約 5,620 件
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/388.html
陸奥国 会津郡 南青木組 慶山(けいざん)村 大日本地誌大系第31巻 61コマ目 この村旧慶山寺村という。寛文中(1661年~1673年)寺の字を省けり。 府城の東北に当り行程19町。 家数25軒、東西52間・南北40間。 東は山に倚り三方田圃(たんぼ)なり。 東19町滝沢村の山に界ふ。 西7町5間深東黒川千石町分の地に界ふ。 南3町40間天寧村の界に至る。その村まで7町30間。 北5町5間滝沢村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り9町40間余。 端村 水尾 本村の南1町30間にあり。 家数5軒、東西24間・南北44間。 東は山に倚り西は田圃(たんぼ)なり。 土産 松蕈 村東の山中より出づ。 香気深く味最美なり。 封内の諸山に多く産すれどもここ産にしくものなし。 また雚菌を産す。 黄土 村東の山より出ず。 能く火に堪え、家屋倉廩をぬるによし。俗に慶山土という。 この邊の山多くは黄土なり。 水利 戸口堰 滝沢組牛墓村の方より来り、田地を潤し千石町分の地に注ぐ。 神社 愛宕神社 祭神 愛宕神? 草創 不明 端村水尾の東山の半腹にあり。 天正18年(1590年)大崎一揆の時蒲生氏郷彼地に発向ありしに、その臣町野左近某当社の別当金蔵院玄江をして郡の勝利を祈らしめ、凱旋の後氏郷30間四方の地を寄付せり。 慶長13年(1608年)秀行再び修理を加え、加藤明成の時また修補ありしという。 祭禮6月23、24日なり。 石鳥居 両柱の間8尺。 山麓より本社まで石階ありて漸々に登る。 中程にこの鳥居あり。 二王門 石鳥居より東に登こと1町余にあり。 6間に2間。この門を入て左に制札あり。 本社 3間四面西向 末社 摩利支天神社 本社の北にあり。 水尾より移せり。 末社 太郎坊神社 本社の南にあり。 同上。 別当 金蔵院 本山派の修験なり。 府下愛宕町に住せり。 氏郷の時賜はりし宅地なりとぞ。 佳景(かけい)を按ずるにその遠祖を小高治郎兵衛尉盛通と称し、修験となり金蔵院秀栄と號す。 現住敬林まで16世なり。 伊勢宮 祭神 伊勢宮? 相殿 稲荷神 3座 山神 3座 吉神 伊勢宮 4座 鎮座 不明 水尾の東1町計山腰にあり。 旧天寧村の境内にあり。享和3年(1803年)ここに移せり。 寺院 大龍寺 村より寅(東北東)の方1町余山麓にあり。 臨済宗寶雲山と號す。京師妙心寺の末寺なり。 寛永20年(1643年)肥後守正之会津に封せられし時羽州山形より機外という僧従い来りしが、この頃ここにい慶山寺(慶あるいは桂に作る)とて天寧寺の末寺ありて無住なりければ機外をしてここに住せしめ後に今の名に改めき。 客殿 8間半に6間半、西向。 稲荷神社 境内にあり。 鳥居拝殿あり。 薬師堂 端村水尾の東にあり。 相伝う。大同の頃(806年~810年)徳一が草創なりと。 薬師1尺3寸6分。 府下博労町自在院これを司る。 Google Map愛宕神社 大山神社 大龍寺 松栄寺
https://w.atwiki.jp/bbs-trpg/pages/33.html
【TRPG村第15弾】じんじゃのかみさま ↑村が建ったらここに告知 村建ては2017年10月27日深夜、開始は10月29日を予定しています (更新時間は23時の予定) この村の参加者は予め決定されています GM(ヘルP&NPC①):葉月 SGM(NPC②):きりん 時は現代日本。 舞台は、決して都会ではないが田舎すぎることもない、そんな凡庸な町の隅っこにある神社。 山道を登った先にあるその神社を管理するのは、謎の神主、神子見習い そして、それぞれの事情を抱える4人の間借り人たちがいた。 基本的に貧乏で神社の作りも古臭く、不便なことは多い。しかし、平和でのどかな神社での生活。 そこに、事件は、いきなりやってきた。 国から神社統合(事実上取り壊し)の通知が来たのだ。 「参拝客も少なく、支援金補給の条件に見合っていない」というのがその理由。 自分たちの住処がなくなってしまう! 住人たちは、大慌てで作戦会議を始める。 ――その裏に隠された、秘密を知ることもなく。 キャラクターセレクト PC① 京藤 翔(きょうどう・しょう) ミヅノさん チップ:花一匁「ショウ」か「二季」 17歳 男子高校生 たった一人の肉親である母親が再婚するという理由で捨てられて一人路頭に迷っていた。 養育費は振り込まれるので、お金には困っていない様子。 どちらかというと先輩や先生と仲良くするタイプ。(後輩アピ) 能力「天性の後輩」 いわば後輩のスペシャリスト。 自分より年上の人間に限り、彼の「お願い」は断れない。また、彼のミスを大目に見ようとする。 