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日本のネットアイドル一覧 ロシアのネットアイドル一覧 台湾のネットアイドル一覧(Taiwanesenet idol) No サムネイル アイドル名 性別 所属 歌スキル 踊りスキル 語りスキル 書きスキル 魅せスキル 癒しスキル 0001 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 小妍(Yen) ♀ - 0002 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 妮妮(NiNi) ♀ - 上へ
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【検索用 うなきはんがうりきれちゃちゃちゃう 登録タグ 2018年 VOCALOID う ヒャクブンノイチP 曲 曲あ 音街ウナ】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:ヒャクブンノイチP 作曲:ヒャクブンノイチP 編曲:ヒャクブンノイチP 唄:音街ウナ 曲紹介 「生きるって楽しい! 」 曲名:『うなぎパンが売り切れちゃちゃちゃう!』(うなぎパンがうれきれちゃちゃちゃう!) 音街ウナちゃんの曲を初めて作らせていただきました。ウナちゃんのイメージソングとなっております。 歌詞 (piaproより転載) 青い空に白い雲 スキップで行くのだ そよ風に話しかけてみる 何でもないような日に クローバーさんとかくれんぼ 三つ葉でも超ラッキー さえずってる小鳥さんたち アタシも仲間に入れて 小さい川をぴょんと越え 見たことのない場所 新しくできたパン屋さん ここにあったんだね やった うなぎパン口いっぱいに広がる うなぎがたまらない また来るね バイバイ お腹がすいたらまた来るよ 元気な太陽が さんさんさんさん 育てた木のように すくすくすくすく 大きくなりたいね うなうなうなうな 頷いたのはキミ じゃあじゃあじゃあじゃあ この木に登ろう 生きているよなんてすばらしい 世界にアタシはいるのだ だだだだだだ 大好きなこの音楽の街は 誰でもウェルカム楽しいよ よよよよよよ 世の中は音楽という夢と希望に あふれてる るるるるるる ルビーのように輝く命 こまめにお手入れしてあげて てててててて 木に登る速さになら誰にも負けないよ とか言ってるそばから キミに負けちゃったよ なんでだろう そうかまだアタシの知らない事はたくさんある 全部は覚えられないけど 頑張ってみようかな ん、飽きた 嫌なことあったときは めそめそめそめそ 泣いてもいいけどさ うたうたうたうた 歌をうたうことで もりもりもりもり 盛り上がっていって げんげんげんげん 元気を出そう 生きているよなんて美しい 日々を過ごしているのだろ ろろろろろろ ろくでもないことなどないさ みんなの笑顔が宝物 のののののの 喉が渇いてお腹がすく そうだうなぎのパン一緒に にににににに 2個目を買いに行こうよさあ 早くしないと売り切れちゃ ちゃちゃちゃちゃちゃう コメント 名前 コメント コメントを書き込む際の注意 コメント欄は匿名で使用できる性質上、荒れやすいので、 以下の条件に該当するようなコメントは削除されることがあります。 コメントする際は、絶対に目を通してください。 暴力的、または卑猥な表現・差別用語(Wiki利用者に著しく不快感を与えるような表現) 特定の個人・団体の宣伝または批判 (曲紹介ページにおいて)歌詞の独自解釈を展開するコメント、いわゆる“解釈コメ” 長すぎるコメント 『歌ってみた』系動画や、歌い手に関する話題 「カラオケで歌えた」「学校で流れた」などの曲に直接関係しない、本来日記に書くようなコメント カラオケ化、カラオケ配信等の話題 同一人物によると判断される連続・大量コメント Wikiの保守管理は有志によって行われています。 Wikiを気持ちよく利用するためにも、上記の注意事項は守って頂くようにお願いします。
