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シングルバトル:南太平洋戦線 対AI戦 対人戦
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読み たいへいようせんそう 正式名称 別名 和了り飜 役満 牌例 解説 1,9,4,1,の刻子を含んだ対々和。 成分分析 太平洋戦争の56%は元気玉で出来ています。太平洋戦争の30%は毒物で出来ています。太平洋戦争の11%はやましさで出来ています。太平洋戦争の3%は祝福で出来ています。 下位役 上位役 複合の制限 採用状況
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太平洋戦争〔言葉で検索〕 / 大東亜戦争 / 15年戦争 / 大東亜戦争と太平洋戦争 この項は、【大東亜戦争】 を参照。 または、過去ログとして、【日米戦争(太平洋戦争)】も参照。 ......................................................... 「太平洋戦争」という言葉は、元々なかった。元々は 「大東亜戦争」と呼んでいた。GHQの占領政策によって 「大東亜戦争」は検閲により消去されWGIPによって「太平洋戦争」に塗り替えられた。(LEGACY OF ASHESより) ......................................................... .
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第2次世界大戦にて、特に日本軍で航空機が活躍したのはどの戦いでしょうか? 日露戦争や第一次大戦、第二次大戦でもヨーロッパではで多大の戦果をあげた機雷。 太平洋戦争の終わりごろに、米軍機が日本本土の民間人を銃撃、殺傷したような事は多く有ったのでしょうか? 辻ーんとは誰の事ですか? 空の神兵って軍歌で、歌われているのは陸軍落下傘部隊ですか? 金日成率いる抗日パルチザンと戦った日本軍は何部隊ですか? 米軍は民間人も含めた全ての日本人を積極的な攻撃対象にしていたのでしょうか? いつから「太平洋戦争」っていうようになったんだい?戦争中は「大東亜戦争」だったんしょ? 朝鮮軍2個師団は朝鮮半島に終戦時まで駐屯していたのでしょうか? 日本軍が第二次世界大戦であげた戦果ってのはどんなもんなんでしょうか?総計でお願いします。 太平洋戦争ですが、日本はアメリカと戦うために南方に侵攻したんでしょうか? 伝単って何すか? 旧華族の太平洋戦争での戦歴が知りたいです。 真珠湾奇襲や他の海戦で空母から艦載機が全機発艦するのに、ものの15程度と書いてありますが実際そんな短時間にスムーズに何十機も発艦できるものなんでしょうか? 張鼓峰事件でモンゴルは、なぜソ連と共に日本の関東軍と戦ったのでしょうか? China-Burma-India Theater(CBI)というのはなんでしょうか? 米軍がネイティブアメリカンの言語をもとにした暗号を使用したようですが、この方法を採用する前はそんなに日本軍に暗号を解読されていたのでしょうか? 太平洋戦争は日本による侵略戦争ではないとニュー速+で聞きましたが、どのような目的の戦争だったんですか。 日中戦争、太平洋戦争での日本人(軍人、民間人)の死者数を知りたい 大戦中、海外情報は中立国のスイス、スウェーデン等の公館や武官事務所から送られてきたそうですが、どういう手段だったのでしょう? 支那事変から太平洋戦争終戦までの戦略的、戦術的な側面、日本国内の内政的な側面を資料を元に記述されているサイトを教えて下さい 太平洋戦争の終戦時の「内地」っていうのは、台湾とか朝鮮も内地に含んでいるですか? 「防衛大学の教授は太平洋戦争を大東亜戦争と言わないと怒る」という話をみたのですが 「大東亜戦争」から「太平洋戦争」、いつの段階で政府の呼び方が公式に変わったのでしょうか。 太平洋戦争の末期には本土に対して空襲だけでなく艦砲射撃も行われたと聞きますが戦艦は参加してたのでしょうか。 WW1での戦訓をそれなりに日本はWW2で活かしていたと思うのですがどうでしょうか? 枢軸国の会議みたいなものが、シンガポールで行われたのは事実でしょうか 大戦中、日本国内で軍属またはそれに類する人たちが米国の陰謀によって破壊工作に誘導利用されたという事実はあるのでしょうか? 日本統治下のグアム(大宮島)について、統治内容等を知りたい 太平洋戦争中の朝鮮半島には、朝鮮軍ってなかった? 米軍がトラック島を占領しなかった理由はなんでしょう? 何故、ミッドウエー海戦の様な大逆転が日本側になかったの? 真珠湾奇襲攻撃で「第一次攻撃隊」「第二次攻撃隊」のように複数回に分けて攻撃を行ったのはなぜですか? 南太平洋海戦後に、一時的に日米の空母戦力が拮抗しましたが、今の内にアメリカと講和をしようという考えは日本にはなかったんでしょうか? あ号作戦を、攻撃隊のパイロット達は「この作戦は失敗する、あほう作戦だw」と揶揄していたそうですが、何故パイロット達は作戦が失敗すると分かっていたんですか? アメリカはどのようにウラジオストクへ物質を輸送していたのですか? 米軍はなぜ空襲する前に警告のビラを空から撒いたのか 太平洋戦争の終戦時、米軍は原爆を何発持ってましたか? 落とす気になってたら八月九月で何発投下できたのでしょうか? 大東亜戦争がアジア・アフリカの独立をうながしたというのは事実? インドって独立したとき,イギリスに賠償請求したの? 第2次大戦中に日本軍がベトナムで米を徴発しすぎたため,ベトナムの1000万人が飢え死にしたというのは本当ですか? 戦争中,日本国内にいた,連合国側の外国人・帰化人はどうなったのでしょうか? 第2次大戦時に,米国に在住していた日系人が強制収容所に収容された事は有名ですが,米国在住の日本人の処遇はどの様な物だったんでしょうか? 戦争中における国内の外国人の扱い 太平洋戦争で、メキシコは日本に対して宣戦布告していましたが、戦闘は行われていたでしょうか? 太平洋戦争の末期、もし日本が降伏しなかったら、九州に侵攻した後、東京に侵攻すると聞きました インパール作戦みたいにインドを解放する作戦って、もっと早い時期に計画しなかったの? アリューシャン列島の占領は陽動作戦で、ここは大して戦略的に重要な場所ではなかったですよね。 オーストラリア軍が航空機で漂流者を何度も反復攻撃して海が血の色に染まる映像を身内に配って回ってたというのは本当? 米軍が日本の重要な軍事施設を把握していたのは何故? 太平洋戦争で米軍の死者は30万人出たそうですが、これは当時の国力比からしたら、善戦したほうなんでしょうか? 占領したアリューシャン列島にいた民間人を連行したが、彼らは結局同島に生還できなかった ・・・これ本当? 太平洋戦中の極東ソ連軍の兵力は? 日本軍はインドネシアで民兵組織を指導していたそうですが? アメリカが日系人を工作員としてインドシナ半島などに潜入させていたという話、 アメリカの対日作戦計画はオリンピック作戦とコロネット作戦が有名ですが、ソ連が北海道、続いて東北地方に上陸してくる可能性はあったのでしょうか? がっちりハワイ 先の大戦では沖縄では沖縄本島以外は戦場にはならなかったんでしょうか? 日本は連合国と講和することは無理だったのですか? なぜ日本は本土決戦しなかったの? サイパン島の戦いって日本側の死者がやたら多すぎるような気がするんだけど コロネット作戦で米軍がサリンを使用する計画、というのをよく聞くのですが、本当でしょうか。 チャンドラ・ボースのインド国民軍のだいたいの人数を教えてください 太平洋の島嶼戦を眺めていると日本軍の沿岸砲は要塞に配された砲を除くと大体、駆逐艦クラスの主砲転用、あるいは戦艦の副砲、高角砲の転用が目立ちますが 朝鮮人で中将になった人以外で活躍した人っていますか? 旧日本軍はなぜガダルカナルにこだわったのでしょうか。 第二次世界大戦当時の蘭印の陸上戦力は何個師団程度だったのでしょうか? 硫黄島の攻防で、3日間で延べ800機、推定5000トンの爆撃、艦砲射撃を受けたものの、日本軍の死傷は60名程だったと聞きました。 韓国軍のWWⅡにおける活躍を教えて アメリカの大学で米人相手に太平洋戦争についての話をしなければいけなくなったのですが、 サンダカン死の行進って本当に有ったの? 連合艦隊のトラック進出の意義について教えてください。 戦時中、日本軍は東南アジアの各地域に進攻しましたが、それらの国にはどれほどの工業設備があったのでしょうか? 米軍がダウンフォール作戦で、接収したV1,V2号の余剰を使うという案はあったようです。 サリンを使う、という話も聞くのですが 大戦当時のシンガポール港はどれほどの設備があったのでしょうか? 映画「1941」で潜水艦イ-19がアメリカ西海岸の都市を砲撃していますが、実際にあったことなのでしょうか。 米豪遮断に意味なんてありますかね? 太平洋戦争において真珠湾攻撃など緒戦でアメリカを強く叩けば,すぐ講和してくるとの読みが旧日本軍にはあったと言われていますが,読み通り本当に講和してきた場合,その後の日本はどういう軍事戦略を取る予定だったんですか? 戦時中日本軍はアメリカ本土への上陸作戦を考えてた事はあるのでしょうか? 太平洋戦争中、アメリカ本土には日本のスパイは1人も居なかったんですか? 西亜打通作戦について教えてください。 太平洋戦争での米軍は、マッカーサのわがままで大きく南回りしたって本当? 日本軍がインドネシアを統治したときインドネシア人を奴隷にしましたか? 旧日本軍はマダガスカルの攻略を考えていた…ってかいてあったんですけど、マジですか? 太平洋戦争の時,日本はインドネシアを直轄領としようとしていた,と聞いていたのですが,どうなんでしょうか? 何で日本の豪州脱落計画は破綻したんですか? 太平洋戦争中、何故、日本軍はグアム・サイパン・テニアン島を硫黄島みたいに要塞化しなかったんですか? 1945年の8月15日当時、アジア各国の民衆は日本の敗戦をどの様に受け止めたのでしょうか? 日本本土への艦砲射撃の際、日本本土の要塞や砲台は交戦しなかったんですか? ラバウルなんか占領する必要はなかったのでは? 日本軍はラバウル攻略を第二段でなく第一段作戦に組み込み、開戦前からの明確な方針としたけど、その後の絶対国防圏で外たんですよね? 海軍は短期決戦の戦略だったんですよね? 緒戦で優勢に立てば、アメリカはすぐ講和してくるとの読みが旧日本軍にはあったと言われていますが、 もし日本が英蘭のみ攻撃してたら、アメリカは参戦するつもりだったの? サイパンの戦いにおける日本軍が守備隊をもっと早くサイパンに配置しなかった・出来なかった理由はなんでしょうか? 「太陽の帝国」で中国駐在の欧米民間人が収容所で使役されてました。あんなこと実際あったんですか? 1942年ごろのタイ海軍の戦力を教えて下さい 日本統治下のグアム(大宮島)について、統治内容等を知りたいのですが 旧日本軍は米軍の暗号通信をどの程度解読していたんでしょうか? 日本軍はアメリカ軍の本格的反抗は1943年以降と考えていたとのことですが、何を根拠にそう考えたのでしょうか? 泰緬鉄道の建設では多くの現地人と捕虜が死亡したそうですが、そんなに価値ある鉄道だったんでしょうか? 日ソ中立条約があったころ、満ソ国境ではどんな諜報活動が行われていたんですか? 真珠湾攻撃から珊瑚海海戦まで半年近く大規模な海戦がおきなかったのはなぜですか? 太平洋で日本がアメリカと戦ってまともに勝てた戦いって何ですか? 日本占領下の東南アジアで編成された現地人部隊について教えて下さい。 太平洋戦争中、猪や鳥等の野生生物は激減したんでしょうか? 日露や第一次世界大戦では捕虜を人道的に扱っていた日本軍は何故WW2であのような捕虜の扱いをしたのでしょうか? 太平洋戦争の日本軍の中韓以外のアジアにおける評価はどうなっているのですか? 第2次世界大戦にて、特に日本軍で航空機が活躍したのはどの戦いでしょうか? 真珠湾攻撃とミッドウェー海戦 (3 958) 日露戦争や第一次大戦、第二次大戦でもヨーロッパではで多大の戦果をあげた機雷。 しかし、太平洋戦争では日米とも積極的には機雷戦というのをやっていないですよね。(戦争末期に日本封鎖に使われたが) 例えば、ガ島戦で東京急行の通り道に機雷をしかけるとか、輸送船団の通りそうな海峡にしかけるとかすれば、 戦果が上がったように思うのですが、なぜしなかったんでしょう? 想像でしかないのですが、太平洋戦争は戦域が広すぎたのでは? 広い太平洋に漫然と機雷をばらまいても仕方ないですから。 東京急行といっても輸送路が完全に一緒ではないですからねえ。 さらに戦線の移動速度が早かったので、機雷の設置があまり意味を持たなかったとも考えられます。 ただ日本軍の機雷戦が不活発だったのは分からないですね。 沖縄にしろ硫黄島にしろ周囲を機雷で囲めば少しは戦果がありそうですが。 (8 419) 太平洋戦争の終わりごろに、米軍機が日本本土の民間人を銃撃、殺傷したような事は多く有ったのでしょうか? 俺の親父は戦後、米軍の飛行機に低空で追っかけまわされて 大人に「防空壕へ逃げろ!!」とか言われたらしい。 相手はふざけてやったんだろうが、その時は子供だったから本当に殺されるかと思ったと言っていた。 (15 46) 辻ーんとは誰の事ですか? 悪評高い旧陸軍の参謀・辻政信のことだ。 (15 358) 空の神兵って軍歌で、歌われているのは陸軍落下傘部隊ですか? 映画「空の神兵」は陸軍の落下傘部隊の話なので その主題歌の「空の神兵」は、 陸軍の落下傘部隊を歌ったものだと思われます。 (16 230) 金日成率いる抗日パルチザンと戦った日本軍は何部隊ですか? 一連の反金日成本では現地駐留警察の交番を襲った、というのが真相としています 証拠として掲載されていた当時の大阪日日新聞の記事もそうなっていました 実際の被害としては、中年の日本人巡査1人が殺害されたほか、周辺の朝鮮人家庭が略奪されたようです 反金日成本の著者の多くは金日成体制からはみ出した元共産主義者のため、 記述の大半が自己弁護に費やされている例が多く、襲撃に参加したと主張している著者も 略奪した民家は親日主義者であるとして、罪とは認めていません (16 264) 米軍は民間人も含めた全ての日本人を積極的な攻撃対象にしていたのでしょうか? していました。公文書に「目標 民間人」とかいてある訳ではありませんが、 空襲の際の戦術をみると、明らかに一般市民の殺戮を目的としていたものがあります。 (まず市民の逃げ道になる所を炎上させる、等) 東京大空襲における12万人の犠牲は、こういった戦術による「戦果」です。 また、米軍の日本空襲は、1942年の空母を発進したB25爆撃機によるものが最初ですが、 このときすでに、中学生が意識的に機銃掃射の対象になっていたはずです。 では、なぜ、このような行為が行われたのか。 まず、当時の「戦略爆撃」の理念・目的があります。 20世紀になり、大規模な戦争は、その国の工業力・生産力といった後方の力も戦力とする「総力戦」になったことはご存じでしょう。 そして、「戦略爆撃」は、この後方の生産力・工業力だけでなく、民衆の戦意の低下も目標として考えられた「戦法」です。 こういった民間人と戦闘員を区別しない「戦法」がうまれた背景には、 第一次大戦における前線の兵士の犠牲が、それまでの人類史上、非常に大きなものであったので、 大戦間に、民間人を目標として攻撃し、敵国の戦意をなくすことができれば、トータルの死者はへる、 すくなくとも自国・味方の死者はすくないはずだ、という考えがあったようです。 あと、米国の特殊な歴史があります。米国史上最大の犠牲者を出した戦争は1861~65年の南北戦争ですが、 この南北戦争の終結に、北軍による南部の都市・産業基盤の破壊、民間人を区別しない攻撃が大きな役割を果たしました。 また、建国以前からの対先住民(インディアン)戦争にも戦闘員・非戦闘員の区別はありませんでした。 さらに、米国は、一人一人が「主権」をもつ民主国家であり、民間人といえども国政に対する責任を持つというという、 彼らにとって「空気」のような発想、自分たち米国人にとって、一番「いやな」損失が、人命であり、 民間人の犠牲だ、という感覚を、当時の米国は無意識的に他国に投影していた、という面もあるしれません。 (17 愚考) いつから「太平洋戦争」っていうようになったんだい?戦争中は「大東亜戦争」だったんしょ? 「太平洋戦争」は終戦後しばらく経った昭和20年12月15日に 占領軍司令部の指令で「大東亜戦争」の呼称の使用が禁止された為に 臨時の代用名として考案されたんだそうな。 占領軍が「大東亜戦争」の呼称を軍国主義的だと考えたらしい。 (18 606) 朝鮮軍2個師団は朝鮮半島に終戦時まで駐屯していたのでしょうか? 抗日ゲリラの活動はせいぜい派出所を襲撃して、単独でいる巡査を殺すぐらいでした 朝鮮軍2個師団とはいいますが、定数は大幅に割っております (19 89) 日本軍が第二次世界大戦であげた戦果ってのはどんなもんなんでしょうか?総計でお願いします。 戦艦:Prince Of Wales、Repulse、Oklahoma、Arizona 空母:Hermes、Lexington、Yorktown、Hornet、Wasp 軽空母:Princeton 護衛空母:Gambia Bay、St.Lo、Liscome Bay、Ommaney Bay、Bismark Sea 重巡洋艦:Canberra、Dorsetshire、Cornwall、Exeter、Northampton、Chicago、 Houston、Indianapolis、Astoria、Quincy、Vincennes 軽巡洋艦:Helena、Atlanta、Juneau、Peath、Sydney、Java、De Ruyter 駆逐艦以降は多すぎて略。 (20 眠い人 ◆ikaJHtf2) 太平洋戦争ですが、日本はアメリカと戦うために南方に侵攻したんでしょうか? 南方の資源が欲しいから進出しました アジアを鬼畜米英から解放する、というのも理由ですが、まぁ建前みたいなもんです (21 947) 伝単って何すか? 伝単とは日本軍が作った反戦、厭戦を目的とした謀略ビラで、飛行機、 砲撃によりばらまかれたものです。 元々は中国で言う宣伝ビラのことですけどね。 (30 眠い人 ◆ikaJHtf2) 旧華族の太平洋戦争での戦歴が知りたいです。 有名なところだと、 加賀の前田利為侯爵 バロン西・西竹一男爵 皇族では、 伏見宮博英王(伏見宮軍令部総長の4男) 日華事変だけど、北白川宮永久王 (34 197) 真珠湾奇襲や他の海戦で空母から艦載機が全機発艦するのに、ものの15程度と書いてありますが実際そんな短時間にスムーズに何十機も発艦できるものなんでしょうか? 真珠湾で最も多い赤城から発艦したのは36機15分(?)だとすると1機当たり29秒で発艦すればよい。 艦戦→艦爆→艦攻と軽い順から離艦するからまぁ妥当な時間だと思うがね カタパルトに頼っていた米軍はヘタれ (くだらない質問はここに書け! 335) 張鼓峰事件でモンゴルは、なぜソ連と共に日本の関東軍と戦ったのでしょうか? モンゴルは世界で2番目に登場した共産主義国家で、当時、ソ連と相互援助協定を結んでいました (36 934) China-Burma-India Theater(CBI)というのはなんでしょうか? 第2次世界大戦の一つの大きな「舞台」ですね。 当然に、日本と中国国民党&中国共産党が対峙している「中国」戦線があります。 中国国民党軍を米英は支援しており、その支援ルートを遮断するため、 日本軍は「ビルマ」に侵攻してますね。 そのビルマをめぐる攻防があって、戦線はビルマ-「インド」国境近辺まで… そして、中国に対する支援ルートの完全遮断、 最終的に、イギリスからインドを強奪することも視野に入れて、 日本軍のインド侵攻の企図もあって…。 今の日本人はあんまり注目していませんし、 この板でも、インパール作戦を批判したり、海軍のインド洋作戦の可能性を検討する以外は、 それほど大きな話題にはなりませんが、非常に重要な方面だったんですね。 (54 470) 米軍がネイティブアメリカンの言語をもとにした暗号を使用したようですが、この方法を採用する前はそんなに日本軍に暗号を解読されていたのでしょうか? 日本軍が米軍の戦略暗号を解読した事はありません。 戦場における部隊通信の場合、簡易な秘匿をかけた音声通信は結構簡単に解読されます それを嫌ったのでしょう>ネイティブアメリカンの言語をもとにした暗号 (64 163) 太平洋戦争は日本による侵略戦争ではないとニュー速+で聞きましたが、どのような目的の戦争だったんですか。 植民地・資源の確保です。 (82 668) 荒れそうなネタ&スレ違いですな。 できるだけ簡単に言うと、歴史観の違いでいくらでも異なった結論は出てきます。 ただ、「日本による」一方的な「侵略戦争」というのは明らかに間違いでしょう。 大戦直前の局面において、日本が一方的に攻勢に出ていたためにそうした印象が強い。 しかし、もともとアジアアフリカの植民地化を目的とした「侵略」は欧米が始めたものであり、 中国東南アジア共に日本が進出する前は欧米諸国の植民地(ないしはそれに準じたもの)でした。 遅れて近代化した日本は、新たな植民地(市場)を得ようと欲すれば、 彼らの植民地を浸食する形に、必然的にならざるを得なかった。 つまり、欧米による「侵略」の先端と、日本による「侵略」の先端が接触し、押し合いになり、 それが外交手段(話し合い)で解決できず、戦争になった。 侵略対侵略の戦争だったわけです。 19~20世紀前半の戦争の形態としては、ごくありふれたものだった。 