約 34,720 件
https://w.atwiki.jp/secondarea/pages/56.html
若くしてガレーネの統治者となった、ノーディカルの女性。【通り名持ち】調律者。 その強さと温厚な性格から、人々の信頼は厚い。 普段は眼鏡をかけている。 服装も保守的なものが多いが、本気の戦闘時では自身の【調律発動】のイメージの定着の為か、かなり際どいデザインの羽衣を身に纏う。 その為か、調律者関係の本などに載っているときは、いつも髪が青い。 また、温厚で落ち着いている彼女だが、かなりの酒豪。 年相応におちゃめな一面もある。 種族:ノーディカル 年齢:31(ノーディカルの為、見た目は20ほど) 身長:166cm スリーサイズ:B78/W52/H80 フォルム:薄い緑髪(ロング)→深い青髪(興奮時)、スレンダー体型 職業:【通り名持ち】調律者 ・ガレーネの統治者 装備:両手剣(伝鳴語加工:特級) SOM:【調律式】 活力発動 / 性質発動 / 調律発動<翔る> 好き:自然、平和、お酒 嫌い:暑さ、湿度 拠点:【風の都】ガレーネ ・戦闘スタイル/通り名【神速】 彼女は、戦闘時の装備に「防御力」を求めない。 攻撃が「当たらない」のか前提の為である。 【活力発動】でも眼で追いきれないスピードで行動する彼女だが、【調律発動<翔る>】を使用した彼女の動きは、視えない。 単なるスピードの強化でなく、自身の【生体SOM】に干渉し、身体の重み、持っている武器の重みすらも軽減する。 <翔る>を発動した彼女の背中には、大きな4枚の翼を模ったSOMが見られる。 彼女が本気を出せば、まさしく三次元的な、風のような動きが可能になる。 そしてその速度で放たれる一太刀の衝撃は凄まじい。 打たれ弱いのは確かだが、打たれなければ問題ない。それを可能にするのが彼女なのである。 ・空の護り人 彼女は、【調律発動<翔る>】によって、空を飛ぶことが出来る。 その能力を活かし、ガレーネ周辺のパトロールを上空から行っている。 そして脅威を発見すると、突撃。空からでっかい生物が降りてきたと思ったら、彼女が持ってたというのはよくある光景。 ただ、ガレーネに住んでいない者が見たら、かなり驚くだろう。 ・エンターティナーな一面。 彼女は、よく子供たちと一緒に遊んであげているのだが、たまーに本気を出す。 一度、街の子供たち全員を相手取っておにごっこをしたのだが、数え終わった瞬間に全員がタッチされるという本気ぶりを見せた。 (タッチじゃわからないという意見があったため、シールを貼るというルールを作り、またも一瞬で全員の背中にシールを貼った。) その時、【調律発動】をかましていた。遊びにも本気。 ある意味ファンサービス旺盛ともいえるが、なんだかえげつないエピソードである。
https://w.atwiki.jp/jojoxixipage/pages/276.html
本体: キャサリン・ウッド スタンド: シャイニング ウェイ (輝ける道) 機械+人型。 父親はスピードワゴン財団の幽波紋調査部だった。 が、彼は調査中に死亡。原因は不明。書類上では事故死となっている。 キャサリンは、物心ついた時からスタンドをもっていた。 だがそれは、幼少の頃、矢で射られた為であり、生まれつきのスタンド使いではない。 しかしキャサリンはその当時の事は覚えていない。 本人は生まれつきあったのだと思っている。 父親がスタンドを調査していたのを知ったのは、彼の死後。 以来、独自に調査を開始。事件の詳細を調べるうちに、ある男が父親の死に関わっていた事を知り、その男に近づく為、あえてその男の仲間となり復讐のチャンスをうかがっている。 性格はあまり明るいとはいえない。が、それは性格が暗いという訳ではなく、彼女が一通り頭の中で考えを整理してから発言する為にそう見えるだけである。 基本的にスタンドは身を守る、助けるものから身に付いたものだと考えており、攻撃として使うものだとは考えてはいない。つまり、保守的な思想の持ち主。 ただ、「やらなければならない事」「すべき事」の為には、攻撃的な行動も必要だと考えている。 口癖は「しょうがないわね。」 能力- 光を操る能力。 といっても、光そのものを操るのではなく、鏡の様な無数の細かい粒子を使って反射、屈折をさせている。 屈折させることで、本来自分の身体が反射させる光など(相手の目に入る光)を、プロジェクターの様にべつの所に映しだし、さも自分がそこにいるかの様に見せる事が出来る。(ただし、その距離は10mまで、また、本来の自分の身体が反射した光を屈折させているだけなので、本体の動きはそのまま反映される。) またシャイニングウェイ自身に別の物体(人や動物)を映し出す事もできる。 攻撃は拳で殴る事もできるが、スピードはあっても威力はあまり無し。基本的に辺りにある光を集中させて打ち込むか、昼のうちにシャイニングウェイに蓄光させておいて放つか。つまりは、光を貯めていない日の夜などには打てない。この光の攻撃(ロード トゥ ディスティネーション)も、それなりの威力はあるが、決定打となるほどの威力は有していない。ただ、時間がかかるが大量に光を凝縮し、放てば話は別。 応用として、本体が反射する光(人はこれが目にはいる事で、その姿が認識できる)を蓄光する事で、姿を消す、つまり透明になることも。 パワー - D スピード - A 射程距離 - B (約10m) 持続力 - C 精密動作性 - A 成長性 - C 第2部に登場
