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166 :二二三:2013/05/23(木) 02 05 52 とくに意味はない話投下 特別なんです 卓越したKMFデヴァイサーとしての腕とブリタニアへの忠誠心を認められ、ナイトオブトゥエルブ親衛隊に抜擢されたある男 彼は何らかの用事で東京にあるブリタニアの公館を訪れた上司モニカ・クルシェフスキーの下宿先の家主が、寝ていた彼女の頬をつついているところを目撃した (なにしてるんだあの人) 日本のことについて勉強不足な彼は敬愛する上司の頬をつつくといった無礼極まりない行為に及んでいる家主の男が誰か知らなかった 「失礼ですが、如何に家主殿であってもクルシェフスキー卿に無礼を働くのは許しませんよ」 「ああ、これはどうもすみません…… 寝ているモニカさ、いやクルシェフスキー卿がかわいらしくてつい……」 あっさり自らの非を認めて陳謝する男 「親しき仲にも礼儀あり、ですね」 家主の男は上司に用があったらしいのだが、上司が寝てしまっているため「親衛隊の隊長さんに言付けを頼ませていただきますよ」とだけ言い残して去っていった 残されたのは執務机に突っ伏して眠りこける上司と自分だけ 手持ち無沙汰な彼は何気なしに上司の寝顔を見ていたが、確かにかわいいなと思った 以前、士官学校で初めて上司教えを受けたときより美しく強い御方だと敬愛していたが、かわいいと感じたのは初めて いついかなる時であろうと隙らしい隙を見出すことができないほどに自分とは実力差がある上司があどけない表情を見せて無防備に寝ている 彼は敬愛する上司のかわいらしい寝顔に家主の男がしていた行為を思い出した (これは確かにつついてみたくなる) 普段見られない上司の愛くるしい姿に邪な考えが浮かび上がり、ダメだと言い訳しながらも手が勝手に動いてしまった (少しくらいなら……) 彼が今いるのは完全に上司のキルゾーン こんな場所で無礼を働くなど命知らずもいいところだが、民間人である家主の男にできたのだから自分がつつけない筈もなし (申し訳ございませんクルシェフスキー卿…少しだけあなたの頬を触らせていただきます…) 寝ている女性の頬に触れるというブリタニア紳士にあるまじき行為に及ぼうとする罪悪感から謝る彼の手が伸ばされ、きめ細やか白い頬に触れんとした瞬間、彼の視界が捉えたのは 自分に向かって突き出された上司の手刀であった 「かは…ッ」 首を突かれる衝撃と一瞬の痛み それは彼の意識を刈り取るに十分すぎるほどのダメージを与えていた 167 :二二三:2013/05/23(木) 02 07 24 それから何時間かして彼が目を覚ましたのは都内にある病院のベッドの上であった なぜ自分が病院にいるのか理解できていない彼にどうなったのか教えてくれたのはトゥエルブ親衛隊隊長 「危なかったな。あと数センチで急所に直撃を受けて死んでいたぞ」 「そ、そんな……」 「いったい何があったんだ?モニカ様も御自身でやられておいて状況がよくおわかりでない御様子だったが」 訝しげに詰問してくる直属の上司にことのあらましを包み隠さず明かした彼に隊長は「よくもそのような命知らずなことができるものだな」と呆れていた 「いや、その………実は、私がやる前にクルシェフスキー卿が下宿なされておられます家の家主殿がやっていたもので、つい……」 「家主?……ああ嶋田卿のことか」 「隊長は御存知なのですか?」 「御存知もなにも、我が部隊の人間は新人以外皆知っている御仁だ まさか貴様、嶋田卿がモニカ様のキルゾーンで頬に触れられたから自分も大丈夫とか考えたのか?」 「はい…実はその通りです 悪い言い方になりますが、民間人が触れても起きないほど隙だらけでしたので」 「寝ているモニカ様を前に隙だらけだと感じたのなら貴様はまだまだ未熟だということだ。誉れあるトゥエルブ親衛隊所属の騎士たる実力がまだついていない証拠だな。貴様もモニカ様にお仕えする騎士の一人である以上そんなことでは困る それと、勘違いしないように言っておくがモニカ様のキルゾーンで何をしても大丈夫なのは皇帝陛下を除けば嶋田卿ただお一人だけだ 命が惜しければ今後睡眠中のモニカ様をお見かけしても手を出さんようにしておけ」 「肝に銘じておきます……それにしても、あの家主殿はどういった御仁なのですか?」 上司にあんなことをしても何もされない家主のことが気になる新人騎士に、隊長は言った 「我々がモニカ様に忠誠を誓いお仕えしているように、モニカ様も皇帝陛下に忠誠を誓いお仕えしている。しかし私人としてのモニカ様はまた別に御守りしたい方がいる」 「それが、あの御仁だと?」 「そういうことだ。モニカ様がお仕えするもう一人の主君、それが嶋田卿なのだ。本来ならばラウンズが陛下以外に忠誠を誓うなどあってはならんのだが嶋田卿だけは特別なのだよ」
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M-Tea* vol.7 no.41 本の未来(六)富田倫生 2015.5.2 第七巻 第四一号 本の未来(六) 富田倫生 第四章 インターネットが吹き込む電子本の命 「作家よ、来たれ!」 ネットワークとコンピューター サイバーブックセンターへの道 電子出版社の模索 サイバーブックセンターの離陸 誰にでも可能になったインターネットへの情報発信 それぞれのインターネットの発見 エキスパンドブックとインターネット imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第七巻 第四一号 ダウンロードサイトへジャンプ】 (1.9MB) 100円(本体税抜93円) p.161 / *99 出版 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ PDF 形式。Mac OS X 10.4・Acorbat Reader 5.0、Windows 7・Adobe Reader X および SONY Reader(PRS-T2)にて確認済み。 ※ この作品は青空文庫にて公開中です。 ※ この作品は、クリエイティブ・コモンズ「表示 2.1 日本」でライセンスされています。利用条件は、http //creativecommons.org/licenses/by/2.1/jp/ を参照してください。 PDF マガジン 週刊ミルクティー* インターネットの成り立ちに触れた本を読むと、その多くが「アメリカの軍用ネットワークが起源だった」と書いています。核攻撃を受けて通信線の一部が途絶えても、全面的なコミュニケーションの途絶に陥らないよう備えた、網の目状の〈打たれ強い〉通信網が原点だったというのです。 ルーツとなった通信網が軍の予算によって築かれたこと。その際、網の目状のシステムには打たれ強い性格があると強調されたことは事実です。けれど、誰がどのような意識でこうした試みを進めたかをたどってみると、「ルーツは軍事」とする決まり文句となった指摘は実態からかけ離れているだけでなく、歴史の大きな流れを見誤らせかねないと痛感します。 一九六〇年代初頭、今役立つものだけでなく、先を見越したコンピューター技術へも投資していこうとする気運が軍の内部で高まったとき、J・C・R・リックライダーという心理学畑の研究者が見直しの責任者として招かれました。人は〈考える〉作業の大半を、資料をまとめたり、参考になるものを探したりといった準備のために使っている。この工程にマシンの支援が受けられれば、人とコンピューターは素晴らしい〈共生体〉を産み出せる。そう考えていたリックライダーは、もう一方でコンピューターをネットワークして使うことで生じる〈共有感覚〉の目覚めにもいち早く気づいていました。 ※ #ref(7_41.rm) (朗読:RealMedia 形式 xxxKB、x xx) ※ お休みしまーす。 富田倫生 とみた みちお 1952-2013(昭和27.4.20-平成25.8.16) 広島市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。編集プロダクション勤務を経て、ライターに。ノンフィクションのさまざまな分野を取材対象としてきたが、次第にパーソナルコンピューターの比重が高まる。ボイジャーのエキスパンドブックを見て電子出版の可能性を本気で信じ込むようになり、「パソコン創世記」と名付けたタイトルを、コンピューターで読むことを前提に制作。このブック上の記述を、インターネット上のさまざまなホームページにリンクさせていくという作業を体験してからは、電子本への確信をさらに深めている。紙で出してきた著書に、「パソコン創世記」(旺文社文庫版、TBSブリタニカ版)、「宇宙回廊 日本の挑戦」(旺文社)、「電脳王 日電の行方」(ソフトバンク)、「青空のリスタート」(ソフトバンク)、「本の未来」(アスキー)がある。 ◇参照:Wikipedia 日本語・オフライン版(『iP!』2009.4月号、晋遊舎)、青空文庫「作家別作品リスト:No.55」。 底本 底本:「本の未来」アスキー 1997(平成9)年3月1日初版発行 http //www.aozora.gr.jp/cards/000055/card56499.html NDC 分類:007(総記 / 情報科学) http //yozora.kazumi386.org/0/0/ndc007.html NDC 分類:023(図書.書誌学 / 出版) http //yozora.kazumi386.org/0/2/ndc023.html 難字、求めよ エキスパンドブック横丁 ボイジャーによる、呼びかけに答えた人の作品を並べて販売する活動。一九九五年二月、マックワールドエキスポ東京での出展作品は五十七。(本文) ボイジャーサロン 一九九三年十一月、ニフティーにできたサロンの一つ。(本文) ソフトウエアの卸し 書籍の取次店 サイバーブックセンター 一九九五年七月、木津田秀雄の呼びかけにこたえ、『ポン!』の仲間たちが共同で開いた本屋。サーヴィス内容は、フロッピーディスクなりCD-ROMなりに書き込んだブックの販売代行、ブックの紹介、無料のブックを自由に引き落としてもらう。(本文) オーディオミュージック 合鴨農法 電子書店 シカゴセヴン 一九六八年、民主党大会が開かれたシカゴでの騒動から始まる事件。(本文) 小澤真理子 著『ロン吉百までわしゃ九十九まで』『犬と釣り』。(本文) るじるし 著『るじにっき』。絵と文章を組み合わせてみたり、キャラクターを動かしてみたり。吸う息と吐く息のおだやかなリズムに自然に沿ったような作品をさらりと生み出す。(本文) 木津田秀雄 きつだ ひでお? 一九六二年、兵庫県伊丹市生まれ。大阪で胡桃設計を主宰し、住宅中心に取り組む。もう一人の横丁作家である古野信治と『エキスパンドブックでポン!』と名づけた電子雑誌を創刊。著『エキスパンドブックでつくる本』。ニフティーにボイジャーのサロンができた当時、最初の書き込みをおこなう。『ポン!』三号には、阪神大震災に際してどう振る舞ったかの記録を「建物診断ボランティアに参加して」と題して掲載。