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日本セメント 【商号履歴】 日本セメント株式会社(1947年5月~1998年10月1日秩父小野田株式会社に合併) 浅野セメント株式会社(1912年10月~1947年5月) 【株式上場履歴】 <東証1部>1949年5月16日~1998年9月24日(秩父小野田株式会社に合併) <大証1部>1949年5月16日~1998年9月24日(秩父小野田株式会社に合併) 【合併履歴】 1942年3月 日 東亜セメント株式会社 1941年3月 日 日東セメント株式会社 1940年5月 日 土佐セメント株式会社 1939年10月 日 日本セメント株式会社 1924年6月 日 大阪木津川セメント株式会社 1915年7月 日 北海道セメント株式会社 1913年2月 日 浅野セメント合資会社 【沿革】 1883年4月16日 官営深川工作分局セメント工場を借り受けセメント製造開始(会社創立)。 1884年7月8日 セメント工場の払下げを受け、匿名組合組織として発足。工場は浅野工場(後の深川工場、東京工場)と命名。 1893年9月 浅野門司分工場(後の門司工場)を新設。 1898年2月 浅野セメント合資会社に改組。 1912年10月 浅野セメント株式会社設立。 1913年2月 浅野セメント株式会社が浅野セメント合資会社を合併。 1915年7月 北海道セメント株式会社を合併、北海道工場(現・上磯工場)を移管。 1917年5月 川崎工場(現・デイ・シイ川崎工場)を新設。 1917年7月 台湾工場新設。 1924年6月 大阪木津川セメント株式会社を合併、大阪工場を移管。 1929年5月 西多摩工場(現・西多摩事務所)を新設。 1933年11月 満州に進出。 1935年6月 香春工場(後の香春太平洋セメント香春工場)を新設。 1936年6月 朝鮮に進出。 1939年10月 日本セメント株式会社(初代法人)を合併、佐伯工場(現・大分工場佐伯プラント)及び八代工場を移管。 1939年11月 東京工場閉鎖。 1940年5月 土佐セメント株式会社を合併、土佐工場を移管。 1941年2月 川崎工場を新設の日本高炉セメント株式会社(現:デイ・シイ)に譲渡。 1941年3月 日東セメント株式会社を合併、糸崎工場を移管。 1942年3月 東亜セメント株式会社を合併、尼崎工場を移管。 1944年1月 北海道工場を上磯工場に改称。 1947年5月 日本セメント株式会社に商号変更。 1948年9月 尼崎工場新設。 1955年4月 埼玉工場を新設。 1957年2月 大阪工場閉鎖。 1980年4月 門司工場・八代工場閉鎖。 1984年9月 セメント共同販売会社の大日本セメント共同事業株式会社を設立。日本セメント・大阪セメント・第一セメント・明星セメントが参加。 1994年5月31日 大日本セメント解散。 1996年4月 山陽白色セメントに糸崎工場を譲渡。 1998年10月1日 秩父小野田に合併。
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秩父セメント 【商号履歴】 秩父セメント株式会社(1923年1月~1994年9月30日) 【株式上場履歴】 <東証1部>1985年12月2日~1994年9月24日(小野田セメント株式会社に合併) <東証2部>1961年10月2日~1985年12月1日(1部に指定替え) 【沿革】 大正12年1月 秩父セメント株式会社設立 平成6年10月1日 小野田セメント株式会社と合併し、秩父小野田株式会社発足、本社を東京都港区西新橋に定める
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水セメント比 みずセメントひ コンクリートやモルタルの主要な原料である、水とセメントとの比のことで、「水/セメント」の百分率であらわされる。 水が多いほど(水セメント比が高いほど)練り混ぜしやすく、型枠にも打ち込みやすい半面、コンクリートの強度は低下する。 建築用コンクリートの水セメント比は50~65%。 関連項目 建築・都市辞典