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植民地支配と日本語 第一章 台湾における日本語普及政策 2 台湾の日本語教育の歴史的展開 台湾での日本の植民地政策はまず同化政策として現れる、とよく指摘されている。総督府の言語政策もそのなかに位置しており、植民地政策の重要な一環であった。ここで、まず学校教育を中心にその日本語普及政策の時代区分を概観しておこう。 第一段階は、一八九五年から一八九八年七月勅令一七八号の台湾公学校令発布までの期間である。このあいだに、芝山岩学堂と国語伝習所をはじめ、台北県立日本語学校、基隆学校・宜蘭国語会などの県、庁立の日本語学校が設立された。そのいずれも応急的な要素をもち、「施政上の便を謀る」ための性質が目立つ。 第二の段階は、台湾公学校令発布から一九一九年(大正八年)一月の台湾教育令公布までである。公学校令によれば、公学校は台湾人の子弟に「徳教ヲ施シ実学ヲ授ケ、以テ国民的性格ヲ養成シ同時ニ国語ニ精通セシムルヲ以テ本旨」としている。この期間に、公学校令の改正をはじめ、たえず教育制度が修正され、学年の変更、修業年限および授業科目の変動などもつねであった。 一八九八年三月から九年問台湾総督府民政局長の任にあった後藤新平は、「教育方針は未だ考究中」と断ったうえで、当面の大事は、「乃ち国語の普及なり。目下は唯此の目的を達するを第一とす。此の 32 第一主眼にして達せらるヽ日は、教育の方針も亦考究を経て確立の秋来るべし」と述べ、むしろ日本語の普及を教育方針確立の前提条件としている。しかし教育方針が揺れていたため、日本語普及政策の実行に、制度としての保証を提供するまでには至らなかった。学校教育では、日本語の授業が重要視される一方、大正中期までは漢文の授業が依然一定の比重を占めていた。学校教育用語の面では、大正二年総督府が教科書を改正した機会に、日本語教育において母語の使用を禁止したにもかかわらず、大正八年の教育令までは徹底されなかった。 第三の段階は、一九一九年(大正八年)一月の台湾教育令公布から一九四五年までである。そのあいだにいくらかの調整もみられ、さらに細かく分析することも可能であるが、日本語普及政策の確立と強化および基本的な立法措置の整備などの面から、大きく一つの時代として考えられる。台湾教育令は、それまでの公学校令と違い、「国語に精通せしむる」の代わりに、「国民たるの性格を涵養し国語を普及する」ことを普通教育の目的として強調する。これは、もっと広い範囲での日本語普及を意味していると考えられる。 一九二二年二月、新台湾教育令が公布されてから、いわゆる内台共学時代に入る。新台湾教育令は「内地人」と「本島人」の区別の代わりに、「国語を常用する者」と「国語を常用しない者」という分け方で、はじめて台湾人の学生が日本人学生と同じ学校で勉強することを認めた。事実上、もちろんそれはほんの一握りの特権的階層の子弟にかぎられていた。政策主体としての台湾総督府が、国語の概念をもって立法措置に臨んだことはかつてなかった。「国語」の常用か否かという基準を打ちだしたことから、その言語政策の一端がうかがわれる。その意味で、注目すべきことである。さらに、一九四一年(昭和一六年)四月には台湾公立国民学校規則が発布され、日本語教育が一段と強化された。 学校教育から日本語普及の実態をみると、日本語教育を受けた児童の比率は、一八九九年(明治三 33 二年)の時点では二%だったが、一九一八年(大正七年)は一六%弱、一九三五年(昭和一〇年)は四一・五%、一九四四年(昭和一九年)は七一%にのぼった。 学校教育を通して日本語の普及をはかろうとすると同時に、「社会・家庭の国語化」の政策もとられた。一九一〇年代からおかれた国語普及会、国語夜学会、国語練習会などがそれである。これらは、地方官庁所管の組織・施設として、一九二〇年頃から、常時日本語の普及に利用されるようになった。一九一四年(大正三年)には台湾総督を総裁とする台湾教育会が、「国語演習会」を創設し、年に一回のぺ-スで全島の日本語コンクールにあたる演習会を催した。これは、やがて日本語普及のための大がかりな行事となり、日本の敗戦まで計三一回行われた。 