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1 <2005年1月> 『兵は凶器なり』(45) 15年戦争と新聞メディア 1935-1945 太平洋戦争と大本営発表の真相 前坂 俊之 (静岡県立大学国際関係学部教授) 太平洋戦争下での戦時報道は大本営発表を伝達することであった。 では大本営発表とはどのようなものであったのか。元大本営報道部海軍中佐・富永 謙吾著『大本営発表の真相史』(自由国民社、1970 年)は次のように書いている。 1・・大本営発表の機構組織とその変遷 大本営とは、戦時又は事変に際して、天皇を軍事統帥面で補佐するためにできた。 法的には明治二十六年(1893 年)五月十九日の勅令第52号(戦時大本営条例)に 根拠を持つ。その後、何度か改定されたが、日露戦争(1904―5年)当時は、陸海 軍大作戦の統合という機能を発揮した。 しかし、支那事変(1937年-)、太平洋戦争(1941 年―)の時代になると、内容的に は平時の陸軍参謀本部、軍令部の折衝、運営と大差がなくなり、作戦面では有名無 実に近い存在になった。 ただ一つ例外があった。 昭和十二年(1937 年)の改定で、大本営陸海軍にそれぞれ設けられた「報道部」で ある。報道部の任務は、「戦争遂行に必要なる対内、対外並に対敵国宣伝報道に関 する計画及び実施」であった。 編成は陸海軍によって多少の差異はあるが、少将又は大佐の部長1名、佐官又は 尉官の部員が4-7名、高等文官又は佐尉官の部付が1-2名、それに附属の下士 官又は判任官が数名というもの。 2 当時の資料により、報道部内の分担について、陸軍では、企画課、宣伝課、庶務課 と分れ、宣伝課の中に「内国新聞発表」という係があった。 この新開発表係が、国民に対する窓として、戦況特にわが軍の行動に関する公表 を担当、この公式発表がすなわち「大本営発表」なのである。 発表は通常、陸(海)軍省記者倶楽部で行なわれた。 「発表の内容及発表の時期方法等は慎重に顧慮、常時幕僚と緊密に連絡し、以て軍 機の秘密を保持すると共に、我軍民の士気を鼓舞し、敵の戦意を失墜せしむるものと す」 「発表は関係各部課と連絡の上、その重要の度に応じ 〔参謀〕次長の決裁を受け、 あるいは報道部長これを専行するものにして急を要する場合には、前述の手続に依 らず報道部長が適宜決行することを得」 これらの報道部の業務規程を見ると、大本営発表の性格がほぼ推察できる。 最後に、大本営陸海軍報道部と、内閣情報部、陸軍省新聞班との関係について触 れておく必要があろう。 内閣情報部は、 ① 国策遂行の基礎となる一般宣伝の計画、実施、 ② 宣伝報道に閲し各庁の事務の連絡調整を主任務として、昭和十二年九月、従来 の情報委員会を改編拡充したものである。 新聞班は、 ①、陸(海)軍軍政関係対内外宣伝の実施 ②、対内外報道検閲取締 ③、軍部内報道宣伝(新聞の編集及び発行)が主任務である。 報道部と新聞班は人員が共通であり、内閣情報部には報道部から兼勤者を派遣し ていたので、三者相互の業務はおおむね円滑に実施されていた。 昭和十五年に内閣情報部が、情報局に昇格した。そして、陸海軍省をはじめ、内務 省、外務省の情報、言論統制検閲関係をすべて統合した。陸海軍とも、ほとんど主力 3 は情報局に送り出し、報道部は「作戦報道」だけを取り扱うことになった。 それから約一年間、情報局は言論界の主導権を握っていたが、当然のことながら開 戦と同時に、発表の中心は陸海軍の報道部に移っていった。 報道部の発表は、最初の一カ月は陸軍部、海軍部と別個に名前を出して発表して いた。 昭和十七年一月十五日の発表から、「大本営発表」とだけして、陸海軍部の区別を しないことにした。発表だけでなく、陸海軍報道部を合同する問題については、幾度 か話題になった。昭和二十年になると、陸海軍自体の合同問題がとり上げられる時 期になっていたので、その手始めに、まず報道部を統合してみたら、という空気になっ た。 二十年五月二十二日に両部の一本化が発表され、六月はじめからその勤務が開 始された。初代の「大本営報道部長」は陸軍側から、「副部長」は海軍側から任命され た。どちらも階級は少将である。 2 報道政策と発表方針 「わが海軍の戦況報道に当り特に正確を期するため、あるいは作戦上の要求などの ため、発表時期が若干遅れることもあると思うが、決して心配することなく、安心して 正確なるわが報道を倍額していただきたい」 その声明は開戦の翌日、前田海軍報道部長談として発表されたものである。 発表が作戦上の要求(作戦機密、前線士気の問題)や対内政策上の顧慮(国民戦 意、対謀略)から、種々制約を受けることは当然である。そこで、前に述べた報道部の 業務規程のような考え方で処理された。 「新聞、通信社おいては、先を争ひて戦況を予測して未然に通報し、大本営発表が事 実に立脚しあると趣を異にす、しかして新聞の如きその予測を誤るときは都市占領の ニュースに数日間の相違を来たすものあるに至る」として、正確性を重視し、やや遅 れることは覚悟していたのである。 4 3・・・大本営発表の数 戦争開始を告げた大本営発表第一号から、45ヶ月間に、八四六回の発表があった。 基地特電まで勘定に入れると、平均一日二回程度になる。当時関係者の間では発表 のことを朝刊、夕刊と呼んでいた。 「今日は夕刊が出ますか」 「出してもいいが、締切りに間に合いそうにもないからやめよう。その代り明日の朝刊 は三本だよ」といった具合である。 こうなると、発表とこれに関連のある記事を握っている、報道部は事実上、各新聞社 の編集局の仕事も持っているようなもので、ある記者が新聞主務部員に〝大編集 長″というニックネームをつけた位である。発表に力瘡を入れすぎて、見出しの活字 の大きさや、何段抜きの注文まで出して、あやうく〝整理部長″の肩書をつけられそ うになった部員もいた。 陸海両報道部はお互いに自分の方の発表や記事を効果的に扱わせるため、相手 の大きな発表のない日を狙って、ストックを小出しにするのが恒例になった。