約 252,801 件
https://w.atwiki.jp/alabama_country/pages/8.html
Alphabet がんばつて覺えてちよ ちなみにドイツ語キーボードでは"y"と"z"が入れ替わります、注意。 普通の見た目だけども、をかしい奴 アーベーツェーくらひは適當に讀んで下さいw j [jɔt]、アルファベットのjはもともとや行の子音的音を意味します。Wikipediaより。 r [ɛr]實にろくでもない音ですね(苦。發音できねえ。 v [faʊ]これまたWikipediaの受け売りですがΥ(ウプシロン)の別形に由来するFとは同系統だそうです。んで、[f]の音になる。 w [veː]なんとなんと、wが[v]の音になります。 y [ ʏpsilɔn]イプシロン。[Ý]と書きたいんですが、よく見りやわかる違ふ文字。 z [tsɛt]濁らない。青池保子さんの漫畫で(番外編に過ぎませんが)「Z - ツェット」いふのがありますが、關係なし。いや、舞臺がドイツだけに大有りか。最後の數字が振られてるんは下つ端やから。 變な格好の奴 ä [ε]と言ふ記號どほり(なのか?)、エーと發聲、少し口を橫に開く。 ö 單體では[øː]だが[œ]と單語中で發音されることも?「お」の形で「え」といふ。 ü Uウムラウト、「う」の口で「ゐ」と言ふ感じ、發音記號の[Y]から推して知るべし ß β(beta)ではないことに注意。ただ單に"ss"の意味。 綴りに對する發音 ai,ei,ay,ey [aɪ] aiと言ふ感じの發音です。 einsとか。 äu,eu [ɔy] oiと言ふ感じの發音。 Europaをオイローパとかありえない發音をしてくれます。でも本來はこつちが正しいのか? ch a,o,u,auの後には[x]と言ひ、あの作曲家Johann Sebastian Bachの「バッハ」です。子音ですから決して母音を混ぜんように。あと、その他のspellの後では[ç]日本語の「ひ」となる。 chs [ks] b,d,g 音節の最後では無聲音となる、卽ち、[p],[t],[k] -ig [iç] Königs Kroneで有名か。本當にsがついても[ç]の音が殘るかは疑問の餘地あり。大體ケーニヒスと堂々と[e]で發音してよいのだらうか。ともかくそんな音。 sch [ʃ] Tischとか?ちなみにtableのことね。 x [ks] textの音。と言へばとほりが良い。 qu [kv] Qualを[kval]と讀む。なぜか。 數字 英語と一緖でまづは12まで。 eins zwei drei vier fünf sechs sieben acht neun zehn elf zwölf で、そつから-teen相當がzehn(ままやね)、-ty相當がzig(じぐぢやなくてツィヒ!) 例外は、-schszが嚴しいのか-schzになる點、siebenのenが落ちる點(發音が[p]になるのは要注意!)。ドイツ語-数字補助も參照のこと。 挨拶 Guten Morgen! Good morning! Guten Tag! Hello! Guten Abend! Good evening! Gute Nacht! Good night! Wie geht es Ihnen? Danke, gut. Und Ihnen? Danke, auch gut. How are you? Fine, thank you. And you? Fine, thank you. Auf Wiedersehen! See you again! (堅) Tschüs! Good bye! はつきり言つて覺えてるわけがない。 季節,月,曜日etc これまた覺えていない。 季節 春 Frügling 夏 Sommer 秋 Herbst 冬 Winter 月 1月 Januar 2月 Februar 3月 März 4月 April 5月 Mai 6月 Juni 7月 Juli 8月 August 9月 September 10月 Oktober 11月 November 12月 Dezember 曜日 月曜 Montag 火曜 Dienstag 水曜 Mittwoch 木曜 Donnerstag 金曜 Freitag 土曜 Samstag (北方でSonnabendとも) 日曜 Sonntag 時間帯 Morgen morning Vormittag before noon Mittag noon Nachmittag afternoon Abend evening Nacht Night ちなみに英語で譯すのはAbendの感じがeveningに近くて、つまり9時10時くらゐまでずつとeveningで濟ませるといふこと。
https://w.atwiki.jp/web_soc/pages/125.html
最終更新日時:2019-09-16 13 21 43 (Mon) >>活躍選手情報スレ 画像 フォメ情報 獲得できる監督 総合力 5 シマク ジョルジュ イエーガー ラクテオノフ 攻撃力 5 スピード 3 守備力 6 テクニック 4 中盤の構成力 9 パワー 6 3-5-2 難易度 5 スタミナ 5 肩書き 不屈のゲルマン魂サッカー ポジ 能力 属性 活躍選手 GK★ S ブッチ ゴーン サージェス ヘラルト ブルテズヤルスク ツィーゲ RCB S+P ◎バイアーノ ロスタ サンタクルス ミケーレ バイゼ △カラ・トーレ △ギード LIB★ T ☆ロスタ ◎センニーニ ◎ノテウス ◎ダビーノ岡本徹 バロン ペトレスク グレイシー ペコ エルニーニョ LCB S(+P?) マンチーニ ババヤロー カルロス サントス RDH P+S ☆ガリアーノ シュレーダー ターヒュッツ ヒューズビットマン レオポール LDH T ガルシア ヒューズ マイナー ディマス RSH T ☆ドラビッチ ☆バスラー ◎フットレ ◎ベック ◎スライダー ゼ・コスタ シュレーダーヨルセン ドナルド ルノー ドールマン サイコビッチ ロマノフ OH★ T+S ◎アベル ◎トット ◎マルセリーニョ ◎ジノラ セナ カルデロンバウアー ランフォード カラバッジォ スタービレ モレノ スライダー LSH S ◎ハシェック ドールマン キング ドナルド リベリーノ瑠威主 ライムンド RCF P 感 ◎ラミレス バティス ピレリ ロハス アリストテレス △コントラ LCF P 個 ☆ピレリ ☆ホフマン アルフォンス ロハス エルボマファン・ローイ バティス バヤル ※…★はキーポジション キーポジション オフェンシブハーフ OH 中盤のやや上からドリブルで前線に切り込んでいくポジション。