約 583 件
https://w.atwiki.jp/bokuserve/pages/1804.html
【元ネタ】史実 【CLASS】アーチャー 【マスター】 【真名】劉淵 【性別】男性 【身長・体重】193cm・126kg 【属性】秩序・中庸 【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷B 魔力A 幸運B 宝具A 【クラス別スキル】 対魔力:B 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。 単独行動:C マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。 ランクCならば、マスターを失ってから一日間現界可能。 【固有スキル】 騎乗:B 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、 魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。 アーチャークラスでの顕現なので、これでも一応ランクダウンしている。 早駆けの乗法:B 騎馬民族に伝わる、特殊な乗馬技術。 騎乗物の敏捷性、持久性を向上させ、さらに本人の騎乗時中の魔力消費を抑える効果がある。 魔力放出:A 霊核に宿る日精による膨大な魔力の運用。 武器、ないし自身の肉体に魔力を帯びさせ、 瞬間的に放出する事によって能力を向上させる。 猿臂の射:B 常人よりも長い腕を使った射撃。 弓の飛距離、攻撃力が上昇する。 【宝具】 『陽王結界(サンライズ・ボウ)』 ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:5~50 最大捕捉:50人 日精の魔力を用いて行なう弓矢による射撃宝具。 魔力を弓矢に充填することで強力な熱の魔力を攻撃に用いる。 蜃気楼を纏い、光の屈折率を変化させ不可視の矢として放つことも、 対軍級の轟熱を放つオールレンジ攻撃としても活用可能。 『漢帝国回帰・匈奴玉璽(ハンティー・シュンヌゥ)』 ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人 汾水から劉淵が発見した王莽が用いた玉璽。 漢帝国の原点回帰を実現させた源でありながら、漢帝国の流れを一度断ち切ったという 矛盾を内包した性質を持つ中華世界破格の宝物。 劉淵が民草を虐げぬ明君であらんとする限り、赤龍の魔力を宿した破格の魔力炉心として機能し続けるが、 逆に一度でもその志から外れればこの宝具はたちまち消滅してしまう。 【解説】 劉備が成しえなかった漢帝国の完全復興を、短期間ながら実現した匈奴人の傑物。 出生についてこんな逸話があり、母の呼延氏の夢に大魚が現れて、その大魚が人に化けて彼女に日精(太陽の精)を飲ませた。 それからほどなくして呼延氏は身ごもり、十三ヶ月後生まれた子の左手には「淵」と刻まれていたとされる。 匈奴生まれであるにもかかわらず劉姓を名乗るのは、冒頓単于が劉邦と兄弟の契りを交わし、 名字を冒したためであるとされている(赫連勃勃のもとの姓も劉で、彼は逆に劉淵の一族を名乗っている)。 九尺(八尺とも)もの身長と常人よりも長い腕、そして常人離れした膂力と ひときわ長い赤ひげが混ざった三尺のひげを蓄えた覇王然とした風貌を持つ。 晋の皇帝司馬炎からも、若いころから異民族ながら高い評価を受け、八王の乱に便乗して群雄の一つとして立ち、 離石で大単于を称して事実上独立。自称であるが漢皇帝を名乗った。 本人は左伝などの文書を好み、また儒教が浸透しきった匈奴にあって儒に篤き賢者としても有名であり、 漢帝国を名乗ったのも、「胡」すなわち異民族と中華の文化の垣根を取り払うためであったと考えられる。 だが、「胡」と中華の融合が激化するにつれて劉淵の理想を誰もが忘れ、 五胡十六国時代というスーパーカオスへと突入してゆくこととなる。 なお、演義のもととなった平話では正当な漢王朝の末裔として語られている。 文系スキルやカリスマも積みたかったがかさばり過ぎるのでオミット。
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/68.html
編集 奉車都尉は、前漢代中期以降に置かれた職官。天子の御乗輿車を司った。 本任は天子の外出に随行する儀仗職であるが、霍光はこの官を以って二十数年間武帝に仕え、宮中では侍中を加官されて左右に侍し、謀反を討った。このため漢代では外戚等の天子の信任厚い人物が任じられる顕官となった。後漢では明帝期の竇固がこの官で匈奴を伐っている。 晋では逆に尚書などに加官されて儀礼の一角を担った。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏・属官 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説 歴史 武帝が置く。 武帝後元元年、侍中僕射の莽何羅(馬何羅)とその弟重合侯馬通が謀反し、駙馬都尉金日磾、奉車都尉霍光、騎都尉上官桀がこれを討つ。 中興後は、光禄勲に文属(書類上の所属)する。 明帝永平十五年、奉車都尉竇固、駙馬都尉耿秉が涼州に屯す。以後三年に渡り北匈奴を伐つ。 位 (前漢) 秩比二千石。 (後漢) 無員(或いは三人)、秩比二千石。 光禄勲に文属する。 職掌 御乗輿車を掌る。 属吏・属官 不詳。 所属項目(タグ) 光禄勲 奉車都尉 職官 車 軍官 都尉 駕車 関連項目・人物 奉車都尉 詳説 編集 -
https://w.atwiki.jp/wagun35online/pages/91.html
