約 560,901 件
https://w.atwiki.jp/nipponnokiki/pages/316.html
※以下は、今後記入すべき内容のプロット(このページは未完成です) ■皇統無私の伝統 「仰せの通、身に欲なく、天下万民をのみ慈悲仁恵に存じ候こと、人君たるものの第一の教云々」 たまたま、その秋、殿下は京都に御旅行になり、京都御所内にある仙洞御所に一週間御滞在になったことがある。京都御所内には数棟の土蔵があるが、そのうちの一つ、別に目立たぬ普通のお蔵のようではあるが、これが所謂東山御文庫で皇室にとっては非常に大切なお蔵である。扉には勅封が施されてあり、毎年秋季に東京から特に侍従が差し遣わされ、開扉の上、約一ヶ月かかって内贓品を曝涼するのが例となっている。内蔵されているものは御歴代の宸翰、旧記の類である。 殿下の京都御滞在が、ちょうど、この曝涼期間であったため、一日、殿下はお蔵拝見においでになった。私もお供をしていたため内部を拝見する機会を得たのであるが、多くの陳列品のうち、たまたま私の眼にうつったのが光格天皇の御書簡であった。 明治天皇より三代前の光格天皇は幼少僅か九歳で閑院宮家から入って帝位を継がせられ、御先々代、後桜町上皇(女帝)の並々ならぬ御訓育を多年に亙り受けさせられた次第であるが、おん年二十九歳のとき、その上皇に対して、したためられた御書簡がこれであった。別にゆっくり拝読したわけではなかったが、 「仰せの通、身に欲なく、天下万民をのみ慈悲仁恵に存じ候こと、人君たるものの第一の教云々」 のお筆の跡に、私は一瞬電撃を感じた次第であった。大江戸城によって天下を睥睨する徳川幕府全盛の時代にあって、三十六峰に包まれた、ここ京洛の地、清くさやけき御所のうちには、人知れず寂かに天下万民をのみ念とせられる御精神が脈々として皇統のうちに流れていた長い年月のあったことを初めて知り、私はおのずから身の引き締まるのを覚えた次第であった。 右の御書簡の外、いろいろなお歌を拝見しているうちに、私は大いに覚るところがあった。東山御文庫に充満する空気は「無私、ただ、くにたみを念(おも)う」の一言に尽きる、と私は観たのである。 その夜、京都市民の盛大な提灯行列が催され、一群また一群と数万の人々が仙洞御所の御門前を通り、万歳の声は広い御苑内を埋め尽くした。殿下は提灯片手に御門のところに立たせられて歓呼の声にこたえられ、私もお側におったが、そのうちに私の両眼から玉のような涙が次から次へと出てきて、何ともしようがない。いくら暗がりでも、あたりの人に余り恥ずかしいので、私は提灯の列を横切って反対側の人のいない芝生に逃れでて遠慮なく泣いた。殿下は、この万歳の声を、どんなお気持ちでお聞きになっておいでになるだろうかと思うと、涙が止まらない。今日の昼、ごらんになった東山御文庫内の烈々たる芳香は、いま殿下を厳しく且つ暖かく包んでいるに相違ない。いま聞えるこの万歳の歓呼の声は、結局は歴代の聖天子の御余徳に対する京都市民の感謝の声ではないか。積徳の余栄に、いま、このお若い殿下が酔われてはならぬ、と思うと、居ても立ってもいられない気持ちになった。 ~木下道雄(元侍従次官)著『宮中見聞録』京都東山御文庫の章より引用 (第119代 光格天皇より第117代 後桜町上皇に宛てた宸翰・現代語訳)寛政11(1799)年 (後桜町上皇)仰せの通り、仁君は仁を本といたし候事、古今和漢の書物にも数々これある事・・・(中略)・・・仰せの通り、何分自分を後にし天下万民を先とし、仁恵、誠信の心、朝夕昼夜に忘却さぜる時は、神も仏も御加護を垂れ給ふ事、誠に鏡に掛けて影をみるがごとくにて候。・・・(中略)・・・御厚意御念、此の御書付、実に実に有りがたく有りがたく存じまいらせ候。 (昭和天皇、宮内記者の質問への返答)昭和52(1977)年8月 国体というものは、日本の皇室は、昔から国民の信頼によって万世一系を保ってきたのであります。・・・(中略)・・・また(歴代天皇も)国民を我が子と考えられてきたのであり、それが皇室の伝統であります。・・・(中略)・・・日本の皇室は、世界の平和と国民の幸福を祈っていると言うことでは、昔も今も変わっていないと思います。 ■「国民(くにたみ)を治らす(しらす)」~天皇統治の本義とは何か 災害を見舞われる天皇皇后両陛下(写真) 「しらす」(治らす=知らす、「しる」の尊敬語)とは、国民の事情を知ること。(西洋的な「国民を支配する」概念とは完全に別個) 初代天皇(神武天皇)の諡号は「ハツクニシラススメラミコト(初めて国を「知らす(治らす)」天皇)」 皇室のあり方を体現された仁徳天皇 ■天壌無窮の神勅~日本書紀の伝える天皇統治の起源 天照大御神から国を「しらす」ご命令を受けて天下った皇室のご祖先 神武天皇のご即位 天壌無窮の神勅にみる予定説http //d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070105/1167993109 ■祭祀と統治の聖なる統合 古代においては、世界のあらゆる民族/国家において、祭事(まつりごと)は政事(まつりごと、政治)であった。 日本においては、この古代の祭祀と統治の統合の伝統が、現代も脈々と受け継がれている。 権力と権威の分離の伝統 ■皇室の起源と歴史について 神武即位紀元の由来(辛酉革命説) 欠史八代の実在性 戦後のマルクス主義(唯物史観)派の王朝交代説を排す 上記3項目は、歴史問題の基礎知識を参照して下さい。 昭和21(1946)年元旦の「新日本建設に関する詔書」(所謂「人間宣言」)の誤解を解く ■参考リンク 竹の間~竹田恒泰氏(旧皇族竹田宮家)ホームページ 人間宣言と木下道雄
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/170.html
※以下は、今後記入すべき内容のプロット(このページは未完成です) ■皇統無私の伝統 「仰せの通、身に欲なく、天下万民をのみ慈悲仁恵に存じ候こと、人君たるものの第一の教云々」 たまたま、その秋、殿下は京都に御旅行になり、京都御所内にある仙洞御所に一週間御滞在になったことがある。京都御所内には数棟の土蔵があるが、そのうちの一つ、別に目立たぬ普通のお蔵のようではあるが、これが所謂東山御文庫で皇室にとっては非常に大切なお蔵である。扉には勅封が施されてあり、毎年秋季に東京から特に侍従が差し遣わされ、開扉の上、約一ヶ月かかって内贓品を曝涼するのが例となっている。内蔵されているものは御歴代の宸翰、旧記の類である。 殿下の京都御滞在が、ちょうど、この曝涼期間であったため、一日、殿下はお蔵拝見においでになった。私もお供をしていたため内部を拝見する機会を得たのであるが、多くの陳列品のうち、たまたま私の眼にうつったのが光格天皇の御書簡であった。 明治天皇より三代前の光格天皇は幼少僅か九歳で閑院宮家から入って帝位を継がせられ、御先々代、後桜町上皇(女帝)の並々ならぬ御訓育を多年に亙り受けさせられた次第であるが、おん年二十九歳のとき、その上皇に対して、したためられた御書簡がこれであった。別にゆっくり拝読したわけではなかったが、 「仰せの通、身に欲なく、天下万民をのみ慈悲仁恵に存じ候こと、人君たるものの第一の教云々」 のお筆の跡に、私は一瞬電撃を感じた次第であった。大江戸城によって天下を睥睨する徳川幕府全盛の時代にあって、三十六峰に包まれた、ここ京洛の地、清くさやけき御所のうちには、人知れず寂かに天下万民をのみ念とせられる御精神が脈々として皇統のうちに流れていた長い年月のあったことを初めて知り、私はおのずから身の引き締まるのを覚えた次第であった。 右の御書簡の外、いろいろなお歌を拝見しているうちに、私は大いに覚るところがあった。東山御文庫に充満する空気は「無私、ただ、くにたみを念(おも)う」の一言に尽きる、と私は観たのである。 その夜、京都市民の盛大な提灯行列が催され、一群また一群と数万の人々が仙洞御所の御門前を通り、万歳の声は広い御苑内を埋め尽くした。殿下は提灯片手に御門のところに立たせられて歓呼の声にこたえられ、私もお側におったが、そのうちに私の両眼から玉のような涙が次から次へと出てきて、何ともしようがない。いくら暗がりでも、あたりの人に余り恥ずかしいので、私は提灯の列を横切って反対側の人のいない芝生に逃れでて遠慮なく泣いた。殿下は、この万歳の声を、どんなお気持ちでお聞きになっておいでになるだろうかと思うと、涙が止まらない。今日の昼、ごらんになった東山御文庫内の烈々たる芳香は、いま殿下を厳しく且つ暖かく包んでいるに相違ない。いま聞えるこの万歳の歓呼の声は、結局は歴代の聖天子の御余徳に対する京都市民の感謝の声ではないか。積徳の余栄に、いま、このお若い殿下が酔われてはならぬ、と思うと、居ても立ってもいられない気持ちになった。 ~木下道雄(元侍従次官)著『宮中見聞録』京都東山御文庫の章より引用 (第119代 光格天皇より第117代 後桜町上皇に宛てた宸翰・現代語訳)寛政11(1799)年 (後桜町上皇)仰せの通り、仁君は仁を本といたし候事、古今和漢の書物にも数々これある事・・・(中略)・・・仰せの通り、何分自分を後にし天下万民を先とし、仁恵、誠信の心、朝夕昼夜に忘却さぜる時は、神も仏も御加護を垂れ給ふ事、誠に鏡に掛けて影をみるがごとくにて候。・・・(中略)・・・御厚意御念、此の御書付、実に実に有りがたく有りがたく存じまいらせ候。 (昭和天皇、宮内記者の質問への返答)昭和52(1977)年8月 国体というものは、日本の皇室は、昔から国民の信頼によって万世一系を保ってきたのであります。・・・(中略)・・・また(歴代天皇も)国民を我が子と考えられてきたのであり、それが皇室の伝統であります。・・・(中略)・・・日本の皇室は、世界の平和と国民の幸福を祈っていると言うことでは、昔も今も変わっていないと思います。 ■「国民(くにたみ)を治らす(しらす)」~天皇統治の本義とは何か 災害を見舞われる天皇皇后両陛下(写真) 「しらす」(治らす=知らす、「しる」の尊敬語)とは、国民の事情を知ること。(西洋的な「国民を支配する」概念とは完全に別個) 初代天皇(神武天皇)の諡号は「ハツクニシラススメラミコト(初めて国を「知らす(治らす)」天皇)」 皇室のあり方を体現された仁徳天皇 ■天壌無窮の神勅~日本書紀の伝える天皇統治の起源 天照大御神から国を「しらす」ご命令を受けて天下った皇室のご祖先 神武天皇のご即位 天壌無窮の神勅にみる予定説http //d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070105/1167993109 ■祭祀と統治の聖なる統合 古代においては、世界のあらゆる民族/国家において、祭事(まつりごと)は政事(まつりごと、政治)であった。 日本においては、この古代の祭祀と統治の統合の伝統が、現代も脈々と受け継がれている。 権力と権威の分離の伝統 ■皇室の起源と歴史について 神武即位紀元の由来(辛酉革命説) 欠史八代の実在性 戦後のマルクス主義(唯物史観)派の王朝交代説を排す 上記3項目は、歴史問題の基礎知識を参照して下さい。 昭和21(1946)年元旦の「新日本建設に関する詔書」(所謂「人間宣言」)の誤解を解く ■参考リンク 竹の間~竹田恒泰氏(旧皇族竹田宮家)ホームページ 人間宣言と木下道雄
https://w.atwiki.jp/livejupter/
なんJ用語の基礎知識 いまさら聞けないなんJ用語はここでチェックや!