パス、シュートをするための正確なテクニックとアグレッシブさが要求される。 リベロ LIB ディフェンスの最後尾に位置し守備ラインをコントロールする。チャンスの時には攻撃にも積極的に参加し、攻守のどちらにも対応出来るテクニック能力が必要。 ゴールキーパー GK 3バックのディフェンスを影で支えるポジション。素早い飛び出しと即座に反応する瞬発力が求められる。ゴール前に立ちはだかる最後の砦。 監督理解度 攻撃型 バランス型 守備型 △ カラヴァン 〇 アクエル 〇 イエーガー X ケルクホフ 〇 イ・ヨンス △ コンティ X アルメイダ 〇 ゴンザレス 〇 ザイド・ファタラ X ガウルテリオ X 佐伯 〇 シモンズ X ダビーサス 〇 シマク △ ドイル △ チャールズ △ ジャンヌ 〇 敏林 △ ベルナール △ ジョルジュ X J・フィルマーニ X ホッベル 〇 タウンゼント △ M・フィルマーニ △ 千波 〇 ドラゴビッチ 〇 フルニエ △ フィオーセ △ ラクテオノフ 〇 フェルナンデス X ハッサン X ブリッジス 〇 フィヨルトフト 〇 デューラー △ リッター X ルビーニョ 本日訪問者数: - 昨日訪問者数: - 名前 コメント マイナー 7年目 LIB 本A 30試合 7G 1A 3Y 0R 3.47 -- 名無しさん (2019-09-16 13 21 43) RDH アンドロメダ3期 本A30試合 3.00 G0A3Y4R0 -- 名無しさん (2017-05-21 09 52 02) バルヘッティ 6年目 LCB 本A 25試合 1G 3A 2Y 1R 2.72 -- Viva Mexico (2016-03-26 15 50 55) バルヘッティ 8年目 LCB 本A 30試合 2G 2A 1Y 0R 2.87 -- Viva Mexico (2015-11-22 05 08 10) バルヘッティ 7年目 LCB 本A 30試合 0G 0A 2Y 0R 2.23 -- Viva Mexico (2015-11-15 01 45 16) バルヘッティ 6年目 LCB 本A 30試合 1G 3A 0Y 0R 3.00 -- Viva Mexico (2015-11-08 02 40 40) バルヘッティ 5年目 LCB 本A 30試合 0G 0A 1Y 0R 2.17 -- Viva Mexico (2015-11-08 02 38 58) バルヘッティ 4年目 LCB 本B 30試合 1G 3A 1Y 0R 3.03 -- Viva Mexico (2015-11-08 02 36 12) イライソス 9年目 OH 本B 24試合 1G12A3Y0R 3.33 -- 名無しさん (2015-09-04 22 47 46) 川口光 4年目 RDH 本B 24試合 1G4A2Y1R 3.29 -- 名無しさん (2015-09-04 22 46 16) フレミー 5年目 LIB 本B 24試合 4G 1A0Y 3.21 -- 名無しさん (2015-09-04 22 43 59) OH★ 本B 秋月春彦 2年目 20試合 3ゴール 9アシスト 平均評価4以上 -- 秋月春彦 (2015-05-15 09 42 44) アリ・ダノン 5年目 LCF 本A 30試合 9G 5A 1Y 0R 2.50 -- 名無しさん (2014-12-17 16 45 49) アリ・ダノン 4年目 LCF 本A 30試合 22G 5A 2Y 0R 3.07 -- 名無しさん (2014-12-17 16 44 27) ラスムセン 4年目 OH 本A 26試合 5G 8A 1Y 0R 2.85 -- 名無しさん (2014-12-15 00 32 09) ラスムセン 3年目 OH 本A 30試合 1G 12A 1Y 0R 2.83 -- 名無しさん (2014-12-15 00 30 04) ヤン・フェルメール 1年目 RCF 本A 29試合 16G 2A 0Y 0R 2.72 -- 名無しさん (2014-11-30 02 51 28) アリ・ダノン 3年目 LCF 本A 30試合 20G 7A 0Y 0R 2.97 -- 名無しさん (2014-11-30 02 49 59) コリル 7年目 LSH 本A 30試合 7G 10A 1Y 0R 2.87 -- 名無しさん (2014-11-30 02 47 45) コリル 6年目 LSH 本B 30試合 17G 7A 4Y 0R 3.13 -- 名無しさん (2014-11-30 02 46 51) ラスムセン 2年目 OH 本A 28試合 2G 7A 0Y 1R 2.86 -- 名無しさん (2014-11-30 02 41 51) ダビーノ 6年目 LIB 本A 30試合 1G 3A 0Y 0R 3.30 -- Viva Mexico (2014-11-30 02 38 52) ダビーノ 4年目 LIB 本B 30試合 4G 3A 