兵科ランキング 基本値編 兵科情報を能力別にランキングにしてみました。 これで、貴方の求める兵科が分かるかも? 同数値の場合は五十音順で並べてます。 二次兵科 順位 体力 攻撃 防衛 武力 知力 反応 体格 1位 騎兵 375 蛮兵 39 朴兵 40 女騎兵 36 踊子 34 踊子 65 女騎兵 38 2位 女騎兵 345 槍兵 37 騎兵 37 騎兵 36 女騎兵 32 軽歩兵 58 騎兵 38 3位 踊子 315 騎兵 35 剣兵 36 蛮兵 34 騎兵 32 女騎兵 42 蛮兵 34 4位 剣兵 315 剣兵 35 女騎兵 35 槍兵 34 軽歩兵 30 弓兵 38 朴兵 34 5位 蛮兵 315 女騎兵 34 槍兵 34 軽歩兵 32 剣兵 30 騎兵 36 剣兵 32 6位 朴兵 315 木刀兵 32 蛮兵 32 剣兵 32 蛮兵 30 剣兵 36 槍兵 32 7位 槍兵 315 踊子 30 弓兵 32 朴兵 32 朴兵 30 朴兵 34 弓兵 32 8位 軽歩兵 289 軽歩兵 30 踊子 30 弓兵 30 槍兵 30 槍兵 34 軽歩兵 30 9位 弓兵 263 弓兵 29 軽歩兵 30 踊子 28 弓兵 30 蛮兵 32 踊子 28 やはり騎兵系は能力が高い。 遠距離攻撃兵科はこの時点から打たれ弱い。 三次兵科 順位 体力 攻撃 防衛 武力 知力 反応 体格 1位 匈奴兵 1035 猛獣兵 60 大刀兵 80 匈奴兵 69 歌姫 72 舞姫 120 鉄騎兵 69 2位 鉄騎兵 1035 藤甲兵 59 錬鎚兵 78 猛獣兵 66 匈奴兵 55 歌姫 110 猛獣兵 66 3位 猛獣兵 1035 戟兵 58 長剣兵 77 遊騎兵 65 剣士 55 刺客 105 遊騎兵 65 4位 遊騎兵 1005 匈奴兵 57 鉄騎兵 76 戟兵 63 戟兵 55 近衛兵 103 匈奴兵 61 5位 剣士 975 剣士 55 剣士 74 鉄騎兵 61 近衛兵 55 弓騎兵 75 長剣兵 61 6位 戟兵 975 長槍兵 55 長槍兵 74 剣士 60 刺客 55 匈奴兵 65 弓騎兵 60 7位 大刀兵 975 遊騎兵 54 遊騎兵 74 弓騎兵 60 大刀兵 55 鉄騎兵 65 大刀兵 59 8位 長剣兵 975 鉄騎兵 53 匈奴兵 72 籐甲兵 59 長剣兵 55 弩兵 65 籐甲兵 59 9位 長槍兵 975 長剣兵 52 戟兵 71 弩兵 59 長弓兵 55 遊騎兵 65 長弓兵 57 10位 舞姫 975 錬鎚兵 52 籐甲兵 70 長槍兵 59 長槍兵 55 長弓兵 63 長槍兵 57 11位 錬鎚兵 975 弩兵 51 舞姫 70 錬鎚兵 59 鉄騎兵 55 猛獣兵 63 舞姫 57 12位 籐甲兵 975 刺客 50 長弓兵 70 舞姫 58 籐甲兵 55 剣士 59 錬鎚兵 57 13位 刺客 971 大刀兵 50 近衛兵 69 近衛兵 57 弩兵 55 長剣兵 59 剣士 56 14位 近衛兵 891 弓騎兵 49 猛獣兵 69 大刀兵 57 舞姫 55 長槍兵 59 戟兵 55 15位 歌姫 885 近衛兵 48 刺客 68 刺客 55 猛獣兵 55 錬鎚兵 59 近衛兵 55 16位 弓騎兵 845 舞姫 48 歌姫 66 長剣兵 55 遊騎兵 55 戟兵 57 刺客 55 17位 弩兵 803 長弓兵 47 弩兵 66 長弓兵 55 弓騎兵 55 大刀兵 57 歌姫 54 18位 長弓兵 803 歌姫 44 弓騎兵 66 歌姫 54 錬鎚兵 55 籐甲兵 57 弩兵 53 レア兵科の基本値の高さは異常。 弩兵の体力、防衛、体格の基本値は、歌姫よりも劣る。 精鋭化すると、どの兵科も一律体力+800、攻撃+30、防衛+50増加するので、ランキングは割愛。 四次兵科 順位 体力 攻撃 防衛 武力 知力 反応 体格 1位 象兵 2900 虎豹騎 124 神刀兵 185 虎豹騎 94 伶人 127 戦姫 145 斧騎兵 94 2位 斧騎兵 2780 象兵 121 斧騎兵 183 象兵 93 戦姫 95 伶人 135 象兵 93 3位 虎豹騎 2735 蛮甲兵 121 狼騎兵 181 狼騎兵 90 暗殺者 80 暗殺者 130 狼騎兵 90 4位 狼騎兵 2715 鉄戟兵 120 重剣兵 180 鉄戟兵 88 斧騎兵 80 親衛隊 128 虎豹騎 86 5位 神刀兵 2665 剣豪 119 象兵 178 斧騎兵 86 強弓兵 80 神弓騎 100 重剣兵 86 6位 重剣兵 2645 神槍兵 118 虎豹騎 175 剣豪 85 強弩兵 80 斧騎兵 90 神弓騎 85 7位 剣豪 2615 狼騎兵 117 戦鎚兵 175 神弓騎 85 剣豪 80 強弩兵 90 神刀兵 84 8位 戦鎚兵 2615 暗殺者 116 親衛隊 171 強弩兵 84 虎豹騎 80 虎豹騎 90 蛮甲兵 84 9位 暗殺者 2601 斧騎兵 116 神槍兵 171 神槍兵 84 神弓騎 80 狼騎兵 90 強弓兵 82 10位 神槍兵 2585 戦鎚兵 115 剣豪 170 戦鎚兵 84 神槍兵 80 強弓兵 88 神槍兵 82 11位 戦姫 2585 神弓騎 111 戦姫 170 蛮甲兵 84 神刀兵 80 剣豪 84 戦姫 82 12位 鉄戟兵 2585 重剣兵 109 鉄戟兵 169 戦姫 83 重剣兵 80 神槍兵 84 戦鎚兵 82 13位 蛮甲兵 2585 強弩兵 109 蛮甲兵 168 親衛隊 82 親衛兵 80 神刀兵 84 剣豪 81 14位 親衛兵 2326 戦姫 108 強弓兵 167 神刀兵 82 戦鎚兵 80 重剣兵 84 暗殺者 80 15位 伶人 2325 神刀兵 105 伶人 165 暗殺者 80 象兵 80 戦鎚兵 84 親衛隊 80 16位 神弓騎 2230 神弓兵 102 暗殺者 162 強弓兵 80 鉄戟兵 80 象兵 84 鉄戟兵 80 17位 強弓兵 2113 親衛隊 102 強弩兵 160 重剣兵 80 蛮甲兵 80 鉄戟兵 82 伶人 79 18位 強弩兵 2113 伶人 101 神弓騎 156 伶人 79 狼騎兵 80 蛮甲兵 82 強弩兵 78 騎兵系は、神弓騎以外はすべて上位へ入っている。 