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702. ヒナヒナ 2011/12/17(土) 01 03 36 ネタばっかり書いているのもアレなので、此方にも真面目なのを書いてみる。 少し前に農薬の話があったので、緑の革命について書いてみるよ。 軍事じゃなくてごめんね。 ・緑の革命 史実において、緑の革命と言われるものがある。 1940〜1960年代において各国で起こった、一連の穀物の大量増産を指す。 ちなみに日本でも半矮性小麦品種農林10号などが貢献している。 (もっともこれはGHQによる強制的な遺伝資源収集という側面もあったが) 要は肥料の多量投入や機械化、農薬投入などを前提とした集約的農業化で、 史実の第二次大戦後に予想された人口爆発による食料危機で求められた。 しかし、緑の革命はロックフェラー財団などが主導して行ったものであり、 本部のあるニューヨークが大津波で洗い流され、アメリカという国が崩壊した今、 いかに巨大なロックフェラー財団といえども、 即時に富を生まない農業研究分野に投資する余力は無いだろう。 さて、憂鬱日本では稲については既に品種改良がかなり進められていた。 戦時体制を睨んだ、作りやすく多収性である農林1号のような品種や、 逆にコシヒカリの様に食味を目指した品種を作り出していた。 農薬の史実より早い普及や、さらには農村構造の改革によって、 第二次大戦時までに収量性は格段に増加していた。 農業分野は史実の歴史に基づいて修正を加えながら計画を立ててきたのだが、 大戦末期に来て思いも寄らぬこと(農業計画策定者には)が起こった。 大津波による塩害や、火山の噴火による世界的な寒冷化であった。 これにより、緑の革命を行うフラグが一部流されてしまい、 史実には無い世界的な凶作フラグが立ってしまったのだ。 津波当年は備蓄などもあり、何とか乗り切れた国が多かったが、 その後数年間世界的な不作が予想され、世界規模で大量の餓死者が出かねない状態であった。 大日本帝国は早急に農業収量を向上させる必要があった。 (ちなみに農業でいう早急は5〜10年くらい) 列強筆頭としてその傘下に入った国だけでも、 保護するポーズを見せる必要があったのだ。 こうして、戦後の混乱も冷め遣らぬうちから、憂鬱版緑の改革に乗り出した。 703. ヒナヒナ 2011/12/17(土) 01 04 11 肝心の革命の中身であるが、基本的には米だった。 日本米は一応自給率100%超で、改良も日本の試験場で事足りている。 日本米を好む国は他に無いため、日本の主食は日本だけで生産・消費することとなる。 当面の目標は東南アジアの主食インディカ米の改良だ。 その裏には世界情勢があった。 会合出席者以外の人員には知らされていないが、 中国大陸での偶発的食料難が原因の餓死や内部紛争による人口減は是とされていた。 そのため、中国大陸は邦人の安全が確保できないと理由をつけて、 基本的に騒ぎが収まるまでノータッチだった。 韓国は政治など諸問題が大きすぎて品種改良なんてしていられないので、スルー。 欧州については、小麦は其方で勝手に改良してよね。といった方針であった。 ナチスの支配が続くドイツや、ファシズムが幅を利かすパスタの国、 未だ友好とはいえない英国にわざわざ力をつけさせる必要は無い。 小麦の改良は日本の利する所が小さく、欧州の利が大きいのだ。 西欧の穀倉地帯であるフランスが枢軸側であるので、良い試験地も用意し辛い。 ただし、憂鬱日本最大の友好国であるフィンランドを中心とする北欧諸国については、 日本支配圏からの食料輸入について口利きをすることで何とか収めることとした。 北米の穀倉地帯の多くは欧州の支配下に入っているため、考慮する必要は無かった。 東海岸では塩害による被害を受けて使えない農地も多かったし、 しばらく、欧州には北米吸収にかまけていてもらわなければならない。 日本の支配下であるカリフォルニア共和国も軍事を日本で一部負担しているのだから、 食料問題くらい貿易で確保させることになった。 ソ連の畑では小麦ではなく兵士が取れる……というのは冗談だとしても、 もし、戦争に費やされている人資源が農地に戻って有効な農業ができれば、 急速に国力を取り戻しかねない。史実21世紀のロシアは小麦輸出国だった。 かの国の気質として、国内の不安が抑制されればまた拡大主義に転じ、 東端の隣国である日本と西端の隣国であるフィンランドを更に圧迫しかねなかった。 夢幻会としては農業改革支援などもっての他で、 飢えて暴走しない程度に、高レートで食料を売りつけておくこととした。 そんな情勢なので、日本主導で農業革命を起こす地域は自ずと限られてくる。 目をつけたのは日本に(一方的に)好意を抱いている東南アジアの国々であった。 もっとも、ベトナムなど腹に火薬を抱えている国もあるが、そこはスルー。 そのなかで欧州支配の影響が薄い地域が選ばれた。タイだ。 史実ほどではないにせよ日本とそれなりの友好関係を保っている。 タイは今回の大戦でも直接の被害は被っていないし、津波の被害も無かった。 最大の米輸出国としてなり得るポテンシャルもある。 試験場の導入を図るのにちょうど良かったのだった。 こうして、日本主導で農業改革を行う地としてタイが選定された。 タイに日本主導で国際稲研究所(IRRI)が設立された。 史実ではロックフェラー、フォード財団が中心となってフィリピンに設立するのだが、 正直、米国の影響が強く残り、荒廃しきったフィリピンに設立する必要性は薄かった。 東南アジアを引き付けておくパフォーマンスとしてもちょうど良いというのもある。 目指すは奇跡の稲といわれた、倒伏耐性をもつIR8の開発だ。 帝国大学の農学部などから有望な人員が駆けつけ研究を行った。 日本の試験場とは違ってインディカ米の研究が主であったが、 人員や研究者を育てる的な意味でも貢献したのだ。 農業分野の研究者は試験場という狭い世界に閉じこもりがちだが、 外国との交流が出来る人材を育てなければならない。 帝国大学農学部などから人員が集められていった。 その中には後に教授として稲研究に貢献する人物なども含まれていた。 704. ヒナヒナ 2011/12/17(土) 01 05 11 IRRIではこのあと台湾の稲である低脚烏尖を親に交配を繰り返し、 史実のIR8に相当する稲を育種し、東南アジア地域の食料安定に貢献する。 もっとも、この稲は適切な管理下において多収を約束する品種であるので、 農法の改革もセットで普及する必要があった。 さすがに紛争中の国に人材を派遣できないので、政情の安定した国から 10年の歳月を掛けて広めていった。 このような活躍からIRRIは国際的農業研究機関としての地位を高め、 後々には遺伝子組換え作物を含む、遺伝子研究も取り入れていくことになる。 ちなみに遺伝子工学が次世代産業となることが分かっていたため、 夢幻会がアニメなどを利用して偏見を取り払っていたので、 史実よりは組換え作物への反応は好意的となった。 稲から遅れること数年、小麦・トウモロコシは、結局北米で研究されることとなった。 国際トウモロコシ・コムギ改良センター(CIMMYT)が、 一部治安の回復したカルフォルニア郊外に、その研究所を構えることとなった。 大日本帝国の安全保障が欲しいカルフォルニア財界が、 日本人や日本主導の国際機関を取り入れるために必死に誘致した結果だった。 史実ではメキシコ・メヒコ州に設立されるのだが、IRRIと同じく立地が変更されていた。 情勢不安定かつ敵意を持つ国に、日本の財力を投じ無ければならない理由は無かった。 農林10号を使用した背の低い小麦品種を生み出してゆくこととなる。 憂鬱世界は花卉業界には厳しい世界であり、当初史実ほどには発展しなかった。 花は贅沢品で、花を贈れる、飾れるというのは、それだけ余裕がある証拠なのだ。 