一九九五年、共同の電子本屋、サイバーブックセンターを運営。(本文) 胡桃設計 木津田秀雄の主宰。(本文) 古野信治 ふるの しんじ? 木津田秀雄と『エキスパンドブックでポン!』と名づけた電子雑誌を創刊。(本文) 翡翠 ひすい? ボイジャーサロン参加者の一人。(本文) 書肆 Dairiqui しょし だいりき? 京都でコンピューターを使った本作りを進めているグループ。コンピューター出版社。(本文) 原伸郎 はら のぶろう? 著『インターネット日記』。Dairiqui のメンバー。(本文) 京都インターネット 藤井一寛 ふじい? 富田と同じ共同住宅に住む。コンピューターに関連した仕事に携わる。一九九五年、東京インターネットと専用線接続を契約、イーサネットで富田のマシンをインターネットに接続。(本文) 渡辺俊雄 わたなべ としお? アスキー第一書籍編集部。『オヤジ一人で出版社を作る』という仮のタイトルをでっちあげ、この本の企画書を書いて相談を持ちかけた富田に、WWWによる表現そのものにも触れろと注文をつける。(本文) 年表 一九六八年、民主党大会が開かれたシカゴでの騒動から始まる事件。〈シカゴセヴン〉。 一九七〇(昭和四五) 大阪万博。 一九九五(平成七)一月十七日 阪神大震災。 一九九五(平成七)二月 マックワールドエキスポ/東京。 一九九〇年八月 イラクのクウェート侵攻。 一九九一年一月 多国籍軍による空爆。湾岸戦争はじまる。 一九九六(平成八)二月 マックワールドエキスポ。 ◇参照:本文、Wikipedia(「日本語・オフライン版-2009.2.4」『iP』2009.4月号付録 DVD-ROM。 むしとりホイホイ CD―ROM → CD-ROM 【-か】6か所。 PC―8001 → PC-8001 【-か】2か所。 MZ―80K → MZ-80K 【-か】 一人ぽっち → 一人ぼっち 【ぼ?】 人たちの出会い → 人たちとの出会い 【と?】 申し合わる → 申し合わせる 【せ?】 使うことこと → 使うこと 【こと、重複か】 以上7件。底本は未確認。 スリーパーズ日記* 書きかえメモ。 ベーシック → BASIC おぼえがきメモ。 木津田秀雄『エキスパンドブックでつくる本』。 本文では「一九九四(平成六)年十月一日発刊」。参考文献の一覧では「一九九三年」。 本文中、「私が今この文章を書いているコンピューターの画面には、およそ一二〇〇字程度が見えています」とあるから、『本の未来』の執筆はパソコンと思っていいだろう。 2015.5.2 公開予定 2015.6.22 公開 しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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兄弟姉妹キャラ・バトルロワイアル アニメ、漫画、ラノベの合計18作品から、兄弟姉妹(義兄弟なども含む)を集めて開催されるバトルロワイアル。 リレー小説企画で、本スレは創作発表板。 本ロワの特色として、参加者が二人もしくは三人の組になっており、最後の一組になるまで殺し合うというルールが採用されている。 また、女性比率が高く、参加者全体の半分以上が女性キャラである。 第一回放送を迎えることなく停滞、wikiとしたらばの閉鎖が管理人より発表された。 参加者 同じ行に書かれているキャラクター同士が、ロワ開始時点での組。 No 作品 関係 兄or姉 弟or妹1 弟or妹2 1 ARMS 血縁 高槻巌 ジェームス・ホワン 2 お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!! 非血縁 高梨修輔 高梨奈緒 3 俺の妹がこんなに可愛いわけがない 血縁 高坂京介 高坂桐乃 4 CLANNAD 血縁 春原陽平 春原芽衣 5 けいおん! 血縁 平沢唯 平沢憂 6 結界師 血縁 墨村良守 墨村正守 7 コードギアス反逆のルルーシュ 非血縁 ルルーシュ・ランペルージ ロロ・ランペルージ 8 血縁 シュナイゼル・エル・ブリタニア ナナリー・ヴィ・ブリタニア 9 コーネリア・リ・ブリタニア ユーフェミア・リ・ブリタニア 10 ジョジョの奇妙な冒険Part6 ストーンオーシャン 血縁 エンリコ・プッチ ウェザー・リポート 11 真・恋姫†無双 血縁 孫策 孫権 孫尚香 12 非血縁 劉備 関羽 張飛 13 蒼天航路 非血縁 劉備玄徳 関羽雲長 張飛益徳 14 ブラック・ラグーン 血縁 ヘンゼル グレーテル 15 北斗の拳 血縁 ラオウ トキ 16 非血縁 ジャギ ケンシロウ 17 魔法少女リリカルなのはStrikerS 非血縁 ギンガ・ナカジマ スバル・ナカジマ 18 クアットロ ノーヴェ ウェンディ 19 めだかボックス 血縁 黒神真黒 名瀬夭歌 黒神めだか 20 物語シリーズ 血縁 阿良々木暦 阿良々木火憐 阿良々木月火 21 幽☆遊☆白書 血縁 戸愚呂兄 戸愚呂弟 22 ヨスガノソラ 血縁 春日野悠 春日野穹 23 ローゼンメイデン 非血縁 水銀燈 金糸雀 薔薇水晶 24 翠星石 蒼星石 25 真紅 雛苺 18作品 / 25組 / 57人 外部リンク 支援サイト 兄弟姉妹キャラ・バトルロワイアル@wiki 兄弟姉妹キャラ・バトルロワイアル 専用したらば(閉鎖) スレッド 兄弟姉妹キャラ・バトルロワイアル 兄弟姉妹キャラ・バトルロワイアル part2(閉鎖)
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コードギアス ココロ抱いて ~プロローグ~ 皇暦2010年8月10日、世界唯一の超大国、神聖ブリタニア帝国が日本に宣戦布告した。 日本はブリタニア帝国の属領となり、自由と権利とそして名前を奪われた―。 「エリア11」-それが敗戦国日本の名前。 「イレヴン」-それが日本人の呼び名。 「よし、そろそろ時間だな。今日はここまでにしよう」 教室の前方、黒板の前に立つ男性がそう言うのとほぼ同時にチャイムがなった。 一気に活気付く室内。 ここはブリタニア本国にある「人型自在戦闘装甲騎“ナイトメアフレーム”」のパイロット養成施設「Master of Knightmare Academy」世間一般では「アカデミー」と呼ばれている。 そこで俺は1年間過ごしてきた。 入学当初は「アカデミー」なんていかにも学校らしい名前で甘く見ていたんだが、とんでもない間違いだったようだ。 あそこはまさに地獄といっても過言ではない。 今までブリタニア帝国の侯爵の息子としてぬくぬくと暮らしていた自分にとってあんなにも酷い扱いを受けたのは初めてだった。本気で逃げようとしたことも多々あった。しかしその度に父親の言葉が頭をよぎる。 「もしも途中で逃げ出すことがあればお前とは縁を切るぞ!」 と言われてしまっては帰れるわけがない。 <なんでウチの親はあんな熱血なんだ・・・・・・> そんなわけで俺はなんとかこの1年を乗り越えた。 過ごしていくうちに友達もできた。なんだかんだで意外と楽しい毎日だった。 そんな生活もあと少しで終わってしまう。 来月の卒業試験。それに合格できれば俺は晴れて正式なナイトメアフレームのパイロットとして軍に配属される。 そうなればこのアカデミーともさよならだ。そう考えると名残惜しく感じてしまう。 とりあえず今は卒業試験に備えてひたすら勉強とシミュレーターに明け暮れる毎日である。 皇暦2017年 そしてここから物語は幕を開ける・・。
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魔王ゼロ@コードギアス ナイトメア・オブ・ナナリー 詳細 別世界のルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが“ブリタニアの魔女”魔王C.C.と契約し、エデンバイタルの力を得た姿。 軍略・策謀を得意としていたゼロとは違い、筋骨隆々の堂々たる体躯を有し、KMFとすら生身で渡り合う。 別世界の自らと同様に黒の騎士団を率いて神聖ブリタニア帝国と戦うが、絶対皇帝シャルルが聖エデンバイタル教国を建国すると、 ゼロは異母妹であるユーフェミア・リ・ブリタニア率いる新生ブリタニア帝国と連合しシャルルを討伐、聖エデンバイタル教国を滅ぼした。 戦後はルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの名を捨て、“ザ・ゼロ”で死を得て滅んだC.C.から魔王の役割を引き継ぐ。 魔王として世界にギアスをばら撒き、世界を混沌で活性化させるために。 彼はいずれ最愛の妹であるナナリーや無二の親友であるスザクと敵対する事になる。 ルルーシュの名を捨てる直前、ナナリーの元へ姿を現し、別れと共にナナリーを愛し続けていると告げ、この世から消えた。 【NAME】 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア 【CLASS】 ブラックリベリオン 【MASTER】 なし 【STATUS】 筋力:A 耐久:B 敏捷:C 魔力:B 幸運:C 宝具:EX 【SKILL】 騎乗:C 騎乗の才能。機械仕掛けの“騎士の馬”たるナイトメアフレーム(KMF)を操縦する技量を表す。 ゼロは直接機体には乗り込まず、頭部や肩部など外装部に立って遠隔操縦を行う。 カリスマ:C 軍団を指揮する天性の才能。一軍を率いる総帥の器。 軍略:B 多人数を動員した戦場における戦術的直感能力。自らの対軍宝具の行使や、逆に相手の対軍宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。 魔力放出:B 武器、ないし自身の肉体に魔力を帯びさせ、瞬間的に放出する事によって能力を向上させる。 ゼロは魔力の代わりにエデンバイタルのエネルギーを身に纏う事で、生身で人型兵器と格闘戦を行えるほどの身体能力を得る。 エデンバイタル:EX 現宇宙誕生前から存在する、万物を支配するエネルギー・法則。時空間のどこにでも同時に“存在・干渉”するモノ。 ギアスはエデンバイタルにアクセスして宇宙の理を捻じ曲げるが、ゼロは魔王の役割をC.C.より譲り受けたため、ギアスを行使せずエデンバイタルにアクセスできる。 その力の一端は、音速で発射された銃弾を空中に固定する、マントを硬質化させ打撃に用いる、自らを量子化させて転移するなど、万能と呼べる物。 ただしゼロはエデンバイタルを介してムーンセルをハッキングしているため、SE.RA.PH内ではこの権能は大きく制限される。 【NOBLE PHANTASM】 黒き魔王の玉座(ガウェイン) ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:2~50 最大捕捉:100人 全高6.57m、全備重量14.57t。量子シフトにより瞬時にゼロの元へ召喚される大型ナイトメアフレーム。 肩部に粒子加速砲“ハドロン砲”を二基、指部に射出型ワイヤーアンカー“スラッシュハーケン”を十基搭載している。 大型ランドスピナーで高速地上走行が、フロートシステムで空中飛行が可能。 神の力(ザ・ゼロ) ランク:EX 種別:対神宝具 レンジ:1 最大補足:1人 “森羅万象を無に帰す力”。 全能たるエデンバイタルと個にして同等、契約を必要とせず行使できるワイアードギアス。 掌部から生み出される光を対象に当てる事で発動する。 有機無機問わずあらゆる存在の活動を停止させる、KMFの斬撃を受け止めるなど、攻守両面において威力を発揮。 高次次元であるエデンバイタルへの強制的な侵入すら可能とし、不死の存在であろうと逃れ得ない滅びを与える。 このワイアードギアスとエデンバイタルから遣わされた力により、ゼロは世界に混沌をもたらす黒き魔王として君臨した。 ゼロはエデンバイタルとリンクしているため、実質この能力でしか滅ぼす事はできない。 また、自らを自らのギアスで滅ぼす事はできないため、ゼロはザ・ゼロと同等以上のギアスを他者に発現させようと魂の選定を進めている。
