約 3,508,292 件
https://w.atwiki.jp/sakushiro/pages/52.html
飯寺館(にいでらだて) 所在地会津若松市門田町飯寺 別称幕内館 築城年天授五年(康暦元・1379) 築城者蘆名直盛 城主変遷蘆名氏(1379-82) 廃城年不明 現状稲荷神社、企業敷地 概要 飯寺館は福島県会津若松市に所在した城館跡であり、中世の会津領主である蘆名氏の初期の居館の一とされる。 歴史 天授五年(康暦元・1379)会津へ下向した蘆名直盛は、初め幕内館を築いて居住したとされるが、一般にその館はこの飯寺館を指していると考えられている。直盛はその後すぐ弘和二年(永徳二・1382)に小館へ、さらに元中元年(至徳元・1384)に東黒川館(小高木館、のち黒川城)へと移ったとされる。そしてその子孫は天正十七年(1589)伊達政宗の侵攻を受けるまで、会津領主として南奥州に大きく勢力を拡大した。 現状・感想 蘆名氏の下向時期、その居城の変遷などは諸説あり、何やらワケが判りませんが、この天授五年に始まる飯寺館(幕内館)→小館→東黒川館の流れが一般的な様です。飯寺館は現在会津オリンパスの工場となっている場所が中心で、稲荷神社がある場所はその南に位置する郭であったと考えられています。東には馬場があったとされていますが、全体的に工場や道路などによって全くその面影は残っていません。 関連項目 福島県の城館一覧 蘆名氏の城館一覧
https://w.atwiki.jp/sakushiro/pages/51.html
中島館(なかじまだて) 所在地会津若松市門田町面川 別称中嶋柵 築城年応仁元年(1467) 築城者中嶋実澄 城主変遷中嶋氏… 廃城年不明 現状民家(会津鉄道門田駅東側) 概要 中島館は福島県会津若松市に所在した城館跡である。 歴史 応仁元年(1467)中嶋越中守実澄が築いたとされる。 現状・感想 会津鉄道門田駅前に所在する館跡です。カワイイ駅舎を出ると、すぐ右側に土塁と水田になっている堀跡を確認出来ますが、個人宅となっており訪問もしていないので詳細はわかりません。 どうせだからと門田駅の写真を撮影していたところ、蝉が架線の柱にとまって啼き出しました。その時初めてツクツクボーシの啼き声を聴いたんですが、「つくつくぼ~し、つくつくぼ~し」では無く「つくつくぼーーーぉし、つくつくぼーーーぉし」だったんですねー。字で書いてもわかんねーや。 関連項目 福島県の城館一覧
https://w.atwiki.jp/sakushiro/pages/48.html
面川館(おもがわだて) 所在地会津若松市門田町面川 別称 築城年治安元年(1021) 築城者永井行広 城主変遷永井氏…松本氏…佐瀬氏… 廃城年不明 現状企業敷地 概要 面川館は福島県会津若松市に所在した城館跡であり、年代は不詳ながら永井氏、松本氏、佐瀬氏らが居住したという。 歴史 治安元年(1021)永井淡路行広が築城し、その後松本源兵衛安石が居住したと『会津古塁記』にあり、また『新編会津風土記』には佐瀬将監の居館とある。東西二十間、南北二十五間の規模であったという。 現状・感想 現在は宮崎電線の工場敷地となっており、西側に土塁跡が見られます。なお工場が建設される以前は周囲に土塁、堀が確認出来たそうです。 関連項目 福島県の城館一覧
https://w.atwiki.jp/borre85/
