約 5,619 件
https://w.atwiki.jp/shuinn/pages/4176.html
折上稲荷神社 京都府京都市山科区に鎮座する折上稲荷神社の御朱印です。 境内社の三九郎稲荷神社の御朱印です。 境内社の寶大神の御朱印です。 東福寺同聚院とのコラボ御朱印です。 ★住所 京都府京都市山科区西野山中臣町25 -
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/1207.html
越後国 魚沼郡 小千谷組 小千谷(おちや)村 大日本地誌大系第34巻 82コマ目 この村、本郡の北端平衍(へいえん)の地に在て十日町・塩沢・六日町・浦佐・小出島・堀内組々の諸村より諸方に出る通衢(つうく)なり。また信濃川・魚沼川、川船上下の通路にて新潟湊より運送の便よく、諸村より人多く集り商売の利多し。殊(こと)に毎年八十八夜(*1)頃より7月まで縮布(ちぢみふ)市あり。遠方の商客ここに来り郡中より織出す縮布を交易す。尤も繁華(はんか)なり。 今陣屋を置て7組の地を統制す。 府城の西南に当り行程61里。 家数946軒、東西7町8間・南北3町22間。 南北両頬に連なり、裏町(うらまち)・横町(よこまち)・寺町(てらまち)・土手丁(とてちょう)・孫八丁(まこはちちょう)・原町(はらまち)・柳小路・孫八小路(まこはちこうじ)・四軒小路(しけんこうじ)・旅屋小路(たひやこうじ)・鉄炮小路(てつはうこうじ)・神明小路(しんめいこうじ)等の小路数条あり。 東は信濃川に傍ひ、西南は土川村の枝村笹田に続き、北は東西千谷川両村に続き、南は田圃(たんぼ)なり。 村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。 東2町20間、公領本郡中子村の界に至る。その村まで4町。 南5町28間中村の界に至る。その村まで9町30間。 また 寅(東北東)の方3町20間、公領本郡薭生村の界に至る。その村まで26町。 巳(南南東)の方4町43間山本村の界に至る。その村まで7町。 未(南南西)の方9町20間東西千谷川両村の界に至る。両村まで21町20間。 村南に穢多の居所あり。 家数15軒、東西22間・南北39間。 山川 信濃川(しなのかわ) 村東にあり。 山本村の界より来り、14町20間余北に流れ東千谷川村の界に入る。 広100間計。 関梁 船番所 村の辰(東南東)の方、信濃川の西岸にあり。 村民これを守る。 橋3 一は村西にあり。長14間・幅2間、勾欄(こうらん)あり。柏崎に通る街道にて千谷郷川に架す。 二は共に村南にあり。一は長10間・幅4尺、一は長5間・幅4尺、湯殿川に架す。村中の往来を通す。 郡署 陣屋 村中にあり。 役人を置き本組及び十日町・塩沢・六日町・浦佐・小出島・堀内7組の事を統制せしむ。 蝋座 村中にあり。 当国公領の諸村より納る所の漆実を集めここにて蝋となし江戸に貢(こう)す。 神社 日光神社 祭神 二荒山神(ふたあらやまのかみ) 勧請 不明 村中にあり。 石鳥居拝殿あり。村民の持なり。 諏訪神社 祭神 諏訪神? 草創 不明 村中にあり。 鳥居あり。村民の持なり。 伊勢宮 祭神 伊勢宮? 鎮座 不明 村中にあり。 鳥居あり。村民の持なり。 寺院 五智院 村中にあり。 山號を龍久山という。真言宗、山城国醍醐金剛王院の末寺なり。 昔この地より東1里計山寺という所にあり(今薭生村の枝村に山寺という所あり。その地に五智院屋敷・成就院屋敷の遺跡残れりという)。 天平寶字4年(760年)泰澄が草創せる所にて七堂伽藍備わり寺領も若干ありしに、永亨の頃(1429年~1441年)兵燹(へいせん)に罹り殿宇みな灰燼(かいじん)となれり。 本尊毗首羯麿(*2)が作りし弥陀の霊像池中に沈めて、時に奇瑞(きずい)を現せしかば、その地に1宇を建立して尊像を安置す。即ちこの寺なりという。 慶安元年(1648年)官より本村にて寺領7石5斗を寄付せらる。 