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売国民主党の支持母体 Googleの急上昇ワードにどうでも良い言葉ランクインさせようぜwwww http //yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1250609104/904 904 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/08/19(水) 05 50 47.88 ID NTs7bSZg0 ┌───┐┌───┐┌───┐┌───┬───┐┌────┐ │革労協││中核派├┤社学同├┤赤軍派│北朝鮮││街宣右翼│ └┬──┘└┬──┘└───┘└───┴┬──┘└─┬──┘ ↓│┌─共闘┘ ┌───────────┘ │ ┌┴┴─┐─→┌┴─┬──┬──┐┌────────┴────┐ │日教組├連携┤総連│民団│解同│→暴力団(6割が同和,3割が在日.)│ └─┬─┘←─└──┴┬─┴┬┬┘└─────────────┘ ↓支持団体──────┴──┘└─────────-┬──┐ ┏━┷━┓ ┌───┐┌───-┐ ┌──↓──↓──┐ ┃民主党┃ ←支持母体┤自治労││マスコミ.├広告┤パチンコ│.サラ金..│ ┗━┯━┛ └─┬─┘└───-┘ └────────┘ マルチ商法 国民の年金ウマー
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韓流ドラマの内容がいいから韓流ファンがいるわけで韓流ファンが多いからテレビ局が放送しだしたんじゃないの? -- (【中立】名無し)
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<目次> 一 主権の意味 ニ 国民主権の意味《問題の所在》 《考え方の筋道》 《アドヴァンス》 《One Point》 《How To》 LEC『C-Book 憲法Ⅰ《総論・基本的人権》』 p.65~ 国民主権 一 主権の意味 ① 国家の統治権としての主権 統治権としての主権国家権力そのもの(国家の統治権)というときの主権 ex. 「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州、及ビ四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」(ポツダム宣言8項) ② 最高独立性としての主権 国家への主権の集中(最高独立性)というときの主権 ex. 「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」(前文3段) ③ 国政の最終決定権としての主権 国家における主権の所在(国政の最終決定権)というときの主権 国の政治の在り方を最終的に決定する力または権威という意味であり、これが国民に存することを国民主権という。ex. 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」(前文1段) ニ 国民主権の意味 《問題の所在》 日本国憲法は、前文第1段で「主権が国民に存する」、1条で「主権の存する日本国民」と規定し、国政の最終決定権が国民に属するという国民主権原理を採用している。 それでは、ここにいう「国民」を全国民と考えるべきか、それとも有権者の総体と考えるべきか。 国民主権の原理において、国の政治の在り方を最終的に決定する権力を国民自身が行使するという権力的契機と、国家の権力行使を正当づける究極的な権威は国民に存するという正当性の契機をどのように考えるかという点と関連して問題となる。 《考え方の筋道》 Step① 憲法は個人の尊厳を確保するため、政治は国民の自律的意思による政治でなければならず、国政の最終決定権が国民に属するという国民主権原理を採用した(前文1段、1条) ↓ この点 Step② 主権者たる国民を有権者の全体と捉え、「主権」の本質を憲法制定権力であるとして、有権者としての国民が国政の在り方を直接かつ最終的に決定すること(権力的契機)が国民主権であると考える見解もある。 ↓ しかし Step③ それでは、独裁を許す危険があり、また、国民が主権者たる国民とそうでない国民とに二分され、治者と被治者の自同性に反し、妥当でない。 ↓ そこで Step④ 基本的には、国民主権とは、主権者たる国民は一切の自然人である国民の総体と捉え、国民主権とは全国民が国家権力の源泉であり、国家権力の正当性を基礎づける究極の根拠であると解する。 ↓ ただ Step⑤ 憲法改正権の存在(96条)等から、国民(有権者)が国の政治の在り方を直接かつ最終的に決定するという権力的契機も不可分に結合していると解すべきである(折衷説)。 ↓ Step⑥ 以上のように解すると、原則として国民は直接には権利行使をなしえないから、代表民主制の採用が必然となり、代表者たる議員は「全て」の国民の代表者となる(43条Ⅰ参照)。 《アドヴァンス》 A 有権者主体説 「国民」を有権者の総体と考える見解。 a-1主権=憲法制定権とすることを根拠とする説(清宮) 主権を憲法制定権(力)、すなわち一定の資格を有する国民(選挙人団)の保持する権力(権能)とする。従って、憲法制定権の主体である国民には天皇を含まず、また権能を行使する能力のない、未成年者も除外されるとする。→権力的契機を重視するが、そこから導かれる具体的な制度上の帰結を示していない(批判)①全国民が主権を有する国民と主権を有しない国民とに二分されることになるが、主権を有しない国民の部分を認めることは民主主義の基本理念に背く。②選挙人の資格は法律で定めることとされているため(44)、国会が技術的その他の理由に基づいて年齢・住所要件・欠格事項等を法律で定めることによって主権を有する国民の範囲を決定することとなり、論理矛盾となる。③代表民主制を国政の原則とする前文の文言と、解釈上必ずしも適合的でない。 a-2フランスの議論を採り入れる説(杉原) 日本国憲法は、リコール制を認めたと理解しうる15条1項や、95条、96条1項のように人民(プープル)主権に適合する規定もあるが、基本的な性格としては、43条1項や51条に示されているように国民(ナシオン)主権を基礎とする憲法である。しかし、憲法の歴史を踏まえた将来を展望する解釈が必要であるから、日本国憲法の解釈は人民(プープル)主権の論理に基いてなされなければならない。従って、国民の意思と代表者の意思を一致させるために、43条の国民代表の概念や51条の議員の免責特権の再検討が要請される。→権力的契機の重視とともに、そこから導かれる具体的な制度上の帰結を示している。(批判)上記①から③の批判に加え、フランスの議論は必ずしも全ての国の憲法に法律的意味においてそのまま妥当する議論ではない、という批判がなされている。 B 全国民主体説(宮沢、橋本) 「国民」を、老若男女の区別や選挙権の有無を問わず、一切の自然人たる国民の総体をいうとする見解。