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/157.html
姉妹ページであるアニメの基礎知識も参照。 こちらはその上級編(姉貴分の内容)ですが、外国文学の案内が中心となるため残念ながら日本語字幕付き動画を余り収拾できませんでした。 Lost In Austen(ジェイン・オースティンに恋して)Ep 1 Part 1 日本に『源氏物語』命の方々がいらっしゃるように、英国にも『プライドと偏見』命の方々がいらっしゃいます。 <目次> ■1.このページの目的 ■2.ロマン主義vs.反ロマン主義 ■3.国別の文学案内◆1.日本文学(国文学) ◆2.イギリス文学 ◆3.フランス文学 ◆4.ロシア文学 ◆5.アメリカ文学 ◆6.ドイツ文学 ■4.関連ページ ■5.ご意見、情報提供 ■1.このページの目的 文学を通じて、①人間心理に共通する事実と、②世界の諸民族の精神文化、を考察すること。 現代では、人々の生活は忙しくなり、読書に費やすべき時間は短い。文学に関心のある者は「読む価値のある作品」を見極めて「効率よく」学ぶ必要がある。 このページは、そうした「読む価値のある」作品を集めてみました。これだけ知っておけば貴方も博覧強記? ジェイン・オースティンの読書会 ■2.ロマン主義vs.反ロマン主義 文学の対立軸は、ロマン主義か、反ロマン主義か、に集約できる。 近代小説の嚆矢は、セルバンテス(スペイン)『ドン・キホーテ』(1605年)とされる。この作品は、それ以前に全盛を極めた荒唐無稽な騎士道ロマンに対するアンチ・テーゼとして、過度にロマンティックな主人公ドン・キホーテへの揶揄とペーソスを描いて好評を得、近代小説の扉を開いた。 続いて現れたのが、ラ・ファイエット夫人(フランス)『クレーブの奥方』(1678年)である。この作品は、夢物語のような従来の恋愛小説とは違って、主人公の恋愛心理の精密な描写を特色としており、「心理小説」という新しいジャンルを開拓して、後に続くラクロやスタンダール、フローベール、モーパッサン、ジッド、モーリヤック、プルーストらに大きな影響を及ぼし、その流れは、レイモン・ラディゲを通じて、三島由紀夫にまで及んでいる。 一方、ロマン主義の伝統は、ジャン・ジャック・ルソー作『新エロイーズ』(1760年)を以って頂点に達した。この小説は、18世紀最大のベスト・セラーとなり、ルソーの作家名と思想をフランス全土に広めるのに寄与したが、同時代のラクロは、『新エロイーズ』のパロディとして『危険な関係』を著した。現在では、ルソー『新エロイーズ』は忘れられた作品だが、ラクロ『危険な関係』は本家を遥かに凌いで、数次にわたって映画化されるなど依然として高評価を得ている。 ルソーの思想は1789年に始まるフランス革命を呼び起こす原動力となった。その時代を生きたスタンダールやバルザックは、ルソー風のロマンティシズムをうちに秘めながらも、人間心理の分析と社会の実相をリアリスティックに描き出した近代小説の本格的幕開けをつげる傑作群を、1830-40年代にかけて発表した。このリアリズム(写実主義)の流れは、次世代のフローベール、さらにその次の世代のモーパッサンに至って完成された。 一方、同時期のイギリスにはジェイン・オースティンが登場して、ロマンティシズムの対極にある平凡な田舎の社交生活をテーマとする人間模様を描いた。彼女の明晰な心理描写は人間心理の真実を見事に突いており、現在に至るまで英文学の最高作品として愛読者が絶えない。 ■まとめ■ (1)ルソー的(フランス的)なロマン主義 と (2)J.オースティン的(イギリス的)な反ロマン主義 の対比に注目しよう。 ■3.国別の文学案内 ◆1.日本文学(国文学) 「舞姫」 Die Tanzerin #1 作家 作品名 解説 森鴎外 『舞姫』 『うたかたの記』『文つかひ』と共にドイツ三部作と呼ばれる代表作。樋口一葉の『たけくらべ』『にごりえ』と並んで、雅文で書かれた日本文学の傑作である。ストーリー自体よりもその文体の流麗さで名高い。なおベルリン(旧東ベルリン)には森鴎外の下宿先の一つが「森鴎外記念館」として保存されており、フンボルト大学日本語学科の学生が受付アルバイトを務めている。 島崎藤村 『夜明け前』 文庫本4冊と長く、かつ最後の巻の最後の数章まで読まないと面白さが分からない、という厄介な作品だが、まさしく近代日本文学の最高峰である。 尾崎紅葉 『金色夜叉』 近代文学を代表する小説。作者が創作中に逝去したため、作品の全体像が掴めないという難点があるが、文語体と口語体を混合した文体は当時の華麗さを失っていない。 ◆2.イギリス文学 Pride and Prejudice (2005) Trailer 「プライドと偏見」 、 テレビ版(日本語吹き替え:1995年BBC製作) 作家 作品名 解説 ジェイン・オースティン 『プライドと偏見』 『自負と偏見』『高慢と偏見』と出版社により邦訳名が微妙に違っているので注意。原題は『Pride and Prejudice』サマセット・モーム(英)『世界の十大小説』、This Magazine s Week(米)編『一生の読書計画』その他の英米系の読書案内で、必ず最高級の文学作品として激賞される傑作中の傑作。映画『ユー・ガット・メール』でもヒロイン(メグ・ライアン)が「オースティンの『自負と偏見』はもう200回は読んだ」と発言している。同じオースティンの『分別と多感(Sense and Sensibility)』も人間観察が冴え渡っており、人気が高い。 サマセット・モーム 『人間の絆』 この作品はモームの人生経験を凝縮したものだがモームの作家としての限界が見え隠れしており、敢えて読む(精読する)ほどの価値は余りないと思う(飛ばし読みで十分)。モームの著書では世界の名作を評価した読書案内『世界の十大小説』の方が重要である。 D.H.ロレンス 『息子と恋人』 ロレンスは、ルソーと並んでかって日本の左翼に非常に好まれた作家であり、J.オースティン嫌いを公言していたことでも有名である。従って、その作品を読むことは左翼心理を分析することに繋がるのかも知れない。『息子と恋人』は、ロレンスの自伝的な作品であり、モームの『人間の絆』に相当するが、どちらも敢えて読む(精読する)ほどの価値はないように思う。他に代表作『チャタレイ夫人の恋人』『恋する女たち』がある。 ジョージ・オーウェル 『1984年』 全体主義の様相を描いた問題作。 ◆3.フランス文学 Dangerous Liaisons (trailer):「危険な関係」 Dangerous Liaisons (trailer):「赤と黒」 作家 作品名 解説 ジャン・ジャック・ルソー 『告白』 『社会契約論』で有名なルソーの自伝だが、脚色が多く指摘され「創作」と見なしたほうがよい。スタンダール『赤と黒』の主人公ジュリアン・ソレルの少年時代の愛読書は、この『告白』だったとされる。 ラクロ 『危険な関係』 革命前夜のフランス貴族の恋愛の実相を描いたこの作品は、少し前に出版され18世紀最大のベスト・セラーとなったジャン・ジャック・ルソーの恋愛小説『新エロイーズ』の過度のロマンティシズムへのアンチ・テーゼとして生まれ、現在では、本家よりはるかに多く読まれている傑作となった。 スタンダール 『赤と黒』 ナポレオン失脚後に復活したブルボン王制下のフランス社会の実相を描く。『赤と黒』はジャン・ジャック・ルソーの自伝『告白』を一つのモチーフとして構成されており、フランス革命~ナポレオン時代を生きたスタンダール(本名:アンリ・ベール)という一つの強烈な個性の人生経験と時代精神が凝縮された名作と評されている。サマセット・モーム(英)『世界の十大小説』の一つ。スタンダールは、17才でナポレオンのイタリア遠征軍に従軍し、のちにロシア遠征にも参加した稀有の経験を持つ人物で、イタリアを舞台にしたもう一つの傑作『パルムの僧院』も名高い。 バルザック 『ゴリオ爺さん』 赤と黒と同じくブルボン復古王制下のパリで繰り広げられる人間模様を描いた傑作。サマセット・モーム『世界の十大小説』の一つ。バルザックは他に『谷間の百合』『従姉ベット』など王制復古期のフランス全土を舞台とし、「人物再登場」の手法を駆使した膨大な連結小説群「人間喜劇」を残している。 フローベール 『感情教育』 こちらは、7月王制(ルイ・フィリップ王)期から2月革命を経て第二共和制に至る時期のフランス社会の実相を捉えた名作。スタンダールやバルザックとは違った革命や恋愛に対するある種の醒めた視線が新鮮。フローベールは『ボヴァリー夫人』がサマセット・モーム『世界の十大小説』に取り上げられている大作家である。 アンドレ・ジッド 『狭き門』 ジッドは第三共和制期を生きたノーベル賞作家。1920年代に共産党に入党し誕生したばかりのソ連に赴いたが、その実情に幻滅して共産党を脱退したことで知られる。スタンダールの影響が強く、精緻な心理描写を特色とする作品群を著している。『狭き門』はジッドの自伝的な作品であり、ラスト・シーンでジュリエットが主人公ジェローム(=ジッド)にかける言葉「さあ、もう目を覚まさなければ」の解釈を巡って論争のある佳作である。 ◆4.ロシア文学 Onegin Last Scene(「オネーギンの恋文」:ラストシーン) 作家 作品名 解説 プーシキン 『オネーギン』 韻文で書かれ「ロシア人の魂」とまで称えられるプーシキンの1830年代の名作。なお映画では、タチアーナがオネーギンの邸宅の図書館でジャン・ジャック・ルソー『新エロイーズ』を借りて池辺で読みふけり、思い余ってオネーギンに恋文を書き寄せてしまう、という設定になっている。 チェホフ 『犬を連れた奥さん』 没落してゆくロシア貴族の哀感を描いた作家。『桜の園』も有名。 ドストエフスキー 『罪と罰』 表の主人公ラスコリニコフが有名だが、作品後半部にスビドロガイロフが裏の主人公として存在感を増してくる不思議な構成を持つ傑作。対照的な2タイプの主人公を配する構成は『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』など後に続く大作でも踏襲されている。『カラマーゾフの兄弟』はサマセット・モーム『世界の十大小説』の一つ。しかしドフトエフスキーの作品は冗長性が著しく精読する必要はない。(飛ばし読みで) トルストイ 『戦争と平和』 サマセット・モーム『世界の十大小説』の一つ。『アンナ・カレーニナ』も名高い。ドフトエフスキーと同じく飛ばし読みで。 ◆5.アメリカ文学 Great Gatsby(「グレート・ギャツビー」(2000年TV版)の一部) 作家 作品名 解説 フィッツジェラルド 『グレート・ギャツビー』 経済的繁栄に沸く1920年代のアメリカ社会の一断面を描いた名作。「失われた世代」の作家ではヘミングウェイが有名だが、フィッツジェラルドはより典型的にアメリカン・ドリームを象徴する作家と見なされている。一昨年、村上春樹が翻訳版を出して話題となった。 ヘミングウェイ 『日はまた昇る』 ヘミングウェイはこの一冊のみ読めば十分。 メルヴィル 『白鯨(モビー・ディック)』 サマセット・モーム『世界の十大小説』の一つ。確かに希に見る名作だが、その面白さは文庫本2冊を確り最後の3章まで読み進めないと分からない、という厄介な作品でもある。 フォークナー 『響きと怒り』 上2つほどの価値はない。 ◆6.ドイツ文学 ヴェニスに死す 作家 作品名 解説 トーマス・マン 『魔の山』 ドイツ文学の伝統であるビルドゥングスロマン(教養小説、青年が様々な経験を通して人生の実相を学んでいく固定化された筋書きの小説分野)の代表作。ドイツ文学ははっきり言ってこれ一つ読めば十分である。しかし『魔の山』が長編過ぎてとっつきにくい場合は、まず『トニオ・クレーゲル』『ヴェニスに死す』両編を収めた岩波文庫本を試し読みするとよい。『トニオ~』は自意識過剰気味の文学青年の心境を吐露した短編、同じく『ヴェニス~』旅先で見掛けた美青年に魅せられた初老紳士を描いた短編である(つまりBL?)。 ヘルマン・ヘッセ 『ナルチスとゴルトムンド』 ヘッセは何故か日本の左翼教師に非常に好まれる作家であり、有名な『車輪の下』は「青年よ社会の車輪となるな」というメッセージを打ち出した小説とされるが、実際に読むとこの小説はトーマス・マンの欄で述べたドイツ伝統の教養小説の一つでしかない。ヘッセはその生涯に幾つもの教養小説を書いているが、『車輪の下』はそうした作品の中では内容の薄い部類であり、ヘッセの最高傑作は長編『ナルチスとゴルトムンド』である。しかも、その作品も上に述べたトーマス・マン『魔の山』に比較すれば随分と浅薄な内容にとどまっているため、もしヘッセをなるべく簡潔に把握したい場合は、『ラテン語学校生』をとりあえず試し読みすれば十分と思われる(ヘッセの作品には、結局この小品以上のメッセージはない)。 ■4.関連ページ アニメの基礎知識 ■5.ご意見、情報提供 Aliceが消されてしまって残念です。 -- 名無しさん (2009-11-30 19 56 41) ドストエフスキー トルストイを飛ばし読みしていいはずは無い -- 名無しさん (2011-10-29 18 30 54) ↑ドストエフスキー、トルストイは長々し過ぎて、まともに読むと半年くらいかかってしまうよ。 -- 名無しさん (2011-11-01 10 27 03) ↑半年はかからないと思う。一週間で読みきれる。 -- 名無しさん (2012-12-31 12 57 08) てめえ基準かよw知るかよw -- 名無しさん (2013-07-10 00 01 07) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/131.html
※以下は、今後記入すべき内容のプロット(このページは未完成です) ■皇統無私の伝統 「仰せの通、身に欲なく、天下万民をのみ慈悲仁恵に存じ候こと、人君たるものの第一の教云々」 たまたま、その秋、殿下は京都に御旅行になり、京都御所内にある仙洞御所に一週間御滞在になったことがある。京都御所内には数棟の土蔵があるが、そのうちの一つ、別に目立たぬ普通のお蔵のようではあるが、これが所謂東山御文庫で皇室にとっては非常に大切なお蔵である。扉には勅封が施されてあり、毎年秋季に東京から特に侍従が差し遣わされ、開扉の上、約一ヶ月かかって内贓品を曝涼するのが例となっている。内蔵されているものは御歴代の宸翰、旧記の類である。 殿下の京都御滞在が、ちょうど、この曝涼期間であったため、一日、殿下はお蔵拝見においでになった。私もお供をしていたため内部を拝見する機会を得たのであるが、多くの陳列品のうち、たまたま私の眼にうつったのが光格天皇の御書簡であった。 明治天皇より三代前の光格天皇は幼少僅か九歳で閑院宮家から入って帝位を継がせられ、御先々代、後桜町上皇(女帝)の並々ならぬ御訓育を多年に亙り受けさせられた次第であるが、おん年二十九歳のとき、その上皇に対して、したためられた御書簡がこれであった。別にゆっくり拝読したわけではなかったが、 「仰せの通、身に欲なく、天下万民をのみ慈悲仁恵に存じ候こと、人君たるものの第一の教云々」 のお筆の跡に、私は一瞬電撃を感じた次第であった。大江戸城によって天下を睥睨する徳川幕府全盛の時代にあって、三十六峰に包まれた、ここ京洛の地、清くさやけき御所のうちには、人知れず寂かに天下万民をのみ念とせられる御精神が脈々として皇統のうちに流れていた長い年月のあったことを初めて知り、私はおのずから身の引き締まるのを覚えた次第であった。 右の御書簡の外、いろいろなお歌を拝見しているうちに、私は大いに覚るところがあった。東山御文庫に充満する空気は「無私、ただ、くにたみを念(おも)う」の一言に尽きる、と私は観たのである。 その夜、京都市民の盛大な提灯行列が催され、一群また一群と数万の人々が仙洞御所の御門前を通り、万歳の声は広い御苑内を埋め尽くした。殿下は提灯片手に御門のところに立たせられて歓呼の声にこたえられ、私もお側におったが、そのうちに私の両眼から玉のような涙が次から次へと出てきて、何ともしようがない。いくら暗がりでも、あたりの人に余り恥ずかしいので、私は提灯の列を横切って反対側の人のいない芝生に逃れでて遠慮なく泣いた。殿下は、この万歳の声を、どんなお気持ちでお聞きになっておいでになるだろうかと思うと、涙が止まらない。今日の昼、ごらんになった東山御文庫内の烈々たる芳香は、いま殿下を厳しく且つ暖かく包んでいるに相違ない。いま聞えるこの万歳の歓呼の声は、結局は歴代の聖天子の御余徳に対する京都市民の感謝の声ではないか。積徳の余栄に、いま、このお若い殿下が酔われてはならぬ、と思うと、居ても立ってもいられない気持ちになった。 ~木下道雄(元侍従次官)著『宮中見聞録』京都東山御文庫の章より引用 (第119代 光格天皇より第117代 後桜町上皇に宛てた宸翰・現代語訳)寛政11(1799)年 (後桜町上皇)仰せの通り、仁君は仁を本といたし候事、古今和漢の書物にも数々これある事・・・(中略)・・・仰せの通り、何分自分を後にし天下万民を先とし、仁恵、誠信の心、朝夕昼夜に忘却さぜる時は、神も仏も御加護を垂れ給ふ事、誠に鏡に掛けて影をみるがごとくにて候。・・・(中略)・・・御厚意御念、此の御書付、実に実に有りがたく有りがたく存じまいらせ候。 (昭和天皇、宮内記者の質問への返答)昭和52(1977)年8月 国体というものは、日本の皇室は、昔から国民の信頼によって万世一系を保ってきたのであります。・・・(中略)・・・また(歴代天皇も)国民を我が子と考えられてきたのであり、それが皇室の伝統であります。・・・(中略)・・・日本の皇室は、世界の平和と国民の幸福を祈っていると言うことでは、昔も今も変わっていないと思います。 ■「国民(くにたみ)を治らす(しらす)」~天皇統治の本義とは何か 災害を見舞われる天皇皇后両陛下(写真) 「しらす」(治らす=知らす、「しる」の尊敬語)とは、国民の事情を知ること。(西洋的な「国民を支配する」概念とは完全に別個) 初代天皇(神武天皇)の諡号は「ハツクニシラススメラミコト(初めて国を「知らす(治らす)」天皇)」 皇室のあり方を体現された仁徳天皇 ■天壌無窮の神勅~日本書紀の伝える天皇統治の起源 天照大御神から国を「しらす」ご命令を受けて天下った皇室のご祖先 神武天皇のご即位 天壌無窮の神勅にみる予定説http //d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070105/1167993109 ■祭祀と統治の聖なる統合 古代においては、世界のあらゆる民族/国家において、祭事(まつりごと)は政事(まつりごと、政治)であった。 日本においては、この古代の祭祀と統治の統合の伝統が、現代も脈々と受け継がれている。 権力と権威の分離の伝統 ■皇室の起源と歴史について 神武即位紀元の由来(辛酉革命説) 欠史八代の実在性 戦後のマルクス主義(唯物史観)派の王朝交代説を排す 上記3項目は、歴史問題の基礎知識を参照して下さい。 昭和21(1946)年元旦の「新日本建設に関する詔書」(所謂「人間宣言」)の誤解を解く ■参考リンク 竹の間~竹田恒泰氏(旧皇族竹田宮家)ホームページ 人間宣言と木下道雄
