約 5,326,624 件
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/168.html
モンゴル歌謡の分類について モンゴル民謡の曲を分類する作業は、その初期において、言語学者により行われた。唄、儀式歌、祝詞(ユルール)、讃詞(マクタール)、叙事詩をその詞の構造、内容、表現に沿って分類していたので、これは音楽的な面で根拠に欠けるものであった。音楽作品の生命であり真の存在要件たる調子や旋律、音組織の観点からは検討されていなかったのである。 モンゴル民謡の分類をかなり早い時期に行った研究者の一人にA.ポズネーエフがいる。彼はモンゴル民謡の分類を、まずモンゴルの多くの部族ごとに分け、その中でさらに分類した。それをここに示すと: ハルハ族の歌: 1、宗教歌 2、生活歌および父母への賛歌 3、想い人に向けて歌う歌 ウールト族の歌: 1、叙事歌 2、年代記歌 3、祝詞または婚礼の先導唄 ブリヤート族の歌 1、益荒男の歌 2、生活歌 3、叙事歌 4、巫歌 と分類した。 A.D.ルードネフ は、自ら蒐集し、出版した歌集に収められた歌のうち、31曲を分類不能、30曲を叙情歌、21曲を生活歌、13曲を踊り歌、11曲を仏教歌、6曲を叙事詩、5曲を宗教道徳歌、4曲を巫歌という項目に割り振り、音調の特徴によりモンゴル、ブリヤート、カルムイクという3つの種類に分け、その際音調や旋律と詞を結びつけ、それに関連して上記のうちのモンゴルの歌が総じてハルハ族の歌と東部モンゴルの歌に分け、更に聖俗二種類のジャンル区分を設けて研究した。 V.Y.ウラディミールツォフ は 1、荘厳さ、叙情、英雄的たちを歌い上げたもの(オルティン・ドー)、勇敢な駿馬、古の事物にまつわる歌 2、宗教的な内容の年代記歌 3、放蕩の歌、恋歌(ボギン・ドー) というように分類し、語り物(ウルゲル)師の弾く曲を祝宴の儀と結びつけた別の項目を設けてそこに分類した。 モンゴル国の文学者G.リンチェンサムボーはモンゴルの歌の分類法に大小の項目を設けるにあたり、1960年代までに出された先行研究の成果を利用して研究を行い 1、哲学叙情歌 2、生活叙情歌 3、仕事歌 4、革命歌 5、歴史歌 6、鞍歌 7、風刺歌 8、宗教歌 9、書かれたテクスト起源の歌 という項目を設定した。これは音楽と作詩術の関係に注目した分類を提唱したものである。このような分類法を採用した研究者には文学者のソドノムがいる。またそのような中からバボードルジは歴史歌を取り出して研究したし、劇作家のE.オヨーンは2人以上が歌詞を劇のように掛け合って歌う「掛け合い歌」に注目して研究している。 そんな中、ソ連の音楽学者B.F.スミルノーフはモンゴルの伝統的歌唱を4つの基本的分類項に振り分けたが、これはモンゴル音楽学の観点からの研究の大きな前進と見られている。 オルティン・ドー的な音楽的特徴を持つ曲を一つの項目にまとめ、更にその中にA、B二つの小項目を設けた。そのオルティン・ドーの項目である第一項を Aグループ オルティン・ドーの類の、呼び声の旋律、ギーンゴーおよび牧民の呼び声旋律、競馬の称号呼び上げ、宴の歌、旅の道中歌、家畜の子取らせの歌、オルティン・ドーの唱和、賛辞の唱和(オーハイ) Bグループ 歌い手一人で歌うオルティン・ドー とし、Bでは一人で歌うものを独立させて扱った。 第二項には通常の民謡ボギン・ドーを、第三項には叙事詩、語り物、読経、讃詞(まくタール)、祝詞(ユルール)、芝居の台詞回しを分類し、第四項には喉歌(ホーミー)、口笛(イスゲレー、普通の口笛とは異なる)、祈祷の詠唱が含まれる。 モンゴル国の文学者P.ホルローは民謡の内容、構造、詩作術の独自性と結びつけて歌の種類をその表現上の特徴によって叙事歌、叙情歌、掛け合い歌という三つに分類した。 他にも、伝統的歌唱が以下のように分類されることもある。 1、民間口承文芸の伝統的調子 2、仕事、慣習と結びついた音調 3、祝儀、婚礼、宴の音調 4、宗教、信仰の性質をもつ音調 この分類では旋律の特徴を分析している。あるいはまた、モンゴル文化の広い領域の中で、オルティン・ドーと直接、あるいは間接的に結びつけ 1、狩猟あるいは遊牧の生活様式 2、シャーマン音楽のグループ 3、叙事詩音楽の基層、および他の語りものの類 4、伝統的な祝い、儀礼のための付随音楽 5、宮廷音楽、儀式の伝統 6、宗教音楽 というように6段階に分類した。 モンゴルの民俗音楽を分類する際「伝承されてきたモンゴル民俗音楽の全資料やモンゴル音楽にまつわる民間伝承、モンゴルの民間のプロフェッショナルな古典音楽、これら全て同様に注意深く観察し、それ以外にもモンゴルの民俗音楽の作品に関わる民間芸能文化の土台全てにあるそれぞれの特質、構造、造型、その起源および発展の諸段階、発展の順序等等にも同様に注意を向ける」ように、音楽学者のJ.バドラーは前世代の研究者たちの傾向を研究の方法論のレベルで整理しながら研究し 1、モンゴル民俗音楽のうち発声器官による芸能 2、(相撲、競馬などの際の)呼び声の旋律 3、なぞなぞ、謎解き、問答、讃詞および祝詞、語り物および叙事詩の旋律 4、器楽曲 5、モンゴル民謡 という「文法論、文体論、形式論、分類論から見た5つの大分類に」分けるのが適当であると主張し、以後全て上記の方法に沿って研究を進めたのだった。この分類では宗教音楽および宮廷音楽が民俗芸能に含まれていないが、それは民間伝承(フォークロア)の側面から研究を行っていたせいである。 モンゴルの伝統音楽の旋法と音高の相互関係の問題を研究するのに、先達の上記の分類が助けになるのではあるが、同時に、五音音階のイントネーションの独自性、旋法の特徴の点を取り出してみると、どの分類も完全には合致しないようだ。特に声の芸能において詞の内容に基づいて種類分けしているので、先方の研究には全く適さない分類になってしまっているのである。ただしスミルノーフの教えを受け、モスクワにも留学した作曲家のL.ムルドルジはモンゴル民謡の旋律をオルト(長いもの)、ボギン(短いもの)の2つからなるとし(この分類法がモンゴル伝統のものなのか、音楽学者によるものなのかはっきりしないが)、さらにオルティン・ドーを音の跳躍が特徴的なモンゴルの古典音楽と位置付けた。一方ボギン・ドーは清朝時代に起源をもつとした。 作曲家・音楽学者のN.ジャンツァンノロブは以上を総括して言う。「モンゴルの伝統音楽のほとんど全てのジャンルの作品をペンタトニックの旋法、その様々なヴァリアントに含めることができるが、イントネーション(形式、構造、リズム、規模も含まれる)の発展の点でそれぞれ同じであったり、異なったりするし、それ以外にも当該の分類法の発生や伝統、歴史的時間、歌唱および演奏の作法など多くのことと結びつけて、各々特異な分類になることがしばしばである。我々はハルハ、ブリヤート、ウゼムチン、バルガ、ホトン、ドゥルベドなどモンゴル諸族の歌の旋律をすんなり区別している。またボルジギン氏族の、西バラート地域のというように地域ごとの部族内部の違いまで聞き分けている。一つの川の流域で生活しているある部族の中の旗(ホショー)ごとの違いをも区別できる特技を持っている。ある山の北側と南側の違いすらわかることさえあるのだ。この違いは旋法の一般的な組成や構造の上では同じであってもリズムやイントネーションが異なる。しかしモンゴルの伝統音楽の中の五音音階の特徴を可能性の枠内で解明しようとすると、伝統音楽の代表的な種類の比較の必要性が必ず出てくる。そこで伝統音楽のジャンルを区分けし、その際上記の先行研究のどれかひとつを取り出し、モンゴル式五音音階の独自性を明らかにするのは非常に困難であることを認識しながら作品ジャンルをイントネーションの総合的特徴によって分類するのが妥当であろう。」彼が試みに四つの基本的項目に分類したのがこれである。 1、生活の中の、讃詞・祝詞の、語り物・叙事詩の旋律の音階 2、シャーマニズム音楽、宗教音楽の音階 3、伝統的器楽作品の音階 4、伝統的歌唱の旋律の音階 以上は音楽学者が研究のために提示した分類である。ではそれを歌う主体であるモンゴルの人々は、どのように考えてきたのだろうか。それはまだ研究されていないが、1つには大まかな旋律の特徴オルティン・ドーとボギン・ド―(このオルト(長い)とボギン(短い)を分ける言い方自体は少なくとも1930年代には著作物にみられる)が考えられるが、これは民間のものなのかはっきりしない。もう一つ、おそらくもっとも重要なのが歌われる場に即した分類である。宴の歌、家畜への掛け声、劇の歌、などである。これは「民話」、「民謡」という区別が実生活には存在せず、単に昔話だとか噂話、古い歌、流行り歌というように語られること、そして語られる場によってはその名称は流動的であることを念頭に置いて考えてくべきである。
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/114.html
岡田英弘編(2009)『清朝とは何か』、藤原書店 岡田英弘(2010)『モンゴル帝国から大清帝国へ』、藤原書店 楠木賢道(2010)『清初対モンゴル政策史の研究 (汲古叢書 87)』、汲古書院 佐藤憲行(2009)『清代ハルハ・モンゴルの都市に関する研究―18世紀末から19世紀半ばのフレーを例に』、学術出版会 現在のウランバートルの基盤となった仏教都市フレーは、清朝時代、モンゴル人と漢人からなるハイブリッドな構造を持った都市だったが、そこから清朝の政策の新しい理解まで、モンゴルの国立公文書館の資料を豊富に使って研究した書。 杉山正明(2008)『モンゴル帝国の長いその後』講談社 宮脇淳子(1995)『最後の遊牧帝国 ジューンガル部の興亡』講談社 村上信明(2007)『清朝の蒙古旗人 その実像と帝国統治における役割 (ブックレット〈アジアを学ぼう〉 4) 』、風響社 モンゴルのブックリスト
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/21.html