発表回 数の多い一つの理由であろう。 4・・「不発表」の事項 交通破壊戦による船舶の被害状況と、潜水艦行動の内容は、原則として発表しな い方針であった。 この間題は日本だけの秘密主義の現われではなく、イギリスでも、アメリカでも同じ 方針である。第一次世界大戦の時、アメリカの参戦が決定したあと、シムス大将がイ ギリスに派遣された。そして今まで知らされていなかった商船の被害教を見て、アメリ カが参戦を決めたことを後悔したと伝えられる話は、有名である。 しかし、発表しないことが決して自慢ではない。この場合は造船力が損失をカバーし て発表された部分と釣含えるかどうかが問題ある。沈められる一方では、戦局と遊塵 するはかりで頼りにならない安心感を与えるだけに過ぎない。 5 今度の戦争における日本の場合が、正にこの適例であった。政策が発表報道の裏づ けをすることができないで、楽観的報道と船舶増産施策が競合し、自分の首を締め た。 5・・戦局と発表の正確度 最初の六カ月間は戦果、被害共にきわめて正確に近いものであった。(商船の損害 は、ありのま発表しないという方針なのでこれは例外とする) 次の九ヵ月、珊瑚海海戦からイサベル島沖海戦までの期間は、戦果が誇張されは じめた時期である。このうちミッドウエー海戦では損害を発表しなかった。 ガダルカナル島争奪をめぐって発表そのものに現われない莫大な損害が、累積して 行ったことも見逃すことはできない。 ガ島撤退後9 ヵ月間ほ発表のものも少なく、一見変化は認められないが、実情は戦 略的後退中であった。 さらに次の八ヵ月間は損害の頬被りが目立ち、架空の勝利が誇示された。 マリアナ沖海戦以後は、誇大の戦果に損害のひた隠しが加わって、見せかけの勝 利が相ついだ。 フィリピン沖海戦でその頂点に達した。そして、日本海軍はすでに潰滅していたにもか かわらず、軍艦マーチだけが空虚な勝利を奏でていた。この状態は、最後の戦闘で ある沖縄の終結-20年6月未まで続いたのであった。 素晴らしい大戦果として、当時全国民を熱狂させ連合艦隊の次の作戦で狂わせてし まった台湾沖航空戦の発表は、恐らく「デマ戦果」の横綱格であろう。これは報道史上 最悪の記録として残るだろう。 さらに傑作なのは、比島沖海戦における駆逐艦部隊の驚嘆すべき戦果であった。そ の報告はただ途方もない遠方から発射した魚雷数に釣合うように、エンタープライズ 型空母一隻撃沈、一隻大破(沈没確認)、駆逐艦三隻撃沈であった。 6 この種の希望的戦果が合計されて比島沖海戦発表には美事にして、架空の勝利を 収められた。 誇大な戦果の番付を示せば、大体次のとおりである。 沖縄島戦、ルソン島戦、台湾沖航空戦、比島沖海戦、マリアナ沖海戦、九州沖海戦、 ギルバート航空戦、第 三次ソロモン海戦、ブーゲンビル島沖海戦、レンネル島沖海 戦、珊瑚海海戦。 6・・損害の秘匿 損害をありのまま発表することは、決して当を得たものではない。作戦上の要求、機 密保持、国民に与える影響や精神的打撃などを考慮して一部発表にしたり、ある 時 期まで延期したり、あるいは未発表に終わることも起こり得る。 これは何も日本だけに限ったことでなく、アメリカでも同様である。実例を上げれば、 ハワイ海戦の被害の正式発表はちょうど一年後であり、神風特攻隊による損害の 説明は、沖縄海戦の見通しがついでから行なわれている。 損害の小出し発表も、度々行なわれているし、損害を受けた軍艦もあるが、その隻数 及び艦名は軍機のため発表できないと、はっきり断わったものもある位である。 問題はどの程度、またいつごろ損害の真相を発表して国民の奮起と敵がい心を促 すかにある。損害が大き過ぎれば厭戦気分、敗戦思想を起こすこと必定である。頬か ぶりが過ぎれば、楽観思想に支配されるか、信頼を失って行くかのどちらかであろう。 戦況不利の場合、首脳部はこの損害の発表に対して極めて敏感であった。国民の 士気に名をかりて、一時のがれにいい子になろうとした傾向が、最高首脳部にはたし かに見受けられた。 上奏文の内容が、わが方に有利なことばかりが強調されて、不利な面が〝簾襟を悩 し奉るのは恐憾に堪えない〃という思想で、ほとんど触れられていないのと同じであ る。 7 7・・米国の発表報道 いかに世論を重んずる民主国家であっても、戦況発表まで開放的ではない。国家 機密の保持や作戦上の必要による、発表の制限は極度に厳重なことは驚くはかりで ある。 しかし、これは驚く方が間違いであって、当然すぎるほど当然なことなのである。潜水 艦戦!通商破壊戦の発表が非公開であったことは述べた。 一般の作戦は国民の士気をなくさないように、戦況が思わしくない時には、特別注意 深く間接的な表現で発表されるのが常であった。しかし、その発表は、いつでも、それ によって日本側が何の利益も受けない時期というのが前提であった。 「情報の発表が日本軍に価値がなくなった時に、はじめて発表されるであろう」 (アッ ツ沖海戦) 「日本側を迷わせて置くために、正しい戦況の発表を遅くしたこともあった」 (珊瑚 海々戦11 ヵ月後) 「将兵の士気や銃後の戦意を考慮に入れて、もう大丈夫という時まで伏せておいたこ ともあった」 (神風特攻-半年後) アメリカの発表ぶりは、戦況の速報は別として、決定的なものは、少なくとも一週間 以上のあと、艦名、日付等が発表される慎重ぶりであった。中でも、前述のようにハ ワイ海戦の最後の発表はちょうど一年後のことであった。 開戦以来の死傷者数を統計的に度々発表したことは、人命を重視する傾向を示す ものと思われる。一般の発表の場合にも、搭乗員の救出や沈没艦船乗員の救出に は、必ず最大限の努力が払われたことが付記されている。ここに民主国アメリカの姿 を見ることができる。 日本側に与えた損害については、公式発表の中では、最初第二義的に取り扱われ ていたと思われる。 正確な数字が得られないことが、その大きな理由であったと同時に彼我の損害の比 率が大きすぎたのも、多分控え目にさせた原因であろう。 8 発表内容は公式の戦況公表の外に、大統領自ら戦略戦局を論じ、太平洋艦隊長官 もほとんどその都度戦況に対する声明を発し、時には次の作戦の予告を与え、戦時 情報局や戦時生産局も、戦備、生産力について、絶えず全国民に呼びかけることを 怠らなかった。 有能な軍事評論家は側面的に、その知識を傾けて士気を鼓舞啓発し、著名なジャ ーナリストの数名ほ幕僚に起用されて作戦と報道の一体化に間然する所がなかった。 この点、まことに用意周到を極めていたといえよう。 兵は凶器なり15年戦争と新聞メディア
