約 1,113,776 件
https://w.atwiki.jp/cthulhu/pages/86.html
出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 この項目ではシリアの首都のダマスカスについて説明しています。 ダマスクスとも表記される。アラビア語ではディマシュク(دمشق Dimashq)で、別名をシャーム(الشام al-sham)という。「世界一古くから人が住み続けている都市」として知られる。カシオン山の山麓、バラダ川沿いに城壁で囲まれた古代から続く都市と新市街が広がる。現在の人口は約200万人といわれるが、都市圏全体では400万人に迫るといわれる。 名前 アラビア語では、この街は正式にはディマシュク・アッシャーム (دمشق الشام Dimashq ash-Sham) と呼ばれている。多くの人は「ディマシュク」と短縮するが、ダマスカス市民やシリアほかアラブ圏の人々「アッシャーム」の別名で呼ぶ。「アッシャーム」はアラビア語の「北」を語源とし、シリア(特に、歴史的シリアについて)のことは「ビラド・アッシャーム」と呼ぶ。英語の「Damascus」はギリシャ語のΔαμασκόςを語源に、ラテン語経由で伝わった。これらは古いアラム語の都市名でダルメセク(דרמשק Darmeśeq よく灌漑された場所)からきている。しかし、アラム人の時代以前の遺跡であるエブラの王国跡地から出土した粘土板には、エブラの南にある町を「ダマスキ」と書いており、ダマスカスの名の起源はアラム人以前に遡る可能性が大きい。 地理 ウマイヤド・モスクのミナレットダマスカスは地中海から約80km内陸に位置し、アンチレバノン山脈で海からさえぎられている。街は海抜680mの高原の上にある。ダマスカスの位置は、北緯33度30分、東経36度18分。 [1] 城壁に囲まれた古代都市ダマスカスはバラダ川のすぐ南岸にある。その南東、北、北東の方角には中世に遡る近郊地域がある。また南西にはミダン、北と北西にサロウジャとイマラの各地区がある。これらの地区はもとは都市から外に出る街道沿いの、宗教上重要な墓所の近くに発生したものであった。南にはグータ (الغوطة) という、森や田園からなる大きなオアシスがあり、エデンの園のモデルとされる場所である。 19世紀、旧市街を北西から見下ろすジャバル・カシオン(カシオン山、カインとアベルが最初の殺人を行ったとされる場所)の斜面上に近郊農村が開発された。すでに近くには、ムヒッディーン・イブン・アラビの廟の周りにサリヒイー地区ができていた。これら新しい地域はまずクルド人の軍人たちやオスマン帝国のヨーロッパ地域(キリスト教徒に制圧されつつあった)からのムスリム難民らが入植した。それゆえ、これら地域は「アル・アクラド」(クルド人)や「アル・ムハジリン」(移民)と呼ばれている。これらは旧市街から2-3km北に横たわっている。 19世紀後半から、近代的な行政・商業の中心が旧市街の西側のバラダ川の周囲、「アル・メルジェ(牧草地)」と呼ばれる場所を中心に発生した。アル・メルジェはすぐに近代のダマスカスの中心となる市庁前の広場の名前(マルジェ広場)となった。裁判所、郵便局、アナトリアやヒジャーズに通じる鉄道駅が、少し南の高い場所にできた。ヨーロッパ化された住宅街区がアル・メルジェ広場とサリヒイー地区の間をつなぐ道路沿いにでき始めた。新市街の商業と行政の中心地は、次第にその方向へ、北側へ移動し始めた。 20世紀になると、より新しい郊外がバラダ川の北側に開発され、旧市街の南にも広がりグータ・オアシスを侵食し始めた。1955年から、新しい街区ヤルムークが数万人のパレスチナ難民のキャンプとなった。都市計画家は南のグータの森を可能な限り残そうと考えたため、20世紀後半には主な開発は市の北部、および西部のメッツェ地区、最も最近ではバラダ川の流れる先の北西部ドゥマールの谷と、北東部のベルゼの山々の斜面で行われている。貧困な地区は、公式な許可なく建てられ、ほとんどは旧市街の南に集中する。 ダマスカスはオアシスに囲まれている。グータ・オアシスの森は、バラダ川の水に潤されている。バラダ川に沿って西に行ったところにあるフィジェーの泉は市街に飲料水を提供している。グータ・オアシスは、ダマスカスの急速な住宅や産業の拡大により面積が減ってきている。また街の交通、産業、廃棄物により汚染されてきている。 歴史 古代からシリア地方の中心都市で、紀元前10世紀にはアラム人の王国の首都が置かれていた。 その独立は新バビロニアやペルシア、セレウコス朝、ローマ帝国に敗北し失われた。ローマ時代においてダマスカスはギリシャ・ローマ文化のとても重要な中心であり、自由都市連合の名誉都市となった。その後イスラム帝国によって635年に征服され、ウマイヤ朝の首都として栄えた。ウマイヤ朝が705年にキリスト教の教会をモスクに改造して設けたウマイヤド・モスクが現存し、シリアで死んだサラーフッディーン(サラディン)やバイバルスの墓もこの町にある。 古代 ダマスカスの辺縁にあるテル・ラマドの遺跡により、ダマスカスは紀元前8000年から10000年もの昔から人が定住していたことが分かる。ダマスカスが人間が連続的に定住した世界で最も古い都市であると言われるのは、この故である。しかし、アラム人(アラビア半島から来たセム語派系の遊牧民)の登場までは、ダマスカスは重要な都市として記されることは無かった。バラダ川の利便性を最大に広げた運河と隧道の建設によってダマスカスに水道システムを始めて構築したのはアラム人であることが知られている。後にこのネットワークはローマ人とウマイヤ朝によって改良され、今日のダマスカス旧市街の水道システムの基礎をなしている。紀元前1100年、この都市はアラム・ダマスカスと呼ばれる強力なアラム人国家の中心になる。アラム・ダマスカスの王はこの地域をアッシリア人とイスラエル人とのいくつもの戦争に巻き込んだ。