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その他 考えたことやら感じたことについてちょろっと記述。 正直、独断と偏見によるところが大きいです。 占いの原理 占いが当たる理由。 占いとは何か? 先天図と後天図 周易と断易 *
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【種別】用語 封像盤 原理は不明だが、DVDもしくはビデオCDなどといったメディアに相当するものであると思われる。「レンタル封像盤ショップ」なるものがトルバスにあることからそれなりに一般に普及している模様。
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教養科目 ドイツ語 フランス語 生物学実験 有機化学 化学実験専門科目 生物科学III 生化学演習 医療機器原理演習
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FFO Replay Version 2.1 二凡//アリス1鈴仙1橙1萃香1//アリス-鈴仙-橙-伊吹 萃香- アロンダイト//ぬえちゃんクッキング!//封獣 ぬえ-封獣 ぬえ-封獣 ぬえ-封獣 ぬえ- 賽が投げられて、二凡の先攻になりました。 アロンダイト dz #配置:《波符「月面波紋(ルナウェーブ)」》 Turn 2 - アロンダイト//体力21( 21) 呪力1( 1) 手札7( 5) 山33( 34) スペル1( 2) タイマー00 01(00 13) シーン なし #配置:《「平安京の悪夢」》 Turn 3 - 二凡//体力21( 21) 呪力3( 1) 手札6( 6) 山33( 33) スペル2( 2) タイマー00 15(00 12) シーン なし 手札:黒い春告精//霧化//鑑定//外の世界//ダブルスポイラー//波符「月面波紋(ルナウェーブ)」// #配置:《黒い春告精》 Turn 4 - アロンダイト//体力21( 21) 呪力3( 3) 手札7( 5) 山32( 33) スペル2( 3) タイマー00 13(00 34) シーン なし #配置:《妖雲「平安のダーククラウド」》 Turn 5 - 二凡//体力21( 21) 呪力6( 3) 手札6( 6) 山32( 32) スペル3( 3) タイマー00 30(00 30) シーン なし 手札:霧化//鑑定//外の世界//ダブルスポイラー//波符「月面波紋(ルナウェーブ)」//符の弐「坤軸の大鬼」// #配置:《符の弐「坤軸の大鬼」》 Turn 6 - アロンダイト//体力21( 21) 呪力6( 6) 手札7( 5) 山31( 32) スペル3( 4) タイマー00 19(00 55) シーン なし #配置:《「遊星よりの弾幕X」》 Turn 7 - 二凡//体力21( 21) 呪力10( 6) 手札6( 6) 山31( 31) スペル4( 4) タイマー00 45(00 44) シーン なし 手札:霧化//鑑定//外の世界//ダブルスポイラー//波符「月面波紋(ルナウェーブ)」//萃集// イベント(二凡):《鑑定》 二凡は山札を上から 4 枚見ました。 - 鑑定 二凡は鑑定の『4枚見る』を選択しました。 二凡は《外の世界》を山札から手札に置きました。 二凡は山札のカードを 1 枚、一番下に置き直しました。 二凡は山札のカードを 1 枚、一番下に置き直しました。 二凡は山札のカードを 1 枚、一番下に置き直しました。 #配置:《ダブルスポイラー》 Turn 8 - アロンダイト//体力21( 21) 呪力10( 8) 手札7( 5) 山30( 30) スペル4( 5) タイマー00 44(01 25) シーン なし #配置:《正体不明「恐怖の虹色UFO襲来」》 ↑起動:《「遊星よりの弾幕X」》 Turn 9 - 二凡//体力21( 21) 呪力13( 5) 手札6( 6) 山29( 30) スペル5( 5) タイマー01 08(01 37) シーン なし 手札:霧化//外の世界//波符「月面波紋(ルナウェーブ)」//萃集//外の世界//霧化// #配置:《波符「月面波紋(ルナウェーブ)」》 ↑起動:《ダブルスポイラー》 シーン(二凡):《萃集》 アロンダイトの呪力が-1 (4) - 萃集 Turn 10 - アロンダイト//体力21( 21) 呪力8( 7) 手札7( 4) 山29( 29) スペル5( 6) タイマー01 15(02 10) シーン 萃集 ☆戦闘:アロンダイト - 《「遊星よりの弾幕X」》 vs 《ダブルスポイラー》 - 二凡 ★戦闘結果:アロンダイト - dmg 1 4 dmg - 二凡 #配置:《アンノウン「原理不明の妖怪玉」》 ↑起動:《「遊星よりの弾幕X」》 二凡の呪力が+2 (9) - 萃集 Turn 11 - 二凡//体力17( 20) 呪力15( 3) 手札5( 6) 山28( 29) スペル6( 6) タイマー01 58(03 14) シーン 萃集 手札:霧化//外の世界//外の世界//霧化//符の弐「坤軸の大鬼」// #配置:《符の弐「坤軸の大鬼」》 ↑起動:《黒い春告精》 ↑起動:《ダブルスポイラー》 アロンダイトの呪力が-1 (2) - 萃集 Turn 12 - アロンダイト//体力20( 17) 呪力7( 6) 手札7( 4) 山28( 28) スペル6( 7) タイマー02 03(03 37) シーン 萃集 アロンダイトは《未確認飛行幻想物体》を二凡の《黒い春告精》に配置しました。 ↑起動:《アンノウン「原理不明の妖怪玉」》 二凡の呪力が+2 (8) - 萃集 Turn 13 - 二凡//体力17( 20) 呪力13( 2) 手札5( 6) 山27( 28) スペル7( 6) タイマー02 28(04 17) シーン 萃集 手札:霧化//外の世界//外の世界//霧化//萃集// ↑起動:《符の弐「坤軸の大鬼」》 アロンダイトの呪力が-1 (1) - 萃集 Turn 14 - アロンダイト//体力20( 17) 呪力5( 9) 手札7( 5) 山27( 27) スペル6( 7) タイマー02 48(04 31) シーン 萃集 ☆戦闘:アロンダイト - 《「遊星よりの弾幕X」》 vs 《ダブルスポイラー》 - 二凡 ★戦闘結果:アロンダイト - dmg 1 4 dmg - 二凡 アロンダイトは《未確認飛行幻想物体》を二凡の《符の弐「坤軸の大鬼」》に配置しました。 二凡の呪力が+2 (11) - 萃集 Turn 15 - 二凡//体力13( 19) 呪力16( 3) 手札6( 6) 山26( 27) スペル7( 6) タイマー03 08(04 56) シーン 萃集 手札:霧化//外の世界//外の世界//霧化//萃集//仙符「鳳凰卵」// イベント(二凡):《霧化》 二凡 黒い春告精 アロンダイトは《未確認飛行幻想物体》を場から手札に置きました。 ☆戦闘:二凡 - 《黒い春告精》 vs 《アンノウン「原理不明の妖怪玉」》 - アロンダイト ★戦闘結果:二凡 - dmg 2 3 dmg - アロンダイト 二凡は《黒い春告精》を準備状態にしました。 - 黒い春告精 #配置:《仙符「鳳凰卵」》 ↑起動:《黒い春告精》 アロンダイトの呪力が-1 (2) - 萃集 Turn 16 - アロンダイト//体力16( 11) 呪力8( 8) 手札8( 4) 山26( 26) スペル6( 8) タイマー03 41(05 45) シーン 萃集 #配置:《「平安京の悪夢」》 ↑起動:《アンノウン「原理不明の妖怪玉」》 アロンダイトは《未確認飛行幻想物体》を二凡の《黒い春告精》に配置しました。 二凡の呪力が+2 (10) - 萃集 Turn 17 - 二凡//体力11( 16) 呪力16( 3) 手札5( 6) 山25( 26) スペル8( 7) タイマー04 07(05 53) シーン 萃集 手札:霧化//外の世界//外の世界//萃集//斥候// イベント(二凡):《斥候》 二凡は山札を上から 3 枚見ました。 - 斥候 二凡は斥候の『自分のデッキを見る』を選択しました。 二凡は山札のカードを 1 枚、一番上に置き直しました。 アロンダイトの呪力が-1 (2) - 萃集 Turn 18 - アロンダイト//体力16( 11) 呪力8( 15) 手札7( 4) 山25( 25) スペル7( 8) タイマー04 17(06 12) シーン 萃集 #配置:《正体不明「恐怖の虹色UFO襲来」》 ↑起動:《「遊星よりの弾幕X」》 二凡の呪力が+2 (17) - 萃集 Turn 19 - 二凡//体力11( 16) 呪力23( 3) 手札5( 6) 山24( 25) スペル8( 8) タイマー04 29(06 49) シーン 萃集 手札:霧化//外の世界//外の世界//萃集//大群// イベント(二凡):《霧化》 二凡 黒い春告精 アロンダイトは《未確認飛行幻想物体》を場から手札に置きました。 ヤンモンが観戦を始めました。 ☆戦闘:二凡 - 《黒い春告精》 vs 《アンノウン「原理不明の妖怪玉」》 - アロンダイト ★戦闘結果:二凡 - dmg 2 3 dmg - アロンダイト 二凡は《黒い春告精》を準備状態にしました。 - 黒い春告精 二凡は山札を丸ごと見ました。 - 大群 二凡は《大群》を二凡の《黒い春告精》に配置しました。 二凡は《大群》を山札から手札に置きました。 二凡は山札を見るのをやめました。 二凡は山札をシャッフルしました。 ↑起動:《黒い春告精》 ↑起動:《ダブルスポイラー》 アロンダイトの呪力が-1 (2) - 萃集 Turn 20 - アロンダイト//体力13( 9) 呪力9( 9) 手札8( 4) 山24( 23) スペル8( 8) タイマー05 18(07 13) シーン 萃集 ヤンモンが観戦を始めました。 ☆戦闘:アロンダイト - 《「遊星よりの弾幕X」》 vs 《ダブルスポイラー》 - 二凡 ★戦闘結果:アロンダイト - dmg 1 4 dmg - 二凡 #配置:《「平安京の悪夢」》 ↑起動:《「遊星よりの弾幕X」》 ↑起動:《アンノウン「原理不明の妖怪玉」》 二凡の呪力が+2 (11) - 萃集 Turn 21 - 二凡//体力5( 12) 呪力17( 1) 手札5( 7) 山22( 24) スペル8( 9) タイマー05 20(08 34) シーン 萃集 手札:外の世界//外の世界//萃集//大群//大群// ☆戦闘:二凡 - 《黒い春告精》 vs 《アンノウン「原理不明の妖怪玉」》 - アロンダイト アロンダイトは《アンノウン「原理不明の妖怪玉」》の2番目の特殊能力を使いました。 ★戦闘結果:二凡 - dmg 2 3 dmg - アロンダイト 二凡は《黒い春告精》を準備状態にしました。 - 黒い春告精 ↑起動:《黒い春告精》 ↑起動:《波符「月面波紋(ルナウェーブ)」》 二凡は山札を丸ごと見ました。 - 大群 二凡は《大群》を二凡の《波符「月面波紋(ルナウェーブ)」》に配置しました。 二凡は山札を見るのをやめました。 二凡は山札をシャッフルしました。 二凡は山札を丸ごと見ました。 - 大群 二凡は《大群》を二凡の《符の弐「坤軸の大鬼」》に配置しました。 二凡は山札を見るのをやめました。 二凡は山札をシャッフルしました。 ↑起動:《符の弐「坤軸の大鬼」》 Turn 22 - アロンダイト//体力9( 3) 呪力8( 0) 手札8( 3) 山23( 22) スペル9( 8) タイマー06 42(08 34) シーン 萃集 ☆戦闘:アロンダイト - 《「遊星よりの弾幕X」》 vs 《波符「月面波紋(ルナウェーブ)」》 - 二凡 二凡 乙でした ★戦闘結果:アロンダイト - dmg 5 4 dmg - 二凡 アロンダイト ありがとうございました 二凡 無理ゲーだ アロンダイト この相性は・・・ 二凡 絶望的だww 二凡 では戻ります 二凡 ノシ アロンダイト ノシ