0Y 0R 3.43 -- Viva Mexico (2014-11-30 02 37 46) ダビーノ 2年目 LIB 本B 30試合 5G 5A 2Y 1R 3.67 -- Viva Mexico (2014-11-30 02 36 50) コリル 7年目 LSH 本A 25試合 5G 10A 1Y 0R 2.88 -- 名無しさん (2014-11-22 11 50 30) イヴァノフ 8年目 LCB 本A 25試合 5G 1A 1Y 0R 3.20 -- 名無しさん (2014-11-22 11 35 51) アリ・ダノン 2年目 LCF 本A 25試合 17G 1A 1Y 0R 3.04 -- 名無しさん (2014-11-22 11 32 05) バルヘッティ 6年目 LCB 本B 30試合 2G 2A 0Y 0R 2.90 -- 名無しさん (2014-08-03 01 56 27) ダビーノ 1年目 LIB 本B 30試合 1G 2A 2Y 0R 3.43 -- 名無しさん (2014-08-03 01 54 51) ボールドウィン 6年目 LCF 本B 30試合 24G 7A 0Y 0R 3.47 -- 名無しさん (2014-08-03 01 48 13) ミラ (2013-06-11 16 54 34) 本A コントラ RFW 6期 30試 14得 4黄 2.93評 (2013-03-17 01 46 59) エントリーリーグA LFW ホフマン 2期 30試合 20G 16A 2Y 0R 3.70 (2013-01-28 15 53 05) エントリーリーグA RDH 守村 仁 1期 26試合 0G 1A 1Y 0R 2.54 (2013-01-28 15 50 18) 本A アベル(4期) OH 30試合 4.06 15G 25A 0Y 0R (2012-08-26 10 46 05) 本A LIB ◎ヴァザーリ(3年目) 3.80 評価点1位 (2012-07-01 09 10 17)
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2945.html
679 :Monolith兵:2015/05/15(金) 01 26 54 1939年8月23日に締結された独ソ不可侵条約は、世界を震撼させた。なにせ、両国はイデオロギー的に対立するのみならずそれぞれの独裁者は互いの事を深く嫌い合っていたからである。 ドイツのヒトラー総統の共産嫌いとロシア嫌いは筋金入りであり、スターリンも同様にヒトラー率いるナチスドイツの事を忌々しく感じていた。 だからこそ、互いに忌み嫌う二人の独裁者が率いるドイツとソ連が手を取り合った事に、日本の変態紳士を除いた世界中の人々が驚愕したのだ。とある新聞では、燕尾服を来たヒトラーとウェディングドレスを来たスターリンの結婚式と言う、想像するのすら放棄したくなる悪夢のような風刺画が掲載されたりもした。 そして、そんなインパクトのある出来事とは裏腹に、公表された条約の内容はと言うと淡白な代物だった。内容を知った各国首脳は、秘密協定があるのだろうと考え諜報・外交を強化して行く事になる。 劇的な独ソ不可侵条約締結の翌日、イタリア王国頭領ベニート・ムッソリーニはヒトラーから届けられた手紙を読み頭を抱えていた。 ムッソリーニは地主や資本家を中心に支持や支援を受けて現在の地位に登り詰めた。そして、支援者である彼らにとっての敵は社会主義者や共産主義者であった。 だと言うのに、イタリアにとって最も重要な友好国であるドイツは、あろう事か共産主義者の中心的国家であるソビエト連邦と不可侵条約を締結したのである。 そして、ムッソリーニはこの不可侵条約の内容が公表された条文だけでは無いと半ば確信していた。何故ならば、ドイツは昨年にフランスとの間で友好善隣条約を締結していたからだ。この事から、ムッソリーニはヒトラーの目的がポーランドの併合、正確にはポーランド回廊の獲得であろうと考えていた。 「となれば、ポーランド軍を短期間で撃破するためにソ連と手を結んだのか。」 この推測が正しいとするならば、ドイツはソ連と半ば同盟したといっても過言では無かった。そして、反共主義と反社会主義を掲げて頭領の座につく事ができたムッソリーニとって、これらの動きは看過できる物ではなかった。 ドイツもまたファシスト国家であり、イタリアのファシスト党と同一視される事が多かった。ドイツがソ連と半ば同盟したとなれば、ドイツと関係の深いイタリアも準同盟国として扱われかねない。その行きつく先は、自身の破滅だった。 「ドイツとの距離を考え直さねばならない時期に来たと言うのか・・・。」 ドイツの英仏との対決姿勢は明確であり、戦備が十分では無いイタリアとしてはドイツとイギリス・フランス連合との戦争に巻き込まれるのは避けたかった。現在ドイツと同盟状態にあるのも、エチオピア侵攻による国際的孤立による緊急避難措置でしかなかった。 折りしも、イギリスにはドイツに対抗する為にイタリアに対して、制裁の解除等を餌に接近を図ろうとする動きがあった。これまではドイツとの同盟が自身の権力基盤のひとつとして機能していたが、ここに至ってはそれも見直す必要も合った。 そして、欧州情勢は酷く複雑で且つ流動的な状況へと移る事になる。 680 :Monolith兵:2015/05/15(金) 01 27 40 1939年9月7日、東京にある某料亭では変態紳士たち・・・もとい夢幻会の会合メンバー達が一堂に会していた。その表情は酷く疲れており、ここ数日の激務を伺わせていた。 その中でもひときわ酷く憔悴していたのは情報局長の田中であった。次いで杉山の顔色も酷かった。なにせ、欧州の情勢がこの1週間で劇的に変化したのだ。 「まさか、イタリアが最初から連合国の側につくとは・・・。」 誰かが漏らした言葉がその原因だった。 