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デザイン 機種 BLACK LAGOON2 アニメーション あり スキル効果 精算時に使用すると、ピースが少し増加する次ゲームに30%の確率で中段チェリーが成立 消費SP 032 入手方法 イベント LvMAX経験値 ? 限界突破素材 限界突破先 限界突破元 ロック+1 備考
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本店:岐阜県大垣市河間町3丁目55番地 【商号履歴】 イビデングリーンテック株式会社(1998年5月~) イビデン工業株式会社(1972年12月~1998年5月) 揖斐電化成株式会社(1963年2月~1972年12月) 揖斐電肥料株式会社(1959年3月20日~1963年2月) 【株式上場履歴】 <名証2部>1997年4月10日~2005年9月27日(イビデン株式会社と株式交換) 【筆頭株主】 イビデン株式会社(親会社) 【合併履歴】 1998年5月 日 三井不動産グリーンテック株式会社 【沿革】 当社は、昭和34年3月、揖斐川電気工業株式会社(現 イビデン株式会社)他12名の出資により、複合肥料の製造・販売を目的として、岐阜県羽島郡に資本金1千万円で揖斐電肥料株式会社として設立されました。その後、法面工事及び造園工事を中心とする特殊土木工事業に事業転換し、現在に至っております。 昭和38年2月 商号を揖斐電化成株式会社に変更 昭和38年3月 建設業法による建設大臣登録(カ)第3066号の登録を完了し、土木工事業に進出 昭和38年6月 食品加工事業に進出し、オニオン・ガーリック等天然香辛料の製造を開始 昭和39年10月 本社を岐阜県大垣市神田町に移転 昭和40年4月 大阪出張所(現 大阪支店)、東京営業所(現 東京本社)を設置 昭和41年10月 九州出張所(現 九州支店)を設置 昭和41年12月 仙台出張所(現 東北支店)を設置 昭和42年2月 広島出張所(現 広島支店)を設置 昭和42年8月 高松出張所(現 四国支店)を設置 昭和45年8月 肥料事業から撤退し、肥料の製造販売を廃止 昭和47年4月 本社を岐阜県大垣市河間町3丁目55番地に移転 昭和47年12月 商号をイビデン工業株式会社に変更。名古屋営業所(現 名古屋支店)を設置 昭和48年7月 建設業法改正により、建設大臣(現 国土交通大臣)許可(特―48)第1250号を受ける(以降3年ごとに更新、なお建設業法改正に伴い平成9年から更新期間5年ごとに変更) 昭和50年11月 食品加工事業をイビデン食品株式会社(現 イビデン物産株式会社)に営業譲渡し、当社事業を土木工事業に集約 平成9年4月 当社株式を名古屋証券取引所市場第二部に上場 平成10年5月 三井不動産グリーンテック株式会社と合併し、商号をイビデングリーンテック株式会社に変更。この合併に伴い両社の事業所を統合して東京本社、横浜支店を設置 平成14年4月 岐阜県揖斐郡池田町に植栽管理業務を目的として、資本金3百万円で連結子会社アイビー・スタッフ有限会社を設立 平成15年4月 東京都千代田区に植栽管理業務を目的として、資本金3百万円で連結子会社アイビー・グリーン有限会社を設立
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@wikiにはいくつかの便利なプラグインがあります。 アーカイブ コメント ニュース 人気商品一覧 動画(Youtube) 編集履歴 関連ブログ これ以外のプラグインについては@wikiガイドをご覧ください = http //atwiki.jp/guide/
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log4jで実装してみた。(2012/2/4 旧wikiから移行)参考サイト log4jとは(2012/2/4 旧wikiから移行) log4jで実装してみた。(2012/2/4 旧wikiから移行) 今までに学んだ内容でログ出力を行うサンプルコードを書いた。 