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影響を受ける人:バージョン 亡国ルート <提督の憂鬱×コードギアス 亡国の反撃 File-002> ――ルルーシュ視点―― 俺の名前はルルーシュ。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだ。 もっとも、“ヴィ・ブリタニア”なんてもう名乗りたくないがな。 現在は偽名で“ルルーシュ・ランペルージ”を名乗っている。妹のナナリーもランペルージ性を名乗っている。 何故偽名を名乗っているかと言えば。早い話、ブリタニアの目を欺くためだな。 一応ブリタニア人として行動しているが、心情的には日本人よりだ。 それもこれも嶋田繁太郎氏・・・いや。父さんの御蔭だろう。 父さんか・・・ 何時の頃からか、俺とナナリーは嶋田氏を“父”と呼ぶようになった。 最初は驚かれたが、俺達にとって父親とは彼しかいない。 ブリタニアにいた時はこんな考えなんて持たなかったが、アレは皇帝としての父親は正しくても、肉親の父親としては失格だ。 ナナリーも最近「ロールケーキがどうしました?」と言っているし・・・なんであの子はここまで黒い笑顔をするようになったんだ? ま、まあそれはいい! 一年間日本で過ごし、今は中華連邦で過ごしている。 主だって動いてはいないが、将来はアシュフォード家を通じてブリタニアの情報を仕入れるつもりだ。 昔は「ブリタニアを破壊する!」などと言っていたが・・・破壊すると世界も破滅する事がわかってきた。 まずブリタニアの支配する土地が広すぎる事。 下手に開放すると、周辺国家に飲み込まれて同じ状態に戻る事がわかってしまった。 衛星国に成り下がってしまった国家の基盤が脆弱で、今だに抵抗を続けている地域の衆自立なんか調べてみると目を覆ってしまう。 昔は民に文字など教えずに支配する方が楽だったと言うが、まさにそれだな。 次にEUの腐敗が進み過ぎてガタガタだという事だな。 実際日本が負けた際には、私財を全てタダ同然を徴収しようとしたらしい。 しかし父の仲間達が売却する代わりに、日本人の国外退去・・・中華連邦方面の移動を認可させた。 これにより日本人の保護が容易になり、亡命政府も人員確保のめどが立つ。 次に中華連邦だが・・・大宦官等が問題だ。 此奴らはまさに腐った貴族ともいうべき存在で、お飾り天子無視してやりたい放題している。 しかし全員味方と言うわけではなく、時には対立しているらしい。 もっとも、同じ的には結託するというのだから始末が悪い。 一応澤崎敦氏が高亥との交渉を任されていて、なんとかやりくりしているという。 高亥自身は他の宦官同様に腐っていて性根が曲がっている。 しかし評価すべきことに、“贅沢をするためなら努力と労力を惜しまない”と言う人物だともわかっている。 この辺を把握し続けていれば何とかなるだろう。 後は地下組織との交渉だが・・・中華の人民は基本的に日本人を下に見ているからな。 どこまで出来るかわからん。 速くブリタニアルートのチャンネル構築を急がなくてはならないが・・・ まだもう少し勉強をする必要性があるようだ。 そう言えば、そろそろカレンに手紙が届くころか。 ―カレン視点― ルルーシュ達三人と知り合ったのは、近所の駄菓子屋だった。 まさか男子に間違われるなんて初めてだったので良く覚えている。その後打っ飛ばしたことも。 だけどその後も何かと付き合うようになり、いつの間にか仲良くなっていた。 三人とも、私がハーフだとは気が付いても何も言わなかったので、思い切って尋ねてみたら・・・ 「何を言っているんだ。カレンはカレンだろ?」 「そうですよ。貴方は御友達の紅月カレンさんです。」 「そうそう。バカレンだk「ふんぬ!」げふぅ!」 嬉しかった。 ただ単純に嬉しかった。 学校だと良く髪の色で弄られ続けるのが日常で、反撃していたのも日常だ。 何も言わないのはお兄ちゃんだけ。そう思っていただけに嬉しかった。 その後、嶋田さん家とも交流が進み、家族ぐるみのお付き合いが始まった。 お兄ちゃんが嶋田さんの人柄に惚れて、軍政関連の勉強を開始するとは思わなかったけど。 楽しくて、思い出がたくさんできた時期だった。 ルルーシュたちは学校にこれ無かったけど、同級生よりも頭が良くて、よく宿題を手伝ってもらったけ。 だから勉強に関しては頭が上がらない。 お母さんが「ルルーシュ君て、優良物件だと思うけど?」なんて言った時には御茶を拭きだして死にかけた。 お母さんぇ・・・ だけどそんな楽しい世界は、唐突に終わりを告げた。 ブリタニアが攻め込んできたのだ。私達は逃げ惑い、ルルーシュ達の事を気にも留めずに逃げ回った。 ふと我に帰って二人の心配をしたけど、どうにもならなかった。 結局私は・・・ルルーシュ達に別れを言う事すらできなかった。 終戦後、私達はブリタニアにいる私の父親・・・私達を捨てたアイツを頼る事になった。 生活のために働かないといけないけど以前の仕事はもうないし、職場を見つける事も大変だ。 アイツの隣には、ブリタニアで結婚したと思われる女性がいたがあえて無視。 あっちも無視してきたし問題はいないでしょ。 ただ二人の間には子供がおらず、自分が養子に入る事でお母さんを雇うことになった。 お兄ちゃんは・・・レジスタンス活動をすると言って居なくなった。 その後は・・・もうギスギスした家庭にイラついた。 アイツは何も言わないし、怯えるように私を見るだけ。 連れに関してはずっと無視。お母さんを苛めるそぶりが無いのが救いか。 お母さんもなんだか私の顔を窺うようになってしまった。 ちがう、私が欲しいのはそんな顔じゃない。 もう以前の様に戻れないとわかっても、私は・・・ イラついていた私はお母さんに当たる様になってしまった。 お母さんは悪くないのに・・・ そんな時にお兄ちゃんがコッソリ帰ってきた。手紙をもって。 「お兄ちゃん!?」「ナオト?!」 「久しぶり、二人とも。」 「どこにいていたの!」 「ちょっと騒がないで、見回りの人が来ちゃうから。」 「う、うん・・・」 「ナオト・・・」 「母さん言いたい事はわかる。でも、いまレジスタンスを抜けるわけにはいかないんだ。」 「お兄ちゃん、私もレジスタンスに・・・」 「だめだ。お前はそのままでいてくれ。母さんを安心させるんだ。」 「え? で、でも・・・」 私は迷った。母さんとの関係が壊れかけていること言うべきかどうかを。 でもお兄ちゃんは笑って、昔みたいに頭を撫でてくれた。 「ルルーシュ君にも言われたろ。おまえはおまえだ。誰が父親でも、お前は俺の妹、紅月カレンだ。 そして母さんの娘、紅月カレンでもあるんだぞ? お前は短気な所があるから、すぐに怒鳴らないで根気よく母さんと話すんだ。 母さん口下手だし、引っ込み思案なとこが有るからな。」 「うん・・・」 「泣くな。お前は強い子だ。そうだろ、母さん。」 「そうね。強すぎて、全部抱え込んでいないか心配で・・・」 「そんな、ことない・・・」 私は久しぶり泣いた。家族と一緒に、昔の様に。 ひとしきり泣いたあと、お兄ちゃんがやっている事を聞いて驚いた。 ゲットーの中で、学校を開設しているというのだから。 「これは辻さんからの受け売りなんだけど、習字率が低下していると国家的に不味いんだそうだ。 あとは文化面でも継承しなきゃいけないモノがある。 戦うだけが抵抗じゃないのさ。」 「で、でも。どうやって日本を取り返すの?」 「・・・今のままじゃ取り返すことは出来ない。 詳しい事は聞いていないけど、ブリタニアが作ったKMFに対抗できる兵器を作るべく努力しているって聞いている。 あとはバラバラに行動するんじゃなくて、一斉に行動するための連絡網構築が急務だって言っていたな。 ワザとブリタニアに協力して、情報・金銭・物資なんかを引き出している人たちもいるって聞いてるよ。」 「う、う~ん。」 いっぺんに難しい事を言われて頭が混乱するよ。 そんな私を見て二人が笑ったので、頬を膨らませて抗議する。 「ははははは。二人の顔も見れたし、自分は戻るよ。」 「ナオト、気を付けてね。」 「お兄ちゃん、頑張ってね。」 「ああ。がばるよ・・・ っと、帰る前にカレン。ルルーシュ君から手紙だ。」 「えっ!」 「もし返信を書くなら、再来週のこの時間にまた来る予定だから。」 「わ、わかった!」 お兄ちゃんはそのままレジスタンスの拠点に戻っていった。 本当ならこのままこの家にいて欲しかったけど、それは無理だとわかってもいた。 後ろ姿を見送った後、私はすぐに手紙を読んでまた泣いた。 二人は、嶋田さん達は無事に脱出したという事。 ナナリーちゃんも、リハビリを必死に頑張っている事。 一繁が勉強を頑張っていて、眩暈がするという事。 ルルーシュが将来、書類地獄になりそうだと嘆いている事。 嶋田さんをお父さんと呼んだら慌てていた事など、沢山書いてあった。 そして最後に嶋田繁太郎さんから、奥さんからの手紙が入っていた。 二人の気遣いが嬉しくて、この日は何度も泣いた。 私はこの日からお母さんにつらく当たらなくした。 お母さんだって辛いんだ。その心を守れるのは私だけ。 そしてお母さんも私を守ってくれている。だからお互いに守りあうのだ。 レジスタンス活動は出来ないけれど、貴族子弟の話は聞ける。 割と子供の前では親は口が軽くなったり、油断するモノだ。 その情報を集めるだけでも有益だと、後にい東条英機おじさんから聞いている。 総合すれば、相手の動きを把握することだってできる。 地道だけど、結果につながる重要な仕事だ。 でも・・・ やっぱり体動かしたいな!! 演技しないで活発に動いているけど、騎士なんてがらじゃないし、お母さんを心配させるわけにもいかないし・・・ あ~あ・・・ ルルーシュに会いたいな~ 以上です。 カレンはルルーシュに恋頃を抱くのでしょうかwww