→このような国民の総体は、現実に国家機関として活動することは不可能であるから、この説にいう国民主権は、天皇を除く国民全体が国家権力の源泉であり、国家権力の正当性を基礎づける究極の根拠だということを観念的に意味することに過ぎなくなる。(批判)国民に主権が存するということが、建前に過ぎなくなり、国民主権と代表制とは不可分に結びつくが、憲法改正の国民投票(96)のような、直接民主制の制度について説明が困難になる。 C 折衷説(芦部) 「国民」を、有権者(選挙人団)及び全国民の両者として理解する見解。→「国民」=全国民である限りにおいて、主権は権力の正当性の究極の根拠を示す原理であるが、同時にその原理には、国民自身(≒有権者の総体)が主権の最終的な行使者(憲法改正の決定権者)だという権力的契機が不可分の形で結合しているとする(ただし、あくまでも正当性の契機が本質) 【ナシオン(Nation)主権とプープル(peuple)主権】 フランスの主権論 ナシオン主権 ⇔ プープル主権 憲法 1791年憲法 ⇔ 1793年憲法 主権者 Nation 仏 (= Nation 英 ) ⇔ Peuple 仏 (= People 英 ) 国民 観念的統一体としての国民 →具体的人間の集合体という意味はない ⇔ 具体的に把握しうる諸個人の集合体としての国民 権力行使 授権によってのみその権力を行使しうる →専ら代表制(代表者としての立法府と君主を指定) ⇔ 国民が直接権力行使を行う →直接民主制が徹底した形 授権の内容 代表者意思に先行するナシオン自身の意思なし ⇔ 代表機関の意思のほかにプープル自身の意思あり 契機 国家権力の正当性の根拠が国民に存する ⇔ 主権の権力契機が前面に出て、最高権力を行使するのはプープル 諸制度 制限選挙・自由委任 ⇔ 普通選挙・命令委任 歴史的意義 絶対王政を否定すると同時に市民革命がより貫徹されること抑圧す機能をもつ(現状維持的) ⇔ 市民革命の課題をより貫徹する勢力のシンボルとして機能(現状変革的) 《One Point》 学説では、折衷説が近時の通説であり、全国民主体説はかつての通説、有権者主体説は少数説です。 なお、本論点は、憲法が明文で定めた場合(79Ⅱ、95、96)以外に国政において直接民主制の採用(ex. 一定の事項についての国民投票、有権者による衆議院解散請求の制度)が認められるかという論点と関連します。 この点に関しては、フランスの議論をとり入れる説に立てば当然に肯定説につながりますが、それ以外の説からは論理必然的に帰結が導かれるものではありません。 《How To》 近時の通説である折衷説に立つのがよいでしょう。 なお、折衷説を論じる際、論証が長くなりがちです。 直接民主制の採用に関する問題等、本論点が前提として問われた場合には、コンパクトに論じることが必要でしょう。
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韓国人の反日感情に対して、日本人の側からら韓国に対してNOと言おうという動き。 光太郎はプロフィールにおいて、嫌いなものの一つとして挙げている。 これに対抗する韓国側の動きとしては嫌日流というものもあるが、こちらは別にOKらしい。
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マンガ 嫌韓流(まんがけんかんりゅう、ISBN 488380478X)は嫌韓をテーマとした漫画。作者は山野車輪。出版は晋遊舎。2005年7月26日に発売された。2006年2月22日(竹島の日)に、続刊の『マンガ 嫌韓流2』(ISBN 4883805166)が発売された。 主な内容 日韓問題(歴史認識問題、竹島問題、在日コリアン差別、外国人参政権、反日世論、韓国起源説など)について、主に韓国の実情を強く批判する観点で描かれている。漫画という媒体を用いる事によって、それまで韓国に対して特に関心を抱いていなかった人達に対し、作者の韓国に対する批判を分かりやすく伝えようとしている。その内容を補完する形で韓国を批判的に伝えるウェブサイトも紹介している。 これまでマスコミであまり伝えられてこなかった、作者の考えるところの「韓国の嫌悪すべき実情」という否定的な側面をも広く伝えることで、そのような側面を含めた韓国に対する認識を考えさせることを目的としており、漫画という受け入れやすい形式で強く主張することで「ゴーマニズム宣言のようにヒットするぞ」(作者本人談。『マンガ嫌韓流 公式ガイドブック』より)という発想から作成された。なお、巻末には付録として韓流ドラマ「冬のソナタ」から見た韓国と冬ソナの簡単なあらすじを載せている。コラムとして西尾幹二に民族、西村幸祐にマスコミ、大月隆寛に嫌韓厨、下條正男に竹島についての寄稿を受けている。 なお、韓国では「嫌・韓流」として受け止められ、いわゆる『韓流』に対する反感本だと勘違いされていることが多いが、その内容は「嫌韓・流」である。 内容に対する批評 新しい歴史教科書をつくる会の自由主義史観を色濃く反映しており、小林よしのりのゴーマニズム宣言と共通する歴史観を背景にしている。実際に、従軍慰安婦問題の項で、小林よしのりの名前を挙げていることからも、影響を受けているものとみられる(『マンガ嫌韓流』1巻及び『公式ガイドブック』にて記述)。 小林は「ゴーマニズム宣言」の欄外で、誰からかの伝聞(ネットでの「チョンは去れ」などの差別落書きの類)に基づいてマンガ嫌韓流を「民族差別を助長する」として批判した。また、山野車輪が完全匿名である点について「リスクをとっていない。このような姿勢は評価出来ない」と非難していた。さらに『週刊金曜日』2006年6月23日号におけるインタビューでは「『嫌韓流』のすべてを否定するつもりはないし、これが差別的な漫画であるとはいわない」としながらも、「インターネットや『2ちゃんねる』のような信憑性が低いものを情報源にして描かれていると知った時点で、ハッキリいってわしは、読んでも仕方のない本だと思った」とも述べている。これに対し、作者の山野は自身のホームページにある2006年6月25日付の日記で、「小林先生の受けた情報も曖昧だったり、間違っていたり(情報源うんぬんの部分ね)」と情報源がネットではないと言った。結局小林は目をほとんど通していないようだが、伝聞などによる読者の異常な反響に対し「作者はそれに対するリスクを背負わねばならない」という主旨の発言をしている。また、小林が編集長を務める『わしズム』2006年8月19日号に、切通理作が寄稿した論説『「ネット右翼」はもはや保守でも愛国者でも「良き観客」でもない』は、『マンガ 嫌韓流』や『マンガ 嫌韓流2』のカバー見返しが、韓国を嫌うのが当然という決め付けになっていることや、『CHOSEN』の内容が、はじめから朝鮮人・韓国人嫌いありきになっていることを批判。切通は同文の中で、小林の「わしは『朝鮮人は帰れ!』などと、そんな心ない乱暴なことを言うやつは嫌いだ」、「朝鮮人全般を差別するのはよくない。朝鮮人でも日本人でも反日的なやつらだけを差別するべきである」という発言を引き合いに出している。 