ただ、これだけは言えるのが、日本による「侵略」の方法が、スマートさに欠けたのは事実でしょう。 ごり押しと脅し、陰謀丸出しの工作など、誰の目にも強引と映る方法しかとり得なかった。 これが諸外国へ非常な悪印象を持たせたのは、否定できません。 (82 669) 日中戦争、太平洋戦争での日本人(軍人、民間人)の死者数を知りたい 厚生省社会援護局が担当部署だが、もっとも信頼できる数字は靖国神社のものだと思うぞ 韓国・台湾の出陣者や米兵捕虜まで含んでおるそうだ (87 927) 大戦中、海外情報は中立国のスイス、スウェーデン等の公館や武官事務所から送られてきたそうですが、どういう手段だったのでしょう? 外交官という身分があれば手荷物の検査はされません 外交官の書簡検閲もできません 傍受、盗聴に対抗する手段としては暗号がありますし、幸いにも ソ連は日本の外交・軍事暗号は解読できなかったようです (92 737) ええと、補足しておきますが外交官の「手荷物」、つまり外交行嚢は貨車丸ごと1台分で あっても「手荷物」と認められています (92 740) 支那事変から太平洋戦争終戦までの戦略的、戦術的な側面、日本国内の内政的な側面を資料を元に記述されているサイトを教えて下さい 文献なら書評スレを見ればなんぼでも出てきますから、その辺をご覧あれ。 サイトに関しては、それぞれの局面を描いているものが多くて、全体を俯瞰したもの は書籍に勝るものはありません。 大学などのレポートをお書きになるのでしたら、そう言ったサイトはあくまでも補助的 な資料として確認する位が関の山ではないでしょうか。 書籍一番その辺を網羅し、精緻に書かれているのは戦史叢書全102巻が基礎資料に なるでしょう。 後、児島穰(字を間違えているかも知れませんが)の日中戦争、あるいは太平洋戦争。 この辺を抑えていればいいのでは? (93 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 太平洋戦争の終戦時の「内地」っていうのは、台湾とか朝鮮も内地に含んでいるですか? 台湾、朝鮮、樺太は含みません。 (94 783) 「防衛大学の教授は太平洋戦争を大東亜戦争と言わないと怒る」という話をみたのですが 本当なのですか? 本当にしろ嘘にしろ、怒るのはなぜですか? 本当かどうかは知りませんが理由のみ その名称では中国大陸やインド・ビルマ方面は入らないことになる 当時の正式名称だから(太平洋戦争は戦後アメリカがつけた呼び名) だからかと (94 737) 南米の太平洋戦争と紛らわしいからかも (94 738) ガタルカナルやオーストラリアのダーウィン,真珠湾等が 「東亜」に入るかも大いに疑問だが もう呼び名は第2次世界大戦でええやん (94 742) 「大東亜戦争」から「太平洋戦争」、いつの段階で政府の呼び方が公式に変わったのでしょうか。 日本において太平洋戦争という呼称は、第二次世界大戦直後にGHQにより 大東亜戦争という呼称を公文書において使用することが禁止され、 その後の言論統制により、利用されるようになった (97 剣恒光 ◆YR1Hskt.M.) 米軍統治下でしょう (97 850) GHQの統制の問題に加え、日本に軍事学を教える大学がなくなったことにより、 日本においては軍事学は好事家が欧米から学ぶという形ができ、 太平洋戦争という「洋学」の用語が「和学」の用語を駆逐してしまった、 ということもあるのではないかと愚考。 大東亜というイメージからは、真珠湾やガダルカナル、ミドウェイなどの主戦場が漏れてしまうしね。 日本で唯一軍事学が学べる防衛大学校は、最初から「太平洋戦争」で教えているようだし。 例えば、外山三郎や志方俊之の著作は全部「太平洋戦争」(うろ覚え) (97 870) 太平洋戦争の末期には本土に対して空襲だけでなく艦砲射撃も行われたと聞きますが戦艦は参加してたのでしょうか。 艦砲射撃は戦艦が中心。アメリカだけでなくイギリス軍も参加している。 イギリス海軍の戦艦キングジョージⅤは九州各地・茨城県日立市・静岡県浜松市を砲撃。 (100 335) WW1での戦訓をそれなりに日本はWW2で活かしていたと思うのですがどうでしょうか? 第二次世界大戦の参加国陸軍は、その多くが第一次大戦の教訓を取り入れています。 ただ、その取り入れ方は国ごとにまちまちで、 ドイツは空軍と機械化師団を中心とした短期機動戦、 フランスは砲兵火力を中心とした防御重視戦略と小規模な機動予備兵力による反撃。 イギリスと日本は歩兵の小部隊による柔軟な浸透作戦ですが、イギリスは火力重視、 日本は機動力重視でした。 ソ連は大規模な火力と機械化兵力、および空軍を組み合わせた縦深作戦で、 アメリカはなにも考えていませんでした。 日本とフランスは、第二次世界大戦が第一次大戦型の戦争であったならば、 それなりに優秀な陸軍だったといえると思います。 ただ、ドイツやソ連による戦闘方法の進化は第二次大戦の様相を変化させ、 日本はフランスとともに、それについて行くことができなかったといえるでしょう。 (105 801) 枢軸国の会議みたいなものが、シンガポールで行われたのは事実でしょうか 戦争中に枢軸国の代表が集まって会議をしたと言う話は聞きませんが、 昭和18年に東京で、日本および満州国と、フィリピン、ビルマ、インドネシア、 インドの日本側政権の首脳が集まって国際会議を開いたことがあります。 これを「大東亜会議」と呼びます。 (105 946) 大戦中、日本国内で軍属またはそれに類する人たちが米国の陰謀によって破壊工作に誘導利用されたという事実はあるのでしょうか? 戦略爆撃調査団の報告書では”本土に対する諜報工作は絶望的”という記述がある。 陸奥爆沈事件などのきな臭い事件もあるが,破壊工作の可能性は低いという説が一般的。 (112 13) 日本統治下のグアム(大宮島)について、統治内容等を知りたい 芙蓉書房 南洋 で、ググれ。 (123 820) 太平洋戦争中の朝鮮半島には、朝鮮軍ってなかった? 本土決戦に備えて、朝鮮軍が改編された(昭和20年1~2月頃?) (124 613) 米軍がトラック島を占領しなかった理由はなんでしょう? エニウエトク環礁を既に根拠地としていたアメリカ軍にとって次の目標たるマリアナと比べると回り道。 またフィリピン攻略を考えるとウルシー環礁に比較してフィリピンから遠すぎる。 太平洋の地図を西から眺めるとよくわかる。 米軍の太平洋戦線における戦略は飛び石戦略。艦艇の泊地、飛行場等が確保できれば良い。 基地の設営は米軍の能力を以ってすれば容易。わざわざ要塞化された堅固な土地を狙う必要性は無い。 ラバウルも同様にスルーされている。 (354 439,443) 何故、ミッドウエー海戦の様な大逆転が日本側になかったの? ミッドウェーの大逆転は、米軍が日本海軍の暗号を解読して事前に打てる手を全部打っていたから できたことだ。 それに対して我が海軍情報部は、マリアナ海戦の前に敵の無線通信の統計的分析により、大規模な 侵攻作戦が間近いことに折角気づきながら、暗号は解読できなかったために敵の侵攻方面を単なる 推測で判断して警報を出し、結果的に連合艦隊を敵の侵攻地点とは異なる海域に「遠足」させて 貴重な燃料を無駄にし、敵のマリアナ侵攻を許し、基地航空隊を壊滅させてしまった。 この時点で、日本側の逆転の勝機は失われた。 (357 661) 真珠湾奇襲攻撃で「第一次攻撃隊」「第二次攻撃隊」のように複数回に分けて攻撃を行ったのはなぜですか? 二回目の攻撃ともなれば、敵も準備してくるわけで攻撃隊の危険度も大きいし、攻撃は集中して一回で行ってもよいような気がします。 つ発艦能力 第一波で抵抗拠点を潰して第二波で戦果拡張 (377 906) まず攻撃時の混乱で十分な戦果が挙げられない可能性が一つ。 例えばもう十分にダメージを与えた目標を引き続き攻撃してしまうとか。 だがそれ以上に、物理的に全機を一度に投入することができないのである。 正規空母クラスは大体搭載量の半数強くらいしか一度に発艦させられない。 発艦スペースとその後方の駐機スペースの兼ね合いから。 (377 907) 一隻の空母から艦載機が数十分の間に発艦できる数には限りがあります。 一攻撃隊の発艦に何時間もかかっていたのでは先に発艦した攻撃機の燃料を無駄に消費してしまうだけでなく、攻撃隊全体の滞空時間を著しく下げてしまうからです。 一攻撃隊の数は空母の数と発艦能力、それと目標までの距離(滞空時間)の兼ね合いによって自ずと限界が決まってしまいます。 (377 924) 南太平洋海戦後に、一時的に日米の空母戦力が拮抗しましたが、今の内にアメリカと講和をしようという考えは日本にはなかったんでしょうか? アメリカにその意思が無いから無理。 色々と戦略眼の無さが指摘される日本海軍and陸軍だが、 アメリカが戦力を整えるまで、守りに入っている事だけは認識していた。 (377 261) あ号作戦を、攻撃隊のパイロット達は「この作戦は失敗する、あほう作戦だw」と揶揄していたそうですが、何故パイロット達は作戦が失敗すると分かっていたんですか? 操縦桿を握った事も無い(飛行機の操縦が出来ない)高級将校が 飛行機のカタログスペックの航続距離だけ見て立案した作戦だった為。 確かに、当時の日本海軍空母機の航続距離だけ見れば、 アウトレンジ作戦は可能と言えるが、これだけの長距離を飛ぶと ちょうどパイロットの疲労がピークに達した頃に敵艦隊の上空に到達する事になる。 酷評すれば、ヒューマンファクターというものを全く考慮していない スペック厨ミリオタ的発想のDQN作戦だったわけですな 実際にマリアナ沖海戦に参加したベテラン艦爆乗り・阿部善次氏曰く 「真珠湾のベテランが揃っていたって絶対無理」 (378 545) アメリカはどのようにウラジオストクへ物質を輸送していたのですか? ソ連船籍の船で輸送していた。 1941年12月8日以降日本にとってアメリカは敵国だったが、ソ連とは不可侵条約を結んでいたので公海を行くソ連船を止めることができなかった。 実際にはソ連の旗を掲げたアメリカ船も多かったらしいが。 (377 182) ごく普通に千島を抜け宗谷海峡を通っていた。 上で出てるような理由で日本側は手出しができないので。 ちなみに、間宮海峡(タタール海峡)は冬は凍るので、船は通れなくなる。 (377 198) 米軍はなぜ空襲する前に警告のビラを空から撒いたのか 都市空襲だけ見ると市民を焼き殺すのが目的に見えるが、ビラを撒く=脅迫する事で得られる効果もある。 例えば、 1)都市郊外に避難させることで、都市近辺に集中する重工業・工場の労働者(や家族)を減らしたり、避難のため労働効率を落とさせることが出来る 2)米軍が好き勝手に行動できる=日本軍はあてにならないといった不信感の醸成、戦争に勝てないといった不安の醸成(厭戦気分ってやつです) ビラ単独で何かの効果を得るものでも、都市空襲での免罪符を得るつもりのものでもなく、いわばタイマンで殴りあいしていても、拳(爆撃)を振るうだけでなく、口(ビラ)ででも追い込みかけるようなものと見てみれば良いかと思われ (456 249) 太平洋戦争の終戦時、米軍は原爆を何発持ってましたか? 落とす気になってたら八月九月で何発投下できたのでしょうか? 0発。ウラニウムは製法自体もまだ統一されておらず、供給が間に合いません。 プルトニウム(ファットマン型)は、爆弾のパーツ自体はすでにティニアン島に届いていました。 肝心のプルトニウムコアも8月13日には完成しており、ティニアンに運んで組み立てればいい状態。 といっても1週間程度かかると考えると、3発目の使用は8月20日以降。 どう急いでも8月15日の終戦には間に合わなかったでしょう。 (456 50) 大東亜戦争がアジア・アフリカの独立をうながしたというのは事実? WW2が宗主国の弱体化に寄与し,結果的に多くの武器を現地民にもたらすことになったことは確かだろう. だが,日本軍が行かずとも独立は出来た可能性が高い. 産品収奪や要人殺害など,場所によっては日本軍がアジア独立にとってマイナスの要素となったことも合わせて見なければ客観的とは言えない. インドって独立したとき,イギリスに賠償請求したの? 東南アジア諸国は独立したとき,宗主国に賠償請求したの? 植民地独立に際して旧宗主国と独立した国家との間の賠償の例はあるよ. インドなどでは,接収した鉄道設備などについてイギリスに賠償しているはず. 賠償というのは不法行為による損害を相殺して支払われるものだから,一般論としては,独立する側が接収資産に対して賠償することになるのが普通だね. ただ,政治的には独立後も自分の勢力圏に留めたい宗主国側が,請求権を放棄する場合が多いようだけど. また,独立に際して宗主国との間で戦争状態が起きれば,戦時賠償と相殺したり,どのみち喧嘩別れ状態なら事実上は踏み倒すって場合もある. ついでに言っとくけど,日本と朝鮮の間の賠償関係も理論上では日本側が払ってもらわないといけないことになる. 賠償ってのは現に発生した損害額で計算するもので,現地で接収された資産価格と相殺だから. だから,日韓条約の場合は賠償ではなく「補償」として請求を受け,独立祝い金としての援助を実施することで決着している. 補償だと,タラレバの金額を参入して額を膨らませることができるからだ. やれ強制連行とかいわゆる従軍慰安婦とかプロ市民が騒いでるのは,「戦時賠償」じゃなく「戦後補償」だから間違えないでね. 世界史板 第2次大戦中に日本軍がベトナムで米を徴発しすぎたため,ベトナムの1000万人が飢え死にしたというのは本当ですか? ベトナムの独立宣言文で最大限水増ししても200万人です. 戦争中,日本国内にいた,連合国側の外国人・帰化人はどうなったのでしょうか? 日本国内にいた,日本国籍を持つ欧米系外国人は,スパイの疑いがあるとして,憲兵による監視下に置かれていました. かのグラバーの子息倉場富三郎や外交官寺崎英成の妻女(娘マリコの名が日米交渉の暗号に使われたのは有名)など,かなりひどい目にあったようです. 日本国籍を持たない外国人は,開戦と同時に拘束された後,日本と連合国が行った在留者相互交換により本国へ強制送還されました. 日英および日米の交換船は,合わせて4回,抑留者の交換を行っています. 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE他 日米第一次交換船で,米国のグルー駐日大使を始めとする,米国,カナダ,ブラジル,メキシコなど交戦国の外交官とその家族142名,宣教師,教師,新聞記者,実業家など一般人274名,更に便乗組で未だ中立だったチリの新聞記者5名が横浜から乗船. 香港で377名,サイゴンで米国領事など23名とタイを引き上げてきた駐タイ米国公使など91名を収容, また,上海で米国人407名,カナダ人10名,エル・サルバドル人3名など計636名が乗船しています. 日英交換船は,日本本土,満州,中国,仏印,タイ,フィリピン在留の英国のクレーギー駐日英国大使を始めに英国大使館員79名,オーストラリア,ベルギー公使館員5名,エジプト,オランダ公使館員11名とマニラ駐在のオランダ外交官の息子3名,ノルウェー,ポーランドなどの大公使館・領事館員,一般在留民の一部1,800名,タイから送還の英国系住民114名を便乗させ,送還しています. 日米第二次交換船では,外国人135名(主に宣教師)を乗せて日本を出発し,上海で1,035名の送還者,香港で146名のそれ,フィリピンのSan Fernandoで151名,サイゴンで33名が乗船しています. なお,この時にチリの外交官も引き上げています. 眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi支隊 第2次大戦時に,米国に在住していた日系人が強制収容所に収容された事は有名ですが,米国在住の日本人の処遇はどの様な物だったんでしょうか? 開戦後の外交官に関してなら,外務省のHPにこんな記事 http //www.mofa.go.jp/mofaj/annai/ honsho/shiryo/reference/reference_07.html がありますよ. それによれば,交換協定に基いて互いに祖国へ帰還したそうです. 戦争中における国内の外国人の扱い 1,枢軸国側の外国人は国内で自由に行動できたのでしょうか? 2,イタリア・ドイツは日本より先に降伏しましたが、日本の敗戦までの期間は国内にいた伊・独人はどのように扱われたのでしょうか? 3,連合国側にも枢軸国側にも属さない外国人はどのように扱われたのでしょうか? 4,支那人は監視対象におかれていたのですか? 1.に関しては、あちこち出歩くことは不可能で、何処に行くにも、憲兵、あるいは特高の 尾行、または警官の尋問があったそうです。 精々、都市部の周辺、軽井沢、富士五湖くらいが関の山で、農村部などへの買い出しに も苦労したようです。 当然、要塞地帯や軍事施設周辺への出入りは不可能でした。 2.については、東京周辺の枢軸国人については、軽井沢と富士五湖へ、関西近辺の枢軸国 人は神戸山手・有馬近辺へと軟禁(移動の自由がないだけで、牢獄にぶち込まれることは ない)されていました。 但し、反ナチと目された人間に関しては、大使館のSSが降伏後も、と言うか降伏後束縛が 無くなり、日本の憲兵と協力して彼らを逮捕し、危うく空襲で焼き殺される所だった、と言う ケースもあったそうです。 3.に関しては、基本的に1.と同じで、監視対象であり、ある程度の干渉を受けたようです。 4.については、汪兆銘政権を承認したことで、国内にいる中国人を敵国人に出来なくなった ため、明確な監視対象にはなっていません。 (152 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 太平洋戦争で、メキシコは日本に対して宣戦布告していましたが、戦闘は行われていたでしょうか? それらしき資料を探しましたが、P‐47やB‐25をアメリカから供与したことやフィリピンでの戦いに参加したことしかわかりませんでした。 1941年4月の墨米相互扶助協定締結時には、GrummanG-23を中心とする小規模飛行隊しかありませんでした。 1942年5月29日の対枢軸宣戦を機に空軍の近代化が始まり、DouglasA-24、North American NA-16、 Fairchild PT-19、Vultee BT-13/15、Douglas Dakota、Lockheed Roadster、Beech C-45などの 供与が開始され、近代空軍の要員養成が開始されます。 その後、乗員の養成が完了して、次の段階として1945年初頭にRepublic P-47Dの供与を受け、 飛行隊を編成して、実戦訓練が行われます。 しかし、南太平洋戦線への出動を企図していましたが、編成中に終戦となり、実戦への参加はしていません。 (506 650:眠い人 ◆gQikaJHtf2) 太平洋戦争の末期、もし日本が降伏しなかったら、九州に侵攻した後、東京に侵攻すると聞きました ではなんで中国・関西・東海地方はスルーされることになったのでしょうか? それなりに戦略的価値はあったと思うのですが。素人の意見ですが、沖縄攻略後すぐに横浜に上陸したり、 ソ連の影響力を削ぐために北海道を攻撃してもいいんじゃないのかな?と思いました。 九州の助攻として数個師団を以て四国高知に上陸する計画はありました。 高知平野を平定し、其処に飛行場を建設してしまえば、中国、関西地方は元より、 次に実施される関東上陸作戦での戦闘でも充分にエアカバーが利用出来ますから。 中国・関西地方は内海ですから、海峡の出口を封鎖し、交通網を破壊してしまえば、 物資の輸送が滞り、干上がります。 東海地方については、足がかりとなる地区が余り無い事も原因と思われます。 (518 585 眠い人 ◆gQikaJHtf2) インパール作戦みたいにインドを解放する作戦って、もっと早い時期に計画しなかったの? ビルマ攻略の勢いで追撃すれば、勝てたんじゃない? 早期のインド侵攻はいくつか検討されたようで、1942年8月には21号作戦が立案されています。 第18師団を主力とする2個師団でインド東部へ陸上侵攻する計画でした。 しかし、現場の第18師団長が、 険しい山道であること 交通網の未発達 雨季となった場合の道路の泥濘化 過疎地帯で食料徴発は困難 といった理由から、補給が不可能として強く反対意見し、 同年11月に無期延期決定となっています。 なお、当時の第18師団長の名前は、牟田口廉也といいます。 (533 ◆yoOjLET6cE) アリューシャン列島の占領は陽動作戦で、ここは大して戦略的に重要な場所ではなかったですよね。 それなのに、なんで後に、この重要でない場所のために、何千人もの兵を敵の攻撃に晒すという意味不明な作戦をしたんですか? MI作戦の囮でついでに占領しました。 アメリカの領土を占領しているというプレゼンスがあるため。 だから、アメリカもこんなところに大兵力で奪回にきた。 米軍に飛行場を作られると日本本土への侵攻拠点となるおそれがあった。 取り戻されると敵に「勝利」と宣伝材料に使われるおそれがあった。 ミッドウェー占領に失敗してるので、それを覆い隠す戦果として確保する必要があった。 偵察機を置いて哨戒拠点にして、本土への敵艦隊の接近を発見するのに価値があった。 (542 596-602) オーストラリア軍が航空機で漂流者を何度も反復攻撃して海が血の色に染まる映像を身内に配って回ってたというのは本当? なんとそれが大筋で事実だからオージーは侮れない。 