PC② 三枝 由恵(さえぐさ・ゆえ) ぱぴこさん チップ:かくりよ「藤枝」 18歳 無職 気まぐれに旅を続けていたところ、この神社に辿り着いた。 居心地が良いのでそのまま住み着いている。 童顔で実年齢より幼く見られがちなことを気にしている。 人見知りだが一度心を開いた相手には懐こい 本が好きで図書館で借りては神社の縁側で読み耽っている。 能力「御伽噺」 手にしている本の登場人物を自由に呼び出して操ることができる。 一度に呼び出せるのは2人まで。 PC③ 西藤 樺月(さいとう・かつき) あんもびうむさん チップ:壱番街「キッカ」 20歳 女子大生? 数ヶ月前?に家を飛び出し、迷子になっていたところを神主に拾われた。 居心地がいいと言って居座り続けており、出て行く様子がない。 家のことについては口を噤んでいる。 自称理系だが、大学には行ってない。本人曰く、休学中らしい。 普段は境内の掃除などをしている。 能力「催眠術」 声に力を乗せることで、自分の言ったことを相手に“そう”だと思い込ませる。 例えば『眠くなる』なら眠くなるし、『キッカの姿が見えない』なら見えなくなる。 PC④ 近所の人物 (紫藤 貞寅 シドウ サダトラ)名字変えるかもです あずぶぅさん チップ:壱番街 サダトラ(暫定) 男性 神主とは昔からの知り合い。 帰るところもなくはないのだが、この神社が居心地がいいので既に住人みたいなものだ。 バイクが趣味。深緑色の愛車を境内の裏に停めている。 仕事はフリーライター。 バイクや旅行の記事をメインに色んなジャンルを。 家族はいない。 神社に住み着く前は持ち家で一人暮らしをしていた。たまに家の手入れをしに帰る。 バイク参考 能力「変身系」 鷲に変身。飛ぶ。風を起こしたり、爪で攻撃したり。 NPC紹介 NPC① 神主 志水 豊(しみず・ゆたか) 葉月 チップ:煌夜の決闘「リンドウ」 行き場のないPCたちを拾い、神社内の部屋を与えた神主。 NPC② 神子 緋釜 火ゐろ(ひかま・ひいろ) きりんさん チップ:closure「Dud」 PCたちの身の回りの世話をする神子見習い。 20代中盤の男性。 怪しげな見た目で、立ち振る舞いはやや乱暴。自らの経歴はあまり語りたがらない謎の人物。 神社の境内や計簿管理、住人への食事など家事全般を担当している。その仕事ぶりは意外と真面目。 ヘルP紹介 ヘルP ベリー 葉月 チップ:煌夜の決闘セット「無垢のお菓子姫 ショウコ」 ヘルPからの捕捉 今回はヘルPも初、参加者もほぼ初参加なので、チュートリアルも兼ねてます リアル大事に、赤窓を駆使して、みんなで頑張りましょう 今回は、以下の流れとなっています。 (10/29 夜)1d:日常シーン (10/30 夜)2d:日常シーン (10/31 夜)3d:日常シーン (11/1 夜)4d:クライマックスシーン (11/2 夜)(5d):クライマックスシーン (クライマックスシーンは戦闘のため、コアずれなどから24時間以上必要な場合もあり、念のため5dもクライマックス用に日程は押さえています。けれど、戦闘が終了すれば5dなし、またはコミットでエピに突入する予定です) (11/2or3~)エピ:願いを叶えるシーン&PCたちのその後 国は三日月国、チップは全部入りなので、どのチップセットから選んでもらっても構いません。 ただし、人間に見えるものにしてください。(動物やモンスター等は不可) ワールドガイド(編集中。今は箇条書きです) 古びた神社でのルームシェア 現代日本なので、スマホも携帯も何でもござれ いつもの自分 いつものあなた 少しだけ昭和テイスト漂う古き良きこの場所で、楽しく過ごしてください コメントフォーム ヘルPへの質問や、ご意見&交流など、自由にご利用ください。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/525.html
陸奥国 大沼郡 冑組 藤江(ふちえ)村 大日本地誌大系第33巻 47コマ目 府城の西南に当り行程4里15町。 家居1軒、東西20間・南北30間。 山腰に住す。 西南北に田圃(たんぼ)あり。 また南2町余に家居1軒あり。 東2町計尾岐窪・東尾岐組東尾岐両村の山に界ふ。 西2町冑村に界ひ宮川を限りとす。 南2町15間落合村の端村森越の地に界ふ。 北1町10間冑村の山界に至る。その村まで5町。 山川 宮川 村西2町にあり。 落合村の境内より来り、北に流るること3町冑村の界に入る。 関梁 橋 村西2町にあり。 宮川に架す。 長8間・幅5尺。 塩坂橋(しほのさかはし)という。 冑村に通る路なり。 神社 稲荷神社 祭神 稲荷神? 相殿 総社 鎮座 不明 村東にあり。 鳥居あり。仁王村高橋相模が司なり。 Google Map藤江地区
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/26.html
