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BPO 放送倫理・番組向上機構とは 理事会評議会事務局 放送倫理検証委員会 放送と人権等権利に関する委員会 (BRC) 問題点議事概要 横滑りだらけのBPO新委員会 テレビ局の急所 TV局を批判よりも擁護するBPO総務省の“介入”にBPOが反発 BPO(NHK+民放)とは別の、一定の権限を持った機関の設立を検討 - 総務省 視聴者のパチンコCM批判に反論 関連サイト日本の田植え祭まとめ@Wiki テレビ番組に対する視聴者からの「意見」の数をグラフ化してみる BPO 放送倫理・番組向上機構とは 出典 フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia) 放送倫理・番組向上機構(ほうそうりんり・ばんぐみこうじょうきこう、Broadcasting Ethics Program Improvement Organization、略称BPO)は、NHKと民放連、民放連加盟会員各社によって出資、組織された任意団体。理事会、評議員会、事務局と三つの委員会(放送倫理検証委員会、放送と人権等に関する権利に関する委員会、放送と青少年に関する委員会)によって構成されている。 ロゴマークは、錯視図形『ルビンの壷』の要領を利用して、向かい合った人の顔でBとPの文字を浮かび上がらせたもの。 理事会 最高意思決定機関は「理事会」。放送事業者及びその関係者以外から専任された理事長と、設立母体であるNHK、民放連から専任された8名以内の理事で構成される。理事会は、評議員を選任する。 理事長(非常勤) 飽戸 弘 (東洋英和女学院大学学長) 専務理事(常勤) 岡本 伸行 理事・事務局長(常勤) 本橋 春紀 理事(非常勤) 黒川 光博 (株式会社虎屋社長) 理事(非常勤) 濱田 純一 (東京大学大学院情報学環教授) 理事(非常勤) 藤久 ミネ (評論家) 理事(非常勤) 今井 環 (NHK理事) 理事(非常勤) 荒巻 優之 (NHK・考査室室長) 理事(非常勤) 山本 雅弘 (日本民間放送連盟放送基準審議会議長、毎日放送会長) 理事(非常勤) 島田 昌幸 (日本民間放送連盟放送倫理小委員長、テレビ東京社長) 監事(非常勤) 黒田 敬一 (NHK編成局計画管理部経理部長) 監事(非常勤) 工藤 俊一郎 (日本民間放送連盟常務理事) 評議会 放送事業者及びその関係者を除く7名以内の学識経験者で構成される。 評議会は、下部の3委員会の委員を選任する権限を有する。 【評議員】 生田正輝 慶應義塾大学名誉教授 (議長) 篠田正浩映画監督、早稲田大学特命教授 西澤潤一 首都大学東京学長 濱田純一 東京大学理事・副学長 福原義春株式会社資生堂名誉会長 半田正夫 青山学院常務理事、元青山学院大学学長 三浦朱門 作家 事務局 事務局は理事会の統轄下にあり、三つの委員会にあわせて13名の調査役がおり、4名が放送局および民放連からの出向者、9名が放送局OB。(2007年12月4日衆議院総務委員会での飽戸弘BPO理事長の答弁より) BRCには法律専門調査役も存在する。 他に視聴者応対に総括責任者と常時4名体制。 放送倫理検証委員会 構成メンバー 委員長 川端和治(弁護士、大宮法科大学院大学教授) 委員長代行 小町谷育子(弁護士) 委員 石井彦壽(東北大学法科大学院教授、元仙台高裁部総括判事) 委員 上滝徹也(日本大学教授) 委員 服部孝章(立教大学教授) 委員長代行 村木良彦(メディア・プロデューサー)1959年ラジオ東京(現TBS)入社。テレビ演出部、報道局ディレクター、ドキュメンタリー制作を経て、69年退社。 委員 市川森一(脚本家、小説家、コメンテーター)日テレ・THEワイド、よみうりテレビ・これが問題!土曜8時 委員 里中満智子(マンガ家)TBS・ブロードキャスター、他NHKでコメンテーター 委員 立花隆(評論家)TBS・ニュース23 委員 吉岡 忍(作家)TBS・報道特集 放送と人権等権利に関する委員会 (BRC) 1997年5月設立。放送番組において人権侵害を受けたと考える者による「申立て」に基づき、実際に人権の侵害があったかどうかを検討する委員会。具体的な番組で具体的な個人、企業等の組織が被害を受けたとする場合でなければ、審理の対象とはならない。 この委員会の出す決定には「勧告」「見解(問題あり)」「見解(問題なし)」の三種類があり、重大な人権侵害があったと認定した場合には「勧告」、重大な人権侵害は存在しないものの、制作・編集過程に若干の問題があった場合には「見解(問題あり)」、放送事業者の対応に人権上の問題が見られなかった場合には「見解(問題なし)」が出される。 【委員】 竹田稔 弁護士・元東京高等裁判所総括判事 (委員長) 堀野紀 弁護士・元日本弁護士連合会副会長 (委員長代行) 五代利矢子 評論家 (委員長代行) 右崎正博 獨協大学法科大学院教授 崔洋一 映画監督 武田徹 ジャーナリスト・評論家 中沢けい 小説家・法政大学教授 三宅弘 弁護士・元第二東京弁護士会副会長 山田健太 専修大学文学部准教授 BPOは千代田区紀尾井町のNHK施設、千代田放送会館に入っている。 問題点 2007年12月4日衆議院総務委員会での飽戸弘理事長は 「BPOの役割は、番組を監視して罰するところではないということもやはり国民の皆さんにしっかりと、あくまでも放送事業者自身が自主的にさまざまな問題を解決していく、そのためにBPOは応援していく、視聴者と放送局の仲介をするところであるということを 国民の皆さんにも周知して知っていただくということが必要だと思います。」としています。 上記のように現役含めたマスメディア関係者が多数在籍していることから、 総務省が放送法規制強化しないよう自主規制をアピールしてるだけで TV局と番組スポンサーに抗議がいかないようにするための壁団体ではないかという疑念があります。 議事概要 委員の意見からはマスメディア関係者ならではの擁護的発言も見られる。 第22回 放送倫理検証委員会より抜粋 何で大騒ぎするのか。被害は何なのか、何もないではないか。どこかで歯車が狂ってきている。 あちこちから捏造と言われると制作者が萎縮し、あれもこれもやめようとなって良い番組が消えてしまう。制作者が萎縮する傾向になるほうが恐い。 欧米ではやらせにならなくても日本はちょっと神経質なぐらい厳格にやらせにしてしまう。そこまで目くじら立てて取り上げる気はない。 やらせとか捏造という倫理を問うキーワードが便利なものとして流通していて、テレビたたきの便利な道具に使われている。 横滑りだらけのBPO新委員会 抜粋 【放送倫理検証委員会の委員】には、市川森一、上滝徹也、里中満智子に吉岡と既存(BPO)の「放送番組委員会」リンクからの横滑りが十人中四人というのも視聴者を愚弄するものだ。 この旧委員会が機能していれば新組織はいらなかったはずなのに、なぜ無能な委員が再選なのか疑問だ。 放送倫理・番組向上機構(BPO)内の委員の構成は、マスコミにゆかりのある人物ばかりであり、委員長になる学者もマスコミ御用学者が多い。このような状況下で、まともに放送倫理を検証できるとは思えない。第三者機関としての役割をまっとうするには到底遠い存在ではないか? テレビ局の急所 (水間政憲) 2009/03/15 09 23 02 3月13日、自民党「 歴史議連」 中山成彬会長が、 鳩山邦夫総務大臣に、 テレ朝 を 放送法違反で 告発した「告発状全文」をネットにアップしました。 すると「 BPO(放送倫理・番組向上機構)」は、ミエミエのアリバイ工作をしています。 それは、「BPO」設立以来、初めて「放送法違反」(日テレが放送した、岐阜県庁談合疑惑)の調査のため、委員会を召集したとのことです。 これは、「BPO」がこの2年間、なにもしていなかったことを暗に認めたようなものだ。。 そもそも、「BPO」は、安倍政権下に菅総務大臣が、罰則規定のない「放送法」を一部改正しようとしたことに対して、その改正を阻止しするために設立したのが「BPO」なのです。 「BPO」は、中山成彬会長が、有名無実化している「BPO」を相手とせず、テレビ電波を管理監督している鳩山総務大臣に、直接「テレ朝の放送法違反告発状」を提出したことを知って、慌てて「放送法違反調査開始」を表明したのであろう。 