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<目次> ■1.2 立憲的意味の憲法◆1.2.1 近代立憲主義市民革命と近代立憲主義 ◆1.2.2 近代憲法から現代憲法へ近代憲法の特徴 現代憲法への転換 統治機構への影響 ◆1.2.3 国民主権主権とは 国民主権の内容 主権概念の見直し ◆1.2.4 権力分立原理の変容権力集中の排除 権力の抑制均衡 現代の権力分立 分立原理の変容 ◆1.2.5 法の支配法の支配の内容 「善き法」の支配 法の支配の限界 ◆1.2.6 硬性憲法改正手続による区分 硬性憲法の特長 ◆1.2.7 憲法の尊厳的部分と機能的部分憲法の2つの部分 現代憲法の機能的部分 機能的部分に対する制約 ■1.2 立憲的意味の憲法 ◆1.2.1 近代立憲主義 市民革命と近代立憲主義 実質的意味の憲法の内容は、国家によってさまざまである。 一人の独裁者の命令がそのまま国家の意思と見なされ、それによって強制的に国民の自由や財産が奪われるような内容であることもあろう。 これに対して、17世紀から18世紀にかけて、欧米諸国で起こった市民革命をきっかけとして、憲法は、権力者の恣意を許すものであってはならず、個人の権利と自由を保障するために、そしてその限りにおいて国家の行為を認めるものであるべきだとの考え方が確立した。 この近代立憲主義と呼ばれる思想は、国家の任務を個人の権利・自由の保障にあると考えるが、その任務を果たすために強大な権力を保持する国家自体からも権利と自由を守らねばならないとの立場をとり、このような目的に即して、国家機関の行動を厳格に制約しようとする。 そして、このような考え方に立脚した憲法を、立憲的意味の憲法、あるいは近代的意味の憲法と呼ぶ。 「すべての権利の保障が確保されず、権力分立が定められていない国家は憲法を有しない」(フランス人権宣言16条)といわれるときは、このような意味で憲法という言葉が使われている。 近代的意味の憲法においては、多くの場合、国家の任務と限界を示す権利が権利宣言という形で成文化され、他方、権力の乱用を防ぐために、統治機構についても権力分立や法による支配など、さまざまな組織上の工夫が施されている。 【価値の多元性と近代立憲主義】近代立憲主義およびそれを支える個人の自然権という思想は、宗教上の対立を典型とする根底的な価値観・世界観の対立が深刻な紛争を引き起こした16~17世紀のヨーロッパにおいて形成された。人々の抱く根本的な価値観の相違にもかかわらず、すべての人が社会生活の便宜とコストを公平に享受し、負担する枠組みを作り出すことが、こうした思想の狙いである(長谷部 [1999] 第1章 [2000] 第4章)。1.1.4 で述べた調整問題や公共財の提供について、何が適切な解決かを社会全体で理性的に審議・決定するためにも、各人の根底的価値観・世界観に関わる問題について国家は干渉しない(つまり「正しい」価値観を提供することは国家の任務ではない)という保障をあらかじめ与えておくことが前提となる。中世の自然法思想に比べて、そこでいわれている自然権の内容がきわめて縮減されたものであることも、根本的に立場の異なる人々すべてに受容可能な社会生活の枠組みが何かを探ろうとした、その結果として説明できる。当時の自然権思想を、各人に天賦の自然権があることをアプリオリに前提とし、そこから国家のあり方を演繹したものだとする理解は一面的であること(そして自然主義的虚偽論 naturalistic fallacy(※注釈:pleasure(快)などの非倫理的な=事実的前提から、the good(善)などの倫理的結論を導くことは誤謬である、とする分析哲学者G.E.ムーアが1903年に指摘した仮説) に陥りかねないこと)に留意する必要がある。 なお、以下で説明するように、国家が保護すべきものとされる「自然権」と実定憲法において保障されるべき「憲法上の権利」ないし「基本権」とは、必ずしも一致しない。 ◆1.2.2 近代憲法から現代憲法へ 近代憲法の特徴 近代立憲主義が確立した当初の憲法においては、権利宣言においても、思想・信条の自由、表現の自由、人身の自由、財産権の保障などの個人の権利を国家権力に対して防衛するという色彩が濃く、団体行動の権利や社会権は、ほとんど顧みられていない。 また、統治機構の面でも、国民の代表によって制定された法律によって行政権および司法権を厳格に拘束しようとする考え方が強く、立法権そのものを拘束しようとする考え方はあまり見られなかった。 さらに、当時は、参政権も納税額や性別によって限定されており、「教養と財産(Bildung und Besitz)」を有する市民層という国民の限られた部分の意見が議会に強く反映する構造になっていたことも見逃してはならない。 現代憲法への転換 強要と財産を持つ人々による政治という考え方から、できるだけ多くの人々が国政に参加すべきだとの考え方への転換が行われたのは、ヨーロッパにおいても19世紀後半から20世紀初めにかけてのことに過ぎない(その背景には、主要各国の軍事戦略の転換がある。この点については、長谷部 [2006] 第4章参照)。 そして、選挙権の拡大とともに、国家が大衆の要求に応ずる必要が生じたこと、また他方で、社会主義思想が、近代憲法の保障する人権が単に形式的な自由と平等を保障するにとどまり、真に人間らしい生活を保障する役割を果たしていないとの主張を広めるに従って、国家の任務と限界に関する考え方も大きな変化を遂げた。 ドイツのワイマール憲法やフランス第四共和政憲法など、第一次大戦以降にヨーロッパ諸国で制定された諸憲法の権利宣言においては、従来の個人レベルの自由権と並んで、集会の自由・結社の自由のような集団的自由権、労働者の団結権・団体交渉権・争議権のような労働基本権が保障される他、最低生活の保障や勤労権、教育権など、実現のために国家の積極的な介入を要するような権利も謳われている。 日本国憲法も、これらの点で例外ではない。 また、権利宣言として成文化された権利のカタログに示されない領域でも、国家には、景気変動や経済成長の調整、社会資本の整備など、積極的な役割が期待されている。 次に、憲法による制約の対象についても考え方の変化が見られる。 現代社会においては、国家権力とそれ以外の社会的権力、つまり大企業や政党、労働組合、私立大学などの違いは絶対的なものではなく相対化しており、従ってこれらの社会的権力の行為も憲法による直接あるいは間接の制約の対象にすべきだとの見解が主張されている。 統治機構への影響 以上のような近代憲法から現代憲法へ、言い換えれば、夜警国家から福祉国家への国家観の変容は、統治機構の面でも重大な変化をもたらしている。 まず、福祉給付行政に見られるような行政裁量の拡大は、議会立法による行政権の厳格な拘束という法の支配(1.2.5 参照)の理念を後退させる状況を生み出した。 また、政府の活動領域の拡大は、政府が産業界や労働界をはじめとする社会内のさまざまな利益集団と協議する必要を生み出し、国会を通じて国民の利益が一元的に代表されるとの近代憲法の建前に反して、多様で個別的な利害が政府と直接に交渉する特権を得る状況をもたらしている。 他方、大衆の政治参加に伴って成長した政党組織は、議会内での議員の規律を強め、その結果、政党の領袖からなる内閣による議会の支配を現出した。 選挙権者の数が限定されていた近代社会においては、地方の名望家が独自の資金と組織によって当選し、議会内で緩やかな議員組織を形成していたが、現代の普通選挙制度の下では、政党の政策・組織・資金に頼らない限り、議員の地位を獲得することはきわめて困難となり、そのため党組織への議員の従属が見られる。 さらに、戦間期から第二次大戦中のファシズムの経験から、立法府による侵害から国民の権利を守る制度が必要だとの考え方が強まり、戦後、多くの国で違憲立法審査制度が導入されることとなった。 ◆1.2.3 国民主権 主権とは 主権という言葉の主な用法としては、 ① 国家の統治権を指す場合、 ② 国家の統治権の最高独立性を指す場合、そして ③ 国家における最高意思、つまり国政のあり方を最終的に決定する力を指す場合 がある。 統治権という意味の主権の用例としては、ポツダム宣言8項の「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ極限セラルベシ」がある。 統治権の最高独立性を示す主権の用例としては、憲法前文3項における「自国の主権を維持し」がある。 これに対し、日本国憲法前文で「主権が国民に存する」といわれ、1条で「主権の存する日本国民」といわれる場合には、③の意味の主権が国民に帰属することが述べられている。 国民主権の内容 国民主権の原則は、 第一に、 統治権が主権者である国民自身か、あるいは国民が選挙を通じて直接、間接に組織する機関によって行使されるべきこと、 第二に、 統治権を行使する機関は、常にその行使について国民に責任を負うこと、言い換えれば、国民に対して常に行使の正当性を説明し理由づける責務を負うこと を意味する。 前者は、国民主権の権力的契機、後者は、国民主権の正当性の契機といわれることがある。 君主主権の下においては、君主自身が統治権のかなりの部分を行使し得たために、権力的契機と正当性の契機とは重なり合っていたが、国民主権の下においては、市民が常時政治に直接に参与することは不可能であるため、両者は乖離し、正当性の側面が強調されることになる。 国民主権の原理が、国民の実際の政治参加をどの程度まで要求するかについては、代表制の観念とも関連して議論の対立が見られる(12.1.1 参照)。 主権概念の見直し 国家の主権および国家における主権は、唯一不可分で最高独立であり、無制約であるという考え方が伝統的には支配的であった。 しかし、実際には、連邦国家のように中央政府と各州政府に統治権が分割されることもあるし、違憲審査制によって国民を代表する議会の立法権が裁判所によって制約されることもある。 また、国際的な慣行や条約によって国家の行動が制約されることも珍しくない。 主権が無制約であるとの考え方は、権力分立や違憲審査など、さまざまな制度によって国家権力を制約しようとする近代立憲主義の考え方と正面から対立する。 「国民主権」の原理が国民の政治参加を広範に要請するという前提をとったとしても、そうして政治過程に参加する国民は、さまざまな制度の枠組みを乗り越えて無制約に国政を決定し得るわけではない。 主権が唯一不可分で無制約であるとの考え方にさほど理由がないとすると、国家という単位で法のあり方を考えることも必然的ではないことがわかる。 1.1.4 で述べた法の役割を、国際的な法や組織が効果的に果たすのであれば、国家を単位として社会生活を規律することに必ずしもこだわる必要はない。 地球環境の保全や国際平和の維持という公共財は、個々の国家を超えるルールや組織を要求するであろうし、地域ごとの実情に応じた統治権の行使は地方政府への大幅な権限の委譲を正当化するかも知れない。 「国民主権」の下で、市民の直接の政治参加をどのような制度的枠組みの下で、どこまで認めるのが妥当かも、1.1.4 で述べた法の役割をどのような制度が適切に果たすかという視点から検討する必要がある。 主権という概念に基づく議論の限界に留意し、この概念にあまり多くのものを読み込み過ぎないようにしなければならない(長谷部 [1999] 第5章)。 【憲法制定権力】主権の内容として、しばしば憲法制定権力(pouvoir constituant)の概念が議論される。憲法を制定する権力とそれによって「制定された権力(pouvoir constitue)」との区別は、シィエス(Sieyes, E.)によって唱えられた(シィエス [1950] 第5章。なお、シュミット・憲法理論第8章をも参照)。