歩兵科でも、各能力値別に特化するような形となった。 修羅兵科 順 位 体力 攻 撃 防 衛 1位 修羅象兵 4230 修羅蛮甲兵 153 修羅狼騎兵 236 2位 修羅重剣兵 3785 修羅虎豹騎 141 修羅神刀兵 227 3位 修羅斧騎兵 3780 修羅狼騎兵 140 修羅斧騎兵 224 4位 修羅虎豹騎 3735 修羅剣豪 136 修羅像兵 221 5位 修羅狼騎兵 3735 修羅暗殺者 135 修羅重剣兵 220 6位 修羅神刀兵 3645 修羅鉄戟兵 135 修羅蛮甲兵 216 7位 修羅剣豪 3495 修羅神槍兵 134 修羅虎豹騎 212 8位 修羅戦鎚兵 3495 修羅象兵 132 修羅親衛隊 212 9位 修羅暗殺者 3461 修羅戦鎚兵 131 修羅戦鎚兵 209 10位 修羅神槍兵 3405 修羅斧騎兵 129 修羅神槍兵 208 11位 修羅鉄戟兵 3405 修羅神弓騎 126 修羅戦姫 207 12位 修羅蛮甲兵 3405 修羅戦姫 121 修羅強弓兵 205 13位 修羅戦姫 3305 修羅強弩兵 120 修羅戟兵 204 14位 修羅伶人 2995 修羅重剣兵 119 修羅剣豪 203 15位 修羅親衛隊 2986 修羅神刀兵 113 修羅伶人 203 16位 修羅神弓騎 2930 修羅神弓兵 110 修羅強弩兵 195 17位 修羅強弓兵 2663 修羅伶人 111 修羅暗殺者 193 18位 修羅強弩兵 2663 修羅親衛兵 109 修羅神弓騎 187 修羅兵科は、体力・攻撃・防衛のみにボーナスが付くため、この三要素のみのランキングとなる。 修羅蛮甲兵の成長が著しい点に注目。攻撃は修羅虎豹騎よりも11ポイント差をつけて独走。防衛もかなりアップしている。 相対的に、修羅重剣兵や騎兵系の成長が目立たない。 総括 四次兵十八兵科の上と下を見れば歴然の差が出てます。 故に、この順位を参考にしていただければ、自分の兵士がどれだけ強いかも判断できる材料になると思います。 例えば、強弩兵と神槍兵の攻撃力を比べたとき、攻撃の値がほぼ同じだとしたら、 その強弩兵は平均よりも攻撃が高く、裏を返せばその神槍兵は攻撃が低いことになります。 兵士選びの基準のひとつとしてご覧下さい。
https://w.atwiki.jp/22shisakki/pages/234.html
17.漢書增傳 漢書,武帝以前王侯公卿皆用史記舊文,間有史記無傳而增立者,今列於後。 史記無呉芮傳,蒯通則附韓信傳内,伍被則附淮南王傳内,漢書倶另立傳。 史記有齊悼惠王世家,而趙隱王如意、趙共王恢、燕靈王建,皆無傳。趙幽王友附于楚元王世家内。然皆高帝子也,何得闕之?漢書皆立傳。 景帝子爲王者十三人,史記以同母者爲一宗,作五宗世家。漢書則十三王各立傳,而河間獻王傳詳敘其好古愛儒,所積書與漢朝等;魯共王傳敘其好治宮室,壞孔子宅,廣其宮,因得壁中古書。史記皆不載。史記張騫附衛青傳後,寥寥數語,而詳其事于大宛傳,漢書另立騫傳。 史記李陵附李廣傳後,但云陵將歩騎五千人出居延,與單于戰,殺傷萬餘人。兵食盡欲歸,匈奴圍陵,陵降匈奴,其兵遂沒,得還者四百餘人。蓋遷以陵事得禍,故不敢多爲辨雪也。漢書特爲陵立傳,詳敘其戰功,極有精采,并述司馬遷對上之語,爲之剖白。 史記無蘇武傳,蓋遷在時武尚未歸也。漢書爲立傳,敘次精采,千載下猶有生氣,合之李陵傳,慷慨悲涼,使遷爲之,恐亦不能過也。魏禧謂固密於體,而以工文專屬之遷,不知固之工於文蓋亦不減子長耳。
https://w.atwiki.jp/iwasaki/pages/33.html
#blognavi ども。美少女キャラの股の隙間からのぞく微妙なお尻肉に萌える年頃の鮫です。 変態とか言わないで。 分かってるから。 今更な感じですが、「涼宮ハルヒの詰合」オリコン週間5位ですいえーい。 このCDはアニメ12話「ライブアライブ」でハルヒが歌った2曲と「恋のミクル伝説」が入ってる挿入歌集(3曲で集ってのも微妙)な訳ですが、ライブの2曲が相当に良い出来なんです。 僕は今日ずっと聞いてました。 そのライブのシーンでの京アニさんの懲りようがまた凄い。 ハルヒの口パクは完全に歌詞と合ってるし。 僕はド素人なんでよく分かりませんがギターやベース、ドラムの運指や叩き方なんかまで完璧らしいです。 巷ではライブアライブ伝説とか言われてます。 見たことある方もいらっしゃるかも知れませんが一応動画のURL貼っときます。 http //www.youtube.com/watch?v=6kv3mMK7EP8 search=god%20knows こんなに情熱入ったアニメ見たのは初めてですね。 しかし平野綾さんってガチで歌うとこんな上手いんだ・・・。 声優としてはトップクラスだと思います。 昨日ハルヒについて語るのとかやめると言っといて結局語っちまいました。 ああオタ臭い。 まあ自己満足したので良いですが。 それでは雑学コーナー行ってみましょう。 今日はちょっと真面目に故事成語について。 「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」という故事成語があります。 これは「桃や李(すもも)の木は何も言わないが、その下には自然と人が集まって道ができる」、転じて「徳のある人物の周りには、自然に大勢の人が集まって来る」という意味で、「史記」の著者である司馬遷によって作られた言葉です。 この故事成語の元となった人物は、中国は漢の時代の李広(りこう)という名の将軍です。 彼は弓の名手であり(虎と間違えて大岩を射たら、矢が深々と突き刺さったという話も)、有能な指揮官でもありました。 匈奴(北方の異民族)との戦いで数多くの功を立て、その戦巧者ぶりから匈奴たちに「飛将軍」と恐れられました。 正に絵に描いたような名将ですが、彼の一番の魅力は弓でも戦略でもなく、清廉な人柄にありました。 