主として韓国サイドからの批評に、日本政府や日本軍(秀吉軍含む)が行った数多くの残虐行為や圧政、韓国での文化遺産の破壊(詳しくは朝鮮総督府や景福宮などの項を参照)について言及していないというのがある。日本軍が、主として軍の輸送を目的として作った港や鉄道さえ、韓国のためにやったと主張してしまい、日本の行為を過剰に正当化している。日本が朝鮮半島で行った鉄道・道路・港湾・学校・病院・水道・工場建設などのインフラ整備、法律、教育などのソフト面での近代化・文明化の面を強く主張し、「日本の朝鮮半島と朝鮮民族ににもたらした恩恵」という視点から描かれている。そのため、朝鮮民族が被った被害が描かれていないという批判や、内容の誤認に対する反論が、在日コリアン三世の朴一などが中心となって書いた『「マンガ嫌韓流」のここがデタラメ』によって行われている。 特にハングルについての記述は根本的に間違っていると『「マンガ嫌韓流」のここがデタラメ』では厳しく糾弾しているが、これに対して、水野俊平は『韓vs日「偽史ワールド」』で両者とも間違っており極論に走っていると指摘している。 他にも、韓国の現状に大きく影響を及ぼした中華主義や儒教思想などについても全く触れられていない。 別冊BUBKAに連載した「極東アジアOL二人旅」によれば、作者の山野は韓国に住んだことはなく現地の資料を読む能力もない。韓国に数回旅行したのみである。作者の韓国に関する知識はそれらの経験の他、マンガ嫌韓流の掲載の参考文献によると、多くの書籍やインターネットのサイトを情報源としている。後に出たマンガ嫌韓流公式ガイドブックのインタビューによれば、調査はほとんどが活字の本であり、インターネットは公的なサイトを利用していると答えている。現在は、韓国についての新刊『韓国のなかの日本』を出版する為に韓国を訪れ直接取材している。 2003年11月2日、TBSの情報番組「サンデーモーニング」で石原慎太郎東京都知事の「私は日韓合併の歴史を100%正当化するつもりはない」という発言がテロップで「100%正当化するつもりだ」と誤った字幕付きで報道、石原慎太郎がそれを意図的な偽造だと主張して名誉毀損でTBSを提訴したことを取り上げている。(この問題では関係者4名が書類送検されたが、東京地検は証拠不十分による不起訴処分とした。) 登場する韓国人や韓国人の立場に立つ人物の顔が皆醜く、ディベートで全くまともに意見を述べられず怒りだすという低脳な人間として描かれている。 内容に関して「歴史捏造」や「偏った」資料収集、そして「差別的な発想と言動」が目に付くという批判を週刊金曜日等から浴びた。1巻において「韓国起源説」を批判する際に「そもそも韓国には誇れる文化などない」と言ったことなどについてである。作者は、「書かれている内容に関して適切な資料を持ち出すなどして反論した批判は無かった」と2巻において主張している。細部についてはW杯決勝主審など明らかな間違いを指摘されていて、版を重ねるときに作者自ら修正している。 電車男や電波男(本田透著)のように単に2ちゃんねるを利用して金儲けをしているだけではないかという批判も一部だがある。 ディベートを行うシーンがあるものの、相互とも、意見を言っては否定することを何度も繰り返したり、一方が意見を述べているのに相手がそれを止めて反論したりするなど、立論・反対尋問、反ばく、最終弁論、判定という本来の順序や基本的ルールが守られていないことが多い。 嫌韓流2 前作の基本的な設定はほぼ引き継いで在日問題や、日本海呼称問題、人権擁護法案などについて扱っている。また韓国に対しての批判だけでなく日本国内のマスコミの報道姿勢や、岡崎トミ子参議院議員の『反日』デモへの参加、日教組の教育姿勢などに触れ批判している。 「在日特権」について取り上げている項目では登場人物の在日韓国人松本光一が母親の通名を使った脱税にショックを受け「俺たち在日韓国人に特権ってあるのか」と質問したのに対して末行先輩が「ある」と答える形で紹介されているが、その実例と取り上げられた内容は、朝銀信用組合、朝鮮学校、拉致問題、朝鮮総連など主に在日朝鮮人特権の紹介となっている。 杉並区の教科書採択時の騒動を取り上げた部分で、反対派市民は中核派であり、近づくと暴行を受けると主張し、その根拠として2005年8月4日に“暴力行為があった”という“被害者”の訴えを基に北島邦彦・都政を革新する会事務局長が逮捕されたことについて「中核派が一般人に暴力を振るって逮捕された」と述べている。この出来事については、その二日後に裁判所が勾留を認めず釈放され、後に不起訴処分になっているがそのことには触れられていない。 世羅高校が韓国に修学旅行を行ったことについて「謝罪旅行」だと主張し、生徒たちが韓国人に土下座したと記述しているが、もととなった当時の産経新聞の記事には土下座という事実は報道されていない。また、当該の産経記事には「これまで五年間、“謝罪修学旅行”を許可してきた校長先生が」等の記述があるが自殺した当時の校長は着任1年しか経っていない。つまり韓国日報、及びそれを転載した産経新聞の記事は虚偽が含まれているのである。韓国日報及びそれを転載した産経新聞の報道を無批判に転載し、かつ元記事には無い土下座という表現を用いたのは筆者のミスである。 また他の高校に対して“韓国謝罪修学旅行をしている”と批判しているが、実態は韓国の三・一独立記念塔を訪れ、話を聞いて生徒が感想などを述べるというような程度の内容であり、それを「謝罪旅行」と形容するのが妥当かどうか、例えば広島市の原爆ドームや長崎の浦上教会を見学して被爆語り部の体験談を聞く事と比べて問題視するような事象なのかという疑問がある。 マンガ嫌韓流の発売時にノリミツ・オオニシが執筆したニューヨーク・タイムズの記事にて、漫画的表現(ヒロインの髪の色を塗らないなど)を論って「日本人は白人のように、韓国人はアジア的に描かれている」と批判されたことを受け、『(ニューヨーク・タイムズ紙のいうところの)白人のような』の在日韓国人、『白人のような』の韓国人美青年、『アジア的な』台湾人美少女を登場させ、さらに「特徴を強調することは漫画的手法の一つである」との注意書きが付されている。後者をニューヨーク・タイムズに対する皮肉ととるか、マンガ慣れしていない読者への配慮ととるかは評価の分かれるところではある。この漫画に登場する韓国人は主人公サイドも相手側サイドも全てエラ張り・一重まぶたの吊り眼に書かれて(AA化したものが“ニダー”である)おり、これは外国の漫画で登場する日本人が「一重まぶたの吊り眼(+眼鏡)、出っ歯、首からカメラ」という、いわゆるステレオタイプ描写となる行為と同じものといえる。作者はこの表現方法はあくまでも「描き分け」であるとしており、おそらくはこの作品内での「悪役」である朝鮮系の人や、それに味方する人を醜く描くことで漫画をより分かりやすい構造にしたと思われる。この手の漫画においてこの方法を取ることの是非は分かれるところだが、多くの漫画で主人公側と悪役側で明らかに容姿の描写が違うのはよくある事であり、小林よしのりも自身の著書で同じ事で批判されている。 写真週刊誌フラッシュに掲載された嫌韓流2 の製作中予告記事では韓国人美男美女が出る予定として一部ラフ画も掲載されたが、結局“美女”は登場しなかった。 