皆さん、「BPO」が嫌がっている中山成彬会長が提出した、「テレ朝の放送法違反告発状」全文を、ネット上に拡散してあげましょう。 それと、 中川昭一・元財務大臣が、CS放送で「バチカン博物館で警報機が鳴っていなかった」ことと、「注意されていない」ことを明らかにしたことは、重大な発言です。 これが事実なら、テレビ局全社を、「放送法違反」で告発出来ることになる。 皆さん、楽しみが増えました。試しに「BPO」へ、中川財務大臣の「バチカンでの一件」の調査要請をして見ましょう。 http //www.freejapan.info/ ネットだけ転載フリー ジャーナリスト・近現代史研究家・水間政憲 TV局を批判よりも擁護するBPO 総務省の“介入”にBPOが反発 2009.7.26 19 27 産経新聞 テレビ番組などの放送内容に関する不祥事やトラブルの再発防止を図るための第三者機関、放送倫理・番組向上機構(BPO)が国に対して反発している。TBSの番組をめぐり、先月、国がBPOの対応を待たずにテレビ局に行政指導を行ったためだ。平成15年にBPOが発足してから初のケースに、波紋が広がっている。 NHKと日本民間放送連盟などで組織されているBPOは、番組内容で問題が起きると放送倫理検証委員会などで協議を重ね、当該放送局に「勧告」や「見解」などを出す。BPOの委員には大学教授や弁護士など民間人が務めている。 問題になっているのは、TBSが「情報7days ニュースキャスター」内で、二重行政の無駄を紹介する事例として通常は行わない清掃業務を業者に依頼し、4月に報道したこと。この件で総務省は6月、「事実を正確に報道しなかった」との理由でTBSに厳重注意を行った。 国は、放送法で「事実を曲げた報道をしない」といった原則を定めているほかは、番組作りに個別には立ち入らない。虚偽報道など不祥事が繰り返されると、「厳重注意」や「警告」といった法的拘束力のない行政指導を行ってきたが、それらは決まってBPOが不祥事への対応策を出した後だった。だが今回は、TBSの問題を委員会で審理するかどうか結論を出す前の行政指導だった。 これにBPOは反発。今月17日には「行政の指導は表現の自由を萎(い)縮(しゆく)しかねない。放送界の自主的機能が発揮できる限り、総務省はその結果を基本的に尊重すべきだ」との川端和治委員長の談話を発表した。 これに対し、総務省地上放送課では「これまでと同じく、新聞や週刊誌で報道された問題だったため行政としても問題化し、テレビ局側から任意で事情を聴いた。その結果、スムーズに回答があり迅速に判断を下しただけ。BPOの対応は考慮しなかった」と話す。 総務省のこうした対応について、東京工科大学の碓井広義教授(メディア論)は「BPOの対応の遅さや放送界でのやらせ問題に歯止めがかからない実情に対し、国がBPOは放送界寄りで、任せられないと考えたのでは」と推測する。 一方、立教大の砂川浩慶准教授(同)は「メディアは誤りがあれば自ら正し、信頼を図るべきだ。そもそも国につけ込まれぬよう品質の良い番組を作っていれば、両者が対立することもない」と指摘している。 【放送倫理・番組向上機構(BPO)】放送と人権等権利に関する委員会機構(BRO)と放送番組向上協議会とを統合し、平成15年に発足した。NHKと民間放送連盟、民放各社の拠出で運営する。総務省との資金・人的な面でのつながりはない。放送倫理検証、放送人権、青少年の3委員会で構成し、放送や番組への視聴者の意見や苦情を審理する。虚偽内容で視聴者に著しく誤解を与えた番組が放送された場合は放送倫理検証委が「勧告」や「見解」を出し、場合によって再発防止計画の提出を求め、公表する。 http //sankei.jp.msn.com/economy/business/090726/biz0907261928004-n1.htm BPO(NHK+民放)とは別の、一定の権限を持った機関の設立を検討 - 総務省 佐藤総務大臣は閣議のあとの記者会見で、BPO=「放送倫理・番組向上機構」とは別に、 放送番組を常に監視する新たな機関を放送法に基づいて設立することを検討したいという 考えを示し、今後、放送事業者などと協議していきたいという考えを示しました。 BPO=「放送倫理・番組向上機構」は、放送倫理の向上などを目的にNHKと 民放各社が設置する機関で、放送番組への苦情や倫理上の問題などについて、第三者の 立場から対応しています。これについて、佐藤総務大臣は閣議のあとの記者会見で、 「わたしは、BPOの活動は高く評価しているが、NHKと民放が設置した組織で あることから、『いわゆるお手盛り的な運用になるのでないか』といった意見もある」 と述べました。そのうえで、佐藤大臣は「放送事業者に対して、総務省が規制を することになれば非常に圧力的な話になる。そこから少し離れた立場で、一定の権限を 持った機関が常に放送番組を監視するというシステムがあってもいいと思っている。 現在のBPOは法律上の根拠を持たないが、例えば、BPOとは別の新たな機関を 放送法に基づいて設立するという選択肢があってもいいのではないか」と述べ、 今後、放送事業者などと協議していきたいという考えを示しました。 NHKニュース 2009/08/05[00 51] http //www3.nhk.or.jp/news/k10014711331000.html# 視聴者のパチンコCM批判に反論 【CMに関する視聴者意見】 最近のパチンコは、アニメのヒット作品をモチーフにした台が出ているらしく、パチンコなのにアニメのCMかと勘違いしてしまう内容が非常に多い。何も知らない子ども達は、ゲームの延長のようにパチンコに興味を持ち始めている。こうした紛らわしいパチンコのCMは、放送の自粛を促すか子ども達の目に触れないよう時間帯を考慮するべきだ。 【視聴者意見への反論】 パチンコCMについて「教育上良くないから自粛すべき」「規制できないのか」という意見があった。しかしパチンコの広告はテレビに限ったことではないし、子どもに悪影響を与えるのは何もパチンコばかりではない。パチンコ依存症などいつの時代でも起こっている。逆に、「パチンコのCMをやめれば全て解決するのか?」と問いたい。 2010年3月に視聴者から寄せられた意見 より抜粋 http //www.bpo.gr.jp/audience/opinion/2009/201003.html http //megalodon.jp/2010-0414-1920-47/www.bpo.gr.jp/audience/opinion/2009/201003.html 関連サイト 日本の田植え祭まとめ@Wiki BPOと総務省へ並行して報告や意見申し立てをすることで改善を求める運動。 テレビ番組に対する視聴者からの「意見」の数をグラフ化してみる Garbagenews 2009年03月17日 (↓自動検索による外部リンクリスト) #bf #bf
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すだま よく遊ぶシステム クトゥルフ神話TRPG(6版) ソードワールド2.5 銀剣のステラナイツ(やりたい) 主に活動している時間帯 昼~深夜 各キャラクターシート システム名 キャラクター名 URL 備考 CoC6 野木 貴之 URL 金にがめついヤクザ(下っ端) CoC6 川島 有香 URL 社畜 CoC6 中田 浩 URL 糸目のおっさん CoC6 早乙女 幹也 URL 文芸部所属の理系男子高校生 CoC6 桝澤 明日香 URL 割と無表情なお医者さん CoC6 久原 順一 URL 実は何も考えてないアニマルセラピスト CoC6 八木 貴文 URL 天文学専攻の大学教授おっさん CoC6 河渕 はつ URL 無表情系美少女 CoC6 蓼原 セナ URL 星と先生が大好き中学生 CoC6 戎野 零士 URL シリアルキラーで快楽殺人鬼のサイコパス CoC6 桑水流 稔(ロスト) URL 優しい探偵 CoC6 志葉 毅 URL 気弱でぶっきらぼうな先生 CoC6 仇 樹里 URL 普段は冷静な探偵 CoC6 左京 睦 URL 頭お花畑なのに突っ込み担当の看護師 CoC6 白椿 未来 URL ぽやぽやアニマルセラピスト CoC6 東郷 千冬 URL オカルト小説家 CoC6 真垣 拳也 URL うさんくさくてひょろ長い童顔探偵(大正設定) CoC6 弘川 亘 URL 慎重派私立探偵 SW2.5 エリノル=ヘルツフェルト URL 女として育ったタビット族の青年 SW2.5 ルディ=エンケ URL 青い肌のリルドラケンの青年 ステラナイツ メータ=ルデヴィヒ URL 作成中 マギロギ 白木原 莉愛 URL 混沌と蟲の女王 マギロギ 直良 ここみ URL 神への供物