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戦時体制とファシズムとの混同(ドイツやイタリアとはちがって、日本ではまず先に戦争(※注:1937.7.勃発の支那事変)があって、それへの対処として国内体制が生まれ、一国一党やそのイデオロギーは後になってからつくりだされた。 ~ 竹山道雄(ドイツ文学者)『昭和の精神史』(1955年) 社会主義・共産主義への“進歩”を「歴史の必然」と考えるマルクス主義者・戦後民主主義者(進歩的文化人)によって、進歩に逆行する反革命、すなわち「天皇制ファシズム(日本ファシズム)」と断罪された戦前期日本の国家体制 <目次> ■1.マルクス主義◆1.マルクス主義の構成と、弁証法的唯物論(史的唯物論)◇1.弁証法的唯物論、史的唯物論 ◆2.マルクス主義の政治体制論と、二段階革命論◇1.マルクス主義と二段階革命論 ◇2.マルクス主義の体制論・革命論 ■2.近代日本の政治体制論◆1.近代日本の政治体制の評価◇1.日本におけるマルクス主義の展開 ◇2.マルクス主義以外の体制論 ◆2.丸山眞男と、天皇制ファシズム論◇1.天皇制ファシズム論(日本ファシズム論) ◇2.その他関連用語 ■3.ご意見・情報提供 ■1.マルクス主義 ◆1.マルクス主義の構成と、弁証法的唯物論(史的唯物論) ◇1.弁証法的唯物論、史的唯物論 ↓本文はここをクリックして表示 +... マルクス主義Marxism※日本語版ブリタニカ百科事典より K.マルクスとF.エンゲルスとの共同作業によって打ち立てられた理論。ドイツ哲学、イギリス経済学、フランス社会主義を批判対象としつつ、これらを継承することで成立した。その根本思想は、世界をあれこれと解釈するのではなく、変革していかなければならないとする実践的唯物論であり、その変革の主体としてのプロレタリア階級を初めて歴史的に位置づけた。人間生活の現実的前提は物質的生活諸条件であり、歴史もまたその中から見出され基礎付けられなければならない、とする唯物史観に立脚し、歴史を階級闘争の歴史として総括する。マルクス主義は、資本主義社会をブルジョアジーとプロレタリアートの対立として捉え、プロレタリア階級の勝利によって無階級社会(社会主義・共産主義)を実現していかなければならない、としている。マルクス主義では、唯物史観に基づくがゆえに、この資本主義社会の科学的把握としての経済学に重要な位置が与えられており、『資本論』はその精華である。 弁証法的唯物論dialectical materialism※(社会科学事典―新日本出版社)より マルクス主義理論の三つの構成部分(哲学、経済学、科学的社会主義)の一つ。そのおもな特徴は次のことにある。 1. 唯物論的であると同時に弁証法的であること。すなわちそれまでの唯物論が形而上学的(機械的)であった欠陥を克服して、最も全面的で内容豊かな、かつ深遠な発展の学説である弁証法をヘーゲル哲学から受け継ぎ、しかもヘーゲルの観念論的弁証法を唯物論の立場からつくり変え、こうして唯物論と弁証法とを不可分に統一していること。 2. このことによって、自然をも社会をも一貫して唯物論的に捉えることが出来るようになり、従来の唯物論の欠陥を克服して、社会とその歴史の理解にまで唯物論を貫徹させて、史的唯物論を確立したこと。 3. 世界を変革すると言う実践の立場に立ち、かつ真理の基準としての実践の意義を明らかにしたこと 。 4. 自然科学が得た新しい成果を総括して、自然の弁証法的性格を捉え、自然科学の理論的基礎を明確にしたこと。 5. 労働者階級の革命的・歴史的な使命を認識して、この階級の哲学であることを宣言したこと。したがってこの哲学はマルクス主義政党の世界観である。 弁証法的唯物論は19世紀40年代にマルクスとエンゲルスによって打ち立てられたが、その後第二インタナショナルの時代にこの哲学に対する軽視や、これを修正する動きが現れた。 これに対してレーニンは、こうした修正主義を克服し、弁証法的唯物論と科学的社会主義とは切り離せないことを強調するとともに、観念論の新しい諸流派との闘争の中で、資本主義の発展と科学の新しい発展に対応して、この哲学を一層発展させた。 弁証法的唯物論は、このように新しい事態の出現に対応して発展してゆく創造的な性格を持ち、実践活動並びに理論的研究の指針となるものである。 弁証法的唯物論に基づかなければ、一面性と主観主義を生み、思想を硬化させ、実践から遊離させ、事物や現象を正しく分析する能力を失い、修正主義的な又は教条主義的な誤りや政策上の誤りをもたらす。 弁証法的唯物論から離れることは、労働者階級の立場から逸脱し、革命の事業を裏切り、社会主義から共産主義へと進む、建設の大義を放棄するに等しい。 史的唯物論historical materialism※(社会科学事典―新日本出版社)より マルクス主義の歴史観で、唯物論的歴史観(唯物史観)とも言う。史的唯物論は弁証法的唯物論の見地に立って社会の構造・その発展の原動力・その法則を明らかにしたものである。これによって社会とその発展とに関する見解は、従来支配していた観念論的歴史観や地理的唯物論の誤りを克服して新に科学的な歴史観となった。史的唯物論は人間の願望や意識又は超人的な精神的存在や神などによって歴史を説明するのではなく、人間社会とその歴史的発展は、人間が生存し活動する為に必要な生活資料の生産、すなわち物質的生産に基づくことを明らかいにした。物質的生産は一方では人間が自然に働きかけて生活資料を得る生産力と、他方ではこの生産における人と人との関係である生産関係とから成り、両者は統一してその時代の生産様式を形作る。生産様式は社会の物質的な骨組みであり、生産力と生産関係との矛盾を通じて変化・発展し、人類の歴史は生産様式の違いによって、原始共同体・奴隷制・封建制・資本主義・共産主義の五つの発展段階に分けられる。それぞれの生産様式のもとで、それぞれの政治や精神活動の所産(イデオロギー)等の社会的諸現象が生産関係を土台として形作られる。政治や精神活動の所産は、究極的には土台に規定されつつ、一定の独自性を持って発展し、土台に対しても一定の反作用を及ぼす。従って史的唯物論は経済的歴史観の一面的見解とは根本的に異なって、政治や精神活動の所産の大きな意義を承認する。社会の矛盾は、階級社会では生産力の発展を担う革命的階級と、現存の生産関係を保持し続けようとする保守的階級との間の階級闘争となって現れ、階級闘争は社会発展の生きた原動力となる。史的唯物論は、物質的生産が社会とその発展において果たす意義を明らかにしたことによって、物質的生産に携わる人民大衆の歴史における創造的役割を明確にした。こうして史的唯物論は今日、弁証法的唯物論とともに労働者階級と勤労者全体の革命闘争を新に科学的に導く指針である。→歴史観、歴史における大衆の役割。 ◆2.マルクス主義の政治体制論と、二段階革命論 ※サイズが画面に合わない場合は こちら をクリック願います。 ◇1.マルクス主義と二段階革命論 ↓本文はここをクリックして表示 +... 古典的なマルクス主義では、政治体制は、①絶対主義体制→(ブルジョア革命)→②ブルジョア民主制→(プロレタリア革命)→③プロレタリア民主制、と順に「進歩」すると考える(歴史法則主義) ところが1933年1月にドイツで、②ブルジョア民主制→(反革命)→④ナチ政権(ファシズム体制)、という「歴史法則外」の体制変動が発生し、ドイツ共産党が弾圧され、ソ連がナチ政権の打倒対象と名指しされた事態を受けて、1935年8月のコミンテルン第7回大会で、ファシズム体制や帝国主義国の植民地・従属国となっている地域に関する新たな革命戦術(人民戦線戦術)が提起された。 古典的なマルクス主義も、反ファシズム・反帝国主義の革命戦術も、共に、①まず民主共和制の樹立→②次に社会主義体制の樹立、という「二段階革命論」を提起している。 以下、日本語版ブリタニカ百科事典より引用。 なお、用語は「民主主義」と「民主制」が混在しているが、democracy は -ism(思想)ではなく -cracy(制度) であり、厳密には「民主制」が正しいことに注意。 ブルジョアジーbourgeoisie 歴史的概念として、封建社会を打倒し封建的土地所有を廃棄して、資本制生産様式に基づく近代社会を生み出した近代民主主義革命、すなわちブルジョア革命の担い手たる階級をいう。ブルジョアジーの闘争は、市民的自由、すなわち基本的人権と、市民的国家の確立の要求を掲げ、自らを聖職者・貴族の支配階級と対置した意味での「第三身分」と認識して行われた。ブルジョア革命ののち、ブルジョアジーは資本家階級として、自らが生み出した労働者階級であるプロレタリアートと対立するに至った。 プロレタリアートproletariat 階級としての資本家、すなわちブルジョアジーに対立する概念で、資本主義社会において、生産手段を持たず、自らの労働力を資本家に売ることによって生活する階級としての労働者を指す。奴隷や農奴とは異なって生活手段の所有から解き放たれているばかりでなく、人格的な自由を持ち、自己の労働力を商品として資本家に販売することのできる自由な労働者が多数生み出されたのは、ブルジョア革命と本源的蓄積過程においてであり、産業革命以後、社会は大きく①ブルジョアジーと②プロレタリアートに分離された。彼らを社会階級として初めて認めたのはA.スミスであったが、マルクスは、労働者階級は唯一の価値の創造者であり、歴史変革の主体であると規定した。語源はラテン語の proletetarius (無産者)。かつては無産者階級、今日では労働者階級と訳されるが、労働者階級が経済学的規定を持つ用語であるのに対して、プロレタリアートはより広義の歴史的・社会的な概念を含む用語として用いられることが多い。プロレタリアを労働者、勤労者、無産者、プロレタリアートを労働者階級、無産者階級と訳して区別することもある。 社会構成体 マルクス主義の社会構造論。 1 生産力の一定の発展段階に見合う生産関係(生産・分配・交換・消費を巡って形成される社会関係)が社会の下部構造を成し、 2 その現実的土台の上に政治的・法律的制度や組織が整えられ、 3 更にそれが宗教的・芸術的・哲学的、また理念的・イデオロギー的な社会的意識が照応する形で上部構造が成立する。この様にマルクス主義の社会構造は建築のアナロジーで組み立てられている。この枠組みを用い、生産力と生産関係、生産関係と上部構造の矛盾調和のダイナミズムという視点から歴史を全体的に捉えようとするのが史的唯物論のアプローチである。 共産主義社会communist society マルクス主義の理論によって提示された社会形態。私有財産制と国家を廃絶し、財産の共有を基礎として人間疎外を止揚した人類史の最高段階と位置づけられている。共産主義は低次の段階としての社会主義と区分される。 1 社会主義段階では、資本主義の痕跡を残しており、能力に応じて労働し、労働に応じて消費する。 2 だが共産主義の段階に至ると、資本主義的要素は全て取り除かれ、能力に応じて労働し、必要に応じて消費する。ここに至って初めて疎外は止揚され、人間の解放は実現する、とされる。 歴史法則主義historicism 個人を歴史的に無意味な道具とみなしつつ、偉大な理念・民族・階級・指導者に注目して、歴史のうちに何らかの普遍的な発展法則を発見しようとする歴史哲学的世界観。従って、歴史主義 historism とは区別される。