一九二八年(昭和三年)、官庁に社会教育係が設けられるようになり、一九二九年台中に国語講習所が設立された。一九三一年、総督府は府令の形で、公立の特殊教育施設に対して国庫補助を行うように決めた。それ以後、各州、庁に国語講習所が設けられ、これに呼応して総督府社会課は「公学校に入学し得ない児童は勿論、七〇歳以下の成年は男女を問わず悉く国語講習所に入所せしめて国語を学習させ、なお国語講習所も各部落に設置せしむるを理想とし、将来はこの理想に向って奨励をなす計画」を打ちたてた。一九四一年(昭和一六年)の『台湾事情』は、一年に一〇〇日以上、一年ないし四年のあいだ日本語教育を施す国語講習所および簡易国語講習所が一万五〇〇〇カ所をこえて、生徒数は七六万人以上であると報告している。「生徒のなかには乳呑児をかかへた主婦もあって、夜間電灯の下で乳房を含ませながら講習を受けてゐるのなど実に涙ぐましいものがある」と、ある日本人は記録している(加藤春城「台湾の国語教育」一九四二)。 一九三七年には「国語常用家庭」制度が設けられ、家族全員が日本語を常用し、そのうえに、「皇民的生活」すなわち神宮大麻の奉齊、服装住居および生活習慣などの日本化も要求された。一九三八年から「国語を中心とする生活の指導と、皇民生活を営ましめんとする家庭の幼児に対する基礎的錬成」という自的を掲げた「幼児国語講習所」まで開かれ、一九四二年(昭和一七年)には一七九七ヵ所にも達し、園児は七万人をこえた。 台湾総督府は、このようにその統治政策のもっとも基本的な条件として、手段をつくして日本語の普及をはかろうとした。一九三二年から四年問台湾総督の任にあった中川健蔵は、総督府の植民地行政と言語問題に対する認識を次のように述懐している。 わたしは最近台湾に在任しましたが、いわゆる国語が十分に理解されて初めて、国民性を会得するのであるとゆうことは、植民地に行くと実によく分かります。日本精神の涵養が植民地統治の上には、最も必要であって、歴史の話もし、色々学校で教育をするが、実は言葉の意味が十分に理解されて初めて、国家精神の涵養ができるのであります。(中略)国語の普及とゆうことが新領土の国民性を形作る上に一番必要であります。植民地の統治には、同化主義がよいとか、悪いとか、或いはその土地の風俗に従って行くべきものであるとか、言われていますが、もし植民地を日本の本当の領土たらしめんとするには、どうしても其処の住民が日本精神を持たなければならん、それにはどうしても国語が必要である、それで国語普及とゆうことは、植民地行政上に非常に重要性がある。(「国語運動」第一巻二号、一九三七) 年度別 国語教習所 簡易国語教習所 合計 所数 生徒数 所数 生徒数 所数 生徒数 昭和6年 68 561 805 31201 873 31762 7年 185 4835 702 27675 887 32510 10年 1629 63023 754 31370 2383 94393 13年 3454 214865 3852 257277 7306 472142 15年 11206 547469 4627 215794 15833 764263 『台湾事情」(昭和16年版・台湾総督府刊)による 35 日本語の普及が新領土の「国民性を形作る」ため、「日本精神」をもたせるために、いちばん必要なこととされ、植民地統治上、不可欠なことと考えられ、推しすすめられてきたのである。一九四二年の時点では、日本語教育を受けた人数はすでに三二〇万人をこえ、当時の台湾総人口の五七%を占めた。 他方少数民族に対する日本語普及対策も重要視された。樺山総督は就任早々、「本島ヲ拓殖セントセバ、必ズ先ヅ生蕃ヲ訓服セシメザルベカラズ」と訓示をだした。伊沢もはじめから「生蕃教育」に関心をもち、一八九六年九月に「生蕃教育について学務部長通知」をだしており、のちにも数回言及している。台湾の原住民族は高山族というが、じつは広域に分布する言語と文化の違う九つの部族(アタイヤル、サイセット、ブヌン、ツオゥ、ルカイ、パイワン、アミ、ピュマ、ヤミ)を総称したいい方である。明末から「蕃人」、「土蕃」と呼ばれてきた。