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偽大場さんの特徴 僕女 ・実際の性別は不明ですが、30代チュプと予想されています ・母方がカソリック ・BOOWY世代の模様 自慢しい ・最初の大仕事のアニメのときも会社間の壁をブチ抜いて人材確保 ・かなりヒットした曲を作ったことがある ・小泉前首相と面識がある、何かしら世話になったらしい ・身内に有名人が複数 ・海外でも仕事をしたとチラつかす かなりの電波 ・他の閲覧者を無視して個人的呼びかけ ・知ったかぶり (吉田氏についての質問とか無視すればいいのに) ・逆切れ (特に13巻発売以降) これもポイント ・自分には世界を動かす運命が課せられている ・当選する懸賞がなぜか事前にわかる ・士郎正宗は仕事仲間だった ・子どもの頃、手塚治虫が一方的に自分に会いたがっていた とりあえず血筋自慢しとけ! ・血筋に元スーパーアイドルグループのメンバーだった人がいる ・血筋に有名企業の元社長に嫁いだ人がいる ・血筋に東大出身の人がいる ・血筋に女子美術大出身の人がいる ・血筋にドイツ語が流暢な児童心理学専門の大学教授だった人がいる ・血筋に社長だった人がいる ・血筋に町議員だった人がいる ・従姉妹はT.V.に出ている元バレーボール全日本代表のS.K.氏と友達
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ビデオニュース・オン・ディマンド(http //www.videonews.com/videonews_on_demand/) 本当のニュースを独自の視点で 過去の放送内容 公開日 タイトル 放送時間 備考 2008年06月29日 市民団体 G8サミット反対を訴えデモ 2008年07月01日 消費税増税が必要 自民税調 2008年07月01日 チベットの弾圧は続いている 亡命政府外相 (2分) 2008年07月01日 農家らが温暖化被害を証言 (3分) 2008年07月02日 グリーンピース 鯨肉事件の勾留延長を批判 (2分) 2008年07月02日 横田夫妻が制裁の継続を訴え (5分) 2008年08月02日 中国人活動家が五輪で人権侵害の悪化を懸念 (7分) 2009年12月03日 歴史の事実を伝えることが日本の将来に有益吉野元アメリカ局長が沖縄密約の存在を法廷で証言 吉野文六氏会見(3分)西山太吉氏会見(2分)吉野氏証言について(4分) 2009年12月18日 西松事件初公判:検察の世論誘導は許されない郷原信郎名城大学教授インタビュー (11分) 無料放送中 2010年01月14日 総務相が新聞社の放送局への出資禁止を明言 (3分) 無料放送中
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『平成18年度検定決定高等学校日本史教科書の訂正申請に関する意見に係る調査審議について(報告)』 平成19年12月25日 教科用図書検定調査審議会第2部会日本史小委員会 http //www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/08011106/001.pdf http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1018.html 資料1 専門家からの意見聴取結果・・・資料(1)大城将保沖縄県史編集委員 我部政男山梨学院大学教授 我部政男山梨学院大学教授(つづき) 高良倉吉琉球大学教授 秦郁彦現代史家「集団自決」問題についての所見(渡嘉敷島を中心に)1. 命令系統(付図参照) 2. 集団自決の事例と規模 3. 自決手段としての手榴弾 4. 防衛隊 5. 集団自決の状況(渡嘉敷) 6. 援護法について 7. 総合的考察 林博史関東学院大学教授 原剛防衛研究所戦史部客員研究員 外間守善沖縄学研究所所長 山室建德帝京大学講師 資料1 専門家からの意見聴取結果・・・資料(1) 大城将保沖縄県史編集委員 我部政男山梨学院大学教授 我部政男山梨学院大学教授(つづき) 高良倉吉琉球大学教授 秦郁彦現代史家 「集団自決」問題についての所見(渡嘉敷島を中心に) 秦郁彦(現代史家) 平19.11.19 1. 命令系統(付図参照) a 2つの系統がある。1つは大本営から戦隊長にいたる系統、もう1つは内相から知事を経て渡嘉敷村長、巡査、ついで住民に至る系統である。 b 戒厳令が施行されなかったので、戦隊長から村長に対する法的命令権はなく、連絡、指導権しかない。米軍上陸と同時に第32軍、県庁と島との通信連絡は杜絶した。 c 戦隊と村の連絡は、兵事主任と駐在所巡査が担当。 d 戦隊は米軍上陸前日の45年3月26日、特攻出撃ないし本島への移動準備中で、急に大町大佐より出撃中止の命があり、ボートを自沈させ、27日急造の陣地へ移ったため、結果的に島の「守備隊長」として陸上戦へ移行したため、住民対策は考慮していなかった。 e 防衛隊は島在住の在郷軍人が主体で、若干の年少者(16~18才)もふくまれていた。在宅のまま戦隊、勤務隊に配属され、住民の護衛役としての戦闘任務を想定したが、戦隊の戦力とは見なされてなかった。ただし、手榴弾は渡されていた。 f 命令は発令、受令者名、日付、番号を記した文書によるのが原則であり、正規の戦隊長命令が出ることはありえない。誤認があったとすれば、口頭による連絡か指導であろう。 2. 集団自決の事例と規模 a 正確なデータはないが、林Ⅱ5を参照。沖縄では9~10件が紹介され、死没者は計900余人、うち慶良間三島が616名、全体の7割近くを占める。本島での事例が少ないのは、逃げ場所が多かったためであろう。前例はサイパンなどでいくつかあり、とくにサイパンの民間人死亡者は沖縄出身者が多かった。 b ただし「集団自決」にふくまれているなかに、米軍の砲撃による死者があり、渡嘉敷の公式数字(村のHP)は329人(自決記念碑=白玉碑は315人)となっているが、援護法の関連で昭27年までの死亡者とされている(鴨野P.87参照)。また砲撃の死者は不明だが、NYタイムズ記事(上原、P.20)によると、米軍は3月29日朝渡嘉敷の自決現場を見て、「自決者200~250人を発見、うち150人が死亡(うち40人は手榴弾)、生存者70人を治療、助かる見込のない者には軍医がモルヒネを与えた。不発弾多し」と記す。 3. 自決手段としての手榴弾 a 日本陸軍の手榴弾は91式(重量530グラム、遅延信管7~8秒)が主で、99式もあったが、性能に大差はない。使い易い近接戦闘用の攻撃兵器。爆発させるには、まず頭部の安全ピンを抜き、信管を堅牢物(軍靴の底が標準、他に石、鉄カブトなど)に強く叩きつけ、シューと発火して1~3秒で投げる。防水性あり、水中でも発火する。米軍製に比べ、強く叩かないと発火しない傾向がある。 不発が多かったとされる理由は、強く叩かなかったことが主因と思われる。また1発で死ぬのは1人が通例、近くの人は急所に破片が命中しないかぎり、負傷に終わる。 b 沖縄戦で自決に使われたのは、動けない重傷者に軍医か衛生兵が青酸カリ、昇汞、モルヒネを与えた例が多い。バケツの水に青酸カリを溶かし、コップで飲ませた例もある。手榴弾は単独になった軽傷者が野外で実行した。もし集団自決を計画的に実施する場合には毒物のほうが簡易で確実であろう。 c 渡嘉敷の戦隊は爆雷を携行する特攻ボートなので、陸戦用の装備はきわめて貧弱であった。軍刀、ピストル、手榴弾のほかには、小銃と軽機が若干あった(詳細は戦史叢書P.244)。 d 手榴弾は勤務隊の兵器係が管理していた。防衛隊員にも2発ずつ持たせ、自宅に持ち帰っていた者もあり、これらが集団自決に流用された。 4. 防衛隊 a 渡嘉敷島には正規の軍人・軍属(330人)、防衛隊員(70人)、一般住民(約1300人)の三種類がいた。別に朝鮮人軍夫210人あり。 b 村のHPによると、上記のうち、軍人・軍属173人、防衛隊員42人、一般住民383人(うち集団自決329人)が戦没した。