約 316,278 件
https://w.atwiki.jp/onirensing/pages/423.html
アーティスト:Ado レベル:7 登場回数:4(レギュラー版第18回、第22回、第38回、第39回) 挑戦結果 丘みどり:成功(レギュラー版第18回) 荒牧陽子:成功(レギュラー版第22回)
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/14694.html
登録日:2009/10/25 Sun 11 18 10 更新日:2024/08/29 Thu 19 48 17 所要時間:約 4 分で読めます ▽タグ一覧 アナーキー バトルロイヤル 下剋上 世は世紀末状態 乱世 人物がめっちゃ多い人気の時代 大河ドラマでめっちゃ多く作られてる 安土桃山時代 室町幕府もお手上げ→やがて滅亡へ 戦国 戦国ジェダイ 戦国時代 戦国武将 日本史 歴史 混沌 無政府状態 群雄割拠 追記修正のハードルが高すぎる項目 戦国時代。それは、平和と戦乱、日常と非日常が同居した時代。 と言っても、日本史の年表区分には「戦国時代」は存在しない。 (cf.1336~1573:室町時代、1573~1603:安土桃山時代、1603~1867:江戸時代) これら時代をまたぎ、世が乱れ、群雄が覇を競っていた頃を指すのがこの言葉である。 弱肉強食・下剋上のイメージから、特定の産業界におけるシェア争いや倒産・再編といった大規模な変化が予想されるときに「〇〇戦国時代」といった表現がしばしば見られる。 なお、「戦国時代」という呼称は、当時の文献で中国の春秋戦国時代に準えられたことに端を発する。 なのであっちが本家戦国時代である。そもそもあっちの方が2000年くらい前だし。 概要 一般には1467年(応仁の乱)~1615年(大坂の陣)までとされるが、1493年の明応の政変(*1)や、1441年の嘉吉の変(*2)などを起点とする説や、 1590年の小田原征伐または1591年の九戸政実の乱の鎮圧を終点とする説もある。 戦国時代を代表する大名の一人である織田信長が「天下布武」を掲げ、天下統一を目指したとされることから、 この時代の大名は信長に限らず、誰もかれもが天下統一及び京都上洛を目指していたものだと勘違いされることが多いが、 実際にはそれらを目指していた大名はほとんどおらず、大半の大名は自らの領地を守り増やすことに注力していた。 そもそも、この時代の『天下』という言葉は「天皇のお膝元」、つまりは近畿一帯を指しており、『天下人』も畿内を統一した者というくらいの意味合いであるため、 この勘違いが生じる要因となった信長も、現代人がイメージするところの「天下統一」は目指していなかったと考えられる。 また、誰も彼もが自らの領地を増やすことに躍起になっていたかと言えばそうでもなく、毛利氏や後北条氏のように一つの地方の制圧を到達目標としたり、 三好氏や細川氏のように、室町幕府の足利将軍の補佐という立場で権力を握って活動したりと、広い視点で行動していた戦国大名もいた。 信長も三好氏らのように上洛して畿内を統一し、自らが将軍の地位に就けた足利義昭を補佐するという立場で軍権を握ったが、 やがて義昭とは関係が悪化した末に対立し、最終的に彼を京都から追放する形で室町幕府を滅ぼし、信長自身で天下を差配することになった。 信長はその後、かの有名な「本能寺の変」によって部下の明智光秀に謀反を起こされて志半ばでこの世を去るが、 彼に代わって権力を握った豊臣秀吉が天下の領域を日本全域に広げる…即ち日本統一を達成したことにより、戦国時代は終焉を迎える。 そして、秀吉の死後に権力を握った徳川家康が江戸幕府を興し、全国支配の基盤を整えたことによって、時代は天下泰平の江戸時代へと突入していくこととなる…。 特色 よく誤解されているが、『武士>百姓(農民)』という構図もこの時代には存在しない。 大名や直臣などの上級武士はともかく、足軽などの下級武士は鎌倉時代から変わらず『半農半士』であり、 戦争がない時は自分たちも百姓と同じく、手に鍬や鋤を持って農業に勤しんでいた。 常備兵という概念が無かったわけではないが、あくまで「一部の金銭的に余裕のある大名が行っていた戦略の一環」程度の扱いだった。 領主もそのことを理解しているため、春や秋といった農繁期には出兵を控え、農業に専念させようとしていた。 彼らにそっぽを向かれれば領国経営は立ち行かなくなるため、必然的に政治も百姓たちに配慮したものにならざるを得なかったという一面もある。 武士道も義理人情というより、遥かに現実的な「弱肉強食」思想だった。 また、この時代は農民に限らず武士以外の身分の人たちも相当逞しく生きており、合戦が起きると弁当持参で見物に赴き、 決着が付くとその辺の野原に晒されたままの死体から、金目のものは釘一本残らないと評されたほど遠慮なく回収していたという。 特に当時流通し始めた「鉄砲」は金になるだけでなく簡単に扱えることから大人気だったとか。 敗残兵を狙った「落ち武者狩り」も頻発しており、上述の「本能寺の変」の後、秀吉に敗北して落ち延びた光秀がこれに遭って死亡したと伝わる他、 身包み剥いだ上で首を取って兜を被せ、いかにも名がある武将の首といった風情に仕立てて勝者側に褒賞をもらいに行った例もあるとか。 このため、首級の数を数えると共に首の身元を明らかにする首実検というものも行われている。 ちなみにこの時代、場合によっては大名よりも権力を持つ存在がいた。西山本願寺などの寺社勢力である。 特に一向宗の宗徒が行った「一向一揆」は国を問わず頻発し、信長や家康といった有名な大名たちもかなり悩まされていた。 まあ武士の側も寺社領を「横領」することが日常茶飯事だったので(明智光秀もこれをやって信長に咎められている)、どっちがどうという話ではないのだが。 なお、信長は「比叡山焼き討ち」を始め、一揆や寺社勢力には容赦しなかったといわれている……のだが、 ぶっちゃけて言うと、比叡山やら大和の寺が焼けるなど信長がやる以前も何度もあったことであり、 単に「比叡山の焼き討ち」が有名故に信長が槍玉に挙げられやすいだけで、似たような所業を行った大名は他にもいる。 信長は先述のように横領を咎める立場であり(むしろ足利義昭は自分の部下が横領をすることを認めていた)、 人一倍寺社勢力に厳しいどころか、あの時代にしては寺社に気を使っている方である。 そして何より、戦国時代最大の要素と言えば『下剋上』である。 実のところ、名のある大名たちも室町幕府から役目を与えられた正式な「大名(守護大名)」は上杉謙信などのごく一部だけで、 たいていの大名は元々の守護大名を実力で排除するなどして自ら権力を握った「戦国大名」であり、 上の者を排除して下の者がその座に収まる『下剋上』が当たり前のように行われるのは、ある意味当然ではあった。 元々は別に武士の家の生まれというわけでもない、素性不明の身から戦国大名にのし上がった斎藤道三(*3)や天下統一を果たした豊臣秀吉、 地方の小豪族から中国地方の覇者となった毛利氏や、かつて家臣として仕えた主家を乗っ取った鍋島氏など、 彼らの人生・生きざまそのものが下手な小説よりよっぽど面白い『大逆転』を果たした人物や一族は多い。 守護大名という身分さえも、血縁のある同族で奪い合ったり身の保証と引き換えに譲ったりすることさえあった。 先程例に挙げた上杉謙信も、上杉の名跡を譲られて守護大名となっている。 そういう意味では、『下剋上』こそが戦国時代が後世の人々を引き付けてやまない要因の一つと言えるかもしれない。 メディアにおける戦国時代 その独特の時代背景から革命の幕末動乱期と同様、様々なメディアで取り上げられることが多く、自由度の高さから厨二的なキャラが活躍したり、史実と異なるif設定の架空戦記が書かれたり、武将がみんな女の子になったり、自衛隊や長嶋巨人軍や宇宙刑事シャリバンがタイムスリップして来たり更にはモビルスーツが出撃したりする事も。 一方、少年誌における戦国時代ものはコケやすいというジンクスがある。 歴史の予備知識がある程度ないと楽しめないからというのが主な原因かもしれない。 大抵の作品が武将を主人公とし、天下を狙う理想のリーダー像として描かれることが多く、上述したような残虐行為などは殆ど取り上げられない(というより出版や放送コードに抵触する)ため、一部では戦国時代を美化していると見る向きもある。 ビートたけしは自身が描いた小説「首」の映画化に際して、上述の戦国時代の過度な美化に対するアンチテーゼがあったことを語っている。 なお、戦国時代を舞台にした作品は数あれども、1467年の応仁の乱勃発から16世紀中ごろまでの戦国時代前半を舞台にした作品は極めて少なく、 ほとんどが、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の戦国三英傑らが活躍した16世紀後半以降を扱っている。(*4) まあ、戦国時代の前半は有名な人物も伊勢宗瑞=北条早雲、足利義政と日野富子、太田道灌、大内義隆、細川勝元・政元あたりに限られるし、 有名な事件も応仁の乱・寧波の乱・山城国一揆・関東の合戦くらいではあるが、 有力大名同士が中国大陸で激突するわ、農民一揆が大名を自刃に追い込むわで、カオスさでは後半期以上だったりする。 ◆戦国時代を舞台とした小説の作家 池宮彰一郎 加藤廣 司馬遼太郎 城山三郎 高橋和島 童門冬二 永井路子 火坂雅志 隆慶一郎 ◆漫画 犬夜叉 桶狭間戦記 仮面の忍者赤影 黒田・三十六計 センゴク センゴク天正記 天正やおよろず 殿といっしょ 信長のシェフ 信長の忍び 花の慶次~雲のかなたに~ へうげもの 夢幻の如く MISTERジパング ◆ゲーム 桜花センゴク 鬼武者 戦国大戦 戦極姫 戦国無双 戦国BASARA 戦国ランス 戦国✟恋姫 太閤立志伝 天下統一 仁王 信長の野望 ◆ソーシャルゲーム 戦国コレクション その他 この時代は武士の間では衆道、平たく言うと「アッー!」なことが武士の嗜みとされるほどに流行った時代(*5)であり、 戦国大名は『小姓』と呼ばれる自らの補佐役に自分好みの美少年を選抜し、衆道の相手から何から身の回りの世話をさせていた。 これは小姓となる少年側も承知の上であり、「主人のナニに合わせて肛門を広げておく」だの「放屁の原因となるイモ類はなるべく食べない」だのといった心得もあったという。 見込みのある少年を小姓として自らの傍に置き、教育するという意味合いもあり、小姓出身の有名な戦国大名・武将はかなり多い。 ともあれ、そういった背景もあり、その手の人々の人気も高い。 一方女性の立場はそれほど高くはないが、鉄砲で武装したり、貞操を守るために脇差を仕込んでいたり、逞しさに関しては男性にも決して負けていなかった。 夫の出征中に不埒な目的も込みで自らを呼び寄せたと思われる秀吉を完全武装で出迎え、彼を怯えさせたという「立花誾千代」や、 大河ドラマにもなった女性大名(と伝わる)「井伊直虎」や、今川家を支えた女傑とされる「寿桂尼」等、後世に名を残した女性も多くいる。 追記・修正は、全国を平定し、天下人になってからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 主家を乗っ取ったって言うのは鍋島さんに失礼だと思うの -- 名無しさん (2014-01-12 15 38 40) ↑主家の方が勝手に崩壊したんだっけ -- 名無しさん (2014-01-12 15 49 17) 面白い時代なのは確かだが、大河やらゲームやらサブカル方面でフィーチャーされ過ぎてもうお腹いっぱい -- 名無しさん (2014-02-02 11 11 30) こつち -- 名無しさん (2014-02-02 13 19 56) ↑ミス こっちの戦国時代は二百年以内に終わったけど…中国のは春秋と楚漢戦争含めると本当に長いよな…まあ、領土が違うのも理由だけど -- 名無しさん (2014-02-02 13 23 15) BASARAやりまくってたらスタイリッシュ -- 名無しさん (2014-02-02 13 24 35) 西暦1600年!! 関ヶ原は裏切りの炎に包まれた!! 