始源的な憲法制定権力を人民が行使した結果として制定されたからこそ憲法は正当性を有するが、他方で、憲法制定権力自体は何ものによっても制約されることなく、手続の点でも権限の点でもより上位の規範によって拘束されることはないとシィエスやシュミットは主張する。しかし、個人の集合体である人民が一貫した意思を表明するためには、人民とは何者であり、それが如何なる手続と権限の下でその意思を表明し得るかが定まっている必要がある。たとえ人民全体の集会が人民の意思を表明するとしても、誰が集会の構成員であり、如何なる手続で意思を表明し得るかは定まっている必要がある。憲法制定権力は無制約な始源的権力ではあり得ない。他方で、憲法制定権力は普遍的な政治道徳を内容とする根本規範によって制約されているからこそ、その決定の結果たる憲法は正当性を有するとの立場もあるが(芦部 [1983] 等)、そうであれば、憲法が正当であるか否かは、憲法の内容と根本規範とを直接に比較すれば判明するはずである。憲法の正当性の基礎付けという点では、憲法制定権力は余剰概念となる。要するに、無制約な始源的憲法制定権力という概念は筋の通った概念ではあり得ず、他方、根本規範によって制約された憲法制定権力は、憲法の正当性を基礎付ける上では不要な余剰概念である。この点について詳しくは、長谷部 [2009] 参照。 ◆1.2.4 権力分立原理の変容 権力分立の原理は、モンテスキュー(de Montesquieu, C. L.)によって確立されたと考えられている。 『法の精神』(1748)で示された彼の理論は、当時のイギリスの政治体制をモデルとして組み立てられており、その内容は、権力集中の排除を目的とする消極的原理と権力の抑制均衡を狙う積極的原理の2つに区分することができる(モンテスキュー [1987] 第11篇第6章)。 権力集中の排除 まず、消極的原理は、国家の統治権を、立法・司法・執行の三権に区別し、そのうち2つ以上が、1つの機関によって独占されないよう、政治体制を構成する必要があるとする。 このような独占は、専制政治、つまり人々の自由の抑圧をもたらすからというのがその理由である。 確かに、立法機関と法を具体的な場面に適用する機関とが融合すれば、個別の事情やその時々の考慮によって法は伸縮自在に適用されることとなり、あらかじめ定められた一般的な法に従って予見可能な形で国家権力が行動するという「法の支配」は失われることになる(1.2.5 参照)。 司法権と執行権とが融合した場合にも、立法権の定めた法による拘束は名目的になり、同様の専制がもたらされるおそれが強い。 権力の抑制均衡 もっとも、国家権力の集中を排除する消極的な原理だけでは、憲法の構成原理として不十分であり、モンテスキューは、積極的な原理として、権力の抑制均衡の仕組みを提唱する。 これは、司法や執行を支配する最高の権能である立法権の構成に関する原理である。 モンテスキューによれば、当時のイギリスの立法府は、市民階級の代表からなる庶民院、貴族からなる貴族院、さらに立法裁可権を有する国王の三者から構成され、三者すべての合意がない限り、新たな法律が制定されない仕組みになっていた。 執行権を有する国王が立法裁可権を持つことにより、議会が執行権を簒奪するような法律を制定することを防ぐことができる。 また、三者のすべての同意がない限り法律が制定されない以上、制定された法律は、すべての社会階層の利益にかなう、自由を守る法律であるはずである。 モンテスキューの発想にならって行政権の首長に立法拒否権を認めた憲法として、フランスの1791年憲法やアメリカ合衆国憲法がある。 現代の権力分立 もっとも、モンテスキューが権力分立の原理を提唱したのは、国民主権の原理が確立せず、君主や貴族階級がなお大きな政治的発言権を有していた制限王政時代のイギリスをモデルにしてのことであった。 このような時代を背景とする権力分立論が果たして現代国家でも有効であり得るかが問題とされねばならない。 第一に、モンテスキューの時代と異なり、現代国家では、各身分ごとの利益や自由を保障することではなく、個人の平等な権利を保障することと、平等な国民一般の利益を議会に代表させることが政治体制の課題とされる。 第二に、現代の諸憲法では、権力の均衡抑制の原理は、立法機関内部の均衡抑制ではなく、三権相互の関係について議論されることが多い。 議院内閣制の下での、元首と議会、あるいは内閣と議会の均衡や、裁判所による違憲立法審査制度は、その例である。 日本国憲法のもとでも、立法・司法・執行の各々を主として担当する国会・裁判所・内閣は、他の作用や機関に関与することが認められており、相互の関与から生まれる三権の均衡・抑制が国家による人権侵害を防ぐ役割を果たすといわれることがある。 このような現代の権力分立が提起するおそらく最大の問題は、国民主権原理との関係である。 議会が、主権者たる国民の直接の代表であることを考えれば、なぜ行政権や裁判所がそれに従属することなく、かえって、ときには議会の行動を抑制し得るのかが問われることとなる。 このうち、行政権に関する限りでは、日本は議院内閣制度を採用していることから、機構上、行政権を担当する内閣が議会の多数派と行政権とは実は融合していることを示しており、その限りで権力分立原理は変容を被っていることになる。 ただ、議院内閣制の下では、内閣が辞職の自由を持つことと、場合によっては自己の政策の是非を有権者に問うために議会を解散し得る点で、行政府が議会の意思に無原則に従う議会統治制よりは、内閣の独自性が保たれているといえよう(13.1.1 (2))。 しかし、内閣総辞職の後、あるいは解散-総選挙の後に組織される新内閣は、議会多数派の意思を反映していなければならない。 フランス第五共和政やアメリカ合衆国では、行政権の長である大統領が、議会と同様に、有権者を直接に代表するという形で、権力分立と国民主権との整合性が図られている。 分立原理の変容 もっとも、行政権が立法権と対抗し得る存在と考えられるに至った実質的な理由は、モンテスキューの時代と異なり、現代の行政権が単なる法律の執行にはとどまらず、立法活動自体の指導をも含む統治活動を担当しているからである(13.1.2 (1))。 国家に最小限の役割のみが期待されていた時代においては、各身分の既存の権利が新たな法律によって侵害されない仕組みを作り出すことが肝要であった。 これに対して、国家の役割が増大した今日においては、行政権の担当する統治活動を民主的にコントロールすることが重要な課題となる。 議院内閣制や大統領の公選制も、このような視点からその意義を理解する必要がある。 他方、裁判所については、伝統的には、司法は法律を個別の事件にあてはめて、それを解決するだけであり、裁判官の個人的な良心や倫理観がそこに介入する余地はないと考えられてきた。 従って、司法が正しく運営されるためには、政治部門の介入を排除し、法律の忠実な適用を保障しなければならないこととなる。 そこから、裁判官の職権の独立や身分保障の必要が説明される。 もっとも、実際には、法の解釈適用において、裁判官の個人的な考えが全く働かないということはあり得ない。 とくに、抽象的な憲法の条文の解釈に基づいて、国民を代表する議会の制定法の効力を審査する違憲審査制度を如何にして正当化できるかが、議論の焦点となっている。 議会を含む民主的な政治過程そのものの正常な機能を維持するため、あるいは個人の自律を多数決による政策的決定から守るために違憲審査が要請されるという議論など、さまざまな考え方が提示されている(14.4.8. 参照)。 【権力分立と国民主権の相克】権力分立と国民主権とを調和させる一つの考え方は次のようなものである。権力分立を国政に関する決定権限の配分原理として捉えると、司法、立法、行政の各機関にそれぞれ権限が配分されているのと並んで、他の主体、たとえば地方自治体へも憲法は権限の配分を行っている。中でも重要なのは個人に対する憲法上の権利の配分である。憲法によって保障された権利の範囲内で、個人はその自主的な判断によって自分の行動や生き方を決定することができる。そして、裁判所には、他の国家機関や地方公共団体等が個々人に承認された決定権限を侵害しないよう、これを保護する責務が課されている。従って、権力分立の内容を的確に捉えるならば、分立される権力、つまり決定権限の中には、個人に配分される決定権限である憲法上の権利も算入されなければならない。国民主権の原理は、憲法による各国家機関への権限配分を前提としたうえで、それを正当化するための理念であるから、憲法による権限配分自体を左右する力はない。つまり、個人の権利に関する裁判所の判断を否定する理念として働く余地はないということになる。 ◆1.2.5 法の支配 法の支配は、国家機関の行動を一般的・抽象的で事前に公示される明確な法によって拘束することにより、国民の自由を保障しようとする理念である。 法の支配の内容 「人の支配」ではなく、「法の支配」を実現するためには、何よりもそれが従うことの可能な法でなければならず、法に基づいて社会生活を営むことが可能でなければならない。 そのためには、①法が一般的抽象的であり、②公示され、③明確であり、④安定しており、⑤相互に矛盾しておらず、⑥遡及立法(事後立法)が禁止され、⑦国家機関が法に基づいて行動するよう、独立の裁判所によるコントロールが確立していること、が要請される(長谷部 [2000] 第10章)。 このような法の支配の要請は、法令の公布に関する規定(憲法7条1号)や憲法41条の「立法」の概念、司法の独立(憲法76条以下)の他、憲法31条以下の諸規定に具体化されている(8.3.2. (3) 【法の支配との関係】 参照)。 「善き法」の支配 法の支配は、「善き法」の支配と同視されることがある。 形式的法治国と実質的法治国の概念を対置し、法の支配を後者と同視する考え方もその一例である。 また、個人の尊厳や基本的人権の保障、国民主権など、近代立憲主義の諸要請がすべて法の支配に含まれるとする者もいる。 しかし、このように法の支配を濃厚な意味で理解してしまえば、この概念を独立に検討する意義は失われる。 確かに、法の支配の内容とされる法の一般性・抽象性・明確性・安定性、および遡及立法の禁止は、法が法として機能するための、つまり法が人の行動の指針として機能するための必要条件である。 立法が個別的にしかも事後的に為され、法の文言も不明確であり、しかも朝令暮改のありさまでは、人々は国家機関の行動について如何なる予測を立てることもできず、そのため法に従って行動することは不可能となるであろう。 しかし、人種差別立法や出版物の検閲制度を設定する法も、やはり法として機能するためには、これらの特徴を備えている必要がある。 これらの特徴はいずれもそれ自体としては、悪法の支配とも十分に両立し得る。 また、前述のような法の支配の内容は、法が民主的に定められるか否かとは関係がない。 法が法として機能するために、今掲げたような幾つかの条件が必要であることが、法と道徳との必然的なつながりを意味するといわれることもあるが、これも誤りである。 切れ味の良いことがナイフの道徳性を示していないのと同様、法が法として機能するための条件を備えていることは、法の道徳性を示していない。 今述べたとおり、きわめて不道徳な目的を持つ法も、法として機能するためには、このような条件を備えていなければならない。 法の支配の限界 さらに、法の支配は、法が備えるべき条件の一つに過ぎず、他の要請の前に譲歩しなければならない場合もあることに留意しなければならない。 法の支配の要請がどこまで充足されるべきかは程度問題であり、個別の企業を国有化するための立法や女性のみを保護対象とする労働立法も、一般抽象性の点で悖(もと)るところがあるとしても、政府の役割の拡大した福祉国家の下においては肯認され得るであろう。 法の支配を支える根拠となる個人の自律や社会の幸福の最大化という目的自体が、国家の役割の拡大をもたらしているからである。 