約 1,455,146 件
https://w.atwiki.jp/178178/pages/87.html
バートン バンクス 1 GK チリンジャン ジャック チャールトン 6 CB モルナ ムーア 3 CB コルタン コーエン 7 SB ウータン ウィルソン 5 SB スレイラン スタイルズ 13 DMF ブローム アラン ボール 14 OMF ピークレン ピータース 4 OMF チリンボン ボビー チャールトン 16 OMF ハディアス ロジャー ハント 20 CF ハルナッツ ハースト 19 CF シェラーン シルトン 22 GK シヤネン シーマン 2 GK アディオン アダムス 8 CB キルカン キーオン 11 CB イムゲ インス 15 DMF ホーナー グレン ホドル 10 OMF ガルボーン ガスコイン 23 OMF ローデン ロブソン 18 OMF バードナー バーンズ 21 WG イル ランス イアン ライト 17 CF リンデン リネカー 9 CF キウデン キーガン 12 CF
https://w.atwiki.jp/winningeleven2011/pages/248.html
イングランドクラシック ポジ デフォルト リネーム NAME 備考 GK シヤネン デイヴィッド・シーマン SEAMAN CB アディオン トニー・アダムス ADAMS CB サマスレイド ガレス・サウスゲイト SOUTHGATE CB キルカン マーティン・キーオン KEOWN SB セントピーラ― スチュアート・ピアース PEARCE CMF イムゲ ポール・インス INCE OMF プリガッツ デイヴィッド・プラット PLATT SMF マルモラーン スティーブ・マクマナマン MCMANAMAN OMF ガルボーン ポール・ガスコイン GASCOIGNE CF イル ランス イアン・ライト WRIGHT CF シオーネ アラン・シアラー SHEARER GK シェラーン ピーター・レスリー・シルトン SHILTON SW モルナ ボビー・ムーア MOORE SB ルドエ グレアム・ル・ソー LE SAUX SB サルトン ケネス"ケニー"グラハム・サンソン SANSON CMF ウォーカース レイ・ウィルキンス WILKINS CMF ローデン ブライアン・ロブソン ROBSON OMF ホーナー グレン・ホドル HODDLE OMF チリンボン ボビー・チャールトン B.CHARLTON ST シャイルコン テディ・シェリンガム SHERINGHAM WG バードナー ジョン・バーンズ BARNS WG ワロル クリス・ワドル WADDLE CF リンデン ゲーリー・リネカー LINEKER
https://w.atwiki.jp/grampus8/pages/127.html
ジョルジーニョ Jorge Antonio Putinatti JORGINHO プロフィール 生年月日 : 1959年8月23日 身長/体重 : 175cm / 65kg 出身地 : ブラジル 経歴 : マリリア - パルメイラス - コリンチャンス - フルミネンセ - グレミオ - サントス - キンゼ・デ・ピラシカ ― トヨタ自動車 在籍 : 1992-1994 代表成績 : 16試合2得点 個人成績 年度 リーグ戦 ナビスコ 天皇杯 出場 先発 得点 警 退 出場 先発 得点 警 退 出場 先発 得点 警 退 1992 - 8 8 1 0 0 1 1 0 1 1 1993 27 27 9 7 0 1 1 0 0 0 3 3 1 0 0 1994 38 37 8 5 0 1 0 0 1 0 2 2 0 1 0 通算 65 64 17 12 0 10 9 1 1 0 6 6 1 2 1 得点試合一覧 リーグ戦 節 H/A 試合日 相手 スコア 得点者 会場 入場者数 7 A 1993/6/5(土) G大阪 ●1-3 ジョルジーニョ 神戸ユ 38,304 10 H 1993/6/16(水) 浦和 ○3-1 ジョルジーニョ 江川 沢入 瑞穂球 12,227 1 H 1993/7/24(土) 横浜F ●1-2 ジョルジーニョ 神戸ユ 38,757 10 H 1993/11/6(土) 鹿島 ○2-1 沢入 ジョルジーニョ 瑞穂球 11,584 12 A 1993/11/13(土) 浦和 ○5-0 ジョルジーニョ② エリベウトン ガルサ② 駒場 9,347 14 H 1993/11/20(土) V川崎 ●1-2 ジョルジーニョ 長良川 26,584 16 H 1993/12/1(水) 横浜M ●1-2 ジョルジーニョ 瑞穂球 11,446 18 H 1993/12/15(水) 市原 ○6-0 森山 森 平野② ジョルジーニョ エリベウトン 瑞穂球 11,173 5 H 1994/3/26(土) 浦和 ○7-2 藤川 森山② ジョルジーニョ② エリベウトン② 瑞穂球 11,488 10 A 1994/4/16(土) 清水 ●1-2 ジョルジーニョ 日本平 9,652 21 A 1994/6/11(土) 市原 ○1-0 ジョルジーニョ 市原 10,516 2 A 1994/8/13(土) 磐田 □3-2 リネカー ジョルジーニョ 小倉 磐田 14,592 4 A 1994/8/20(土) 横浜F □2-1 中西 ジョルジーニョ 三ツ沢 13,319 7 H 1994/9/3(土) 鹿島 ●2-4 リネカー ジョルジーニョ 瑞穂陸 21,753 13 A 1994/10/19(水) G大阪 ●3-5 ガルサ ジョルジーニョ 小倉 万博 17,330 ナビスコカップ 節 H/A 試合日 相手 スコア 得点者 会場 入場者数 1節 H 1992/9/5(土) 清水 ○3-0 ジョルジーニョ 小倉 浅野 瑞穂球 8,029 天皇杯 節 試合日 相手 スコア 得点者 会場 入場者数 2回戦 1993/12/11(土) G大阪 ○3-2 米倉② ジョルジーニョ 西京極 13,211
https://w.atwiki.jp/grampus8/pages/38.html