https://w.atwiki.jp/pityu_sim/pages/245.html
スペル Focalor Deep space base of U.S.W. 公用語 レイリル語 国歌 「自由の地」 国花 向日葵 通貨 ウィルバー・ドル/WD 国家元首 大統領 政治体制 大統領制・共和政 概要 ウィルバー系の開拓可能性調査施設かつ深宇宙探査基地(建設中)。 エステルプラッテにはその遠さと規模の小ささのため捨て置かれ、エステル=ウィルバー戦争後も存続している。 政治 政治体制としてはウィルバー合衆国の法的な継承者を自称しており、その国制をほとんどそのまま残している。 経済 国民 入植時期によって傾向があり、おおむね以下のように区分される。 第一次(プライマリー) 初期の、ほとんどウィルバー合衆国軍人あるいは軍とつながりのある高度専門的技術者のみに入植者が限定されていた時期の入植者。 過酷な環境に適応するため、改変種になっている場合が多い。政治的には保守的傾向があり、ウィルバー合衆国の伝統を重視する。 第二次(セカンダリー) 基地の大規模有人基地化が決定され、民間の人間でも志願すればこの基地への入植者になる道が開かれて以降の入植者。 ただし全面的な開放には至らず、基地整備に貢献できるような財産も学識もある人間に限られるため、おおむね上位中産階級か資本家である。 この基地が外宇宙への基地であるということに思い入れの強い層であるため、星系脱出を主張する者が非常に多い。 政治的にはリベラルで、政治参加に積極的であることから政治指導層はほとんどがこの層で占められる。 数の上では一応最も多数派であるのだが、この層の受け入れが始まってからしばらく後に本国が滅亡してしまったため、圧倒的多数派といえるほどではない。 第三次 エステル=ウィルバー戦争後実施されたウィルバー国籍保持者受け入れ計画に基づく入植者。 戦争中に第三国に滞在していたが本国滅亡で行き場を失ったケースが多く、難民的な存在。 一般的にこの国では他の惑星に対する関心は弱いが、この層は他の惑星の情勢について強く関心を持ち、またパトリオスティックである。 ほとんどが下位中産階級であり、純粋な人類種である。 第四次 国家として安定したことから、諸外国からの移民を募るようになってやってきた入植者。 まだこの層の成長は始まったばかりであり、現時点ではほとんどいない。 機械種 粗放的な探査のため高い自律性を与えられた人工知能が自我に目覚めるケースが散見されている。 現時点では自我の確認された人工知能にも基本的な人権が適用されると法制化されているが、参政権は持たない。 しかし実務上大きな役割を果たしているので、実際のところ無視できない政治的要素であるのは間違いない。
https://w.atwiki.jp/musa/pages/14.html
悲劇…叙事詩の後を受ける物 社会的役割として叙事詩に代わる 民族の神話伝承が素材 ・表現方法→仮面劇 仮面をつけた俳優数人とコロス(合唱隊)によって成り立つ ・悲劇の歴史→農業神ディオニュソスを祭る祭祀の起源を持つ BC6世紀 アテネの僭主ペイシストラトスなどが悲劇を奨励 ⇒ポリスの市民意識、形成高揚に寄与⇒ポリスの宗教行事になる BC5世紀 悲劇はアテネの全盛期に興隆完成 ・三大悲劇詩人 ①アイスキュロス(前525~456) 悲劇の確立者 主著:『しばられたプロメテウス』『オレステア』3部作 ②ソフォクレス(前496~406) 参照 5-1のプリント 悲劇の完成者 主著:『オイディプス王』『エレクトラ』『アンティゴネ』 「地上の驚異すべき物は数あるが人間以上に驚異するべきものはない」by『アンティゴネ』 ③エウリピデス(前485~406) 悲劇の終わり 主著:『メディア』『トロイアの女たち』 この時代頃からアテネが衰退 喜劇…俗語劇 時事風刺や人物批判、揶揄 ①アリストパネス(前450~385) 参照 5-2のプリント アテネの衰退とともに保守的立場から、戦争推進派のポリス的指導者や時代の新しい思潮の担い手を風刺、揶揄 主著:『平和』『女の平和』(反戦物)『雲』(ソクラテスを揶揄)『蜂』『鳥』(空中ユートピアを幻想) 歴史叙述…ヒストリアイ(元来は「実際に調べること」「探求」の意味) ①へカタイオス(前6世紀~5世紀) 歴史叙述の先駆者 イオニアに生まれて、ミトレスにて学ぶ説話作者 歴史叙述から神話伝承、英雄説話の合理的解釈を意図か? また、年代の枠組みはまだ無かったよう 主著:『ペリエゲシス』(世界周遊記) ②ヘロドドス(前485~425) 参照 6-1のプリント 世界中を旅行(詳しくはノート) その後アテネに長く滞在(ソフォクレスなどと親交) アテネの植民都市トゥリオイの建設に携わり市民となる ここで「歴史」を記した? 著書:『歴史』(ペルシア戦争史) 各地の地誌を含む物語的世界史⇒ここで年代の枠組み誕生か? ③トゥキュディデス(前460~400) 参照:6-2プリント ペロポネソス戦争の当事者 戦争中亡命生活を強いられその間に資料収集? 敗戦後アテネに帰還 主著:『戦史』ペロポネソス戦争史(個別史) 史料批判を伴った(→批判的史学の祖)、編年的記述(1年を夏季と冬季に分ける年代表記) ④クセノポン(前430~354) 参照:6-3プリント アテネの軍人の一門の出 ソクラテスの弟子の一人 プラトンと同年輩 ペロポネソス戦争後アテネを出てペルシアの内紛に巻き込まれて数十年、動乱の中で過ごす その後隠居して著作を書く 主著:『ギリシア史』(前350年代) 『アナシバス』(前401~399) 『ソクラテスの思い出』 とりあえず倫理①は終了