世はまさに世紀末!! -- 名無しさん (2014-03-19 03 26 14) いい意味でも悪い意味でも戦争と迫力と活気と野心の燃えていた時代だな -- 名無しさん (2014-05-04 01 49 40) 江戸時代以降に誇張・歪曲・創作されたことが多すぎて好きになれない -- 名無しさん (2014-12-04 18 19 43) 武者頑駄無「…」 -- 名無しさん (2015-07-17 07 23 38) ↑4 世紀末覇者は秀吉? -- 名無しさん (2016-07-22 20 30 43) ↑2 創作と史実を分けて楽しめばええがな、創作や歪んだ(歪ませられた)視点の入ってない歴史なんてまずないぞ -- 名無しさん (2016-10-13 16 29 19) 少年誌でこけやすいのはむしろ人気過ぎて手垢がつきすぎてるからだと思ってたんだが(新撰組や坂本竜馬等の幕末同様) -- 名無しさん (2020-02-26 19 10 40) 戦国に限らずそもそも少年誌で実在した人物をメインにした歴史創作をあまり見ない気が -- 名無しさん (2020-02-26 19 35 14) あれ? 謙信も、もともとは守護代(つまり下剋上する側)じゃなかった? -- 名無しさん (2020-03-15 10 30 20) 信長が生まれてから室町幕府が崩壊するまでが戦国時代という漠然なイメージ。特に安土桃山に至っては戦国と結びつきにくい -- 名無しさん (2020-03-31 11 08 33) 戦国の始まりは細川政元とかいうやべーやつが始めたと思ってる -- 名無しさん (2022-09-23 14 48 21) ↑3元々はね。元主君の養子になって主家である上杉家を継いだ -- 名無しさん (2023-04-18 01 05 29) 「西山本願寺」じゃなく、「石山本願寺」な。修正よろしく。 -- 名無しさん (2023-04-29 07 35 21) ↑5謙信の実家の長尾家は元々上杉家(山内上杉家)の家宰を務める家で、謙信以前にも度々上杉家に養子を出してる。 -- 名無しさん (2023-04-29 07 39 53) 「有力大名同士が中国大陸で激突する」ってなんだ知らんぞ -- 名無しさん (2023-06-02 08 35 28) ↑寧波の乱のことかと 遣明使として派遣されてた大内氏が同じタイミングで派遣されてた細川氏とドンパチ起こして細川氏の船や寧波の町焼き払って明の役人も殺した事件。 -- 名無しさん (2023-07-23 17 27 26) 武将以外にも忍者や海賊が活躍しているのも人気の一端を担ってる -- 名無しさん (2023-07-23 19 16 14) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/ftbinteractions/pages/31.html
12 精密工業時代2➀目標 ②Quest Stainless SteelとHV Machine Hull ③Diesel Generator ④Quest Advanced Mixer ⑤Diesel 12 精密工業時代2 ➀目標 ここではStainless Steelの作成、ディーゼル発電を使った発電自動化をしていく。 ②Quest Stainless SteelとHV Machine Hull IronはLimonite鉱脈など、NickelはNickel鉱脈やCopperから、Manganeseはネザーの鉱脈、ChromeはRubyから収集。 Stainless SteelはElectric Blast Furnaceで焼く必要がある。 Electric Blast Furnace 128EU/t 2A IN TOTAL VOLTAGE TIME TEMP OUT 1 Stainless Steel Dust 224400EU 120EU/t 93.5 s 1700K 1 Stainless Steel Ingot Crafting IN OUT 2 1x Gold cable1 HV Machine Casing 1 HV Machine Hull ③Diesel Generator Crafting IN OUT 2 Electric Piston (LV)2 Electric Motor (LV)2 Steel Gear1 Advanced Circuit Parts1 LV Machine Hull1 1x Tin cable 1 Basic Diesel Generator 2 Electric Piston (MV)2 Electric Motor (MV)2 Aluminium Gear1 Integrated Processor1 MV Machine Hull1 1x Copper cable 1 Advanced Diesel Generator 2 Electric Piston (HV)2 Electric Motor (HV)2 Stainless Steel Gear1 Processor Assembly1 HV Machine Hull1 1x Gold cable 1 Turbo Diesel Generator これはDieselを使う。 ④Quest Advanced Mixer Crafting IN OUT 4 Glass2 Integrated Processor1 Bronze Rotor1 Electric Motor (MV)1 MV Machine Hull 1 Advanced Mixer ⑤Diesel DieselはLight FuelとHeavy Fuelを5 1で混ぜる。 Chemical Reactor 32EU/t IN TOTAL VOLTAGE TIME OUT 2000mB Hydrogen12000mB Sulfuric Light Fuel 4800EU 30EU/t 8.0 s 1000mB Hydrogen Sulfide12000mB Light Fuel 2000mB Hydrogen8000mB Sulfuric Heavy Fuel 4800EU 30EU/t 8.0 s 1000mB Hydrogen Sulfide8000mB Heavy FuelMixer 128EU/t IN TOTAL VOLTAGE TIME OUT 5000mB Light Fuel1000mB Heavy Fuel 1920EU 120EU/t 0.8 s 6000mB Diesel Fluid Transfer Nodeで転送しよう。これで、蒸気発電よりも手軽に発電できるようになった。生産効率は発電参照。 ここまで来たら精密工業時代3に進もう。
https://w.atwiki.jp/gennsousekai/pages/746.html
yut
https://w.atwiki.jp/folklore/pages/16.html
PAGE TOP 転換時代では《概念爆弾・退化》の影響も薄れ、科学文明の一部が復活した。 現実世界で言うところの、西暦1990年から2000年程度の科学力がある。 しかし兵器の類は特に強く封印されており、火縄銃さえ満足に動作しない。 また兵器転用可能な技術として、航空機にも強い制限がかかっている。 人類は未だ、科学という点においては先端を取り戻していないのだ。 一方、復興してから長く用いられた魔術は洗練され、無数の分野が存在する。 習熟が必要なことから、効率や利便性という点では科学文明が勝るものの、存在感は大きい。 簡単な魔術は誰でも扱えるし、魔術によって動作する機械も多く存在する。 転換時代の社会基盤は、科学ではなく魔術によって支えられているのだ。 人類の生存圏は暗黒時代や魔道時代と比して大きくなったが、手付かずの危険な土地もまだまだ多い。 また、一度は安全を確保して生存圏になったものの、後に放棄された都市の廃墟も存在する。 人類の平和と繁栄は、未だ薄氷の上にある――それが転換時代だ。
https://w.atwiki.jp/taisho/pages/25.html
大正時代の名前ランキング 当時まだ発明されてない物 流行の文学作品 有配偶率 下着 女袴 大正時代の歌 月映静の好きな言葉「薔薇の木に薔薇の花咲く」 ガータストッキング 1925年の世界の大都市の人口 第二次大戦での死者数 電気冷蔵庫 百合じゃなくてエス 当時の都電 氷式冷蔵庫 修学旅行 物価 アニメ 日本の人口 芸者 淫行処罰規定 電話の普及率 男性の下着 未成年者飲酒禁止法 大正時代の名前ランキング 766 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/10(金) 02 33 02 ID cVwAb+bl0 大正14年生まれ名前ランキング 1位幸子2位文子3位美代子4位久子5位芳子 6位愛子7位信子8位和子9位千代子10位八重子 大正後半からはキミ、ハル、すゑとかの名前は少なくなる 815 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/10(金) 02 37 51 ID cVwAb+bl0 大正元年生まれ名前ベスト10 1位千代2位ハル3位ハナ4位正子5位文子 6位ヨシ7位千代子8位キヨ9位静子10位はる 当時まだ発明されてない物 25 : 夜桜信者 :2009/07/07(火) 01 32 17.57 0 パンスト1968年(←あれはウールタイツと解釈すれば無問題 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0 金属バット1971年 http //www.mizuno.co.jp/gallery/1f/06.html たこ焼きは昭和になってから http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA%E7%84%BC%E3%81%8D 大正野球娘。3 帝都たこ焼き娘。 ? 徳間書店 http //www.tokuma.jp/book/novels-edge/59276b6391ce74035a18300235e1d90fd305f3053713c304d5a183002 流行の文学作品 77 名前 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :投稿日:2009/07/13(月) 12 38 24 ID j6xINdai0 当時の女学生の間ではどんな文学作品がよく読まれてたんだろう? 86 名前 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :投稿日:2009/07/13(月) 13 01 13 ID yFVPTRuT0 77 エス文学といって、今で言う百合小説が盛ん。エスはSisterの頭文字で、プラトニックな姉妹のような愛情を表す隠語。 ちなみにレズを表す百合という言葉は戦後、薔薇族の投稿欄をきっかけに生まれた言葉(薔薇族に、女性同性愛者による百合族コーナーという記事があった)。 大正時代には吉屋信子、昭和に入ると川端康成が「少女の友」「少女画報」などで絶大な人気を誇った。 吉屋信子は自信が同性愛者で、「花物語(1916-20年)」「屋根裏の二処女(1919-20)」は自伝的な要素が含まれていたとも言われている。実際、生涯を門馬千代という女性と暮らし、最後には養子縁組して家族になっている(肉体関係があったかどうかは諸説ある。)。 後は、少女雑誌で欧米文化が盛んに紹介されて、欧米の詩集や児童文学などがぽつぽつと翻訳され始めたのもこのころ。 有配偶率 186 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 20 40 47 ID k/ak0DsZ0 大正14年の女性の配偶率 (平均初婚年齢は男27.1歳、女23.1歳) 未婚 有偶率 死別率 離別率 15~19歳 85.9% 13.2% 0.1% 0.8% 20~24歳 29.6% 67.1% 0.6% 2.7% 25~29歳 7.8% 87.7% 1.7% 2.9% 30~34歳 3.5% 90.4% 3.4% 2.6% 平成12年の女性の配偶率 (平均初婚年齢は男28.8歳、女27.0歳) 未婚率 有偶率 死別率 離別率 15~19歳 99.1% 0.9% 0.0% 0.0% 20~24歳 87.9% 11.3% 0.0% 0.7% 25~29歳 54.0% 43.5% 0.1% 2.4% 30~34歳 26.6% 68.9% 0.2% 4.2% 大正時代の初婚年齢は平均すると現在と4歳程度しか違わないが、早く結婚する人は多かった。 