客殿 12間に8間、東向き。 本尊弥陀、閻浮檀金(*3)の立像、長1尺4寸7分。毗首羯麿作という。 庫裏 客殿の北にあり。 7間に4間。 鐘楼 客殿の東にあり。 2間四面。 鐘、径2尺2寸。『安永六龍集丁酉孟秋穀且越之后州魚沼郡小千谷龍久山五智院元基法印快精再鑄法印隆恭戮が檀主和南津邑喜多村良宗』と彫付けあり(安永6年:1777年)。 護摩堂 客殿の南にあり。 3間四面。 太子堂 護摩堂の西にあり。 2間に1間半。 稲荷神社 客殿の東北にあり。 山王神社 客殿の東南にあり。 門徒 菩提院 境内にあり。本尊薬師。 延命寺 同上。本尊地蔵。 寶物 悟悔序 1軸。空海筆という。 成就院 村中にあり。 妙椿山と號す。真言宗、五智院の末寺なり。 昔五智院十八坊の1にて泰澄が開基なり。 後、兵火の為に頽轉(たいてん)し、永禄中(1558年~1570年)この地に再建すという。 大日を本尊とし客殿に安ず。 鐘楼あり。鐘、径2尺5寸。『越後國魚沼郡妙椿山成就院法印覺澄延享元甲子天七月吉祥日』と彫付けあり(延享元年:1744年)。銘あれども煩わしければ略す。 薬師堂 境内にあり。 天満宮 同上。 稲荷神社 同上。 門徒 遍照庵 境内にあり。本尊大日。 證光院 村中にあり。 法輪山と號す。真言宗、五智院の末寺なり。 元慶中(877年~885年)真雅が開基せる所という。 本尊大日客殿に安ず。 鐘楼あり。鐘、径2尺2寸。『享保十五庚戌天五月吉日建立者法印元了代』と彫付けあり(享保15年:1730年)。銘あれども載せず。 十王堂 境内にあり。 大日堂 同上。 稲荷神社 同上。 金毘羅神社 同上。 慈眼寺 村中にあり。 船岡山と號す。真言宗、五智院の末寺なり。 元慶中(877年~885年)真雅が草創なりという。 正観音を本尊とし客殿に安ず。 鐘1口あり。径2尺3寸、『明和七龍次庚寅林鐘穀且越後州魚沼郡小千谷邑船岡山慈眼寺願主法印芳譽』と彫付けあり(明和7年:1770年)。銘あれども録せず。 門徒 圓明寺 境内にあり。本尊地蔵。 照專寺 村中にあり。 山號を日光山という。浄土宗、京師智恩院の末寺なり。 開山日譽は鎌倉の産にて、天正中(1573年~1593年)に建立すという。 客殿 9間半に7間半、北向。 本尊弥陀。 鐘楼 客殿の東にあり。 鐘、径2尺5寸。『寶永戊子年九月吉祥日吉澤氏母儀當寺十三代辨蓮社真譽上人京圓良無和尚』と彫付けあり(寶永5年戊子:1708年)。銘あれども載せず。 経蔵 鐘楼の北にあり。 観音堂 境内にあり。 稲荷神社 同上。 塔頭 源壽院 境内にあり。本尊弥陀。 寶珠庵 同上。本尊弥陀。 寶物 六字名號 1幅。開山日譽筆。2世呑譽に付属する所の物という。 極楽寺 村中にあり。 青木山と號す。浄土真宗西派、信州雄山村普願寺の末寺なり。 慶長中(1596年~1615年)玄順という僧開基すという。 本尊弥陀客殿に安ず。 鐘楼あり。鐘、径2尺5寸。『元文元年辰八月日願主惠空寄進惣門徒』と彫付けあり(元文元年:1736年)。銘あれども略して載せず。 寺中 常敬寺 境内にあり。本尊弥陀。 專正寺 村中にあり。 定業山と號す。浄土真宗、京師東本願寺の末寺なり。 開基の僧を教圓という。 永禄の頃(1558年~1570年)信州長沼の山中大滝口という所より古志郡椿沢村に移住し、元和中(1615年~1624年)第2世善宗この地に移るという。 弥陀を本尊とし客殿に安ず。 鐘楼あり。鐘、径2尺6寸。『越後之國魚沼郡小千谷邑定業山專正寺十九世律師喚響代寛政十戊午歳八月十一日』と彫付けあり(寛政10年:1798年)。銘あれども載せず。 寺中 不退寺 境内にあり。本尊弥陀。 観音堂 村より11町余未(南南西)の方にあり。 大同中(806年~810年)空海当国に来て衆生利益(しゅじょうりやく)の為に一刀三禮(いっとうさんらい)(*4)して観音の像を彫刻し弘誓(ぐぜい)の船に乗せ信濃川に浮べしに、その像この地に着岸せし故堂を建て安せしとぞ。 