【形式的法治国と実質的法治国】法の支配の観念と関連して、法治国(Rechtsstaat)の概念を、形式的法治国と実質的法治国の2つに区分することがある。形式的法治国論はあらかじめ定められた法形式さえ取れば人民の権利・自由を無制約に侵害できるという考え方であり、実質的法治国論は、法律の内容に一定の実質的限界があるとの考え方であるとされる。もっとも、日本のような成文の憲法典を持つ国家において、この2つを区別する意義については疑いがある。すなわち、最高法規たる憲法典に、実質的法治国概念が前提とする正しい法内容が書き込まれていない限り、その国は実質的法治国とはいえないであろうし、他方、憲法典に下位の法令が充足すべき正しい法内容がすでに書き込まれているのであれば、形式的法治国概念からしてもすべての国家機関はその正しい法内容に従って行動すべきである。両者を区別する意義があるとすれば、せいぜい憲法改正の限界についてであろう。なお、形式的法治国概念が、法の一般性・抽象性や遡及性、裁判の独立性など法の支配の要請をも否定し得る概念として理解されているのであれば、それは当然、本文で述べた法の支配とは両立し得ない。 ◆1.2.6 硬性憲法 改正手続による区分 憲法が通常の法律よりも厳格な手続によらなければ改正出来ない場合、それを硬性憲法と呼び、通常の法律と同様の手続で改正し得る場合、軟性憲法と呼ぶ。 硬性憲法と軟性憲法の区別は、ブライス(Bryce, J.)によって為されたもので、彼は、成典か否かの区別を前提とせずに、憲法一般にこの分類をあてはめた(J. Bryce [1901] pp.128-33)。 一国における実質的意味の憲法がすべて成典化されることは実際上あり得ず、従って、それがすべて硬性化されることもあり得ない。 硬性憲法の国か軟性憲法の国かの区別は、その国に硬性の憲法典があるか否かの区別として捉えられるべきである。 現在のイギリス、建国当初のイスラエルなどが、軟性憲法の国家の例として知られる。 硬性憲法の特長 近代立憲主義は、一般に憲法の成典化とその硬性化とを推し進めた。 国家機関への拘束と人民の権利の内容を成典化し、明確にすればその遵守を期待することが出来るし、そうして生まれた成典憲法を、通常の法律より厳格な手続でしか変更できない憲法とすれば、そのときどきの議会多数派の手から少数者の権利や社会生活の基礎となる価値を保障することが出来、また改正手続に国民投票を取り入れることで、国民の意思を憲法に反映すると同時に、憲法の正統性を強めることも可能となる。 さらに、連邦国家においては、連邦を構成する各州の承認が改正のために必要となる。 もっとも、憲法改正手続が厳格であることは、必ずしも実際の改正が困難であることを意味しない。 改正が為されるか否かは、政治情勢や憲法擁護に対する国民の考え方にも大きく依存する。 他方、改正が困難であると、実際の状況に合わせて不文の慣習が補充的にあるいは憲法典に反する形で成立することがある。 しかし、憲法典の解釈が柔軟に為されるならば、憲法典が同一のままであっても、さまざまな状況の変化に対応することが可能となる(1.3.4、1.3.5 参照)。 日本国憲法は、硬性の憲法典であり、改正のためには、衆参両院の総議員の3分の2以上の賛成による国会の発議と、国民の承認とが必要とされる(1.4.1 参照)。 【不文の硬性憲法】硬性憲法と軟性憲法の区別について、本文で述べたような憲法典の改正の難しさに限らず、1789年の革命以前のフランスにおける王国の基本法(lois fondamentales du royaume)のように、不文の憲法原則であっても、それが変更不可能と考えられている場合には硬性憲法と考えるべきだとの見解がある(デュヴェルジェ・フランス憲法史39項)。しかし、このような考え方からすると、イギリスのように国会主権の建前をとり、いかなる法であっても国会がこれを変更し得るとの憲法原則をとっている場合には、その原則自体が不文の硬性憲法だということになろう。そうすると、イギリスも実は軟性憲法の国ではなく、「憲法は軟性であるべきだ」という軟性の憲法原理を持つ国と考えるべきことになる。そのとき、軟性憲法の国家なるものは果たして存在し得るであろうか。 ◆1.2.7 憲法の尊厳的部分と機能的部分 憲法の2つの部分 近代立憲主義が国民の権利・自由を保障するうえで、議会・内閣・裁判所などの国家機関の仕組みや権限に着目するのは、これらの機関こそが国家権力の実際の担い手であると考えるからである。 この前提は、現代社会において権力が行使される状況を正確に反映しているであろうか。 バジョット(Bagehot, W.)は、『イギリス憲政論』(1867)の中でイギリスの国家体制を分析する際、憲法の尊厳的部分と機能的部分とを区別した。 前者は、国民の崇敬と信従を喚起し、維持する部分であり、後者が実際の統治に携わる。 バジョットによれば、当時のイギリスの国家制度のうち王室や貴族院は前者であり、庶民院や内閣は後者にあたる(バジョット [1970] 第1章)。 現代憲法の機能的部分 この区別に即して現代の日本の政治制度を分析するとどうなるだろう。 天皇制は明らかに尊厳的部分に属しているが、さらに、唯一の立法機関とされる国会や行政権を統括するはずの内閣も、次第に尊厳的部分へと追いやられているように見える。 実際に統治活動の中心にあるのは、大部分の法案を準備し予算案を編成する中央官僚機構と、財界・産業界・各種圧力団体の要請と支援を受け、ときには外国政府の圧力を受けて官僚の活動に影響力を行使する政権政党である。 そして、統治活動の態様も、法律およびそれに基づく国民の権利自由の制約ではなく、補助金の交付や行政指導、人員の派遣など、法的コントロールに馴染みにくい形をとることが増えている。 このような憲法の機能的部分の活動を厳格な法のコントロールの下に置くことは、とりわけ行政活動の肥大した現代国家では難しい。 それは、彼ら自身が立法・行政活動の主体でもあり、そうである以上、法的措置をとる以前に、他の方法で所期の効果を達成することができるからである。 いずれにしろ最後は法的措置を取られると分かっている以上、相手方も長期的観点からなるべくコストがかからず、摩擦の少ない形で機能的部分の要求に対処しようとするであろう。 機能的部分に対する制約 もちろん、機能的部分に属する人々も全く無制約で活動するわけではない。 数年ごとに行われる国政選挙のため、有権者の意思を無視することは許されない。 従って、世論に影響を与えるマスメディアの批判も大きな効果を持つ。 また、機能的部分の権力の主要な源泉が、国会や内閣など憲法の尊厳的部分の活動をコントロールし得る点にある以上、国会や内閣の活動を規律する憲法典、各種の法令および慣習は遵守せざるを得ない。 もっとも、これらのルールは、そのすべてが裁判所によって強行されるわけではないため、彼ら自身によって承認されている限りにおいて、彼らの行動を縛るという性格は残る。 裁判所の違憲審査権が行使される場合でさえ、最終的な有権解釈権者たる最高裁判所によって解釈された限りにおける憲法が適用されるに過ぎない。 権力の拘束を使命とする憲法は、究極的には、権力者自身によって受け入れられている限りにおいて、権力を拘束することができる(この点については 1.3.3、1.4.2、1.4.3 を見よ)。 もちろんそうは言っても、憲法と現実の距離には許容限度があろう。 憲法を単なる神話として軽視することは、機能的部分の権力の基礎を掘り崩すことになる。 機能的部分の機能性もその神話によって支えられているからである。
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<目次> ■1.2 立憲的意味の憲法◆1.2.1 近代立憲主義市民革命と近代立憲主義 ◆1.2.2 近代憲法から現代憲法へ近代憲法の特徴 現代憲法への転換 統治機構への影響 ◆1.2.3 国民主権主権とは 国民主権の内容 主権概念の見直し ◆1.2.4 権力分立原理の変容権力集中の排除 権力の抑制均衡 現代の権力分立 分立原理の変容 ◆1.2.5 法の支配法の支配の内容 「善き法」の支配 法の支配の限界 ◆1.2.6 硬性憲法改正手続による区分 硬性憲法の特長 ◆1.2.7 憲法の尊厳的部分と機能的部分憲法の2つの部分 現代憲法の機能的部分 機能的部分に対する制約 ■1.2 立憲的意味の憲法 ◆1.2.1 近代立憲主義 市民革命と近代立憲主義 実質的意味の憲法の内容は、国家によってさまざまである。 一人の独裁者の命令がそのまま国家の意思と見なされ、それによって強制的に国民の自由や財産が奪われるような内容であることもあろう。 これに対して、17世紀から18世紀にかけて、欧米諸国で起こった市民革命をきっかけとして、憲法は、権力者の恣意を許すものであってはならず、個人の権利と自由を保障するために、そしてその限りにおいて国家の行為を認めるものであるべきだとの考え方が確立した。 この近代立憲主義と呼ばれる思想は、国家の任務を個人の権利・自由の保障にあると考えるが、その任務を果たすために強大な権力を保持する国家自体からも権利と自由を守らねばならないとの立場をとり、このような目的に即して、国家機関の行動を厳格に制約しようとする。 そして、このような考え方に立脚した憲法を、立憲的意味の憲法、あるいは近代的意味の憲法と呼ぶ。 「すべての権利の保障が確保されず、権力分立が定められていない国家は憲法を有しない」(フランス人権宣言16条)といわれるときは、このような意味で憲法という言葉が使われている。 近代的意味の憲法においては、多くの場合、国家の任務と限界を示す権利が権利宣言という形で成文化され、他方、権力の乱用を防ぐために、統治機構についても権力分立や法による支配など、さまざまな組織上の工夫が施されている。 【価値の多元性と近代立憲主義】近代立憲主義およびそれを支える個人の自然権という思想は、宗教上の対立を典型とする根底的な価値観・世界観の対立が深刻な紛争を引き起こした16~17世紀のヨーロッパにおいて形成された。人々の抱く根本的な価値観の相違にもかかわらず、すべての人が社会生活の便宜とコストを公平に享受し、負担する枠組みを作り出すことが、こうした思想の狙いである(長谷部 [1999] 第1章 [2000] 第4章)。1.1.4 で述べた調整問題や公共財の提供について、何が適切な解決かを社会全体で理性的に審議・決定するためにも、各人の根底的価値観・世界観に関わる問題について国家は干渉しない(つまり「正しい」価値観を提供することは国家の任務ではない)という保障をあらかじめ与えておくことが前提となる。中世の自然法思想に比べて、そこでいわれている自然権の内容がきわめて縮減されたものであることも、根本的に立場の異なる人々すべてに受容可能な社会生活の枠組みが何かを探ろうとした、その結果として説明できる。当時の自然権思想を、各人に天賦の自然権があることをアプリオリに前提とし、そこから国家のあり方を演繹したものだとする理解は一面的であること(そして自然主義的虚偽論 naturalistic fallacy(※注釈:pleasure(快)などの非倫理的な=事実的前提から、the good(善)などの倫理的結論を導くことは誤謬である、とする分析哲学者G.E.ムーアが1903年に指摘した仮説) に陥りかねないこと)に留意する必要がある。 なお、以下で説明するように、国家が保護すべきものとされる「自然権」と実定憲法において保障されるべき「憲法上の権利」ないし「基本権」とは、必ずしも一致しない。 ◆1.2.2 近代憲法から現代憲法へ 近代憲法の特徴 近代立憲主義が確立した当初の憲法においては、権利宣言においても、思想・信条の自由、表現の自由、人身の自由、財産権の保障などの個人の権利を国家権力に対して防衛するという色彩が濃く、団体行動の権利や社会権は、ほとんど顧みられていない。 