Log4jSample.java package sandbox.log4j.sample1; import org.apache.log4j.Logger; import org.apache.log4j.PropertyConfigurator; public class Log4jSample { public static void main(String[] args) { Log4jSample mainApp = new Log4jSample(); mainApp.execute(); } public void execute() { // Loggerインスタンスの生成. Logger logger = Logger.getLogger(Log4jSample.class); // log4j.propertiesを読み込む PropertyConfigurator.configure("bin/sandbox/log4j/sample1/log4j.properties"); // 各レベルでログを出力 logger.trace("TRACEログ"); logger.debug("DEBUGログ"); logger.info("INFOログ"); logger.warn("WARNログ"); logger.error("ERRORログ"); logger.fatal("FATALログ"); } } log4j.propertes # Appenderの定義. log4j.appender.stdout=org.apache.log4j.ConsoleAppender log4j.appender.stdout.Target=System.out log4j.appender.stdout.layout=org.apache.log4j.PatternLayout log4j.appender.stdout.layout.ConversionPattern=%d %5p %c{1} - %m%n log4j.appender.file=org.apache.log4j.FileAppender log4j.appender.file.File=C \\Log4JTest\\Log4jSample.log log4j.appender.file.layout=org.apache.log4j.PatternLayout log4j.appender.file.layout.ConversionPattern=%d %5p %c{1} - %m%n # ルートカテゴリーの定義. log4j.rootCategory=INFO,stdout,file 実行するとコンソールには以下のとおりログが出力される。 2011-09-22 12 07 28,144 INFO Log4jSample - INFOログ 2011-09-22 12 07 28,144 WARN Log4jSample - WARNログ 2011-09-22 12 07 28,144 ERROR Log4jSample - ERRORログ 2011-09-22 12 07 28,144 FATAL Log4jSample - FATALログ また、C \\Log4JTest\\Log4jSample.logのファイルに上記と同じ内容のログが出力される。 サンプルコードを書いて rootCategory?rootLogger?という感じ。カテゴリ、ロガー、階層、log4j.propertiesの書き方などがまだよくわからん。 以下のように明示的にlog4j.propertiesの読み込みを記述しないと上手くいかなかった。(Webアプリケーションの場合クラスパスが通った場所にlog4j.propertiesを書いておけばこのようなコードは不要だったような気がしたが・・・) // log4j.propertiesを読み込む PropertyConfigurator.configure("bin/sandbox/log4j/sample1/log4j.properties"); 参考サイト TECHSCORE - Log4J Log4Jをいじる log4jとは(2012/2/4 旧wikiから移行) Jakartaプロジェクトで開発が進められているJavaプログラム用のログAPIである。 ログの出力先を様々に設定できる。ファイル、OutputStream、java.io.Writer、リモートlog4jサーバ、リモートUnix Syslogデーモン、NTイベントログなど log4jには以下の3つの主要コンポーネントがある。Logger - ロギングを行う部分をグループ化し必要なグループのログだけを出力することを可能にする。カテゴリーに優先順位を付けることにより様々な出力方法を指定できる。 Appender - ログの出力先を指定する。 Layout - ログの出力フォーマットを指定する。 