陸奥国 会津郡 楢原組 小池(こいけ)村 大日本地誌大系第31巻 97コマ目 村西1町余に池あり。故に名くという。 府城の南に当り行程7里18町。 家数18軒、東西30間・南北2町。 下野街道を挟み山中に住す。 東1町30間・南6町、共に板倉村の界に至る。その村は東に当り3町。 西26町計安張村の山に界ふ。 北4町倉谷村の界に至る。その村まで6町。 山川 愛宕山(あたこやま) 村より未申(南西)の方3町にあり。 西南は安張村の山に連なる。 戸石川 村より丑寅の方1町にあり。 安張村の境内より来り、東に流るること28町、倉谷村の界に入る。 関梁 橋 村北4町にあり。 下野街道戸石川に架す。 長10間、土橋なり。 神社 伊勢宮 祭神 伊勢宮? 相殿 山神 日天神 鬼渡神 鎮座 不明 村西4町にあり。 鳥居あり。楢原村星和泉が司なり。 Google Map伊勢神社
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/1118.html
陸奥国 安積郡 福良組 馬入新田(はにふしんでん)村 大日本地誌大系第34巻 22コマ目 この村は寛永の初(1624年~)福良村の境内に闢きし所にて、もと福良の端村なり。貞享中(1684年~1688年)分て別村とす。 府城の東に当り行程6里18町余。 家数11軒、東西40間・南北1町13間。 東は山に傍ひ三方田圃(たんぼ)なり。 東40間・西2町4間・南6町49間・北5町28間、共に福良村の界に至る。その村は北に当り22町。 関梁 馬入口 村の南端にあり。 ここより岫峠を踰(こえ)て白川領岩瀬郡に通る径路なり。 木戸門を設け番戍(ばんじゅ)を置き往来を察せしむ。 Google Map馬入新田地区 神社 - 社名わからず林道馬入新田線を入り150m位の所にあります。 馬入新田の水芭蕉Wikipediaにも載ってます→馬入新田水芭蕉群生地 余談。 岫峠については福良村の記事を参照。
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/380.html
陸奥国 会津郡 (橋爪組) 上荒井新田(かみあらいしんでん)村 大日本地誌大系第31巻 53コマ目 この地もと上荒井村の境内なり。 寛永20年(1643年)肥後守正之弓足軽30人を置き田圃(たんぼ)を闢かしめ給田とす。その子孫相続てここに居り、故(ゆえ)に俗御弓新田(おゆみしんでん)と称す。因て諸組に属せず。 府城の西に当り行程1里15町余。 家数41軒、東西1町20間・南北2町22間。 下野街道の両頬に住す。四方田圃なり。 東3町・北16間、共に上米塚村の界に至る。その村は北に当り2町10間余。 西1町24間・南1町24軒、共に上荒井村の界に至る。その村は西に当り6町50間余。 神社 稲荷神社 祭神 稲荷神? 勧請 正保元年(1645年) 村より未申(南西)の方1町計にあり。 鳥居幣殿拝殿あり。この村の持なり。 Google Map稲荷神社
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/1006.html
陸奥国 耶麻郡 五目組 熱塩(あつしほ)村 大日本地誌大系第32巻 112コマ目 この村もと慈眼寺村という。後今の名に改めしが再び示現寺村に作り、寛文中(1661年~1673年)より古名に復して今の村名とす。村中に塩湯ある故(ゆえ)名くという(示現寺の条下に詳なり)。 府城の北に当り行程6里20町余。 家数20軒、東西2町4間・南北40間。 四方山環れり。 東1里計小田付組入田付村の山に界ふ。 西3町4間黒川村の界に至る。その村まで5町余。 南12町20間栗生沢村の界に至る。その村まで14町30間。 北3町4間日中村の界に至る。その村まで14町10間。 また 丑(北北東)の方13町56間水沢村の界に至る。その村まで18町40間余。 未申(南西)の方7町38間金屋村の界に至る。その村まで11町余。 端村 間瀬(ませ) 本村の北11町余にあり。 家数4軒、東西21間・南北1町15間。 東に山覆い西は日中川に傍ひ南北僅かに田畠を開く。 山川 護法山(こほふやま) 村西にあり。 日中川西の麓を流れ、示現寺東の麓にあり。 南に続いて湯館山(ゆたてやま)あり。天正17年(1589年)磨上原の戦の後、示現寺17世樹芳要害を構え近郷の民を集め横難を避し跡とて今にその頂にあり。 東に並んで高松山(たかまつやま)あり。 その北に高井田山(たかいたやま)あり。 その西に間瀬館山(ませたてやま)あり。 これを合せて五峯といい、因て五峯山とも名く。峯巒(ほうらん)(*1)高く聳(そびえ)て村の四方に環拱す。 日中川(示現川) また示現川ともいう。 村西2町にあり。 広15間計。 日中村の境内より来り、20町余南に流れ栗生沢村の界に入る。 この川示現寺の境内を経る故、この村の境内にては網罟(もうこ)を入るることを許さず。 温泉 村中にあり。 