彼は泉を発見すれば部下を先に飲ませ、食事も下士官と共にし、全員が食事を始めるまで決して自分の分には手をつけなかったと言われています。 そのため部下はもちろん、民衆からも大いに尊敬されていたそうです。 ところが、ある戦いで彼は匈奴に敗れて捕虜となってしまいます。 何とか脱出して長安に戻りますが、武帝(漢の7代皇帝)の怒りに触れて平民に落とされてしまいます。 数年後には将軍に復帰して匈奴と戦いますがいい結果を得られず、最後の威信をかけて参加した戦いでは道案内不在のために戦場到着が遅れてしまいました。 彼は戦いの後、失態の責任を取って自害。 自らのプライドが許さなかった、というのもあるでしょうが、何より部下が責任を取らされるのを良しとしなかったのだと思います。 彼の死を聞き、老若男女問わず、彼を直接は知らない人々までもが涙を流して悲しんだといいます。 その人格の素晴らしさが偲ばれるというものです。 僕の周りからは人が離れていきますから。 寄ってきてくれとは言いませんがちょっと寂しい気持ちになります。 何か回を追うごとに長くなってきてますが最後までお付き合い頂きありがとうございました。 ネタが尽き始めたら凄い勢いで短くなる気がしてなりませんけども。 ではでは次回をお楽しみに。 カテゴリ [by 鮫] - trackback- 2006年07月07日 03 22 57 ハルヒ厨ktkrwwwwwwwwwwwwww -- たらこ (2006-07-07 09 44 49) 名前 コメント #blognavi
https://w.atwiki.jp/tsugan/pages/125.html
資治通鑑巻第二十二 漢紀十四 世宗孝武皇帝下之下 天漢三年(癸未、前九八) 1春,二月,王卿有罪自殺,以執金吾杜周爲御史大夫。 1. 2初榷酒酤。 2. 3三月,上行幸泰山,脩封,祀明堂,因受計。還,祠常山,瘞玄玉。方士之候祠神人、入海求蓬萊者終無有驗,而公孫卿猶以大人跡爲解。天子益怠厭方士之怪迂語矣,然猶羈縻不絶,冀遇其眞。自此之後,方士言神祠者彌衆,然其效可睹矣。 3. 4夏,四月,大旱。赦天下。 4. 5秋,匈奴入鴈門。太守坐畏心耎棄市。 5. 四年(甲申、前九七) 1春,正月,朝諸侯王於甘泉宮。 1. 2發天下七科謪及勇敢士,遣貳師將軍李廣利將騎六萬、歩兵七萬出朔方;強弩都尉路博德將萬餘人與貳師會;游撃將軍韓説將歩兵三萬人出五原;因杅將軍公孫敖將騎萬、歩兵三萬人出鴈門。匈奴聞之,悉遠其累重於余吾水北;而單于以兵十萬待水南,與貳師接戰。貳師解而引歸,與單于連鬥十餘日。游撃無所得。因杅與左賢王戰,不利,引歸。 時上遣敖深入匈奴迎李陵,敖軍無功還,因曰:「捕得生口,言李陵教單于爲兵以備漢軍,故臣無所得。」上於是族陵家。既而聞之,乃漢將降匈奴者李緒,非陵也。陵使人刺殺緒。大閼氏欲殺陵,單于匿之北方。大閼氏死,乃還。單于以女妻陵,立爲右校王,與衞律皆貴用事。衞律常在單于左右;陵居外,有大事乃入議。 2. 3夏,四月,立皇子髆爲昌邑王。 3. 太始元年(乙酉,前九六) 1春,正月,公孫敖坐妻爲巫蠱要斬。 1. 2徙郡國豪傑於茂陵。 2. 3夏,六月,赦天下。 3. 4是歳,匈奴且鞮侯單于死。有兩子,長爲左賢王,次爲左大將。左賢王未至,貴人以爲有病,更立左大將爲單于。左賢王聞之,不敢進。左大將使人召左賢王而讓位焉。左賢王辭以病,左大將不聽,謂曰:「即不幸死,傳之於我。」左賢王許之,遂立,爲狐鹿姑單于。以左大將爲左賢王,數年,病死;其子先賢撣不得代,更以爲日逐王。單于自以其子爲左賢王。 4. 二年(丙戌、前九五) 1春,正月,上行幸回中。 1. 2杜周卒,光祿大夫暴勝之爲御史大夫。 2. 3秋,旱。 3. 4趙中大夫白公奏穿渠引涇水,首起谷口,尾入櫟陽,注渭中,袤二百里,漑田四千五百餘頃,因名曰白渠;民得其饒。 4. 三年(丁亥、前九四) 1春,正月,上行幸甘泉宮。二月,幸東海,獲赤雁。幸琅邪,禮日成山,登之罘,浮大海而還。 1. 2是歳,皇子弗陵生。弗陵母曰河間趙婕妤,居鉤弋宮,任身十四月而生。上曰:「聞昔堯十四月而生,今鉤弋亦然。」乃命其所生門曰堯母門。 臣光曰:爲人君者,動靜舉措不可不愼,發於中必形於外,天下無不知之。當是時也,皇后、太子皆無恙,而命鉤弋之門曰堯母,非名也。是以姦臣逆探上意,知其奇愛少子,欲以爲嗣,遂有危皇后、太子之心,卒成巫蠱之禍,悲夫! 2. 3趙人江充爲水衡都尉。初,充爲趙敬肅王客,得罪於太子丹,亡逃;詣闕告趙太子陰事,太子坐廢。上召充入見。充容貌魁岸,被服輕靡,上奇之;與語政事,大悅,由是有寵,拜爲直指繡衣使者,使督察貴戚、近臣踰侈者。充舉劾無所避,上以爲忠直,所言皆中意。嘗從上甘泉,逢太子家使乘車馬行馳道中,充以屬吏。太子聞之,使人謝充曰:「非愛車馬,誠不欲令上聞之,以教敕亡素者,唯江君寬之。」充不聽,遂白奏,上曰:「人臣當如是矣!」大見信用,威震京師。 3. 四年(戊子、前九三) 1春,三月,上行幸泰山。壬午,祀高祖於明堂以配上帝,因受計。癸未,祀孝景皇帝於明堂。甲申,修封。丙戌,禪石閭。夏,四月,幸不其。五月,還,幸建章宮,赦天下。 1. 2冬,十月,甲寅晦,日有食之。 2. 3十二月,上行幸雍,祠五畤。西至安定、北地。 3. 征和元年(己丑、前九二) 1春,正月,上還,幸建章宮。 1. 2三月,趙敬肅王彭祖薨。彭祖取江都易王所幸淖姫,生男,號淖子。時淖姫兄爲漢宦者,上召問:「淖子何如?」對曰:「爲人多欲。」上曰:「多欲不宜君國子民。」問武始侯昌,曰:「無咎無譽。」上曰:「如是可矣。」遣使者立昌爲趙王。 2. 3夏,大旱。 3. 4上居建章宮,見一男子帶劍入中龍華門,疑其異人,命收之。男子捐劍走,逐之弗獲。上怒,斬門候。冬,十一月,發三輔騎士大搜上林,閉長安城門索;十一日乃解。巫蠱始起。 4. 5丞相公孫賀夫人君孺,衞皇后姊也,賀由是有寵。賀子敬聲代父爲太僕,驕奢不奉法,擅用北軍錢千九百萬;發覺,下獄。是時詔捕陽陵大俠硃安世甚急,賀自請逐捕安世以贖敬聲罪,上許之。後果得安世。安世笑曰:「丞相禍及宗矣!」