歴史法則主義はマルクス主義に代表される大規模な「計画」と「統制政策」の根拠になっているが、K.R.ポパーは著作『歴史主義の貧困』の中で、これが多くの点で誤った科学理解に立脚したものであることを批判した。 二段階革命論 前資本主義的関係が残存している後進資本主義国における革命は、まずブルジョア民主主義革命であり、然る後に社会主義革命へと転化する、という理論。K.マルクス、F.エンゲルスは1848年の『共産党宣言』で、 1 ブルジョア革命は封建秩序と政治的絶対主義を打ち壊し、ブルジョア民主主義と資本主義とを労働者階級と共に建て、 2 次いで労働者階級はブルジョア民主主義によって整えられた諸条件の下で、自らを組織して資本主義を転覆し、社会主義の建設へと向かうと定式化した。これを受けてN.レーニンは、1905年の『民主主義革命における社会民主党の二つの戦術』において、ロシア革命の戦略を、 1 労働者は農民と同盟を結び専制政治を完遂し、 2 その後、貧農など半プロレタリア分子と手を結び社会主義革命を完成する、とした。ロシア革命後、28年7月コミンテルンはその第6回大会で綱領を採択したが、そこでは、 1 資本主義が高度に発達した国における革命が社会主義革命であるのに対して、 2 資本主義の発達が中位の国の革命は、社会主義革命に転化するブルジョア民主主義革命、すなわち二段階革命である、とされ、これが二段階革命論を全世界に普及させ、定着化させるもととなった。 人民戦線people s front 1934~35年頃の世界に台頭してきたファシズム勢力に対抗して結成された反ファシズムの広範な共同戦線。35年8月ファシズムの世界的台頭という状況に直面したコミンテルン第7回大会は、 1 G.ディミトロフ、P.トリアッチらの努力によって、社会民主主義政党を当面の敵としていた従来の社会ファシズム論を改め、 2 各国の共産主義者・社会民主主義者が労働者・農民・小ブルジョアジーを基礎に広範に提携して人民戦線を形成し、ファシズムに対抗する、という新しい方針を打ち出し、画期的な戦術的転換を行った。この転換は国際共産主義運動史上重要な意義を持ち、既にイタリア・フランス・スペイン・中国などに芽生えていた統一戦線への志向を更に促進することとなった。(1) フランスでは、早くも34年2月以降、極右勢力の台頭に抗して、社会党と共産党の統一行動が展開され、35年6月には急進社会党などの諸政党・諸団体もこれに加わって人民戦線が成立した。36年春の総選挙では人民戦線派が勝ち、社会党党首L.ブルムを首班とする第一次人民戦線内閣が成立した。しかしブルム内閣は、やがて内外の保守勢力の抵抗、スペイン内乱を巡る国際情勢の変化に直面して下野し、人民戦線は崩壊した。(2) スペインでは34年9月共産党と社会党の接近が始まり、36年1月正式に人民戦線が結成された。同年2月の総選挙ではスペイン人民戦線派も勝ったが、同年7月F.フランコ将軍の反乱にあい、以降2年8ヶ月の激しい内乱となった。しかし結局、人民戦線は39年3月崩壊した。(3) 中国では35年8月1日に中国共産党が抗日救国のための民族統一戦線結成を訴える「八・一宣言」を発し、翌36年12月の西安事件を経て第2次国共合作が実現、やがて抗日戦争の勝利がもたらされた。(4) 日本では、36年日本無産党が人民戦線の結成を提唱したが、37年冬から38年春にかけて政府の弾圧を受け、多数の逮捕者を出し(いわゆる人民戦線事件)、人民戦線運動は失敗に終わった。 ◇2.マルクス主義の体制論・革命論 ↓本文はここをクリックして表示 +... 絶対主義absolutism 主として近世初頭のヨーロッパにみられる支配形態で、国王・君主が何者にも拘束されない絶対的な権力を持つ政治体制を意味する。歴史的には、中世の封建制社会が解体し始め、一方で近代の資本主義社会が確立するに至らない過渡期に出現した。絶対主義国家は中央集権的な統一国家の機構を整えた点で権力の分散を特徴とする封建制国家とは区別されるが、封建的土地所有を認め、身分制的階層秩序を依然として維持し、人民を無権利の状態に置いた点で近代国家とも異なった。国王は全国的な徴税と司法の担当者としての官僚組織、及び国内の治安確保と王朝的な国家利益の追求のための国王直属の常備軍の拡充を図り、身分制的協賛機関であった議会の権限を縮小した。また教会の国家に対する服従を勝ち取り、王権神授説を用いて絶対王権の防衛に当たった。代表的な絶対主義君主としては、スペインのフェリペ2世、イギリスのヘンリー8世とエリザベス1世、フランスのアンリ4世とルイ14世、プロシアのフリードリヒ2世(大王)、オーストリアのマリア・テリジア、ロシアのピョートル大帝とエカテリーナ2世が挙げられる。しかし、この政治形態も市民革命によって崩壊した。 ブルジョア民主主義bourgeois democracy 労働者階級の全面的解放を目指すプロレタリア民主主義に対峙させて、資本主義社会における市民の政治的自由の保障を根幹とした民主的思潮と運動を概括的に表現したもの。こうした理解からすると、近代市民革命は、ブルジョアジーが封建制度の桎梏を打破するためのブルジョア革命であることが強調され、それを経て具体化された法治諸制度の形式性が主張される。しかし、その歴史的所産である人権規定に関しては、普遍的に妥当する理念として積極的に評価されることが多い。 プロレタリア民主主義proletarian democracy 究極的にはプロレタリアート独裁によって実現される民主主義をいう。マルクス=レーニン主義によれば、 1 ブルジョア民主主義が普通平等選挙権、基本的人権、社会権などを認めるにも拘らず、実際には少数者の利益保護に終わっているのに対して、 2 プロレタリアートを始めとして多数の被搾取者の利益を推進しようとするものである。 プロレタリアート独裁proletarian dictatorship マルクス主義の革命理論の中心概念であるが、マルクスは『共産党宣言』においては二段階革命に囚われてプロレタリアート独裁については何も触れていない。だが「共産主義者同盟中央委員会への回状」や『フランスの階級闘争』などで、L.ブランキの唱えた永続革命論やプロレタリアート独裁論を積極的に評価し始めた。そして1850年4月の「革命的共産主義者万国協会」の規約第1条では永続革命とプロレタリアート独裁が明確に打ち出されている。しかしブランキ派とマルクス派とが決裂したため、またもマルクスはプロレタリアート独裁の用語を使用しなくなった。ところがマルクスはパリ・コミューンを考察して再びこの用語を復活するようになった。彼はパリ・コミューンをパリの大衆が実現した真に民主主義的な「本質的に労働者階級の政府」であると考えた。そしてプロレタリアート自身が公的暴力を組織し、現実の国家機構の解体のうえに新しい労働者の国家を実現するための過渡的な形態として「プロレタリアートの階級独裁」をと捉え直したのである。そしてこの考えは、レーニンの『国家と革命』にも受け継がれて、ロシア革命の原則となった。しかし革命後のソビエトにおいて、この概念は共産党の一党独裁を正当化し、その他の勢力に対する抑圧の手段となった結果、スターリン時代の粛清を生み出すこととなった。その結果、フランス、イタリア、スペインなどの共産党はプロレタリアート独裁を放棄し、複数政党制と議会制民主主義に基づく社会主義への平和的移行を唱えるユーロ・コミュニズムという独自路線をとるようになった。 人民民主制people s democracy 旧ソ連以外の社会主義国家体制の総称。第2次世界大戦の末期から戦後にかけて、ファシズムとの戦いの中で、あるいは植民地支配との戦いを通じて誕生した、社会主義を目指す諸国家の政治体制。初めヨーロッパ諸国に成立した政治体制を指していたが、その後に出現した中国・北朝鮮・ベトナムの政治体制も、一括されることとなった。いずれもソ連型とは異なる社会主義国家への道であるとされた。その革命目標は①民族解放と②民主主義で、ファシズムに対しては、東ヨーロッパ諸国におけるような国民戦線が形成され、中国においては無産市民・農民・民族ブルジョアジーを含めた抗日民族解放運動が展開されたのが端緒である。しかし、 1 東ヨーロッパ諸国では、戦後になってブルジョア民族主義の再建を目指すブルジョア勢力と社会主義体制の実現を目指す労働者勢力とが分裂し、後者は、国民戦線を基本として、人民会議を最高機関とする政治体制を主張し、産業の国有化ないしは土地革命の遂行を目標として実権を掌握するに至った。 2 中国でも、国民党・共産党の分裂抗争に象徴されるように、ブルジョア勢力と労働者勢力との分裂が見られ、共産党の政権掌握による人民共和国が誕生した。 3 北朝鮮、ベトナムの場合も、民族解放のための戦いが、戦後、ブルジョア民主主義との対立に転化して、人民共和国の実現を見たものである。いずれも議会主義、権力分立を否定し、人民会議を形式的に最高機関とする。政党については、ソ連の一党独裁とは異なり、民族解放のための統一戦線からの継承として多党制をとる場合があるが、共産党によって実質的に支配される点で共通する。しかしソ連型の社会主義国家と同様、そこでは思想・表現の自由をはじめとする基本的人権が実質的に存在せず、また当初に期待されたほどの生活水準の向上も実現しなかった。特に東欧では国民の不満をソ連の軍事力を背景に抑えつけていたが、社会主義政権の崩壊と相前後して、東欧の人民民主制は一気に瓦解した。 社会主義国家socialist state マルクス=レーニン主義における政治上の概念で、革命を通じて権力を獲得したプロレタリアートが、社会主義経済の建設と社会主義社会の実現に向けて打ち立てるプロレタリアート独裁の国家のこと。 1 古典的マルクス主義によれば、社会主義の指標として「国家と階級の死滅」が挙げられており、それへ至る過渡期にプロレタリア独裁国家の必要性が説かれる。従って、その意味からすれば、社会主義国家といわれているのは、理論的にはプロレタリア独裁国家のことに他ならず、社会主義国家ということが形容矛盾であるといわなければならない。 2 しかしながら、スターリン以降のマルクス=レーニン主義に従えば、社会主義においても国家は残り、階級闘争も残存する、とされ、「一国社会主義建設」の下に社会主義国家は理論づけられている。 マルクス=レーニン主義Marxism-Leninism レーニンがK.マルクスを正しく承継したことを強調するために作られた用語。特にレーニンの正統性を立証しようとするのは、革命に関する理論である。すなわちレーニンはマルクスの国家論を正しく受け継いで、革命のための理論と戦術とを構築し、プロレタリアート独裁を擁護したとされている。(⇒レーニン主義) 毛沢東思想Maoism 中国の政治家・思想家 毛沢東の革命思想の総称。1927年の国共分裂後、毛沢東は農村革命根拠地を拡大して都市を包囲するという戦略方針のもとで、農民を主体に階級闘争を推し進め、広範な民衆に依拠する大衆路線を採りながら、マルクス=レーニン主義を半植民地・半封建社会の中国に適応させつつ、新民主主義革命あるいは人民民主主義革命としての中国革命を遂行していった。