欧州では文化的にも根付いていたが、 日本ではあまり花を贈るという習慣が薄いこともあった。 しかし、「花を愛でる女性を愛でる会」という夢幻会の一グループがゴリ押しして、 60年代からN○Kで「趣○の園芸」という番組が放送され始めた事で、 日本でガーデニングブームが巻き起こり、欧州諸国を巻き込んで世界に波及していった。 野菜については国際的研究こそ行われなかったが、 アグリビジネスが金になると分かっていた逆行者達が世界に繰り出していった。 タキイ種苗や坂田農園などの種苗会社も国外進出を強めた。 農家が自家採取・増殖できないかわりに雑種強制で高品質を約束する F1品種を作り出し、その利益を享受していった。 そして、野菜と同じくF1品種が強い競争力を持つトウモロコシ市場でも、 高品質・多収種子の販売を行っていた。在来品種とは生産量が格段に違うF1品種は、 高い種代を払ってもペイするほどの生産性を見せ、南米にも広まって行った。 ただし、在米法人として名称を変えて種子販売を行うことを推奨した。 主食のトウモロコシの利権や、種子を他国に握られていれば不満が起こる。 メキシコなど、南米諸国の反感を買うことになりかねないので、 在米法人してなるべく南米からの恨みを分散させたかったのだ。 20世紀後半から多く国で遺伝資源の持ち出しを禁止するのを知っていたため、 開国後から多くの遺伝資源を持ち出し日本に蓄えてきた。 その遺伝資源を活用することが出来たので、 野菜種苗の分野ではかなりのアドバンテージを持っていたのだった。 こうして、40年代の食料危機から、 歪ながらも50〜60年代にかけて食料事情は好転していった。 緑の革命の成果も着実に出始め、特に東南アジア地域では自給率が高まっていった。 しかしながら、飢餓から世界各国を救ったのは緑の革命ではなかった。 憂鬱世界では大津波による世界的な被害、 膨大な人口を抱える中国での飢饉や、それによる内部紛争、 第三世界でのもろもろの紛争 (大日本帝国は、日本が関与しないなら基本当事国同士に任せるといった方針であった) などによって、世界人口が押さえられていたため、 皮肉ではあるが食料事情はかなり良くなった。 705. ヒナヒナ 2011/12/17(土) 01 05 41 196×年 とある日の夢幻会。 かつての日本政府の重鎮達がいるのは表向きは定食屋であるが、 夢幻会メンバーが立てた、メンバーご用達の定職屋だった。 食卓には重鎮達が食べるには質素な食事がならんでいる。 コシヒカリをふっくら炊いた白米に、塩シャケの切り身、 ほうれん草のお浸しとカボチャの煮付け、蜆の味噌汁、 カブとキュウリのお漬物 「コシヒカリはやっぱり美味しいですね。 最近ようやっと仕事から解放されて、米を味わって食べられるようになりましたよ。」 「お疲れ様です。戦前はまだコシヒカリ食べられませんでしたからね。 まあ、どうせ海の上じゃあどんな米でも直ぐに悪くなるのですが。」 「南雲さん、そうはいっても海保は沿岸警備だからまだマシだったのでは?」 そう言うのは嶋田と南雲の海軍コンビだった。 「野菜類もやっと種類と量が揃ってきましたね。冷蔵技術の発達もありますが。」 「いままでは、旬の時期に旬のもの『しか』食べられませんでしたしね。」 「それにビートが異様に研究されているくせに、ほうれん草が改良されていないとか。 野戦食のボルシチ缶は勘弁願いたいです。」 「あれはロシア人向けの試作品です。スピナッチ缶ならいいんですか、ポパイですか?」 辻や杉山、東条らも口々に言う。 この食卓にならんでいるのは、現在日本の一般家庭での通常の食事を模したものだった。 食事は生活水準のバロメーターということで、皆で今の日本の状態を確認する意味で、 久しぶりに集まって昼食会を開いたのだった。 嶋田もやっと現役を引退し、睡眠時間6時間の夢のような生活を満喫していた。 もちろん、夢幻会業務は完全に無くならず、なにかあると問題解決に奔走するという、 非常勤閣僚、兼海軍ご意見番のような役割を担っていたが。 史実米国の様な規格外の一強がいないために、世界情勢が日々動きを見せるこの世界で、 何か事件が起こるたび嶋田は表舞台に引っ張り出されていた。 しかし、少なくとも昼も夜もなく戦局や政治に引っ張りまわされる生活や、 毎日、胃薬や栄養ドリンクのお世話になるような生活より良いことは確かだった。 (了) 706. ヒナヒナ 2011/12/17(土) 01 06 20 あとがき この剣呑な世界情勢になった憂鬱世界ではまともに緑の革命は起こるのだろうか。 おこったらどの様な動きを見せるのかといった話です。 ……というのが趣旨だったのですが、シミュというか妄想になってしまいました。 もっと、内容を絞って書いた方が良かったかもしれません。 緑の革命の中で食料増産に貢献した米国の農学者はノーベル‘平和’賞を取っていますし、 世界情勢にかなりの影響を及ぼす分野ですよね。 ある意味、食料事情の改善が開発途上国での人口爆発の引き金の一端にもなっていますし、 本当に制御が難しい分野です。 諸所気になる所があるとは思いますが、妄想の一環だと思ってご容赦を。 ラストは、あまりにネタ界隈での嶋田さんの扱いが哀れなので、 嶋田さんののんびりした光景を挟んでみました。
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501 :ヒナヒナ:2012/03/08(木) 22 07 45 ○TSUNAMI 「TSUNAMI」 それはもはや世界言語であった。 かつて、多くの国ではその稀な現象に固有名詞が付けられていなかった。 英語圏においては単に「Big Wave」であるとか、 少し気の利いた言い方では「Tidal Wave(潮汐波)」という言い方をされ、 どちらも、地殻変動によって引き起こされる波という 津波の本質を表したものではなかった。 日本語においても過去には「海嘯」という言葉が使われていたが、 これは中国において大きな潮波が河を逆流する現象を指す言葉で、 津波の本質を表していない。 そのため「津(港)で突然現れる大波」という意味の「津波」が当てられた。 さて、この言葉が世界言語となったのはもちろん大西洋大津波の時と言われていた。 この頃、欧州列強では「TSUNAMI」という言葉が学者発で使われだした。 しかし、真の意味で「TSUNAMI」が一般に広がったのは大戦後だった。 日本の影響力が及ぶ範囲(実質的支配地域にある国家や、友邦)の教育機関等に、 日本から「TSUNAMI」についての教育の時間を取ることが提案されたのだ。 もちろん、教育に関する過度の干渉は内政干渉に当たるのだが、 内容が災害に対する原理とその対処方法についてというものであり、 実施国、自治体が望めば、日本から研究者が派遣され、 基幹教育者への講習会も開催するというものであった。 地震を感じたら、高台に逃げましょう ラジオでどこかで地震があったと聞いたら海から逃げましょう 川沿いや海岸線からは離れましょう 何回も波が来ることがあります 大きな船に乗っていたのなら沖合に出ましょう Etc. 具体的な指示が入った教訓は、多くの人々が望んだ。 「津波なんて私には関係ない」といった考え者もいたが、 少し先が見える人物はこれが沿岸国なら何処でも起こりえること、 そして、一国を滅ぼすに足る威力であることが分かるためこういった教育を推進した。 学校の集会で、企業の研修会で、多くの国、地域で津波教育が行われた。 各政府機関も沿岸地域に大きな被害をもたらした大西洋大津波に恐怖を感じ、 原因や対処法を各国で独自に模索はしていたが、 民間に広く対処法を伝えるまでには至っていなかった。 日本は民間に広く災害の怖さを広め、その対処法を広めた。 もちろん、憂鬱日本が単に親切心からこんなことをするわけが無い。 この原因は戦後直ぐの頃にあった。 502 :ヒナヒナ:2012/03/08(木) 22 08 16 ―1943年6月 ある日の夢幻会 「この計画で津波の恐ろしさを更に知って米国を滅ぼしたのは津波である。 