観音、長3尺余、立像なり。 二王門あり。慈眼寺これを司る。 山王神社 境内にあり。 稲荷神社 同上。 観音堂 村中にあり。 創立の年月をしらず。 村民の持なり。 古蹟 城跡 村より辰(東南東)の方にあり。 東面は断崖にて信濃川に臨む。 今みな畑となりその形さだかならず。 何人の営築せし所にか詳ならず。 Google Map小千谷本町JR上越線の小千谷駅は信濃川の東にありますが、『東は信濃川に傍ひ』と本文にある通り西岸の方が小千谷村となります。 船番所跡? 小千谷陣屋跡の石碑『江戸初期までは本町(川岸町)の信濃川近くにあったが、大洪水のため川岸が流され、現在「介護老人保護施設水仙の家」がある所へ移転した』との事です。(参考:Wikipedia) 蝋座跡 - 不明。元町にあるとのこと。2017年に小千谷小学校の開校150年記念事業として蝋座跡地を含め5ヶ所に石碑を建てたとの記事がありました。(参考:小千谷市役所) 二荒神社(日光神社) 諏訪神社(平沢) もしくは 諏訪神社(西中) 神明社(伊勢宮?) 五智院稲荷社 - 五智院の西側。移転?別社? また、境内に赤鳥居があるようですが、地図に記載が無いため判断できません。 山王神社 - 五智院の東北。移転? 菩提院? 延命寺? お堂? 成就院天満宮 稲荷神社? 遍照庵? なぜか成就院の西に住吉神社があります。 證光院稲荷神社? 金毘羅神社? 境内に神社はあるようですが何神社なのか不明です。 慈眼寺圓明寺? 照専寺稲荷神社 - 稲荷大明神と彫られた石柱あり。 源壽院? 寶珠庵? 極楽寺常敬寺? 境内に明石堂なるお堂あり。 専正寺不退寺 船岡観世音堂 - 慈眼寺の境内。山王神社? 稲荷神社? 観音堂? - 村民の持の方。 城跡 - 不明。 他、小千谷には神社寺院が点在していますが気付いた所のみ載せておきます城上神社(城内) 瑞玉神社(城内) 神社と鉄炮町発祥の地の碑(本町) 伊米神社 八幡宮(桜町) 諏訪神社?(桜町) - 隣りが諏訪公園 猿田彦神社(船岡) 秋葉神社(上ノ山) 天王神社(土川) - 祇園社と書かれた地図もあり 魚沼神社(土川) - 境内に阿弥陀堂あり。(参照:Wikipedia) 松凉寺(平成) 真福寺(城内) お堂?(栄町) 余談。 越後佐渡デジタルライブラリー内の各明細帳ですが、神社なら請求記号19-1、寺院なら請求記号52-1あたりがこの村に該当するかと。 一部引用します。 ※No.1 神明社(本町) ※No.9 瑞玉神社(城内) ※No.10 城上神社(千曲川)
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/204.html
陸奥国 会津郡 古町組 落合(おちあひ)村 大日本地誌大系第31巻 127コマ目 村の辰巳(南東)の方にて檜枝岐川と立岩川と合する故(ゆえ)村名とす。 もとここより東1町今の檜枝岐川の水道にあり。寛保2年(1742年)水難を避て今の地に移れり。 府城の西南に当り行程20里17町余。 家数18軒、東西30間・南北50間。 山間に住し東に檜枝岐川あり。 東1町浜野村に界ひ檜枝岐川を限りとす。その村は寅卯(東北東~東の間)に当り17町余。 西15町36間大原村の山界に至る。その村は未申(南西)に当り18町30間余。 南3町18間朴木村の山界に至る。その村は巳午(南南東~南の間)に当り7町30間余。 北1里18町計宮沢村の山に界ふ。 山川 檜枝岐川 俗に内川(うちかわ)という。 村東1町にあり。 大原村の境内より来り、村の辰巳(南東)の方にて立岩川来り注ぎ(これより下流を俗に伊南川という)、丑寅(北東)の方に流れ浜野村の界に入る。 境内を流るること19町余。 立岩川(たていはかわ) 朴木村の境内より来り、北に流るること1町、檜枝岐川に入る。 広20間。 深瀬沢(ふかせさわ) 村西13町50間余にあり。 源は境内の山中より出て、東に流るること1里18町、檜枝岐川に入る。 