ちなみに巻末には7月の韓国のテレビ局KBSによる晋遊舎アポなし取材や、ユーキャン流行語大賞などこの作品についての裏話を紹介している。 「ATTENTION(ご注意):この物語は歴史的事実や実在の事件、事象などを題材にしておりますが、登場する人物、団体は一部を除き架空のものとなっています。実在の人物、団体とは一切関係がありませんので、ご注意ください。」の但し書きが入るようになった。 登場人物 沖鮎要(おきあゆ かなめ) 本作の主人公。1984年4月10日生。高校3年の時、病に倒れた祖父が「日本は朝鮮の発展に貢献してきた」と主張するのを聞き、自分が今まで抱いてきた歴史認識に疑問を持つようになる。大学進学後、学内サークル「極東アジア調査会」に入会し、独学で韓国の歴史や民族性を学び、討論でその知識を発揮していく。高校からの同輩である松本光一とは意見が衝突しつつも、心の奥では常に気遣っている。パイロット版漫画「CHOSEN」では曾祖母は朝鮮人に殺害されており、祖父はそれゆえに朝鮮人を怨み憎んだ人生を送ってきたという設定であったが、実際の本編では祖父は朝鮮総督府に勤め朝鮮人の友人も多数いたという設定に改められた。 松本光一(まつもと こういち) 要の友人で、在日韓国人。本名は不明。1984年8月23日生。ニダーの様な一重釣り目にエラが出ているという容貌。笑顔でいることが多いが協調性に欠け、周囲を顧みずに自分の主張を強引に貫く性格。典型的な民族主義者で、一般的な韓国人の意見を代弁している。しかし、要や「極東アジア調査会」のメンバーと交流を続けるうちに、自分の考えに疑問を持つようになる。作品中、在日韓国人であり参政権が無いにも関わらず投票所に押しかける描写があるが、選挙投票日には二十歳になっておらず、どちらにしても投票権はない。出版社売込用パイロット版漫画「CHOSEN」(「マンガ嫌韓流公式ガイドブック」収録)での名前は松本覚。ネット上で公開された在日参政権の章では選管の職員から「日本の政治干渉に来た外国のスパイ」よばわりされている。なお、光一のように本名も名乗らず、韓国語も話せず、自国の文化も知らないような在日の民族主義者は現実にはまず存在しない。 荒巻いつみ(あらまき いつみ) 要の同級生で恋人。1984年5月7日生。要と同じ高校・大学に通う。面倒見が良く、正義感や責任感が強いが、やや感情的な性格。偏った思想の「アジア歴史研究会」に要が入るのを阻止し、もう一つのアジアサークル「極東アジア調査会」に一緒に入会する。そして要同様に独学で韓国について勉強し、討論会でその知識と度胸を遺憾なく発揮する。自宅には剣道用の道場があり、大学進学後は要も通うようになる。パイロット版漫画「CHOSEN」では髪形や性格がやや異なる。 末行隆平(すえゆき りゅうへい) 「極東アジア調査会」の創設者の1人。1982年10月2日生。冷静沈着で、韓国に関する知識はサークル随一であるが、討論の相手を見下すような発言が目立つ傲慢な性格。無責任なところもあり、討論を他のサークルメンバーに丸投げしてしまうこともある。実家は資産家で、かなりの豪邸。 添内多枝(そえうち たえ) 「極東アジア調査会」の創設者の1人で初代会長。冷静沈着かつ聡明で、自分の意見はハッキリ主張する。その知識で討論会でも活躍した。 矢神哲也(やがみ てつや) 要より1年上のサークルの先輩。1984年1月9日生。温和だが慎重な性格で、物事を憶測で判断することを危険視する。普段はサークル運営など裏方で活躍したが、添内の後を継いで次期会長となった。将来はマスコミ志望(朝日新聞を除く)。 金田安弘(かねだ やすひろ) 要のサークルの先輩で、日本国籍に帰化した元在日韓国人。1983年6月27日生。例によって頬骨が強調された顔をしている。韓国の数々の悪行に、元在日として心を痛めている。この問題を打開するために、あらかじめサークル次期会長を辞退し、在日・元在日のネットワークを構築して日韓友好に役立てようと奔走する。 末行都(すえゆき みやこ) 要の一年後輩で、末行隆平の妹。兄と異なり天真爛漫な性格。漫画を描くのが趣味で、く反人権擁護法漫画を描いたりしている。 劉青霞(リュウ チンファ) 台湾出身の留学生で、要の後輩。アニメや漫画が趣味で、完璧に日本語を話せる。過去の韓国と台湾の軋轢により、韓国人を嫌っている。 朴然守(パク ヨンス) 韓国人で、「歴史歪曲軍国主義復活陰謀糾弾韓国大学生訪日代表団」のリーダー。知識は豊富で、日本語も完璧に話せる。男前だが冷徹さを感じさせる容貌。「太平洋戦争終戦後の韓日関係」について極東アジア調査会と討論する。 本書をめぐる動き 発売決定が発表された直後より、インターネット書籍販売最大手のAmazon.co.jpにて予約販売が開始されると、間もなくその予約数だけでランキング第一位となった。この事実は、その翌日には朝鮮日報・東亜日報・中央日報・聯合ニュース・SBSテレビなどの韓国マスコミにて、一斉に取り上げられ、出版社にも韓国のマスメディアが取材に駆けつけた(駆けつけた日は丁度出版社の定休日だった為に取材は失敗している)。 2005年7月26日付けの東京スポーツにて、朝日・読売・産経といった大手新聞社が『嫌韓流』の広告掲載を拒否したと晋遊舎のコメントが報じられた。このことについて、月刊誌「創」2005年12月号(pp.118-119)に、新聞各社のコメントが掲載されている。 (朝日)「この本に関する広告掲載申し込みは、まだありません。よって『広告掲載拒否』は事実ではありません」 (読売)「以前にも同様の取材があったことから、関連部署に確認を行っている。広告掲載の依頼を受けた事実自体がありません」 (産経)「結論から申し上げると『マンガ嫌韓流』広告掲載を産経新聞社が拒否した事実はありません。たしか7月下旬ごろ、広告代理店を通じて広告掲載の問い合わせがありました。その際、広告表記内容には断る理由はないと判断しましたが、広告ゲラについてはビジュアル性に問題があり、『もう少しなんとかなりませんか?』といったような注文はつけました。その後、正式な広告掲載申し込みがないまま時間が経過。しばらく経った9月に入り、ビジュアル内容を変えて正式な申し込みがありましたので、9月30日付紙面で広告を掲載いたしました。広告のキャラも、当初、こちらに持ち込まれたものより変わっていましたので、何ら問題はないと判断したわけです」 産経新聞社が編集発行する夕刊フジなどの一部タブロイド紙には広告が掲載された。 発売日には予定通り書店に並んだが、初版3万部だったこともあり、全般に品薄であり、発売日直後には既に余り店頭で見かけない状況であった。出版社は早々に増刷を決定した。 2005年8月28日産経新聞朝刊「断」欄で、洋書輸入会社勤務の評論家・勢古浩爾が「なぜ売れる『マンガ嫌韓流』」として取り上げて、「いやあ、勉強になった。客観性があり一読に値する。左五度ほどに傾いていた私の日韓理解線が中央に戻るくらいに啓蒙された」と述べて、好意的に紹介した。 