https://w.atwiki.jp/wikirace/pages/28.html
シチリア人 イタリア・シチリア島とその周辺の島に住んでいる。 また、アメリカに移民した人たちもいる。 地中海人種である。 シチリア人の特徴 南方のコーカソイドである。 身長は若い男性で平均173cm前後とヨーロッパ人としてはかなり小柄である。 ヨーロッパ人とは思えない小柄でズングリとした体格をしている。長身でスタイルの良い者もいる。 筋肉質ではあるが、年齢とともに独特のお腹が大きく出た体型をしている者も多い。また、痩せている者も多い。 髭や体毛が濃い。 肌は褐色とされるが、日焼けしていると見ることもできる。 髪の毛は天然パーマ。また髪は湿っている。黒髪である。 目元が窪んでおり彫が深い。 瞳の色は茶色が多い。 口は大きい。 鼻は長く高い。 血液型はO型57%、A型39%、B型3%、AB型1%、 頭は長頭。(頭の前後が長い) 非常に熱い喧嘩っ早い性格をしている為、米国で好戦的民族とされることが多く(ただし一まとめにイタリア系と言われる)イタリア系、ケルト系、ラティーノ(ヒスパニック)系、アフリカン・アメリカン系は好戦的民族と評されることも多い。また、彼ら4系統の民族だけで米国で起きる犯罪の多くを占めていたりする。 また、母親思いな性格と言われる。(イタリア全体に言える事であるが) ラテン系は高い声でよく喋ると言われるが、彼らも例外なくよく喋り明るい。 また、非常によく食べる大食漢で知られる。(これもイタリア全体で言えることであるが) 甘酸っぱい料理を好んで食べる。 両方とも地中海人種全体にいえる事ではあるが、極めて『いいかげん』な民族で知られるが宗教には『厳格』である。 (北アフリカと南ヨーロッパ、いわゆる地中海人種全体にいえる事である。) また、マッチョ体質を維持している。(いわゆる男尊女卑・男らしい) 保守的で集団性が高いと評されることも。 「いいかげん」な性格と言われ、また、かなり「マイペース」である。(両方ともイタリア全体で言われることではあるが) 彼らはシチリア人であるが一まとめにイタリア人と外国で呼ばれてしまうことも多い。 シチリア人の写真。 シチリアの女性。地中海美女。というか未成年?らしいです。 シチリアの女性。 1880年代のシチリアの伝統的な格好をする女の子。ただし、シチリア人かどうか不明。たぶんシチリア人。 シチリア系アメリカ人。優しそうな顔されてますね。宗教学者の方だそうです。 恐そうなシチリア人の写真もたくさんあるようですが、この写真はいいですね。 なんか、ほがらかな気持ちになりました。ここではそういった写真をこれからも貼っていこうと思います。 どんどん写真を載せていきます。
https://w.atwiki.jp/dangebalance/pages/71.html
モヒカンザコ先生 ■性別 男 ■学年 その他 ■所持武器 トゲ付き棍棒 ■攻撃/防御/体力/精神/FS 1/1/9/5/9 ■FS名 モヒカンザコとしての誇り 特殊能力「伝統芸能としてのモヒカンザコ」 効果1:敵リザーバー召喚 効果対象:同マス一人 時間:一瞬 効果2:敵特殊能力強制発動 オプション:陣営変更なし※1 効果対象:同マス一人 時間:一瞬 ※1 操作してる間も所属陣営は変わらない(敵のみの能力は元々敵のキャラにしか使えない、味方のみも元々味方のキャラにしか使えない) 制約などは普通に操作した時と同様操作してる側が支払う 消費制約:自分死亡(凄惨な死) 非消費制約1:敵か味方かで効果値が変わるような効果は能力使用後巻き戻しが起こり、なかったことになる ※2 非消費制約2:敵味方無差別が付いている能力は使えない 非消費制約3:単体を対象にする能力の場合は基本対象が範囲内全員の方の陣営しか選べない ※2 戦線離脱や強制移動の効果を発揮して、モヒカンの能力発動処理が全て終わった後で その戦線離脱や強制移動を巻戻して、なかったことにします。 複数の効果を組み合わせた能力で、非消費制約1に該当しない方の効果は 巻き戻されずにそのまま残りますが、そのために何かおかしな処理になってしまう場合は その都度GK判断で処理します。 能力説明: 敵リザーバーを召喚して能力を強制発動させるが、基本的にモヒカンザコ先生のいる陣営の方が被害を受ける。 そのかわりに何かの制約やカウンターのトリガーを満たせるかもしれない、という能力 能力原理 モヒカンザコの日常的行為として、趣向を凝らした様々な方法で無辜の村民を虐待する。 すると、どこからともなく謎の拳法使い(とか魔人とか)が現れて、怪しげな中国拳法(とか魔人能力とか)を揮い、 モヒカンザコは爆散して果てる。 ■キャラクター説明 東京が核の炎に包まれる以前、後継者不足に悩むモヒカンザコ業界を憂い、高校卒業後、モヒカンザコへと就職した青年。 伝統芸能としてのモヒカンザコを後世へ伝えることが自分の使命と考えている。 デビュー当時から変わらずオールドスタイルのモヒカンザコを貫き、一部からは「保守的だ」と陰口を叩かれながらも、 堅実なモヒカンザコ活動を続けてきた。教科書のような美しいモヒカンザコ行為を誇り、 多くのモヒカンたちから「先生」と呼ばれ慕われている。 村人の虐待、謎の拳法家による制裁、断末魔を伴う爆散まで、 一つ一つの動きが芸術品のように完成されており一挙手一投足に至るまで無駄がない。 本名は白金翔一郎というらしい。