モンゴルの近現代音楽とは モンゴル音楽研究ノート1 よく分からずに書いたもの。とにかくどういう研究がしたいのか、自分の方向性を明らかにしたかったので・・・・ モンゴル音楽研究ノート2 調べたことをまとめてみましたが、まだまだ読めたもんじゃないです。 卒業論文 2006年度の卒業論文です。内容は・・・・。 モンゴル音楽研究事始 大学で出したレポートです。 モンゴル国歌を聴こう! こちらのページでモンゴル国歌のオーケストラ演奏が聴けます。 モンゴルのオーケストラを聴こう! こちらのページでモンゴル国のオーケストラ作品が聴けます。 モンゴルの民謡を聴こう! こちらのページでモンゴルの民謡が聴けます。 モンゴルの歌謡曲を聴こう! こちらのページでモンゴル国の懐メロが聴けます。 モンゴルのバンドを聴こう!? こちらのページでモンゴルの懐メロ(バンド編)が聴けます。 モンゴル音楽史を知るデータベース
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/62.html
「モンゴルのことがもっと知りたい」 「モンゴル語を大学で専攻しているけど、本は何から読んでいいか分からない」 「モンゴルを旅行する前にモンゴルについての知識を身につけておきたい」 といった人たちのためのブックリスト 概説書 歴史―通史(含論集) 歴史―古代 歴史―モンゴル帝国時代 歴史―モンゴル帝国以降 歴史―近現代 牧畜・生活 宗教 政治・経済・社会 教育 言語 文学・古典籍・口承伝承 旅行記 伝記・回想録 芸術・スポーツ 音楽 モンゴル系諸民族・民族問題 書誌 漫画 その他モンゴル関係など(含エッセイ) モンゴル文化のデータベース
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/37.html
演奏団体、劇場 国立歌劇場(Монгол Улсын Дуурь Бүжгийн Эрдэмийн Театр) 公式HP http //opera-ballet.mn/ 1924年設立のスフバートル記念クラブの芸能サークルが1927年建設の人民娯楽場(“緑ドーム”の愛称で呼ばれた)に移ったのが前身。同じ建物内で1931年国立中央劇場(劇団)が組織され1949年同建物が家事で消失するまでそこで活動。1943年には専属のオーケストラを設立(それまでは伝統楽器で劇の伴奏をしていた)。1951年に開場した現在の国立歌劇場の建物で活動再開。1963年に演劇部が分離、国立ドラマ劇場に本拠地を移し、オペラ、バレエ中心の国立歌劇場として再スタート。名称を変えながら現在に至る。510人収容。現在の正式名称はモンゴル国立オペラ・バレエ・アカデミック劇場。総合芸術監督B.ジャミヤンダグワ(バレエマイスター)、首席指揮者N.トーライフー、常任指揮者J.ブレンベフ、エルデネバートル。 ちなみに「オペラ・バレエ・アカデミック劇場」という名称はいかにも不自然であるが、モンゴル語の"Дуурь Бүжгийн Эрдэмийн Театр"のうち、他の劇場・楽団名にも登場する"Эрдэмийн"の語はロシア語の"Академический"の翻訳語である。このロシア語の意味は「(プロフェッショナルの舞台)芸術」というほどの意味の形容詞であり、日本語には訳しづらい。中国の「ナントカ芸術団」などの名称のうちの「芸術」もおそらくこの"Академический"の翻訳からきていると推測できる。 国立民族歌舞芸術団(Монгол Улсын Үндэсний Дуу Бүжгийн Эрдэмийн Чуулга) 公式HP http //www.mongolianensemble.com/index.php 1945年に設立された国立エストラーダ・コンサート局が前身。当時は楽器6人、歌手5人、ダンサー6人、曲芸2人、朗読1人というメンバーだった。その後1950年に国立人民歌舞アンサンブルに改称して陣容を拡大、1961年には民族楽器の大オーケストラも設立された。2002年に国立民族歌舞団に改称され現在に至る。最初は総合的な大衆娯楽を見せており、歌謡曲やジャズ、人形劇などのステージも行っていて、一時はソヨル・エルデネというロック・バンドも抱えたが、後に伝統芸能的なステージに特化。1980年代には民俗音楽や民俗舞踊に基づいた新しい音楽劇の創出なども盛んに行われる。現在は伝統芸能に基づいてステージ・ショー化された短めの舞踊や音楽の組み合わせで公演を行っている。スフバートル広場南側の国立ドラマ・アカデミック劇場内に居を構える。 国立人形劇場(Монгол Улсын Хүүхэлдэйн Театр) 国立フィルハーモニー(Ц.Намсрайжавын нэрэмжит Монгол Улсын Филармони)所属団体 1972年閣議決定により国立フィルハーモニー協会を設立。交響楽団、ジャズバンドの“バヤン・モンゴル”、老舗ロックバンドの“ソヨル・エルデネ”の3つの運営からスタートした。1992年に長年音楽監督を務めていた功労者Ts.ナムスライジャブの名を冠した。正式名称は「人民芸術家・国家賞受賞Ts.ナムスライジャブ記念モンゴル国立フィルハーモニー」。 公式HP http //philharmonic.mn/ 国立フィルハーモニー交響楽団(Монгол Улсын Филармоний Симфони найрал хөгжим) 1957年、国立放送交響楽団として設立されたものがその前身。1972年に現在の名称・所属に変更。人民芸術家の指揮者・作曲家Ts.ナムスライジャブが長年音楽監督を務めた。1990年より息子のN.ブテンバヤルが芸術監督・首席指揮者。他にB.ルハグワスレン、B.バトバータルが常任指揮者。2003年にアジアオーケストラウィークの一環として来日し、ブテンバヤル、山下一史の指揮により、ワーグナーのオペラの抜粋からB.シャラフの馬頭琴との協奏曲まで幅広いプログラムを披露した。社会主義時代は80数名の陣容を誇り(1980年代)、毎月定期公演を行っていたようだが、現在は不定期にしか公演を行っていない。2008年現在の団員数は51名だが、大統領令の古典芸術発展プログラムにより82名まで再び編成拡大する計画がある。 “バヤン・モンゴル”ジャズ・オーケストラ(Баян Монгол Чуулга) 前身は1969年、ポーランドでの研修を生かし、国立放送局付属として設立された軽音楽楽団。その際国立民俗歌舞団やラジオ局で作編曲、合唱指揮をしていたT.チミッドドルジが中心となった。1972年に現在の名前になり、フィルハーモニー付属のコンサートを専ら行う団体となった。モンゴル国のポピュラー・ミュージックの牽引役となってきた。 国立馬頭琴楽団(Морин хуурын чуулга) モンゴルを代表する馬頭琴奏者G.ジャミヤンが馬頭琴によるオーケストラを提案、1992年に大統領令により設立された。ツェンディーン・バトチョローンが団長、芸術監督、指揮者を兼任する。国内でのコンサート、劇伴音楽の活動のみならず海外へのツアーも積極的に行い、何度も来日もしている。編成は標準の馬頭琴(モリン・ホール)、中音用のチェロ型馬頭琴(ドンド・ホール)、低音用の大型馬頭琴(イフ・ホール)、大小のヤタグ(琴)、ヨーチン(楊琴)、フルート、ピアノ、打楽器。楽器奏者だけでなく人民芸術家Sh.チメッドツェイェーらの歌手も抱える。 モンゴル国軍所属団体 全軍歌舞芸術団(Бүх Цэргийн Дуу, Бүжгийн Эрдэмийн Чуулга) 1932年に軍中央クラブ付属団体として「演劇音楽芸能隊」の名で設立。1934年国軍中央劇団に改組。現在は防衛省の付属団体。設立当初は伝統音楽の歌手や演奏者が所属し、催しでは革命歌や組体操が演じられた。1934年より軍楽隊指揮者V.A.リャリンが指導し、楽譜の習得を開始。1940年にソ連より派遣されたR.I.レシェントニャクの指導によりドンブラのアンサンブルを結成し、その後しばらくこのアンサンブルが劇団の中心となり、1955~56年には中国、北朝鮮、ヨーロッパへ演奏旅行も敢行。1958年には民族楽器と西洋管楽器による混成オーケストラが中心に据えられて以降80年代まではその路線で陣容を拡大していった。しかし1997年に大幅な改組が行われ、現在は舞踊団、合唱団、専属歌手、民族楽器の小アンサンブル、ビッグバンドとストリングスの「シンフォ-ジャズ・オーケストラ」からなる。 国軍参謀本部付属模範軍楽隊(Зэвсэгт Хүчний Жанжин Штабын Үлгэр Жишээ Үлээвэр Найрал Хөгжим) モンゴル国軍の中央軍楽隊(吹奏楽団)。1914年、ボグド・ハーン制モンゴル時代に設立された軍楽隊の指導者A.S.コリツォフを迎え、1922年ごろ結成された人民軍軍楽隊が前身。現在の形で正式に設立されたのは1950年で、作曲家G.ビルワーが音楽監督として中心になった。社会主義時代の正式名称はモンゴル人民軍模範軍楽隊(Монгол Ардын Армийн Үлгэр Жишээ Үлээвэр Найрал Хөгжим)。スフバートル広場での公式儀礼や国賓の来モ時、ナーダムの開会式などには必ず登場。モンゴル帝国時代の鎧を模したユニフォームが特徴。 国境警備隊歌舞団(Хилийн Цэргийн Дуу, Бүжгийн Чуулга) 国境警備庁公式HP内楽団紹介ページ http //bpo.gov.mn/suborgan/1206270001 1942年内務大臣令により辺境・内務省歌舞アンサンブルとして設立。1953年人民革命軍アンサンブルに統合。1960年代後半からの国境地帯の緊張に伴う国境警備隊の増強の一環として1971年に再度設置され、現在に至る。 警察庁所属団体 モンゴル国警察庁HP http //www.police.gov.mn 警察庁音楽隊「スルデ」(Цагдаагийн "Сүлд" чуулга) 吹奏楽団も所属している。 警察音楽隊「ソヨンボ」(Цагдаагийн "Соёмбо" чуулга) その他私営団体 ウランバートル鉄道公社歌舞団(УБТЗ Дуу бvжгийн чуулга Салбар) モンゴルを南北に縦断する鉄道に所属する。 鉄道公社HP http //www.ubtz.mn/ ツキ・ハウス(月の石アンサンブル) ウランバートル市の国立サーカスの西側にある。主に外国人観光客向けに民族歌舞を演じる小劇場。シルクロード音楽やロックの要素、工夫された照明演出とショーアップされた派手な演出が売り。 トゥメン・エフ民族歌舞団(Түмэн Эх Үндэсний Дуу Бүжгийн Чуулга) 1989年設立。ウランバートル市のナイラムダル公園内に本拠地を置く。2006年3月に独立採算に。モンゴルの伝統楽器のアンサンブル、民族舞踊、仏教舞踊「ツァム」などを演じ、海外からの観光客にも比較的よく知られる。日本にもトゥメン・エフ所属のメンバーはよく訪れる。2006年5月にはデンバー、ニューヨーク、ワシントンなどを周る大規模なアメリカツアーも行った。 (参考:インターネット版「モンゴリン・メデー」紙) 公式HP http //tumenekh.wordpress.com/ その他地方劇場など