1994年試合結果一覧 リーグ戦 ナビスコカップ 天皇杯 選手成績 リーグ戦 <サントリーシリーズ>節 H/A 試合日 対戦相手 結果 得点者 会場 入場者数 1 A 1994/3/12(土) 広島 ●0-2 広島ビ 11,503 2 A 1994/3/16(水) 磐田 ●0-1 磐田 13,529 3 H 1994/3/19(土) G大阪 ●0-2 瑞穂球 11,519 4 A 1994/3/23(水) 横浜F ●0-1 三ツ沢 10,624 5 H 1994/3/26(土) 浦和 ○7-2 藤川 森山② ジョルジーニョ② エリベウトン② 瑞穂球 11,488 6 A 1994/4/2(土) 平塚 ●0-2 国立 48,640 7 H 1994/4/6(水) 鹿島 □2-1 エリベウトン 平野 瑞穂球 11,981 8 H 1994/4/9(土) V川崎 ○1-0 米倉 瑞穂球 12,214 9 A 1994/4/13(水) 横浜M ●2-3 森山 平野 三ツ沢 13,142 10 A 1994/4/16(土) 清水 ●1-2 ジョルジーニョ 日本平 9,652 11 H 1994/4/23(土) 市原 ●0-1 瑞穂球 11,716 12 H 1994/4/27(水) 磐田 ○1-0 後藤 国立 49,028 13 A 1994/4/30(土) G大阪 ●0-3 神戸ユ 36,280 14 H 1994/5/4(水) 横浜F ●0-2 福井 15,206 15 A 1994/5/7(土) 浦和 ○1-0 エリベウトン 国立 52,440 16 H 1994/5/14(土) 平塚 ○2-1 エリベウトン 森山 瑞穂球 11,488 17 A 1994/5/18(水) 鹿島 ●1-2 森山 カシマ 15,578 18 A 1994/6/1(水) V川崎 ●1-2 森山 等々力 10,591 19 H 1994/6/4(土) 横浜M ○2-0 平野 OG 瑞穂球 12,190 20 H 1994/6/8(水) 清水 ■0-1 神戸ユ 38,239 21 A 1994/6/11(土) 市原 ○1-0 ジョルジーニョ 市原 10,516 22 H 1994/6/15(水) 広島 ○1-0 森山 名古屋港 16,547 サントリー 8位 9勝13敗 (得点23 失点28) 平均 18,329人 <ニコスシリーズ>節 H/A 試合日 対戦相手 結果 得点者 会場 入場者数 1 A 1994/8/10(水) 広島 ●0-4 広島ス 11,796 2 A 1994/8/13(土) 磐田 □3-2 リネカー ジョルジーニョ 小倉 磐田 14,592 3 H 1994/8/17(水) G大阪 ■2-3 小杉 平野 国立 50,375 4 A 1994/8/20(土) 横浜F □2-1 中西 ジョルジーニョ 三ツ沢 13,319 5 H 1994/8/27(土) 浦和 ○4-2 森山② ビニッチ② 長良川 25,096 6 A 1994/8/31(水) 平塚 ●0-2 平塚 15,486 7 H 1994/9/3(土) 鹿島 ●2-4 リネカー ジョルジーニョ 瑞穂陸 21,753 8 H 1994/9/7(水) V川崎 ●1-2 リネカー 瑞穂陸 21,316 9 A 1994/9/10(土) 横浜M ●1-2 森山 三ツ沢 13,652 10 A 1994/9/14(水) 清水 ●1-2 森 博多陸 20,077 11 H 1994/9/17(土) 市原 ○3-1 ビニッチ② ストイコビッチ 長良川 24,157 12 H 1994/9/21(水) 磐田 ○4-1 ビニッチ 小倉 ストイコビッチ② 瑞穂陸 19,137 13 A 1994/10/19(水) G大阪 ●3-5 ガルサ ジョルジーニョ 小倉 万博 17,330 14 H 1994/10/22(土) 横浜F ●0-3 長良川 24,817 15 A 1994/10/26(水) 浦和 ◆1-1 米倉 大宮 9,885 16 H 1994/10/29(土) 平塚 ●0-4 長良川 23,899 17 A 1994/11/2(水) 鹿島 ◆3-3 森山 米倉 小倉 カシマ 15,608 18 A 1994/11/5(土) V川崎 ■1-2 森山 等々力 15,547 19 H 1994/11/9(水) 横浜M ●1-6 小倉 長良川 23,072 20 H 1994/11/12(土) 清水 ●0-2 長良川 23,774 21 A 1994/11/16(水) 市原 ●0-2 市原 14,106 22 H 1994/11/19(土) 広島 □1-0 森山 瑞穂陸 21,506 2nd 12位 6勝16敗 (得点33 失点54) 平均 25,355人 年間 11位 15勝29敗 (得点56 失点82) 平均 21,842人 ナビスコカップ 節 H/A 試合日 対戦相手 結果 得点者 会場 入場者数 1回戦 H 1994/7/27(水) 市原 ●1-3 森 瑞穂陸 23,765 1回戦敗退 1敗(得点1/失点3) 平均 23,765人 天皇杯 節 試合日 対戦相手 結果 得点者 会場 入場者数 1回戦 1994/12/4(日) NEC山形 ○3-2 森山 ストイコビッチ 岡山 開成山 5,858 2回戦 1994/12/11(日) 横浜M ●0-1 栃木 18,014 2回戦敗退 1勝1敗(得点3/失点3) 選手成績 選手名 リーグ戦 ナビスコ 天皇杯 出場 先発 得点 警 退 出場 先発 得点 警 退 出場 先発 得点 警 退 ハーフナー・ディド 27 25 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 伊藤 裕二 19 19 0 1 0 1 1 0 0 0 2 2 0 0 0 水原 大樹 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 藤川 久孝 37 37 1 4 1 1 1 0 1 0 0 0 0 0 0 浅野 哲也 3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ガルサ 23 23 1 3 0 0 0 0 0 0 2 2 0 0 0 小杉 敏之 36 36 1 3 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 小川 誠一 24 24 0 4 0 0 0 0 0 0 2 2 0 0 0 森 直樹 28 25 1 6 0 1 1 1 0 0 2 2 0 0 0 津島 三敏 10 10 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ジョルジーニョ 38 37 8 5 0 1 0 0 1 0 2 2 0 1 0 江川 重光 12 10 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 鶴田 道弘 6 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 安原 成泰 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 中西 哲生 37 36 1 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 飯島 寿久 31 30 0 5 0 1 1 0 0 0 2 2 0 0 0 米倉 誠 25 24 3 7 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 エリベウトン 15 11 5 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 リネカー 11 9 3 