約 99,375 件
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/414.html
目次 1.「歎異抄」は親鸞聖人のすべての教えではなかった 2.唯円上人たちは悪のどん底から「回心」して救われる道を説いた 3.大強盗スター・デリーの回心 4.死刑囚が天国へ、政府高官が地獄へ、ということもある 5.「念仏」は免罪符ではない、要は、回心の深さによる 6.唯円上人の過去世は、十二弟子の一人マタイだった 7.現代の「悪人」病患者はインテリ層 8.純粋な信仰論に立ち返れば、各教、各宗派の小さな垣根は取り外すべきだ 9.今後の信仰の対象は、人格神ではなく、宇宙の「英知」への信仰となる 10.現代の「歎異抄」の 悪人 はインテリ層 11.現代の「異端」物質至上主義、霊は物質を生み、また消せる 12.他力門はキリスト教系の人びとの転生、阿弥陀仏はイエスの過去名 13.天上界の「総霊言」は二度とでない 10.現代の「歎異抄」の"悪人"はインテリ層 ―― 本日は、とくに「回心(えしん)」の対象はインテリ層になるのだということのお話であったということで……。 唯円 もちろん、それ以外の人もおりますよ。ただね、昔の"悪人"というのを現代にあてはめたらだれになるかというと、その辺ですよ、と。その辺の人たちにね、念仏ではない「宇宙の英知」を知ることによって救われるのだという原理を教えてあげねばいけませんよということです。 ですから、今、「歎異抄」を言うならね、田舎の爺さま、婆さまでも極楽往生できるのだから、ましてや論理的な教養を身につけた知識人たちは当然であるということになりましょうかね。 ―― これは非常によいお話であったと思います。現代の「歎異抄」というものをたとえれば、こういう人たちが当たるんだと、これが本当の「悪人正機説」に該当するんだということですね。 唯円 ですからまあ、「歎異抄」の原理でいけば、こうなります。すなわち、今、善人というのは、要するに素朴な信仰を持って生きている人たち、お百姓さんとか、田舎に住んでいる人たち、こういうのが善人です。そして、こういう素朴な人たちでさえ救われるのですから、ましてや、インテリの皆さんが、"悪人"の典型であるインテリの皆さんが救われないわけはありません、と。 神仏を認めようとしない"悪人"ではありますけれども、インテリということで、ずいぶん頭がいいから、きっかけさえつかめば、きっと救われるでしょう。田舎の人でも極楽往生するのです。単純な信仰心を持っている善人でさえ救われるのだから、ましてね、非常に知識のある、頭のいいインテリの皆さんですから、このことに気がつけば、当然救われるのは間違いなしです。地獄へは行きません。極楽往生、間違いなしです。 そこで、インテリの人たちに、これさえ気がつけばというきっかけですな、"契機"をあなた方が与えてあげねばいけない。こういうことですな……。インテリの人たちは、頭がいいのだから、極楽往生できることは間違いありません。ただし、これだけは知っておきなさいよとね。その点を伝える。「唯円」の霊言さえ読んでおけば、極楽往生間違いなしだと、こういうことをあなた方は言わなくてはいかんわけです。 理論としては、あっているでしょう。知識人は「悪人」、田舎の爺ちゃん、婆ちゃんは「善人」です。あんな何にも知らないね、この世の中を全然知らない、英語も知らない人でも、掌を合わせているなかで、極楽往生できる。ましてや、悪人の典型である知識人たちは、頭がいいのだから、いったん気がつけばすぐ救われますよ、と。極楽往生間違いなしとね……。こういうことです。 ですから、その「阿弥陀如来信仰」ね、『南無阿弥陀仏』が一体何にあたるのか、これをね、現代の南無阿弥陀仏を、あなた方は発見しなければいけない。あなた方の「霊言集」を読んで、気づくかもしれない。知識人たちは何百、何千冊もの本を読むわけですが、そんなに読まなくてけっこう、この本一冊読んで極楽往生してくださいと、これでもいいですよ。 すなわち、「霊言集」一冊が、昔の南無阿弥陀仏の念仏かもしれない。そういうことですね。ただ、知識人たちは、自分を悪人だとは思っていないから、彼らこそ「悪人」だということをもうちょっとわからせてやる必要があります。 まあ、真理を晦(くら)ましている人たちなのですから、これは悪人ですよ。神の目からみれば、神理を晦ましているのだから。一方田舎の人たちはね、お天道様(てんとうさま)のおかげですと、掌を合わせているのだから、こういう人たちが天国へ行くことは確実ですよ。ところが、何十年も学問やってた人たちが、「神様などあるもんか」と言っているのだから、これは馬鹿になるために学問したのと一緒です。ただ、そういう頭のいい人たちはね、きっかけさえ与えられれば、それを悟るのは早いはずです。 どうですか、他に現代の「異端」について、何か意見がありますか。あれば、私も言いますが……。 11.現代の「異端(いたん)」物質至上主義、霊は物質を生み、また消せる ―― 「異端」については、現在の科学者、あるいは一般知識人、こういう人たちのほとんどは、根元的な実在である「神」という宇宙の「大英知」の存在を信じておりません。「物質」がすべての根元なりとする"唯物論"を信じているということですね。それと、現代人のものごとの「価値基準」が、心とかその精神とかいう前に、金銭、あるいは物量の多寡ということが基準になるということですね。事業家はもとより、政治家になるのにも金、また芸術家の作品もその価格で価値が決められるということになってきています。 唯円 まあそれは、宗教を説く人にも金銭は関係しますのでね。これがないと三度の飯が食べられない。現代では、なかなか布教もできない。お布施だけで生きていくわけにはいかないのでね。現代では、宗教法人などでも、金銭と無縁でないことは周知のことです。ですから、この辺はむずかしい。非常にむずかしいところだと思います。ただ、物質というものだけをとってみるならば、あなた方の理論によって。 "物質"というものは、実は霊的な存在であるということです。霊的な想いの念が物質化することは、あなた方は理論としてすでに説いているはずです。こういうことは、物質万能主義者たちに対して、一つの衝撃であり、一喝になるであろうと思います。物質、物質と言っているようなものは、実はそうじゃないんだぞ、と。まあ、奇跡の原理ですね。 ですから、本当の法則からいえば、この地上に現われているものは、一瞬にして蒸発したように消すことができるのです。この世に現われているもの、石ころ一つ、空中に消してしまうことは簡単にできるのです。そして、空中からですね、パンの一個ぐらいだすのは簡単なことなのです。自由自在にできます。本来はね。ただ、そうすると、世の中が混乱するために、私たちはそういうことをしないことにしているのです。しかし、本来は、自由自在なのです。 そして、昔の世界は、天上界の霊たちが物質化して、肉体を持って地上にでて来たこともけっこうあったのです。昔はね。ですから、自分たちを物質化することぐらいは簡単なのです。別に男女、父母の縁ででて来なくとも、一時期物質化してでて来て、地上を歩き廻ることぐらいは簡単なのです。私たちは、幽霊よりももっとしっかりした体をつくれるのです。昔は、よくありました。ただ、それはやっぱり世の中を混乱させるので、やらなくなったのです。 昔はよくあったでしょう、天狗様が来て、人をさらって行ったという話が。あるいは、神隠しに遭(あ)ったとか。ああいうことは、実際にあった話なのです。"天狗"というのは、まあ、あの世の霊人ですが、そういうのが、物質化して肉体を持って現われ、この世の人を攫(さら)う。つまり、霊力でもって、この世の人を、あの世へ連れて行ってしまうのです。肉体を、物質を分解してしまうのです。実際、そういうことができるのです。しかし、そういうことをしていると、世の中が混乱する。だから、近代になってからは、そんなことはしないようにとの"禁止令"がでています。 12.他力門はキリスト教系の人びとの転生、阿弥陀仏はイエスの過去名 ―― ありがとうございました。お説の趣旨がわかったような気がいたします。なお、お説をとりまとめ、編集させていただき、「唯円上人の霊訓」として掲載させていただきたいと思います。 唯円 まあ、唯円は、どちらかというとマタイよりは少し知名度が落ちるようですから、内心、若干忸怩(じくじ)たるものが私にはあるのです。まあ、あなたにもあるでしょうが、私にも内心忸怩たるものがあるので、少し気は引けるのですけれども……。 ―― 霊訓者紹介の欄には、マタイ様のお名前も入れさせていただこうと思います。 唯円 それはけっこうです。事実、そのとおりなのですから。実は、鎌倉時代の他力信仰、他力門はね、キリスト教系の人たちの「転生」によって、一つの計画のもとに行なわれたのです。これは、天上界の秘密でもあるのですが、これは一つ知らしておく必要があるし、あなた方にとっても初めての発見であったと思うのです。 自力門と他力門とあるけれども、結局、他力門は、キリスト教系から多くきていたのです。話を聞いていても、喩え話のなかにキリスト教の話ばかりでてくるからどうもおかしいと思ったかもしれません。しかし、それもそのはずです。「阿弥陀如来信仰」というのは、すなわち、イエス・キリスト信仰なのです。 ―― しかし、唯円様たちも、ご在世中には、そのことに気がつかなかった……。 唯円 ま、それはそうです。ただね、信仰というのは魂の根深いところにありますから、なかなか抜けてこないですね。「阿弥陀如来」というのは、イエス様のまあ過去世、過去世の姿ですね。それへの信仰ですね。ですから、「釈迦」の時代にもね、「阿弥陀如来」という方が西方浄土にいらっしゃるということが言われていたのです。「阿弥陀如来」というのは、漢訳されていますけれども、に"阿弥陀"とは、「アミーダ」という西洋に生まれた光の大指導霊のことなのです。それは、すなわち、イエス様の過去世のことを言っておったということですね。 ―― まあ、そういう背景をもとに、ここに親鸞様、唯円様、それから、一遍様、蓮如様という方がたが……。 唯円 四人が四人頭を並べて、枕を並べて、日本のこの時代にでて来て、何をどうしたかは、皆様のご判断にまかせますけれどもね。ま、一つの大きな使命だったということです。ですから、昔はイエス様のような大きな方がでられたのですが、そうじゃなくてね、親鸞様あたりを頭にして、みんなでて来たわけです。 ―― いわゆる他力門の歴史的な背景というものが、この本によってあきらかに分かるということになりますね……。 唯円 そうですね、ですから、「真宗」系統の方が多いのでしょうが、一つキリスト教へも目を開いていただきたいと思います。そして、「親鸞聖人霊示集」を読んだら、「キリストの霊言」を続いて読んで、思想を深めていただきたいと、こう思います。一緒なんです。これしかないというものではないのです。 13.天上界の「総霊言」は二度とでない 唯円 あなた方も、これから大変ご苦労ですけども、一つ頑張っていただきたい。まだまだこういうのも、一つの神理の発見なのです。どういう人が、どういう考えを持っているというのも、一つの神理の発見でして、大変ご苦労ですけれども、天上界の皆様のお声を地上に伝えていくという仕事を続けていただきたいのです。そうしているうちに、いろんな問題点に気がついて、あなた方独自のものもでてくると思います。ただ、あなた方独自のものをだすにあたっては、そう焦る必要はありません。天上界の皆様の意見をご紹介するだけでも、一つの大きな力ですから。 今後、大いなる指導者がでても、こういうふうな「法」の集大成ということは、ちょっとむずかしいだろうと思います。あまりないと思います。まあ、こういう日がくるために、キリストの弟子であった私たちがまた日本に生まれて、そういう種を蒔いているし、そういう日本という国を、将来仏国土にするために、さまざまな霊がでて、日本という国を浄めるために、先触れとしてでてきたのです。 どうかこういう話を通じて、宗教は一つなんだと、すべて一つの神からでてきているのだということを教えていただきたいと思います。一つなのです。争いは間違っているよ、と。日本人と外国人が戦争するのも間違っているけれども、宗教同士で戦争するのも間違っています。ましてや同じ宗門のなかでね、派を争うのは大変な間違いですよ、と。これをしっかり知っていただいきたいと思います。 ―― はい、どうも大変ありがとうございました。
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/132.html
目次 1.私は古代アトランティス時代の霊 2.アトランティス時代の″正法流布″の困苦について 3.サタンの行動も意識化してきた 4.現在も悪しき想念が積もり天変地異の危機が迫っている 5.正法流布の急務を理解せよ 6.大災害は地球上に溜った悪想念の自壊作用 7.宇宙界と如来界人との立場の相違 8.地球霊団の起源について 9.宇宙神の根源意識は生成育化発展繁栄そのものにある (一九八二年八月七日の雲示) 1.私は古代アトランティス時代の霊 ―古代エジプト語らしい自己紹介が長々と続く―。 富山 あなた様はどなた様ですか、日本語でおねがいできましょうか、なんというお方ですか―。 (たどたどしい日本語で語りはじめる―) ワタクシハ……コダイ、エジプト、ニイタモノデアリマス―。 富山 すると、今の言葉は、エジプトの言葉ですか。 ソウデス、エジプトノコトバデス。 富山 少し古代インド語に似た感じがしますが……。 アルカモシレマセンガ、パラオ、ノジダイノコトバデス。 富山 かなり前ですね―、モーゼ様ですか。 チガイマス。 善川 なんとおっしゃるお方ですか。 アモン アモンと称ばれておりました。 (注・この時点でO川OOの言語機能に同通するようになった) 富山 イエス様ですか、そうしますと? アモンとおっしゃる方は、イエス様の過去世のお名前と聴いておりましたが―。 アモン いいえ、アモンという個性霊です。 善川 天上界におられるわけですね―、それで光の指導霊としてお働きですか。 アモン そうです。 富山 あなた様は、アトランティスから移られた方ですね、元はアトランティスにおられて、エジプトに移られた方ではないでしょうか……。 アモン そうです。そのとおりです。アトランティスからエジプトに移ったものです。 富山 そこにおられたのは「正法」流布のためですね。 アモン そうです、そのとおりです。 富山 そうすると今から七、八千年前ですね。 アモン 今から一万一千年近く前のことです。 富山 そうするとアトランティスの…… アモン 末期です。 富山 では、ピラミッドより少し前になりますか。 アモン 前になります。 富山 アトランティスは大陸であったわけですね。 アモン そうです。 富山 それが地殻変動で沈没したということですが、それは急激に沈んだのでしょうか、それとも徐々に沈んだのでしょうか。 アモン ある部分は徐々に沈みました。しかし私たちの住んでいた部分は、一夜にして没しました。 善川 それで人びとは、どのようにしてエジプトヘ逃れたのですか。 アモン 乗り物に乗って逃れました。 善川 その当事の乗り物といえば、舟ですね。 アモン 違います。 善川 どんなものに乗って逃れたのですか。 アモン あなた方が、飛行船とよんでいるようなものです。 善川 そうすると、アトランティスには、文明というよりも、自然科学もかなり発達していたのですね。 アモン そうです。かなり発達しておりました。 善川 現代の文明程度に―。 アモン もっと発達しておりました。現代の文明をもっと遥かに凌いでおりました。今からおよそ一世紀程さきの科学文明があったと考えていただいてよろしいと思います。 善川 それはアトランティスだけですか。