また、統治機構の面でも、国民の代表によって制定された法律によって行政権および司法権を厳格に拘束しようとする考え方が強く、立法権そのものを拘束しようとする考え方はあまり見られなかった。 さらに、当時は、参政権も納税額や性別によって限定されており、「教養と財産(Bildung und Besitz)」を有する市民層という国民の限られた部分の意見が議会に強く反映する構造になっていたことも見逃してはならない。 現代憲法への転換 強要と財産を持つ人々による政治という考え方から、できるだけ多くの人々が国政に参加すべきだとの考え方への転換が行われたのは、ヨーロッパにおいても19世紀後半から20世紀初めにかけてのことに過ぎない(その背景には、主要各国の軍事戦略の転換がある。この点については、長谷部 [2006] 第4章参照)。 そして、選挙権の拡大とともに、国家が大衆の要求に応ずる必要が生じたこと、また他方で、社会主義思想が、近代憲法の保障する人権が単に形式的な自由と平等を保障するにとどまり、真に人間らしい生活を保障する役割を果たしていないとの主張を広めるに従って、国家の任務と限界に関する考え方も大きな変化を遂げた。 ドイツのワイマール憲法やフランス第四共和政憲法など、第一次大戦以降にヨーロッパ諸国で制定された諸憲法の権利宣言においては、従来の個人レベルの自由権と並んで、集会の自由・結社の自由のような集団的自由権、労働者の団結権・団体交渉権・争議権のような労働基本権が保障される他、最低生活の保障や勤労権、教育権など、実現のために国家の積極的な介入を要するような権利も謳われている。 日本国憲法も、これらの点で例外ではない。 また、権利宣言として成文化された権利のカタログに示されない領域でも、国家には、景気変動や経済成長の調整、社会資本の整備など、積極的な役割が期待されている。 次に、憲法による制約の対象についても考え方の変化が見られる。 現代社会においては、国家権力とそれ以外の社会的権力、つまり大企業や政党、労働組合、私立大学などの違いは絶対的なものではなく相対化しており、従ってこれらの社会的権力の行為も憲法による直接あるいは間接の制約の対象にすべきだとの見解が主張されている。 統治機構への影響 以上のような近代憲法から現代憲法へ、言い換えれば、夜警国家から福祉国家への国家観の変容は、統治機構の面でも重大な変化をもたらしている。 まず、福祉給付行政に見られるような行政裁量の拡大は、議会立法による行政権の厳格な拘束という法の支配(1.2.5 参照)の理念を後退させる状況を生み出した。 また、政府の活動領域の拡大は、政府が産業界や労働界をはじめとする社会内のさまざまな利益集団と協議する必要を生み出し、国会を通じて国民の利益が一元的に代表されるとの近代憲法の建前に反して、多様で個別的な利害が政府と直接に交渉する特権を得る状況をもたらしている。 他方、大衆の政治参加に伴って成長した政党組織は、議会内での議員の規律を強め、その結果、政党の領袖からなる内閣による議会の支配を現出した。 選挙権者の数が限定されていた近代社会においては、地方の名望家が独自の資金と組織によって当選し、議会内で緩やかな議員組織を形成していたが、現代の普通選挙制度の下では、政党の政策・組織・資金に頼らない限り、議員の地位を獲得することはきわめて困難となり、そのため党組織への議員の従属が見られる。 さらに、戦間期から第二次大戦中のファシズムの経験から、立法府による侵害から国民の権利を守る制度が必要だとの考え方が強まり、戦後、多くの国で違憲立法審査制度が導入されることとなった。 ◆1.2.3 国民主権 主権とは 主権という言葉の主な用法としては、 ① 国家の統治権を指す場合、 ② 国家の統治権の最高独立性を指す場合、そして ③ 国家における最高意思、つまり国政のあり方を最終的に決定する力を指す場合 がある。 統治権という意味の主権の用例としては、ポツダム宣言8項の「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ極限セラルベシ」がある。 統治権の最高独立性を示す主権の用例としては、憲法前文3項における「自国の主権を維持し」がある。 これに対し、日本国憲法前文で「主権が国民に存する」といわれ、1条で「主権の存する日本国民」といわれる場合には、③の意味の主権が国民に帰属することが述べられている。 国民主権の内容 国民主権の原則は、 第一に、 統治権が主権者である国民自身か、あるいは国民が選挙を通じて直接、間接に組織する機関によって行使されるべきこと、 第二に、 統治権を行使する機関は、常にその行使について国民に責任を負うこと、言い換えれば、国民に対して常に行使の正当性を説明し理由づける責務を負うこと を意味する。 前者は、国民主権の権力的契機、後者は、国民主権の正当性の契機といわれることがある。 君主主権の下においては、君主自身が統治権のかなりの部分を行使し得たために、権力的契機と正当性の契機とは重なり合っていたが、国民主権の下においては、市民が常時政治に直接に参与することは不可能であるため、両者は乖離し、正当性の側面が強調されることになる。 国民主権の原理が、国民の実際の政治参加をどの程度まで要求するかについては、代表制の観念とも関連して議論の対立が見られる(12.1.1 参照)。 主権概念の見直し 国家の主権および国家における主権は、唯一不可分で最高独立であり、無制約であるという考え方が伝統的には支配的であった。 しかし、実際には、連邦国家のように中央政府と各州政府に統治権が分割されることもあるし、違憲審査制によって国民を代表する議会の立法権が裁判所によって制約されることもある。 また、国際的な慣行や条約によって国家の行動が制約されることも珍しくない。 主権が無制約であるとの考え方は、権力分立や違憲審査など、さまざまな制度によって国家権力を制約しようとする近代立憲主義の考え方と正面から対立する。 「国民主権」の原理が国民の政治参加を広範に要請するという前提をとったとしても、そうして政治過程に参加する国民は、さまざまな制度の枠組みを乗り越えて無制約に国政を決定し得るわけではない。 主権が唯一不可分で無制約であるとの考え方にさほど理由がないとすると、国家という単位で法のあり方を考えることも必然的ではないことがわかる。 1.1.4 で述べた法の役割を、国際的な法や組織が効果的に果たすのであれば、国家を単位として社会生活を規律することに必ずしもこだわる必要はない。 地球環境の保全や国際平和の維持という公共財は、個々の国家を超えるルールや組織を要求するであろうし、地域ごとの実情に応じた統治権の行使は地方政府への大幅な権限の委譲を正当化するかも知れない。 「国民主権」の下で、市民の直接の政治参加をどのような制度的枠組みの下で、どこまで認めるのが妥当かも、1.1.4 で述べた法の役割をどのような制度が適切に果たすかという視点から検討する必要がある。 主権という概念に基づく議論の限界に留意し、この概念にあまり多くのものを読み込み過ぎないようにしなければならない(長谷部 [1999] 第5章)。 【憲法制定権力】主権の内容として、しばしば憲法制定権力(pouvoir constituant)の概念が議論される。憲法を制定する権力とそれによって「制定された権力(pouvoir constitue)」との区別は、シィエス(Sieyes, E.)によって唱えられた(シィエス [1950] 第5章。なお、シュミット・憲法理論第8章をも参照)。始源的な憲法制定権力を人民が行使した結果として制定されたからこそ憲法は正当性を有するが、他方で、憲法制定権力自体は何ものによっても制約されることなく、手続の点でも権限の点でもより上位の規範によって拘束されることはないとシィエスやシュミットは主張する。しかし、個人の集合体である人民が一貫した意思を表明するためには、人民とは何者であり、それが如何なる手続と権限の下でその意思を表明し得るかが定まっている必要がある。たとえ人民全体の集会が人民の意思を表明するとしても、誰が集会の構成員であり、如何なる手続で意思を表明し得るかは定まっている必要がある。憲法制定権力は無制約な始源的権力ではあり得ない。他方で、憲法制定権力は普遍的な政治道徳を内容とする根本規範によって制約されているからこそ、その決定の結果たる憲法は正当性を有するとの立場もあるが(芦部 [1983] 等)、そうであれば、憲法が正当であるか否かは、憲法の内容と根本規範とを直接に比較すれば判明するはずである。憲法の正当性の基礎付けという点では、憲法制定権力は余剰概念となる。要するに、無制約な始源的憲法制定権力という概念は筋の通った概念ではあり得ず、他方、根本規範によって制約された憲法制定権力は、憲法の正当性を基礎付ける上では不要な余剰概念である。この点について詳しくは、長谷部 [2009] 参照。 ◆1.2.4 権力分立原理の変容 権力分立の原理は、モンテスキュー(de Montesquieu, C. L.)によって確立されたと考えられている。 『法の精神』(1748)で示された彼の理論は、当時のイギリスの政治体制をモデルとして組み立てられており、その内容は、権力集中の排除を目的とする消極的原理と権力の抑制均衡を狙う積極的原理の2つに区分することができる(モンテスキュー [1987] 第11篇第6章)。 権力集中の排除 まず、消極的原理は、国家の統治権を、立法・司法・執行の三権に区別し、そのうち2つ以上が、1つの機関によって独占されないよう、政治体制を構成する必要があるとする。 このような独占は、専制政治、つまり人々の自由の抑圧をもたらすからというのがその理由である。 確かに、立法機関と法を具体的な場面に適用する機関とが融合すれば、個別の事情やその時々の考慮によって法は伸縮自在に適用されることとなり、あらかじめ定められた一般的な法に従って予見可能な形で国家権力が行動するという「法の支配」は失われることになる(1.2.5 参照)。 司法権と執行権とが融合した場合にも、立法権の定めた法による拘束は名目的になり、同様の専制がもたらされるおそれが強い。 権力の抑制均衡 もっとも、国家権力の集中を排除する消極的な原理だけでは、憲法の構成原理として不十分であり、モンテスキューは、積極的な原理として、権力の抑制均衡の仕組みを提唱する。 これは、司法や執行を支配する最高の権能である立法権の構成に関する原理である。 モンテスキューによれば、当時のイギリスの立法府は、市民階級の代表からなる庶民院、貴族からなる貴族院、さらに立法裁可権を有する国王の三者から構成され、三者すべての合意がない限り、新たな法律が制定されない仕組みになっていた。 執行権を有する国王が立法裁可権を持つことにより、議会が執行権を簒奪するような法律を制定することを防ぐことができる。 また、三者のすべての同意がない限り法律が制定されない以上、制定された法律は、すべての社会階層の利益にかなう、自由を守る法律であるはずである。 モンテスキューの発想にならって行政権の首長に立法拒否権を認めた憲法として、フランスの1791年憲法やアメリカ合衆国憲法がある。 現代の権力分立 もっとも、モンテスキューが権力分立の原理を提唱したのは、国民主権の原理が確立せず、君主や貴族階級がなお大きな政治的発言権を有していた制限王政時代のイギリスをモデルにしてのことであった。 このような時代を背景とする権力分立論が果たして現代国家でも有効であり得るかが問題とされねばならない。 第一に、モンテスキューの時代と異なり、現代国家では、各身分ごとの利益や自由を保障することではなく、個人の平等な権利を保障することと、平等な国民一般の利益を議会に代表させることが政治体制の課題とされる。 第二に、現代の諸憲法では、権力の均衡抑制の原理は、立法機関内部の均衡抑制ではなく、三権相互の関係について議論されることが多い。 議院内閣制の下での、元首と議会、あるいは内閣と議会の均衡や、裁判所による違憲立法審査制度は、その例である。 