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 沢入 重雄 11 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 森山 泰行 39 33 13 3 0 1 1 0 0 0 2 1 1 0 0 後藤 太郎 24 12 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 小倉 隆史 23 21 5 0 0 1 0 0 0 0 2 2 0 0 0 岡山 哲也 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 2 2 1 0 0 平野 孝 36 27 4 3 0 1 1 0 0 0 2 2 0 0 0 久保 政二 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 谷口 圭 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 0 0 0 ストイコビッチ 14 12 3 5 1 1 1 0 0 0 2 2 1 0 0 秋田 英義 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ビニッチ 8 7 5 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 川畑 淳二 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 島村 征志 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
https://w.atwiki.jp/yougame/pages/104.html
GK シヤネン シーマン SEAMAN GK シェラーン シルトン SHILTON SW モルナ ムーア MOORE RSB ガル ネボーガリー ネヴィル NEVILLE LSB サルトン サンソン SANSOM LSB セントビーラー スチュアート ピアース PEARCE CB キルカン キーオン KEOWN CB サマスレイド サウスゲイト SOUTHGATE CB アディオン アダムス ADAMS CMF ストームズ スコールズ SCHOLES CMF ローデン ロブソン ROBSON OMF ホーナー ホドル HODDLE OMF チリンボン チャールトン CHARLTON CMF ブリガッツ プラット PLATT CMF イムゲ インス INCE OMF ガルボーン ガスコイン GASCOIGNE RMF マルモラーン マクマナマン MCMANAMAN ST シャイルコン シェリンガム SHERINGHAM LWG バードナー バーンズ BARNES LWG ワロル ワドル WADDEL CF リンデン リネカー LINEKER CF シオーネ シアラー SHEARER CF イル ランス ライト WRIGHT
https://w.atwiki.jp/nagoya_grampus/pages/19.html
歴代の主なメンバーとフォーメーション 1992~2009 □ 2010 □ 2009 □ 2008 □ 2007 □ 2006 □ 2005 □ 2004 □ 2003 □ 2002 □ 2001 □ 2000 □ 1999 □ 1998 □ 1997 □ 1996 □ 1995 □ 1994 □ 1993 □ 1992 ※間違いや不足がありましたら加筆・訂正をお願いします。 2009 監督:ドラガン・ストイコビッチ 解説・寸評など: 2008 監督:ドラガン・ストイコビッチ 解説・寸評など: フロント改革へ。GM(ゼネラルマネージャー)職を設け、久米一正氏を招聘。ストイコビッチ氏が監督に。コーチにボスコ氏が就任。新外国人、マギヌン(ブラジル)、バヤリッツァ(セルビア)が入団。深井、三木、西村らも加入。ユースから花井が昇格、佐藤(浜名高)が入団。 未来のビッグクラブへ向け、新生グランパスのスタート。 右SBに竹内が台頭。5月に青山がC大阪へレンタル移籍。深井が8月にジェフへ移籍。 ナビスコカップで3位、J1リーグでは最終節まで優勝争いに絡み、シーズン3位(18)で、ACL出場権を獲得 後半戦初戦(2008/07/21)のメンバー 公式-試合結果 玉田圭司 ヨンセン マギヌン 小川佳純 吉村圭司 中村直志 阿部翔平 竹内彬 増川隆洋 バヤリッツァ 楢崎正剛 * SUB FW 杉本恵太、巻佑樹 MF 花井聖、山口慶、米山篤志 DF 三木隆司 GK 西村弘司 前半戦の主要メンバー 玉田圭司 ヨンセン マギヌン 小川佳純 吉村圭司 中村直志 阿部翔平 竹内彬 吉田麻也 バヤリッツァ 楢崎正剛 * SUB FW 杉本恵太、巻佑樹、津田知宏 MF 深井正樹、山口慶、藤田俊哉、片山奨典、米山篤志 DF 増川隆洋、大森征之、三木隆司、青山隼、渡邊圭二 GK 西村弘司 トップに戻る△ 2007 監督:セフ・フェルホーセン 解説・寸評など: 巻佑樹、筑城(駒大)らが入団。新川、福島、吉田、長谷川がユースから昇格。 DFの主軸スピラールが開幕戦で大怪我、新加入の米山らが離脱の穴を埋めようと奮闘。開幕4連勝も怪我人続出で後が続かず。戦力が整わない中、若手の小川、阿部、吉田らが成長。シーズン11位(18)。 フェルホーセンは天皇杯後、退任。オフに本田圭がオランダへ移籍。金もKリーグへ移籍。活躍もしたが怪我の多かったスピラール、鴨川らを解雇。 杉本恵太 ヨンセン 本田圭佑 金正友 山口慶 藤田俊哉 阿部翔平 大森征之 増川隆洋 米山篤志 楢崎正剛 * SUB FW 玉田圭司、津田知宏 MF 中村直志、小川佳純、吉村圭司、須藤右介、片山奨典、青山隼 DF スピラール、吉田麻也、渡邊圭二、竹内彬 GK 櫛野亮、広野耕一 開幕戦(2007/03/04)のメンバー 公式-試合結果 杉本恵太 ヨンセン 金正友 山口慶 本田圭佑 中村直志 藤田俊哉 古賀正絋 大森征之 スピラール 楢崎正剛 * SUB FW 玉田圭司、巻佑樹 MF 吉村圭司、渡邊圭二 DF 米山篤志、阿部翔平 GK 櫛野亮 トップに戻る△ 2006 監督:セフ・フェルホーセン 解説・寸評など: フェルホーセン監督(オランダ)が就任。上田TDは1月に退任。FW玉田が完全移籍で加入。MF金正友(韓国)、DFスピラール(スロバキア)が加入。片山、竹内(国士舘大)、阿部(筑波大)、井上渉(桐蔭学園高)らが加入。青山隼がユースから昇格。 開幕前から怪我人が多く、得点力不足にも泣き、厳しい戦いに。本田は左SBとしても使われ成長。7月にFWヨンセン(ノルウェー)が加入、高い決定力を見せ、チームは上昇気流に乗る。シーズン7位(18)。 オフに主力の安英学がKリーグへ、古賀が柏へ、川島が川崎へ移籍。角田、深津、有村、平林らも移籍。 