そうした王の一人、ベン・ハダト二世は、Karkarの戦いにおいてシャルマネセル三世と戦った。アラム人の都市の遺構は壁に囲まれた旧市街の東部に埋まっている可能性が最も高い。紀元前732年にティグラス・ピレセル三世が都市を占領し破壊して後、数百年間独立を失い、紀元前572年に始まるネブカドネザル2世による新バビロニア王国の支配下に入る。バビロニア人の支配は、紀元前539年キュロス率いるペルシア帝国軍が都市を占領し、ペルシア支配下のシリア州の州都としたときに終わる。 ギリシア・ローマ ダマスカスは、近東を席巻したアレキサンダー大王の大遠征により西洋の支配下に入る。紀元前323年アレキサンダーの死後、ダマスカスはセレウコス朝とプトレマイオス朝の闘争の場となる。都市の支配権は両者の間を頻繁に行き来した。アレキサンダーの将軍の一人セレウコス・ニカトールは、アンティオキアを彼の広大な帝国の首都にした。これにより、北方のラカティアのような新たに建設されたセレウコス朝の都市に比べると、ダマスカスの重要性は衰えることになった。 紀元前64年、ポンペイウス率いるローマがシリア西部を併合した。彼らはダマスカスを占領し、デカポリスとして知られる十都市連合に組み入れた。ギリシャ・ローマ文明の主要な中心地だと考えられたためであった。新約聖書によれば、聖パウロが幻視を体験したのはダマスカスへ向かう途中であったとされる。37年、ローマ皇帝カリグラは政令によりダマスカスをナバテア王国の支配下に置いた。ナバテアの王アレタス四世フィロパトリスは首都ペトラからダマスカスを支配した。しかし、106年頃、ナバテア王国はローマ人に征服され、ダマスカスはローマの支配下に戻る。 ダマスカスは2世紀の始めまでには一個の巨大都市になっており、222年、皇帝セプティミウス・セヴェルスによりコロニアに昇格する。パックス・ロマーナの到来とともに、ダマスカスとローマ領シリアは全体的に繁栄する。南アラビア、パルミラ、ペトラからの貿易路、および中国に始まる絹の貿易路がすべてダマスカスに収斂することから、キャラバン都市としてのダマスカスの重要性は顕著だった。ダマスカスは東方に産する贅沢品へのローマ人たちの需要を満たした。 ローマ建築の遺構はほとんど残っていないが、旧市街の都市計画は長く続く効果を持っていた。ローマ人の建築家は、ギリシアとアラムの都市基盤を組み合わせ、城壁に囲まれた、長さおよそ1500×750メートルの新しいレイアウトに融合させた。城壁には七つの門があったが、東門(バーブ・シャルキー)はローマ時代から残り続けている。ローマ時代のダマスカスはほとんどが現在の都市の5メートル以内の地下に埋まっている。 ムスリムの征服からファーティマ朝まで ダマスカスのウマイヤッド・モスク 現在でも利用されているモスクとしては最も古いものの一つであり、規模も最大級である636年、ダマスカスは第2代正統カリフ・ウマル・イブン=ハッターブ(ウマール一世)に征服される。その直後、661年から750年まで続くアンダルス(現在のスペイン)からインドまで広がるウマイヤ朝の首都となったときに、この都市の力と威光は頂点に達する。705年にキリスト教会をモスクに改造したウマイヤド・モスクは今でもダマスカスに残っている。744年、最後のウマイヤ朝カリフ、マルワーン2世は首都をジャジーラ(メソポタミア北部)にあるハラーンに移し、こうしてダマスカスはかつての再び政治的重要性を取り戻すことは無かった。 750年、ウマイヤ朝が倒れ、アッバース朝が興ると、ダマスカスはバグダードから支配される。858年、アル=ムタワッキルは首都をサマラから移転する意図の下に短い間そこに居を構えたが、彼はすぐにこの考えを放棄した。アッバース朝が傾くに連れ、ダマスカスは不安定が広がり、地方の王朝の支配下に入る。875年、エジプトの支配者アハメド・イブン・ツリンがこの都市を手に入れ、アッバース朝の支配は905年になるまで回復しない。945年、ハムダーン朝がダマスカスを手に入れ、その後しばらくしてイフシード朝の開祖ムハンマド・イブン=トゥグジュの手に渡る。968年そして971年にこの都市は短い間カラミタに占領される。 ファーティマ朝、セルジューク、十字軍 970年、カイロにいたファーティマ朝のカリフがダマスカスの支配を取り戻す。これがこの都市の波乱の時代の幕開けだった。ファティマ軍の主力をなすベルベル人の軍隊は、市民の間で非常に不評を買った。シリアにおけるカラミタ人、時にはトルコ人の軍隊の存在は、ベドウィンからの絶え間ない圧力を増やした。978年から短い間、ダマスカスはイザッディン・アル・カッサムの指導と市民軍の保護の下で自治を行っていた。しかし、グータ・オアシスはベドウィンの侵入を受け、トルコが率いる戦役の後、この都市は再びファティマ朝の支配に屈する。1029年から1041年までは、ファーティマ朝カリフ、アル・ザーヒルの下、トルコ人の軍事指導者アヌシュタキンがダマスカスの総督となり、かつての栄光を取り戻すため大いに働いた。 この期間は、ダマスカスがブロックとインスラ(集合住宅)で特徴付けられるギリシア・ローマ風の都市計画から、より親しみやすいイスラム風の都市へとゆっくりと変わっていく時期であったようだ。格子状の直線の大路は、狭い街路のパターンへ変わり、ほとんどの住人が、夜には犯罪者や徴税から守るための重い木戸で閉鎖されるハラートの中に住むようになった。 11世紀後半のセルジューク朝の到来により、ダマスカスは再び独立国家の首都になる。1079年から1104年まではセルジューク朝およびシリア・セルジューク朝に支配されたが、それから別のトルコの王朝、ブーリー朝に支配される。彼らは1148年の第二回十字軍の攻城戦にも耐え抜いた。1154年にはダマスカスは十字軍の宿敵、アレッポのザンギー朝の有名なアタベク・ヌールッディーンに征服される。彼はダマスカスを首都としたが、彼の死後にアイユーブ朝エジプトの支配者サラーフッディーン(サラディン)に奪われ、その首都となる。