日本国憲法のもとでも、立法・司法・執行の各々を主として担当する国会・裁判所・内閣は、他の作用や機関に関与することが認められており、相互の関与から生まれる三権の均衡・抑制が国家による人権侵害を防ぐ役割を果たすといわれることがある。 このような現代の権力分立が提起するおそらく最大の問題は、国民主権原理との関係である。 議会が、主権者たる国民の直接の代表であることを考えれば、なぜ行政権や裁判所がそれに従属することなく、かえって、ときには議会の行動を抑制し得るのかが問われることとなる。 このうち、行政権に関する限りでは、日本は議院内閣制度を採用していることから、機構上、行政権を担当する内閣が議会の多数派と行政権とは実は融合していることを示しており、その限りで権力分立原理は変容を被っていることになる。 ただ、議院内閣制の下では、内閣が辞職の自由を持つことと、場合によっては自己の政策の是非を有権者に問うために議会を解散し得る点で、行政府が議会の意思に無原則に従う議会統治制よりは、内閣の独自性が保たれているといえよう(13.1.1 (2))。 しかし、内閣総辞職の後、あるいは解散-総選挙の後に組織される新内閣は、議会多数派の意思を反映していなければならない。 フランス第五共和政やアメリカ合衆国では、行政権の長である大統領が、議会と同様に、有権者を直接に代表するという形で、権力分立と国民主権との整合性が図られている。 分立原理の変容 もっとも、行政権が立法権と対抗し得る存在と考えられるに至った実質的な理由は、モンテスキューの時代と異なり、現代の行政権が単なる法律の執行にはとどまらず、立法活動自体の指導をも含む統治活動を担当しているからである(13.1.2 (1))。 国家に最小限の役割のみが期待されていた時代においては、各身分の既存の権利が新たな法律によって侵害されない仕組みを作り出すことが肝要であった。 これに対して、国家の役割が増大した今日においては、行政権の担当する統治活動を民主的にコントロールすることが重要な課題となる。 議院内閣制や大統領の公選制も、このような視点からその意義を理解する必要がある。 他方、裁判所については、伝統的には、司法は法律を個別の事件にあてはめて、それを解決するだけであり、裁判官の個人的な良心や倫理観がそこに介入する余地はないと考えられてきた。 従って、司法が正しく運営されるためには、政治部門の介入を排除し、法律の忠実な適用を保障しなければならないこととなる。 そこから、裁判官の職権の独立や身分保障の必要が説明される。 もっとも、実際には、法の解釈適用において、裁判官の個人的な考えが全く働かないということはあり得ない。 とくに、抽象的な憲法の条文の解釈に基づいて、国民を代表する議会の制定法の効力を審査する違憲審査制度を如何にして正当化できるかが、議論の焦点となっている。 議会を含む民主的な政治過程そのものの正常な機能を維持するため、あるいは個人の自律を多数決による政策的決定から守るために違憲審査が要請されるという議論など、さまざまな考え方が提示されている(14.4.8. 参照)。 【権力分立と国民主権の相克】権力分立と国民主権とを調和させる一つの考え方は次のようなものである。権力分立を国政に関する決定権限の配分原理として捉えると、司法、立法、行政の各機関にそれぞれ権限が配分されているのと並んで、他の主体、たとえば地方自治体へも憲法は権限の配分を行っている。中でも重要なのは個人に対する憲法上の権利の配分である。憲法によって保障された権利の範囲内で、個人はその自主的な判断によって自分の行動や生き方を決定することができる。そして、裁判所には、他の国家機関や地方公共団体等が個々人に承認された決定権限を侵害しないよう、これを保護する責務が課されている。従って、権力分立の内容を的確に捉えるならば、分立される権力、つまり決定権限の中には、個人に配分される決定権限である憲法上の権利も算入されなければならない。国民主権の原理は、憲法による各国家機関への権限配分を前提としたうえで、それを正当化するための理念であるから、憲法による権限配分自体を左右する力はない。つまり、個人の権利に関する裁判所の判断を否定する理念として働く余地はないということになる。 ◆1.2.5 法の支配 法の支配は、国家機関の行動を一般的・抽象的で事前に公示される明確な法によって拘束することにより、国民の自由を保障しようとする理念である。 法の支配の内容 「人の支配」ではなく、「法の支配」を実現するためには、何よりもそれが従うことの可能な法でなければならず、法に基づいて社会生活を営むことが可能でなければならない。 そのためには、①法が一般的抽象的であり、②公示され、③明確であり、④安定しており、⑤相互に矛盾しておらず、⑥遡及立法(事後立法)が禁止され、⑦国家機関が法に基づいて行動するよう、独立の裁判所によるコントロールが確立していること、が要請される(長谷部 [2000] 第10章)。 このような法の支配の要請は、法令の公布に関する規定(憲法7条1号)や憲法41条の「立法」の概念、司法の独立(憲法76条以下)の他、憲法31条以下の諸規定に具体化されている(8.3.2. (3) 【法の支配との関係】 参照)。 「善き法」の支配 法の支配は、「善き法」の支配と同視されることがある。 形式的法治国と実質的法治国の概念を対置し、法の支配を後者と同視する考え方もその一例である。 また、個人の尊厳や基本的人権の保障、国民主権など、近代立憲主義の諸要請がすべて法の支配に含まれるとする者もいる。 しかし、このように法の支配を濃厚な意味で理解してしまえば、この概念を独立に検討する意義は失われる。 確かに、法の支配の内容とされる法の一般性・抽象性・明確性・安定性、および遡及立法の禁止は、法が法として機能するための、つまり法が人の行動の指針として機能するための必要条件である。 立法が個別的にしかも事後的に為され、法の文言も不明確であり、しかも朝令暮改のありさまでは、人々は国家機関の行動について如何なる予測を立てることもできず、そのため法に従って行動することは不可能となるであろう。 しかし、人種差別立法や出版物の検閲制度を設定する法も、やはり法として機能するためには、これらの特徴を備えている必要がある。 これらの特徴はいずれもそれ自体としては、悪法の支配とも十分に両立し得る。 また、前述のような法の支配の内容は、法が民主的に定められるか否かとは関係がない。 法が法として機能するために、今掲げたような幾つかの条件が必要であることが、法と道徳との必然的なつながりを意味するといわれることもあるが、これも誤りである。 切れ味の良いことがナイフの道徳性を示していないのと同様、法が法として機能するための条件を備えていることは、法の道徳性を示していない。 今述べたとおり、きわめて不道徳な目的を持つ法も、法として機能するためには、このような条件を備えていなければならない。 法の支配の限界 さらに、法の支配は、法が備えるべき条件の一つに過ぎず、他の要請の前に譲歩しなければならない場合もあることに留意しなければならない。 法の支配の要請がどこまで充足されるべきかは程度問題であり、個別の企業を国有化するための立法や女性のみを保護対象とする労働立法も、一般抽象性の点で悖(もと)るところがあるとしても、政府の役割の拡大した福祉国家の下においては肯認され得るであろう。 法の支配を支える根拠となる個人の自律や社会の幸福の最大化という目的自体が、国家の役割の拡大をもたらしているからである。 【形式的法治国と実質的法治国】法の支配の観念と関連して、法治国(Rechtsstaat)の概念を、形式的法治国と実質的法治国の2つに区分することがある。形式的法治国論はあらかじめ定められた法形式さえ取れば人民の権利・自由を無制約に侵害できるという考え方であり、実質的法治国論は、法律の内容に一定の実質的限界があるとの考え方であるとされる。もっとも、日本のような成文の憲法典を持つ国家において、この2つを区別する意義については疑いがある。すなわち、最高法規たる憲法典に、実質的法治国概念が前提とする正しい法内容が書き込まれていない限り、その国は実質的法治国とはいえないであろうし、他方、憲法典に下位の法令が充足すべき正しい法内容がすでに書き込まれているのであれば、形式的法治国概念からしてもすべての国家機関はその正しい法内容に従って行動すべきである。両者を区別する意義があるとすれば、せいぜい憲法改正の限界についてであろう。なお、形式的法治国概念が、法の一般性・抽象性や遡及性、裁判の独立性など法の支配の要請をも否定し得る概念として理解されているのであれば、それは当然、本文で述べた法の支配とは両立し得ない。 ◆1.2.6 硬性憲法 改正手続による区分 憲法が通常の法律よりも厳格な手続によらなければ改正出来ない場合、それを硬性憲法と呼び、通常の法律と同様の手続で改正し得る場合、軟性憲法と呼ぶ。 硬性憲法と軟性憲法の区別は、ブライス(Bryce, J.)によって為されたもので、彼は、成典か否かの区別を前提とせずに、憲法一般にこの分類をあてはめた(J. Bryce [1901] pp.128-33)。 一国における実質的意味の憲法がすべて成典化されることは実際上あり得ず、従って、それがすべて硬性化されることもあり得ない。 硬性憲法の国か軟性憲法の国かの区別は、その国に硬性の憲法典があるか否かの区別として捉えられるべきである。 現在のイギリス、建国当初のイスラエルなどが、軟性憲法の国家の例として知られる。 硬性憲法の特長 近代立憲主義は、一般に憲法の成典化とその硬性化とを推し進めた。 国家機関への拘束と人民の権利の内容を成典化し、明確にすればその遵守を期待することが出来るし、そうして生まれた成典憲法を、通常の法律より厳格な手続でしか変更できない憲法とすれば、そのときどきの議会多数派の手から少数者の権利や社会生活の基礎となる価値を保障することが出来、また改正手続に国民投票を取り入れることで、国民の意思を憲法に反映すると同時に、憲法の正統性を強めることも可能となる。 さらに、連邦国家においては、連邦を構成する各州の承認が改正のために必要となる。 もっとも、憲法改正手続が厳格であることは、必ずしも実際の改正が困難であることを意味しない。 改正が為されるか否かは、政治情勢や憲法擁護に対する国民の考え方にも大きく依存する。 他方、改正が困難であると、実際の状況に合わせて不文の慣習が補充的にあるいは憲法典に反する形で成立することがある。 しかし、憲法典の解釈が柔軟に為されるならば、憲法典が同一のままであっても、さまざまな状況の変化に対応することが可能となる(1.3.4、1.3.5 参照)。 日本国憲法は、硬性の憲法典であり、改正のためには、衆参両院の総議員の3分の2以上の賛成による国会の発議と、国民の承認とが必要とされる(1.4.1 参照)。 【不文の硬性憲法】硬性憲法と軟性憲法の区別について、本文で述べたような憲法典の改正の難しさに限らず、1789年の革命以前のフランスにおける王国の基本法(lois fondamentales du royaume)のように、不文の憲法原則であっても、それが変更不可能と考えられている場合には硬性憲法と考えるべきだとの見解がある(デュヴェルジェ・フランス憲法史39項)。しかし、このような考え方からすると、イギリスのように国会主権の建前をとり、いかなる法であっても国会がこれを変更し得るとの憲法原則をとっている場合には、その原則自体が不文の硬性憲法だということになろう。そうすると、イギリスも実は軟性憲法の国ではなく、「憲法は軟性であるべきだ」という軟性の憲法原理を持つ国と考えるべきことになる。そのとき、軟性憲法の国家なるものは果たして存在し得るであろうか。 ◆1.2.7 憲法の尊厳的部分と機能的部分 憲法の2つの部分 近代立憲主義が国民の権利・自由を保障するうえで、議会・内閣・裁判所などの国家機関の仕組みや権限に着目するのは、これらの機関こそが国家権力の実際の担い手であると考えるからである。 