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太平洋戦線 コンクエスト 日本 アメリカ 更新情報 無し 概要 特徴 太平洋における日本対アメリカのMAP。歩兵戦が主体であり、装甲車などは歩兵の援護が主なものとなる。 戦闘の流れ 双方の軍が4つの旗を取り合うMAPである。4つの旗の内、北の小島にある旗は一度奪取されるとなかなか再奪取することが出来ないため比較的重要であり、初動でその旗を奪取した陣営が勝つという事も少なくない。また歩兵がメインということもあり、設置式機関銃の置き場所によってはかなり強力なものになりうるので活用しよう。双方の軍には火炎放射器kitも湧くが、日本軍アメリカ軍それぞれに湧く兵器はどれも装甲が厚いとはいえないので火炎放射器でも対戦車戦闘ができる。覚えておくと役に立つかもしれない。 登場兵器(一部) 枢軸軍 +... 兵器名 兵器名 兵器名 連合軍 +... 兵器名 兵器名 兵器名 コメント 名前 コメント
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太平洋戦線 コンクエスト 日本 アメリカ 更新情報 無し 概要 特徴 史実ではアダック島における戦いはなかったが、あるFHの開発メンバーの故郷であるため作られたmapである。 戦闘の流れ 日本軍が攻め、アメリカ軍が守るという形になっている。日本軍が上陸できるところが複数箇所存在するため、アメリカ軍は集中して1箇所に湧いてしまうとその他のところの守りが薄くなってしまうことがある。また、アメリカ軍は航空基地を取られると航空機が湧かなくなるので注意。 登場兵器(一部) 日本軍 +... 兵器名 兵器名 兵器名 アメリカ軍 +... 兵器名 兵器名 兵器名 コメント ページを作成 -- 名無しさん (2015-07-14 22 17 02) 名前 コメント
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太平洋戦線 コンクエスト 日本 アメリカ 更新情報 無し 概要 特徴 アメリカ軍がウェーク島を奪還すべく上陸するMAP。MAPの形は昼のウェーク島と同じだが攻守が逆転しており、また夜戦になっている。 戦闘の流れ アメリカ軍が攻め、日本軍が守るという形になっている。サウスダコタの砲撃による支援は極めて強力だが、爆風の半径がかなり大きいので一歩間違えると大量TKをしてしまうので気をつけよう。また、日本軍には増援として大和が出現するので最大限に活用しよう。 登場兵器(一部) 枢軸軍 +... 兵器名 兵器名 兵器名 連合軍 +... 兵器名 兵器名 兵器名 コメント ページを作成。 -- 名無しさん (2015-07-15 01 42 52) 名前 コメント
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【名前】太平洋 【大きさ】太平洋並み 【攻撃力】太平洋並み 【防御力】太平洋並み 【素早さ】太平洋並み 444格無しさん2023/06/05(月) 23 34 31.31ID EtPtAd46 446 太平洋考察 不動なので自滅 ちきう>太平洋>佐賀 446格無しさん2023/06/05(月) 23 49 33.36ID wUGx1Mel 444 ちきうのように素早さに不動と書いてあるわけでもないし不動キャラとするのはのは早計では 波や海流があるわけだし 0520格無しさん 2023/06/17(土) 15 24 13.17ID TVcQTSl7 太平洋考察 太平洋の大きさは165,200,000 km²、水深は一律最大水深の約11000mとする(ガバガバ) 直感的に多人数の壁あたりから上がりそう。 戦闘開始時に太平洋の全面積を占める水が対戦相手に向かって流動するものとする 面倒なので海洋生物についてはいないものとし、相手を溺死させれば勝ちとする また、深層の水圧で破壊できれば勝ちとする 泳ぎが専門でない生物は泳ぐことができるとしても、特になにもできないようであれば体力切れで勝つものとする だいぶ間違ってそうだけど容赦頼む 超多人数の上から見ていく ◯ ㍼ 水質が悪化して腐敗しそう?だがその水で溺死させれば問題ない ◯ ヘクター・柳・シコドリアック 溺死勝ち ◯ 雷鳥(乗り物図鑑)、はやぶさ(乗り物図鑑) 水圧で勝ち ◯ びっちゃん 溺死 × 伊丹一成 5秒は息ができる、アイスで太平洋全体が凍って負け △ マホカンティア 水圧透過、非生物 ◯ ペルシャ猫×1000万匹 溺死 ◯ つばめ(乗り物図鑑)〜25tトラックの群れ 水圧 △ 豪華客船 浮く ◯ パプアニューギニア独立国〜妄想無双 溺死 △ 1兆匹のヘラクレスオオカブトロボット ヘラクレスオオカブトは飛べるのでロボットも飛べると考えてよいだろう、分け ◯ o2]〜ホモ・サピエンス・サピエンス 溺死 ◯ 73億0032万8922人のゾンビ 深層の水圧で脳も破壊されるだろう ◯ 1極匹のアリ 個では何もできない、溺死 △ 分裂魔人プラナリアン〜増え続けるちんちん(仮) 決め手なし ◯ ぱ 増えるスピードが遅い。溺死 △ 異次元ハムスター、変態の王田中 決め手なし ◯ SCP-096&SCP-173 視認しない ◯ 下着ドロ専門パトロール隊、マスク・ド・メロンのメロメロメロン 溺死 ◯ ナンテコッタ!