2005年9月30日読売新聞夕刊に「自分に賛成する側を美男美女に書き、反対する側をそうではない様に書くのは、自分たちが中国や韓国が行っていると批判している印象操作そのものではないか」とマンガ嫌韓流を批判する書評が掲載された。 2005年10月3日中日新聞夕刊大波小波欄にて竹島問題について共感できたと述べるなど比較的好意的に取り上げられた。 『マンガ 嫌韓流』の影響により続々と嫌韓関連の書籍が販売され、2005年度の出版界では嫌韓ブームが起きたと韓国で報道された。 作者の山野車輪はその後、「別冊BUBKA」にて「極東アジアOL二人旅」なる日本各地のコリアタウンや竹島の日の松江市、対馬などを取材したレポ漫画を連載した。(休刊1号前に終了) この連載はコリアタウン訪問回の6回のみ『在日の地図 大韓棄民国物語 コリアタウン探訪』として大幅加筆(8割加筆)修正され出版された。 ランキング 元々Amazon.co.jpの和書総合売り上げランキングが新聞に掲載される場合、漫画はゴーマニズム宣言など一般書籍扱いで出版されるもの以外はランキングの対象に含まれていなかった。ゆえに『鋼の錬金術師』、『ドラゴン桜』などAmazon.co.jpのランキング常連の漫画単行本やアニメムックも新聞発表においてはランクインしなかった。朝日新聞で掲載されているAmazon.co.jpの和書総合売り上げランキング(7月11日~7月17日分)において、「※ランキングの対象書籍にコミックは含まれていません」という断り書きが記載されるようになった。(ランキングの内容自体は他新聞社の同時期掲載Amazonのランキングも同内容だが断りは未掲載)以前はこのような断り書きは掲載されていなかった(7月4日~7月10日分のランキング)。しかし、8月1日~8月7日分のランキングではコミックムック扱いの嫌韓流(晋遊舎は嫌韓流を雑誌に分類している)はともかく、一般書籍扱いの『新ゴーマニズム宣言SPECIAL靖國論』が掲載され『マンガ中国入門 やっかいな隣人の研究』が掲載されておらず、矛盾した状態になっていた。 その後、8月15日~8月21日分のランキングにおいて、「※Amazon.co.jpからのおことわり:これまで漫画のタイトルにつき除外しておりました『マンガ嫌韓流』と『マンガ中国入門 やっかいな隣人の研究』を今回よりランキングに含めております。」との断り書きが入り、ランキングに掲載。前者が1位、後者が2位となった。だが、相変わらず『ドラゴン桜』などランキング上位の漫画単行本はランキングに含まれないという矛盾状態が続いている。 一般書籍総合、コミック、タレント本などのランキングを交互に行っていたTBSのテレビ番組「王様のブランチ」では『マンガ嫌韓流』の出版直後のランキングにおいては、タレント本を7月30日、コミックを8月6日に連続発表し『マンガ嫌韓流』が含まれようのないランキングとなった。マンガ嫌韓流がランクインする可能性のある一般書籍総合の発表は8月13日になって行われたが、当時売り切れで店頭になかった為か『マンガ嫌韓流』はランクインしなかった。 amazon.co.jp[1]ではカレン・キングストンの『ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門』、山田真哉の『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?-身近な疑問からはじめる会計学』、荒川 弘の『鋼の錬金術師』第12巻、吾妻ひでおの『失踪日記』、こうの史代の『夕凪の街 桜の国』等を押さえ2005年度の年間ベストセラーランキング(和書)第1位を記録した。ちなみにamazon.co.jpのランキングでは発行部数上位の『ダ・ヴィンチ・コード (上)』は21位、『電車男』は31位、『生協の白石さん』はランク外である。 2005年ランキングにおいて取次大手のトーハン[2] 、日販のベストテンにランクインしていない。 2006年のamazon.co.jp和書ベストセラーランキングでは、マンガ嫌韓流2が和書総合14位、マンガ部門2位となっている。マンガ部門1位はのだめカンタービレ14巻。 公称部数 2005年7月30日現在の公称部数は10万部である。 2005年8月9日現在の公称部数は20万部である。 2005年9月現在の公称部数は30万部である(晋遊舎のHPによる)。 2006年2月現在の公称部数は45万部である(マンガ 嫌韓流2の帯に記載)。 2006年3月1日現在の1巻は6版4刷。(6版4刷の発行日表記は4月1日)部数は45万部である。(帯より) 2006年3月9日現在の1巻2巻合わせての総部数は65万部である(晋遊舎のHPによる)。 2006年5月24日現在の1巻2巻合わせての総部数は65万部のままである(5月フェアによる共通帯の付け替え)。 2006年5月24日現在の1巻は6版、2巻初版のままである(5月フェアでの共通帯版での確認)。 2006年6月1日現在の1巻は6版6刷、2巻は初版4刷、ともに2006年7月1発行と奥付に記載。1,2巻合計部数は65万部のまま。 2006年7月1日現在の1巻2巻合わせての総発行部数は67万部(毎日新聞記事に掲載された晋遊舎の公称部数による)。 注意:実際の発行部数と公称部数は異なり出版社の自称部数に過ぎない。事実、晋遊舎の嫌韓流1巻の公称部数は2006年2月から2006年7月まで45万部のままである。 関連書籍 晋遊舎の副読本 『マンガ嫌韓流 公式ガイドブック』(晋遊舎、ISBN 4883805174) 『嫌韓流 実践ハンドブック 反日妄言撃退マニュアル』桜井誠著(晋遊舎、ISBN 4883805026) 『嫌韓流 実践ハンドブック2 反日妄言半島炎上編』桜井誠著(晋遊舎、ISBN 4883805468) 肯定派 別冊宝島『マンガ嫌韓流の真実!』大月隆寛・野村旗守・黄文雄・西村幸祐・中宮崇・宮島理他著(宝島社、ISBN 4796649735) 別冊宝島『嫌韓流の真実! 場外乱闘編』中宮崇著(宝島社、ISBN 4796651276) 別冊宝島『嫌韓流の真実! ザ・在日特権 ~朝鮮人タブーのルーツから、民族団体の圧力事件、在日文化人の世渡りまで!~』(宝島社、ISBN 4796653295) 批判派 『「マンガ嫌韓流」のここがデタラメ』姜誠・太田修・朴一・鄭夏美・鄭雅英・呉文淑・綛谷智雄・藤永壯・半月城・高吉美共著(コモンズ、ISBN 4861870232) 嫌日流 ISBN 9784901757058 マンガ嫌日流 ISBN 9784883806195 類似本 『マンガ中国入門 やっかいな隣人の研究』ジョージ秋山著・黄文雄監修(飛鳥新社、ISBN 487031682X) 中華人民共和国について、主に批判する立場から書かれた漫画。2005年8月6日発行。2005年9月22日現在、18万部発行(飛鳥新社発表による)。 『嫌オタク流』中原昌也・高橋ヨシキ・海猫沢めろん・更科修一郎著(太田出版、ISBN 9784778310011) 嫌韓流の便乗本。内容は主にオタクを批判するものであり、嫌韓とオタクの関連性についても記述されている。2006年1月24日発行。 『電波男』本田透著(三才ブックス、ISBN 4861990025) 同時期に発表され、嫌韓流と同様に2ちゃんねる内で宣伝され、多くの2ちゃんねらーの反響と共感を呼んだ本。2005年3月12日発行。 関連項目 韓流 嫌韓 嫌日流 韓国起源説 ナショナリズム エスノセントリズム 歴史認識 自由主義史観 日本の戦争犯罪 日本の戦争賠償と戦後補償 小林よしのり ゴーマニズム宣言 新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 民族差別 右翼 桜井誠 (Doronpa)(実戦ハンドブックの著者) 外部リンク 晋遊舎公式ホームページ(成人向けの表現が含まれています。) マンガ 嫌韓流 公式ホームページ(晋遊舎公式HP内) マンガ 嫌韓流2 公式ホームページ(晋遊舎公式HP内) FAR EAST-極東-(著者公式HP) 山野車輪プロフィール
