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888 :198:2014/06/27(金) 22 50 28 ドイツ人的完璧主義 1914年9月11日。 マルヌ会戦で英仏連合軍に戦術的勝利を収めながら、自軍の継戦力の喪失によりパリに手を掛ける事無く前線が後退すると、ドイツ参謀本部は愕然としヴィルヘルム2世は激怒した。 この会戦の勝利とパリ占領による短期的な戦争の終結だけを前提条件として、外交さえも組み込んで構築してきた戦争計画が破綻したのだからそれもあたり前であろう。 しかしながらドイツ参謀本部は諦めなかった。そう、ドイツ軍人は狼狽えない。 西がダメならまず東から。 ドイツ参謀本部はヴィルヘルム2世の怒声を浴びながら大慌てで塹壕線を構築し、長期消耗戦体制を確立しながら開戦で停止していた計画を実行に移す。 10月2日。 いつの間にか反ロシア派連合へと変貌を遂げていたトルキスタンの騎兵レジスタンスの一部がロシア・トルキスタン国境を突破。 開戦によりドイツからの支援は断たれていたが、対青海派の支援の為に満鉄を通じて供給された武器がトルキスタン共和国には溢れており、例えごく少数であっても非支配者と同族の武装勢力が中央アジアに流入するという事態はロシアの悪夢の具現に他ならなかった。 馬に乗って中央アジア全域を逃げ回りながらロシア軍の物資を略奪し、まともな戦闘も行わずにロシアから奪った武器をばら撒いて中央アジア住民の反ロシア暴動を扇動する。 中央アジア各地で続発する反乱未満・暴動以上の武装騒乱を鎮圧して回るためにロシア軍は欧州に投入すべき兵力を中央アジアに割かれ、ドイツに対する主導権を完全に喪失してしまう。 余談ではあるがこのロシアの現状を『サラエボの銃弾で家に火がついて黒焦げになるロシア風美女』と言う風刺画で掲載した日本の新聞社があったのだが、ドレスを焼かれた美女の肢体が扇情的にすぎるとの批判が相次ぎ、謝罪文と共に挿絵がパンチパーマの熊の姿へと差し替えられる事になる。 1915年4月26日。 東西の戦線は停滞したまま両陣営の血を飲み続けて年を越し、ロシアが中央アジアの火消しに奔走する様をドイツ人達が嘲弄していたこの日、イタリア王国がオーストリア=ハンガリー二重帝国に宣戦を布告『未回収のイタリア』の奪還を開始した。 同盟国の裏切りにヴィルヘルム2世はオーストリア救援を参謀本部に厳命する。 日英仏露に加えてさらにイタリアまで敵に回った以上、唯一の同盟国の戦争脱落は絶対に阻止せねばならなかったからだ。 西部戦線への兵力集中がさらに遅れる事を理由にドイツ参謀本部は派兵を躊躇するが、既に一度戦争計画に固執して外交を破綻させた後ろめたさから皇帝の命令を組み込んだオーストリア救援計画を立案する。 そしてこのドイツ人的完璧主義が産み出した戦争計画が更なる動乱を世界に振り撒いていく。 889 :198:2014/06/27(金) 22 51 18 1915年12月1日重慶。 中華民国国民政府総統・孫文は憂鬱だった。 北洋政府、華南自由連合によって海から切り離され、四川省・貴州省・重慶という内陸部しか支配下に置いていない国民政府はまともに列強の支援を受ける事さえできない。 解体された中華、分断された祖国、そして敵対勢力に包囲された国民政府という現在の状況は、いかな不屈の革命家たる孫文といえど気持ちを落ち込ませるに十分な材料だった。 「ふぅ・・・」 暗澹たる気持ちに押し潰されそうになった孫文は溜め息を一つ吐いて執務机の引き出しから便箋を取り出し、日本へと向けた手紙を書き始めた。 最近孫文の気持ちを唯一和らげてくれているのは日本の犬養毅との手紙のやり取りだけだと言っても良い。 意外な事に、日本政府が満鉄を設立して中華を解体し、満鉄参加国と一緒に袁世凱を支援している状態でありながら日本からの孫文への援助が途絶えたことは無い。 犬養毅と彼に賛同する日本国内のアジア主義者の援助はほとんどが軍事的な物ではなく民生支援が主体であり金額も微々たるものに過ぎなかったが、何よりもその支援自体が孫文には有難かった。 己と志を共にする人間が少しでも海の向こうにも居てくれる、ただそれだけの事実が中華大陸内部に封じ込められた孫文にはこの上なく嬉しい。 「?」 不意に廊下が騒がしくなり怪訝に思った孫文が顔を上げて執務室の扉を見ると、武器を持った男達が次々と室内へなだれ込んでくる。 「・・・なんだね、君たちは」 動乱に生きてきた革命家は突然突き付けられた銃口にも動じる事無く男達を睨みつけ、その後ろから現れた男の顔を見て驚愕した。 「お久しぶりですな、孫文先生」 「白朗!貴様どの面下げて戻ってきたか!」 白朗。字を名心。通称を白狼。 河南省から野盗集団を率いて国民党に参加したこの男は、すでに孫文の手によって国民党から追放されている。 「おやおや、これは随分嫌われてしまいましたなぁ」 「当り前だろうが!自分のした事を覚えてないのか!」 国民党内部の過激な中華思想派を糾合して青海派を結成し、孫文の指示を無視してトルキスタン共和国に攻め込んでいったのはこの男なのだ。 主義主張ではなく私利私欲で行動する餓狼の如きこの男を国民党に入れたのは、少しでも戦力を確保したかったという孫文の打算からだったが、一体どこまで仇を為そうというのか。 「先生、我々は改心したのです」 「ならばこれは何のマネだ」 銃を持った兵士達を指差す孫文を無視し白朗は芝居がかった口調で話し続ける。 「我々は先生の理想を守って生きると決めました。 先生の理想に従い、我らは中華奪還を開始します。 西欧列強が遠く離れた欧州で殺し合いに興じている今こそが好機。 西欧と蛮族に奪われた領土と中華の誇りを取り戻す聖戦を開始します」 両手を広げて白々しく語られるその言葉に、孫文は思わず呆然として白朗の顔を見返した。 列強に領土奪還の戦いを挑む? トルキスタンですり減った青海派では到底勝てるはずがない。 そもそも白朗とは理想のようなものの為に戦いを始める人間ではなく、青海派を作ったのもトルキスタンへ攻め込んだのも兵達の思惑はともかく、それを指揮した白朗個人はただひたすらに独伊からの支援と個人の権勢を求めての事だ。 どうしようもない絶望が孫文の胸の内を漆黒に塗りつぶしていく。 「貴様ら私を――いや、中華民国をどうする気だ?」 「ご安心を、先生にはちゃんと我々と中華民国を『指導』していただきます」 通名通りに餓狼の如き白朗の笑顔が孫文の問いへの応えだった。 この日、トルキスタン共和国より帰還した青海派が孫文を監禁し、事実上の人質とすることで国民政府の実権を掌握。 中華民国の正当な領土の回復を謳って協商各国とチベット・モンゴル・トルキスタンに対して宣戦を布告する。 欧州で始まった大戦はユーラシア全土にその戦火を広げようとしていた。 890 :198:2014/06/27(金) 22 52 27 「――しかしなんですねぇ、大尉殿。連中、本気で俺たちのヨタ話を信じたんでしょうか?」 「さて、兵達はともかく。あの指揮官はあんな話信じていないと思うな」 副官に差し出されたコーヒーを手に取りながら、そのドイツ帝国海軍大尉は首をすくめて見せた。 国民党政府が中華大陸で協商国と戦ってくれれば支援は惜しまない。 そう言ってトルキスタン共和国で逃げ回っていた白朗たち青海派をそそのかして国民政府の実権を掌握させたのは、間違いなく彼らドイツ帝国だったが、その話を白朗にした張本人である大尉からしてそんな事は不可能だと判っていた。 大体ドイツ帝国はこの年の初めのドッカー・バンク海戦ですでに制海権を失い始めている。 日英仏とイタリアによってもはや地中海の運行さえままならない国が、いったいどうやってユーラシアの端の、それも港を持っていない勢力を支援するというのか。 それでも大尉が白朗にこの話を提案し白朗がその提案に乗ったのは、所詮白朗が匪賊の頭領に過ぎなかったからだ。 要するに国家規模で殺して盗んで好き勝手してほしいと金を払って大尉たちドイツが依頼し、白朗はその依頼を受けた。 細かい先の事など白朗は考えていないし、大尉もそんなことは気にしない。 「しかしなぁ、私は海兵なんだぞ・・・」 コーヒーを飲み干してぼやく大尉の目の前には広大なるタクマカラン砂漠が広がっていた。 青島からチリへ、大西洋を越えて本国へと帰還した男は参謀本部によってその行動力を生かすべく、中立国ポルトガルの船を使って再びアジアへと送り込まれ、さらにタクマカラン砂漠を越えて中央アジアへと向かって反ロシア運動の組織化と大規模化を行う事になってしまった。 実のところ白朗の国民政府掌握など、この男を中央アジアへ行くついでに作った目晦ましの囮に過ぎないのだ。 欲を言えば仏印ぐらいには乗り込んで蛙食いどもを慌てさせてほしいが、そのまま何もせずに壊滅してくれてもドイツは一向に構わなかった。 「上に目を付けられたんです、仕方ありませんよ」 「やれやれ・・・」 副官から慰めのコーヒーをもう一杯貰って両手でカップを包み込むと、ヴィルヘルム・カナリス大尉は深く深く嘆息した。 次話:匪賊たちの宴
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【炎上】レッドバロンにバイクを預ける→業者が事故を起こし無惨な姿に→事故を隠蔽、不満は弁護士を通せ http //matome.naver.jp/odai/2136125823596952501 レッドバロンにレアバイクを預けたところ、転倒接触事故を起こされ・・・。さらにそれを隠蔽し、虚偽の説明を行った挙げ句、最終的に「弁護士を通して」と通告され、炎上中 廃車になってしまったのはプレミアのスズキ GSX1100Sカタナ、時価150万円相当 被害者のブログ 菊とカタナと大和の心 ~GSX1100Sの時々日記~ http //matomelog.ldblog.jp/archives/24836266.html http //blogs.yahoo.co.jp/tunde0miko3/31535624.html http //blog.livedoor.jp/matomemushi/archives/23766129.html http //sokuho2.com/archives/24707358.html http //desktop2ch.info/news/1361422015/ レッドバロンによる重大過失大爆発事故の詳細 2008年2月16日 18時26分頃東京都府中市のバイク店で爆発 35歳の男性従業員が左脚骨折などの重傷 東京・府中市のバイク店で16日午前、爆発があり、従業員の男性が重傷を負った。 16日午前11時すぎ、府中市白糸台のバイク店「レッドバロン府中」の従業員から、 「1階で爆発が起き、けが人が出た」と消防に通報があった。 近くにいた人は「爆発音とともに、すごい地響きがして、 屋根のところから白煙みたいなのがすごい出ていた。 1人倒れている方がいて、服も破れ、意識のない状態」と話した。 この爆発で、店内にいた35歳の従業員の男性が爆風で飛ばされ、 左脚を骨折するなどの重傷を負った。 また、店舗の壁の一部がゆがみ、1階にあった段ボールや油などが焼けた。 警視庁と東京消防庁は、爆発のくわしい原因を調べている。 2008年3月12日 新潟県燕市井土巻のレッドバロン燕三条で爆発があり炎上した。爆風で従業員の曲沼史人さんが大火傷で病院に運ばれたが重症店内にいた客二人も火傷を負った。島名正人さん(48)と小学2年、南波洸太君(8)が顔を切るなどした爆発は整備工場で起きたとみられる。 2度も短期間のうちに爆発炎上事故を起こしたにもかかわらずレッドバロンのホームページで再発防止策を掲載することも無く、爆発炎上事故には一切触れていない。 2011年10月13日22時4分に、NHK北九州から下記趣旨の記事がネット配信されていた。 2011年6月 北九州市のオートバイ販売店でテント屋根補修中の従業員が転落死した事故で書類送検 http //anzendaiichi.blog.shinobi.jp/Entry/857/ ことし6月、北九州市のオートバイ販売店で、破れたテントの補修作業を行っていた従業員が転落して死亡した事故で、労基署は、適切な安全措置をとっていなかったとして販売店と当時の店長を労安法違反の疑いで書類送検した。 書類送検されたのは北九州市のオートバイ販売店「レッドバロン八幡」と当時の店長。 労基署によると、ことし6月、販売店のテント屋根の上で、穴があいた部分をテープでふさぐ補修をしようと作業していた30代の男性従業員が4m下の地面に転落して死亡した。 テントは、防水加工などが施された布製のもの。設置して10年ほどが経ち、老朽化が進んでおり、従業員はテントを踏み破って転落したという。 こうした屋根の上で作業をする場合は、テントの下に網を張るなど転落を防止するための安全措置が必要だが、会社ではこうした措置を行っていなかったという。 労基署の調査に対し、当時の店長は、「必要な措置を講じていなかった」と話しているという。 これについて、レッドバロン本社は「再度安全教育の徹底を図り、再発防止に努めてまいります」とするコメントを出した。 