約 5,620 件
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/367.html
陸奥国 会津郡 橋爪組 上米塚(かみよねつか)村 大日本地誌大系第31巻 48コマ目 この村至徳の頃(1384年~1387年)葦名直盛高久組幕内村に住せしとき米倉ありし処ゆえ米塚と名け、中頃米丘と書きしこともあり。同称の村あるゆえ上下の字を加えしという。 府城の西南に当り行程1里。 家数34軒、東西2町44間・南北47間。 四方田圃(たんぼ)なり。 村中に下野街道あり。 東3町38間本郡南青木組飯寺村に界ひ鶴沼川を限りとす。その村は丑寅(北東)に当り14町30間余。 西3町・北3町、共に下小松村の界に至る。その村は酉戌(西~西北西の間)に当り11町30間。 南8町大沼郡本組本郷村の界に至る。その村は未申(南西)に当り6町余。 また未(南南西)の方2町上荒井新田村の界に至る。その村まで2町10間余。 端村 出新田(でしんでん) 本村の南50間余にあり。 家数18軒、東西42間・南北2町30間。 四方田圃にて村中に下野街道あり。 寛永3年(1626年)に開く。その時蒲生氏より与えし制札をこの村に持伝う。その文を載す。旧はこの村より東の方鶴沼川の傍にあり、何の頃にかここに移せし とぞ。 定 大沼郡小松村に新田宿相立候 御代官給人共に構無之者 望次第罷出開作可仕候 幷廿ヶ月以前に至欠落候者屋燒人殺仕者外は 御代官給人構雖在之罷出於令開作は異義有間敷候 御年貢之儀三年作取に被下候 御役義末代可被成御用捨候條可存其意者候也 寛永三年二月廿四日 外池信濃守 福西吉左衛門 稻田数馬之助 宗頥町(そういまち) 葦名盛氏本郷村の向羽黒山に城を築き、元亀元年(1570年)ここに町を開き、医師糟尾宗頥という者を置きし故(ゆえ)この名あり。 本村の巳午(南南東~南の間)の方5町10間余にあり。 家数20軒、東西53間・南北1町20間。 四方田圃に東は鶴沼川に近し。 (宗頥がこと滝沢組滝沢村の条下を併見るべし) 山川 鶴沼川 俗に大川という。 村東30間余にあり。 本郷村の境内より来り北に流るること20町余、飯寺村の界に入る。 関梁 船渡場 村東にて鶴沼川を渡す。 府下より下野国に通る街道なり。 冬月は橋を架す。 水利 思鑿堰(おもひほりせき) 本郷村の方より来り田地の養水とし下小松村の方に注ぐ。 寺院 泉現寺 村の西南にあり。 浄土宗府下徒町願成就寺の末寺なり。開基詳ならず。 天正年中(1573年~1593年)普門という僧住して白米山泉現寺と號す。 本尊弥陀客殿に安ず。 地蔵堂 境内にあり。 地蔵、長2尺8寸。 糟尾宗頥が守本尊なりという。 旧端村宗頥町にあり何れの頃にかここに移せりという。 北会津村誌上米塚村および中新田村 北会津の昔ばなしと伝説雷様の病気を治したお医者様 Google Map泉現寺 福島県大沼郡会津美里町字宗エン町
https://w.atwiki.jp/th_seiti/pages/144.html
関係あると思われるもの 豊聡耳神子(東方神霊廟/東方深秘録) 橘寺 聖徳太子の誕生の地。聖徳太子建立七大寺の一つ。 境内には 橘の木、日月星の光を放った三光石、人の心の善悪の二相を表した二面石 太子を乗せて空を駆けたといわれる黒駒の像等がある。 住所 〒634-0142 奈良県高市郡明日香村橘532 アクセス 近鉄「橿原神宮前駅」から明日香周遊バス「赤かめ」に乗車する。「岡橋本」で下車。 または近鉄「橿原神宮前駅」の前にレンタサイクルがあるのでそれを使う。 橘の木 田道間守という男が常世国へ不老不死の薬を探し求め、数十年の苦労の末ある果実を持ち帰った。 その果実を「非時香菓(トキジクノカクノコノミ)」といい、その種を蒔いて芽吹いた実が橘でそれが地名の由来となったといわれている。 神子「黄色のマントが良いと言ってくれたら、蜜柑をあげようと準備してたのだが・・・」 名前
https://w.atwiki.jp/okamo9975/pages/27.html