小屋を架す。その西にも1ヶ所ありまた屋を構ふ。これを目洗湯という。 この湯味鹹(しおから)く中風・脚気・頭痛・打撲及びその余の諸病をいやし、殊に婦人の病に験ありとて他国よりも来り浴する者多し。家々に屋室を設置て四方の遊客を宿せしむ。 またこの村にて豆腐を造るにこの湯を用いて塩鹵汁(にかり)を用す。 土産 榧実 五峯山より出す。 実小なれども殻薄く味よし。奇品なり。 関梁 橋 村西3町にあり。 日中川に架す。長14間・広1間。 府下の通路なり。 間瀬橋(ませはし) 端村間瀬の西、日中村にゆく道にあり。 日中川に架す。長10間の土橋なり。 神社 諏訪神社 祭神 諏訪神? 相殿 伊勢宮 幸神 草創 不明 村東3町にあり。 鳥居拝殿あり。上三宮村高村能登が司なり。 麓山神社 祭神 麓山神? 草創 不明 村より丑(北北東)の方2町、山上にあり。 村民の持なり。 温泉神社 祭神 温泉神? 草創 不明 村中にあり。 鳥居あり。示現寺これを司る。 愛宕神社 祭神 愛宕神? 草創 不明 村中にあり。 鳥居あり。示現寺これを司る。 熊野宮 祭神 熊野宮? 草創 不明 村中にあり。 鳥居あり。示現寺これを司る。 山神社 祭神 山神? 草創 不明 端村間瀬の西1町余、山中にあり。 源翁この山に入りし時現れし給うによりここに祭りしといい伝う。 鳥居拝殿あり。村民の持なり。 寺院 示現寺 村西にあり。 曹洞宗護法山と號す。能登国総持寺の末山なり。 縁起を案ずるに、この寺昔は真言の道場にて空海の建立なりという。その時は護法を五峯に作り示現を慈眼に作れり。五峯は湯館・高井田・間瀬・高松・護法とて5つの峯この寺の境内を繞(めぐ)れるに取り、慈眼は千手観音の像あるにより慈眼視衆生(じげんじしゅじょう)の経文に取れり。永和元年(1375年)源翁ここに住し今の名に改む。 源翁、諱は能昭、越後国荻村の人なり。初生れし時空中に異音あり、人みなこの児最尊(さいそん)の瑞(しるし)とせり。幼うして陸上寺に入て沙彌(しゃみ)となる。7歳にして俱舎論を誦(しょう)し、16歳にて薙髪(ちはつ)し、18歳にて峩山禅師に謁して禅門に入り五位三玄の密旨を頓悟(とんご)せり。 應安元年(1368年)にこの地に来り慶徳村慶徳寺を開く。禅余この境に遊て林巒(りんらん)の美を賞す。時に1老翁、源翁の前に至て拝謝して曰く「吾はこの山の護法神なり。願くは禅師ここに住して衆を度せよ」。源翁が曰く「この山真言の道場たること久し。何我を容して住せしめんや」。老翁曰く「満山の僧徒破戒邪行、霊場を穢すこと久し。我この輩を軀て師を招ん。師忘るることなかれ」といい畢てその貎(しし)見えず。 その後この寺回禄し山谷震動し怪異多かりしにより、密徒畏れて離散し残るものなし。この神約により源翁慶徳寺より来てこの山の開山となる。雲水の僧多く集り、林昌庵・三光院・東林庵・秀洞庵・則雲庵・琥珀庵・永福寺・格庵・慶昌庵等の子院あり。また山中の大木雷火に逢て自ら焼ること三日、その根より温泉迸(ほとばし)り出つ時に神人に託していうやう。「我は前日の老翁なり。和尚のためにこの温泉を出し大衆の沐浴に供す」といい畢て神去りぬ。これよりこの村に温泉あり。 また源翁曽安芸国に遊て厳島神祠に謁す。乍(たちまち)海波起て船前まさりしが、俄(にわか)に風静まり龍神波間に現し源翁の前に至り示を請う。因て三帰五戒を授く。龍神水底に没し波上に黄金を盛れる一盂(ひとはち)を浮む。源翁笑て曰く「我この物を用いることなし。惟(ただ)吾山塩に乏し。願くは神力を以て塩を請ん」といい畢て舟を進む。これよりこの山に塩井ありという(慶長16年(1611年)8月21日地震ありて温泉・塩井共に絶しが、間もなく温泉は本の如くに湧出れども塩井は埋れてその跡なし)。 明徳元年(1390年)に鎌倉より能登国総持寺の住僧大徹に命じて那須野殺生石を加持せしむるに験なし。應永2年(1395年)に源翁治病のため那須の温泉に至りしが、人民の苦を救わんとて垂示(すいし)していう 問汝元来石頭呼曰殺生石靈自何来受業報 如此乎去々自今以後稱汝作佛性真如全體 會那會那頌曰法々塵々端的底本来面目末 曽蔵現成公案大難事異類中行任度量 と。拄杖(しゅじょう)を舉て一下すれば、毒石碎(くだけ)て三片となり、これより民の患なしという(源翁が事諸書の載する所年記の異同あり。或は弘安3年(1280年)に寂せしという説あり当寺の伝える所と大に異なり。白河郡中寺常在院2世大仙が永享元年(1429年)に記する所の行状にも應安・永和の頃の人とす。また塔寺八幡宮長帳明應7年(1498年)の所に、源翁百年忌のこと見ゆ。この年より逆(さか)しまに数れば、應永5年(1398年)に卒せしにや)。 今寺料50石を付す。 末寺27ヶ寺あり。 惣門 四建作なり。 制札 惣門の前にあり。 山門 2間余に2間。 上に鐘を懸く。径2尺2寸余、承應3年(1654年)当寺19世計外が鑄所を、享保11年(1726年)24世義諫が時改鑄る。 