村史によると終戦時に1100人が下山したという。 c 『陸軍防衛召集規則』(昭19年10月改正)によると、防衛隊(Home Guard)の召集対象は17歳~45歳となっている。軍隊で戦地勤務経験のある在郷軍人が中心となった。徴兵年齢は19歳以上なので、人員が不足したため、沖縄では13歳~60歳まで召集したとされる(林、P.236)。16歳以下は志願を建前とする義勇隊(鉄血勤皇隊などの男子学徒、ひめゆりなどの女子学徒)とされたが、両者の境界は明確でない。 d 防衛隊員は総数25,000人、うち13,000人が戦没したとされる(大城『沖縄戦』P.152)。逃亡者(自宅へ戻る)がきわめて多かったが、防衛隊を総合的に分析した文献は皆無。 e 隊員は原則として、補助戦闘員として各部隊へ配分されたが、待遇、任務などはまちまちであった。島の場合は軍との関係はゆるやかで、自宅通勤が通例だったようで、戦隊長や幹部と面識のない者も多かった。隊の戦闘には使わず、一般住民の護衛役を想定していたようである(戦隊の皆本義博中尉による)。 5. 集団自決の状況(渡嘉敷) a 渡嘉敷では昭20.3.23大空襲(主要施設は焼失) 3.25 艦砲射撃、特攻ボートの自沈、破壊 3.26 艦砲射撃と空襲深夜、戦隊は複郭陣地へ 3.27 朝米軍上陸(2大隊) 3.27 夜~3.28昼間2か所で集団自決 3.29 米軍、慶良間占領宣言(主力は他へ転進) b 信頼性の高い公的記録と証言(要旨) 1 戦史叢書 2 県史 3 村史(渡嘉敷、座間味) 4 沖縄県警察史 5 裁判記録 ○ 渡嘉敷村史(資料篇P.366) 「事前に軍から兵事主任を通じ自決用の手榴弾が配られていたが、誰が自決を指示したかは不明」 ○ 古波蔵(→米田)村長手記(県史P.768) 「安里巡査が、西山へ集合せよとの赤松の命令を伝えてきた。そこで合流した20~30人の防衛隊員がくれた手榴弾で自決へ。不発で死ねず、陣地へ向い赤松隊に追い払われた」 ○ 徳平郵便局長手記(県史P.763) 「私をふくめ村長以下の幹部が協議して自決を決し、防衛隊員が持ってきた手榴弾を配ったが不発」 ○ 安里喜順巡査(『沖縄県警察史』第2巻P.774、他に昭和史研究会報56号) 「村長から頼まれ米軍上陸直前に住民対策を聞くと、赤松は非戦闘員は生きられるだけ生きてくれと述べ、西山へ避難するよう勧告したので、防衛隊員を通じ、村長に伝えた。自決に失敗した村長以下が陣地へ行き、機関銃で殺してくれと頼んだが、赤松は拒否した」 c 信頼性のある私的記録と証言(要旨) ○ 大城良平(防衛隊員)(県史P.781) 「集団自決と赤松隊は何も関係なく、住民の自発」 ○ 知念戦隊副官(県史P.773) 「赤松は自決を聞いて早まったことを、と歎いていた。赤松の命令はありえない」 d 研究者の見解(要旨) 林博史「(渡嘉敷では)赤松隊長からの自決命令は出ていない」「防衛隊員が島民に合流し、手榴弾を持ちこんだ」(林P.160-61) 同「座間味で自決を主導したのは村の幹部や校長」(P.162)「本島南部でも逃げてきた防衛隊員が持っていた手榴弾で家族ごと自爆の例が少なくない」(P.167) 同「(慶留間で捕えた島民)は日本兵が「死ねと命令したわけではなく、みんなただ脅えていたからだ」と米軍の尋問に証言(P.166) 同「戦隊長が当日、直接命令したかどうかにかかわりなく、日本軍による強制は明らかだ」(07.11.9付沖縄タイムス) 安仁屋政昭「誰が・・・自決を指示したかは不明」(1987、渡嘉敷村史・資料篇、P.366) 同「(富山証言は)自決強要の物的証拠」(1990、村史・通史編、P.198) 同「自決には軍命があったはず」(朝日07.5.14付) 大城将保「曽野は(渡嘉敷で)自決命令はなかったことを立証。事実関係について反証はない」(『沖縄戦を考える』1983) 同「曽野について随分と甘い点数をつけたものだと我ながら恥ずかしくなる」(『沖縄戦の真実と歪曲』2007、P.66) 同「隊長が自決命令を出したかどうか・・・といった些末な議論は、木を見て森を見ず・・・」(同前P.69) 同「(渡嘉敷は)どうして自決するような破目になったか、知る者は居ないが、誰も命を惜しいとは思っていなかった」(県史解説P.690) 同「(座間味は)部隊長から自決命令が出されたことが・・・ほぼ確認できる」(同前P.699) 大田昌秀「命令の有無ということ以上に、選択の余地なく集団自決に行きつく背景を十分に理解せねば」(『世界』07年10月号、P.50) e 信頼性の低い最近の証言(要旨) ○ 故富山真順(渡嘉敷村兵事主任、戦後も役場職員) 初出は朝日新聞88.6.16夕刊で「3月20日頃、赤松隊からの伝令で15~16歳の少年たち20人を村役場に集め、赤松隊の下士官(兵器係軍曹)が2個ずつの手榴弾を配り、1発は攻撃、1発は自決用と命令した。3月27日安里巡査から西山へ集結せよとの軍指示を伝えてきた。富山一族は不発弾もあり13人が死亡、6人が生き残った」とのこと。同主旨の証言は村史(通史篇、1990)に安仁屋政昭教授のヒアリングとして紹介され、安仁屋は手榴弾が渡ったことは「自決強要」の物的証拠だと解説している(P.198)。 その後も、この富山証言はあちこちで引用されている。 疑問点として (1) 3月20日は、米軍の慶良間来攻を予測していなかった時期、 (2) 15~16歳に配ったことの意義が不明 (3)事実だとしても手榴弾の交付は集団自決命令を意味しない(大江裁判における反論)。 (4)『潮』(1971)の富山手記は、この件に言及がなく、戦隊の一員から「生きのびてくれ」と言われたと記す。 (5)村史・資料編(1987)の富山手記は、この件についての言及がない。 (6)1988年4月の家永裁判に出廷した金城重明が安仁屋から聞いて富山へ確かめ、富山証言を知ったと陳述している。その少し前に安仁屋が富山から初めて聞いたと思われる。 ○ 3人の女性(座間味)の証言 初出は朝日07.5.14付。7月に沖縄県議団が訪問して再確認したことを7月6日、7日の沖縄タイムスが報道、9月30日の朝日社説が引用。 宮平春子(80)-1945.3.25夜、実兄の宮里盛秀(助役)が来て父の宮里盛永に「軍からの命令で敵が上陸してきたら玉砕するよう言われている」と語ったのを、そばで聞いた。また日本軍の中尉から「米軍につかまるときには舌をかんで死になさい」と言われた。 宮里育江(82)-「隊員が手榴弾を渡し万一の時は自決せよ」と言われた。 上洲幸子(84)-軍人が村民を集め「敵に見つかったら舌をかみ切って死になさい」と言われたが、別の兵から投降を勧められ、そうした。 沖縄タイムス(07.7.7)-県議団は8人の体験者から話を聞き、「7割が玉砕命令を聞いている」と報道 疑問点として (1)宮平春子の兄宮村幸延(宮里盛秀の弟)は梅沢への詫び状(裁判へ提出)で自決命令は盛秀が出したと書いているので矛盾する。 (2) 宮里盛永は1956(?)に自伝を書いているが、軍の命令ではなく盛秀と村長の命令ととれる書き方になっている。 (3)上州証言について沖縄タイムス(07.7.7付)は「梅沢部隊長が」と報道。朝日社説(07.9.30)は「日本軍の隊長」と記し、朝日は07.10.3付の社説で「日本軍の軍人」の誤りだったと訂正。 ○ 林博史の「発見」した米軍文書 初出は沖縄タイムスの06.10.3付。07.1.19の大江裁判に提出。米軍の1945.4.3付作戦報告の中に、慶留間島の住民への尋問で、「住民らは日本兵が米軍上陸のときは自決せよと命令した」との記録ありと。 疑問―原文と林訳を対比すると意図的な誤訳が数か所あり、命令ではなくtellとあり、soldierでofficerではない。「山に隠れ、そして自決しなさい」という原文は自決するなと同義になると大江裁判の原告側弁護人が反論(鴨野P.58) 6. 援護法について a 「戦傷病者遺族等援護法」(法127、援護法と略称)は1952年に成立、1953年から沖縄へも適用された。58年から厚生省は一般住民を対象とした「沖縄戦の戦闘参加者処理要綱」により、集団自決者、防衛隊員の戦死者、壕の提供者などを準軍属の「戦闘参加者」として救済の対象とした。自決者の年齢も6歳以上とし、81年以降は沖縄については0歳まで拡大した。 