約 15,416 件
https://w.atwiki.jp/callofwar/pages/14.html
callofwarには選べるプレイマップを数種類の中からから選ぶことができる。 それらは普通(普段ある)のものと限定のもの(特別なラウンド)の2種類が存在する。 ここでは両者がどんなマップかを解説していく。 #contens ここでは個人的に感じたマップの難易度を★と☆で表しています。 ★の多さで難易度を5段階評価します。 通常マップ 普通のマップ。基本的なことがいろいろと学べる。 迷ったらこいつを選ぶといい。 ヨーロッパ-国家の衝突(難易度★☆☆☆☆) 名称:ヨーロッパ-国家の衝突 人数 22 必要な勝利ポイント 626 国家の選択 可能 連合を 組める 参加可能ランク 1以上 支援物資は 落ちる 匿名? ユーザー名公開ラウンド お手軽簡単な22人マップ。 ヨーロッパや北アフリカ、北米、一部西アジアが舞台。 領地としては + ... 英仏伊の植民地は独立、モロッコは北部だけスペインに最初から取られている。 ロシアは帝国と共産主義に分裂し、 アメリカも南北とミシガン州に分裂、逆にバルカン半島やチェコスロバキア、コーサカスは統合されている。 中欧ではルーマニアがハンガリーを併合、ポーランドは東に追いやられ、なぜかクリミアとコサックが存在する。 アジアではサウジアラビアがUAEを名乗っている。 一番の謎はコラ半島をフィンランドが領有していること。 個人的に初心者オススメマップ。 全員が同じ国力を保有し、プレイヤーは全員勝利ポイント50P、AI国はコサックとギリシャを除き10P、ギリシャとコサックは20Pとなる。 個人的にオススメの国は拡張先(ベネルクス)豊富、外交における選択肢もちょうど良い数と、このゲームのいろはが学べるフランス、共産主義ロシア、 なおアジア諸国ドクトリンは登場しない。 初心者の練習、復帰勢のリハビリといった使い方もあるが、検証や考案編成のお試しにもいいだろう。 登場国(AI国は○、プレイ可能国は●で表しています) ヨーロッパ...13名 + ... ●ドイツ ●フランス ●イギリス ●イタリア ●共産主義ロシア ●ロシア帝国 ●ウクライナ ●大フィンランド ●スウェーデン ●スペイン ●ユーゴスラビア ●大ルーマニア ●ポーランド ○アイスランド ○アイルランド ○アルバニア ○エストニア ○オーストリア ○オランダ ○カレリア ○ギリシャ ○クリミア ○コサック ○スイス ○チェコスロバキア ○デンマーク ○ノルウェー ○ブルガリア ○ベルギー ○ポルトガル ○ラトビア ○リトアニア ○ルクセンブルグ 北米...3名 + ... ●カナダ ●アメリカ北部諸州 ●南部合衆国 ○キューバ ○ミシガン州 北アフリカ...4名 + ... ●モロッコ ●アルジェリア ●リビア ●エジプト ○チュニジア ○西サハラ 中東、西アジア...2名 + ... ●トルコ ●コーサカス ○サウジアラビア(ゲーム内ではアラブ首長国連邦と間違って言っている) ○シリア ○イラク 勝利ポイントは626必要なため、どこでもいいのでどこかの国の都市を58個制圧すれば勝利できる。 (勝利ポイントは持っている都市の数×10) 太平洋遠征 このタイトルそのものが出ることは多くはなく、もっぱら 「callofwarゲーム」と表される。 アメリカ-銃後の守り このタイトルそのものが出ることは多くはなく、もっぱら「callofwarゲーム」と表される。 1939-歴史的世界大戦 1939-電撃戦(?) イベントマップ
https://w.atwiki.jp/democracyandpeace/pages/13.html
あなたは自民党と民主党を単なる“二大政党”だと思っていませんか? 自民党はとんでもない政党です。次の選挙で世間の様々なものに乗せられて自民党を選ぶのか、阻止するのかはあなた次第です。 自民党は「強欲資本主義・対米追随売国政党」なのです! まず「資本主義」というところから。 18世紀までのフランスは王室が中心の社会でした。人々は基本的に、生まれついた階級・仕事からは逃れられなくて、国を動かして税金を集めたりするのは王様とその周辺の権利を持つ人だけでした。 フランス革命で、一部の特権階級だけが得をするのでなく、人々の権利を認めて、商売などを生まれた家柄で分けられず、平等なルールで行い、みんなで話し合って国を動かす、“自由主義・民主主義”という2つの柱ができました。 同じころ、イギリスでは産業革命がおこり、技術が進歩するのと同時に、個人単位だった工場を、金(資本金)を持っている人が多くの工場、機械といった生産力を所有して、多くの労働者を雇うという近代的な「資本主義」ができました。しかし、資本家が生産力を個人で所有しているのに対し、労働者の給料は低く、彼らは一度労働者に生まれると、金を持たないのでよっぽど運か何かないと貯金もできず、株を買ったりして生産力を所有することはできません。彼らの労働は勿論社会全体の活動には不可欠ですが、働けば働くほど豊かになるのは資本家で、彼らの貯金が増えたり生活水準が急によくなったりはしませんでした。また、“女工”や児童労働、14時間労働など労働条件は最悪でしたが、資本家は利益のためですから、自然に改善などしません。 特権階級がなくなったところで、このような一部の資本家が生産手段を独占して、利益をどんどん作りだし、格差が開いて、金と力の前では民主主義も規制をしないと働きません。