という意識を各国の人間、特に就学時期の素直な頃に植え込むということだな。」 「学校教育で広めれば、知識でなく思考の根底から染められます。 これで、多少なりとも米国人の恨みを薄めることができるし、 各列強の人間には津波の「正しい」知識をつけて貰えますね。」 近衛が満足したように言うと、辻が毒たっぷりに応じる。 今回の会合の席では戦争終結で終戦後のアレコレを話し合っている。 とりあえず緊急性の高い案件を対処し終わり、これからの展望を話し合っていたのだ。 (帝国のためならば、時に非情とまで言われる手段を用いる。これが夢幻会か。 確かにこれは表ではできない事だ。しかし、表に出れば他の手段もあるのでは……?) ちなみに会合の席ということで、未だ夢幻会を全面的に信用していない山本も来ている。 「そういえば、倉崎が災害時の輸送機として富嶽の廉価版を開発しているそうですが……」 「おい、災害用にそんな機体を当てて大丈夫か?」 「緊急的かつ大量に物資輸送するには、たしかに空輸で物資投下が楽ですが……」 (富嶽だと? 倉崎は原子爆弾運搬機どころか次の運用を考えて開発しているのか? 戦争直後にこの余裕。伊達に夢幻会中枢に位置する訳でもないな。しかし災害用だと? いや、災害用なら政治的に軍事展開が難しい国、地域でも送り込んでも可笑しくはない。) 「まあ、防災グッズも販売拡大が可能でしょう。三菱さんにも頑張ってもらいましょう。」 嶋田は山本がまた何か考え込んでいるのを目の端で捕らえたが、 会合の席でわざわざ指摘することでもない。後でそっと探るべきことだ。と思い放置した。 それより大体の方針が決まりそうなので、次の話題に舵をとろうとした……が。 「これで、日本だけでなく世界規模でキャンペーンキャラクタを広めることも可能だな。」 「は?」 伏見宮のその一言で、一部の人間の目がギラリと輝いた。 ちなみに、呆けたような声を上げたのは山本だ。 嶋田はすでにオタク発言を聞いた時点で無我の境地に至っている。 「では防災キャラクタ“津那美ちゃん”の世界展開を?」 「いや、それだと音が“TSUNAMI”と同じだから不味いだろう。」 「日本人なら褌美少女の“ワダツミ”様を……」 「世界展開に、日本色を出しすぎるのは良くない。 ここはドラゴン娘の“リヴァイアたん”を……」 「ばか者、某RPGに影響されおって、もともとレヴィアタンは竜というより 鯨や鰐の形をとった海の怪物だろうが!」 嶋田はなんとなくデジャヴを覚える会話を聞きつつ、 適当に放置することにしたが、SAN値が削れていくのを自覚して、 自分の苦労を分かち合ってくれる同僚に声を掛ける。 ちなみに、常識人2号として連れてきた山本はすでに状況に付いて行けていない。 「南雲さん。常識人が最近とみに少ない気がします。」 「ふふふふふ、最近出番が無いし、私もああいうキャラになった方がいいんですかね。」 「やめてくださいしんでしまいます。(SAN値的な意味で)」 今日も「日本」は平和だった。 (了)
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927 :ヒナヒナ:2012/04/25(水) 20 09 08 ○夢から現へ イギリスの場合 自国の地盤を破壊した戦争の後、あらゆる公的職から引退したハリファックスは、 自身への戒めのために書いている発表する予定の無い自叙伝の原稿を前にその報を聞いた。 自宅の書斎で受話器を置きながら、独りつぶやく。 「そうか。彼らは表に出る選択をしたのか。しかし、未だ発足したばかりの円卓らには厳しい相手だ。」 そして、少し考えた後、新しい原稿用紙を取り出し書き付けた。 彼の死後10年以上経ってから発表されたハリファックス自叙伝は こんな書き出しから始まっている。 “願わくは、私が大英帝国で最劣な首相であることを。 私に続く者達は夢から覚めた東方の覇者を相手にしなくてはならないのだから” ドイツの場合 走ってきた部下から総統は夢幻会の名前を聞き、顔を顰めた。 「ふん、あの黄色人種どもの首魁がとうとう出てきたか。どう動くか目を離すな。」 ギロリと睨んで、連絡員を退室させると、 「これで日本の妙な独断も減るだろう。これがどう転ぶかだな。」 ヒトラーはデスクに座りなおすと、自分にも組織立った政策スタッフが必要だろうかと考え始めた。 そのころ、海軍総司令部の司令室では。 「ふふふ、そうさ、相手は首相かつ一大政治組織のトップだ。 だから、元帥をトレードしようとなんて言われたって気にすることは無いのだ。ふふふ……」 その後、彼の従卒が暗い部屋でぶつぶつ呟いている上官を見つけて黙って部屋を後にした。 ソ連の場合 スターリンの首を売ることでなんとか粛清を切り抜けたベリヤが呟く。 「とうとう彼らが表舞台に出てきたか。理想の女性ついての思想はすばらしかったが 敵としては手ごわい。」 ベリヤとともに逃げることに成功したスターリン政権下の将校や中枢メンバーが頷く。 「同志ベリヤ。何にせよ。国力の回復が先決です。」 「そうだな。幸いにも“裏切り者”スターリンがすべての罪を持っていってくれた。 反スターリンの新政権下であれば、日本との交易もやりやすくなる。 力をつけてソビエトを再興する。日独の謀略には注意しろ。」 彼らにとっては指導者とは担ぎ上げる御輿なのだ。彼らは生き残るための活動を始めた 「今さら、社会主義を捨てることはできない。帝政ロシアの復活だけは阻止せよ。」 928 :ヒナヒナ:2012/04/25(水) 20 09 39 フィンランドの場合 「そうか。」 マンネルヘイム元帥はその報を聞いて短く嘆息した。 今までの気苦労と幾ばくかの納得を表したようなため息だった。 政治家として国際社会の現実も知る彼は、 自国が一番の友邦といわれている極東の小さくも大きな島国が、 北欧の一国に過ぎない自国に、過大な援助を行ったことが異常なのは分かっていた。 当時、感じた漠然とした感覚。今なら、彼らの意思が働いていたためと分かる。 マンネルヘイム元帥は、自国の命運を助けた歴史の気まぐれと、 日本の利益のためとはいえ、自国の益に絶大なる影響を及ぼした友邦に感謝をし、 すぐさま、国家運営のための仕事に戻った。 カルフォルニアの場合 大統領政務室でハーストは、頷いた。 「とうとうあの組織が表立って活動を行うことになったのか。……どう思うかねグルー外相。」 「大恐慌や前の大戦の舵とりを行ったのは彼らですな。外交だけでは切り崩すのは難しいでしょう。」 「我々は再び覇権国家となるためにも、日本から秀でているところを すべて吸収しつくさなければならない。あの組織について改めて分析をかけよう。」 不屈の意思を持つといわれたアメリカ人。 その名は消えてもその精神までは失わなかった。 新たな野望を胸に、まずは北米での覇権をかけて動き出していた。 日本が夢から覚めたことによって、さらに世界各国の活動は史実から外れだした。 すでに、未来知識に基づいた予測は不可能となりつつあり、 先の見えない混沌だけが未来に広がっていた。 村中少将 「ふむ、夢幻会の方々でも、さすがに都内で無茶はできませんか。」 コートに同色の帽子を被っている男が小さな神社のお堂の中から、外をのぞいていた。 夢幻会による賢人政治を理想として、あらゆる組織、人脈を飴と鞭で動かし、 夢幻会を、表舞台に引き釣り出すことに成功した村中少将は 現在、とある神社に身を隠していた。 とうとう夢幻会の情報をリークしていたのがばれ、追われていたのだ。 存在が表向きに発表され、あらゆる目線が夢幻会に注がれているからこそ、 夢幻会も無茶ができず、村中もなんとか逃亡に成功していた。 「いかに夢幻会の方々といえど、まだ捕まる訳にはいきませんね。今はまだ民主主義の勢力が強すぎる。ここまで来て愚かな民衆に政治を取られるわけには行かない。私が退場するにしても夢幻会の地位を磐石にしてから……」 村中はぶつぶつと呟いていると、石段を登って境内に踏み入れた人影がある。 玉砂利を踏む音に、村中はさっと戸口に身を引き寄せ、隠れる。 逃げるべきかやり過ごすべきか。 そんな考えもつかの間、村中は自ら戸口の影から姿を現し、縁起くさい所作で挨拶をする。 「これはこれは、山本閣下。こんなところにお出でとは貴方も神頼みですかな。」 「なに、君を迎えにね。嶋田らは信用しているが、組織としての夢幻会には一定の枷が必要だ。 その力を使うかどうかはともかく、持っておくべきだからな。」 「(確かに一定の理解をもった反対勢力があった方が夢幻会の活動が目立つか?) ふむ、私は一応陸軍ですが。」 「陸海の垣根を取り払おうとしていたのは君ら夢幻会だったのではないかね?」 「……そうですね、しばらくご厄介になります。」 歴史がどう転ぶかもう誰にも分からない。 (了)