そう、イタリアは、ソ連と不可侵条約を結んだドイツに見切りを付けて同盟を脱退したのだ。その後、経済制裁の解除など英仏との関係改善が進み、イタリアの経済状況が上向いた結果、ムッソリーニの権力基盤は数段強固な物になっていた。 当然、経済規模が拡大した事から軍事費もそれまでよりも増額され、かつての貧弱なヘタリア軍よりは多少マシ、と言う程度までは改善されていた。 そして、ドイツのポーランド侵攻により9月3日に英仏がドイツに対し宣戦布告したのだが、イタリアもそれに同調し宣戦布告をしていた。一時期は同盟関係にあったものの、前大戦でも砲火を交えた相手と言う事で国民もドイツとの戦争には大きな不満を訴えてはいなかった。 また、失われたイタリアと言う格好の大義名分が存在したために、多くの国民はドイツとの戦争を支持していた。 「欧州情勢は複雑怪奇とはよく言った物だ。まさかこのような状況になるとはな。」 伏見宮は、前世の歴史と余りにもかけ離れた現状にため息を漏らした。なにせ、ドイツは英仏伊という欧州列強に半包囲された形になっているのだ。しかも、そのどれもが世界有数の海軍国であり、ドイツ自慢のUボートも史実よりも早く封殺される事は想像に難しくなかった。 それどころか、史実では戦争初期に活躍した装甲艦などの水上艦艇すらあっさりと排除される可能性すらあった。 そして、イタリアを味方にした事で、英仏は地中海に戦力を割く必要すら無くなっていた。特にフランスは、北アフリカから続々とフランス本土へ兵力を移動させており、それを知ったドイツの混乱は凄まじかった。 「この状況では、第2次世界大戦は史実よりも早く終結する可能性があるでしょうね。」 東条の言葉に頷く者は少なくなかった。幾らイタリアが史実でヘタリアだとか枢軸国最大の弱点だとか言われていたとしても、現時点ではれっきとした列強の一角であった。何より、ドイツを半包囲した事により、史実のように対フランス戦に全戦力を割く事が出来なくなったと考えられた。 そうなれば、フランス戦線での戦闘は長引き、国力差から連合国有利になる事は間違いなかった。 問題があるとすれば、ドイツがフランスより先にイタリアを叩く場合だが、ドイツとイタリアの間にはアルプス山脈が横たわっており、鉄道や道路を破壊されればドイツにイタリアを攻略する術は無くなってしまう。 また、戦略爆撃に関しても、ドイツ軍機の航続距離の短さから問題は少なかったし、フランスに備えるためにも戦力を集中するのも難しかった。 つまり、イタリアの枢軸国からの脱退と連合国側での参戦により、連合国の勝利は揺るぎ無い物になったと多くの者が考えていたのだ。 「いくら”あの”イタリアと言えども、英仏と共同歩調を取れば十分ドイツに対抗できるはずです。 また、ドイツのイタリア侵攻もアルプス山脈という要害の存在がありますので事実上不可能でしょう。イタリア陸軍もアルプス山脈での戦闘に最適化された軍備を持っていますので、平野部での戦闘を主とするドイツ軍に十分抵抗できる物と思われます。 そして、イタリアが敵となり、経済的に苦境に立つドイツは連合国に対抗するために長い準備期間が必要となるでしょう。そうなれば、英仏は体勢を整える事が出来るでしょうし、経済的に立ち直っているイタリアも十分な軍備を備える事が可能なはずです。」 杉山の言葉に、会合の出席者達は一様に頷いた。史実では、チハタンよりも貧弱な戦車しか保有していないヘタリアだとか、砲弾よりもワインの備蓄量が多い役立たずだとか言われている。 だが、前者は山岳戦に最適な戦車を求めた結果、軽量な戦車が必要とされた結果であり、後者は単純に国力と工業力の低さ、そして突発的な参戦による戦時体制への移行の遅れが招いた物でしかなかった。その証拠に第2次世界大戦勃発時に、イタリアは局外中立を宣言している。 「それから、英仏からは遣欧軍の派遣を拒否されましたが、イタリアは日本からの援軍を受け入れる用意があると。」 外務省からの報告に、近衛や辻などの政府関係者のみならず杉山や嶋田と言った軍関係者も色めきだった。何せ、第2次世界大戦に介入するチャンスをイタリアの参戦によってようやく掴んだのである。 681 :Monolith兵:2015/05/15(金) 01 29 05 「フィンランドへ支援を行いつつイタリアに軍の派遣を行う以上、どちらかの規模は削らなくてはならない。 幸い地中海で海上戦闘が起きる可能性は零に等しいので、海軍の派遣は最小限度に抑えられるが、その分陸軍には頑張ってもらいたいと思う。」 近衛は、欧州の状況から地中海への海軍の派遣は護衛の駆逐艦や海防艦程度で十分ではないかと判断した。また、フィンランドと同様イタリアにも大規模な支援を行う必要が有ると考えていた。 なにせ、日本はスペイン内戦などで倉庫にあった旧式兵器を殆ど売り払ってしまっていたのだ。現状で日本から欧州に遅れる兵器は、現在配備されているものや生産されている物などしかなかった。 その日の会合は、イタリアとの関係改善と親密化を進める事と、いずれ来るであろう英仏からの支援要請のために下準備をしておく事を確認する事で解散となった。 会合に出席した誰もが、早期に連合国側が勝利するだろうと考えていた。それは、彼らのみならず世界中のどの国の人々もが思っていたことであり、この時点ではそれが普通の考えであった。 だが、彼らはイタリアの侵攻能力の無さを軽視し過ぎていた、それ以上に、フランス軍の酷さを楽観視し過ぎていた。 そう、誰もこの時点でフランスがあっさりと降伏するなど考えることすらしなかったのだ。 1940年から始まったドイツ軍によるフランス侵攻によって、フランスは史実同様僅か1ヶ月で降伏へと追いやられたのだ。 その間、イタリア軍は十分な軍備を持っていなかったにも関わらず、フランスの劣勢からアルプス山脈を越えて20万もの兵力でドイツへ侵攻したが、ドイツ空軍によるインフラの破壊やトラックの不足などによって十分な兵站を維持できなかった。 その結果、ドイツ陸軍の僅か3個師団によって20万ものイタリア軍は1ヶ月以上もの間足止めされると言う醜態を晒してしまい、フランスからとって返してきたドイツ軍主力によってあっさりと撃滅される事になる。 そして、その時からイタリアの長く苦しい戦いの日々が始まる事になるのだった。 おわり