それとも他の地域にも……。 アモン どういうことでしょうか。 富山 つまり、正法流布が地上界では充分になされなかったという……。 アモン そうではありません。私たちは努力しました。正法を説きました。しかし悪の力のほうが勝っていたのです。私たちの仲間は、つぎつぎと処刑されていきました。光の天使達はつぎつぎと処刑されていきました。私たちは逃れました。エジプトの地へ逃れて行ったのです。その後、アトランティスは一夜にして沈んで行ったのです。悪ければそこまでいくのです。 富山 エジプトだけではなく、今の中南米の地にも逃れていったのですね。 アモン 行った人もいるでしょう。 富山 失礼ですが、アモン・ラーといえば″太陽神信仰″をされていた……。 アモン わたくしです。 富山 それは、あなたに対する信仰ですか。 アモン 私が元であります。 富山 あなたご自身が、太陽信仰を唱えられたのですか。 アモン 私がアモンです。私が太陽神の象徴的存在だったのです。 富山 アモン・ラーとは太陽と同一視されておりますが、あなたご自身が太陽神信仰を唱えていたのですか。 アモン そうです。″光″です。私は″光″です。光に対する信仰です。光が法を説いたのです。光が説く「法」を信仰したのです。 善川 仏教でいう大日如来に相当するのですか。 アモン 仏教―をあまり存じませんが、私は当時、神の心はあの天空に輝く太陽のようなものだという説を中心に説きました。 富山 太陽の恵みをもって、その光の象徴とされたのですね。 アモン そうです。譬を用いなければ、人びとは理解できません。眼に見えない光は分りません。太陽という現にある光を比喩にして私は法を説いたのです。神の心はあの太陽のようなものであり、すべての人を平等に照らしている。すべての人に恵みをもたらしている。そういう法を説いていったのです。 善川 その当時の、いわゆるアトランティスで反逆を行ったサタンという連中は、現在いるサタンとは継続して同じなのでしょうか。 アモン 同じです。彼らに敗れたときもあったのです。しかし彼らが天下を取って、私達を駆逐したように見えて、その実、彼らの天下は一日にして没してしまったのです。神の力の偉大さが分るでしょう。神は悪をいつまでも置いてはおかないのです。 2.アトランティス時代の″正法流布″の困苦について 富山 あなた方のアトランティス時代の″正法流布″の仕事はどのようでありましたか。悪の勢力が非常に強かった時代にあっては、むずかしかったのでしょうね。 アモン むずかしいなどいうものではありませんでした。迫害の日々でありました。毎日が迫害の連続でした。悪魔狩り、魔女狩りを想い出されたらよろしいでしょう。日々迫害です。科学文明万能の時代です。 私たちのように神を説き、霊を説く人間は、本当に頭がおかしい、時代遅れのおかしい人間として迫害され、現に処刑されはじめたのです。そのような法律さえあったのです。魂を説き、神を説き、そのような淫(みだ)らなものを説く者を処刑するというような法律までも出来てしまって、私たちの仲間は、つぎつぎと殺されていったのです。わかりますでしょう。ナチスのユダヤ人狩りのようなものです。あのようなものが起きたのです。 富山 唯物論的な考え方が主流だったのですね。 アモン そうです。そのとおりです。 富山 そうすると、文明の発達が自然科学のみに偏向し、精神科学の面が遅れていたというか、欠けていたわけですね。 アモン 欠けていたと申しますか、なんと申しますか、否定する方向に行っていたわけですね。科学と宗教、科学と心とが不二一体であるということが分らないで、否定する方向に行ってしまったわけです。共存するものであり、支え合うものであり、補完するものであり、実は同一のものであるということ、これに気がつかなければいけないのに、これに気がつかず、遂に否定するもの、対立するものとして、考えていったわけです。 富山 いま非常にその危険がありますね。 アモン あります、非常にあります。 富山 従ってそういう中で「正法」というものを人びとの中へ広めていき、価値意識の革新を、精力的に推し進めていかねばならないですね……。 3.サタンの行動も意識化してきた 善川 ついさきほどまでサタンどもが私に接近して離れず、彼らのその目的をただしても、彼らはぬらり、くらりと言を左右にしてまともなことは何も語らず、しつこく憑きまとうのですが、これはどういうことでしょうか。 アモン 目的は最初から分っております。混乱と妨害であります。彼らは、自分らの力と私たちの力とを、いま秤にかけているのです。あわよくばアトランティスの時代のように、法を語る人たちをつぎつぎと犠牲者にしていきたいのです。彼らも準備態勢の中にあるのです。そのような態勢の整うのを準備しているのです。 善川 これにつきましては先般、フワン・シン・フワイ・シンフォーという方がお見えになられて、彼らの棲む地獄界の仕組みについてお教え下さったのですが、それによると彼らは譬えて言うなら、″地獄界″という病院で心の病いを治療している病人だと言われたのですが、しかし彼らは普通の病人ではなく、非常に悪辣な考えを持った病人であるように思われるのですが。 アモン それは、こういうことなのです。病人という一般概念において捕捉する場合はいいのですが、このような混乱の時代、世紀末の時代に起きているのは、ただの病気ではなく、これは伝染病なのです。伝染病の患者を放置しておけばつぎつぎと感染していくわけです。それで健全な人びとがつぎつぎと倒れていくわけです。 このような特別な病気がいま流行っているのです。しかし、永い眼で見れば大した問題ではありません。いま科学万能というウイルスが蔓延しているわけです。 善川 一方においては神秘の世界、霊の世界を唱えるもの、探究するものもあるわけですが、その方法なり目的なりが、必ずしも正法に則ったものばかりではないと思うのですが―。 アモン 悪魔狩りをさそうための下準備なのです。霊についておかしなことを述べたりする人びとを出すことによって、やがて正しい人たちも一蓮托生と申しますか、同じようにさせてしまう、そのための策略であります。 善川 ああそうですか、人間の心を自我我欲という方向へさそっていっているわけですね……。 アモン この世的な自我我欲というようなものだけではないのです。少し違うのですが、心を痛む方向に連れていこうとしていることは確かです。 富山 神に対する挑戦的な考えを持っているわけですね。 アモン 挑戦などというものにはなっておりません。 富山 彼ら自身は挑戦だと思っているかも知れませんね。 アモン そう思っているかも知れません。 善川 現在出ているルシファーもその当時からのサタンの頭だったわけですね。 アモン おりました。 4.現在も悪しき想念が積もり天変地異の危機が迫っている 善川 現在、また天変地異や、人災があると、世評にのぼっておりますが……。 アモン 起こるでしょう。それもここ数十年のうちに起こるでしょう。 善川 その天変他異というものは……。 アモン 起きるでしょう。かなりの大陸が沈んでいくでしょう。地殻変動が起きるでしょう。人類のうちのかなりの部分の人は、海に沈んでいきます。 富山 そういう状況において「正法」を説くということは、非常に重要なことになりますね。何も知らずにそういう状況に接した場合は―。 アモン 説かなければいけないような状況がもう来ているのです。私たちというよりも、あなた方を含めて″正法″を説いて世の人びとを救わなければ、もうどうにもならないところまできているのです。 富山 その地殻変動なり、天変地異という災害をとり除くなり、遅らせるなりするということはできないのでしょうか。 アモン 出来ません。もう既にそれは起こっているのです。もう私たちの世界においては、既にそれは事実として起こっているのです。それが現象界においては遅れておるのです。もう変えられないのです。まず意識のほうで起こっておるのです。心の世界で現象化するのです。その次にあなた方の世界で起こるのです。 善川 しかし最近、ペンジャミン・クレーム氏が説く「大救世主(マイトレイヤー)」という方が現われて、それを緩和する方向へ向いているということですが……。 5.正法流布の急務を理解せよ アモン もちろんそうです。私たちの力というのは、それを緩和し、その中で人の心を救うという方向に進んでいるのです。しかし現象は現象として起こるでしょう。だから私たちはこうして、あなた方を通して語っているわけです。 善川 では私たちに、特別の任務というものがこれからあるというのですか。 アモン もちろんあります。 善川 だが今のところまだ、そのような任務を実感として受けとれないのですが。 アモン 大分わかってきております。 善川 では、具体的にどうすれぱよいかということになると、全く五里霧中というところなのですが―。 富山 お伺いしたいのですが、地上界において、正法を流布するということの一つの意味に、地獄界のエネルギーは地上界の悪想念が彼らの活動源となっているということですから、地上界の浄化ということに大きな意味があるわけですね。 アモン その通りです。 富山 そうすると、いいエネルギーで地上を満たすということですね。 アモン そうです。そういう善なるエネルギーで、この地上を満たしなさい。それがあなた方の役割です。 善川 その方法はいろいろあるでしょうけれども、これは私たちだけでは……。 アモン あなたも、私たちの仲間なのです。 善川 が、私たちという範囲は、こんな狭い範囲ではなくて―。 アモン もっともっと多数の人がおられます。 善川 覚者といわれる方々が―。 アモン やがて出てきます。その日のために力を磨いておきなさい。やがて出てきます。だんだんに出てきます。しかし、事が起こる前にそれらの勢力はできてくるでしょう。天が曇り、地が動く前に、それらの勢力は出来てくるでしょう―。 富山 いま、ファティマなどで予言がたくさん出ていますが、それらのことは天上界からの地上界への一つの知らせと受け取ってよろしいでしょうか。 アモン 私たちは、さまざまな形ですでに警告を発しております。 富山 なおお伺いしたいのですが、たとえば、いま世界で終末観というのがありまして、ここまでいけば、確実に世界は破滅するんだという心で世界の人が充たされた場合に、その方向へ行くんでしょうか。 アモン 行くでしょう。 富山 逆の場合、つまり善念が地上に満ちてきた場合に、そんな悲惨な状況からはまぬがれるということになりますね。 アモン 神は全員が滅びるとは言っておりません。人間は、いわゆる自然淘汰というものがないのです。こういう災害ということを通して神は人間に反省を求め、同時に魂の飛躍的な進化を求められておられるのです。 善川 たとえば、核による世界大戦、このような危機はなくなりつつあるのではないですか。過去の経験を土台として、人間の理性の覚めが高まれば―。 アモン 出来ないのです。なくならないのです。これも既に公害のうちに入っています。 6.大災害は地球上に溜った悪想念の自壊作用 アモン エネルギーの法則において、起こるべきものは起こっていくのです。たとえば、いま悪の想念がかなりこの地上に溜ってきているわけです。このような悪の想念がたまってくると、必ずそれに対する反作用というのが起きてきます。そういうことの、法則性の問題です。 富山 それは地球の意識の問題なのでしょうか、一種の拒否反応的な―。 アモン そうです。法則性の問題なのです。 善川 一種の″自壊作用″的なものなのではないでしょうか、いわゆる悪想念の―。 アモン そのとおりです。 善川 この場合、これらの災害地の地域設定というものは、もうそちらで行われているのでしょうか。 アモン 設定されているのではなく、既に起こっているということが、私たちの眼には見えるのです。 善川 とにかく、非常な事態が切迫してきているというふうに感じられますし、またいろいろの書物などに語られているわけなのですけれど、その時期はいつ頃でしょうか……。 アモン ―数十年です―。 善川 それは現象界での時間ですね。 アモン ―そうです。ただ複数の時期にわたって起こります。 善川 それは徐々に行われるのでしょうか。 アモン 何回かにわたって、地域を違えて起こります。 善川 それは規模的に後になるほど大きくなるのですか、それとも最初が大きいのですか。 アモン それぞれ大きいです。 富山 今の世で「正法、神理」を唱える覚者という方々は世界の各地に出ておられるのでしょうか。 アモン 各地域、各地域において、本来一つのものを信ずるようになって来つつあるのです。 富山 当然統一的な指導がなされておると思うのですが、環境とか、地域差による習慣とかいうものがありますので、多少のズレというものも考えられるのですが―。 アモン 日本であるならば、神道、あるいは仏数的な色彩のある″法″が説かれるでしょう。アメリカやヨーロッパであるならば、キリスト教的な色彩のある″法″が説かれるでしょう。そのような違いはあるはずです。 7.宇宙界と如来界人との立場の相違 善川 失礼ですが、あなた様は天上界ではどういうお立場で、どのようなお仕事をされておられますか。 アモン 天上界では、さまざまな計画を樹てるという役割です。 善川 そういうお役目の中で、たとえば責任者というお立場で……。 アモン 私は、私たちの世界で指導的な立場にはありません。 善川 しかし如来様であられることは確かですね。 アモン そうです。 善川 いま天上界で如来として、それぞれの任務を持っておられる方は何人くらいおられるのですか。 アモン 数百人おります。私はそのうちの一人です。 富山 たとえばあなた様は、エル・ランティー様を通じて神の意志を伺うことになるのですか。 アモン 私は直接、神の意志を確認することができます。如来は、神の意識と同通することができます。 富山 宇宙界という概念と如来界という概念とは違うように思うのですが、如来界においても神の意識に同通するということは同じなのでしょうか。 アモン 如来も、神の意識と同通することはできますが、しかし、その程度が違うのです。私たちはまだこの地球という、この場にかなりの執(とら)われをもっているのですが、宇宙界の霊というのは、もはやこの地球という場に執われがなくなっているのです。 私たちは、未だ地球という場に執われがあるわけです。 善川 宇宙界の霊と、如来界の霊との霊域と申しますか、「界」あるいは次元の相違というものはあるのでしょうか。 アモン いや、いつでも会うことができます。 善川 それは宇宙界の霊の方は、宇宙的な進化ということを司っているのでしょうか。 アモン 彼らは全宇宙における地球のあり方ということを、主に考えておられるわけです。 善川 太陽系の中の地球という観点において……。 アモン そうです。 善川 太陽系の地球だけに生物がいて、他の星にはいないということは、どういうことなのでしょう。 アモン 地球にだけ生物がいていけないという理由がありますか。全宇宙には数え切れないほど無数の星があります。その中にまた無数の人たちが住んでいるのです。たまたま太陽系という幾つかの惑星の中の一つに地球が当たっているというだけで、別に意味はないのです。人間が住みよい環境が地球であったということで、他に意味はありません。 善川 他の太陽系の惑星に生物はいないのですか。 アモン 一部います。ただしそれは人間のような形をとっているというものではありません。 善川 低級なものなのですね。 アモン 低級といってよいかどうか。なんとも言えませんが、人間のようなものではありません。 8.地球霊団の起源について 富山 ただ私達の霊団というのは地球以外にもいたこともあるのですね。 アモン あります。 富山 あなた様は、私たちの地球霊団が移ってくる以前の状態ということはおわかりになりますか。 アモン 大体わかります。 