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832 :ヒナヒナ:2012/10/01(月) 00 37 52 ○やおよろず 日本は八百万の神々が住まう場所である。日本人は基本的に宗教的には非常に寛容である。自身に変容を迫る一部攻撃的な教義を持つ宗教宗派には嫌悪感を示す。しかし、隣人の信仰の対象がキリストだろうと、アッラーだろうと、祖霊だろうと、ニーソックスだろうと自分に変化がなければ基本的には気にならないのだ。 さて、そんな日本人の影響下にある地域の宗教はどうなったかというと。教会などはそのままに新たに神社ができることとなった。日本人は何かに祈らずにはいられない。これは宗教への依存を示すものではなく、なんとなく生活の節目に何かに祈らないと座りが悪く、習俗としてとりあえず手を合わせる対象を探していたのだ。さすがにキリスト教が一神教であることは知っていたので教会で拝む強者はほとんどいなかったが、代わりに目立つ自然物が信仰の対象となり、大樹に注連縄を巻いたり大きな自然石を神に見立てたりと祈っている間に、そこにいつの間にか小さな社を建てられ、いつの間にか本土の神社から分霊され神社として立ち上がるということがままあった。こうして日本人のいるところには大なり小なり神社ができるようになった。 顕著な例はハワイで、原住民の信仰が自然信仰または祖霊信仰であり、日本の八百万の神という考え方と親和性があったため、互いに相手の神様を敬う形で収まっていった。もちろんハワイのキリスト教勢力も根強かったが、後ろ盾たるアメリカ人等欧米人が勢力を減じたため、強い改宗勧誘などはできなくなり人数的には多いが勢いは失っていた。はたしてハワイには教会とヘイアウ(ハワイの祈祷所)と神社や一つの土地にあるという妙な習俗となっていった。呼び方も一般的な神殿をあらわすshrineではなくjinjaが使われるようになった。 何が言いたいかというと、後に出来るハワイ・オアフ島のコミケ会場の敷地内に軍神兼、文学の神として嶋田神社(分社)ができるのはもはや当然の成り行きなのだった。 (了) ○あとがき ヒャッハー。今日は大雨警報が出たから休日出勤だぜー。そんなテンションで書いた話です。使い古された感のあるネタだけど最後を書きたかったんだ! ニーソックス神はねーよ、とセルフ突っ込みをいれたあと、秋葉原や池袋あたりなら新たに祭られていても可笑しくないと思ってしまった。もうこの民族やだ……
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157 :ヒナヒナ:2012/09/28(金) 19 54 54 ○夢の国 北アメリカ大陸から大西洋に突き出した半島をまるまる占めるフロリダは、その温暖な気候と立地から一大観光地である……史実では。 憂鬱世界を見ると散々たる有様であった。 大西洋大津波の影響をもろに受けたのだ。フロリダ半島の大西洋側の海底は急峻な坂となって大西洋に沈みこんでおり、このため海岸線の直前で急激に盛り上がる津波はその威力を減じることなく半島を襲った。フロリダはアメリカ全州の中でもっとも高低差の無い州で平均標高は海抜30m程度の低地となっている。そのため津波はフロリダの殆どの地域を蹂躙し、人口密集地であるゴールドコーストを含むオーランド以南の街を根こそぎ海に押し流し、半島の先端メキシコ湾側に広がる湿地帯エバーグレーズと一体にした。湿地や石灰岩でできた土地は地形すら変わる有様だった。 高地がなく、一様に波に洗い流された形となったフロリダは他の被害地に比べても生存者が非常に少ない。完全に統治機構を失い住民も居なくなった星条旗の星のひとつは、永久に消滅したも同然だった。津波後も、もともと池沼地帯多く高低差の無いフロリダ半島では全く海水が引かず帯水していた。利用価値も無く何がある分けでも無いこの土地は完全に打ち捨てられていた。 本来なら大西洋岸の要所にもなれるかもしれない立地であったが、猛威を振るうアメリカ風邪とほとんど低地で湿地帯という地形条件のため見送られた。欧州勢にとっては世界のバランスをめちゃくちゃにした津波はトラウマなのだ。大西洋大津波ほどの規模でなくとも、普通規模の津波で毎回壊滅するような地域に重要な港や都市区画には振り分けられない。こうしたこともあって前線基地として役割はフロリダではなくメキシコが担うことになった。 しかし、後にはこの土地にも利用法が決定した。棄民地だ。食料を生産できるわけでもなく、特筆すべき資源が算出されるわけでもなく、ワニや有害な病気を媒介する蚊などが大量に沸くこの地を誰も欲しがらなかった。だが、汚染物質扱いされた東部地域の人間の処理法が考えられていたなか、候補に挙がったのがフロリダだった。 汚染地帯である五大湖地域はカナダとの国境でもあり、水資源や他の資源も豊富だった。なるべくならばアメリカ風邪を撲滅(住民の駆除という形でだが)した暁には、再び開発したいという意図があった。そういった経緯で爆撃機での脅しやナパームでの消毒を含めて東海岸のアメリカ人達を徐々に南部へと追っていった。他の東部地域でも徐々にではあるが消毒は行われていたので、追われた人々の最終的な到達地点はフロリダ南部の湿地帯となった。 野生生物やアメリカ風邪以外の風土病にも堪えながらでも、人々がここで暮らすのは爆撃や機銃で追われず、炎で焼かれることないからであった。国に進駐してきた人々は皮肉を込めて、いつしかフロリダを「夢の国」と呼ぶようになった。 (了) ○あとがき 夢の島的なネーミングセンスです。フロリダってCSI マイアミのイメージしかないので調べてみたのですが、最高地点が海抜100m程度ってどういうこと!? 通勤で標高差500mくらいを毎日移動していたので信じられません。
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768 :ヒナヒナ:2012/01/30(月) 01 09 20 ○メキシコに陽は落ちて ―195×年 中南米メヒカリ そこはかつて貧しいながらも賑わった街であった。 しかし、今は吹けば飛ぶようなバラックが広がるばかり。 カリフォルニア側から厳重に管理された国境を南に超えるとそんな景色が広がる。 前大戦後、メキシコ系難民とカリフォルニア国境警備のいさかいが絶えず、 今ではこの地域が緩衝地帯として機能している。 こんなところに留まっていては命がいくつあっても足りない。 それでも、ここに留まるのは難民として行き場のない者や犯罪者などだった。 かつては交通の要所であった国道を車で行くと程なくして、旧市街の中心地にでる。 ここだけはバラックがない。 鳥などの野生動物の鳴き声がやけに大きく聞こえ、何処かに迷い込んだようだ。 簡易増設した建物が広場を囲うように配置されている。 広場の真ん中には大きな墓石の様なモニュメント。 ここはかつて世界で初めて原子爆弾が実践で使われた地、その爆心地だ。 現地の人間も殆どここには近づかない。 