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/255.html
※以下は、今後記入すべき内容のプロット(このページは未完成です) ■皇統無私の伝統 「仰せの通、身に欲なく、天下万民をのみ慈悲仁恵に存じ候こと、人君たるものの第一の教云々」 たまたま、その秋、殿下は京都に御旅行になり、京都御所内にある仙洞御所に一週間御滞在になったことがある。京都御所内には数棟の土蔵があるが、そのうちの一つ、別に目立たぬ普通のお蔵のようではあるが、これが所謂東山御文庫で皇室にとっては非常に大切なお蔵である。扉には勅封が施されてあり、毎年秋季に東京から特に侍従が差し遣わされ、開扉の上、約一ヶ月かかって内贓品を曝涼するのが例となっている。内蔵されているものは御歴代の宸翰、旧記の類である。 殿下の京都御滞在が、ちょうど、この曝涼期間であったため、一日、殿下はお蔵拝見においでになった。私もお供をしていたため内部を拝見する機会を得たのであるが、多くの陳列品のうち、たまたま私の眼にうつったのが光格天皇の御書簡であった。 明治天皇より三代前の光格天皇は幼少僅か九歳で閑院宮家から入って帝位を継がせられ、御先々代、後桜町上皇(女帝)の並々ならぬ御訓育を多年に亙り受けさせられた次第であるが、おん年二十九歳のとき、その上皇に対して、したためられた御書簡がこれであった。別にゆっくり拝読したわけではなかったが、 「仰せの通、身に欲なく、天下万民をのみ慈悲仁恵に存じ候こと、人君たるものの第一の教云々」 のお筆の跡に、私は一瞬電撃を感じた次第であった。大江戸城によって天下を睥睨する徳川幕府全盛の時代にあって、三十六峰に包まれた、ここ京洛の地、清くさやけき御所のうちには、人知れず寂かに天下万民をのみ念とせられる御精神が脈々として皇統のうちに流れていた長い年月のあったことを初めて知り、私はおのずから身の引き締まるのを覚えた次第であった。 右の御書簡の外、いろいろなお歌を拝見しているうちに、私は大いに覚るところがあった。東山御文庫に充満する空気は「無私、ただ、くにたみを念(おも)う」の一言に尽きる、と私は観たのである。 その夜、京都市民の盛大な提灯行列が催され、一群また一群と数万の人々が仙洞御所の御門前を通り、万歳の声は広い御苑内を埋め尽くした。殿下は提灯片手に御門のところに立たせられて歓呼の声にこたえられ、私もお側におったが、そのうちに私の両眼から玉のような涙が次から次へと出てきて、何ともしようがない。いくら暗がりでも、あたりの人に余り恥ずかしいので、私は提灯の列を横切って反対側の人のいない芝生に逃れでて遠慮なく泣いた。殿下は、この万歳の声を、どんなお気持ちでお聞きになっておいでになるだろうかと思うと、涙が止まらない。今日の昼、ごらんになった東山御文庫内の烈々たる芳香は、いま殿下を厳しく且つ暖かく包んでいるに相違ない。いま聞えるこの万歳の歓呼の声は、結局は歴代の聖天子の御余徳に対する京都市民の感謝の声ではないか。積徳の余栄に、いま、このお若い殿下が酔われてはならぬ、と思うと、居ても立ってもいられない気持ちになった。 ~木下道雄(元侍従次官)著『宮中見聞録』京都東山御文庫の章より引用 (第119代 光格天皇より第117代 後桜町上皇に宛てた宸翰・現代語訳)寛政11(1799)年 (後桜町上皇)仰せの通り、仁君は仁を本といたし候事、古今和漢の書物にも数々これある事・・・(中略)・・・仰せの通り、何分自分を後にし天下万民を先とし、仁恵、誠信の心、朝夕昼夜に忘却さぜる時は、神も仏も御加護を垂れ給ふ事、誠に鏡に掛けて影をみるがごとくにて候。・・・(中略)・・・御厚意御念、此の御書付、実に実に有りがたく有りがたく存じまいらせ候。 (昭和天皇、宮内記者の質問への返答)昭和52(1977)年8月 国体というものは、日本の皇室は、昔から国民の信頼によって万世一系を保ってきたのであります。・・・(中略)・・・また(歴代天皇も)国民を我が子と考えられてきたのであり、それが皇室の伝統であります。・・・(中略)・・・日本の皇室は、世界の平和と国民の幸福を祈っていると言うことでは、昔も今も変わっていないと思います。 ■「国民(くにたみ)を治らす(しらす)」~天皇統治の本義とは何か 災害を見舞われる天皇皇后両陛下(写真) 「しらす」(治らす=知らす、「しる」の尊敬語)とは、国民の事情を知ること。(西洋的な「国民を支配する」概念とは完全に別個) 初代天皇(神武天皇)の諡号は「ハツクニシラススメラミコト(初めて国を「知らす(治らす)」天皇)」 皇室のあり方を体現された仁徳天皇 ■天壌無窮の神勅~日本書紀の伝える天皇統治の起源 天照大御神から国を「しらす」ご命令を受けて天下った皇室のご祖先 神武天皇のご即位 天壌無窮の神勅にみる予定説http //d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070105/1167993109 ■祭祀と統治の聖なる統合 古代においては、世界のあらゆる民族/国家において、祭事(まつりごと)は政事(まつりごと、政治)であった。 日本においては、この古代の祭祀と統治の統合の伝統が、現代も脈々と受け継がれている。 権力と権威の分離の伝統 ■皇室の起源と歴史について 神武即位紀元の由来(辛酉革命説) 欠史八代の実在性 戦後のマルクス主義(唯物史観)派の王朝交代説を排す 上記3項目は、歴史問題の基礎知識を参照して下さい。 昭和21(1946)年元旦の「新日本建設に関する詔書」(所謂「人間宣言」)の誤解を解く ■参考リンク 竹の間~竹田恒泰氏(旧皇族竹田宮家)ホームページ 人間宣言と木下道雄
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/609.html
姉妹ページであるアニメの基礎知識も参照。 こちらはその上級編(姉貴分の内容)ですが、外国文学の案内が中心となるため残念ながら日本語字幕付き動画を余り収拾できませんでした。 Lost In Austen(ジェイン・オースティンに恋して)Ep 1 Part 1 日本に『源氏物語』命の方々がいらっしゃるように、英国にも『プライドと偏見』命の方々がいらっしゃいます。 <目次> ■1.このページの目的 ■2.ロマン主義vs.反ロマン主義 ■3.国別の文学案内◆1.日本文学(国文学) ◆2.イギリス文学 ◆3.フランス文学 ◆4.ロシア文学 ◆5.アメリカ文学 ◆6.ドイツ文学 ■4.関連ページ ■5.ご意見、情報提供 ■1.このページの目的 文学を通じて、①人間心理に共通する事実と、②世界の諸民族の精神文化、を考察すること。 現代では、人々の生活は忙しくなり、読書に費やすべき時間は短い。文学に関心のある者は「読む価値のある作品」を見極めて「効率よく」学ぶ必要がある。 このページは、そうした「読む価値のある」作品を集めてみました。これだけ知っておけば貴方も博覧強記? ジェイン・オースティンの読書会 ■2.ロマン主義vs.反ロマン主義 文学の対立軸は、ロマン主義か、反ロマン主義か、に集約できる。 近代小説の嚆矢は、セルバンテス(スペイン)『ドン・キホーテ』(1605年)とされる。この作品は、それ以前に全盛を極めた荒唐無稽な騎士道ロマンに対するアンチ・テーゼとして、過度にロマンティックな主人公ドン・キホーテへの揶揄とペーソスを描いて好評を得、近代小説の扉を開いた。 続いて現れたのが、ラ・ファイエット夫人(フランス)『クレーブの奥方』(1678年)である。この作品は、夢物語のような従来の恋愛小説とは違って、主人公の恋愛心理の精密な描写を特色としており、「心理小説」という新しいジャンルを開拓して、後に続くラクロやスタンダール、フローベール、モーパッサン、ジッド、モーリヤック、プルーストらに大きな影響を及ぼし、その流れは、レイモン・ラディゲを通じて、三島由紀夫にまで及んでいる。 一方、ロマン主義の伝統は、ジャン・ジャック・ルソー作『新エロイーズ』(1760年)を以って頂点に達した。この小説は、18世紀最大のベスト・セラーとなり、ルソーの作家名と思想をフランス全土に広めるのに寄与したが、同時代のラクロは、『新エロイーズ』のパロディとして『危険な関係』を著した。