log4Jは以下のログレベルを標準提供している(レベルが高い順)。利用者が任意のログレベルを追加することも可能。FATAL - 致命的なエラー。プログラムの異常終了を伴うようなもの。 ERROR - 予期しないその他の実行エラー。 WARN - 警告。廃要素のAPIの使用やAPIの不適切な使用、エラーに近い事象など。 INFO - 情報。実行時の何らかの注目すべき事象(開始や終了など)。 DEBUG - デバッグ用の情報。システムの動作状況に関する詳細な情報。 TRACE - デバッグ情報よりも更に詳細な情報。 使うときのざっくりした流れは以下な感じ。1.Loggerを作成する 2.Appenderを作成してLoggerにぶら下げる 3.Layoutを作成して、Appenderにぶら下げる 4.ログ出力をする。 上記手順の1~3(2~3?)は設定ファイル(log4j.properties)で外部ファイル化できる。
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まとめサイト作成支援ツールについて @wikiにはまとめサイト作成を支援するツールがあります。 また、 #matome_list と入力することで、注目の掲示板が一覧表示されます。 利用例)#matome_listと入力すると下記のように表示されます #matome_list
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クインテットのことを追っていたら、いつの間にか大河ドラマみたいになったでござる。 作品のCMがあった場合、こちらに載せてます。 70年代75年 80年代81年 82年 83年 ファミコン発売、国内ビデオゲーム市場の本格的始動 84年 ハドソンがファミコン初のサードパーティに 85年 スーパーマリオブラザーズ発売、ファミコン人気が不動に 86年 87年 PCエンジン発売 88年 メガドライブ発売 89年4月 クインテット設立 ゲームボーイのRPG 90年代90年 スーパーファミコンこんにちは12月16日 アクトレイザー発売 ローンチ元年のスーファミソフト 91年 エニックス出版事業に参入。ゲーム制作が手薄に。 92年 ドラクエ5ついに登場1月31日 ソウルブレイダー発売 93年 エニックス、自社ソフトで食い合いを起こす10月29日 アクトレイザー2発売 11月27日 ガイア幻想紀発売 94年 次世代機戦争の幕開け7月8日 スラップスティック 95年10月20日 天地創造発売 スーファミの集大成 天地創造前後のソフト 96年 NINTENDO64発売64のソフト不足 97年 FF7とポケモンと3月25日 クインテットがホームページを開設 11月6日 グランストリーム伝紀 3大RPG 98年1月19日 クインテットのホームページがウェブアーカイブで確認出来る最古の日 1月22日 ソロ・クライシス発売 7月9日 ハイスピード・ドライヴィングADV『コードR』発売 99年10月14日 ブライティス 10月21日 プラネットライカ 12月23日 ゴジラ ジェネレーションズ マキシマム・インパクト 12月29日 シェンムー 一章 横須賀 2000年代00年 プレイステーション2、盤石の体制で登場。 01年 ゲームボーイアドバンス ゲームキューブ発売。総合力でプレステ2に対抗。6月21日 リリーのアトリエ 〜ザールブルグの錬金術士3〜 9月13日 ロボットポンコッツ2 9月21日 スーパーロボット大戦A 10月25日 SIMPLE1500シリーズ Vol78 THE ゼロヨン 12月27日 犬夜叉(PS) 02年 マイクロソフトがゲーム業界に殴り込み。2月26日 公式ページの更新が、この日を最後に途絶える 3月29日 マジカル封神 4月16日 Infogrames HudsonよりBlender Brothers 8月2日 スーパーロボット大戦R 9月20日 落語タイピング寄席 楽太郎の真打 12月26日 機動新撰組 萌えよ剣 03年8月8日 スーパーロボット大戦D 11月 アクトレイザー携帯アプリで配信 04年3月18日 犬夜叉 ~呪詛の仮面~ 12月16日 ボボボーボ・ボーボボ 集まれ!! 体感ボーボボ 05年9月15日 スーパーロボット大戦J 06年1月26日 アルトネリコ 世界の終わりで詩い続ける少女 2月16日 BLEACH 放たれし野望 07年3月20日 アクトレイザー、Wiiバーチャルコンソールで配信 9月頃 クインテット倒産 08年9月25日 ソウルイーター モノトーン プリンセス 12月23日 ギガ・ファクトリ設立 2010年代10年 19年 70年代 [部分編集] 75年 福嶋康博が「営団社募集サービスセンター」を設立。 