「ホウシャノウ」という名の呪いで、おかしくなってしまうと信じているのだ。 車から降りたのは60代の男性と、護衛か何かのような立ち振る舞いをする連れの男一人。 年老いたながらも背筋を立てて歩く男の手には花束。 そして、モニュメントの前に花束を置き一歩下がると、手を合わせて頭を垂れた。 「ここに来るのに10年以上も経ってしまった。許してくれとはとても言えないが……。 この惨事に関わった当事者の一人として、死者のために祈るくらいは許してほしい。」 そう言って原爆投下作戦の指揮を執った大西 瀧治郎は、 暫くその場で黙祷し続けた。 ________________________________________ 769 :ヒナヒナ:2012/01/30(月) 01 09 56 このモニュメントを作ったのは日本政府だった。 1943年、メキシコに原爆が落ちた後、混乱が収まって直ぐに、 日本は科学者と医師の混成分析チームをメヒカリの地に送り込んだ。 (防護服は可能な限り厳重にしたし、規定の放射線量を超える被ばくは避ける様にした) 黄色いだぶだぶの前身スーツと頭部全体を覆うガスマスクの様な姿。背中には日の丸が付いている。 銃器を持って周囲を警戒する同様の格好をした陸軍兵士もいる。 彼らはメヒカリの住民(生き残り)に恐怖を持って受け入れられた。 夢幻会が戦後恐れたのは際限のない核拡散競争と、核を万能とする国内世論だった。 そのために、この世界では未だに知られていない放射能の恐怖を調査し、 事実に基づいたレポートを世界各国に発信することにした。 自分たちでその破壊力をプロデュースし、自分たちで蓋を閉めるという、 真実を知る者にとって失笑ものの出来レースだった。 メヒカリで暫く医療行為と研究を続け、各国にデータを配信していく。 もちろん、メインは放射線障害についてだ。 資料撮影用として持ち込まれたカラー写真機で、総天然色の画像を取る。 それは常人ならば目をそむけたくなるような写真だった。 あまりにひどい写真を除いて日本は原爆による放射線障害の例として、発表した。 そして、各国のトップだけでなく民衆が、核兵器がどんなものかを知ることができるようにした。 メヒカリの住民の間では、ホウシャノウに焼かれると呪いを受けて死んでしまう。 メヒカリの中心部(日本の簡易研究所があり、特に重篤な症状の者が収容された)に 行くとホウシャノウに呪われるなどとして、貧民や難民すら近づかなくなった。 研究データも集まり、重篤な患者が居なくなった(死んだか、奇跡的に助かったか)ころ、 日本は彼らの役目は終わったとして、撤退を命じた。 そして、引き払う時に街の中央広場に犠牲者を弔う言葉を記した石碑を建てた。 この様な活動をする一方で、 日本政府はメキシコでの核の使用は人類の生存という面から避けられず、 原爆投下は正しかったという姿勢を崩さなかった。 夢幻会も自国のために最大限考え抜いた結果を、自らを否定する訳にはいかない。 そうして、各国の核兵器開発を牽制し続けた。 ________________________________________ 770 :ヒナヒナ:2012/01/30(月) 01 10 59 その中で割を食ってしまう人間というのは、いつの世でも居るものだ。 日本海軍の高級軍人として、軍の作戦を否定できない公の面。 しかし、その指揮を執った者としての自責。 日本調査団が被害の全容を明らかするほどに、 作戦の指揮を執った大西の胸の内に降り積もるものがあった。 大西はその責任感から何度か辞職を申し出たが、作戦指揮官が責任を取ることで、 諸外国に原爆投下が誤りであったという印象が広がることを懸念し、 上層部はその度に彼を説得して思い留めさせた。 鬱屈したものがあったのか、定年になると隠居生活に入ってしまった。 彼は暫く悩んでいた様であったが、やがて家督をすべて長男に譲った後に、 民間人として渡米したのだった。 大西の中ではまだあの作戦は続いていた。 原爆を投下したあの日から、キノコ雲の映像や被害の惨状が忘れられなかった。 これからもこの罪の意識とは付き合っていかなくてはならないが、これで一区切りついた気がする。 メヒカリからカリフォルニアの国境を越えながら、そう大西は思った。 この日、一人の男の戦争が終わった。 (了)
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452 :ヒナヒナ:2012/01/19(木) 23 04 15 ○銀鬱TSなしシナリオを考えてみた ※設定話なので銀英成分は出てきません。銀鬱3次といった感じです。 格式を匂わせつつも、華美にならない宮殿の一室。 今や惑星恒星をまたに掛ける大日本帝国の今世の天皇と話しているのは、 一見ボウとした目をした軍服を着た50代の男性であった。 謁見できるだけの地位にいるので、将官ではあるはずだが、階級章はつけていない。 「陛下、また、お会いできるとは思いませんでした。」 「朕も再び生を受けるとは思っていなかったし、またそなた等と見えるとは想わなかったな。」 「しかし、私の様な古い人間ばかりを使っていると人材が育ちません。再考なさりますようお願いします。」 「分かってはいるが、今回は国難であるという事だ。朕だけではなく国会もこれを承認した。」 「……英霊保存法ですか。」 英霊保存法 それは日本が電脳世界という新たな地平を得た後に制定された法律であった。 実績において特に優れた功績を残した文武官に適応される。 生前に電脳世界にデータ人格を記録しておき、死後においてもそれを保管する。 有事の際には義体を与えられて呼び起こされ、 軍事・政治への助言・補助を行うというものであった。 これは有事の際にのみ発動され、天皇、国会、国民によって審査され行われる。 旧時代の権力者を呼び出すという、間違えば自国を滅ぼす毒にもなりかねないことなので、 憲法改正なみに厳重に手順が定められている。 (電脳投票を行っているため、国会投票、国民投票には地球時代ほど時間がかからない) 彼らを実体化させておく期限を区切っておかなければならないなどの制限が加えられている。 もちろん、死後の平穏という観念はまだあるため、 普段その人格データは一般電脳世界とは切り離され、 新靖国神社の中に鎮座するサーバに静かに保存されていた。 なにかと批判の多い法律ではあったが、大遷都当時の 銀河連邦に比べるべくも無い、自国の人的資源をカバーするために生まれた法だった。 当時、大日本帝国は精神的にそこまで追い詰められていたのだった。 結果からみると、今の今まで使わず死んだ法律になっていた。 もちろん、何回か改廃することも検討されたのだが、 まさか、それまでに靖国サーバに入れてしまった英霊の魂(人格と経験データ)を 消す訳にもいかず、どうするのかという問題が起こり、 結局、死んだ法律として、今まで英霊が静かに眠り続けることになった。 453 :ヒナヒナ:2012/01/19(木) 23 04 47 「先ほど現在の状況のレクチャーは受けております。 たしかに銀河連邦時代に他の文明と切り離されたわが国の人間は 国交に向いていないのかも知れません。だからといって…… あの時代の旧夢幻会の人間をほぼ全員呼び出すのはやりすぎです。」 「ついでに我々は戦争と無縁になって久しい。防衛体制こそ歴代の首相が築いてきたが、 軍そのものは硬直が見られ、わが国の国家規模に対して弱体化している。 そこで、そなたら救国の英霊に指南役を頼みたいのだ。」 「……わかりました。このまま座して、この国を食い荒らされるわけには行きません。」 結局折れる辺りが嶋田であったが、義体ながら疲れた表情に見えるのは 先ほどまで怒り狂っていたので反動が来たのかもしれない。 実は嶋田の義体が女性タイプで用意され、嶋田が切れるという事件があったのだ。 嶋田首相少女説が本気で信じられていた(半ば常識化していた)ことも有り、 担当の係員が彼らを生前とは似ても似つかない姿で用意してしまったのだ。 