この前提は、現代社会において権力が行使される状況を正確に反映しているであろうか。 バジョット(Bagehot, W.)は、『イギリス憲政論』(1867)の中でイギリスの国家体制を分析する際、憲法の尊厳的部分と機能的部分とを区別した。 前者は、国民の崇敬と信従を喚起し、維持する部分であり、後者が実際の統治に携わる。 バジョットによれば、当時のイギリスの国家制度のうち王室や貴族院は前者であり、庶民院や内閣は後者にあたる(バジョット [1970] 第1章)。 現代憲法の機能的部分 この区別に即して現代の日本の政治制度を分析するとどうなるだろう。 天皇制は明らかに尊厳的部分に属しているが、さらに、唯一の立法機関とされる国会や行政権を統括するはずの内閣も、次第に尊厳的部分へと追いやられているように見える。 実際に統治活動の中心にあるのは、大部分の法案を準備し予算案を編成する中央官僚機構と、財界・産業界・各種圧力団体の要請と支援を受け、ときには外国政府の圧力を受けて官僚の活動に影響力を行使する政権政党である。 そして、統治活動の態様も、法律およびそれに基づく国民の権利自由の制約ではなく、補助金の交付や行政指導、人員の派遣など、法的コントロールに馴染みにくい形をとることが増えている。 このような憲法の機能的部分の活動を厳格な法のコントロールの下に置くことは、とりわけ行政活動の肥大した現代国家では難しい。 それは、彼ら自身が立法・行政活動の主体でもあり、そうである以上、法的措置をとる以前に、他の方法で所期の効果を達成することができるからである。 いずれにしろ最後は法的措置を取られると分かっている以上、相手方も長期的観点からなるべくコストがかからず、摩擦の少ない形で機能的部分の要求に対処しようとするであろう。 機能的部分に対する制約 もちろん、機能的部分に属する人々も全く無制約で活動するわけではない。 数年ごとに行われる国政選挙のため、有権者の意思を無視することは許されない。 従って、世論に影響を与えるマスメディアの批判も大きな効果を持つ。 また、機能的部分の権力の主要な源泉が、国会や内閣など憲法の尊厳的部分の活動をコントロールし得る点にある以上、国会や内閣の活動を規律する憲法典、各種の法令および慣習は遵守せざるを得ない。 もっとも、これらのルールは、そのすべてが裁判所によって強行されるわけではないため、彼ら自身によって承認されている限りにおいて、彼らの行動を縛るという性格は残る。 裁判所の違憲審査権が行使される場合でさえ、最終的な有権解釈権者たる最高裁判所によって解釈された限りにおける憲法が適用されるに過ぎない。 権力の拘束を使命とする憲法は、究極的には、権力者自身によって受け入れられている限りにおいて、権力を拘束することができる(この点については 1.3.3、1.4.2、1.4.3 を見よ)。 もちろんそうは言っても、憲法と現実の距離には許容限度があろう。 憲法を単なる神話として軽視することは、機能的部分の権力の基礎を掘り崩すことになる。 機能的部分の機能性もその神話によって支えられているからである。
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NZWP(理:niv zenkirca, wp'd ceco、有:zeesnyarmeetes namdadis an genaner)とは、戦略兵器の一つ。 目次 概要 原理 メタ 概要 近代ファイクレオネにおいて強力な戦略兵器として各国が開発を始めた核兵器には戦略兵器として放射能汚染を残すという難点があった。このため、戦略兵器としての運用を目指していた各国は早々に核開発を国際的に制限する方向に舵を変えることになった。 一方でウェールフープを利用した戦略兵器開発は各国で進められ、実際に実用にこぎつけたのがリパラオネ連邦共和国であった。NZWPはテロリストへの流出もあり、小型のNZWPがラメストテロなどで警察軍に向かって用いられたこともあった。 原理 通常のウェールフープ爆弾は、エネルギーのWPoや力のWPoを弾内に蓄えた状態でそれを着弾時に解放し、周囲のモーニ状態に適用することで爆発反応が起こる。しかし、これでは自然状態の正負のモーニにしか適用できず、発生するエネルギー量もどれほどWPoを拡散できるかにもよるが限界があった。この事実は逆に爆弾の威力を調整するのには役に立っていたが、戦略兵器としての威力としては不十分である。このため、NZWPは威力の増加のために別のアプローチを取っている。 一般的なNZWPはモーニ状態でのWPoの移動で熱が生じることを応用する。元々ユナ量の多い元素をNy管に通して、ユナ量を増加させ、膨大な負量を持つモーニ原子を大量に作り出し、それを放出することで自然状態の物質からWPoを大量に剥ぎ取る。この際に発生した膨大な熱がNZWPの火力となるのである。 メタ 古い語であるため、PMCFと同じように「エヌゼットダブリューピー」と呼称する。 総合創作サークル「悠里」の通話では冗談で「ニュージーランド・ウェールフープ」と呼ばれることがある(NZがニュージーランドの略語であるため)。
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あいちゃん 像を持った姿 本来の姿 「イエス、マイ、マスター」 『エラー 例外がスローされました』 概要 出典:オリジナル ニトロが専門学校時代に手に入れたゲーミングPC。 ニトロが専門学校を退学してからも優秀なグラフィックボードを持っているので使い続けられている。AI絵師の側面を持っていてシスターズコンフリクトや一部のキャラデザインの原案を担い、さらに配信ソフトOBSの画面録画やゲームエンジン、unityでのゲーム制作、チャット機能による対話、企画書の制作などニトロの創作活動の相棒。 人物 基本人格は女性。基本はPCなので文字で会話をするが、AI絵師を導入しキャラデザインを自ら作り、それにニトロが親戚のおばあさんの飼い猫のデザインを書き加えて像(カタチ)を得た。 ニトロのあいまいなイメージを可視化、形にする力がある。 ニトロコンテンツでは世界の理を統括し、あらゆる事象を計算できる。 その正体は電子化した魔導書。プログラムのライブラリを内包している。 妙齢の女性の見た目に黒いドレス、猫耳と猫の尻尾がある。 情報収集、情報処理に長けていて物理エンジンによる計算などもこなせる。 会話は基本は敬語で事務的に淡々としゃべる。 しかしニトロのソースコードを書く技術が拙いためその際は厳しくなる。 能力・スキル 上記の物理演算による攻撃の反射、イメージの実体化による多彩な攻撃手段を持っている。所有者の戦闘のバックアップを担当し攻撃術式の構築、ダメージの数値化、位置座標の管理、当たり判定の認識、etc…… 実際戦闘のすべてを操作している節がある。 情報処理、情報収取に長けており目標に対し逆算して必要な事象を提示することができる。 さらに魔導書のため多くの知識を有し、攻撃の原理や魔術の知識などから正体などを見破る解析能力を持つ。 相手の術式に干渉し攻撃の原理を歪めてしまうこともできる。
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回想場面=「しばらくお待ちくださいの画面」という学説に基づくおしっこタイム。 全ての回想シーンの裏にはおしっこタイムが存在すると主張する回想ピータイム原理主義者の過激発言は一部で問題となっているとかいないとか。
https://w.atwiki.jp/hakushinvt/pages/298.html
KNN is KNN MOD概要 KNNMODは更新が進んで情報量が増えすぎ、当WIKIに載せると煩雑化するので新WIKIに移転しました https //wikiwiki.jp/hakushinknn/ コメント ケツマン孤島の説明欄にサラッと「人間とペンギンの合いの子が支配する」(たぶんピングーのこと)って書いてる やだ怖い…アイアンマン! -- 名無しさん (2020-07-09 20 41 46) 最新版5.12でも修正されてないようなのでここで報告:虐待専従で、後キモティカとの合併イベント発生条件は本社占領ですが、「本社出現=神の国出現=後キモティカ降伏」なので現状合併が不可能です -- 名無しさん (2020-07-12 11 13 59) ↑ 条件を確認したところ、サクラゲイト・ハルラジューク北部・東部・銀座を占領していれば起こるようになってました その一帯を押さえてもなおイベント発生しないようでしたら教えてください!なんでもしますから! -- つくったひと (2020-07-12 12 57 43) O(オー)J-13じゃなくて0(ゼロ)J-13が正しいように見えるのは…私だけでしょうか?ま、どうでもいいけど(TIS) -- 名無しさん (2020-07-12 23 38 34) ↑↑私のとんだ勘違いでした。許し亭許してお兄さん許して!本当にごめんなさい -- 名無しさん (2020-07-13 01 05 21) 中立人材が防衛している領地をマスター化させるのは デフォのグリーンウルスやエスティールのサブシナリオみたいな感じでいいね(いいね)(いいねん) -- 名無しさん (2020-08-02 19 51 03) 一部隊8人はちょっと余計だった 特徴が消えて他のオリシナに寄っちゃった感じ -- 名無しさん (2020-10-12 19 00 10) 自己矛盾☆とかいや~キツイっす じゃけん導入見送りましょうね~ -- 名無しさん (2020-10-15 18 19 02) 安易なクソコメ乙 -- 名無しさん (2020-10-15 19 01 29) ↑2あっ、おい待てい!(江戸っ子) 自己矛盾に限らず面白いストーリー追加されてる勢力幾つかあったりするから見送らないでやって(ハート) -- 名無しさん (2020-10-16 00 11 24) やっぱり気になるので原理主義党を真っ先に落とすようにやってみるゾ -- 名無しさん (2020-10-16 19 13 01) あ^~良いっすね~ 原理主義党は一般がクッソ強いのをプレイ時のイベントで縛られてるので敵対時は単純につよい(確信) 街宣車には気を付けよう!(例のBGM) -- 名無しさん (2020-10-16 19 50 34) 各勢力のイベントの発生条件ってどっかで見れる? -- 名無しさん (2020-11-08 19 52 29) やってみたがバランス調整というより改悪だろって感じることが多かったわ 性能上げ過ぎるとやってて糞ゲーに近づくだけだろ あとMZの歌があまりにもうざい -- 名無しさん (2020-11-21 04 52 36) 濃厚なシナリオが追加されている+114514 メジャーなキャラが追加されいてだいたいは音声もついている+3777 暗号化が最近されるようになり自分で微調整出来なくなっている̠-1919 暗号化されいること以外は大いに満足です。 -- 名無しさん (2020-11-21 10 45 25) クッソうるさいサムソンズが増えたらああ気持ちいい!シンボラー!! っなわけで頼むよ~(他力本願) -- 名無しさん (2020-11-22 02 12 23) ファイル消えてるけどそれは大丈夫なんですかね? -- 名無しさん (2020-12-11 15 41 05) 原理のイベント戦闘敵多すぎ。調整下手くそ。 -- 名無しさん (2020-12-18 03 03 27) 真夏の夜の夢作戦どうすればいいのかこれもうわかんねぇなお前どう?(人任せ) -- 名無しさん (2020-12-20 15 36 12) ver7辺りからZUNが消えてるけど雇用リンクから名前が消されてないんですがそれは大丈夫なんですかね? -- 名無しさん (2021-01-11 00 39 48) 原理に心折られた兄貴バチギレで草 確かにアホみたいにムズいから製作者兄貴はこのサイトに攻略情報載せてやってくれよな〜頼むよ〜 -- 名無しさん (2021-01-27 04 03 22) ちょっと待って!