公団住宅の募集情報をまとめた会員制情報誌の発行し評判となるが、「ビジネスの先が見えた」と全く異なる事業を模索する。 パソコンのビジネスソフトをターゲットに、顧客管理ソフトの営業を始めるが、当時はハードウェアの性能が貧弱だったため、ホビー分野の方が将来有望と判断。コンピューターゲームの企画、販売に乗り出すことになる。 エニックス ゲーム・ホビープログラムコンテスト(前編) 全てはここから始まった 80年代 [部分編集] 81年 82年 営団社募集サービスセンターの子会社としてエニックス設立。 黎明期のエニックスに欠かせないのが、集英社のマシリトこと鳥嶋和彦氏。 電ファミのインタビュー 後にドラクエのプロデューサーとなる千田幸信が、優勝賞金100万円のゲームソフトコンテストを行う(同年12月20日締め切り)。 鳥嶋氏の仕込みで作品を送っていた森田和郎が『森田のバトルフィールド』で最優秀プログラム賞。 当時高校3年の中村光一が『ドアドア』で優秀プログラム賞。 ライターとして参加していた堀井雄二も、趣味で作った『ラブマッチテニス』を出したところ入選プログラム賞を受賞する。 翌年、副賞の米国旅行に取材を重ねてアップルフェストに行き、帰国後噂に聞いていた『ウィザードリィ』を購入する。 83年 ファミコン発売、国内ビデオゲーム市場の本格的始動 7月15日 任天堂からファミリーコンピュータ発売。 本体のCMでは「テレビ共存タイプ」と、邪魔にならない存在をアピール。 セガ初の家庭用ゲーム機「SG-1000」の発売日はなんとファミコンと同日。 ゲーム機大戦に「天性の噛ませ犬」といわれるが、実際、コストパフォーマンスに優れた名機である。ファミコンさえなければ 10月 電友社のソフト開発部門としてスクウェアが設立される。 84年 ハドソンがファミコン初のサードパーティに 6月21日 ファミリーベーシック発売。開発はPC用ソフトでシャープと繋がりがあったハドソン。 ハドソンはこの開発が元で、ファミコンへ参入することとなる。 7月20日 ハドソンがロードランナーとナッツアンドミルクでファミコンに参入。初のサードパーティに。 85年 スーパーマリオブラザーズ発売、ファミコン人気が不動に 6月 スクウェアから『ウィル デス・トラップII』が発売される。処女作だった前作から内容が変わり、SF調に。ヒロインが瞬きする「アニメーション」が話題になった。 9月13日 スーパーマリオブラザーズ発売。最終的に国内681万本という数字を残す。単独ソフトの販売本数としては現在も破られていない。 堀井雄二をライターに、週刊少年ジャンプのゲーム批評コーナー「ファミコン神拳」が始まる。 『ドルアーガの塔』を特集した回は、漫画を差し置き、アンケート順位で3位になる。 世界観や戦闘が面白い『ウィザードリィ』とフィールドやダンジョンが面白い『ウルティマ』を融合したRPGの制作に取り組む。 86年 7月14日 スクウェアがパソコンメーカーを集めてDOGブランドを展開。ディスクシステム自体があまり普及しなかったせいかイマイチに終わる。 87年 PCエンジン発売 10月30日 NECホームエレクトロニクス(NEC-HE)よりPCエンジン発売。 開発はNEC-HEとハドソンが共同で行った。 ファミコンを上回るCPUを作ってしまったハドソンと、ゲーム機を作りたかったNECの思惑が合致した格好。 拡張性を持たせた本体設計が特徴で、様々な周辺機器が発売され九龍城が如く発展した。 88年 メガドライブ発売 10月29日 セガよりメガドライブ発売。 16ビットCPUを採用したことからキャッチコピーは「時代が求めた16ビット」。 いとうせいこうを起用したCMでは「最近ゲームがつまらない」「それはソフトのせいじゃない」「ハードに限界があったからだ」と発言。 8ビットCPUのPCエンジン、「旧世代機」となったファミコンに対して宣戦布告。 おそ松くんのことは忘れろ。 89年 4月 クインテット設立 橋本氏が社長、宮崎氏が専務。副社長は誰だったのだろう。 4月21日 ゲームボーイ発売。テトリスの大ヒットから、当初はパズルゲームが多かった。 しかし、任天堂はスタンド・バイ・ミー好きねぇ。 12月15日 魔界塔士Sa・Ga発売。携帯ゲーム機のロールプレイングゲームとして、そしてスクウェアとしても初のミリオンヒットを記録。 