https://w.atwiki.jp/kerberos-saga/pages/43.html
第7部 バグラチオン編 第3話「撤退2」 2007年3月15日放送予定 概要 北へと走る装甲列車。 一時停止した列車を撮影しようとするベルンに整備したカメラと撮影機材を差し出すシュバイニ。 ベルンはシュバイニの有能さに感心するが、その一方で戦死したラウトのことを思い出し寂しさを感じる。 一方マキはダイスラーからドイツ軍が北方戦域で大規模な撤退作戦を行おうとしているという話を聞く。 それは戦争を終わらせるための決定的な局面を作り出すための作戦であるかもしれないと。 これを知ったマキは無為の中で酒に浸るマイヤーに告げる。 「あなたとあなたの部隊にはまだなすべきことがあります」 ND フラム プレッシャープレート 不凍液 「第2小隊は当番、機関要員と対空小隊以外は大休止だ!」 列車師団 マホルカ Makhorka 機械化歩兵師団 二線級の師団や速成の警戒大隊 フィンランド軍 レニングラードの包囲 キエフやロストフも奪回されてはいない。 ライヒスマリーネの水上艦やUボートによるムルマンスク封鎖 何をおいてもモスクワを陥落させるべきだった ウクライナから西を確保 「人的資源において限界に近づいて」 開発中のジェット推進航空機 長砲身砲で発射するロケット推進弾 懲罰部隊 (冒頭のカメラ機材について、詳しい方がいたら補完をお願いします。) ND カメラのレンズに取り付ける減光用フィルター フラム これについては調べがつかなかったが、おそらくは雪面で乱反射する光が入るのを防ぐためにカメラのレンズの周囲を覆うほろのようなものではないかと思われる。 プレッシャープレート フィルムがたわまないように裏面から押してぴんと張らせる部品。 不凍液 当時使用されていた不凍液にはエタノール(アルコール)やグリセリンなどがあった。 ドイツ軍が使用していたものについては調べがつかなかったが、部品洗浄に使用しているのでエタノールではないかと思われる。 なお、独ソ戦1年目の1941年の冬は歴史に残る厳冬であり、補給の不備により燃料、衣服、そして不凍液が極端に不足したため、ドイツ軍では車両の故障が頻発した。 「第2小隊は当番、機関要員と対空小隊以外は大休止だ!」 ここで列車は給水・給炭作業と食糧等消費物資の積み込みを行い、搭乗する将兵は大休止をとっているが、 第2小隊は装甲列車の周辺に展開して周辺の警戒。 機関要員は襲撃された場合の移動に備えて待機。 対空小隊はパルチザンや航空機の襲撃に備えて対空銃座で見張り。 という態勢をとっているものと思われる。 列車師団 ドイツ軍では装甲列車1個編成は大隊に相当し、その上部に装甲列車連隊が置かれる。 実際には1個編成単位で軍や軍集団管区に配備されるため、師団として編成されることはなかった。 マホルカ Makhorka ロシアの粗悪な刻みタバコのこと。 新聞紙などで巻いて吸うが、きつくて味が悪いので有名。 東部戦線を扱った小説や漫画にはドイツ兵が鹵獲品のマホルカを吸うシーンがよく出てくる。 機械化歩兵師団 歩兵が自動車や装甲車などに乗車し移動・戦闘を行う歩兵師団のことで、支援部隊や砲兵部隊も自動車化されている。 移動する装甲師団に追随できるので、その側面防御や突破口の拡大などの任務に投入されることが多い。 史実では1943年頃からその多くが戦車部隊を配備されて装甲師団や装甲擲弾兵師団(戦車大隊を保有)に改変されている。 二線級の師団や速成の警戒大隊 常に人員不足に悩んでいたドイツ軍は、占領地の警備に大損害を受けて再編成中の師団や再召集された予備役兵から編成された師団、警備任務を専任とする保安師団などを充てている。 これらの部隊のほとんどは完全編成の師団に比べると人員・装備・練度の点で劣っており、前線任務に耐えられるものではなかった。 さらに警察官、傷病から回復した兵士、三十~四十代の予備役兵などから編成した警戒大隊を編成し警備やパルチザンの捜索・掃討などに投入している。 また志願した赤軍捕虜からなるHiwis(ヒヴィス)と呼ばれる補助部隊、対独協力を申し出たロシア人やコサック、カフカスの回教徒などで編成されたいわゆる「東方大隊」と呼ばれる部隊の中にもこの任務に当たったものもある。 フィンランド軍 フィンランドはソ連からの領土割譲要求がきっかけでおきた1940~41年の「冬戦争」で敗れ、レニングラードに近い地域を割譲させられた。 そのため独ソ戦において失地回復を目指してドイツ軍と同盟関係を結んで戦った。 これをフィンランドは「継続戦争」と呼んでいる。 フィンランド軍はレニングラード包囲戦に参加したほかは奪回した領土やカレリア地方の維持といった防衛戦に徹し、積極的にソ連領土に侵攻することはなかった。 史実ではソ連の大反攻のあった1944年秋にソ連と講和し、その後はドイツ軍と戦っている。 レニングラードの包囲 北方軍集団の主要な攻略目標であったレニングラード包囲は1941年9月に始まり、史実では44年1月まで900日あまりにわたって続いた。 ラドガ湖を渡って夏は船舶、冬は氷上道路や鉄道を使って物資の輸送や住民の避難が行われたものの、約300万人の住民を養うには輸送量は絶対的に不足していた。 また輸送量の多くが市内の武器工場への資材輸送に使われたため食糧が極端に不足し、ソ連の公式発表では67万人、一説では100万人以上の市民が飢えや寒さで死亡したといわれている。 