昭和18年3月3日に起きたビスマルク海戦(空襲)の結果、陸軍の兵士を乗せた 輸送船8隻と駆逐艦4隻が敵機の攻撃により沈められましたが、沈没した日本 の艦船からボートや筏で逃れ、浮遊物につかまり漂流中の千名の兵士達に対し て、アメリカとオーストラリア軍の飛行機が低空から機銃掃射をおこない、機関 銃の弾を撃ち尽くすと基地に戻り弾を補給し、映画撮影のカメラマンまで乗せて 何度も弾の補給に往復しては攻撃を続けました。 「決して男らしいやり方ではなかった」と第5爆撃隊のある少佐は戦闘記録の中 で報告していました。「隊員の中には気分が悪くなる者もいた」。 救命ボートやその周辺を文字どおり血の海に変えたその殺戮の様子を、機上か ら撮影した実写フィルムが10年ほど前にオーストラリアのテレビ局から放映され て、国民に大きなショックを与えました。 「我々はフェアーな戦をしたと思っていたのに.....と」。 (容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別、ジョン・ダワー著) (552 742) 米軍が日本の重要な軍事施設を把握していたのは何故? 例えば飛行機工場なら、昭和のはじめの絵葉書や昔の航空機写真を探し出す 戦前の航空機工場の建設には先進国である英仏米の協力が必要だったが 当時日本の航空機工場建設を指導した米英仏国人の記録や記憶で航空機工場の所在地を割り出す。 さらに、捕虜からの情報、日本軍は捕虜になった際の教育をしていなかった 「捕虜になる前に死ね」という教育なので、捕虜になった後どうすべきかは教えなかった。 だから捕虜になった人は「鬼畜米英」と教わった人たちから親切にされて、雑談ついでにいろんな情報をしゃべってしまった。 例えば、「あなたの家の近くには有名な神社がありますよね、でその近くには有名な飛行機工場がありますね その飛行機工場は最近できた日本でも最新鋭の自慢の工場じゃないですか。すごいですね。」と聞かれると 日本人なら「いや、某所の工場ほどたいしたものではないですよ、あそこはもっとたくさん飛行機を・・・」とつい謙遜してしまう。 さらにはは戦死者の日記や手紙からの分析、飛行機の残骸にある製造番号からの分析によって大まかな工場所在地や工場の能力を割り出し 本土空襲前にB29の偵察専用機F-13により徹底的に写真撮影して分析 そこまで情報を集めた上で、空襲しています。 (554 233) 太平洋戦争で米軍の死者は30万人出たそうですが、これは当時の国力比からしたら、善戦したほうなんでしょうか? また、アメリカは無理に地上戦を行わず、持久戦に持ち込み、無制限潜水艦戦、高高度爆撃を繰り返したら、 正規兵死者1万人以下で日本に勝てたといっていた人がいましたが、実際それは可能だったのでしょうか? 前段に関しては30万人でも少ないとも言えるし、30万人だと多いと言えるし、立場、状況などに よって何とでも言えますから。 1944年の島嶼戦では、例えばサイパン島では日本側3万人戦死に対し、米軍側4500名、テニアン島 では日本側1万名に対し、米軍側400名、グァム島では日本側1万7000名に対し、米軍側2000名、パ ラオ島では日本側2万名に対し、米軍側1500名の戦死。 1945年の戦線だと、例えば硫黄島でやっと日本側2万8500名の戦死に対し、米軍側5500名、沖縄戦 でも日本側11万名に対し、米軍側7500名と、常に米軍側の戦死者の方が少なかったりします。 加えて、輸送中に喪った人員なんかも米軍より日本軍の方が膨大になります。 そもそも、輸送船で輸送するのに、全員分の救命胴衣が確保出来ないから代わりに丸太を積むみたいな お粗末な話ですが。 人を重要な資源と考えた米国と、人を使い捨ての資源と考えた日本の違いかな、と。 後段に対しては、1944年の時点(極端に言うならば1942年の時点)で、日本が手を挙げていればその程度 で済んだかも知れませんが、より確実に日本を締め上げるならば、例えば北海道や日本海側にも隈無く 爆撃をしたり潜水艦を配置したりしなければなりませんので、本土に近い何処かに基地を設ける必要が あります。 米軍の上陸作戦の要諦は、戦闘機が離発着できる飛行場を設け、其処を拠点に制空権を確保して、 その行動半径の範囲内で次の拠点を陥落させると言うものですので、どうしても島嶼戦を行わなけれ ば成りません。 日本本土に接近するのであれば、それなりの犠牲は伴いますので、1945年以降なら難しいでしょうね。 (346 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 占領したアリューシャン列島にいた民間人を連行したが、彼らは結局同島に生還できなかった ・・・これ本当? 原住民のアリュート人40人と、あと研究者のアメリカ人夫妻が連行され北海道小樽に抑留、後者が抑留中に死亡。 1980年10月号の今年休刊してしまった「諸君」に「昭和十七年 小樽、四十名アリュート人」が 載ってるわ。 (566 194,195) 太平洋戦中の極東ソ連軍の兵力は? 極東ソ連軍の兵力は独ソ戦開始に伴って減少し 狙撃師団×21、騎兵師団×3、戦車師団×1など 総兵力80万、戦車約1000、航空機約1000まで減少したと関東軍は見積もりました。 実際、極東ソ連軍は諜報活動により日本参戦の見込みなしと判断して後急速に西送され、 41年9月以降狙撃師団×16、戦車師団×3、自動車化狙撃師団×1等が同年中に欧州に向かいました。 しかしながらその後の兵力補充や部隊入れ替え等もあり 42年7月時点での極東ソ連軍は 狙撃師団×29、騎兵師団×3、戦車師団×2など 総兵力144万、戦車・自走砲2589、航空機3178にも達していました。 ソースは『ソ連軍侵攻と日本軍』(国書刊行会)。 (571 ゆうか ◆u8WC078ef5ch) 日本軍はインドネシアで民兵組織を指導していたそうですが? インドネシア歴史教科書・第一章 日本占領時代におけるインドネシアの社会生活の日本語訳より 「他方、日本は軍事訓練を施す方法でインドネシア人を国防へ参加させようと試みた。これは占領初期から実際には考慮されていた。 このために1943年4月全青年層を対象として兵補(軍人補助隊)となる機会が与えられた。彼らは日本の陸海軍組織の下に直接配置された。 構成員となるためには、健康かつ性質良好で年齢は18-25歳のあいだ、そして小学校卒業以上の資格が必要だった。軍人の補助ではあったが、 彼らには標準的な軍事訓練が施された。兵補の構成員の大半が対空砲[*1]操作の訓練を受けた。兵補設置の他、日本はタンゲランの青年道場 と呼ばれる訓練所でも青年たちの訓練を行った。タンゲランの柳川青年道場卒業生は情報部隊へ配属された。」 で、この時にインドネシア人側からの提唱でPETAが誕生、日本軍の指導を受けたわけだが、理由はこのとおり民族独立とか関係なし。 (576 145) アメリカが日系人を工作員としてインドシナ半島などに潜入させていたという話、 日本兵を装って現地民に危害を加えたり、逆に現地民になりすまして日本軍を攻撃して報復を誘発させ、 現地での反日感情を煽る離間工作を行なっていたと何かで読んだのですが、 軍情報部 Military Intelligence Service(MIS)の日系人のことかな http //likeachild94568.hp.infoseek.co.jp/mis.html 語学兵たちの配属先は主に太平洋戦線だった。 サイパン、グアム、オーストラリア、そしてビルマ、インドにフィリピン。 ヨーロッパでイタリア兵やドイツ兵と戦った第442連隊の日系兵たちと異なり、まさに日本兵と顔つき合わせての戦争である。 顔が日本人であるため、味方のアメリカ兵からも日本兵と間違えて攻撃される危険があり、 語学兵にはそれぞれひとりのボディーガードがついた。 なにしろ、高度な日本語解読能力を有した語学兵は稀少で、「替えが効かない」のである。 彼らは太平洋戦線で、日本軍捕虜から捕獲した日記や郷里からの手紙などを解読し、そこから戦闘情報を読み取った。 また、例のマニュアルを活用して、捕虜たちの尋問を行なった。 戦争が進み、日本の敗北が濃厚になると、降伏をうながす日本語のビラを撒いたり拡声器で呼びかけたりした。 時には日本人のふりをして敵陣に乗り込み、「上部から降伏せよとの指令がおりた」などと言って降参させる トリックまで披露してみせたという。 終戦後もMISの活動は終わらなかった。語学兵たちのうち優秀な者は占領統治軍GHQに加わり、東京裁判においても通訳として貢献した。 日本兵を装って現地民に危害を加えたり、 逆に現地民になりすまして日本軍を攻撃して報復を誘発させ、 現地での反日感情を煽る離間工作を行なっていたと さすがにこれはないかと、 日系人と日本人と見分けつかないのにそんなことしたら まわり敵だらけになってしまいますから (339 936) アメリカの対日作戦計画はオリンピック作戦とコロネット作戦が有名ですが、ソ連が北海道、続いて東北地方に上陸してくる可能性はあったのでしょうか? とりあえず北海道はソ連のものになっていた だから戦後もスターリンは北海道を欲しがっていた そのために日米安保条約を国民総反対のなかで締結した。 安保デモがあったころ事実ウラジオストックではソ連軍が演習してた。 (337 101) がっちりハワイ 仮に真珠湾奇襲のとき、日本が総力を挙げてハワイを占領したら? 真珠湾には当時強力な沿岸砲台+三個師団五万人の陸軍が配備されていました。 海軍を全部沈めたとしても、それを制圧するためには最低三個師団の陸軍とそれを運ぶ百隻強の輸送船+護衛艦が必要で、 そんなことをすれば南方資源確保作戦(言うまでも無く、戦争目的からしてもこちらがメインで真珠湾は枝)が破綻します。 運良く占領できても、長大な補給線を維持する力は日本にはなく、米海軍の潜水艦に補給路を絶たれてハワイ守備隊は無力化されるでしょう。 まあ真珠湾を占領することは絶対不可能だったと、当時の海軍指導者が戦後言ってますから、「もしも」としてもありえなさ過ぎます。 (333 468) 先の大戦では沖縄では沖縄本島以外は戦場にはならなかったんでしょうか? 沖縄戦に先立って攻略したのは慶良間諸島(3/26) 伊江島上陸は、沖縄本島での戦闘が始まって以降の4/14 ちなみに慶良間諸島を先に制圧した理由は、艦隊の泊地として、弾薬の補給や、 乗員の休息のため。 他の島が戦場にならなかった理由は、ラバウルと同じで、南九州攻略の足場となる沖縄本島に 兵力の集積拠点と飛行場を作れば用が足りるので、不要な島を攻略して無駄な犠牲を出したくなかったから。 1944年に陥落したマリアナ諸島でも反撃できる戦力もない、ロタ島なんか無視されて戦争終結までそのままになってる。 (589 30,33) 日本は連合国と講和することは無理だったのですか? まず第一に開戦に先立って 日本はドイツに対米参戦してもらう代わりに 日独の単独不講和の約束していた。 これにより、ドイツを無視して勝手に講和を結ぶことは裏切り行為になることが1つ。 次に、アメリカとイギリスは この戦争を機会に邪魔な勢力を徹底的に排除しようと目論んだ事。 そのため戦争中に日本やドイツには無条件降伏以外を求めないという公式の決定をしている。 国家の無条件降伏という要求はよほどの事で それなりの講和などが期待できる状況ではなかった。 ソースがありましたら、明示した頂けましたら幸いです 日独伊単独不講和協定も知らないのか これが協定として成立したのは開戦後の11日でも すでに開戦前から日独間で交渉は行なわれて 6日にはリッペントロップが、大島大使に 「日米戦争が起れは、独伊もすぐに戦争状態に入る」 ということを伝えている。 昭和16年12月6日の第75回連絡会議において 「対独交渉に関する件」として大島大使から報告されている。 (590 201-231) なぜ日本は本土決戦しなかったの? 武器や航空機なんかを温存してたし。どうせ無条件降伏するのなら本土決戦をやれば良かったんじゃないかと思うのですが 講和を仲介してくれるはずだったソビエトが不可侵条約を破棄して侵攻して来たこと アメリカが一発で都市を消滅させることができる新型爆弾を実戦投入してきたこと 既に食糧自給の見込みが立たず、このままでは年内に本土で餓死者が発生する可能性が高いこと 沖縄と硫黄島の戦例から、米軍の戦力に対しては「時間を稼ぐ」ことは出来ても対抗することは 不可能であること といった状況から、「本土決戦しても講和に持ちこめる可能性がない」と判断されたから。 一応、戦後のシミュレーションだと九州を切り捨てて戦力を関東に集中させて関東に上陸して来た 米軍を迎え撃てば、ほぼ全滅するのと引き換えに米軍の上陸部隊に壊滅的な打撃を与えることは できただろう、と判断されている。 ただし、それと引き換えに国内の大都市は軒並み核兵器で焼き払われる上に、国民の半数が餓死するし 国内の農漁工商業は産業として壊滅するし、北海道はソビエトの制圧下(つまりその後永遠に返って こない)に置かれたと考えられてもいる。 要するに米軍に大打撃を与える(でも、米軍そのものが全滅したわけではない)のと引き換えに「日本」と いう国家の形が維持できなくなるわけで、そんなことしてもしょうがない。 戦後のシミュレーションのソースは? 戦後米軍の陸軍大学(CGSC)で行われた研究の一つに 「日本本土決戦をやったらどうなったか?」 というのがあって、その中で 「日本が取れるベストの選択」 はそんな感じの結論になっていた。 ただし現実的に九州を切り捨てられたかは疑問だし、もし鹿児島だけでも九州を制圧されたら そこから中距離爆撃機が西~東日本の鉄道交通網を破壊しまくるだろうから、関東に兵力を 集中させてコロネット作戦を待ち構える、のは現実的困難が大きすぎるだろうな。 (590 402,406,620) サイパン島の戦いって日本側の死者がやたら多すぎるような気がするんだけど サイパン以外にも当てはまることだが 島嶼戦は防衛側に退却路がないため どれだけ劣勢になっても戦力が消耗しきるまで戦闘が続く事になる。 さらに日本軍は降伏を潔しとしないことに加えて 米軍も情報収集のために必要な数以上の捕虜はとらず現場で殺害する場合が多いため 防衛側の日本兵の死者が多いのが太平洋戦争末期の島嶼戦の特徴。 (600 51) コロネット作戦で米軍がサリンを使用する計画、というのをよく聞くのですが、本当でしょうか。 大戦当時、アメリカ軍はまだサリンガスを保有していません。 サリンの毒性にいち早く注目したのはドイツで、大戦中に秘匿生産していましたが アメリカ軍がサリンを兵器体系に組み込んだのはこの毒ガスを戦後押収して以降、1950年代に入ってからです。 すなわち、コロネット作戦にサリンガスが出る幕はありません。 当時アメリカ軍が装備していたのはマスタードガス等です。 (608 807) チャンドラ・ボースのインド国民軍のだいたいの人数を教えてください それはともかくインド国内軍(INA)はモハン・シンが 5万人のインド人捕虜から選抜した部隊で1万5千人だそうです。 あとマレーに住むインド人の娘による史上初の婦人正規部隊(600人)も結成されたそうです。 (34 バッチ3) チャンドラ・ボースですね。 インド国民軍として編成されたのは三個師団分、約13000名とのことです。 岩波より、「インド国民軍・もう一つの太平洋戦争」と言う新書が1985年に出さ れています。 ちなみにインパールに参戦後、かれらは2000人に減ったそうです。 (34 眠い人 ◆ikaJHtf2) 太平洋の島嶼戦を眺めていると日本軍の沿岸砲は要塞に配された砲を除くと大体、駆逐艦クラスの主砲転用、あるいは戦艦の副砲、高角砲の転用が目立ちますが 太平洋方面の連合軍の沿岸砲はどうだったのでしょうか? 英軍がシンガポール要塞に配備した沿岸砲のうち、15インチ砲(38㌢砲)5門は 艦砲を流用したものです。その他6インチ砲(15㌢砲)も14門、9.2インチ砲(23㌢砲) 2門配備されていました。 余談ですが、島の南西部に配置された15インチ砲は上陸した第六戦車連隊に対して 発砲し、吹き飛ばされた戦車があったとか…。 米軍の海岸砲としては、隠顕式砲架の14インチ砲が有名ですが、これが艦砲の流用かどうかは ちょっと判りませんでした。 沿岸砲に艦載砲の転用が多いのは、用途が限られているのと軍艦と砲撃戦をやるためには 同等の威力の砲が必要だからです。 (37 名無し軍曹) 朝鮮人で中将になった人以外で活躍した人っていますか? 洪思翔中将、李王垠中将など、あと李鍵公が中佐で陸軍大学教授になってます。 後に1944年に朝鮮人の官僚、議員への登用が解禁されたので、 そういう世界で活躍した人もいたようです。 (39 眠い人 ◆ikaJHtf2) あとパクヒョンヒも大陸打通作戦で名を馳せたな (39 432) 旧日本軍はなぜガダルカナルにこだわったのでしょうか。 東南に進出するための足がかりを築くのが目的だといわれてます。 ガダルカナル島に航空基地を建設し、制空権を確保してニューギニア島を制圧したかったと。 ミッドウェー海戦の大敗北でそんな余裕は無かったはずで、ガダルカナルに こだわる理由は薄かったんですが…。 むしろ米軍のほうがガダルカナル島の戦略的価値を重視していたと思います。 奪回にこだわったのはひたすら軍の面子を立てるためのように思えます。 (39 名無し軍曹) 第二次世界大戦当時の蘭印の陸上戦力は何個師団程度だったのでしょうか? 装甲車14両(アルヴィス・ストラウスラー)、カーデンロイドM1936×24両、M3A1スカウトカーと、 マーモンハリントンCTLS-4TAC軽戦車240両(これは未着)、CTMS-1TB1、MTLS-1G14中戦車 (これも未着)。 で、装甲車の配置は以下の通り。 Cav 1 West Group, West Java (Batavia) Cav 2 Bandoeng Group, West Java (Kadipaten) Cav 3 3rd Division, East Java (Toeban) Cav 4 2nd Division, Central Java (Rembang) Cav LW 2nd Division, Central Java (Magelang) (39 眠い人 ◆ikaJHtf2) 硫黄島の攻防で、3日間で延べ800機、推定5000トンの爆撃、艦砲射撃を受けたものの、日本軍の死傷は60名程だったと聞きました。 これでは、事前砲撃してもしなくても変わらない気がするんですが? 「事前砲撃」を何のためにするかを考えてくださいな。 島嶼戦ともなると、守備側には圧倒的な地の利があるわけで 常識的に考えれば水際には防衛陣地、ちょっと奥地には照準ずみの火力支援が用意され そこを突破しても二重三重の陣地が上陸軍を待ち受ける……という状況が容易に想定されます。 事前砲撃でこの敵側の準備を少しでも崩しておくことは、戦術的に非常に大きな意味を持ちます。 ……とはいえ硫黄島攻防戦の場合、上陸部隊が要求しただけの事前砲撃はさまざまな理由で満たされず 不十分な準備のままで部隊は栗林兵団がまちうける硫黄島に突入することになり 案の定、巧妙に構築された日本軍の陣地、そしてそこからの濃密な砲火の前に大損害を出すことになりました。 (41 665) それは分かるのですが、死傷者が60人程だったという事は、陣地をほとんど破壊出来なかったという事じゃないの? 事前砲撃をもっとやるべきだったってのならわかるが、なんでそこで 事前砲撃はなくてもいいって考えになるのかがわからん。 硫黄島では事前砲撃での死者は60人にすぎんが海岸付近の砲の50%と 銃座の25%が破壊または損傷を受けている。 もしなにもやらなかったら少なくとも史実以上の損害は受けただろうな。 敵兵を直接殺すためだけに事前砲撃やってるわけじゃないんだよ。 (41 687) 韓国軍のWWⅡにおける活躍を教えて 半島は戦時中は日本だったんです。日本軍の一部として従軍はしており 当時の韓国人将校が、戦後の韓国軍創生期の基礎となりました。 (45 一等自営業 ◆JYO8gZHKO.) アメリカの大学で米人相手に太平洋戦争についての話をしなければいけなくなったのですが、 これは必須って言うエピソードといえば、何がお勧めですか? 開戦への経緯、なぜ日本はそのような意思決定を下したかという プロセスの提示は必要不可欠だと思います。 あの時点では、日本の状況はこうで、こういう情報が入ってきていて、世論がこうで、 ゆえに日本は開戦を決意したのだということを論理的に説明できれば、 そこからパールハーバーやヒロシマの感情を超えた論議ができるのではないでしょうか。 (45 ロンメル太郎 ◆syPANZERpE) サンダカン死の行進って本当に有ったの? ありません。サンダカンにあったのは八番娼館です。 死の行進はバターンです。 (53 286) サンダカンの話は聞いた事無いが大戦中日本軍に捕らえられた連合軍捕虜が 大勢犠牲になったのは事実だわな。とはいえ日本人が人命軽視というか好き好んで 捕虜を殺して楽しんでた残酷な軍隊とかいう事は無いでしょう。 バターン死の行進にしても炎天下を延々と40km歩くなんて「普通の行軍」だった 日本陸軍歩兵の感覚で米・比軍捕虜を歩かせたらバタバタ死んじゃったって話ですし。 297でも「日本兵もたくさん犠牲になっているが」と書いてるようにその頃は日本兵 ですら満足な扱いは受けてなかったわけですから、捕虜を虐待したというより日本兵 と同じ待遇してやってもも米英の兵隊にしてみれば虐待と映ったんでしょうね。 (53 302) 連合艦隊のトラック進出の意義について教えてください。 連合艦隊のトラック進出は、司令部の前進、即ち、指揮官先頭を体現した ものであると考えられます。 勿論、オレンジ計画では、マリアナルートを考えていましたから、その地域 を重要視していたこともあったかもしれません。 (65 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦時中、日本軍は東南アジアの各地域に進攻しましたが、それらの国にはどれほどの工業設備があったのでしょうか? ドイツは占領したフランスやチェコの工業設備を大いに活用したそうですが、日本はどうだったのでしょうか? インドネシアの油田を活用したぐらいしか分かりません。 本来なら、経済的な統計が示せればいいのだけど、取りあえず一般論で話をすれば、 モノカルチャーという言葉を知ってる?に尽きるかと。 要は、一般的に言って、植民地に対しては積極的な工業投資はなされていない、ということです。 植民地に期待されるのは、農業、林業、鉱業、そしてそれらの産業に対する労働人口の供給。 第一次産業の極めて限られた品目の産出を期待されている産業構造に編成されちゃているわけです。 工業資本の蓄積はせいぜい繊維や日用品を主とする軽工業くらいであり、重工業はほとんど形成されていない。 AA諸国が独立した際には、そうした重工業関係の民族資本の形成を産業政策の目標に掲げていますが、 それに成功した例は極めて少ない。今もって植民地時代の遺産を引きずっている状況ですから、 第2次世界大戦当時なんて何をか言わんやな状況のわけです。 要するに、ほとんどない…と言って良いかと思います。 しかも、日本は大東亜共栄圏、八紘一宇というスローガンを掲げながら、 東南アジア諸国の経済的実態を十分には掴んでいませんでした。 戦前の東南アジア研究の書誌を大きな図書館で調べればわかりますが、 満鉄の調査局やごくごく少数の学者がやった極めて少数なものしかありません。 それも社会学的な基礎調査が多い。 いくつかの国ではナショナリストたちとの接触を行っており、特務機関が軍事教練などもやってはいるのですが、 結局は、それぞれの国情に応じて、欧米の勢力を追い出したあとに具体的にどうするかという方法を伴ったビジョンは欠如していました。 占領地行政はインフラの整備では成果を上げた所もありましたが、 概ねは経済政策において稚拙なもので、現地経済の自律化にせよ、日本の戦争遂行のための収奪にせよ、 経済構造を一転させるものではありませんでした。 総じて言えば、占領地における日本の産業経済政策は、お粗末の極みとしか言いようがありませんでした。 (609 243) 米軍がダウンフォール作戦で、接収したV1,V2号の余剰を使うという案はあったようです。 サリンを使う、という話も聞くのですが 世界文化社の『ビッグマンスペシャル 連合艦隊 日米決戦編』で 栗田尚弥氏がダウンフォール作戦について米軍側の計画を詳しく説明していますが その中で米軍側がサリンの使用を検討していたことが紹介されているので 参照してみるといいですよ。 (608 960) 大戦当時のシンガポール港はどれほどの設備があったのでしょうか? シンガポールにはセレター軍港というイギリス海軍の基地がありました。 当時の表現なら http //www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00501975 TYPE=HTML_FILE POS=1 LANG=JA シンガポール軍港が最も誇りとするものは浮ドックと乾ドックであった、浮ドックはイギリス本国で建造され、 一九二八年ロンドンから数隻の軍艦に牽かれ廻航されたという代物で、運送史上に一話題を□しているが、 わが荒鷲数次の爆撃により大損傷を受け既にセレター軍港の水底深く沈没してしまった 乾ドックはキング・ジョージ六世と命名されロドネー、ネルソン級のイギリス最大の軍艦も容易に入渠することが出来る超□級ドックである、 シンガポール島とジョホールバルを結ぶ陸橋の東にセレター軍港があるが、この軍港は商港シンガポールの反対側に位置しており、 海峡の東端は□の口のように狭く、前面にはテコンベザル島があって軍港の入口を扼し天然の防塞を築いている、 軍港地帯にはテンガー、センバワン両航空基地があり更に西部には海峡に面して五哩に亘る石造の大埠頭が建設され、 優に数隻の軍艦を横づけにすることが出来る、前記の浮乾ドックの外に 海軍工厰、兵器庫、爆弾庫、糧食庫をはじめ貯蔵百万トンといわれる貯油タンクが地下深く埋設され、重油タンクに至っては島内三百を数えるという、 (609 246) 映画「1941」で潜水艦イ-19がアメリカ西海岸の都市を砲撃していますが、実際にあったことなのでしょうか。 1942年中に3回実施されました。 嫌がらせ以上の意味はなし (33 449) あと、イ-19はドイツ製なのでしょうか? 巡潜乙型というタイプで、れっきとした日本製なので違います。 実際に砲撃実施した潜水艦は伊17、伊25、伊26の三隻で、これらも また日本製です。 (33 452) 米豪遮断に意味なんてありますかね? オーストラリアは当時自給自足ができず、輸入物資の殆どをアメリカに依存してたからな。 米豪遮断は遮断ラインのこっちにいるアメリカ軍のみならず、 国家としてのオーストラリアまで兵糧攻めにするプランなのよ。 遮断に成功すれば、世論に突き上げられてオーストラリアは手を挙げるかもしれない。 手を挙げて軍門に降ってくれれば言う事無し。 中立に戻るだけでも、連合国が一枚岩でない事のアピールになるし、 アメリカ軍の侵攻経路の選択肢から南太平洋が除外される。 アメリカ軍としても、イギリスの手前、オーストラリア侵攻する訳にもいかんからな。 つー訳で、米豪遮断てのは旨くいけば実に有意義な作戦なのよ。 (302 140) 太平洋戦争において真珠湾攻撃など緒戦でアメリカを強く叩けば,すぐ講和してくるとの読みが旧日本軍にはあったと言われていますが,読み通り本当に講和してきた場合,その後の日本はどういう軍事戦略を取る予定だったんですか? ほとんど何も考えてなかったというのが結論. ただ,陸海軍はアメリカさえ相手にしなくていいなら,東南アジアから欧州勢力を駆逐することは可能だと考えていた(実際それは達成できた). なので,アメリカと講和し,東アジア地域から英仏欄を排除した後は,占領地を維持,防衛する・・・という戦略がとられた筈. ただ,「大東亜共栄圏」がなんで「”大”東亜」なのかと言えば,これには「インドも含みます」という意味が込められているから. なので,東南アジアを制圧して各地の傀儡政権を設立するのが一段落したら,こんどは英領インドへの侵攻作戦が行なわれた可能性が高い. あくまでも予測だが. また,オーストラリアに対しては,一応北東部~東部への侵攻計画が考えられていたが,あまり積極的に行う計画ではなかった. ニューギニア南岸とサモア,ソロモン諸島を制圧してアメリカとの連絡を絶ち,インド,中東(+アフリカ)方面とも断絶させて英連邦から離脱させ,親日中立を強要する・・・というのが目標にされていた. ポートモレスビー攻撃やガダルカナルへの基地設営などは,この戦略に基づいて行なわれている. 戦時中日本軍はアメリカ本土への上陸作戦を考えてた事はあるのでしょうか? 計画レベルであったのかまたは主張していた軍人などはいたのでしょうか? 「上陸作戦」と呼べるかどうかは知らんが、 日本海軍は、通称「S特」と呼ばれる特殊部隊を昭和19年初頭に創設。 このS特を潜水艦で米本土に運び、破壊工作を行う計画はあった。 しかし戦局の悪化に伴い計画は中止。 米本土に行き損ねたS特は、翌昭和20年8月、サイパンのB-29飛行場に 強行着陸してB-29を焼き払う「剣」作戦に投入される事になったが 作戦実行前に日本が無条件降伏した。 (362 381) ちなみにS特は、米本土上陸後には、現地に潜伏する事になっており、 隊員は髪を伸ばして長髪にし、潜伏用の背広などの私服も用意されていた。 (362 384) 太平洋戦争中、アメリカ本土には日本のスパイは1人も居なかったんですか? FBIが数百人単位で逮捕しまくってる 日本は日系人組織以外に黒人組織やら欧州人組織やらマフィアやらのスパイ網を運用してたんよ もっともキングオブスパイ、スパイ網の元締の大使館員が完全監視されていて、全部FBIにばれていたらしい 書名は失念したが、大使館員の未亡人が保管していた文書をもとにした本が前世紀末ぐらいに出版されている (495 690,695) 西亜打通作戦について教えてください。 インド、中東へ進撃して、ドイツイタリアと手を結ぼうという作戦。 陸軍が提案したが、あの東条英機に寝言を言うなとけられた。 (619 55) 太平洋戦争での米軍は、マッカーサのわがままで大きく南回りしたって本当? 本当はサイパンとか、少し北の方から来るはずだったのが、陸軍の見せ場を作るためにわざわざ、 インドネシアとかフィリピンで頑張った。ってゆうのはデマ? 陸軍は、というかマッカーサーはなんとしてもフィリピンを陥とすことにこだわった。 理由はいうまでもなし。 一方ニミッツは、というか海軍は太平洋を西進してトラックを、そしてマリアナを 陥として直接日本本土を衝く戦略にこだわった。それが戦前からの海軍の対日戦計画 だったから。 結局大統領自らが両者を仲介して、どっちもやるが極力相手の作戦に協力すること、 という装束案に。 ただ、日本側から見るとアメリカの戦略が統一されず場当たり的に攻撃してくるように 見えるので対応の混乱を招き、アメリカの二軸侵攻計画は結果的には良い方に作用した。 因みマッカーサーはにニューギニア→フィリピンルートを採用させる為に 海軍に根回しを行なって採用させたと言うエピソードがある。 キング提督はそんな彼を「海軍戦争の原理を全く理解していない愚か者」 と評しています。 (317 777,779) 日本軍がインドネシアを統治したときインドネシア人を奴隷にしましたか? また 戦争のあと独立させようとしてたんですか? 少なくとも建前上は民族自決と独立を支援した。その軍事的な拠り所として地元人の郷土防衛義勇軍(PETA)を育成 大東亜共栄圏を前提にしてるので日本に従属しての独立ですな それでも、オランダ統治時代は本当に奴隷同然だったのでそれよりはマシかと PETA幹部もオランダの愚民化政策下では決して得られなかった集団行動や軍事技術を得れたのは奇貨であったと回想してる (627 モッティ ◆uSDglizB3o) PETAは、インドネシアから他へ兵力が転用されて、占領兵力が不足したために それを補う目的で作られたものだよ。 だから戦局が悪化した戦争後期以降の話。 (627 571) 旧日本軍はマダガスカルの攻略を考えていた…ってかいてあったんですけど、マジですか? マダカスカル攻略…っつーか、当時のマダカスカルは枢軸側。 (もともとフランスの植民地だったのがヴィシーフランス政権誕生時にそのまま下に入った) そして、ここを拠点に通商破壊をやられると、インドの連合軍が干上がりかねない状況だったので、 連合軍がマダカスカル攻略戦を開始。 ヴィシーフランス軍(大半はマダカスカル総督によって編成された現地住民)が予想以上の善戦をし、 日本もこれを支援するために潜水艦を派遣。 連合軍の戦艦を一隻大破、タンカーを一隻撃沈という戦果をあげたが、 いかんせんそれ以上の支援は不可能で、ジリ貧になったマダカスカル軍は敗北しましたとさ。 つまり、日本が攻略するというよりは、ヴィシー政権にマダカスカルを保持してもらうために、 そこまで進出せざるを得なかったということ。 (310 812) 太平洋戦争の時,日本はインドネシアを直轄領としようとしていた,と聞いていたのですが,どうなんでしょうか? 「海上護衛戦」文庫版P84以降(第二章6)にこんな記述が。以下抜粋。大意だけ 昭和十七年海軍省 太平洋協会・西方氏(以下西方)「新占領地に日本名付けるから参加して下さい」 大井篤氏(以下大井)「過早ではないか。昭南なんてピンとこない。支那は同じ名前では?」 西方「全部変えるわけではなく、講和時に当然日本領になるところだけ研究。支那は友邦だから無し」 大井「シンガポールでいいじゃないか。日本軍がこれ以上進むのが心配だ」 西方「ハワイや豪州まで占領するそうじゃないですか。西太平洋全域を豪亜地中海にする案も既に」 (以下大井氏の攻勢限界点主張論) (195 509) 1941年11月20日の第70回大本営政府連絡会議に於いて、「南方占領地行政実施要領」を決定しています。 この時に、陸海軍の軍政主担任地域を決定しています。 陸軍は、香港、フィリピン、マレー、スマトラ、英領ボルネオ、ビルマを、海軍はオランダ領ボルネオ、セレベス、 モルッカ群島、小スンダ列島、ニューギニア、ビスマルク諸島、グァム島を担当しました。 その後、1943年1月14日に開かれた第128回大本営政府連絡会議で、ビルマ、フィリピンの独立、マレー、ジャワ、 スマトラ、ボルネオ、セレベスの日本領土編入を決めましたが、実際には領土主権を変更するのであれば、 講和後に編入しないと国際法上違法となる懸念が生じ、領土編入は行われていません。 (195 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 何で日本の豪州脱落計画は破綻したんですか? 方針がはっきりと定まっていなかったから、てのが大きい 第一段作戦(マレー・フィリピン・蘭印攻略作戦でラバウルが終点)が予想をはるかに超えて順調に進み、 第二段作戦でどこをどう目指すかがろくに決まらないうちに作戦が終わっちゃったのだ んで大方針が決まってないもんだからあそこを目指すどこを攻略する、が噴出しまくってしっちゃかめっちゃかになった 最終的に大きく三つに絞られたが、それをさらに一つに絞り切れずになんと三つ全てに手をつけちゃった。 すなわち 印度洋方面 米豪分断 ハワイ直行 印度洋はセイロン攻略はさすがに諦められたが陸軍がかなり戦力を割いてしまった。 米豪分断が本質問の主題だが、海軍はハワイ直行をやりたくてあまり乗り気じゃなかった なもんで中途半端な戦力を出して珊瑚海海戦‐MO作戦が頓挫。 ド本命に推していたMI作戦は大敗北。 ガダルカナルが脚光を浴びたのはミッドウェー作戦の敗北でハワイ方面への攻撃が不可能になったため 再び米豪分断を主軸に据えようとし、そうなると空母が足りないこともあって基地航空隊の比重が高まったためだ。 (646 239) 太平洋戦争中、何故、日本軍はグアム・サイパン・テニアン島を硫黄島みたいに要塞化しなかったんですか? 間に合わなかった… 南海で負けが確定してくる ↓ 怒濤の如く押し寄せるアメリカ ↓ 戦線の縮小が極めて難しい軍上層部の体勢 ↓ 時間切れ そこまで資材運ぶのもいっぱいいっぱいだったし。 あと、サイパンは地質の関係でかなり土を掘りにくかったらしい。 (295 9-14) 1945年の8月15日当時、アジア各国の民衆は日本の敗戦をどの様に受け止めたのでしょうか? 韓国が主張する様に、アジア各国が日本の敗戦に狂喜してお祭り騒ぎだったんでしょうか? 占領の程度、占領中の行政官の手腕によって印象は異なります。 例えば、中国や韓国では、旗がはためいたことは確かです。 一方で、Philippinesなんかではずっと戦闘中でしたし、仏印の様に再び旧宗主国が舞い戻ることも ありましたし、Indonesiaのように、日本の敗戦後即座に独立宣言をした国もあります。 (295 眠い人@まだまだ規制中) 日本本土への艦砲射撃の際、日本本土の要塞や砲台は交戦しなかったんですか? 本土への艦砲射撃というと、終戦間際の昭和20年7/14と8/9の岩手県釜石市と7/15の北海道室蘭市の事例て事だわな。 釜石市も室蘭市も鉄鋼の町で製鉄所が狙われた訳だが、まずはそこに要塞や砲台があるか調べてみよう。 室蘭臨時要塞は建設中だったが、15㎝砲では戦艦の40.6㎝砲による遠距離射撃には太刀打ちできん。 つか戦艦の主砲に対抗できる要塞砲なんて、対馬や壱岐にしかない。 (俺初質スレ431 716) ラバウルなんか占領する必要はなかったのでは? ラバウル攻略は第一段作戦の締めくくりとして、 トラックや蘭印方面への連合軍の反攻の策源地を排除し、占領地域を守る「城門」として絶対に必要な場所であり 攻略には赤城以下正規空母まで出撃しています。 ラバウルの奪取は戦前からの既定戦略です。 ラバウルが敵手にあればそこからの連合軍の浸透は蘭印東部や内南洋にまで及び、 長期持久はおろか短期決戦さえままなりませんでした 「策源地を排除し、占領地域を守る「城門」として絶対に必要な場所であり 」が誤った考えなのでした。 次は「ラバウルを保持するにはソロモン諸島全域をカバーできるガダルカナル島に飛行場建設を計画」となりました。 止め処が無くなったのです。 http //ww31.tiki.ne.jp/~isao-o/battleplane-14seiron.htm ラバウルが敵手にあった場合、蘭印東部~内南洋に至る広大な地域が前線と化します 防衛に要する負担はトラック~ラバウルに至る補給線の維持など児戯と思えるほど悪化します ラバウルはわずかな補給線の延伸によって防御リソースを集中し、トータルでの補給負担を減らせる絶好に位置にあり しかも戦前からの空港さえあります。 だからこそ日本軍はラバウルの攻略を第二段ではなく、第一段作戦に組み込み、開戦前からの明確な方針としていたのです。 そして南方への進出はラバウルで留める案もあったのです というより連合艦隊はラバウルからさらに南進してモレスビー攻略~米豪分断の大戦略にはもともと消極的でした だいたいそのHPは認識を誤っています ガダルカナルへの飛行場建設はラバウル保持とは直接関係ありません 防衛ではなく攻勢的な目的によるものです (673 ゆうか ◆u8WC078ef5ch) 日本軍はラバウル攻略を第二段でなく第一段作戦に組み込み、開戦前からの明確な方針としたけど、その後の絶対国防圏で外たんですよね? だからラバウルを占領したことが間違いだったのです。 http //www.h2.dion.ne.jp/~sws6225/jiten/kokubouken.html 完全な結果論です、しかも間違いだらけの。 戦前から連合軍はモレスビー=ラバウルを反攻の拠点とする構想があり、開戦後速やかに増援部隊を派遣する構想でした。 日本軍の進撃は連合軍のもくろみを遥かに上回る順調さで推移し、構想を実現する余裕がなくなってしまっただけです。 日本が「開戦90日で第一段作戦にケリをつける」ほど急いだのは、まさに連合軍特にアメリカ軍が航空戦力中心の増援を送り込んで 攻略が困難ないし不可能になる前に作戦を終結させる切実な必要があったからです。 絶対国防圏設定後、ラバウルは無力な拠点と化しましたが、それでも日本がここを確保しておく意味はありました。 大兵力を要するラバウルが日本側の手に残されていたからこそ、ニューギニア方面への連合軍の攻勢は激烈なものとはならず、 資源地帯が直接脅かされるまでに至らなかったのです。 連合軍はラバウルを攻略して資源地帯に襲いかかる道ではなく、もっと手っ取り早く効果が あがる(そして多分に政治的な意図を含んだ)フィリピン攻略の道を選びます。 そこにはニミッツと張り合うマッカーサーという、アメリカ陸海軍側のわりと一方的な都合があります。 資源地帯への浸透で時間を食い、対日攻勢の主導権を海軍側に握られることを嫌うという、 理性とは少々ずれた道筋を経て、資源地帯はスルーされた、ともいえます。 (673 ゆうか ◆u8WC078ef5ch) 海軍は短期決戦の戦略だったんですよね? 1944年には、アメリカ海軍には大艦隊が出現します。開戦前から艦隊法成立で分かっていました。 そうなれば、日本海軍に勝ち目はありません。その前に、勝たねばなりませんでした。 ミッドウェー敗戦後の日本海軍は積極的攻勢に出る力を失ったため、 インド洋ではじめようとしていたトン数戦争を本格化させる道を選びました。 そのための兵力移動もはじまっており、ガ島攻防戦が生起しなかった場合、南雲機動部隊は再びインド洋で暴れる予定でした。 1943年中を耐え忍び、徹底的にインド洋の通商を遮断してしまえば英国に何らかの政変が起きる可能性は高いと踏んでいたのです。 実のところ、この期に及んでもなお日本軍の戦略は一本化されてなかったのです。 ガ島への進出は空母を使えなくなったため基地航空戦力を主体としたFS作戦の一環、その準備行動でした。 これが連合軍の反攻を呼び込み、敗戦への一里塚となったのは御存じの通り。 (673 ゆうか ◆u8WC078ef5ch) 緒戦で優勢に立てば、アメリカはすぐ講和してくるとの読みが旧日本軍にはあったと言われていますが、 本当に講和してきた場合、その後の日本はどういう軍事戦略を取る予定だったんですか? ほとんど何も考えてなかったというのが結論。 ただ、陸海軍はアメリカさえ相手にしなくていいなら、 東南アジアから欧州勢力を駆逐することは可能だと考えていた (実際それは達成できた)。 なので、アメリカと講和し、東アジア地域から英仏欄を排除した後は、 占領地を維持、防衛する・・・という戦略がとられた筈。 ただ、「大東亜共栄圏」がなんで「”大”東亜」なのかと言えば、これには 「インドも含みます」という意味が込められているから。 なので、東南アジアを制圧して各地の傀儡政権を設立するのが一段落したら、 こんどは英領インドへの侵攻作戦が行なわれた可能性が高い。 あくまでも予測だが。 補足するとオーストラリアに対しては、一応北東部~東部への侵攻計画が 考えられていたがあまり積極的に行う計画ではなかった。 ニューギニア南岸とサモア、ソロモン諸島を制圧してアメリカとの連絡を絶ち、 インド、中東(+アフリカ)方面とも断絶させて英連邦から離脱させ、親日中立 を強要する・・・というのが目標にされていた。 ポートモレスビー攻撃やガダルカナルへの基地設営などはこの戦略に基づいて 行なわれている。 (289 879-880) もし日本が英蘭のみ攻撃してたら、アメリカは参戦するつもりだったの? 計画だけはありました。 http //www.h2.dion.ne.jp/~sws6225/wtable/194105.html 交渉内容としては以下の内容。 http //www.kokubou.com/document_room/rance/rekishi/seiji/nichibei_kousyou/daitoua5-3.htm さて、上記9番目の参謀会議についてであるが、昭和16年1月末より米国軍令部と参謀本部を代表とする米国参謀委員会と 英国統帥部を代表する英国代表団との間で計14回にわたる会談がワシントンに於いて行われた。 これはフランス戦線がドイツ軍によりあっけなく突破され焦った英国側が米側に熱望して実現したものである。 ここでは作戦計画「ABC-1」及び「ABC-2」が報告され、これを踏まえて「レインボー5号作戦計画」が策定されるに至った。 本計画は米英での事実上の承認を受けてこれをもとに枢軸側に対する綿密な作戦協定の制定に乗り出した。 特に我が国に対する基本戦略の骨子は、 1) 日本が参戦した場合極東における軍事戦略は防勢をとる。 2) 米国は極東に対し現在以上に軍事力を増強する意向はない。 3) 英国の極東における地位、なかんずくその象徴たるシンガポールは「英連邦の結合と安全並びにその戦争努力の保持を確保する」見地 において、防衛を強化しなければならないが、それは英連邦の自力によるものとし、米国はそのかわり大西洋及び地中海方面に兵力を増強する。 4) 但し日本の南進作戦を牽制するため、米国太平洋艦隊を機宜攻勢的に使用する。 最後にこう書いてある。 「英国との参謀会談は終わり、合同米英戦争計画は作成された。この報告はマーシャル将軍と私によって承認された。 そして適当な時に大統領の承認を得ると期待される」 あくまで制服組のシミュレーションであって大統領が承認した正式な作戦計画ではない。 (687 159-162) サイパンの戦いにおける日本軍が守備隊をもっと早くサイパンに配置しなかった・出来なかった理由はなんでしょうか? 一言でいえば危機感のなさ。手をつけるのが遅すぎた ただ現実的な問題として南方への部隊輸送で結構いっぱいいっぱいだったんで サイパンへの増強を手掛けられたかというとかなり疑問符がつく 開戦時からマリアナが戦場になると予想して少しずつでも強化してれば要塞に仕立てることはできたろうけど そこまで予見しろってのは神の視点になるしね ニューギニアや、ラバウル、ソロモン方面への輸送に手一杯で、 マリアナはその中継点でしかなく、部隊や、物資を集積する余裕がなかった。 ただ、交通の中継点のため、米軍襲来時に南方向けの武器や、部隊が、 留まってたりしたので、守備軍に編入して、つかってる。 (689 363-365) 「太陽の帝国」で中国駐在の欧米民間人が収容所で使役されてました。あんなこと実際あったんですか? 映画ですよ、映画。 軍人以外は戦争勃発時敵国人になった場合は、軟禁状態となり、交換船で帰国と いうことになります。 それでも残った人には漏れなく特高の監視なんぞが付いて、居住地が定められます。 また、加えて帝国臣民の義務は課せられる可能性はあります。 (279 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 1942年ごろのタイ海軍の戦力を教えて下さい 砲艦:Ratanakosindra(英国製)、Sri Ayuthia(日本製) 駆逐艦:Phra Ruang(旧英国R級駆逐艦) 水雷艇:Puket級7隻(イタリア製) スループ:Tachin級2隻(日本製) 魚雷艇:Kantan級3隻(日本製) 敷設艇:Bangrachan(イタリア製) 潜水艇:Sinsamudar級4隻(日本製) 砲艇:Chow Phraya(旧英国Hunt級) 哨戒艇:CMB-6~9(英国製) 漁業保護艇:Sarasindhu級3隻(国産)、Sriya Monthon 王室ヨット:Maha Chakri (269 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本統治下のグアム(大宮島)について、統治内容等を知りたいのですが 南洋群島は、Versailles条約で日本の国際連盟C式委任統治区域となりました。 これは、土着人民の利益の為に一定の保証を与えることが要件となりますが、受任国領土の構成部分として、 その国法の下に施政を行なうものです。 但し、地域の詳細情報、施政諸般の措置は国際連盟理事会に報告する義務があります。 (これは、日本の連盟脱退後も継続されています。) 1922年の勅令第107号南洋庁官制により、パラオ諸島コロール島に南洋庁を設置、南洋庁長官は、一般行政は 拓務大臣の指揮監督を受け、他に一部の行政に関しては逓信、大蔵、商工の各大臣の監督を受けます。 1942年、拓務省廃止の後は、大東亜省所管となります。 南洋庁の組織としては、最初は課制でしたが、後に内務部、経済部、交通部、そして各島に支庁を設置、大きな島 には法院を置いています。 支庁は警察を兼ね、法院の無い島であれば、民事裁判を行うほか、軽微な刑事事件も即決裁判を開催します。 法院は1922年の勅令第133号南洋群島裁判令によって設置され、高等法院、地方法院の二審制となっています。 教育は内地人については、内地と同様とし、島民に対しては、初等教育機関として本科三年、補習科二年の公学校を 設置します。 授業の半分は日本語の習得に充てられましたが、五年でも平仮名が書ける程度でした。 自治体は1931年に、南洋庁令第七号南洋群島部落規定により、部落と言う自治体が置かれ、総代を長官が任命し、 総代の諮問機関として、協議会を置きます。 協議会員は、独立の生計を営む25歳以上の男子からの完全普通公選制です。(但し、選挙民は内地人のみ) 島民に対しては、1922年の南洋庁令第三四号南洋群島島民村吏規程により、島民を村吏に任命、カナカ族は総村長、 村長、チャロモ族は区長、助役を設置しています。 1938年には勅令第224号南洋群島地方費令が公布、南洋群島は一つの自治体となりますが、諮問機関、議決権は設け られていません。 (123 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 旧日本軍は米軍の暗号通信をどの程度解読していたんでしょうか? 日本海軍は米海軍の戦略レベルの暗号通信を終戦まで解読することが出来ず、 通信解析と呼ばれる方法で米海軍の動向を探っていました。 通信解析とは、敵の通信量を統計的に分析して動向を判断する方法で、 通信系図と呼ばれる通信の着信先や通報先を整理した系図を作成して その変化によって敵の作戦規模や内容を判断していました。 こうして、米海軍の戦略企図をほぼ正確に予知できるようになりましたが、 その頃にはすでに彼我の戦力差はどうしようもなく広がっており、戦いに活かすことは 出来ませんでした。 一方米海軍が日本海軍の暗号解析に取り掛かったのが1941年の初夏のあたりで、 米軍海軍情報部はD暗号(JN-25)と呼ばれた重要暗号の解読にミッドウェー作戦直前の 5月26日までにほぼ成功しています。 細かい話はこちらで。 http //www.page.sannet.ne.jp/mori-y/nihon2.html (146 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 日本軍はアメリカ軍の本格的反抗は1943年以降と考えていたとのことですが、何を根拠にそう考えたのでしょうか? 米国が開戦後に戦時体制に入って、戦力の動員と兵器の大量生産を 軌道に乗せるまでに1年半程度の時間が必要で、 反攻はこうした準備が整ってからであろうと予測していました。 実際に米軍が大量の空母と航空機、そして兵員を投入可能になったのは、 1943年半ばですので、日本軍の米軍戦力整備に関する予測は、 実は誤ってはいませんでした。 問題は、米軍がミッドウェーにおける勝利と前後して、 戦力不十分なままで早期反攻に出るという事態に対して、 これを予測していなかったり、あるいは十分な対策を検討し、 準備しておかなかったということだといえると思います。 (170 80) 海軍の場合ですと、 昭和15年に成立した第3次ヴィンソン計画による艦艇・航空機の増強が 昭和17年度に完了することが判明しています。 これでロンドン条約のアメリカ側の制限枠が満たされますが、 ヴィンソン計画成立から半年後に、制限枠にとらわれないスターク計画が追加され これには幻のモンタナ級・アラスカ級・エセックス級・ボルチモア級・クリーブランド級など 大反攻の主力艦が含まれています。 真珠湾にしろミッドウェーにしろ、ヴィンソン計画艦を叩くのが精一杯で 18年度以降に就役するスターク計画艦までは手が回らないのが実情でした。 このスターク計画によってアメリカの陸軍戦備も予算的になかなか整わず イギリス支援に忙殺されてもいたために、対日戦備も後手に回っていました。 それに希望的観測もあって、18年度からの反攻が想定されたわけです。 (170 鷂 ◆Kr61cmWkkQ) 泰緬鉄道の建設では多くの現地人と捕虜が死亡したそうですが、そんなに価値ある鉄道だったんでしょうか? タイとビルマの間を海上輸送するとなると、大きくマレー半島を迂回しなければ なりませんし、その間、通商破壊により、船舶が撃沈されてしまうリスクも大きい です。 また、船舶輸送は大きな輸送力がある反面、速度が余り出ませんから、時間が 掛かります。 従って、タイとビルマを短絡する鉄道を敷設した方が、マレー半島大回りより時間が 短縮出来ますし、戦闘に対する被害も貨車、機関車はある程度現地調達出来ますし、 機構的に複雑なものでもありません。 総合的に見て、効果があると認められた訳です。 勿論、戦時中という時代相もあったのでしょうが。 (178 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日ソ中立条約があったころ、満ソ国境ではどんな諜報活動が行われていたんですか? お互いにばんばん偵察機を飛ばしたりしてたのでしょうか? 国境の監視所からの定点観察(向地偵察)でも十分情報を得られたのですが、 日本側がソ連奥地の情報を得るためにはクーリエを利用していました。 クーリエ(外交伝書使)とは、日本からモスクワの日本大使館に連絡を付けるための 外務省の特使便です。 モスクワへの往復の旅は、シベリア鉄道を利用して約一ヶ月かかりました。 この間に沿線の情報を可能な限り収集し、持ち帰って分析するのが彼らの真の任務で、 外務省仕立てではありますが、実際は偽名を使った軍人が赴いていました。 当然真の目的はソ連側も承知している危険な任務で、20年4月には二人のクーリエが GPUによって毒を盛られて一人が死亡し、機密文章が盗み見られるという事件が 起こっています。 かの瀬島龍三参謀も19年12月~20年1月にクーリエとしてソ連に赴いています。 (192 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 真珠湾攻撃から珊瑚海海戦まで半年近く大規模な海戦がおきなかったのはなぜですか? この期間海軍はインド洋であまり意味のないような?作戦をチマチマとやっていたように見えるんですが。 太平洋戦争の目的は、あくまでもインドネシアの地下資源を手に入れることです。 とにかくインドネシアを手に入れるために、間に立ちはだかるマレーとフィリピンから米英軍を追い出すのが第1段階。 そしてインドネシアを手に入れるのが第2段階。 この3箇所を制圧することが大本営の思惑であり、ビルマやソロモンはオプションに過ぎません。 (そのオプションに力を入れすぎて自滅したわけですが) したがって、無駄に艦隊が出て行く必要性はないです。 真珠湾攻撃というのは、単に山本さんの博打に過ぎません。 ただし、成功すれば米軍はフィリピンの支援はできなくなるし、失敗してもマレー・フィリピン攻略準備はできてるし 山本さんのギャンブルはどう転んでも大本営の損にはならないので認められただけです。 (220 鷂 ◆Kr61cmWkkQ) インド洋作戦てのはセイロン島の在英海軍を叩く為の物だったのだけど 英海軍がアフリカ東岸まで後退させたので機会がなっかたのです。 ちなみに 1月初頭、柱島→中旬、ビスマルク諸島、ラバウル→末、トラック 2月初頭、米マーシャル諸島空襲に対応して出撃(中止→中旬、ポートダーウィン空襲 3月ケレベス島スターリング湾を拠点に行動、各地を空襲。 4月インド洋作戦 (220 589) 太平洋で日本がアメリカと戦ってまともに勝てた戦いって何ですか? 1942年11月30日、田中頼三少将指揮下の第2水雷戦隊の駆逐艦8隻が補給物資を満載した ドラム缶を搭載してガダルカナル島へ向かっている最中に米海軍第67任務部隊 (ライト少将)の艦隊(重巡4、軽巡1、駆逐艦6)と遭遇、交戦状態になった海戦です。 発砲したのは米艦隊が先で、一斉射撃を浴びた日本艦隊は米艦隊に向けて魚雷を放って 交戦海域から待避。この際駆逐艦「高波」は、米艦隊の集中攻撃を受け沈没したが 日本艦隊が発射した酸素魚雷が米重巡一隻(ノーザンプトン)を撃沈、 三隻(ミネアポリス・ニューオリンズ・ペンサコラ)が大破という戦果を挙げています。 陸戦に関しては開戦劈頭の進撃を除けばほとんどなかったかも。 (62 名無し軍曹) 日本占領下の東南アジアで編成された現地人部隊について教えて下さい。 蘭印 ジャワ防衛義勇軍 66個大団(大隊) 3万5千 バリ防衛義勇軍 3個大団 1千5百 イ号勤務隊(ゲリラ戦部隊) 5百 回教徒青年挺身隊(ゲリラ戦部隊) 5百 スマトラ義勇軍 30個中団(中隊) 3千 ボルネオ義勇軍 1個大団3個中団 1千3百 マレー マライ義勇隊(治安任務) 5千 マライ義勇軍(戦闘部隊) 2千 仏印 越南青年先鋒隊(民兵) 50万 フィリピン 比島愛国同志会 5千 ラウエル大統領付親衛隊 ビルマ ビルマ防衛軍 7個大隊 1万 インド インド国民軍 3個師団 2万 (WWIIのマイナーな軍について語るスレ 151) 太平洋戦争中、猪や鳥等の野生生物は激減したんでしょうか? どこの地域のことを聞いているのかわからんが、日本国内では戦争中は野生動物はやや増えた これが戦後、主に農薬の大規模大量使用が原因で大幅に減少を始める (俺初質スレ2050 110) 日露や第一次世界大戦では捕虜を人道的に扱っていた日本軍は何故WW2であのような捕虜の扱いをしたのでしょうか? 幕末に諸外国と結んだ不平等条約改正を行うために、 「日本は国際法を順守する文明国ですよ」と国際社会にアピールする必要があったため。 条約改正が成った後はそれがだんだんゆるんだ。 (俺初質スレ436 328) 太平洋戦争の日本軍の中韓以外のアジアにおける評価はどうなっているのですか? 質問の意味がよくつかめないが、「統治者としては驚くほど無能」というのは 各国で共通してるよ 戦闘力については、その国の置かれていた状況で評価はまったく変わってくる (俺初質スレ436 614) 統治側としては、ある程度の期間で見て 植民/占領地の確保~維持運営で 投下したリソース>得られたリターン なら無能と断じて良いと思う。 大日本帝国は実際のところ…どうなんだろうか?最も早期+上手く転がってた 朝鮮半島の収支も怪しいような気がするが… (俺初質スレ436 624) アジア各国の教科書などを見ても、全体的に期待を裏切られてガッカリしたという感じだな 戦前から独立を約束されていたフィリピンや、華僑の多いマレー・シンガポールは、特に終戦直後は反日感情が大きいだろう それ以外の国は、支配者が白人から日本人に変わっただけで、日本語や天皇崇拝を強要されたとか、憲兵が怖かったみたいな意見 (俺初質スレ436 625) 植民地=搾取できるって考えは、古いステレオタイプ 19世紀くらいになると、鉄道敷設や鉱山開発に教育の実施など、搾取する為の土地ではなく、ほとんど地方自治体みたいな感じ 日本に限らず、インドなどイギリス植民地などでも、赤字経営になる 日本の場合は砂糖で黒字になる台湾以外は、朝鮮も満州もインフラに力を入れてるから赤字だ 日本は朝鮮や満州を搾取できる土地ではなく、軍事拠点と考えてるしその為の投資をしてる (俺初質スレ436 626)
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登録日:2009/05/26 Tue 20 44 25 更新日:2024/04/22 Mon 07 20 08 所要時間:約 32 分で読めます ▽タグ一覧 WWU アドルフに告ぐ 世界史 喜劇 大東亜戦争 太平洋 太平洋戦争 忘れてはいけない 悲劇 惨劇 戦争 戦線 所要時間30分以上の項目 日本 日本史 歴史 泣くな小僧 第二次世界大戦 軍事 ▷ 目次 【概要】 【開戦の経緯】 【そして劣勢へ】 【終戦】 【戦後】 【軍人達のその後】 【軍人の復権】 【陸軍悪玉論】 【現在の傾向】 【被害】 【概要】 太平洋戦争とは、第二次世界大戦のうち、1941年12月8日真珠湾攻撃から1945年8月15日の日本の降伏までの約4年間続いていた戦争の総称である。 参戦国 連合国 アメリカ合衆国 イギリス帝国 中華民国 オーストラリア オランダ王国 ソビエト連邦 等 枢軸国 大日本帝国 タイ王国 ヴィシーフランス 自由インド仮政府 ビルマ国 南京国民政府 等 あまり知られていないが太平洋戦争は日米戦争ではなく「アメリカやイギリスなどの連合国と日本やタイなどの枢軸国の戦争」である。 そのため米軍以外にもイギリス軍やオーストラリア軍、さらには中国の国民党軍などと激しい戦いを繰り広げており、特にオーストラリアでは日本海軍が本土に爆撃を行った事もあって未だに対日感情へ悪影響を及ぼしている。 日本側の正式呼称は「大東亜戦争」だったが、現在ではGHQの広めた「太平洋戦争」が一般的である。 ただし「太平洋戦争」という呼称自体は、帝国海軍側から「対英米戦争」とともに提案されている。 ちなみに「大東亜」とは「太平洋(ハワイ等は含まず)、東南アジア含む東アジア」のことであり、こっちの場合1937年の支那事変(日中戦争)も含まれる。また東南アジアのタイ王国も日本と同盟を組んで参戦している。 戦後70年と戦争経験者もまだ多い。 よってもっとも身近だが、近年出征者の高齢化による風化が問題となっている。 2010年代に入った現在では、出征経験を持つ者のうち、当時の士官学校を経ないで入隊した徴兵での若年兵すら80代後半~90代に達している。 正規教育を受けた士官級以上は高学歴者でも無ければ100歳を有に超えており、ほぼ壊滅状態である。 一般人の立場で、ハッキリと戦前から戦中までの記憶を持つ最後の世代である昭和ヒトケタ初期世代も80代半ばを越えようとしており、 年月の経過による高齢化による死亡で数が減っている。(その以後の世代にあたるヒトケタ後期~焼け跡世代では戦争の記憶の精度が低下し、あやふやである) 【開戦の経緯】 発端は遡れば切りがないが(一説には黒船による日本の開国からとも)、満州事変以来の急速な日本と中国の対立とそれに伴う日中戦争の勃発と戦線の拡大、またその最中日本に対抗して、アメリカ等の国が中国に対し兵器や物資の援助を行った上、軍事力を強化する日本に対して米英中蘭などの国が 中国からの即時撤兵の要求 日本に対し輸出の制限 等を決行。 それに対し、昭和天皇の意思もあり近衛・東條内閣はアメリカとの交渉を進めるものの、 対外戦争に勝ってきたせいで好戦的な気質になっていた国民の突き上げ(*1) 政府の軍国主義的な運営(*2) 国民の政治不信と軍や官僚による革新運動への期待感(*3) 軍部の増長(*4)(*5) 友好国のドイツが欧州戦線で連戦連勝した などの理由で(*6)「日独伊三国同盟」を結ぶ(*7)。 ちなみにドイツは中国に武器を援助しており、軍事顧問団まで派遣していた。 しかし欧州戦線などでイタリアが当てにならない事を知っていた総統閣下らはまともな同盟国を求めるようになった。 そこで白羽の矢が立てられたのが、立場のよく似た日本だったのだ。 ナチス首脳陣は当初、利用するだけの存在として表面上はともかく裏では日本を侮蔑していた(そもそもヒトラーの書いた「わが闘争」の原本に、日本人を見下す表現があったりする)が、 ドイツ政界の「成り上がり」であったナチは旧来の官僚や政治家が親中的であった事への反発や イタリアが数年で降伏した事もあり、日本への感情を次第に好転させ、最後の二年間は潜水艦で各種最新技術を日本に与えた。 皮肉にもイタリアの脱落が日独を真の盟友としたのだ。まあ戦況悪化で碌に到達出来ず、むしろイタリア潜水艦の方が来日回数が多いのは内緒だ その後、石油や鉱石の確保とアジアからの欧米放逐の為、フランスの対独降伏で権力の空白地となった仏領インドシナへ進軍。 それに対し、アメリカは 石油輸出を全面禁止 在米日本資産全面凍結 でじりじり締め上げていく。 ここで日本は対米開戦の準備をしつつ一縷の望みを賭け、アメリカと最終交渉。 対するアメリカは、中国やイギリスからの嘆願もあり、そもそも日本の打開案が完全に列強の締め出しを意味したため拒絶。 極め付けに「ハルノート」を提示。ただし日本側がハルノートを受け取った時、日本海軍機動部隊はすでに真珠湾へむけ出撃していた。よく言われる「ハルノートが日本を追い込んだ」との言説は完全に誤り。連合艦隊が択捉島単冠湾を出撃したのは日本時間の11月26日。ハルノートをアメリカから提示されたのは日本時間の11月27日。 