やがて、資本主義の競争で生産能力などは増大しますが、格差は開いて、資本家と労働者の階級は王様の特権階級と農民と同じ関係になります。つまり圧倒的多数の労働者には自分の生活や国の動きを決めることはできず、資本家にすべてが集中するということです。これを科学的に明らかにしたのは、『資本論』のマルクスです。 さて、このように資本主義が矛盾に陥ったとき、構造上の欠陥から多少調整してもうまくいかないとき、労働者の怒りは爆発し、資本家が独占所有する生産力とそれを支える国家(法律、いうことを聞かせて資本家の利益を守る警察や軍隊といった暴力装置)は廃止され、みんなが真に平等で、社会全体で生産力が共有され、労働は一部の人のものではなくなり、みんなが豊かな生活を送れることで他者から盗んだりすることもなくなり、社会の一部の人のための暴力装置や国家といった枠組みが消える「共産主義社会」が訪れるというのがマルクスが唱えた「共産主義」です。 この段階では真に人間が平等になり解放されているので最高の状態であり、王様→資本主義→共産主義と歴史が流れるのは必然的だという彼の考えは、マルクス主義的唯物史観とよばれ、歴史を長い目で見た時の主流な見方です。
https://w.atwiki.jp/peopleonstamps/pages/3018.html
Danielle Casanova (1909/1/9 - 1943/5/9) フランスのレジスタンス闘士。共産党員 ※Wikipedia日本版に記載なし。英語版による 最初の切手/出身国最初の切手(1983年、フランス発行)
https://w.atwiki.jp/nemodra-ironcurtain/pages/18.html
ゆっくりで学ぶ冷戦史シリーズ 冷戦時代の流れや共産主義の解説動画シリーズ。 トトキャンパス 各国の情勢や人物の解説動画シリーズ 戦史おねえさん WW2や現代のドクトリンの解説動画シリーズ。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2696.html
9 :Monolith兵:2014/07/22(火) 22 50 06 ネタSS「憂鬱日本欧州大戦 -勝利への遠い道-」 欧州戦線で日英仏独の艦隊がソ連の軍港に殴り込みをかける算段をしている頃、日本にもソ連に対して攻勢するように英仏独から要請が来ていた。 欧州では、ソ連軍の猛攻によりマンネルハイム線が崩壊。VKT防衛線まで戦線が後退していた。ドイツはソ連との戦争が始まりフィンランドへ戦力を割けなかった。 フランスは内戦状態の上に、パリに大勢の官僚が残されたために政府や群中央の機能が大幅に低下しており、ドイツ同様フィンランドへの本格的な部隊派遣は不可能だった。 イギリスは、乾いた雑巾を絞るかのように国内のなけなしの部隊や航空機をフィンランドへ派遣していたが、その結果予備戦力が底をつきかけていた。 一応、英仏独共に100万単位で動員出来ていたが、肝心の兵器の生産が全く追いついていなかったのだ。特に重火器の生産が消耗に追いついていなかった。ポーランド戦で重火器の多くと装備の優良な部隊を失ったのと、世界恐慌時に日本(主に辻)が毟り取ったのが響いていた。 そのような状況から、欧州側は日本に極東で動くように働きかけていた。 「だからと言って、我が国はアメリカとも対峙する必要があり、ソ連への攻撃に使える部隊が少ない。それを理解していただきたい。」 「解っています。アメリカとは我が国から話を付けています。 それに、現在のアメリカ大統領は連合国側について暴利を貪りたいと考えているようです。そこをついてアメリカを牽制する予定です。 それから、イギリスは満州にビルマやマレーから部隊を派遣します。これらの部隊は軽武装ですが、アメリカへの牽制には十分使えるでしょう。」 「我が国もインドシナから部隊を派遣する。我が国が体制を整えるまでの間、なんとか極東にソ連の意識を向けさせて欲しい。」 近衛はイギリス駐日大使やフランス駐日大使、ドイツ駐日大使と首相官邸で会談をしていた。 英仏独は、極東で日本がソ連に攻勢を仕掛ける事を要請してきた。英仏はフィンランドでの劣勢を挽回するために、ソ連の意識を極東に向けさせたいと思っていた。 この時期のフランスは、パリで戦闘を行いながらフィンランドでも戦うという、厳しい状況であった。その上に、フィンランドへの補給はだんだん細くなり、継戦能力が低下していた。国内の混乱を鎮めるには、まずパリを取り戻した上で、生産計画や兵站や派遣計画、更には鉄道の運行計画なども作り直さなければならず、それにかかる時間は短くても4ヶ月だろうと見積もられていた。 10 :Monolith兵:2014/07/22(火) 22 52 40 「どうかね?」 判断に困った近衛は同席していた永田陸軍大臣に尋ねた。 「規模によっては可能です。陸軍としては10個師団は欲しいところですが。」 可能という言葉を聞いた大使たちは喜んだが、10個師団という言葉が出た途端表情が固まった。 「そ、それはいくらなんでも・・・。」 フランス大使が情けない声をあげた。実は、英仏共に出せる戦力はそれほど多くないのだ。イギリスはビルマとマレーから合計6個師団を、フランスは仏印から1個旅団を出すつもりだった。 イギリスは、世界中の植民地から装備が優良な部隊を根こそぎ欧州に移動させていた。その為植民地には重火器の乏しい軽歩兵師団や警備部隊ばかりしか残っていなかった。 