広5間。 関梁 橋2 一は村の未(南南西)の方1町50間、檜枝岐川に架す。 長20間立岩郷に通る道なり。 一は村西13町50間余、府下の通路深瀬沢に架す。 長7間。 共に丸木橋なり。 神社 天満宮 祭神 天満宮? 鎮座 不明 村西1町10間にあり。 鳥居あり。修験金剛院司なり。 山神社 祭神 山神? 境内にあり。 鳥居あり。 日光神社 祭神 日光神? 鎮座 不明 村の戌亥(北西)の方1町30間にあり。 鳥居あり。木賊村星安藝これを司る。 旧家 長次右衛門 この村の農民なり。家系を詳にせず。 先祖は河原田盛次が祏筆(ゆうひつ)(*1)を勤めし菅家上野介某という者なりとぞ。今なお葦名氏より盛次に与へし書簡(古町村の条下に出す)を持ち伝う。 寛保二年江戸洪水(Wikipedia)寛保2年(1742年)7月28日に、台風の影響と思われる暴風雨が日本を襲ったそうです。 Google Map菅原神社 不動尊 余談 昔この地に金剛院という修験の道場があったようですが、現在どこにあるかも不明ですし会津風土記にもどこにあるのか載っていません。ただ、南会津町発行の伊南村史に「伊南村の修験 (3)金剛院」という記載があり、何らか情報が記載されているものと思われます。
https://w.atwiki.jp/cardxyz/pages/335.html
昼の陽射しが燦々と照りつける幻想郷。 今日も特にこれと言った異変もなく、博麗神社に集まる者達は盛り上がりながら過ごしていた。 “博麗 霊夢”が主催する祭りが今夜という事で神社には珍しい顔も集まっている。 当然ながら数の面でも相当多い。 「これが信仰ある神社のあるべき姿よね」 感慨深げに呟いたのは博麗 霊夢その人。 石段の上から神社の境内を眺めな、お茶を啜っている。 信仰が云々よりもまず集まっているのが人間ではなく妖怪達という事が問題だと思うが気にしない。 「いや? 神社としてはこれは異常だぜ?」 隣で足をぶらぶらさせながら突っ込みを入れたのは“霧雨 魔理沙” この二人は幻想卿に異変が現れた際に共に解決に向かう事が多く、親しい仲である。 案外幻想郷の住民とは皆こんなものなのかもしれないが……。 「そうかしら? まあ、お賽銭が入らないのは異常と言えばそうね」 「そこかよ……」 境内は鬼が走りまわったり幽霊が飛んでみたり吸血鬼とメイドが木陰で休んでいたりと様々。 妖怪達の観光スポットか何かのような光景である。 これでもまだ完全に全員が集まった訳では無いので賑やかさはこれ以上に増していくだろう。 騒霊三姉妹が現れたのなら忽ちに独占ライブでも始まりそうである。 それは困った物だが。 ふと、幻想郷を取り囲む空気が微妙な変化を見せる。 陽気な容姿の割に能力の高い者が集まっている境内では、殆どの者が異変を悟り、辺りを見回し始める。 直感的に異変を感じ取った霊夢と魔理沙は、心の中で「面倒な事になりそう……」と思う。 「なんだ!? あれ!?」 鬼である萃香が上空の大気を指さしながら叫ぶ。 他の物が指先を辿ると、空間の裂け目のような部分から人影のような物が降って来ているのが見えた。 負の気質を撒き散らしながら境内に降り立ったそれは、不気味な呻きを上げながら妖怪達に歩み寄っていった。 「また面倒な事になりそうね……」 特に焦った様子もなく、寧ろ呆れの溜息を吐きながら霊夢が立ち上がる。 幻想卿と言う場所ではあの程度の異変は良くあるとまで言わないが驚くような事でもないのだ。 あの程度の魔物ならば境内に居る妖怪だけでも軽く処理できそうなものである。 「祭り前なのにな……まあ、いつもの事か」 頭の帽子を深く被り直しながら魔理沙も立ち上がる。 特に手出しをする必要は無いのだが、念のため……である。 幻想郷の異変はこうして始まった。
https://w.atwiki.jp/wotoko/pages/110.html