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/90.html
中国 / ダライラマ / ナチス / プロパガンダ・バスター / チベット動画 +クチコミ検索 #bf +ブログサーチ #blogsearch +ニュースサーチ 中国の国家公務員試験受験者が初の200万人超え 1.9万倍のポストも - ZAKZAK 〈食べログ3.5以下のうまい店〉営業は月に数日。魅惑のスイーツが待つ、小樽・銭函の隠れ家バー(食べログマガジン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 安田峰俊/中国総領事、吠える〈好戦的な戦狼外交官が日本で進める“工作”の実態〉――文藝春秋特選記事【全文公開】(文春オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 真冬にふたりで過ごす時間には《フィルメランジェ》のニットマフラーが欠かせない。【FUDGE GIRLのためのアクセサリークリップス】 | アクセサリークリップス | ファッション - 株式会社三栄 農作物で美しい絵画を作り上げるチベット族の女性たち 青海省尖扎 - people.com.cn 中国政府、記者に個人情報収集アプリのインストールを強制=国境なき記者団(朝鮮日報日本語版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北京五輪外交的ボイコットに英国、カナダも加わる - Sporting News JP 安倍元首相に直撃! 「台湾有事は日本有事」発言の真意は…対中政策・安全保障戦略の今後(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 能登麻美子、新田恵海、小倉唯らが過酷な環境下で生きる野生動物の姿を伝える - ホミニス 「ボイコット北京」=韓国メディアのコラム(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ウイグル、チベット、内モンゴル……中国による民族弾圧の原点は毛沢東にあり 農民と大学生も殺戮を担った - PRESIDENT Online アイランドマン(Islandman)『Godless Ceremony』世界各地の土着的なサウンドを独自の解釈でまとめ上げる3人組 - Mikiki 「地球温暖化はヒト誕生の宿命?」環境変動から 人類の時代 第四紀を振り返る(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 一足早い新年 チベット・ニンティ市が新年を迎える(CGTN Japanese) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 由布院が世界のゲストの目的地になる? オーべルジュの最新系「ENOWA」が登場(Pen Online) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 一足早い新年、チベット・ニンティ市が新年を迎える频道 - 中国国際放送 彭帥問題への対応、IOCとWTAの違いはどこから来るのか - 読売新聞 極東情勢やいかに、米中さや当てに軍艦の日本周回 真珠湾攻撃80年(時事通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 全米最大級の保守派イベント日本版「CPAC JAPAN」都内で開催 トランプ氏やポンペオ前国務長官も登場(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北京五輪に潜む危険:参加選手の「拘束」もありうる(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 強力な寒波襲来で電力需給が逼迫? 昨年の二の舞になるのか〈週刊朝日〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「宗教界で愛国主義・社会主義教育を」…習近平氏が演説(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 語り継がれてきた「広く深い海」 翻訳で伝えたいチベットの人々の声 - 朝日新聞デジタル 初冬の高原湖・バーソンツオ チベット - people.com.cn チベット族の先天性心疾患の子ども、福建省福州市で手術受け回復 - AFPBB News 米EU、中国に懸念表明 「台湾海峡で問題行動」 - 岐阜新聞 ウイグル族弾圧の陰で…ダライ・ラマが発信を続ける意味 | RKBオンライン - rkb.jp 実在しないコロナ専門家の背後に中国ネットワーク=フェイスブック - BBCニュース オオヤマネコがチベットカモシカを捕食する様子を撮影 青海 - people.com.cn 日本スポーツ界はやっぱり“政府の犬” JOC山下会長「北京五輪ボイコット」めぐる発言で再露呈(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ウイグル、チベット、内モンゴル......中国による民族弾圧の原点は毛沢東にあり(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース チベット自治区の経済・社会は過去5年で急速に発展 - people.com.cn エネス・カンターが名字を“フリーダム”に改名へ 30日にアメリカ市民権を取得(NBA Rakuten) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北京冬季五輪も ニッポン応援モード で本当にいいんですか?(週プレNEWS) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 探検家・角幡唯介 GPSなどを持たずに極地への冒険に赴く 本能と感覚で得た経験を伝える〈AERA〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 五輪=人権活動家、IOC本部前で「葬儀」 北京大会への抗議で(ロイター) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 習近平「歴史決議」採択で高まる中印の武力衝突リスク(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース スノーボードに乗ってお買い物、ネットで話題の動画に(CGTN Japanese) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 今度はディオールの写真を「人種差別」と吊し上げた中国共産党の真意(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 台湾統一に向けた中国の実力行使が2027年に始まると見る理由(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 河北春秋(11/23):チベット生まれの女性の詩人ツェリン・オー… - 河北新報オンライン ラニーニャ現象 この冬の寒さと雪の傾向 晩冬~早春は関東なども雪に注意(tenki.jp) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース かつては「高原の孤島」と呼ばれていたチベット自治区メトク県 - people.com.cn 米中首脳会談、ウイグルやチベット問題も協議 習近平は台湾めぐりバイデンけん制 - Newsweekjapan ベン・スティラー 『電撃スパイ作戦』を映画化(アフロ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 高標高地宇宙線観測ステーション「LHAASO」が運行段階に 中国・稲城県(CGTN Japanese) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ダライ・ラマ14世、会見で中国指導者批判(日本テレビ系(NNN)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ダライ・ラマ14世、会見で中国指導者批判|日テレNEWS24 - 日テレNEWS24 NBA選手のチベット巡る発言が波紋 中国側は反発 (写真=ロイター) - 日本経済新聞 チベット自治区の「ポタラ宮」が無料開放…10月15日から来年3月15日まで=中国報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース チベット高原で旧石器時代の遺跡発掘 アシュール文化に匹敵か(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 秋深まりハダカムギの収穫が始まる チベット - people.com.cn チベットカモシカ、個体数が30万頭を突破(CGTN Japanese) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース チベット族のくつろぎの時間「リンカ」 中国 - AFPBB News 端はカリカリ、中心はサクもふっ。