ファミコンでRPGを実現させたのはエニックスだったが、ゲームボーイでRPGを実現させたのはスクウェアだった。これがポケットモンスターへと繋がっていく。 ゲームボーイのRPG モノクロゲームボーイのRPGと言えば、 スクウェアのSa・Ga やのまんのアレサ バンプレストのONI(開発・パンドラボックス)が知られる。 ONIはバンプレストが「飯島(シリーズ作者)はパソコンではなくコンシューマ向きだ」といわれたのがきっかけだとか(ゲームサイドVol.8,54P)。 videoプラグインエラー 正しいURLを入力してください。 どの作品も、後にスーファミでシリーズを出している。 90年代 [部分編集] 90年 スーパーファミコンこんにちは [部分編集] 10月6日 セガよりゲームギア発売。 ゲームボーイを開発した横井軍平は、電池の持ちから他社がカラーで出したらウチの勝ち、と情勢を読み切っていた。 セガも薄々分かっていたようだが、それ以外に差別化も出来ないので販売に踏み切ったようだ。 より尖っていたAtari LYNXやPCエンジンGTに対し、セガマーク3と同等の性能にすることで、ソフトの開発を容易にした。 2番手になるのも楽ではないのだ。 CMはゲームボーイを揶揄した痛烈なものだが、日本で比較広告はウケないよ…。 11月21日 任天堂よりスーパーファミコン発売。 発表から丸2年経っての発売であったが、スーパーマリオワールドを引っ提げ人気になる。 12月16日 アクトレイザー発売 ローンチ元年に発売された9本のタイトルの一つであり、40万本を売り上げる。 ローンチ元年のスーファミソフト 以下の通りである。 アクトレイザーとポピュラスの発売日が一緒なのが面白い。 11月21日 スーパーマリオワールド(任天堂、4M) 11月21日 F-ZERO(任天堂、4M) 12月1日 ボンバザル(コトブキシステム、4M) 12月16日 アクトレイザー(エニックス、8M) 12月16日 ポピュラス(イマジニア、4M) 12月21日 パイロットウイングス(任天堂、4M) 12月21日 グラディウスIII(コナミ、4M) 12月21日 ファイナルファイト(カプコン、8M) 12月29日 SDザ・グレイトバトル 新たなる挑戦(バンプレスト、8M) 91年 エニックス出版事業に参入。ゲーム制作が手薄に。 [部分編集] 3月12日 エニックスが『月刊少年ガンガン』を創刊する。月刊少年誌という、長らく成功例がない逆風を「ボリュームガンガン」で押し切り成功させる。 6月28日 聖剣伝説~ファイナルファンタジー外伝~発売 FFの外伝として売り出すことで45万本を売り上げる。 3月24日 エニックスよりPCゲームの『ジーザス2』発売。 エニックスが91年に出したソフトはこれだけ(だと思う)?。 このソフトも、シナリオ担当者がエニックスと対立し降板するなど、制作に4年かかった。 プログラマとして参加した芸夢狂人(鈴木孝成)も、チーム制作の難しさから、ゲーム開発から撤退している。 92年 ドラクエ5ついに登場 [部分編集] 1月31日 ソウルブレイダー発売 アクトレイザーからシュミレーション部分をフィーチャーし、ARPGとしたが、売上は20万本。 ダサい味わい深いパッケージがイカンかったのかな? 9月27日 ドラゴンクエスト5発売 ドラクエ3以降で、唯一300万本を下回る(280万本。オンラインの『10』は除く)が評価は高く、リメイク版では好調な売上を記録。 映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』の題材にもなり、映画を見て激怒したユーザーがDS版を買った結果、2019年のランキングに再登場する。 12月15日 スクウェアから遅れること3年、エニックスが『ダンジョンランド』でゲームボーイに参入。開発は森田和郎率いるランダムハウス。 Wikipediaではジャンルがボードゲームになっているが、スクエニはダンジョンRPGとしている。 93年 エニックス、自社ソフトで食い合いを起こす [部分編集] 3月12日 クエストが伝説のオウガバトルを発売。10万本程度の売上を予想し企画・製作されたが、40万本のヒットとなる。 8月6日 聖剣伝説2発売。売上には諸説あるが、150万本の大ヒット。 同時期のソフトより頭一つ抜きん出たグラフィック、狙いすまされたOP、マルチプレイ対応でワイワイプレイできるなど、スクウェア黄金期の幕開けを感じさせた。 10月29日 アクトレイザー2発売 ソウルブレイダーとは逆にアクションへ特化したが、売上は前作の1/10、4万本に留まる。 