https://w.atwiki.jp/jojoxixipage/pages/49.html
本体名…キャサリン・ウッド 父親はスピードワゴン財団の幽波紋調査部だった。 が、彼は調査中に死亡。原因は不明。書類上では事故死となっている。 キャサリンは、物心ついた時からスタンドをもっていた。 だがそれは、幼少の頃、矢で射られた為であり、生まれつきのスタンド使いではない。 しかしキャサリンはその当時の事は覚えていない。 本人は生まれつきあったのだと思っている。 父親がスタンドを調査していたのを知ったのは、彼の死後。 以来、独自に調査を開始。事件の詳細を調べるうちに、ある男が父親の死に関わっていた事を知り、その男に近づく為、あえてその男の仲間となり復讐のチャンスをうかがっている。 性格はあまり明るいとはいえない。が、それは性格が暗いという訳ではなく、彼女が一通り頭の中で考えを整理してから発言する為にそう見えるだけである。 基本的にスタンドは身を守る、助けるものから身に付いたものだと考えており、攻撃として使うものだとは考えてはいない。つまり、保守的な思想の持ち主。 ただ、「やらなければならない事」「すべき事」の為には、攻撃的な行動も必要だと考えている。 口癖は「しょうがないわね。」 スタンド名…シャイニング ウェイ (輝ける道) ヴィジョン:機械+人型。 能力- 光を操る能力。 といっても、光そのものを操るのではなく、鏡の様な無数の細かい粒子を使って反射、屈折をさせている。 屈折させることで、本来自分の身体が反射させる光など(相手の目に入る光)を、プロジェクターの様にべつの所に映しだし、さも自分がそこにいるかの様に見せる事が出来る。(ただし、その距離は10mまで、また、本来の自分の身体が反射した光を屈折させているだけなので、本体の動きはそのまま反映される。) またシャイニングウェイ自身に別の物体(人や動物)を映し出す事もできる。 攻撃は拳で殴る事もできるが、スピードはあっても威力はあまり無し。基本的に辺りにある光を集中させて打ち込むか、昼のうちにシャイニングウェイに蓄光させておいて放つか。つまりは、光を貯めていない日の夜などには打てない。この光の攻撃(ロード トゥ ディスティネーション)も、それなりの威力はあるが、決定打となるほどの威力は有していない。ただ、時間がかかるが大量に光を凝縮し、放てば話は別。 応用として、本体が反射する光(人はこれが目にはいる事で、その姿が認識できる)を蓄光する事で、姿を消す、つまり透明になることも。 パワー - D スピード - A 射程距離 - B (約10m) 持続力 - C 精密動作性 - A 成長性 - C 第2部に登場
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/188.html
保守主義とは、近代啓蒙の批判に外ならない。 近代自然法思想を含めた啓蒙の哲学は、社会と人間の、合理的に制御し得ること、あるいは、個体的に還元し得ることを主張して止まない。 啓蒙の哲学は、社会と人間の合理化と個体化(rationalization and individualization)を称揚する、近代進歩主義の原型なのである。 このような啓蒙の哲学が、その淵源をどこまで遡り得るかについては、様々な議論があり得よう。 しかし、ここでは、それが、17・18世紀の200年を通じて形作られて来た、ある精神の型に過ぎないことを確認しておけば、差し当たり充分である。 むしろ、ここで問題にしたいのは、その啓蒙の精神が、フランス革命、さらには産業革命と民主革命の進行に伴って、我々の文明の最も誇るべき価値であるかのように、この世界に拡散して来たという事態である。 合理化と個体化を称揚する精神は、産業化と民主化の激流に翻弄された19世紀はもとより、20世紀末の今日においても、なお我々の文明の中心に位置するかのように見受けられる。 「情報化」という名の新たな産業化と、「差異化」という名の新たな民主化は、我々の時代を画する進歩の旗印として持てはやされている。 啓蒙の精神は、社会の合理的な管理と人間の個体的な解放というスローガンを高く掲げた、近代進歩主義の運動を、このニ世紀に亘って導いて来たのである。 もちろん、このニ世紀に亘る進歩主義の運動が、極めて多様な傾向を孕んでいることは言うまでもない。 そこには、いわゆる啓蒙主義によって導かれた、自然人権と国家集権を求めるフランス革命の運動もあれば、功利主義によって導かれた、自由化あるいは社会化を目指す漸進の運動もあり、さらには、マルクス主義によって導かれた、人間解放と社会管理のための革命運動もある。 しかし、これらの運動は、社会と人間の、産業化あるいは合理化と、民主化あるいは個体化を、意図的にあるいは結果的に推進したという点において、ほとんど選ぶ処はない。 いわゆる啓蒙主義はもとより、功利主義も、さらにはマルクス主義もまた、近代啓蒙の嫡出子なのである。 保守主義は、このような近代啓蒙の一貫した批判者である。 言うまでもなく、近代保守主義は、フランス革命のもたらした、社会の、理性による専制支配と、原子的個人への平準化の危機に抗して、「自由で秩序ある社会」を擁護すべく、エドモンド・バークによって創唱されたものである。 