現在では、ルソー『新エロイーズ』は忘れられた作品だが、ラクロ『危険な関係』は本家を遥かに凌いで、数次にわたって映画化されるなど依然として高評価を得ている。 ルソーの思想は1789年に始まるフランス革命を呼び起こす原動力となった。その時代を生きたスタンダールやバルザックは、ルソー風のロマンティシズムをうちに秘めながらも、人間心理の分析と社会の実相をリアリスティックに描き出した近代小説の本格的幕開けをつげる傑作群を、1830-40年代にかけて発表した。このリアリズム(写実主義)の流れは、次世代のフローベール、さらにその次の世代のモーパッサンに至って完成された。 一方、同時期のイギリスにはジェイン・オースティンが登場して、ロマンティシズムの対極にある平凡な田舎の社交生活をテーマとする人間模様を描いた。彼女の明晰な心理描写は人間心理の真実を見事に突いており、現在に至るまで英文学の最高作品として愛読者が絶えない。 ■まとめ■ (1)ルソー的(フランス的)なロマン主義 と (2)J.オースティン的(イギリス的)な反ロマン主義 の対比に注目しよう。 ■3.国別の文学案内 ◆1.日本文学(国文学) 「舞姫」 Die Tanzerin #1 作家 作品名 解説 森鴎外 『舞姫』 『うたかたの記』『文つかひ』と共にドイツ三部作と呼ばれる代表作。樋口一葉の『たけくらべ』『にごりえ』と並んで、雅文で書かれた日本文学の傑作である。ストーリー自体よりもその文体の流麗さで名高い。なおベルリン(旧東ベルリン)には森鴎外の下宿先の一つが「森鴎外記念館」として保存されており、フンボルト大学日本語学科の学生が受付アルバイトを務めている。 島崎藤村 『夜明け前』 文庫本4冊と長く、かつ最後の巻の最後の数章まで読まないと面白さが分からない、という厄介な作品だが、まさしく近代日本文学の最高峰である。 尾崎紅葉 『金色夜叉』 近代文学を代表する小説。作者が創作中に逝去したため、作品の全体像が掴めないという難点があるが、文語体と口語体を混合した文体は当時の華麗さを失っていない。 ◆2.イギリス文学 Pride and Prejudice (2005) Trailer 「プライドと偏見」 、テレビ版(日本語吹き替え:1995年BBC製作) 作家 作品名 解説 ジェイン・オースティン 『プライドと偏見』 『自負と偏見』『高慢と偏見』と出版社により邦訳名が微妙に違っているので注意。原題は『Pride and Prejudice』サマセット・モーム(英)『世界の十大小説』、This Magazine s Week(米)編『一生の読書計画』その他の英米系の読書案内で、必ず最高級の文学作品として激賞される傑作中の傑作。映画『ユー・ガット・メール』でもヒロイン(メグ・ライアン)が「オースティンの『自負と偏見』はもう200回は読んだ」と発言している。同じオースティンの『分別と多感(Sense and Sensibility)』も人間観察が冴え渡っており、人気が高い。 サマセット・モーム 『人間の絆』 この作品はモームの人生経験を凝縮したものだがモームの作家としての限界が見え隠れしており、敢えて読む(精読する)ほどの価値は余りないと思う(飛ばし読みで十分)。モームの著書では世界の名作を評価した読書案内『世界の十大小説』の方が重要である。 D.H.ロレンス 『息子と恋人』 ロレンスは、ルソーと並んでかって日本の左翼に非常に好まれた作家であり、J.オースティン嫌いを公言していたことでも有名である。従って、その作品を読むことは左翼心理を分析することに繋がるのかも知れない。『息子と恋人』は、ロレンスの自伝的な作品であり、モームの『人間の絆』に相当するが、どちらも敢えて読む(精読する)ほどの価値はないように思う。他に代表作『チャタレイ夫人の恋人』『恋する女たち』がある。 ジョージ・オーウェル 『1984年』 全体主義の様相を描いた問題作。 ◆3.フランス文学 Dangerous Liaisons (trailer):「危険な関係」 Dangerous Liaisons (trailer):「赤と黒」 作家 作品名 解説 ジャン・ジャック・ルソー 『告白』 『社会契約論』で有名なルソーの自伝だが、脚色が多く指摘され「創作」と見なしたほうがよい。スタンダール『赤と黒』の主人公ジュリアン・ソレルの少年時代の愛読書は、この『告白』だったとされる。 ラクロ 『危険な関係』 革命前夜のフランス貴族の恋愛の実相を描いたこの作品は、少し前に出版され18世紀最大のベスト・セラーとなったジャン・ジャック・ルソーの恋愛小説『新エロイーズ』の過度のロマンティシズムへのアンチ・テーゼとして生まれ、現在では、本家よりはるかに多く読まれている傑作となった。 スタンダール 『赤と黒』 ナポレオン失脚後に復活したブルボン王制下のフランス社会の実相を描く。『赤と黒』はジャン・ジャック・ルソーの自伝『告白』を一つのモチーフとして構成されており、フランス革命~ナポレオン時代を生きたスタンダール(本名:アンリ・ベール)という一つの強烈な個性の人生経験と時代精神が凝縮された名作と評されている。サマセット・モーム(英)『世界の十大小説』の一つ。スタンダールは、17才でナポレオンのイタリア遠征軍に従軍し、のちにロシア遠征にも参加した稀有の経験を持つ人物で、イタリアを舞台にしたもう一つの傑作『パルムの僧院』も名高い。 バルザック 『ゴリオ爺さん』 赤と黒と同じくブルボン復古王制下のパリで繰り広げられる人間模様を描いた傑作。サマセット・モーム『世界の十大小説』の一つ。バルザックは他に『谷間の百合』『従姉ベット』など王制復古期のフランス全土を舞台とし、「人物再登場」の手法を駆使した膨大な連結小説群「人間喜劇」を残している。 フローベール 『感情教育』 こちらは、7月王制(ルイ・フィリップ王)期から2月革命を経て第二共和制に至る時期のフランス社会の実相を捉えた名作。スタンダールやバルザックとは違った革命や恋愛に対するある種の醒めた視線が新鮮。フローベールは『ボヴァリー夫人』がサマセット・モーム『世界の十大小説』に取り上げられている大作家である。 アンドレ・ジッド 『狭き門』 ジッドは第三共和制期を生きたノーベル賞作家。1920年代に共産党に入党し誕生したばかりのソ連に赴いたが、その実情に幻滅して共産党を脱退したことで知られる。スタンダールの影響が強く、精緻な心理描写を特色とする作品群を著している。『狭き門』はジッドの自伝的な作品であり、ラスト・シーンでジュリエットが主人公ジェローム(=ジッド)にかける言葉「さあ、もう目を覚まさなければ」の解釈を巡って論争のある佳作である。 ◆4.ロシア文学 Onegin Last Scene(「オネーギンの恋文」:ラストシーン) 作家 作品名 解説 プーシキン 『オネーギン』 韻文で書かれ「ロシア人の魂」とまで称えられるプーシキンの1830年代の名作。なお映画では、タチアーナがオネーギンの邸宅の図書館でジャン・ジャック・ルソー『新エロイーズ』を借りて池辺で読みふけり、思い余ってオネーギンに恋文を書き寄せてしまう、という設定になっている。 チェホフ 『犬を連れた奥さん』 没落してゆくロシア貴族の哀感を描いた作家。『桜の園』も有名。 ドストエフスキー 『罪と罰』 表の主人公ラスコリニコフが有名だが、作品後半部にスビドロガイロフが裏の主人公として存在感を増してくる不思議な構成を持つ傑作。対照的な2タイプの主人公を配する構成は『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』など後に続く大作でも踏襲されている。『カラマーゾフの兄弟』はサマセット・モーム『世界の十大小説』の一つ。しかしドフトエフスキーの作品は冗長性が著しく精読する必要はない。(飛ばし読みで) トルストイ 『戦争と平和』 サマセット・モーム『世界の十大小説』の一つ。『アンナ・カレーニナ』も名高い。ドフトエフスキーと同じく飛ばし読みで。 ◆5.アメリカ文学 Great Gatsby(「グレート・ギャツビー」(2000年TV版)の一部) 作家 作品名 解説 フィッツジェラルド 『グレート・ギャツビー』 経済的繁栄に沸く1920年代のアメリカ社会の一断面を描いた名作。「失われた世代」の作家ではヘミングウェイが有名だが、フィッツジェラルドはより典型的にアメリカン・ドリームを象徴する作家と見なされている。一昨年、村上春樹が翻訳版を出して話題となった。 ヘミングウェイ 『日はまた昇る』 ヘミングウェイはこの一冊のみ読めば十分。 メルヴィル 『白鯨(モビー・ディック)』 サマセット・モーム『世界の十大小説』の一つ。確かに希に見る名作だが、その面白さは文庫本2冊を確り最後の3章まで読み進めないと分からない、という厄介な作品でもある。 フォークナー 『響きと怒り』 上2つほどの価値はない。 ◆6.ドイツ文学 ヴェニスに死す 作家 作品名 解説 トーマス・マン 『魔の山』 ドイツ文学の伝統であるビルドゥングスロマン(教養小説、青年が様々な経験を通して人生の実相を学んでいく固定化された筋書きの小説分野)の代表作。ドイツ文学ははっきり言ってこれ一つ読めば十分である。しかし『魔の山』が長編過ぎてとっつきにくい場合は、まず『トニオ・クレーゲル』『ヴェニスに死す』両編を収めた岩波文庫本を試し読みするとよい。