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登録日:2012/05/17 Thu 22 15 37 更新日:2024/04/24 Wed 12 27 03NEW! 所要時間:約 5 分で読めます ▽タグ一覧 0系新幹線電車 AOZ ガンダム ガンダム艦船項目 ザンジバル ザンジバル級機動巡洋艦 ジオン ジオン公国軍 一年戦争 巡洋艦 戦艦 機動戦士ガンダム 第08MS小隊 「このザンジバルが、ビグロの実戦テストの準備をしていなければ、木馬は追いきれなかった」 ▷目次 ◆ザンジバル級機動巡洋艦 建造経緯 解説 武装 同型艦ザンジバル マダガスカル ラグナレク ズワメル ケルゲレン テンペスト バンパイア ケルベロス(二世) ケラウノス ランバ・ラル隊のザンジバル キシリアが脱出に使ったザンジバル ジオン残党のザンジバル サングレ・アスル アナスタシア ザンジバル級のバリエーション 立体化 ◆ゲームでの活躍機動戦士ガンダム 戦士達の軌跡 ギレンの野望シリーズ SDガンダムX・GX・GNEXT・GCENTURY GジェネレーションDS 余談 ◆ザンジバル級機動巡洋艦 Zanzibar-Class Mobil Cruiser 所属:ジオン公国軍 全長:255m 全幅:221.8m 全高:70.5m 本体重量:22,000t 全備重量:24,000t 推進機関:熱核ジェット/ロケット ×4基 MS搭載数:3(異説4〜9)+MA2機 《武装》 連装主砲 ×1基 偏向型メガ粒子砲 ×4門 連装対空砲 ×5基 Jミサイル発射菅 ×2門 建造経緯 時は一年戦争。 地球に侵攻したジオン軍によってあまりにも長大となった補給線を支えるべく建造されたジオン唯一の大気圏内外両用艦、それがザンジバル級である。 一年戦争開戦より以前、ギレン・ザビの思想に基づいてジオン公国軍の方針が「国防」から「侵攻」に移行したことにつれてより外征軍的な装備の開発が求められるようになっていた。 地球降下用の装備としてはHLVやHOTOLのような大気圏往還機が存在していたが、これはあくまで非武装の輸送艇に過ぎず、予想される連邦軍の激しい抵抗の前には些か不安の残るものであった。 とりあえずはグワジン級を地球侵攻用艦艇として改装するプランが立てられていたものの、グワジンは高価で数を揃えられない上に大気圏突入へのノウハウが不足していたこともあって不安視する声も挙がっていた。 そこでサブプランとしてキシリア・ザビが(ギレンへの対抗心もあって)立ち上げたものが、このザンジバル級の建造計画であった。 あくまでサブプランであった本級は当初こそ上層部から重要視されていなかったが、グワジン級2番艦グワメルが大気圏突入実験に失敗して空中分解した一方でザンジバルは悠々と再突入に成功。 即座にザンジバル級の量産が決定され、建造を主導したキシリアは地球侵攻作戦におけるイニシアチブを握ることに成功したのであった。 解説 艦艇よりも巨大なシャトルのような航空機寄りの外観が特徴的だが、理由は後述。 武装は艦によって多少の差異があるが、固定式のメガ粒子砲4門、実弾式の連装主砲1基など、巡洋艦でありながら戦艦クラスにも匹敵する高い火力を持っている。 特に艦の両側面に搭載された超大型ミサイルの“J型ミサイル”は巡洋艦を一撃で沈められる程の威力がある。 カタパルトなどを備えていないもののモビルスーツ(以下MS)運用能力も高く、少なくともモビルアーマー2機にMS3機以上の搭載が可能であった。(*1) なお、MS及びMAの発進口は艦底部から投下する方式を採っている。 基本的なタイプのザンジバルにはまだカタパルトは無いので艦載機は自力での発進及び帰還となるが、重力下では発進時は投下、帰還はワイヤーを投下して引き揚げる方式となる。 しかし高性能なだけあって生産コストも高かったようで、ムサイやチベと比べると建造された数はあまり多くは無く、主に一部の特殊部隊などに配備されたという。 ちなみに艦体色は基本的に濃緑。別色の艦についてはその艦の解説(後述)にて述べる。 「高い性能を持つ大気圏内外両用艦」という特徴は地球連邦軍のペガサス級強襲揚陸艦とよく似ており、しばしば対比されることがある。 だが、この艦にはペガサス級に幾つかの面で劣る部分がある。 まず第一に火力が前面に集中し過ぎていること。 後方か側面に回られてしまうと主砲と機銃でしか攻撃手段が無くなってしまうのだ。 もっとも、これは最初から正面を向けての戦闘を念頭に置いて設計されているようで、武装配置だけでなく正面装甲もかなり強固に造られており、ホワイトベースのミサイルはもちろんのことマゼラン級の大口径メガ粒子砲をも弾くことが可能。 実際、シャアのザンジバルはワッケイン司令のマゼランと真正面から砲撃戦を行い、明らかに弾幕の密度で劣っていたにもかかわらずこれを一方的に撃沈せしめている。 しかし正面以外の装甲は厚いとは言えず、ホワイトベースの主砲で後方から貫通されたりサラミスの中口径メガ粒子砲による側面攻撃で撃沈されたケースもあり、やはり正面以外からの攻撃には滅法弱いようだ。 MSに任せる形で対空防御を切り捨てて軽巡らしからぬ後方支援火力に特化したムサイ等、こうした割り切りはジオン艦艇に散見される。 国力差を考えれば総合力を求めては勝負にならないという判断なのだろう。 もう一つは大気圏内での飛行能力。 大気圏内での使用が可能といってもミノフスキー・クラフトは搭載されておらず、航空機のようにリフティングボディと主翼で生み出される揚力と熱核ジェットによって飛行せざるを得なかった。 スペースシャトルのようなデザインはこのところによる部分が大きい。 また、大気圏離脱もブースター無しでは不可能であったりと、やはりミノフスキー・クラフトが無い点から大気圏内で使い続けるのは難しい。 しかし、劇中の描写からVTOL機のような垂直離着陸やホバリングなどは可能なようである。 とはいえ、基本的に輸送力優先で非武装のHLVや機銃程度しか持たず輸送量も多くないコムサイでは連邦空軍の邀撃機相手に嬲り殺しにされるしかないことに比べて、ある程度の輸送量を確保しつつ重武装のザンジバル級は連邦軍にとっては大きな脅威として大いに警戒され、そして遠く故郷を離れた地球で戦う前線のジオン軍兵士からは頼もしい存在として受け入れられた。 また地形を問わずに活躍出来る本艦はランバ・ラル隊やシャアのニュータイプ部隊、ジョニー・ライデンのキマイラ隊のような特務部隊などで運用され、地球・宇宙を問わず地球連邦軍を苦しめたのである。 なお、旧ジオン軍の装備をほぼそのまま引き継いだジオン共和国軍には、グワジン級も本級の姿も見られない。 ザビ家のイメージが強いグワジン級や、地球との往還が可能な本級はいらぬ誤解を招く恐れがあったからだろう。 また、ジオンの後継者を名乗る組織は数多いが、それらで運用されたのはムサイやグワジンの子孫ばかり。 大気圏突入や飛行についてもバリュートシステムとミノフスキークラフトの普及で容易になった為か、本級のコンセプトを受け継いだ艦種が現れることはなかった。 武装 連装主砲 艦体上部のハッチに格納された連装主砲。 資料によって火薬式の実弾砲だったりメガ粒子砲だったりと安定していない。 配置の都合で下方への攻撃は出来ないが、砲塔は360度旋回可能であらゆる方向へ攻撃出来る。 また、実弾設定の場合は「曲射出来ないビーム兵器だと地球の丸さや地形の影響を受けやすい為、大気圏内でも効果的に使用出来るようにに敢えて実弾を採用した」とされる。 偏向式メガ粒子砲 前面のハッチ内に装備された4門のメガ粒子砲。 ペガサス級とはまた違った形の偏向式で、こちらは完全な埋め込み式で極めて短い砲身となっているのである程度指向は可能だが正面にしか撃てない。 ランバ・ラルが地球に降下した際に搭乗していた艦には装備されておらず、代わりに撹乱用の投光器となっていた。 連装対空砲 艦首下部に3基、エンジン上部に2基備えた対空砲。 設定画や劇中描写では常に船外に露出させているが、大気圏内突入時などは収納されるようだ。 Jミサイル 舷側に備えた埋め込み式の大型ミサイル。 表記に関しては「J型ミサイル」、「Jタイプミサイル」など安定していない。 発射時にミサイルが高速回転することで弾道を安定させ、直撃すれば巡洋艦クラスを一撃で撃沈する程の威力を誇る。 同型艦 ザンジバル 1番艦だが、艦籍番号(CCM-80)と就航時期(宇宙世紀0076年6月)以外は分かっていない。 名称不明の同型艦も結構登場しているので、その中の一隻かもしれない。 マダガスカル 『機動戦士ガンダム』に登場。 黒い三連星を地球まで運んできた艦。艦体色は紫。 マ・クベがオデッサから脱出する際にも使用された。 なお、小説版『機動戦士ガンダム』ではシャアの指揮する二代目のザンジバル級として登場している(*2)。 ラグナレク 出典は同上。 TV版・劇場版の時点では単に「ザンジバル」としか呼ばれておらず、この艦名は『THE ORIGIN』で初めて設定された。 シャア・アズナブル大佐がホワイトベース追撃に使用した艦で、本来はトクワン大尉率いるMA試験部隊の所属だがシャアに徴用されてホワイトベースと幾度となく激戦を繰り広げる。 後にニュータイプ部隊(独立第300戦隊)に編入されるが、連邦軍艦隊との激戦の最中でホワイトベースの集中攻撃を受け轟沈した。 なお、『劇場版』では尺の都合で出番は殆どカットされた為にいつの間にか沈んでいた。 ズワメル 小説版『機動戦士ガンダム』に登場。小説版におけるキシリアの座乗艦。 『MSV』に同名のグワジン級が存在するが、関係は不明。 ……というより、これ実は小説版の設定・描写のブレが原因。 最初「ズワメル」は確かにザンジバル級と呼ばれながら出てくるのだが、 途中から「鋭角的な船首と剥き出しのタンク類」「ペガサス級とは対照的」などと書かれ始め、どう読んでもグワジン級になってしまったため。 実際ズワメルという名前はグワジン級かムサイ級に近い名前である。 ケルゲレン 『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』に登場する、アプサラス開発基地の電力供給源として使用されていた艦。 アイナが連邦軍に休戦を申し出て負傷兵を乗せて宇宙への脱出を図るが、その休戦をギニアスが破った為にジム・スナイパーの報復攻撃で撃沈されてしまった。 が、小説版の方では無事に脱出した。 とある乗組員に妙な人気がある。 なお、勘違いされがちだが劇中でジオン軍がケルゲレンを病院船と呼称した事はない。事実アイナは「基地の傷病兵が脱出します。」としか言っていない。 現代の法に照らし合わせた場合 病院船として交戦国への事前通知 船体の塗装 赤十字標識の有無 武装の解除 兵員・軍需物資・機密情報の輸送禁止(つまり本当に積んでないなら見てもいいよな?と臨検を求められたら断れない) などの規定があり、それらの観点では確かにケルゲレンは病院船と認められない。(*3) また後述する『ガンダムZZ』では「赤十字標識の有無」によって「病院船である」とジオン軍将校(一年戦争参加経験あり)が認識している場面がある。 そのため守られる理由の無いケルゲレンを脱出させるにあたっては「両軍の休戦」が前提であり、アプサラスⅢでの威嚇射撃で以って一時休戦に持ち込む必要があった。しかし実際はギニアス・サハリンが行った攻撃によってこの協定は無効となり、ケルゲレンは撃墜される事となった。 但し連邦軍にしても、この協定に応じたのは表向きの話である。 このときのイーサン・ライヤー大佐は「私は何も約束した覚えは無い」(*4)「先手を打たれた」(*5)といった発言をしており、ケルゲレンを逃す気がなかったことが分かる。 この際ジム・スナイパーを配置につかせているがこちらはアプサラスⅢを攻撃するための機体で、ケルゲレンを撃墜した機体はビッグ・トレーに鎮座していた。 連邦軍は表向きの休戦協定で時間を稼ぎ、アプサラスⅢの狙撃ポイントまでジム・スナイパーを移動、先制攻撃で報復手段を封じた上で、もう一機のジム・スナイパーでケルゲレンを撃墜する作戦であった。 また、しばしばケルゲレンは「グフフライトタイプ等のMSを収容したため、”軍需物資の輸送禁止”に抵触し病院船の規定から外れた」と思われがちであるが、前述の通りジオン軍側から「ケルゲレンは病院船である」と主張する様な発言は無く、 単に病院船でない船が病院船の規定に則っていないだけ なので何ら関係はない。 つまり一連の流れは ジオン軍が持ち掛けた休戦協定を自ら反故にし、連邦軍は当然の権利として反撃し (*6) 敵巡洋艦を撃墜した。 と言うことである。 敢えて連邦軍を非難するなら、司令官のライヤー大佐が ケルゲレンを病院船と自ら認定していながら (*7) 撃墜命令を下した と可愛らしいケルゲレン娘を知らなかったとはいえ、艦ごと撃墜した(*8)ことであろう。この行為はコジマ中佐より「さっき確か病院船を撃墜せよと 仰いましたな…? 」と諌められている。(*9) ちなみに劇中で病院船という呼称を用いたのは以上の2名のみである。 これらは「現代の法に照らし合わせればおかしい」というものであって宇宙世紀でも法や常識が同じとは限らないことも忘れてはいけない。 ちなみに実際のルールに則った病院船は『機動戦士ガンダムZZ』のネオ・ジオンによるダブリンへのコロニー落としから避難する際に使用されたが、こちらはこちらで「病院船だと承知した上で撃沈」されてしまった。(*10) つくづくジオンと病院船との相性は良くないようだ。 テンペスト バンパイア ケルベロス(二世) 三隻ともゲーム『機動戦士ガンダム Return of Zion』に登場。 それぞれ順番にアフリカ方面軍の第32独立大隊、第19連隊、第33独立大隊の司令旗艦。 ケラウノス 『ADVANCE OF Ζ 刻に抗いし者』に登場。 一年戦争時にソロモンで回収・修理して戦後試験的に運用されていたものだが、「スポンサー」によって反ティターンズ組織に引き渡された。 そのまま組織の名前にもなっている。 艦首のブリッジが艦橋構造になり、後部エンジンが左右に分かれて元のスペースはMS用ハンガーに改装されている。 各地を転戦するも、ニューギニア基地戦で撃沈。 ランバ・ラル隊のザンジバル 名称不明。 ランバ・ラル隊が地球に降下する時に使用された。 ラル隊はすぐにギャロップに乗り換えたのでホワイトベースとは一度戦っただけ。 その後はマ・クベに接収されたらしい。 この艦のみメガ粒子砲の代わりに投光器が設置されている。 テスト中なる発言もあり、上述した一番艦ではないかともいわれている。 キシリアが脱出に使ったザンジバル キシリアがア・バオア・クーからの脱出に搭乗した艦。 しかし発進直後にキシリアを狙ったシャアのバズーカの巻き添えでブリッジが大破、指揮を失った為に何も出来ないまま連邦軍艦の砲撃で沈んだ。 ちなみに、沈めた船はテレビ版ではマゼラン級、劇場版ではサラミス級である。 ジオン残党のザンジバル 『ADVANCE OF Ζ ティターンズの旗の下に』に登場。 T3部隊とは因縁のあるガブリエル・ゾラ元大尉の乗艦。艦長はゾラ大尉の戦友であるカザック・ラーソン元大尉。 後にエゥーゴに参加した。 サングレ・アスル 旧ジオン軍のキマイラ隊に所属していた青いザンジバル。 MSの製造プラント船・ミナレットへの唯一の足掛かりである航路検索システムを有していた為、オクスナーとジャコビアスによってジャブローのドックに秘匿されていた。 この艦を巡って複数勢力の乱戦となった末にリミアを乗せたまま打ち上げられてしまい、複数勢力のすったもんだの末にコンペイトウ沖でようやく回収された。 アナスタシア 漫画『機動戦士ガンダム アグレッサー』に登場。 艦長はヤロスラフ中佐。 片手・片足接続式開放型カタパルトを備え、後のザンジバルⅡ級に繋がる艦だと思しい。 この他にもオデッサ陥落時に大気圏離脱を図る艦などが確認されている。 ザンジバル級のバリエーション 一年戦争後期にはザンジバル級の改良型が幾つか確認されている。 詳しくはリンク先へどうぞ。 立体化 1/2400でプラモデルが販売されている。 着陸状態か飛行状態のいずれかを選択して組み立てる。 大気圏離脱用のロケットブースターは接着するかしないかの選択式。 ◆ゲームでの活躍 機動戦士ガンダム 戦士達の軌跡 連邦編ではアムロ編「光る宇宙」でグワジンを差し置いて破壊対象として登場するのみで、主にジオン編で登場。 名前のみではあるが「キマイラ」「ケルゲレン」の名も言及されており、ライデン編「ア・バオア・クー戦」とアイナ編「ハードコア」では護衛対象として登場し、撃沈すると作戦失敗になる(*11)。 武装としては内部上メガ粒子砲やJミサイルを持っており、後者はムービーシーンで発射する様子が確認できるが、実際の戦闘ではもっぱら機銃しか使わない。 設定上は地上戦での運用も可能だが、登場するミッションはない。 ギレンの野望シリーズ どのシリーズでもそれまでコムサイやHLVでヒイヒイやりくりしているジオン待望の汎用戦艦として登場する。 但し連邦のペガサス系と比べると耐久力で大きく劣り、しかもあちらはV作戦さえ発動してしまえば技術レベルに関係なく開発できるため、相対的に活躍時期が狭められてしまう。 また、アクシズの脅威以降は向こうは母艦としてならエンディングまで使えるアルビオンまで近代改修できるのに対し、こちらは毛が生えた程度に強化されたザンジバル改程度にしかならず、エンドラが出るまでしばらくの間万能戦艦のアップグレードが止まってしまう。 しかしそのエンドラも大気圏内では移動がザンジバルより遅く、 上位互換のサダラーンも同じ速度。連邦軍のガルダ級の半分以下である。 ZZアニメ本編でサダラーンがガルダ級アウドムラに手こずっていたが、そんなとこ再現しなくていいから(良心) SDガンダムX・GX・GNEXT・GCENTURY アクシズではないジオン系の万能戦艦として登場。性能はホワイトベースと大体同じ。 但し、どの戦艦も宇宙地上両方で使えたXを除きジオン系の万能戦艦はこれしかなく、必然的にこれに頼らざるを得ない状態が増える。 GジェネレーションDS ジオン視点でストーリーが進むためか、しばらくの間ザンジバル二隻がPCたちの拠点となる。そのうち一隻はアインの裏切りで轟沈してロストし、もう一隻はシーマたちの母艦としてしばらくの間使用可能。ライバルルートではグリプス戦役時代相当でかなり無理をしてきたためか、のちにエゥーゴと合流した時にリーンホースJrに乗り換えとなる。 余談 「ザンジバル」とはアフリカ東海岸・インド洋上に存在する諸島のこと。 メカデザインは富野喜幸監督のラフデザインを大河原邦男氏がクリーンナップしたもの。その他作品によってデザイナーは異なり、『08小隊』のケルゲレンは山根公利氏が、『0083』のリリー・マルレーンは河森正治氏が手掛けた。 追記・修理は大気圏離脱をしてからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 後々にはグワジン級やムサイ級の進化系しか出てこないあたりちょっと使いにくかったのかな。ほとんどの装備が射角固定されてるしブリッジ最先端部だし -- 名無しさん (2014-08-14 23 49 12) つーか大気圏突入能力は休戦後のジオン軍には不要のものだし、ミノフスキークラフト積んでなければ大気圏内行動力むちゃくちゃ悪いからネオジオンにも不要の艦だし -- 名無しさん (2014-11-10 10 55 28) いい艦だとは思うんだけど、やっぱり使い勝手が悪かったのかなぁ。OMもRFザンジバル造らなかったし。 -- 名無しさん (2015-11-04 23 02 30) まぁ、大気圏内突入能力だとか飛行性能有というのはコロニー国家のジオンが持ってると再侵攻の野心ありと疑いを掛けられそうだわな(その気がなくても取り潰される可能性もある訳だし)、武装外して地球⇔宇宙の往還船とかに転用されてそうではある -- 名無しさん (2015-11-04 23 20 53) 「数はあまり多くは無く」ってあるのに下まで読むとかなり多いじゃねえかおい!ってなる。まあガンダムシリーズではいつものことだが -- 名無しさん (2020-04-07 23 46 21) 確かにザンジバルは前方にしか砲撃できそうにない構造であるが、それを言ったらホワイトベースなんて真正面と真後ろしか砲撃できないのではないか -- 名無しさん (2020-04-26 15 27 19) ↑ だからこそペガサス級は戦闘艦として評価が悪かった。「火力は戦艦以下、速力は高速艇以下、物資輸送能力は輸送機以下、どれをとっても中途半端」と不評だったそうだ。 -- 名無しさん (2020-04-26 18 50 10) ↑4 そこらへんは戦後日本と共通することのような気がする。日本でもヘリ空母な護衛艦作ろうとすると、隣国が『日本の再侵攻の兆しアル!』と騒ぎだしたり、左翼が『これは軍事国家の復活への一歩だ!』と止めようとしだすし。そのようなものかも? -- 名無しさん (2020-05-07 09 18 16) ケルゲレンに限った事じゃないが、ガンダムの様な架空の歴史(≒架空の世界)を舞台にした話に現実の法律や条約を持ち出して批判する事自体がナンセンスだ。現実の条約がガンダム世界にもそのまま当てはまるなら南極条約などと小賢しい事を言わずに現実の条約を劇中でも使えばいいだろう。とはいえ、ケルゲレンが宇宙世紀の法制度に則った病院船だったとしても連邦との協定を破って攻撃したギニアスは擁護出来ないが。 -- 名無しさん (2020-09-13 00 22 12) 狡猾かつ老獪なライヤーが「病院船を撃墜しろ」なんて言質を取られるような迂闊な発言をするはずがないのに、スタッフは彼を陰険なキャラに仕立てるために不自然な発言をさせたとしか思えない。 -- 名無しさん (2021-11-29 03 31 06) 後世の宇宙世紀の艦艇はMSの運用プラットフォームとして戦場までMSを輸送・発進させ、自身は敵艦隊を正面に見据えつつMS隊の発進前後、もしくは味方MSが通過しないエリアを埋めるように砲撃という運用が基本になるから、前方に火力を集中させてるのは宇宙世紀的にはむしろ正解ではあったんだよな -- 名無しさん (2022-04-06 03 45 07) 折角強固な正面装甲があるのに歩兵用バズーカで貫通してしまうブリッジも正面にあるデザイン何とかならなかったのだろうか -- 名無しさん (2023-06-26 21 19 12) 初見でサンダーバード2号っぽいと感じたのは俺だけかな? -- 名無しさん (2023-07-29 06 54 11) 名前 コメント
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WW2の旧日本軍の航空軍と飛行師団て同じ意味ですか? 旧日本軍の高学歴者のための短期現役っていうのがあるけど、短期って通常はどのくらいなんですか。 旧日本軍の最高部の役職って何つーの? 陸軍士官学校、海軍兵学校と陸軍大学、海軍大学は何が違うのですか? 旧日本軍は「海兵隊」と「陸戦隊」とを別物としていたのでしょうか? 1907年に制定された帝国国防方針にロシアが1位で入ってるの何故なんでしょうか? 関東大震災の際、軍が朝鮮人虐殺に加わったというのは、それなりの根拠があるのでしょうか。 皇族が軍人になったら、士官学校くらいはフリーパスとしても、少尉から順番に出世していくの? 戦前の日本では北朝鮮のように定期的に軍事パレードが行われることは無かったのですか? 日本陸海軍航空隊で初めて撃墜を記録したのは誰なのでしょうか? 大東亜戦争中の日本軍の将兵で”短期現役”っていうのがあったらしいですが平均でどのくらいですか? 「軍神」という呼称は軍の正式なもの? 旧日本軍には航空軍なる組織は存在した? 戦前の日本では基地祭や体験航海のような国民と触れ合うイベントはあったんですか? 陸軍士官学校、海軍兵学校の卒業生は何人なんでしょうか?また、陸大、海大の定員は? 旧日本軍の軍、方面軍、総軍はミリタリーシンボルではどうなるんでしょうか? 大阪の部隊は弱いって本当ですか?歌にまでなったって聞きましたが。 明治期の軍人恩給って大体いくら位ですか? 太平洋戦争時の日本軍兵士の数はどれくらいですか? 旧軍の軍人が武官として海外の大使館付になっていましたが、 旧日本陸・海軍のトップは陸軍参謀総長・海軍軍令部総長? 参謀と幕僚と司令部付の違いがわかりません 旧軍では問題を起こしてやめさせられる事を、懲戒免職と呼んだのでしょうか? 日本に優秀な狙撃兵はいたのでしょうか。 大日本帝国時代の軍医の位置づけはどんなものなのでしょうか? 戦中は軍にも車の車校とかあって、免許とかもいったの? 旧軍の伍長って下士官じゃないんですか? 旧日本軍の軍医に関してですが、階級はどの位だったのですか? 日本軍ってまだいるんですか? 大日本帝国において部落出身者への士官学校、兵学校入学時における差別、昇進における差別はあったのでしょうか? 戦前の日本で、軍と警察のエリートコースを教えて下さい。 日本帝国軍に、ナチスドイツの武装SS外国人義勇兵部隊のような「非主流民族で構成されたエリート親衛部隊」 旧軍にもドイツみたいな「肉弾戦車撃破記章」とか「歩兵突撃記章」のような勲等はあったのですか? 戦前の日本陸軍と海軍は「仲が良かった」具体的事例は何かあるのかい? 日本軍はいろんな無線を傍受されて、暗号も解読され、待ち伏せされたりかなり情報戦に弱かったのでしょうか。 旧日本軍に電信兵というのはいたのでしょうか? 旧日本陸海軍の高級士官、少将以上で最年少記録は何歳でしょうか? よく旧日本軍の餓死の話を聞きますが、人間は水と塩があれば1月は生きるし周りは全部海でしょ。なんで海水飲まないんですか? 何故、大日本帝國では、陸軍省と海軍省で国防関連の省庁が二つに分かれて存在していたのでしょうか? 旧軍の参謀ってのは、何をする人なんですか? 日本軍は、上官の命令に従って行ったことに対しては部下は責任を問われないと聞きましたが WW2の時の日本軍がブルドーザーとか持ってなかったって本当ですか? 償勤兵ってなんですか? 自衛隊にもあるんでしょうか? 兵隊が占領地で個人的に何か物を買おうとした場合それは軍票で買うと思うのですが 旧軍では玉砕命令が出て、でも何か生き残ってしまった場合、帰還したら死刑ですよね? 旧軍で連隊区司令官という役職がありましたが、これは連隊長とどう違うのでしょうか? 日本においても戦闘機王とかライフル王みたいな武勇伝ってあるんですか? 旧軍の電熱服は危険と聞いたのですがどのへんが危険なのでしょうか? 日本軍の将軍・提督に対する教育はいかなるものだったのでしょうか? 日本の帝国陸海軍の一般的な兵士の身長や体重はどれ位だったんですか? 民間人がいきなり将校になる道もあったんですか? 終戦時の日本の軍人ってどれくらいいたの? 何故、日本陸軍航空隊、海軍航空隊などでは、英語の識別信号を使用するようになったのですか? 隊で意見が割れ、一部が隊長とともに玉砕し、一部が副隊長と供に生還した場合、副隊長は敵前逃亡などの罪に問われるのでしょうか? 日本軍では鹵獲した武器は使わないってことが徹底していた、というのは本当ですか? 日本軍の愚かさを示す、最高というか最低のエピソードは何ですか? ポツダム昇進って? 旧日本軍の使っていた「軍刀」が正式な日本刀(玉鋼を鍛えて研ぎ出したものではない)そうですが、では軍刀は一体どのような素材で作ったものなのでしょうか? 軍人の転籍や昇進なども、一般企業と同じく一年に一度か二度、締めや年度頭に有ったりするのでしょうか? 旧日本軍が使っていたバイクは、どんなものがありますか? 祖父の倉庫を見せてもらってたら兵隊さんのシルエットと何か城みたいなものが描かれた冊子が出てきたんですが、これの由来は分かりませんでしょうか 兵士が戦死して、遺体や遺品が残っていれば遺族に返還されますか? 旧軍で、兵士が戦死した場合、その遺族に恩給は支払われるのですか? 日本軍とタバコとの関係ですが、軍人に好かれてたタバコの銘柄って分かりますか 旧軍の暗号が筒抜けだったのは全軍通じて?陸軍だけは解読できなかったとか聞いたんですが。 旧軍において、剣術を学んでいた人間はどの程度いたのでしょうか? 1943年の日本の大学生の学徒動員の際は、陸海軍の士官学校や兵学校でも、学期の短縮や繰上げ卒業はあったのでしょうか? 鎌倉に今も見学できる旧軍の軍事施設などはありますか? 竹槍の実戦投入を日本軍が本気で考え始めたのは、いつ頃からなんでしょうか? 日本軍に狙撃兵っていたんでしょうか? 乃木希典の評価って軍板的にはどうなんでしょうか? 何故「関東軍」というのでしょうか?名前の由来を教えてください。 旧日本軍に軍刑務所ってあったんですか? 日本軍の憲兵隊は陸海軍の一部だったのでしょうか? 海軍工廠とか陸軍造兵廠とかありますが、「工廠」と「廠」の違いってなんですか 第2次大戦中、日本の陸軍と海軍の予算はどちらが多かったのですか? 憲兵隊による「督戦隊」とはなんですか? 旧日本軍で敵に寝返った例はありますか? 日本軍は敵前逃亡した恥ずかしい軍だったのですか? 日本軍は弾薬不足に悩まされたと良く聞きますが、”貧国強兵”を読んでいたら、1941年度の弾薬在庫が100会戦分、1945年度でも95会戦分とありました。 近衛兵について教えて下さい。良家出身者しかなれないってのは本当ですか? 何で大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍で話し方が違うの? 首相・陸相・参謀総長で陸軍大将の東条英機と陸軍元帥であった杉山元、畑俊六らとは陸軍内においてはどちらが上だったのですか? 旧日本軍じゃ普通の兵士の事を何というのですか? 大日本帝国では大戦末期少年将校とか言う子供が戦車乗ったり、飛行機乗ったり、潜水艦乗ったり通信兵したりしたって本当ですか? 戦前の軍人さんの最高学歴を教えて下さい 旧日本軍は…戦艦や通信基地や戦闘機も電信でしたっけ? 日本陸海軍で反跳爆撃が確立した時期はいつでしょうか? 祖父ですが、大正2-3年生まれで本職は警視庁の警察官、中国戦線に3回も出兵・・ってのは一体どういう状況でこういうことになったんでしょうか 賊軍側とされた藩で、明治維新前に生まれていて陸大もないような時代に陸軍大将や陸軍中将になるのは困難なのでしょうか? シンガポールを占領した日本軍の風紀はどうだったんですか? 善通寺に師団があったのはなぜですか? 旧軍では参謀本部の参謀ってどのくらい居たの? 日本軍は、末端将兵が捕虜になることを禁じていたくせに、どうして海軍乙事件ではのうのうと敵の捕虜になった福留参謀長を不問としたんですか? 旧軍の小銃は一丁一丁手作りで量産に不向きだったといいますが、小銃弾の生産体制や品質はどうだったんでしょうか? 日本帝国軍では、補給が完全に絶たれた戦線では人肉食もあったとよく聞きますが本当ですか? 戦前の軍人や警官の階級って、どんな法律や勅令で規定されてたんですか? 統帥権干犯ってどういう意味? 戦前の日本の制度で上官を殴るとどの程度の罰則ですか? 戦前の日本には国防省や統合参謀本部を作るべきだという動きは無かったのでしょうか? 旧日本軍では偵察用のオートバイにハーレーダビッドソンのライセンス生産版の陸王が採用されていたそうですが、国産のキャブトンやメグロは使われていなかったんですか? 第二次世界大戦で日本軍が集団投降した戦いってあったんですか? 戦闘詳報って、どの部隊でも書くんですか? 日本では統帥の一元化を試みる人物はいなかったのでしょうか? 大日本帝国が日露戦争以降、国力に見合わない拡大政策を取ったのは何故でしょうか? 日本はドイツにならって、機甲部隊の整備に特に力を入れたのですか? 旧日本軍の場合、人種差別反対を掲げてアジア開放を謳っていたから、軍隊内部でも身分や人種による差別はなかったのですか? 日本軍の参謀や幕僚の組織編成 陸海軍は同じ20mmでも弾薬の規格が異なっていたのですか? 満州事変前後で陸大閥の一夕会や二葉会などが陸軍内の実権を握るのですが、彼らの出てくる前に中枢にあった薩摩閥(上原勇作派の系統)と長州閥(田中義一派の系統)はその後、いったいどうしていたんでしょうか? 皇軍は皇居の方を向いて遥拝してたんでしょうか? 予科練卒は最速で20歳と聞きました。そのときの階級は何なんですか? 日本はガタルカナルなど南の島に基地を作りましたが、物資を運ぶ輸送船は陸軍が海軍に借りると言う形で船を貸してもらったんですか? 旧日本軍の職業軍人の戦死率と、一般召集兵の戦死率ってどっちが高かったんですか? 陸軍士官学校、海軍兵学校の定員は何人なんでしょうか? 明治期の軍人恩給って大体いくら位ですか? 何故日本軍は突撃や戦闘に臨んでは軍旗を処分し、自沈や沈没間際になった艦艇は旭日旗を撤収するのですか? 日本海軍の軍艦は世界でもトップ・クラスなのに、何で陸軍の装備は、世界のトップと較べると見劣りするんですか? 戦争中、日本では化学兵器やレーダー関連の開発等で、理系大学の研究室と軍の研究所との共同研究はしていたんでしょうか? 旧軍の陸と海、そして航空隊で徴兵の基準は違っていたのでしょうか? 背が小さかったら徴兵は免れたって聞きましたけど本当なんでしょうか? 東亜戦時に徴兵検査にみたずに入隊できたかった、しなかった人は、当時だと非国民と呼ばれるんですか? 日本軍は弾一発なくなっていても報告書を書かされるほど厳しかったと聞いたんですが本当ですか? 戦前の日本は何故、海軍省と陸軍省と、二つも軍関係の省があったのでしょう。 戦陣訓と軍刑法とはどんな関係にあったんでしょうか。 旧日本軍の撃ち空薬莢の管理は厳しくて1つ無くしても探し回ったそうですが 山本五十六は英雄か、はたまた日本を奈落のそこに落とした人間の一人か? 旧日本軍は従軍牧師のような制度は存在しないの? 愛新覚羅王女川島芳子さんの軍隊での階級は何ですか? 旧軍の飛行団は飛行師団から独立してたのですか? 電信兵(?)というのはあったのでしょうか? 旧日本軍は戦前の、いわゆる平時にはどのぐらいの規模だったのでしょうか? 軍人さんが亡くなった場合、遺族に恩給が出ますが、亡くなってすぐに出るものなんでしょうか? 日本軍は世界的に見て強かったのですか? 旧軍の技術士官は「軍人ではあっても戦闘員」ではないと言う認識でOKですか? 近衛師団の兵は逮捕権もってるんですか? 天皇が大元帥として奉勅命令をだして陸海軍を統帥する場合の手続きを教えて下さい。 せっかく兵部省の元に陸海軍の両方を置いていたのに、その兵部省を廃止して陸軍省・海軍省の2つに分けてしまったのは何故でしょうか? 旧陸海軍は異なった仮想敵国を立てていましたが、海軍の対ソ戦研究、陸軍の対米戦研究というものは行われていたのでしょうか? 旧軍の少尉クラスの人間は、私生活においての生活水準はいかほどったのでしょうか 旧軍の予備役軍人(将官)の人がいますがどのような生活をしていたのですか? 明治の旧軍創設時、薩摩閥と長州閥に別れていましたが、やはり仲は悪かったんですか? 銃剣道は、元はフランス人が戸山学校に講師?として指導したのが始まりというのを聞いたのですが、本当でしょうか? 38式歩兵銃や零戦、一式陸攻、90式戦車などの数字は開発完了当時の年数にちなむものですよね? 兵士が戦地から故郷に宛てた手紙って、送料はどのくらいしたのでしょうか。 将校は終身制なんですよね? 陸軍と先鋭的に対立していた海軍がなぜ独自の憲兵を持たず陸軍憲兵に部内警察業務を委託してたのですか? 陸軍と海軍ではなぜ用語の統一がされなかったんですか? 機関銃中隊が無い部隊というのを聞いたのですが。 日本軍は自動小銃の有効性に気付いていなかったのですか? 日本軍の磁気信管にはどういう問題があったの? 旧軍兵士が死亡した場合、家族にはどうやって伝えられたの? 二等兵から佐官クラスに出世することは可能ですか どうして旧日本軍(大日本帝国)に「空軍」が出来なかったのでしょうか? 陸軍の士官学校や陸軍大学校は皇族や朝鮮の王室の人ならほぼ無試験で入れたみたいですが、彼らは入学してしまえば一般の入学生と同じようにスパルタ教育されたの? 旧日本軍では銃(他の装備も?)は天皇から貸していただいたものなので壊れても携行しなければならないとされていたという記述を何処かで見ました。 戦死した兵士の家族にはなんらかの補償はされたのでしょうか? 知ってる範囲でお答えします。一部間違いがあるかも知れません。 妻子が居る場合、子供が20歳になるまで 妻が再婚するまでの補償は、有ったようです。 旧軍人、軍属は年金が有りますから補償も有ったと思います。民間人は不明です。 (5 343) 東条英機の竹槍事件とはどういったものなのでしょうか? 毎日新聞に「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ」という記事が載り、東条英機は毎日新聞を差し押さえ、記者の新名丈夫の懲罰召集を命令。 一方、海軍は新名丈夫記者処罰に同情。彼を従軍記者として召集したため、陸軍と対立する。 (6 37 旧日本軍の「参謀旅行」って何ですか?外国に勝手に視察に逝って国際法には触れないのでしょうか? 現在の自衛隊で言うところの「現地戦術」だね。 教育とかで地図上で行う「図上戦術」を、現地現物で行いながら「あそこに砲兵を配置」とか「この経路は戦車の前進が出来る」とかやっていってお勉強するの。 別に外国と言わずに国内でやるよ。 (7 ミリ屋哲) 日本はドイツからの、Me163,Me262などの飛行機に関する技術協力はあったようですが、キングタイガーなどの戦車関係の技術協力はなかったんでしょうか? タイガーは研究目的のを潜水艦で輸入しようとしたね。戦況悪化で駄目だったけど。 ドイツと日本は地理的に連絡困難ということもあり、特に独ソ開戦後は潜水艦による連絡に頼ることとなりました。 日本駐独大使館が戦争末期に資料としてティーガーⅠ型を購入していますが、輸入は不可能でした。 Me262、Me163などはジェットエンジンの実物、書類資料が潜水艦で送られ、 戦争末期に準コピー製品の「橘花」「秋水」などが開発されていますが、そのまま終戦を迎えました。 (7 721-722) 軍と警察が信号を赤で渡ることについてものすごくもめたことがあったと聞きましたが、なぜそんなにもめたのか詳細を教えてください。 ゴーストップ事件と呼ばれています。発端は、赤信号を渡る制服の軍人を警察官が制止したことです。 これが、第4師団と大阪府との対立に発展し、ついには陸軍省と内務省との対立にまで発展します。 軍人は統帥権条項により天皇の命令にのみ服するのであり、警察官の制止に従う必要はない、というのが陸軍側の主張でした。 当時の内務大臣は政党政治家であり、政党政治体制下で抑圧されていた軍部が、 五・一五事件や満州事変などを背景にして政党政治に対して攻撃を加えたと見る見解もあります。 (7 938) 旧日本軍には軍事参議院なる組織が存在したようですがこの組織はどういう機能を有していたのでしょうか? 日清戦争当時、陸主海従だった大本営の制度を、日露戦争前に改訂したのを機に 陸海軍同等にしたことで生まれた機関で、従来天皇からの後家紋には陸軍だけの判断で答えていた物を、 陸海軍協同の実を上げるために作られた物です。 構成員は、陸海軍元帥、陸海各大臣・陸軍参謀総長・海軍軍令部長及び軍事参議官に親補された陸海軍将官が充てられ、 天皇からの諮詢に対して意見を上奏するための機関でした。 (18 眠い人 ◆ikaJHtf2) なんで、旧日本陸軍、海軍は仲が悪かったんでしょうか? ドイツ軍の仲の悪さは有名ですよ。英米もいいわけではないです。 縄張り意識がありますからね。 (18 バッチ3) 何処の国でも陸と海は犬猿の仲です。両者の仲が良い例を見た事が無い。 なぜ帝国軍は指揮系統を一本化しなかったのでしょうか 大本営があるじゃないか。 (111 946) 軍の指揮官と言えど、それぞれの専門分野があります。 当時、それを一本化できなかったのは、情報分野・通信分野等が未発達だったからです。 とはいえ今でも本当の意味で統合一本化できてる軍隊も未だ無く、 アメリカ軍が「統合一本化に向け実績を作り将来目指して研究している」程度の段階です。 陸軍と海軍の関係が良好でないのは、軍の風土からくる部分も大きく、 それはここでは書ききれない程です。 それらの効果もあって、当時は陸海軍の連携が上手く進まなかったのです。 (111 948) そんなもん、一言で言い切れるぞ 陸軍と海軍の不仲の原因は、どこの国でも予算の奪い合いだぜ (111 949) 本を読むべき。 『日本を滅ぼした国防方針』あたりがいいと思われる。 日露戦争終了直後から太平洋戦争の勃発までの歴史的経緯を踏まえて、 陸海間の方針の分裂の事情をかいつまんで教えてくれる。 読んだ上で、さらに質問を重ねた方がいいと思う。 (111 950) 日本軍の場合、皇族と違って、華族の特別扱いはなかったような記憶があるのですが 確か前田利為侯(前田家の当主)とか、伊達宗茂とかは少尉任官だった ような気がします。 皇族関係は結構順調な出世をしはったと思いますけど。 (21 眠い人 ◆ikaJHtf2) 太平洋戦争当時,日本軍に植民地のはずの朝鮮半島出身の将校,それも将官がいたというのは本当ですか。 「洪思翊中将の処刑」(こうしよくちゅうじょうのしょけい) 私が持っている本は、 出版 文藝春秋 著者 山本七平 洪思翊中将の人柄や経歴、 連合国による戦犯裁判、 日本、韓国、西洋の文化の違い、等について書かれている本です。 私には、大変興味深く、ためになった本です。 韓国について考える人は必読ではないかと思っています。 (21 愚考) あとは皇族になりますけど、李王垠中将がいますね。 この方は、明治30年に李太王の第七男子に生まれ、韓国併合で皇族に列せられ、 大正9年に梨本宮守正王の長子と結婚されました。 陸士29期で、有末中将と同期ですね。 昭和14年に近衛第二旅団長、15年に留守第四師団長となり、昭和16年に第51師団長に補任され、 昭和18年に第一航空軍司令官になって、昭和20年に軍事参議官になっています。 あと李鍵公(李王の甥)がいます。 この人は明治42年生まれ、陸士45期で昭和16年に少佐となり、昭和19年に第一軍作戦参謀、 昭和20年に中佐に進級し、第二総軍参謀となりましたが、広島の原爆で殉職されています。 (21 眠い人 ◆ikaJHtf2) 前の大戦の徴兵逃れの方法ってどんなのがあったんでしょうか? 一般的に徴兵というのは役場の戸籍係とかが或る程度恣意的に行っていたので、 そう言った方々と懇意にしていれば、徴兵されることは滅多にありませんでした。 あとは、医学生になることですかな。 (26 眠い人 ◆ikaJHtf2) 成人男子って全員徴兵されたのですか? 平時で16%。日中戦争当時で50%、太平洋戦争末期でも70%です。 平時に乙、丙合格で現役免除になった人でも太平洋戦争末期の根こそぎ動員で召集をかけられてます。 20歳の徴兵検査で甲種合格した壮丁の内、くじ引きで現役入営した人はその後も 「予備役」(5年4ヶ月)として戦争が始まると動員されます。 その後、後備役10年です。 未訓練の乙種、丙種合格の人は補充兵役(12年4ヶ月)としてその後になります。 (26 92) 旧軍とかで伝統のシゴキとか懲罰があったら教えてください。 旧海軍では「罰直」と称して下記のようなことが行われていたそうです。 衣嚢支え・・・衣嚢(ダッフルバッグのようなもの)を両手で頭上に持ち上げ、その体勢を数分間継続 蜂の巣・・・衣嚢を収める「衣嚢棚」に潜り込む。 