤ行 タ行 タ チ ツ テ ト ラ行 ナ行 ワ行 史実姫 江馬輝盛(えま てるもり) 江馬時盛(えま ときもり) 江里口信常(えりぐち のぶつね) 円城寺信胤(えんじょうじ のぶたね) 遠藤直経/喜右衛門(えんどう なおつね/きえもん) コメント欄 江馬輝盛 (えま てるもり) [部分編集] (1533~1582)飛騨の豪族。江馬時盛の子(異説あり)。時盛を殺害し家督に就く。本能寺の変後の混乱の中で姉小路頼綱と飛騨の覇権を争い、討死した。 「信長の野望」シリーズでは姉小路(三木)家の家臣扱い。父殺しゆえか不義理。動画においては局地的に知名度が高い武将であり、「ギリヨン」の名で親しまれている。 初登場は「嵐世記」、「蒼天録」からギリヨンになった。 革新 統率 56 武勇 55 知略 69 政治 60 義理 4 関連タグ: 【ギリヨン】 ニコニコ大百科: 『江馬輝盛』 霧雨の野望 【革新無印】 +姉小路家(プレイヤー勢力)初期家臣。ギリヨン。 姉小路家(プレイヤー勢力)初期家臣。 義理が4しかなく、開始5分27秒で裏切る。以降ギリヨンとして視聴者に親しまれる。 美濃を滅ぼした時、再度仲間になるが、出世の道は閉ざされた模様。 何かと名を上げようと画策するが、その度に器の小ささが露呈する ダメ君主の野望 【革新PK】 +一条家(プレイヤー勢力)に途中参加。 一条家(プレイヤー勢力)家臣。第四話(sm2954414)からの参加。 飛騨から斎藤家に寝返っていたが、今川氏真が竹中半兵衛と掛け合い、ボロカスに言われた挙句一条家に移籍。一条家の軍事の要として八面六臂の活躍を見せる。関西弁キャラを作ろうとしたり「霧雨の野望」での扱いを根に持ったりはするが、変態だらけの本動画では常識人の部類。有馬に「エマたん」呼ばわりされたときには気持ち悪がっていた。 梟雄の野望 【革新PK】 +遊佐家(プレイヤー勢力)初期家臣。 遊佐家(プレイヤー勢力)初期家臣。 プレイ動画で低義理といえばこの人。さすがに大名級の錚々たる梟雄の中では能力的にもネタ的にも見劣りする。ギリヨンが一番の常識人に見えるのが本動画の恐ろしいところ。 上へ 江馬時盛 (えま ときもり) [部分編集] (1504~1578)飛騨の豪族。三木(姉小路)氏と争い、武田氏に近づいた。後に息子の輝盛に殺害された。 「革新」では姉小路(三木)家臣。顔グラは桑野信義(くわまん)似との評もある。 革新 統率 35 武勇 37 知略 42 政治 53 義理 37 ニコニコ大百科: 『江馬時盛』 霧雨の野望 【革新無印】 +姉小路家(プレイヤー勢力)初期家臣。不細工殿、牛丼特盛。 姉小路家(プレイヤー勢力)初期家臣。 うp主からは 予告編 の段階で「顔も不細工だが能力も不細工」と紹介された。うp主の「ブサイク親父」「牛丼特盛」呼ばわりやぞんざいな扱い、息子の裏切りなどのさまざまな苦難を乗り越えるけなげな不細工殿の姿は、視聴者の人気を得た。 上へ 江里口信常 (えりぐち のぶつね) [部分編集] (?~1584) 龍造寺四天王 の一人。沖田畷の戦いにおいて他の四天王と共に敵陣に突撃し討死した。 革新 統率 80 武勇 87 知略 39 政治 6 義理 93 騎馬A,騎馬B ニコニコ大百科: 『江里口信常』 上へ 円城寺信胤 (えんじょうじ のぶたね) [部分編集] (?~1584) 龍造寺四天王 の一人とされる。沖田畷の戦いでは主君の身代わりとなるべく敵陣に討ち入り戦死した。 革新 統率 76 武勇 80 知略 41 政治 11 義理 79 騎馬A,兵器B 太閤5 統率 62 武力 38 智謀 60 政務 56 魅力 49,野心 41 ニコニコ大百科: 『円城寺信胤』 選ばれし男で普通に海賊プレイ 【太閤5】 +主人公。土佐水軍。紙芝居なし。 主人公。土佐水軍。1582年開始シナリオの純プレイ動画。 珍しい海賊プレイ。ランダムに選ばれて主人公になり、これまたランダムに選ばれた土佐水軍入り。 出世を目指す戦いは、迫る寿命との戦いでもある。 うp主が円城寺さんを気に入ってしまい、本編完結の後、彼がなぜ出奔したかが語られる「円城寺さんで沖田畷の戦い」( 動画 )や、 「鉄甲船で小田原攻め+おまけ」( 動画 )などの単発動画が作られて活躍している。 上へ 遠藤直経/喜右衛門 (えんどう なおつね/きえもん) [部分編集] (1531?~1570)浅井家臣。知勇兼備の猛将として知られる。浅井長政の相談役として、信頼は厚かったという。 信長の才能を見抜いた上で危険視し、信長暗殺を企てたとも言われている。姉川の戦いにて戦死。 革新 統率 68 武勇 87 知略 66 政治 8 義理 93 足軽B,騎馬B 天道 統率 58 武勇 83 知略 78 政治 8 義理 93 騎馬B,弓B ニコニコ大百科: 『遠藤直経』 上へ コメント欄 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kirisamenoyabou/pages/209.html