もちろん、保守主義的な態度が、バーク以前に存在しなかった訳ではない。 未知の変化に抗して、既知の安定を擁護しようとする態度は、むしろ人類と共に古いとも考えられ得るし、啓蒙の精神が形を成して来た、17・18世紀においても、それに対抗する態度は常に存在していたのである。 通俗的に言われるよりも遥かに深く、キリスト教を始めとする中世的あるいは近世的な伝統の内に生きていた、17・18世紀においては、むしろ啓蒙の精神こそが、西欧一千年の伝統から逸脱した、その対抗思想に過ぎなかったとも言えよう。 従って、17・18世紀においては、保守主義の、敢えて名乗りを挙げる必要は、必ずしもなかったのである。 何故ならば、保守主義とは、進歩主義の侵攻が、無視し得ぬまでに拡大して始めて、それを迎撃すべく、自らの重い腰を上げる性質のものだからである。 しかし、フランス革命を境として、進歩主義の侵攻は、もはや何人によっても無視し得ぬ段階に立ち至った。 フランス革命以降、産業主義と民主主義の進行に従って、進歩主義は、貴族制度や大土地所有やキリスト教やといった、あらゆる中世的(あるいは近世的)な伝統に次々と攻撃を加え、「自由で秩序ある社会」を決定的な危機に陥れたのである。 バークの闘った闘いは、このような進歩主義との闘いの緒戦を成すものであった。 フランス革命の啓蒙主義と闘ったバークを皮切りに、進歩主義のもたらす、合理的な専制と個体的なアノミーに抗する闘いは、このニ世紀に亘って、陸続と闘い継がれて来た。 近代保守主義とは、合理化と個体化という革命運動に抗する、不断の闘いそれ自体なのである。 言い換えれば、保守主義とは、啓蒙の精神の産み落とした、合理主義と個体主義の狂気に抗して、何等かの伝統に係留された、「正気の社会」を擁護する、終わりなき闘いの中にしかあり得ないのである。 それでは、保守主義は、何故に合理主義と個体主義を拒絶するのであろうか。 あるいは、また、保守主義は、如何にして啓蒙の精神を否定するのであろうか。 さらに、保守主義は、そのような拒絶や否定を通じて、何故に伝統を擁護することに至るのであろうか。 あるいは、そもそも、保守主義にとって、その擁護すべき伝統とは何であるのか。 これらの問いに答えることが、取りも直さず、前節までの議論と保守主義とを結び付ける、《失われた環》を見い出すことに外ならないのである。 保守主義は、社会と人間の、理性によって制御し得ることを否定する。 社会と人間が存続していくためには、理性によっては認識し得ないが、行為においては服従し得る、何等かの暗黙的な知識が不可欠なのであって、社会と人間の全体を、理性によって制御することなど、自分の乗っている木枝の根元を、自分で切る類いの所業に等しいからである。 言い換えれば、人間の行為は、理性の行使をも含めて、語り得ずただ従い得るのみの知識を前提として、始めて可能となるのであって、その暗黙的な前提をも含めた、自らの総体を制御することなど、全く不可能なのである。 人間の行為の不可欠な前提である、このような暗黙的知識は、理性的な行為の対象とならないがゆえに、その正当性を合理的には根拠付け得ない。 すなわち、このような暗黙的知識は、正当化し得ない無根拠な知識であるという意味において、まさしく偏見(prejudice)に過ぎないのである。 従って、人間の行為は、自らは何の根拠も持ち得ない偏見を前提として、始めて可能であることになる。 保守主義は、人間の生きていくために、暗黙的で無根拠な偏見に従うことの不可避であることを、強く主張するのである。 このような保守主義から見るならば、合理主義とは、合理的に制御し得ないものを制御せんとする、言わば暴力的な試みなのである。 そのような試みを、敢えて実行しようとするならば、制御の主体は、社会に対して、自らの意志を盲目的に強制する以外の、いかなる手段も持ち得ないことになる フランス革命やロシア革命、さらにはナチス・ドイツの経験が明らかにしたように、合理主義の行き着く先は、効率的な暴力を背景とする、野蛮な専制支配の外ではあり得ないのである。 保守主義は、社会と人間の、個人へと還元し得ることを否定する。 人間の行為は、それを取り巻く社会的、文化的な状況が与えられて、始めてその意味を決定し得るのであって、人間の行為の意味を、個人の内面的な意識へと還元することなど、言葉の意味を、他の言葉の意味との対比関係から切り離して、単独に決定する類いの所業に等しいからである。 言い換えれば、人間の行為は、他者の行為との関係をも含む、全体的な状況の中に位置付けられて、始めて成立し得るのであって、その全体的な状況が、個人の行為に還元し尽くされることなど、決してあり得ないのである。 人間の行為の成立/不成立を決定する。このような全体的状況は、行為の成否を決定する根拠となる、あるいは、行為の成立を正当化する理由となる、という意味において、規範的と言い得るものである。 すなわち、このような全体的状況は、行為を根拠付け、行為を正当化し得る、という意味において、まさしく権威(authority)と呼ぶべき事態なのである。 従って、人間の行為は、その根拠として服従すべき権威を前提として、始めて成立することになる。 保守主義は、人間の生きていくために、全体的で規範的な権威に従うことの不可避であることを、強く主張するのである。 