ほかにも、配膳済みのテーブルを集団で支えるものなどもあったかと。 ちなみに、「デコピン」は「牛殺し」と呼ばれていたそうです。 (24 ちゃぎ) 中野の兵学校の通信業務とは、情報収集(スパイ活動)のことですか? 中野学校はいわゆる諜報活動関係の教育を行ったところだよ。 (38 719) 関東軍には中国地方出身の兵隊もいたのですか? 関東軍の「関東」は旧満州地方の別名でして日本の「関東地方」とはまったく関係ありませんので 中国地方出身の兵士が所属していても何の不思議もありません。 #日本なのに「中国」地方みたいなもんです。 (65 289) ちなみに、関東軍の関東とは中国の「山海関の東」という意味です。 (65 ゆうか ◆9a1boPv5wk) 日本側が米英の航空機、艦艇、車輌等をどう呼称していたのかお教えください。 日本側は連合軍の兵器に特にコードネームとかはつけてなかった。 現場で、ペロハチとかメザシとかカツオブシとか呼んでたという話はあるが。 (66 88) なぜ「旧」日本軍のように、旧をつけるんですか。 日本軍なんて一つしかないから旧なんてつける必要ないんじゃないですか? 自衛隊が特殊な存在のためです 下記のように 「日本軍ではなく自衛隊です」のように「自衛隊が軍隊じゃない」意味と 「自衛隊がWW2以前の日本軍じゃない」意味が区別できないため 旧日本軍とあえて呼びます (68 907) 旧日本軍では徴兵されて兵役についていた人がすでに職を持つ人だった場合、徴兵されている間にその人の会社が倒産した場合、再就職先の紹介とかしてくれたのでしょうか? 徴兵された兵士は通常、勤務していた会社を退職して入営しました (1年以上の休職期間を認める企業は現在でも皆無) その間に会社が倒産しても、軍に責任はありませんし、兵士本人にも かつての同僚を思いやる感傷以外は影響はありません また、軍は兵役を終えた兵士の就職斡旋も行いませが、軍の外郭団体が 退役兵士の世話を焼いた時期もあったそうです (69 596) 日本の大戦中の学徒動員についてですが、大学からの動員で最初から士官候補生としてもらえる人と兵隊にされる人はどう違うのでしょうか? っていうか、徴兵されるのはあくまでも兵で士官は志願が原則です。 いわゆる学徒動員というのは文科系の学生に対する徴兵猶予の停止の事を指します。 徴兵猶予を停止された学生は召集されて兵になったわけですが、それを嫌った学生が 志願して海軍専修予備生徒や陸軍甲種幹部候補生になったりしたのです。 (71 名無し軍曹) 旧日本軍の空軍が発足しなかったのは陸軍と海軍は相当仲が悪かったせい? まったくそのとおり。陸軍はドイツに山下奉文を派遣して、空軍発足と統帥の組織統合を計画 したが海軍の反対にあってあぼーん。終戦まで陸海組織統合問題は解決しなかったとさ。 現代のお役所にも通じますね。日本の伝統かもね。 (73 899) さらに加えて、憲法問題もありました。 明治憲法に「天皇は陸海軍を統帥す」とかかれていたため、 空軍の創設は、憲法の改正が必要、 =不可能、 という、 どこぞできいたような問題があったそうです。 (73 901) 憲兵隊とはどんな役割を果たしていたのでしょうか? 憲兵隊は、いわば軍内の警察機構です 戦前から戦中の日本の憲兵隊はここから大きく権限を拡張して、一般国民の 思想統制にも当たりました 山田定 「憲兵日記」(新人物往来社)、森本賢吉 「憲兵物語」(光人社) 大谷敬二郎 「憲兵 自伝的回想」(新人物往来社) などを読まれると良いと思います (75 600) 「士官候補生」の位置付けと権限は、具体的にどんなものだったのでしょうか? 小隊長の下で見学しているだけ? 陸軍ではそのようです。 見習い期間の階級は准尉と同じ階級章で名称だけ「見習い士官」と呼ばれていたそうです。 小野田寛郎の「ルバング島ひとりぼっち」に詳しくでています。 (76 17) 17に補足? PHP文庫の「日本陸軍がよくわかる事典」の文面をまるまる信じるならば 「士官候補生」は「見習士官」とはまったく別物といえるようです。 「士官候補生」は 大正9年までは、「陸士に入るまで」 昭和11年までは、「陸士予科を終えて陸士本科に入るまでの半年間」 以後は「予科士官学校を終えて陸士に入るまで (航空士官学校に入る者は士官候補生の期間なし)」 で、陸士または本科に入るときに「軍曹」の階級が充てられた…とのこと。 士官候補生として着任した部隊が原隊となり、そこで兵科を決める。 陸士または本科には、原隊から出向、という形式で入学する。 …みたいなことが書いてあります。(…これホンマ?) (76 名無しトンボ釣り) パットン・ロンメル・モンティこれに匹敵する日本の将軍って誰? 参考として、秦郁彦(この人に関する毀誉褒貶はともかく)選・名将 戦術家型名将(いわゆる「戦上手」) ロンメル グデーリアン モンティ パットン アイケルバーガー 宮崎繁三郎 ハルゼー ミッチャー 田中頼三 木村昌福 角田覚治 戦略家型名将 マッカーサー ニミッツ スプルーアンス アレキサンダー カニンガム ルントシュテット マンシュタイン ジューコフ 今村均 小沢治三郎 (79 228) 大日本帝国の時代 配属先部隊はどのように決められていたのでしょうか? 本籍地の陸軍師団か海軍海兵団に入営することになっていました。 陸軍は2年間、海軍は3年間の兵営生活だそうですが、戦時下の対応はどのようなっていたのでしょうか? 昭和二十年当時でも最低三ヶ月の訓練期間が設けられていたそうです。 (79 797) 旧軍の部隊略号で師団をDとか旅団をBsとか言いますがこれの由来って何語? 英語です。 師団:Division 旅団:Brigade(Bsは混成旅団) (82 414) 昭和5年ごろ、飛行機免許(民間機)をもっていた青年が居たとして、旧日本軍の航空兵に入った後パイロットの道を歩むということはありうるのでしょうか。 「パイロットの道を歩むということはありうる」と言う質問の意図が不明確なんだよね。 本人が軍に入ってもパイロットとしてやっていきたいと望んでいるのか。 それとも本人の意志に関わりなく軍がパイロットに割り振ろうとしているのか。 どちらの状況を聞いているのか分からない。 パイロットでも医者でも特技を持って入って来た人間が、軍の中でその特技を生かそうと 思ったら、軍としても無理に別のコースを割り当てることもそうないだろう。人材は貴重だからね。 だからと言って個人の希望が自動的に通るほど甘い社会でもない。 「ありうるのでしょうか」と聞かれたら、「ありうる」としか答えようがないだろうね。 (83 15) 便乗して私も・・・ ここでは評判の良くない源田實氏の著作によると、搭乗員の選抜は適性試験の 結果を元に(本人の希望とは無関係に)一方的に行われた、とあります。 ただし本人に飛行機への熱烈な想いがあれば当局も考慮するのではないかとの 記述もあったように思いますので、もし質問の青年が希望するならそのように なる可能性は高いのではないかと考えます。 氏が飛行学生に任じられたのが昭和3年なので大体条件に合うと思いますが、 これは海軍の事であり、源田氏は海軍兵学校出の仕官であるという点が 質問の意図に合ってないかもしれません。 (83 24) 日本軍の部隊編制がわかるHPがあったら教えてください。 充実してるコンテンツがあるものはあまりありません・・・ 後は書籍に頼るほうがいいでしょう(手ごろなものでは新人物往来社から出ている「陸軍部隊総覧」等のもの) 強いてあげればこのシリーズスレの初期に第一総軍氏が師団の編制や歴史を簡単にまとめられていますので、参考に (84 213) 戦前の師団は、いろんな型があり、精鋭である1桁師団と300代師団ではまったく編制が違います。 支隊は、臨時に編制される諸兵科連合部隊で、 ドイツ軍や米軍が多用したような戦闘団に近いものです。 支隊は、編成部隊であり、編制部隊とは区別します。 (84 214) 最盛期の帝國陸海軍の実力は、当時の世界の軍事力と比して、如何ほどだったのでしょうか 沿岸警備レベルの海軍でなかったことは確かですが、外洋型といいきれるほどの 展開能力を有していたわけでもなく、強力な近海型海軍、といったところでしょう。 ただ正面戦力はともかく、後方支援や兵站に関してはさほどではありませんでした。 (84 247) 旧海軍は空挺部隊を保有してたのですか? Yes。 横須賀鎮守府第一特別陸戦隊(堀内部隊)がそれです。 1942年1月11日にセレベス島のメナド攻略戦が最初で、次いでチモール島 クーパン攻略戦に投入されています。 (85 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 最盛期の帝國陸海軍の実力は、当時の世界の軍事力と比して、如何ほどだったのでしょうか 軍事力は、国家の総合力を基盤とした、政治的な意志を持って運用される 槍の穂先にあたる、正面装備や艦艇、組織としての陸海軍はそれなりだが 柄にあたる政治、持つ人にあたる国家は2流以下 軍事力:1流半 政治:3流 経済:2流半 つーことで、個人的に2流に決定(こんなもの主観でしか判定できん) (85 17) 旧軍は兵員輸送に馬車を使用しなかったのですか? 馬匹は、砲兵と輜重で一杯稼働してますので 馬車で兵員輸送するような余裕なんてありませんでした。 (85 103) 人間様が担ぐ荷物も勘定に入ってるんだから無理。 (85 110) まあ一部では自動車化された部隊はあったけどね・・・ (85 111) 旧日本軍の話になるのですが、軍人さんが軽機関銃などを自宅に持ち帰ることはあったのでしょうか? 戦後の話だが、陸上自衛隊が保管していた九二式重機関銃を、 映画の小道具として貸し出すことになり、 役作りのためにある俳優が自宅にまで持ち帰って、 教範通りの手入れだけでなく、磨きをかけて撮影に臨んだという。 古きよき時代というべきか。 (86 154) いっぱいありました ヤクザの抗争にもよく使われてました(拳銃だけど) 今でも田舎の蔵などから出てくることがあります (86 158) 旧日本軍に、外国人は入ることはできたのでしょうか? 陸軍の歩兵部隊とか、戦闘機部隊に混血の人はいました。 戦闘機部隊なら、来栖大尉(戦前の米国大使の息子)が有名です。 (文春文庫の未知の剣などに詳しいかと) また、日系人で日本に来て、そのまま軍隊に入った例もあります。 (87 眠い人 ◆gQikaJHtf2) そういや来栖大尉って、靖国では「迎撃戦中戦死」ってなってるけど、 ほんとは味方機のプロペラで首を飛ばされて亡くなったんだよな (87 745) 旧日本軍でのいろいろなものの呼び方が知りたいのですがどこか参考になるサイト等ありませんか? 光人社NF文庫の「戦時用語の基礎知識」とか、岩波アクティブ新書の 「戦下のレシピ 太平洋戦争下の食を知る」とか、岩波新書「日本の軍隊」 辺りを参考になさっては? 結構安価で手に入りやすいですし。 (88 眠い人 ◆gQikaJHtf) 大日本帝國軍憲兵隊の装備って主になんだったんでしょうか? 基本的に武装は拳銃と軍刀のみです。 兵も軍刀を装備していました。 海軍では艦長および分隊長には司法警察権が与えられていましたが、 憲兵に該当する組織はなく、必要の場合には陸軍の憲兵が派遣されました。 (92 126) 旧日本軍の階級って、陸海軍の間でも絶対的だったのでしょうか? 陸海軍が違っても、階級の差は絶対。 日本の陸海軍は階級が1対1で対応しているし。 ただ、相手の階級章の意味がわからない場合も多く、 「どっちが先に敬礼するか」 でトラブルが起きることも多かった。 余談だけど、外国軍の将校にも敬礼するのが世界的なルール。 (92 136) 広島は日本最大の軍事拠点だったってホントですか? 日清戦争中は大本営が置かれていました。 (93 90) 最大というのは明らかに誇大だと思います。 しかし、太平洋戦争の最末期である1945年4月7日には、広島に第二総軍 司令部が置かれています。これは、鈴鹿山系で日本を東西に分割し、 西側にある全陸軍地上部隊を統括的に指揮する司令部でした。 また、宇品港は軍港として非常に重要な位置にありました。陸軍船舶司令部が 1942年に置かれています。 また、本土決戦になり、東京の中央政府の指揮が及ばなくなったときには、 広島に置かれていた中国地方総監府が、中国地方の行政の最高指導機関となること になっていました。 また、交通という観点から見た場合、広島には鉄道管理局も置かれていました。 てな具合です。 (93 101) WW2の旧日本軍の航空軍と飛行師団て同じ意味ですか? 違います。 時期によってかなりの違いがありますが、太平洋戦争半ば頃の陸軍航空部隊は、 上から 航空軍>飛行師団>飛行団>飛行戦隊>中隊 となっていました。 この他に独立編制の小部隊はいろいろありますし、場合によっては中間の階層 が抜けたり、細部は複雑なので、あくまで参考程度に。 大戦末期になると、航空軍の上に航空総軍を創設、また、飛行戦隊内の中隊を 廃止したりしています。 (94 345) 旧日本軍の高学歴者のための短期現役っていうのがあるけど、短期って通常はどのくらいなんですか。 短期現役士官の期間は二年間。ただし昭和17年からは昭和17年からは大卒が3ヶ月、 専門学校卒が10ヶ月の見習い士官の期間を経て士官になりました。 元々はロンドン軍縮会議後の軍事予算の削減の必要性から生まれた制度で、 海軍で主計科、機関科、軍医科に民間大学の卒業生を士官候補生として採用した物です。 この他陸軍でも、師範学校卒業者を五~七か月の短期現役兵制として採用する制度がありました。 (94 649) 予算が限られている日本陸軍が、軍事力を向上するには2つの手段があった 1 師団数を増やす 2 装備を向上する 宇垣軍縮では、師団数が減ったがその代わり4単位制から3単位制になり 師団あたりの火力は倍増した>第1総軍氏が詳しい しかし、日中戦争などにもつれ込み、師団数の拡大が行われると 金のかかる質の向上よりも、より簡単な兵力の増大に走り 気がつくとWW2の勃発とともに1.5流装備だったのが 相対的に2流になってしまった。 (94 696) 旧日本軍の最高部の役職って何つーの? 日本軍だと、一般的には天皇って答えるべきだろうな。 (94 952) 戦前の日本なら、建前上は天皇。 次に陸軍大臣、海軍大臣という役職がありました。内閣の大臣職の一つですね。 その下となると、陸軍省海軍省の中の役職になります。 大臣に次ぐ省のトップが次官で・・と以下かなりの数の役職があります。 まあ、現在に引き継がれる日本の官僚機構の特徴なのですが、 組織上の上下関係はあっても、常に明確なトップダウン式の命令系統が 機能していたわけではありません。特に昭和に入ってからの軍は この機能が大幅に乱れ、正直めちゃくちゃになった。 大臣にしても次官にしても、まわりによって「持ち上げられる」ことで就任するため、 下の者の言いなりになることがあった。集団無責任体制ですな。 (94 955) 陸軍大臣、海軍大臣は軍政のトップで 軍令側には参謀総長、軍令部総長がいてこれらは大臣(というか内閣)と独立に天皇に従属 (94 960) 古代~現代に至る軍隊の最高司令官は、基本的には国家元首です。 (皇帝、国王、天皇、大統領、共産党書記長など) で、軍には編制と装備の維持をつかさどる軍政面と、作戦をつかさどる軍令面があり、 軍政面のトップは国防省などの組織で、代表者は大臣。 軍令面のトップは陸海空各軍の総司令官ですが、これを国家元首が兼ねるため、 「制服組」としては総司令官に隷属する各軍司令官がトップとなります。 現代のアメリカ合衆国のように、参謀本部がある場合、 参謀は(軍事に素人である)大統領のために作戦を立案するという存在ですが、 彼らには命令権がないため、名目上は単なるアドバイザに近いです。 しかし、国家元首が総司令官を勤める国家において、 実質的な「軍のトップ」といえるのは、やはり参謀総長ということになるでしょう。 (94 977) 「旧日本軍の最高の役職」 ちょっと逸れますが、文字通りにとらえるなら、「天皇はすべての統治者」だったのだから 「軍の役職」などに就いていなかった、とも考えられるかも。 「最高の役職」について「形式上の最高責任者である天皇」は棚上げにして、 「実質的な意味で開戦や終戦をも決定する者」と把握するなら、 「形の上で合議を行って天皇の判断を仰ぐ御前会議」における 陸軍大臣・海軍大臣・陸軍参謀総長・海軍軍令部長(など)」 ということになるのかな? (94 979) 陸軍士官学校、海軍兵学校と陸軍大学、海軍大学は何が違うのですか? 陸士/海兵は将校を養成するための学校ですが、 陸軍・海軍大学校は将校に対して用兵に関する高等学術を教授する学校です。 その目的は高級指揮官や参謀将校の養成です。 推薦を受けた上で入学試験を受け、大尉から少佐クラスで入学しました。 (陸大本科は中尉・少尉クラス) これらの学校、特に陸大はエリート養成学校としての性格が強く、陸大卒業者は "天保銭"と呼ばれた徽章を胸に帯びていました。(1936年に廃止) 陸大での偏った教育と過剰なエリート意識が戦争指導を誤らせたとはよく言われます。 (95 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 旧日本軍は「海兵隊」と「陸戦隊」とを別物としていたのでしょうか? 海兵隊は後に鎮台兵になったワケだが。 (96 155) 明治19年11月5日の海軍陸戦隊概則によるもので、 単なる名称変更。 (96 156) 1907年に制定された帝国国防方針にロシアが1位で入ってるの何故なんでしょうか? 制定の3年前に勝利してますよね・・ まだ、その頃は復讐戦を警戒してたからな。 まあ、それに陸軍は最後まで第一仮想敵はロシア(ソ連)だし (96 418) 講和したからって戦争の危機が消え去った訳じゃないだろ。 (96 419) 制限戦争に一度勝てたからといって(勝ち逃げ講和できたからといって) 相手国の脅威が薄れる事はないので。 (96 426) 関東大震災の際、軍が朝鮮人虐殺に加わったというのは、それなりの根拠があるのでしょうか。 根拠は、あったと主張する側が示さなければなりません。 なかったという証拠は提示することは困難ですし、法廷ではあったと主張する側に 存在証明をする義務があります。 あったという証拠が無い以上、それは無かったと認識すべきです。 軍が組織的に関わった等、初耳です。また、6000人虐殺など眉唾もいい所。 北朝鮮人の主張を間に受けるほど日本人は御人好しになったのですか? (97 568) 568氏のおっしゃるとおりですが、当時の内部告発本とされている 『軍隊と赤化』という書籍には、震災時に憲兵司令官小泉六一少将が 「朝鮮人を自ら軍刀にて数回殴打し陸軍刑法の所謂陵虐罪を犯したる事実あるにもかかわらず不問に」 などという記述が出てきたりしています。 高官が震災時このような行動をとった、という言説があったという参考までに (97 571) 軍が朝鮮人を組織的に殺害していたという事実は、無いようです。 むしろ震災から数日経過した後には、朝鮮人を演習場へかくまうなど、保護 にあたっています。 しかし、間接的な責任ならば、あったといわざるを得ません。 朝鮮人殺害を行ったのは、各地の「自警団」ですが、震災直後の社会不安の 中で、治安維持のため、軍は自警団に武器を貸し与えています。 この武器が結果的に朝鮮人殺害に使われたことは、事実です。 また、軍が一旦は保護した朝鮮人を、自警団に引き渡したという例もいくつかあったようです。 自警団のメンバーには、多数の在郷軍人が含まれていたのも事実です。 甘粕事件や亀戸事件のように、軍による社会主義者・無政府主義者の殺害が あったこともまた事実です。 (97 572) 皇族が軍人になったら、士官学校くらいはフリーパスとしても、少尉から順番に出世していくの? それとも、殿下方は別格? 皇族、王族については、士官学校(海軍兵学校、陸軍士官学校)を出ています。 そこから、陸軍大学校、海軍大学校に上がるケースも多かったようです。 (98 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦前の日本では北朝鮮のように定期的に軍事パレードが行われることは無かったのですか? 演習後の操練とかそう言うもので、パレードは行なわれています。 特に学徒出陣の際の神宮外苑でのパレードは有名ですね。 (99 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本陸海軍航空隊で初めて撃墜を記録したのは誰なのでしょうか? 1932年2月22日 生田乃木次大尉(海軍) 使用機は三式艦戦。 (99 ベタ藤原 ◆RoMNjfnp0E) 大東亜戦争中の日本軍の将兵で”短期現役”っていうのがあったらしいですが平均でどのくらいですか? 二年。それから将兵ではなく士官だけです。正式には二年現役と言います。 徴兵された兵士にも短期現役制度がありましたが、こちらは1941年の兵役法改正時に廃止されてます。 (99 147) 「軍神」という呼称は軍の正式なもの? 神道の教えでは人間死んだらみんな神様になる? 違います。神としてお祀りする事で神になられます。 誰でも祀る様になったのは最近の事です。 近代以前は有力者や何か大事を起したりした者しかお祀りしませんでした。 それ以外の「葬儀」は神道的には“穢れ”であり、 “魂の救済”は基本的に仏法僧の縄張りです。 近代になってから帝国軍人をお祀りする専属の機関が追加されました。 神式「葬儀」なんて珍妙なものに到っては、あくまで戦後の代物なのです。 (101 名無しコミュニスト) 旧日本軍には航空軍なる組織は存在した? 陸軍にはその組織のひとつとして「航空軍」は存在しました。 また、海軍にも航空軍に相当する「航空艦隊」がありました。 (104 449) 当たり前の事ですが、海軍航空隊は海軍所属であり海軍の作戦に従事し、当然の事ながら海上での活動が主になります。 陸軍飛行隊は陸軍所属であり陸軍の作戦に従事します。 地域による住み分けと言う訳では有りません。 (104 453) 日本海軍と陸軍の航空隊の活動を調べるとその当たり混乱するんだよねぇ (104 454) 戦前の日本では基地祭や体験航海のような国民と触れ合うイベントはあったんですか? 陸軍では「軍旗祭」などの形で兵営開放が行われていました。 (105 29) 海軍に関しては、現在も行なわれていますが、天皇陛下ご臨席の大演習の後の 観艦式で、その偉容を国民に見せるようにしていました。 うちの祖母も昭和5年の観艦式で長門だかに乗っています。 (105 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 陸軍士官学校、海軍兵学校の卒業生は何人なんでしょうか?また、陸大、海大の定員は? そして、その卒業生から将官になるのは、年に何人ぐらいだったんでしょうか? 入学者数のデータは入手できなかった。逆に卒業者数から類推してほしい。 まあ定員はないに等しいように見受けられる。 陸士の場合(ソース:「日本陸軍がよくわかる事典」PHP) 士官生徒時代(明10~22)、1期117名。最少6期(明16)59名・最多11期(明22)207名。 士官候補生時代 1期(明23)147名、5期(明27)200人突破、 9期(明30)650人に急増、以後600~700人で推移。 18・19期(明38・40)それぞれ920名、1068名とピーク。翌年は反動で276名に激減。 22期(明43)以後700人前半で推移、29期(大6)536名に激減、以後200~400人で推移。 53期(昭15)1719名に激増、以後2200名程度で推移。57期(昭19)2413名。 海兵の場合(ソース:参拾壱頁) 1期(明6)2名、以後、平均的に30名未満で推移。 27期(明32)113名、初めて100人突破。 30期(明35)188名に急増。32期(明37)192名、ピーク。以後100名前後で推移。 50期(大12)255名・51期(大3)236名と例外的に突出、翌年反動で60名強。 55期(昭2)以後120名強で推移。 66期(昭13)200人突破、以後激増、73期(昭19)898名。 (107 鷂 ◆Kr61cmWkkQ) 544補足。 海軍大学校は明治21年に甲号生徒9名を送り出し、25年までは平均9名(23年のみ2名)、 27年に将校科となって、5~8名、明治31年以降は甲種となって33年まで一桁台となり、 日露戦争時は一時途絶えますが、35年に一挙に44名が卒業し、再び39年まで卒業が途絶え、 以降は20名~30名で推移します。 以後昭和13年に30名、15年に27名となり、最後が18年の25名です。 一方の陸軍大学校は、明治18年に10名を卒業させ、以後は明治31年まで10~20名で推移します。 明治32年に一挙に40名前後に拡充し、同じく日露戦争の2年間は卒業生を輩出せず、明治42年に55名 に拡充されます。 以後、50~70名前後で推移し、昭和に入ると50名前後となります。 昭和13年、16年は年に2回卒業生を輩出し、昭和16年以後は毎回70名以上が卒業していきます。 更に昭和19年には年3回卒業生を輩出し、毎回100名近くが卒業しています。 最後が昭和20年8月卒業の120名でした。 (107 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 旧日本軍の軍、方面軍、総軍はミリタリーシンボルではどうなるんでしょうか? 師団がXX、軍団がXXXといったミリタリーシンボルはNATO式といって、 こういった表記は国や時期によって異なります。 (旧日本軍やドイツ、ソ連などは旗印を用いたりしています) ちなみに戦史資料などでNATO式を用いる場合、方面軍はXXXXX、総軍はXXXXXXです。 もっとも実際には方面軍は英米連合軍の軍(XXXX)、総軍が軍集団(XXXXX)に相当するレベルです。 (108 311) 大阪の部隊は弱いって本当ですか?歌にまでなったって聞きましたが。 まあ強いか弱いかなんて一概には言えないが。 大阪では戦前から”商売>>>・・>兵役”という考えが強く 兵役後に軍に留まる人の割合が全国で最も少なかったとのこと。 一方、明治期に脚気による兵の大量死が問題と成った時に 初めて麦飯を取り入れたのが大阪師団(鎮台だったかも)で 発病率を一桁下げることに成功していたりする。 (中央からは蹴られたが) (109 488) 明治期の軍人恩給って大体いくら位ですか? う~ん、資料を探したのですが、昭和期のものしか見つからず。 △普通恩給 … 一定年限に達して退職した軍人と准軍人に賜る一般的な恩給。 准士官以上は在職13年以上14年未満に対し、退職前棒給年額の150分の50に相当する金額。 14年以上は、1年増す毎に退職前の棒給年額の150分の1に相当する金額を加算。 下士官以下は、在職12年以上13年未満に対し、退職前棒給年額の150分の50に相当する金額。 13年以上は、1年増す毎に下士官は7円、兵は6円を加算。 △増加恩給 … 公務中に傷病を受け、不具廃疾となった場合に軍人、准軍人に加算。 なお、准軍人とは、陸軍の見習士官、海軍の海軍候補生など。 △傷病年金 … 公務中に永続性の傷痍、疾病罹患により、不具廃疾に至らなくとも、これが原因で3年以内に退職 した者、または下士官以下退職後3年以内にこれがため一種以上の兵役を免ぜられた時に支給。 △傷病賜金 … 下士官以下公傷、病にて傷病年金を受ける程度でなくても、これが為退職、または退職後1年以内に これがため一種以上の兵役を免ぜられた時に支給。 支給額は最大660円、最低120円で16項目に区分される。 △一時恩給 … 在職准士官以下3年、下士官2年以上で恩給を受ける年限に達せずして退職した者に支給され、金額 は退職当時の棒給月額に在職数を乗じた額。 △扶助料 … 戦闘または戦闘に準ずべき公務で死亡した者の遺族には、普通恩給の金額、普通公務にて死亡した者 の遺族には、普通恩給の10分の8、その他は10分の5を支給。 △一時扶助料 … 在職3年以上で恩給を受ける年限に達せずして在職中死亡した者の遺族に支給され、支給基準は一時 恩給と同様。 ちなみに1943年当時の士官、准士官の年棒は以下の通り。 大将:6600円、中将:5800円、少将5000円 大佐:4150円、中佐:3220円、少佐:2330円 大尉:一等(海軍は一級以下同じ):1900円、二等:1650円、三等1470円 陸軍軍楽大尉:一等:2150円、二等:1900円、三等:1750円 海軍特務大尉:一級:2070円、二級:1191円 中尉:一等(海軍は一級以下同じ)1130円、二等:1020円 陸軍軍楽中尉:一等:1540円、二等:1390円 海軍特務中尉:一級:1740円、二級:1630円 少尉:850円 陸軍軍楽少尉:一等:1240円、二等:1130円 海軍特務少尉:一級:1470円、二級:1368円 海軍各科少尉候補生:670 准士官(陸軍):一等960円、二等:900円 准士官(海軍):一級:1220円、二級:1150円、三級:1043円、四級:930円 (109 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 太平洋戦争時の日本軍兵士の数はどれくらいですか? 太平洋戦争勃発時の動員兵力は全体で60個師団220万人(糧食250万人分)、このうち南方作戦に投入したのは、 僅か13個師団30万人(糧食40万人分)。 残りは、満州に24個師団120万人、中国に30個師団65万人に張り付いていた。 以降は以下の通り。 内地 中国 満州 南方 1942年度末 50万人 68万人 70万人 50万人 1943年度末 70万人 68万人 60万人 92万人 1944年度末 121万人 80万人 46万人 163万人 1945年度末 278万人 120万人 78万人 164万人 (110 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 旧軍の軍人が武官として海外の大使館付になっていましたが、 外務省と同じようにエリートコースの人は英米などの列強国、傍系の人はそれほどでもない国、と言った感じだったんでしょうか? そのとおり。 陸軍なら独仏、海軍なら英米大使館附が成績優秀者の勤務先。 (110 352) 旧日本陸・海軍のトップは陸軍参謀総長・海軍軍令部総長? それとも陸・海軍大臣?(天皇は除きます) 格で言えば、親任官の陸海軍大臣のほうが 勅任官の参謀総長・軍令部総長よりも上。 (110 697) 最高司令官である天皇を除くと、軍令の最高責任者は参謀総長および軍令部総長、 軍政の最高責任者は陸海軍大臣ということになります。 (110 698) 大日本帝国憲法では大臣は皆同じ地位です (110 714) 大日本帝国の内閣総理大臣は、大統領制下の首相みたいなもんで 現在の象徴天皇下の首相とは別物でした 陸海軍の軍事権については、統帥権を持つ大元帥の専有物であり、まったく干渉できません 陸海大臣現役武官制がとられた後には軍の意向で内閣不一致がおこり、内閣が潰れることもしばしばありました (110 716) 本来は、明治22年の内閣官制で、 「事ノ軍機軍令ニ係リ奏上スルモノハ天皇ノ旨ニ依リ之ヲ内閣ニ下付セラルゝノ件ヲ 除ク外陸軍大臣海軍大臣ヨリ内閣総理大臣ニ報告スヘシ」 となっており、統帥事項に関するもののみ奏上するもので、軍政事項は内閣総理大臣 への報告を行なわなければなりませんでしたが、統帥事項の範囲を拡大して解釈したり、 内閣官制に書かれた規程を無視することも珍しくありませんでした。 ちなみに、内閣総理大臣は各大臣の首班として、旨を承けて、行政各部の統一を保持するもの と定められ、内閣に於いては同輩者中の第一人者たる地位が認められたに過ぎません。 従って、各大臣への命令を行なう権限はなく、施政の大本の方針を定めてこれを閣員に示し、 閣員間に衝突があるときはその調和を図り、各省主任の事務にしても、 内閣全体の方針に矛盾の無いよう警告するなどの任務を有するのみです。 (110 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 参謀と幕僚と司令部付の違いがわかりません 参謀、幕僚、司令部付 まず、司令部付きから。 人事管理上、司令部に所属しているということ。 実際、何をしているかは場合による。 臨時配属の幕僚、指揮官の代理、部隊等の損耗の補充要員、部外への研修・派遣等。 「参謀」と「幕僚」 旧軍の語において、参謀と幕僚を使い分ける場合、参謀は指揮・情報等、 作戦に直接関わる分野に携わる者、幕僚は庶務業務等の実施者と使い分けた。 自衛隊では、すべて「幕僚」と呼び、「参謀」は使用していない。 (110 652) 司令部で庶務・秘書などの業務を担当するのは「副官」です。 旧日本陸軍では「参謀」と「副官」を合わせて「幕僚」と呼びました。 (110 見習士官) 旧軍では問題を起こしてやめさせられる事を、懲戒免職と呼んだのでしょうか? 普通に考えれば予備役編入でしょうな。 しかし、本当の不始末なら「机に拳銃が置いてある」が正解かも。 (111 536) 軍人としての身分を完全に剥奪されることはなかったのですか? 何か細かいことをいろいろと知りたそうだから 取り敢えず「陸軍刑法」でもググりなさい (111 538) WW1の英軍には野戦処罰No1なんてのがあったな。 敵の砲弾の射程内にある固定物に縛り付けるらしい。怖・・・ (111 539) そりゃ、「免官」という例もあるだろうけど、「不始末」の中身にもよるよね。 無能じゃ普通は免官に出来ないだろ。 (111 540) 陸軍刑法で規定されてるのは刑事罰だけじゃなかったっけ? (111 541) ほんとに知りたかったら刑法だけじゃなく関連規則も調べるだろう (111 542) 不名誉除隊という言い方もある (111 547) 547さんのおっしゃるとおり、米軍の場合は非常に重大な問題を起こした兵士は、 不名誉除隊となります。これは自衛隊における懲戒免職にほぼ相当します。 より軽い刑として名誉除隊もあります。 (111 551) 日本に優秀な狙撃兵はいたのでしょうか。 狙撃銃はありましたし、狙撃をもって敵兵に恐れられた事例はあります。 ただし、現代一般的に認識されている(あるいは大戦時のドイツ、ロシア、フィンランド) ような狙撃兵としての事例とは微妙に違います。 狙撃兵個人の名が敵にまで知られ、恐れられるような事はありませんでした。 (112 188) 38式は狙撃銃なみに良く当たる。 (112 セイラ・マス・大山 ◆q.I9V7ewls) 大日本帝国時代の軍医の位置づけはどんなものなのでしょうか? 陸軍の場合、軍医は衛生部に属しています。 衛生部というのは、医者、薬剤師、歯科医などが属しており、獣医は獣医部に属しています。 彼等は、兵科には属していませんので、尉官以上は将校担当官と呼ばれます。 大学卒は、二等軍医または二等薬剤官、専門学校卒は三等軍医または三等薬剤官に任官します。 この将校担当官になる人は、大学医学部、医学専門学校、大学薬学科、薬学専門学校卒業生を見習医官、 見習薬剤官に採用し、陸軍軍医学校で教育します。 (あくまでも卒業生の教育であって、この段階では軍が医師を養成する訳ではありません) 陸軍軍医学校は、軍陣医学、薬学、看護に関しての教育を行なうもので、甲種は乙種修了の大中尉に一年、 乙種は初任中少尉(大学、専門学校卒の医師、薬剤師)に一年、丙種は少尉候補者(看護)に一年、 丁種は下士官(看護)に三ヶ月、他に幹部候補生対象の11ヶ月の教育がありました。 歯科医は、1940年に新設されたものです。 また、1933年には軍医候補生というのが新設され、医師免許のある志願者を軍医候補生として、 一ヶ月歩兵連隊と陸軍病院で教育し、大学卒は二等軍医に任じ、二年間現役、後予備役とする制度です。 1937年には軍部隊の拡大に伴い、医師が不足した為、医師免許を持つ者は強制的に軍医予備員とし (軍医予備員を志願しなければ、応召では一兵卒として扱われます)、短期教育で、 予備役衛生軍曹、召集で部隊編入時に、予備役見習士官としています。 太平洋戦争中は、前線に医師が払底した為、本来は軍医の召集年限を上げたかったのですが、 それでは苦しいことがバレバレだからというので、全兵科の召集年限を上げたりしています。 海軍は、官制としては、軍医科、薬剤科(後に歯科医科、看護科が追加となる)からなっています。 陸軍と違うのは、軍医科は士官のみであること、大学、専門学校卒の志願者から選び、 大学卒は中尉に、専門学校卒は少尉に任ぜられます(1942年以降は二ヶ月の見習尉官を経ます)。 予備役将校担当官というものはなく、短期現役士官制度、現役士官制度という制度を1924年作り、 二年現役後、予備役に編入されます。 海軍の軍医学校は、医師、薬剤師資格を持つ者が対象で、高等科学生(大尉に一年)、 普通科学生(新任尉官に六ヶ月)、選科、専修学生(看護兵曹長で特務士官要員)の制度がありました。 ちなみに、医者になるのは、初等教育(6年)、中学校(5年)あるいは高等女学校(5年)を出た後、 高等学校あるいは大学予科(3年)から大学(3年)に進んで医者になる場合と、 中学校、高等女学校卒業後、専門学校(3年以上)を卒業して医者になる場合がありました。 専門学校は昭和の初めには、東京、岩手、九州、昭和、東京女子、大阪高等、 大阪女子高等の各医学専門学校の他、日大専門部医科、帝国女子医学薬学専門学校がありました。 1939年以降は軍医不足になった為、全帝国大学医学部と医科大学に臨時付属医学専門部が併設され、 単独校として、官立の樺太、青森、前橋、松本、米子、秋田県立、徳島県立、和歌山県立、奈良県立、広島県立、 県立鹿児島、山梨県立、三重県立、兵庫県立、山口県立、横浜市立、大阪市立、名古屋市立女子、福島県立女子、 岐阜県立女子、私立順天堂の医学専門学校と、官立東京、福岡県立の医学歯学専門学校が設けられました。 これらは、戦後、順次大学になっています。 歯科医は全て専門学校で養成され、大学教育としては行なっていません。 修業年限は3~4年。 官立は東京高等歯科医学校(前述の東京医学歯学専門学校)のみで、私立として、日大専門部歯科、日本、 東京、大阪、九州(これは前述の福岡県立となる)、東洋女子、 日本女子に各歯科医学専門学校が設けられています。 (115 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦中は軍にも車の車校とかあって、免許とかもいったの? 1935年前後、大学卒の初任給が60円前後、対して自動車の価格は、 キャデラック・フリートウッドが35,000円、リンカーン・ゼファーが9,000円、シヴォレーが4,000円、 ダットサンが2,100円でしたから、自家用の免許を持った人はあまりおらず、殆どが職業運転士でした。 で、今、手元にあるのが、KKKのバス事業の資料しかないのですが、 まず、運転士になりたい人は、会社に入って、現役運転士の補助になります。 この現役運転士がお師匠となり、補助に付くと、その一挙手一投足を目で盗み、 庫内で自習をします。 いい人に当たると、結構手取り足取り教えてくれた人も居たようですが。 そんなこんなで数ヶ月すると、路上教習になります。 で、これにお師匠と試験官が付いて、路上に出て一通りの運転動作をした上、 問題が発生しなければ、運転免許証が発行されます。 後で資料が出てきたらまた書き込みますが、軍でもほぼ同じ育成課程を経ていたかと思います。 (118 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本軍では航空機パイロットよりも自動車ドライバーのほうが稀少だったそうな (118 31) 実際に運転された人の話が一番ですよ…。 軍用のは、ちょっと今掘り出せない(戦車の資料はいっぱいあるんですがね)ですが、 民間用のは、地方出版物のもので、例えば、「房総の乗合自動車」とかそう言うものがあります。 内務省が自動車運転に関する規制を考え始めたのは、 大正8年に内務省警保局・土木局が連名で出した自動車取締令によるものです。 これを基に、各府県は自動車取締細則を定めて運用します。 ちなみに、軍事とは離れますが、大正12~13年の千葉に於ける一年間の交通事故件数は61件、 歩行者の死者3名、負傷者41名、従業員の負傷者1名、その他13名で、 事故を起こした運転士61名のうち、15名は無免許です。 運転手の養成所はありましたが、数が足りず、免許取得の運転手の添乗の下、 助手が無免許でハンドルを握らせています。 流石にこの状態は不味いので、大正15年に自動車取締令施行細則が改訂され、 業務用(乗合、貨物)と自家用とナンバープレートが色分けされ、 そのナンバーも外せない構造となります。 また、戦前から昭和20年代に掛けては、自動車運転免許状を交付される人と言うのは 大型乗用車、乗合自動車、自動貨車とそれに準ずる車輌くらいなもので、 排気量500cc以下の小型乗用車、オート三輪には免許が不要でした。 余談ですが、うちの母親は昭和30年に免許を取ったのですが、 従兄弟のルノー4CVで路上教習を受けて、試験に臨み、受かったらしいです。 (119 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ちと訂正しておきます。 無試験免許(今日の原付免許と違い、学科試験も無しの文字通り単なる許可証)を 無免許としている資料(当時のものも含む)が非常に多いのですが、免許証そのものは必要です。 最寄の警察署で1時間程度の手続きで(地域差あり。手数料は手元に資料がありません)交付されます。 その適用対象である小型自動車の区分は 大正13年~昭和5年 360cc以下 ~昭和9年 500cc以下 ~昭和11年 750cc以下(2サイクルは500cc以下) 昭和12年以降~ 廃止 となっていました。 (119 30) 余談ですが、戦前すでに運転免許を取得するための自動車教習所は存在しました。 東京では荻窪あたりにダットサン専門の教習所があったそうで、 戦後まもなく教習を受けに行った人によると、1~2回横に乗せた程度で あとは適当に練習しろといわれたそうな。 それでも卒業免状を交付してもらったので鮫州の試験所に試験を受けにいくと 実地試験を免除されて法規試験のみを受けたそうです。 ところがこの試験たるや、前の方に居た2~3人に適当に口頭で質問をして それのみで全員が合格とされたとか。 (自動車ジャーナリスト小林彰太郎の自伝より) (119 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 旧軍の伍長って下士官じゃないんですか? 旧軍の場合は、伍長ってのは、兵の中の「まとめ役の兵」じゃなかったか? 確か、旧軍の場合、「兵隊」というと「伍長以下」を指した。 (118 414) 旧日本軍の軍医に関してですが、階級はどの位だったのですか? 軍医になる方法はいくつかありますが、いずれにせよ、 民間の学校で医学教育を受けた者を軍医として採用していました。 大学の医学部卒業生は中尉、専門学校(旧制)卒業者は少尉から軍歴をスタートさせることになります。 志願の他に、招集の場合もありました。 