遂從獄中上書,告「敬聲與陽石公主私通;上且上甘泉,使巫當馳道埋偶人,祝詛上,有惡言。」 5. 二年(庚寅、前九一) 1春,正月,下賀獄,案驗;父子死獄中,家族。以涿郡太守劉屈氂爲左丞相,封澎侯。屈氂,中山靖王子也。 1. 2夏,四月,大風,發屋折木。 2. 3閏月,諸邑公主、陽石公主及皇后弟子長平侯伉皆坐巫蠱誅。 3. 4上行幸甘泉。 4. 5初,上年二十九乃生戻太子,甚愛之。及長,性仁恕温謹,上嫌其材能少,不類己;而所幸王夫人生子閎,李姫生子旦、胥,李夫人生子髆,皇后、太子寵浸衰,常有不自安之意。上覺之,謂大將軍靑曰:「漢家庶事草創,加四夷侵陵中國,朕不變更制度,後世無法;不出師征伐,天下不安;爲此者不得不勞民。若後世又如朕所爲,是襲亡秦之跡也。太子敦重好靜,必能安天下,不使朕憂。欲求守文之主,安有賢於太子者乎!聞皇后與太子有不安之意,豈有之邪?可以意曉之。」大將軍頓首謝。皇后聞之,脱簪請罪。太子毎諫證伐四夷,上笑曰:「吾當其勞,以逸遺汝,不亦可乎!」 上毎行幸,常以後事付太子,宮内付皇后。有所平決,還,白其最,上亦無異,有時不省也。上用法嚴,多任深刻吏。太子寬厚,多所平反,雖得百姓心,而用法大臣皆不悅。皇后恐久獲罪,毎戒太子,宜留取上意,不應擅有所縱捨。上聞之,是太子而非皇后。羣臣寬厚長者皆附太子,而深酷用法者皆毀之。邪臣多黨與,故太子譽少而毀多。衞靑薨後,臣下無復外家爲據,競欲構太子。 上與諸子疏,皇后希得見。太子嘗謁皇后,移日乃出。黄門蘇文告上曰:「太子與宮人戲。」上益太子宮人滿二百人。太子後知之,心銜文。文與小黄門常融、王弼等常微伺太子過,輒增加白之。皇后切齒,使太子白誅文等。太子曰:「第勿爲過,何畏文等!上聰明,不信邪佞,不足憂也」上嘗小不平,使常融召太子,融言「太子有喜色」,上嘿然。及太子至,上察其貌,有涕泣處,而佯語笑,上怪之;更微問,知其情,乃誅融。皇后亦善自防閒,避嫌疑,雖久無寵,尚被禮遇。 是時,方士及諸神巫多聚京師,率皆左道惑衆,變幻無所不爲。女巫往來宮中,教美人度厄,毎屋輒埋木人祭祀之。因妒忌恚詈,更相告訐,以爲祝詛上,無道。上怒,所殺後宮延及大臣,死者數百人。上心既以爲疑,嘗晝寢,夢木人數千持杖欲撃上,上驚寤,因是體不平,遂苦忽忽善忘。江充自以與太子及衞氏有隙,見上年老,恐晏駕後爲太子所誅,因是爲姦,言上疾祟在巫蠱。於是上以充爲使者,治巫蠱獄。充將胡巫掘地求偶人,捕蠱及夜祠、視鬼,染汚令有處,輒收捕驗治,燒鐵鉗灼,強服之。民轉相誣以巫蠱,吏輒劾以爲大逆無道;自京師、三輔連及郡、國,坐而死者前後數萬人。 是時,上春秋高,疑左右皆爲蠱祝詛;有與無,莫敢訟其冤者。充既知上意,因胡巫檀何言:「宮中有蠱氣,不除之,上終不差。」上乃使充入宮,至省中,壞御座,掘地求蠱;又使按道侯韓説、御史章贛、黄門蘇文等助充。充先治後宮希幸夫人,以次及皇后、太子宮,掘地縱橫,太子、皇后無復施床處。充云:「於太子宮得木人尤多,又有帛書,所言不道;當奏聞。」太子懼,問少傅石德。德懼爲師傅並誅,因謂太子曰:「前丞相父子、兩公主及衞氏皆坐此,今巫與使者掘地得征驗,不知巫置之邪,將實有也,無以自明。可矯以節收捕充等繋獄,窮治其姦詐。且上疾在甘泉,皇后及家吏請問皆不報;上存亡未可知,而姦臣如此,太子將不念秦扶蘇事邪?」太子曰:「吾人子,安得擅誅!不如歸謝,幸得無罪。」太子將往之甘泉,而江充持太子甚急;太子計不知所出,遂從石德計。秋,七月,壬午,太子使客詐爲使者,收捕充等。按道侯説疑使者有詐,不肯受詔,客格殺説。太子自臨斬充,罵曰:「趙虜!前亂乃國王父子不足邪!乃復亂吾父子也!」又炙胡巫上林中。 太子使舍人無且持節夜入未央宮殿長秋門,因長御倚華具白皇后,發中厩車載射士,出武庫兵,發長樂宮衞卒。長安擾亂,言太子反。蘇文迸走,得亡歸甘泉,説太子無状。上曰:「太子必懼,又忿充等,故有此變。」乃使使召太子。使者不敢進,歸報云:「太子反已成,欲斬臣,臣逃歸。」上大怒。丞相屈氂聞變,挺身逃,亡其印綬,使長史乘疾置以聞。上問:「丞相何爲?」對曰:「丞相秘之,未敢發兵。」上怒曰:「事籍籍如此,何謂秘也!丞相無周公之風矣,周公不誅管、蔡乎!」乃賜丞相璽書曰:「捕斬反者,自有賞罰。以牛車爲櫓,毋接短兵,多殺傷士衆!堅閉城門,毋令反者得出!」太子宣言告令百官云:「帝在甘泉病困,疑有變;姦臣欲作亂。」上於是從甘泉來,幸城西建章宮,詔發三輔近縣兵,部中二千石以下,丞相兼將之。太子亦遣使者矯制赦長安中都官囚徒,命少傅石德及賓客張光等分將;使長安囚如侯持節發長水及宣曲胡騎,皆以裝會。侍郎馬通使長安,因追捕如侯,告胡人曰:「節有詐,勿聽也!」遂斬如侯,引騎入長安;又發楫棹士以予大鴻臚商丘成。初,漢節純赤,以太子持赤節,故更爲黄旄加上以相別。 太子立車北軍南門外,召護北軍使者任安,與節,令發兵。安拜受節;入,閉門不出。太子引兵去,驅四市人凡數萬衆,至長樂西闕下,逢丞相軍,合戰五日,死者數萬人,血流入溝中。民間皆雲太子反,以故衆不附太子,丞相附兵浸多。 庚寅,太子兵敗,南奔覆盎城門。司直田仁部閉城門,以爲太子父子之親,不欲急之,太子由是得出亡。丞相欲斬仁,御史大夫暴勝之謂丞相曰:「司直,吏二千石,當先請,奈何擅斬之!」丞相釋仁。上聞而大怒,下吏責問御史大夫曰:「司直縱反者,丞相斬之,法也;大夫何以擅止之?」勝之惶恐,自殺。詔遣宗正劉長、執金吾劉敢奉策收皇后璽綬,後自殺。上以爲任安老吏,見兵事起,欲坐觀成敗,見勝者合從之,有兩心,與田仁皆要斬。上以馬通獲如侯,長安男子景建從通獲石德,商丘成力戰獲張光,封通爲重合侯,建爲德侯,成爲秺侯。諸太子賓客嘗出入宮門,皆坐誅;其隨太子發兵,以反法族,吏士劫略者皆徙敦煌郡。以太子在外,始置屯兵長安諸城門。 上怒甚,羣下憂懼,不知所出。壺關三老茂上書曰:「臣聞父者猶天,母者猶地,子猶萬物也,故天平,地安,物乃茂成;父慈,母愛,子乃孝順。今皇太子爲漢適嗣,承萬世之業,體祖宗之重,親則皇帝之宗子也。江充,布衣之人,閭閻之隸臣耳;陛下顯而用之,銜至尊之命以迫蹴皇太子,造飾姦詐,羣邪錯繆,是以親戚之路鬲塞而不通。