サラーフッディーンは城砦を再建し、彼の統治下では郊外もあたかも都市そのもののごとく広大であったという。イブン・ジュバイルの記すところによると、サラーフッディーン時代にはダマスカスは多くの大学があり「乱されることの無い研究と隠遁」を求めて世界中から集まる勤勉な若者や知識を求める者を歓迎したという。 アゼム宮殿サラーフッディーンの死後、ダマスカスとカイロを治めるアイユーブ朝のカリフの間に頻繁に衝突が起きる。ダマスカス鋼は十字軍の間で伝説的な名声を得、今日なお模様の有る鋼はダマスカスと呼ばれる。ビザンチンや中国の紋様の有る絹織物は、シルクロードの西の終点ダマスカスを経由して運ばれたため、英語ではダマスク織という言葉が生まれた。 マムルーク朝の支配 アイユーブ朝の支配(および自治)は、1260年モンゴル帝国がシリアに侵入したときに終わる。モンゴルの撤退後はマムルーク朝の地方首都となり、エジプトから支配される。 ティムール襲来 1400年にモンゴル人の征服者ティムールがダマスカスを攻撃した。マムルークのスルタンはカイロから、イブン=ハルドゥーンら代表団を送り交渉に当たらせるが、彼らが去った後街は略奪される。ウマイヤード・モスクは燃やされ、男女は奴隷にされた。膨大な数の職人がティムールの首都サマルカンドに連れ去られた。それでも、彼らは幸運な部類だった。数多くが虐殺され、その首は城壁の北東隅の外に積み上げられた。今日なお都市の一角にburj al-ruus(原義は「首の塔」)という名が付いている。 ダマスカスは再建され、1516年までマムルークの地方首都として機能した。 オスマン帝国の統治 1516年にマルジュ・ダービクの戦いでオスマン帝国がマムルーク朝を破って以来、ダマスカスは1918年までオスマン帝国によって統治されることとなった。オスマン帝国による統治が始まった1516年当時の人口は、全市でおよそ5万5000人(約8000戸)ほどであったと推定されている。オスマン帝国時代には数度にわたる行政区画の改変があったが、ダマスカスは常に州都の地位を維持していた。これは、ダマスカスがアレッポと共に帝国のシリア地方支配の要となる都市であり、長くこの地域の政治・経済の中心地であったほか、ムスリムにとって重要なマッカ巡礼に向かうキャラバンの出発地であったため、その点においても帝国にとって重要な都市であったためである。 18世紀以降帝国が衰退を始めると、各地でアーヤーン(名士)と呼ばれる半独立の大土地所有者が登場する。シリア地方も例外ではなく、ダマスカスとハマを治めたアズム家などが知られている。アズム家は州の総督の座を世襲し、中央の権力から半独立状態を保った。アズム家は19世紀に入ると中央政府によるタンズィマート(恩恵改革)によって独占的な地位を失ったものの、その後もダマスカスの名望家として地域社会に大きな影響力を与え続けた。ダマスカスの旧市街にはアズム家によって建てられた宮殿が残っており、現在では観光名所の一つとなっている。 その後、二度のエジプト・トルコ戦争の結果、1832年から1840年にかけてシリア地方はエジプトのムハンマド・アリー朝の支配を受け、ムハンマド・アリーの息子であるイブラーヒーム・パシャがダマスカスを支配した。その後、1840年のロンドン条約によってダマスカスがオスマン帝国の支配下に戻ると、ダマスカスにはオスマン帝国軍の第5軍団の司令部が置かれた。1860年には大規模な暴動が発生している。背景にあったのは経済的な問題であったが、キリスト教徒とムスリムの宗教対立に転嫁したことで多数の犠牲者を生んだ。1870年代にはシリア州総督となったミドハト・パシャによってスーク(市場)の整備などが行われ、この時期に整備された二つの屋根付きのスークは現在でも使用されている。また、1908年には市電が開業している。 ダマスカスのヒジャーズ鉄道の駅19世紀後半から20世紀初頭のダマスカスは、徐々に近代的なインフラの整備も行われ、地域における政治・軍事の中心地としても重要な都市であった。しかし、以前とは異なり経済面では新興の港湾都市であるベイルートにその地位を脅かされるようになっていた。これはスエズ運河が開通したことで、ヒジャーズ方面への旅客・貨物が以前のようにダマスカスを通らずにベイルートから直接船で運ばれるようになったためである。このような状態に危機感を覚えたダマスカスの商人達は、対抗手段としての鉄道建設を強く要望し、中央政府への陳情を繰り返した。これは、1900年から始まったダマスカスを起点とするヒジャーズ鉄道の建設という形で一応の結実をみたが、それでもベイルートに奪われた地域経済の主導権を奪い返すまでには至らなかった。 また、ダマスカスは近東におけるドイツの「世界政策」(3B政策)の舞台にもなった。1898年にはドイツ皇帝ヴィルヘルム2世自らダマスカスを訪れ、「ドイツ皇帝は世界3億の回教徒の友人である」という有名な演説を行ってドイツ帝国とオスマン帝国の関係の緊密さをアピールした。この際ヴィルヘルム2世はサラーフッディーンの廟に参詣し、石で出来た棺と金属製の花輪を寄贈している(なお、花輪は後にトーマス・エドワード・ロレンスがダマスカスに入城した際に持ち去ったと言われている。棺の方は現在でも廟に展示されている)。 アラブ・ナショナリズムの勃興 都市に大きな影響を与えていた名望家層が鉄道建設などを通じてイスタンブルの宮廷と直接結びついていたこともあって、ダマスカスはベイルートと比べると民族主義の勃興が遅れたが、20世紀初頭にはダマスカスでも民族主義的感情が興るようになった。始めは文化的ナショナリズムだったが、次第に政治的色彩を帯び始めるようになる。また、ダマスカスで起こったアラブ・ナショナリズムの諸運動は、ベイルートで起こったアラブ・ナショナリズムの諸運動が早くから帝国からの独立を要求したのと対照的に、比較的遅い時期まで帝国の枠組みの中での自治を要求する傾向があった。 1908年の青年トルコ人革命後、統一と進歩委員会が中央政府を掌握すると、ダマスカスでもアラビア語の公用語化や連邦制の導入といった、アラブ人の権利や帝国の分権化を要求する運動が起こるようになる。