銘あれども略す。 客殿 11間に7間、東向き。 本尊虚空蔵座像、長2尺2寸。作者知らず。 庫裏 客殿の北にあり。 11間に7間。 禅堂衆寮 客殿の南にあり。 7間半に4間。 開山塔 客殿の西にあり。 東向き。3間四面の堂なり。 源翁の像を安ず。長2尺8寸5分、作者知らず。 左右に2世空廣、3世玄光が像あり。 また空海の像あり。長8寸5分。 この北に源翁の碑あり。 その南に空海の碑あり。 その外住持世代の碑多くあれどもみな無銘なり。 観音堂 3間四面、北向き。 千手観音を安ず。長2尺の立像なり。 左右に童子の像あり。 千手観音の腹に源翁所持の観音の小像を蔵むという。 会津三十三所順禮の一なり。 笠掛松(かさかけまつ) 護法山の頂にあり。 伝いう。昔天狗人を掛衣を曝(さら)せし松なりとて人掛・笠掛の2株ありしが、人掛松は枯れてこの笠掛松は今に存す。 鏡石(かかみいし) 庭の池中にあり。 源翁この石の上にて水影をうつし自らその像を画けりという。 古墳 客殿の南にあり。 何人の墓なること詳ならず。 上に高4尺余の野面石をたつ。幅1尺計。 表の四方に縁あり。上に梵字三を彫付け下に蓮華座、その下に『正安三年七月廿三日』と彫付け(正安3年:1301年)、左右に『諸行無常是生滅法生滅滅已寂滅為樂孝子敬白』の二十字あり。 寶物 藜拄杖 1本。源翁殺生石済度の時の拄杖という。 袈裟 1頂。また柴衣の袖1隻あり。共に源翁の着せしものなり。 地蔵像 1軀。長1寸8分。恵心作。 十三佛像 1軀。榧実の内に彫刻す。作者知らず。 観音像 1軀。長3寸。作者知らず。 数珠 1貫。菩提樹子にて源翁殺生石済度の時後小松帝より賜るという。 対朱香箱 1箇。同上。 源翁自筆画像 1幅。 同名號 1幅。 笈 1荷。源翁所持のものなり。 香炉 1箇。焼物なり。 古文書 14通。左に載す(※略)。外に永正6年(1509年)の牒1通舊事雑考にあれば末に附す(略)。 古蹟 慶昌庵・格庵跡 村東1町余にあり。 昔應永の比(1394年~1428年)今の中村の端村堰根に老たる夫婦の貧しきあり。或る日媼(おうな)布1端を織て翁をして中田付の市に鬻(ひさ)ぎしむ。翁布を売て百銭を得たりしが、偶(たまたま)源翁この所に来て伝法の血脉(けちみゃく)を授く。翁もやがて百銭を布施とし血脉を受て家に帰り爾々(しかじか)の事を語る。媼事々敷(ことごとしき)腹立て翁を罵りかば、翁やむことをえず、さらば血脉を和尚に返して布施物を乞戻さんとて心ならず家を出しが、歩毎に1銭を拾て百歩に百銭を得たりければ翁奇異の思をなし帰信(*2)浅からず、家に帰て媼が慳貧(けんどん)を恥しめ忽(たちまち)に髻(たぶさ)切て出家す。これ慶昌庵の祖なり。媼も懺悔の恵心を起こし佛門に帰依せり。これ格庵の祖なりとぞ。 源翁(Wikipedia) 殺生石(Wikipedia) Google Map熱塩地区 間瀬地区 護法山?風土記の記述から五峯の位置を想定 日中川 - 現在の押切川 熱塩温泉 諏訪神社熱塩温泉神社に合祀 麓山神社熱塩温泉神社に合祀? 熱塩温泉神社温泉神社・諏訪神社・大山祇神社(麓山神社?)を合祀。 愛宕神社? 熊野神社示現寺の境内にあります。 山神社(間瀬)?地理院地図を見ると、この辺りに神社のマークがあります。 曹洞宗五峰山示現寺示現寺観音堂 護法山三十三石仏群 他に著名人の石碑や墓、慰霊塔、稲荷神社の御神体を収めた蔵?も境内にあります。 池の傍にある小さな社はひょっとして愛宕神社でしょうか? つんぽの神様(耳の神様)大きな木のウロの中に穴を開けたお椀を吊るしている所です。 子育地蔵尊 間瀬地蔵尊(間瀬) 日中線記念館/旧熱塩駅舎ラッセル車キ100/オハフ61形客車(ストリートビュー) 余談:殺生石 殺生石の伝承は全国にいろいろな場所に残っていますが、会津風土記では この村 - 源翁 川西組土田新田村の村南にある殺生石 高田組高田村の殺生石稲荷神社 東尾岐組東尾岐村の稲荷森 に記載があります。また高久組天満村の十二天神社には、三浦義明(佐原義連の父親)が那須で狐退治をしたと伝承があり、野沢組縄沢村の肝煎宅にはその時彼が使った脇差「狐丸」が残されているそうです。
https://w.atwiki.jp/mugenshoko/pages/118.html