ハルノートのおおまかな骨子は、 アメリカら列強との不可侵条約の締結 対日包囲網の解除 インドシナからの即時撤兵 満州国の解体 中華民国(蒋介石の国民党政権)の支持 中国権益の放棄 通商条約を再締結するため交渉再開 凍結された海外資産を解凍する 円とドルのレートを安定させる為の通貨基金設立 三国同盟の破棄 以上の遵守(期限の指定はなし) ※満州帝国解体は日本の「中国」権益放棄を誤解してしまったのではないかという学説もある。 また、戦争を欲した外務省が意図的に最後通牒と訳したのではないかという陰謀論も囁かれている。 要約すると、国民の多大な流血と努力で得た権益を無条件で放棄させ、アジアの大国としての地位を剥奪し、「満州事変以前の状態に帰れ」という事だと当時の軍部は受け取った。 しかし、満州事変はそもそも関東軍の独断であり日本の国家意思ではなかった。その上日本がこれまでの戦争で獲得した南洋諸島、南樺太、朝鮮、台湾、澎湖諸島の放棄は要求されていない。 実際は「泥沼の中国戦線から手をひき連合国としてナチスと戦え」程度の要求だったのだが…。 欧米が世界中の植民地化を完了した現状を前に、「持たざる国」であった日本からしたら「事実上唯一の植民地」剥奪は到底納得できるものではなく、政治家や軍人には国民や軍内部の反発を抑え込む術は無かったのだ。ともいわれる。 しかし、待ってほしい。 日本はドイツとちがって第一次世界大戦の立派な戦勝国であり、戦後はドイツの植民地だった南洋諸島や山東権益を獲得している。 その上国際連盟の常任理事国であり(自分からぬけたが)、英仏と共に国際秩序を指導する押しも押されもせぬ大国であった。 そもそも「侵略国」に対する「経済制裁」を国際連盟の機能に盛り込んだのは当の日本である。 はっきりいって「持たざる国」とは程遠いだろう。 アメリカ「だが待ってほしい、ウチの植民地はフィリピンくらいだしあそこも1944年に独立させる予定(*8)だ。中南米?あの辺はどこも独立国だ」 ……ともかくこれを受けた日本は、 「これは日本の自殺に等しい」 「戦争か全面屈服を求めている」 「開戦やむなし!」 「米を露助同様の運命に落とせ!」 等の声が挙がり、11月26日に択捉島単冠湾等から出撃しハワイへの隠密行軍を続けていた赤城を筆頭とする日本海軍の誇った航空母艦達に 「ニイタカヤマノボレ1208」 の暗号が下された。12月2日17時30分のことである。 なお、アメリカはこの交渉以前に日本の外務省と海軍の暗号を完全に解読しており、日本はいくつかの妥協案を提示するが完全にアメリカの掌で踊った状態だった。 ちなみに、最終通知と名高いハルノートであるが、これの原案を作った段階では日本の面子や利権にある程度配慮した内容だったが、英中のロビー活動とルーズベルトにより改変された。 とは言ってもハルノートは、拘束力のない単なるアメリカ側からの提案に過ぎず、交渉をもう少し粘れば違った結果になっていたかもしれない。 後にルーズベルトの前任者であるフーバーは、 『アイツは戦争してアメリカの恒久的覇権をほしがってただけだ。日本の恐ろしさを知らんのだよ……』と嘆いたそうである。 (老朽艦3隻に星条旗を掲揚させた上で日本軍艦に砲撃するよう挑発した「ラニカイ号事件」などからも、ルーズベルト大統領はよほど戦争がしたかったようだ。 この事件において攻撃命令を受けていない日本軍艦は静観するに留まり、遂に先制攻撃を仕掛けなかった)(*9) 彼らからすれば拘束力ないのになんでお前らマジギレすんの!?意味分かんない!状態だったのだ。 実際に日本の死に物狂いさを目の当たりにしたルーズベルトは勝利の暁には日本の非武装化をしようと決意。それは見事に成功する。 だが、彼の死後すぐの冷戦の勃発で早々に瓦解し、後任のトルーマンやアイゼンハワーは再武装を行なわせようとあの手この手で行うはめになる。 その結果生まれたのが自衛隊である。本来は自衛隊は国防軍への更なる組織改編を前提にしていたという説もある。 ちなみに、日本の非武装化を推し進めたマッカーサーが戦後に大統領になれなかったのは、 冷戦に手駒として日本が使えないのを怒ったトルーマンやアイゼンハワーらの『お前の席ねーから!』といういじめに近いハブを受けていたためである。 お前らは小学生か ハルノートの原案者であるハリー・ホワイトはコミンテルンのスパイだったとする説がある……まあ一方でコミンテルン陰謀論とかも世にあるのだが。ちなみに原案は日本に好意的な内容であった。 なお、ルーズベルトは死ぬまで日本と中国の場所を知らなかった。 また「黄色い猿どもを抹殺せねばならない」などと中国代表の面前で発言したと言われている…が、真偽は不明。 一方、中華民国には非常に協力的かつ世論も親近感があった。(だが大陸打通作戦に中華民国が敗北すると、一気に愛想が尽きたとされる) まぁともかく、ハルノートの要求に『俺は怒ったぞーーッアメリカァ!』とぷっちんした日本は12月8日に真珠湾に奇襲。 見事奇襲に成功した。 これを機に東南アジア、ミクロネシアに足を伸ばし次々と戦域を拡大させる。 実際は真珠湾より先に陸軍によるマレー半島上陸が行われていた。 更に言えば12月7日0時10分(現地時間)にウィックス級駆逐艦・ワードから「ワレ、日本潜水艦ヲ撃沈セリ」という暗号電報が米国海軍司令部に入電していたりする。 戦後暫くは未確認事件であったが、後の調査で真珠湾攻撃が行われるおよそ1時間20分前に米軍艦が公海上において日本の潜水艦を攻撃・撃沈していた事が確認された。(*10) と言っても当時の潜水艦は潜水も「できる」艦でしかなく、潜航をする時点で これから他所の船を沈めるための準備をしている のとイコールであり 公海上であろうが他国の軍艦に察知されても浮上やなんらかの信号を出さずにいた時点で 撃沈されても文句が言えない 。 (特にソ連やドイツの潜水艦が苛烈な争いをしてる最中の上でもあるし。) よってこの件もアメリカが隠していたとかいうわけもなく、仮にこの事実が当初から大々的になっていても 日本の潜水艦の 先制攻撃 を米艦が 正当防衛 で沈めた、ということにしかならないので 日本もアメリカも特に触れる必要性を感じなかっただけだったりする。 初めは連戦連勝と好調だった。訓練と日中戦争で軍の練度が高かったためである。 しかし先述の通り、日露戦争の勝利の旨みを青年として味わった世代が軍部の中枢についていたため、攻勢限界点を理解せぬままに戦線を拡大しすぎてしまう。 そして開戦前の山本五十六の『せいぜい、保っても一年』という予想より早く破局は訪れた。 【そして劣勢へ】 初めの破局は1942年の6月。ミッドウェー海戦が生起する。 当時はゼロ戦がちょうど最盛期を迎えており、赤城を筆頭とする空母機動部隊は無敵を自負し、天下無双と誇っていた。 だが、その慢心が悪夢を呼び込み、最新技術であるレーダーとアメリカの工業技術の前に赤城、加賀、蒼龍、飛龍は次々に屠られた。なんとか飛龍が一矢報いたものの、結局は名将の山口多聞少将と主力空母の半分を失う大惨事となった。 良く『ミッドウェーでベテランパイロットが多数死んだから一気に負けた~』と思っている人がいるが、実際はほぼ過半数が生き残っている。 それよりも多数の航空機を積める大型航空母艦4隻とその艦載機を一挙に失った事が戦況を傾かせた原因である。 戦線における中継拠点として重要な航空母艦が無い以上、パイロットは一切燃料を無駄にできず護衛もなく、 敵の制空圏内を長距離航行してから戦闘をこなしてそこからまた帰投する。 という心身共に極度に疲弊する無茶な離れ業を出撃の度に強いられることとなる。 ただでさえ日本機は「航続距離・格闘性能と引き換えに、防御力を軽視した」作りになっていたにも関わらず、である。 そうしたパイロットの心身の消耗は、人材を空費していく要因になった。 アメリカ軍はといえば、国力差に物を言わせてパイロットの救助に力を入れていた。 そして戦訓を持ち帰り、その戦訓をもとに天候が安定した内地の五大湖でパイロットを徹底訓練。 戦えば戦うほどパイロットが戦死して練度が落ちていく日本と逆に、時間が経てば経つほど高練度な部隊ができあがっていく状況であった。 言うまでもないが、空母を撃沈されたことは痛恨であり不毛であったとして海軍部は空母の増産を命令。 が、国力が小さすぎたのが原因で実際に就役までした正規空母は少数に終わった。 その中には、未完成のまんま放置された雲龍型空母の後期建造ロットの三隻が挙げられる。 それだけではない。大鳳のように、初陣で即刻沈められた空母もあれば、信濃のように回航中に沈められたのもいる。 ミッドウェーの敗北でアメリカを恐怖させる『天下無双の第一航空艦隊』という鉾を失った日本軍は大混乱に陥った。 ミッドウェー後の日本海軍は機動部隊を再建しようと躍起になる一方、(超大和などの戦艦の建造計画はこの時に放棄された) 想定された本土爆撃に備え、基地航空隊を充実させようとし、迎撃戦闘機の開発を急いだ。 局地戦闘機 雷電などの機種はそのためのものだ。しかし、空母搭乗員を地上基地の人員に転用してしまうなどの失策続きで、 精鋭であったはずの航空隊の練度はみるみるうちに低下していった。(*11) 元々「奇襲して釣りだして一撃かましてやれば米国はビビって降参するだろう」という極めて適当かつ楽観的な予測のもと、短期決戦→和平交渉という想定だったこともあって、碌な戦争計画がなく、 (好調時にある参謀が『勝ちすぎてこの先どうすればいいのよ~!』と頭を抱えたほどに白紙であった) 延びきった戦線に貧弱な補給線はすぐ敵に断たれ前にも後ろにも行けなくなる日本軍。結果、各地で各個撃破されていった。 もちろん本国も植民地からの輸送路が次第に絶たれていった。 日本海軍の衰勢が明らかになったのは、二度目の破局である、ミッドウェーから2年後の1944年の史上最大の空母戦『マリアナ沖海戦』。 アメリカ側は海軍乙事件(*12)で手に入れた計画書から全てを見抜いており、日本軍の意図は根底から崩壊した。 しかも日本軍はこの時に 「捕虜になるのは日本軍人の恥!!しかしゲリラに捕まったのは捕虜になったということなのか?」 と言う、戦略の根底が覆る事態と比べてどうでもいいことばかりを議論していた。 (俗説として、この海戦にまつわる話として、このような話が言い伝えられている。 東條英機は海軍がミッドウェーで第一航空艦隊を失った事は知らされておらず、こう海軍高官に言ったとも言われる) 以下は言い伝えられている内容 東條「うぅ~~む。戦況が厳しい。真珠湾の時の空母機動部隊を使ってくれんか」 海軍高官「実は二年前のミッドウェーで赤城から飛龍は全部沈みまして(´Д⊂ モウダメポ」 東條「ガ━━(;゚Д゚)━━ン!!な……ん…だ……と…!?( ゚д゚)」 東條はあまりに理不尽な宣告に喧々諤々かつ顔面蒼白になったと言い伝えられている。 実際にはミッドウェーの敗北は東條にすぐ通達されていたため、俗説の域を出ない。 実際にこの1944年の時期に稼働していた日本海軍空母機動部隊の搭乗員の練度は『大空の王者』を自負していた開戦時に比べて大きく低下しており、ほとんどが新規の育成途上の搭乗員であった。 度重なる基地航空隊への転用のツケがここで響いた形となった。 この海戦における空母機動部隊司令で、日本海軍の名将と誉れ高い評判の小沢治三郎中将(最後の連合艦隊司令長官)は、 日本製航空機の長い航続距離を使って敵の勢力圏外から攻撃を加える『アウトレンジ戦法』を採用したが、搭乗員の平均練度の低下を考慮に入れなかったのが仇になり、 航空隊はほぼ全滅、潜水艦の攻撃で翔鶴と大鳳というかけがえの無い強力な空母を喪失してしまう結果を招来してしまった。 この敗戦で小沢中将は後世に罵られる『愚将』のレッテルを背負う事になってしまったが、戦後にこう見解を述べている。 「当時の空母航空関係者の間ではもう『アウトレンジ戦法。これしかない』と一致していた。 当時の追い詰められた状況では練度低下までは気が回らなかった……むやみに搭乗員を死なせたのは私のミスであり、不覚の極みである」 と自身の指揮で498機の航空隊の過半数を大空へ散らしてしまった事への悔恨を戦後も引きずっている旨の見解を述べている。 アウトレンジ戦法自体は極めて理に叶っており、「相手の距離外から一方的に攻撃を加えようとする」ことは、戦略的には何も間違ってはいない。 それに、当時のアメリカは日本軍飛行機の「防弾設備がろくになく、防御力が低い」欠点を見抜いており、 艦からはハリネズミの如き対空砲火による圧倒的な弾幕を張り、迎撃機には「複数機で襲い掛かり、とにかく撃って当てて逃げる」戦法を徹底させていた。 敵もいつまでも無策ではないのである。 仮にベテランパイロットが当時の状況より多く生き残っていたとしても、戦果を得られたかは…微妙なところだろう。 ちなみに、日本軍はこのマリアナ沖海戦を『一発逆転→講和』のラスト・チャンスと想定しており、文字通りの決戦とするつもりだった。 末期に活躍した局地戦闘機 雷電や局地戦闘機 紫電などの機種は本来、マリアナ沖海戦の決戦機として運用することを前提に生産、ないしは開発されていた。 特に紫電はこの時の基地航空隊の主力とする事が予定されており、『生産されている』のを前提に部隊編成がされるほどに期待されていた。 大鳳もそもそもは零戦の後継機の烈風を搭載するのを前提に作られた空母であった。 しかし、雷電は欠陥で生産が遅れ、紫電はメーカーの生産力不足により配備は間に合わず、烈風はそもそもこの時期に試作機が完成したばかりであった。 その結果、零戦52型のままで戦わずを得なくなった日本海軍航空隊は、飛躍的に進化したレーダーと次々に更新される敵の新型機による鉄壁の防空網の前に、見事打倒されてしまう。 マリアナ沖海戦の大敗北で空母機動部隊は戦闘能力を完全喪失し、次のレイテ沖海戦で戦艦部隊も戦闘能力を喪失するなど、 いつも戦争に勝ってきたはずの日本軍にとって、この1944年は悪夢そのものの年以外の何物でもなかった。 一応作戦そのものはうまくいっていたのだが、艦隊司令の栗田健男の謎の反転行動で失敗した。 ちなみに、零戦の陳腐化が上層部に至るまで認知され、上記の三機種の実用化に躍起になり始めたのもこの時期だが、 マリアナ沖海戦までに間に合わずじまいであった以上はもはや焼け石に水で、せめての情けで紫電改が一矢報いたのが精一杯であった。 このマリアナ沖海戦におけるアメリカ側の物量は伝説的で、日本の空母のほとんどを圧倒的に上回る性能(搭載機は100機近い)のエセックス級航空母艦を15隻動員し、 艦載機数も当時の日本海軍空母機動部隊のすべてを合わせた空母9隻、498機を圧倒的に上回る物量の910機を動員していた。 しかも戦闘機だけで500機近くの圧倒的物量。当時最新のエレクトロニクスをふんだんに駆使して指揮されている高練度部隊に打ち勝つのはどだい無理な話だった。 しかしこれには異説もあり、基地航空隊が健在であれば連携して攻撃する手筈で、 その壊滅を知らないまま小沢中将は作戦計画を立ててしまったからだという擁護もある。(鹵獲された計画書ではそれが前提とされていた) この1944年からのアメリカの圧倒的物量による大攻勢は『鋼鉄の嵐』とさえ形容されるほど凄まじく、日本政府上層部をも大いに震撼させた。 東條英機はサイパン島の陥落そのものよりも、日露戦争以来、連戦連勝を誇ったはずの日本連合艦隊が自らの総軍を遥かに凌ぐ圧倒的物量と東條自身が軽視した一連の技術によって、完膚なきまでに叩きのめされたという事実に愕然となり、その場に立ち尽くしたとの事。 (なお、この際に空母飛行隊の隊長が現場の判断で天山についていたレーダーを取り外していた(動作不良多くて宛にならない!との判断)のだが、 海戦に敗北し、レーダーの有無が勝敗を分けた事を知った後世において、メーカー側に恨み辛みを本で書かれた、瑞鶴飛行隊隊長の心中は如何なものだっただろうか?) この一連の大攻勢で前線は勿論、空襲により各地が壊滅状態になり沖縄に至っては占領までされてしまう。 植民地から本土への輸送ルートを粉砕されていくにつれて、物資もみるみるうちに減っていった。 成年男子を兵隊に動員した埋め合わせに学徒動員を行い、工場職員を兵隊にした代わりに学生に勤労奉仕させたが、 素人の学生による勤労奉仕などで軍の最新兵器が造れるほど世の中甘くはなく、どの兵器も稼働率が下がっていった。 特に航空機関連で劣化は顕著に表れ、紫電改や疾風に積まれた大馬力エンジン『誉』が軒並み不調になるわ、『まっすぐ飛べない機体』が出来てしまう有様。 烈風がいらない子扱いされたのは、試作機完成がまさにこの時期とぶつかったためである。規格統一すらしてない状態で戦争したからこうなる。 【終戦】 1945年。頼みの綱であったドイツが降伏。しかしそれでも日本は戦い続けた。7月にはドイツのポツダムにて米英中によるポツダム宣言が出された。 実際は米英ソだが、ソ連は日本との中立条約が生きていたため代わりに中国が出た。 一方、日本はこれを「黙殺」。軍部の主流派は本土決戦を検討。 実際に作戦計画が練られており、成年男子はおろか老年者までも根こそぎ動員し、天皇の聖断が無ければ実行されていた可能性が大であった。 その時のプロパガンダは一億玉砕!である。恐ろしい話である。 陸軍が新兵器を死蔵したのはまさにそのため……だが、そもそも出そうにも途中で沈められるため出すにも出せないという悲しい事情もあった。 ※IF もし本土決戦が実行されていたら、連合軍の機械化部隊に特攻隊が群がるという、硫黄島や沖縄戦を更に悪化させたような戦場になり、 更にそれを軍人だけでなく老人や女性、子供も行うことになっただろう。 全ての町は焦土と化し森は焼かれ、歴史的文化財も全て失う。日本側は民族の滅亡、あるいは分断。 連合軍側も膨大な死者を出し、慣れぬ地で、ベトナム戦争も真っ青のゲリラ戦に疲弊し、最悪、50万人を超える戦死者によって、未来に多大な悪影響を生し、 戦後に得る覇権を帳消しにされる危険が大であった。 トルーマンが戦略を原爆に切り替えたのは、試算されたこの膨大な死者を恐れたためである。 そして、日本軍部への見せしめと本土決戦を避けるため、広島・長崎に原子爆弾が落とされた。 (長崎については、当初は小倉に投下される予定であったが、天候不良など諸々の原因で第二目標とされた長崎に変更された) この攻撃で広島は広島城という国宝級の文化財(1598年建造のものが当時まで現存していた)を中心市街地であった中島地区ものとも消滅させられている。 戦後世界が文化財保護を叫んでいることを考えると痛烈な皮肉である。 しかし原子爆弾で戦争が終結した、というのは間違いである。原子爆弾が落ちる前に既に日本の敗戦は時間の問題であった。 更にそれでも日本は普通に抵抗しようとしていた、この時の日本はソ連は「条約があるため中立」だと考えていたため。 よってこれは明らかに他敵対国(主にソ連)に対する示威行為であったという見方が強い。(→冷戦) さらに原爆投下は戦時下という状況を利用した人体実験、新兵器テストの側面も持つ。 東京をはじめとした大都市への無差別爆撃と同じく、米軍による民間人の大虐殺であり、あからさまな戦時法規違反である。 (このあたりは米軍側にも自覚があり、爆撃反対派もいて作戦を拒否した指揮官が解任される事態も生じた。また、日本も小規模だが、無差別都市爆撃をしていた) 本来は呉の軍港に投下する予定だったが、天候不順により変更となった。 なお、盆地である点から京都に投下する案も最後まで残り、三発目は京都であったとする説も根強い。 これは実際には日本の聖地である京都を消滅させてしまうと、反米感情が極限に達して、ソ連に接近し、日本が赤化してしまう危険が大であった事や、 軍部内の和平派が粛清され、本土決戦を強行されてしまう恐怖や戦後世界の日本を手駒にしたいトルーマンの鶴の一声で流れたとの事である。 しかし、結果的に二つの大都市を消滅させた事が日本へ決定的に原子力エネルギーへの恐怖を埋めつけてしまい、 戦後にアメリカが優位を誇った原子力技術の日本輸出を阻む最大の壁となってしまうという誤算が生まれた。 さて、原子爆弾投下という事態を迎えても、日本は未だ戦争継続を諦めていなかったが、 8月8日に突如ソ連が条約を破り日本に宣戦布告。 この時に残存していた関東軍は練度・装備共に度重なる抽出や転属で『精強・関東軍』のプロパガンダがされた関東軍特種演習の際より大幅に劣化していた事、 既にソ連軍の質がドイツ軍以上に強化されていた事も相なって次々に粉砕されていった。 しかし実は大陸打通作戦を経験した精鋭師団が温存されており、持久戦に持ち込むために司令部が移転しただけだったが、その前に終戦した事、 ソ連軍がヒャッハー!汚物は消毒だー!な勢いであちらこちらで虐殺事件を起こした事、 移転する関東軍が民間人を見捨てて日本へ逃げたように見えたため、生き延びた満州の元・開拓植民から戦後、 開拓殖民を見捨て逃げ出した関東軍は畜生以下のクズだ!奴らに名誉なんて、あるものかよ!と未来永劫、罵倒されるハメになった。 戦後の国民は陸軍の復権を認めず、『陸軍は屑の集団』というレッテルを貼って侮蔑し、 敗戦で失った『世界三位の海軍大国』の地位を懐古し、公然と日本海軍の復活を推進した。そうして生まれた海軍擁護論が巷に有名な陸軍悪玉論の根拠の一つとなった。 一説によれば、抑留から帰還した関東軍出身者は帰ってみたら、 守ろうとしたのに自分たちが開拓植民を見捨てた屑どもめ!よくもおめおめと顔を見せられるな!テメーは消えろ!と白眼視され、誰からも罵倒されるのに愕然としたという。 このソ連からの侵攻は日本にとってまさに「トドメの一撃」であり、 日本政府は戦争継続からようやく方針転換をすることになり、 8月14日、遂に御前会議にて昭和天皇の聖断によりポツダム宣言の受諾を承認。 当初、阿南将軍など無条件降伏に難色を示す等若手幹部を中心に本土決戦派によりクーデター一歩手前まで行った。成功していれば本土決戦まちがいなしであったが、やはり誰もが「これ以上は国が滅びる」と考えていたため、最後には降伏を受け入れた。 