189 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 20 44 14 ID KsyUeWLj0 186乙 これの男性版も見たい 今は30過ぎでも未婚率5割らしいからな 201 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/07/18(土) 20 55 20 ID k/ak0DsZ0 189 元データは国勢調査 ttp //www.stat.go.jp/data/chouki/zuhyou/02-04.xls 大正14年の男性 未婚 有偶率 死別率 離別率 15~19歳 98.2% 1.7% 0.0% 0.1% 20~24歳 72.4% 26.0% 0.2% 1.3% 25~29歳 25.0% 71.7% 0.9% 2.4% 30~34歳 7.1% 89.0% 1.6% 2.3% 平成12年の男性 未婚率 有偶率 死別率 離別率 15~19歳 99.5% 0.4% 0.0% 0.0% 20~24歳 92.9% 6.8% 0.0% 0.2% 25~29歳 69.3% 29.6% 0.0% 1.0% 30~34歳 42.9% 54.9% 0.0% 2.0% これも9年前のデータだから、もっと未婚率が上がっているかも。 下着 78 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/03(金) 11 58 23 ID DzY3xRL+0 小梅ちゃんはノーパンなんですか? 136 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/03(金) 12 28 32 ID 81xuCniuO 78 大正時代だから誰もはいてないんじゃないか 922 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/03(金) 23 30 53 ID PEkXvPqp0 78 136 大正時代は1912~1926年。 ズロース(下着)が一般的に普及しだしたのは1932年の白木屋呉服店の火災事故以降。 火災の救出作業の際、ロープで降りようとした和服の女性が裾が捲くれるのを気にして 片手を離してしまい13人も墜落死したのがきっかけで和服でも下着の着用が広まった。 ・・・・わ~小梅ちゃん、はいてない!!! 923 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/03(金) 23 31 36 ID eYQ4VqwiP 922 うむ・・・使えるッ・・・ 927 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/03(金) 23 35 45 ID PoAEVRYPO 922 ! 930 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/03(金) 23 36 48 ID 3uhGy8eO0 922 それってガセネタだって聞いたけど 932 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/03(金) 23 37 48 ID NshNXskNO 922 それ女性被害者の死因から考えたら間違いだって「パンツが見える―羞恥心の現代史」によると 940 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/03(金) 23 42 10 ID Kbxv/HXC0 パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書) (単行本) 井上 章一 (著) パンツが見える。それを喜ぶのは男性で、見られて恥じらうのは女性。でも、つい50年ほど昔まで、たかがパンツ ごときでときめく男はいなかった。なぜなら、和服の女性はパンツを穿いていなかったから、ふとしたはずみでチラ リと見えてしまうのは、パンツなんかじゃなかった…。「陰部を見られても、場合によっては仕方ない」、それが戦前 の女性の感覚だったはず。だから、多くの女店員が裾の乱れを恥じて墜落死したという「白木屋ズロース伝説」は 眉唾だ、と説き起こす。「パンツ」をめぐる感性の興亡を考証する、著者10年の思索の結実。 942 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/03(金) 23 42 53 ID PEkXvPqp0 930 932 そうみたいね。でもガセのほうが一般的には認知されてるとこみると、 そのガセが和服の下着着用の普及を促したのかなとは思ってる 926 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/03(金) 23 34 52 ID uxfWEMJv0 お嬢も雪も、あんな上品そうなのにスカートの下ノーパンなのか・・・ 928 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/03(金) 23 35 56 ID HeqZj1Xr0 スライディングしたら大変だな 929 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/03(金) 23 36 36 ID HwCsqFul0 セーラー服にノーパン!? 931 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/03(金) 23 37 32 ID gNtL+kbz0 スカートだとはいてるだろ 314 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/05(日) 02 10 07 ID G10WqD080 大正時代の女性下着ってどんなん? 317 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/05(日) 02 13 14 ID U2ZqoWc40 314 西洋下着はあっただろうけど、まだこの時代は着物なら長襦袢 西洋下着が普及したのは昭和初期 319 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で :2009/07/05(日) 02 14 57 ID FP4Z0eIf0 314 http //oda.ac.jp/schools/design/column/tri/0812.html 女袴 795 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 00 21 20 ID qrpYS6hg0 当時の女学生の袴はスカートみたいな「女袴」のはずなんだが、 これもサクラ大戦の影響なのかー? 小梅やタマちゃんに恥じらいながら「女袴」でたくしあげをやって欲しいよ! 824 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/07/26(日) 00 40 03 ID 8wyHZu5j0 795 弓道や剣道などの武術を習う場合は、女性も例外的に馬上袴(男袴)は着用してたよ。 通常は行灯袴(女袴)だっていうのは同意。ちなみに袴を着用する際は、上着の和服は 裾を思いきりたくし上げて帯で止め、ミニ浴衣のように短くするのがデフォ。もし、袴が 何かの加減で脱げたなら、太ももが顕わになるドえらい格好になるんだぜw 大正時代の歌 216 名前:ななし製作委員会:2009/05/25(月) 21 56 13 ID XL0+2qYF 大正時代の歌ってどんなだ? あーかーいー林檎に くちびーるよーせーてー♪は戦後だし。 217 名前:ななし製作委員会:2009/05/25(月) 22 27 50 ID VWXngF5S そもそも大正に歌手なんていたのかね 218 名前:ななし製作委員会:2009/05/25(月) 22 43 07 ID o6hw4DO3 大正14年にラジオ放送が始まったんだと 222 名前:ななし製作委員会:2009/05/26(火) 00 06 20 ID wa520FLA 命短し、恋せよ乙女♪ って大正の流行歌「ゴンドラの唄」のフレーズですよ、君たち 223 名前:ななし製作委員会:2009/05/26(火) 01 19 00 ID 7mjRFZ6d ドリフも歌ってた「パイのパイのパイ」も、元歌は大正。 ラジオはまだだが、レコードは有る程度普及してたから、流行歌ってのは存在した。 224 名前:ななし製作委員会:2009/05/26(火) 03 35 07 ID NN751Fhj 216 http //www.geocities.co.jp/Hollywood/4496/ChronicleJ_1912.html http //www.geocities.co.jp/Hollywood/4496/ChronicleJ_1917.html http //www.geocities.co.jp/Hollywood/4496/ChronicleJ_1922.html 月映静の好きな言葉「薔薇の木に薔薇の花咲く」 624 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 21 56 37 ID z1vw7st00 「薔薇の木に薔薇の花咲く」 これ、「カエルの子はカエル」って意味だろ? これが好きな言葉とは、変わった娘だ・・・ 629 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 22 06 17 ID sZ69b2Pv0 624 その言葉は「何事の不思議なけれど」と続き、 当たり前のことではある、しかしそれに驚嘆する心から、 諸々のことが生まれてくるのではないかとの意がある。 636 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/07/27(月) 22 10 44 ID /JgPKTJ80 624 北原白秋の詩集『白金之独楽』より「薔薇二曲」(大正三年) 一 薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。 ナニゴトノ不思議ナケレド。 ニ 薔薇の花。 ナニゴトノ不思議ナケレド。 照リ極マレバ木ヨリコボルル。 光リコボルル。 ガータストッキング 878 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/07/31(金) 04 29 39 ID 885d4Plr0 パンストとかタイツの話が出ているが、パンストは戦後。昭和40年代前半でさえ普及していない。ガータストッキングがメイン。 大正、昭和「戦前・戦後初期」の女学生は、ガータストッキング。吊りベルトで留めるタイプではなく、リストバンドの太股用と思えばよい。 タイツは子供用。ナイロン普及は戦後なので、絹がメイン。 1925年の世界の大都市の人口 863 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/08/05(水) 19 47 35 ID kTOAoSMD0 1925年の世界の大都市の人口(郊外を含む都市域の人口) ニューヨークが規模の上でロンドンを抜いた時代 1位 777.4万人 ニューヨーク 2位 774.8万人 ロンドン 3位 530.0万人 東京 (渋谷、西巣鴨等を含む) 4位 480.0万人 パリ 5位 401.3万人 ベルリン 6位 356.4万人 シカゴ 7位 340.0万人 エッセン・デュースブルク (ドイツルール地方) 8位 241.0万人 ブエノスアイレス 9位 221.9万人 大阪 10位 208.5万人 フィラデルフィア 11位 186.5万人 ウィーン 12位 176.4万人 ボストン 13位 176.4万人 モスクワ 14位 172.5万人 マンチェスター 15位 170.0万人 バーミンガム 16位 150.0万人 上海 17位 143.0万人 レニングラード 18位 139.6万人 グラスゴー 19位 139.4万人 デトロイト 20位 139.0万人 カルカッタ 21位 1,369,000 ハンブルク 22位 1,318,000 ブダペスト 23位 1,266,000 北京 24位 1,240,000 リオデジャネイロ 25位 1,235,000 リヴァプール 第二次大戦での死者数 882 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/08/05(水) 20 38 15 ID OD5XNNab0 よくループするんで作った。 ※おじゃん達の将来が心配・・・ →「普通の人が思ってるほど」人は死んでない。ドイツなんかに比べてもかなり少ない。 犠牲者は約210万人。うち民間が40万人。(資料によって差はあり) 日本の人口6000万人として、 乱暴な計算だけど非軍人が死ぬ確率は1/150 実際には、沖縄とかサイパンとか満州とか、戦場になったところの住人、 船員(軍人以上の損害率だった)も含めた数字だし、 内地で東京大空襲、広島・長崎に遭わなければ、もっと確率は低い。 小梅たちのメンバー全員無事な確率のほうが高い。 ※むしろ東京に住んでいるから死亡確率のが高いんじゃ? →有名な1945.3.10の空襲は、下町地区。小梅たちが住んでたであろう山手はまず大丈夫。 ただし、東京は、数百~数千単位の死傷者を出す空襲は数度に渡って受けてます・・・ 電気冷蔵庫 763 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で:2009/08/13(木) 14 50 55 ID Np1UVS5BO 大正に電気冷蔵庫とかあったの? 766 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で:2009/08/13(木) 14 54 54 ID L+dJzQPk0 763 日本に存在はしている 一般家庭に普及するのはまだ30年以上先の話 百合じゃなくてエス 213 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/08/16(日) 10 28 57 ID CoP63/HV0 だから百合じゃなくてエス(シス、おめ)だと何度言ったら…… 当時は女学校という空間で男性との接点が薄いのと、 卒業後は殆どが嫁に行くという現実に対する、ずっと仲の良い友達と遊んでいたいというモラトリアムな感情から 女性同士の親密な関係がロマンティックな関係として女学生の中で理想化されていたんだよ これは当人たちがガチレズかどうかとは別の、女学生文化によるもので、当時は社会問題にまでなったくらいだ この頃の女学生の間では吉屋信子などのエス小説が流行っていて、原作中でも小梅や環が読んでいると書いてある (吉屋信子本人はレズビアンらしいが) だから女学生同士の親密な関係は、百合だ萌えだ言う以前に 大正の女学生を描くなら当たり前のことで男性との恋愛と背反するものでもない 女同士でいちゃいちゃさせて百合好きに媚びてるわけでも、そこに男と恋愛させて百合厨ざまぁしてるわけでもない 当時の都電 131 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/08/16(日) 09 14 36 ID jBBCOzuj0 当時の交通事情で晶子が学習院(新宿区)や跡見(文京区)のようなリアルお嬢学校に通うとしたらどんぐらい時間がかかるんだろ いまのとこ選んだのは近いからかな 148 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/08/16(日) 09 28 58 ID iaAzt7BH0 131 山手線内は都電が張り巡らされてたわけだが 300 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/08/16(日) 12 27 47 ID 8Itd1q300 131,148に関連して。 当時すでに都電(当時は市電)のネットワークはかなり密度が高く、大正14年の時点で160kmもの路線延長があった。 山手線内に関して言えばほとんどの大通りには電車が走っていたし、停留所も数百メートルおきにあった。 どこへ行くにもせいぜい1~2回程度の乗り換えで済むように系統が編成されていたそうだから、 時間がかかることに目をつぶれば現在の地下鉄よりもはるかに便利だったはず。 328 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/08/16(日) 13 02 12 ID K2upSC+z0 300 都電の路線図これか。大正から昭和20年頃までが全盛だったんだな。 ttp //homepage1.nifty.com/chi-anzu/toden/line/map_line.html 氷式冷蔵庫 502 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 01 51 53 ID dWV4PxXN0 洋食屋なんて大量の生肉を取り扱うだろうに、 どうやって保存してたんだろうね 513 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 01 55 41 ID jNbCYz2k0 502 時代も場所も違うが、江戸時代の京都・錦市場では、井戸の中や地下で保存してたらしい。 温度・湿度が一定だから、少なくとも外界よりはもつんだと。 この時代でもその延長線上じゃないかな 523 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 02 04 57 ID btlYRsi50 502 http //www.taimeiken.co.jp/yomoyama/01.html こんな話はあるな 513みたいな感じかも 600 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 09 22 13 ID ZcDEUXrB0 これも遅レス。 523 これは明治の頃の話だな。転じて昭和の頃の話だが、この頃にはもう木製の氷式冷蔵庫ってのがあった。 新聞屋や米屋、牛乳屋、燃料店などと同様に氷屋ってのがどこの町内にも一店はあって、業務用電気製氷庫で 作った氷の塊を自転車の荷台に載せて、契約家庭へ宅配していた。その場でノコギリで切って渡す。 もちろん夏場など、どんどん溶ける。溶け切る前に届ける。届けられた家庭は、これを現代の2ドア冷蔵庫みたいな ものの上のドアの中に収めて冷やす。 昭和40年代頃までは、この氷屋ってのは氷を多く使う店舗…バーや寿司屋などを相手に生き残っていた。 たいやき。は大正末期だが、生肉を扱う業務店だったら氷式冷蔵庫くらいあったかも。ガスはあるし。 604 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 09 32 51 ID wdYWM4Wu0 600 氷屋の氷ってどうやって作るんだろう。 てか、氷を作る機械を冷蔵庫にすれば良いのに。 608 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2009/08/30(日) 09 42 47 ID 8w9OadtI0 604 基本気化熱を利用するのは今の冷凍庫やクーラー・エアコンと同様なんだろうけど その設備が、ほぼ家一件分の大きさ以下には出来なかったんでしょう 修学旅行 623 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 21 14 38 ID iDdGB1pQ0 胡蝶の台詞が気になったんで、調べてみたらそのものズバリ修学旅行の歴史について書いてあるページがあった。 (http //shugakuryoko.com/museum/rekishi/index.html) この修学旅行年表によると、最初の女学生の修学旅行は明治22年(1889)に 山梨女子師範学校によって実施されたものだそうな。 男子の初見が明治19年(1886)というから、早いっちゃ早いな。 師範学校だから小梅たちよりはお姉さんになるが。行き先は京都・三重方面で、二週間近い長程。 627 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/04(金) 21 16 21 ID iDdGB1pQ0 一方、小梅たちと同じ女子高等教育機関となると、 明治23年に栃木県中学校女子部が内国勧業博覧会見学に 上京しているとの記述が見える。 山梨は修学旅行先進地域なのか、大正2年には同県立高等女学院が8日間行程で 伊勢・奈良・京都・静岡・鎌倉・横浜という強行軍を決行している。 大正11年には小学校女子も一泊以内の旅行を許可する通達が出され、 大正13年には兵庫県立女子師範学校が大陸にまで足を伸ばしている。 物価 428 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で 投稿日:2009/09/11(金) 01 49 41 ID 3JpPPHPJ0 413 過去スレで値段を調べた人がいたけど、確かパーレットのカメラは当時18円だったな。 ところでバナナの値段は昭和6年で19銭 ttp //homepage3.nifty.com/bananas/banana10.html 大正9年の新聞記事だと一番高い時でも「百斤十円台を突破する事もある」程度だから、 いくらなんでもバナナ1本1円ということはないな。 ttp //www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00724451 TYPE=HTML_FILE POS=1 LANG=JA アニメ 325 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で 投稿日:2009/09/11(金) 00 27 54 ID 3JpPPHPJ0 278 アニメったってこんなのだぞ 「茶目子の一日」(昭和6年) ttp //www.youtube.com/watch?v=VNWqOUQH2Z8 「狐狸達引」(昭和8年) ttp //www.youtube.com/watch?v=WyGvGMa2RFg 「天狗退治」(昭和9年) ttp //www.youtube.com/watch?v=2kbhxv9ZMzQ 「なまくら刀」(大正6年) ttp //www.youtube.com/watch?v=sFDt5CK6f5c 日本の人口 372 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で 投稿日:2009/09/11(金) 01 08 53 ID 3JpPPHPJ0 大正14年の日本の人口 内地 5973万6822人 台湾 399万3408人 朝鮮 1952万2945人 樺太 20万3754人 帝国全土 8345万6929人(1938年頃に1億人を突破) 関東州及満鉄附属地(租借地) 105万4074人 南洋群島(委任統治領) 5万6294人 合計8456万7297人 世界の総人口は20億人 中華民国 5億3000万人 (内満州は3500万人) 大英帝国共栄圏 4億8000万人(内インド帝国が3億6000万人、本土は4500万人) アメリカ合衆国 1億3000万人(本土は1億1500万人) ソ連 1億2500万人 芸者 899 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/15(火) 01 43 29 ID wF9ifSpG0 芸者になるなら女学行く必要はないだろ。むしろ卒業生から芸者が出るのは 学校側としては不名誉なことじゃ。 