更にそういった部隊も兵器の生産に合わせて欧州へと引き抜かれていき、今や2戦級3戦級の部隊ばかりが少数しか残っていなかったのだ。 そしてフランスはイギリス以上に状況は厳しかった。アフリカやシリアから植民地兵部隊を欧州へ送っているものの、その兵站は厳しかった。その上に自国の兵器生産が低調であり、フィンランドやドイツに戦力を送るのみならず、国境付近に部隊を集結しつつあるイタリアへも対処せねばなら無かったからだ。 そして、仏印ではタイが不穏な動きを見せている上に、ホーチミン率いるベトミンが武装蜂起しており、満州に部隊を派遣する事は難しかった。イギリスに尻を蹴飛ばされてようやく1個旅団を搾り出せたが、その為に蜂起を鎮圧するのに梃子摺る事になった。後に日本の仲介でタイとの緊張は緩和されたために、仏印軍はゲリラ戦で戦うベトミンと熾烈な戦闘が行われる事になるのだが、ここでは割愛する。 「10個師団あればソ連に攻め込めるのですね?間違いありませんか?」 「攻め込んで見せます。そして、我が軍の名誉にかけて結果を出して見せます。」 イギリス大使の言葉に永田は力強く答えた。 「よろしい。では10個師団用意しましょう。」 永田の言葉に納得したのか、イギリス大使は10個師団を用意すると確約した。 こうして、日本は極東で攻勢の準備をする事になった。 11 :Monolith兵:2014/07/22(火) 22 53 48 1941年2月下旬、アメリカのホワイトハウスを駐米イギリス大使が訪問した。訪問目的は、アメリカがしつこく迫ってきている物資や兵器の発注についてだった。 そしてイギリス大使はウィルキー大統領に対して、イギリスは物資や兵器を条件付で発注したい旨を伝えた。その言葉にウォレス大統領は一瞬驚いた後満面の笑みを浮かべた。 「ありがとうございます。それで、条件とは?」 「条件は3つかあります。1つは米ソ不可侵条約の破棄。もう1つはアメリカ内部の共産主義者の排除。最後の1つは対ソ戦に耐えられる十分な性能の兵器を開発することです。」 その条件を聞いたウォレスは難しい顔をした。 「1つ目の条約の破棄は、議会の承認が必要な為時間がかかります。何より条約を結んでから僅か1年での破棄となると・・・。」 「この3つの条件が認められない場合、発注は取り消しとなります。よろしいですかな?」 ウォレスは慌てて「努力しよう。」とだけ述べるに留まった。アメリカ経済はどん底の中にあり、ここでイギリスの発注を失えば、這い上がることすら不可能かも知れないのだ。また、何が何でも発注を取らなければ、ホワイトハウスから彼は叩きだされる可能性もあった。 一方でイギリスはアメリカよりは余裕があった。現状は厳しいが、フランスは最短で6月以降、長くても年内には復帰できるし、極東で日本が動けば欧州の圧力も減る。そして、欧州最大の工業国ドイツは着々と戦力を増強しており、カナダに建設中の大規模な工場群は今年の秋から稼動予定だった。 それ以外にも、オランダやベルギー等が兵器の生産や輸出を開始しており、チェコの工業力も連合国にとって重要な存在となっていた。今年さえ何とか乗り切れば、反攻に移れる算段はついていたのだ。 また、あまり期待はしていなかったが、アメリカがこちらの条件を履行出来れば、イギリスも約束は守るつもりだった。そうすれば、ソ連への反抗は現在の計画よりもよりスムーズに行えるだろうとイギリスは考えていた。 もっとも、アメリカが97jやⅣ号戦車(17ポンド装備も含めて)並みの戦車や、96式戦闘機やスピットファイヤ、Fw190と言った高性能な戦闘機等を開発量産できるのは、どう見積もっても1943年ごろになる見通しだった。 M4の開発さえ遅々として進んでいないアメリカには、これらのハードルはとても大きいものだとイギリスは考えていたのだ。 なお、共産主義者がパリで起こした蛮行の数々が世界中に報道され後に、ソ連と共産主義者への恐怖から、米ソ不可侵条約は破棄される事になる。 「残りの条件は飲めます。前政権はいざ知らず、私達は共産主義者の排除を進めていますから。」 「では、この情報をお役立てください。」 そう言って大使がウォレスに渡したのは、分厚い大き目の封筒だった。断りを入れて中身を見ると、中には書類が多数入っていた。それを取り出して読み進めていくウォレスだったが、読み進めていく内に肩が震えだしていた。 12 :Monolith兵:2014/07/22(火) 22 54 38 「ソ連に潜入した我々の諜報員が送ってきた情報です。前政権では数多くの共産主義者が出入りしていたようです。ソ連でもかなり評価されているようです。」 「ルーズベルトは政策がアカ臭いと思っていたが、これほどとは・・・。それにロングは何ていう事を・・・。」 書類に書かれていたのは、ルーズベルト政権とロング政権の元で働いていた者達の一覧だった。その中にFBIがソ連のスパイとして逮捕した者がいたために、ウォレスはこの一覧表が正しい事をすぐに理解していた。 そして、続いて読んだ書類にはロング政権時代にソ連に売却された工場や生産設備と機械、更には弾薬工場にトラック等がずらっと並んでいた。 「これは・・・本当なのかね?」 「事実です。諜報員から送られてきた写真でも、アメリカ製のトラックや工作機械が大量に使われているのが見て取れます。」 そう言って、大使はもうひとつ封筒を渡した。その中には多数の写真が入っており、確かにアメリカ製トラックがソ連の軍人と一緒に写っていたり、アメリカ製の機械をロシア人らしき男が動かしていたりしていた。 (この情報を使えば、民主党を完膚なきまで叩きのめせる。これで共産主義者は徹底的に排除できるだろう。問題は一覧にあった企業についてだが、ロングの命令で仕方なく従ったとすれば問題は無いだろう。) ウォレスはすぐさまこれらの情報がどれだけ自分達の立場を強化するのに使えるか計算した。 「ありがとうございます。条件については必ず履行して見せます。」 「頼みますよ。」 2人は笑顔で握手を交わした。 そして、ウォレス大統領は議会でイギリスから得たこれらの情報を公表し、ルーズベルトとロングそして民主党を徹底的に糾弾した。公表された情報の威力は絶大で、民主党は大量の離党者を出し、街では反共主義者が元大統領らやスパイ達の処断を求めデモを繰り返した。 一方で、ソ連に生産設備などを輸出した企業などへも批判が出たが、ロングの命令で仕方なくやった、という弁護によって、市民の怒りはロングへと向かう事になった。 更にパリの被害が報道され始めると、共産主義者の排除を求める声は次第に大きくなり、政府は徹底的な捜査を約束した。 だが、共産主義者を逮捕しようとしてFBIが攻撃を受けたり、追い詰められた共産主義者による武装蜂起が相次ぐなどしたために、軍まで投入する自体になり、アメリカ国民にソ連=共産主義者は敵という意識が根付く事になったのであった。 13 :Monolith兵:2014/07/22(火) 22 55 26 アメリカで民主党の権勢ががた落ちになり徹底的なアカ狩りが進んでいる頃、日本はとうとうソ連に対して攻勢に出た。 日本はウラジオストック攻略のために、海軍は戦艦扶桑、山城と空母飛龍、蒼龍を基幹とした艦隊を派遣しており、陸軍と海軍の航空隊と合わせて強力な砲爆撃を加えていった。 「もうウラジオストックにまともな戦力は残っていないんじゃないか?」 「いや解らんぞ?旅順要塞なんて28センチ砲しこたま撃ち込まれても陥落しなかったし、要塞砲は発砲してからようやく解る様な物もあるからな。安心して近づいたらズドンなんてごめんこうむるぜ。」 95式陸攻のコックピットで搭乗員達がウラジオストックの様子を見て、ああでも無いこうでも無いと、勝手な憶測を立てていた。 日本が攻勢に出始めて5日が経ち、ウラジオストックの軍港や軍施設は粗方破壊されていた。艦艇もこれまでの度重なる空襲で殆どが破壊されていた。 日本の攻撃はウラジオストックのみならず、ハバロフスクやナホトカ、ウスリースクに対しても行われており、それらは陽動だった。本命はウラジオストックであり、その他の根拠地から救援が向かわないように牽制していたのだ。 これまでも各都市やシベリア鉄道の駅や線路、橋梁に対して爆撃が行われてきたが、今回の爆撃はこれまでにないほどの大規模なものだった。 ソ連も迎撃機を出したがアメリカとの睨み合いから開放された日本軍機の方が数も技量も上で、日本軍の被害は思ったより少なくて済んだ。 ソ連は、日本軍とアメリカ軍とを睨み合いをさせる事で極東に配備する兵力を最小限に留め、その分を欧州に投入していた。最近はアメリカが連合国側につこうと躍起になっているため、危機感を覚えたソ連は増援を決定していた、だが、その増援が到着するのは4月中旬の予定であり、未だ極東に配備された兵力は少なく、日本は次々と戦果を上げていった。 なお、極東に配備された機体は旧式機が多く、戦車も軽戦車や不要の烙印を押された多砲塔戦車が主力であった。 日本陸軍の将兵は、欧州の激戦を聞かされていた為に、ソ連極東軍を次々と撃破出来た事に首をかしげる事になった。後に旧式兵器ばかりしか存在しなかったことを聞かされた彼らは、「俺の覚悟を返せ。」「97式無双とかこれなんて火葬戦記?」などと愚痴を言う事になるのだが、全く本筋には関係ないので省略する。 「ウラジオストックの軍事施設はほぼ潰しました。沿岸砲台も粗方潰しましたので、次の段階に移れるでしょう。」 「だが、要塞内に退避した兵員は無事だろう。」 「ですが、弾薬庫や重火器は殆どが破壊できたと思われます。士気も低下しているでしょうから、攻略は容易なはずです。」 東条はウラジオストック沖合いの輸送船の中で、参謀たちと最後の作戦会議をしていた。ウラジオストックはソ連の重要な軍港として発展してきたために要塞化され、攻略は慎重に行われていた。 数多くの要塞砲やベトンで防御された機関銃陣地や重砲など、多くの重火器で防御された要塞は徹底的な爆撃で破壊され、更に戦艦による砲撃で崩壊していた。 すでにウラジオストックの防衛力は無くなったように思えたが、巧妙に隠された要塞砲により扶桑が305mm砲弾を2発貰い小破した。だが、要塞砲はすぐさま上空で待機していた航空隊と、戦艦2隻による反撃により破壊されていた。 まだ隠された火砲や機関銃陣地が残されている可能性はあったが、グズグズしていると敵の増援が現れる可能性もあるので、不安はあるものの上陸戦をしかける事を決定した。 「では、明日に上陸を開始する。海軍にはその旨を伝えて支援を要請しろ。」 そして、ウラジオストック攻略作戦は第2ステージに移った。 14 :Monolith兵:2014/07/22(火) 22 56 17 ウラジオストック上陸戦は、やはり隠されていた野砲と重機関銃により、600名ほどの損害を出してしまった。すぐさま97式艦爆によって潰され、それ以降上陸はスムーズに進み、第1波の3個師団がウラジオストック上陸に成功した。 