また思想改造を重視し、42年以後、幹部の思想改造運動、整風運動を行った。経済部門での社会主義的改造が基本的に達成された57年以後、社会主義社会でも人民内部になお矛盾が存在するという見解を表明し、更にそれを発展させて、資本主義から共産主義への過渡期である社会主義社会でも、なお長期にわたり階級闘争が続く、と主張した。この理論は66年以後の文化大革命の理論的基礎となり、更に民族解放運動の重視、大国主義の否定、不断革命論に基づく大同の理想の追求なども、毛沢東思想の主要な特徴として挙げることができる。(⇒中国共産党) ■2.近代日本の政治体制論 ◆1.近代日本の政治体制の評価 ※サイズが画面に合わない場合は こちら をクリック願います。 ◇1.日本におけるマルクス主義の展開 ↓本文はここをクリックして表示 +... 日本の政治体制・経済発展段階と共産主義者が採るべき革命方針に関して、「日本民主革命論争」「日本資本主義論争」と呼ばれる論争があったが、1932年にコミンテルン32年テーゼ(方針書)がモスクワから出され、これを遵守してブルジョア革命を目指す者を「講座派」、最初から社会主義革命を目指す者を「労農派」と区別した。 講座派は戦前・戦後を通じて日本共産党の理論家グループを構成し、労農派は戦後に発足した日本社会党の最左派・社会主義協会の理論家グループを構成した。 講座派は1936年、労農派は1937~38年にかけて一斉に検挙され、一時日本からマルクス主義者は消滅したが、その後も密かにマルクス主義の理論・方法論を摂取し、戦後にこれをベースに日本の政治・社会を「天皇制ファシズム」と断罪した丸山眞男のような隠れマルクス主義者も存在する。 以下、日本語版ブリタニカ百科事典より引用。 日本民主革命論争 日本のマルクス主義者・社会主義運動の指導者たちの間で、当面する日本革命の綱領・戦略を巡って戦わされて論争。1926年日本共産党の再建の頃から、32年テーゼの発表に至る時期まで行われたもので、日本共産党の機関紙『マルクス主義』と、山川均・猪俣津南雄らの主宰する『労農』の間でやりとりされた。主要な対立点は、当時の日本国家権力の規定すなわち、絶対主義天皇制(『マルクス主義』)か、あるいはブルジョア独裁(『労農』)かということであったが、これに関連して明治維新の歴史的評価や封建遺制の残存の有無、更には同盟軍・統一戦線の問題などが論争点となった。32年にこの論争は一応は終結するが、以降、封建論争、あるいは資本主義論争といわれる学者・理論家の経済学的分析に関する論争へと発展する。なお民主革命論争・資本主義論争を区別せず、総じて日本民主主義論争ということもある。 32年テーゼ 1932年5月コミンテルン執行委員会西ヨーロッパ・ビューローによって決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書」のこと。日本の支配体制を絶対主義的天皇制とみなし、来るべき日本革命は天皇制を打倒し。地主制を廃止するブルジョア民主主義革命であり、社会主義革命はその次の段階とする二段階革命論の立場を明確にした。日本では河上肇翻訳で同年7月10日『赤旗』特別号に掲載され公にされた。同種のものには27年・31年のものがある。これらのテーゼは当時の日本の経済理論・社会主義運動理論に大きな影響を与え、活発な論争を引き起こした。 日本資本主義論争 昭和初期おもにマルクス経済学者・マルクス史学者の間で行われた日本資本主義の発達と明治維新の主体及びその性質についての論争。1923年志賀義雄と赤松克麿の論争を発端とし、山川均派と渡辺政之輔、野呂栄太郎らの論戦によって本格化したものである。 1 前者(労農派)は日本における封建制は消滅し、国家権力はブルジョアジーが掌握しており、きたるべき革命は社会主義革命であるとしたのに対して、 2 後者(講座派)は封建制の残存物を重要視し、きたるべき革命をブルジョア民主主義革命であるとした。32年『日本資本主義発達史講座』の刊行に伴い、労農派と講座派の論争は多岐にわたって展開された。主なものに「小作料論争」「経済外的強制に関する論争」「マニュファクチュア論争」「明治維新に関する論争」などがある。36年講座派検挙(コム・アカデミー事件)、37~38年労農派検挙(人民戦線事件)によって論争は中断されたが、第2次世界大戦後も講座派内部での新封建論争、国家論を巡る志賀・神山論争などに両派の問題視角は継続されている。代表的論客は上記のほか、 1 労農派では猪俣津南雄、向坂逸郎、土屋喬雄らが、 2 講座派では山田盛太郎、平野義太郎らがいる。 講座派 1925~35年頃、日本資本主義の性格規定を巡って日本のマルクス経済学界を二分した「日本資本主義論争」において、日本資本主義の本質は軍事的半封建的性格にある、と主張した人々。講座派の名称は当初この派の人々が主に岩波書店刊行の『日本資本主義発達史講座』(1932~33)に自己の学説を唱えたことから発した。その代表的論客は、山田盛太郎、平野義太郎であり、それぞれの主著はのちに『日本資本主義分析』(34)、『日本資本主義社会の機構』(34)として刊行された。主な論客は他に、羽仁五郎、服部之総、山田勝次郎、大塚金之助らがいる。これに対抗したのは、向坂逸郎、伊藤好道、土屋喬雄、大内兵衛らの学者・評論家のグループ(いわゆる労農派)であったが、その論争は決着をみないまま第2次世界大戦後に持ち越され、日本共産党と日本社会党との一線を画す論点の一つとなった。 労農派 1927年に創刊された雑誌『労農』の同人またはそれを軸とするマルクス主義の一系譜で、講座派に対立した潮流をいう。第1次日本共産党の解党後、27年テーゼによる党の再建案に反対し党を離れた山川均・猪俣津南雄・荒畑寒村らは雑誌『労農』を発刊。以後日本共産党系の学者いわゆる講座派との間に日本資本主義の分析を巡って「日本資本主義論争」を展開していった。その主張は、明治維新は不徹底な面はあるがブルジョア革命であると規定し、当面する革命を社会主義革命とした。主な論客は前記3名の他に、櫛田民蔵、土屋喬雄、大内兵衛、向坂逸郎、宇野弘蔵らがいる。また代表作として、『日本資本主義の諸問題』(向坂逸郎)、『日本資本主義発達史論集』(土屋喬雄)が挙げられる。36年7月の講座派の検挙で論争は決着を見ないまま、労農派もまた翌37年12月と38年2月に一斉検挙を受けた(第1次・第2次人民戦線事件) 社会主義協会 1951年創立の社会主義理論研究集団。第2次世界大戦前の労農派グループの山川均、大内兵衛、向坂逸郎らに、太田薫、岩井章ら実践家グループも加わり、日本社会党左派の理論的支柱となった。67年、向坂協会派と太田協会派に分裂したが、向坂協会派は社青同(日本社会主義青年同盟)や労働大学を基盤に勢力を拡大、党の若手活動家を握った。68年採択の「社会主義協会テーゼ」はレーニン主義による前衛党組織を採用した。1970年代半ばから、社会党内で協会の「党中党的逸脱、共産主義的偏向」に対する反協会派の反発が強まり、78年1月の大会で協会は、「テーゼ」を「提言」と改め、また理論研究集団へと性格を変えた。 ◇2.マルクス主義以外の体制論 ↓本文はここをクリックして表示 +... マルクス主義以外の体制論では、政治体制を、①全体主義体制、②自由民主制、③権威主義体制に3分するのが今日では一般的である。(ポパー、アレント、リンスの研究より) このうち、①全体主義体制は、 1 共産主義・社会主義体制(マルクス主義体制)と、 2 ファシズム体制、に更に2分される。(ポパー、アレント) なお、②自由民主制(liberal democracy)については、下記のように「民主主義体制」と表記されることが多いが、democracy の正確な訳語は「民主主義」ではなく「民主制」なので厳密にはこれは正しくない。 以下、日本語版ブリタニカ百科事典より引用。 政治体制political regime 一定の支配=服従関係を中心とする政治的統一形態。機能主義的概念として構築された政治システムと区別して用いられる。全体主義体制、天皇制支配体制などはその例である。R.A.ダールはポリアーキー概念により「民主主義体制」の相対化と操作化をもたらし、政治体制の比較分析、民主主義体制に至る過程研究の道を開いた。またJ.J.リンスは現実の政治体制の多くは「全体主義」と「民主主義」の二元論で把握できるものではなく、その中間にある様々なタイプの「権威主義体制」に属するとしている。現代社会において、支配階級は当の政治体制を維持するための権力装置やイデオロギーを公的権力および普遍的イデオロギーとして正当化しようとする。それに対し、被支配者側が支配階級と対抗し、変革を志向する場合、体制維持に対して反体制運動、体制イデオロギーに対して反体制イデオロギーを形成する。本来、体制という概念は社会構成体と同義であったが、それとの相関においてまたその派生体として「政治体制」という概念が成立したと考えられる。 開かれた社会とその敵The Open Society and Its Enemies 批判的合理主義の代表的思想家であるK.R.ポパーが、ファシズムとマルクス主義という2つの全体主義の思想的源泉を探求した政治哲学書。1945年刊。ポパーは呪術的でタブーに満ちた「閉じた社会」と、批判的な態度を持ち知性による非暴力的改善を目指す「開かれた社会」とを区別し、前者から後者への移行を押しとどめ閉じた社会にとどまろうする哲学的伝統こそが全体主義をもたらすと批判した。具体的には、プラトン・ヘーゲル・マルクスがこうした伝統に属する哲学者として厳しく分析されている。 全体主義の起源The Origins of Totalitarianism アメリカの政治学者H.アレントの代表的著作。初版1951年。第2次世界大戦後、最も早い時期に発表された最初の体系的な全体主義研究として知られる。第一部「反ユダヤ主義」、第二部「帝国主義」、第三部「全体主義」の3部構成。全体主義運動は階級社会の崩壊を基盤として成立したもので、一定のイデオロギー実現のために、孤立した諸個人をテロルの鉄枷で締め上げるところに、支配の本質がある、と論じ、そのような体制は厳密には①ナチズムと②スターリニズムのみであると主張する。初版では反ユダヤ主義と帝国主義とを「西洋史の伏流」と捉え、全体主義はその表面化であるとされたが、改訂版以降は、全体主義は西洋史の連続性を切断する現象とされ、前2部との統一性は必ずしも明確ではなくなっている。 全体主義totalitarianism 個人の利益よりも全体の利益が優先し、全体に尽くすことによってのみ個人の利益が増進する、という前提に基づいた政治体制で、一つのグループが絶対的な政治権力を全体、あるいは人民の名において独占するものをいう。歴史的には、ナチス・ドイツ、ファシスト・イタリアなどのファシズム政治体制が挙げられるが、スターリニズムや毛沢東主義などを含むこともある。①一党独裁、②政権の不誤謬性、③議会民主主義の否定、④宣伝機関の独占、⑤経済統制、⑥軍国主義、という共通点がある。