日本植民地時代には「蕃族」、「蕃人」と呼ばれていたが、民族矛盾を緩和するため、一九三五年からは「高砂族※」と公的に改称した。高山族に対する日本語普及政策は、資源開発と治安整備に結びつけて考えられており、一九二七年までには、すでに全人口の三分の一に対してある程度の日本語教育を施した(「台湾原住民の向化」台湾総督府警務局理蕃課編)。 =========================== ※ 高砂という呼称の由来には、日本人がはじめて台湾にきたとき、その美しい景色が播州の高砂の海辺に似ているとみて、台湾のことを高砂と称したという説のほかに、倭冠が台湾の「打狗山(タアカオスア〕」の発音をなまってタカサゴ・タカサグンと呼んだという説がある。ちなみに、「高雄」という地名も同じように、「打狗山」の発音から日本人が漢字にあてたものであった。漢文の構文論と造語法からみても、高も雄も修飾語的言葉で、中心詞としての名詞がなくて、この二字だけでは地名になれないのである。 =========================== 少数民族への日本語普及の担当機関は一般とは違っていた。一八九六年(明治二九年)四月、軍政から民政に切りかえた総督府は、蕃地を民政局殖産部の管轄下においた。九月、恒春国語伝習所チロソ分教場が設けられ、いわゆる「蕃人」への日本語教育がはじまった。同年に一〇ヵ所の蕪墾署が設置され、翌年四月の撫墾署長会議で、「各蕃社より児童の怜悧なる者を一所に集め、日常の生活に須要なる事項及五〇音並びに簡易なる数字の類を教授せんことを希望す」と打ちだした。一八九八年六月に撫墾署が廃止され、その事務は弁務署第三課に移された。二三の弁務署では、派出所を設けて蕃童教育を実施したが、正式な教育機関を設けるまでには至らなかった。 36 一九〇一年一一月に弁務署が廃止され、新設置の警察本署に蕃務課(のち理蕃課)が設けられた。警察本署は各要地に警察官吏派出所を設置し、所員が執務のかたわら蕃童を集めて教育するという方策を講じた。蕃童教育所と称する教育機関が警察官の手によって、はじめて作られたのである。警察と教育、あるいは警察と言語との結びつきは、植民地での言語政策の本質的な一面を物語っている。一九〇五年二月、蕃人子弟就学に関する公学校規程が勅令により公布され、国語伝習所の代わりに、一五ヵ所の公学校が設立された。「國語を教え」、「國風に化せしむる」ことが、その規程によって公学校の目的として決められている。その際、当時のいわゆる歴史仮名遣いではなく、表音的仮名遣いがつかわれていたことに注目すべきだろう。のちに民政長官の名義で、蕃童教育標準、蕃童教育綱要、蕃童教育費額標準などが制定され、蕃地関係の各庁長に通告され、一九二八年まで実施された。それ以後、蕃童教育所が設置されるようになった。一九三六年七月、総務長官から「高砂族国語講習所規程準則」が通達され、警察官吏駐在所または派出所に、成人向けの国語講習所を設置させた。授業はたいてい夜間に行われ、教師もほとんどは警察官だった。一九四三年末には、二七二ヵ所の国語講習所が設置され、講習を受けた人数は二万人をこえた。 植民統治に対する少数民族の反抗が頻発したこともあるが、樺山時代から「生蕃対策」には非常に神経がつかわれてきた。そして、日本語教育もその有効な手段として考えられ、台湾総督府警務局の『高砂族の教育』(一九四三年版)によれば、山地高砂族の教育費はすべて国費で、教育所においては授業料を徴収せず、教科書なども給与制であった。これにより、日本語の普及は他の地方より、むしろ少数民族の方がすすむことになり、「皇民化」教育もより徹底された。のちに組織された高砂義勇隊の肉搏斬込隊や敵陣夜襲隊が、侵略戦争の第一線にだされたことなどは有名な話である。それに対して、たとえば海南島に派遣された、文化水準が高いとされている漢族系の台湾人志願兵は、「陣前起義」し、国民政府に寝返ってしまった 37 という例がある。 次へ