このような保守主義から見るならば、個体主義とは、自らの拠って立つ不可避の基盤を見失った、個体の自己過信の外ではない。 個体主義とは、個体的に還元し得ないものを還元せんとする、いわば?神的な営みなのである。 そのような営みを、敢えて遂行しようとするならば、個人は、他者の、従って自己の行為の何であるかを全く了解し得ない、アノミーの深淵に立ちすくむことになるだけではない。 19世紀には絶望とともに予感され、20世紀には希望とともに実現された、高度大衆社会の実現が明らかにしたように、個体主義の精神がもたあすものは、無神論の深淵ではなく、神でも何でも手軽に信じて気軽に忘れる、多幸症の浅薄というアノミーに外ならないのである。 このように合理主義と個体主義を拒絶する、保守主義の橋頭堡としての偏見と権威が、理性によって意図的に設定されたものでも、個人によって意識的に合意されたものでもあり得ないことは言うまでもない。 偏見と権威は、行為の持続的な遂行の累積的な帰結として、自然発生的に生成されるものなのである。 すなわち、偏見と権威は、合理的な設定によらず、個体的な合意によらず、ただ遂行的にのみ生成される、まさに伝統(tradition)と呼ばれるべき事態なのである。 偏見とは、いかなる合理的な根拠も持ち得ない、俗なる伝統に外ならず、権威とは、あらゆる個体の根拠として従うべき、聖なる伝統に外ならない。 伝統とは、自らの如何なる根拠も持ち得ずに、他の一切の根拠として従われるべき、俗にして聖となる歴史の堆積なのである。 言い換えれば、伝統とは、歴史の試練に辛くも耐えて、偏見と権威の内に記憶される、生きられた経験に外ならないのである。 従って、偏見と権威に支えられて始めて成立し得る、人間とその社会は、このような伝統に従うことを、その不可避の条件とすることになる。 保守主義は、人間と社会の生きていくことが、つまるところ、伝統に回帰する以外にはあり得ないことを、強く主張するのである。 近代啓蒙の精神は、このような伝統や偏見や権威やを、蛇蝎の如く忌み嫌う。 因習や俗信や抑圧やから、人間を救済し、理性と自我との赴くままに、世界を革新すること、これが啓蒙の企てなのである。 しかし、保守主義から見るならば、このような啓蒙の企てこそが、合理主義的な抑圧と個体主義的な俗信とをもたらす当のものに外ならない。 近代啓蒙の精神は、不断に進歩することを、まさに因習となすことによって、専制的な抑圧とアノミックな俗信とを、常に帰結せざるを得ないのである。 保守主義のこのような回帰する伝統とは、合理的に制御し得る客観的なものではあり得ず、また、個体的に還元し得る主観的なものでもあり得ない、遂行的に生成される、言わば第三のものであった。 すなわち、伝統とは、客観的な自然でもあり得ず、主観的な意識でもあり得ない、第三の領域なのである。 このような第三の領域は、日常言語において、社会、文化、あるいは制度と呼ばれる領域に外ならない。 保守主義は、伝統に回帰することによって、客観的な自然法に根拠付けられる訳でもなく、主観的な社会契約に還元される訳でもない、社会という領域を再発見したのである。 言い換えれば、保守主義は、啓蒙思想による、理性と個人の発見に幻惑されて、一度は忘却の淵に立たされた、社会という現象を、再び見い出したのである。 社会の発見は、17・18世紀思想における理性と個人の発見に鋭く対比される、19・20世紀思想の鮮やかな特徴をなしている。 もちろん、合理主義と個体主義の哲学は、20世紀末の今日においてもなお有力なのではあるが、18世紀と19世紀の境に起こった転換以来、社会の、合理主義と個体主義によっては、ついに捉え得ない、という了解もまた、我々の共有財産となっているのである。 この意味において、保守主義は、社会についての哲学を、近代において始めて可能とした思想であると言えよう。 保守主義の歴史とは、取りも直さず、近代社会哲学の歴史に外ならないのである。 保守主義は、偏見と権威と伝統とを擁護することによって、合理的な客観としての自然でもなく、個体的な主観としての意識でもない、慣習的な遂行としての社会を、近代において始めて発見した。 すなわち、保守主義は、社会を、自らは如何なる合理的な根拠も保持せずに、自らにあらゆる個体的な行為を従属させる、遂行的な秩序として捉えることによって、近代社会哲学を創始したのである。 保守主義のこのように発見した社会が、前節に述べた《遂行的なるもの》と、ほとんど過不足なく重なり合っていることは明らかであろう。 《遂行的なるもの》とは、あらゆる行為がその成立/不成立を依存せざるを得ない文脈であり、また、いかなる根拠付けも自己に回帰する言及となるがゆえに不能である、遂行的な秩序のことであった。 すなわち、《遂行的なるもの》とは、個体的に帰属し得ず、合理的に言及し得ない、慣習的な秩序のことである。 従って、保守主義の発見した社会は、《遂行的なるもの》と、極めて正確に一致していることになる。 すなわち、保守主義は、偏見と権威と伝統とを擁護することによって、取りも直さず、《遂行的なるもの》を発見していたのである。 あるいは、むしろ、ハイエクの自生的秩序、ハートのルール、オースティンの言語行為、さらにはウィトゲンシュタインの言語ゲームを通底する、《遂行的なるもの》こそが、保守主義のニ世紀に亘って護り続けて来た伝統の、現代における再発見なのであるとも言い得よう。 