902 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/15(火) 01 47 24 ID jRgUbqlWO 899 当時の芸者ってのはふしだらな職業だったの? 904 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/15(火) 01 48 09 ID q6+J+yr80 902 売れっ子になると一種のアイドルみたいなもんだとはどっかで聞いた 906 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/15(火) 01 49 46 ID jRgUbqlWO 904 遊女的なものではないのな まあ胡蝶がそんなんなったら俺泣くけど 908 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/15(火) 01 53 32 ID 6VQ8tCoG0 899 むしろ、女学校を卒業してからでは稽古が遅くなるから不利。 年下の「先輩」が山ほど出来る上に、女学校出身のインテリという事で苛められるだろうしな。 913 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/15(火) 01 57 50 ID gB46DERp0 明治生まれの自分の祖母は、芸者遊びを相当蔑んでいたな 916 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/15(火) 02 02 05 ID E4dnUKm80 芸者と遊女を混同する人はわりと多い 920 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/15(火) 02 08 02 ID ciANdU0h0 芸者って、コンパニオンみたいなものという認識で良いのかな? 胡蝶がそういうのになって欲しくは無いが、なったらなったで毎回指名させてもらいたい。 921 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/15(火) 02 09 11 ID z34sdUYM0 913 家に入ってる女性からすれば、普通は仮想敵だしなw というか、胡蝶の母は芸妓なの? 正直良く分かってないw 芸妓という前提で言えば、なかなか幅が広くて公式には遊女とは区別される ものの、そこはやっぱり人によっていろいろあって・・・まあ、一流どころ は金では体を売らないってのがプライドとしてあったみたいだけど 924 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/15(火) 02 14 34 ID u/dE980m0 維新の元勲の嫁さんには元芸者いっぱいいるけどな。 925 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/15(火) 02 15 39 ID 6VQ8tCoG0 920 お嬢かお雪の家の父ちゃんくらいお金無いと無理。 農家の奥さんとかがパートでもやれた田舎芸者だと話は違うけど。 922 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/15(火) 02 10 11 ID ByaMuoNA0 あくまで芸妓は遊女とは区別され、一流の芸妓は「芸は売っても体は売らぬ」心意気を持ち、 決まった旦那に尽くし、その見返りに金銭が報われるというのがその建前になっていた。 むろん、こうした実態を嫌い、芸妓は客の自由にならぬものという気概を貫きとおし、 一生涯旦那を持たない名妓も多くいた。 なんの自由も無いと考えられがちである芸妓だが、恋愛の自由は昔からかなり認められていたようだ。 自らの芸を以って生活する芸妓は、明治以降一種のあこがれの存在としてとらえられることも多く、 雑誌で人気投票が行われたり、絵葉書が好評を博したこともあった。 (´・∀・`)ナルホドナー 927 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/15(火) 02 19 03 ID y0WDHRAx0 伊藤博文とか、当時の有力な政治家は芸者を嫁にするのがステータスだったみたいだぞ 930 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/15(火) 02 22 12 ID z34sdUYM0 あー、wikiで調べて分かったけど、関東では芸妓のことを芸者っていうん だね、ならその通りってことか 925 深川とかでも短時間、小人数を呼ぶだけならそこまで敷居の高いものではなかった ようだよ、もちろんランクにもよるけど 京都とか有馬とかでは今でも比較的歴史のある、かつ若い人もいるね 数は少ないけど 淫行処罰規定 603 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/05(土) 16 30 50 ID L1FbjBQd0 当時は14歳とセックスしても合法? 607 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/05(土) 16 40 05 ID XTEkM8L/0 603 ・淫行処罰規定は香川県が1952年に青少年条例に導入したものが最初であるとされるが、異説もある。 本格的に定義されたのは、1985年(昭和60年)10月23日、最高裁大法廷の判決から それまでは合法だったということだ 大正どころか昭和のほとんどでOK 電話の普及率 167 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 02 34 50 ID +eQeiW1/0 当時の電話がある家庭ってどれくらいの生活水準なんだろ 今で言う自動食器洗い機くらいのレベルより高いか 170 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 02 37 35 ID z8w1GD6P0 167 たぶん、自宅にエレベーターがある程の割合かと 175 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 02 42 59 ID +eQeiW1/0 170 そんな次元なのか当時の電話 通話料も高いだろうによくかけるな、と思ったけどそんなの気にする人は電話置かないか 176 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 02 43 41 ID Q65KQaeq0 167 東京は結構普及してたっぽい。 ベルの電話が明治の初めだから、小梅の時代で電話発明から50年。半世紀。 インターネットだって、10年で一気に普及したもんな。 数年前まで、企業なんかFR網とかATMだったのに今じゃネットのIP網に移行してるし。 193 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 03 04 28 ID JAXKMmUI0 167 調べたら 1910(明治43)年には、 全国の電話加入者数が10万を突破してたらしい。 そっからさらに15年たってるってことは その倍くらいは普及してたのかな。 ちなみに、大正14年(1925年)の日本の総人口は 6千万人弱。今の半分くらいってトコだね。 男性の下着 642 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 15 17 31 ID NztXZrre0 女子の下着事情は散々語り尽くされた感があるが、 ヤロウのは、どうなってんだ? フンドシってことは・・ないよな? 645 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 15 21 34 ID f8kVpwQB0 642 六尺褌が一般的だろう 662 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 15 33 20 ID phf8uNNy0 645 六尺褌は漁師が着用するもので一般的ではないよ、あれは海に落ちて鮫に襲われたとき 長く伸ばすためのもの。自分より大きな魚は襲わない鮫の習性を利用して、海に落ちたら 巻いてある褌を伸ばして、鮫よりも体が大きいように錯覚させて鮫を騙すのだ。 666 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 15 38 09 ID 33NckY3f0 662 ん?六尺は別に漁師専用ではないよ? それは締め方の話じゃないか? 671 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 15 39 58 ID f8kVpwQB0 662 間違えた 越中の方だったか 673 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 15 41 51 ID 33NckY3f0 Wikipediaだと、越中褌が一般的だったとは書いてあるな。 越中はトランクスみたいで落ち着かないからあんまり・・・。 709 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 投稿日:2009/09/06(日) 16 31 02 ID 8kcH7OuC0 662 べつにそうでもないみたいだぞ http //www.nextftp.com/thairokushaku/ 未成年者飲酒禁止法 230 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage]:2009/08/09(日) 15 59 42 ID ufAuYD300 当時も20歳以下は酒飲んじゃいけなかったのかな? 236 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage]:2009/08/09(日) 16 09 12 ID WtisOTWi0 230 未成年者飲酒禁止法は大正11年に制定。 取締りとか今とは比べ物にならないほどザルだろうけど 458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/03(土) 22 29 10 ID yaVC32pe 未成年者飲酒禁止法 施行:大正11年4月1日 惜しかったな 459 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/03(土) 22 31 16 ID NbVQzb14 458でも未成年本人には罰則規定なし(酒の没収ぐらい) アンナ先生は罰せられるだろうけど 472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/03(土) 22 44 35 ID kCIdkD60 458 作中では酒を飲める描写はできないけど、3年前は普通に子供でも酒は飲んでもおkだったってことか。 小梅とか小さかった頃に酒飲まされてたのかな。父親は日本酒大好きみたいだし。
https://w.atwiki.jp/gamemusicbest100/pages/4334.html