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日本の様々な憲法論を政治的スタンスに当て嵌めて概括すると下表のようになる。 ※サイズが画面に合わない場合はこちら をクリック願います。 政治的スタンス 代表的論者 ベースとなる思想家/思想 補足説明 詳細内容 (1) 極左 伊藤真など護憲論者 J.-J.ルソーの社会契約論からさらに、アトム的個人主義と集産主義の結合形態(=左翼的全体主義)※説明に接近 「人権」「平和」を過度に強調し絶対視する共産党・社民党・民主党左派系の法曹に多い憲法論でありイデオロギー色が濃く法理論というよりは左翼思想のプロパガンダである(左の全体主義) (2) 左翼 芦部信喜高橋和之 修正自然法論(法=主権者意思[命令]説に自然法を折衷)+J.-J.ルソーの社会契約論 宮沢俊義→芦部信喜と続く戦後日本の憲法学の最有力説であり通説※宮沢は有名なケルゼニアン(ケルゼン主義者)。芦部は自然法論者だが人権保障をア・プリオリ(先験的)な「根本規範」と位置づけており、その表面的な米国判例理論の紹介はポーズに過ぎず、実際には依然ケルゼン/ラートブルフ等ドイツ系法学の影響が強い よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) (3) リベラル左派 長谷部恭男 H.L.A.ハートの法概念論(法=社会的ルール説)を一部独自解釈※なお長谷部は社会契約論に依拠しているのか曖昧でハートの法概念論と辻褄が合うはずのハイエクの自由論は故意に無視している 近年の左派系憲法論(護憲論)をリードしている長谷部は芦部門下であるが、師のようなドイツ系法学パラダイムはもはや世界の憲法学の潮流からは通用しないことを認識しており、師の憲法論の中核である、①根本規範を頂点とした法段階説+②制憲権(憲法制定権力)説、を明確に否定して、英米系法学パラダイムへの接近を図っている。(※但しハートまでは受容しながらもハイエクを拒否している長谷部の憲法論は中途半端の誹りを免れず、これを一通り学んだ後は、より整合性のとれた阪本昌成の憲法論へと進むべきである) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) (4) 中間 佐藤幸治 人格的自律権に限定して自然法を認める独自説+J.ロックの社会契約論 芦部説の次に有力な憲法論であり、芦部説よりも現実妥当性が高いので重宝されるが(佐藤は佐々木惣一から大石義雄へと続く京都学派憲法学の系統)、法理論としては妥協的でチグハグと呼ばざるを得ない 佐藤幸治『憲法 第三版』抜粋 (5) リベラル右派 阪本昌成、※ H.L.A.ハートの法概念論(法=社会的ルール説)+F.A.ハイエクの自由論 20世紀後半以降の分析哲学の発展を反映した英米法理論に基礎を置く憲法論であり、法理論としての完成度/説得力が最も高いが、日本では残念ながら非常に少数派 阪本昌成『憲法1 国制クラシック』 (6) 保守主義 中川八洋日本会議 E.コークの「法の支配」論+E.バークの国体論 日本会議・チャンネル桜系の憲法論も基本的にこちらに該当する。法理論というより「国民の常識」論であり、心情面からの説得力が高いが、(5)の法理論を一通り押えた上でこの立場を取らないと、いつの間にか(7)に堕する危険があるので注意。 中川八洋『国民の憲法改正』抜粋 (7) 右翼・極右 いわゆる無効論者 ヘーゲルの法概念論・共同体論およびそれに類似した全体主義的論調 「伝統」「国体」などを過度に強調し絶対視して「右の全体主義」化した憲法論(左翼憲法論の裏返しであり、左翼からの転向者が嵌り易い。法理論というより右翼イデオロギーのプロパガンダ色が濃い) ※政治的スタンス5分類・8分類+円環図 -... ※サイズが合わない場合はこちら をクリック ⇒上図の詳しい説明は、政治の基礎知識、政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 参照。 政治的スタンス毎の憲法論の違いは、①「人権」と②「国民主権」の捉え方に顕著に現れる。このうち、①「人権」に関しては、「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のためにを参照。政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価では、(2)~(6)の各々の政治的スタンスの代表的な②「国民主権」論を列記したのち、総括する。
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『幸せなら』 4KB 小ネタ 群れ 希少種 思い付きをそのまま あるところに野生のゆっくりたちが住むゆっくりプレイスがあった。 実や花を付ける植物は多く、危険な動物もいない。冬が短ければ、梅雨も短い。 この理想的なゆっくりプレイスでゆっくりたちは毎日幸せに暮らしていた。 ある日のことだ。 その群れに旅ゆっくりが来た。 胴付きのゆっくりみすちーだった。 ゆっくりみすちーといえば、人間的に音痴ぞろいのゆっくりの中でずば抜けた歌唱力を持つゆっくり。 このみすちーもその例に漏れず、とてもゆっくり出来る歌声を持っていた。 歌声もすごいが、ゆっくりたちが驚いたのはその歌のバリエーションの多さだった。 みすちーがこの群れに来てからみすちーのコンサートは毎日行われたが、その度に違う歌が披露された。 通常一つの「おうた」しか持たないゆっくりにとってこれはとても驚くべきことで、ゆっくり出来ることだった。 話によれば、このみすちーは昔会った人間さんに歌を教わり、今はゆっくり出来る歌を広めるために旅をしているらしい。 みすちーは、毎日歌を歌った。 群れのゆっくりたちはその歌を聞くときが一番幸せでゆっくり出来た。 自分の歌が一番と言い張り、他のゆっくりの歌を鼻で笑っていた歌姫れいむも、みすちーの歌でゆっくりした。 れいむはみすちーを自分よりすごく歌が上手だと褒め称えた。 今まででは考えられない事だった。 素行と口が悪く、このままでは将来ゲスになると心配されたまりさも、みすちーの歌でゆっくりした。 まりさはお行儀良くみすちーの歌を聴いて、歌が終わったらみすちーにお礼を言った。 