株式会社レッドバロン(RED BARON Co.,Ltd.)は、オートバイの販売・買取事業の全国直営店を展開・経営する日本の企業である。全国に283店舗(2009年1月現在)のオートバイ店を展開している業界最大手。また、この他にホテルやレストラン、サーキットなどの経営も行っている。また2006年現在では、タイやオーストラリア、ハンガリーなど、海外にも拠点(事務所・店舗)を構えている。 キャッチコピーは、「世界のオートバイを販売するレッドバロン」 尚、会社名は、第一次世界大戦で活躍したドイツ空軍のパイロットで、同時代の撃墜王としても名高いマンフレート・フォン・リヒトホーフェンに因んでいる。 種類 株式会社 市場情報 非上場 略称 RB、YAC(旧社名より) 本社所在地 愛知県岡崎市藤川町字境松西1(登記上) 設立 1972年1月(3月16日開業) 業種 小売業 事業内容 オートバイ買取・輸入・販売 代表者 杉浦齊(代表取締役社長) 売上高 745億円 (2008年10月連結決算期) 従業員数 2,263名 (2009年1月31日現在) 外部リンク http //www.redbaron.co.jp 概略 商号:株式会社レッドバロン(旧 ヤマハオートセンター株式会社) 本社所在地:〒444-3523 愛知県岡崎市藤川町字境松西1(登記上本店。実際の本社機能は同市大平町字才勝8-1) 代表取締役社長:杉浦 齊(スギウラ ヒトシ) 取扱いメーカー 国内メーカー:ヤマハ - ホンダ - スズキ - カワサキ(海外輸出仕様車も含む) 海外メーカー:ビモータ(伊) - ジレラ(伊) - MZ(独) - ピアジオ(伊) - ハーレーダビッドソン(米) - BMW(独) - ドゥカティ(伊) - モト・グッツィ(伊) - ヒョースンモーター(韓) 沿革 1972年 - 「ヤマハオートセンター株式会社」設立 1976年 - 貿易部を設立、並行輸入車の販売を開始 1983年 - 同社オリジナル商品として、「ヤマハ・RZ250“YAC-LIMITED”」(YACは「ヤマハオートセンター」の略)を発売 1989年 - 全国100店舗達成 1998年 - 全国直営店200店舗達成。それまで行っていた「全国無料ロードサービス」を150kmから200kmに拡大 1999年 - 「北海道無料ロードサービス」を実施 2002年 - 全店舗の直営化を達成 2004年 - 商号を現在の「株式会社レッドバロン」に変更 。同社オリジナル商品として、「スズキ・ボルティー“ビビッド”」を発売 2005年 - 輸入車の2年間保証制度を開始(一部車種を除く) 2006年 - 「レッドバロン松江」のオープンにより、沖縄県を除く全都道府県への出店を達成 オートバイ用ガレージ付賃貸マンション「ライダーズマンション練馬」を「レッドバロン練馬」の上部にプロデュース 全国直営250店舗達成 (株)エ-ス興業が所有し、2004年12月に閉鎖された那須モータースポーツランド(栃木県)を取得し営業を再開 簡易宿泊施設バイクステーション倉敷をオープン 同社オリジナルの商品として、「スズキ・グラストラッカー“アイスマン2”」を発売 カリスマメンズブランドマスターマインド・ジャパンとのコラボレーションカスタムスクーターCP250MMJを3,150,000円で発売 2007年- 韓国のオートバイメーカー、ヒョースンモーターの車両を取り扱い開始。 距離無制限&久無料のツーリングサービスを開始 レッドバロン携帯サイトオープン 2008年- 免許応援キャンペーンを実施 ダイレクト買取により大手買取専門業者より3万円高く買うキャンペーンを実施 ツーリング施設「カイザーベルク 城ケ崎」(静岡県 伊東市)が営業を開始。(時にタイ料理レストラン ナムチャイ城ケ崎も営業を開始) 中古車3年間修理保証を開始 外部リンク MSN産経ニュース 多摩周辺ニュース 2ちゃんねる ウィキペディア レッドバロン (オートバイ販売) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 教えて!goo OKwave バイクブロス 掲示板などによる書き込み ウィキペディア(Wikipedia)について ウィキペディアの管理人により次のような記述があります。以下ウィキペディアノートにて 2008年度の事故についての記述について ここ数日、2008年に発生した2店舗での爆発事故について執拗に記載し続けるユーザーがおられるようですが、 果たして百科事典として必要な記述でしょうか。 編集合戦を起こす前に、一度合意を形成すべきだと思いますがいかがでしょうか。ご意見よろしくお願いいたします。 御蒲田弓之助 2009年3月14日 (土) 04 14 (UTC) ウィキペディア ノート このウィキペディア管理者の「御蒲田 弓之助(おかまた ゆみのすけ)」なる人物はレッドバロンによる2度の爆発事故を無かったことにしたいようです。短期間に2度の爆発事故を起こした、誰にでも自由に出入りできる店舗の重大過失事故を世間一般の方々に広く知ってもらうのは公共の利益に即しているにもかかわらずウィキペディアでは論議されることも無くレッドバロンの言いなりに即するという行為はいかがなものか? 上記ウィキペディアノートの記述も削除される可能性が大である
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OR(Operations Research:作戦研究) ~ 戦争を勝ち抜くために生み出された作戦立案・活用の技術 このページは閲覧者の皆さんに、自衛隊を始めとする各国の軍隊や有力企業・組織などで研究され活用されているOR(オー・アール、「作戦研究」と訳す)を紹介するページです。 安倍元総理が敗北した2007年の参院選から麻生総理が敗北した今回の衆院選まで、ネット世論をつぶさに観察していた人は、「保守」を自称しながらも「木を見て森を見ず」さながらに、守るべき味方の揚げ足取りに終始してしまっている迷惑な(あるいは判断力に問題のある)人が非常に多いことに気づかれたことでしょう。 そのような方々を含めて私達が、①目的と、②効果を見据えた、合理的な判断を確り(しっかり)行うための基礎知識として、ORという方法がある、という事を知っていただければ幸いです。 <目次> ■1.ORとは何か(1).ORの定義 (2).OR誕生の経緯 (3).ORの具体的内容 ■2.ORと通常の意思決定の違い(1).一般的な意思決定の仕方 (2).一般的な意思決定の問題点 (3).定量的評価の利点 (4).まとめ ■3.ORは科学的方法である。(1).ゲーム理論と「しっぺ返し戦略」 (2).モデルの活用 ■4.ORはスタッフ機能である。 ■5.参考サイト ブログランキング応援クリック ■1.ORとは何か (1). ORの定義 「ORとは、①執行部に、②その管轄下にあるオペレーション(作戦)関する決定に対して、③定量的(計量的)な判断の基礎を与える、④一つの科学的な方法をいう」~ P.M.キンボール(MIT教授)とG.E.モース(コロンビア大教授)による定義 ORの定義、4つの特徴 ORとは ① 執行部に ⇒ スタッフ機能である ② その管轄下にあるオペレーション(作戦)関する決定に対して ⇒ ソフトであるオペレーション(作戦)を検討の対象とする ③ 定量的(計量的)な判断の基礎を与える ⇒ 定量的な評価をしている ④ 一つの科学的な方法をいう ⇒ 科学的な方法である ORとは第二次世界大戦の頃に大きく芽吹いた作戦立案・活用(あるいは問題解決・運用)のための「方法」である。 その「方法」には、①考える対象、②検討の仕方、③検討結果の位置づけ、について、他の方法とは異なる大きな特徴があり、その効果が大きいので、今では多くの国々の組織で研究され活用されている。 (2).OR誕生の経緯 第二次世界大戦期の英国では、当時最先端の防衛設備となるレーダーが既に完成していたが、ドイツ空軍の来襲に対していざ運用してみると、当初思い描いたような成果を得られなかった。 その原因を探る際に、 1 レーダーなどのハード資源に求めず、 2 レーダーや周辺設備を含む資源「全体」の用い方、即ち「オペーレーション(作戦、運用)」に求めて研究を進めた。 この研究を、 1 テクニカルな研究(技術研究)、と区別するために、 2 オペレーショナルな研究(運用研究、作戦研究) と呼ぶようになった。 つまり、研究の眼目を、 1 個々のハード資源、に置かず、 2 それらのハード資源全体を一つのシステムとして捉え、その組み合わせ方(ソフト)に置いたのである。 OR適用の効果は直ちに現れて、レーダーだけでなく他の多くの戦闘部署にも適用され、数々の成果がもたらされた。 (3).ORの具体的内容 現在までに様々なORの技法が開発されています。⇒ OR - Wikipedia の 関連項目にある「日本オペレーションズ・リサーチ学会」の基礎編を参照下さい。 ■2.ORと通常の意思決定の違い (1).一般的な意思決定の仕方 ① 解決すべき問題を認識する ↓ ② 解決案を考え出す (1)ハード面 (2)ソフト面 ↓ ③ 各案を評価する (1)定性的評価 (2)定量的評価 ↓ ④ 意思決定する (2).一般的な意思決定の問題点 1.検討の対象について ⇒ ハード面(資源)ばかりに目が向き、ソフト面(運用方法)にまで考えが及んでいない。 例えば、ある兵器の使用効率がなかなか現れないと、すぐに製造台数が足りない、とか性能が低い、という風にハード面に原因を求めてしまう。 その兵器の操作手順や、操作要領を見直す、といったソフト面への視点が欠落しがち。 2.評価方法について ⇒ 主観的な定性的評価になりがちで、客観的な定量的評価に乏しい。 設備案 評価要素 パンテル戦車100台製造 ティーゲル戦車50台製造 ①.信頼性 ◎ △ ②.整備の容易さ △ ○ ③.稼動性 ○ △△ 総合評価 採用 不採用 上記のような定性評価表を作成して意思決定することが多い。 個々の評価要素を独立的に捉え、各要素が最終結果に及ぼす影響を確たる根拠もなく感覚的に捉える「定性的評価」のみで終わっている。 そのために、評価が主観的になり、意思決定を誤らせる恐れが(定量評価を行った場合よりも)大きくなってしまう。 特に、個々の比較要素について、いわゆる「権威者」や「先達(ベテラン)」と呼ばれる人々が幅を利かせ、結局は主観的な判定を下し易くなっている。 このような定性評価では、「やや」「少し」「若干」といった微妙な差異を正しく評価できず、その僅かな差異が積もれば、結局は大きな違いが生じてしまう。 (3).定量的評価の利点 定量評価の場合は、例えば、次のような数式を使った評価となる。 稼働率=f(故障頻度 , 故障修復時間 , 定数) 上式のような関係を何らかの方法で導き出せれば、 ①各々の設備の故障頻度(=信頼性)と、 ②故障修復時間(=整備の容易さ) の数値を用いて、最適な③稼動率を算定し、客観的に比較することが出来る。 数値に基づく評価なので、個々人による評価のブレがなく、かつ設備毎の微妙な差異も把握でき、その上、実行結果まで予想可能である。 (4).まとめ 定性的な表現は、一般的に、①曖昧で、②抽象的であり、③説得力に乏しい 定量的な表現は、数値を用いているために、①差異が明確で、②具体的であり、③説得力がある。 ORは、ソフトであるオペレーション(作戦、運用)を対象とし、定量的評価を行う。 以上は、ORの教科書に記述されている、(1)一般的な意思決定と、(2)ORを活用した意思決定、の違いの例です。 実際に観察される行動例では、定性的評価すら、果たして行っているのか怪しい人が多々見受けられます。 (例:児童ポルノ法は評価要素の一つに過ぎないのに、その一点で麻生総理への支持を止め、叩く方に廻ってしまう) ⇒ 意思決定をする場合には、少なくとも選択肢の比較までは行いましょう(その決定がもたらす効果まで考える)。 ■3.ORは科学的方法である。 (1).ゲーム理論と「しっぺ返し戦略」 代表的なORの理論の一つに、 ゲーム理論 があります(ミクロ経済学の分野でも使用されます)。 これは、2人のプレーヤーの交渉がどういう結果を生むか、を数学的に検証したもので、結論から先に言うと 「しっぺ返し戦略(Tit-for-tat Strategy)」 を採用すると最適な結果が得られることが、ほぼ実証されています。 「しっぺ返し戦略」は、有名な「繰り返し囚人のジレンマ」ゲームで実証された、協調と裏切りの組み合わせに関する理論です。この戦略のもとでは、交渉は以下のようになされるべきだとされます。 (a) 交渉において協調的に誠実に振舞うことが、まず出発点において重要です。 (b) もし先方が交渉過程で不誠実な対応をした場合には、すかさず「しっぺ返し」をし、当方は単にお人好しではなく不誠実な対応を許しはしないこと、及び、そのような姿勢を相手に分るように伝えることが重要です。 (c) しかし先方が「しっぺ返し」を受けて速やかに誠実な対応に復帰するならば、当方も先方の不誠実をいつまでも根に持たず水に流して、再び協調的に誠実に対応すること、及び、そのような姿勢を先方に分るように伝えることが重要です。 (d) これらのプロセスを通じて、当方も誠実に対応し、また、相手方も不誠実になる誘惑を克服して誠実に対応することが確保され、長期的な協調関係の形成ができるというものです。 ここで日中関係や日韓・日朝関係を考えて見ましょう。結論は明らかで「しっぺ返し(Tit-for-tat)」戦略を取る事が日本にとって正解です。 従って我々も、政府の外交交渉や、各党の外交政策を比較し評価する時は、この「しっぺ返し(Tit-for-tat)」戦略に則っているか否かを基準として考えるのが正解となります。 アメリカは確実に、このような科学的知見を活用して外交戦術を決定していることでしょう。 翻って、我が日本政府(ことに安倍元総理の登場以前の歴代政権、そしてこれから発足する鳩山政権)はどうだろうかと暗澹たる気持ちになります。 (2).モデルの活用 ORによって我々が解こうとするのは現実の問題です。 しかし現実の世界は非常に複雑ですから、分析に必要な範囲でこれを抽象化して、本質的要素を抜き出す必要があります。 このようにして抜き出されたものをモデルといいます。モデルを作成することにより、我々は現実を整理し、問題点や因果関係を検出することが可能となります。 例えば、車を開発する場合は、デザインが固まったのちに、クレイ(粘土)・モデルを作ります。エンジンなどは積んでいない動かない物体ですが、デザインを確認するにはそれで十分ですし、ミニチュア・モデルでは今一つはっきりしない量感の良し悪しまで確認することも可能になります。 OR(作戦研究)では、①図モデル、②表モデル、③関数モデル(数式モデル)などを作成し活用します。 例えば、以下は②表モデルです。 環境要因1 環境要因2 評価基準 作戦案 ドイツ軍抵抗後転進(損耗率3割:全滅) ドイツ軍徹底抗戦(損耗率5割:壊滅) 米英軍損耗予想/両軍損耗予想 ノルマンディー上陸 (15 , 6) (20 , 10) 68.6% 決定案 カレー上陸 (21 , 9) (32 , 15) 68.8% ブルターニュ上陸 (8 , 3) (11 , 5) 70.4% ※(米英軍の損耗予想 , ドイツ軍の損耗予想) このようにORの様々な方法を活用することにより、問題を理解し易くしたり、合理的な結論を導き出す事が可能です。 私達一般人がORを十分に活用できる訳ではありませんが、少しでも合理的に考える習慣を持つように努めましょう。 ■4.ORはスタッフ機能である。 ORは、科学的知見を使って様々な合理的結論を導き出す方法ですが、それが何時でもそのまま採用されるわけではありません。 特に人間は精神的要素に左右されるのが普通ですから、いくら合理的結論が提示されても、それは採用しない、という事は多々あります。 但し、そのような場合は、合理的選択ではない以上、その意思決定の結果は(ORによって予見された結果に較べて)不満足なものに成らざるを得ないでしょう。 そして、採用者が十分に合理的ならば、次回以降は経験に学んでくれることが期待できます。 常に合理的な結論を求め、かつ提示しよう。しかし採用は相手の合理性に任せよう。 ■5.参考サイト 軍事OR入門~情報化時代の戦闘の科学 ブログランキング応援クリック 国民に反日の実態を知らせたい方は ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (人気ブログランキングへ)
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観念論に対する批判(というか皮肉) 観念論に対する批判(というか皮肉) かつてある健気な男がいて、人が水に溺れるのは人が重力の思想にとりつかれているせいだと思い込んだ。この表象を、例えば、それは迷信的な表象だ、宗教的な表象だと言明するといったやり方で人の頭から叩き出せば、あらゆる水難は免れるのだそうな。〈男は戦った〉生涯かけて男は重力という幻想と戦ったが、その幻想の危険な結果については、どの統計も彼に膨大な新証拠を提供したという。この健気な男こそ、近時のドイツの革命的哲学者たちの典型であった。(15頁) ここで「ドイツの革命的哲学者」としてイメージされているのは、(たぶん)引用文のあとで同じく批判されているフォイエルバッハ。彼は『キリスト教の本質』のなかで、疎外を宗教的なものと位置づけている。 とはいえ、マルクスもエンゲルスも、若いときはどっぷりとフォイエルバッハにはまっていた(バウアー兄弟から「マルクスとエンゲルスはフォイエルバッハの亜流」と呼ばれるほどに)。二十代後半の二人が『ドイツ・イデオロギー』を書いた背景には、フォイエルバッハといかにして適切な距離をとるか、という課題があったのかもしれない。
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ハインリヒ・シュリーマンプロイセン(メックレンブルク・シュヴェリン州ノイブコウ)1822~1890統率:D 武力:D 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------考古学者。実業家でもあり、ロシアやアメリカにおいて商社を設立して巨万の富を得る。幼少に読んだホメロスの『イリアス』に感動し伝説の都市・トロイアの発掘を志す。トルコのトロイア地方・ヒサルリクの丘で遺跡を発掘し、ギリシア神話の都市・トロイアが実在することを証明した。 フェリックス・メンデルスゾーン(ヤコブ・ルートヴィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ)ドイツ(ハンブルク)1809~1847統率:B 武力:E 政治:C 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------ロマン派の作曲家。早熟の天才音楽家で、絶対音感を持っていた。オーケストラの演奏活動を活発化させ、指揮者の職務を確立した。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団楽長や、ベルリンの宮廷礼拝堂楽長を歴任する。『夏の夜の夢』序曲が代表的。 フリードリヒ3世ドイツ1831~1888統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------第2代ドイツ皇帝。自由主義者で国民には「我らがフリッツ」と呼ばれて親しまれたが父ヴィルヘルム1世とビスマルクには疎んじられ、政治的影響力をもつことはなく、即位後も在位わずか3ヶ月で崩御したため「百日皇帝」とも綽名された。平和主義だったが軍人として優秀で、普墺戦争、普仏戦争で活躍した。 フリードリヒ・ヴィルヘルム(ブラウンシュヴァイク公)プロイセン(ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国)1771~1815統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公。カール2世の子。領国は一時ヴェストファーレン王国に組み込まれるが、オーストリアの支援を受けてゲリラ戦を展開した。占領された祖国の喪に服して黒い装束の義勇兵『黒い軍勢』を率いたため『黒公爵』と呼ばれた。 フリードリヒ・ヴィルヘルム3世プロイセン1770~1840統率:C 武力:D 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------第5代プロイセン王国国王で、ブランデンブルク選帝侯。美貌で名高いルイーゼ・フォン・メクレンブルク・シュトレーリッツと結婚した。消極的な平和主義に固執して、ナポレオン戦争に敗れた後も、改革を主導する能力と意欲を欠いていた。ティルジット条約の際には、会議への出席さえ認められなかった。 フリードリヒ・ヴィルヘルム4世プロイセン1795~1861統率:C 武力:D 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------第6代プロイセン王国国王で、ブランデンブルク選帝侯。憲法の制定を拒否し、3月革命を引き起こしてしまう。その後、プロシア憲法を制定して近代化を進めた。 フリードリヒ・ヴィルヘルム・アウグスト・フレーベルドイツ(テューリンゲン州オーベルヴァイスバッハ)1782~1852統率:B 武力:C 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------教育者。幼児の中に神性を見出し、初等教育よりも前に教育する事に腐心した。幼児教育のための学園を創設し、世界初の幼稚園を開設した。日本の児童書の出版社であるフレーベル館の由来となった。 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェドイツ(ザクセン地方レッケン)1844~1900統率:D 武力:D 政治:C 知力:B 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------哲学者、古典文献学者。永劫回帰、ニヒリズム、ルサンチマン、超人といった概念を生み、「神は死んだ」の言葉を残した。世界や理性を探求するだけであった哲学を改革し、現にここで生きている人間それ自身の探求に切り替えた。『音楽の精神からのギリシア悲劇の誕生』、『ツァラトゥストラはかく語りき』などを著す。 フリードリヒ・エンゲルスプロイセン(ヴッパータール)1820~1895統率:D 武力:D 政治:C 知力:A 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------ジャーナリスト。共産主義者。マルクスらと共に『共産主義』を打ち立てた。パンフレットを製作したり、マルクスの著作を編集して協力した。『反デューリング論』、『フォイエルバッハ論』、『自然の弁証法』などを著述。 フリードリヒ・カール・フォン・プロイセン(フリードリヒ・カール・ニコラウス)プロイセン1828~1885統率:A 武力:A 政治:D 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------プロイセン王族。陸軍元帥。カール・フォン・プロイセンの子。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争に従軍し、普墺戦争では陸軍第2師団を指揮して、メス包囲戦で勝利を収め、さらにオルレアンやル・マンなどを陥落させた。 フリードリヒ・ゼルチュルナー(フリードリヒ・ヴィルヘルム・アダム・ゼルチュルナー)ドイツ(パーダーボルン)1783~1841統率:D 武力:D 政治:D 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------薬剤師。阿片から有効成分の単離り成功して、ギリシア神話の夢の神モルペウスから『モルヒネ』と命名した。モルヒネは当初鎮痛のために重用されたが、依存性が強く、後に厳しく制限された。 フリードリヒ・ハインリヒ・アレクサンダー・フォン・フンボルトプロイセン(ベルリン)1769~1859統率:B 武力:B 政治:C 知力:A 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------博物学者、地理学者、探検家。ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの弟。『近代地理学の祖』とされ、大著『コスモス』を著する。自ら世界中を巡り、動植物、地理の調査を行なった。ペルーのフンボルト海流や、フンボルトペンギンにも、その名が残る。 ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ(大モルトケ)プロイセン(メクレンブルク地方のパルヒム)1800~1891統率:A 武力:C 政治:A 知力:A 文化:C 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------陸軍参謀総長。対デンマーク戦争、普墺戦争、普仏戦争で、戦争計画を立案し、プロイセンを勝利に導いた。その戦略思考はクラウゼヴィッツの影響を強く受け、鉄道・通信を使用した敵主力の包囲殲滅を確立した。軍事学者でもあり、『高級指揮官に与える教令』などを著した。伯爵。 マイアー・アムシェル・ロートシルトドイツ(フランクフルト・アム・マイン)1744~1812統率:B 武力:C 政治:A 知力:A 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------宮廷銀行家。モーゼス・アムシェル・バウアーの子。ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世との通商で距離を得た。更にナポレオンの侵攻を受けた際に、ヴィルヘルム1世の財産の管財人とされた。有力ユダヤ系ロスチャイルド財閥の祖。 ヨハネス・ブラームスドイツ(ハンブルク)1833~1897統率:C 武力:D 政治:D 知力:C 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------作曲家。ロマン派だが、古典的色彩も強い。ベートーヴェンを崇拝し、その後継者と目され、バッハと共に『ドイツ音楽の三大B』とも呼ばれる。交響曲、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲など多くの作品を残した。有名な『ハンガリー舞曲』は、トーマス・エジソンの蓄音機に最初に録音された楽曲の一つでもある。 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテドイツ1749~1832統率:D 武力:D 政治:B 知力:B 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------詩人、劇作家、小説家、科学者、哲学者、政治家。文学において優れた作品を多く残し、古典主義の代表的作家となった。『若きウェルテルの悩み』、『エグモント』、『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』、『ファウスト』をはじめ多くの作品を残す。 ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウスドイツ(ブラウンシュバイク)1777~1855統率:D 武力:D 政治:C 知力:A 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------数学者、天文学者、物理学者。近代数学のほとんどの分野に影響を与えた。微分幾何学を創始し、最小二乗法の発見、ガウス相互法則、代数学の基本定理の証明などを証明し、数学や磁気学の各分野には「ガウス」の名の付く法則、手法等が数多く存在する。 リヒャルト・ワーグナー(ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー)ドイツ(ライプチヒ)1813~1883統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------作曲家。理論家、文筆家。『歌劇王』と呼ばれ、オペラの音楽だけでなく歌詞、大道具、劇場の建築にも携わり、統一された総合芸術にまとめ上げた。代表作に『ニーベルングの指環』、『さまよえるオランダ人』、『タンホイザー』、『ローエングリン』、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』、『パルジファル』、『トリスタンとイゾルデ』がある。 ルイーゼ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツプロイセン1776~1810統率:B 武力:D 政治:A 知力:A 文化:C 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------メクレンブルク公女で、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の王妃。聡明な女性で、ティルジット条約締結の際にはナポレオンに働きかけ、『敵対者』、『プロイセンの雌豹』とまで言わせた。大敗に苦しむプロイセンの崩壊を寸前で食い止めたとして評価され、肺炎で死んだ時、国民は大いに嘆いたという。 レオ・フォン・カプリヴィ(ゲオルク・レオ・フォン・カプリヴィ)プロイセン(ベルリン)1831~1899統率:B 武力:B 政治:B 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------第2代ドイツ帝国宰相。参謀として普墺戦争、普仏戦争に従軍する。海軍本部長官やハノーファー駐留の第10軍司令官を務め、ビスマルクの後任として帝国宰相となる。親英路線の外交で、ヘルゴランド=ザンジバル条約を締結した。進歩主義政策を実施し、最低賃金制度の導入や女性の労働時間を定めた。
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プレイレポ - 2006年07月03日開始マルチ (ドイツ視点) 条件[#i0cc73b0] 探索 [#l95db44b] 技術同盟[#ob8aff71] 3000年戦争? [#a7762f51] ドイツの平和 [#q3b2e57a] 第二次大戦 [#qf720903] 初の戦争と秘策 [#d49160c5] おわってみて [#d4ecb2eb] なかなかに熱いゲームでしたので、初プレイレポに挑戦してみます。 条件 5人(ドイツ、ローマ、アラビア、ペルシア、ギリシア) パンゲア:小さい 迅速 タイマー:普通 探索 氾濫原と草原、適度な森に囲まれた場所にベルリンを建設。金とか宝石とか豪華さはないけれど、十分に発展性のありそうな場所で満足でした。 全体チャットでは「○○と近い!」とか「狭い!!」とかの声が飛び交っていましたが、われらがドイツの首都ベルリン周辺は割合広大な土地が余っていました。結果から言うとパンゲア島の西の端からちょっと内陸に入った場所で東にはローマがありますが、西には進出の余地が十分にありました。対照的に他の4国は進出するスペースがないようです。 技術同盟 プレイレポにて技術同盟という戦法を見たので早速試そうと思い、ローマに提案してみたところあっさり快諾です。ローマはプラエトリアン欲しさか鉄に関心が高いようです。この親衛隊がベルリンを強襲するような結果になるとガリア戦記そのままですが、「東のアラビアとも仲良くするからローマがこっちに来ると危ないよ!」と釘をさしておきます。ローマも前述のように狭いようですが、「進出するときは東に行く」と言ってくれました。まさに外交辞令でしょうが、ローマより西にはドイツしかありません。 ローマの東方3国に対して「わが国がやられちゃったらローマは後ろを気にせず東に進撃できるようになるから危険ですよ」と説明をしておきます。 筆記をすでに持っていたローマにアルファベットの開発を頼み、ドイツは雑多な技術をコツコツ開発していきます。ローマが欲している鉄器も発見します。鉄はベルリンの南とローマの第2都市の北にあるようです。いずれも辺鄙な場所で都市建設の魅力はありません。両方を抑えて鉄をローマに供給するという形も考えましたが、変に恨まれても仕方が無いので「上方に鉄が湧いたよー、砂漠の中ね」と情報を提供します。 こちらはすでにベルリンの下方に鉄があるので無理はしません。そうこうするうちにローマがアルファベットを開発し、技術を交換しました。一気にドイツとローマのスコアがあがります。 3000年戦争? 鉄を確保しようと開拓者を送る途中、護衛の弓兵が倒されるアクシデントがあり拡張に手間取ります。余地が広いと蛮族が根を張って困り者です。 すると、突如として戦争開始の音が!!すわ、ローマが来たか!とびびりましたが、突如ギリシアがアラビアに攻め入ったようです。 ギリシア(以後ギ)「マルチ初めてなのでとりあえず攻めてみます」 むちゃくちゃな理由です。初めてってのも疑わしいねえ。とローマと意見交換をします。 どうやら世界の配置は、西端にわがドイツ、中央西にローマ中央東にアラビア、さらにその東の果てにギリシア、アラビアとギリシアの南にペルシアという具合です。わがドイツがアラブ-ギリシア間の戦場へ参上するにはローマとアラビアの両方を通過する必要があるわけです。蛮族もほっておくわけにもいかないので、ローマとペルシアに調停を依頼します。 ドイツ(以後ド)「ペルシアさん、弱いほうを助けてあげてよ」 ペルシア(以後ぺ)「わが国は平和主義だ」 ド「こんなに早くバランスが崩れると大変だよ。ローマが得するだけないの?」 ペ「貴国は首位だからいいだろうが、まあ確かに火の粉がこちらに来ないとも限らない。努力してみよう」 ド「ローマさん、アラビアを挟撃するチャンスと思ってるかもですが、この戦争は偽装かもしれませんよ。様子を見ては?」 ロ「あ、でもメッカは欲しいかもしれないw」 ド「欲をかくのも良くないですよ。私はやりませんが、アラビアなんてさっきからずっと一緒に協力してローマを挟もうってしつこいんですよ【ウソ】」 ロ「それをされると困るw」 ド「大丈夫です。後ろから襲ったりはしません。ただ、この戦争はどちらが勝つにしても強力な国家が東に誕生してしまうことになります。ほどほどで終わらせたいところですね。」 という感じでがんばってみました。 ドイツの平和 技術同盟を結んでいて、結構ローマとの信頼も生まれてきたために結構無茶をして先進技術の獲得にのりだしました。いまだアポロ神殿ができていなかったので、建造していたところあとちょっとで法律が発見できそうです。官吏へと繋がると非常に具合がよさそうなので無駄に斥候とかを作ってターン数を稼ぎます。そんなことをやってると、アポロも奪われてしまいアレクサンドリア図書館も取られてしまいました。ただ、アレクサンドリア図書館を取ったのはローマなのでまあ悪くない感じです。 これを気に技術開発はローマにお願いするねーと前フリをして軍拡をはじめます。蛮族を駆逐するんですというもっともらしい理由をつけてユニットをガシガシ生産します。 幸いにしてわが国は発展の余地を残しつつも無理な拡張はせず、地力をつけていたので面白いようにユニットがたまります。平行してローマの向こうにある国々との親善外交を続けます。ギリシアもペルシアも口を揃えて対独4カ国同盟を主導するローマの脅威を訴えます。そろそろ軍事力でもわが国は首位になりそうだったのでこの同盟は当然の流れです。外交により釘をさしておきます。 ド「そっちは大変ですねー」 ぺ「ならず者国家のせいで発展が遅れている」 ド「ええ、おかげでわが国は平和です。助かっております。平和の対価はお支払いたしますとも」 (技術を無償提供) ぺ「感謝する。ローマが4カ国同盟を提案してきている。気をつけたほうがいい」 ド「ご忠告に感謝します。ローマがわが国に侵略した際はローマの挟撃をお願いします。アラビアにもお願いしておきますので・・・。ペルシアはわが国の街を抑えてもメリットはないでしょうからね。」 こんな感じだったでしょうか。ただ、そもそもの4カ国同盟には大きな問題があったようです。わが国に騎兵隊が配備されようかな?ってくらいの時期にフト外交関係図をみてみた(いつもは保有テクノロジー図になってる)ところ古代に開始されたはずのギリシア-アラビア戦がいまだ終結していないのです。うーんいくらなんでも長すぎでしょう。偽装にしてもちょっと不審すぎます。 (全体)ド「まだ戦争やってるの?w」 (全体)ギ「アラビアは和平に応じない」 (全体)ア「ここまで国土を荒らされて、無償で和平できるか」 これは…ガチンコでやってるのかな?ギリシアが伸張しているようですが、正直グラフを見ても大した戦力でもないようです。長い戦役で疲弊したギリシアはアラビアを併呑しても大きな国力にはならない模様。わがドイツは最新鋭の軍備を整えローマ国境線の街に配備します。これでローマが単独で侵略することはないでしょう。火薬を開発してからも引き続きローマとの同盟は継続することで同意します。 そうこうしているとギリシア-アラビア戦が決着しそうな感じです。 (全体)ア「わが国は滅亡しそうだ」 (全体)ギ「だって和平に応じてくれないんだもんw」 なんか微妙な具合です。外交をシャットアウトした弱小国が生き残る道理はありません。ちょっとアラビアさんは自暴自棄気味になってリタイアを示唆します。 (全体)ロ「それじゃあ メディナが欲しいなー」 (全体)ギ「メヂナは取った」 (全体)ロ「あ、まちがえたwメッカだ」 ローマが領土的野心を見せ始めてきました。このあたりから技術開発を絞り、軍備拡充と蓄財を始めます。技術投資は50%~30%くらいまで落とし込み技術はローマに頼ります。ローマは次第に技術を出すのを渋りだしますが、まあこちらが開発するまで待ってまとめて交換するようにします。 第二次大戦 自棄になってしまわれた、アラビアさんは退場してしまわれました。このあたりの前後関係は怪しいのですが、アラビアの跡地を巡り東方での空気が緊迫したものになりつつあります。今日もドイツは平和です。 ロ「ならずもの国家(ギリシア)をじきに攻撃する」 ド「今回は西方の蛮族も平定したので協力できる。支援が必要ならいってください」 ロ「中立を保ってくれれば問題ない。それよりも貴国のそばにペルシアが都市をつくったようだぞ」 ド「ああ、何かタルソとかできてるね」 ペ「文化ボムを食らったようだが?」 ド「正直全く問題ない。逆に芸術家を消費してかわいそうだ。東方の混み合ったところで使うほうが有効だったろうにね」 ぺ「なるほど、わが国のピサは圧迫されて大変だ。