戦前の日本には徴兵制度がありましたが、学生の場合は徴兵が延期されるので、 卒業後に招集を受け、軍医として約2年勤務するわけです。 この場合、本人の希望次第では、永続勤務も可能でした。 また、卒業後、軍医として勤務するという条件で、軍が学資を出し、 医大などに志願者を通学させる制度もありました。 軍医の最高階級は、中将でした。 中将~少尉という名称を使わなかった時代もあります。 森鴎外は、陸軍軍医総監まで上り詰めていますが、 これは当時の軍制で中将に相当した軍医の階級です。 (111 733) 将校扱いなのですね。下士官レベルから始まると思っていました。 あの再度の質問で恐縮ですが、軍医中尉と衛生中尉は全然違いますよね? 軍医中尉と衛生中尉は別物です。 衛生○○っていうのは、基本的に累進した衛生兵(海軍は看護兵)です。 医師と看護師みたいなもの。 あと、軍医は将校相当官で、兵科(戦闘職域)将校より一段下に見られていました。 たとえば、部隊(または艦艇)の指揮官が次々倒れ、 軍医中佐と少尉の2人だけが生き残った場合、少尉の方が指揮官になります。 さすがにこれはまずかろうということで、陸軍は昭和15年からこの制度を改めましたが、 細かな区別は終戦までそのままでした。 (111 737) 軍医は非戦闘員(?)ということを聞いたことがあるのですが、という事は丸腰だったのでしょうか? 軍刀や拳銃は携帯してました (111 740) 軍刀は持ってますよ。格好が付かないから(w 国際法上、衛生要員が、護身用の武器を所持することは認められています。 (111 741) 軍人としての身分を完全に剥奪されることはなかったのですか? 何か細かいことをいろいろと知りたそうだから 取り敢えず「陸軍刑法」でもググりなさい (111 538) 日本軍ってまだいるんですか? 旧日本軍は第二次世界大戦の敗戦と共に解散しました。 日本国は憲法9条の都合上、軍隊と自称する組織は現在のところ保有しておりません。 その代わりに、自衛隊と言う組織を保有しております。 同様に「軍隊」がありませんので「軍艦」も現在の日本にはありません。 海上自衛隊が保有している水上戦闘艦は原則として全て「護衛艦」と呼ばれます。 むろん、これらは日本国内の政治的都合のみによる話で、 他所の国の皆様から見れば自衛隊だろうが護衛艦だろうが、 軍隊であり軍艦であると判断されるのは致し方の無いことでしょう。 (113 473) 大日本帝国において部落出身者への士官学校、兵学校入学時における差別、昇進における差別はあったのでしょうか? 県教委から文化財保護委員を委嘱されてる郷土研究の長老いわく 新平民に陸士・海兵の受験資格はなかった、とのこと。 兵・下士官の実態は聞いていないので不明。 (114 鷂 ◆Kr61cmWkkQ) 戦前の日本で、軍と警察のエリートコースを教えて下さい。 陸軍の場合 幼年学校で銀時計→陸士で軍刀→陸大で天保銭→中央 (116 192) 警察のエリートコースというものは存在しない。 あえて言えば高校卒→帝大卒恩賜→内務省入省であるが、 このあとは地方自治体の役人やったり、警察署長やったりして、 ある程度の年になれば知事になったり、警視総監になったりする。 警察畑のみ歩むようなことはない。 つまり、きのうまで知事だったのが、人事異動で今日は警視総監となる。 (116 199) 日本帝国軍に、ナチスドイツの武装SS外国人義勇兵部隊のような「非主流民族で構成されたエリート親衛部隊」 的なものはあったのでしょうか? ありません。「独立」させた旧植民地において現地人による軍を編成した例(インドネシアや ビルマなど)、植民地からの志願兵を受け入れ後には徴兵した例(朝鮮・台湾)はありますが、 管見の限りそのようなタイプの部隊が編成されたことはないはずです。 (117 209) 川島威伸率いる台湾の高砂族部隊があったはず。 近衛ではないけど。 (117 211) 「非主流民族で構成されたエリート親衛部隊」 なんて物は無い。 ノルトラントやヴィーキング師団等はあくまでも主流民族であるアーリア系民族として構成された訳で それ以外の義勇SS師団はエリート扱いされた事も無い。 (117 214) インド義勇軍は日独双方に居た。 (117 215) インド義勇軍は、インド国民軍と言ってボーズ首席のインド国民政府の軍隊。 李登輝総統は、学徒兵から士官になられたのです。士官学校出の朝鮮系の将官もおられたはず。 (117 216) 朝鮮戦争時、韓国軍の指揮官には士官学校でが多かった。白大将も士官学校出 (117 217) 旧軍にもドイツみたいな「肉弾戦車撃破記章」とか「歩兵突撃記章」のような勲等はあったのですか? 日本陸軍に於いて、軍人も受けることが出来る勲等は、 大勲位菊花章頸飾から勲八等宝冠章まであります。 このほかに、軍人のみが授与される功一級~七級までを金鵄勲章と言います。 将官は功一級~三級、佐官は功二級~四級、尉官は功三級~五級、准士官は 功四~六級、下士官は功五級~六級、兵は功六級~七級が授けられます。 これらには終身年金も付いていました(1941年には一時金となる)。 これら金鵄勲章は、武功抜群の陸海軍将兵と軍属に賜るもので、ドイツ軍の様な 戦車を破壊したから功績章を授与するとかそう言う正確のものではありません。 また、記章類としては、従軍或いは戦役、事変に関係した軍人、軍属、 民間人に拝受される従軍記章、皇室、国家の典儀、大事業を記念すべき表章として 制定された、記念章があるだけです。 (120 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 眠い人さんの補足として、以前の回答から追記の上転載。 金鵄勲章は昭和17年以降、戦死者でなければ授与されない勲章になってしまいました。 このため海軍では、生存者を対象に前線の航空艦隊司令長官や艦長の裁量により、 司令賞の授与や特別善行賞一線付与などが行われました。 また、逐次感状(表彰状)や短刀の授与も行われています。 感状の授与は陸海軍感状授与規程に基づいて行われました。 ただし、これらには記章等は与えられていません。 陸軍では感状の他には昭和19年に陸軍武功徽章(甲・乙)が制定され、金鵄勲章に匹敵する 生存者授章勲章として軍司令官以上の高級司令官によって授与されました。 武功徽章は楯を縦横に重ねて十字形にしたデザインで、中央に「武功」の文字が書かれています。 甲章は個人の武勲に対して、乙章は部隊の武勲に対して授与されたものでした。 海軍には同様の勲章は存在せず、陸軍のみの独自の勲章でした。 (120 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE 戦前の日本陸軍と海軍は「仲が良かった」具体的事例は何かあるのかい? 海上護衛をなかなかやってくれない軍令部に対して陸軍が文句を言ってくれたおかげで、対応が改善した。 そのせいか「海上護衛戦」では陸軍の悪口がほとんど出てこない。 (121 166) そんなのが海軍全体と陸軍全体の共同が上手く行ってた証拠になるんだったら、 世の中に仲の悪い組織関係は存在しないと思われ そのせいか「海上護衛戦」では陸軍の悪口がほとんど出てこない。 (121 176) 日本軍はいろんな無線を傍受されて、暗号も解読され、待ち伏せされたりかなり情報戦に弱かったのでしょうか。 日・米・英「諜報機関」の太平洋戦争(リチャード・オルドリッチ/著 光文社)によると 日本軍のシンガポール、香港侵攻は英軍の暗号解読によって使用部隊から開戦日時まですべて 明らかになっていたにも拘らず、日本軍は英軍を打ち破っている まぁ暗号解読だけじゃ戦争には勝てないってことだな (122 93) 旧日本軍に電信兵というのはいたのでしょうか? もし、あったのであればどういう兵科だったのでしょうか? あった。通常なら歩兵 (122 958) 日本陸軍の場合、通信兵種は工兵科に属します。 通信兵は歩兵旅団に通信隊として配属されるほか、 師団の工兵大隊内部に電信聯隊という独立した部隊としてもありました。 更に敗戦までに、工兵隊の膨張に伴い、通信隊司令部、電信聯隊、独立有線中隊、特殊無線隊、 超短波無線中隊、固定通信隊が出来、船舶輸送司令部配下には船舶通信聯隊も作られています。 また、陸軍通信学校では、軍用通信の教育と軍用鳩の育成を行います。 甲種は中少佐大尉に三ヶ月、乙種は大中尉に八ヶ月、丙種は尉官に八ヶ月、 丁種は下士官に八ヶ月の教育を行い、特種学生は尉官に暗号教育を三ヶ月、 鳩学生は尉官下士官に二~四ヶ月の教育を行います。 このほか、陸軍少年通信兵学校というのもあり、通信関係現役下士官(少年通信兵)養成の 二年制の学校で、1941年に設置されました。 卒業後、兵長として一年隊付きの後、伍長になります。 日本海軍ならば、通信兵種は、兵科に属します。 元々、水雷兵種に属していたもので、教育課程は、1930年に分離独立しています。 高等科は大中尉に一年、普通科は中少尉に四~六ヶ月、特修科は佐尉官、兵曹長、 上等兵曹に四~六ヶ月、専攻科は高等科卒に一年の教育を行なうものです。 (122 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 旧日本陸海軍の高級士官、少将以上で最年少記録は何歳でしょうか? 鳥尾小弥太は25歳くらいでいきなり少将に任官されてる。 少尉からこつこつ昇進した人間の中での最年少将官なら皇族の誰かだろう。 終戦時の最年少将官は春仁王あたりかな? (123 208) 秩父宮が陸軍少将に任官したのが昭和20年3月で42歳。 大体ここらへんでないの? (123 209) 伏見宮博恭王(元帥海軍大将)の海軍少将任官は38歳のとき。 ただし宮様は海軍兵学校卒業じゃないけど。 まあ、ダントツは大正天皇の陸海軍少将任官(19歳)だな(w (123 210) 昭和天皇は18で陸海軍少将になってるが。 (123 215) よく旧日本軍の餓死の話を聞きますが、人間は水と塩があれば1月は生きるし周りは全部海でしょ。なんで海水飲まないんですか? 海水の塩分濃度は、人間の血液よりもかなり高いので、体内の塩分濃度を下げるために、 更に大量の水が必要になる。 結局、海水を飲んだところで、食糧事情はいっこうに好転しない。 (369 103) せっかく日本人は刺身を食べられるのに、魚を釣らなかったの? 魚を獲ったり釣ったりした人は沢山いた。 でも、日本とは全然生息してる魚の種類が違うので、どれが食べられる魚 なのかよく分からず、毒のある魚に当たって死ぬ人が続出した。 また昼間海に出るとよく通りすがりの米軍機に銃撃されることになった。 手榴弾や砲弾を使ったバクダン漁(水中に爆発物を投げ込んで爆圧で気絶 して浮いてくる魚を捕まえる)も熱心に行われたが、やっぱり「食べていい 魚と駄目な魚」の区別がよくつかず、やっぱり当たって死ぬ人が続出した。 とある人の手記で、たった一つ残った手榴弾を巡って 「バクダン漁をするか自爆自決用に温存するか」 で揉めて殺し合いになった、という何とも言えない話が。 (369 119) 何故、大日本帝國では、陸軍省と海軍省で国防関連の省庁が二つに分かれて存在していたのでしょうか? 今の日本みたいに、防衛省で一つに統合した方が、いろいろな面で効率的だと思うのですが。 昔は兵部省っていう現代の国防省みたいな役所だったんだが、長州と薩摩の派閥争い によって陸軍省と海軍省に分離した。 ちなみに当時は、陸軍と海軍は別々に大臣を持つのが世界的にもトレンディではあった。 (491 466) 旧軍の参謀ってのは、何をする人なんですか? ガ島で川口少将が辻参謀の意見で解任されてますけど、辻参謀は中佐ですよね。 階級とは関係なく作戦や人事を行う偉い人って認識でいいですか? 川口少将は現場の指揮官。 対して辻は大本営から派遣されて作戦を監督する立場にある。 つまり地方の支店長と社長の意向を受けて派遣された本社社員の違い。 辻は川口少将の指揮下にある訳ではないので、この場合階級より権限の違いが重要という訳。 (498 458) 軍司令官 │└──軍参謀 ←参謀は、部隊の指揮系統「ライン」からは外れてる「スタッフ」の一種。 師団長 軍とか師団とかの各レベルのライン上指揮官を、作戦立案面で補佐。 │└──師団参謀 つまり、命令権限や人事権限を直接には持たない。いわば相談役。 連隊長 │ 大隊長 ←こういうふうに縦に並んで指揮系統の一部になってるのが「ライン」 │ 兵隊 上のようなのが本来の区分なんだが、実際の日本軍では参謀が作戦の実権を握り、 部隊長名義で勝手に命令出しまくりという事態が多発した。 (他方、部隊長は具体的指示をしないでどっしり構えるのが美徳とする傾向もあったらしい。) しかも、現地指導のために、上級司令部から 458みたいにして派遣されてきた参謀の場合、 特に無茶苦茶をやる傾向があったようで。 関東軍からノモンハンへ派遣された辻参謀(少佐)は、将軍クラスのいる師団司令部を牛耳った。 (498 466) 日本軍は、上官の命令に従って行ったことに対しては部下は責任を問われないと聞きましたが それなら、なぜ2.26事件の決起に参加させられた下士官や兵は「おまいら死んで来い」とばかりに 中国戦線などの激戦地に飛ばされてしまったのですか? どこの国でも建前と本音というのはありますが、日本の場合は一度失敗をしたものは一族郎党皆殺しっていう雰囲気があって・・ 特に軍隊ではたとえ上官の命令といえども、軍全体の意向に反したものは基本的に死刑もしくは自決もしくは玉砕を強要される。 漫画家の水木しげる氏は戦時中にニューブリテン島バイエンに上陸したが、支隊長が玉砕命令を出してほとんどが玉砕、わずかに生き残った将校は自決、 兵や下士官は次回の戦闘で先頭に立って玉砕を強要された(が、戦闘がなくて助かった)。 要は日本軍の場合は「失敗もしくは命令に反したものは氏ね」ということ。まあ例外もわずかにあるが。 ただし、参謀に限っては建前上何の権限もなく、責任も問われないことになっていると聞いたが。 辻政信はノモンハンで失敗しても返り咲いている。この経緯についてはよくわからんので識者レスきぼんぬ。 (503 308) 辻ーんのノモンハンでの失敗後の処遇に関する磯谷廉介中将(当時関東軍参謀長)の述懐を引用すると、 「ノモンハン事件に対して、辻参謀の言動が大きな影響を及ぼしたことは事実である。 しかし、作戦指導の大綱は、副長以上が決済したものであって、責任は一少佐に過ぎない 辻参謀にあったのではなく、特に軍参謀長と軍司令官が負わなければならないものであった」 (「悪魔的作戦参謀 辻正信」光人社NF文庫 生出 寿 より) ということになります。 そこには幕僚の独断専行を追認して責任は自分で被るのが立派な将軍という思想が あったように思われます。 実際に植田謙吉関東軍司令官と磯谷参謀長は予備役に編入されています。 辻ーんが復権できたのは、服部卓四郎参謀本部作戦課長の引きがあったのと、 当時辻ーんは独自に南方作戦に関する研究を行っていたので、それが東條英機の 目に留まって、いわば「南方通」と思われていたという事情があったり。 (503 316 名前:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) WW2の時の日本軍がブルドーザーとか持ってなかったって本当ですか? 当時の日本の重機の普及状況ってどんな感じなんでしょう?ドーザーないならショベルとかダンプもなし? ブルドーザーが開発されたのは1923年。 しかも当初はタイヤ型で、現在と同じキャタピラ型になったのはかなり後です。 意外に思うかもしれませんが、1940年代においては超ハイテク機器だったわけですよ。 まだまだ世間に普及してるものじゃなかったんです。 (360 23) 国産初のブルドーザーは昭和18年、小松製作所が陸・海軍それぞれの発注に対して生産している。 遅きに失しているとも言えるけど、持っていなかったわけではない。 ショベルやダンプ、トラクターはそれより前に国産が生まれているが、 昭和初期は雇用確保の為に「なんでも人力」の時代で、普及ははかばかしくなかったとか。 (360 24) 償勤兵ってなんですか? 自衛隊にもあるんでしょうか? もともとは旧軍時代から使われてた言葉で、 陸軍刑務所から出た後に徴兵期間が残ってると、償勤扱いになった。 あと、自衛隊にもある。 ショーキン=償勤隊員。 刑務所勤務(服役とは言わない)中は無給となり、 本来の給与の30%にあたる額を国庫に納めなければならない。 これが納めきれない場合は、下番後(出所とはいわない)、働いて返すことになっている。 (512 683) 兵隊が占領地で個人的に何か物を買おうとした場合それは軍票で買うと思うのですが 駐屯地で日本円で給料をもらい、それを軍票に両替するのですか それとも、最初は銀行振込で駐屯地で引きおろすときに軍票で引き出すのですか 戦争中だと、補給によってはお金すら配達できない地域もあったと思うのですが その場合、給料はどうなるのでしょうか 給与のうち、現地で使用する分については軍票で支給される。 自宅渡し扱いにする分は軍用郵便局または野戦郵便局の口座への振込みいう形で支給される。 それから軍票で支給することができない戦場にいて、かつ戦死が確認されていない場合 (例:末期のラバウルにいる場合)には口座に振り込まれ続けていく。 (358 367) 旧軍では玉砕命令が出て、でも何か生き残ってしまった場合、帰還したら死刑ですよね? 死ぬくらいなら敵に降伏するべ、と考えた人も多くいたんですか? まず玉砕命令というものは存在しない。あくまで作戦を実行した結果として玉砕するだけ。 また基本的に捕虜になっただけでは死刑になることはない、死んでこいとばかりに死地に送り込まれたりはするが。 降伏する兵は少数だがいた。 しかし一般には敵兵に捕まったらなぶり殺しにされると信じられていた(少なくとも中国戦線ではそうだった)し、 一度捕虜になれば日本に帰っても居場所がない、しかも本人のみならず家族まで中傷にさらされる羽目になるので 降伏を選ぶ日本兵は特筆に値するほど少なかった (519 796,モッティ ◆uSDglizB3o) 旧軍で連隊区司令官という役職がありましたが、これは連隊長とどう違うのでしょうか? 連隊区司令官と連隊長は兼務ですか? 両者は別のもの。 簡単にいうと「連隊」は軍隊で、「連隊区司令部」は役所(自衛隊の地方連絡部のようなもの)。 連隊区司令部(司令官)は、連隊区内における徴兵・召募・恩賞・職業補導、留守業務、在郷軍人の服役・召集、在郷軍人会、 青年学校、国防思想の普及などに関する事務を掌った。 連隊区は、昭和16年10月31日以前は概ね常設師団の歩兵連隊所在地と沖縄に置かれたが、昭和16年11月1日以降は、概ね都道府県ごとに1つ置かれた。 ただし、北海道は4つ(旭川・札幌・函館・釧路)。 また、朝鮮・台湾・満州には兵事区が置かれたが、樺太には豊原連隊区が置かれた。 (524 806) 日本においても戦闘機王とかライフル王みたいな武勇伝ってあるんですか? ある意味、ルーデルやヘイヘより凄いのがいる。 舩坂弘軍曹 擲弾筒分隊長として大暴れし、部隊壊滅後は重傷を負ったまま 米軍指揮所へ潜入、発見・反撃されて戦死判定を受けるが3日後に蘇生。 その後、捕虜収容所を脱出し、敵弾薬庫を爆破した上で生還。 長嶺公夫少尉 拳銃と手榴弾のみで敵飛行場に突入し、敵航空機の発進を阻止。 迎撃に出てきた敵戦車2両を手榴弾で撃破したのち、装甲車両からの 射撃で負傷しながらも応戦、生還。 (526 653) 旧軍の電熱服は危険と聞いたのですがどのへんが危険なのでしょうか? 坂井氏によると、海軍の電熱服は感電したり発火したりする危険性が高かったそうです。 重くて、あまり暖かくなく、危険性が高いということで嫌われたようで。 (526 26 ◆yoOjLET6cE) 日本軍の将軍・提督に対する教育はいかなるものだったのでしょうか? 戦争の勝敗に影響を与える要素として国力と軍事技術などがあげられますが やっぱり一軍・艦隊を指揮することになる将の能力も戦争の勝敗に重大な影響を与えますよね? 日本には数多くの名将、愚将が生まれましたが、日本の将軍や提督は補給や兵站の事についてちゃんと教育を受けていたのですか? 日本で将官になる人の場合、大抵は陸軍大学校もしくは海軍大学校を経ています。 陸軍大学校は参謀本部所管の参謀養成教育期間で、2年以上隊付勤務を行った中少尉(後に大尉も含まれる様になります)を選抜して、 高等戦術・戦略を修めさせ、併せて軍制、幕僚要務を始めとする社会科学・語学などの軍人に必要な専門教育を行うものです。 その受験は、概ね中尉時代の隊付期間中に受験勉強をし、隊長の推薦を経て受験します。 試験科目は、軍事学・外国語・数学+後に本邦史が加わります。 修業年限は平時3年ですが、1937年頃から参謀要員不足で2年となり、1942年は1.5年、1943年は1年、1945年2月入学は半年となりました。 教育内容は、交通学・歴史学・数学・統計学・国際公法・国法学・外国語(英仏独露中の内一つ)・馬学・衛生学・経理学・兵器学・築城学・ 参謀要務・戦史・戦術・海戦術・兵要地誌・兵棋・要塞戦術・馬術・見学(騎兵学校・海軍大学校・要塞)・野外測量・現地戦術・参謀演習 旅行・戦史旅行・隊付勤務・秋期演習参与・特別大演習参与などでした。 こうした教育内容は確かに参謀を教育するのには有利であった反面、学校教育では指揮官教育・管理者教育・経営者教育の視点が無い 為、参謀から高級指揮官となっても、参謀の頭で指揮をする事が多く、かつ、隊付勤務は進級条件を満たす為に最低年限行う為、大隊長 を経験せずに聯隊長となったり、聯隊長、旅団長も経ずに師団長になるケースも多く、部隊指揮の能力を磨く間もなく高級指揮官になって 現場を知らずに作戦を立てたりするケースが出ています。 また、無天組(陸軍大学校の教育を受けない組)が叩き上げで指揮官になった場合は、逆に参謀経験がない為、広い視野が無く、参謀を使い 熟すことは出来ないと言う欠点が組織的にありました。 因みに、陸大卒業を表わす「天保銭」という言葉。 明治でもこの天保銭は8厘として通用した訳ですが、一般庶民からすれば、「天保銭」は、「大きな形なのに1銭にも満たない」と言う軽蔑の意味で 使っていたりします。 海軍大学校は、海軍士官に高度の学術を教授する最高学府ですが、この内、エリート養成の意味があったのは甲種学生を指します。 甲種学生は大尉任官後1年の海上勤務を経た者で大抵は海兵卒業後10年程度が必要です。 1935年までは修業期間2年、以後短縮が始まり、1943年の最後の入学者になると8ヶ月となりました。 甲種学生の教育科目は、戦略戦術・戦務(作戦)・戦史・軍政学・兵器学・航海学・兵要地誌・陸軍戦術・築城学・交通学・衛生学・法学・ 歴史(海事史・外交史)・統計学・語学(英仏独露中の内1~2を選択)です。 但し、甲種学生を経たからと言って、陸軍ほどこれに偏重している訳ではなく、寧ろ海兵卒業時の成績が進級の条件となるケースが 多かったりします。(とは言え、陸軍に比べるとと率が高いだけで、海大卒の将官進級率は82.9%と陸軍と大差ないですが。 (527 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本の帝国陸海軍の一般的な兵士の身長や体重はどれ位だったんですか? 平時の場合は甲種合格者の中から徴兵されますので、身長1.55m(1940年以降は1.52m)以上となります。 更に、胸囲が身長の半分以上、筋骨薄弱でなく、裸眼視力0.6以上(1940年以後は0.3以上で矯正視力0.8以上)、 特記する疾病や精神の異常がない者とされています。 海軍は陸軍と同じ徴兵で区分された為、最低限の数値としてはこんな感じとなります。 (527 127 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 民間人がいきなり将校になる道もあったんですか? 水木しげる先生の「総員玉砕せよ!」を読んでいたんですが、 玉砕命令にもかかわらず生き残ったとして自決させられた将校2名(ともに少尉)は 一人は女学校の先生、一人は金持ちの一人息子だとのこと。 この人たちはシャバでは民間人だったって事ですよね。 中等学校の学校教練に合格した後、徴集で二等兵として入営後、志願して幹部候補生となり、 2年間の訓練として見習士官を経て予備役少尉となる幹部候補生制度による場合もありますね。 1927年までは1年志願兵制度として、府県立中等学校卒業者で服役中の費用を自弁出来る場合は 1年間で帰休出来る制度でした。 終末試験で合格すると下士官として予備役編入、勤務演習に出て合格すると将校となります。 制度自体は幹部候補生制度になっても、1933年までは費用自弁が残り、特別扱いしていました。 (542 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 「総員玉砕せよ!」は手元に無いのですが、そのモデルになったズンゲン守備隊の自決した 二人の将校のうちの一人である加古忠男中尉(少尉ではない)は東京高等師範学校卒で、 愛知県桑名市内の中学に理科教師として勤務中に召集されたとのことです。 ですからおそらく、召集された後に甲種幹部候補生に選抜されて士官になったのでは ないかとおもわれます。 (542 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 終戦時の日本の軍人ってどれくらいいたの? 戦没者数付き http //www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/siryo/siryo16.html (550 153) 何故、日本陸軍航空隊、海軍航空隊などでは、英語の識別信号を使用するようになったのですか? 無線で味方を呼び合うときの識別信号を、「敷島一(しきしまいち)」や「富岳(ふがくに)」などの母国語である 日本語の識別信号ではなく、「RedOne(レッドワン)」や「ArcherTwo(アーチャーツー)」などを使用するようになったのですか? 日本語だと相対的に言い難いし分かり辛いし喋るのに時間が掛かるから、 より言いやすく短時間で喋れる英語に取って代わられた。 戦闘のテンポが速く、ノイズも多い航空無線では、 日本語は定着せず英語のコールサインに取って代わられた。 別に英語に拘っているわけではなく、 ポルトガル語、フランス語、ドイツ語なども併用されるし、 日本語が完全に使用されないわけでもない。 国軍で外国語を使用するからと言って、 愛国心に欠けているとか、売国奴とか、外国の犬に成り下がっていると言うことではない。 要するに高効率化と適材適所優先という流れ。 (553 113) 隊で意見が割れ、一部が隊長とともに玉砕し、一部が副隊長と供に生還した場合、副隊長は敵前逃亡などの罪に問われるのでしょうか? 水木しげるの戦記漫画で、戦況の悪化した東南アジアの前線の部隊が気が付いたら敵に包囲され、 その際にその場で玉砕すべきと主張する隊長と、敵の包囲を突破して本隊に合流すべきと主張する副隊長が対立 結果、隊の一部が隊長とともに玉砕し、一部が副隊長と供に本隊へ行くという場面があります 包囲突破は敵前逃亡にはなりませんです。 抗命罪として罰せられますが、死ななかったので勝ち組ですね。 方針を決定してないまま戦闘になったのなら逃亡はしてない(戦闘には参加してるんだから)ので軍規違反ではない。 ただ部隊の方針として「この場で玉砕」が決定されたってんなら従わなければ違反。 上級司令部が「そこで玉砕しろ」って命令出してたりしたら完全に違反。 でも隊長が本隊に「我等玉砕ス」なんて通信送ってたりすると 「なんでお前ら生きてるんだ、さては逃げてきたんだろう」 と言われて敵前逃亡扱い、銃殺コース・・・ということもありえる。 現実にはどこの軍隊でも規定にかかわらず大概の場合 「部隊指揮官は戦死したけど自分たちは生きて帰って来た」 ばあいには 「仲間を見捨てて逃げて来たな」 って目で見られて弁解無用の扱いをされることがほとんど。 包囲された部隊が全滅したあと、包囲を突破して味方陣地にたどり着いた部隊が脱走したと誤解されて将校 が自決した(させられた)とか、全員が前線に送り返されて「死守」を命じられたとか、敵陣地の(どう考えても 成功するとは思えないような)攻撃を命じられたとかの例は多数ある。 水木しげるの漫画はニューブリテン島のズンゲンでの実話に基づいて書かれたものだったと思う。 「ズンゲンの実話」 玉砕を主張する若い大隊長(少佐)と遊撃戦を主張するベテラン中隊長(中尉)が対立 →大隊長は中隊長に「一部の部下をやるから好きなようにしろ」と命令 →大隊長は司令部に「最後の斬り込みを敢行する」と打電し、無線機を破壊して自決 →中隊長は脱出の途中で戦死するが先任小隊長が部下を率いて後方の味方陣地にたどり着く →小隊長は後方陣地の指揮官から「師団から守備隊は玉砕したと大本営に報告したので前線に追い返して死 所を与えてやれとの命令があった」と言われ、敵陣地の攻撃を命じられる →部隊は攻撃のために出発するが逡巡し味方陣地に帰ってくる →派遣されてきた参謀が別の地区(ヤンマー)の守備隊に合流し、そこを死守せよとの師団命令を伝達 →ヤンマー到着後、先任小隊長と将校1名は自決 沖縄戦でも小禄に孤立した海軍部隊の司令官(大田少将)が、玉砕寸前に陸軍の参謀長(長少将)に対して 「敵後方を攪乱又は遊撃戦を遂行のため、相当数の将兵を残置する。右将来の為一言申し残す次第なり」 という電報を発信している。 これは、大田司令官が部下に包囲された陣地を脱出して攪乱・遊撃戦を命じるとともに、これらの部隊が脱 走したと陸軍に誤解されないよう配慮したものであるとされている。 (349 614-644) 日本軍では鹵獲した武器は使わないってことが徹底していた、というのは本当ですか? 陸上自衛隊の幹部学校の教官を中心に執筆された 『陸戦史集2 第二次世界大戦 マレー作戦』(陸戦史研究普及会編・原書房・S41) のP85にコタバル上陸戦に関する以下のような記述があります。 ==引用== 戦果 主なろ獲品(ママ) 重(軽)機関銃七三 重(軽)迫撃砲 一五 高射砲 八 飛行機 七 爆弾 六,六三〇 装甲車、牽引車 三六 自動車 八四 機関車、貨車 三四 ガソリン 二三六罐 重油 三七七罐 捕虜 ハイデラバットの大隊長ヘンドリック中佐以下九〇名 右のろ獲品(ママ)は、その後クワラクライの戦闘で獲得したものと併せ、 以後、佗美支隊が上級部隊から一品の補給も受けなかったにもかかわらず、 数百キロの機動作戦を行ない、迅速にカンタンを占領する上に大きな貢献をした。 ==引用終わり== この本にはこの部分だけではなく、何カ所か、マレー作戦における機動戦の成功には 鹵獲品による燃料・食糧の確保の他火力の補完が大きな役割を果たしたという記述があります。 この本は当時の参謀レベルの人々への取材も豊富であり、信用がおける本かと思います。 どうも徴発権限を師団レベルに移譲することもあって、その辺が命令書うんぬんの話に なってくるのではないかと思いますが。 旧軍資料の『差押軍需品に対する諸問題』には 軍は戦場に於て我が軍の鹵獲若は押収せる敵対者の兵器、器材に対しては戦争法規 の精神に則り当然我が軍の手に帰すべく旧所属との間に於ける債務関係等に就ては 敢て我が軍の感知するところにあらざる (中略) 支那軍の使用又は保管しありたる兵器及其他軍需品は現場に於て監視し其散逸を防 止することに勉めあり但右の内軍事上竝治安維持上又は貧民救済等の為必要已むを 得ざるものに限り一部使用しあり と、はっきり鹵獲品を使用する場合があることが記してありますよ。 海軍では鹵獲した艦艇は兵装を日本式に(場合によっては機関も)改め、 各地の工作部で整備のうえその多くを哨戒や護衛に活用しておりました。 調べればいくらでも実例は出てくるよね 「ソ」連製軽機関統鹵獲に関する件 昭和15年 発信者 戊集団参謀長 二十日西山咀西方地区ニ於テ攻撃シ比較的新式ノ「ソ」連製「デグチャレフ」軽機関銃一挺ヲ鹵獲セリ 「ソ」連製兵器ノ鹵獲ハ当軍ニ於テハ最初ニシテ近ク写真ニ依リ報告スルモ既ニ本軽機関銃ノ性能等判明シアルヲ以テ 実物ハ当軍ニ於テ使用スル予定ナリ (347 151-158) 日本軍の愚かさを示す、最高というか最低のエピソードは何ですか? 最低かどうかはわからんが・・・ 1944年5月の中国戦線、歩兵一個中隊が豪雨の中を「雨を恐れて戦争ができるか」と強行軍を命じられた。 路上で水が腰まで浸かるような状態となり、濡れた装備の重さに倒れる者続出。水が退いてみると166名が 陸上で溺死体となって発見された・・・戦死ではなく事故死扱いであった。 (557 911) もう少し補足しておくと……。 この事件を起こしたのは中国北支戦線、河南省で作戦行動中の第二十七師団(師団長:竹下義晴中将)です。 当時いわゆる大陸打通作戦のために行動していた師団は、京漢線打通作戦のために 4~5月にかけての20日ほどですでに四百キロを踏破していましたが、さらに湘桂作戦のために 漢口集結を命ぜられ、確山から信陽を経て漢口へ向かう行軍を始めました。 しかし、その時点で師団の将兵は激しく消耗しており、さらに糧秣の不足や米空軍の空襲により 夜間行軍を強いられたことなどから、栄養失調からくる下痢や関節炎、靴擦れの悪化による 歩行不能者が師団内に既に多発していました。 5月14日、長台関付近に達していた師団は前方の渡河点での混乱に巻き込まれて前進が停滞していました。 前進できず立ちすくむ将兵たちに20時頃、突然局地的な大集中豪雨が襲いかかりました。 驚異的な雨量の上に風速十メートル、体感温度は五度にまで下がるという恐ろしいまでの天候の変化に 辺り一帯は泥の海と化し、動くことも出来ない将兵たちは凍えて泥の中に倒れていきます。 翌朝までに泥の海に溺れ、あるいはすでに発病していたために衰弱して命を落とした『凍死者』は 師団全体で百六十六名に達しました。 この死者の多くは歩行不能のために馬車等で護送中だった入院予定の患者でした。 この事件の後も師団は信陽や漢口の野戦病院に約千五百人の患者を残して作戦を継続しましたが、 患者の中にはパラチフスで入院した竹下師団長も含まれています。 この事件の責任の所在は明らかにされることはありませんでしたが、予想し得ない気候の激変、 突然の豪雨に対する対応処置の不徹底や交通整理の不首尾などが原因に挙げられています。 また、第二十七師団には3月に補充されたばかりの体力の劣弱で年嵩の補充兵が約二千人ほどおり、 これらの兵が過酷な戦場に対応できなかったことも死者を増やした原因となっています。 (558 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) ポツダム昇進って? 「ポツダム昇進」というのは、終戦後(=ポツダム宣言受諾後)も復員せずに戦後処理をする旧軍の人間に 米軍が便宜的に部内限りでの権限を与えていた事を指している。別に終戦によって一律に昇級が行われた訳じゃありません。 緒戦時に英軍からの鹵獲食糧を「チャーチル給養」と呼んだりしたのと同じ言い回し。 (347 940) 旧日本軍の使っていた「軍刀」が正式な日本刀(玉鋼を鍛えて研ぎ出したものではない)そうですが、では軍刀は一体どのような素材で作ったものなのでしょうか? 戦時に粗製濫造された軍刀は昭和刀と呼ばれ、日本刀とは別物扱い。 玉鋼というのはタタラ炉を使って砂鉄から作った鋼で、現在ではこれを使って 人の手で鍛えてないとまず日本刀として認められない。 素材は鋳鉄、洋鋼、ステンレス、自動車のスプリングなど色々。 機械で打ち伸ばして作るのが多かったが人の手で鍛えたものもある。 (346 742) 軍人の転籍や昇進なども、一般企業と同じく一年に一度か二度、締めや年度頭に有ったりするのでしょうか? 一次~二次頃の戦時中の日本軍でお願いします。 海軍の場合は、大正八年海軍考課規則(達第82号)などに代表される様に、 きちんと人事考課表を作成して、それを年1回提出して、それを元に昇進を決める 形になります。 被考課者は佐官から1等兵までで、1人1葉の甲表と部下全員を比較して記す 乙表の2種類からなり、「考課表調整ノ任ニ在ル諸官ハ常ニ部下ノ才幹、性行及技能等 ノ察知ニ努メ必要ナル資料ヲ整備シ何時ニテモ其ノ考課表ヲ調整シ得ル準備アルヲ要 ス」とされています。 今の人事考課と同じく、本人記入の部分と調整官記入の部分からなり、調整官記入欄は、 テンプレが無く、全てを自分の言葉で書かねばなりませんでした。 よって、調整官(上司)も被考課者の全てに知悉し、表現力や語彙力が要求されました。 調整官は、艦船の場合は、士官以上、候補生は副長、下士官兵は分隊長で高等官でないと 作成出来ませんでした。 戦時とかだとその限りにはありませんが、平時の場合は、年に1回の昇進という 形になったりしています。 因みに、陸軍にも同様な考課表がありましたが、本人記入欄は無く、海軍よりも 簡易でした。 (562 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 旧日本軍が使っていたバイクは、どんなものがありますか? 我が国で軍用バイクが初めてテストされたのは大正3年9月。アメリカ製インディアン 単気筒4馬力のモデルがそのモデルです。 陸軍ではこのテストの結果をもとにして、大正4年にドグラスとトライアンフのモデルをテストし、 自動二輪車の伝令用としての有用性を確認しています。 この後にハーレー・ダビットソン、ヘンダーソンなどのモデルを含めてテストした結果、 陸軍はハーレー・ダビットソンの本格採用に踏み切りました。 日本内燃機で組み立てられた1930年型のモデルは軍に採用されて93式自動二輪車となっています。 このころからハーレー・ダビットソンは日本国内に支店を設立し、三共と共同して 昭和8年から日本での製造に取り掛かりました。 そしてハーレー1934年型の国産型が製造されて「陸王」の最初のモデルとなり、 陸軍ではこれを陸軍制式95式自動二輪車として採用しました。 このハーレー・ダビットソンと三共の合弁会社は昭和11年に三共内燃機、さらに昭和12年に 陸王内燃機と社名を変更しています。 この陸王のモデルに側車起動装置を付けて後輪・側車の二輪駆動にしたのが97式側車付自動二輪車で、 陸海軍の代表的なモデルとして陸王内燃機のほかに東洋工業、岡本工業、日本内燃機などで 製造されました。 これより先、昭和5年には日本自動車KK(後の日本内燃機)がBMWをサンプルにした 水平対向2サイクル1500ccのオートバイを作り、これが92式軍用側車として 採用されています。 (568 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 祖父の倉庫を見せてもらってたら兵隊さんのシルエットと何か城みたいなものが描かれた冊子が出てきたんですが、これの由来は分かりませんでしょうか 中味がよく判らないので多分ですが、戦場画帳もしくは戦場写真帳ではないでしょうか。 大陸との戦争を行っていた当時、出入りの写真館などが出張って、周辺の風景写真を 撮り溜めたり、近くにいる兵隊さんに色々ポーズを取って貰ったりして、勇壮な日本軍を 演出して貰い、これらを組み合わせて、お土産用の写真帳などにしたものです。 徴兵から帰ってくる時には戦地からの土産としてよく買われています。 (573 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 兵士が戦死して、遺体や遺品が残っていれば遺族に返還されますか? 遺体や遺品については、日中戦争くらいまでは、遺体は荼毘に付されて、骨箱に入れられ、 帰ってきますし、遺品もあれば引き渡されます。 但し、返還は大体数ヶ月単位の日にちが掛かります。 従って、太平洋戦争が激化してくると、遺品、遺髪も引き渡されることは無くなっていきます。 (339 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 旧軍で、兵士が戦死した場合、その遺族に恩給は支払われるのですか? 兵役期間が二年に満たない場合は資格欠格となり支給されません。 日本の話であれば、 S28年の恩給法改正による軍人恩給の復活以降は、公務扶助料の支給に 勤務年限による欠格はなかったと思いますが。 (339 522,555) 日本軍とタバコとの関係ですが、軍人に好かれてたタバコの銘柄って分かりますか 軍用銘柄がありました。 誉・光・八紘です。 下記、紙巻煙草を参照ください。 http //kon-tan.hp.infoseek.co.jp/equip/japarmy_navy/taba.html (579 霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk.) 旧軍の暗号が筒抜けだったのは全軍通じて?陸軍だけは解読できなかったとか聞いたんですが。 基本的に、海軍は暗号の補給の問題があったので「有限乱数」方式を使用していた。 だから、一度解かれると筒抜けになる。 陸軍は、それよりも暗号強度の高い「無限乱数」方式を使っていたからなあ。 無限乱数は、無作為で作られた場合理論上解けないからねえ。 (336 緑装薬4 ◆8R14yKD1/k) 陸軍は乱数表を一回の通信で破棄するワンタイムパッド方式の暗号だった。 この暗号は理論上は絶対に解読不可能。 どの乱数表を使用するか直前にならないと判別不能なので、 何かの拍子で連合国側が乱数表を収得しても役に立たなかった。 そこで陸軍の暗号表に付いた連合国側のあだ名は「トイレットペーパー」 もっとも、これは貧乏で通信機器が貧弱で通信量が少ないからこそ出来た芸当だが。 (336 75) 旧軍において、剣術を学んでいた人間はどの程度いたのでしょうか? あと、もしやっていたなら、流派は何が主流だったのでしょうか? とりあえず、士官はみんな何かしらの剣術は学んでる。 経験のない奴も戸山流剣術を士官学校で学んでる。 戸山流 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E5%B1%B1%E6%B5%81 (584 883) 1943年の日本の大学生の学徒動員の際は、陸海軍の士官学校や兵学校でも、学期の短縮や繰上げ卒業はあったのでしょうか? 海軍兵学校では、昭和18年9月卒業の海兵七十二期は2か月学期を短縮し、 昭和19年3月卒業の海兵七十三期は当初の予定よりさらに卒業を4か月繰り上げられて 修業期間は2年4か月となっています。 (585 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 鎌倉に今も見学できる旧軍の軍事施設などはありますか? 鎌倉というか平塚駅の北側に平塚海軍火薬廠の遺構があるくらいです。 横浜ゴムの敷地内には横浜ゴム平塚製造所記念館がありますが、これは火薬廠の水交社の集会所でした。 また、周辺には平塚空襲で焼け焦げた電柱とか、焼夷弾直撃で割れた墓石もあります。 あと、藤沢市御所見の少年の森内に横穴陣地、新林公園内に横穴陣地と砲台の遺構があります。 本土決戦用には他に江ノ島の岩盤を刳貫いた東西二箇所に江ノ島砲台跡があり、鎌倉市稲村ヶ崎公園の 崖下波打ち際に横穴陣地があり、東側には銃眼が見られます。 これは、伏龍の発進基地とされたところでした。 (594 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 竹槍の実戦投入を日本軍が本気で考え始めたのは、いつ頃からなんでしょうか? 定番のサイト「藤田兵器研究所」によると、日中戦争での輜重兵の後方自衛用に 作製・使用されたのが最初で、昭和17年ごろから国内・外地で戦意高揚と後方警備の目的で 竹槍訓練が開始されるようになったとか。 (329 840) 日本軍に狙撃兵っていたんでしょうか? 分隊内で射撃の上手い兵を、狙撃兵と呼んでいました。 外国のような、特別に養成された狙撃兵は居ないようです。 狙撃銃は三八式ベースの九七式狙撃銃と、九九式ベースの九九式狙撃銃というのがありましたが、 これも特別に作られたものではなく、量産した三八式や九九式の中から精度の良い品を選んで、 それにスコープを付けた物を、上記の射撃優秀者に優先的に支給していたそうです。 ただ、米側の記録によると、木の上から撃ち落した日本軍狙撃兵が持っていたのは、 殆どが普通の三八式や九九式だったそうです。 (29 566) 乃木希典の評価って軍板的にはどうなんでしょうか? 不幸な人物、というのが共通した評価です。 部下に大被害を出すことが分かってた旅順攻略戦をやらせるのには、 ちょっと神経が繊細すぎる人物であった、ということでしょうか。 ちなみに軍事板一般の性質として、戦術より戦略に重きを置くという傾向があります。 旅順攻略戦は、極東の小国家が陸軍大国と喧嘩するということの戦略的な無理が集中した部分ですから 第三軍の被害を指弾するときにはまず最初に そうした無理な戦場を設定してしまった大本営を批判するのがこの板での「物の道理」です。 (32 418) 何故「関東軍」というのでしょうか?名前の由来を教えてください。 万里の長城の東の果て、渤海にめんした地域は山海関といい 古代から中華防衛の要衝でした この関の東、つまり遼東半島の租借地防衛の軍ですので関東軍だったはずです 日本の関東も箱根の関の東という意味です (34 613) 旧日本軍に軍刑務所ってあったんですか? もちろん軍刑務所は存在します。いわゆる軍法会議にかけられた上量刑を決定します。 量刑の内容は死刑・懲役・禁固などでその他に懲罰として 謹慎・譴責・礼遇停止・免官・営倉・降等などがあります。 日本には公式には懲罰部隊というものは存在しません。 (38 305) 日本軍の憲兵隊は陸海軍の一部だったのでしょうか? 日本軍では、平時は憲兵は陸軍大臣に属するということに なっていて、海軍に憲兵はないです。 ですので海軍軍人も陸軍の憲兵に取り締まられるということになります。 ただ、第2次大戦中の戦時で海軍が軍政を布いていたところでは 「海軍特別警察隊」というものが置かれて憲兵のようなことをしていたようです。 (39 295) 海軍工廠とか陸軍造兵廠とかありますが、「工廠」と「廠」の違いってなんですか 「工廠」は旧陸海軍に直属し、武器・弾薬など軍需品を製造した工場です。 「廠」は主に公的機關の施設に使われる場合が殆どで、 とりわけ軍事関係の各種施設に多用されました。(作業場や倉庫にも廠を使う。) 造兵廠ってのはもともと管理組織で、たとえば陸軍造兵廠本部の下に東京工廠を置いて 陸軍造兵廠東京工廠とか言ってたようです。 昭和14年に兵器行政本部が設置され造兵廠が行なっていた業務を全て担当するようになったので、 各種工廠も「○○造兵廠」と呼ばれるようになったとの事です。 (40 246) 第2次大戦中、日本の陸軍と海軍の予算はどちらが多かったのですか? 予算額だけなら、1940~41年まで陸軍省と海軍省の予算はほぼ拮抗しています。 1940:陸軍省:1,192,469千円/海軍省:1,033,711千円 1941:陸軍省:1,515,250千円/海軍省:1,497,374千円 1942年は陸軍が逆転し、1943年は海軍が逆転しています。 1942:陸軍省:55,847千円/海軍省:22,736千円 1943:陸軍省:677千円/海軍省:1,152千円 とはいえ、ここには数字の絡繰りがありまして、一般歳出予算ではこの金額ですが、 陸海軍の打出の小槌として、臨時軍事費特別会計予算があり、これらは、際限なく 使用できるものです。 陸軍関係は部隊派遣維持、時局即応の兵備改善、作戦資材の応急整備、航空要員の 急速補充、造兵設備の増強、占領鉄道の管理改良経費として、海軍関係では、艦船部 隊の派遣維持、艦船航空兵力と軍需品の急速充実、工作通信補給、施設整備と、南方 物資補給費用として、公債収入と植民地金融機関からの借り入れで、1943年までに、 全体では569億9,464万7,000円に達しています。 これの使い道は軍機と言うことで政府にも報告されませんでした。 (43 眠い人 ◆ikaJHtf2) 憲兵隊による「督戦隊」とはなんですか? 督戦隊が必要なのは、士気が低い軍隊において、恐怖に駆られた兵士が 逃亡すると全戦線が崩壊する危険があった場合です。 特に嫌々兵士にされた場合には必要性があります。 日本軍の場合、徹底的な教育が功を奏して、督戦の必要はありませんでした。 また逃亡した場合は、親兄弟も村八分にされる世論が形成されていました。 二○三高地攻略も同じです。 特に、当時は国民皆兵と言うこともなかったはずなので、兵隊に選ばれるのは 地域や本人にとっても名誉でした。 そこで、敵前逃亡などしようものなら…。 (44 眠い人 ◆ikaJHtf2) 補足しますと日本軍にも「督戦する」という言い方はあったようです。 ただ、意味合いとしては「前線に赴いて現場の将兵に激をとばす」という感じのものです。 御存知の通り、督戦隊はありませんでした。 個人的な感想ですが、職業軍人はともかく、 徴兵された日本の兵士にとっての督戦隊は「銃後」だったのかも。 (44 509) 旧日本軍で敵に寝返った例はありますか? 捕虜になった後に積極的に情報提供を行った例なら有ります。 捕虜になること自体をありえない事としてしまったため、 いったん捕虜になってしまうと箍が外れたように米軍に協力することも 多かったそうな。 また、末期になると個人の判断で投降してくることもあったそうで。 (44 機甲自転車) 日本軍は敵前逃亡した恥ずかしい軍だったのですか? 虎頭要塞のように、ソ連軍の進撃を少しでも遅らせるため 最後の一人まで戦死した戦線もあります。 そして関東軍首脳部が尻尾まいて逃げたのも事実。 どちらも「日本軍」です。 (44 367) 日本軍は弾薬不足に悩まされたと良く聞きますが、”貧国強兵”を読んでいたら、1941年度の弾薬在庫が100会戦分、1945年度でも95会戦分とありました。 一番多かった年でも消費量が40会戦分程なので、裕に2年分は在庫があります。 使い切っていたならともかく、こんなに在庫を残して弾薬不足とはどういう事なのでしょう? 理由は2つ 1つは弾薬在庫があっても、それが戦場に存在するとは限らないこと これは貧弱な補給線だとか、機械力の不足で迅速な輸送ができないなど もう1つは、時代の流れ WW2には1人殺すために必要な弾薬量が、それ以前に想定されていた 量を10倍、100倍の単位で上回ったため、規定の弾薬量ではまったく足りなかった 砲弾の場合、基数で計算してると思うけど、ハッキリ言えば想定の10倍く らい使用してたんだよね。現実に日本軍は一年で全ての部隊が40会戦もする ような作戦は実施してないでしょ。 (46 176,178) 近衛兵について教えて下さい。良家出身者しかなれないってのは本当ですか? 貴官が、どのようにしてその情報を入手したのかわからぬが、 微妙にずれている。(伝言ゲーム的な情報混乱であろうか?) 確かに、近衛兵の場合、「家柄」等もみるが、それは、士族とか、平民といったもののことではない。 社会主義や、共産主義、無政府主義等の反皇室・反社会思想の持ち主が親戚や身近にいて、 影響を受けていないかをみる。 体格については、小官、よく知らぬのだが、甲種合格が、大前提であろう。 (46 315) 何で大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍で話し方が違うの? 日本史板で見た気がするが、陸軍は長州閥が中心になって創設されたので、 自分達の国の固い言葉使いを押し付けたためあんな口調になったそうですよ。 海軍で敬称をつけないのは階級自体が敬称だという考えからだそうです。 (48 907) 「○○であります」という口調も、もともと長州弁の言いまわし、という風に聞いたことがあるぞ。 (48 908) 首相・陸相・参謀総長で陸軍大将の東条英機と陸軍元帥であった杉山元、畑俊六らとは陸軍内においてはどちらが上だったのですか? 階級的には杉山元、畑俊六元帥の方が上。 でも陸軍内部での実権的には東条の方が上。 日本陸軍では元帥は「長老」扱いで会社で言うと「相談役」に近い。 ただ、下から上がってきた命令書に印を押すだけの存在。 (46 962) 旧日本軍じゃ普通の兵士の事を何というのですか? 兵卒。 (47 831) 大日本帝国では大戦末期少年将校とか言う子供が戦車乗ったり、飛行機乗ったり、潜水艦乗ったり通信兵したりしたって本当ですか? 陸軍少年飛行兵や海軍の海軍予科飛行練習生のことですかね? 卒業しても17~8才ですから少年って言えば少年ですが。 陸軍少年飛行兵は昭和9年、海軍の少年飛行兵は昭和5年(甲種予科練は昭和12年)ですから 昔からあった制度です。ただ、戦争末期には人材不足から若年でも戦場に投入されたのは事実。 あとは 昭和19年制定された特別甲種幹部候補生制度とか。 いずれにしても、15~6歳の少年が戦場へ出ることは日本ではなかったと思います。 (48 636) 戦前の軍人さんの最高学歴を教えて下さい PHP文庫の「日本陸軍がよくわかる事典」に簡潔に書かれています。 将校の育成に関わる教育制度、昭和13年以降は 幼年学校・中学→予科士官学校(兵科決定)→隊付訓練→陸士→見習士官(原隊) パイロットは、予科士官学校を出たら、さっそく航空士官学校入りのようです。 陸大は陸軍省直轄の、教育総監部に属しない唯一の教育機関で、ここが最高学府。 隊務2年以上~少尉任官後8年以内+部隊長の推薦…というのが受験資格です。 …と要約してみたのでし。 (69 名無しトンボ釣り) 旧日本軍は…戦艦や通信基地や戦闘機も電信でしたっけ? 日本軍の無線通信は基本的に電信。 隊内無線のような近距離無線では無線電話だった。 戦闘機に装備した隊内無線が役に立たなかったのは、 当時の日本の技術では質のよい小型の無線機が作れなかったから。 特に飛行機用はエンジンのイグニッションノイズによる電波妨害が酷かったそうな。 (80 134) 日本陸海軍で反跳爆撃が確立した時期はいつでしょうか? ビスマルク海峡の悲劇 を受けて海軍の陸上機部隊で研究、訓練を 開始したという記述を見たことがあります。 試験の結果は良好で採用することになったみたいです (90 597) 祖父ですが、大正2-3年生まれで本職は警視庁の警察官、中国戦線に3回も出兵・・ってのは一体どういう状況でこういうことになったんでしょうか 多分、大陸に於て治安要員または公安要員としての手腕を期待されたのかも知れません。 また、例えば、警察でも何らかの技能を身に付けている(例えば、自動車の運転など)のであれば、 幾度も召集がかけられます。 最初は兵役の時に籤に当たったのかも知れませんし、充員召集(臨時召集ではない)の名簿に掲載 されたのかも知れません。 2度目は日華事変での要員不足ではないか、と。 3度目は治安師団を作る際の要員不足と言ったところでしょうか。 (599 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 賊軍側とされた藩で、明治維新前に生まれていて陸大もないような時代に陸軍大将や陸軍中将になるのは困難なのでしょうか? またなった人を十人程度ご教示願いたいです。よろしくお願いします。 中将、大将への昇進は難しかった。 立見尚文 桑名、石本新六 姫路、小泉正保 水戸、村岡惇 幕臣、一戸兵衛 弘前、大島久道 秋田、柴五郎 会津、梅沢道治 仙台、中村覚 彦根、大谷喜久蔵 小浜 奥羽越列藩では、無理だよ。 (600 オッチャン ◆UMCByHJxYk) 小倉の奥保鞏を追加ね。賊軍出身者の出世頭 元帥・参謀総長になって、華族にも列されて、 立見よりも出世した。 (601 21) シンガポールを占領した日本軍の風紀はどうだったんですか? 中公新書の「思い出の昭南博物館」では、英国兵による略奪や地元民による略奪が多かった 様ですが、日本軍については、占領直後は兵士単位としての略奪などは無かった様です。 但し、海軍将校たちによる、南洋域やインド洋地域の海図の持ち出し、陸軍将校たちによる 南洋域や豪州本土の地誌などの持ち出しはあった様です。 (402 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 善通寺に師団があったのはなぜですか? まず、善通寺は交通の要衝で、此処から四国各地に行くことが出来ます。 一朝事が有れば、即座に対応出来る位置にあります。 また、瀬戸内海に面しているため、外征を行う場合にも、船舶輸送が容易に行える土地になります。 更に、広島、姫路などの各師団との連携が容易に取れます。 また、牙が抜かれたとは言え、高松はかつての朝敵であり、其処に師団司令部を設置する訳にいきません。 徳島はあまりに大阪、姫路に近く、かつては高知に吸収されていました。 香川も同様に、最初は徳島に、次いで愛媛に吸収されていましたが、愛媛に関しては、広島の対岸にあり、 その影響下にあります。 ならば、高知は、と言うと、これも反政府運動の盛んな土地であり、かつては自前の軍事力で暴動を鎮圧した ことがあり、政府としては疑問の目で見ているところがありました。 これらを勘案すると、いずれも県都に師団を設置するのは難しかった訳です。 善通寺の場合は、京極家自体が勤皇派ですし、地域的に比較的安定していた為、広島鎮台の分営が最初に 設置された流れもあり、次に師団を拡張する際に、この分営を師団に昇格させたと言う形になっています。 (326 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 旧軍では参謀本部の参謀ってどのくらい居たの? 大本営陸軍参謀部(昭和16年12月19日現在)の主要編制(戦史叢書 大本営陸軍部 1 昭和17年4月まで) ※ 「海」は海軍からの兼勤、「ケ」は部外からの兼勤、「兼」は大本営内相互又は参謀本部との兼勤 参謀総長 大将(1)、参謀次長(中将1) 総務部 (部長 少将) 庶務課 (課長 大佐) 中佐(1)、少佐(2、兼1) 第1課 (課長 大佐) 少佐(1、ケ1) 第1部 部長(中将) 第2課 (課長 大佐) 大佐(海1)、中佐(5、海2)、少佐(6、兼1、海1)、大尉(1) 第3課 (課長 中佐) 中佐(2)、少佐(7) 第4課 (課長 大佐) 中佐(海1)、少佐(3)、大尉(1) 第2部 (部長 少将) 部付(兼1) 第5課 (課長 大佐) 中佐(1)、少佐(1) 第6課 (課長 大佐) 大佐(1)、中佐(2)、少佐(3) 第7課 (課長 大佐) 中佐(1)、少佐(1) 第8課 (課長 大佐) 中佐(1、兼1)、少佐(1、兼1) 第3部 (部長 兼 少将) 第9課 (課長 大佐) 中佐(兼1)、少佐(兼2) 第10課 (課長 大佐) 中佐(兼2、海1)、少佐(1) 第11課 (課長 大佐) 中佐(兼1、海1)、少佐(1) 第20班 (班長 大佐) 大佐(兼1)、中佐(1、兼1、海1)、少佐(1、兼1) 研究班 (班長 大佐) 中佐(1、兼1)、少佐(1、兼3) 第18班 (班長 兼 少将) 大佐(1)、中佐(1) (325 746) 日本軍は、末端将兵が捕虜になることを禁じていたくせに、どうして海軍乙事件ではのうのうと敵の捕虜になった福留参謀長を不問としたんですか? 福留参謀長は捕虜になった際に暗号表を奪われるという失態を犯した。 そのため、「捕虜になった」ことを咎めると、 「本来遭難した時点で処分しなければならなかった暗号表を処分し忘れた上捕虜になって敵の手に渡してしまった」 ことが公になってしまうので、そもそも「捕虜になった」こと自体を「なかったこと」にしてしまったので。 「表向きはそれでもいいけど、責任は取らせるべきだ」という議論はあったが、 とにかく「暗号表を奪われた」ことだけは隠蔽しなければいけなかったため、 一切の処分ができなかった。 (607 904) 旧軍の小銃は一丁一丁手作りで量産に不向きだったといいますが、小銃弾の生産体制や品質はどうだったんでしょうか? ほぼ、陸軍兵器廠の第一陸軍造兵廠第1製造所で一手に作られ、関東大震災後に 九州小倉に陸軍造兵廠の分工場が作られ、こちらでも銃弾が製造されています。 一般に造兵廠自体は、最先端の生産設備を導入し、その技術は高いものでしたが、 量産技術は余り高いものとは言えず(それでも、民間に比べれば遙かに高い)、 戦時中も、前線からの要求を満たすことはありませんでした。 (497 313,眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本帝国軍では、補給が完全に絶たれた戦線では人肉食もあったとよく聞きますが本当ですか? またこれは殺しあって共食いという感じだったのでしょうか?それとも死体の肉を漁っていたのでしょうか? 友軍の屍肉は食べちゃいけませんという命令が出た地域があるので あったのか無かったのかといえばあったのでしょう。 屍肉が基本らしいですが、応用的にどういうことがあったのかは・・・まあ真相は闇の中ですよ。 (360 514) 真っ先になくなるのは尻かももの肉だったようです グアム島では人肉食によりアメリカの裁判で処刑されていますが、その人の証言では肝臓が旨いとか… 人肉を食った人は動物蛋白を急に採ったせいか肌に艶が出てくるので、何となく食ったのが分かったそうです ガダルカナルやフィリピンなどて特に報告されています (360 515) 戦前の軍人や警官の階級って、どんな法律や勅令で規定されてたんですか? 海軍について言えば、1868年に制定された海軍武官官階と言うのが最初に来て、次いで 1872年の海軍武官官階で全階級を設定し、1878年以降は海軍武官官階及海軍卒職階 となっています。 陸軍は、陸軍武官官等表と言うのが、1868年に制定され、1874年に改訂されていっています。 (614 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 統帥権干犯ってどういう意味? 統帥権という用語は、大日本帝国憲法で用いられている言葉。 形式的には、天皇が最高司令官であり、軍隊を統率する権能を持っていることを表した言葉です。 軍人たちが使った「統帥権干犯」というのは、 「神聖なる天皇のみが持つ統帥権を侵害するのか!」てーことですよ。 軍部に批判的な文官や政治家なんかが、軍部の意思決定を覆そうとしたり、批難したりすると、 「お前、それは統帥権干犯だ」という風に言って、それらを封じ込めて来たわけです。 (613 128) 戦前の日本の制度で上官を殴るとどの程度の罰則ですか? 陸軍刑務所行きだろ。立派に前科者の仲間入りです。 陸軍刑法第60条 上官ヲ傷害シ又ハ之ニ対シテ暴行若ハ脅迫ヲ為シタル者ハ左ノ区別二従テ処断ス 1 敵前ナルトキハ1年以上ノ有期懲役又ハ禁錮二処ス 2 其ノ他ノ場合ナルトキハ10年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処スル (創作質問55 471) 戦前の日本には国防省や統合参謀本部を作るべきだという動きは無かったのでしょうか? 軍政組織は1872年に陸軍省と海軍省が設置されるまで、兵部省がいわゆる国防省的な組織と言えたかもしれないぞ。 先の大戦の大本営は、陸軍参謀本部と海軍軍令部を隷下に置く、統合参謀本部的な組織だとも。 まあ、ネタ発言だと取ってくれても構わないけどな。 結局、組織なんてもんは分化と統合を繰り返すもんだし、看板だけっていうのなら、 戦前にも、陸海軍の統合組織はあったぞ…てー話。 なかなか一度できた垣根を取っ払うって難しい。 イギリスだって、1923年に3軍統合の参謀本部委員会を作っちゃいるが、 器作って酒入れずの状態が長いこと続いた。 陸海空軍の各省の上に立つ国防省だって、1940年に西方戦役が勃発して、 チェンバレン内閣が倒れた後に、チャーチルが作るまでなかった。 それさえも当初は、とにかく国防省は作ったが、職掌も決まらずチャーチルが首相兼任で、 内実が伴うのは戦後になってからと言ってもいいくらいだ。 アメリカだって、統合参謀本部の設立が1946年。国防省(国防総省)の発足は47年。 大本営の設置で軍令組織を建前だけ、表面だけにせよ一本化した日本は、先駆的だったかもしれないw (620 479) 旧日本軍では偵察用のオートバイにハーレーダビッドソンのライセンス生産版の陸王が採用されていたそうですが、国産のキャブトンやメグロは使われていなかったんですか? メグロ号は、1941年に陸軍の試験に提出しましたが採用となりませんでした。 キャプトン号も同様、宮田製作所のアサヒ号は1940年に早くも見切りを付けて自転車製作に 転業しました。 他に、広島でSSD号というのが試作され、軍用試験に供されましたが、経営的に不成功。 まともに軍で採用されたのは、陸王の他、日本内燃機のくろがね号、岡本工業の能りつ号の 三種類で、後に、97式自動二輪車が、日本内燃機や東洋工業で製作されています。 (622 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 第二次世界大戦で日本軍が集団投降した戦いってあったんですか? 表だって公表されているものとしては東部ニューギニア。 有名なものとしては、昭和20年5月3日に第41師団歩兵第239聯隊第2大隊(大隊長中佐以下将校4名、下士官兵37名) がアポレンガ付近で豪州軍に投降(なお、この大隊長は元山砲兵第41聯隊の大隊長。砲兵聯隊は火砲を全部失ったた め、昭和19年9月に解体され人員は各歩兵聯隊に編入されていた)。 そのほか、豪陸軍公刊戦史によれば、昭和20年8月10日に大尉以下12名が、同11日に大尉以下16名が投降したとの 記録がある。 (306 49) 戦闘詳報って、どの部隊でも書くんですか? 書きます 戦闘詳報というのは各種情報 人事・情報・訓練(運用) 兵站の部隊情報をまとめたものです。 一日1回程度上級部隊に提出をします。 毎日書くのは「戦闘要報」(海軍では「戦闘概報」)で、「戦闘詳報」は戦闘が終了したときに書くものです。 ○戦闘要報 : 一部の戦闘が終わったとき(又は当日その局を結ぶに至らなかったとき)、日没後速やかに 各部隊隊長が当面の戦闘経過概要、彼我の態勢、敵情判断及びこれに対する自己の企図、 彼我の損害概数、弾薬燃料の残余と消費量概数などを報告するもの ○戦闘詳報 : 一方面の戦闘終了後、各級指揮官が、戦闘の詳細を記録して提出する報告文書 主要記載事項は、戦闘前の彼我態勢の概要、各時期における戦闘経過、関係部隊の動作。 彼我の交戦兵力、敵の団隊号・将帥の氏名・編制・装備・戦法、戦闘後における彼我の形勢 概要、戦訓など 参考 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E9%97%98%E8%A9%B3%E5%A0%B1 (304 18-39) 日本では統帥の一元化を試みる人物はいなかったのでしょうか? 天皇で一元化してるやん 実際の作戦指導のレベルで、補弼機関としては「大本営」で一元化してないか? 明治28年、日清戦争を控えて戦時大本営条例が制定公布されたが、この制度をめぐ って陸軍が参謀総長を幕僚長として陸海軍の統一的運用を行うことを主張したことか ら、海軍との激しい対立が起こった。 その時は陸軍の主張は通ったものの、海軍は海軍軍令部条例を制定、海軍の作戦 については海軍軍令部長の専管事項とすることと定めることで妥協が成立した。 しかし、戦争が終わった後、再び改正をめぐって統帥の一元化を主張する陸軍と陸軍 出身の参謀総長に異質な海軍作戦をゆだねることは出来ないとした海軍の対立が再 燃し、結果、明治38年に陸海軍の両幕僚長を並立することとして改正された。 そのためには陸海軍の対立を調整する機関が必要なため、明治31年、その目的で元 帥府が設置され、同日、元帥府設置の詔が出され、小松宮彰仁親王、山県有朋、 大山巌両陸軍大将、西郷従道海軍大将らが元帥府に列せられた。 しかし、明治35年に西郷従道が亡くなると元帥府に意見調整機能はなくなっていまい、 元帥府は重要軍務について天皇の諮詢に応じる機関となった。 その後、陸海軍の対立は形を変えたが、太平洋戦争終戦まで続いた。 (303 507-614) 大日本帝国が日露戦争以降、国力に見合わない拡大政策を取ったのは何故でしょうか? 内政的には、大国ロシアを打ち破った栄光の軍隊を、戦争が終わったからと言って縮小するなどできなかった。 また日露戦争の辛勝を政府が隠した事が、戦後処理に対する民衆の不満を徒に大きくした。 日清戦争の勝利で莫大な賠償金を得たのに、日露戦争ではそれがなかった、これはおかしい、 「本来戦争ってのはもっと儲かるはずだ。」こんな考えが世間的に広まってきていた。 外政的には、未だロシアの脅威が消えない状況で軍縮などできるはずもなかった。 また世界恐慌に対し他の列強諸国は植民地内で財を循環させるブロック経済方式を取ったが、 植民地らしい植民地を持たなかった日本は新たに財を循環させるべき地を獲得する必要があった。 これら内政的・外政的要因が組み合わさり、拡大政策がとられた。 (戦争板初質スレ3 496) 日本はドイツにならって、機甲部隊の整備に特に力を入れたのですか? 1940年にドイツ、イタリアへ軍事視察団を派遣して、ポーランド戦や、フランス戦での 戦車戦の実情や戦訓を情報収集していますが 戦車の整備に力を入れました。 ドイツの活躍を見て以来、それまでの冷淡な態度がうって変わって「戦車サマ、サマ」になったのです。 なんだかんだで97式中戦車は2000輌以上生産され、ピーク時には年産1000輌に迫りました。 これで戦車師団を編成し、陸軍の決戦兵力にしようとしたのです。 (659 ゆうか ◆u8WC078ef5ch) 「ドイツの電撃戦に影響を受け戦車の有用性は認識され、 1941年(昭和16年)2月には陸軍機甲本部が新設されて機甲部隊に関する教育・編制・技術開発の諸業務の統括調整が図られた。 (中略) 部隊は編成されたものの肝腎の戦車や自動車・砲は揃わないといった状態がほとんどで、 その上一部の戦車連隊が抽出されてしまうなどして、 その編制すら満足になることはなかった。 下記、ウィキペディアの機甲師団の大戦期の日本戦車師団の装備・編成の変遷を参照ください。 ttp //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E7%94%B2%E9%83%A8%E9%9A%8A (659 霞ヶ浦の住人 ◆ORAm06ellg) 日華事変以前と比べて帝国陸軍の 航空機の生産量は約5倍、戦車の生産量は約20倍。 ついでに昭和17年度に策定された需給計画では 航空機 戦車 昭和17年 6,400 1,500 昭和18年 8,000 2,000 もうひとつ隠れたカラクリがあります。 昭和17年度の航空関連に配当された鋼材7.4万トン、予算13億円に対して 戦車・自動車は鋼材7.6万トン、予算5億6千万。 資材の配当量では航空機より上だったりします。 日本は昭和18年度までは、戦車を航空機の次に序列して優先生産を計画してます。 昭和19年に入ると一転してほとんど顧みられなくなり、その落差が日本の戦車軽視を錯覚させているのです。 (659 ゆうか ◆u8WC078ef5ch) 旧日本軍の場合、人種差別反対を掲げてアジア開放を謳っていたから、軍隊内部でも身分や人種による差別はなかったのですか? 例外はあるかもしれないが、おおむね平等に扱われる。 というのも、下手に差別したりすると、戦闘中に後ろから弾が飛んでくるから。 朝鮮出身者も、正規軍人であれば平等に扱われたようだ。 (ただ、反乱の可能性があるとして、労働力として軍属で連れて行った朝鮮人労働者をひとまとめにして隔離した事例はある。) ただ、これらは軍隊と言う組織の性格上のことであって、人種差別反対を掲げてアジア開放を謳っていたことは無関係。 (296 578) 日本軍の参謀や幕僚の組織編成 戦史叢書「本土決戦準備 1 -関東の防衛-」によれば、 第1・第2総軍司令部 参謀長(大将・中将)1名,参謀副長(中将・少将)1名,参謀(大佐)2名,参謀(中佐・少佐)6名,参謀(少佐・大尉)4名 方面軍司令部(第5,第10~第13,第15~第17) ケは軍管区司令部との兼勤 参謀長(中将・少将)1名,参謀副長(中将~大佐)ケ1名,参謀(中佐・少佐)6名[うちケ3名],参謀(少佐・大尉)4名[うちケ2名] 軍管区司令部(北部・台湾・東北・東部・東海・中部・西部・朝鮮) ケは方面軍司令部との兼勤 参謀長(中将・少将)ケ1名,参謀副長(中将~大佐)1名,参謀(中佐・少佐)6名[うちケ3名],参謀(少佐・大尉)4名[うちケ2名] 軍司令部(第50~第58) 参謀長(中将・少将)1名,参謀(大佐~大尉)5名 師団司令部(近衛第3,第44,第72,第73,第81,第84,第93) 参謀長(大佐)1名 参謀(中佐~大尉)3名 師団司令部(第140,第142,第143,第151,第152,第157) 参謀長(1名),参謀(3名) 師団司令部(第201,第202,第209,第214) 参謀長(中佐)1名 参謀(少佐・大尉)2名 師団司令部(第221,第222,第224,第229,第234,第308,第316,第321,第322,第354,第355) 参謀長(大佐・中佐)1名 参謀2名 (294 259) 陸海軍は同じ20mmでも弾薬の規格が異なっていたのですか? 陸軍内だけでも20mm機関砲弾だけで以下の6種類あるんだが。 20*80 20*142 20*125 20*94 20*113 20*99RB 海軍と統一する前に陸軍内部で統一するのが先だろ。 (676 717) 満州事変前後で陸大閥の一夕会や二葉会などが陸軍内の実権を握るのですが、彼らの出てくる前に中枢にあった薩摩閥(上原勇作派の系統)と長州閥(田中義一派の系統)はその後、いったいどうしていたんでしょうか? 薩摩閥は陸軍内では元々そんなに大きくないし、 長州閥は山縣の死んだのと長州閥の専横を嫌った若手将校が 一夕会を結成してこれに対抗しようとした為、、その後は急速に衰えてしまいました。 一夕会結成の中心となったのが小畑敏四郎、岡村寧次、永田鉄山の三人です。 ですが、小畑と永田の方針の違いからこの会は二つに分裂してしまいます。 これが永田を旗頭とする統制派と、小畑を旗頭とする皇道派です。 (288 431) 皇軍は皇居の方を向いて遥拝してたんでしょうか? 皇居遥拝は植民地(最初は朝鮮半島)向けに“発明”された儀式だが 戦中じゃ本土の日本人にも広まっていたんだぜ おれの親父は船乗りだったが、毎朝船長の主導で皇居遥拝をやったと話していた 昭和40年代ぐらいまでに作られた戦争映画には皇居遥拝のシーンがわりとよくでてくる (287 46) 予科練卒は最速で20歳と聞きました。そのときの階級は何なんですか? それと卒業後は毎年大尉までは自動的に昇進するというのは本当ですか? 甲飛は、16歳(1943年以降は15歳、1944年には中学二年修了程度)で入隊し、二等飛行兵から進んで、 2年半の教育終了後に上等飛行兵曹、更に練習航空隊撰修学生として1年教育の後、23歳で少尉となる ことが予定されています。 前述の通り、最初の入隊年齢が下がっているので、少尉任官が20歳というのはあり得る話ではあります。 乙飛は、15歳(1941年以降は14歳)で入隊し、二等航空兵から開始して、19歳で二等航空兵曹、25歳で 飛行兵曹長、29歳で少尉となることが予定されていました。 そこまでは自動的な昇進ですが、それ以後は人事考課に従って昇進が決められます。 (287 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本はガタルカナルなど南の島に基地を作りましたが、物資を運ぶ輸送船は陸軍が海軍に借りると言う形で船を貸してもらったんですか? それとも陸軍の要請で海軍がそこまで船を動かしたんですか? 上海事変が起きたときに、陸軍は輸送船を確保できなかったために出動できず 海軍の上海特別陸戦隊が予想外の勝利を重ねてしまい、陸軍の威信と活動計画が潰れてしまいました。 そこで、事変解決後に、陸海軍がそれぞれどの民間船を借りて運用するかを明確化した計画が立ちます。 日華事変はあまりにも突発的に発生したので、この民間船運用計画は使えず、 増援部隊を海軍艦船で派遣する羽目になってます。 そこで、さらに民間船運用計画を具体化する一方、陸軍独自の揚陸艦計画も立ちました。 太平洋戦争は、1年半以上の時間をかけて陸海軍の担当部署を分けた上で開戦に臨みました。 民間の輸送船を借りる際も、陸軍がこの船を徴用・海軍がこの船を徴用…と事前に話し合ってます。 この協議によって、たとえば日本郵船りま丸・りすぼん丸は陸軍が借り、りおん丸は海軍が借りると決まり これによって、りま丸は兵員輸送用の「蚕棚」、りおん丸は飛行機修理工具をセッティングできるわけです。 陸軍は20万トン分の輸送船を維持する契約ができ、護衛はもちろん海軍艦船が付きました。 しかし当然ながら、補給任務を続けているうちに撃沈される船も増えてくるので、 新造船の取り合いや陸海軍間での契約差し替えが必要になりました。 陸軍はとにかく輸送に必要な輸送船を欲しがり続けてますが、海軍もそれは同じことです。 閣議で陸軍18万トン減少案が突き出されて、逆に37万トン増加を主張する参謀本部と大きく見解が分かれ 佐藤賢了軍務局長と田中新一1部長が殴り合ったのは余談…。 (278 鷂 ◆Kr61cmWkkQ) 旧日本軍の職業軍人の戦死率と、一般召集兵の戦死率ってどっちが高かったんですか? 士官でも後方勤務と前線勤務がありますし、士官と兵でもまた違いますし、一般召集兵についても 二種類有るので、一概には言えませんが…。 指揮官先頭などの伝統があるので、前線勤務の士官の戦死率は高いです。 太平洋戦争開始前には既に前線勤務の士官は払底しており、そのために大学生の様な高等教育を 受けた人間で充当する構想が進んでいます(これは俗に言う学徒動員)。 兵士の中では、充員召集を受けた者と、臨時召集を受けた者では、前者の方が大事にされます。 極端な話、臨時召集を受けたものを先に立たせて、後から充員召集を受けた者が付いていくと言う 状況もあったようです。 これは、充員召集が、元々の計画に従って宛われた将兵であるのに対し、臨時召集は単に該当師団に 欠員が出た者を召集で補う為に起きたりしています。 (107 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 陸軍士官学校、海軍兵学校の定員は何人なんでしょうか? また、陸大、海大の定員は? 入学者数のデータは入手できなかった。逆に卒業者数から類推してほしい。 まあ定員はないに等しいように見受けられる。 陸士の場合(ソース:「日本陸軍がよくわかる事典」PHP) 士官生徒時代(明10~22)、1期117名。最少6期(明16)59名・最多11期(明22)207名。 士官候補生時代 1期(明23)147名、5期(明27)200人突破、 9期(明30)650人に急増、以後600~700人で推移。 18・19期(明38・40)それぞれ920名、1068名とピーク。翌年は反動で276名に激減。 22期(明43)以後700人前半で推移、29期(大6)536名に激減、以後200~400人で推移。 53期(昭15)1719名に激増、以後2200名程度で推移。57期(昭19)2413名。 海兵の場合(ソース:参拾壱頁) 1期(明6)2名、以後、平均的に30名未満で推移。 27期(明32)113名、初めて100人突破。 30期(明35)188名に急増。32期(明37)192名、ピーク。以後100名前後で推移。 50期(大12)255名・51期(大3)236名と例外的に突出、翌年反動で60名強。 55期(昭2)以後120名強で推移。 66期(昭13)200人突破、以後激増、73期(昭19)898名。 陸大・海大はデータなし (107 鷂 ◆Kr61cmWkkQ) 補足。 海軍大学校は明治21年に甲号生徒9名を送り出し、25年までは平均9名(23年のみ2名)、 27年に将校科となって、5~8名、明治31年以降は甲種となって33年まで一桁台となり、 日露戦争時は一時途絶えますが、35年に一挙に44名が卒業し、再び39年まで卒業が途絶え、 以降は20名~30名で推移します。 以後昭和13年に30名、15年に27名となり、最後が18年の25名です。 一方の陸軍大学校は、明治18年に10名を卒業させ、以後は明治31年まで10~20名で推移します。 明治32年に一挙に40名前後に拡充し、同じく日露戦争の2年間は卒業生を輩出せず、明治42年に55名 に拡充されます。 以後、50~70名前後で推移し、昭和に入ると50名前後となります。 昭和13年、16年は年に2回卒業生を輩出し、昭和16年以後は毎回70名以上が卒業していきます。 更に昭和19年には年3回卒業生を輩出し、毎回100名近くが卒業しています。 最後が昭和20年8月卒業の120名でした。 (107 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 明治期の軍人恩給って大体いくら位ですか? 明治三十年あたりの。 う~ん、資料を探したのですが、昭和期のものしか見つからず。 △普通恩給 … 一定年限に達して退職した軍人と准軍人に賜る一般的な恩給。 准士官以上は在職13年以上14年未満に対し、退職前棒給年額の150分の50に相当する金額。 14年以上は、1年増す毎に退職前の棒給年額の150分の1に相当する金額を加算。 下士官以下は、在職12年以上13年未満に対し、退職前棒給年額の150分の50に相当する金額。 13年以上は、1年増す毎に下士官は7円、兵は6円を加算。 △増加恩給 … 公務中に傷病を受け、不具廃疾となった場合に軍人、准軍人に加算。 なお、准軍人とは、陸軍の見習士官、海軍の海軍候補生など。 △傷病年金 … 公務中に永続性の傷痍、疾病罹患により、不具廃疾に至らなくとも、これが原因で3年以内に退職 した者、または下士官以下退職後3年以内にこれがため一種以上の兵役を免ぜられた時に支給。 △傷病賜金 … 下士官以下公傷、病にて傷病年金を受ける程度でなくても、これが為退職、または退職後1年以内に これがため一種以上の兵役を免ぜられた時に支給。 支給額は最大660円、最低120円で16項目に区分される。 △一時恩給 … 在職准士官以下3年、下士官2年以上で恩給を受ける年限に達せずして退職した者に支給され、金額 は退職当時の棒給月額に在職数を乗じた額。 △扶助料 … 戦闘または戦闘に準ずべき公務で死亡した者の遺族には、普通恩給の金額、普通公務にて死亡した者 の遺族には、普通恩給の10分の8、その他は10分の5を支給。 △一時扶助料 … 在職3年以上で恩給を受ける年限に達せずして在職中死亡した者の遺族に支給され、支給基準は一時 恩給と同様。 ちなみに1943年当時の士官、准士官の年棒は以下の通り。 大将:6600円、中将:5800円、少将5000円 大佐:4150円、中佐:3220円、少佐:2330円 大尉:一等(海軍は一級以下同じ):1900円、二等:1650円、三等1470円 陸軍軍楽大尉:一等:2150円、二等:1900円、三等:1750円 海軍特務大尉:一級:2070円、二級:1191円 中尉:一等(海軍は一級以下同じ)1130円、二等:1020円 陸軍軍楽中尉:一等:1540円、二等:1390円 海軍特務中尉:一級:1740円、二級:1630円 少尉:850円 陸軍軍楽少尉:一等:1240円、二等:1130円 海軍特務少尉:一級:1470円、二級:1368円 海軍各科少尉候補生:670 准士官(陸軍):一等960円、二等:900円 准士官(海軍):一級:1220円、二級:1150円、三級:1043円、四級:930円 (109 眠い人 ◆gQikaJHtf2 ) 何故日本軍は突撃や戦闘に臨んでは軍旗を処分し、自沈や沈没間際になった艦艇は旭日旗を撤収するのですか? ちょっと勘違いがあるようなので。 陸軍が軍旗を処分する、というのは、これから全滅します、という意思表示の一種です。 だれも軍旗を持ち帰らない、だが敵の手には渡せない、だから処分する。 全滅覚悟の攻撃でない限りは、軍旗はきちんと持っていきます。 記憶によれば、軍旗を神聖視する習慣は西南戦争から始まったようです。 根拠・伝統があるわけではなく、元々は軍旗は単なる旗以上のものではなかったのです。 海軍の軍艦旗は陸軍の場合と異なり、フネの備品の一つにすぎず、 消耗品です。神聖視はされていません。 吹きさらしのなか、掲げっぱなしですから当然破れてきます。補修が追いつかなくなったら交換。 フネが沈む、というときに軍艦旗をおろす暇がある場合は限られます。 非常時には気がついた者がおろすという程度ですが、 自沈は若干時間に余裕があることが多いので、軍艦の生涯の幕引きとして下ろすのです。 (109 924) 日本海軍の軍艦は世界でもトップ・クラスなのに、何で陸軍の装備は、世界のトップと較べると見劣りするんですか? 陸海の予算分配に偏りがあったのですか? アメリカ合衆国戦略爆撃調査団報告書に書かれていたので書いておきまする。 1940~45年度に於ける陸海軍臨時軍事費特別会計、軍需省の歳出決算額で、日本銀行支払小切手によるもの。 これを原資料に、陸軍省、海軍省がそれぞれ地域別(海軍は無し)、費目別に算出しています。 1945年は4月~10月の上半期のみで単位は100万円です。 1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年 陸軍省 4,191 6,383 10,368 15,764 45,511 20,808 海軍省 1,532 3,104 8,385 13,779 19,069 17,553 軍需省 1,244 10,472 8,993 合 計 5,723 9,487 18,753 30,787 75,052 47,412 陸:海 7:3 7:3 5:5 5:5 6:3 4:3 即ち、初期は概ね陸軍優位に推移していますが、中期~末期は対等になってきています。 次いで、上の表をこのうち費目別に編集し、うち兵器燃料費を抽出すると、 (若干インフレ率など会計処理的な推計が入っていますが) 1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年 陸軍省 1,625 1,797 3,267 4,558 3,085 3,725 海軍省 978 1,814 5,629 9,114 8,022 5,619 合 計 2,603 3,611 8,896 13,672 11,607 9,344 陸:海 6:4 5:5 4:6 3:7 3:7 4:6 となります。 (115 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦争中、日本では化学兵器やレーダー関連の開発等で、理系大学の研究室と軍の研究所との共同研究はしていたんでしょうか? しています。 化学兵器に関しては、既存技術の応用だったために、大学との共同研究はしていません。 医学的研究という面ならありましたが。 電波兵器については、日本学術会議電波研究委員会と東北大学の共同研究から出発しています。 他にも原子爆弾の研究にも大学との共同研究が為されています。 (270 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 旧軍の陸と海、そして航空隊で徴兵の基準は違っていたのでしょうか? 徴兵は陸・海軍別々ではなく、陸軍の徴兵官が徴兵検査を行い一定の割合で海軍に 人員を振り分けていました。 一方海軍はもともと志願兵を重視しており、各鎮守府ごとに志願兵徴募の組織を設けていました。 昭和16年までは海軍の兵員で徴兵者の占める割合は5~6割程度です。 甲種合格の基準は身長155センチ・視力裸眼0.6でしたが、海軍は視力に関しては厳しく 裸眼視力1.0が必要でした。 陸軍が徴兵を行うという理由から海軍は陸軍と比べて兵員の体格がやや劣る傾向にあったそうです。 (50 名無し軍曹) 背が小さかったら徴兵は免れたって聞きましたけど本当なんでしょうか? あってもおかしくない。 戦争中でも全員を取れるほど軍隊の規模はでかくない。 また、背が低いのは徴兵検査の等級を下げる一因。 特に末期はそれだけでは決まらないが、原因にはなりうる。 また、徴兵検査自体は戦争してなくても徴兵制をしいていれば 取られる率は低いがある。 (52 951) 甲種合格の基準は身長155センチ・視力裸眼0.6でしたが、海軍は視力に関しては厳しく 裸眼視力1.0が必要でした。 陸軍が徴兵を行うという理由から海軍は陸軍と比べて兵員の体格がやや劣る傾向にあったそうです。 (52 955) 東亜戦時に徴兵検査にみたずに入隊できたかった、しなかった人は、当時だと非国民と呼ばれるんですか? 身体的に不合格の場合、そう呼ばれません ただ世間的に「情けないヤツ」と見られました 左翼的思想などで刑務所に収監されたり、徴兵検査そのものを逃げると非国民と呼ばれました (53 235) 非国民とは言われなかったですよ、軍隊にいけなかった人達は 他にも軍需工場などで働きましたし、農業などの食料を生産する仕事も ありますので。 (53 236) 日本軍は弾一発なくなっていても報告書を書かされるほど厳しかったと聞いたんですが本当ですか? 装備の管理については「書類上は」大変厳しかったことは確かです (弾一発レベルで管理していたかは知らない、スマソ) ただし「書類上は」というところがクセモノで、員数調査がある時だけ 他の部隊から融通してもらったりとかいったことも許容されて居たようで いわゆる旧陸軍の抱えていた組織上の欠陥としてよく指摘される「員数主義」 (書類上のつじつまさえ合っていれば実態はどうでもいい)です。 「厳しかった」と言えるかどうかは激しく疑問。 (54 299) 戦前の日本は何故、海軍省と陸軍省と、二つも軍関係の省があったのでしょう。 主に予算問題が原因です。 兵部省は陸軍の発言権が強く、兵部省に充てられた予算の9割以上が陸軍費に 充当されるに及び、予算配分の均等を望んだ海軍側の提案を受け入れる形で実施されました。 また、実際省務が陸海軍部に分割されて実施されていた点、 西欧における陸海軍の性質が異なる事も原因になったようです。 (55 31) 戦陣訓と軍刑法とはどんな関係にあったんでしょうか。 「戦陣訓」は「生きて虜囚の辱めを受けず」のフレーズが有名ですが、元々は軍規弛緩を正す ためにつくられたもの。占領地での略奪、命令違反などが横行したもので。 陸軍刑法との関係だと、状況の悪化を受け具体的細目を示した大臣告示(もしくは通達)のよ うな位置づけではないかと。 捕虜になることを問題視されるようになったのは何も「戦陣訓」のせいだけではなく、それ以前 (昭和初期)から捕虜をタブー視する非公式規範が軍や社会の中で醸成されていたようです。 そうした結果太平洋戦争以前でも、例えばノモンハン事件では多数の悲劇が生じました。 日露戦争の頃は違ったのですが・・・。 海軍は詳しくないのですが、将官で捕虜になったけどお咎め無しになった事件がありました。 もっとも下々の場合はそうはいかなかったようですが。 (56 525) 旧日本軍の撃ち空薬莢の管理は厳しくて1つ無くしても探し回ったそうですが 誰が、いつごろ、どのような理由で薬莢管理を厳しくしたのですか。 回収して資源として再利用するために日中戦争前後から 行われています。 実戦でも可能であれば薬莢回収は行っています。 演習においては、必ず薬莢回収を行っています。 ついでに、襲撃機キ-102の試作の際、当初機関砲に薬莢 受けは付けていなかったのですが、陸軍上層部の意向で、 薬莢受けを取り付けたと言う話もあります。 (57 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 山本五十六は英雄か、はたまた日本を奈落のそこに落とした人間の一人か? 海軍航空の育ての親としては評価が高いと思われ。 戦争指導に関しては賛否別れるといったところじゃないか? (57 283) 旧日本軍は従軍牧師のような制度は存在しないの? 中国戦線では従軍僧が同行していた(やっていたお坊さんに直接体験を聞いたことがある) その他、特に南方では多分いなかったはず 米軍とは違い、従軍僧は軍人ではなくて大谷教団が派遣していたので(えーと、他のも 派遣した宗派があったようだがよく知らない)軍属扱いかな (60 208) 愛新覚羅王女川島芳子さんの軍隊での階級は何ですか? 川島芳子の軍隊の階級は確かなかったはずです。 基本は自称で上尉と名乗っていたかと記憶しています。 (61 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 旧軍の飛行団は飛行師団から独立してたのですか? 飛行師団隷下の物と、独立飛行団の両方がある。 (87 292) 電信兵(?)というのはあったのでしょうか? 死んだ祖父が戦時中、それだったらしいのですが・・・ 日本陸軍の場合、通信兵種は工兵科に属します。 通信兵は歩兵旅団に通信隊として配属されるほか、師団の工兵大隊内部に電信聯隊という独立した 部隊としてもありました。 更に敗戦までに、工兵隊の膨張に伴い、通信隊司令部、電信聯隊、独立有線中隊、特殊無線隊、 超短波無線中隊、固定通信隊が出来、船舶輸送司令部配下には船舶通信聯隊も作られています。 また、陸軍通信学校では、軍用通信の教育と軍用鳩の育成を行います。 甲種は中少佐大尉に三ヶ月、乙種は大中尉に八ヶ月、丙種は尉官に八ヶ月、丁種は下士官に八ヶ月 の教育を行い、特種学生は尉官に暗号教育を三ヶ月、鳩学生は尉官下士官に二~四ヶ月の教育を 行います。 このほか、陸軍少年通信兵学校というのもあり、通信関係現役下士官(少年通信兵)養成の二年制 の学校で、1941年に設置されました。 卒業後、兵長として一年隊付きの後、伍長になります。 日本海軍ならば、通信兵種は、兵科に属します。 元々、水雷兵種に属していたもので、教育課程は、1930年に分離独立しています。 高等科は大中尉に一年、普通科は中少尉に四~六ヶ月、特修科は佐尉官、兵曹長、上等兵曹に四~六ヶ月、 専攻科は高等科卒に一年の教育を行なうものです。 (122 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 旧日本軍は戦前の、いわゆる平時にはどのぐらいの規模だったのでしょうか? 1930年で陸軍25万、海軍5万。 1931年で陸軍23万、海軍78,430。 1932年、陸軍30万、海軍83,822。 1933年、陸軍35万、海軍88,968。 1934年、陸軍35万、海軍97,069。 1935年、陸軍35万、海軍98,896。 1936年、陸軍40万、海軍107,461。 ちなみに、現役徴集率(その年の徴兵検査を受検した適齢者で、現役兵として 実際に入営した者の割合)は、1933年で20.1%。 1938年は46.9%となっている。 (126 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 軍人さんが亡くなった場合、遺族に恩給が出ますが、亡くなってすぐに出るものなんでしょうか? 戦争中に恩給をもらって生活するということはあったのでしょうか? 該当者の死亡確定後、1942年までは地方長官、1942年11月以降は市町村長への申請によって 在職三年以上ならば、遺族に扶助料として、公務中の死亡なら普通恩給の10分の8、それ以外なら 10分の5が支給されますが、その在職年限に達せざるに死亡した場合は、一時扶助料となり、その 金額は一時恩給と同額、即ち、死亡当時の棒給月額に在職数を乗じた額が一度だけ支給されます。 このほか、徴兵保険というのがあり、死亡の場合は保険会社から掛け金が支給されるものもあります。 今の富国生命が、その徴兵保険で大きくなった会社です。 いずれにしても、1942年までは地方長官決裁ですから、申請してもその支給までは暫く掛りますし、 恩給だけで生活するのは、半農半漁の自給自足が可能な人なら何とかなるでしょうが、それ以外の 人は、家族の為に再婚するか、自分自身が働きに出るかしないといけませんでした。 一時扶助料は文字通り一時金だけですしね。 (264 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本軍は世界的に見て強かったのですか? 何が強さの基準となるのかはっきりしないが、 まあ普通に考えれば陸海軍ともに世界的に見ても強かったな。 単に上には上がいるというだけで、当然下には下がいる。 (俺初質スレ433 177) 歩兵や水雷戦隊、航空隊に関しては連度も装備も良好で強かったのは確かだ! ただし陸軍なら対戦車装備が乏しかったし、砲兵には予備弾が少なく継戦能力が低かった。 さらには前線航空管制が無く、有力な航空直協が行えなかった。 海軍なら重巡洋艦以上の水上艦に関しては、明確に「強い」と言えるほどの実績に乏しいな! 夜間近接戦闘とか、トロくさい護衛空母を追いかけるんなら強かったが。 (俺初質スレ433 179) 旧軍の技術士官は「軍人ではあっても戦闘員」ではないと言う認識でOKですか? また左官待遇の「技官」という職種があったらしいのですが、技術士官との相違は何なのでしょうか? 陸軍の場合は、砲工科技術将校を以て構成しています。 即ち、彼等は兵科将校としての役割を持っています。 従って、戦闘員の扱いになります。 海軍の場合は、造船、造機、造兵の各科を統合したもので、彼等は、将校相当官に 位置づけられます。 従って、兵科将校ではありません。 「技官」は、軍属で軍人ではありません。 あくまでも、軍人以外で、本人の意思によって職業として陸海軍に勤務する者であり、 文官、雇員、傭人に分けられますが、技術官は文官扱いです。 その待遇はピンキリで、親任官待遇、つまり大将相当から、兵卒待遇まで様々ありま した。 (260 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 近衛師団の兵は逮捕権もってるんですか? 治安維持法に反する思想犯(例えば君主制の撤廃、共和制の実現、プロレタリア独裁政府の 樹立、国家否認、植民地独立、私有財産制度否認などなど)については、近衛師団が取締を 行うものではなく、検事局、特別高等警察、憲兵隊が担います。 近衛師団の兵が逮捕、拘禁する場合は、賢き処に対する直接行動(例えば、天皇に爆弾を 投げる、ピストルで狙撃する、日本刀で斬りつけるなど)を行った場合だけです。 (余談ながら、天皇行幸の際に供奉するサイドカーの側車前面にはカバーがありません。 これは、いざというとき、すぐに行動に移せる様にとの教訓からこのような仕儀になっています。) (141 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 天皇が大元帥として奉勅命令をだして陸海軍を統帥する場合の手続きを教えて下さい。 天皇の統帥権には、国防計画に関する事項、作戦計画に関する事項、平時に於ける陸海軍兵力の使用に関する事項、 戦時に於ける陸海軍兵力の使用、即ち、作戦・運用に関する事項、軍隊及び軍人の訓練・懲罰・内部組織に関する事項 が含まれます。 これらの統帥権を行使するのは、帷幄の機関、即ち、参謀総長、軍令部総長、陸海軍大臣の上奏に基づき行なわれるもの とされています。 上奏を行なうのは、あくまでも、「事の軍機軍令に係り奏上するもの」で、これらは、「陸軍大臣、海軍大臣より内閣総理大臣に 報告すべきもの」なのですが、屡々、この部分は忘れ去られています。 帷幄上奏に基づき勅定されるのが軍令で、手続き的には、参謀本部、軍令部、または陸海軍省で作成したものを、参謀総長、軍令部 総長、陸海軍大臣が天皇に上奏し、天皇が親署の後、御璽を鈐し、主任の陸軍大臣、海軍大臣が年月日を記入し、これに副署します。 これで成立する訳です。 本来は、これを公布する際には、内閣総理大臣への報告が必要ですが、先述のように屡々無視されています。 また、公布は、公示を必要としない場合もありますが、公示が必要な場合は、上諭を付し、官報に記載します。 ちなみに、2.26事件の様なクーデターとかに行なわれた戒厳大権、戦時、内乱勃発時に行なわれる非常大権については、これは 統帥権の埒外になります。 (146 眠い人 ◆gQikaJHtf2) せっかく兵部省の元に陸海軍の両方を置いていたのに、その兵部省を廃止して陸軍省・海軍省の2つに分けてしまったのは何故でしょうか? 兵部省から海軍が分離したのは、明治5年のことです。 元々、日本の軍隊というのは、中央政府軍としての御親兵と、地方の治安維持のために鎮台を各地に 設けているところからスタートし、その人材は、各大名家の藩兵から募っていた訳です。 しかし、徴兵制が施行され、平民出身の兵士が各鎮台に入営し、歩兵聯隊9個が編成されました。 また海軍も明治5年以降拡張が続きます。 国内治安優先の軍隊から外征用軍隊への転換を促したのは、兵部大輔の山県有朋で、彼は1871年12月、 兵部少輔の川村純義、西郷従道と共に、政府に「軍備意見書」を提出し、常備兵、予備兵からなる徴兵制 導入、軍艦、海岸砲台の建造、幹部養成学校や軍工廠の設置を行ない、しかる後に朝鮮半島を利益線として 確保し、ロシアの南下に備えるとしました。 これを実現するには一つの組織では難しく、結果的に分割した方が良いと言うことになり、陸軍省と海軍省を 並立させた訳です。 但し、「陸海軍」と海軍が従になったのは、明治5年からの事で、明治初年は海陸軍と称しています。 余談ながら、原敬はその日記で、死に至るまで「海陸軍」と書き記していたそうです。 (148 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 旧陸海軍は異なった仮想敵国を立てていましたが、海軍の対ソ戦研究、陸軍の対米戦研究というものは行われていたのでしょうか? 海軍は日ソ間の戦争を深く研究してはいませんでした。 そのツケが現れたのが尼港事件。 以後、ようやく冬季の沿海州行動がスムーズにできるように、 膠州や見島などに砕氷改造を施し、やがて大泊を就役させることになります。 また、満州事変後に建国させた満州国の水上戦力指導のために駐満海軍部を設置し、 この特務機関の主任務を ・陸軍省も参謀本部も把握できていない関東軍の状況把握 ・ソ満国境付近での対ソ諜報活動 ・満州海軍の指導 として掲げ、対関東軍諜報活動の片手間に、国境ソ連軍の動向調査を行っています。 要は、たいした対ソ研究はやってないんですね…軍令部でも課一つで対応してましたし。 (248 鷂 ◆Kr61cmWkkQ) 旧軍の少尉クラスの人間は、私生活においての生活水準はいかほどったのでしょうか 陸軍少尉の場合、年俸は850円で、恩給法13条では仮定棒給年額が160万円とされています。 これは大学事務官、事務官補、関税官などより低く、判任官三等七級より高いものです。 判任官は、技手、外務書記生、警務官補、裁判所書記、看守長、帝大助手、文部省直轄学校助教授、 二等郵便局長、警部、警部補、消防士が軍人以外に挙げられます。 これより下が、判任官待遇で、小学校教諭、府県書記技手、三等郵便局長、巡査、鉄道手です。 生活水準としては今と同じで、贅沢さえしなければ、そこそこ暮らせる状況でしょうね。 (157 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 旧軍の予備役軍人(将官)の人がいますがどのような生活をしていたのですか? 人生色々ですわな。 将官まで勤め上げた人なら、余程のことがない限り、基本的には、何処かの軍需関係の 企業や軍関係の外郭団体、その他でも地方公共団体が拾い上げてくれます。 今の何処ぞの国の公務員と同じだと…。 例えば、55歳の大佐(兵科の場合)であれば、少将に進級することが無ければ、現役から 退くことになります。 現役のままでも、補職の命令がなければ待命となります。 待命と言うのは、俸給は支払われますが、職がない状態です。 待命期間は1年で、この間に補職が為されないと、休職となります。 この間に就職活動とかする訳で。 休職期間は2年で、これが過ぎると予備役に編入されます。 そして、現役定限年齢に達した日の翌3月31日に後備役に編入されます。 後備役の期間は6年で、それを過ぎると退役になります。 (1941年以降は予備役6年で後備役は無くなる) なお、待命~休職は人によってまちまちで、この手続きを経ずに本人の願いによる 場合、あるいは健康状態や、人事上の都合で、直接予備役編入という場合もありま した。 (159 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 明治の旧軍創設時、薩摩閥と長州閥に別れていましたが、やはり仲は悪かったんですか? 派閥同士の対立は何処でも同じです。 特に山梨軍縮、宇垣軍縮の時の陸軍内部の対立は、山県有朋から連綿と続く長州閥の占める 陸軍中枢と、それに対抗するそれ以外の極端な保守派が対立していますが、この保守派の中 には、薩摩閥を多く抱えていました。 ちなみに、薩摩閥、長州閥の優遇というのは日露戦争以後、山県有朋の隠棲後は表向き影を 潜め、士官学校出の様々な出身地の人々が徐々に増えていっています。 海軍については、薩摩閥が多かったですが、こちらは西郷従道など薩摩出身者が部内の融和 に勤しんだため、対立が極端になるといったことは少なかったようです。 (159 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 銃剣道は、元はフランス人が戸山学校に講師?として指導したのが始まりというのを聞いたのですが、本当でしょうか? 陸軍は当初フランスをお手本にしてた。銃剣術もフランス式だったが、 西南戦争なんかやってみると、これがあまり役に立たない。 戸山学校などではこっそり日本の槍術を取り入れた日本式銃剣術を研究。 陸軍のお手本がドイツに変ったのを機にこれが採用された。 軍では「銃剣術」であったが、学校等では武道「銃剣道」として広がり、 戦後はこの武道としての銃剣道が残った、ということ。 (235 512) 38式歩兵銃や零戦、一式陸攻、90式戦車などの数字は開発完了当時の年数にちなむものですよね? 明治初年の陸軍創設の頃は、兵器は海外からの輸入に頼っていたので、海外の輸入先である国の制定年度を呼称していました。 明治13年からは、基幹兵器となる小銃が初めて国産化されたため、以後、採用年度が制定年度として各兵器に冠せられました。 明治13年から大正15年(実際は大正14年)までは、元号を制定年度としています。 本来は、「○○年式」という呼称が正しいのですが、明治31~45年にかけては、その体裁が崩れ、三八式歩兵銃、 四五式榴弾砲という形で、「年式」省いた略称が喧伝されたケースもありました。 昭和期に入ると、制定年度で、呼称を付けるのは、大正期と紛れやすくなるため、陸軍では皇紀の下二桁を 冠することに切り替えました。それは、昭和元年の八六式から開始されています。 皇紀は昭和15年に2600年となりますが、昭和15年制式のものを陸軍は一〇〇式、海軍は零式とし、 以後は下一桁を以て兵器に冠しています。 (169 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 兵士が戦地から故郷に宛てた手紙って、送料はどのくらいしたのでしょうか。 葉書は兵士に対しては,一定枚数が配られ,その通信費はタダ,封書・航空便は内地と同じ金額を支払います.電報,書留, 現金書留はありませんが,貯金,為替は取り扱っています. (176 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 将校は終身制なんですよね? 将校は終身官であり、退役しても退官しない限り軍人です。 退官は、処分などにより免官となる場合などに限られ、普通には無い訳で。 で、将校は、現役→予備役→後備役→退役という形で推移していきます。 兵役では、旧陸軍の場合、一般的に満20歳(1944年から19歳)から陸軍2年、海軍3年の期限で、 教育のため軍隊に入って軍の根幹足るべき者が現役、その現役の終わった者全員(軍残留者除く) が予備役、これが陸軍5年4ヶ月、海軍4年あり、戦時には最優先で召集されます。 この予備役が終わった者全員は後備役となり、戦時は予備役が払底した後に召集を受けます。 但し、日華事変で後備兵役者が多数召集されて、予備役と区分する意味が無く、後備兵役の名で 自他共に老人扱いする弊を除くべく、1941年に予備役に統一されました。 後備兵役は、陸軍10年、海軍5年であり、1941年以降は、予備役として、現役を退いて後、陸軍15年、 海軍12年となっています。 (231 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 陸軍と先鋭的に対立していた海軍がなぜ独自の憲兵を持たず陸軍憲兵に部内警察業務を委託してたのですか? 憲兵は陸軍大臣に属する兵科ではありますが、海軍大臣の指揮をも受けます。 これは明治31年勅令第337号の憲兵条例に定められたものでした。 更に遡るなら、1881年(明治14年)3月11日の憲兵条例第一条で、海軍の取締も定められています。 海軍大臣の指揮を受けるのは、海軍軍人をも取り締まる為でしたが、この規程は内地限りのもので、 戦地には適用されないとして、海軍は太平洋戦争時、海軍が軍政を布いた地域に、「海軍特別警察隊」 を設置しました。 これは、占領地の軍事警察、日本軍に対するあらゆる言動の取締り、敵スパイ活動の防止、海軍軍人の 軍紀法律違反事件、非軍人日本人の犯罪行為などあらゆる情報を集め司令部に報告することを任務と していました。 この組織は、1942年半ばから設置されましたが、設置に当っては、当然陸軍憲兵関係者の強い反対が あったようです。 現地では、白地に赤字で「特警」と書いた腕章を捲き、いつも拳銃を持って巡回し、憲兵同様に現地人や 日本軍人にも恐れられています。 (131 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 陸軍と海軍ではなぜ用語の統一がされなかったんですか? 「用語」と言われても広範囲にわたるので、 「零式vs百式」程度のたわいないものから「動員vs出師準備」みたいな意思疎通不能のものまで様々ですが…。 機器や物資の呼称が陸海軍で食い違う原因の一つに「陸海軍御用達」の会社の存在があります。 たとえば陸軍寄りの川崎航空と海軍寄りの愛知航空、海軍寄りの三菱造船と陸軍寄りの三井造船 それぞれ陸海軍の要求に応えられるだけの大企業なので、海外企業と提携することも多く コンセプトは同じでも呼称や仕組みが異なる機器が各企業でも生まれたりもします。 そんな企業に対し、退役陸海軍将校が役員として天下りしてくるので、 そのぶん軍と企業の癒着は強まり、陸軍専用会社・海軍専用会社の壁はますます厚くなり 技術交流も進めづらくなって、企業同士の意思疎通もうまくいかず、 名が異なる同じ機構が陸海軍に採用されるという悪循環が起きもするわけですが。 (225 鷂 ◆Kr61cmWkkQ) 機関銃中隊が無い部隊というのを聞いたのですが。 機関銃中隊は編成に存在します。 後方警備部隊でも編成表上にありますし、本土決戦用師団でも存在しています。 但し、資料にある時点が、派遣された先での編成というものであれば、機関銃中隊の欠落は十分考えられます。 と言うのも、日本の船舶輸送では、兵士は兵士、装備品は装備品、弾薬は弾薬という形で分けて 輸送していました。 欧米の場合は、兵士、装備品、弾薬、車輌などが或程度一定の比率で分けられていますが、これ には無駄なスペースが出来てしまいます。 日本の船舶にはそんなに余裕がないので、出来るだけ、単一のものを輸送する傾向にありました。 で、なるべく、それに関連する人員も乗せるようにしています。 そんな時に、ある船舶が沈んだらどうなるか。 例えば、其処に機関銃中隊の装備が搭載されていたら、機関銃中隊諸共装備は失われる訳です。 フィリピン向け輸送船団ヒ81なんかそう言う典型例ですね。 (213 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本軍は自動小銃の有効性に気付いていなかったのですか? 自動火器の有効性について日本軍は、日清日露の戦闘で嫌と言う程経験して居り 小銃の自動化以前に歩兵装備としての軽便機関銃の開発を急ぎました。 ガーランド小銃の有効性以前に、軽機関銃等を豊富に装備した日本軍の自動火器は遥かに充実しており 火砲などの支援が得られない状況では、火力において日本軍は米軍を常に凌駕していたのが事実です。 兵站への半端ではない負担と、急遽数量を確保した為に多数の種類の弾薬を同時に運用せねばならなかった為に 弾薬不足が慢性化してしまった為に、弾薬の不足がより深刻化した事が、 戦争後半での火力不足の実情で、兵站さえまともであれば、火力では勝っていたのです。 (702 三等自営業 ◆LiXVy0DO8s) 日本軍の磁気信管にはどういう問題があったの? 磁気信管は不発が多かった事があげられる。 要因としては電気技術、工作技術が現在とくらべて未熟であったためとしか言いようが無いけども、 とりわけ日本においては電線の絶縁技術不足が致命的だった。 現在では当たり前のリード線(電線)のビニル被覆(電線の皮)を日本では多く作れなかったので、 油紙や油を染ませた布を銅線に巻きつけることで絶縁被覆としていたけど、 ビニル被覆に比べると格段に絶縁性能が低くて、絶縁不良(ショート、短絡)による動作不良を多く起こした。 これは魚雷だけではなく、当時の日本のほぼ全ての機械に潜在する動作不良の要因だった。 (722 339) 旧軍兵士が死亡した場合、家族にはどうやって伝えられたの? 日本軍の兵士が戦場で死亡した場合、その戦死は、先ず電報(内報)で役場に伝えられる。 その内容は、兵事係から家族に通知されるが、正式な戦死公報は数ヶ月、長ければ数年かかる場合もあった。 戦死公報には、本人の姓名階級と本籍地に加え、死亡日時と場所と死亡原因が記述されている。 また、遺族に対しては、遺品並びに戦死の状況を記した戦死概況が手渡される事もあったが、 太平洋戦争末期には、戦死公報のみが送られている。 (しょうもない知識を披露するスレ11 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 二等兵から佐官クラスに出世することは可能ですか 少数だが、陸海軍とも、再下級兵から累進して、佐官になった人はいる (俺初質スレ1024 950) 海軍の場合、戦前から開戦後しばらくまでは、兵隊上がりの最高位は特務大尉までで、 佐官は退役時に1日のみ少佐に特進するのと、戦死後の特進に限られていたかと 戦争中に中堅士官が足りなくなり、特務士官から、正規の少佐への道が開けたんじゃなかったかな (俺初質スレ1024 952) どうして旧日本軍(大日本帝国)に「空軍」が出来なかったのでしょうか? 独立空軍を作ろうにも、 太平洋戦線では洋上航空戦が中心なので海軍は独立空軍のために機材や人員を引き抜かれたくないだろうし、 かといって陸軍航空隊単独で独立空軍を作るほどの規模もないしその必要性も薄い 同じく洋上航空戦が重要だったアメリカだって戦後まで独立空軍作ってないしな (俺初質スレ2049 863) アメリカの場合、法制上独立してなかっただけで39年ごろから実質的に陸軍の管轄から離れてるよ で、戦争がなければもっと早期に独立するはずだった 議会の反対論がかなり強かったので遅れる可能性もあったけど (俺初質スレ2049 864-865) 日本もドイツがやってるからうちもやろうで陸軍は乗り気だったけど海軍が反対で流れた (俺初質スレ2049 864-865) もともと航空戦力は陸・海の支援火力にすぎないと言う考えが根本にあったからね。 今の自衛隊は陸・海・空が別れているが、これが必ずしもいいとも言えない。 例えば海自艦船が敵襲を受けて航空機支援を求めても、空自とは別組織なので意思決定が面倒 海自のお偉いさんが要支援と判断→空自のお偉いさんに支援要請 →空自のお偉いさんが要支援&支援可能と判断→支援命令 とお偉いさん2人の判断が必要になってしまう。 海自の隷下であれば海自の判断・作戦に従って動くので指揮命令が圧倒的にスムーズ (俺初質スレ2049 868) 陸軍の士官学校や陸軍大学校は皇族や朝鮮の王室の人ならほぼ無試験で入れたみたいですが、彼らは入学してしまえば一般の入学生と同じようにスパルタ教育されたの? 皇族は別扱いで、無条件に主席卒業確定。 (俺初質スレ20501 241) 上級生にシバかれたりするのは確実に無い 皇族軍人は任官後も実務にあまり携わらない人の方が多いし (俺初質スレ20501 242) 平時に外地に赴任しててもきな臭くなるとどこからともなく転属命令が出て、内地に戻れる。 (俺初質スレ20501 243) 北白川宮永久王みたいに大陸で事故死する宮家もいるから、一概にそうとも言えない (俺初質スレ20501 244-245) 旧日本軍では銃(他の装備も?)は天皇から貸していただいたものなので壊れても携行しなければならないとされていたという記述を何処かで見ました。 でも、戦争映画などでは鹵獲した米軍の武器を使用しているシーンがあり、その際三八式歩兵銃などは持っていませんでした。 実際のところ、壊れたり弾切れの銃は捨ててもよかったんですか ニューギニアで戦った砲兵の手記では、撤退のときに中隊長命令で38歩兵銃(弾薬切れ)を 崖下に投げ捨てる模様が描かれている (俺初質スレ434 803) 兵全員が小銃持ってるわけじゃないし 故障したり吹っ飛んだりで銃がなくなる 平時なら部品ひとつでも無くせばリンチで下手したら自殺に追い込まれるが最前線で玉砕戦線じゃなんでもありです (俺初質スレ434 804)
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書名 まおゆう魔王勇者 エピソード1 楡の国の女魔法使い 著者等 (著者)橙乃ままれ 発売日 2011-10-31 ISBM 978-4047275515 版型 B6 ページ数 付属品 ドラマCD2枚組 価格 2,625円(本体2,500+税) 内容紹介 橙乃ままれ、初の書き下ろし新作!! 女魔法使い「ペースト状のひき肉になって、勇者1型」 勇者「断る!!」 このやりとりから、女魔法使いはいかにして伝説の勇者パーティーの一員となったのか? 魔王と勇者が出会う前、まだ勇者が“正義”の味方だった頃。 勇者と女魔法使いの出会いを描いた完全新作エピソード!! ◆特別付録は超豪華声優陣による「奇跡」のドラマCD2枚組。 魔王と勇者が手を取りあったことからはじまる物語が、今度はドラマCDとなって登場!! 〈キャスト〉 魔王:小清水亜美 勇者:福山潤 メイド長:斎藤千和 メイド姉:戸松遥 メイド妹:東山奈央 女騎士:沢城みゆき 青年商人:神谷浩史 中年商人:チョー 辣腕会計:立花慎之介 軍人子弟:鈴木達央 貴族子弟:梶裕貴 商人子弟:寺島拓篤 火竜大公:広瀬正志 冬の王子(冬寂王):平川大輔 執事:銀河万丈 鉄腕王:町田政則 氷雪の女王:藤井麻理子 白夜王:東地宏樹 魔族娘:松井恵理子 傷病魔族:株田裕介 語り部:永井一郎 予約 まおゆう魔王勇者 エピソード1 楡の国の女魔法使い|eb!STORE Amazon.co.jp: まおゆう魔王勇者 エピソード1 楡の国の女魔法使い 橙乃 ままれ 本 告知ページ 名前 コメント すべてのコメントを見る
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地球で一番資本主義者な場所 資本主義者たちがスリルを求め、人生をさらに楽しむことができる夢の「1%ランド」へようこそ! <概要> <ビジネス> レモン車線 キャビアドット シャンパン・フォール ドードー・レッグス 絶滅危惧種動物園 グレイプポン・スティック アイボリー・タワー・オブ・テラー(※1) 株式コースター キャピタリズム・ヒル <アップグレード> 詳細はこちら <アンロック> 詳細はこちら <マネージャー(自動化タイプ)> レミー・パーカー 効果 レモン車線の自動化 費用 5000000 肩書 スキル 元ネタ J・カナイン 効果 キャビアドットの自動化 費用 30000000 肩書 スキル 元ネタ バブシー・カサノバ 効果 シャンパン・フォールの自動化 費用 60000000 肩書 船乗りロミオ スキル 0.3秒で女性が逃げていく 元ネタ ミシェル・ディー・キャシー 効果 ドードー・レッグスの自動化 費用 400000000 肩書 鳥類付属器官専門家 スキル 火傷病棟ボランティア 元ネタ ジョン・クリケモンド 効果 絶滅危惧種動物園の自動化 費用 700000000 肩書 スキル 元ネタ ドム・ディジョン 効果 グレイプポン・スティックの自動化 費用 2十億 肩書 リムジンドライバー スキル 世間話が得意 元ネタ デイブ・M・ジニアー 効果 アイボリー・タワー・オブ・テラーの自動化 費用 50十億 肩書 エレベーター操縦士 スキル 強すぎて口数が少ない 元ネタ クラッシュ・D・ウッディ 効果 株式コースターの自動化 費用 200十億 肩書 スキル 元ネタ ビッグ・ウィリー・ブランバーグ 効果 キャピタリズム・ヒルの自動化 費用 100十垓 肩書 遊園地の大実業家 スキル 資本主義者並みに裕福 元ネタ ※1:元ネタはディズニーランドのアトラクション「タワー・オブ・テラー」。
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原告弁護団意見陳述書2005年10月28日 http //blog.zaq.ne.jp/osjes/article/12/ 原告弁護団意見陳述書2005年10月28日1. 今回の訴訟について弁護団を代表して意見を陳述します。 2. 部隊長命令がなかったことは明らかになっているにもかかわらず、 3. この間、ノーベル賞作家である被告大江健三郎氏が 4. 両元隊長は悲惨な座間味、渡嘉敷両島の村民の 5. 原告梅澤裕元隊長は既に満88才であり、 原告弁護団意見陳述書(沖縄集団自決冤罪訴訟第1回口頭弁論)(平成17年10月28日) 弁 護 士 松本藤一 1. 今回の訴訟について弁護団を代表して意見を陳述します。 すぐる沖縄戦では慶良間列島で多くの死者が出、集団自決もありました。軍のせいだとか、戦傷病者戦没者等の援護のために部隊長命令による自決として申請がされたりし、マスコミにより激しい報道合戦がありました。 そもそも問題の発端は慶良間列島の座間味島と渡嘉敷島の集団自決で果たして部隊長の自決命令があったのか否かです。部隊長の自決命令がなかったことは既に明らかになっております。 座間味島の梅澤元隊長には昭和57年に生き残りの女子青年団長宮平(改正後宮城)初枝氏みずからが、隊長命令などなかった、戦傷病者戦死者の遺族の援護申請のために集団自決の隊長命令があったと虚偽の申請をした。申し訳ありませんと詫びを入れている事実があり、さらに昭和62年には座間味村の援護担当として活動した宮村幸延氏が隊長命令による集団自決と虚偽の事実を記載して援護申請をしたと詫び状を入れております。渡嘉敷島の赤松部隊については、曽野綾子氏の「ある神話の背景」などで詳細な考証が試みられ、赤松隊長の自決命令が無かったことは今や否定できない事実として受けとめられております。 2. 部隊長命令がなかったことは明らかになっているにもかかわらず、 …事実を調査することもなく、マスコミは未だ隊長命令があったかのように虚偽を押し通し、虚偽が明らかになったと見るや、ある者は「軍命令はなかったが、住民の気持ちはじわじわと戦争に向けられていた」とか「国のために死を強制した皇民教育が問題である」などと争点ずらしを図り、虚偽による深刻な名誉毀損を現在も押し進めております。 マスコミの梅澤、赤松両元隊長に対する誹謗中傷は激しく、報道・言論に名を借りた社会的屠殺行為といっても過言ではないものであり、マスコミの責任は重大であり、部隊長命令による集団自決という虚偽が訂正される必要があります。 3. この間、ノーベル賞作家である被告大江健三郎氏が …1970年に出した沖縄ノートは既に49版を数え、この35年の間に虚偽を訂正するに十分な時間も機会もあったにもかかわらず執拗極まりない虚偽記載による名誉毀損が続けられてきました。両名の名誉に対する打撃と、影響は絶大なものといえます。出版した岩波書店にしても同様であります。家永三郎氏の「太平洋戦争」第2刷に至ってはこれらが虚偽であることがいまや明らかになって数十年も経過した2003年に出版されております。 4. 両元隊長は悲惨な座間味、渡嘉敷両島の村民の …復興を衷心より願うあまり、汚名を忍ぶしかないかと思ったこともありましたが、集団自決の隊長命令がなかったことが一般の評価となった後も、集団自決を命じた隊長というマスコミ報道は続けられ、汚名は雪がれないままでした。汚名を着たまま死ねないと思いながらも、赤松隊長はその願いを果たす機会もないまま昭和55年に亡くなりました。原告赤松秀一氏は兄の汚名を雪ぐべく立ち上がりました。 5. 原告梅澤裕元隊長は既に満88才であり、 …12月21日には89才になんなんとしております。汚名を雪がなければ、自らの終戦はないと決意して今回の訴訟提起に至りました。原告らのこれまでの労苦の数々と高齢を考えれば、特に迅速な審理を裁判所に要請するものであります。 原告が求めている中心論点は「集団自決に部隊長命令があったか否かであります。」 平成17年10月28日 弁 護 士 松本藤一 戻る
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http //www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0608/web-news0827-1.html ■渡嘉敷島集団自決、軍命令を否定する証言 元琉球政府の照屋昇雄さん 渡嘉敷島内に建つ集団自決跡地の碑。裏側の谷間で315人が命を絶った=沖縄県渡嘉敷村渡嘉敷 渡嘉敷島の集団自決を軍命令とした経緯などについて語る照屋昇雄さん=那覇市内のホテル 第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑(しんぴょう)性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。 照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。 300人以上が亡くなった渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記されたことで知られるようになった。作家の大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店)では、赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と書かれている。 その後、作家の曽野綾子さんが詳細な調査やインタビューを基にした著書「ある神話の背景」(文芸春秋)で軍命令説への疑問を提示。平成17年8月には、赤松元大尉の弟らが岩波書店と大江さんを相手取り、損害賠償や書物の出版・販売の差し止め、謝罪広告の掲載を求める訴えを大阪地裁に起こしている。(豊吉広英) ◇ 【用語解説】渡嘉敷島の集団自決 沖縄戦開始直後の昭和20年3月28日、渡嘉敷島に上陸した米軍から逃げた多数の住民が、島北部の山中の谷間で手榴(しゅりゅう)弾のほか、鎌(かま)、鍬(くわ)などを使い自決した。武器や刃物を持っていない者は、縄で首を絞め、肉親を殺害した後に自分も命を絶つ者が出るなど悲惨を極めた。渡嘉敷村によると、現在までに判明している集団自決の死者は315人。 ◇ 【用語解説】戦傷病者戦没者遺族等援護法 日中戦争や第二次大戦で戦死、負傷した軍人や軍属、遺族らを援護するため昭和27年4月に施行。法の目的に「国家補償の精神に基づく」と明記され、障害年金や遺族年金、弔慰金などを国が支給する。サイパン島などの南方諸島や沖縄で日本軍の命を受けて行動し、戦闘により死傷した日本人についても戦闘参加者として援護対象とされている。 【2006.8.27】 一覧|前月の記事