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「台湾の声」編集部多田恵氏の一文 「中国語の禁止」?-NHKスペシャルの扇情的な事実歪曲 http //www.emaga.com/bn/?2009040052213476003789.3407 東京都 多田恵 四月五日の「NHKスペシャル|シリーズJAPANデビュー」(第1回「アジアの“一等国”」)では、浅薄な知識による結論先にありきの作りになっており、植民地統治が台湾を利用したと日本人に反省を求める製作者側こそ、台湾人の発言の上っ面を利用していて、それこそ台湾人を蹂躙していると言わざるを得ません。 私は、語学が専門ですから、特に次の点に疑問を持ちました。 「皇民化」の説明で、「学校や新聞などで中国語を禁止し、日本語の使用を強要します」というナレーションが入ります。 台湾の人が学校で中国語を話すようになったのは、戦後のことです。日本統治時代に、どうやって中国語を禁止したのでしょうか。 インタビューに出た台湾の人達は、日本語のほかは、台湾語で話している人がほとんどで、みな、その言語を「台湾語」と言っています。 つまり製作者は、台湾語を中国語と歪曲して伝えることで、台湾はもともと中国だったんだという誤った印象を増幅させているのです。 同じその言葉が、戦後、まさに、罰金や体罰を以って政策的に禁止されていることを知れば、そのような表現はありえません。「戦後、国民党政府は学校で中国語推進のために中国語を禁止した」と言わざるを得なくなるのです。 また、田宮良策氏のインタビューの字幕でも、「台湾人同士で話すときには平気で(中国語を)話す」と、勝手に「中国語」と補っていますが、これも、台湾人が元から中国語を話すかのような印象操作です。 台湾人は、少なくとも広義の台湾語、つまりいわゆる台湾語および客家語、原住民諸語を話していたのであって、決して中国語で話してはいませんでした。 では、NHKが使った中国語という言葉を台湾語に置き換えれば、正しい伝え方になるでしょうか。 そうでもありません。「禁止した」といえば、ああ、台湾人に対する抑圧だ、という印象を与えるでしょう。しかし、それが、どのようなものであったのか、NHKは調べてから番組にすべきではなかったでしょうか。 たとえば、どのような通達にもとづいて、どういった範囲で行われ、どのような罰則があったというのでしょう。 日本の台湾統治を断罪するという目的を持った人達は確かにそういった言葉遣いをしますが、正確ではないのです。言葉によって印象を操作しています。 台湾史で「漢文欄の廃止」として知られていることを、「中国語の禁止」と、歪曲するのです。番組を事実から離れて扇情的に作ることは、全体主義国家がやっていることです。このようなNHKが近代日本を批判するのは偽善といわずして何なのでしょう。戦争中は戦争を鼓吹しておいて、戦後は批判に回り、自己批判がないとされている某新聞社と同じです。 他にも、日本を断罪するという目的を持った人達は、戦争や占領という言葉を、本来の意味とは違うことを指して使っています。 たとえば、この番組で「日台戦争」という表現を紹介しています。そのようなことを言いはじめたら、きりがない。228事件は台中戦争になり、朝鮮での抗日運動は日朝戦争になるんでしょうかね。 元台湾籍日本兵の言葉が「みなしごになって捨てられたみたいです…(台湾の青年は)命がけで(日本)国のために尽くしたんだよ。それなのに」でカットされています。さまざまな想像を可能にする編集手法です。 「みなしごになって捨てられたみたいです」という言葉がカットされていなかったのがせめてもの救いです。 台湾人が、日本に求めているのは「反省・謝罪・賠償」ではないのです。 NHK回答の欺瞞を暴く:「中国語」表記について 多田 恵 NHKからの回答で、言語に関する説明がある部分を見ました。そこにはこうあります: (以下、[[NHKの回答(coffee氏への) ]http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1972.html]) 台湾語は閩南語にきわめて近い言語です。そして、閩南語は中国語の一方言として位置づけられています。一方、台湾には、客家語を話す客家もいます。客家語もまた、中国語の一方言です。