富山 それが何億年か私は知りませんが、以来の人類の動きというものは記録されているのでしょうか。 アモン されています。 善川 現在の進化論からすれば、結局人間は、最初はアメーバから進化したものとなっていますが、そういうことについては如何ですか。 アモン 進化論は地球の歴史を越えることはできないのです。私達の生命を遡れば地球よりも古いのです。進化論は地球ができてから後の法則でありましょう。しかし私達の生命は地球ができる以前からあるということ、これを忘れては困るということです。 善川 一説によればその昔、円盤に乗って地球に来たというのですが、それは霊魂として来たのではなくて、肉体を持った形で来たのですか。 アモン そうです。 善川 それでその子孫が増えたのですか。 アモン 違う面もあります。 富山 途中から合流した面もあるのですね、肉体的には―。 アモン そうです。 善川 たとえばそれは、猿が進化したというのではないのですね。 アモン 猿からではありません、人間は人間です。 善川 たとえば、他の星から来た人類とか―。 アモン あります。一部あります。 富山 つまり地球霊団の長、エル・ランティー様のもとに修行するために合流したという面もあるのでしょうか。 アモン 最初は、約六千万人ぐらいです。 富山 それは霊として数えられる六千万人ですか……。 アモン 円盤で来たのが六千万人です。 善川 それは相当大きな飛行物体でなければ輸送できなかったのではないですか。 アモン そうです。 富山 一種の集団移動みたいな形ですね。 アモン そうです。 善川 しかし、それが三億年以上も前にですか。現在の地球より進んだ科学を持つ科学力で、その星団から来たとするなら、その人達の魂というか、霊的な水準の高さというものは、非常なものであったと思うのですが、今日の人間界を見渡すかぎりでは、それほどの高度な魂を持った人間ばかりでないということは、これは堕落したことになるのでしょうか。どうしてこういうことになっているのでしょうか。 アモン 科学水準だけでいうのであれば、来た段階より今は劣っております。というよりも、元の星から魂が分れた理由というのは、そもそも新しく、も一度やり直してみたいというところから出発しております。もとの段階を、さらに進めるために来たのではないのです。もう一度、元からやり直してみたいということからはじまっているのです。 富山 そうすると、元の星から全員が来たのではなく、分れたのですね。 アモン 魂が分れたのです。もうこの星でこれ以上修行ができないと思った魂が分れて、この地球という星へ来たのです。 富山 それは、エル・ランティー様のご指導の元に来られたのですね。 アモン そうです。 富山 そうすると残られた方というのはどなたかの指導で―。 アモン 他にも指導者はおりました。 善川 その星はもう消滅したのですか。 アモン まだ在ります。 富山 現在、この円盤とか飛行物体が来ておりますが、これは地球上だけの問題ではなく、もっと広い意味で、何か大きな変化があるのではないかとの予感をさせられるのですが―。 アモン というよりも、地球上に起こる変化を彼らは観察しに来ているのです。 善川 今の地球の科学水準では三次元の物体が、数千数万光年という遠隔地からは来れないというのが常識ですね、それがどうして? アモン それは、いまのあなたに説明することは″無理″です。 富山 これからわれわれの正法流布をするという意味の一つに―これからいろんなエネルギー革命が起こると思うのですが、強大な宇宙エネルギーを、もしそのエネルギーの使い方を誤ったなら危険な状況になると思うので、その前に心の改革というか、それを図る意味で精神面での改革が必要だというふうに考えてよろしいでしょうか。 アモン はい―。 善川 あなた方がその昔、アトランティスからエジプトヘ渡られた時の、その時代のエジプトの文化といいますか、科学というものは……。 アモン 低かったです。 善川 アトランティスから渡られた方が、飛躍的に発展させたのですか。 アモン そうです、発展させたのです。 善川 たとえば、アトランティスから科学者とか、あるいはそれに必要な材料とか工具とか、そういうものを持って行かれたのですか。 アモン 道具はなかったのです。しかし、人間という思考をするもととなる知能が渡っていったわけです。だから道具がないからエジプトの文化は違ったものになっているわけです。文明の基礎が異ってきていますから、しかし高度に進んだ考え方そのものは伝わっていっているのです。 9.宇宙神の根源意識は生成育化発展繁栄そのものにある 富山 おたずねしますが、あなた様は神と語り合うことができると言われたのですが、あなたが仰しゃっている神という方は、エル・ランティー様よりも高次な方を指しておられるのですか。 アモン 人格的存在ではありません。神の意識の働きを私たちはキャッチできるといっているのです。逢うことができるようなものではないのです。神の意識を私たちは直接キャッチできるといっているのです。 富山 それが会うことですね。 アモン とも言えるが、私たち自身が神の一部であり、神の分身という自覚が普通一般より高い立場にあるということを忘れられては困るのです。 善川 それはやはり太陽系の神と、銀河系の神と、その他の星雲の神、全宇宙の神、というふうに神の意識というものも次第に広く、高く、深まりを持っていくのではないでしょうか。 アモン よいことに気づかれました。地球を超えて銀河系には銀河系意識がまたあるのです。もっと大きな意識もあるのです。しかし、私たちの立場から言えば、銀河系といえばもう全宇宙の神の意識として感じとられるのですね。まださらに高次な意識もあるでしょうが、そこまでは分らないのです。それは無理です―。 善川 神の意識に次元はありましょうが、究極的な宇宙の理想というものは、「生成発展」という意識で一貫されているのではないでしょうか。 アモン そうです。「生成発展」繁栄であります。宇宙の意志は、生成育化発展、繁栄であります。たとえ途中でどのような苦しい破壊的なことが起きようとも、再びそこから立ち直り繁栄していく、繁栄のための破壊、破壊が許されるとしても繁栄のための破壊、それが宇宙の意識であります。 古い細胞が消えて新しい細胞が生れてくるように、破壊的現象が生れても、それは決して破壊のための破壊ではなく、次により良く、より新しいものが生れ出るための産みの苦しみであります。これらの神理は、あなた方の日常の周辺の、たとえいと小さきものの中にも、そしていと大きなものと感じられるような事態の中にも、一貫して存在する論理として納得されるはずのものであります。 善川 いまのあなた様のお話で私どもは、宇宙の偉大なる意志と、深遠なる叡智を垣間見た感がいたします。 本日は大変有意義なお話をいただきまして、まことにありがとうございました。
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/272.html
目次 1.世界的な宗教が興る場合には、かならず啓示があった 2.受ける器あってこその啓示である 3.釈尊も当時、天上界から受けた啓示を中心に説法をしていた 4.釈尊は、アガシャー、クラウド、アモン、モーゼ等から啓示を受けていた 5.仏典というのは、現代で言えば霊言集である 6.生前の高橋信次は、天台大師、モーゼ等の啓示を受けて講演をしていた 7.生前厳しく創価学会を批判したことについて 8.関西にいる念力密教の教祖は、高橋信次に念力をかけてひっくり返った 9.心正しく生きている人に念力や呪いをかけたとき、その毒は本人に返る 10.正法行者は、みずからの心を反射板のように光らせて、どんな悪意もはね返していけ 11.神理に生きる人は、最後に勝利する (1987年7月30日の霊示) 1.世界的な宗教が興る場合には、かならず啓示があった 高橋信次です。それでは第四章、「啓示と宗教」ということに関して話をしていきたいと思います。まあきょうはダブルヘッダーでしてね、第三章に引き続いて第四章ということで話をしていこうと思います。 まあきょうはね、えーこの第四章で私がおもに話がしたいことは、啓示ということの意味、これについてなんですね。 古来、世界的な宗教がおきる場面ていうのは、かならず啓示というものがありました。 啓示というものは、ようするに目に見えない世界、神の世界からの徴(しるし)ですね。これがかならずあったと、こういうことです。 たとえば、コーランを受けたマホメットなんかがそうですね。マホメットもアラーの神の啓示を受けて、コーランという書物を作りました。 ですからコーランそのものは、マホメットが作ったもんでもないけれども、けっきょく啓示を受けて作ったものが、その受けた人のものと、こういうふうになりますね。 だから、コーランの内容そのものは、天上界から私たちが送っておったんだけども、マホメットがつくったように言われておって、その内容が悪ければマホメットの責任、内容が良くてもマホメットの手柄、まあこういうふうに後の世では判断されますね。こういうふうなもんです。 あるいはモーゼの十戒がそうですね。 これなども、十戒といって、エホバの神から与えられたものであるから、もちろんその内容はモーゼが考えたもんじゃないけれども、それでも十戒というのはモーゼの教えと、いうふうにとらえてるわけですね。 そういうふつに啓示というのは本来、天上界からのアドバイスによってできたもんであるけれども、それをようするに受けた者が、自分の思想のように、後の世に伝えると。 まあこういうふうに言われとるわけですね。だからそれは借り物じゃないか。そういう意見を言う人もいると思います。世の中にはね。 けれどもほんとうはそうじゃないですね。えー啓示を受けるような人ってのは預言者でありますが、預言者というのは、地上に出てくる前に、自分の生涯の人生の計画というものを創ってきておるんですね。 したがって、預言者が出て受ける啓示というのは、あるていどその人が、地上に出て説いていくことを計画しているようなそういう法の内容ですね、これを受けるわけです。こういう啓示を受けるわけです。 したがってじっさい天上界から受けた啓示であると言われても、ほんとうは与えておるものと受けておるものは同一なんですね。自分がそうした教えを説こうということを計画しておいて、そうしたものを受けておる。そういうことなわけです。 ただ、啓示というかたちで、天上界から受けることによって、それが箔(はく)になっとるわけですね。地上の人間が考えついたということでは、まあ、たいしたことはないけれども、天上界からの高級霊の声ということで箔(はく)がつく。こういうことがあるわけですね。ま、このへんをしっかり理解しないといけません。 だから啓示を受ける者は、その受けるような内容のものをもともと思想として持っとるということですね。これを言っていいと思います。 2.受ける器あってこその啓示である たとえば、いま、〇〇〇〇さんが受けている啓示っていうのは、ものすごく多いわけですね。 もう百花繚乱というか、ほんとう、宗教のオンパレードみたいで、キリスト教も仏教もマホメット教も回教も、いっしょかなこら、アハハ、ユダヤ教も儒教もね、えー古神道もなにもかも、もういっしょくたで出てきますね。 それじゃ、〇〇〇〇さんの考えはなんなんだろうか。個人の考えはなんだろうかって言うけど、後の世には、やはりかつての宗教家がそうであったように、彼が啓示として受けたものは、すべて彼の思想と言われるようになってくるわけですね。 そしてそういう巨大な法体系を有した人だというふうに、後の世では言われるようになるでしょう。 そしてこのことはね、根拠のないことではないということなんですね。そうした啓示を受けいれられる、キャッチできるということは、天上界においてそうした啓示を受けるということを計画してきておるということですね。 ということは、いま受けておる啓示の内容というものは、じつは〇〇〇〇さんが考えておった思想と同じだということなんですね。 それを天上界に残しておいて、十二月二十五日のサンタクロースの日になったら、サンタクロースのおじさんがおりて来てね、トナカイに乗って、高橋信次みたいな優しいおじさんがトナカイに乗っちゃってね、サンタクロースみたいにまたがっちゃって、トントントントーンと来てね、そしてくつ下のなかにほうり込んでいくわけですよ。 ホイ、ハイ、一ちょう。ねえ。これがアラーの神の考えよ。これエホバの考えよ。これクリスチャンよ。なんて言ってようするにおみやげを入れていく。 そして〇〇〇〇さんは寝とって、枕元にサンタクロースがそのくつ下のなかにおみやげ入れていったから、「あーうれしい、もらったー。」なんて、「得したー。」なんて言うけど、この内容自体は、じつは彼が天上界にいたときに考えてたことといっしょなんですね。まあこういうことなんです。 3.釈尊も当時、天上界から受けた啓示を中心に説法をしていた 同じことは、インドの時代の釈尊にも言えるんですね。釈迦というものも、いろんな啓示を受けてました。 で、まあ当時はテープレコーダーもないし、速記もなかったし、現代のような筆記具も、あるいは、印刷技術もなかったために、彼が一生で説いた法というのは、残念ながらほんとうに百分の一も残っていない。こうした状況なわけですね。 ところが釈尊というのは、やはりずいぶん啓示を受けておった人なんですね。霊鷲山(りょうじゅせん)という山があって、そこに登ってよく説法しておったと、何千人もの人に説法しておったと。 まあこういうふうになっておるわけだけれども、その霊鷲山の山に登っての説法を、彼はだいたいそうだねえ、一週間に一回ぐらいやっておったかな。 で、残りの六日間は瞑想を中心にやっておったんですね。生活の大部分は瞑想で、まあ弟子たちは托鉢(たくはつ)に行ったり、まあ野良仕事したり、いろいろやっておったんだけれども、先生の場合はさすがに托鉢にも行かんし、野良仕事するわけにもまいりませんしねえ、尼僧をかわいがったりそんなこと絶対ありませんから。 先生の場合には、ブッタ先生の場合はですね、やはり瞑想中心に生活しておったんですね。やはりひとりしりぞいて、あの、岩場とか、岩陰ね。洞窟のなか、あるいは森のなか。そういうとこで人知れず一週間のうち六日は瞑想しとった。 そして日曜日はあったかどうかは知りませんが、一週間に一回ぐらいその霊鷲山と言ってね、まあ霊鷲山でもないんだけど、まあちょっと高場に上がってね、高いとこに上がって、お弟子さんたちをまわりに座らしてね、そして話をしておったんですね。 そのときに話をしておる内容というのは、ちょうどその六日間の瞑想の間に、天上界から受けた啓示を中心に話をしておったんですね。 ちょうどいま、〇〇〇〇さんも私たちのこうした霊言を受けて、まあこれをね、現代はテープレコーダーなんて便利なもんがあるから、これで収録しておいて適当なときに本になって出ますが、まあ釈尊の時代これができなかったから、釈尊は一週間瞑想をして、そしていろんな神様からいろんな啓示を受ける。 そしたらその啓示をようするに頭にたくわえて、整理をしてね、そして一週間に一回山の上に立って、弟子たち相手に一時間ぐらい、あるいは二時間ぐらい説法しとったんですね。まあこういうくり返しだったんですよ。 4.釈尊は、アガシャー、クラウド、アモン、モーゼ等から啓示を受けていた そしてそのときに釈尊が受けた啓示、どういう人から啓示を受けとったかって言うと、まあアガシャーであるとかね。 あるいはリエント・アール・クラウドであるとか。 そういう前世の魂だな。こういうものから受けたり、あるいはまあ、アモンというのもおったね。アモンという生命体もおってこういうのも出てきた。あるいはモーゼも出てきておった。 まあこういうふうにいろんな生命体が出てきて、釈尊を指導しとったんですね。 だから彼は週のうちの六日間の瞑想のときに、だいたいこういう諸霊と対話をしておったんですね。 