これらの動きに対し、中央集権化を進めたい統一と進歩委員会は時には懐柔しつつも、もっぱら強硬策をもって臨んだ。このような統一と進歩委員会の方針は中央集権化という名の「トルコ化」政策であると受け取られ、ダマスカスのアラブ・ナショナリストの中にも自治から独立へとその主張をより強める動きが現れるようになった。 第一次世界大戦が始まると、統一と進歩委員会の中心人物であるジェマル・パシャが方面軍の司令官としてダマスカスに赴任してくる。1915年から1916年にベイルートとダマスカスで、ジェマルにより愛国的な知識人が数多く絞首刑にされたことは、さらにナショナリストの感情を逆撫ですることになった。また、この処刑はダマスカスの住民にマッカの太守フサイン・イブン・アリーによる「アラブの反乱」への支持を広げる結果にもなり、1918年にアラブ軍とイギリス軍が迫るに連れて、住民は撤退してゆくトルコ軍に対して発砲した。 近代 1918年10月、フサインの息子であるファイサル・イブン・フサイン率いるアラブ軍はダマスカスに入城する。1920年にはファイサルを国王とするシリア王国の建設が宣言されたが英仏はこれを認めず、ファイサルはダマスカスを追われた。サイクス・ピコ協定に基づき、シリア地方が英仏に分割されると、ダマスカスはフランスの委任統治下に入った。 建造物等 歴史的地区 アナニアス・チャペルダマスカスは、都市の歴史のさまざまな時代に遡る歴史的地区の宝庫である。この都市は過去の占領者ごとに増築されたため、現在の都市の8フィート地下に埋まっているダマスカスのすべての遺構を発掘するのはほとんど不可能である。ダマスカスの城砦は旧市街の北西隅に位置する。 使徒行伝第9章第11節にある聖パウロの改宗に登場する、直線と呼ばれる街路またの名をVia Rectaは、ローマ時代のダマスカスのメインストリートの一つであり、1500メートル以上の長さがあった。 この道は今日ではバーブ・シャルキー通りと覆いのある市場、スーク・ミドハト・パシャとなっている。バーブ・シャルキー通りは小さな商店に満ち、キリスト教徒の区画Bab Touma(聖トマスの門)に通じている。スーク・ミドハト・パシャもまた、ダマスカスの主要な市場であり、スークを刷新したオスマン時代のシリア州知事ミドハト・パシャにちなんで名づけられた。バーブ・シャルキー通りの端には、アナニアスの家の地下貯蔵庫であった地下教会がある。また、ダマスカスにはスーク・ミドハト・パシャと平行にもう一つ屋根つきのスークがあり、こちらは建設当時のオスマン帝国のスルタン・アブデュルハミト2世の名にちなみスーク・ハミディーエと呼ばれている。 ウマイヤード・モスク、またの名をダマスカスの大モスクは、世界で最も大きいモスクの一つであり、イスラム教が始まって以来最も長く祈りが捧げられ続けている場所の一つでもある。モスク内の寺院には洗礼者ヨハネの頭が納められていると言われている。 ダマスカスの城壁と城門 Bab Kisanの門、現在は聖パウロを記念した教会ダマスカスの旧市街は、北と東、および南の一部を塁壁に囲まれている。現存している門は七つある。最も古いものはローマ時代にまで遡る。城砦の北から時計回りに Bab al-Faraj (救いの門) Bab al-Faradis (果樹園の門) Bab al-Salam (平和の門)以上三つは旧市街の北側にある。 Bab Touma (トマスの門)北東の隅にあり、同じ名前のキリスト教徒の区画へ通じている。 Bab Sharqi (東門)東の壁にあり、ローマ時代の設計が残っている唯一のもの。 Bab Kisan、南東にあり、聖パウロがここから籠に入って塁壁から吊り下げられてダマスカスから脱出したという伝説が残っている。現在は閉鎖されており、この故事を記念する教会がその場所に建てられた。 al-Bab al-Saghir (小さい門)南側にある。 加えて、Bab a-Faraj、Bab al-Faraidis、スーク・ミドハト・パシャへの入り口にあるBab al-Jabiya、およびスーク・al-Hamidiyyaの入り口近くにあるBab al-Baridは、かつてはスークへの入り口の区域を指していた、ダマシーンという名で呼ばれている。城壁の外にある二つの区域もまた、「門 (bab)」の名を持っている。Bab MousallaとBab Sreijaであるが、どちらも城壁の外の南西にある。 姉妹都市 エレバン、アルメニア 外部リンク ダマスカスのインタラクティブ地図(英文) ダマスカスの簡単な地図画像(英文) ダマスカスの古代街道史(英文) Oldamascus.comダマスカスに捧げられたサイト(英文) ダマスカスの写真を多く掲載(英文) 大規模な復旧計画に関する記事(英文) Tell Ramad "http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%B9" より作成
https://w.atwiki.jp/adventurersguild/pages/183.html