太子進則不得見上,退則困於亂臣,獨冤結而無告,不忍忿忿之心,起而殺充,恐懼逋逃,子盜父兵,以救難自免耳。臣竊以爲無邪心。詩曰:『營營靑蠅,止於籓。愷悌君子,無信讒言。讒言罔極,交亂四國。』往者江充讒殺趙太子,天下莫不聞。陛下不省察,深過太子,發盛怒,舉大兵而求之,三公自將。智者不敢言,辯士不敢説,臣竊痛之!唯陛下寬心慰意,少察所親,毋患太子之非,亟罷甲兵,無令太子久亡!臣不勝惓惓,出一旦之命,待罪建章宮下!」書奏,天子感寤,然尚未顯言赦之也。 太子亡,東至湖,藏匿泉鳩里;主人家貧,常賣屨以給太子。太子有故人在湖,聞其富贍,使人呼之而發覺。八月,辛亥。吏圍捕太子。太子自度不得脱,即入室距戸自經。山陽男子張富昌爲卒,足蹋開戸,新安令史李壽趨抱解太子。主人公遂格鬥死,皇孫二人皆並遇害。上既傷太子,乃封李壽爲邘侯,張富昌爲題侯。 初,上爲太子立博望苑,使通賓客,從其所好,故賓客多以異端進者。 臣光曰:古之明王教養太子,爲之擇方正敦良之士,以爲保傅、師友,使朝夕與之遊處。左右前後無非正人,出入起居無非正道,然猶有淫放邪僻而陷於禍敗者焉,今乃使太子自通賓客,從其所好。夫正直難親,諂諛易合,此固中人之常情,宜太子之不終也! 5. 6癸亥,地震。 6. 7九月,商丘成爲御史大夫。 7. 8立趙敬肅王小子偃爲平干王。 8. 9匈奴入上谷,五原,殺掠吏民。 9. 三年(辛卯、前九〇) 1春,正月,上行幸雍,至安定、北地。 1. 2匈奴入五原、酒泉,殺兩都尉。三月,遣李廣利將七萬人出五原,商丘成將二萬人出西河,馬通將四萬騎出酒泉,撃匈奴。 2. 3夏,五月,赦天下。 3. 4匈奴單于聞漢兵大出,悉徙其輜重北邸郅居水;左賢王驅其人民度余吾水六七百里,居兜銜山;單于自將精兵渡姑且水。商丘成軍至,追邪徑,無所見,還。匈奴使大將與李陵將三萬餘騎追漢軍,轉戰九日,至蒲奴水;虜不利,還去。馬通軍至天山,匈奴使大將偃渠將二萬餘騎要漢兵,見漢兵強,引去;通無所得失。是時,漢恐車師兵遮馬通軍,遣開陵侯成娩將樓蘭、尉犁、危須等六國兵共圍車師,盡得其王民衆而還。貳師將軍出塞,匈奴使右大都尉與衞律將五千騎要撃漢軍於夫羊句山峽,貳師撃破之,乘勝追北至范夫人城。匈奴奔走,莫敢距敵。 初,貳師之出也,丞相劉屈氂爲祖道,送至渭橋。廣利曰:「願君侯早請昌邑王爲太子;如立爲帝,君侯長何憂乎!」屈氂許諾。昌邑王者,貳師將軍女弟李夫人子也;貳師女爲屈氂子妻,故共欲立焉。會内者令郭穰告「丞相夫人祝詛上及與貳師共禱祠,欲令昌邑王爲帝」,按驗,罪至大逆不道。六月,詔載屈氂廚車以徇,要斬東市,妻子梟首華陽街;貳師妻子亦收。貳師聞之,憂懼,其掾胡亞夫亦避罪從軍,説貳師曰:「夫人、室家皆在吏,若還,不稱意,適與獄會,郅居以北,可復得見乎!」貳師由是狐疑,深入要功,遂北至郅居水上。虜已去,貳師遣護軍將二萬騎度郅居之水,逢左賢王、左大將將二萬騎,與漢軍合戰一日,漢軍殺左大將,虜死傷甚衆。軍長史與決眭都尉煇渠侯謀曰:「將軍懷異心,欲危衆求功,恐必敗。」謀共執貳師。貳師聞之,斬長史,引兵還至燕然山。單于知漢軍勞倦,自將五萬騎遮撃貳師,相殺傷甚衆;夜,塹漢軍前,深數尺,從後急撃之,軍大亂敗;貳師遂降。單于素知其漢大將,以女妻之,尊寵在衞律上。宗旅行遂滅。 4. 5秋,蝗。 5. 6九月,故城父令公孫勇與客胡倩等謀反,倩詐稱光祿大夫,言使督盜賊;淮陽太守田廣明覺知,發兵捕斬焉。公孫勇衣繡衣、乘駟馬車至圉;圉守尉魏不害等誅之。封不害等四人爲侯。 6. 7吏民以巫蠱相告言者,案驗多不實。上頗知太子惶恐無它意,會高寢郎田千秋上急變,訟太子冤曰:「子弄父兵,罪當笞。天子之子過誤殺人,當何罪哉!臣嘗夢一白頭翁教臣言。」上乃大感寤,召見千秋,謂曰:「父子之間,人所難言也,公獨明其不然。此高廟神靈使公教我,公當遂爲吾輔佐。」立拜千秋爲大鴻臚,而族滅江充家,焚蘇文於橫橋上,及泉鳩里加兵刃於太子者,初爲北地太守,後族。上憐太子無辜,乃作思子宮,爲歸來望思之台於湖,天下聞而悲之。 7. 四年(壬辰、前八九) 1春,正月,上行幸東萊,臨大海,欲浮海求神山。羣臣諫,上弗聽;而大風晦冥,海水沸湧。上留十餘日,不得御樓船,乃還。 1. 2二月,丁酉,雍縣無雲如雷者三,隕石二,黑如黳。 2. 3三月,上耕於距定。還,幸泰山,脩封。庚寅,祀於明堂。癸己,禪石閭,見羣臣,上乃言曰:「朕即位以來,所爲狂悖,使天下愁苦,不可追悔。自今事有傷害百姓,糜費天下者,悉罷之。」田千秋曰:「方士言神仙者甚衆,而無顯功,臣請皆罷斥遣之。」上曰:「大鴻臚言是也。」於是悉罷諸方士候神人者。是後上毎對羣臣自歎:「向時愚惑,爲方士所欺。天下豈有仙人,盡妖妄耳!節食服藥,差可少病而已。」夏,六月,還,幸甘泉。 3. 4丁巳,以大鴻臚田千秋爲丞相,封富民侯。千秋無它材能、術學,又無伐閲功勞,特以一言寤意,數月取宰相,封侯,世未嘗有也。然爲人敦厚有智,居位自稱,□兪於前後數公。 先是搜粟都尉桑弘羊與丞相、御史奏言:「輪台東有漑田五千頃以上,可遣屯田卒,置校尉三人分護,益種五穀;張掖、酒泉遣騎假司馬爲斥候;募民壯健敢徙者詣田所,益墾漑田,稍築列亭,連城而西,以威西國,輔烏孫。」上乃下詔,深陳既往之悔曰:「前有司奏欲益民賦三十,助邊用,是重困老弱孤獨也。而今又請遣卒田輪台。輪台西於車師千餘里,前開陵侯撃車師時,雖勝,降其王,以遼遠乏食,道死者尚數千人,況益西乎!曩者朕之不明,以軍候弘上書,言『匈奴縛馬前後足置城下,馳言「秦人,我丐若馬,」』又,漢使者久留不還,故興遣貳師將軍,欲以爲使者威重也。古者卿、大夫與謀,參以蓍、龜,不吉不行。乃者以縛馬書遍視丞相、御史、二千石、諸大夫、郎、爲文學者,乃至郡、屬國都尉等,皆以『虜自縛其馬,不祥甚哉!』或以爲『欲以見強,夫不足者視人有餘。』公車方士、太史、治星、望氣及太卜龜蓍皆以爲『吉,匈奴必破,時不可再得也。』又曰:『北伐行將,於釜山必克。封,諸將貳師最吉。』故朕親發貳師下釜山,詔之必毋深入。今計謀、卦兆皆反繆。重合侯得虜候者,乃言『縛馬者匈奴詛軍事也。』匈奴常言『漢極大,然不耐飢渇,失一狼,走千羊。』乃者貳師敗,軍士死略離散,悲痛常在朕心。