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東洋セメント 【商号履歴】 東洋セメント株式会社 【株式上場履歴】 <大証1部>1950年6月2日~1950年10月24日(磐城セメント株式会社に合併)
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三菱セメント 【商号履歴】 三菱セメント株式会社(1970年1月1日~1973年4月1日三菱鉱業株式会社に合併) 武甲開発株式会社(1948年11月24日~1970年1月1日) 【株式上場履歴】 <東証1部>1970年3月2日~1973年4月1日(三菱鉱業株式会社に合併) 【合併履歴】 1970年1月1日 三菱セメント株式会社 【沿革】 1954年2月 三菱セメント株式会社発足。 1955年4月 黒崎工場(現・九州工場黒崎生産課)操業開始。 1963年5月 東谷工場(現・東谷鉱山)操業開始。 1969年6月 横瀬工場操業開始。
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太平洋セメント 本店:東京都中央区明石町8番1号 【商号履歴】 太平洋セメント株式会社(1998年10月1日~) 秩父小野田株式会社(1994年10月1日~1998年10月1日) 小野田セメント株式会社(1951年11月~1994年10月1日) 小野田セメント製造株式会社(1893年11月~1951年11月) 有限責任小野田セメント製造株式会社(1891年10月~1893年11月) セメント製造会社(1881年5月3日~1891年10月) 【株式上場履歴】 <東証1部>1949年5月16日~ <大証1部>1949年5月16日~2003年8月10日(上場廃止申請) <福証> 年 月 日~1952年2月25日(上場再審査) 【合併履歴】 1998年10月1日 日本セメント株式会社 1994年10月1日 秩父セメント株式会社 1942年4月 日 東北セメント株式会社 1938年7月 日 大分セメント株式会社 1938年7月 日 太平セメント株式会社 1929年3月 日 中央セメント株式会社 1925年1月 日 愛知セメント株式会社 【沿革】 1881年5月3日 笠井順八によりセメント製造会社設立。 1883年3月 本社工場(後の小野田工場、現在の小野田事務所)を新設。 1891年10月 有限責任小野田セメント製造株式会社に改組。 1893年11月 小野田セメント製造株式会社に改組。 1915年7月 合併により現上磯工場取得 1925年1月 愛知セメント株式会社を合併、愛知支社工場発足。 1929年3月 中央セメント株式会社を合併、八幡工場を移管。 1931年10月 阿哲工場(後の新見工場)を新設。 1932年12月 藤原工場を新設。 1938年7月 大分セメント株式会社を合併、津久見工場(現・大分工場津久見プラント)、徳浦工場、由良工場を移管。太平セメント株式会社を合併、太平工場を移管。 1939年2月 愛知支社工場閉鎖(施設は恒見工場に転用)。 1939年10月 合併により佐伯工場(現 大分工場)取得 1939年12月 徳浦工場閉鎖。 1940年5月 合併により現土佐工場取得 1942年4月 東北セメント株式会社を合併、大船渡工場を移管。 1943年6月 由良工場閉鎖、恒見工場(後の北九州第一工場→北九州小野田セメント門司工場)を新設。 1943年7月 東洋産業株式会社田原工場を買収。 1944年4月 本社工場を小野田工場に改称。 1944年7月 日本石綿盤株式会社彦根工場を買収。 1945年10月 津久見工場を大分第一工場に、太平工場を大分第二工場に改称。 1947年10月 彦根工場を野沢石綿興業株式会社に返却。 1949年5月 株式上場 1949年8月 大分第一工場を津久見第一工場に、大分第二工場を津久見第二工場に改称。 1951年4月 東海運株式会社に資本参加 1951年11月 小野田セメント株式会社に商号変更。 1955年4月 埼玉工場完成 1955年9月 小野田化学工業株式会社を設立。 