特に41~42年の冬が最悪で、人々は犬猫から鼠まで食べ、革製品を煮てスープを作り、人食いまで行われたという証言もある。 この大飢餓を耐えたレニングラードはスターリングラードと共に「英雄都市」の称号を受けている。 キエフやロストフも奪回されてはいない。 史実では赤軍によるキエフの奪回は43年11月、ロストフは42年2月に行われている。 このことから「冬の嵐」作戦は史実以上の戦果を挙げていることがわかる。 ライヒスマリーネの水上艦やUボートによるムルマンスク封鎖 作中ではアメリカが参戦していないのでイギリスのみで対ソ支援を行っているものと思われる。 またイギリスはまず自国への物資輸送を優先させなければならないので、対ソ輸送船団の護衛にまで手が回らず、劣勢なドイツ海軍の戦力でも封鎖作戦が可能になっていると思われる。 何をおいてもモスクワを陥落させるべきだった 1941年夏の時点で北方および中央軍集団戦区でドイツ軍は快進撃を続けていたが、赤軍が戦力を集中していた南方軍集団戦区においては攻勢は停滞していた。 このためヒトラーは中央軍集団の第2装甲集団を、司令官のグデーリアンの反対を押し切って南方に回す決定を下した。 このためモスクワ攻略は10月に延び、冬の襲来によって攻略戦は失敗することとなった。 もしも夏の時点でモスクワへの進撃を続行していればソ連の政治、経済の中心であり交通の要衝でもあるモスクワを占領できた可能性はある。 その場合赤軍は戦線を大きく東に後退させざるを得ず、史実よりもドイツ軍は優勢に戦えたかもしれない。 ただし、モスクワの占領によってソ連が屈服したか否か、あるいはそれがドイツ軍に可能だったかどうかについては今も議論が続いている。 ウクライナから西を確保 ウクライナ地方は豊かな穀倉地帯であり、石油、石炭、鉄鉱石などの天然資源にも富んでいる。 この地を確保すればドイツは食糧や資源の自給自足が可能となり、敵であるソ連の国力を削ぐことができる。 またウクライナは30年代の農業集団化強行の結果もたらされた大飢饉で膨大な餓死者を出し、また西部地域は旧オーストリア帝国領だったために親西欧志向が強く、開戦当初は侵攻してきたドイツ軍を解放者として迎えたものも多かった。 史実ではナチスがスラブ人蔑視政策をとり、ウクライナで過酷な統治を行った為にパルチザンの大量発生を引き起こすこととなったが、ナチスがいない今作中ではもう少し穏健な統治が行われていれば、ウクライナのドイツ勢力圏への併合(直接統治か自治政府の樹立か)はうまくいく可能性があるかもしれない。 「人的資源において限界に近づいて」 史実では1941年の段階で兵員の動員は困難な状況となり、兵員数を減らした師団や後方警備専門の弱体な保安師団が編成されるようになっている。 この傾向は戦争が進行するにしたがって悪化し、戦争末期には壮年層を動員した国民擲弾兵師団や傷病兵で編成された師団が作られるまでになっていた。 成年男子層の動員による労働力不足を史実のドイツは占領地からの労働者の徴用や強制収容所の囚人の強制労働によって補っていたが、ナチスを打倒し部分的ながら民主化を進めている作中のドイツではここまで強硬な政策はとれず、史実よりも早く人的資源に限界がきているのかもしれない。 開発中のジェット推進航空機 おそらくメッサーシュミットMe-262のこと。 世界初のジェット戦闘機はハインケル社が開発し1941年に初飛行したHe-280だが、ドイツ空軍はほとんど興味を示さず量産されることはなかった。 同時期に開発されていたMe-262は1942年夏には飛行テストが行われていたが、ヒトラーがこれを爆撃機として使用する決定を下し、エンジン開発の遅れもあって史実での実戦投入はドイツが既に制空権を喪失していた1944年にずれ込むこととなった。 作中ではジェット機の開発は史実よりも1年近く早まっているようである。 メッサーシュミットMe-262 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F Messerschmitt_Me_262.jpg 長砲身砲で発射するロケット推進弾 第5部第3話「セヴァストポリ」でエッフェンブルクが言及した「ペーネミュンデ・プファイルゲショス」のこと。 懲罰部隊 犯罪行為や命令不服従、敵前逃亡などの軍機違反を犯した将兵や国内の刑事犯、思想犯が配属された部隊。 砲火の下でのでの地雷の撤去や道路の整備、戦死者の回収・埋葬など危険で汚い任務を行わされ、その死傷率は非常に高かった。 ドイツ軍には第333、666、999の三つの懲罰大隊が存在した。
https://w.atwiki.jp/lolli/pages/18.html
このゲームでのドイツはカッコイイ国である。 性能は不遇と言われているが、実はそれほどでもない気がしている。 正面の装甲が良い、つまりオーソドックスな戦車なのである。 そもそもポンポンこんな距離で側面や背面を撃たれまくる時点で何かおかしいんだからしょうがない。 イワン共の側面まで異常に硬くて気持ち悪いナナメ装甲(笑)がおかしいのである。多分。 Tier7 MT ・Pz.Kpfw Panther
https://w.atwiki.jp/kobe-uurakowiki/pages/603.html