今又請遠田輪台,欲起亭隧,是擾勞天下,非所以優民也,朕不忍聞!大鴻臚等又議欲募囚徒送匈奴使者,明封侯之賞以報忿,此五伯所弗爲也。且匈奴得漢降者常提掖搜索,問以所聞,豈得行其計乎!當今務在禁苛暴,止擅賦,力本農,修馬復令,以補缺、毋乏武備而已。郡國二千石各上進畜馬方略補邊状,與計對。」 由是不復出軍,而封田千秋爲富民侯,以明休息,思富養民也。又以趙過爲搜粟都尉。過能爲代田,其耕耘田器皆有便巧,以教民,用力少而得谷多,民皆便之。 臣光曰:天下信未嘗無士也!武帝好四夷之功,而勇鋭輕死之士充滿朝廷,闢土廣地,無不如意。及後息民重農,而趙過之儔教民耕耘,民亦被其利。此一君之身趣好殊別,而士輒應之,誠使武帝兼三王之量以興商、周之治,其無三代之臣乎! 4. 5秋,八月,辛酉晦,日有食之。 5. 6衞律害貳師之寵,會匈奴單于母閼氏病,律飭胡巫言:「先單于怒曰:『胡故時祠兵,常言得貳師以社,何故不用?』」於是收貳師。貳師罵曰:「我死必滅匈奴!」遂屠貳師以祠。 6. 後元元年(癸巳、前八八) 1春,正月,上行幸甘泉,郊泰畤;遂幸安定。 1. 2昌邑哀王髆薨。 2. 3二月,赦天下。 3. 4夏,六月,商丘成坐祝詛自殺。 4. 5初,侍中僕射馬何羅與江充相善。及衞太子起兵,何羅弟通以力戰封重合侯。後上夷滅充宗族、黨與,何羅兄弟懼及,遂謀爲逆。侍中駙馬都尉金日磾視其志意有非常,心疑之,陰獨察其動靜,與倶上下。何羅亦覺日磾意,以故久不得發。是時上行幸林光宮,日磾小疾臥廬,何羅與通及小弟安成矯制夜出,共殺使者,發兵。明旦,上未起,何羅無何從外入。日磾奏廁,心動,立入,坐内戸下。須臾,何羅袖白刃從東廂上,見日磾,色變;走趨臥内,欲入,行觸寶瑟,僵。日磾得抱何羅,因傳曰:「馬何羅反!」上驚起。左右拔刃欲格之,上恐並中日磾,上勿格。日磾投何羅殿下,得禽縛之。窮治,皆伏辜。 5. 6秋,七月,地震。 6. 7燕王旦自以次第當爲太子,上書求入宿衞。上怒,斬其使於北闕;又坐藏匿亡命,削良郷、安次、文安三縣。上由是惡旦。旦辯慧博學,其弟廣陵王胥,有勇力,而皆動作無法度,多過失,故上皆不立。 時金句弋夫人之子弗陵,年數歳,形體壯大,多知,上奇愛之,心欲立焉;以其年稚,母少,猶與久之。欲以大臣輔之,察羣臣,唯奉車都尉、光祿大夫霍光,忠厚可任大事,上乃使黄門畫周公負成王朝諸侯以賜光。後數日,帝譴責金句弋夫人。夫人脱簪珥,叩頭。帝曰:「引持去,送掖庭獄!」夫人還顧,帝曰:「趣行,汝不得活!」卒賜死。頃之,帝閒居,問左右曰:「外人言雲何?」左右對曰:「人言『且立其子,何去其母乎?』」帝曰:「然,是非兒曹愚人之所知也。往古國家所以亂,由主少、母壯也。女主獨居驕蹇,淫亂自恣,莫能禁也。汝不聞呂後邪!故不得不先去之也。」 7. 二年(甲午、前八七) 1春,正月,上朝諸侯王於甘泉宮。二月,行幸盩厔五柞宮。 1. 2上病篤,霍光涕泣問曰:「如有不諱,誰當嗣者?」上曰:「君未諭前畫意邪?立少子,君行周公之事。」光頓首讓曰:「臣不如金日磾」日磾亦曰:「臣,外國人,不如光;且使匈奴輕漢矣!」乙丑,詔立弗陵爲皇太子,時年八歳。丙寅,以光爲大司馬、大將軍,日磾爲車騎將軍,太僕上官桀爲左將軍,受遺詔輔少主,又以搜粟都尉桑弘羊爲御史大夫,皆拜臥内床下。光出入禁闥二十餘年,出則奉車,入侍左右,小心謹愼,未嘗有過。爲人沈靜詳審,毎出入、下殿門,止進有常處,郎、僕射竊識視之,不失尺寸。日磾在上左右,目不忤視者數十年;賜出宮女,不敢近;上欲内其女後宮,不肯;其篤愼如此,上尤奇異之。日磾長子爲帝弄兒,帝甚愛之,其後弄兒壯大,不謹,自殿下與宮人戲;日磾適見之,惡其淫亂,遂殺弄兒。上聞之,大怒,日磾頓首謝,具言所以殺弄兒状。上甚哀,爲之泣;已而心敬日磾。上官桀始以材力得幸,爲未央厩令;上嘗體不安,及愈,見馬,馬多瘦,上大怒曰:「令以我不復見馬邪!」欲下吏。桀頓首曰:「臣聞聖體不安,日夜憂懼,意誠不在馬。」言未卒,泣數行下。上以爲愛己,由是親近,爲侍中,稍遷至太僕。三人皆上素所愛信者,故特舉之,授以後事。丁卯,帝崩於五柞宮;入殯未央宮前殿。 帝聰明能斷,善用人,行法無所假貸。隆慮公主子昭平君尚帝女夷安公主。隆慮主病困,以金千斤、錢千萬爲昭平君豫贖死罪,上許之。隆慮主卒,昭平君日驕,醉殺主傅,繋獄;廷尉以公主子上請。左右人人爲言:「前又入贖,陛下許之。」上曰:「吾弟老有是一子,死,以屬我。」於是爲之垂涕,歎息良久,曰:「法令者,先帝所造也,用弟故而誣先帝之法,吾何面目入高廟乎!又下負萬民。」乃可其奏,哀不能自止,左右盡悲,待詔東方朔前上壽,曰:「臣聞聖王爲政,賞不避仇讎,誅不擇骨肉。書曰:『不偏不黨,王道蕩蕩。』此二者,五帝所重,三王所難也,陛下行之,天下幸甚!臣朔奉觴昧死再拜上萬歳壽!」上初怒朔,既而善之,以朔爲中郎。 班固贊曰:漢承百王之弊,高祖撥亂反正,文、景務在養民,至於稽古禮文之事,猶多闕焉。孝武初立,卓然罷黜百家,表章六經,遂疇咨海内,舉其俊茂,與之立功;興太修學,修郊祀,改正朔,定暦數,協音律,作詩樂,建封禪,禮百神,紹周後,號令文章,煥焉可述,後嗣得遵洪業而有三代之風。如武帝之雄材大略,不改文、景之恭儉以濟斯民,雖詩、書所稱何有加焉! 臣光曰:孝武窮奢極欲,繁刑重斂,内侈宮室,外事四夷,信惑神怪,巡遊無度,使百姓疲敝,起爲盜賊,其所以異於秦始皇者無幾矣。然秦以之亡,漢以之興者,孝武能尊先王之道,知所統守,受忠直之言,惡人欺蔽,好賢不倦,誅賞嚴明,晩而改過,顧托得人,此其所以有亡秦之失而免亡秦之禍乎! 2. 3戊辰,太子即皇帝位。帝姊鄂邑公主共養省中,霍光、金日磾、上官桀共領尚書事。光輔幼主,政自己出,天下想聞其風采。殿中嘗有怪,一夜,羣臣相驚,光召尚符璽郎,欲收取璽。郎不肯授,光欲奪之。郎按劍曰:「臣頭可得,璽不可得也!」光甚誼之。明日,詔增此郎秩二等。衆庶莫不多光。 3. 4三月,甲辰,葬孝武皇帝於茂陵。 4. 5夏,六月,赦天下。 5. 6秋,七月,有星孛于東方。 6. 7濟北王寬坐禽獸行自殺。 7. 8冬,匈奴入朔方,殺略吏民;發軍屯西河,左將軍桀行北邊。 8.