太陽社長こと岡本大助の送る『全国神社Wiki』へようこそ。 このWikiでは神社や神道にまつわる事を随時更新してゆきます。 赤城神社 〒162-0817 東京都新宿区赤城元町1−10 由緒 正安2年(1300年)、後伏見天皇の創祀に際して、群馬県赤城山麓の豪族であった大胡彦太郎重治が牛込に移住した時に、本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祀りしたのが始まりだといわれています。 その後、大胡氏の後裔にあたる牛込氏が、牛込早稲田の田島村(今の早稲田鶴巻町 元赤城神社の所在地)に鎮座していたお社を寛正元年(1460年)に太田道潅が神威を尊んで、牛込台(今の牛込見付附近)に遷し、さらに弘治元年(1555年)に、大胡宮内少輔(牛込氏)が現在の場所に遷したといわれています。 境内にカフェが併設されている神社 カフェが併設されているだけでなく、寄席を行ったりマルシェを開くなど、参拝した方が「ヒトイキ」つける場所を目指している珍しい神社です。 image2.jpg
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/479.html
陸奥国 大沼郡 高田組 新屋敷新田(しんやしきしんでん)村 大日本地誌大系第33巻 24コマ目 元和8年(1622年)本郡中荒井組蕎麦目村の農民開くという。 府城の西に当り行程2里10町。 家数17軒、東西2町・南北1町。 四方田圃(たんぼ)なり。 東4町会津郡中荒井組宮下村の界に至る。その村まで8町40間余。 西1町4間・北1町34間、共に新屋敷村の界に至る。その村は西に当り5町20間余。 南3町阿久津村の界に至る。その村は未申(南西)に当り10町20間余。 端村 向新田(むかひしんでん) 本村の南2町にあり。 家数17軒、東西50間・南北40間。 四方田畝にて東は宮川に傍(そ)ふ。 山川 宮川 村東4町にあり。 会津郡中荒井組本多村の境内より来り、東に流れ北に折れ、13町流れ本郡中荒井組和泉新田村の界に入る。 関梁 橋 村東4町、府下に通る路にあり。 宮川に架す。 長12間。 土橋なり。 Google Map新屋敷地区
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/708.html
陸奥国 河沼郡 坂下組 中茅津新田(なかかやつしんでん)村 大日本地誌大系第33巻 123コマ目 この村は寛永14年(1637年)に開く所の新田なり。 府城の西北に当り行程2里18町。 家数7軒、東西1町56間・南北1町。 四方田圃(たんぼ)にて東北は宮川に近し。 東1町15間牛沢組中茅津村に界ふ。 西1町13間牛沢組上下金沢両村の界に至る。下金沢村は申(西南西)に当り7町50間余。 南1町13間上金沢新田村の界に至る。その村まで4町10間余。 北48間中茅津村に界ひ宮川を限りとす。 また 辰巳(南東)の方5町36間牛沢組上茅津村に界ふ。 山川 宮川 村より5町30間余辰巳(南東)の方にあり。 上茅津村の界より来り、北に流れ中茅津村と入逢の地を経て西に流れ上下金沢両村の界に入る。 この村の境内を経ること6町10間余。 Google Map中茅津新田地区(旧宮川の位置より比定) 熊野神社
https://w.atwiki.jp/wiki6_piro/pages/1174.html
熊野速玉大社 くまのはやたまたいしゃ 和歌山県新宮市にある神社。 熊野三山の一つ。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする。 所在地 和歌山県新宮市新宮1 料金 境内自由、神宝館500円 時間 6 00~18 00 URL http //www.kumanokaido.com/hayatama/ 地図 より大きな地図で 和歌山県 を表示 鳥居を越えて、参道の右側に、手力男神社と八咫烏神社が並んでる。 熊野曼荼羅 拡大 ナギ。 「熊野速玉神社のナギ」として国指定天然記念物となっている。 御神門 御神門を通り、正面左寄りに拝殿。 拝殿の後に本殿。奥が第一殿の結宮、手前が第二殿の速玉宮。 上三殿(証誠殿、若宮、神倉宮) 八社殿 新宮神社 熊野恵比寿神社 関連項目 2003年春合宿 2011-05-01 2011年5月南紀 和歌山県 日本一 歴史的建造物一覧 神倉神社 タグ 2003年3月26日 2011年5月1日 和歌山県 新宮市 歴史 神社
https://w.atwiki.jp/fvb_sakura/pages/592.html