チベット風ズッキーニ揚げパン - 朝日新聞デジタル 生態系を保護し、高原に緑を増やす チベット自治区 - AFPBB News 標高世界一の高速道路が開通 チベット自治区 - ITpro 慧海の「チベット旅行記」には敢えて記されていないツァルカ村から先、越境への核心部へ―― - 株式会社 山と溪谷社 ダライ・ラマの写真ダメ、習主席の写真を飾れ…当局がチベット族の家庭を巡回調査 - 読売新聞 甘粛省のチベット仏教の古刹が強制的に閉鎖 当局と僧侶が対立(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国 チベット“解放”70年の記念式典開催 統治の成果を強調 - NHK NEWS WEB 中国、チベットに「高速鉄道並み」新線建設の狙い - 東洋経済オンライン 動画:チベットカモシカ 今年も子連れの大移動開始(CGTN Japanese) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース チベットの氷河で発見されたウイルス、28種類は未知のもの…動物への病原性はなし - Business Insider Japan 米国が これ見よがしにダライ・ラマ師側と次々「接触」…中国「内政干渉だ」と反発(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国チベットのラサ・ニンティ鉄道が沿線地域に活気をもたらす - AFPBB News パンチェン・エルデニ、タシルンポ寺を参拝 チベット自治区 - AFPBB News 「祖国」を追われながらも真実を追求するチベット人作家 - WEDGE Infinity 米国務長官、チベット亡命政府代表と会談 - 時事通信ニュース 米国務長官、チベット亡命政府代表と会談(写真=ロイター) - 日本経済新聞 チベットの溶ける氷河から、約1万5000年前の未知のウイルスが発見される - Newsweekjapan 中国習主席 チベット初視察 少数民族政策の正当性をアピール - NHK NEWS WEB 習近平氏チベット視察 国家主席就任後初、鉄道でラサへ - 朝日新聞デジタル お供え物が絶えないチベット自治区の怒江大橋 その訳は? - people.com.cn 中国の民族同化作戦、チベットも標的 - Wall Street Journal チベット亡命政府首相、中国を批判 日米に連携呼びかけ - 日本経済新聞 チベット東南部を貫く「拉林鉄道」開通の背景 - 東洋経済オンライン チベット初の高速鉄道が開業、「世界の屋根」での難工事の末 - CNN.co.jp チベット族「死ぬ自由もない」、監視カメラの死角で礼拝…[中国共産党100年]きしむ大国<1> - 読売新聞 中国がチベットで観光開発を奨励…専門家は文化へのダメージを危惧 - Business Insider Japan チベットの歴史に天地をくつがえす大変化が発生 - AFPBB News 「開発とカネで解決、は誤り」チベット亡命政府首相、中国に対話促す - 毎日新聞 - 毎日新聞 「中国に文化消される」 チベット亡命政府の新首相語る - 朝日新聞デジタル インフラ整備と武力、不変の両輪〈中国共産党100年 チベットと「長征」下〉 - 東京新聞 拷問、ジェノサイド、人権無視がDNAに刻まれた中国 - JBpress チベット、経済発展の裏で続く抑圧…中国共産党「解放」から70年 漢族信徒急増に当局警戒 - 東京新聞 中国政府 チベット“解放”70年 共産党による統治を正当化 - NHK NEWS WEB チベット亡命政府に新首相 「文化の継承に取り組む」 - 朝日新聞デジタル ウイグル人やチベット人、僧侶が平和を祈ってデモ行進 長野市 - 産経ニュース 【自由 強権】チベット亡命政権・アリヤ日本代表に聞く 「仏教への干渉は宗教的迫害」 - 産経ニュース チベット、ウイグル、香港 在日団体代表「早期の国会決議を」 - 産経ニュース チベット亡命政府首相選、決選に新人2人 - 産経ニュース 中日合作ドキュメンタリー「天空チベット・タンカ絵師の郷」が好評博す - people.com.cn 中国大使館前でチベット人権弾圧への抗議集会 - 産経ニュース 1959年、中国軍によるチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ… - 東京新聞 中国、チベット開発に5兆円投資 鉄道やダム建設 - 日本経済新聞 米欧、中国のチベット拡張路線に懸念 人権問題注視(写真=ロイター) - 日本経済新聞 <独自>亡命チベット人を実質支援 外務省ODA、インドで - 産経ニュース チベットで見たアメとムチ 収入6倍、でも「話せない」 - 朝日新聞デジタル 米国でチベット人権法成立 後継者選定介入で対中制裁も - 時事通信ニュース ● チベット大虐殺 まとめwiki サイト外Wiki ● チベット事件のまとめガイドライン サイト外Wiki ● 中国とダライ・ラマの主張の比較 「日本の陰謀」より ▲ 2人の外国人専門家 「チベットはシャングリラではない」 「チャイナネット(2008.4.2)」より ● ナチスとチベットの妖しい関係 「ナチスの狂気」より チベット尼僧に性的暴力、共産党の再教育センターで 僧侶が証言=人権団体報告 以前ツイートしたものが消えてしまったので再ツイートします https //t.co/7Faeorogz4 — 粉川江里子 (@nightnight1525) December 26, 2020 【スイス】 / 【国の防衛】 / 【沖縄】 ■ 沖縄に関する偏向報道に騙されるな - 今の沖縄、侵略されたチベット、スイス政府「民間防衛」が警告する道 を比較すると恐ろしい。沖縄を守るためにすべきこと / 今の沖縄は、恐ろしいことに、中国共産党に侵略されたチベット、およびスイス政府「民間防衛」が警告されている道を辿ってしまっています。 表に、「チベットが侵略されるまでの経過」、「沖縄」、「スイス政府『民間防衛』で警告されていること」 を並べました。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 / まず、チベットの侵略された歴史ですが、チベットのペマ・キャロルさんはこう悔んでいます。 http //bewithgods.com/hope/etc/etc-7.html 『 一つは、チベットが易々と中国に侵略を許してしまったのは、第一次、第二次世界大戦という激動の時代に「一国平和主義」に堕していたということです。国家の統治手法は宗教一点に集約されており、国防という概念は真剣に議論されておりませんでした。最初の侵略地となった東チベットは、日本の戦国時代の野武士のような集団が群雄割拠するだけで、全体の統一も図られていませんでした。中央政府にも軍隊は存在していましたが、装備の面でも兵員数においても、広大な国土を防衛するには不十分でした。そうした中で段階的に人民解放軍の占領を許し、不平等極まりない「一七カ条協定」を飲まざるを得ず、最終的に全土を蹂躙される結果となったのです。中国は当初の進駐目的を「外国勢力の脅威からチベットを守る」としていました。しかし、当時、チベット国内には数人の外国人しか存在せず、そのどこが脅威だったのでしょう。いずれにしろ「一国平和主義」の弊害は大きかったと言わざるを得ません。 もうひとつは、当時の知識層であった僧たちの間に「テンダ・アメリカ」(宗教の敵、アメリカ)という言葉に代表されるような考え方が蔓延したように、極端にキリスト教、西洋文明を忌避し、排外思想に走って、国連加盟というチャンスをみすみす逃してしまったことです。 こうした事実は、私には、今の日本の「憲法九条」信仰と国防軽視という風潮と二重写しになってしまうのです。 ちなみに、一九九七年の香港返還に際しサッチャー英首相と鄧小平が交わした共同声明文は「一七カ条協定」そっくりで、「チベット」の文字を「香港」と入れ替えれば、そのまま通用するような代物でした。つまり、中国が盛んに喧伝する「一国二制度」なるものは、チベット占領で実験済みだったということです。』 特に当時のチベットと同じ道を行こうとしているのが沖縄です。今、沖縄では、メディアで沖縄←→本土の心理的分断を図り被害者意識を増幅させようとしています。なぜなら、中国社会科学院の最高顧問は「翁長理事在任中に琉球独立の流れを作ることが必要だ」と発言(週刊文春4月23日号)しており、中国共産党とその協力者たちは琉球独立の雰囲気を盛り上げようと躍起になっているのです。 (※mono.--テレ朝報道ステーションキャプチャ画像略) このまま沖縄はチベットと同じように侵略されてしまうのでしょうか?その答えは、スイス政府が以前に発行した「民間防衛」がヒントになります。この冊子はスイス政府が1969年に当時の冷戦の高まりを受け冊子『民間防衛』を作成し各家庭に発行・無償で配布したものです。 http //nokan2000.nobody.jp/switz/ この本では、「敵に武力以外による攻撃を受け、破滅へと導かれる状態」というのはどういうものかを解説しています。はっきり言って日本はこの攻撃にかなりやられています。引用すると 『敵はわれわれの抵抗意志を挫こうとする。そして美しい仮面をかぶった誘惑のことばを並べる。「農民たち!装甲車を諸君の土地に入れさせるな。」 と 』 今日本のマスコミや野党、有名人、平和団体は、「戦争反対!憲法9条を守れ!」「沖縄に米軍基地は要らない」などときれいな言葉を叫びますが、そのまんまそっくりです。スイス政府の答えはこうです。 