ⅣA [部分編集] 教員名を記入(フルネームで)(2011年度) 出席:有り・無し 備考:レポート・宿題・小テスト・中間テストの有無など。 備考:レポート・宿題・小テスト・中間テストの有無など。 + 授業・テストの評価 授業の評価 選択肢 投票 ★★★★★ (0) ★★★★☆ (0) ★★★☆☆ (0) ★★☆☆☆ (0) ★☆☆☆☆ (0) テストの評価 選択肢 投票 ★★★★★ (0) ★★★★☆ (0) ★★★☆☆ (0) ★★☆☆☆ (0) ★☆☆☆☆ (0) + コメント 教員個人のページにも是非コメントをしてください。 コメント 上に戻る [部分編集] 教員名を記入(フルネームで)(2011年度) 出席:有り・無し 備考:レポート・宿題・小テスト・中間テストの有無など。 備考:レポート・宿題・小テスト・中間テストの有無など。 + 授業・テストの評価 授業の評価 選択肢 投票 ★★★★★ (0) ★★★★☆ (0) ★★★☆☆ (0) ★★☆☆☆ (0) ★☆☆☆☆ (0) テストの評価 選択肢 投票 ★★★★★ (0) ★★★★☆ (0) ★★★☆☆ (0) ★★☆☆☆ (0) ★☆☆☆☆ (0) + コメント 教員個人のページにも是非コメントをしてください。 コメント 上に戻る
https://w.atwiki.jp/178178/pages/84.html
シュヴァルツ レーマン 1 GK マユフライトン マヌエル フリードリヒ 21 CB フルドリッシェ アルネ フリードリヒ 17 CB フニック フリッツ 3 SB ローメ ラーム 16 SB フルーテス フリンクス 8 OMF スロエガー シュナイダー 7 SMF スラインスリーゼル シュバインシュタイガー 18 OMF クルーガー バラック 19 OMF クマーラ クローゼ 11 CF ポマトスキ ポドルスキ 20 CF ヒューレグラース ヒルデブラント 12 GK エルカ エンケ 9 GK メリルレッカー メルテザッカー 23 CB マセタン マドラン 4 CB ヤルガン ヤンセン 6 SB ヒットマイカー ヒツルスペルガー 2 DMF ボタナスキ ボロウスキ 5 OMF トモロウツキ トロホウスキ 13 OMF シュトルモント シュラウドラフ 14 CF オロンドール オドンコール 15 WG ハルメ ハンケ 22 CF ノグラウ ノイビル 10 CF
https://w.atwiki.jp/2012utr133/pages/22.html
編集待ち
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/28201.html
登録日:2014/04/14 (月) 02 15 19 更新日:2021/03/18 Thu 23 54 10 所要時間:約 5 分で読めます ▽タグ一覧 ソ連 傑作機 当たらなければどうということはない 当たらなければどうということはない ←当たってもどうということはない 攻撃機 数の暴力 空軍 空飛ぶトーチカ 空飛ぶバスタブ 空飛ぶ戦車 航空機 赤いアニヲタwiki 重装甲 重装甲 ←限度考えろ 黒死病 イリューシン Il-2は、ソ連の生み出した傑作対地攻撃機であり、某破壊神閣下を絶対に乗せてはいけない機体の上位候補である。 まあ、閣下がコミーの機体に乗るとは思えんが 性能諸元(副座型) 開発経緯と特徴 実戦での活躍エピソード 創作におけるIl-2 性能諸元(副座型) 全長:11.65m 全幅:14.60m 全高:4.17m 翼面積 38.5m2 全備重量:6,060kg エンジン:ミクーリン製AM38F(1700hp) 最大速度:411km/h 実用上限高度:6,000m-6,920m 航続距離:685km 固定兵装:23mm機関砲2基、7.62mm機銃2基、12.7mm後部旋回機銃1基 爆装:最大600kg 乗員:2名 開発経緯と特徴 本機に限らず、重装甲の対地攻撃機というものはどこの国でも設計・試作はやっていた。 機関銃と塹壕が一般化してからというもの、歩兵の防衛ラインというものはなかなかに強固となったからだ。 その塹壕からの攻撃を物ともせずに、逆に塹壕に派手に銃撃・爆撃かまして制圧する機体の実用化は急務だったといえる。 しかし、とうとうそれが完璧な形で実現することはなかった。(*1) 簡単な話で、装甲を強化しすぎると火力にしわ寄せが来るか飛べなくなるかの二択にしかならないのだ。 さて、本項目の主役は戦間期から懲りもせずに装甲攻撃機の開発に勤しんでいた赤い大地の皆様である。 時に1938年、セルゲイ・イリューシンが提出した設計案が上層部に受け、試作機開発が認められた。 当初は複座機として開発が進められたが、重量や航続距離の関係で単座機に設計変更された。結局複座に立ち返るけどな! 結果を出そうと出すまいと粛清されるだけあって開発は割合順調に進み、1941年6月に試験審査を終え、直ちに量産が始まることとなる。 本機最大の特徴はとにかく「当たろうがどうということはない」レベルの重装甲である。 恐ろしいことに機体前部がモノコック構造の装甲外殻でできており、フレームレス軽量化 重装甲を成し遂げている。 簡単に説明すると、前半分に鋼のバスタブ被って飛んでるようなものだ。そりゃ豆鉄砲は効きもしない。 さすがに真正面から大口径機関砲をブチ込まれれば話は別だが、たかが20mm榴弾程度ではせいぜい凹む程度。 そして大口径機関砲なんぞ積んでいる機体はドイツにはほとんどない。 カノーネンフォーゲル?そもそも護衛に食い散らかされるし本機を叩き落としたのは破壊神補正に決まっておろうが。 まあ後部はジュラルミン不足で木製(*2)だったんだけどね。おかげで「装甲部分が破損する前に木製部分がぼっきり折れて墜落する」シュールだが笑えない事態が頻発したとか。 ジュラルミンが安定供給されてからはちゃんと全金属製なので安心してほしい。 主翼は艦上攻撃機並みに馬鹿でかいが、これはクッソ重い機体をまともに飛ばそうとした設計者たちの努力の賜物である。 決して労働者の怠慢ではないし資材の浪費でもない。また旋回機銃を除く全ての武装はこの主翼内に収められる。 翼内機関砲は元々は20mmだったが、後に強化されて23mmとなった。 後には翼下に37mmや40mmガンポッドを搭載した対戦車仕様も開発されたが、命中率がお察しであまり使えたものじゃなかったらしい。 