パンナコッタ!、グロブロス 海は生物ではない △ ロケットマン 飛べる ◯ トーハwithG.O.T. まあ勝ちか ◯ 鎌倉の大仏、活動報告 でかいだけ 0521格無しさん 2023/06/17(土) 15 26 25.54ID TVcQTSl7 戦車の壁上も。 × ドラえもんwithIV号戦車D型 波は攻撃判定になるか。時間停止からの任意全能負け ◯ 戦車〜207系 勝ち △ ハレコ=ガルト(影) 飛行 ◯ 電車破壊マン〜A-002「ソリティルα」 基本水圧 △ 一般的に想像されるドラゴン 飛行 ◯ 秋田県小坂町に出現したクマ〜ヨーカンキング 水圧 △ 全長113mのアオウミガメ 泳ぐ ◯ 100メートルの成人男性 、ンロテル・アルト 溺死 △ 戦闘フィールドの天地を逆転させる成人男性、空飛べる奴 水は全て落下していくが、相手には決め手がない △ ドラゴンフライ〜ハー 飛行 ◯ 北海道猿払村に出現したヒグマ 溺死 △ ヤヤップ・アルトとラッセリュ・アルト 蝶は飛べるやろ ◯ ビルスウィンガー 溺死 △ 桃太郎軍団、テラフォーマーの群れ 飛ぶ ◯ チンクルマルド 勝ち × カタストマルド 太平洋が動かなくなる ◯ RPG-7マン〜ボルガス 溺死 △ ガンダムくん 宇宙には届かない ◯ ダークマン〜グラントサウザー&ハカイダー 溺死 × インフェリア畑 温度が高すぎて海が蒸発する ◯ 宮下あきら 溺 △ クララ・フォレスト 速すぎ △ グロリアス 船 ◯ レボルス3号 水圧 △ アープ・アルト(偽) 完全消滅というわけにはいかない △ HELLO WORLD、レボルス4号 飛ぶ ◯ オルテガ=ジュウシマツ、レッド・H・クルス 溺 0522格無しさん 2023/06/17(土) 15 28 00.12ID TVcQTSl7 負けが少ないので軍隊も見ていく ◯ 戦車×1000台、村山斬華 勝ち ◯ わりと速く動く大きな落とし穴 穴の容積を埋めてしまう ◯ ガウリイ 溺 ◯ 田中鈴木 海に意志はございません △ オジロワシ(乗り物図鑑) 飛ぶ ◯ RITZ 合体したとて水圧でぶち抜けるか。 ◯ レベル「1m」 水流で破壊 △ 量産型クローンレイナーレ部隊 飛ぶ △ ミスターマッコウ 泳ぐ ◯ 小鳥遊 六花、落雷フリーズ 2秒の間に太平洋は飲み込むだろう ◯ C言語成人男性〜剣道部にいる先輩 太平洋にどうこうできない ◯ アッザム 飛行時間切れで墜落するだろう △ 爆撃機 多分飛ぶ ◯ ムサシ 溺 △ キーアン・ファーランダー、ナチス第三帝国 飛べたり船だったり ◯ ムスカwithラピュタ ムスカは倒せる △ グゥグレカース 艦載機が飛ぶ ◯ レベル「10m」 破壊できそう? △ 終・ゲッターライガー 早い × 505 自分の身を守るように火を吐けば蒸発させられる? ◯ RX70式重箱、糞漫画四天王 相手は特にできることがない、勝ち △ ヌシ様 泳げるが太平洋をどうこうできない ◯ 織田with軍団 多いだけ △ 金正月with新堂本兄貴、スフィンクスマン 飛行 ◯ メギラス 勝ち △ スーパーインドミナスレックス〜千野久子 固かったり飛べたり あとは任せたわ 0524◆z1qWXXpLbtDS 2023/06/17(土) 18 30 09.70ID CyM+Y6dD 太平洋は延々と広がって浅くなってくんだろうから、決め手のない場合はいつか数mmまで浅くなった後に蒸発するんじゃないか? 0528格無しさん 2023/06/17(土) 18 35 48.82ID xjyQB8pn 太平洋は開始距離開けなくちゃいけないから負ける相手もいるんじゃね? 0530◆z1qWXXpLbtDS 2023/06/17(土) 18 52 29.32ID CyM+Y6dD 開始距離空けると言っても精々自身の体長分だかや、そこまで広がっても高さは4分の1にしかならないね 対戦相手には2000m強の地球の面積より広い水の壁が押し寄せる訳だ 0531◆z1qWXXpLbtDS 2023/06/17(土) 21 00 38.44ID hLnEZOsa 待てよ、流石にマリアナ海溝の深さで一律11000は盛りすぎでは 少し調べたら3700とか3800が平均とか出てきたぞ 0555格無しさん 2023/06/20(火) 19 21 07.47ID nzgee6Om 太平洋簡易考察 海の体積は13億5000万km3 太平洋の面積は海全体の46% なので太平洋の体積は6億2100万km3と見積もれる。 そして、海の平均水深は3800mなので、開始距離ルール的に最高950m程度の津波になる。 0716◆z1qWXXpLbtDS 2023/07/17(月) 19 55 53.13ID 5uD7QtCa 太平洋 考察 太平洋並みの素早さで戦闘可能か否か。 太平洋の中で水流の移動が起きているとは言うが、太平洋そのものの位置は変わっていない。 風化キャラである多元宇宙は素早さ多元宇宙並みで内部での銀河の移動や宇宙の膨張も発生するが移動はしない。 それに倣って太平洋も移動不可とする。 海水が流動して相手を水圧で倒せるのでは?と思ったけど、薄く広がった海水が太平洋の元型を保っているとは思えない。 環境ルールにより太平洋は地球上で安定しているものとする。 風化キャラなので他の海や川から水が流れ込んで来たりはしない。ある分が蒸発したら終わり 調べた感じ、海は一年に約400兆トン≒40万km3蒸発するらしい。太平洋はその46%だから大体年20万km3蒸発する。 太平洋の体積が大体6億km3とすると3000年で干上がる。 大仏とかの金属系は重さ的に3000年なら持つ。ガラスは無理 しかめっ面の大仏>太平洋>ドラ○ンボール