ダマスカス とある古代王国で生み出されたと言われる、非常に貴重な金属。 その製法は既に失われており、ダマスカスを用いた武具のみが現存している。 主に刀剣の素材として用いられ、ダマスカス製の刃は非常に強靭な上に 非常にしなやかで軽く、しかも決して錆びることがないと言われる。 複雑に浮かんだ層状の美しい流水模様から、美術品としても大変な高値がつく。 いくつかの武器工房で復元の試みがされ、実際に近い性質の模倣品は 製作されているものの、完全な再現にはいまだ至っていない。 +... 名前の由来は、主にシリアのダマスカスで用いられた事による。 (正確にはインド産の「ウーツ鋼」を、ダマスカスで刀剣類に鍛造した) 顕著な特徴である表面の木目あるいは流水模様は、不純物の組成により素材に 層構造が形成されるためであり、鍛造時に複雑な縞模様が現れるのである。 ファンタジー作品に名前が時たま登場することもあり、よく誤認されているが ダマスカス鋼は別段「失われた最強の金属」という訳ではない。 完全再現こそ出来ていないものの、解析により詳細な材質や当時の製法も ほぼ判明しており、神秘の素材などではなく単に刀剣の素材としての鋼である。 ただし作成された当時としては驚異的な硬度を誇る、超高炭素鋼または最硬鋼と 呼ばれる種類の高品質な鋼材であり、極めて優れた素材であった。 なお、現代において流通しているダマスカス鋼は異なる金属を組み合わせて鍛造し、 意図的に模様を再現した模倣品である。 製造メーカーによれば、各金属の長所を持ち合わせた粘り強く錆びにくい、 優れた刃物製品が生まれるのだとか。 +... 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sakabamasuta/pages/214.html
ダマスカス とある古代王国で生み出されたと言われる、非常に貴重な金属。 その製法は既に失われており、ダマスカスを用いた武具のみが現存している。 主に刀剣の素材として用いられ、ダマスカス製の刃は非常に強靭な上に 非常にしなやかで軽く、しかも決して錆びることがないと言われる。 複雑に浮かんだ層状の美しい流水模様から、美術品としても大変な高値がつく。 いくつかの武器工房で復元の試みがされ、実際に近い性質の模倣品は 製作されているものの、完全な再現にはいまだ至っていない。 +... 名前の由来は、主にシリアのダマスカスで用いられた事による。 (正確にはインド産の「ウーツ鋼」を、ダマスカスで刀剣類に鍛造した) 顕著な特徴である表面の木目あるいは流水模様は、不純物の組成により素材に 層構造が形成されるためであり、鍛造時に複雑な縞模様が現れるのである。 ファンタジー作品に名前が時たま登場することもあり、よく誤認されているが ダマスカス鋼は別段「失われた最強の金属」という訳ではない。 完全再現こそ出来ていないものの、解析により詳細な材質や当時の製法も ほぼ判明しており、神秘の素材などではなく単に刀剣の素材としての鋼である。 ただし作成された当時としては驚異的な硬度を誇る、超高炭素鋼または最硬鋼と 呼ばれる種類の高品質な鋼材であり、極めて優れた素材であった。 なお、現代において流通しているダマスカス鋼は異なる金属を組み合わせて鍛造し、 意図的に模様を再現した模倣品である。 製造メーカーによれば、各金属の長所を持ち合わせた粘り強く錆びにくい、 優れた刃物製品が生まれるのだとか。
https://w.atwiki.jp/memotyors/pages/97.html
ダマスカス鋼(ダマスカスこう、英 Damascus steel)は、かつて生産されていた木目状の模様を持つ鋼の名称である。強靭な刀剣の素材として知られるが、19世紀に生産が途絶えたため製法がはっきり分かっていない。 この鋼材の起源はインド発祥のウーツ鋼であるが、それがシリアのダマスカスで刀剣等に加工されていた。中世の十字軍遠征で兵士が西洋に持ち帰り、ダマスカス刀あるいはダマスカス鋼として西欧世界に知られるようになった。 概説 現在は異なる2種類のものに同一の名称が用いられている。本来のダマスカス鋼による刀剣などの製品は10世紀頃から18世紀頃まで現在のシリアにあたる地域で製造されていたが、現在はインドでの鋼材の製造法など、製造技術が失われている。 ウーツ鋼とも呼ばれる高炭素鋼材、インドの一部地域に由来する鉄鉱石を原料とする。ウーツとは地名ではなく サンスクリット語で「硬い」あるいは「ダイヤモンド」の意。その特殊な不純物の組成から、るつぼ内で製鋼されたインゴット内に カーバイド(Fe3C)の層構造を形成し、これを鍛造加工することにより表面に複雑な縞模様が顕れる。 刀剣用の高品質の鋼材として珍重された。その後の学術的な研究により、ほぼ完全な再現に成功していたと思われていたが、 ドイツのドレスデン工科大学のペーター・パウフラー博士を中心とする研究グループによる調査で、 ダマスカス鋼からカーボンナノチューブ構造が発見されたことで、現代のダマスカス鋼の再現は完全でないことが判明した。 異種の鋼材を積層鍛造して、ウーツ鋼を鍛造したときに現れるものとよく似た縞模様を表面に浮かび上がらせた鋼材。 安来鋼などと混ぜ合わせることにより現在は主に高級ナイフ用に用いられる。模様の映えを優先させる場合、 炭素鋼と併せてニッケルが用いられることが多い。鋼材をモザイク上に組み合わせ、折り返し鍛造を行わないことによって 任意の模様を浮かび上がらせることも可能である。また、鋼製のチェーンやワイヤーを鍛造することで製作する チェーンダマスカスやワイヤーダマスカスといった鋼材も知られる。 ウーツ鋼、積層鍛造鋼のどちらの場合でも、表面を酸で腐食させ、腐食度によって現れる凹凸や色の濃淡で模様を際立たせることが多い。 ダマスカス刀剣を再現する試みについて ダマスカス刀剣の製法は19世紀に途絶えている。材料工学者のJ.D. VerhoevenとナイフメーカーのA.H. Pendrayらが現存するダマスカス刀剣を解析することにより、当時の製法で同等の刀剣を鍛造している。 製法はまず、鉄鉱石に木炭や生の木の葉をるつぼに入れ、炉で溶かした後にるつぼを割ると、ウーツ鋼のインゴットを得る。次に、ウーツ鋼からナイフを鍛造する。 ダマスカス刀剣の特徴となるダマスク模様として炭素鋼の粒子が層状に配列するためには鋼材に不純物として特にバナジウムが必要であったとされる。このことから、ウーツ鋼とダマスカス刀剣の生産が近代まで持続しなかった原因をインドに産したバナジウムを含む鉄鉱石の枯渇に帰する推測を行っている。 また本研究ではこの模様の再現についても検討を行っている。鍛造中のナイフ表面に縦に浅く彫り込みを入れた後に鍛造を行うことで、彫り込みの形状に沿った模様が生じた。直線状に彫り込んだ場合ははしご模様(Ladder Pattern)、丸く彫り込んだ場合はバラ模様(Rose Pattern)が生じる様が報告されている。 類似する模様出しの方法に日本伝統工芸の「木目金」(もくめがね)がある。