後半戦の主なメンバー 杉本恵太 ヨンセン 金正友 山口慶 本田圭佑 中村直志 藤田俊哉 古賀正絋 大森征之 スピラール 楢崎正剛 * SUB FW 玉田圭司、豊田陽平、鴨川奨 MF 片山奨典、吉村圭司、須藤右介、青山隼 DF 秋田豊、深津康太、有村光史、阿部翔平、竹内彬 GK 川島永嗣 開幕戦(2006/03/05)のメンバー 公式-試合結果 玉田圭司 杉本恵太 片山奨典 中村直志 吉村圭司 金正友 有村光史 大森征之 古賀正絋 深津康太 川島永嗣 * SUB FW 豊田陽平 MF 山口慶、高橋良太 DF 阿部翔平、秋田豊、角田誠 GK 高嵜理貴、広野耕一 トップに戻る△ 2005 監督:ネルシーニョ → 中田仁司(代行) 解説・寸評など: 本田圭佑(星稜高)が入団。杉本(流経大)、鴨川(順天大)らが入団。津田がユースから昇格。安英学(アン・ヨンハッ)、増川らが移籍加入。4月にウェズレイ、6月にマルケスが退団。6月に中山悟志、藤田俊哉が加入。7月に元ブラジル代表FWルイゾン入団、活躍するも9月で退団。9月にネルシーニョ監督解任。 後任の中田氏で負け続け、降格の危機に。鴨川、豊田ら若手FWの奮闘もあり残留。14位(18)。 第23節(2005/09/10)のメンバー 公式-試合結果 ルイゾン 杉本恵太 藤田俊哉 中谷勇介 山口慶 クライトン 安英学 増川隆洋 角田誠 秋田豊 楢崎正剛 * SUB FW 豊田陽平 MF 中村直志、本田圭佑、吉村圭司 GK 川島永嗣 開幕戦(2005/03/05)のメンバー 公式-試合結果 マルケス ウェズレイ 本田圭佑 中村直志 クライトン 安英学 渡邊圭二 角田誠 増川隆洋 古賀正絋 川島永嗣 * SUB FW 杉本恵太 MF 吉村圭司、平林輝良寛 DF 中谷勇介 GK 川島永嗣 トップに戻る△ 2004 監督:ネルシーニョ 解説・寸評など: 岩本、大野、角田、秋田、川島らが加入。1stは8位(16)。8月に滝澤が神戸へ移籍。 夏にクライトン(ブラジル)、井川祐輔が加入。2ndは5位(16)。 シーズンオフに原、岡山、藤本、滝澤、海本兄弟らが他チームへ移籍。 2nd-stage マルケス ウェズレイ 中村直志 中谷勇介 海本幸治郎 クライトン 吉村圭司 古賀正絋 大森征之 秋田豊 楢崎正剛 * SUB FW 平林輝良寛、豊田陽平 MF 山口慶、岡山哲也、藤田泰成、大野敏隆、滝沢邦彦、鄭容臺 DF 角田誠、井川祐輔、渡邊圭二 GK 川島永嗣、広野耕一 開幕戦(2004/03/13)のメンバー 公式-試合結果 マルケス ウェズレイ 岩本輝雄 滝澤邦彦 海本幸治郎 鄭容臺 大森征之 古賀正絋 角田誠 秋田豊 楢崎正剛 * SUB FW 森山泰行 MF 岡山哲也、大野敏隆 DF 中谷勇介 GK 本田征治 トップに戻る△ 2003 監督:ズデンコ・ベルデニック → ネルシーニョ 藤本(広島)、海本弟(Kリーグ)、深津(流経大)らが加入。豊田(星稜高)、渡邊圭二(沼津学園高)が入団。2月、上田滋夢氏をTD(テクニカル・ディレクター)に据える。 チームは古賀、パナディッチ、大森の3バックが機能。吉村と中村のムラムラボランチも奮闘。リーグを代表する堅守に。しかし、なかなか勝ちきれず。5月にヴァスティッチ退団。6月にマルケス入団。1stは7位(16)。 8月、ベルデニックを解任し、ネルシーニョ(ブラジル)監督に。9月、石塚啓次(川崎F)が加入。2ndは8位(16)。ウェズレイが得点王。オフにパナディッチを解雇。 2nd-stage マルケス ウェズレイ 滝澤邦彦 中谷勇介 海本幸治郎 吉村圭司 中村直志 古賀正絋 大森征之 パナディッチ 楢崎正剛 * SUB FW 原竜太、豊田陽平 MF 岡山哲也、酒井友之、山口慶、鄭容臺 DF 海本慶治、海本幸治郎、富永英明、深津康太 GK 本田征治、広野耕一 開幕戦(2003/03/22)のメンバー 公式-試合結果 ヴァスティッチ ウェズレイ 藤本主悦 滝澤邦彦 岡山哲也 吉村圭司 中村直志 古賀正絋 大森征之 パナディッチ 楢崎正剛 * SUB FW 原竜太 MF 酒井友之、山口慶 DF 海本慶治 GK 本田征治 トップに戻る△ 2002 監督:ズデンコ・ベルデニック 解説・寸評など: ベルデニック監督(スロベニア)が就任。ユニバ代表のボランチ、吉村(愛院大)が入団。鄭容臺(チョン・ヨンデ)が加入。山口慶がユースから昇格。片桐淳至(岐工高)が入団。 チームは、ベンゲル以来の4バックから3バックへ。5月にウリダ、マルセロが退団。1stは3位(16)。 7月、ヴァスティッチ(オーストリア)とパナディッチ(クロアチア)が加入。2ndは13位(16)。オフに山口素弘が退団。 2nd-stage ヴァスティッチ ウェズレイ 中村直志 滝澤邦彦 岡山哲也 山口素弘 酒井友之 古賀正絋 大森征之 パナディッチ 楢崎正剛 * SUB FW 原竜太 MF 吉村圭司、山口慶 DF 海本慶治、海本幸治郎、中谷勇介 GK 本田征治 開幕戦(2002/03/02)のメンバー 公式-試合結果 マルセロ ウェズレイ 滝澤邦彦 岡山哲也 山口素弘 酒井友之 中谷勇介 大森征之 海本慶治 古賀正絋 楢崎正剛 * SUB FW 森山泰行 MF 中村直志、鄭容臺 DF 西澤淳二 GK 本田征治 トップに戻る△ 2001 監督:ジョアン・カルロス → 三浦哲郎 解説・寸評など: 中村直志(日本大)が入団。その後の主力に。海本慶、酒井ら準代表クラスの選手が移籍加入。7月、ストイコビッチが現役引退。8月にマルセロが新加入。1stは3位(16)、2ndは6位。宮原が退団。 ウェズレイ ストイコビッチ 滝澤邦彦 岡山哲也 ウリダ 山口素弘 平岡直樹 石川康 古賀正絋 大森征之 楢崎正剛 * SUB FW 森山泰行、福田健二 MF 酒井友之、岩田昌浩、三原廣樹、原田拓、泰賢二、岩田昌浩 DF 海本慶治、西澤淳二、平岡靖成 GK 本田征治、富永康博 開幕戦(2001/03/10)のメンバー 公式-試合結果 ウェズレイ ストイコビッチ 酒井友之 岡山哲也 山口素弘 ウリダ 平岡直起 大森征之 海本慶治 古賀正絋 楢崎正剛 * SUB FW 福田健二、森山泰行 MF 滝澤邦彦 DF 平岡靖成 GK 本田征治 トップに戻る△ 2000 監督:ジョアン・カルロス 解説・寸評など: 原竜太(市船高)が入団。氏原良二がユースから昇格。トーレスの後釜としてDFホミルド(ブラジル)を獲得。だが期待外れの出来で、1stは12位(16)。 7月、平野、望月、大岩らが「チームの秩序や規律を乱した」との理由で解雇される。7月にFWウェズレイ(ブラジル)が加入。代表級の主力3人が抜けた中、2ndは7位(16)。 2nd-stage 呂比須 ストイコビッチ 滝澤邦彦 岡山哲也 ウリダ 山口素弘 小川誠一 石川康 古賀正絋 大森征之 楢崎正剛 * SUB FW ウェズレイ、福田健二、原竜太、富永英明 MF 宮原裕司 DF ホミルド、飯島寿久、藤田泰成、平岡靖成、平岡直起 GK 本田征治、岸川義隆、富永康博 開幕戦(2000/03/11)のメンバー 公式-試合結果 呂比須 ストイコビッチ 平野孝 岡山哲也 山口素弘 望月重良 小川誠一 石川康 大岩剛 ホミルド 楢崎正剛 * SUB FW 福田健二 MF 滝澤邦彦 DF 古賀正紘、大森征之 GK 岸川義隆 トップに戻る△ 1999 監督:ダニエル・サンチェス → ジョアン・カルロス 解説・寸評など: 呂比須、山口素、楢崎ら代表級選手が加入。