久遠と無印後に会う 作者:ID r4V0GPXh 本日のなのはとの早朝鍛錬も終わり、顔を洗ってくると席を外したなのはを待つ。 すこしばかり涼もうと古びた神社の境内の上でのんびりと過ごす。 今日は何時ものと場所を変えて八束神社の近くでの鍛錬。 前に犬に憑依したジュエルシードと一戦を交えた場所なんだけど、本当に空気が美味しい。 なのはの話によれば恭也さんや美由希さんもよく鍛錬に使っているとか何とか…… 坂道の多い土地柄に近くには海岸。まさにアスリートや武術家にはうってつけの自然に囲まれた街なのかもしれない。 などと、初夏の心地よい天気を見ながらぼんやりしてみる がさごそ、がさがさ…… 茂みから何やらごそごそと蠢く音。 何かと首を傾げ近づいてみると―――それは突然に現れた。 「きゅ、きゅい?!?!」 分けも判らずに視界には反転して、ちょうどマウントポジションを取られた形でそれと向き合う事に。 (き、狐?) 僕の目の前には大きな狐―――― 少し青みを帯びた瞳は爛々と輝いている。多分、僕と言う獲物を狩る喜びに満ちてなければ…… 「くう~ん♪」 「きゅ、きゅきゅい~~い?!?!?!?」(本気で食べる気満々なの?冗談じゃないよ!!!??) 焦る本能を抑え、すぐさまに変身魔法を解除して元の人間の姿に戻る。 狐の方は唐突に獲物が消えて人間が現れたのが不思議そうに僕の胸の上でクビを傾げていた。 しかし、こうして冷静に見ると目の前の子は子狐。しかも首輪に金の鈴をつけているから、飼い猫ならぬ飼い狐なのだろう。 幾ら山の上の境内とはいえ珍しい――――と思っているとなのはが戻ってきた。 「くーちゃん、どこにいったの――あれ、ユーノ君?」 「ちょっとね、くーちゃん?それがこの狐の名前なのかい」 倒れたままだったので、くーちゃんを抱いて立ち上がる。 「えっとね。本当は『久遠』ってお名前なんだよ。此処の所で」 「フェレットで涼んでたらいきなり襲われた」 「あ~それはちょっと災難だったね。でもくーちゃんがいきなりそんな事をするなんて珍しい……」 多分、美味しそうな獲物に見えたからじゃない、と言いかけて口をむりやり閉じた。 ・・・・・・認めたら何か大事なものが消えそう。『フェレットもどき』というどこぞのいけ好かない執務官の言葉をみとめるようで そんな事を考えていると、見慣れない巫女服をきた女の人の姿。さっきの悲鳴を聞きつけてやってきたのかな? 「なのはちゃん、此方に久遠が来てなかった……あら珍しいね、人見知りの強い久遠が懐くなんて……君はなのはちゃんのお友達なの?」 「あっ、はい。ユーノ・スクライアです」 「スクライア君か。私はここの神社でアルバイトをしている神咲那美って言います」 かくして久遠と那美さんとの最初の出会いとなり、後に巻き込まれる事件の始まりでもありました。 あと追伸になるのか、、那美さんは美由希さんの友人でもあったらしく、その後の高町家でなのはが何か尋問されたらしい。 やっぱり名前を名乗ったのが不味かったのかな?と思い、事情を聴こうとしたけど、なのはが真っ赤になって話してくれなかった。一体何を聞かれたのだろうか? 13スレ SS ユーノ 久遠
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/461.html
陸奥国 大沼郡 高田組 高田(たかた)村 大日本地誌大系第33巻 10コマ目 この地近村より地勢やや高き故(ゆえ)名くという。 府城の西南に当り行程2里12町余。 家数248軒、東西2町14間・南北15町54間。 南の端を上丁、次を中丁、末を下丁という。中程に少し東に折るる所あり。 また上丁の東頬より東に分るる通を横町という。東西1町12間・南北54間。 共に両頬に連れり。 横丁の東に南北の小路あり。家数12軒、東西23間・南北1町1間。社家町と唱え伊佐須美神社神職の居所なり。 四方田圃(たんぼ)にて東は宮川に近し。 この村は毎月6度の市をたて炭薪を交易し、また越後国より下野国に通る駅所にて村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。 河沼郡坂下組坂下村駅より2里32町40間ここに継ぎ、ここより2里1町30間東尾岐組市野村駅に継ぐ。 中丁の西1町に1区あり。家数6軒、東西1町18間・南北2町41間。新町という。 東2町29間本郡橋爪組下中川村に界ひ宮川を限りとす。その村まで6町余。 西8町永井野組八木沢村に界ひ赤沢川を限りとす。その村まで21町。 南6町16間永井野組永井野村に隣りその村際を界とす。 北10町48間境野村の界に至る。その村まで17町余。 また 辰巳(南東)の方1町48間竹原村に界ひ宮川を限りとす。その村まで5町40間。 丑寅(北東)の方6町8間安田村の界に至る。その村まで9町。 戌亥(北西)の方14町50間寺崎村に隣りその村際を界とす。 また下丁の東40間余に穢多の居所あり。 家数5軒、東西34間・南北34間。 山川 宮川(みやかわ) 村東2町20間余にあり。 永井野村の境内より来り、北に流るること13町余安田村の界に入る。 赤沢川(あかさはかわ) 村西8町にあり。 永井野組上戸原村の境内より来り、北に流るること14町余寺崎村の界に入る。 広3間計。 五加木清水(うこきしみず) 村中にあり。 石を甃(しゅう)(*1)して方池とす。 径3尺計。大旱にも涸れずという。 土産 麻 採て苧に製しその粗なる者を漉て紙とし「いらわた」と唱ふ。その幹また世用に便あり。 