上陸後、日本軍は散発的な攻撃をしてくるソ連軍を撃退しながら、支配地域を拡大していったが、3日目には連隊規模のソ連軍との戦闘に入り、その相手に手間取っている間に周辺からソ連軍が集まってきてしまった。運が悪い事に生き残っていた戦車部隊も合流し、日本軍は苦戦を強いられた。 しかも、一部の部隊は市民を盾に突撃をしてきた為に、思うように反撃が出来なかった。 第2派で上陸してきた戦車師団がようやく到着し、一部が迂回して敵の後背に回りこみ、ソ連軍を包囲して何とか撃破出来たが、日本側は4000近い損害を出してしまった。 また、市民側にも多数の死者がでており、日本は急遽医療部隊を投入して、彼らの治療に当てた。その様子は従軍カメラマンがカメラに収めており、後に写真は世界中に広がる事になる。 「奴ら、自国民を盾にするとは、何て卑劣な連中なんだ!」 「それが共産主義者というものなのだろう。じっさい、パリでも似たような話が伝わってきている。今回は、我が軍のふりをして攻撃してくる者は幸いいなかったが、この先出てこないとも限らん。今後の検討課題だな。」 東条はソ連の非道に怒る参謀に、これからもこういった事は続くだろう事を告げた。 「奴らが非道だからと言って、我々も奴らと同じ事をするわけにはいかん。捕虜への対応はきちんとするように。」 「わかっています。」 「奴らが市民を盾にとって攻撃してくる様子は写真に取ってあったな。おかげで世界中にソ連の非道さを宣伝できる。」 東条は、今回のソ連軍の非道な行いを公表し、世界中に宣伝するよう指示した。 こうして、日本はウラジオストックを占領し、アルチョーム、ナホトカと周辺の都市を次々と攻略していった。しかし、ウスリースクにソ連軍が軍弾規模の部隊を集結させつつあり、これ以上の進撃は困難となった。欧州側から一部の部隊が増援に向かっている、という情報が齎されたのも進撃の中止に影響した。 だが、それでも連合国が殴られてばかりの存在では無い事を証明して見せ、クロンシュタット・レニングラード奇襲も合わせて、連合軍の士気を上げるのに役立った。 また、フランスも6月には体制を建て直し、ドイツ戦線とドイツ戦線でソ連軍に対して押し返しつつあり、反攻も時間の問題だと思われていた。 それと合わせて、共産主義者の非道さ、異常さが世界中に宣伝される事になり、連合国以外でも共産主義者狩りを積極的に行う国も現れ始め、戦局は連合国に優位に傾きそうに思えていた。 15 :Monolith兵:2014/07/22(火) 22 57 04 しかし、それは2つの報告によって覆された。 1つは、ソ連によるイラン侵攻である。イランは第2次世界大戦勃発以後、中立を宣言していた。イギリスは連合国への参加を求めたが、戦場にされる事を恐れて拒否した。ドイツを加えた会談でソ連に侵攻された場合にのみ連合国に入るという、フィンランドやトルコと同等の秘密条約を締結していた。 8月25日に突如、ギーラーン社会主義共和国とクルド人民共和国と名乗る武装勢力がイランからの独立を宣言。イランはそれを認めず鎮圧しようとしたが、ソ連は両国の要請の元にという建前で介入を始め、快進撃を続けた。イランは動員を進め、連合国に助けを求めた。 ソ連と傀儡国は、8月末にはイランを縦断しアーバーダーンまで進撃して油田を占領していしまった。イラン軍は、何とかそれを防ごうと努力したが、戦力差は圧倒的であり、イギリスの応援を何度も要請していた。 だが、イギリスは有力な戦力を欧州へ投入しており、僅かに残っていた軽歩兵師団も満州へ投入しており、インドには編成途上の部隊や警備師団くらいしか残っていなかった。 そのような状況だったので、イギリスが兵器を掻き集めて何とか3個歩兵師団を編成派遣した時には、既にイランは首都を制圧されソ連と講和していた。 イランは講和条約で、ギーラーン社会主義共和国とクルド人民共和国の承認、アーバーダーンの採掘権を求められたが、そのどちらも拒否した。イギリスの応援を期待しての事だったが、残酷にもイギリスにその力は無かった。 イランの返答を知ったソ連側は、アーバーダーンの油田を破壊し、傀儡国は再び戦闘を開始した。これにはイランも先の条件を飲まざる得ず、9月15日にはソ連に対して友好的中立な新国家イラン民主共和国が誕生した。 イギリスは一連の出来事をただ見ているしかできず、編成した3個師団を使ってもイラン国内に駐留するソ連軍15万を相手にする事は出来ず、イランの中立を再確認すると引き下がる他無かった。 そして、ソ連はイギリスの心臓ともいうべきインドへ一撃を加える事が可能となった。イギリスはこれに対抗するために、戦力をインドに割かなくてはならず、欧州への兵力の輸送は低調となった。 フランス植民地兵がその穴を埋める事になったが、重火器が足りずソ連に対抗出来る対戦車兵器も無いために、一時は盛り返していた連合軍は再び押し返されるようになっていた。 もう1つは、ソ連がイタリアと接触していることであった。 イタリアは、フランス内戦の際にボルドー政府軍への支援という名目で国境線に部隊を集結させていた。それを脅威と考えたフランスはすぐさま国境付近の部隊を増強し、最終的に40万もの部隊を展開させていた。 イタリアも対抗上部隊を増強し30万まで膨れ上がっていたが、これ以上の部隊の派遣はイタリアの国力から難しかった。そこに付け込んだのがソ連だった。ソ連はイタリアに支援を約束し、ソ連側での参戦を促した。 イタリアは悪名高い共産主義者からの誘いに何度も拒否したが、その間にも状況はイタリアにとって悪化しており、もはや開戦も時間の問題だった。フランスは火事場泥棒をしようとしたイタリアに心底怒っており、懲罰戦争を求める声も少なくなかった。 もはや、イタリアに選択肢は無いも同然だった。そして、第2次世界大戦は新たな局面へと進む事になるのであった。 おわり