稽古時間と場所。 -- きらら 2008-03-24 23 20 17 土曜。午前10時から12時 午後 3時から5時 場所貴船神社境内 日曜 午前10時から12時 貴船神社境内 午後2時から4時 小倉南区志井公園 見学の際は、要連絡に変更してください。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/ff12izjs/pages/83.html
神都ブルオミシェイス 神都ブルオミシェイス白砂の小路 神殿へ続く道 神殿境内 光明の間 白砂の小路 アイテム1 アイテム2 場所 備考 神殿へ続く道 アイテム1 アイテム2 場所 備考 神殿境内 アイテム1 アイテム2 場所 備考 光明の間 アイテム1 アイテム2 場所 備考
https://w.atwiki.jp/gosyuin/pages/30.html
根津神社根津1-28-9 白山神社白山5-31-26 湯島天満宮湯島3-30-1 駒込富士神社本駒込5-7-20 小石川大神宮小石川2-5-7 北野神社春日1-5-2 駒込稲荷神社根津1-28-9【根津神社境内社】 乙女稲荷神社根津1-28-9【根津神社境内社】
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/1048.html
陸奥国 耶麻郡 木曽組 河吉新田(かはよししんでん)村 大日本地誌大系第32巻 139コマ目 府城の西北に当り行程5里24町。 家数11軒、東西3町・南北2町、山間に住す。 元和9年(1623年)小布瀬原村の境内に田圃(たんぼ)を開き民居を営しという。 辰巳(南東)の方10町慶徳組慶徳村の界に至る。その村まで27町40間。 東6町4間・北7町、共に小布瀬原村の界に至る。その村は申酉(西南西~西の間)に当り16町40間余。(※東ではなく西では?) 山川 取上沢(とりあけさわ) 村南にあり。 小布瀬原村の境内より来り、山間を南に流れ西に折れてまた小布瀬原村の界に入り田入川に注ぐ。 境内を経ること20町計。 水利 堤2 一は村より寅(東北東)の方6町余にあり。周80間。 一はここより山奥9町にあり。周196間。 Google Map河吉新田地区 大山祇神社? 蛇足。 村南に沼がありそこから沢(取上沢?)が流れてているようなのですが、GoogleMapでは確認できず。
https://w.atwiki.jp/kotyou726/pages/20.html
都に大きな境内を持つ宝鏡神社 ここで紹介するのは、その分社である宝鏡神社 宝鏡トウ璃が神主として管理している 境内はさほど広くなく、こじんまりとしている 入口に長い石階段がある 自宅と社務所が繋がっている 神鏡と宝石を祀っている 参拝客はぼちぼち来る程度
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/342.html
陸奥国 会津郡 中荒井組 宮袋新田(みやふくろしんでん)村 大日本地誌大系第31巻 41コマ目 この村は寛永元年(1624年)宮袋村の境内にて新墾せし所という。 府城の西に当り行程1里30町。 5区に分る。 南の1区。家数3軒、東西15間・南北48間。 その西10間余に1区あり。家数4軒、東西20間・南北48間。 その北2町40間余に1区あり。家数2軒、東西19間・南北18間。 その東1町30間に1区あり。家数2軒、東西36間・南北15間。 ここより10間余丑(北北東)の方に1区あり。家数3軒、東西30間・南北25間。 共に西南は宮川に傍(そ)ひ、東北は田圃(たんぼ)なり。 東39間・北27間、共に十二所新田村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り7町。 西30間・南2町14間、共に大沼郡高田組境野村に界ふ。 山川 宮川 村西にあり。 宮袋村の境内より来り、西に流れ北に転じ12町余を流れ、十二所新田村の境内に入る。 北会津村誌宮袋新田村 Google Map何やら石碑のようなもの