台湾総督府の調査によれば、1930年代に自らを福建系(閩南語)と認識している人はおよそ70パーセント、広東系(客家語)と認識している人は十数パーセントいます。客家は、自らの客家語という言葉を、台湾語と区別して使用しています。ですから、当時の住民が「台湾語を話す」と表現すると、そこには客家語を話す人びとが含まれないことになります。 閩南語も客家語も中国語(北京語ではなく)の一方言であること、さらに客家の方々の存在を考え、「中国語を話す」と表現しました。 NHKは、客家人(ハッカ人)が客家語を話すことを考慮して、台湾語という名称を使わずに、中国語とした、としていますが、これも視聴者を馬鹿にして騙しているのです。 まず台湾では、いわゆる「台湾語」(ホーロー語)や、ハッカ語を、現在政策的にも方言とは見なしていません。「○○語」と扱っています。それらを「方言」と強調するのは、台湾語を弾圧していた時期の国民政府を含む中国の視点です。 そして、客家の人たちの中には、客家語も台湾語の一つであるという主張があります。「客家台湾語」という表現がされています。 これは、たぶん「日台戦争」よりは普及した言い方です。しかし、客家の方でも、まだ、ホーロー語のみを台湾語と呼ぶ習慣が一部残っているので、NHKが「台湾語」を使わなかったとする理由が成り立つようにも思えます。 しかしそこには、重大な欠陥があります。同番組では、原住民のことも扱いました。それなのに「中国語」という表現を使ったということは、原住民のことを無視していることになります。客家は無視していけなくて、原住民は無視していいというのでしょうか? 台湾総督府から明治40年に出た、『日台大辞典』では、「台湾語」という用語を、台湾で行われる「支那語」と「蕃語」の上位概念として提示しています。ここで言う、「支那語」という概念は、現在、「シナ語派」とか中国で「漢語」といわれているもので、「蕃語」とは、現在、台湾原住民諸語といわれているものです。 したがって、NHKが、台湾の「本島人」が話す言語を指したいのであれば、「台湾語」とすればいいのではないでしょうか。あの番組では、客家人だとか、ホーロー人だとか、そこまで詳しく紹介していなかったはずです。それならば、台湾語という名称を使っておいて、もし、抗議があったら、「ここでは、ホーロー語、ハッカ語、原住民語を含む広義で使った」と説明すればよい話です。 もし政策的に「禁止」したという事実があれば、その文書にある表現を使えばいい話です。それを出してこないということは、NHKは、資料に基づかずに番組を制作したのでしょうね。 NHKが、「台湾語」を認めない理由として、中国と同じ宣伝をしているのが注目に値します。 【資料】NHK JAPANデビュー第1回『アジアの“一等国”』をめぐって
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【ミリマス】 アイドルのねぎらいかた 執筆開始日時 2018/06/15 元スレURL https //ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1529068360/ 概要 莉緒「ねえPくん、私たちに何の相談?」 P「この前、仕事を頑張った茜を撫でていた時に思ったんだ。人の頭を撫でることは難しいことだ、と」 風花「難しい?」 P「ああ。相手は人間。犬や猫とは勝手が違うし、わしゃわしゃ撫でたら髪型が崩れてしまい、それを嫌がる者もいるだろう」 P「どう撫でればいいのか、そう考えだすと『人の頭を撫でる』ことが難しく思えてしまってな……」 麗花「なるほど、Pさんは困っているんですね!」 千鶴「……訳が分かりませんわ」 あずさ「まあまあ、千鶴ちゃん、Pさんも困ってるみたいだし、ね?」 このみ「このメンツを揃えた理由は?」 P「なんとなく大人組なら相談相手として適任かなと。青羽さんも小鳥さんも忙しそうですし」 歌織「はあ」 P「というわけで、『撫でる』以外の方法でアイドルをねぎらうことについて意見を聞かせてください」 タグ ^百瀬莉緒 ^二階堂千鶴 ^豊川風花 ^北上麗花 ^三浦あずさ ^馬場このみ ^桜守歌織 まとめサイト アイマスSSまとめサイト 456P あやめ2nd えすえすゲー速報 エレファント速報 おかしくねーしSSまとめ プロデューサーさんっ!SSですよ、SS! ポチッとSS!! SSまとめ ホライゾン SSでレッツゴー SSびより SS 森きのこ! SS2chLog YomiCom wiki内他頁検索用 Pドル いちゃコメ シアターデイズ ミリオンライブ 三浦あずさ 二階堂千鶴 作者◆iS7ssyYWSI氏 北上麗花 桜守歌織 百瀬莉緒 豊川風花 馬場このみ