11月27日 ガイア幻想紀発売 ドラクエのエニックスを全面に押すが、前作と同じ20万の売上。 ジャンル違うけど、アクトレイザー2の発売日近すぎるんじゃない? 12月18日 ドラゴンクエスト1・2発売。この年のエニックスは販売間隔が近すぎたんじゃないかな。 94年 次世代機戦争の幕開け [部分編集] 3月20日 3DOが松下電器産業(現・パナソニック)から発売。アメリカでは前年10月に発売済みで、次世代機の幕開けとなった。ハード性能は高かったものの、強気な本体価格と洋ゲー主体のラインナップで苦戦する。 7月8日 スラップスティック こうやって次世代機のCMに混ざると、一種の清涼剤のようである。 11月22日 セガ・エンタープライゼスからセガサターンが発売。32ビットCPUを2個搭載したことから「64ビット級」と宣伝。 12月3日 ソニー・コンピュータエンタテインメントよりプレイステーション発売。「(発売日から)1、2、3でゲームが変わる」「全てのゲームは、ここに集まる」など宣伝したが、開発会社もユーザーもまだまだ様子見といったところ。 12月23日 NECホームエレクトロニクスよりPC-FX発売。コア構想を再提唱したものの、49800円とある意味強気な価格(プレステ39,800円、サターン44,800円)が災いし、スタートダッシュで出遅れる。 (ちなみに、PC-FXのCMはこれが唯一である) 95年 [部分編集] 10月20日 天地創造発売 アクション制が薄くなった聖剣伝説3とは逆にサクサクアクション。まぁ、相変わらず一人プレイだけど。 売上も相変わらず20万本だけど。 スーファミの集大成 95年はスーパーファミコンの集大成ともいえる年だった。 前年末にセガサターンとプレイステーションが発売され、次世代機戦争が開幕したが、 スーファミのソフト数は94年(370本)とほぼ同じの360本をキープ。 なお任天堂の次世代機が発売された96年は152本で、スクウェア(5月)、エニックス(12月)共にソフト供給を終了している。 天地創造前後のソフト (3月11日 クロノ・トリガー) ※Wikipediaの『天地創造』の項目には「同時期に発売された同作(クロノ・トリガー)の知名度に隠れた感がある」とあるが、半年以上離れているから影響は少ないと思う (7月14日 ミスティックアーク) (8月5日 スーパーマリオ ヨッシーアイランド) (9月29日 メタルマックスリターンズ) (9月29日 常勝麻雀 天牌 エニックス発売の麻雀ソフト。Amazonレビューすらない) (9月29日 ハーメルンのバイオリン弾き エニックスがガンガン連載の漫画をゲーム化) 9月30日 聖剣伝説3 10月6日 タクティクスオウガ 10月20日 天地創造 11月11日 ロマンシング サ・ガ3 (11月21日 スーパードンキーコング2 ディクシー ディディー) (12月1日 ロックマンX3) 12月9日 ドラゴンクエストVI 幻の大地 12月15日 テイルズ オブ ファンタジア 12月22日 天外魔境ZERO (12月29日 イースV 失われた砂の都ケフィン) 秋の四天王 この歳のエニックスは、夏にミスティックアーク、秋に天地創造、冬にドラクエ6と上手く発売時期を分散したと思う。 天地創造と発売日が近く、同じアクションRPGの聖剣伝説3はたまに比較される。 まぁ「聖剣伝説3と比べて売れなかったけど、天地創造の方が俺は好き」といった僻みのようなものであるが。 クインテット作品はときおり見せる物悲しい雰囲気が魅力的で、聖剣伝説もそういった部分はあるが、 スクウェア仕込みの魅せるグラッフィックに、マルチプレイでワイワイ出来るのが違いだろう。 秋発売の4作品(聖剣3、タクティクス、天地、ロマサガ3)を並べると「四天王の中でも最弱」と言われそうな布陣だが、売上をキープしているのは固定ファンが居る証拠だろう。 前作(?)との売上比較 聖剣伝説2 150万本→3 80万本 伝説のオウガバトル 40万本→タクティクスオウガ 50万本 ガイア幻想紀 20万本→天地創造 20万本 ロマンシング・サガ2 149万本→3 130万本 ※聖剣伝説は売上を落としすぎていると思うが、この頃のデータは曖昧なので参考程度に。 冬商戦はネオトキオの広報によりドラクエ6が一人勝ち。 ただ、テイルズもここからシリーズに繋げていったのがすごい。 元々CDメディアで展開していた天外魔境は、強みを発揮出来なかったせいか値崩れが激しかった(評価は高い)。ただ、メジャーなハードで出たことで一定の認知度はあったようだ。