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第1 家永三郎著『太平洋戦争』による不法行為について 第1 家永三郎著『太平洋戦争』による不法行為について1 本件書籍一『太平洋戦争』について 2 問題記述の名誉毀損性について 3 原告梅澤の精神的苦痛(1)はじめに (2)謝罪等要求書(甲B27) (3)平成17年12月26日付陳述書(甲B1) (4)平成18年8月26日付陳述書(甲B33) 4 摘示事実の真実性と相当性について(1)抗弁について (2)真実性について (3)相当性について 5 まとめ 1 本件書籍一『太平洋戦争』について 被告岩波書店発行の家永三郎著『太平洋戦争』(甲A1)は、1968年(昭和43年)に発行された初版本(甲B7)を訂正して1986年(昭和61年)に発行された第2版が、2000年(平成14年)に岩波現代文庫に収載されたものであり、第二版の序に歴史家である著者自らが記しているように「一五年戦争の全体像を提示するのを目的」(甲A1pⅴ)とする一般向けの歴史書として著述されたものである。 その300頁には、「座間味島の梅澤隊長は、老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよと命令し、生存した島民にも芋や野菜をつむことを禁じ、そむいたものは絶食か銃殺かということになり、このため30名が生命を失った。」との記述があり、原告梅澤が住民に対して自決を命じたとの事実摘示がなされており、その事実摘示による名誉毀損の不法行為の成否が、本件書籍一『太平洋戦争』にかかる争点である。 なお、初版本(甲B7)にあった「沖縄の慶良間列島渡嘉敷島守備隊の赤松隊長は、米軍の上陸にそなえるため、島民に食糧を部隊に供出して自殺せよと命じ」との《赤松命令説》の記述 は、1985年(昭和60年)に「今日の学界の到達水準からすれば不適当または不十分と思われる部分が生じていること」(甲A1pⅳ)から改訂された第二版において削除されている。 2 問題記述の名誉毀損性について 岩波現代文庫所収の本件書籍一の『太平洋戦争』の前記記述は、原告梅澤から座間味島の住民に対して「老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよ」との命令が出され、「生存した島民にも芋や野菜をつむことを禁じ、そむいたものは絶食か銃殺かということになり、このため30名が生命を失った」という事実を摘示するものであり、この点争いはない。 それらの摘示事実は、不特定多数の読者に対し、座間味島の守備隊長だった原告梅澤が、部隊の食糧を確保するため平然と住民の生命を犠牲にした冷酷な鬼のような人物であるという印象を与え、原告梅澤個人の人格を非難し、その社会的評価としての名誉を毀損し、もってその名誉権と名誉感情を侵害するものであることは明かである。 3 原告梅澤の精神的苦痛 (1)はじめに 『太平洋戦争』に記載された《梅澤命令説》の記述は、同じく《梅澤命令説》を記載した『鉄の暴風』や『沖縄ノート』等の記述と相まって、事実として広く流布し、原告梅澤に対し、部隊が生き延びるために平然と住民を犠牲にした鬼のように冷酷で無慈悲な殺人者としての烙印を押し、その名誉を長年にわたり著しく毀損し、原告梅澤に耐え難い精神的苦痛を与え続けてきた。 その苦痛が如何に深く、周囲への影響が甚大なものであったかは、次の内容から十分に看取出来るものである。 (2)謝罪等要求書(甲B27) 原告梅澤は沖縄タイムス社に対し、昭和60年12月10日付の手紙で『鉄の暴風』等の訂正と謝罪文掲載の要求を行っている(甲B27)。 その中で同人は、その積年の思いを次のように吐露し、切々と訴えている。 「私及び家族は多年此の屈辱の為その受けた精神的その他の 被害は極めて甚大であります。」(2枚目1~2行目) 「永年に亘り此の問題につき苦悩して参り家族共々大変な精神的打撃受け又職務上種々支障を生じ口惜しき極みであります。」(2枚目最終行~3枚目1行目) 「私は大悪人として今や小学校の教科書に載ってるそうですね。そうではなかった。私は死んではいけない、共に持久してがんばろうと云った、しかし彼等は淋しく死んで行った。」(4枚目4~6行目) 原告梅澤はもとより、その家族までもが長年にわたり屈辱を受け、甚大な精神的苦痛を受けたことが明らかである。 尚、当該謝罪等要求書は、直接には『鉄の暴風』を発行した沖縄タイムス社に対するものであるが、同じく《梅澤命令説 》を記述した『太平洋戦争』を発行した被告岩波書店に対してもそのまま妥当するものである。むしろ、それが被告岩波書店から文庫本として著名な歴史家の著述として出版され、多数の読者に《梅澤命令説》を事実と思わせてきたことを考えれば、その被害は『鉄の暴風』によるものよりも遥かに甚大かつ深刻である。 (3)平成17年12月26日付陳述書(甲B1) 原告梅澤は当該陳述書の中でも、その苦痛の深さを次の通り述べている。 「愕然たる思いに我を失いました。一体どうして、このような嘘が世間に報じられるのかと思いました。たちまち我が家は。どん底の状態となりました。人の顔を見ることが辛い状態となりました。実際に勤めていた職場に居づらくて仕事を辞める寸前の心境にまで追い込まれました。妻や2人の息子にも、世間の目に気兼ねした肩身の狭い思いをさせる中で生きることになりました。」(甲B1p4「4」) 「凡そ言葉で語り尽くせない暗澹たる日々。『何故』、『どうして』と只々終りのない自問自答を繰り返す自分自身…」(甲B1p4「6」) (4)平成18年8月26日付陳述書(甲B33) 更に原告梅澤は、本件訴訟提起後も出版が続けられ、しかも訴訟において縷々歪曲された事実が主張され続けている状況について、次のようにそのやるせない気持ちを吐露している。 「裁判所に私の陳述書(甲B1)をお出しした後、被告らから色々な主張や反論が為されております。しかしながら、それらの内容は、真実が捻じ曲げられたり、ありもしない事実が作り出されたりしており、私自身とても耐え難く、毎日例えようのないやるせなさを味わっております。」(甲B33p1冒頭) 「戦後60年が過ぎ、元号も平成に変わりました。世の中も信じられないくらい豊かになりました。