まあ海資源は守れたが」 ド「では戦争がんばって。両国に栄光あれ」 ドイツの国力は充実し、いつ戦端が開かれても大丈夫な感じです。さすがに3v1は辛いけどならず者ギリシアと組めばペルシアのけん制にはなるだろうしローマとタイマンなら生産力の差で押し切れそうな予感がします。ここは判断のポイントとなるところだろうと思い外交攻勢をかけてみます。 <対ギリシア> ド「そっちを攻めるみたいだよ。大丈夫??」 ギ「圧力がかかってきてる」 ド「まあ先に攻め込んだのはギリシアだしね」 ギ「助けてくれw」 ド「善処はするよ」 <対ペルシア> ド「ローマが軍備を整えてこちらを脅かしてきた」 ぺ「なるほど。わが国も近々戦端を開く予定だ」 ド「ローマの脅威の際には協力を求む」 と、会話の途中で戦闘開始の音が鳴り響きます。ローマがギリシアに宣戦布告をしたようです。 ぺ「これが答えだ」 それに便乗してペルシアもギリシアに対して宣戦しました。ギリシアは2v1で万事休すです。 ちょうどそのころわが国に偉大な商人が誕生しました。偉大な商人は解放されていない国境もなんのそので移動できます。偉大すぎますね。商人スパイにより東方戦線の様子をチェックします。どうやら本格的にギリシアは攻撃されているようです。ここは介入のタイミングでしょう。 ド「貴国は存亡の危機のようだ。支援しようか?」 ギ「ここで生き残っても首位のドイツを助けるだけだ。それくらいなら滅んでやる」 なんということでしょう。ギリシアもヤケになっています。まあせめて防衛の手助けになるだろうと技術を提供します。しかし、惜しむらくはローマに宣戦布告する大義名分が立たないことです。ギリシアが嫌がっているのに「ギリシアの要請を受けて」参戦するのも憚られます。戦争のタイミングを逸しそうな予感がします。 そうしているうちにギリシア領はペルシアとローマに蹂躙されています。ペルシアとローマの奪い合いのようになってきています。あまり東方2国が力をつけるのも好ましくないです。ここらへんでペルシアに連絡します。 ド「そちらの戦争ではドイツにはメリットがない。そろそろ世界のパワーバランスのために停戦してはどうだろう?ローマも勢力がついてきた。貴国の選択肢が減るのは得策じゃないと思う」 ぺ「わかったスパルタを手に入れてから停戦しよう」 ド「アテネはギリシアの首都だ。壊すのは忍びない。よろしくたのむ」 とのこと。偉大な商人スパイの見たところスパルタをローマとペルシアの軍勢が争奪しているようです。ギリシアに通信します。 ド「滅亡するのも忍びないと思うので調停するよ。スパルタを明け渡して欲しい。できれば譲渡ではなく撤兵してからローマに取られるのがベストなんだけど」 ギ「すでにスパルタには兵はいない。わが国は和平を望んでいない。滅んでも構わない。首位の貴国の言いなりにはならんぞ!」 もうギリシアさんは暴走気味になってます。ペルシアとスパルタを介した調停案を出したわけですが。ドイツ側とすれば3位のペルシアの力をつけて2位3位が均衡するよりも2位が力をつけて首位ドイツと3位ペルシアが組むという形が理想的です。ここは敢えてローマにとってもらいたいところです。幸い期待通りローマがスパルタを攻略したとの報が入ります。 ド「残念ながらローマに先んじられてしまったね」 ぺ「ああ、まあ仕方ない。和平する」 ところがギリシアさんは和平に応じないとのこと。 ギ「ドイツの魂胆は分かっているぞ。わが国をローマとペルシアの牽制に使われてたまるか」 うーむ。滅びたがる文明は手に負えません。ただ、正直なところドイツはギリシアに何も悪いことはしていないわけで、安穏と暮らしていたのが罪というのも釈然としません。恨まれる筋合いはあまりないわけなので、広いわが国の辺境の町を割譲することを提案します。この策はギリシア指導者のお気に召したようで、承諾を得ます。 (全体)ギ「ハハハ、諸君、私は亡命するぞ!」 あぅ、バラしちゃってるし。まあ他から見えないからいいかな。その結果ギリシアはマップの東の果てと西の果てに街を持つ分断国家となりました。撤兵に撤兵を重ねた結果首都アテネの防備は思いのほか固く、危機的状況に陥りながらも陥落を免れています。結局ペルシアもローマもアテネは放置したまま和平となったようです。 世界に平和が訪れましたが、それは同時にわがドイツに戦乱の時代が近づいていることを意味しています。 初の戦争と秘策 さて、暫くの間平和が続きますが、これはペルシアとローマが軍備拡大を続けていることを意味します。同盟関係も、複雑になり。 ローマ - ペルシア ローマ - ドイツ の防衛協定が成立しています。 ここで興味本位で、ドイツ-ペルシアの同盟協定を提案しますが、ペルシアからはメリットがない、と拒否されてしまいます。まあ確かに。 他方わが国は東の果てにギリシアを据えて、開拓者やガレオン船などを提供して育成します。ギリシアはこの奇妙な寄生関係を割合気に入ったようで、しきりにローマやペルシアとの外交の成果を聞いてきます。ギリシアの腹積もりの中では、いまだ残っているアテネが誰の所有物になるかにより勝敗に影響を与えるというのがあるようです。ここらで時間が遅くなってきたのであと1時間後の午前2時に終了しようという同意がなされます。 序盤から続くローマとの技術同盟は続きましたが、老獪なローマはわが国よりも先にペルシアに技術を流しているようです。しばらくはギリシアの育成と技術交換が続きましたが、残り30分となったとき、ついに局面が動きました。 ロ「いや今回の技術交換はやめておこうか」 ド「同盟解消ってことでしょうかね」 おやおや、やはりローマの国境線にペルシア軍の姿が見えます。来るべきときがきました。 ロ「残り30分。派手にいくつもりだ」 ローマが宣戦布告をしてきましたが、技術的にややこちらが劣勢です。敵には歩兵がいます。戦車にはもうちょっとで届きそうにありません。ギリシアがしきりに心配してきます。 ギ「国境線が長いから守るのに苦労するんじゃない?」 ド「大丈夫、大丈夫」 わがドイツは提案します。 ド「貴国の意図するところは何だろう?戦争すること自体が目的なのか?要求があるならいいたまえ」 ロ「この期に及んで議論の余地はない!」 ド「貴国の狙いはなんだろうか?ローマの勝利に協力したいのか?」 ぺ「ローマは技術を提供してくれた恩人だ!」 ド「2つ街を提供するのでローマを挟撃すればいいじゃないか」 ぺ「ここで裏切ることはできん!」 切り崩しが難しいようです。第2の街ローマ軍によりハンブルクが陥落します。これによりスコアが逆転。ローマが首位に立ちます。 ド「もはやわが国は首位ではない。ローマの首位が確定するけれどもそれで満足かね?」 ぺ「わが国はローマの技術支援がなければギリシアとの戦争で疲弊した三流国家に甘んじるところだった。この恩義に報いるのだ」 ド「ふー、貴国が受けたその技術はローマだけのものではなくわが国が開発してローマに提供したものも多数含まれている」 ぺ「?どういうことだ?」 ド「わが国とローマは長らく技術同盟を締結していた。突如先方が裏切ったので現在は技術的に水をあけられているがね」 ぺ「何?裏切り者はローマなのか・・・」 おや、思いのほか動揺が見える。どういうことだろうか。 (全体)ぺ「ドイツを裏切ったのは本当か?」 (全体)ロ「え?いや別に裏切ったって訳じゃないよ」 (全体)ド「同盟を結んでいたのに先に侵略してきたのはローマだ」 (全体)ギ「いいぞ、いいぞ」 (全体)ぺ「ローマは俺だけのことを見てくれていると思ったのに、なんか裏切られた気分だ!裏ではずっとドイツと繋がっていたなんて」 (全体)ロ「ちょっとwそれ説明したじゃん!」 (全体)ぺ「問答無用!」 突如ペルシアがローマに参戦を表明。わが国は思いがけず味方を得た。即時技術を提供してペルシアとの同盟を締結する。 (全体)ぺ「まさかドイツと協力するとは思わなかったが・・・」 (全体)ロ「まさか挟撃される羽目になるとは・・・w」 しかし相変わらずローマがスコア首位で制限時間の2時が近づいてきました。まだわが国には秘策があります。 ギ「では街を提供する首都は譲渡できないので許してくれ」 ド「ギリギリまで待ってね。首都は攻め取るから防備をカラにして欲しい」 ギ「ペルシアとローマも狙ってきている。急いでくれ」 そう、このときにためにわが国は地道にギリシアを飼育していたのです。ギリシアの都市を全部割譲してもらえればスコアで逆転するのも夢ではない。幸いローマは挟撃の形に恐れをなしたのか、防備を固め逃げ切りに入っている模様。 残り時間があとわずか、と思っていたが、非情にもタイムリミットとあいなってしまった。スコアは今一歩及ばず、ローマの勝利。勝利を認めた後、ギリシアの首都アテネに宣戦して奪い、直ちに残りの街すべてを譲渡する条件で和平を結んだところスコアでの逆転が可能でした。あと、数ターンあれば・・・と悔やまれるゲームだったけれど内容は混沌として楽しいゲームでした。 おわってみて ラストはスコアの逆転はあったものの、勝敗が決した後なのでギリシアが素直に譲渡に応じてくれたということもあります。またターン数でのリミットもずっと先にあったのでこのまま戦乱が続けばどうなったのかという興味もありました。 途中アラビアの方がヤケになってましたが、対象的にギリシアの方は最後まで辺境の地に押し込まれながらも生き残り、最後は勝敗を左右するポジションに収まったのは印象的でした。やはり諦めては駄目だということがよく分かるゲームでした。
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FHSWのページへ戻る FHSW兵器のへ戻る FHSW兵器解説所もどうぞ このページの編集には"FHSW兵器解説所"様を参考にしています。 目次 航空兵器戦闘機 対地攻撃機 編隊駆逐機 双子機 誘導爆弾 輸送機 掩護機 回転翼機 航空兵器 戦闘機 メッサーシュミット Bf109 各型 Bf109に多数の武装バリエーションが追加されました。 コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る フォッケウルフ Fw190A-7/R6 コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る フォッケウルフ Fw190G コメントは最新10件が表示されます test -- (名無しさん) 2012-10-31 00 06 37 名前 コメント すべてのコメントを見る フォッケウルフ Fw190F-8/パンツァーシュレック 歩兵用対戦車火器であるパンツァーシュレックを搭載したFw190です。 左右翼下に各4発の計8発を搭載していますが、一度の攻撃で2発同時に発射されるため、実質4回の攻撃が可能です。 もともと高いパンツァーシュレックの威力に加えて、2発動時発射のおかけで確実に敵戦車を撃破することができますが、 本格的な航空用ロケットに比べて推進薬の量が少ないため、射程距離はかなり短めになっています。 コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る フォッケウルフ Fw190F-8/SG113 下向きに対戦車無反動砲SG113を搭載したFw190です。 この武器は10m程度の超低空で敵戦車の上空を通り過ぎる瞬間に発射することで、薄い上面装甲を確実に撃ち抜く事を狙っています。 史実では電磁センサによって発射タイミングが自動制御されていましたが、 BF1942では再現が困難なため、代わりに発射タイミングが若干甘めに設定されています。 このため、目標の真上より若干ずれて発射してしまった場合でも、ある程度以下のズレであれば弾が命中するようになっています。 コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る メッサーシュミット Bf110G-4a/R3 シュツルムボック 対爆撃機用特殊重戦闘機仕様のBf110です。 30mm MK108を2門と37mm BK3.7を1門に加えて、さらにWGr21対空ロケット弾4発を搭載しています。 大戦後期の優秀な単座戦闘機群にはまるで太刀打ちできませんが、 信じられないほどの火力を備えているので、爆撃機編隊にとっては最悪の相手となるでしょう。 従来のBf110G-4の置き換えで登場します。 コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る 対地攻撃機 ユンカース Ju87D-5 スツーカ スツーカの近接支援専用機です。 7.92mm MG81を3つ束ねたガンポッドを両翼に吊るし、さらに集束爆弾を3発搭載しています。 ガンポッドは着弾範囲が散らばるので、毎秒180発の弾丸で歩兵部隊を引き裂くのに最適です。 また、集束爆弾は投下すると広範囲に拡散するので、生存した歩兵にも漏れなく死を与えます。 そして、もし複数の直撃弾を受けたら、重戦車ですら致命傷は避けられないでしょう。 急降下爆撃では子弾が拡散しきらないうちに着弾してしまうので、低空水平爆撃が効果的です。 コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る ヘンシェル Hs129 対戦車機関砲などで武装した対戦車攻撃専用機です。 極めて頑丈で、かつ敵戦車に対して致命的なありとあらゆる武装を備えていますが、 他の攻撃機と違って後方機銃手を持たないため、敵戦闘機が出現する可能性がある区域では味方戦闘機の援護が不可欠です。 コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る 編隊駆逐機 メッサーシュミット Me262 A-1a/U4 プルクツェアシュテーラー 超大口径の機関砲を装備した「編隊駆逐機」型のMe262です。 搭載する50mm MK214AはPaK38対戦車砲を元とする砲で、 爆撃機編隊の駆逐だけでなく敵装甲車の“缶きり”にも使える万能ツールです。 しかし、機関砲の重量のために機動性は大きく損なわれており、 弾幕の密度と投射量も通常のMe262より劣っているので、敵戦闘機の相手は苦手です。 コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る 双子機 ハインケル He111Z 二機のHe111を左右に連結した機体で、Hs293対艦ミサイルを装備しています。 連結した分だけ機体の余裕が増え、また防御武装も強力になったので、撃ち落すには苦労するでしょう。 コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る 誘導爆弾 ヘンシェル Hs293 He111Zに搭載されているミサイルです。 使用方法は少し特殊で、まずHe111Zの二番席から降ります。 するとコックピット内に出るので、後部に移動してから乗車キーを押すと、ミサイルオペレーター席に移動できます。 オペレーター席についた後は、通常の武器と同じように、プライマリ攻撃キーで発射します。 発射されたミサイルの視点になるので、航空機と同じように操作し、目標まで誘導します。 目標の数十メートル手前に到達したら、セカンダリ攻撃キーを押します。 ミサイルは安全装置が解除され、最終加速を始めるので、誘導は受け付けなくなります。 この後ミサイルは何かに接触すると爆発しますが、0.5秒経過しても何にも接触しない場合、安全のため自爆します。 安全装置を解除する前に衝突した場合、ミサイルは破損してしまうので爆発しません。 コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る 輸送機 メッサーシュミット Me323 ギガント 非常に大きな輸送機で、歩兵だけでなく車両も空輸することが可能です。 前部ハッチは前部機銃手が操作し、開放中は車両でそのまま乗り入れることが出来ます。 極めて耐久力が高く、防御火力も強力なので、一機の戦闘機だけで撃墜するのは困難でしょう。 しかし、その巨体故に対空砲どころか戦車にとっても狙い易い標的となります。 規定により、88mm砲搭載ハーフトラックと3号戦車N型、42式突撃榴弾砲の搭載は禁止されています。 youtube紹介動画 コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る 掩護機 メッサーシュミット Me323 E2/WT ギガントの特殊掩護機型で、大量の機銃と機関砲を搭載しています。 車両搭載能力は失いましたが、依然として大量の歩兵を輸送可能です。 空挺降下と対地援護が一機で可能なので、うまく運用すれば非常に有用な機体となるでしょう。 youtube紹介動画 コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る メッサーシュミット Me321 無動力グライダー版のMe323です。 空中リスポンとして、He111Zに牽引された状態で出現します。 登場MAPは砂漠のバラのみでドイツ軍が劣勢になると出現します。 コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る 回転翼機 フレットナー Fl282 コリブリ・パンツァーシュレック お馴染みの歩兵用対戦車兵器を搭載したフレットナーです。 武装はパンツァーシュレック4発だけで副武装も何もありませんが、 優れた機動力を活かせば、現用対戦車ヘリの片鱗のようなものを見出すことが出来るかも知れません。 コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る フレットナー Fl282 コリブリ・ギースカンネ 7.92mm MG81を3挺まとめたガンポッドを左右にぶらさげたフレットナーです。 毎分1500発の弾丸を振りまく姿は、敵歩兵にとって悪魔の如雨露として写るでしょう。 コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る フレットナー Fl282 コリブリ・ロイヒャー 1挺の7.92mm MG81と煙幕手榴弾ラックを備えたフレットナーです。 単機での攻撃力は高くありませんが、煙幕で味方を援護することが出来ます。 コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る 総合コメント コメントは最新10件が表示されます 名前 コメント すべてのコメントを見る FHSWのページへ戻る FHSW兵器のへ戻る
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ケイサン・ヴァカターレン ケイサン・ヴァカターレン(Kasen Wacathalen,1894年6月29日-1945年4月16日?)はドイツの数学、物理学者。 概説 数学者であったヴァカターレンの研究内容は、主に当時の時代背景による資料の少なさから明確には不明である。彼と交流のあったとされる関係者らの記録、また彼自身の日記などによると、若き頃のヴァカターレンは主に集合論を研究していたとされている。 生年月日は当時の住民登録台帳の記録から判明しているが、没年など、後世の詳細は不明である(後述)。ヴァカターレンが活動していた時代ならびに拠点は戦時下の混乱期に大きく影響され、そのため当時数多く存在していた数学者、物理学者の中でも彼に関して現存する資料は4番目に少ない。 研究と業績 戦後まで残されていた彼の別邸にて、研究資料を綴った13のファイル(※1)などが発見されており、1974年に弟のアイゴッド・ヴァカターレンと研究者らが調査したところ、彼が主に研究していた(関わった)ものは「リンデマンの定理」「勾配における第5数式の応用(第5の力)」「リーマンのゼータ関数」の3つに限りなく近いものではないかと考えられている。特に「勾配における第5数式の応用(第5の力)」は、20世紀に入ってからその存在が物理学者らによって注目されたが、遺族らがファイルと共に発見したヴァカターレンの日記を解読したところ、これを研究・提唱したとされる1933年は全く相手にされず、評価すらされなかったことに対しての苛立ちが綴られていたという。 資料の希少性と時代背景 現存する資料が少ないことの理由として、最も大きな理由とされているのが当時のヴァカターレンの環境である。先述のような数少ない記録によると、ヴァカターレンの研究所をかねた自宅はベルリン市内にあったとされているが、ベルリンは大戦末期には戦場となっており、当時のドイツ指導者であるアドルフ・ヒトラーも、ベルリン市内の総統地下壕にて指示を行なっていた。その後、1945年4月16日に端を発するベルリンの戦いにてソ連軍(赤軍)のベルリン侵攻と、敗戦が濃厚と見たヒトラーがアルベルト・シュペーアに命令したベルリンの焦土作戦(※2)により、市内は廃墟と化した。もし彼が日記に綴っていたとおり本当に「勾配における第5数式の応用(第5の力)」を自らの研究所にて証明していたと仮定するならば、前述のような戦時下の混乱の中で研究資料が失われたか、あるいはソ連軍に略奪された可能性も一概にないとは言い切れない。だがいずれにしろ決定的な証拠資料が発見されていないことから、現代物理学史の中にはヴァカターレンがこの数式を研究・提唱していたという正式な記録は存在していない。 表記に関する注意点 日本語における彼に対する表記(読み)はいくつか存在するが、ドイツ語で表記することを前提として最も有力な表記はケイサン・ヴァカターレンが定説とされている。 「ケイサン・ヴァカターレン」(ドイツ語の日本語表記の慣例由来) 「ケイザン・ヴァカターレン」(現代ドイツ語の発音由来) 「カイゼン・ヴァーシュタレン」(カイゼルなどに似たドイツ訛りからの由来) 生涯 ケイサン・ヴァカターレンは1894年6月29日にドイツのヘッセンにて鶏卵の会社を営んでいた父親ドガオ・ヴァカターレンとそこで母親ミリカ・ヴァカターレンとの間に長男として生まれる。 幼少期 父親のドガオ・ヴァカターレンが経営する鶏卵会社は今でいうところの中小企業規模であったが、敬虔なクリスチャンであったドガオの人望は厚く、従業員をはじめとし村中の信頼を集めていた。その恩恵を受けて息子である彼とその兄弟たち(弟2人妹1人の四人兄弟であった)も特に不自由のない少年期を過ごした。現在も存命でミュンヘンにてジェネラル・ミュンヘン・ポスト社に勤務している三男のアイゴッド・ヴァカターレンは「兄は小さい頃からドイツ人らしい頑固さと合理主義を身につけていた。とにかく数字に関することはかっちりしていたからお金に関してはかなり厳しかった。また隣町の学校まで行くために山を二つ越えて通っていからとても引き締まった体をしていた。だからヒトッサ兄さんとの喧嘩ではいつも彼の圧勝だった」と、サイセーシズ・ペーパー紙上にて彼の幼少期を語っている。 このような幼年期を6歳から10歳まで地元のグルンドシューレ(日本でいう小学校)での義務教育を過ごし、その過程の中で徐々に数式処理能力の頭角を現し始めていたヴァカターレンであったが、反して彼は机上で行われる算数、強いて言えば自らの生活に影響をもたらさない場合に用いられる数字(学業としての算数)そのものは嫌っていたという。 その後、義務教育後の進路選択(参考:ドイツ教育制度)を迫られたが、彼は「どちらでもいい」と半ば適当に考えていたため、家族の説得と学校側の強い推薦に後押しされるような形でヴァカターレンは高等教育準備希望者としてヘッセンのコルバッハのギムナジウム、アルテ・ランデスシューレ・コルバッハ(ALS)に入学した。 少年期~青年期 地元の小さな学校とは大きく環境が違うギムナジウムに入学したヴァカターレンであったが、これといって特に混乱することもなく学校生活に馴染んだ。当時の学級日誌を紐解くと「4人目の自己紹介が始まった。このケイサン・ヴァカターレンという生徒だが、やたらと芯の強そうな子供である」「大きなグループにも自分の意見を言うことが出来る」などとあることから彼の早熟な自立心は目立っていたといえる。また生活態度も大きな問題はなく、成績も常に中~上位であった。だが、このギムナジウム生活において最も大きな変化は彼自身が数字嫌いを克服し、またその類まれな数式処理能力を自覚しはじめたことである。当時友人であった者の話によると彼は数学という教科に対し「何が悲しくてこんな、どこにでもあるような数字などにいちいち翻弄されなければいけないのか。ばかばかしい、今に見ていろ」という憤りを口にしていたという(諸説あり) だがいずれにせよ結果としてその憤りから昇華したこの変化は、後の彼自身が送る人生において大きな転換点となり、実質的に青年期から彼が所在不明になるまでの間、大きな影響を及ぼした。またこの時クラスには大戦中にイッセー高度電算工学研究所所長となるヘルマン・イッセー(後のニッツマー・イッセー)や、戦後のイタリアにて世界的なファッションブランドのDOLCE CASSHIEWA(D&C)を興すH・カッシーワが同級生であった。 第一次世界大戦の勃発 入学から9年を経てヴァカターレンがギムナジウムを卒業した1913年の次の年である1914年になると第一次世界大戦 が勃発。当時、より高度な数学を学ぶためにアビトゥーア入学を希望していたヴァカターレンであったが、友人たちとともに兵員募集に応じて兵役検査を受けた。適格者として問題なく兵役検査に合格した彼は友人達とともにドイツ帝国軍に編入、バイエルン第17工兵連隊、通称「ゲシュペンスト部隊」に配属された。西部戦線に投入されたゲシュペンスト部隊は各地で主に塹壕戦に参加し、友軍との防御戦を展開しながら西部戦線上を移動し戦闘を展開した。 連隊での彼の役目は塹壕に待機し、銃剣突撃してくる敵兵に対し側防機関銃にて弾幕射撃をすることであった。実験部隊であった彼の部隊の通称としても用いられたゲシュペンストMk-Ⅰ機関銃は当時の塹壕戦にて効果的な殺傷力のデータを得るべく実験的に用いられた物であったが、機関銃の量産に向けての簡易構造設計思想と当時の新素材であったファイン・ポリカーボネイトスチールウレタンを素材とし、また銃口に伸縮スミチューブφ6を採用したゲシュペンストMk-Ⅰはきわめて弾詰まりが少なく、後の第二次世界大戦で使用されたMG34機関銃に派生し、大戦末期には実質的な後継機のゲシュペンストMk-Ⅱに発展した。 