1962年7月 熊谷工場完成 1965年7月 阿哲工場を新見工場に改称。 1972年2月 明星セメント株式会社の全株式取得 1976年4月 恒見工場を北九州第一工場に、八幡工場を北九州第二工場に改称。 1979年7月 新見工場閉鎖。 1981年2月 北九州第二工場閉鎖。北九州第一工場を北九州工場に改称。 1984年9月 セメント共同販売会社の中央セメント株式会社を設立。小野田セメント・新日鐵化学・東洋曹達・三井鉱山・日立セメントが参加。 1985年7月 小野田工場でのセメント製造を終了、小野田事務所に改称。 1987年6月 三河小野田セメント株式会社、北九州小野田セメント株式会社を設立、前者に田原工場を、後者に北九州工場を譲渡。 1989年7月 中国に大連華能-小野田水泥有限公司(現 大連小野田水泥有限公司)を設立 1990年10月 米国のカリフォルニア・ポルトランド・セメント株式会社を買収 1991年7月30日 中央セメント解散。 1993年3月 中国に江南-小野田水泥有限公司を設立 1994年10月1日 小野田セメント株式会社が秩父セメント株式会社を合併、秩父小野田株式会社に商号変更。本社を東京都港区西新橋に定める 1995年3月 中国に秦皇島浅野水泥有限公司を設立 1995年4月 ベトナムにギソンセメントコーポレーションを設立 1996年4月 北九州小野田セメント門司工場操業停止。 1996年6月 秩父第一工場閉鎖。 1997年4月 三河小野田セメント田原工場閉鎖。 1998年10月1日 秩父小野田株式会社が日本セメント株式会社を合併、太平洋セメント株式会社に商号変更。本社を東京都千代田区西神田に定める 2000年7月 小野田エー・エル・シー株式会社は、日本イトン工業株式会社及び日本シポレックス工業株式会社から営業を譲り受け、クリオン株式会社となる 2000年10月 株式会社アスクと浅野スレート株式会社が合併し、株式会社エーアンドエーマテリアルとなる 2000年10月 雙龍洋灰工業株式会社に資本参加 2000年12月29日 秩父工場・香春工場をそれぞれ秩父太平洋セメント株式会社・香春太平洋セメント株式会社に譲渡。 2003年3月 子会社の三河小野田セメント、北九州小野田セメント解散。 2003年5月 本社を東京都中央区明石町に移転する 2003年10月 第一セメント株式会社と中央商事株式会社が合併し、株式会社デイ・シイとなる 2004年3月 香春太平洋セメント解散、同社香春工場閉鎖。 2004年4月 社内カンパニー制導入。 2005年10月 津久見工場と佐伯工場を大分工場として統合。 2006年3月 株式会社日本セラテックが東京証券取引所市場第二部から市場第一部へ指定替 2006年3月 東海運株式会社が東京証券取引所市場第二部へ上場 2007年3月 東海運株式会社が東京証券取引所市場第二部から市場第一部へ指定替 2007年4月 パシフィックシステム株式会社がジャスダック証券取引所へ上場
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セメントの女 題名:セメントの女 原題:The Lady In Cement (1961) 作者:マーヴィン・アルバート Marvin Albert 訳者:横山啓明 発行:ハヤカワ・ミステリ 2004.04.15 初版 価格:\1,000 博打でまきあげたクルーザーに暮らし、ダイビングを楽しむ私立探偵トニー・ローム。舞台はマイアミ、きちんと事務所も用意しているのに、とてもラフな遊び人探偵。そんな陽気な明るい雰囲気のシリーズは、現代でも通用しそうなくらい、テンポのいい軽ハードボイルドの傑作だった。 事務所で大人しくしているタイプではなく、本当にじっとしていられないたちの探偵だということがわかる。負けず嫌いで、へそ曲がりであり、へらず口を叩くよりも手が出ているタイプなのだろう。若いし、体力もあり、よく走り、よく泳ぎ、よく殴られる。満身創痍の体を引きずりながら事件をストレートに追い込んでゆくそのギャンブル的捜査は、ある意味とても新鮮だ。 ストーリーもなかなかに粋である。沈没船の財宝を探しに潜った海中10mのところで、セメントの錘をつけられ沈められたばかりのブロンド美女の死体を発見する冒頭から、殺し屋に狙われる探偵。