その中で、一体、私はいつまで苦しみ続けなければならないのでしょうか。一体、いつになると私に終戦が訪れるのでしょうか。」(甲B33p10「4」) 以上の通り、『太平洋戦争』の出版によって、原告梅澤は深刻な精神的苦痛を被っているのであり、その出版が継続されている現在も尚、その名誉権ないし人格権は甚だしい侵害を受け続けているのである。 4 摘示事実の真実性と相当性について (1)抗弁について 事実を摘示しての名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには、上記行為には違法性がなく、仮に上記証明がないときにも、行為者において上記事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定される(最高裁昭和41年6月23日判決・民集20巻5号1118頁、最高裁昭和58年10月20日判決・裁判集民事140号177頁参照)。 『太平洋戦争』の前記記述にかかる名誉毀損の不法行為の成否は、それが摘示している事実の重要な部分、すなわち、原告梅澤が「老人・こどもは忠魂碑の前で自決せよ」との命令を出したという事実について、それが真実であることの証明(以下「真実性」という)があるか、真実と信ずるについて相当の理由(以下「相当性」という)があるかにかかっている。 (2)真実性について 原告梅澤が「老人・こどもは忠魂碑の前で自決せよ」という命令を出したという事実はなく、それを内容とする《梅澤命令説》が根拠のない風聞にすぎないものであり、本件訴訟においも被告らが《梅澤命令説》の真実性についての証明を全くなしえていないことは、本書の第3(座間味島における隊長命令の不在)において詳述するところである。 (3)相当性について 岩波現代文庫『太平洋戦争』は平成14年7月16日に初刷が発行され、第2刷が平成15年2月14日に発行されているが、初刷発行当時、《梅澤命令説》を覆した宮城晴美著『母が遺したもの』(甲B5)が平成12年12月に発行され、平成13年には第22回沖縄タイムス出版文化賞を受賞するなどして、その座間味島の集団自決は原告梅澤の命令によるものではないというその内容は、広く知られるようになっていた。因みに、受賞を報道する沖縄タイムス紙の見出しには「偽りの証言の真意明かす」とあり(甲B93の1)、「集団自決を命じたのは座間味村役所の助役だった」ことが事実として記載されている(甲B93の2)。 被告岩波書店は、平成14年7月6日に『太平洋戦争』を岩波現代文庫として出版するにあたり、そこに記述されていた《梅澤命令説》の記述を真実と信ずるについて相当な理由があったと言えないことは余りにも明かである。 5 まとめ 『太平洋戦争』の著者家永三郎は、昭和61年(1986年)に初版を改訂した第二版において、当時の歴史研究の水準に照らし、初版に記載されていた《赤松命令説》を削除したが、これを岩波現代文庫に収載した平成14年7月16日には、《梅澤命令説》もその根拠が失われていたのであるから、これを削除して発行するのが、同書が標榜している「学会の到達水準」に沿った措置であった(それがなされなかったのは著者の家永三郎が平成14年11月に89歳で死去したことと無関係ではあるまい)。 岩波現代文庫『太平洋戦争』の当該記述が、その出版当時から原告梅澤に対する名誉毀損の不法行為を構成するものであることは明かであり、現在もその販売を続けている被告岩波は直ちに出版を停止すべきである。 もどる
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バンダースナッチ 水雷衝角艦 性別:女? 身長:152cm 一人称:アタシ 二人称:呼び捨て・アンタ・貴様 交流可否:OK ファンアート可否:OK R-18:OK R-18G:OK 作者discord在籍有無:在籍中 艦歴 太平洋戦線で起こった艦船連続失踪事件。 英海軍が調査に乗り出すと、無人で漂流していた本艦を発見。 失踪艦の最後の無線から伝えられる加害艦の特徴より事件の犯人と断定されたが、所属は不明なまま終わった。 原理不明の推進器により高速航行が可能な水雷衝角艦と分類される。 英海軍の所有となった後の詳細は不明。 性格 イカれた通り魔少女。 艦船を沈めることに取り憑かれているが、ふとした瞬間に醒めることがある。 ヴォーパルのことが嫌い。
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122 :yukikaze:2014/09/15(月) 18 45 27 それでは第二幕投下。今週中には第三幕まで行けるかな。 戦後夢幻会ネタSS――前史「栄光ある敗北」 2 暴君の焦り アメリカが、戦争を脱落しかねない危険を克服したのは前回で述べた。 しかし戦争の脱落への危機は乗り越えたものの、軍事戦略の混乱を乗り越えるめどは全くと言っていいほどたっていなかった。 その理由が何かというと、それは偏に欧州戦線にあった。 アメリカの主戦場が欧州であるという事は、少なくとも太平洋戦線で地獄を見ている者達以外からは共通認識とされていた。 世界の政治経済の重心は欧州であってアジアの片田舎ではないのだ。 だからこそアメリカ合衆国は、その戦争リソースの大半を欧州につぎ込んでいるし、最新鋭兵器も欧州に優先配備しているのである。 ここまでは何も問題はないはずであった。少なくともワシントンの住人はそう考えていた。 そこに変化が産まれたのは、能力があるのは認めるが、その性格には誰もが辟易しているマッカーサー元帥であった。 悪夢のフィリピン戦で唯一気を吐いた彼は、その功績と何より海千山千の欧州諸国の我儘を抑える事が出来る唯一の存在として、欧州方面軍総司令長官に転任した訳だが、彼のその剛腕は、欧州諸国を瞬く間に黙らせるのと同時に、これまで以上に兵と兵器と物資を欧州方面に吸い込み続けた。 このマッカーサーによる議会工作と巧みなメディア扇動の結果、欧州方面軍は一月も立たないうちにその戦力を回復し、爆撃機部隊においては最新鋭部隊のB-29まで装備されるほどであった。 