8月15日正午。 ラジオからの昭和天皇のお言葉により国民は日本の敗戦を知ることとなった。 いわゆる「玉音放送」である。 人々は皇居に向かって頭を向けてひれ伏した。 一般国民はそれまで天皇の肉声を聞いたことがなく、劣悪な放送品質に加え難解な言葉が多かったため主旨がよくわからなかった人も多いと言う。 しかし放送が日本の敗戦を認める玉音だと分かると、ある者はひっそり安堵し、ある者は涙しある者は呆然とし、またある者は天皇に無念と謝罪とを呟いた。 ただし新聞社が正午の玉音放送を聞いてから慌てて飛び出してその姿を撮影したわけでは ない 。 大手マスコミには朝の時点で玉音放送のことを告知して12時に合わせて発表するように告知しており 翌朝の新聞で掲載された「皇居にひれ伏す民衆たち」の写真は全てとは言わないが大半は 事前にセッティングしたヤラセ である。 なお玉音放送の前後に全国各地で終戦に反対する勢力が複数、武装蜂起しているがいずれもすぐに鎮圧もしくは解散している。 こうして、3年以上に渡る長い戦いは幕を閉じたのであった。 なお、玉音放送の後、火事場泥棒との戦いが起きている。 また、日本が降伏文書に調印したのは8月15日ではなく9月2日なので、世界では「太平洋戦争の終結」は9月2日か3日が主流である。 開戦の発端ハルノートと同じく、「玉音放送」には諸外国との法的効力はないからだ。 【戦後】 戦後日本は、連合国軍最高司令部、通称GHQの統制下に1952年までおかれることになる。 戦争犯罪者の処罰、中国や朝鮮半島、東南アジア諸国からの日本人の引き揚げ、憲法の改正などが次々行われた。 総司令官マッカーサーは国民から人気もあり、報道管制など現代的視点での毀誉褒貶はあるにせよ、占領統治は比較的スムーズに行われた。 GHQの覚悟していた徹底抗戦を主張する過激派軍人やゲリラなどはまるで現れなかった。 これを天皇の聖断や玉音放送の効果と見たGHQは昭和天皇への戦争犯罪追及を止め、閣僚・軍人への戦争犯罪追及にとどめた。 終戦直後、外地からの人の引き揚げや天候不順による大規模な飢餓が発生。 GHQは食糧援助を行ったが東京地方裁判所の裁判官である山口良忠が餓死する事件が報じられるなど、戦争の爪痕はなお国民生活を苛んだ。 【軍人達のその後】 組織を解体させられ、職にあぶれた軍人達は各業界に散り散りになった。 しかし転職先で成功を掴んだ者もいれば、岩本徹三のように、社会の大変化に適応出来なかった者も多数出た。 中には現地に残り戦闘を続けた者もいれば、日本の目的を純粋に果たすため独立軍に紛れ込む人もいた。 だが、陸海軍を問わず、国を守れなかった職業軍人達は国と国民から疎まれた。たとえ、戦中に戦功を上げた士官であっても、 軍事を絶対悪とする風潮が生まれた戦後社会に取っては、単なる社会からの脱落者であると同時に、戦前の価値観を持つ邪魔者でしか無く、 白眼視された挙句に生まれ故郷を追われた者は多数生じた。戦前からの手のひら返しへの恨みからか、生涯、故郷に戻らなかった者も多かった。 比較的軽いケースでの例としては、ゼロ戦の初陣の指揮官であった進藤三郎少佐が知られる。彼は晩年、戦中は畏敬の念を持たれたのが、 終戦になった途端に子供から『戦犯野郎!」と石を投げられ、蔑まれたのに耐えられなかったらしく、『戦ったことは後悔しないが、戦後になった途端にそれまでの戦いを馬鹿みたいに言われるのはバカバカしかった』と述懐していた。 重いケースでは、日本海軍最後の空戦に参加した小町定兵曹長は妻ともども村八分にされ、身一つで上京し、なんとか起業に成功。彼は故郷に戻ることなく、東京で生涯を終えたという。このような事があちらこちらで生じた。 このように、戦時中は英雄視された軍人でさえも、強烈な手のひら返しで迫害されたのだから(幸い、進藤氏は親のツテでマツダに再就職できたが、これは幸運な例である)一般兵は更に悲惨であるのは言うまでもなく、当時の旧軍人らへの迫害の象徴とも言えた。 ある意味では悲惨だが、最も不幸なケースでは当人だけでなく、一族郎党までも迫害された者たちがいた。それは開戦時の戦争指導者であった東條の一家であった。 東條英機が戦後に自殺未遂を起こして入院した際には、指導を誤ったとは言え、仮にも一国の総理大臣だったのに、家族(不仲であった長男以外の)以外の日本人がお見舞いにすら来ず、新聞が連日、自分を悪漢とさえ罵る豹変ぶりに落胆したという。 同時に彼の一族は孫の代に至るまで、町単位での村八分に合い、東條家嫡男の一家は転職さえままならなかったという。 また、南方などでは日本軍の現地部隊が抵抗を続け、公式の戦闘停止後も『残党狩り』が行われていたという話も残されている。横井庄一氏などの残留日本兵はその生き残りともされる。 また、運良く出撃を免れた特攻隊の生き残りも悲惨であった。つい1日前まで、『大日本帝国ばんざーい!カコ(・∀・)イイ!!』と送り出した舌の根が乾かない内に、 『この人殺し!戦争キ○ガイ!軍服で学校にくるな!(゚Д゚)ゴルァ!!』という、あり得ないほどに早い手のひら返しを食らうことも多く、 戦中と戦後の落差に激昂し、極道に入るなどの反社会活動に走る元軍人も多かった。当時の人々はそれらを『特攻くずれ』と侮蔑したが、 国を守ろうとした挙句の果てに、祖国社会から切り捨てられたので、哀れであった。 金鵄勲章という、軍功を讃えられた勲章も公の場で付けられなくなるなど、戦後の数年は軍人たちにとって、踏んだりけったりの時期だった。 無論、国防や軍事の在り方は今日の世論を以てしても未だに賛否両論で泥沼化している位なのだから、 当時の彼らにも単純な善悪では測れない複雑なジレンマや大人の事情があったのは容易に想像できる。 とにかく、戦争という行為に応じた結果完全敗北してしまった以上、当時の日本とその軍人は名実ともに連合国のまな板の上のコイになるしか選択肢は残されていなかったのである…。 ……が、皮肉にも国から切り捨てられたはずの彼らに再び光が当たる時がやってくるのである。 【軍人の復権】 戦後に日本を占領していたGHQは朝鮮戦争の勃発で在日米軍を抽出する事になり、日本に軍事的空白が生じた。 アメリカ政府は機会を窺うように、ソ連の波を抑えるための防波堤として日本の復興促進と再軍備を予定を早めて実行した。これが俗にいう逆コースである。 吹き荒れた労働争議の多くはGHQ指令により弾圧されていき、右派世論を復活させるために公職追放を解除し始めた。 そして国務省とトルーマン、次いでアイゼンハワーは日本の再軍備をせっつき始めた。 当時の状況は以下の通り。 マッカーサー「日本の再軍備!?ルーズベルトの言うとおりに戦前の軍備を葬ったのに、今更なんで!?(´゚д゚`)エー」 アイゼンハワー「るせぇア!アカの野郎共が危険だから、日本を防波堤にするのをトルーマンが決定した!俺も引き継ぐぞ(゚Д゚)ゴルァ!!」 マッカーサー「わけがわからないよ(´;ω;`)ウッ…再軍備の土壌残すなといったのお前らやろ」 アイゼンハワー「黙れボケェ!とっととやりやがれ!(゚Д゚)ゴルァ!!」 ……と、マッカーサーはかつての部下に怒鳴られ、嫌々ながらも検討し始めた。 しかし、当時は既に非武装の思想が浸透しつつあった日本に再軍備させる余地はほとんど無く、GHQは対応に困窮した。 日本側では、吉田茂は経済復興を至上目標に挙げており、軍備再建は国民を弾圧した旧軍(特に陸軍)の影響が絶えた時代に行うのが妥当だと考えていた。 陸軍悪玉論が普及した事で生じる世論の反発を恐れた、日米の思惑はここで一致を見た。(*13) この他の理由として、終戦時の数百万人もの軍人が職にあぶれ、軍人の多くが戦後の軍事=悪の世論に弾圧された結果、極道の活動が活発化。 引いては、かつてのように反政府活動を目論むまでに至った軍の元幹部らの存在を危惧し、『警察では対応不可な事態への対応』を名目に、かつての軍人の技能が活かせる再就職先を用意してやる事で、元軍人の反乱を抑える狙いがあった。 しかしながら、思想上の問題もあり、全ての軍人に再入隊が許されたわけでは無かった) 経緯としては、警察予備隊という名目で第一段階に進め、第二段階の保安隊に再編した段階で、 旧内務官僚による組織の稚拙な運用に業を煮やしたGHQの指令(*14)で、戦中に実務経験がある旧軍人を呼び戻す事が本格化したものの、 吉田茂が大の軍隊嫌いだった(戦中の軍の横暴で悲惨な目にあった)ため旧陸軍閥の復権を恐れ、「大佐だった連中入れると、国家に反乱されるからヤダ!」と、大佐レベルの軍人の入隊を異常に恐れた。 そのため折り合いがつかず、大佐レベルの軍人の復権は、中佐までが復権した数年後まで遅延した。 本来、旧軍人の入隊を拒んでいたはずの彼が渋々ながらも入隊を認めたのは、明治維新の時と違い、もはや職業軍人無しに軍事組織を再建できる時代では無くなっていた故の誤算であった。 結果、保安隊が改組された三自衛隊は彼も公的に認めるところの戦後日本における『日本軍』だった。実際に彼は国会で野党に追求された際に、こう答弁している。自衛隊は戦力なき軍隊であります!!と。 そのため、なんだかんだ言っても、自衛隊が日本軍の後身たる軍隊であるというのは、当時の時点でも公然の秘密であったようだ。 これにより復帰の大義名分を得た軍人の多くが自衛隊へ再就職した。設立時には、民間で相応の地位を持っていた者も、敢えてそれをかなぐり捨て、職業軍人に戻る者も多数に登った(*15)。 ただし、旧軍人でも純粋培養の陸軍幼年学校卒業経験者は再就職できなかったりしているので、 職業軍人でも、語学力がある兵学校卒及び陸士経験者か、教養がある現場叩き上げのエースパイロットなどしか自衛隊には再就職出来なかったので、(幼年学校卒経験者が創設に関わっていたものの)軍隊経験があっても、自衛隊への再入隊は狭き門であった。 こうして、再就職できた軍人たちはそれぞれの進路を進んだ。 自らが音頭を取って再建した『海軍』たる海上自衛隊に再就職した軍人達は日本海軍の伝統を受け継ぎ、海軍復活を公言した。 航空自衛隊は米空軍式の教育を受け、新たな伝統を作った。 文化面で束縛を受けたのは、陸軍の後継たる陸上自衛隊であった。 かつての陸軍の文化をそのまま継承することはタブー視されており、ラッパ、敬礼の礼式に至るまで旧陸軍のものは封印された。 海上自衛隊で表立って海軍復活を公言できる海軍軍人達を尻目に、国民から疎まれつつも文化の継承を極秘裏に進め、表向きは継承を否定しつつも実際は多くの文化を継承させていった。 結果、自衛隊の要職に元職業軍人の経歴を持つ者が就けるようになると、戦後しばらく陸軍出身者が占める事に成功した。 軍事的には復権に成功したが、民間レベルでは満州引き上げなどの恨みが残っているために、現在もなお『全て陸軍が悪いんだ!関東軍は悪の枢軸!』として侮蔑されている感が否めない。 また、21世紀の現在では、国民の世代交代で多少は帝国陸軍への嫌悪感が多少は薄れたため、 陸自が陸軍の伝統を継いだ側面も大っぴらにアピールできるようになったという。 【陸軍悪玉論】 戦後の日本国民の間で一般的な風調であり、認識である。 その根は戦前の時点で存在しており、日露戦争で大量の若者を徴兵した挙句に旅順包囲戦などでおびただしい死傷者を出した事などもあって、『日本海軍は連戦連勝なのに、『日本陸軍は負けばっか』と認識されていた。 それが太平洋戦争開戦時の首相が陸軍大将の東條英機だったこと、 東條が国民の統制に特高警察だけでなく、陸軍所属の憲兵までも使ったことなどで、国民の恨みを買っていた(*16)。 陸軍は既に太平洋戦争時には日中戦争以来の戦乱で疲弊し、軍の規律のタガが緩みきっていたために現地司令官が独断で捕虜を処刑してしまう例が続出した。 更に『国家統制』の名目で自国民さえ弾圧した陸軍は戦前の時点のこの認識を加速させてしまい、 戦後社会では自国民弾圧のツケが回り、『残虐非道の輩』と烙印を押された。 無論、陸軍軍人達は回顧録などで復権を目論んだが、既に海軍軍人達が政治に至るまで戦後社会の有力者となった現状では時既に遅しであった。 戦後マスコミの有力者達の多くは日本海軍びいきであったため、 TV番組や映画の多くに登場する日本陸軍軍人は『精神論しか押し付けない田舎者の無学者』と描かれる。 (実際は職業軍人は陸軍であっても旧制中学相当の学力を持つインテリだったが、正面軍備偏重の教育を行っていたために思考の柔軟性が欠けていた) 対する海軍軍人は『エリート・温厚・現実的』として描かれる場合が多かった。 また、戦時中の慰問の際の芸能人の扱いの差も反感を助長した。 例えば『青い山脈』や『東京ラプソディ』で知られた歌手の藤山一郎は海軍への慰問の際に『陸軍と違って丁重に扱ってくれた』と戦後に回想している。 陸軍は芸能人を雑に扱ったとのこと。この差が戦後に明暗を分けることになる。 世渡りも陸軍軍人より一枚上手であったために、組織的にGHQに取り入った結果、処刑を免れた元将官も多かった。 (例えば、戦後に総理大臣となった中曽根康弘氏は戦時中は海軍主計中尉~少佐であった。 また、いわゆるA級戦犯として処刑された軍人は6人とも陸軍であり、しかも海軍の人物はA級戦犯28人中わずか3人である) また、海上保安庁・海上自衛隊と言った戦後の海防の位置づけな国家組織の基礎となった人員は元帝国海軍の佐官~尉官級の将校らである。 彼らが戦後10年以内に元鞘に収まった事が戦後の国家首脳からの高評価を妙実に表している。 (彼らと異なり、陸軍軍人が元鞘に収まって、陸自の中枢に位置するようになったのは、空自・海自よりも遥かに年月を必要とした) 現在でも日本海軍の壊滅を『悲劇』、陸軍の消滅を『自業自得』と表現する理由は、終戦時の関東軍の開拓団への蛮行、 戦中の国民への憲兵の横暴などが主原因で、陸軍への悪感情が戦前より悪化したのが、 敗戦で決定的になったまま、戦後に固定観念化して生じた悲劇であるといえる。 (*17) 【現在の傾向】 20世紀末から、当時の機密情報が開示された影響で、 実は陸軍のほうが電子技術や航空兵器分野で開明的で、機材更新も定期的に行っていたりして努力を払っていた事が明らかになったため、陸軍を見直す動きが出始めている。 海軍の方が電子分野を軽視していた事実や、防空戦体制では陸軍のほうが出来るだけの努力を払っていた事もあり、海軍の技術音痴を責める論調も出始めた。 陸軍でも、航空部隊は英語を使用しても問題視されなかった(かの飛行64戦隊を描いた加藤隼戦闘隊では、英語を普通に言っていた)事、 軍隊は英語を使わないと戦争遂行できないので、東條英機でさえも、当時の過激化ナショナリズムに染まったマスゴミに英語教育廃止しろ!!と詰め寄られた際にドン引きし、『英語教育は戦争遂行に不可欠である!』と返した事実が判明した事で、 90年代以前に比べれば、映像作品で『帝国陸軍軍人は横暴』と書かれるケースが減少に転じた。 現在では陸軍悪玉論も見直しが進んだため、以前に比べれば帝国陸軍に当たる風の吹き回しはマシになったと言えるだろう。 ただし、陸軍悪玉論は戦争体験談という形で当事者から子孫へ言い伝えられているため、陸軍の名誉回復はまだまだ遠いと言える。 【被害】 正確な数字は現在もはっきりしていない。 日本人 広島原爆により約14万人 長崎原爆により約7万人 東京大空襲により約8万人 沖縄戦により約14万人 その他含め、総数約330万人が犠牲になった。 そのうち、約100万人は民間人。 世界では推定4400万人以上が犠牲となったと言われている。 余談だが、戦後75年以上経ち、今では「かつて日本とアメリカは戦争をしていた」という事実さえ知らない若者も少なからず出てきているという。 風化は少しずつ、だが確実に訪れている。これを止めるか、それとも進ませるか。それは、今を生きる自分たちにかかっているのかもしれない。自分たちは風化の流れに試されているのだ。 追記・修正は、この戦争で犠牲になった人々の冥福を祈りながらお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] コメントをリセットしました -- 名無しさん (2017-05-22 19 46 35) マスコミがああなったのは、政府や軍に締め付けられてああなったってのを忘れてる連中多くね? -- 名無しさん (2017-05-23 07 32 44) 特高警察に捕まろうものなら家族や会社含めて人生終了、どころか拷問されて殺される、なんてのは、今からすれば日本とアメリカが戦争していたということよりよっぽど風化しやすいからな。 -- 名無しさん (2017-06-02 16 24 41) 今のマスコミは戦前レベルにまで退化させられたからな。政府与党の背後には戦前の亡霊みたいのが控えているし、そう言う連中に鉄砲玉にされても構わない連中が多いってのが哀しい。 -- 名無しさん (2017-06-02 16 32 57) 「陸軍悪玉論は戦争体験談という形で当事者から子孫へ言い伝えられているため、陸軍の名誉回復はまだまだ遠い」とは言うけど、ウチのじいさん曰くやっぱり海外(東南アジア)で「てめぇ日本語喋れや!」とぶん殴るDQN兵がいて、じいさんは仲介に苦労してたんだそうな。あと、↑のコメで思い出したけど、じいさんが「内需では今だに敗戦を認めたくない輩と「昔の日本は美しい日本」の妄想に取り憑かれているのが沸いてる。」なんて言ってたわ。 -- 名無しさん (2017-08-12 15 43 44) 旧・日本軍を美化したがる人たちの増えてきたことに気持ちの悪さは感じるよ。従軍経験者がドン引きするレベルにね。 -- 名無しさん (2017-08-12 15 49 31) コメント欄に荒らし忠告が無いのにびっくりした。 -- 名無しさん (2017-08-12 16 14 39) ↑ 忠告がいるほど荒れてないんじゃないの? -- 名無しさん (2017-08-15 16 25 04) ↑話題的に荒れそうでしょ。リセット前も荒れるというほど違反コメントが無かったにしろかなりギスギスしてたし -- 名無しさん (2017-08-15 19 13 26) 前にツイッターでフォローしてる人が日本軍の行動等に関しての書き込みをしていたのを読んだ時は「『あまり調子に乗りすぎるな』というのがその時代でも当てはまるね」ってなった。日本軍もこの辺でもまともに出来ていたら、違う結果を出してた可能性もあったか。 -- 名無しさん (2018-04-10 13 54 55) 遡れば満州事変から既に調子に乗りすぎなのでブレーキかけるならその頃でないと -- 名無しさん (2018-04-10 14 25 33) 外交を重んじるべし。戦争をするよりも安いのだから -- 名無しさん (2019-03-09 11 35 01) なお、海軍が基本的にミッドウェー海戦以降太平洋戦線で負け続けたのに対し、陸軍は中国戦線で比較的善戦していたことは触れられない模様 -- 名無しさん (2019-03-09 13 37 36) 小学校中学校の歴史の授業で、それまでの時代に比べたら随分短時間で終わった記憶がある。 -- 名無しさん (2019-03-09 19 49 07) とはいえイラク戦争のアメリカの対応を見るにハルノート受諾してもまた何か難癖つけられて結局戦争になりそうな気もするが -- 名無しさん (2019-04-11 19 09 10) この記事前線整理されてないしどこから手を付けていいかわからんレベルだな一回作り直したほうがいいんでは? -- 名無しさん (2019-10-13 14 18 58) 二度と起こしてはいけない -- 名無しさん (2020-03-11 16 57 36) 世間知らずの無能日本人VSアカく染まった超無能ルーズベルトの無意味な戦争。結果得したのがコミュニストだけ。 -- 名無しさん (2020-06-23 00 54 06) 広島出身の人から聞いた話だけど今でもアメリカ人を憎悪の目で見ている人はいるそうだ… -- 名無しさん (2020-06-23 01 07 19) 「かつて日本とアメリカは戦争をしていた」という事実さえ知らない若者も少なからず出てきているという。 昔、職場の上司に「太平洋戦争で日本は何処と戦ったか知ってる?」と聞かれ「アメリカとイギリスですよね?」とは答えただけで感心されたのはこれだったのかな? -- 名無しさん (2020-12-17 08 30 15) 南京大虐殺とか慰安婦は異論色々とあるから省くとしても、三光作戦ぐらいは触れてもいいのでは?れても -- 名無しさん (2020-12-17 09 58 40) ↑ここ大東亜戦争じゃなくて太平洋戦争の項目だから関係ない -- 名無しさん (2021-02-12 11 55 47) さらっと流してるけど仏印への進駐って連合国に真正面から喧嘩売ってるから石油止められて当然なんだよ -- 名無しさん (2023-07-29 19 17 30) アメリカと戦争になった時点で絶望した人もそれなりにいたのかもな。 今の大阪万博だって「いや、中止でしょ・・・」と思いながら政府の暴走を見守ってる現状だし。 -- 名無しさん (2023-10-14 06 25 45) ちなみに法的には「大東亜戦争」が正しく「太平洋戦争」は間違った呼び名なんだそうな -- 名無しさん (2024-04-09 00 42 25) それは「日本としての呼称」の話で、実際は太平洋もハワイも東アジアもロシアぎりぎりまでのエリアを奪い合って戦ったから「一言でより実態を表す呼称は?」ってなったら太平洋戦争が選ばれたって話 -- 名無しさん (2024-04-09 01 16 34) あくまでも法的にはなので。大東亜戦争は戦前の議会でこの戦争を「大東亜戦争」と名付けるって定められた。その後、GHQの命令で名前が「太平洋戦争」に変えられた。ただしGHQの出した命令は占領が終わり日本の主権が戻った時点で効力を失うので新たに名称を大東亜戦争に変更するという法律が出ていない以上法的には「大東亜戦争」が正しいと思う。まあ、だからどうしたって話なんだが -- 名無しさん (2024-04-09 04 32 10) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/armyfaq/pages/50.html