『警戒しよう 世界とともに平和に生きることを欲しないスイス人があろうか。戦争を非としないスイス人がいるだろうか。われわれが軍隊を国境に置いているのは、他の国がわれわれを平和に生きさせておいてくれるためである。 人類の幸福は、われわれにとって重要なことだ。われわれは力の及ぶ限りそれに貢献している。たとえば赤十字の活動、開発途上国に対する援助、戦争状態にある国の利益代表など。ところが、現実はこのとおりである。 それを知らないとしたら、われわれは、お人好しであり、軽率だということになるだろう。われわれを取り囲む国々が武装し続ける限り、われわれは国家の防衛を怠ることはできない。 ヨーロッパで対立する交戦国によるスイス攻撃の可能性を、われわれは、最近の二つの大戦の経験にかんがみて、よく考えなくてはならない。 潜在的は敵を仮定--その宣伝文句に基づいて判断することは、たとえその宣伝文の中に、聖書の文句が引用されていようとも、できないことだ。われわれは、にせ平和主義者たちが、武装するのをやめないでいることを確認している。われわれの信念は誠実なものである。われわれは、だれ一人殺そうとするつもりはないが、ただ正当防衛を確保しなければならぬ。 われわれが武器を使用せざるをえないようなことがないように!われわれは、これ以上に真摯な願いを持たない。』 そうです。お人好しではダメなのです。中国の脅威を語らない者を信用してはいけません。そして、今こそ政府のもとに日本人全員が団結しなければなりません。まだ信用できない人は、TV報道や政治家の声を鵜呑みにすることなく、歴史を学び、世界情勢を知り、情報を集め、自分の頭でよく考えましょう。それこそが、日本国民が沖縄と日本全体を救う道なのです! ■ チベット高僧、中国で獄死…爆破事件巡り拘束 「読売新聞(2015.7.26)」より / 【広州=比嘉清太】チベット仏教の著名な高僧で、2002年の爆破事件に関与したとして中国四川省で収監中だったテンジン・デレク・リンポチェ氏(65)が今月12日に急死していたことがわかった。 中国当局は「病死」と主張しているが、当局は家族の許可を得ずに遺体を火葬したという。現地では支持者と当局の間で衝突に発展。米国務省も同氏の死因調査を求める声明を出した。 中国国営新華社通信によると、同氏は獄中で就寝中、呼吸をしていないのを看守が発見。病院に搬送されたが死亡が確認された。当局は「心臓病だった」と説明している。 米政府系放送局ラジオ自由アジア(RFA)などによると、13日には遺体の引き渡しを求める四川省の地元住民と当局との間で衝突が発生、7人が負傷したという。当局は16日、家族の許可を得ずに遺体を火葬したことから、同氏が獄内で虐待を受けていたのではないかとの疑念も広がっているという。 ■ フリーチベットVSストップライング 「Also sprach Pinkglalem(2014.3.23)」より (※ あちこち略、詳細はブログ記事で)/ チベット仏教には、最大主流派に守られてきた護法尊シュクデン(Shugden)と言うのがあって、このシュクデン信仰は、ダライラマ14世の都合で禁止されてしまったンですね。 Youtubeとかで検索してみると、その信仰者がダライラマに抗議している動画が出て来ます。「ダライラマ、ストップライング(嘘をやめろ!)信仰の自由なんてチベットには無い」と言う抗議デモ。 / もともと、人民解放軍の侵攻以前のチベットと言うのは、極一部の貴族階層が、宗教的指導者をたてて、その威光で国民の大多数の農奴を支配して搾取していた社会だったンです。 貴族階層は自分たちの懐柔できる指導者を子供のときに拾って来て、都合の良いように、教育し、自分たちに有利な政治を行なう摂関政治を行なっていたンです。 / 外国にいるチベット人というのは、みんな貴族階層の出身者。 ペマ・ギャルポが日本の家庭にホームステイしていた時、正月に食卓に出されたおせち料理に激昂したそーです。冷めた料理というのはチベットでは、農奴が食べる残飯なんだそーです。 ホスト家族も食べていたのに、侮辱されたと思って腹を立てたらしい。 / 実は、それ程の厳格な階級社会がかつてのチベットで、今は共産党のせいで民主化し、かつて虐げられていた農奴は教育を受け、生活水準も向上。逆に貴族階層は、行くあてが無いわけです。 それで、「フリーチベット」というインチキ民主化運動展開しているのです。 / チベットは、戦前から、欧米諸国や日本との関係があります。明石元次郎や紅卍字会とかもこのチベットに関っているらしいです。 ダライラマとナチスの関係を指摘する人は多いです。「セブンイヤーズインチベット」のハインリッヒ・ハラーは、ヒトラーのSSでした。ナチス、バチカン、明石元次郎と紅卍字会、ボルシェビキは、繋がっていますから... 明石元次郎や紅卍字会については、台湾、北朝鮮の建国にも関っています。 【チベット】 ■ 3月26日、デリーで焼身したジャンペル・イシェの遺書 日本語全訳 「荒んでいく世界」より ・日付は3月16日となっている。少なくとも10日前には、焼身を決心していたことが分かる。 彼は焼身の前日、兄弟や友人に、理由は伝えず、金銭や身の回りの物品を譲り渡していた。彼は依然危篤状態という。以下、その日本語全訳。 (中略。) ・胸が痛みます・・・。 こちらのブログを訪問するたび、涙がこぼれてしまいます。ただ涙をながすことしかできない自分が情けなく感じたりします。 こんな事態を日本のマスコミは報道しません。中国に都合の悪いことは、ながさないという約束を交わしているから。世界では大問題となっているのに・・・。 マスコミが報道しなくても、中国、いやシナが行っている蛮行を日本国民は自分で知ってください。 そして、与党民主党が、こんな恐ろしい中国とつるんでいることをわかってください。 遠い外国のことだと思うかもしれませんが、決して他人事ではないということを日本国民は全員知るべきです。チベットNOW@ルンタ さんのブログで知ってください。 ▼ ■ 焼身自殺動画(支那共産党植民地支配下のチベット国)で現実を知って下さい~チベット僧、相次ぐ焼身自殺の真実 「荒んでいく世界(2012.2.18)」より ・下記の動画は現実です。その現実に対して日本人の多くが目を背け、ナチスより狡猾な血塗られた恐怖政治を行っている支那共産党政府と金儲けでつるんで「日中友好」などという反吐が出るような偽善の言葉でごまかしている。 ■ 中国とダライ・ラマの主張の比較 「日本の陰謀」より / よくあるパターンだが、日本の仕立てる傀儡(かいらい)には、しばしば世話人が付く。洗脳と監視が必要だからだ。 金正日にも不気味な日本人調理師が張り付いている。 ダライ・ラマにもハインリッヒ・ハラーという家庭教師が付いていた。簡単に言うと、この男は、ナチス・ドイツの残党だ。「 ナチスとチベットの妖しい関係」は、ユダヤ人のサイトだと思われるが、その記述は信頼に値する。ナチス・ドイツにも日本の秘密工作員が深く入り込んでいた。第二次世界大戦後旧日本兵がチベットで活動するのは危険が大きすぎる。ここで危険というのは身の危険ではなく、日本の陰謀が発覚する危険だ。それで旧ドイツ兵が選ばれた。オーストリアという出生地も怪しい。結局、 ダライ・ラマはヒトラーの友達の友達だった。 驚いたことに、ナチス・ドイツの国旗( ハーケンクロイツ)は、日の丸と 卍(寺)の組み合わせだ。 チベット臨時政府の国旗は日本人が作った。ある人は、 創価学会の三色旗もチベットの旗の三色と同じだと言う。 ダライ・ラマは過去に CIAから資金援助を受けていたと言うが、敵国の情報機関に成りすまし、資金を援助し、政治を誘導することは、秘密工作の常道だ。その組織が暴力集団になればなおさら都合がいい。日本が、CIAに偽装して、ダライ・ラマ集団を作り出したのであれば、これまでの展開は日本にとって最も都合がいい。全ての悪事を米国になすり付ければいいのだ。簡単なトリックだが政治家は簡単に騙される。ダライ・ラマが最近辞任を口にしだしたのは、背後に強大な組織があることを証明する。こういった小さな組織の独裁者が自ら辞任などという言葉を口にすることはあり得ない。それどころか。自らの団体を弱体化させるだけだ。 (※ 以下略、詳細はサイト記事で) .
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/91.html
Е ерөөл ヨロール;祝詞。他の人物や事物の将来について幸多かれと祝福する内容の韻文の口承文芸。ほとんど無伴奏で語られる。 есүүл 九重奏 есц 9度 еслөл 9連符 Ё ёочин【器】ヨーチン;洋琴《中》 ёхор 【伝】ヨホル;ブリヤート・モンゴル人の間で伝統的に行われる円舞。狩猟の成功などを祝って氏族ごとに行われる。地域により歌詞やテンポ、踊りの形態は様々。 Ж жаран дөрвөт эгшиг 六十四分音符 жигд хөдөлгөөн よどみない流麗な動き жигдрүүлэг 音律 жигдэлсэн хөг 平均律 жимбүүр【器】 オーボエ(гобой) жингэнэх бүжиг ジーグ(古典舞曲)(жиг) жиргүүлэг トリル жиргээ モルデント жүжиг 劇 жүжгийн хөгжим 劇音楽 аялгуут ~ メロドラマ;付随音楽のついた劇 жүжиглэн 劇場 ~гийн хөгжим 劇場音楽 З зааглац аяз 間奏曲;インテルメッツォ заал ホール;大部屋 завсар хөгжим 幕間音楽 завсарлага 幕間 завсарын эгшиг 経過音 загвар セリー(十二音技法、または全面的セリー主義における) загварчлал十二音技法、または全面的セリー主義(トータル・セリー)における、音高、音のパラメーター(音価、強度、音色)のセリー化。 