リメイクラッシュの時(DS/PSPの頃)に復活しなかったのが悔やまれる。 96年 NINTENDO64発売 [部分編集] 2月6日 スクウェア、デジキューブ設立。コンビニ流通でのソフト販売を目指す。 2月27日 ポケットモンスター赤・緑発売 この2色が選ばれたのは、マリオとルイージの色だからとか(海外では赤・青)。 この日が発売日だっけ?というほど発売当初は注目されていなかった。 6月23日 NINTENDO64発売。ゲームが変わる。64が変える。ソフトが出ない。 64のソフト不足 強気の姿勢を崩さない任天堂(というか山内社長)だったが、64のソフト不足は深刻なものであった。 本体が6月に出たのに、同年発売されたソフトは10本という少なさ。 6月23日 スーパーマリオ64(任天堂) 6月23日 パイロットウイングス64(任天堂) 6月23日 最強羽生将棋(セタ) 9月27日 ウェーブレース64(任天堂) 11月22日 ワンダープロジェクトJ2 コルロの森のジョゼット(エニックス、コントローラーパック同梱) 11月29日 栄光のセントアンドリュース(セタ) 12月14日 マリオカート64(任天堂、コントローラー・グレー ブラック同梱) 12月20日 超空間ナイター プロ野球キング(イマジニア) 12月20日 実況Jリーグ パーフェクトストライカー(コナミ) 12月20日 麻雀MASTER(コナミ) 11月22日 ワンダープロジェクトJ2 コルロの森のジョゼット発売。 ソフト日照りの中出たので、アクトレイザーのようにヒットするかと思いきや、ターゲット層を読み違えたCMのせいか伸び悩む。 後年、ワンダープロジェクトJ2の事を知った時、あのパッケージか!と思い出す。 見る頻度が多かったのはワゴンにある事が多かったからだろう。 J2という文字と、微笑む少女。あのパッケージは少し怖かった。 97年 FF7とポケモンと [部分編集] 1月9日 プレイステーションの国内出荷台数が500万台を突破。 1月14日 ドラゴンクエスト7のプラットフォームがプレイステーションに決まる。 1月31日 ファイナルファンタジー7発売。シリーズ初の3DCGを採用。 3月25日 クインテットがホームページを開設 4月1日 アニメポケットモンスター放送開始。人気を不動のものとする。 11月6日 グランストリーム伝紀 12月16日 ポケモンショック発生。それでも人気が衰えることはなかった。 3大RPG この年の初め、プレイステーションが500万台を突破したが、 DQ7の発表やFF7の発売で、年末までにさらに500万台を追加。 次世代機戦争において、プレイステーションの勝利を決定づけた。 ソフトの売り上げも、当然FF7が一位…と思いきや、アニメで人気が爆発したポケットモンスターが一位である(全バージョン合計だが)。 携帯機を中心に展開された故、やや立場は違うが、3大RPGといえばDQ・FF・ポケモンだろう。 98年 [部分編集] 1月19日 クインテットのホームページがウェブアーカイブで確認出来る最古の日 1月22日 ソロ・クライシス発売 人気を博したせがた三四郎(藤岡弘、)のCMが放送され、「頭を使え」と脳天瓦割りを披露している。 7月9日 ハイスピード・ドライヴィングADV『コードR』発売 99年 [部分編集] 6月10日 ハイスピード・ドライヴィングRPG『レーシングラグーン』発売。 10月14日 ブライティス ゲームサイドVol.3では「売れる要素が見つかりません」と書かれる。 10月21日 プラネットライカ 12月23日 ゴジラ ジェネレーションズ マキシマム・インパクト 12月29日 シェンムー 一章 横須賀 クインテットが関わった部分は殆どないと思うが、Productionとしてクレジットされている。 クリスマスまでに間に合わなかったのが色々痛いなぁ…。 どこに入れようかな… スクウェア、ファイナルファンタジー7をプレイステーションに向けに制作と発表。 エニックスをプレイステーション陣営に誘ったのがバレ、任天堂と絶縁状態に。 エニックス、ドラゴンクエスト7のプラットフォームとプレイステーションに決定。 ポケットモンスター赤・緑がヒット。アニメで人気を不動のものとする。 結果として携帯機市場が復活するが、任天堂と絶縁状態だったスクウェアは参入できず、ワンダースワンに。 スクウェアを尻目にエニックスはドラゴンクエストモンスターズをリリースし、大ヒットを記録。 2000年代 [部分編集] 00年 プレイステーション2、盤石の体制で登場。 3月4日 プレイステーション2発売。