この村及び近村多く種て売出し産業の資とす。 水利 塊堰(くれせき) 冑組松岸村の方より来り、数派となり田地に灌ぐ。 堤 村西1町にあり。 東西50間・南北2町40間。 享和2年(1802年)に築く。 郡署 代官所 村西20間にあり。 役人を置き本組及び本郡中荒井組・会津郡中荒井組を支配せしむ。 中荒井村郡役所に属す。 神社 伊佐須美神社 横町の東にあり。 →伊佐須美神社 齋宮神社 祭神 倭姫命 鎮座 ? 村中にあり。 昔は伊佐須美神社に給事する女官ありて、伊勢の齋王・加茂の齋院の如くここに住せしにや。その旧跡に社を建て倭姫命を祭りしと見ゆ。 昔は毎年3月25日伊佐須美の神輿をこの宮に渡し7日を経て神輿を本社に納めしとぞ。その式今は廃す。 鳥居幣殿拝殿あり。渡邊伊代これを司る。 寺院 龍興寺 村中にあり。 道樹山と號す。嘉祥年中(848年~851年)の建立にて慈覚の開基なり。 應安の頃(1368年~1375年)堂宇頽破(たいは)しければ、恵雲という僧中興せり。 恵雲より12世の法孫舜幸が時天海これに師とし事え、永禄3年(1560年)この寺にて得度せり。 舜幸が後往を亮慶という。領主蒲生忠郷の命に因り高備中という者の旧屋を毀(こぼ)ち新に殿閣を営しやや壮麗なしりが、寛永6年(1629年)回禄に罹りしとぞ。 上野国新田郡世良田長楽寺の末山天台宗なり。 制札 入口の左にあり。 客殿 9間に2間、南向き。 本尊不動。 地蔵堂 客殿の西南にあり。 長3尺の地蔵を安ず。 また天海得度の寺の故に因り、正徳2年(1712年)住持尊圓、宮に請い縁を募り慈覚慈眼両大師の像を彫刻し大明法親王の開眼を受けこの堂に安ず。各長2尺5寸。 聖天堂 客殿に西にあり。 もと伊佐須美神社の境内にあり。寛文中(1661年~1673年)この寺に移す。 舜幸墓 境内にあり。 長4尺余の石塔なり。『竪者法印辨譽舜幸』と彫付けあり。 この僧は即天海の師にて恵雲より12世の法孫なり。 また外に永正・天文の彫付けある物数基あり。剥落して字体弁じがたし。 山王神社 客殿の南にあり。 寶物 五大尊掛幅 3幅封。智證筆という。 紺紙金泥普賢経 1軸。慈覚筆という。 胎金曼荼羅 2幅。『文亀三年癸亥九月廿七日』という裏書あり(文亀3年:1503年)。 文珠画像 1幅。慈眼幼年の筆という。 不動画像 1幅。傳教幼年の筆という。 如来正面画像 1幅。親鸞筆という。如来の下に親鸞父母の像あり。 地蔵画像 1幅。慈覚筆という。 山水画 1幅。唐人筆という。 竹画 1幅。同上。 水晶珠数 1連。慈覚所持の元といい伝う。 文殊堂 伊佐須美神社の北にあり。 暦應2年(1339年)の造創にて昔は運慶作の文珠を安ず。獅子座に乗り、長2尺9寸の木像なり。慈眼の誕生を祈りし霊験の佛なりとて元禄13年(1700年)大明法親王の教に因て東叡山吉祥閣に遷し、別に法親王開眼の文珠の木像を下し賜いしが、天明3年(1783年)の火災に焼て後また定朝作の文珠を下し賜う。殊に慈眼の縁に因り黄金若干を賜り常燈の料とす。天明3年火災の後、鐘楼二王門等経営いまだ成らず。 鐘1口あり。径2尺1寸。近年響あししとて寶暦・享和2度の手入れあり。古銘の末にその年を彫れり文字磨滅せるものあり。その文如左 奥州會津大沼郡 高田 伊佐須美大明神 社内之鐘 奥之院 大旦那 平盛高 同 平盛安 本願権少僧都智鏡 別當 清龍寺□□ 同旦越 新右衛門尉 源左衛門尉 諸旦那等法喜結縁 大工掃部助兼次 永正第十二二天丁丑卯月十九日 白山神社 文珠堂の西南にあり。 智鏡塚 白山神社の南にあり。 法幢寺の住持にて鐘の命に本願智鏡とあるものこれなり。 文亀3年(1503年)伊佐須美社回禄に罹り贈爵の綸旨を失いしに因り智鏡これを請い、天文20年(1551年)再び賜うおいう。 塚の高5尺余・周10間余。 上に6尺系の五輪あり。梵字の外、文字なし。 別当 清龍寺 本堂の西にあり。 護国山と號す。天台宗龍興寺の末寺なり。 暦應2年(1339年)圓濟という僧開基す。 天王寺 村東にあり。 高田山と號す。天台宗龍興山の門徒なり。 開基の僧を観裕という。 何の頃の草創ということ知らず。 本尊弥陀客殿に安ず。 心光寺 天王寺の南にあり。 護念山と號す。浄土宗府下五之町高巖寺の末山なり。 天文3年(1534年)良海という僧開基す。 本尊弥陀客殿に安ず。 法幢寺 心光寺の南にあり。 廣田山と號す。浄土宗高巖寺の末山なり。 明應3年(1494年)玉誉という僧開基す。 その後堂宇頽破(たいは)せしを、天文年中(1532年~1555年)智鏡再興すという。 本尊弥陀の銅像を客殿に安ず。背後に『奉鑄金銅善光寺阿彌陀如来右志為父母二親并常願藤原氏乃法界平等利益成建治貳年丙子二月時正初番』と彫付けあり(建治2年:1276年)。長1尺6寸。 また大黒の像あり。 弥陀・大黒ともに寛文中(1661年~1673年)伊佐須美神社の境内より移す。 大黒は運慶作という。