姫路城の戦い 姫路城の戦い(ひめじじょうのたたかい)は永禄10年に姉小路家、山名家間で起こった戦いである。 参加兵力及び戦力評価 姉小路・石山御坊城兵 先鋒隊 :騎馬隊9000 :浅井長政、十六夜咲夜、紅美鈴 遊撃隊 :騎馬隊5705 :斎藤義龍、前田利益、細川藤孝 主力鉄砲隊:鉄砲隊10000:明智光秀、明石全登、レティ・ホワイトロック 第二鉄砲隊:鉄砲隊9000 :蓬莱山輝夜、八意永琳、遊佐続光 第三鉄砲隊:鉄砲隊5000 :斎藤利三、明智秀満、リグル・ナイトバグ 第四鉄砲隊:鉄砲隊7280 :磯野員昌、鈴仙・U・イナバ、ルーミア 山名・姫路城兵総勢31019 守将:吉岡定勝 迎撃部隊: 第一部隊:足軽隊5000:吉岡定勝 第二部隊:足軽隊8000:南条宗勝、伊吹萃香 第三部隊:足軽隊7500:垣屋続成 第四部隊:弓隊5500 :延原景能 援軍:5000:山名豊国 姉小路は弓木城の戦いに続き、美濃・近江衆の精鋭軍である。鉄砲隊だけで25000を超え、石垣のない城など鎧袖一触である。 対する山名は数で劣勢であるものの、黒田孝高、伊吹萃香の両将が守備についており、勝敗は彼らの活躍次第であろう。 概要 弓木城を落とした姉小路家はその勢いのまま、摂津から播磨姫路城へと兵を進めた。 陣容は斎藤義龍・浅井長政・明智光秀・斎藤利三、石山御坊に駐屯していた磯野員昌や蓬莱山輝夜がこれに加わった。 これに対し山名は山陽道沿いの飾磨郡に伊吹萃香を与力とする南条宗勝を始めとする部隊を迎撃に出すものの、 南条隊は単独で突出、姉小路軍の集中攻撃にあいあえなく壊滅。他の部隊も鎧袖一触とばかりに粉砕された。 攻城戦に移った後も姉小路優勢は揺るがず、山名豊国が5000の援軍を率いたものの間に合わず、前回の弓木城同様一月で姫路城は陥落した。 この戦いの影響 山名は一色・赤松を滅ぼして手にした領地・兵を失い、残すは本拠地の鳥取城のみとなった。 背後の尼子が攻め入ることはないものの、孤立無援の状況には違いなく、山名家の滅亡は決定的となった。 逸話 この戦いにおいて、伊吹萃香と前田利益の一騎打ちが行われている。 一騎打ちの途中で萃香の部隊が壊滅したため勝負はつかなかったと言われているが、天狗に続き鬼とまで戦った彼の武勇は万天下に鳴り響いた。 なお、彼が一騎打ちに向かう前、大将であった斎藤義龍に「手勢は如何ほど入り用か?」と尋ねられたところ、「犬、猿、雉を一匹ずつ。無ければ手勢は不要」と答えたという。 御伽話の桃太郎からの洒落であるが、このやり取りが後の桃太郎の造形を前田利益とするようになった原因であると言われている。 播磨地方において、赤鬼というのは毘沙門天の化身であるので萃香は畏れられ敬われる存在であるとともに人気者であった。 各地の民衆はこぞって彼女を祭に招待している。特に祭の多い秋には引っ張りだこであった。こういった待遇は彼女にとって居心地が良いものであったと思われる。 赤松晴政が客将として扱っていたのも、その能力よりも縁起の良さと民衆からの人気によるものであったという。 そういった経緯から播磨地方以外での前田利益の人気は圧倒的であるが、播磨地方(特に姫路周辺)においてはどちらかというと萃香の方が人気が高い。 萃香は由緒ある増位山隋願寺で毎年正月に行われる鬼追い祭にも毎年参加している(他地方の鬼追い祭では鬼を追い出す祭が殆どだが、この地方では鬼が災厄を追い出すという平安時代以前の様式を保っている)。 鬼が参加する鬼追い祭ということでご利益を求めて人々は隋願寺に詰め掛けたという。 隋願寺ではこの戦いの後に伊吹萃香と前田利益の一騎打ちを記念して毎年奉納相撲が行われるようになった。 その際、萃香役を1人前田利益役を1人希望者の中から選ぶわけだが、毎年萃香役の希望者は前田利益役の希望者の約2倍の数である。 BGM xxxONICK 東方アレンジ・耳コピスレッドCD企画 「幻想音楽祭~Phantom Concert」