殺し屋たちとは別の粗暴な大男が事件をやっかいにし、探偵はゆきがかり上、リッチな美女の助けを得て、凝りに凝った事件の全貌に迫ってゆく。 二転三転する仕掛けや、なかなか確定しない真犯人、往生際の悪い悪党といった仕掛けも面白いが、探偵が警察にまで追われて、出口なきマイアミビーチを逃げ回るシーンが迫真の楽しさ。ハードボイルドに冒険小説的味わいも加えて、自然の地形を十分に利用してしっかり腰を据えた物語になっている。このシリーズ、他の作品も読みたくなったほど。 ちなみに本書はポケミス名画座。主人公の探偵を映画ではフランク・シナトラが演じているそうである。他に『トニー・ローム/殺しの追跡』というシリーズ映画もあるのだそうだ。作者は映画脚本も多く書いている。だからだろう、このテンポのよさ、映画のように味わえるエンターテインメント性の高さを感じるのは。 地味ながらも当たり。無条件にオススメしたい一冊である。 (2004/06/23)
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住友大阪セメント 本店:東京都千代田区六番町6番地28 【商号履歴】 住友大阪セメント株式会社(1994年10月1日~) 住友セメント株式会社(1963年10月1日~1994年10月1日) 磐城セメント株式会社(1907年11月29日~1963年10月1日) 【株式上場履歴】 <東証1部>1949年5月16日~ <大証1部>1951年2月1日~ 【合併履歴】 1996年10月 日 スミセ興産株式会社 1994年10月 日 大阪セメント株式会社 1966年6月 日 滋賀興産株式会社 1963年5月 日 福島セメント株式会社 1963年5月 日 住友石灰工業株式会社 1960年5月 日 川崎セメント株式会社 1955年7月 日 不二ドロマイト工業株式会社 1950年12月 日 東洋セメント株式会社 1941年11月 日 七尾セメント株式会社 1940年12月 日 富国セメント株式会社 1925年7月 日 日の出セメント株式会社 【沿革】 当社は、明治39年、広瀬金七、岩崎清七らにより、セメントの製造・販売を目的とする会社としてその設立が企図され、明治40年11月、商号を磐城セメント株式会社、資本金を100万円、本店を横浜市太田町3丁目52番として設立された。 その後、昭和38年10月に商号を住友セメント株式会社に変更した。そして平成6年10月に、大阪セメント株式会社と合併、商号を住友大阪セメント株式会社に変更し、現在に至っている。 その主な変遷は次の通りである。 明治40年11月 磐城セメント株式会社を設立 明治41年9月 四倉工場を新設 大正14年7月 日の出セメント株式会社を合併(八戸工場) 昭和15年12月 富国セメント株式会社を合併(現栃木工場) 昭和16年11月 七尾セメント株式会社を合併(七尾工場) 昭和24年5月 東京証券取引所の市場第一部に上場 昭和25年12月 東洋セメント株式会社を合併 昭和29年7月 浜松工場を新設 昭和30年7月 不二ドロマイト工業株式会社を合併 昭和35年5月 川崎セメント株式会社を合併(現岐阜工場) 昭和38年5月 福島セメント株式会社(田村工場)及び住友石灰工業株式会社(現山口事業所)を合併 昭和41年6月 滋賀興産株式会社を合併(多賀工場、彦根工場) 昭和41年9月 赤穂第一工場を新設 昭和50年7月 七尾、多賀両工場を閉鎖 昭和50年12月 赤穂第二工場を新設 昭和52年9月 八戸工場を分離し、八戸セメント株式会社を設立(現・連結子会社) 昭和59年11月 浜松工場を閉鎖 昭和61年9月 四倉工場を閉鎖 昭和62年1月 株式会社応用光電研究室を買収(現・連結子会社) 昭和62年4月 赤穂第一工場及び赤穂第二工場を統合し、赤穂工場とする。 昭和62年12月 秋芳鉱業株式会社を設立(現・連結子会社) 昭和63年12月 OAシステム事業部門を分離し、住友セメントシステム開発株式会社を設立(現・連結子会社) 平成2年4月 住友金属工業株式会社と共同で和歌山高炉セメント株式会社を設立(現・連結子会社) 平成6年3月 青木海運株式会社を買収(現・連結子会社 スミセ海運株式会社) 平成6年10月 大阪セメント株式会社と合併、商号を住友大阪セメント株式会社に変更 平成8年3月 彦根工場を閉鎖 平成8年10月 スミセ興産株式会社を合併 平成12年3月 田村工場を閉鎖 平成15年3月 伊吹工場におけるセメント生産を中止