загварчлах арга セリー技法 загварчлах хөгжим セリー音楽 зай 音程 ~н өргийн хэмжээ 音程の各音の幅 бичил ~ 微分音程 ихэсгэсэн ~ 増音程 займрал 一時的転調 зогсолтгүй アタッカ зогсоц 休止;パウゼ ерөнхий ~ ゲネラル・パウゼ;総休止 наймт ~ 8分休符 хий ~ ルフトパウゼ зоргоороо アドリブ зохиол 作品 ~ын дуу (民謡に対して、新しく作曲された)歌謡曲 хөгжмийн ~ч 作曲家 зохиомж 作曲;作曲科 зохирол 和声;ハーモニー ~-галбиршил 和声のフィギュレーション ~ын бага хөг 和声的短音階 ~ын задалгаа 和声分析 ~ үйлдэл 和声機能 ~ хөгжил 和声進行 ~ хөг-эгшиглэгээ 機能和声 ~ эвдрэл 不協和音 нийлэл ~ ポリハーモニー оноот ~ 示導和音 зохирол эрэмбэ スケール;音階(J.バドラーの用語) зохиролжуулга 和声付け зохицуулга 編曲;トランスクリプション зөвшөөл 解決 зөрөл эгшиглэн ヘテロフォニー зөрчилт ソナタ ~ хөгжим ソナタ;奏鳴曲 ~ хэлбэр ソナタ形式 ~ хэлбэрийн журам アレグロ・ソナタ楽章 ~ цуврал хэлбэр 循環ソナタ形式 бэсрэг ~ ソナチネ(形式) зургаалал 6連符 зургаан өрөг ヘキサコード;六音音階 зуаргаац 6度 зуаргаац хам эгшиг 三和音の第1転回形;六の和音 зургуул 六重奏 зуу хэнгэрэг【器】タンバリン зууван 符頭;(音符の)たま зэмсэг 楽器 хөгжмийн ~ 楽器 хөгжмийн зэмсгийг сэргээн үйлдэх 楽器を復元する хөгжмийн зэмсгийн ай 楽器分類 зэмсэг судлал 器楽研究 зэрэг дуурьсал 合音 зэрэгцүүлэх арга 平行法 И идэвхт харалдаа зохиомж 転回対位法 ижил эгшиглэн ユニゾン ил урсгал инцдүүр【器】 カスタネット их, бага хөг 長短調 ~ийн гол гурвал эгшгүүд 長短調の主三和音 их бүрээ:【器】 1、テューバ 2、チベット仏教の長大な金管楽器ドゥン・チェン(Dhung Chen)のこと。もしくはそれを改良した楽器。(үхэр бүрээ) их хаалт 大コーダ их хөг 長調 ~ийн бага долооц хам эгшиг 長7の和音 ~ийн гурвал эгшиг 長3和音 ~ийн эгшиглэгээ 長調の旋法 язгуурын ~ 自然的長音階 их цагариг бүрээ【器】ヘリコン(低音金管楽器) ихэл【器】イケル。西モンゴルで用いられる2弦の擦弦楽器。(икил) ихэсгэл 増~ ихэсгэсэн гурвал эгшиг 増3和音;オーギュメント・トライアド ихэсгэсэн эгшиглэгээ 増音階 иш【器】(弦楽器の)指板;棹;ネック К киноны хөгжим 映画音楽 концерт:《露》 1、協奏曲→гоцолбор 2、演奏会→тоглолт Л ла – ла эгшиг ля ラの音、イ音 лимбэ【器】 リムベ;横笛《西》。現在は大小2種あり、銅、プラスチック製のものが使われる。 М магтаал: 1、【伝】マクタール;讃歌。対象の事物、人の現在の状況を讃える内容をもち、無伴奏または馬頭琴などの伴奏つきで語られる。 2、頌歌;オード магтуу カンタータ;讃歌。大規模な形式と編成をもつ声楽作品。 мазур бүжиг マズルカ малчны аялгуу パストラーレ;牧歌 марш マーチ;行進曲《露》 ми ~ эгшиг ミの音 модон үлээвэр хөгжим【器】木管楽器 морин хийл【器】チェロ морин хуур【器】モリン・ホール;馬頭琴。この語は1950年代に定着したものでそれ以前はморин толгойн хуур、хил хуур、単にхуурなど地域と時代によって名は様々である。 мөрдвөр シナリオ мөрөөсөл аяз ノクターン;夜想曲 мөчлөг ピリオド;終止;楽段 мөшгөл ゼクエンツ;反復進行;聖歌の続唱 шилжүүлгэт ~ 転調を伴う反復進行 мундштук【器】 マウスピース《露》→бурзан мэргэжлийн хөгжим 専門の教育を受けたプロフェッショナルな音楽家による音楽 ~чин 専門教育を受けたプロフェッショナルな音楽家 Н найгалзах бүжиг ファンダンゴ(фанданго) наймт эгшиг 八分音符 наймуул 八重奏 наймц オクターヴ ~ын журам オクターヴ・システム бага ~ 片仮名オクターヴ их ~ 平仮名オクターヴ хоёрдугаар ~ найраглал 詩;詩曲 найрал дуу 合唱 ~ шинжлэл 合唱指導 ~ны багш 合唱指導者;合唱指揮者 дан ~ アカペラ合唱;無伴奏合唱 нэг төрлийн ~ 同声合唱 хос ~ 複合唱 найрал хөгжим【器】 オーケストラ、管弦楽団、大規模な器楽合奏 дагшаа ~ ポップス・オーケストラ симфони ~ 交響楽団;管弦楽団 үлээвэр ~ 吹奏楽団 үндэсний ~ 民族楽器オーケストラ цэргийн ~ 軍楽隊 чавхдаст ~ 弦楽オーケストラ яруу ~ 交響楽団;管弦楽団 найралжуулга オーケストレーション найраллаг 合唱団 найраллагын багш 合唱団指導者 найруу эгшиг 和音;コード(J.バドラーの用語) найруулах 編曲する;アレンジする найруулга 編曲;アレンジ намсгал ディミネンド намсгуур【器】 弱音器、ミュート нар угтах дуу アルボラーダ наргиант дуурь 喜歌劇、オペレッタ нарийн (音、声が)高い【俗】 ~ дуу 高い声[音] нарийн бүрээ【器】トランペット(труба) аргил ~ バス・トランペット өчүүхэн ~ ピッコロ・トランペット нахилах бүжиг アダージョ(楽曲)。速度記号としてのアダージョは→аажуу нийлмэл 複合 ~ төлөр 複合ジャンル ~ холимог хэм хэмжээ 混合拍 ~ хэм хэмжээ 複合拍 нийлэл баймж ポリモーダル нийлэл найруулга зүй 多様式主義(シュニトケの用語) нийлэл үйлдэл 多声機能 нийлэл эгшиглэн ポリフォニー;多声音楽 ~гийн гурван хэсэгт хэлбэр 多声三部形式 ~гийн хоёр хэсэгт хэлбэр 多声2部形式 ~т хувилбар 多声変奏 ~т хэлбэр 多声形式 нийт даруул【器】 鍵盤、キーボード нийцтэй зай 協和音程 нийцээ 協和;協和音 номын сан 楽譜ライブラリー;図書館 ноот[нот] 楽譜;音符《露》 нохилох бүжиг アルマンド(舞曲) нугалбар 終止法 дашрам ~ アーメン終止;変格終止 магад ~ 正格終止 тасарсан ~ 中断されたカデンツァ(終止形) нум【器】(弦楽器の)弓 ~т (хөгжмийн) зэмсэг 擦弦楽器;弓奏楽器 нүсэр бүжиг パッサカリア(пассакаль) нэгц зай 1度 нэмэлт шугам 加線 нэхэгч リスポスタ нягт байршил 密集配置
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/33.html
まだモンゴルの音楽について全然分かっていなかったころに書いたものです。 西洋音楽の受容と全体主義体制化での芸術音楽~モンゴルにおける近代音楽史研究の可能性~ 私は日本のクラシック音楽の歴史、つまり日本におけるシンフォニー・オーケストラ、軍楽隊(吹奏楽)、西洋的な音楽語法の歌曲、オペラ等の歴史に興味を持ち、先行研究を中心に調べている。日本でも音楽の伝統を有しているが、そこにどうやって西洋音楽そのもの、または西洋的な音楽の要素が入ってきたのか、それからもう一つ、日中戦争、太平洋戦争に代表されるようなファシズムが国を覆っていた時代、音楽と音楽家がどのような状況にあったのかに特に興味がある。 モンゴルももちろん素晴らしい音楽の伝統を持っているが、主に社会主義革命後、ソ連を通じて西洋的な音楽を受容してきた。現在でもポップミュージックは盛んであるし、オペラも日常的に興行を続けているという。西洋音楽は十分に浸透しているのであろう。受容史を調べることは無駄ではないように思える。 そして私が最も知りたいのは社会主義時代のモンゴルで、国家がどのように音楽を扱い、社会主義時代、作家達は作家同盟の元で非常な活動の制限を受けたが、音楽の面でも作家同盟と似たようなことが、またソ連や日本のファシズムの下での音楽への制限と近いものがあったのではないか、と私は考えている。加えて日本での研究を見ると、日本の全体主義体制下の西洋音楽の状況は、西洋音楽の受容のあり方とも関係がある。モンゴルでも、西洋音楽が近代になって入ってきた国として、類似性がなかったとは言えないだろう。 そこで、日本やロシア、その他アジアの西洋音楽を受容した国の音楽史の先行研究を、また日本、ソ連、ドイツなど国家権力から音楽家への制限があった事例の先行研究を参考にしながら、モンゴルにおける上に掲げた歴史を調べることを目下自分の目標としている。私のこれからの研究姿勢とどのような論文を書きたいかを、本ノートを通じてより具体的に示したい。 現時点での研究姿勢の大枠を以下に示す。 