宮原裕司(東福岡高)が入団。4月に田中監督を更迭、サンチェスへ。1stは8位(16)。7月に伊藤卓が移籍。 9月にカルロス監督が就任し、11連勝。2ndは2位(16)。そのままの勢いで天皇杯優勝。 オフにトーレスが退団。小倉が市原へ移籍。浅野がFC東京へ、野口は大宮へ。長年ゴールを守ってきたGK伊藤裕二が湘南へ移籍。 呂比須 ストイコビッチ 平野孝 岡山哲也 ウリダ 山口素弘 小川誠一 石川康 大岩剛 トーレス 楢崎正剛 SUB FW 野口幸司、小倉隆史 MF 望月重良、浅野哲也、滝澤邦彦、喜名哲裕、宮原裕司 DF 古賀正紘、大森征之 GK 伊藤裕二 開幕戦(1999/03/06)のメンバー 公式-試合結果 呂比須 ストイコビッチ 平野孝 岡山哲也 山口素弘 望月重良 中谷勇介 石川康 大岩剛 古賀正紘 楢崎正剛 * SUB FW 小倉隆史、福田健二 MF 浅野哲也 DF 飯島寿久 GK 伊藤裕二 トップに戻る△ 1998 監督:田中孝司 解説・寸評など: アルー(フランス)、野口幸司、大森征之、石川康が加入。石川は右SBに定着。1stは3位(18)。 7月にウリダ(モロッコ)が新加入。2ndは6位(18)。 福田健二 ストイコビッチ 平野孝 岡山哲也 バウド 望月重良 小川誠一 石川康 大岩剛 トーレス 伊藤裕二 * SUB FW アルー、野口幸司、小倉隆史 MF 喜名哲裕、滝澤邦彦、大森征之、浅野哲也 DF 古賀正紘、中谷勇介、飯島寿久 GK 水原大樹、河野和正 本田征治 開幕戦(1998/03/21)のメンバー 公式-試合結果 アルー ストイコビッチ 平野孝 岡山哲也 浅野哲也 望月重良 鈴木正治 石川康 大岩剛 トーレス 伊藤裕二 * SUB FW 福田健二、野口幸司 DF 古賀正紘、飯島寿久 GK 河野和正 トップに戻る△ 1997 監督:カルロス・ケイロス 解説・寸評など 「超高校級」の鳴り物入りで古賀正紘(東福岡高)が入団。中谷(奈良育英高)、滝澤(武南高)、U20日本代表の伊藤卓(国士舘大)らが入団。元ブラジル代表のボランチ、バウドが入団。MFリカルジーニョ(ブラジル)も加入。3月に小倉が再手術~長期リハビリへ。1stは12位(17)。2ndは5位(17)。 望月重良 ストイコビッチ 平野孝 岡山哲也 浅野哲也 バウド 小川誠一 飯島寿久 大岩剛 トーレス 伊藤裕二 * SUB FW 森山泰行、福田健二、山崎光太郎、伊藤健次 MF リカルジーニョ、滝澤邦彦、鈴木正治、伊藤卓、矢部次郎、佐藤悠介 DF 中谷勇介、古賀正紘 GK 水原大樹、河野和正 本田征治 トップに戻る△ 1996 監督:アーセン・ベンゲル → カルロス・ケイロス 解説・寸評など: 福田健二(習志野高)が入団。ユニバ日本代表の望月と西ヶ谷が加入。2月に小倉が大怪我。新外国人としてオリビエ(コートジボアール)、トーマス(ポーランド)が加入。 9月にベンゲル監督が退任し、ケイロス(ポルトガル)が引き継ぐ。小倉は夏に復帰。年間シーズン2位。オフに中西がJFLの川崎Fへ移籍。 森山泰行 ストイコビッチ 平野孝 岡山哲也 浅野哲也 デュリックス 小川誠一 飯島寿久 大岩剛 トーレス 伊藤裕二 * SUB FW トーマス、小倉隆史、福田健二 MF オリビエ、望月重良、中西哲生、喜名哲裕、佐藤悠介、井幡博康 DF 阪倉裕二、西ヶ谷隆之、平山大、加藤泰明、山尾光則 GK 水原大樹、石川研 トップに戻る△ 1995 監督:アーセン・ベンゲル 解説・寸評など: ベンゲル監督(フランス)が就任。大岩(筑波大)、平山(中央大)、喜名(那覇西高)らが入団。新外国人、デュリックス、パシ(フランス)、トーレス(ブラジル)が加入。DF阪倉(市原)も加入。 ストイコビッチをFWに据え、センターラインが整う。左SBの大岩をCBへコンバートし成功。若くスピードのある平野、岡山がSHに定着。デュリックスが機関車の如く中盤で働き、トーレスがDFラインを統率、オフサイドを量産。FW森山がスーパーサブとして活躍。1stは4位(14)。 2ndは、五輪代表の小倉も調子を上げ、後半シーズン2位(14)。天皇杯優勝。ストイコビッチが年間MVP、ベンゲルが最優秀監督に。コンパクトで有機的な魅力溢れるサッカーだった。 第26節(1995/11/25)のメンバー J磐田-公式記録 小倉隆史 森山泰行 ストイコビッチ 中西哲生 米倉誠 浅野哲也 津島三敏 谷口圭 森直樹 トーレス 石川研 * SUB MF デュリックス DF 小川誠一、小杉敏之、阪倉裕二 GK 伊藤裕二 1995年の主要メンバー&フォーメーション 小倉隆史 ストイコビッチ 平野孝 岡山哲也 浅野哲也 デュリックス 小川誠一 飯島寿久 大岩剛 トーレス 伊藤裕二 * SUB FW 森山泰行 MF パシ、中西哲生、喜名哲裕、井幡博康、谷口圭、清野乙彦 DF 阪倉裕二、小杉敏之、森直樹、平山大、津島三敏、加藤泰明 GK 水原大樹、石川研 トップに戻る△ 1994 監督:ゴードン・ミルン 解説・寸評など: リネカーを育てたミルン監督(イギリス)を招聘。しかし練習内容も酷く、戦術も見えず。小倉がオランダから戻るがボランチで使われたり、沢入をCBにコンバートして失敗に終わるなど散々。守備組織も無いに等しく、自陣PA内に5~7人配置した、通称"赤い団子"作戦も。1stは8位(12)。 7月にFWビニッチ、MFストイコビッチ(旧ユーゴスラビア)が入団。ピッチ状態の悪い日など用のサブ扱い。後半シーズン最下位。怪我の多かったリネカーはシーズン後に引退。 2nd-stage 第4節(1994/08/20)のメンバー 横浜FL-公式記録 森山泰行 ビニッチ 平野孝 ジョルジーニョ 中西哲生 米倉誠 小杉敏之 飯島寿久 藤川久孝 森直樹 ディド * SUB FW 後藤太郎 MF ストイコビッチ DF 沢入重雄、小川誠一 GK 水原大樹 2nd-stageの主要メンバー&フォーメーション 小倉隆史 ビニッチ 平野孝 ジョルジーニョ 中西哲生 米倉誠 小川誠一 飯島寿久 藤川久孝 ガルサ 伊藤裕二 * SUB FW リネカー、森山泰行、後藤太郎 MF ストイコビッチ、エリベウトン、鶴田道弘、安原成泰、谷口圭、清野乙彦 DF 沢入重雄、津島三敏、江川重光、森直樹、久保政二 GK ディド 1st-stage 第4節(1994/03/23)のメンバー 横浜FL-公式記録 森山泰行 後藤太郎 エリベウトン ジョルジーニョ 中西哲生 津島三敏 小川誠一 小杉敏之 藤川久孝 森直樹 伊藤裕二 * SUB MF 鶴田道弘、江川重光、安原成泰 DF ガルサ GK 伊藤裕二 1st-stageの主要メンバー&フォーメーション 平野孝 森山泰行 ジョルジーニョ 小杉敏之 米倉誠 小川誠一 江川重光 藤川久孝 森直樹 ガルサ ディド * SUB FW リネカー、沢入重雄、後藤太郎 MF エリベウトン、小倉隆史、鶴田道弘、中西哲生、安原成泰、谷口圭、清野乙彦 DF 飯島寿久、津島三敏、久保政二 GK 伊藤裕二 トップに戻る△ 1993 監督:平木隆三 解説・寸評など: Jリーグ開幕。