平成12年なので「1、2、3、4」と覚えよう。 発売日にSCEIがソフトを出さないという余裕ぶり(5日後に『ファンタビジョン』を出す)。 01年 ゲームボーイアドバンス ゲームキューブ発売。総合力でプレステ2に対抗。 3月21日 ゲームボーイアドバンス発売。追いすがるワンダースワンを振り落とし、携帯ゲーム機で盤石の地位を築く。 6月21日 リリーのアトリエ 〜ザールブルグの錬金術士3〜 6月 エニックスのコミック部門創設者やガンガン編集者が独立。マッグガーデンを設立し、エニックスお家騒動勃発が勃発する。 9月13日 ロボットポンコッツ2 9月14日 ゲームキューブ発売 CMには山内溥氏がオーナーを務めていたマリナーズのイチローを起用。 9月21日 スーパーロボット大戦A 10月25日 SIMPLE1500シリーズ Vol78 THE ゼロヨン 12月27日 犬夜叉(PS) 02年 マイクロソフトがゲーム業界に殴り込み。 2月22日 Xbox発売。プレステ2とゲームキューブを性能と重量で上回る。 2月26日 公式ページの更新が、この日を最後に途絶える 3月29日 マジカル封神 4月16日 Infogrames HudsonよりBlender Brothers 8月2日 スーパーロボット大戦R 9月20日 落語タイピング寄席 楽太郎の真打 12月26日 機動新撰組 萌えよ剣 03年 4月1日 スクウェアとエニックスが合併し、スクウェア・エニックスに 8月8日 スーパーロボット大戦D 11月 アクトレイザー携帯アプリで配信 04年 3月18日 犬夜叉 ~呪詛の仮面~ 12月16日 ボボボーボ・ボーボボ 集まれ!! 体感ボーボボ 05年 9月15日 スーパーロボット大戦J 9月 スクウェア・エニックスがTOBを実施し、タイトーを子会社にする。 某日 ゲームセンターCX第4シーズン第4回にて有野課長がアクトレイザーに挑戦(結果は失敗) 06年 1月26日 アルトネリコ 世界の終わりで詩い続ける少女 2月16日 BLEACH 放たれし野望 07年 3月20日 アクトレイザー、Wiiバーチャルコンソールで配信 9月頃 クインテット倒産 クインテットで働くために上京したものの、会社が倒産した方のTweetで判明。Tweet1、Tweet2、Twitter3 10月16日 クインテットのホームページがウェブアーカイブで確認できる最後の日 08年 9月25日 ソウルイーター モノトーン プリンセス 開発中にクインテットが倒産したので会社のクレジットはないが、別の会社に(半ば強制的に)移籍したスタッフの名前がある。 12月23日 ギガ・ファクトリ設立 宮崎氏が代表を務め、アクトレイザーの権利を保有していたと思われる会社である。 2010年代 [部分編集] 10年 7月26日 【決済ドットコム・被害者の会】追跡・宮崎友好 の投稿が2ちゃんねるで始まる。 19年 1月31日 Wiiショッピングチャンネルがサービス終了。アクトレイザーの新規購入が不可能に。 6月末 コードRとタイアップしていたESSOのガソリンスタンドが、ブランド名をENEOSに統一して消滅。
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/2832.html
インテックホールディングス 本店:富山市牛島新町5番5号 【商号履歴】 株式会社インテックホールディングス(2006年10月2日~2009年10月1日株式会社インテックに合併) 【株式上場履歴】 <東証1部>2006年10月2日~2008年3月26日(ITホールディングス株式会社に株式移転) 【沿革】 平成18年5月 株式会社インテックおよびインテック・ウェブ・アンド・ゲノム・インフォマティクス株式会社(以下、「両社」という)が、両社の取締役会において株式移転により共同で持株会社(当社)を設立する共同株式移転計画書に調印。 平成18年6月 両社の株主総会において、両社が共同で株式移転の方法により当社を設立し両社が完全子会社となることについて承認決議。 平成18年10月 当社設立。東京証券取引所市場第一部に株式を上場。 平成18年12月 株式会社キーポート・ソリューションズ(現・連結子会社)の株式(議決権比率81.0%相当)を取得(これにより、同社の子会社である株式会社オーディーケイ情報システムおよび株式会社エス・クルーが当社の連結子会社となる)。 平成19年1月 連結子会社である株式会社インテック興産は、連結子会社である株式会社マイシティを吸収合併し、商号を株式会社インテックアメニティに変更。