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名前 セメントうるし 分類 不明 初出 アニメオリジナル 捕獲レベル 不明 生息地 スキルガーデン 概要 アニメオリジナルの植物。 セメント並の強度を誇るうるし。即効性が高く、デビルプラントホース攻略の鍵となった。 関連項目 猛獣・食材図鑑(アニメオリジナル) ステンドグラワー ワス
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三菱鉱業セメント 【商号履歴】 三菱鉱業セメント株式会社(1973年4月2日~1990年12月) 三菱鉱業株式会社(1918年4月10日~1973年4月2日) 【株式上場履歴】 <東証1部>1949年5月16日~1990年11月24日(三菱金属株式会社に合併) <大証1部>1949年5月16日~1990年11月24日(三菱金属株式会社に合併) 【合併履歴】 1973年4月1日 三菱セメント株式会社 1973年4月1日 豊国セメント株式会社 【沿革】 1918年4月 三菱鉱業株式会社設立。三菱合資会社より鉱業関係の資産を継承。 1920年5月 苅田工場(現・三菱マテリアル株式会社九州工場)設置。 1944年1月 新潟金属工業所(現・三菱マテリアル株式会社新潟製作所)設置。 1945年4月 非鉄金属工業所(現・三菱マテリアル株式会社桶川製作所)設置。 1947年5月 菱光産業株式会社設立。 1950年4月1日 三菱鉱業株式会社の金属部門を分離し、太平鉱業株式会社設立。 1950年9月 太平鉱業株式会社が東証上場。 1952年12月 太平鉱業株式会社が三菱金属鉱業株式会社に商号変更。 1955年4月 黒崎工場設置。 1956年9月 東谷鉱山操業開始。 1958年5月 大手興産株式会社(現・三菱マテリアルテクノ株式会社)設立。 1958年6月 岩手セメント工場(現・三菱マテリアル株式会社岩手工場)設置。 1962年1月 三菱アルミニウム株式会社設立。 1963年5月 株式会社ダイヤコンサルタント設立。 1963年12月 小名浜製錬株式会社設立。 1967年6月 高純度シリコン株式会社(現・三菱マテリアルポリシリコン株式会社)設立。 1969年6月 横瀬工場設置。 1969年10月 国内炭鉱部門を分離。 1970年6月 台湾慶喜慶社(現・MMCエレクトロニクスタイワン社)設立。 1971年12月 三菱原子燃料株式会社設立。 1972年10月 富士小山工場設置。 1973年4月 岐阜工場(現・三菱マテリアル株式会社岐阜製作所)設置。 1973年4月 三菱セメント株式会社、豊国セメント株式会社を合併し、三菱鉱業セメント株式会社に商号変更。 1973年12月 三菱金属鉱業株式会社が三菱金属株式会社に商号変更。 1973年12月 岐阜工場設置。 1976年1月 岡山アルミ罐工場(現・三菱マテリアル株式会社岡山工場)設置。 1976年7月 国内金属鉱山部門を分離。 1979年3月 青森セメント工場(現・三菱マテリアル株式会社青森工場)設置。 1983年10月 MMCハルトメタル社設立。 1983年11月 セラミックス工場設置。 1985年10月 株式会社菱鉱ファイナンス(現・株式会社マテリアルファイナンス)設立。 1986年1月 株式会社菱愛(現・三菱マテリアル不動産株式会社)設立。 1986年1月 釜屋電機株式会社に出資し、子会社化。 1987年4月 藤岡工場(現・三菱マテリアル株式会社藤岡製作所)設置。 1988年3月 米国三菱セメント社設立。 1988年8月 米国三菱セメント開発社設立。 1989年10月 堺工場及び三田工場設置。 1990年4月 結城工場設置。 1990年12月 三菱金属株式会社に合併。