実は敵軍の輸送機や爆撃機を叩き落としまくったので戦闘機型が試作されたが……お察しください。 日本の機体と違って航続距離がなんかもうお察しに感じるが、彼らは基本的に陸の上で殴り合ってるので何も問題はなかった。 猫も杓子も航続距離にこだわるのは日本とアメリカくらいのもんです ちなみに本機の燃料タンクは計器盤前方と座席下 後方にあり、パイロットは燃料と装甲にサンドイッチされて飛んでいる。 赤い大地パネェ…… 実戦での活躍 傑作機とは言っても損失なしで云々などというつもりはない。先にも述べたが初期仕様は単座機だった。 鈍重な機体で後方機銃がないのに、護衛は生産が滞ってたりしてろくにつかないものだから、本機だけで突貫。 そりゃもう迎撃機を過少評価した爆撃機のごとくバタバタ落とされる。 いくら装甲がよかろうが、前から後ろからフルボッコされればどうしようもない。装甲つったてたかが航空機だし。 そんなわけで現地では慌てて仮設機銃座を設置(機体を無理矢理くりぬいたり)したり、迫撃砲を後ろに向けてぶっ放したなどという笑える例もあった。 最終的には複座が制式仕様となったが、複座化しても銃手席の装甲厚は限定的で、いわば死刑宣告だったという。 が、工員と雑兵は畑で採れるのがソ連クオリティ。数が揃ってからは莫大な生産数とジョークのような重装甲でドイツ兵を蹂躙しまくった。 特にPTAB(*3)を用いての編隊絨毯爆撃は強烈の一言で、文字通り有象無象の区別なく消し飛ばしていったという。 その結果、ドイツ兵から「空飛ぶトーチカ」だの「空飛ぶ戦車」だの「黒死病」だのといった物騒極まる異名を頂戴した。 なお元祖ブラックサレナとその先輩曰く「液冷エンジン用のオイルクーラー狙えばわりと楽に落とせるよ」とのこと。 ……そもそも機体下面に付いてる物を、しかも低空飛行で対地攻撃中に狙えと? 数の暴力に圧殺され尽くしてなお生き延びたドイツのエース軍団は格が違った。 最終的な生産機数は驚きの36,182機で、これは軍用機としては最多。ソ連の軍用機総生産数の約3割を占める。 凄いなIl-2。最終鬼畜チート国家でも成し遂げられなかったのに。 エピソード 責任者の悲哀 生産開始時期を見てミリヲタ兼任のアニヲタ諸氏は気付いたかもしれない。 よりにもよってちょうど独ソ戦が始まったころであり、電撃戦でフルボッコされるわ開戦1ヶ月でミンスクは占領されるわの大惨事である。 当然工場疎開で生産は遅延した。ヨシフおじさんもイラつかざるをえない。 そうは言っても疎開した工場への人集めなど、責任者はそれこそ馬車馬が楽に見えるレベルで働いていた。 が、結果を出さねば粛清タイムなのが共産党クオリティ。 激おこぷんぷん丸のヨシフおじさんからお手紙(電報)着いた。 「我々は空気やパンのようにIl-2を必要としている」 とかく重装甲でジュラルミンを湯水のように使うので生産が滞ると 「我々の忍耐力を試すつもりかね?」 責任者の胃にはダース単位、最悪グロス単位で穴が開いていたであろうことは想像に難くない。 シュトゥルモヴィーク シュトゥルモヴィークという単語を直訳すると「襲撃機」となる。 ぶっちゃけると、ソ連軍内の軍用機のカテゴリーである「シュトゥルモヴィーク」の中で最も有名な本機が、象徴的にそう呼ばれているだけだったりする。 創作におけるIl-2 有名な機体だし赤い国が登場するシミュゲーにはだいたい参戦していると見て間違いない。 また、あまりに有名になりすぎて本機の名とカテゴリーを冠するフライトシムが祖国で開発される始末。 特にIl-2 1946はフライトシムとしては珠玉とさえ賞されるレベルの出来を誇り、なんとフライアブル機数200機以上! さらに有志の作成したMODでより快適に、かつニッチの埋まった至高の体験が可能。 フライトシムに興味をもった同志アニヲタは今すぐチェックだ!(モロマ) 追記・修正は偉大なる同志スターリンと大祖国の名のもとに、シュトゥルモヴィークでゲルマンどもを蹂躙してからどうぞ。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] クッソ名機 なお後継機のIl10とか、夢よもう一度のジェット機型は -- 名無しさん (2014-04-14 02 24 26) タイトルが読みにくい項目 -- 名無しさん (2014-04-14 17 28 38) オットー・キッテルの好物 -- 名無しさん (2014-04-15 19 51 03) ドイツ戦車が大好物な航空機 -- 名無しさん (2014-08-31 00 38 01) ハルトマンの初撃墜はIl-2だけど、それ以来は頑丈さと後部機銃座の存在から避けるべき相手として一機も落としてないから弱点を狙えばわりと楽に落とせるなんて生易しい機体じゃない。↑↑のキッテルも後部機銃の反撃で命を落としたし -- 名無しさん (2014-09-14 17 52 46) 好物のはずの戦車に撃ち落された例も。例外中の例外だが -- 名無しさん (2015-01-09 23 36 02) P-47とコイツならどっちが硬いんだ? -- 名無しさん (2015-01-09 23 56 24) 木製についてだけど、ソ連には全木製戦闘機があるし、ソ連では大戦期の主力機の大半は後部が木製だったからあまり珍しくなかったりする -- 名無しさん (2015-01-10 00 28 59) ドイツ空軍はこいつよりもB17Gに苦労してたらしい。Il-2は低初速のMk108で火を噴いたけど、B17Gは高初速のMk103じゃないとなかなか墜とせなかったんだと -- 名無しさん (2015-06-01 14 44 00) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/dasdrittereich/
ナチス・ドイツ 公式HPへようこそ! ハイル ヒトラー!