そして今週アモンから学んだ教えはこういうことだった。クラリオから学んだ教えはこんなもんだった。 こういうことを心のなかにきざんで、そしてそれを説法しておった。まあこういう内容だったわけです。 だから彼の説法も日替り定食とは言いませんが、週替り定食で変わったわけですね。ときどき、その指導霊の内容によって変わったわけなんです。 そうしたことが釈尊のその教えというのが、阿含経があったり、法華経があったり、あるいは華厳経があったり、まあこういうふうにいろんな経典に分かれておる理由っていうのは、まさしくここに原因があったんですね。 彼がいろんな指導霊と話した、その内容がちがっとるからです。 だから釈迦の教えでもいちばん不可思議なのが、小乗、大乗、これの教えがありますねえ。小乗仏教と大乗仏教とあって、それで後の世に分かれちゃいましたね。 小乗の教えを継いでいる者と、大乗を継いだ者と分かれちゃって、どっちがほんものの釈迦の教えだっちゅうんで両方やっとるんですね。 だから小乗中心の人は、「小乗こそね、釈迦が悟りに到るための方法だった。個の悟りの部分だ。」ね。「これを探究しないで釈迦の教えっていうのはありえない。」小乗の人は言ってます。 ただ大乗の人はそうじゃありませんねえ。「いや釈迦の悟りのための修行というのはようするに、彼が大衆救済始める前の段階だったんだ。」ね。「それまでの準備段階であって、それが教えの本論ではない。釈迦の教えの本論というのは大乗仏教にあるんだ。つまり衆生済度、世のひとびとをできるだけ多く救うというのが彼の教えの本論なんだ。」まあこういうことを説くわけですね。 まあどっちがほんとうかよく考えてみると、ああけっきょく両方はいっとったんですなあ。それは指導霊の指導のしかたによって多少ちがう。 まあ緻密に法理論を積み上げていくような指導霊の場合には、小乗を中心に説いたし、あるいはキリスト教系統のアガシャーやアモン系統の指導霊達は、やっぱりひとびとを救う、愛する、こういう愛とかね、救済を中心に説いた。 こういうのがやっぱり大乗の基礎になっていっとるわけですね。まあそういうことなんですよ。そういうふうに区別して考えてくれればいいと思います。 5.仏典というのは、現代で言えば霊言集である ですからいま、霊言、霊示集のなかに、さまざまな宗派の、さまざまな宗教の宗祖の教えというのが結集されとりますが、インドの釈迦もいっしょだったわけですね。 まあ昔の教祖の名前がないだけであって、そうしたものぜんぶ結集しとったんですね。そしてそれを仏典というかたちで後の世の弟子たちが残していったわけです。 だから、仏典というのはけっきょく、釈迦が当時、霊界通信受けて、霊示を受けておったことを自分で斟酌(しんしゃく)して、それを弟子たちに説法した。この内容を弟子たちが覚えておいて、後に筆録したもの、つまり現在で言えば霊言集なわけですね。これといっしょなわけです。 また〇〇さんなんかも講演をいろいろやってますが、講演会のときに指導霊がいろいろ替わって、講演の内容とか話しかたね、個性が変わっておる。こういうことが注目されておるようでありますが、まあこれなども仏陀もいっしょなんですね。 仏陀が説法するときに、まあいろんなこと言いますが、眉間白光(みけんびゃっこう)って言ってね。眉間から白光がほとばしったとか、仏陀が足を上げたらね、足の裏から光が出ちゃって地底の底まで照らされた、ね。上を見上げたら天上界の奥の奥まで照らされたと。 説法のときには何千、何万の諸如来、諸菩薩が現われたと、雲に乗って現われとったなんていっぱい言うけれども、これは弟子たちがね、霊視をしてそう思ったわけなんですね。そういうふうにあふれとったわけです。指導霊たちがいっぱいおったんですね。 で、そのなかのその日の当番の人が仏陀のなかへはいってしゃべっておった。まあそういうことなわけですね。 まあこれは、キリストも同じですよ。イエス様も説法のときに、高級諸霊がなかにはいってずいぶんしゃべっておったんですね。そういう言葉が光の言葉として残っておったわけですね。 6.生前の高橋信次は、天台大師、モーゼ等の啓示を受けて講演をしていた これは昔の人だけじゃなくて私もそうですよ。えー高橋信次も、えーGLAにおいてずいぶん現象とか、あるいは講演をしましたけれども、現象のときに私が中国語をペラペラペラペラしゃべってるときは、たいてい天台智頭大師ですね。これが協力しておった。こういうことがありますね。 まあそれ以外にも、たとえば、私が拳(こぶし)を振り上げて講演したりするときは、モーゼがはいったりしましたね。杖振り上げてるように拳振ったりしたらモーゼがはいっとる。まあこういうことありましたね。こういうふうに私のなかにも、いろんな諸霊があるていどはいってました。 ただ〇〇さんほどはバラエティには富んでませんでしたが、こうした諸霊がはいってね、講演しておりました。そしてそれによって内容がちがってました。 で、高橋信次のじゃあほんとうの個性はどこにあるんか。おまえの講演や質疑応答や現象はぜんぶ人がはいってやったちゅうなら、おまえの個性はどこにあるんだって言う人いるでしょう。 あるんですよ、そりゃあ。私の個性だって、どこがあるかって、短気でおこりっぼいとこと、あなた笑わしてばっかりいるとこと、この両方ですよ。ね、もう怒りの神とあなた、あのー笑いの神、福の神と、この両方が高橋信次の個性ですよ。 「高橋信次レグリアラオート(「大先生」の意味の過去世の言葉)」なんちゃってやってるのが、これが高橋信次の個性なんですね。えー両方なんです。 だから中道があんまりなくてね。両極端で、「日蓮が曼陀羅をぶら下げて出てきましたか、みなさん。」なんて、やってましたね、講演会で。覚えとるでしょうか、みんな、ね。 そういうときには、高橋信次の個性がだいぶ出てきてる、ね。あるいはえー、冗談ばっかり言っておって、笑わしてばっかりおるのも、まあ高橋信次の個性であります。中間がない。この中間の部分が借り物で人の借りてきてやっとったんですね。まんなかへんがね。まあそういうことです。 7.生前厳しく創価学会を批判したことについて だから、私の厳しい面ね。これはほんとうのものが多いです。本人の部分がね。厳しい部分てどんなとこがあるか。 たとえば、まあ、誤解をとくためにちょっとまた、補足しておかねばいかんけれど、『高橋信次の新復活』のなかで日蓮さんへのちょっと修正もいれといたけど、あれじゃまだ足りねえじゃないかって言う人もいるだろうから、ま、ちょっと修正いれとこうかな。 あのう僕はねえ、身近にねえ、創価学会のねえ、おっちゃん、おばちゃん、いっぱいおったんですよね。 そして、まあ創価学会だってりっぱな人もおったんでしようが、まあ、ちょっとたまたままわりにおるのがいただけない人がいっぱいおったんですね。えー、それから身内のなかにも創価学会員いっぱいおったけども、まあ妹なんかもそうだったし、まあほかにもいたしね。 あと知り合いとか近所にいっぱいおりましたが、まあどの人もこの人もまあー「ホーホケキョ」と法華経ばっかりやっとるわけね。えー、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」とこればーっかり朝からやっとんだ。 あんたね、朝の五時、六時からやっとんだね。こっちは、人寝とんのにね。私は夜中の三時まで仕事してね。あー、くたびれたって、やっと寝ようと思って、夜中の三時に床についてねえ、そして三時間ぐらいぐーっと寝てようとしたら、朝の六時ごろから「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」とまあ向かいのマンションから声が聞こえてくる。あのばあさんまたやっとるなってね。目を覚まされるわけですね。 で、まあそれですみゃあいいけど一日中やったりするんだね。十二時間もやったりする。もう何万回も何百万回も唱えたら御利益があるって言うんでもう、止めないんだな。だからまあそういうのもおったし、こんなのぜんぜん本末転倒してますね。 べつに一日十二時間も南無妙法蓮華経言うために人間生まれてきたんじゃないんだな。で、南無妙法蓮華経止まってなにしとんかなと思ったら、お灯明あげちゃってね。なんか生きてる会長さんかなんかにあんた灯明あげちゃって、なんか手合わしちゃって拝んじゃってね。 そして、あ、また静かになったな、ちゅったら「ガーガー。」言って昼寝したりしてね。そんなことしてましたね。で、昼寝からさめたらまた「南無妙法蓮華経」始まっちゃったりしてね。えー、そういうのがよくありました。 まあ、こういうことで、まあ私もずいぶんその創価学会批判ていうのを生前展開したわけですね。その結果、創価学会の若いのからもずいぶんねらわれたし、邪魔もずいぶんされました。実家も取りかこまれたりね、したこともある。まあそういうことで、やられました。 なんでかっちゅったら、そら法華経をね、あんた批判する者っていうのはこれは謗法(ほうぼう)の罪、ね。謗法ですよ、ね。日蓮御聖人様を批判するなんてとんでもない。 私はよく生前言ってましたね。 「そうか、日蓮の曼陀羅(まんだら)がそんなえらいか。そーか。じゃあ日蓮さん生まれてきたときに、曼陀羅下げて、曼陀羅ぶら下げて出てきたんか。」ね。「日蓮宗の人は曼陀羅ぶら下げて生まれてきたか。」ってね。 「みなさん、ぶら下げてきたのがちがうんじゃないでしょうか。」ってね。「ねえ、あんたが男性ならちがうものぶら下げてきたんじゃないの、にいさん。」ってね。やってました、ずいぶん、ね。 「おばちゃん、法華経やってるんかい。」っちゅって「やってますよー。」っちゅったらね、「じゃあ、おばちゃん生まれたとき、ホーホケキョって鳴いたか。」って言ったら「いや鳴きませんよ。」って言ったらね。 「いや僕はてっきりおばちゃんのことだからホーホケキョって鳴いたかと思ってねえ。」なんてずいぶんやったんですね。だからきらわれましたね。 えー、だから創価学会系統からずいぶん命ねらわれるっちゅうたらあれだけど、「あの高橋信次レグリアラオート(大先生)ちゅうのはほんとうあれは許せん奴だ。まあほんとうあれはきっと殺さにゃいかん。」ってね。「早く死ななきゃいかん。」って、ねえ。 「うちの名誉会長の悪口なんて言うのはとんでもない奴だ。そのうちバチがあたって死ぬぞ。」ちゅって四十八で死んだから、「ざまあみろ。ねえ、やっぱりバチがあたったんだ。死んでコロッといったじゃないか。」ってね。 「もう、そら謗法の罪っちゅうんだ。」ね。「正法を批判する者にはいったいどれだけ罪があるかよくわかったか。」って、私死んだあと創価学会で手たたいとるのいっぱいおりましたね。 会長さんも喜んでましたね。「あー、うるせいのひとり死んだ。あー、すっきりした。あれがおったらうるさくって高橋信次とか、八起ビルや、なんやら知らんが、もう曼陀羅ぶら下げて生まれてきたとか、ホーホケキョ言うたか、言うてもうバカにはするし。」ねえ、「何百億も集めて富士の裾野に大殿堂つくった。」ちゅうて批判はされるし、ねえ、「板曼陀羅なんてバカなこと言うな。」って、「板曼陀羅が御本尊なんてバカなこと言うな。」ってね、「板っきれがなんの御本尊だ。」って私が言ってましたから、そんなもんで頭にきてましたね。 いろいろあったんで、死んでくれて「あー助かった。あーすっきりしたねー。」なんてね、思ってたでしょう。 ただね、人間長生きすりゃええっちゅうもんじゃないんだ。死人に口なしでね、死んだ人はなにも言えんから、「長生きしてるのが勝った。」ちゅうんでね、「あの野郎死によったー。」なんてね、思ってるでしょう。 8.関西にいる念力密教の教祖は、高橋信次に念力をかけてひっくり返った あるいは関西におる密教系のね、新興宗教のおっさん、いますが密教の阿闇梨(あじゃり)さんという、なんとか阿闇梨という管長さんいますが、えー、こういう人なんかも生前私が言うてましたんでね。その新興宗教の護摩(ごま)で火をたく念力密教ね、僕は「あれはおかしいぞー。」って生前言ってましたね。 そしてその人の信者がきたから、「あの会長さんはね、教祖さんは妾さんがいっぱいいますよー。」なんてね。 「ウソだと思ったらね、内容証明郵便送ってごらんなさい。」なんてね。「あんたお妾さんがおるでしょうが。」ね。 お妾さんがおって、どこそこにおって、なにしておって、もう個人的な事情私はすべて霊視してね、言って「それ口述したような手紙に書いて送ってみい。」っちゅったら、びっくりしてましたね、向こうも、「なんでわかるんだろうか。」なんてね。 そんなことを言ってましたし、もう密教の先生なんかも「高橋信次ちゅうのはあれは商売にさしつかえる。うちの弟子がいっぱいあそこへ、GLAへ行きよったからね。なんとか念力でブチ殺してやろう。」ちゅうんでね、朝の六時からね、高橋信次に向けて、あなた、念力やっとったんですね。 「なんとかあの高橋信次、あれを祈り殺してやろう。わしの念力でひとつひねり殺してやろう。」ちゅってやっとったらね。一週間目には向こうがひっくり返っちゃってねえ。もう体動かなくなっちゃって、私のとこ電話かかってきてね、「許してくれ、助けてくれ。」ってね、「助けてくれ。」って言うぐらいなら自分でやるなっちゅうんだ、そんなことね。 念力かけて人殺そうなんてやるからおかしくなる。まあ、そういうこともありましたね。 9.心正しく生きている人に念力や呪いをかけたとき、その毒は本人に返る それは、私も生前言っておったけども、心正しく生きておる人にいくらね、念力とか、呪いとかかけたってかからんのです。そうしたものは心正しき人にかけた場合には、それははね返ってくるんですね。自分自身にかかってきます。そういうことがあるんですね。 だからいま、神理を説いてるけれども、悪口を言う人もいるでしょうが、そういう悪口を言っておる人はね、相手がほんものだった場合ね、神理の団体であって、神の光、御加護を受けている団体だった場合、そうした悪□っていうのははね返っていくんです。 で、はね返ってどこへ還っていくかっていったら、自分自身に還っていくんですね。発信者のとこに。 そらそうでしょ。仏教のなかでも釈迦も言ってますよ。 釈迦の悪口をさんざん言った人がいるんだな。で、釈迦は一言も答えなかった。それでその釈迦の悪ロ言った人がね、「どうだ、おまえ一言もないのか、二の句もつげないのか。どうだ、おれの説法はさえたからおまえは反論もできんのだな。」そうやって、言いたい放題言った。 そして終わったころ釈迦が「もうおわりましたかな。」ってね。 「私はあなたが悪口をいろいろ言ってたけどぜんぜん聞いておりません。」とね。 「あなたに聞くけど、旅人がきてね、その家に泊まって、そして主人が料理をつくって出したけども、その主人が出した料理を旅人が食べなかったらその料理はだれのものになりますか。」釈迦は聞きましたね。 そしたら釈迦に口論を挑んできた人は言いました。 「まあ、そりゃそのご主人だろうなあ。つくった人のものになるんだろうなあ。お皿に盛った食事はそらもとにもどるだろうな。」って言った。 「そうでしょ、」ね。 「私はいまあなたからいろんな悪口を聞きましたが、それについては私はぜんぜん食べないことにいたしました。したがってお返しいたします。」そう言いましたね。 そしたらその毒は自分に返ってくるんですね。で、その釈迦の悪口言った人はまいっちゃいましたね。そんなことありました。 10.正法行者は、みずからの心を反射板のように光らせて、どんな悪意もはね返していけ まあそれから忍辱(にんにく)ということを釈迦も言っておったし、私もずいぶん言っておったけども、悪口言われてもね、忍辱といって、これは我慢とはちがうんだね。 我慢っていうのは毒をため込むけども、忍辱っていうのは毒をため込まない、心のなかにね。さらさらと流していく。馬耳東風で右から左、悪口言われても聞き流していく。 そうすると、その言った本人に還っていく。