ヴェルダンの戦いとソンムの戦い 塹壕戦による防御側優位による戦闘が続くことによって戦争が膠着状態に陥ると、ドイツ軍参謀総長エーリッヒ・フォン・ファルケンハインの発案によりヴェルダンを目標としたヴェルダンの戦いが開始された。ゲシュペンスト部隊もこの戦いに投入され、主に野砲や重砲で攻略する要塞攻略戦に参加した。精密射撃戦法から地帯射撃戦法に切り替えたこの戦闘によりボクスヒル、マヴァッシ、ユニバ・リューケーの3つの拠点を占領することに成功した。 しかしこの戦いの最中に同じ西部戦線上のソンムにて大規模な戦闘となるソンムの戦いが勃発。友軍の第5連隊、第11連隊とともにゲシュペンスト部隊はこちらに投入されることになり惨烈な西部戦線上を移動することとなった。 損害を出しつつも辿り着いたソンムでは連合国側の砲撃によりドイツ砲兵は圧倒されていたが、度重なる攻勢と守勢を繰り返した結果、やはり塹壕戦による防御優位戦へと至った戦闘は膠着状態に向かっていた。さらにこの戦闘中にイギリス軍は最新兵器であった世界初の戦車であるMk-1戦車を投入し対抗策を持たないドイツ軍に脅威を与え、結果としてフレール一帯を占領したが長期化した先頭においては大きな戦果をもたらすに至らなかった。 戦闘が長引き9月末になるとソンム地方の天候が悪化するもイギリス・フランス連合軍は攻撃を続行し一定の成果を出したが依然として戦闘は膠着状態であった。3ヶ月に及ぶ戦闘によってドイツ、連合の両軍とも互いに損耗は激しく互いに対峙する形となった戦場に、突如として私設武装組織(民兵)であるソレスタルビーイングが武力介入。最新兵器を用いた圧倒的な火力により両軍とも壊滅的な打撃を受けた。さらにこの戦闘から4日後に行われた塹壕突破突撃作戦において防御線を突破されたゲシュペンスト部隊は戦闘続行不可能と判断、イギリス軍の降伏勧告に応じて降伏し捕虜としてドヴォルザーク捕虜収容所に移送された。 一説によるとソンムの戦いにおける損害の6割はこのソレスタルビーイングの武力介入によるものだという見方もあり、ブリデン戦争追悼館に保存されている当時のイギリス軍将校の日記には「炎で裁きあう、誰の物でも大地で……澄み渡る未来が来たなら草花も兵器に宿るだろう、My wishes over their airspace……願いは誰にも撃ち落せない」という詩でこの戦闘の凄惨さが綴られている。また、奇しくもこのソンムの戦いでは後の国家社会主義労働者党(ナチ党)を率いるアドルフ・ヒトラーも参加していた。 ドヴォルザーク捕虜収容所に収容されたゲシュペンスト部隊は疲弊しており、負傷しつつも生残した者は14人であったが、捕虜収容所の過酷な労働により8人が死亡した。それに憤りを覚えた元連隊指揮官のユダサンヒ・ライサン少尉は収容から2ヵ月後の夜に、かねてより計画していた脱走計画を実行。夜と豪雨に乗じてドイツ軍の弾薬が接収されていた爆薬庫を爆破し脱走に成功する。当時では珍しかったゲリラ戦を展開しながらも友軍と合流し、前線から遠く離れた野戦病院に収容された。 その後、コンピエーニュの森で連合国とドイツの休戦協定が結ばれ、事実上ここに戦争は終結した。 ヴェルサイユ条約締結後のドイツとヴァカターレン パリ講和会議の結果、連合国とドイツの間に結ばれたヴェルサイユ条約により、第一次世界大戦の戦争責任がすべてドイツに課された上、それに基づいて巨額の賠償責任が課された。報復的内容を多分に含んだこの条約によって成立したヴェルサイユ体制に対し、イギリス代表で経済学者であったジョン・メイナード・ケインズやバチカン教皇のピウス11世、フランス代表代理主任暫定火付盗賊改のカクガリーノ・トレビァンティらが批判した。 賠償額が決定しその資金調達に躍起になるドイツであったが結果としてマルク為替は下落した。さらに支払いが滞ったことからドイツの心臓部であるルール地方が占領(ルール占領)される。それに加えて紙幣の大量発行によりドイツ経済はハイパーインフレに陥った。 家族構成ならびに後の職業 父親 ドガオ・ヴァカターレン-従軍→鶏卵会社経営→没 母親 ミリカ・ヴァカターレン-同社経理→没 長男 ケイサン・ヴァカターレン-従軍→バイエルン数理工科大学13科教授→研究家→? 次男 ヒトッサ・ヴァカターレン-従軍→フィロヤト・グルンドシューレ教員→没 三男 アイゴッド・ヴァカターレン-ジェネラル・ミュンヘン・ポスト→没 長女 キオト・ヴァカターレン-ナショナル・イースト・トモノジア社 後年と没年の謎 ヴァカターレンの後年、特に没年は大きな謎である。 このことについて彼を考研究している者達の考察は、第二次世界大戦当時のナチスドイツ統治下によるアルベルト・アインシュタインらに代表されるような「研究者の流出」である。第二次世界大戦時、自らの研究を軍事利用されることやユダヤ人であることに対しての迫害を恐れた当時の研究者らはドイツを脱出し各国へ亡命しており、数学者であり物理学者でもあったヴァカターレンもそれに追従し、アメリカまたはソ連あるいはその他の国に亡命した可能性があり、偽名を使って生活したのではないかと考えられている。 (※1)1974年、弟のアイゴッド・ヴァカターレンによりオーバーザルツベルグに遺されていた彼の別邸にて、これを概ね証明したとみられる書類が綴られたファイルが発見され、研究の証拠として主張しているが、内容はあくまで仮定に基づいたものが多く、現在も研究者らの間でその真偽を問う議論が続いている。 (※2)焦土作戦において当時軍需相を務めていたシュペーアはヒトラーの命に反してこれを妨害しており、ベルリンの壊滅的打撃及び廃墟化はソ連軍の侵攻によるものがほとんどという見方が強い。
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ピザを含まない注文(冬期のグラタン亭やドイツ鍋も含)は、合計額1500円以上から可能になる模様。 自家製ブルストの詰め合わせのみではぎりぎり配達できないようなので、もう一品つけてあげよう。 ホームメイドサイドカルテ 自家製ブルスト 自家製ブルストは全て店内で作り上げた無添加品です。ドイツ亭一番の魅力。 名前 料金 内容 説明 備考 自家製ブルスト詰め合わせ 1340円 {骨付きブルスト*4、スモークブルスト*4、モツァレラ入りブルスト*4}(←異なる場合も有)、ザワークラウト、粒マスタード 色々なブルストを12本焼き上げました。ザワークラウトと粒マスタードをお付けします。 完全無添加 骨付きブルスト、モツァレラ入りブルスト 2本・2本パック470円、3本・3本パック670円 それぞれ商品名の通りの内容 太くて食べごたえのある骨付きブルストとやわらかでクリーミーなモツァレラチーズ入りのノンスモークブルストのパックです。 完全無添加 ミモレットチーズ入りハードブルスト 470円 詰め合わせに代打として入ることもあるが、基本的には単品のみのメニュー オレンジ色の濃い味わいのミモレットチーズを肉に練り込んだちょっと固めのブルストです。 完全無添加 ザワークラウト+粒マスタード 150円 自家製ブルスト詰め合わせに付いてくる物と同じたっぷりの分量 ぜひお勧めしたい1品です。ブルストと共にたっぷりとお口に運んでください。おいしさ3倍になります。 骨付きブルストとの相性抜群 自家製サラダ 名前 料金 内容 説明 備考 クリスピーグリーンサラダ 430円 ナッツとクリスピーガーリックの入ったグリーンサラダです。 メニューに付属のクーポンでお試し可(休日ランチタイムか平日限定) スモーク・サーモンとフレッシュ・アスパラガスのマリネ風サラダ 600円 アスパラガスを増量でさらにフレッシュ!! 完全無添加 モツァレラチーズとトマトの生バジル仕立て 620円 エキストラバージンオリーブ油使用 完全無添加 秋はトマトが自家製になる模様 ジャーマンポテトサラダ 240円 1人前ではやや物足りないかも フライドオニオンやガーリックが入った本場と同じ味!! 完全無添加 デザートカルテ――「デザートこそ大切」がコンセプトです。 ピザ屋ですからピザがおいしいのは当たり前です。デザートまでもがピザに負けないくらいおいしいと私たちは言われたくて、さらに、さらにおいしいデザート作りに挑戦しました。最後までおいしかったら人間はしあわせですよね。もちろんすべてのデザートが添加物を使用しない無添加のデザートです。デザートをお届けするときはアルミカップとなります。すべてのデザートは、パティシエの独断により「もっとおいしくなる」と判断された場合、多少写真と異なることがあります。 名前 料金 内容 説明 備考 ベイクドプディング 160円 極めてベーシックな焼きプリンです。ドイツらしく生まじめなおいしさはもちろん天然バニラビーンズです。 クリーム・ブリュレ 280円 良質な卵と生クリームをたっぷり使い、表面をカリッとカラメルでかためたおいしさです。 ずしっとクルミトルテ 280円 ドイツ亭のパティシエの実力が一番よくわかる1品です。伝統的なウィーン菓子です。 この3つのレギュラー陣のほか、季節代わりの限定スイーツがある。詳細は各時期のメニューにて確認いただきたい。 セットメニュー ザラート・セット(600円) ジャーマンポテトサラダ2人前、ドリンク4種類から1本 or コカコーラ330ml*2本(積み上げ価格750円) ブルスト・セット(600円) ブルスト2本・2本パック、ドリンク4種類から1本 or コカコーラ330ml*2本(積み上げ価格750円) マリネ・セット(700円) スモーク・サーモンマリネ1パック、ドリンク4種類から1本 or コカコーラ330ml*2本(積み上げ価格870円) デザート・セット 同一のデザート2品、ドリンク4種類から1本 or コカコーラ330ml*2本(通常価格より20%OFF) ドリンクメニュー コカ・コーラ(330ml)130円 何故か輸入品らしく英語ラベル ポンジュースのオレンジ100%(1リットル)、同アップル100%(1リットル)270円 ウーロン茶(2リットル)、午後の紅茶(1.5リットル)270円セットメニューの「ドリンク4種類から」は、270円のドリンクを指す。
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ドイツ軍の戦闘機といえば、誰もがまず思い浮かぶ機体がBf 109でしょう。 ドイツ軍軍用機は、頭に会社を表す記号が付きますが、メッサーシュミットなのに型式がMeではなくBfなのは、元々開発したのがバイエルン航空製造社(Bayerische Flugzeugwerke)だったためで、後にメッサーシュミット社に変わってからもBfで表記されることが多かったようです。ですので、文献によってはMe 109と表記されることもあります。 第二次大戦中最も大量に生産された戦闘機で、全型式合わせると35,000機以上になります。 1934年に設計、1935年9月に初飛行してから終戦まで(ドイツ以外では第二次大戦後も中東戦争などで使用されました。)常に第一線で戦い続けた機体です。 まさに名機と呼ぶに相応しい戦闘機ですが、開発当初、本機に対するパイロットの評価は否定的でした。高速飛行を重視した本機は、複葉機に比べて旋回性能が悪く扱いにくいと考えられていました。 しかし、模擬空戦において複葉機を圧倒し高速戦闘機の真価を見せ付けました。 最初の量産型Bf 109Bはユモ210エンジン(670hp)を備え速力470km/hを発揮、1936年10月に740機が発注されました。生産性を重視した設計であったことも手伝って、僅か5ヵ月後には部隊配備が開始され、He51では苦戦していたスペイン内乱にも投入され、ソ連のI-16等を圧倒しました。 Bf 109EからFに変わる際に大幅に設計が変更されました。F型になってから20mm機関砲が減ったため、火力不足に悩まされたもののF型が最もバランスが取れているとも云われてます。 その後改良されたG型以降はバランスが崩れたといわれることもありますが、火力の増大と速度性能の向上が図られた結果、引き続き主力戦闘機として活躍しました。 戦後戦闘機不足に悩んだチェコのAvia社で製造が継続されました。 映画「空軍大戦略」等に出演しているスペイン空軍のBf 109はエンジンがイスパノスイザ製に変更された機体で、プジョンと呼ばれています。 Aces HighにおけるBf 109スタイル? 歴史 Bf 109E-4兵装 Bf 109F-4兵装 Bf 109G-2兵装 Bf 109G-6兵装 Bf 109G-14兵装 Bf 109K-4兵装 コメント Aces HighにおけるBf 109 機体性能の優秀さと人気から、あらゆる場面で遭遇することのある機体です。 搭載火器の威力は大きいものの、翼内武装が無いため、火力不足を感じることも・・・ただ1門の機関砲で200発の弾を撃つことになるため意外と射撃時間が長く、長時間の戦闘が可能です。 