大航海時代III Costa del Sol 機種:PC 作曲者:高木庸旬 開発・発売元:光栄 発売年:1996年(PC) 概要 光栄のリコエイションゲーム「大航海時代シリーズ」の第3作目。 本作はコンシューマー機向けに移植されてないためか、知名度が高いとは言い難い。 高木庸旬氏によるBGMは世界各地の特色をよく表現していると言える。 高木氏は以降の『大航海時代外伝』や『大航海時代IV』でも作曲を担当している。 BGMがCD-DA音源のため、オーディオプレイヤーで聴くことができる。 (前作:大航海時代II 次作:大航海時代IV) 収録曲 No.(Win) No.(ST) 曲名 備考 順位 OP 01 Opening オープニングムービー 02 15 Africa アフリカの都市 03 22 Approach 酒場女へのプロポーズ 04 20 America アメリカ(新大陸)の都市 05 06 Mediterranean 地中海の都市 06 18 China 中国の都市 07 14 Middle East 中近東の都市 08 30 Game Over ゲームオーバー 09 13 Scandinavia 北欧の都市 10 12 Iberia イベリアの都市 11 28 Single Combat 一騎打ち 12 16 India インドの都市 13 10 Indian Ocean インド洋・太平洋西側・カリブ海北側など 14 23 Retired プレイヤーキャラクターの引退 15 07 Near Europe 地中海・北海近くの海域 16 03 Church 教会 17 21 Mu ムー大陸発見 18 19 Japan 日本の都市 19 09 Arctic Ocean 北極・南極近くの海域 20 04 Royal Palace ヨーロッパの王宮 21 24 Presentation スポンサーへのプレゼン 22 05 Tavern ヨーロッパの酒場 23 02 Initial Setting タイトルメニュー 24 08 Pacific Ocean カリブ海南側・南方大陸近辺の海域 25 11 Atlantic Ocean 大西洋南部の海域 26 26 Expedition 陸路探検 27 17 Southeast Asia 東南アジア・中央アジアの都市 28 27 Naval Battle 海戦・陸戦 29 25 Failure ED 29 Ending エンディングムービー (敗退) ジングルで流れる (遺跡発見) (勝利) サウンドトラック 大航海時代 30周年記念 サウンドトラック全曲集 大航海時代IV with パワーアップキット HD Version 30周年記念版 同梱 『大航海時代IV with パワーアップキット HD Version』の記念版サウンドトラック。Disc3に収録。
https://w.atwiki.jp/bemani2sp/pages/4609.html
GENRE TITLE ARTIST bpm notes CLEAR RATE IIDX EDITION 新時代 Remixed by Nhato feat. 花たん 175 1171 n%(yyyy/mm/dd) 攻略・コメント 人気曲でみんなにやって欲しいということもあってか、☆10としては逆詐称クラスに簡単な譜面となっている。ただし、ラストのトリル乱打に1枚だけ皿が挟まっているので、ノマゲでは焦ってボーダーを割ることのないように。 -- 名無しさん (2023-02-24 03 09 30) 多少CNはあるもののおおよそCROSSROADと同等の8分同時押し譜面。クリア難度は逆詐称というほどでもないがスコア難度は☆10最低クラスなので~八段はAA、九段以上はAAA目指して頑張ろう。人気版権曲はこういう素直な譜面だとノリノリで押せるので個人的にかなり好き -- 名無しさん (2023-02-24 04 54 51) 怪物を一回り緩くした感じ。 -- 名無しさん (2023-02-24 09 56 24) 同時押しに時々トリルって怪物まんま -- 名無しさん (2023-02-24 21 50 21) 1P鏡が良かった。トリルがほぼ交互押しになる。 -- 名無しさん (2023-02-26 11 41 31) 怪物(A)と比べると隣接同時が多めでやや左寄り。キレイな配置だった怪物と比べてちょっとだけ押しづらかった -- 名無しさん (2023-02-28 17 33 42) スコア難度はともかく、これは怪物よりは少しだけ難しく感じた。ちょいちょい123の三角押しも出てくる CNはほぼオマケ程度 -- 名無しさん (2023-09-06 21 26 44) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/171.html
目次 1.新しき潮流 2.新文明の息吹 3.宗教改革の時代 4.根本の精神 5.未来史の展望 6.我が再誕の予言 (一九八七年十一月十六日の霊示) 1.新しき潮流 さて、私(わたくし)は、今後の時代を取り巻く環境、および、その中を流れていくであろう精神について、話をしていきたいと思う。 まず、この霊示を送っている現在、今、現時点に立って、これからの世界を眺めてみると、いくつかの潮流というものが目に見えてくる。その潮流とは何かということを、明らかにしていきたいと思う。 まず、最初の大きな潮流としては、唯物(ゆいぶつ)主義の流れ、ここ一世紀、あるいは二世紀の間に現われてきていた唯物主義の流れというのが、今、袋小路(ふくろこうじ)の中へ入っていこうとしておるということです。すなわち、この流れは大きな潮流をなすことができなくて、湾内をグルグルと回り始めているということです。それは、唯物主義というイデオロギー理論が、行き詰まっているというのみでなく、科学の中においても、唯物主義の科学というものが、行き詰まっているということである。すなわち、今後の大きな潮流とになり得ない、この唯物主義のイデオロギーが、一つの逆流現象であったということが、今後、だんだんに明らかとなっていくであろう。そのように私は思います。 そして、これに代わって新たに流れていくものは一体何かというと、これが、霊的世界観の流れであるうと思う。今後は、あなた方が意図しようがしまいが、気づこうが気づくまいが、さまざまな角度で、さまざまな方面から、霊的な文明を創っていくための大きな流れというのが起こってくる。潮の流れというものがいろんな面から入ってくるであろう。 それは、一つの宗教的な面だけではない。哲学的な面からも、経済学的な面からも、政治的な面からも、あるいは他の芸術面からも、文化面からも、医学面からも、科学面からも、この霊的な側面というものが、明らかになっていくであろうと思う。 たとえば、現代医学というものは、主として西洋医学を中心に成り立っているが、この西洋医学の基礎にあるものは、人間を物質としてとらえている、そうしたものであって、人間の本体である霊というものを無視した理論となっている。しかし、これからは、霊肉のこの両者が、研究の対象となっていくのが以後、医学の進んでゆく道である。 さすれば、この道は、宗教の世界とも通じるものがあり、宗教でもあり、医学でもあるというような方向へとなっていくであろう。また、それは、新たな教育の流れの中にも流れてくるであろう。教育の流れの中にも、霊的なるものを目覚めさせるものが出てくるであろう。また、それのみでなく、哲学の流れの中においてもそうだ。知的に物事が語られておったものが、今後は霊的実証論と相まって、さまざまなことが説かれていくようになるであろう。また、政治の中においてもそうである。霊的なる価値というものが、認められるような流れが出てくるであろう。経済の中においても然(しか)り。霊的な価値を内に含まない経済理論は、やがて衰退していくであろう。 こういうふうに、すべてのものの流れの中に、霊的なるものの値打、霊的なるものの存在というちのを認める、そうした大きな潮流というのが、今、二十世紀の末に端を発して、今後、五世紀、十世紀と、うねりを起こしていくだろうと思う。 こうした新しき潮流には、もう一つの特徴がある。その特徴とは一体何であるかというと、結局のところ、一つの世界観を打ち出すことになるという側面があるということだ。かつて、ケプラーとか、ガリレオとかの時に、地動説(ちどうせつ)というのが唱えられて、新たな世界観が呈示(ていじ)されたことがある。それとまったく同じことが、もっと大きな規模において、起きていくのである。 すなわち、この三次元というのがすべてではなくて、この世界以外の世界がある。地球や月や太陽を超えた世界があるということが、はっきりとわかるようになってくるということだ。四次元以降の世界があり、その世界こそが、我らが本当の世界と呼んでいる世界だということが、やがてはっきりとしてくる。 こうした新たな世界観を呈示する過程においては、さまざまな衝撃や、さまざまな疑問、疑惑、そうしたものが出てくるであろうけれども、やがて地動説が確立していったように、こうした世界観というのがはっきりとした形で、打ち出されていくであろう。 そして、その世界観は、かつて、オカルトの世界において摩訶(まか)不思議なものとして語られていたようなものではなく、もっと明瞭に、もっと白日(はつじつ)のもとに、晒されるようになってくるであろう。そうした、明瞭な世界観の呈示というものがなされていくであろう。これも新たな潮流である。こういうふうに言えると思う。 いま一つの潮流とは何かというと、これは、人生の目的というものに対する再考というものが、始まるということである。人生の目的に対する再考とは一体何であるかというと、それは、今までは、たとえば、金銭が目的であるとか、社会的な成功が目的であるとか、こうしたものを目的として人びとが営んでおった生活が、これからはまた、別な面から再検討されるようになる。そうしたものではなくて、人と人との触れ合い、家族、親子、兄弟、あるいは友人、こうした者とどれだけ多くの豊かな触れ合いをもちながら生きていくことが、豊かな人生と言い得るか。こうしたことが研究の対象となってくるであろう。課題の対象となってくるであろう。 したがって、人びとの求めるものは、決して収入や地位ではなくて、より愛に溢れた人生ということになるであろう。やがて、いくら収入が多くとも、いくら肩書きがよくとも、愛のない人生を生きたならば、それは、何の意味もないと言われるようになってくるであろう。愛ある人生を生きる、心の中に潤いのある人生を生きるということの価値が、再認識されてゆくようになっていくに違いない。 そうした時代こそが、私たちの期待しているものでもあり、また、その期待のごとく、やがて展開されていくであろう世界観でもある。こういうことが、言えるのではないであろうか。 2.新文明の息吹 さて、そうした潮流の流れの中で、新しい文明の息吹、新文明の息吹というのは、どのように起きてくるであろうか。それについて語ってみたいと思う。 新文明の息吹は、一つは、心の中における改革から始まってゆくであろう。心の内なる改革、人間の中にある改革、心の可能性に対する百八十度の転換、価値転換ということが、その出発点となるであろう。 すなわち、今まで心の中の領域というものは、無造作に、野放しになり続けてきたということだ。 人間は行動の面に関しては、さまざまな規制を受けたり、さまざまな批評を受けたりして、生きてきたけれども、心の用い方と、心の中の有り様に関しては、ずいぶん長い間、その人個人の自由に任されていた領域がある。 しかし、これからはそうした時代ではない。その心の中身こそが広大無辺な世界であって、そして開拓の可能性のある世界であるということが、言えるようになってくるであろうと思う。心の中の可能性、そして、その心の開拓、ニュー・フロンティアの発掘、こうしたことが、今後の大きな課題となる。すなわち、人間は、自分の心の中にどれだけの世界を発見できたか、そして、心の中に発見した世界に、一体どれだけのものを創り得たか、その中にどれだけの種を蒔き得たか、こうしたことを学ぶようになってくるのである。 生きている人間が、耕(たがや)せる畑は少ないかもしれない。しかし、心の中の畑は、広大無辺である。この広大無辺な心という、肥沃(ひよく)なる土地をいかに耕すか。いかに耕して、それにいかなる種を蒔(ま)くか。いかなる種を蒔いて、いかに育てるか。いかに育てて、それをどのように刈り入れるか。こうしたことが、根本の問題となってくる。 したがって、新文明の有り様は、心の開拓ということをなくしては、決してあリ得ないということだ。心の世界の開拓、それをいかに肥沃にし、豊かにし、実り多いものにするか、これが、新しい文明の息吹(いぶき)そのものであるということを知らねばならん。したがって、文明改革の先頭に立つものは、まず、心の問題というものを前面に掲げねばならん。心とは何なのか、その可能性とはどれだけのものなのか。 現在では、精神医学者であるとか、そうしたごく少数の人にしか、心の問題というのは取り扱われていないと思う。あるいは、文学のテーマの一つにしか過ぎないかもしれぬ。