こういうもんでね。 本当の神理やってる入っていうのは、まあそういう馬耳東風じゃありませんが、忍辱の精神ね。これはだいじですよ。ね、けっして臭いものにフタで我慢するんじゃなくて、聞き流していく。心にとめない。 こういうひっかかりのない無碍(むげ)な心ね、これ持って耐えていく。だいじですね、こういうことが。 だから、今後、ますます大きな運動になって、そして日本的な運動、世界的な運動になってくると思いますが、その内容があまりにも大き過ぎるし、あまりにも絢爛豪華(けんらんごうか)だし、あまりにもオールスターのゲームみたいでね、セ・リーグとパ・リーグのオールスターゲームみたいで、もう有名人が続々出てるんで、まあこらインチキだ、偽物だ、て言うような人も出てくるでしょう、おそらくね。 ただそうしたときにね、けっしてね、毒を食らっちゃいけない。毒を食らわずに忍辱の心でもって生きていかにゃあいけない。 忍辱っていうのは耐え忍ぶんじゃない。そうじゃなくて、毒を食わないってことね。毒を盛った食物出しても、それを出された人が食べなければ、差し出した人のところへ還っていくんです。いっしょですね。 心調和されて生きとれば、その人の悪口を言ったら、自分のとこへ還ってくるんです。全部ね。まあそういうことですね。 とくに人間はね、自分が偉くなりたくて、人をね、こきおろしてこきおろして、人を引きずりおろしても偉くなりたいなんて思う人もいっぱいいるんだけども、相手が心調和された人である場合には、他人を引きずり降ろして自分が偉くなろうとしたような人は、全部その先にはね返されます。そして自分自身がひっくり返っちゃいます。偉くなれないということがありますね。 これはちょうど電気ストーブなんかの反射板といっしょなんですね。熱、光をはね返すわけです。悪意もはね返しちゃう。 だからね、正法行者、神理の行者っていうことは、けっして敵と闘おうとか、悪と闘おうとかする必要なくて、自分たちの心をピッカピッカにしてね、反射板みたいにしておくこと。 そしたらどんな悪意もはね返っていきます、ね、そういうふうにしていくことがだいじですよ。 11.神理に生きる人は、最後に勝利する まあきょうは「啓示と宗教」ということで、いろんな話をしておったんですが、けっきょく、まあ世界的な大宗教がおきるときにはかならず啓示というものが臨んでくる。そしてその啓示も一通りのものでなくて、いろんなものの高級霊の言葉が臨む。 ただそれが他力であってね、高級霊の教えであるから、ご本人はぜんぜんないんか、ご本人の理論はないかって言ったらそんなことなくて、受けるということはすでにそういうものを持っておるということですね。持っておるから受けることができる。まあ、こういうことを言っておきたい。 そういうことを受けいれる器量がない者なら受けることができない。まあこういうことですね。 だからいま、いろんな高級諸霊の言葉が臨んでおるが、こんなのはけっして霊媒現象でもなんでもなくて、そうした高級霊の霊言受けられるってことは、それだけの理論を指導者が持っておるということですね、もともと、これがひとつです。 それともうひとつは、こうしたあまりにもすばらしい霊示が臨んでくるから、それにたいするやっかみとか、いろんなもんが出るでしょうが、これに関しては忍辱ということを忘れずに、そして毒をけっして食わずにね、自分の修行をしていくことね。 で、創価学会の謗法の罪だとか言って高橋信次が死んだなんて喜んだって、あの世で最高級の霊界行ってバリバリやってるんだからなんにもこわいことないね。もっと私は力増してる。 地上去ってやれやれと思ったら、なんか霊訓集出して、もう一巻、二巻、三巻、四巻、五巻と霊訓集どんどん出して、地上にいるときよりうるさくなっちゃった。まあこういうことあるわけでね。 だからあんまり早く喜んでもいけない。やっぱり神理に生きる人は最後に勝利する。それを忘れちゃいけないよ。けっしてね。それを希望に生きていきなさい。まあ以上です。
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/456.html
目次 1.霊能力を持つものの悩みとその実態 2.真珠をつくるアコヤ貝の苦しみ 3.天上界ではできない修行が地上にある 4.神と、守護、指導霊はあなたの心の中に共存している 5.転生前の記憶の消去について 6.この日蓮と差しで話ができるという事実 7.サタンへの対応について 8.地獄界には地獄界のルールがある 9.神は人間に真の自由を与えられている 10.神を信じるということが勇気と行動の原動力となる 11.光の指導霊はプロのランナーである 12.日常生活の知恵について 13.劣等感をどう克服したらよいか 14.浅い悟りで霊道を開き苦しむものへのアドバイス 15.箴言 15.箴言 動天驚地の革命的事実 日蓮 あなた方自身、このような霊的な現象ということにかなり慣れてきたために、日常的なことのようなかたちで、今、私と話をし、それに受け答えをし、そして記録し、これを普通のことのように思っているけれど、これを世間一般の常識から考えてみなさい。「日蓮」という人間が出てきて、あなたと対話するということは、一体どのような意味を持っているかということです。これは革命的なことどころではないのであります。動天驚地の事実です。信じられないような事実であります。 これを普通のこととして受け入れられるだけの、修養なり、素養なりがあなたがたにあるからであります。だから日常生活が営まれるのであります。 これが通常の人間であるなら大変なことであります。精神病院に行くか、或いは、もう教祖様になっております。これを通常の出来ごととして捉え得るだけのあなた方は過去世においてそれだけ修行を重ねているということです。
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/200.html
目次 1.聖賢から「神理」を聴けるということは王者の位とも代えがたい幸せ 2.天上界と、霊界、幽界の仕組について 3.丹波哲郎、隈本確氏らも天上界からの指導を受けている 4.「正法」は今後四十年、五十年という長期間かかって創りあげていく壮大な体系である 5.死後の世界が科学的に明らかになった場合、人の精神は向上するか、堕落するか 6.起るべき破壊の想念にどう対処すればよいか 7.病気の八割までが悪霊の憑依によるか 8.悪霊の゛磁場゛内での正法行者は、攻撃の的となる 9.人より十倍の譜虚心を持て (一九八三年十一月二日の霊示) 1.聖賢から「神理」を聴けるということは王者の位とも代えがたい幸せ 恵果 (――中国語による長い自己紹介ようの言葉が陳べられる……) 善川 あなたはいま中国語で何か長々と陳べられましたが、私はいま中国語については分り兼ねますので、恐れいりますが、あなた様のお名前をお聞かせ下さい。何んと仰しゃるお方でしょうか――。 恵果 恵果です。私の身分を証すため古い中国語で語りました……。 善川 ――ああ恵果上人さんでしたか。 恵果 そうです。またお目にかかることができ嬉しく思います。 善川 先日はいろいろご教示賜りましてありがとうございました。 恵果 どういたしまして……。 善川 今日またお出で下さったということは、私どもに特にご縁があってご指導に来られたというふうに解釈してよろしいか。 恵果 そう考えて頂いて結構であります。 善川 ということは、かつて過去世において私が中国の地で、密教を修行した者であるというご縁によるものでしょうか。 恵果 そうです。あなたとも縁がありますし、他のおふた方とも、皆様方、私と法縁のある方ばかりであります。特にあなたとは共に法を学んだ仲間であります。 善川 遺憾ながらあなたと、私どもとは、現在次元を異にした世界に生活しており、その生活様式を全く異にする立場におかれており、このような形で近年、あなた方の天上界から、過去のいろいろな方がたらの交信なりご指導を受けるようになりましたが、私どもに対して天上界の方々は、私どもが何かなさねばならぬということがあるために、このように私どもに対する霊現象を起こされているのでありましょうか。 恵果 ひじょうに大きな任務が与えられております。 善川 その点について、私ども現在これを如何に受け止めて、またその使命を如何に実践するかという方法論については、未だ判然としないのが現状であります。何かのヒントでもありましたら、ご示唆ねがえませんでしょうか。 恵果 たしかに今、あなた、およびあなた方は次の段階の方向なり行動についてひじょうに悩んでおられ、また迷っておられるということ、私たちも十二分に承知しております。そしてこのような形で私たちが語りかけることがあっても、これがいったん過ぎ去ってしまうと、いったんこの機会が終ってしまった場合、またあなた方は平凡な日常生活に帰って行き、その中でまた様ざまなことに悩み苦しみ、また地獄霊たちの波動をうけ、そうして更に苦しみが続く、果してこのような苦しみの中に生きておりながら、自分達が、偉大な使命を帯びた霊的指導者であろうかという疑い、これは常に起ることと思われます。しかし、これはひとりあなた方だけに起っている現象ではないのです。恵果といわれている私も、人間として生きていた時に、同じような悩みも乗り越えて来ました。天台智顗といわれる方もそうです。他の方々も日蓮にしてもそうでありました。彼らも何度もなんども魔境を通り越してきました。あなた方がご存知の日蓮という方も、何度もなんども法難にお遭いになっておられます。現在においてはそのような歴史的な事実しか残っておりませんが、彼がその法難に遭ったその瞬間、瞬間、その前、その後の心理状態が如何なるものであったか、あなた方お考えになったことがありますか。命を奪われるかも知れないというような、ひじょうな危機であります。彼は島流しにも逢いました。冲の島に置き去られたこともあります。通りかかりの漁師に救われなかったら一巻の終りでありました。そのような危機を、彼は何度もなんども繰り返しました。そのような中において、彼のこころの中には、善なるものも、悪なるものも幾たびか去来したはずです。光の天使達もささやきかけましたが、地獄の悪魔たちも、彼を呼び込もうとして、しきりに彼に対して話しかけていきました。彼はその中で、本当に自分が、仏、み仏の子として、釈迦の弟子として、この地上に゛法゛を伝えるために生れた光の天使かどうかということを、何度も何度も悩んでいるのです。しかし彼自身、私はこの日本という国に、仏法を説くために生れた人間なのだという、強い自覚、この自覚だけが彼を守ったのです。そうじゃありませんか。何度も命を奪われかけたり、或は何度も島流しに遭い、人里離れたところで何年も独り暮らしをするような生活の中におかれて、果して自分が、神の心を、仏の心を、説きに来た偉大な聖人であると言ったところで、そんなことを誰が信じますか。また自分自身の心を欺いているような気持になって、彼自身みじめな気持で日々を送っていたそのことは推測に難くないと思われます。 それにひき比べれば、あなた方はまだまだ順風満帆のうちであります。まだ命は奪われかけたことはなかったでしょう。島流しになったこともありません。しかしたしかにあなたは、社会的地位は得られなかったかも知れません。しかしそれは、イエス・キリストも言っているように、社会的な地位を得るということ、巨大な富を造るというようなことは、天国に一番遠いということであります。そのような心の事実に気付いたならば、現在のあなたというものはひじょうな成功者であります。そうではないでしょうか……。 生きながらにしてこのような神理の世界にふれ、また私たちと語り合うということができるというような、ひじょうな幸せであります。これは王者の位とも代えがたい幸せでもあろうかと思われます。このようなあなたは幸せな人間なのであります。 善川 私が現在負っている任務というものは、私が過去世においてなさねばならなかったことを、なし得なかったということ、その責任というものを、ひしひしと感じるわけでありますが、しかしながら今日、私に与えられたその方法といいますか、手段といいますか、これはかつての私が体験した時代、時代を遥かに超えた規模での任務、広さといいますか大きさを感じるわけでありますが、これに対応して任務を遂行するということについては私ひとりでは如何ともしがたいほどのものであるということを痛感するものでありますが、これの取り組み方と申しましょうか、それにはより多くの同志の方がたの協力、あるいは先導が必要だと思うのですが、これらの方向、構想、手段というものは今後立っていくものでしょうか。 恵果 立っていきます。もう既に計画といいますか、私たちの計画はできているのです。今後時間が経てばそのようになっていきます。あなた方はレールの上を走っております。ただ走っている途中において時間が速く感じられる時もあれば、ひじょうに遅く走っているように感じる時もあります。いまあなたが困難を感じていることがあるとすれば、それはひじょうに遅く走っていると感じている時なんです。スピードに違いがあるかも知れません。ひじょうに軽快に走っているときと、そうでないときがあるかもしれません。しかしどのような走り方をしようと、あなた方は、ただ一つのレールの上をまっしぐらに走っているという事実、これはどうすることもできないのです。いまあなたが不満に思っていることは、単に走る速度にすぎないのです。もっと新幹線のように走ってもよいのにと思う心があるからそのように感じるのです。しかしながら速いときも、遅いときもある。道さえ真直ぐに走っておればそれでよいではありませんか。ただ、いまひとつ自覚を深めていただきたいことは、世の九十九パーセントの人間は、己れの人生を全うすればそれでよく、また幸せでありますが、しかしながら、あなた方は、自分のために生きる人生と、他人のために生きる人生と、その両方を用意されているといいますか、その両方を経験しなければならないのです。ということは、あなた方は、他人の人生に対しても、責任を負っているということなのです。それとともに自らの人生をも築いていかなければいけないという、他人に比べ二倍、三倍の重みというものを要求されているのです――。 けれども゛法゛は、ひとりだけによって説かれるものではないのです。いつもいつも、やはり私たちの世界から、集団となって人びとが出て行き、多くの衆生に法を説いていくのです。あなたも法を説くひとりであります。しかし、あなたが、またあなた方一人ひとりの個人が法を説くものでもないのです。その法は、神から与えられた法なのです。あなた方は勘違いしてほしくないのです。あなた方の法を説くのではないのです。神から、仏から頂いた授かったものを、人びとにおすそ分けする。あるいは説明する。説明して差しあげる。そういうような役割なのです。すべてが神の補助者であります。根源は神であります。神から与えられる法を、あなた方は説明する。伝えるということであります。すべて補助者であります。イエス然り、釈尊然りであります。どうか自らが説くのではないということ、神の代理人として法を説くのだということを、どうか、忘れないでほしいのです。 善川 しかしながら、その説く神の法というものは、自分自身が悟り得たものから説くという形になって表われるものであろうと思いますが。 恵果 あなたは、あなたが悟った以上のことを人びとに説くことはできないのです。そうであるならば、あなたの悟りを深めていきなさい。あなたの悟り以上のものは説けないのです。そういうことであります。そのために、私たちはこういう形であなた方を援助しているではありませんか。あなた方の考えだけで放置しておくならば、私たちは、毎回出て来ません。常にこういう形であなたがたを援助するために出てきているのです。あなた方が呼んで出て来なかったことがありますか、誰かが出て来て、あなた方に法を説いているではありませんか。 