https://w.atwiki.jp/mirrnagi/pages/134.html
ウマイヤ朝 ダマスカス ウマイヤ朝の都である
https://w.atwiki.jp/socmyth/pages/185.html
ダマスカス鋼(ダマスカスこう)は、古代インドで造られた金属で、シリアのダマスカス(英語:Damascus)で刀剣などに用いられたことに由来する。 参考Webリンク ダマスカス鋼 - Wikipedia Damascus steel - Wikipedia Damascus steel - Wiktionary 作品 パズル ドラゴンズ 紫石龍・ダマスカス タグ 英語
https://w.atwiki.jp/foresanc/pages/1798.html
1 名前 ダマスカス 2 年齢 ??? 3 性別 男性型 4 種族 ゴーレム 5 外見 紺色のメタリックボディーを持ち、頭部後方に向かって反り返ったホーンパーツが特徴。 カメラ・アイは鋭い目付きで真紅に光っており、マスク・パーツには牙の生え揃った開いた口の意匠が拵えられている。 体各部のトゲトゲしいパーツで凶器的な印象を与えながらも、作りは芸術品のようであり、壁際に正しい姿勢で立っていれば装飾用の鎧と見紛うほど。 身長:180cm 体重:100kg 6 性格 いつも下卑た笑いで真意を隠しているように見え、そこに真面目さは感じられない。 誰に対しても同じような態度を取る為に、出会った相手からの印象は「本心を見せないふざけた男」か「嫌な奴だが裏表は無い」かのどちらかを貰いやすい。 何を持ってテロリストに与しているのかはメンバーの誰も知らない。 7 過去 「ある男に頼まれてこういう事をしなきゃならなくなっている」と語る。 8 職業 テロボッツ 9 口調 「私の名前はダマスカス……あらら、言う事、これくらいしか無いみたいで…ヘヘヘ」 「私って壊す事とかはそんなに得意でも、好きでもないっちゅうに…イヤだねえ」 「俺はロボットじゃねェッてのに…ヘヘヘッ」 「アヨヨヨ…あんまり動かンで下さいな。あたしも無益な殺生をしたいわけじゃアないんでねエ」 「おや、泣いちゃった?泣いてない?よせヨセ止せ、泣いても情けないだけで何も変わらんよ」 「アハハ、あい、すいません、はい…いやね、違うんですよ…はい、それとは違います…はい、別に裏切っただとかそういう話じゃ無くてですね、ハイ、奇襲を予定してたんですよぉ~予定…敵を欺くにはまず味方からって言うでしょ?ちゃんとお助けするつもりでした、本当。ね?僕はよく誤解されるんですよぉ~本当にハハハ」 「でもですね、自分を善良だと思ってた人間が、ある日人からドス黒い悪呼ばわりされたらコタえるモンだと思いませんか?え?」 「あ、すいません…はい、私はダマスカスですが…え?知ってる…はい、スイマセン」 「どうぞ、コレでも使ってくださいな。ワタシは後ろから援護に周りますんで。ハハ…」 「ごめんくっさい。私これでも結構涙無しには語れなさそーな事の為に頑張ってるんで…そこを何とか、お願いしますよ」 「『万能型』じゃ『特化型』には勝てませんから。ほら大将、ここは貴方が頑張らなきゃダメな場面です」 「お金ですよお金、通行料。出してくれたらこっちとしてもキツい運動しなくて済むからいいなぁ~なんて…」 「罪悪感とかは…そのぉ………ええとですね……ぜ~んぜん感じない!」 「生きてる限りちょこぉ~っとずつ他人には迷惑をかけるでしょ?恐らくあたしはそれが少し目立つだけですよ、多分ね」 10 一人称、二人称 一人称:あたし、私、僕、俺 二人称:貴方、キミ、~~さん、~~くん 11 好きなもの ナンバー2以下の地位 目立たない事 ウィンドウショッピング 片付けの行き届いた綺麗な部屋 押し売り 12 嫌いなもの ウェディングドレス ハロウィン インラインスケート 特化型の戦闘スタイルを持つ者 13 好きな人 いないけどいる 14 パートナー いないけどいる 15 属性 無し 16 苦手な属性 星 17 戦闘スタイル そこそこ頑丈でそこそこ素早くそこそこ腕力の有るボディとその場その場で変わる武器を使った平凡で変化の多いスタイル。 武器は与えられれば何でも使う事が出来るが、その道の達人には適わないような腕前のものばかり。 立ち回りと狡猾さで生き延び、勝ったり逃げたりして来たようなものであり、平坦で何をとっても飛びぬけた物が無い。 真正面から当たる事を避け、常に多対一、味方の援護を受けながら、もしくは自身が援護に周りながら闘う。 相手の不意を突いたり隠れながら闘う場合はその限りではなく、毒や設置型トラップを多用するのを好む。 18 精神力 戦闘力はどう贔屓目に見ても図抜けている所は無いが、精神だけはどうあっても冷静。 かなり高い。 19 戦闘熟練度 ★★★☆☆ 20 技や魔法 「いろんな魔術」 が使えるが、どれも初級、かなり良くて中級のものがチラホラ使える程度。 「いろんな武術」 が使えるが、どれも中級者には適わないレベル。 「ラッチ・ランチャー」 胸部に内蔵した多目的ランチャー。とりあえずいろんな物を発射出来る。 普段はグレネード弾、煙幕弾、ビーム・チャフ、マジック・チャフ、使い捨て魔力回復装置、サブエネルギーパックがそれぞれ1セットずつ内臓。 最後に毒針を二スペース分使って二束収納している。 21 特殊能力・特殊技能 「そこそこ色んな事が」 出来るが、どれも「そこそこ出来る」に留まっている。 22 必殺技 「いのちごい」 ゲザーとしての矜持を見せるが、あんまり通用した事が無い。 単なる時間稼ぎ。 23 能力 体力 概念なし 魔力 B 腕力 B 知力 B+ 素早さ B 命中 B 24 武器やアイテム 「いろいろ」 持っているらしい。 人によく貸し出すが、あんまり返ってこない。 25 その他 ↑+Y