20世紀哲学の到達した地点は、保守主義の歴史の新たな一ページなのである。 すなわち、ハイエク、ハート、オースティン、さらにはウィトゲンシュタインの到達した哲学は、20世紀末における新しい保守主義に外ならないのである。 もちろん、ハイエクもハートもオースティンも、さらにはウィトゲンシュタインも、自らを保守主義者と名乗っている訳では些かもない。 従って、現代における新しい保守主義を考察するためには、彼らの哲学よりも、むしろ、現代における正統的な保守主義者、たとえばマイケル・オークショットなどの哲学を検討すべきではないのか、という指摘も尤もである。 わけてもオークショットの社会哲学は、イギリス保守主義の掉尾を飾るものとして、是非とも検討されねばならない。 しかし、現代においては、保守主義者を名乗る人々の哲学が、必ずしも保守主義の哲学であるとは限らない。 啓蒙の哲学が、あたかも正統思想であるかのように流布されている現代においては、保守主義を騙って啓蒙を喧伝する輩が、跡を絶たないのである。 保守主義とは、まず何よりも啓蒙の批判に外ならない。 従って、現代における新しい保守主義の探求とは、取りも直さず、現代における反啓蒙の哲学の検討であらねばならぬのである。 ハイエク、ハート、オースティン、さらにはウィトゲンシュタインが、このような現代における反啓蒙の急先鋒であることは紛れもない。 本書は、経済哲学、法哲学、言語哲学を含む社会哲学の、20世紀における大立者達の言説の内に、現代における反啓蒙の、従ってまた、現代における新しい保守主義の可能性を探って見たのである。 20世紀末の保守主義は、自生的秩序やルールや言語行為や、さらには言語ゲームの哲学の内に、その新たな表現様式を見い出しているのである。 このような20世紀末の新しい保守主義が、ニ世紀に亘る保守主義の歴史に、何か付け加えたものがあるとするならば、それは、啓蒙の運動が不可能であることの、新しい表現様式である。 新しい保守主義は、社会と人間が、自らの要素である行為の文脈依存的であるがゆえに、個体的に還元され得ず、また、自らを対象とする行為の自己言及的となるがゆえに、合理的に制御され得ないことを主張する。 すなわち、新しい保守主義は、社会と人間の個体化と合理化という、啓蒙の運動の不可能であることを、言語行為論あるいは言語ゲーム論に準拠して主張するのである。 保守主義は、その誕生以来、時代の進歩主義に対応する、様々な表現様式に身を託して、合理化と個体化の不可能であることを主張し続けて来た。 新しい保守主義の準拠する、言語行為論あるいは言語ゲーム論もまた、20世紀末の進歩主義に対応する、そのような表現様式に外ならないのである。 いずれにせよ、保守主義によれば、社会と人間の合理化と個体化は、原理的に不可能である。 社会と人間に対する、進歩主義の貫徹は、所詮出来ない相談なのである。 そのような進歩主義を、敢えて貫徹しようとするならば、社会と人間は、暴力的な専制と涜神的なアノミーとへの分解によって、破壊し尽くされざるを得ない。 進歩主義は、その建設への意志とは裏腹に、社会と人間を、ついに崩壊へと導かざるを得ないのである。 まさしく、滅びへの道は、善意によって敷き詰められている。 従って、進歩主義と保守主義の対立は、社会と人間の生き方についての、可能な二つの道の対立などでは全くない。 進歩主義の道は、社会と人間の死滅に至る、不可能な道なのであって、社会と人間の辛くも生存し得る、唯一の可能な道は、保守主義の道なのである。 すなわち、進歩主義と保守主義の対立は、社会と人間の存続し得るか否かを賭けた、全く抜き差しならぬ対立なのである。 この命題は、もとより、一般の社会と人間についても成立し得ると思われるが、ここでは、その近代の社会と人間についての成立が確認されねばならない。 すなわち、近代の社会と人間は、あたかも近代の正統思想であるかのように見なされている、進歩主義のみによっては、自らの存続すらをも保証し得ないのである。 言い換えれば、近代の社会と人間が、数世紀に亘って辛くも存続しているとするならば、それは、金ぢあの社会と人間が、己の意識するとしないとに拘わらず、保守主義を、事実として生きてしまっているからに外ならない。 近代の社会と人間は、あたかも反近代の異端思想であるかのように見なされている、保守主義を生きることによって始めて、自らの存続を辛くも保ち得るのである。 これは、何の逆説でもない。 社会と人間は、まさにそのようなものとして、生きられているのである。
https://w.atwiki.jp/neverland/pages/89.html
海をきれいに 限りある資源を大切に 提供はS&R公社でお送りします 企業概要 企業名 Salvage Recycle Corporation 読み サルベージ・アンド・リサイクルコーポレーション 略称 S&R・S R公社 主な商品 廃品回収サービスと海中からのサルベージ業務 企業志向 全体的に保守的だが、一部はフリーダム ネバーランド内の廃品回収と海へ転落した物品の引き上げを行うインフラ的企業。 プラント以外の資源獲得方法の一つである海底からのサルベージをほぼ独占しており 年に何度か実施されるサルベージオークションは毎回盛況である。 『再利用できない資源(ゴミ)は無い』の社訓の元、様々な人材(ゴミ)も引き取った結果、リサイクルショップなどを含む有数の多角的企業に成長した。 