しかしながら、心の中にはすべてがある。 心の中には、あらゆる人間的感情や、あらゆる精神の有り様や、また、心の奥底にはすべての世界観、すべての世界の実像、四次元以降の世界、九次元、十次元までの世界まで通じるものがあるのである、ここに、新たな発見がある。 よって、二十一世紀以降の文明を予見するとするならば、心の時代ということが明らかに言える。それは、単なる触れ合いであるとか、フィーリングであるとか、そうしたことではない。本格的に心というものを開拓する時代が来るということだ。 新文明の息吹(いぶき)の第二は、やはり、科学の一層の進展ということに、触れざるを得ないであろうと思う。 二十一世紀の科学は、まだ、今後発達する科学の全貌からみるならば、二割、三割程度にしか達していないと言えるであろう。 これからは、もっと、もっと進歩する。そして、科学の進歩する領域というのは一体どのようなものかというと、あなた方が心の中に、こういうふうになれば、使利になると思うようなことが、すべて実現していくような世界となるであろうと思う。 たとえば、あなた方は、鳥や蝶(ちょう)を見ておって、自由に空を飛べたらいいなと思うであろう。そういう思いが、現在のたとえば飛行機を生み出したであろう。しかし、飛行機に乗るということは、空港までの所要時間を要し、非常な困難を伴うものである。しかし、人間には空を自由に飛びたいという気持がある。この、自由に空を飛びたいという気持は、やがて、かなえられるようになるのである。それぞれの人間が、特殊な装置によって、自由自在に空を飛べるようになっていくであろう。それはおそらく、ベルトに取り付けられた、重力制御装置によって、そうしたことが可能になっていくであろう。そうした世界が、やがて開けてくるであろう。 また、通信網はさらに発達をし、海外にいる者と、国内にいる者とは、ごく隣近所として話ができるような形になっていくであろう。日本という国を取り出してみるならば、日本の国の端(はし)から端まで行くのに、ごくごく短時間で動けるようになるであろう。十五分もあれば北海道から九州に動けるように、やがてなってくるであろう。また、海の中からさまざまな幸というものを取り出すことができるようになってくるであろう。ロボットというものも大量に出現し、人間の代替(だいたい)的な作業を請(う)け負(お)っていくようになるであろう。そうした科学の時代が、やがて訪れるようになるであろう。 そして、宇宙空間への飛行ということも、やがて日常茶飯事(さはんじ)となってくるであろう。人びとの関心は、心の内なる宇宙と、さらに、この三次元の宇宙と、二つの宇宙に向っていくようになるのである。 また、これからの時代には、他の惑星の人間たち、生物たち、こうしたものとの交渉というのが非常に煩瑣(はんさ)になってくるであろう。そうして、地上の人間は、自分たちが気がついていないような、新たなそうした価値観というものを見い出していくであろう。今まで考えられなかったような、人間の生き方というものを発見するようになるであろう。 また、自分たちとは違った行動様式があるものと接することによって、第三者の立場から見た、自分たちのあり方というものが、わかるであろう。やがて、そうした宇宙人との交流を通じて、地上に戦争ということのもたらす悲惨さと、その無意味さということを地上人類の人たちは、悟っていくようになるであろう。 こうして、新たな人びととの接触というのが始まることによって、地球人の感覚というものが、トータルで見直される時が来るようになるであろう。そしてその時は、人類が一つにまとまっていく時であろうと思う。今、世界各国がさまざまに分かれて、いろんな主義主張のもとに生きているけれども、やがてこれが一つのものとまとまり、日本の国内がさまざまな県として、自治権を与えられているように、世界連邦となって、その中で仲よく住むようになっていくであろう。 やがて、そういう時代が来るであろう。それを私は、つい目の前に追っている世界のように感ずるのである。 このような、人類が一つ、地球が一つとなって、他の惑星の人びととも交流するような時代というのは、そう遠い将来のことではない。ほんの、ここ百年、二百年の内に起きてくることとなるであろう。 3.宗教改革の時代 さて、このような文明、新文明のあり方というものを考えるときに、その前提として考えておかねばならないことがある。それが何かというと、宗教改革ということです。新しき心の時代と、新しき全人類的なまとまりというものを持ち来たらすための、その前提条件として不可欠であることが、宗教改革ということである。 この宗教改革は、内部において、二段の構造を持つものとなる。第一段階の構造は、宗教を認める者と認めない者との間に起きるものである。すなわち、現時点においては、宗教的なるものを認めない者の方が多数を占めているようにみえるけれども、宗教を認める者、信じる者が、信じない者を制圧し、やがて、多数派を取る時代が来るということだ。 現在の日本で、何割の人が神を信じているであろうか。三割であろうか、四割であろうか、五割であろうか。それは定(さだ)かではない。現代の日本人の内の一体何割が霊を信じているであろうか。二割であろうか。三割であろうか。少なくとも五割は超えていないはずだ。しかし、やがて、そうしたものを、神や霊を信じる人たちが、大多数を形成する時代が来る。八割、九割の人たちが信じるような世界が来る。それが、宗教の内と外を分ける大きな最初の変動の要素となってくるであろう。 第二段階目のその変動の要素は、宗数内部における大改革ということになるであろう。宗教内部の大改革とは一体何であるか。今まで、さまざまな宗教が並び立っておる。並び立って競争している。どの宗教も、我こそは正しいと言って競争しているけれども、この宗教の中において、一つの統一ある原理が、見い出されるようになってくるであろう。 政党にも多数派の見解があるがごとく、学説にも多数説があるがごとく、やがてこの宗教の世界においても、多数説というのが通用するようになってくるであろう。その共通の基盤というのができてくるであろう。コモンセンスというのができてくるであろう。やがて、そういう時代が来る。そして、その多数の理論、大部分が認めるような理論というのが、基礎がしっかりしたものとして、固まっていくようになるであろう。 こうして、内部の改革というのが行なわれてくる。すなわち、それぞれの人間が得手勝手(えてかって)にやっておった宗教というものが、一つの統一の原理のもとに、一つの大きな黄金の原理のもとに、まとまりを創っていくということである。 まあ、これは当然のことであって、宗教以外の世界においては当然の世界である。経済の原理というものが、たとえば、ある会社にだけ作用して、他の会社には作用しないということはあり得ない。経済原理というものは、Aの会社にもBの会社にも、Cの会社にも共通に働いている。ところが宗教の原理だけが、Aの団体には通用しても、Bには通用しない。そうしたことが、まかリ通っておる。こうしたことは、やがて許されなくなってくるのである。そして、はっきりとした方針、はっきりとした基礎部分、こうしたものができるのである。これが、宗教改革の第二段階目である。 この、認めない者から認める者が増えていく時代、そして、認める者の中で内部改革が起こって、そしてその中の多数の見解、最大多数の見解というのが統一されてゆく、こうしたことである。 したがって、あなた方を今後待っている仕事も、この二つの焦点(しょうてん)をもっている、と言うことができるであろう。一つは、無神諭者たち、あるいは、霊的実相の世界を信じない者たちを信じさせるがための行動、活動、仕事ということが大切となる。もう一つは、神を認め、霊を認める者たちの異なる見解というものを、統一していくための原理を創ってゆく必要があるということだ。このニつが、あなた方にとって、大切な行動原理となっていくであろう。 すなわち、まず、霊的な世界観を広めるという必要がある。そのためには、一体どうしたらいいのであろうか。やはり、あの世の世界が現にあるということの証明というものが、必要となってくるであろう。そのための証明とは一体何であるか。私は今、このような形で地上に、かつてなかったような霊示を送っているわけであるけれども、こうした霊示集を世に問うということも、大きな証明であると思う。 こうした証明はかつてなされたことがない。そして、我らが直接語り、その語った言葉が、数万、数十万の人びとに読まれるというのは、一つの大きな奇跡であるうと思う。こうした霊的現象の奇跡が、現に起きる以上、これを続々と続けていくということが、何にもまして大切なことであろう思う。 私(わたくし)の霊集というものも、一集、二集に止(とど)まらず、五集、十集と出していき、人びとにやがて読まれていくような、そうした世界となってよい。そうした者が、数多く、霊言、霊示集を出していくことが、あの世の世界の実証になるであろうと思う。こうしたことにおいて、仕事において、限りはないと思う。あくまでも限りはない。どんどん、どんどんと積み重ねていくということが大事であろうと思う。 さすれば、常識の枠(わく)を打ち破らねばならん。一年に一冊の書物を出せばよいのではない。何十冊も、何百冊も、続々と本を出し続け、日本全国の人びとが、それを読むところまでいかねばならん。いや、日本だけではない。海外の人びとまでもが、それを読むようにならねばならん。そうした大きな時代的な雰囲気(ふんいき)、ブームというものを創ってゆかねばならん。そのための作業をし続けねばならん。そうしたことが、限りなく大切なことのように私は思われる。そういうことで、霊的実証というのを積み重ねていく、この必要がある。これが、一般人に対する行動原理であろうと思う。 もう一つの宗教人に対する行動原理、これもまた、大切なものであろうと思う。それは、多くの教えの中にある、共通なるものをまず見いだしていくという努力である。これが何にもまして大事だ。それぞれのものが、それぞれに言い合っておるだけではなくて、その中に流れている共通のものは何か。一本の黄金の糸とは一体何であるのか。これを取り出し、これを見つけ出していくということが、大事ではないのか。 第二は、そうした共通のものに反するもの、反する教えの有り様、これが、存在が許されるものか、改変を余儀(よぎ)なくされるものか、こうしたものの検討が必要であろう。 また、もう一つは、神理の教えの中の高低ということ、教えの高い低いということが、明らかにされていく必要があるであろう。それは、たとえば、学問において、小学校の学問があるように、中学校の学問があるように、そして高校や大学の学問があるように、神理の領域においても、その程度の差があるべきである。どのような教えが初級レベルの神理であるのか。どのような教えが中級レベルの神理であるのか。どのような教えが上級レベルの神理であるのか。こうしたことが、大事となってくる。 この、教えの上下を明らかにするという作業が大事これがなければ、一般の人びとも学んでいく方法がない。学んでいくすべがないのである。どれが入門であり、どれが終了であるのか。どれが初級であり、ど鉄が上級であるのか。こうした神理の多層化、多重化というものに対する検討というものがなければ、そうしたことは、非常に入りにくいものとなってくるのである。 今の宗教を見ていると、それぞれのものが割拠(かっきょ)しておって、それぞれに自分のものを最高のものだと言っているだけであって、本当の真理のレベルとしてどのようなものであるか、ということの差異が明らかになっていない。これを明らかにしていく作業が、必要だううと思う。 今、現代の社会を見ても、経済世界においては、会社にも一流会社と二流会社があるであろう。あるいは三流会社というのがあるであろう。それは、いろんなもので決まっていくであろう。その内部の人材で決まることもあれば、その会社の陣容の大きさ、規模の大きさで決まることもあれば、会社の売り上げ高で決まることもあり、会社の収益で決まることもあるであろう。しかしながら、何らかの規準でもって、その中に、よい会社とそうでない会社を分ける規準があるはずである。 同じように、神理の団体においても、そうした物事の考え方が、通用する時代がこれから来るであろうと思う。