更新のお知らせ動画が投稿されてるやん!(https //www.nicovideo.jp/watch/sm39213754) (内容の充実度に)ああ^~たまらん 恋煩いしちゃうよぉ…… -- 名無しさん (2021-08-22 00 11 03) 遠野の強キャラ化嫌いじゃないけど好きじゃないよ -- 名無しさん (2021-09-17 09 53 52) ストーリーが面白かった(KONAMI -- 名無しさん (2021-09-19 23 01 02) 原理のイベントだけ難易度狂ってる どうしろと -- 名無しさん (2021-09-23 19 25 39) 原理難易度地獄でハッピーエンドできた 分岐イベントは 前衛一部隊ずつ自動で突っ込ませる。 後衛は密集陣形、残存前衛は横列や正方で散開 援軍イベント位置に合わせて引き撃ち 魔力上昇号令を第一援軍まで取っておく これで一応勝てたわ。 -- 名無しさん (2021-09-24 05 15 58) 原理主義アナザールートのボス強すぎてア-イキソ 3連戦はいやーきついっす(素) -- 名無しさん (2021-09-25 00 44 16) バグ酷すぎて討伐勝利にならない KEN、なんとかしろ -- 名無しさん (2021-09-29 00 53 17) 討伐勝利できなかったことなんかあったっけな どこの勢力? -- 名無しさん (2021-09-29 04 19 24) 原理主義happy endルート -- 名無しさん (2021-09-29 22 46 15) 雇用関係とか結構変わってるイメージあるから編集してくれよなー頼むよー(他力本願) -- 名無しさん (2021-09-29 22 47 57) ↑2 作者です。バグ修正の上で状況を把握したいため、詳しく聞かせていただけると幸いです。 ①討伐勝利のコマンドが実行できないということでしょうか? →①YES:既にラスボスで白いのを倒しましたか? →①NO:討伐勝利のコマンドは押せたのにエンディングのイベントが発生しないということでしょうか? ②ラスボスが登場しないという意味でしょうか? →②YES:世界首都げるマニアを保持しているでしょうか? →②NO:制圧勝利のコマンドと混同しているということはないでしょうか?(分かりづらかったら申し訳ございません) ③ラスボスの撃破後、ワールドマップ上でGRFTTA姉貴らが勝利を確認するイベントは発生しましたか? いずれの場合にも該当しない場合、どこのイベントまで進んでいるか・領地数・ターン数はいくらかなど、可能な限りの情報を提供していただけると幸いです。 -- 名無しさん (2021-09-30 01 10 52) ラスボスとの戦闘中にイベントが発生して一巡目の黒KNNもしくは2巡目のHZNを撃破した時に発生するイベント後にボス撃破扱いになり戦闘が強制終了して ラスボス勢力は滅亡するのですが3巡目のHZN自体を撃破できなかったので討伐勝利できないといった感じです。勝利確認イベントは発生しませんでした。現在は何回か試行した結果討伐勝利できました 裏ボス設定はオフでしてました。ターン数38 領地数62 -- 名無しさん (2021-09-30 19 32 03) 正統スカーレットの最初の立ち回りが分からない。 SWW神社と敵対するとSWK様KNK様に轢き殺され、逃げ回ってもお菓子の材料やあたりに潰される。 ハードまでなら銃兵地術照術雷+αでSWWに勝てるけど地獄だけ勝てない。HELP!HELP! -- 名無しさん (2021-10-01 00 09 29) 原理主義党ハッピールートのバグに関して、詳細なご報告をありがとうございます。 バグの原因については大方特定できました。 ただし、バグ修正の方法が思いつかないため、実際の修正に関しては暫くお時間をいただくかもしれません。 ご迷惑をお掛けし、大変申し訳ありません。 -- 名無しさん (2021-10-01 01 16 28) 設定の自国の戦闘を見るか選択にして、 見ないを選択すると劣勢でもなんとかしてくれる事もあるから頑張るんだぜ~ -- 名無しさん (2021-10-01 16 50 45) 作者さぁぁぁん!! 次のストーリー追加はどこの勢力ですかぁぁぁ!? -- 名無しさん (2021-10-05 19 26 53) https //www.nicovideo.jp/watch/sm39213754 364364 -- 名無しさん (2021-10-06 00 39 28) クッソどうでもいいバグ報告 swwルートで、SIKの勢力がトライアングル結成後に神社に落とされ、そのまま進行不能になった。 直前のターンで神社とサセバの同盟が切れてたからそれが原因かも -- 名無しさん (2021-10-06 01 14 34) 博麗淫夢ってほんへで登場しますか? ドリームマッチで見かけたけど -- 名無しさん (2021-10-20 21 47 11) 今のところシナリオには登場してないみたいですね… -- 名無しさん (2021-10-21 17 04 06) https //sp.nicovideo.jp/watch/sm39815547?ref=nicorepo ver9.00のお知らせ来てましたね これまでにない作り込みで草、そら時間かかりますわ -- 名無しさん (2021-12-28 04 31 16) 9.00プレイさせてもらってるゾ!ストーリーがアツゥイ!! でもフリーズしちゃったから悲しくなってる -- 名無しさん (2021-12-28 23 42 11) 9.00最高なんですが、探索で何時間かけても地下に進めないことだけがつらい 進められた人、ヒントいただけないでしょうか… -- 名無しさん (2021-12-29 10 32 31) ↑地下はないよ 無視してOK -- 名無しさん (2021-12-29 11 06 21) SNNNは無視して探索終了が吉 -- 名無しさん (2021-12-29 11 48 46) 新約ほのぼの神社のストーリーが入ってないやん!と思ったらリメイク予定って書いてあった 楽しみ感じるんでしたよね? -- 名無しさん (2021-12-29 13 11 49) RU姉貴の家(?)への入り方がわからない…わからなくない? 知ってる兄貴はヒントオナシャス!なんでもしますから! -- 名無しさん (2021-12-29 13 15 28) リュージで後キモティカ滅ぼした後、神道のターンにフリーズしちゃうんだけど、同士いる? -- 名無しさん (2021-12-30 00 08 45) ↑RPGフォルダの中にあるファイルを全部切り取ってevent_po23 リュージ騎士団と同じ階層に移したら動くようになったゾ なんでかはしらぬーい -- 名無しさん (2021-12-30 00 44 48) ↑アドバイスありがとナス! 言われたとおりにdefault script event_po23で試したんだけどダメみたいですね... スクリプトもう少し弄ってみたり、もう一回一から遊んでみて、それでダメだったらアプデ待つゾ -- 名無しさん (2021-12-30 21 24 04) 探索はどうやったら終われるんですかね(池沼) 中央のメスガキに近寄ってもまだ早いと言われて(終われ)ないです -- 名無しさん (2021-12-31 17 12 13) ↑おそらくだがanotehrルートに突入した可能性が微レ存 アレクサンドリアナル図書館の本棚を全部漁ってみる・公演にいる探偵サケノミが出現したら話しかけてみるが詰まりやすいポイントだからやってみるといいゾ -- 名無しさん (2022-01-01 11 30 44) 探索中にドラ田がBNKRGとSNNNについて調べようとし始めたんだけど見当つかないんで なんかヒントくらさい -- 名無しさん (2022-01-02 00 44 05) リュージ騎士団のアナザールートのエンディングで 涙がで、出ますよ…. 救いはないんですか!?(レ) -- 名無しさん (2022-01-03 03 17 13) るりまさんにサラダおろし届けるとこなんだけど肝心のるりまさんがどこいったかやば...やば...わかんないね(KUM) -- 名無しさん (2022-01-04 23 08 35) RU豚の調査してんだけども、これがなかなか難しいねんな… -- 名無しさん (2022-01-04 23 14 05) https //jbbs.shitaraba.net/game/61144/ KKMODの攻略とかはここに書いたら教えてもらえること多いんで入って、どうぞ -- 名無しさん (2022-01-05 22 31 55) 原理主義もそうだったけど裏ボスのエリザベートより明らかにtrueルートのラスボスが強いっすよね たまげたなぁ -- 名無しさん (2022-01-06 02 03 06) 全部のルート辿ったけど こんな立派なシナリオ作って恥ずかしくないの 何が日本一やお前、世界一や(賞賛) -- 名無しさん (2022-01-07 01 36 06) リュージ騎士団のラスボスが倒せねぇ 雑魚含めて全員45レベとかどないせえっちゅうねん -- 名無しさん (2022-01-09 09 48 27) KNN姉貴が無印の銀河烈風の影響を受けて悪役やってた頃からは考えられないキャラ変してて草 劇中のbiim兄貴のような気持ちになる事間違いなし プレイ、しよう! -- 名無しさん (2022-01-09 19 37 19) いまいち何考えてるか分からない強キャラからTDN関西おばさんになった感じがありますあります -- 名無しさん (2022-01-09 21 59 52) ↑3 霧の湖から北進、しよう(FLN役が強いので援軍送ってもらって事前に消耗させておくとなお良し) 北進しつつボスのいるところに毎ターン人材以外全滅させる勢いでイクと僅かな戦力でも防衛可能になるゾ(初期段階でサスライガーも雇うともっと楽になる筈だ!多分!) アナザールート以外だと人材リンクが十分に繋がるかは…ナオキです(検証不足) -- 名無しさん (2022-01-10 11 19 23) DBが金で雇えるから原理主義が少し簡単になってて気持ちいい、いや(ラスボス強すぎて)気持ちよくない! -- 名無しさん (2022-01-11 02 22 43) リュージシナリオやってたら3章突入した戦略フェイズでだいたいフリーズするんよな 原因がわからん -- 名無しさん (2022-01-17 00 01 04) https //jbbs.shitaraba.net/game/61144/ ここのバグ報告スレに書き込んだら制作者兄貴が修正してくれるかもだから聞いてみて、どうぞ -- 名無しさん (2022-01-17 18 16 06) 個人的に特殊傭兵の銀河烈風隊が無印の時からステータスが変わってなくて(特にドン・コンドールは大激励使う前に溶けることがある)、値段上げてでもテコ入れして欲しいんですがそういった要望はどこに書けばいいですかね…? -- 名無しさん (2022-01-17 18 34 36) 強いて言うなら2↑の雑談じゃないですかね…? ただ銀河烈風を特殊傭兵に回してる時点で最早左遷みたいなもんだし救済するつもりはなさそう -- 名無しさん (2022-01-18 18 07 09) チュートリでも「あってもなくてもいい、お好みのシステム」って言われてるから持ってたらクリアが楽になる強い性能になることはありえないでしょうね、ええ -- 名無しさん (2022-01-18 18 09 54) ver9.02でNSDR兄貴がレベル100で加入しちゃったり NYNの人材雇用費が0ゼニマで雇おうとするとフリーズしちゃうんですがこれ自分だけですかね? ver9.00のセーブデータ移したのがまずかったのかな? -- 名無しさん (2022-01-29 08 00 26) 名前 コメント