20世紀に出現した現象であり、マス・コミュニケーションと兵器の技術進歩によって、初めて可能となった。従来の専制政治と異なるのは、大義が強調され、その下に個人の生活全般にまで統制が行われる点である。 権威主義体制authoritarian regime スペイン出身の政治学者ホアン・リンスによって唱えられた概念。従来の民主主義と全体主義の二分法では捉えきれない中間形態を権威主義体制と考え、「権威主義体制とは、制限されており、しかも責任の所在が不分明な多元主義を持ち、練り上げられた指導的イデオロギーでなく、内容の上でも高度な政治的動因もなく、指導者が形式的には無制限だが、実際には完全に予測可能な範囲内で権力を行使するようなシステム」と定義した。具体的には、スペインのフランコ体制が出発点となるが、朴・全時代の韓国、マルコス時代のフィリピンなど、経済成長を目指す権威主義体制は、現代的な課題である。 権威主義体制<ラテンアメリカの> 自発的結社や個人ではなく、国家が許可した少数の主体にのみ政治の実質的関与が限定され、全体主義ほど厳しい統制はないのが最大の特徴である体制。民主主義に近いコスタリカ、コロンビア、ベネズエラと、全体主義に近いキューバを除いて、程度の差はあるが、ブラジル、アルゼンチン、チリ、ペルーなど多くの国の軍政時代、及び文民政権のメキシコがこの分類に入る。経済危機や世辞的要求の高まりから、1980年代に入り、いずれも民主化の課題を抱えることになった。 ファシズムfascism 狭義には、イタリアで資本主義が全般的危機に陥った第1次世界大戦以降、労働者階級の革命運動の高揚に対抗して登場し、議会制民主主義を否定して反革命独裁を志向したムッソリーニに率いられた「ファシスト党」の運動・体制及びそのイデオロギーをいう。「ファシズム」の語は「結束」を意味するイタリア語ファッショ fascio がファシスト党の母体である戦闘集団(Fasci de Combattimento)に使用されたことに由来するが、この語はさらに、古代ローマの執政官の権標であった儀式用具ファスケス fasces (斧を中心に木の棒を束ねたもの)にまで遡るという。一般概念としては、それ以降の類似の現象を指すが、近年、多義的に用いられている。極右政党・軍部・官僚中の反動分子らによる政治独裁を目指し、自由主義・社会主義を排撃し、全体主義・軍国主義・ナショナリズムの高唱などを特色とする。具体的には、1920年代から30年代にかけて登場したドイツのヒトラー、スペインのフランコらによって指導された「権威主義体制」の運動及び体制が挙げられる。このように当初はムッソリーニの運動だけを指す固有名詞であったファシズムは、やがて30年代に入ってヨーロッパを初め各国にそれと類似する運動が勃興するに及び、これらを一般的に総称する名称に転化した。 ◆2.丸山眞男と、天皇制ファシズム論 丸山眞男まるやま・まさお(1914-1996) 政治学者。日本思想史家。東京大学法学部卒業後、同大助教授を経て1950年教授に就任し、71年退官。46年発表の「超国家主義の論理と心理」で、軍国主義日本の指導者の没主体性を鋭く指摘し、天皇制国家の無責任構造を批判する新視点を提起して論壇に一大衝撃を与えた。『日本政治思想史研究』(52)では、江戸期にさかのぼって日本の政治思想を検証し、政治思想史研究の方法論を確立した。第二次世界大戦直後の代表的論文をまとめた『増補版・現代政治の思想と行動』(64)は、「丸山政治学」のバイブルと呼ばれ、英訳されて海外でも評価を得ている。また、60年安保闘争(cf.安保改定問題)などを通じ、戦後民主主義運動の精神的支柱となったが、後年は日本思想の研究に専念した。日本思想の根本的な構造を明らかにした『日本の思想』(57)は思想界に大きな影響を与えた。そのほか『丸山眞男座談』9巻(96)がある。 ※サイズが画面に合わない場合は こちら をクリック願います。 ●丸山眞男 『ファシズムの諸問題』 (1953.10) 「ファシズムは二十世紀における反革命の最も尖鋭な最も戦闘的な形態である。 ちょうどジェスイット主義が十六世紀における反宗教改革の前衛であり、メッテルニヒ支配が十九世紀初頭における反革命を集中的に表現していたように。 反革命はいうまでもなく革命を前提し予想する。 そうして十六世紀における宗教改革、十八世紀末におけるフランス革命の地位を二十世紀において占めるのはロシア革命であることもまた疑いを容れない。 」 ⇒ このように、日本が主権を回復した翌年の1953年には、丸山は「ロシア革命」が宗教改革やフランス革命に匹敵する「進歩」である、とする認識を表明しており、彼の「日本ファシズム論」のベースが マルクス主義の体制論・革命論にあることが見て取れる。 なお、丸山は1950年代に、「赤狩り」後のアメリカの「ファッショ化」に警鐘を鳴らす一方で、中共の政策をほとんど無条件に絶賛し、あるいは、 フルシチョフの「スターリン批判」に対してスターリンの“功績”を擁護する論文を幾つも発表している。 丸山眞男の天皇制ファシズム論に関しては、丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 も参照。 ◇1.天皇制ファシズム論(日本ファシズム論) ↓本文はここをクリックして表示 +... 日本ファシズム 満州事変以降第2次世界大戦までの十五年戦争の期間における、日本の国家の形態を指す言葉。 ①中国における革命運動の進行や、②1929年世界大恐慌の影響による社会的・経済的危機の増大、③階級矛盾の激化を、(1)軍部独裁による民族排外主義の鼓舞と、(2)国民の強権的統制による侵略戦争への動員によって乗り切ろうとした一連の動きを支えたイデオロギーであり、 天皇制ファシズムとも呼ばれる。その背景には、政党内閣の無力による国家的展望の喪失があった。次のような特色をもつ。(1) ヨーロッパのように小ブルジョワの民間における独自な組織化とそれによる権力の奪取として進行したのではなく、上からの再編としてなされていったこと、 (2) 天皇制をイデオロギー的支柱とし、天皇制を支える伝統的社会集団・統治機構をファシズム的に再編したものであること。 従って民間・在野における右翼・国粋主義の活動も、大衆を組織することはできず、五・一五、二・二六事件などの青年将校によるクーデターもそれ自身の展望を持つものではなく、上からの再編への圧力に過ぎなかった。 (補足説明) 見取り図で示したように、コミンテルン32年テーゼは日本の現状を「絶対主義的天皇制」と規定し、日本に来るべき革命は「ブルジョア民主主義革命」と断定しており、 日本共産党はこれを遵守して、戦前日本の国家体制を「ファシズム体制」と規定することには否定的であった(スターリンに最も忠実な理論家とされた神山茂夫が否定論の代表者)。 しかし、1940年から46年1月まで中国で毛沢東に従って行動した野坂参三は、戦前に早くも『日本の共産主義者への手紙』の中で「軍部ファシスト独裁」という言葉を使用しており、 更に戦時中に獄中で非転向を貫いてGHQによって出獄した志賀義雄が、1946年末頃から「日本ファシズム肯定論」を提起して、日本共産党内で以降長期に渡って「神山-志賀論争」と呼ばれる最初の「日本ファシズム論争」が展開された。 一方、非共産党員で東大で政治思想史を研究していた丸山眞男は、1946年5月に岩波書店の雑誌『世界』に論文「超国家主義の論理と心理」を発表し、戦前日本のイデオロギーを「超国家主義(ウルトラ・ナショナリズム)」と断じたのを皮切りに、 翌47年6月に東大で行った講演(のちに論文「日本ファシズムの思想と行動」として発表)で、戦前日本の国家体制を「ファシズム体制」であると断定して、当時の言論界に大きな衝撃を与えた。 以降、丸山眞男の「日本ファシズム(天皇制ファシズム)論」は、「進歩的文化人」と呼称された隠れマルクス主義者と労農派マルクス主義者に広く受容され、それをベースとして様々な追加研究が発表されるようになった。 こうして「日本ファシズム論」は、1980年代までに歴史教科書や憲法解説書さらには宗教解説その他様々の分野の著作物に現れる国家観・歴史観のベースをなす概念として広く普及していった。 しかし、その一方で1980年代に入ると旧ソ連・東欧など社会主義国の経済的・社会的低迷が目立つようになり、やがて1990年前後にこれらの体制が崩壊・解体するに及んで、 日本ファシズム論の元となったマルクス主義の体制論・革命論の枠組み自体が疑問視されるようになり、日本人研究者による追加的研究は下火になって行った。 現在では、戦前日本の国家体制を「天皇制ファシズム(日本ファシズム)」などと呼称するのは、姜尚中(東大政治学教授)など在日系の学者か、中国・韓国の研究者ばかりである。 上記の日本語版ブリタニカ百科事典の「日本ファシズム」の説明も、「十五年戦争」という日本では通常は使われない用語が使用されていることに注意。 (※1931年9月の満州事変勃発から1945年8月の日本敗戦までの期間の日中の対立関係を、中国では「十五年戦争」と称しているが、厳密には途中に塘沽協定に基づく約3年の和平期間があり、これを連続した「戦争」と呼ぶのは、日本人の感覚では些か誇張された表現である。特に中国に迎合した研究者でない限り普通は、この用語は用いられない) ◇2.その他関連用語 ↓本文はここをクリックして表示 +... 昭和維新 1930年代初め頃から軍部革新派の青年将校や、超国家主義者が用いたスローガン。財閥・議会政治などを倒して、天皇と国民が「君民一体」となった国家へ改造することを内容とした。明治維新にならって昭和維新と自称したが、ニ・ニ六事件で皇道派が力を失い、軍上層部・政府が挙国一致の国家総動員を推し進めるようになると、このスローガンは使われなくなった。 錦旗革命 1930年代の右翼運動のスローガンであるが、具体的には1931年10月、荒木貞夫を担いで国家改造を企図した未発のクーデター計画を指す。十月事件ともいう。橋本欣五郎、長勇など陸軍将校を中心とし、民間からは大川周明らが参加した。軍首脳部の躊躇と分裂のために未発に終わったにせよ、これによって若槻内閣は退陣を余儀なくされた。この事件を契機として軍は政治的発言を強め、その後のクーデターを容易にする前例を作った。なおこの事件は軍内部に「統制派」と「皇道派」とを分化させるなど、軍閥暗闘史の上からも注目される事件であった。 上からの革命 一般に革命は下部の民衆の側から起こされるものであるが、まれに支配階級の側から起こされる場合がある。つまり支配階級は革命的情勢を予知して、自己防衛のため先手を取ろうとするのである。もちろんそれが単なる部分的改革に過ぎないことはいうまでもない。 クーデターcoup d Etat 一般に武力による奇襲攻撃によって政権を奪取することを言う。通常の政権交代方式と違って非合法であることに特徴がある。また革命は支配階級に対する大衆の蜂起とそれに続く既存の体制の転覆であるが、クーデターは支配階級内部の権力争奪である点で革命とも違っている。