『トニオ~』は自意識過剰気味の文学青年の心境を吐露した短編、同じく『ヴェニス~』旅先で見掛けた美青年に魅せられた初老紳士を描いた短編である(つまりBL?)。 ヘルマン・ヘッセ 『ナルチスとゴルトムンド』 ヘッセは何故か日本の左翼教師に非常に好まれる作家であり、有名な『車輪の下』は「青年よ社会の車輪となるな」というメッセージを打ち出した小説とされるが、実際に読むとこの小説はトーマス・マンの欄で述べたドイツ伝統の教養小説の一つでしかない。ヘッセはその生涯に幾つもの教養小説を書いているが、『車輪の下』はそうした作品の中では内容の薄い部類であり、ヘッセの最高傑作は長編『ナルチスとゴルトムンド』である。しかも、その作品も上に述べたトーマス・マン『魔の山』に比較すれば随分と浅薄な内容にとどまっているため、もしヘッセをなるべく簡潔に把握したい場合は、『ラテン語学校生』をとりあえず試し読みすれば十分と思われる(ヘッセの作品には、結局この小品以上のメッセージはない)。 ■4.関連ページ アニメの基礎知識 ■5.ご意見、情報提供 Aliceが消されてしまって残念です。 -- 名無しさん (2009-11-30 19 56 41) ドストエフスキー トルストイを飛ばし読みしていいはずは無い -- 名無しさん (2011-10-29 18 30 54) ↑ドストエフスキー、トルストイは長々し過ぎて、まともに読むと半年くらいかかってしまうよ。 -- 名無しさん (2011-11-01 10 27 03) ↑半年はかからないと思う。一週間で読みきれる。 -- 名無しさん (2012-12-31 12 57 08) てめえ基準かよw知るかよw -- 名無しさん (2013-07-10 00 01 07)
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/51.html
<目次> ■当ページの目的 ■先ず何よりも・・・ ■経済政策の対立軸~「新自由主義経済政策」か「ケインズ派経済政策」か ■経済学(1).現代経済学(近代経済学)とマルクス経済学 (2).ミクロ経済学とマクロ経済学 (3).新自由主義とケインズ派 ■経済政策 ■経済学は社会科学の女王~数値とモデルで説明できなければ無価値 ■定性的な言説に、定量的な分析を加える工夫を~「数値で考える」「モデル化する」 ■参考サイト ■ご意見、情報提供 ■当ページの目的 当サイトでは政治の政策の中で経済のお話などがたくさん出てきます。 経済についての基礎知識がないと、財政政策・金融政策などの良し悪しの判断が難しくなります。 そこで、今まで経済に興味を持っていなかった方々へ、 経済の基礎的な知識を勉強していただくため、このページを設けました。 全くの初心者でも分かるように説明いたします。 ■先ず何よりも・・・ Blog Ranking ニュース部門不動の1位三橋貴明氏のblog新世紀のビッグブラザーへを毎日読もう! 数年前から「集合知」を束ねて韓国の経済崩壊を見事予想、韓国サイドから「King of Net-Uyo」の称号を贈られた"伝説のネラー"。 日経新聞なんか毎日毎日、懸命に読み込んでいた頃の自分は一体何だったんだ・・・(※最近の日経新聞は特亜バイアスが異常に強い) コメント欄で展開される様々な分析も興味深い。何はともあれ、このblogだけは読みましょう!関連ページ⇒ 三橋貴明 ■経済政策の対立軸~「新自由主義経済政策」か「ケインズ派経済政策」か 麻生政権は、サブプライム・ローン危機に対応して、小泉政権期の経済政策から大胆に軌道修正を図りましたが、政策効果が漸く現れ始めた所で政権交代となってしまいました。 鳩山民主党政権は、せっかく成立した補正予算の一部執行停止を明言しており、今後整合的な経済政策を提示・実行できるのか懸念されます。 新自由主義経済政策 ケインズ派経済政策 政府介入 小さな政府を志向 大きな政府を志向 典型例 小泉政権、なお福田赳夫(元首相)以来の清和会(町村派)の基本的経済政策 小渕政権、麻生政権なお田中角栄(元首相)以来の経世会(津島派)の基本的経済政策 マクロ政策 金融政策重視市場の自立調整機能を信頼 財政政策重視政府の介入による市場調整 財政方針 財政再建を優先 財政出動を容認 構造改革 構造改革を推進 構造改革に否定的 物価動向 デフレ傾向・長期で円高 インフレ傾向・長期で円安 その他 市場効率化の結果として(一時的な)格差拡大を招来市場全体の成長力は伸張(パイの拡大) 競争制限・政府介入の結果として比較的均等分配市場全体の成長力は衰弱(パイの萎縮) ケインズv.s.ハイエク ※英国の経済学者J.M.ケインズの名は広く知られていますが、F.A.ハイエクの名は一般には余り知られていません。この機会に覚えましょう。 ※ハイエクは、1980年代の英サッチャー 米レーガン両政権の諸政策に理論的基礎を与えた20世紀後半の最重要の経済学者・法思想家・政治哲学者です。 ※ハイエクは、日本ではノーベル経済学賞を受賞した経済学者、という限定した紹介のされ方をする場合が多いのですが、実際には法思想・政治哲学を経済学とリンクさせつつ生涯追求し続けた一代の碩学であり、ナチス・ドイツや旧ソ連・東欧諸国などの全体主義体制に対して激しい闘志を燃やしたことで知られます。 ※参考⇒ハイエク著『隷従への道』の要約(計画経済などの設計主義的合理主義が、旧ソ連・ナチス型の全体主義に至る危険性を訴えた有名な動画)(更に詳しくは、ハイエクと自由主義へ) ■経済学 裏組曲「近代経済学」 (1).現代経済学(近代経済学)とマルクス経済学 経済学を大きく分けると、①現代経済学(近代経済学、近経)と②マルクス経済学(マル経)の2種類があります。 ①現代経済学は、資本主義の経済学、②マルクス経済学は社会主義や共産主義の国の経済学です。 資本主義とは、資本(工場設備や農具など物理的な生産手段のこと)の私有を認め、市場(マーケット)を通じて自由な価格形成を認める立場です。所得は個々人の能力に応じて分配されます。 共産主義とは、資本の私有を認めず、価格や生産量は政府が決定し、所得は能力には無関係に、個々人の必要に応じて分配されます。 社会主義とは、共産主義が実現される一歩手前の段階で、資本の私有は認めないが、所得は能力に応じて分配する、とするものです。 日本は資本主義の国ですから、①現代経済学が主流ですが、かっては(戦前や、戦後~1970年頃まで)②マルクス経済学もかなり盛んでした。 しかし1970年前後には社会主義・共産主義陣営の諸国の経済的停滞が広く知られるようになり、1980年前後に中国の市場経済への転換の動きが始まり、1990年前後にはソ連・東欧諸国が崩壊・体制変更するに至ったため、現在では②マルクス経済学が省みられることは殆どなくなっています。 (2).ミクロ経済学とマクロ経済学 ミクロ経済学は、個々の企業や家計の経済行動や、ある財やサービスの市場を分析します。 マクロ経済学は、一国のすべての財とサービスを足し合わせ、金額化して、その構成や変化を分析します。 (3).新自由主義とケインズ派 18世紀の英国の経済学者アダム・スミスによって確立された経済学を古典派経済学といいます。価格の自由伸縮性と市場の自動調整機能を前提とし、政府の市場介入を最小限に抑えるべきと考えます。 ケインズ派経済学は、世界恐慌を克服するために、1930年代半ばに英国の経済学者ケインズによって提唱された経済学で、古典派の前提とする価格の自動伸縮性と市場の自動調整機能に懐疑的で、不況期には政府が積極的に市場に介入すべきと考えます。 ケインズ派経済学は戦後隆盛を極めましたが、1970年代の石油ショック以降の先進国の不況を解決できませんでした。そこで、1980年頃から、かっての古典派経済学にならって、政府の市場介入を減らし市場の自動調整機能を活性化させようと考える新自由主義経済学が盛んになってきました。 市場万能を唱える新自由主義経済学は、1980-2000年代に大きな潮流となりましたが、近年サブプライム・ローン危機が発生し、ケインズ派経済学が再度見直されています。 組曲「マルクス経済学」 ■経済政策 マクロ経済への政府の介入(あるいは不介入)のことです。 経済の実態を的確に判断し、①古典派、②ケインズ派、両方の経済理論を適宜応用して、有効な経済政策を打ち出すことが求められます。 経済政策には、①財政政策(租税政策含む)、②金融政策、③為替政策、の3つがあります。 整合性の取れた経済政策を立案する必要があります。 ※ 例えば、①財政政策として国債を増発した場合には、通常は金利が上昇し財政政策の効果を減殺する(クラウディング・アウト)ので、②金融政策として金利引き下げを同時に行う必要が生じます(ポリシー・ミックス)。 ※ また、③為替政策は、日本の場合は、米国の経済状態や政策方針により、独自の為替介入が余り効果を持たない場合が多くあります。 「経済成長は全てを癒す」 ※ パイの奪い合いにエネルギーを費やすよりも、分配の対象となるパイ自体を大きくして各自の取り分を増やす、という方針です。 ※ これは、戦後一貫して自民党が推し進めてきた経済政策の根本姿勢で、この方針により日本は今日の経済繁栄を築き上げました。 ※ 一方、かっての社会党(現:社民党)や共産党は「パイの分配先をAからBに変えよ」という要求ばかりを提議してきました。 ※ その傾向は、現在の民主党にも強く見られ、今後の監視が必要です(パイの奪い合いに終始して、経済成長への戦略がない懸念が強い)。 ■経済学は社会科学の女王~数値とモデルで説明できなければ無価値 経済の実勢や、経済政策の効果(及び効果予測)は、経済統計(あるいはその予測値)によって評価されます。 経済政策を巡る論争も、当然、①経済統計に基づく数値データや、②それらを分析して組み立てたモデル、を通じて行われます。 ⇒ 論理的に辻褄の会わない(すなわち非科学的な)意見は厳しく排除されます。(経済学が「社会科学の女王」と呼ばれる所以) これは、怪しい言説が横行している、(1)政治学(政治論争) や (2)歴史学(歴史論争)と大きな違いであり、これらの分野は、経済学(経済論争)の在り方を大いに見習う必要があります。 かって経済学の分野でも、マルクス経済学が人々の心を捉えていた時期が長く続きました。 しかし、それは、旧共産主義国・社会主義国の経済的な崩壊という結末を迎えて、日本の経済学の分野からほぼ一掃されました。 ところが、(1)政治学、(2)歴史学 の分野では、今でも隠れマルキスト達が、リベラルや進歩派を名乗って居座ったままです。 ※ (1)政治学(政治論争)では、未だに丸山眞男(自由主義者の看板を掲げた隠れマルキスト)を絶賛したり、「天皇制ファシズム」など実証研究により既に否定された概念を使用する人物、 ※ (2)歴史学(歴史論争)では、「十五年戦争」「アジア太平洋戦争」などの何処の国の立場にいるのか分からない用語を未だに使用する人物、がそれに該当します。 経済学は、①数値志向、かつ、②オペレーション(運用)重視 ⇒ 分析者の思想や価値観は、余り意味を持たない(分析にバイアスが掛かっていると結果が伴いません) 分析の基本は、帰納法(実証的分析)です。安易に(教条的な)演繹法のワナに嵌らないよう注意しましょう。 このページの上のほうで、三橋貴明氏のブログを薦めていますが、それは、三橋氏の経済分析が、徹頭徹尾「数値データ重視」であり、各国の経済実態や各党の経済政策の評価にあたって、必ず数値データに裏付けられた根拠を提示しているからです。 ■定性的な言説に、定量的な分析を加える工夫を~「数値で考える」「モデル化する」 例えば、「民主党は売国政党だ」「麻生総理は愛国者だ」は、ともに定性的な言説です。(物事のある性質を記述⇒定性分析) これに対して、「民主党は87%が売国議員、13%が愛国議員だ」「麻生首相は、愛国・売国評価基準によれば +15ポイントの素晴らしい愛国者だ」は定量的な言説です。(成分量や構成比を記述⇒定量分析) このサイトでも、2CHなどの掲示板でも、ある現象の一側面だけを捉えた言説は多いです(そのような言説は余り説得力を持ちません)。 言説に説得力を持たせるのは、①数値データ、と、②整合性の取れたモデルの提示、です。 モデルには、(1)図モデル、(2)表モデル、(3)関数モデル(数式モデル)、があります(関数モデルが組み立て出来れば一番有効)。 言論の質を高める一つの作法として、定量分析を心掛け、またモデル化して表現する工夫を試してみましょう。 ■参考サイト 新世紀のビッグブラザーへ(ameblo版) 日比野庵 本館 ■ご意見、情報提供 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/mhfotw-cc/pages/277.html
知識 裝備 知識 複合屬性 穿龍棍基礎知識 重弩的一般裝填與壓縮裝填 G級的防禦力計算方式 裝備 配裝理論 絕對防禦的配裝理論
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/124.html
姉妹ページであるアニメの基礎知識も参照。 こちらはその上級編(姉貴分の内容)ですが、外国文学の案内が中心となるため残念ながら日本語字幕付き動画を余り収拾できませんでした。 Lost In Austen(ジェイン・オースティンに恋して)Ep 1 Part 1 日本に『源氏物語』命の方々がいらっしゃるように、英国にも『プライドと偏見』命の方々がいらっしゃいます。 <目次> ■1.このページの目的 ■2.ロマン主義vs.反ロマン主義 ■3.国別の文学案内◆1.日本文学(国文学) ◆2.イギリス文学 ◆3.フランス文学 ◆4.ロシア文学 ◆5.アメリカ文学 ◆6.ドイツ文学 ■4.関連ページ ■5.ご意見、情報提供 ■1.このページの目的 文学を通じて、①人間心理に共通する事実と、②世界の諸民族の精神文化、を考察すること。 現代では、人々の生活は忙しくなり、読書に費やすべき時間は短い。文学に関心のある者は「読む価値のある作品」を見極めて「効率よく」学ぶ必要がある。 このページは、そうした「読む価値のある」作品を集めてみました。これだけ知っておけば貴方も博覧強記? ジェイン・オースティンの読書会 ■2.ロマン主義vs.反ロマン主義 文学の対立軸は、ロマン主義か、反ロマン主義か、に集約できる。 近代小説の嚆矢は、セルバンテス(スペイン)『ドン・キホーテ』(1605年)とされる。この作品は、それ以前に全盛を極めた荒唐無稽な騎士道ロマンに対するアンチ・テーゼとして、過度にロマンティックな主人公ドン・キホーテへの揶揄とペーソスを描いて好評を得、近代小説の扉を開いた。 続いて現れたのが、ラ・ファイエット夫人(フランス)『クレーブの奥方』(1678年)である。この作品は、夢物語のような従来の恋愛小説とは違って、主人公の恋愛心理の精密な描写を特色としており、「心理小説」という新しいジャンルを開拓して、後に続くラクロやスタンダール、フローベール、モーパッサン、ジッド、モーリヤック、プルーストらに大きな影響を及ぼし、その流れは、レイモン・ラディゲを通じて、三島由紀夫にまで及んでいる。 一方、ロマン主義の伝統は、ジャン・ジャック・ルソー作『新エロイーズ』(1760年)を以って頂点に達した。この小説は、18世紀最大のベスト・セラーとなり、ルソーの作家名と思想をフランス全土に広めるのに寄与したが、同時代のラクロは、『新エロイーズ』のパロディとして『危険な関係』を著した。現在では、ルソー『新エロイーズ』は忘れられた作品だが、ラクロ『危険な関係』は本家を遥かに凌いで、数次にわたって映画化されるなど依然として高評価を得ている。 ルソーの思想は1789年に始まるフランス革命を呼び起こす原動力となった。その時代を生きたスタンダールやバルザックは、ルソー風のロマンティシズムをうちに秘めながらも、人間心理の分析と社会の実相をリアリスティックに描き出した近代小説の本格的幕開けをつげる傑作群を、1830-40年代にかけて発表した。このリアリズム(写実主義)の流れは、次世代のフローベール、さらにその次の世代のモーパッサンに至って完成された。 一方、同時期のイギリスにはジェイン・オースティンが登場して、ロマンティシズムの対極にある平凡な田舎の社交生活をテーマとする人間模様を描いた。彼女の明晰な心理描写は人間心理の真実を見事に突いており、現在に至るまで英文学の最高作品として愛読者が絶えない。 ■まとめ■ (1)ルソー的(フランス的)なロマン主義 と (2)J.オースティン的(イギリス的)な反ロマン主義 の対比に注目しよう。 ■3.国別の文学案内 ◆1.日本文学(国文学) 「舞姫」 Die Tanzerin #1 作家 作品名 解説 森鴎外 『舞姫』 『うたかたの記』『文つかひ』と共にドイツ三部作と呼ばれる代表作。樋口一葉の『たけくらべ』『にごりえ』と並んで、雅文で書かれた日本文学の傑作である。ストーリー自体よりもその文体の流麗さで名高い。なおベルリン(旧東ベルリン)には森鴎外の下宿先の一つが「森鴎外記念館」として保存されており、フンボルト大学日本語学科の学生が受付アルバイトを務めている。 島崎藤村 『夜明け前』 文庫本4冊と長く、かつ最後の巻の最後の数章まで読まないと面白さが分からない、という厄介な作品だが、まさしく近代日本文学の最高峰である。 尾崎紅葉 『金色夜叉』 近代文学を代表する小説。作者が創作中に逝去したため、作品の全体像が掴めないという難点があるが、文語体と口語体を混合した文体は当時の華麗さを失っていない。 ◆2.イギリス文学 Pride and Prejudice (2005) Trailer 「プライドと偏見」、テレビ版(日本語吹き替え:1995年BBC製作) 作家 作品名 解説 ジェイン・オースティン 『プライドと偏見』 『自負と偏見』『高慢と偏見』と出版社により邦訳名が微妙に違っているので注意。原題は『Pride and Prejudice』サマセット・モーム(英)『世界の十大小説』、This Magazine s Week(米)編『一生の読書計画』その他の英米系の読書案内で、必ず最高級の文学作品として激賞される傑作中の傑作。映画『ユー・ガット・メール』でもヒロイン(メグ・ライアン)が「オースティンの『自負と偏見』はもう200回は読んだ」と発言している。