https://w.atwiki.jp/asakuri/pages/18.html
ダマスカス 貧困地区 イスラム軍旗 : 33本 運河に浮かんでいるボートの舳先 高所、高い場所にある木の棒の足場の上 高所、二つの建物を繋いでいて、運河の上の木橋の上。 運河のボートの上 建物の上、商店の2階の屋上にある小さな籠の上(傍に隠れ場所) 建物の上、小さな庭の奥の一段高い足場の上(On a small, one-story structure with a wooden roof in a small courtyard) 高所、柵のある木製バルコニーの上、城壁傍 高所、2つ建物の間にある一段低い屋上の木の棒の上 高所、マーケットドームの中の梁の上(建物の中) 地上、路地の突き当たり。小さい庭園の傍、梯子の傍 建物の上、市場の屋上。市場出入り口のドーム型になっている屋根の際(アーケードの装飾の裏) 建物の上、建物の屋上を繋ぐ板張り屋根の上 やや高所、階段の上がり口、小さいポーチの扉の前 地上、路地の奥 モスクの上。屋上の大きなドームの傍(広場が見渡せる場所) 建物の上、三角形の建物の屋上 地上、路地の角にある休憩所の奥。(屋根の下にあるので高所から見えにくい) 地上、建物の横。干し草の山傍の木箱の横 地上、休憩所の奥。(17と同じく旗の上に屋根) 庇の上 地上、壁際。側に椰子の木 建物の上。梯子を降りた所、庇の下 地上、小さな路地。頭上に木の板が張ってある 地上、壁に囲まれた庭の中 地上、小さな路地(階段の下) 庇の上 階段の中央の小さい壁の上 建物の上、マーケットの長いドームに囲まれた場所 地上、路地の突き当たり。梯子の下 モスクの上、演説者の真上あたり。 階段の脇のポーチの上 地上、路地の奥。大きな建物に囲まれている場所。側に水場 建物の上。2階建ての建物に挟まれている。木箱の側 テンプル騎士団 : 3人 ビューポイント : 9箇所 ダマスカス 中流地区 イスラム軍旗 : 34本 建物に囲まれた、ベンチのある狭い空間。屋根の下。地上。 二階部分から広場に突き出た出窓の上。 屋根の上、付近に弓兵がいるので始末しておこう。 休憩所っぽい狭い空間の中、地上。 建物の上、少し低くなった梯子がかかっている場所 建物の上、深緑の屋上庭園のそば 休憩所っぽい狭い空間の中、地上。 宙吊りになっている板の上 地上、建物と建物の間の奥まったところ 地上、ジャンキーだらけの狭い路地の奥 東側から屋根を伝って接近すると見つけやすい。少々低い位置にある屋根の上。 でかい建物の木箱みたいな奴の上 豪華な家の中庭(?)、地上通路部分に落ちている。 建物の上、少し低くなった梯子がかかっている場所 地上、すぐそばに梯子がある 建物の上 地上、周りを塀と建物に囲まれている 建物の上、近くに鳥かごみたいなのがある .梁の上 壁に囲まれた建物の壁の上、ビューポイントの近くのドーム 城壁際、屋根の上。 城壁際、屋根の上。 地上、周囲を壁に囲まれているので多少見えにくい。中毒者多い。 屋根の上。見晴らしがいいが北側には壁、東側には箱があって旗が確認しにくい。 建物の上、木箱みたいな庇の上 衛兵が警備している家。木製の屋根の下にあるので地上から。 屋上、鳥かご(煙突?)みたいな奴の上 地上、建物の扉前、すぐそばに見張りの兵士が居る 建物の上、扉の前にある 路地付近の少し低い位置にある屋根の上。 屋根の上、見晴らしがいいのですぐ見つかる。 建物の上、地上から木の台みたいなのを登ってすぐ 玄関口っぽいところに落ちている、地上。 兵士が警備してる家の中庭、木の屋根の下 テンプル騎士団 : 3人 ビューポイント : 7箇所 ダマスカス 富裕地区 ※テンプル騎士団が画像に記載漏れです。31と32の旗の間くらいに一人います。 イスラム軍旗 : 33本 建物2階、ベランダ部分 屋上入り口の屋根 路地の頭上に吊られてる木の板の上 建物の川沿いの壁面2階の庇の上 2階屋上、3階建物部分の影 地上、城壁際 城壁内の建物1階、中庭に面した廊下 城壁門上の梁 城壁内、壁際2階部分の木の板の上 2階屋上の小屋のベランダ?の中 建物内1階中庭 地上、川沿い、井戸の傍の木と建物の間 細い橋の上 地上、建物軒下 大きいモスク内、廊下の梁の上 広場の外周の柱の上 小さいモスク、屋上のドームの影 クランク状の階段路地 建物内、中庭 大きいモスク屋上、南側のドーム脇の屋根 2階屋上の小屋のベランダ?の中 地上、路地の奥、梯子手前 マーケット屋上 地上、木組みの足場の隣 建物の玄関の梁の上 3階ベランダ マーケット内、梁の上 マーケット内、店の出てない場所 3階屋上 2階ベランダ部分 中庭のある建物、2階ベランダ部分 豪邸の屋上 地上、池の中の小島 (英語のを訳したものではなく、自分でメモったものなので自信無し、一応英語のも残しときます) In the middle of a room one story up without a roof In plain view, on a roof 2 stories up On a wooden platform hanging over the street Damascus rich #4 is on a wood awning overlooking the canal. You need to climb the building then drop down to the awning and you should land right on top of it. On a roof 2 stories up At the end of a small alley with two sets of stairs, right in front of a large wall. Inside one of the hallways surrounding the large courtyard, at ground level High up on a wooden plank