一応我が家は週二回、買い物に行きます。買い忘れや急な必要な買い出し以外は、ガソリン代節約と無駄買い防止のため二回と決めています。 献立考えて、材料書き出して、値段まで予想して出かけます。といっても、行ってびっくり値のものや欲しかったものがあると、ついつい手が出てしまうし、 それより何より我が家の男子のお菓子好きが家計を圧迫している現実。毎日食後はお菓子がないと機嫌が悪くなるというお菓子男子二人。 塵も積もれば何とかと言うけれど、かごはまさに塵ばっかりという日もあって、おかずにかなり影響している感じ。たかがお菓子だけれど侮るなかれ、結構 高いものもあるわけで、おかずの材料より高額だって珍しくないのです。 毎日の攻防も月の初めは軽いけれど、後半に入るとそういうわけにはいかず、悩み悩みの買い物は苦しい限り。献立、材料など考えることがボケ防止と言うけれど、たまには、というより毎日金額に悩まずクレジットカードhttp //tyumama14.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-ad09.htmlを使って買いたいものを買える生活をしてみたい。ちょっとリッチなスーパーに毎日通えたら最高なんだけど。 クレジットカードは持っているだけで今まで使った事がありませんでした。このクレジットカードはお守りのようなものだったのです。 不意に買いたいものがあった時、お金がくなって仕方がない時などに使うものだと思っていたのです。でも使っていなくても、しっかりと年会費はとられているのです。毎年決まった月に、決まった年会費を引き落とされているのです。 使ってもいないのに、なんだかもったいなく感じていました。クレジットカードを作ってから五年経ちますが、五年間も私は毎年年会費として千三百円を払っているのです。銀行口座から引き落とされているのです。 だから通帳を見ると、とてももったいなく思えるのです。だったら日頃から利用して、きちんと年会費を払ったほうがいいなと思うのです。そうじゃないと、納得いきません。
https://w.atwiki.jp/sakushiro/pages/20.html
允殿館(じょうどのたて) 所在地会津若松市館馬町 別称尉殿館 築城年宝徳三年(1451) 築城者松本通輔 城主変遷蘆名氏[松本氏]… 廃城年不明 現状館薬師堂 概要 允殿館は福島県会津若松市に所在した城館跡であり、中世に会津領主であった蘆名氏の有力家臣松本氏の居館の一である。 歴史 宝徳三年(1451)蘆名氏家臣松本右馬允通輔が築いたとされる居館。 松本氏は信濃国を発祥とし、室町時代中期に蘆名氏に従い会津へ土着、蘆名氏の勢力伸張に貢献して四天宿老筆頭とされ、大沼郡船岡館を本拠に一族は会津各所に大いに勢力を拡大した。しかし主家蘆名氏に対する叛乱の記録も多く、この右馬允も宝徳三年(1451)御山館主多々良伊賀を襲撃し、享徳二年(1453)蘆名盛詮の命を受けた松本筑前に襲撃を受け日光に逃れている。なお右馬允は同年猪苗代氏、河原田氏の後援を受けて河沼郡浜崎城へと入城するが、蘆名氏によって攻撃を受け自刃している。 また明徳七年(1498)には蘆名盛高によって松本備前がこの館で討たれ、館主右馬允(上記とは別人であろう)も誅殺されている。 現在は会津五薬師の一、館薬師堂が建っており、また敷地内には現在の会津若松市の基礎を築いた蒲生氏郷の子、秀行の廟所がある。 現状・感想 允殿館としてより蒲生秀行廟がある場所として有名、ってな訳でもなく、興味のない方には全く知られない館跡、廟所です。まあ史跡なんてどこもそんなもんですがね。初めて行った時には、館馬町、館脇町、対馬館という地名に惹かれて行っただけなので、蒲生秀行廟には驚かされました。今は観光地図に載ってますが、わたしが会津に来た頃には載ってなかったんですよー。 でも会津の方って、氏郷にはそれなりの敬意をはらっているようですが、秀行以降は余りにないがしろにしているような…。確かに事績も振るわないかもしれないけど、宇都宮から返り咲いた会津60万石の太守なのに…。氏郷→上杉景勝→保科正之で片付けられているような気がします。 関連項目 福島県の城館一覧 蘆名氏の城館一覧
https://w.atwiki.jp/trebor/pages/634.html
鶴ヶ城会津若松市追手町1-1