MFピッタ(ブラジル)が加入。平野孝(清水商)らが入団。前年のナビスコカップで活躍した小倉はオランダ留学へ。 リネカーは怪我がちで試合にあまり出られず。チームは戦術に乏しく、司令塔ジョルジーニョ頼みのサッカーと言われた。2ndにエリベウトン(ブラジル)を獲得。1stは9位(10)、2ndは8位(10) 1993年の主要メンバー&フォーメーション 平野孝 沢入重雄 ジョルジーニョ 後藤太郎 中西哲生 米倉誠 小川誠一 江川重光 藤川久孝 ガルサ ディド * SUB FW リネカー、森山泰行 MF 浅野哲也、ピッタ、鶴田道弘、島村征志、安原成泰、谷口圭 DF 森直樹、津島三敏、小杉敏之、高本詞史 GK 伊藤裕二 1st-stage 第4節(1993/05/26)のメンバー 横浜FL-公式記録 リネカー 森山泰行 ジョルジーニョ 後藤太郎 浅野哲也 米倉誠 小川誠一 江川重光 藤川久孝 ガルサ 伊藤裕二 * SUB MF 島村征志、鶴田道弘 DF 中西哲生、飯島寿久 GK 石川研 J1リーグ開幕戦(1993/05/16 vs.鹿島)のメンバー リネカー 沢入重雄 ピッタ ジョルジーニョ 浅野哲也 米倉誠 小川誠一 江川重光 藤川久孝 高本詞史 伊藤裕二 * SUB FW 森山泰行 MF 後藤太郎 DF 中西哲生、飯島寿久 GK 石川研 トップに戻る△ 1992 監督:平木隆三 解説・寸評など: Jリーグ開幕前年。 86W杯得点王のリネカー(イギリス)と契約し話題に。頑強DF、ガルサ(ブラジル)を獲得。「超高校級・レフティモンスター」と呼ばれた小倉隆史(四中工)が入団。大学得点王の森山泰行(順天大)、中西哲生(同志社大)らも入団。 チームは、元ブラジル代表のMFジョルジーニョを司令塔としたサッカー。中盤に浅野、米倉らを配し、守備ではガルサ(ブラジル)が相手の攻撃を跳ね返す。GKにはディド(オランダ)。 J開幕のプレ大会として9月からナビスコカップが開催され、ルーキー小倉が5得点と活躍。順位も3位(10)と好成績だった。 ナビスコカップ 第2節(1992/09/09)のメンバー 横浜FL-公式記録 小倉隆史 沢入重雄 ジョルジーニョ 中西哲生 米倉誠 浅野哲也 小川誠一 小杉敏之 藤川久孝 ガルサ ディド * SUB FW 後藤太郎、吉田昭義 MF 鶴田道弘 DF 清野乙彦 GK 大橋昭好 △トップに戻る△
https://w.atwiki.jp/websakahokan/pages/247.html
12/03/04追加 肩書き バスクのマエストロ タイプ ピボッテ 国籍 スペイン ポジション MF モデル シャビ・アロンソ ジャミ・ナバーロ 肩書き ウェールズの超新 タイプ 国籍 ウェールズ ポジション MF モデル ガレス・ベイル ジョセフ・パイク 肩書き 闘争心溢れる日本の虎 タイプ 万能型ストライカー 国籍 日本 ポジション FW モデル 李 忠成 姜 昌弘 肩書き ミスター・イングランド タイプ ストライカー 国籍 イングランド ポジション FW モデル ギャリー・リネカー グレン・フォスター 肩書き 調子乗り世代のDFW タイプ 国籍 日本 ポジション DF モデル 槙野 智章 元木 聡 12/04/01追加 肩書き スロバキアの新星 タイプ レジスタ 国籍 スロバキア ポジション MF モデル マレク・ハムシク マルティン・ミハリク 肩書き スコットランドのキング タイプ ストライカー 国籍 スコットランド ポジション FW モデル ケニー・ダルグリッシュ ケビン・ゴッドリッチ 肩書き グルジアの鉄人 タイプ 万能型ディフェンダー 国籍 グルジア ポジション DF モデル カハ・カラーゼ テヘ・ラバーゼ 肩書き トルコの将来を握る天才司令塔 タイプ 国籍 トルコ ポジション MF モデル ヌリ・シャヒン ノリ・チャビン 肩書き 最終ラインの司令塔 タイプ 国籍 ブルガリア ポジション DF モデル イリアン・ストヤノフ ストヤン・ステファノフ
https://w.atwiki.jp/nagoya_grampus/pages/39.html
グランパス回想記 by 管理@集えグラwiki. ~ 92年からベンゲル時代まで~ *この回顧録は、あえて個人の記憶のみに頼って書いています。 間違いや美化も多いですので、ご承知の上でお読みください。 開幕前夜、名古屋にプロサッカーチームが誕生、Jリーグ入り。超大物外国人リネカーが来るということで、マスコミの話題をさらっていました。総額6億円とも言われる大型契約で、グランパスは優勝候補の一角にも挙げられ、ワクワクしていたような気がします。 そして高校サッカーの逸材、小倉(四中工)が入団したこと。抜群のボディバランス、柔軟でトリッキーなドリブル、テクニック、アイディア、一瞬のスピード、そして得点力。彼がボールを持つと、「何かやってくれる」と思わせる類稀な才能の持ち主でした。 「カズさんを越えるのは自分しかいないと思ってるんで」、そう入団会見で語る彼の表情には、自信と貫禄が漂っていました。小倉は高校サッカー界の怪物であり、産声を上げたプロサッカーチーム名古屋グランパスの期待の超新星であり、そして日本の未来を握る選手とさえ言われました。 92年、ナビスコカップ 創立当初の名古屋は、元ブラジル代表のMF「司令塔ジョルジーニョが中心」と言われたチームです。戦術は特になく、個人技頼みで、ボールを取ったらジョルジに一旦に預けて、熟練の彼にゲームメイクを託す形でした。ジョルジがキープし、指示を出し、パスを出す。それに合わせて周りが動く。 重戦車のごときDFガルサの跳ね返しも、それはそれで頼もしいものでした。 J全体のレベルもまだ低かった頃です。どんなDFがいいのかも良く分かりません。「最終ラインから前線へのフィード」なんて言葉もなくて、「大きく蹴りだす」とかじゃなかったでしょうか。 初めて開かれた大きな大会、ナビスコカップ 92では、高卒ルーキー小倉が期待通りの活躍で計5得点を挙げ、チームも3位と好成績。ファンの期待は高まります。当時テレビでは、小倉のオーバーヘッドシュートが何度も流され、脳裏に焼き付けられました。 そんな中、小倉はオフト氏(日本代表監督)の助言を受け、半年のオランダ留学(1部フェイエノールト→2部エクセシオール)に向かいます。とはいえグランパスには、リネカーや沢入、森山といったFWの面々がいますから、十分戦えると踏んでいました。 上段左から平木監督、ディド、小倉、飯島、藤川、ガルサ、米倉、沢入。 下段左から(子供を除き) 小川、ジョルジーニョ、浅野、中西。(敬称略) 93年、J開幕と平木体制 Jリーグは開幕と同時に大ブームとなります。