メインの武装が、モーターカノンを含め機軸に近く配置されているため、弾を当てやすいのことも長所です。 また、後期型では、火力不足を補うためのガンポッドを搭載することが可能で、これにより、WWII最優秀機関砲の一つであるMG151/20を3門搭載することが可能で、その上昇力とあわせて対爆撃機迎撃でも活躍できる機体です。 実は自動前縁スラットのおかげもあって(ガンポッド等積まなければ)意外と格闘戦も得意です。 航空機メカニカルガイド から抜粋すると、『普通は旋回時などには翼端失速しないように気を遣うが、Bf 109ではその普通なら失速してしまうような旋回こそが実際の戦闘で生き延びる手段になるのである。あまり低速で飛行させた時も同じで、パイロットが失速しそうだと思った瞬間、エンジンの騒音を打ち破るようなガンという衝撃音と共にスラットが飛び出すのである。~そのスラットが飛び出すくらいの急激な旋回こそが実戦では役に立つのである。あるベテランパイロットはこう証言している。「スピットと戦闘する時はいつでもスピットより小さい旋回半径で戦う事ができた」と。』 欠点は、液冷エンジンを搭載しているため、被弾に弱いことと、高速時に舵がきかなくなることです。このため、高高度からダイブしながら低空の敵を攻撃する際にはスロットルを絞るのを忘れずにしましょう。 共通アイコンは「109」 スタイル? 109乗りの間でも、「20mm x3門で安心派」「漢は黙って30mm派」等の派閥が存在したりしなかったり。# 20mm x1門派は? 歴史 2008.6現在、コクピットの3Dモデルが更新されカッコよくなったため人気上昇中? +ボタンを押すと機種別説明が見られます。 +Bf 109E-4 Bf 109E-4 バトル・オブ・ブリテンで活躍したのがE-4である。愛称は「エーミール」 エンジンはダイムラーベンツのDB601A(1,100hp)を搭載している。DB601は燃料噴射式を採用したため、マイナスGでもエンジンが息をつかないため、マイナスGでエンジンが停止するライバルのスピットファイア初期型に対して有利であった。 過給器は流体カップリングによる無段変速式過給器を備えている。 プロペラはそれまでの2翅プロペラから3翅プロペラに変更され、ラジエータを機首下面から主翼下面に半埋め込み式とし、機首にはオイルクーラーを配置するなど空力的に洗練され、E-1型で最大速度が500km/h(高度4,000m)に、海面上昇率1,080m/minに向上している。 E-4は、武装にMGFFよりも初速の高い20mmMGFF/M機関砲を翼に積んだタイプである。ただしF型以降のマウザー社製20mmMG151/20機関砲よりも発射速度や威力が劣る。 速度が560km/hを超えると操縦桿が極端に悪くなり、脚の狭さと長さなどから離着陸も難しかったため、事故も多かった。 大戦初期の機体のため、AHでは活躍の機会が少ないが、Bf 109としては比較的高火力で旋回性能も高いため使い方によってはそれなりの戦果を挙げることも可能 固有アイコンは「109E」 兵装 Center Point Armament 1 x 250 kg GP Bomb 2 x 20mm MG-FF 60 rpg2 x 7.9mm MG 17 1000 rpg +Bf 109F-4 Bf 109F-4 アフリカの星で有名なマルセイユが「黄の14」のマーキングで乗っていたのがこの機体である。愛称は「フリッツ」 1942年初めから生産が始まったF-4は、エンジンにDB601E(1,350hp)を搭載、モーターカノンとしてMG151/20機関砲を搭載している。MGFFに比べると、初速が570から800m/sに、発射速度が350から720rpmになっており、性能が大きく向上している。しかし、20mm機関砲が2門から1門に減っていることから総合的な火力についてはパイロットから不評であった。ゴンドラ式の20mm機関砲が取り付けられたモデル(Bf109F-4/R1)もあったが、AHには無い。 Bf 109各型中最良とされており、AHでも、機動性と上昇力・加速・速度のバランスが取れた機体で、後の型に比べると操縦もしやすく、格闘戦にも向いている。 固有アイコンは「109F」 兵装 Center Point Armament 1 x 300 Liter Drop Tank 1 x 20mm MG 151/20 200 rpg2 x 7.9mm MG 17 500 rpg 1 x 20mm MG 151/20 150 rpg2 x 7.9mm MG 17 500 rpg +Bf 109G-2 Bf 109G-2 フィンランド空軍に供与され、ユーティライネンなどが操縦し、冬戦争で大活躍した機体がこれ。 既にG-6等があっても、輸出用ということで、フィンランドにはG-2が送られたが、こちらの方が機体が軽い分、バッファローなどの軽戦闘機から移ったフィンランド人パイロットにはむしろあっていたのかも知れない。 ドイツでの愛称は「グスタフ」、フィンランドでは「メルス」と呼ばれ親しまれた。 排気量33.9リットルのDB601から35.7リットルに拡大したDB605を搭載している。 武装がF-4から変化していないため、火力に不安はあるものの、機動性の高さと加速の良さなど活躍が期待できる機体である。 なお、スヴァスチカ(鉤十字)はAHでは使用禁止(本来ドイツ軍機の尾翼に描かれていた鉤十字もAHでは消されている。)であるが、フィンランド空軍の国籍マークは使用可能である。 AHにはフィンランド人プレイヤーも多く、フィンランド空軍の活躍を知るプレイヤーも多いため、Bf 109としては他に高速大火力の機体(G-14やK-4)があってもG-2型に拘るプレイヤーもいる。 固有アイコンは「109G2」 兵装 Wing Points Center Point Armament 2 x 20mm MG 151/20 Gondolas 140 rpg 1 x 250 kg GP Bomb 1 x 20mm MG 151/20 200 rpg2 x 7.9mm MG 17 500 rpg 1 x 300 Liter Drop Tank 1 x 20mm MG 151/20 150 rpg2 x 7.9mm MG 17 500 rpg +Bf 109G-6 Bf 109G-6 機首の機関銃の口径を13mmにアップしたためボイレと呼ばれるコブが付いているのが特徴である。このボイレの中に、13mm機関銃MG131の空薬莢排出シュートが収められている。 ボイレのせいで飛行性能はG-4型以前よりも低下している。 パワー・プラントは、G-2型と同じくダイムラー・ベンツのDB605A又はB(出力1,475hp)であるが。GM-1又はMW50と呼ばれる出力増強装置が装備された。 亜酸化窒素を利用したGM-1装備のG-6は、G-6/U2と呼ばれ、1943年末から約550機が生産された。 1944年春以降はP-51に苦戦したため、水メタノールを利用したMW50が装備されるようになり、G-6/MW50と呼ばれた。 GM-1は、高度8,000m以上で出力増加したが、MW50の場合は中低高度で出力が増大した。 実際のドイツ空軍では、母数が多いこともあり、多くのエースが本機で戦果を挙げているものの、AHでは、より高速なG-14やK-4があるため、あまり使われることがない機体となっている。 実機同様、ゴンドラ型の20mmガンポッドを両翼下に取り付けてG-6/R6仕様とすることも可能である。この場合、速度・旋回性能ともに大きく低下するため、主として爆撃機の迎撃などに活躍することになる。 愛称は「グスタフ」 固有アイコンは「109G6」 兵装 Wing Points Center Point Armament 2 x 210mm WGr21 Rockets 1 x 250 kg GP Bomb 1 x 20mm MG 151/20 200 rpg2 x 13mm MG 131 300 rpg 2 x 20mm MG 151/20 Gondolas 140 rpg 1 x 300 Liter Drop Tank 1 x 20mm MG 151/20 150 rpg2 x 13mm MG 131 300 rpg +Bf 109G-14 Bf 109G-14 G-6のエンジンDB605をMW50用に改修したDB605AMを搭載、水メタノール液専用タンクを装備したのがG-14である。 1944年7月以降から生産され、当初はG-6/MW50と呼ばれていたが、1944年8月にG-14と改称された。 より高速のK-4はモーターカノンが30mm機関砲であり、この30mm機関砲は弾数が少なく初速が遅く当てにくいためG-14の方が初心者には弾を当てやすい。G-14に搭載されているモーターカノン20mm機関砲は威力、命中率ともに高いMG151/20であり、対戦闘機にも向いており、対爆撃機用として更に2門を翼下に搭載することが可能である。 愛称は「グスタフ」 固有アイコンは「109G14」 兵装 Wing Points Center Point Armament 2 x 210mm WGr21 Rockets 1 x 250 kg GP Bomb 1 x 20mm MG 151/20 200 rpg2 x 13mm MG 131 300 rpg 2 x 20mm MG 151/20 Gondolas 140 rpg 1 x 300 Liter Drop Tank 1 x 30mm MK 108 65 rpg2 x 13mm MG 131 300 rpg 1 x 20mm MG 151/20 150 rpg2 x 13mm MG 131 300 rpg +Bf 109K-4 Bf 109K-4 AHで最も人気のあるBf 109である。 エンジンにMW50併用のDB605D(1,800hp)を装備し、最高速度700km/hを超えるBf 109最終型でありK型としては唯一量産された型である。 メッサーシュミット社で1944年8月下旬から1945年4月上旬まで約1,600機が生産された(G型に同エンジンを搭載したG-10は2,400機以上が生産された。)。 自動操縦装置(方向舵のみ)、霜取り用電熱ヒーター内蔵キャノピーを装備して悪天候に対応したK-4/R6がエルラ社で15機程度が生産されたようである。 最も空戦性能の高いBf 109であるが、ガンポッドが搭載できず、主武装が弾数の少ない30mm機関砲のみ装備するなど武装に柔軟性が無いためG-14の方が使いやすいことが多い。 しかしながら、この30mmを一発必中で当てる強者もおり、Bf 109のイメージからはほど遠い失速旋回戦でスピットファイア等を撃墜したりもする。 他のBf 109にも言えることであるが、実はBf 109は余分な機関砲を積んでいないことや翼内武装が無いこと、自動前縁スラット、多段階フラップの装備などにより、大戦後期型のK-4でもかなりのストール・ファイトをこなすことができるのである。 ベテランの操るK-4はとてつもない戦果を挙げるが、それでいてパーク機ではないのも人気の秘密 固有アイコンは「109K4」 兵装 Center Point Armament 1 x 300 Liter Drop Tank 1 x 30mm MK 108 65 rpg2 x 13mm MG 131 300 rpg Messerschmitt Me 109 Pilot's Notes (Pilot Notes) 本土防空戦のBf109エース (オスプレイ軍用機シリーズ) メッサーシュミットBf109/フォッケ・ウルフFw190 (ハンディ判 図解・軍用機シリーズ) Messerschmitt BF 109 1935 Onwards (all marks) (Haynes Owners Workshop Manual) Messerschmitt Bf 109 Recognition Manual A Guide To Variants, Weapons, And Equipment コメント 旋回性能結構いいんだお -- 名無しさん (2013-05-21 06 55 47) モーターカノンも使い勝手が良いです -- 名無しさん (2014-07-12 20 19 09) 乗りこなすのが難しい機体と思ったけどチャレンジします^^ -- Toshizo (2014-09-28 15 09 10) このゲームをけなすつもりはないんだけど、Bf109E-4の先頭がなだらかすぎるような感じしない? 実物はなんかもっとゴツイ感じだよね。 -- 部外者 (2014-10-20 02 18 25) なるほど -- Blade (2014-10-20 20 32 03) 確かに実機よりもなだらかですね -- Blade (2014-11-09 09 28 28) ttp //battoutai.blogspot.tw/2014/11/blog-post_9.html -- 名無しさん (2014-11-09 09 28 34) 名前 コメント