日本ではモンゴルのこの種の研究に関しては先行研究、資料ともに不足しているし、また私の調べも現時点で不十分であるので、まずロシア、日本、中国における西洋音楽受容史の先行研究にまず触れて、モンゴルでの受容史にも当て嵌まる可能性の高い事柄を挙げていき、似たような研究アプローチができないか、その可能性を提示する。これを将来の論文に備えて第1章とする。 次に、ソ連、ドイツ、日本で全体主義体制下での音楽の先行研究を概観し、共通する事柄を挙げ、モンゴルでも類似した事柄があるかどうかの可能性について考える。そこからこれから自分が行う調査の方向性を明らかにする。これを上と同じく将来書く論文に備えて第2章とする。 もちろん、この形は暫定的なものであって、モンゴルで、西洋音楽受容や音楽政策、社会主義体制下での音楽家の活動について、もっと資料が得られれば変更するかもしれない。 第1章西洋音楽の受容 国家の西洋的近代化が始まると、政治、産業だけではない様々な局面においても西洋的な意味での近代化が始まる。音楽も例外ではない。ヨーロッパで発達した音楽語法、楽器、演奏のあり方、芸術のあり方が輸入される。そしてそれ以前に育ってきた音楽文化と結びつき、新しい発展を見る。現在は西洋的な音楽のあり方は日本でも中国でもモンゴルでもあらゆるところに浸透している。民族音楽と呼ばれるような伝統音楽の分野にさえもその影響は大きい。ではその西洋音楽導入の先駆けとなったものは何であったのか、どのような状況で入ってきたのかをまず確かめたい。できれば将来的に、西洋音楽の受容とそのあり方がその後の歴史にどのような影響を及ぼしたかまで考察を深められたら、と考えている。 第1節 ソヴィエト・ロシアでの受容 ロシアは現在でこそ西洋的な意味での音楽文化の重要な発信国であるが、ロシアもまたアジア諸国とは事情は少々異なるけれども「西洋音楽」を後から受容したのだ。この歴史は伊藤恵子(2002)『革命と音楽』(音楽之友社)によると以下のようである。ロシアは長い間西ヨーロッパとは異なる音楽文化を有していた。ロシアの民族音楽と、ビザンツ帝国からの宗教音楽である。しかしそこにまずカトリック様式の宗教音楽が、そしてロシア皇帝の権威の強大化と西欧化に伴い、貴族のサロン文化の一環として娯楽としての西洋音楽が入ってきたのである。また、移民もこの受容と普及に大きな役割を果たした。そしてロシアにも資本主義が興ってくるにつれ、貴族お抱え以外にも音楽家が活躍の場を広げ、常設の劇場など民衆との接点も増えていった。この時期、文学などその他の芸術と並び、音楽にも、国民楽派と呼ばれる、ロシアの伝統文化、民衆の文化と強く関わりを持つ現在進行形の芸術作品を生み出すようになるまで発展していったのである。その流れは20世紀初頭のロシアン・アヴァンギャルドの下地となる。 第2節 日本、中国などでの受容 日本の国家レベルでの西洋音楽の導入は明治維新(1868年)と共に始まったが、ロシアの貴族サロン文化としての受容とは大きく異なり、国家を統治する為の西洋音楽受容であった。まず塚原康子(2001)「軍楽隊と戦前の大衆音楽」(『ブラスバンドの社会史』青弓社 p.83-124)によると、まず軍隊の近代化に伴い、軍楽隊が創設され、その軍楽隊が西洋式軍制の実用的役割のみならず、公共での演奏活動による西洋音楽の普及媒体としての役割、管楽器奏者を中心とした音楽家の養成機関としての役割も同時に果たした。国家レベルではもう一つ、公教育における学校唱歌が、これも児童への教育の実用的な目的を持っていた(田中耕治他(2005)『新しい時代の教育課程』有斐閣アルマを参照)が結果的に西洋的な意味での音楽普及(つまり伝統音楽以外の外来の音楽という意味で)の一翼を担うことになった。それからもう一つ、キリスト教の音楽が入ってきたこと(ここはロシアと共通である)も、聖歌などに魅了されて音楽家を志す者も多かったことから、重要である。日本以外の国を見てみると、例えば中国でも清朝時代末期に、日本から帰ってきた留学生を通じてというルートもあったものの、主に西洋式軍楽隊、学校唱歌、キリスト教のミッションスクールから西洋音楽が入ってきている(石田一志(2005)『モダニズム変奏曲 東アジアの近現代音楽史』朔北社、p198-206を参照)し、韓国でも同様である(石田一志(2005)『同上』p346-357を参照)。また許常惠(1995)「台湾の音楽」(櫻井哲男編『二〇世紀の音』ドメス出版)によると台湾でも、軍楽隊については述べられていないものの、西洋音楽導入におけるキリスト教と学校教育の役割に言及している。 第3節モンゴルでの受容 ではモンゴルの場合はどうか。上記の日本、中国などの例をみると、宗教(キリスト教)、軍隊、学校教育を中心に西洋音楽が導入されている。モンゴルはというと、1914年にボグド・ハーン宮の側で軍隊の吹奏楽団が結成されており((1999)”Mongoliin soyoliin tu ukh”,p218)、社会主義革命時の有名な歌《Shvee Hyagt》はモンゴルにおける最初の西洋的な技法を用いた作曲と位置づけられている((1981)”BNMAU-iin soyoliin tuukh”1,p276)。教育においても1928年の教育計画を見ると、唱歌が教科に入っているのが分かる(参照:神沢有三(1981)『モンゴルの教育・亀跌・異音畳語』長崎出版)。ただキリスト教に関しては未確認である。西洋音楽導入のあり方は日本や中国などと似通っていた可能性が高い。それに加えて、西洋音楽の「普及」には、主に国家政策や社会主義思想を宣伝するための、地方への巡業音楽会が大きな役割を果たしたと思われる。モンゴルにおける西洋音楽導入に関して、未確認の宗教が果たした役割があったのかどうかを含めて、誰が、あるいはどの機関が、どのような過程でモンゴルに西洋音楽を導入したのか、それにはどのような目的があったのか、をさらに詳しく調べていきたい。 第2章 音楽政策―国家、政治が音楽をどう扱ったか 第2章では全体主義の国家が音楽、特に西洋音楽をどのように扱ったかを、音楽家の組織化に注目しながら見ていく。全体主義国家がどのような音楽政策を行い、そのことで音楽界と社会にどのような影響を及ぼしたかを考える。ソ連、そして第二次大戦中のドイツと日本の研究が詳しいのでそれぞれ第1から3節でその先行研究について触れる。それらをふまえた上でモンゴルについて第4節で言及する。 第1節 ロシア(ソヴィエト連邦)の音楽政策 ソヴィエトでの音楽は「音楽は大衆を一つにするための手段」というレーニンの言葉どおり扱われた。国家が芸術家を統制し、社会主義リアリズムの思想にそぐわないものは排斥した。ただレーニンはこうも述べていた。「芸術を自由に理解し、作品の形式や内容は自由であれ」、「検閲からの解放は皇帝からの解放だから、民衆もその恩恵を受けるべき」この言葉は革命初期においては真実味を持っていた。現に20世紀初頭ではほかの芸術界全体にロシアン・アヴァンギャルドと呼ぶべき新しい芸術運動が興り、音楽においても今までにない様々な試みがなされた。神秘主義、原始主義、12音技法、微分音、電子音、機械文明と音楽の融合などである。しかしそれもスターリニズムの下では抑圧の対象となった。「プロレタリア音楽家同盟」のもたらした混乱(進歩的な音楽家を攻撃し、極端なプレタリア音楽観を押し付けようとした。)の後、国家による音楽家の統制、管理が行われた(ローレル・フェイ/安原雅之訳(1997)「ソヴィエト連邦:1918-45年」Robert・P・Morgan編/長木誠司訳『世界音楽の時代』音楽之友社,p9-30)。反体制的な音楽、実験的で大衆に分かりにくいとされる音楽は、抹殺されるか無視された(具体的には発禁や演奏禁止)。抑圧された音楽は、国内で作られたものはもちろん、海外から入ってくる音楽にも制限がかけられていた。欧米からのジャズや前衛音楽などは資本主義的、ブルジョア的退廃として退けられた。この状況に異を唱える者は亡命するか、作品を通じて密かな抵抗をするしかなかった。ペレストロイカまでこの閉塞状態は続くことになる。ただ、ここで政治における民族主義が抑圧された一方で、民族音楽、民族的な語法による作品が歓迎されたと言う事実は興味深い。とにかく芸術の新しい展開よりも、分かりやすい音楽、社会主義政策に沿う「健康的な」音楽を国家が求めていたのだ。 第2節 ドイツ(第三帝国)の事例 エリック・リーヴィー著/望田幸男監訳(2000)『第三帝国の音楽』(名古屋大学出版会)に沿って話を進めると、ナチス政権下のドイツでは、ナチスがドイツの純粋性を主張し、文化もそれにふさわしいものになるよう制限を加え、あるいはドイツ文化の優秀性の宣伝広報につとめた。このプロセス、方法は共にソ連と似通っている部分が多い。ただここでいう制限の目的はドイツ音楽界の純粋性を守り、ユダヤ人、共産主義者を追放することが目的であった。そのため、ユダヤ人社会の中のみの音楽家組織を作るなど特徴があった。また黒人が劣等人種であるという理由からジャズが攻撃されたり、ユダヤ人攻撃によってロマン派の大作曲家メンデルスゾーンの楽譜が焼かれたりした。ユダヤ文化批判者であったワーグナーの音楽は逆に盛んに持ち上げられた。 もちろんドイツ人の全芸術家を統括する帝国芸術院の下で音楽家も管理された。加えて、ナチスの実力者はきわめて個人的に、自分の権威を示す道具として、特定の劇場を支援することもあった。この点では組織の国家的一元化は、ソ連と違い失敗しているように思える。こうしてナチスが音楽政策に盛んに乗り出したのは、ソ連と同様の20世紀初頭の新しい芸術運動の勃興に、ナチスの主な支持母体であった保守層が伝統的ドイツ文化崩壊の危機感を抱き、攻撃していたからであった。 第3節 戦前、戦時中の日本の音楽政策 日本はドイツを模範として、特に1940年から1945年の敗戦までは国内での音楽家の組織化、統制が行われた。また、1930年代から満州国、中国の占領地での文化工作も音楽を含めて進められていたが、それについては別に機会を設けて述べたい。国内では1934年の「プロレタリア音楽同盟」への弾圧が初期の国家の圧力であろう。