先進的で世界的なスポーツというイメージで、新鮮さもあり、カズやジーコやスター選手も揃っています。全国にJリーグ旋風が巻き起こり、「もうプロ野球は古い」とまで言われていました。一時はチケット入手も困難な、バブル的様相でした。 グランパス初年度の平木監督は、「闘志を持って戦い、勝てばそれが自信になり、それが次に繋がる。」といった言葉を覚えていますが、特に戦術もないようで、「それでいいのかな?」と思っていたら案の定チームは低迷。リネカーも高額契約の影で足のケガを抱えており、その治療が長引き、まともに働かなかったような気がします。 (※クラブ幹部がサッカー業界に不慣れなのを見透かされ、メディカルチェックをせずに高額契約、直後に足首の重いケガが判明。上手く騙された形。クラブ側はこの恥辱と失敗を教訓として活かし、以降、名古屋のスカウト陣は、質の高い外国人プレイヤーを獲得し続けている。) 小倉はオランダ2部で得点王争いに加わったこともあり留学を半年延長します。当時のセルジオ越後氏の評価は、「オランダ2部は1部より格段にレベルが落ちる。それなら一流に近い外国人のいるJリーグでやった方が学ぶことも多いだろう。しかしオランダという異国の地でやった経験は大きいはず。その経験を糧として伸びていってほしい」という感じでした。 結局この年のグランパスは、初戦で鹿島のジーコにハットトリックを決められ5-0で完封負けした印象と、その後の浦和戦で4得点を挙げて鬱憤を晴らすように勝ったこと、記憶にあるのはそれぐらいで、あまり見所もなく終わったような気がします。やはり戦術を教えられる監督の必要性を感じました。 94年、悪夢のミルン時代 2年目、リネカーを育てたというミルン監督がやってきます。サッカーの本場イギリスから来た初めての外国人監督です。期待しましたが、やる気が全く見えない。選手のレベルの低さにげんなりしたのでしょうか、でもあんまりでした。唯一、左SBの小川誠一を見て「彼はセンスがある」としきりに褒めていたのを覚えています。 ところでこのミルン監督、戦術練習どころか、練習前のウォーミングアップさえまともにやらないため、マスコミからも酷すぎると嗤われ、呆れられていました。そんな中、あの「赤い団子作戦」(ひたすらゴール前を固めてカウンター)は編み出されました。それで最初は鹿島に勝てたんです。あれはあれで面白かった。 オランダから戻ってきた小倉はすぐに日本代表へ。キリン杯フランス戦での、あの一瞬のインターセプトからのドリブル、そしてしなやかな反転シュート。ゴール後、手を挙げてジャンプするあの姿に、輝かしい未来を思い馳せたものです。グランパスに戻ると、試合会場では「小倉あんぱん」が販売されたり、大人気でした。本人その後しばらく伸び悩みましたが。 そして、この年の初夏にピクシーはやってきたのです。怒りん坊のFWビニッチと一緒に。少し太り気味で、精彩を欠いていて、どこかのロートル選手にも見えました。彼を知る一部のサッカーファンは、「本当にあのストイコビッチが名古屋にいるのか」と驚いていたようです。しかし当時私は名前も聞いたことがありませんでした。 ミルンはリネカーを贔屓し、練習も適当に済まし、選手を突然コンバート(FW小倉をボランチ、FW沢入をCBに)したり、試合でもおかしな采配を繰り返し、選手やファンの怒りを買っていました。「なんで小倉をFWで出さないの!」と呆れながら怒る女性サポーターの姿が思い出されます。 あの有名な雨のジェフ戦、ピクシーの水溜まりの上を駆け抜ける空中ドリブルの背景には、監督の不当な優遇采配(劣悪なピッチにリネカーは出せない、だから別の選手を出す)もあったのです。 * * * ミルン氏は暮れに退任、リネカーと共にイギリスへ帰国します。この年もまた、クラブにとって重い教訓が残りました。赤いチームカラーの名古屋と浦和は、Jリーグの「お荷物クラブ」とまで言われました。チームはバラバラで本当に弱かったのです。当時最弱といわれた浦和にだけは強かったのが、わずかな救いでした。 (※浦和はこの後、何年も先に一時J2に落ちるも、大勢のサポーターの熱い支えを受け、一年でJ1に復帰、その後Jリーグ優勝~ACL制覇と、日本最強のビッグクラブにまで上りつめる。対してグランパスはそのようなことがないまま現在に至る。) 95~ 96年、ベンゲル黄金時代 3年目、1995年。フランスの俳優のような、その容姿や言葉の端々に才知漂う、アーセン=ベンゲルがやってきます。確か開幕8連敗。でもファンは付いていきました。この時代はまだ下位がJ2に落ちることがなかったので、長い目で見られたこともあります。しかし何より、ベンゲルの理知的な言葉や行動、その一つ一つが、ファンの腑に落ちるのです。 ベンチでのアクションや表情、不甲斐ないプレーへの叱咤、本気が伝わります。連敗し、みじめな負け方をしても悔しがらない選手に対し、控え室でベンゲルが声を荒げて、「君達はそれでもプロか!」と怒ったこと、それは当時、多くのファンの心にも突き刺さり、何かを呼び覚ましたのです。 負けてはいましたが、変化の予兆は感じていました。中断期間の合宿では、練習風景を取材するマスコミ陣が「これは必ず強くなる」と褒めていたのを覚えています。その多くは基礎的な反復訓練でした。それは科学的かつ変化に富んだメニューで、集中力を持続させる工夫も施されています。選手の状態に応じて別メニューも作られ、体調管理も徹底していました。ミルンとは対照的です。 小話:当時小倉が五輪代表合宿からクラブへ帰って来た時に、ベンゲルがその第一印象を聞かれて答えたのが、「基本のよく出来たいい選手だ」だったと思います。後に著書「勝者のエスプリ」の中ではもっと踏み込んだ視点で語られていますが、当時小倉といえばトリッキーなプレーへの評価が多かったので、この感想は新鮮でもあり、またそれを聞いて安心したものです。 * * * 数ヶ月の練習を経て、見違えるように選手全体の動きが変わったこと、パスが繋がり、ピクシーが活き活きとしだして、みんなの表情に自信が溢れていきます。サテライトにいた岡山が見出されたのもこの頃です。技術は粗くとも抜群の運動量と俊足が買われました。 SBだった大岩はCBにコンバートされ、その潜在能力を開花させます。 そして優秀な新外国人たち。彼らはベンゲルが遠い異国に赴いて、わざわざスカウトしてきてくれた選手達です。機知に長け運動量も豊富なボランチのデュリックス、別の生き物のような左足を持つテクニシャン、パシ。そして教科書のごとき老練な守備をする長身ディフェンダー、トーレス。 その頂点に、FWとして甦ったピクシーの華麗なテクニックがありました。柔らかいボールタッチ、吸い込まれるようなトラップ、正確無比なパスとシュート、一瞬の間で抜き去るドリブル、相手を置き去りにするピクシーターン。相手を翻弄し、見る者を魅了するプレーが次々と前線で展開されます。 多くの選手が、本人も知らない特長を引き出されました。ストライカー森山はスーパーサブとして残り15分で嗅覚を爆発、大活躍します。 MF中西も時にFWとして使われ、その思い切りの良さを発揮。