in the opening in the wall (guarded by 4 guards on the ground) On a low wooden overhang at the end of a small alley In the middle of a small, half-destroyed room a couple stories up In a tiny room on the side of the small room with a bench Ground level, near a well and a tree, next to the canal On a small, ground level bridge extending over the canal Ground level, in a small room on the side of the street This one’s tricky. Get to ground level inside the courtyard and look up to its location on the map. You should see it a couple stories up on a balcony. Climb up to its level and shimmy over to it. Climb up to the roof and look down into the courtyard. It’s on a pillar in the courtyard. On the roof, right next to the huge dome Ground level, in a small alley Ground level, in a small courtyard enclosed by some buildings Way up on the highest tiled roof In an open room one story up In a corner down an alley, at ground level On top of the long dome-shaped divider on the roof Ground level, in a corner, outside the covered market On a wooden plank above a door on the street In an open room one story up On one of the wooden planks above the market, inside the building At ground level in the covered market, in a side room On a roof 2 stories up In an open room one story up In a balcony in a courtyard enclosed by some buildings At the top of the highest roof; as far as I can tell, you have to climb up from the inside of the building Ground level, on a platform in the water テンプル騎士団 : 4人 MAPに3人しか載っていないが、4人目は31番の旗の西側の区画にいる。 ビューポイント : 10箇所
https://w.atwiki.jp/hammerfairy/pages/249.html
ダマスカスプレート 木目上の模様が美しい鋼素材で作られた鎧(麻痺耐) 打撃耐性 麻痺,-,25 装備可:アナ 波模様というか木目模様というか、 強靭な特殊金属、 ダマスカスを加工して作られているらしい鎧。 ちなみにダマスカス鋼は、 魔法金属ミスリルと違って、 今でももっぱらドワーフ達の手によって 加工が続いている。 一般人がお目にかかることは少ないが、 お高いインペリアルガードなんかが好んで着ている。
https://w.atwiki.jp/talesofdic/pages/19743.html
ダマスカス(だますかす) 概要 ラタトスクの騎士に登場した素材系のアイテム。 登場作品 + 目次 TOSラタトスクの騎士合成 関連リンク関連品 ネタ ネタ TOSラタトスクの騎士 秘伝の技術によって鍛造された剛性と粘性を兼ね備えた特殊な金属 合成用素材の一種。 ギルタブリル等が落とす。 分類 合成用素材 売値 4077 入手方法 拾 グラズヘイム(フロア5)(5%) 落 ギルタブリル(9%)モーンブレイド(10%)タロス(12%) 盗 アースイーター(2%)スライムモールド(7%) 合 ゴーレムの欠片×24622ガルド 玉鋼×1賢者の石×14622ガルド イ モンスターフィッシング:南(丸い形:青) 合成 基本素材 他の素材 費用 完成品 ダマスカス×1 賢者の石×1 4622 オリハルコン スモールソード×1 ウルフの毛皮×1アニマ×1ダマスカス×2 5659 ライオットスパイク グレートソード ×1 トカゲの皮×1ダマスカス×2 1786 バスタードソード バスタードソード×1 悪魔の血×1飛竜の皮×1ダマスカス×2 8930 デモニックトーメント ダークプレート×1 ぶよぶよした皮×1玉鋼×1ダマスカス×2 4838 ソリチュード スケイルガントレット×1 弾力のある皮×1ダマスカス×2 248 ハーフガントレット ダークガントレット×1 デーモンの翼×1デーモンの角×1ダマスカス×2 2903 ダークパッセージ ▲ 関連リンク 関連品 ダマスカス鋼 ネタ ネタ ダマスカス(英:damascus)とは、木目状の模様を特徴とする鋼であり、古代インドで開発されたるつぼ鋼であるウーツ鋼の別称の事。