長2尺計。 長光寺 村西1町にあり。 山號を真弘山という。相模国藤沢清浄光寺の末山時宗なり。 文安の頃(1444年~1449年)この村の住義原左京義元という者当寺を建て、この頃1遍の徒長阿弥この地に来りしを請いて開山とし、世々家に伝わる所の安阿弥作の弥陀を安置す。 地蔵堂 客殿の南にあり。 観音堂 天王寺の東南にあり。 十一面観音の木像を安ず。 昔は5町計、丑寅(北東)の方にあり。寛永13年(1636年)ここに移すという。 会津三十三所順禮の一なり。 天王寺これを司る。 箱清水 観音堂の西にあり。 石を甃して方池とす。 径3尺計。 浮身観音堂 村東にあり。 何の故浮身の称ありしにや詳ならず。 観音の像に『永禄二巳未三月十七』という銘ありとぞ(永禄2年:1559年)。 秘佛なり。 龍興寺これを司る。 墳墓 兒墓(ちこはか) 村より丑寅(北東)の方5町にあり。 天王寺の司れる観音堂の旧地はこの所なりという。 往古は7堂伽藍ありて34区の坊舎軒を並べしとぞ。この児はその頃の者なりという。 五輪1基存せり。 また村西4町に塚田とて2間四方の平地あり。 如何なる人の墓にか知らず。 毎年七夕に白雀来るという。謂れを伝えず。 古蹟 館跡 村西1町にあり。 1町四方。四面に土居隍の形残れり。中は菜圃(さいほ)となる。 当寺村八幡宮長帳に、文明11年(1479年)5月27日高田館落ち戦死の者ありしよしを載す(舊事雑考に文明12年の事とす)。 如何なる人にて誰人の為に滅されしにか詳ならず。 土人の口碑には、葦名盛高高田氏を滅さんとてその隙を窺うに、盛高の家人と男色の知音ありしを幸に家童をして語らはせければ、高田氏の家人一議にも及ず領掌し彼一族宮川に漁に出て備なき由を報す。盛高その虚に乗じ俄に襲てこれを滅せりという。 大平記に葦名二階堂小俣とあり、舊事雑考に葦名は会津二階堂は磐瀬のことなれば、この地小俣に近きゆえ高田氏は小俣氏の事なるべしとあり。 寺跡3 一は徳林寺とて村西にありしを、後に会津郡南青木組闇川村に移す。 一は村東にあり。光明寺という。会津郡中荒井組小沢村(※註:原文の間違い。会津郡ではなく大沼郡中荒井組小沢村)に移す。 また伊佐須美神社の境内に神宮寺という社僧あり。本郡南青木組大石村に移す。 共に天台の道場なりしという。 釈門 天海 父を舟木道光という。清龍寺の文珠堂に祈て天文17年(1548年)正月朔日に誕生せり。 永禄3年(1560年)龍興寺現住舜幸を師とし13歳にて剃髪す。 後天海僧と號し、東照宮御帰依の僧にて東叡山を開き慈眼大師と諡す。 行状は世の知る所なればここに略す。 旧家 坂内丹四郎 世々この村の検断(*2)なり。 先祖を坂内参河憲政といい兵庫信房という者の3男にて、伊勢国より会津に来り葦名家に仕て小山村を領す。 その子左馬丞憲勝、天正巳丑の乱に義廣を送て常陸に往く。別に臨て義廣佩刀(はいとう)を与ふという。 慶長8年(1603年)この佩刀を携え行き江府に奉献す。その時賜わりし伝馬燈文、今なお家に伝う。 左に録す。 傳馬壹疋江戸ゟ會津 まて可出之者也仍如 件 卯月正月七日 右宿中 吉原源之丞 世々この地に住して、先祖より商人の司を勤しという(昔は吉原を義原に作りし)。 この村の長光寺も文安の頃(1444年~1449年)彼が先祖左京義元建立せしとぞ。 今なお毎年正月14日には家の前に市神の假屋を作り市祭を行い、同廿日には組子の商人を集め酒饗あり。 昔よりのならわしという。 古文書を蔵む。左に出す(※略)。 喜三太 この村の農民なり。 先祖を渋川源左衛門某という。 家系を失て世次を詳にせず。 家に古文書数通を蔵む。左に録す(※略)。 Google Map岩代國一之宮 伊佐須美神社 斎神社 龍興寺 文殊堂 天台宗清龍寺 天王寺 高田観音 心光寺 法幢寺 長光寺 浮身観音堂 殺生石稲荷神社 白山神社 天海(南光坊天海)(Wikipedia)
https://w.atwiki.jp/akatonbo/pages/2604.html
またあした 作詞/にゅる 通り過ぎた夕立ちを追い掛ける素振りを見せて 何もない日常だから、そんな事でも僕ら笑えた。 君を自転車の後ろに乗せて、買ってきた海老せんべいかじり 神社の境内で、たわいもない話を続けてた。 未完成な課題曲と風景画。夕焼けをバックに片付けてしまおうか。 君よ、憶えていますか?写真には映らない思い出を。 「変わってしまった」なんて当たり前だろ?辛くなった時思い出すあの笑顔。 笑って「また、明日」見えなくなるまで手を振った。 疑うなんて信じるの次の手段。君はそう笑ってた。 君よ、憶えていますか?別れ際の約束を。 大人になるその時まで、僕らは笑い続けていよう。 笑って「また、明日」見えなくなるまで手を振った。 夕焼け空が目に染みて、泣いたんだ。 約束を破ってしまったのは、どっちが先だったのかな? 君よ、憶えていますか? 君よ、憶えていますか? 君よ。 君よ。