同じオースティンの『分別と多感(Sense and Sensibility)』も人間観察が冴え渡っており、人気が高い。 サマセット・モーム 『人間の絆』 この作品はモームの人生経験を凝縮したものだがモームの作家としての限界が見え隠れしており、敢えて読む(精読する)ほどの価値は余りないと思う(飛ばし読みで十分)。モームの著書では世界の名作を評価した読書案内『世界の十大小説』の方が重要である。 D.H.ロレンス 『息子と恋人』 ロレンスは、ルソーと並んでかって日本の左翼に非常に好まれた作家であり、J.オースティン嫌いを公言していたことでも有名である。従って、その作品を読むことは左翼心理を分析することに繋がるのかも知れない。『息子と恋人』は、ロレンスの自伝的な作品であり、モームの『人間の絆』に相当するが、どちらも敢えて読む(精読する)ほどの価値はないように思う。他に代表作『チャタレイ夫人の恋人』『恋する女たち』がある。 ジョージ・オーウェル 『1984年』 全体主義の様相を描いた問題作。 ◆3.フランス文学 Dangerous Liaisons (trailer):「危険な関係」 Dangerous Liaisons (trailer):「赤と黒」 作家 作品名 解説 ジャン・ジャック・ルソー 『告白』 『社会契約論』で有名なルソーの自伝だが、脚色が多く指摘され「創作」と見なしたほうがよい。スタンダール『赤と黒』の主人公ジュリアン・ソレルの少年時代の愛読書は、この『告白』だったとされる。 ラクロ 『危険な関係』 革命前夜のフランス貴族の恋愛の実相を描いたこの作品は、少し前に出版され18世紀最大のベスト・セラーとなったジャン・ジャック・ルソーの恋愛小説『新エロイーズ』の過度のロマンティシズムへのアンチ・テーゼとして生まれ、現在では、本家よりはるかに多く読まれている傑作となった。 スタンダール 『赤と黒』 ナポレオン失脚後に復活したブルボン王制下のフランス社会の実相を描く。『赤と黒』はジャン・ジャック・ルソーの自伝『告白』を一つのモチーフとして構成されており、フランス革命~ナポレオン時代を生きたスタンダール(本名:アンリ・ベール)という一つの強烈な個性の人生経験と時代精神が凝縮された名作と評されている。サマセット・モーム(英)『世界の十大小説』の一つ。スタンダールは、17才でナポレオンのイタリア遠征軍に従軍し、のちにロシア遠征にも参加した稀有の経験を持つ人物で、イタリアを舞台にしたもう一つの傑作『パルムの僧院』も名高い。 バルザック 『ゴリオ爺さん』 赤と黒と同じくブルボン復古王制下のパリで繰り広げられる人間模様を描いた傑作。サマセット・モーム『世界の十大小説』の一つ。バルザックは他に『谷間の百合』『従姉ベット』など王制復古期のフランス全土を舞台とし、「人物再登場」の手法を駆使した膨大な連結小説群「人間喜劇」を残している。 フローベール 『感情教育』 こちらは、7月王制(ルイ・フィリップ王)期から2月革命を経て第二共和制に至る時期のフランス社会の実相を捉えた名作。スタンダールやバルザックとは違った革命や恋愛に対するある種の醒めた視線が新鮮。フローベールは『ボヴァリー夫人』がサマセット・モーム『世界の十大小説』に取り上げられている大作家である。 アンドレ・ジッド 『狭き門』 ジッドは第三共和制期を生きたノーベル賞作家。1920年代に共産党に入党し誕生したばかりのソ連に赴いたが、その実情に幻滅して共産党を脱退したことで知られる。スタンダールの影響が強く、精緻な心理描写を特色とする作品群を著している。『狭き門』はジッドの自伝的な作品であり、ラスト・シーンでジュリエットが主人公ジェローム(=ジッド)にかける言葉「さあ、もう目を覚まさなければ」の解釈を巡って論争のある佳作である。 ◆4.ロシア文学 Onegin Last Scene(「オネーギンの恋文」:ラストシーン) 作家 作品名 解説 プーシキン 『オネーギン』 韻文で書かれ「ロシア人の魂」とまで称えられるプーシキンの1830年代の名作。なお映画では、タチアーナがオネーギンの邸宅の図書館でジャン・ジャック・ルソー『新エロイーズ』を借りて池辺で読みふけり、思い余ってオネーギンに恋文を書き寄せてしまう、という設定になっている。 チェホフ 『犬を連れた奥さん』 没落してゆくロシア貴族の哀感を描いた作家。『桜の園』も有名。 ドストエフスキー 『罪と罰』 表の主人公ラスコリニコフが有名だが、作品後半部にスビドロガイロフが裏の主人公として存在感を増してくる不思議な構成を持つ傑作。対照的な2タイプの主人公を配する構成は『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』など後に続く大作でも踏襲されている。『カラマーゾフの兄弟』はサマセット・モーム『世界の十大小説』の一つ。しかしドフトエフスキーの作品は冗長性が著しく精読する必要はない。(飛ばし読みで) トルストイ 『戦争と平和』 サマセット・モーム『世界の十大小説』の一つ。『アンナ・カレーニナ』も名高い。ドフトエフスキーと同じく飛ばし読みで。 ◆5.アメリカ文学 Great Gatsby(「グレート・ギャツビー」(2000年TV版)の一部) 作家 作品名 解説 フィッツジェラルド 『グレート・ギャツビー』 経済的繁栄に沸く1920年代のアメリカ社会の一断面を描いた名作。「失われた世代」の作家ではヘミングウェイが有名だが、フィッツジェラルドはより典型的にアメリカン・ドリームを象徴する作家と見なされている。一昨年、村上春樹が翻訳版を出して話題となった。 ヘミングウェイ 『日はまた昇る』 ヘミングウェイはこの一冊のみ読めば十分。 メルヴィル 『白鯨(モビー・ディック)』 サマセット・モーム『世界の十大小説』の一つ。確かに希に見る名作だが、その面白さは文庫本2冊を確り最後の3章まで読み進めないと分からない、という厄介な作品でもある。 フォークナー 『響きと怒り』 上2つほどの価値はない。 ◆6.ドイツ文学 ヴェニスに死す 作家 作品名 解説 トーマス・マン 『魔の山』 ドイツ文学の伝統であるビルドゥングスロマン(教養小説、青年が様々な経験を通して人生の実相を学んでいく固定化された筋書きの小説分野)の代表作。ドイツ文学ははっきり言ってこれ一つ読めば十分である。しかし『魔の山』が長編過ぎてとっつきにくい場合は、まず『トニオ・クレーゲル』『ヴェニスに死す』両編を収めた岩波文庫本を試し読みするとよい。『トニオ~』は自意識過剰気味の文学青年の心境を吐露した短編、同じく『ヴェニス~』旅先で見掛けた美青年に魅せられた初老紳士を描いた短編である(つまりBL?)。 ヘルマン・ヘッセ 『ナルチスとゴルトムンド』 ヘッセは何故か日本の左翼教師に非常に好まれる作家であり、有名な『車輪の下』は「青年よ社会の車輪となるな」というメッセージを打ち出した小説とされるが、実際に読むとこの小説はトーマス・マンの欄で述べたドイツ伝統の教養小説の一つでしかない。ヘッセはその生涯に幾つもの教養小説を書いているが、『車輪の下』はそうした作品の中では内容の薄い部類であり、ヘッセの最高傑作は長編『ナルチスとゴルトムンド』である。しかも、その作品も上に述べたトーマス・マン『魔の山』に比較すれば随分と浅薄な内容にとどまっているため、もしヘッセをなるべく簡潔に把握したい場合は、『ラテン語学校生』をとりあえず試し読みすれば十分と思われる(ヘッセの作品には、結局この小品以上のメッセージはない)。 ■4.関連ページ アニメの基礎知識 ■5.ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... Aliceが消されてしまって残念です。 -- 名無しさん (2009-11-30 19 56 41) ドストエフスキー トルストイを飛ばし読みしていいはずは無い -- 名無しさん (2011-10-29 18 30 54) ↑ドストエフスキー、トルストイは長々し過ぎて、まともに読むと半年くらいかかってしまうよ。 -- 名無しさん (2011-11-01 10 27 03) ↑半年はかからないと思う。一週間で読みきれる。 -- 名無しさん (2012-12-31 12 57 08) てめえ基準かよw知るかよw -- 名無しさん (2013-07-10 00 01 07) 以下は最新コメント表示 Aliceが消されてしまって残念です。 -- 名無しさん (2009-11-30 19 56 41) ドストエフスキー トルストイを飛ばし読みしていいはずは無い -- 名無しさん (2011-10-29 18 30 54) ↑ドストエフスキー、トルストイは長々し過ぎて、まともに読むと半年くらいかかってしまうよ。 -- 名無しさん (2011-11-01 10 27 03) ↑半年はかからないと思う。一週間で読みきれる。 -- 名無しさん (2012-12-31 12 57 08) てめえ基準かよw知るかよw -- 名無しさん (2013-07-10 00 01 07) 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。