アメリカにとって陸戦限定でドイツと日本どちらが辛かったか? 真珠湾奇襲攻撃で「第一次攻撃隊」「第二次攻撃隊」のように複数回に分けて攻撃を行ったのはなぜですか? 南太平洋海戦後に、一時的に日米の空母戦力が拮抗しましたが、今の内にアメリカと講和をしようという考えは日本にはなかったんでしょうか? あ号作戦を、攻撃隊のパイロット達は「この作戦は失敗する、あほう作戦だw」と揶揄していたそうですが、何故パイロット達は作戦が失敗すると分かっていたんですか? アメリカはどのようにウラジオストクへ物質を輸送していたのですか? 米軍はなぜ空襲する前に警告のビラを空から撒いたのか 太平洋戦争の終戦時、米軍は原爆を何発持ってましたか? 落とす気になってたら八月九月で何発投下できたのでしょうか? アメリカ海軍の護衛空母はどうしてあんなに大量に建造されたのでしょうか? アメリカにとって陸戦限定でドイツと日本どちらが辛かったか? 欧州戦線での戦死者は、太平洋戦争での戦死者の2倍 実質的な戦闘期間は、欧州戦線の方がかなり短かったので、どちらが激戦だったかは明らかかと (457 969) 太平洋の場合は島嶼の争奪戦だから 一度制海権を失うと戦力の投入も移動も困難になる(夜間であったとしても) (457 972) 真珠湾奇襲攻撃で「第一次攻撃隊」「第二次攻撃隊」のように複数回に分けて攻撃を行ったのはなぜですか? 二回目の攻撃ともなれば、敵も準備してくるわけで攻撃隊の危険度も大きいし、攻撃は集中して一回で行ってもよいような気がします。 つ発艦能力 第一波で抵抗拠点を潰して第二波で戦果拡張 (377 906) まず攻撃時の混乱で十分な戦果が挙げられない可能性が一つ。 例えばもう十分にダメージを与えた目標を引き続き攻撃してしまうとか。 だがそれ以上に、物理的に全機を一度に投入することができないのである。 正規空母クラスは大体搭載量の半数強くらいしか一度に発艦させられない。 発艦スペースとその後方の駐機スペースの兼ね合いから。 (377 907) 一隻の空母から艦載機が数十分の間に発艦できる数には限りがあります。 一攻撃隊の発艦に何時間もかかっていたのでは先に発艦した攻撃機の燃料を無駄に消費してしまうだけでなく、攻撃隊全体の滞空時間を著しく下げてしまうからです。 一攻撃隊の数は空母の数と発艦能力、それと目標までの距離(滞空時間)の兼ね合いによって自ずと限界が決まってしまいます。 (377 924) 南太平洋海戦後に、一時的に日米の空母戦力が拮抗しましたが、今の内にアメリカと講和をしようという考えは日本にはなかったんでしょうか? アメリカにその意思が無いから無理。 色々と戦略眼の無さが指摘される日本海軍and陸軍だが、 アメリカが戦力を整えるまで、守りに入っている事だけは認識していた。 (377 261) あ号作戦を、攻撃隊のパイロット達は「この作戦は失敗する、あほう作戦だw」と揶揄していたそうですが、何故パイロット達は作戦が失敗すると分かっていたんですか? 操縦桿を握った事も無い(飛行機の操縦が出来ない)高級将校が 飛行機のカタログスペックの航続距離だけ見て立案した作戦だった為。 確かに、当時の日本海軍空母機の航続距離だけ見れば、 アウトレンジ作戦は可能と言えるが、これだけの長距離を飛ぶと ちょうどパイロットの疲労がピークに達した頃に敵艦隊の上空に到達する事になる。 酷評すれば、ヒューマンファクターというものを全く考慮していない スペック厨ミリオタ的発想のDQN作戦だったわけですな 実際にマリアナ沖海戦に参加したベテラン艦爆乗り・阿部善次氏曰く 「真珠湾のベテランが揃っていたって絶対無理」 (378 545) アメリカはどのようにウラジオストクへ物質を輸送していたのですか? ソ連船籍の船で輸送していた。 1941年12月8日以降日本にとってアメリカは敵国だったが、ソ連とは不可侵条約を結んでいたので公海を行くソ連船を止めることができなかった。 実際にはソ連の旗を掲げたアメリカ船も多かったらしいが。 (377 182) ごく普通に千島を抜け宗谷海峡を通っていた。 上で出てるような理由で日本側は手出しができないので。 ちなみに、間宮海峡(タタール海峡)は冬は凍るので、船は通れなくなる。 (377 198) 米軍はなぜ空襲する前に警告のビラを空から撒いたのか 都市空襲だけ見ると市民を焼き殺すのが目的に見えるが、ビラを撒く=脅迫する事で得られる効果もある。 例えば、 1)都市郊外に避難させることで、都市近辺に集中する重工業・工場の労働者(や家族)を減らしたり、避難のため労働効率を落とさせることが出来る 2)米軍が好き勝手に行動できる=日本軍はあてにならないといった不信感の醸成、戦争に勝てないといった不安の醸成(厭戦気分ってやつです) ビラ単独で何かの効果を得るものでも、都市空襲での免罪符を得るつもりのものでもなく、いわばタイマンで殴りあいしていても、拳(爆撃)を振るうだけでなく、口(ビラ)ででも追い込みかけるようなものと見てみれば良いかと思われ (456 249) 太平洋戦争の終戦時、米軍は原爆を何発持ってましたか? 落とす気になってたら八月九月で何発投下できたのでしょうか? 0発。ウラニウムは製法自体もまだ統一されておらず、供給が間に合いません。 プルトニウム(ファットマン型)は、爆弾のパーツ自体はすでにティニアン島に届いていました。 肝心のプルトニウムコアも8月13日には完成しており、ティニアンに運んで組み立てればいい状態。 といっても1週間程度かかると考えると、3発目の使用は8月20日以降。 どう急いでも8月15日の終戦には間に合わなかったでしょう。 (456 50) アメリカ海軍の護衛空母はどうしてあんなに大量に建造されたのでしょうか? (質問の続き)大西洋ではエアカバーのギャップは大きくないし、44年には解消されています。 太平洋でも日本潜水艦の戦力では船団に大きな脅威にならないのではないでしょうか? 航空機をアメリカから、ヨーロッパや、太平洋の各戦線へ輸送するのに便利だったのと 大量の船団に護衛としてつけるため。 アゾレスや、アイスランドに基地作ってエアギャップをなくしても常時、船団にエアカバーつけ れるわけじゃないので。 (458 559) あと、同盟国(主にイギリス)に提供するためにっていうのもある。 でも貰ったイギリスは「内装が自国の求める仕様に達していない」と、半年あれば 完成するものを3ヶ月掛けて改造するとかいうよくわからんことをやっていた。 (458 575)
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上部タグ未削除 編集する。 2021-12-08 18 21 31 (Wed) - [[]]とは、 videoプラグインエラー 正しいURLを入力してください。 アメリカ側 日本側 リンク内部リンク 外部リンク 討論用 情報収集 編集者用ミニ編集参加(文の提供・嘘・誤字等) 出典、参考 太平洋戦争は、第二次世界大戦の一部で1941年12月8日から1945年9月2日(8月15日)までつづいた戦争。 アメリカ側 アメリカ合衆国 イギリス 中華民国 オーストラリア オランダ ソビエト連邦 犠牲者 米国 354,523 英国 86,838 その他 300,000 日本側 大日本帝国 タイ王国(1942) 満州国 犠牲者 軍人1,740,955 民間人 393 リンク 内部リンク [[]] [[]] [[]] 外部リンク 上へ 討論用 名前 コメント すべてのコメントを見る 編集する。 2021-12-08 18 21 31 (Wed) - 情報収集 トラックバック一覧 trackback テクノラティ検索結果 #technorati 口コミ一覧 #bf 関連ブログ一覧 #blogsearch リンク元 #ref_list 上へ 編集者用 ミニ編集参加(文の提供・嘘・誤字等) 出典、参考 上へ
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アメリカのポチである日本は インドと同盟を結ぶことは不可能だ とインド人に看破された岸田さん — BLACK SWAN (@Cyber_Apocaly) March 20, 2022 ■ 米国がインド制裁に言及、英国が参加を示唆したクアッドは崩壊の危機 「航空万能論GF(2021.02.4) 」より ■ インド太平洋戦略なるもの 「DEEPLY JAPAN(2017.11.15)」より / 安倍ちゃん時代になってにわかに、インド、インドと騒いで、結果的に、インド・太平洋戦略なるものが語られているけど、実際問題何がどうなのかそんなに詰まった「戦略」には見えない。 で、日本、アメリカ、オーストラリア、インドが4角形になるというこれっすね。私は前から何べんも書いてますが、これって英連邦、という感じが強くてアメリカの戦略とさえ見えないって感じがするのね。 で、今回も微妙な感じだった。 日米豪首脳「揺るぎない結束」=インド太平洋戦略を推進 https //www.jiji.com/jc/article?k=2017111300109 g=use (※mono....中略) / どこまで読んでも、結束しているのは日米豪で、インドが出てこない。 で、インドの元外交官のおじいさんBhadrakumar氏(アジアタイムスにコラムを持っている結構な有名人)のブログを読むと、インドは、別に叛旗を翻しているわけでもなんでもないが、合意文書などでコミットメントを避けた表現になっているという。 日本で出てる記事を見てもインドの姿勢が見えるようなものはないから、そんなところでしょう。 (※mono....中略) / シンプルにいって、そもそもこの「インド太平洋戦略」は何を目標にしているのかよくわからない。だけど、やたらに流行ってるセクターがある。それは軍事屋さん回り。インドはロシア製兵器に不満を持っているという記事が継続的に出てくる。ほんとかもしれないが、こういう出方をしたら、ああ何か意図があるんだな、ってなる。 だから、「インド太平洋戦略」の直近の目的としては、インドはロシアの軍装備品の最大のバイヤーなので、そこを切り崩して、西側の兵器を買わせるために使われた、とかいうのならとても理解できる。特に潜水艦、戦闘機あたりの高額のやつ。しかし、インド軍の装備を全部米製にできるとか、多分アメさんだってそこまで考えてないと思う。そんぐらい。 インドは遠くからみると海洋国っぽいけど、ユーラシアの内陸側に首都があって、アジアのディープな内陸と密接であるからこそ常に結構な波乱含みなんだから、海洋側のアプローチだけで見ることなんかできるわけないのもポイント。パキスタン、アフガニスタンで悶着があった時、オーストラリアだの日本が何の役に立つんだよ、でしょ。まず、モスクワ、北京は何と言っている、となるのが自然な場所。 まぁ、インド取ったら対中包囲網完成とか思いたくなる気持ちもわかるし、50年代のCIAはそうやってたわけでしょ。でももうそれで何がどうなるんだいという時代なの。 (※mono....中略) / というわけで、なんかこう、安倍ちゃんって何をしてきたんだろうと整理すると、the Westのためにひたすらロシアと戦って、壮絶に敗北したとしか思えないわけですが、なぜだか日本の報道環境では、日露は平和条約に向かっていることになっているのね。私はこれは、国民の特に右派を繋ぐためのカバーなのかなと疑ってる。 一方プーチンの方は、諸々面白くないこともあるだろうが、日露関係については来日時に「いつか歩み寄れる日もあるだろう」という現状認識を表明しているわけだし、そういう環境作りとして、一貫してサハリンどうですか、ウラジオいいですよと売り込んでいる。これはつまり、日本がそこに駒を置くしかないところまで持っていっているということなのかもしれない。 日本はといえば、何もトルクメニスタンに巨額の商売をかけずとも、インドに金もっていって大物ぶったりせずとも他に道はあり、アゼルバイジャンのパイププラインの行く末を心配するよりも、自分の領土のすぐ目先のパイプラインの心配をする方がずっと安かったという話になる、ということになるのではなかろうか。へんな人たち。 ■ 【インテリジェンスA】トランプ米大統領の今回のアジア外遊 「二階堂ドットコム(2017.11.13)」より / 2017年10月31日、米ネットメディア「AXIOS」は、トランプ米大統領の娘のイヴァンカ・トランプ米大統領補佐官がトランプ米大統領のアジア歴訪に同行し、我が国・日本、韓国、中国で各種の会議やイベントに参加する当初の予定が変更され、韓国と中国への訪問が中止となったとのニュースをキャリーした。 (※mono....中略、詳細はブログ記事で) / だが、イヴァンカ・トランプ米大統領補佐官の予定変更の最大の理由は、トランプ米大統領から中国と韓国に向けた「シグナル(不満の表明)」であるものと思われる。 イヴァンカ・トランプ米大統領補佐官の予定変更 トランプ米大統領のアジア歴訪にイヴァンカ・トランプ米大統領補佐官が同行する予定にあわせ、 http //www.j-cia.com/archives/13802 ←※有料課金記事 ↑※この有料課金記事は「自由で開かれたインド・太平洋戦略」に関わる記事。 ■ インド太平洋戦略の基盤固め 「百花斉放(2017.11.7)」より / トランプ米大統領が10日間におよぶアジア歴訪の第一歩を日本で踏み出したことは日米双方の外交戦略上、大きな意味があった。11月6日の日米首脳会談で「自由で開かれたインド太平洋戦略」という安倍晋三首相の外交戦略をトランプ氏も共有し、米国のアジアからの後退という懸念を払拭する有効打になるからである。トランプ・アジア外交の基調としても有意義であろう。日本にとっても、核・ミサイル・拉致問題など北朝鮮の脅威対応だけでなく、対韓国、中国など緊張要因をはらむ隣国関係においても米国との戦略の共有によって外交的立場を一段と強めた。アジア太平洋地域の地政学に影響を与える具体的成果である。 このような結果は濃密な安倍・トランプ関係を抜きにしては生まれなかった。大統領選挙直後の非公式会談以降、首脳会談5回、電話会談16回という世界各国の指導者の中でも群を抜く親密な関係が良好な日米関係を支えることになった。かつては小泉純一郎・ブッシュ両首脳の強い個人的な信頼関係によって、厳しい経済対立も大統領が国内の強硬派を抑えて火を噴かなかった。安倍・トランプ会談では北朝鮮と貿易問題が二大テーマであった。北朝鮮に対しては日米が主導して「最大限の圧力」をかけることで完全に一致。日米韓3カ国の協力の重要性、中国による圧力強化でも二人の息がピタリと合った。トランプ大統領が拉致被害者の本人や家族と会見したのも問題の深刻さの認識、それをもたらした安倍首相への信頼の強さを物語る。 + 続き 経済問題でトランプ氏は「貿易不均衡を是正し」「公正、自由、互恵的な貿易関係」を強調したが、日本との自由貿易協定(FTA)には言及しなかった。日本側は麻生太郎副総理兼財務相とペンス副大統領間での日米経済対話をFTAに対する「防波堤」にする腹だ。しかし、トランプ大統領は対米貿易赤字が最大の中国に対しては「互恵的貿易が最も重要だ」と述べ、記者会見で「互恵的」を何度も繰り返したほど貿易不均衡是正への執着をあからさまにした。日本も楽観はできない。トランプ氏が離脱を決めた環太平洋連携協定(TPP)を11カ国で合意すべく交渉が大詰めを迎えており、安倍首相も会見で「アジア太平洋における水準の高い秩序作り」を強調した。TPP11 は最終的には米国の復帰を促す環境作りの意味もあるが、米国を多国間協調主義に引き戻せるかどうかは未知数だ。 トランプ政権の国際安全保障政策では、「米国第一主義」を掲げた大統領選挙当時の孤立主義的傾向が政権発足後半年を経て現実主義路線に回帰しつつある。共和、民主両党を含めた歴代政権の伝統的な戦略と大きくかけ離れてはいないと米国の政治学者たちは分析している。これはトランプ・ホワイトハウスの首席補佐官、さらに国家安全保障担当補佐官や国防長官など安全保障のトップチームが現実主義に立つ歴戦の将軍たちによって占められていることを反映している。ロシアの脅威に直面する北大西洋条約機構(NATO)を「時代遅れ」と批判してきたトランプ氏が集団防衛条項を再確認して欧州を安心させたのはその一例だ。アジアにおいては米中間のバランス・オブ・パワーが覆らないようにすることが大きな課題である。日米の同盟関係を軸に韓国、オーストラリア、インドなどとの共同演習や装備の供与などを通じた「幅広い安全保障協力のネットワーク」の構築を共和党有力者であるマケイン上院軍事委員長の外交顧問をかつて務めたR.フォンテン氏が提唱している。日米首脳が一致した「インド太平洋戦略」はまさにそのような柔軟な地域安保構想のベースになるのである。 ■ 【インテリジェンスA】安倍首相の「自由で開かれたインド太平洋戦略」 「二階堂ドットコム(2017.11.8)」より / 2017年11月6日、安倍首相とトランプ米大統領は首脳会談で、アジア・太平洋・アフリカ地域の安定と成長を目指す上で、「自由で開かれたインド太平洋戦略」の推進で一致した。 「自由で開かれたインド太平洋戦略」は、我が国・日本、米国、豪州・オーストラリア、そしてインドを加えた四カ国の連携を基軸として世界の過半に及ぶ人口を擁する「インド太平洋地域」の発展・繁栄・平和で重要となる海洋秩序の維持と強化の枠組みを作り、海洋秩序の維持と強化を推進し、「自由で開かれたインド太平洋」の実現を計るというもの。 今回の日米首脳会談において、安倍首相はトランプ米大統領の理解と賛同を得たとし、「自由で開かれたインド太平洋戦力」は日米共通の戦略となり、「日米協力」の新たな「象徴」となってゆくものと考えられる。 今月中旬に予定されているAPEC(アジア太平洋経済協力会議)等を端緒に、日米両国が協力してASEAN諸国を中心に呼びかけてゆき、国際的なレジーム・枠組みの形成を進めてゆくものと思われる。 http //www.j-cia.com/archives/13795 ←※有料課金記事 ※mono....メモ ◆ 谷内正太郎〔Wikipedia〕 ◆ 谷口智彦〔Wikipedia〕 ★ 安倍首相とトランプ氏が「自由で開かれたインド太平洋地域」の実現に向けて協力強化を確認 「産経ニュース(2017.11.6)」より / 安倍晋三首相は6日午後の共同記者会見で、安倍政権が掲げる外交方針「自由で開かれたインド太平洋戦略」の実現に向けて日米両国が協力を強化することで一致したことを明らかにした。 首相は「自由で開かれた海洋秩序の維持、強化は地域の平和と繁栄とって死活的に重要だ」と指摘し、「揺るぎない日米同盟のもとトランプ大統領とともに手を携え、この地域の平和と繁栄に向けて主導的な役割を果たす」と強調した。 ーーーーー ★ 安倍首相、インド太平洋戦略提起へ=米大統領来日時、中国に対抗 「時事ドットコム(2017.11.2)」より / 安倍晋三首相は初来日するトランプ米大統領との6日の首脳会談で、「自由で開かれたインド太平洋戦略」の実現に向け、連携を呼び掛ける意向を固めた。インド洋と太平洋がつなぐアジア・アフリカ地域の安定と成長を目指す同戦略は首相が提唱した。日米がこれを推進することで、同地域で影響力を増す中国に対抗する狙いがある。 インド太平洋戦略は、首相が2016年8月、ケニアで開かれたアフリカ開発会議(TICAD)の基調演説で初めて打ち出した。成長著しいアジアと潜在力が高いアフリカを「力や威圧と無縁で、自由と法の支配、市場経済を重んじる場」とするため、インフラ整備と安全保障協力をパッケージで推進していく外交方針だ。 首相の念頭には、シルクロード経済圏構想「一帯一路」を掲げる中国がある。中国はパキスタンやスリランカなどインド洋沿岸国で道路や港湾などのインフラ整備を進め、海洋進出の拠点としている。 首相は大統領来日の機会を捉え、地域全体の課題について、米国が積極的に関与する環境を整えたい考えだ。外務省幹部は「米国のプレゼンスを日本も地域も必要としている」と指摘。具体的な連携策として今後、日米豪印4カ国の首脳級による戦略対話の実現などを目指す方針だ。 これに関し、河野太郎外相は2日の記者会見で、「自由で開かれたインド太平洋は、すべての国の経済発展に資する。米国を含め、さまざまな国の協力をいただきたい」と強調。「いずれ日米豪印という形で議論したい」と語った。 ーーーーー ★ ベトナム外相、インド太平洋戦略を支持=河野外相と協力確認 「時事ドットコム(2017.11.7)」より / 【ダナン時事】ベトナム訪問中の河野太郎外相は7日、同国のファム・ビン・ミン副首相兼外相とダナンで会談した。ミン氏は、安倍晋三首相が提唱した「インド太平洋戦略」を支持する意向を示し、河野氏は謝意を伝えた。両外相は、日本からの新造巡視船の供与などを通じ、海洋安全保障分野での協力を強化することを確認した。 北朝鮮情勢に関し、河野氏は国連安保理決議に基づく制裁措置の履行を徹底する段階だと強調。ミン氏は、ベトナムとして決議を順守する考えを示した。 河野氏はこの後、タイのドン外相と会談。ドン氏もインド太平洋戦略を支持する方針を伝えた。 .
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ジェネレイテッドキャンペーン:南太平洋戦線