https://w.atwiki.jp/gava92/pages/189.html
共産主義マンセ――(゚∀゚)――!! -- 名無しさん (2006-12-01 17 48 30) 将軍様ーーーーーー!!! -- 名無しさん (2006-12-10 13 21 46) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/worldhscom/pages/77.html
概要 YUTANPOとはソ連替え歌などを投稿している共産趣味YouTuberである。 作品 ура! our rifle 残酷な四月のテーゼ リンク YouTube Twitter
https://w.atwiki.jp/peopleonstamps/pages/1628.html
Моисей Соломонович Урицкий / Moisei Uritsky (1873/1/14 - 1918/8/30) ソ連共産党の活動家。ペトログラード・チェーカー議長。ユダヤ人 最初の切手/出身国最初の切手(1933年、ロシア発行)
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/7411.html
左翼 ● 貧困ビジネス〔Wikipedia〕 貧困ビジネス(ひんこんビジネス)は、「貧困層をターゲットにしていて、かつ貧困からの脱却に資することなく、貧困を固定化するビジネス」。ネットカフェ、住み込み派遣、ゼロゼロ物件、無料低額宿泊所、消費者金融、およびヤミ金融などといった、経済的に困窮した社会的弱者を顧客として利益を上げる事業行為を指す。ホームレス支援や貧困問題にとり組むNPO法人『自立生活サポートセンター・もやい』の事務局長を務める湯浅誠により提唱された概念である。「貧困ビジネス」の概念は、「問題がビジネスモデルそれ自体にあるということ」を指し示すためにつくられた。それらのビジネスモデルが問題なのは、違法行為であるからだけではなく、そのシステムが非人間的なありかたを貧困層である当事者たちに強いるからであるという。貧困ビジネスを行う企業や団体の多くは「社会的企業」を装っているのが特徴的である。社会的企業は、社会問題(地球的課題)の解決をめざした社会変革を通じた社会貢献と企業の利益を両立させることを目的としている。しかし、貧困ビジネスは、「社会問題の解決」などではなく「社会問題の固定化」により利益を上げる、社会的企業の対極にある存在である。 ● 貧困ビジネス〔NAVERまとめ〕 ★ 貧困ビジネスとはなにか~生活困窮者向け宿泊所を中心に~ 「Yahoo!ニュース(2014.10.3)」より + 記事 生活困窮者の生活保護費を食い物にする「貧困ビジネス」で得た所得から約6381万円を脱税したとして所得税法違反容疑で逮捕された和合秀典容疑者(72)。低額宿泊施設「ユニティー出発(たびだち)」の元入居者らは2日、さいたま市内で会見を行い、「出たくても施設から出られない人がたくさんいる。これを機に行政のメスが入ってほしい」と憤りをあらわにした。 ユニティーをめぐっては平成23年、元入居者ら7人が原告となり、搾取された生活保護費の返還などを求める損害賠償訴訟をさいたま地裁に起こしていた。 弁護団や元入居者によると、ユニティーは路上生活者に声を掛けたり、求人広告を見て面接に訪れた生活困窮者らを入居者として集めていた。「寝場所もあるし食事も提供される」などと誘惑し、さいたま、戸田両市などに約50カ所ある施設へ連れて行き、生活保護の申請をさせるという。 月額約12万円の保護費は毎月、職員によって全額徴収され、入居者の手に戻るのは毎日500円の小遣いなど2万円程度だった。 施設は民家に個室を作った簡易な作りで、1人あたり2畳半ほどのスペースしかなく、食事はカップラーメンやレトルト食品など粗末なものしかなかった。22年3月末時点での入居者は326人。中には和合容疑者が経営する飲食店などで低賃金で働かされていた入居者もいるという。 出典 産経新聞 昨年は、さいたま市で同様に、NPO法人幸興友会(現在は解散)の関係者(元暴力団構成員)が生活保護費を着服する容疑で逮捕されている。 そのNPO法人の事業報告書はずさんで、どこから見ても適正な施設運営がなされている様子が見られなかった。 そのため、この実態についても問題視して、NPO法人ほっとプラスでは、繰り返し指摘をしながら、対応をしてきたところだ。 その施設から逃げてきて相談を受けた人々の声を集めて、NPO法人へ改善要望書を提出したところ、弁護士を通じて、名誉棄損による訴訟をほのめかす文書が送られてきたこともある。 これらの団体は、いわゆる貧困ビジネスとして生活困窮者向けあるいはホームレス向けの施設運営を行っている。 その手口は、顧客となる東京都内でホームレス生活をしている人々に声をかけていくものだ。 例えば、東京都内の路上では、今日もこのような声かけが業者によって行われている。 「生活に困っているなら仕事つきの寮があるからうちへ来ないか。」 「3食昼寝付きでおこづかいをやるから施設に入らないか。」 