その後、愛国精神を高揚させるような歌のコンテストの開催、日中戦争開始に伴う経済統制により楽器などの輸入が制限を受けたこと、同じ時期、演奏活動を警察に届け出なくてはならなくなったことへと、国家の音楽政策は次第に強まる(戸ノ下達也(1993)「戦時体制化の音楽界」参照)。秋山邦晴(2003)『昭和の作曲家たち』(みすず書房)によると、この時期、音楽家たちの多くは自分達の音楽のレベルアップ(演奏技術、公演の質、作曲技法等)に関心が偏っていて、世情への理解が浅かったといってもよく、目だった抵抗運動はなかった。むしろ、紀元2600年記念行事(注)に参加したり、戦時体制下で文化をなおざりにする風潮から音楽家の立場を守るべく、国家により文学者を統制し国策に協力させる団体である会「文学報国会」に近い性格をもつ「音楽文化連盟」を組織したりと、国策に対して疑問を呈するようなことはしなかった。またソ連と違って作品による密かな抵抗というのもほとんどなかった。結果として安易な民族的作品、愛国的な作品が生まれ、またソ連ドイツと同じように、実験的な音楽の流れは断ち切られ、退廃的な音楽とされたジャズなどが禁止された。 (注:伝説上の天皇・神武天皇の即位年を元年とした暦で1940年がその2600年にあたる。当時の皇国主義の下で盛んに使われた。そのため、1940年には記念すべき年としてオリンピックや万博が企画されたが、日中戦争の泥沼化で開催できず、代わりの様々な行事が行われた。) 第4節 モンゴル人民共和国の音楽政策 モンゴルの音楽政策に関しては、まだ私はあまり研究を進められていない。しかし、上のソ連、ドイツ、日本の例をみると、全体主義の下では音楽家の職能別組織化、退廃的と国家が烙印を押した音楽の排除が行われ、作品の問題としては、分かりやすい、愛国的な、特に民族的な作品が歓迎された。モンゴルはソ連に指導、影響を受けている。1933年にはモスクワの音楽コンテストにモンゴルの音楽家が参加している。ソ連でのものと同じような政治的な力がモンゴルの音楽家にも働いた可能性が高い。また日本と同じように、西洋音楽受容と、国家の近代化が同時にしかも短期間に行われた。党に捧げる音楽以外では、民族オペラや民族バレエ、そして草原や馬頭琴など民族楽器を扱った作品が目立つ(モンゴル科学アカデミー歴史研究所編著/二木博史他訳(1988)『モンゴル史』恒文社)。また革命初期の有名曲《Shvee hyagt》は民謡を基に作られている(モンゴル国立文化芸術大学文化芸術研究所編纂(1999)『Mongoliin soyoliin tu ukh(モンゴル文化史)』)。日本と同じように国家の政策と共に音楽も民族的になっていく傾向があったのではないかと推察される。さらに、モンゴルが中国、ロシア白軍の抑圧から独立して間もなかった事も、音楽においても民族主義を高揚させることになったかもしれない。もう一つには、ソ連の手法、つまりより親しみやすく、民衆に社会主義思想を伝えやすくする音楽には民謡など民族的音楽語法を利用した方が、国民に受け入れられやすい、と言う方法がソ連により指導されたかもしれないし、モンゴルが自発的にその手法を取り入れたかもしれない。 音楽家の組織化の問題としては、1930年代、M.Dugarjavが、論文で音楽家の組織の必要性を説いている(Sh.Natsagdorj編纂(1981/1986)『モンゴル人民共和国文化史(BNMAU-iin soyoliin tu ukh)』モンゴル国立出版所,p280)。また劇場、歌舞団の設立や、地方を巡業する社会主義思想普及のための音楽会も数多く開かれているという。社会主義時代には国家が積極的に音楽に関与していったのであろう。そこで、1:国家が音楽に対してどのような思想を持っていたか(社会主義リアリズム、ソ連からの影響)、2:その思想をどのような形で実行したか(ソ連の文化面での指導、モンゴルの音楽政策、音楽家養成、音楽家の統制組織、演奏団体の組織、巡回音楽会の活動内容など)、3:そのような状況下で音楽家たちがどのような活動をしたのか(演奏の内容、演奏レパートリー、作曲された作品、反体制音楽家やそれに近い活動をした音楽家がいなかったか、などの問題)、4:その結果どのような影響が社会にあったか(音楽と民族主義、音楽と思想、他の芸術分野との協力、どのような音楽が歓迎されたか、などの問題)を具体的に調べたい。 終わりに 今後の方針と目標 私は近現代モンゴルにおける文化、歴史と音楽の関わりを深く理解したい。具体的には国家が音楽をどのように利用したか、音楽家たちをどのように扱ったか、そしてその社会の中で音楽家たちがどのような活動を行ったのか、である。これらを可能な限り詳しく論じられるよう調べを進める。上に書いたソ連、ドイツ、日本で行われている様な研究をモンゴルで行いたいのである。 論文を書いた先には、最終的にモンゴルの近代音楽の歴史を総括し、それを日本語あるいは英語で発信できるようにしたい。それをできるだけ多く人たちに読んでもらい、民族オペラや歌、オーケストラ、軍楽隊、民族音楽を含む近代モンゴル音楽史の紹介を広くできるようになりたいと願っている。 参考文献: モンゴル Sh.Natsagdorj編纂(1981/1986)『モンゴル人民共和国文化史(BNMAU-iin soyoliin tu ukh)』モンゴル国立出版所 Ts.バトバヤル著/芦村京、田中克彦訳(2002)『モンゴル現代史』明石書店 生駒雅則(2004)『モンゴル民族の近現代史』(ユーラシア・ブックレットNo.69)東洋書店 小貫雅男(1993)『モンゴル現代史』山川出版社 神沢有三(1981)『モンゴルの教育・亀跌・異音畳語』長崎出版 上村明(2000)『喉歌フーミーとモンゴル(人民共和)国の芸能政策』国立民族学博物館 上村明(2000) 「国民芸能としての英雄叙事詩」『日本モンゴル学会紀要』No.30日本モンゴル学会 上村明(2001)「モンゴル西部の英雄叙事詩の語りと芸能政策」『口承文芸研究』24, 日本口承文芸学会 上村明(1995)「アルタイ・オリアンハイの宴の歌」『日本モンゴル学会紀要』No.26, pp.1-15,日本モンゴル学会 芝山豊(1987)『近代化と文学』アルド出版 モンゴル科学アカデミー歴史研究所編著/二木博史他訳(1988)『モンゴル史』恒文社 モンゴル国立文化芸術大学文化芸術研究所編纂(1999)『Mongoliin soyoliin tu ukh(モンゴル文化史)』 ソヴィエト・ロシア 伊藤恵子(2002)『革命と音楽』音楽之友社 竹内正実(2000)『テルミン』岳陽社 桑野隆(1996)『夢みる権利』東京大学出版会 デトレフ・ゴヨヴィ/安原雅之訳(1997)「ロシアと東ヨーロッパ:1945-70年」Robert・P・Morgan編/長木誠司訳『世界音楽の時代』音楽之友社 ニコライ・カレートニコフ著/杉里直人訳(1996)『モスクワの前衛音楽家』新評論 ローレル・フェイ/安原雅之訳(1997)「ソヴィエト連邦:1918-45年」Robert・P・Morgan編/長木誠司訳『世界音楽の時代』音楽之友社 ドイツ エリック・リーヴィー著/望田幸男監訳(2000)『第三帝国の音楽』名古屋大学出版会 日本 秋山邦晴(2003)『昭和の作曲家たち』みすず書房 秋山龍英(1966)『日本の洋楽百年史』第一法規出版、1966年 井田敏(1999)『まぼろしの五線譜 江文也という《日本人》』白水社 岩野裕一(1999)『王道楽土の交響楽』音楽之友社 高橋巌夫(2002)『昭和激動の音楽物語』葦書房 田中耕治他(2005)『新しい時代の教育課程』有斐閣アルマ 塚原康子(2001)「軍楽隊と戦前の大衆音楽」『ブラスバンドの社会史』青弓社 戸ノ下達也(1993)「戦時体制化の音楽界」赤澤史朗他編『文化とファシズム』日本経済評論社 沼野雄司(2004)「現音小史」『日本現代音楽協会会報 NEW COMPOSER』 2004 Vol.5、日本現代音楽協会 古川隆久(1990)「《紀元2600年奉祝》と対外文化交流」近代日本研究会編『近代日本と情報』山川出版社 堀内敬三(1991)『音楽五十年史』大空社 アジア 石田一志(2005)『モダニズム変奏曲 東アジアの近現代音楽史』朔北社 CDその他 「これが頽廃音楽だ~ヒトラーによって、禁じられ、失われた音楽」ポリグラム株式会社、1996年 「黒船以来 日本の吹奏楽150年の歩み」キングレコード、2003年 ホームページ 櫻本富雄:空席通信 On The Net 利用日2005年11月5日 http //www.sakuramo.to/index.html 小関康幸のホームページ 利用日2005年11月6日 http //www.ne.jp/asahi/yasuyuki/koseki/index.html
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/167.html
その他モンゴル関係など 関根淳(2000)『モンゴル野球青春記』、太田出版
https://w.atwiki.jp/mongolhugjim/pages/139.html
リンク先のページでモンゴルの民謡が聴けます。 ニュースポータルサイト「ソニン・ドット・エムエヌ」(ソニン=モンゴル語で新聞)『黄金時代の音楽文庫』より “N.ノロブバンザド(民謡歌手、人民芸術家)” 不世出の民謡歌手、ノロヴバンザドの至芸をどうぞ。 http //sonin.mn/2009/08/11/norovbanzad/ 1、「穏やかな世界の太陽」 2、「静かにそよぐ風」 3、「麗しき故郷」 4、「お洒落な黒馬」 5、「涼やかで美しきハンガイの地」 6、「手の十指」 7、「山の北側の森を行く子馬」 8、「四季の草原」 9、「ヘルレン川の流れ」 10、「ちっちゃな浅黄の子馬」 11、「ゴーリンゴー」 12、「広大なる草原」 13、M.ドガルジャブ曲/N.ナワーンユンデン詞:「豊かなモンゴル」 14、「ほくろのある麻黒な人」 15、M.ドガルジャブ曲/N.ナワーンユンデン詞:「牛飼いの息子」 16、「浅い大湖」 17、「落ち着いた声の兄さん」 18、「偉大なる真髄」 19、「至福の喜び」