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判示事項の要旨: 広島市で原子爆弾に被爆した元国民義勇隊員である原告らの一部について,恩給法別表第1号表の3に定める第5款症に該当する障害があり,被告厚生労働大臣(当時は厚生大臣。以下「被告大臣」という。)がした戦傷病没者戦没者遺族等援護法(以下「援護法」という。)に基づく原告らの障害年金の受給請求の却下裁定が違法であるとしてこれを取消し,他方,被告大臣に援護法改正に関する国民への情報提供について裁量権の著しい逸脱があったということはできないとして,原告らの被告国に対する国家賠償法1条1項に基づく障害賠償請求をいずれも棄却した事例。 判決 主文 1 被告大臣が原告Cに対し平成10年7月6日付けでした戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく障害年金請求却下裁定を取り消す。 2 被告大臣が原告Gに対し平成10年7月6日付けでした戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく障害年金請求却下裁定を取り消す。 3 被告大臣が原告Kに対し平成10年7月6日付けでした戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく障害年金請求却下裁定を取り消す。 4 原告C,原告G及び原告Kのその余の請求並びにその余の原告らの請求をいずれも棄却する。 5 訴訟費用は,原告C,原告G及び原告Kに生じた費用は,これをそれぞれ6分し,その5を同原告ら各自の負担とし,その余を被告大臣の負担とし,その余の原告らに生じた費用は各自の負担とし,被告大臣に生じた費用は,これを12分し,その9を同原告らの負担とし,その余を被告大臣の負担とし,被告国に生じた費用は原告らの負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 主文第1ないし第3項と同旨。 2 被告大臣が原告C,原告G,原告K及び原告Lを除いたその余の原告らに対し平成10年7月6日付けでした戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく障害年金請求却下裁定をいずれも取り消す。 3 被告大臣が原告Lに対し平成12年2月4日付けでした戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく障害年金請求却下裁定を取り消す。 4 被告国は,原告らそれぞれに対し,500万円及びこれに対する平成16年9月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 原告らは,被告大臣が,広島市で原子爆弾に被爆した原告らから身体に醜形の障害が残ったとして戦傷病者戦没者遺族等援護法(以下「援護法」という。)に基づき障害年金の受給の請求を受け,これらを却下した裁定が違法であるとして,被告大臣に対し,同却下処分の取消しを求め(請求1,2),また,被告国が援護法に基づく障害年金の支給について周知徹底義務を怠り原告らに受給請求が遅れたこと等による損害を負わせたとして,被告国に対し,国家賠償法1条1項に基づき,損害賠償金及びこれに対する遅延損害金の支払を求めた(請求3)。 1 法令等の定め (1) 援護法は,「軍人軍属等の公務上の負傷若しくは疾病又は死亡に関し,国家補償の精神に基づき,軍人軍属等であった者又はこれらの者の遺族を援護すること」を目的とし,(同法1条),準軍属である国民義勇隊の隊員(同法2条3項3号)であった者が,公務上負傷し,又は疾病にかかり,昭和34年1月1日以後において,当該負傷又は疾病により恩給法別表第1号表の2及び第1号表の3に定める程度の障害の状態にある場合においては,その者にその障害の程度に応じて障害年金を支給すると定めている(同法7条8項,8条)。 そして,恩給法別表第1号表の2は,特別項症から第6項症までを定め(同第5項症の2号は「頭部,顔面等に大なる醜形を残したるもの」という定めであった。)(以下,同第5項症を「第5項症」という。),同表の3は,第1款症から第5款症まで,それぞれ障害の重さの程度に応じた障害を定め,同第5款症(以下「第5款症」という。)は,障害の状態として,「①一眼の視力が0.1に満たざるもの,②一耳の聴力が尋常の話声を0.5メートル以上にては解し得ざるもの,③一側中指の機能を廃したるもの,④一側環指を全く失いたるもの,⑤一側第二趾の機能を廃したるもの,⑥一側第三趾ないし第五趾の中二趾を全く失いたるもの」を例示して定め(以下,上記の各障害を合わせて「第5款症例示の障害」という。),その末尾に,「上記の列挙した障害に該当しない傷痍疾病の程度は上記の各症に準じこれを査定する。」旨規定している。 なお,上記障害年金の請求は,住所地の都道府県知事又は市町村長を経由して,厚生労働大臣に請求することとされている(援護法施行令11条) (2) 被告大臣は,昭和50年ころ(この時期は証人Pの証言による。),女子の醜形について次のような認定基準(以下「昭和50年の基準」という。)を定めた(乙8)。 ア 第5項症に該当する醜形は次のとおりとする。 (ア) 頭部,顔面及び頸部にある相当程度の瘢痕で他人の注目を引く程度のもの。 (イ) 上肢,下肢等にある瘢痕で上記(ア)と同視することを相当と認める程度のもの。 (ウ) 醜形とは,人目につく程度以上のものと解するのが相当であるから,上記(ア)及び(イ)について,瘢痕が頭髪,眉毛等で通常隠される部分がある場合は,それらについては審査すべき部分から除くものとする。 イ 恩給法別表第1号表の3に当たる顔面醜形は,次のとおりとする。 (ア) 顔面,頸部に3cm以上の明瞭な隆起及び陥没する醜状瘢痕を認めるもの。 (イ) 顔面,頸部に5cm以上の醜状線状痕を認めるもの。 (ウ) 顔面,頸部以外の露出する部分に相当の醜状を認めるもの。 (エ) 背部,胸腹部,脚部のほぼ半域にわたり醜状瘢痕を認めるもの。 (3) 被告大臣は,平成3年5月10日及び平成10年5月8日,第5款症所定の障害に当たる女子の醜形について,次のような基準を定めた。 ア 平成3年5月10日の基準(以下「平成3年の基準」という。)(乙6) (イ) 対象とすべき醜形の部位 ① 頭部,顔面,頸部並びに日常露出する上肢及び下肢の瘢痕で特に目立つもの。 醜形とは,人目につく程度以上で日常生活活動に種々の制約をもたらすものと解することが相当であるので,瘢痕が頭髪,眉毛等で通常隠される部分にある場合は除くものとする。 ② 衣服で隠れる部分の瘢痕については,色素の沈着又は脱失若しくは組織の隆起など特に醜形が著しいもの。 (イ) 醜形による症状等差の具体的査定のポイント ① 顔面,頸部に直径3cm程度以上の目立つ醜状瘢痕を有するもの。 ② 顔面,頸部に直径5cm程度以上の目立つ醜状線状痕を有するもの。③ 瘢痕により口唇及び眼瞼の変形が特に目立つもの。 ④ 上記①ないし③以下のものは,2か所以上の瘢痕を有するか又は他に目立つ醜状瘢痕を有するもの(例えば,顔面に直径3cmに満たない瘢痕が2か所以上有する場合又は顔面の瘢痕は直径3cmに満たないが片下肢に目立つ醜状瘢痕を有するもの)。 ⑤ 両上肢又は両下肢に目立つ醜状瘢痕を有するもの。 ⑥ 片上肢又は片下肢に特に著しい醜形(色素の沈着又は脱失若しくは組織の隆起,皮膚の深い削創など)を有するもの。 ⑦ 片上肢又は片下肢に目立つ醜状瘢痕を有する場合は,他にこれに相当する醜状瘢痕を有するもの(例えば,片上肢と片下肢に目立つ醜状瘢痕を有するもの)。 ⑧ 衣服で隠れる部分の瘢痕については,色素の沈着又は脱失若しくは組織の隆起,皮膚の深い削創,広範囲にわたる瘢痕など特に醜形が著しいもの。 イ 平成10年5月8日の基準(以下「平成10年の基準」という。)(乙7) (ア) 対象となる醜形 ① 頭部,顔面,頸部並びに日常露出する上肢及び下肢の瘢痕で特に目立つもの。 ② 衣服で隠れる部分の瘢痕については,色素の沈着又は脱失若しくは組織の隆起など特に醜形が著しいもの。 (イ) 第5款症相当の程度 ① 顔面,頸部に直径3cm程度以上の目立つ醜状瘢痕を有するもの。 ② 顔面,頸部に直径5cm程度以上の目立つ醜状線状痕を有するもの。 ③ 瘢痕により口唇及び眼瞼の変形が特に目立つもの。 ④ 衣服で隠れる部分の瘢痕については,色素の沈着又は脱失若しくは組織の隆起,皮膚の深い削創,広範囲にわたる瘢痕など特に醜形が著しいもの。 「広範囲にわたる瘢痕」とは,次によるものとする。両肩から両下肢の膝までと両上肢の上腕部分の前面又は後面の3分の1程度以上に目立つ醜状瘢痕を有するもの。なお,3分の1程度に満たない場合は,組織の隆起,色素の沈着の度合い又は他の部分の瘢痕を加味する。 2 争いのない事実(末尾に証拠等の記載がないもの)及び証拠等により容易に認められる事実 (1) 原告らは,昭和20年8月6日当時,国民義勇隊の一つとして広島県大竹市に設置された大竹義勇隊の元隊員であり,援護法2条3項3号にいう「準軍属」に該当する者である。 (2) 原告らは,昭和20年8月6日,大竹義勇隊の職務として広島市内に建物疎開作業に出勤する途中,被爆した。(弁論の全趣旨) (3) 原告ら(原告K,原告J及び原告Lを除く。)は,平成10年1月9日,原告K及び原告Jは,同月20日,被告大臣に対し,援護法に基づく障害年金の支給請求を行ったところ,被告大臣は,平成10年7月6日,上記各請求をいずれも却下する旨の裁定をした(甲1ないし8,15)。 (4) 原告ら(原告Lを除く。)は,同年12月24日,被告大臣に対し,異議申立てをしたところ,被告大臣は,平成11年7月6日(ただし,原告F,原告Kについては同月19日),上記申立てをいずれも棄却した。 (5) 原告Lは,被告大臣に対し,平成10年12月24日,援護法に基づく障害年金の支給請求を行ったところ,被告大臣は,平成12年2月4日,同請求を却下する旨の裁定をした(以下,(3)の裁定と合わせて「本件各処分」という。)。 (6) 原告Lは,同月25日,被告大臣に対し,異議申立てをしたところ,被告大臣は,同年9月7日,上記申立てを棄却した。 3 争点 (1) 認定基準及び認定方法の合理性。 (2) 第5款症所定の障害に該当するか否か。 (3) 国家損害賠償請求の可否。 4 争点(1)(認定基準及び認定方法の合理性)に関する当事者の主張 (1) 被告大臣の主張 ア 認定基準 援護法の障害年金を受給するためには,請求者の障害の程度が,第5款症例示の障害以上の状態にあることが必要である(援護法7条1項)ところ,原爆の被爆による醜形については第5款症に規定がないため,その症状が第5款症例示の障害に準じて査定されることになるから,原爆被爆による醜形が第5款症例示の障害以上の状態にあるか否かの判断は,厚生労働大臣の専門的・技術的な裁量にゆだねられている。そして,その認定事務の統一・公平性,迅速・適正のためには,一定の基準を作成することが必要であり,このため,当時の厚生大臣は,昭和50年の基準を定め,その後国民義勇隊員として出動した際に被爆して瘢痕を負った女性から障害年金の請求がまとめてなされ,その後も同様の請求が見込まれたことから,医学的専門知識等を有する者等から構成される援護審査会小委員会等の意見を聴いた上で,平成3年の基準を定め,さらに,平成10年には,上記援護審査会小委員会等の意見を聴いた上で,平成3年の基準の「衣服で隠れる部分の瘢痕については,色素の沈着又は脱失若しくは組織の隆起,皮膚の深い削創,広範囲にわたる瘢痕など特に醜形が著しいもの」との定めのうち「広範囲にわたる瘢痕」を具体的に示す基準を定めたのである(平成10年の基準)。 第5款症例示の障害は,いずれも,眼,耳,手の指及び足の指における重要な身体機能の障害であり,日常生活活動に支障があるものである。瘢痕を,上記の症状と同等のものとして,それらに準じた取扱いを行うためには,単に露出する部分に醜状が認められるというだけで,大きさも程度も不問とすることは相当でなく,日常生活に支障があることを要するとすべきである。この点からすれば,平成3年の基準が,日常露出する部分における瘢痕については,単に瘢痕があるというだけではなく,その大きさ及び程度において特に目立つものであることを,日常露出しない部分における瘢痕については,色素の沈着等,特に醜形が著しいものであることを,それぞれ要するとしたことには,十分な合理性がある。さらに,平成10年の基準は,平成3年の基準にある「広範囲にわたる瘢痕」が抽象的なものであったことから,これを「両肩から両下肢の膝までと両上肢の上腕部分の前面又は後面の3分の1程度以上に目立つ醜状瘢痕を有するもの。なお,3分の1程度に満たない場合は,組織の隆起,色素の沈着の度合い又は他の部分の瘢痕を加味する。」と具体的に規定したのであり,この程度の瘢痕があってはじめて衣服で隠れる部分の瘢痕により日常生活に支障があるといえるとしたことには,十分な合理性がある。 以上のとおり,平成3年の基準及び平成10年の基準は,援護法の趣旨及び内容に適合したもので,かつ,適正な手続によって制定されたものであって,厚生大臣にゆだねられた裁量権の範囲内において制定された合理的なものである。 イ 認定方法 障害の認定方法は,その性質上,被告大臣の専門的・技術的裁量にゆだねられているところ,被告大臣は,請求者の障害を直接視認することは行っていないものの,平成3年の基準及び平成10年の基準に基づき,過去の裁定例を参考にしつつ,援護審査会小委員会等の意見を聴取し,請求者からの請求書及び添付書類(医師の診断書,請求者が提出する写真等)を審査することにより,厳格かつ適正に行っている。本件においては,原告らから提出された医師の診断書及び原告らの瘢痕の状態を判断するに当たって十分明瞭な写真により原告らの瘢痕の状況を十分に確認した上で審査したものである。したがって,認定方法も合理的である。 ウ 原告らの主張について 原告らは,「平成3年の基準は,昭和50年の基準が定めた第5項症2号所定の障害に関する基準と同じものであり,原告らを排除するために,第5項症より相当程度軽い障害である第5款症に第5項症と同じ基準を恣意的に用いたものであるから,適正ではない。平成10年の基準も同様である。」と主張する。しかし,昭和50年の基準が定めた第5項症に関する基準と平成3年及び平成10年の各基準が定めた第5款症に関する基準とは,同一ではない。特に,昭和50年の基準が定めた第5項症に関する基準には,醜形の格段の重大性を意味する「相当程度の」という文言があり,これが第5款症に関する基準との大きな違いとなっている。また,昭和50年,平成3年及び平成10年の各基準が定めた第5款症に関する基準は,いずれも一貫した内容であり,この点からすれば,原告らを恣意的に排除する目的で平成3年の基準を制定したものでないことは明らかである。したがって,原告らの上記主張は根拠がない。 また,原告らは,「原告らは,醜状が残ったことから,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」という。)による保健手当の支給を受ける者として認定された。それにもかかわらず,被告は,援護法上の障害年金支給相当の障害に該当しないと判断しているのであり,この判断は明らかに均衡を失するものである。」旨主張する。しかし,被爆者援護法と援護法とは制度趣旨が異なり,各制度が個々の制度趣旨等を踏まえてそれぞれの判定基準を設けているのであって,障害該当性の判断は,行政の専門的・技術的な裁量による。したがって,被爆者援護法において保健手当を受給した者が,援護法上の障害年金を受給できないからといって,明らかに均衡を失しているとはいえない。 さらに,原告らは,「露出する部分に醜状が認められるならば第5款症に該当するという基準を立てるべきである。」と主張する。しかし,前記のとおり,瘢痕を,第5款症に列挙された症状に準じて取り扱うに当たり,単に露出する部分に醜状が認められるというだけで,大きさも程度も不問とすることは相当でないことは明らかであるから,原告らの主張は失当である。 (2) 原告らの主張 ア 認定基準の不合理性 (ア) 昭和50年の基準について 同基準は,第5項症の「頭部,顔面等に大なる醜形を残したるもの」に当たる基準として,「醜形の部位」は頭部,顔面,頸部並びに日常露出すべき上肢及び下肢で,醜形が特に著しい日常露出しない部位を含み,「大なる醜形」とは女子の場合,「①頭部,顔面及び頸部にある相当程度の瘢痕で他人の注目を引く程度のもの,②上肢及び下肢等にある瘢痕で①と同視することが相当と認められる程度のもの」と定めている。これに対し,同基準は,恩給法別表第1号表の3に定める障害に当たる女子の顔面醜形について,「①顔面,頸部に3cm以上の明瞭な隆起及び陥没する醜状瘢痕を認めるもの,②顔面,頸部に5cm以上の醜状線状痕を認めるもの,③顔面,頸部以外の露出する部分に相当の醜状を認めるもの等」という基準を定めており,この基準は,別表第1号の3の第1款症から第5款症のうち,どれに該当するかを明確にしていないから,上記①②③等の基準は「款症」に該当するための大まかな基準を例示として挙げたものに過ぎない。そして,第5款症は第1款症よりも障害の程度が軽いことからすれば,第5款症の認定は上記①②③等の基準に拘束されることなくなされるべきである。 (イ) 平成3年の基準及び平成10年の基準について 第5款症の定める障害は第5項症のそれよりも相当程度軽いものであり,第5款症による障害年金額は第5項症のそれの約5分の2以下である。ところが,被告大臣は,昭和50年の基準が定めた第5項症に関する基準と同じ内容で第5款症に関する平成3年の基準を定めており,平成3年の基準を定めたのは,大竹市住民が国民義勇隊として被爆したことを理由に「第5款症」の障害年金の請求をした際,その身体の醜形が第5款症に該当するか否かを判断するためであったことからすれば,被告大臣は,大竹市住民らによる第5款症の障害年金の請求を排除するため,恣意的に第5項症と同程度の高い基準を求める平成3年の基準を定めたといわざるを得ない。そうすると,平成3年の基準は適正なものとはいえない。平成10年の基準も平成3年の基準を踏襲しているので同様である。 (ウ) 第5款症の障害の程度 以上から,原告らの瘢痕が第5款症に該当するか否かは,被告大臣の定めた基準に拘束されることなく,恩給法別表第1号の3の定めに従って判断されるべきである。その際には,第5款症は援護法の中で一番軽い障害の程度を指すものであること,障害年金額で比較するならば第5項症と比べ約5分の2以下という相当軽い障害の程度を指すものであること,原告らは原子爆弾により被爆して身体の醜形が生じたこと等を加味すべきである。したがって,結論的には,原告らの露出する部分に醜状が認められる場合には,第5款症に該当するという基準によるべきであり,原告全てが第5款症に該当すると認定すべきである。 イ 認定方法の合理性について (ア) 原告らは,いずれも,被爆者援護法に基づく保健手当の支給を受けており,同法28条3項が定める「厚生省令で定める範囲の身体上の障害」の別表第1の17の障害,すなわち「頭部,顔面等に日常生活を営むのに著しい制限を受ける程度の醜状を残すもの」に該当するとの認定を受けた者である。この「頭部,顔面等の醜状」の認定基準は,昭和56年7月9日付の厚生省公衆衛生局長通知により定められており,これによると,『おおむね労働者災害補償保険法別表第1の12級以上に該当する程度の瘢痕を有する状態をいうものであること』と定められ,この瘢痕とは,女子の場合にあっては,例えば顔面部の10円銅貨大以上の瘢痕又は長さ3cm以上の線状痕,頭部又は頸部の鶏卵大面以上の瘢痕や上肢又は下肢の露出面の3分の1以上の瘢痕等をいうと定められている。 本件障害年金は,厚生省(現厚生労働省)の社会・援護局が,請求者の頭部,顔面,体幹,上下肢等の醜形や知覚障害等が援護法に基づく障害に該当するか否かを判断して行われるものであるが,一方で,被爆者援護法に基づく前記保健手当についても,厚生省(現厚生労働省)から委任を受けた都道府県知事が当該障害が保健手当の認定の対象となるものか否かを判断するものである。したがって,保健手当が,援護法とは別の法律に基づくとはいえ,本件の原告らが前記のとおり「厚生省令で定める範囲の身体上の障害」の別表第1の17の障害に該当するとして保健手当の認定を受けている以上,本件障害年金に該当する障害に当たらないとする被告の判断は明らかに均衡を失した誤ったものである。 (イ) 被告は,審査の資料として,医師の診断書や瘢痕の状態等を写した写真のみを用い,実際に視認していない。このような方法は,瘢痕の状態等を把握するには著しく不十分であり,被告の認定方法も相当でない。 5 争点(2)(第5款症所定の障害に該当するか否か。)に関する当事者の主張 (1) 原告らの主張 仮に,被告が主張するように,平成3年の基準及び平成10年の基準が認定基準として正当性・合理性を有するとした場合,同基準によっても,原告らの瘢痕は,いずれも第5款症に相当する。なお,文中の①ないし⑧は,前記「1 法令等の定め」の(3)に記載の平成3年の基準の「醜形による症状等差の具体的査定ポイント」中の番号を示す。 ア 原告A(甲22,34) (ア) 日常露出する部分について 顔面の中央部という目立つ部分の皮膚にてかりや引きつれがあり,その大きさは,縦5cm,横8cmに至るものであって,①に該当する。また,頸部近くにも手のひら大の大きい皮膚変色があり,①に該当する。顔面に少なくとも2か所のてかり,引きつれがあり,頸部近くに手のひら大の皮膚変色があるので,④に該当する。両上肢の広範囲に皮膚の色素の脱失,てかり,引きつれなどがあり,⑤に該当する。右手・右腕に広範囲に色素の脱失や黒斑点があり,上記のような顔面・頸部等に醜形があるので,⑦にも該当する。 (イ) 衣服で隠れる部分について 右大腿部に明らかな色素の脱失,組織の隆起があるほか,右膝下,足首にも明らかな色素の脱失・沈着があり,基準に該当する。 なお,鑑定人は,「右足関節部に色素沈着を伴う手掌大の萎縮性瘢痕を認める」とし,この萎縮性瘢痕が「被爆が原因であるとの可能性は否定できない。」としておきながら,結論において「周辺皮膚に比べて色調が赤く,受傷後の経過年数が比較的浅いものである可能性が考えられる。したがってこれが瘢痕であることは認められるとしても,上記原子爆弾被爆による熱傷による瘢痕であることの蓋然性が高いとはいえない。」と結論付けている。しかし,鑑定人は,鑑定時に右瘢痕を診察しておらず,写真(乙10)により上記判断をしているが,この瘢痕が原子爆弾被爆による熱傷瘢痕であることは間違いなく,前記鑑定人の結論は誤りである。そして,この萎縮性瘢痕は平成3年の基準の⑥に該当することは明らかである。 (ウ) 鑑定人は,右前腕に11×7cm大のやや目立つ萎縮性瘢痕,右膝関節部に,右大腿部からつながる地図状脱色素斑,右大腿部に,右大腿から右膝にかけて19×10cm大の地図状脱色素斑があることを認め,さらに,左胸部に1×11cm大,右胸部に7.3×1.7cm大の脱色素斑を認めており,これに前記右足関節部の萎縮性瘢痕を加えると,平成3年の基準の⑦若しくは⑧に該当することは明らかであり,前記鑑定結果は誤りである。 イ 原告B(甲23,35) 頸部に沿っておよそ横12cmにわたり,瘢痕が残っており,②に該当する。また,顔の中央部である鼻,唇にてかりや色素の沈着があり,頸部の瘢痕を含め3か所の瘢痕を有するので,④に該当する。両上肢に引きつれ・てかりを有する目立つ瘢痕があり,⑤に該当する。特に左上肢に明確な皮膚組織の隆起があり,⑥に該当する。また,上記のような顔面,頸部の瘢痕があるので,⑦にも該当する。 ウ 原告C(甲24,36,50,原告C本人,鑑定の結果) (ア) 日常露出する部分について 頸部の周囲を取り囲むようにして,前胸部にはっきりとした5cmを超えた三日月状の醜状線状痕(鑑定書では脱色素斑)が残り,これ単独でも平成3年の基準の②に該当する。顔面の口周囲にも2か所の色素沈着が残り,これ単独でも平成3年の基準の④に該当する。両上肢には,それぞれ複数の目立つ引きつれ(鑑定書では脱色素斑)があり,その中には瘢痕も認められ,人目を引くために長い間半袖の服を着ることもできなかったもので,これも同基準の⑤に該当する。さらに,右手の親指と人差し指の付け根がくっつく(拘縮が認められる)など手が変形しており,勤務先の銀行では人目に晒される窓口業務につきにくいこともあった程度で,先の両上肢の引きつれと併せて,同基準の⑥と⑦にも該当する。 (イ) 衣服で隠れる部分について 左右の両肩にそれぞれ脱色素斑が,左乳房にも同様に脱色素斑がある上,左右大腿部から膝関節にかけて広い範囲にわたり明らかなてかり,色素の脱失,皮膚組織の変形(表皮の萎縮)があり,平成3年の基準の⑧に該当する。 (ウ) 以上のとおり,原告Cの被爆による様々な醜状は,それ自体が単独で平成3年の基準に該当するものである。鑑定人も,それぞれ個別には同基準に達しないが,総合的には同基準に該当すると考えるのが妥当との意見である。 エ 原告D(甲25,37,51,原告D本人) (ア) 日常露出する部分について 前額部という目立つ部位に,縦3cm,横6cm程度の皮膚の組織の隆起があり,①に該当する。上記の外,左頬部の皮膚組織の変形,眉間の線状痕があり,2か所以上の目立つ瘢痕を有するから,④に該当する。両上肢に,皮膚組織の変形や広範囲にわたる色素の脱失・てかりがあるので⑤に該当する。右上腕に色素脱失や5.5cm×1.1cm大及び4.5cm径の瘢痕がある。さらに,目立つ部位である右前腕は熱傷により化膿し腐って陥没した状態になり,約10年の年月をかけて盛り上がって現在の形状まで回復した。そのため,著しい表皮萎縮を伴う,6cm×8cm大の瘢痕が残り,右上肢だけで⑥に該当する。両上肢のほか,上記のとおり前額部に目立つ瘢痕や後記のとおり胸部に色素脱失・色素沈着があり,⑦に該当する。 (イ) 衣服で隠れる部分について 中央部に約5cm径のV字型の色素沈着があり,胸には縦方向に幾筋も瘢痕ないし色素脱失があり,紐状という特徴的な形状を持ち,目立っており,基準に該当する。 オ 原告E(甲26,38) (ア) 日常露出する部分について 顔の前額部の目立つ部分に縦3cm,横5cm程度の色素の沈着が残り,その他にも右頬部全体及び左頬部全体にも皮膚の色素の沈着があり,皮膚も突っ張っている。さらに,顔の右眉部に皮膚組織の隆起が,鼻部にも肉が盛り上がっている感じ(組織の隆起)や色素の沈着があり,2か所以上の瘢痕があるから,これらを併せて考えれば,平成3年の基準の③,④に該当する。両上肢の前腕には皮膚のてかりがあるほか,右手には甲の部分からひきつれ(拘縮)があって小指が伸ばせない程度に皮膚が変形しており,左手は人差し指と中指の付け根から甲にかけて引きつれがあり,小指も伸ばせず,同基準の⑤,⑥に該当する。また,両上肢のほか,顔面に瘢痕があり,同基準の⑦に該当する。 (イ) 衣服で隠れる部分について 前胸部には,鎖骨の下辺りから,皮膚組織が隆起したり凹んだりした醜状が残り,右肩には傷跡が白く変色して目立ち,左肩も手のひら大の白い傷跡が残っており,これらを併せれば平成3年の基準の⑧に該当する。 カ 原告F(甲27,39) (ア) 日常露出する部分について 顔面の両眼から下の部分全体にかけて,明らかなてかり(瘢痕)があり,「顔面に直径3cm程度以上の目立つ醜状瘢痕を有するもの」であるから,①に該当する。また,上記のほか,頸部付け根部分に熱傷による皮膚の変形があり,「2か所以上の瘢痕を有」し,また,下記のとおり「他に目立つ醜状瘢痕を有する」から,④に該当する。両上肢に色素の沈着があるほか,右手部分にははっきりとしたてかりと小指の変形が,左上肢には目立つ引きつれ,色素の脱失があり,「両上肢に目立つ醜状瘢痕を有するもの」として,⑤に該当する。また,左上肢は全体に色素の沈着が,傷部分は色素の脱失,組織の隆起があり,「片上肢に特に著しい醜形を有するもの」として,⑥に該当する。かかる両上肢の瘢痕に加え上記顔面・頸部付け根部分に目立つ瘢痕があるから,「片上肢に目立つ醜状瘢痕を有」し,「他にこれに相当する醜状瘢痕を有するもの」として,⑦にも該当する。 (イ) 衣服で隠れる部分について 左腕の付け根に色素の脱失,皮膚の隆起がある。また,胸部全体にてかる瘢痕があり,広範囲にわたっているから,「特に醜形が著しいもの」として,基準に該当する。 (ウ) なお,鑑定人は,下記のとおり,瘢痕,色素脱失が認められるとし,これらについては,被爆による熱傷によるものと考えられる旨述べている(鑑定書14頁)。 a 左上肢に7×3cm大の脱色素斑を伴う瘢痕 b 上腕から腋窩にかけて1.3×10cm大の脱色素斑を伴う瘢痕 c 同所に4×1.3,2.2×4,4×8cm大の線状の脱色素斑 d 同所に7.6×2.3cm大の線状瘢痕 一方で,鑑定人は,「いずれも目立つ醜状瘢痕あるいは広範囲の瘢痕ということができない。」旨結論付けている。しかしながら,鑑定人は,原告Fの顔面・頸部・胸部の瘢痕を無視しており,また,両上肢の脱色,瘢痕の評価の点でも明らかに誤っている。 キ 原告G(甲28,40) (ア) 日常露出する部分について 頸部に長さ4×11cmの三日月状の色素脱失がある。補充鑑定書において鑑定人は,この頸部の色素脱失をもって,「醜形」と認めながら,組織の隆起及び陥凹が明らかでないことを理由に「特に目立つ」醜形には当たらないとして基準該当性を否定する。しかしながら,この判断は,医学的観点を重視しすぎた誤ったものである。各基準では,「女子」と「男子」に異なる判定基準を用いていること(乙6,8),衣服に隠れる部分に比べ,顔面や頸部という人の注目が集まりやすい部位については小さい範囲でも該当性を認めていること等からすると,該当性を判断するに当たっては,醜形を人前に晒して日々生活を続けていかなければならない女子の精神的苦痛を考慮する必要がある。とすれば,他の一般の人からみて「目立つ」かどうかが,その程度を判断するにおいて,まずは重要であるというべきであり,医学的な醜形の程度判断とは異なる見地から判断されるべきと解する。原告Gの頸部の瘢痕は,たしかに組織の隆起や陥凹などは見られないが,その範囲の大きさ,色素脱失の程度及びその形状や大きさ等からして,一般人の目からみて一見して「目立つ」ものである。したがって,原告Gの頸部脱色素斑は,平成3年の基準①「頸部に3cm程度以上の目立つ醜状瘢痕を有するもの」ないし②「頸部に5cm程度以上の目立つ醜状線瘢痕を有するもの」及び平成10年の基準の「頸部に直径3cm程度以上の目立つ醜状瘢痕」に当たるというべきである。 右上肢(右肘窩から右前腕)にかけて3×4cmの瘢痕,皮膚の引きつれがあり,引きつれ部分にははっきりと色素の脱失も見られ,平成3年の基準の⑥に該当する。また,上記頸部瘢痕と右上肢の瘢痕等を併せると,同基準の⑦にも該当する。 (イ) 衣服で隠れる部分について 両肩にはっきりと分かる色素の脱失及び皮膚組織の変形があり,醜形著しいものといえ,平成3年の基準⑧に該当する。 ク 原告H(甲29,41) 日常露出する部分について,左こめかみ部分及び頸部の2か所に明らかな瘢痕を有するから,平成3年の基準④に該当する。 ケ 原告I(甲30,42) 日常露出する部分について,両上肢には,広範囲にわたり瘢痕,色素沈着ないし色素脱失があるから,平成3年の基準⑤に該当する。特に左上肢には,皮膚の隆起があって,目立つ瘢痕あるから,それ単独でも⑥に該当する。 コ 原告J(甲31) 日常露出する部分について,右手甲に5×3cm大の脱色素斑がある。また,前胸部から左頸部,左肩にかけて,頸を取り囲むように22×17.5cm大の帯状の湾曲した脱色素斑がある。 鑑定人は,上記胸部の脱色素斑につき,「衣服で隠れる範囲」であると分類しつつ,反面,「4の部位については,その部位と形状に特徴があり,夏季に襟首が比較的大きく解放された服装で熱線を受けるか,」とする。つまり,上記胸部の脱色素斑は,前胸部から左頸部,左肩という,夏季の服装を着用している場合,日常露出する部分に該当するのであるから,「頸を取り囲むように22×17.5cm大の帯状の湾曲した脱色素斑」は,平成3年の基準の①に該当する。この点,補充鑑定書において鑑定人は,胸部の脱色素斑につき,「特に目立つ醜状瘢痕ではない」とするが,これは鑑定人が,上記胸部の脱色素斑が,衣服で隠れる部分であることを前提にしていたために「特に」という要件を重視したことによる。しかし,胸部の脱色素斑は,日常露出する部分なのであるから,「特に」目立つ必要はなく,「目立つ」ものであればよい。そして,この胸部脱色素斑は,補充鑑定書によれば,「周囲の皮膚と比較すると色調が薄く,違いを認識することができる」のであるから,「目立つ」ものといえる。 また,右手甲の5×3cm大の脱色素斑は,上記の「頸を取り囲むように22×17.5cm大の帯状の湾曲した脱色素斑」と併せて,同基準の⑦に該当する。 サ 原告K(甲32) (ア) 日常露出する部分について 顔面の鼻,頬,顎にかけて,熱傷により,皮膚がでこぼこに変形しているのが明らかであり,「顔面に直径3cm程度以上の目立つ醜状瘢痕を有するもの」として,平成3年の基準の①に該当する。また,上記のほか,頸部に色素の沈着があり,「2か所以上の瘢痕を有」し,「他にこれに相当する醜状瘢痕を有するもの」として,④に該当する。右上肢に明らかな皮膚の引きつれ,手指の拘縮を含む皮膚の変形があり,左上肢には,関節部の拘縮を含む皮膚の引きつれ,色素脱失,てかりがあるから,「両上肢に目立つ醜状瘢痕を有するもの」あるいは,「片上肢に特に著しい醜形を有するもの」として,⑤,⑥に該当する。また,両上肢のほか,上記のとおり顔面・頸部に目立つ瘢痕があり,「片上肢に目立つ醜状瘢痕を有」し,「他にこれに相当する醜状瘢痕を有するもの」として,⑦に該当する。 (イ) 衣服で隠れる部分について 体躯左脇部分の瘢痕を含め,両肩の付け根及び両腕に明らかな瘢痕があり,著しい皮膚の組織の変形や色素脱失があるから,「特に醜形が著しいもの」として,基準に該当する。 (ウ) なお,鑑定人は,下記のとおり瘢痕,色素脱失が認められるとし,これらについては,被爆による熱傷によるものと考えられる旨述べる(鑑定書23頁)。 a 左前腕に13×5cm大の瘢痕及び脱色素斑 b 左手関節に拘縮 c 左肩に5×8cm大の瘢痕と,5.2×9.4cm大の脱色素斑及び色素斑 d 右肩に9.3×3.2cm大の脱色素斑,その中の7.5×0.5cm大の瘢痕 e 右前腕伸側に7×6cm大の萎縮性瘢痕 f 右第2,第4趾間の拘縮,変形, g 右第5指関節の拘縮,運動障害 h 左脇窩から胸部にかけて5.5×4cm大の脱色素斑 上記より,鑑定人は,被告Kの上記所見が,平成3年の基準に該当する可能性は高い旨述べている(鑑定書24頁)。 シ 原告L 日常露出する部分について,原告Lには,右内眼角から上,下眼瞼にかかる範囲に,1.8×0.3cm大の拘縮がある。また,右前腕に7×6cm大の萎縮性瘢痕があり,周囲に軽度の拘縮を伴っている。また,右鎖骨部に7×0.4cm大の線状の瘢痕があり,そのうち2cmは隆起しており,色調は,一部軽度白色を帯びている。 この点,鑑定人は,鑑定書において,上記鎖骨部の瘢痕について,衣服で隠れる範囲であるという。しかし,原告Lが鎖骨部に被爆による瘢痕ができるに至ったのは,襟首が開放された服装で原爆の熱線を受けたためである。したがって,鎖骨部は,夏季の服装を着用している場合,日常露出する部分に該当するのである。ところで,補充鑑定書において,鑑定人は,右前腕の瘢痕に付き,「人目に付く瘢痕,すなわち『醜状瘢痕』と認められる。」としながら,「しかし(中略)その程度は『目立つ醜状瘢痕』とはいえない。」という。しかしながら,「人目に付く」ことこそが「目立つ」ことにほかならないのであるから,この説明は自己矛盾である。したがって,原告Lの,右前腕に7×6cm大の萎縮性瘢痕があり,周囲に軽度の拘縮を伴っている状態は,目立つ醜状瘢痕といえ,平成3年の基準の2の⑦に当たる。また,百歩譲って,右前腕だけでは同基準に当たらないとしても,右内眼角から上,下眼瞼にかかる範囲の拘縮及び右鎖骨部に7×0.4cm大の線状の瘢痕と相まって,平成3年の基準の⑦に当たる。 (2) 被告大臣の主張 ア 原告らの瘢痕は,平成3年及び平成10年のいずれの基準からみても,第5款症に当たらない。 イ 原告A 衣服で隠れる胸部及び大腿部の瘢痕は薄く,広範囲でもないので,特に著しい醜形があるとはいえない。足関節部にも特に著しい醜形があるとはいえない。右上肢,鼻の瘢痕ははっきりしない。 ウ 原告B 頸部及び鼻の瘢痕ははっきりしない。右上肢,左手甲から腕関節にかけては目立つ醜状瘢痕があるとはいえない。 エ 原告C 右手甲を含めて両上肢には目立つ醜状瘢痕があるとはいえない。顔面の瘢痕及び頸部線状痕は薄くて目立たない。衣服で隠れる両肩及び胸部の瘢痕は薄く,両大腿部の瘢痕も色素の沈着等があるとはいえず,特に著しい醜形があるとはいえない。M教授による意見書(乙23)においても基準における基準に該当しないとされている。 もっとも,鑑定人は,「①両大腿部の広い範囲にわたる色素脱失があり,両大腿,肘部の所見は露出部と非露出部の境界部でもあり,衣服のデザインによっては容易に他の人の目につきやすい場所である,②頸部から前胸部にかけて5cmを超える脱色素斑があり,これは衣服では覆いにくい部分である,③右第1指-2指間には軽度の拘縮があり,僅かではあるが機能的な障害を伴うものと認められる。上記①ないし③の各々は基準における基準には達していないものの,総合的には基準における基準に該当すると考えるのが妥当である。」旨意見を述べ(鑑定書8頁),補充鑑定においても,平成3年の基準の⑦の基準を満たす可能性があるとして同趣旨の意見を述べている。その前提として,鑑定人は,障害年金請求裁定例集には,個々の瘢痕あるいは色素異常が「特に目立つ」あるいは「特に著しい醜形」とはいえず,厳密には基準における基準を満たすとはいい難い場合でも,明らかに目立つ瘢痕,拘縮などの要件が3点以上存在した場合には認定された例が存在し(上記裁定例集の認容例番号33及び35),「特に著しい醜形」とはいえないまでも目立つ瘢痕,色素異常ないし拘縮などの機能異常が3点ないし3領域以上にわたって認められたものについては,基準に該当する可能性があると判断している。 しかし,平成3年の基準及び平成10年の基準のいずれにおいても,「『特に著しい醜形』とはいえないまでも目立つ瘢痕,色素異常ないし拘縮などの機能異常が3点ないし3領域以上にわたって認められるもの」などという基準は存在しない。また,M教授による意見書(乙32)によると,認容例番号33の事例は,胸部に明らかに色素脱失を伴う瘢痕が,両肩から両胸部に及ぶ比較的広範囲に認められ,この瘢痕は,平成10年の基準における「衣服で隠れる部分の瘢痕」のうちの「広範囲にわたる瘢痕」である「3分の1程度以上に目立つ醜状瘢痕を有するもの」に該当し,したがって,平成3年の基準の⑧の「広範囲にわたる瘢痕」に該当するものであり,認容例番号35の事例は,胸部の瘢痕は,両肩部に明らかな色素脱失を伴う瘢痕が認められ,右腋窩前方の右胸部には明らかな組織の隆起を伴った線状の瘢痕が認められ,この瘢痕は,平成10年の基準における「3分の1程度以上に目立つ醜状瘢痕を有するもの」には該当しないが,「3分の1程度に満たない場合は,組織の隆起,・・・を加味する。」によれば「広範囲にわたる瘢痕」に該当し,したがって,平成3年の基準の「広範囲にわたる瘢痕」に該当するものであり,認容例番号33及び認容例番号35はいずれも,同基準に該当することから第5款症に該当すると判断されたものであって,鑑定人がいうところの「『特に著しい醜形』とはいえないまでも目立つ瘢痕,色素異常ないし拘縮などの機能異常が3点ないし3領域以上にわたって認められるもの」として第5款症に該当すると判断されたものではない。また,原告Cが障害年金の請求時に提出した恩給診断書(甲36)には当該障害についての記載はなく,被告大臣は当該障害についても判断した上で却下処分をしたのではないから,これについては本件訴訟において審理の対象とすることはできないし,当該障害は第5款症として列挙されている「一側中指の機能を廃したるもの」や「一側環指を全く失いたるもの」に相当する障害の程度以上であるとも認められない。 したがって,原告Cについて,総合的には基準に該当するとする鑑定人の意見は,誤っている。 オ 原告D 左右の眉の上の瘢痕ははっきりしない。両上肢には目立つ醜状瘢痕があるとはいえない。衣服で隠れる胸部の瘢痕は薄く,広範囲でもないので,特に著しい醜形があるとはいえない。 カ 原告E 両肩及び顔面の瘢痕はともにはっきりしない。 キ 原告F 顔面の瘢痕ははっきりしない。衣服で隠れる左肩及び左上腕の瘢痕は薄く,広範囲でもないので,特に著しい醜形があるとはいえない。左上肢にも特に著しい醜形があるとはいえない。 ク 原告G 頸部の瘢痕ははっきりしない。衣服で隠れる両肩の瘢痕は薄く,広範囲でもないので,特に著しい醜形があるとはいえない。 ケ 原告H 左こめかみ及び頸部の瘢痕ははっきりしない。 コ 原告I 両上肢には目立つ醜状瘢痕があるとはいえない。 サ 原告J 鼻の下及び右頬の瘢痕ははっきりしない。衣服で隠れる両肩及び胸部の瘢痕は薄く,広範囲でもないので,特に著しい醜形があるとはいえない。右手の甲にも特に著しい醜形があるとはいえない。 シ 原告K 鼻の瘢痕ははっきりしない。衣服で隠れる両肩の瘢痕は薄く,広範囲でもないので,特に著しい醜形があるとはいえない。左上肢にも特に著しい醜形があるとはいえない。M教授による意見書(乙第23号証)においても基準に該当しないとされている。 もっとも,鑑定人は,両前腕の症状がもっとも醜形の程度が強く,平成3年の基準⑤の「両上肢又は両下肢に目立つ醜状瘢痕を有するもの」に該当する可能性があるが,その程度は軽度で,これらの瘢痕だけで目立つ醜状瘢痕と判断するのは困難であるが,右2-4指間には軽度の拘縮があり,両肩部には比較的大きな色素脱失を伴うことも勘案すれば,同基準に該当する可能性が高いと考えられるとしている(鑑定書24頁)。しかし,平成3年の基準及び平成10年の基準のいずれにおいても,「『特に著しい醜形』とはいえないまでも目立つ瘢痕,色素異常ないし拘縮などの機能異常が3点ないし3領域以上にわたって認められるもの」などという基準は存在しないし,また,認容例番号33及び認容例番号35はいずれも,同基準に該当することから第5款症に該当すると判断されたものであって,鑑定人がいうところの「『特に著しい醜形』とはいえないまでも目立つ瘢痕,色素異常ないし拘縮などの機能異常が3点ないし3領域以上にわたって認められるもの」として第5款症に該当すると判断されたものではない。また,原告Kが障害年金の再請求時に提出した恩給診断書(乙33)には,右2-4指間の障害について記載がなく,被告大臣は当該障害について判断した上で本件処分をしたのではないから,当該障害については本件訴訟において審理の対象とすることはできない。 なお,鑑定人は,右第5指の関節には拘縮があり,軽度の運動障害があると指摘している(鑑定書23頁)が,平成3年の障害年金請求時の恩給診断書(乙34)に「右小指は伸展位で瘢痕拘縮のため40°屈曲位をとる」との記載があり,平成4年の異議申立請求の際には,申立書(乙第35号証)に「右手外側にケロイド・小指が曲がってのびない」,平成10年の再請求時には,「国民義勇隊員についての申立書」(乙36)に「ケロイドが残り右手小指がまがったまゝ」,恩給診断書(乙33)に「被爆直後より右Ⅴ指変形,可動制限あり」との記載がある一方で,「戦傷病者戦没者等援護法による障害年金の症状経過書」(乙37)に「爆風で叩きつけられたとき,右手の小指を骨折していました。」との記載があり,平成10年の異議申立ての際には,異議申立書(乙38)に「右手の指の変形について,原因がわからないと言われているようですが,私も原爆の爆風で吹き飛ばされた時骨折したのですが」との記載があり,その主張するところは一貫していないし,異議申立ての際の整形外科鑑定書(乙39)によると「XPより骨折は認められない。伸筋腱損傷によるもの。外的圧力が原因であり(突指等)火傷は無関係」ということであり,公務上の傷病(援護法7条1項)であるとは認められない。 