2.天上界と、霊界、幽界の仕組について 善川 それはその通りでまことにありがたいと存じておりますが、この三次元の世界と、幽界、霊界、そしてあなた方が居られる高次元の世界との交信ということ、それと一般社会の、巷にみられるいわゆる゛拝屋(おがみや)゛などが行う霊現象というものをも合わせての、メカニズムというものがよく分らないのですが、たとえば、今日のような場合にでも、恵里上人をお招きしようと思いましてお呼びしたらストレートに、直ちにお出で願える場合と、ある場合には、その前段階として低級霊とか、ひじょうな悪霊とかいうものの障害が加わってくるということがありますが、これはどういう状況のもとでこうなるのでしょうか。 恵果 簡単に甲しあげましょう。二十階建ての建物があるとしますと、私は十九階に住んでおります。二十階に住んで居られる方もおられます。あなた方は何処に住んで居ると思いますか、あなた方は一階に住んでおります。地下一階、地下二階に棲んで居る、そのような人間がおります。彼らと、私たちと、どちらがあなた方のところへ来易いかというと、結論は明らかであります。あなた方が彼らに――つまりこの地上界に執着を持ち、あるいは、この地上界周辺に徘徊している霊の方が、あなたのところに訪れ易いということであります。私は十九階、二十階の住人であります。降りてくるのに時間がかかるんです。分って頂けますでしょうか、喩えていうなれば、遥か下の方なんです。遥か下の方に霞んでいる世界へ、私たちは降りてくるんです。いつもいつも降りてくるわけにはいかないんです。しかしながら、あなた方の日常生活の中で、あなた方の周りで蠢(うごめ)いているさまざまな霊たちがいるんです。彼らは近くに居るんです。近くに居る以上、さまざまなことを言い寄り、さまざまな干渉をしてくるんです。そういうことであります。 善川 いまのお話の続きなんですが、私どもが認識する範囲で申しあげますならば、まず霊界と甲しますか、それから様ざまな階層についてもう少し……。 恵果 つまり天上界の仕組についてお知りになりたいといわれるのですね。 善川 はい、もう少し詳しく知りたいのですが。たとえば、あなた方がお出でになる霊域と申しますか、層と申しますか、この地上界での比較級の概念で表現すれば、どの辺においでになるのでしょうか。 恵果 端的に申しますと、地上三千メートル位の高さのところという感じであります。ですから、いま申しあげましたが、たとえば地上三千メートルの高さから、地球上を見下ろした場合に、あなたの眼にはどのように映るでしょうか。遥かに下の方であります。そこからですね、このように呼ばれている、あるいは呼ばれていると感じたときに、私どもは降りてくるわけであります。三千メートルの距離から下りてくるのです。ところが地表には様ざまな霊が蠢いているのです。おわかりでしょう。そういうことであります。たとえていうならば三千メートルの上空からあなた方を日夜観ているという状況であります。降りて来ようと思えば降りて来られます。しかし、いつでも降りて来るというわけにはいきません。なぜなら、私たちの住家は、三千メートルの上空だからであります。私たちの住家はこの地上界ではありません。いつもいつもこの地上界に居るわけにはいきません。この地表に下りているわけにはいきません。 善川 如来界の方がたは、さらに高いところにおられるわけですね。 恵果 もっと、もっと高いところです。その高さは数千メートルといいますか、一万メートルの高さといいましょうか、これはあくまで譬にしかすぎませんが、如来界の方がたというのは、たとえて言うなら一万メートルの上空からあなた方の生活、地球というもの、日本というもの、中国というもの、アメリカというものを一望の下に観ているのです。そのような多くの人たちの毎日の生活を見ているのです。そう簡単に下りて行って、それぞれの人を救ったり、話しかけたりできないことは、既にご存知のはずです。 善川 それでは、その間に菩薩界の方が居り、その下に神界の方が居り、その下に霊界の方が居りというようになっており、一つの方針を伝えるという場合には、それぞれの担当者を通じて伝えるということでしょうか。あるいはまた逆に、下の方から上の方の方のご意見を求めるという伝達方法が行われているのでしょうか……。 恵果 ひじょうにむつかしいです。下のものから上の方に対して意見を伝えるということはひじょうにむつかしいことであります。 善川 いや、建言という意味ではなく、教えをうける、尋ねるという場合にです。 恵果 下のものというのはどういうことでしょうか。 善川 たとえば、菩薩界の下の神界の方、或は、そのまた下の霊界の方でも上段階の方で三次元のこの現象世界で生活している人間の守護をしている人達のことです。 恵果 人間界の普通人の守護霊を努めているのは神界段階のものですが、中には霊界段階の人でも、神界へ上進する程の悟りに達した者、たとえば、死後自分の生前における自己反省が行われ、この世は神の支配したまう世界であるということの自覚に達し、自己に与えられた環境を修行の場と考えるに至った人達のことですが。 善川 たとえば、その普通の人間界の守護霊を努めている、主に神界の方ですか、こういう方が菩薩界の方に、自分がいま指導している人間に対する指導方向なり、教育の方法なりをお尋ねするという場合に、上に向いてそのことを聴けるのでしょうか? 恵果 ご質問の主旨、よくわかりました。――こういうふうな形になっております。例えば、如来界の下に菩薩界があります。しかし、如来界の人達の内の一部は、常に菩薩界の方に下りていっておりまして、あなた方の言葉でいうならば、駐在とでも申しますか、菩薩の方の監視役、監督ということで、一つ下の世界へ数名のものが派遣されていつも出ております。そういう者たちには話をすることができます。それは可能です。また菩薩界の方がたは、神界の上段階において様ざまな教えを説いております。そういう方がたにご相談することはできるはずです。そういう形で相談ということはできますが、直接上の世界に行って、直か談判とでも申しますか、そのような形はひじょうにむつかしいです。 善川 そうですか。それで私どもこの三次元で肉体を持っていろものであっても、このようにして恵果先生のような大菩薩(ボサター)の方から高高なお教えをうけたまわるということは――。 恵果 これはひじょうな、稀なことだとお思い下さい。 善川 われわれ地上界に居る人間が、大ボサターのお話を直接お聴かせ頂くということは、これは稀なことであって、普通にはないことなのでしょうか――。 恵果 五百年に一回あるか、ないかというようなことだとお考えになって下さい。 3.丹波哲郎、隈本確氏らも天上界からの指導を受けている 善川 現在日本でも霊能者といわれている人がたくさん現われてきて、いろんな説をとって語っておりますし、霊治療などということもやっておりますが、そういう人達を守護、指導されておられる方は、どういう方面の方が指導されておられるのでしょうか。 恵果 ――たとえて言うならば、どういう方なのでしょうか。 善川 例えば、死後の世界の存在を説いていろ俳優の丹波哲郎氏とか、霊治療を行っている隈本確氏のような方については――。 恵果 隈本ですか、ちょっとお待ち下さい――隈本は、いま主として指導している霊は――矢張り、天上界の人間でありますが、病気を治療する、あるいは怪我人を直したりする分野で、かつて地上で指導していたような霊、このようなものが主に、指導しております。ですから彼の仕事そのものは私たちのように法を説くことではないのです。菩薩界にもいろいろな段階、分野、役割がありまして、直接如来を助け、法を説き実践するような人びと、或は各界において、実業界、或は政治家のような形で、直接法ではなくて、何といいますか、法の七光りと申しますか、プリズムにかけられた光と申しますか、他の形、変形したかたちで菩薩行を行う人が居ります。事業を興す、政治家になる、外交官になる、学者になる、またこのような病気治療をしていく、というような様ざまな形があるわけであります。彼に与えられた役は、病人を癒す、怪我人を治すという、そういうような役割であります。 善川 次に、丹波哲郎、という俳優でありますが……。 恵果 存じております。 善川 現在、霊界の問題について、さかんに書物を著わしておりますが、氏の根本思想は、『……私は俳優としてまず知名度を得た、その知名度をもってして、私が書く、また私が訴える霊の世界というものを多くの人に知って貰って、死というものに対する恐怖心を取り除く、というのが私の使命である』ということで、著書の出版に、テレピ放送にと、精力的に活躍しておりますが、これもまた今申されました天上界なり、菩薩界なりのプリズムの一つの顕れでありましょうか……。 恵果 そのとおりであります。彼には彼の使命があり、彼は自らの使命を実行しております。彼は既に自らの使命に気付いております。彼自身は、釈迦やイエスや日蓮や、或は親鸞のような人間でないことは、彼自身が気付いておりますし、彼の役割はもっと限定されたものであります。しかし彼はその限定された役割を十分に果たそうとして自分を励まし努力しております。 善川 氏の書き著わしている書物の諸説は、氏がインスピレーションというか、霊能力で得たものでありましょうか……。 恵果 そうではありません。彼は知識として得たもので書いておりますが、しかしながら、間接的には、守護、指導霊たちが、彼にインスピレーションを与えたりしながら、彼の毎日を指導しておるのです。彼はまだ本当の意味でそれに気付いておりません。それは、余りそのような力を持つと、俳優業という彼の職業の方にマイナスになっていくからであります。 善川 それでは、丹波氏の場合は今後もそういうことで、俳優業と相兼ねて活躍していくということですね。 恵果 そうです。 善川 丹波氏のような方は、既に財力、知名度共に備わっている方でありますが、われわれにいたっては、その点全く劣っているのですが、これはどういうことになるのでしょうか。 恵果 協力者が出てくるのです。協力者が出てくる前に、あなた方は自らを固めておきなさい。協力者が出てくるんです。 このような形での宗教というものは、広がる時はひじょうな速さで広がっていき、様ざまな階層の人びとを引きつけて行くんです。やがて気運が出てきます。あなた方が今後説くべき法というものが、どのくらい用意されているかということを問われるときがやってまいります。そのときのためにも、いま十分力を蓄えておかねばならぬということであります。さきほども申しましたように、あなた方にいましばらくの余裕が与えられているということであります。 4.「正法」は今後四十年、五十年という長期間かかって創りあげていく壮大な体系である 善川 私どもの現段階における知恵、知識、能力につきましては限界がありまして、私どもが想像する限りにおいては、今世紀末から二十一世紀にかけての文明は、ひじょうに高度なものが求められてくると思うのでありますが、私たちにそのような時代に即応した指導能力が備わりましょうか。 恵果 先のことは先のこととして、今あなた方に何ができるかということが問題であり、そのあなた方のできる、現在実行可能なことから始めていきなさい。あなたに今から二十年後、三十年後になさねばならぬことをせよと、言っているのではないのです。あなたが現に今なせることは何かということ、それを手始めとしてかかっていけばよいのです。もうその手段というものについては、お分りになっているはずです。それから先のことは、あなたの次の世代の人が引継いでいきます。正法もいきなり完成したものが具現するものではないのです。徐々に創られていくものなのです。あなた方の今の活動は、五年、十年、十五年の短い視野で行われることではなくて、今後、四十年、五十年かかって次第に創って行かれる壮大なる体系なのです。今から四十年、五十年あれば相当なものができると思いませんか。その土台造りをあなた方にしなさいと言っているのです。 善川 今後、天上界の皆様方からこのようなご指導を受けたということを、名入りで報告するということになるのですが、それでよろしいか……。 恵果 神理は一つであります――隠すこともなにもいりません。神理は一つ、ありのままであります。かくの如き状況の下にかくの如き現象が起き、かくの如き討論がなされたということであります。あなた方の任務は、法を人びとに伝えるということであります。中味を伝えるということであります。こんなことを言って人がどう思うかなど、もうそのようなつまらないことに悩む心は捨てなさい。事実を事実として書きとめなさい。現代の人に受け入れられなくてもいいのです。後の世の人びとがそれを見てどう判断するか、そこに偽りのない事実を書いておきなさい。脚色は不用であります。 5.死後の世界が科学的に明らかになった場合、人の精神は向上するか、堕落するか 善川 私が考えまするに、これからの新世紀に向って、新しい文化は日本を中心として展開していくというお説をお聴きしているのでありますが、これは、一つの「価値観の転換」というかたちで進められていくのでしょうか。つまり、物質万能、或は最重視とした考えから、精神性の尊重、霊的世界の探究、つまり物質重点の世界観から、霊的世界観の確立へという考え方の基準の転換、人生の価値観の転換ということに――。 恵果 日本を中心にしてということと、価値転換ということの、この二つの主題は別に連関していないはずです――。 善川 まあそれはそうですが、ただそれを主唱し先導していくのは、われわれ日本人が、歴史的にも、精神環境的にも主体となっていかねばならぬのではないでしょうか。 恵果 そうです。 善川 たとえば一つの立証例としましては、四次元以上の世界の、つまり異次元世界存在の科学的解明等の実証について。 恵果 三次元世界の今後の科学の発展をまたなければ、これは理解できないことです。更に科学といいますか、あなた方の世界で物理学といわれているものでしょうか、進歩し、やがて子供にも分るような時代になったときに、私たちの世界の仕組も理解されるようになるでしょう。 善川 そこで、そのことが明らかになることによって、人間の精神の向上が約束されるのでしょうか。或はそのことによって、かえってそこに、精神に怠惰が生じはしないでしょうか。 恵果 そういう必然的な繋がりはないと思われます。明らかになるということは、それとしてよいことだと思います。それと人間の精神が向上するということと、怠惰になることとは関係がないことです。 善川 死後の世界が分るようなことになりますと、これもやはり限界が設けられるのではないでしょうか。でないと、やはり死んだらもう極楽行きだ、地獄行きだということが分って居ったら、その人たちの日常生活が、どういうことになっていくかということになってくると、どうも現在既存の考えとか、モラルとか、いろんな面で変更混乱が生じてくるのではないでしょうか……。 恵果 私が申していることは、理屈と申しますか、筋立った議論として、四次元、それ以上の世界があるということがはっきりと分ってくるということであって、個人個人がそれをどう信ずるか、理解するかということは、いつの時代が来たところで、個人個人の責任にまかされているということであります。あなた方の正法の理解も、そのように科学が進んだ段階においては、更に明確なものになるということを私は述べているのです。どのような進歩した社会にも、乞食も居れば、豊かな人も居るんです。同じように、どのように科学が進み、正法が進んだところで、分る人と分らない人とは出てきます。しかし、どのように全体的に引き上げていくかということは、あなた方の仕事ではないでしょうか。 善川 要するに、真理が明らかにされるには……ただそれを。 恵果 明らかにされるといっても、人間の寿命は僅か七十年、八十年であります。