https://w.atwiki.jp/sakushiro/pages/33.html
界沢館(さかいざわだて) 所在地会津若松市高野町界沢 別称堺沢館、境沢館 築城年天授(康暦)~元中(至徳)年間(1379-87)頃か 築城者金屋氏か 城主変遷蘆名氏[金屋氏]… 廃城年不明 現状耕真寺、宅地 概要 界沢館は福島県会津若松市に所在した城館跡であり、中世に会津領主であった蘆名氏の家臣金屋氏が居館したという 。 歴史 蘆名直盛家臣金屋尾張某が居住したとされることから、構築年代は直盛が会津へ下向したとされる天授五年(康暦元・1379)、東黒川館に移った元中元年(至徳元・1384)頃であろうか。 現状・感想 界沢集落内の耕真寺境内地を西端とし、東側の宅地一帯が館跡と比定されている様です。東面して建つ耕真寺裏、墓地と水田の間に土盛りがありますが、これが遺構かどうかを見極める眼力をわたしに求めるのは酷というものでしょう。集落内の鉤形の道路、用排水路は館跡の名残なのでしょうかねぇ…。 関連項目 福島県の城館一覧 蘆名氏の城館一覧
https://w.atwiki.jp/sakushiro/pages/21.html
対馬館(つしまだて) 所在地会津若松市城西町 別称中野館 築城年明応元年(1492) 築城者松本対馬 城主変遷蘆名氏[松本氏]… 廃城年不明 現状県営対馬館団地 概要 対馬館は福島県会津若松市に所在した城館跡であり、中世に会津領主であった蘆名氏の有力家臣松本氏の居館の一である。 歴史 明応元年(1492)蘆名氏家臣松本対馬が築いたとされる居館。 対馬は明応九年(1500)正月、主である蘆名盛高に攻められ、弟松本勘解由の居城綱取城へ逃れた。しかしさらに盛高は同年二月綱取城を攻めてこれを落とし、対馬は誅殺された。 現状・感想 現在は県営団地となっており、遺構は全く残っていない。 関連項目 福島県の城館一覧 蘆名氏の城館一覧
https://w.atwiki.jp/post_map/pages/2793.html
会津若松(原)郵便局 郵便番号:〒965-02 集配地域:福島県会津若松(あいづわかまつ)市の旧・北会津(きたあいづ)郡湊(みなと)村域。 1.jpg (福島県)原郵便局局舎 2.jpg (福島県)原郵便局取集時刻掲示 達成状況[20**年*月**日現在] 普通のポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 コンビニポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 ポスト考察 ●編集中 ポスト番号考察 ●編集中 設置傾向考察 ●編集中 取集時刻考察 ●編集中 取集ルート考察 ●編集中 時刻などの掲示 ●編集中
https://w.atwiki.jp/sakushiro/pages/68.html
堂島塁(どうじまるい) 所在地会津若松市河東町(旧河沼郡河東町)大田原 別称 築城年建久年間(1190-98) 築城者佐瀬清光 城主変遷慧日寺[佐瀬氏]…蘆名氏[佐瀬氏]… 廃城年不明 現状耕作地、河川 概要 堂島塁は福島県会津若松市(旧河沼郡河東町)に所在した城館跡である。 歴史 建久年間(1190-98)慧日寺寺侍の佐瀬権太郎清光が築城、居住したと『会津古塁記』にある。東西三十一間、南北四十間の規模であったという。 佐瀬氏はその後蘆名氏の麾下に加わり、耶麻、河沼郡内に一族が大きく勢力を拡大、蘆名四天宿老家の一となっている。 現状・感想 「まほろん」文化財データベースの位置情報をもとに訪問、それによると日橋川河岸から南側の耕作地にかけての範囲がその跡だった様です。川と耕作地の間には林があり、その中に何かしら残っているかも…と思いましたが、訪問時は通勤途中でしたので進入は控えました(^-^; 関連項目 福島県の城館一覧 蘆名氏の城館一覧