したがって,原告Kが基準の基準に該当する可能性が高いとする鑑定人の意見は,その前提とするところを誤っており,また,本件訴訟において対象とすることができない障害を判断の対象としており,その結論において誤っている。 ス 原告L 顔面の瘢痕ははっきりしない。衣服で隠れる左肩及び背部の瘢痕は薄く,広範囲でもないので,特に著しい醜形があるとはいえない。右前腕にも特に著しい醜形があるとはいえない。 6 争点(3)(国家賠償請求の可否)に関する当事者の主張 (1) 原告らの主張 ア 厚生大臣の情報提供義務違反について そもそも援護法は,戦争によって国に殉じるという特別な犠牲を強いられた国民に対する国家保障の制度である。また,法治国家の理念からは,制定・改正した法律の規定する社会給付について,行政が国民に情報提供をすることが要請される。また,福祉立法である援護法の解釈基準となるべき憲法25条の福祉国家の理念からは,障害年金制度の実効性を確保するため,受給資格者に対する情報提供義務が導かれ,情報提供がなければ,たまたま知識を得た受給資格者とそうではない受給資格者の間に不平等が生じるから,憲法14条によっても情報提供義務が導かれる。さらに,福祉行政においても憲法13条又は31条の適正手続が保障され,その中には,法によって定められた福祉サービスを受ける権利を容易に知りうることまで含むと解するべきである。以上の点から,当時の厚生大臣は,情報提供義務を負っていたというべきである。 加えて,当時国会で国民義勇隊の被爆問題が議論されていたこと(甲70),玖珂町・大竹町国民義勇隊が広島市に建物疎開のため出動し被爆したことを示す国民義勇隊名簿があったこと(乙42,甲53),昭和27年12月25日大竹町国民義勇隊であった者の妻から弔慰金請求がなされていること(乙44)等から明らかなように,当時の厚生大臣や広島県は,大竹市に国民義勇隊として出動し被爆で醜形を負った住民が多数いたことを把握していた。また,当時の厚生大臣は,広島市やその周辺市町村では昭和45年援護法改正後醜形による障害年金の請求がなされているのに,大竹市では,これによる障害年金の請求が1件もないことから,大竹市では昭和45年改正の趣旨・内容が周知徹底されていないことを把握していた。したがって,当時の厚生大臣は,昭和45年改正により,準軍属であっても第5款症相当の障害を負った者であれば障害年金の支給を受けられるようになったことを,広島県を通し,特に大竹市住民に周知徹底する義務があった。具体的には,広報誌への掲載,テレビやラジオを通じての一般的広報のほか,医療機関や公民館等にポスターを貼ったりパンフレットを配布したり,地域の民生委員に障害年金の受給について周知すること,さらに,受給資格を有する可能性のある者に対して行う通知等の文書中に障害年金制度の存在及び内容を記載したりする等して,一般人が通常の注意をしていれば,制度の存在を知り,内容を理解できる程度の情報提供を行うべきであった。 ところが,当時の厚生大臣は,上記のような周知徹底のための措置を講じることを怠り,このため,玖珂町・大竹町国民義勇隊の一般隊員であった多くの者は,平成元年8月15日,「広報おおたけ」に,義勇隊で原爆によるやけどを負った者に対する障害年金の支給について相談会が開かれることが掲載されるまで,障害年金の請求ができることを知らなかった。 この点につき,被告は,①昭和50年,大竹市の住民である,海軍工員,職手(軍属)であった者から援護法に基づく障害年金の請求がなされ(乙64),②昭和59年12月15日にも大竹市の住民である学校報国隊員(準軍属)であった者から同様の請求があった(乙65)との事実をもって,大竹市においても援護法改正の趣旨及び内容が周知されていたと主張する。しかし,前記①は,海軍工員という軍属が負傷した事例であり,元傷痍軍人会から個別に連絡を受けて(乙35),大竹市を通さずに直接広島県に障害年金を請求した事例であって,大竹町国民義勇隊員であった者が障害年金を請求した事例ではない。前記②は大竹市住民であるが,どこの学校の生徒であるかは資料からは不明であり,しかも,乙65の障害年金請求書の受付印は『民生部市民課59・12・17受付』となっており,大竹市を通さずに直接広島県に障害年金を請求している事例である。このように,①,②は,大竹町国民義勇隊の一般隊員であった者に対し昭和45年援護法改正の趣旨・内容が周知されていた根拠にはならない。一方で,大竹町義勇隊の当時の幹部は既に死亡しており,また全国組織もないから,大竹町国民義勇隊員であった者は,県ないし大竹市の広報による方法しか昭和45年援護法改正の趣旨・内容を知ることはできなかったのであり,元隊員が原爆による醜形を理由に障害年金を請求した事例は,昭和45年改正から平成元年6月12日まで存在しない(甲59,証人N)。 以上によれば,当時の厚生大臣に周知徹底義務違反があることは明らかである。仮に,広報又は情報提供の方法・手段が厚生大臣の裁量にゆだねられていると解する場合でも,本件においては広報活動等による情報提供が著しく不足していることは明らかであって,裁量権の範囲を著しく逸脱しており,やはり違法である。よって,被告国は,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任を負う。 イ 損害 (ア) 逸失利益 鑑定人が指摘するように,「皮膚は生下時より間断なく外的刺激に晒され,加齢とともに色素沈着,色素脱失,皺襞,弾性低下などの変化を伴うので,障害を受けた部位の変化は相対的に目立ちにくくなる」のであるから,原告らが昭和45年援護法改正直後に障害年金の請求をしていれば,請求は認められていた確率は高く,当時の厚生大臣が情報提供をしていれば,原告らは障害年金を受給することができたはずであり,その逸失利益は別紙計算表記載のとおり,少なくとも合計2213万4875円にのぼる。原告らは各自,上記逸失利益額のうち500万円の支払を求める。 (イ) 慰謝料(選択的主張) 原告らは,当時の厚生大臣の前記周知徹底義務の懈怠により,昭和45年10月1日以降今日に至るまで,援護法による障害年金を受給できず,本件請求時に至っては,瘢痕が治癒してしまったために第5款症への該当性を否定されることを余儀なくされる可能性もある。このような点からすれば,当時の厚生大臣による前記違法行為は,原告らに対し,多大な精神的苦痛を与えたといえるから,国は,その精神的苦痛を慰藉する義務を負うところ,その額は,各自500万円を下らない。 (2) 被告国の主張 ア 原告らは,被告国には,法治国家の理念,国民に生存権を保障する憲法25条,平等権を定める憲法14条,幸福追求権を定める憲法13条及び適正手続を保障する憲法31条に基づき,障害年金制度の存在,内容について情報提供する義務があったにもかかわらず,情報提供義務を怠ったため,原告ら
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作成者:マリモ ---大部品 観光・リゾートホテル(施設) RD 19 評価値 7 部分は流用大部品になります 部品構造 部品定義部品 経営者(T21) 部品 特色:バーラウンジ 部品 ターゲットとする客層・経営理念 部品 玄霧藩国のシティホテル 部品 防火対策 部品 食事の提供 部品 部屋の施錠 部品 宿泊施設の概要と用途 部品 部屋のランク 部品 観光・リゾートホテル概要 部品 スタンダードクラス 部品 デラックスクラス 部品 スイート・クラス 部品 リゾートホテルとシティホテル 部品 豪華な食事 部品 貴重品の預かり 部品 多彩な併設施設 部品 結婚式場 部品 宴会場 部品 大浴場や温泉の設置 部品 レストラン 部品 宿泊部門 部品 飲食部門 部品 管理及び営業部門 部品 シティホテルの所在地 部品 客室の種類 部品 接遇とは 部品 付加価値を与える 部品 非常事態の想定 部品 避難計画の策定 部品 避難訓練の実施 部品 物資の備蓄 部品 非常時対応についての周知 提出書式 インポート用定義データ 部品構造 大部品 シティホテルチェーン「フレイヤのゆりかご」 RD 33 評価値 8大部品 「フレイヤのゆりかご」とは RD 5 評価値 3部品 経営者(T21) 部品 特色:バーラウンジ 部品 ターゲットとする客層・経営理念 部品 玄霧藩国のシティホテル 部品 防火対策 大部品 シティホテル(施設) RD 28 評価値 8大部品 観光・リゾートホテル(施設) RD 19 評価値 7大部品 設備とサービス RD 3 評価値 2部品 食事の提供 部品 部屋の施錠 部品 宿泊施設の概要と用途 大部品 観光・リゾートホテルの概要 RD 8 評価値 5部品 部屋のランク 部品 観光・リゾートホテル概要 部品 スタンダードクラス 部品 デラックスクラス 部品 スイート・クラス 部品 リゾートホテルとシティホテル 部品 豪華な食事 部品 貴重品の預かり 大部品 併設された設備 RD 5 評価値 3部品 多彩な併設施設 部品 結婚式場 部品 宴会場 部品 大浴場や温泉の設置 部品 レストラン 大部品 ホテルの従業員 RD 3 評価値 2部品 宿泊部門 部品 飲食部門 部品 管理及び営業部門 大部品 シティホテルとしての特色 RD 4 評価値 3部品 シティホテルの所在地 部品 客室の種類 大部品 接遇 RD 2 評価値 1部品 接遇とは 部品 付加価値を与える 大部品 非常時対応 RD 5 評価値 3部品 非常事態の想定 部品 避難計画の策定 部品 避難訓練の実施 部品 物資の備蓄 部品 非常時対応についての周知 部品定義 部品 経営者(T21) アガータ・エーデルワイスは「フレイヤのゆりかご」を創設した起業家である。宿泊施設の一従業員からキャリアをスタートした彼女は天性の才能ともいえる接遇のセンスを発揮してホテル経営の中核スタッフとなるまで昇格を重ね、その中途で掴んだ多くの上客から経営の指導を受けながらホテルチェーンを立ち上げることに成功してT21に騎士叙勲を受けるにいたった。 恋多き女性としても知られ、私生活の詳細は明らかにされていないながら、2回以上の結婚歴と少なくとも3人の実子がいることが知られている。現在独身であり、恋人とのデートシーンが時折スクープされている。 部品 特色:バーラウンジ 「フレイヤのゆりかご」のセールスポイントは、最上層にあるバーラウンジである。森の国である玄霧藩国では、昼は木々の間にこぼれる木漏れ日の風景が夜ともなると多くの灯りがまたたく幻想的な光景へ変わる。多くは魔力や燃料を使った灯火のまたたきであり、夜空をたまに行き交うマジカルポニーの交通も静音性が高いため高層階からの眺めはすばらしいと評判である。 バーラウンジではゆったりとした音楽とそれらの夜景を眺めながら、藩国特産の銘酒や美味しい軽食を楽しむことができる。 部品 ターゲットとする客層・経営理念 「フレイヤのゆりかご」はその経営理念として「日常の中の非日常」をコンセプトとしており、観光客だけではなく、年に数回(条件が許せばそれ以上でも構わないが)の”たまの贅沢”として国民が訪れたくなる施設を目指している。客室は快適な時間を過ごせるように整えられているが、レストランやバーラウンジは上質だがカジュアルさを残して手が届かなくはない価格帯をメインに設定されている。 そのための経営努力として、農業組合や林業組合の現場との連携を重視して中間マージンを配し、よいものを直接仕入れるようにバイヤーが努力を行っている、と言われている。 また優良企業として藩国からの助成金が支出されており、経営・取引先に関しての監査が行われている。 部品 玄霧藩国のシティホテル 森国である玄霧藩国では、ホテルの施設にも大樹が用いられ、複数の樹体で構成される。また、地形の段差を利用して上層階にふさわしい高度を得る試みもなされている。 階層移動は浮遊魔法による魔法エレベーターで行われる。 部品 防火対策 ホテルの外殻とするために樹木に魔法で働きかけて大木を育てるが、その際樹木の中に水を溜め込む空洞を要所要所に作ってもらい、火災のときには導管からの放水をうながす。(各部屋・通路の壁に、ここを破れが水が出るという印がつけてある) 樹木施設なので、基本的にスタッフ区画以外では火気厳禁とされており、室内の設備は不燃加工した木材を使用することで難燃性を高めている。 また、初期消火のための水の魔法使いスタッフが当直している。 部品 食事の提供 モーテルなどサービスが殆ど省略された場所を除きほとんどの宿泊施設では朝と夜などに食事を提供する場所が多い。設備にレストランを備えている場合や個室まで運んでもらえる場所などサービスの質は様々であり、その内容も地域や施設の種類、サービスの質に酔て大きく異なる。 部品 部屋の施錠 大抵の宿泊施設は個室ごとに鍵が用意され、客のプライベートが保証される。鍵の種類や質は施設によって異なりカードキー式のオートロックから簡易的なものまでさまざまである。 部品 宿泊施設の概要と用途 宿泊施設は宿泊を目的とした構造及び設備を主とする施設を設け、宿泊料を受けて宿泊及びその関連サービスを提供する。主に旅行や仕事の為の宿泊に使用される事が多い。提供されるサービスや施設によって異なり、一部の風営法に触れるものは政令によって制限されている。 部品 部屋のランク 観光やリゾート目的のホテルは部屋のランクや人数によって料金が分けられており、様々な種類の部屋が用意されている事が多い。大抵はスタンダード(標準)からスイートまで3~5段階ほどに分かれており、ランクによって大きくサービスが異なる。殆どの場合最上位の部屋の事をスイートと呼ぶ。松竹梅など言い方が変わる事はあるが概ね同じで大きな違いはない。 部品 観光・リゾートホテル概要 観光地・リゾート地に立地する宿泊施設である。サービスや設備が充実している場合が多く、その充実度によって価格が上下する。その様式は非常に多彩でありゆったりとくつろぎを与える事を主眼とする場所から多様な設備やサービスがてんこもりになっている場所などその地域や施設によって大きく違いが出る。 部品 スタンダードクラス 通常料金で泊まる事が出来るこの部屋はそれでもビジネスクラスより値が張るのが普通である。広々とした室内に電気ポッドや冷蔵庫、水差しなどが完備され、快適に過ごせるよう考えられた部屋でゆったり過ごすことが出来るのが大抵である。 部品 デラックスクラス デラックスクラスは部屋のランクの中でちょうど真ん中に当たるものだ。上等な部屋で少しふかふかすぎるくらいに思えるベッドからスタンダードと比較して広い部屋、食事のランクやサービスの向上などよりよい環境で過ごすことができる。 部品 スイート・クラス 大抵のホテルでの一番良いクラスのことをスイートクラスという。設備、景観、サービス等々においてホテルごとのもっともよい物が提供される。ウェルカムドリンクが用意されていたりマッサージやリラクゼーション、ルームサービスなどホテルごとに趣向を凝らした非日常のような体験を味わうことが出来る。 部品 リゾートホテルとシティホテル 観光地・リゾート地に立地する宿泊施設である。サービスや設備が充実している場合が多く、その充実度によって価格が上下する。その様式は非常に多彩でありゆったりとくつろぎを与える事を主眼とする場所から多様な設備やサービスがてんこもりになっている場所などその地域や施設によって大きく違いが出る。また同様にシティホテルと呼ばれるホテルが存在する。これらは都市の中心部や駅の周辺に作られる事が多いホテルで概ね似たようなサービスを受ける事が出来る。 部品 豪華な食事 大抵の場合リゾートホテルでは豪華な食事が供される。ディナーバイキングから地域の特色を前面に押し出したコース料理まで形式は様々だが、旅の思い出を彩るに十分な美味しい食事を提供できるようホテルごとに工夫に余念がない。 部品 貴重品の預かり リゾートホテルではフロントで希望する事により個室ごとに用意された金庫によって貴重品の預かりを行っている。また部屋ごとには小型の金庫が置かれ宿泊客自身でも別途貴重品の管理が出来るようになっており、安心して荷物を置いて旅行を楽しめるよう考えられている。 部品 多彩な併設施設 リゾートホテルやシティホテルはサービスの多彩さから様々な施設が併設されている場合が多い。その種類はパーティーを開くための宴会場や結婚式場、テニスコートからレストランまで広く、広いニーズに対応できるよう想定が為されている。 部品 結婚式場 シティホテルやリゾートホテルでは結婚式を行う為の会場が設置されている事が多い。場合によっては多目的に式典や授与式が行えるよう多目的ホールとしての側面を持ち合わせていることもあり様々な人々に利用される。会場は宿泊客以外でもレンタルする事が多く、結婚式の方式によって様々なプランが用意されている。 部品 宴会場 大抵の場合、様々な人が集まりパーティーを開くための宴会場が用意されているものだ。客層の中には団体での宿泊も多く、レストランでは一度の収容が難しい場合などでも使用される。パーティー会場や発表会など様々な目的でレンタルされる事から大抵の場合は複数の宴会場を有しているホテルが多い。 部品 大浴場や温泉の設置 リゾートホテルには夜景を楽しみながら入る事ができる大浴場や温泉などが併設されている。旅の疲れを癒しゆっくりとくつろぐことが出来る場所であり、場所によっては露天風呂などが設置されている場合もある。温泉地などでは入湯料を払う事で宿泊客以外も設備を利用できる事もあり、その場合はより広く、多彩な風呂が設置されている事が多い。 部品 レストラン 大抵の場合ホテルには食事を楽しむことが出来るレストランが併設されている。宿泊客は大抵ここで食事を楽しむことになるほか、ちょっとした贅沢をするために外部からくる様宿泊客以外のお客様にも食事を提供する事が多い。 部品 宿泊部門 チェックインやチェックアウトなどを管理するフロント、客室の清掃やベッドメイキング、各部屋の点検やアメニティの補充を行うハウスキーパー、荷物を運び宿泊客を案内するベルボーイやドアマンなどが宿泊部門に配属されて働いている。彼らはホテルの表の顔を支える主要業務を行い、見た目からの印象を引き上げる役目を担っている。 部品 飲食部門 レストランで働く調理人やウェイター、ウェイトレス、ルームサービス係など飲食に関わる業務を行う部門である。衛生面への知識やお客様へのサービス、料理技術に配膳などなど飲食に関わる様々な項目のスペシャリストがそろっており、期待以上のサービスを与えられるよう日々努力を重ねている。 部品 管理及び営業部門 ラジオやテレビを使った広報から宿泊や施設利用の予約の管理、経理や総務、人事に至るまでホテル営業の裏側を支える部門である。レストランに必要な食材の手配を行うバイヤーや施設整備を行うエンジニア、宿泊客の安全を守る警備員などもこの部門に所属しており、縁の下の力持ちとして日々の業務に邁進している。 部品 シティホテルの所在地 シティホテルとは、主に都心部など人口密集地・主要駅の近くにあり交通・買い物などの利便性の高い場所に建設されるが、宿泊施設としての目的は観光拠点、休暇の非日常性を楽しむなどリゾートホテル寄りのものとなる。 部品 客室の種類 シングルの室数を多く用意するビジネスホテルと異なり、ツイン・ダブル・スイートルーム(続き部屋)など多人数での宿泊を多く見込んでいるものが多い。ホテルの性質によってはシングルルームはごく少ない室数しか用意されていないこともあり、その場合一人旅ではダブルまたはツインルームのシングルユースを使用することになる。 部品 接遇とは 接客業における接客スキルを接遇と言う。客に対し対価と引換のサービスを提供する際に、客に快適さ・心地よさを感じさせる付加スキルであると言ってもよい。 部品 付加価値を与える 飲食業では飲食物の提供それ自体が売り物のサービスであるが、高級レストランではそれに加えて雰囲気・居心地のよさ・快適性などの付加価値をサービスとして提供する。宿泊施設でも同様であり、ホテルのランクづけには施設の他に客の要望への対応にみられる接遇も大いに寄与する。 部品 非常事態の想定 天災・自然災害による被害のほか、戦争・内戦などによる外部からの攻撃、テロ行為など内部の破壊工作行動などを想定する。 直接の被害のほかに、他の場所で大規模被害が発生した場合の傷病者の受け入れ対応なども想定し対策を決めておく必要がある。 部品 避難計画の策定 想定される非常事態を、被害の発生方向と規模、外部からの助けがくるまでの時間などで条件分けし、それぞれに応じて避難経路と目的場所を想定する。 部品 避難訓練の実施 非常時で気が動転しても決められた手順で身体を動かせるように、一定の頻度で訓練を実施することは重要である。 部品 物資の備蓄 考えられるすべてへの対応を準備することは難しいが、外部から救助がくるまでの最低時間など想定して避難場所には一定量の物資備蓄を用意する。消費期限経年劣化に注意して必要な時に使えないことがないよう適宜点検を行う。 部品 非常時対応についての周知 日頃から非常時の対応について文書やパンフレットなどで重要性・必要性・実際の方法などを周知・啓蒙しておく。 提出書式 大部品 シティホテルチェーン「フレイヤのゆりかご」 RD 33 評価値 8 -大部品 「フレイヤのゆりかご」とは RD 5 評価値 3 --部品 経営者(T21) --部品 特色:バーラウンジ --部品 ターゲットとする客層・経営理念 --部品 玄霧藩国のシティホテル --部品 防火対策 -大部品 シティホテル(施設) RD 28 評価値 8 --大部品 観光・リゾートホテル(施設) RD 19 評価値 7 ---大部品 設備とサービス RD 3 評価値 2 ----部品 食事の提供 ----部品 部屋の施錠 ----部品 宿泊施設の概要と用途 ---大部品 観光・リゾートホテルの概要 RD 8 評価値 5 ----部品 部屋のランク ----部品 観光・リゾートホテル概要 ----部品 スタンダードクラス ----部品 デラックスクラス ----部品 スイート・クラス ----部品 リゾートホテルとシティホテル ----部品 豪華な食事 ----部品 貴重品の預かり ---大部品 併設された設備 RD 5 評価値 3 ----部品 多彩な併設施設 ----部品 結婚式場 ----部品 宴会場 ----部品 大浴場や温泉の設置 ----部品 レストラン ---大部品 ホテルの従業員 RD 3 評価値 2 ----部品 宿泊部門 ----部品 飲食部門 ----部品 管理及び営業部門 --大部品 シティホテルとしての特色 RD 4 評価値 3 ---部品 シティホテルの所在地 ---部品 客室の種類 ---大部品 接遇 RD 2 評価値 1 ----部品 接遇とは ----部品 付加価値を与える --大部品 非常時対応 RD 5 評価値 3 ---部品 非常事態の想定 ---部品 避難計画の策定 ---部品 避難訓練の実施 ---部品 物資の備蓄 ---部品 非常時対応についての周知 部品 経営者(T21) アガータ・エーデルワイスは「フレイヤのゆりかご」を創設した起業家である。宿泊施設の一従業員からキャリアをスタートした彼女は天性の才能ともいえる接遇のセンスを発揮してホテル経営の中核スタッフとなるまで昇格を重ね、その中途で掴んだ多くの上客から経営の指導を受けながらホテルチェーンを立ち上げることに成功してT21に騎士叙勲を受けるにいたった。 恋多き女性としても知られ、私生活の詳細は明らかにされていないながら、2回以上の結婚歴と少なくとも3人の実子がいることが知られている。現在独身であり、恋人とのデートシーンが時折スクープされている。 部品 特色:バーラウンジ 「フレイヤのゆりかご」のセールスポイントは、最上層にあるバーラウンジである。森の国である玄霧藩国では、昼は木々の間にこぼれる木漏れ日の風景が夜ともなると多くの灯りがまたたく幻想的な光景へ変わる。多くは魔力や燃料を使った灯火のまたたきであり、夜空をたまに行き交うマジカルポニーの交通も静音性が高いため高層階からの眺めはすばらしいと評判である。 バーラウンジではゆったりとした音楽とそれらの夜景を眺めながら、藩国特産の銘酒や美味しい軽食を楽しむことができる。 部品 ターゲットとする客層・経営理念 「フレイヤのゆりかご」はその経営理念として「日常の中の非日常」をコンセプトとしており、観光客だけではなく、年に数回(条件が許せばそれ以上でも構わないが)の”たまの贅沢”として国民が訪れたくなる施設を目指している。客室は快適な時間を過ごせるように整えられているが、レストランやバーラウンジは上質だがカジュアルさを残して手が届かなくはない価格帯をメインに設定されている。 そのための経営努力として、農業組合や林業組合の現場との連携を重視して中間マージンを配し、よいものを直接仕入れるようにバイヤーが努力を行っている、と言われている。 また優良企業として藩国からの助成金が支出されており、経営・取引先に関しての監査が行われている。 部品 玄霧藩国のシティホテル 森国である玄霧藩国では、ホテルの施設にも大樹が用いられ、複数の樹体で構成される。また、地形の段差を利用して上層階にふさわしい高度を得る試みもなされている。 階層移動は浮遊魔法による魔法エレベーターで行われる。 部品 防火対策 ホテルの外殻とするために樹木に魔法で働きかけて大木を育てるが、その際樹木の中に水を溜め込む空洞を要所要所に作ってもらい、火災のときには導管からの放水をうながす。(各部屋・通路の壁に、ここを破れが水が出るという印がつけてある) 樹木施設なので、基本的にスタッフ区画以外では火気厳禁とされており、室内の設備は不燃加工した木材を使用することで難燃性を高めている。 また、初期消火のための水の魔法使いスタッフが当直している。 部品 食事の提供 モーテルなどサービスが殆ど省略された場所を除きほとんどの宿泊施設では朝と夜などに食事を提供する場所が多い。設備にレストランを備えている場合や個室まで運んでもらえる場所などサービスの質は様々であり、その内容も地域や施設の種類、サービスの質に酔て大きく異なる。 部品 部屋の施錠 大抵の宿泊施設は個室ごとに鍵が用意され、客のプライベートが保証される。鍵の種類や質は施設によって異なりカードキー式のオートロックから簡易的なものまでさまざまである。 部品 宿泊施設の概要と用途 宿泊施設は宿泊を目的とした構造及び設備を主とする施設を設け、宿泊料を受けて宿泊及びその関連サービスを提供する。主に旅行や仕事の為の宿泊に使用される事が多い。提供されるサービスや施設によって異なり、一部の風営法に触れるものは政令によって制限されている。 部品 部屋のランク 観光やリゾート目的のホテルは部屋のランクや人数によって料金が分けられており、様々な種類の部屋が用意されている事が多い。大抵はスタンダード(標準)からスイートまで3~5段階ほどに分かれており、ランクによって大きくサービスが異なる。殆どの場合最上位の部屋の事をスイートと呼ぶ。松竹梅など言い方が変わる事はあるが概ね同じで大きな違いはない。 部品 観光・リゾートホテル概要 観光地・リゾート地に立地する宿泊施設である。サービスや設備が充実している場合が多く、その充実度によって価格が上下する。その様式は非常に多彩でありゆったりとくつろぎを与える事を主眼とする場所から多様な設備やサービスがてんこもりになっている場所などその地域や施設によって大きく違いが出る。 部品 スタンダードクラス 通常料金で泊まる事が出来るこの部屋はそれでもビジネスクラスより値が張るのが普通である。広々とした室内に電気ポッドや冷蔵庫、水差しなどが完備され、快適に過ごせるよう考えられた部屋でゆったり過ごすことが出来るのが大抵である。 部品 デラックスクラス デラックスクラスは部屋のランクの中でちょうど真ん中に当たるものだ。上等な部屋で少しふかふかすぎるくらいに思えるベッドからスタンダードと比較して広い部屋、食事のランクやサービスの向上などよりよい環境で過ごすことができる。 部品 スイート・クラス 大抵のホテルでの一番良いクラスのことをスイートクラスという。設備、景観、サービス等々においてホテルごとのもっともよい物が提供される。ウェルカムドリンクが用意されていたりマッサージやリラクゼーション、ルームサービスなどホテルごとに趣向を凝らした非日常のような体験を味わうことが出来る。 部品 リゾートホテルとシティホテル 観光地・リゾート地に立地する宿泊施設である。サービスや設備が充実している場合が多く、その充実度によって価格が上下する。その様式は非常に多彩でありゆったりとくつろぎを与える事を主眼とする場所から多様な設備やサービスがてんこもりになっている場所などその地域や施設によって大きく違いが出る。また同様にシティホテルと呼ばれるホテルが存在する。これらは都市の中心部や駅の周辺に作られる事が多いホテルで概ね似たようなサービスを受ける事が出来る。 部品 豪華な食事 大抵の場合リゾートホテルでは豪華な食事が供される。ディナーバイキングから地域の特色を前面に押し出したコース料理まで形式は様々だが、旅の思い出を彩るに十分な美味しい食事を提供できるようホテルごとに工夫に余念がない。 部品 貴重品の預かり リゾートホテルではフロントで希望する事により個室ごとに用意された金庫によって貴重品の預かりを行っている。また部屋ごとには小型の金庫が置かれ宿泊客自身でも別途貴重品の管理が出来るようになっており、安心して荷物を置いて旅行を楽しめるよう考えられている。 部品 多彩な併設施設 リゾートホテルやシティホテルはサービスの多彩さから様々な施設が併設されている場合が多い。その種類はパーティーを開くための宴会場や結婚式場、テニスコートからレストランまで広く、広いニーズに対応できるよう想定が為されている。 部品 結婚式場 シティホテルやリゾートホテルでは結婚式を行う為の会場が設置されている事が多い。場合によっては多目的に式典や授与式が行えるよう多目的ホールとしての側面を持ち合わせていることもあり様々な人々に利用される。会場は宿泊客以外でもレンタルする事が多く、結婚式の方式によって様々なプランが用意されている。 部品 宴会場 大抵の場合、様々な人が集まりパーティーを開くための宴会場が用意されているものだ。客層の中には団体での宿泊も多く、レストランでは一度の収容が難しい場合などでも使用される。パーティー会場や発表会など様々な目的でレンタルされる事から大抵の場合は複数の宴会場を有しているホテルが多い。 部品 大浴場や温泉の設置 リゾートホテルには夜景を楽しみながら入る事ができる大浴場や温泉などが併設されている。旅の疲れを癒しゆっくりとくつろぐことが出来る場所であり、場所によっては露天風呂などが設置されている場合もある。温泉地などでは入湯料を払う事で宿泊客以外も設備を利用できる事もあり、その場合はより広く、多彩な風呂が設置されている事が多い。 部品 レストラン 大抵の場合ホテルには食事を楽しむことが出来るレストランが併設されている。宿泊客は大抵ここで食事を楽しむことになるほか、ちょっとした贅沢をするために外部からくる様宿泊客以外のお客様にも食事を提供する事が多い。 部品 宿泊部門 チェックインやチェックアウトなどを管理するフロント、客室の清掃やベッドメイキング、各部屋の点検やアメニティの補充を行うハウスキーパー、荷物を運び宿泊客を案内するベルボーイやドアマンなどが宿泊部門に配属されて働いている。彼らはホテルの表の顔を支える主要業務を行い、見た目からの印象を引き上げる役目を担っている。 部品 飲食部門 レストランで働く調理人やウェイター、ウェイトレス、ルームサービス係など飲食に関わる業務を行う部門である。衛生面への知識やお客様へのサービス、料理技術に配膳などなど飲食に関わる様々な項目のスペシャリストがそろっており、期待以上のサービスを与えられるよう日々努力を重ねている。 部品 管理及び営業部門 ラジオやテレビを使った広報から宿泊や施設利用の予約の管理、経理や総務、人事に至るまでホテル営業の裏側を支える部門である。レストランに必要な食材の手配を行うバイヤーや施設整備を行うエンジニア、宿泊客の安全を守る警備員などもこの部門に所属しており、縁の下の力持ちとして日々の業務に邁進している。 部品 シティホテルの所在地 シティホテルとは、主に都心部など人口密集地・主要駅の近くにあり交通・買い物などの利便性の高い場所に建設されるが、宿泊施設としての目的は観光拠点、休暇の非日常性を楽しむなどリゾートホテル寄りのものとなる。 部品 客室の種類 シングルの室数を多く用意するビジネスホテルと異なり、ツイン・ダブル・スイートルーム(続き部屋)など多人数での宿泊を多く見込んでいるものが多い。ホテルの性質によってはシングルルームはごく少ない室数しか用意されていないこともあり、その場合一人旅ではダブルまたはツインルームのシングルユースを使用することになる。 部品 接遇とは 接客業における接客スキルを接遇と言う。客に対し対価と引換のサービスを提供する際に、客に快適さ・心地よさを感じさせる付加スキルであると言ってもよい。 部品 付加価値を与える 飲食業では飲食物の提供それ自体が売り物のサービスであるが、高級レストランではそれに加えて雰囲気・居心地のよさ・快適性などの付加価値をサービスとして提供する。宿泊施設でも同様であり、ホテルのランクづけには施設の他に客の要望への対応にみられる接遇も大いに寄与する。 部品 非常事態の想定 天災・自然災害による被害のほか、戦争・内戦などによる外部からの攻撃、テロ行為など内部の破壊工作行動などを想定する。 直接の被害のほかに、他の場所で大規模被害が発生した場合の傷病者の受け入れ対応なども想定し対策を決めておく必要がある。 部品 避難計画の策定 想定される非常事態を、被害の発生方向と規模、外部からの助けがくるまでの時間などで条件分けし、それぞれに応じて避難経路と目的場所を想定する。 部品 避難訓練の実施 非常時で気が動転しても決められた手順で身体を動かせるように、一定の頻度で訓練を実施することは重要である。 部品 物資の備蓄 考えられるすべてへの対応を準備することは難しいが、外部から救助がくるまでの最低時間など想定して避難場所には一定量の物資備蓄を用意する。消費期限経年劣化に注意して必要な時に使えないことがないよう適宜点検を行う。 部品 非常時対応についての周知 日頃から非常時の対応について文書やパンフレットなどで重要性・必要性・実際の方法などを周知・啓蒙しておく。 インポート用定義データ [ { "id" 116016, "title" "シティホテルチェーン「フレイヤのゆりかご」", "description" "玄霧藩国", "part_type" "group", "created_at" "2017-10-07 18 53 51.465012", "updated_at" "2017-10-07 18 53 51.465012", "children" [ { "id" 116015, "title" "「フレイヤのゆりかご」とは", "description" "", "part_type" "group", "created_at" "2017-10-07 18 53 48.388243", "updated_at" "2017-10-07 18 53 48.388243", "children" [ { "id" 116012, "title" "経営者(T21)", "description" "アガータ・エーデルワイスは「フレイヤのゆりかご」を創設した起業家である。宿泊施設の一従業員からキャリアをスタートした彼女は天性の才能ともいえる接遇のセンスを発揮してホテル経営の中核スタッフとなるまで昇格を重ね、その中途で掴んだ多くの上客から経営の指導を受けながらホテルチェーンを立ち上げることに成功してT21に騎士叙勲を受けるにいたった。\n恋多き女性としても知られ、私生活の詳細は明らかにされていないながら、2回以上の結婚歴と少なくとも3人の実子がいることが知られている。現在独身であり、恋人とのデートシーンが時折スクープされている。", "part_type" "part", "created_at" "2017-10-07 18 53 47.600838", "updated_at" "2017-10-09 13 40 53.175943", "children" [], "position" "1", "character" { "id" 1979, "name" "マリモ" }, "localID" 2 }, { "id" 116013, "title" "特色:バーラウンジ", "description" "「フレイヤのゆりかご」のセールスポイントは、最上層にあるバーラウンジである。森の国である玄霧藩国では、昼は木々の間にこぼれる木漏れ日の風景が夜ともなると多くの灯りがまたたく幻想的な光景へ変わる。多くは魔力や燃料を使った灯火のまたたきであり、夜空をたまに行き交うマジカルポニーの交通も静音性が高いため高層階からの眺めはすばらしいと評判である。\nバーラウンジではゆったりとした音楽とそれらの夜景を眺めながら、藩国特産の銘酒や美味しい軽食を楽しむことができる。\n", "part_type" "part", "created_at" "2017-10-07 18 53 47.651506", "updated_at" "2017-10-07 18 53 47.651506", "children" [], "position" "2", "character" { "id" 1979, "name" "マリモ" }, "localID" 3 }, { "id" 116014, "title" "ターゲットとする客層・経営理念", "description" "「フレイヤのゆりかご」はその経営理念として「日常の中の非日常」をコンセプトとしており、観光客だけではなく、年に数回(条件が許せばそれ以上でも構わないが)の”たまの贅沢”として国民が訪れたくなる施設を目指している。客室は快適な時間を過ごせるように整えられているが、レストランやバーラウンジは上質だがカジュアルさを残して手が届かなくはない価格帯をメインに設定されている。\nそのための経営努力として、農業組合や林業組合の現場との連携を重視して中間マージンを配し、よいものを直接仕入れるようにバイヤーが努力を行っている、と言われている。\nまた優良企業として藩国からの助成金が支出されており、経営・取引先に関しての監査が行われている。", "part_type" "part", "created_at" "2017-10-07 18 53 47.965376", "updated_at" "2017-10-09 09 16 08.47242", "children" [], "position" "3", "character" { "id" 1979, "name" "マリモ" }, "localID" 4 }, { "id" 117838, "title" "玄霧藩国のシティホテル", "description" "森国である玄霧藩国では、ホテルの施設にも大樹が用いられ、複数の樹体で構成される。また、地形の段差を利用して上層階にふさわしい高度を得る試みもなされている。\n階層移動は浮遊魔法による魔法エレベーターで行われる。\n", "part_type" "part", "created_at" "2017-10-09 09 14 38.531373", "updated_at" "2017-10-09 13 40 53.193878", "children" [], "position" "4", "character" { "id" 1979, "name" "マリモ" }, "localID" 5 }, { "id" 119022, "title" "防火対策", "description" "ホテルの外殻とするために樹木に魔法で働きかけて大木を育てるが、その際樹木の中に水を溜め込む空洞を要所要所に作ってもらい、火災のときには導管からの放水をうながす。(各部屋・通路の壁に、ここを破れが水が出るという印がつけてある)\n樹木施設なので、基本的にスタッフ区画以外では火気厳禁とされており、室内の設備は不燃加工した木材を使用することで難燃性を高めている。\nまた、初期消火のための水の魔法使いスタッフが当直している。", "part_type" "part", "created_at" "2017-10-09 13 40 53.201404", "updated_at" "2017-10-09 13 40 53.201404", "children" [], "position" "5", "character" { "id" 1979, "name" "マリモ" }, "localID" 6 } ], "position" "1", "character" { "id" 1979, "name" "マリモ" }, "expanded" true, "localID" 1 }, { "id" 116003, "title" "シティホテル(施設)", "description" "", "part_type" "group", "created_at" "2017-10-07 17 57 09.997856", "updated_at" "2017-10-07 17 57 09.997856", "children" [ { "id" 82783, "title" "観光・リゾートホテル(施設)", "description" null, "part_type" "group", "created_at" "2017-08-27 13 15 54.732999", "updated_at" "2017-08-27 13 15 54.732999", "children" [ { "id" 76776, "title" "設備とサービス", "description" null, "part_type" "group", "created_at" "2017-08-26 11 41 07.899905", "updated_at" "2017-08-26 11 41 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"part_type" "part", "created_at" "2017-08-27 13 15 54.807112", "updated_at" "2017-08-27 13 15 54.807112", "children" [], "position" null, "character" { "id" 763, "name" "神楽坂・K・拓海" }, "localID" 15 }, { "id" 82787, "title" "スタンダードクラス", "description" "通常料金で泊まる事が出来るこの部屋はそれでもビジネスクラスより値が張るのが普通である。広々とした室内に電気ポッドや冷蔵庫、水差しなどが完備され、快適に過ごせるよう考えられた部屋でゆったり過ごすことが出来るのが大抵である。\n\n", "part_type" "part", "created_at" "2017-08-27 13 15 54.826594", "updated_at" "2017-08-27 13 15 54.826594", "children" [], "position" null, "character" { "id" 763, "name" "神楽坂・K・拓海" }, "localID" 16 }, { "id" 82788, "title" "デラックスクラス", "description" "デラックスクラスは部屋のランクの中でちょうど真ん中に当たるものだ。