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葱。禰宜ではない
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台 湾 に つ い て 調 べ て み る。 台 湾 台 湾 に つ い て 調 べ て み る。 【世界経済を回せ!―復興祈念? 台湾の旅】 第3話)冷たい温泉 ||台湾|台北|蘇澳|平溪|十分|九份|の旅行記|| 南方澳(ナンファンアオ)で腹ごしらえを済ませ、蘇澳(スーアオ)に戻る。蘇澳(スーアオ)には世にも珍しい温泉が存在することで有名だ。その奇泉とは何と「冷たい温泉=冷泉」である。「冷たい温泉」とは存在そのものが矛盾を感じるが、要は温泉の効能成分を含んだ泉が約22度と冷たい状態で湧き出しているということだ。 当然、街はこの冷泉を観光の目玉として売り出しており、市街には冷泉公園なる屋外プールのような施設を構え、煉瓦作りのレトロな入り口が情緒を醸しだしている。 レトロな冷泉公園入り口 4月~10月がシーズンであると事前に調べてあったので、GWの今は問題なく冷泉浴が楽しめると期待していたのだが、日頃の行いが悪いせいであろうか、今日は小雨交じりの曇天であった(というか、今回の台湾滞在中は毎日がこんな天気だった…泣)。 せめて公園内部の写真でも撮っておこうと進入を試みるも「入場料を払いなさい」と係員に注意されてしまう。 こんなくそ寒い日に冷泉に浸かる気など起こるわけがない。せっかく蘇澳(スーアオ)くんだりまで来て、残念ではあるが風邪をひいてはたまらないので諦めることにした。 で、しばし蘇澳(スーアオ)の街を探索するのだが、冷泉がなければここは何の変哲もない田舎街。冷泉に次ぐ名物としてはこの鉱泉を利用した天然ラムネ「弾球汽水」があるくらいだ。 蘇澳名物、冷泉サイダー 因みにこの天然ラムネ、日本時代からの名物で戦前の「"日本"全国博覧会」で銀賞を授賞したのだという。とりあえず飲んでみたがおいらの違いの解らない舌ではどこが銀賞なのかさっぱりわからなかった。まぁ気分、気分。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - しかし、せっかくここまで来たのだから、やはり冷泉に入らないのは何かに敗北したようで悔しい。取りあえずちょっとだけでも浸かってみようと、海パンを持って再び冷泉公園に向かってみる。 すると先ほどは誰もいなかった公園に、今度は何人かが足先だけ浸かって楽しんでいるではないか。これはとても心強い。こんな寒い日に金を払って冷たい水にたった1人で身を浸すなんてバカとしか言いようがない。 足先だけ冷泉に浸かるのが精一杯? そんなバカが自分だけでないと分かると、自分の行為は間違ってないと勇気みたいな気持ちが起きてくるから不思議だ。 僕も取りあえず足先だけ水に浸けてみる。 ギョエー、冷たっ! やはりバカな行為はバカであった。全くわざわざ台湾まで何しに来たんだ、僕は。 よく見ると冷泉からはボコッボコッと炭酸の泡がところどころから吹き上がっている。ガイドブックによれば、初めは冷たく感じるが、我慢して浸かるうちに温まってくるのだという。ウソつけ、誰もこんな冷たい泉になんか浸かってないじゃないか! いや、浸かっていた。 泉の奥の方で中国語の会話が聞こえた。近づいてみると台湾のオバチャンが二人、大胆にも全身泉に浸かって水着ではしゃいでいるではないか。 オバチャンは全身で浸かっていた!! ええい、こうなったらオイラも参戦だ。 心臓マヒにならないよう、ちょっとずつ水に浸かる。