b 1987年の「座間味村政要覧」によると、軍人・軍属への給付が1500万円に対し、遺族給付は67件、1億円余(一人につき196万円)の規模で、結果的に村民のほぼ全員が受給者となった。二島の自決者を500人とすると、現在まで1人4000万円と仮定すれば、総計200億円が支給されたことになる。村財政で多大の比重を占めた。 c 照屋昇雄証言 照屋氏は、1954年から琉球政府社会局援護課に勤務し、援護法の適用に関する事務に当たった。 04年9月に沖縄の陸上自衛隊からヒアリングを受け、資料を提供したが、05年5月訪沖した藤岡信勝氏らに事実を語り、産経新聞の05.6.5付で報道したが、このときは「口外すると沖縄では生きていけない」と述べて匿名登場した。しかし翌年に実名、写真の公表を決断、06年8月27日の産経が報道した。告白の要旨は 「1956年頃から厚生省の調査が始まり、集団自決が軍命であれば〔戦闘参加者〕として給付の対象になると示唆され、玉井渡嘉敷村長と2人で〔自決命令状〕の原案を作成。玉井が赤松に会い、説得して押印してもらい厚生省へ提出、給付が始まった。このことは山川社会局長ら少数を除き極秘事項として長く伏せられてきた」というもの。座間味村の援護係宮村幸延の梅沢あて詫状を裏書きする証言であった。 産経への照屋証言は大江裁判に原告側の準備書面で提出され、被告側は、照屋氏が当時期に在任していなかったと反論したが、照屋氏は琉球政府の辞令書を示し、在任していたことを立証した(『史』06年9月号、鴨野P.62-63)。 7. 総合的考察 a 集団自決の軍命説が成り立たぬ理由 事実関係は別にして (1)命令系統(略) (2) 自決の「強制」は物理的に不可能に近い。 (3) 自決者は全島民の3割に及ばず、多数が生きのびた。負傷者に自決を求める空気はなかった。 (4) 負傷者に赤松隊長は医薬品を与え、軍医と衛生兵が治療に当たったと村長は認めている(曽野文庫版P.125-26) (5) 赤松は手記の中で、避難集結の指示を出したことが、軍命令による自決 命令と曲解されたのではないかと推定(『潮』71年11月号) (6) 攻撃用手榴弾の交付は集団自決との因果関係はない。 (7)慶良間三島以外の地における集団自決については、軍命説が見当たらないので、ここでは言及しない。 (8) 軍命説を撤回、削除した次のような例がある。 沖縄県史第8巻P.410(1971)→同第10巻P.690(1974)、『沖縄史料編集所紀要』(1986)で修正 家永三郎『太平洋戦争』(1968)→1986、2002年版で赤松の自決命令は削除 山川泰邦『秘録沖縄戦記』(1958、69)→2006年版で削除(鴨野、P.84) 沖縄タイムス社説(1985.6.20付)は「軍の命令であったか、住民の自発的なものであったかはさておき・・・戦争に責任が」と書いたが、その後逆戻りした。 b 軍命から関与へ 吉川嘉勝(渡嘉敷村教育委員長)は07.9.29の県民大会で「日本軍の命令、誘導、強制、支持、宣撫、示唆などの関与がなければ、集団自決は起こらなかった」と演説した(30日付『赤旗』)。「誘導」は石原昌家、安仁屋が使っている。他に「強要」を川田文子、「黙認」を吉川勇助が使う。この系列には「自決禁止」も入るかどうか不明。訂正申請は「強制」を軸としているかに思える。 c 皇民化教育、軍国主義の風潮、鬼畜米英の宣伝など これらの責任者は不明だが、当時のマスコミがもっとも強力な一翼を担ったことは否定しがたい。 例 「(サイパン玉砕で)従容婦女子も自決」「婦女子も、生きて鬼畜の如き米軍に捕はれの恥辱を受くるよりは」(1944.8.19付朝日) 「米獣共が如何に日本人を憎み、いかに日本兵を1人でも殺そうとしているか」(『沖縄新報』(県紙)社説、1945.2.16付) 参考:月刊誌『諸君!』08年2月号(12月25日発売)の秦郁彦「徹底検証沖縄集団自決と大江健三郎裁判」 (引用文献) 沖縄タイムス社編『鉄の暴風』朝日新聞社1950 防衛庁防衛研究所戦史室著戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』朝雲出版社1968 『潮』1971年11月号「生き残った沖縄県民100人の証言」 曽野綾子著『ある神話の背景』文芸春秋社1973 沖縄県教育委員会『沖縄県史』第10巻各論編9 沖縄戦記録2 1974 嶋津与志(大城将保)著『沖縄戦を考える』ひるぎ社1983 上原正稔訳編『沖縄戦アメリカ軍戦時記録』三一書房1986 渡嘉敷村役場『渡嘉敷村史』資料編1987 渡嘉敷村役場『渡嘉敷村史』通史編1990 沖縄県警察本部『沖縄県警察史』第2巻1990 Gerald Astor 『Operation Iceberg』N.Y. 1995 大城将保著『改訂版沖縄戦』高文研1988 座間味役場『座間味村史』1989 宮城晴美著『母の遺したもの』高文研2000 林博史著『沖縄戦と民衆』大月書店2001 大城将保著『沖縄戦の真実と歪曲』高文研2007 鴨野守著『真実の攻防』世界日報社2007 林博史関東学院大学教授 原剛防衛研究所戦史部客員研究員 外間守善沖縄学研究所所長 山室建德帝京大学講師 戻る
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な 人名(50音順) ふりがな 資料 左翼度 中内功 なかうち いさお 実業家。ダイエー創業者。ダイエー元会長・社長・グループCEO、経団連副会長、日本チェーンストア協会会長、流通科学大学学園長・理事長を歴任。護憲派。2005年に亡くなった人物。「ダイエー」を創業し、流通業界の現状を打開する為、価格破壊や規制撤廃に尽力した人物。しかし、90年代に入りワンマン経営が露見したり、経営戦略が時代に見合わなくなる等、ダイエーは凋落の一途を辿り、2001年にダイエーを退任している。氏は戦後民主主義による護憲派とは一線を画し、自身の大東亜戦争における過酷な体験が元で強固な護憲や、再軍備に反対の姿勢を貫く。また、日米同盟の堅持は不要で最小限に留めるべきで、北朝鮮に対しては暴発しない様和解の方向へ持っていくべきと発言している。民族性については、「世界の中の日本で、アジアの中の日本なんだから。だいたい、国境がどんどんなくなりつつある。為替にしたって、モノにしたって、人にしたって、ボーダレス化してすべて自由に動いていくでしょう。ヨーロッパも、EU内部ではどんどん障壁が取り除かれていきつつある。そういう時代に、日本文化の特殊性をことさら言いたてるのは、おかしいわな。」と発言。(※経済人であり左翼ではない) 「ダイエー会長・中内功「戦争」と「革命」」より B 永江朗 ながえ あきら フリーライター。早稲田大学客員教授。TBSラジオ「ストリーム」元・コメンテーター。保守系の文化人や政治家等、保守言論全般を嫌悪し徹底して叩く人物。 A 長坂秀佳 ながさか しゅうけい 脚本家。小説家。放送作家。自虐史観の持ち主。保守派政治家を悪として描く傾向が強い人物。 B 中沢啓治 なかざわ けいじ 漫画家。「はだしのゲン」の作者。護憲派。作品内で共産主義美化、皇室侮辱、などを繰り返す。異常なまでの自虐史観の持ち主。 S 中沢新一 なかざわ しんいち 宗教学者。哲学者。評論家。「憲法九条を世界遺産に」の著者(爆笑問題・太田光との共著)。 A 長嶋一茂 ながしま かずしげ 元・プロ野球選手。俳優。タレント。ノンポリであるため、TVでのコメントには要注意。 C 中島岳志 なかじま たけし 政治学者・歴史学者。北海道大学公共政策大学院准教授。国際法に基づき東京裁判を否定したパール判事のパール判決書の日本無罪論を著書『パール判事東京裁判批判と絶対平和主義』などでパール判事は平和主義者で9条護憲派であり日本に戦争犯罪者が存在し日本は有罪だと決め付け曲解する主張をする。「週刊金曜日」の編集委員に名を連ねる平和主義者。 S 中曽根康弘 なかそね やすひろ 元・自由民主党衆議院議員。第71・72・73代内閣総理大臣。科学技術庁長官(第7・25代)、運輸大臣(第38代)、防衛庁長官(第25代)、通商産業大臣(第34・35代)、行政管理庁長官(第45代)等を歴任。新憲法制定議員同盟会長。財団法人世界平和研究所会長。総理大臣在任中に中国共産党の融和戦略あるいは圧力、そして後藤田官房長官の進言あるいは圧力により靖国神社への参拝を中止。