左義長のご案内 本年も火祭りの行事を各神社にて開催いたします。 これは1月15日に神社の境内にて篝火を焚き、その火でその年に飾った門松やしめ飾りあるいは御札などを持ち寄って焼くというものです。 また、社殿では、絵馬の奉納も受け付けております。FVBを回っていてくださる神様への感謝と自らよりよく生きることを誓う決意を示そうではありませんか。 L:左義長 = { t:名称 = 左義長(どんと焼き) t:要点 = 神楽舞,祝詞,消防団,巫女 t:周辺環境 = 神社,篝火,参拝客 t:内容 = { *篝火によって門松やしめ飾りあるいは御札などを焼く。 *一般ゴミ等の投棄禁止。 *お賽銭と引き替えに餅を手渡し、火で焼いてもらう。 *人混みの整理と防犯のための警察の配備 *火災防止のための消防団の待機 *休憩所や迷子センター、救護所の設置 } } ※なお、この行事についても国営行事として運営法が適用されます。 摂政:曲直瀬りま
https://w.atwiki.jp/sakushiro/pages/138.html
中里館(なかざとだて) 所在地喜多方市関柴町西勝字三島 別称 築城年 築城者菅沼氏か 城主変遷菅沼氏… 廃城年 現状長福寺、宅地、耕作地 概要 中明館は福島県喜多方市に所在した城館跡である。 歴史 年代は不詳ながら、菅沼伊賀某なる人物が居住していたとされる。東西33間、南北32間の規模を持ち、現在も集落内に方形の区画を見ることが出来る。 現状・感想 集落内の長福寺境内地周辺を北西端とし、県道を挟んだ耕作地が南端と思われます。「喜多方市史」に堀跡、土塁などの遺構はないと書かれていますが、宅地周囲の用排水路、集落東端の道路が位置的には堀跡でしょうか。すぐ東側には川が流れているので、水堀、湿地帯に浮かんだ館跡だったことでしょう。また集落南側、県道に分断された箇所の一部が畑地となって残り、その周囲は全て水田となっています。ここの畑地から長福寺北側までの範囲が館跡の地割なんでしょうかね。 関連項目 福島県の城館一覧
https://w.atwiki.jp/tmap/pages/47.html
浄土真宗本願寺派の本山。親鸞聖人の廟を東山大谷に建てたのが始まりで、1591年(天正19)豊臣秀吉の寄進で現在地に移転。1617年(元和3)の火災で諸堂を焼失し、伏見城や聚楽第から移築されたという、秀吉ゆかりの建造物が華麗な桃山文化を偲ばせる。御影堂[ごえいどう](重要文化財)には、親鸞の荼毘の灰を漆にまぜて塗ったと伝わる坐像を安置(現在堂を修復中)。天井や障壁画の絢爛な装飾で知られる書院(国宝)には203畳の対面所、虎渓の庭(史跡・特別名勝)、1581年(天正9)建立の日本最古の能舞台(国宝)がある。 大きな地図で見る 住所 京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル TEL 075-371-5181 公共交通 JR京都駅中央口→徒歩15分 車 名神高速京都南ICから5km20分 駐車場 あり 料金 境内無料 時間 5時30分~17時30分(5~8月は~18時、11~2月は6~17時) 文化財 世界遺産 国宝 重要文化財 史跡 特別名勝
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/662.html
陸奥国 河沼郡 笈川組 粟宮新田(あはのみやしんでん)村 大日本地誌大系第33巻 106コマ目 この村寛永中(1624年~1645年)田部近内という者闢けり。 もと粟宮社あり。故に村名とす。 府城の西北に当り行程2里22町。 家居1軒、東西1町55間・南北27間。 四方田圃なり。 東2町50間笈川村に界ひ黒川を限りとす。その村は辰(東南東)に当り9町余。 西2町46間北田村の界に至る。その村は未(南南西)に当り6町10間余。 南は村際にて北田村に界ふ。 北1町4間沼上村に界ひ黒川を限りとす。その村まで8町50間余。 山川 黒川 村北1町40間余にあり。 下垂川村の境内より来り、北に流るること5町余渠川東より来てこれに注ぎ、7町余西に流れ沼上村の界に入る。 関梁 橋 村東3町余にあり。 長11間、黒川に架す。 隣村の通路にて土橋なり。 Google Map粟ノ宮