采配は次々に当たり、「ベンゲルマジック」と呼ばれました。 余談:右SBの飯島はプロとしては凡庸な選手でした。守備はこなせても、足は遅い方で、パスやドリブルやクロスも(当初は)下手でした。しかしベンゲルは彼を重用します。その理由の一つは、「ゴールを守り抜く執念が人一倍あったから」。実際彼は最後まで諦めず、体を張ったクリアで幾度もピンチを救いました。時々オウンゴールもしましたが、それもその表れだったのです。 そんなチームの“影の大黒柱”を務めたのがデュリックスです。中盤をタフに動き、敵の要所を潰しては、すかさず攻めに繋げる、まさに攻守の牽引役でした。ボランチの彼を心臓に、チーム全体が手足となって、ボールは次々に循環し、ゴールに向かって躍動します。シャンパンサッカーと言われた、弾けるような華やかさがそこにありました。 その背後で最終ラインを統率するのがトーレス。タイミングの良い上げ下げで、前との距離をコンパクトに保ちながら、面白いようにオフサイドを量産します。1対1での冷静な対応、強さ高さ、確かな足元の技術、全てがお手本のようでした。 ピクシー ─ デュリックス ─ トーレス。この縦に並んだ外国人のラインにも、後にクラブに継承されるベンゲルの哲学があります。外国人FWを複数並べれば確かに点は取れる。現にそういうチームはある。しかしそれでは日本人のFWが育たない。それでは未来に続かない。他のポジションも同様だ。優れた外国人をFW、MF、DFにバランス良く配置することで、どの位置の日本人選手も多くを学び、成長できる。 * * * ベンゲルの変革は、わずか1年足らずで栄冠を届けてくれました。 95年度の天皇杯では、リーグ戦後半の勢いそのままに、サブを含めた選手全員が役割を全うし、一気に優勝まで駆け上がります。まさにチーム一丸となって獲った栄冠でした。 センターラインの外国人を核に、五輪のエース小倉は準決勝・決勝で2点ずつ。若い平野、岡山らも確かな成長を見せ、脂の乗った中堅選手たちも落ち着いた仕事ぶりを見せます。決勝では3-0の完封。それを目の前で見せられたファンの熱狂は今も忘れられません。心地よい興奮と至福の時でした。 その時、グランパスJ制覇への準備は整ったように見えました。 * * * それはもう、14年も前のことですから、今の20歳前後の若いファンの方々はご存知ないかもしれません。でも知っておいた方が良いでしょう。当時を知っているサポさんでもいいし、サッカーの好きな会社の先輩でもいいし、学校の先生でもいいし、生の声で聞いてみてください。 世界的な知将がこのクラブにやってきて、見事にチームを変革し、様々な教訓溢れる言葉を残し、再びヨーロッパへ帰っていきました。その後のグランパスは、ベンゲルの遺産を生かしながら、しかし少しずつ落ちていったのです。 △ TOPに戻る △ (これ以降記憶が薄く、動向にも疎いため、続きは未定。) ベンゲルが自身の将来を案じ、イギリスのアーセナルへ飛び立った後、残された名古屋は、そこに築かれた遺産をベースに、進化していく必要がありました。歴史も浅い中でのフロント、現場の試行錯誤が始まります。(~中略~) 金満体質のクラブは、優秀な選手をスカウトしてくれる一方で、監督を優先して有力選手を切ったかと思えば、その監督を切り、すげ替え、またそれを、と繰り返す。優勝に向けた飛躍を、といいながら、気がつけば低空飛行に入り、墜落寸前にまで落ちる。チーム編成もツギハギだらけで、何を目指しているのかもよく分からない。(~中略~) こんな中で何が育つでしょうか。これでは、選手と多くのファン自体がもう、諦めの混じった感情で、期待と失望を繰り返しながらも、日々の情報に流され、ゆらゆらと自覚もないまま、同じぬるま湯体質に陥っていくのです。(~中略~) 2008年にようやくそこにメスが入れられ、改革への端緒が開かれました。 しかし一旦染まったものを変えるのは並大抵のことではありません。これは長い目で見て、辛い時期も我慢し、時に先を見据えた大きな決断をして、選手に、ファンに、名古屋圏人に、じっくりとグランパスの理念や魅力を浸透させていくことが大事だと思います。それは5年後10年後に必ず花開くでしょう。 (続きから最後までの概要は上記に白字で。本文として書く予定は今のところありません)
https://w.atwiki.jp/websakahokan2/pages/16.html
12/03/04追加 肩書き バスクのマエストロ タイプ ピボッテ 国籍 スペイン ポジション MF モデル シャビ・アロンソ ジャミ・ナバーロ 肩書き ウェールズの超新 タイプ 国籍 ウェールズ ポジション MF モデル ガレス・ベイル ジョセフ・パイク 肩書き 闘争心溢れる日本の虎 タイプ 万能型ストライカー 国籍 日本 ポジション FW モデル 李 忠成 姜 昌弘 肩書き ミスター・イングランド タイプ ストライカー 国籍 イングランド ポジション FW モデル ギャリー・リネカー グレン・フォスター 肩書き 調子乗り世代のDFW タイプ 国籍 日本 ポジション DF モデル 槙野 智章 元木 聡 12/04/01追加 肩書き スロバキアの新星 タイプ レジスタ 国籍 スロバキア ポジション MF モデル マレク・ハムシク マルティン・ミハリク 肩書き グルジアの鉄人 タイプ 万能型ディフェンダー 国籍 グルジア ポジション DF モデル カハ・カラーゼ テヘ・ラバーゼ 肩書き トルコの将来を握る天才司令塔 タイプ 国籍 トルコ ポジション MF モデル ヌリ・シャヒン ノリ・チャビン 肩書き 最終ラインの司令塔 タイプ 国籍 ブルガリア ポジション DF モデル イリアン・ストヤノフ ストヤン・ステファノフ
https://w.atwiki.jp/grampus8/pages/125.html
江川 重光 Shigemitsu EGAWA プロフィール 生年月日 : 1966年1月31日 身長/体重 : 172cm / 65kg 出身地 : 三重県 経歴 : 楠小 - 楠中 - 四日市中央工高 - 本田技研 - トヨタ自動車 在籍 : 1993-1994 個人成績 年度 リーグ戦 ナビスコ 天皇杯 出場 先発 得点 警 退 出場 先発 得点 警 退 出場 先発 得点 警 退 1992 - 3 3 0 0 0 1 1 0 0 1 1993 24 24 1 6 0 5 5 1 0 0 3 3 0 0 0 1994 12 10 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 通算 36 34 1 6 0 9 9 1 0 0 4 4 0 0 1 得点試合一覧 リーグ戦 節 H/A 試合日 相手 スコア 得点者 会場 入場者数 10 H 1993/6/16(水) 浦和 ○3-1 ジョルジーニョ 江川 沢入 瑞穂球 12,227 ナビスコカップ 節 H/A 試合日 相手 スコア 得点者 会場 入場者数 4節 H 1993/9/25(土) 横浜M ○4-1 リネカー② 平野 江川 国立 52,063