小泉内閣時代には小泉総理の靖国参拝に反対を表明し、保守派政策集団「伝統と創造の会」に講師として招かれた際は、小泉総理の靖国参拝を期待する稲田朋美議員らに「個人的信条も大事だが、それ以上に国家的利害も重要だ」と発言する。特に最近は、日本と特定アジア諸国の関係が深まることを望む発言が多い。また、アメリカ経済の貿易赤字解消の為に行ったプラザ合意により、バブル経済を発生させる等、氏が行った政策にはマイナス面も多い。ただし、1、憲法改正や核武装論を唱えており安全保障に対して関心を持っていること2、国鉄を民営化させ、国労(国鉄労働組合)に居座っていた極左団体・革マル派を弱体化させたことなど、愛国的な実績もある。 B- 中西哲生 なかにし てつお スポーツジャーナリスト。サッカー解説者。元・サッカー選手。TBS「サンデーモーニング」コメンテーター。日本の国防に否定的な人物。 B なかにし礼 なかにし れい 作家。護憲派。自身がレギュラー出演する番組「ワイドスクランブル」にて、北朝鮮のミサイル問題に対し、「日本は何もせずにいざとなったら秋田県民(日本国民)は死ねば良い」と間接的に発言。また、小沢一郎の陸山会問題に関して、「5年も前の事件に検察は何をムキになっているのか」と、司法制度を否定する発言を行う。 A 長野智子 ながの ともこ フリーアナウンサー。テレ朝「報道発ドキュメンタリ宣言」ナビゲーター。テレ朝「ザ・スクープSPECIAL」キャスター。元・フジテレビアナウンサー。氏は古館伊知郎らが創立した古館プロジェクトに所属し、更に鳥越俊太郎が出演する「ザ・スクープ」を始め、左派あるいは反日色が強いテレビ朝日の番組によく起用されている為、自身も左派あるいは反日傾向にあると思われる。特に、ドキュメンタリーの要素が強い(偏向した)番組にキャスターと出演しているので、視聴者への影響力を考慮する必要がある。 B 中坊公平 なかぼう こうへい 元・弁護士。元・日本弁護士連合会(日弁連)会長。新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)特別顧問。護憲派。自虐史観の持ち主。 A 中村敦夫 なかむら あつお 俳優。作家。元・参議院議員。元・みどりの会議代表。護憲派。自虐史観の持ち主。統一教会批判や環境保護運動は評価出来るものの、国防については否定的で、左派的な思考の持ち主。 B 中村哲 なかむら てつ 医師。クリスチャン。護憲派。アフガニスタンなどでの医師としての活動は十分評価出来るものの、おかしな左翼団体との関わりを持つ等、サヨク思想を有する人物。 B 中山千夏 なかやま ちなつ 作家。タレント。元・参議院議員。フェミニスト。護憲派。皇室を侮辱する芝居に参加するなど、徹底した反日主義。 皇室侮辱 S 成田豊 なりた ゆたか 電通最高顧問・グループ会長。ソウル市出身。日本のマスコミを影から操っている人物。朝鮮系企業と太い繋がり(消費者金融CM解禁させる等)。マスコミの財布とも言われる電通のトップ。その電通という企業はテレビ局や新聞社よりも大きな権力を持っており、日本のマスコミを腐らせたと言っても過言ではない人物。その全貌は電通の正体を参照 SSS+ に 人名(50音順) ふりがな 資料 左翼度 C・W・ニコル うぃりあむ・くらいぶ・にこる イギリス出身の作家。ナチュラリスト。博物館「キラメッセ室戸鯨館」館長。1995年に日本国籍取得。護憲派。日本の自然や文化を敬愛し、捕鯨についても日本の食文化・漁業文化・生活文化を守る必要性から、「信頼できるデータが揃い、きちんとした形で行うならば、捕鯨もかまわない」とし、反捕鯨国が多い国際捕鯨委員会や、環境テロリストと化している過激派のグリーンピース、シーシェパードの行動に苦言を呈していたが、現在はグリーンピース、シーシェパード共に友好的な関係にあり、日本の沿岸捕鯨に関するデータが信憑性に欠けるため、現在は「日本の捕鯨を全面的に支援する立場にはない」と発言している。また、氏は護憲派として左派言論人とも交流を持っている。因みに、2007年には日本教職員組合(日教組)主催の「教育研究全国集会」にて講演を行っている。 C 西岡琢也 にしおか たくや 脚本家。日本シナリオ作家協会理事長。大阪芸術大学教授。自虐史観の持ち主。自虐史観を前面に出したドラマも脚本している。 B 西川史子 にしかわ ふみこ 美容外科医。タレント。2011年の東北関東大震災直後より自民党が行ってきた支援活動の事実を無視し、テレビで「自民党がぶらぶらしてる」と発言。 B 西田敏行 にしだ としゆき 俳優。歌手。タレント。司会者。護憲派。朝日放送「探偵!ナイトスクープ」レギュラー。代表作は「映画釣りバカ日誌」シリーズ等。NHK大河ドラマにも多数出演。左派(反日系)マスコミの代表格、岩波書店がバックにいるカタログハウスの「通販生活」で9条礼賛と靖国神社否定発言をする。9条が変えると世の中がおかしくなるという考えの持ち主。 B 西田真基 にしだ まさき 大阪地方裁判所判事。従業員を解雇した印刷会社に対し「部落差別」だと抗議に押し掛け、現金を脅し取った部落解放同盟寝屋川支部長らに無罪判決を下す。 「散歩道」より また、元・新聞販売所従業員である在日朝鮮人の男が、通行人を巻き添えにして自殺しようと考え、自身の乗用車で男女5人を次々と撥ね、うち2名を死亡させた事件で、心神喪失認定をし無罪判決を下している。 「大阪民国NEWS」より A 西野瑠美子 にしの るみこ ルポライター。ジャーナリスト。VAWW-NETジャパン共同代表。「女たちの戦争と平和資料館」館長。日本の戦争責任資料センター幹事・研究員。戦争被害調査会法を実現する市民会議共同代表。自虐史観をもち特に捏造の従軍慰安婦問題を積極的に取り組んでいるが、戦後GHQが国内で慰安所を設置したことについて一切の批判はなく、「女性への暴力などを扱う」としているが現在進行の 北朝鮮の人権問題や中国のチベット・ウイグル弾圧も完全に黙殺。2001年に「 女性国際戦犯法廷 」をNHKで放送しようと画策するも、放送前の番組編集によりとん挫。2009年に「在日特権を許さない市民の会」が三鷹市で開かれる慰安婦展を前に主催者のロラネット大森進代表と共に1体1の公開討論会を申し込むが、両名ともそれに応じなかった。HP上や同志達の集会では強気の発言をしているようだが「都合の悪い真実は認められない」というサヨクの典型。 SSS+ 西村京太郎 にしむら きょうたろう 推理小説家。トラベルミステリー「十津川警部シリーズ」の著者。自虐史観の持ち主。保守的な政治家を嫌う人物。アイヌや沖縄の歴史について、反日勢力とほぼ同じ主張を自著の推理小説で披露する。 B 西山太吉 にしやま たきち ジャーナリスト、護憲派、反日米同盟主義者。毎日新聞の記者として勤務していた1972年、ろくに裏取りもせず「外務省の女性事務官と情を通じ、秘密漏洩を唆した」と捏造記事を書き、いわゆる「西山事件」を引き起こした。 S 丹羽宇一郎 にわ ういちろう 日本の実業家、外交官。伊藤忠商事会長・社長、日本郵政株式会社取締役、認定特定非営利活動法人国際連合世界食糧計画WFP協会会長などを歴任し、2010年(平成22年)6月から中華人民共和国駐箚特命全権大使を務める。自称第2の経済大国となった支那に対しODA強化要請。( ※ ) A ザ・ニュースペーパー ざ にゅーすぺーぱー 時事ネタを得意とする社会風刺コント集団。麻生太郎を初め、安倍晋三・小泉純一郎ら歴代総理大臣や、政治家を小馬鹿にしたネタや皇室を侮辱したコントを披露し貶す。 B ぬ 人名(50音順) ふりがな 資料 左翼度 ね 人名(50音順) ふりがな 資料 左翼度 根津公子 ねず きみこ 元・中学校教諭。フェミニスト。護憲派。多田謡子反権力人権賞受賞者。自虐史観の持ち主。日の丸・君が代を極端に嫌悪し、校務を度々妨害。その度に処分を受ける。 A の 人名(50音順) ふりがな 資料 左翼度 野坂昭如 のさか あきゆき 作家。元・参議院議員。護憲派。反日というよりニヒリズムと言った方が正確。 B 野中広務 のなか ひろむ 元・自民党衆議院議員。日中友好協会顧問。日本行政書士政治連盟最高顧問。護憲派。異様な程の自虐史観の持ち主。部落解放同盟や左翼勢力と太いパイプを持つ。(参考:野中広務の正体) SSS+ 延江浩 のぶえ ひろし TOKYO FM チーフ・プロデューサー。村上龍のインターネット動画「Ryu s Video Report」にて村上と共に自民叩き、民主擁護を行う。ほとんどの意見が村上に同意するだけのノンポリ。 B 野間佐和子 のま さわこ 実業家、講談社前社長、親中派。瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件の際、外交官だった義弟の親中・弱腰外交を擁護。人物はAだが、かつて務めた講談社は国賊企業級。 A 左翼有名人リストへ戻る