「寝るところがないなら生活保護の手続きを一緒にしてやる。」 「路上だと体壊すし辛いだろう。うちに来たら布団で寝られるぞ。」 このような声をかけながら、上野や池袋、新宿などにワゴン車を乗り付けて、ホームレスの人々を施設へ誘導する。 その施設が東京郊外の埼玉や神奈川、多摩地域、千葉などである。 現在、ニュースになっている「ユニティ出発」もさいたま市、戸田市を中心に約50か所の施設を展開する事業者だ。 施設に連れてこられた人々は、施設所在地の福祉課へ行き、生活保護申請を行う。 当然、生活困窮しているため、生活保護法通りに運用すれば、生活保護は受理され、施設利用料や生活費などが支給される。 問題はここからである。 貧困ビジネスの元利用者の声を紹介したい。 「施設利用料が何の名目で支払われているのか不明」 「食事内容と比べて食費が高額ではないか」 「使用できる部屋が狭すぎないか(2段ベットや6畳に2~3人)」 「プライバシーが保てない」 「仕事探しや自立のために活動する手持ちのお金が足りない」 「アパートに転居したいが囲い込まれて出られない」 「部屋が不衛生で住めない(ダニやシラミに刺される)」 「福祉課や第三者に相談してはいけないと言われる」 「携帯電話を没収される」 貧困ビジネス業者は、入所者の生活保護費を目的としているため、長い期間施設に居てもらえさえすればそれでよいという考えだ。 だから施設から出るための自立支援や生活支援はほとんどしない。 福祉専門職が適切に関わるわけでもない。 そのため、一度施設入所をすると出られなくなり、意欲も奪われ、「飼い慣らされてしまう」という表現であらわされる人々が多数生まれる。 当然ながら、基本的人権を含めた多くの権利侵害が見られるのは明らかであるし、生活保護法の目的とする「健康で文化的な最低限度の生活」は営むことができない。 このような貧困ビジネス施設は近年、増加傾向にある。 貧困者が増大し、一方でその人々を受け皿とする社会福祉施設(生活保護施設など)も減っているからだ。 当然、支援者がいなければ、お金がない人々がアパートなど不動産賃貸契約を結ぶこともできない。 ひとりで福祉課に相談すると、無料低額宿泊所や貧困ビジネスを紹介され、入れられてしまう恐れもある。 要するに、ホームレスや貧困者に対する施設や福祉サービス、住宅サービスが圧倒的に不足しているのだ。その寸隙を貧困ビジネスは見逃さない。 そして、「世の中のためになることをやっている」(ユニティ出発 代表:和合秀典容疑者の言葉)と勘違いしてしまうこととなる。 確認しておきたいことは、貧困ビジネスに入居している人々は、アパートに転居することができるということ。そして、支援をしてくれる人々もいる。 約5年前に、貧困ビジネス全国連絡会が立ち上がり、弁護士や司法書士、NPO法人も参加している。 転居支援や相談支援、損害賠償請求などを全国で繰り返している。 ぜひ気軽に弁護士や司法書士、支援団体に相談していただきたい。 また、貧困者に対する住まいの確保は、今後の日本の大きな課題だ。 いまは一部の法律家や熱心なNPOが独自にアパート探しなどを行って、生活保護申請などの支援をしているが、すべてに関与することはできない。 貧困に至っても、ホームレスにならなくてすむ安価な住宅が求められている。 しかし、これも公営住宅の激減をみれば理解できるように、対策は逆行している。 現状で貧困ビジネスを根絶することは極めて困難な社会情勢にある。 一歩一歩でも当事者の苦しさと向き合い、改善策を求めていくことを続けていくしかない。 藤田孝典 NPO法人ほっとプラス代表理事、社会福祉士 1982年生まれ。埼玉県越谷市在住。社会福祉士。首都圏で生活困窮者支援を行うソーシャルワーカー。生活保護や生活困窮者支援の在り方に関する活動と提言を行う。NPO法人ほっとプラス代表理事。反貧困ネットワーク埼玉代表。ブラック企業対策プロジェクト共同代表。厚生労働省社会保障審議会特別部会委員。著書に『ひとりも殺させない』『反貧困のソーシャルワーク実践』など。 ■ 【貧困ビジネスの闇】「8畳ワンルームにホームレス6人詰め込む」、村田らむが暴露する貧困層搾取の実態 blanklink プラグインエラー URLかページ名を入力してください。){https //www.youtube.com/@rakumachi ーー[チャプター]ーー 00 00 村田らむさんのプロフィール 03 03 貧困層をカモにする悪徳ビジネス 05 12 狭小アパートでの生活保護費搾取 11 31 命を奪う悪徳病院 15 17 貧困ビジネスに思うこと } 【日本共産党】 ■ 貧困報道のデタラメさ!日本共産党の貧困詐欺が始まるよ~!日本共産党幹部は貧困ですか? 「なでしこりん(2016.8.26)」より / 労働貴族の日本共産党は貧困者を利用するのを止めてください! NHKのヤラセ番組批判を個人の問題にすり替えたのは誰ですか? ....なでしこりんです。日本共産党という団体は本当に「人をだます詐欺行為」が大好きなようですね。共産党の傘下団体でしかない「民青」に「シールズ」と名乗らせ、これまた傘下のマスゴミに「シールズは一般学生の声」とやらせてみたものの、共産党のシールズ詐欺に引っかかったのは民進党だけでした。結局、何の成果もなく解散。シールズの奥田某などは、参議院選挙では埼玉の共産党公認候補の応援演説をやりましたが、何の効果もなく共産党候補は落選しました。 ....今日のニュース は「共産党の貧困詐欺」の話題。ことの発端はNHKが8月18日(木)に放送した夜7時のニュース番組の中にありました。そこで顔をさらしたのが女子高生の「うらら」さん。彼女が語った「貧乏なのでパソコンが買えず、1000円のキーボードだけで買って練習している」とか、「家にクーラーはなく、首に保冷剤を当てて過ごしている」という証言に「うさん臭さ」を感じた人たちが多かったようで、ネット上では彼女の証言を検証する人が登場したり、彼女の高校の同級生の証言が集まったりもしました。その結果、うららさんが「貧困詐欺を演じた人物」ということが明らかになります。 .....でも、彼女の「貧困芝居」に関しては、彼女自身を批判する声は少なく、彼女に「貧困芝居を演じさせた人物」への批判が主でした。私もこの「貧困詐欺芝居」ではNHK報道局の「戸田有紀によるやらせ番組」として記事を書きました。 .....ところが 本丸を突かれたパヨク界隈がやったのが「うららさんの個人」を問題化することでした。NHKのやらせ番組を批判する人たちは「女子高生のプライバシーを守る」ことに注意していましたが、NHKの戸田の「やらせ」を隠蔽したい連中は「うららさんの個人問題」にすりかえました。どちらが「個人のプライバシーを守る」側かがはっきりしたと思います。そもそも、NHKの戸田は「うららさんの顔」をテレビにさらすべきではなかった。うららさんは勇気ある女子高生はなく、大人に利用されたかわいそうな女子高生でしかありません。 ...ところが 再び「こりない共産党」がこの問題をプロパガンダに悪用し始めています。日本共産党は本当に懲りない連中です。「生活苦しいヤツは声あげろ」といくら叫んでも、日本共産党の国会議員の中から声を上げるヤツは誰一人いませんよ。不破議長は別荘持ちですし、志位和夫委員長だって年収は3000万円を超え、「趣味は寝る前にピアノでショパンを演奏すること」だそうです。ww 民青の諸君は、「共産党幹部はなぜ金持ちになれるのか?」を考えるべきです。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 神戸女子殺害事件の犯人は創価信者(2) 「せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』(2014.10.25)」より / 先ずは「神戸女子遺棄事件の犯人は創価信者」は→ こちら 前回は黙秘していたが、今回は殺害を自供したのでこのようにタイトルを変更したが、関連があるので(2)とさせて頂いた。この件ではDMMというニュースサイトが素晴らしい記事を書き続けている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【神戸女児遺棄】容疑者の背後に存在した「貧困というカネと票」 2014.10.22 09 00 DMMニュース 共産党系NPOに捨てられて創価学会が拾った (※mno.--中略) / この犯人が何故創価学会の信者だったのか?こんな的外れなコメントも寄せられていた。 <> アホちゃう!? 個人の犯行と組織関係ないやろっ!? そんな事は百も承知で取り上げていた。別に信仰だけの問題ではないものを感じたからこそ取り上げたのである。この点に関しては読者も既に気がついていた。 以前から、生活保護受給に関して創価公明党と共産党が、お互いにしのぎを削って来たのは、よく知られた話し。特に創価公明党は、いわゆる在日を主とした「朝鮮部落~あいりん地区」やホームレスに声を掛け、創価学会信者になる条件を見返りに生活保護申請をバックアップしてきたことは行政の担当者には知られた事実(笑)。余談だが、共産党も定期的に勉強会を開いて集まっているが、党員は皆誰しも、それなりの顔つき身なりをしている者が集まって来るが、毎週日曜日に池田文化会館に集めさせられる創価信者をよく見かけるが、どれもこれも顔つき身なりが(笑)。加えて全国に在る生活保護受給者がはいるアパート、地元では「福祉アパート~創価アパート~乞食アパート」と呼ばれている事は、よく耳にする。公団住宅も地元の公明党議員の口添えが有ると入居出来る事も有名で、新聞受けは聖教新聞だらけとか(笑)! [信濃町への警告]〓既に生活保護受給者で有りながら全国規模で学会信者に「アルミ缶持ち去り」を強制させ、換金させている事を皆さんご存知か!?理由は、いわゆる お布施 の強要である。ましてやアルミ缶回収業者も戦後からの典型的な在日。早朝、身なりがマトモでアルミ缶持ち去りをしている自転車を見かけたら、先ず創価学会信者で生活保護受給者と思って間違いなし! Posted by 〇真相の街角〇 at 2014年10月09日 05 11 このような記事こそ、本来は大手新聞社やテレビが伝えなければならないことだ。しかし、創価学会や共産党に都合の悪いことは決して取り上げない。 この問題は当ブログでも何度も書いています。別に創価学会と共産党だけではありません。在日も得意です。一つだけ挙げておきます。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) .
https://w.atwiki.jp/twinko/pages/37.html
人物 系譜 辞世の句 関連項目 新共産主義(新しくページを作成) 横領(新しくページを作成) 金があれば何でも出来る(新しくページを作成) 外部リンク