笑いながら怒り迫る美少女姿の英霊に担当の係員が真っ青になり、 必死に生前のデータを漁り写真を探し出し、義体製作会社に即作らせ、 本人らの生前の姿に則った義体をすぐさま用意することとなった。 因みに、外交も担うことから最低限の年齢は必要ということになり、40-50代の姿だった。 「では英霊嶋田繁太郎に命じる。 自由惑星同盟と銀河帝国およびフェザーンと国交を開き、 また、大日本帝国の軍事強化をまかせる。 役職は皇任特別顧問、階級は中将をもってこれに当たれ。」 「はっ」 敬礼し拝命した嶋田は陛下が退室した後、別室に下った。 そしてそこには見覚えのある顔をした面々が雁首をそろえていた。 「良かったですね。嶋田さん義体なら一日24時間勤務の無理ではありません。 それに100億人規模の国同士の通商を一から構築するとは心が躍りますね。」 「精神が死んでしまう。只でさえここでの自分の評価にSAN値が削られているんだ。」 「この日本でアニメを復興させなくては。いや、新しい萌を考えるのが先か?」 「平常運転ですね。私はやっぱり近宙域防衛艦隊の整備なのですかね。地味役ですよね。」 「陸戦が殆ど無い…私は必要だったか? 2c○どころか、二次元に人権が認められる世界か。 同盟・帝国とも交信できる新たな情報規格を整備するかな。」 「国民の意識改革もしなくてはな。安全が只であるという認識を取り払わなくては。 そのためには体感型燃え戦争映画を……。」 嶋田ら昭和期の夢幻会中枢メンバーは、その研究の結果魂の原理に肉薄し、 不完全ながら条件が揃えば、転生という荒業を行えるようになっていた。 (その度に辻とコンビを組まされ、嶋田が仕事に泣くのはお約束であった。) その後電脳世界が発展し、人格と人生経験のデータ保存という技が確立するに至って、 転生という不完全な技術は廃れて電脳システムへと移行した。 というよりも電脳世界が魂の保管庫として機能しだしたということでもあった。 ちなみに嶋田らは何回目かの転生後にその魂をサーバに捕まえられ (死ぬ前に人格データと記憶データを取られた)、 以来、英霊として靖国神社のサーバに眠っていたのだった。 「神様、俺、何か悪い事しましたか……?」 衝号を決行したと言う自答は置いておいて、嶋田は死後も働かされる事態を嘆いた。 ちなみに萌文化を作った神様や軍神として、彼自身が神として奉られていることを知って、 悶絶するのはこのあと暫くしてからのことだった。
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94 :ヒナヒナ:2012/07/18(水) 19 39 51 最近支援ssが少なくて悲しいので自分で書くことにしました。 いつも通り会話文に乏しいssです。 とあるコピペを読んで、憂鬱日本だと尚更深刻だろうと思って書きました。 ○日本への恐怖 二回目の世界対戦が終わって幾年。現在、この世界では環太平洋日本勢力圏対、枢軸陣営ドイツ帝国勢力圏といった対立構造が成り立っていた。その間にソ連が脱落したり、中国大陸がリアル三国志状態に突入したり、北アメリカ大陸が暗黒大陸化したりと、さまざまところで明暗が分かれる事となった。しかし、新たな領地の取り込みや、戦時経済からの立て直し、政争などの現実的な問題が噴出し、宗主国たる日本とドイツが互いに矛を収めたことで、とりあえず世界は平和になっていた。 さて、この世界で日本とドイツは、敵対する中小国からそれぞれ恐怖の対象であったわけであるが、日本人が怖がられる理由は大まかに2種類あった。 一つは敵対する恐怖。 これは単純だ。つまり現在太平洋にその勢力圏を広げた日本の戦力は脅威である。正面切って戦争をして国家崩壊に追い込まれた中国とアメリカ合衆国、日本を舐めて掛かり、核兵器の実験場となったメキシコが証明している。 また、実戦力もさることながら、政府民間を含めた経済的な攻撃力も有するのだ。各国上層部しか知らないことだが、ソ連のスターリン体制崩壊については、独ソ戦や、末期の世界規模での共産主義排斥運動と同じくらいに、日ソ貿易などによる経済的攻撃により財政がメタメタにされていた事が原因だとする意見がある(※1)。また、経済的制裁については、やや過剰気味に空気を読む日本人的気質から、何か国際問題が起こると民間で自主的に不買運動が成立することがあり、逆に日本政府が自国民に自粛を求める事態もあった。ある意味、周辺中小国にとっては軍事制裁よりも怖い反応だった。 まあ、これは日本への恐怖と言うよりは大国が普遍的に持つ性質であり、強者への恐怖・不満というところであった。 二つ目は自国文化への侵略である。 これがいわゆる「同化される恐怖」と表現されるものだ。日本になにか新しい文化が投入されるとき、今ある文化と矛盾がないように、ゆっくり吸収し同一化する。まず此処が分からない。普通は拒否反応か諸手を挙げて歓迎されるかどちらかなのだ。 次に、日本文化が外国に投入されるとき、はじめ拒否反応を起こされることが多いが、いつのまにか評価をひっくり返して、ゆっくりとその国の文化の中に溶け込んでいく。「いつか自分たちが日本の文化に染まってしまうのではないか」という恐怖を他国(主に欧州)の人間に植え付けた。 「同化される恐怖」を世界が意識しだしたのは、奇しくも枢軸国家たるイタリアの所為であった。 日本人はパスタという極めてイタリア的な料理を一般家庭単位で習得し(通常、一般市民に対する食文化の改変は障壁が高い)、魚卵や醤油、ケチャップといったものと合わせていろいろと改造を図ったあげく、ついには「ナポリタン」なる別次元の創作料理を作り出し、逆にイタリアに送り返す始末だった。もちろんイタリアではナポリ市を中心に嫌われたが、一部政府高官がこの悪魔の料理に攻略されたという噂が囁かれ(※2)、徐々にだがイタリアの地を侵食していった。 この顛末を知った各国の知識人達は困惑した。「イタリア人が若い女とワインと並んで必須としているパスタを侵略するとは!」と。 ちなみにドイツでは、宣伝相が新たな戦略として世界同時公開国策映画の製作に乗り出したり、英仏ではメイドや執事という自国の職業のあり方が、日本から訳のわからない文化侵略(※3)を受けているという報告を受けて慌てたりした。ちなみにフィンランドでは、日本から送られた戦闘機などが通常と違う多分に趣味成分の入ったペインティング(エスコン仕様)であることにやっと気がつき始めたが、マンネルヘイム元帥はため息を付くだけだったと言う(※4)。 95 :ヒナヒナ:2012/07/18(水) 19 40 24 後に判明し、そして最も各国を恐れさせたのが、それが異文化に対する攻撃ではなく、基本的な日本人の性質であったということだ。日本人は意図しないで普通にやっていることであり、なぜか心地よく調整されたその謎の文化は、受け入れになんら苦痛をもたらさず、むしろ心地よいため自然に受け入れてしまうといった具合だった。規制をしたくても、確たる形で入ってくるわけでもなく、極普通の民間人を含むすべての日本人や日本製品に注意を払うことは難しかった。それどころか、侵食された人間に聞いてみると、いつの間にか自らそれを望んで染まっていくというのだ。 目が異様に巨大で平面的なアニメーションキャラクター達や、職業や性格、果ては靴下の種類にまで及ぶ偏執的なフェチズム。それらが自国で持てはやされる未来を想像した各国文化人達は頭を抱えたという。 外国、特に枢軸国家から、「苦痛もなく、むしろ快感の中でスライムにゆっくり消化されていく状態」(※5)と言わしめた恐怖。これを各国では日本的文化侵略と名づけた。 大戦後すぐの時代。次第に明らかになっていく夢幻会の概要と、その中にあって秘密組織と目される「MMJ」と呼ばれる巨大組織。文化侵略時に活発に活動していることが観測されたこの組織を、各国は日本の文化侵略中枢とみなし、各国諜報機関とMMJ(及び、その他趣味文化部組織)との静かな戦いがあったことについては、また別の話。 ※1:日ソ貿易について、当時のドイツ帝国高官の資料より、「銃火を交えている敵国のことではあるが、哀れさを催すほどの悪辣振りであった」とドイツ総統が発言したという記録が残っている。 ※2:関連を噂されたイタリア王国の重臣は一切のかかわりを認めなかったが、彼の死後発見された手稿や、官邸の食材管理を行っていた調理人の証言により、この噂が事実であったことはほぼ共通の見解となっている。 ※3:当時の資料で、「エマという名のメイドを日本人に引き抜かれた」、「暗器をメイドや執事に隠し持たせるのが流行っている」、「ロンドンに多量のメイドが給仕するカフェが出来た」などという記述がある。 ※4:冬戦争時に日本人が持ち込んだ「ミニスカサンタ」などが登場する漫画形式の兵器解説書がフィンランドの兵器博物館に所蔵されているが、何故か日本側ではそういった兵器付属品記述や記録が一切抹消されている。 ※5:当時大日本帝国のコミックマーケットにてこの表現についての風刺画が描かれた書物が出版されている。大日本帝国国会図書館所蔵の閲覧制限図書『ドS☆撫子タンの枢軸いぢめ・スライム地獄編』参照 (了)
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463 :ヒナヒナ:2012/03/07(水) 21 06 42 ○星空の彼方まで 古くから宇宙は人々を引きつけて止まない。 理由は様々ある。 単純に未知への探究心 万物の始まりを解き明かすため 地球を飛立ち、新たな地平を目指すため 宇宙への進出という見知った未来への希求 この世界ではソ連は致命的に衰退し、アメリカは崩壊している。 更に言うならば、欧州列強たるドイツ、イギリスも大戦での後遺症に苦しんでおり、 一応の勝ち組は日本、イタリアといった具合だった。 列強でも未だその多くは大戦の負債や、津波の後始末に一杯一杯であり、 余計な物に手を出す余裕はなかなかなかった。 史実では米ソ冷戦での開発競争によって驚異的に加速した宇宙関連技術だが、 スプートニクもアポロも期待できない。 史実に比べて割りを食った分野の代表格は音楽・芸術関連の活動や、 利益が短期的に見込めなさそうな技術……宇宙観測などはその際たるものであった。 ロケットなどは軍事目的もあり開発が続けられているが、 純粋に学術的な宇宙観測はなかなか進んでいなかった。 それでも、宇宙を渇望する男達の熱意は止められなかった。 ―1952年 ハワイ島マウナケア山 夕暮れのハワイ島マウナケア山山頂付近に真新しい奇妙な建物があった。 短い円筒形で、横から見ると小さめの給水塔のようだった。 大日本帝国の国立ハワイ天文台の一部として建設され、 口径6mという史上最大規模の天体望遠鏡「すばる」だ。 もちろん、史実1998年に開発された口径8m超「すばる」とは別物であるが、 この時代では文句なしの最大口径を持つ望遠鏡だ。 ハワイ島マウナケア山はその立地上、外部の光害や電波から遮断され、 空気も乾燥しており、史実では世界各国の天文台が立ち並ぶ天文特区である。 しかし、未だ50年代であることと、列強が天文に力を入れられないので、 マウナケアの頂には「すばる」だけがポツンと立っている状態だ。 もちろん、天文研究は手数が要な分野でもあるので、 各国の天文台を受け入れるスペースも用意してある。 今日の夜から、ファーストライト(初期稼動時の試験的観測)を行う運びだ。 この4000m級のマウナケア山頂付近には、多くの人が集まっている。 招待を受けた各国の天文学者を始めとして、 ファーストライトを祝うために、ここまで登ってきた奇特な財界人。 また、反射鏡の輸送に大型の輸送艦や特殊車両が必要になったため、 物資の輸送に協力した帝国陸海軍の関係者も呼ばれていた。 464 :ヒナヒナ:2012/03/07(水) 21 07 15 「お集まりの皆様、国立ハワイ天文台「すばる」望遠鏡にようこそ。天文台長の萩原です。 今日、望遠鏡「すばる」のファーストライトを天文台長として迎えられることは 天文学者にとって大きな喜びです。この「すばる」は……」 空がオレンジから深い紫紺に徐々に変わってきた頃、 厳しい冷え込みの中マイクを握った50代の男が人々の前に進みでて挨拶をした。 天文学者である荻原だ。 史実でも憂鬱世界でも日本の天文学の水準を世界レベルに引き上げた人物だ。 彼は逆行者ではないのだが、その宇宙に掛ける情熱によって、 国立ハワイ天文台の天文台長に就任した。 史実で多くの弟子を天文学者として輩出した彼には、 日本天文学会の父として後継を育てる手腕も期待されていた。 やがて、挨拶も終わって出席者達が帰りだすと、 天文台の関係者も初観測に向けて「すばる」に向う。 その荻原の捕まえたのは同年齢くらいの海軍将官だった。 「すばる」の設備内に戻ろうとする荻原に声を掛けた。 「お疲れ様です、荻原博士。」 「これは草鹿中将。 物資の輸送を迅速に取り計らっていただいて、海軍さんにはお世話になりました。 軍には計画中の電波望遠鏡にも技術協力していただきましたし頭が上がりませんな。」 「いえいえ、我々は本当に運んだだけですよ。 それに兵器を作るだけが技術ではありませんし、技術は民間に還元しませんと。」 「しかし、凄い物です。わが国がこれだけの口径の望遠鏡をもてる様になるとは、 私が天文を学び始めた頃には考えられないことです。」 「博士の弟子も、天文学者として活躍していらっしゃるとか。」 「ええ。皆私より優秀です。そういえば草鹿中将は防空戦が専門とお聞きしましたが、 なぜ、輸送を取り計らって下さったのですか? なんでも自ら指揮を執られたとか。」 「あー……その、天測はもともと海軍には無くてはならない分野ですから。」 「? そうですか。」 ちなみにこの話を受けた時の草鹿中将の心の内は、 (これを機に民間レベルでも天文学的な興味が高じれば、 アメリカ崩壊で停滞していたSF界に新たな風が吹くかもしれない!) というような物だったことをここに記しておく。 そして、この夜、「すばる」は満天の星空に向ってその目を向けた。 今までより、より遠く、より細かく、より鮮明に…… この観測の結果として、美しい画像が次々と発表されると、 一躍、宇宙ブームが巻き起こることとなり、 和製アポロ計画「竹取」なども加速していく。 そして、この宇宙研究の機運にのって次の計画も既に持ち上がっていた。 地上約600km上空の軌道上を周回させる宇宙望遠鏡を作り上げる計画だ。 宇宙空間に浮かび大気の揺らぎを排して、宇宙の深遠を直接覗き込める目。 それを自由に使う事は天文学者たっての望みだった。 天文分野にも少数ながら存在する逆行者達。 彼らは史実のハッブル望遠鏡を作り出そうとしていた。 星空の彼方まで見通せる目。 宇宙望遠鏡「天眼通」の開発計画が動き始める。 (了)