歴史上有名なのは1799年のブリュメール十八日のナポレオンのクーデターである。なお日本の二・二六事件はクーデターの失敗した例である。 国民革命(広辞苑より) ①1925~28年、国民革命軍の北伐による中華民国国民政府の中国統一運動。大革命ともいう。②1923年ミュンヘンに運動を発し、33年独裁権力を握るに至ったナチ党が、その過程で掲げたスローガン。 ■3.ご意見・情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 以下は最新コメント表示 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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若本規夫(わかもと のりお) アナゴ 「フグタ君一杯どうだぁい?」 「フグタくうん 今晩 一杯 やらなぁいかぁ~」 ※サザエさん セル 「ちくしょおーーー!」 「ぶるぁーーーーー!」 「吸収してやる」 (147話) 「笑えよベジータ」 ※ドラゴンボールZ ブリタニア皇帝(長いので途中で止めてもOK) (01話) 「ラグナレクの接続――神話の、再びの始まりか……」 (06話) 「人は平等ではない。 生まれつき足の速い者、美しい者、親が貧しい者、 病弱な身体を持つ者。 生まれも育ちも才能も、人間はみな違っておるのだ。 そう、人は差別されるためにある。だからこそ人は争い、 競い合い、そこに進歩が生まれる。 不平等は悪ではない。平等こそが悪なのだ。 権利を平等にしたEU(イーユー)はどうだ? 人気取りの衆愚政治(しゅうぐせいじ)に堕して(だっして)おる。 富を平等にした中華連邦は怠け者ばかりだ。 だが、我がブリタニアはそうではない。 争い競い、常に進化を続けておる。 ブリタニアだけが前へ、未来へと進んでいるのだ。 我が息子クロヴィスの死も、ブリタニアが進化を 続けているという証。 戦うのだ! 競い、奪い、獲得し、支配しろ。その果てに未来がある!! オール・ハイル・ブリタニア!!!!」 ※コードギアス 反逆のルルーシュ 織田信長 「余の前に人はなく、余の後にも人は無し、我が恐怖魂にぃ刻んでぇくれるわぁ」 「丸、弓を持て」 「うつけ者がぁ!」 ※戦国BASARA アンデルセン神父 「我に求めよ。さらば汝に諸々の国を嗣業(しぎょう)として与え地の果(か)を汝の物として与えん。 汝、黒鉄の杖をもて彼らを打ち破り、陶工の器物のごとくに打ち砕かんと。 されば汝ら諸々の王よさとかれ、地の審判人よ教えを受けよ。 恐れをもて主につかえ、おののきをもて喜べ。 子に接吻せよ。恐らくは彼は怒りを放ち、汝ら途に滅びん。 その怒りは速やかに燃ゆベければ。全て彼により頼む者は幸いなり」 ※HELLSING OVA 天の声 「今日始めてこのアニメを見たよい子の為に説明しよ。タマと呼ばれるこのトラは、何を隠そう人間の言葉が話せる。 なぜ話せるのかは聞かないでください」 「嘘を嘘と見抜けない人に、現代社会を生き抜く事は難しいのであった。でも人間、素直が一番って事で、また次回」 「ハヤテのごとくドットコム!」 ※ハヤテのごとく その他の作品 ※金色のガッシュベル!! ビクトリーム ※めぞん一刻 茶々丸のマスター wikipedia アドバイス よく「若本は低い」と言われますがキャラが声が低い印象があるだけで、実際は若干高い声です 特出すべきは独特の台詞回しと声の高低の移動がすばらしく印象の強い声優さんの一人です 声質自体には良い意味で癖が無く台詞回し、高低の移動を練習すればほとんどの人が声真似出来る様になるのではないでしょうか? 難度が高いのは叫び声と高音で、ここでほとんどの人は撃沈してしまいます 100%アナゴというのはとても難しく、80%以上のアナゴ風にとどまってしまいますが アナゴさんやブリタニア皇帝と言った、比較的まじめなキャラではあまりクセが無く、逆に天の声や織田信長などの暴れてなんぼのキャラでは「物真似DJのアナゴさん」でよく耳にする「あの若本節」が聞けます ら行で舌を絡ませる、声を一瞬高くする 台詞区切りの最後の母音があ行で終わる時はちょっと伸ばす 独特の台詞回し(区切り)を覚える 例) 普通:「フグタ君 今晩一杯やらないか?」 若本:「フグタくうん 今晩 一杯 やらなぁいかぁ~?」 量産型アナゴは若本本人の癖だけを抽出し大げさにした形です 例) 若本:「どうした?笑えよ、ベジータぁ…」 量産:「ん~~~どぅしたぁぁぁ…ん笑えよぅぅ、んブゥェジートゥアァ…」
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名前:ユウル・アルヴィス 属性:受 相手:ライル・ルネハ 年齢:17 誕生日:5月31日 血液型:O 職業:学生、黒の騎士団所属 性格: 物事への関心が薄く淡々としている。 ぼんやりしていることが多い。 素直ではなく意地っ張り。その上毒舌。改善する気はない。 喜怒哀楽に乏しいが気を許した相手には感情的になる。 容姿: 襟元にかかる黒髪。 すぐ落とせるスプレーで明るい茶髪に染めている。 釣り気味の猫目で瞳の色は藍色。 身長は174センチ。多少筋肉はついているものの平均的な体格。 一人称:俺 趣味・特技:昼寝、チェス等、賭博 嫌い・苦手:ブリタニア、目立つこと 家族構成:兄・リウル 亡(父、母) 備考: 生徒会所属の学生。裏ではレジスタンスに参加している。 ブリタニア人の父と日本人の母をもつハーフ。 リウルの双子の弟。二卵性の為そっくりと言う程でもない。母親似。 幼い頃は身体が弱かったが、リウルに懐きいつも後をついてまわっていた。 戦争の際、容姿や体調のことがあり父・兄と別れて日本に残る。 その後父を戦争で、母を病気で失っているが父の死は知らない。 学校では極力目立たないようにブリタニア人と偽り髪も染めている。
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ユーラシア条約機構AEU 第五世代KMF「マルダー」 分類:第五世代KMF 所属:AEUorユーラシア条約機構軍 外見モデル:フルメタルパニックのM6 ブッシュネル 全高:4.31m 全備重量:8.03t 推進機関:ランドスピナー 固定武装:スラッシュハーケン×1 装備武装:対装甲散弾銃 アサルトライフル(ジャッジメントで統一) 手持ち式キャノン 対KMF用近接戦闘ヒートナイフ ロングバレルライフル 六連ミサイルランチャー 近接戦闘用戦斧 搭乗人数:一人 AEUが主力としている第五世代KMF。今のところコイツがAEU連邦軍の主力KMFを担っている。 無骨な見た目とそれに反していない防御性能の高さが特徴。 開発したのはドイツに本社を置く「ローゼンタール社」 AEU陣営がブリタニアのKMFに対抗する為に開発した純国産KMF。 前々から日本から示唆され、日本攻略の際に恐るべき能力を発揮したブリタニアのKMFに対抗するために開発された機体。 因みにこの機体開発で使われた技術や経験はブリタニアのグラスゴー、そのAEU版コピー機であるボーイで培ったもの。 特徴はその堅硬な防御性能。 特に正面装甲は同世代である、ブリタニアのサザーランド、グロースターと比べても勝っている。 格闘も射撃も一通りこなせる性能を持つがどちらかと言えば射撃戦の方に分がある。 (格闘戦では機体コンセプトの違いもありブリタニア側に分がある。しかしこれは格闘能力が低い訳ではない。互いの得意分野の違いである。) これは、そちらの方が強固な装甲を活かしやすいからである(一般的には) なお堅硬な装甲を持ったまま高い機動性を持たせる必要があったので 純粋な機体出力もサザーランドよりも上である。(グロースターには多少劣る) 索敵に用いられるセンサーはファクトスフィアを日本と共に独自に解析して開発したものを採用している。 これは日本が採用している「統合環境情報処理集合体」とほぼ同じものである。 コックピットは普通に座れるシート式で脱出装置付きである。 一部でバイク式と言う話もあったがこれはパイロットにかける負担が大きいということで不採用となった(日本や中華連邦も同上である) 生産性及び整備性は良好。 一部パーツやコックピットなどが既存のMTFやボーイなどと幾らか共通しているためである。(ボーイを先行配備し整備士たちにある程度KMFと言うものを慣れさせておいたのも功をそうした) 総合的にバランスよく纏まっており、固い装甲も相まって単純な撃ち合いならブリタニアのKMFに負けない性能を有している。 だが格闘戦ではサザーランドとほぼ互角。 グロースター相手では若干上回られていると言う試験結果が出ている。 次期主力機を決めるコンペでは最後にクレマン社の「オルレアン(初期)」と一騎打ちになり コストと整備性の差で本機体が採用された。 名前のマルダーはドイツ語で「テン(貂)」の意味。 :武装紹介 アサルトライフル(ジャッジメント) 亡国でアレクサンダが主武装として使っていたのと同じ物。 機体出力がボーイと比べ高めなので反動抑えて普通に使える。 本機の主武装。大体の機体がこれを使っている。 フルオートとセミオートで切り替えが可能。 ロングバレルライフル アサルトライフル(同上)を改修したマークスマンライフル。 射程距離の延長と照準の安定性改善に成功している。 主に中距離から長距離での戦闘で使われている。 こちらも一応フルとセミで切り替えが可能。 もっぱらセミオートでの運用が普通。 対装甲散弾銃 字の通りにKMF装備代のショットガンである。 当時のAEUはKMF同士の大規模な戦闘を考え様々な装備を開発していた。 これもその一つである。 口径もそうだが使われている弾丸からして対装甲用のものであり、 半端な装甲では蜂の巣である。 KMF相手でも正面から受ければ正面装甲はともかく、四肢が使い物にならなくなるレベルである。 しかし実際に戦闘で使ってみると開けた場所では集弾率が悪く、KMF相手ではすぐに 効果範囲から逃れられてしまうため、限定空間以外想定していた威力を余り発揮できなかった。 そのためいつもはアサルトライフルの方を使っている。 これは主に市街戦や地下鉄内、建物内などの限定空間での戦闘などに使われている。 手持ち式キャノン アニメでブリタニアのサザーランドや日本の暁が使っていたのと似たような物。 もっぱら重装甲な標的か要塞or陣地攻略戦などで使われる。 6連ミサイルランチャー 亡国でアレクサンダが使っていたのと似たような物。 複数目標相手か要塞or陣地攻略戦などで使われる。 基本両肩かそのどちらかに装備する。撃ち切った後はパージ可能。 対KMF用近接戦闘ヒートナイフ 近接戦闘用戦斧 前者は言ってしまえばただのヒートナイフ。 主にKMFや装甲車などの装甲目標に使われる。 後者はデカい斧。柄が長いタイプと短いタイプの二つがある。 こちらはその質量と、重量、勢いで相手を砕く。 条約ルートAEUの第一弾です。 こいつが今後の対ブリタニア戦線を支えていく予定です。 因みにサザーランド相当。グロースター相当となる機体の方は こいつの強化機となります。