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【高山樗牛】 たかやま・ちょぎゅう(1871-1902) 明治の評論家,思想家。本名は林次郎…(中略)…日清戦争後、井上哲次郎らとともに日本主義を唱え『日本主義』を『太陽』に掲載。ニーチェの死に際し大いに感化を受けニーチェ主義を主張した。1902年文学博士となり晩年は日蓮に傾倒。…(以下省略) 【井上哲次郎】 いのうえ・てつじろう(1855-1944) 哲学者。号は巽軒(そんけん)。東京大学教授。ドイツ観念論の移入に努めるとともに現象即実在論を説き、東西思想を包括する体系の樹立に努力。『勅語衍義』『教育と宗教の衝突』を発表。国民道徳を唱導しキリスト教を国体に反するものとして攻撃するなど国家主義を鼓吹した。多年、哲学界の大御所として君臨した。…(以下省略) 【三宅雪嶺】 みやけ・せつれい(1860-1945) ジャーナリスト。哲学者。本名雄二郎。1883年東京大学哲学科卒業。1888年井上円了・杉浦重剛・志賀重昂らの支持を得て政教社を組織し、雑誌『日本人』を発行。徳富蘇峰らの欧化主義に反対して日本主義を提唱した。1889年陸羯南が創刊した新聞『日本』にも主筆格で参加して国粋主義の立場から反政府的な評論活動を展開。1906年『日本』を退社し『日本人』を『日本及日本人』に改題。1923年その他の編集者と対立して同誌を去り、個人雑誌『我観』を創刊。1943年文化勲章受章。…(以下省略) 【陸羯南】 くが・かつなん(1857-1907) ジャーナリスト。本名は実。東奥義塾、司法省法学校を経て太政官の官吏となったが、伊藤博文らの皮相的な欧化主義に反対して辞任。1888年から『東京電報』(それまでの『東京商業電報』を改題した新聞)を主宰した。翌1889年2月11日帝国憲法発布の日に政論新聞『日本』を創刊。激しい弾圧を受けながらも日本主義と称した近代的ナショナリズムを勇敢に主張し続けた。★注釈:後述のように陸羯南は丸山眞男が自己の思想的源流の一人として高評価した人物のため、ブリタニカ百科事典でも異例に好意的な説明になっていると思われる。 【日本】にっぽん(1889創刊-1914廃刊) 陸羯南が1889年2月11日の帝国憲法発布の日に東京で創刊した政論新聞。『日本新聞』ともいう。国家主義的な中立系といわれた。谷干城・三浦悟桜らが資金的に援助し、記者には福本日南・三宅雪嶺・古島一雄・池辺三山・長谷川如是閑・丸山幹治 ・正岡子規らを集め、近代的ナショナリズムの立場から政府の欧化政策を厳しく批判。創刊後の8年間に30回も発行停止処分を受けた。日清戦争後は次第に経営困難となり、羯南も病に倒れ、1906年6月伊藤欽亮に譲渡された。やがて如是閑らの有力記者もこぞって退社し、政友会系の平凡な新聞に転落。14年末社屋の火災もあって廃刊。 【日本及日本人】にっぽんおよびにほんじん(1907改題-1923休刊) 1907年1月『日本人』を改題して発行された政教社の総合雑誌。陸羯南時代の『日本』新聞で活躍していた三宅雪嶺ら政教社の有力メンバーは伊藤欽亮に譲渡されたあとの『日本』の編集方針に不満で、こぞって退社し、1888年の創刊以来、機関誌的役割を持っていた『日本人』に『日本』の伝統を担わせるという意味で『日本及日本人』と改題した。1923年の関東大震災で政教社が焼失したことなどから休刊。 【池辺三山】 いけべ・さんざん(1864-1912) ジャーナリスト。本名吉太郎。陸羯南の『日本』を経て、1896年『大阪朝日新聞』に入社。主筆となり、すぐ転じて『東京朝日新聞』の主筆。彼に私淑していた鳥居素川が『大阪朝日新聞』の主筆を務めており、相呼応して『朝日新聞』の声価を高めた。 【長谷川如是閑】 はせがわ・にょぜかん(1875-1969) ジャーナリスト。文学者。思想家。幼名は万次郎。1898年東京法学院(中央大学の前身)を卒業し、1902年日本新聞社に入社。06年社長の陸羯南が隠退し、新社長が三宅雪嶺と古島一雄の退社を命じたので、如是閑ら十数人も抗議して退社。07年雪嶺のもとで『日本及日本人』の創刊に参加。08年鳥居素川のすすめで大阪朝日新聞社に入社。やがて小説や紀行文も発表しはじめた。14年社会部長になったが、18年の白虹事件で鳥居ら盟友とともに退社。19年大山郁夫らと雑誌『我等』を創刊した(軍国主義の波が強まった1930年に『批判』と改題し、34年廃刊)。第二次世界大戦中は沈黙がちであったが、戦後の46年貴族院議員、47年日本芸術院会員となり、48年文化勲章を受けた。『長谷川如是閑選集』(全7巻,69-70)に代表著作が収められている。 【大山郁夫】 おおやま・いくお(1880-1955) 社会運動家。早稲田大学卒業後、シカゴ大学に留学。早大教授。『朝日新聞』論説委員、労働農民党および労農党委員長を歴任。1932年より47年までアメリカに政治亡命。47年凱旋将軍のような歓迎を受けて帰国。50年参議院議員に当選。51年スターリン平和賞を受けた。主著『政治の社会的基礎』『現代日本の政治過程』。 【白虹事件】 はっこうじけん(1918年) 1918年『大阪朝日新聞』が政府権力と対立して存亡の危機に追い込まれた日本の新聞史上最大の筆禍事件。当時『大阪朝日』はシベリア出兵、米騒動などに関連して寺内内閣を弾劾する言論の一大拠点であった。8月26日付け夕刊の記事に兵乱の前兆をいう「白虹日を貫けり」の一句があったことが、新聞紙法第41条(安寧秩序紊乱)に違反するとして『大阪朝日』は告訴され、村山竜平社長は退陣、次いで鳥居素川、長谷川如是閑をはじめ大山郁夫、丸山幹治 、花田大五郎らも社を去った。同紙がこの事件で「不偏不党公平穏健」に反する傾向があったと自己批判したことは、その後の日本の新聞のあり方に象徴的な影を落としている。 【丸山眞男】 まるやま・まさお(1914-1996) 政治学者。日本思想史家。東京大学法学部卒業後、同大助教授を経て1950年教授に就任し、71年退官。46年発表の「超国家主義の論理と心理」で、軍国主義日本の指導者の没主体性を鋭く指摘し、天皇制国家の無責任構造を批判する新視点を提起して論壇に一大衝撃を与えた。『日本政治思想史研究』(52)では、江戸期にさかのぼって日本の政治思想を検証し、政治思想史研究の方法論を確立した。第二次世界大戦直後の代表的論文をまとめた『増補版・現代政治の思想と行動』(64)は、「丸山政治学」のバイブルと呼ばれ、英訳されて海外でも評価を得ている。また、60年安保闘争(cf.安保改定問題)などを通じ、戦後民主主義運動の精神的支柱となったが、後年は日本思想の研究に専念した。日本思想の根本的な構造を明らかにした『日本の思想』(57)は思想界に大きな影響を与えた。そのほか『丸山眞男座談』9巻(96)がある。
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前ページ次ページLibrary 業務上、機械系とのI/Fをある程度知る必要があった。テクニカルタームの取得など。数学的には、初歩的なもののため、理解しやすい。 振動工学 長松 昭男,"モード解析入門" 幸節 雄二,"構造振動学の基礎" 油圧工学 真空工学 Library/工学/機械工学/伝熱工学 振動工学 振動という波の伝搬を扱うという点では、電気回路と変わらない。重ね合わせの成り立つ線形システムとみなせるから、、、。 長松 昭男,"モード解析入門" 電気回路の解析方法と似ている。フーリエ解析をベースにしているなど、線形システムの解析手法がふんだんに取り入れられているのが実感できる。ディジタル信号処理の応用例としても読む事ができて、多少、テクニカルタームの違いがあれ、数学的には、とっくみやすい。電気回路のアナロジーから理解することは容易だと思う。 幸節 雄二,"構造振動学の基礎" ロケット開発に関わった現場のエンジニア(現在は、大学教授)が書い本。 油圧工学 真空工学