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424. ヒナヒナ 2011/12/08(木) 00 59 32 暗い話ばかりと言われて、今ならこの馬鹿な話を出せる気がした。一日で書いたので荒があったらごめんなさい。 203-210 の続き見たいな感じのです。憂鬱×ミステリ。 灰色の脳細胞 第二次世界大戦の足音が聞こえ始めた頃、日本は先進国とは認められなくとも、アジアの勇といった地位を経ていた。 かつて、日本人が世界を旅すれば19〜20世紀初頭には辺境の蛮族と侮られたものであったが、 今では大恐慌のあと突然伸びだした黄色の国として、注目されている。 もちろん、白人が多くその支配の強い欧米や豪州では侮られているのは感じるが、 少なくとも面と向って罵声を浴びせられることはなくなってきた。 そんな中、欧州の地を踏んだ日本人がいる。 かつて若手外務省官僚として欧州に渡った斉藤太郎だった。 すでに中年と呼ばれる歳になっておいたが、その好奇心旺盛な気質はまったく衰えていなかった。 吉田茂や白洲次郎まで名を連ねる外務省官僚の中ではあまり目立たず、諸外国との調整に出ることが多かったが、今の彼は外務省官僚ではない。 彼は仕事で多少のミスがあり、もともと歩き回るのが好きであったことから外務省を辞めていたのだ。 ……とても残念な言い方をすれば、出世コースから取り残され、天下りしたとも言える。 ともあれ、斉藤はやり手商社マンとして、ちょっと早い第二(第三?)の人生を歩んでいた。 いくら夢幻会の政策で緩和されたとはいえ、各省庁はまだまだ年功序列の伝統が生きていた。 年を経るごとに席が減り、それに伴い同期が減っていくのが官僚の世界だ。 史実世界では、色々槍玉に挙げられた天下りという慣習であるが、 これには身内の無能・害悪を外に出し、内部のレベルを一定に保つといった意味もあり、この世界でも機能していた。 ちなみに斉藤太郎はうっかり危ない発言(史実情報に基づく)をしてしまったことで、チェックが入り熾烈な同期争いの結果、肩たたきにあったと同期には言われている。 そうはいっても、外国語に堪能な人材と言うのは比較的価値が高いもので、結構簡単に新しい職に滑り込んでいた。 斉藤は客船から降りると身体を伸ばしてから、首を巡らして待ち人を探す。 人ごみに紛れてスラリとした中年の英国紳士が見える。斉藤は人好きのする笑顔でその紳士の方へ近づいていく。 「お久しぶりです、ヘイスティングズ大尉。」 「やあ、斉藤さんも久しぶりだね。前回あったのは大英帝国本国だったかな。」 そういって斉藤と握手をしたのは、イギリス人のアーサー・ヘイスティングズ元英陸軍大尉であった。 かつて斉藤が外務省の仕事で、欧州を訪れたときに列車で出会った人物で、気さくな善人だ。 もちろん、斉藤は彼の名前を聞いて心の中で狂喜乱舞し、彼の友人の話を聞いてみたりと役得を楽しんだ。 そして、別れ際には連絡先を交換し合った。斉藤は日本人的なノリで、日本人は新年にレターを交換し合う習慣があるといって、知り合った人には毎年年賀状を出しつづけていたのだ。 そこには人脈こそが宝であり、仕事道具であるといった生々しい事情もあった。 今年の正月にきた手紙で、ヘイスティングズが現在フランスのアミアンにあるシャトーに逗留していることを知った斉藤は、ちょうど海外出張が重なったのを良いことに彼に会うことにしたのだ。 425. ヒナヒナ 2011/12/08(木) 01 00 18 「ところで、金髪碧眼の少女の愛おしさについてなのですが……」 「私の歳では少女は恋愛対象ではないよ。それより鳶色髪の……」 客船の運航が順調で仕事より3日早く到着した斉藤は仕事先に連絡を入れた後、 この欧州の友人の誘いに乗って、カレー港とパリの中間にあるアミアン近郊のヘイスティングズの逗留先にずうずうしくお邪魔していた。 シャトーのテラスで彼らは馬鹿げた話をしながら、だらだらと過ごしていた。 実は斉藤が鼻息を荒くして期待していたのは、ベルギー人探偵のエルキュール・ポアロだった。 灰色の脳みそが解き明かした事件の数々をポアロ自身の口から聞きたいっ! と言うのが、斉藤がヘイスティングズを訪ねた理由の一つであった。 ヘイスティングズが欧州に戻れば、高確率でポアロとも会うのだろうという、 賭けを張ったのだが、そんな適当な掛けで何も起きるでもなかった。 斉藤は灰色の脳細胞を持った名探偵と出会うことなくヘイスティングズと分かれることになった。 もっとも、斉藤は会わなくて良かったかもしれないとも思いながら、パリに向っていた。 下手をすると名探偵補正―名探偵の行く先々で周囲の人間の死亡率が急激に高まる現象― が斉藤の身に降りかかる恐れもあったからだ。 この補正は金田一耕助の孫(耕助当人もかなり強い)や、頭脳は大人な小学生探偵が 顕著に持っている能力であるのだが、密室もの解決することの多いエルキュール・ポワロもこの能力の保持者だ。 しかも、下手をすると「そして誰も居なくなった」ばりに全員殺されかねない。 推理小説の世界では探偵役が死んだり、犯人だったりということだって「フェア」なのだから。 そんな逆行者臭のする思考を打ち切って、パリへ向う斉藤。 途中、パリ方面からカレーに向う列車から降りてきた小太りの男とぶつかりそうになりながらパリへと向う列車に乗った。 斉藤はパリでの商談や、顔つなぎに精を出した。 因みに彼と入れ違いでアミアンに到着したのはエルキュール・ポアロその人であり、 斉藤が去った後のシャトーで殺人事件があり、ポアロがその灰色の脳細胞を持って華麗に解決したことを後で知って悔しがる事になる。 さて、斉藤はパリの街で商談の合間に、パリの社交会に繰り出し多くの人間と顔を繋ぎ、 また知り合いの日本人とフランス人知人とを繋ぐ役割を果していた。 必要とあればもちろんパリだけではなく他の都市や国へも飛び歩く。 実は商談はオマケでこれこそ斉藤の本当の仕事だったりした。 彼は外務省官僚ではなくなったが、夢幻会会員であることには変わりなく、更に言えば、 多少のミス程度で夢幻会が未来知識持ちのエリートを手放す筈はなかった。 外交は外務省や大使館だけで成り立っているわけではない。 外務省の人員や、更には公安関係者が現地で活動する際に、顔の広い繋ぎ役は非常に有用なのだ。 そして、斉藤はミーハーだが人当たりがよく人畜無害そうなので相手の信頼を受けやすい。 日本人と欧州の知識人や著名人などの顔つなぎ役として活躍していた。 斉藤としてはこの時代の著名人と大手を振って知り合えるという、願っても無い役割だった。 ……ついでにMMJ欧州支部布教員としての役割も持っていたりする。 パリについてから一週間経ち、斉藤が今日の予定を整理しながらカフェで昼食をとっていると、 「タロウ・サイトウさんはあなたでよろしいですかな?」 「はい、三菱総合商社のサイトウと申します。あなたは?」 「これは失礼。私はパリ市警のものですが。実はパリでの落し物にあった手紙なのですが、貴方の名前が書いてありまして。社交会に明るい者に聞いたら今パリにいらっしゃると聞いたので届けにきました。」 「はぁ、ありがとうございます。手紙なんて落としたかな……?」 「それでは失礼します。良い一日を。」 斉藤が手渡された封筒の中身を覗く間に、刑事は去っていってしまった。 大き目の封筒の中には斉藤の宛名と、自身の筆跡のメモ書きが書かれた黄ばんだ封筒、 そして、中身はMMJから会員渡航者に当てられた注意事項の書類が出てきた。 10年以上前にフランスに来たときに紛失したものであった。 「……まさか、パリ市警は10年も遺失物を保管していたのか?」 斉藤の疑問を余所に特捜班のヴィクトール刑事は名前も告げずに去っていった。 (了) 426. ヒナヒナ 2011/12/08(木) 01 00 50 あとがき 今回はポアロ+斉藤の仕事の説明みたいな感じ。ちょっとごちゃごちゃしたと反省している。 しかし、ここの読者層とアガサ・クリスティの読者層がすれ違っている気がしてならないです。 ポアロシリーズは作中に年代設定が出てこないのですが、第一次大戦〜第二次大戦の間のようですね。 舞台がフランスなのは特捜班のヴィクトール刑事を出したかった所為です。 ポアロとヘイスティングズはしょっちゅう旅をしているイメージがあるので旅行先ということで。 エルキュール・ポアロ:「灰色の脳みそ」で有名なベルギー人探偵。かつてベルギー警察の警部であったが、祖国がドイツの通り道にされたため出国。イギリスを中心に探偵業を行っている。憂鬱本編では特にベルギーについて記載されていなかった気がするが、たぶんベルギーは道路扱いされている。 アーサー・ヘイスティングズ:イギリス人の元陸軍大尉。退役済みなのに作中では大尉という階級で呼ばれ続ける。善良なワトスン役。途中からアルゼンチンに永住する。ところで彼の年代ならばパンジャンドラムとかを生で見たのだろうか…… ヴィクトール刑事:フランスの刑事。特捜班に所属している初老のベテラン刑事のようだが……。