https://w.atwiki.jp/obbligato/pages/196.html
ボロディン作曲 「イーゴリ公」より韃靼人の踊り 最近、私の周辺で「ダッタン人」という言葉を良く聞きます。 これ、やるんですかね? さて、ダッタン人って、どこの人でしょう? 某清涼飲料水メーカーが、「韃靼そば茶」のCMを時々放映していますが・・・ ダッタン人というのは、高校世界史で習うタタール人、もしくは匈奴の事を 指します。つまり、モンゴルからシベリア南西部、ヴォルガ川中流域に居住 している民族のことです。「タタール」という言葉は現地語で、ロシア連邦には 「タタールスタン共和国」が存在します。また、匈奴という言葉は、かつての 中国が北方から攻め込んでくる敵、という意味を込めて、そう呼ばれていました。 ちなみに「ダッタン人の踊り」は、英語では”Polovetsian Dance”・・・ ここで世界史マニア兼音楽マニアの方は、気づくのです。 Polovetsian・・・って、ポロヴェツ人のことじゃん・・・と。 ポロヴェツ人は、中央アジアから黒海沿岸、更にはハンガリーの一部に住む 民族で、ダッタン人とは住む地域が明らかに異なるのです。 ただ、同じテュルク(トルコ)系民族なので、日本人にとって歯切れが良くて、 発音し易い「ダッタン」を使っちゃったんですかね・・・? もっと言えば、この話は1185年に起きた実話を記した「イーゴリ軍記」を 題材として描かれています。つまり「ダッタン人の・・・」と言うのは、 本当は「ポロヴェツ人の・・・」って言わなきゃいけないんですね(笑 とは言え「ダッタン人」が普及してしまった日本では、直せないでしょうけど。
https://w.atwiki.jp/musou-tyuukaisouba/pages/23.html
孫 策 曹 操 呂 布 劉 備 七星帯 1410 匈奴帯 単于帯 1194 経書 1085 偉書 1628
https://w.atwiki.jp/kasin/pages/20.html
武将装備品 武官装備 トップページ 兜 力量 敏捷 統率 体力 取得 売値 戦神帽子 0 0 34 100 宝石贈答品 2点券 匈奴兜 0 0 27 150 匈奴 615656 南蛮兜 0 0 25 130 南蛮 457976 闘神兜 0 0 24 120 神武宝匣 391625 羌氏兜 0 0 23 110 羌 332776 力神兜 0 0 22 100 神武宝匣 280841 覇王獅心兜 0 0 22 220 宝石贈答品 332776 山越兜 0 0 21 90 山越 195481 虎兜 0 0 20 80 神武宝匣 161000 烏桓兜 0 0 19 70 烏桓 131321 将軍兜 0 0 18 60 105976 鮮卑兜 0 0 17 50 鮮卑 84521 欄環兜 0 0 15 30 倭国 51625 防御兜 0 0 2 0 白銀宝箱 武器 力量 敏捷 統率 体力 取得 売値 百虎の刀 38 12 0 0 勇猛刀 32 20 0 0 ルーレット 10点券 匈奴長矛 31 19 0 0 匈奴 10点券 戦神三叉戟 34 10 0 0 ルーレット 7点券 南蛮狼牙棒 29 17 0 0 南蛮 10点券 覇王の槍 22 22 0 0 宝石贈答品 7 点券 羌氏長矛 27 15 0 0 羌 6 点券 山越猟矛 25 13 0 0 山越 4 点券 北斗神錐 24 12 0 0 神武宝匣 3 点券 烏桓長矛 23 11 0 0 烏桓 2 点券 七曲鳳翼金槍 22 10 0 0 神武宝匣 1点券 鮮卑長矛 21 9 0 0 鮮卑 811000 双翼精巧矛 20 8 0 0 615656 草薙剣 19 7 0 0 倭国 457976 烏龍矛 18 6 0 0 神武宝匣 332776 回旋苦無 17 5 0 0 倭国 235256 村正 15 3 0 0 倭国 105976 鎧 力量 敏捷 統率 体力 取得 売値 白虎の鎧 0 0 26 360 白虎の宝鼎 戦神龍鱗甲 0 0 22 240 神武の宝鼎 覇王呑天甲 0 0 22 340 宝石贈答品 391625 紫金獣面 0 0 12 240 ルーレット 39416 羌氏鎧 0 0 11 230 羌氏 29561 連環黄金鎧 0 0 10 250 29561 山越鎧 0 0 9 210 山越 15641 烏桓鎧 0 0 7 190 烏桓 鮮卑鎧 0 0 5 170 鮮卑 2296 胴丸鎧 0 0 3 150 青銅鎧 0 0 0 40 初級試合 1000 軽護鎧 0 0 0 20 白銀宝箱 乗物 力量 敏捷 統率 体力 取得 売値 白虎の騎 24 24 24 24 烏騅獣 22 22 0 0 踏日 10 34 0 0 赤兔馬 12 24 0 0 神武宝木匣 3点券 籐甲巨象 11 23 0 0 南蛮 2点券 的盧 10 22 0 0 神武宝匣 西涼軍馬 9 21 0 0 羌氏 811000 重甲戦虎 7 19 0 0 山越 457976 赤毛ヤク 5 17 0 0 鮮卑 235256 黒雲 3 15 0 0 倭国 105976 汗血馬 0 10 0 0 南蛮象 0 8 0 0 白鶴 0 6 0 0 大宛馬 0 2 0 0 白銀宝箱
https://w.atwiki.jp/kansangokushi/pages/69.html
編集 駙は、副馬なり。正駕車に非ざれば、みな副馬と為す。一曰く駙は、近なり、疾なり。 駙馬都尉は、前漢代中期以降に置かれた職官。天子の駙馬(副馬、副車の馬)を司った。 天子の外出に随行する儀仗職であるが、武帝期の金日磾がこの官を以って寵愛を受けたことから、漢代では外戚等の要人が占めること奉車都尉に継ぐ顕官となった。後漢では明帝期に耿秉が拜し、奉車都尉竇固と共に匈奴を伐っている。 魏晋では尚書に加官された他、公主を娶った者や高官の子弟が任じられた例が多い。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏・属官 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説 歴史 武帝が置く。 武帝後元元年、侍中僕射の莽何羅(馬何羅)とその弟重合侯馬通が謀反し、駙馬都尉金日磾、奉車都尉霍光、騎都尉上官桀がこれを討つ。 中興後は、光禄勲に文属(書類上の所属)する。 明帝永平十五年、奉車都尉竇固、駙馬都尉耿秉が涼州に屯す。以後三年に渡り北匈奴を伐つ。 位 (前漢) 秩比二千石。 (後漢) 無員(或いは五人)、秩比二千石。 光禄勲に文属する。 職掌 駙馬を掌る。 前漢では、黄門駙馬という官があり、天子の駙馬は黄門に在ったという(*1)。 属吏・属官 不詳。 所属項目(タグ) 光禄勲 副馬 職官 軍官 都尉 駕車 駙馬都尉 関連項目・人物 駙馬都尉 詳説 編集 -