今まででは考えられない事だった。 れいぱー予備軍で、「とかいはのあい」を無理矢理振りまこうとしていたありすも、みすちーの歌でゆっくりした。 発情するような事はなくなり、代わりに真心を込めて歌を歌った。 今まででは考えられない事だった。 自分の知識が全てで、歌を何の役にも立たないと馬鹿にしてきたぱちゅりーも、みすちーの歌でゆっくりした。 歌を馬鹿にするのをやめて、下手ながらもみすちーを真似て歌うようになった。 今まででは考えられない事だった。 みすちーは日が傾いても歌を歌った。 れみりゃやふらんが近づいてきたが、みすちーの歌を聴くとゆっくりした。 みすちーどころか、他のゆっくりを襲う事もなく、仲よさそうに親愛のすりすりをした。 今まででは考えられない事だった。 こうして群れのゆっくりも、そうじゃないゆっくりも、大人も子供もみんなみすちーの歌でゆっくりした。 みすちーのコンサートは三日続いた。 四日目の朝。みすちーは次の群れを目指して旅立つ事になった。 群れのみんなが引きとめたが、みすちーの意思は変わらなかった。 ならばとみすちーの旅立ちを祝うために、盛大な宴が行われた。 「みんなありがとう! おれいに、みすちーがいちばんしあわせになれてゆっくりできるおうたをうたうね!」 みすちーはそう言ってこの群れでの最後の歌を、手拍子交じりに歌い始めた。 「しあわせならてをたたこう♪ しあわせならてをたたこう♪ しあわせならてをたたこうよ♪ ほらみんなでてをたたこう♪」 手を叩きながらこの歌を歌うみすちーは、誰の目から見ても幸せそうでゆっくりとしていた。 最後の歌を終えたみすちーは、群れから差し出された食料を持って旅立っていった。 みすちーが旅立った次の日、ゆっくりたちはみすちーの歌を歌っていた。 みすちーほど上手ではなかったが、みんなでそろって歌うおうたはとてもゆっくり出来た。 ゆっくりたちが覚えられたのは特にゆっくり出来た二つ三つだけだった。 ゆっくりたちが最後に、「いちばんしあわせになれてゆっくりできるおうた」を歌い終わったとき、ある小さなれいむが言った。 「れいみゅたちにはたたくおてちぇがにゃいよ?」 この発言に群れのゆっくりたちは皆ざわめきあった。 あのとてもゆっくりしたおうたは幸せなら手を叩こうといってるのに、ゆっくりには叩く手が無い。 それはつまり、ゆっくりにとって幸せになれないという意味だった。 群れのゆっくりたちはなんとか手を叩こうとした。 あるれいむはもみあげを叩こうとしたが、届かなかった。 あるまりさはゆっくり同士でぶつかって手を叩く代わりにしようとしたが、痛いだけだった。 あるありすとぱちゅりーは手を叩く代わりになる装置を作ったが、つまらない音しか出なかった。 誰も手を叩けなかった。 誰も幸せになれなくなった。 ごはんを食べた。 手を叩けないから幸せになれなかった。 夜中にぐっすりと寝た。 手を叩けないから幸せになれなかった。 おちびちゃんが生まれた。 手を叩けないから幸せになれなかった。 理想的なゆっくりプレイスでゆっくりできるおうたもあるのに、ゆっくりたちは手が叩けないだけで幸せを失った。 幸せを失い、ゆっくり出来なくなって生きる意味を喪失した事を理解したゆっくりから順々に死んでいった。 こうして、ゆっくりプレイスからまた一つの群れが消えた。 今日もみすちーは歌う。 みんなを幸せにするために、幸せを奪う悪魔の歌を。 「しあわせならてをたたこう♪」 ########################################## ただの思いつきの話でした。 今まで書いたもの anko2458 どっちが本当? anko2461 街中の狩人 anko2480 たいせつにするということ anko2509 神は饅頭の信徒を裏切るか? anko2587 れいむ種に対する概論 anko2820 魔法使いのお姉さん anko2993 加工所駆除課のお仕事
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まず「国民主権」および「憲法制定権力」という用語の辞書的定義を確認する。 こくみんしゅけん【国民主権】popular sovereignty 日本語版ブリタニカ 主権は国民にある、とする憲法原理。国家の統治のあり方を究極的に決定する、①権威、ないし、②力、が国民にあるとし、国民主権と全く同じ意味で、人民主権ということもあるが、後者には限定された特殊な用法もある。君主主権に相対する。日本国憲法前文1段および1条は、国民主権に立脚することを明らかにしている。 もっとも、国民主権の具体的意味の理解については一様ではなく、大別して、 (1) 国民主権とは、国家の意志力を構成する最高の機関意思が国民にあることを意味し、それは憲法によって定まる、と解する説(※注:最高機関意思説)と、 (2) 国民が憲法の制定者であることを意味する、とする説(憲法制定権力説)とに分れる。基本的には、(2)後者の立場に立つ場合であっても、さらに、 (2)-a 主権者たる国民は、観念的統一体としての国民で、主権がそのような国民にある、ということを意味する、というように解する説(※注:ナシオン主権説)と、 (2)-b 主権の権力的契機を重視し、主権は個々の人民が分有し、人民自らがそれを行使するところに本質がある、とする人民主権説(※注:プープル主権説)とに分れる。 けんぽうせいていけんりょく【憲法制定権力】pouvoir constituant;Die verfassungsgebende(※注:constituent power) 日本語版ブリタニカ 憲法を創出する権力であって、憲法はもちろん、如何なる実定法によっても拘束されない超法規的・実体的な根源的権力。既存の憲法を前提とし、それによって設けられるもの、とは区別される。 しかし、憲法制定の手続が実定法に拘束されるかどうかは、意見の分かれるところである。国民主権を建前とする近代国家における憲法制定権力は、国民自身である。この発想は、シェイエスの『第三身分とは何か』にみえ、国民を憲法制定権力の主体とする革命憲法制定の理論的主柱として、絶大な影響を及ぼした。20世紀になり、C. シュミットは、この観念を用い、①憲法改正手続のもつ合法性に、②国家形態を変更する主権者の正当性を対置した。 ※「主権」に関するその他の多様な用語については下記参照 関連用語集 【用語集】主権論・国民主権等 前述のとおり、芦部信喜説(左翼=通説)及び、佐藤幸治説(中間派=有力説)は、「国民主権」を「憲法制定権力」と解釈している。 ここで留意すべきは、その「憲法制定権力」にいう「憲法」が、①実質憲法(国制)を指すのか、それとも、②形式憲法(憲法典)を指すのか、である。 けんぽう【憲法】 constitution 日本語版ブリタニカ 憲法の語には、(1)およそ法ないし掟の意味と、(2)国の根本秩序に関する法規範の意味、の2義があり、聖徳太子の「十七条憲法」は(1)前者の例であるが、今日一般には(2)後者の意味で用いられる。 (2)後者の意味での憲法は、凡そ国家のあるところに存在するが(実質憲法)、近代国家の登場とともにかかる法規範を1つの法典(憲法典)として制定することが一般的となり(形式憲法)、しかもフランス人権宣言16条に謳われているように、①国民の権利を保障し、②権力分立制を定める憲法のみを憲法と観念する傾向が生まれた(近代的意味の憲法)。 1 17世紀以降この近代的憲法原理の確立過程は政治闘争の歴史であった。憲法の制定・変革という重大な憲法現象が政治そのものである。比較的安定した憲法体制にあっても、①社会的諸勢力の利害や、②階級の対立は、[1]重大な憲法解釈の対立とともに、[2]政治的・イデオロギー的対立を必然的に伴っている。 従って、 (a) 憲法は政治の基本的ルールを定めるものであるとともに、 (b) 社会的諸勢力の経済的・政治的・イデオロギー的闘争によって維持・発展・変革されていく、・・・という二重の構造を持っている。 2 憲法の改正が、通常の立法手続でできるか否かにより、軟性憲法と硬性憲法との区別が生まれるが、今日ではほとんどが硬性憲法である。 近代的意味での成文の硬性憲法は、 ① 国の法規範創設の最終的源である(授権規範性)とともに、 ② 法規範創設を内容的に枠づける(制限規範性)という特性を持ち、かつ ③ 一国の法規範秩序の中で最高の形式的効力を持つ(最高法規性)。 日本国憲法98条1項は、憲法の③最高法規性を明記するが、日本国憲法が硬性憲法である(96条参照)以上当然の帰結である。今日、③最高法規性を確保するため、何らかの形で違憲審査制を導入する国が増えてきている。 なお、憲法は、①制定の権威の所在如何により、欽定・民定・協約・条約(国約)憲法の区別が、②歴史的内容により、ブルジョア憲法と社会主義憲法、あるいは、近代憲法(自由権中心の憲法)と現代憲法(社会権を導入するに至った憲法)といった区別がなされる。 なお、下位規範による憲法規範の簒奪を防止し、憲法の最高法規性を確保することを、憲法の保障という。 (⇒憲法の変動、⇒成文憲法、⇒不文憲法) 実は、芦部『憲法(第五版)』や佐藤『憲法(第三版)』は、 憲法論の最初(憲法概念論)で、 「憲法(constitution)」という概念には、①実質的意味の憲法(国制)と、②形式的意味の憲法(憲法典)の区別があり、両者を混同してはいけないことを明記しておきながら、 肝心の国民主権論の段では、 「国民主権」=「憲法制定権力(制憲権)」の指す「憲法」が①なのか②なのか、が曖昧にしか説明されていない。(しかし、文脈から見て芦部・佐藤両説とも、憲法制定権力の「憲法」として、①実質憲法(国制)を想定していることが読み取れる) ここで、常識的な国民の政治への関わり方を考察すると 1 我々の世代の国民が、選挙などを通じて決定しているのは、あくまで「国政(national policy)」であって、その中の最も大きな決定事項として、「憲法典(constitutional code=②形式憲法)」の制定・改廃も含まれるが、 2 その一方で、「国制(constitutional law=①実質憲法)」すなわち、国家の継続的なあり方に関しては、我々の世代だけの「決定事項」とするのは、おそらく僭越に過ぎると思われる。 こうした政治感覚からすれば、 日本国憲法に「国民主権」という規定があり、それが具体的には、国民の「憲法制定権力(制憲権)」を指すとしても、その「憲法」とは、芦部説や佐藤説が暗示するような、①実質憲法(国制)ではなくて、あくまで②形式憲法(憲法典)に留まる、 すなわち、特定の世代の国民が決定できるのは、②形式憲法(憲法典)迄であって、①実質憲法(国制)自体は、幾世代にも渡って次第次第に形成されてきたもので一時の政治的決定によって任意に改廃できる類のものではない と結論づけるのが妥当である。 (=このように、①実質憲法(国制)を、特定世代の意思によって「制定・改廃」可能なものとしてではなく、あくまで幾世代にも渡る人々の営為の中から「自生(自然に成長)」するものと見る立場を、法の支配という) 芦部信喜説のように、「国民主権」=「憲法制定権力(制憲権)」とし、かつ、その対象たる「憲法」は、①実質憲法(国制)を指す、とする憲法理論とは、要するに「国民主権」の貫徹=「天皇制打倒」という《革命の成就》(彼らのいう「八月革命」の完遂)を密かなアジェンダに掲げた宮沢俊義以来の戦後憲法学(及び丸山政治学)の悪しき遺物なのである。(※なお、佐藤幸治説(京大系憲法学)は八月革命説を肯定しているわけではないが、結論から見れば芦部説と同様である)
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No Nukes! / Zaitokukai 在日特権を許さない市民の会(在特会) (自称) 愛国者、(実態) レイシストかつ女性差別主義者 他の意見に全く耳を貸さない狂信者 思想も何もない、単にうるさいだけの右翼の街宣とネトウヨのヘイトスピーチ 単なる狂信者 その狂信的態度は、かつてサリン事件を起こしたオーム真理教と類似する デモでヘイトスピーチする、一般常識のなさ アメリカに批判されるとすぐに手のひら返す、無思想、無節操 過去の歴史的事実を自分たちの都合の良いように解釈する、無教養 「反・反原発」という詭弁 愛国者を自称するが、その実態は親米保守 自国よりも米国の国益を優先する親米派非国民 韓国、中国は蔑視するが、米国には無批判 国を焦土と化した太平洋戦争の時代を理想とし、その責任者たちを崇拝する 太平洋戦争当時は現在の北朝鮮と非常に類似しながら、北朝鮮を蔑視する近親憎悪 ネトウヨが応援する、ネトウヨレベルの人々 自民党、安倍総理、櫻井よしこ、など 日本維新の会、橋下大阪市長、西村真悟、平沼赳夫、中山成彬、など 田母神 元幕僚長 経済評論家 三橋貴明 ネトウヨの教典 『マンガ嫌韓流』 『ゴーマニズム宣言』 どっちも漫画! (そのイデオロギーのなさは世界的にも恥) ネトウヨ御用達メディア 月刊Will SAPIO 日本文化チャンネル桜 ネトウヨ(およびそれに関連する人々)の起こした事件 沖縄 米兵レイプ事件 田母神元幕僚長ツイッター炎上 日本の極右団体「なでしこアクション」の妄言コピペメールテロ フジテレビ抗議デモ 参考文献 ?pc=http%3A%2F%2Fitem.rakuten.co.jp%2Fbook%2F11631660%2F?scid=af_link_tbl amp%3Bm=http%3A%2F%2Fm.rakuten.co.jp%2Fbook%2Fi%2F15825989%2F 安田浩一 著『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』価格:1,785円(税込、送料込) 関連リンク G2 ネット右翼に対する宣戦布告 広告
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当国家(永久中立国スイス)は臨時の国民を募集いたしたいと思います。 募集人員1名 最低条件 レベル1000以上である。 ウロ期間が半年以上である。 軍隊戦を理解している。 他の国民に迷惑を掛けない。 もちろん、面接等もきちんとありますので、ご了承を