ひえ~、全然寒いじゃん。でも待て、世の中には正月の海に飛び込んで身を清めるおめでたい人や、氷の張るロシアの湖で寒中水泳するバカ者だっているのだ。水温22度なんてかわいいものだ、と自分を奮いたたせ何とか肩まで浸かる。 すると泉の炭酸成分の効能であろうか、慣れてくると確かにそんなに冷たく感じない。否、冷たく感じないと信じたい。だってせっかくここまで来たのだから。 でも、ホントに冷たくなかったのかといえば、それは、鳥肌立ちまくりの僕の皮膚が真実を語っていた。 ハックション! (続く) もどる < 3 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記 なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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http //sankei.jp.msn.com/economy/business/091006/biz0910060133004-n1.htm 「客観的判断」とNHK 怒り収まらぬ台湾の人々 2009.10.6 01 32 (1/2ページ) NHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー アジアの“一等国”」の番組内容に偏向・歪曲(わいきょく)があったと批判が相次いでいる問題は、国内だけでなく台湾人社会でも批判が広がっている。彼らは何に怒り、なぜ怒りが収まらないのか。 番組への批判は台湾要人からも相次いでいる。 「制作者に問題がある。NHK全体の問題か、制作者本人の曲がった考えに根ざすのか。いずれにしても彼らの手にかかると曲解された形で放送されてしまう。報道に携わる人間のあるべき態度ではない」 訪日した台湾の李登輝元総統は離日直前の9月9日、記者会見で番組をこう批判した。 駐日大使館にあたる台北駐日経済文化代表処の元代表、許世楷(きょ・せいかい)氏もTV局「チャンネル桜」のインタビューで「営々と築きあげた両国の関係を壊す番組。台湾統治に限らず、歴史事象には一様に明暗があり、取り上げ方が重要。この番組はネガティブな要素ばかりをクローズアップしている」と指摘。「番組制作者が一体どこまで作為的だったのか。とても気になった」と憂慮する。 「出演者の発言は普段の言動と全く違う発言だった」。こんな違和感も台湾人から多く聞かれる。 (2/2ページ) さらに台湾人の怒りを増幅させているのがNHK側の対応だ。 《パイワン族の人たち自身が当時どう受け止め、感じたかということは、「人間動物園」の事実を左右するものではありません。こうしたことは台湾の方々にとっても心地よいことでないことはもちろんですが、番組は当時の状況の中でおきた事実としてあくまでも客観的に伝えたものです》(NHKのHPより) NHKは、1910(明治43)年の日英博覧会のパイワン族の写真に、「人間動物園」の文字をかぶせ、ナレーションで《イギリスやフランスは博覧会などで植民地の人々を盛んに見せ物にしていました。人を展示する「人間動物園」と呼ばれました》と放送した。 英仏の動物園では植民地の人間を見せ物にすることがあり平成になって仏人学者が「人間動物園」と称した。NHKはこの学説などを根拠に、パイワン族の展示も「人間動物園」にあたるとした。しかし、自分たちを世界に知らしめた栄誉な機会と今でも考え、美しい記憶として伝えてきた台湾南部の高士村の多くの人は収まらない。パイワン族からは「NHKに聞きたい。日本政府が当時、『人間動物園』などという言い方をしていたのか。あの展示が『人間動物園』と呼ばれること自体、パイワン族の尊厳を傷つける番組で、私たちには理解できない」と怒る。 日本李登輝友の会の柚原正敬事務局長は「NHKは学者に依拠して客観的というが、それが紛れもない客観的事実だと判断したのは他ならぬNHKなのです」と指摘。「パイワン族が当時、どう思ったかは事実認定を左右するものではない、というのも民族差別的な意識をNHKに感じ、人権侵害と感じている」と現地の思いを代弁する。 提訴騒動