上等な部屋で少しふかふかすぎるくらいに思えるベッドからスタンダードと比較して広い部屋、食事のランクやサービスの向上などよりよい環境で過ごすことができる。", "part_type" "part", "created_at" "2017-08-27 13 15 54.84693", "updated_at" "2017-08-27 13 15 54.84693", "children" [], "position" null, "character" { "id" 763, "name" "神楽坂・K・拓海" }, "localID" 17 }, { "id" 82789, "title" "スイート・クラス", "description" "大抵のホテルでの一番良いクラスのことをスイートクラスという。設備、景観、サービス等々においてホテルごとのもっともよい物が提供される。ウェルカムドリンクが用意されていたりマッサージやリラクゼーション、ルームサービスなどホテルごとに趣向を凝らした非日常のような体験を味わうことが出来る。", "part_type" "part", "created_at" "2017-08-27 13 15 54.876107", "updated_at" "2017-08-27 13 15 54.876107", "children" [], "position" null, "character" { "id" 763, "name" "神楽坂・K・拓海" }, "localID" 18 }, { "id" 82790, "title" "リゾートホテルとシティホテル", "description" "観光地・リゾート地に立地する宿泊施設である。サービスや設備が充実している場合が多く、その充実度によって価格が上下する。その様式は非常に多彩でありゆったりとくつろぎを与える事を主眼とする場所から多様な設備やサービスがてんこもりになっている場所などその地域や施設によって大きく違いが出る。また同様にシティホテルと呼ばれるホテルが存在する。これらは都市の中心部や駅の周辺に作られる事が多いホテルで概ね似たようなサービスを受ける事が出来る。", "part_type" "part", "created_at" "2017-08-27 13 15 54.899015", "updated_at" "2017-08-27 13 15 54.899015", "children" [], "position" null, "character" { "id" 763, "name" "神楽坂・K・拓海" }, "localID" 19 }, { "id" 82791, "title" "豪華な食事", "description" "大抵の場合リゾートホテルでは豪華な食事が供される。ディナーバイキングから地域の特色を前面に押し出したコース料理まで形式は様々だが、旅の思い出を彩るに十分な美味しい食事を提供できるようホテルごとに工夫に余念がない。", "part_type" "part", "created_at" "2017-08-27 13 15 54.922964", "updated_at" "2017-08-27 13 15 54.922964", "children" [], "position" null, "character" { "id" 763, "name" "神楽坂・K・拓海" }, "localID" 20 }, { "id" 82792, "title" "貴重品の預かり", "description" "リゾートホテルではフロントで希望する事により個室ごとに用意された金庫によって貴重品の預かりを行っている。また部屋ごとには小型の金庫が置かれ宿泊客自身でも別途貴重品の管理が出来るようになっており、安心して荷物を置いて旅行を楽しめるよう考えられている。", "part_type" "part", "created_at" "2017-08-27 13 15 54.950373", "updated_at" "2017-08-27 13 15 54.950373", "children" [], "position" null, "character" { "id" 763, "name" "神楽坂・K・拓海" }, "localID" 21 } ], "position" null, "character" { "id" 763, "name" "神楽坂・K・拓海" }, "expanded" true, "localID" 13 }, { "id" 82793, "title" "併設された設備", "description" null, "part_type" "group", "created_at" "2017-08-27 13 15 55.005658", "updated_at" "2017-08-27 13 15 55.005658", "children" [ { "id" 82794, "title" "多彩な併設施設", "description" "リゾートホテルやシティホテルはサービスの多彩さから様々な施設が併設されている場合が多い。その種類はパーティーを開くための宴会場や結婚式場、テニスコートからレストランまで広く、広いニーズに対応できるよう想定が為されている。", "part_type" 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"description" "リゾートホテルには夜景を楽しみながら入る事ができる大浴場や温泉などが併設されている。旅の疲れを癒しゆっくりとくつろぐことが出来る場所であり、場所によっては露天風呂などが設置されている場合もある。温泉地などでは入湯料を払う事で宿泊客以外も設備を利用できる事もあり、その場合はより広く、多彩な風呂が設置されている事が多い。", "part_type" "part", "created_at" "2017-08-27 13 15 55.07871", "updated_at" "2017-08-27 13 15 55.07871", "children" [], "position" null, "character" { "id" 763, "name" "神楽坂・K・拓海" }, "localID" 26 }, { "id" 82798, "title" "レストラン", "description" "大抵の場合ホテルには食事を楽しむことが出来るレストランが併設されている。宿泊客は大抵ここで食事を楽しむことになるほか、ちょっとした贅沢をするために外部からくる様宿泊客以外のお客様にも食事を提供する事が多い。", "part_type" "part", "created_at" "2017-08-27 13 15 55.109812", "updated_at" "2017-08-27 13 15 55.109812", "children" [], "position" null, "character" { "id" 763, "name" "神楽坂・K・拓海" }, "localID" 27 } ], "position" null, "character" { "id" 763, "name" "神楽坂・K・拓海" }, "expanded" true, "localID" 22 }, { "id" 82799, "title" "ホテルの従業員", "description" null, "part_type" "group", "created_at" "2017-08-27 13 15 55.184327", "updated_at" "2017-08-27 13 15 55.184327", "children" [ { "id" 82800, "title" "宿泊部門", "description" "チェックインやチェックアウトなどを管理するフロント、客室の清掃やベッドメイキング、各部屋の点検やアメニティの補充を行うハウスキーパー、荷物を運び宿泊客を案内するベルボーイやドアマンなどが宿泊部門に配属されて働いている。彼らはホテルの表の顔を支える主要業務を行い、見た目からの印象を引き上げる役目を担っている。", "part_type" "part", "created_at" "2017-08-27 13 15 55.186359", "updated_at" "2017-08-27 13 15 55.186359", "children" [], "position" null, "character" { "id" 763, "name" "神楽坂・K・拓海" }, "localID" 29 }, { "id" 82801, "title" "飲食部門", "description" "レストランで働く調理人やウェイター、ウェイトレス、ルームサービス係など飲食に関わる業務を行う部門である。衛生面への知識やお客様へのサービス、料理技術に配膳などなど飲食に関わる様々な項目のスペシャリストがそろっており、期待以上のサービスを与えられるよう日々努力を重ねている。", "part_type" "part", "created_at" "2017-08-27 13 15 55.215376", "updated_at" "2017-08-27 13 15 55.215376", "children" [], "position" null, "character" { "id" 763, "name" "神楽坂・K・拓海" }, "localID" 30 }, { "id" 82802, "title" "管理及び営業部門", "description" "ラジオやテレビを使った広報から宿泊や施設利用の予約の管理、経理や総務、人事に至るまでホテル営業の裏側を支える部門である。レストランに必要な食材の手配を行うバイヤーや施設整備を行うエンジニア、宿泊客の安全を守る警備員などもこの部門に所属しており、縁の下の力持ちとして日々の業務に邁進している。", "part_type" "part", "created_at" "2017-08-27 13 15 55.250229", "updated_at" "2017-08-27 13 15 55.250229", "children" [], "position" null, "character" { "id" 763, "name" "神楽坂・K・拓海" }, "localID" 31 } ], "position" null, "character" { "id" 763, "name" "神楽坂・K・拓海" }, "expanded" true, "localID" 28 } ], "position" "1", "character" { "id" 763, "name" "神楽坂・K・拓海" }, "expanded" true, "localID" 8 }, { "id" 116002, "title" "シティホテルとしての特色", "description" "", "part_type" "group", "created_at" "2017-10-07 17 57 09.868587", "updated_at" "2017-10-07 17 57 09.868587", "children" [ { "id" 115997, "title" "シティホテルの所在地", "description" "シティホテルとは、主に都心部など人口密集地・主要駅の近くにあり交通・買い物などの利便性の高い場所に建設されるが、宿泊施設としての目的は観光拠点、休暇の非日常性を楽しむなどリゾートホテル寄りのものとなる。\n", "part_type" "part", "created_at" "2017-10-07 17 57 09.747916", "updated_at" "2017-10-07 17 57 09.747916", "children" [], "position" "1", "character" { "id" 1979, "name" "マリモ" }, "localID" 33 }, { "id" 115998, "title" "客室の種類", "description" "シングルの室数を多く用意するビジネスホテルと異なり、ツイン・ダブル・スイートルーム(続き部屋)など多人数での宿泊を多く見込んでいるものが多い。ホテルの性質によってはシングルルームはごく少ない室数しか用意されていないこともあり、その場合一人旅ではダブルまたはツインルームのシングルユースを使用することになる。", "part_type" "part", "created_at" "2017-10-07 17 57 09.754631", "updated_at" "2017-10-09 13 40 53.42176", "children" [], "position" "2", "character" { "id" 1979, "name" "マリモ" }, "localID" 34 }, { "id" 116001, "title" "接遇", "description" "", "part_type" "group", "created_at" "2017-10-07 17 57 09.77028", "updated_at" "2017-10-07 17 57 09.77028", "children" [ { "id" 115999, "title" "接遇とは", "description" "接客業における接客スキルを接遇と言う。客に対し対価と引換のサービスを提供する際に、客に快適さ・心地よさを感じさせる付加スキルであると言ってもよい。\n\n", "part_type" "part", "created_at" "2017-10-07 17 57 09.760701", "updated_at" "2017-10-07 17 57 09.760701", "children" [], "position" "1", "character" { "id" 1979, "name" "マリモ" }, "localID" 36 }, { "id" 116000, "title" "付加価値を与える", "description" "飲食業では飲食物の提供それ自体が売り物のサービスであるが、高級レストランではそれに加えて雰囲気・居心地のよさ・快適性などの付加価値をサービスとして提供する。宿泊施設でも同様であり、ホテルのランクづけには施設の他に客の要望への対応にみられる接遇も大いに寄与する。", "part_type" "part", "created_at" "2017-10-07 17 57 09.764614", "updated_at" "2017-10-07 17 57 09.764614", "children" [], "position" "2", "character" { "id" 1979, "name" "マリモ" }, "localID" 37 } ], "position" "3", "character" { "id" 1979, "name" "マリモ" }, "expanded" true, "localID" 35 } ], "position" "2", "character" { "id" 1979, "name" "マリモ" }, "expanded" true, "localID" 32 }, { "id" 117780, "title" "非常時対応", "description" "玄霧藩国,流用可能", "part_type" "group", "created_at" "2017-10-09 08 16 15.564271", "updated_at" "2017-10-09 09 14 40.61719", "children" [ { "id" 117775, "title" "非常事態の想定", "description" "天災・自然災害による被害のほか、戦争・内戦などによる外部からの攻撃、テロ行為など内部の破壊工作行動などを想定する。\n直接の被害のほかに、他の場所で大規模被害が発生した場合の傷病者の受け入れ対応なども想定し対策を決めておく必要がある。", "part_type" "part", "created_at" "2017-10-09 08 16 15.519304", "updated_at" "2017-10-09 08 16 15.519304", "children" [], "position" "1", "character" { "id" 1979, "name" "マリモ" }, "localID" 39 }, { "id" 117776, "title" "避難計画の策定", "description" "想定される非常事態を、被害の発生方向と規模、外部からの助けがくるまでの時間などで条件分けし、それぞれに応じて避難経路と目的場所を想定する。\n", "part_type" "part", "created_at" "2017-10-09 08 16 15.547527", "updated_at" "2017-10-09 08 16 15.547527", "children" [], "position" "2", "character" { "id" 1979, "name" "マリモ" }, "localID" 40 }, { "id" 117777, "title" "避難訓練の実施", "description" "非常時で気が動転しても決められた手順で身体を動かせるように、一定の頻度で訓練を実施することは重要である。", "part_type" "part", "created_at" "2017-10-09 08 16 15.550314", "updated_at" "2017-10-09 08 16 15.550314", "children" [], "position" "3", "character" { "id" 1979, "name" "マリモ" }, "localID" 41 }, { "id" 117778, "title" "物資の備蓄", "description" "考えられるすべてへの対応を準備することは難しいが、外部から救助がくるまでの最低時間など想定して避難場所には一定量の物資備蓄を用意する。消費期限経年劣化に注意して必要な時に使えないことがないよう適宜点検を行う。", "part_type" "part", "created_at" "2017-10-09 08 16 15.552778", "updated_at" "2017-10-09 08 16 15.552778", "children" [], "position" "4", "character" { "id" 1979, "name" "マリモ" 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一般家屋 001●4100220:奥羽りんく:悪童同盟 L:星が綺麗に見える家={ t:名称=星が綺麗に見える家(施設) t:要点=ガラス張りt:ドーム型の屋根t:天体望遠鏡 t:周辺環境=設置された国 t:評価=住み易さ0 t:特殊={ 家の特殊効果1=星が綺麗に見える家は、屋根がガラス張りになっている。 家の特殊効果2=星が綺麗に見える家は、外部からの衝撃に弱く壊れやすい。 家の特殊効果3=星が綺麗に見える家は、きちんとした温度管理がされないと住むことができない。 家の特殊効果4=星が綺麗に見える家では、星見司のアイドレスを着ているものは星を読み解くことができる。 } →次のアイドレス:星に願いを(イベント)t:プラネタリウム(施設)t:星を詠む者(ACE)t:強化ガラスの導入(イベント) } 002●2400458:高神喜一郎:紅葉国 L:純和風建築の家={ t:名称=純和風建築の家(施設) t:要点=一見平屋、瓦屋根、広い庭、縁側 t:周辺環境=設置された国 t:評価=住み易さ0 t:特殊={ 家の特殊効果1=純和風建築の家は隠蔽行為を+3修正する。 家の特殊効果2=純和風建築の家は夏涼しく、冬は寒いため、滞在ACEの気温に関する全ての言い逃れを無効化する。 家の特殊効果3=純和風建築の家の2階は屋根裏部屋とする。 家の特殊効果4=純和風建築の家の屋根裏部屋は隠蔽行為を+5修正する。これは+3修正に重複される。 } →次のアイドレス:風邪で寝込む(イベント)、屋根裏の居候(イベント)、コタツでのんびり(イベント)、野良猫の母(ACE) } 003●4000617:都築つらね:都築藩国 L:地中海風の家={ t:名称=地中海風の家(施設) t:要点=白塗りの壁、煉瓦の屋根、バルコニーの鉢植え t:周辺環境=真っ青な空と海 t:評価=住み易さ20 t:特殊={ 家の特殊効果1=家は個人所有アイテムとみなし、一箇所に設置する 家の特殊効果2=芝村がNWCに居る場合、1マイルで現在の家の状況を聞くことが出来る。 家の特殊効果3=家にはPL:ACEおよび個人ACEを家の住人として配置できる。 家の特殊効果4=家の床面積は100m2とする 家の特殊効果5=家は3階建てまでとする。 家の特殊効果6=鉢植えサイズまでの好きな植物をバルコニーに植えることができる。 } →次のアイドレス:バルコニーへの訪問者(イベント)、空飛ぶ魔女(イベント)、台風が来た(イベント)、花魔法使い(職業) } 004●2200422:yuzuki:ビギナーズ王国 L:ツリーハウス={ t:名称=ツリーハウス(施設) t:要点=木の上の小屋,大樹 t:周辺環境=木々に覆われた森 t:評価=住み易さ0 t:特殊={ 家の扱い =個人所有アイテムとして見なし、一箇所に設置する 家の現在の状況 =NWCに芝村が居る場合、1マイルで今現在の家の状況を聞ける。 家の住人 = PLACEおよび、個人ACEを住人として配置できる 家の特殊効果1 = 自然への影響を最小限に押さえる 家の特殊効果2 = ツリーハウスは周囲の森に隠れる場合、隠蔽判定に+2の修正を加える。 家の特殊効果3 = この家にいる間は、動物の感情が少しだけ分かるようになる。 } →次のアイドレス:・地下設備(施設)・バイオディーゼル燃料の開発(イベント)・自然との対話(イベント)・万能ナイフ(アイテム) } 005●2200427:鋸星耀平:ビギナーズ王国 L:湖畔のログハウス={ t:名称=湖畔のログハウス(施設) t:要点=木で建てられた家、湖、ボート t:周辺環境=設置された国、湖 t:評価=住み易さ0 t:特殊={ 家の扱い =個人所有アイテムとして見なし、一箇所に設置する 家の現在の状況 =NWCに芝村が居る場合、1マイルで今現在の家の状況を聞ける。 家の住人 = PLACEおよび、個人ACEを住人として配置できる 家の設置条件 = 湖が必要 家の特殊効果 = 湖でボート遊び、湖で泳ぐとき、消費マイルに家で行う場合のゲームの割引を適用できる。 } →次のアイドレス:・ボート(アイテム)・魚釣り(イベント)・未確認生物との遭遇(イベント) } 006●2400568:ホーロ・ジョー:紅葉国 L:丘の上の小さな家={ t:名称=丘の上の小さな家(施設) t:要点=赤い屋根,白い壁,煙突 t:周辺環境=青空と緑の丘の上 t:評価=住み易さ2 t:特殊={ 家の床面積は70m2とする 家は1階建てまでとする 丘の上の小さな家は取得時に、家の周辺を「クローバー畑(施設)」「海が見える丘(施設)」「丘の上の一本木(施設)」のどれかにする。この特殊は所属藩国の影響を受けない 丘の上の小さな家には旅人が訪れることがある } →次のアイドレス:・穏やかな生活(イベント)・現役復帰(イベント)・平和への想い(絶技)・思わぬお客様(イベント)・畑(施設)・牧場(施設)・宿(施設) } 008●4000617:都築つらね:都築藩国 L:ガーデニングハウス={ t:名称=ガーデニングハウス(施設) t:要点=小ぢんまりとした家、草花でいっぱい、木製のデッキ t:周辺環境=牧歌的な風景 t:評価=住み易さ15 t:特殊={ 家の特殊効果1=家は個人所有アイテムとみなし、一箇所に設置する 家の特殊効果2=芝村がNWCに居る場合、1マイルで現在の家の状況を聞くことが出来る。 家の特殊効果3=家にはPL:ACEおよび個人ACEを家の住人として配置できる。 家の特殊効果4=家の床面積は120m2とする 家の特殊効果5=家は2階建てまでとする。 家の特殊効果6=大きな木から鉢植えまでの、好きな植物を庭に植えることができる。 } →次のアイドレス:ティーパーティ(イベント)、花の精○○(ACE)、花魔法使い(職業)、大きなテラス(増築イベント) } 010●0600161:矢神サク:レンジャー連邦 L:陽だまりの家={ t:名称=陽だまりの家(施設) t:要点=開けた窓,暖かい日差し,楡の木 t:周辺環境=設置された国 t:評価=住み易さ1 t:特殊={ この家に招待された客人は、心が穏やかになる。 この家の住人は、あらゆる行動の判定時に感覚+1される。 まれにネコリスが遊びに来る。 } →次のアイドレス:・庭のブランコ(施設)・家庭菜園(施設)・花壇(施設)・雨漏り(イベント)・夢のお告げ(イベント)・ペット(ACE) } 011●1400285:ユーラ:後ほねっこ男爵領 L:大きな暖炉のある家={ t:名称=大きな暖炉のある家(施設) t:要点=大きな暖炉、煙突、積まれた薪 t:周辺環境=設置された国 t:評価=住み易さ0 t:特殊={ 家の特殊効果1=大きな暖炉のある家の床面積は120m2とする 家の特殊効果2=大きな暖炉のある家は2階建てまでとする 家の特殊効果3=大きな暖炉のある家は冬の間は住み易さが+3される } →次のアイドレス:、暖炉の前でおとぎ話(イベント)、暖炉の前で編み物(イベント)、薪割り(イベント)、煙突掃除(イベント)、なにか落ちてきた!(イベント)、増築(イベント) } 012●0400080:海法 紀光 L:あこがれの白いお家={ t:名称=あこがれの白いお家(施設) t:要点=白いフェンス,白いブランコ,小さな花壇 t:周辺環境=草原 t:特殊={ 家の特殊効果1 =円満な夫婦生活が送れる。 家の特殊効果2 =生まれる子供の数を決められる。 } →次のアイドレス: かわいいペット(個人ACE)男の子?女の子?(イベント)あなたったら、もう(イベント)ガーデンパーティ(イベント)ガルガムの襲来(イベント)子供部屋(増築イベント) } 013●1000212:桂林怜夜:世界忍者国 L:月見の家={ t:名称=月見の家(施設) t:要点=庭の露天風呂・縁側・桶と手ぬぐい t:周辺環境=舞い散る花or紅葉or雪のいずれか t:評価=住み易さ2 t:特殊={ 家の扱い =個人所有アイテムとして見なし、一箇所に設置する 家の現在の状況 =NWCに芝村が居る場合、1マイルで今現在の家の状況を聞ける。 家の住人 = PLACEおよび、個人ACEを住人として配置できる 庭の面積 = 100m2の土地 家の設置条件 = 温泉が必要 家の特殊効果1 = 月見の家に滞在すると、心が落ち着く 家の特殊効果2 = 月見の家に滞在すると、傷病の直りが良くなる 家の特殊効果3 = 月見の家は、昼は通常の家と同様に扱う } →次のアイドレス:???との混浴(イベント)、月見酒(イベント)、温泉水と温泉卵(アイテム)、サイボーグ用オイル温泉の設立(イベント)、民宿(施設) } 019●3600695:みぽりん:神聖巫連盟 L:本にかこまれた家={ t:名称=本にかこまれた家(施設) t:要点=たくさんの本,高い本棚,机 t:周辺環境=設置された国 t:評価=住み易さ0 t:特殊={ 本好きの本好きによる本好きのための家。 本棚には古今東西の本がそろっており、好きなときに楽しめる。 古書もあるため、新しい発見があるかも。 } →次のアイドレス:・ベッドでACEが本を読み聞かせてくれる(イベント)・ACEの昔話(イベント)・本を読んでいたらうとうと…(イベント)・ちょっとHな本の発見!!(イベント)・私設図書館(施設)・移動図書館(施設)・絵本の読み聞かせ会開催(イベント)・古書発見(イベント) } 020●0500141:銀内 ユウ:鍋の国 L:ヤガミ妖精の家={ t:名称=ヤガミ妖精の家(施設) t:要点=ヤガミ、ヤガミアイテム、ヤガミを求める人 t:周辺環境=ヤガミ t:評価=住み易さ10 t:特殊={ 家の特殊効果1=ヤガミを愛する人しかこの家を購入することができない。 家の特殊効果2=家の床面積は120m2とする。 家の特殊効果3=家は二階建て、地下室まで設置可能である。 家の特殊効果4=家内でヤガミを伴う間、全判定に評価+2の補正を受ける。 } →次のアイドレス:指輪を奪うもとい受け取る(イベント)・ヤガミの恋人候補(職業4)・ヤガミにぶつけるアンコ(マジックアイテム) } 021●1400285:ユーラ:後ほねっこ男爵領 L:海辺の家={ t:名称=海辺の家 t:要点=海に面した、開放感のある、家 t:周辺環境=海 t:評価=住み易さ0 t:特殊={ 家の特殊効果1=海辺の家 =海辺の家の床面積は120m2とする 家の特殊効果2=海辺の家 =海辺の家は2階建てまでとする 家の特殊効果3=海辺の家の効果 =海辺の家は夏の間は住み易さに+3される } →次のアイドレス:・プライベートビーチ(施設)・プライベートマリーナ(施設)・自家用ボート(乗り物)・海の家(施設)・海まで散歩(イベント) } 022●2100403:山吹弓美:え~藩国 L:表向き普通の家={ t:名称=表向き普通の家(施設) t:要点=普通の家、地下への通路、地下格納庫、カモフラージュされた格納庫からの出入り口 t:周辺環境=設置された国 t:評価=住み易さ0 t:特殊={ 家の特殊効果1=表向き普通の家の床面積は100m2とする 家の特殊効果2=表向き普通の家は1階建てまでとする 家の特殊効果3=表向き普通の家には標準で地下格納庫が設置される。個人所有機体を格納することが可能。 家の特殊効果4=表向き普通の家は格納庫に格納されている機体の出入り口として別に60m2の土地を必要とする。また、出入り口には一見してその機能が分からないようにカモフラージュする必要がある。 } →次のアイドレス:・個人基地(施設)・スタンダップ!(イベント)・こんなこともあろうかと(イベント)・謎の少女(ACE) } 026●1500301:蘭堂 風光:ナニワアームズ商藩国 L:日当たりの良い縁側がある家={ t:名称=日当たりの善い縁側がある家(施設) t:要点=暖かい日差しが差し込む書斎,日溜りの中で猫がまどろんでいる縁側,少し広めの庭 t:周辺環境=設置された国 t:評価=住み易さ1 t:特殊={ 日当たりの良い縁側がある家は生活ゲーム中に縁側で猫と戯れる事ができる 日当たりの良い縁側がある家の庭先で干した布団で眠るとぐっすり熟睡できる 日当たりの良い縁側がある家の縁側は心を落ち着かせる効果がある } →次のアイドレス:・家族でガーデニング(イベント)・猫の集会所(施設)・皆で日向ぼっこ(イベント)・井戸端会議(イベント)・ご近所さんの来訪(イベント)・おばあちゃんの知恵袋(技術) } 027●3800262:風杜神奈 L:日本家屋={ t:名称=風情のある家(施設) t:要点=風情のある和風建築,日本庭園,塀 t:周辺環境=四季のある風景 t:評価=住み易さ3 t:特殊={ 家の特殊効果1=風情のある家を建てるには住宅地100m2とその他の用途の土地100m2が必要である。 家の特殊効果2=風情のある家は単体で完結しているため、住宅地としては増築することが出来ない。 家の特殊効果3=風情のある家の床面積は200m2とする。 家の特殊効果4=風情のある家の縁側から見る風景は一つの世界として完成しており、周りの状況に関係なく寛ぐことができる。ただしこの効果は大人しくしていることが苦手な人や空気を読むことが出来ない人には適用されない。 } →次のアイドレス:縁側でお茶(イベント)t:伝家の宝刀(イベント)t:蔵(施設)t:離れの増設(イベント) } 028●0400080:海法 紀光 L:日本家屋={ t:名称=日本家屋(施設) t:要点=障子,畳,掛け軸 t:周辺環境=桜並木 t:特殊={ 家の特殊効果1 =つらいことがあった時、心が落ち着く。 家の特殊効果2 =掛け軸の抜け穴を通って、好きな場所へ移動できる。 } →次のアイドレス:ゲイシャパーティ(イベント)ふんどし祭り(イベント)句会(イベント)伝家の宝刀(アイテム)離れ(増築イベント) } 029●0400080:海法 紀光 L:遊牧民のテント={ t:名称=遊牧民のテント(施設) t:要点=天幕,柱,家畜 t:周辺環境=砂漠 t:特殊={ 家の特殊効果1 =昼涼しく夜暖かい。 家の特殊効果2 =交易ができる。食料を燃料に交換可能な工場として扱う。 } →次のアイドレス:オアシス発見(イベント)謎の古代遺跡(イベント)千夜一夜物語(イベント)旅商人(イベント)旅の歌姫(個人ACE)家族のテント(増築イベント) } 030●0400080:海法 紀光 L:貝殻ハウス={ t:名称=貝殻ハウス(施設) t:要点=お魚,珊瑚,人魚 t:周辺環境=海中 t:特殊={ 家の特殊効果1 =海の中にある。 家の特殊効果2 =持ち主および招かれた人は、この施設に出入りする際、水中呼吸、水泳能力を与える。 家の特殊効果3 =土地代が安い。 } →次のアイドレス: 人魚の薬(アイテム)難破船発見(イベント)旨い魚と書いて鮨(イベント)螺鈿細工(アイテム)クマノミの男の子(個人ACE)貝殻御殿(増築イベント) } 031●0400080:海法 紀光 L:キャンピングカー={ t:名称=キャンピングカー(施設) t:要点=タイヤ,バーベキュー,ビール t:周辺環境=長い長い国道 t:特殊={ 家の特殊効果1 =道路を通って好きなところへ移動できる。 家の特殊効果2 =旅行中のACEがヒッチハイクしてくるかもしれない(ヒッチハイクするACEは固定しない)。 家の特殊効果3 =住みにくく面積が狭いが土地代が安い(駐留費用としてゼロにはならない)。 } →次のアイドレス: ドライブスルーシアター(イベント)RVパーク(施設)バーベキューパーティ(イベント)スポーツ観戦(イベント)気ままに旅行(イベント)トレーラーハウス(増築イベント) } 032●1400285:ユーラ:後ほねっこ男爵領 L:花に囲まれた家={ t:名称=花に囲まれた家(施設) t:要点=家、色とりどりの花、家を囲む花壇、花の咲く庭 t:周辺環境=設置された国 t:評価=住み易さ3 t:特殊={ 家の扱い =個人所有アイテムとして見なし、一箇所に設置する 家の現在の状況 =NWCに芝村が居る場合、1マイルで今現在の家の状況を聞ける。 家の住人 = PLACEおよび、個人ACEを住人として配置できる 家の床面積 = 100m2とする 庭の面積 = 60m2とする 家の構造 = 1階建て 家の特殊効果 = 花に囲まれた家は庭でお茶をすることで心を落ち着かせる効果がある } →次のアイドレス:・家庭菜園(施設)・お花畑(施設)・お茶会(イベント)・お家でお花見(イベント)・花びらで描いた絵(アイテム)・花屋(施設) 034●2200422:yuzuki:ビギナーズ王国 L:カントリーハウス={ t:名称=カントリーハウス(施設) t:要点=暖炉・ガーデニングされた庭・煙突のある家 t:周辺環境=設置された国 t:評価=住み易さ2 t:特殊={ 家の扱い =個人所有アイテムとして見なし、一箇所に設置する 家の現在の状況 =NWCに芝村が居る場合、1マイルで今現在の家の状況を聞ける。 家の住人 = PLACEおよび、個人ACEを住人として配置できる 家の特殊効果1 = ガーデニング、及びクッキングストーブでの料理が楽しめる。 家の特殊効果2 = 家族と過ごす場合、感情評価が少し高めに修正される。 } →次のアイドレス:家族との一日(イベント),煙突からの来訪者(イベント),手作り料理(アイテム) } 035●瀬戸口まつり@ヲチ藩国 L:露天風呂のある家={ t:露天風呂のある家(施設) t:要点=サンルーフつきの浴室、檜の浴槽、観葉植物 t:周辺環境=設置された国 t:評価=住み易さ3 t:特殊={ 家の扱い =個人所有アイテムとして見なし、一箇所に設置する 家の現在の状況 =NWCに芝村が居る場合、1マイルで今現在の家の状況を聞ける。 家の住人 = PLACEおよび、個人ACEを住人として配置できる 家の特殊効果 = 住人は気持ちが落ち着き、精神判定に+X修正をうける } →次のアイドレス:・仲良くお風呂(イベント)・流星群観測(イベント)・リフォーム(増築イベント)・温泉の元(マジックアイテム) } 037●3600690:雹:神聖巫連盟 L:魔女っぽい家={ t:名称=魔女っぽい家(施設) t:要点=大鍋、黒い、瘴気 t:周辺環境=電光と雷鳴 t:評価=住み易さ0 t:特殊={ 家の扱い =個人所有アイテムとして見なし、一箇所に設置する 家の現在の状況 =NWCに芝村が居る場合、1マイルで今現在の家の状況を聞ける。 家の住人 = PLACEおよび、個人ACEを住人として配置できる 家の特殊効果1 = この家に住むACEが魔女のみなしをもつ場合、その評価を上げる 家の特殊効果2 = この家では魔法の力を持つアイテム作成の成効率が上がる } →次のアイドレス:使い魔(ACE)・魔方陣(施設)・悪魔と契約(イベント)・善き魔女(職業)・配達業者(職業) } 038●1800343:鈴藤 瑞樹:詩歌藩国 L:いわく付きの家={ t:名称=いわく付きの家(施設) t:要点=暗雲立ち込める、蔦で覆われた、レンガ積みの家 t:周辺環境=郊外 t:評価=住み易さ0 t:特殊={ 家の扱い =個人所有アイテムとして見なし、一箇所に設置する 家の現在の状況 =NWCに芝村が居る場合、1マイルで今現在の家の状況を聞ける。 家の住人 = PLACEおよび、個人ACEを住人として配置できる 家の特殊効果1 = 家の中で生活ゲームをする場合に限り死者と対話できる 家の特殊効果2 = 買い手がつかないために安く購入できる } →次のアイドレス:・心霊番組の取材(イベント)・幽霊との対決(強制イベント)・交霊術(技術)・ゴーストバスター(職業)・式神使い(職業) } 039●1800343:鈴藤 瑞樹:詩歌藩国 L:料理好きの料理好きによる料理好きのための家={ t:名称=料理好きの料理好きによる料理好きのための家(施設) t:要点=システムキッチン、料理する夫婦、ふりふりエプロン t:周辺環境=おいしそうな料理 t:評価=住み易さ0 t:特殊={ 家の扱い =個人所有アイテムとして見なし、一箇所に設置する 家の現在の状況 =NWCに芝村が居る場合、1マイルで今現在の家の状況を聞ける。 家の住人 = PLACEおよび、個人ACEを住人として配置できる 家の特殊効果1 = 四月林檎のシェフであるエイプリル・アップルが設計に協力しており、料理に必要なありとあらゆる器具が揃っている 家の特殊効果2 = 四月林檎のシェフであるエイプリル・アップルの協力により、ありとあらゆる食材を入手できるよう手配できる 家の特殊効果3 = 不思議な魔法がかけられており、この家で料理する場合は(たとえそれが斉藤奈津子であろうとも)必ず判定に成功する } →次のアイドレス:・エイプリルアップル(ACE)・お料理対決 青VS四月林檎(イベント)・夫婦で営む小さなレストラン(施設)・偉大なる主婦(職業) } 041●0000236:黒霧:天領 L:トレインハウス={ t:トレインハウス(施設) t:要点=機関車の形をした家,レール, t:周辺環境=レール,機関車 t:評価=住み易さ0 t:特殊={ 家の扱い =個人所有アイテムとして見なし、一箇所に設置する 家の現在の状況 =NWCに芝村が居る場合、1マイルで今現在の家の状況を聞ける。 家の住人 = PLACEおよび、個人ACEを住人として配置できる 家の特殊効果1 = この家はレールをつたって移動することが出来る 家の特殊効果2 = この家には時々ACEが乗車してくることがある } →次のアイドレス:鉄道博物館(イベント),客車(増築イベント),リニアモーターカーの開発(イベント),車掌(職業4),機関士(職業4) } 042●1700334:時雨:FVB L:宇宙の家={ t:名称=宇宙の家(施設) t:要点=無重量空間、方向転換用のポール、ブロック構造 t:周辺環境=宇宙ステーション t:評価=住み易さ-1 t:特殊={ 家の扱い =個人所有アイテムとして見なし、一箇所に設置する 家の現在の状況 =NWCに芝村が居る場合、1マイルで今現在の家の状況を聞ける。 家の住人 = PLACEおよび、個人ACEを住人として配置できる 家の設置条件 = 宇宙の家は宇宙施設が存在する藩国でしか建設できない 家の特殊効果1 = 宇宙の家内部は無重量空間となる。家の中では全てそれに準じた制限がつく 家の特殊効果2 = 面積は120m2とし、さらに高さを設定した上でブロックごとに分割される。 } →次のアイドレス:歩行訓練(強制イベント)自家用宇宙船の建造(イベント)ネーバルウィッチ(職業)突然ですがお見合いです(イベント) }
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原語 casual 和訳 名詞 普段着、平服、部屋着 その他の品詞 軽い、普通、平素、平凡、地味、普段、世俗的、気軽、気楽、見慣れた、慣れ親しんだ、のんびり、ゆったり、穏やか、落ち着いた、ゆおびか、柔らかな、だらしない、だらけた、親近感のある、略式の 無遠慮な、無礼な、横柄な、失礼な、不躾な、だらしない、無作法な、非礼な、尊大な、馴れ馴れしい、不遜な、厚かましい 漢字一字 褻、衵 軽、楽、緩、柔、穏、普、凡、俗 やまとことば けごろも(褻衣)、なれごろも(馴衣)、なほし(直衣) けの(褻の)、ゆるらか(緩らか)、ゆほびか、なべて(竝て) 備考欄 辞書 説明 廣辭林新訂版 (無記載) 新訂大言海 (無記載) 角川国語辞典新版 (無記載) 大英和辭典 〔形〕[一]偶然ノ,不慮ノ,不意ノ,意外ノ,思ヒ掛ケヌ.[二]時ヲキメヌ,折々ノ,不定ノ,思ヒ付キノ,當坐ノガレノ,臨時ノ.[三]〘俗〙法式ニ循〔シタガ〕ハナイ,順序ノナイ,整ッテ井ナイ.〔名〕[一]貧民收容病室ニ入ル者,折々入ル者.[二]=casual ward.(casual ward:貧民收容病室)[三]思ヒガケナイ訪問者.[四]【軍】死傷病者ノ名簿(又ハ數). 名詞でない意味の用法があるようだが意味は不明。名詞用法の意味は「普段着」と思われる。 「無礼な」の意と思われる用法を見つけたため追記。 同義等式 原語単位 casual=略式の カタカナ語単位 カジュアル=平素の 附箋:C カ 英語