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木花キャンパス 教育文化学部 学校教育課程初等教育上と下,さらに同期とのつながりが非常に強く、下の名前で呼び合っているのも特徴の一つである また、序盤の初等の集まりの多さに大学生活を満喫し、「サークルは何も入らない」という人もいる。 なぜか妙なダンスを踊ることもある 「もはや宗教の一つだ」という人も多々 初等に入ると洗脳されること間違いなし・・・ 中等教育各教科ごとに細分化されるようになったため、初等に比べ統制が弱く、小藩分立状態である。 誰が何の科目専攻なのかわからないことが多い。 教科ごとによってもまとまり具合に差が大きい。 教育実習で急速に親睦が深まる。 国語科のH元准教授がセクハラ疑惑で懲戒免職。大学側と訴訟に? 人間社会課程社会システムコース(通称社シス)社会システム過程から社会システムコースにランクダウンしたが,気にすることではない。 なぜか社会システムは「はいはい社シス社シス」と馬鹿にされることが多い。 教員免許を取らない人ととる人の単位数の違いが大きい。 公務員志望者数が多い。 がんばり次第ではいい職に就くことができる。 裁判所や県庁などに就職していった先輩方もいることを忘れてはいけない。 要は,中での頑張りである。 社シスのつながりは薄い。 学祭では「店を出そう!」と誰も言わない。 個人の個性が強すぎて,まとまらない。 また、理由は定かではないが、本州出身の人に厳しい傾向がある。 アンチオタクが多いので,話題選びは慎重に。 教育実行委員会に入っている人が多いのも特徴。 一年たっても全員の顔と名前が一致しない人が多数いるとのこと。 つながりを求めるならば,初等に行ったほうがいいかも・・・ なんだかんだで、工学部と農学部の多数よりは偏差値が高い 男子はイケメン集団,おとなしめの普通の集団,オタク丸出し集団に分かれている。 大学デビュー皆無であり、大半が高校のステータスを引き継ぐことになる。 女子はキャピキャピしすぎの集団,おとなしめの集団の二極化が進んでいる。 いろんな個性を持った人がいることを考えれば案外ほかの学科よりもいいのかもしれない リア充の多いのも特徴的で,非リア充やコミュ障にとっては苦痛。 2年後期からゼミが開講されるが,総合社会学科ゆえに選択肢が多彩 が・・・クソ忙しい地雷ゼミがあることも忘れてはならぬ。 リア充の人は,学食で固まって食べているが,非リア充並びにコミュ障は便所飯やぼっち学食を余儀なくされる。 非リア充からリア充に昇格するためのポイントは,教実やサークルに入ること。 ゼミ長会という名目で好きなひとに近付くための会を自分勝手に開こうとした馬鹿もいるので油断はできない DQNグループは男女の仲がいいが、それゆえの彼氏彼女争奪戦は熾烈! 男女はだいたい5~6人ほどのグループでわかれており、互いのグループの交流は皆無で、仲が悪いとみてとれる。 あまりの同じ学科の人との交流の無さに、うつ病にかかりそのうち半数は退学又は休学等を余儀なくされている現状である。 この状況を受けて、交流会を開こうと何度も試みるも結局は、いつも騒がしいDQNグループしか集まらず、無意味なものになっている。 言語文化コース少人数でアットホームな雰囲気? 女性比率高し。 元は木花キャンパス移転時の目玉学科。文学部系の学部を設置する構想もあったらしいが・・・現在は「教育学部」の回帰傾向もあり風前の灯。 工学部 皆さんがご存じのとおり,男子のむさくるしい集団 少数の女の子たちは,特別顔がよくなくても意外ともてるのですよ。 ただ,ビッチ化する傾向にあるので,狙う相手をよく見定めなければ痛い目を見ることになる。 純粋な女の子をゲットする人はほんの一握り。 学部内では,競争率が入学するより厳しいので,風俗や二次元に走り欲望を満たす人も多くみられる。 材料物理工学科通称:材物(ざいぶつ) 物質環境化学科通称:物環(ぶっかん) 電気電子工学科通称:電電(でんでん) 工学部でも一番女が少ない・・・が、今年の1年は女が多いほうだと思う。ただし誤差の範囲内 毎年留年や卒業できない人が大量発生。今年は1/3ぐらいが(磁気と回路のクラス別けを受けれず)3年生になれませんでした。 土木環境工学科通称:土木、土環(どかん) 留年多発。土木の未来は暗い。 機械システム工学科通称:機械 今年の一年は女子ゼロらしい。 情報システム工学科通称:情報、情シス(じょうしす) 令和3年度より、7学科から1学科6プログラムに変更 応用物質化学プログラム通称:化学、応化(おうか) 土木環境工学プログラム通称:土木 応用物理工学プログラム通称:物理、応物(おうぶつ) 電気電子工学プログラム通称:電電(でんでん) 某牛丼チェーン店のような名前の教授に逆らってはいけない(戒め) 機械知能工学プログラム通称:機械 情報通信工学プログラム通称:情報 農学部 食料生産科学科通称:食生 植物系と動物系に分かれる 生物環境科学科通称:生環 森林・水産・草地の三つの生物環境コースからなる 地域農業システム学科通称:地農(ちのう) 農業経済から農業機械まで幅広い 先輩との交流はほとんどないらしい 上記の学科は学部構成変更により分裂・合併した 植物生産環境科学科地農+食生 作物をに関して研究をする学科、畑農業っていったら皆がイメージするのは大体やる 1,2年は講義と実習がメイン、3年から講義もあるが研究室に配属される 研究室は作物学や、果樹園芸、植物生理学などがあるが、応用昆虫や農業機械といったユニークな研究室もある 縦のつながりはあまりない。 森林緑地環境科学科地農+生環 海洋生物環境学科生環 畜産草地科学科食生+生環 以下の学科は変更なし 応用生物科学科通称:応生 生化学系が中心。研究内容は幅広いというかなんというか 他大学からの滑り止め受験が多く、意外と浪人生が紛れ込んでいるため他に比べ若干偏差値は高い。 飲みが激しい。新歓で洗脳されたら最後、4年間を棒に振ること請け合いである。 獣医学科人数が少ないので基本的にみんな仲が良い。 清武キャンパス 医学部 医学科元:宮医大。 清武キャンパスが本拠地だが、1年~しばらくは木花キャンパスまでいかないといけない授業がある。 木花に比べると、大学っぽい雰囲気が薄い…。付属病院や基礎研究棟がメインみたいな感じ。最近病院を改装中なので、ちょっとうるさい。 国立大学医学部の中でも屈指の留年率。特に2年生と3年生。105人入学し、20人近く留年する。 2年生は2生理と1生化、3年生は微生物、病理、薬理が厳しい。先生がドS。 逆に、4年生以降はめったなことでは留年しない。ほかの大学では4年以降が厳しくなる。 留年生と非留年生が同じ学年で混じるため、留年生は本来いるはずの学年を○回生、留年したために現在所属している学年を○年生と区別する。たとえば、1回留年していて現在3年生であれば、4回生3年、と呼ぶ。 100人が一緒に厳しい試験と留年の危機に見舞われるため、基本的に仲がいい。学年全体の飲み会である「100呑み」がたびたび開催される。 でも実習も授業もずーっと同じ面子なので、飽きる。たまにかける看護科の女の子に心ときめくのですよ。 入学年度ごとの呼称が存在する。たとえば、平成20年度入学であれば、20(ニーゼロ)、平成21年度入学であれば21(ニーイチ)となる。学年でカラーが違うね、やっぱ。 木花は本学(ほんがく)という。 待ち合わせは「ヒポ前」。 部活動は一部を除いて木花と別々(演劇部は例外) カレーがおいしくないことに定評がある。 コーラ部屋のような場所が木花にもあればなぁ・・・。 上記のコーラ部屋とは、講義棟1階にある学生談話室のこと。部活の打ち合わせでつかったり、お弁当を食べたり、おしゃべりしたり。試験期間中には冷暖房の無いこの部屋さえ学生で埋まる。 講義棟2階には、通称マック部屋と呼ばれる自習室がある。もともとはPCが置いてあった部屋で、こちらは冷暖房完備。限られた座席数しかないため、試験期間中は座席の奪い合いになる。基本的には上級生に優先権があるっぽい。1年生が語学や一般教養の勉強をここでしていると、かなりKYなので要注意。ちなみに、図書館で1年生が勉強をしていても白い目で見られることがある…。ジョイフルに行けということか。理不尽なようだけど、進級してその気持ちが理解できました。 看護学科
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