明らかにされたと思っても、その人も亡くなっていくのです。次の世代の人がそれをどう信ずるか、それはその人の問題になって分らなくなってくるのです。 そういう意味において、正法は、根気強く語り継がれていかねばならぬのです。あくまでも、この世界観と申しますか、この本当の世界のすがたと申しますか、これをどう理解するかということは、個人個人にやはり帰属していくことなんです。その個人が過ぎ去ったものとなれば、次の世代の人達がそれを信ずるかどうかは、保証の限りではないのです――。ただ、われわれは、あなた方はそれを「文化」という形で継承していかなければならないのです。 6.起るべき破壊の想念にどう対処すればよいか 善川 ――いま一つお尋ねしたいのですが――いまあなたのお説によれば、一つの新文化を建設、開花させていかなければならないという大目標というものが感ぜられるのでありますが、その一方においては、ここに破壊ということが最近各方面で、とみに言われているという状況下にありますので、これとの兼合いと申しましょうか、私どもはどのようにしてこの破壊という想念と、正法実践の理念とを対置していけばよいのでしょうか――。 恵果 何んとも申せません――。どのような破壊が来るかも申せません。その時々にあなた方は切り抜けていかねばいけません。かつてあなた方の人生がそうであったように、今生においても、あなた方多くの人びとが、そうであったように、あなた方個人についていっても、様々な災難がふりかかってくることを、予め知ることができたでしょうか。できなかったはずです。その都度、その都度切り抜けて来たはずです。同じであります。人類に対する破壊、或は災難、に対して人類はその都度、その都度、切り抜けていかねばなりません。 ――そのような心構えを持って居ればよろしい――。その時に誰が死ぬとか、何処に居る人が居なくなるとか、何処の都市が破壊されるとか、そんなことは知らない方がよろしいんです。それは逆に、悪魔の仕業になってくるんです。そのようなことを次つぎと言って、人びとの心をパニックと申しましょうか、混乱に陥れるということは、天上界の仕業ではないのです。 事実は事実として起るでしょう。しかしあなた方がすることは、心の平静を説くことなんです。混乱を助長し、破壊を促進する、そのようなことではないのです。これからもいろんな予言者のような者が出てきて、次つぎと混乱した世の中、破壊の世の中の様相を説いていくでありましょう。しかし、あなた方は、その中において平静な心を持ち、泰然自若と申しますか、人びとにそうではないのだ、そのような事件や災害や、そのようなものに左右されてはいけない、あなた方がたとえ己れの人生が明日終るということが分っていたとしても、残りの一日の人生を精一杯生きなさいと、それを説くのがあなた方の使命なのです。そうではありませんか。あなたは明日死にます、だから今日はどうでもしなさい――或はあなたは一年後に死にます、あの都市は一年後に破壊されます。その都市の人びとは逃げた方がいいんです。そういうことを言うのがあなた方の使命ではないのです。その都市に住んでいる人びとはたとえ一年後に亡くなるとしても、すべて壊滅するとしても、その一年間は、どう一生懸命に彼らが生きることができるかということが大切なことなのです。そうではないでしょうか。目的をどうか誤らないで頂きたいのです。この世的な幸福、不幸ではないんです。根本的な人間の生とは一体何であるかということを、あなた方は教えなければいけないのです。 むしろ災害とか、様ざまな人災が起きてくるときに、動揺することなかれ、不動心を持て――、たとえ一時間後に死すとも、揺るぐことのない人生観を持ちなさい、というのが、あなた方の仕事なんです。 ――どのような災害が起き、どの国とどの国が戦争をして、その大半が死ぬということを予言するのが、あなた方の使命では絶対にないのです――。わかりますでしょうか。 善川 それはわかりますが、先程も申しましたように、天上界の菩薩界、或はそれ以上の如来界の方がたの、一つの正法流布の顕れとして、そのプリズムとして心霊手術とかいうような形が行われているということにつきまして、これを受けるものの側の心理というものの教育がなされていないように思うのでありますが……。 恵果 それは他人の畑であります。あなたはその言葉を知っているはずです。他人の畑であります。その中で豊かに稔れば、それはそれでいいではないですか。あなた方は、あなた方の畑を耕しなさいと、以前言われたことがあるはずです。そのとおりであります。稔りのちがいはあるでしょう。たわわに稔るところと、少ししか稔らない違いはあるでしょう。しかし少しでも稔ればそれでいいではないですか。それを他人の畑に行って見て、稔りが少ないよと言う必要はないんです。それで満足している人は、それで満足しているんです。稔りがあれば、それはそれでいいではないですか。あなた方は、あなた方の畑を耕しなさい……。 善川 私たちが人びとに正法を伝えて、この正法を実践するならば、人びとは心身ともに健やかに生きて行けるのだということを唱えるということは、間違いではないでしょうか。 恵果 問題になっておりません。今の質問は、問題になっておりません。間違いでないことは明らかであるからです。他のものを排撃する心を持たないということを私は申しているのです。それはそれでいいのです。信ずる者が、自主的に増えてくればそれでいいのです。そうした方向を目指していきなさいと私は申しているのです――。 善川 それはそれでいいのですが、心身と申しますのは心と、いわゆる魂と、体とが正法に向いて実践していくならば、そこに生甲斐と申しますか、幸福感をあじわうことができると言い切れるかということをお尋ねしているのです。 恵果 だからそれは質問になっていないはずです。それは正しいことは、あなたはご存知だからです。 7.病気の八割までが悪霊の憑依によるか 善川 一説によると、人間の病気というものの八割までが悪霊の憑依によるものであると言われていますが、自分の心が明るく、清明心である場合はそのような災(わざわい)を受けることなく済むということ、これはそのとおり正しいものと理解してよろしいでしょうか――。 恵果 どちらかといえば、そのような説には賛成ではありません。なぜなら、憑依というような外部的な事情にその原因を帰しているように思えるからであります。憑依は結果であります。結果であって原因ではないのです。その言葉を正しく言い直すとするならば、病気の八割は自分自身の責任によって起きるということであります。憑依によって起きるのではないのです。自分自身の責任によって病気の八割までが起きる。結果として何らかのかたちで憑依されている。そういうことです。憑依されてから病気になったのではありません。 善川 それはまあ、純粋論でありまして――。とは申せ、あなたご自身が肉体を持っておられたときに……。 恵果 例えば、私の言うことを確かめたいと思うならば、あなたは睡眠時間を毎日三時間にして生ぎてごらんなさい。直ぐに病気になります。簡単であります。それは自分の責任であります。そのように身体の不養生ということもあるのです。その結果あなたは睡眠不足で毎日生きていく上で、憑依もされるでありましょうし、それで病気は重くなるでありましょう。あなたの不養生ということでありましょう。悩みから病気を起こすこともありましょう。それはあなたの心の動きであります。どうか、憑依という現象はあるかも知れませんが、そのようなものに惑わされずに、自らの責任というものをもっと考えなければいけません。健康に配慮すればもっと健康になれるのです。それだけのことであります。しかしやむを得ない病気というものもあります。これも否定できません。なぜ、私がこういうことを申しあげるかといいますと、たとえば、いま世の中の方がたに、病気の八割は憑依であると言った場合に、一体どんな反応が起きるでありましょうか。それを信ずる方がたもいるでしょう。しかし信ずる方がたが正法に帰依する人びととは思いません。なぜなら彼らは憑依霊を取り除くためにだけ法を信じようとするでありましょう。そのように現象にとらわれた法は、正法ではないのです。彼らにそんなことを気づかせることではないのです。あなた方は正しい生き方を教えるべきです。霊的な能力によって憑依霊を取り除くよりは、健康法を守ることによって、健康になって頂くことの方が、助かるのです。そのような言い方は、世の中を混乱させる惧れがあるのです。病気の八割は憑依だと――そうかも知れません、病気になっている方は、健全な心ではないでしょう。ですから霊的にも健全ではないでしょう。しかし、病気の八割が憑依だという言い方をするならば、世の中は混乱する方向に行きます。良い方向には行きません。昔の加持祈祷に戻って病気を治そうという方向に向っていくのです。これは私たちの望むところではありません。 8.悪霊の゛磁場゛内での正法行者は、攻撃の的となる 善川 お説のとおりだと思います。しかし、あなたが、かつて肉体を持っておられたとき、或は、空海さんがあなたのもとで勉学をしておられたときにも、先般あなたも申されたように、私も一生の間、悪霊の攻撃を受けて苦しんだと言われたことは、彼らの憑依を受けたと、そういうふうに解釈されたのですが、そういう状況というものは、あなた方の心が病んでいたため、というのでしょうか。それとも、その場合には別の意味があったからといわれるのでしょうか。 恵果 私たちは、現象界に生きておりました。そしてその現象界の中に、彼らの゛磁場゛もあるのです。それはそうでしょう、他人の棲家に入ったと思ったら、中の住民たちはひじょうに怒るでしょう。私たちが三千メートルの上空に住んでいたら、彼らは何もすることはできません。しかし彼らが住んでいるあたりに、私たちもまた肉体を持って修行しているために、様ざまな摩擦が起きてくるんです。 いまのことで私は、一般論として病人の話を説きました。法を説く者について、同じことが言えるかどうかというと、原理としては同じであります。しかし現象としては違う面もあります。なぜならば彼らは、明らかに法を説く者たちに対して警戒をし、或は敵意を抱いているからであります。通常の人たちに対し敵意を抱くということは、個人的な恨み以外にはありません。しかし個人的な恨み以外に彼らは敵意というものを持っております。対決すべきものという認識を持っております。その意味において一層厳しくなるでありましょう。普通の人なら、なんと申しますか、五〇パーセントの心の悩みがある中でもそう大きな影響を受けない場合でも、この正法行者は、ほんの一〇パーセントの心の迷いがあったために、彼らの攻撃を受けるということはあり得ます。それだけ厳しい修行の場であります。これは確かであります。 善川 しかし、その彼らの攻撃と戦い、勝利するということは正法神理の念を堅持し、彼らに愛念のこころで接することでありましょうか。 恵果 というまでもなく、既にあなた方は勝利しているんです。彼らは攻撃する、或は憑依するといったところで、あなた方をどうすることもできないではないですか。そうでしょう。現に不愉快な思いをさせられるのが精一杯でありましょう。命を奪うこともできないんです。病気をさせることもできないではないですか。そうでしょう。不愉快な思いをさせるのが精一杯でしょう。あなた方を狂わすことができるかというと、そこまではできないのです。現に疲れていて、彼らにやられているときに、あなた方の判断はくるい、感情的に起伏は激しくなり、言葉は荒くなり、口論を戦わすことがあるかも知れません。それが限度であります。あなたを殺すことも、どうすることもできないんです。それはあなた方が人生において、日々勝利しているということなんです。
https://w.atwiki.jp/kuroneko_miku/pages/156.html
世界文学検定○× 世界文学検定四択 世界文学検定連想 世界文学検定画面タッチ 世界文学検定並べ替え 世界文学検定文字パネル 世界文学検定スロット 世界文学検定タイピング 世界文学検定キューブ 世界文学検定エフェクト 世界文学検定線結び 世界文学検定一問多答 世界文学検定順番当て 世界文学検定グループ分け
https://w.atwiki.jp/willproject/pages/148.html
種族 天使 職業 天上界元老院の議長 年齢 外見は十八、十九歳ぐらい 性別 女性 国籍 天上界 今の居場所 天上界 髪の色と瞳の色 真っ黒の長い髪と蒼い瞳 服装 黒いドレス 武器 聖剣クロスウイング 天上界,这个不为地上人所知的天上都市已经存在了几万年。天使,这个古老而神秘的种族就居住在那里。 天上界中居住着数千名天使。统领众天使的,是天上界的最高权力机构——“元老院”。 元老院由十二位最高阶天使组成,她们被称为“神的十二使徒”。 十二使徒中的每一位都分别负有不同的责任,她们共同承担着维持天上界的运转和守护天上界的使命。 而统领这十二位“使徒”级天使的是其中的“第一使徒”,担任天上界元老院议长的月影辉夜。 天使们的羽翼都是白色的,而辉夜和众天使的最大区别就是她拥有着黑色的羽翼,也因此她被人称为“天使的女王”“黑翼的女王”。 这是因为在天上界古书的记载中,古代天使的女王就拥有着与众不同的黑色羽翼。在天使们的古老的传说中,这就是“天使女王”的象征。 而这种“黑翼的女王”已经在很长的岁月中都没有在天使们中出现了,因此在现在的天上界制度中已经没有了“女王”的存在,而改为元老院十二使徒的议会的形式。 正因为如此,当拥有着和过去传说中所描述的“女王”同样的漆黑的羽翼的辉夜一出生,天上界的贤者们就认定“女王”再临了。 也因此辉夜从一开始受到的就是和一般的天使完全不同的,专门为她一个人而准备的精英教育。 天上界各个领域最优秀的天使单独为她授课,教授她包括魔法、剑法、战略、历史、神学等各种各样课程。 而这一切都是为了培养辉夜这个真正的“天使的女王”成为天上界未来的领导者。 辉夜在很小的时候就已经清楚地了解了拥有着黑色羽翼的自己背负着与别的天使不同的责任和命运,并为此而努力地学习着。 结果不负天上界众贤者所望,当时还十分年幼的辉夜渐渐地在各个领域都表现出远远超越一般天使的天赋。 时光一点点地过去,辉夜十六岁了。这时候的辉夜,无论是在战斗技能的剑法和魔法,或是治理国家方面的能力,在天上界已经无人能出其左右。 在这个年龄,为了成为正式的天使,一般的天使将要作为见习生离开天上界,到地上的时间接受考验。 但是辉夜却没能那么做,因为贤者们认为按照古老的律法,天上界的“女王”除了在神的命令这种特殊的情况以外,是一生都不能离开天上界的。而这就在天使中引发了争论。 一部分高阶天使认为即使辉夜很优秀,即使她拥有传说中的黑色羽翼,但是在“女王”已经消失了很长时间的现在,仅靠此并不能证明她就是真正的“女王”。 没有像一般的天使一样到地上接受考验的她是没有资格担任未来天上界的最高领导者的。 为了平息这些争论,最后天上界们的贤者想出了一个办法,她们要辉夜接受一个特殊的考验,以此向全天上界证明自己是无可争议的“真正的女王”。 在天上界的圣堂深处,放置着一把圣剑。这把形状奇特的剑的外形像一个拥有双翼的十字架,而且只有剑柄,没有剑身。 圣剑“天翼十字”,传说中历代天使女王的武器,也是女王的象征。 过去曾经有无数天使尝试过使用它,但是却没有一个天使成功过。如果古书中的记载是正确的话,那么就只有天使的女王才能令“天翼十字”显现出其真正的形态。 这就是贤者们给予辉夜的考验,她们要辉夜使用这把传说中的圣剑。 在辉夜手中,“天翼十字”发出了淡蓝色的柔和的光芒,瞬间从十字架的尖端放射出一道蓝色的光束,光束最终固定成剑身的形状。 在周围观看这场的试炼的贤者们和其他高阶天使们的阵阵惊叹声中,辉夜举起了“天翼十字”。 在那之后,再也没有任何一位天使质疑辉夜的“女王”的身份。 随着老一辈天使们的退隐,以辉夜为首的新的“十二使徒”继承了管理和守护天上界的使命。 而在这新的“十二使徒”之中,有着“女王”身份的辉夜也是最为特别的。 但辉夜并不因为自己有着“女王”和“议长”这样的双重特殊身份就傲慢无礼,旁若无人。 她优雅而得体的举止,温柔而随和的性格赢得了天上界众天使们的敬意。上至使徒,下至一般的见习天使,大家都怀着仰慕的心情称呼辉夜为「お姉様」。 在辉夜和使徒们的领导下,天上界一直维持着和平与繁荣…… 直到二十年前的一天,那一天辉夜像往常一样步入圣堂进行祈祷,但接下来发生的事改变了辉夜本人,天上界,甚至是整个大陆的命运…… この設定は以下の作品を参考します。 キャラクター 作品名 リンファ 『ストレイリトルデビル』 セフィリア=アークス 『BLACK CAT』 有馬鈴香 『月陽炎~つきかげろう~』 平山深雪 『雪影-setsuei-』 ハガル 『白銀のソレイユ-Successor of Wyrd《運命の継承者》-』