立ち上げ当初は引き上げたキャバリアは他社に引き渡していたが 近年、自社内でサルベージした機体の改修や独自パーツの開発を進め。 自社開発のキャバリアを主力とする警備部門の拡充を進めている。 廃品回収部門 ネバーランド住民に最も馴染み深い、S&Rの看板部門その1。 島中を回収トラックが走り回り生活廃品などを回収し、リサイクルしている。 また、企業から機密物品の廃棄も請け負う。 前科者や訳あり人材の登用も積極的に行っており、困窮した住人がバイトに応募すればとりあえず糊口がしのげることで有名。 サルベージ部門 海中に沈んだキャバリアなど資材の引き上げを行う部門。 戦争後の海底からは敵国キャバリアも引き上げられる事もあり、プラント以外の貴重な資材獲得源であることからS&Rの看板部門その2である。 第一開発部 元は廃品回収トラックのメンテナンス等を行う部門だった。 主に廃品回収部門とサルベージ部門に関わり、機密を保ったままキャバリア部品を完全に破壊する廃棄システムやサルベージ作業のための水中作業機械などの開発を行っている。 警備部門 S&R設立当初、サルベージ作業中の敵国キャバリアによる襲撃などに対する警備は他企業や傭兵に依頼していたがS&Rの成長に伴い、警備活動を自社で行うため割と最近に発足された。 そのため主力は水中適正が高いキャバリアとパイロットが多い。 第二開発部 警備部門発足に伴い、やっぱうちも自前のキャバリア欲しいよな~という感じに作られた。 しかし、発足後サルベージ部門によるオブリビオンマシンなどの発見が相次いだため、主にそれらの解析が主業務となっており、開発実績はそれらの補助パーツなどに留まっている。 第一開発部から移籍もあるが、設立当初に大規模に人員を募集しており2つの開発部の方針は大きく異なり関係性は良くないとの声もある。 キャバリア関連商品 関係者 警備部門所属 本城・アサヒ(https //tw6.jp/character/status/f30490) 住民の声 あのCMいい加減飽きるっつーの。何度も言われんでもわかるわそれぐらい ――住民A お互いに「よう、ゴミども!」と声を掛け合うフランクでアットホームな職場です ――社員A 設定管理:ニート
https://w.atwiki.jp/craftaliafederation/pages/99.html
F750C型/アトラル・ネセト級汎用フリゲート(FF) 備考 分類 フリゲート(FF) 前級 F750B型/ラティオス級汎用フリゲート 次級 F800型/ランポス級軽汎用フリゲート 詳細↓ 「MMS-2」規格を代表する艦である750型フリゲートの最終発展型。 概ね750型および750B型双方の武装を併せ持った上位互換的な仕様となっており、総合的な戦闘能力ではレシラム級をも凌駕するとされる。 特に対艦・対潜戦闘能力に優れており、クラフタリア国内で入手可能な最も強力な兵装システムを持つ戦闘艦の一つ。 従来艦から大きく設計を変更したことで建造遅延が発生しているダガーフォール級駆逐艦を補完することと、 急速な軍備拡張を進める仮想敵国へ対抗するという目的で計画された経緯から、基礎設計はかなり保守的である。 同型艦は8隻が建造された。一説によると以後のクラフタリア製フリゲートは1.12以降の環境へ移行するため、最後の1.7.10対応フリゲートとなる可能性がある。 予定通り1.7.10時代最後のフリゲートとなった本級はその高性能から長きにわたって運用が継続されたものの、統一歴180年頃には老朽化が深刻となったため、マングローヴ級無人コルベットへと代替されて、全艦が退役している。 備考 全長 176m 全幅 21m 満載排水量 9310t 機関 PE N4200 ネザー機関×2 PE X1050電動機 ×2 CONLAN方式 合計出力 40MW(電動機)/60000HP(ネザー機関) 最大速力 32ノット 乗員数 95名前後 満載排水量 約-B/ 9310t 武装 CCM15A3 705弾頭可変装薬単装砲(254mm ATGSⅡ) ×1 CBSAM-1 対空対水上両用コマブロ拡散砲 ×1 VLS-7D LSAM 240CB コマンドブロック式対空VLS(射程延伸型) ×2(全方位対応) VLS-7D SUM 324CB コマンドブロック式対潜VLS(射程延伸型) ×3 VLS-7E SSM コマンドブロック式艦対艦VLS ×18 SST-93 70装薬2100弾頭魚雷発射管 ×1 艦載機 CSH-5 ×1 QSH-6(無人哨戒ヘリ) ×1 C4Iシステム ARWS-M5C コマブロC4Iシステム EWS-M2X 第2+世代型エクスカリバー戦闘システム EWS-M3G 第3.5世代型エクスカリバー戦闘システム RS-FCS ver10 mod1 レーダー MEAR-410A 複合多機能レーダー AMR-5X journey対mobレーダー ソナー CBS-120C2 コマンドブロック式対潜ソナー 同型艦 艦番号 艦名 分類 状況 FF-791 アトラル・ネセト 退役済み FF-792 ゴグマジオス 退役済み FF-793 オストガロア 退役済み FF-794 エスピナス(二代目) 退役済み FF-795 ジエン・モーラン(二代目) 退役済み FF-796 ダレン・モーラン(二代目) 退役済み FF-797 ゴア・マガラ(二代目) 退役済み FF-798 シャガルマガラ(二代目) 退役済み 合計 0隻運用中