非常に優(すぐ)れた団体、まずまず優れた団体、まずまずの団体、あるいは見劣(みおと)りのする団体、はるかに見劣リのする団体、こうしたものが明瞭に、くっきりと、浮き出されていく時代が来るであろう。また、そうでなければならない。このように私は考える。これが、来たるべき宗教改革の時代のあり方であるうと思う。 4.根本の精神 新しき潮流、新文明の息吹(いぶき)、宗教改革の時代と、これからの新時代についての話をいろいろとしてきたけれども、ここで、根本の精神ということに立脚して、話をしていきたい。 我われは今、霊天上界にあって、今後来たるべき時代をどういうように創っていくかということに関して、日夜、話をしており、日夜、具体的実践活動に取り組んでいる者である。その我らが、話をし合って、取り決めている考え方というのがある。精神というのがある 今後の時代は、こうした精神でもって運営していこうという考えがある。その精神とは何かというと、三つの柱で創られていると言えよう。 根本の精神の第一は、人間神の子の思想の普及ということである。まず我われは、これを全面に押し出すこととした。これからの時代には、人間神の子という思想を全面に押し出していく。これに納得をしてもらう。こういうことが、大事であるうと思う。 第二の桂としては、愛というちのを再興(さいこう)することである。再興とは、再(ふたた)び興(おこ)すということだ。これから、愛の時代というものをもう一度創っていく。これが、大事な課題と言えよう。愛の時代とは何か。愛とは何か。それは、愛とは人と人を結びつける力である。 人と人とを結びつけて育(はぐく)んでいく力である。すなわち、お互いに手を取り合うことによって、その力を、その値打(ねうち)を二倍、三倍にしていくことである。これが愛である。 こうした、愛の再興、これを根本の精神として据えた。愛の時代をもう一度創り出す。これが愛の社会であり、これが愛の世界であり、これが愛の歴史であるということを明瞭に打ち出せるような、そうした時代を創ってゆく。これが、私たちの基本の精神である。 根本の精神の第三番目は、これは、経済原理の再構築ということだ。今後、経済の問題は、さらに深まり、さらに多様な方向性というものを見い出してゆくであろうが、この中において、一本の値打、価値というものが、貫(つらぬ)いていく時代が来る。この経済原理の再認識、新たなる経済理論とは、すなわち、それは経済理論の中には、この世的なる結果の理論というものが、封じ込められていると思う。経済の理論は、結局のところ、この世的なる繁栄の理論であり、いかにこの世的に発展、繁栄していくかということが、理論的に説明されているものであろうと思う。その、この世的に繁栄、発展していく理論が、その中に、神理というものを織(お)り込んでいく時代、これが予定されているのである。 つまり、神理経済学の時代というものの到来、神の経済学というものの到来、そうした経済世界の到来、これが新たなる精神として考えられているということだ。 以上の三つの精神は、その基本において、全く同しものを意味しているかもしれない。すなわち、人間神の子の思想、愛の復権、そして経済の中の神理の確立。こうした問題、この三本柱、人間が神の子であり、そして愛の復権こそが大事であり、そして、経済の中に神理が見い出されていき、ますます社会が発展する中に、人類の発展もあるという、そういう世界観、これが求められているのである。この三つが、これから少なくとも、数百年後をリードしていく、時代精神となっていくであろう。 その時代精神に奉仕(ほうし)するために、さまざまに人の活躍というのがあるであろう。その活躍は、一つには宗教家の活躍であり、二つには経済人たちの活躍であり、三つには教育家たちの活躍であろう。宗教家と、経済人と、そして教育者、この三者が力を合わせて、新たなる時代を創っていかねばならない。そうした時代が、もうそこまで来ている。 5.未来史の展望 さて、こうしたことを前提として、人類の未来史というものを、展望していこうと思う。 この霊言集を収録している現在は、一九八七年の十一月である。今後、どのような時代が、人類を待ち受けているのであろうか。巷(ちまた)によく言われているような、人類の危機が来るのであろうか。それとも来ないのであろうか。あるいは、その危機のあとに、どんな時代が来るのであろうか。そうしたことを、地上のあなた方は、心配しているに違いないと思う。 人類の未来史には、甲乙(こうおつ)がある。すなわち、優れている部分と、そうでない部分があるということだ。繁栄の世界と、没落の世界があるということだ。これは否定ができない。なぜならば、そうした繁栄と没落を通して、新たなる時代が開けていっているからである。 まず、日本という国を取ってみたときに、この国の将来は一体どのようになるのであろうか。この国の将来というものを眺めて見るときに、もちろん、途中さまざまな紆余曲折(うよきょくせつ)はあるであろうが、これからの百年間は、おそらく、黄金の時代であるということが言えるであろうと思う。それは、神理というものが声高らかに叫(さけ)ばれ、そして、その神理の号令のもとに、国民が一致団結して、黄金の時代を創ろうとする世界が開けてくる。 そういう時代になる。これを言うことができるであろう。 日本という国は、ここ百年間、人類の手本となるであろう。そして、その文化の高みが、他の諸国の人びとの心を潤(うるお)していくようになるであろう。これからの末末史は、人類の未来史は、日本という国のあり方を見れば、わかるようになってくるであろう。ここ百年間の黄金の時代の到来、これを私は告げておきたいと思う。 他の諸国にあっては、どうであろうか。アメリカという国には、すでに没落の気配が漂(ただよ)っていると思われる。そうした不吉(ふきつ)な影が忍び寄っている。わずかまだ、歴史において、四百年ぐらいの国であるにもかかわらず、その繁栄の影にかげりがある。やがて、このかげりというものが明らかになっていくであろう。アメリカという国は、経済的なる破綻(はたん)をやがて起こすようになっていくであろう。また、大いなる、軍事的なる脅威に、脅(おびや)かされるようになってくるであろう。 また、ヨーロッパという国々がある。このヨーロッパの国々においては、今、さまざまな形で文化が栄えているけれども、この文化というものも、やがて次第にかげりが出てくるであろう。特に、そのかげりというものは、南、すなわちヨーロッパの南部において、そうした形が出てくるであろう。 また、ソ連の領域においては、今後、さまざまな物事が起きていくことであろう。それは、一部では戦争というものも起きてくるであろうし、また、他の部分としては、旱魃(かんばつ)、農作物の被害、天変地異(てんぺんちい)、あるいは大地の一部の陥没、こうしたことに見舞われるうになるであろう。こういうことを言うことができるであろうと私は思う。 また、これ以外のアジアの世界においてはどうであろうか、アジアの中では、最大の人口を誇っているのは中国とインドである。中国という国には、今後、また大きな革命が起き、新たな時代、新たな文明の時代というものが、訪れてくるであろう。そのように思われる。 インドという国は、伝統があり、宗教の宝庫とも言えるような、アジアの精神の起源のところであるけれども、このインドにも、遅々(ちち)とした形ではあるけれども、新たな発展の構図というものが見えてくるであろう。資本主義の原理は、インドの中にもやがて、根強く栄えるようになってくるであろう。そうして、彼らの文化様式も、大いに近代化してくるであろう。 一方、今後の繁栄というものは、東南アジアを中心としてますます栄えていくであろう。東南アジアからオーストラリアの世界、このあたりが、これからの二十一世紀以降の、世界の繁栄の中心となっていくであろう。こうしたことが言えるであろう。 大まかな形で言うとするならば、今、現時点において栄えている国は、やがて滅び去っていき、今、第三世界と言われている国が、やがて勃興(ぼっこう)していくということだ。こうしたことを言うことができるであろう。 また、アフリカという国は、さまざまな試練を受けるであろう。その中において、壊滅的なる被害を受けるところもあるが、また、奇跡的回復を記録するような、文化的な高みを創っていく国もあるであろう。 西アジアの世界では、西南アジアにおいては今後、戦乱が勃発(ぼっぱつ)し、さまざまなる不幸が現われてくるであろう。そしてそれは、世界の諸悪の中心のごとく見えることも、やがてあるであろう。しかし、やがてそうした世界は、過ぎ去っていくことであろう。そして、また平和が訪れるであろう。 これが私(わたくし)の見た、今後の世界図である。さまざまのことが今後、起きていくであろう。しかし、いつ、どの時点で、何か起こるかということを、私は明確に述べることはしない。それは、人類にとっての課題であるからだ。未来ということは、知らなくてよいのである。末末ということは、予想はある程度あっても、現実のこととしては知らない方がよいのである。末末というものを知らずして、日々、日々を着実に生きていく人生こそが大事なのである。 あくまでも、この三次元という世界は、仮(かり)の世界であり、人びとは、魂の修行という目的でもって、生きているということを知らねばならん。そうした世界であるということを知らねばならん。さすれば、これから先に、どのような不幸が来ても、どのような変革が来ても、どのような革命が訪れても、それで心を動かしてはならない。 あくまでも、この世は仮の世界であり、どのように悲惨にみえたり、どのような大混乱にみえることが起きたとしても、それらもすべて、魂の糧(かて)として用意されていることだと思いなさい。そうした環境の中で、最良のものを選び取っていきなさい。最悪の環境の中でも、最良の心を築いていきなさい。そのことが、何にもまして大事なのである。 6.我が再誕の予言 今まで、ここ百年、二百年という歴史を中心に、未来史の展望を語ってきた。さて、私(わたくし)も聖書の中において、やがて再臨するということを予言している。そして、この再臨が、果たされることになると思う。 私がこのように霊示集を送っているということも、これも一つの再臨かもしれないけれども、そうしたことではなくて、本格的に私が地上に肉体を持って生まれるということが、やがてあると思われる。それは、さほど先のことではない。これから、四百年ぐらい先のことになると思う。場所は、まだ明確ではない。ただ、おそらく、現在西側と言われている世界の、ある国に、生まれることとなるであろう。 その国に生まれて、私はまた、大いなる愛の世界を広めていこう思う。あなた方の仕事というものを、今世紀における仕事というものを基礎として、これを旧約聖書として、私はまた、新たなる聖書を、新約聖書を人びとに広げていこうと思う。新たなる福音(ふくいん)を広げていこうと思う。その時に、科学は進み、経済は進み、国々はまた、違った繁栄を見せているであろう。その中において、私は新たな心の世界を説いていこうと思う。新たなる世界観と、新たなる価値観を説いていこうと思う。 そして、私(わたくし)が再臨したということを明かすがために、私は必ず、また、愛が大事であるということを説こう。愛こそが、人類の出発点であるということを説こう。愛の素晴らしさを説こう。今から四百年後に、愛を再び説く人が現われたら、それが我が再臨である。 人びとよ、我が再臨の時に生まれ合わせることを希望せよ。我が声を再び聞く者は幸いである、我がもとに再び集まる者は幸いである。我と共にまた、教えを述べ伝える者は幸いである。心貧しくあっても、我と共に生きることができる者は幸いである。神の心を伝えんがために、また、多くの同志が集(つど)い来ることは、何にもまして素晴らしいことである。 やがてまた、お会いすることがあるであろう。その時まで、私もまた、日々己(おのれ)を磨き、精進していくこととしよう。地上にあるみなさんも、その時を目指して、自らを見つめ、自らを磨いていっていただきたい。それをお願いして、本章を閉じることとしよう。
https://w.atwiki.jp/famifami/pages/21.html
暗黒時代の記憶 結構日時 目的 狩り方 進行手順 最低限必要な装備 MAP #ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。 モンスターデータとコメント