https://w.atwiki.jp/tenj/pages/482.html
新・天上碑千年計画 [#n0549138] 『新・天上碑千年計画』は、その名の通り、千年後も『新・天上碑』をお楽しみ頂きたいという思いを込め、多種多様なコンテンツを長期に渡り実装していくというプロジェクトです。 [特設ページ http //tenjouhi.pmang.jp/1000nen/] 新・天上碑千年計画 [#n0549138]新マップ「東の国」 [#mca9421c] 軍師システム [#j4d8235d] 気功システム [#x2c5d8e6] 新規修練場 [#nb9edd3c] 拠点地域システム [#g462f61f] マイハウスシステム [#cc37852a] 掲示板 [#u098506a] 新マップ「東の国」 [#mca9421c] 遙か東に位置する島国の未知なる土地。 いままでに見た事のない風体の強敵が出現します。 アップデート日時:2009年12月22日 公式ページ 狐火 軍師システム [#j4d8235d] 攻城戦に軍師が登場。 計略等を駆使して、攻城戦がより戦略的な戦いになります。 アップデート日時:2010年6月23日 公式ページ 気功システム [#x2c5d8e6] 条件を満たし、気功ポイントを溜めることによって、気功のもつ様々な恩恵を得る事が出来ます。 アップデート日時:2010年03月16日 公式ページ 新規修練場 [#nb9edd3c] 新たにプレミアムな修練場が登場します。 アップデート日時:2010年03月16日 公式ページ 拠点地域システム [#g462f61f] 一定の条件を満たす事で、各地にある拠点を所有することができます。 拠点を開発させていくことにより専用修練場、商店など自由に設定し、所有者が税収入を得る事が出来ます。 アップデート日時:2010年6月23日 公式ページ マイハウスシステム [#cc37852a] 派閥員・友人などを招待したり、共有倉庫の増設などの施設を構築できる個人所有スペースを獲得できるようになります。 アップデート日時:不明 [[公式ページ ] 掲示板 [#u098506a] 拠点とかマイハウスとかかなり良さそうなのにアップデートするのが遅すぎるw 初めからこれらがあればユーザー離れかなり減らせてたと思うんだが・・・ -- new{2009-11-29 (日) 04 30 06}; だってこれ日本の運営側からの提案=現時点じゃ東の国以外妄想って言っても 過言じゃないレベルだからアプデが遅いも何も無いんだが。 ユーザ離れが酷くなって来たからそれを食い止めるための手段を講じる 必要に迫られて、それを「千年計画」とか大仰な名前で目先を逸らすってか 誤魔化してるだけにしか見えないけどな。 -- new{2009-11-29 (日) 04 42 21}; 全部実装されるのは何年後ですか?wwwwwww ダメオンももう手遅れだということに気付けよwwwww -- new{2009-11-29 (日) 07 01 54}; てか過疎化してから派閥の拠点だマイハウスだ言っても 遅すぎだろw 風雲なら人がいるからいいかもしれんが他じゃ派閥で多くても 30人いればいいくらいじゃね? 軍師とかいったって城もおわってるしなw -- new{2009-11-29 (日) 07 44 33}; 軍師ってリーダーみたいのとちがういあるの?? 当主との違いがよめないな -- new{2009-11-29 (日) 09 17 57}; 予想としては 軍師の発言がテカテカ光って見えるか、 あるいは同じCHに入らなくても同盟派閥の人に見えるか。 -- new{2009-11-29 (日) 09 32 23}; 1000年後には全部実装できるかな~ -- new{2009-11-29 (日) 09 35 03}; 昔城に実装しようとしていた内容に近いものも・・・ 凍結解除を言い換えて実装すればいいってものなのか? -- new{2009-11-29 (日) 10 47 28}; 公式に他サイトリンクを貼り付ける運営の無神経さに感激した。 不正ログインの原因も突き止めないで、リンク踏めと言うのか? -- new{2009-11-29 (日) 11 17 19}; それより一人用天上梯習得クエスト早く導入してくれ・・・ -- 友達少ないさん new{2009-11-29 (日) 11 18 31}; 軍師システムは軍師キャラのステ画面表示で髭が生えますm(__)m -- new{2009-11-29 (日) 13 28 52}; 千年続けるなら、まずvistaと7 対応しないとなw話はそれからだ -- new{2009-11-29 (日) 13 45 17}; 4↑ しかもジーパラまであるぞw -- new{2009-11-29 (日) 16 17 32}; 天上碑千年計画を馬鹿にするなっっっ! これは999年も前からある歴史ある計画なんだぞっ! -- new{2009-11-29 (日) 16 52 16}; いや、990年前からある計画だから10年後には実装されるだろう -- new{2009-11-29 (日) 16 59 21}; ↑だな どっかのSNSサイトみたいだがこれはいいと思った 実装されるのがいつになるかわからんがww -- new{2009-11-29 (日) 21 55 42}; ↑はっきり書いてあるじゃん。 1000年計画ってなwww -- new{2009-11-29 (日) 22 09 02}; これで来年3月を持ちまして天上碑は・・とか年明け早々にでも公式に出たら 大笑いさせてもらえるんだが。 -- new{2009-11-29 (日) 22 50 19}; ↑笑えないからやめとこうな。 -- new{2009-11-29 (日) 23 38 39}; 3月に終了予定だよ -- new{2009-11-29 (日) 23 51 24}; なるほど、続くと見せかけて最後の集金してから終了って流れか。 -- new{2009-11-30 (月) 03 59 51}; 昔凍結された荘園システムに手を加えた感じ? どっちにしても遅すぎる -- new{2009-11-30 (月) 07 03 43}; 天上碑って3日で1年だろ ってことは 8年と2ヶ月後には 全て実装ってことだな。 -- new{2009-11-30 (月) 10 43 12}; @8年どころか8周年迎えられるかどうかすら怪しいんだけどね -- new{2009-11-30 (月) 12 00 55}; 天上サービス開始後1000年計画なら来年いっぱいには実装されるとも読めるが ダメオンもハック騒ぎをもみ消そうと必死だ罠w -- new{2009-11-30 (月) 12 35 10}; 千年計画ってダメオンの某ネトゲにほとんどあるシステムじゃん?物まねに千年ですか? プリウスがコケて天上に力いれはじめたのかね? だったら周遊符はアカ共通で常時2倍と位置記憶と高速移動もセットにしてもらいたいw -- new{2009-11-30 (月) 13 52 29}; 常時2倍などの要求を呑んだら、今度は常時4倍とか言い出すんだろうな。 それから、サービス終了するって思ってるならいちいち書き込んでまで惰性で続けず さっさと違うゲームやればいいと思う。 終わる終わると騒ぐことの一体何が楽しいのか・・ 楽しんでやってる人もいるんだし、もともとこのサイトはゲームを楽しむための情報交換の場所でしょ? 終わることは 「ゲームを楽しくプレイする人」 にとって有益な情報にはならないよ。 -- new{2009-11-30 (月) 16 12 17}; 2↑のは赤石のポータルのことか?たしか2500円だが、あったらいいな~w でも、そしたら無課金者との差が大きすぎで引退加速するかもな。 でも赤石は繁栄?してるっぽいから案外いいのかもな。 -- new{2009-11-30 (月) 16 39 07}; 名前 コメント #inputtoolbar 総アクセス数 counter;
https://w.atwiki.jp/saikyoumousou5/pages/3928.html
【妄想属性】実験 【名前】追放された神 【属性】全能神(元) 【大きさ】成人男性並み 【攻撃力】成人男性並み 【防御力】成人男性並み 【素早さ】成人男性並み 【特殊能力】戦闘開始位置から無限に離れた場所にある天上界(広さ無限)で常時全能 天上界はその名の通り戦闘開始位置から見て真上に存在する 【長所】天上界で一二を争うほど位の高い神だった 【短所】罪を被せられて流刑になった 0898格無しさん 2023/08/16(水) 17 13 11.98ID +qMGgki6 自分は天上界にいなくてよいんだよな? 0905格無しさん 2023/08/17(木) 14 11 23.70ID OqNQgCMJ 追放された神 考察 書き方的に天上界にいないと全能を行使できないと解釈できる となると単なる成人男性が天上界に行ける訳がないので普通の成人男性と同じ adult male=追放された神 (成人男性の壁) 0908格無しさん 2023/08/17(木) 19 51 31.53ID baJI05yZ 天上界で常時全能 って書いてあるなら全能の範囲が天上界なのであって天上界にいる時に常時全能っていう条件付き全能にはならない気がするけど 0909格無しさん 2023/08/17(木) 20 10 33.74ID ftVgSsYF 地球全能だが地球にいない、でも地球範囲の全能は取れるわけだし ただ“天上界で”って記述がちょっと解釈わかれる 天上界に対する全能、なら天上界にしか全能を行使できないと思うが “で”はちょっと微妙 いっそのこと天上界全能なら天上界の位置と関係なく自分起点で天上界範囲の全能使えるんだが 0910格無しさん 2023/08/17(木) 20 21 27.09ID 1aYhqqZj 天上界にいる時にって解釈したら常時全能の範囲が分からないし天上界に入った瞬間時間無視と全能が付与されるってのも不自然な気もする 0911格無しさん 2023/08/17(木) 21 10 09.10ID ftVgSsYF 天上界は無限の広さってあるから、ルール的に単一宇宙相応なんじゃない? そもそも時間無視は範囲とか位置と関係なく持ってるわけで、天上界が遠くても関係ない 全能防御はこのスレでのルールが明文化されてないから 常時全能ってだけでつくかは微妙 (他スレ基準なら常時全能なら自動で全能防御もつく) 0918◆n0qGxROT0Q 2023/08/18(金) 20 20 34.98ID L1HLKXZM 追放された神考察 常時全能なので時間無視、常時全能だが全能範囲外にいるので全能防御はつかないだろう 天上界は無限の広さなので単一宇宙より大きい、無限規模とする 全能は範囲外から遠隔行使可能とする 全能で道具を持ってくることができるだろうから普通の時間無視より有利とする ○四次元の成人男性 全能分有利 ×緋弾のアリア 手数差で先に撃たれる ×一応僕はry)、ゴッドフィンガー 手数差で先にビーム負け 緋弾のアリア>追放された神>四次元の成人男性
https://w.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/4653.html
基礎データ ブランド名 世界文化社 会社名 株式会社世界文化社 電話番号 Fax番号 メール 企業分類 出版 現在の問合せ結果 × 現在のコメント メール返信なし 最終更新日 2009/09/30 特記事項 家庭画報、クロスワードファンなどを出版する会社。 基礎データ特記事項 世界文化社2008年12月01日の毎日朝刊に広告あり 他、広告あり 2009/09/29 ×(メール返信なし) 関連ページ 特に新聞に広告を出している企業は毎日新聞にとって泣き所となるようです 問合せ 問合せ先一覧 / 毎日新聞に広告を出していた企業(日付別) / 毎日jpに広告を出していた企業 / 電話問合せのコツ 結果別一覧 ◎◎-◎-○ / △ / ×(記号、数字、ローマ字) / ×(ひらがな) / ×(カタカナ・ア行~ナ行) / ×(カタカナ・ハ行~ワ行) / ×(漢字・あ行~か行) / ×(漢字・さ行~た行) / ×(漢字・な行~は行) / ×(漢字・ま行~わ行) 分野別一覧 製造業 / 製造業その他 / 小売、卸売 / サービス業、娯楽 / 医療、医薬 / 建設、不動産 / 金融、運輸、IT、その他 / マスコミ、出版 行政等一覧 行政、各種団体等 / 教育機関等 / 政治家、著名人 毎日新聞系列 【その1】 【その2】 【その3】 【その4】 【その5】 【その6】 【その7】 【その8】 【その9】 問合せ報告 毎日新聞関係の凸結果を淡々と張り続けるスレ7 ※「電凸」とは「電話問合せ」のインターネットスラング(俗語)です。(詳細は用語集) 対応評価の大まかな目安 ◎◎ 広告打ち切り・今後広告を出さない・今後広告を出す予定はない ◎ 良対応・厳重な抗議 ○ 普通、中立対応・対応検討中、今後注視 △ 保留・問合せの返答結果待ち(3日以内に回答なければ×) × 悪対応・無回答・処分は十分毎日の姿勢を容認・広告続行 このテンプレを編集 世界文化社 2008年12月01日の毎日朝刊に広告あり 他、 広告あり 2009/09/29 ×(メール返信なし) 「日本の母は息子の性処理係」毎日新聞が捏造記事169 http //hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1253530105/182 182 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2009/09/29(火) 23 08 25 ID 983D7OvU0 323 名前: 松崎名無しげる [sage] 投稿日: 09/09/29 23 06 31 ID 9VUccJcI メールのお返事ですv 世界文化社→メール返信なし 関連ページ 検索 2008年12月01日の毎日朝刊 広告一覧 2008年12月09日の毎日朝刊 広告一覧 2009年7月23日の毎日朝刊 広告一覧 2009年7月25日の毎日朝刊 広告一覧 2010年12月01日の毎日朝刊 広告一覧 2011年12月01日の毎日朝刊 広告一覧 2011年2月18日の毎日夕刊 広告一覧 2012年11月15日の毎日朝刊 広告一覧 2012年11月16日の毎日朝刊 広告一覧 2012年1月16日の毎日夕刊 広告一覧 2012年9月19日の毎日朝刊 広告一覧 2012年9月21日の毎日朝刊 広告一覧 2012年9月26日の毎日朝刊 広告一覧 2012年9月28日の毎日朝刊 広告一覧 2013年4月14日の毎日朝刊 広告一覧 問合せ結果分野別一覧その3 問合せ結果別一覧 ×対応の企業(漢字で始まる企業名・さ行~た行)