無論、他の兵種においても最新鋭兵器がふんだんに配備されたのは言うまでもなく、欧州方面に配属された兵や、他の連合国軍兵士は『偉大なるマック』と、彼の手腕を大いに褒めている。 もっとも、彼の手腕のお蔭で貧乏籤を引いたのが太平洋戦線であった。 この辺は、欧州と違い大規模な陸戦がなかったことで、いまいち陸軍の必要性がアピールできない(太平洋戦線でのアメリカの脅威は何といっても連合艦隊だからだ)事が大きいのだが、この影の薄さが祟って、本来太平洋方面に送られるはずの陸軍兵力が欧州方面に根こそぎ取られたのである。 マッカーサーに代り太平洋方面軍総司令長官になったパットン大将は「半年前と言っていること違うじゃねえか」と、友人でありアメリカ陸軍総司令長官になったアイゼンハワー元帥に怒鳴りつけたとされるが、パットン以上に英雄願望が強いマッカーサーにとっては、過去の都合の悪い言説などどうでもいいものであった。 結果的に陸軍は、当初予定よりもより少ない戦力で対日戦を戦わないといけなくなったのであるが、その状況に飛びついたのが、アメリカ陸軍航空隊のボスであるアーノルド大将であった。 123 :yukikaze:2014/09/15(月) 18 47 14 彼は、太平洋戦線にある兵力では大規模な上陸作戦を断続して行うには余裕がなさすぎるとして、パラオ以上に重爆撃機が展開できるマリアナを全力で落とし、マリアナにいる獣爆撃部隊をもって、日本本土の通商路を破壊し、彼らの戦争経済を崩壊させて降伏に導く案を提出したのである。 太平洋戦線勝利を米陸軍航空隊の手柄にしようとするのがあからさまではあったものの、下手に本土に攻め込んで被害を拡大させるよりははるかにマシであるというのが、この案のセールスポイントであった。 陸軍長官であるスティムソンも、合衆国陸軍総司令長官兼陸軍参謀総長であるアイゼンハワーも欧州が主戦場であることと、アメリカ兵の被害を抑えるという点において、同案の支持を表明していた。 このアーノルドの意見に対して、猛然とかみついたのがキング作戦部長であった。 当たり前であろう。この原案が通れば、海軍は完全に陸軍の風下に立つことになるのである。 せっかく大艦隊を作ったのに、その役割が陸軍のエスコート。 キングとは犬猿の仲であるタワーズ太平洋艦隊司令長官も、キングのこの反対に全面的に賛意を示していることから、海軍の総意と言っても良かったであろう。 何しろ、日本海軍と血みどろの死闘を繰り広げたのは海軍なのである訳だから。 だが、キングにとって腹立たしい事に、海軍に対する逆風は予想以上に強かった。 奇襲を受けた真珠湾はともかくとして、正面からぶつかった海戦で勝利したのはミッドウェーのみ。 その後は、ソロモン、トラック、マリアナ、レイテと、主要な海戦に悉く敗れ去ったという事実はキングの予想以上に、アメリカ政府及び国民の海軍に対する信頼感を低下させることになっていた。 無論、連合艦隊とて無傷ではなく、空母機動艦隊に関して言えば事実上消滅したと言っても良い有様なのだが、圧倒的優位であったにも拘らず大敗を喫したレイテ沖の顛末が、海軍にとって大きくマイナスに働いていた。 既に戦争の帰趨は決している分、如何にアメリカ兵の被害を少なくするかに関心を持っているアメリカ政府にとって、これ以上の間違いを犯す気にはなれなかったのだ。 海軍びいきで知られたルーズベルト大統領が、レイテの敗戦の後始末で人事不省に陥り、そのまま政界を引退したことも大きかった。(1944年12月に意識が戻らぬまま死去する。) 1945年1月中旬には、アメリカ政府内において、マリアナ攻略作戦が正式採用される所まで話は煮詰められる状況になっていた。 こうした事態にキングは大いに焦ることになる。 仮にこのまま進めば、合衆国は日本に勝利するであろうが、戦後の政治勢力において、海軍は陸軍に敗北を喫してしまうのである。 彼が心血を注ぎ込んで作り上げた艦隊は『軍縮』の名のもとに、徹底的なまでに削減され、見る影もないほどおちぶれるのは明白であった。 勿論、そうした事態に海軍を追いこんでしまった自分は、敗者として歴史に刻まれることは言うまでもない。 プライドが異常に高いことで知られるキングにとって我慢できることではなかった。 故にキングは、この流れを変える為の方策を考え、そして一つのプランに達した。 『オペレーション・アイスバーグ』 日本と南方海域とのシーレーンの結節点である沖縄を攻略することによって、一気に日本の継戦能力を崩壊させ、アメリカの勝利に持ち込む。 極めて野心的なプランであり、且つ危険に満ちたプランであった。 124 :yukikaze:2014/09/15(月) 18 48 22 確かに沖縄は、日本本土と南方資源地帯を結ぶ結節点であり、ここを落とされれば、日本は南方や大陸との連絡を絶たれるという致命的打撃を受けることにはなる。 そう考えるならば、沖縄占領という作戦案は悪いものではないのだが、仮に沖縄に攻め込んだ場合、侵攻軍は日本本土並びに台湾からの熾烈な航空攻撃を覚悟しなければならないのである。 特に本土に控えている航空部隊は、マリアナにいた時の基地航空艦隊よりは練度が低いとはいえ、戦闘機部隊は疾風に紫電改と、ヘルキャットに匹敵する機体が主力として配備されており、かつてのマリアナと同様の飽和攻撃を受けた場合、あのときよりは被害は抑えられるにしても、制空権が極めて流動的になる可能性は高かった。 そしてその隙を見逃すほど連合艦隊は甘くないのである。 未だ健在が確認されている金剛級2隻を前衛として、損害を受けた状態でなお単艦で3隻の新鋭戦艦を葬り去った破壊神の長女と、ビッグセブンの2隻、そしてソロモン海で猛威を振るった重巡及び「ヴァンパイアシスターズ」こと第二水雷戦隊の精鋭が殴りこむのは確実であり、仮に彼女たちがそれほど打撃を受けずに襲来した場合、アメリカ海軍の水上艦隊は、彼らの突破を許しかねないという予想が高いのである。 そうなった場合、陸軍はレイテの二の舞を受けることになり、連合艦隊を殲滅しても、陸海軍との対立はもはや修復できない状況に追い込まれるであろう。 それならば、未だ基地航空部隊の再建が半ばであるマリアナに攻め込み、連合艦隊を迎え撃った方が遥かに安全であり勝つ可能性も高いという声が上がるのも当然であった。 マリアナに攻め込むことによって、アメリカは戦略爆撃に必要な航空基地を確保し、更に絶対的航空優勢を確保できるマリアナの地に布陣することによって連合艦隊を迎え撃つ。 身内の海軍部内でもそういった声が上がったのだが、キングはそれらに対して激烈な反論を行った。 曰く、マリアナは日本の植民地であり、日本人に与えるインパクトは少ない。 曰く、マリアナに配備するのはB-24が主力とならざるを得ず、速度や搭載量で妥協しかねない 曰く、通商路遮断というが、機雷を主要港封鎖できるまでまくのにどれだけ時間がかかるのか 曰く、そもそも狂信的な日本人が通商路破壊で降伏するのか? あいつらに常識は通じない 曰く、奴らにも理解できるのは圧倒的な力だ。沖縄を陥落させれば奴らはアメリカの偉大さを理解するし、理解できなければ艦隊で東京を火の海にすればいい 曰く、マリアナ案を通したければ、マッカーサーから物資をぶんどってこい。話はそれからだ。 軍事的合理性というよりも感情的な反発としか言えないものであったが、2番目と6番目の意見は陸軍航空隊も反論が難しい所であった。 B-17は頑丈ではあったものの、速度と航続距離の問題から、通商破壊戦に使うにはやや使い勝手が悪くB-24は航続距離の問題は解消できるが、B-17よりも撃たれ弱いという欠点があった。 広大な太平洋戦線の事を考えるならば、B-24を使わないといけないのだが、高高度性能がそれほど高くなく、被弾にも弱いという事は、それだけ日本の本土防空部隊から受けるダメージも大きいと言う事である。 B-29もそれなりの被害を受けていることを考えれば、確かにマッカーサーからB-29をぶんどらない限り通商破壊作戦での被害を減らすのは難しいであろう。 そしてこのキングの意見に賛同をしたのが、海軍以上に良い所のない海兵隊であった。 何しろ一番目立っていたガタルカナルでは、上陸直後に物資を日本海軍によって吹き飛ばされて、後は日本軍よりもジャングルの気候と飢えに戦っている状況。 そして最後は徹底時に高速戦艦の殴り込みによって海の底である。 このまま武勲を立てずに戦争が終わると、またぞろ「海兵隊を陸軍に吸収しろ」という意見が主流になりかねないのである。 海兵隊にしてみれば、海軍以上に死活問題なのである。 125 :yukikaze:2014/09/15(月) 18 49 11 かくしてキングと海兵隊は一致協力して議会とマスコミ工作に勤しむことになる。 そして彼らが議会とマスコミに放った殺し文句が「戦争の早期終結」であり、彼らの(後からみると)楽観的と言えるデータを信じた議員やマスコミを中心に、徐々にキング案への賛同が高まり、1月下旬にマッカーサーが「ドイツ屈服の為に更なる爆撃機兵力の追加を」と訴えた事で、とうとうキング案が主流になることになる。(ちなみに議員やマスコミに空母機動艦隊の大演習を何度も見せて、その強大さに酔わせるなどとという工作まで行っている。) こうした流れに、フォレスタル海軍長官は嫌悪感をあらわにして「アメリカ軍はキングのおもちゃではない」と、彼の更迭まで考えたとされるが、タワーズですらキングの行動を擁護していた事から海軍内での自らの孤立を悟り、無力感を覚えたとされている。 ここにキングは、後に「大博打」と刻まれることになる『オペレーション・アイスバーグ』を正式に対日戦略案として採用することに成功する。 もっともその中身はあまりにも政治的妥協に彩られており(陸軍との妥協として、沖縄戦の主部隊を陸軍にすると同時に、海兵隊の不満を抑える為に、東京を抑えるポイントである硫黄島を海兵隊のみで制圧させることは、その最たるものである)、これが後に戦史家から「何度も痛い目を見ているのに未だに連合艦隊を舐めすぎていた証拠」と酷評されることになる。
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90 :ひゅうが:2016/06/19(日) 16 39 39 しかしこれでひとつ設定が固まりました。 【アメリカ駆逐艦事情】 アメリカ海軍は太平洋戦争において甚大な損害を被った。 開戦時に太平洋戦線に存在していた69隻の艦隊型駆逐艦は、2隻(グリーブス級「メレディス」ファラガット級「ハル」)を除き文字通り全滅。 続くフレッチャー級駆逐艦は42隻が戦没している。 もっとも、フレッチャー級自体が170隻も建造されており、続くアレン・M・サムナー級100隻(うち10隻戦没)とギアリング級駆逐艦111隻(うち4隻戦没)とあわせ、太平洋戦争末期には200隻もの駆逐艦が太平洋に展開することになった。 しかしながら、この急拡大には商船乗組員を転用してもまだ足りず、必然的に急速錬成された徴兵組乗組員が多数を占めることになった。 このために起こった練度の低下は、米軍の誇る手厚い後方支援体制でも覆い切れず、ことにレイテ沖海戦や沖縄沖海戦に頃になるとレーダー・ピケット艦隊による味方機誤認や哨戒線の突破、さらには水中高速潜水艦による襲撃での同士討ちなどの混乱を多発させることになった。 巡洋艦以上が日本海軍水上砲戦部隊により大量消耗を呈していたために後回しにされたためともいえるが、この点は末期に至るまで熟練乗組員が健在でありどちらかといえば艦の方が足りなかった日本側とは対照的であろう。 だが、この数の利こそが日本海軍を押し切ったこともまぎれもない事実である。 戦後のアメリカ海軍はこの教訓から、いかなる人材にも一定以上の性能を発揮させる装備の充実と、高等教育課程での予備士官志願者への教育を極めて手厚く行うことで有名である。 この点、プロフェッショナリズムの徹底によって要求される人材の質が底上げされた日本国防海軍と同じ選択がなされているのは両者ともに「あの戦争」の影響が強い証左であるといえよう。